★★★★★ 廃道探索の草分け的存在といえる書物 第2弾
1999年に北海道新聞社から刊行された書で、北海道大学で物理学の教授を務めるかたわら、地図研究とフィールドワークにおいても偉大な足跡を残した堀淳一(1926-2017)氏によるもの。「続」とあるのは、本書に先行して1992年に「忘れられた道-北の旧道・廃道を行く」が刊行されていたためである。本書はその続編という体裁である(本の規格サイズは前作から異なり、本書はA5変型判となっている)。
北海道内にある旧道・廃道を歩き、その風景を紹介するもので、全240ページ、掲載されている写真は過半がカラー印刷で、訪問当時の様子がエッセイ風の記述で紹介されている。取り上げられているのは20か所であり、それぞれ地形図等を引用した上で、新旧比較や、地形図上に旧道等のラインを記載してくれているので、たいへん参考になる。写真紹介と、同行者との訪問時のやりとりがメインであり、旧道・廃道の歴史や確認されたオブジェクト類の詳細等については、限られた情報しか記載されていないが、現在では多数趣味者のいる廃道探索についてまとめた草分け的シリーズであり、その端緒をまとめたものとして貴重。また、文明史の浅い北海道という土地において、それゆえに忘れられた開発史の一面として、風化前の記録を書き留めたものとしても価値がある。
紹介されている旧道・廃道は、少数の例外をのぞき、いずれも現在では荒廃が一層進んでいると思われるが、以下、記載か所について、本書の感想とともに簡単に記したい。20の項目と、そのページ数を引用しながら記載する。・・・ちなみに20の項目はいずれも北海道内の地名であるが、道内に住んでいて、ある程度その地理に詳しい人であっても、20か所の項目名をみて、すべて「ああ、あのあたりだな」と見当をつけられる人というのは、(いなくはないだろうけれど)かなり少ないだろう。なので、そのあたりも補足しながら書いておこう。
【峠 その1】
1) ミズバショウの谷・林のヤブ道 塩狩峠越えの国道40号旧・廃道 p6
石狩国と天塩国の境界、宗谷線塩狩駅の南側に存在した国道40号線の旧道および旧々道の探索。本書で引用された1995年の地形図では旧道が車道、旧々道が徒歩道として表記してあるが、現在の地理院地図では両道とも記載はなくなっている。本書の訪問時(1996年5月)では、旧道については、ゲートで車両の通行止が実施されたところで、舗装道路が明瞭に残されていたころ。また、しっかりした道床の残る部分もある旧々道と併せて紹介している。
2) 秋白の峠路 サロマ峠越えの国道333号線旧道 p17
佐呂間町と北見市の境界。国道333号線の旧道であるが、当該道路は2009年に新佐呂間トンネルが開通しているため、現在にあっては旧々道ということになる。現在の地理院地図では、本書が紹介する旧々道と、本書刊行時の現道の双方とも、すでに記載はなくなっている。まだ轍の残る峠路から、木々をかすめて見えるサロマ湖の湖面などが紹介されている。
3) 緑光り、水ぬるむ森の道 二股峠越えの道道札夕線旧道 p25
札幌と夕張を結ぶ道道の旧道で、夕張市鹿ノ谷地区から、直接西に向かう峠路で、現在の地理院地図でも実線で記載がある。著者らが訪問した1996年6月当時から洗い越し状の水場があるなど、野趣を湛えた様子であり、現在の道路かどのような状況になっているかは、不明である。緑の美しい絶好の散策路だったようだ。
4) 渓流と断崖の連続スリル 幌満・冬島間の様似山道 p30
様似町とえりも町の間、日高耶馬渓の名で知られる景勝の海岸地を、山道で越していた旧徒歩道で、現在も散策可能な歩道として整備されている。いくつもの沢を越え、時に断崖の上から海を見下ろす道が、魅力的に紹介されている。
5) 空と緑と海の光る峠 吉岡峠越えの国道228号旧道 p44
松前町と福島町の間で、白神岬の部分をさながらショートカットするように通っていた旧道。かつての国鉄松前線のルートより、谷一つ分、山側を通るイメージで、現在の地理院地図でも実線で記載されている。途中スズヤノ沢の河道と一体になるようにして進む道。明るく開けた雰囲気に魅了される。
【峠 その2】
6) 峠路は手ごわいヤブだった 倶知安峠越えの国道5号旧・廃道 p58
北海道の主要な交通を担う国道5号線、その倶知安町と共和町の旧道は、函館線に近い線形で峠に通じていた。かつてはれっきとした自動車交通を担った道路であったが、現在の地理院地図では、共和町側の一部を除いて記載はない。著者らは1996年に訪問しているが、峠部分はすでにヤブ道であり、1982年訪問時の写真も引用しつつ、当該道路を紹介している。沿道にあった炭酸鉱泉の建物跡の写真なども紹介されている。
7) 林をうねる緑蔭の道 大滝・双葉間の国道276号旧道 p69
大滝村(現在は合併して伊達市の一部)と喜茂別町の間の旧道。峠の名称としては「広島峠」。現在の地理院地図にも実線表記で記載があるが、著者らが訪問した1996年7月の時点でも、廃道化の進行が顕著だったようだ。旧・広島峠から見える羊蹄山の眺め、そしてオロウェン支線川に架かっていた橋梁跡などが紹介されている。
8) 早春の輝き・巨岩と深淵のスリル 美笛峠越えの国道276号旧道 p79
