沿線風景(函館線)


(2017年5月16日) ポップアップ対応で、左クリックにより大画像を示すようになりました。
(2020年5月25日) 札沼線の車窓については、沿線風景(札沼線)に移動しました。

函館線(函館~大沼)

函館駅(函館線) 2018.10.25
人口26万人の函館市の代表駅。ターミナル型の配線に旅情が香る。現在の駅舎は2003年に竣工したもの。駅前には函館市電函館駅前停留所があい、2系統の路線が行きかう。 
函館の魅力の一つである海鮮。駅前の市場食堂街には、色鮮やかな海鮮丼がディスプレイされている。2018.10.25 1965年に青函連絡船として就航した2代目摩周丸は、青函トンネル開通に伴って、1988年3月13日に終航。1991年からは旧函館桟橋駅の跡地で一般公開されるようになり、現在まで青函連絡船記念館として、函館駅先の桟橋で展示されている。2018.10.25
摩周丸内部。操舵室の様子。2018.10.25 摩周丸コンパス甲板から見る函館どっく。2018.10.25 摩周丸コンパス甲板から見る函館山。2018.10.25
恵山。亀田半島の先端にある標高618mの火山。東側は急峻な海食崖であり、道路も通じていない。春に咲くエゾヤマツツジが有名。周囲には温泉が多くある。無雪期には7合目にある火口原駐車場まで車で来ることが出来、そこから2時間程度で頂上まで往復できる。上左;2016.01.16 上中・右;2016.01.17 下3枚;2018.10.26 
「箱館ハイカラ號」と名付けられたレトロ風函館市電車両。無雪期限定で運転されている。1992年、函館市制70周年記念事業で復元された。2015.07.26
五稜郭駅(函館線) 2018.10.25
北海道新幹線の開業に伴って、2016年3月26日にJR北海道から分離された道南いさりび鉄道、函館貨物駅への貨物線が分岐する。函館市街地にあり、1997年以降、特急列車も停車するようになった。
桔梗駅(函館線) 2018.10.25
函館市桔梗町にある駅。付近は住宅地で通勤通学の利用が多い。
大中山駅(函館線) 2018.10.25
七飯町大中山にある駅。桔梗駅と同じように住宅地の中にあって、通勤通学に多く利用されている。
七飯駅(函館線) 2018.10.25
人口2万8千人の七飯町の代表駅。勾配緩和のため建設された新線(藤城線)が、当駅から直接大沼駅めがけて分岐する。
七飯駅の北側で分岐する通称藤城線。仁山付近の勾配緩和を目的として後から建設された新線。かつては下りの優等列車が経由した。しかし、旧線途中に新函館北斗駅が開設されたため、北海道新幹線開業後は、全優等列車が旧線を経由することとなってしまい、撮影日現在では、線形と勾配に有利な新線であるにもかかわらず、一部の普通列車及び貨物列車のみが使用する状況となっている。2018.10.25 新函館北斗駅(函館線) 2018.10.25
かつての渡島大野駅。2016年3月26日の北海道新幹線開業に伴って、同新幹線の終着駅となり、駅名も変更された。畑地の中の駅。
仁山駅(函館線) 左,中;2016.01.16 右;2016.09.23
もとは急勾配の途中に設置された信号場。仁山高原スキー場が近くにある。
仁山から大沼めがけて急な勾配を登る。高度が上がった頃、南方車窓に函館平野を一望できるポイントがある。天気が良ければ函館山までくっきりと見える。撮影時は残念ながら曇天。2018.10.25 仁山-大沼間車窓。有名な函館線のビュー・ポイント。小沼越しに駒ヶ岳の優美な山容が見える。2018.10.25
仁山-大沼間車窓。曇っていると駒ヶ岳は望めないが、湖沼群が車窓を楽しませる。 2016.09.23 大沼駅(函館線) 左;2016.01.16 右;2016.09.23
駒ヶ岳山麓の大沼のほとりにある駅。七飯と大沼の間は標高差が100mあり、鉄道交通の難所。付近の勾配に対応するために建設された南方の藤城線、北方の砂原線が、それぞれこの駅から分岐する。


函館線(大沼~森)

