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シベリウス



交響曲 管弦楽曲 協奏曲 器楽曲 歌曲


交響曲

交響曲 全集 組曲「恋人」 交響詩「エン・サガ」 クレルヴォ交響曲 4つの伝説曲 交響詩「ポヒョラの娘」 交響詩「ルオンノタール」 「カレリア」組曲 交響詩「大洋の女神」 交響詩「フィンランディア」 悲しきワルツ 交響詩「タピオラ」 交響詩「夜の騎行と日の出」
C.デイヴィス指揮 ロンドン交響楽団 合唱団 S: マルティンペルト Br: フレデリクソン

レビュー日:2013.3.12
★★★★★ クールで透明。高いクオリティを保ったデイヴィスによるシベリウス2度目の全集
 サー・コリン・デイヴィス(Sir Colin Davis 1927-)指揮、ロンドン交響楽団による1992~2000年録音の、シベリウス(Jean Sibelius 1865-1957)の交響曲全集。収録内容を示す。
CD1) 交響曲第1番 第4番
CD2) 交響曲第2番 第6番
CD3) 交響曲第3番 第5番
CD4,5) 交響曲第7番 組曲「恋人」 交響詩「エン・サガ(伝説)」 クレルヴォ交響曲
CD6) レミンカイネン組曲(4つの伝説曲) 交響詩「ポヒョラの娘」 交響詩「吟遊詩人」
CD7) 「カレリア」組曲 交響詩「大洋の女神」 交響詩「フィンランディア」 悲しきワルツ 交響詩「タピオラ」 交響詩「夜の騎行と日の出」
 クレルヴォ交響曲ではロンドン交響楽団合唱団、ソプラノのヒレヴィ・マルティンペルト(Hillevi Martinpelto 1958-)、バリトンのカール=マグヌス・フレデリクソン(Karl-Magnus Frediksson 1968- )が加わる。
 C.デイヴィスは1975~76年にかけて、ボストン交響楽団と、シベリウスの交響曲全曲の録音を行った。これは当時たいへん話題になった録音で、私も後にこれを入手し聴くこととなったのだが、中で特に第5番の豊麗な響きに一気に魅了され、それ以来私にとって、シベリウスの名を聞いて、最初に連想する音楽は、このデイヴィスの指揮した第5交響曲となった。
 それから、およそ20年のインターバルを置いて、これらの録音が行われたことになる。前回のボストン交響楽団とのシリーズと比較すると、収録曲の充実が最初に目につく。作曲者初期の大曲である「クレルヴォ交響曲」が収められたし、他の管弦楽曲も主要なものはすべて収録されたといっていいだろう。
 次いで演奏についてであるが、内省的な雰囲気が深くなり、一方で淡色系の色彩感で統一された一種の冷たさが特徴だと思う。これはボストン交響楽団との録音との大きな相違点であり、本盤の特徴でもある。やや硬質な音色が主体で、室内楽的な緊密な織り込みが微細に表現されており、楽曲がスリム化し透き通った風情を獲得することに繋がっている。これは“枯淡の響き”とでも形容したい性格のもので、交響曲で言えば第6番や第7番、交響詩で言えば「タピオラ」といった後期の作品でその傾向は典型的に表出している。
 もう一つの特徴はダイナミックレンジの広さであり、静謐な表現を丹精に描きながら、金管のフォルテやトゥッティのヴォリュームはパワーが漲っている。しかし、その音色はとにかくクールで、“冷たい炎”とでも形容したい清涼なる迫力である。そうして聴いていると、なるほど、シベリウスの音楽の世界観がよく体現できていると思えてくる。
 そのため、交響曲第1番や第2番、あるいは交響詩「フィンランディア」といった初期の青春を思わせるような作品においても、前述の“枯淡の響き”によって、作品との距離感が常に冷静に保たれた均衡性を意識させる。このことは、興奮の要素を減じているとも言えるだろう。しかし、厳密に制御された響きは、均整のとれた美観を引き出しており、シベリウスの音楽の本質を引き出していると言えると思う。C.デイヴィスが、70歳前後になって、確信を持って振ったシベリウスとしての、全編の揺るぎのなさには驚かされる。
 総じて、精神的とも言える美しさを湛えた全集であり、多くのシベリウス録音を聴いた人にとっても新鮮な感興を沸き起こしてくれるものだと思う。

交響曲 全集 ヴァイオリン協奏曲
ロジェストヴェンスキー指揮 モスクワ放送交響楽団 vn: オイストラフ

レビュー日:2013.4.1
★★★★★ 濃厚で、土俗性さえ感じさせる独特なシベリウス
 ゲンナジー・ロジェストヴェンスキー(Gennady Rozhdestvensky 1931-)指揮、モスクワ放送交響楽団の演奏によるシベリウス(Jean Sibelius 1865-1957)の交響曲全集。1968年から1974年にかけて録音されたもの。オイストラフ(David Fiodorovich Oistrakh 1908-1974)を迎えてのヴァイオリン協奏曲も収録されている。
 ロジェストヴェンスキーのソ連における他の録音と同様に、こちらもメロディア原盤である。「メロディア」というのは、ソ連時代の国内最大のレコード・レーベルで、現在も活発な活動を行っている。デジタル化への対応の遅れなどはあったが、冷戦時代のソ連の芸術家による貴重な記録は、メロディア・レーベルの偉大な功績となっている。
 メロディア原盤のディスクというのは音質に特徴があり、細部の精度が低い代わりに、非常に野太い、低音に一層重みが増すような響きになるのである。全体的なイメージを一言で言うと「大雑把」とでもなろうか。それで、ロジェストヴェンスキーの多くの録音もそのような状態で聴くことになるのだけれど、ロジェストヴェンスキーの、時折「俗っぽい」とでも言いたくなるような野趣性のある濃厚な響きが、この録音でその性向をさらに強調させ、大変印象的なものとなるのである。
 それで、このシベリウスも大変な豪演なのだ。私もいろいろなシベリウスを聴いてきて、最近では透明な北国的情感を鮮烈に表現した演奏が主流に思うのだけれど、その「反対側」と言えるのがこの演奏で、とにかく「熱い」のである!いちばん分かり易いのは第1交響曲だろうか。この名曲の冒頭、ティンパニをバックに奏でられる木管の主題提示からして、弱い音は一切なく、しっかりと大地に根差した響きになっていて、それが拡大して弦が加わり、そして全管弦楽による壮大な合奏へと邁進していく迫力はものすごいのである。まさにアクセル全開の音楽、こんなシベリウス、今となってはまったく聴けるものではない。
 第2楽章の幽玄・幽谷の雰囲気も、リアリティーに溢れるしっかりとした音で、響きは輪郭が保たれ、存分な音の重みを伴って表現される。その手ごたえの実感は比類ない。第3、第4楽章の重車両が突進するような迫力も凄い。
 この第1交響曲に顕著なスタイルが全般に貫かれており、非常に力強い、濃い土の薫りを漂わせるようなシベリウスとなっている。これが本来のシベリウスか、と問われれば、ちょっと違うような気もするのだけれど、しかし、時々無性に聴きたくなる演奏であることは間違いない。このような個性の強い録音の存在によって、“シベリウスの音楽が表現しえるもの”は、一気にその範囲を広げるよう思える。

交響曲 全集 ヴァイオリン協奏曲 交響詩集
アシュケナージ指揮 フィルハーモニア管弦楽団 ボストン交響楽団 vn: ベルキン

レビュー日:2014.6.19
★★★★★ 清涼なる高揚感!魅力満載のシベリウス
 アシュケナージ(Vladimir Ashkenazy 1937-)が1979年から1984年にかけてフィルハーモニア管弦楽団と録音したシベリウス(Jean Sibelius 1865-1957)の交響曲全集。同時期に録音された管弦楽曲などもすべて収録した5枚組のアルバム。収録内容の詳細は以下の通り。
【CD1】
1) 交響曲 第1番 ホ短調 op.39 1984年録音
2) 交響曲 第4番 イ短調 op.63 1980年録音
【CD2】
3) 交響曲 第2番 ニ長調 op.43 1979年録音
4) 交響詩「フィンランディア」 op.26-7 1980年録音
5) カレリア組曲 op.11 1985年録音
【CD3】
6) 交響曲 第3番 ハ長調 op.52 1983年録音
7) 交響曲 第6番 ニ短調 op.104 1984年録音
8) 交響詩「タピオラ」 op.112 1983年録音
【CD4】
9) 交響曲 第5番変 ホ長調 op.82 1980年録音
10) 交響曲第7番ハ長調 op.105 1982年録音
11) 交響詩「伝説(エン・サガ)」 op.9 1981年録音
【CD5】
12) ヴァイオリン協奏曲 ニ短調 op.47 1978年録音
13) 2つのセレナード op.77a 1978年録音
14) 2の荘重な旋律 op.77b 1978年録音
15) 弦楽のためのロマンス op.42 1992年録音
16) 悲しきワルツ op.44-1 1992年録音
17) 交響詩「ルオンノタール」 op.70 1980年録音
 12),13),14)のヴァイオリン独奏はボリス・ベルキン(Boris Belkin 1948-)、17)のソプラノ独唱はエリザベート・ゼーダーシュトレーム(Elisabeth Anna Soderstrom 1927-2009)。オーケストラは、フィルハーモニア管弦楽団であるが、15)及び16)の2曲のみ、後年のボストン交響楽団との音源が使用されている。収録曲を充実させてくれる良いサービスだ。
 これらの録音は、当時のデッカ・レーベルを代表するものの一つであり、かつ今なお極めて完成度の高いシベリウスのシリーズとして、市場に供給され続けているもの。私も、CDメディアが普及し始めた時代に、これらの録音を聴いて、たいへん興奮したことを思い出す。
 アシュケナージのシベリウスの特徴は、なんといっても高音域の透明感である。それは、きわめて清涼な感触に満ちていて、北欧の短くも美しい夏の風景を連想させる。
 私の場合、第3番、第4番、第6番の3つの交響曲の魅力に気付かされたのは、この演奏を聴いた時だった。第3番は、両端楽章の一筆書きを思わせる流麗な書法が、瑞々しい感性で表現される一方、中間楽章の切ないメロディーが水墨画のような風情で表現され、この楽曲の魅力にすぐに触れることができた。第4番は冒頭から低弦の力強い響きが印象的、その後も非常に太い音色でしっかりと音楽を構成。楽曲の骨格を明瞭にし、厳しい音色で迫った音楽は冷たい大地を覆うような荘厳さがあり、魅了された。第6番は快適なテンポ設定が見事で、間隙を与えない俊敏性により、この音楽の性格が的確に描写されていて、とても感じ入った。
 名曲として名高い第1番、第5番はエネルギーの蓄積と開放が心地よい。第2番はフィナーレにむかって天高く歌い上げるような全管弦楽のブルー系の色彩感が忘れがたい。第7番は神秘的な静謐さとともに、その底に潜む情熱が伝わり、音楽という芸術の真価を感じさせてくれる。
 「カレリア組曲」の澄み切った音色はこの曲の代表的録音として指折られる名演で、特にバラードの淡い情緒が見事。「フィンランディア」、「エン・サガ」も北国の初夏を思わせる新緑の音楽で、心地よく風が吹き抜けていく。「タピオラ」の深い静謐も神秘を帯びている。「ルオンノタール」ではグラモフォン賞を受賞したシベリウス歌曲全集の一翼を担ったゼーダーシュトレームの独唱が聴ける。
 ボリス・ベルキンは1948年ソ連生まれのヴァイオリニスト。シャープで透明な音色を持ち、協奏曲などでは管弦楽とのバランスに格段の配慮・感性を感じさせるアーティスト。協奏曲でアシュケナージがドライヴするオーケストラはなかなかロマンティックでスケールが大きい。ここぞと言うときは金管陣が朗々と、深き幽谷から響くようである。ベルキンのヴァイオリンはそこに透明な一条の光線を当てる。時として思わぬほどの闊達な勢い、切り裂くような閃光・・・を与える。これは北欧の叙事詩というか、どこか幻想的な異界のような音だ。併録されたヴァイオリンと管弦楽のための作品も黄昏の音色でありながら、きわめて透明な空気に満ちている。実際、これらはきわめて美しい作品である。特に2曲目のセレナードのシベリウスの深いところから生まれたメロディーなど、透徹した、まさしくシベリウスにしか書けないであろう美観を示す。
 全曲に渡って、クリアなサウンドが録れていることも特筆したい。澄み切った静寂のパレットの上に、鮮やかな透明度を持った音の絵巻が繰り広げられる。そんな、魅力いっぱいのシベリウスです。

交響曲 全集 交響詩「フィンランディア」 「トゥオネラの白鳥」 組曲「クリスチャン2世」から第1曲「ノクターン」 交響詩「吟遊詩人」 交響詩「タピオラ」
ベルグルンド指揮 ボーンマス交響楽団

レビュー日:2015.7.31
★★★★★ リマスターでさらに価値を高めたベルグルンドの熱いシベリウス
 近年亡くなったフィンランドの名指揮者パーヴォ・ベルグルンド(Paavo Berglund 1929-2012)は、同郷のシベリウス(Jean Sibelius 1865-1957)の作品をライフワークとして振り続けた。交響曲全集として完成されたものは3種ある。
1) ボーンマス交響楽団(1972-77年)
2) ヘルシンキ・フィル(1984-1987年)
3) ヨーロッパ室内管弦楽団(1995-97年)
 当録音は、その1)に当たるベルグルンド最初の全集で、イギリスのボーンマス交響楽団を振って録音されたもの。元はEMIの音源であったが、当盤は、2013年になってワーナーがリマスタリングし、4枚組の廉価盤として再発売したもの。収録内容は以下の通り。
【CD1】
 1) 交響曲 第1番 ホ短調 op.39(1974年録音)
 2) 交響曲 第4番 イ短調 op.63(1975年録音)
【CD2】
 1) 交響曲 第2番 ニ長調 op.43(1976年録音)
 2) 交響曲 第3番 ハ長調 op.52(1977年録音)
【CD3】
 1) 交響曲 第5番 変ホ長調 op.82(1973年録音)
 2) 交響曲 第6番 ニ短調 op.104(1973年録音)
 3) カレリア組曲から第1曲「間奏曲」、第3曲「行進曲風に」(1972年録音)
 4) 「クオレマ(死)」の劇音楽から「悲しきワルツ」 op.44-1(1972年録音)
【CD4】
 1) 交響曲 第7番 ハ長調 op.105(1972年録音)
 2) 交響詩「フィンランディア」 op.26(1972年録音)
 3) 交響詩「トゥオネラの白鳥」 op.22-2(レンミンカイネン組曲から)(1972年録音)
 4) 組曲「クリスチャン2世」から第1曲「ノクターン」、第2曲「エレジー」(1978年録音)
 5) 交響詩「吟遊詩人」 op.64(1976年録音)
 6) 交響詩「タピオラ」 op.112(1972年録音)
 この時期に、ベルグルンドがボーンマス交響楽団と録音したシベリウスの管弦楽曲は他にもあり、それにはクレルヴォ交響曲も含まれていたのだが、当盤からは割愛されている。おそらくリマスターの廉価盤を作成するにあったて、4枚組という枠によるコスト・パフォーマンスの最適化を試みたのだろう。
 割愛は残念であるが、一般的にはシベリウスの交響曲全集として、十分といってなんら差し支えない内容である。
 しかも演奏が良い。私はベルグルンドのシベリウスでは、このボーンマス交響楽団との録音が一番好きだ。イギリスのオーケストラには数々のシベリウスの名演があるが、その中でも特に目立った功績の一つと言っていいだろう。
 シベリウスの交響曲には、静物画的な、一種の静謐さや嫋やかさを求めることが多い。しかし、この時期のベルグルンドとボーンマス交響楽団の録音は、どれも「熱い」のである。熱血性と言って良い。例えば、1974年と78年に録音されたショスタコーヴィチ(Dmitrii Shostakovich 1906-1975)の第7交響曲と第11交響曲など、熱い滾りを感じさせる爆演なのだ。
 シベリウスも随所に熱い血を通わせたような演奏。またテンポの変動も、ベルグルンドのその後の録音に比べて明らかに大きく、浪漫的で雄大なのだ。交響曲第2番の冒頭のスローな導入は、初めて聴く人は驚くに違いない。交響曲第7番は、多くの場合シベリウスのたどり着いた幽邃とか枯淡といったイメージを持つけれど、この演奏はとてもロマンティックで、様々な情感を織り交ぜ、豊かな色彩を感じさせる響きに仕上がっている。それは空間的な広さのイメージに繋がり、そのことが新たな北欧らしさにまで結びつく気がする。また低音、ティンパニの地に響くような力強さもこれらの演奏の特徴で、第2番、第5番といった楽曲で、その効果が実に気持ちよく決まっている。第6番も、最近は軽快さのある演奏が多い中、濃厚さを感じさせる当演奏はまた別な魅力を示している。第4番にも旋律的な膨らみを十分に注入した情感の豊かさがある。
 選抜された追加楽曲もなかなか面白い。カレリア組曲はなぜかもともと第2曲の録音がなく、両端曲のみという形になっている。
 演奏の良さに加えて、ワーナーのリマスタリングが優秀だ。金管は鮮明になり、弦には空間的な深みが与えられた。EMI時代にガサガサした平板な印象があったのが、見事に克服されている。関係技術者の優れた仕事ぶりは賞賛に値する。

交響曲 全集 クレルヴォ交響曲 交響詩「大洋の女神」 交響詩「フィンランディア」 交響詩「タピオラ」 カンタータ「故郷」 火の起源
ベルグルンド指揮 ヘルシンキ・フィルハーモニー管弦楽団

