美唄鉄道


 美唄鉄道は、正式名称を三菱鉱業美唄鉄道線といい、函館線と接続する美唄駅から常盤台までの10.6kmを結んだ運炭を主目的とする鉄道であった。父が所蔵していたネガには、美唄鉄道の写真が多く、700枚を超える分量であった。
 美唄鉄道が、美唄炭鉱の閉山に伴い廃止されたのは、1972年(昭和47年)6月1日のことであったが、廃止の日まで写真は撮り続けられていた。何度も訪問するうちに、我路駅の駅長の木村氏と親しい間柄となったことから、写真の中には、一部木村氏がシャッターを切った可能性があるものを含むらしい。  
 美唄鉄道は炭鉱鉄道らしく、美唄川に沿った狭隘な地形を縫うように走っていた。付近の炭鉱町も、狭い地形にひしめくように存在していた。特徴的な機関車として、水、石炭を機関車本体に積載するE1タンク機関車が運用されていた。これらの機関車の多くは、1970年12月31日で廃車となり、江別市のファンの方が個人的に引取り所有していると聞くが、管理人は見たことはない。 中にあって、2号機は、現在も東明駅跡で静態保存の上、公開展示が行われており、見ることができる。

 写真で注目される巨大産業構造物としては、常盤台のホッパー、盤の沢の滝ノ沢発電所が挙げられる。滝ノ沢発電所は、その勇壮な姿を産業遺産として維持してきたが、近年になって解体されてしまっている。
 盤の沢にあった漏斗型の三井型原炭ポケットが、現在もその姿をとどめているほか、常盤台駅の選炭施設付近は公園化され、一部の施設がなお保存されている。また東明駅跡も、2号機の蒸気機関車とともに保存されている。


 なお、南美唄の三美運輸専用線については、こちらで紹介しています。

美唄鉄道周辺図 (国土地理院発行5万分の一地形図 岩見沢 1965年修正 に追記)


美唄駅とその付近


1 4122号機

2 4122号機

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5 車腹に「美唄-常盤台」の票

6 4号機

7 4号機

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13 4号機

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15 2号機

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17 美唄駅

18 美唄駅

19 美唄駅

20 美唄駅

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25 美唄駅の国鉄9633

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28 6号機

29 ラッセル車

30 キハ101
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33 4号機

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35 美唄駅

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43 4号機

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46 4122号機と4号機

47 4122号機と4号機

48 4122号機

49 6号機

50 6号機

51 4122号機

52 6号機

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62 建物には「ダイヤ白煙炭」の字

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65 2号機と4122号機

66 2号機と4122号機

67 雪に埋まるキハ101

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69 4号機


美唄の街並み


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71 美唄川沿いの町

72 美唄川沿いの町 

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75 美唄川沿いの町

76 南美唄周辺

77 南美唄周辺

78 南美唄周辺

79 南美唄周辺

80 南美唄周辺

81 南美唄周辺

82 南美唄周辺

83 南美唄周辺

84 南美唄周辺

85 南美唄周辺


東明


86 東明駅

87 東明駅

88 東明駅 東明駅の駅舎は現在も保存されている。

89 東明駅

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東明駅周辺図

 1971年発行 2万5千分の1地形図「幾春別」から東明駅付近(原図は200%表示)。
 駅を中心に均等な区割り基づいて形成された炭鉱住宅棟の様子が分かる。
 引用図北東側、美唄鉄道の線路沿いに描かれているのが東明小学校(1948年開校、1971年閉校)。その北側で線路が分岐している地点が「東美唄信号所」で、北への分岐線は1942年に敷設された美唄煉炭への専用線。


東明~盤の沢間

東明駅と盤の沢駅の間は、美唄川に沿って勾配の急な個所となっており、美唄鉄道の絶好の撮影箇所として有名だった。

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盤の沢


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108 看板に「滝の沢温泉」の字

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110 滝の沢発電所が見える

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112 7号機

113 7号機

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115  原炭ポケット跡 現在も残る

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117 三井美唄炭鉱第2坑跡

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130 滝の沢発電所

131 滝の沢発電所

132 滝の沢発電所

133 三菱バス 盤の沢本町のバス停

 盤の沢駅は、滝ノ沢火力発電所に隣接し、発電所まで引き込み線が通じていた。滝ノ沢発電所の巨大な構造と2本の煙突は、美唄市のランドマークでもあった。炭鉱が閉山し、発電所が活動が停止したあとも、その巨大建造物は威容を見せていたが、2001年8月に解体され、現在当該地は更地となっている。写真56は三井美唄炭鉱第2坑原炭ポケット跡。現在も残っている



