沿線風景(宗谷線)

(2017年5月18日) ポップアップ対応で、左クリックにより大画像を示すようになりました。

宗谷線(旭川~和寒)

旭川駅(宗谷線) 2019.09.09
人口34万人の旭川市の代表駅。駅舎は、2014年に近代的なものとしてリニューアルされた。ガラス張りが印象的。
旭川駅の改札口。近代的なデザインが印象的。2019.09.09 旭川駅の南口は、滔滔と忠別川が流れ、天気が良ければ大雪山系を望むことができる。近代的な駅の出口と、原始的な風景のギャップを活かした快演出であり、駅を降りてすぐに原初の開拓期の風景を連想させてくれる。2019.09.09
旭川駅の北口は都心に面している。駅正面からは、1972年に開設された全国初の恒久的な歩行者専用道路、平和通買物公園が北に延びる。駅舎は、かつてあったエスタに代り、イオンモールに直結している。2019.08.01 宗谷線旭川-旭川四条間の南側には、かつて国鉄「旭川機関区」と「旭川工場(廃止時名称:苗穂工場旭川車両センター)」があった。前者については、2003年に北旭川貨物駅付近に「旭川運転所」として移転、後者については1985年に合理化で廃止となっているが、その後者の建物のうちの2棟が保存され、「旭川市市民活動交流センターCoCoDe」として再利用されている。こちらは、元「木機乾燥場」で、車両の木製部材として利用する木材の乾燥のための施設だった建物。2024.06.29
こちらは、旧旭川工場第二木機職場。車両の木材部品関連の作業工場であった。レンガ造りの荘重な建築が、この地の鉄道の歴史を現在に伝えてくれている。保存されている2棟は広大な機関区・工場設備の一部でしかなかったことを思うと、当時の施設がいかに巨大なものであったかがわかる。2024.06.29
 これら2棟のレンガ建築の由来については「旭川電気軌道のページ」でも紹介しています。
旭川市市民活動交流センターCoCoDeとして保存・再利用されている2棟の旧旭川工場施設。右の旧旭川工場第二木機職場の建物の正面には、地面にかつてレールがあったことを示すデザインが施され、建物の由来をそっと伝えている。2024.06.29
旭川市市民活動交流センターCoCoDeの建物内では、建物が鉄道施設であったことを伝える関連展示があり、苗穂工場旭川車両センターの全貌をとらえたものなど貴重な写真も展示されており、閲覧することが出来る。2024.06.29 旭川市市民活動交流センターCoCoDeの建物内で公開展示されている蒸気機関車の模型。模型製作者から寄贈されたものだという。精巧な作りで思わず見入ってしまう。2024.06.29 宗谷線高架下にある旭川四条駅の入口。周辺は商業地であり、高架線に沿って商店が連なっており、北海道においては独特の雰囲気を呈す駅前となっている。2019.08.01
旭川四条駅(宗谷線) 2019.08.01
かつては旭川電気軌道の起点駅であった。1973年に高架化、2003年に電化された。宗谷線の当該区間は複線であるため、複線電化高架駅として、学園都市線を思わせる駅ホームの雰囲気である。ただし、当駅を発着する旅客列車はすべて気動車であり、電車は回送運転、電気機関車は、北旭川貨物駅へ向かう列車のみとなる。ホームから地上への階段には、広告が並び、都市型の駅風景を演出している。
新旭川駅(宗谷線) 2019.08.01
旭川市内にある駅。石北線の起点駅。駅舎正面からは堂々たる片道2車線の道路(道道新旭川停車場線)が延びる。駅舎は国鉄時代を彷彿とさせる貫禄のあるもの。朝のラッシュ時には頻繁に列車が行き交う。1997年まで日本製紙旭川工場の専用線を運用していた。その工場は、駅跨線橋から見え、風向きと時間帯によっては製紙工場特有の匂いがただよう。
貫禄ある「新旭川駅」の標。2020.09.21
新旭川駅の駅舎。2020.09.21 新旭川駅から旭川方面を望む。2020.09.21 新旭川駅13:32発、永山始発旭川駅の普通列車。複線電化の線路であるが、電化は北旭川への操車の必要性による。この駅を発着した電車の列車は、これまで1編成もない。2020.09.21
北旭川貨物駅(宗谷線) 2019.08.01
旭川市流通団地にある貨物駅。宗谷線は、当駅までが電化区間となる。3面6線の荷捌きホームがあり、札幌、東京方面に常時貨物列車が運行している。
永山駅(宗谷線) 2018.10.13
旭川市の永山にある駅。周辺には市街地が広がっており、旭川方面への通勤通学にも利用される。当駅を始発とする旭川方面への普通列車もある。
北永山駅(宗谷線) 2018.10.13
旭川市永山の住宅地が疎らになったあたりにある。長閑な田園風景が広がっている。無雪期は、駅まで自転車で来て利用する人が多い。
北永山駅から旭川方面を望む。2018.10.13 南比布駅(宗谷線) 2020.09.21
比布町内の駅。駅のすぐ北側を、国道40号線の跨線橋が跨ぐ。駅の周囲には小さな集落が形成され、そのまわりに稲作地帯が広がる。
比布駅(宗谷線) 2016.06.10
人口4千人の比布町の代表駅。この駅を始発、終着とする旭川方面への普通列車もある。
2016年に供用開始された比布駅の駅舎。駅正面には比布の町が形成されている。2020.09.21
比布駅の駅舎の中では「ピピカフェ比布駅」が営業しており、駅の風景を見ながら食事やお茶を楽しむことができる。管理人が食べた中では「キノコ汁」が絶品。付近の名産品であるキノコ、肉厚なキクラゲはさすが。2020.09.21 比布駅前にある巨大な煉瓦製農業倉庫跡。屋根がへこんでいる。現在はタクシー会社の倉庫として使用されているらしい。歴史の重みを感じさせる建築物。2016.06.10 北比布駅(宗谷線) 2020.09.21
比布町内の駅。周囲を田園地帯が囲んでいる。訪問時は、青空が天高く広がっていた。
北比布駅。1両編成向けの簡素なホーム。2020.09.21 北比布駅から北を望む。この線路は、稚内まで続いている。駅ホームから、北嶺山(672m)の斜面に、ぴっぷスキー場のスロープが見える。2020.09.21 蘭留駅(宗谷線) 2016.06.10
比布町内の同名の集落の中にある。
塩狩駅(宗谷線) 2016.06.12
天塩川水系の天塩国と石狩川水系の石狩国の境界である塩狩峠にある自然に囲まれた駅。周辺の勾配から、かつては有名な蒸気機関車の撮影スポットだった。現在も、鉄道写真を目的とした利用者が多い。


