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スクリャービン



交響曲 管弦楽曲 協奏曲 器楽曲


交響曲

交響曲全集
アシュケナージ指揮 ベルリン・ドイツ交響楽団 ベルリン放送合唱団 S: バレイズ T: ラリン

レビュー日:2004.1.1
★★★★★ 現在聴きうる最高のスクリャービン
 アシュケナージ(Vladimir Ashkenazy 1937-)がスクリャービン(Alexander Scriabin 1872-1915)の音楽の普及と啓発に貢献した役割は計りしえないが、ピアニストとしてのピアノ・ソナタ全集とともに、高く評価されているのが、ベルリン・ドイツ交響楽団(ベルリン放送交響楽団)を指揮しての交響曲全集である。当盤には、その交響曲全集のなかから、2枚のディスクに以下の4曲が収録されている。
1) 交響曲 第4番嬰へ短調「法悦の詩」 op.56 1990年録音
2) 交響曲 第2番ハ短調 op.29 1995年録音
3) 交響曲 第1番ホ長調 op.26 1994年録音
4) 交響曲 第3番ハ短調「神聖な詩」 op.43 1990年録音
 交響曲第1番は6つの楽章からなる作品であるが、その終楽章が「芸術の卓越性にささげる凱歌」であり、声楽が加わる。当盤では、2人の独唱者を、ブリギッテ・バレイズ(Brigitte Balleys)のメゾソプラノとセルゲイ・ラリン(Sergej Larin 1956-2008)のテノールが担う。また、合唱は、ベルリン放送合唱団。
 まず、このアルバムのジャケットの記載について説明したい。「3つの交響曲と法悦の詩」が収録ということになっている。この「法悦の詩」については、スクリャービン自身が「交響曲第4番」として完成したものであり、なぜ別個に扱われているのか、わからないが、単一楽章の作品であることから、交響詩的に解釈される場合があるようだ。単に「法悦の詩」と呼ばれることもある。
 また、当盤が「交響曲全集」と銘打たないのは、このほかに「プロメテウス(火の詩)」の名を持つ「交響曲第5番」に相当する作品があるためで、この作品には独奏ピアノが登場するため、むしろピアノ協奏曲的に扱われることが多い。そのようなわけで、「3つの交響曲と法悦の詩」というタイトルは、それだけでは内容がよくわからないタイトルになってしまっている。
 以上を一応断っておいて、アシュケナージの演奏である。これが実に素晴らしい。スクリャービンの管弦楽作品は。彼のピアニスティックなインスピレーションと、管弦楽書法ならではの官能的な響きがあいまって、独特のコントラストを持っているが、これを実に巧みに引き出している。しばしば、アシュケナージの指揮のことを「単なる交通整理」とよく理解もせずに口さがない事を言う人もいるが、このスクリャービンの名演を聴けば、そんなことを言えるはずがないのである。スクリャービンの音楽には東洋哲学から由来する難解と思われるテーマが与えられているが、それを反映する4度を中心とした神秘和音の階層的な響きと、そのグラデーションを効果的に配して、音楽に巨大な緩急のダイナミズムを与えるアシュケナージの指揮は、通り一遍のものであるはずがないのである。
 例えば、交響曲第4番「法悦の詩」を聴いてみる。この曲には、ゲルギエフ(Valery Gergiev 1953-)による1999年録音のものもあるのだが、比較して聴くと、アシュケナージの演奏は、より詳細にオーケストラがコントロールされていて、過度な踏み込みも厳しく統御され、それでいて、凄まじいスケール感と迫力が獲得されているのである。つまり、一言でいうと「完成度が違う」ことになる。
 交響曲第3番でもまばゆいほどの演奏効果を持って、聴き手をはるかな高みに連れ出していくような、湧き上がる様な高揚感と生命力に満ち溢れている。これを名演と言わずして何と言おうか。
 また、演奏機会の少ない初期の2曲も、理想的と言える再現がなされていて、いずれも充実した作品であることを実感できる。いずれにしても、現在聴きうるスクリャービンの交響曲録音でも、最高といっていい内容のものに違いない。

交響曲全集 プロメテウス(交響曲 第5番) ピアノ協奏曲 交響的楽章「夢」
アシュケナージ指揮 ベルリン・ドイツ交響楽団 ベルリン放送合唱団 S: バレイズ T: ラリン p: ヤブロンスキー

レビュー日:2013.11.20
★★★★★ 現在聴きうる最高のスクリャービン
 アシュケナージ(Vladimir Ashkenazy 1937-)指揮、ベルリン・ドイツ管弦楽団(ベルリン放送交響楽団)によるスクリャービン(Alexander Scriabin 1872-1915)の交響曲・協奏曲全集。CD3枚組。収録内容は以下の通り。
【CD1】
1) 交響曲 第1番ホ長調op.26 1994年録音
2) 交響曲 第5番嬰へ短調(ピアノ、オルガン、管弦楽と合唱のための「プロメテウス(火の詩)」op.60 1994年録音
【CD2】
3) 交響曲 第2番ハ短調 op.29 1995年録音
4) ピアノ協奏曲嬰へ短調 op.20 1995年録音
【CD3】
5) 交響的楽章「夢」op.24 1990年録音
6) 交響曲 第3番ハ短調「神聖な詩」 op.43 1990年録音
7) 交響曲 第4番嬰へ短調「法悦の詩」 op.56 1990年録音
 交響曲第1番は6つの楽章からなる作品であるが、その終楽章が「芸術の卓越性にささげる凱歌」であり、声楽が加わる。当盤では、2人の独唱者を、ブリギッテ・バレイズ(Brigitte Balleys)のメゾソプラノとセルゲイ・ラリン(Sergej Larin 1956-2008)のテノールが担う。また、この交響曲第1番の第6楽章と、交響曲第5番の合唱は、ベルリン放送合唱団。また、交響曲第5番とピアノ協奏曲のピアノ独奏はペーテル・ヤブロンスキー(Peter Jablonski 1971-)。
 「法悦の詩」については、スクリャービン自身が「交響曲第4番」として完成したものであるが、なぜか交響曲のナンバーから外され、単独曲として扱われることもある。また、「プロメテウス(火の詩)」の別名を持つ「交響曲第5番」についても、単に「プロメテウス」と銘打たれて録音されることがある。それらも全て収録した当アイテムは、しっかりしたスクリャービンの交響曲全集であるといって良いだろう。
 さて、アシュケナージの演奏である。これが実に素晴らしい。スクリャービンの管弦楽作品は。彼のピアニスティックなインスピレーションと、管弦楽書法ならではの官能的な響きがあいまって、独特のコントラストを持っているが、これを実に巧みに引き出している。しばしば、アシュケナージの指揮のことを「単なる交通整理」とよく理解もせずに口さがない事を言う人もいるが、このスクリャービンの名演を聴けば、そんなことを言えるはずがないのである。スクリャービンの音楽には東洋哲学から由来する難解と思われるテーマが与えられているが、それを反映する4度を中心とした神秘和音の階層的な響きと、そのグラデーションを効果的に配して、音楽に巨大な緩急のダイナミズムを与えるアシュケナージの指揮は、通り一遍のものであるはずがないのである。
 例えば、交響曲第4番「法悦の詩」を聴いてみる。この曲には、ゲルギエフ(Valery Gergiev 1953-)による1999年録音のものもあるのだが、比較して聴くと、アシュケナージのはより詳細にコントロールされていて、過度な踏み込みも厳しく統御され、それでいて、凄まじいスケール感と迫力が獲得されているのである。つまり、一言でいうと「完成度が違う」ことになる。
 3つの楽章に「闘争」、「悦楽」、「神聖なる遊戯」と名付けられた交響曲第3番でも、まばゆいほどの演奏効果を持って、聴き手をはるかな高みに連れ出していくような、湧き上がる様な高揚感と生命力に満ち溢れた演奏が繰り広げられる。これを名演と言わずして何と言おうか。
 また、演奏機会の少ない初期の2曲も、理想的と言える再現がなされていて、いずれも充実した魅力的な作品であることを実感できる。
 さらにはヤブロンスキーを独奏者に迎えた2曲も優れた内容。
 スクリャービンは、後年になるほど神智学と神秘主義に傾倒した芸術家である。彼の思想に大きな影響を与えたのは、神智学を樹立したヘレナ・ペトロヴナ・ブラヴァツキー (Helena Petrovna Blavatsky 1831-1891)であり、更には象徴主義の美術家ジャン・デルヴィル(Jean Delville 1867-1953)の存在も無視できない。とにかく、スクリャービンは、音楽をツールとして、神秘への接近を試みた。ここで言う神秘とは「人知を超越した霊妙な事柄」であり、神秘主義とは、「神秘の体験を経て、神や究極の真理、宇宙の本質を把握する」ことを重視する思想である。例えばヨガは、神秘を体験する手法の一つであり、当然の様にスクリャービンはヨガにも傾倒していた。
 スクリャービンが音楽において、特に神秘との関係を見出したのは和音と調性である。和音については、スクリャービンの案出した有名な「神秘和音」が存在し、これは一般には「四度音程を六個堆積した和音」と考えられている。さらにスクリャービンは「調性」を「色彩」との関係から考察し、色光ピアノを発案し、そのための作品として交響曲第5番「プロメテウス」を書いた。アシュケナージはNHK交響楽団とこの曲を演奏会で取り上げたことがあり、その際も光の演出を組み込んだ演奏会だったという。もちろん、本盤では「音響」のみしか体験できないが、その不思議な暖かみに溢れたソノリティは、陶酔的な怪しさを醸し出して相応しい。
 このプロメテウスとともにピアノ協奏曲についても、アシュケナージはソリストとしてロリン・マゼール(Lorin Maazel 1930-)と1971年に録音していて、これがまた素晴らしい演奏なので、そちらも是非聴いていただきたいが、当盤に収録されたヤブロンスキーの演奏も、この曲のロマンティックな魅力を瑞々しく表現したもので、十分な内容だ。
 いずれにしても、現在聴きうるスクリャービンの交響曲録音でも、最高といっていいものがセットになった本盤は、強く推薦したいアイテムに違いない。

交響曲全集 プロメテウス(交響曲 第5番) ピアノ協奏曲 交響的楽章「夢」
キタエンコ指揮 フランクフルト放送交響楽団 p: クライネフ オピッツ

レビュー日:2019.6.26
★★★★☆ 基本ライブラリ向けの内容ではあるが、アシュケナージの名録音と比較すると分が悪い
 ドミトリー・キタエンコ(Dmitri Kitaenko 1940-)指揮、フランクフルト放送交響楽団によるスクリャービン(Alexander Scriabin 1872-1915)の交響曲全集。CD3枚に以下の楽曲が収録されている。
【CD1】
1) 交響曲 第1番 ホ長調 op.26 1992年録音
2) 交響曲 第4番 ハ長調 op.54 「法悦の詩」 1991年録音
【CD2】
3) 交響曲 第2番 ハ短調 op.29 1992年録音
4) ピアノ協奏曲 嬰ヘ短調 op.20 1993年録音
【CD3】
5) プロメテウス(交響曲 第5番) op.60 1993年録音
6) 交響曲 第3番 ハ短調 op.43 「神聖な詩」 1994年録音
7) 交響的楽章「夢」 op.24 1993年録音
 1)の終楽章におけるメゾソプラノ独唱はタマーラ・シニャフスカヤ(Tamara Sinyavskaya 1943-)、テノール独唱はアレクサンダー・フェディン(Alexander Fedin)
 1,2)の合唱はフランクフルト・フィグーラル合唱団
 4)のピアノ独奏はゲルハルト・オピッツ(Gerhard Oppitz 1953-)。
 5)のピアノ独奏はウラディーミル・クライネフ(Vladimir Krainev 1944-2011)、合唱はバイエルン放送合唱団。
 なお、本来純器楽曲である交響曲第4番について、当盤では楽曲の最後の部分で合唱が加えられている。これは、経緯の詳細不明ながら、元来ロシアでしばしば行われ来た方法で、作曲者の意向が踏まえられたものとは異なると思われる。いずれにせよ、現代聴きうる代表的な録音で、合唱の追加が聴けるのは当盤くらいではないだろうか。ここだけでなく、基本的にキタエンコのスクリャービン演奏スタイルは追加主義であり、シンバルについてもこれが当てはまる。
 全体的に、穏当な内容で、廉価なことも踏まえて、基本ライブラリ向けと思うが、物足りないところもある。以下に印象を書いてみる。
 交響曲第1番は、模範的で普通な味わい。第2楽章の哀しい色合い、第3楽章のクラリネットの郷愁と、いずれもロシアロマン主義とでも形容したい味わいが丁寧に表現されていて美しい。音の末尾まできれいに捉えている録音も良い。声楽が加わって芸術讃歌となる第6楽章では、かなり独唱にスポットライトを当てた演出で、これまたキタエンコらしい雄弁さだ。二人の独唱者もたっぷりしたベルカントと呼ぶべき歌いぶりで、さながらオペラの一場面をみている風。そのため、全曲的な一貫性と言う点では弱点が浮かび、なんだか終楽章だけ独立した作品のようにも聞こえてくるところがある。しかし、この点も、言い換えれば、直前の第5楽章が持つメランコリーな雰囲気を、一気に反転させるメリハリの効果が発揮されているとも言えるだろう。私個人的には、唐突な感じが強すぎる、というのが正直なところだが、それを良く評価する人がいても不思議ではない。
 交響曲第4番では、指揮者の表現意欲が、能弁にテンポの緩急に波及しており、そのことによるエネルギーの濃淡の面白味はあるが、ややあざといというか、饒舌に過ぎるように感じるところもある。確かに、スクリャービンのこの作品が、もともと濃厚な感情のうねりを表現した部分があり、当演奏はその特徴を十全に活かそうとしたものと考えられるのだけれど、オーケストラは全般に透明度のある機能的なサウンドを形作っており、オーソドックスな味わいを示すサウンドと、キタエンコの情念があいまった結果、妙に全体の印象が平板化するところが私は気になる。
 交響曲第2番は、比較的優れた出来栄え。オーケストラのシャープな音色で、凛々しく楽曲の輪郭を整えながら、必要な場所では十分な迫力を演出する。曲想の移り変わりに応じたテンポの揺れ幅も大きめな印象。ちなみに指揮者によって演奏時間に大きな幅がある第3楽章のアンダンテを見てみると、私が当曲の録音で最も気に入っているアシュケナージ(Vladimir Ashkenazy 1937-)指揮のものが11分49秒なのに対し、当キタエンコ盤は15分44秒を要している。私が聴いた中で最長と思えるのはヴァシリー・ペトレンコ(Vasily Petrenko 1976-)で18分01秒。最速はヤルヴィ(Neeme Jarvi 1937-)で11分30秒。代表的録音の一つに挙げられることの多いムーティ(Riccardo Muti 1941-)が13分40秒。いずれにしても、指揮者のテンポへの裁量という点で、広大な幅のある音楽であるが、キタエンコの演奏はテンポに変動を持ちながらも、全体としては長めのタイムとなっている点に特徴が表れているだろう。ゆっくりとしかし繊細に仕上げたペトレンコ、運動的でしなやかなベースを維持したアシュケナージの2点が私にとっての代表的録音なのだが、キタエンコの演奏は、彼らより「揺れ」の要素が大きく、それがそれなりの魅力を醸成することで活きていると言える。華やかな終楽章は印象的だ。この楽章では、演奏によっては繰り返される壮大なファンファーレに、食傷気味になるときもあるのだけれど、当盤のフランクフルトによる金管のスタイリッシュで壮麗な響きは、絶対的に美しく、おもわず聴き惚れてしまう。あふれる高揚感とともに壮麗なフィナーレまでが描かれている。
 ピアノ協奏曲は、悪くはないのだけれど、とにかくオピッツのピアノが真面目一辺倒という感じがしてしまう。私の場合、この曲はアシュケナージとマゼール(Lorin Maazel 1930-2014)による1971年録音の歴史的名盤に慣れ親しんだのだけれど、当盤を聴くと、なんだが必要な色や味がずいぶん抜け落ちてしまったような印象がぬぐえない。オーケストラも、この曲では重要なフレーズが沈んでいるなど、ところどころ、より一層の冴えやインスピレーションが欲しいという飢えを残してしまう。単にBGM風に流している分には、きれいにまとまっているようにも聴こえるのだが、じっくり聴き込もうという気持ちに応えてくれるところまでは達していないように思う。
 交響曲第3番も良演。キタエンコのドライブに、特に交響曲で求められる遠視点的なものが感じられ、音楽に奥行がある。テンポは穏当か、ややゆっくり目であるが、構成感を適度に演出した間合いがあって、それぞれのパーツに的確なサイズが与えられた自然さが備わっているだろう。ただ、その一方で、私は、もう少しダイナミックレンジの幅が欲しい、と感じるところがある。弱音が弱すぎないのは、悪いことではないが、ところどころで、本来小さいはずの音が、やや大きめにシフトしていて、その結果、全体的な伸縮感を乏しくさせるところがある。そういった点で、この第3交響曲では、やはりアシュケナージと比べると、どうしても「ぬるく」感じられてしまうのは否めない。
 交響曲第5番「プロメテウス」では、クライネフの俊敏なタッチが一つの聴きモノと言えるだろうが、同じ顔合わせによるプロコフィエフの協奏曲に比べると、いま一つ、なにか物足りない。スクリャービンの音楽に特有の「気配」を感じさせるには、まだ何か必要なところを残す。健康的で正確なピアニズムは、好感を持つが、その方向性のみでは描き切れないものが、スクリャービンにはある。もちろん、全体的には、整った演奏で、オーケストラの機能性も低くはない。だが、オーケストラについても、もうひとつエネルギーの「うねり」が欲しい、と思うところがある。
 いろいろ厳しいことも記載したが、全体的には齟齬のない、「まとまりの良さ」を感じさせる演奏で、冗長に過ぎない適切な度合いがよく守られている。決して良くない演奏というわけではなく、フラットな側面も、人によっては聴き易いのかもしれない。ただ、スクリャービンの同じ曲集を揃えるのであれば、多くの点でアシュケナージの名演の方が遥かに優れており、収録曲も共通していることから、まずはアシュケナージ盤を聴くことを強くオススメする。

交響曲 第1番 第4番「法悦の詩」
キタエンコ指揮 フランクフルト放送交響楽団 フランクフルト・フィグーラル合唱団 MS: シニャフスカヤ T: フェディン

レビュー日:2019.1.15
★★★★☆ 第4交響曲における合唱の追加が聴ける録音は珍しい
 ドミトリー・キタエンコ(Dmitri Kitaenko 1940-)指揮、フランクフルト放送交響楽団によるスクリャービン(Alexander Scriabin 1872-1915)の以下の2つの交響曲を収録。
1) 交響曲 第1番 ホ長調 op.26
2) 交響曲 第4番 ハ長調 op.54 「法悦の詩」
 第1番は1992年、第4番は1991年の録音。
 交響曲第1番の終楽章におけるメゾソプラノ独唱はタマーラ・シニャフスカヤ(Tamara Sinyavskaya 1943-)、テノール独唱はアレクサンダー・フェディン(Alexander Fedin)、合唱はフランクフルト・フィグーラル合唱団。
 なお、本来純器楽曲である交響曲第4番についても、当番では楽曲の最後の部分で合唱が加えられている。これは、経緯の詳細不明ながら、元来ロシアでしばしば行われ来た方法で、作曲者の意向が踏まえられたものとは異なると思われる。いずれにせよ、現代聴きうる代表的な録音で、合唱の追加が聴けるのは当盤くらいではないだろうか。ここだけでなく、基本的にキタエンコのスクリャービン演奏スタイルは追加主義であり、シンバルについてもこれが当てはまる。
 演奏は、サウンドについては整っているが、全般に濃厚な表現主義が重ねられる部分があって、一言で表現できる感じではない。特に交響曲第4番では、指揮者の表現意欲が、能弁にテンポの緩急に波及しており、そのことによるエネルギーの濃淡の面白味はあるが、ややあざといというか、饒舌に過ぎるように感じるところもある。確かに、スクリャービンのこの作品が、もともと濃厚な感情のうねりを表現した部分があり、当演奏はその特徴を十全に活かそうとしたものと考えられるのだけれど、オーケストラは全般に透明度のある機能的なサウンドを形作っており、オーソドックスな味わいを示すサウンドと、キタエンコの情念があいまった結果、妙に全体の印象が平板化するところが私は気になる。
 交響曲第1番は、それに比べると普通な味わいだろうか。第2楽章の哀しい色合い、第3楽章のクラリネットの郷愁と、いずれもロシアロマン主義とでも形容したい味わいが丁寧に表現されていて美しい。音の末尾まできれいに捉えている録音も良い。声楽が加わって芸術讃歌となる第6楽章では、かなり独唱にスポットライトを当てた演出で、これまたキタエンコらしい雄弁さだ。二人の独唱者もたっぷりしたベルカントと呼ぶべき歌いぶりで、さながらオペラの一場面をみている風。そのため、全曲的な一貫性と言う点では弱点が浮かび、なんだか終楽章だけ独立した作品のようにも聞こえてくるところがある。しかし、この点も、言い換えれば、直前の第5楽章が持つメランコリーな雰囲気を、一気に反転させるメリハリの効果が発揮されているとも言えるだろう。私個人的には、唐突な感じが強すぎる、というのが正直なところだが、それを良く評価する人がいても不思議ではない。
 サウンドは第4番同様、安定しており、このオーケストラらしい現代的なフォルムが底辺にあり、キタエンコの解釈をしっかりと支えている。

交響曲 第1番 プロメテウス(交響曲 第5番)
ペトレンコ指揮 オスロ・フィルハーモニー管弦楽団 p: ゲルシュタイン オスロ・フィルハーモニック合唱団 S: コロソヴァ T: ドルゴフ