レビュー日:2017.9.27
★★★★★ 豊かな情緒が隅々まで行き渡った暖かいシベリウス
 パーヴォ・ベルグルンド(Paavo Berglund 1929-2012)指揮、ヘルシンキ・フィルハーモニー管弦楽団によるシベリウス(Jean Sibelius 1865-1957)の交響曲全集。EMI原盤であるが、Warnerからリマスターの上、廉価なBox-setとなって再発売されたもの。収録曲と録音年は以下の通り。
【CD1】
1) 交響曲 第1番 ホ短調 op.39 1986年録音
2) 交響曲 第2番 ニ長調 op.43 1986年録音
【CD2】
3) 交響曲 第3番 ハ長調 op.52 1987年録音
4) 交響曲 第4番 イ短調 op.63 1984年録音
【CD3】
5) 交響曲 第5番 変ホ長調 op.82 1986年録音
6) 交響曲 第6番 ニ長調 op.104 1986年録音
【CD4】
7) 交響曲 第7番 ハ長調 op.105 1984年録音
8) 交響詩「大洋の女神」 op.73 1986年録音
9) 交響詩「フィンランディア」 op.26 1986年録音
10) 交響詩「タピオラ」 op.112 1987年録音
11) カンタータ「故郷」 op.92 1985年録音
12) バリトン独唱、合唱と管弦楽のための「火の起源」 op.32 1985年録音
【CD5】
13) クレルヴォ交響曲 ホ短調 op.7 1985年録音
 11-13)の合唱は、ソ連・ロシア国立アカデミー・エストニア男声合唱団、ヘルシンキ大学合唱団、ヘルシンキ大学男声合唱団。12)と13)とバリトン独唱はヨルマ・ヒュンニネン(Jorma Hynninen 1941-)、13)のメゾソプラノ独唱はエーヴァ=リサ・ナウマネン(Eeva-Liisa Naumanen 1952-)。
 なお、EMIの全集では、1982年にフィルハーモニア管弦楽団と録音した「トゥオネラの白鳥」「レミンカイネンの帰郷」「悲しきワルツ」が収録されていたのだが、当盤では割愛されている。また、EMIの全集では、やはり1982年にフィルハーモニア管弦楽団と録音した「フィンランディア」「タピオラ」が収録されていたのだが、当盤ではそれぞれ1986,87年に録音したヘルシンキ・フィルとの音源に差し替えられており、「ベルグルンドとヘルシンキ・フィルハーモニー管弦楽団によるシベリウス録音」というコンセプトで統一した体裁となっている。
 さて、ベルグルンドは3度に渡ってシベリウスの交響曲全集を手掛けている。
1) ボーンマス交響楽団(1972-77年)
2) ヘルシンキ・フィル(1984-1987年)
3) ヨーロッパ室内管弦楽団(1995-97年)
 当盤はその2度目のものとなる。
 私個人的には、ベルグルンドのシベリウスとしては、やや粗いところを残しながらも熱さの滾るボーンマス交響楽団の全集をもっとも気に入っているのだけれど、もちろんヘルシンキとの全集も見事な内容だ。人は、この全集からどのような印象を受けるだろうか。よく「北欧風」という形容があって、その言葉には、ある程度クラシックフアンが共有する音のイメージ像があるかもしれない。当盤はどうだろうか?。私はこのベルグルンドのシベリウスにそれほど「北欧風」というイメージを強く抱かない。そのイメージが合うのは、むしろヨーロッパ室内管弦楽団との3回目の録音の方ではないか。むしろ当全集から、私は中央ヨーロッパ的な、中音域の厚い、落ち着いたシンフォニックな豊かさを感じる。
 ベルグルンドは基本的に穏当なテンポを取る。テンポの上での明瞭な特徴はなく、全般に落ち着いたものと言える。その落ち着いたテンポをベースに、すべての音符がきちんと聴こえるような間合いを守り、中庸の美を貫いた音響を構築している。その徹底ぶりが根幹にあって、細やかな描写が生き生きと色づいてくる。管弦楽の響きも全般に暖かいマイルドさがあって、シベリウスの演奏としては、色合い豊かでロマンティックなものと感じる。そのことが、多くの人々にとって、「近づき易さ」のイメージとして伝わるに違いない。管弦楽の合奏音によって帰結を迎えるような部分では、音の間延びを警戒し、締まった音長で締めくくる傾向があるのも、私にはヨーロッパ本流のスタイルに楽曲を組み込んだためと思える。
 そう考えると、当全集は、シベリウスを一部の地域のみで人気のある作曲家としてふるまうのではなく、インターナショナルな大作曲家として扱うというメッセージ性とともに聴くことが出来るものではないだろうか。そこでは、人間的な情感が多様にめぐっていて、いわゆるモノローグ的な、風景描写的なものに収まってしまうような響きとはなっていない。第5番の木管の響きにこれほど人間味を感じさせる演奏は少ないだろう。それが、私には、当録音の第一の特徴であると思える。あの難渋な交響曲第4番、あるいはタピオラが、これほど様々な人間的な情緒を伴って響くのは、むしろ珍しいのではないでしょうか。だからこそ、私はこの演奏を「北欧的」と形容するより、「ヨーロッパ王道的」シベリウス、と表現したい。そのようなシベリウスは、他の録音とは少し違った角度で、聴き手の気持ちに働きかけるだろう。当録音をシベリウスの代表的録音と推す人も多いのは、そのような作用に感応したからではないだろうか。そういった点で、当録音は名演であるだろうし、同時にシベリウスの解釈として、ある意味でユニークさも併せ持ったものだと私は思う。
 もう一点。特筆したいのはリマスターの効果である。もとのEMI原盤では、音の空間域が狭く感じられ、どの楽器も互いに近いところで鳴っているように聴こえ、そのためにいまひとつ雰囲気がきちんと伝わらないところがあったのだが、ワーナーのリマスターにより、楽器間の距離感が的確になった印象で、静寂もきちんとした深度のある静寂として伝わってくる。各音の立ち上がりの美しさも鮮明になっており、当全集の価値を一層高めたと言えるだろう。

交響曲 全集
P.ヤルヴィ指揮 パリ管弦楽団

レビュー日:2019.2.14
★★★★☆ 珍しいフランスのオーケストラによるシベリウス録音
 2010年から2016年まで、パリ管弦楽団の音楽監督を務めたパーヴォ・ヤルヴィ(Paavo Jarvi 1962-)が、同管弦楽団を指揮して演奏したシベリウス(Jean Sibelius 1865-1957)の全7曲の交響曲をライヴ収録した3枚組アルバム。各CDの構成は以下の通り。
【CD1】
1) 交響曲 第1番 ホ短調 op.39 2012年録音
2) 交響曲 第4番 イ短調 op.63 2016年録音
【CD2】
1) 交響曲 第2番 ニ長調 op.43 2015年録音
2) 交響曲 第5番 変ホ長調 op.82 2015年録音
【CD3】
1) 交響曲 第3番 ハ長調 op.52 2016年録音
2) 交響曲 第6番 ニ短調 op.104 2014年録音
3) 交響曲 第7番 ハ長調 op.105 2014年録音
 まず、思ったことは、「フランスのオーケストラがシベリウスを録音するのは珍しいな」ということ。以前、何かで読んだことがある。シベリウスのように国によって人気の異なる作曲家は珍しく、地元北欧のほか、アメリカ、イギリス、日本では人気が高いが、ドイツ、オーストリアではそこまでではなく、フランス、イタリアではほぼ無視されている、と。
 何に書いてあったのか忘れてしまったし、これが本当の話なのかはよくわからないが、各国のオーケストラが演奏会や録音で取り上げる傾向を見ていると、あながちハズレとは言い難い指摘だと思う。パリ管弦楽団も、多様性があるとはいえ、フランス文化に音楽的ルーツを持つ団員が主勢力であろうから、シベリウスがメインなレパートリーにはなりにくいだろう。
 パーヴォ・ヤルヴィは、だからこそ、このオーケストラと、先入観の少ない状況で、一からシベリウスに取り組んでみたかったのではないか。私は、このエピソードが、アシュケナージ(Vladimir Ashkenazy 1937-)がチェコ・フィルハーモニー管弦楽団の音楽監督となった際に、ラフマニノフやR.シュトラウスをレパートリーに取り入れたことに似ているように思う。
 果たして、このディスクでも面白い成果が上がっている。
 私が良い、と思ったのは、第2番、第3番、第6番の3曲である。パーヴォ・ヤルヴィとパリ管弦楽団は、従来のシベリウス演奏と比較して、おおむね中央ヨーロッパ的な中音域に厚みのあるアコースティックな響きを導いていて、それは透明感より暖かみを感じさせる演奏となっている。第2番はその傾向が特にマッチする作品で、全体の音楽の抑揚の自然さ、ハーモニーの融合性の高さから、調和を重んじつつ、適度なスピード感で全体をまとめたマイルドな味わいに仕上がっていて、美しい。派手にやり過ぎることはなく、しっかりとした音幅で進行する音楽は、ドイツ古典の潮流に根付く音楽を思わせる。
 第3番はそのことがより新鮮な感興を呼ぶ。第2番と比べて演奏・録音回数とも圧倒的に少ない第3番だから、新鮮さが高まるのは当然といえば当然なのだが、第1楽章のホールを満たす暖かいサウンドのベースで金管が大らかに旋律を歌うところなど、得難い胸の高鳴りを感じる。第2楽章の落ち着いた歌も滋味豊か。第6番も同傾向と言って良い。全体的なバランスが良く取れていて、常に充足感のある響きが供給されている。
 逆に今一つの内容に感じたのが第5番と第7番。第5番はマイルドな味はあるのだが、浪漫的な熱血性や踏み込みで意識的にブレーキが働いた感があり、やや表層的で、深々と響かないし、第7番も全体的に薄みを残していて、まだまだ突き詰めるべき余地が残っているように思う。
 第1番と第4番は良演といったところ。安定したサウンドに心地よく身を委ねておけば良い。
 以上のように興味深く聴かせていただいた。個人的に、全集としてもっと好きなものがほかにもいくつかある(ベルグルンド(Paavo Berglund 1929-2012)/ボーンマス交響楽団盤やアシュケナージ/ロイヤル・ストックホルムフィル盤・・)のだけれど、当盤にはパーヴォ・ヤルヴィとパリ管弦楽団ならではの魅力が随所にあって、楽しかった。 パリ管弦楽団がこの成果を踏まえて、これからもシベリウスを手掛けていくのかどうか、興味深い。

交響曲 全集 交響詩「タピオラ」 3つのフラグメント
マケラ指揮 オスロ・フィルハーモニー管弦楽団

レビュー日:2023.2.17
★★★★★ 鮮烈な録音で聴く「異才、クラウス・マケラ」のデビュー盤
 次々と優れた指揮者を輩出する北欧から、また新たな才能が現れた。フィンランドの指揮者、クラウス・マケラ(Klaus Makela 1996-)は、投稿日現在、まだ20代半ばであるが、すでにDECCAと専属契約を行った。そのデビュー盤と言えるのが、当盤で、オスロ・フィルハーモニー管弦楽団を指揮してのシベリウス(Jean Sibelius 1865-1957)の交響曲全集。録音は2021年なので、マケラは25才ということになる。収録内容の詳細は以下の通り。
【CD1】
1) 交響曲 第1番 ホ短調 op.39
2) 交響曲 第2番 ニ長調 op.43
【CD2】
3) 交響曲 第3番 ハ長調 op.52
4) 交響曲 第4番 イ短調 op.63
【CD3】
5) 交響曲 第5番 変ホ長調 op.82
6) 交響曲 第6番 ニ短調 op.104
【CD4】
7) 交響曲 第7番 ハ長調 op.105
8) 交響詩「タピオラ」 op.112
9) 3つのフラグメント
 末尾に収録されている「3つのフラグメント」は、シベリウスの遺した断片的な遺稿から、フィンランドの音楽学者、ティモ・ヴィルタネン(Timo Virtanen)の校訂を経てスコア化されたもので、元は結局完成することのなかった第8交響曲のスケッチだったと考えられているもの。とはいえ、ごく短いもので楽曲とは言えない。
 さて、このマケラの演奏、私の印象を端的に言うと、色彩的で、ドラマティックなものと言うことになる。しばしば、シベリウスの音楽世界は、静物画や風景画に例えられるが、マケラの演奏には、ストーリーを思わせる脈があり、それが全編で、瑞々しい魅力となって聴き手に伝わってくる。最近の演奏で言えば、パーヴォ・ヤルヴィ(Paavo Jarvi 1962-)がパリ管弦楽団を指揮して録音した全集も、似たような性向を感じさせたのだが、私の考えを言えば、マケラの録音の方が、より成功しており、かつ従来的なシベリウスの価値観ともうまく整合性が得られていると思う。
 第1番の冒頭は、北の森が広がる大地を思わせるものだが、マケラの演奏は、より熱的で、語り掛ける要素を多く含んでいる。雄弁や多弁と形容しても良い。それらの要素は、決してシベリウスのもつ音楽において、常に歓迎されるものではないのだが、この演奏は、とても説得力に富んでいて、聴き手を巧妙にその世界に誘ってくれる。第2楽章の憂いに満ちた色感は、これまでに聴かれたものと違った感動を喚起してくれる。
 第2番は、アーティキュレーションの細やかな応用で、フレーズの関連性を高めながら、全体として、大きな起伏を描いている点が特徴。雄弁であるが、テンポが沈滞することはなく、むしろ少し早めくらいの勢いが維持されているので、劇的だ。第3番は、第2楽章の曲想の軽やかな転換が面白い。淡々と流すだけではなく、何かを仕掛けてくるのだけれど、それが全体の解釈の中で機能しているので、単発的なもので終わるという感じがしないところが素晴らしい。第4番は、力強く、引き締まったテンポで緻密に描きあげている。ただし、響き全体の中心が、やや高音域側にあって、聴き手に軽い印象を与えるところがあるので、そこは好悪が分かれるところかもしれない。私個人的には、十分アリな解釈であり、かつ楽しませていただいた。
 第5番は、これも起伏の豊かな表現で、ホルンの細やかなコントロールは、シベリウスの楽曲としては、介入の多い解釈と言えるが、その表現意欲は決して空回りするようなものではなく、跳躍性を感じさせる。第6番は、弦楽器陣の透明な歌が、徹底して歌われており、魅力的だ。終楽章で、処理にやや曖昧さを残した感はあるものの、そこまで大きな弱点にはなっていないだろう。第7番は荘厳な雰囲気がじっくりと咀嚼した表現で繰り広げられていて、これまた見事な演奏である。タピオラも、この曲の解釈としては、情熱的なものがあり、それが聴き易さにうまく結びついている。
 3つのフラグメントは、なるほど、第7交響曲やタピオラの延長線上にありそうな響きである。ただ、これだけではなんとも言えない。シベリウスフアンには興味深い収録である。
 全編に渡って、指揮者の表現力の豊かさと、それをオーケストラに行き渡らせた統率力を存分に味わえる素晴らしい内容と思う。加えて特筆したいのは、録音の鮮明さ。最近のオーケストラ録音で、ここまで各楽器のニュアンスをくっきりと克明に捉えたものは、あまりなかったのではないか。楽器の距離感も含めて、完璧と言って良い仕上がりで、このアルバムの価値を一層高めている。

交響曲 第1番 第2番 第4番 交響詩「フィンランディア」 「カレリア」組曲
アシュケナージ指揮 フィルハーモニア管弦楽団

レビュー日:2013.4.23
★★★★★ シベリウスの世界を巧みに表現したアシュケナージの現代的快演
 ウラディーミル・アシュケナージ(Vladimir Ashkenazy 1937-)とフィルハーモニア管弦楽団によるシベリウス(Jean Sibelius 1865-1957)の交響曲全集から。CD2枚組。収録内容を示す。
【CD1】
1) 交響曲第1番 1984年録音
2) 交響曲第4番 1980年録音
【CD2】
1) 交響曲第2番 1979年録音
2) 交響詩「フィンランディア」 1980年録音
3) 「カレリア」組曲 1985年録音
 シベリウスの音楽は、国によって極端に支持率が変わると聞いたことがある。北欧や米英では人気があり、ドイツ・オーストリアでは真ん中辺。フランス、イタリアではほとんど聴かれないらしい。
 私が、そのような内容の書物を読んだのは、もうずいぶん前のことだし、今では状況は変わっているのかもしれないけれど、確かにシベリウスの交響曲で名演と言われるものは、イギリスや北欧系のオーケストラによるものが多く、中央ヨーロッパのオーケストラによるというイメージが沸かない。不思議なものだ。
 イギリスの評論家、ネヴィル・カーダス(Neville Cardus 1888-1975)は、「シベリウスの世界に人は住んでいない」と評した。シベリウスの音楽の自然描写性を指したものであり、その音楽の特徴を表したものであるが、同時に、シベリウスの音楽には、人間性溢れるロマン派の音楽の延長線上からは、アプローチのしにくいところがあることをも表現している。他方、やはりイギリスの高名な評論家であったセシル・グレイ(Cecil Gray 1895-1951)は、シベリウスをベートーヴェン以後最大のシンフォニストと絶賛した。
 いろいろ前置きを書いたけど、このアシュケナージのシベリウスは、そのような様々な要素をうまく反映させながら、シベリウスの交響曲を現代的でシャープな感性で描き切った見事なものなのである。例えば、交響曲第2番におけるインテンポを忠実に守っての主題の機密な処理は、「ベートーヴェン以後」のフレーズを彷彿とさせるほど能率的かつ機能的で、全体の音がシンフォニックに良く響くし、また交響曲第1番の第2楽章のような淡々と刻まれる透明な音色の健やかさは、大自然に取り囲まれた中で、悠久の時間を感じているような情感に浸らせてくれる。シベリウスの音楽の多様な側面を、音楽的な齟齬がない形で、巧みに、適切に表出しているのだ。こういうバランス感覚に秀でた演奏を、私はよく「現代的だ」と表現するのだけれど、当盤はまさにその典型だと思う。
 交響曲第4番は、セシル・グレイが「無駄な音が一切ない」と絶賛したものだが、その室内楽的な響きはやや陰鬱で、多くの人にとって、距離のある音楽だと思う。しかし、アシュケナージの演奏を聴いていると、その距離のあることが大切なことなのだという気がしてくる。アンサンブルの正確さと真面目なテンポによるものだろう。
 個人的に超オススメなのは「カレリア組曲」である。なんと瑞々しく透明な情緒。この曲については、私にとって間違いなく当ディスクが決定版である。

交響曲 第1番 第3番
アシュケナージ指揮 ロイヤル・ストックホルム・フィルハーモニー管弦楽団

レビュー日:2007.5.18
★★★★★ 「北国の夏」のようなさわやかなシベリウス
 アシュケナージが2度目のシベリウス交響曲の全集に着手した。今後のリリース予定をみると、ほぼ1年のうちに全曲がリリースされるようで、この精力的な活動には敬服するばかりです。
 さて、今回の第1弾の録音を聴いてみての感想ですが、「北国の夏」のようなさわやかなシベリウス、とった印象です。私の場合、仕事柄、全国あちこちに出張するのですが、特に夏場の出張を終え、北海道に帰ると、その清涼なる空気を実感します。札幌のような都会でさえ、です。なんというのでしょう、空が近いんですよね。空の清浄な空気に大地がそのまま包まれるような感じがするのです。これは移動所要時間が短いと(羽田から千歳までわずか1時間半ですからねぇ)、ことさら実感することです。
 そのフィーリングとそっくりなものを、特に今回の第3交響曲から感じました。第3交響曲という曲は、存在は地味なのですが、たいへん魅力いっぱいの曲で、シベリウスが「らしさ」を発揮しはじめた淡い情感と、いかにも作曲者の盛期にふさわしい豊かなメロディに満ちているのです。アシュケナージのスタイルは弦のさざなみのような動きをくっきり出し、その上で非常に柔らかく木管・金管陣をブレンドして歌わせるもので、本当に天高く伸びていくような音色が見事です。旧録音ではもっと求心的という感じだったのですが、今回は辺縁の広がりを感じます。地平線まで遮るもののない大地の音色ですね。
 第1交響曲も同様で、冒頭の木管から清浄な空気が伝わってくるようです。しかも決め所の迫力も的確で、いいですね。ロイヤル・ストックホルムフィルも本当にいい音を出しています。オーケストラとの相性も良さそう。いまから全曲分のリリースが楽しみになる1枚です。

