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ヴェルディ



管弦楽曲 声楽曲 歌劇


管弦楽曲

「シチリア島の夕べの祈り」序曲 「アルツィラ」序曲 「椿姫」第1幕への前奏曲 「海賊」第1幕への前奏曲 「ナブッコ」序曲 「イェルサレム」序奏とバレエ音楽 「ジョヴァンナ・ダルコ」序曲 「アイーダ」第1幕への前奏曲 「マクベス」第1幕への前奏曲 「運命の力」序曲
シャイー指揮 スカラ座フィルハーモニー管弦楽団

レビュー日:2013.3.23
★★★★★ ヴェルディ生誕200年に相応しい王道的企画
 リッカルド・シャイー(Riccardo Chailly 1953-)指揮、ミラノ・スカラ座管弦楽団による2012年録音のヴェルディ(Giuseppe Verdi 1813-1901)の序曲集。収録曲は以下の通り。
1) 「シチリア島の夕べの祈り」序曲
2) 「アルツィラ」序曲
3) 「椿姫」第1幕への前奏曲
4) 「海賊」第1幕への前奏曲
5) 「ナブッコ」序曲
6) 「イェルサレム」序奏とバレエ音楽
7) 「ジョヴァンナ・ダルコ」序曲
8) 「アイーダ」第1幕への前奏曲
9) 「マクベス」第1幕への前奏曲
10) 「運命の力」序曲
 2013年はヴェルディの生誕200年ということで、これに応じた企画が色々と期待されるが、本盤もその中の一つ。内容も王道で、アニヴァーサリー・イヤーのリリースとして象徴的と言ってもいいアルバム。
 シャイーは、(1)(5)(7)(10)については、1980年にナショナルフィルと録音をしているので、30年ぶりの再録音ということになる。
 ヴェルディの序曲について言うと、ロッシーニ(Gioacchino Rossini 1792-1868)やワーグナー(Richard Wagner 1813-1883)のものに比べて、存在としては渋く、「序曲集」というアルバムもあまり多くはない。なので、このレベルで集成したアルバムというだけで、すでに存在価値は十分にあると思う。さらに、シャイーとミラノ・スカラ座管弦楽団という盤石の顔合わせであればなおのこと。
 シャイーの演奏はやや早めのテンポを維持し、爽快な色彩感を保ちながら、重層的な響きも満足させてくれるもの。こうして聴いていると、ヴェルディという作曲家は、オーケストラ自体への旋律的なインスピレーションという点では、やはりロッシーニやワーグナーに引けをとると思ってしまう。また、オーケストラから引き出してくる音色のパレットも多くはなく、やや一様に聴こえてしまうところがあるのは否めないかもしれない。ヴェルディの場合、序曲を持たない歌劇も多くあることから、序曲に対するそもそものプライオリティーが、元来高くはないところもあるだろう。しかし、音楽に秘められた悲愴な劇性は、ヴェルディ特有の重々しさを持っていて、序曲集として聴いても、聴き応えはある。
 また、アンニュイな情緒の表現も、人を惹きつける要素を持っているだろう。中で特に私が気に入ったのは「ナブッコ」序曲の金管の時に柔らかな時に鋭い響きによってもたらされる陰影の様子や、あるいはイェルサレムのバレエ音楽の最後に収録されたパ・ダンサンブル(Pas d'ensemble)の色彩豊かなリズム感、またジャンヌ・ダルクの悲愴美などである。
 いずれにしてもシャイーの確信に満ちた表現で、活き活きと奏でられた楽曲たちは、オーケストラ楽曲としての聴き味も、なかなか豊かで、楽しませてくれるものになっている。

「運命の力」序曲 「アイーダ」序曲 「ルイザ・ミラー」序曲  「ナブッコ」序曲 「シチリア島の夕べの祈り」序曲 「アロルド」序曲
アバド指揮 ロンドン交響楽団

レビュー日:2015.9.7
★★★★★ ずいぶん前の録音ですが、聴いてみるとあらためて素晴らしいと思わせられます
 アバド(Claudio Abbado 1933-2014)指揮、ロンドン交響楽団によるヴェルディ(Giuseppe Verdi 1813-1901)の序曲集。1978年録音。以下の6曲が収録されている。
1) 歌劇「ナブッコ」序曲
2) 歌劇「アイーダ」序曲
3) 歌劇「運命の力」序曲
4) 歌劇「シチリア島の夕べの祈り」序曲
5) 歌劇「アロルド」序曲
6) 歌劇「ルイザ・ミラー」序曲
 いかにもLP規格の収録内容で、今となっては曲数が少なく思えるが、演奏の充実は素晴らしく、決して不足感を抱くものではない。そもそも、アバドという指揮者は、イタリア歌劇を振るときは、世界でも最高といって差し支えないパフォーマンスを披露してくれる。それは序曲集でもそう。
 当盤は、「運命の力」「シチリア島の夕べの祈り」といった有名曲とともに、「アロルド」「ルイザ・ミラー」といった、ヴェルディ・フアン以外の聴き手にはなじみの薄い作品まで集められているが、序曲の完成度の高さという点で、ベストに近いものが揃えられたところ。
 ヴェルディのオーケストレーションは、それほど引き出しが多いわけでなく、どのような曲を聴いても、使用される合奏音や、その効果には共通するものがある。そのため、演奏によっては聴いていて食傷してしまうのだけれど、アバドは巧妙に、アッチェランド等の速度変化による色付けを駆使し、切迫感、劇性を巧みに表情付けして、全般に楽しく聴きとおせるものにしてくれる。
 特に印象深いのは「シチリア島の夕べの祈り」で、トランペット・ソロによる旋律の歌に満ちた表情、そして後半の生き生きとした華やいだ音楽に、聴き手の心を何段階にも渡って曲に引き寄せてくれる。「ルイザ・ミラー」序曲の金管による旋律線の強靭な強さも無類で、勇壮なパワーが圧巻。おそらくもっとも名高い「運命の力」序曲では、第1主題と中間部の抒情的な旋律の関連付けが見事で、その発展から終結部に結ばれる劇性が高い密度で表現されている。
 全般に、さすがアバドのヴェルディ、と太鼓判を捺せる内容の仕上がりだ。


声楽曲

レクイエム
リヒター指揮 ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団 ミュンヘン・フィルハーモニー合唱団 ミュンヘン・バッハ合唱団 S: ビョーブナー MS: テッパー T: クメント B: フリック