盤の沢駅周辺図

 1971年発行 2万5千分の1地形図「幾春別」から盤の沢駅付近(原図は200%表示)。
 駅の南側、美唄川のほとりにある発電所記号が、滝の沢火力発電所。盤の沢駅構内から発電所まで引込線があったが、当地形図には記載されていない。
 引用図・盤の沢駅の西で北に分岐しているのが三舟新美唄鉱(旧・三井東美唄鉱)側線(延長1,035m)。
 引用図北側では山の斜面に向かって敷かれた運炭用の索道と思われるものが描かれている。
 引用東端で、美唄鉄道は美唄川を渡っている。美唄を発して以降同鉄道が同川を越える最初の個所で、第1美唄川橋梁となる。


我路

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139 我路駅の曲線ホーム

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148 我路駅

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150 我路駅前の松葉旅館

151 我路の町並み

152 我路駅

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154  美唄消防署 我路出張所

155 我路の町並み
156 我路神社 Map(1971年)
157 我路の町並み

158 我路駅

159 我路駅待合室

160 我路駅待合室

161 我路駅ホームの風景

162 我路駅ホームの風景

163 我路駅ホームの風景

164 我路駅ホームの風景

165 我路駅

166 我路駅

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170 4号機

171 2号機

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173 4号機

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175 2号機

176 4号機

177 4号機

178 4号機

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181 4号機

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185 2号機

186 2号機

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190 6号機

191 6号機

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195 4号機



我路駅周辺図

 1971年発行 2万5千分の1地形図「幾春別」から我路駅付近(原図は200%表示)。
 駅名部分の印刷がかすれていて、やや読み取りにくいが、曲線状の特徴的なホームを持っていた我路駅、そして北側には現在まで建物が残る我路郵便局の記載がある。
 また、駅南側の山腹には、突如始まる運炭用の特殊軌道が表記されているが、傾斜を考慮すると索道であろう。ただ、地図上の表記は、索道にしてはうねっており、実際のところどうだったのかはわからない。
 美唄鉄道は我路駅の東で、第3美唄川橋梁により美唄川を越えている。


美唄炭山


196 美唄炭山駅

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200 美唄炭山駅を出る石炭列車

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203 6号機

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美唄炭山駅周辺図

 1971年発行 2万5千分の1地形図「幾春別」から美唄炭山駅付近(原図は200%表示)。
 美唄炭山駅を中心に美唄川の作る狭隘な谷間に多くの集合住宅が建設されている様子が描かれている。
 駅の南に鉄アレイを思わせるような輪郭をした学校建築物を見ることができるが、これは2棟の3階建て円形校舎で有名だった沼東小学校の旧校舎である。1906年開校、1974年閉校(公式には休校扱い)。
 美唄鉄道は支美唄川橋梁を越え、宮ノ下あたりで線路の向きを北に変えている。この宮ノ下のあたりでは、木材及び坑木積卸のための短い側線が美唄鉄道線の両側に分岐していたと思われるが、地形図上に当該表記は見当たらない。


常盤台


206 7号機

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209 常盤台駅待合室

210 常盤台駅待合室

211 常盤台駅待合室

212 常盤台駅給水塔

213 常盤台駅給水塔

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217 夜明けを待つ

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219 常盤台駅

220 常盤台駅ホッパー

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229 常盤台駅ホームの風景

230 常盤台駅ホームの風景

231 常盤台駅ホームの風景

232 常盤台駅ホームの風景

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239 常盤台駅入線風景

240 常盤台の駅を含む巨大施設

241 記念写真

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244 常盤台駅転車台

245 常盤台駅転車台

246 常盤台駅転車台

247 常盤台駅転車台

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249 7号機




常盤台駅周辺図

 1971年発行 2万5千分の1地形図「幾春別」から常盤台付近(原図は200%表示)。
 美唄川の流れに沿って、精いっぱい上ったようなところに、美唄鉄道の終着、常盤台駅がある。駅の北側には、選炭等を行う巨大な産炭施設が描かれていて、その北端からさらに運炭用の軌道が山中に伸びているのが分かる。
 炭鉱労働者が住む集合住宅は、駅東西の斜面を登った先(清水台と常盤台)に描かれており、急坂を昇り降りしての通勤・通学だったであろうことが偲ばれる。
 常盤台駅の東側には発電施設も見える。また駅付近から、東斜面に索道が延びるが、その先にある地形はズリ山を表すものかもしれないが、詳細は不明である。