   
大沼公園駅(函館線) 2016.01.16
道南を代表する景勝地、大沼公園にあり、周囲の観光拠点となっている。特急も停車する。
大沼国定公園。駒ヶ岳の火山活動により生じた大小様々な湖沼が連なり、新日本三景の一つに挙げられる美しい場所。冬季は水鳥たちの越冬地にもなる。函館線は公園内を通過しており、美しい車窓風景が堪能できる。2016.01.16
大沼-池田園間車窓。砂原線から見た分岐していく本線。2018.10.25 池田園駅(函館線) 2016.09.23
大沼電鉄の鬼柳駅として開業した歴史を持つ。七飯町の軍川にある。「軍川」は大沼駅の旧駅名でもある。
流山温泉駅(函館線) 2016.09.23
付近の温泉施設のため、2002年に開業した駅であるが、訪問日現在、温泉施設は稼働していない、との掲示があった。一時駅まで静態保存されていた200系新幹線車両は、解体撤去されてしまった。
銚子口駅(函館線)左;2016.09.23 中・右;2018.10.25
1948年から1952年まで、駅前に大沼電鉄新銚子口駅が設置され、鹿部市街までの線路が延びていた。
鹿部駅(函館線) 左,中;2016.01.17 右;2016.09.23
鹿部町の代表駅だが、鹿部市街からは離れている。地理的には駒ヶ岳の山裾であるが、付近は風光明媚な温泉地で、駅の近くは別荘地になっており、林の中にこじゃれた家屋があちこち建っている。砂原線の建設前は、1929年から1952年まで、一時休止しながら、大沼公園駅、あるいは新銚子口駅から鹿部まで大沼電鉄が運行されていた。大沼電鉄の鹿部駅は、市街に近い所にあり、現鹿部駅とは異なる。
渡島沼尻駅(函館線) 左,中;2016.01.17 右;2016.09.23
森町砂原東にある小駅。側線があり、保線作業車両の退避等に使用されている。
渡島沼尻駅を通過する貨物列車。砂原線は貨物列車が多く運行されており、行き違い可能な駅では、長い有効長が設計されており、構内は広い。2018.10.25 渡島砂原駅(函館線) 2016.01.17
かつて砂原町の代表駅だったが、砂原町は2005年に森町に吸収合併され消滅している。森との間を結んでいた渡島海岸鉄道の終点として1927年に砂原駅が開業しているが、こちらは現駅とは少し離れた場所にあった。1945年の国有化により現在地に移転した。
渡島砂原-掛澗間、車窓から見る駒ヶ岳の夕景。2018.10.25
掛澗駅(函館線) 左;2016.09.23 中;2018.10.25
前身である渡島海岸鉄道の同名駅が国鉄線開業に合わせて移設された形。海沿いに広がる集落の山側にある。
尾白内駅(函館線) 2016.09.23
前身である渡島海岸鉄道の同名駅が国鉄線開業に合わせて移設された形。森駅まで通学の学生が利用している。
再塗装、修復された尾白内駅。2018.10.25 東森駅(函館線) 中;2016.09.23 右;2018.10.25
森町の駅。掛澗、尾白内同様、渡島海岸鉄道発足時以来の駅。当駅に関しては、渡島海岸鉄道時代から、ほぼ同じ場所に立地している。
駒ヶ岳。渡島砂原付近から。2016.01.17 東森-森 間車窓。夕暮れ時、郷愁溢れる森駅に入線する個所は旅情に満ちたところ。2018.10.25
列車から見る大沼公園。写真の上手な人ならもっときれいに撮れます。2018.10.25 赤井川駅(函館線) 2016.01.16
森町の駅。小さな集落の端にある。大沼国定公園内の蓴菜沼が近い。
紅葉の季節の赤井川駅は、周囲が色づき、ひときわ美しい。2018.10.25
赤井川-駒ヶ岳間を行く函館線の普通列車。2016.01.16 赤井川-駒ヶ岳間の列車から見る駒ヶ岳。付近は眺望がひらけている場所が多く、様々な角度から美しい山容を楽しめる。2018.10.25
駒ヶ岳。森付近から。この地域を象徴する優美な活火山。標高1,131m。周囲を函館線と砂原線によって囲まれていて、長く車窓を楽しいものにしてくれる。2016.01.17 駒ヶ岳駅(函館線) 中;2016.01.16 右;2018.10.25
駒ヶ岳登山道の入口に近い。周囲は同名の集落になっている。このあたりは、どこからでも駒ヶ岳が良く見える。
駒ヶ岳は火山活動により、頂上付近への立ち入りが禁止されているが、標高900mの馬の背までは、登山口から2時間程度で往復できる。大沼の湖沼群を見渡す眺望が広がる。2016.09.22 東山駅(函館線) 2016.09.23
勾配への対処のため、加速線を持つ信号場として設置された駅。森の中に佇む。
姫川駅への道標。瀟洒なデザインで林へ続く道に誘う。2016.01.16
姫川駅(函館線) 2016.01.16
道南を代表する秘境駅の一つ。列車以外でアプローチすると、白樺の林の中の舗装されていない道を、駒ヶ岳を眺めながら、しばらく進むことになる。駅からは線路延長方向に駒ヶ岳が見え、天気によっては絶景駅ともなる。
姫川駅に通じる唯一の道。まるで物語の世界に彷徨いこんだような小道。2016.01.16
駒ヶ岳-森間車窓。勾配緩和のため、線路は様々な曲線を描いている。2018.10.25 駒ヶ岳ー森間を行く列車から見る駒ヶ岳。目まぐるしく列車の方角が変わるこの区間では、時に前方、時に後方に駒ヶ岳の姿があって楽しい。2018.10.25


函館線(森~長万部)

   
森駅(函館線) 上3枚;2016.01.15 下3枚;2018.10.25
人口1万7千人の森町の代表駅。ちなみの森町は「もりまち」と読む。北海道内で町を「まち」と読む唯一の自治体。砂原線が分岐する。背景に内浦湾を持ち、振り返ると駒ヶ岳が迫るこの駅の景観は圧倒的で、いやがうえにも旅情が胸に迫る駅。駅弁「いかめし」は全国区の知名度を誇る。
森駅で発車を待つ普通列車。2016.01.15 桂川駅(函館線) 2016.01.15
函館線の森-長万部間は、断続的に複線化がすすめられる中で、様々な信号場が開設され、それがのちに駅となったものが多い。桂川駅もその一つ。ホームから駒ヶ岳が良く見える。
石谷駅(函館線) 2016.01.15
もともとは1930年の開設時は信号場だったが、翌年には旅客の取り扱いを開始した。
石谷付近の車窓。内浦湾と駒ヶ岳の眺望。2016.01.15 本石倉駅(函館線) 2016.01.16
桂川駅、石谷駅同様に最初は信号場だった。1964年に一旦旅客扱いを廃止したが、1973年に復活した経歴がある。付近には石倉の集落がある。 築堤の上にあるので、高架駅のような雰囲気がある。
石倉付近の車窓。このあたりは角度的に内浦湾越しに駒ヶ岳を見渡す車窓が楽しめる。2016.01.15
本石倉ー石倉間。車窓から見える駒ヶ岳の全貌。 2016.01.15 石倉駅(函館線) 2016.01.15
森町の集落、石倉にある駅。ホームと線路が互い違いに並ぶ不思議な構造を持つ。
落部駅(函館線) 2016.01.15
八雲町の駅。付近には比較的大きな集落が形成されている。秘湯として有名な銀婚湯温泉は、この駅から落部川に沿って遡った先にある。
落部駅に入線する普通列車。2016.09.23 かつて、落部駅を起点とし、落部川を遡る石材搬送用の軌道が存在していた。現在の上の湯銀婚湯温泉への途上の採石場まで通じていた。1941年に軌道が敷設され、廃止時期は不明であるが、1954年編集の地形図「落部」及び1957年発行の地形図「濁川」には記載がある。軌道の終点だった付近には、石材を切り崩したと思われる岩肌を露出した岩塊がある。2018.01.26 落部駅から、落部川に沿って遡ると、秘湯銀婚湯温泉に至る。銀婚湯温泉では、無雪期に、森の中に配した5つの外湯を巡ることができ、ひそかな人気がある。写真は5つの外湯の一つ、「どんぐりの湯」2016.09.23
2018.01.30 追記 2018年1月に再訪したところ、一部を除いて、どんぐりの湯などの3つの外湯は入湯可能でした。
上記追記関連。銀婚湯温泉、冬の外湯の様子。こちらは「かつらの湯」。宿泊を前提に日のある時間帯に利用できる。2018.01.27 かつらの湯から見る落部川の流れ。2018.01.27
落部-野田生間の車窓 2016.01.15 野田生駅(函館線) 2016.01.15
明治のころには機関庫もあったと言う。八雲との間を行き来する人が多い。
内浦湾と駒ヶ岳。 2016.01.17 山越駅(函館線) 2016.01.15
風変りな駅舎であるが、これは1801年に幕府がここに関所を置き「蝦夷地」との境界と定めた由来に基づく。最北の関所である。また、1669年のシャクシャインの乱の際は、この地の松前藩の陣地に対しても大規模な攻撃が行われた。この駅から先は、当時の江戸幕府の管轄外地ということになる。
内浦湾風景。八雲町の丘の上にある物産館からの景色。海岸から1kmほど内陸に入ったところ。内浦湾の全貌を見渡す景勝地。2016.01.17 八雲駅(函館線) 2016.01.15
人口1万8千人の八雲町の代表駅。特急停車駅で利用者も多い。八雲は太平洋(内浦湾)と日本海の双方に面し、豊かな自然と数多くの温泉に恵まれた土地で、酪農、漁業に関連した様々な特産品がある。
鷲ノ巣駅(函館線) 2016.01.15
信号場として開設され、仮乗降場を経て駅となった。しかし、近年の利用者の減少から、2016年3月26日に廃止予定となっている。管理人がこの日乗っていた普通列車からは、一人、この駅で降りた乗客がいた。
鷲ノ巣付近の車窓。2016.01.15 山崎駅(函館線) 2016.01.15
海に面した八雲町内の駅。
黒岩駅(函館線) 2016.01.15
「黒岩」は近くの岩礁から命名された地名。複線区間と単線区間の境にある。
北豊津駅(函館線) 2016.01.15
長万部町内の駅。元は信号場だった。林の中の静かな駅。
国縫駅(函館線) 2016.01.15
1987年まで瀬棚線の分岐駅で、かつては急行停車駅だった。現在も駅構内は広い。
中ノ沢駅(函館線) 2016.01.15
車掌車を改造した待合室が設置してある。
長万部駅(函館線) 2016.01.15
函館線と室蘭線の分岐駅で、またかつては、瀬棚線の列車も当駅から発着していた。そのため、古くから重要な鉄道交通の拠点であった。人口6千人の長万部町の代表駅。現在では長万部運転所も函館運転所と統合され、機能は縮小化された。