千歳市と大滝村(現在は合併して伊達市の一部)の間にある美笛峠の旧道。現在の地理院地図でも実線表記されているが、著者らが訪問した1997年5月の時点で、落石した巨岩が道をふさいでいたり、道床が崩れて路盤が崩壊している個所があったようで、スリリングな廃道探索の妙味が綴られている。
9) きらめく紅葉の峠路 中山峠越えの国道230号旧道 (1) 中山峠・薄別間 p93
北海道の物流の大動脈、国道230号線で、札幌市と喜茂別町の間にある中山峠。その札幌側の旧道を紹介。定山渓の奥で分かれて、定山渓トンネルの上を越え、中山峠の手前で合流する道は、現在の地理院地図でも、その大部分を車輛が通れる道路として記載されているが、はたして。。薄別川はすでに橋が落ちており、渡渉した模様。とはいえ、他の部分は1996年10月の訪問の時点で、轍もしっかりある道路だったようで、紅葉が美しい。豊平峡ダムのダム湖が俯瞰できるなど、眺望は現道より恵まれていたようだ。
10) おだやかな錦繍の峠路 中山峠越えの国道230号旧道 (2) 中山峠・栄間 p106
9)に続いて、今度は喜茂別側の旧道の紹介。こちらも現在の地理院地図でも実線表記で残っている。紅葉の中、美しい散策路だった模様。本書の表紙の写真は、当該区間のもの。
【海】
11) 海碧くトンボの群れる道 群別・床丹間の国道231号旧道 p116
現・石狩市浜益区の幌と床丹の間の旧道。北海道の日本海側特有の急峻な海岸地形をさけた旧道。現在の地理院地図でも実線表記されている。時に日本海を見晴らしながら進む山道。沿道にたたずむ廃屋の様子が紹介されている。
12) ポロニタイ・寥々の湿原と浜 消えた「自根室至苫小牧道」の残影 p126
明治期に整備がすすめられた「自根室至苫小牧道」は、北海道の交通の動脈となることが夢見られたが、現在では、その一部を成すはずだった道路の多くが歴史の威光を感じさせない姿となっている。根室半島の別当賀付近を紹介。海岸線の集落跡、野生の馬たちの群れの姿。美しい風景の中、失われた動脈構想に思いを馳せる。
13) なまめく丘なみ・コンブの石浜 「自根室至苫小牧道」の残影 p139
12)に引き続いて根室半島の初田牛付近の様子。1987年の地形図には、かろうじてその片鱗を残していた当該地の「自根室至苫小牧道」が、現在の地理院地図では表記されていない。道東ならではの雄大な風景が楽しめる。
14) 霧と晴れ間をつづる海と丘の道 「自根室至苫小牧道」の後裔・羨古丹・榊町間 p149
12,13)に続いて、浜中町の海岸、羨古丹(うらやこたん)集落付近の消えた道路付近の風景。海岸に面した、湿地や湖沼群の風景の中、道形をたどってゆく。
15) 風光るオホーツクの丘と海 川向・富丘間の国道238号旧道 p160
紋別・沙留間の国道旧道は、オムシャリ沼の山側にあった。この道路は現在の地理院地図でも現役車道。オホーツクの広々とした風景の中、地平線に伸びる道路が紹介されている。
【野】
16) 段丘をよぎる雨の道 上磯・当別間の国道228号旧道 p172
道南の上磯、当別間の国道旧道は、現・道南いさりび鉄道の茂辺地トンネルの上を通る道。現役道。探索の過程で、廃道化した旧々道も見つける。
17) 光と影のうつろう秋の翠路 三ノ原・大原間の国道230号旧道 p184
留寿都村と旧・洞爺村の間で、国道230号線は複雑な線形を描くが、付近には旧道や旧々道が残っていて、現在の地理院地図でもその多くが記載されている。著者らの訪問時(1996年9月)、貫気別川を渡る橋は失われ、人を乗せる籠と、手動で渡るためのケーブルが設置してあったそうだ。さすがに当該部分は、現地理院地図には記載されていない。
18) 根釧原野の廃道断片 「自根室至苫小牧道」の残影 p192
12,13,14)に引き続いて「自根室至苫小牧道」関連の探索。尾幌、太田、遠矢といった浜中町から釧路市にかけてのエリアで、関連道形の残るところを探訪する。傾いた水準点が物憂い。現在の地理院地図では、そのうち断片的なものの記載が残るが、予備知識がなければ、歴史あるものとは、とても思えないであろう。
19) 寂寥の野をつらぬく淡い道 中産士・雄信内間の国道40号旧道 p206
中産士は「ないうぶし」、雄信内は「おのっぷない」と読む。後者は同名の駅が宗谷線にあるので、鉄道ファンなら読めるかもしれない。当該旧道のうち、雄信内の東側は、現道の近くでほぼ平行しているはずだが、現在の地理院地図には記載はない。西側は現役道。橋を失った旧道。道床にたたずむヤギ。
20) ヤブと岩屑の踏み分け路 辰子丑・雄信内間の国道40号旧道 p222
19)で紹介された2か所の中間、国道40号線が、尾根を雄信内トンネルで通過する個所で、尾根を迂回していた旧道。現在の地理院地図でも実線で記載されている。ただ、著者らの訪問の時点(1996年9月)の時点で、そこはヤブの中にかろうじて踏み跡を残すのみだったようだ。苦闘の踏破が偲ばれる。
いずれも貴重な記録であるが、わずか2年ほどの間に、これほどの個所を訪問・探索した著者のバイタリティーには、心底感服する。現在の廃線・廃道探索ブームの先駆けとなっただけでなく、趣味人の心意気が示された1冊として、情報だけでなく、熱い情熱が伝わってくる書である。
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