チャイコフスキー
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交響曲 第1番「冬の日の幻想」 マーツァル指揮 チェコ・フィルハーモニー管弦楽団 レビュー日:2006.1.29 |
★★★★☆ 演奏・録音ともいいのですが・・・
ハイペースで進んでいるズデニェク・マーツァルとチェコフィルによるチャイコフスキーの交響曲シリーズ。今回は第1交響曲である。比較的地味な曲であるが、映画「Toys」に使用された事もあり、聴いてみると、たいへん美しく、親しみ易い曲である。「冬の日の幻想」というタイトルにいちばんぴったりくるのは、第2楽章冒頭の弦の深々としたメランコリックな主題ではないだろうか。 さて、マーツァルの演奏であるが、録音のよさもあって大変充実した響きである。冒頭からオーケストラのシンフォニックな響きは雄大で、金管の連音も壮大でファンタジックだ。その一方で木管の音色はきわめてソフトで、トータルな響きとして深みが出てくる。エクストン特有の近めに聞えるオーケストラ録音も、ここでは吉と出ているだろう。弦楽器陣もしなやかだが、思いのほかアクセントを決めていて、全曲への推進力を供給しているかのようだ。最も素晴らしいのが第1楽章。第3楽章と第4楽章では、聴き手によってはもっと軽やかでとびはねるようなリズムを期待するかもしれない。だが、これはこれでいいだろう。 ただ、いまどき、チャイコフスキーの交響曲第1番だけ、収録時間わずか41分でリリースというのは、いかにも寂しい。星の数を四つとしたのはそういう理由である。せめて、チャイコフスキーの数ある魅力的な管弦楽曲から、何か一つでもカップリングしてリリースしてほしかった。 |
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交響曲 第1番「冬の日の幻想」 アシュケナージ指揮 NHK交響楽団 レビュー日:2009.2.14 |
★★★★☆ アシュケナージ/N響のチャイコフスキー第3弾
2003年6月にNHK交響楽団の音楽監督のポストについたアシュケナージは、2004年から同オケとEXTONレーベルにチャイコフスキー・チクルスを開始した。当盤はその第3弾で、2006年に録音されたもの。 それにしてもEXTONというレーベルは、偶然か意図的かわかないが、同じ楽曲の別の演者によるリリースが多い。もちろん、かつてのように同じレーベルから同じ時期に同じ曲の発売を避けるという傾向は、多様化の現代には合わないが、チャイコフスキーのシンフォニーにしてもマーツァル、小林研一郎と並行してしまっている感が無きにしも非ずといったところ。 例えそうにしても、まだ初期のチャイコフスキーの交響曲を録音していなかったアシュケナージのこのレパートリーの開拓には興味が沸いた。聴いてみると、NHK交響楽団というオーケストラの特性に即した演奏と感じられた。声部の受け渡しや、細かい音色に重点を置いている。私はチャイコフスキーの交響曲第1番が大好きなのだが、このメルヘンチックな第2楽章で、楽器の移り変わりそのものにこれほど気を引かれた演奏はなかった。逆に言うと、そのリアリズムの徹底ぶりが、曲の幻想性を低くしているとも思える。昔からこの曲に馴染んでいた人には、ちょっと異質に聴こえる録音かもしれない。しかし、リズム感や適度な跳ね返りは好ましく、むしろ録音をもう少し軟焦点気味にしても良かったのではないかと思うが、これはこのシリーズ全般を通した傾向であり、致し方ないだろう。 それにしても、このシリーズは基本的にCD1枚に交響曲1曲ずつという贅沢な「つくり」になっている。当盤も収録時間はわずか42分弱。もう少し廉価にしていただけると、納得できるのだけれど。。。 |
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交響曲 第1番「冬の日の幻想」 バレエ組曲「くるみ割り人形」 op.71a アバド指揮 シカゴ交響楽団 レビュー日:2015.7.10 |
★★★★☆ アバドらしい洗練された表現が魅力のチャイコフスキー
アバド(Claudio Abbado 1933-2014)が1984年から1991年にかけてシカゴ交響楽団と録音したチャイコフスキー(Pyotr Ilyich Tchaikovsky 1840-1893)の交響曲全集のうち、いちばん最後の1991年に録音されたのが当アルバム。収録内容は以下の通り。 1) 交響曲 第1番 ト短調 op.13「冬の日の幻想」 2) バレエ組曲「くるみ割り人形」 op.71a (小序曲、行進曲、金平糖の精の踊り、ロシアの踊り(トレパック)、アラビアの踊り、中国の踊り、葦笛の踊り、花のワルツ) 第1交響曲とくるみ割り人形という組み合わせは、なかなか洒落た味わいを醸し出す。楽曲として有名なのは圧倒的にくるみ割り人形で、しかもこの組曲は、誰もが知っている舞曲が6曲も続くのだけれど、若きチャイコフスキーのメロディ・メーカーとしての才能がいち早く示された第1交響曲の旋律美も素晴らしいものだし、この作品にはチャイコフスキーが終生関わったロシア民謡の引用も色濃いから、アルバムを通して聴いたときに、その鮮烈な情緒が心象に残るのである。しかもこれら両曲は、いずれも北国の冬の描写という標題性を宿しているから、そういった意味でも関連性が強い。 アバドがこの曲を録音したときは、すでに他のチャイコフスキーの5つの交響曲を録音した後だったから、表現もいずれもとても洗練されていて、とてもスマート。くるみ割り人形の舞曲など、インテンポでサクサクと進んでいくのだけれど、それでいて情緒が香るので、とても清廉な美観が漂っているのだ。 管弦楽の機能美も見事で、どの瞬間も濁りがなく、音の拡縮もとても直線的でシャープな肌合い。そのことが洗練を感じさせ、チャイコフスキーの土俗性を中和するのだ。逆に言うと、人によってはそこに物足りなさを感じるのかもしれない。チャイコフスキーにしては、全般にフラットな印象というところはあるだろう。 第1交響曲は、「霧の土地」の副題をもつ第2楽章の瑞々しい旋律美が、とてもクリアに表現されているところが、いかにもアバドの解釈であると感じさせる。透明なノスタルジーを湛えたカンタービレに「優しさ」という感情を受け取る様に思うのは、私だけではないだろう。その一方で、両端楽章の前進する力に満ちた輝かしい表現もまた好ましいもの。 チャイコフスキー特有の土臭さのようなものが抜けすぎているというところもあるけれど、現代の洗練を感じさせる解釈として、一つの模範像を示した演奏だと思う。録音も優秀。 |
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交響曲 第1番「冬の日の幻想」 第2番「小ロシア」 第5番 ペトレンコ指揮 ロイヤル・リバプール・フィルハーモニー管弦楽団 レビュー日:2019.8.7 |
★★★★★ 指揮者とオーケストラの蜜月を示す、練り上げられたチャイコフスキー
ワシリー・ペトレンコ(Vasily Petrenko 1976-)指揮、ロイヤル・リヴァプール・フィルハーモニー管弦楽団による、チャイコフスキー(Pyotr Tchaikovsky 1840-1893)の交響曲3曲を、以下の様にCD2枚に収録したアルバム。 【CD1】 1) 交響曲 第1番 ト短調 op.13 「冬の日の幻想」 2) 交響曲 第2番 ハ短調 op.17 「小ロシア」 【CD2】 3) 交響曲 第5番 ホ短調 op.64 2014年の録音。 ペトレンコとロイヤル・リヴァプール・フィルによるチャイコフスキーと言うと、2009年にグラモフォン賞の管弦楽部門賞を授賞した「マンフレッド交響曲」(2007年録音)が鮮烈に印象にあるが、それから7年を経て、番号付きの交響曲に取り組んだことになる。この間に彼らはショスタコーヴィチ(Dmitrii Shostakovich 1906-1975)の交響曲全集に取り組み、見事に完成させ、世界的に高い評価を得るに至っている。 果たして、この当盤も、指揮者とオーケストラの意思疎通が発揮され、入念な音色とリズムで構成された、完成度の高いものとなっている。 交響曲第1番は活力に満ちた早目のテンポを主体とし、木管や、スタッカートの表現に濃い色彩感を感じさせ、ことに第1楽章の躍動感は魅力に溢れている。第3楽章のティンパニの効果も鮮やかだが、終楽章の民謡から採取された主題の濃厚な表現、そして行進曲を思わせる前進の力強さは闊達で聴き手を惹き込んでいく。また、旋律を支える合奏音の連音の歯ごたえも見事なものがある。 交響曲第2番も同様で、ウクライナ民謡を奏でる情感豊かなホルンが印象的な第1楽章、早目に推移する中できれいに楽想を描き出した第2楽章、雰囲気豊かなスケルツォと、いずれも充実した出来栄え。華やかな終楽章では、オーケストラの合奏音のシンフォニックな整いに感動させられる。 交響曲第5番では、この曲の命運を握る主題を提示するクラリネットの深い響きが絶妙であり、その価値づけの大切さを思い知らされるが、その後も明敏なアクセントを用いて、コントラストのはっきりした音像を築き上げることで、この交響曲の骨格がしっかりと立ち現れる感触があり、その凛々しさが最大の魅力と思う。中間楽章の抒情性も魅力だが、華やかでも決してうるさく響かない終楽章に、この指揮者とオーケストラの蜜月を感じ取る。 いずれの楽曲も現代的な洗練をきわめながら、情感、情熱、構造性を的確に表現したもので、万全の演奏といったところ。彼らのマンフレッド交響曲を聴いて心を動かされた人であれば、その感慨はより確かに伝わるであろう。 |
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交響曲 第2番「小ロシア」 ハープサルの思い出(「城の廃墟」「スケルツォ」「無言歌」) アシュケナージ指揮 NHK交響楽団 p: アシュケナージ レビュー日:2009.2.14 |
★★★★★ アシュケナージ/N響のチャイコフスキー第5弾
2003年6月にNHK交響楽団の音楽監督のポストについたアシュケナージは、2004年から同オケとEXTONレーベルにチャイコフスキー・チクルスを開始した。当盤はその第5弾で、2007年に録音されたもの。 当盤にはこれまでのシリーズにはない大きな特徴がある。それは交響曲第2番「小ロシア」と合わせてチャイコフスキーのピアノソロ曲「ハープサルの思い出」がアシュケナージのピアノにより収録されていることである。これまで、交響曲1曲毎に1枚のディスクに収めてきたのだけれど、それにしても交響曲第2番では30分ちょっとの作品だし、さすがにそれだけというわけには行かなかったのだろう。 とはいえ、フアンにとってはまさに望外の喜び以外の何物でもない。このピアノ曲は1867年の作品で、チャイコフスキー27歳の作品ということになる。ハープサルは作曲者に縁のあるエストニアの海岸の町の名前。聴いてみると楽曲自体がたいへん美しく、チャイコフスキーのピアノ作品では比較的有名な「四季」と比べても旋律の魅力自体で劣る作品ではないと思う。アシュケナージの淡い情感を込めた品格漂うピアニズムがノスタルジーをほのかに漂わせ、素晴らしい雰囲気をかもし出す。記憶の中の風景で、光が交錯するのようなピアノ。 交響曲第2番も良演。当シリーズの他の録音と同様に全体のシンフォニックなサウンドより、各楽器の音色を一つ一つ出していってその連携で音楽を紡いでいく。第1楽章では普通は裾野を広げるように鳴るクライマックスでむしろ歩みを速めて収束感を出しているのが秀逸で、演奏の意図を集約している。終楽章の活き活きとした表情付けもこの曲の帰結に相応しい。 |
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交響曲 第2番「小ロシア」 イタリア奇想曲 ヤンソンス指揮 オスロ・フィルハーモニー管弦楽団 レビュー日:2013.7.29 |
★★★★★ 清涼感に溢れ、スキッと凛々しいチャイコフスキー
マリス・ヤンソンス(Mariss Jansons 1943-)指揮、オスロフィルハーモニー管弦楽団の演奏によるチャイコフスキー(Pyotr Ilyich Tchaikovsky 1840-1893)の交響曲第2番「小ロシア」と「イタリア奇想曲」。1985年の録音。 チャイコフスキーは6曲の番号付交響曲と、番外編ともいえる「マンフレッド交響曲」の全7曲の交響曲を書いた。中で3大交響曲よ呼ばれる第4番、第5番、第6番の3曲については往年からの人気曲であり、LP時代から数多くの録音があった。その後、マンフレッド交響曲にも録音が多く出るようになり、最近では、第1番から第3番までの3曲についても、評価が高まり、いろいろな録音が登場するようになってきた。 それで、このヤンソンスの実に魅力的な録音も、CD初期にあって、このシンフォニーのステイタスの向上に一役買ったものだったと思う。実際、今聴いてみても、本当に素晴らしい内容で、心行くまでチャイコフスキーの音楽を楽しめることができる。 「小ロシア」というタイトルはウクライナのことで、チャイコフスキーはウクライナの引用を巧みに用いてこの明朗な作品を書いた。チャイコフスキーの7曲ある交響曲の中で、最も衒いの無い、幸福感に満ちた快活な音楽となっている。そういった点で、本アルバムは、これまた楽しい限りの管弦楽曲「イタリア奇想曲」が併録されており、幸せな高揚感に満ちた、健康明朗なアルバムといった感がある。 それにしても、この交響曲第2番という作品は、あらためてヤンソンスの演奏で聴いてみると、なんていい作品なんだろう、と思ってしまう。第1番も素晴らしいメロディの宝庫だったが、この第2番では一層リズム感に満ちた展開があり、かつ安易に憂愁には陥らない一種の凛々しさのようなものも漂っている。チャイコフスキーの交響曲の中では、最も演奏時間の短い作品であるが、そのコンパクトな端正さが好ましいとさえ思う。 ヤンソンスの演奏では、清冽な抒情を宿した第1楽章も良いが、運動的な第3楽章、開放感に溢れる第4楽章がことさら素晴らしい。これらの楽章では、はしゃぎ過ぎると、大仰さが顔を出し、時として聴いていて付いていけないようなところが生じるのだけれど、ヤンソンスのキリッと引き締まった音響のデザインと、清々しいアンサンブルは、清涼感にみちた生命力に満ちていて、自然な若やぎに満ちている。特にピッコロ、フルートといった木管楽器と、弦楽器陣の絶妙のハーモニーは爽快だ。 「イタリア奇想曲」も素晴らしい。冬の厳しいロシアにあって、イタリアを漠然と想起するときの、溢れるようなエネルギーを見事に表現している。チャイコフスキーのメロディストとしての才覚が、惜しげもなくつぎ込まれた名管弦楽曲であり、クラシックの世界では「初心者向け」的扱いを受ける曲(それも大事なのだが)だけれど、あらためて聴いてみて、その構えることない豊かな楽想に酔わされた。チャイコフスキーを堪能できる一枚と言っていい。 |
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交響曲 第2番「小ロシア」 幻想序曲「テンペスト」 アバド指揮 シカゴ交響楽団 レビュー日:2015.7.14 |
★★★★☆ 幻想序曲「テンペスト」が素晴らしい演奏です
アバド(Claudio Abbado 1933-2014)指揮、シカゴ交響楽団の演奏による1984年録音のアルバム。チャイコフスキー(Pyotr Ilyich Tchaikovsky 1840-1893)の以下の2作品を収録。 1) 幻想序曲「テンペスト」 op.18 2) 交響曲 第2番 ハ短調 op.17「小ロシア」 アバドがシカゴ交響楽団と録音した一連のチャイコフスキー・シリーズの中の1枚。作品番号が隣り合う2曲を収録した形。 チャイコフスキーは「幻想序曲」の名を持つ管弦楽曲を3曲書いており、いずれもシェイクスピア(William Shakespeare 1564-1616)文学にその題材を求めている。最も有名なのが「ロメオとジュリエット」で、他に当盤に収録された「テンペスト」、それと「ハムレット」がある。形式的に似通っている「フランチェスカ・ダ・リミニ」は、単に「幻想曲」と称され、区分されているが、いずれも内容的には交響詩に分類されるものだろう。 「ロメオとジュリエット」が傑作なのは間違いないが、私はこの「テンペスト」という作品もとても良い曲だと思っていて、とくに序盤の嵐が訪れる前の緊張感を描いた部分に、チャイコフスキーの他の作品ではそれほど見られないパーツの多様さにとても興味を覚える。更に嵐に伴う難破の描写、ミランダを表現した甘美な旋律などもチャイコフスキーの優れた管弦楽書法と、メロディストとしての才能を良く示したものだと思う。 さて、このアバドの演奏が良い。アバドの録音した一連のチャイコフスキーの中で、私はこの「テンペスト」が一番成功していると感じる。様々なフレーズを厳しく制御した上で、楽器の音色を細やかに描き分け、劇的な力強さと精緻な美観の双方を高いレベルで結びつけた演奏だと思う。シカゴ交響楽団のスペックがあってこその演奏とも言えるだろう。とくに金管の低音の迫力が凄い。 それに比べると、交響曲第2番は良演、といったところだろうか。気になるのは終楽章のテンポの速さで、全体に音楽の重心が高くなることで、やや滑る様な印象になる。スピード感はあるのだけれど、この交響曲の終楽章として、ややすわりの悪さに繋がってはいないだろうか?。全曲を通して明るく軽やかな音色であるのはいいが、安定感を持った響きで締める要所を設けない軽やかさが、交響曲としての機序をやや弱めているように思う。金管の力強い響き、木管の細やかな美しさはあちこちに感じられるし、健やかな抒情性の発露には天分のものを感じ取るが、その一方で、前述の理由から、全曲を聴き終えたとき、どこか曲の中心がはっきりしなかったような印象も残ってしまう。 ということで、私としては当盤の推薦は「テンペスト」ということで・・。 |
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交響曲 第2番「小ロシア」 1872年初版の第1楽章 プレトニョフ指揮 ロシア・ナショナル管弦楽団 レビュー日:2015.8.28 |
★★★★☆ チャイコフスキーの第2交響曲第1楽章を、「オリジナル版」と「現行改訂版」で比較して楽しめます
チャイコフスキー(Pyotr Il'yich Tchaikovsky 1840-1893)は1872年に交響曲第2番を作曲した。この作品は、終楽章のロシア民謡「鶴」の主題をはじめ、ロシア・ウクライナ地方の旋律を引用し、さらに同時代のロシア5人組の技法なども参考にしながら、チャイコフスキーらしいヨーロッパ伝統的な管弦楽書法によりまとめられていた。初演では、新しいスラヴが生んだ魅力的な交響曲を聴衆は歓迎し、五人組をはじめとする同時代の芸術家たちも若き異才の出現を歓迎したという。しかし、チャイコフスキーは自身の作品に満足できなかった。特に第1楽章では、様々な要素を詰め込み過ぎた感があり、いわゆる西欧の主流の交響曲と比較して、完成度において劣る面を看過できなかった。はたしてチャイコフスキーはスコアの改訂に着手。1880年に改訂稿が完成した。現在、演奏されるのはほとんどの場合この1880年の改訂稿である。 しかし、一方でこの改訂を惜しむ人物もいた。その代表がタネーエフ(Sergei Taneyev 1856-1915)で、彼はオリジナル版の方が優れている、と断言している。しかし、チャイコフスキーは、この交響曲は改訂稿によって演奏されるべきであると結論付け、現代でもそのようにされている。 当盤はプレトニョフ(Mikhail Pletnev 1957-)指揮ロシア・ナショナル管弦楽団によるチャイコフスキーの交響曲全集チクルスの中で2011年に録音されたものだが、上記の点を踏まえて、面白い音源がフィルアップされている。 1) 交響曲 第2番 ハ短調「小ロシア」op.17 2) 交響曲 第2番 ハ短調「小ロシア」op.17 より 第1楽章(1872年初版) チャイコフスキーの改訂は圧倒的に第1楽章を中心に行われている。当盤における演奏時間は改訂版の第1楽章が10分56秒であるのに対し、オリジナル版は16分04秒であり、この点だけでもいかに改訂が大ナタを振るったものであったかがわかる。第1楽章は改訂前はAndante sostenuto - Allegro comodoであったのが、改定後はAndante sostenuto - Allegro vivoに変化した他、改定により様々な展開はより簡潔なものとなり、情緒を増すとともに進展力を妨げることも招きかねなかった様々な経過句は一掃された。この処理により、たしかに交響曲は、古典的な形式美を保つこととなったが、しかし独自の浪漫性をも薄めているだろう。なにより、第1楽章が10分程度というのは、他のチャイコフスキーの交響曲と比べてもかなり短い印象だ。楽章毎のタイミングを見ると、オリジナル版の方がいかにもチャイコフスキーらしく思える。 そのような違いを鮮明にし、比較を楽しませてくれるのが、当プレトニョフ盤の最大の魅力だろう。演奏は全体的に普遍的正統的な解釈に終始したもので、強い特徴はないが、上記の比較のためには、そのような演奏が適切だろう。中にあってスケルツォ楽章の運動美は、いかにもピアニスト出身の指揮者らしい運動的な感性に満ちている。 録音は、Pentatone Classicsにしては今一つで、特に強奏に若干のこもりが感じられるところが残念。それでも、このレベルの演奏で、オリジナル版と現行版の第1楽章が比較できるという試みは素晴らしく、私は歓迎したい。 |
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交響曲 第2番「小ロシア」 第4番 パーヴォ・ヤルヴィ指揮 チューリッヒ・トーンハレ管弦楽団 レビュー日:2021.6.2 |
★★★★★ 落ち着いて細部まで作り込んだチャイコフスキー
パーヴォ・ヤルヴィ(Paavo Jarvi 1962-)指揮、チューリッヒ・トーンハレ管弦楽団によるチャイコフスキー(Pyotr Tchaikovsky 1840-1893)の交響曲シリーズの第2弾で、下記の2曲が1枚のCDに収録されている。 1) 交響曲 第2番 ハ短調 op.17 「小ロシア」 2020年録音 2) 交響曲 第4番 ヘ短調 op.36 2019年録音 いずれもスタジオで収録されている。私は、第1弾にあたる第5番のアルバムを現時点でまだ聴いていないので、彼らのチャイコフスキーを当盤で初めて聴いた。 印象は、丁寧に練り上げられた演奏、である。彼らが作り出す音は、いかにも中央ヨーロッパふうの、中音域にゆたかな厚みと幅のあるものであり、音楽の流れはつねに豊かである。パーヴォ・ヤルヴィの演奏は、落ち着いたテンポ、ややゆっくり目を主体としたもので、攻撃的なものは少なく、これらの2つのシンフォニーを、シックで暖かなタッチで描きあげている。中庸の美を湛えたチャイコフスキーと表現しようか。 交響曲第2番は、冒頭の管弦楽の和音から、あえてすこしタイミングをずらしたような幅を与え、縦線にそこまでこだわらない演奏スタイルをただちに宣言する。続くホルンの郷愁は、深みのある音色で、これから紡がれる音楽の暖かみを伝える。そして、その印象を裏切らない展開となる。ヤルヴィの芸は細かく、様々なフレーズが陰影をともなって、曲想を彩っており、楽しい。この楽曲はウクライナの民謡の主題が転用されていることでも有名だが、当演奏は、よりインターナショナルな普遍性を目指しており、洗練への芸術的手続きを感じさせる。特に終楽章は、ゆたりとしたテンポで、柔らかな広がりのあるトーンが満ちており、幸福感をもって奏でられる。 交響曲第4番も同様で、悲劇的諸相を強調するのではなく、シンフォニックで暖かな響きを作り上げ、丁寧なフレージングが活きる穏当なテンポが採用される。第1楽章では、弦楽器のパッセージの細やかな強弱の演出がくっきりと示されている。そのため、全体的な勢いという点では、さながらエンジンブレーキを掛けながらの安全運転といった感じで、力点が違うということがわかる。とはいえ、すべての楽器の融和した響きに支えられたクライマックスは、自然発揚的なエネルギーだけで、十分な燃焼性を示しており、美しい。第2楽章ではしなやかなカンタービレが忘れがたいが、ことにクライマックスで開放されるのびやかな情感は魅惑的だ。 全般に、中央ヨーロッパを代表する名門オーケストラらしい、充実したサウンドを、暖かくやわらかなタッチで堪能できる内容となっている。 |
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交響曲 第3番「ポーランド」 アシュケナージ指揮 NHK交響楽団 レビュー日:2009.2.14 |
★★★★☆ アシュケナージ/N響のチャイコフスキー第2弾
アシュケナージがNHK交響楽団の音楽監督に就任した2003年6月からEXTONレーベルに様々な録音を行ってきたが、チャイコフスキーの交響曲全集シリーズとしては第4番の方が最初にリリースされた。しかし、録音はこの第3番の方が一日だけ早かった。ロシア・シンフォニズムを代表する名作である第4交響曲をリリースの頭に持ってきたという判断だろうけれど、むしろこのシリーズの方向性としては第3番を最初にした方が、性格付けが出来てよかったのではないだろうか・・・。 というのは、アシュケナージがNHK交響楽団と作り上げるチャイコフスキーの音色が雄大なシンフォニズムというより緊密な、言ってみれば室内楽的とも言える精緻な手法を用いていると思われるからだ。であれば、第4番のような壮大な曲より、瀟洒でバレエ音楽の雰囲気を残し、しかも弦の明朗に響くニ長調という超古典的な調性を持った第3番の方が典型的に向くと思えるからだ。 第3番は「ポーランド」と称される。これは終楽章(第5楽章)にポロネーズを用いているからだが、特にポーランドの印象を音楽化したものではい。華やかさと感傷性の同居した曲は交響曲としての統一したイメージとはちょっと異なる。第3楽章のアンダンテを挟みその両側はスケルツォという構成は、聴いてみるとむしろバレエの組曲のようだ。終楽章は人によっては「白鳥の湖」の一場面を彷彿とさせる。 この演奏からはアシュケナージの曲に対する深い共感を感じるように思える。溌剌としたリズム、明晰な音型の処理で各楽章の風景を鮮やかに描いている。あちこちにある典雅で小さな起伏がたいへん心地よい高揚を持って好ましく表現されている。 しかし、この第3交響曲だけの収録でCD一枚というのは、寂しい(収録時間43分)。このシリーズは全部そうなのだけれど、例えばこれに弦楽セレナーデでもカップリングしてくれたらどんなに魅力的なアルバムだっただろう、と思ってしまう。 |
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交響曲 第3番「ポーランド」 祝典序曲「1812年」 アバド指揮 シカゴ交響楽団 レビュー日:2015.7.27 |
★★★★★ アバド/シカゴ響のチャイコフスキーで特に成功している第3番
アバド(Claudio Abbado 1933-2014)指揮、シカゴ交響楽団の演奏で、以下のチャイコフスキー(Pyotr Ilyich Tchaikovsky 1840-1893)の楽曲2曲を収録。 1) 交響曲 第3番 ニ長調 op.29 「ポーランド」 2) 祝典序曲「1812年」 op.49 1990年の録音。 1984年から1991年にかけて録音されたチャイコフスキーの交響曲全集の中の1枚だが、個人的にはこの全集中で、第3番が一番良かったと思う。 交響曲第3番はニ長調という古典的な調性を持ちながら、5楽章構成という変則的な形態。チャイコフスキーの交響曲の中でも異質な作品で、ロシアのメランコリーというより、平和的で自然賛歌的な大らかさに満ちている。旋律的な魅力が、他の楽曲に比べると劣るところがあるため、録音という点では、一番機会に恵まれない、それこそ全集を録音しない指揮者が取り上げることは少ないだろう。 しかし、アバドの演奏はそのようなこの交響曲の劣勢ぶりをまったく感じさせない。生き生きとしたアレグロ、生命力に溢れた管弦楽の色彩、特にピッコロとフルートの鮮やかに浮き立つ音色は、この楽曲もまた魅力十分な作品であることを示している。 テンポの爽快な速さも特徴で、前述のアレグロ部分の他、ポロネーズを用いた祭典的な終楽章が実に楽しい盛り上がりを見せる。衒いのない音楽の進行と、適度に引き締まった管弦楽の響きは、この作品の明るいバレエ的な楽しさを、十二分に演出してくれる。一気に終結まで聴かせてくれる明朗さが良い。 他方、祝典序曲「1812年」は、楽曲が楽曲なだけに、もっとはっちゃけた感じがあっても良かったのではないかと思う。ヨーロッパ的なサウンドでまとまっているが、そもそもそれほど真面目さを感じる作品というわけでもなく、「楽しんじゃえ」的なものをもっと出しても良かったかな。大砲の重々しい響きは、まあまあよく録れている方。 録音は全般に高音域の伸びが良く、明るめ、軽めにまとまっています。この方向性も、交響曲第3番にはとてもフィットするでしょう。 |
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交響曲 第3番「ポーランド」 第4番 第6番「悲愴」 ペトレンコ指揮 ロイヤル・リバプール・フィルハーモニー管弦楽団 レビュー日:2019.8.31 |
★★★★★ 卓越した処理能力で、鮮烈な感覚美を備えたチャイコフスキー
ワシリー・ペトレンコ(Vasily Petrenko 1976-)指揮、ロイヤル・リヴァプール・フィルハーモニー管弦楽団による、チャイコフスキー(Pyotr Tchaikovsky 1840-1893)の交響曲3曲を、以下の様にCD2枚に収録したアルバム。 【CD1】 1) 交響曲 第4番 ヘ短調 op.36 2) 交響曲 第3番 ニ長調 op.29 「ポーランド」 第1,2楽章 【CD2】 3) 2)の続き 第3~5楽章 4) 交響曲 第6番 ロ短調 op.74 「悲愴」 2015年の録音。 2014年録音の第1,2,5番を収録したアルバムと併せて、当盤により全集が完結した形になる。 前作に続いて、とても高い完成度を示す録音。全体的に、早目のテンポで引き締まった外躯を持っているが、クールでありながら、熱的な要素を併せ持ち、その熱血的な部分は、さながら青白い炎を思わせる鋭さを感じさせる。 交響曲第4番では、まず冒頭のハリのある豊かなファンファーレで、この演奏への注意をたちまち喚起させられるが、以降自然なぬくもりを感じさせる合奏音をバックに、快適なテンポで切れ味よく進む演奏はなるほど魅力的だ。第2楽章ではオーボエの憂いが心に残り、第3楽章では華やかな色彩感が見事。終楽章は一気果敢な勢いで、鮮やかに全曲を結ぶ。 交響曲第3番は、チャイコフスキーの交響曲の中でもっとも人気がなく、演奏も難しいが、当録音は強く成功を感じさせる内容だ。第2楽章と第4楽章に舞曲とスケルツォを持つ独特の5楽章構成だが、ペトレンコの指揮は、リズム処理が明快。そのリズムにのって、細やかなテクスチャーが輝かしく配置されている。第2楽章のフルート、第3楽章のファゴットも魅力いっぱいで、このあたりはオーケストラの技量の高さを存分に感じさせるところだ。巧妙な配色とテンポで、リピート時のフレーズも色あせることはない。これは、とても聴きごたえのある第3交響曲の録音だ。 悲愴交響曲も隅々まで神経を行き渡らせた演奏で、冒頭のファゴット、アレグロに入ってからのスピーディーなさく裂感など、印象に残る。人によっては、清々し過ぎると感じられるかもしれないが、シンフォニックな幅を持ったサウンドは、その内面的な美しさを十分に聴き手に伝えていると思う。終楽章に壮麗なクライマックスを感じさせるのも、当演奏の特徴であろう。 録音、オーケストラ技術ともに水準が高く、ペトレンコの知的統率により、全編から感覚的な美観を感じさせる見事なチャイコフスキーであると思う。 |
