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ワーグナー



交響曲 管弦楽曲 器楽曲 歌劇


交響曲

交響曲 ジークフリート牧歌
レーグナー指揮 ベルリン放送管弦楽団

レビュー日:2008.9.27
★★★★☆ ワーグナーの習作を真摯に演奏したディスク
 どんな大家にも習作と呼べる作品があると思うけれど、ワーグナーの場合ちょっと特徴的である。というのは、後にこの作曲家がその名を大いに馳せたのが「オペラ」というジャンルであったのに比べて、習作としてスコアきちんと残されているのが「交響曲」というジャンルなのである。“ジャンル違い”である。若き日のワーグナーが器楽作曲家を志していたのか、それともオペラの作曲に際しても必要となる管弦楽書法の習熟を試みたのか、またその双方が考えられるのか断定はできないが、それでもハ長調の4楽章からなる作品が遺された。ワーグナー19歳の時の作品である。
 聴いてみると、そのハーモニーはいかにもドイツ的で、先人といえるベートーヴェンやシューベルトの音色が残る。これを聴くと、後のブラームス派と対峙するワーグナーというのは想像し難い。むしろブラームスより古典的と言える。だからワーグナーらしい華麗な演奏効果を期待しても、そこまでの作品とは言えない。そもそもメロディの絶対的な魅力が不足しているのは如何ともしがたい。
 しかし、管弦楽書法としてはよくまとまっている様だし、音色の安定感は聴き手に安心感を与えるものだとも思う。特に両端楽章の展開にはワーグナーらしい迫力の片鱗が交響曲という形式の中で発露したという部分がある。もちろん何度も聴きたい曲というわけではないが、ワーグナーの好きな人や、この時代の音楽史全般に興味がある人にとっては貴重な作品だと思う。
 レーグナー指揮ベルリン放送交響楽団の演奏も、丁寧で、ないがしろにしない良心的な音作りであり、バランスのよい高級な音色だと思う。1978年の録音だが豊かな音響が手堅く録られている。
 当ディスクには、ワーグナーが後に作曲した(こちらは傑作の名高い)やはり純器楽のための作品である「ジークフリート牧歌」が収録されている。こちらも滋味豊かな音色で演奏されており慎ましくも麗しい内容となっている。


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管弦楽曲

ニュルンベルグのマイスタジンガー第1幕への前奏曲 タンホイザー序曲 さまよえるオランダ人序曲 トリスタンとイゾルデ 前奏曲とイゾルデの愛の死 ローエングリン第1幕への前奏曲 第3幕への前奏曲
カラヤン指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

レビュー日:2004.2.14
★★★★★ ワーグナーの陶酔感とカラヤンの美学の融合
 カラヤン/ベルリンフィルという時代を代表するコンビの最高のレコーディングの1枚に違いない。ワーグナーの管弦楽曲集だ。国内盤では2枚で別売りになっていますが、そのうちパルジファルを除いて1枚になっています。収録時間は77分。
 オーケストラの美麗の限りを究め尽くした名演にして名録音といっていいでしょう!特に絶品といえるのがタンホイザー序曲。ここは通常のドレスデン版ではなくパリ版が採用されています。ドレスデン版では再現部からコーダへ向かい曲は終わるのですが、パリ版では壮麗な主題の提示に続いて怒涛の展開が待ちうけます。様変わりする音楽、大海のような壮大なうねり、そして巨大な嵐のような燦然と輝くクライマックス。派手に鳴るカスタネットの雨!まさに音響の限りを尽くしたゴージャスぶり。
 これを聴いてしまうと、通常のドレスデン版がものたりなくてしょうがない!そして静謐な合唱をともなうヴェーヌスベルクの音楽へ・・・ワーグナーの陶酔感とカラヤンの美学の融合です。

さまよえるオランダ人序曲 歌劇「さまよえるオランダ人」からオランダ人のモノローグ「期限は切れた」 楽劇「ラインの黄金」から「夕日があたりを照らし出す」 神々のヴァルハラへの入場 ワルキューレの騎行 夜明けとジークフリートのラインへの旅 ヴォータンの告別と魔の炎の音楽
ジンマン指揮 チューリッヒ・トーンハレ管弦楽団 B,Br: シリンス

レビュー日:2013.6.7
★★★★★ ワーグナー生誕200年を記念して、縁の地の一つ、チューリッヒから
 2013年は、ワーグナー(Wilhelm Richard Wagner 1813-1883)生誕200年となるアニヴァーサリー・イヤーである。これを記念したアルバムもいくつか出てきているが、当盤は中でも注目盤と言える一枚で、ジンマン(David Zinman 1936-)指揮、チューリッヒ・トーンハレ管弦楽団による2012年のライヴの模様を収録したもの。収録曲は以下の通り。
1) 「さまよえるオランダ人」序曲
2) 歌劇「さまよえるオランダ人」から、オランダ人のモノローグ「時は来た」
3) 楽劇「ラインの黄金」から「夕日があたりを照らし出す」
4) 楽劇「ラインの黄金」から「神々のヴァルハラへの入城」
5) ワルキューレの騎行
6) 楽劇「神々の黄昏」から「夜明けとジークフリートのラインへの旅」
7) 楽劇「ワルキューレ」から「ヴォータンの告別と魔の炎の音楽」
 2,3,7)の3曲では、ラトヴィアのバス・バリトン歌手エギリス・シリンス(Egils Silins 1961-)の歌唱が加わる。
 フランスを起点にヨーロッパ全土で起こった1848年革命は、ウィーン体制の終焉を意味したが、この時、ワーグナーも、ロシアの無政府主義者バクーニン(Mikhail Alexandrovich Bakunin 1814-1876)と係りを深めるなどして、ドレスデンの革命運動に身を投じた。しかし、運動の失敗から、ワーグナーはスイスに亡命し、チューリッヒで1849年から1858年までを過ごし、芸術活動を行うこととなった。
 そのようなわけで、チューリッヒはワーグナーとはたいへん縁の深い土地である。ところが、チューリッヒのオーケストラのワーグナーの録音というのは、いままでほとんど聞いたことがなかった。ないことはないのだろうが、目立ったものはなかったのである。
 それが、生誕200年を機に、ジンマンの指揮で、なかなか内容に富んだアルバムをリリースすることになったわけだ。当盤は立派なブックレットが添付してあり、中には当時のチューリッヒを描いた絵画などが示されており、そういった意味で、総合的な情報メディアとしても、価値のある「つくり」になっている。
 さて、ワーグナーの作品の場合、一つ一つが巨大なので、オーケストラの演奏会でとなると、どうしても「序曲集」のような内容になり、演目も偏ってしまうのであるが、当盤はシリンスの歌唱を加えてアクセントを付けた点が特徴的。それと関連のある管弦楽曲部分と連続させることで、演出の意図ができ、味わいが増していると思う。
 演奏自体は、いつものジンマンのスタイルで精緻で丁寧な音楽作り。人によっては、ワーグナーにより豪壮な力強さを求めるかもしれないが、ここで聴かれる響きは、都会的洗練を究めたものだ。オーケストラは過不足なく鳴っており、テンポも自然体そのもの。弦楽器陣の描き出す音型が、流麗な線形を持っていて、軟らかく透明だ。
 シリンスの歌唱は清潔感があり聴き易い。ワーグナーの音楽として、管弦楽ともどもやや「軽い」印象もあるけれど、一つのアルバムとして聴くなら、過度に重々しくない本盤の内容は歓迎してしかるべしだと思う。個人的には、オランダ人のモノローグ「時は来た」が、これほど清涼に鳴る感じは経験がなかったので、なかなか面白く聴かせてもらうことができた。
 管弦楽曲では「ワルキューレの騎行」が、シャープな感覚で描かれていて、鮮烈な雰囲気に満ちていて好ましい。
 ブックレットと併せて、この時期(2013年)にリリースされるのに、ふさわしい内容のアイテムだろう。

