沿線風景(石勝線)

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石勝線(南千歳~新夕張)

千歳-追分間の車窓 2016.03.11 追分から千歳方面に向かうと、やや南進したのち、複線の室蘭線を跨いで西方に進路を変える。2016.03.11 東追分駅(石勝線) 2016.03.11
安平町内の駅。付近に集落は形成さあれておらず、数軒の家屋が見える。2016年3月26日に廃止となる。
川端駅(石勝線) 左・中;2012.09.17 右;2016.03.11
近くのゴルフ場がかつての客車(2両)を資材置き場に利用しており、駅に接するように置いてあるのを見ることができる。
川端駅、冬の夜の風景。2018.12.24
川端-滝ノ上間は、夕張川が削った谷に沿って進む。蛇行する夕張川を3度渡る。冬期間は、流の緩やかな部分で結氷した川面を見ることが出来る。2016.03.11 滝ノ上駅付近にある滝ノ上水力発電所。1925年北海道炭礦汽船株式会社によって建設。付近は公園になっていて、千鳥ヶ滝等の名勝と併せて散策できる。2012.08.16
滝ノ上駅の近くでは、車窓に滝の上発電所が見える。2016.03.11 滝ノ上駅(石勝線)2016.03.11
夕張市に入って最初の駅。比較的大きな集落に面し、利用者も多い。
滝ノ上駅付近を通る石勝線の普通列車 2012.08.16 十三里駅(石勝線) 2016.03.11
国道に面した駅。メロン農家が点在するが、利用者数が減少し、2016年3月26日で廃止となる。


石勝線(新夕蘭~清水沢)・周辺の産業遺産など

新夕張駅(石勝線)左・中;2014.10.04 右;2018.11.03
紅葉山に代わって出来た石勝線夕張支線の分岐駅。管理人は開業から間もない1984年にも訪れているが、駅舎は時の経過で、若干貫禄がついた。
新夕張駅の駅前には、1981年10月1日の石勝線開業に伴って、その機能を新夕張に移し、廃止となった紅葉山駅の駅名票が置かれている。2018.10.25 新夕張を出て、夕張に向かう支線は、道東へ向かう線路と別れて、夕張川を渡る。2016.03.11 沼ノ沢駅南の、道道真谷地沼ノ沢停車場線の踏切に残る線路跡。かつては構内に引込線が敷かれ、駅の機能が高かったことを物語る。2018.11.03
沼ノ沢駅(石勝線) 左;2014.10.04 中・右;2018.11.03 
かつては真谷地炭鉱専用鉄道(1913-1987)が分岐しており、夕張線も複線の時代(1915-1932)の時代があったため、駅構内は広い。母屋側には使用されなくなったホームも残る。かつては当駅と夕張間を区間運転する普通列車も存在した。現在、駅舎にはレストランが併設されている。ちなみに、管理人の祖母は沼ノ沢で教員をしていた。
南清水沢までは夕張川を2度渡る。2014.10.04 南清水沢駅(石勝線) 中;2014.10.04 右;2018.11.03
夕張市内の静かな駅。
南清水沢駅 2018.11.03 清水沢駅 2018.11.03
清水沢駅(石勝線) 2014.10.04 雪景色; 2015.03.07
かつては三菱鉱業大夕張鉄道線が分岐していて、管理人は1984年にこれに乗った。駅とホームの間の広い敷地は、三菱鉱業大夕張鉄道の操車場として利用されていた。そのため、現ホームと駅舎の間に跨線橋があったが、いまは撤去され、不自然に広いスペースを歩道が繋いでいる。
北炭清水沢火力発電所。北海道炭礦汽船が自社施設のために建設した発電所で、最盛期には石狩炭田の関連施設に広く電力を供給していた。現在はその機能を失い、土地を取得した事業者によって解体が進められていたが、2011年からNPO炭鉱の記憶推進事業団主催のアートプロジェクトの開催地となり、解体も中断され、期間中は一般公開されるようになっている。 2014.10.04 清水沢付近の住宅街 2014.10.04