レビュー日:2009.1.21
★★★★☆ リヒターの真摯なヴェルディ「レクイエム」
 ハンス・リヒターによるヴェルディのレクイエムである。面白い録音が出てくるものだ。そう言えば、ちょっと前にもリヒターが指揮したブルックナーがリリースされ、その曲目の演奏が存在していたこと自体が意外だったと話題になった。リヒターと言えば往年のバッハの権威であり、いまなおその演奏が高く評価されることが多い。格調高い襟を正したような真摯な演奏は、私たちがおおむねバッハの宗教曲はこうであろうというイメージに近く(それどころかリヒターの演奏がイメージの原点を作ったと言えるだろう)、正統的という表現は的を射ていると思う。
 ヴェルディのレクイエムももちろん宗教曲であるが、なんと言ってもバッハとは曲の性格が違う。かの有名な大太鼓の壮烈な一撃から荒れ狂う「怒りの日」をはじめ、いかにもイタリアオペラの巨匠による豪壮な演出効果の高い作品で、様々な修飾に満ちた音楽である。おそらく一般的なイメージではバッハの宗教曲からはかなり離れた存在になる。
 しかし、例えばガーディナーもその双方に名演を残したし、なんといってもオーケストラ伴奏付きの合唱曲というカテゴリは一緒なのだから、そう考えればリヒターが手がけたとしても不思議ではない。この録音は1969年のもので、オーディオ・マニアの団員により録音されたものだという。時代背景を考えると、そのレベルでよくぞこれだけの録音が残ったとも言えるが、やはり音自体は不満が残る内容である。細やかな点が不明瞭で、高音は少し割れている。
 演奏であるが、テンポの変動を小さく律したクールさとともに、淡く品のあるヴェルディになっている。独唱陣も聴衆よりも天上に向かって歌い上げているような雰囲気があり、旧来の演奏に食傷気味の方にはオススメ。太鼓の合いの手が印象的な「涙の日」にこの演奏の特徴は良く出ている。ただし、録音状態はやはり厳しい面があり、セーヴしたオーケストラの表現が、部分的に田舎っぽくなっているところもあると思う。個人的には、やはり現代の他の名演に比べると、ちょっと趣味的な一枚にとどまるというところか。

ヴェルディ レクイエム  ケルビーニ レクイエム
ムーティ指揮 フィルハーモニア管弦楽団 アンブロジアン・シンガーズ S: スコット MS: バルツァ T: ルケッティ B: ネステレンコ

レビュー日:2010.9.1
★★★★☆ イタリア流レクイエムの美学を貫く?
 ヴェルディ(Giuseppe Fortunino Francesco Verdi 1813-1901)とルイージ・ケルビーニ(Luigi Cherubini 1760-1842)のレクイエムを収録したお徳用ディスク。ムーティ指揮フィルハーモニア管弦楽団とアンブロジアン・シンガーズの演奏で、ヴェルディの独唱陣はS: スコット、MS: バルツァ、T: ルケッティ、B: ネステレンコ。録音はヴェルディが1979年でケルビーニが1981年。
 いずれもイタリアの作曲家の作品で、多声部のレクイエムの傑作の中に数え上げられる作品である。ヴェルディのレクイエムはいまやすっかり有名曲になった。大太鼓の強連打から始まる「怒りの日(ディエス・イレー)」が劇的効果に満ちていて、様々な映像作品で使用されるようになったことが大きく、そういった使用頻度ではオルフのカルミナ・ブラーナと双璧と言っていい。日本では「新世紀エヴァンゲリヲン」のようなカルト人気のある作品で使用されたことが、その傾向に拍車を掛けた。私個人的にはヴェルディのレクイエムという作品が、あまりにも情感に徹したいかにもオペラ作曲家の作品であるため、ちょっと聴くのに「気構え」がいる曲となっている。「怒りの日」は罪を悟る人間の音楽ではなく、ひたすら天罰を下し続ける無慈悲な神の音楽であり、宗教の攻撃性が顕著になった音楽にも思える。
 一方、ケルビーニの音楽は、古典的なイタリア対位法に則った音楽で、柔和な側面が多い。怒りの日は劇性を交えるが、典礼的な規範を感じさせる。結びが「平和の讃歌(アニュス・デイ)であるのもそれらしいと思う。
 いろいろ書いたが、もちろん「音楽は音楽である」と楽しむのはそれで良い。それが音楽の良いところ(そして時々罪なところ)である。ムーティの指揮はいかにも生気がみなぎっていて、ヴェルディの「怒りの日」のアップテンポでドラマティックなところなんかいかにもイタリアオペラ的な豪壮な彩りだ。旋律の歌謡性が増す部分では、奇をてらわずに高らかに歌い上げる。オーケストラと声も力強い音でこれに応えていて、勇壮とも言えるクライマックスを築き上げる。ケルビーニであっても、「奉納唱(オッフェルトリウム)」の後半の部分などで、この演奏の特徴が明らかと思える。旋律線中心のアプローチは歌謡性を逞しく太く響かせる一方で、時折音楽の区切りの薄さも感じさせるが、イタリアオペラ的なレクイエムの醍醐味とも思う。

レクイエム 聖歌四篇
ショルティ指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 ウィーン国立歌劇場合唱団 シカゴ交響楽団 合唱団 S: サザーランド プライス MS: ホーン ベイカー T: パヴァロッティ ルケッティ B: タルヴェラ ダム

レビュー日:2013.2.20
★★★★★ このド迫力は、今や再現不能なレベルでしょう!
 ジュゼッペ・ヴェルディ(Giuseppe Verdi 1813-1901)の「レクイエム」と「聖歌四篇」を収録したアルバム。指揮はサー・ゲオルク・ショルティ(Sir Georg Solti 1912-1997)。「レクイエム」はウィーン・フィルハーモニー管弦楽団とウィーン国立歌劇場合唱団の演奏で1967年の録音。「聖歌四篇」はシカゴ交響楽団とシカゴ交響合唱団の演奏で、1977,78年の録音。「レクイエム」における独唱者は以下の通り。
S: ジョーン・サザーランド(Joan Sutherland 1926-2010)
MS: マリリン・ホーン(Marilyn Horne 1934-)
T: ルチアーノ・パヴァロッティ(Luciano Pavarotti 1935-2007)
B: マルティ・タルヴェラ(Martti Talvela 1929-)
 往年の名歌手を揃えた圧倒的な録音である。今や通俗名曲にも数え上げられるヴェルディのレクイエムであるが、その凄まじい「怒りの日」の劇性によって、映画などでも盛んに使用されており、聴けば、多くの人が「ああ、この曲!」と何かしら記憶にマッチングするものであり、そういった点でオルフ(Carl Orff 1895-1982)の「カルミナ・ブラーナ」と双璧だと思う。
 さて、私がこの曲を初めて聴いたのが、このショルティのLPである。怒りの日の開始を告げる「かの日こそ怒りの日なり」を聴いた鮮烈な衝撃は忘れがたい。その前の、静謐な「主よ、憐れみたまえ」の末尾から一転して、強烈な全管弦楽によるフォルテの和音連打、これに続いて劇的な合唱が怒りの日の到来を告げ、稲妻のような下降音型に導かれ、再び全管弦楽の和音連打、そしてその間隙で打ち鳴らされる大太鼓の最強音連撃!
 「レクイエム」を単に追悼の音楽だと考えると、こんな音楽が葬式でかかることなんて、私たちの感覚では想像できないのである。しかし、当然の事ながら、西洋での一般的な人類最期の日の認識は、神による今まで生を受けた全人間に対する残虐とも言える断罪の日(怒りの日;Dies irae)である。私には、その罪を裁くために人間を作ったかのような神の自己矛盾に思えるが、その論理的矛盾をひたすら行為によって打ち消すかのように、圧倒的な火力で人間を屈服させる神の姿を彷彿とさせるヴェルディの音楽。この音楽は、そのことをあらためて人々に知らしめるように、圧倒的だ。とても逆らうことはできない。
 私は、この曲を初めて聴いた日以降、様々な同曲の録音を聴いてきたのだけれど、このショルティ盤を超えると感じられるものはなかった。とにかくこの演奏のフォルテの凄まじさは、ちょっとやそっとでは体験できないものなのだ。加えてショルティの筋肉質でスピーデーな音づくりの徹底ぶりも凄まじい。「かの日こそ怒りの日なり」における、アップテンポでしかも、そのテンポを維持したまま何度となくクライマックスを築き上げる咆哮の連続は、聴き手に圧倒的な興奮をもたらすものだ。録音からすでに46年が経過したのだが、いまだに「これを超える」という演奏は出現していない。
 また、録音も素晴らしい。本当に1967年の録音なのだろうか、というくらい生々しい音がダイナミックに記録されていて、その鮮烈な生命力はまったく色あせていない。
 4人の実力者を揃えた独唱陣も圧巻で、ちょっとこれを超える演奏と言うのは、今後も無理であろうと思ってしまう。まずは、このスペクタクルな音響を実感されたい!
 レクイエムより10年ほど新しい録音になるアヴェ・マリア、悲しみの聖母、聖母への讃歌、テ・デウムからなる「聖歌四篇」も良い出来栄え。レクイエムの陰に隠れがちだが、作品としての価値も優れたものだし、併せて聴けるのは嬉しい。