函館線(長万部~倶知安)

二股駅(函館線) 2016.01.17
函館と札幌を結ぶ優等列車がすべて室蘭線経由となったため、二股からは、ローカル線の色合いがひときわ濃くなる。有名な二股ラジウム温泉は、駅から西方8km。
蕨岱駅(函館線) 2016.01.17
長万部町内の駅。車掌車を改造した待合室が設置してある。二股、蕨岱ともに付近に集落があるが、過疎化が進行している。
熱郛駅(函館線) 2016.01.17
黒松内町内の集落、熱郛にある駅。駅舎には熱郛ホールの銘が入っており、町民のための小さなサロン施設との複合建築物になっている。
熱郛駅 2018.09.15
熱郛駅 2018.09.15 熱郛-目名間は目名峠の勾配を超える。脱線防止のガードが設置されている。2018.09.15
熱郛-目名間の車窓。2018.09.15 目名駅付近の車窓。稲作地帯が広がる。2018.09.15 目名駅(函館線) 2016.01.17
蘭越町の集落、目名にある駅。駅舎は木造の瀟洒な造りで、付近の美しい風景にもよく馴染む。
目名-蘭越。下り列車の前面にはニセコ連峰が展開する。2018.09.15 蘭越駅(函館線) 2016.09.22
人口5千人の蘭越町の代表駅。農業の活発な地域。蘭越町域は清流日本一とされる尻別川に沿って海まで広がっている。
昆布駅(函館線) 2014.09.07
観光地ニセコにあり、近くには温泉、スキー場もあるが、ターミナルとしての利用は倶知安駅、ニセコ駅に集中しており、観光利用はほとんどない静かな駅。
昆布駅ホームより、ニセコ方面を望む。2014.09.07 昆布-ニセコ、車窓。この付近では尻別川が車窓に彩りを添える。カヌーで川下りをする人もいる。2018.09.15 ニセコ駅(函館線) 2018.09.15
人口5千人のニセコ町の代表駅。周辺は世界的リゾート地として開発が進む。かつては狩太駅の名称で、1936年から1953年までは、殖民軌道真狩線が当駅を起点としていた。
ニセコ駅の駅舎は1988年に改築された山小屋風のデザインで、周囲の自然と街並みによく調和している。訪問時、ニセコ駅と周辺の市街地は、カボチャでデコレートされていた。2019.09.21 日曹炭鉱天塩鉱業所専用鉄道(豊富町)で運用され、1973年以降サッポロビール園で保存されていた9643.ビール園の改装に伴って、ニセコ駅に移転の上、保存されている。解体の危機を救い、ニセコの地域活性化に貢献することとなった。管理人も訪問して再見。2019.09.21
ニセコ町鉄道遺産として「植民軌道真狩線跡」と「旧新得駅機関区転車台跡」の説明版が設置してある。2019.09.21 1990年、C62による「ニセコ号」運転開始に伴って、新得駅からニセコ駅に移設された転車台。現在は運用されていないが、町の鉄道遺産として保存されている。後方の9643は、雪の季節の到来前にブルーシートで覆われる。左;2019.09.21 右;2020.10.03
尻別川がつくる大きな渓谷と函館線を、「ニセコ大橋」で跨ぐ北海道道66号岩内洞爺線からの風景。尻別川、羊蹄山、ニセコ駅、保存転車台を見渡すパノラマ風景。2020.10.03 真狩方面から見た秋の羊蹄山。2019.09.21
ニセコ大橋から初春の風景。尻別川をカヌーで下る人々の姿も見える。2021.03.27 ニセコアンヌプリ(1308m)。ニセコ連峰の最高峰で、スロープと雪質に恵まれ、世界的なゲレンデが斜面に連なている。2021.03.27 ニセコアンヌプリ国際スキー場にて。2021.03.26
ニセコイワオヌプリからの景色 2014.09.06
ニセコはスキーで有名だが、夏場は登山も良い。管理人はイワオヌプリに登ってみた。
岩内平野の夕暮れ 2014.08.15 倶知安・ニセコ周辺には世界的ゲレンデも多い。こちらは赤井川村のキロロリゾート。2015.02.22 
ニセコイワオヌプリから岩内方面を望む。2019.09.21 イワオヌプリ(1,116m)山頂から見るニセコアンヌプリ(1,308m)と、その向こうに羊蹄山(1,898m)。2019.09.21 中山峠から見る羊蹄山夕景。2019.09.21
ニセコビレッジスキーリゾートにて。ニセコアンヌプリの斜面から、雄大な風景に向かって滑走出来る。ニセコアンヌプリ山頂部の冬の風景も美しい。2022.01.21
ニセコビレッジスキーリゾートから望む羊蹄山。この日は山頂部が雲に覆われていた。2022.01.21 ヒルトンニセコビレッジの客室からの風景。羊蹄山との間に高さを遮るものは一つもない。眼下に広がる森林の手前側は、夏季にはニセコビレッジ・ゴルフコースとなる。世界を代表するリゾート地らしい風景。温泉も良質。2022.01.22
ニセコ-比羅夫間。下り列車前方に羊蹄山(1,898m)が見える。2018.09.15 ニセコ-比羅夫間の車窓。尻別川の渓流が見える。2018.09.15 ニセコ-比羅夫間。2018.09.15
比羅夫駅(函館線) 2018.09.15
駅舎を利用した民宿が有名。
比羅夫駅。駅奥にニセコ連峰の山並みが見える。2021.03.27 比羅夫駅のホーム。2021.03.27
比羅夫駅ホームからはニセコアンヌプリが良く見える。この日のように天気良いと、ゴンドラ、リフト、スキーヤーの姿まで、ホームから見ることが出来る。2021.03.27 比羅夫-倶知安間 車窓の尻別川。2018.09.15 比羅夫-倶知安間。東側車窓に羊蹄山が美しく見える。
倶知安町の文化福祉センターでは、「2つ目羊蹄号」の名で地元から愛された79615が静態保存してある。給水施設、信号機の一部など付属施設が一緒に保存されているのが嬉しい。79615の現役時の姿はこちらで紹介。 2017.05.12
倶知安駅(函館線) 2018.09.15
世界的リゾート地となり、付近はオーストラリアや中国資本も入り、開発が活発。付近の交通の中心地でもあり、多くのバス路線が発着する。
倶知安発長万部行の普通列車に乗り込む人々。2018.09.15
倶知安駅前からは羊蹄山がよく見える。2018.09.15 倶知安駅構内の機関庫。2018.09.15 機関庫の近くには、転車台が保存されている。2018.09.15
倶知安駅の西側に整備された緑地には、かつてこの地で倶知安機関区の施設として活躍した転車台が保存されている。2020.10.03
倶知安駅の保存転車台と羊蹄山。2020.10.03 訪問時、倶知安駅では新幹線のための設備が建設中だった。車窓の美しい函館線も、いずれ新幹線という名の長大な地下鉄に置き換わってしまうのか。2020.10.03 倶知安付近から見る羊蹄山。2020.10.03


