トップへ戻る

ソラブジ



器楽曲

ピアノ・ソナタ 第1番
p: アムラン

レビュー日:2014.3.19
★★★★☆ わずか22分の収録時間ですが、それさえ目をつむれば素晴らしい・・
 マルカンドレ・アムラン(Marc-Andre Hamelin 1961-)によるイギリスのインド系作曲家カイホスルー・ソラブジ(Kaikhosru Sorabji 1892-1988)の「ピアノ・ソナタ第1番」の録音。録音年代が不詳のディスクながら、1980年代後半の録音と思われる。
 私は最近、ミステリアスな存在と言えるソラブジという作曲家について、スウェーデンのピアニスト、フレドリク・ウレーン(Fredrik Ullen 1968-)が録音した「100の超絶技巧練習曲」集のうち既発の3枚のアルバムを聴いた。特有の色彩感と酩酊感のある音楽で、興味深く聴いたのであるが、それ以前にこの作曲家について録音を前提として作品を検討したピアニストの一人がアムランである。
 しかし、アムランは、ソラブジが遺した「100の超絶技巧練習曲」のスコアの校訂を途中まで進めながら挫折してしまっている。「ピアノ演奏技巧」という観点で、現代最高とも言われるアムランが挫折したというのだから、その譜面の複雑性は想像を超えるものだ。(ただ、アムランの挫折は、難しさよりも、音楽性という点で、価値を見出しがたいことが主たる理由だったともされている)
 そんなアムランが80年代に唯一録音したソラブジの作品が当盤。それにしても、このアルバムには「唯一」という雰囲気が漂っている。なんといっても全収録時間はたったの22分!こんなケチなアルバムは見たことがない。これも、おそらくは、他にもソラブジの作品を「録音する」予定があった、にもかかわらず、その仕事は放棄された、といった伏線があるのではと邪推したくなる。
 このアルバム自体が不思議で、録音年代も特に表記されず、1990年にひっそりとリリースされて、現在(2014年)まで新譜が入手可能な状態で流通している。ほかにもいろいろと埋もれた背景がありそうだ。
 それでは、この22分のソナタを聴いてみよう。長大な作品を数多く残したことで知られるソラブジの作品群にあって、実に「常識的」な演奏時間ではないか。そして、聴いてみると、これがたいへん聴き易い、分かり易い。
 多くの人がこの曲を聴くと「スクリャービン(Alexandre Scriabine 1872-1915)に似ている」と思われるのではないだろうか。じっさい、ゾロアスター教徒であったソラブジは、東洋哲学の神秘を音楽で表現することを志したスクリャービンに、深いシンパシーを持っていたとされる。この曲の冒頭の浪漫的で情熱的な導入はスクリャービンのソナタ第1番の冒頭を彷彿とさせる。その後、ソラブジの作品は22分に及ぶ変容の世界を繰り広げる。そこにはジャズふうの要素があったり、リスト(Franz Liszt 1811-1886)ふうの悪魔的要素があったりするが、全体的な音響構築の流れが自然であるため、聴き手にとって受け入れやすい要素が多い。エンドレスで流して環境音楽のように利用しても悪くはない雰囲気だ。
 こうして聴いていると、このソラブジの「ピアノ・ソナタ第1番」という作品は、20世紀のピアノ作品群の「隠れた名作」の一つとして挙げてもいいのではないか、と思う。それくらい「よく出来ている」。また、それが「よく出来ている」ことを明瞭に示したアムランのピアニズムが見事の一語。技巧的に至難なパッセージや複層的な音響などを、実に鮮やかなコントロールで描いていて、この音楽の価値を最良な形で引き出した稀代の美演といっていい。際立った正確さが、聴き手にゾクゾクするような興奮を与えてくれる。こうして聴いていると、アムランが他のソラブジの作品に取り組むことを中断してしまったのは、惜しい損失だったとも感じられる。あるいは、これから録音することがあるのだろうか。私としては、再開を望みたい。
 以上の様に、私にとって素晴らしい出会いと感じる録音ではあった。だがしかし、いくらなんでも22分という収録時間を考えると、一般的な意味で、商品アイテムの評価軸の一つで大きな失点があると言える。その点を考慮して、星は四つまでとさせていただきます。