交響曲 第1番 第3番
尾高忠明指揮 札幌交響楽団

レビュー日:2013.10.11
★★★★★ 待たれた企画。尾高/札響によるシベリウス・チクルス 第1弾
 1987年にBBCウェールズ交響楽団首席指揮者に就任し、以後イギリスを中心に世界のオーケストラを指揮している尾高忠明(1947-)は、2004年から札幌交響楽団の音楽監督も務めている。すでにこのオーケストラとの録音もいくつかなされているが、2013年からは、いよいよシベリウス(Jean Sibelius 1865-1957)の交響曲全集シリーズが開始されることとなった。
 その第1弾となった当盤は2013年2月に札幌コンサートホール Kitaraで収録されたもので、交響曲第1番と第3番が収録されている。
 尾高と札幌交響楽団の相性はきわめて良好に思われる。元来、やや暗めのソノリティを持つオーケストラであるが、尾高の端正な指揮ぶりは、オーケストラの個性とあいまって、楽曲の内省的な深みをこまやかに掬ってくれる。このオーケストラの発色を抑えた音色は、私にはいかにも北国の響きという感じがするし、尾高と札幌交響楽団が取り上げる作曲家として、シベリウスはいかにもふさわしい。
 シベリウスの交響曲の演奏にもいろいろある。一時はバーンスタイン(Leonard Bernstein 1918-1990)やカラヤン(Herbert von Karajan 1908-1989)のような情熱的な演奏に人気が集まったこともあったが、最近の主流は透明感に満ちた淡い抒情性を漂わせたもののように思う。そういった点で、当演奏も最近の主流に合致した演奏であるが、さらになお、深部に染み透るような風情をもった演奏である。枯葉が地面におち、じっくりと蓄えられて、土になっていくような、深まりを感じる響き。
 基本的にインテンポで、速すぎず遅すぎずの中庸のテンポ。必要なときに必要なだけのエネルギーを調達し、節度を持って開放する。しかし、過度に内向きになるわけではなく、時として、豪壮的とも言える金管のフォルテを引き出す。その効果によって、全体としてはシックな色合いでありながら、十分なメリハリが効いており、決して退屈するような演奏ではない。
 人によっては「安全運転に徹し過ぎ」と感じられる部分もあるかもしれないが、何度か聴くと、細やかな語りかけがあり、発見の喜びが随所にある。そういった機微にも応じた演奏となっていると思う。特に印象深かったのは、当盤を締めくくる第3交響曲終楽章である。後半からフィナーレにかけて、弦が繰り返すフレーズに木管、金管が添えられ、次第にその輪を壮大に広げていくのであるが、弦によって脈々と供給される推進力が、隅々まで行き渡り、終結に向けて巨大な渦を築き上げるようなスケール感が導かれている。
 以後の録音にも期待したい。

交響曲 第1番 第7番
セーゲルスタム指揮 ヘルシンキ・フィルハーモニー管弦楽団

レビュー日:2005.1.16
★★★★★ 現時点でこれらの曲の代表的録音
 20世紀最大のシンフォニストの呼び声高いシベリウスだが、作品のもつ世界はあまりに独特で、作品の方から聴衆に近づいてくるものではない。
 初期の民族主義的な作品はともかく、後期の作品はどれもが職人芸的ともいえる緻密さで構成され、また描く世界はそこだけで完結した、閉じたものが多い。「孤高の天才」といわれ、またその作品に「人がいない」といわれる所以。このアルバムには最初の交響曲と最後の交響曲、対照的な二つの傑作が収録されている。
 セーゲルスタム指揮、ヘルシンキフィル。シベリウスに縁の深い北欧系指揮者とオケの録音だが、お国ものだからとかそういうことではなく、実に素晴らしい録音となっている。第1交響曲の木管とそれに呼応する管弦の響きの深みは霧と森を感じさせ、ゆったりとした呼吸から大きな感情的なうねりを生むまでのエネルギーが巧みに操られる。そして頂点で放たれるエネルギーの量も大きい。かつシンフォニックな統制感も決して失われない。つねに滋味豊な音色がたいへん心地よく、シベリウス演奏の理想型の一つだろう。
 第7番においてシベリウスで難しい影の表現~おそらく雲の影や木陰、山陰だろう~それらの「わびしさ」がより支配的な音楽であるが、それらを巧みに引き出しており、確かにシベリウス、と感じさせる。
 現時点でこれらの曲の代表的録音といっていいだろう。

シベリウス 交響曲 第1番  ブリテン 青少年のための管弦楽入門(パーセルの主題による変奏曲とフーガ)  ヴェーベルン 夏風のなかで-ブルーノ・ヴィレの詩による大管弦楽のための牧歌
ヤンソンス指揮 バイエルン放送交響楽団

レビュー日:2011.6.27
★★★★★ 現時点でこれらの曲の代表的録音
 1943年、ラトヴィア出身の指揮者マリス・ヤンソンス(Mariss Jansons)は、2003年にバイエルン放送交響楽団の首席指揮者に就任する一方で、2004年からはロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団の常任も兼任しており、存在の大きなアーティストになった。CDはライヴ録音が中心で、バイエルン放送交響楽団とのものはsonyから、ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団とのものは自主制作レーベルであるRCOから次々とリリースされている。
 このアルバムはその目覚しい活躍が始まった時期のもので、2003年から04年にかけての録音。かつてヤンソンスはシベリウスをオスロフィルと録音していたので、シベリウスの第1交響曲は再録音となる。
 ヤンソンスがオスロフィルを振っていた頃、私はいかにも北欧的なサウンドを響かせる指揮者だと思った。低音を重く鳴らさず、やや重心は軽めで、透明感を尊び、木管をくっきり浮き立たせるようなクールなサウンド。“ヤンソンス”といういかにも北欧風の名前にぴったりの芸風のように思った。しかし、その後、ヤンソンスは曲によってはより重心の低い、構えの大きなスタイルをとるようになった。それで、トーンもややシックに落ち着いたドイツ的ともいえる色彩を引き出すようになって、いかにも中央ヨーロッパのオーケストラに向いていると思える。
 それでこのシベリウスを聴くと、非常に練り上げられた滋味豊かなサウンドが特徴だと感じる。弦のグラデーションが落ち着いた風雅さを持っていて、力まず、しかしパワーのあるサウンドを自然に引き出している。冒頭のクラリネット・ソロの豊かなニュアンスにも驚かされるが、その後のシンフォニックな音楽の恰幅にも人を共感させる強い力を感じる。圧巻は終楽章で、浪漫的なこの楽章をきれいに引き締めた上で、弦の表現力を磨き上げた彫像性で、巨大なシンフォニーの全貌を見事に形作ったと実感する。立派な演奏だ。
 最後に収録されているヴェーベルンも素晴らしい。この曲は私には「オーストリア版の牧神の午後への前奏曲」というイメージがある。この演奏はまさにツボに嵌っていて、夏の陽差しの中、ゆっくりと行き交う雲の影が遠くまで見えるような美しい描写性を感じさせてくれた。ドビュッシーの管弦楽曲にも負けないくらいの魅力を示した録音だと思う。
 中間にブリテンの作品が挟まっているのも面白い。この曲は「管弦楽のための協奏曲」のようにソロ楽器のソノリティを聴く楽しみがあるが、このオーケストラにはさすがに腕達者な奏者が揃っている。録音も楽器の特徴をよく拾っており、合奏音との対比がバランスよく収まっていて、同曲の代表的録音の一つに挙げられるだろう。

シベリウス 交響曲 第1番  チャイコフスキー 幻想序曲「ロメオとジュリエット」
セレブリエール指揮 メルボルン交響楽団

レビュー日:2018.6.13
★★★★★ セレブリエールとメルボルン響による知られざる名演奏
 なかなかメディアの存在に気づきにくい名演というのはいろいろあるけれど、当然のことながら、気づくまでは私だって知らないわけだから、どれくらい気づくことのできない優れた録音が埋もれているのか、なんとも把握できないことなのだけれど、感覚的には、かなりの数のものに私は気づけていないのだろう。個人の情報収集力は限界がある。もちろん、現在ではネット環境の普及により、個人の能力と言ってもあなどれないものがあるのだけれど、そもそもある程度積極的に発信してくれていないものは、いよいよ見つけるのが難しい。ある程度、偶然に期待するほかない。
 このディスクの場合、私がとても気に入っているウルグアイ出身の指揮者セレブリエール(Jose Serebrier 1938-)の録音で、何か面白そうなものがないかなとネット・サーフしていて、たまたま注文したわけなのだけれど、聴いてみて驚いた。ここに収録された2つの楽曲は、それこそ数多くの名指揮者や名オーケストラに録音されてきたものなのだけれど、この録音はそれらになんら遜色ない、むしろそれらを上回ると言っても良い素晴らしい内容だ。収録曲は以下の2曲。
1) シベリウス(Jean Sibelius 1865-1957) 交響曲 第1番 ホ短調 op.39
2) チャイコフスキー(Pyotr Tchaikovsky 1840-1893) 幻想序曲 ロメオとジュリエット
 録音年は記載がないが、いずれもデジタル録音ではシベリウスが初出が1981年、チャイコフスキーは1988年のようだ。オーケストラはメルボルン交響楽団。
 この「メルボルン交響楽団」というオーケストラも、クラシック・フアンに決して馴染みの深いオーケストラではないのだけれど、近年、多くの録音が入手できるようになってきたシドニー交響楽団と同様に、なかなかいい音を出すのである。
 それにしても、これの両曲とも、セレブリエールのドライブが絶妙にうまい。全般にやや速めのテンポではあるが、オーケストラ自体が急(せ)くように感じるところはなく、響きは安定していて、それでいて熱血的である。音色は北欧のオーケストラを思わせるような、澄んだ高音域が魅力的であるが、中音域も豊かな厚みがあり、それらの特性を損なうことなく、力に溢れた表現が駆使される。それは、これら2曲の表現形として、ひとつの理想を体現したように、野太いメッセージ性を伴って、聴き手に伝わってくるのである。録音環境も良いようで、ホールトーンは全般にまろやかな味わいになっており、刺々しさがない。そのような中で、ハープの瑞々しい音色や、ティンパニの重量感のある響きが、しっかりとした存在感をともなって聴き手に届けられる。
 シベリウスでは、各楽章に設けられた豊かに盛り上がる個所が特に当演奏の聴きどころであり、小気味の良いテンポ、透明な音色、壮大なダイナミズムがかみ合って、聴き手の気持ちをいやがうえにも高ぶらせてくれる。チャイコフスキーは、重厚な迫力を伴った疾走感が圧巻であり、この楽曲特有の抒情が恰幅豊かに表現される。しかも、この2曲というのは、こうして一緒に聴いてみると、なかなか良い組み合わせで、両者を併せてアルバムにした編集という点での視点もなかなか優れたものだと思う。
 これらの両曲が好きな人であれば、一度聴いてみて損はない録音でしょう。

交響曲 第1番 交響詩「エン・サガ」
ロウヴァリ指揮 エーテボリ交響楽団

レビュー日:2021.1.14
★★★★★ 能弁にして熱血的。フィンランドの新鋭ロウヴァリが描きあげる燃焼度の高いシベリウス。
 すでに何度か来日しているフィンランドの指揮者、サントゥ=マティアス・ロウヴァリ(Santtu-Matias Rouvali 1985-)が、首席指揮者を務めるスウェーデンのエーテボリ交響楽団を振って、シベリウス(Jean Sibelius 1865-1957)の以下の楽曲を収録したアルバム。
1) 交響曲 第1番 ホ短調 op.39
2) 交響詩 「エン・サガ」 op.9
 交響詩「エン・サガ」におけるクラリネット独奏は、エーテボリ交響楽団で首席奏者を務めるウルバン・クレーソン(Urban Claesson)。2018年の録音。
 なかなか衝撃的と言ってよい演奏である。とにかく積極的で濃厚な表現で、シベリウスの音楽がここまで雄弁に奏でられるというのは、なかなか経験しがたいといったくらいに凄い。指揮者の「自分はこう表現したいんだ!」という意欲が、脈々とオーケストラに供給され、オーケストラがそれに全力で応えるという、とても熱のこもったやりとりが記録されている。
 交響曲第1番の各楽章の収録時間を見ると、どれも一般的なものより長めの傾向で、実際トータルとしてはそれだけ時間がかかっているのだろう。しかし聴いていて、この演奏に「遅さ」を感じることはほとんどないのではないか。というは、この時間傾向は、おおよそ、劇的な表現を導くのに必要な「間」からもたらされているからだ。第1楽章冒頭のクラリネットから、この演奏の方向性は意識づけられる。このクラリネット、エーテボリ交響楽団で首席奏者を務めるウルバン・クレーソンのソロであり、当CDでは、交響詩「エン・サガ」のソリストとして、その名はクレジットされているが、腕達者な奏者であることは明瞭で、指揮者の意図を組んで憂いたっぷりの響きである。遠雷を思わせるティンパニ、次いで奏でられる弦楽器陣の階層的な響き、そしてエキサイティングな全合奏へと、階段を駆け上がるように演出を畳み込んでいく。実に主情的で面白い。静と動の対比、中間の加減速の激しさに心打たれる。
 中間楽章も濃厚だ。第2楽章の耽美、第3楽章の運動性、ともに思いのたけをたっぷりと込めた音が形成されていて、ロマン性が強く薫る。終楽章も浪漫的で、スケールが大きい。この演奏に欠点を指摘するとしたら、あまりにもギアチェンジが激しく、その結果として、全体の印象が散漫になりかねないところがあることだろう。終楽章にその傾向がやや強く出ているのが気になると言えば気になるが、それを承知でリターンを取りに行くと言う果敢さが、この演奏を従来のものとちがうものにしていることも確かだ。
 シベリウスの初期の傑作、交響詩「エン・サガ」も、きわめて濃厚で意欲的な表現に貫かれていて、「こんなに、いろいろなものが聴ける曲だったっけ?」と思わず楽曲自体への自分の印象を顧みることとなったが、この20分近くある楽曲では、ロウヴァリくらいの饒舌さがあった方が、分かりやすいとも言えるだろう。
 とにかく熱いシベリウスが聴きたい人にはオススメ。こういう指揮者が輩出してくるバルト海沿岸地域の音楽文化にも、興味が深まる一枚である。

交響曲 第2番 交響詩「タピオラ」 トゥオネラの白鳥
アシュケナージ指揮 ロイヤル・ストックホルム・フィルハーモニー管弦楽団

レビュー日:2007.9.5
★★★★★ 現時点で私の「シベ2」ナンバー1録音です!
 NHK交響楽団の音楽監督を勇退するアシュケナージが、同オケを振ったベートーヴェンの第7交響曲を、先日TVで観る機会があったけど、それは本当に見事な清々しいベートーヴェンだった。指揮者とオケの呼吸が抜群で終楽章までがあっという間の出来事というにふさわしかった。ぜひいずれはCDでリリースして欲しいと感じた。
 アシュケナージの指揮者としての益々の充実ぶりを実感しつつ、このシベリウスを聴いてみた。
 これもまた本当に素晴らしい演奏である。こちらはよりアシュケナージの「円熟」と呼ぶに相応しい内容だと思う。アシュケナージはこれまで二度シベリウスの第2交響曲を録音している(フィルハーモニア管弦楽団<79>&ボストン交響楽団<92>)が、それらと比べて、今回の録音は実に細部の練りこみが入念である。第1楽章はたゆたう旋律と、これを保持する伏線のバランスが絶妙であり、しかも間合いを抜ける風のような自然な音間が実に好ましい。この瞬間に聴き手の心は北欧の大きな自然の世界に誘われるのです!第2楽章もコントロールが見事に効いている。金管陣の咆哮も、全体的な客観性の中で、必然の位置を占めており、注意深く、しかし確かな存在感を持っている。第3楽章から第4楽章にかけての清流のような流れと、こまやかな息使いはまさしく白眉といえるもので、オーケストラの絶対的な美しい音色を邪魔するものが一切ない。それだけでも素晴らしいのだが、加えてすべての楽器の音色が適切な力を持って聴き手に送り届けられる。その心地よさはめったに体験できないほど。クライマックスへ向けてのスケールの大きい雄大な「うねり」も鮮やかに表出。その頂点で打ち鳴らされるティンパニは大地に響きます。うーん!現時点で私の「シベ2」ナンバー1録音といっていいでしょう。
 タピオラの枯淡の表現もオーケストラの音色が実にマッチ。トゥオネラの白鳥も美しい限りで、シリーズ中でも間違いなく最高の出来栄えとなったのではないでしょうか。

交響曲 第2番 交響詩「フィンランディア」 カレリア組曲
アシュケナージ指揮 ロイヤル・ストックホルム・フィルハーモニー管弦楽団

レビュー日:2011.8.17
★★★★★ シベリウスの第2交響曲は、ぜひこの録音で!
 アシュケナージが2006年から07年にロイヤル・ストックホルムフィルと録音したシベリウスの再編集版で、交響曲第2番、交響詩「フンランディア」、カレリア組曲を収録したもの。元の原版(OVCL-00292)の方には、交響曲第2番に交響詩「タピオラ」と「トゥオネラの白鳥」という組み合わせだったので、外向的で親しみ易い作品のみ抜粋した形である。しかし、リリースまもない録音を、このように2通りの規格で市場に出すことに、どれくらい意味があるのだろう?個人的に興味深いナゾであるが、実際、このように2種類のディスクがリリースされるのだから、それなりに需要の掘り起しが見込めるということだろうか?
 さて、そんなことを考えつつであるが、このディスクの収録内容は素晴らしい。先ほど、「外交的で親しみ易い曲」と書いたけれど、シベリウスの交響曲第2番には様々な捉え方があって、美しいが後期の作品のような深みに乏しい、との見方を持つ人もいる。それはそれで一理ありそうだけれど、このアシュケナージの演奏、なんとも深々とした音色がして、このシンフォニーから多層の情緒を引き出している。第1楽章冒頭の弦楽合奏のさざなみを聴いていただきたい、一つ一つの合奏音にシンフォニックなふくらみ、音と音の間に潜む豊かな間合い、溶け合う残響、それらがいくつものニュアンスを持ち、繊細で滋味豊かな音響を形成している。それはまさしく音が音楽となり、多様な意味を宿す瞬間だ。
 第2楽章は弦のピッチカートがほの暗い情感を宿しており、中間部以降のブラスの白熱を感じる響きと呼応する様が見事。第3楽章から第4楽章にかけては白眉とも言えるもので、濃厚でありながら、鮮烈な瞬間があり、自然描写のようでいて、熱い情熱を解き放つ。その交錯が見事で、少し早めのテンポで引き締めた音楽は、緩みのない緊迫感に満ちている。フィナーレへ向けての盛り上がりは壮絶で、その頂点で打ち鳴らされるティンパニの迫力も圧巻だ。私、個人的には、シベリウスの交響曲第2番の決定的な録音だと思っている。またすべての楽器を克明かつ的確な距離感で捉えきった録音の見事さも特筆したい。
 併録してある交響詩「フンランディア」とカレリア組曲も名演。特にカレリア組曲は美しい。幻想的な第1楽章の冒頭、たちこめる霧のような弦のトレモロの中、遠くから響いてくるホルンの音色は、ヨーロッパの針葉樹からなる森の響きを想起する。第2楽章の淡い表現、第3楽章の推進力も的確で、音楽としての構成感に隙がない。「フィンランディア」は、ちょっと控えた味わいになっていて、勇壮な力強さよりもウェルバランスな演奏だろう。中間部の主題の歌謡性も、ほどよく引き出したという品のある表現。いずれも高品質の録音とあいまって、シベリウスを聴く醍醐味を満喫させてくれる名演だ。

