故郷 篠路町太平の風景


 当ページでは、1970年代の鉄道写真のデジタル化の際、同じフィルム内に存在していた写真から、管理人の生まれ育った町、「篠路町太平」(現在は、単に「太平」)地区の風景を収めたものについて、紹介したい。 なお、当時の篠路町太平地区のうち、写真の撮影されたエリアは、現在では単に「太平」もしくは「篠路」という地名になっている。


70年代の篠路町太平


1 「4番通」バス停 路線図と1971年5月1日改正の時刻表

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4 「太平団地中央」バス停

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9 当時はどの通りも砂利道だった

10 笠井商店 現在この場所には「天ぷら倶楽部」がある。

11 三角屋根が特徴の住宅

12 札沼線に沿った通り

13 手稲山を望む

14 北電西札幌送電線鉄塔

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26 現在の拓北駅前に造成されたひまわり団地から札幌に向かう路線バス。横新道を西進するところ。

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バスの通った日

 1972年4月1日、我が家の近くの「商工団地(現 太平12の6)」までのバス路線が開通することとなった。以下の4枚の写真は、前日の3月31日に行われた開通式の様子。

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 上の写真から数日ののち、第1便が路肩を崩して、土に埋まってしまった。ダンプが出動して救助とあいなった

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四番通・学田排水

 「四番通」は、泥炭地の排水のために建設された学田排水と呼ばれる溝に沿った通り。現在、付近は一面住宅地となり道路も舗装された。周囲の風景は一変したが、通りも溝も、名称はそのままである。この四番通が札沼線と交わる踏切で、幼いころの管理人は、両親と、よく汽車を見ていたようだ。45~49は、1975年春の風景。50~56と58~67は、70年代前半の冬の風景。雪と霧氷で、小さな溝も、趣深い景色に一変する。

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太平の四季

 80年代にはほぼ一面の住宅地となってしまった太平であるが、70年代は自然に囲まれた環境だった。四季折々に、周囲の様々な彩に溢れた。また、土壌改良の前であったため、周囲には湿原や小さな水の流れがあちこちにあり、現在の風景からは想像できない大地が広がっていた。父が

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1975年 水害

 1975年8月22日~24日 台風6号による水害で太平地区も冠水した。水害のきわめてすくない札幌市であるが、このときは床上浸水393戸、床下浸水5,333戸であったという。創成川も氾濫し、当時、調整区域だった屯田の北側の農地が、湖のようになっていたのを、管理人は覚えている。


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107 建物は「本田商店」

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