室蘭線

 室蘭線は、現在では札幌と函館を結ぶ幹線である長万部-沼ノ端間と、1日8往復程度の普通列車が行き来する沼ノ端-岩見沢間でまったく様相が違うが、当時は空知の産炭地がまだ活躍中で、追分では夕張線、志文では万字線が流入し、追分には機関区があった。1966年の時点では追分機関区に24機の蒸気機関車が配属されていた。国鉄最後の蒸気機関車が配属していたのも追分機関庫であったが、1976年の火災により、保存対象とされていた蒸気機関車たちも、永遠に失われることとなった。1981年の石勝線の開通とともに、かつては鉄道の町と呼ばれた追分に配置される動力車は1台もいなくなり、いまでは石勝線と室蘭線の行き交う途中駅である。

 室蘭線の撮影は1970年~1972年。そのうち追分周辺のカラー写真は1972年1月14日に撮影されたもの。追分周辺以外では、風光明媚な伊達周辺で撮られたものが多い。また、撮影箇所が不明であるが、室蘭線と推定されたものも含めて「その他」に分類した。

 室蘭線撮影の一つの目的はD52であった。D52はスピードよりパワーを重視した機で、貨物輸送の主力であったが、北海道ではかつては長万部機関区、後に五稜郭機関区に配属され、北海道と本州を結ぶすべての物資が通過する函館-長万部間で集中的に運用された。道央、道南では運用がないため、D52撮影のためには、室蘭線まで繰り出す必要があった。そのD52の姿は、伊達付近で捉えられている。

 伊達付近の写真には、長流川の橋梁とともに、有珠山の姿が映っているものもある。1977年の大噴火では、管理人の住む札幌まで火山灰が降り注いだことを覚えているが、写真26は、1977年の大噴火で大きく変貌する前の山容が示されている。


追分付近


1 D5025

2 D5025 D5025は北見市三治公園で静態保存されている

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7 追分機関庫

8 追分機関庫

9 1976年の火災で失われた扇形庫。

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17 追分駅

18 追分駅

19 追分駅

20 C57135 1972年1月4日

21 C57135

22 D5170 1972年1月4日

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27 D5111
28 D5111  D5111は札幌市の農試公園で静態保存されている。

29 D51733

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37 追分駅を出るC57135 

38 追分機関庫

39 追分機関庫

40 追分機関庫


伊達付近


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42 有珠山が見える

43 伊達紋別駅 D51237 D51237はJR北海道苗穂工場で静態保存されている。

44 長流川橋梁

45 内浦湾の風景

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47 D52204

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53 D52204

54 D52204

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その他


56 D51355

57 栗沢駅 C57144

58 C57144は、現在岩見沢市みなみ公園で静態保存されている

59 D51349

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65 D51656

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67 C57104

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69 D51943

70 D51117

71 D51117

72 D51733

73 白老駅

74 D52468

75 D52468

76 D52468

苫小牧の工業地帯

 苫小牧港では、1960年代から70年代にかけて、アルミニウム、石油精製、電力を中心とするコンビナートが整備された。そのうち、西港区は、1969年に日本軽金属によってボーキサイトの荷受け設備をが整備された。これらの写真はボーキサイトの集積場を中心とした当時の港区の様子。

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82 苫小牧港

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室蘭線(苫小牧-岩見沢 間)の時刻表 上; 1967年7月 下; 1971年10月

(1967年7月)
 札幌と夕張を結ぶ急行「夕張」が1日2往復されていて、夕張鉄道が接続している栗山駅にも停車していた。また2往復のうち1往復は由仁駅でも停車していて、これらが急行停車駅だった。普通列車では、下り列車では苫小牧市発がほとんどであるにも関わらず、上り列車の多くが室蘭まで直通していた。また下りの229普通列車は、函館を8:10に出て、札幌を経由せず、岩見沢に18:19に着くという長距離列車だった。また、異彩を放つのは臨時急行の「登別観光号」で、旭川を出て、岩見沢から室蘭線に入り、札幌を経ずに登別へ向かっていた。相当する下り列車がない点でも、特徴的な運行形態と言える。

 急行夕張は1往復のみとなり、由仁への停車は夕張に向かう(この区間では)上り列車のみとなっている。1967年に比べて、普通列車も実質1往復削減されている。1967年では、室蘭に直通する列車が多い一方で、逆に室蘭から直通する列車がなかったが、1971年時は上りも下りも、普通列車は室蘭発着を基本としている。