交響曲 第2番 組曲「恋人」
尾高忠明指揮 札幌交響楽団

レビュー日:2014.11.27
★★★★★ まぎれもなく、この曲は名曲で、この演奏は名演だ。
 2014年、札幌コンサートホールKitaraでライヴ録音された、尾高忠明(1947-)指揮札幌交響楽団によるシベリウス(Jean Sibelius 1865-1957)シリーズの第2弾。このたびは、交響曲第2番ニ長調 op.43 と 組曲「恋人」op.14 が収録された。
 いきなり、本盤と直接関係のないことを少し書く。最近、このシベリウスの交響曲第2番を「駄曲」と言う人がいる。それも、国内のそれなりの批評家が、そのような言及をすることがある。このこと自体が日本の批評の水準を物語っているように思う。
 最近、知人から、以下の様な話を聞いた。どのような趣味の世界でも、ファンを3つの層に分類することができる。第1の層は「マーク」と呼ばれる。いわゆる初心者で、「面白そう」という感覚で接している人々。第2の層は「シュマーク」と呼ばれる。分かった気でいて口うるさいが、根本で理解の足りない層。第3の層は「スマート」と呼ばれる。趣味世界をよく理解し、プロモーター的な視点で楽しみ、評価する。
 本来、プロの批評家は「スマート」であるべきだが、私見では、国内の批評家の多くが「シュマーク」的な言動に終始する傾向が強い。彼らはプロモーターとしての役割を果たさず、ネガティヴな情報を発信する。例えば「こんな駄曲を聴いているうちはまだまだだ」「こんな演奏で喜んでいるのはダメだ」「大家と言われているが、録音は駄演ばかりだ」などなど。。。実際、このようなうがった意見が大書されるのは、どのような分野においても、歪を助長する効果しかないように思うのだけれど。
 要するに、私が言いたいのは、シベリウスの交響曲第2番を「駄曲だ」なんて言う人がいたとしても、そのような声に惑わされることなく、この素晴らしい曲に接してほしい、ということ。なぜなら、私はこの曲で、何度も感動を覚えた経験があるから。そして、この尾高と札幌交響楽団による純朴で心洗われるような表現は、そんな私に、改めて感動を喚起してくれた、素晴らしい名演だと思う、ということ。
 冒頭からじっくりしたテンポで、内声部に配意した滋味豊かなサウンドで、適度な柔らかさを保ちながら、中庸のバランスを崩さない進展。劇的な演出を避け、自然で自発性のある感情の高まりと沈静を、綿密に描いている。第2楽章の咆哮も、適度なセーヴがあり、積極的に語りかえるわけではないが、近づくものを拒むことも決してない。木管にそっと添えられる透明な情感が無類に美しい。第3楽章から第4楽章にかけては、豊饒なホルンの響きが見事だし、フィナーレにむけて、ゆったりと情感を高めていく様は、心地よい高級感に満ち、聴き手に幸福感をもたらす。このように満ち足りた気持ちになるのは、まぎれもなくこの曲が名曲で、この演奏が名演だからだ。
 弦楽合奏とティンパニ、トライアングルという編成で演奏される組曲「恋人」も内省的といって良い表現で、音楽も外向的なものではないのだけれど、深く染み入る様な表現で、聴いているうちに、深いところにたどり着く様な神秘性を感じさせてくれる演奏だ。
 あらためて、これらの音楽の素晴らしさを味わわせてくれた録音だ。

交響曲 第2番 交響詩「フィンランディア」 悲しきワルツ ロマンス(弦楽のためのアンダンテ)
アシュケナージ指揮 ボストン交響楽団

レビュー日:2017.4.14
★★★★★ 十全な配慮とコントロールによって、シベリウスならではの味わいに満たされた演奏
 アシュケナージ(Vladimir Ashkenazy 1937-)が1992年の3月にボストン交響楽団に客演した際のライヴ録音。珍しい顔合わせであるし、ボストン交響楽団の音源がデッカ・レーベルからのリリースされることもあまりない。収録曲はいずれもシベリウス(Jean Sibelius 1865-1957)の楽曲で、以下の通り。
1) 交響曲 第2番 ニ長調 op.43
2) ロマンス ハ長調(弦楽のためのアンダンテ) op.42
3) 悲しきワルツ op.44-3
4) 交響詩「フィンランディア」 op.26
 アシュケナージは1979年から85年にかけてフィルハーモニア管弦楽団と、また2006年から07年にかけてロイヤル・ストックホルムフィルハーモニー管弦楽団と、いずれも素晴らしいシベリウスの交響曲全集を録音しているが、その中間に当録音が存在することになる。
 アシュケナージは、ピアニストとしても、この作曲家のピアノ独奏曲や歌曲を録音しており、そのキャリアを俯瞰すると、芸術活動の節目でシベリウスを取り上げてきたようにも感じられる。
 アシュケナージのシベリウスは、いつも配慮が行き届いていて、この作曲家ならではの音がする。自然で、柔らかではあるけれど、荘厳な対象を表現した奥行きと息遣いがあって、それがいかにもシベリウス的で美しい。音響はよくコントロールされていて、フォルテも叫ぶような開放的咆哮にはならず、重心に向かっていくような、深みを増していく音になる。
 このボストン響とのライヴも、基本的に同じ趣向による解釈。ただ、オーケストラがフィルハーモニアやロイヤル・ストックホルムとは違って、響き自体にややくすんだような暗みがあり、それが時折渋みとして現れる。その味わい方によって、好みが分かれそうだ。また、ライヴ録音であるためか、やや踏み込んだ表現も聴かれる。交響曲の第2楽章のアシュケナージにしては重みのある足取りから構築される音楽は、スケールを大きくとろうという意識がいつもより働いた印象がある。しかし、全体の流れはさすがに自然で、終楽章のおおらかでふくよかな盛り上がりは、ヒューマンな感動に溢れている。
 ロマンス、悲しきワルツにおいては、情緒と進行のバランスが巧みで、人工的なものを感じさせない風景美を思わせる演奏に仕上がっている。フィンランディアではさすがに熱く燃え上がるが、シンバルの音もきちんとコントロールされ、抑制の効いた音楽美に帰結する。シベリウスの音楽を、ここまで良い趣味で仕立て上げる手腕は見事なものである。二つの全集の影にかくれて目立たない存在であるが、良演であることは間違いない。

交響曲 第2番 交響詩「エン・サガ」 交響詩「ルオンノタール」
C.デイヴィス指揮 ドレスデン・シュターツカペレ S: ゼルビク

レビュー日:2018.4.11
★★★★★ シュターツカペレ・ドレスデンによる貴重なシベリウス
 コリン・デイヴィス(Colin Davis 1927-2013)が1990年から名誉指揮者を務めていたシュターツカペレ・ドレスデンを指揮したライヴ音源をまとめたもの。シベリウス(Jean Sibelius 1865-1957)の以下の3作品が収録されている。
1) 交響曲 第2番 ニ長調 op.43 1988年録音
2) 交響詩「エン・サガ」 op.9 2003年録音
3) 交響詩「ルオンノタール」 op.70 2003年録音
 3)のソプラノ独唱はウテ・ゼルビク(Ute Selbig)
 私がこのアルバムにまず興味を抱くのは、“シュターツカペレ・ドレスデンのシベリウスが珍しい”という点にある。世界でも有数の歴史あるオーケストラでありながら、このオーケストラによる北欧の偉人、シベリウス作品の録音となると、ほとんどないのではないだろうか。シベリウスは、北欧では神格化されていると言ってもいいくらいの芸術家であるが、文化背景でその人気には差があるとされる。私はかつて「(シベリウス作品は)アメリカ、イギリス、日本では人気があるが、フランスではそれほどでもなく、ドイツ、オーストリアに至ってはほとんど無視されている」という記述を目にしたことがある。それが、どの程度現実に即しているのかはわからないが、シュターツカペレ・ドレスデンのディスコグラフィーを見る限り、「無視されている」という後段は、そこそこ的確なのかもしれない。
 そのようなわけで、そこにC.デイヴィスのように、ライフワークの一環としてシベリウスを取り上げている芸術家が招かれて、シベリウスを振ったという点で、はたして、どんな演奏になるのだろう、と私の好奇心は大いに刺激されることになる。
 さて、実際に演奏を聴いてみると、「なるほど」と思うところがいくつかあった。まず北欧や英米のオーケストラと特に異なるのが、音色である。概して、シベリウスの音楽は、その透明感、北国の空気感にも通じるような一種の淡さをベースとするところがあるのであるが、この演奏はだいぶちがっており、いかにも中央ヨーロッパ的な、中音部に厚みのある音色である。高音の独立性は強調されず、むしろ他の音にいかに溶け込ませるかという点で配意があって、その結果、音は暖かみと柔らかみに満ちた豊穣さがある。そのために部分的には木管やティンパニが背景色と混ざりこむ部分があり、透明感や各楽器の独立性にシベリウスらしさを見出す人(割と多いのでは)には、違和感を与えるかもしれない。しかし、さすがはコリン・デイヴィス。そのようなトーンを前提に、非常に素晴らしい音響を築き上げている。私はこの録音を聴いて、この指揮者は、オーケストラによって、これほど音楽のイメージを変容させることが出来る人だったのか、とあらためて感じ入った。
 しかし、前述のような「シベリウスらしさ」に囚われなければ、これは素晴らしい演奏といって良いと思う。指揮者とオーケストラの伝統がたどり着いた帰結点は彼らにふさわしいふくよかな音楽を生み出しており、その豊かな幅を感じさせる音響が脈々と供給される「確かさ」を感じさせてくれる。自然なクレッシェンドで盛り上がるときも、十分に内因的なものが練り上げられているという達成感があって、充実している。
 これらは収録されている3作品に共通の感想であるが、ことに2つの交響詩では、このようなアプローチにより、その世界観が広がったように私は感じられ、特に楽しくこの録音を聴くこととなった。そこにあるおおらかな自然賛歌は、いかにも人のぬくもりと平穏を願う心が感じられるようで、音色に喜びがある。このオーケストラで、もっとシベリウスを聴いてみたい、そのように感じさせてくれる1枚です。

交響曲 第2番 組曲「クリスティアン2世」
ロウヴァリ指揮 エーテボリ交響楽団

レビュー日:2021.4.7
★★★★★ ロウヴァリとエーテボリ交響楽団ならではの、深く、濃いシベリウス
 フィンランドの指揮者、サントゥ=マティアス・ロウヴァリ(Santtu-Matias Rouvali 1985-)とエーテボリ交響楽団によるシベリウス(Jean Sibelius 1865-1957)の交響曲録音、第2弾。収録曲は下記の通り。
1) 交響曲 第2番 ニ長調 op.43
2) 組曲「クリスティアン2世」 op.27 (ノクターン、エレジー、ミュゼット、セレナード、バラード)
 2019年の録音。
 彼らは、当録音に先立つ第1弾として、交響曲第1番と交響詩 「エン・サガ」を2018年に録音していたが、その濃厚な音楽性に私は魅了され、次いで当盤を聴いてみた。
 こちらも素晴らしい演奏。第1番の方が開放的な雄弁さに満ちていて、外向的な訴えるパワーが強い録音だと思うが、当録音もまた、内容の濃い音楽があり、私は充足感を味わった。
 ロウヴァリのシベリウスは、しばしばこの作曲家の作品で指摘される風景画的なものとは一線を画しており、そこには激しい情動があり、人の心を熱くするドラマが満ちている。そして、私は、それがシベリウスの音楽が本質的に持っているものと確かに共鳴するのを感じている。当盤がそのことを強い説得力を持って示しているのは、ロウヴァリの解釈や演出が巧妙で、オーケストラがこの楽曲を知り尽くしているからだろう。
 全般にテンポは平均的かやや遅めをとることが多いが、演奏を聴いていて「遅さ」を意識することは少ないと思う。単位時間あたりの情報量や、感情に作用する要素が大きいからだ。
 交響曲第2番では、第1楽章冒頭の弦のさざなみから、一つ一つ吟味されたであろう音が響いてくる。その熟成を感じさせる響きは、まるで薫り高いコーヒーのように、深く様々な味が込められている。以後、起伏の大きい音楽が描かれていくが、冒頭の主題から派生したものの重なりや変化が巧妙に描かれていく様が実に楽しい。また、細部を入念に描き過ぎて全体の連続性がおろそかになることも決してない。この作品を演奏するためにかけた時間や労力が実を結んだ演奏として聴き手に伝わってくる。第2楽章は弦のピチカートに濃厚な情感が与えられている。ファゴットの意味深な響きがこの演奏の一つの象徴に思える。雄弁な音楽がゆっくりと進んでいき、クライマックスでの金管の咆哮まで、脈々とドラマが描き出されている。第3楽章は力強く刺激的。そこから連続する第4楽章は、ルバートを巧みに織り交ぜながら、落差の大きいエネルギーのやりとりがあり、豊穣で大きなエンディングに誘導されていく。実に心地よい。
 組曲「クリスティアン2世」では、この曲の魅力を十全に語りつくすような音楽が流れる。ノクターンの優美な味わいからはじまり、エレジーで感情のひだを深く描く音楽に心打たれる。ミュゼットの闊達な表現は音楽的な魅力にあふれていて、チャーミングだ。セレナーデは旋律の美しさを極限まで引き出したようなカンタービレが印象的。そして推進力にあふれたバラードで、開放的な雰囲気につつまれてアルバムを閉じる。
 オーケストラでは、特に木管の美しさが随所で心に残ったが、それ以上にシベリウスのこの楽曲を咀嚼しきったような表現は流石である。指揮者、オーケストラ、双方の特性が、見事に成果を結んだ、味わい深いシベリウスとなっている。

交響曲 第2番 第5番
マケラ指揮 オスロ・フィルハーモニー管弦楽団

レビュー日:2023.2.27
★★★★★ 購入については、全集と比較された方がいいでしょう
 フィンランドの若き指揮者、クラウス・マケラ(Klaus Makela 1996-)は25才にして、DECCAと専属契約を果たした上で、オスロ・フィルハーモニー管弦楽団を指揮してのシベリウス(Jean Sibelius 1865-1957)の交響曲全集を録音した。当盤は、その全集から2曲を抜粋したもので、「交響曲 第2番 ニ長調 op.43」と「交響曲 第5番 変ホ長調 op.82」が収録されている。2021年の録音。
 当盤について、アイテムとして考えた場合、当然の事ながらCD4枚からなら全集と比較することになるが、私個人的には、全集をオススメする。理由としては以下の通り。
1) 投稿日現在、全集からの単発売版が当盤のみであるため、他の楽曲が聴きたくなった場合、全集を購入し直さざるをえない
2) 個人的に、全集中でも、特に素晴らしいと感じるのが、第1番、第3番、第7番である
 1)については、今後状況が変わるかもしれない。また、2)についてもあくまで個人的な感想なので、絶対的な話ではもちろんない。逆に、第2番と第5番というシベリウスの交響曲の中でも特に明朗な2作品を特に好み、また、国内盤の日本語解説に興味があるなら、とりあえず、これ1枚をライブラリに加えておく、という選択肢も十分ありえそうだ。
 さて、演奏については全集のレビューにも書いたことだが、マケラの演奏は知的でドラマティック。シベリウスの音楽に、ストーリーを与えたかのような、表現性があり、かつ音楽の壮大さ、壮麗さも損なうところのない、見事なものだ。シベリウスの音楽に、いまいち相容れないものを感じる人が、この演奏との出会いで、印象を変える可能性も、大いにあるだろう。オーケストラの隅々まで、自分のやりたいことを行き渡らせた、精妙で完成度の高い演奏とも言える。
 第2番は、フレーズに込められた細やかなアーティキュレーションが、互いに良く作用し、なおかつ、全体として、大きな起伏を描きあげている。その特徴は、第1楽章の中間部に特に良く出ており、輝かしい弦楽合奏が、細かい強弱のアヤを伴って、雄弁に音楽を語っており、鮮やかだ。音が強くなりすぎないコントロールは、練達ささえ感じさせる。第2楽章の沈鬱も、ほどよい流れが維持されていて、その透明で磨き上げられた音色が高い完成度を感じさせる。後半2楽章は、心地よい流れの中で、早すぎず、遅すぎず、しかし巧みにルバートをまじえ、暖かい情感が満たされている。
 第5番は、遅めのテンポで入念に描いた第1楽章が、ときに第7番のような幻想的な雰囲気を漂わせているが、そこに常に熱を感じる動きがある。ホルンの巧妙な演出が、効果を高めている。第2楽章は、素朴に響くことが多いが、マケラの演奏は、細かなアヤとともに、全体的なおおきなうねりを描き出しており、劇性が高い。第3楽章は、やや勢いをセーヴした感があり、もっと勢いのある演奏を好む人もいるかもしれないが、マケラの演奏は、楽曲全体として良く整った印象をもたらすもので、終結部の暖かい高揚は、十分な幸福感に満たされている。
 全集中で、第1番、第3番、第7番が特に良い感じたことを前述したが、当然のことながら、この2曲も高い水準で描き出された芸術品となっており、なにか大きな減点が必要となるようなところは、思い当たらない。

