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スメタナ



管弦楽曲

交響詩「我が祖国」
エリシュカ指揮 札幌交響楽団

レビュー日:2010.4.29
★★★★★ エリシュカ/札幌交響楽団、待望のセッション録音
 すでにドヴォルザークとヤナーチェクの組み合わせの2枚のライヴ・アルバムをリリースしているラドミル・エリシュカと札幌交響楽団であるが、ついに待望のセッション録音が発売された。録音は2009年、札幌コンサートホール、Kitaraで収録されたもの。CD2枚組となっているが、総収録時間は77分程度なので、CD交換の手間を考えると1枚でまとめてほしかった。
 「高い城」の冒頭からオーケストラの弦のシックな音色を背景に微細を尽くした表現となっている。金管はやや抑制を効かしているが、その分ほの暗いグラデーションの幅が広がっていて、耳をそばだてて聴きこむ演奏。札響の特徴として、やや渋い配色の弦の中で、木管を浮き立たせ、空高らかに鳴るようなところがあり、私はこれが北国の音色の様に思い、気に入っているが、その特性はよく捉えられている。
 「モルダウ」は速いテンポが良い。この曲はちょっとテンポを落とすと、通俗的な感じになってしまう。速いテンポで締めた方が新鮮だし、全6曲を続けて聴いた場合の、軽重が的確に思える。下手に分かりやすく情緒的にやり過ぎると胃もたれしてしまう。「ボヘミアの森と草原から」ではもっと燃え立つようなものを期待するかもしれないが、この演奏も決して内省的に過ぎるというわけではない。十分に内燃性の情感をはらんでいて、聴けばそれが伝わってくる。「ターボル」と「ブラニーク」ではいくぶん開放的な音色となり、オーケストラも意気揚々といった演奏になる。これは楽曲の性格とともに、ここでややカラーを変えるという演出にも思える。決してガラッと変わるわけではないが、少しギアを変えた感じ。ここでも内面性豊かで、楽器のバランスには十全な配慮がある。木管の高らかな音色は様々にアクセントを添えている。フィナーレは壮麗で、幸福感に満ちている。