函館線(倶知安~小樽)

倶知安-小沢間。南方に羊蹄山が見える。2018.09.15 小沢駅(函館線) 2016.09.22
共和町の同名の集落にある、かつての岩内線の分岐駅。分水嶺が近い勾配地にあり、かつては蒸気機関車の撮影を目的とした人たちが多く集まった。
小沢駅風景。かつては駅母屋に面した1番線から岩内線(1985年廃止)が発着していた。その岩内線が廃止となって以降、函館線の上り下り線が発着する島式の2,3番線のみが残ることとなった。駅利用者は、方面にかかわらず跨線橋を渡ることとなる。2020.10.03
かつての分岐駅にふさわしい貫禄を感じさせる小沢駅の跨線橋。2020.10.03 小沢駅の跨線橋から小樽方面を望む。左側にかつての貨物ホームが残っている。2020.10.03
小沢-銀山間車窓。倶知安峠と稲穂峠の間は、さながら高原鉄道といった趣で、羊蹄山、ニセコ連峰がつらなる雄大な車窓が展開する。2018.09.15 銀山駅(函館線) 2018.09.15
 仁木町の同名の集落にある駅。線路が稲穂峠越えのため、山肌に敷かれている関係で、集落は駅から坂道を下ったところにある。駅ホームからは、余市川の谷に開けた平地、その向こうに阿女鱒岳(1,014m)といった眺望が広がっている。
銀山駅から集落へ降りていく道の途中にある木村商店。ここで「銀山駅発行」の切符を購入することもできる。2018.09.15 管理人が木村商店で購入した切符。倶知安駅までのものを利用し、仁木駅までのものは記念に入手した。2018.09.15 銀山の集落から銀山駅へ向かう小道。女代神社の左横に続く気持ちの良い坂道を上った先に駅がある。2018.09.15
銀山駅前から道道1022号線を約12km東進したところ、国道393号線との交点に、「道の駅あかいがわ」がある。そこに2019年6月10日、赤井川村の開村120年を記念して馬鉄のモニュメントが設置された。当該馬鉄について、記念碑を見るまで管理人はその存在を知らなかったのだが、「後志の人と道」という郷土史をまとめた書物に以下の記載がある。

「銀山への道、馬車鉄道の道」; 銀山道路は国道5号から分かれて、余市川沿いに銀山を通り赤井川村に至る道路をいいます。この道は、都・落合・常盤を経て、小樽沢ぞいに小樽市に通ずる道でもあります。ですから、昔からこの辺りの幹線道路であったと思われます。~中略~ さて、この道路を行き来したのが轟鉱山から産出する鉱石運搬です。轟鉱山は余市川にそそぐ白井川上流にあります。そこは川を挟む狭い谷間に、明治、中の沢と続く鉱山の一番奥まったところにある鉱山で、明治38年(1905年)にはすでに町としての体裁を整えた鉱山街が形成されていたようです。~中略~ここからの鉱石運搬は大正6年(1917年)からレールの上を走る馬車鉄道(馬鉄)でした。それまで然別道路を駄鞍(だぐら)の馬で運搬していたようですが、「銀山まで鉄道が敷設され、設備が整うと夏は馬鉄でトロッコを、冬は馬そりで箱詰めの鉱石を休むことなく運んだ。」(小山著・心に残る轟の思い出)といいます。また「馬鉄道は銀山道路に沿って単線で敷設されていたが、都小学校の前から対岸の山際にかけて吊り橋を掛け余市川を渡った。また、馬鉄の交差する交わしが幾つかあり、時間を決めて運行していた。トロッコは傾斜の急な明治の木戸口や尾根内の稲見の坂は惰性がつき、ブレーキが難しく事故もあって、初め二連つなぎであったが大きい一連に変わった。行きはもちろん鉱石を積み、帰りは坑木・機械類・米等の食糧を運んだが、時には人も乗せたという。精錬された真っ黒な鉱石は覆いを掛け監視付きであった。」また、「銀山駅の800メートル手前から、急な上り坂道で、そこから鉄索ケーブルで上げた。これらの作業をする馭者は明治・都・曲川をはじめ尾根内・馬群別・銀山など居住別の幾つかのグループを作り助け合っていた。」というから近隣のたくさんの人達も従事していたようです。