交響曲 第3番 第5番 交響詩「ポヒョラの娘」
ロウヴァリ指揮 エーテボリ交響楽団

レビュー日:2023.3.30
★★★★★ 力強い表現性が魅力。ロウヴァリによるシベリウス・シリーズ第3弾
 フィンランドの指揮者、サントゥ=マティアス・ロウヴァリ(Santtu-Matias Rouvali 1985-)とエーテボリ交響楽団によるシベリウス(Jean Sibelius 1865-1957)の交響曲録音、第3弾。収録曲は下記の通り。
1) 交響曲 第3番 ハ長調 op.52  2019年録音
2) 交響曲 第5番 変ホ長調 op.82  2018年録音
3) 交響詩「ポヒョラの娘」 op.49  2022年録音
 ちなみに、既発の2つのアルバムの内容は以下の通り。
・交響曲 第1番 交響詩「エン・サガ」 2018年録音
・交響曲 第2番 組曲「クリスティアン2世」 2019年録音
 当盤に収録された2つの交響曲は、既発のものと同じ時期に収録されたものということになる。
 全2作同様に、ロウヴァリの感性が良く反映されたシベリウスと思う。2曲収録された交響曲では、個人的に第3番が特に素晴らしい演奏と感じた。また、第3番の後に第5番が続くと、第3番の第3楽章、第5番の第1楽章が持つ精神的親近性が感じられ、なるほどと思わされたのは、私が当盤を聴いての新たな気づきであった。
 第3番の第1楽章はやや速いテンポで、力強い推進力をもって進められる。付点が印象的なリズムは、舞踏的な性格を増し、牧歌的な主題の明朗性とともに、この楽章の田園的性格を明瞭に引き出している。短調の主題の憂いにも深いものがあって、全般に彫りの深い表現性が獲得されている。第2楽章は、落ち着いたテンポとなるが、こちらも民謡的な主題の歌謡性を瑞々しく引き出しており、シンプルさの中にしっかりした音楽表現を湛えている。第3楽章は前半のスケルツォ風の部分で、弦楽器陣の意欲的な抑揚が見事な効果を上げているだけでなく、その後のコラールから、胸の高まるフィナーレまで、鮮やかに情感が昇華し、発散していく様が素晴らしく、この交響曲を名曲として響かせてくれる。
 第5番は、第3番に比べると、いくぶん普通な演奏に感じる。特に第1楽章は、抑制的な表現で、ロウヴァリであれば、もう一味何か欲しいと感じさせるところもある。ただし、後半部分の弦楽器の交錯は、前述の通り、第3交響曲の終楽章の雰囲気の踏襲を感じさせるものがあり、アルバムとしての面白味がある。しかし、第2楽章になると、ロウヴァリの積極的な表現性がよりはっきりと現れてくる。木管楽器のフレーズに宿る情感の深さを、他の管弦が十分にバックアップして高めており、郷愁を思わせる風情に満ちていて、美しい。終楽章は、快適なテンポで運ぶ。金管はここでも平均的な演奏より抑制的な印象を受けるが、中間部からの全体的な高まりは力強く、エンディングは壮大で、最終的には、十分な聴き応えを感じた。
 追加で交響詩「ポヒョラの娘」が収録されているのが嬉しい。録音年を見ると、この曲の収録を待ってアルバム化が成されたようで、そのサービス精神はぜひとも歓迎したい。「ポヒョラの娘」自体、十分に親しみやすい要素を持っているにも関わらず、収録機会に恵まれない作品なので、その点で嬉しい。演奏もまた素晴らしく、全体を一つの流れにまとめながら、ロマンティックな情感を存分に湛えた表現で、力強さ、熱血性をバランスよく湛えた快演奏。当盤によって、一人でも多くの人が、この曲の魅力に気づくことを期待する。

交響曲 第3番 第5番 第6番 第7番 交響詩「タピオラ」 交響詩「エン・サガ」
アシュケナージ指揮 フィルハーモニア管弦楽団

レビュー日:2013.4.23
★★★★★ アシュケナージのタクトで描かれる白熱と透明のシベリウス
 ウラディーミル・アシュケナージ(Vladimir Ashkenazy 1937-)とフィルハーモニア管弦楽団によるシベリウス(Jean Sibelius 1865-1957)の交響曲全集から。CD2枚組。収録内容を示す。
【CD1】
1) 交響曲第3番 1983年録音
2) 交響曲第6番 1984年録音
3) 交響詩「タピオラ」 1982年録音
【CD2】
1) 交響曲第5番 1980年録音
2) 交響曲第7番 1982年録音
3) 交響詩「エン・サガ」 1981年録音
 シベリウスの交響曲は7曲とも魅力的な作品だと思うが、枯淡の境地を示した第4番とともに、ここに収録されている第3番と第6番の2曲も、いまひとつ一般的な人気は獲得できていない、いわゆる「渋い」作品という位置づけになるだろう。
 私のこれら2曲に関する懐かしい記憶の一つに雑誌の記事がある。何の雑誌かは忘れてしまったが、当時「ゲルニカ」というバンドで音楽活動をしていた上野耕路氏(1960-)がインタビューを受けていたもので、中で彼が挙げた「影響を受けた」レコードに、オネゲル(Arthur Honegger 1892-1955)のものが多くを占める中で、アシュケナージが指揮したシベリウスの交響曲第3番と第6番が挙げられていた。しばらくして、私はこのCDを購入することになったのだが、清々しく、透明なタッチで、勢いよく描かれたこれら2曲がたちまち大好きになってしまった。いったいどうして、この2曲が「渋い」作品に甘んじていたのだろうと。
 最近では、さまざまなCDがリリースされ、聴くことの出来る音楽のすそ野が広がったこともあり、これらの曲も、以前ほど地味なレパートリーではなくなったのだけれども、このアシュケナージが指揮した第3番と第6番のディスクは、私の先入観を突風の様に取り払ったものとして、いまでも鮮烈な印象に残っている。改めて聴いてみても、その音楽の新鮮さ、クールな輝きはまったく失われておらず、たちまちのうちに、あのころの記憶が蘇ってくるようだ。
 交響曲第5番は、アシュケナージの全集の中では、やや静謐な色合いに重点をシフトした感じであるが、それでも描かれる音楽的情景の澄み切った清潔感は素晴らしく、北国の夏を思わせる明るい緑を思わせる。
 交響曲第7番は、この音楽ならではの内省的な深まりがあり、弦楽器陣の弱音であっても芯から響いてくる音色が聴き手の心を掴む。ゆっくりと起伏する感情が、高まりを見せるときは、実に雄大で、360度の視界が一気に広がるような達成感とともに頂点に導かれる。
 このような「白熱」と「透明」の共存が、アシュケナージの全集の醍醐味であり、私には、本当にシベリウスらしい音楽として、常に心に響くものになっている。

交響曲 第4番 交響詩「ポヒョラの娘」 交響詩「フィンランディア」(合唱付)
セーゲルスタム指揮 ヘルシンキ・フィルハーモニー管弦楽団 ボリテク男声合唱団

レビュー日:2005.4.24
★★★★★ わかりやすい「第4交響曲」
 セーゲルスタムによるシベリウス全集の完結篇となる。
 第4交響曲はシベリウス通に愛される作品だが、一般的にウケる曲ではない。難渋で緻密な構成に基づき、精緻で室内楽的ともいえる作曲書法により、最小の音符により、闇の成分を抽出したかのような音楽といえる。
 セーゲルスタムの演奏は、その音楽をやや遅めのテンポで克明に描き出し、かつ適度に理解しやすいパーツをうまく表現の中でまちめながらすすんでいる。この曲では得意の金管の咆哮シーンなどはないが、それでも豊な滋味に満ちており、並みの解釈者でないことがわかる。
 一転して親しみやすい曲が2曲収録されている。「ポヒョラの娘」は「カレワラ」のヴァイナモイネンの求婚の物語に題材を得たもの。一種の英雄伝であるが、ここでは求婚の条件をクリアできない姿が描かれている。リズミックで歯切れのよい弦楽器の駆動感が好ましい。
「フィンランディア」は比較的録音としては珍しい合唱付きヴァージョンで、勇壮な男声合唱が聴ける。

交響曲 第4番 森の精 悲しきワルツ
ロウヴァリ指揮 エーテボリ交響楽団

レビュー日:2024.9.10
★★★★★ ロウヴァリとエーテボリ交響楽団によるシベリウス第4弾
 フィンランドの指揮者、サントゥ=マティアス・ロウヴァリ(Santtu-Matias Rouvali 1985-)によるエーテボリ交響楽団とのシベリウス(Jean Sibelius 1865-1957)の交響曲シリーズ、第4弾となる。下記の楽曲が収録されている。
1) 交響曲 第4番 イ短調 op.63
2) 森の精 op.15
3) 悲しきワルツ op.44
 交響曲第4番は2021年の録音、他の2作品は2022年の録音。当盤の登場によって、シリーズの残りは第6番、第7番のみとなった。
 当盤の収録曲に「地味」という印象を持つのは普通だろう。第4番はシベリウスの書いた交響曲の中で、もっとも内省的な作風を持っており、それに続く演奏時間が20分を超える隠れた大曲「森の精」も聴く機会は少ない。最後に収録された「悲しきワルツ」がもっとも広く親しまれている楽曲ではあるが、暗い情緒を宿した作品である。
 しかし、これはなかなかに聴きごたえのあるアルバムだ。ロウヴァリは、オーケストラから素晴らしいトーンを引き出しており、かつ部分部分を詳細克明に突き詰めた表現を心掛けている。そして、それを明晰な録音技術がカバーしているので、いろいろなものがまっすぐに伝わってくるという手ごたえを感じさせてくれる。
 交響曲第4番の第1楽章は、最近ではかなりゆっくりしたテンポを設定することが多いが、ロウヴァリの採用したテンポは、その中では少し早めな方だ。調整もハーモニーも不安な作品であり、そこに深い精神性や、森閑たる冬の世界を感じるかは聴き手の考え方次第だが、ロウヴァリの解釈は、細部を丁寧に描きながら、中庸を心得たもので、普遍性を感じさせる。沈鬱なベースを持ちながらも、歌があり、そして時に攻撃的な側面を見せる。劇的な第1楽章である。この丁寧な音作りは全編に渡って徹底されるが、緩徐楽章にあたる第3楽章はでは、やや遅めのテンポから、壮大な音像を作り出しており、ここも素晴らしい。特徴的な打楽器の音が刻まれる終楽章では、様々な楽器の音色がよく吟味され、心地よいスピード感の中でそれらが調和を示しており、内容の濃さを感じさせる音楽となっている。
 次いで収録されている「森の精」についても是非とも書いておきたい。私の場合、ロウヴァリの当盤の登場によって、この楽曲の本来の魅力を知ったように感じた。この20分を越える楽曲には、聴き手として、集中力を持続させることが難しいと感じることが多かったが、このロウヴァリの演奏は、とても魅力的で、私は長さを感じることがなかった。カレリア組曲を思わせる冒頭から魅力いっぱいで、その後も各楽器の音色を活かしたパッセージをとても積極的に表現していて、これほどまでに楽曲の側から聴き手に近づいてきてくれる要素があったのか、と思わせてくれた。初期の傑作である「エン・サガ」を思わせるモチーフも織りこめられていたり、そのような発見の楽しさもある。見事な一遍となっている。
 末尾の「悲しきワルツ」は、名演名録音に事欠かない楽曲ではあるけれど、当アルバムの収録順の流れで聴くと、それはそれで味わい深い。アルバムとしての構成感も見事で、ロウヴァリとエーテボリ交響楽団のシベリウスは本当にいいな、とあらためて感じさせてくれた1枚です。

交響曲 第4番 第5番 交響詩「フィンランディア」
アシュケナージ指揮 ロイヤル・ストックホルム・フィルハーモニー管弦楽団

レビュー日:2007.6.29
★★★★★ 枯淡に自然を描いたシベリウス
 アシュケナージとロイヤル・ストックホルムフィルによるシベリウス交響曲全集第2弾。エクストンレーベル初のシベリウス・シリーズということで、広報活動も盛んなようである。さて、アシュケナージのシベリウスであるが、第1弾に続いて「クール」で清潔な演奏である。広報活動の熱とは対照的です(笑)。
 セシル・グレイ(という有名なシベリウス通の批評家)はシベリウスの音楽を「人の住まない世界」と評した。また、彼が推すシベリウスの最高傑作は「第4交響曲」であった。おそらく、私の知る限り、シベリウスの作品でも、第4交響曲が好きという人はあまりいない。きわめて閉鎖された世界で行われる哲学的な応答のような音楽でもある。
 アシュケナージの方法は直裁だ。これはもう「自然界から湧き上がって来る」音を描いた世界ですね。だから、前述したグレイの評のイメージにきわめて近いものを感じます。少し歌えるような個所があっても、表情は押さえられ、そこで安易に曲を「わかりやすく」しようとしない辛口なところがあります。ここが評価の分かれ目でしょう。
 第5番はずっと祝典的な雰囲気のある曲でるが、ここでもアシュケナージのアプローチは不変。楽器の美しい調和は繊細に扱われていますが、大きなふくらみを見せたり、情熱的に鼓舞したりといった手法は用いず、壁画を修復するかのように、細かいパズルを合わせていきます。しかし、一方で、金管などが押さえきれずに出るところは、「それはそれでいい」と、それもまた自然といったところでしょうか。一つのシベリウスの形の境地かもしれません。
 「フィンランディア」は肩の力を抜いて、楽しい音楽作りとなっています。

交響曲 第4番 第5番
アシュケナージ指揮 フィルハーモニア管弦楽団

レビュー日:2009.1.1
★★★★★ アシュケナージのシベリウスは旧録音も捨てがたいです
 アシュケナージが1979年から84年にかけてフィルハーモニア管弦楽団とデッカに録音したシベリウスの交響曲全集から、交響曲第4番と第5番を収録したもの。アシュケナージはシベリウスの交響曲全集をロイヤル・ストックホルムフィルと2006年から07年にかけてEXTONレーベルに再録音しており、録音の素晴らしさとあいまって素晴らしい全集となったが、この旧録音も捨てがたい魅力を持っており、中でも第4番と第5番の2曲については私個人的にはこの旧録音の方が好きである。
 第4番は冒頭から低弦の力強い響きが印象的であり、その後も非常に太い音色でしっかりと音楽を構成していく。難渋な作品であるだけに、楽曲の骨格を明瞭にし、厳しい音色で迫った音楽は冷たい大地を覆うような荘厳さがある。第3楽章は金管の音色が巧みで聴かせる。終楽章は打楽器の音にもう少し厚みがあってもいと思うが、全般にかなり質の高い演奏。
 第5番は一転して祝典的な楽曲だが、ここでもエネルギーの蓄積と開放が心地よい。ロイヤル・ストックホルムフィルとの新録音では抑制された自然な美が印象的ではあったが、ややこじんまりとしてしまうところがあった。それにくらべてこの旧録音は音が野太く、高らかに天に向けて開放するような力強さに満ちている。1楽章終結部の高揚感も見事。第2楽章、終楽章ともクライマックスの効果が高く、この曲の一つの模範的演奏だと思う。

交響曲 第4番 第5番
尾高忠明指揮 札幌交響楽団

レビュー日:2015.7.9
★★★★★ これぞ北国の交響曲。尾高と札幌交響楽団のシベリウス第3弾。
 シベリウス(Jean Sibelius 1865-1957)の生誕150年にあたる2015年の完成を目指して着実に進められている尾高忠明(1947-)指揮、札幌交響楽団による交響曲全曲録音の第3弾。今回収録されたのは、以下の2曲。
1) 交響曲 第4番 イ短調 op.63
2) 交響曲 第5番 変ホ長調 op.82
 2014年及び2015年、札幌コンサートホールKitaraでライヴ収録されたもの。
 当シリーズをこれまでずっと聴かせていただいているが、今回も期待に違わない素晴らしい演奏だ。札幌交響楽団の淡い色合いを持った弦楽合奏のベースが、これらの楽曲の特徴に合致し、音響と旋律の相補的な関係が、とてもマッチしている。
   交響曲第4番は難渋さのある楽曲で、シベリウスの音楽を深く愛する人以外には、なかなか聴かれることは少ないと思う。しかし、最近になって、この曲の解釈は様々に深まっており、その進化を楽しめるようになってきた。当演奏は、室内楽的な緊密さをベースとしながらも、時に旋律の断片に情緒的な味わいを加えることで、とても中庸を得た解釈となっているだろう。ほの暗い響きのなかから、北国を思わせる情感に溢れた楽器の響きが届いたとき、胸をすっと清涼な風が吹き抜けたかのような、透明な残り香を置いていく。時折垣間見られる飛躍的な展開も、間合いが自然で、緊密な受け渡しがあり、そのことで全体の均衡性が確保される。時に散漫さにつながりかねない難しい楽曲だけに、当演奏の質の高さを感じさせてくれるところだ。
 交響曲第5番は逆に大らかな幸福感に満ちた音楽で、私も音楽を聴き始めたころから馴染んだ作品。この曲になると尾高の指揮も、より柔和な音響美にウェイトを移しており、豊饒で柔らかな金管の音色が広がっていくのを感じる。第1楽章のフィナーレ、それに第3楽章の解放感も自然賛歌的な大らかさに満ちていて、この曲になによりもふさわしい表現だと思う。その中間にある第2楽章の描写性のある素朴なニュアンスの交錯も、それぞれのフレーズが静謐さを持ちながらも暖かく行きかっていて、ぬくもりに溢れている。
 それにしても、聴いていて、なぜか「北国の音」という感じがするのは不思議である。特に木管の透明な旋律が鳴るとき、弦のグラデーションがやや暗い色彩で広がるときに、私は北国の音色を感じ、そう形容したくなる。当録音にはそんな瞬間があちこちにある。シベリウスと札幌交響楽団の間に、北国的なシンパシーが通ったように感じ、うれしくなった。

交響曲 第5番 第7番
サラステ指揮 フィンランド放送交響楽団

レビュー日:2020.3.10
★★★★★ 自然に音楽そのものを語らせたサラステのシベリウス
 ユッカ=ペッカ・サラステ(Jukka-Pekka Saraste 1956-)指揮、フィンランド放送交響楽団によるシベリウス(Jean Sibelius 1865-1957)の以下の2作品を収録。
1) 交響曲 第5番 変ホ長調 op.82
2) 交響曲 第7番 op.105
 1993年の録音。
 サラステとフィンランド放送交響楽団は、クレルヴォ交響曲も含めたシベリウスの全集を完成している。当盤はその全集から2曲を選んで組み合わせ、再発売したもの。いずれも初出時は、別の楽曲との組み合わせだった。名品2作の組み合わせとなった。
 サラステの演奏は、模範的という形容が相応しいだろう。オーケストラの鮮度を感じさせる音色を損ねないよう、精緻に音響を組み合わせているが、特徴的な踏み込みや表現性はそれほど感じられない。しかし、そのスタイルが、シベリウスの、おおらかで自然描写的な音楽性と好相性で、結果、伸びやかで瑞々しい音楽が滔々と流れていくこととなった。
 テンポは、標準的か少し早め。第5番の方が早めだろう。それでも、各楽器の透明な伸びやかさは、的確な計算で確保されており、第1楽章の雄大な広がりは、北国の風景を想起させるにふさわしい雰囲気を持っている。シベリウスが、北国の空を天高く飛ぶ鳥たちの姿をみて、この曲のインスピレーションを得たというエピソードを思い起こさせてくれる。第1楽章終結部は、各パートの重なっても透明感が高く、フィナーレに向かう高揚感が清々しく描かれて気持ち良い。第2楽章も情景描写的と表現したい。淡々としているが精緻で、情感が通っている。終楽章は軽やかで爽快。強音はしっかり鳴っているのだが、不思議と重さを感じさせない。最後の和音連打も爽やかだ。
 第7番は、シベリウスが最後に書いた交響曲で、単一楽章式の意欲作であり、実際に素晴らしい傑作でもある。しかし、サラステの演奏は、第5番同様に、構えたところのない爽やかさをベースにしている。誇張も強調もないが、そのようにして描かれる世界の瑞々しい美観はなかなか魅力的だ。表現性を抑えることで、シベリウスの音楽の内に宿ったロマン性が、素直に表出してきたような感慨に接することが出来る。
 サラステのシベリウスは、他の北欧音楽を得意としているアーティストたちの録音に埋もれて、いまひとつ目立たない存在なのかもしれないが、聴いてみると、シベリウスの音楽そのものが伝わってくるような直截さがあり、良くないところは何もない。