交響詩「我が祖国」
C.デイヴィス指揮 ロンドン交響楽団

レビュー日:2013.10.1
★★★★☆ LSO Liveレーベルの録音に若干の違和感がある
 先日亡くなったイギリスの偉大な指揮者、サー・コリン・デイヴィス(Sir Colin Davis 1927-2013)の演奏には、私もいろいろお世話になった。よく「いぶし銀」と形容される中庸を心得た解釈ではあったが、時として素晴らしい燃焼度の高い演奏を聴かせてくれることもあった。
 晩年の彼の録音のうち、ロンドン交響楽団とのものは、自主制作レーベル「LSO Live」からリリースされることが多かった。これもその一枚で、スメタナ(Bedrich Smetana 1824-1884)の連作交響詩「わが祖国」の全曲が収められている。2004年の録音。
 日本でもすっかり人気が定着した作品。全曲は、第1曲「高い城(ヴィシェフラド)」、第2曲「モルダウ(ヴルタヴァ)」、第3曲「シャールカ」、第4曲「ボヘミアの森と草原から」、第5曲「ターボル」、第6曲「ブラニーク」からなるが、日本では第2曲「モルダウ(ヴルタヴァ)」の知名度が抜群で、私も小学校の音楽鑑賞の時間に聴いた記憶がある。まあ、どんな演奏だっかたなんて、まったく覚えていないのだけれど。次いで情熱的な第4曲「ボヘミアの森と草原から」も人気だ。
 これらの楽曲にはクーベリック(Rafael Kubelik 1914-1996)、ノイマン(Vaclav Neumann 1920-1995)といったチェコの指揮者による演奏が、いわゆる「お国もの」のキャッチコピーとともに名演として知られる。それにくらべてこのデイヴィス盤はどうだろう。
 このデイヴィスの演奏は、一言でいって「すっきりした」ものだと思う。民俗的な情熱性などに対しても、内燃的な炎を感じるというわけでなく、むしろどこか北欧音楽を聴くような、さわやかに吹き渡る風のように、小走りに駆けて行くような演奏。ところどころ、細やかな表現が必要なところで、適度に焦点を合わせ、次はこれ、次はこれ、とテキパキと順番に聴き手に提示してくれる。その一方で、全体はよどみなく進んで行く。まるでこなれたプレゼンテーションのようで、安心して聴いていることができる。
 ただ、そのわりに、いまひとつ「グイと来る」ところがないように思えるところもある。実は、私はしばしばこの自主制作レーベル(LSO Live)のディスクに、同様の印象を持つことがある。全体的に中低音域が抑制され、高音が伸びやかで聴きとりやすくなっているのだけれど、全体的な重量感がいまひとつなのだ。きれいだけど、腹の底に響くような地面から伝わる強さがあまりない。
 そのため、このたびの感想についても、「演奏そのもの」の印象なのか、それとも「録音・編集加工からくる」印象なのか、厳密にはわからないが、しかしどちらかと言うとかなりの確率で後者が原因なのではないかと思う。それで、結果として、やや物足りなさの残るサウンドに仕上がっていると感じられる。このレーベルの編集の方針なのか?ライヴでありながら雑音が一切消去されていることと関係があるのだろうか?
 演奏自体は前述のように細やかにきれいに仕上がっているし、ちょっとしたタメ(モルダウの婚礼のシーンの直前など分かり易い)など効果的な演出もあるので、悪くはないのですが、若干不完全燃焼感の残るところがある。
 なお、同音源のハイブリッド版も発売されているようであるが、本レビューは私が所有している通常CDについて言及したものであることを、申し添えさせていただきます。

交響詩「我が祖国」
ヴィット指揮 ポーランド国立放送交響楽団

レビュー日:2019.4.25
★★★★★ 隠れた実力者、アントニ・ヴィットによる「我が祖国」の名録音
 ポーランドの指揮者、アントニ・ヴィット(Antoni Wit 1944-)指揮、ポーランド国立放送交響楽団の演奏で、スメタナ(Bedrich Smetana 1824-1884)の連作交響詩「わが祖国」全曲。収録内容は以下の通り。
1) 第1曲 ヴィシェフラト(高い城)
2) 第2曲 ブルタヴァ(モルダウ)
3) 第3曲 シャールカ
4) 第4曲 ボヘミアの森と草原より
5) 第5曲 ターボル
6) 第6曲 ブラニーク
 1993年から94年にかけての録音。
 ヴィットは、廉価レーベル・ナクソスによって世界に広く紹介された指揮者である。そのイメージが強いため、一部に廉価レーベルの御用指揮者といった「刷り込み」があるように感じるが、実際のところは、世界を代表する素晴らしい指揮者の一人である。また、ポーランド放送交響楽団も、メジャーレーベルの録音が少ないが、世界最高水準のオーケストラの一つといって良く、当盤はその素晴らしさを伝えてくれる。
 スメタナの「我が祖国」は、たいへん知名度の高い楽曲であるにもかかわらず、国際的な名声を持った指揮者が全曲録音することは多くはなく、代表的録音について考えても、いまだにクーベリック(Rafael Kubelik 1914-1996)の複数の録音が最初に指折られることが多いし、全曲録音する場合でも、チェコの指揮者によるケースが多い。そんな中、当盤はインターナショナルな通力をもった名演として、忘れてならないものであり、むしろこれを当該曲の代表録音として推す人が多かったとしても、私はまったく不思議に思わない。
 さて、それでは、ヴィットと、ポーランド国立放送交響楽団の解釈はいかようなものなのか。
 一言でいうと、「柔らか味のある洗練」が特徴だろう。全体としてはややスローなテンポを主体としながら、音響は柔らかく、凹凸はなめらかだ。とても品のある響きで、ことさらに力むところがない。それでいて、クライマックスの広がりは大きく、気高い高揚感を築き上げる。例えば、民俗的な熱狂が描かれる「ブラニーク」において、ヴィットはゆとりのある音幅をとり、穏やかさな伸びやかさを損なわない「伸縮」をもって、明るい活力を原動力に音楽を形作る。その結果、この楽曲が時に単純に過ぎるように思えるものが、深みを感じさせる効果を獲得し、楽曲自体のスケールが増した感触を受ける。そのことが、全体として、荘厳な雰囲気をもたらす。
 冒頭曲「高い城」もそうで、ハープのくっきりした音色から、深い間と呼吸があり、その感覚を練り上げるようにして全曲が描き出されていく。その過程にこの楽曲に相応しい、物語性を感じる。
 「シャールカ」では、洗練された熱狂と呼びたい練達なオーケストラの表現が美しい。ヴィットという指揮者の作法は、ところどころ、私にスウィトナー(Otmar Suitner 1922-2010)を彷彿とさせるのだが、いかがだろうか。
 有名な「モルダウ」、この曲は日本では特に人気の1曲であるが、ヴィットの描くモルダウは、川幅が広く、大陸的な印象を感じさせる。全体のスリムな流れの中で、金管は柔らかく、マイルドな味わいを添え、弦楽器は木目調で暖かい音色を繰り出す。婚礼のダンスの優しさは、暖かく、しかし感傷に過ぎることはない。柔和ななかにも締まった感触があり、音楽の輪郭は柔らかくも崩れない。その質感が、高級な聴き味として帰ってくる。
 世界的指揮者とオーケストラによる「我が祖国」と称してよい名録音だ。