100の超絶技巧練習曲より第1番~第25番
p: ウレーン

レビュー日:2014.2.14
★★★★☆ 秘曲、ソラブジの「100の超絶技巧練習曲」 第1弾
 スウェーデンのピアニスト、フレドリク・ウレーン(Fredrik Ullen 1968-)が、カイホスルー・ソラブジ(Kaikhosru Sorabji 1892-1988)の「100の超絶技巧練習曲(100 Transcendental Studies)」を録音していると知ったときは、奇妙な驚きを感じたものだ。最初の感想は「え?あの曲集って、弾けるの?」という単刀直入なものだ。
 そもそもソラブジという人のことが良くわからない。彼がイギリスの作曲家であったこと、非常に風変わりな作品を遺していたことくらいは知っていたが、その多くの曲は、尋常ではない長大さと、演奏の至難さ、また作曲家が自身の作品の演奏を一般的には許可していなかったことから、聴ける機会もなく、どこか架空めいた存在の様に思っていた。だから、その曲集が、それこそ体系的に録音され、リリースされるということ自体に、違和感を感じてしまったのだ。
 その第1弾が当盤で、「100の超絶技巧練習曲(100 Transcendental Studies)」の第1番から第25番までが収録されている。2003年と2005年の録音。「100の超絶技巧練習曲」は全曲を演奏すると7時間かかると予測されているそうだから、全曲録音完成時には、おそらく5枚のアルバムが並ぶことになる。当巻の収録内容を書くと以下の通り。(参考までに演奏時間を併記しよう)
1) 練習曲 第1番 Mouvemente (1:50)
2) 練習曲 第2番 Vivace e leggiero (1:09)
3) 練習曲 第3番 (4:17)
4) 練習曲 第4番 Scriabinesco. Soave e con tenerezza nostalgica (2:53)
5) 練習曲 第5番 Staccato e leggiero (1:24)
6) 練習曲 第6番 (1:37)
7) 練習曲 第7番 Leggiero abbastanza (1:07)
8) 練習曲 第8番 (1:56)
9) 練習曲 第9番 Staccato e leggiero (0:58)
10) 練習曲 第10番 Con brio ed impeto - Volante (3:09)
11) 練習曲 第11番 Animato abbastanza (1:37)
12) 練習曲 第12番 Leggerio quasi “saltando” (1:44)
13) 練習曲 第13番 (3:31)
14) 練習曲 第14番 Tranquillamente soave (4:35)
15) 練習曲 第15番 (1:40)
16) 練習曲 第16番 (2:43)
17) 練習曲 第17番 Molto accentato (1:56)
18) 練習曲 第18番 Liscio. Tranquillamente scorrevole (5:15)
19) 練習曲 第19番 Saltando e leggiero (2:12)
20) 練習曲 第20番 Con fantasia (5:24)
21) 練習曲 第21番 Con eleganza e disinvoltura (4:37)
22) 練習曲 第22番 Leggiero volante e presto assai (1:24)
23) 練習曲 第23番 Dolcemente scorrevole (4:00)
24) 練習曲 第24番 Con fantasia e grazia (5:40)
25) 練習曲 第25番 Vivace e secco (2:42)
 それにしても“カイホスルー・ソラブジ”とは不思議な名前だ。彼はもともと「レオン(Leon)」という名前だったが、インド系で、パールシー (Parsi; ゾロアスター教の信者)であることを示すため、「カイホスルー(Kaikhosru)」に改名したとのこと。彼にとって重要な自らのアイデンティティであったのだろう。ここで、私が思い出したのは、ロシアの作曲家、スクリャービン(Alexandre Scriabine 1872-1915)である。彼は東洋哲学に魅せられ、ヨガを習得し、その精神性を音楽で表現しようと志した人だ。それで、やはりソラブジも、作曲活動にあたっては、スクリャービンから様々に影響を受けたらしい。現に、練習曲第4番の「Scriabinesco」というのは「スクリャービン風に」といった意味だろう。
 この歴史的(?)な挑戦を行ったウレーンというピアニストであるが、私は彼の弾くリゲティ(Ligeti Gyorgy 1923-2006)のアルバムを持っていて、最強と思われるくらい技巧的に手ごわい曲集なのだけれど、鮮やかに弾きこなしていた。それなので、相当に技術に卓越したピアニストであると思われる。また、このウレーンという人、精神科医だというのだから、驚かされる。医者もピアニストも、相当に訓練を要する職種だろう。しかも、弾くのがリゲティにソラブジときたものだ。なんと挑戦的な人だろう!
 聴いてみての全体の印象としては、全般に一様な印象で、確かに各曲ごとにそれなりのテーマを持っているのであるが、どの曲も似たような方向性を持っているように思える。全般に旋律よりも、調性に拘束されない、音色と音響による演出が顕著で、それが延々と続くことで、なんとも不思議な既聴感にも襲われ、若干の酩酊感をもたらす。
 現時点で、私にとっての印象的な楽曲(これは人によってちがうだろう)について書いてみよう。第4番のスクリャービン風にと称された作品についてウレーンは「スクリャービンの練習曲ロ長調(op.8-4)へのオマージュ的なアラベスク」と述べていて、聴き比べると、なるほどと感じられる面白さがある。第5番は野蛮なスタッカート・エ・レッジェーロであり、悪魔的雰囲気を持っている。第9番では片手が白鍵のみ、もう一方が黒鍵のみを用いるが、これは後にリゲティ(Ligeti Gyorgy 1923- 2006)がピアノのための練習曲第1番「無秩序」で同じ試みを行うことになる。リゲティの先駆的作品ということで、興味深い。
 第12番のサルタンド(saltando)という指示は、弦楽器の急速なスピッカート奏法のことであり、ピアノでも模倣奏法を求めている。トリルとトレモロの効果を追求した第13番について、ウレーンは、「スクリャービンの練習曲 嬰へ長調 Op. 42-3を連想させるもの」としている。第14番は美しい曲で、不思議な文様が、東洋的なエスニシティを帯びながら、様々に変容していく。当アルバムの目玉作品といってもいいだろう。第18番も注目すべき美しさを湛えた作品で、官能的ともいえる色彩感に満ちていて、ソラブジという作曲家のインスピレーションの最も良質なものが示されたものだと思う。第20番はノクターンふう、第22番はグリッサンドの効果によって、印象に残る。
 これらの楽曲の全てが至難を究めるわけではないかもしれないが、それでもどうやって弾いているんだろうと思うパッセージや、難解なポリリズムをこなして、楽曲として十分に成立する演奏を提示したウレーンの功績は大きい。この曲集の全集製作を試みるピアニストは、ほとんど表れないだろうし、なんとか完遂してほしいものだ。