交響曲 第6番 第7番 カレリア組曲 悲しきワルツ
アシュケナージ指揮 ロイヤル・ストックホルム・フィルハーモニー管弦楽団

レビュー日:2007.11.3
★★★★★ 聴き手の感受性に訴える北方情緒に満ちた名録音
 アシュケナージによる2度目のシベリウス交響曲全集が第4弾となる本盤をもって完結した。第1弾がリリースされてからわずか半年ほどで全集となったわけだが、非常に美しく詩的とも言える仕上がりがとにかく見事。ジャケットのデザインも統一感があって美しく、シベリウスらしいと言える。
 アシュケナージのシベリウスは、まさに北欧の自然、風光、景観、気象を描ききったもので、聴き手の感受性そのものに、陽光のように降り注ぐものだと思う。そしてオーケストラの自発性に基づいた内的な感興の高まりが、必然的な美しさを獲得し(オーケストラの素晴らしさも特筆される)、そのことが音楽の持つ理知的な説得力にもそのまま結びついている。
 このようなアプローチに、個人的には「洗練」を感じ、気に入る面であるけれど、それは「饒舌さ」とは相対するものなので、そちらが好きな人にはあまり好まれないだろう。でも、この最後のアルバムも実に見事だと思う。一つ一つの音色の余韻が実に美しい。とくに管楽器のサウンドの起伏の描く放物線のようなゆたかなふくらみは得がたい価値であり、弦楽器陣の一つ一つの合奏音に繊細なバランス感覚をやどす雰囲気、例えば、カレリア組曲の第2楽章において弦楽合奏陣の刻む深い深い色合いは感動的である。そして、遠くから聞こえる透明な木管の音色の澄み渡った雰囲気は、まさに北国の空から聞こえてくる音色である。そういった聴き手の感受性に訴える北方情緒に満ちており、私にはとても親近感のわく演奏である。
 「これこそシベリウスの醍醐味」といえるものを満喫できる名録音だと思う。

交響曲 第6番 第7番 アンダンテ・フェスティーヴォ
尾高忠明指揮 札幌交響楽団

レビュー日:2016.1.8
★★★★★ 尾高忠明と札幌交響楽団による素晴らしいシベリウス完結編
 尾高忠明(1947-)指揮、札幌交響楽団によるシベリウス(Jean Sibelius1865-1957)交響曲全曲録音企画は、シベリウスの生誕150年となる2015年に、当盤でめでたく完結した。その収録内容は以下の通り。
1) 交響曲 第6番 ニ短調 op.104
2) 交響曲 第7番 ハ長調 op.105
3) アンダンテ・フェスティーヴォ
 1)と2)は札幌コンサートホールKitaraで、3)は東京サントリーホールで、それぞれ2015年にライヴ収録されたもの。シベリウス・フアンの間では人気の高い弦楽とティンパニのための美しい小品、「アンダンテ・フェスティーヴォ」が追加収録されたことも嬉しいが、なにより、地元オーケストラが、これほど見事なパフォーマンスをし、しっかりした規格のメディアで入手可能な商品となっていることが嬉しいと思う。
 実際、尾高と札幌交響楽団の一連のシベリウス録音については、「日本の地方オーケストラの録音であるにもかかわらず」といったような限定付けを行う必要はまったくなく、単に素晴らしいと表現できるものとなっている。もちろん、西欧文化から地理的に隔たったアジアの多湿気候のこの国において、近年、オーケストラの技術水準は大きくレベルアップしているから、そもそもそんな発想をしなくてもよい、と逆に指摘されるかもしれないが。
 交響曲第6番は冒頭の弦の合奏音がすでにとても魅力的だ。バランスが良いという以上に、厚くも薄くもない響きの質感が絶好であり、曇った日の柔らかい外界の光のような鮮烈すぎない加減がある。この響きの価値はその後も維持されていて、その安定感のもとでの起伏が、いかにもこの楽曲にあっていて、とても心地よい。また、後半2楽章でときおり訪れる強奏の場面であっても、前後の演出が自然であり、私には、それこそ北海道の風景である自然のままの山々が、突然車窓に現れたときの感動に通じるものを感じさせる。それは、この作曲家のもつ、北国的な情緒が、この演奏を通じて聴き手の気持ちになんらかの働きかけをしているからに他ならない。いい演奏なのだ。
 単一楽章にる交響曲第7番はよくできた作品で、しかも演奏が不出来に帰するということもあまりない作品なのだけれど、当演奏の滋味豊かな響きは音楽のすそ野を適切に保っていて、暖かい安寧と情感が息づいている。弦楽器陣の表現力の秀逸さをことに強調したい。
 末尾に収録されたアンダンテ・フェスティーヴォは、前に収録された2曲の雰囲気を引き継ぎながらも、旋律的な通俗性を踏まえた歌い回しが加わって、気の利いたアンコール・ピースの役割を果たす。尾高と札幌交響楽団によるシベリウスの締めくくりとして、これ以上相応しいものはないと感じた。


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管弦楽曲

交響詩「フィンランディア」 カレリア組曲 交響詩「ルオンノタール」 交響詩「タピオラ」 交響詩「ある伝説(エン・サガ)」 交響詩「夜の騎行と日の出」 交響詩「ポヒョラの娘」 交響詩「レミンカイネン(4つの伝説曲)」
アシュケナージ指揮 フィルハーモニア管弦楽団  シュタイン指揮 スイス・ロマンド管弦楽団 S: ゼーダーシュトレーム

レビュー日:2009.8.15
★★★★★ シベリウスの主要な管弦楽曲が高品質な演奏と録音でまとめて聴けます
 シベリウスの主要な管弦楽曲を収めた2枚組の再編集盤。収録内容と録音年を記す。
(CD1 アシュケナージ指揮 フィルハーモニア管弦楽団)
交響詩「フィンランディア」<1980> カレリア組曲<1985> 交響詩「ルオンノタール」<1980> 交響詩「タピオラ」<1983> 交響詩「ある伝説(エン・サガ)」<1981>
(CD2 ホルスト・シュタイン指揮 スイス・ロマンド管弦楽団)
交響詩「夜の騎行と日の出」<1971> 交響詩「ポヒョラの娘」<1971> 交響詩「レミンカイネン(4つの伝説曲)」<1980>
 いずれも録音は高いレベルで安定していて、演奏もシベリウスの「本質」を射抜いていると思われるもの。アシュケナージは1979年から1984年にかけてデッカレーベルにシベリウスの交響曲全集を録音しており、これらの管弦楽曲もそれと並行する形で録音された。交響曲との併録から漏れたものもあり、当再編集盤がそれを補ってくれる。「カレリア組曲」の澄み切った音色はこの曲の代表的録音として指折られる名演。バラードの淡い情緒も見事。「フィンランディア」、「エン・サガ」も北国の初夏を思わせる新緑の音楽で、心地よく風が吹き抜けていく。「タピオラ」の深い静謐も神秘を帯びている。「ルオンノタール」ではグラモフォン賞を受賞したシベリウス歌曲全集の一翼を担ったゼーダーシュトレームの独唱も聴ける。
 ホルスト・シュタインの録音も捨て置くには惜しいものばかり。「夜の騎行と日の出」「ポヒョラの娘」ともに弦楽器陣の下支えが逞しく、全体の推進力が鮮やか。特に「ポヒョラの娘」の後半の迫力が素晴らしい。「レミンカイネン(4つの伝説曲)」の第2曲は単品でも有名な「トゥオネラの白鳥」であるが、落ち着いた色合いでしっとりした出来栄え。やや曲調が冗長な部分でも、適度な引き締めが利いていて切り口の鮮度が保たれている。

交響詩「フィンランディア」 カレリア組曲 交響詩「ルオンノタール」 交響詩「大洋の女神(海の精)」 アンダンテ・フェスティーヴォ 組曲「クリスチャン二世」
ヤルヴィ指揮 エーテボリ交響楽団 S: イソコスキ

レビュー日:2018.11.21
★★★★★ ヤルヴィとエーテボリ交響楽団によってひときわ輝きを増したシベリウスの管弦楽曲たち
 ネーメ・ヤルヴィ(Neeme Jarvi 1937-)指揮、エーテボリ交響楽団によるシベリウス(Jean Sibelius 1865-1957)の管弦楽曲集。収録内容は以下の通り。
1) カレリア組曲 op.11 1992年録音
2) 交響詩「大気の精(ルオンノタール)」 op.70 1992年録音
3) アンダンテ・フェスティーヴォ 1994年録音
4) 交響詩「大洋の女神(海の精)」 op.73 1995年録音
5) 組曲「クリスチャン二世」 (夜想曲、エレジー、ミュゼット、セレナード、バラッド) op.27 1995年録音
6) 交響詩 「フィンランディア」 op.26 1992年録音
 交響詩「大気の精(ルオンノタール)」におけるソプラノ独唱はソイレ・イソコスキ(Soile Isokoski 1957-)。組曲「クリスチャン二世」は管弦楽版の5曲版であり、「メヌエット」及び「愚者の歌う蜘蛛の歌」は含まれていない。
 シベリウスの管弦楽曲の魅力を存分に引き出した名盤。シベリウスの音楽の底流にある自然謳歌的なおおらかで明瞭な歌を熱く、輝かしく歌い上げた名演奏ばかり。
 カレワラ組曲の冒頭のインテルメッツォから、聴き手はシベリウスの世界に誘われる。幻想的な奥行きを感じさせる弦のトレモロから、次第に鮮明になってリズムを刻みはじめるメロディは、朝霧の中、波打つ海岸での出航風景のよう。あるいは、朝日に照らし出される森の川辺に建つ古城の風景?。様々な想像力をかきたててくれる増幅力のある音楽であり、演奏である。続くバラッドの素朴なメロディは瑞々しく歌われ、終結部の行進曲はとにかく明朗で楽しい。ヤルヴィは同オーケストラと1983年にもこの曲を録音しているが、響きが全体的に中央ヨーロッパ的な中音域に厚みのある輝かしいものに近づいていることも興味深い。
 交響詩「大気の精(ルオンノタール)」ではイソコスキの精緻にコントロールされた美声が圧巻であるが、その雰囲気を存分にサポートしたオーケストラも素晴らしい出来だ。弦楽四重奏から、弦5部とティンパニの合奏作品に編曲されたアンダンテ・フェスティーヴォは、シベリウス・フアンの間では特に人気の名品だが、当盤では、その豊かな旋律が、脈々と豊かな幅をもって流れるように表現されていて、その様は、どこか「永遠」という言葉を連想させる。
 交響詩「大洋の女神(海の精)」では「穏やかさ」と「激しさ」の対比が劇的な高揚感とともに描かれる。その色彩感に印象派的な音の使用を感じ取ることができるだろう。組曲「クリスチャン二世」も名作といって良いものだ。当盤では、夜想曲の洗練された響きにまず魅了されるが、その後も自然描写的とも讃歌的とも言える豊かな音の造形は、様々な場面でシベリウスが書いた7編の交響曲を連想させる。そこにシベリウスの8番目の交響曲の姿を想像することも出来るだろう。
 そして、結びは広く知られた「フィンランディア」。しっかりと引き締まった響きでありながら、この曲らしい積極的な語り掛けにも事欠かない王道の名演といったところ。レパートリーのきわめて広いネーメ・ヤルヴィであるが、その代表的録音として、ぜひ指折りたいものの一つと思う。


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協奏曲

シベリウス ヴァイオリン協奏曲  チャイコフスキー ヴァイオリン協奏曲
vn: シャハム シノーポリ指揮 フィルハーモニア管弦楽団

レビュー日:2005.1.10
★★★★★ ちょっと異質なシベリウスだけど・・・
 ギル・シャハムによるシベリウスとチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲。シノーポリ指揮のフィルハーモニア管弦楽団がバックだ。
 シャハムといヴァイオリニストは音程が抜群に安定している。しかも線の太いしっかりした音を出す。この二大ヴァイオリン協奏曲もそういった資質がよく出ている演奏といえる。音のたちあがりのキレ味も申し分ない。
 ただ、シベリウスの内省的な作品の今までのイメージから比較するとやや立派過ぎる(変な表現だろうか?)個所もあるかもしれない。そこは聴き手の好みというところだろうか。
 シベリウスのヴァイオリン協奏曲は第2交響曲と第3交響曲の間に作曲された。作風の転換期であり、ヘルシンキを去り北極圏に近づくアイノラ荘で火にあたりながら作曲した耽美的な作品だ。ところで、このシャハムの演奏はなかなか脂がのっており、これはこれで聴いていて爽快だ。
 さしあたって、いい演奏であることは間違いない。チャイコフスキーはメンデルスゾーンとのカップリングで国内盤が出ていたが、シベリウスは国内盤では出ていないので、シベリウスを聴くためにはこの輸入盤をどうぞ。

シベリウス ヴァイオリン協奏曲  シュニトケ 合奏協奏曲
vn: クレーメル グリンデンコ ロジェストヴェンスキー指揮 ロンドン交響楽団

レビュー日:2007.6.3
★★★★★ ちょっと暗い雰囲気ですけど・・
 ラトヴィアのヴァイオリニスト、ロシアの指揮者、イギリスのオーケストラでシベリウスとシュニトケ、しかも録音はザルツブルクというなかなかインターナショナルな録音です。たしかLP初出時からこの組み合わせだったと思う。
 演奏は、どことなく淡い暗さを持ちながら、野太い低音が特徴的で、落ち着いた味わいになっている。シベリウスでは、この曲の耽美性がよく出ている。低音から高音へ力強く駆け上がるヴァイオリンの音色は、聴き手のハートに伝わるものがあるし、ロジェストヴェンスキーの指揮は、いつもよりやや抑え気味(それでも金管の咆哮はやはり「らしさ」がある)の音色は、クレーメルのヴァイオリンのやや重い響きとのバランスを考えていると思う。2楽章の暗さは特に印象的だ。
 シュニトケでは、グリンデンコも加わって、シュニトケ・スペシャリストがそろった感があり、説得力のあるものになっている。本合奏協奏曲は、6つの部分からなる組曲風のもので、なんとも暗い色合いが支配する。冒頭からプリペアード・ピアノがなんとも不気味な音色で曲をリードしていく。暗鬱とした響きは、それこそロシアかどこかの、灰色の冬の空の下、結氷した湖を伝わってくるようだ。後半になって突如タンゴのリズムで、このうえなくもの悲しいメロディが奏でられるが、そのタンゴの変容ぶりは、不気味でまるで幽霊でも出てきそうです。クレーメルの音色は、そのあざといともいえるタンゴを、あえて大真面目に演奏した感があり、シュニトケのらしさが如実に伝わる録音になっている。

ヴァイオリン協奏曲 ヴァイオリンと管弦楽のための「2つのセレナード」 ヴァイオリンと管弦楽のための「2つの荘重なメロディ」 組曲「恋人たち」
vn: ベルキン アシュケナージ指揮 フィルハーモニア管弦楽団  マリナー指揮 アカデミー・オブ・セント・マーティン・イン・ザ・フィールズ

レビュー日:2008.7.21
★★★★★ 知られざるシベリウスの名録音集
 シベリウスのヴァイオリン協奏曲、ヴァイオリンと管弦楽のための「2つのセレナード」、ヴァイオリンと管弦楽のための「2つの荘重なメロディ」、組曲「恋人たち」の4曲を収録したもの。演奏・録音は、前3曲がボリス・ベルキン(Boris Belkin)のヴァイオリンと、アシュケナージ指揮フィルハーモニア管弦楽団による演奏で、1978年の録音。組曲「恋人たち」はマリナー指揮アカデミー・オブ・セント・マーティン・イン・ザ・フィールズによる演奏で1970年の録音。
 世の中には演奏の内容にふさわしい評価を得るものと、過大な評価を受けるもの、過小な評価を受けるものなど様々にある。もちろんこれは判断する人の主観によるし、音楽の世界だけでなく万事がそうであるといっていい。多くを支配するものを「運」と言ったり「時流」と言ったりもするし、極端な場合「生まれが悪い」とか「いい」とか、まあ世界は不完全なものだし、逆に最終的に固まる評価は、ある程度客観的なスタンダードになるとも考えられる。例の「見えざる手」というわけである。しかし、その「見えざる手」が、必ずしもうまく機能しないこともよくあることは、十分知れ渡ってきたようだ。(それだけでもいいことだと思う)。
 ずいぶん話がずれてしまったが、このシベリウスの録音もいずれも時流の中でいつのまにか重要に扱われる機会を失った録音の一つと思える。だから、細々と希少な輸入盤でしか聴けない(もちろん、輸入盤で聴けるだけかなりマシではある)。しかし、とてもいい演奏である。ボリス・ベルキンは1948年ソ連生まれのヴァイオリニスト。シャープで透明な音色を持ち、協奏曲などでは管弦楽とのバランスに格段の配慮・感性を持っていると思う。シベリスウの楽曲の場合、オーケストラのパートは非常に重要であるし、だからベルキンの感性は必須だ。アシュケナージがドライヴするオーケストラはなかなかロマンティックでスケールが大きい。ここぞと言うときは金管陣が朗々と、深き幽谷から響くようである。ベルキンのヴァイオリンはそこに透明な一条の光線を当てる。時として思わぬほどの闊達な勢い、切り裂くような閃光・・・を与える。これは北欧の叙事詩というか、どこか幻想的な異界のような音だ。併録されたヴァイオリンと管弦楽のための作品も黄昏の音色でありながら、きわめて透明な空気に満ちている。実際、これらはきわめて美しい作品である。特にセレナードの第2曲のメロディなど、シベリウスの本当に深いところから生まれたものだ。透徹した、まさしくシベリウスにしか書けないであろう美だ。
 マリナー指揮による管弦楽曲「恋人たち」も良い。この指揮者はこのような小品的佳曲をニュアンス豊かに表現するのが絶妙に上手い。ひとむかし前の録音となったが魅力は損なわれていない。

ヴァイオリン協奏曲 カレリア組曲 ベルシャザール王の饗宴
vn: クーシスト セーゲルスタム指揮 ヘルシンキ・フィルハーモニー管弦楽団

レビュー日:2009.2.14
★★★★★ やや日のあたらない演奏ですが、秀演です
 シベリウスのヴァイオリン協奏曲、カレリア組曲、組曲「ベルシャザール王の饗宴」の3曲を収録。ヴァイオリン独奏はクーシスト(Pekka Kuusisto)、セーゲルスタム指揮ヘルシンキフィルによる演奏。録音は1996年。
 私は、2007年録音のヒラリー・ハーンのシベリウスのヴァイオリン協奏曲を聴いて、この曲にもまだまだ多様な表現方法が残されていると深く感じ、以来この曲のCDを結構多く聴いている。いままで聴き逃していたものの中ではベルキン盤とこのクーシスト盤がなかなか良く思えた。1976年生まれのクーシストは録音当時20歳。それでいて技術的には完璧だし、落ち着いた音楽の運び、瑞々しい音色に驚かされる。指揮をしているのはセーゲルスタムで、この人が指揮をしたシベリウスの交響曲はたいてい雄大なスケールに響くが、このヴァイオリン協奏曲も同じ様相だ。テンポの切り替えも結構ある。クーシストはその大家風の演奏の中で埋没することなく、堂々と渡り合っており、風格さえ感じるヴァイオリンであるし、シベリウスに必須な鋭角的な陰のある切り口も鮮やかだ。斬新とまではいかないが、広大な自然の中に響く音だと思う。
 他に2曲収録された管弦楽曲も秀演。カレリア組曲では弦の強調が表情豊かで、音楽の厚みが効果的に生きている。組曲「ベルシャザール王の饗宴」はシベリウスの中では珍しい異国情緒の混じる作品だが、そこでもセーゲルスタムのスタンスは同様で、やはりこれはシベリスの音楽なのだ、というイメージがはっきりする。ヴァイオリン協奏曲と通じるところもある作品なのだと気付かせてくれる。