宗谷線(和寒~士別)

和寒駅(宗谷線) 2016.06.10
人口3千6百人の和寒町の代表駅。
和寒駅に近い和寒郷土資料館では、D51337が静態保存・展示してある。2016.06.10 和寒-剣淵間を行く宗谷線の列車。2016.06.10
東六線駅(宗谷線) 2016.06.12
鉄道林に囲まれた美しい風景を持つ駅。民家は鉄道林の外側に点在している。駅のロケーション、雰囲気が素晴らしいことから、この駅を見るために遠隔の地から来るファンも多いという。
夜明けの気配が感じられる時間帯に東六線駅を訪問した。夜半から降り続けた雪が残る中、ホームで一つ灯る明かりが、幻想的な世界を作り出していた。2019.02.02
まもなく夜が明ける。2019.02.02 待合室の明かりが暖かい。2019.02.02 東六線駅へ通じる道の踏切。2019.02.02
東六線駅。2021.01.28 東六線駅を14:59に出る音威子府行き普通列車。2021.01.28 東六線駅から旭川方面を見る。2021.01.28
剣淵駅(宗谷線) 2016.06.12
人口3千3百人の剣淵町の代表駅。委託を受けた駅前商店が切符の販売を取り扱っている。
北剣淵駅(宗谷線) 2019.02.02
剣淵町藤本にある駅。
北剣淵駅風景。近隣の居住地との間にある鉄道林によって視界が遮られているため、さながら森の中の駅のような童話的雰囲気がある。2019.02.02 鉄道林を背後に静かに佇む北剣淵駅ホーム。2021.01.28
北剣淵駅の待合室。きれいに清掃されている。窓からホームを見る。2021.01.28 士別駅(宗谷線) 2016.06.12
人口2万人の士別市の代表駅。かつては奥士別から、農産物、木材を搬送に活躍した士別軌道がこの駅を起点としていた。


