日高線残照
日高線は、苫小牧を起点とし、前身である苫小牧軽便鉄道(1913-)と日高拓殖鉄道(1924-)の線形を受け継ぐ形で1927年に国有化、1933年に様似までが開業した全長146.5kmの路線である。だが2015年1月8日、太平洋に沿う厚賀周辺で高波の影響により路盤が流出、その後周辺の護岸が遺棄された形で、2018年12月30日現在、鵡川-様似間はバスによる代行運転が行われている。 バス代行により、列車運行時、1時間で結ばれていた鵡川-静内間の所要時間は1時間40分以上、1時間20分程度で結ばれていた静内-様似間はおよそ約2時間と、所要時間が大きく増したことはあまり報道されない。その結果、多くの通学生が自宅からの通学を諦めざるをえないなど、結果として周辺の多くの自治体で過疎化に拍車がかかる事態となっている。 本件に関して、管理人が実感するのは、北海道の厳しさのことである。北海道では70年代以降、多くの鉄道路線が廃止されていった。これらの路線の中には、産業の移り変わりにより、当初の役目を終えたと言えるものもあるとはいえ、地域の生活を支える、いわゆるインフラとしての役割を併せ持っていたものがほとんどである。それらが、単に収益という観点から廃止され、鬼籍に名を連ねることが、この地域の厳しさの象徴となっている。特に、北海道の場合、厳しい冬がある。雪に覆われる冬こそ、特に長距離移動において鉄道の果たす役割は大きかったのだが、それが多くの地域から根こそぎ奪われたのは、耐雪の維持費と不可分ではない。 だが、そのことに私は疑義を感じてしまう。厳しい冬という実情があるからこそ、鉄道は公的負担により維持されてしかるべきであり、それを民間産業と同じような価値軸~単に運賃収入を維持費で割ったもの~でその価値を図って切り捨てることが妥当であったとは、到底思えない。 管理人は個人的には、電力、郵便、通信、交通等の生活基盤となるインフラは、公が管理するべきものだと思っている。しかし、いつの頃からかこの国は、とにかく民営化、民間委託することが良いことで、それに抗うものは「抵抗勢力」と呼ばれるようになった。極端な話、電力や郵便、通信であっても、民営化された現在であれば、企業の論理でペイしない土地から撤退することは十分に合理的なこととなってしまっているし、現在の社会的方向性はそちらを向いている。そのことに、明瞭に警鐘を鳴らす意見が、より大きくなるべきではないのだろうか。 加えて、国鉄再建法により、80年代に国鉄線の多くが廃止された際、政府は国会答弁等で、「これ以上の廃止はない」旨を何度も繰り返したのである。しかし、それからわずか30年の今日、その言質を顧みるどころか、JRに是正勧告という名で、廃止推進を諭しかねない態度を示す。それは、地域の住民にとって、多重の背信行為にほかならないだろう。そうであっても、圧倒的に人口の少ない地域の声は、たとえ正論であっても、大都市圏に住む人たちのがなり声にかき消される。悲劇である。すべての路線を残し維持すべきだったと言っているわけではない。中には運炭鉄道や森林鉄道、簡易軌道のように、その使命をまっとうしたものや、実際に利用実態がわずかしかないものもあっただろう。しかし、生活路線として利用されている多くの路線が廃止されていったこともまた事実である。 当時、廃止の目安としたものが「輸送密度」という指標であった。これは人口における利用率ではなく、単純に利用者の絶対数を背景とした指標であったため、元来人口密度の少ない北海道で用いるには本来不適切な指標であり、地元の人の多くが利用していても、その実情は反映されず、達成不可能な基準となってしまった。そのため、利用の実態とは関係なく、次々と狙い撃つように路線が廃止となっていった。実際、管理人が乗った多くの路線では、時には通路まで一杯の利用者がいたのである。しかし、地域の人の多くが利用しても、地域の人口自体が少なければ、先の指標により「利用価値のない」「無用な」ものと見做された。現地の状況を知らない人が、まるで、我がことの利益に係る重大事のように「廃止すべき」という論調を掲げることもあった。 紋別という町がある。町を通じる名寄線が廃止されたとき、この駅の一日の乗客数が800人。人口3万人の町の一駅で800人が列車に乗車していたのである。この比率は、当該年度の札幌市の人口と札幌駅の乗客数の比と大きく変わるものではない。紋別市の両隣の興部町、湧別町にいたっては、当時の人口:代表駅の1日利用者数比はさらに高まり、それぞれ6,600人:403人、1万7千人:686人で、当時札幌よりも、はるかにこれらの町の方が、「日常的に鉄道を利用する人の割合」は高く、依存度が大きかったのである。つまり、当時もっともらしく囁かれた「現地の人が利用してない」は、現状を知らない都会に住んでいる人たちが、たまにTVに映る乗客の少ないディーゼルカーの映像か何かから刷り込まれたであろう勝手な妄想でしかなかった。 しかし、名寄線は廃止された。紋別市は、廃止まで5年間の人口減少率が1%であったが、路線廃止後は、それがおよそ5%となり、一層の過疎化が進んでいる。鉄道の廃止だけが原因ではないだろうが、その一方で、鉄道路線図の変遷を見ると、私は隅々まで血の通わなくなった組織を彷彿とさせる。