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交響曲 第4番 交響的バラード「地方長官」 インバル指揮 フランクフルト放送交響楽団 レビュー日:2005.1.13 |
★★★★★ 有名曲の存在感ある録音
1878年に初演されて以来、世界中のオーケストラの重要なレパートリーとなっているチャイコの3大交響曲(第4、第5、第6)は楽曲の規模などが適切だったこともあり、LP時代からベートーヴェンに負けないくらいの数多くの録音がなされた。 冒頭のファンファーレは「過酷な運命の動機」であり、それに対峙する悲しげな切ない第2主題は「運命から逃避した甘い夢」である。全曲を通してこの対比がドラマティックに描かれロシアの郷愁で描かれる、はずだがインバルの解析的名演はそこに一石投じた解釈。 たいへん客観的でバランスに配慮し、「甘い夢」も「過酷な運命」も強調しない。それでいて金管の立体的な彫像は見事だ。全篇を通して音色が澄んでおり、純音楽的で器楽曲としてのクオリティがとても高く感じられる。インバルのチャイコフスキー・シリーズではこの第4の録音を1番に推したい。 併録されている交響的バラード「地方長官」はポーランドの詩人アダム・ミツキエヴィッチ(1798-1855)原作のバラードを、プーシキンがロシア語に訳したものに心を動かされたチャイコフスキーが交響的バラードとして作品にまとめあげたもの。原作の内容は、権勢を欲しいままにした地方長官が、力づくで奪った妻が、かつての恋人と逢い引き中なのを発見し、部下のコサックに銃で撃つように命じるがコサックは地方長官の頭を打ちぬくというもの。チャイコ自身は「大変な駄作」と言っていたが楽しめる作品で、インバルの演奏はこの曲の代表的名演となっている。 |
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チャイコフスキー 交響曲 第4番 ベートーヴェン ピアノ協奏曲 第5番「皇帝」 ベーム指揮 チェコ・フィルハーモニー管弦楽団 p: ギレリス レビュー日:2008.2.28 |
★★★★☆ チャイコフスキーが圧倒的な名演です
カール・ベームがチェコ・フィルを指揮した1971年のライヴを収録。収録曲はベートーヴェンのピアノ協奏曲第5番(ピアノ:ギレリス)とチャイコフスキーの交響曲第4番。 ここでの「聴きもの」はなんといってもチャイコフスキーである。カール・ベームのレパートリーはモーツァルト、ベートーヴェン、シューベルト、ワーグナー、ブルックナー、ブラームス、R.シュトラウスといった独墺の作曲家が中心である。私もカール・ベームという指揮者には「典型的な独墺巨匠」というイメージがあり、チャイコフスキーについては晩年にロンドン交響楽団と3大交響曲をスタジオ録音してはいたけど、間違ってもメインという印象はない。 しかし、ここで聴くチャイコフスキーは素晴らしい。ベームは、曲想の「激しさ」に、畳み掛けるような切迫感をもって応えていて、まさに全身全霊を込めた迫真の演奏となっている。冒頭、ほの暗く、しかし屹立としてはるかな孤高を感じさせるファンファーレから、やや早めのテンポでグイグイ曲を引っ張っていく。巨匠の力感がビシビシ伝わってくる。ティンパニ、金管の呼応も凄まじく、緊張感の高まりとともに勢いを増す加速感も見事。そしてききての鼓動を高めるようなクレシェンドのリアルさ。第1楽章のフィナーレの決然たる音楽の輪郭も得難いものだ。第2楽章は暗い運命を潜ませた憂いが表出されるし、第3楽章の転換と帰結もスピーディーで決まっている。終楽章では喜びの開放が得られるが、そこでも暗く刺す「暗い予兆」が見事な陰影を与える。弦のうねりもエネルギーに満ちていてまさに壮観だ。 それに比べるとベートーヴェンは今ひとつ。私は従来からギレリスのピアノがあまり理解できないが、ここでも面白みにかける演奏。象が鍵盤に飛び乗ったのかと思うようなフォルテシモを連発するが、技術的なほころびが多いし、音楽的な美観に不足している。「色気」の要素がまったくない。オーケストラは好演だと思うが、個人的にはCD化はチャイコフスキーだけでよかったのではないか、と思った。というわけで、チャイコフスキーだけなら星5つだったが、こちらも含めて、となるので星4つ。あと録音状況も大味で、あまり良いとは言えない点が残念。 |
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交響曲 第4番 アシュケナージ指揮 NHK交響楽団 レビュー日:2009.2.14 |
★★★★☆ アシュケナージ/N響のチャイコフスキー第1弾
アシュケナージがNHK交響楽団の音楽監督に就任した2003年6月からEXTONレーベルに様々な録音を行ってきたが、チャイコフスキーの交響曲全集はこの第4番が最初にリリースされた。録音は第3番の方が一日だけ早かったのだが、やはりシリーズの開幕には、第3番よりロシア・シンフォニズムを代表する名作である第4交響曲の方がいいという判断からだろう。 アシュケナージの演奏スタイルであるが、熱しすぎないチャイコフスキーであり、NHK交響楽団の特性を活かして内省的な表現を重視している。録音も細部にきめこまかに焦点をあてて明晰なものとなっているが、ホールトーンは抑え目で、響きは硬い印象がある。第1楽章は緊密なバランス感覚に裏打ちされた表現であるが、表面にごっつい部分を残しており、そのリアルさが徹底され過ぎているようにも感じられる。あるいはマスタリングの段階で、もう少し柔らかめにした方が、響き自体は親しみやすいのではないだろうか。第2楽章の有名なアンダンテでは淡々たる憂鬱が自然に流れていて美しい。第3楽章のピチカートと木管の掛け合いは鮮明な録音が良い方向に作用し、効果的な音響になっている。第4楽章もインテンポで統御された響きとなっており、アシュケナージとNHK交響楽団のチャイコフスキーの方向性がすでに明確になっていると言える。 個人的には、もう少し柔らかな響きを期待したいが、良心的にまとまった演奏と思った。ただ、交響曲第4番だけの収録で収録時間43分というのは、現代の感覚では寂しい。同じレーベルのマーツァルのチャイコフスキーにも言えることだけれど、もっと他のチャイコフスキーの管弦楽曲を併録するなどのプロデュースがあってよい。 |
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交響曲 第4番 ピアノ協奏曲 第1番 ヤンソンス指揮 バイエルン放送交響楽団 p: ブロンフマン レビュー日:2011.12.21 |
★★★★★ ブロンフマンのピアノの輝きも印象的。ヤンソンスの特性も良く出ています。
ラトヴィア出身の指揮者マリス・ヤンソンス(Mariss Jansons 1943-)は、2003年にバイエルン放送交響楽団の首席指揮者に就任する一方で、2004年からはロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団の常任も兼任するようになった。世界を代表するような2つのオーケストラで重職に就くヤンソンスは、実に存在の大きなアーティストになったと言えよう。これらのオーケストラとのCDは、ライヴ録音が中心で、バイエルン放送交響楽団とのものはsonyから、ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団とのものは自主制作レーベルであるRCOから次々とリリースされている。本アルバムはその目覚しい活躍が始まった時期のもので、2003年から04年にかけての録音。曲目は、チャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番と交響曲第4番。ピアノ独奏は、ロシアのピアニスト、イエフィム・ブロンフマン(Yefim Bronfman 1958-)。ヤンソンスはかつてChandosレーベルにオスロフィルとチャイコフスキーの交響曲全集を録音していたので、交響曲は再録音ということになる。 まず、最初に収録してあるピアノ協奏曲であるが、ブロンフマンの輝かしくも力強いソロが見事だ。あふれるような力に満ちた和音の連打を聴くと、その迷いのないピアニズムがこの楽曲にいかに相応しいか、圧倒的とも言える説得力を持っている。スポーティなオクターヴ連打においても、打鍵の間隙の鋭い刹那がすさまじく、いやこれをライヴで聴いたなら(実際ライヴ録音だけど)相当興奮するだろうと思ってしまう。現代のロシア・ピアニズムを見せ付けるような豪胆さと鋭利さを兼ね備えたピアノだ。ヤンソンスの指揮ぶりはいかにもシンフォニックで、オーケストラから滋味豊かなサウンドを引き出している。ブロンフマンの個性とはちょっとまた違ったスタイルであるが、両者の邂逅はなかなか魅力的で、1楽章後半のなど、ヤンソンスの作ったいかにも中央ヨーロッパ風の堅実なサウンドで、ブロンフマンの活躍の場を乱さない配慮を届かせたような、指揮者の大人っぽさを感じさせる。終楽章も激しく掛け合うというより、サポートする側と走る側という役割分担の趣がある。 交響曲第4番も豪壮な名演だ。バイエルン放送交響楽団の高度にバランス制御された響きをベースにしながら、巧みに金管のたたみ掛けを導入し、ファンファーレなどでは厳かさとロシア的土俗性を適度な配合でブレンドしたような響き。第3楽章の有名なピチカートがとても良い。この楽章はわりと誰がやっても似たような感じになるところなのだけれど、ヤンソンスの指示は強弱が細やかで、とても色彩感がある。非常に愛らしく楽しい音楽になっていて、終楽章の推進性のある音楽の序幕としても、気の効いた演出となっていると思う。終楽章もヤンソンスらしく、すべてにおいて和を乱さない、それでいて必要十分な迫力を引き出した演奏で、いかにも現代の知的感性を持った指揮者のアプローチだと思う。まずは間違いなく「立派な演奏でした」と言ったところ。 |
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交響曲 第4番 祝典序曲「1812年」 ドホナーニ指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 レビュー日:2015.2.27 |
★★★★★ ドホナーニの端正な音づくりで、チャイコフスキーの魅力を力強く引き出した名録音
ドホナーニ(Christoph von Dohnanyi 1929-)指揮、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏で、チャイコフスキー(Pyotr Ilyich Tchaikovsky 1840-1893)の以下の2曲を収録したアルバム。1988年の録音。 1) 交響曲 第4番 へ短調 op.36 2) 序曲「1812年」 op.49 当盤は、ユニバーサルによる「栄光のウィーン・フィル名盤100」という企画で復刻されたものの1枚で、SHM-CD(ユニバーサルが開発した規格。記録情報の精度が向上させたCD)によっている。本タイトルは12年ぶりでの国内盤再登場となった。私も、この機会に購入して聴いてみた。 とても良い演奏である。あちこちで書いているのだけれど、ドホナーニの一連の録音は、概してもっと評価されてよい。 交響曲第4番は、基本的にはクールで冷静な音楽の運びであるが、楽器の強弱のメリハリがくっきりしていることに加え、その強弱変化の滑らかさから、とても洗練された響きになっている。チャイコフスキーの音楽が持つ一種の泥臭さがフレッシュされていて、とても本格的な響きになっている。 もちろん迫力もある。ことにティンパニの力強い響きは、聴き手を鼓舞するように振る舞われるし、ブラスの立体感あふれる響きは、彫像的に音楽を描きだし、オーケストラ作品で重要な距離感による演出が巧みに引き出されている。録音が素晴らしいことが大きなメリットとなっていることは言うまでもない。 抒情的な旋律では木管の表情を抑えた響きが高貴さもたらしているし、名曲が名曲らしく響くという点で、一つの理想的な表現を導いている。 序曲「1812年」という作品は、そのあまりに外向的な性格から、クラシック・フアンの間ではキワモノ的な扱いをされることが多く、私も当盤で久しぶりに聴いたのだけれど、ドホナーニの真摯な音楽作りは徹底していて、このような楽曲であっても隅々まで磨き上げたこまやかな表現となっている。中間の戦闘描写部分が終結し、弦が牧歌的なメロディを高らかに歌う部分への移行の際に、各楽器が一音ずつ呼応する際のニュアンスの深さは、私がこれまで見逃してきたこの曲の美しさを再認識させてくれた。 終結部の大砲の音をきちんと再現できるオーディオ環境は限られるかもしれないが、音楽とのバランスが良好に感じられるし、その後の鐘の連打も朗らかな美しさを持っている。軽快な凱旋マーチでのエンディングもノリノリで愉悦に満ちている。 チャイコフスキーの代表的管弦楽作品を、世界最高レベルのオーケストラと録音で堪能できる一枚と言って良い。 |
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交響曲 第4番 幻想序曲「ロメオとジュリエット」 アバド指揮 シカゴ交響楽団 レビュー日:2015.9.4 |
★★★★☆ ライトな明るさを感じるアバドのチャイコフスキー
アバド(Claudio Abbado 1933-2014)指揮、シカゴ交響楽団によるチャイコフスキー(Pyotr Ilyich Tchaikovsky 1840-1893)の交響曲全集の中の録音で、以下の楽曲を収録。 1) 交響曲 第4番 ヘ短調 op.36 2) 幻想序曲「ロメオとジュリエット」 1988年の録音。 アバドとシカゴ交響楽団による一連のチャイコフスキーの録音は、いずれもこの指揮者特有のあっけらかんとした明るさを持つもので、チャイコフスキーのメランコリーなシンフォニーの表現として、かなり楽観的なものというのが一般的なイメージだと思う。 私もそう思う。この交響曲の場合、冒頭のファンファーレが運命の動機と呼ばれ、そこには一種の悲劇的な宿命性があるのだけれど、アバドの演奏を聴くと、むしろ明朗な晴れやかさを感じさせる。 アバドの演奏がユニークに感じられるのは、チャイコフスキーの音楽が持つ濃厚な情緒や、旋律の甘美さへの陶酔を戒め、感性と機能性に徹して純音楽的表現を志したという以上に、音楽が開放的に響く点にある。もっとも、感性と機能美で押し通した第4交響曲の名演というと、同じシカゴ交響楽団がショルティ(Sir Georg Solti 1912-1997)の指揮で、当盤の2年前に録音されたものが有名で、私もとても好きな録音。また濃厚な美麗さを追求しオーケストラを鳴らし切った演奏と言えば、その代表格はカラヤン(Herbert von Karajan 1908-1989)だっただろう。 ショルティ、カラヤンと比較したとき、アバドのユニークさは際立っていて、音色の明るさ、それに第1楽章の第2主題が持つワルツ的遊戯性の拡張などとても目立つのである。とはいえ、全曲を通して聴いたときの充足感としては、やや物足りなさが残る。第1楽章のクライマックスをはじめ、低い音に軽量感があることもその一因だろう。金管は壮麗に鳴っても、唸りをあげることはない。 オーケストラの機能的な美しさとしては後半2楽章が特に見事で、ピチカートの音感の豊かさ、終楽章の金管の咆哮における均整のとれた完全性は、やはりこの世界最高と言って良いオーケストラの技術を率直に感じさせてくれるところ。 「ロメオとジュリエット」も現代的な機能性を押し通しながらも、明るい健やかな表現で、戦闘的な音楽であっても、凄まじさとは異質のライトなスポーツ的な味わいに感じられる。聴きやすいところがある反面、低音の加圧が欲しいと思うところも残る。 全体的な彫像は美しく仕上がっており、聴き味も鮮やかではあるが、同時にユニークさと、私の場合、物足りなさが残るところがある。 |
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チャイコフスキー 交響曲 第4番 ドヴォルザーク 弦楽セレナーデ エリシュカ指揮 札幌交響楽団 レビュー日:2016.11.21 |
★★★★★ エリシュカと札幌交響楽団による貫禄の名演
ラドミル・エリシュカ(Radomil Eliska 1931-)指揮、札幌交響楽団によるチャイコフスキーの3大交響曲シリーズ、第2弾で、当盤には以下の2曲が収録されている。 1) チャイコフスキー(Pyotr Ilyich Tchaikovsky 1840-1893) 交響曲 第4番 ヘ短調 op.36 2) ドヴォルザーク(Antonin Dvorak 1841-1904) 弦楽セレナーデ ホ長調 op.22 2014年の第6番に続く録音で、2016年、札幌コンサートホールKitaraにおいてライヴ収録されたもの。エリシュカと札幌交響楽団は、この後行われた東京公演においても、これら2曲を含むプログラムを組んでいた。 エリシュカと札幌交響楽団の録音は、今や成功を約束されたと言って申し分ないものとなっている。当盤も素晴らしい内容だ。 チャイコフスキーの第4交響曲は、堅実でシンフォニックな名演。落着きがありながら、過不足ない畳み掛けがあり、聴いていて、とても自然でしなやかで心地よい。冒頭のブラスのファンファーレの豊かな響きから、物憂い展開が始まるが、しっとりした弦と、背後で支える金管の巧妙な軽重のバランスが見事。情感豊かでありながら過度にメランコリックにならない。内面的な描きこみが十分にあるため、壮麗なクライマックスを築き上げても、大味なところがなく、隅々まで血の通った表現になっている。もちろん、過度に落ち着きを意識して、生命力や前進力を失うことなど一切なく、脈々とエネルギーが行き渡っている。そのあたりは、演奏時85歳の巨匠の棒とは思えないほどの清冽な若々しささえ感じさせる。第2楽章の情緒、第3楽章の躍動も、的確な表現で貫かれており、これこそチャイコフスキーの交響曲、と思わせてくれる。「良くできた曲である」ということが、直截に聴き手に伝わってくる。終楽章も、見事な奔流で、鮮やかにして闊達。エネルギッシュに全曲を締めくくる。 ドヴォルザークの弦楽セレナーデを私は久しぶりに聴いたのだけれど、こちらは心を洗われるような清々しい演奏。回顧的な優しさに満ちているが、健康的な表現をベースにした透明さが美しい。弱音のニュアンスも良く伝わってくる。終楽章で、冒頭の主題が帰ってくるところの感動はひとしおのものがある。 当シリーズも第5交響曲を残すのみとなったが、エリシュカと札幌交響楽団には、これからも活発な録音活動を期待したい。 |
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交響曲 第4番 幻想曲「フランチェスカ・ダ・リミニ」 プレトニョフ指揮 ロシア・ナショナル管弦楽団 レビュー日:2020.5.22 |
★★★★★ プレトニョフとロシア・ナショナル管弦楽団の充実を感じさせる貫禄ある演奏
プレトニョフ(Mikhail Pletnev 1957-)指揮、ロシア・ナショナル管弦楽団の演奏で、チャイコフスキー(Pyotr Tchaikovsky 1840-1893)の以下の2作品を収録。 1) 交響曲 第4番 ヘ短調 op.36 2) 幻想曲「フランチェスカ・ダ・リミニ」 op.32 交響曲は1995年、フランチェスカ・ダ・リミニは1996年の録音。 1990年にプレトニョフによって設立されたロシア・ナショナル管弦楽団は、すでに世界的な名声を確立している。当録音を聴いても、90年代から、たいへんレベルの高い演奏を繰り広げていたことがわかる。 ロシアのオーケストラによるチャイコフスキーというと、以前は、爆演、豪演といった形容に合致するスタイルのものが多く、フアンもそのような演奏を楽しんだのだけれど、当演奏で聴くチャイコフスキーは、いかにも中央ヨーロッパ的な、コントロールの効いたものであり、洗練された音色からもたらされる印象は、仰々しさとは一線を画すものだ。つまり「あまり主情的になり過ぎないチャイコフスキー」。これは現代の一つの模範的なスタイルと言えるだろう。 第1楽章冒頭のファンファーレから、金管の響きを克明に捉えられた品質の良い録音が印象に刻まれる。楽器の音色は、セーヴすべきところはセーヴした慎重さがありながら、必要に応じてきちんと力強さを表出する。展開部以降では、弦楽器の深みのある合奏音が鮮やかさを増し、気持ちを奪われる。平均的なテンポで安定感があるが、加えてクライマックスでは畳み掛けるような白熱も適度に持ち合わせていて、退屈させるようなことはない。第2楽章はロシア的メランコリーと形容したい情感の表出が見られる。もちろん、現代の一流のオーケストラであれば当然のこととはいえ、木管と弦の交錯がおりなす音楽は美しいし、プレトニョフがツボを心得た節回しを披露してくれる。第3楽章は出色の出来とも言える。有名なピチカートの表情付けが、細やかに決まっていて、実に心地よく聴ける。第4楽章は自然な響きをベースにドラマを盛り上げており、内的な充実を感じさせつつ全曲を華やかに閉じてくれる。 フランチェスカ・ダ・リミニも好演で、高い技術をもったオーケストラならではの美しさ、激しさ、スピード感、音圧といったものを、いずれも十分なレベルで楽しませてくれる。過度に煽るようなことはしていないが、ことに弦楽器陣がさりげなく音階に沿えるアクセントなどが、聴き味において「深さ」を感じさせる要素として有効で、描写的であるという以上に深い語り掛けを感じる演奏となっている。 総じて、内面性の豊かさを感じる現代的な快演となっており、減点すべき要素は、ほとんど見当たらない内容だ。 |
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交響曲 第4番 第5番 ユロフスキ指揮 ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団 レビュー日:2020.6.27 |
★★★★★ 現在聴きうる最高のチャイコフスキーの一つ
2007年以降、ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者に就いているヴラディーミル・ユロフスキ(Vladimir Jurowski 1972-)が、同オーケストラを指揮して、2011年に行ったライヴの模様を収めたアルバム。チャイコフスキー(Pyotr Tchaikovsky 1840-1893)の名作2編、「交響曲 第4番 ヘ短調 op.36」と「交響曲 第5番 ホ短調 op.64」を2枚のCDに収録している。 現在聴きうる特に質の高いチャイコフスキーの一つだと思う。ユロフスキがロンドン・フィルハーモニー管弦楽団から引き出す音色は、奥行きと弾力があり、格式の高さを感じさせるが、併せてやや早めで、インテンポによるキビキビした進行は、楽曲の持つメランコリズムを洗練させ、芸術的手続きを経た表現として相応しい気高さを帯びている。 第4番の第1楽章、ファンファーレが終わって、弦による主題が流れ始めるが、その柔らか味を湛えながら芯を持った響きの毅然とした美しさは見事で、何か久しぶりにこの楽曲から荘厳なものを味わった感じを受けた。速いテンポで楽想が刻まれていくが、決して弾き飛ばしているわけではなく、それぞれのフレーズは明確になり、その役割をしっかりと果たしてから、次に受け渡される。有機的とか機能的と表現される音楽的抑揚が常に高度にコントロールされていて、かつ情感や迫力も事欠かない。第2楽章の弦の味わい深い表現には心打たれた。この聴きなれた第4交響曲から、これほど新鮮な情感を味わわせてくれるとは。終楽章は疾風を思わせる果敢な表現であるが、それは不用意に肉厚なものではなく、研ぎ澄まされた感性を感じさせる。 第5番も全般に早目であるが、計算された表現がビシビシと決まっていく心地よさに満ちる。アーティキュレーションの明瞭な把握は、各所でエッジの効いた表現して還元され、それが音楽的に有意な表現として巧みに位置づけられている。第5番では第3楽章のワルツで、オーケストラの、特に弦楽器陣による最大の聴き映えを感じた。柔らか味と深み。その両方を存分に感じさせながら、全体はベトつきのないスマートなフォルムを持っており、この上なく優雅だ。終楽章は特に早いが、味気ないわけではなく、そのテンポでこそ明瞭に把握される骨格線が聴き手にしっかりと伝わってくる。その結果、構造的合理性に基づいた活力が全編に行き渡り、説得力のある音楽になっている。 いずれもライヴ録音ながら、驚くほど高い完成度を持った演奏だ。私は、当演奏を、「現在聴きうる最高のチャイコフスキーの一つ」と考える。 |
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交響曲 第4番 第5番 第6番「悲愴」 ゲルギエフ指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 レビュー日:2007.5.7 |
★★★★★ 2枚組にしたらもうちょっと廉価だったのかな・・・
ゲルギエフとウィーンフィルによるチャイコフスキーの3大交響曲集。収録時間的には2枚で収まるが、1曲1枚方式で3枚組になっており、値段に反映していないならいいサービスであるが・・・。 録音は最初が5番(98年)で、あと4番(02年)、6番(04年)となる。全般にロシアのメランコリーを漂わせながらもウィーンフィルの重厚でシンフォニックな響きにより、ドイツ的な音色に仕上がっているように感じられるのが特色。主兵マリインスキー管弦楽団との録音とは一味違ったしっとりさがあり、演出にも適度な余裕が感じられるのが心憎い。中でももっとも成功しているのが第5番である(ライヴ録音なので、終演後の熱狂振りがまた演奏の成功をよく反映している)。ここでは、たたみかけるような加速感が心地よく、かといって破綻を微塵も感じさせないオーケストラの技術が圧巻であり、加えて、ホールトーンの美しい響きの余韻もよく収録されている。第4楽章はティンパニもトランペットも弾けるような生きの良さであるが、それが仰々しい感じに響かないそのセーヴ力は見事の一語に尽きる。次いで第6番ではこの曲では異様ともいえるスケルツォの明るい音楽が徹底して練りこまれており、この楽章でこれほど「深み」を感じさせる演奏はちょっとないだろう。総じてゲルギエフフアンのみならず、広く音楽フアンの心に響くアルバムとなっていると思う。 |
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交響曲 第4番 第5番 第6番「悲愴」 アシュケナージ指揮 フィルハーモニア管弦楽団 レビュー日:2006.10.23 |
★★★★★ 隠れたチャイコフスキー三大交響曲の名演です
ウラディーミル・アシュケナージの指揮者としての評価は、一様ではないが、私は特にデッカレーベルに残した数々の録音と、それに加えて比較的最近のチェコフィルとの一連の録音活動は一定の評価以上のものを与えるべき内容だと感じている。確かに、アシュケナージの指揮は強い主張がないように思われるかもしれないが、決してスコア通りに交通整理をやっているだけではなく、意外なルパートがあったり、楽曲によってはテンポ指示についても意外なほど柔軟に自由な解釈を与えることがあって、面白みも存分にあるのだ。加えてこの人の場合、一つの曲を見通したときの抜群のバランス感覚が備わっているのだ。決してその場の雰囲気だけでなく、最終的には一つの表現形態として「責任がとれている」のである。これはもちろん彼のピアノを聴いてもよく思うことであり、それは音楽家としてのアシュケナージの美点である。 これらのチャイコフスキーの三大交響曲(第4番、第5番、第6番「悲愴」)の録音は、1977年から1979年に行なわれたもので、アシュケナージの指揮活動としては初期のころのものになるが、すでにこの指揮者の良い点が随所に出ている。これらの曲の場合、シンフォニックな構築性と、ドラマの表出のどちらに重きを置くかで、演奏スタイルが異なってくるが、アシュケナージの場合、そのどちらも見事に過不足なく捕らえている。オーケストラの音色は凛々しく引き締まっていて、歌わせ方に品があるために過度にメロメロにならない。第5番の1,2楽章もきわめて高貴だ。テンポは基本的に速めだが、特に弦楽器陣のタテ線の揃いが抜群で、これが効果的にバシバシと決まる心地よさがある。唯一、物足りないのは悲愴の終楽章だろうか。この楽章はすっきりとまとまっているが、もっと奥深い鼓動のようなものが欲しい気がした。だが現時点でチャイコの三大交響曲におけるはずせない秀演の一つであることは確かだろう。 |
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交響曲 第4番 第5番 第6番「悲愴」 べーむ指揮 ロンドン交響楽団 レビュー日:2015.8.4 |
★★★★☆ 細部の乱れや鈍重さもありますが、ベームならではの浪漫的で豪壮なチャイコフスキーとなっています