軌道に関する記述は以上のみであるが(文章以外に、軌道の敷かれた坑口の写真の掲載あり)、これは実に貴重な記録で、これらの記述を元に線形を描くとすれば、実に20kmに及ぶほとんど報告のない軌道が存在したことになる。また「交わしがあった」ということは、軌道同士の平面交差、もしくは行き違い用の複線区間があったと思われるので、相応の規模のもので、1917年から、大正年間にかけて運用されたことになる。

なお、5万分の1地形図で、当該地は「仁木」「茅沼」の2部になるが、これらの旧版地形図では、当該軌道の線形は確認できない。2019.07.12
 【轟鉱山馬鉄線については、こちらで線形と歴史に関する考察を行っています】
然別駅(函館線) 左・中 2018.09.15 右 2016.03.19
仁木町内の同名の集落の中にある駅。国道5号線は余市川を挟んだ対岸側を通る。互い違いのホームが設置してあり、列車の交換が可能。
然別駅風景。列車折り返しの設備があり、撮影日現在でも、小樽方面へ1日3往復の始発・終着列車がある。2020.10.03
仁木駅(函館線) 2016.03.19
人口3,500人の仁木町の代表駅。仁木町は隣の余市町とともに果樹の町で、サクランボ、ブドウの農園が沿線にも広がっている。余市町とは、市街地が近接している
仁木駅、冬の風景。2022.01.22
仁木駅、冬の風景。訪問時、仁木駅は晴天だったが、日本海には雪雲が立ち込め、札幌方面から来る列車には遅れが生じていた。2022.01.22 余市駅(函館線) 2018.11.24
漁業と果樹栽培、果実酒の町、余市は人口2万人で、後志管内では小樽市に次ぐ人口規模の自治体。当駅から小樽駅までは利用者が多く、列車の中も大抵混雑している。
余市町はウイスキーの町であるとともに、隣接する仁木町とともに果樹の町でもある。町内にはワイナリーもおおくある。写真は、余市町山田にあるオチガビワイナリーの風景。2020.10.03 オチカビワイナリーのレストランから、美しいワイナリーの風景を見ながら、食事を楽しむことができる。2020.10.03 オチガビワイナリー内のワインショップ。2020.10.03
余市駅至近のニッカウヰスキー北海道工場余市蒸溜場。1934年創立。広い敷地に歴史を感じさせる関連施設が建ち並ぶ。見学者用に整備されており、製造所、博物館等を見学できる(訪問時無料)。また、試飲コーナーに加えて、レストラン、土産物屋が整備され、現代的な観光施設となっている。2018.11.24
余市駅から見るニッカウヰスキー余市蒸溜場。1934年創業。広大な敷地には蒸溜工場、博物館などが立地している。余市駅で降りると、駅前通りの突き当りに蒸溜場が見える。2016.03.19 蘭島駅(函館線) 左;2016.09.22 右;2018.09.15
小樽市内の同名の集落にある駅。背後に森が迫る。駅正面側には北海道有数の海水浴場である蘭島海水浴場が広がり、70年代~80年代には多くの人でにぎわったが、レジャーの多様化とともにシーズン中の賑わいは小さくなった。閑散期の駅は静かに佇んでいる。
蘭島~塩谷の忍路(おしょろ)海岸。ただ、線路は山側を通っており、あまり海は見えない。
2015.08.22
蘭島-塩谷間車窓。山間から塩谷・忍路の海岸を見下ろす。2018.09.15 塩谷駅(函館線) 2015.08.22
海に近いのだが山間の雰囲気に満ちた駅
塩谷駅 2018.09.15 小樽駅(函館線) 2018.09.15
人口12万2千人の小樽市の代表駅。
小樽駅内には、名産であるガラスのランプが並ぶ。2018.09.15


函館線(小樽~札幌)