常盤台駅・立坑周辺施設図 (1961年ごろ)

① 浴場 ② 抗木工場資材場 ③ 抗木工場 ④ 採炭機械工場 
⑤ 資材倉庫 ⑥ ボイラー ⑦ ラトー扇風機 ⑧ 上風坑巻揚機
⑨ 開閉所 ⑩ 下風坑巻揚機 ⑪ 立坑(上風坑) ⑫ 新発所
⑬ 立坑(下風坑) ⑭ ベルトコンベア ⑮ 原炭ポケット ⑯ 選炭機
⑰ 浴場 ⑱ 炭車場 ⑲ シックナー ⑳ 水洗機
㉑ 積炭ポケット(ホッパー) ㉒ 転車台
 常盤台駅付近は、現在、炭鉱メモリアル森林公園として整備され、⑨、⑪、⑬、⑮の一部を見る事ができる。



ラッセル


250 早朝の美唄駅で出番を待つラッセル

251 早朝の美唄駅で出番を待つラッセル

252 早朝の美唄駅で出番を待つラッセル

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256 雪の夜のラッセル

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機関庫


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261 4122号機

262  7号機と4122号機

263 4122号機

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279 7号機

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294 2号機

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337 4122号機


その他


338 自走式の巡回車

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349 4号機

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353 「美唄印刷所」と見える。

354 車内

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360 車内

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367 4号機

368 4号機

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379 2号機と4号機の重連

380 2号機

381 2号機

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384 2号機と6号機の重連

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390 4号機

391 4号機

392 4号機

393 4号機

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399 4号機

400 4号機

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406 6号機

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1970-72年 美唄鉄道を走った機
製造年 形態 導入経緯 全長(mm) 全幅(mm) 全高(mm) 機関車空車重量(t) 廃車
2 1919 Eタンク 新造 11607 2669 3810 52.22 1972(東明駅跡で保存)
4 1926 Eタンク 新造 11582 2656 3785 67.42 1972
6 1922 1Dテンダ 国鉄から 16662 2616 3813 60.35 1972
7 1914 1Dテンダ 国鉄から 16456 2616 3885 59.83 1971(大夕張鉄道8号機へ)
4122 1914 Eタンク 国鉄から 11438 2667 3810 65.28 1971(非公開で保存)



さよなら列車 1972年5月31日


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423 4号機と6号機の重連運転

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427 東明-盤の沢間

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436 美唄駅

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440 別れを惜しむ人々

441 盤の沢付近

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445 我路付近

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448 常盤台にて

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最後の日 1972年6月

 父が1970年から何度も通い続けた美唄鉄道であったが、1972年4月29日に美唄鉱業所が閉山。これを受けて、美唄鉄道も5月31日で営業を終え、6月1日付で廃止となった。直前のダイヤは、通学生のための朝夕一往復のみだった。
 父は廃止直後の美唄を訪れ、何枚かの写真を撮影していた。これらの写真を「最後の日」という項目でまとめてみた。「最後の日」というタイトルは、実家のアルバムに収められていた写真 に書かれたコメントである。撤去された線路の後が、給水塔の脇をカーブしている姿が、もうここに二度と列車が走ることがないことを強烈に示していた。幼少のころから管理人の記憶に残るカットである。鉄道だけでなく、町自体の存亡に厳しい現実が突きつけられたその日の光景。

 父は、この年の7月に、札幌駅の地下で、美唄鉄道をテーマに個展を開催した

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459 美唄通運の建物

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1968年10月改正の時刻表 1日5.5往復のほか区間運転もあった 1970年10月改正の時刻表 美唄への通学する学生向けの1往復のみ