交響詩「我が祖国」
クーベリック指揮 バイエルン放送交響楽団

レビュー日:2019.8.31
★★★★★ 豪壮にして流麗。クーベリックの奏でる熱い「わが祖国」
 ラファエル・クーベリック(Rafael Kubelik 1914-1996)指揮、バイエルン放送交響楽団の演奏で、スメタナ(Bedrich Smetana 1824-1884)の連作交響詩「わが祖国」全曲。収録内容は以下の通り。
1) 第1曲 ヴィシェフラト(高い城)
2) 第2曲 ブルタヴァ(モルダウ)
3) 第3曲 シャールカ
4) 第4曲 ボヘミアの森と草原より
5) 第5曲 ターボル
6) 第6曲 ブラニーク
 1984年、スメタナ没後100周年とクーベリック生誕70年を記念して開かれた演奏会のライヴの記録。
 クーベリックは「わが祖国」を重要なレパートリーとしていて、これまでリリースされた音源として、以下の6種類が知られている。
 1952年 シカゴ交響楽団
 1958年 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
 1971年 ボストン交響楽団
 1984年 バイエルン放送交響楽団 当盤
 1990年 チェコ・フィルハーモニー管弦楽団
 1991年 チェコ・フィルハーモニー管弦楽団
 1991年のものは日本公演をライヴ収録したDVDであり、CDはAltusからリリースされていたが、現在は入手が難しいようだ。
 6つもの音源があるという事実が、クーベリックがいかにこの楽曲を大切なものとしていたか、如実に伝わってくる。また、一般的に、この楽曲の代表的録音として、クーベリックの録音を挙げられる場合が多い。
 それでは、その6種のうち、どれがいいのかというのは、なかなか難しい問題で、私も聴いたのはボストン交響楽団のものと当盤の2種のみ。それらはいずれも見事な演奏だから、そのどちらかであれば、問題なく、当該曲を代表する録音の一つと言っていいはずだ。
 さて、ボストン交響楽団との演奏を真摯で実直なものとするならば、この演奏は、コクのある深い演奏といったところだろうか。解釈自体が大きく異なっているわけではないが、当録音の方がライヴというシチュエーションもあって、しばしば情熱的な踏み込みがある。完成度と言う点ではボストン交響楽団との録音の方が間違いなく高いが、当盤の魅力は燃焼度の高さにあるだろう。
 全般に「ゴージャス」と形容したいオーケストラのサウンドが魅力いっぱいだ。カントリー・スタイルとは異なるヨーロッパの王道、文化の中心を歩むような風格が漂う。もちろん、その反作用として、スメタナ作品らしい郷土色や、それを感じさせる節回しの巧さは、その存在感を減じているが、そのことを補って余りある魅力がある。「ヴィシェフラト」の気高い佇まいも見事だが、当盤の魅力を特に感じるのは「シャールカ」と「ブラニーク」の2曲だ。ともに迫真の迫力で、熱血的な力強さが溢れている。壮大な弦、鋭く呼応する金管が相まって、壮大な絵巻を築き上げている。全曲の終結部にあたるブラニークのフィナーレの燃焼性は、ちょっと他では聴けないというくらいに熱い。熱さと風格、その両方が流麗な美しさの中で溶け合う。名演と呼ぶにふさわしい一枚。