歌劇

歌劇「アイーダ」 「仮面舞踏会」 「ドン・カルロ」 「ファルスタッフ」 「マクベス」 「シモン・ボッカネグラ」
アバド指揮 ミラノ・スカラ座管弦楽団 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 S: リッチャレッリ グルベローヴァ フレーニ T: ドミンゴ カレーラス MS: オブラスツォワ Br: ヌッチ ターフェル

レビュー日:2013.4.10
★★★★★ ヴェルディのオペラ6作を、アバド指揮、セッション録音で。
 世界的指揮者、クラウディオ・アバド(Claudio Abbado 1933-)が指揮したヴェルディ(Giuseppe Verdi 1813-1901)のオペラ6作、CD14枚をBox Setとしたアイテム。まずは収録内容を記載する。
CD1-2)歌劇「アイーダ」 ミラノ・スカラ座管弦楽団 合唱団 1981年録音
 カーティア・リッチャレッリ(Katia Ricciarelli 1946- ソプラノ)
 プラシド・ドミンゴ(Placido Domingo 1941- テノール)
 エレーナ・オブラスツォワ(Elena Obraztsova 1939- メゾ・ソプラノ)
 レオ・ヌッチ(Leo Nucci 1942- バリトン)
 ニコライ・ギャウロフ(Nicolai Ghiaurov 1929-2004 バス)
CD3-4) 歌劇「仮面舞踏会」 ミラノ・スカラ座管弦楽団 合唱団 1979-80年録音
 カーティア・リッチャレッリ(ソプラノ)
 プラシド・ドミンゴ(テノール)
 エレーナ・オブラスツォワ(メゾ・ソプラノ)
 エディタ・グルベローヴァ(Edita Gruberova 1946- ソプラノ)
 レナート・ブルゾン(Renato Bruson 1936- バリトン)
 ルッジェーロ・ライモンディ(Ruggero Raimondi 1941- バス)
CD5-8) 歌劇「ドン・カルロ」 ラノ・スカラ座管弦楽団 合唱団 1983-84年録音
 カーティア・リッチャレッリ(ソプラノ)
 プラシド・ドミンゴ(テノール)
 ルチア・ヴァレンティーニ=テッラーニ(Lucia Valentini-Terrani 1946-1998 メゾ・ソプラノ)
 レオ・ヌッチ(バリトン)
 ルッジェーロ・ライモンディ(バス)
 ニコライ・ギャウロフ(バス)
D9-10) 歌劇「ファルスタッフ」 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 ベルリン放送合唱団 2001年録音
 ブリン・ターフェル(Bryn Terfel 1965- バリトン)
 トーマス・ハンプソン(Thomas Hampson 1955- バリトン)
 ダニール・シュトーダ(Daniil Shtoda 1977- バリトン)
 エンリコ・ファチーニ(Enrico Facini テノール)
 アナトーリ・コチェルガ(Anatoli Kotcherga 1944- バス)
 アドリアンネ・ピエチョンカ(Adrianne Pieczonka 1963- ソプラノ)
 ドロテア・レシュマン(Dorothea Roschmann 1967- ソプラノ)、他
CD11-12) 歌劇「マクベス」 ミラノ・スカラ座管弦楽団 合唱団 1976年録音
 ピエロ・カプッチッリ(Piero Cappuccilli 1929-2005 バリトン)
 ニコライ・ギャウロフ(バス)
 シャーリー・ヴァーレット(Shirley Verrett 1931- ソプラノ)
 プラシド・ドミンゴ(テノール)
 アントニオ・サヴァスターノ(Antonio Savastano 1948- テノール)
CD13-14) 歌劇「シモン・ボッカネグラ」 ミラノ・スカラ座管弦楽団 合唱団 1977年録音
 ピエロ・カプッチッリ(Piero Cappuccilli 1929-2005 バリトン)
 ミレッラ・フレー二(Mirella Freni 1935- ソプラノ)
 ホセ・カレーラス(Jose Carreras 1946- テノール)
 ニコライ・ギャウロフ(バス)
 ヨセ・ヴァン・ダム(Jose van Dam 1940- バス)
 ジョヴァンニ・フォイアーニ(GiovanniI Foiani バス)
 いずれもセッションで録音されており、音楽メディアとしてクオリティー良好な仕上がり。それに、あらためて断る必要がないかもしれないが、王道の演奏・録音といえるものであり、これらをまとめて聴くことが出来るというのはよいサービスである。2013年はヴェルディの生誕200年であり、アバドは80歳になる。いずれにしても、アニヴァーサリー・イヤーに相応しいものだろう。アバドの演奏は線が太く、巧みな緩急を踏まえて情熱的な歌謡性を引き出していている一方で、クールな計算をも併せ持っている。
 また、当盤に登場する豪華なキャスティングも(いまさらながら)触れておこう。リッチャレッリ、ドミンゴ、オブラスツォワ、グルベローヴァと言った名は、歴史的名歌手として今後も語られるに相応しい人たちだ。また、中でキャスティングの面で時代を新しくした感のある「ファルスタッフ」では、イギリスのブリン・ターフェルという一時代新しいジャンル横断的歌手を起用している。その力強い歌声に、より現代的で線的な感性や感覚を味わうのも面白い。
 個人的に、ヴェルディでいちばん好きな「リゴレット」が入っておらず、その他、「椿姫」「オテロ」もないので、ヴェルディの歌劇のベストというわけではないのかもしれないけれど、望みだせばきりがないわけだし、これらの音楽もヴェルディらしい堂々としたもので、アバドの万全のタクトで揃って聴ける当アイテムは、十分に「お買い得」といっていいものであろう。

