沿線風景(留萌線)

(2017年5月18日) ポップアップ対応で、左クリックにより大画像を示すようになりました。

留萌線(深川~石狩沼田)

深川駅(函館線) 2014.06.21
深川市の中心駅で、留萌線の分岐駅。かつては北に向かって深名線も伸びていた。
3,4番線の島式ホームかわ見た深川駅の駅舎。2022.11.11
深川駅4番線の4924D。留萌駅始発で、深川から函館線に直通し、終着は旭川駅となる。2022.11.11 北一已駅(留萌線) 左;2014.06.21 右;2022.11.11
かつて深名線にあった宇津内駅が廃止された際、駅舎をこの場所に移築の上、開設されたと言われている。難読駅としてもちょっと有名。
北一已駅に近い深川市桜山公園には、C5898(左、中)、D51312(右)の2輌の蒸気機関車が静態保存の上、展示してある。塗装もされており、状態は良好。C5898の現役時の姿は、石北線のページで紹介。2018.10.13
留萌線の車内から見る秩父別駅 2022.11.11 秩父別駅(留萌線) 2014.06.21
秩父別町の代表駅で利用者も多い。通学の時間帯は大勢の通学生で賑わう。
秩父別駅。留萌線のドアの窓越しであるが、澄み切った秋の青空が美しい。2022.11.11 留萌線の車内からみる北秩父別駅。駅の深川側に踏切がある。2022.11.11 北秩父別駅(留萌線) 2014.06.21
田園の中にある小さなホームと待合室だけの駅。
北秩父別駅。以前の木造の待合室は撤去され、新しい待合室がホームを降りたところに建て直されている。2022.11.11 留萌線の車内から見る雨竜川。北秩父別-石狩沼田間では、雨竜川橋梁で雨竜川を越える。南側に並行して見えるのは、道道282号沼田妹背牛線の沼田大橋。2022.11.11
石狩沼田駅(留萌線) 2013.11.02 沼田町の代表駅。かつて札沼線はこの駅まで伸びていた。現在ホーム1面だが、札沼線が発着していたころのホームがそのまま残っており、3番線まであった当時の様子を偲ばせる。最盛期にはさらに南北にそれぞれ引き込み線があった。



留萌線(石狩沼田~峠下)

石狩沼田駅 2021.11.06 留萌線の車内から見た真布駅。2022.11.11 真布駅(留萌線) 2014.06.21  静かな小駅。
真布駅風景。2021.11.06 留萌線の車内から見た恵比島駅。2022.11.11 恵比島駅(留萌線) 2014.06.21 
かつては留萌鉄道が昭和炭鉱を目指して分岐していた。
恵比島駅の駅舎は奥の四角い木造建築。手前のものは、テレビドラマの撮影のためにつくられた駅舎。駅前には駅舎を含むセットが残されておりる。 恵比島駅にて、2021.11.06
恵比島駅13時51分発留萌行普通列車。2021.11.06 恵比島駅のホームからは、草地の中に廃墟となった建築物が見える。2021.11.06 恵比島駅の北にあるこの建築物は、かつて恵比島駅を起点とし、昭和駅までの17.6kmを結んだ留萠鉄道(1930-1971)の本社跡。沿線には明治鉱業昭和炭鉱、浅野炭鉱があり、石炭の搬送に活躍した。また、旅客列車は、国鉄線への乗り入れ運転も行っていた。2021.11.06
秋草の中、飄然と建ち続けている留萠鉄道本社跡の廃墟。2022.11.11 留萠鉄道本社跡の廃墟の内部。2022.11.11
留萠鉄道本社跡の廃墟の内部。かつては多くの人が忙しく事務に従事したであろう建物も、約半世紀に及ぶ静寂の時が流れた。2022.11.11
2階は天井が落ちており、2階の窓を通して、秋の高い青空が見える。どこか幻想的な別世界にいるようだ。2022.11.11 恵比島-峠下間の留萌線車窓。留萌線はこの区間で、恵比島峠を越える。恵比島トンネル、峠下トンネルの2つのトンネルを通過する。車窓は高原を思わせる風景となる。2022.11.11 峠下駅(留萌線) 2014.06.21
現在では留萌-深川間で唯一の交換可能な駅。静かな山間の駅。
峠下駅風景 2021.11.06
峠下駅風景 2021.11.06 山間の風情ある峠下駅は、つい何度も訪れたくなる独特の雰囲気がある。付近の集落は、山側、平野側にそれぞれ少し離れたところにあり、正面を通る道道549号峠下沼田線も車通りが少なく、秘境を思わせる。国鉄時代を彷彿とされる駅舎、行き違いの施設も旅情を誘う。2022.11.11