カール・ベーム(Karl Bohm 1894-1981)指揮、ロンドン交響楽団によるチャイコフスキー(Pyotr Ilyich Tchaikovsky 1840-1893)の3大交響曲集。CD2枚組。収録内容は以下の通り。 1) 交響曲 第4番 ヘ短調 op.36 1977年録音 2) 交響曲 第5番 ホ短調 op.64 1980年録音 3) 交響曲 第6番 ロ短調 op.74 「悲愴」 1978年録音 第5番のみがデジタル録音。 ベームという指揮者は、20世紀のドイツ・オーストリア音楽演奏における象徴的な指揮者で、ウィーン・フィルハーモニ管弦楽団やベルリン・フィルハーモニー管弦楽団といった世界最高のオーケストラを振り、そのレパートリーは、モーツァルト(Wolfgang Amadeus Mozart 1756-1791)、ベートーヴェン(Ludwig van Beethoven 1770-1827)、ワーグナー(Richard Wagner 1813-1883)、ブルックナー(Josef Anton Bruckner 1824-1896)、ブラームス(Johannes Brahms 1833-1897)、R.シュトラウス(Richard Strauss 1864-1949)、ベルク(Alban Berg 1885-1935)といった、まさにドイツ・オーストリアの本流路線の作曲家たちだった。 だから、彼が晩年にロンドン交響楽団と、ドヴォルザーク(Antonin Leopold Dvorak1841-1904)、それにこのチャイコフスキーの3大交響曲を録音したことは、当時のフアンにはちょっとした驚きだったに違いない。私の知っているベームを愛好していた人は「最後まで、チャイコフスキーやドヴォルザークは録音しないでほしかった」と言っていたし、そういう感覚を持った人は、それなりに居たのだろうと思う。 しかし、確かにベームがチャイコフスキーをスタジオ録音したのは当盤が唯一なのだけれど、決して演奏会で一切取り上げなかったというわけではない。これまたちょっと有名なディスクで、1971年にベームがチェコ・フィルハーモニ管弦楽団を指揮してチャイコフスキーの第4交響曲を演奏したライヴが、オルフェオからリリースされており、入手して聴くことが出来る(ORFEOR 608032)。このライヴは、素晴らしい熱のこもった演奏で、ベームが決してこの作曲家の扱いに苦慮していたわけではないことが伝わってくる。 さて、当盤である。いろいろ賛否のある演奏であるが、ベームのスタイルはたいへん浪漫的。激しいテンポの揺れ、性急な切迫感を演出し、その一方で、濃厚なカンタービレを湛える。第4番や第5番の終楽章では、どことなく無骨な一種の鈍重さのようなものも感じるが、例えば第4番の第1楽章など、激しいアゴーギグ、求心力に満ちた畳み掛けなど、現在では聴くことの少ないスタイルを全面に押し出した音楽を聴くことができる。中間楽章の物憂いメランコリーも、晩年のベームらしい肉厚さを感じる表現で、その重さゆえの魅力をあちこちで感じる。悲愴交響曲など、洗練とは裏腹といいたいほどの豪壮さで、クライマックスで踏み込む老ベームの息遣いが伝わる様なパワーだ。フレーズの扱いにも、ベーム節とでも呼びたいような個性がある。それに比べると第5番は楽曲の性格もあって、やや普通な印象で、シンフォニックに整えられているだろう。 確かに細部の乱れは散見されるのだけれど、私は、この時期にベームがこれらの録音を遺してくれて、とても良かったと思う。これはやはりベームでなければ振りえないチャイコフスキーだろう。そういった希少性とともに、音楽フアンの好奇心を、存分に刺激させてくれる録音となっている。 |
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交響曲 第5番 スラヴ行進曲 小林研一郎指揮 チェコ・フィルハーモニー管弦楽団 レビュー日:2009.5.24 |
★★★★★ 小林ならではの曲への思いが存分に込められた演奏
さながら宿命のように一つの楽曲を何度も演奏し、録音するということがあるが、この小林研一郎とチャイコフスキーの交響曲第5番もこれに当たる。2009年5月現在でカタログを探してみると、どうやら6種くらいの録音があるようだ。これはそのうちの3回目の録音。すでにその後、当盤と同じEXTONレーベルへもアーネムフィルとの録音がある。 演奏は、そのような小林ならではの曲への思いが存分に込められた内容になっている。冒頭から憂いをたっぷり帯びた弦と木管の響き。包み込める思いをすべて包み込んだかのようなエモーショナルなシーン。第1主題が拡大し、全管弦楽での合奏となると、金管のダイナミックなサウンドを駆使し、大きな音の伽藍を築き上げる。 このような演奏では奏者の「思い」が聴き手に重くなり過ぎることがあるのだが(ツィマーマンのショパンのピアノ協奏曲もそうだった)、小林はギリギリのところでうまくバランスを保っている。これはオーケストラの豊かな力量にも依るところが大きいだろう。 終楽章も表情豊かでダイナミック。フィナーレに向かって行く時も勢いだけではなく、様々な情感を吐露し、しかし中庸の美の軸から大きく逸脱はしない。この逸脱せずにまとめてしまえるところが、小林の美点だろう。 「スラヴ行進曲」も同様で、この曲は情感だけで押されると聴き手も辟易する面があるのだけれど、オーケストラのシャープなサウンドが見事に補っている。総じて良い演奏となっている。 |
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交響曲 第5番 アシュケナージ指揮 NHK交響楽団 レビュー日:2010.2.23 |
★★★★☆ アシュケナージ/N響のチャイコフスキー第6弾(完結篇)
アシュケナージとNHK交響楽団によるチャイコフスキー・チクルスがこれで完結した。最後を飾るに相応しい秀演であると思う。 演奏のスタイルは、この曲にありがちな劇場型、熱血型ではなく、シンフォニックで端正な佇まいを示したものだ。第1楽章の盛り上がる部分も、コントロールが利いていて、過度に色を示していない。逆に言うと、踏み込みが浅いと感じられる面もあるだろう。終結部のシンフォニックなバランス感覚はレベルが高い。 第2楽章、第3楽章ともメランコリーにのめり込むことのない運びである。もっとも美しいのは終楽章で、やや早めのインテンポで弦の小刻みなニュアンスを消さない配慮がシックな色合いを呈する。このようなアプローチの結果、楽曲のイメージはやや悲しみの領域にシフトしていると考えられる。 ただ、このシリーズ全般にいえることだが、収録時間が少ない。CD一枚にチャイコフスキーの交響曲1曲ずつ収録していくというのでは、いくらなんでもリスナーへのサービスが足りないと思う。せめてもう少し価格を下げてくれればいいのだが。 それと、アシュケナージ指揮のチャイコフスキーの交響曲第5番に関しては、すでに同じエクストン・レーベルからフィルハーモニア管弦楽団と2002年に録音した素晴らしい名演がある(OVCL-00334)。そちらは、このNHK交響楽団盤と比べて、オーケストラの音色にもう一段音色が多く、そのためアシュケナージもさらに踏み込んだ表現を説得力強く打ち出していると感じられる。しかも、これまた名演と思われる幻想序曲「ロメオとジュリエット」が組み合わさっていて、録音までもそちらの方(フィルハーモニア盤)が良いと思う。 なので、アシュケナージ指揮のこの曲を聴きたいという人には、私は正直言うと、2002年にフィルハーモニア管弦楽団と録音したものを薦めたいと思う。もちろん、経済的に余裕のある方は、両方とも購入して聴き比べていただくと面白いだろう。 |
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交響曲 第5番 幻想序曲「ロメオとジュリエット」 アシュケナージ指揮 フィルハーモニア管弦楽団 レビュー日:2008.9.11 |
★★★★★ 文句のない名演!天上のハープをぜひご一聴ください。
アシュケナージはチャイコフスキーの交響曲第5番については、77-78年に同じフィルハーモニア管弦楽団と録音したものがあり、また、幻想序曲「ロメオとジュリエット」には87-88年にサンクトペテルブルクフィルと録音したものがあるため、両曲とも再録音ということになる。 当盤はなぜか法外に高価な価格が設定されていたが、再発売を機に適正な価格に引き下ろされ(もちろん、買う側にとってはもっと下がってくれた方がありがたいのだけれど)、普通に購入できるようになった。 それはさておき演奏であるが、これ間違いなく素晴らしい録音である。最初に述べたようにこれらの楽曲をアシュケナージはかつて録音していて、それらも私は高い内容を持っていると思っているが、当録音はより一層音楽が深くなり、また美しい。 交響曲では冒頭から暗さと暖かみを表現したソロ楽器の表情が秀逸なばかりでなく、音楽の起伏が自然で、呼吸や鼓動に心地よくあい、見事な高揚感を築き上げている。第2楽章のヒューマンな味わいも深い。厳かでありながら音楽の流れが的確で、クライマックスの充実した響きも満ち足りている。終楽章はともすれば興奮の坩堝だけで終わりかねない危険な音楽だが、客観性を持ち、熱を帯びながらも見事な方向付けにより音楽が常に正しい方向に導かれていく。その収束感がこの上ない心地よさとなり、感動へと繋がる。 幻想序曲「ロメオとジュリエット」がまた素晴らしい。いくつも美点があるが、なんといってもハープの音色の美しさ、それはもちろん録音が素晴らしいこともあるのだけれど、それにしてもまさに天上の響きと呼ぶに相応しい。やや歩速を早めたフィナーレも説得力に満ち、一つの物語の美しい結末を見事に表現している。ぜひ多くの人に堪能していただきたい名盤だと思う。 「スラヴ行進曲」も同様で、この曲は情感だけで押されると聴き手も辟易する面があるのだけれど、オーケストラのシャープなサウンドが見事に補っている。総じて良い演奏となっている。 |
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交響曲 第5番 幻想曲「フラチェスカ・ダ・リミニ」 ドゥダメル指揮 シモン・ボリバル・ユース・オーケストラ・オブ・ベネズエラ レビュー日:2009.7.20 |
★★★★☆ 様々な意味で現代を象徴する楽団の録音
ドゥダメルとシモン・ボリヴァル・ユース・オーケストラ・オブ・ヴェネズエラのライヴ録音。この指揮者とオーケストラのことはすでに盛んに報じられているようだ。中南米の諸国にとって、大強国アメリカの政治的・軍事的影響下でいかにして本来的で健全な主権を持ちうるかというのは、簡単に論ずことのできない問題である。社会主義化という選択肢がある。社会主義というのは全体主義と決まっているわけではない。自由主義経済で太刀打ちできない強国から、少しでも自国の地位を保ちたいと言う場合、完全に同じ経済の土壌に入らないという主権を宣言すること、それがここで言う社会主義だ。うまくいくかどうか分からないが一つの結論としてこのベネズエラの若手からなる実力あるオーケストラと魅力的なリーダーが出現したわけである。 あとは純粋に演奏についてコメントしたい。まず全体的な印象はとにかく「洗練された表現」であるというに尽きる。スピードの速い箇所、ことに「フランチェスカ・ダ・リミニ」などすごい勢いで管弦楽が動いているのに、乱れが無く、統御が効いている。そしてやみくもな泥臭さがなく、風靡があるというのか、音楽の結び目にきちんと収まる。この指揮統率力と合奏力はほんとうに鮮やかでケレン味がなく、まずは見事。 他方、音楽に求めるものという点で、(ちょっと難しくなるが)少し物足りない部分がある。おもに交響曲の方だが、第1楽章冒頭や第2楽章など、テンポを落とすのはいいのだけれど、ここまで弱音でテンポを落とすのはやや人工的で音楽の求心力を削ぎはしないだろうか?またクライマックスはさきほど述べたように確かに洗練度は高いが、加速感よりスピード感、重力より慣性を感じる。つまり響きの重さのような「実感」が薄く思われてしまう。これは、もちろん現時点での最良の表現法を取った結果なのかもしれない。しかし、もちろん高いレベルでの話である。今後の彼らの活躍を祈る気持ちに変わりはない。 |
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チャイコフスキー 交響曲 第5番 ボロディン だったん人の踊り アシュケナージ指揮 フィルハーモニア管弦楽団 ロンドン・オペラコーラス レビュー日:2016.2.19 |
★★★★★ アシュケナージの指揮活動最初期における瑞々しくも華やかな成果
アシュケナージ(Vladimir Ashkenazy 1937-)指揮、フィルハーモニア管弦楽団による以下の2曲を収録。 1) チャイコフスキー(Pyotr Ilyich Tchaikovsky 1840-1893) 交響曲 第5番 ホ短調 op.64 2) ボロディン(Alexander Borodin 1833-1887) 歌劇「イーゴリ公」から「だったん人の踊り」 1)は1977年、2)は1983年の録音。2)における合唱は、ロンドン・オペラ・コーラス。 とても清冽な名演である。アシュケナージが指揮活動を開始したのは1974年で、その年の録音として、ロンドン交響楽団を指揮したプロコフィエフの古典交響曲とモーツァルトのピアノ協奏曲第21番(弾き振り)など聴くことができるが、それらはまだ余技といったところのもので、アシュケナージの指揮活動の本格的な開始は、当盤のチャイコフスキーが録音された1977年からと考えるべきだろう。この年はフィルハーモニア管弦楽団との引き振りによるモーツァルトのピアノ協奏曲全曲録音のシリーズも開始されている。 74年から77年までの3年間で相当な勉強を積んだに違いなく、見事な統率力による快演が繰り広げられている。現在、当盤は廃盤となっているようだが、アシュケナージが1977年から79年にかけてフィルハーモニア管弦楽団と録音したチャイコフスキーの3大交響曲集は別版で入手可能となっており、特に第4番と第5番は素晴らしい名演なので、是非とも入手をオススメしたい。 さて、チャイコフスキーの第5交響曲は、その外向的なわかりやすさから、ともすると食傷するような土俗的な一面も持ち合わせている。しかし、アシュケナージのスタイルは実に洗練された快活さに満ちている。全般にトーンは明るめで、快適・快速なテンポを維持し、流麗なプロポーションの中で、様々な音響的効果が繰り広げられる。それは、まさにアシュケナージがピアニストとして蓄積したノウハウを、管弦楽演奏にいかにアダプトさせるかという、簡明な回答が得られたような心地よさだ。きわめて明晰で知的な全体の構成から、音楽に必要な要素が次々と自然に浮かび上がり、適切な役割をこなしてあるべきところに収まっていく。その動作がひたすら連続して行われる心地よさ、それこそ、単純に「音楽性」と表現されるべきものが、合理的に示されている明朗さがあり、私は、この演奏を、当曲の理想的演奏の一つとして聴くのである。 ボロディンも良い。こちらは1983年の録音であるため、指揮活動の初期のものとは呼べないが、アシュケナージのスタイルは一貫していて、流麗でよどみのない流れ。やや早めのテンポも心地よく、次々と車窓が変わりゆく特急列車に乗っているような心地よさ。聴きなれた旋律があらためて瑞々しく響き渡る。合唱とオーケストラのバランスの良さも見事。迫力も十分だ。 このボロディン録音に関しては、現在、Eloquence Australiaの4808946に「併録」という形で収められているものが入手可能な模様。投稿日現在、当アイテムの入手が難しそうなので、参考情報として提供させていただきます。 |
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チャイコフスキー 交響曲 第5番 ドヴォルザーク スケルツォ・カプリチオーソ スメタナ 交響詩「ワレンシュタインの陣営」 エリシュカ指揮 札幌交響楽団 レビュー日:2017.11.22 |
★★★★★ エリシュカの表現意欲に見事に順応するオーケストラ、その一体感が生み出した名演
2008年から札幌交響楽団の主席客演指揮者、2015年からは名誉指揮者に就いたラドミル・エリシュカ(Radomil Eliska 1931-)による同交響楽団を振ってのチャイコフスキーの3大交響曲シリーズ。2014年録音の第6番、2016年録音の第4番に続くもので、シリーズ完結編となる。当アルバムの収録曲は以下の3曲。 1) チャイコフスキー(Pyotr Tchaikovsky 1840-1893) 交響曲 第5番 ホ短調 op.64 2) ドヴォルザーク(Antonin Dvorak 1841-1904) スケルツォ・カプリチオーソ op.66 3) スメタナ(Bedrich Smetana 1824-1884) 交響詩「ワレンシュタインの陣営」 op.14 2017年のライヴ録音。 いずれもが巨匠エリシュカが得意としてきたスラヴの音楽である。中でも、チャイコフスキーの第5交響曲は、エリシュカ自身、もっとも得意といている楽曲の一つという。聴いてみると、なるほど、という感が強い。いや、チャイコフスキーに限らず、収録している3曲とも、隅々まで血の通ったような、生命力に溢れた表現に満ち溢れた名演である。 チャイコフスキーの第5番の印象はとにかく表現が巨匠的である、ということだ。既発の第6番、第4番以上に、指揮者の「こうやりたい」という意志を強く感じ、それにオーケストラが見事に呼応するという構図。冒頭はかなりスローなテンポで開始されるが、一つ一つの音が巧妙に配置され、様々な彩色が施されていく。一言で表現するなら「雄弁」。そして、音楽が展開するにつれ、そのテンポは劇的に動き、かつ思い切りの良いクレシェンド、デクレシェンドを織り交ぜて、次々に鮮烈なシーンを描き分けていく。かといって、耽溺するわけではなく、要所要所で締りの良い、鋭いキレ味でまとめ、雄大な音楽の流れを築き上げる。そこには、浪漫的なドラマが溢れている。 第2楽章、第3楽章も、ゆったりしたテンポがまずは印象づけられるが、そこから様々な出来事があって、音楽としての起伏が華やかに描き上げられる。また、チャイコフスキーの第5交響曲という作品が、そのようなケレン味を存分に受け入れる土壌のある音楽であり、その相互作用が鮮やかに高まる瞬間に満ちている。 第4楽章では、エリシュカとオーケストラの関係はいよいよ結実した感を高め、ライヴならではの高揚感を随所に見せる。踏み込んだ表現、鮮やかな切り替え、そのことごとくに機敏に反応する各パートが気持ち良い。これほどの一体感のある演奏というのは、なかなかお目にかかる機会がないといっても良いくらい。指揮者、オーケストラ、聴衆の幸福な邂逅が、フィナーレの充実した響きに示されて、全曲が締めくくられる。 ドヴォルザーク、スメタナのあまり演奏機会の多くはない管弦楽曲2曲が収録されているが、こちらもエリシュカの表現力が全編に満ちた演奏で、楽曲の魅力が良く伝わる。特に、30年戦争で活躍した野心溢れる傭兵隊長を描いたスメタナの交響詩「ワレンシュタインの陣営」は、描写性豊かで、聴き手の想像力を掻き立てる刺激的な名演。 指揮者とオーケストラの理想的な関係を反映した、見事な記録となっている。 |
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交響曲 第5番 序曲「嵐」 ヴィット指揮 ポーランド国立放送交響楽団 レビュー日:2019.7.19 |
★★★★★ 珍しい作品「嵐」を、理想的な演奏で記録
アントニ・ヴィット(Antoni Wit 1944-)指揮、ポーランド国立放送交響楽団による、チャイコフスキー(Pyotr Tchaikovsky 1840-1893)の以下の2つの管弦楽作品を収録したアルバム。 1) 交響曲 第5番 ホ短調 op.64 2) 序曲 ニ長調 op.76 「嵐」 1992年の録音。 力量確かな指揮者とオーケストラによる録音だが、まず収録曲について書こう。交響曲第5番は言わずもがなの名曲だが、併せて収録されている序曲「嵐」は演奏機会のめったにない作品だ。念のため書くと、幻想序曲「テンペスト(嵐)」op.18とは別作品で、これと明瞭に区分けするためか、op.76は「雷雨」と表記されることもある。作品番号は大きいのだが、書かれたのは、チャイコフスキーの活動初期である1864年で、「op.1」が与えられたピアノのための作品より早い時期である。言わば習作といった位置づけのものと考えるべきだろう。 ただ、その内容は、チャイコフスキーらしい完成度を感じさせるもので、劇的な描写性が豊穣なオーケストレーションで表現されている。また印象的なフレーズが、そのまま1866年に書かれた交響曲第1番「冬の日の幻想」の第2楽章に転用されているため、そのような観点も含めて、チャイコフスキーの音楽が好きな人であれば、様々に楽しめる作品だ。録音点数が少ないだけに、当盤による優れた記録が容易に入手できるのはありがたい。 演奏であるが、ヴィットはチャイコフスキー特有の郷愁的な旋律を、品よく歌わせていて、さすがである。適度な洗練を感じさせ、弦楽器陣の厚みも相応しい響き。それでいて、必要な泥臭さも残っていて、熱気の表現も十分な力強さを伴う。テンポはややゆったりめ。ホールトーンを活かしたほの暗い響きは、暖かみがあり、交響曲第5番の特に前半2楽章の雰囲気は、私の気に入っているハイティンク/コンセルトヘボウ盤と似た雰囲気がある。終楽章の熱血性は、踏み込みと放散の加減が、適度な解放感をもって表現されることで調整され、華やかだ。 序曲「嵐」も同様であるが、ティンパニのクレッシェンドや中間部で憂いを蓄える木管など、場面ごとで重要な役割を担う楽器が的確にクローズアップされることで、より描写性に溢れた感覚が巧みに誘因だれている。かつバランスよく、全曲に整った感じがもたらされているのもヴィットらしい構成力を感じさせるもので、当曲の代表的録音として申し分ない内容。 |
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交響曲 第6番「悲愴」 アシュケナージ指揮 NHK交響楽団 レビュー日:2009.9.24 |
★★★★☆ アシュケナージ/N響のチャイコフスキー第4弾
2003年6月にNHK交響楽団の音楽監督のポストについたアシュケナージは、2004年から同オケとEXTONレーベルにチャイコフスキー・チクルスを開始した。当盤はその第4弾で、2006年に録音されたもの。 アシュケナージのEXTONレーベルへの悲愴交響曲への録音は早くも2度目になる。1度目は来日時にフィルハーモニア管弦楽団と録音したもので、2002年の録音。ちなみにそちらには幻想曲「フランチェスカ・ダ・リミニ」も収録されていた。当盤は収録曲が悲愴交響曲のみという点で、すでに劣勢になるのは仕方ないところ。 NHK交響楽団との今回の録音は、基本的には前回録音と同じアプローチである。テンポなどはほぼ一緒。ただし、音色からくる印象が随分違う。フィルハーモニア管弦楽団はいかにも手練を経たというか、流線型のスタイリッシュな音色であり、部分部分の運びも問題なく、しかも非常によくブレンドされたサウンドが鮮やかな名演と呼ぶに相応しいものだった。それに比べてこのNHK交響楽団の録音はソリッドな印象で、特に第1楽章冒頭からしばらくは音色が硬く、表情が萎縮したような印象を持ってしまう。しかし、展開が始まると弦の高級感のある音色が鮮やかに繰り広げられ、クライマックスの金管は音色のパレット豊かな響き。第2楽章も同様で、管の音色もやや朴訥としているが、感情過多になるよりはいいと思う。第3楽章は快活でテンポも速いが派手にはならず、弦楽アンサンブル中心の響きが場を引き締めている。室内楽的な緊迫感のある第4楽章は印象的。 だが前述したように、アシュケナージの悲愴交響曲を一枚買うなら、フィルハーモニア管弦楽団との2002年録音のものの方が総じていいと思う。収録曲が悲愴交響曲だけでこの価格というのも現代の消費者の感覚に合うか微妙である。 |
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交響曲 第6番「悲愴」 幻想曲「フランチェスカ・ダ・リミニ」 アシュケナージ指揮 フィルハーモニア管弦楽団 レビュー日:2008.9.11 |
★★★★★ 現代を代表する「悲愴交響曲」の名演
アシュケナージはチャイコフスキーの交響曲第6番については、79年に同じフィルハーモニア管弦楽団と録音したものがあり、また、幻想曲「フランチェスカ・ダ・リミニ」には87-88年にサンクトペテルブルクフィルと録音したものがあるため、両曲とも再録音ということになる。 当盤はなぜか法外に高価な価格が設定されていたが、再発売を機に適正な価格に引き下ろされ(もちろん、買う側にとってはもっと下がってくれた方がありがたいのだけれど)、普通に購入できるようになった。(第5番のディスクとコメントが重複しますが・・・) アシュケナージが70年代末に録音したチャイコフスキーの3大交響曲は、なぜかいまひとつ話題にならなかったけれど、この音楽家の感性の生きたよい演奏だった。ただ、第6交響曲の終楽章についてのみ、私はその表現が軽すぎると感じていた。 そんな弱点を補って余りあるのが当再録音盤である。これを聴くと、悲愴交響曲というと、カラヤンやフリッチャイ、ムラヴィンスキーあるいはフルトヴェングラーなんかの演奏を思い浮かべるけど、この録音はそれらに勝るとも劣らない内容といって過言ではない。オーケストラの音色の深さといい、節々で聴かれる耽美性といい、かといってそれに耽溺するわけではない理知的な運びといい、悲愴交響曲の名演の条件を全て兼ね備えている。1楽章のクライマックスのトランペットのクレシェンドや第3楽章のマーチ風スケルツォに代表される求心的な迫力も見事。第4楽章の慟哭も底が深く、打ち震えるものが伝わってくる。 「フランチェスカ・ダ・リミニ」ももちろん素晴らしい演奏。旧録音も見事な出来栄えだったので、得意曲なのかもしれない。複雑な書法と管弦楽法を鮮やかに解きほぐし、集約して解き放たれるエネルギーが見事。金管のバランスの安定感も特筆される。インスピレーションに満ちた踏み込みもあり全編にエネルギッシュな音楽が脈打っている。 |
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交響曲 第6番「悲愴」 幻想序曲「ロメオとジュリエット」 デュトワ指揮 モントリオール交響楽団 レビュー日:2010.6.11 |
★★★★★ デュトワとモントリオール交響楽団の底力を感じる録音
シャルル・デュトワとモントリオール交響楽団は80年代から90年代の初めにかけて、デッカ・レーベルから数多くのディスクをリリースした。それらは、いかにもCD時代らしいライトなテイストで、デッカの秀でた録音技術の象徴ともいえるものだったと思う。当時のデッカの中では、デュトワは「アンセルメの後任」的なポジションで、フランスもの、バレエ音楽などがその録音の中心。また、当時のデュトワのレコーディング・スタイルに、“CDの収録時間を使用した贅沢なカップリングをする”というのもあったのだと思う。今でこそ普通だけれど、メインディッシュを並べたような、見目鮮やかなディスクが多く、ジャケットデザインも洒落たものが多かった。 その中には、いくつか重量級の楽曲の録音も含まれていた。その一つがチャイコフスキーの3大交響曲集だろう。当ディスクは交響曲第6番「悲愴」と幻想序曲「ロメオとジュリエット」が収録されている。 デュトワの作るサウンドはとにかく濁りがなくて明朗で健康的。軽やかでカラフル。だから、「悲愴交響曲」のイメージとは本来的には相容れないと思うのだが、しかし聴いてみるとこれが素晴らしい。まずオーケストラの輝かしいサウンドが良い。「悲愴」のタイトルにまつわる印象など省みず、ひたすら自分たちのサウンドを存分に解き放っている。そのクールなエネルギーが清清しい。1楽章の展開部でも、明るすぎるかもしれないけれど、弦楽器の瑞々しい音色がこよなく活きている。クライマックスの咆哮では、音量が十分鳴っても、透明で、色鮮やかなアニメーションを見ているようだ。第2、3楽章など、逆に独壇場とも言える説得力がある。 「ロメオとジュリエット」も巧い。冒頭のクラリネットとバズーンの音色の融合の美しいこと。決して混ざらず、しかし、憂いがある。 最近、デュトワとモントリオール交響楽団の新録音はほとんどないようだけれど、ぜひこれからでも新しいジャンルに録音範囲を広めてほしい。 |
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交響曲 第6番「悲愴」 幻想序曲「ロメオとジュリエット」 シノーポリ指揮 フィルハーモニア管弦楽団 レビュー日:2012.7.31 |
★★★★★ 弦楽器陣の自然発揚的な歌が見事なシノーポリの悲愴交響曲
チャイコフスキー(Pyotr Ilich Tchaikovsky 1840-1893)の交響曲第6番「悲愴」と幻想序曲「ロメオとジュリエット」を収録。シノーポリ(Giuseppe Sinopoli 1946-2001)指揮フィルハーモニア管弦楽団の演奏。1989年の録音。2012年にグラモフォン・レーベルから発売されたシノーポリの16枚分相当のCDを収録したBox-セットを購入したところ、その中の一枚がこれであった。 2001年にヴェルディの「アイーダ」を指揮中に倒れ、そのままこの世を去ったシノーポリ。まだまだこれからという年齢での急逝はフアンを驚かせ、悲しませたが、中にあって、当時積極的に録音が行われた時代であったため、数多くの録音が遺されたことは、現代のフアンにとって幸いであった。 このチャイコフスキーも美しく、ウェル・バランスな演奏。シノーポリは精神科医であったため、その演奏も「解析的」あるいは「分析的」と評さることが多かった。私は、シノーポリの演奏を聴いたとき、まず、その全体的に整ったフォルムに特徴を感じる。また、このフォルムを形成するため、あらゆる楽器の音を、混合しないような配慮を持って配置するようなところがあり、それが前述のイメージになるのだろう、とも思う。だが、この指揮者の美質は他にもあり、私はそれが「歌」にあると思う。 もちろん、多くの音楽は「メロディ」を持っており、内在的にすでに歌を包括しているのであるが、シノーポリのタクトは、この歌の要素を、自然発揚的に練り上げ、おおらかに提示していく。特に弦楽器陣のサウンドの練り込みは、実に入念だ。 チャイコフスキーの大傑作、悲愴交響曲は、チャイコフスキーのナンバーの中でも圧巻とも言える弦楽器の豊饒な歌がある作品で、これをシノーポリがドライヴするのは、実に感性があっている。第1楽章前半、かの有名な第2主題を時には楚々と、時には雄大に歌い上げる時の、その振幅は幅が大きく、重力にひかれるようにして帰結点へと結ばれる。この自然な動きが、聴き手を引き込み、音楽を聴く感動として消化されていく。 第2楽章も美麗の限り。第3楽章のスケルツォ・マーチは、落ち着いたテンポで細部の克明な表現が活きている。第4楽章は完成された交響曲としては歴史上初のアダージョ・フィナーレであるが、この有名な悲劇的末尾も弦楽器陣の響きが崇高な歌い上げを披露していて感動的だ。 幻想序曲「ロメオとジュリエット」も、決して白熱した演奏ではないが、きちんきちんと楽器が鳴っている確かさが確固たる力強さに結びついている。細やかな弦の運び、瞬発的な金管とシンバルの反応も耳当たりがよく、心地よい。 現代では忘れられかけた1枚かもしれないが、廉価再販などにより、ふたたび脚光があたるのにふさわしい権利をもった一枚だと思う。 |
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交響曲 第6番「悲愴」 歌劇「エフゲニー・オネギン」からワルツとポロネーズ フリッチャイ指揮 ベルリン放送交響楽団 レビュー日:2011.2.7 |
★★★★★ フリッチャイが「録り直し」を希望していたのは、どこ?