歌劇「マクベス」
シャイー指揮 ボローニャ市立歌劇場管弦楽団 合唱団 Br: ヌッチ S: ヴァーレット Bs: レイミー T: ルケッティ

レビュー日:2012.11.27
★★★★☆ ヴェルディの中期の代表作「マクベス」
 ヴェルディ(Giuseppe Verdi 1813-1901)の、シェークスピア(William Shakespeare 1564-1616)の戯曲に基づく歌劇「マクベス」全曲。CD2枚組。リッカルド・シャイー(Riccardo Chailly 1953-)指揮、ボローニャ市立歌劇場管弦楽団と同合唱団による演奏。1986年の録音。主なキャストは、マクベスがレオ・ヌッチ(Leo Nucci 1942- バリトン)、マクベス夫人がシャーリー・ヴァーレット(Shirley Verrett 1931-2010 ソプラノ)、バンコーがサミュエル・レイミー(Samuel Ramey 1942- バス)、マクダフがヴェリアーノ・ルケッティ(Veriano Luchetti 1939-2012 テノール)。
 「マクベス」のストーリーは日本でもわりとお馴染みだ。というのも、黒澤明(1910-1998)が「蜘蛛巣城」と題して、そのストーリーに基づく映画を撮ったためである。
 ストーリーは11世紀のスコットランドを舞台に、予言に基づいて国王を裏切り、暗殺して王位についたマクベスとその妻が、今度は別の予言により、保身のため、バンコーとその子息マクダフの殺害を企てるが、マクダフを取り逃がしてしまい、その後、みたび予言通りに息を吹き返したマクダスの陣営に敗れ、悲劇的な最期を遂げるというもの。
 ヴェルディは音楽の真摯な悲劇性を歌劇に色濃く反映させた大家であり、その完成期といえる晩年の3作品、「リゴレット」「ファルスタッフ」「オテロ」が中でも傑作として知られている。「マクベス」は中期を象徴する作品で、先鋭な音楽表現が見事な成功を収めた例となった。
 ヴェルディと同じ年に生まれた巨人として、リヒャルト・ワーグナー(Richard Wagner 1813-1883)の存在がある。二人はいずれも音楽と声楽による芸術劇の完成を目指し、その成果である二人の歌劇・楽劇は、共に重層的なオーケストレーションをベースに、声楽による劇的な展開を持つ歴史的作品となった。一方で、両者の歌劇を聴いたとき、明確な違いとしてあるのが「ライト・モティーフ」の存在である。つまり、ワーグナーの場合、例えば「ジークフリート」におけるジークフリートとファフナーの対決シーンで、勇壮なジークフリートの主題と、不気味なファフナーの主題が戦い、やがてはジークフリートが制圧することを音楽が示し、そして劇の進行がそれに呼応するわけである。しかし、ヴェルディはこの「××のテーマ」に相当するライト・モティーフを(その価値を認めながらも)劇中で用いることはなかった。なので、音楽として鑑賞するときに、ヴェルディの作品では、より言語のハードルを感じてしまう。つまり、私は以上の理由で、インターナショナルな通力という観点で、ワーグナーの方が圧倒的に優れていると考えている。
 しかし、ヴェルディの音楽の充実も素晴らしいもので、例えば、このアルバムでも、男声合唱と女声合唱の掛け合いの迫力ある効果など実に見事だ。題材が悲劇なので、音楽も重々しいが、シャイーの指揮は、まずは音楽的な美観を透明感を持って引き出し、その上に構築性をキープしながら声楽による劇を築き上げていったものだと思う。オーケストラの繊細な表現は印象に残るところ。
 声楽陣は、正直に言って、際立った存在をそれほど感じさせないが、逆に言うと粒ぞろいで、劇として客観的に捉えやすいメリットがあろう。有名な聴きどころとしては、マクベス夫人のアリア「日の光は衰え(La Luce Langue)」、これは CD1の9トラックが該当するが、冒頭の悲しい色合いから、劇的に変化していく様がなかなか見事だ。このアルバムでも聴きどころとして推して問題ないだろう。そして、マクダフのアリア「ああ父の手は(Ah, la paterna mano)」、こちらはCD2の7トラックにあるが、こちらも美しくも悲劇的な旋律が聴かれる。ルケッティのテノールは、やや細身な印象を受けるが、このシーンでは、そのような声の方が似つかわしいとも言えよう。
 ヴェルディはこの歌劇で、愛国のようなものを訴えたかったと考えられるが、全体としては、悲劇的な重々しさを表現した音楽書法が支配的で、その雰囲気を味わって聴くのがいいと思う。

歌劇「リゴレット」
シャイー指揮 ボローニャ市立歌劇場管弦楽団 合唱団 Br: ヌッチ T: パヴァロッティ S: アンダーソン Bs: ギャウロフ MS: ヴァーレット