100の超絶技巧練習曲より第26番~第43番
p: ウレーン

レビュー日:2014.2.14
★★★★★ 秘曲、ソラブジの「100の超絶技巧練習曲」 第2弾
 スウェーデンのピアニスト、フレドリク・ウレーン(Fredrik Ullen 1968-)による、イギリスの作曲家、カイホスルー・ソラブジ(Kaikhosru Sorabji 1892-1988)の奇曲集、「100の超絶技巧練習曲(100 Transcendental Studies)」の全曲録音プロジェクトの第2弾で、2005年から2006年にかけて録音されたもの。収録曲は以下の通り。
1) 練習曲 第26番 Dolcissimo (9:56)
2) 練習曲 第27番 Staccato e leggiero a capriccio (2:57)
3) 練習曲 第28番 Leggiero e volante (2:15)
4) 練習曲 第29番 A capriccio. Leggiero (2:09)
5) 練習曲 第30番 Con fantasia (4:36)
6) 練習曲 第31番 Vivace assai (2:14)
7) 練習曲 第32番 Legato possibile, quasi dolce (3:12)
8) 練習曲 第33番 Vivace e brioso (4:42)
9) 練習曲 第34番 Soave e dolce. Insinuante (4:11)
10) 練習曲 第35番 (2:17)
11) 練習曲 第36番 Mano sinistra sempre sola (7:16) 左手のための作品
12) 練習曲 第37番 Riflessioni. Moderato (3:54)
13) 練習曲 第38番 Con fantasia (4:53)
14) 練習曲 第39番 (3:34)
15) 練習曲 第40番 (3:09)
16) 練習曲 第41番 (3:40)
17) 練習曲 第42番 Impetuoso e con fuoco ed energia (4:15)
18) 練習曲 第43番 (4:39)
 第1巻に引き続いて、ほとんど録音も演奏もされてこなかったゾロアスター教徒の秘曲が、系統的に録音された。中には、従来演奏不能に近い認識を持たれていたものもあり、集約的に聴けるのはありがたい。
 ソラブジは、スクリャービン(Alexandre Scriabine 1872-1915)から、作風、思想など様々に強い影響を受けた。さらに、ゴドフスキー(Leopold Godowsky 1870-1938)やブゾーニ(Ferruccio Busoni 1866-1924)といった「演奏至難ピアノ曲」系作曲家たちからも、多面的な影響を受けたと言う。そんなソラブジのピアノ独奏曲は、究極的とも言える至難な技巧を求めているほか、ミステリアスな響きが支配する。いずれにしても、きちんとした校訂譜もない作品もあったこれらの作品が、このような形で聴けるようになるとは、ウレーンというピアニストが出現するまでは考えにくかったことだ。ちなみに、あの、アムラン(Marc-Andre Hamelin 1961-)でさえ、「100の超絶技巧練習曲」の校訂を試みたものの、3分の1程度で気力が続かなくなったというのだから、このプロジェクトにかけるウレーンの才知には恐れ入る。
 さて、第1巻では、演奏時間との関係から第25番までが収録されたため、第2巻は「第26番」という作品からスタートすることとなる。ところが、この第26番という作品が素晴らしく美しいので驚かされる。静謐ななかに動きがあり、耽美な中に野蛮さが潜むような、独特の夜の音楽だ。ウレーンは、この曲とドビュッシー(Claude Achille Debussy 1862-1918)の映像第2集「そして月は廃寺に落ちる」との、雰囲気的類似性を指摘しているが、なるほど、ドビュッシーの当該曲が、より魔的になると、このような感じになるかもしれない。
 また末尾から2曲目にある第42番がこれと対照的にきわめて激しい楽曲で、後期のスクリャービン的な色彩がある。技術的な難しさはあちこちで指摘できるが、中でも「左手のための作品」であり、かつ疑似的な「前奏曲とフーガ」形式をとる第36番は、聴く限り、片手での演奏が可能とは思えないくらい複層的だ。ちなみに「前奏曲とフーガ」形式は第33番でも試みられる。また第35番も、エキゾチックな雰囲気を持っているが、素早い、演奏至難なパッセージが短く交錯する音楽だ。第31番の急速性も、どうやって弾きこなすのか、想像できないほど。
 「美しい」ということでは第30番も特有の気配を持った楽曲で、ウレーンは、「スクリャービンが書いた最後の練習曲集(3つの練習曲op.65)を思い起こさせる」と述べている。また、ある種の法則性に従った第39番のような作品は、実験的で、前衛的な気配が濃厚だ。ウレーンは第38番についても、スクリャービンの練習曲 変ロ長調 op.65-1との類似性を指摘している。また、第40番はソラブジ版の「キエフの大きな門」とウレーンが書いていて、曲に接するのに、手ごろなイメージとなるだろう。なかなか変容の激しいキエフの大きな門で、お化けでも出そうな感じであるが。。
 第1巻に引き続いて、これらの秘曲たちの姿を明らかにしたウレーンの情熱には、深く感服させられる。

