北の駅 7つの駅の叙景

 北海道の駅は美しい。地元贔屓というわけではない。おそらく正しい。これは気候が厳しく、人口密度の少ない北海道にあって、公共財の貴重な存在感が、年月を経ることで醸し出されてくる特有の味わいがあるからである。いくつもの厳しい冬を過ごした駅舎には、自然と重みと貫禄が備わる。そして、そんな駅の風景は、北海道の景色にとても映える。
 しかし、近年では、そんな駅たちも、次々と姿を消しつつある。経年劣化から駅舎が取り壊され、とってかわった駅舎は、鉄道会社の財政事情により、古い車掌者や有蓋貨車を使いまわした画一的なものに置き換わっている。北の駅の風景は急速に失われつつある。
  当ページでは、管理人お気に入りの駅を7つピックアップし、その姿を紹介したい。

 (2017年5月11日) ポップアップ対応で、左クリックにより大画像を示すようになりました。


 宗谷線抜海駅。2015年1月25日訪問。最北の木造駅舎。国内では、この先には南稚内と稚内の2駅を残すのみ。旅行者が最果てを感じる空間に、時間が止まったかのような駅舎がたたずむ。海沿いにある抜海の集落までは2km。利尻富士を見はるかす抜海の港には、アザラシたちが越冬にやってくる。しかし、厳冬期の2kmを歩くのは危険だ。吹雪ともなれば前も見えず、遭難しても不思議はない。そんな厳しい風雪の中で、旅人を守り続けた駅舎が、今も立っている。


 室蘭線北舟岡駅。2014年11月14日訪問。伊達紋別から室蘭方面に一つ進んだ駅。管理人が幼少の頃に持っていたお気に入りの本にこの駅の写真があった。伊達市の住宅地の尽きたところ、海岸段丘に並ぶ住宅の横の斜面を下ってゆくと、広大な太平洋をバックに駅はある。訪問したときは、風速10m気温0℃。夕陽があたり一面をオレンジ色に染めてゆく中で、荒波が打ち砕けていた。


 札沼線新十津川駅。2014年8月30日訪問。札沼線の終着駅。札幌周辺では、通勤通学に利用され、ラッシュ時には10分間隔で運転される札沼線は、典型的な先細り線。路線を進むにつれて列車本数は激減し、末端部の浦臼と新十津川の間は、1日3往復、1両のワンマン・ディーゼルカーが行き来するだけである。かつて線路はこの先の石狩沼田まで通じていた。時代の流れに取り残されたような静かな終着駅は、夏の日差しを受けて、濃い影を落としていた。


 根室線茂尻駅。2015年5月3日訪問。茂尻炭砿の請願により出来た駅。かつては多くの炭鉱労働者が利用し、炭鉱への物資の輸送の中継点となった。茂尻炭砿までは専用線が通じ、瀟洒なデザインの蒸気機関車が運送に活躍した。現在も残る長大なホームは、石炭列車、特急、急行列車、貨物列車、あるいは混合編成列車など、数々の長大な編成の列車が行き違った歴史の証。ホームに立つと、上り線と下り線の合流点が彼方に見える。今は1,2両編成のディゼルカーが1日10往復程度行き交う。駅舎の事務室は閉鎖され、ベニヤ板が打ち付けられている。待合室にはベンチもなく、採光の限られた薄暗い空間に、鶴の絵が飾ってあった。


 根室線落合駅。2015年5月2日訪問。狩勝峠の手前、石狩川水系の最後の領域にある根室線の駅。かつては札幌から道東に向かう優等列車が行き交い、夜行列車も走っていた。1981年の石勝線の開通以降、道東から札幌に向かう列車は、トンネル内の信号場で根室線と別れ、トマム方面に去る。駅には広大な敷地が広がっている。往時には、峠越えの列車たちの行き違いでにぎわったヤードも、今では1日8~9往復の列車を迎えるのみ。落合駅から東を望むと、小尾根を貫いて狩勝峠方面に向かうトンネルが見える。最後にあのトンネルに向かって行く特急列車を見送ったのは、いつのことだっただろうか。ときどき、駅がそんなことを考えているように感じる。


 根室線厚床駅。2015年9月21日訪問。瀟洒な三角形の屋根が印象的な無人駅。かつてはこの駅から標津線が分岐していた。それ以前は簡易軌道の起点として賑わっていた。今は小さな根室市内の集落に面し、前後に平原が広がっている。駅前の広場からは、標津線代行バスが列車から乗り継げるように発着している。列島最東端の根室が迫るが、空も大地も果てしなく広がっている。


 札沼線豊ケ岡駅。2015年10月17日訪問。ひたすら石狩平野を走る札沼線が、一瞬だけ樺戸丘陵に入り、山の世界を垣間見せる石狩月形-札比内間。野山の中を走っていると、その中に突如、小さな駅が現れる。停車した列車から見渡しても美しい林が続くのみ。付近の住民の請願により1960年に設けられた豊ヶ岡駅。管理人が初めてこの駅を列車内から見たのはいつだろう?自分の写真で残っているのは1983年のもの。それ以来、付近の風景は変わっていない。この駅では、30年の歳月は静かに過ぎ行きたに違いない。