小樽風景

 当ページでは、鉄道写真のデジタル化を行った際に、併せてデジタル化されたものの中から、1975年頃の小樽市の風景を紹介する。小樽市は、現在でこそ北海道を代表する観光地であったが、当時は、経済の冷え込みで、斜陽の町といった雰囲気であったが、管理人の両親はその雰囲気が好きで、たびたび子供たちを連れて出かけていた。管理人にも、当時の三角市場、長崎屋の水時計、喫茶店ろーとれっくなど、当時の小樽市の記憶が断片的に残っている。
 小樽はかつてニシン漁の拠点、石狩炭田から産出される石炭の積み出し、樺太との通商拠点、また道央で生産された食糧の搬出拠点として大きく発展し、最盛期には20万人を超える人口を擁した。国際貿易港としての関連施設も整備され、商都としての発展に伴い、都市銀行が続々と支店を出店し、北のウォール街と呼ばれた。この人口と巨大な経済力を反映した繁華街が形成されたが、もともと、平地の少ない土地であったため、その雰囲気は独特のものがあった。
 その後、ニシンの水揚げ量の急落、石炭産業の斜陽化、そして北海道と本州の流通拠点が苫小牧に移ることにより、小樽の景気は一気に沈滞する。 それでも、写真当時の小樽市は、まだ現在の1.5倍に相当する18万人の人口を擁していた。
 小樽運河が整備前の姿を示すなど、当時の町の雰囲気を伝えるものとして興味深いと思われるので、公開させていただく。



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2 泉谷商店

3 小樽を行く函館線ED76

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6 函館線の列車

7 函館線の列車

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10 中央通 バス停

11 錨屋旅館

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13 当時北海経済新聞社はかつての安田銀行小樽支店。現在は花ごころ。

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15 小樽駅前のバス停

16 三井銀行小樽支店

17 三井銀行小樽支店

18 旧小樽商工会議所

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20 川田憲太郎商店

21 後藤商店

22 手宮線線路沿

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24 食堂 味のまつもと

25 食堂 味のまつもと

26 あけぼの荘

27 函館線を越す歩道橋が見える

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30 港寿し

31 古書 文屋書店

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33 小樽柔道会道場

34 函館線沿線

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36 稲穂湯

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40 泉谷商店

41 稲穂湯

42 祝津風景

43 石造りの倉庫

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45 北一硝子

46 北一硝子

47 北一硝子

48 北一硝子

49 北一硝子

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54 金宝寺

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59 小樽駅

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小樽運河

 通常、運河は陸地を掘削して建設するが、小樽運河は、掘り込み式ではなく、水路を残して凌渫し海を埋め立てることによって形成された。そのため、運河は旧海岸線に沿ってゆるやかにカーブし、その自然な曲線が、周囲の倉庫や昭和中期の建築物との風景によく符合し、観光対象にふさわしい風景となっている。
 小樽運河は、1923年に完成した際には、幅40m、長さ1,314mという規模であった。しかし、その役割を終えた後は、悪臭の発生源ともなり、1966年に、運河の埋め立てが計画された。しかし、運河の風景を守ろうという市民運動が起こり、1979年に計画の変更がなされる。その結果、650mの道路を運河沿いに建設、かつ1,120mの遊歩道が整備されることとなり、現在の風景の基盤が作られた。これらの写真が撮影された1975年頃は、整備前であり、小樽運河も建設当初の姿を留める。


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65 手宮方面を望む

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69 運河沿いの倉庫

70 運河沿いの倉庫

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74 港に着いた流木が積んである

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85 蓮葉氷

86 蓮葉氷

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88 北海製罐 現在の姿はこちら

89 北海製罐

90 北海製罐

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宗圓寺

 五百羅漢が安置されている月浦山宗円寺。潮見町の急な坂道を登った先にある。 

96 宗圓寺への坂道

97 宗圓寺

98 宗圓寺五百羅漢

99 宗圓寺五百羅漢

100 宗圓寺五百羅漢

101 宗圓寺五百羅漢

102 宗圓寺五百羅漢

103 宗圓寺付近からの眺め