レビュー日:2012.12.19
★★★★★ 「リゴレット」録音の最高傑作の一つ
 ヴェルディ ( Giuseppe Verdi 1813-1901)の歌劇「リゴレット」全曲。リッカルド・シャイー(Riccardo Chailly 1953-)指揮ボローニャ市立歌劇場管弦楽団と合唱団の演奏。1989年の録音でCD2枚組。主な配役は以下の通り。
 リゴレット: レオ・ヌッチ(Leo Nucci 1942- バリトン)
 マントヴァ公爵: ルチアーノ・パヴァロッティ(Luciano Pavarotti 1935-2007 テノール)
 ジルダ: ジューン・アンダーソン(June Anderson 1952- ソプラノ)
 スパラフチーレ: ニコライ・ギャウロフ(Nicolai Ghiaurov 1929-2004 バス)
 マッダレーナ: シャーリー・ヴァーレット(Shirley Verrett 1931- メゾ・ソプラノ)
 ヴェルディの名声を決定づけた傑作オペラであり、重厚な響きに支えられた悲劇が繰り広げられる。リゴレットは道化師の名で、原作は「レ・ミゼラブル」で知られるヴィクトール・ユゴー(Victor-Marie Hugo 1802-1885)の「逸楽の王」。
 ストーリーは有名な女たらしマントヴァに仕える道化師リゴレットをめぐるもの。リゴレットの仕事は、マントヴァの悪事を訴えに来る者を「笑い飛ばす」ことであった。娘をマントヴァにたらしこめられた人々を今日も笑い飛ばすリゴレット。しかしマントヴァが次に目を付けたのは、なんとリゴレットの娘ジルダ。家来たちはジルダを館に誘拐する。リゴレットはジルダを取り返すが、ジルダはすっかりマントヴァに入れ込んでしまった。リゴレットは殺し屋スパラフチーレを雇い、マントヴァ殺害を依頼するが、この計画を知ったジルダは身代わりを決意。死体の入った袋を受け取ったリゴレット。しかし、袋の中にあったのは娘ジルダの亡骸であった。
 題材の重々しさ、悲劇的なストーリーとともに、音楽の充実には括目するべきものがある。ことに、詳細なストーリーがわからなくとも、声楽と管弦楽の織り成す様々な音色と効果に彩られた旋律の美しさは驚異的で、オペラというジャンルにあまりなじみのない人でも面白く聴ける作品ではないだろうか。また当盤は歌手陣の充実も素晴らしい。全員がノリに乗っている。
 有名な聴きどころを書いておこう。圧倒的に有名なのは第3幕のマントヴァ公爵のカンツォーネ「女心の歌(La donna e mobile) CD2 トラック9」これは「風の中の、羽のように、いつも変わる、女心・・」の日本語訳詩で歌われることもしばしばで、多くの人が知っている代表的旋律だ。パヴァロッティの圧倒的な美声で聴くと、実に説得力がある(笑)。
 その他には、第3幕で歌われるマントヴァ、マッダレーナ、リゴレット、ジルダによる4重唱「美しい恋の乙女よ(Bella figlia dell'amore) CD2 トラック11」も数ある4重唱の中でも代表的なものとして指おられることが多く、見事な音楽である。あと代表的なアリアとして、第1幕第2場のジルダのアリア「慕わしい人の名は(Caro nome) CD1 トラック12」、第2幕のリゴレットのアリア「悪魔め、鬼め(Cortigiani, vil razza dannata) CD2 トラック5」を挙げておこう。
 シャイーの透明感に満ちた音楽作りで、全体的な臨場感、距離感が的確にキープされていて、音楽としてとても把握しやすい。パヴァロッティの甘い声はマントヴァにはビタリの印象で、この点でもオペラを聴くもののイメージ形成に役立っている。そしてジューン・アンダーソンの透明感溢れる美声も絶品だ。この人はレヴァイン(James Levine 1943-)と録音したオルフの「カルミナ・ブラーナ」でも本当に素晴らしい歌唱を披露していたが、美しいだけでなく、器楽的な音色の使い分けが巧みで、リゴレットという音楽の質にたいへんよくマッチするのだ。当盤は、絶妙の配役が決まったリゴレット録音の最高傑作の一つと言っていいと思う。

歌劇「シモン・ボッカネグラ」
アバド指揮 ウィーン国立歌劇場管弦楽団 合唱団 Br: ブルゾン S: リッチャレッリアンダーソン A: ゴンダ Bs: ライモンディ スキアーヴィ スフィリス T: ルケッティ アイヒベルガー

レビュー日:2015.7.6
★★★★★ 1977年の録音が有名ですが、1984年の当ライヴも捨てがたいです。
 アバド(Claudio Abbado 1933-2014)指揮、ウィーン国立歌劇場管弦楽団とウィーン国立歌劇場合唱団の演奏によるヴェルディ(Giuseppe Verdi 1813-1901)の歌劇「シモン・ボッカネグラ」全曲。1984年、ウィーン国立歌劇場でコンサート形式により行われたライヴ録音。時折拍手の挿入がある。主な配役は以下の通り。
 シモン・ボッカネグラ: レナート・ブルゾン(Renato Bruson 1936- バリトン)
 アメーリア(シモンの娘): カーティア・リッチャレッリ(Katia Ricciarelli 1946- ソプラノ)
 アメーリアの腰元: アンナ・ゴンダ(Anna Gonda アルト)
 ヤコボ・フィエスコ: ルッジェーロ・ライモンディ(Ruggiero Raimondi 1941- バス)
 ガブリエレ・アドルノ: ヴェリアーノ・ルケッティ(Veriano Luchetti 1939- テノール)
 射手隊長: エーヴァルト・アイヒベルガー(Ewald Aichberger テノール)
 パオロ・アルビアーニ: フェリーチェ・スキアーヴィ(Felice Schiavi バス)
 ピエトロ: コンスタンティン・スフィリス(Konstantin Sfiris バス)
 「シモン・ボッカネグラ」は1857年に書かれたヴェルディ20作目のオペラで、初演は芳しくなかったが、現在ではヴェルディの傑作群の一角をなすものと評価されている。参考までにあらすじを書いておく。
 14世紀のジェノバ。平民派と貴族派の抗争の中、海賊出身のシモン・ボッカネグラは、平民派の統領候補に推される。しかし、彼は貴族派のフィエスコの娘、マリアと愛し合っていた。そんなシモンに、フィエスコは突然娘の死を告げ、二人の間の子供の引き渡しを要求。渦中で何者かに子供は連れ去られてしまう。シモンは統領となったが、フィエスコの館でマリアが本当に病死したことを知る。25年が経過する。シモンとマリアの娘アメーリアは貴族派のガブリエレと相愛。自分の娘とは知らずに彼女を保護していたシモンは、彼女をパオロと結婚させようとする。しかし、アメーリアが自分の娘であると気づき、要求を取り下げる。パオロはこれに納得せず、ピエトロとアメーリアの誘拐を画策する。誘拐が実行されると、ガブリエレとフィエスコはシモンを犯人だと思い込み議会に乗り込む。これを機に貴族派と平民派の諍いが起こるがシモンはこれを鎮圧し、誤解を解き、アメーリアとガブリエレの結婚を許すという。今度は自身が真犯人であると判明することに危機を感じたパオロはシモンに毒を盛る。毒により衰弱したシモンは、海を懐かしみながら、最期にガブリエレを後継にと言い、息絶える。
 アルバムの内容は以下の通り。
【CD1】
プロローグ
1) 前奏曲、「なんだって?」(パオロ、ピエトロ、シモン)
2) 「夜明けにみんな来るだろうか?」(パオロ、コロ、ピエトロ)
3) 「陰気な館を見たか?」(パオロ、コロ、ピエトロ)
4) 「哀れなる父の胸は」(フィエスコ、コロ)
5) 「みんなおれの名を唱えている」(シモン、フィエスコ)
6) 「おお、フィエスコときたら鬼畜のような奴らだ!」(シモン、フィエスコ、パオロ、ピエトロ)
第1幕第1場
7)  前奏曲、「夕闇に星と海は微笑み」(アメーリア)
8) 「星のない夜」(二重唱)(ガブリエレ、アメーリア)
9) 「海の青さをごらんなさい」(アメーリア)
10) 「ああ、何であればいいの?」(アメーリア、ガブリエレ)
11) 「いい潮時においでなすった!」(ガブリエレ、フィエスコ)
12) 「パオロ」「殿」「どうしてひとり離れて」(シモン、パオロ、アメーリア)
13) 「まずしい家のいやしい女が」「娘よ、その人の名を呼んだだけで胸がおどる」(アメーリア、シモン)
14) 「首尾はどうでした?」(パオロ、ピエトロ) 第1幕第2場
15) 「諸君、タルタニアの王は」(シモン、コロ、パオロ、ピエトロ、ガブリエレ、フィエスコ)
16) 「プレーベ!パトリツィ!ポポロ!」(シモン、アメーリア、ピエトロ、パオロ、ガブリエレ、フキエスコ、コロ)
【CD2】
第2幕
1) 「あの2人見えたろ?」(パオロ、ピエトロ、フィエスコ)
2) 「きいたか?」「きたない手だ!」「心に炎が燃える」「恵み深い天よ」(パオロ、ガブリエレ)
3) 「なんという地獄!アメーリアはここに」(ガブリエレ)
4) 「あなたがここに?、アメーリア」(ガブリエレ、アメーリア)
5) 「娘や!」「お悩みなのね、お父さま?」(シモン、アメーリア)
6) 「おお! アメーリア…愛しているな…敵を…」(ガブリエレ、アメーリア、シモン)
7) 「アメーリアよ、許せ」(ガブリエレ、シモン、アメーリア)
第3幕
8) 「総督万歳!」(コロ、キャプテン、フィエスコ、パオロ)
9) 「民衆よ、総督の命により」(射手隊長)
10) 「こめかみが焼ける…」「慰めてくれ、海のそよ風よ」「祭のたいまつの悲しい光」(二重唱)(シモン、フィエスコ)
11) 「泣くともさ、そのわけは、お前が天にかわってわしに語るからだ」(二重唱)(フィエスコ、シモン)
12) 「ああ、あの人が!」「慈悲ぶかい大神よ」(アメーリア、シモン、ガブリエレ、フィエスコ、コロ)
 アバドの同曲の録音として1977年のスタジオ録音(独グラモフォン)が決定的なものと言われている。しかし、キャストを一変したこのライヴ録音も十分に見事な内容だ。ヴェルティのオペラの中でも「低音の魅力」に重きを置いたこのオペラで、男声キャストはいずれも聴きごたえがある。特に主役を張るレナート・ブルゾンの歌唱は、大きくて強いというより、豊かな情感を通わせた深さを感じさせるもので、この物語の主人公像によく合っているだろう。ルケッティは当該役でそれまでカレーラスの代役を務めたこともある。アバドのスタジオ録音盤では、まさにカレーラスがガブリエレを演じているので、比較するのも面白いが、決して劣るとは思えない歌唱力であり表現力である。リッチャレッリのアメーリアも、薄幸を印象付けさせる情感の表出がある。
 アバドの指揮もさすがに卓越しており、緊迫した場面に向けての高まり、重々しい管弦楽のしっかりした響きなどソツがない。
 なお、参考までに有名な聴きどころとしては、フィエコのアリア「哀れなる父の胸は」(CD1の4)、アメーリアのアリア「夕闇に星と海は微笑み」(CD1の7)といったところである。しかし、このオペラは、アリアよりも、全体的な音楽構成という点で、評価される作品だろう。