ハンガリー出身の名指揮者、フリッチャイ・フェレンツ(Fricsay Ferenc 1914-1963 姓は日本語で“フリチャイ”とも表記する)とベルリン放送交響楽団によるチャイコフスキーの交響曲第6番「悲愴」、歌劇「エフゲニー・オネギン」からワルツとポロネーズ。交響曲は1959年、他は1960年の録音。 たいへん有名な録音だ。フリッチャイは40代半ばから白血病を発症し、闘病と平行して音楽活動を継続したが、1963年に49歳の若さで亡くなった。当録音は症状の悪化から長期休養した後、一次復帰した際のもの。フリッチャイ自身が、第1楽章について録り直しを強く希望していたため、長く「お蔵入り」となっていた。1996年になってフリッチャイ協会の許可により、初めてリリースされることとなった。 当ディスクはフランス原盤。なぜか日本国内盤ではカットされてしまった歌劇「エフゲニー・オネギン」からの2曲の管弦楽曲も収録されていて、国内盤よりはるかに「お得」である。思うに、日本国内盤の出版にあたって、フリッチャイの壮絶な人生と照らしたキャッチ・コピーを重視し、そのイメージにそぐわない楽天的な他の楽曲が省かれてしまったのだろう。・・しかし、私個人的には、単純に収録曲が多い方が嬉しいので、迷わず、このフランス盤が「買い」。 1959年の録音に関わらず、生々しい音が、良く録られていることを特筆したい。音色自体もソリッドになり過ぎず、聴き易いバランスが保たれている。演奏も素晴らしい。フリッチャイが録り直しを希望していたという第1楽章であるが、これが特に素晴らしいと思う。いったいどの点が不満だったのだろうか?こういう点こそプロの批評家に意見を訊いてみたいものだけど・・。 ややスローなテンポながら、エモーショナルな表現が充実しているだけでなく、前後の関連付けが的確。なので、味付けが濃厚過ぎるというデメリットも感じない。金管は鋭くかつ奥行きがあり、卓越した統御力で、弦の背景とすぐに調和する。主部は壮絶に盛り上がるが低弦の豊かな響きが音楽に堂々たる幅を与えていて、きわめて重要な価値が提示され続けているという濃厚な充足感がある。 第2楽章は退廃の美しさや一抹の寂しさを宿した情感が巧みに演出されている。第3楽章のスケルツォはこの元来異質なほど明るい音楽だが、フリッチャイの演奏はやや暗めの響きがあり、力強くもシックな落ち着きがある。第4楽章は弦楽器陣が可能な限りの情念の演出しており、情報量が多く、雄弁なフィナーレとなっている。 末尾に加えられた典雅な管弦楽曲は、確かに雰囲気が大きく変わる感じがあるが、なかなか交響曲に併録される機会の少ない作品でもあり、聴いた後、暗い気分になったままではなく、聴き手を現場復帰させてくれるような優しい演出のようにも思う。 |
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チャイコフスキー 交響曲 第6番「悲愴」 ラフマニノフ ヴォカリーズ チョン・ミュンフン指揮 ソウル・フィルハーモニー管弦楽団 レビュー日:2013.6.24 |
★★★★★ 高級感に満ちた絹の肌触りによる悲愴交響曲
チョン・ミョンフン(Myung-Whun Chung 1953-)指揮、ソウル・フィルハーモニー管弦楽団の演奏による、チャイコフスキー(Peter Ilyich Tchaikovsky 1840-1893)の交響曲第6番「悲愴」とラフマニノフ(Sergei Rachmaninov 1873-1943)の「ヴォカリーズ」を収録したアルバム。2011年の録音。 ソウルで生まれたチョン・ミュンフンは、フランスのパリ・バスティーユ歌劇場の音楽監督をはじめ、ヨーロッパ・アメリカを中心に、様々な国とオーケストラで国際的キャリアを積み、さらには日本のオーケストラにも客演した他、北朝鮮のオーケストラも振るなど、まさに世界横断的な活躍をしている。 そんな彼が、故郷韓国のオーケストラを振るというのは、一つの使命のように思える。しかも、王道中の王道であるドイツ・グラモフォンレーベルがこれをリリースするとなると、その象徴的な意味合いは強調されるかに思われる。チョン・ミュンフンという芸術家は、まさに「国際的な」感覚を持った「一流」に違いない。 さて、肝心の演奏であるが、これはもう驚くほどに流麗な演奏である。チョン・ミュンフンがオーケストラから引き出すサウンドは絹のような滑らかさに満ちている。この流麗さを導くため、全体的なサウンドは軟焦点的な輪郭のゆるさがあるが、線的なぼかしはさほど気にならず、うまく起伏を付けて、まとめている。特に有名な第1楽章の第2主題の歌いっぷりはゴージャスで、カラヤン(Herbert von Karajan 1908-1989)の名演を彷彿とさせるもの。チョン・ミュンフンの方がやや音の分離に注意してセーヴしたところがあるかもしれない。展開部からの盛り上がは、壮絶というよりひたすら豊饒である。 中間2楽章も美しい。第2楽章はもちろんだが、第3楽章のスケルツォが巧い。私は、かつてこの曲を聴いたとき、あの悲劇的なアダージョ・フィナーレの直前の楽章が、これほど一本気な行進曲風の音楽であることに、なんとも納得のいかない思いを抱いたが、この演奏は、「柔らかさ」と「抑制」のバランスにより、音楽的な均質性が良く保たれている。終楽章も悲劇的というより、悲壮美を描きあげたような感じ。この演奏を見事に成し遂げたソウル・フィルの高い技術も注目に値する。各パートの統率性、音楽的表現に満ちた適度な自発性も見事。 この演奏のスタイルであれば、ラフマニノフのヴォカリーズという併録曲も、なるほど、と思える。このスタイルの指揮と演奏の魅力をこよなく引き出すことのできるアンコール・ピースだ。今夜はとことん酔いましょう、といった感じの美麗なる音世界が続く。 |
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チャイコフスキー 交響曲 第6番「悲愴」 幻想序曲「ロメオとジュリエット」 カラヤン指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 レビュー日:2014.6.11 |
★★★★★ カラヤンが、7度目の悲愴で示した「美と恐怖」の表現に酔う
ある音楽家と、特定の名曲の間に運命的な結びつきを見出すことがたびたびあるが、20世紀を代表する指揮者、ヘルベルト・フォン・カラヤン(Herbert von Karajan 1908-1989)と、チャイコフスキー(Peter Ilyich Tchaikovsky 1840-1893)の名曲「悲愴交響曲」の関係は、代表的な例と言っていいだろう。当盤に収録されているのは、チャイコフスキーの以下の2作品。 1) 交響曲 第6番 ロ短調 op.74「悲愴」 2) 幻想序曲「ロメオとジュリエット」 1)はウィーン・フィルハーモニー管弦楽団と1984年、2)はベルリン・フィルハーモニー管弦楽団と1982年に録音したもの。 カラヤンは、その生涯で何度も悲愴交響曲を取り上げた。彼が初めて録音に選んだのも「悲愴交響曲」である。一般に、「カラヤンは7回、悲愴を録音した」と言われるが、その最後の7回目に当たるのが当録音だ。 ちょっと自分の興味もあって、カラヤンの悲愴交響曲で、入手可能な音源をリストアップしてみると、以下の様になった。 1) 1939年 ベルリンフィル 2) 1948年 ウィーンフィル 3) 1954年 NHK交響楽団 <ライヴ> 4) 1955,56年 フィルハーモニア管弦楽団 5) 1962年 ベルリン・フィル 6) 1971年 ベルリン・フィル 7) 1973年 ベルリン・フィル(映像) 8) 1974年 ベルリン・フィル <ライヴ> 9) 1976年 ベルリン・フィル 10) 1981年 ベルリン・フィル <ライヴ> 11) 1984年1月 ウィーン・フィル 12) 1984年3月 ウィーン・フィル (映像) 13) 1984年8月(1) ウィーン・フィル <ライヴ> 14) 1984年8月(2) ウィーン・フィル <ライヴ> 15) 1988年 ベルリン・フィル <ライヴ> これだけあると、どれを選べばいいのか困ってしまう。ちなみに前述の「7度録音」というのは、映像作品を除いたスタジオ録音を対象にカウントした場合で、1),2),4),5),6),9),11)の7種を指す。当盤は、11)。 一般に、オーケストラの能力が存分に発揮された完成度の高さと、主情的とも言える迫力から、決定盤と言われているのは、6)の71年のベルリンフィルとの録音になる。私は全集の一環として録音された9)も好きで、バランスの取れた好演だと思い、愛好している。 さて、それでは当盤はどうだろうか? 私見だけれど、私は、このウィーンフィルとの録音は、カラヤンの悲愴の中で、一番「怖い」演奏だと思っている。だから、普段愛好するという感じではなく、むしろ心構えのある時に聴く演奏、といったら良いだろうか。 「完成度」という評価軸であれば、70年代のベルリンフィルとの録音の方がはるかに高いと思う。このウィーンフィルとの録音は、時として楽器のバランスが崩れるところがあるし、粗さに相当する箇所も散見される。第1楽章後半のクライマックスで刻まれる金管の付点の咆哮は、強弱をさまよい、時に苦しげに、息絶えるように鳴る。 しかし、これがなんとも凄味として効いてくるのだ。もちろん、このような演奏に接して、どのように感じるかは人によるだろう。だが、私は強烈に気持ちを揺り動かされてしまった。私が当演奏を聴いたのは、それこそ20年以上前のLP時代だったのだけれど、今聴いても、そのときの恐怖と壮絶な美に圧倒された当時の自分の心情を、思い起こすことが出来る。 終楽章が凄い。結果的にチャイコフスキーの絶筆となった音楽であるが、その運命を暗示するような暗い終結だ。オーケストラの弦が時にひしめくような音を出しながら、静寂へと引き寄せられるエンディングも怖い。まさにこの時のカラヤンのみに成し得た演奏だと思う。録音も、エンジニア陣の気迫を感じるくらいに生々しい音が録られている。 なお、当規格では、82年にベルリンフィルと録音された「幻想序曲 ロメオとジュリエット」も収録されていて、お買い得である。こちらもカラヤンならではの豪華で、磨き上げられた情熱を感じさせる演奏で、聴き応え十分だ。カラヤン晩年の壮絶な主張を感じさせてくれる。 |
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チャイコフスキー 交響曲 第6番「悲愴」 ヴォジーシェク 交響曲 エリシュカ指揮 札幌交響楽団 レビュー日:2014.12.12 |
★★★★★ マエストロとオーケストラの蜜月を示す味わい豊かな1枚
2006年12月8日、札幌交響楽団第494回定期演奏会の壇上に登場したのは、これまでほとんど無名だったチェコの指揮者、 ラドミル・エリシュカ(Radomil Eliska 1931-)であった。その日のプログラムは、スメタナ(Bedrich Smetana 1824-1884)の交響詩「ボヘミアの森と草原から」、次いでドヴォルザーク(Antonin Leopold Dvorak 1841-1904)の交響詩「金の紡ぎ車」、最後にリムスキー=コルサコフ(Nikolai Rimsky-Korsakov 1844-1908)の交響組曲「シェエラザード」というものであった。その日、定期演奏会に来た聴衆のたいていは会員たちで、無名の指揮者ではあったが、それでもこのオーケストラが元来得意とするスラヴ系のレパートリーに期待を持って訪れた人が多かっただろう。ところが、その日の演奏は、彼らの期待をはるかにを上回るものだった。生気に溢れる表現、細部まで練り上げられたニュアンスの深さは、たちまち会場に集まった人々を魅了した。翌日、同じプログラムであったが、前夜の成功を聞きつけて、普段にはない多くの聴衆を集め、再び夢のひとときが繰り返されると、「これは本物だ」との声が沸き起こった。その後も、札幌では、エリシュカが壇上に立つたびに、当日券も完売するほどの人気となった。 札幌交響楽団はエリシュカに首席客演指揮者の就任を依頼し、これを快諾したマエストロと、その後良好な関係を築き上げることとなる。2013年までにPastierからリリースされた5枚からなるドヴォルザークの交響曲シリーズは、素晴らしい成功を収めた。そして、彼らの次なるシリーズとして、チャイコフスキー(Pyotr Ilyich Tchaikovsky 1840-1893)の3大交響曲とブラームス(Johannes Brahms 1833-1897)の交響曲について、アナウンスがなされた。 そうして、登場したのが当盤である。2014年、札幌コンサートホールキタラにおけるライヴ録音。収録されたのは以下の2曲。 1) チャイコフスキー 交響曲 第6番 ロ短調 op.74「悲愴」 2) ヴォジーシェク(Jan Vaclav Vorisek 1791-1825) 交響曲 ニ長調 私にとって、望外の喜びだったのは、ヴォジーシェクの交響曲が収録されたこと。あまり知られていないチェコの古典作曲家であるが、私はこの佳曲を、マッケラス(Alan Charles Mackerras 1925-2010)の素敵な録音で知って以来、秘曲の一つとして楽しんできた。それが、このたびエリシュカの希望により、札幌交響楽団の名演で、再び魅力を放つこととなった。 ニ長調という弦楽器が豊かに響く古典的な調性で、音楽はシューベルトの初期交響曲を思わせるような快活直截なもの。調性的な均衡感も見事だが、例えば第2楽章の深い憂いを感じさせる主題など、旋律的な魅力にも事欠かない。それにしても、エリシュカと札幌交響楽団の演奏の素晴らしさはどうだ。作品への深い愛情と、構造への深い理解を感じさせる緻密さと積極性に溢れた表現で、この音楽のもつチャーミングな要素が、典雅に奏でられてゆく。なんとも心地よい時間の経過を感じさせてくれる名演だ。 メインのチャイコフスキーも実に見事。もともとがメランコリーな情緒を蓄えた音楽であるが、エリシュカと札幌交響楽団の演奏は、適度な制約があり、部分における音響的均衡が絶妙。決して饒舌ではないが、滋味に溢れた表現。特にファゴットやオーボエといった楽器の、情感を押し出しすぎず、しかし透徹した強さを感じさせる響きが見事。全体的なテンポは平均的であるが、アゴーギグは控えめで、過剰な演出を排し、高貴さを引き出すことに成功している。それでいてクライマックスの全管弦楽の音圧は、申し分ない迫力で、要所での金管もしっかりと決めてくれる。これほど安心して身を委ねられる悲愴交響曲もなかなかないだろう。 あらためて、この指揮者と札幌交響楽団という組み合わせの素晴らしさを堪能させていただいた一枚。当然のことながら、今後のリリースも、大いに期待している。 |
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交響曲 第6番「悲愴」 歌劇「エフゲニー・オネギン」からポロネーズ ドホナーニ指揮 クリーヴランド管弦楽団 レビュー日:2016.11.11 |
★★★★★ 究極的な機能美を誇ったドホナーニとクリーヴランドならではの悲愴交響曲
クリストフ・フォン・ドホナーニ(Christoph von Dohnanyi 1929-)指揮、クリーヴランド管弦楽団によるチャイコフスキー(Pyotr Ilyich Tchaikovsky 1840-1893)の以下の2曲を収録。 1) 交響曲 第6番 ロ短調 op.74 「悲愴」 2) 歌劇「エフゲニー・オネーギン」op.24 から 「ポロネーズ」 1986年録音。 1984年から2002年まで、クリーヴランド管弦楽団の音楽監督を務め、退任後も桂冠音楽監督となっているドホナーニであるが、その活動の最初のころの録音ということになる。 ドホナーニの録音活動としても、このころは特に活発な時期であり、デッカ、テラークといったレーベルから、多くのものがリリースされた。そして、それらは概して質の高い、優れたものであったと思う。 当録音は、収録時間50分弱と短いのが寂しいが、そんな彼らのスタイルを良く伝えるものだと思う。非常に正確で冷静なリズムから、バランスのとれた響きが導かれている。「悲愴交響曲」という作品は、その名の通り悲劇的な諸相を持ち、かつ性格的な楽章を持っているため、なにか特殊な思いを込めたような演奏が多い。感情の強さを伝えるため、いろいろな表現上の踏み込みが行われることが多いし、それを見事に吸収してくれる題材が揃っている。 しかし、ドホナーニはこの作品に普遍的なアプローチを試みる。それは時々この交響曲が「悲愴」と呼ばれていることをすっかり失念しているのではないか、と思ってしまうほど。しかし、その程よく調整された音響は、厳密なリズムの上に、美しい均整美を形作る。両端楽章の荘厳で真面目な雰囲気も見事であるが、中間2楽章の正確かつ音楽的な駆動は、ことにこの演奏の正確を物語るとともに、その折り目正しい美しさは、聴き手に忘れがたいものとなる。第3楽章のブラスも、派手に強調されることはなく、全体的な品行方正さの中に手際よく収められる。 もちろん、そのような演奏が、あまりにも古典的であり、より強い情念が聴き手に迫るような悲愴交響曲を聴きたい、という人もいるだろう。私も、聴くときの気分によっては、他の盤に手が伸びるだろう。しかし、この演奏が示す第6交響曲の美しさも、私には間違ったものには思えず、むしろ本来的な美しさを的確に射たような清々しさを感じさせるのである。これが、ドホナーニとクリーヴランド管弦楽団という、機能美の極致に達した彼らの芸術なのであろう。 末尾に収録されたポロネーズも悲愴交響曲同様に、締まった、抜かりのない演奏である。とはいえ、彼らの演奏でもう1曲くらい収録してくれても良かったように思うけれど。 |
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交響曲 第7番(ボガティレフ補筆) ピアノ協奏曲 第3番 ヤルヴィ指揮 ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団 p: トーザー レビュー日:2010.1.2 |
★★★★☆ チャイコフスキーの「交響曲第7番」です
当ディスクにはチャイコフスキーの交響曲第7番とピアノ協奏曲第3番が収録されている、とさらっと書いてみたが、もちろんチャイコフスキーの「番号付きの交響曲」は第6番までしかない。番外編で「マンフレッド交響曲」という大作があるが、それにしても第7番はない。この第7交響曲はチャイコフスキーが1楽章の途中で破棄した未完の交響曲を、後にソヴィエトの作曲家セミヨン・ボガティリェフ(Semyon Bogatyrev 1890 - 1960)が4楽章構成の交響曲にまとめたものである。 チャイコフスキーは一端は作曲を破棄したが、その素材をピアノ協奏曲第3番に転用しているため、音楽としてはまとまったものがあったことに加え、ボガティリェフは、チャイコフスキーの「ピアノのための18の小品」から引用を行うなどして交響曲の体裁を整えたわけだ。 そこで、当アルバムでは、その転用作にあたる「ピアノ協奏曲第3番」も併せて収録している。こちらは単一楽章の作品。演奏はピアノ独奏がトーザー(Geoffrey Tozer)、ネーメ・ヤルヴィ(Neeme Jarvi)指揮ロンドン・フィルハーモニックの演奏。録音は1991年。このような作品にまで録音を行うヤルヴィのバイタリティは素晴らしい。 世の中には、大作曲家の未完の作品に他者が手入れすることで完成させてものが数多くある。モーツァルトのレクイエムやプッチーニのトゥーランドット、マーラーの交響曲第10番など。このチャイコフスキーの交響曲第7番もなかなかしっかりした完成品になっている。ボガティリェフが力量のある作曲家であったことを示している。第1楽章はチャイコフスキーがピアノ協奏曲として完成していたため、いかにもな節回しであるが、第2楽章の郷愁と、その木管の扱いもチャイコフスキー的だ。第3楽章のスケルツォも、天才的なスケルツォ書きだったチャイコフスキー本人のメロディを使っており大きな違和感はない。第4楽章は華やかでクライマックスを持っている。なかなか感心しながら聴くことができるが、もちろん楽曲としての魅力はチャイコフスキーの3大交響曲と比較できるものではない。しかし、聴き手の興味を十分に満たしてくれる。 ピアノ協奏曲第3番は、「なるほど同じだな」と理解させてくれる。あまり演奏という面で個性の出る曲ではないかもしれない。ヤルヴィが全力で振ってくれているのがよく伝わり、レコード・コレクターにはうれしい。 |
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マンフレッド交響曲 交響的バラード「地方長官」(ヴォエヴォーダ) ペトレンコ指揮 ロイヤル・リヴァプール・フィルハーモニー管弦楽団 レビュー日:2010.1.23 |
★★★★★ 俗性を肯定的に捕らえ、かつ洗練を極めた名演
チャイコフスキーのマンフレッド交響曲という作品に対する評価は人によって様々だ。熱烈に支持する人も居れば、軽視している人もいる。チャイコフスキーを得意とし、何度も悲愴交響曲を録音した帝王カラヤンは、マンフレッド交響曲には手を出さなかった。一方で、小林研一郎のように「何度も」手がける人もいる。 私はかつてロジェストヴェンスキーがモスクワ放送交響楽団を指揮してメロディアに録音したLPが忘れ難い。濃厚なロマンティシズムと土俗的な迫力を「これでもか」と前面に押し出した凄演だった。その録音を聴いて圧倒されながらも、あまりに情感を歌うメロディラインにやや戸惑ったことも事実。「交響曲」としての形が整っているだけに、齟齬を感じてしまう。 そんな問題作の録音が2009年グラモフォン賞の管弦楽部門賞を授賞したと聞き、興味深々で聴いてみた。それが当ディスク。ヴァシリー・ペトレンコ(Vasily Petrenko)指揮ロイヤル・リヴァプールフィルの演奏で2007年の録音。 一聴して魅了された。元来なじみ易いメロディに満ちた作品である。問題はその「俗性」をどの程度のラインでキープするかである。ペトレンコが巧妙なのは、その「俗性」が聴き手に訴える部分を肯定的に保ちながら、繊細な楽器のコントロールにより、表現を洗練させ、スタイリッシュな音楽に仕立て上げている部分にある。冒頭の瑞々しい木管の主題提示部から、これを支える弦の伴奏音型の表情が豊かで情緒が清清しい。まさに北国の音楽と思う。やや早めのテンポで引き締まっているが、場所によっては音楽を膨らまして見事な迫力を導く。第1楽章終結部の全管弦楽の合奏は力強い。中間2楽章もメロディラインが清らかに歌われるのが心地よく、いつのまにかすっかり音楽の世界に浸ってしまう。終楽章はもっとも浪漫的な音楽で、かつ土俗的だと思うが、ここでもペトレンコの入念なアプローチは音楽を造形的にまとめている。終結部のオルガンの導入も壮麗で幻想性に溢れている。このクライマックスの後の短く静かな終結部はことのほか美しい余韻を残す。 併録されている「ヴォエヴォーダ」は交響的バラード「地方長官」の名の方が通っているかもしれない。両者は同じ作品である。こちらも名曲というわけではないがペトレンコの棒で洗練された白熱は楽しめる。 |
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マンフレッド交響曲 幻想曲「フランチェスカ・ダ・リミニ」 ロジェストヴェンスキー指揮 モスクワ放送交響楽団 マルケビッチ指揮 ロンドン交響楽団 レビュー日:2010.10.12 |
★★★★★ 「俗性」を積極的に肯定し、全力で正面突破した豪演