100の超絶技巧練習曲より第44番~第62番
p: ウレーン

レビュー日:2014.2.17
★★★★★ 秘曲、ソラブジの「100の超絶技巧練習曲」 第3弾
 スウェーデンのピアニスト、フレドリク・ウレーン(Fredrik Ullen 1968-)による、イギリスの作曲家、カイホスルー・ソラブジ(Kaikhosru Sorabji 1892-1988)の奇曲集、「100の超絶技巧練習曲(100 Transcendental Studies)」の全曲録音プロジェクトの第3弾で、2006年に録音されたもの。収録曲は以下の通り。
1) 練習曲 第44番 Ben cantato. Dolce e chiaro (15:25)
2) 練習曲 第45番 (1:26)
3) 練習曲 第46番 (2:44)
4) 練習曲 第47番 Leggiero e a capriccio (2:35)
5) 練習曲 第48番 Volante (3:14)
6) 練習曲 第49番 Vivace ma non troppo (2:23)
7) 練習曲 第50番 Per il pedale 3 (4:50)
8) 練習曲 第51番 (3:15)
9) 練習曲 第52番 (3:14)
10) 練習曲 第53番 A capriccio (1:59)
11) 練習曲 第54番 (4:17)
12) 練習曲 第55番 (2:43)
13) 練習曲 第56番 (3:10)
14) 練習曲 第57番 (2:02)
15) 練習曲 第58番 Leggiero (3:31)
16) 練習曲 第59番 Quasi fantasia. Moderato (10:46)
17) 練習曲 第60番 Saltando, leggiero (3:07)
18) 練習曲 第61番 (4:12)
19) 練習曲 第62番 (2:37)
 このソラブジによる難曲集もこれで第3弾となるわけである。この世界最長の練習曲集は1940年から1944年にかけて作曲されたのだが、第1弾、第2弾と聴いてきて、その中でもソラブジの様式に変化があることに気付かされる。第1弾に収録されたものが、ひたすら技巧的な至難な地点への到達を目指していたのに比較し、第2弾では、そこに音楽的な感情の動きを幅広く湛えるように感じられた。第3弾でも同様で、そのため、このシリーズでは、第1弾より、第2弾、そしてこの第3弾の方を、私は面白く聴いた。
 当第3弾でも、第2弾と同様に、偶然のいたずらか、冒頭に「第44番」という長大な作品が収録されることとなった。この第44番という曲が良い。ソラブジのミステリアスな雰囲気と、独特の暗闇を感じさせる色彩、そしてエキゾチックで微妙な変容を兼ね備えた異色の夜想曲である。冒頭の不安さと不思議さは、私にはメシアン(Olivier Messiaen 1908-1992)を彷彿とさせるのだが、いかがだろうか。
 他に印象の強い作品を挙げると、第46番は無窮動的なアルペッジョの連続で万華鏡のような音世界を聴かせる。第50番は、ソステヌートペダルを用いて、異なる声部の残響的効果を狙った音響が美しく興味深い。これに続く第51番は、徐々に振幅の幅を広げて、音の破片が飛び散っていくような、これまた不思議な美しさの満ちた世界。これは音楽だろうか?それとも単に音響だろうか?とも思ってしまうが。しかし、音楽的技法を多用していることは間違いない。第55番は、短時間の間に、スタッカートで表現される小さなモチーフが、劇的に展開していくエチュードらしいエチュードと言えるだろう。第58番はモノローグのようなフレーズが繰り返される、先行きの不透明な不安な音楽だ。第59番が冒頭曲に次ぐ美しさに満ちた作品で、不可思議な分散音が連続しながら、幻想的な美を様々な瞬間に現出させては消えていく。ソラブジが強く意識したとされるスクリャービン(Alexandre Scriabine 1872-1915)の後期作品をも思わせる儚くも怪しい音楽。
 これらの曲集に対し、高い技術で取り組んだウレーンの表現は、洗練されていて、弾くだけでなく、音楽的、構造的に響かせようという意図があり、自然な調和を与えている。
 こうなってくると、残りの曲も何とかリリースしてほしい。当盤は2006年に録音されたが、リリースが2010年となった。その後のものも、すでに録音されてあるのかもしれないが、いっときは「全曲演奏は不可能」とまで考えられていたこれらの世紀の奇曲集が、全集として完成されたものを、是非、拝聴したいものである。

