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ヴァイル



声楽曲

「七つの大罪」~ソプラノのための9曲 「闇の女」~2つの歌 ピアノ伴奏の2つの歌 「ハッピー・エンド」~3つの歌 ピアノ伴奏の3つの歌 「ワン・タッチ・オブ・ヴィーナス」~3つの歌
MS: オッター ガーディナー指揮 北ドイツ放送交響楽団 p: フォシュベリ

レビュー日:2017.10.17
★★★★☆ ヴァイルの楽曲を浄化し、聴き手の知に働きかけるオッター。その成果は?
 ドイツの作曲家、クルト・ヴァイル(Kurt Weill 1900-1950)は、1926年に初演したオペラ「立役者」で作曲家としてのステイタスを確立し、その後、ジャズのスタイルを積極的に取り入れることで、大衆の人気を獲得した。1928年の「三文オペラ」で世界的名声を得るが、ユダヤ系であったため、その後、彼の作品は何度も政治的暴力的介入により、上演の機会を奪われるようになる。1933年にドイツを出て、1935年からアメリカに活躍の場を写し、ミュージカル、映画音楽などをこなし、アメリカ的大衆音楽を自己の物としていった。
 当盤は、そんなヴァイルの歌曲を集めたアルバムとなっている。収録曲は以下の通り。
七つの大罪
 1) プロローグ 「妹と私はルイジアナの出」
 2) 第1曲 怠惰 「うちのアンナにもしっかりして貰いたいものだ」
 3) 第2曲 高慢 「私たちは支度を整え」
 4) 第3曲 立腹 「これではことは捗らない!」
 5) 第4曲 大食 「フィラデルフィアから便りがあった」
 6) 第5曲 姦淫 「私たちはボストンで男を見つけた」
 7) 第6曲 貧欲 「新聞のこの記事によると、アンナは」
 8) 第7曲 嫉妬 「旅の最後の都会は、サンフランシスコでした」
 9) エピローグ 「こうして私たちはルイジアナに帰ってきた」
「闇の女」より2つの歌
 10) マイ・シップ
 11) 人生は一度だけ
ピアノ伴奏の2つの歌
 12) 夜勤シフトの相棒に
 13) ナナの歌
「ハッピー・エンド」より3つの歌
 14) ビルバオ・ソング
 15) スラバヤ・ジョニー
 16) 難儀の歌
ピアノ伴奏の3つの歌
 17) あんたを愛してないわ
 18) シッケルグルーバー
 19) 別れの手紙
「ワン・タッチ・オブ・ヴィーナス」より3つの歌
 20) 愚かな心
 21) スピーク・ロウ
 22) 私自分が他人みたい
 歌唱はスウェーデンのメゾ・ソプラノ、アンネ・ゾフィー・フォン・オッター(Anne Sofie von Otter 1955-)。オーケストラはガーディナー(John Eliot Gardiner 1943-)指揮、北ドイツ放送交響楽団。ピアノはベンクト・フォシュベリ(Bengt Forsberg 1952-)。1993年の録音。
 アルバムの前半がクラシック・テイストの曲で、後半がミュージカル曲といった感じである。良くも悪くもこの作曲家の折衷的な作風をよく伝えている。オッターは、ドイツ語、英語とも適応力の高い歌唱で、これらの楽曲の直情的とも言えるスタイルに応えているが、全体的な印象は、とにかく本気のまじめな芸術といった感じであり、これらの楽曲に何を求めるかによって、聴き手の印象も様々に変わってくるだろう。つまり、いわゆる伝統的なキャバレー的なノリからは、かなり離れたものとなっていて、特に後半、スピーク・ロウに代表される楽曲たちにおいては、この曲が持っている本来的なイメージとどうしてもかい離を感じさせるところはある。
 しかし、オッターの芸術自体は素晴らしいもので、感情の機微を細やかに表現し、濁った発声を前提に書かれた作品にも清浄と思えるような輝かしさを吹き込む。ガーディナーのオーケストラのトーンもこれに適切に馴染む。特に「七つの大罪」は、マーラー(Gustav Mahler 1860-1911)を思わせるような色彩感さえ聴き手に届けられるのである。
 その一方で、前述の「違和感」は、やはり否めないところもある。例えば「スラバヤ・ジョニー」など、果たして、これはこういう演奏で、楽曲が訴えるものがどの程度まで聴き手に届いているか、と考えられると、そこは演奏解釈という以上に「変質」が起こっているようにまで感ぜられるところがある。それは、これらの楽曲はもっている「揺らぎ」の要素が取り払われ、オッターの歌唱が積極的に聴き手の「知」に働きかける事によって別の官能性が喚起され、それを聴き手が受け取る際の「変質」の感覚ではないだろうか。
 演奏は、とても立派で、響きも見事なものであるが、聴いていてどうもなにか腑に落ちない。私にとってそういうところが残る録音ではあります。


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