ゲンナジー・ロジェストヴェンスキー(Gennady Rozhdestvensky)指揮のマンフレッド交響曲(1966年録音)とイーゴリ・マルケヴィチ(Igor Markevitch)指揮のフランチェスカ・ダ・リミニを組み合わせた「白熱のチャイコフスキー・ライヴ録音集」である。 とにかく凄い演奏。何が凄いのかというと、音楽の泥臭い部分をストレートに渾身の膂力をもって表現し切っているのが凄い。 チャイコフスキーのマンフレッド交響曲は通俗的なメロディラインを思い切り情熱的にオーケストレーションした作品で、一昔前はその俗性が避けられたためか、それほど録音数は多くはなかった。しかし、最近になって、いろいろなアプローチが提案され、曲自体の印象も変わった観がある。アーロノヴィチやシャイーは、ゆったりしたテンポで曲の内省的な側面を増したし、最近では小林やペトレンコといった指揮者による洗練と俗性の融合とでも言える心地よい名演がある。 しかし、ロジェストヴェンスキーには、この曲に洗練の妥結点を与えようなどという気は微塵もない。俗なものは俗なのだ。開き直って野太い音を出すべし!唸るオーケストラ、彷徨する金管、ティンパニの強力なロール。 チャイコフスキーはこの作品を気に入っていなかったと言われる。作曲してみたが、なんとも土臭い作品になってしまったというところか。改変する予定があったそうだが、結局そのままの形で残った。作曲者の迷いをよそに、ロジェストヴェンスキーの表現には迷いがない。何か突き抜けるような強さである。しかし、この演奏がまた力強く聴き手に響く。断じて滅茶苦茶なのではなく、その表現を究めるための技量があり、かつ強奏であっても音楽としての整合性はきちんと保たれている。これがソ連のオーケストラの底力だったのかもしれない。 またマルケヴィチの演奏もこれまた迫力満点の演奏で、快速シーンでもエネルギッシュなたたみかけとこれに呼応する楽器陣のテンションが凄い。持っていると、たまに妙に聴いてみたくなる不思議な魅力のあるディスクである。 |
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マンフレッド交響曲 弦楽のためのエレジー アシュケナージ指揮 フィルハーモニア管弦楽団 ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団 レビュー日:2016.1.28 |
★★★★★ アシュケナージの誠実なマンフレッド交響曲。知名度の低い佳品、弦楽のためのエレジーと併せて。
アシュケナージ(Vladimir Ashkenazy 1937-)の指揮で、チャイコフスキー(Pyotr Ilyich Tchaikovsky 1840-1893)の以下の2作品を収録したもの。 1) 弦楽のためのエレジー 2) マンフレッド交響曲 ロ短調 op.58 1)はロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団と1988年、2)はフィルハーモニア管弦楽団と1977年の録音。 まず「弦楽のためのエレジー」という収録機会が少ないが、美しい佳品が収録されているのが特徴で、この曲は、俳優サマーリン(Ivan Samarin 1817-1885)の演劇活動50年を記念して書かれた作品。祝典作品でありながら、悲歌という体裁を伴っている点が珍しい。チャイコフスキーはこの楽曲を、サマーリンの死後に、劇音楽ハムレットの第4幕に転用している。単独曲としては「弦楽のためのエレジー」のほか「イワン・サマーリンの思い出」というタイトルが付せられることもある。 この弦楽のためのエレジーが、しんしんと心に降り積もってくるような美しい楽曲で、アシュケナージはロイヤル・フィルの美しい弦楽アンサンブルを生かし、淡々と、しかし切々と情感を増す美演を繰り広げている。この演奏を聴いていると、なぜこの曲がチャイコフスキーの他の有名曲のように扱われないのか、不思議に感じられてならない。 次に、大曲「マンフレッド交響曲」が収録されている。こちらの曲も、世の大家の評価は一定せず、指揮者でも好んで取り上げる人と、まったく相手にしない人に別れる。カラヤン(Herbert von Karajan 1908-1989)やバーンスタイン(Leonard Bernstein 1918-1990)は、チャイコフスキーを得意としながらこの曲を手掛けることはなかったし、逆に小林研一郎(1940-)やスヴェトラーノフ(Evgeny Svetlanov 1928-2002)のように、溺愛といってもいいくらい頻繁に取り上げる人もいる。 アシュケナージは、のちにNHK交響楽団とチャイコフスキーの交響曲全集を録音した際には、マンフレッド交響曲を録音しなかった。そのため、アシュケナージによるこの曲のスタジオ録音は、指揮者としてのキャリアを開始してそれほど年数のたっていない当盤1度きり。だが、演奏内容はなかなか良い。この曲の世俗性を適度に中和し、全般に洗練された響きで落ち着いている。過度な演出はないが、必要なところでは的確な踏み込みがあって心地よい。中間2楽章はマイルドな味わいで、旋律が瑞々しく歌われるし、両端楽章はシンフォニックなバランスが良く練られた表現。キリッとした響きが端正だ。あるいはこの曲の大時代的濃厚さを食傷気味に感じる人にとって、聴きやすく感じられる演奏でもあるだろう。 しかし、それでは物足りない、という人もいるかもしれない。そこで、この場を借りて、知られざるアシュケナージのもう一つの当曲の録音に触れたい。アシュケナージは、1988年、なんとベルリンフィル・ハーモニー管弦楽団を振ってこの曲を演奏している。まだ帝王カラヤンがベルリン・フィルの終身首席指揮者兼芸術総監督の地位にあった頃である。この録音は、Eternities ETCD-133-Sとして、一部通販店で取扱いがあるのだが、アシュケナージがベルリン・フィルの機能をフルに活かして、濃厚でダイナミックな表現を貫いたライヴの記録となっている。おそらく、その録音を目隠しで、「カラヤンが指揮している」といったら、思い込む人が大半だろうというくらい、普段のアシュケナージより踏み込みの大きい表現を駆使していて、サウンドもゴージャスなのだ。その録音が、もし通常レーベルからリリースされていれば、おそらく、この曲の録音の決定盤となっていたのではないだろうか。この場をお借りして情報提供したい。 話を当アイテムに戻そう。当盤の普遍的な解釈も質の高いものであり、「弦楽のためのエレジー」が収録されていることも手伝って、オススメしたい一枚となっています。 |
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マンフレッド交響曲 キタエンコ指揮 ケルン・ギュルツェニヒ管弦楽団 レビュー日:2019.11.27 |
★★★★☆ 格調の高さを目指したキタエンコのマンフレッド交響曲
ドミトリ・キタエンコ(Dmitri Kitaenko 1940-)指揮、ケルン・ギュルツェニヒ管弦楽団によるチャイコフスキー(Pyotr Tchaikovsky 1840-1893)の「マンフレッド交響曲 ロ短調 op.58」。2009年の録音。 バイロン卿(George Gordon Byron 1788-1824)の劇詩に基づく標題音楽「マンフレッド交響曲」は、現在に至っても、その芸術的真価について、音楽家の間で評価が分かれる作品だ。チャイコフスキーの作品を重要なレパートリーとしていたカラヤン(Herbert von Karajan 1908-1989)は、なぜかこの楽曲を取り上げようとはしなかったし、バーンスタイン(Leonard Bernstein 1918-1990)に至っては、言葉に出してまで「駄作」と一蹴している。その一方で、スヴェトラーノフ(Yevgeny Svetlanov 1928-2002)や小林研一郎(1940-)のように、この作品を愛し、自身の重要なレパートリーとして取り扱う人もいる。 個人的には、主題、そしてチャイコフスキーが楽曲に与えた劇性が、時にメロドラマ調とでも形容したいような通俗性を感じさせるところに、その評価の分かれ目があるように感じる。私自身は、若いころにロジェストヴェンスキー(Gennady Rozhdestvensky 1931-2018)の豪演で、そのパワーに惹かれた経験を持っている。あと、比較的最近では、妻が「巌窟王」というテレビアニメを観ていて、そこで、この楽曲が象徴的に何度も使用されているのを聴いて、「ずいぶんぴったり来るものだ」と感心したこともある。 いずれにしても、私自身はこの楽曲を聴いて楽しめるし、様々なアプローチがあるから、解釈者である指揮者の考えを感じつつ聴く面白味を感じている。 さて、このキタエンコの演奏はどのようなものか。これは、一言で言うと、やや暗めで、メロドラマ的な成分をできるだけ薄め、文学的な格調の高さを求めた演奏だと感じた。 良いと思ったのは中間の2つの楽章である。第2楽章は透明感あるパレットをつくり、そこで、木管やハープが臨場感に満ちたチャーミングな華やぎを繰り広げる。前述したように、ただ華やかなだけでなく、全体としてはセーヴが効いた感があり、それゆえの手堅い流れとあいまって、とても自然で美しい。テンポはきわめて穏当で平均的だ。第3楽章は優美であり、中間部の疾走も、トーンを落ち着かせてシックな味わいであり、耳に心地よい。 それに比べると両端楽章の魅力はやや落ちるように私には感じられた。前述の通り落ち着いた音楽の中で、暗い描写性が聴かれるが、音楽として、躍動する部分の合奏音の音色が、ずいぶん渋めになっていて、そのため中間部の音色の色合いに欠色があるように思えるのである。全体として、ソツのない締まった運びではあるのだけれど、私には強音の合奏音については、発色性をそこまで警戒しなくてもよかったのでは、と感じる。テンポは平均的。第1楽章のフィナーレにおけるタムタム(銅鑼)の追加は印象的だ。グワーンと鳴る。これは面白い。第4楽章の最後のオルガンは抑制的に響く。 総じて良演の一つであると思う。 ちなみに、私がいままで聴いた中で、この曲の名盤と思えるのは、一つはペトレンコ(Vasily Petrenko 1976-)盤、もう一つはアシュケナージ(Vladimir Ashkenazy 1937-)がベルリンフィル・ハーモニー管弦楽団を振った1988年のライヴ盤で、Eternities ETCD-133-Sとして、一部通販店で取扱いがある。前者は洗練を究めた演奏、後者は濃厚でダイナミックな表現を貫いた熱演であり、この場をお借りして紹介しておこう。 |
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幻想序曲「ロメオとジュリエット」 幻想曲「フランチェスカ・ダ・リミニ」 イタリア奇想曲 弦楽のためのエレジー アシュケナージ指揮 ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団 レビュー日:2008.1.26 |
★★★★★ 特に「フランチェスカ・ダ・リミニ」が名演です
アシュケナージ指揮、ロイヤルフィルによるチャイコフスキーの管弦楽曲集。収録曲は幻想序曲「ロメオとジュリエット」、イタリア奇想曲、幻想曲「フランチェスカ・ダ・リミニ」、弦楽のためのエレジーの4曲。録音は1987年から88年にかけて行われている。 アシュケナージは指揮者として活動を始めたころから、近現代のロシア音楽や北欧音楽と合わせて、チャイコフスキーの楽曲には精力的に取り組んでいたと思う。この録音もその一連のシリーズの一環ということになる。 冒頭に収録された幻想序曲「ロメオとジュリエット」は冒頭から憂いを含んだ透明なクラリネットとバズーンの音色は適度な柔らかさもある。その後もやや暖色系の安定した色彩感で、ロ短調のアレグロの部分もしっかりとした足取りで音楽を支えていて、重心のしっかりした迫力が出ている。「イタリア奇想曲」は鮮明な音像で、健康的な音楽。ファンファーレも明朗だし、フィナーレのタランテラも明瞭な縦線を刻むリズム感が心地よい。 アルバム中最大の聴きモノが幻想曲「フランチェスカ・ダ・リミニ」で、ダンテの「神曲」中の「地獄編」の一説を描写した音楽の荒々しさを、鮮明な光を当てることによって、くっきりと描き出している。弦楽器の金管のバランスも絶妙で、その距離感が音楽の奥行きにリアリティを与えている。テンポも自然でふさわしい。最後に「弦楽のためのエレジー」という珍しい小品が収録されているが、これもチャイコフスキーらしい憂鬱さを湛えた曲で、透明な演奏が見事。 |
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幻想序曲「ロメオとジュリエット」 幻想曲「フランチェスカ・ダ・リミニ」 シャイー指揮 クリーヴランド管弦楽団 レビュー日:2015.11.19 |
★★★★★ 30代になったばかりのシャイーが示した驚くべき統制能力
リッカルド・シャイー(Riccardo Chailly 1953-)指揮、クリーヴランド管弦楽団の演奏で、チャイコフスキー(Pyotr Ilyich Tchaikovsky 1840-1893)の以下の2つの管弦楽曲を収録したアルバム。 1) 幻想序曲「ロメオとジュリエット」 2) 幻想曲「フランチェスカ・ダ・リミニ」 op.32 作曲者初期の名曲として知られる幻想序曲「ロメオとジュリエット」には作品番号が与えられていないが、作曲時期としては交響曲第1番(op.13)と第2番(op.17)の間になる。 当盤が録音されたのは1984年で、指揮をしていたシャイーはまだ30代になったばかり。シャイーの若いころの有名な録音としては、1980年に、まだ27歳という若さで、ウィーンフィルハーモニー管弦楽団を振ったチャイコフスキーの第5交響曲がある。その演奏の高い完成度から、シャイーの将来は嘱望されていた。 その期待に応えて、現在では、シャイーはすっかり世界を代表する指揮者となった。早くから彼の才能を発見し、録音契約を結んだDECCAの慧眼も流石といったところだろう。それで、当録音は、衝撃的だった1980年のデビュー盤に続く、シャイーのチャイコフスキーということになる。 この後、シャイーのチャイコフスキーとしては、1987年のコンセルトヘボウ管弦楽団とのマンフレッド交響曲、それに1985年に同じコンセルトヘボウ管弦楽団を振った第1交響曲のライヴ音源がBOX化されている。しかし、それ以後シャイーはチャイコフスキーを手掛けていない。 この状況は、シャイーの録音したチャイコフスキーの素晴らしさ、デビュー盤に選んだ相性の良さなどを鑑みると、いささか不思議な状況に思える。彼の興味が逸れてしまったのか、それとも基本的な音楽観が大きく変わってしまったのだろうか。 いずれにしても、クリーヴランド管弦楽団を振ったこの2曲の録音は、オーケストラの高い機能をフルに活かした名演と言って良い。引き締まったテンポ、情熱的で劇的な迫力、悲恋を扱った主題の高貴な歌。やりようによっては、土俗的な迫力に満ちたアプローチも可能な楽曲に、シャイーは高度な洗練を与えながら、かつ迫力に満ちた表現をも獲得している。まだ録音キャリアの少ない30代になったばかりの青年の仕事とは思えない熟達を感じる響きだ。 また、チャイコフスキー特有の濃厚な甘美さを備えた旋律が、シャイーの棒にかかると、とても清らかに響くのも素晴らしい。情緒の表現を重くする個所であっても、管弦楽の透き通った音響構築のための境界線を明瞭に設け、熱血的になっても、そのハードルとの距離を見極める。つねに自己を見失わない怜悧な思考が働いている。 収録時間が40分台と、現在の感覚では、ヴォリュームに不足感があることは否めないが、演奏の充実と、録音の良好さも踏まえ、この2曲の代表的録音の一つとして、是非とも推奨したい。 |
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幻想序曲「ロメオとジュリエット」(1880年版) 幻想曲「フランチェスカ・ダ・リミニ」 祝典序曲1812年 歌劇「エフゲニー・オネーギン」からワルツとポロネーズ パッパーノ指揮 ローマ聖チェチーリア国立音楽院管弦楽団 合唱団 国家警察音楽隊 レビュー日:2021.2.9 |
★★★★☆ 合唱も含めて楽しめるチャイコフスキーの管弦楽曲集
アントニオ・パッパーノ(Antonio Pappano 1959-)指揮、サンタ・チェチーリア国立音楽院管弦楽団によるチャイコフスキー(Pyotr Ilyich Tchaikovsky 1840-1893)の管弦楽曲集で、以下の楽曲が収録されている。 1) 幻想曲 「フランチェスカ・ダ・リミニ」 op.32 2) 幻想序曲 「ロミオとジュリエット」 3) 歌劇「エフゲニー・オネーギン」から 「ワルツ」 と 「ポロネーズ」 4) 序曲「1812年」 op.49 3,4)では、サンタ・チェチーリア国立音楽院合唱団によるコーラスが加わる。2)は2006年、他は2005年、いずれもライヴ収録されたもの。 このアルバムの大きな特徴は、後半2曲で、「合唱あり」のヴァージョンを採用している点にあるだろう。そのため、前半は純管弦楽、後半は合唱がメインという、2段仕立ての演出で、聴き手を楽しませてくれる。 パッパーノという指揮者に対する私の印象は、感情的な起伏を増幅した能弁な音楽を引き出す人、というイメージが強かった。一方で、彼のピアニストとしての歌曲伴奏などを聴くと、出すぎず、しかし、影で必要な情緒はしっかり添えている、いかにも伴奏としてしっくりいくピアノであり、音楽に情感を通わせるということに優れた感覚を感じさせるアーティストだと思う。 そんなパッパーノが指揮したチャイコフスキーは、熱血的で力強いのでは?とこの演奏を聴く前は思っていたのだが、意外なほど、均整に配慮した、どこかすました感のある、現代的な造形美を感じさせるチャイコフスキーになっている。それほどロシア的な力強さは強調されず、意外なほど落ち着いた音楽で、迫力より、厳かさを楽曲から引き出しているように感じられる。 最初に収録されている2つの管弦楽曲においては、これらの曲特有の土俗性、言葉を変えれば、一種の下品さのようなものをほとんど感じさせない。パッセージを明瞭に扱い、コントラストをきれいに線引きし、丁寧に、しかし丁寧過ぎて勢いを失わないように注意しながら、音楽を形作っている。ロメオとジュリエットにおける愛のテーマも、清涼感さえ感じさせる歌わせ方で、酔うというより、常に冷静な意識を感じさせる。オーケストラの音色は、やや硬めの印象。いくぶん緊張した感じがあって、特に弦には、もっと柔らか味のほしいところが残る(ただ、これは録音のせいかもしれない)が、フレーズ線の明瞭性は、指揮者の主張通り、担保されている。 後半の合唱では、コーラスの挿入により、伸びやかさや柔軟性が加わっており、私には、これらの楽曲の方が、当盤における演奏の成果として、高いものを感じさせると考える。ここでもパッパーノの演奏は、洗練を心掛けている。序曲「1812年」の終盤で鳴る大砲も、遠鳴りのような行儀良さで、轟くような力押しの表現とは無縁である。 |
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弦楽セレナーデ 祝典序曲1812年(合唱付) 交響的バラード「地方長官」 幻想序曲「ロメオとジュリエット」 アシュケナージ指揮 サンクトペテルブルク・フィルハーモニー管弦楽団 サンクトペテルブルク室内合唱団 レビュー日:2007.2.20 |
★★★★★ ロシアのオーケストラが放つインターナショナルなチャイコ
アシュケナージがサンクト・ペテルブルクフィルを指揮して1996年に録音したチャイコフスキーの管弦楽曲集である。冒頭に収録されている祝典序曲「1812年」は合唱を伴うヴァージョンで録音されている。この人はロシアの出身で、ロシア・ピアニズムと西欧的なスタイルをまとった稀有な洗練されたロマンティシズムを持ち合わせていて、ピアニストとしての力量は十分に知れている。指揮者としてもキャリアを積んで、デッカのサポートを得た録音では、その「国際的な見識あるピアニズム」がやはり反映されるようだ。チャイコフスキーの楽曲となるとどこか泥臭く、かつ連綿たるノスタルジーを含み、時として感涙に咽ぶような「泣かせ節」があるものだが、ひとたびアシュケナージがタクトを振るといかにロシアの重量級オーケストラであろうと、音色は洗練され、過剰な咆哮はなりやみ、透明なサウンドで瀟洒な楽器の音色を楽しませてくれる。この録音での聴きどころはなんといっても金管・木管の時として溶け合い、時として屹立する音色である。その一つ一つの音色の独立した美しさを「1812年」のような仰々しい曲で聴いたことは私の場合ちょっとなかった。エンディングも合唱を伴っていることもあるが、普通は快活なマーチのようなのだが、ここでは賛歌のように聴こえる。「弦楽セレナード」はやや早めのテンポできわめて快活溌剌で爽快である。交響的バラード「地方長官」、幻想序曲「ロメオとジュリエット」では、むしろ弦のヴォリュームを抑えて、ベースのトーンをやや薄めにした配慮が、響きの「気品」に繋がっている。さすがと言えるインターナショナルな録音となっている。 |
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組曲「スペードの女王」(ブレイナー編) 組曲「ヴォエヴォーダ(地方長官)」(ブレイナー編) ブレイナー指揮 ニュージーランド管弦楽団 レビュー日:2013.8.8 |
★★★★☆ ブレイナーの才により、チャイコフスキーの知られざる曲を聴ける
ピーター・ブレイナー(Peter Breiner 1957-)によって編曲されたチャイコフスキー(Peter Ilyich Tchaikovsky 1840-1893)の管弦楽作品集。ブレイナー指揮、ニュージーランド交響楽団の演奏。2012年録音。収録曲は以下の通り。 組曲「スペードの女王」 1) トムスキーのバラード「昔々ヴェルサイユにて」 2) ゲルマンのアリオーソ「私は彼女の名前を知らない」 3) ロシアの踊りとロマンス 4) リーザのアリオーソ「昼も夜も、彼だけ」 5) トムスキーの歌と賭博師の合唱「彼らは不幸な日に立ち会った」 6) ゲルマンのアリアとフィナーレ「あなたは今日、私は明日」 7) ゲルマン「美しき女神よ!」 組曲「ヴォエヴォーダ(地方長官)」 8) マリア・フラシエーヴナ「兵隊はドアの上においた」 9) バストリューコフのアリア「早く燃やせ、赤い空に」 10) オリューオナとドゥブローヴィン「私を信頼せよ、愛しい人」 11) ドゥブローヴィンのアリア「沈黙は私のひどく苦しめられた心」 12) ヘイ・ガールの踊り 13) 序曲-フィナーレ 編曲の体裁は、2つのオペラから「アリア」を繋ぎ合わせたものとなっている。 ブレイナーとニュージーランド交響楽団によるオペラ編曲ものの管弦楽録音では、私は、以前全部で3枚リリースされたヤナーチェク(Leos Janacek 1854-1928)のシリーズが大好きで、よく聴いている。それらは、編曲として良くできていたし、ヤナーチェクの原曲が素晴らしく面白かった。 それで、このチャイコフスキーであるが、これらの作品は、ヤナーチェクの傑作群と比べると、やはりどうしても聴き劣りしてしまうのは否めないと感じた。もちろん、これはこれで面白さがあるし、チャイコフスキーのこれらのあまり有名でない旋律に接する機会はほとんどないので、このアルバムの価値は十分理解できる。しかし、これらの楽曲自体が、チャイコフスキーの他の管弦楽曲と比べても、旋律自体がちょっと渋いのだ。 そのようなわけで、(私の場合)ヤナーチェクの時の様に、大いに楽しむということにはならなかった。けれども、チャイコフスキーらしさを損なわない濃厚な編曲は見事だし、原曲の豪放さ、バレエの舞台を思わせるような豊麗さはよく伝わっている。 特にチャイコフスキーらしいオーケストレーションを堪能できるものとして、トラック4のリーザのアリオーソ「昼も夜も、彼だけ」を挙げたい。描写性に秀でた木管の秀逸な使用など、あらためてチャイコフスキーの「巧さ」を知ることができる。また、他にも、チャイコフスキーらしい旋律の優雅さや、クライマックスの派手さは、随所に顔を出しており、地味目とはいっても、もちろん楽しめないというわけではない。編曲の巧みさとともに、オーケストラの堅実な演奏も好感の持てるものだと思う。 なお、組曲「ヴォエヴォーダ(地方長官)」については、別にある交響的バラード「地方長官」という管弦楽曲を連想する方もいると思うが、これは、当盤の原曲とはまったく別の作品であり、旋律が共通しているわけではないことを補足しておく。 |
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バレエ音楽「白鳥の湖」全曲(マリインスキー劇場版) ゲルギエフ指揮 サンクトペテルブルク・マリインスキー劇場管弦楽団 レビュー日:2007.5.6 |
★★★★☆ ぜひいずれは「通常全曲版」による再録音をお願いしたい!