宗谷線(士別~名寄)

士別のつくも水郷公園にはD51397が保存してあるが、劣化が目立ち状態が良くない。きちんと保存してあげてほしい。2016.06.10 下士別駅(宗谷線) 2016.06.10
士別市内の駅。待合室の長椅子の上には、集会所のようにきれいに座布団が並べてある。
冬の日の下士別駅。2021.01.28
雪で覆われた穀倉地帯が広がる下士別駅の正面。2021.01.28 下士別駅の待合室。いつも綺麗に並べられている座布団が暖かい。2021.01.28 下士別駅の待合室から、窓越しにホームを見る。2021.01.28
下士別駅。2021.01.28 下士別駅の待合室。写真奥側に集落の中心を通る国道40号線があり、その青看が見える。2021.01.28 下士別駅を通過する旭川行き普通列車。H100形。2021.01.28
多寄駅(宗谷線) 2016.06.10
士別市内の同名の集落にある。立ち寄ったときは雨に濡れた草花が美しかった。
瑞穂駅付近から旭川方面に続く宗谷線の線路。昨夜来の雪が収まった早朝の風景。2019.02.02 瑞穂駅(宗谷線) 2019.02.02
士別市多寄町31線にある駅。この日は、旭川深川方面の早朝の吹雪の影響で、宗谷線も午前中運休となった。2019.02.02
風連駅(宗谷線) 2016.06.12
名寄市内の駅。2006年に風連町が名寄市と合併するまでは、風連町の代表駅だった。
風連駅に入線する普通列車 2016.06.12 東風連駅(宗谷線) 2019.02.02
名寄市風連町内にある駅。付近に農地が広がる散村風景が広がる。
東風連駅(宗谷線) 2019.02.02 東風連駅から見る、ある冬の日の日の出。単にそれだけの景色が美しい。2019.02.02 名寄駅(宗谷線) 2016.06.10
上川北部の中心都市、人口3万人の名寄市の代表駅。かつては名寄線、深名線が分岐していて、大きな機関区を備えていた。名寄市は農業、酪農が盛んで、スイーツなど甘味も充実している。
名寄はもち米の産地。スープカレーにもうどんにも御餅が入っている。米菓子も充実。2021.01.28


宗谷線(名寄~音威子府)

