イェ・シャオガン
交響曲 第3番「楚」 最後の楽園 セレブリエール指揮 ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団 S: プリットマン vn: チョーリャン・リン レビュー日:2016.7.13 |
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★★★★☆ 1955年生まれの作曲家、イェ・シャオガンのセンスと才能を的確に伝える一枚
2008年の北京オリンピックの開会セレモニーのために書いたピアノ協奏曲「Starring Sky」により、現代中国を代表する作曲家として世界に知られるようになったイェ・シャオガン(葉小綱,Ye Xiaogang 1955- )は、オランダの作曲家ルイ・アンドリーセン(Louis Andriessen 1939-)とイギリスの作曲家アレクサンダー・ゲール(Alexander Goehr 1932-)に作曲を学んだ人物。 当盤は、ウルグアイの指揮者ホセ・セレブリエール(Jose Serebrier 1938-)とロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団によるイェ・シャオガンの管弦楽作品集。2015年にロンドンで録音されたもの。収録曲は以下の2曲。 1) 交響曲 第3番 op.46「楚」 2) ヴァイオリンと管弦楽のための「最後の楽園」 2)では、台湾の人気ヴァイオリニスト、チョーリャン・リン(Cho-Liang Lin 1960-)が参加している。 「楚」は春秋戦国時代に長江の中下流域を中心に存在していた国。交響曲第3番は7つの楽章からなり、それぞれの楽章にさらに副題が付いているので、以下に記したい。 第1楽章 Lord in the Clouds(云中君) 第2楽章 Song and Dance(歌と踊り) 第3楽章 Silk(絹) 第4楽章 Xiaoyao(Free and Unfettered)(逍遥) 第5楽章 Bronze(青銅) 第6楽章 Xiling Gorge(西陵峡) 第7楽章 Soul(魂) 第3楽章と第7楽章では、ヒラ・プリットマン(Hila Plitmann 1973-)によるソプラノ独唱が加わる。 第1楽章のタイトルは、楚の政治家、屈原(紀元前343-紀元前278)の詩から採られたもの。屈原は、強大化する秦に対抗するため、斉との同盟を説いたが、その才を疎まれたことで、彼の献策は用いられず、楚は滅びてゆく。屈原は、楚の将来を悲観して自殺したとされている。云中君とは、世の中のことが見えていない君主を、雲の中に居る様子に照らした表現。 第1楽章の副題に屈原を引用してはいるが、楽曲を通して楚の興亡を描くような表題性はなく、あくまで各楽章ごとに古代中国史のキーワードをから、インスピレーションを得たといったところだろうか。第3楽章と第7楽章に挿入される歌唱も、歌詞のないヴォカリーズである。 作品はなかなか面白い。特に、笛子(Dizi)、しょう(Xiao)、笙(Sheng)、二胡(Erhu)、琵琶(Pipa)といった中国の楽器が加わったオーケストラの音色は、ストレートに東洋風な響きを醸し出している。第3楽章など、ちょっと通俗性が気になるところもあるのだけれど、だれがどう聴いても「東洋風」であるというわかり易さは、一定の魅力である。また第2楽章に象徴される打楽器やパーカッションの激しい野趣的な使用も、派手で、訴えかけが強い。第5楽章の色彩感、また随所で牧歌的な風景が想起されるメロディーが聞こえてくるところも、この作曲家の豊かな個性であろう。 こうして聴いていると、イェ・シャオガンが、西洋の現代音楽理論を背景とした教養を身に着けているとはいっても、その素養の根幹は、素朴で抒情的なものに根差したものであって、そのことによって導かれた平明なスタイルが、彼のオリジナリティとなっていると感じられる。 とはいえ、この交響曲の現代の作品としてはあまりにも外交的な側面に、肌合いの違いを感じる人も多いだろう。そういう人には、むしろ2曲目の「最後の楽園」がお勧めだ。といっても、この曲も無調の全音音階をベースに持っているとはいえ、その音響は、古典的な安寧を志向するものであり、前衛性が目立つような作品とまでは言えないだろう。オーケストラの編成も一般的なもの。しかし、だからこそこの曲で繰り広げられている現代作品特有の技巧的な表現や、微分化された音の細密画的なつくりは、西洋音楽の礎を感じさせるものであり、そこで様々な感情表現が織りなされて、音楽的劇性が形作られることは、この作曲家の力量を証明するものだ。この作品が示唆する感情は、しっかりと深刻な諸相に届いており、現代音楽を愛好する人たちにも十分に受け入れられるものだと思う。 |