交響詩「高い城」 「モルダウ」 「ボヘミアの森と草原から」 歌劇「売られた花嫁」から 序曲 ポルカ フリアント 道化師の踊り
レヴァイン指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

レビュー日:2016.7.23
★★★★☆ 燦然たる音響で磨き上げられたレヴァインのスメタナ
 ジェームス・レヴァイン(James Levine 1943-)が、1986年にウィーン・フィルハーモニー管弦楽団を指揮してスメタナ(Bedrich Smetana 1824-1884)の管弦楽曲を集めたコンサートの内容を収録したもの。収録曲は以下の通り。
連作交響詩「わが祖国」から
1) 第1曲 ヴィシェフラド(高い城)
2) 第2曲 ヴァルタヴァ(モルダウ)
3) 第4曲 ボヘミアの森と草原から
歌劇「売られた花嫁」から
4) 序曲
5) ポルカ
6) フリアント
7) 道化師の踊り
 スメタナの作品の優れたところを集めたという点で聴き易いアルバムとなっている。かの有名な「連作交響詩」の6曲においても、正直に言って、当盤に収められた3曲と、他の3曲では、完成度、聴き味など、当盤に収録された3曲の方が格段に勝る。また、併録された「売られた花嫁」からの管弦楽曲がなかなかに魅力的なこともあって、収録曲の面で魅力の高いアルバムとなっている。
 ライヴ録音ではあるが、拍手はカットされており、そういった点でセッション録音に近い編集が行われている。
 レヴァインがウィーン・フィルを指揮した録音というと、どうしても想起するのは一連のモーツァルト(Wolfgang Amadeus Mozart 1756-1791)の録音である。それはモーツァルト没後200年記念にあたる1991年の完成を目指して、グラモフォン・レーベルが企画したシリーズで、当時大々的に宣伝されたものだ。学生時代の私も、そのうち何枚かを買ったものである。
 いま、このモーツァルトを聴くと、なんと燦然とした衒いのない、健康的明瞭さで覆い尽くされた表現だろう、と感じる。管弦楽は研ぎ澄まされた音色で、開放的である一方で、直線的。目的地に向かって、まっすぐに痛烈といってもよいスピードで進んでいく。そのモーツァルトを聴いて、あの当時、この演奏がどれほど鮮烈に聴こえたことだろう、とあらためて感じた。しかし、今ではレヴァインのモーツァルトが改めて取沙汰されることはほとんどない。徹底した合理性が、時として無味無臭的な味わいの薄さにつながることがある。レヴァインの演奏はそうしたものを感じさせるところもあった。
 それで、このスメタナを聴いてみると、私はすぐにこのモーツァルトを思い出した。作品の性向はまったく違うのだけれど、レヴァインの棒にかかると、様々な作品がきわめて近い方向性を示すのだから、ある意味面白い。
 これは、音楽のタメの少ない流れ、メタリックと形容したくなるような光沢のある音色、そして、一種乾いた響きをベースに普遍的な解釈へ傾倒していく演奏の方向性などから総じて受ける印象である。
 そういった意味で、このスメタナは、ウィーン的でもないし、ボヘミア的でもないだろう。レヴァインの芸術性によって洗練され、完成された音響美である。そのことをどう評価するかで、聴き手の受け止め方は変わるだろう。特に「わが祖国」からの3曲は、とても美しく、隅々まで磨き抜かれたように仕上がっているが、例えばモルダウの婚礼のダンスなども、他の演奏と比べれば、無機的、あるいは機械的といった印象を持たれるところもあるだろう。だから、これらの作品の、抒情性よりも、さながら交響曲のような純管弦楽曲として楽しむという場合には、おおよそ欠点のない見事なものとなるだろう。オーケストラ全体の音圧による迫力も見事なものだ。
 他方、売られた花嫁からの楽曲は、いずれも祭典的というか、より描写が直接的なため、逆にレヴァインの演奏によって失われるものを感じる必要が少ないと言える。まっすぐに進む舞曲たちは、実に爽快だ。もちろん、ボヘミアの音楽文化に詳しい人が聴けば、違う感想になるかもしれないが、少なくとも私は率直に、楽しい音楽として享受した。
 以上の様に、良くも悪くも、間違いなくレヴァインならではのスメタナである、という演奏だと思う。