小樽駅(函館線) 2015.08.22
古くからかわらないデザイン。上野駅をモデルにしたという。
手宮駅跡は小樽総合博物館となっていて、様々な鉄道資産が展示されている。写真は宗谷線で活躍したC5550。2014.07.19
C5550現役時の様子はこちら
海運と金融の町、小樽には歴史的建造物が多い。運河沿いにある北海製罐・小樽工場第三倉庫は管理人もお気に入り。2013.10.26
小樽運河冬の風景。運河周辺の旧倉庫の多くは、歴史的な外観をとどめながら、内部はカフェやレストラン、物産所等に改装され、国際観光地化している。2019.01.19
小樽港。小樽市の海岸に沿って港湾施設が連続している。国の重要港湾としての機能を持ち、海上保安庁、入国管理局、防疫所、検疫所などが入る。写真は小樽運河からすぐの物揚場付近。2019.01.19 小樽港、大同倉庫埠頭の大規模な物揚施設。2019.01.19
小樽港、冬の風景。2019.01.19 写真左の建物が小樽港物揚場近くにある小樽港の複合庁舎。2019.01.19
札幌方面から小樽駅に入線する際の前面展望。2018.09.15 南小樽駅を小樽方面に向けて出発すると、前面右手に斜面を下っていく手宮線の廃線跡が見える。レールが残されている。2018.09.15 南小樽駅(函館線) 2015.08.22
小樽らしい傾斜地形の市街地にある。左の写真は正面入口であるが、裏手の出入口から入ると、1フロア分階段を登る構造となる。 
南小樽駅。小樽方面の踏切からの風景。2015.08.22 小樽築港駅(函館線) 2018.09.15
かつては東洋一と謳われていた巨大機関庫とヤードを擁していた小樽築港駅。現在の橋上駅舎は、かつてのヤードの一部を利用した巨大ショッピングモールの開業に併せるように1999年に開業したもの。
小樽築港駅からショッピングモールに直通する高架歩道橋。2018.09.15
小樽築港駅から南小樽方面を望む。右に分岐しているのはJR貨物の小樽築港オフレールステーションへと続く引込線。1984年までは浜小樽駅とその先の埠頭まで貨物線が伸びていた。2018.09.15 小樽築港駅から朝里方面を望む。ゆるやかなカーブを描く線形は、かつてから変わらない風景。2018.09.15 小樽築港-朝里間車窓。銭函まで、日本海沿いを走る。西にある小樽湾の方向に夕映えが広がる。2018.09.15
朝里駅から毛無峠に向かう道の途中にある北海道ワイン小樽醸造所「おたるワインギャラリー」のSL広場には、2機の蒸気機関車が、2両の客車を牽く重連のようにして、静態保存の上、屋外展示してある。先頭側がD51286、後続側が59614。D51286の現役時の姿は函館線にて紹介。 2016.05.29
「おたるワインギャラリー」からさらに毛無山へ国道393号線を登ると、展望所があり、小樽の市街地と小樽港を一望出来る。さらに石狩湾の工業地帯、石狩湾の対岸の増毛連山まで望むことが出来る。 2016.05.29
北海道ワイン小樽醸造所「おたるワインギャラリー」。日本海と小樽海岸の眺望が広がる。2016.05.29 朝里駅(函館線) 2015.11.07
札幌-小樽間のうち、銭函-小樽築港間は、崖下の海との隙間のような狭隘な空間に線路が敷かれている。かつては、この区間に張碓という列車以外では到達することが困難な駅があった。朝里駅も、そのわずかな平地に立地していて、周囲の狭い土地には、可能な限りといった雰囲気で建物がある。朝里駅に通じる道は狭く、車両の行き違いも難しいほど。しかも、崖上の宅地に出るためには、急な斜面を登ることになる。日本海が間近で、独特の旅情を誘う駅。
日本海が眼前に迫る朝里駅のホーム。車内から撮影したもの。2018.09.15 朝里-銭函間車窓。急峻な山の崖と海の間のわずかな土地に鉄道線が敷かれ、小規模な漁業関係施設が建つ。日本海らしい旅情に溢れた車窓。2018.09.15
朝里-銭函間車窓。かつて張碓駅があった付近には、ランドマークと言える恵比寿島が見える。2018.09.15 朝里-銭函間車窓。北海道内のJR線から日本海を見渡せるのは、小樽築港-朝里-銭函のほかでは、宗谷線の抜海-南稚内の一瞬くらい。圧倒的な車窓の美しさを誇った羽幌線は鬼籍に入って久しく、江差線、留萠線の該当区間もこれを追った。2018.09.15 銭函駅(函館線) 2014.12.29
ニシン景気の名残を駅名に残す。付近は古い町並みが残るところもあるが、国道沿いは工業地化が進んだ。
稲穂駅(函館線)と隣接する札幌運転所の風景。2017.02.20
稲穂駅は札幌市手稲区の住宅地にある駅。駅の東側に札幌運転所が広がる。苗穂運転所が気動車、札幌運転所が電車を受け持っている。稲穂駅の札幌側に一般道の踏切があり、この道を通ると、運転所の風景を見ることが出来る。訪問時は黒塗装のDE101692が待機していた。
手稲駅(函館線)2018.09.15
1日に1万6千人以上が乗車利用する手稲駅。JR北海道の駅では、札幌駅、新千歳空港駅に次ぐ利用者数。現在の橋上駅舎は2002年に開業したもの。かつては軽川(がるがわ)駅という駅名で、1922年から1940年までは現・石狩市の花畔(ばんなぐろ)まで至る軽石軌道が当駅を起点としていた。石狩で生産された石油が軌道等で輸送され、軽川で精製されていた。現在付近には商業地が広がっている。
琴似駅(函館線)2018.05.12
1日に1万2千人以上が乗車利用する琴似駅。札幌市営地下鉄東西線にも同名駅があるが、両者は連絡しておらず、乗り換えには数分かけて徒歩移動する必要がある。駅直結の高層マンションが目を引く。
琴似駅に近い農試公園にはD5111が静態保存されている。 2015.07.20  桑園駅(函館線) 2017.01.23
札沼線の分岐駅。JR北海道の本社が隣接する。駅近くに札幌中央卸売市場、JRAの札幌中央競馬場があり、ラッシュ時には利用者で混雑する。
桑園駅近くにはJRAの札幌中央競馬場があり、開催中は無料バスが往復している。管理人もシーズン中はしばしば訪れる。ちなみに札沼線の車窓からは馬房を見ることができ、朝は運動を終えた競走馬たちが帰っていく姿を、車内から見ることができる。2015.08.15 
札幌駅(函館線) 2015.09.26 札幌テレビ塔は高さ147m。地上90mの展望台からは、札幌市とその周囲まで一望できる。写真は冬の夜景。2016.12.16


函館線(札幌~苗穂)