レビュー日:2018.11.29
★★★★★ 質の高いスクリャービン全集が完結。ペトレンコとオスロ・フィルの力量を如何なく発揮
 ワシリー・ペトレンコ(Vasily Petrenko 1976-)指揮、オスロ・フィルハーモニー管弦楽団によるスクリャービン(Alexander Scriabin 1872-1915)の交響曲シリーズ。当盤がその第3弾であり、これで全曲の録音が揃ったことになる。収録曲は以下の通り。
1) 交響曲 第1番 ホ長調 op.26
2) プロメテウス op.60(交響曲 第5番)
 両曲でともに挿入される合唱は、オスロ・フィルハーモニック合唱団、1)における独唱は、アリサ・コロソヴァ(Alisa Kolosova 1987- メゾソプラノ)とアレクセイ・ドルゴフ(Alexey Dolgov テノール)。2)におけるピアノ独奏はキリル・ゲルシュタイン(Kirill Gerstein 1979-)。2017年の録音。
 とても質の高いスクリャービンの交響曲全集が完成された。私の聴いてきた限りでは、アシュケナージ(Vladimir Ashkenazy 1937-)指揮の全集と双璧と感じられる。アシュケナージが、スクリャービン的な色彩を壮麗なダイナミクスを活かして見事に描き出したのに対し、ペトレンコは流麗で、ロマン的な調和を重んじる作法。両者の志向を比較すると、ペトレンコの方がスクリャービンの音楽を中央ヨーロッパ的なものに近寄せようとした感が強い。
 解釈の方向性が違うとはいえ、どちらも素晴らしい聴き味であり、立派な内容である。また、オスロ・フィルハーモニー管弦楽団の現在の高い力量を示したという点でも一つの功績と言えるだろう。
 交響曲第1番の冒頭が実に良い。透明な夜空のようなブルーを思わせる静謐な音色の中に、一条の光が射すように木管が入ってくるが、その幻想的な美しさはいかんともしがたい魅力がある。そこには、ワーグナーやリストが描いた神秘的なものがしっかりと感じ取れるが、それだけでなく、その後加わってくる音たちが、柔らかみ、透明感、距離感において絶妙で、ほどよく酔いがまわっていくような心地よさに満ちている。音楽の自然でシームレスな移り変わりが健康的な陶酔感をもたらしてくれる。第2楽章に相当するアレグロ・ドラマティコにおけるしなやかな躍動は喜びに満ち、ズンズンと聴き手の気持ちを高めてくれるだろう。第6楽章で声楽が「芸術讃歌」を歌うが、おおらかで衒いのない解釈。二人の独唱者も、濃厚にカンタービレを歌い上げていて、この楽曲に相応しい楽天的な帰結へと繋がっていく。
 プロメテウス(交響曲第5番)では、既出のピアノ協奏曲の録音でも独奏者を務めたゲルシュタインが、再びペトレンコとの素晴らしい愛称を示す。音楽の自然で豊かな流れが実に心地よい。もちろん、より変奏の性格を強く描いたほうが面白いとう考えもあるが、当演奏における全体をスリムにまとまめ挙げたスタイルでも、この作品は鮮やかな輝きを示すのである。そこでは繊細なフレーズと緊張をもたらすパッセージが見事な調和をなして交錯するが、雰囲気をささえる金管陣の壮麗かつ主張のある響きが、当演奏の成功をより高いものへと導いている。もちろん、録音が優秀なことも、当シリーズの品質を支えている。

交響曲 第2番 ピアノ協奏曲
ペトレンコ指揮 オスロ・フィルハーモニー管弦楽団 p: ゲルシュタイン

レビュー日:2018.2.6
★★★★★ 明瞭なコントラストで、流麗なスクリャービン
 2013年にオスロ・フィルハーモニー管弦楽団の主席指揮者に就任したワシリー・ペトレンコ(Vasily Petrenko 1976-)が同オーケストラを振って録音したスクリャービン(Alexander Scriabin 1872-1915)の以下の2作品を収録。
 1) 交響曲 第2番 ハ短調 op.29
 2) ピアノ協奏曲 嬰ヘ短調 op.20
 2016年の録音。ピアノ独奏はキリル・ゲルシュタイン(Kirill Gerstein 1979-)。ペトレンコは、前年に交響曲第3番と第4番を録音しているので、それに続くものとなる。
 交響曲第2番は、スクリャービンが書いた5つ(プロメテウスを含めて)の交響曲の中では、もっとも古典的なスタイルのものと言える。そうはいっても、5つの楽章を持つ壮大な規模は、後年の飛躍の予感に満ちているだけでなく、中間楽章のテンポ設定など、指揮者の裁量に大部分を委ねた部分もあって、まとめるのにはそれなりの手腕を要するだろう。
 このような曲におけるペトレンコの手腕は実に見事なものと言える。特に第2楽章、第3楽章では、各パッセージの明瞭な分離により、一つ一つのフレーズの機能性が高まり、内実性の溢れた音楽が流れゆく。また、曲想に応じたスポットライトの切り替えが早く、聴き手が次にどの音に注目すれば良いのかが、とてもわかりやすく提示されている。そのため、長大な楽曲を、理解に苦労することなく、とてもスラスラと聴きとることができるのである。終楽章は、スクリャービンの書いたもっとも外向的な音楽の一つだと思うが、そのシンフォニックな勇壮さは忘れがたいもの。
 ゲルシュタインを迎えてのピアノ協奏曲も美しい演奏。ゲルシュタインのピアノはとてもスムーズで流れの良いものであり、そういった点で、ペトレンコの音造りによく合致する。ロマンティックな旋律も、シャープな感性でまとめられる。第2楽章は、たとえばアシュケナージ(Vladimir Ashkenazy 1937-)が変奏の個性を強く打ち出して、印象の強いコントラストを打ち出していたのに対し、当演奏は連続的ななめらかさを主体にしており、その点で、聴いていて受けるイメージが大きく違っている。どちらがいいというのではなく、ゲルシュタインの透明な客観性もまた、この音楽を輝かせる手法の一つなのだ、と伝えてくれる。
 明快にしてシャープ、現代的な音像で作り上げられたスクリャービンとなっている。

交響曲 第2番 ピアノ協奏曲
キタエンコ指揮 フランクフルト放送交響楽団 p: オピッツ

レビュー日:2019.1.16
★★★★☆ 交響曲は秀演だがピアノ協奏曲はいまひとつ
 ドミトリー・キタエンコ(Dmitri Kitaenko 1940-)指揮、フランクフルト放送交響楽団によるスクリャービン(Alexander Scriabin 1872-1915)の以下の2作品を収録。
1) 交響曲 第2番 ハ短調 op.29
2) ピアノ協奏曲 嬰ヘ短調 op.20
 ピアノ協奏曲のピアノ独奏はゲルハルト・オピッツ(Gerhard Oppitz 1953-)。
 交響曲は1992年、ピアノ協奏曲は1993年の録音。
 2つの収録曲のうちでは、交響曲第2番の方が優れた出来栄えの演奏。オーケストラのシャープな音色で、凛々しく楽曲の輪郭を整えながら、必要な場所では十分な迫力を演出する。曲想の移り変わりに応じたテンポの揺れ幅も大きめな印象。ちなみに指揮者によって演奏時間に大きな幅がある第3楽章のアンダンテを見てみると、私が当曲の録音で最も気に入っているアシュケナージ(Vladimir Ashkenazy 1937-)指揮のものが11分49秒なのに対し、当キタエンコ盤は15分44秒を要している。私が聴いた中で最長と思えるのはヴァシリー・ペトレンコ(Vasily Petrenko 1976-)で18分01秒。最速はヤルヴィ(Neeme Jarvi 1937-)で11分30秒。代表的録音の一つに挙げられることの多いムーティ(Riccardo Muti 1941-)が13分40秒。
 いずれにしても、指揮者のテンポへの裁量という点で、広大な幅のある音楽であるが、キタエンコの演奏はテンポに変動を持ちながらも、全体としては長めのタイムとなっている点に特徴が表れているだろう。ゆっくりとしかし繊細に仕上げたペトレンコ、運動的でしなやかなベースを維持したアシュケナージの2点が私にとっての代表的録音なのだが、キタエンコの演奏は、彼らより「揺れ」の要素が大きく、それがそれなりの魅力を醸成することで活きていると言える。
 華やかな終楽章は印象的だ。この楽章では、演奏によっては繰り返される壮大なファンファーレに、食傷気味になるときもあるのだけれど、当盤のフランクフルトによる金管のスタイリッシュで壮麗な響きは、絶対的に美しく、おもわず聴き惚れてしまう。あふれる高揚感とともに壮麗なフィナーレまでが描かれている。
 さて、ピアノ協奏曲である。このピアノ協奏曲、悪くはないのだけれど、とにかくオピッツのピアノが真面目一辺倒という感じがしてしまう。私の場合、この曲はアシュケナージとマゼール(Lorin Maazel 1930-2014)による1971年録音の歴史的名盤に慣れ親しんだのだけれど、当盤を聴くと、なんだが必要な色や味がずいぶん抜け落ちてしまったような印象がぬぐえない。オーケストラも、この曲では重要なフレーズが沈んでいるなど、ところどころ、より一層の冴えやインスピレーションが欲しいという飢えを残してしまう。
 単にBGM風に流している分には、きれいにまとまっているようにも聴こえるのだが、じっくり聴き込もうという気持ちに応えてくれるところまでは達していないように思う。

交響曲 第3番「神聖な詩」 ピアノ協奏曲
セーゲルスタム指揮 ロイヤル・ストックホルム・フィルハーモニー管弦楽団 p: ペンティネン

レビュー日:2006.3.18
★★★★★ レイフ・セーゲルスタムによるスクリャービン・シリーズの1枚。
 本盤にはピアノ協奏曲(ピアノ:ローランド・ペンティネン)と交響曲第3番「神聖な詩」を収録。オーケストラはロイヤル・ストックホルムフィル、録音は1989年-90年に行われている。
 アレクサンドル・ニコライエヴィチ・スクリャービン(Alexander Nikolayevich Scriabin 1872-1915)はショパン、ワーグナーの世界に影響を受けながら独自の世界を切り開き、その美学がロシア・アヴァンギャルドを含む次世代のロシアの作曲家たちに強い影響を与えた。複調性と無調性の融合、神秘和音と名づけられた革新的なポリリズムの案出、カバラなどに端を発する数へのこだわりから由来する神智学・神秘主義への傾倒、そしてそれらの理論を応用した音楽のあくなき探求と彷徨。かつスクリャービンはもちろん、コンポーザー・ピアニストとしても大家であり、ピアノ協奏曲はそんな彼の初期の作風が端的に現れた傑作と言える。
 ピアノ協奏曲は何かの弾みで通俗名曲の仲間入りをしてもおかしくない、非常に簡潔なロマンティシズムを湛えている。
 一方、交響曲第3番「神聖な詩」は、その後の2曲の交響曲や後期ピアノソナタと同様に、神秘和音の探求により描かれた極めて官能的な音楽となっている。ちょっと間違えれば過剰色彩のムード音楽になってしまうのだが、そこを純粋器楽の世界で見事に決着させた天才の仕事になっている。
 演奏も悪くない。個人的に、スクリャービンの交響曲全集は、このセーゲルスタム盤とデッカのアシュケナージ盤が好きだ。セーゲルスタムはややゆったりめのテンポで細部を丁寧に仕上げており、全般にシックな落ちついた雰囲気になっている。金管の咆哮も常に理性が強く働いており、その結果計算された美しさがよく表出している。トーンは耳に心地よく柔らかい。1963年スウェーデン生まれのピアニスト、ローランド・ペンティネンはのピアノは端正で瑞々しい。

交響曲 第3番「神聖な詩」 第4番「法悦の詩」
ペトレンコ指揮 オスロ・フィルハーモニー管弦楽団

レビュー日:2018.4.13
★★★★★ オーケストラの合奏音の柔らかい響きが魅力です
 2013年からオスロ・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者に就任したワシリー・ペトレンコ(Vasily Petrenko 1976-)が、同管弦楽団を指揮して、2015年に録音したスクリャービン(Alexander Scriabin 1872-1915)の交響曲集。スクリャービン没後100年のアニヴァーサリー・イヤーの録音。以下の2曲を収録。
1) 交響曲 第3番 ハ長調 op.43 「神聖な詩」
2) 交響曲 第4番 op.54 「法悦の詩」
 スクリャービンの交響曲第3番は、序奏に続いて、「闘争」「悦楽」「神聖なる遊戯」という副題の与えられた連続する3つの部分から構成される。保守的な調性を保ちながらも、対位法や和声法を駆使しながら、豪華なサウンドを繰り広げる楽曲は、浪漫的でエネルギーの豊かな放散がある。
 ペトレンコのスタイルは、この楽曲の保守性を重視して、細やかで、全般にソフトな音を中心に必要に応じて熱狂を作り上げるとても周到なものだ。そこには、ワーグナーやチャイコフスキーといった先人たちの影響を認めやすいし、音楽の流れもとても自然。パッセージはこまやかで明瞭だ。こまかい部分にシャープで明瞭なものを保持しながら、全体的な聴き味はソフト。これが当録音の特徴だろう。前後のフレーズの結びつきは、ことさら強調されるわけではないが、どれも程よいところに収まった感じがある。クライマックスにおける全管弦楽のしなやかな躍動感をもった響きは、豊かな広がりがあって、心地よく、バランスも音量もよく吟味された充足を感じさせるものとなっている。第3交響曲のロマンティックな性格をよく踏襲した解釈と言える。
 交響曲第4番は、スクリャービンの後期のピアノ・ソナタがそうであるように、単一楽章構成で、定まった調性を持たない。不思議なゆらぎのある和声を象徴的に用いながら、熱量を増していく音楽である。ここでもペトレンコは細部の表現までこまやかに磨き上げて、抒情的な音楽を作り上げる。逆にオルガンの響きなどは、背景的な位置づけを強めており、そのため絢爛さとは一線を画した感じがある。そのようなアプローチは、第3番に比べると、やや平坦な印象に通じかねないところがあり、そういうところで、名盤として知られるアシュケナージ(Vladimir Ashkenazy 1937-)の方に巧さを感じさせるところは残る。とはいえ、ペトレンコの方法論は、健康的で、好感を抱かせるものでもあるだろう。最終的には、構造に即した帰結に結び付くところは、きれいなまとまりを感じるし、なにより、オーケストラの合奏音が、つねに柔らかで美しい集合音を維持していることが望ましい。
 全般に、優れたスクリャービン録音と言って良い内容と思う。

交響曲 第3番「神聖な詩」 プロメテウス(交響曲 第5番) 交響的楽章「夢」
キタエンコ指揮 フランクフルト放送交響楽団 バイエルン放送合唱団 p: クライネフ

レビュー日:2019.6.26
★★★★☆ まとまりの良さがあるが、もう一つ踏み込み切れないところも残るキタエンコのスクリャービン
 ドミトリー・キタエンコ(Dmitri Kitaenko 1940-)指揮、フランクフルト放送交響楽団によるスクリャービン(Alexander Scriabin 1872-1915)の以下の3作品を収録。
1) プロメテウス(交響曲 第5番) op.60 1993年録音
2) 交響曲 第3番 ハ短調 op.43 「神聖な詩」 1994年録音
3) 交響的楽章「夢」 op.24 1993年録音
 「プロメテウス」におけるピアノ独奏は、ウラディーミル・クライネフ(Vladimir Krainev 1944-2011)、合唱はバイエルン放送合唱団。
 キタエンコによるスクリャービン交響曲全曲録音のうち、最後にリリースされたのが当盤であった。演奏は、ある程度オーソドックスで、常套的なものと言っていいだろう。収録曲の中では交響曲第3番が良いと思う。キタエンコのドライブに、特に交響曲で求められる遠視点的なものが感じられ、音楽に奥行がある。テンポは穏当か、ややゆっくり目であるが、構成感を適度に演出した間合いがあって、それぞれのパーツに的確なサイズが与えられた自然さが備わっているだろう。
 ただ、その一方で、私は、もう少しダイナミックレンジの幅が欲しい、と感じるところがある。弱音が弱すぎないのは、悪いことではないが、ところどころで、本来小さいはずの音が、やや大きめにシフトしていて、その結果、全体的な伸縮感を乏しくさせるところがある。そういった点で、この第3交響曲では、やはりアシュケナージ(Vladimir Ashkenazy 1937-)の名演と比べると、どうしても「ぬるく」感じられてしまうのは否めない。
 交響曲第5番「プロメテウス」では、クライネフの俊敏なタッチが一つの聴きモノと言えるだろうが、同じ顔合わせによるプロコフィエフの協奏曲に比べると、いま一つ、なにか物足りない。スクリャービンの音楽に特有の「気配」を感じさせるには、まだ何か必要なところを残す。健康的で正確なピアニズムは、好感を持つが、その方向性のみでは描き切れないものが、スクリャービンにはある。もちろん、全体的には、整った演奏で、オーケストラの機能性も低くはない。だが、オーケストラについても、もうひとつエネルギーの「うねり」が欲しい、と思うところがある。
 いろいろ厳しいことも記載したが、全体的には齟齬のない、「まとまりの良さ」を感じさせる演奏で、冗長に過ぎない適切な度合いがよく守られている。決して良くない演奏というわけではなく、フラットな側面も、人によっては聴き易いのかもしれない。
 録音はややソリッドで、分解能がもう一つなところを残すが、平均水準レベルはクリアした感じ。

交響曲 第3番「神聖な詩」 プロメテウス(交響曲 第5番) ピアノ協奏曲
ブーレーズ指揮 シカゴ交響楽団  p: ウゴルスキ シカゴ合唱団

レビュー日:2020.6.9
★★★★☆ きれいにテクスチュアをまとめたスクリャービン
 ブーレーズ(Pierre Boulez 1925-2015)指揮、シカゴ交響楽団の演奏によるスクリャービン(Alexandre Scriabine 1872-1915)の以下の楽曲を収録したアルバム。
1) 交響曲 第4番 op.54 「法悦の詩」
2) ピアノ協奏曲 嬰ヘ短調 op.20
3) プロメテウス(交響曲 第5番) op.60
 2,3)のピアノ独奏はアナトール・ウゴルスキ(Anatol Ugorski 1942-)、3)の合唱はシカゴ交響合唱団。
 交響曲第4番は1995年、他の2曲は1996年の録音。
 非常にテクスチュアのスッキリしたスクリャービンである。非常にクールに、中心線的なものと装飾的なものを、意味別に分類し、正確に配置した音響といって良い。ブーレーズならでは情報処理能力と、シカゴ交響楽団ならではの機能性の高さがマッチした演奏だ。私は、この演奏を聴くと、そのスッキリした「分かりやすさ」に接し、驚嘆すると同時に、従来からスクリャービンの音楽に不可避と私が考えているエネルギー的な膨張・収縮の過程が、実に簡素化されていることにも驚かされる。そうして響く最終的な音楽は、決して「悪くない」。なるほど、こういう方法でスクリャービンを表現する方法があったのか、と考えさせられる。収録曲中では、この交響曲第4番が、いちばん良いと思う。
 ピアノ協奏曲もスタイルとしては同じだ。この曲は、スクリャービン初期のロマンティシズムが息づく傑作であるが、当演奏は非常に透明な感覚で表現されている。ウゴルスキのピアノは、そんなブーレーズの解釈にある意味相応しい。丁寧なタッチで、真摯に音をトレースしている。その効果が高いのは第2楽章で、黒と青を中心に描いた夜の静物画といった雰囲気で、そこに星々がまっすぐに光を注ぐようなウゴルスキのタッチも印象的。
 ただ、私はこのウゴルスキのピアノでは、両端楽章の色彩が淡すぎて、物足りなさを感じてしまう。試しにこの演奏の海外評をいくつか見てみたが、おおむね絶賛されていて、なかには「(歴史的名盤としてしられる)アシュケナージ盤よりはるかに優れている」と書いてあるものもあったのだが、私はこれにはまったく同意できない。そもそも、エネルギー的な収縮と弛緩を巧妙なテンポで描きあげたアシュケナージとマゼールの名盤は、当演奏とまったく方向性が違うし、私には、はっきり言って、ウゴルスキのスクリャービンは、かなり「物足りない」(これはウゴルスキが録音したスクリャービンのソナタ集でも感じたこと)。きれいにまとまっていて、響きも美しいが、聴き手の心を惑わせたり、かき乱したりする要素がほとんどなく、毒気が無さすぎる。
 ピアノと合唱を伴う「プロメテウス」も同傾向で、とても透き通った音色で、聴き易く、分かりやすいが、それでは、スクリャービンの音楽が持つ、他の西洋音楽と違う「イデー」が何なのかということについて、探求する部分が感じ取れず、淡泊で物足りない。悪くはないのだが、少なくとも私には心の奥にズジンと来るものを感じ取りにくい。

交響曲 第4番「法悦の詩」 プロメテウス(交響曲 第5番) ピアノ・ソナタ 第5番
シュイ指揮 シンガポール交響楽団  p: スドビン シンガポール交響楽団合唱団 シンガポール交響楽団青年合唱団

レビュー日:2022.10.11
★★★★★ シンガポール交響楽団の現在の力量を知らしめるスクリャービン
 中国系アメリカ人の指揮者、ラン・シュイ(Lan Shui 1957-)が、1997年から2019年まで音楽監督を務めたシンガポール交響楽団を指揮して録音したスクリャービン(Alexander Scriabin 1872-1915)の作品集。収録曲は下記の通り。
1) 法悦の詩 op.54(交響曲 第4番) 2017年録音
2) ピアノ・ソナタ 第5番 op.53 2006年録音
3) プロメテウス op.60(交響曲 第5番) 2017年録音
 2,3)のピアノ独奏は、エフゲニー・スドビン(Yevgeny Sudbin 1980-)、3)ではシンガポール交響楽団合唱団とシンガポール交響楽団青年合唱団が加わる。
 一つ、注意事項として、2)の音源は、スドビンによるスクリャービンのピアノ独奏曲を集めたアルバムから、転載・再収録したもので、新しい音源ではない。2つの管弦楽曲だけでは、収録時間的に寂しいので、両管弦楽曲と近しい響きを持つとも言えるこの楽曲を挟むことにしたのだろう。併録しないよりは、良いサービスではあるが、私の様に、すでにスドビンの音源を所有するものにとっては、重複が発生することになってしまい、痛しかゆしな感じでもある。
 話を当盤に戻して、しばしば、指揮者とオーケストラの幸せな邂逅がオーケストラの力をレベルアップしたとみなされる事例がある。古くは、ジョージ・セル(George Szell 1897-1970)とクリーヴランド管弦楽団、あるいはデュトワ(Charles Dutoit 1936-)とモントリオール交響楽団、また、国内で言えばラドミル・エリシュカ(Radomil Eliska 1931-2019)と札幌交響楽団のケースもこれに該当すると思うが、ラン・シュイとシンガポール交響楽団の関係も、これらに近いものを感じる。とは言っても、私は、このオーケストラのラン・シュイ時代以前の録音というのをほとんど聴いた記憶がないのだけれど、それは置いておいて、BISレーベルを中心に聴くことができる彼らの一連の録音は概して素晴らしく、彼らのベートーヴェン(Ludwig van Beethoven 1770-1827)の交響曲全集など、クラシック音楽フアンであれば、是非聴くべき録音だと思う。
 そして、このスクリャービンも見事な演奏である。冒頭から透明なテクスチュアを維持しながら、スクリャービン特有の夢想的な恍惚感を描き出していく。弦の響きは、多少薄みを残すが、それは全体的な透明感を維持するための制御であり、その効果は随所に効いてくる。特に細やかなフレーズの動きが鮮明で、一つ一つが生命的な存在感を感じさせる。そのことが、スクリャービンの音楽では、魅力として効いてくる。
 プロメテウスでは、スドビンのこれまた艶やかなタッチで、コントラストがくっきりと与えられ、末尾に向けて今度は壮麗なコーラスが鳴り渡るのであるが、随所で、ラン・シュイの巧妙なコントロールと、反応性と精度の高いオーケストラの響きを実感する。しっかりとした聴き応えのあるスクリャービンだ。
 また、スドビンによるピアノ・ソナタ第5番も神秘的でオカルティックな雰囲気を湛えた名演。当該盤のレビューとして書いたことの再掲になるが、ピアニスティックな冴えた音色が美しく、ペダリングの効果を存分に使用して、多彩で豊かな音色、ダイナミックレンジも広く、細やかなクレシェンド、デクレシェンドは刹那的な感情を次々に発露させていく。そして全体として音楽は大きくうねる。加えて細部を精緻に整え美しい外面も備えている。