石勝線(清水沢~夕張)・周辺の産業遺産など

清水沢-鹿ノ谷間の車窓。志幌加別川に沿って走る。2018.11.03 第七志幌加別川橋梁。夕張線は、1912年に夕張-清水沢間、1915年に清水沢-滝ノ上間が複線化され、しばらく複線で運用された。しかし、1926年に夕張鉄道が夕張本町までを開業したこともあって、1932年に単線運用に戻ることになる。写真手前にある橋脚は、複線運用時代のもので、廃止から86年を経てその姿を遺している。2018.11.03
1912年から1932年まで夕張線が複線で運用されていた時代があり、清水沢-鹿ノ谷間の第六志幌加別川橋梁でも、列車内から、線路西側に橋脚跡を目にすることができる。2016.03.11 隧道の名前は稚南部隧道と言う。当該地には、「わかな」もしくは「わかなべ」「わっかなべ」の音に由来する地名が複数あり、過去の地形図を見ていくと「若菜」「若菜邊」「若鍋」などの地名が登場する。ただ、「稚南部」の字が残るのは、管理人の知る限りではこの隧道のみである。この隧道も、複線運用時代(1912-1932)の廃隧道が、現役隧道に平行して存在している。中;2016.03.11 右;2018.11.03.
清水沢-鹿ノ谷間は志幌加別川の渓谷を走る。2014.10.04 鹿ノ谷駅(石勝線) 左;2014.10.05 右;2016.03.11
かつては夕張鉄道との乗換駅で、大きな操車場があった。
鹿ノ谷駅、最後の秋。2018.11.03 鹿ノ谷駅の東側の広いスペース。この場所にかつて夕張鉄道の広大な操車場があった。2016.03.11
鹿ノ谷駅の北側にある歩道橋。かつては複線の夕張線、夕張鉄道、それに夕張鉄道の機関区の多くの側線を跨いでいた。2018.11.03 鹿ノ谷駅北側歩道橋より夕張方面を望む。2018.11.03 第五志幌加別川橋梁。夕張線複線化時代の橋梁(手前側)が、一部のガーターも含む形で残っている。少し上流側には、さらに夕張鉄道の橋台も残っており、3線が並行していた時代を想像させる。2018.11.03
鹿ノ谷付近で並走するサイクリングロードは、かつての夕張鉄道の跡。左; 2014.10.14 右; 2018.11.03 秋の朝日を浴びる夕張駅。2018.11.03
2019年3月いっぱいで廃止予定の夕張駅ホームには、当該支線の126歳おめでとうの文字があった。2018.11.03 夕張駅(石勝線) 左;2014.10.05 右;2016.03.11
1990年に従来の駅から場所を南に0.8km移動させた上で、現行の駅舎が建設された。その分、路線長は短くなっている。旧駅の様子はこちら
夕張駅で発車を待つディゼルカー、そして鹿ノ谷方面を望む。 左;2014.10.04 中;2016.03.11 右;2018.11.03
夕張駅の先、石炭の歴史村の東側斜面には、「北炭夕張炭鉱高松ズリ捨て線」の跡が残る。かつてはスキップ巻きにより2トン積み鉄車を引き上げていた。1954年の大雨でズリ山が崩壊したのちは一部をベルトに切り替え、1977年の閉山まで稼働し続けた。2018.11.03 石炭の歴史村のある志幌加別川流域と、それを囲む山々。2018.11.03 夕張駅に近い石炭博物館。展示は充実していて興味深い。いずれSL館の保存SLも公開してほしい。2014.10.05
夕張市の石炭博物館では、軌道式の坑内作業車、木造炭車などが展示されている。2014.10.05 石炭博物館。地下に建設された模擬坑道を利用した展示は、炭鉱の雰囲気をよく伝えている。2014.10.05
そらち炭鉱アートプロジェクトでは、夕張から近い幌内線沿線の旧炭鉱関連施設跡も、アート展示施設として利用されている。左の奔別炭鉱立坑は近くで見ることができた(中には入れなかった)。他の2枚は旧幾春別駅から引込線で連絡していたホッパー跡。こちらはアート会場として、2014年開催では開放されていた。2014.10.05
膨張するシューパロ湖。2014年の秋、完成したシューパダムは水位を上げ、ダム湖は森を飲み込みつつあった。三弦橋をはじめとする下夕張森林鉄道跡、大夕張鉄道跡など数々の産業遺産は、水底に沈んでいった。2014.10.04 楓駅跡(石勝線) 2014.10.14
楓発着の列車は、すべてこの側線を利用していた。駅舎は撤去されたが、ホームが残る。


石勝線(新夕張~新得)

占冠駅(石勝線) 2012.09.17
北海道中央部の小さな村の駅。通るのは特急列車と貨物列車のみで、普通列車が来ることはない。
滝ノ沢信号場(石勝線) 2012.09.17
スイッチャーが待機していた。
トマム駅(石勝線) 2012.09.17
占冠同様特急列車専用駅。近くの星野リゾートは冬はスキー、夏は雲海テラスで賑わう。管理人は両シーズンとも来たことがある。冬は列車で来たが、夏の雲海テラスは早朝訪問(朝5時くらい)の必要があって、そのときは車で来た。
雲海テラス  トマム駅目の前にあるトマムスキー場は、夏場は雲海テラスとして営業している。早朝、ゴンドラに乗って標高1088mのテラスに。天候に恵まれれば、圧倒的な景色を見ることができる。 2012.09.17