ゲルギエフとサンクト・ペテルブルク・マリインスキー劇場管弦楽団によるチャイコフスキーの3大バレエ音楽が2006年録音の当盤により一通りそろったことになる。十八番ともいえるジャンルだけにいままでリリースがなかったのが不思議なほどで、そういった意味でも「待たれた」録音ですね。 さて、まずレーベルがデッカになったのですが、個人的にはいままでの乾いた印象の音色がデッカレーベルからのリリースにより、瑞々しくなることを期待したのですが、音色的にはほとんど変わっていません。(従来の音がお好きだった方には朗報でしょう・・・)。というわけでレーベルの違いはほとんど考慮しなくていい感じです。 演奏内容ですが、いかにもゲルギエフらしい雄弁な語り口で、冒頭から木管の憂いを含んだ音色は魅惑的に響きます。また弦楽器陣の末尾に尾を引くような音色は、音楽の裾野を広げ、聴き手に大きな量感を与えますが、その一方で締まりの弱い印象も残し、やや好悪の分かれるところでしょう。弦楽器陣の音色はやや粗めですが、独特の迫力があり、これも従来通りで、むしろエスカレートした感じもあります。 ただ、当盤の特徴として、「マリインスキー劇場版」というスコアによる録音だという点があります。これも様々に評価されるでしょうけど、私個人的には「管弦楽曲のように聴ける通常の全曲版に慣れていると、少しさびしい」感じがしてしまいます。これはバレエとしての臨場感はあるのですが、楽曲の組み立てとしてはどうしても構成感が乏しくなってしまうためで、ボニングやプレヴィンの名盤に馴染んだ耳で聞いてしまうと、とくに大盛り上がりするはずの終曲など、カットが多く、あっさりと終わりすぎてしまい、物足りなさが残ります。しばらくは無理でしょうが、ぜひいずれは「通常版」による再録音をお願いしたいところ。 |
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バレエ音楽「白鳥の湖」全曲 デュトワ指揮 モントリオール交響楽団 レビュー日:2007.7.1 |
★★★★★ デュトワの「偉業」
ひとむかし前のことだけど、ジョージ・セルがクリーヴランド管弦楽団というオーケストラを弛まぬ努力によって「超一流」のオーケストラに仕立て上げた功績は「偉業」と形容されたものだ。その後、これにふさわしいものを探すとすれば、あながち、シャルル・デュトワとモントリオール交響楽団がその最有力候補となるのではないだろうか。それほどまでにデュトワの登場前後で、このオーケストラの印象は大きく違うものだ。 フランス語圏のオーケストラであることもあり、当初はフランスもので注目されたが、それに収まらずロシアもの、ラテン系、汎スラヴ全般の音楽にきわめて高い適性を示した。そしてそのサウンドは透明なパステルカラーで貫かれ洗練の極地と思われた。 最近新録音が少なくなってさびしいが、それでもこのチャイコフスキーの「白鳥の湖」など「なんてすてきな音楽だろう!」と驚嘆してしまう。その柔らかくて、かつ弾力のある音楽は喜びに満ちた明るい音色で、天衣無縫なほどの闊達さに満ちている。華やかな楽曲では、そのスピーディーな展開をはつらつとこなしながら、どの楽器も決して難しそうな表情を見せることがない。ティンパニも品よく、しかしふところ深くなり、金管の強さを秘めてかつソフトな音は音楽に芳醇な起伏を与えている。 最近出たゲルギエフの濃厚な演奏と聴き比べてみた。それぞれに魅力がまったく異なるが、私個人的には耳に心地よいデュトワ盤のほう好みのようだ。 |
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バレエ音楽「白鳥の湖」全曲 プレヴィン指揮 ロンドン交響楽団 レビュー日:2019.10.12 |
★★★★★ プレヴィンが遺した芸術を代表する録音の一つ
アンドレ・プレヴィン(Andre Previn 1929-2019)が、ロンドン交響楽団の音楽監督を務めていた70年代に、EMIに録音したチャイコフスキー(Pyotr Tchaikovsky 1840-1893)の三大バレエ音楽は歴史的名盤として知られているが、当盤はそのうち1976年に録音された「白鳥の湖 op.20」の全曲。音源はwarnerから再発売されるにあたって、リマスタリングされたものである。 私も、当録音のフアンであったため、このたびリマスター版である当盤を購入してみた。EMI原盤からのwarnerのリマスターは、概して品質が高い。当盤もEMI旧盤と比較すると、S/N比が良化することによって、音場の再現精度が向上し、楽器特有の空気感が良くなり、全体としてトーンが暖かくなったと感じられる。 プレヴィンのアプローチは、リズム感、色彩感に富んだものであるが、私はバレエの臨場感というより、シンフォニックな音の構築性を随所に感じる。もちろん、「白鳥の湖」は、典雅で豪華な名バレエ音楽なのであるが、プレヴィンはそこにチャイコフスキーが織り込んだ管弦楽書法を見極めたうえで、客観性に裏打ちされた設計をここみる。だから、テンポはやや速めで一貫性があり、クライマックスも純器楽的な方法でそこに向かう道筋を付ける。バレエ音楽ではあるが、私はこれを音楽作品として楽しむのであり、そんな私にとってプレヴィンのスタイルは理想的なものに違いない。 このスタイルを支えているのは、オーケストラの機能美である。特に木管楽器の明瞭な響きが、一つ一つのフレーズの音楽的役割をわかりやすく伝えてくれるのが心地よい。それは、全体としては「洗練」のイメージにつながるもの。そうであっても、チャイコフスキーの音楽にある、一種の土臭さも残っており、それはバネや粘りの効果として、アクセントに活かされている。いわゆるアーティキュレーションの巧みな扱いにより、作品の本質がしっかりと備わっているという説得力がある。 「白鳥の湖」全曲盤として、いまなお代表的な録音の一つであり、リマスターによって、その価値をさらに高めたと感じられる。 |
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バレエ音楽「白鳥の湖」抜粋 ロウヴァリ指揮 フィルハーモニア管弦楽団 レビュー日:2021.3.25 |
★★★★☆ 良演による「白鳥の湖」抜粋ですが、収録曲の少なさが玉に瑕
サントゥ=マティアス・ロウヴァリ(Santtu-Matias Rouvali 1985-)はフィンランドの指揮者。2021年から、サロネン(Esa-Pekka Salonen, 1958-)の後任として、フィルハーモニア管弦楽団の首席指揮者の任に就くこととなったが、当盤には、それに前もって、ロウヴァリがフィルハーモニア管弦楽団を指揮しての2019年のライヴの模様が収録されている。チャイコフスキー(Pyotr Ilyich Tchaikovsky 1840-1893)の名バレエ音楽「白鳥の湖」からの抜粋となっており、いわゆる「組曲」版とも異なる選曲となっているが、その収録内容の詳細は下記の通りとなる。 1) 第1幕 第2番 ワルツ 2) 第1幕 第4番 パ・ド・トロワ 第1曲 3) 第1幕 第4番 パ・ド・トロワ 第2曲 4) 第1幕 第4番 パ・ド・トロワ 第3曲 5) 第1幕 第8番 全員の踊り 6) 第1幕 第10番 情景 7) 第2幕 第13番 白鳥たちの踊り 第4曲 四羽の白鳥の踊り 8) 第3幕 第18番 情景 9) 第3幕 第19番 パ・ド・シス 第3曲と第4曲 10) 第3幕 第19番b パ・ド・ドゥ 第1曲 11) 第3幕 第21番 スペインの踊り 12) 第3幕 第22番 ナポリの踊り 13) 第4幕 第29番 フィナーレ 最初に当盤の欠点を書かせていただくと、それは「ヴォリュームの少なさ」の一語に尽きる。「白鳥の湖」の全曲を収録するとなるとCD2枚を要するが、抜粋版であっても、LP時代ならいざしらず、現在であっては、それなりの数の楽曲を収録してほしいというのは、聴き手側としては当然の欲求だと思うが、当盤の収録時間はわずか43分であり、序曲やハンガリーの踊りなど、カットは有名曲にも及んでいるため、他の抜粋版と比較すると、圧倒的劣勢にあることは否めない。その点が大前提となる。 演奏は悪くない。ただ、際立って特徴的というわけではない。私は当盤を聴く前に、ロウヴァリが指揮したシベリウスの第1交響曲を聴いたのだが、その熱血的な演奏と比較すると、この「白鳥の湖」は、いたって普通な印象をもたらす良演、と感じる。 もちろん、この指揮者ならではの良さもある。全体のトーンの明るさ、滑らかな響きの中で紡がれる旋律のアヤ、豊かなヴィブラートがもたらす豊穣な音幅。冒頭のワルツにそれらの要素は端的に示されていて、軽やかな弦をバックに歌うトランペットは新鮮で、とても楽しい気分にしてくれる。 また、全般にチャイコフスキーの浪漫性にふさわしいネバリのある音色も、相応し聴き味をもたらしている。そのネバリは舞曲の枠組みを崩すほどに強いものではないが、節回しに適度に熱さを添える役割をはたしており、見事だ。有名な旋律も、品と透明感を維持しながら、生き生きしたカンタービレが引き出されていて魅力的。フィナーレをはじめとするクライマックスでは、十分な音圧でありながら、フレーズは明晰に示されており、わかりやすい。 こうして、感想をまとめていると、やはり惜しまれるのは収録楽曲の少なさという点に尽きる。これから、首席指揮者としてフィルハーモニア管弦楽団との関係が始まるということなので、是非、腰を据えて全曲録音にも取り組んでもらえたら、個人的にもうれしい。 |
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チャイコフスキー バレエ音楽「くるみ割り人形」全曲 グラズノフ バレエ音楽「四季」 アシュケナージ指揮 ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団 フィンチリー児童音楽団員 レビュー日:2007.6.3 再レビュー日:2017.2.28 |
★★★★★ 明るく描かれた「冬の描写」は魅力いっぱいです
個人的にたいへん好きな録音である。89年から90年の録音だが、デッカの澄んだ音色が実にふさわしい。 まずチャイコフスキーでは、すらりとした流れのよい音楽がたいへん耳に心地よい。アシュケナージらしく、聴かせどころの直前のタメが小さく、テンポのよい流れでトントンと進んでいく。楽器の分離は明快で(ときおりその明快さが、メタリックに過ぎるかもしれないけど)、小気味よく音楽がはずみ、チャーミングな起伏に満ちている。「客人たちの出発、そしてその夜」や「戦闘」では、活力が鮮やかで、玩具楽器の出番も効果的でメリハリが利いている。「雪片のワルツ」では児童合唱が清楚で美しい。「ロシアの踊り」もノリがよく抜群の演奏効果が上がっている。 グラズノフの四季は有名な曲だが、意外と国内盤が少なく、このような廉価盤はそういった意味でも歓迎されます!冬からはじまり秋におわる標題音楽として聴くことができるが、(くるみ割り人形と同様に)明るく描かれた「冬」の描写が好ましい。個人的にも、冬場のスキーを楽しむ私は、音楽でも「明るく描かれた冬」が好きで(ヴィヴァルディの「そり遊び」のような・・)、そういった意味でもここで描かれた「冬」の心象はとても好ましい。またバッカスと巫女の輪舞を描いた終曲「秋」の壮麗な演奏効果は実に見事。愛聴盤と呼ぶにふさわしいアルバムです。 |
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★★★★★ アシュケナージの音楽家としての至芸を全編から感じる名盤
アシュケナージ(Vladimir Ashkenazy 1937-)指揮、ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団によるチャイコフスキー(Pyotr Ilyich Tchaikovsky 1840-1893)のバレエ音楽「くるみ割り人形」全曲と、グラズノフ(Aleksandr Glazunov 1865-1936)のバレエ音楽「四季」全曲。1989年から90年にかけての録音。 CD2枚組で、2枚目のCDには「くるみ割り人形」の「花のワルツ」以降の楽曲と、「四季」が収録されているという構成。 指揮者としてのアシュケナージの実力を証明する名盤だ。両曲とも、名演・名録音と呼ぶにふさわしい内容。 「くるみ割り人形」は名だたる名曲であるため、録音も数多く存在する。その中にあって、このアシュケナージ盤は特に優れたものの一つということが出来るだろう。この演奏が、強く人の心に働きかけてくる感情の要素は、「喜び」や「楽しみ」である。アシュケナージという音楽家は、音楽において、まず人の心に働きかけるものを、自然な解釈の中で巧みに描き出すことに長けている。その才能は、一般にピアニストとしての彼がより発揮するものと認識されているかもしれない。しかし、この録音を聴いた人であれば、彼は指揮者としても、同じ素養を鮮やかに発揮していたことがわかるだろう。 最近では、ことに学術的な思考や、構造解析の観点を重視し(過ぎ)、それを引きずるようにして音楽を作ろうとする演奏家が多いと感じる。そのような音楽にもそれなりの興味深さがあることは認めるが、私は、演奏においては、それを演奏家の精神と感覚のバランスを踏まえ、インスピレーションを交えて「心の歌」をひき出し、それを聴き手に届けることこそがもっとも重要だと考える人間だから、アシュケナージの演奏は、いつだって、喜びをもって接することのできるものなのだ。当録音は、その象徴的なもののひとつだろう。 まずチャイコフスキーでは、すらりとした流れのよい音楽がたいへん耳に心地よい。アシュケナージらしく、聴かせどころの直前のタメが小さく、テンポのよい流れでトントンと進んでいく。楽器の分離は明快で、小気味よく音楽がはずみ、チャーミングな起伏に満ちている。「客人たちの出発、そしてその夜」や「戦闘」では、活力が鮮やかで、玩具楽器の出番も効果的でメリハリが利いている。「雪片のワルツ」では児童合唱が清楚で美しい。「ロシアの踊り」もノリがよく抜群の演奏効果が上がっている。 その一方で、全曲の演奏時間は91分と、決して「早く」はないことに気付く。確かに、場面によっては、情緒を盛るため、スローなテンポを取っている。しかし、それは冗長さや退屈とは無縁なものである。なぜなら、アシュケナージは鋭い感覚と愛情をもって、細かいフレーズを機微豊かに扱っていて、ドラマに満ちているからである。 そのような演奏を可能にしているのは、もちろんオーケストラの優れた能力もあってのこと。深みのあって豊かな金管の音色はいつだって聴き手を夢中にさせてくれるし、木管にはマジカルなきらめきがある。弦のトーンのやわらかいこと! 見事なオーケストラの音色が手伝って、戦闘シーンの連続処理の鮮やかさ、そしてシンバルの一撃の鮮烈さなど、他で聴いたことがないと言って良いほどの効果だ。色彩感においても、迫力においても比類ないほどの見事さだ。 グラズノフの四季もたいへんな美演。こちらも明るいタッチで生き生きと描かれた躍動感が見事。「秋」の緩徐部分の透明な美しさは無類だし、ウキウキした気持ちに満ちた「冬」は心底楽しい!グラズノフの四季は冬、春、夏、秋という構成だが、バッカスと巫女の輪舞を描いた終曲「秋」の壮麗な演奏効果は圧巻。 |
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バレエ音楽「くるみ割り人形」全曲 交響曲 第4番 ゲルギエフ指揮 マリインスキー歌劇場管弦楽団 レビュー日:2016.10.31 |
★★★★★ ゲルギエフとマリインスキー歌劇場管弦楽団による自家薬籠中の演目
ワレリー・ゲルギエフ(Valery Gergiev 1953-)指揮、マリインスキー歌劇場管弦楽団の演奏による、チャイコフスキー(Pyotr Ilyich Tchaikovsky 1840-1893)の以下の2つの名曲を収録した2枚組アルバム。 1) バレエ音楽「くるみ割り人形」op.71 2) 交響曲 第4番 ヘ短調 op.36 2015年にセッション録音されたもの。ゲルギエフは同じオーケストラを指揮して1)を1998年に、また、2)についてては、ウィーンフィルハーモニー管弦楽団を指揮して2002年に、いずれもライヴ録音されたものがあったので、いずれも再録音ということになる。 CD1には「くるみ割り人形」のディヴェルティスマンまで、CD2には同曲の花のワルツ以降と交響曲が収録されている。 当盤の特徴は、セッション録音による安定感にあるだろう。細部まで緻密さがあり、鋭利な計算の働いた音響設計が巧みだ。 これは、以前の録音でも感じられたことなのだけれど、ゲルギエフの演奏では、「くるみ割り人形」の音色的なユニークさがとてもわかり易く表現されている。チャイコフスキーの三大バレエ音楽作品の中にあって、「くるみ割り人形」という作品は、ことに近代的な管弦楽書法の粋を極め、そののちのストラヴィンスキー(Igor Stravinsky 1882-1971)を中心とする楽器単体の原色的響きと融合音の対峙を見事に取り込み、また、そのような演奏効果の高いメロディとオーケストレーションが施されたものなのだ。そこには、旋律の美しさ、楽しさだけでなく、チャイコフスキーが様々に案出した音色が躍動しているのである。 ゲルギエフは、その豊かな音色を、鮮やかな手腕で楽しませてくれる。テンポは時に鋭く、時に落ち着いたものとなる。それはバレエ的なメリハリという観点もあるだろうが、それ以上に、オーケストレーションの妙をもっともわかり易いものとして配慮されているように感じる。連続性が重要な場面ではこれを重んじて機敏に進展するし、装飾性を細やかに見せたいときは、ぐっとフォーカスを合わせるため、これまた相応の速度調節を行う。それでいて、全体の劇性や、描写的、情緒的な余韻を十分にめぐらせているのだから、これは聴いていて楽しくないわけがない。カラフルで、面白くて、わかり易い。しかも音楽は表層的なものではなく、人の心を深いところで捉える力をもっている。管弦楽の自信みなぎる反応も見事。 交響曲第4番は堂々たる演奏。ゲルギエフとマリインスキー歌劇場管弦楽団の顔合わせに、より熱血的なものを望む人もいるかもしれないが、それよりはバランスの整ったものと言えそうだ。とはいえ両端楽章の膂力に溢れたシンフォニックな進行はさすがで、全管弦楽が一つの有機体のように強い関連をもって動いていく様は、十分にドラマティックで、白熱したものとなっている。万人を納得させ、なおゲルギエフとマリインスキーの刻印を感じさせる充実した内容だと感じられる。楽曲を隅々まで知り尽くした、彼らならではのものに違いない。 |
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ピアノ協奏曲 全集 ピアノと管弦楽のための幻想曲 p: プレトニョフ フェドセーエフ指揮 フィルハーモニア管弦楽団 レビュー日:2004.2.28 |
★★★★★ 珍しいチャイコのピアノ協奏曲完全全曲盤
1番ばかりが飛びぬけて有名なチャイコのピアノ協奏曲であるが、ここでは第2番、第3番、それに ピアノと管弦楽のための幻想曲まで含めた完全全集盤として聴ける。3番はともかく2番はいまの不遇が納得できないほどのゆたかな曲と感じる。旋律も魅力的であるし、やや展開が冗長ながら、随所でチャイコならではの色彩が堪能できる。 プレトニョフのタッチは軽いが鋭く、これらのチャイコの曲を、重め感を遺さずにきれいにまとめている。フェドセーエフもなれた手さばきで安定感があり、まずは決定的全集盤といっていいだろう。 |
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ピアノ協奏曲 第1番 第3番 p: ガヴリーロフ アシュケナージ指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 レビュー日:2008.1.20 再レビュー日:2013.12.9 |
★★★★★ ガヴリーロフの潜在能力が発揮された名演
アンドレイ・ガヴリーロフというピアニストは、相当な実力の持ち主だと思うが、その個性が本当にプラスの方向に発揮された録音というのは少ない気がする。過度に意気込みすぎたり、スポーティーな迫力に熱を上げたりしすぎて、音楽の多面性のバランスがいささか崩れすぎていることが多いように思うのだ。しかし、中にはその潜在能力がうまく引き出された録音もあり、このチャイコフスキーの協奏曲集はその好例の一つだと思う。ガヴリーロフにとって協奏曲第1番は3度目の録音になるが、バックのオーケストラも含めて当盤が断然素晴らしい。 ここでベルリンフィルを指揮しているのがアシュケナージである。アシュケナージはガヴリーロフの才能を高く評価していて、1989年にロイヤルフィルをともなって祖国モスクワへの26年ぶりの凱旋公演を果たした際に、独奏者としてガヴリーロフを帯同したり、ストラヴィンスキーの2台のピアノのための作品集を一緒に録音(90~91年)したりしている。 さて、このチャイコフスキーは本当に見事で、ガヴリーロフのピアノは、技巧のキレとともに音楽的な情感をも存分にたたえている。オクターヴを連打するパッセージの迫力にも必然的な説得力を持っていて、超絶技巧が目的になるような本末転倒現象も起こっていない。また、アシュケナージの指揮によるベルリンフィルも素晴らしい恰幅のよい、しかし過度な広がりのない透明なサウンドでガヴリーロフのソロを万全に支えている。 またここではチャイコフスキーの遺作の一つであるピアノ協奏曲第3番も収録されている。第2番よりさらに地味な楽曲だが、それでも演奏がこれだけ素晴らしいととてもよく響く。やはり曲の魅力を的確に伝える力のある演奏というのは、このような曲の場合なおのこと重要なのだと再認識させられる。 |
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★★★★★ 二人の芸術家の深いつながりを感じるアルバム
アンドレイ・ガヴリーロフ(Andrei Gavrilov 1955-)のピアノ、アシュケナージ(Vladimir Ashkenazy 1937-)指揮、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏で、チャイコフスキー(Peter Ilyich Tchaikovsky 1840-1893)の「ピアノ協奏曲 第1番 変ロ短調」と「ピアノ協奏曲 第3番 変ホ長調」の2曲を収録。1988年の録音。 このアルバムについてだが、まず2人の共演者 ~独奏者と指揮者の関係~ について書きたい。この2人はいずれもソヴィエトで生まれたピアニストで、深い親交に結ばれている。いずれもスイスに居を構えているのも、共通点だが、印象的だったのは、1989年のイベントだ。 アシュケナージは1963年の亡命以来、祖国に入国することがかなわなかったのだが、政治状況が変わり、24年ぶりに帰国しコンサートを開催することとなった。これに帯同したのが、手兵ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団とガヴリーロフであったのだ。この際、アシュケナージは、ベートーヴェン(Ludwig van Beethoven 1770-1827)のピアノ協奏曲第3番を自らの弾き振りで演奏したのだが、別公演のラフマニノフ(Sergei Rachmaninov 1873-1943)のピアノ協奏曲第2番ではガヴリーロフが独奏を務めた。前者はロイヤル・フィルの自主制作レーベルから、後者はEMIから、その模様がリリースされている。 また1989年から90年にかけて、二人はストラヴィンスキー(Igor Stravinsky 1882-1971)の2台のピアノのための作品集をDECCAに録音している。いずれも、親睦の深さを物語るエピソード。 このアルバムは、そんな二人による録音だ。 話は収録曲のことに変わるが、2曲収録されているチャイコフスキーのピアノ協奏曲のうち、第1番は誰もが知る名曲だけれど、第3番というのはあまり知られていないだろう。元来、この作品は、チャイコフスキーが交響曲として着想したもの。しかし、作曲の行き詰まりからこれを破棄し、その素材からピアノ協奏曲第3番を編んだ。しかし、そのような創作過程もあって、この曲自体の評価は現代まで高いとはいえず、数あるチャイコフスキーの楽曲の中で、重要視されることはない。 もう一つ、この曲について書くと、後年ソヴィエトの作曲家セミヨン・ボガティリェフ(Semyon Bogatyrev 1890-1960)が“チャイコフスキーの第7交響曲”として、「4楽章構成の交響曲」をチャイコフスキーの遺したスケッチなどからまとめているが、そこにこの作品が転用されていて、共通する素材による音楽となっている。ちなみにそちらはネーメ・ヤルヴィ(Neeme Jarvi 1937-)が1991年に録音したものがCHANDOSからリリースされている。 さて、当演奏であるが、きわめてスキッとしたチャイコフスキーである。この第1番の協奏曲などは、陶酔的と言える豪放な音楽で、演奏によっては、かなり派手な風体になることもある。そういう演奏が好き、という人もいるかもしれないが、当演奏はそういったものとは一線を画したもの。インテンポですっきりまとめあげ、余分な感傷は含まず、最小限の内発的なものにとどめ、スポーティなピアノのヴィルトゥオジティと、緊密な管弦楽の構成感により、清涼感溢れる仕上がりとなっている。 アシュケナージの指揮は、ちょっと聴くと淡泊な印象かもしれない。音の広がりを抑制するため、過度な残響や大きすぎる音を排し、音楽を構成する線を明瞭に示そうという意図が見られる。このオーケストラの澄んだサウンドが絶好の土壌となって、ガヴリーロフのスナップの強いアクセントが、実にこまやかに刻まれる。これほどこの曲に「細かさ」を感じさせる演奏というのは、それほどないに違いない。 第3番も良い演奏で、というよりも、この曲の場合、演奏で印象を異なったものにできる自由度があまりないところがあるので、その中にあって、品質の高い演奏といった印象。第1番ほどの独奏者の見せ場もないのだけれど、和音の力強い十全な響きとその連続性の心地よさはさすがで、管弦楽も表情を抑え目に品の良い仕上がり。同曲の録音中でも問題のない一枚。 |
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チャイコフスキー ピアノ協奏曲 第1番 ショパン ピアノ協奏曲 第1番 p: ヴンダー アシュケナージ指揮 サンクト・ペテルブルク・フィルハーモニー管弦楽団 レビュー日:2014.7.24 |
★★★★★ 2010年ショパン・コンクール2位の実力を示すヴンダーの録音
2010年に開催された、第16回ショパン・コンクールで第2位に入賞したオーストリあのピアニスト、インゴルフ・ヴンダー(Ingolf Wunder 1985-)による初の協奏曲アルバム。収録曲は、チャイコフスキー(Peter Ilyich Tchaikovsky 1840-1893)の「ピアノ協奏曲 第1番 変ロ短調 op.23」とショパン(Frederic Chopin 1810-1849)の「ピアノ協奏曲 第1番 ホ短調 op.11」という超名曲2曲。バックをアシュケナージ(Vladimir Ashkenazy 1937-)指揮、サンクト・ペテルブルク・フィルハーモニー管弦楽団が務める。2012年録音。 ヴンダーは、独墺系アーティストであるが、ショパン、チャイコフスキーといった汎スラヴ系作曲家を得意にしているようだ。今回の録音も、自身に溢れた気風の良いものとなっている。 ショパン・コンクールを登竜門とした大先輩ピアニストでもあるアシュケナージは、ヴンダーについてこう評している。「ヴンダーはどこか新しくて面白い、それでいて説得力に溢れた演奏を披露してくれる。これら聴き馴染みのある作品においてさえ、音の軽重の判断、独自の強調点を設け、啓示的とも言える瞬間を演出する」。 さすがに大先輩の指摘で、私の感想をいくら書き連ねても仕方ないくらいかもしれないが、ヴンダーは基本的に王道的といってもいいテンポを軸としながら、付点のリズム、音符の間の取り方に独特のアクセントがあって、その繰り返しが音楽の前に進む様と非常にマッチするのである。その感覚は「軽やか」と表現するのが近いかもしれない。しかし、単に流動的なわけでなく、適度に堰き止めては溢れる音の力学をよく把握し、鮮やかな音の奔流を形作る。 ピアノの音色も美しい。例えばチャイコフスキーの第2楽章、甘美な旋律が重音で奏でられるところなど、魅惑的といって良い響きで、聴き手に陶酔感を与えてくれる。 アシュケナージの指揮も見事。指揮者としても知り尽くしている曲だけに、表現はいずれも堂に入ったもの。いつもの彼のスタイルに比べると、いくぶん柔らかな表現を用いているのは、ヴンダーのスタイルをよく理解してのことと言えるだろう。オーケストラもきわめて洗練された輝かしい音色。特に管楽器の美しさは無類で、弱音に注目して聴いていただきたいと思う。例えば、ショパンの協奏曲の第1楽章のコーダで、感情を高めていく独奏ピアノにそっと添えられる木管やホルンの音の麗しいこと。 ヴンダーの豊かな才は、本録音で明確に証明されている。今後の活躍にも注目したい。 |
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チャイコフスキー ピアノ協奏曲 第1番 スクリャービン ピアノ協奏曲 p: デミジェンコ ラザレフ指揮 BBC交響楽団 レビュー日:2016.7.30 |
★★★★★ デミジェンコのピアニズムによってシェイプアップした姿を見せる名曲2編
ロシアのピアニスト、ニコライ・デミジェンコ(Nikolai Demidenko 1955-)と同じくロシアの指揮者、アレクサンドル・ラザレフ(Alexander Lazarev 1945-)指揮BBC交響楽団の演奏で、以下のロシアの2つの名ピアノ協奏曲を収録したアルバム。 1) チャイコフスキー(Pyotr Ilyich Tchaikovsky 1840-1893) ピアノ協奏曲 第1番 変ロ長調 op.23 2) スクリャービン(Alexander Scriabin 1872-1915) ピアノ協奏曲 嬰ヘ短調 op.20 1993年の録音。 とても洗練された、真摯なピアニズムで貫かれた演奏である。私はこの録音を聴いて、坂本龍一(1952-)がチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番を「陶酔しかない曲」と酷評したという記事をどこかで読んだことを思い出した。出典を思い出さないし、いまきちんとこの話の根拠を確認できたわけではないけれど、チャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番が名曲である一方で、様々な評価があることは事実だ。チャイコフスキーがその初演を期待したピアニスト、ニコライ・ルビンシテイン(Nikolai Rubinstein 1835-1881)は価値のない作品だと断じたし、アシュケナージ(Vladimir Ashkenazy 1937-)も、「最初の和音に意味があると強く思い込み続けることを強いられる」とコメントしたことがあった。 しかし、このデミジェンコのように、颯爽と気風よく引き切った演奏を聴くと、印象が異なるかもしれない。特に、この曲に相容れないものを感じる人であれば、このような演奏が理解の引き金となることもあるだろう。 デミジェンコの技巧は見事なものであるが、そのヴィルトゥオジティは「陶酔」という自己顕示のために施されているとは感じられない。彼は、ピアノの響きから、内面的なものを十分に抽出し、それを隅々まで行き渡らせる方法で、鮮やかにこの曲をリファインしてみせたのである。思えば、この曲の開放的なイメージは、その華やかな冒頭と、その冒頭部に絢爛な響きを与えた往年の巨匠たちによって蓄積されたものであって、逆に言えば、その装飾をはぎ取るような方法論だって可能だし、それがチャイコフスキーの本意であったのかもしれないのである。 デミジェンコのピアノがもたらす落着きや慈愛は、慣れた場所で休息するときに近い安堵感がある。過度なエネルギーを必要としない快活なピアニズムは、スムーズで、心地よく音たちが展開していくのである。 この演奏の象徴的な個所として、第2楽章の中間部以降を挙げたい。これほど軽やかな重音や連音が、精緻に配列した音響を、この楽曲で聴いたことがあっただろうか、と思う。透明で、しかし音楽的な表現を徹底した合理性の中、幾何学的といってもよい美しさが引き出されている。 ラザレフ指揮によるオーケストラの音色が、やや軽く明るめであることも、この演奏の性格をよく形作っている要因であろう。 スクリャービンも良い。この曲にはアシュケナージとマゼール(Lorin Maazel 1930-2014)による「決定的」と言って良い録音があるのだけれど、このデミジェンコとラザレフの演奏は、スリムさを持った響きで、スクリャービン初期のロマン派の作法に即した感情表現がスマートにこなされているという点で、とても聴き易い演奏。クライマックスで放散される熱に、どこか冷涼な空気感が添えられた印象なのは、金管のどちらかと言うと鋭角的な響きなどにもたらされるものかもしれない。全曲の終結部は、全管弦楽が豊かに高潮して忘れがたい。 |
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チャイコフスキー ヴァイオリン協奏曲 メンデルスゾーン ヴァイオリン協奏曲 vn: 川久保賜紀 下野竜也指揮 新日本フィルハーモニー交響楽団 レビュー日:2005.3.22 |
★★★★★ 今後の期待も込めて!