起点(美唄駅)
からのメートル数
施設 概要
2,787 東美唄構外側線分岐点
(東美唄信号所)
1942年6月に戦時非常貯炭線として建設され、その後美唄鉱業所の貯炭とコークス工場及び傍系の美唄煉炭KK美唄工場のための側線(延長1,138m)を分岐。1950年からは「東美唄信号所」と称す。
3,650 東明駅 ホームは島式、他に貨物側線がある。
5,264 盤の沢駅 ホームは島式、他に貨物側線がある。構内から三舟新美唄鉱(旧・三井東美唄鉱)側線(延長1,035m)及び三菱鉱業美唄動力所(滝の沢火力発電所)側線(延長345m)を分岐。
6,144 第1美唄川橋梁 径間24.38m・鋼板桁1連
6,449 第2美唄川橋梁 径間18.29m・鋼板桁1連
7,500 我路駅 ホームは片側・単線、外に貨物側線がある。
7,663 第3美唄川橋梁 径間18.29m・鋼板桁1連
8,250 美唄炭山駅 ホームは下り用が片側・単線、上り用が島式、他に貨物側線がある。
8,897 支美唄川橋梁 径間9.14m・鋼板桁1連
9,009 鉱業所前構外側線分岐点
(北側)
木材及び坑木積卸のための側線(延長244m)を分岐。
9,029 鉱業所前構外側線分岐点
(南側)
10,420 北一の沢橋梁 径間3.66m、コンクリートアーチ
10.560 常盤台駅 ホームは片側、他に貨物側線がある。
10,964 九州鉱山側線分岐 選炭施設から北に延びる運炭線



沼貝村史(大正4年刊)

「本道鉄道の敷設は明治13(1880)年幌内炭山の開坑とともに、手宮幌内太間に着手せられたるを以て初とす、同年1月手宮より起工し其年11月手宮札幌間開通し、貨客取扱の事務開始とともに交通上至便を得るに至れり、当時手宮札幌間発着の列車は一日一回なりしが、15(1882)年1月さらに札幌幌内太間の線路竣工し、19(1883)年3月より其の回数を増し日に二回の発着となり、手宮札幌間を往復する汽車は二台にして、一を義経、一を弁慶と称し開通号まだ百日も経たざるに、吹雪のため義経も弁慶も哀れ翌年1月より、3月まで累々立ち往生の醜態を獲んぜりといふ。」

沼貝村史(大正4年刊)

「明治40(1907)年石狩石炭株式会社は美唄駅を起点とし、事故の所有に属する沿岸上流の砿区を開坑し、これが搬出を為すの目的を以て施設鉄道の敷設軒を得、翌41(1908)年役四十萬円の巨費を投じて工を起し、道床その他の基礎工事成り今や軌条の引延しを成さんとする時、砿区の係争問題より工事中止のやむなきに至りしが、45(1912)年工事施工期限満了に際し其目的を変更し、私設軽便鉄道として一般貨客を取扱ふべき方針の下に、更に願書提出其の許可を得大正3(1914)年5月工事に着手し、同年11月竣工開通の運びに至り更に沼貝(のちの美唄炭山)我路の両駅を設置し、茲に初めて一般貨客の取り扱い事務を開始するに至れり」

美唄市百年史;開通時の様子

「7010型38トン・テンダーエンジン10輪(6輪連結)機関車二輌、定員38人乗り三等客車二輌を使用し、当面一日に定期混合列車4往復、不定期混合列車2往復など計7往復を運行、全便に24トン積み貨車を連結し、1日1000トンの石炭を搬出する体制であった。従業員は事務長以下駅長、助役、運転手、車掌、線路工夫その他小使まで入れて総勢46人であった」

昭和26年の乗降人員数が国鉄美唄駅が317万人、隣りの峰延駅が41.5万人のときに、東明駅126万人、盤の沢駅112万人、我路駅64万人、美唄炭山駅72万人、常盤台駅70万人となっている。


美唄鉄道の古典時刻表

1929年(昭和4年)9月15日改正時刻表 1948年(昭和23年)7月1日改正時刻表


1969年 美唄市の1万分の1地図から


 本ページをご覧いただいた方より、1969年の美唄鉄道沿線を含む美唄市域の1万分の1地形図を提供いただきました。ありがとうございました。主要地点について、当時の鉄道系施設等を記載しながら、紹介させていただきます。(以下、引用図にカーソル・オンすることで、鉄道系施設の名称等を表記します)