100の超絶技巧練習曲より第63番~第71番
p: ウレーン

レビュー日:2015.6.9
★★★★★ ウレーンによるソラブジの「100の超絶技巧練習曲」全曲録音プロジェクト、久々の第4弾
 スウェーデンのピアニスト、フレドリク・ウレーン(Fredrik Ullen 1968-)による、カイホスルー・ソラブジ(Kaikhosru Sorabji 1892-1988)の世紀の秘曲、「100の超絶技巧練習曲(100 Transcendental Studies)」全曲録音シリーズの第4弾。これまで、2003年から05年に第1番~第25番が、2005年から06年にかけて第27番~第43番が、2006年に第44番~第62番が録音され、このままいよいよ驚異の全集が立ち現れるのかと思っていたら、その後長いこと続編に関するアナウンスもなく、この企画も立ち消えてしまったのか、と心配していたところ、2015年になって久しぶりに続編がリリースされた。
1) 練習曲 第63番 En Forme de Valse. Leggiero con desinvoltula (17:00)
2) 練習曲 第64番 (2:38)
3) 練習曲 第65番 (2:33)
4) 練習曲 第66番 lascia vibrare gli arpeggio (6:07)
5) 練習曲 第67番 (4:10)
6) 練習曲 第68番 Sottovoce (2:28)
7) 練習曲 第69番 la punta d’organo, Sottovoce (25:39)
8) 練習曲 第70番 Rhythmes brises (4:08)
9) 練習曲 第71番 Aria (13:14)
 録音は第66番だけが2005年の時点で先に済まされていて、他の曲は2014年に行われた。
 いずれにしても、現在おそらくウレーン以外に成しえない企画であろうと思う。あの、アムラン(Marc-Andre Hamelin 1961-)でさえスコア・チェックの時点で取りやめたという。もっとも、アムランの場合技術の問題というより、100曲に費やす労力と音楽の価値の双方を比較し、断念したということだろうけれど。おそらくウレーンも2006年から14年までのインターバルの間に、相応の時間をこれらの楽曲の分析に費やしたに違いない。ライナー・ノーツには、興味深いウレーン自身の各曲へのコメントが掲載されているので、聴きながら楽しむのが面白いだろう。
 ソラブジは、パールシー (Parsi; ゾロアスター教の信者)である、というステイタスとともに、スクリャービン(Alexandre Scriabine 1872-1915)から、作風、思想など様々に強い影響を受け、加えて、ゴドフスキー(Leopold Godowsky 1870-1938)やブゾーニ(Ferruccio Busoni 1866-1924)からも鍵盤技術などの面も含めた影響を受けたという。技巧的で不思議な色合い、夢の中でさまよいながらも情熱的・退廃的な音楽は捨てがたい魅力を持つ。
 今回収録された曲集は、9曲と少ないが、それは長大な楽曲が含まれているからである。そして、私がこれまでソラブジの当該曲集を聴いてきた上での感想は、「長大な曲にこそ美しく面白いものが多い」ということだ。
 そして、このアルバムでも、最長曲第69番が何と言っても面白い!
 ウレーンは、25分を越えるこの作品を、4つの部分に分けて捉えることができる、としている。すなわち、抑制的で催眠的な第1部(0:00~7:50)、急速なフレーズで装飾性の高い第2部(7:50~12:10)、コラール風の音楽が密度を増していく第3部(12:10~20:03)、そして穏やかに沈静化していく第4部(20:03~25:39)。その変容ぶりも面白いが、しかし、それよりも(これもウレーンが指摘していることだが)面白いのは、この作品はラヴェル(Maurice Ravel 1875-1937)の「夜のガスパール」へのトリビュートという性格を強く示したものだということだ。低音の持続音は、多くの人が「スカルボ」を彷彿とするに違いない。「夜のガスパール」はラヴェルの怪奇趣味がベルトラン(Louis Bertrand 1807-1841)の詩の触発を受けて書かれたものだったが、ソラブジは、そこにさらに怪奇的な雰囲気を加えて、濃厚な一品に仕立て上げたのだ。私は、この楽曲は傑作だと思う。
 ソラブジにも怪奇趣味があったことは事実なようで、彼は1940年代にM.R.ジェイムズ(Montague Rhodes James 1862-1936)の小説にインスパイアされたピアノ曲をいくつか書いている。私はそれらを聴いたことはないのだけれど、ウレーンは「第68番の不気味な雰囲気には、それらの楽曲と共通するものがある」と研究の成果を披露している。16分音符が効果的な小品だ。
 冒頭に収録された第63番も長大で美しい。華やかで明るさのある作品だから、親しみやすいとも言えるだろう。この曲もウレーンによると「4つの部分」に分けて捉えることができるそうだ。こちらも書いておくと、熱狂性のあるワルツが聴ける第1部(0:00~4:25)、透明感のある第2部(4:25~7:33)、単純でJ.シュトラウス(Johann Strauss 1825-1899)を彷彿とする第3部(7:33~13:00)、そして力を蓄え壮大なコーダに至る第4部(13:00~17:00)。この曲は、ウレーンの明朗な弾きぶりもあって、とてもわかりやすく、ソラブジ入門にも絶好な楽曲としておすすめしたい。
 他にアルペッジョの印象的な第66番、多声的で、リズムの交錯が複雑な第71番など、それぞれソラブジらしさの堪能できる曲だ。
 ウレーンの技術も凄い。ひところには「全曲演奏は不可能」とまで言われることのあったこれらの楽曲に、高い水準で洗練をもたらす響きで弾ききっている。ぜひとも全曲録音を完結してほしい。それを待っているフアンの数は少ないかもしれないけれど(笑)、それだけに待っている人は完成を熱望しているに違いない。