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管弦楽曲

ファイナル・ミステリーのためのプリペアレーション ニュアンス
アシュケナージ指揮 ベルリン・ドイツ交響楽団 org: トロター p: リュビモフ ギンジン 他

レビュー日:2013.5.14
★★★★★ ロシアの作曲家、ネムティンが生涯を賭けた偉業に敬意を表して
 いろいろレビューを書いてきたが、これほど「どこから書いたらいいのか分らない」ディスクも珍しい。とりあえず、収録されている作品は、ロシアの作曲家、スクリャービン(Alexander Scriabin 1872-1915)が構想した、全上演に7日間を要する「神秘劇」(当然のように未完)の「序幕」の部分(これだけでさえ未完成)を、アレクサンドル・ネムティン(Alexander Nemtin 1936-1999)という作曲家が26年間を費やして「補筆完成」したスコア「神秘劇序幕」と、さらにネムティンが、スクリャービンの諸作から、この作品と音楽的に性質が似通うとみなした作品を集め、これらを、オーケストラ曲として編算し、バレエ音楽として体裁を整えたスコア「ニュアンス」の2つである。
 収録してあるのは以上の2作品のみであるが、CDは3枚にも及ぶ。特に「神秘劇序幕」の演奏時間は2時間半以上。いや、そもそも7日間もぶっ通しで上演するつもりなら、序幕はこれでも短いくらいか(ちなみに、この序幕は3部に分かれていて、それぞれ「宇宙」「人類」「変容」という副題が付いている)。そもそも、この「神秘劇」は、色彩、舞踏、芳香なども組み合わせて「五感」のすべてを利用したものとして着想されていたのだから恐れ入る。
 とりあえず、基本情報を書こう。全体を指揮しているのがアシュケナージ(Vladimir Ashkenazy 1937-)である。オーケストラは、ベルリン・ドイツ交響楽団。エルンスト・ゼンフ合唱団とサンクト・ペテルブルク室内合唱団のコーラスが加わり、ソプラノ独唱はフィンランドの歌手、アンナ=クリスティーナ・カーポラ(Anna-Kristiina Kaappola)。さらにピアノが加わり、これはロシアの異才、アレクセイ・リュビモフ(Alexei Lubimov 1944-)が担当している。(「ニュアンス」ではさらにアレクサンドル・ギンジン(Alexander Guindin 1977-)のピアノが加わる)。録音は1996年から97年にかけて。よくぞこのような企画が通ったものだ。プロデューサーの才覚とそれを採用したレコード会社(DECCA)には恐れ入る。
 さて、それでは、この「神秘劇」とはどのようなものなのか。スクリャービンは神智学と神秘主義に傾倒した芸術家である。彼の思想に大きな影響を与えたのは、神智学を樹立したヘレナ・ペトロヴナ・ブラヴァツキー (Helena Petrovna Blavatsky 1831-1891)であり、更には象徴主義の美術家ジャン・デルヴィル(Jean Delville 1867-1953)の存在も無視できない。とにかく、スクリャービンは、音楽をツールとして、神秘への接近を試みた。ここで言う神秘とは「人知を超越した霊妙な事柄」であり、神秘主義とは、「神秘の体験を経て、神や究極の真理、宇宙の本質を把握する」ことを重視する思想である。例えばヨガは、神秘を体験する手法の一つであり、当然の様にスクリャービンはヨガにも傾倒していた。
 スクリャービンが音楽において、特に神秘との関係を見出したのは和音と調性である。和音については、スクリャービンの案出した有名な「神秘和音」が存在し、これは一般には「四度音程を六個堆積した和音」と考えられている。さらにスクリャービンは「調性」を「色彩」との関係から考察し、色光ピアノを発案し、そのための作品「プロメテウス」を書いている。
 背景を説明するだけで、こんなにかかってしまった。さて、それでこのアルバムであるが、“スクリャービンの音楽が大好き”という人以外には、ちょっと薦めるのは難しいものだと考える。なんといっても長い。その長い間、神秘和音や、不思議な暖かさに満ちた、様々な音型が、渦を巻くように入り乱れるのだ。その音色はトランス状態への導きを目的としているものであるが、いわゆる純然たる音楽と比べて、現代音楽的な、理の世界が多重に係っていると感じられる。BGMとして流しておくと、面白いことは面白いのだが、「クラシック音楽鑑賞」というレベルで扱うことができにくい、言い難い手ごわさに満ちている。
 他方、私はこれほどまでにスクリャービンに陶酔し、その未完の大作(スクリャービンが遺したスケッチはごく一部でしかなかった)を、その語法に従い、ここまでのスコアを書きあげたネムティンという作曲家の仕事には、心底圧倒されてしまう。
 スクリャービンに精通したアシュケナージによって、高品質のメディアとして記録されたこれらの録音は、ネムティンの生涯の労作への、献身性に満ちている。スクリャービンの作品、アシュケナージという演奏家がともに好きな私にとっては、本アイテムは、一つの感動的な録音作品として、伝わるものが多くある。


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協奏曲

スクリャービン ピアノ協奏曲 プロメテウス(交響曲 第5番) 2つの詩曲 2つの舞曲(花飾り 暗い炎)  プロコフィエフ ヘブライの主題による序曲 交響的スケッチ「秋」
p: アシュケナージ マゼール指揮 ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団 cl: パディ ガブリエル弦楽四重奏団 アシュケナージ指揮 ロンドン交響楽団

レビュー日:2007.6.25
★★★★★ 楽曲の存在価値を大いに高めた録音です
 アシュケナージの70歳記念としてデッカからいくつかの貴重な音源がリリースされた。私、個人的にも思い入れの深い録音が多く、コメントさせていただけるとうれしい。
 スクリャービンの協奏曲、そしてプロメテウス(交響曲第5番であり、独奏ピアノを伴う管弦楽曲でもある)はアシュケナージの録音によって、認知の広まった曲といえるだろう。一つの録音によって曲の魅力が増すケースはいろいろあるけれど、これはその一例だと思う。いまでこそ、いろいろな録音があるけれど、アシュケナージ以前では、(ネイガウスによるピアノ協奏曲の名録音を忘れてはならないが、モノラルで音質に難がある)これというものがなかった。いや、ピアノ協奏曲という作品自体、ほとんど知られていなかったのでは?
 アシュケナージのピアノはスクリャービンの音楽にも高い適性を示している。なんといっても音が質・量の両面で豊かだし、かつ技巧が万全だ。マゼールの指揮もノッている。この作曲家がこだわった「官能的サウンド」をみごとに体現していると言っていい。ことに「ピアノ協奏曲」はロシア・ロマンティシズムが根底に流れているという、この作品の立ち位置を思い切り明瞭にスタンスが健全で気持ちよい。クライマックスのピアノの連打は胸に深く響く。
 加えてピアノソナタ全集から漏れてしまった「2つの詩曲」と「2つの舞曲」が本CDに収録されたのは本当にうれしい。企画が冴えている!
 プロコフィエフのエキゾチックな室内楽、それにアシュケナージが指揮し始めの頃に収録したプロコフィエフの管弦楽のための小品まで収録されており、実にお買い得の一枚になっています!

スクリャービン ピアノ協奏曲  メトネル ピアノ協奏曲 第3番「バラード」
p: スドビン リットン指揮 ベルゲン・フィルハーモニー管弦楽団

レビュー日:2015.1.19
★★★★★ 楽曲の存在価値を大いに高めた録音です
 エフゲニー・スドビン(Yevgeny Sudbin 1980-)のピアノ、アンドルー・リットン(Andrew Litton 1959-)指揮、ベルゲン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏で、以下の2曲を収録。
1) スクリャービン(Alexander Scriabin 1872-1915) ピアノ協奏曲 嬰ヘ短調 op.20
2) メトネル(Nikolai Medtner 1880-1951) ピアノ協奏曲 第3番 ホ短調 op.60「バラード」
 2013年の録音。
 スドビンは、メトネルのピアノ協奏曲については、第1番をネシリング(John Neschling 1947-)指揮サンパウロ交響楽団と、第2番をレウェリン(Grant Llewellyn 1960-)指揮ノースカロライナ交響楽団と録音済なので、本盤の登場をもって、全曲が録音されたことになる。メトネルという作曲家の再興に併せて、スドビンによる優れた協奏曲の全曲録音が登場したことは意義深いだろう。
 しかも、今回はスドビンが敬愛・耽溺する作曲家、スクリャービンとの組み合わせである。
 スクリャービンのピアノ協奏曲は1896年から97年に作曲された作曲者初期の作品で、この作曲家特有の神秘主義的作風はまだ表出してはいないが、それゆえに古典から連綿と続くロシア特有のロマンティシズムやメランコリズムが全編に満ち溢れた名品だ。ラフマニノフ(Sergei Rachmaninov 1873-1943)に通ずる通俗性も持ち合わせている。この曲には、1971年に録音されたアシュケナージ(Vladimir Ashkenazy 1937-)とマゼール(Lorin Maazel 1930-2014)による名演の誉れ高い録音があり、私も長らくこれを聴いてきた。
 アシュケナージが、大局的な純音楽性を保ちながら、内包するロマンを熱く表現したのに対し、スドビンは緊張と弛緩の瞬発的な移り変わりをもって、細かい陰影を楽曲に与える方法で演奏を進めている。そのため、細かい部分まで濃淡の動きを持ち、スクリャービンの音楽が持つ官能的な雰囲気が良く伝わっている。
 メトネルのピアノ協奏曲第3番は、あまり有名な作品ではないが、この作曲家らしい技巧的なピースを施した浪漫性に溢れた作品。全体は3つの部分に分かれていると考えられるが、中間の部分が間奏曲的で短い一方で、両端部分は規模が大きくて複雑だ。全曲が連続して奏されるが、きれいにまとめるのは難しいだろう。
 スドビンはここでもスクリャービンと同様に技巧的なパッセージを巧みに操って、部分部分の濃淡を掘り下げることで音楽の面白みや緊迫感を演出している。全体的な俯瞰性というより、手法の共通化によって印象を統一した感じだが、決して不自然な印象ではなく、結果的に成功していると思う。楽曲は時に爛熟を思わせつつも、全体としては不思議な渋みに覆われている。第1部の4拍子を背景に刻まれる3連符による強調音型や、第2部のトランペットの野趣的な主題に、人を引き込む力を感じる。すべてが成功しているとも言い難い作品だが、スドビンとリットンの解釈は、技巧の卓越と、オーケストラの洗練によって、うまい手際でまとめている。
 収録曲2曲ともに、秀演と思う。

スクリャービン プロメテウス(交響曲 第5番)  ラフマニノフ ピアノ協奏曲 第4番  ストラヴィンスキー ピアノと管楽器のための協奏曲
p: リュビモフ サラステ指揮 トロント交響楽団

レビュー日:2013.4.9
★★★★☆ リュビモフとサラステという顔合わせと、選曲が面白いアルバム
 ロシアのピアニスト、アレクセイ・リュビモフ(Alexei Lubimov 1944-)とフィンランドの指揮者、ユッカ・ペッカ・サラステ(Jukka-Pekka Saraste 1956-)指揮トロント交響楽団によるちょっと渋い選曲のアルバム。収録曲は以下の通り。録音は1996年。
1) ラフマニノフ(Sergei Rachmaninov 1873-1943) ピアノ協奏曲 第4番
2) ストラヴィンスキー(Igor Fyodorovitch Stravinsky 1882-1971)ピアノと管楽器のための協奏曲
3) スクリャービン(Alexander Scriabin 1872-1915)交響曲 第5番「プロメテウス」
 3)では、トロント・メンデルスゾーン合唱団による合唱が加わる。
 リュビモフは知る人ぞ知る系のピアニストで、バロック音楽と現代音楽に活動の中心軸を置いている。そういった意味で、ここに揃う楽曲は、ちょっと変わったレパートリーなのであるが、それなりにリュビモフらしさを感じさせるものになっているのが面白い。
 ラフマニノフでは4曲あるピアノ協奏曲のうち、もっとも前衛的な色合いのある第4番が選ばれている。有名な第2番や第3番に比べると、ネームヴァリューもなく、演奏機会もほとんどない第4番であるが、楽想の自由な動きと、即興的とも言えるめまぐるしい展開は、この音楽の主要な印象となる。
 ストラヴィンスキーのピアノと管楽器のための協奏曲は3楽章からなる音楽。ピアノと管楽器という編成からは室内楽を思わせるが、この作品における「管楽器」とは、フルオーケストラからさくっと弦楽器部分のみを取り除いたものを指している。こちらもストラヴィンスキーならではの色合いと、ジャズの要素を持った気分的な要素が多くあり、実験性の高い作品だ。
 スクリャービンの作品は、様々な色彩の照明を鍵盤によって操作できる「色光ピアノ」を念頭に置いた音楽で、神秘和音の多様と併せて、彼の神智主義の頂点にある作品と言える。実際には、「色光ピアノ」はうまく作動しなかったらしいのだが、音楽の表現に舞台的に多様な要素の付加を考え続けたスクリャービンの晩年の考え方が如実に表れた音楽であり、独特の暗黒面を感じさせる。
 以上の様に、いずれもちょっと変わった背景を持った楽曲ばかりが揃っている。こうなると、現代音楽に造形の深いリュビモフならびにサラステの手腕に興味が向くところ。
 演奏は全般に「聴き易さ」を大事にしたアプローチで、インテンポでありながら、柔らかなトーンで音楽を形成した感がある。ラフマニノフでは、特にリュビモフのソロの響きの優しさが特徴的で、極端に解析的にならない音楽性が好ましい。ストラヴィンスキーではオーケストラの強弱や、各楽器の音色の対比あるいは融合といった“使い分け”の巧みさが面白い。サラステならではの精巧な設計感覚が光っており、リュビモフもこれに沿っている演奏に思えた。スクリャービンは思いのほか健康的なソノリティに仕上がっていて、終結部も魔術的と言うより壮麗な雰囲気で、明るい空気が流れ込んでくるような良い印象を引き起こしてくれた。
 いずれも渋い楽曲であることに変わりはないので、一般的に推薦するアルバムというわけではないが、ちょっと変わった分野を聴いてみたい人には、ちょうどよい一枚のように思える。

スクリャービン プロメテウス(交響曲第5番)  リスト 交響詩 第5番「プロメテウス」  ベートーヴェン バレエ「プロメテウスの創造物」抜粋(7曲)  ノーノ プロメテウス~組曲 1992(抜粋) 3つの声 第2島の ヘルダーリン
アバド指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 p: アルゲリッチ ベルリン・ジングアカデミー フライブルグ・ゾリステン合唱団

レビュー日:2015.7.29
★★★★☆ プロメテウスをテーマに、ノーノ作品を紹介したアルバム
 クラウディオ・アバド(Claudio Abbado 1933-2014)指揮、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団によるプロメテウスを題材とした古今の音楽作品を集めたアルバム。1992年の録音。収録内容は以下の通り。
ベートーヴェン(Ludwig van Beethoven 1770-1827) バレエ「プロメテウスの創造物」抜粋
 1) 序奏「テンペスト」
 2) 第1幕からPoco adagio - Allegro con brio
 3) 第2幕からAdagio - Allegro molto
 4) 第2幕からPastorale. Allegro
 5) 第2幕からAllegro
 6) 第2幕からAdagio - Allegro
 7) 第2幕からFinale. Allegretto
8) リスト(Franz Liszt 1811-1886) 交響詩 第5番「プロメテウス」
9) スクリャービン(Alexandre Scriabine 1872-1915) 交響曲 第5番 op.60 「プロメテウス」
ノーノ(Luigi Nono 1924-1990) プロメテウス~組曲1992から抜粋
 10) 3つの声
 11) 第2島:b ヘルダーリン
 9)のピアノ独奏はマルタ・アルゲリッチ(Martha Argerich 1941-)、10,11)の声楽はベルリン・ジングアカデミー フライブルグ・ゾリステン合唱団。
 プロメテウスはギリシア神話において、ゼウスの命にそむいて人間に火(知識や科学の隠喩)を与えた神で、その罪により、永遠にコーカサス山で鎖につながれているとされている。
 とりあえず、これらの楽曲を聴いてみての印象は、正直に言って、題材が同じとはいっても、あまりにも脈絡のないものがつながっているという感じはぬぐえない。しかし、アバドの意図は、おそらく彼が生涯をかけて積極的に取り上げたノーノの作品について、多くの人に紹介したいという思想に基づいたものだと思う。
 そのノーノの作品は、緊張感と永続性に支配された音響で、音楽としての旋律性はほとんどなく、ひたすら静寂を背景として、様々な声や楽器が、特定の音程を発していくという具合。いかにも近代芸術といった様相で、美術館あたりで聴いたらとても面白いだろう。音楽単独で味わうと、ホラー映画のサウンドトラックのようでもあり、声楽科の音程の試験に立ち会っているようでもある、そんな音楽だ。興味のある人には楽しい。
 ベートーヴェンは全体の1/3ほどを聴ける印象だが、有名な序曲と、中盤の山場と言える第2幕のAllegro con brio – Prestoが欠けているのが寂しい。とはいえ、充実した序奏「テンペスト」や、後の英雄交響曲に転用されたフィナーレの主題は堪能することができる。アバドならではの迫力と美の中庸をよく得た表現。
 リスト、スクリャービンともに悪魔的と言える色彩感が堪能されるが、スクリャービンに関しては、当盤も悪くはないが、アシュケナージ(Vladimir Ashkenazy 1937-)とマゼール(Lorin Maazel 1930-2014)による1971年録音の名盤が、スクリャービン的な語法や音色を極めつくしたものであるので、そちらをより強く推したい。リストの交響詩は、録音点数の多い曲ではないが、アバドの演奏は純粋な管弦楽曲としてフォルムを良く整えたもので、模範的なものと言えそう。
 地味なラインナップながら、いろいろ楽しめる要素のあるディスクではある。


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器楽曲

ピアノ・ソナタ全集 小品集
p: アシュケナージ

レビュー日:2004.1.1
★★★★★ スクリャービンのピアノ・ソナタ録音史に輝く金字塔
 アシュケナージ(Vladimir Ashkenazy 1937-)によるスクリャービン(Alexander Scriabin 1872-1915)のピアノ・ソナタ全集。
 スクリャービンのピアノ・ソナタは、現在でこそソロ・ピアノ作品の主要なレパートリーに組み込まれているが、かつては、(少なくとも日本では)はるかに低い認知度であった。これらの作品を、現代的な感性に照らして、インターナショナルな通力を持ってプレゼンテーションした世界最初の全集録音と言えるのが、このアシュケナージの名演である。>br>  これらの録音が持つ普遍的な価値は、もちろん今現在も、今後も変わることはないだろうと確信を持って述べられる「歴史的名盤」の一つ。収録曲の詳細を書く。
【CD1】
1) ピアノ・ソナタ 第1番 ヘ短調 op.6 1984年録音
2) ピアノ・ソナタ 第2番 嬰ト短調 op.19「幻想ソナタ」 1977年録音
3) ピアノ・ソナタ 第3番 嬰ヘ短調 op.23 1972年録音
4) ピアノ・ソナタ 第4番 嬰ヘ長調 op.30 1972年録音
5) 4つの小品 op.56 1983年録音
6) 2つの舞曲(花飾り 暗い炎)op.73 1977年録音
7) 2つの詩曲 op.32 1977年録音
【CD2】
1) ピアノ・ソナタ 第5番 op.53 1972年録音
2) ピアノ・ソナタ 第6番 op.62 1982年録音
3) ピアノ・ソナタ 第7番 op.64「白ミサ」 1977年録音
4) ピアノ・ソナタ 第8番 op.66 1983年録音
5) ピアノ・ソナタ 第9番 op.68「黒ミサ」 1972年録音
6) ピアノ・ソナタ第10番 op.70 1977年録音
7) 4つの小品 op.51 1983年録音
 スクリャービンの全10曲のピアノ・ソナタは、いずれも名品だと思うが、このアルバムでは、主たる調性のある作品(第1番~第4番)が1枚目に、主たる調性を持たない作品(第5番~第10番)が2枚目に収められる形となっている。
 スクリャービンは、後年になるほど神智学と神秘主義に傾倒した芸術家である。彼の思想に大きな影響を与えたのは、神智学を樹立したヘレナ・ペトロヴナ・ブラヴァツキー (Helena Petrovna Blavatsky 1831-1891)であり、更には象徴主義の美術家ジャン・デルヴィル(Jean Delville 1867-1953)の存在も無視できない。とにかく、スクリャービンは、音楽をツールとして、神秘への接近を試みた。ここで言う神秘とは「人知を超越した霊妙な事柄」であり、神秘主義とは、「神秘の体験を経て、神や究極の真理、宇宙の本質を把握する」ことを重視する思想である。例えばヨガは、神秘を体験する手法の一つであり、当然の様にスクリャービンはヨガにも傾倒していた。
 スクリャービンが音楽において、特に神秘との関係を見出したのは和音と調性である。和音については、スクリャービンの案出した有名な「神秘和音」が存在し、これは一般には「四度音程を六個堆積した和音」と考えられている。さらにスクリャービンは「調性」を「色彩」との関係から考察し、色光ピアノを発案し、そのための作品「プロメテウス」を書いている。この神秘和音のピアノ・ソナタにおける本格的な追及は第5番から開始される。
 それ以前の彼のソナタはロマンティックであり、ショパン(Frederic Chopin 1810-1849).の強い影響をも感じさせる。最近、特に人気の増した第2番や、情熱的な第3番にその影響は色濃く見いだされよう。
 アシュケナージは、それらのソナタの立ち位置に即し、万全のピアニズムで、豊かな色彩感を持って、一つ一つの曲にアプローチしている。第6番の悪魔的表現や、第8番の反復の魔力性など、この演奏に馴染んでしまうと、他の演奏では物足りなく感じることが多くなる。強烈なのは第9番の「黒ミサ」ソナタで、凄まじい情熱の坩堝から、圧倒的な興奮を導いている。また第3番では、引力を感じる下降音型と、揚力を感じる上昇音型の巧み配合、力感のバランスにより、聴き手を一気にスクリャービンの世界に引き込んでいく強烈な力を感じさせる。このレベルの全集が、今後完成されることはないのではないか。そう強く思わせるほどの、強烈な全集となっている。  なお、当再発売版では、全集と並行して録音された小品も収められているのがたいへんうれしい。とても良心的な内容と言える。


ピアノ・ソナタ全集 幻想曲
p: アムラン

レビュー日:2006.4.8
★★★★☆ スコアの成り立ちそのものを聴きたいと思うなら・・・
 驚異の技巧を誇るピアニスト、アムランによるスクリャービンのピアノソナタ全集。スクリャービンの特に後期の作品は極めてシステマティックな移調が多用されており、かのメシアンを驚嘆させたほどである。調性論を突き詰めてたどり着いた無調の響きであり、スクリャービンの音楽が唯一無比なものである所以である。ピアノ・ファンであれば、スクリャービンのソナタは全曲聴かねばならない・・・と思う。
 さて、アムランというピアニストの録音はかなり多く聴いている。このスクリャービンも悪くない。特に第5番のような重い低音が基盤となる曲で、各音が明快に聞こえるシーンはえもいわれぬ爽快感をもたらす。
 他方で第1番や第3番では全般的に音色が単調な部分もある。スクリャービンは「色彩」というフレーズにこだわった点でも稀有な作曲家である。彼の色彩主義はもちろん色濃くピアノ作品に反映しているのであるが、そこの部分でアムランの場合横並びになりすぎるということがある。
 この点ではアシュケナージの方がはるかに見事に解決をつけていた。(彼の場合特有の音楽の呼吸もあった)。ただ、逆に言えば、そういったスクリャービンの意図をいったん「なし」にして、そのスコアの成り立ちそのものを聴きたいと思うなら、このアムラン盤はとてもいいだろう。そういった意味で、スクリャービンのピアノ音楽に何を求めるかで、この盤がその人にとって推薦盤になるか変るということで、個人的には星四つで保留としておこう。。。