名寄駅で発車を待つ宗谷線の列車。2016.06.10 名寄駅の広大なヤードは過去を偲ばせる。しかし、今なお名寄は付近の経済の中心地であり、多くの貨物も取り扱われている。2016.06.10
名寄駅を出るとすぐ名寄川を橋梁で越える。2016.06.10 日進駅(宗谷線) 2016.06.10
名寄市内の同名の集落にある。
日進-北星間。車窓から見る天塩川。名寄-音威子府間の宗谷線は、おおむね天塩川に沿っているが、緑の繁る季節は、川を直接見れる場所は少ない。天塩川の眺めは、音威子府-幌延間が圧巻だろう。2016.06.10
北星駅(宗谷線) 2016.06.10
付近の民家は数軒程度。
北星駅の待合室。「毛織の北紡」のホーロー看板がシンボルとなっている。北紡という会社は、70年代まで旭川を拠点としていたが、国鉄時代のうちに整理されている。北星駅は、その後も長きにわたり、その会社の名前を世に伝えてきた。ホーロー看板の状態は良く、数十年という経年劣化を感じさせない。今や宗谷線の象徴的な光景の一つとなったが、2021年3月で駅も廃止となる。この看板も、いずれその使命を終えるのだろう。2021.01.28
北星駅の待合室内。手書きの駅名票、そしてマスコット?が置いてある。2021.01.28 北星駅のホーム。2021.01.28 北星駅。写真奥が名寄・旭川方面。2021.01.28
北星駅。写真奥が稚内方面。遥か北を目指し、線路は続いている。2021.01.28 智恵文駅(宗谷線) 2016.06.10
名寄市の同名の集落にある。緑に囲まれた中、近づく駅。
智恵文駅。2021.01.28 智恵文駅と駅前の集落と、国道40号線を結ぶ北海道道252号美深名寄線は、天智橋で天塩川を越える。この日は気温-4℃で風もない穏やかな天気。無数の氷片が日本海を目指して下っていた。2021.01.28 智恵文集落付近の雪原風景。2021.01.28
智北駅(宗谷線) 2016.06.10
名寄市内の駅。小さな集落にある。
智北-南美深間の車窓。広大な農地が広がる。2016.06.10 南美深駅近くでペンケニウプ川を越える。2016.06.10
南美深駅(宗谷線) 2016.06.10
美深町内最初の駅。美深の住宅街にある。
南美深駅の待合室。比較的大きな造り。三角屋根が特徴的・ホーム側に窓がある。2021.01.28
南美深駅。見渡す雪原に陽がふりそそぎ、輝いている。2021.01.28 南美深駅。写真奥側が名寄・旭川方面。2021.01.28
南美深駅から、稚内を目指して雪原の中を続いていく宗谷線の線路。2021.01.28 美深駅(宗谷線) 
2016.06.10 人口4千7百人の美深町の代表駅。かつてはこの駅から美幸線が分岐していた。美深を過ぎると、豊富町まで人口4千人を越える町はない。
初野駅(宗谷線) 2016.06.10
美深町字富岡にある小駅
紋穂内駅(宗谷線) 2016.06.10
美深町の同名の集落にある。駅から近いびふか温泉のレストランは管理人お気に入りの食堂の一つ。
紋穂内駅の冬の風景。2021.01.28
恩根内駅(宗谷線) 2016.06.10
美深町の同名の集落の中にある。
豊清水駅(宗谷線) 2016.06.10
美深町の字清水にある駅。島式ホームで交換可能駅となっている。
豊清水駅、冬の風景。2021.01.28
天塩川温泉駅(宗谷線)  左;2013.09.21 右;2016.06.10
温泉宿は天塩川を渡ってすぐ。管理人も宿泊した。1日に発着する列車は上下合わせて8本。
咲来駅(宗谷線) 2016.06.10
音威子府村の同名の集落にある。音威子府はそばが名産だが、咲来の銘柄も知られており、札幌市内にも咲来産蕎麦を売り文句とする蕎麦屋がある。


宗谷線(音威子府~幌延)