100の超絶技巧練習曲より第72番~第83番
p: ウレーン

レビュー日:2016.4.18
★★★★★ 秘曲、ソラブジの「100の超絶技巧練習曲」 第5弾
 スウェーデンのピアニスト、フレドリク・ウレーン(Fredrik Ullen 1968-)による、イギリスの作曲家、カイホスルー・ソラブジ(Kaikhosru Sorabji 1892-1988)の奇曲集、「100の超絶技巧練習曲(100 Transcendental Studies)」の全曲録音プロジェクトの第5弾。このたびの収録曲は以下の通り。
1) 練習曲 第72番 Canonica (2:11)
2) 練習曲 第73番 Quasi preludio corale. Sonorita piena morbida e dolcissima(17:57)
3) 練習曲 第74番 Ostinato. Secco –Fabtasticamente grottesco(4:22)
4) 練習曲 第75番 Passacaglia. Largo (28:50)
5) 練習曲 第76番 Imitationes. Presto assai (1:10)
6) 練習曲 第77番 Mouvement semblable et perpetual. SCorrevole (1:34)
7) 練習曲 第78番 (untitled). Leggiero e veloce (1:44)
8) 練習曲 第79番 The inlaid line. Legatissimo la lines melodica(2:08)
9) 練習曲 第80番 La linea melodica. Mormorando sordamente(5:46)
10) 練習曲 第81番 The suspensions. Lento quasi adagio e gravemente solenne (5:35)
11) 練習曲 第82番 (untitled). Sordamente e oscuramente minaccioso(2:28)
12) 練習曲 第83番 Arpeggiated fourths(4:12)
 録音は1)~3)が2014年、他は2015年。
 現在ウレーンを除いて、誰にもなしえないプロジェクトといって良い。第3集を録音したあと、第4集のリリースまでかなりのインターバルがあったため、計画自体の頓挫を心配したが、幸いにもシリーズは継続。しかも、第4集からほとんど連続する形で、このたび第5集がリリースされた。
 今回は12曲が収録されたわけだが、全4集に比してやや難渋な印象が強くなり、ソラブジの語法に慣れない人には、聴きにくい作品が多いかもしれない。しかし、世紀の難曲がその全貌をあらわしつつあることは、少なくとも私には十分に興味深いことである。
 今回の楽曲では、全曲集中最長の部類に入る第75番がまずは注目されるところだろう。これは、主題の100の変奏からなる壮大なパッサカリアで、ウレーン自身の解説によると、4つの部分からなるという。徐々に短い音が多用されていく第26変奏までが第1部、内的な熱の多い第51変奏までの第2部、内省的なものから始まり荘厳な終結につながる第75変奏までの第3部、そして音が壮大な伽藍を導いていく第4部、ということである。ピアノの効果を追求しながらソラブジ的な要素に満ちた作品で、しかも100の変奏というかつてない体裁が、独特の世界観を導いている。
 第73番は「コラール前奏曲」と銘打たれているが、バッハ(Johann Sebastian Bach 1685-1750)のオルガン曲「パッサカリアとフーガ」を思わせるような低い繰り返し音を保持しつつ、対位法的な展開で、しかしいつ果てるともないような不思議な音楽が闇を深めていく。
 そのほかの小曲では、描写的な美しさを示す第78番、16分音符のピアニスティックな活躍が不安の色を増す第82番など、なかなか面白い。
 このシリーズの入門としては、第5集より、私ならば第3集や第4集の方がずっと親しみやすいと思うが、その一方で、ウレーンの演奏から伝わる「謎多きソラブジ作品を光のもとにさらけ出そう」という情熱に感化し、全集完結を改めて祈念したい。