ピアノ・ソナタ全集
p: アレクセーエフ

レビュー日:2017.6.12
★★★★★ 自然なフォルムで、聴き易く仕上げられたスクリャービン
 イギリスを中心に活躍しているロシアのピアニスト、ドミトリー・アレクセーエフ(Dimitri Alexeev 1947-)によるスクリャービン(Alexander Scriabin 1872-1915)のピアノ・ソナタ全集。2枚のCDに以下の様に収録されている。
【CD1】
1) ピアノ・ソナタ 第1番 ヘ短調 op.6
2) ピアノ・ソナタ 第2番 嬰ト短調 op.19「幻想ソナタ」
3) ピアノ・ソナタ 第3番 嬰ヘ短調 op.23
4) ピアノ・ソナタ 第4番 嬰ヘ長調 op.30
【CD2】
5) ピアノ・ソナタ 第5番 op.53
6) ピアノ・ソナタ 第6番 op.62
7) ピアノ・ソナタ 第7番 op.64「白ミサ」
8) ピアノ・ソナタ 第8番 op.66
9) ピアノ・ソナタ 第9番 op.68「黒ミサ」
10) ピアノ・ソナタ 第10番 op.70
 2008年から2011年にかけての録音。アレクセーエフは同時期に練習曲全曲を中心としたアルバムも録音しており、集中的にスクリャービンの作品に取り組んだことになる。
 録音の多いピアニストではないのだが、スクリャービンへの適性は、ムーティ(Riccardo Muti 1941-)が80年代にフィラデルフィア管弦楽団と録音したスクリャービンの交響曲全集において、交響曲第5番(プロメテウス)のピアノ独奏を彼が務めていたとき、すでに証明されていたと言ってよいだろう。
 このピアノ・ソナタ全集もすぐれた録音である。CD2枚のうち、調性を伴ったロマン派の影響が濃厚な初期の作品が1枚目、スクリャービンがその音楽語法を確立し、特有の世界に歩みこんだ中期以降の作品が2枚目に収録される形となっている。
 アレクセーエフは、これらの作品に健やかな情感を感じさせるピアニズムをベースにアプローチしている。かつ運動的な感覚に研ぎ澄まされたものがあって、適度な自在性をもって中心線をしなやかに変動させながら曲想に沿って中心軸をうつしていく。激烈な場面であっても、全体として穏やかなフォルムが感じ取れるのは、その動きが自然でソツがないからだ。
 スクリャービンの演奏としては、ペダルもどちらかというと抑制的な使用で、それは中期以降の作品でより目立つが、クリアな音像の獲得に効果を発揮しており、特に第8番以降の3曲でその瑞々しくもセーヴされた音は、やや明るめな印象に繋がっている。これらの曲から一定の不穏さや不気味さを感じ取りたい人には、やや明朗に響き過ぎるかもしれないが、その音楽は合理的で、ストレートにスクリャービンを捉えているという感覚がある。
 そのような点で、1枚目に収録された初期のころの作品は、より理想的なものと思われ、幻想ソナタの海に輝く光のようなきらめきや、第3番の第3楽章の雨の夜のようなしっとりしたロマンティックな雰囲気は、それぞれとても居心地の良い響きに満たされている。
 スクリャービンのピアノ・ソナタ全集というと、私にはアシュケナージ(Vladimir Ashkenazy 1937-)が1972年から1984年にかけて録音したものが最愛のもので、そこでは圧倒的な迫力と色彩感があり、かつそれらの特性を、正統的な方法で音楽構造に吸収させる力が常に働く見事なものであったのだが、それに比べると、当演奏はそこからやや平準化を志向し、現代的均衡にシフトした音楽性を感じさせる。
 私にとってアシュケナージ盤がベストなことは間違いないのだが、人によってはこのアレクセーエフ盤の聴き易さに高い価値を感じる人もいるかもしれない。もちろん完成度も高い演奏であり、楽曲の魅力を一つの優れた方法で均等に伝えた演奏でもある。スクリャービンのピアノ・ソナタというジャンルに、質の高い全集が一つ加わっていることは、スクリャービンの音楽を愛する私にとっても、たいへんうれしいこと。

ピアノ・ソナタ全集 ピアノ・ソナタ 変ホ短調
p: ヴォスクレセンスキー

レビュー日:2019.6.5
★★★★☆ 様式美に秀でた整った演奏。ただ、後期のスクリャービンには、様式美を越えた何かが欲しい。
 ロシアのピアニスト、ミハイル・ヴォスクレセンスキー(Mikhail Voskresensky 1935-)によるスクリャービン(Alexander Scriabin 1872-1915)のピアノ・ソナタ全集。音源は1978年から1996年にかけていずれもモスクワで録音されたもの。録音状態は比較的良好で、やや遠近感に乏しい部分はあるものの、同時代の他レーベルのものと比較して、大きく遜色があることはない。CD2枚に以下の様に収録されている。(録音年と併記する)
【CD1】
1) ピアノ・ソナタ 変ホ短調 1989年録音
2) ピアノ・ソナタ 第1番 ヘ短調 op.6 1979年録音
3) ピアノ・ソナタ 第2番 嬰ト短調 op.19 「幻想ソナタ」 1979年録音
4) ピアノ・ソナタ 第3番 嬰ヘ短調 op.23 1978年録音
5) ピアノ・ソナタ 第4番 嬰ヘ長調 op.30 1978年録音
【CD2】
1) ピアノ・ソナタ 第5番 op.53 1985年録音
2) ピアノ・ソナタ 第6番 op.62 1996年録音
3) ピアノ・ソナタ 第7番 op.64 「白ミサ」 1996年録音
4) ピアノ・ソナタ 第8番 op.66 1996年録音
5) ピアノ・ソナタ 第9番 op.68 「黒ミサ」 1978年録音
6) ピアノ・ソナタ 第10番 op.70 1978年録音
 スクリャービンが十代半ばに書いた作品番号を持たない「ピアノ・ソナタ 変ホ短調」が収録されていることが本アイテムの一つの特徴。すでにスクリャービンの天才性が随所に感じられ、その特有の息遣いがすでに示されている。
 さて、ヴォスクレセンスキーの演奏である。私は当盤を聴くに先立って、彼の弾くスクリャービンの練習曲集を聴いたのだが、印象は共通で、ドイツ的とも思える様式性、そしてある種の正統性を感じさせる演奏だと思う。練習曲の場合、その正統的な解釈の安定感に私は感心した。ただ、ソナタの場合、それに加わる何かがもっと欲しいと感じるところもある。
 もう少し具体的に書くと、ヴォスクレセンスキーの演奏は、陰影のくっきりした音色で、ややゆったりしたテンポを維持している。その明晰さは、古典的様式性に基づくダイナミズムの表現としては理想的で、私は特に第5番、そして第4番のソナタでそれが成功していると感じる。特に第5番の終盤にむけてしっかりと力を蓄え、結晶化しきったような和音の表現でそのエネルギーを放出する凛々しさは素晴らしく、魅力に溢れている。第4番では、第1楽章の静謐さが、克明な音像で表現されることで、特有の立体感が維持されていて、空間的な幅をもった静けさがあることが好ましい。また初期の作品でも、瑞々しい感覚的な美しさは、あちこちで感じられるだろう。
 その一方で、第6番以降のソナタ、そこでは調性的なあいまいさから、いわゆる「神秘」という言葉で形容されることの多い特有の雰囲気が溢れてくるのだが、この部分でヴォスクレセンスキーの演奏は、表現性の限界を感じさせてしまう。私がスクリャービンのソナタ全集で圧倒的に素晴らしいと思っているのがアシュケナージ(Vladimir Ashkenazy 1937-)の録音である。聴き比べると明らかなのであるが、アシュケナージの演奏には、巧妙ルバートと音色の組み合わせにより、香気が立ち上るような感覚が随所にあって、そのことが私を惹きつけ、夢中にさせるのである。ヴォスクレセンスキーの演奏にそういった要素がないわけではないが、アシュケナージと比べてしまうと乏しい。もちろん、ヴォスクレセンスキー自身の「狙い」が、そもそも違うところにあるというのはわかるのだが、少なくとも、第6番以降の楽曲については、私にはアシュケナージの演奏の方がはるかに面白いのである。
 ところで、ヴォスクレセンスキーとアシュケナージは、ともにオボーリン(Lev Oborin 1907-1974)を師とするピアニストである。その両者が、スクリャービンにこれほど異なるアプローチをすることも、私には興味深い。
 いろいろ書いたが、当盤は、若き日にスクリャービンが書いた作品番号のないソナタも含めたオーソドックスな弾き方による全集としては、十分な価値を持つものではあろう。物足りない部分があることもあるが、トリルの明晰で方格的な響きの美しさなど、どの場面でも印象的。特に第5番以前の演奏は、見事な内容に違いないと思う。

ピアノ・ソナタ 第1番 第6番 第7番「白ミサ」 第10番
p: ベクテレフ

レビュー日:2013.6.12
★★★★★ 演奏者のスクリャービンへの適性を強く感じさせる録音
 ボリス・ベクテレフ(Boris Bekhterev 1943-)による2007年録音のスクリャービン(Alexander Scriabin 1872-1915)のピアノ・ソナタ集。収録曲は以下の通り。
1) ピアノ・ソナタ第1番
2) ピアノ・ソナタ 第6番
3) ピアノ・ソナタ 第7番「白ミサ」
4) ピアノ・ソナタ 第10番
 スクリャービンは数多くのピアノ曲を書き、それらの作品は総じて優れたものだと感じられるが、中でも白眉といえる作品群は、やはり10曲からなるソナタであろう。
 ピアノ・ソナタ第1番はスクリャービンが21歳の時に書きあげた傑作である。このソナタにはスクリャービンの右手の負傷に伴う症状の悪化への不安が色濃く反映されている。葬送行進曲を伴う4楽章構成は、ショパン(Frederic Chopin 1810-1849)の第2ソナタを強く想起させるものでもある。本盤は、この情念的な初期の第1ソナタとともに、対照的な後期のソナタを3曲併せて収録する構成を持っている。
 学術的には、スクリャービンの完成は、最後の2曲のソナタ(第9番と第10番)に見られると考えられているが、後期の5曲が持っている特有の神秘的な雰囲気は共通するところが多い。いずれにしても、10曲あるスクリャービンのソナタはどれも魅力的な作品だ。ソナタ第6番はスクリャービン自身によって「悪魔的過ぎる」と評され、自ら演奏もしなかった曰く付の作品。トリル、前打音、アルペッジョによる演奏効果とともに、いわゆる神秘和音の踏襲が明瞭に開始された作品でもある。これと同時期に書かれた第7番は、同じ素材を扱いながらも、軽さと明るさを伴っていて、スクリャービン自身によって「白ミサ」と命名されることになる。
 スクリャービンのソナタの完成形と称されるソナタ第10番をスクリャービンは「光と昆虫のソナタ」と呼んだ。昆虫は霊魂のある場所の象徴であり、神秘的・感覚的に世界を理解する彼の神秘主義の頂点と言える。音楽的には、後期の作品には調性がない、いわゆる無調の世界でありながら、不思議な調和のある美しさを秘めていて、音楽史を通じて独特の存在となっている。
 ベクテレフの演奏は、それらの音楽的素因を、非常に巧妙に引き出している。第1ソナタ冒頭における2度の上昇下降音型を連続するドラマティックな冒頭は、ゆったりしたテンポで大きなスケール感を描き、繰り返す波動のようにエネルギーを放散させ、また新しい音脈を発生させる。その力の作用関係が巧妙で、心地よい陶酔感を導いている。ピアノの音色は美しく、ぺダリングによる残響の陰影もこれらの楽曲に相応しい。ソナタ第7番は明晰な表現で、このソナタのイメージを的確に具現化したような演奏で、分かり易いところもメリットだろう。
 スクリャービンと奏者の好相性を実感する演奏と録音であり、2013年現在5枚リリースされているベクテレフのスクリャービンだが、今後スクリャービンのピアノ・ソロ曲をすべてリリースしてもらえるなら、たいへんうれしい。

ピアノ・ソナタ 第1番 第10番 24の前奏曲
p: ギンジン

レビュー日:2004.3.8
★★★★★ 凛としたスクリャービン
 ギンジンによるスクリャービン・アルバム。収録曲は24の前奏曲とピアノソナタ第1番&第10番。24の調性を用いる前奏曲はバッハ、ショパンにそのルーツを持つ。スクリャービンの作品は初期の代表作で、ショパンの影響を強く残している。
 ソナタの1番はスクリャービンの中では最も古典的な作品で、4つの楽章からなり、終楽章は重々しい葬送行進曲だ。
 1977年モスクワ生まれのギンジンは、1994年チャイコフスキー国際コンクールに最年少入賞を果たす。その後1999年エリザベート王妃国際コンクール第2位というコンクール歴を重ねて、CDをリリースするようになった。
 もっとも期待の大きい若手ピアニストの一人で、その武器は濁らないスマートな音色で繰り広げられる叙情的な表現力にある。大家でいえばアシュケナージに近いかもしれない。
 この録音は19歳のときのものだが、きわめて凛々しく、そして若若しい清新なイメージで弾ききっており、きわめて爽快無比な演奏。今後が楽しみ。

ピアノ・ソナタ 第2番「幻想ソナタ」 第3番 第9番「黒ミサ」 幻想曲 前奏曲作品11-4 2つの詩曲作品32 アルバム・リーフ 2つの小品作品57 5つの前奏曲作品74 皮肉作品56-2 マズルカ 作品25-3
p: メルニコフ

レビュー日:2008.3.2
再レビュー日:2015.2.17
★★★★★ またまた素晴らしいロシア発のスクリャービンです
 アレクサンドル・メルニコフ(Alexander Melnikov)によるスクリャービンのピアノ作品集。録音は2005年に行われている。
 私は、最近、エフゲニー・スドビンによる見事なスクリャービンのアルバムを聴いたばかりだけれど、ここにまたロシアのピアニストによる優れたスクリャービンの録音が現れた。本当にこの国の「ピアニズム」は奥が深い。スドビンが夢に彷徨うなスクリャービンであるのに対し、メルニコフはもっとリアルな存在感に根ざしていると思う。というのは、スクリャービンの作品は初期であればロマン派の影響が強いが、そこに印象派的響きが邂逅し、そして神智学の世界を垣間見る神秘和音の世界へと誘われるわけだけれど、メル二コフの演奏は理知的で、その楽曲の存在場所がわかりやすいと思うからだ。
 例えば、ロマン派的な傑作「幻想曲」では情熱的でありながら、古典的なアプローチを重視し、曲の構成感を強く感じさせる演奏になっている。しかし一方では、「5つの前奏曲作品74」のように抜群にミステリアスなナンバーでは、メルニコフのピアノはえもいわれぬ「浮遊感」を醸し出している。現れては消え、消えては現れる幻影のような世界だ。また皮肉の第2曲は、幻想曲が神秘的に変容した世界だと思うが(これが同じアルバムで聴けるのも嬉しい!)メルニコフの演奏ではその変わり様がよく伝わってくる。もちろん、他のピアノソナタ第3番のような有名曲でも、安定感のあるアプローチで、スクリャービンの音世界を存分に堪能させてくれる。これまで「室内楽」のジャンルで活躍の多かったメルニコフだが、「独奏者」としての今後の活躍が大いに楽しみだ。
★★★★★ スクリャービンのピアノ独奏曲の世界を見事に描いた優演
 アレクサンドル・メルニコフ(Alexander Melnikov)によるスクリャービンのピアノ作品集。録音は2005年に行われている。
 アレクサンドル・メルニコフ(Alexander Melnikov 1973-)による2005年録音のスクリャービン(Alexandre Scriabine 1872-1915)のピアノ作品集。メルニコフにとって、ハルモニア・ムンディへの初録音となったもので、当規格は再発売版。収録曲の詳細は以下の通り。
1) 前奏曲 ホ短調 op.11-4
2) ピアノ・ソナタ 第2番 嬰ト短調 op.19 「幻想ソナタ」
3) 2つの詩曲 op.32
4) 幻想曲 ロ短調 op.28
5) アルバム・リーフ op.45-1
6) 2つの小品作 op.57
7) ピアノ・ソナタ 第3番 嬰ヘ短調 op.23
8) 5つの前奏曲 op.74
9) 4つの小品 から 第2曲 「皮肉」 op.56-2
10) ピアノ・ソナタ 第9番op.68 「黒ミサ」
11) マズルカ op.25-3
 非常に素晴らしいアルバム。スクリャービンの数ある美しいピアノ作品から、巧妙に配列されたプログラムであり、また演奏も見事。初期のロマン派の影響が強いもの、そこに印象派的響きが邂逅した中期のもの、そして神智学の世界を垣間見る後期の世界と、それぞれのスタイルを持つ楽曲に、メル二コフはクールにアプローチし、各楽曲をあるべきところに導いていく。
 例えば、ロマン派的な傑作「幻想曲」では情熱的でありながら、古典的なアプローチを重視し、曲の構成感を強く感じさせる演奏になっている。ピアノ・ソナタ第3番も同様で、安定性と情熱表現の両立がよく工夫されている。
 「2つの詩曲 op.32」では交錯するリズムの描き分けが巧妙で、この作品特有の色彩感を導く。4つの小品から1曲だけ取り上げられた「皮肉」は、メルニコフのアプローチで聴くと、この曲が幻想曲を神秘的に変容させた姿を持った曲であると感づかせてくれる。
 しかし一方では、「5つの前奏曲op.74」のように抜群にミステリアスなナンバーでは、メルニコフのピアノはえもいわれぬ「浮遊感」を醸し出している。現れては消え、消えては現れる幻影のような世界だ。またメルニコフのアプローチでは、「皮肉」と言う曲が、幻想曲が神秘的に変容した姿であると感づかせてくれる。
 後期作品を代表するピアノ・ソナタ第9番では、ルバート奏法を用いて悪魔の姿を立ち上らせる。そして、こちらも名高い作品である「5つの前奏曲op.74」では、メルニコフのピアノはえもいわれぬ「浮遊感」を醸し出す。この曲に流れるミステリアスが立ち現われ、聴き手の眼前に霧のように広がるようだ。それは、現れては消え、消えては現れる幻影のような世界にも感じられる。
 今、このアルバムを聴いて、あらためてこのピアニストの豊かなタッチには驚かされる。当録音から10年が経過しているが、是非とも、他のスクリャービンの作品も録音してほしい。

ピアノ・ソナタ 第2番「幻想ソナタ」 第4番 第5番 第7番「白ミサ」 第10番 8つの練習曲 前奏曲 op.13-1~3 op.15-5 op.15-1 op.16-2 op.16-4 op.9-1 op.11-2 op.4-6 op.9-14 op.16 op.18 op.20 op.22 op.24 op.48(全4曲) op.67-1 op.67-2 op.74(全5曲) 2つの小品op.57 アルバムの綴り 2つの詩曲op.63 炎に向かってop.72 練習曲op.2-1 3つの小品op.45
p: ガヴリーロフ オグドン プレトニョフ サイトクーロフ ギルトブルク トルプチェスキ ファウンテイン

レビュー日:2011.7.15
★★★★★ 7人のピアニストによるスクリャービンのソロ・ピアノ・ワールド
 複数のピアニストによるスクリャービンのピアノ独奏曲が収められた2枚組みアルバム。収録曲、演奏者、録音年の詳細を以下に示す。
 1枚目
(1) 前奏曲 op.13-1~3、15-5、15-1、16-2、16-4、9-1、24の前奏曲op.11から第2,4,5,6,9,10,11,12,13,14,16,18,20,22,24番 アンドレイ・ガヴリーロフ(Andrei Gavrilov 1955-)1984年録音
(2) 4つの前奏曲 op.48 2つの前奏曲 op.67 5つの前奏曲 op.74 2つの小品 op.57 アルバムの綴り op.58 2つの詩曲 op.63 焔に向かって op.72 練習曲嬰ハ短調 op.2-1 ジョン・オグドン(John Ogdon 1937-1989)1971年録音
(3) 3つの小品 op.45 ミハイル・プレトニョフ(Mikhail Pletnev 1957-) 1996年録音
 2枚目
(4) 8つの練習曲 op.42 ルーステム・ザイトクロフ(Roustem Saitkoulov 1971-) 1999年録音
(5) ピアノ・ソナタ 第2番「幻想ソナタ」 ボリス・ギルトブルク(Boris Giltburg 1984-) 2005年録音
(6) ピアノ・ソナタ 第4番 アンドレイ・ガヴリーロフ(Andrei Gavrilov 1955-)1984年録音
(7) ピアノ・ソナタ 第5番 サイモン・トルプチェスキ(Simon Trpceski 1979-) 2001年録音
(8) ピアノ・ソナタ 第7番「白ミサ」 イアン・ファウンテイン(Ian Fountain 1970-) 2000年録音
(9) ピアノ・ソナタ 第10番 ミハイル・プレトニョフ(Mikhail Pletnev 1957-) 1996年録音
 参加しているピアニストをごく簡単に紹介すると、オグドン(イギリス)は1962年チャイコフスキーコンクールでアシュケナージと同時1位を分かち合った。ギルトブルク(ロシア)は2002年サンタンデル国際ピアノ・コンクール優勝。ザイトクロフ(ロシア)は1997年ゲザ・アンダ国際コンクール2位入賞。トルプチェスキ(マケドニア)は2000年のロンドン国際ピアノ・コンクール2位入賞。ファウンテイン(イギリス)は1989年アルトゥール・ルービンシュタイン国際ピアノ・コンクール優勝。ガヴリーロフ、プレトニョフはそれぞれロシア生まれの名ピアニストなので、紹介を省略しよう。
 個性的なのはガヴリーロフの演奏で、とにかくスポーティーで豪快なスクリャービン。このころの彼の個性が如実に出ていて、1985年録音のショパンのエチュード集を彷彿とさせる。ザイトグロフが技巧豊かだが、傑作の「12の練習曲」ではなく「8つの~」のみなのが残念。トルプチェスキの第5番もなかなかの好演で、間合いの取り方が巧妙で、曲の神秘性が良く表出している。プレトニョフは大家らしい落ち着きがあり、両ディスクの最後を締めるに相応しい。

ピアノ・ソナタ 第2番「幻想ソナタ」 第5番 第9番「黒ミサ」  12の練習曲から第12番 3つの小品作品2から練習曲 10のマズルカ作品3から第1番、第3番、第4番、第6番 4つの小品作品56から「ニュアンス」 2つの小品作品59から「詩曲」 ワルツ
p: スドビン