交響詩「モルダウ」  歌劇「売られた花嫁」から序曲 ポルカ フリアント 道化師の踊り 歌劇「リブシェ」 序曲 歌劇「二人のやもめ」から序曲 ポルカ 歌劇「口づけ」 序曲
ドホナーニ指揮 クリーヴランド管弦楽団

レビュー日:2021.5.27
★★★★★ これぞ現代オーケストラの洗練美の極致。ドホナーニとクリーヴランド管弦楽団によるスメタナ
 ドホナーニ(Christoph von Dohnanyi 1929-)指揮、クリーヴランド管弦楽団による、スメタナ(Bedrich Smetana 1824-84)の管弦楽曲集。収録曲は以下の通り。
1) 連作交響詩「わが祖国」から 第2曲「ブルタヴァ(モルダウ)」
2) 歌劇「リブシェ」から 序曲
歌劇「二人のやもめ」から 
 3) 序曲
 4) 第2幕から ポルカ
5) 歌劇「口づけ」から 序曲
歌劇「売られた花嫁」から
 6) 序曲
 7) 第1幕から ポルカ
 8) 第2幕から フリアント
 9) 第3幕から 道化師の踊り
 1-5)は1994年、6-9)は1993年の録音。7)ではクリーヴランド合唱団が加わる。
 「モルダウ」は、スメタナの代表作であるが、特に日本では義務教育の音楽鑑賞で取り上げられる機会が高かったり、メロディがアレンジされたりして耳にすることが多かったりする人気曲だ。当然のことながら録音も多い。中で、私が一番良いと思っているのが、実はこのドホナーニ盤。ただ、もちろん、別の意見もあるだろう。というのは、このドホナーニの演奏、オーケストラの機能美を活かして、きわめて流麗透明。洗練を極めた響きであり、逆に言うと、民俗色や熱血性などはやや薄目だからである。しかし、私はこの演奏のもたらす気高さと、引き締まったフォルムに魅了される。決して情感に不足するわけではない。木管のどこまでも透明な音色は、そのまま突き抜けるようにして心に届く。どこかストレートに過ぎるくらいに。でも、その明瞭さが、えがたい瑞々しさとなって、耳に届く。その様が無類に心地よいのである。
 他にもスメタナが歌劇のために書いた管弦楽作品が収録されている。おそらく、売られた花嫁の序曲以外、めったに聴く機会のないものだと思うが、いずれもスメタナらしい親しみやすいメロディと、練達した管弦楽書法により、楽しめる作品だ。いずれも歌劇のシーンのために書かれたものということもあり、祭典的、舞台的で、続けて聴くと、やや食傷するかもしれないが、ドホナーニの精緻なタクトは、管弦楽の響きに究極と言っても良い洗練をもたらしていて、爽快だ。「リブシェ」序曲のファンファーレの明朗な豊かさ、「売られた花嫁」の舞曲たちの瞬発力を感じるスピード感など、抜群である。中でも「売られた花嫁」序曲は、最大の聴きモノだろう。弦が紡ぐ素早い弱音のパッセージが、すばらしいスピードと正確さをともなって、かつ美しく響き、音が重ねられていくシーンは、圧巻の一語。
 ドホナーニとクリーヴランド管弦楽団をもってのみ、はじめて到達しえた洗練を極めたスメタナ作品集となっている。