音威子府駅(宗谷線) 2013.09.22
林業の町音威子府は、北海道でもっとも人口の少ない自治体。山に囲まれた小さな集落。かつては天北線が分岐し、鉄道関連の施設や官舎があった。駅の中に、天北線関連の資料、かつての音威子府駅の広大な施設全体の模型などが展示してある。音威子府の名産はそばであり、駅には地元の蕎麦による蕎麦屋が入っていて、ちょっと有名。管理人もおいしく頂いた。
音威子府駅(宗谷線) 2013.09.22 雪景色 2015.01.24
音威子府-筬島間
宗谷線の名寄-幌延間は、天塩川の雄大な眺めを堪能できる。2015.01.24
音威子府筬島地区、宗谷線側から見て天塩川対岸に「北海道命名之地」の碑がある。1857年、探検家の松浦武四郎は、アイヌの水先案内人を伴って、この地まで足を踏み入れ、アイヌたちが、 「この地で生まれた者」の意味で、「カイ=加伊」と呼んでいたことから、 北加伊道の地名を思い立った。 松浦は、一か月かけてこの天塩川流域を探検し、 天塩川及び名寄川の源流まで確認している。松浦の天塩川日誌によると、 当該地はトンベツホ(頓別坊)のオニサッペ(鬼刺川)付近となっていて、 これが現在のオトイネップ(音威子府)のオサシマ(筬島)にあたる。宗谷線の車窓からも見ることが出来る。2016.06.11 「北海道命名之地」から天塩川を見る。対岸を宗谷線が通っている。2016.06.11
筬島駅(宗谷線) 2015.01.24
車掌車を改造した貨車駅舎の駅。訪問時にはホームに一本伸びる裸木が、妙に印象的だった。
佐久駅(宗谷線) 2015.01.24
中川町の「佐久ふるさと伝承館」と兼用の駅舎。
佐久付近の天塩川の車窓 2015.01.24 天塩中川駅(宗谷線) 2016.06.10
人口1千8百人の中川町の代表駅。
天塩中川駅(宗谷線) 2015.01.24
中川町によって駅舎が修復管理されている。このあたりの沿線では目立つ立派な駅舎。
歌内駅(宗谷線) 2015.01.24
車掌車を改造した貨車駅舎の駅。
宗谷線 歌内-問寒別の車窓 2015.01.24
問寒別駅(宗谷線) 2015.01.24
かつては幌延町営軌道(簡易軌道問寒別線)が当駅を起点としていた。問寒別は、付近では大きな集落だが、駅舎は、車掌車を改造した貨車駅舎の駅。
問寒別駅。駅舎は塗装されていた。2019.02.02
問寒別駅前の風景。かつてはこの写真奥の方角に、幌延町営簡易軌道問寒別線が延びていた。2019.02.02 糠南駅(宗谷線) 2015.01.24
待合所、というより冬季の緊急避難小屋のような、物置ふう建物。両側に窓がついていて、中に入っていても、列車の接近に気付けるよう心配りがしてある。
糠南駅では、とある秘境駅ファンの呼びかけで、毎年12月24日に秘境駅ファンが集まってクリスマスを祝うイベントが開催されるようになった。幌延町もこれを支援、北海道新聞も毎年のように記事に取り上げており、現在では糠南駅は象徴的な秘境駅の一つとなっている。美しい雪原にたたずむ雰囲気は格別のものがる。2019.02.02
糠南-雄信内間では、さながら天塩川の水面の上を行くようだ。季節と天気によって、さまざまな色を見せる天塩川。結氷した深い青白色も美しい。陽光を浴びると輝きながら、一気に色彩が変わる。 2015.01.24
糠南-雄信内 2015.01.24 雄信内駅(宗谷線) 2015.01.24
歴史を感じさせる美しい駅舎が残っている。付近の景色も美しい。また来たいと強く思わせてくれる
幌延町誌によると、雄信内駅では1960年代には盛んに農畜産物が取り扱われ、一日の平均乗客数も100人近くあったと言う。現在の雄信内集落は駅から離れていることもあって、利用客数は多くはない。ただ、風格を感じる木造駅舎は素晴らしい。駅ノートを拝見すると、この駅のため列車で訪問する旅人もいるようだ。2019.02.02 雄信内の集落は駅から天塩川を越えた2kmほど先になる。駅付近には、数件の廃墟が残る。2019.02.02
安牛駅(宗谷線) 2015.01.24
車掌車を改造した貨車駅舎の駅。
南幌延駅(宗谷線) 2015.01.24
ホームと、少し離れたところに待合所がある。
上幌延駅(宗谷線) 2015.01.24
車掌車を改造した貨車駅舎がある。
幌延駅(宗谷線)2015.01.24 
人口2千5百人の幌延町の代表駅。かつては羽幌線が分岐し、1970年代には転車台や給水施設も備わっていた。規模は縮小されたが、現在も有人駅で、特急も停まる。駅前には町も広がっている。
幌延駅と稚内行普通列車。訪問時、駅舎内では、町内の秘境駅の駅名標デザインによる携帯クリーナー、珪藻土製のコースター、コーヒー、ラスクなどが販売されていて、一通り購入させていただいた。コーヒーを飲みながら宗谷線の車窓を眺めるのも格別だ。2019.02.03 稚内に向かう普通列車は幌延駅を出て、小さな市街地を抜けると、すぐに雪原の中を走り始める。2019.02.03
こちらは、旧羽幌線の沿線に当たる天塩町の風景。日本を代表する絶景道路道道106号線の南端は、天塩河口大橋で天塩川を越えている。2019.02.03 天塩河口大橋付近の天塩川。冬の日没直後。天塩川は全長256km、道内では石狩川に次いで2番目、国内では、信濃川、利根川、石狩川に次いで4番目の長さを持つ川だが、冬季は、その河口付近も結氷する。2019.02.03