レビュー日:2008.2.16
★★★★★ 妖艶にして神秘的なスクリャービン
 またしてもロシア発の注目のピアニストが出現した。エフゲニー・スドビン(Yevgeny Sudbin)。1980年ペテルブルク生まれ。CDの解説をみても、本人のウェブサイトをみても詳しいバイオグラフィーはほとんど記されていないが、生地ペテルブルクのほか、ベルリンとロンドンで音楽を勉強したようだ。コンクール歴等の記載はない。BISレーベルが力を入れて売り出しているアーティストであることは間違いない。
 本アルバムはスクリャービンの作品集で、収録曲は、12の練習曲から第12番、ピアノソナタ第2番「幻想ソナタ」、 3つの小品作品2から練習曲、10のマズルカ作品3から第1番、第3番、第4番、第6番、ピアノソナタ第5番、4つの小品作品56から「ニュアンス」、2つの小品作品59から「詩曲」、ピアノソナタ第9番「黒ミサ」 、ワルツ。録音は2006年スウェーデンで行われている。選曲と収録順もちょっと凝った感じだ。
 スドビンは相当スクリャービンに入れ込んでいるようで、自身がライナーノーツに書いている「スクリャービン賛」といえる文章でもその“ぞっこんぶり”は明らかだ。確かにスクリャービンの音楽には陶酔の要素があり、それを体現した演奏といえる。まずピアニスティックな冴えた音色が美しい。ペダリングの効果を存分に使用して、多彩で豊かな音色、ダイナミックレンジも広く、細やかなクレシェンド、デクレシェンドは刹那的な感情を次々に発露させていく。そして全体として音楽は大きくうねる。加えて細部を精緻に整え美しい外面も備えている。
 マズルカでは躍動感のあるリズムが印象に残る。ソナタでは第5番が神秘的でオカルティックな雰囲気存分の妖しい名演。だがそれにしても妖艶にして美しいスクリャービンだ。まさにこの作曲家のピアノ独奏曲にはうってつけの異才ぶり。全曲録音してほしい。

ピアノ・ソナタ 第2番「幻想ソナタ」 第8番 第9番「黒ミサ」  演奏会用アレグロ 4つの前奏曲op.33 前奏曲op.45-3 2つの小品op.57 4つの小品op.51より第1番「たよりなさ」、第2番「前奏曲」 3つの小品op.49 5つの前奏曲op.74
p: ベクテレフ

レビュー日:2013.6.12
★★★★★ スクリャービンの活動時期全般に及ぶ重要な作品を俯瞰的に聴ける名演
 ボリス・ベクテレフ(Boris Bekhterev 1943-)による2006年録音のスクリャービン(Alexander Scriabin 1872-1915)のピアノ作品集。収録曲は以下の通り。
1) 演奏会用アレグロop.18
2) 4つの前奏曲op.33
3) ピアノ・ソナタ 第2番「幻想ソナタ」
4) 3つの小品op.45から第3番「前奏曲」
5) 2つの小品op.57 第1番「欲望」、第2番「舞い踊る愛撫」
6) ピアノ・ソナタ 第8番
7) 4つの小品op.51から第1番「たよりなさ」、第2番「前奏曲」
8) ピアノ・ソナタ 第9番「黒ミサ」
9) 3つの小品op.49(第1番「練習曲」、第2番「前奏曲」、第3番「夢想」)
10) 5つの前奏曲op.74
 私は2012年録音のベクテレフによるスクリャービンの練習曲を聴いて感銘し、これまでにリリースされた彼の全スクリャービンのアルバム計5枚を聴くことになったのだが、中で、このアルバムがいちばん最初に録音されたものということになる。op.49-1については、2012年録音の「練習曲集」にも収録されていたため、当盤と曲目が重複することになる。
 さて、他のシリーズと異なり、本作には「様々な作品」が収録されていることが特徴。ソナタが3曲ある以外、小品集や前奏曲集など、幅広く選曲されている。
 全般にベクテレフのスクリャービンとしてすでに完成された姿が示されていて、直近の録音と比較してもクオリティに違いはないと思われる。
 まず冒頭に収録された「演奏会用アレグロ」に注目したい。スクリャービンが25歳の時に完成した作品であるが、若々しい情熱に溢れた楽想で、外向的に人に訴えかける力を持った音楽。あるいは、後期のスクリャービンにはなかなかなじめないという人にも、この音楽であれば、魅了されるのではないかと思う。ベクテレフの精緻な表現は、この音楽の微細なニュアンスをも汲みつくしていて、解析的な分かり易さとともに、豊かな情感を湛えており、この曲の代表的名演と言うことが出来るだろう。
 ピアノ・ソナタ第2番は近年人気が上昇している曲目だ。ベートーヴェン(Ludwig van Beethoven 1770-1827)の月光ソナタを彷彿とさせる「緩→急」構造を持つ耽美的なソナタ。ベクテレフの絶対的に美しいタッチが生きているし、録音映えする曲だけに、鮮明な音が麗しい。
 ピアノ・ソナタ第8番も大変な名演だ。冒頭から、ゆとりのある間合いで、暖かい呼吸を感じさせる音色に満ち、後半に向けて様々な仕掛けをゆっくり解きほぐすように進めていく。
 スクリャービン最後の作品ということになる5つの前奏曲op.74は、作品自体が重い価値を持っている。支配的な重音、様々な音域で繰り返される神秘和音(特に終曲!)。41歳のスクリャービンが辿りついた境地と呼ぶに相応しい音楽。ベクテレフはここでも周到な音響構造に配意し、十全の演奏効果を引き出している。初期から後期まで、優れた作品が収められた聴きごたえ十分な内容のアルバムだ。

スクリャービン ピアノ・ソナタ 第3番 カノン ニ短調 夜想曲 変イ長調 アルバムの綴り 変イ長調 4つの小品から 第2曲「皮肉」op.56-2 3つの小品 op.2 2つの小品から第1曲「欲望」op.57-1 4つの前奏曲 op.37 3つの小品から第3曲「夢想」op.49-3 3つの小品 op.45 幻想曲  グバイドゥーリナ シャコンヌ
p: ゴーラリ

レビュー日:2015.1.7
★★★★★ タタールスタンの異才、ゴーラリが描くスクリャービンとグバイトゥリーナ
 ロシアのタタールスタン出身のピアニスト、アンナ・ゴーラリ(Anna Gourari 1972-)による2005年録音のアルバム。スクリャービン(Alexandre Scriabine 1872-1915)のピアノ独奏曲に加えて、末尾にゴーラリと同郷の作曲家、グバイドゥーリナ(Sofia Gubaidulina 1931-)の作品が一つ収録されている。内容は以下の通り。
スクリャービン
1) ピアノ・ソナタ 第3番 嬰へ短調 op.23
2) カノン ニ短調 遺作
3) 夜想曲 変イ長調 遺作
5) 「アルバムの綴り」 変イ長調 遺作
6) 4つの小品から「皮肉」 op.56-2
7) 3つの小品 op.2
8) 2つの小品から「欲望」 op.57-1
9) 4つの前奏曲 op.37
10) 3つの小品から「夢想」 op.49-3
11) 3つの小品 op.45
12) 幻想曲 ロ短調 op.28
グバイドゥーリナ
13) シャコンヌ
 当アルバムには「Desir」というタイトルがついているが、これは8)の小品のタイトルである。
 ゴーラリのピアニストは、どちらかというと乾燥した響きで、硬質なくっきりしたラインを示す。そうした中で、フレーズの切れ目をしっかりと聴き手に意識させながら前に進んで行く。スクリャービンの音楽には、特有の神秘性が付きまとうが、ゴーラリのスタイルは、明瞭な光をもって、その骨格を浮き立たせ、むしろリアルな感触に引き寄せている点が特徴的だ。
 ピアノ・ソナタ第3番は私の大好きな楽曲であるが、ゴーラリの演奏で聴くと、音楽に明瞭な間断が刻まれているため、聴き味としては、むしろ淡さを感じさせる。この曲には、アシュケナージ(Vladimir Ashkenazy 1937-)が1972年に録音したものが素晴らしく、その色めきと運動のめくるめく世界に比べると、ゴーラリの演奏は即物的に感じるが、しかし、細部の弾き込みもしっかりしていて、色彩的な表現力もあるので、十分に愉悦をもたらす面もある。
 小品におけるアプローチは、最近のベクテレフ(Boris Bekhterev 1943-)の演奏を彷彿とさせる落ち着きを感じさせるが、それよりはテンポの変動があって、情動的な面を持っている。中で遺作の夜想曲と、4つの前奏曲の耽美性が、このピアニストの感性をより強く感じさせるものと思う。
 情熱的な名曲、「幻想曲」が収録されているのがうれしい。この曲には、古くはソフロニツキー(Vladimir Sofronitsky 1901-1961)、最近ではメルニコフ(Alexander Melnikov 1973-)の名演があるが、ゴーラリのストレートな音色で描かれた幻想曲は、また一層違った味わいで、より微細化された音の成分を意識させる音作りとなっていると感じられる。全体的な起伏感も、過剰ではない範囲で劇的で、スクリャービンらしい変容を巧みに捉えることに成功している。
 末尾のグバイドゥーリナの作品は、断片を繋ぎ合わせたような、衝動性と、保守的な和声を混和した連続性により、現代的な雰囲気をもたらした楽曲といった感じ。ゴーラリの演奏は、楽曲の構造が分かりやすく、近現代の作品にも高い適性を持っていると感じられる。適応範囲の広そうなピアニズムであり、今後もどのような作品を発掘してくれるのか興味深い。

ピアノ・ソナタ 第3番 5つの前奏曲 op.15 から 第1番 第2番 第4番 第5番 5つの前奏曲 op.16 7つの前奏曲 op.17 から 第1番 第2番 第3番 第5番 第6番 第7番 4つの前奏曲 op.22 2つの前奏曲 op.27 4つの前奏曲 op.31 4つの前奏曲 op.33 3つの前奏曲 op.35 4つの前奏曲 op.37 4つの前奏曲 op.39 4つの前奏曲 op.48 3つの小品 op.49 2つの前奏曲 op.67  詩曲「焔に向かって」 op.72
p: カステリスキー

レビュー日:2018.10.9
★★★★★ カステリスキーの貴重な録音。スクリャービンの本質を描き出す名盤。
 1960年のショパン・コンクールで、第6位に入賞したソ連のピアニスト、ヴァレリー・カステリスキー(Valery Kastelsky 1941-2001)は、その後モスクワ音楽院で教育者として、数多くのピアニストを育てるかたわら、ロマン派の優れた弾き手として、ソ連国内を中心に活躍したほか、日本を含む国外でのコンサート活動もある程度あったのだが、メジャー・レーベルへのレコーディングなどがなかったこともあり、自国外ではそれほど知られたアーティストではないだろう。
 しかし、当Classical Recordsからリリースされたスクリャービン(Alexander Scriabin 1872-1915)の録音は、とても素晴らしい内容で、「これこそスクリャービンのピアノ作品」と形容したいような説得力に溢れている。
 収録曲は以下の通り。
1-4) ピアノ・ソナタ 第3番 嬰ヘ短調 op.23
5-8) 5つの前奏曲 op.15 から 第1番 ロ長調 第2番 嬰ヘ短調 第4番 変ホ短調 第5番 嬰ハ短調
9-13) 5つの前奏曲 op.16 (第1番 ロ長調 第2番 嬰ト短調 第3番 変ト長調 第4番 変ホ短調 第5番 嬰ヘ長調)
14-19) 7つの前奏曲 op.17 から 第1番 ニ短調 第2番 変ホ長調 第3番 変ニ長調 第5番 ヘ短調 第6番 変ロ長調 第7番 ト短調
20-23) 4つの前奏曲 op.22 (第1番 嬰ト短調 第2番 嬰ハ短調 第3番 ロ長調 第4番 ロ短調)
24-25) 2つの前奏曲 op.27 (第1番 ト短調 第2番 変ロ長調)
26-29) 4つの前奏曲 op.31 (第1番 変ニ長調 第2番 ヘ長調 第3番 変ホ長調 第4番 ハ長調)
30-33) 4つの前奏曲 op.33 (第1番 ホ長調 第2番 嬰ヘ長調 第3番 ハ長調 第4番 変イ長調)
34-36) 3つの前奏曲 op.35 (第1番 変ニ長調 第2番 変ロ長調 第3番 ハ長調)
37-40) 4つの前奏曲 op.37 (第1番 変ロ短調 第2番 嬰ヘ短調 第3番 ロ長調 第4番 ト短調)
41-44) 4つの前奏曲 op.39 (第1番 嬰ハ長調 第2番 ニ長調 第3番 ト長調 第4番 変イ長調)
45-48) 4つの前奏曲 op.48 (第1番 嬰ヘ長調 第2番 ハ長調 第3番 変ニ長調 第4番 ハ長調)
49-51) 3つの小品 op.49(練習曲 変ホ長調 前奏曲 ヘ長調 夢想 ハ長調)
52-53) 2つの前奏曲 op.67
54)  詩曲「焔に向かって」 op.72
 これらは、1979年から84年にかけて録音された音源であるが、すべてアナログ録音となっている。また、メロディア系特有の大味さのある録音で、必ずしも品質が高いとは言えないが、ソ連の同時代の録音と比較すると、まずまずのレベルといったところか。収録時間は79分超と良心的。
 それより、演奏そのものの素晴らしさが特筆すべきものであろう。
 ピアノ・ソナタ第3番は、スクリャービンの初期の作風が結実した名品だが、カステリスキーの演奏は、薫り高いという形容詞がふさわしい。冒頭から緊張と色彩が見事に調和し、やや速めのテンポで間断なく音響を繰り出していく。また、一つ一つの音色に込められたニュアンスが能弁で、それでいて仰々しい押し付けがましさがない。第3楽章の夢見るように美しいタッチで描かれるカンタービレは、ノスタルジックでありながらカラフルだ。そのエネルギーが減衰していく中から生まれてくる終楽章の躍動にもドラマがある。この楽曲には、名演を事欠かないが、私見では、アシュケナージ(Vladimir Ashkenazy 1937-)、ヴァウリン (Alexander Vaulin 1950-)、マルグリス(Vitaly Margulis 1928-2011)に当盤を加えた4つの録音が、特に秀でていると思う。
 続いて、前奏曲を中心とした小品が多く収録されているが、これも麗しい演奏が揃う。op.15-4はうっとりするようなタッチで美しい世界を誘うし、op.16-1では絶妙な響きの扱いが、ショパンの夜想曲を思わせるたゆたう情緒をもたらす。終結の和音に、ショパンの夜想曲第1番を想起する人もいるだろう。op.16-2では瑞々しいタッチで奏でられる細やかなリズムが魅力的。op.22-1は単音の美しさ、その織りなす情感を極限まで突き詰めた演奏。op.27-2 では短くも燃焼しつくすかのような壮絶な迫力を見せる。op.35-1やop.48-4の荒々しくも弾力的なリズムもまたカステリスキーの魅力だ。そして、傑作op.67-2では、独特の神々しい気配が錯綜する。スクリャービンの小曲が織りなす世界を堪能したのち、詩曲「焔に向かって」のマジカルな雰囲気で、当盤は締められる。
 この演奏を聴くと、カステリスキーというピアニスト、スクリャービン以外の作品にも、相当の名演奏を繰り広げたに違いない。メロディアにはそれらの録音が遺されていると聞くが、入手可能なものが限られているのが、実に惜しい。それはおいておくとして、とにかく素晴らしいスクリャービンであり、多くの人にオススメしたい。

ピアノ・ソナタ 第3番 2つの詩曲 op.69 悲劇的詩曲 詩曲「炎に向かって」 4つの小品 op.51 から 第3番 「翼のある詩曲」 2つの詩曲 op.32 詩曲-夜想曲 悪魔的詩曲
p: マルグリス

レビュー日:2018.10.31
★★★★★ 知られざる名録音。マルグリスによるスクリャービン
 当盤は、2011年に亡くなったロシアのピアニスト、ヴィターリ・マルグリス(Vitaly Margulis 1928-2011)のメモリアル・シリーズの一つで、1986年に録音されたスクリャービン(Alexander Scriabin 1872-1915)のピアノ作品集。INAKからPOEMESというタイトルで発売されていたものの再発売版ということになる。ジャケットは、メモリアル・シリーズで統一されたため、原版から差し替えられている。
 収録曲は以下の通り。
1) ピアノ・ソナタ第3番 嬰ヘ短調 op.23
2,3) 2つの詩曲 op.69
4) 悲劇的詩曲 op.34
5) 詩曲 「炎に向かって」 op.72
6) 4つの小品 op.51 から 第3番 「翼のある詩曲」
7,8) 2つの詩曲 op.32 (第1番 嬰ヘ長調 第2番 ニ長調)
9) 詩曲-夜想曲 op.61
10) 悪魔的詩曲 op.36
 たいへん素晴らしいスクリャービンである。マルグリスは父親にピアノを教わったそうだが、その父親の先生がスクリャービンと一緒に音楽を勉強した間柄だったらしい。まあ、そこまでツテを辿っては、いわゆる直系的な手法を引き継いだとまでは言えないかもしれないが、スクリャービンのピアノ曲を、強い生命力で表現した輝かしい、色めくようなピアニズムといって良い。
 冒頭のピアノ・ソナタ第3番がまず見事で、力強い推進力をベースに、細やかな緩急を交えて、濃厚な色彩感をもって果敢に描き出していく。ことに第1楽章が圧巻で、一部の隙もな高揚感を維持して結末まで叩き込むように描きあげている。第2楽章の躍動感、第3楽章の透明な情感も素晴らしいが、終楽章がまた素晴らしく高い効果を持った弾きぶりで、この楽曲の熱血的な要素を存分に描きあげながら、細部をおろそかにしない冷徹さを持ち合わせ、鮮やかにパチンと閉じるその手腕はまさに天才の演奏といったところ。
 私は、この楽曲が大好きで、数多くの録音を聴いてきたのだけれど、アシュケナージ(Vladimir Ashkenazy 1937-)、カステリスキー(Valery Kastelsky 1941-2001)、ヴァウリン (Alexander Vaulin 1950-)、そして当盤の4つの録音が、群を抜くものと感じられる。この4つの録音からどれを選ぶかは私には難しく判別しようがないが、マルグリスの演奏が最高のグループに属することは疑わない。
 続いて、様々な年代に書かれた「詩曲」というタイトルを持った楽曲たちが収録されているが、こちらも素晴らしい内容。op.69-2では刹那的な気配を巧妙に描き分けて、楽曲の神秘性を瞬時に立ち昇らせる。悲劇的詩曲の色彩感の豊かなことにも驚かされるが、音色の妙はスクリャービンの代表作の一つとして知られる詩曲 「炎に向かって」 で一つの極みとでも言うべきものを示す。劇的な高揚感とマジカルな音色が組み合わさった演奏は、スクリャービンの楽曲において必要なものをすべて備えた感がある。
 op.32は、スクリャービンの初期の作風に後期の気配が入り混じった魅力的な作品だが、特にそのop.32-1で示される声部の交錯で描かれる美しい感傷は忘れがたい。「詩曲-夜想曲」では、曲想の変化に合わせたニュアンスの精緻さと、急峻に立ち現れる感覚的な衝撃が見事。そして、しばしば「悲劇的詩曲」と対をなすように扱われる「悪魔的詩曲」では、規模の大きな展開にともなった変容がこちらも色彩豊かなタッチで再現されていて、文句のつけようがない仕上がり。
 残念ながら、当盤で相当な実力を示すマルグリスであるが、ネーム・ヴァリューがあるとは言えず、当盤もプレス数も限られているだろう。スクリャービンの音楽が好きな人であれば、是非とも入手をオススメする。

ピアノ・ソナタ 第3番 第4番 12の練習曲 2つの詩曲 op.32 4つの前奏曲 op.22 9つのマズルカ op.25 から 第3番 ホ短調 第8番 ロ長調
p: ニコノーヴィチ

レビュー日:2018.8.24
★★★★★ ニコノーヴィチがDENONレーベルに遺した貴重なスクリャービン録音
 ウズベキスタンのタシケント生まれのロシアのピアニスト、イーゴリ・ニコノーヴィチ(Igor Nikonovich 1935-2012)は、ロシアではスクリャービン(Alexander Scriabin 1872-1915)そして、ロマン派の名手としてそれなりに知られた存在だったが、録音活動より音楽教育に重点をおいていたこともあって、ロシア国外では、その名はさほど知られてはいなかった。
 しかし、日本国内レーベルのDENONが、ニコノーヴィチの録音を何点か記録し、発売したことは慧眼で、彼の芸術が記録される貴重な機会を提供したと言える。
 当盤は、ニコノーヴィチが得意としていたスクリャービンのピアノ作品集で、以下の楽曲が収録されている。
1-4) ピアノ・ソナタ 第3番 嬰ヘ短調 op.23
5-16) 12の練習曲 op.8 (第1番 嬰ハ長調 第2番 嬰ヘ短調 第3番 ロ短調 第4番 ロ長調 第5番 ホ長調 第6番 イ長調 第7番 変ロ短調 第8番 変イ長調 第9番 嬰ト短調 第10番 変ニ長調 第11曲 変ロ短調 第12曲 嬰ニ短調「悲愴」)
17,18) 2つの詩曲 op.32 (第1番 嬰ヘ長調 第2番 ニ長調)
19-22) 4つの前奏曲 op.22 (第1番 嬰ト短調 第2番 嬰ハ短調 第3番 ロ長調 第4番 ロ短調)
23,24) 9つのマズルカ op.25 から 第3番 ホ短調 第8番 ロ長調
25,26) ピアノ・ソナタ 第4番 嬰ヘ長調 op.30
 1997年の録音。
 私は当盤を聴く少し前に、OLYMPIAからリリースされているニコノーヴィチが1995年に録音したスクリャービンのピアノ作品集を聴いた。それは、この作曲家の作品に相応しい香気と色彩を、なめらかなタッチで演出した絶妙の内容で、このピアニストの弾くスクリャービンの素晴らしさを実感した。
 当盤は、その2年後の録音となるが、マイク位置がやや楽器に近いためか、上述の既聴盤と比べると、ややソリッドで凹凸感の強い演奏に感じられる。正直、演奏者名を伏せてこれら2つのディスクを聴いたら、私は違う奏者が弾いている、と思っただろう。
 とはいえ、当盤も優れたスクリャービン録音である。ピアノ・ソナタ第3番は私の大好きな楽曲であるが、ニコノーヴィチはやや速めのテンポを主体に、起伏感と躍動感を一体とした推進を見せる。音色はカチッとした明瞭な輪郭を持っているが、緩急に併せた強弱を巧みに用い、曲想に応じたニュアンスも豊かだ。耽美的で夜の瞑想を感じる第3楽章は、ガラス細工を思わせる精巧なタッチで描きあげる。
 スクリャービン若き日の傑作「12の練習曲」では、音色の硬いところがあって、少しガチャつく印象はあるのだけれど、全体としては見事なものと言って良い。印象的な個所では、第3番ロ短調では、左右のオクターヴの交錯が情熱的に表現されているし、第8番変イ長調では和声と旋律の効果的なやりとりが美しく表現される。第9番嬰ト短調では規模の大きい勇壮な響きが導かれるし、第10番変ニ長調では、鋭敏なリズム感に裏打ちされた重音により刻まれるスタッカートが鮮やかだ。そして、いまやスクリャービンのピアノ独奏曲でも、もっとも知られるようになった第12番嬰ニ短調「悲愴」では、鋭角的な音響で鍵盤を駆け回る様が圧巻である。ある程度、解釈の範囲で音価をゆらしているが、そういったところは、ソフロニツキー(Vladimir Sofronitsky 1921-1961)を思わせる部分もある。
 また「2つの詩曲」では、このピアニストらしい透明な香気を感じさせる。末尾に収録されたピアノ・ソナタ第4番の前半部分でも、その結晶化したような完全性を感じさせるタッチは、多くの聴き手を魅了するものだろう。

スクリャービン ピアノ・ソナタ 第3番 第4番 第5番 アルバムの綴りop.45-1 op.58  ベクテレフ スクリャビニアーナ(詩曲op.32-1 なぞop.52-2 欲望op.57-1 舞い踊る愛撫op.57-2 皮肉op.56-2 練習曲op.56-4 花飾りop.73-1 暗い炎op.73-2)
p: ベクテレフ fl: アンチロッティ