そういった意味で、この大廃止時代は、過疎化に拍車がかかった象徴的時期に思えてならない。 そもそも、先進国において、鉄道事業だけで経営を成り立たせることは至難である。多くの国において、鉄道は国営、もしくはいわゆる上下分離方式により、施設を公が維持した上で、運行のみを民間委託している。そうやって、鉄道を維持している。なぜか。それは、単に鉄道が地域のライフラインだというだけでなく、観光を含めた「人の移動」自体に、社会的に様々な意味での「価値」があることを、社会と地域が理解し認識しているためだ。いわゆる「物流」とよばれるものの価値は多元的なものなのである。ところが、日本ではこの感覚が非常に薄く、特に最近では、一民間会社の収支という観点ばかりが考えられるようになってきている。 最近、過疎地域でよく聞く言葉として、「交流人口」という言葉がある。普通、「人口」という言葉はその地域に住民票を持つ「定住人口」に置換される。しかし、その減少はいまの日本では必然だ。そこで「交流人口」が重要になる。その時間、その町や地域にいる人、例え一過性であっても、そこで過ごし、人と関わったり、経済活動を行ったりする人、その数を増やすことで、定住人口の減少による「過疎」と呼ばれる衰退を少しでも食い止め、地域の活性化に結び付くことができる。 しかし、残念ながら、日本のいくつかの自治体がそのことに気づいた時にはすでに遅し。そのための、鉄道という強力なツールが、そのような自治体においては、ほとんど廃止されてしまっていたのである。かく言う管理人も、鉄道のある町とない町では、行く頻度が全然違う。それは、私が鉄道が好きだからという以上に、利便性の問題が大きい。全国どこを旅しても、時刻表一冊あれば、いろんなプランニングをして、旅をできる。鉄道とはそのようなツールなのである。外国からくる旅行者の多くが鉄道を利用するのも、そのような利便性ゆえだ。だいたい地域のバス路線なんて、よほど旅慣れた人でも、ルートもバス停の位置も時刻表もなかなか把握ができない。細かい運営会社にバラバラに分かれていて、乗り継ぎの担保も少ない。 そのような観点で見れば、地域の人口が減っている現在こそ、鉄道の価値をいまいちど見直すべきなのである。少なくとも広域鉄道に関して、「一企業が収益を上げるツール」という枠組みでしか評価しないことは、断じて間違いなのである。しかし、残念ながら、この国においては、地方の活性化を自らの責任として考える人は少なく、「地方のことは地方で勝手にやれ」「自分たちで知恵を絞れ」という人が多い。地方が疲弊し衰退した、そのあとに残った都市たちを、今度はどのような運命が待ち受けるのだろうか。 鉄道利用者の数が減っている。これだけ多くの路線が廃止されているのだから当たり前でもある。もしかつてのように鉄道網が充実していたのなら、当然のように鉄道を利用していた行程であっても、鉄道がなくなってはどうしようもない、他の交通機関を利用する。ローカル線という枝を振り払ったら、幹線という幹が枯れてくるのは自然の摂理だ。二次交通網がなくれば、一次交通網も衰退するのである。バスで代替といっても限度がある。そもそも、冬期間のバスの運行は当てにならないことが多いし、遠距離であれば、いくつものバスに乗り継ぐことになる。吹雪の中、いつ来るともしれないバスを待つのは、大げさではなく命がけだ。実質的にそれは利用のハードルを大きく上げることになる。旅行者の足は遠のく。利便性が低下し、地域の価値が下がる。衰退する。だいたい、バス転換したとしても、いまの時代、バスの運転手も台数も確保できない。北海道のように、冬季の道路条件の厳しいところではなおさらである。結果として、あちこちの集落が消失する。消失する集落の規模が大きくなってきているところがさらに恐ろしい。そのような現実を知らない人が、まったくの圏外に居住し、安穏な生活を送りながら、「収支が上がらないのだから廃止は当然だ」みたいなことを平然と言ってのけたりする。そもそも「世間の声」とは、「無責任」の代名詞のようなものである。地域から公的交通を奪った「世間の声」は、自動車を持たなくては生活できない状況に押し込められた人々に対し、今度は「高齢になったら危険だから運転するな」と言う。 美しい日高線の風景を紹介する本ページと直接的には関係のないことを書いてしまったが、それでも、せめて本サイトをご覧いただく方だけにでも、そこで生活している人がいて、その大事な基盤が失われたのだという今、地続きな現実を知っていただきたい。 |
日高線(苫小牧~鵡川)
日高線(日高門別~厚賀)
日高線(厚賀~静内) 1
大狩部駅への道(動画 mp4ファイル) 下の画像を左クリックすると、動画が再生されます。
動画1 1分15秒 大狩部駅と集落の間には、国道235号線の築堤があり、集落から駅へは歩行者用のトンネルを通っていく。トンネルを出ると、そこには真っ青に光る太平洋に面したホームが待っている。2021.03.19 |
動画2 1分5秒 築堤上の国道235号線から大狩部駅に至る道もある。太平洋の潮騒を聴き、海風を受けながら、駅への道を下っていく。 2021.03.19 |
日高線(厚賀~静内) 2
日高線(静内~浦河)
日高線(浦河~様似)