1961年に導入されたM100型の札幌市電、M101号車。2017年現在も札幌の街を走り続けている。西8丁目停留所付近。M101号車の1970年代の姿はこちら。2017.05.19 2013年に導入されたA1200形札幌市電。「ポラリス」の愛称でも知られる。2017.05.19
2015年12月20日に札幌市電の西4丁目-すすきの間が開業して、循環運転が開始された。42年ぶりに札幌駅前通りを市電が走った。この区間は、全国初となる車道の歩道側に電車が走行するサイドリザベーション方式が採用された。 2015.12.28 工場のある苗穂駅近くのサッポロビール庭園内には9643が静態保存されている。かつては日曹炭鉱天塩鉱業所専用鉄道(豊富町)で運用されていた。 2015.09.11
(2017年6月にビール園改装に伴って、ニセコ駅に移転しました。)
札幌市の中心にある大通公園で、1981年以降毎年11月~12月ごろに行われているホワイトイルミネーション。雪に映る電飾が美しい。2016.12.02
苗穂駅西側の跨線橋。この跨線橋の付近に苗穂駅を移す計画が進められており、現在付近は工事中である。跨線橋の上からは、苗穂運転所と苗穂工場の風景がよく見える。 2017.04.20
苗穂駅(函館線) 2015.10.07
古くは国鉄工場が、現在でもJRの工場が隣接している。駅前の交差点横の小さな緑地にはD51動輪軸が飾ってある。国鉄工場の碑もあるのだが、文字が褪せて、読むのは難しい。かつてはこの駅で千歳線が分岐し、駅正面の交差点まで市電苗穂線が通じていた。駅は付近の再開発に併せて、西側に移転する計画がある。
苗穂駅東側にある1936年竣工の扇形庫。現在は7線分のみとなり、往時と比べると規模は小さくなったが、現役で活用されている。2016.06.27
苗穂運転所に残った扇形庫であったが、2016年11月、取り壊しとなった。北海道の貴重な鉄道文化資産がまた一つ失われた。 左;2016.11.16 中;2016.11.17 JR北海道苗穂工場。1912年発足の歴史ある施設。JR北海道に在籍する機関車のほとんどを管理している。2016.06.27
苗穂駅東に広がる苗穂運転所。1936年に発足し、現在では管内の気動車を中心に管理している。札幌市内の主要道路に隣接しており、金網越しにその様子をうかがうことが出来る。左;2016.06.21 中・右;2016.06.27
2022年の2月上旬、札幌は大雪に見舞われ、特に6日の降雪量はすさまじく、交通機関にも大きな影響が出た。JRでも数日に渡って多くの列車が運休した。写真は2月10日の夜。夜の苗穂工場で待機しているキハ201を撮影したもの。2022.02.10
冬の夜の苗穂工場。幻想的な雰囲気に包まれている。2022.02.10
冬の苗穂駅と運転所の風景。写真左は苗穂駅ホームと苗穂工場を結ぶ職員専用の通路の様子。左・中;2017.01.24 右;2017.01.26
2018年11月17日、従来の駅舎から西へ300m札幌駅側に寄った位置に移転開業した苗穂駅。2018.12.25 新しい苗穂駅には、旧駅にはなかった北側の出入口が設置された。その北口からは、至近に大型ショッピングモール、アリオ札幌がある。周囲は再開発中だが、アリオ札幌との間は空中歩廊で結ばれる計画。2018.12.25 北口と南口の間を、線路上を跨ぐ自由通路が整備されている。かつての歩行者用跨線橋は、撤去工事が進められている。2018.12.25
広い幅を持った苗穂駅の南北を結ぶ自由通路。2018.12.25 自由通路の途中に橋上駅となった苗母駅の入口がある。2018.12.25 苗穂駅改札口。正面のガラスからは駅構内の風景を見ることができる。2018.12.25
自由通路はガラス張りで、通路内から東側には札幌運転所、苗穂工場、かつての苗穂駅のプラットホームが良く見える。2018.12.25 現代的なデザインに生まれ変わった苗穂駅の南口。1935年建築で、蒸気機関車時代の雰囲気を残した旧駅舎の雰囲気はどこにも感じられない。2018.12.25
新しいくなった苗穂駅。冬の夜の風景。2019.01.11 札幌ファクトリー。1989年開業の複合商業施設。建物の一部はサッポロビールの「札幌第一工場」(札幌第1製造所)のレンガ建築を使用している。その前身は1876年操業の「開拓使麦酒醸造所」までさかのぼる。苗穂駅の移転により、JR駅とのアクセスの利便性が増した。2019.01.11
役目を終えた苗穂駅の駅舎は解体されつつあった。母屋から切り離された跨線橋が夕空の下、寂しげに佇んで見えた。2019.06.25


函館線(苗穂~岩見沢)

(2018年11月までの)苗穂駅前の道を直進すると国道12号線となり、豊平川を東橋で渡る。札幌の町を望む。2017.01.24 白石駅(函館線) 左;2012.05.01 右;2016.07.09
札幌近郊で通勤通学の利用客が多い。2011年に駅舎が一新された。
厚別駅(函館線) 2018.06.19
札幌市内の駅。千歳線の新札幌駅と至近の距離であり、商業施設等は地下鉄東西線も連絡する新札幌駅周辺に集中している。そのため、厚別駅のまわりは、マンションと戸建ての並ぶ住宅地といった雰囲気だ。
森林公園駅(函館線) 2018.06.19
札幌市内の駅。国鉄時代の1984年に周囲の人口増加・開発促進にともなって開業した比較的新しい駅。利用者は厚別駅より多い。
大麻駅(函館線) 2018.06.19
江別市内の駅。函館線の札幌以東では、白石駅と並んで最も利用者の多い駅(1日の利用者数1万5千人超)。周囲の鉄路は、鉄道林に沿っており、不思議と自然を感じさせる。
野幌駅(函館線) 2018.06.19
かつては夕張鉄道(1926-1975)が当駅を起点とし、夕張本町に向かっていた。現在は住宅地の中にあって、多数の通勤通学客が利用している。撮影時、駅南側は再開発にともなう区画整理の工事が行われていた。
高砂駅(函館線) 2018.06.19
国鉄時代の1986年に周囲の人口増加・開発促進にともなって開業した比較的新しい駅。当初は臨時乗降場だったが、現在では毎日5千人以上が利用する。
江別市内の北海道電力江別火力発電所まで石炭を搬送していた専用線跡は、「四季の道」という全長1.7kmの遊歩道として整備されている。日立製のディーゼル機関車が石炭貨車(セキ8026)一両を牽く姿で静態保存されている。2016.05.14
豊幌駅(函館線) 2016.05.14
江別市内の駅。江別以東は普通列車の本数が減じるが、駅付近は1980年代以降、札幌のベッドタウンとして宅地化が進んだ。
幌向駅(函館線) 2016.05.14
岩見沢市幌向にあり、1882年開業という歴史ある駅。橋上駅のスタイルとなっており、並走する国道12号線をまたいで、歩道橋が結ばれている。
上幌向駅(函館線) 2016.05.14
岩見沢市内の駅。ホームには跨線橋を通る。幌向駅と似た構造をしている。


函館線(岩見沢~滝川)