100の超絶技巧練習曲より第84番~第100番
p: ウレーン

レビュー日:2021.6.1
★★★★★ 長大な秘曲の録音プロジェクト、17年間を費やし、ついに完成
 「カイホスルー・ソラブジ(Kaikhosru Sorabji 1892-1988)の100の超絶技巧練習曲」・・・
 そんなミステリアスな作曲家と作品の名を知ったのはいつの頃だっただろうか。ゾロアスター教徒の作曲者が手掛けたその作品は、難解・長大なゆえ、これに挑んだピアニストはいないと言われてきた。様々な難曲を弾きこなし、ソラブジのソナタを録音したアムラン(Marc-Andre Hamelin 1961-)でさえ、この曲の譜読みに挑戦したものの、その仕事を開始するには至らなかった。
 この音楽史を代表するといっても良い秘曲にたちむかったのはスウェーデンのピアニストで、精神科医でもあるフレドリク・ウレーン(Fredrik Ullen 1968-)であった。リゲティ(Ligeti Gyorgy 1923-2006)のピアノ独奏曲の全曲録音という偉業を成し遂げたウレーンは、2003年に、この偉大な作業にとりかかった。100曲からある練習曲を番号順に録音し、BISレーベルからリリースしていく。その秘曲の存在に、一種の憧れのようなものを感じていた私は、これらを聴く機会を得たことに感謝し、プロジェクトの完遂を祈りつつ、拝聴し続けてきた。
 そんな前人未踏の試みが、ついに2019年の録音をもって完遂することとなった。当プロジェクト、第6弾のアルバムである当盤には、CD2枚を費やして、最後に残っていた第84番以降が収録されている。これによって、全演奏時間8時間24分に及ぶ「カイホスルー・ソラブジの100の超絶技巧練習曲」が、ついにその全貌を現したこととになる。当盤の収録内容は以下の通り。
【CD1】
1) 第84番 Tango habanera 9:03
2) 第85番 (untitled) 1:53
3) 第86番 Adagietto:Legatissimo 1:59
4) 第87番 Studio gammatico 2:59
5) 第88番 (untitled) 1:20
6) 第89番 Chopsticks. Vivace 1:31
7) 第90番 (untitled) 3:23
8) 第91番 Volante leggiero 2:52
9) 第92番 Legato possible. Velato, misterioso 2:17
10) 第93番 Leggiero saltando  2:12
11) 第94番 Ornaments. Con fantasia 4:10
12) 第95番 (untitled) 0:54
13) 第96番 (untitled) 3:32
14) 第97番 (untitled) 3:11
15) 第98番 Staccato e vivace 2:56
【CD2】
1) 第99番 Quasi Fantasia (Nello stilo della fantasia cromatica di Giovanni Sebastiano) 16:07
2) 第100番 Coda - Finale. Fuga a cinque soggetti 55:56
 録音は、第84~88番と第92番の6曲が2018年、他は2019年。
 ウレーンが弾く当該曲集のアルバムをずっと聴き続けてきた私の印象であるが、番号が若いころのものの方がスクリャービン(Alexandre Scriabine 1872-1915)的なソノリティや雰囲気を色濃く感じさせ、聴き手にとって、アプローチしやすいロマンティックなものが多く、一方で当盤に収録されたものの方が、暗黒的というか、練習曲の性向として、音楽表現的なものから、より量的なものにシフトしたようにも感じられる。だから、この作品集を未聴の方の場合は、巻数の若いものから聴いた方が、敷居は低いと思う。
 といっても、当盤に収録された曲たちも、その響きは、まぎれもなくソラブジのものである。なんというか、暗さ、重さ、怪しさ、そして彷徨する様。この音楽を聴くことに喜びを感じるかと言えば、おそらく一般的な答えは「否」であろう。ただ、私の様に、この楽曲の由来、秘曲としての深いヴェールの向こうにある得体のしれないものを期待して聴く人間には、相応の美しさで応えてくれるものだと思う。
 冒頭の第84番はハバネラふう。いや、おそらくはっきりハバネラなのだろう。だがソラブジならではの変容を受け入れ、その怪しい光をあちこちに放つ様は独特だ。第85番はトッカータっぽい。第86番では叙情的なカンタービレが美しく表現される。第87番は重々しい音階が響く。
 第89番はプロコフィエフ的なアイロニーや遊びを感じさせる佳品。第90番は彷徨を連想させるとりとめのなさが妙に冴える。第91番からは、喜遊曲ふうの曲と夜想曲風の曲が互い違いに第96番まで並ぶ。中でも第96番はウレーンのタッチの光沢とあいまって、美しい情感に満ち、魅力的だ。第98番はソラブジの語法が濃縮された感がある。
 最後の2曲は規模が大きい。第99番はQuasi Fantasiaとあるが、バッハ(Johann Sebastian Bach 1685-1750)の名作、「半音階的幻想曲とフーガ BWV 903 ニ短調」にインスパイアされて書かれた作品。重々しい半音階と壮麗な和音がひたすら繰り返され、その音響とともに、ピアニストの体力を吸い取っていくような難曲であるが、ウレーンのパフォーマンスは、見事にこれを弾き切った。
 この長大な曲集の最後を飾る第100番は、それだけで56分の演奏時間を要する。その大部分がフーガの手法をもちいながら多声部を扱う手法によっている。当盤では、主題と声部の数に応じて、6つのパートに分けてトラックが振ってある。4声部分の不思議さ、5声のはじまりの情感など、私には美しく感じられた。また、ソラブジが技巧を凝らした楽曲は、複雑ながら巨大なりの構成感があり、複層的な音響とあいまって、独特の全体像が感じられる。なかなか巨視的に認識するのが難しいところはあるのだが、聴いていてなぜか情緒を動かされるものがあり、私には魅力的だった。
 その一方で、これらの楽曲は、馴染みやすいものではないし、旋律的なものや華麗な演奏効果で盛り上がるというものでもない。感情的にも暗い成分が多く、おいそれと「はい、推薦します」というようなわかにも行かないとも思うのだが、この秘曲を世に伝えてくれたウレーンの功績は、代えがたいものであり、高評価としたい。