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室内楽

弦楽四重奏曲 第1番「わが生涯より」 第2番
パヴェル・ハース四重奏団

レビュー日:2015.5.12
★★★★★ 現代最高の弦楽四重奏団の力を、余すことなく伝えた名盤
 衝撃的と言ってよい名盤の登場だ。   パヴェル・ハース四重奏団によるスメタナ(Bedrich Smetana 1824-1884)の以下の2曲の弦楽四重奏曲を収録した、2014年録音のアルバム。
1) 弦楽四重奏曲 第1番 ホ短調 「わが生涯より」
2) 弦楽四重奏曲 第2番 ニ短調
 四重奏団のメンバーは、第1ヴァイオリンがヴェロニカ・ヤルツコヴァ(Veronika Jaruskova)、第2ヴァイオリンがマレク・ツヴァイベル(Marek Zwiebel)、ヴィオラがパヴェル・ニクル(Pavel Nikl)(ヴィオラ)、チェロがペテル・ヤルシェク(Peter Jarusek)。
 チェコの音楽史に偉大な足跡を残したスメタナは晩年に疾病から聴力を失い、最終的には精神を患って亡くなった。しかし、ベートーヴェン(Ludwig van Beethoven 1770-1827)と同じように、聴力を失ってからもスメタナは意欲的に作曲活動を行った。これらの2曲の傑作も、聴力を失った以後の作品である。
 第1番は、演奏の難しさから、当初演奏不能とされたことも、ベートーヴェンの晩年の同ジャンルの作品を彷彿とさせるエピソードだ。「わが生涯より」の標題が示すように自叙伝的な作品と考えられる。厳しい諸相を持ちながら、明るいポルカ的楽想を交えて進むが、しばしば鋭く射す陰りのような強烈な音響が加えられる。運命の厳しさを感じさせる。
 パヴェル・ハース四重奏団の演奏は、超絶的な技巧と、圧倒的な音量で、この作品が持つ凄みを完璧に表現したものだ。元来、この作品は、どちらかというと牧歌的、情景的な部分が全体を覆っていたのだが、パヴェル・ハースはそこにきわめて強靭な色彩を用いた。倍音の挿入や衝撃的な結末が、これほど強い意志を感じさせて響いたことはなかったと言ってよい。
 圧倒的な集中力で導かれる美しさと、そこに突き刺さる氷の刃のような苛烈な表現の両立は、この音楽の芸術的崇高さを導きだしている。
 亡くなる直前の第2番もすごい。第3楽章冒頭の峻烈俊敏なパッセージを、一糸乱れず圧倒的な音量で流れ落ちるように弾ききるパワーがすごい。それは決して力づくのものではなく、この作品を、現代の彼らの流儀で、もっとも合理的に響かせるという純粋な見地で必然的に編まれたものに違いない。
 当演奏を聴いて、私は、スメタナの芸術は、この2曲の弦楽四重奏曲で結実したのだ、という印象を受けた。ディスク1枚で収録時間が47分程度と短いが、収録されている音楽がきわめて濃厚で、私はそのことにまったく不満を抱かなかった。この素晴らしい説得力と啓示に溢れた名演を繰り広げたパヴェル・ハース四重奏団は、現代世界最高といって良い弦楽四重奏団に違いない。


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