留萌線(峠下~留萌)

幌糠駅(留萌線) 左;2014.06.21 中・右;2021.11.06 車掌車を改造した駅舎。幌糠は比較的大きな集落で、事業所も並んでいる。駅は集落の端にある。
幌糠駅風景。2022.11.11 幌糠駅9時19分発普通列車。この列車は、留萌線で唯一、函館線に乗り入れて、旭川駅まで直通運転を行う。2022.11.11 留萌線の車内から見た幌糠駅。2022.11.11
藤山駅(留萌線) 22014.06.21 
田園の中にある静かな駅。まだ木造駅舎が残っている。駅舎は、かつてのサイズが、おそらく半分くらいにカットされたのであろう。
藤山駅風景 2021.11.06
藤山駅風景。2021.11.06 留萌線の車内から見た藤山駅。2022.11.11 大和田駅(留萌線) 2014.06.21 
車掌車を改造した駅舎。待合所がホームから少し離れている。集落は駅の西側に広がっている。
大和田駅 2021.11.06 大和田駅風景。かつて大和田でも採炭が行われていた。大和田-留萠間に運炭用の馬車鉄道が敷設されていた時代もあった。2021.11.06 留萌線の車内から見た大和田駅。湾曲したホームが特徴。2022.11.11
大和田集落にあった味わい深い旧商店と思われる建物。写真右奥に留萌線の踏切が見えるが、この踏切の名称は「炭山道路踏切」。かつてこの道路も炭鉱関係者で賑わったのだろう。2021.11.06 炭山道路踏切の風景。北側から南側を望んだところ。郷愁を誘う。2022.11.11 黙しながらも大和田の歴史を物語る「炭山道路」という踏切名称を示す標識。2022.11.11
留萌駅到着直前に第九留萌川橋梁で留萌川を渡る。2022.11.11 かつては、羽幌線が分岐し、天塩炭砿鉄道や留萠鉄道臨港線の線路もあった留萌駅の構内は大きいが、2016年には留萌線の留萌-増毛間も廃止され、末端駅となり、母屋側のホーム一面からしか列車も発着しなくなってしまった留萌駅。淋しい風景だが、最後に残った留萌線も2023年には廃止となってしまう。2022.11.11 留萌駅構内にある建物。おそらく保線に供されていたものではないだろうか。2022.11.11
留萌駅構内に残る機関庫。2022.11.11 留萌駅(留萌線) 左;2014.06.2 右;2022.11.111  人口2万2千人の留萌市の代表駅で留萌線の中心駅。かつては天塩炭砿鉄道、羽幌線が分岐する交通の要所であった。往時を偲ばせる作りの大きな駅舎になっている。
留萌駅に停車する留萌線車両。12時07分着の4925Dは、折り返し12時18分発の深川行4926Dとなる。 留萌-増毛間の廃止に伴い、終着駅となってしまった留萌駅の風景。この風景でさえも、見ることが出来るのは、残りわずか。2022.11.11
留萌駅にて発車を待つ普通列車。2014.06.21 留萌駅の西側にある副港橋梁。重厚な鉄骨トラスによる同規格の橋が2つ並んでいて、留萌港の象徴的風景であるが、どちらも廃橋となってしまった。海側の橋梁はかつては留萠鉄道の臨港線で、のち国鉄に移管(留萌臨港鉄道の名称もある)されたのち、廃止。陸側は、留萌線に供されていたが、2016年12月5日留萌線の留萌-増毛間の廃止に伴って廃橋となった。2021.11.06


(旧羽幌線 沿線風景)

羽幌線廃線跡に沿う美しい日本海の景色。2016.08.11 小平町にある重要文化財「旧花田家番屋」(鰊番屋)。巨大な木造建築物が保存の上、1階のみが有料で公開されている。洋風趣味を取り入れた、特有の雰囲気を味わうことが出来る。2016.08.11
残念ながら羽幌線は廃止されてしまったが、留萌から羽幌線跡をたどって北上すると、美しい日本海の景色が堪能できる。特に夕暮れは格別。左の2枚は苫前町で2013.09.22に、右は羽幌町で2014.06.21に撮影したもの。海鮮の美味しいエリアでもある。
羽幌からフェリーで焼尻島、天売島に渡るのも良い。左は羽幌港で、2015.01.24に、右の2枚は天売島で2014.06.22に撮影したもの。天売島は野鳥の楽園。写真(ケイマフリ)のような光景を間近で見れる。