「タンホイザー」序曲とバッカナール 「ニュルンベルクのマイスタージンガ」ー第1幕への前奏曲 ワルキューレの騎行 ジークフリートのラインへの旅 ジークフリートの葬送行進曲 「ローエングリン」第3幕への前奏曲
シャイー指揮 コンセルトヘボウ管弦楽団

レビュー日:2017.5.23
★★★★☆ シャイーのワーグナーとして完成されてはいるのですが
 リッカルド・シャイー(Riccardo Chailly 1953-)が、1995年にコンセルトヘボウ管弦楽団と録音したワーグナー(Richard Wagner 1813-1883)の管弦楽曲集。
 シャイーのワーグナーの録音は珍しい。CDとしてリリースされたものは、現在のところ当盤のみかと思う。シャイーは決して「ワーグナーを振らない」わけではないのだけれど、なぜかワーグナーとシャイーという顔合わせがしっくりこない印象もある。当盤を聴いていろいろな感慨を持った。
 まず、音の作り方はいかにもシャイーであり、その完成度の高さは文句の付け様がないと言っていいだろう。透明で、細やか。ファゴットやオーボエといった楽器の音色がクリアで直接的に耳に届くのは、心地よく艶やかだ。管弦楽は一つ一つの楽器、スコアが、十分に吟味された重みづけがなされていて、きちんと設計された音響が構築される。「ニュルンベルクのマイスタージンガー」第1幕への前奏曲では軽快な足取りが爽快で、大仰ではない好ましさもある。「ジークフリートのラインへの旅」では、明瞭な低弦と金管の低音の効果が見事だし、続く「ジークフリートの葬送行進曲」では、クライマックスへ向けて十分なダイナミックレンジが用意されている。
 私はシャイーの音楽性が好きで、様々な録音を愛聴させていただいている。しかし、このワーグナーでは、間違いなくシャイーの音楽が形成されていながら、どこか心に残るところがあったのも事実。私は聴いていてたびたびカラヤン(Herbert von Karajan 1908-1989)のゴージャスで豊饒な音色のことを思い出した。さながら、失われたものを懐かしむように。
 ワーグナーの音楽の熱血性、陶酔性はやはり特有なものだ。初期ロマン派の完熟した音楽を、シャイーはあえて別の角度でシャープに切ってみせたわけだが、私は、そこに「何か燃焼しきらなかったもの」感じてしまうのである。その点でカラヤンは多少音色がダマになるところがあっても、混沌に陥るギリギリまで踏み込むような熱血性を漲らせて、それこそ陶酔へと導いてくれた。シャイーの演奏では、全体をクールにわり切った結果、全体的な緊張感の持続性も、やや弱まった観がある。
 もちろん、そこは聴き手の好みによっても左右される。私の場合、ワーグナーの特にタンホイザー序曲など、カラヤンが1974年に録音したものの濃厚な味付けを施したものを愛聴し、繰り返し聴いてきたので、評価軸がやや揺れている可能性もある。
 それと、タンホイザー序曲は、バッカナールを続けて演奏する形になっているが、そうであれば、できればパリ版を振ってほしかったようにも思う。シャイーであれば、パリ版末尾の神秘的な女声合唱は、それこそ存分に雰囲気を高めてくれたに違いない。
 個人的に当盤でいちばん良かったのは、末尾に収録された「ローエングリン」第3幕への前奏曲で、そこでは快活な力強さにみちた心地よい疾走感で、一気に描き切った清々しさが、すべてを払拭する心地よさで鳴り切っていた。

ワルハラへの入城 トリスタンとイゾルデの交響的合成 パルジファル第3幕の音楽 魔の炎の音楽 ワルキューレの騎行(全曲ともストコフスキー編曲版)
セレブリエール指揮 ボーンマス交響楽団