【1】 美唄駅周辺

現在の場所

 美唄鉄道(三菱鉱業美唄鉄道線)の起点であった函館線美唄駅付近の様子。

 美唄駅を出た美唄鉄道線は、美唄川を遡るため、ただちに右にカーブし、北海幹線用水路を越えて東に向かっていた。

 地図内にある〇に横棒のマークは、正式の地図記号ではないと思うが、転車台を表している。引用図内に2か所表記があって、美唄駅の東側に美唄鉄道の転車台、近くに機関庫と事務所がある。国鉄美唄駅所管の転車台は、駅北側の函館線と美唄鉄道の間の引込線にあった。

 国鉄転車台の北には、函館線から東に分岐する線路が記載されており、美唄木材工業他の専用線である。

 専用線一覧では、1957年のものに「小倉煉炭工業㈱」の専用線(0.5km)として登場し、196170年では「樋爪産業㈱ 美唄木材工業㈱ ㈱丸栄坂口商店 前山与蔵」名義の専用線(0.5km)となっている。1975年の専用線一覧には記載がないことから、この間に運用を終了したと思われる。

【2】 南美唄駅周辺

現在の場所

  国鉄函館線の南美唄支線の終着である南美唄駅卑近の様子。

 南美唄駅から、さらに南東に向かうのが三美運輸鉄道線である。

 今回いただいた地図では、三美運輸の末端部分は範囲外であった。

 南美唄駅の西にある側線は、三井鉱山専用引込線で、専用線一覧では、1957年1970年に0.1kmのものとして記載されている。

【3】 東美唄信号場付近

現在の場所

美唄駅から3.6km地点にあった東美唄信号場付近の様子。

写真419はおそらくこの信号場を写したものと思う。

美唄鉄道線の北側に美唄練炭の工場があり、工場への側線が信号場で分岐していた。また、さらにその外側(北側)には、美唄鉱業所への側線があった。

【4】東明駅付近

現在の場所

  東明駅付近の様子。

 美唄川が南から鉄道線に近づいてきている。

 駅周辺には住宅地が広がっている。

 引用図では見切れ気味になっているが、駅の北西に見えているのは市営東明団地。多くの炭鉱労働者が、かの地から通勤していた。

【5】 盤の沢駅西側

現在の場所

  盤の沢駅の周辺は東西に分けて紹介する。

 こちらは西側で、盤の沢駅構内から、三船砿業所の選炭場へ、側線が伸びている。

 また鉄道線北側では、東西にズリ山があって、ズリ搬出用のトロッコ線が記載されている。(今回、地図を提供いただいた方から、トロッコ線であった旨、情報提供いただきました。)

 また、三船砿業所から、美唄鉄道の線路を越してまっすぐに南下し、美唄川対岸の尾根の斜面から、今度は東に向かっているのは、運炭用のバケット索道線で、こちらも情報提供いただいた方によると「鉄索」と呼ばれていたとのこと。

 その他、盤の沢駅の北側では、運炭に供されていたと思われる細かい軌道線の記載がある。

  写真121は、撮影時、すでに操業を終え、廃墟となっていた三船砿業所の選炭場跡となる。
↑盤の沢駅近く、滝ノ沢発電所と尾根の間を通っていた運炭用のバケット索道線(鉄索)の写真

【6】 盤の沢駅東側

現在の場所

 盤の沢駅の東側の様子。

 駅の北にあるのが三菱炭鉱滝の沢鉱の選炭場、南にあるのが滝の沢発電所。

 盤の沢駅の東から滝の沢発電所までは、三菱鉱業美唄動力所(滝の沢火力発電所)側線が延びる。

 南の尾根と滝の沢発電所の間を通る運炭用バケット索道線(鉄索)は、引用図内の尾根の途中で、運炭用の軌道に接続している。

 美唄鉄道線は、盤の沢駅の東、美唄駅から6.1km地点で、第1美唄川橋梁を渡る。
 ↑盤の沢駅を俯瞰した写真。写真右側(駅北側)にあるのが、三菱炭鉱滝の沢鉱の選炭場。シックナーも見える。写真左側(駅南側)にあるのが、滝の沢発電所。盤の沢駅から三菱炭鉱滝の沢鉱の選炭場までは、跨線橋が直接通じていたことが分かる。また、選炭場と滝の沢発電所の施設との間も、空中歩廊状の構造が伺える。盤の沢駅の「工業の駅」たる姿を伝える風景だ。