留萌線(留萌~増毛)

増毛行列車で留萌駅を出ると、港湾を鉄橋で超えるが、これに並走するようにもう一つ使用されていない鉄橋「副港橋梁」を見ることができる。かつて留萌臨港鉄道が留萌港からの貨物の搬出入に使用していたもの。右の国土地理院発行5万分の1地形図「留萌」(1974年編集)に当該線路が描かれている。写真は2013.06.21
瀬越駅(留萌線) 2014.06.21日本海が間近に見える駅。海水浴場もすぐそこ。 礼受駅(留萌線) 2014.06.21 こちらも日本海の目の前。車掌車を改造した貨車駅舎の駅。 阿分駅(留萌線) 2014.06.21 阿分小学校のすぐ裏に隠れるようにしてある駅。
信砂駅(留萌線) 2013.08.15
北竜町に抜ける抜け道がすぐ脇を通っている。小さな駅。
舎熊駅(留萌線) 2014.06.21
日本海の近く。車掌車を改造した貨車駅舎の駅。
朱文別駅(留萌線) 2014.6.21
小さなホームと少し離れた待合室だけの駅。
箸別駅(留萌線) 2014.06.21
朱文別と同様、小さなホームと待合室だけの駅。
終着増毛付近。日本海に沿って走っていた列車は、少し陸地に入り、増毛市街の駅に入っていく。左は2014.06.21、右は2013.08.15に撮影。
増毛駅(留萌線) 2014.06.21
留萌線の終着。旅情を感じさせる駅舎。駅前には素晴らしい容貌の旧旅館と旧食堂の建築が保存され、映画のセットに迷い込んだような雰囲気。町には歴史を感じさせる建築物が多く、管理人もたびたび列車や車で訪れている。
増毛駅(留萌線) 2015.06.13 増毛町の国稀酒造 2015.06.13
旅館「冨田屋」。現在は営業してはいないが、住んでいる方がいるとのこと。素晴らしい雰囲気のある建築物で、増毛駅前に相応しい。2015.06.13 こちらも駅前の保存建築物「風待食堂」。食堂としての営業は行っていない。近くに美味しい食事処はいろいろある。2014.06.21 増毛駅から斜面を登ったところにある増毛小学校。道内最古の現役校舎。2014.06.21
増毛海岸からは暑寒別岳(1,492m)を主峰とする増毛連峰を望むことが出来る。2016.08.11 増毛からさらに南下すると、地勢はさらに厳しくなり、断崖の海が続く。その断崖と海の間の集落「雄冬」は、かつて通じる陸路がないことから「陸の孤島」と呼ばれた。断崖を海に落ちる白銀の滝。2016.08.11 石狩湾の夕暮れ。2016.08.11
   
稚内から石狩に至るオロロンラインはいずれも素晴らしい夕陽を眺めることが出来る。2016.08.11    


(濃昼山道)~増毛以南の風景から

北海道の日本海側は、断崖絶壁の続くところが多く、歴史上交通の難所であった。濃昼山道は、1857年に幕府の命を受けた厚田場所請負人・濱屋与三右衛門が自費で完成させた厚田地区の濃昼(ごきびる)と安瀬(やそすけ)の間11kmを結ぶ道で、海岸に近いにも関わらず山の中を開削された。1971年まで地域住民の生活路として使用されたのち、国道231号線の開通により一度廃止されたが、2005年に地元の保存会の人々の手により復元された。現在は野趣あふれる海をながめるトレッキングルートとして整備されている。右写真奥の海に突き出た三角の山が「赤岩」と呼ばれる。2017.10.07  
濃昼山道ではいくつかの沢と渡渉する。太島内川一の沢、太島内川ニの沢、大沢、滝の沢では、両岸に江戸時代に橋台として構築された石組みが残っている。現在、架橋はされていないため特に安瀬側の大沢は、大雨の後には渡渉困難となり、注意が必要。2017.10.07  濃昼山道安瀬側。この日は濃昼側から11kmの道のりを5時間弱で歩くことが出来た。海に向かって降りていく。2017.10.07


1968年編集 5万分の1地形図「厚田」(150%比に拡大表示)