2002年チャイコフスキー・コンクールで2位なしの1位となった川久保賜紀の実質的なデビュー盤である。聴いたとたん、余分な力のない自然ななめらかな音感に惹かれる。普通デビュー盤となると、もっと技巧を前面に出した華やかな演奏になるかと思われるのだが、本盤は意外なほどしっとりしており、楽曲そのものが高級な音で引き締まっているかのようだ。ヴァイオリンの音は、少しセーヴ目で、美しいヴァイオリンの「遠鳴り」を堪能させてくれる。また、細かいクレシェンドやデクレシェンドの確かなテクニックに支えられた安定感は、とても流れが自然であり、かつ曲のウィットを表現する幅も感じられる。バックのオケもなかなかの好演だ。 やや大人しい感じだが、響きに滋味があり、奥行きのある高雅さが出ている。なかなか非凡な演奏と感じた。チャイコフスキーの第1楽章のカデンツァから、オーケストラが復帰する部分など、夢見るような美しさである。 まずは実質的デビュー盤として今後に大いに期待を膨らませる録音だ。 |
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チャイコフスキー ヴァイオリン協奏曲 ショスタコーヴィチ ヴァイオリン協奏曲 第1番 vn: ベルキン アシュケナージ指揮 ニュー・フィルハーモニア管弦楽団 ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団 レビュー日:2009.6.27 |
★★★★★ ベルキンとアシュケナージによるロシアの2つの名ヴァイオリン協奏曲
ボリス・ベルキンとアシュケナージによる、ロシアを代表する2曲のヴァイオリン協奏曲の演奏を収録。チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲はニュー・フィルハーモニア管弦楽団との1977年の録音で、ショスタコーヴィチのヴァイオリン協奏曲第1番はロイヤルフィルとの1988年の録音。 ところで、アシュケナージは指揮者としてチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲を3回録音している。他の2回はそれぞれ独奏者が、ジョシュア・ベル(Joshua Bell)~1988年録音と諏訪内晶子~2000年録音で、ほぼ12年周期で録音していることになる。中で一番古いこの1977年のベルキンと録音したものが、もっとも豪放で力強い表現を求めていることが面白い。年代もオーケストラも独奏者も異なるので、表現が変わるのは当然だが、当盤ではクライマックスでの「ため」や、金管の高らかな鳴らしっぷりの気風がいかにも若々しく、屈託の無い喜びに溢れている。ベルキンのヴァイオリンもそれにつられるように鳴らしており、このタイミングのみに到達しえた録音だと思う。 ショスタコーヴィチも良い。こちらは1988年の録音であり、より難解な部分を含む作品に対してアプローチも内省的。ある意味より含蓄を感じさせる。細やかな暗い情動と、機動的な反応がバランスよくブレンドしており、この作品がどのような音楽であるのかがよく伝わる内容だと思う。もっと知られてもいい録音と言えるだろう。 |
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チャイコフスキー ヴァイオリン協奏曲 ショスタコーヴィチ ヴァイオリン協奏曲 第1番 vn: 五嶋みどり アバド指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 レビュー日:2015.9.28 |
★★★★★ 貫禄の名演です
五嶋みどり(1971-)のヴァイオリン、アバド(Claudio Abbado 1933-2014)指揮、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団による以下の2曲を収録したアルバム。 1) チャイコフスキー(Pyotr Ilyich Tchaikovsky 1840-1893) ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 op.35 2) ショスタコーヴィチ(Dmitrii Shostakovich 1906-1975) ヴァイオリン協奏曲 第1番 イ短調 op.99 1)は1995年、2)は1997年に、それぞれライヴで録音されたもので、両曲の末尾の拍手も収録されている。アバドにとって、当盤が唯一のショスタコーヴィチ作品の録音である点でも興味深い。 私は、ソニーからリリースされたアバドのBox-setを購入し、中に当該ディスクも入っていたので、このたび聴く機会を得たのだけれど、当盤に関しては、「なぜ今までこのディスクを入手し、聴いてこなかったのだろう?」と思ってしまった。 本当に「いまさら」だけど、それくらい素晴らしい録音だ。思えば、最近では世界的に邦人ヴァイオリニストがソリストとして活躍する機会があるけれど、そのシンボル的な存在であり、わけても世界的に高く評価されてきたのが五嶋みどりである。その存在感は、いまなお圧倒的で、第一人者の呼称が相応しい芸術家だ。これらの録音が行われた頃、五嶋は24~26歳のころ。しかし、すでにその芸術的完成度の高さは比類ない。 これらの2作品においても、五嶋のヴァイオリンは素晴らしい表現を示す。なんといってもフィンガリングの正確さ、そしてそこから紡ぎだされる様々な情感、そして全体的なバランスとの中で図られる音楽の気高さが素晴らしい。 チャイコフスキーのもう何回聴いたかわからないこの名曲を、あらためて聴いてみて、その表現の深さで心を打たれるというのは、なかなか経験しがたいことである。五嶋のヴァイオリンで紡ぎだされる旋律は、時に深い衝撃をもって響く。それだけでなく、その間隙や間合い、音色と、「無音部分」のバランスによって描かれる一種の深い黙考的瞬間が、私の耳をそばだてる。チャイコフスキーのこの楽曲によって、このような思いを引き起こされることが、ほかにあっただろうか?そうして導かれる音楽の力はとても強く、祭典的な旋律であっても、そこに文学的、思索的な余韻が付随してくる。 ショスタコーヴィチも見事だ。元来一種の気難しさのある曲だが、五嶋のヴァイオリンの絶対的なソノリティの美しさと、適度に維持される緊張感、過度に刺々しくならない表現方法が、この楽曲の魅力をぐっと高めている。急速な偶数楽章の疾走感の中で、高い技術で維持されたソロの完成度の高さは古今の名盤の中でも特筆すべき部類だろう。第3楽章後半に挿入されるカデンツァの情感のある、しかし決して華美にならない禁欲的な美観は、この楽曲の性格を見事にコントロールする部分である。 アバドの伴奏もうまい。元来、協奏曲の指揮がとてもうまい人だったが、五嶋の作り出す緊迫と情緒のバランスを、的確にサポートしていて、音楽の密度に一際濃さを感じさせる。これだけのショスタコーヴィチが振れるのに、なぜ他の楽曲を録音しなかったのか、不思議だ。(そういえば、アバドはシベリウスも振らなかった)。しかし、当盤だけでも、アバドのショスタコーヴィチとして、十分に記憶に残る名演となっているだろう。 |
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ヴァイオリン協奏曲 ワルツ・スケルツォ ゆううつなセレナーデ なつかしい土地の想い出 vn: エーネス アシュケナージ指揮 シドニー交響楽団 p: アシュケナージ レビュー日:2011.12.21 |
★★★★★ エーネスとアシュケナージの抜群の相性の証左となる録音
当盤の内容は、カナダのヴァイオリニスト、ジェームス・エーネス(James Ehnes 1976-)によるチャイコフスキーの作品集で、収録曲は (1)ヴァイオリン協奏曲 (2)ワルツ・スケルツォ (3)ゆううつなセレナーデ (4)なつかしい土地の想い出 の4曲。(1)~(3)はヴァイオリンとオーケストラのための作品で、アシュケナージ(Vladimir Ashkenazy 1937-)指揮シドニー交響楽団がバックを務める。また(4)では、今度はアシュケナージがピアノでエーネスのヴァイオリンと合わせている。(1)-(3)はライヴ録音で、(4)のみスタジオ収録。録音は2010年。この年、エーネスとアシュケナージはすでにメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲を録音済み(フィルハーモニア管弦楽団)なので、これが録音上では2度目の共演ということになる。 演奏は、非常にスマートな快演だ。エーネスの技術が素晴らしいのは言うまでもなく、この曲でもあらゆる難所を、「さあ乗り越えますよ」といった気配すら微塵も感じさせずに颯爽かつ軽やかに過ぎていく。アシュケナージのやや早めでインテンポを主体とした指揮振りともよく調和していて、清清しい、実に透明なチャイコフスキーだ。アシュケナージによってその録音を聴く機会の多くなったシドニー交響楽団だが、ますますクオリティが上がってきているのも特筆できる。第1楽章のこぼれるような感触に満ちたクラリネット、第2楽章の憂いを浄化するかのようなフルート、いずれも絶品と言いたいほどの美しさで、ヴァイオリンだけではない、あらゆる楽器の卓越した響きを堪能できる録音になっている。これが現代の協奏曲演奏を聴く喜びだろう。終楽章も華やかでありながら、楽曲からは過度の「膨らみ」が排されており、きわめてスマートで筋肉質に成り立っている。ソリスト、指揮者の感性が高度に一致した表現だ。これは併録してあるヴァイオリンと管弦楽のための2つの小品でもまったく同じ。ライヴ録音であるが、録音品質もきわめて上々だ。 なつかしい土地の想い出が収録されたのはアシュケナージ・フアンにも嬉しいサービスだ。しっとりした品の良い淡い情感を纏わせながら、誠実なタッチで支えるアシュケナージのピアノは本物の上質感に満ちているし、万全の伴奏を得たエーネスのヴァイオリンも冴え渡っている。私にとって、心底味わわせてもらったアルバムだ。 |
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ヴァイオリン協奏曲 ゆううつなセレナーデ ワルツ・スケルツォ 懐かしい土地の思い出(グラズノフ編によるヴァイオリンと管弦楽版) vn: カーラー D.ヤブロンスキー指揮 ロシア・フィルハーモニー管弦楽団 レビュー日:2017.8.10 |
★★★★★ 隠れた実力者、イリヤ・カーラーの芸術の素晴らしさを示す1枚
ロシアのヴァイオリニスト、イリヤ・カーラー(Ilya Kaler 1963-)と、ドミトリー・ヤブロンスキー(Dmitry Yablonsky 1962-)指揮、ロシア・フィルハーモニー管弦楽団によるチャイコフスキー(Pyotr Tchaikovsky 1840-1893)の名曲ヴァイオリン協奏曲を中心としたアルバム。収録曲は以下の通り。 1) ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 op.35 2) 憂鬱なセレナード op.26 3) 懐かしい土地の思い出 op.42 4) ワルツ・スケルツォ 2004年の録音。3)はグラズノフ(Aleksandr Glazunov 1865-1936)によるヴァイオリンと管弦楽版。 カーラーは1981年のパガニーニ国際コンクール、1985年のシベリウス国際ヴァイオリン・コンクール、1986年のチャイコフスキー国際コンクールでそれぞれ第1位を獲得したヴァイオリニスト。確かな実力がありながら、メジャー・レーベルとの契約がないことなどから、日本のフアンに知られる機会は少なかったが、ナクソス・レーベルとの契約により、その録音を聴ける機会は一気に増えた。 カーラーの弾く当曲を聴いて、私はオイストラフ(David Oistrakh 1908-1974)のことを思い出した。カーラーの演奏は、正統的なスタイルで、特に弱音や重音の柔らかい響きが私には魅力だが、それと併せて全体的な幸福感や暖かさが、私にオイストラフを彷彿とさせるものだったのである。あの有名な第1楽章の主題にしても、細部の柔らか味から整えられたグラデーションがしっかりとした基礎としてあり、その上に巧妙な強弱を持った旋律が抒情性を持って奏でられる。 もちろん、この名曲には古今優れた録音がそれこそ無数にあって、「どの録音がいい」というのがことに難しい一曲というのが私のこの曲へのイメージであるが、このカーラーの演奏は、その中でも正統的で王道的。これを「良くない」と感じる人は少ないのではないか。 ヤブロンスキーが指揮をしたオーケストラは、やや早めのインテンポであり、むしろこちらの方により濃厚さを求める人がいるかもしれない。また録音は、独奏楽器に近いポジショニングのイメージであり、その点でも多少好悪はあるだろう。でも、言及するポイントとして、「強いて挙げればこれくらい」というところで、全体的な質は高いし、カーラーのヴァイオリンには文句の付け様がない。難癖をつけるとしたら、「もっと名人芸的な遊びや刺激があってもいい」だろうか。しかし、私個人的には、何かで奇をてらうより、当演奏の様にまっすぐな表現性を感じさせるものが、最終的に愛聴盤にふさわしいものとなるのである。また、誤解のないように書いておくと、当演奏は決して無刺激なものではなく、特に第3楽章の運動性など、胸をすくような一幕が繰り広げられている。それでも、基本的な真面目さが貫かれているのが、カーラーの美意識ゆえだろう。 フィルアップされた3曲についても、カーラーの音色は全般に暖かさ、明るさが通っており、曲想がもつメランコリーも、どこか高貴な佇まいで導かれる。ワルツ・スケルツォで華麗さを再度繰り広げて終わるところは、アルバムとしてのまとまった構成感とともに、聴き手に充足感を与えて結ばれるだろう。 カーラーという音楽家の優れた音楽性を味わえる1枚となっている。 |
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ヴァイオリン協奏曲 ゆううつなセレナーデ ワルツ・スケルツォ メロディ(懐かしい土地の思い出から) 「白鳥の湖」から「パ・ド・ドゥ」と「ロシアの踊り」 vn: ユー アシュケナージ指揮 フィルハーモニア管弦楽団 レビュー日:2017.7.27 |
★★★★★ 技術の秀逸とともに弱音で引き出される憂いの表現も魅力です
韓国系アメリカ人のヴァイオリニスト、エスター・ユー(Esther Yoo 1994-)がグラモフォンからリリースしたアルバム第2弾は、第1弾である2014年録音のシベリウスとグラズノフのアルバムに引き続いて、アシュケナージ(Vladimir Ashkenazy 1937-)指揮、フィルハーモニア管弦楽団との共演となった。すでに、両者は世界各地でコンサートを成功させており、当アルバムでもいかにも血の通った表現を聴くことができる。今回はチャイコフスキー(Pyotr Tchaikovsky 1840-1893)の以下の楽曲が収録された。 1) ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 op.35 2) バレエ音楽「白鳥の湖」op.20 より パ・ド・ドゥ 3) バレエ音楽「白鳥の湖」op.20 よりロシアの踊り 4) 憂うつなセレナード 5) ワルツ・スケルツォ op.34 6) なつかしい土地の思い出 op.42 から メロディ 2016年の録音。 実力ある若手の録音であると同時に、チャイコフスキーの作品を、「独奏ヴァイオリンと管弦楽のため」という視点から集約したというコンセプトにおいても魅力を感じさせるアルバムである。 エスター・ユーのヴァイオリンはここでも快調で、ビブラートの切れの良いまとまり、連続する重音の軽やかな弾きこしに、いかにも若々しい躍動感を感じさせるだけでなく、憂いのある情感の表出も見事だ。 アシュケナージの指揮の下、指揮者と長らく良好な関係を築いているオーケストラは、伸びやかな歌を響かせながら、締めるところは締める練達ぶりを示しで、独奏者の躍動感を好サポート。全体として適度な典雅さと情感が引き出されており、古今の名演に引けをとることのない充実ぶりを示す。ヴァイオリン協奏曲の第3楽章の弾力ある表現は、聴いていておもわず体が動き出してしまうように楽しい。 バレエ音楽「白鳥の湖」からの2点は、当該シーンの描写にこだわったものではない感じで、純音楽的に表現を追求したように思える。アシュケナージのタクトも、ヴァイオリン協奏曲よりむしろ冷静さを感じさせる。聴き手によっては、より華やかなものを望むかもしれないが、アルバム全体の雰囲気として、「浮いた感じ」のないまとまりがあると思う。 「憂うつなセレナード」では、ユーの弱音の美しさとそこから引き出される深い憂いの込められた響きが美しい。管弦楽も瞑想的な美観を湛えてこれを支える。「ワルツ・スケルツォ」「メロディ」においても、憂いの要素を保ちながらも、明朗な響きが瑞々しく、胸を打つ。当盤で聴く演奏を聴く限り、幅広いジャンルに相応しい演奏を繰り広げてくれそうだ。 |
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チャイコフスキー ヴァイオリン協奏曲 ミャスコフスキー ヴァイオリン協奏曲 vn: レーピン ゲルギエフ指揮 マリインスキー劇場管弦楽団 レビュー日:2021.1.4 |
★★★★★ レーピンとゲルギエフによる、スラヴのヴァイオリン協奏曲 2編
ヴァディム・レーピン(Vadim Repin 1971-)のヴァイオリン独奏、ワレリー・ゲルギエフ(Valery Gergiev 1953-)指揮、マリインスキー劇場管弦楽団の演奏で、以下の2作品を収録。 1) チャイコフスキー(Pyotr Tchaikovsky 1840-1893) ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 op.35 2) ミャスコフスキー(Nikolai Myaskovskii 1881-1950) ヴァイオリン協奏曲 ニ短調 op.44 2002年、フィンランド、ミッケリにおいてライヴ収録されたもの。 名曲として広く知られ、頻繁に演奏され、録音機会も多いチャイコフスキーと、めったに演奏されず、ほとんど知る人もいないと思われるミャスコフスキーという意表を突いた組み合わせながら、両曲とも聴きごたえ十分の演奏だ。レーピンは積極的な表現で、ライヴの雰囲気も手伝ってか、情熱的な切り込みの深い手法で両曲を描いている。部分的に粗さも感じられるが、ゲルギエフ指揮のオーケストラとあいまって、熱血的と表現してもよい果敢な演奏となっており、その結果、両曲の魅力を直截に聴き手に伝える内容となっている。 チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲では、終始この曲に相応しいワクワク感に満ちた響き。憂いから雅まで、熱い弓の動きが伝わってくる。動きが豊かで、ある面攻撃的と言っても良いスリリングさに満ちている。ロマンティックな濃厚さとともに、迫力が求められる部分での燃焼度は尋常ではなく高い。豪壮な第1楽章、情感豊かな第2楽章、いずれも魅力的だが、私には祭典的な第3楽章にクライマックスが置かれているように感じられる。速いテンポで、オーケストラと独奏ヴァイオリンが、火の出るようなやり取りを繰り広げ、勢いを緩めることなく、終結になだれ込む迫力がすさまじい。 ミャスコフスキーのヴァイオリン協奏曲は、聴きなれない作品であるが、レーピンとゲルギエフの共感豊かな演奏は、作品の素晴らしさを分かりやすく聴き手に伝えてくれる。第1楽章はいかにもロシア風のメランコリーを内包したスケールの大きな音楽であり、そのシンフォニックな構成感をゲルギエフが抜群のバランス感覚でサポート。楽曲自体に難点がないわけではないが、そう感じさせない巧みさがある。第2楽章は叙情的な雰囲気で、この曲を初めて聴く人には、第1楽章より、第2、第3楽章の方が馴染みやすいだろう。レーピンは線の太い歌で、切々と語るように歌う。第3楽章は運動的で、チャイコフスキーの終楽章を思い起こさせるような溌溂たるアプローチが展開される。全体として、ロマン派のヴァイオリン協奏曲として、十分にラインナップに加えられるだけの内容を感じさせてくれる。 当録音から相当に年数が経過しているが、ミャスコフスキーの録音は、あいかわらずめったにない。チャイコフスキーの熱血的な演奏と、ミャスコフスキーの楽曲の魅力を適切に伝える演奏という2点において、今も十分に高い存在価値を示している1枚だ。 |
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ピアノ三重奏曲「偉大な芸術家の思い出」 p: アシュケナージ vn: パールマン vc: ハレル レビュー日:2015.2.18 |
★★★★★ スケールの大きい名曲に相応しい名演
アシュケナージ(Vladimir Ashkenazy 1937-)のピアノ、パールマン(Itzhak Perlman 1945-)のヴァイオリン、ハレル(Lynn Harrell 1944-)のチェロによるチャイコフスキー(Pyotr Ilyich Tchaikovsky 1840-1893)の名曲、 ピアノ三重奏曲 イ短調 op.50「偉大な芸術家の思い出」。1980年の録音。 この作品は、あまりにも感傷的なメロディから敬遠する人もいるかもしれないが、連綿たる美しい旋律に溢れた作品で、加えて、その後、アレンスキー(Anton Arensky 1861-1906)やラフマニノフ(Sergei Rachmaninov 1873-1943)のピアノ三重奏曲にも影響を与えた、言ってみればロシア・ピアノ三重奏曲の名曲史の祖のような存在でもあるという意味でも、重要な作品だ。 日本では、この曲は長らく愛されてきた。しかし、大家たちによる録音というのは、思ったほど多くはなく、今でも、この曲における大家の共演盤というと、私は最初に当録音を思いつく。もちろん、これは私がこの演奏に長く親しんだから、ということもあるのだけれど。 チャイコフスキーが、当初、ピアノ、ヴァイオリン、チェロという編成のための室内楽の作曲に、食指が動かなかったのは有名な話だ。彼は、有力なパトロンであったフォン・メック夫人(Nadezhda von Meck 1831-1894)宛ての手紙の中で、「これら3つの楽器による響きが生理的に受け付けないのです」とまで書いている。そんなチャイコフスキーがなぜこの曲を書くに至ったかは謎である。その後のフォン・メック夫人宛ての手紙には、「驚かれると思いますが、なんと、私は今、ピアノ三重奏曲を書いているのです」と示している。 このピアノ三重奏曲は、亡くなったチャイコフスキーの親友に捧げられている。その人物は、高名な音楽教師であったニコライ・ルビンシテイン(Nikolai Rubinstein 1835-1881)である。ニコライ・ルビンシテインはピアニストとしても秀でた人物であった。そのためもあってか、このピアノ三重奏曲では、ピアノの占めるウェイトが大きく、ピアニストに要求される技巧もかなりのものだ。特に第2楽章の変奏曲のピアノ・パートは、チャイコフスキーが書いたスコアの中で、最も至難なものとされている。 というわけで、当演奏の成否にはピアニストの力量が大きく左右するのであるが、そこは流石にアシュケナージであって、的確な手腕でフレーズを捌き、かつ情緒も見事に表現している。彼のピアノを聴いていると、あまりにも弾きこなしが鮮やかであるため、技術的に至難な箇所であっても、ほとんどそれと感づかせるようなことはない。それくらい流麗に奏でられている。しかも、彼のピアノには、力強さに溢れ、ロシア的な土俗性と抒情性の入り混じったこの作品に、見事な闊達ぶりで、適性を表している。 ヴァイオリン、チェロも上々で、この楽曲の持つスケール感に併せ、室内楽というより、ちょっとした協奏曲を演奏しているような、朗々たる響きを聴くことができる。 最も感動的なのは、第2楽章の最後の変奏からコーダにかけてで、躍動的に波打つピアノに先導されて、二挺の弦が全力で歌い上げる様は、ドラマティックこの上ない。クライマックスを築き上げた後、しめやかに閉じていき、最後に鳴る葬送行進、それを見送る木枯らしの様な弦も忘れがたい。 いまなお、当盤の代表的録音として挙げたい1枚だ。 |
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ピアノ・ソナタ 第2番「グランドソナタ」 四季 p: F.ケンプ レビュー日:2016.1.29 |
★★★★☆ フレディ・ケンプらしい気風の良い、清々しくも暑いチャイコフスキー
フレディ・ケンプ(Freddy Kempf 1977-)によるチャイコフスキー(Pyotr Ilyich Tchaikovsky 1840-1893)のピアノ独奏曲を集めたアルバム。収録曲は以下の通り。 1) グランド・ソナタ ト長調 op.37 四季-12の性格的描写 op.37b 2) 1月 炉端にて イ長調 3) 2月 謝肉祭 ニ長調 4) 3月 ひばりの歌 ト短調 5) 4月 松雪草 変ロ長調 6) 5月 白夜 ト長調 7) 6月 舟歌 ト短調 8) 7月 刈り入れの歌 変ホ長調 9) 8月 収穫の歌 ロ短調 10) 9月 狩りの歌 ト長調 11) 10月 秋の歌 ニ短調 12) 11月 トロイカ ホ長調 13) 12月 クリスマス週 変イ長調 2014年録音。名演名録音のひしめく「四季」と併せて、演奏至難で録音されることの多くない「グランド・ソナタ」を組み合わせたあたり、コンクール型ヴィルトゥオーゾであるケンプらしいプログラム。 最初に、いきなり自分の思い出を書かせていただくと、私がグランド・ソナタを初めて聴いたのはリヒテル(Sviatoslav Richter 1915-1997)のLPだった。そのときは、とにかくいかめしい曲を、バリバリ重量級の音を響かせたもの、という印象で、なんとも親しみにくい楽曲だな、と感じたものだ。以来、私は長いことこの曲をきちんと聴いてきなかったのだけれど、ルガンスキー(Nikolai Lugansky 1972-)の1995年の録音を聴いたとき、そのすっきりとした仕上がり、作品との距離感をキープした遠視点的均衡美に惹かれ、「チャイコフスキーのグランド・ソナタって、いい曲だったんだな」と思ったものである。 このフレディ・ケンプの演奏は、その両者の中間といったイメージ。響きは洗練されえいて、まっすぐ突き通るような清々しさがあるが、曲想に沿った熱気を孕んでいて、細かい所は結構自由だ。その自由さの中で、重層的な響きにある程度の加速度を加え、力感を衒いなく表現している。 第2楽章の瞑想的な雰囲気もよく表現されているが、後半2楽章の闊達な音楽では、ケンプらしい演出が加味され、起伏の豊かなスピード感を持って音楽が描かれていく。そういった点でルガンスキーより、やや曲の側に接近した表現で、かつリヒテル的な重々しさをも備えた演奏である。その結果、響きは洗練されているが、一種の「派手さ」も、ある程度露呈する演奏である。もちろん、これは「そういう曲」だから、それを楽しむという点では楽しいが、私個人的にはルガンスキーの録音により惹かれるところはある。 「四季」は、最近この曲に登場した様々な録音の中で、特にスポーティーな味わいを感じさせる演奏だ。もちろん、随所でチャイコフスキーらしいメランコリーや情緒も瑞々しい感覚で表現されていて、絶対的なソノリティの美しさと併せて魅力的なのだけれど、そういった部分を覆うくらいアクティヴな部分の闊達な爽快さが支配的なのである。テンポも全般に早めで、次々と季節が移ろってゆく。12曲の中だと、例えば9月の「狩りの歌」などが、ケンプの四季の象徴的な個所になると思う。鍵盤を駆け巡る音のきらめきが伝わる。 いずれの楽曲も、現代を代表するヴィルトゥオーソが手掛けたに相応しい技巧に富んだ表現が繰り広げられている。より陰影のある表現を求めたくなるときもあるが、ケンプの解釈は気風が良く、1枚通して聴き終わった感触は、わりと清々しい。 |
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チャイコフスキー ピアノ・ソナタ 第2番「グランドソナタ」 スクリャービン ピアノ・ソナタ 第2番「幻想ソナタ」 プロコフィエフ ピアノ・ソナタ 第6番 p: ルガンスキー レビュー日:2005.1.16 |