宗谷線(幌延~豊富)

幌延-下沼間車窓。幌延駅を出、稚内方面に向かう列車の左手には、天気が良ければ、やがて利尻富士が見えてくる。2019.02.03 下沼駅(宗谷線)中; 2019.02.02 右; 2019.02.03
幌延町字下沼にある駅。
下沼駅の待合室の中。2019.02.02 下沼駅前には下沼湧水の看板があり、冬季でも水を汲める。案内板によると、当地の開拓者の名にちなみ「湧水サロベツ権左衛門」の名称もあり、硬度37.4 pH=7.2 の天然ミネラル湧水とのこと。管理人も水を汲み、飲用させていただきました。2019.02.02 下沼付近には、酪農家が点在しているが、冬季は一面の雪原といった景色。2019.02.02
下沼、豊富間の車窓。利尻富士は、正式名称利尻山(りしりざん)で、標高1,721m。日本海のただなかで島一つを形成する独立峰で、円錐状の均整の取れた形状を持つ。周囲を海に囲まれていることから、道北の日本海側では、広いエリアから視認できるが、豊富町付近では、その景色における存在感は圧倒的だ。宗谷線の車窓の象徴とも言える。2019.02.03 宗谷線車窓。利尻富士を拡大撮影したもの。積雪期は、雪に覆われた山容にコントラストのくっきりした陰影が刻まれ、驚くほどのリアリティをもって姿を見せる。2019.02.03 豊富駅(宗谷線) 2015.01.25
人口4千2百人の豊富町の代表駅。かつては日曹炭鉱天塩砿業所専用鉄道が分岐していた。その廃線跡を辿っていくと、豊富温泉にたどり着く。この写真を撮った時も、管理人は豊富温泉に宿泊した。お気に入りの宿泊地でもある。宗谷線を北上すると、美深以来の久しぶりの人口4千人超級の町でもある。
雪晴れの日の豊富駅。2019.02.03 豊富駅の跨線橋から見る利尻富士。2019.02.03
豊富駅の跨線橋から。この日、管理人は宿泊していた豊富温泉から豊富駅に向かったのだが、はるか遠方にあるはずの利尻富士が、あまりにもくっきりした陰影で見えるため、遠近感を失うような錯覚を覚えた。これほどシャープな景色を実感する経験はなかったと言ってもいいくらい、それは劇的な景色だった。2019.02.03 豊富駅横には、貨車を改造した救援車(オエ61-67)が展示してある。2019.02.03
豊富駅横に保存されている救援車(オエ61-67)。かつて稚内市の北防波堤ドームに展示されていたC55-49が、経年劣化で撤去されてしまったため、現在国内最北の保存車輛ということになる。2015.01.25 サロベツ原野、豊富温泉の玄関口である豊富駅前の風景。2019.02.03 道道106号線 あまりにも有名な絶景道路。宗谷特有の分離丘陵列地形と日本海の間を進む。付近には高い樹木もなく、丘陵、海、島々が全方位的に見渡せる。はてしなく続く道路は印象的。豊富駅から稚咲内経由で稚内に向かうルートを取れば、サロベツ原野と合わせて堪能できる。2015.01.25


宗谷線(豊富~稚内)