レビュー日:2014.6.30
★★★★★ ベクテレフのスクリャービン、「ソナタ」については全曲揃いました。
 ロシアのピアニスト、ボリス・ベクテレフ(Boris Bekhterev 1943-)は、10年ほど前までは、ほとんど録音面で目立った活躍がなかったが、今世紀に入ってから、カメラータ・トウキョウスから優れた録音を発表するようになり、私もその存在を知った。中でも2006年から開始されたスクリャービン(Alexander Scriabin 1872-1915)のピアノ作品シリーズは、その体系化された内容と、高い演奏の品質から、このピアニストのライフワークと言って良いものとなっている。
 本盤は、そんなベクテレフによる、スクリャービン・シリーズ「第7弾」に当たる2013年録音のアルバム。収録曲は以下の通り。
1) ピアノ・ソナタ 第3番 嬰ヘ短調 op.23
2) ピアノ・ソナタ 第4番 嬰ヘ長調 op.30
3) 3つの小品から第1番「アルバムの綴り」 op.45-1
4) アルバムの綴り op.58
5) ピアノ・ソナタ 第5番 op.53
6) ベクテレフ編「スクリャビニアーナ」(スクリャービン作品をフルートとピアノのために編曲したもの)
 ・ 3つの小品から第2番「なぞ」 op.52-2
 ・ 2つの小品から第1番「欲望」 op.57-1
 ・ 2つの小品から第2番「舞い踊る愛撫」 op.57-2
 ・ 4つの小品から第2番「皮肉」 op.56-2
 ・ 4つの小品から第4番「練習曲」 op.56-4
 ・ 2つの舞曲から第1番「花飾り」 op.73-1
 ・ 2つの舞曲から第2番「暗い炎」 op.73-2
 本盤の登場を持って、ピアノ・ソナタについては全曲の録音が終了したことになる。なお、末尾に収められた「スクリャビニアーナ」という作品は、ベクテレフ自身が、スクリャービンのピアノ独奏曲8曲を、フルートとピアノのために編曲したもの。フルートは、マリオ・アンチロッティ(Mario Ancillotti 1946-)が担当している。
 ピアノ・ソナタ第3番は、スクリャービンがロマン派的作風を主としていたころの代表的作品と言える傑作で、印象的な付点の音型が、時に情熱的に、時に懐古的に繰り返される抒情性と古典性に満ちた音楽だ。ベクテレフのスタイルは、ややゆっくりした表現で、真摯にアプローチされたもので、非常に真面目にスクリャービンに取り組んだ凛々しさが伝わってくる。楽想の膨らみも、熱にうなされるようなことはなく、対となる音型を明瞭に刻んで、構造的な幅を解き明かして進む。耽美的な第3楽章は、淡々と語られながらも、透明な切なさがあり、胸に迫る。このソナタは、スクリャービンの諸作品の中でも、フレーズの繰り返しや転用などにより、全4楽章の緊密性が高く図られた作品であるが、ベクテレフはそれらのフレーズを、くっきりと浮かびあげて、その性格を明瞭にしている。
 ソナタ第4番と第5番は、スクリャービンが新しいものを目指した次のステップで生まれた作品で、古典的和声からの発展的離脱が試みられる。属七や属九の和音の多用と、その第5音のさまざまな変化がその特徴とされるが、ベクテレフは響きそのものを明瞭かつ自然に響かせ、その斬新性を強調させず、むしろさりげなく示したように感じられる。
 スクリャービンは様々なピアノ作品を書いているが「アルバムの綴り」という標題を持つ作品が2つあり、当盤にはその2つが収録されている。これまでも、「マズルカ」「練習曲」など、同じタイトルを持つ作品を集めてアルバムにしてきたので、ここでも、同様の方針で、この2曲が選曲されたと思われる。op.45は、スクリャービンが、「詩的に」「歓喜を持って」といった内容のスコア指示を書き始めた頃の作品で、ミステリアスな雰囲気に足を踏み入れたニュアンスに満ちている。
 「スクリャビニアーナ」も面白い。最初は、スクリャービンの神秘和音等の演奏効果と、単音を奏でるフルートのような木管楽器には、ミスマッチ感覚があった。聴いてみて、その感がなくなったわけではないけど、かなりすっきりとした雰囲気になっていて、なるほど、この曲の「フレーム」の部分は、このようになっているのか、と興味深い感慨を持った。旋律音と支持音の分離は、スクリャービンの意図とは異なるかもしれないが、霧深い異世界を彷徨(さまよ)った時に聴こえてくるような音楽で、不思議な美しさに満ちている。
 当盤で「ソナタ」についてはめでたく完結。ここまで来たら、ベクテレフには、スクリャービンの全てのピアノ独奏曲を録音してほしい。

ピアノ・ソナタ 第3番 第8番 24の前奏曲
p: エッカードシュタイン

レビュー日:2018.11.12
★★★★★ 明朗な甘美を描いたエッカードシュタインのスクリャービン
 2003年のエリザベート王妃国際コンクールで優勝したドイツのピアニスト、セヴェリン・フォン・エッカードシュタイン(Severin von Eckardstein 1978-)が、優勝の翌年である2004年に録音したスクリャービン(Alexander Scriabin 1872-1915)のピアノ作品集。収録曲は以下の通り。
1) 24の前奏曲 op.11
2) ピアノ・ソナタ 第8番 op.66
3) ピアノ・ソナタ 第3番 嬰ヘ短調 op.23
 しなやかに若々しい感性で弾かれた健康的なスクリャービン、という印象。旋律の扱いに適度な甘美があり、ペダルを使って演出される陰影は美しく、しばしば夢想的な空間に聴き手を誘う。
 24の前奏曲は、個々の楽曲の特徴を活かしたアプローチで、しっかりと描き分けている。第2番では、丁寧に奏でられる分散音が作り出す独特の気配が、幾分の自由さをもった間合いで提示される。第4番では、降りてくる夜の気配を描くような沈静化が美しい。第7番では、たゆたうように盛り上っていく情熱があり、第8番では一呼吸ごとに情感を重ねる重厚な趣がある。
 第11番は夢見るように描かれる(ちなみに私はこの楽曲が大好きで、自分のホームページでも紹介している)。第18番では激しいオクターヴ奏法、第19番では壮麗な華やかさ、第23番では細やかなニュアンスがいずれも確かな技巧で繰り出されていて、見事である。
 ソナタ第8番は、スクリャービンの10曲あるピアノ・ソナタの中では、特に地味な存在のものかもしれない。しかし、そのマジカルな雰囲気は、傾聴に値するという以上に、芸術的だし、どこかラヴェル(Maurice Ravel 1875-1937)の怪奇趣味に通じる世界観が描かれているようにも感じられる。そして、このエッカードシュタインの録音は、入手可能な音源の中でも特に美しいものの一つと言える。録音が良いということもあるのだが、うまくテンポを動かしながら、微温にまどろみながら動くような、どこか艶めかしいものを保ちながら、感情的なものを豊かに表現している。
 それに比べると、録音数が多い第3番は、やや常套的なスタイルに聴こえるが、粒だった音階は鮮烈で印象的だし、じっくりとテンポを落とした第3楽章も耽美性で聴かせるものがある。
 全般に優れた録音であり、より活発な録音活動を展開してほしいピアニストの一人ではある。

ピアノ・ソナタ 第3番 第9番「黒ミサ」 幻想曲 ワルツ 2つの舞曲 op.73 詩曲 「炎に向かって」
p: ヴァウリン

レビュー日:2018.9.28
★★★★★ これは名演!知られざるロシアのピアニスト、アレクサンデル・ヴァウリンによるスクリャービンの作品集
 ロシアのピアニスト、アレクサンデル・ヴァウリン(Alexander Vaulin 1950-)によるスクリャービン(Alexander Scriabin 1872-1915)のピアノ作品集。収録曲は以下の通り。
1) ピアノ・ソナタ 第3番 嬰ヘ短調 op.23
2) 幻想曲 ロ短調 op.28
3) ワルツ 変イ長調 op.38
4) ピアノ・ソナタ 第9番 「黒ミサ」 op.68
5) 2つの舞曲 op.73(第1番 花飾り 第2番 暗い炎)
6) 詩曲 「炎に向かって」 op.72
 1996年の録音。
 私がこのピアニストの録音を聴いたのは、当盤が初めてで唯一なのだが、とても素晴らしい内容で感服した。少なくとも、当録音で聴く限り、このピアニストにはスクリャービン演奏に必要なものが全て備わっていると感じられる。それは、色彩豊かなタッチであり、濃淡の幅のある感情表現であり、神秘性を伴う加減速を得るための呼吸である。
 中でも秀逸なのは、ピアノ・ソナタ第9番ではないか。この楽曲はスクリャービンの神秘主義が一つの究極的表現に到達した作品であると思われるが、ヴァウリンは繊細な語法を突き詰めながら、骨太で濃厚な全体の流れを維持し、そこに濃く染め上げられた気配を描きあげていく。低音の十全な重さ、細かいフレーズの明瞭さ、そして、うごめくような妖しさを伴ったルバートの美しさ。テンポの変動に伴って、全体のうねりの波高が一気に上下するところは圧巻と言うほかなく、うなされるような熱狂の果てに、音楽の終局を迎える。この作品の持つ壮絶さを圧倒的な表現力で描き切った熱い絵巻であり、この曲を代表する名演といって良いだろう。
 他の楽曲もおしなべて良い。ロマン派の味わいを持つピアノ・ソナタ第3番では、それにふさわしい明るさや強さを伴った表現で、全般が力に満ち、つねに躍動するリズムが活きている。耽美的な第3楽章も、瑞々しい高音が、夜空にきらめく星の光を描き出すようだ。ワルツでは瀟洒な趣を残しながらも、その底辺にある力強い脈動が伝わってくる。ロシア的な濃厚さの伴った演奏と表現すべきか。
 「幻想曲」も名曲だ。それにしても、このアルバム、スクリャービンのピアノ・ソナタ第3番と第9番、それに幻想曲に詩曲 「炎に向かって」と、スクリャービンの代表的ピアノ独奏曲を立て続けに聴ける喜びも提供してくれる。「幻想曲」もとにかくこのピアニストの「巧さ」がにじみ出ている。主題の扱い方に運動的・拘束的な美観が満ちているだけでなく、その提示が繰り返される中で変容され、熱量を蓄積する様子が、確かな設計で描かれていることも素晴らしい。楽曲が進む中で、エネルギーが増して行き、光と熱があふれ出していく。決して大げさな演出をしているわけではなく、細かい部分も成功に描かれているのだけれど、その一方で全体的な表現力の強さも尋常のレベルを凌駕したものがあり、稀有な名演と感じさせてやまない音楽となっている。
 「2つの舞曲」では絶対的なソノリティの美しさも堪能させてくれる。そこで描かれるミステリアスな世界は、スクリャービン音楽の無二の魅力に他ならない。それにしても、スクリャービンという作曲家、その作品を夢中になって聴いているとき、私はしばしばスクリャービンこそ最高の作曲家だったのではないか、との思いに浸ってしまう。そのような陶酔的な要素を、この演奏は感じさせてくれるのだ。
 そして、末尾に詩曲 「炎に向かって」が置かれる。緊張と神秘を交錯させながら、スクリャービンのたどり着いた世界を知らせるような高音の和音が伝えられるまで、劇性とコントロールをもって見事に描かれている。
 ヴァウリンというピアニスト、なかなか聴く機会がなく、当盤も入手が難しいものとなっているが、そのような現状は、もったいないという他ない。ぜひとも、定番と呼べるような形で、様々な録音をリリースしてもらいたい。

スクリャービン ピアノ・ソナタ 第3番 第9番「黒ミサ」  プロコフィエフ ピアノ・ソナタ 第8番  ラフマニノフ 10の前奏曲 第4番
p: ソコロフ

レビュー日:2020.11.9
★★★★☆ ソコロフによるロシア・ピアノ作品集
 ロシアのピアニスト、グリゴリー・ソコロフ(Grigory Sokolov 1950-)による下記の楽曲を収録したアルバム。
 スクリャービン(Alexander Scriabin 1872-1915)
1) ピアノ・ソナタ 第3番 嬰ヘ短調 op.23 1988年ライヴ録音
2) ピアノ・ソナタ 第9番 「黒ミサ」 op.68 1988年ライヴ録音
 プロコフィエフ(Sergey Prokofiev 1891-1953)
3) ピアノ・ソナタ 第8番 変ロ長調 op.84 1984年録音
 ラフマニノフ(Sergey Rachmaninov 1873-1943)
4) 10の前奏曲 op.23 から 第4番 ニ長調 1988年録音
 私はこれまでソコロフの録音では、バッハ(Johann Sebastian Bach 1685-1750)とショパン(Frederic Chopin 1810-1849)を聴いてきた。その結果、音の強さ、太さ、重さを維持した疾走感や、音の独立性に感嘆する一方で、音色の単調さや、緩徐部分における極端なスローテンポが気になり、総じて評価は微妙で、繰り返し聴くようなものにはなっていない。それに比べると、当盤に収録したロシア音楽の方が、ずっとすっきりと感じられた。ソコロフのピアノの武骨さを、楽曲の側が活かしてくれたという面もある。
 もちろん、ソコロフ特有の音の強さが、ところどころうるささに結び付いて、ついヴォリュームを絞りたくなってしまうところは残るのであるが、テンポ設定については、十分に納得できるもので、かつ重々しい疾駆の魅力は、存分に維持されているだろう。
 中で良いと思ったのがプロコフィエフで、その終楽章における強靭な音を圧倒的なコントロールで収れんさせる様は見事で、その粒立ちの見事さ、音の大きさ、っスタッカートの鋭角的な切れ味等で、他の録音を圧倒した感すらある。中間楽章も、メランコリーに偏り過ぎない楽想が、かえってソコロフの特徴と一致し、聴き易い運びとなっており、これまで私が聴いてきた中では、圧倒的にソコロフのベスト・パフォーマンスと断言してよい。
 スクリャービンは、正直、この作曲家特有の色香の部分に物足りない部分が残るという印象はあるのだが、彫像性豊かな響きで、明暗をくっきり描いたソノリティーは、見事なもので、特に第3番の第1楽章と単一楽章の第9番では効果的だ。第9番のフォルテの強靭さに魅了される人も多いだろう。第3番の第3楽章など、もっといろいろなニュアンスがほしいところではあるが、ソコロフを聴く以上、そこらへんは仕方ないだろう。ちなみに、私はスクリャービンのソナタ第3番については、相当な種類の録音を所有しているが、特に気に入っているのは、アシュケナージ(Vladimir Ashkenazy 1937-)、カステリスキー(Valery Kastelsky 1941-2001)、マルグリス(Vitaly Margulis 1928-2011)、ヴァウリン(Alexander Vaulin 1950-)の4種である。参考までに。
 ラフマニノフの前奏曲は、情緒的な作品なので、ソコロフで聴くとどうかな?と思ったのだが、思いのほか良かった。淡々としているがカンタービレもほどよくあって、美しい。ただ、1曲だけというのがよかったのかもしれない。このスタイルで、例えばラフマニノフの24の前奏曲を続けて聴いたとしたら、印象が異なってくるかもしれない。

ピアノ・ソナタ 第4番 24の前奏曲から第11番、第13番 5つの前奏曲(op16)から第1番、第3番、第4番 4つの前奏曲(op.22)から第1番、第2番、第3番 2つの詩曲(op.32) 8つの練習曲から第4番、第5番 ワルツ(op.38) 3つの小品op.49から第3番「夢」 4つの小品(op.51)から第3番、第4番 2つの小品(op.57) 2つの小品(op.62)から第2番「不思議」 2つの舞曲(op. 73) 5つの前奏曲(op. 74) 詩曲「炎に向かって」(op. 72) ワルツ変ニ長調
p: フェルツマン

レビュー日:2013.2.8
★★★★★ なかなかの好相性振りを示したフェルツマンのスクリャービン
 ウラディーミル・フェルツマン(Vladimir Feltsman 1952-)による、2011年録音の、スクリャービン(Alexander Scriabin 1872-1915)の作品集。まず、収録曲を書く。
1) 24の前奏曲から第11番、第13番
2) 5つの前奏曲(op16)から第1番、第3番、第4番
3) 4つの前奏曲(op.22)から第1番、第2番、第3番
4) ピアノ・ソナタ 第4番
5) 2つの詩曲(op.32)
6) 8つの練習曲から第4番、第5番
7) ワルツ(op.38)
8) 3つの小品(op.49)から第3番「夢」
9) 4つの小品(op.51)から第3番、第4番
10) 2つの小品(op.57) 
11) 2つの小品(op.62)から第2番「不思議」
12) 2つの舞曲(op.73)
13) 5つの前奏曲(op.74)
14) 詩曲「炎に向かって」(op. 72)
15) ワルツ変ニ長調
 とにかく、様々な作品から「抜粋」の形で収録しているため、網羅的でなく、弾きたいと思ったところだけチョイスしたといった自由さの感じられる曲目となっている。また、スクリャービンの作品群自体、そのような弾かれ方をしても特に問題のないものとも言えるかもしれない。ただ、湧き上がる楽想を、その順番に音楽として書き起こしていった風であり、ことさら前後の脈絡や相関に配意したような楽曲ではなさそうに思う。
 24の前奏曲の第11番が冒頭に置かれているのがよい。私もこの楽曲は単品としても大好きな作品で、スクリャービンの神秘性が抑制される代わりに、自然なメロディが息づいており、抒情に満ちている。この曲をフェルツマンはたいへん美しい音色で、夢見るように柔らかに奏でている。この冒頭で、このアルバムは成功したといっていいくらい。
 その後も、フェルツマンは感興豊かな音楽を紡ぎ出していて、全般に良い雰囲気が満ちている。このピアニストの場合、テンポや強弱など、独自の主張により動かす幅を大きくとるのだが、スクリャービンの音楽が、そのような「伸縮」によって、生命力を増し、色づいていると感じられる。なかなか相性の良いピアニストと作品群ではないだろうか。
 唯一取り上げられたソナタが第4番であるというのも面白い。2つの楽章がアタッカで演奏される10分以下の短いソナタであるが、第1楽章の不思議さと第2楽章のプレスティッシモの劇性の対比が特徴的。このプレスティッシモの豊麗な運動美が、フェルツマンの演奏では強調されるように引き出されていて、しかも、感情をぶつけるような伸縮の動きが加わっていて、たいへん情熱的だ。
 後期の象徴的な作品である「5つの前奏曲(op.74)」については、全曲収録されているのが嬉しい。詩曲「炎に向かって」とともにスクリャービン特有の和声が連なるが、フェルツマンの自在性あるアプローチにより、曲の艶めかしい一面が良く表出しており、スクリャービンらしさが良く伝わる。
 全般にピアニストの特性が発揮され、良好な結果が得られた録音であると思った。

スクリャービン ピアノ・ソナタ 第4番 第5番 詩曲 嬰ヘ長調 op.32-13 詩曲「焔に向かって」 op.72  ヤナーチェク ピアノ・ソナタ「1905年10月1日、街頭にて」  草かげの小径にて 第1集
p: ハフ

レビュー日:2015.11.13
★★★★★ 2人の個性的な作曲家の意味深な組み合わせ
 イギリスのピアニスト、スティーヴン・ハフ(Stephen Hough 1961-)によるスクリャービン(Alexander Scriabin 1872-1915)とヤナーチェク(Leos Janacek 1854-1928)のピアノ独奏曲から構成されたアルバム。収録曲目は以下の通り。
1) スクリャービン ピアノ・ソナタ 第5番 op.53
2) ヤナーチェク 「草かげの小径にて」第1集 JW.VIII/17
3) スクリャービン 2つの詩曲 op.32 から 第1曲 嬰ヘ長調
4) スクリャービン 詩曲「焔に向かって」 op.72
5) ヤナーチェク ピアノ・ソナタ「1905年10月1日、街頭にて」
6) スクリャービン ピアノ・ソナタ 第4番 嬰ヘ長調 op.30
 録音は、1),5),6)が2011年、2),3),4)が2013年。
 スクリャービンとヤナーチェクというユニークな組み合わせ。2013年に録音が終了していたにも関わらず、リリースが2015年となったのは、当該年がスクリャービン没後100年であったことと何か関係があるのだろうか?少なくとも、発売を遅らせてまでアニバーサリー・イヤーにこだわる必要はないだろうから、それは考え過ぎだろうか。とはいえ、2015年を豊かに彩ってくれるアルバムの一つとなった。
 このアルバム構成については、ハフ自身のコメントが添えられている。「このアルバムには、2人の独創的なスラヴの作曲家の作品が収録されています。彼らは、まったく異なったタイプの作曲家ですが、それらの作品はともに高いエネルギーと、力強い性的な衝動を持っています。ヤナーチェクは常に落ち着かない調和的な手法で、時に強迫観念的と言えるほど小さなセルを繰り返します。スクリャービンは、長い官能的な響きを、調性の濃厚な香りの中で浮き沈みさせます。ヤナーチェクは垂直的(vertical)であり、スクリャービンは水平的(horizontal)です。私はこの対比が好きなのです。これらの作品を交互に置くことで、互いの作品の美しさを引き立たせることが出来ます。スクリャービンだけ聴いているとうんざりすることもあります。ヤナーチェクだけ聴いていると疲れてしまうこともあるでしょう。しかし、交互に配することで素晴らしい対比の効いたパッチワークとなります。」
 私の場合、ヤナーチェクもスクリャービンも大好きだから、彼らの作品だけで1枚のアルバムを聴いても存分に楽しめる性分なのだけれども、ハフの指摘は興味深く、このアルバムを聴くていると、なるほど、コントラストの効いた表現力を感じる。
 演奏は、普段のハフより幾分情緒の表出を高めた印象で、自身の言葉通りに、各作品の「力強さ」「感情表現の強さ」を描き出した演奏。ヤナーチェクの「草かげの小径にて」は、フィルクシュニー(Rudolf Firkusny 1912-1994)・やシフ(Andras Schiff 1953-)の名盤に比べて、より輪郭のくっきりした前進性のある響きであり、簡潔な勢いを感じさせる。ピアノ・ソナタ「1905年10月1日、街頭にて」も啓示的と形容したい響きで、ドラマチックな情感の動きがメリハリをつけている。
 スクリャービンでは中間に配された2曲の詩曲が美しい。響きの軽重のコントロールで、明暗のはっきりした演奏だ。両端に配されたソナタでは、冒頭に無調性期の最初のソナタ、最後に調性期の最後のソナタを置いているのが印象的。第5ソナタの衝撃的な導入部の効果は、アルバム全体へ聴き手を導くものともなっている。ハフの確かな技巧と、豊かな音量を背景とした、見事な一枚となっている。