★★★★★ 圧巻のロシアン・ソナタ集
1994年チャイコフスキー・コンクールで1位なしの2位となったニコライ・ルガンスキーの1995年の録音である。 チャイコフスキーのソナタ第1番、スクリャービンのソナタ第2番、プロコフィエフのソナタ第6番が収録されており、いわばロシアピアニズムの王道を踏み出した録音といったところ。 チャイコフスキーのソナタは「グランドソナタ」の異名を持つ大曲であるが、これを聴かせるように弾くのはなかなか難しい。勇壮なテーマを音楽的に響かせて、ソナタとしての均衡を保つ必要があるからだが、ルガンスキーは「あれ?」と思うほどあっさりとこれをクリアする。そして、薄い上品な味付けで、適度な距離感を置きながら清廉な音楽へと昇華させてしまう。チャイコフスキーのピアノ・ソナタってこんないい曲だったの?と思わずみなおしてしまう。そしてテクニックも縦横無比で、鍵盤の上を鮮やかに駆け巡るかれの強靭な腱は訓練のたまものに違いない。 スクリャービンでは彼のスタイルではこの第2番のような古典的な作風のものが向いているかもしれない。後期のマジカルな作品とは違い、この時点でのルガンスキーの「らしさ」をアピールするのにいい選曲だ。この辺も得意な曲を選んだのに違いない。 プロコフィエフの第6番についても「大得意曲」のようで、すでにこの後もう1度録音している。しかし、この最初の録音でも完成度は高く、技術的な面は申し分ない。冒頭から重々しい重音の美しい交錯に圧倒されるし、そのクリアにスーッと消える後味のよさも見事だ。2楽章のバレエ音楽のようなリズム感も卓越。ややシンプル過ぎるかもしれないが、まあ十分である。3楽章のメランコリーも適度に歌っており、美しい。終楽章のような凶暴さを持った音楽はやはりすばらしいノリで、弾き始めたら止まらないといったところか。音階の粒の揃った強い響きは圧巻。 |
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ピアノ・ソナタ 第2番「グランドソナタ」 四季 p: ルガンスキー レビュー日:2017.8.15 |
★★★★★ ルガンスキー久々のチャイコフスキーは、期待に違わぬ美しさです
ルガンスキー(Nikolai Lugansky 1972-)によるチャイコフスキー(Pyotr Tchaikovsky 1840-1893)のピアノ独奏曲集。収録曲は以下の通り。 1-4) ピアノ・ソナタ ト長調 op.37 「グランド・ソナタ」 四季 op.37b 5) 1月 イ長調 「炉辺にて」 6) 2月 ニ長調 「謝肉祭」 7) 3月 ト短調 「ひばりの歌」 8) 4月 変ロ長調 「松雪草(雪割草)」 9) 5月 ト長調 「白夜(五月の夜)」 10) 6月 ト短調 「舟歌」 11) 7月 変ホ長調 「刈り入れの歌」 12) 8月 ロ短調 「収穫の歌」 13) 9月 ト長調 「狩りの歌」 14) 10月 ニ短調 「秋の歌」 15) 11月 ホ長調 「トロイカで」 16) 12月 変イ長調 「クリスマス週」 2015年の録音。 チャイコフスキーのト長調のソナタは、最近では、第2番と表記される場合もある。その場合、10年以上前に作曲されながら、出版の関係で大きな作品番号を持っている「嬰ハ短調 op.80」のソナタが第1番という形になる。ルガンスキーは、ト長調のソナタを1995年に録音していたので、それ以来20年ぶりの再録音となる。「四季」は今回が初録音。 ト長調のソナタと四季は、同じ作品番号を持っているが、一緒に収録される機会は少なく、同じ構成のアルバムとしてはフレディ・ケンプ(Freddy Kempf 1977-)が2014年に録音したものがあったくらい。これらの楽曲を一つに集めるには、収録時間的な制約もあって、実際、本盤も82分に及ぶ長時間収録となっている。 しかし、ルガンスキーの輝かしくも、ニュアンス美しく表現された演奏によって、これらの楽曲は魅力を増し、82分という時間は、あっという間に過ぎゆく感じである。 私がト長調のソナタを初めて聴いたのは、リヒテル(Sviatoslav Richter 1915-1997)の録音によってである。この録音は、今でも名録音として知られているが、当時の私は、その重量感に満ちた和音が豪壮に鳴り続ける様に、折りの中で歩き回る巨大な動物の姿を連想し、どうも、クラシックの一作品として、しっくりと馴染むことが出来なかった。 それで、今、ルガンスキーの演奏を聴くと、同じロシア・ピアニズムの象徴的アーティストの演奏であっても、より洗練された響きがあって、音楽が持つロマン性がすきとおるように自分に近づくのを感じさせるのである。もちろん、録音技術の進展もあるだろうが、ルガンスキーの演奏には、いかにも現代的なスマートな体裁がある。ト長調のソナタにおいては、フレーズの生き生きとした輝かしい受け渡しがあり、きらめくような音階の効果の中で、健康的な情緒が表出する。人によっては明る過ぎる印象かもしれないが、私には、この演奏はとても自然に聴こえ、わかりやすい。第3楽章のスケルツォなど典型的で、はっきりした陰影が、聴き手に気持ち良く届けられるだろう。 「四季」は情緒に富んだ表現でありながら、このアーティスト特有の気高さを感じさせる名演で、冒頭曲の透明な憂いから人々は心打たれるに違いないと思う。全曲中で特に印象的なのは「秋の歌」で、ここでルガンスキーは速度表記よりテンポを落とし、じっくりと味わいの深い、しかし透明な詩情に満ちた演奏を披露する。このような「秋の歌」を響かせるのは、ルガンスキーを置いて他にはいるまい。そう思わせてくれるくらい美しい。 ルガンスキー久しぶりのチャイコフスキーであるが、さすがに期待を裏切らない内容の濃い一枚になっている。 |
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四季 18の小品から 第2曲「子守歌」 第3曲「やさしい非難」第5曲「瞑想曲」 6つの小品から 第2曲「少し踊るようなポルカ」 熱い告白 p: アシュケナージ レビュー日:2004.1.4 |
★★★★★ チャイコフスキーのピアノ小品の魅惑的世界
1875年11月、ペテルブルグの出版商N.ベルナルドから毎月一日にでる雑誌「ヌーヴェリスト」(nouvelliste フランス語で短編小説家、またはゴシップメーカーのような意味)において、チャイコフスキーに1876年1月から1年間、毎月一曲のピアノ小品を作曲するという依頼がありました。そしてこの珠玉の名曲集が生まれる。有名なのは「舟歌」と「トロイカ」。 当アルバムは有名な「四季」のみでなく、他のチャイコフスキーの知られざるピアノ小品が収められており、しかもアシュケナージが弾いているという貴重なアルバム。清楚で健康的な詩情がチャイコフスキーの洗練を高める。 |
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四季 即興曲「抒情的な時」 子守歌 パプスト チャイコフスキーのバレエ「眠れる森の美女」による演奏会用パラフレーズ チャイコフスキーの歌劇「エフゲニ・オネーギン」による演奏会用パラフレーズ p: 有森博 レビュー日:2012.2.24 |
★★★★★ ロシアの文化的土壌を知る有森の自信に満ちたチャイコフスキー
有森博(1966-)による2011年録音のチャイコフスキーのピアノ曲集。収録曲は、四季(1月「炉辺で」、2月「謝肉祭」、3月「ひばりの歌」、4月「松雪草」、5月「白夜」、6月「舟歌」、7月「刈り入れの歌」、8月「収穫」、9月「狩り」、10月「秋の歌」、11月「トロイカで」、12月「クリスマス」)、即興曲「抒情的な詩」、子守唄。加えて、パブスト(Pavel Pabst 1854-1897)による「チャイコフスキーのバレエ“眠りの森の美女”による演奏会パラフレーズ」と「チャイコフスキーの歌劇“エフゲニー・オネーギン”による演奏会用パラフレーズ」が収録されており、総収録時間は約65分。 有森は1990年のショパンコンクールで最優秀演奏賞を受賞して注目され、その後ロシアと日本を往復しながら、ロシア音楽をレパートリーの中心として、演奏、録音を通じ活躍している。私にとって、現代の日本を代表する優秀なピアニストとして、最初に指折りたい存在で、これまでfontecからリリースされた彼の録音も全て購入し、傾聴させていただいている。今回のアルバムも本当に素晴らしい内容。 チャイコフスキー(Peter Ilyich Tchaikovsky 1840-1893)は言わずと知れたロシアの偉大な作曲家で、天性のメロディストであったが、そのピアノ分野における傑作が「四季」である。当時のロシアで月刊の音楽史「ヌーベリスト」を発行していたニコライ・ベルナルド(Nikolay Matveyevich Bernard)の企画~「12の月に、それぞれロシアの代表的な詩人の詩を取り上げ、そのイメージに即してチャイコフスキーがピアノ小品を書く」~によって編まれた曲集。必然、いずれも情緒的で、チャイコフスキーのメロディストとしての才が如何なく発揮された傑作群となった。 有森の演奏は、曲の細やかな情景に沿うように語りかける、暖かく好ましいもの。冒頭の第1曲「炉辺で」から、音楽の背景ある風土まできちんと踏まえてアプローチしたような情感が発露している。有森のピアノは一音一音のフォルムがしっかりしていて、くっきりと焦点を合わせた感がある。加えて、微妙なフレージングの変化により、曲想を巧みに描きわけており、その様はまさに「詩的」である。 ロシアでは文学やバレエに関する教養が、民間までしっかりと息づいている文化的土壌あると言われる。前述のベルナルドの企画が大ヒットとなったのも、そのような土壌があったからだろう。有森は、ロシアで様々な文化を体感し、自分の素養としてしっかり取り込んでいるに違いない。これほど自信に満ちた安心感のある満ち足りた表現というのは、そうそう成しえるものではないだろう。 パブストによる編曲ものもとても楽しい。パブストはリスト、ターフェルと並び称されるほどのピアニストであったが、夭折したこともあり、その名は現代ではあまり知られていない。しかし、これらの編曲の華麗な演奏効果を聴くと、相当の技術を持ったピアニストであったことは察せられるだろう。親しみ易いメロディを惜しげもなく並べたその絢爛さもまた、ロシア音楽文化の特徴の一面に違いない。 |
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四季 幻想序曲「ロメオとジュリエット」(ナウモフ編 ピアノ独奏版) アダージョ・ラメントーゾ(交響曲第6番「悲愴」から第4楽章)(ナウモフ編 ピアノ独奏版) p: ナウモフ レビュー日:2015.1.5 |
★★★★★ ナウモフによるピアノ編曲の腕を堪能
フランスの名音楽教師、ナディア・ブーランジェ(Nadia Boulanger 1887-1979)の最後の弟子と言われるブルガリアのピアニスト、エミール・ナウモフ(Emile Naoumoff 1962-)による2011年録音のアルバム。チャイコフスキー(Pyotr Ilyich Tchaikovsky 1840-1893)の以下のピアノ独奏曲が収録されている。 1) 組曲「四季」 op.37a 2) 幻想序曲「ロメオとジュリエット」(ナウモフ編によるピアノ独奏版) 3) アダージョ・ラメントーゾ~交響曲第6番「悲愴」第4楽章(ナウモフ編によるピアノ独奏版) 本盤で、チャイコフスキーらしい名旋律の集う「四季」以上に注目が集まるのは、ナウモフ自身によって編曲が行われた二つの作品ではないだろうか。というのは、ナウモフにはこれまでに編曲ものの録音がいくつかあって、それらがとても優れたものだったからだ。1982年録音のストラヴィンスキー(Igor Stravinsky 1882-1971)の「火の鳥」、1999年録音のフォーレ(Gabriel Faure 1845-1924)のレクイエムなど、いずれも見事で、現在まで私の愛聴盤となっている。 果たして、当盤も素晴らしい内容である。ナウモフは、自身の編曲活動について、ブーランジェから楽曲分析として、オーケストラの総譜から幾筋ものメロディラインをみつけだす訓練を施されたことが大きかったと述べている。また、今回は、チャイコフスキーが、内声部の扱いに長け、中音域に多彩なメロディラインを内蔵する傾向があることを踏まえて、その機能を自らの指に分け与える編曲を実践し、加えて編曲においては、オーケストラの色彩感には及ばずとも、ピアノ独自の打鍵の強さを発揮することで、音楽の効果を補う方法を用いたという意味のことも述べている。 しかし、これらの編曲を聴いて驚くのは、素晴らしい迫力が獲得されていることだ。ロメオとジュリエットの前半では、官能的な和音のソノリティーが、印象派を彷彿とさせる芳香を放つが、音楽が疾走を始めると、力強いパンチがあちこちで繰り広げられ、見事な求心力で音楽を進展させていく。全編に漲るエネルギーは凄まじく、ピアノが壊れてしまうのではないか、と思うほどのパワーに圧倒される。 悲愴の第4楽章も美しい。ここでは前述の中音域の様々な音の持つ役割が、ナウモフの意図によって明瞭に分け隔てられ、複層的な美観が得られている。この音楽が持つ心層のスケッチ的な一面が、克明に記録されている。クライマックスのグリッサンドも鮮烈だ。 一方で、「四季」も素敵な演奏。ナウモフのクリスタルなタッチは、どこかラテンの雰囲気を醸し出していて、北国の作曲家が、南国を思いながら書いた楽曲のような印象を受ける。チッコリーニ(Aldo Ciccolini 1925-)がチャイコフスキーを弾いたら、これに近くなるような気がするのだけれど。終曲の「クリスマス」も、陰影のくっきりしたワルツの風情で、確かな日差しを感じるが、全体的な和やかさを併せて湛えているところも好ましい。 チャイコフスキーとナウモフの奏法の才を存分に味わうことのできるアルバムだ。 |
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チャイコフスキー 四季 ショパン 4つのスケルツォ p: ラン・ラン レビュー日:2015.10.19 |
★★★★★ 現在のラン・ランが、その個性を最良な形で発揮した名演たち
中国のピアニスト、ラン・ラン(Lang Lang 1982-)による“イン・パリ”と題されたアルバム。このタイトルを見ると、コンサートのライヴかと思ってしまうが、パリのスタジオで収録された2枚組のアルバムである。2015年録音のその内容は以下の通り。 【CD1】 ショパン(Frederic Chopin 1810-1849) 1) スケルツォ 第1番 ロ短調 op.20 2) スケルツォ 第2番 変ロ短調 op.31 3) スケルツォ 第3番 嬰ハ短調 op.39 4) スケルツォ 第4番 ホ長調 op.54 【CD2】 チャイコフスキー(Pyotr Ilyich Tchaikovsky 1840-1893) 四季 op.37a 1) 1月 炉端にて(イ長調) 2) 2月 謝肉祭(ニ長調) 3) 3月 ひばりの歌(ト短調) 4) 4月 松雪草(雪割草)(変ロ長調) 5) 5月 白夜(五月の夜)(ト長調) 6) 6月 舟歌(ト短調) 7) 7月 刈り入れの歌(変ホ長調) 8) 8月 収穫の歌(ロ短調) 9) 9月 狩りの歌(ト長調) 10) 10月 秋の歌(ニ短調) 11) 11月 トロイカ(ホ長調) 12) 12月 クリスマス週(変イ長調) “イン・パリ” というタイトルについて、パリで録音されたという以外に、パリに所縁のある二人のスラヴ系作曲家の作品を収録していることから、自らも異邦人であるラン・ランによって、異国からの文化が集積した象徴的場所であるパリのイメージを喚起するメッセージが含まれているのかもしれない。 さてラン・ランの演奏はいつにもまして外向的で華やかな印象を感じる。ショパンのスケルツォでは、ルービンシュタイン(Arthur Rubinstein 1887-1982)、アシュケナージ(Vladimir Ashkenazy 1937-)、ポリーニ(Maurizio Pollini 1942-)といった大家たちの演奏と比べると、ラン・ランの演奏はとても緩急の変化が鋭く、時折挿入されるその瞬発的な劇性によって、人の心を惹きつけるものだ。第1番のスケルツォはその典型で、その急速部分の流麗さ、そして力強い帰結音が作り出す瞬時の沈黙の深さは、きわめて劇的で、突然深い谷に突き落とされるような、屹立たる瞬間がある。ちょっとした音階によるパッセージも、細かく粒だった音があまりにも精妙で、ガラス工芸品のような輝きを感じさせる。第4番の中間部のように“音間の余情”が欲しい部分では、さっぱりし過ぎているようにも思うが、しかし、鮮烈な効果や、透明感に満ちた情緒の歌い上げは、他ではなかなか聴くことのできないほどの完成度を示していて、見事な演奏だ。 チャイコフスキーも素晴らしい。これら12の詩情にあふれた楽曲を、ラン・ランはとても明朗な響きで、情緒豊かに楽曲を歌わせる。「1月 炉端にて」の冒頭のさりげない旋律に含まれた豊かなニュアンスから、聴き手の気持ちを奪い、聴き手を遠くの世界に誘う。ラン・ランは、そういう力を持ったピアニストなのである。特に、このアルバムに収録された楽曲たちは、ラン・ランが、その個性をもっともプラスな形で発揮しやすいものではないだろうか。私は当盤を聴いて、そう感じる。 有名な「6月 舟歌」における微弱音の美しさ、そしてここから「7月 刈り入れの歌」「8月 収穫の歌」「9月 狩りの歌」と、単独ではそれほど有名ではない曲たちが続くのだけれど、ラン・ランのとても積極的な表現は、これらの楽曲の陰影をくっきりと明らかにし、かつ細やかに情感を通わせたもので、聴いていて、思わず「こんなにいい曲だったかな」と感じてしまった。 名曲「11月 トロイカ」における清涼な表現は、まさに北の大地に降る真っ白な雪、その奇跡的に美しい結晶を思わせる響きであり、この曲集に強力な名盤が登場したことを、強く印象付ける瞬間だ。 |
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チャイコフスキー 2つの小品 夜想曲 18の小品から 第3番「優しい批難」 第14番「哀歌」 第16番「5拍子のワルツ」 ドゥムカ 四季から 11月「トロイカ」 眠りの森の美女~ワルツ 花のワルツ 幻想序曲「ロメオとジュリエット」(スドビン編ピアノ独奏版) グリンカ/スドビン編 「ルスランとリュドミラ」序曲 p: スドビン レビュー日:2023.4.18 |
★★★★★ スドビンが華麗なテクニックで描いたチャイコフスキーの世界
ロシアのピアニスト、エフゲニー・スドビン(Yevgeny Sudbin 1980-)によるチャイコフスキー(Pyotr Tchaikovsky 1840-1893)のピアノ独奏曲とチャイコフスキーの管弦楽曲のピアノ編曲を中心としたアルバム。まず、収録曲の詳細を記載する。 1) グリンカ(Mikhail Glinka 1804-1857)/スドビン編 「ルスランとリュドミラ」序曲 2021年録音 2) チャイコフスキー(Pyotr Tchaikovsky 1840-1893)/スドビン編:くるみ割り人形~花のワルツ 2022年録音 3) チャイコフスキー ドゥムカ op.59 2021年録音 チャイコフスキー 四季 op.37 から 2020年録音 4) 11月「トロイカ」 5) 6月「舟歌」 チャイコフスキー 2つの小品 op.10 6) 第1番「夜想曲」 2020年録音 7) 第2番「ユモレスク」 2021年録音 8) チャイコフスキー 夜想曲 op.19-4 2020年録音 チャイコフスキー 18の小品 op.72 から 2021年録音 9) 第3番 優しい非難 10) 第16番 5拍子のワルツ 11) 第14番 悲しい歌 12) チャイコフスキー/スドビン編 眠りの森の美女~ワルツ 2022年録音 チャイコフスキー/スドビン編 幻想序曲「ロメオとジュリエット」 2020年録音 13) Andante ma non tanto, quasi moderato 14) Bar 112. Allegro giusto 15) Bar 275 16) Bar 489. Moderato assai 2020年から2022年にかけて録音されたものだが、2022年に録音された2)と12)は、スドビンによって4手のために編曲されており、高音部をスドビンの娘であるベッラ・スドビン(Bella Sudbin 2010- 録音時12歳)が弾いている。明朗で、ホームコンサート向きな楽曲ならではの一面といったところだろう。 冒頭にグリンカの作品の有名曲を編曲したものが置かれている。これは、チャイコフスキーがモスクワ音楽院の開校式で、最初に響く音楽はグリンカであるべきと、自らピアノでグリンカを演奏したという逸話になぞらえたものとのこと。だが、この華やかなアルバムの冒頭を飾るにふさわしく、スドビンの編曲も含めた妙技が堪能できる。超絶的な運指から繰り出されるしなやかでスピーディーなピアノは、祭典的で、鮮やか。グリッサンドの強靭な効果を交えて、胸のすくような響きに圧倒される。 その後、チャイコフスキーの音楽世界に移行し、情緒に溢れた世界が紡がれるが、どれも美しく、輝かしい成果が上がっている。中でも「ドゥムカ」と「トロイカ」は、描かれる情感の深さ、煌びやかなトーンの融合が素晴らしく、これまであった数々の録音と比較して、最高といって良いくらいに演奏から受ける感動が大きいもの。 眠りに森の美女の編曲は、既にあるラフマニノフ(Sergei Rachmaninov 1873-1943)の編曲をベースにしたもので、スドビンが多彩な技巧で、丁寧に歌う娘のピアノをサポートしており、これは、「雪のワルツ」とともに、難しいことを言わず、とにかく「楽しく聴く」一編といったところだろう。 「ロメオとジュリエット」のピアノ編曲は、ナウモフ(Emile Naoumoff 1962-)によるすばらしい編曲・録音がすでにあるが、このスドビンの録音も素晴らしいもので、嵐のような弦楽器陣のかけめぐりや、ティンパニ、金管の咆哮を、鍵盤上で鮮やかに表現しており、存分なダイナミックレンジ、ピアノ特有の音価維持の効果を織り交ぜて、果敢な演奏を繰り広げており、圧巻だ。また、楽曲のパーツに応じて、4つのトラックにわけて収録されているのもユニークなサービスで、あらためて構成的な視点で、この楽曲を味わえる規格にもなっている。 スドビンならではの華麗な、愉しさと激しさに満ちたアルバムになっている。 |
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チャイコフスキー 歌曲集(かっこう 夕べ 夜鳴鶯 昨日の夜 いや、ただあこがれを知る人だけが 子守歌 何故? 恐ろしい瞬間 昼の光が満ちようと 春 飾り気のない言葉 私の心を運び行け セレナード 失望 冬がこようとかまわない 涙 陽は沈み 熱い灰の上で 私の守護神、私の天使、私の友よ ゼムフィーラの歌 友よ信じるな すぐに忘れるために おお、あの歌を歌って スピリット・マイ・ハート・アーウェイ 何故に? それは早春のことだった 騒がしい舞踏会の中で もしも知っていたら 私は野の草ではなかったか 私の小さな庭 聞かないで 初めての出会い セレナード ロンデル 私はあなたと座っていた 窓辺の闇に見え隠れするのは) ムソルグスキー 子供部屋 プロコフィエフ 醜いアヒルの子 グレチャニノフ 5つの子供の歌 S: ゼーダーシュトレーム p: アシュケナージ レビュー日:2008.11.3 |
★★★★☆ 交響曲や管弦楽曲までの魅力とは行かないですが・・・
エリザベート・ゼーダーシュトレーム(Elisabeth Soderstrom)とアシュケナージによるチャイコフスキーの歌曲集。録音は1979年から1982年にかけて行われている。この顔合わせではまずラフマニノフの録音歌曲集が74年から79年にかけてあり、この後はショパンの歌曲集が84年に録音されているほか、シベリウスをチャイコフスキーとほぼ同時期の78年から81年に録音しており、この時期集中して二人で歌曲の世界に取り組んだということになる。私は一通り所有しているが、ゼーダーシュトレームのあらゆる言語に適応する器用さには驚かされる。なお、ショパンの録音は元来アシュケナージのショパンピアノ独奏曲全集の特典盤として扱われていたが、いま現在は単品が輸入盤で入手可能である。 というわけで、非常に音楽に馴染みやゆとりを感じる録音になっている。アシュケナージは元来チャイコフスキーにそれほど積極的に取り組んでいたわけではなかったが、1977年から79年にかけて指揮者として三大交響曲を録音していて、その後、様々なアプローチをするようになったと思う。この録音もその一環と思える。終始言えるのはアシュケナージのピアノの美しさであり、ゼーダーシュトレームの歌唱はやや奥ゆかしい。 アシュケナージの詩情を湛えながら時折ダイナミックにかけまわるピアニズムにどうしても注目してしまう。例えば、「熱い灰の上で」の情熱的なピアノの駆け回る鮮やかさは見事。「もしも知っていたら」の冒頭のピアノのモノローグの美しさはため息もの。また「昼の光が満ちようと」「それは早春のことだった」でもピアノパートに力を込めたスコアとなっているため、アシュケナージの練達なピアノに心打たれる。 チャイコフスキーの歌曲はそれほど強い主張はないが、メランコリーな情緒を宿した曲が多く、メロウであり、短くまとまっている。ムソルグスキーのようなスケール感はないが、物憂げな旋律と充実したピアノが魅力と言える。名曲として知られる「いや、ただあこがれを知る人だけが」や「騒がしい舞踏会の中で」も寂寞とした雰囲気を瀟洒に奏でる。ゼーダーシュトレームとアシュケナージはこれらの楽曲を表現するのに適任だと思う。このアルバムを聴くと、それなりに味わいのある楽曲たちであると思う。 |
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歌劇「マゼッパ」 ヤルヴィ指揮 エーテボリ交響楽団 ロイヤル・ストックホルム歌劇場合唱団 S: ゴルチャコーワ Br: レイフェルクス Bs: コチェルガ レビュー日:2007.11.29 |
★★★★☆ チャイコフスキー「マゼッパ」の真価を伝える全曲録音です。
チャイコフスキーの歌劇「マゼッパ」の全曲録音。演奏はヤルヴィ指揮、エーテボリ交響楽団、ロイヤル・ストックホルム歌劇場合唱団、主な独唱陣はS: ゴルチャコーワ Br: レイフェルクス Bs: コチェルガ。録音は1993年。 守備範囲の広いヤルヴィであるが、オペラでもその手腕を発揮した好録音。「マゼッパ」はフランツ・リストも音楽の題材にしているが、本来のマゼッパ伝説:ポーランドを追放され当時ポーランドの支配下にあったウクライナの英雄となったコサックの人物~をもとにプーシキンが作詩した「ポルタヴァ」が題材となります。当盤には全3幕のこのオペラを3枚のCDに1幕ごと収録しています。(ただ、輸入盤のディスクの解説には歌詞の表記がないため、流れを理解して聴くのは難しいです) 個人的に、ヤルヴィによって統率されたオーケストラの見事さ、レイフェルクスによる朗々たるマゼッパ、ロイヤル・ストックホルム歌劇場合唱団のコーラスが本盤の特徴。レイフェルクスはアシュケナージがNHK交響楽団を指揮して録音したショスタコーヴィチの「死者の歌」でも素晴らしい歌唱を披露していたが、ここでもその存在感は抜群。音の伸びと広がりが圧巻。第1幕はオーケストラの聴かせどころも多く、中間の疾走感も見事に表現されている。ことに有名な「コサック(ゴパーク)の踊り」の躍動感は見事。第2幕は説明的な部分が多く、ちょっと単調だが、フィナーレのコーラスを折り交えた迫力は凄い。第3幕は物語の転結となる部分で、凝縮されており、演奏時間も前2幕に比べると半分くらいである。「ポルタヴァ(プルタワ)の戦い」(ウクライナとロシアの戦い)のシーンのオーケストラも立派である。大序曲「1812年」と同様にロシア国歌も聴こえてくる。その他このオペラでヒロインとしてクローズアップされたマリアを演じるゴルチャコーワも十分の力量で、全般に、いまひとつ知名度の高くないこの歌劇の真価を伝えた録音といえるでしょう。 |