レビュー日:2008.2.9
★★★★★ 純器楽音楽ファンがオペラの旋律を存分に楽しめる好企画
 往年の大指揮者レオポルド・ストコフスキーがコンサート用に編曲したワーグナーの管弦楽曲集。指揮はホセ・セレブリエール、演奏はボーンマス管弦楽団、録音は2006年。収録曲は「ヴァルハラへの入場(ラインの黄金より)」「トリスタンとイゾルデの交響的合成」「パルジファル第3幕の音楽」「魔の炎の音楽(ヴァレキューレ)」「ヴァレキューレの騎行(ヴァレキューレ)」の5曲。
 オペラという楽曲は当然のことながら台本にそって描かれる。当然ながら楽曲の持つ「意味」はストーリーと歌詞によって拘束されるし、それを大きく超越したり変節したりするわけには行かない。だから多くの場合、純音楽的なものより舞台演出的必然が優先される。その優先順位を楽しむのがオペラであるが、純粋器楽を中心に聴く音楽ファンには、ややハードルのあるものになる。どうしても「不自然さ」が残るわけだ。
 ストコフスキーはそんな純器楽派のフアンにワーグナーの楽劇の「純器楽音楽的」楽しみを存分に味わわせてくれる粋な編曲をしてくれた。「ヴァレキューレの騎行」では末尾に勇壮とリズムを刻んで金管がパワー全開の唸りをあげてくれる。「トリスタンとイゾルデの交響的合成」ではこの楽劇の有名な「前奏曲」と「愛の死」が、間に第2幕の「愛の夜」の音楽を挿入することで、30分を超える偉大な交響詩へと変貌している。まさに「粋」なサービス精神である。若き日にストコフスキーと交友のあったセレブリエールの共感に満ちた指揮振りも立派。このような編曲はもっともっと歓迎されていいと思う。というわけで、この見事な録音企画も歓迎したい。

ワーグナー ジークフリート牧歌  シェーンベルク 浄められた夜
アシュケナージ指揮 イギリス室内管弦楽団

レビュー日:2008.9.22
★★★★★ アシュケナージとイギリス室内管弦楽団による二つの「音の詩」
 アシュケナージがイギリス室内管弦楽団を指揮した珍しい録音。他にこの顔合わせの録音はないのではないだろうか。曲目はワーグナーの「ジークフリート牧歌」とシェーンベルクの「浄夜」。録音は81年から82年にかけて行われている。いかにも小編成のオーケストラのための選曲と思える。(ただ、もう少し収録曲を増やして欲しかった)
 「ジークフリート牧歌」は、1870年にワーグナーが妻(コジマ)の誕生日のために作曲したもの。ジークフリートは息子の名である。考えてみると「ニーベルンクの指輪」の主役級の登場人物の名が「ジークフリート」で、しかも劇中ではジークフリートは英雄とは言え悲劇的末路を辿るわけであるから、ここらへんの感性はどうも東洋人にはピンと来ないところだ。マーラーの「亡き子を偲ぶ歌」もまた然り。まあ、マーラーの場合は特有の「死生観」と切っても切れない因果のある作曲家なので、理解とまではできなくても想像はできる。しかもここに挙げたいずれの楽曲も傑作ばかりだ。
 それにしてもこの作品は「牧歌」の名が相応しい自然描写的な佳作で、そういった意味で、楽劇「ジークフリート」の森の描写とも通じるイメージがある。アシュケナージの棒の下、慈しむようにソフトなサウンドが展開されるのが好ましい。適度なロマン性を湛えている。ワーグナー自身、この曲に「日の出」や「鳥のさえずり」といった標題性を持って書いており、その描写力を堪能できる。
 シェーンベルクの「浄夜」は弦楽六重奏曲を弦楽合奏版にアレンジした有名なもので、リヒャルト・デーメルの原詩を題材とした表題音楽。性のイメージをモチーフにし、いわゆる後期ロマン派の情緒から半音階の世界を垣間見つつ進むが、主題が親しみやすく、情念の吐露も分かりやすいため、人気曲と言える。アシュケナージの指揮はやや清潔に過ぎるかもしれないが、シェーンベルクの書法を純音楽的にプロットして行ったもので、むしろシェーンベルクの確信犯的な部分が明瞭になる特徴がある。イギリス室内管弦楽団の合奏音の美しさと精度も注目される。できればこの組み合わせでもっと多くの録音を聴いてみたい。


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器楽曲

ワーグナー(ジョゼフ・ルビンシテイン編ピアノ版) ジークフリート牧歌  リスト 詩的で宗教的な調べ から 第7曲「葬送」 暗い雲 リヒャルト・ワーグナーの墓に  ブラームス 8つのピアノ小品 から 第2曲 カプリッチョ ロ短調 第5曲 カプリッチョ 嬰ハ短調 6つの小品 から 第1曲 間奏曲 イ短調 第2曲 間奏曲 イ長調 第6曲 間奏曲 変ホ短調 4つの小品から 第3曲 間奏曲 ハ長調
p: デボー