豊富-徳満間の車窓。視界が開ける場所では、利尻富士の山頂部が常に姿を見せる。2019.02.03 徳満駅(宗谷線)2019.02.03
豊富町字徳満にある駅。プレハブの小さな待合室がある。近くにはサロベツ原野の展望台がある。
徳満駅。稚内行宗谷線の中から撮影。2019.02.03 徳満-兜沼間の車窓。広がる針葉樹林であるが、その林の上に、決然たる荘厳さをともなって、利尻富士の山頂部が見える。2019.02.03 この道の突き当りにかつて宗谷線芦川駅があった。付近の集落がなくなったことから、2001年に廃止された。現在は駅跡に続く道は除雪されておらず、それなりの装備がないと冬季の駅跡への接近は困難。駅前通りにただ一つ今も残る芦川会館の建物。雪跡には獣の足跡。2019.02.03
兜沼駅(宗谷線)2019.02.03
豊富町字上サロベツにある駅。駅の南西側には地名の由来でもある兜沼が湖面を見せる。(冬季は結氷)
兜沼駅前の集落にある「兜沼郷土資料室」。建物は1934年に建築された旧兜沼郵便局舎兼住宅の局舎で、「関東甲信越式木造兜造り」という建築様式とのこと。中には鉄道関係の展示物もあるとのこと。ただし、開館しているのは5~10月の土日のみ。この日は外観の見学のみ。2019.02.03
兜沼郷土資料室の横には「豊富町発祥の碑」があり、豊富町の開拓は兜沼周辺から開始されたことがうかがえる。2019.02.03 兜沼駅前の様子。歴史に相応しい貫禄を感じる建物がある。2019.02.03 兜沼-勇知間車窓。白と青のコントラストが鮮やか。2019.02.03
勇知駅(宗谷線)2019.02.03
稚内市上勇知にある駅。1944年から1957年まで当駅を基点とし、殖民軌道勇知線が下勇知原野まで通じていた。
勇知駅前の風景。2019.02.03 勇知-抜海間車窓。2019.02.03
抜海駅(宗谷線) 左;2015.01.25 右;2019.02.03
北の駅 7つの駅の叙景で紹介。日本最北の木造駅舎。
抜海海岸から望む利尻島と夕陽。2019.02.03
抜海港 抜海駅から歩いて20~30分で抜海港に至る。バッカイはアイヌ語でおんぶを意味するが、その地名の由来となった大きな岩が見下ろすところに小さな集落がある。抜海港では、毎冬多くのアザラシが越冬している。天気が良ければ、遠景の利尻富士と合わせて景色を楽しむことができる。2015.01.25 抜海港から望む利尻島と夕陽。2019.02.03
抜海港と利尻富士の風景。港湾には蓮葉氷が揺れている。2019.02.03 港の向こうに付近特有の丘陵風景が見える。2019.02.03 抜海-南稚内間宗谷線車窓。旭川を出てずっと内陸部を走ってきた宗谷線が、最後に日本海に近づく。その一瞬が宗谷線のクライマックスでもある。列車にのっていると、最高の眺望地点に近づく手前、丘陵の切れ目から、日本海が見える。2019.02.03
宗谷線だけではなく、国内最高の鉄道車窓と言っても良い宗谷線から見る利尻島と日本海岸。宗谷線は河岸段丘の突端で、なにも遮るところのない場所から、南北に続く海岸線と、日本海に浮かぶ利尻、礼文の良島を見晴らす。特に利尻島は、海中に存する優美な独立峰、利尻山が、その全貌を表していて、圧倒的だ。多くの旅人にとって、一度見たら、忘れることができない風景に違いない。特に冬は、雪に覆われた山容がくっきりした陰影を刻むだけでなく、水蒸気分の少ない空気が乱反射を避けることによって、おどろくほど克明な姿を旅人に見せてくれる。2019.02.03
宗谷線車窓。眼下に広がる抜海海岸。利尻島、その右手奥には水平線近くに連なる礼文島の姿も見える。普通列車は、当該地点で徐行運転をしてくれる。しかし、徐行運転であっても、この風景は1分程度しか見ることができない。その貴重さが、さらに旅人の心にこの風景を深く刻むに違いない。2019.02.03