シベリウス ヴァイオリン協奏曲  リンドベルイ ヴァイオリン協奏曲
vn: バティアシヴィリ オラモ指揮 フィンランド放送交響楽団

レビュー日:2012.9.11
★★★★★ 北欧人の特質というコンセプトに従い、グルジアのアーティストが臨んだ見事な成果
 リサ・バティアシヴィリ(Lisa Batiashvili)は1979年グルジア出身のヴァイオリニスト。1995年ヤン・シベリウス国際ヴァイオリンコンクールで優勝。BBCが1999年から2001年にかけて選出した「次世代芸術家」の1人。
 当ディスクは2006年に行われたライヴの模様を収録したもので、シベリウス(Jean Sibelius 1865-1957)のヴァイオリン協奏曲と、現代のフィンランドの作曲家、マグヌス・リンドベルイ(Magnus Lindberg 1958-)のヴァイオリン協奏曲が収められている。リンドベルイの曲については、このバティアシュヴィリの演奏が初演となる。サカリ・オラモ(Sakari Oramo 1965-)の指揮でフィンランド放送交響楽団の演奏。
 新旧フィンランドのヴァイオリン協奏曲が収録されているわけだが、バティアシヴィリ自身がこのアルバムのコンセプトとして「"Nordic qualities" (北欧人の特質)」を挙げている。
 シベリウスの超名曲も気になるが、やはり当盤の特徴はリンドベルイであろう。リンドベルイの音楽は現代音楽的なソノリティを持っているが、北欧的な耽美性があり、シベリウスの名曲と似た雰囲気を持っている。冒頭の線の細い高音から奏でられるところなど、そうと知らなくてもシベリウスを彷彿とさせるだろう。リンドベルイの作曲家としての才能をいち早く認めたのが武満徹(1930-1996)であったという。日本は北欧音楽のファンの多い土地柄で、シベリウスもたいそう人気がある。これはあくまで想像であるが、日本人が郷愁のようなものを刺激される音型とか音色は、どこか北欧のそれと似た傾向があるのではないだろうか。三枝成彰(1942-)もシベリウスへのオマージュといえるヴァイオリン協奏曲を書いている。
 リンドベルイの曲は、シベリウスと同様に3つの楽章からなる。現代的な野趣性もあるが、そのエネルギーに熱血的なものより、巨大な自然描写のような客観性が感じられる。リンドベルイの音楽は構造性もしっかりしており、そのことで現代音楽の中でも近づきやすいものとなっていると思う。それに加えて北欧特有のメロディーをにおわせる瞬間もある。時折エネルギッシュな効果を高める時、オーケストラのサウンドは私にはストラヴィンスキー(Igor Fyodorovitch Stravinsky 1882-1971)を思わせるところがある。音色もかなり近いと思うがいかがだろうか。オラモ指揮によるオーケストラも、漫然としたところがなく、鋭利な響きが輝いている。
 シベリウスではヴァイオリンの音色が非常に悲しい色を含んでいるように感じられるのが特徴的。自然描写的なシベリウスの音楽には人の姿がないように言われることもあるが、この演奏は、人の感情を通して描かれているような、抒情性がある。第2楽章後半から第3楽章にかけての、オラモとの充実した受け渡しも音楽の振幅を心地よく広げてくれる。いずれの楽曲も、現代を代表するすぐれたアーティスト、バティアシヴィリの実力が伝わる内容だと思う。

シベリウス ヴァイオリン協奏曲 ヴァイオリンと弦楽合奏のための組曲  グラズノフ ヴァイオリン協奏曲 バレエ音楽「ライモンダ」より「グラン・アダージョ」
vn: ユー アシュケナージ指揮 フィルハーモニア管弦楽団

レビュー日:2016.3.16
★★★★★ 新鋭、エスター・ユーのデビュー盤です
 期待の新鋭、韓国系アメリカ人、エスター・ユー(Esther Yoo 1994-)のメジャー・デビュー盤。各地で共演しているアシュケナージ(Vladimir Ashkenazy 1937-)指揮、フィルハーモニア管弦楽団の強力なバックを得て、以下の4曲が収録された。
1) グラズノフ(Alexander Glazunov 1865-1936) ヴァイオリン協奏曲 イ短調 op.82
2) シベリウス(Jean Sibelius 1865-1957) ヴァイオリン協奏曲 ニ短調 op.47
3) シベリウス ヴァイオリンと弦楽合奏のための組曲 ニ短調 op.117(第1曲 田舎の風景 第2曲 春の夕方 第3曲 夏に)
4) グラズノフ バレエ音楽「ライモンダ」 op.57 より グラン・アダージョ
 ユーは、2010年に行われた第10回国際シベリウス・ヴァイオリン・コンクールと2012年に行われたエリザベート王妃国際音楽コンクールで、いずれも最年少の受賞者として注目され、現在、すでに国際的な舞台で活躍するようになっている。特にアシュケナージ指揮のオーケストラとは世界各地で共演し、好評を博しており、このたびのドイツ・グラモフォンからの録音となった。
 デビュー盤では、彼女のコンクール歴から適性の証明されているシベリウスの名曲と、渋いながら美しい味わいを秘めたグラズノフの組み合わせということで、これもなかなか興味深い選曲。指揮者のアシュケナージにとっても、得意とするところだろう。
 演奏はオーケストラの抜群のサポートのもと、研ぎ澄まされた技術で美しく磨き上げられたヴァイオリンを堪能できる。録音の傾向からか、私は音量的もので驚かされることはなかったけれど、とにかく細部まで磨き上げられたような光沢を感じさせる響きに魅了された。特にグラズノフの協奏曲。この曲は3つの部分からなるが、全体は長大な一つの楽章とみなすことが出来、しかもカデンツァをはじめ、独奏者には重音の連続的な双方が随所で要求される。グラズノフがヴァイオリンの技巧を駆使して書き込んだ名作といってもよいもので、当然のことながら奏者には相当な実力が要求される。
 しかし、私の聞く限り、ユーは、これらの困難な個所を、さあ、乗り越えますよといった気概すら感じさせることもなく、実にスラスラと美しく、いかにも簡単に伸びやかに旋律を歌わせてしまう。もちろん、これがセッション録音であるということも念頭に置く必要はあるだろうけれど、それにしてもこの曲を、これほど抵抗力の存在を感じさせずに鳴らし切るというのは、なかなか難易度の高いことではないだろうか。しかも、艶やかな歌があり、音楽的な美しさが保たれている。
 シベリウスももちろん良いのだが、この曲は現在では無数といっていいほどの名演名録音があるので、当盤をトップグループに推すかどうかは聴き手の好みによる僅差の話題となるだろう。とはいえ、当盤のスマートな透明感はこの曲の魅力を良く伝えるものだと思うし、アシュケナージのいかにも知り尽くしたという押し引き自在の指揮ぶりは頼もしい限りで、優秀な演奏であることは間違いない。
 シベリウス、グラズノフそれぞれ協奏曲以外にも美しい佳作が添えられていることが、さらに当アイテムの魅力を高めている。特にシベリウスの組曲の第3曲で俊敏なパッセージを鮮やかない解きほぐすユーの手腕は見事だ。
 2014年の録音時まだ20歳ということもあり、このヴァイオリニストの将来は、とても楽しみである。

シベリウス ヴァイオリン協奏曲  プロコフィエフ ヴァイオリン協奏曲 第1番
vn: ヤンセン マケラ指揮 オスロ・フィルハーモニー管弦楽団

レビュー日:2024.8.19
★★★★★ 注目すべきジャニーヌ・ヤンセン復帰盤
 いろいろな意味で、注目したいアルバム。
 まず、オランダのヴァイオリニスト、ジャニーヌ・ヤンセン(Janine Jansen 1978-)の名を、本当に久しぶりに聞いたと思う。理由はわからないが、長く活動休止状態にあったようで、協奏曲録音は9年ぶりとのこと。私は、直近の録音を聴いていなかったので、2006年にシャイー(Riccardo Chailly 1953-)と録音したメンデルスゾーン&ブルッフ以来となったので、なおのこと久しぶりだ。そのシャイーとの録音は、とても繊細な美しさに満ちたものだったと記憶している。
 そして、このたびの録音は、25歳にしてDECCAと専属契約を結び、目も覚めるような素晴らしいシベリウス(Jean Sibelius 1865-1957)の交響曲全集を世に送り出したクラウス・マケラ(Klaus Makela 1996-)との協演により復帰したというのだから、その時点で、舞台効果としてはバッチリといったところだろう。収録曲は以下の2曲だ。
1) シベリウス(Jean Sibelius 1865-1957) ヴァイオリン協奏曲 ニ短調 op.47
2) プロコフィエフ(Sergey Prokofiev 1891-1953) ヴァイオリン協奏曲 第1番 ニ長調 op.19
 オスロ・フィルハーモニー管弦楽団との2023年の録音。
 収録されている2曲ともアルバムのメインを張れる名曲で、耽美的な冒頭、野趣性にあふれたリズムの交錯と、親近性のある作品同志とも言える。
 まず、オーケストラの音色が良い。マケラという指揮者は、静かな箇所であっても、そこにうちに秘めた情熱とでも言うべき音をオーケストラから引き出すが、この2曲でもそれらが独特の緊迫感を引き出しているほか、クライマックスへの導き方が実に巧みで、思わず聴き入ってしまう。木管の透明な響きは、神秘的であるとともに、深い情感か感じられるだけに、とても音楽的な訴えかけが強い。特にシベリウスでより成功していると感じるのは、あるいは、あの素晴らしい交響曲全集を聴いた私の「思い込み」がゲタを履かせているのかもしれないが、控えめに言っても、素晴らしい。
 しかし、さらに驚かされるのはヤンセンのヴァイオリンだ。以前のヤンセンの印象と異なるのは、活動休止期間の影響か、そもそも聴いている楽曲が違うからかわからないが、おそらくその両方なのだろう。それにしても、この低音の力強い主張と、リズムは、私の聞く前の予想をいい意味で覆せてくれた。シベリウスであれば、第1楽章の2つ目の主題に移るところや、カデンツァで、その本性は表に鋭く現れ、実に激しい音を刻んでいく。その迫力はすさまじい。終楽章のスピードとリズムの融合を感じさせる進展は、斬新でありながらエキサイティングであり、こういう切り口があったのかと感嘆させられた。プロコフィエフでは、第1楽章が特に素晴らしく、音があちこちに飛ぶ個所で、低弦が刻むインパクトは、楽想に大胆な味付けを施し、それでいて爽快だ。とても面白い。
 整えられた舞台効果に相応しい劇的な一幕を味わえる1枚。


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器楽曲

10のピアノの小品 13のピアノの小品 2つのロマンティーノ 10のバガデル
p: ムストネン

レビュー日:2005.7.24
★★★★★ シベリウスの魅力的なピアノ小品を紹介
 ムストネンによるシベリウスのピアノ作品集。収録曲は10のピアノ小品、13のピアノ小品、2つのロマンティーノ、10のバガデルであり、都合合計35曲の小曲を聴く事ができる。
 聴いてみると、シベリウスが確かな近代音楽書法の開発者であったことがよくわかる。ドビュッシーやストラヴィンスキーにまけない独特の色彩と音色が堪能できる。そして、それは確かに近現代音楽への橋渡しになっていると実感する。
 まず音色の透明感は特筆される。持続的で定型的な低音の伴奏などはあまり用いず、両手から紡がれる音がキラキラと反射していく。。13のピアノ曲の第10曲「エレジアーコ」がその象徴だろう。他にも10のピアノ小品の第1曲「夢想」の星空のような寂寥感、第11曲「フィンランド狙撃兵行進曲」の軽妙なリズム、13のピアノ曲の第1曲「エチュード」の細やかなパッセージが放つ万華鏡のような世界も美しさの限り。
 ムストネンの好演も特筆に価する。この人の細やかなスタッカートと息遣いは、これらの曲の魅力を最大限にとらえている。

10のピアノの小品 悲しきワルツ 即興曲 5つの小品(花の組曲) 5つのロマンティックな小品 5つのスケッチ
p: アシュケナージ

レビュー日:2008.9.11
★★★★★ 澄み切った美音で紡がれる音画の世界
 それにしても、アシュケナージがシベリウスのピアノ作品をこれだけまとめて録音してくれるとは思わなかった。シベリウスという作曲家の作品は圧倒的に交響曲を中心とする管弦楽曲にあり、アシュケナージくらいの国際的な音楽家が取り上げるものはやはりたいていの場合、交響曲や管弦楽曲なのである。しかし、アシュケナージの場合、ゼーダーシュトレームとシベリウスの歌曲を録音していたから、予兆はないわけではなかった。
 いきなり余談で失礼するが、当盤にはアシュケナージの人柄を忍ばせる面がある。2007年にアシュケナージはEXTONからシベリウスの交響曲の全集をリリースした。その特典盤として配布されたのがアシュケナージのピアノによるシベリウスの組曲「樹」を収録した収録時間12分ほどのCDであった。さて、ここに別に一枚のアルバムを作成するにあたって、そのアルバムに当然「樹」は収録されないことになるのだけれど、しかし、本来一枚のCDで収録可能な内容を分割したのでは、聴き手にもやや味が悪い(気にし過ぎかもしれないが)。そんな訳なのかどうかわからないけれど、このアルバムは77分超の長時間収録となっている。なので、一枚に収まらなかった組曲「樹」が、特典盤にその役割を移した、と考えられるだろう。リスナーは消費者でもあるので、そういう納得も実は重要なのだ。
 さて、演奏。とにかく澄み切ったタッチが美しい。2トラック目に収録されている「即興曲」のダイヤモンドダストのように降り注ぐ細やかな音の光はため息の出るような美しさ。スキー場でほんのときおり見ることができる奇跡的な美しい光景を私は思い出す。以下「10の小品」に見せる厳しい自然の中だからこその暖かみも得がたいもの。「花の組曲」はメロディーの美しさと、質素な伴奏の安らぎが印象に残る。5つのロマンティックな小品では瞑想的な、静態描写的な音画を思わせた。
 「悲しきワルツ」は有名な管弦楽曲をシベリウス自身がピアノにアレンジしたもの。憂いを帯びた足取りと美しい音色がシベリウス以外の何ものでもない世界を描いている。「ピアノ曲にもシベリウスの音楽家としての本質は十分に息づいている」と実感させてくれる国際的音楽家の名録音となった。

キュリッキ 6つの即興曲より 第5番 第6番 ピアノのための10の小品より第9曲「ロマンス」 第10曲「舟歌」 ピアノのための10の小品より第4曲「羊飼い」 悲しきワルツ ソナチネ 第1番 組曲「樹」より 第4曲「白樺の木」 第5曲「樅の木」 ピアノのための2つのロンディーノより第2番 ピアノのための13の小品より第10曲「エレジアーコ」 ピアノのための6つのバガテルより第2曲「歌」 第4曲「おどけた行進曲」 第5曲「即興曲」 5つのスケッチ
p: アンスネス

レビュー日:2017.9.4
★★★★★ シベリウスの美しいピアノ音楽の世界に、深く誘われる一枚
 アンスネス(Leif Ove Andsnes 1970-)によるシベリウス(Jean Sibelius 1865-1957)のピアノ独奏曲集。2016年のセッション録音で以下の楽曲が収録された。
1) 6つの即興曲 op.5より 第5番
2) 6つの即興曲 op.5より 第6番
3) キュリッキ(3つの抒情的小品) op.41
4) ピアノのための10の小品 op.24より 第9曲「ロマンス」
5) ピアノのための10の小品 op.24より 第10曲「舟歌」
6) ピアノのための10の小品 op.58より 第4曲「羊飼い」
7) 悲しきワルツ op.44-1(ピアノ独奏版)
8) ソナチネ 第1番 op.67
9) ピアノのための5つの小品(樹木の組曲) op.75より 第4曲「白樺の木」
10) ピアノのための5つの小品(樹木の組曲) op.75より 第5曲「樅の木」
11) ピアノのための2つのロンディーノ op.68より 第2番
12) ピアノのための13の小品 op.76より 第10曲「エレジアーコ」
13) ピアノのための6つのバガテル op.97より 第5曲「即興曲」
14) ピアノのための6つのバガテル op.97より 第4曲「おどけた行進曲」
15) ピアノのための6つのバガテル op.97より 第2曲「歌」
16) 5つのスケッチ op.114(第1曲「風景」 第2曲「冬の情景」 第3曲「森の湖」 第4曲「森の中の歌」 第5曲「春の幻影」)
 シベリウスのピアノ独奏作品を手掛けるピアニストは多くない。世界的なピアニストで言うと、グールド(Glenn Gould 1932-1982)、ムストネン(Olli Mustonen 1967-)、アシュケナージ(Vladimir Ashkenazy 1937-)の3人くらいではないか、と思う。それは、シベリウスの作品群の中で、ピアノ曲のウェイトが高いとは言えず、またシベリウスがピアノの奏法より管弦楽の書法に精通し、その分野で最大の功績を挙げたと考えられているからであろう。そして、その考えは正しいのだろう。
 しかし、シベリウスのピアノ曲には、特有の魅力がある。決して技巧的ではないし、奏法の点でも卓越したなにかがあるわけではないのだけれど、その雰囲気、静謐でモノクロームな世界を連想させる幽玄の世界、とでも言おうか。まさに、この作曲家が生まれ育った北欧の雪景色に通じるような、単調ゆえの淡くも底の知れない美しさ、と言おうか。
 そんなシベリウスのピアノ曲を録音した人たちは、みな指揮者としてのキャリアがあったり、指揮者としての活躍を視野に入れていた人たちに思える。シベリウスのピアノ曲は、どこか管弦楽の世界からピアノ曲に衣を変えたような旋律線やフレーズの動きがある。アンスネスも近年、弾き振りでベートーヴェンのピアノ協奏曲の全曲録を成し遂げるほど指揮業に精通した。そのような背景と、シベリウスのピアノ作品への優れたアプローチには、なにか関連があるように思える。
 当盤で聴くシベリウスも美しい。光を反射しながら雪原を転がる雪の結晶を思わせるような乾いたタッチ、森の奥で緑の隙間から差し込む数条の光を思わせる音の伸び。それらがあいまって、とても魅力的な音世界が形成されているのである。
 冒頭の「即興曲第5番」に聴かれる研ぎ澄まされた音階と巧妙なペダルで描かれるオーロラを思わせる音色、「即興曲第6番」で語られる淡くも透明な情緒、「白樺の木」では無辺に美しくも暖かい情緒が通う。「ロンディーノ第2番」では少しユニークなタッチの遊びがあり、「5つのスケッチ」で幽山に分け入っていくような静謐で閉じられる。
 墨絵のような深さと淡さを併せもつシベリウスのピアノ曲の世界を、存分に味わえる一枚です。