レビュー日:2018.12.24
★★★★★ 「選曲の妙」が光る。デイヴィッド・デボーによる、3人の偉大な作曲家の作品を集めたアルバム
 アメリカのピアニスト、デイヴィッド・デボー(David Deveau 1953-)による象徴的な選曲のアルバム。収録曲は以下の通り。
1) リスト(Franz Liszt 1811-1886) 詩的で宗教的な調べ から 第7曲「葬送」
2) ワーグナー(Richard Wagner 1813-1883) ジークフリート牧歌 ;ジョゼフ・ルビンシテイン(Joseph Rubinstein 1847-1884)によるピアノ編曲版
3) ブラームス(Johannes Brahms 1833-1897) カプリッチョ ロ短調 op.76-2
4) ブラームス カプリッチョ 嬰ハ短調 op.76-5
5) ブラームス 3つの間奏曲 op.117 から 第1番 変ホ長調
6) ブラームス 間奏曲 イ短調 op.118-1
7) ブラームス 間奏曲 イ長調 op.118-2
8) ブラームス 間奏曲 変ホ短調 op.118-6
9) ブラームス 間奏曲 ハ長調 op.119-3
10) リスト 暗い雲
11) リスト リヒャルト・ワーグナーの墓に
 2014年の録音。
 まず選曲がユニークである。デボーはこの選曲について以下の内容のことを語っている。
 「ワーグナー、リスト、ブラームスの3人は私が小さいころから好きな作曲家でした。ただ、ワーグナーの作品はピアニストになっても、手掛けられるものがありませんでした。このたび、ジョゼフ・ルビンシテインの編曲譜との出会いが、このアルバム制作の原点です。この曲を中心にリストの関係作品を配してみました。「葬送」は1848~49年のヨーロッパ革命で命を落とした人たちにささげられた作品と考えられますが、1849年のドレスデンで革命運動に身を挺し、その後亡命生活を余儀なくされたワーグナーもその敬意をささげる対象となります。また、リストがワーグナーの死に際して書いた2編もふさわしいでしょう。ブラームスは、ワーグナーやリストからはその作風が保守的と指摘されてきましたが、今日では、他二者とともに三者三葉の位置を占めるにふさわしい存在になっています」
 彼らの時代、音楽の世界では「ワーグナー派」と「ブラームス派」に分かれて激しい対立があった。リストはワーグナーを強く支持し、またリストの娘であるコジマ(Cosima Wagner 1837-1930)はワーグナーの2番目の妻となった人物。彼女との正式な結婚が成ったのを記念してワーグナー自らが書いたのが「ジークフリート牧歌」である。
 ブラームス作品からは後期の作品が中心に選ばれているのがまた興味深い。ブラームスは「保守的」と言われたか、シェーンベルク(Arnold Schonberg 1874-1951)が認めたように、その作風は単に保守的なものとは言い難い。特に、これらの作品で、ワーグナーとは別の手法により、ブラームスは「恍惚」を表現する手法を見出したように私は感じる。よく言われる「枯淡」とも違うように思う。
 それらの因果を手繰るような当アルバムの構成が、私にはとにかく興味深い。
 演奏も悪くない。特に末尾に収録されたリストの無調的音楽が良い。これらの楽曲の渋みは、なかなか人を寄せ付け難いところがあって、もちろん当録音であってもそうなのだが、どこか虚無を思わせる響きに芯のある対比感をもって、モノトーンの美しさを突き通したような響きが満ちている。
 ブラームスの楽曲では哀愁が適度な深みのある刻印をもって表現されている。ルバートも巧みであるが、その設計に演奏者の知的な感性があって、op.117-1、op.118-2など、情感のひだを味わわせてくれる。117-1は「悲しみを癒す子守歌」と形容されることがあるが、当演奏はそれにふさわしいものに感ぜられる。
 リストの「葬送」は低音の意味深な響きが印象的だ。中間部は盛り上がるが、オクターヴ連打の鋭さという点では、やや緩みもある気がする。だが、それを踏まえて全体としてはよくまとまっている。「ジークフリート牧歌」は、原曲と比べてしまうと、薄味な感は否めないが、演奏者の曲への愛着が伝わる演奏で、簡単なフレーズであっても、歌がこもっているといえる。
 また、全体を聴いた後、不思議な満足感を得られるアルバムであることも興味深い。選曲とプログラムが、聴き手に思わぬ語り掛けを発揮しているのだろう。

ピアノによるワーグナー名場面集
p: ルガンスキー

レビュー日:2024.5.15
★★★★★ ルガンスキーが長年思い描いていたというワーグナー・アルバム
 ルガンスキー(Nikolay Lugansky 1972-)による非常に興味深いアルバムがリリースされた。「ピアノによるワーグナー名場面集(Famous Opera Scenes)」である。ルガンスキーは、ジョージ・セル(George Szell 1897-1970)の録音で、ワーグナーに魅了され、以来、30年にも及ぶ間「ピアノで奏でるワーグナー」に思いを馳せ、編曲を考えていたそうだ。では、アルバムの収録内容を記そう。
1) 「ラインの黄金」から「ヴァルハラへの神々の入城」(Das Rheingold: Entrance of the Gods into Valhalla);ブラッサン(Louis Brassin 1840-1884)、ルガンスキー編
2) 「ワルキューレ」から「魔の炎の音楽」(Die Walkure: Magic Fire Music);ブラッサン編
3) 「神々の黄昏」から「ブリュンヒルデとジークフリートの愛の二重唱」(Gotterdammerung: Zu neuen Taten, teurer Helde. Liebesduett von Brunnhilde und Siegfried);ルガンスキー編
4) 「神々の黄昏」から「ジークフリートのラインの旅」(Gotterdammerung: Siegfrieds Rheinfahrt);ルガンスキー編
5) 「神々の黄昏」から「ジークフリートの葬送行進曲」(Gotterdammerung: Siegfrieds Trauermarsch);ルガンスキー編
6) 「神々の黄昏」から「ブリュンヒルデの告別の歌」(Gotterdammerung: Brunnhildes Schlussgesang);ルガンスキー編
7) 「パルジファル」から「場面転換の音楽と終幕」(Parsifal: Transformation Scene);モットル(Felix Mottl 1856-1911)、ルガンスキー、コチシュ(Zoltan Kocsis 1952-2016)編
8) 「トリスタンとイゾルデ」から「イゾルデの愛の死」(Mild und leise 'Isolde's Liebestod from Tristan und Isolde);リスト(Franz Liszt 1811-1886)編
 2023年の録音。
 アルバムの収録内容をご覧いただくと分かるのだが、前述のルガンスキーの構想は、3-6)の「神々の黄昏」からの編曲作品として実を結んでおり、その前後を、ベルギーのピアニスト、ブラッサン、オーストリアの作曲家、モットル、そしてリストの同様の試みに、一部はさらにルガンスキーが手を加える形で収録している。ワーグナーの活躍していた当時から、彼の編み出した輝かしい旋律をピアノで奏でようという創作活動は多くあって、その営みの中で、自らも創作活動を行ったのだという、奏者自身からのメッセージでもある。
 ワーグナーの楽劇で描かれるものは、概して対立する二項のドラマである。それは例えば「善と悪」「生と死」「光と闇」「愛と憎しみ」のような概念であり、そのドラマ性を成立させるため、壮麗なオーケストレーションが施された音楽が劇を彩ることになる。なので、これをピアノで表現した場合、旋律性が明確に浮かび上がるがゆえ、その通俗的な一面が強調されるところも感じるのである。
 このアルバムを聴いていて、その点はやはり思うところの一つではあったが、しかし、全般にはとても楽しく、私が素晴らしいピアノの音色を堪能することが出来た。ルガンスキーの繰り出す音色、特にアルペッジョやトリルの明晰で粒立ちのくっきりした響きは、そこだけをとったとしても爽快で、すでに音楽的な美観を十分に持っているので、これらの楽曲も、とても「適切な」響きで満たされるのである。「ヴァルハラへの神々の入城」では、ピアノで弾くと単調になるのではという聴く前の懸念を払しょくしてくれる。
 ルガンスキーの編曲もよく考えられていて、「ジークフリートのラインへの旅」と心地よい展開や、「葬送行進曲」の後半の壮麗な盛り上がりは、いずれも素晴らしく心地よい。もちろん、本来のオーケストラの楽器のようにとは行かないところもあるが、演奏には大きな抑揚があって、それゆえの装飾性も豊かだ。いかにもワーグナーの世界である、という感じにしてくれる。
 「パルジファル」は、モットルが編曲した箇所と、コチシュが編曲した終幕部を繋げて「一つの作品」にアレンジしたものだが、これもピアニスティックな効果が存分に効いていて、思わぬ喜びを聴き手に与えてくれると思う。微妙な緩急が自然で訊きなじみの良い起伏を描き出している。
 最後に収録されているリスト編の「イゾルデの愛と死」は、他のピアニストもたびたび録音を手掛けることがあって、私には耳なじみのある作品であるが、ルガンスキーの演奏は、ワーグナー作品のピアノ編曲の偉大な先駆者であるリストへの経緯を感じさせる厳かさがあり、響きは凛々しく美しい。