見えなくなるまで、見続けた車窓。写真もたくさん撮ったので、それなりの数、掲載しました。2019.02.03 南稚内駅(宗谷線) 中;2019.02.02 右;2019.02.03
稚内市内の繁華街にあり、稚内行に乗っていた人々も、半数程度は南稚内駅で降りる。1989年までは天北線の分岐駅でもあった。
南稚内駅北側にある車庫。かつて南稚内駅には稚内機関区があり、車輛管理を担う機能を持っていたが、天北線の廃止もあって、現在は、特急車輛の整備・清掃等の機能を残すのみとなっている。2019.02.03 南稚内と稚内の間で、列車は高架線を走る。密集する港湾施設群の隙間から、稚内港の様子を見ることが出来る。2019.02.03
稚内駅が近づく。宗谷線の両側には倉庫等の施設が並ぶ。2019.02.03 最北端、稚内駅の線路終点向けて、ゆっくりと列車は稚内駅構内に入る。2019.02.03 稚内駅に着いた普通列車。2019.02.03
稚内駅で発車を待つ旭川行特急サロベツ4号。2019.02.03 稚内駅(宗谷線) 2015.01.25
2011年に完成した「キタカラ」と呼ばれる駅舎になった。周囲の道路標識なども合わせて白くペイントされ、特に冬は美しい。北に500mほど進めば、稚泊航路があった時代の北防波堤ドームを見ることができる。当時は線路もそこまで伸びていた。
稚内駅。この訪問時も、雪晴れの良い天気だった。2019.02.03 現稚内駅舎は、2012年に建設されたもの。その際に、線路長が100mほど短くなったのだが、それまで日本最北端の線路としなっていた車止めとレールが、駅広場に記念碑として残されている。2019.02.02 稚内港に泊まる利礼航路のフェリーたち。2019.02.03
稚内港の風景。稚内市街のすぐ西側に連なる丘陵地帯によって、冬季の強い西風を防ぐ転園の良港とよぶべき地形に港湾施設が作られている。左、中;2019.02.03 右;2019.02.02
かつて稚泊連絡船が発着した埠頭の巨大防波堤。その当時は稚内駅からこの桟橋まで線路が延びており、船着き場に接する形で稚内桟橋仮乗降場があった。サハリンが日本領だった時代の時刻表を見ると、上野→(特急列車)→青森→(青函連絡船)→函館→(特急列車)→稚内桟橋→(稚泊連絡船)→大泊(サハリン)という接続のダイヤが組まれていて、この埠頭が国土を縦断する動脈の一翼を担う施設であったことがわかる。 かつてはこのドームに沿うように、かつての桟橋までの線路を示す宗谷線ゆかりのC55-49が静態保存の上展示されていたが、塩害で痛みが激しく、残念ながら1996年に解体撤去されてしまった。左;2015.01.25 中・右;2019.02.02
函館、小樽、釧路に劣らず、稚内も食べ物の美味しい町。写真は副港市場で食べた姫ホッケとホタテ。ホタテは肉厚で、バターと一緒に炙る。姫ホッケはマヨネーズと良く合う。写真にはないが、宗谷牛、ラーメンも美味しい。2019.02.02 ノシャップ岬 北海道の北端は2つの岬に分かれていて、東側がサハリンが見える最北の「宗谷岬」、西側が利尻島・礼文島が見えるが稚内市街に近い「ノシャップ岬」。どちらも最果てを感じさせる。市街地に近いノシャップ岬の方が観光施設は充実しているが、宗谷岬はその分最果て感が色濃い。2015.01.25
ノシャップ岬付近から見た利尻富士。2015.01.25 ノシャップ岬から見る夕陽。この日、太陽が水平線についたのは、16:39だった。北国の日暮れは早い。2019.02.03 宗谷岬。丘陵で風の遮られる稚内市街とちがって、ここは冬の風がすさむ日が多い。2019.02.20
宗谷岬 天気が良ければサハリンが見える。2015.01.25 宗谷岬東岸  稚内市街から少し遠くなることもあり、宗谷岬東岸を通る観光ルートはあまりないかもしれないが、美しい海岸線が連続する。冬の夕暮れは旅情に溢れる色合い。天北線の線路跡を探すのも良い。  2015.01.25