 断崖に囲まれた濃昼の集落、そこから濃昼峠に向かって続く濃昼山道の様子が示されている。
 嶮しい地形にできた集落、濃昼山道に物流の生命線を委ねざるを得なかった当時の状況が伝わってくる。この山道が1971年まで生活道路として使用されていたことは、道路建設さえ困難な地形であったことを物語る。
 現在、国道231号線が開通しているが、絶えず補修が必要な道路となっており、しばしば夜間通行規制などが行われている。
 なお、当時からの水準点は、現在のトレッキングルートでも表示があり、現在地を確認しながら散策することができる。





 

留萌-増毛間(2016年12月15日廃止) 廃止後の駅の風景

瀬越駅跡

瀬越駅跡。留萌の市街地から海岸段丘を降りた海辺のあった駅は、日本海の広がる絶景駅でもあった。海岸段丘上には、留萌の市街地が広がっており、留萌市役所最寄りの駅でもあった。訪問時はホームにあった待合室跡が残り、西日を浴びていた。Map (2022.11.11) 雲が行き交う秋空の下に広がる日本海。残された瀬越駅の待合室は、出入り口を封鎖されてなお、海を見つめているようだ。(2022.11.11) 瀬越駅跡から見る日本海。この駅で降りた旅人の多くが、この風景に目を奪われたに違いない。(2022.11.11)


礼受駅跡

礼受駅跡。留萌線の2016年廃止区間では、増毛駅とともにきちんと駅舎が残っている。海岸段丘と日本海の間の小さな平地にある。集落も、この平地に即して南北に連なっている。Map (2022.11.11) 礼受駅の駅舎の向こうに日本海が広がる。かつては、この駅に停まる列車内から、この景色を眺めることが出来た。(2022.11.11) 礼受駅待合室の出入り口。潮騒が聴こえている。(2022.11.11)
訪問時、礼受駅跡付近では、駅の両側でまだ線路が残されていた。こちらは留萌方面に続く線路。(2022.11.11) 礼受駅跡の南側、増毛方面に残されている線路。(2022.11.11) 秋の日射しの下、役目を終えた礼受駅の駅舎が、静かにたたずむ。(2022.11.11)


阿分駅跡

阿分駅跡。かつては阿分小学校のすぐ裏手に板張りのホームがあったが、遺構としては残っていない。Map (2022.11.11) 阿分駅跡で見つけた阿分駅を解体した部材の一部と思われるもの。(2022.11.11) 阿分小学校跡。阿分小学校は、阿分駅廃止(2016年12月15日)に先んじて2015年3月いっぱいで廃校となった。ほぼ時を同じくして、駅と小学校が、この地域を去って行った。(2022.11.11)


信砂駅跡

信砂駅跡。駅跡に駅の痕跡を偲ばせるものはほとんど残っていないが、留萌線の路盤跡脇に、ホームが設置されてたであろう盛り土部があり、かろうじて駅の痕跡と言えるものになっている。Map (2022.11.11)


舎熊駅跡

舎熊駅跡。駅跡は広場の様になっており、目だった痕跡と言えるものは特にない。Map (2022.11.11) 舎熊駅跡に残っていたもの。おそらく留萌線から撤去された枕木。(2022.11.11) 舎熊駅跡からかつての駅前通りを見たところ。集落の先には日本海が広がっている。(2022.11.11)


朱文別駅跡

朱文別駅跡。駅跡に駅の痕跡を残すものはなく、旧駅跡の土地はパレット置場として転用されている。Map (2022.11.11) 朱文別駅跡付近の留萌線跡。ところどころに管理敷地境界がある。秋空の下、かつての路盤には草が茂っている。(2022.11.11)



箸別駅跡

箸別駅の留萌側で、留萌線は箸別川橋梁で箸別川を越えていた。訪問時すでに橋梁は撤去され、箸別川橋梁跡として領岸に橋台が残されるのみとなっていた。(2022.11.11) 箸別駅付近の留萌線跡の築堤からの眺め。箸別駅前の広場は私有地となり、資材置き場に転用されている。(2022.11.11)
箸別駅跡。路盤沿いに駅跡は残っていないが、ホームまで築堤を昇降するための階段が、かろうじて草むらの中に姿をとどめている。Map(2022.11.11) 箸別駅のホームに上がる階段の入口にあった保線用の小屋は、半壊の体となりながらも残っていた。(2022.11.11) 箸別駅跡から増毛方面を望む。(2022.11.11)
箸別-増毛間で、留萌線のフィナーレにふさわしく、かつて列車から海原を見渡すことが出来た。訪問時も付近には、まだ線路が撤去されずに残っており、往時の美しかった車窓風景を思い起こすことが出来た。(2022.11.11)