岩見沢駅(函館線) 2016.05.14
2000年に漏電による火災で3代目駅舎焼失し、長く仮駅舎が使用されていたが、2007年に現在の駅舎が開業となった。新し岩見沢駅舎は煉瓦とガラスが印象的な近代的建築物で、2009年にグッドデザイン賞大賞を受賞している。
岩見沢市みなみ公園にはD5147とC57144の2両が静態保存され展示してある。C57144の現役時の姿は室蘭線にて紹介。2016.05.14
岩見沢駅すぐ北側にある「レールセンター」。かつての北海道炭礦汽船鉄道株式会社岩見沢工場材修場。1800年代に建設された。日本建築学会により、「建築学的に貴重な全国2000棟の建物」の1つに選ばれている。2015.03.07  岩見沢駅からは距離があるが、宝水ワイナリーは最近映画の撮影で使用されたこともあり、人気の観光スポットになっている。左は 2014.10.05。右は 2015.03.07。冬のワイン畑も美しい。 
峰延駅(函館線) 2018.02.24
美唄市内の同名の集落にある駅。かつてこの駅を起点とする峰延炭鉱への馬車軌道(1904-1907)が運用されていたことがあった。駅前の雰囲気はレトロ。
光珠内駅(函館線) 2018.02.24
美唄市内の同名の集落にある駅。有人駅時代からの個性的な三角屋根の駅舎。
美唄駅(函館線) 2017.08.06
人口2万5千人の美唄市の代表駅。かつては、美唄鉄道(1914-1972)、函館線南美唄支線(1931-1973)が当駅を起点としていた。駅舎は2002年の建て替えにより、橋上駅となった。
奈井江駅(函館線) 2017.06.03
人口5,600人の奈井江町の代表駅。かつては、三井鉱山奈井江専用鉄道(1949-1968年)が当駅を起点としていた。
茶志内駅(函館線) 2018.02.24
美唄市内の同名の集落にある駅。三菱茶志内鉱業所までの2.0kmを結んだ三菱鉱業茶志内炭礦専用鉄道(1952-1967)の起点だった。美唄鉄道の9200形、4110形蒸気機関車が運用されていた。また、上村炭鉱専用線や新日本石油美唄油槽所専用線が運用されていた時代もあった。現在は豪雪地の住民の生活に供される駅となっている。  写真サイズの関係で掲載順が前後しているが、駅順は南から、美唄、茶志内、奈井江、豊沼、砂川となる。
豊沼駅(函館線) 2018.02.24
砂川市内にある駅。東洋高圧工業専用線、のちの三井東圧肥料砂川工場専用線(1942-1990)が運用されていた。現在でも駅から国道12号線を越えた西側には、砂川発電所のほか、大規模な工場が多く立地している。
砂川駅(函館線) 2018.02.24
人口1万8千人の砂川市の代表駅。かつてはこの駅を起点とし、歌志内線(1898-1988)、函館本線上砂川支線(1918-1994)といった産炭地への路線が伸びていた。また、砂利線や、枕木工場の専用線もあって、北海道の鉄道開発と開拓に大きな貢献を果たした中心地でもあった。
滝川駅(函館線) 2021.08.08
空知北部の中心地である人口4万人の滝川市の代表駅で根室線の起点駅でもある。かつては函館線、根室線という北海道の2大幹線の接点であったが、石勝線開通後、その役割は低下した。それでも、今なお滝川市は地域の中心都市である。ただ、市の経済の中心地は、駅前からバイパス化された国道12号線の沿線に移りつつある。
滝川市は、気象条件が安定していることから、グライダー場があり、競技も開催されている。駅前にもグライダーが屋外展示してある。2021.08.08
滝川市の郷土資料館は、滝川駅から少し離れた鉄道とは所縁のない場所にあるが、D51297が保存されているほか、給水塔の一部もあわせて保存してあるところが嬉しい。 2015.09.12


函館線(滝川~旭川)

江部乙駅(函館線) 2015.09.12
今は滝川市に含まれているが、かつては江部乙町という自治体の代表駅だった。駅前にも規模の大きい街並みがある。
滝川市の江部乙地区は、「日本で最も美しい村」に地区単位で加盟した珍しい例。なだらかな丘陵と野花、平野を挟んだ山なみは確かに美しい。この写真は江部乙から赤平に向かう道道の途上にある丸加高原にあるきれいなゴルフ場からのもの。ラウンド中の1枚。2015.09.12
滝川市江部乙地区の開拓者の墓地のある丘陵から見る夕映え。山々が幾層もの色合いを重ねて印象的。2014.08.30 深川駅(函館線) 2022.11.11
人口1万9千人の深川市の代表駅。留萌線の分岐駅。1995年までは深名線の分岐駅でもあった。写真は922D旭川発滝川行普通列車で、2両編成の先頭車両は、キハ40形「山紫水明シリーズ」の山明号が運用されていた。
深川-納内間車窓。このあたりでは、南側に音江山(795m)をはじめとする音江連山を望むことが出来る。2022.11.11 納内駅(函館線) 左;2016.06.10 右;2021.11.06
深川市内の駅。駅舎は1999年に新築されたもの。深川市納内はかつて納内村という自治体であった。そのため、駅付近には、機能的な集落が広がっている。かつては急行列車の一部が当駅に停車していた。また、納内駅を始発、終着とする普通列車が運用されていた時代もある。
納内駅から旭川方面を望む。2021.11.06 納内駅から札幌方面を望む。2021.11.06 納内-近文間車窓。石狩川流域に広がる穀倉地帯の中を進む。2022.11.11
かつて神居古潭駅を経由していた函館線は、1969年の電化・複線化にともない、当該区間を神居トンネル等のトンネルで通過するようになった。2022.11.11 伊能駅(函館線) 2018.10.13
付近にあった北海道旭川北都商業高等学校が2011年に統廃合されてから、利用者が減った。付近の道路から駅に続く道は舗装もされていない。駅のすぐ南側を通る細い道路(サイクリングロード)は、1969年10月1日の線路付け替え前に神居古潭駅を経由していた旧線跡。(2018.10.13)
伊能駅のホーム下には、本線と連絡していない電化側線が敷かれている。作業訓練用のものと言われている。2018.10.13
函館線を通る車内から見た伊納駅跡。関連する建築物はほぼ撤去されているが、電化側線のみ残っている。2022.11.11 近文-伊納駅跡間では、旧線を利用したサイクリングロードと、石狩川の風景が車窓を楽しませる。写真はオサラッペ川橋梁を通過中のもの。2022.11.11 近文駅の手前ですれ違ったライラック18号を、旭川行普通列車の車内から撮影したもの。2022.11.11
近文駅(函館線) 2018.10.13
かつては旭川師団への引込線、旭川大町への貨物線が分岐してきたが、1978年に分岐駅としての役目を終え、途中駅となった。付近にはショッピングセンターや住宅街が連なるが、それに比して停車する列車の本数はあまり多くはない。
近文駅に停車する10:35発の927D普通列車。留萌9:04始発で深川から函館線に乗り入れ、終着は旭川10:41となる。2022.11.11
近文駅風景。島式ホームには貫禄のある待合所が設置してある。特急列車、貨物列車が頻繁に通過する。2018.10.13