歌劇「オテロ」
ショルティ指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 ウィーン国立歌劇場合唱団 ウィーン少年合唱団 T: コッスッタ S: プライス Br: バキエ B: モル MS: ベルビエ

レビュー日:2013.1.21
★★★★★ やや粗削りながら、ヴェルディのオペラを力強く表現した録音
 ヴェルディ(Giuseppe Verdi 1813-1901)の歌劇「オテロ」全曲。ゲオルグ・ショルティ(Sir Georg Solti 1912-1997)指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団、ウィーン国立歌劇場合唱団、ウィーン少年合唱団の演奏。1977年の録音。CD2枚組。主な配役は以下の通り。
 オテロ: カルロ・コッスッタ(CarloCossutta 1932- テノール)
 デズデモナ: マーガレット・プライス(Margaret Price 1941-2011 ソプラノ)
 イアーゴ: ガブリエル・バキエ(Gabriel Bacqier 1924- バリトン)  ロドヴィーゴ: クルト・モル(Kurt Moll 1938- バス)
 カッシオ: ペテル・ドヴォルスキー(Peter Dvorsky 1951- テノール)
 エミーリア: ジャーヌ・ベルビエ(Jane berbie1931- メゾ・ソプラノ)
 ロデリーゴ: クルト・エクヴィルツ(Kurt Equiluz 1929- テノール)
 モンターノ: スタッフォード・ディーン(Stafford Dean 1937- バリトン)
 生涯に26のオペラを書いたヴェルディの25作目が「オテロ」であるが、ヴェルディがこのオペラを書きあげたのは、前作「アイーダ」を完成した1870年から16年後の1886年(作曲者73歳のとき)のことである。さらに、この後「ファルスタッフ」という名作を生み出すわけであるが、16年間の沈黙(この間にかの有名な「レクイエム」を書いている)を経て世に放った大作にして傑作と言える。
 シェイクスピア(William Shakespeare 1564-1616)原作の有名なストーリーであるが、一応その概要を書く。主人公のオテロは、アフリカ出身のムーア人(黒人)で、ヴェネツィア共和国の将軍として功績を挙げ、キプロス島の総督となる。しかし、副官カッシオの昇進にいらだつ部下の一人、イアーゴの計略により、オテロはカッシオの地位を解いてしまう。さらにイアーゴの計略により、妻デズデモナとカッシオの仲を危ぶむようになったオテロは、次第にその疑いを深くし、ついには妻を絞殺してしまう。しかし、直後に侍女エミーリアから、すべてイアーゴの企みであったことを打ち明けられ、罪に苛まれたオテロは短剣を自らの胸に突き刺し、妻の亡骸の傍らで絶命する。
 聴きどころとして有名なのは、第1幕最後のオテロとデズデモナによる愛の二重唱「暗い夜の中に "Gia Nella Notte Densa"」(CD1トラック9)、そして第4幕のデズデモナのアリア「柳の歌 "-Piangea Cantando Nell' Erma Landa-"」(CD2トラック17)と、同じくデズデモナのアリア「アヴェ・マリア "Ave Maria, Piena Di Grazia"」(CD2トラック18)が挙げられるだろう。
 ショルティはDECCAレーベルにオテロを2度録音していて、当盤はその「1度目」にあたるものだ。ウィーンフィルからかなりゴツイ音を引き出した感があり、彼とウィーンフィルの録音ではシューマンの交響曲に似たイメージのドライヴだ。ちょっと今の耳で聞くとガサツキが大きく、大雑把な味に響くのだが、このオペラのスペクタクルな一面はよく出ていると思う。歌手陣も力強い感じだが、やや粗さが残っているところがあり、そのあたりで好悪が分かれるところだと思う。