交響曲 第2番 第5番(シーグフリードソン編ピアノ版)
p: シーグフリードソン

レビュー日:2012.4.25
★★★★★ シベリウスの交響曲がピアノでここまで見事に奏でられるとは!
 これは実に面白いステキなアルバムだ。
 フィンランドのピアニスト、ヘンリ・シーグフリードソン(Henri Sigfridsson 1974-)がシベリウス(Jean Sibelius 1865-1957) の2曲の交響曲(第2番と第5番)をピアノ版に編曲して演奏・録音したもの。第5番が2010年、第2番が2011年の録音。
 シーグフリードソンは、2000年のゲザ・アンダ国際ピアノ・コンクールで第2位に入賞、2005年のベートーヴェン国際ピアノ・コンクールで優勝という経歴の持ち主。
 シベリウスの交響曲のピアノ編曲についてだが、第5番にはすでにカール・エクマン(Karl Ekman 1869-1947)による編曲が存在しており、それをシーグフリードソンはこのたびあらためて補筆再編した格好だ。また、第2番については、今回オーケストラ譜からまったく新規にピアノ・スコアを編み出したことになる。
 私は、このディスクの第5番の第1楽章を聴いていて、思わず「これはいい」と呟いてしまった。田園的な情緒、牧歌的に移ろう時間、そしてときに勢いを持って奏でられる情緒の清々しいこと。なんと清冽な音楽だろう。この録音を聴いていると、元来のオーケストラ曲とはまた違ったよりクリアな抒情性が得られていると感じる。それは、もちろんピアノという楽器のもつ音響そのものの効果というのもあるのだけれど、加えて編曲が優れていること、そしてピアニストがその編曲の長所を的確に引き出していることがある。編曲に際しては、ピアノ譜的に音の密度を濃くしたりせず、原曲が淡い雰囲気を持つ個所では、淡々とシンプルに、かつ必要なものが十全に備わった、見事なパフォーマンスとして完成されている。
 これは、聴きモノだ!
 第2楽章、第3楽章は、まるで北国の夏、ゆるやかに動く雲によって描かれる光の自然美を感じさせるような、情景的な風情が漂っていて、私は夢中で聴いた。
 第2番も素晴らしい。ことに第1楽章は、まるで最初からピアノのために書かれた音楽であるかのように、凛々しく、十分な恰幅を持ち合わせ、運動的な心地よさも堪能させてくれる。第2楽章は、むしろオーケストラ曲より時の流れを早く感じるほどのなめらかさがあり、それでいてシベリウスらしい和音、響きの繋がりが瑞々しく響く。
 第3楽章と第4楽章は、ピアノで弾いた場合、少し単調に聴こえる部分がないことはないけれど、シーグフリードソンは存分に起伏を持ってアプローチしている。フィナーレに向けた盛り上がりも、適度な白熱を帯び、ピアノという楽器の能力を全開まで高めた編曲であり、演奏であると納得させられる。
 「編曲モノにはあまり縁がない」という音楽ファンでも、シベリウスの音楽が好きならば、「編曲」というカテゴリに惑わされることなく、いつのまにか没頭させてくれるのではないか。それほど「よく出来た」芸術が示されているディスクだと思う。

ペレアスとメリザンド(ピアノ版) 組曲「クリスティアン2世」(編者不詳ピアノ版) 劇音楽「ベルシャザール王の饗宴」(編者不詳ピアノ版) 悲しきワルツ(ピアノ版) カレリア組曲(タウブマン編ピアノ版) フィンランディア(ピアノ版)
p: シーグフリードソン

レビュー日:2019.2.27
★★★★★ 珍しいシベリウスのピアノ編曲。とても魅力的です。
 フィンランドのピアニスト、ヘンリ・シーグフリードソン(Henri Sigfridsson 1974-)によるシベリウス(Jean Sibelius 1865-1957)の管弦楽曲をピアノ編曲したものを集めたアルバム。収録曲は以下の通り。
ペレアスとメリザンド op.46
 1) 城門にて
 2) メリザンド
 3) 庭園の噴水
 4) 3人の盲目の姉妹
 5) パストラーレ
 6) 糸を紡ぐメリザンド
 7) 間奏曲
 8) メリザンドの死
組曲「クリスティアン2世」 op.27
 9) エレジー
 10) メヌエット
 11) ミュゼット
 12) 蜘蛛の歌
劇音楽「ベルシャザール王の饗宴」 op.51
 13) 東洋風の行列
 14) 孤独
 15) 夜曲
 16) カドラの踊り
17) 悲しきワルツ op.44
カレリア組曲 op.11
 18) 間奏曲
 19) バラード
 20) 行進曲ふうに
21) 交響詩「フンランディア」
 2006年から07年にかけての録音。
 私は当盤を聴くまで知らなかったのだが、悲しきワルツやフィンランディア以外のこれらの楽曲にも、シベリウス自身の手によるピアノ版なるものが存在するのだそうである。ただし、カレリア組曲の「行進曲ふうに」のみ、オットー・タウプマン(Otto Taubmann 1859-1929)の編曲である。
 シーグフリードソンの録音と聞いて、私がすぐに思い浮かべるのは、2010,11年に録音されてondineからリリースされたシベリウスの交響曲第2番と第5番をピアノ編曲したものであり、私はその録音を気に入っている。そして、聴く順番が前後してしまったが、それより5年ほど前に、当盤の録音が行われていた。
 さて、これらのピアノ編曲であるが、私はたいへん楽しんで聴くことが出来た。特に「ペレアスとメリザンド」「クリスティアン2世」「ベルシャザール王の饗宴」といった、いまいち「渋い」存在の管弦楽曲たちが、ピアノ編曲を経て、さながらグリーグの抒情小曲集のような情感を宿したことに感銘を受けた。むしろ、グリーグの小曲集に比べて、通俗性が薄まっている分だけ、音楽としてより抽象的な情感を導き出した感があり、むしろこれらの曲集の方が魅力的なのではないか、とさえ思った。
 例えば、「ペレアスとメリザンド」の「間奏曲」の瀟洒な風合いや、「クリスティアン2世」の「ミュゼット」の淡い華やぎ、「ベルシャザール王の饗宴」の「東洋風の行列」はグリーグの「小人の行進」のように親しみやすくなっているし、それに続く「孤独」もピアノ曲ならではの透明な響きが夜降る雪のような風情を醸し出している。
 もちろん、これらの楽曲は、もともとが管弦楽曲として捻出されたアイデアによっているため、その観点で言えば限界もいろいろ指摘は出来る。原曲では「糸を紡ぐメリザンド」にあった管弦楽ゆえの描写性をピアノで表現しきることはできないし、豪壮なオーケストレーションが魅力だった名管弦楽曲は、その感動の幅を狭めている。しかし、それは「ないものねだり」であり、むしろ管弦楽曲と双方を味わえることが、よりシベリウスの音楽の魅力に深く接することになるのでは、と思う。
 シーグフリードソンのピアノは、いかにも響きが純粋で、やや冷たい細身な感じもあるが、当盤ではそれが悪い方には作用していない。むしろそれらのタッチを活かし、シベリウスの楽曲の新たな側面を自然に伝えようという好意的なものがありありと感じられる。私には、そのことも含めて、当盤は良い企画であり、良い演奏だと思う。


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歌曲

歌曲全集
S: ゼーダーシュトレーム Br: クラウゼ p: アシュケナージ ゲイジ g: ボネル

レビュー日:2016.2.19
★★★★★ スウェーデン語歌曲の美しい成果を堪能するBox-set
 1978年から1981年にかけて録音されたシベリウス(Jean Sibelius 1865-1957)の歌曲全集。1985年にグラモフォン賞を受賞した名盤。CD4枚に収録された93の曲目は以下の通り。
【CD1】
1) セレナード
5つのクリスマスの歌 op.1
2) 第1曲 いまクリスマスは雪のポーチのそばに
3) 第2曲 いまクリスマスがやって来る!
4) 第3曲 外は暗くなる
5) 第4曲 華やぎを与え給うな
6) 第5曲 降り積もった雪の吹き溜りが
7) アリオーソ op.3
7つの歌曲 op.13
8) 第1曲 岸辺の樅の木の下で
9) 第2曲 口づけの望み
10) 第3曲 心の朝
11) 第4曲 春はいそぎゆく
12) 第5曲 夢
13) 第6曲 フリッガへ
14) 第7曲 狩人の少年
7つの歌曲 op.17
15) 第1曲 もはやわたしは問わなかった(*
16) 第2曲 眠れ!
17) 第3曲 鳥のさえずり
18) 第4曲 道に迷って
19) 第5曲 とんぼ(*
20) 第6曲 夕べに
21) 第7曲 川面の木屑
【CD2】
1) 帆走
2) 泳げ青い鴨
2つの歌曲 op.35
3) 第1曲 ユバル(*
4) 第2曲 テオドーラ
6つの歌曲 op.36
5) 第1曲 黒い薔薇
6) 第2曲 しかしわたしの鳥は帰って来ない(*
7) 第3曲 トリアノンでのテニス(*
8) 第4曲 葦よそよげ
9) 第5曲 三月の雪
10) 第6曲 三月の雪の上のダイヤモンド
5つの歌曲 op.37
11) 第1曲 はじめての口づけ
12) 第2曲 小さなラッセ
13) 第3曲 日の出
14) 第4曲 夢なりしか?
15) 第5曲 逢引きから帰った乙女
5つの歌曲 op.38
16) 第1曲 秋の夕べ
17) 第2曲 海辺のバルコニーで
18) 第3曲 夜に
19) 第4曲 ハープ弾きと彼の息子
20) 第5曲 わたしは願う
【CD3】
6つの歌曲 op.50
1) 第1曲 春の歌
2) 第2曲 あこがれ
3) 第3曲 少女が野原で歌っている
4) 第4曲おののく胸から
5) 第5曲 静かな町
6) 第6曲 薔薇の歌(*
7) 燃え尽きて
8) タイスへの讃歌
8つの歌曲 op.57
9) 第1曲 川とかたつむり
10) 第2曲 ひともとの花が道端に咲いていた
11) 第3曲 水車の輪
12) 第4曲 五月(*
13) 第5曲 ひともとの樹
14) 第6曲 マグヌス公爵
15) 第7曲 友情の花
16) 第8曲 水の精
シェークスピアの「十二夜」による2つの歌曲 op.60
17) 第1曲 来たれ 死よ!
18) 第2曲 ホイサー 嵐の中でも 雨の中でも
8つの歌 op.61
19) 第1曲 ゆっくりと夕ベの空が
20) 第2曲 水のはねる音
21) 第3曲 私が夢みるとき…
22) 第4曲 ロメオ(*
23) 第5曲 ロマンス
24) 第6曲 ドルチェ ファール ニエンテ
25) 第7曲 むなしい願望
26) 第8曲 春にとらわれて(*
【CD4】
6つの歌曲 op.72
1) 第3曲 口づけ
2) 第4曲 山彦の妖精(*
3) 第5曲 さすらい人と小川
4) 第6曲 私の思いには百もの道がある
6つの歌曲 op.86
5) 第1曲 春の予感
6) 第2曲 私の遺産の名はあこがれ
7) 第3曲 ひそかなつながり
8) 第4曲 一つの考えが浮ぶ
9) 第5曲 歌い手の報酬
10) 第6曲 あなた達姉妹よ 兄弟よ 愛し合う者達よ(*
6つの歌曲 op.88
11) 第1曲 青いアネモネ
12) 第2曲 二つの薔薇
13) 第3曲 白いアネモネ
14) 第4曲 アネモネ
15) 第5曲 いばら
16) 第6曲 花の運命
6つの歌曲 op.90
17) 第1曲 北国
18) 第2曲 彼女の便り
19) 第3曲 朝
20) 第4曲 鳥を捕える人
21) 第5曲 夏の夜
22) 第6曲 誰がお前の道をここへ?
23) 水仙
24) 可愛い娘たち
25) 鬼蜘蛛の歌 op.27-4
26) 三人の眼の不自由な姉妹たち
 演奏はトム・クラウゼ(Tom Krause 1934-2010)のバリトンと、アーウィン・ゲイジ(Irwin Gage 1939-)のピアノだが、(*印の付いている11曲については、エリザベート・ゼーダーシュトレーム(Elisabeth Soderstrom 1927-2009)のソプラノとウラディーミルアシュケナージ(Vladimir Ashkenazy 1937-)のピアノによる。また、シェークスピアの「十二夜」による2つの歌曲 op.60 では、伴奏にギターが加わり、カルロス・ボネル(Carlos Bonell 1949-)による演奏。
 【CD4】の冒頭に収録されている「6つの歌曲 op.72」については、第1曲と第2曲は一度出版されたものの、第一次世界大戦でスコアが消失しており、本全集においても欠損扱いとなっている。
 シベリウスは偉大なシンフォニストとしてその名を知られているが、歌曲においても立派な功績を遺した人である。ただ、彼の歌曲の評価と録音がその内容に比して寂しいのは、その多くがスウェーデン語の歌唱のために書かれているという言語的マイノリティに属するためである。当然のことながら、日本でもクラシックのリート教育はまずドイツ・リートに始まるのであり、次いでフランス語やイタリア語の歌曲、とおおむねそうなっているから、スウェーデン語の歌曲なんて、最後まで勉強せずに終わってしまう。
 しかし、聴くだけなら話は別で、シベリウス特有の淡い抒情と、時として民族的な熱血性を踏まえたこれらの歌曲は、全般に美しく、クラシック界を代表するリートの分野であるといって間違いないことがわかる。
 そのような概況の中で、大手レーベルである英デッカが、実力確かなアーティストたちを起用して作り上げた当全集の価値が高いことは言うまでもない。北欧の風土や伝説に根差した音楽たちが、これを深く理解する演奏者たちによって、見事に表現されているし、現在まで、これに比較しうる全集(別個に録音されたものを集めたものはあるが)が製作されていないことも踏まえて、独壇場と言ってもいいくらいの「名盤の位置」を確保している。
 ゼーダーシュトレームが担当した曲数が11曲だけというのは、他にも女声域に適した曲があると思う(それにアシュケナージの素晴らしい伴奏が聴ける!)ので、少ないという印象を受けるが、それでも全体的なレベルは安定しているし、寂しいと感じるほどではない。前述のシベリウスの歌曲を特徴づける要素は、的確に表現されている。
 名曲として知られるop.36の6つの歌曲(わけても「黒い薔薇」「葦よそよげ」「三月の雪」)、それに、5つの歌曲op.37の「夢なりしか?」「逢引きから帰った乙女」などは、シベリウス、そして北欧歌曲を代表する作品に相応しいもの。もし、シベリウスの歌曲に馴染みが薄いということであれば、この辺りから聴き始めるのがよいだろう。
 いずれにしても、シベリウス、あるいは北欧の音楽が好きな人には、シベリウスの歌曲集は必聴のジャンルだと思うし、その場合、当全集は、筆頭に推薦したいアイテムだ。

歌曲集 第1巻
S: オッター p: フォシュベリ

レビュー日:2015.12.30
★★★★★ 透明感に満ちた情緒。シベリウス歌曲の決定的録音です。
 スウェーデンのメゾ・ソプラノ、アンネ・ゾフィー・フォン・オッター(Anne Sofie von Otter 1955-)と同じくスウェーデンのピアニスト、ベンクト・フォシュベリ(Bengt Forsberg 1952-)による1989年録音のシベリウス(Jean Sibelius 1865-1957)の歌曲集。収録曲は以下の通り。
1) アリオーソ op.3
7つの歌曲 op.17
 2) もはや私は問わなかった
 3) 眠れ!
 4) 鳥のさえずり
 5) 道に迷って
 6) とんぼ
 7) 夕べに
 8) 川面の木屑
9) 泳げ、青い鴨
6つの歌曲 op.36
 10) 黒い薔薇
 11) しかし私の鳥は帰ってこない
 12) トリアノンでのテニス
 13) 葦よそよげ
 14) 三月の雪
 15) 三月の雪の上のダイヤモンド
5つの歌曲 op.37
 16) はじめての口づけ
 17) 小さなラッセ
 18) 日の出
 19) 夢なりしか?
 20) 逢引きから帰った乙女
21) 3人の眼の不自由な姉妹たち op.46-4
6つの歌曲 op.88
 22) 青いアネモネ
 23) 二つの薔薇
 24) 白いアネモネ
 25) アネモネ
 26) いばら
 27) 花の運命
28) 水仙
 歌曲はシベリウスの創作の重要なものの一つ。シベリウスは全部で100曲近くの作品を残している。その作風は、管弦楽曲に比べると、創作活動を通じてほぼ一貫した印象で、澄んだ情緒と親しみやすいメロディに特徴がある。
 このオッターの録音が登場してからもう25年たつわけだけど、今もってシベリウスの歌曲録音として代表的なものとして最初に指おられるものだと思う。シベリウスの歌曲の多くがスウェーデン語あるいはフィン語で書かれていることもあるが、オッターの声質、フォシュベリのピアノがいずれも作品にビタッとはまった印象がある。
 また、このアルバムには、シベリウスの歌曲のうち、代表作として挙げられることの多い作品が一通り収録されているのも魅力だ。特にop.36の6つの歌曲、わけても「黒い薔薇」「葦よそよげ」「三月の雪」は名品として知られる。また、5つの歌曲op.37の「夢なりしか?」「逢引きから帰った乙女」もシベリウスの歌曲作品の頂点の一角を成す。
 しかし、私はこれらの名品だけでなく、シベリウス特有の簡明な情緒がストレートに表出した素朴な味も素晴らしいと思う。「もはや私は問わなかった」や「泳げ、青い鴨」、「白いアネモネ」などの佳曲に、シベリウスのエッセンスがストレートに示されていて、とても好ましく思う。
 北欧特有の詩に潜む北国らしい情感も魅力だ。シベリウスの歌曲の美しさは、北国の雪景色に通じるものがある。モノトーンな雰囲気が支配するが、無駄のない清潔な美しさである。情熱的な展開が皆無ではないが、全体的には静謐な空気感が満ちていて、凛としたたたずまいがある。当演奏は、そのような要素がとても典型的に表現されている。オッターの歌唱だけでなく、フォシュベリのピアノの細やかで透徹した響きも特筆に値する。
 録音も素晴らしく、今現在でもまったく聴き劣るところはない。すべての品質が高く安定したシベリウスの世界だ。
 なお、「3人の眼の不自由な姉妹たち」は、メーテルリンク(Maurice Maeterlinck 1862-1949)の戯曲「ペレアスとメリザンド」のために書かれたシベリウスの同名の管弦楽組曲におけるクラリネットの旋律に、メーテルリンクの詩を付した作品となっている。


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