釧網線

 釧網線は四季折々の美しい風景が有名な路線であるが、写真の数は少ない。距離の問題で、札幌からのアプローチに相応の労力が必要だったため、遠征そのものの数が少なかったこともあるが、釧網線の写真の多くが、フイルムの不良のため、残念ながらきちんと残っていないそうである。

 そのようなわけで、釧網線に関しては、訪問時期、撮影場所などのメモも少なく、今回は、父へのインタビューにより「おそらく釧網線だろう」という写真について、当ページにまとめることにした。撮影場所ははっきりしないが、おそらく斜里平野の南部だったと思う、とのこと。また撮影年は1974年あるいは1975年で、いずれにしても蒸気機関車の末期。 メイン・ターゲットは釧網線を中心に残っていたC58だった。

 もし、これらの写真をご覧になり、「釧網線ではないのではないか」「撮影場所は○○」ではないか、等の感想をもたれたら、管理人まで連絡をいただければ幸いである。


釧路駅

 釧路駅は根室線の駅であるが、いずれの写真もC58が牽く釧網線列車が被写体となっていることから、当ページで掲載することとしたした。

1

2 C58395

3 C58395

4 C58395

5 C58395

6 C58395

7 C58395

釧路湿原の車窓


8

9

10

11

12


その他


13

14

15

16

17

18

19

20

21

22

23

24

25

26

27

28

29

30

31

32

33

34

35 C58395が牽く客車内

36 C58395

37

38

39

40

41

42 C58395

43

44

45


1973年8月 釧網線の時刻表

 現在は普通列車しか走らない線区であるが、当時は急行列車が多数設定されていた。急行「しれとこ」は、釧網線を走るとともに、一部は釧路を出て標茶から標津線に乗り入れ、中標津や根室標津を結んでいた。また石北線を運用していた急行「大雪」も、釧網線への乗り入れを行っており、釧路発網走経由札幌行という現在では考えにくい線形を描く列車も存在した。
 ちなみに現在では「斜里」駅は「知床斜里」駅、「川湯」駅は「川湯温泉」駅、「弟子屈」駅は「摩周」駅と改名。さらに「釧路湿原駅」も新設され、沿線風景の美しさを背景に観光路線化が図られている。