H.アルブレヒト編 2台のオルガンのための「ニーベルングの指環」交響的組曲
org: アルブレヒト

レビュー日:2021.2.25
★★★★☆ ワーグナーの楽曲と、オルガンサウンドの相性の良さを感じさせる編曲
 ドイツのオルガン奏者、ハンスイェルク・アルブレヒト(Hansjorg Albrecht 1972-)が、ワーグナー(Richard Wagner 1813-1883)の「ニーベルングの指環」の代表的音楽を6か所選び、オルガン用に編曲・演奏し、録音したもの。全体を通じて“2台のオルガンのための「ニーベルングの指環」交響的組曲”というタイトルが付されている。収録内容は以下の通り。
1) 楽劇「ラインの黄金」から 前奏曲
2) 楽劇「ラインの黄金」から ヴァルハラ城
3) 楽劇「ワルキューレ」から ワルキューレの騎行
4) 楽劇「ジークフリート」から 森のささやき
5) 楽劇「神々の黄昏」から 葬送行進曲
6) 楽劇「神々の黄昏」から ブリュンヒルデの自己犠牲
 2006年の録音。
 オルガン編曲といっても単純なものではなく、2種類のオルガンを用いた多重録音により制作されているため、一人の奏者が実演で再現するのは不可能なものとなっている。しかし、編集技術の高さゆえ、一つのホールで壮麗なオルガンサウンドが繰り広げられるような臨場感に満ちており、その空間性を堪能できる内容となっている。
 ワーグナーの音楽とオルガンの相性はなかなか良好なようだ。ワーグナーから大きな影響を受けた交響曲作家、ブルックナー(Anton Bruckner 1824-1896)は、自身がすぐれたオルガン奏者だったこともあり、その響きはオルガン的と形容される。実際、現在では、様々なオルガン編曲の取り組みがあり、それらは概して、良好な結果を導いている。そう考えると、ワーグナーの音楽も、オルガン的な素養が本来的にあるのだろう。特に彼が構想した楽劇のスケールに相応しい音楽の恰幅は、壮麗なオルガントーンと親近性があったとしても不思議はない。
 というわけで、この編曲、とても自然で、よく聴こえる。一言で表現するなら「よく馴染んでいる」。冒頭の低音の持続音は、「ツァラトゥーストラかく語りき」を彷彿とさせるが、その息の長さ、ゆっくりと幕があがるような呼吸感を、オルガンのサウンドは、適切な間をもって再現しているだろう。ヴァルハラ城への神々の入城も、オルガンに相応しい荘厳さがあり、聴きごたえがある。
 個人的に、特に良いと思ったのが「森のささやき」と「葬送行進曲」の2編。これらの楽曲では、シンセサイザーかと思うようなオルガンの音色の多彩さを味わわせてくれ、アルブレヒトが、編曲作のタイトルに「交響的」という形容句を入れたかった理由が伝わってきたような気がした。葬送行進曲で印象的な低い2連音のニュアンスも、オルガンの特性を発揮し、独特の魅力のある音響を作り出すことに成功している。
 他方、「ワルキューレの騎行」では、繰り返されるフレーズが、さすがに単調さがあって、聴き味が重くなってしまうところがあり、編曲・演奏の難しさを感じさせるところと思った。
 しかし、総じてそのサウンドは自然であり、ワーグナーの構想の巨大さとの親和性を感じさせるものと鳴っており、録音技術の素晴らしさとあいまって、なかなか面白い聴きモノに仕上がった1枚となっている。


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歌劇

歌劇「さまよえるオランダ人」
ドホナーニ指揮 ウィーンフィル ウィーン国立歌劇場合唱団 Br: ヘイル S: ベーレンス T: プロチュカ B: リドル T: ハイルマン MS: フェルミリオン

レビュー日:2012.9.11
★★★★★ 隠れた「名ワーグナー指揮者」ドホナーニによる名盤
 クリストフ・フォン・ドホナーニ(Christoph von Dohnanyi 1929-)指揮、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団、ウィーン国立歌劇場合唱団による、ワーグナー(Richard Wagner 1813-1883)の歌劇「さまよえるオランダ人」全曲。録音は1991年。当アイテムは一度廉価で再発売されたもの。
 主な配役は以下の通り。
 オランダ人; Br: ロバート・ヘイル(Robert Hale 1938-)
 ゼンタ; S: ヒルデガルト・ベーレンス(Hildegard Behrens 1937-2009)
 エリック; T: ヨーゼフ・プロチュカ(Josef Protschka 1944-)
 ダーラント; B: クルト・リドル(Kurt Rydl 1947-)
 マリー; S: イリス・フェルミリオン(Iris Vermillion 1960-)
 舵手; T: ウヴェ・ハイルマン(Uwe Heilmann 1960-)
 ドホナーニは80年代から90年代にかけて多くの録音をデッカ・レーベルに記録したが、現代では、それらが十分に評価されているとは言えない状況だ。多くのディスクが廃盤状態となっている。このワーグナーの「さまよえるオランダ人」についてもしばらくの間「日の目」をみない状態であった。しかし、今回、輸入盤ではあるが再販され、入手可能となったので、幸いにも聴くことができた。
 この録音を聴くと、ドホナーニこそ、本来、最近の「ワーグナー指揮者」を代表する存在と称されるべきであったのではないか、と言いたくなるほどの出来栄え。録音の鮮烈な効果もさることながら、凛々しく力強い筆さばきでありながら、克明に細部を描く精緻さも持ち合わせており、いかにも精度の高い現代的芸術品として示されている。
 そもそも「さまよえるオランダ人」という作品は、ワーグナーの歌劇・楽劇の中でも、もっとも純音楽的で、器楽曲フアンにも受け入れられやすいものである。親しみやすく明瞭なライト・モティーフを扱い、劇的な高揚感があり、旋律的な魅力にあふれた時間が長い。ストーリーも平易な一本道だ。また、ワーグナー作品の中でも抜群に合唱のウェイトが高い作品であることも重要で、声楽曲的性格の高い一面も持っている。
 ドホナーニの理知的とも言えるシャープなアプローチは、その構造線を明確にし、聴き手に直接的に訴える。オーケストラの合奏音は、立ち上がりがきわめて明敏で、一気に鮮明な配色の変換をもたらす。その爽快感か繰り返される中、劇が進行していく。
 歌手陣も粒ぞろいで、後半にむけて圧巻の迫力を示すヘイルとベーレンスは実に効果的な歌唱。中でもヘイルの滑らかさをもった美声が合唱の透明で機敏な反応も聴きもの。ドホナーニの指揮スタイルにもあっており、作品を存分に盛り上げてくれる。