ピアノ・ソナタ 第4番 第5番 6つの前奏曲 op.13 5つの前奏曲 op.16 悲劇的な詩 悪魔的な詩 8つの練習曲 詩曲「焔に向かって」
p: ホロデンコ

レビュー日:2018.7.19
★★★★★ 演奏者のスクリャービンへの強いシンパシーを感じさせる名演
 2013年ヴァン・クライバーン・コンクールで優勝したウクライナのピアニスト、ヴァディム・ホロデンコ(Vadym Kholodenko 1986-)によるスクリャービン(Alexander Scriabin 1872-1915)のピアノ独奏曲集がリリースされた。2017年の録音で、収録曲は以下の通り。
1) 6つの前奏曲 op.13(第1番 ハ長調 第2番 イ短調 第3番 ト長調 第4番 変ホ短調 第5番 ニ長調 第6番 ロ短調)
2) 5つの前奏曲 op.16(第1番 ロ長調 第2番 嬰ト短調 第3番 変ト長調 第4番 変ホ短調 第5番 嬰ヘ長調)
3) ピアノ・ソナタ 第4番 嬰ヘ長調 op.30
4) 悲劇的詩曲 op.34
5) 悪魔的詩曲 op.36
6) 8つの練習曲 op.42(第1番 変ニ長調 第2番 嬰ヘ短調 第3番 嬰ヘ長調 第4番 嬰ヘ長調 第5番 嬰ハ短調 第6番 変ニ長調 第7番 ヘ短調 第8番 変ホ長調)
7) ピアノ・ソナタ 第5番 op.53
8) 詩曲「焔に向かって」 op.72
 曲目を俯瞰してわかる通り、スクリャービンの様々な時期の作風に従った作品を、作曲年代順に並べるというコンセプトによっている。
 ホロデンコのピアノは初めて聴いたのだが、とてもアコースティックで、どことなく古風さを感じさせるところがある。例えば、ピアノ・ソナタ第5番で聴かれる高音域の和音は、もっと輝かしく弾かれることが多いのだけれど、ボロデンコの音は、芯がある一方で軽やかで、ピアノという楽器の材質である木の響きを強く想起させる。解説によるとファツィオリを使用しているとのことだが、私が今まで聴いてきたファツィオリのイメージともちょっと違う。それは、この楽器もまた、弾き手や環境によって印象を変えるという、当たり前のことなのかもしれないが。
 上記の特性を踏まえて、ホロデンコのピアニズムは、鋭いアクセントを交えながらも、全体によどみのない流れで、それぞれの楽曲に相応しい思慮深いものとなっている。
 冒頭の「6つの前奏曲」及び「5つの前奏曲」は、保守的な作風であるが、それゆえのロマンティックなフレーズにホロデンコは健やかな作法でメロディ・ラインを描き出す。また、5つの前奏曲の第2番嬰ト短調など、スクリャービン特有の語法のフレーズがすでに色濃く出るわけであるが、ホロデンコは巧妙なアクセントにより、フレーズの間合いに起きる静寂が引き起こす緊張感を巧みに描き出しており、私はその世界に没入できた。
 調性を持つ最後のソナタである第4番では、印象派を思わせる細やかな不協和を含む和音を瑞々しく描き出し、シマノフスキ(Karol Szymanowski 1882-1937)を思わせる響きや、ドビュッシー(Claude Debussy 1862-1918)を思わせる和声があることを教えてくれる。それは、この楽曲の音楽史的な意味での存在意義でもある。「悲劇的詩曲」と「悪魔的詩曲」もスクリャービン中期ならではの楽曲であるが、特に後者では、意味深なスタッカートの響きが伝わってくるのが興味深い。
 8つの練習曲では、やはり第5番の嬰ハ短調が聴きモノで、ホロデンコの繰り出す音の流れの良さ、そして全体的な音の恰幅を維持して、暖かく進んでいく肉厚なエネルギーが魅力的だ。
 後期の世界の入口となるピアノ・ソナタ第5番では、ホロデンコのテクニックによって、瞬発的な音の立ち現れと減衰が巧妙に描かれており、全体のスキのない流れと併せて、とても質の高い演奏になっていると思う。
 ホロデンコがスクリャービンという作曲家に深い愛着があり、その知見を演奏に見事に還元する芸術家であることを示すアルバムであり、今後の活躍も大いに期待したい。

スクリャービン ピアノ・ソナタ 第4番 第5番 ワルツ 変イ長調 2つの詩曲 op.32  ラヴェル 高雅で感傷的なワルツ ソナティネ ラ・ヴァルス
p: H.J.リム

レビュー日:2021.12.13
★★★★☆ 奔放かつ情熱的にアプローチされたラヴェルとスクリャービン
 韓国出身で、フランスを中心に活躍し、現在はスイスに在住するピアニスト、リム・ヒョンジョン(Hyun-Jung Lim)によるラヴェル(Maurice Ravel 1875-1937)とスクリャービン(Alexander Scriabin 1872-1915)のピアノ独奏曲を組み合わせたアルバム。収録内容は以下の通り。
1) ラヴェル 高雅で感傷的なワルツ
2) スクリャービン ピアノ・ソナタ 第4番 嬰ヘ長調 op.30
3) スクリャービン ピアノ・ソナタ 第5番 op.53
4) ラヴェル ソナティネ
5) スクリャービン ワルツ op.38
6) スクリャービン 2つの詩曲 op.32(第1番 嬰ヘ長調 第2番 ニ長調)
7) ラヴェル ラ・ヴァルス
 2012年の録音。
 私は、このピアニストが当盤と同時期に録音したベートーヴェン(Ludwig van Beethoven 1770-1827)のアルバムを聴いたことがあるが、この録音もベートーヴェンと同様に、自由奔放といった感じの弾きぶりだ。
 ラヴェルとスクリャービンという組み合わせ自体は面白いが、リムのピアノからは、両者の作風を対比させたり、あるいは共通項を見出したりというような意図はほとんど感じられず、どれも、同じように、情熱の奔流を描き出し、結果的に一様性のあるものとなっている。技術の高さはなかなかなもので、相当に速いテンポでも、強靭な音を細かく打ち込んでいて、それをベースにした畳み掛けは鮮やかで燃焼性が高い。その一方で、スクリャービンの作品では、この作曲家の作品特有の抽象的な世界に聴き手を誘うようなものはほとんど感じられず、その点が私には物足りない。光沢のある音色は美しく、研ぎ澄まされた感性も伝わってくるが、全体として、なにか芸術的な高みへの到達感のようなものは、少なくとも私にはあまり感じられない。スタイルや雰囲気はスドビン(Yevgeny Sudbin 1980-)を思わせるところもあるのだが、リムの演奏は、現実的なところから遊離できない。これは、演出における様々なアイデアが、瞬発的、偶発的な性格を強く持ちすぎるためだと思うが、いかがだろうか。
 一方で、良いのはラヴェルであり、特に末尾に収録されたラ・ヴァルスは、奔放でありながら、楽曲の性格がそれを包容し、色彩的な豊かさが存分に味わえる。管弦楽版と遜色ないくらいの華やかさと艶やかさがあり、聴きごたえ十分だ。ソナティネも良い。
 スクリャービンは前述のように、限界を感じるところがあることは否めないが、それでも、ソナタ第5番の迫力あるフォルテや、op.32-1のスピード感などは聴きどころと言って良く、op.38のワルツも、音の振幅が心地よい。決して演奏の質が低いわけではない。ただ、他の様々なスクリャービン弾きの演奏と比べると、もう一味足りないところが残る。

ピアノ・ソナタ 第4番 第10番 24の前奏曲 やつれの詩曲 踊りの詩曲 3つの小品 2つの小品 前奏曲集から
p: プレトニョフ

レビュー日:2004.2.28
★★★★☆ 不思議な美しさのあるスクリャービンの世界
 24の調性を用いる前奏曲はバッハ、ショパンにそのルーツを持つ。スクリャービンの作品は初期の代表作で、ショパンの影響を強く残している。全曲盤は意外と少ない。
 このプレトニョフ盤も国内盤は出ておらず、店頭にもまずない。しかしいい曲である。
 第1番冒頭の美しい音階と和音の綾なす世界からすでにスクリャービンの世界が開かれる。ショパンに比べると、調子が変らない感じもあるが、スクリャービンならではの不思議さがあり、魅力的。プレトニョフは弱美音の潤いに細心の気を配った演奏で、豊なニュアンスに満ちている。
 他にもピアノソナタ第4番、第10番、やつれの詩曲、踊りの詩曲、3つの小品、2つの小品、24以外の前奏曲集から何曲か収録されている。

ピアノ・ソナタ 第6番 ポロネーズ 4つの前奏曲 op.37  4つの前奏曲 op.31  4つの前奏曲 op.48  4つの小品 op.51 より 第2番 前奏曲 イ短調 3つの小品 op.35より 第1番 アルバムの綴り 悲劇的詩曲 2つのマズルカ op.40  3つの小品 op.52 より 第2番 なぞ 第3番 やつれの詩曲 2つの小品 op.57 詩曲-夜想曲  2つの詩曲 op.63 2つの小品 op.59 より 第1曲 詩曲 2つの詩曲 op.69 2つの詩曲 op.71 2つの舞曲 op.73 詩曲「炎に向って」
p: ニコノーヴィチ

レビュー日:2018.9.11
★★★★★ 重要なスクリャービン奏者、ニコノーヴィチの実力を伝える名盤
 ウズベキスタンのタシケント生まれのロシアのピアニスト、イーゴリ・ニコノーヴィチ(Igor Nikonovich 1935-2012)によるスクリャービン(Alexander Scriabin 1872-1915)のピアノ作品集。収録曲は以下の通り。
1) ポロネーズ 変ロ短調 op.21 1988年録音
2-5) 4つの前奏曲 op.37 (第1番 変ロ短調 第2番 嬰ヘ短調 第3番 ロ長調 第4番 ト短調) 1981年録音
6-9) 4つの前奏曲 op.31 (第1番 変ニ長調 第2番 ヘ長調 第3番 変ホ長調 第4番 ハ長調) 1981年録音
10-13) 4つの前奏曲 op.48 (第1番 嬰ヘ長調 第2番 ハ長調 第3番 変ニ長調 第4番 ハ長調) 1981年録音
14) 4つの小品 op.51 より 第2番 前奏曲 イ短調 1980年録音
15) 3つの小品 op.35より 第1番 アルバムの綴り 1984年録音
16) 悲劇的詩曲 op.34 1981年録音
17,18) 2つのマズルカ op.40 (第1番 変ニ長調 第2番 嬰ヘ長調) 1988年録音
19) 3つの小品 op.52 より 第2番 なぞ 1981年録音
20) 3つの小品 op.52 より 第3番 やつれの詩曲 1981年録音
21,22) 2つの小品 op.57 (第1番 欲望 第2番 舞い踊る愛撫) 1981年録音
23) ピアノ・ソナタ 第6番op.62 1988年録音
24) 詩曲-夜想曲 op.61 1988年録音
25,26) 2つの詩曲 op.63(第1曲 仮面 第2曲 不思議) 1988年録音
27) 2つの小品 op.59 より 第1曲 詩曲 1981年録音
28,29) 2つの詩曲 op.69 1981年録音
30,31) 2つの詩曲 op.71 1981年録音
32,33) 2つの舞曲 op.73 (第1曲 花飾り 第2曲 暗い炎) 1988年録音
34) 詩曲「炎に向って」 op.72 1988年録音
 90年代に、DENONがニコノーヴィチのスクリャービンを当盤含めて2枚リリースしたのだが、1枚目にあたる当盤に収録された音源の大部分は、ソ連時代のメロディアにおいて、スクリャービンのアンソロジー企画のために記録されたものらしい。録音状態はおおむね良好だ。
 ニコノーヴィチは、ソ連が生んだスクリャービン演奏の大家の一人である。1950年代からは、30歳以上も年齢の離れたソフロニツキー(Vladimir Sofronitsky 1901-1961)と深い親交をむすび、彼の演奏、特にスクリャービン作品への解釈からは大きな影響を受けたという。
 そんなニコノーヴィチの演奏は素晴らしいものだ。ニコノーヴィチの高い技術と豊かな音色は、スクリャービン作品の演奏に不可欠といって良い、重力を感じさせるアゴーギグと、濃厚に立ち込める気配に還元され、かつ全体が呼吸を感じさせる自然な脈に貫かれ、野太い音幅を伴って進んでいく。それは大家の芸風を感じさせるスクリャービンだ。
 冒頭のポロネーズからその世界観はさく裂する。熱狂と気品が交錯するピアニズムは、情熱を宿した熱狂のように流れるが、併せてそれらを高度にコントロールする視点を感じさせ、芸術的気高さを失わない見事さに貫かれている。
 op.48の前奏曲集も良い。特に第1番の至難な多用される跳躍を鮮やかに弾きこなし、なおかつ連綿たる情緒を満たして進む様が美しい。気宇壮大と言って良い「悲劇的詩曲」も聴きごたえたっぷりで、華麗といって良い豪華さとこまやかな陰りのような情感が交差し、しかも全体の流れは自然なものに整えられている。
 ピアノ・ソナタ第6番は、スクリャービンのいわゆる神秘和音が楽曲を支配する作風が示されるが、奥行の深い多層な表現力が試される作品と思うが、ここで聴かれるニコノーヴィチの演奏は、堅実な進行をベースに細やかな音彩を配置したもので、まずバランスの良さが感じられる。また、必要な発色、情感を巧妙なルパートで描き出しているのは、他の曲同様ではあるが、それをややセーヴして、和音そのものの美しさを存分に味わわせてくれるものになっていると感じられる。この曲は、演奏によって、様々に聴く側の感じ方が異なるので、私も何をどう評価するということ自体に難しさを覚えるのだが、ニコノーヴィチの演奏は美しく、整ったものが伝わってくる。
 あと、「詩曲-夜想曲」も特に当盤で印象的だった1曲で、基音を変えながら進行する神秘和音と、それに伴って変化する曲想を、濃厚なタッチで描きあげた名品となっている。
 いずれの録音も、ニコノーヴィチのスクリャービンの素晴らしさを存分にたたえたものであるが、現在では入手が困難なようであり、是非再版の機会が訪れるのを待ちたい。

ピアノ・ソナタ 第7番「白ミサ」 幻想ソナタ 嬰ト短調 演奏会用アレグロ 4つの前奏曲 op.33  3つの前奏曲 op.35 ワルツ風に op.47 ワルツ op.38 8つの練習曲  3つの練習曲 アルバムの綴り op.58 2つの小品 op.59 2つの前奏曲 op.67
p: ニコノーヴィチ

レビュー日:2018.9.10
★★★★★ 濃厚な詩情と気配に満ちた色彩豊かなスクリャービン
 ウズベキスタンのタシケント生まれのロシアのピアニスト、イーゴリ・ニコノーヴィチ(Igor Nikonovich 1935-2012)によるスクリャービン(Alexander Scriabin 1872-1915)のピアノ作品集。収録曲は以下の通り。
1) 幻想ソナタ 嬰ト短調
2) 演奏会用アレグロ 変ロ短調 op.18
3-6) 4つの前奏曲 op.33 (第1番 ホ長調 第2番 嬰ヘ長調 第3番 ハ長調 第4番 変イ長調)
7-9) 3つの前奏曲 op.35 (第1番 変ニ長調 第2番 変ロ長調 第3番 ハ長調)
10) ワルツ風に ヘ長調 op.47
11) ワルツ 変イ長調 op.38
12-19) 8つの練習曲 op.42 (第1番 変ニ長調 第2番 嬰ヘ短調 第3番 嬰ヘ長調 第4番 嬰ヘ長調 第5番 嬰ハ短調 第6番 変ニ長調 第7番 ヘ短調 第8番 変ホ長調)
20-22) 3つの練習曲 op.65 (第1番 変ロ長調 第2番 ハ長調 第3番 ト長調)
23) アルバムの綴り op.58
24-25) 2つの小品 op.59 (詩曲 前奏曲)
26-27) 2つの前奏曲 op.67
28) ピアノ・ソナタ 第7番 op.64 「白ミサ」
 1979年から1984年にかけて録音された音源を集めたもの。
 ニコノーヴィチのスクリャービンは素晴らしい。彼の音楽家としての活動は、教育者としてのものが大半であったのだが、しかし、遺された、決して多いとは言えない録音を聴くと、なぜレコード会社諸氏は、このピアニストを積極的にプロデュースしなかったのだろうか、と本当に残念に思ってしまう。DENONがニコノーヴィチによるスクリャービンのピアノ作品集を2巻に渡ってリリースしたものが別にあって、これは大変な慧眼といえる企画で、いずれも素晴らしい内容なのであるが、再版の機会がなく、現在では入手が難しいようである。
 当盤も名盤だ。冒頭に収録された「幻想ソナタ」は、同じ名称をもつピアノ・ソナタ第2番とは別の、スクリャービンの若き日の作品。1996年に製作されたOlympiaのアルバムでも、ニコノーヴィチはこの曲を取り上げていたから、特に気に入っている作品なのだろう。実際、作品番号が与えられていないのがもったいないくらいの麗しさに満ちた美品といって良く、この曲と、次に収録された演奏会用アレグロは、ショパンの影響を存分に汲んだ濃厚な詩情に溢れた楽曲だ。ニコノーヴィチのピアノがまた素晴らしい。これらの楽曲に、豊かな色彩とダイナミックな強弱で、生き生きとした活力に溢れた流れを与える。あるいは、スクリャービンの後期の作品には、距離を感じてしまう人も、当盤に収録されたこの2曲には、思わず夢中になってしまうのではないか。そう思ってしまうほど魅力的なピースとなっている。
 4つの前奏曲の冒頭曲では、右手と左手のフレーズのこまやかなやりとりの巧妙さ、そしてこれらの楽曲に不可欠な適度な発色があり、一瞬も、気持ちの離れるスキがない。「ワルツ 変イ長調」の瀟洒さとたくましさの両立、そして音色の美しさも圧巻。
 「8つの練習曲」も得意中の得意といったところだろう。「第3番 嬰ヘ長調」で示される精度の高い響きで織りなされる鮮やかな運動美、「第5番 嬰ハ短調」で示される太い脈流のような情熱など全編が聴きどころといっても過言ではない。
 そして、末尾にピアノ・ソナタ第7番「白ミサ」が置かれる。この演奏がまた素晴らしい。全体的な流れの良さ、スムーズさを維持しながら、豊かな緩急で濃厚な味わいと奥行きある陰影を演出し、この楽曲の魅力が溢れるように表現されている。この演奏を聴くと、ニコノーヴィチが生前の深い付き合いから様々に影響を受けたというソフロニツキー(Vladimir Sofronitsky 1901-1961)が弾いた濃淡豊かなスクリャービンの影響がしっかりと感じられるのである。
 ニコノーヴィチというピアニスト、すでに亡くなった人ではあるが、これからであっても、是非多くの人に知り、聴いてほしい。なお、当盤の収録曲は、上述のOlympiaより発売されているアルバムと、一部重複があるのであるが、それは別の機会に録音された音源でもあるし、一方を保有しているからと言って他方を買い控えるのはもったいない。機会があるなら、スクリャービンのピアノ作品が好きな人なら、ぜひともどちらも入手したいものである。

ピアノ・ソナタ 第8番 ワルツ ヘ短調 op.1 変イ長調 op.28 3つの小品 op.2 3つの小品 op.45 左手のための2つの小品 op.9 2つの夜想曲 op.5  2つの即興曲 op.12  2つの即興曲 op.14  24の前奏曲抜粋 ワルツ風に 悲劇的詩曲 4つの小品 op.51 3つの小品 op.52 4つの小品 op.56 2つの小品 op.57 アルバムの綴り op.58 2つの小品 op.59 詩曲-夜想曲 op.61 2つの舞曲 op.73 プロメテウス
p: カステリスキー イヴァノフ指揮 モスクワ・フィルハーモニー管弦楽団 スヴェシニコフ国立アカデミー・ロシア合唱団

レビュー日:2018.9.3
★★★★★ カステリスキーによって情熱的に、濃厚な気配をもって描かれたスクリャービン
 ソ連のピアニスト、ヴァレリー・カステリスキー(Valery Kastelsky 1941-2001)は、1960年のショパン・コンクール(ポリーニが優勝した年)で、第6位入賞を果たした人物で、その後モスクワ音楽院で教育者として、数多くのピアニストを育てるかたわら、ロマン派の優れた弾き手として、ソ連国内を中心に活躍したのだが、メジャー・レーベルへのレコーディングなどはなく、海外での知名度は高いとはいえない。日本でもコンサートの機会はあったが、私の知る限りでは、メディアなどで取り上げられることもあまりなかったと思う。
 しかし、当盤を聴くと、その演奏会は素晴らしいものであったに違いない。実に素晴らしい内容だ。
 当アルバムは、カステリスキーが、1970年代に録音したスクリャービン(Alexander Scriabin 1872-1915)の作品が2枚のCDに収録されているもので、「Talents Of Russia」というレーベルからリリースされたもの。収録内容は以下の通り。
【CD1】
1) ワルツ ヘ短調 op.1 1978年録音
2-4) 3つの小品 op.2 (第1番 練習曲 嬰ハ短調 第2番 前奏曲 ロ長調 第3番 マズルカ風即興曲 ハ長調) 1970年録音
5,6) 左手のための2つの小品 op.9 (第1番 前奏曲 嬰ハ短調 第2番 夜想曲 変ニ長調) 1970年録音
7,8) 2つの夜想曲 op.5 (第1番 嬰ヘ短調 第2番 イ長調) 1979年録音
9,10) 2つの即興曲 op.12 (第1番 嬰ヘ長調 第2番 変ロ短調) 1979年録音
11,12) 2つの即興曲 op.14 (第1番 ロ長調 第2番 嬰ヘ短調) 1979年録音
13-23) 24の前奏曲 op.11 抜粋 (第1番 ハ長調 第2番 イ短調 第4番 ホ短調 第5番 ニ長調 第6番 ロ短調 第8番 嬰ヘ短調 第9番 ホ長調 第13番 変ト長調 第14番 変ホ短調 第15番 変ニ長調 第16番 変ロ短調) 1972年録音
24) ワルツ 変イ長調 op.28 1978年録音
25-27) 3つの小品 op.45 (アルバムの綴り おどけた詩曲 前奏曲変ホ長調) 1978年録音
【CD2】
1) ワルツ風に ヘ長調 op.47 1978年録音
2) 悲劇的詩曲 op.34 1978年録音
3-6) 4つの小品 op.51 (たよりなさ 前奏曲イ短調 翼のある詩曲 やつれの舞曲) 1974年録音
7-9) 3つの小品 op.52 (詩曲ハ長調 なぞ やつれの詩曲) 1974年録音
10-13) 4つの小品 op.56 (前奏曲 ホ長調 皮肉 ニュアンス 練習曲変ホ長調) 1974年録音
14-15) 2つの小品 op.57 (あこがれ 舞い踊る愛撫) 1974年録音
16) アルバムの綴り op.58 1974年録音
17,18) 2つの小品 op.59 (詩曲 前奏曲) 1974年録音
19) 詩曲-夜想曲 op.61 1978年録音
20) ピアノ・ソナタ 第8番 op.66 1972年録音
21,22) 2つの舞曲 op.73 (花飾り 暗い炎) 1979年録音
23)  プロメテウス(交響曲 第5番) op.60 1975年録音
 末尾に収録された「プロメテウス」は、コンスタンティン・イヴァノフ(Konstantin Ivanov 1907-1984)指揮、モスクワ・フィルハーモニー管弦楽団、スヴェシニコフ国立アカデミー・ロシア合唱団とのライヴ録音。
 カステリスキーの魅力は明朗さと情熱の両立にある。スクリャービンの楽曲は、特有の神秘性を引き出すための、独特の和声とともに、重力を感じさせるような巧みなアゴーギグが必要となるが、カステリスキーは輝かしい音色で、楽曲の生命とも言える起伏を演出し、十分な熱とともに聴き手に伝える。その美しさは、妖艶と形容したくなるもので、芸術的なインスピレーションを存分に含み、スクリャービンのピアノ作品の魅力をしっかりと伝えるものである。
 op.2-1は若きスクリャービンの天才性を示す名品として知られるが、カステリスキーはそこに濃厚な雰囲気を与える。op12-2 では重々しい情熱の放散が圧巻だ。op.47の美しい気配、op51-4 のなにかがしのびよってくるようたたずまい、op.58 では異世界へいざなう扉が開くような思いに捕らわれる。op.61では様々に色彩を変えるヴェールのように聴き手を飽きさせない。「ピアノ・ソナタ 第8番」において、カステリスキーが紡ぎだすマジカルで、艶やかな音色は絶品と言って良く、当盤がこの楽曲を代表する録音の一つであると認識させられる。そして、管弦楽をともなった「プロメテウス」、この楽曲は、当初音響と色光の双方を用いた舞台を考案して書かれたらしいが、その色光を補ってあまりあると言えるほどの世界がピアノ、オーケストラによって築かれている。ソナタ、プロメテウスとも、アシュケナージ(Vladimir Ashkenazy 1937-)の名盤と双璧と言ってよい素晴らしさである。
 カステリスキーというピアニストを知るという以上に、スクリャービン録音の名盤の一つとして、世に知られるべきアルバムと思う。