歌劇「オテロ」
ムーティ指揮 シカゴ交響楽団 T: アントネンコ、 S: ストヤノヴァ Br: C.グエルフィ

レビュー日:2013.10.15
★★★★★ ムーティが提示するシンフォニック・スタイルのオテロ
 ヴェルディ生誕200年のアニヴァーサリー・イヤーに当たる2013年、様々な関連ディスクがリリースされているが、本盤も注目すべきものの一つ。ムーティ(Riccardo Muti 1941-)が指揮して2011年に収録したものだ。
 本盤の大きな特徴として以下の一つを挙げたい。
・オペラを主戦とするオーケストラではなく、シカゴ交響楽団というシンフォニー・オーケストラを振っている事。
・オテロとデズデモナの二人の主役に、イタリア人歌手を起用しなかったこと
 これらの点から、ムーティは、このオペラの普遍的な価値を強く打ち出した演奏を目指した、と考えたい。参考までにあらためて配役を書くと以下の通りだ。
 オテロ: アレクサンダー・アントネンコ(Aleksandrs Antonenko 1975- テノール)
 イアーゴ: カルロ・グエルフィ(Carlo Guelfi バリトン)
 カッシオ: フアン・フランシスコ・ガテル(Juan Francisco Gatell 1978- テノール)
 ロデリーゴ: マイケル・スパイレス(Michael Spyres 1979- テノール)
 ロドヴィーゴ: エリック・オーウェンス(Eric Owens 1970- バリトン)
 モンターノ: パオロ・バッタグリア(Paolo Battaglia バス)
 デズデモナ: クラッシミア・ストヤノヴァ(Krassimira Stoyanova 1962- ソプラノ)
 エミーリア: バーバラ・ディ・カストリ(Barbara Di Castri メゾソプラノ)
 オテロとデズデモナは、それぞれラトヴィアの歌手、アントネンコとブルガリアの歌手、ストヤノヴァが担当している。そのため、イタリア・オペラとはちょっと違った風合いを感じる、というのは私の「思い込み」の部分もあるかもしれないが、当演奏を聴いてみると、いわゆるイタリア・オペラの歌唱を形容する大雑把な言葉である「ベルカント」とはちょっと違った、もっと地に足のついたような力強さがある歌唱が表出しているように感じられる。そして、これが実にうまく効いている。落ち着いた劇的高揚感が得られ、いかにも立派な音楽として鳴っているのである。
 また、オーケストラがダイナミックレンジの広い劇的な音響を構築していることから、数あるオテロの中でも、シンフォニックな演奏と言えるものになっていると思う。加えて、多彩な楽器が登場するこのオペラの色彩的な性格も、的確な録音が適度なスケールで捉えていて、例えば1枚目12トラックのマンドリンと合唱の鮮明な響きなど、本録音ならではの魅力と感じる。
 一方で、前述したように、この作品に、いかにもイタリア・オペラらしい雰囲気を求める人には、違和感の残る演奏かもしれない。他の歌手ではイアーゴのカルロ・グエルフィは、個性的な歌唱で、全体的に目立つと言えば目立つが、ちょっと浮いているようにも思う。このあたりも、イアーゴにどんな表情付を望むのかといった「聴く人の好み」で評価は分かれるだろう。
 最後に参考までに作品の解説を付す。オテロは、シェイクスピア(William Shakespeare 1564-1616)原作のストーリーで、その概略は以下のようなものだ。主人公のオテロは、アフリカ出身のムーア人(黒人)で、ヴェネツィア共和国の将軍として功績を挙げ、キプロス島の総督となる。しかし、オテロが、副官カッシオを昇進させたことにいらだつ部下の一人、イアーゴの計略により、オテロはカッシオの地位を解いてしまう。さらにイアーゴの計略により、妻デズデモナとカッシオの仲を危ぶむようになったオテロは、次第にその疑いを深くし、ついには妻を絞殺してしまう。しかし、直後に侍女エミーリアから、すべてイアーゴの企みであったことを打ち明けられ、罪に苛まれたオテロは、自ら短剣を胸に突き刺し、妻の亡骸の傍らで絶命する。
 一般的な聴きどころとして有名なのは、第1幕最後のオテロとデズデモナによる愛の二重唱「暗い夜の中に "Gia Nella Notte Densa"」(CD1トラック8)、そして第4幕のデズデモナのアリア「柳の歌 "-Piangea Cantando Nell' Erma Landa-"」(CD2トラック9)と、同じくデズデモナのアリア「アヴェ・マリア "Ave Maria, Piena Di Grazia"」(CD2トラック10)といったところが挙げられるだろう。
 2013年にリリースされた注目盤の一つであることは間違いないので、ムーティの新しい意図を体験してみたいという方には、是非おすすめ。シカゴ合唱の重々しい存在感もいいですよ。

歌劇「ファルスタッフ」
ショルティ指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 Br: ダム S: セッラ Br: コーニ S: ノルベリ=シュルツ T: カノーニチ MS: リポヴシェク MS: グレアム T: ペグリー

レビュー日:2013.3.21
★★★★★ ファルスタッフの「音楽的な完成度の高さ」を証明する名盤
 ヴェルディ(Giuseppe Verdi 1813-1901)の歌劇「ファルスタッフ」全曲。サー・ゲオルク・ショルティ(Sir Georg Solti 1912-1997)指揮、ベルリン放送合唱団とベルリン・フィルハーモニー管弦楽団による演奏。1993年にライヴ収録されたもの。主な配役は以下の通り。
 ファルスタッフ; ホセ・ヴァン・ダム(Jose van Dam 1940- バリトン)
 アリーチェ; ルチアーナ・セッラ(Luciana Serra 1946- ソプラノ)
 フォード; パオロ・コーニ(Paolo Coni 1957- バリトン)
 ナンネッタ; エリーザベト・ノルベリ=シュルツ(Elisabeth Norberg-Schulz 1959- ソプラノ)
 フェントン; ルカ・カノーニチ(Luca Canonici 1960- テナー)
 クイックリー; マルヤナ・リポヴシェク(Marjana Lipovsek 1946- メゾソプラノ)
 メグ; スーザン・グレアム(Susan Graham 1960- メゾソプラノ)
 カイウス; キム・ペグリー(Kim Begley 1952- テナー)
 「ファルスタッフ」はヴェルディが79歳の時に完成した彼の最後のオペラであり、また生涯に2作しか書かなかった喜劇の一つである。原作はシェイクスピア(William Shakespeare 1564-1616)。以下におおまかな筋を記そう。
 15世紀イングランド。老騎士ファルスタッフは、裕福な二人の夫人アリーチェとメグに恋文を送る。しかし二人は互いに送られた恋文の内容が一緒であったため、ファルスタッフを懲らしめようと画策する。二人の作戦でアリーチェの家に向かったファルスタッフ。しかし、そこにアリーチェの夫フォードが帰宅。計画は急きょ変更し、ファルスタッフは洗濯物と一緒に川に放り込まれる。真夜中のウィンザー公園に呼び出された懲りないファルスタッフは、見ると死ぬと言われる妖精に扮した村人にどつきまわされる。このどさくさで、フォードとアリーチェの娘ナンネッタは念願の恋人フェントンに思いを告げることができる。その喜ばしい結末をしったファルスタッフは心から爆笑し、みんなで歌って大団円を迎える。
 重い悲劇に多くの名作を書いたヴェルディが、最晩年にノリノリで作った傑作喜劇というのが、とにかく存在感がある。また、ショルティがベルリンフィルを振った録音というのも多くなく、そういう意味でも貴重だろう。ライヴではあるが、上演は舞台ではなく、演奏会形式のもので、この点がCDへのメディア化に際しても有利に働いており、録音状態はすこぶる良い。
 有名なアリアとしては、フォードの「これは夢か? まことか?」(E sogno? o realta CD1 トラック14)、フェントンの「喜びの歌はいとしい人の唇から出て」(Dal labbro il canto estasiato vola CD2 トラック10)、ナンネッタの「季節風の息にのって」(Sul fil d'un soffio etesio CD2 トラック12)などがあるが、本オペラの醍醐味は、ヴェルディの辿り着いたオペラにおける緻密な音楽書法にあり、中でも終結に至るフーガに織り込まれた劇は、純音楽的な完成度を併せて誇っている点で圧巻といえる。
 ショルティはベルリンフィルから重厚なサウンドを引き出しており、申し分ない仕上がり。歌手陣も、演奏会形式ということで、歌に専念した記録となっており、この歌劇を音で聴くのに絶好の内容となっている。CDで聴くなら、当盤は理想的といっていいものだと思う。

