宗谷線


 宗谷線の撮影は1970年から1974年にかけて、4回に及んでいる。その目的の大半は、当時宗谷線にのみ残っていた3機のC55(C5530、C554、C5550)であったようだ。これらの機の外形上の最大の特徴は、スポーク動輪と呼ばれる放射状の基礎構造による車輪であり、C55は、大型機関車で当該動輪を採用した最後の機種である。父の写真もこれらの車輪に焦点を当てたものが多い。なお、C5550号機は小樽市総合博物館で保存されている。宗谷線の主な撮影箇所は、有名な塩狩峠の他、名寄や旭川の機関庫となっているが、他に勇知、問寒別の周辺と思われるものもあった。さらに、分類不能だが宗谷線の写真と考えられるものは「その他」で公開した。また、1972年1月に撮影された旭川四条付近では、高架化の工事と、周辺の瓦礫のような町並みが際立った対比を感じさせる。この時には、旭川四条を起点とする旭川電気軌道の撮影も行っているが、それらの写真は旭川電気軌道のページにまとめた。
 また、C5530とC5547への添乗は、メモによると1973年7月となっている。


旭川駅と旭川周辺


1

2 C55のスポーク動輪

3 C5530

4

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6 C5530

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8 D511116

9 C5550

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12 C5547

13 C5547

14 C5547

15 C5547

16 名寄行夜行列車
(1972年3月)

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19 C5547

20 C5547


旭川機関区


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23 79666

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25 C5550

26 C5550

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高架工事中の旭川四条周辺


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31 D51574

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塩狩周辺

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37 C5547

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40 C5530

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45 C5530

46 C5530

47 塩狩駅 DD531

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50 C5550

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56 C5547

57 C5547

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63 塩狩駅とC5547

64 塩狩駅とC5547

65 塩狩駅とC5547

66 塩狩駅とC5547

67 D51337

68 D51337

   69 D51337

70 D51337

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名寄駅


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74 C5550

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77 ジョルダンと49644

78 ジョルダンと49644

79 ジョルダンと49644

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82 ジョルダンと49644

83 ジョルダンと49644

84 ジョルダンと49644

85 ジョルダンと49644

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 写真77-88は、1975年3月、最後の名寄線遠征の際に撮影されたもの。 広幅(ジョルダン)式除雪車両と9600。数人のファンが熱心に撮影をしていたとのこと。


名寄機関区


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90 69618

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92 69618

93 名寄機関区

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96 D5160

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98 事務室

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101 D51221

102 D51221

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106 19640

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109 59591

110 59691

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115 59659

116 59659

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119 59659

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C55添乗


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その他


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141 49622

142 勇知駅

143 勇知駅 69618

144 幌延駅の施設

145 幌延で羽幌線の気動車(注1

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148 59689

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150 幌延駅にて C5530 (注2

151 C551 (注3

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156 名寄付近の貯木場。名寄線かもしれない。

157 名寄付近の貯木場。名寄線かもしれない。

158 名寄付近の貯木場。名寄線かもしれない。

注1) 写真145 線形から、当時幌延駅で合流していた羽幌線と推察した。左は該当部分の地形図(国土地理院発行5万分の1地形図「豊富」 1970年編集)。羽幌線は幌延を稚内方向に出たあと、180度に近い急旋回のカーブを描いていた。

注2) 写真150 父の記憶によると、夜行急行「利尻」に乗車した際、幌延駅で長大な停車時間があり、その間に撮影したものとのこと。ただし、管理人が70年代の時刻表を確認した限りでは、そのようなダイヤを見つけることは出来なかった。その日だけの特殊な事象だったか、臨時急行だったかもしれない。


注2 後日補足) おそらく幌延町営軌道の撮影のため、幌延を早朝に発する普通列車で問寒別に向かうため、幌延駅で急行利尻を下車した際に撮影したものと考えられる。その場合、写真150は1970年9月に撮影されたものとなる。 


1969年7月の宗谷線の時刻表

 急行利尻といえば「夜行」のイメージがあるが、当時は2往復存在し、そのうち1往復が札幌-稚内間の夜行、もう1往復が稚内-旭川間の運転であった。後者は急行「礼文」の前身となる。天北線経由の急行「天北」、名寄から名寄線に乗り入れた急行「紋別」、名寄までの急行「なよろ」が路線を賑わせている。また、天北線、美幸線に直通する普通列車も存在した。急行「宗谷」の始発は札幌ではなく函館であり、かつて列島を横断し、樺太への稚泊航路まで接続していた連続ダイヤの名残を示す。当時も北海道を縦貫するスケールの大きな列車だった。写真16は夜行名寄行とメモがあるので、旭川を22時10分に出る普通列車かもしれない。


(注3  京都鉄道博物館で保存されているC551
 C551の写真は当該写真(151)のみである。C551の最後の配属は旭川機関区で、1971年11月に梅小路に移動され、そのまま動態保存となった。2017年現在、京都鉄道博物館でその姿を見ることが出来る。左写真は管理人訪問時(2017年11月24日)に撮影したもの。