歌劇「さまよえるオランダ人」
コンヴィチュニー指揮 ベルリン国立歌劇場管弦楽団 合唱団 Br:F=ディースカウ T: ヴンダーリヒ B: フリック

レビュー日:2019.7.17
★★★★★ コンヴィチュニーが亡くなる2年前に記録した歴史的名演
 フランツ・コンヴィチュニー(Franz Konwitschny 1901-1962)指揮、シュターツカペレ・ベルリンとベルリン国立歌劇場合唱団によるワーグナー(Richard Wagner 1813-1883)の歌劇「さまよえるオランダ人」全曲。1幕形式によるもの。1960年のスタジオ録音。主な配役は以下の通り。
 Br: ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ(Dietrich Fischer-Dieskau 1925-2012)(オランダ人)
 S: マリアンネ・シェヒ(Marianne Schech 1914-1999)(ゼンタ)
 B: ゴットロープ・フリック(Gottlob Frick 1906-1994)(ダーラント)
 T: ルドルフ・ショック(Rudolf Schock 1915-1986)(エリック)
 コントラルト: ジークリンデ・ヴァーグナー(Sieglinde Wagner 1921-2003)(マリー)
 T: フリッツ・ヴンダーリヒ(Fritz Wunderlich 1930-1966)(舵取り)
 とても素晴らしい録音である。1960年の録音とは信じがたいほどに録音状態が良いこともあるが、コンヴィチュニーのいかにも気風の良いドイツ王道を感じさせるスタイルと、それに男声陣の充実には目を見張るものがある。個人的に、この歌劇では、なんといっても男声が重要だと思うが、全盛期といって良いフィッシャー=ディースカウによるオランダ人は圧巻といって良い。声量、声質ともに素晴らしいが、オランダ人の心情に沿った機微豊かな感情表現は、さすがの一語に尽きる。
 コンヴィチュニーの指揮について、粗いという意見もあるのだが、私はまったくそんなことを感じない。もちろん、壮大で、ロマン派の伝統を強く受けた解釈であることはその通りであるが、決して粗いわけではなく、むしろ力強い表出力に長けた解釈であり、管弦の咆哮も、その解釈に沿ってのことであり、結果として音楽的で見事な迫力が獲得されている。特に後半、合唱とオーケストラが混然一体となって、劇的な効果を起伏豊かに盛り上げているところは見事の一語。
 フィッシャー=ディースカウ以外でも、フリック、ショックと素晴らしい歌唱である。暗さ、逞しさといった印象が強く伝わる歌唱であり、ひたすら巧いフィッシャー=ディースカウとあいまって、見事な相乗効果を挙げている。
 それに比べると、女声がいまひとつなのが、当盤の弱点か。より強さとハリの欲しいところが残る。とはいえ、全体の評価を下げるまでのことではなく、何と言ってもコンヴィチュニーのドライヴの力強さに聴き惚れてしまう。2時間20分ほどのドラマがあっという間である。

楽劇「トリスタンとイゾルデ」
セーゲルスタム指揮 スウェーデン王立歌劇場管弦楽団 T: ミルグラム S: ファスベンダー 他

レビュー日:2005.9.4
★★★★☆ 一本でシャープに描かれた「トリスタンとイゾルデ」
 「トリスタンとイゾルデ」はワーグナー中期の傑作とよばれる楽劇で、原作はゴットフリート・フォン・シュトラースブルクによる1210年頃の作品。あらすじは王女イゾルデがコーンウォールのマルケ王に嫁ぐおり、その案内役に旧知のものがいた。その名はトリスタン。かつて大怪我をしたトリスタンを看病したのがイゾルデだった。マルケ王との政略結婚に乗り気でなかったイゾルデはトリスタンと恋仲になり(毒薬と惚れ薬の入れ替え事件あり)、マルケ王城下で密会を重ねる。やがてマルケ王は薬の一件を知り、二人の仲を赦そうとするが、マルケ王の配下がトリスタンを切り重症を負わせる。そしてマルケ王の赦しの一報が間に合わず絶命したトリスタンに続いてイゾルデも世を去る。
 ドビュッシーさえ畏怖を示した、あまりにも官能的な不協和音「トリスタン和音」の連発は一世を風靡した。この「官能を描く」ことがこの作品の大きなテーマの一つと言えよう。
 セーゲルスタムの演奏は非常に写実的で客観的。冷静に音楽を高めるしっかりした手腕が安定を感じさせる。ただし、この楽劇にいわゆる愛憎のどろどろのような成分を期待する方には、ちょっとはずれかもしれない。演奏が、声・オーケストラともに清潔すぎるのだ。ファスベンダーによるイゾルデも少し健康的過ぎるかもしれない。
 とはいえ、辛い観方さえしなければ、一本でシャープに描かれたドラマは、たいへん心地よく響くし、この価格で全曲聴けてしまうのは、競合盤と比べてもお得と言えよう。

