ステンハンマル
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交響曲 第1番 第2番 演奏会用序曲「エクセルシオール」 セレナーデ 間奏曲 ヤルヴィ指揮 エーテボリ交響楽団 S: イソコスキ レビュー日:2007.11.10 |
★★★★★ 独墺の空気を放つ北欧のシンフォニー
ヴィルヘルム・ステンハンマル(Wilhelm Stenhammar 1871-1927)はスウェーデンのピアニストで指揮者・作曲家。エーテボリを中心に活躍しており、当盤のネーメ・ヤルヴィ指揮エーテボリ交響楽団にとってはまさに地元の作曲家ということになる。収録曲は、演奏会用序曲「エクセルシオール」、交響曲第1番、セレナーデ、交響曲第2番の4曲。録音は92年から93年にかけて行われている。いずれもフル編成のオーケストラのための作品だ。 ステンハンマルの作品は、最近になって録音点数も増え「北欧のメンデルスゾーン」という通り名(?)も得たようだけど、確かにこの人の作風は「北欧」より「独墺」を意識させる。まず演奏会用序曲「エクセルシオール(高みに向かって)」だが、これは確かにメンデルスゾーンを彷彿とさせる。細やかな表情付けのある弦にのり、歌謡性のある主題がなめらかに流れる。交響曲第1番はスケールの大きい作品でるが、さまざまに独墺の空気が感じられる。まず第2楽章ではブルックナーの第7交響曲の第2楽章を思わせるクライマックスが特徴的だ。終楽章も賛歌風の主題から終結部へ向かっていく過程はブラームスの第1交響曲を思わせるし、エンディングはワーグナーの「ラインの黄金」を彷彿とさせる。作品としてもきちんと仕上がっていて、楽しめる。 「セレナーデ」は名に沿わず気宇の大きな楽曲で、規模の大きいスケルツォとフィナーレを持っている。交響曲と言っても何ら不思議ではないが、セレナーデとしたのはモーツァルトへの憧憬からか。新しいセレナードのスタイルを模索したのかもしれない。第2交響曲はより自分の書法を追及したもので民俗性と対位法の織り成すものだ。終楽章のフーガも印象的。情熱的にこれらの楽曲にアプローチしたこの演奏は、現代的な洗練を経てより魅力的になったステンハンマルの世界を描き出している。 |
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ピアノ協奏曲 第1番 交響曲第3番のための断片 p: ヴィドルンド ロジェストヴェンスキー指揮 ロイヤル・ストックホルム・フィルハーモニー管弦楽団 レビュー日:2008.9.27 |
★★★★☆ ステンハンマルの珍しい作品を収録
ヴィルヘルム・ステンハンマル(Wilhelm Stenhammar 1871-1927)はエーテボリを中心に活躍したスウェーデンのピアニスト兼指揮者・作曲家。最近ではその交響曲がたびたび取り上げられるようになってきた。北欧の作曲家であるが、ドイツ音楽の影響を強く受けたスタイルは平易で分かりやすいと思う。 しかし、ここに収録されているのは、さらに珍しいピアノ協奏曲第1番である。それと、これまた珍しい未完に終わった交響曲第3番のための演奏時間3分程度の「断片」が収録されている。以前アーノンクールがブルックナーの交響曲第9番のための未完に終わった終楽章の断片と思われるスケッチを集めて録音したことがあるが、作品自体にほとんどネームヴァリューのないステンハンマルの作品でこのような企画は珍しい。演奏の顔ぶれを紹介すると、ピアノはマッツ・ヴィドルンド(Mats Widlund)、ロジェストヴェンスキー指揮のロイヤル・ストックホルムフィルの演奏。録音は1992年。 ピアノ協奏曲第1番はいかにも力作という感じの作品で、パッションのうねりと放散が見られる。4楽章構成で、演奏時間は50分に及んでおり、ブラームスのピアノ協奏曲第2番の強い影響が感じられる。第1楽章は様々な表情を見せるがやや消化し切れずに次に移っていくような不安さを持っている。簡素な第2楽章を経て、これまた長い第3楽章になる。これはブラームスのようなラフマニノフのような、といった音楽で、あまり北欧風という一般的な先入観からは大きく乖離しているだろう。第4楽章はやや意表を突いた軽妙さを伴った音楽でスケルツォ風のノリだ。幻想的で自由。余韻を持って曲を終える。 交響曲第3番の断片はもし完成されていればそれなりのスケールになったのではないかと予感できる内容。一応の帰結をみるが、もちろん鑑賞用というより資料的なものだろう。 マッツ・ヴィドルンドはスウェーデンのピアニストで、北欧ものと独墺系をレパートリーにしており、ステンハンマルもおそらくそのレパートリーに入るものだと思う。強奏音にまろみがあって柔らかなピアニズムが特徴に思える。ロジェストヴェンスキーの指揮はここでも金管のヴォリューム感がたっぷりであり、質感に満ちている。 |