トゥビン
交響曲全集 トッカータ バレエ音楽「悪鬼」組曲 ヤルヴィ指揮 スウェーデン放送交響楽団 ベルゲン・フィルハーモニー管弦楽団 バンベルク交響楽団 エーテボリ交響楽団 レビュー日:2005.10.23 |
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★★★★★ トゥビンの真価を知らしめる歴史的名盤
エストニアの作曲家、エドゥアルド・トゥビン Eduard Tubin (1905-1982)という作曲が日本でも聴かれるようになったのは、この同じエストニア人の指揮者であるネーメ・ヤルヴィによって録音された交響曲全集による。本全集には4つのオーケストラ(スウェーデン放送交響楽団 ベルゲンフィル バンベルク交響楽団 イエテボリ交響楽団)が起用され、ライヴ録音により、未完の第11番を除く10曲の交響曲が収録されている。また余禄にはトッカータとバレエ音楽「悪鬼」組曲も収められている。 トゥビンは1944年9月当時ナチス・ドイツの占領下にあったエストニアにソヴィエト軍が再度侵攻したおり、スウェーデンに亡命し、そのままスウェーデンで活躍し、ストックホルムで亡くなっている。ゆえに1940年から46年にかけて作曲された第3番から第5番の交響曲は「戦争交響曲」と呼ばれる。 大変馴染みやすいのは第4番で、「抒情的交響曲」の副題通り、大らかな大地と空の無限の広がりを感じさせる荒涼感とともに郷愁豊な天高く聞えて来る鳥の声のような木管がたいへん美しい。第5交響曲は最も深刻な諸相をたたえ、力強さとともに絶望感も感じさせる力の入った作品で、戦争の暗い影が脈々と聴き手に伝えられる。ニールセンの「不滅」ばりの音楽だ。全体にソノリティ、メロディともに美しく、この時代にしては非常に聴きやすく、北欧的な雰囲気が息づいているが、後期の作品には難渋な面も顔を出す。 いずれにせよ、ヤルヴィとBISレーベルの精力的な活動により、これらのトゥビンの真価を伝える楽曲が世界中のリスナーに紹介されたというだけでも、この全集の意義と価値は計り知れないだろう。 |
トゥビン 交響曲 第5番 シベリウス 交響曲 第2番 P.ヤルヴィ指揮 シンシナティ交響楽団 レビュー日:2020.6.1 |
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★★★★☆ 肌合いの暖かい表現で奏でられるトゥビンの交響曲が、親しみやすさをもって響きます
パーヴォ・ヤルヴィ(Paavo Jarvi 1962-)指揮、シンシナティ交響楽団による下記の2作品を収録したアルバム。 1) シベリウス(Jean Sibelius 1865-1957) 交響曲 第2番 ニ短調 op.43 2) トゥビン(Eduard Tubin 1905-1982) 交響曲 第5番 ロ短調 2001年の録音。 シベリウスのメジャーな交響曲と、それほど知られているとは言えないエストニアの作曲家、トゥビンの交響曲というユニークな組み合わせ。アメリカのオーケストラによるトゥビン作品の録音となると、ことさら少ないのではないだろうか。 トゥビンは、その生涯で、10の交響曲を完成させた。それらの交響曲は、パーヴォの父であるネーメ・ヤルヴィ(Neeme Jarvi 1937-)の録音を通じて、世界的に紹介されたと記憶している。私も、ネーメ・ヤルヴィの全集を購入し、この未知の作曲家の作品を楽しんだものだ。トゥビンの10ある交響曲のうち、第3番から第5番までの3曲は、亡命先のスウェーデンで、第二次世界大戦中の1940年から46年にかけて書かれた。そのため、これらは「戦争交響曲」と呼ばれることがある。そのうち第4番と第5番が、トゥビンの代表作として知られる作品である、といって良いだろう。自然描写的な美しさの横溢する第4番に比し、第5番は深刻な諸相を持ち、力強さとともに悲劇性も描写したところがあり、「戦争交響曲」という呼称にふさわしいところがあるだろう。 当時、ネーメ・ヤルヴィはトゥビンを紹介しただけでなく、シベリウスについても、意欲的な新解釈を次々と披露した。私は、当盤を聴くに際して、そのあたりのことを思い出した。 さて、パーヴォ・ヤルヴィは、当盤を聴く限り、父ネーメと比べて、はるかに中庸を重んじて、中央ヨーロッパ的な、暖かい厚みのあるサウンド作りを目指している。シベリウスは穏当な表現で、無理の無い枠の中で活気を作り、スマートに運んでいく。第2楽章はやや速めのテンポでメリハリ感を出しているが、他の楽章はおおむねマイルドといって良い。このスタイルは、のちにパーヴォ・ヤルヴィがパリ管弦楽団と録音した全集でも踏襲されている。ふくよかな音色、内省的なアコースティックの深みという点では、パリ管弦楽団とのものの方が、やや練れた表現を感じさせるのは、指揮者の手腕の変化によるものか、あるいはオーケストラの能力によるものかはよくわからない。とは言え、当シベリウスについては、バランスの取れた良演とは感じるが、もう少し主張のある音楽表現を用いても良かったのでは?というところも残る。 そういった点で、楽曲自体をシベリウスほどには聴きなれていないせいかもしれないが、トゥビンはより成功していると言えるだろう。こちらも父ネーメの解釈に比べると、暖かみがあって穏当という点では共通なのだが、この楽曲がもつインターナショナルな魅力を存分に示したいという意欲が感じられ、それが音色的な面白味として還元されている。聴いていて、演奏が積極的に訴えかけてくるものがあり、それでこそ分かりやすい楽曲という関係性が示されている。両端楽章で聴かれる独奏ヴァイオリンの音色の妙、終楽章の壮麗なティンパニ、起伏に応じた加減速の巧み。それらがあいまって、トゥビンの交響曲第5番という作品の魅力を、余すことなく伝えた感がある。父ネーメ・ヤルヴィのクールな演奏も良かったが、当パーヴォ・ヤルヴィの演奏の方が「馴染みやすい」という感覚を持つ人が多い気がする。 シベリウスの有名な楽曲との組み合わせで、トゥビンの作品の紹介の糸口になることは、当盤の重要な務めの一つに思われるが、当該目的については、ある程度達せられたのではないでしょうか。 |