楽劇「ラインの黄金」
ドホナーニ指揮 クリーヴランド管弦楽団 B: ヘイル MS: シュヴァルツ T: ベグリー S: グスタフソン T: シュライアー B: ロータリング

レビュー日:2012.8.29
★★★★★ 不遇にして未完に終わったドホナーニの指輪4部作から
 クリストフ・フォン・ドホナーニ(Christoph von Dohnanyi 1929-)指揮、クリーヴランド管弦楽団による、ワーグナー(Richard Wagner 1813-1883)の楽劇「ラインの黄金」全曲。1993年の録音。主な配役は以下の通り。
 ヴォータン; B: ロバート・ヘイル(Robert Hale 1938-)
 フリッカ; MS: ハンナ・シュヴァルツ(Hanna Schwarz 1943-)
 ローゲ; T: キム・ベグリー(Kim Begley 1955-)
 アルベリヒ; Br: フランツ・ヨーゼフ・カペルマン(Franz Josef Kapellmann)
 フライア; S: ナンシー・グスタフソン(Nancy Gustafson 1956-)
 ミーメ; T: ペーター・シュライアー(Peter Schreier 1935-)
 ファゾルト; B: ヤン=ヘンドリック・ロータリング(Jan Hendrik-Rootering 1950-)
 ワーグナーが作曲に26年を費やした楽劇「ニーベルングの指輪」は序夜「ラインの黄金」、第1夜「ワルキューレ」、第2夜「ジークフリート」、第3夜「神々の黄昏」の全4部からなる長大な作品である。この「ニーベルングの指輪」の録音芸術として、デッカ・レーベルにはショルティ(Sir Georg Solti 1912-1997)指揮により1958年から65年にかけて録音された伝説的名盤があり、それに続くセッション録音での指輪四部作シリーズとして企画されたのがドホナーニによるものであった。ところがこの企画、売り上げの不振から、第1夜「ワルキューレ」までを完成したところで、中止となってしまった。これが、最後まで完成していたら、それこそ「ればたら」の話だけど、デジタル録音期を代表する新たな名盤が誕生したことになったと思う。
 それで、当盤はその序夜「ラインの黄金」が収録してある。「序夜」とはいってもCD2枚のキャパシティを必要とする大作だ。黄金の強奪から、指輪の生成、ヴァルハラ築城に際する契約に端を発する事件、神々の入城などが描かれる。壮大でファンタジックな音楽はまさしく初期ロマン派の一つの頂点を感じさせる。
 ドホナーニの演奏は実に素晴らしい。指輪四部作が半分しか製作されなかったのが痛恨の極みと感じられる。クリーヴランド管弦楽団の高度に統率された即応力が圧巻で、そのパフォーマンスを高度に駆使した機敏な音色で彩られる。金管陣のシンフォニックで幅のある咆哮は立派の一語だし、音楽的均衡性を保ちながら畳み掛けるような迫力を得ているところも凄い。
 歌手陣も立派な陣容である。シュライアーのミーメがかなりのはまり役で、ミーメの考え方まで伝わってくるようだ。ヨーゼフ・カペルマンのアルベリヒも高い技術を駆使した万全の声。ヘイル、シュヴァルツも平均を上回る出来栄えで、まずは不満なし。
 デジタル録音によるセッションでの指輪全曲録音は、この時期を逸してしまった今となってはかなり難しいだろう。それを思うと全4部作を完成しなかったことが返すがえすも残念だ。

楽劇「ワルキューレ」
ドホナーニ指揮 クリーヴランド管弦楽団 T: エルミング S: マルク シニア Br: ムフ ヘイル MS: シュナウト

レビュー日:2013.5.24
★★★★★ 未完に終わったドホナーニの指輪四部作を無念に思う
 クリストフ・フォン・ドホナーニ(Christoph von Dohnanyi 1929-)指揮、クリーヴランド管弦楽団によるワーグナー(Wilhelm Richard Wagner 1813-1883)の楽劇「ワルキューレ」全曲。1992年の録音。主な配役は以下の通り。
 ジークムント: ポール・エルミング(Poul Elming 1949- テノール)
 ジークリンデ: アレッサンドラ・マルク(Alessandra Marc 1957- ソプラノ)
 フンディング: アルフレート・ムフ (Alfred Muff 1949- バリトン)
 ヴォータン: ロバート・ヘイル(Robert Hale 1938- バリトン)
 ブリュンヒルデ: ガブリエレ・シュナウト(Gabriele Schnaut 1951- メゾソプラノ)
 フリッカ: アニア・シニア(Anja Silja 1940- ソプラノ)
 ワーグナーの芸術の完成を示す大作「ニーベルングの指輪」は、序夜「ラインの黄金」、第1夜「ワルキューレ」、第2夜「ジークフリート」、第3夜「神々の黄昏」の4つの楽劇から構成される。第1夜である「ワルキューレ」は、その劇的な音楽効果からもっとも人気の高いものだろう。「ワルキューレの騎行」「魔の炎の音楽」など、単品でも有名な音楽が散りばめられている上、各幕の序曲もカッコイイ。一応、あら筋を簡単にまとめておく。
 神々の王ヴォータンの子、ジークムントは、フンディングとの戦いのさなかに、フンディングの館で、生き別れていた双子の妹ジークリンデと会う。二人は愛し合うようになり、結婚するが、結婚の神であり、二人の母であるフリッカはこの仲を赦さない。フリッカの命で、ヴォータンはやむなくフンディングを助けるため、ワルキューレの一人、ブリュンヒルデを差し向ける。しかし、ブリュンヒルデはジークムント夫妻側に付く。ヴォータン自らも出撃することになり、結果、ジークムントはフンディングに斃される。ブリュンヒルデは他のワルキューレに助力を乞うが受け入れらない。ジークムントの子ジークフリートを宿したジークリンデは、ブリュンヒルデの手引きで逃亡するが、ブリュンヒルデはヴォータンにつかまり、神性をはく奪された上で、魔の炎に囲われる。魔の炎の包囲を乗り越えられるもののみが、ブリュンヒルデを救い、その夫となるという運命を示し、幕が下りる。
 ちなみに全4夜すべてに登場するキャラクターはいない。全編を通じての主人公と考えられるのは、第2夜から登場するジークフリートだと思われるが、この第1夜の主人公は、一応ブリュンヒルデということになろう。
 さて、ドホナーニはワーグナーを得意としていて、デッカへのニーベルングの指輪のレコーディングも「全4部作」を構想していた。それで、まずこの「ワルキューレ」が、そして翌年には「ラインの黄金」が録音されたわけだが、非常に残念なことに、この2作で中途終了してしまった。セールスが思わしくなかったということもあるだろうが、いま現在聴いてみると、そのクオリティの高い仕上がりに驚かされる。あるいは、全4作がリリースされれば、相乗効果で全体的な評価が一気に高まったのではないかと思うが、大変惜しいことをしたものだ。
 それでも、ワルキューレが録音されたのは幸いかもしれない。やはり、この作品の全体的な充実は見事なものだ。ドホナーニの作るサウンドはクリアで、明るいパレットが支配的なものだが、この巨大な作品を、見通しよく聴けると言うメリットが大きい。すっきりとした分かり易さが、作品の理解をよく助けてくれる。また、鋭角的で鮮烈な管弦楽の効果は、スリリングな迫力に満ちている。歌手陣では、エルミングとヘイルが注目だろう。いずれも大御所なので、私が言うまでもないが、ワーグナーの神話的世界に、一層映える歌唱ぶりで、さすがワーグナーを得意とする人たちだ。