「怒りの日」によるセクエンツィア・シクリカ
p: パウエル

レビュー日:2020.2.26
★★★★★ 演奏時間8時間半の秘曲がその姿を現す
 CD7枚を費やし、演奏時間8時間半。これで「1つのピアノ独奏曲」である。その存在は知っていたが、全曲を録音で聴いたのは初めて。おそらく投稿日現在で、入手可能な唯一の全曲音源となるのではなかろうか。
 収録されている楽曲は、イギリスの作曲家、カイホスルー・ソラブジ(Kaikhosru Sorabji 1892-1988)による「怒りの日によるセクエンツィア・シクリカ」という作品だ。さて、そもそもソラブジなる作曲家が何者であったのか?その作品は、まだまだ「知られている」とは言えないだろう。そもそもイギリスの作曲家でるにもかかわらず、「カイホスルー」という風変わりな名前がまず印象的だ。実は、彼はもともと「レオン(Leon)」という名前だった。しかし、インド系で、パールシー (Parsi; ゾロアスター教の信者)であることを示すため、「カイホスルー(Kaikhosru)」に改名したとのこと。作曲家として、芸術家として、自らのアイデンティティーの置き場であったことは容易に想像がつく。
 そして、彼の名前とともに、彼が遺した作品も、その多くが、尋常ではない長大さと、演奏の至難さを持っていたこと、加えて、作曲家が自身の作品の演奏を一般的には許可していなかったことから、聴ける機会もなく、どこか架空めいた存在の様に扱われることが多かったのだ。彼の有名な曲集に「100の超絶技巧練習曲(100 Transcendental Studies)」という作品集があって、こちらも全曲演奏すると8時間を越えると言われている。こちらは、現在スウェーデンのピアニスト、フレドリク・ウレーン(Fredrik Ullen 1968-)によって、全曲録音の試みが進行中で、すでに進捗率は7割、録音されたものはBISレーベルから発売されている。
 私は、それらの録音を聴き、「なかなか面白い」と思っていたので、このたび当盤にも食指を伸ばした次第である。
 このたびの録音は、イギリスのピアニストであり、作曲活動も行っているジョナサン・パウエル(Jonathan Powell 1969-)によるもの。録音は2015年に行われているが、リリースされたのは2020年。微妙にインターバルがあるが、発売元もダウンロード版以外でのリリースを迷ったのかもしれない。
 さて、この楽曲、有名なグレゴリウス聖歌の「怒りの日」の主題による変奏曲という体裁をもっている。そのため、楽曲はいくつものパーツに分類することが出来る。それをふまえて、CD7枚の収録内容は、以下の様になっている。
【CD1】
1) 主題 4:29
2) 第1変奏 7:59
3) 第2変奏 8:01
4) 第3変奏 8:30
5) 第4変奏 50:27
【CD2】
1) 第4変奏(続き) 14:18
2) 第5変奏 8:23
3) 第6変奏 3:30
4) 第7変奏 2:27
5) 第8変奏 20:54
6) 第9変奏 11:27
【CD3】
1) 第10変奏 33:13
2) 第11変奏 2:19
3) 第12変奏 7:16
4) 第13変奏 22:16
【CD4】
1) 第14変奏 26:48
2) 第15変奏 13:08
3) 第16変奏 4:34
4) 第17変奏 3:24
5) 第18変奏 10:27
6) 第19変奏 7:28
7) 第20変奏 3:43
8) 第21変奏 8:49
【CD5】
1) 第22変奏 ~ パッサカリア 第1~10変奏 9:43
2) 第22変奏 ~ パッサカリア 第12~24変奏 10:57
3) 第22変奏 ~ パッサカリア 第25~36変奏 11:09
4) 第22変奏 ~ パッサカリア 第37~49変奏 12:09
5) 第22変奏 ~ パッサカリア 第50~59変奏 9:58
6) 第22変奏 ~ パッサカリア 第60~65変奏 6:00
7) 第22変奏 ~ パッサカリア 第66~75変奏 9:49
【CD6】
1) 第22変奏 ~ パッサカリア 第76~89変奏 14:00
2) 第22変奏 ~ パッサカリア 第90~100変奏 12:45
3) 第23変奏 12:21
4) 第24変奏 10:47
5) 第25変奏 2:16
6) 第26変奏 16:24
【CD7】
1) 第27変奏 2~6声による5つのフーガ その1 2声のフーガ 13:43
2) 第27変奏 2~6声による5つのフーガ その2 3声のフーガ 6:24
3) 第27変奏 2~6声による5つのフーガ その3 4声のフーガ 9:53
4) 第27変奏 2~6声による5つのフーガ その4 5声のフーガ 8:53
5) 第27変奏 2~6声による5つのフーガ その5 6声のフーガ 41:04
 もう、この内容を見ただけで、いかにもヘンタイ的と言いたくなる。主題と27の変奏曲からなるが、変奏曲は、最短2分のものから最長90分以上のものまで、規模がバラバラで、しかも第22変奏は、変奏曲の一つであるパッサカリア調に基づく100の変奏に細分類されているし、最後は声部を増やして進む長大なフーガが置かれている。スピンオフやら、入れ子構造やらの、メタミステリ的楽曲とでも呼ぼうか。これだけの間、扱われている主題は「怒りの日」なのである。
 聴いてみての第一の感想は、やはりどうしても「長い」に尽きる。。。あ、書くまでもないですね。長いです。とても全曲一気には聴けない。1日1枚聴いても、聴きおわるのは一週間後で、最初の方の出来事はほとんど忘れてしまっているのである。こうなってくると、「一つの楽曲である」ことの意味さえ、聴き手に問いかけてくるようだ。(そういった意味でもメタなのであるが)
 楽曲は、技術的な至難さを求めるが、一般的なヴィルトゥオジティの発揮に類するような、エネルギッシュな解放感は少なく、むしろ瞑想的というか、どこかをぐるぐる回っているような気難しさを感じさせる部分が多い。この楽曲は、聴く側にも相応の心構えを要求するだろう。とはいえ、貴重な音源であるとともに、当然のことながら「発見」の喜びを感じさせてくれるアルバムでもある。
 例えば、第8変奏のワルツの扱いは、声部の工夫があって、なかなかに面白い。「ヒスパニック風に」と題された第15変奏は、さながらアルベニス(Isaac Albeniz1860-1909)を思わせる雰囲気で、エスニックな情感が満ちている。「ドビュッシー風」と題された第19変奏も印象派的な色彩感がソラブジらしさと両立する怪しさが魅力的だ。3つの長大変奏(第4、第22、第27)は、それぞれ集中力をもって聴くことで、フレーズの扱いやポリフォニーの技巧を凝らせた工夫があり、興味深く聴けるだろう。個人的に気に入ったのは、それに次ぐ規模を持つ第10変奏だ。30分を越える変奏であるが、「官能的に」という指示に相応しい静謐な夜を思わせながら、艶めかしくうごめく世界があり、どこかスクリャービン(Alexandre Scriabine 1872-1915)を思わせる音楽が連綿と続いていく。幻惑的で夢幻的な音楽であり、マジカルだ。
 演奏は、他と比較のしようがないのだが、ベーシックな解釈として、十分な価値を持つものだろう。録音がやや平板な印象で、奥行きに乏しさを感じさせる点は少し残念。私の評価は星5つとするが、これは、秘曲を世に明らかにしてくれたという紹介者の功績がきわめて大きいためである。ただ、このアイテムを、広く音楽フアンに推薦したい、というわけではない。要するに、聴く側は、ある程度当該作曲家と作品に関する情報を収集した上で、心構えを作ってから、音楽体験に望むべきだと思う。


このページの先頭へ