【7】 我路駅周辺

現在の場所

 我路駅は、盤の沢駅の雰囲気から一転して、「住宅地」内の駅となる。

 駅を中心に広がる町の様子が分かる。

 盤の沢駅西側の三船砿業所の選炭場から、運炭用バケット索道線(鉄索)から接続して、尾根の中を伸びていた運炭用軌道は、我路駅手前の尾根の中で終点を迎える。この終点に坑口があったはずである。

 美唄鉄道線は、我路駅の東、美唄駅から7.7km地点で第3美唄川橋梁を渡る。

【8】 美唄炭山駅付近

現在の場所

 我路駅のすぐ東に美唄炭山駅があった。両駅の駅間距離は750mときわめて短かった。

 美唄炭山駅の東側には、北菱産業我路炭鉱の選炭場があり、そこからは、北側の斜面に運炭用索道が伸びていた。

 また、南にはズリ山があり、ズリ搬出用トロッコ線があった。

 引用図内では、選炭場の南側で、西に延びる短い軌道線も確認できる。

【9】 宮ノ下カーブ付近

現在の場所

 東進してきた美唄鉄道線は、美唄炭山駅の東で、美唄川の流れに沿って北に向きを変える。このカーブの内側の低地に宮ノ下商業地区があり、鉄道線のカーブにも「宮ノ下カーブ」の愛称が与えられていたとのこと。

 カーブの手前、美唄駅から8.9km地点で、美唄鉄道線は支美唄川橋梁で東美唄川を越える。

 支美唄川橋梁の東で分岐しているのは、木材・坑木積卸側線となる。

 引用図中央付近で道路跨線橋があるが、現在では、 隧道を思わせる鉄道遺構を見ることが出来る。廃駅を訪ねてで、この遺構を「トンネル跡」と紹介してしまっているが、正しくは「道路跨線橋跡」である。 (美唄鉄道線に隧道は存在しない)

 引用図左端に見切れているのは、美唄川の北斜面にあった月見台団地、引用図右の斜面に広がっているのはの旭台団地である。

 いずれも、狭隘な地形に、よくぞこれだけ密集して生活拠点を築き上げたと感心させられる地形。先述の「道路跨線橋跡」を通る曲がりくねった隘路は、1969年の当時、旭台地区と唯一行き来できる道路だった様子が、この地図に示されている。

【10】 常盤台駅付近

現在の場所

 美唄鉄道線の終点となる。起点である美唄駅から10.4km地点で北一の沢橋梁を渡って(小さな橋梁であり、1万分の1地図でもはっきりとは識別できない)常盤台駅となる。

  写真240 の通り、駅の北東には、三菱美唄鉱業所選炭場の巨大な施設が隣接し、周囲には運炭用の軌道線がめぐっている。

 駅の南東からは、2本のズリ搬出用トロッコ線が、ズリ山目指して斜面を登っている。

 駅から北一の沢がつくる谷を登った先には、常盤の市街地が広がっている。引用図からも、炭鉱の町ならではの、傾斜地形に形成された町の様子が伝わってくる。

 常盤の市街地への出入りは、引用図に表記された、北一の沢に沿った道路の他に、常盤台駅から、さらに美唄川沿いに上流部に遡って回り込む道路も存在していた。

 なお、美唄駅周辺では、「転車台」の地図表記があったが、常盤台駅の転車台については、表記がない。転車台は写真214のように、 駅舎のすぐ南側にあった。
↑常盤台駅(写真一番手前)と、その奥に広がる三菱美唄鉱業所選炭場の様子。円柱状のシックナーの奥に見える 原炭ポケットの建物は、現在も炭鉱メモリアル森林公園の中で保存されている。シックナーのすぐ手前を写真右手に延びる歩廊状建築は、1万分の1地図を見ると、ズリ搬出用トロッコ線の発着場に延びていたので、選炭場からズリを搬出するためのものだったと思われる。
↑写真手前に常盤台駅と三菱美唄鉱業所選炭場があり、そこから北一の沢が作る谷に沿う道の先に、常盤台の町が広がっていた。これほどの規模の町が、現在ではすっかり山林に飲み込まれている。写真右下には、ズリ搬出用の2本トロッコ線がV字をつくってズリ山に延びている様もよく見える。この写真は、1960年前後のものと思われる。