楽劇「ニーベルングの指輪」 抜粋
バレンボイム指揮 バイロイト祝祭管弦楽団 Br: カンネン ブリンクマン MS: フィニー B: トムリンソン T: エルミング イェルザレム S: セクンデ エヴァンス

レビュー日:2019.4.1
★★★★★ 全4夜に及ぶ「ニーベルングの指輪」から、主要な8場面を抜粋
 1991~92年のバイロイト音楽祭のライヴ音源で、バレンボイム(Daniel Barenboim 1942-)指揮による、ワーグナー(Wilhelm Richard Wagner 1813-1883)の「ニーベルングの指輪」全曲から、有名なシーン全8か所、CD2枚分をピックアップした抜粋版。収録内容は以下の通り。(収録時間を併せて表記する)
1) 楽劇「ラインの黄金」から 前奏曲と第1場から 15:55
2) 楽劇「ラインの黄金」から 最終場面 14:05
3) 楽劇「ワルキューレ」 第1幕 最終場面 15:34
4) 楽劇「ワルキューレ」 第3幕 前奏曲とワルキューレの騎行 8:40
5) 楽劇「ワルキューレ」 第3幕 最終場面 22:45
6) 楽劇「ジークフリート」 第3幕 最終場面 34:12
7) 楽劇「神々の黄昏」 ジークフリートのラインへの旅 05:39
8) 楽劇「神々の黄昏」 葬送の音楽と第3幕最終場面 37:07
 これらのシーンに登場する主なキャストは以下の通り。
 アルベリヒ: ギュンター・フォン・カンネン(Gunter von Kannen 1940-2016 バリトン) 1)
 フリッカ: リンダ・フィニー(Linda Finnie 1952-) メゾソプラノ 2)
 ドンナー: ボード・ブリンクマン(Bodo Brinkmann バリトン) 2)
 ヴォータン: ジョン・トムリンソン(John Tomlinson 1946- バス) 2,5)
 ジークムント:ポウル・エルミング(Poul Elming 1949- テノール) 3)
 ジークリンデ: ナディーン・セクンデ(Nadine Secunde 1952- ソプラノ) 3)
 グンター: ボード・ブリンクマン 3)
 ブリュンヒルデ: アン・エヴァンス(Anne Evans 1941- ソプラノ) 5,6,8)
 ジークフリート: ジークフリート・イェルザレム(Siegfried Jerusalem 1940- テノール) 6)
 1,2,7,8)は1991年、3,4,5,6)は1992年の音楽祭のライヴ。
 ニーベルングの指輪は、全曲演奏に4夜を費やし、すべてをCDに収録するとだいたい14枚くらい。なので、いろいろと抜粋版も出ている。私も全曲をCDで持っているのはショルティ(Georg Solti 1912-1997)盤とベーム(Karl Bohm 1894-1981)盤くらいで、あとは、「買ってもなかなか聴けないだろう」ということで、4夜のうち一つだけ買ったり、抜粋版を買ったりしている。個人的には全曲盤としてはショルティのをいちばん気に入っていて、あと全曲盤以外では、企画が中座したため、「ラインの黄金」と「ワルキューレ」だけで終わったドホナーニ(Christoph von Dohnanyi 1929-)が実に惜しい存在で、愛聴している。
 抜粋版の場合、いろいろな編集方針があるだろうが、当盤はCD2枚、それぞれ78分程度の収録時間で、一つ一つの場面を長めに収録していることが特徴。また、重要な幕のフィナーレを含めて、もっとも音楽が濃厚である部分を、時間幅をとって採用している点も、当盤の編集ポイントだろう。
 さて、このバレンボイムの録音は、ニーベルングの指輪の各録音の中では、中庸の美を重んじたという位置づけにあるものだと思う。かつ録音技術という観点では、他の録音と比べて特に優れたものであり、総合的に広く聴かれるにふさわしいものであろう。
 私は、バレンボイムの作る音楽については、指揮者としても、ピアニストとしても、どこか総花的で、このアーティストの芸術の核をいまいち捉えにくいと感じることが多く(それはもちろん私の感受性の問題である可能性は十分あるのだが)、そのため、ふだん、それほど一生懸命には彼の録音を聴いていない。しかし、ワーグナーの大規模な作品で、むしろ彼のスタイルは、「外向的なわかりやすさ」に作用していて、聴き易く理解しやすい演奏になっていると思う。
 管弦楽のドライブは、ショルティやフルトヴェングラーへの憧憬を感じさせるような厚みのあるサウンド志向がある。金管の響きが、ややのぺっと平板な感じになるところはあるが、音圧は十分で、ワーグナーの舞台の大きさを感じさせる。歌手陣では、とりわけ誰が目立つということは感じないが、粒ぞろいの良メンバーで、中では当公演のあたりから頭角を現し、シノーポリ指揮でパルジファルを務めることにもなるポウル・エルミングの充実が注目だろう。
 ニーベルングの指輪の全曲をまだ聴いていない人が、イメージをつかむために聴くのにも、適した抜粋版といえる。


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