The Best of DOMINGO
Br: ドミンゴ アバド指揮 マゼール指揮 ジュリーニ指揮 カラヤン指揮 C.クライバー指揮 ボニング指揮 他

レビュー日:2024.6.24
★★★★★ 思わず「黄金期」という言葉を連想してしまう一枚。
 スペインの世界的テノール、プラシド・ドミンゴ(Placido Domingo 1941-)のアリア集で、1971~81年に録音されたものから集められた再編集アルバム。収録曲は下記の通り。
 ヴェルディ(Giuseppe Verdi 1813-1901)
1) 歌劇「アイーダ」 第1幕から「もし私がその戦士であったなら(清きアイーダ)」(Se quel guerrier io fossi!(Celeste Aida)) 1981年録音
2) 歌劇「リゴレット」第3幕から「風の中の羽のように(女心の歌)」(La donna e mobile) 1978年録音
3) 歌劇「ルイザ・ミラー」第2幕から「ああ!自分の目を信じずにいることができたら!(穏やかな夜には)」(Oh! Fede negar potessi(quando le sere al Placido)) 1979年録音
4) 歌劇「仮面舞踏会」第3幕から「おそらく彼女は到着している」(Forse la soglia attinse) 1979-80年録音
 ビゼー(Georges Bizet 1838-1875)
5) 歌劇「カルメン」 第2幕から「お前が投げたこの花は(花の歌)」(La fleur que tu m'avais jetee(Flower Song) 1980年録音
 プッチーニ(Giacomo Puccini 1858-1924)
6) 歌劇「トゥーランドット」第3幕から「誰も寝てはならぬ」(Nessun dorma!) 1981年録音
 フロトウ(Friedrich von Flotow 1812-1883)
7) 歌劇「マルタ」第3幕から「夢のように」(Ach, so fromm, ach, so traut) 1981年録音
 ドニゼッティ(Gaetano Donizetti 1797-1848)
8) 歌劇「愛の妙薬」第2幕から「人知れぬ涙」(Una furtiva lagrima) 1980年録音
 ヴェルディ
9) 歌劇「椿姫」第2幕から「燃える心を」(De' miei bollenti spiriti) 1976年録音
10) 歌劇「仮面舞踏会」第1幕から「今度の航海は無事だろうか」(Di' tu se Fedele) 1975年録音
 オッフェンバック(Jacques Offenbach 1819-1880)
11) 歌劇「ホフマン物語」プロローグから「昔、アイゼナックの宮廷に(クラインザッハの伝説)」(Il etait une fois a la cour d'Eisenach (The legend of Klienzach))
 様々な音源が集められているので、その諸元を書いておく。
1) アバド(Claudio Abbado 1933-2014)指揮、ミラノ・スカラ座管弦楽団との全曲盤から
2) ジュリーニ (Carlo Maria Giulini 1914-2005)指揮、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団との全曲盤から
3) マゼール(Lorin Maazel 1930-2014)指揮、コヴェント・ガーデン王立歌劇場管弦楽団との全曲盤から
4) アバド指揮、ミラノ・スカラ座管弦楽団との全曲盤から
5,7,8) ジュリーニ指揮、ロスアンジェルス・フィルハーモニー管弦楽団とのアリア集から
6) カラヤン(Herbert von Karajan 1909-1989)指揮、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団との全曲盤から
9) カルロス・クライバー(Carlos Kleiber 1930-2004)指揮、バイエルン国立管弦楽団との全曲盤から
10) アバド指揮、コヴェント・ガーデン王立歌劇場管弦楽団との全曲盤から
11) ボニング(Richard Bonynge 1930-)指揮、スイス・ロマンド管弦楽団との全曲盤から
 11)はライヴ録音であるため、アリアの終了とともにブラボーの歓声が上がるほかは、録音的な品質・環境も安定している。11曲中6曲がヴェルディ作品のアリアなので、これらがアルバムの軸を成す構成と言える。
 さて、上記の様に、このアルバムは、ドミンゴの最盛期の録音というだけでなく、巨匠たちが指揮をするそれぞれの録音自体が、名盤として指おられるものたちだ。かつての、という括りを必要としない、現在でも第一級と呼ぶべき録音たちであり、それらから編まれているこのアルバムは、当時のドイツ・グラモフォン・レーベルが抱える豪華なアーティストと、その背景にある音楽録音文化の広大さを感じさせるという意味で、象徴的なものと言っていいかもしれない。「黄金期」というキーワードが思い浮かぶ。
 ドミンゴの歌唱の素晴らしさについては、いまさら私が付け加えるものは何一つない。これがベルカントだ、と言わんばかりの朗々たる力強い響きは、圧倒的で、聴くものを一瞬で引き込んでいく。まして、当盤に収められた名旋律を誇る楽曲たちでは、なおのことである。「おそらく彼女は到着している」「誰も寝てはならぬ」「人知れぬ涙」あたりは何度も聴いたものだが、あらためて素晴らしい。別に所持しているものとの重複も多いのだが、このアルバムの名旋律の羅列は、魅力いっぱいで、聴き手に幸福感を与えてくれるだろう。名指揮者たちのバックが上手いのも、言うまでもない。



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