ピアノ・ソナタ 第10番 12の練習曲 6つの前奏曲 op.13 5つの前奏曲 op.16 詩曲「炎に向かって」 op.72
p: ムストネン

レビュー日:2012.3.9
★★★★★ 作品の時期によって、巧妙にアプローチを変えるムストネンのスクリャービン
 フィンランドのピアニスト、オッリ・ムストネン(Olli Mustonen 1967-)による2011年録音のスクリャービン(Alexander Scriabin 1872-1915)の作品集。収録曲は以下の通り。
1) 12の練習曲 op.8
2) 6つの前奏曲 op.13
3) 5つの前奏曲 op.16
4) ピアノ・ソナタ 第10番 op.70
5) 詩曲「炎に向かって」op.72
 ムストネンのソロ・アルバムを久しぶりに聴いたように思う。ムストネンは多才なアーティストで、指揮者でもあり作曲家でもある。ピアニストとしての側面は彼のほんの一部でしかない。しかし、私は彼の弾いたショスタコーヴィチやベートーヴェンのディアベルリ変奏曲のことが強く印象に残っていて、ぜひピアニストとしても、積極的な録音活動を展開してほしいと思っていた。
 このたびの新録音がスクリャービンと聞き、「これは面白い」と思った。ムストネンは特有の息吹と間合いにより、音楽に新鮮な脈を与えるピアニストであり、スクリャービンの優れた演奏にはこのタイプのピアニスト、例えば、ソフロニツキー(Vladimir Sofronitsky 1901-1961)やホロヴィッツ(Vladimir Horowitz 1903-1989)、現代で言えばエフゲニー・スドビン(Yevgeny Sudbin 1980-)といった人たちがいる。それで、すぐに「ムストネンとスクリャービンは抜群の相性なのではないか」と思った。そして、このたびの収録曲では、名作と言われながら、全曲録音数の乏しい「12の練習曲」が収められたことも、大いに期待を高めた理由。
 さて、ムストネンの演奏を聴いてみて、最初の印象は、「かなり高音部に重みのかかった演奏」だというもの。例えば練習曲の第2番、これは私にはソフロニツキーのマジカルな演奏が忘れられない逸品だが、ムストネンはうねるような高音の連なりを右手から解き放つのだけど、なぜか低音の脈がセーヴ気味で、音楽の複層的な盛り上がりがやや制限されているように思えた。しかし、何度か聴いていると、なるほどこれは「ムストネンのスクリャービン」という、一つのスタイルなのだな、と思えてくる。
 スクリャービンの神秘的で官能的な音楽は、特有の和音による「響き」の要素と、旋律自体が持つ「疎密」の変容ぶりによって引き起こされるのだと思うが、ここでムストネンは思い切って後者に焦点を当てたパフォーマンスを披露しているのだ。そのため、いわゆる神秘和音と称される響きの効果を抑えつつ、「うねりの要素」を明瞭に晒して、スクリャービンの音楽を再構築しているのだと思う。
 その後の前奏曲集では、ことにその効果が上がっていて、引き込んでは突き放すような上下動がダイナミックに感じられる。一方で、後期の作品であるソナタ第10番と詩曲においては、そのアプローチをやや中和させ、今度は神秘的なオーラを放ちながら進行している。なるほど、「初期の3作品と後期の2作品」という取り合わせだけでなく、相応のアプローチとともに、それらの作品のタイプの違いを明瞭に提示したムストネンならではの演出なのだ、と気付かされたように思う。

前奏曲 全集
p: アレクセーエフ

レビュー日:2019.1.28
★★★★★ スクリャービンが書いた90の前奏曲すべてを、安定感ある演奏で収録したアルバム
 イギリスを中心に活躍しているロシアのピアニスト、ドミトリー・アレクセーエフ(Dimitri Alexeev 1947-)によるスクリャービン(Alexander Scriabin 1872-1915)の前奏曲全集。2枚のCDに以下の様に収録されている。
【CD1】
1) 3つの小品 op.2 から 第2番 「前奏曲」 ロ長調
2) 2つの左手のための小品 op.9 から 第1番 「前奏曲」 嬰ハ短調
3-26) 24の前奏曲 op.11
27-32) 6つの前奏曲 op.13
33-37) 5つの前奏曲 op.15
38-42) 5つの前奏曲 op.16
【CD2】
1-7) 7つの前奏曲 op.17
8-11) 4つの前奏曲 op.22
12-13) 2つの前奏曲 op.27
14-17) 4つの前奏曲 op.31
18-21) 4つの前奏曲 op.33
22-24) 3つの前奏曲 op.35
25-28) 4つの前奏曲 op.37
29-32) 4つの前奏曲 op.39
33) 3つの小品 op.45 から 第3番 「前奏曲」 変ホ長調
34-37) 4つの前奏曲 op.48
38) 3つの小品 op.49 から 第2番 「前奏曲」 ヘ長調
39) 4つの小品 op.51 から 第2番 「前奏曲」 イ短調
40) 4つの小品 op.56 から 第1番 「前奏曲」 ホ長調
41) 2つの小品 op.59 から 第2番 「前奏曲」
42-43) 2つの前奏曲 op.67
44-48) 5つの前奏曲 op.74
 2017年の録音。
 アレクセーエフのスクリャービンについては、2008-11年に録音されたソナタ全集、2009-10年に録音された練習曲全集がリリースされており、廉価で安定した演奏・録音でスクリャービンのピアノ音楽を楽しめる手ごろなアイテムとなっている。
 このたびの前奏曲集も同様で、安定した解釈で、安心して楽しめるものになっている。
 小曲であっても、時に大きな構えを感じさせるピアニズムは、スクリャービンに相応しい。ややスポーティな味わいながら、叙情的な表現にも十分な準備と心得があって、これらの楽曲に相応しいカンタービレを響かせる。また、全曲が作品番号順に並んでいるので、ショパンの影響の濃い初期から、スクリャービン独特の語法が切り拓かれた後期まで、一貫したアプローチで俯瞰的に楽しめるのも良い。
 op.11-3で聴かれる劇的で鮮やかな奔流がまずアレクセーエフらしい。その一方で、op.11-1、op.11-2、op.11-7、op.16-1における、ほどよい健康的なカンタービレは、古典的な趣を引き出す。op.22-1はアレクセーエフらしいしっかりした打鍵が印象的。ただ、もう少しタッチに幅があっても、と思うところはある。op.31-1のノスタルジックな甘味もこの演奏の一つの特徴だ。そして後期の、例えばop.74-4などでは、調性の世界から離れ行く淡さを感じさせる。
 ただ、曲によっては、勢いを増すことで、ややゴツゴツした弾きぶりに感じられるものもある。例えば、op.11-6、op.11-14、op.11-24、op.31-2、op.31-3、op.33-3などである。また、op.56-1やop.74-2では、もっと濃厚な気配を求める人もいるだろう。
 だが、全体的には、安定した弾きぶりで、一貫性もあり、一つの曲集として、ある程度の完成度に達している。廉価レーベルからのリリースということもあり、基本的なライブラリ向けとしても、十分推奨できる内容になっている。

24の前奏曲 4つの前奏曲 op22 2つの前奏曲 op.27 3つの前奏曲 op.35 5つの前奏曲 op.15 5つの前奏曲 op.16 7つの前奏曲 op.17 4つの前奏曲 op.39 4つの前奏曲 op.48
p: ベクテレフ

レビュー日:2016.3.7
★★★★★ ベクテレフによるスクリャービンの全集、完結編
 ボリス・ベクテレフ(Boris Bekhterev 1943-)によるスクリャービン(Alexander Scriabin 1872-1915)の初期~中期の前奏曲を集めたアルバム。収録曲は以下の通り。
【CD1】
1-24) 24の前奏曲 op.11
25-28) 4つの前奏曲 op22(嬰ト短調、嬰ハ短調、ロ長調、ロ短調)
29-30) 2つの前奏曲 op.27(ト短調、ロ長調)
31-33) 3つの前奏曲 op.35(変ニ長調、変ロ長調、ハ長調)
【CD2】
1-5) 5つの前奏曲 op.15(イ長調、嬰ヘ短調、ホ長調、ホ長調、嬰ハ短調)
6-10) 5つの前奏曲 op.16(ロ長調、嬰ト短調、変ト長調、変ホ短調、嬰へ長調)
11-17) 7つの前奏曲 op.17(ニ短調、変ホ長調、変ニ長調、変ロ短調、ヘ短調、変ロ長調、ト短調)
18-21) 4つの前奏曲 op.39(嬰ヘ長調、ニ長調、ト長調、変イ長調)
22-25) 4つの前奏曲 op.48(嬰ヘ長調、ハ長調、変ニ長調、ハ長調)
 録音は、op.15とop.16は2010年、埼玉県のコピスみよしで、op.17、op.22、op,27、op.35、op.39は2013年、op.11とop.48は2015年、イタリア、ウンベルティーデの聖クローチェ美術館で行われている。日本での録音にはスタインウェイ、イタリアでの録音にはファツィオーリと2種類の楽器が用いられている。
 イタリアのフェニックと日本のカメラータ東京という二つのレーベルに跨ったベクテレフによるスクリャービンは、当盤によって、独奏曲の全曲録音が完結したことになる。ただ、版権の移動が伴うBox化は、今後も難しいかもしれない。
 今回は、後期の前奏曲が既発盤に含まれているため、重複のない楽曲を集めた体裁となった。その結果、全収録時間が84分で、CDがぎりぎりで2枚になってしまうという効率性の悪い構成になってしまったのだけれど、価格はそれを考慮したものとなっているので、良心的といっていいだろう。
 ベクテレフのスクリャービンの素晴らしさは、先行するいくつもの録音で証明済みだが、あらためて言及すると、落ち着いたテンポの中で、一音一音を大切にくっきりと響かせたもので、そのため、この作曲家の作品としては、明るい気配を湛えた印象を導く。
 最初聴いたときは、この作曲家らしい、夢にうなされる様な、熱っぽい部分があまり感ぜられず、あまりにもスッキリしている、という印象を持ったのだけれど、聴いているうちに、この演奏だからこそ拾えるニュアンスがあることに気づいた。いままで暗がりの中にあったような、微細な音型がふっと聴こえるとき、さりげないうちに聴き手の心に確かに働きかけるものがある。そして、今では、それが貴重なものだとわかるようになった。
 これらの前奏曲は、初期から中期のものであるので、それほど神秘和音などの効果も顕著ではないから、ベクテレフの演奏は、より長所が際立つように感じられる。特に24の前奏曲で、1曲1曲折り目正しく弾かれた佇まいは美しい。また、スクリャービンの右手が不調だったため、左手偏重で書かれた7つの前奏曲op.17も、従来の演奏より、明るい色彩感が感じられるだろう。
 スクリャービン没後100年に相当する2015年を飾るのに、相応しいディスクです。

24の前奏曲から 第2番 第5番 第9番 第10番 第13番 第14番 第15番 第16番 6つの前奏曲 op.13 から 第3番 第4番 5つの前奏曲 op.16 から 第2番 第3番 第4番 第5番 7つの前奏曲 op.17 から 第3番 第4番 2つの前奏曲 op.27 4つの前奏曲 op.37 から 第1番 12の練習曲 op.8 から 第2番 第3番 第4番 第5番 第7番 第8番 第11番 第12番「悲愴」 8つの練習曲 op.42から 第4番 第5番 第8番 3つの練習曲 op.65 から 第1番
p: マルグリス

レビュー日:2018.12.4
★★★★★ 録音データ不詳ながら、他では聴きがたい荘厳な深みのあるスクリャービン
 2011年に亡くなったロシアのピアニスト、ヴィターリ・マルグリス(Vitaly Margulis 1928-2011)のメモリアル・シリーズの一つで、“Scriabin Live”と銘打たれたもの。ただ、録音年等に関するデータは不記載。拍手は入っていない。ときおり雑音があり、演奏にも小さな乱れがあるものの、録音場所の詳細はわからない。また、最後に収録された曲など、若干音が割れ気味で、録音環境の違いを感じることから、一度の機会にすべてが録音されたわけでもないのかもしれない。音質的には80年代という印象であるが、どうだろうか。
 スクリャービン(Alexander Scriabin 1872-1915)の以下の楽曲が収録されている。
 24の前奏曲 op.11 から
1) 第2番 イ短調
2) 第5番 ニ長調
3) 第9番 ホ長調
4) 第10番 嬰ハ短調
5) 第13番 変ホ長調
6) 第14番 変ホ短調
7) 第15番 変ニ長調
8) 第16番 変ロ短調
 6つの前奏曲 op.13 から
9) 第3番 ト長調
10) 第4番 ホ短調
 5つの前奏曲 op.16 から
11) 第2番 嬰ト短調
12) 第3番 変ホ長調
13) 第4番 変ホ短調
14) 第5番 嬰ヘ長調
 7つの前奏曲 op.17 から
15) 第3番 変ニ長調
16) 第4番 変ロ短調
 2つの前奏曲 op.27
17) 第1番 ト短調
18) 第2番 変ロ長調
 4つの前奏曲 op.37 から
19) 第1番 変ロ短調
 12の練習曲 op.8 から
20) 第2番 嬰ヘ短調
21) 第3番 ロ短調
22) 第4番 ロ長調
23) 第5番 ホ長調
24) 第7番 変ロ短調
25) 第8番 変イ長調
26) 第11番 変ロ短調
27) 第12番 嬰ニ短調 「悲愴」
 8つの練習曲 op.42から
28) 第4番 嬰ヘ長調
29) 第5番 嬰ハ短調
30) 第8番 変ホ長調
 3つの練習曲 op.65 から
31) 第1番 変ロ長調
 演奏はマルグリスならではの高い薫りを感じさせるもの。冒頭のop.11-2から、何かが近づいてくるような独特の気配が立ち込める。マルグリスというピアニストが、スクリャービン演奏に不可欠の感性を持っていたことは、この冒頭曲を聴いただけで、十分に伝わってくる。
 op.11-10の夢想的と形容したい佇まい、op.11-14の押し寄せるような迫力。これらはいずれもマルグリスの魅力が如実に表れたものだ。op.16-2のさえずるような有名なフレーズは、どこか武骨さを感じさせるが、どこか古めかしさのある音色が不思議に暖かな魅力を醸し出す。
 当盤の白眉は練習曲集かもしれない。全曲でないのは残念だが、有名な曲は押さえられており、演奏も実に立派。op.8-2で流れ落ちるような引力を感じる旋律線ののたうち、op8-12の荘厳で妥協のない厳しい響き、op.42-5の地面が押しあがってくるような迫力など、聴きどころにことかかない。
 全般に厳しく研ぎ澄まされた感性を感じさせながら、スクリャービンらしい絶妙な「間」を感じさせる演奏で、このピアニストの一種の凄みのようなものがよく感じられる。

スクリャービン 4つの前奏曲(op.22) 2つの前奏曲(op.27) 4つの前奏曲(op.31) 4つの前奏曲(op.33) 3つの前奏曲(op.35) 4つの前奏曲(op.37) 4つの前奏曲(op.39) 前奏曲 op.45-3 4つの前奏曲(op.48) 前奏曲 op.49-2 op.51-2 op.56-1 op.59-2 2つの前奏曲(op.67) 5つの前奏曲(op.74)  J. スクリャービン 4つの前奏曲
p: ザラフィアンツ

レビュー日:2010.1.23
★★★★☆ スクリャービンの「前奏曲辞典」とも言える内容です
 エフゲニー・ザラフィアンツ(Evgeny Zarafiants)は1959年ノボシビルスク生まれのピアニスト。たびたび日本も訪問している。当アルバムはスクリャービンの前奏曲を集めて収録したもので、1996年の録音。
 アルバムのタイトルが「前奏曲集 第2集」となっている。スクリャービンは「前奏曲」という名の小品を多く遺していて、これを全部収録するとなると、CD2枚を費やすこととなる。「前奏曲」というのは、特定の形式を指すものではない。組曲の冒頭にあるならまだしも、ショパンの「24の前奏曲」以来、自由で散文的とも言える小品を指すようになった。ただし「24の前奏曲」とまとめた場合のみ「24の調性を用いる」という暗黙のルールがあり、これはバッハのクラヴィーア曲にその源流を遡る。
 スクリャービンの場合、「24の前奏曲」というのがまず存在し、それと別に「4つの前奏曲」のように単なる小品集がある。さらに、3つの小品などと称して、そのうち1曲に「前奏曲」の名を与えているものもある。ザラフィアンツの意図は、「前奏曲」と名のついたものを全て録音することにあり、この2枚目のアルバムで、それを完結したことになる。
 本アルバムにはもう一つ特徴があり、スクリャービンの夭逝した息子、ジュリアン・スクリャービン(Julian Scriabin 1908-1919)が世を去る直前11歳(!)という年齢で書き残した「4つの前奏曲」が収録されている。斯様なわけでスクリャービン・フアンにはなかなか興味深いアルバムである。
 演奏を聴いた感想は「素朴なスクリャービン」という感じである。スクリャービンは特に年を経るにつれて、神智主義への傾倒から編み出された「神秘和音」の多用により、特有のミステリアスな要素を持つことになるのだが、ザラフィアンツの意図は、敢えてこれらを同じアプローチで演奏し、一つの類型的なオーソドックスの確立を図ったもののように思われる。やや「スクリャービン的な」ものと距離を置いた感があり、クール過ぎるかもしれない。
 ジュリアン・スクリャービンの作品には驚かされた。11歳とは思えない、まさに父から与えられた血を感じさせるものになっている。11年という天命の短さを嘆かずにはいられない。

練習曲全集
p: ベクテレフ

レビュー日:2013.5.24
★★★★★ 入念に織り込まれたベクテレフのスクリャービン
 ロシアのピアニスト、ボリス・ベクテレフ(Boris Bekhterev 1943-)による、スクリャービン(Alexander Scriabin 1872-1915)の練習曲全曲を収めたアルバム。2012年の録音。収録曲の詳細は以下の通り。
(1) 3つの小品 op.2から 第1曲「練習曲」 嬰ハ短調 op.2-1
(2) 12の練習曲 op.8
(3) 8つの練習曲 op.42
(4) 3つの小品 op.49から 第1曲「練習曲」 変ホ長調 op.49-1
(5) 4つの小品 op.56から 第4曲「練習曲」 変ホ長調 op.56-4
(6) 3つの練習曲 op.65
 これらの曲目をみて分かる通り、(2)(3)(6)は練習曲「集」として作曲された作品群であるが、(1)(4)(5)については、小品集のうち、中の1曲に「練習曲」というネーミングが与えられているものである。スクリャービンがどういう意図で小品の呼称を分類していたかは分からないが、当アルバムは、いずれの経緯にしろ、最終的に「練習曲」の名が与えられたものをすべて収録する意図で構成されている。最近、これらの曲にも、少しずつ録音が増えてきており、スクリャービンの音楽が好きな私にとってもうれしいこと。
 さて、ベクテレフというピアニストの録音は初めて聴いた。彼は1996年から2010年まで日本の大学で教授職にあったという。現在はイタリアで活動しているとのことであるが、今回の録音もイタリアで、かの地の名器ファツィオリ(Fazioli)を弾いてのものとなっている。
 実は、最初に私はこのディスクを聴いたとき、「ずいぶんゆったりした演奏だな」という感想であった。それで、どことなく、刺激的なものが足りないような印象を併せてもったのである。私は、これらの曲のうち何曲かは、ソフロニツキー(Vladimir Sofronitsky 1901-1961)の壮絶な演奏で馴染んでいるため、その第一印象がどうしても拭えないことがあるのかもしれない。しかし、ベクテレフの演奏を何度か繰り返して聴いているうちに、これはなんとニュアンスに富んだ美しい演奏だろう、と印象が変わってきた。
 ベクテレフの演奏のテンポはたしかにゆったりしている。そしてソフロニツキーほどの緩急の幅もない。ないのだけれど、しかし緩急のコントロールが実に自然で流麗なのである。そのため、最初はまったりした印象になったのだけれど、細部を照らし出したベクテレフの入念さによってあらわれてくる音型や、細やかな起伏から得られる感触が、スクリャービンの音楽の深い仕掛けを一つ一つしっかり作動させて進むような、十全な豊かさを導き出すのである。
 例えば、8つの練習曲の第1曲変ニ長調におけるきめこまかな表情付により紡がれる流れの豊饒さに注目してほしい。この音楽が、これほど神々しいものを持っているとは、私は今まで感じなかった。同じく嬰ヘ短調の第2曲だって、この短い曲にこれほどの感情的な多様さを感じさせてくれるというのは、いままでにない経験である。演奏者のスクリャービンへの深い畏敬の気持ちが刻み込まれている。
 その他、冒頭に収録されたop.2は、スクリャービンが14歳の時の作品とされている。深みのある楽想にスクリャービンの神童ぶりがよく表れている。名曲としての評価が固まりつつある「12の練習曲」の中では、特に劇的な第12番嬰ニ短調「悲愴」、~この曲は、ショパン(Frederic Chopin 1810-1849)の有名な同名の曲集の第12番ハ短調「革命」との類似がしばしば指摘される~この第12番をまず聴くと言うのが、スクリャービンの練習曲集への入口として最適かもしれない。いずれもベクテレフの見事なコントロールにより、輝かしい音楽として提示されている。
 ベクテレフは積極的にスクリャービンの録音をリリースしており、折を見て他の録音も聴いてみたいと感じた。

練習曲全集 他
p: アレクセーエフ

レビュー日:2017.5.10
★★★★★ オーソドキシーを感じさせるアレクセーエフのスクリャービン
 イギリスを中心に活躍しているロシアのピアニスト、ドミトリー・アレクセーエフ(Dmitri Alexeev 1947-)によるスクリャービン(Alexander Scriabin 1872-1915)の練習曲全曲を収録したアルバム。練習曲以外の収録曲もあり、その詳細は以下の通り。
1) 3つの小品 op.2  (第1曲「練習曲」嬰ハ短調、第2曲「前奏曲」ロ長調、第3曲「マズルカ風即興曲」ハ長調)
2) 12の練習曲 op.8
3) 4つの前奏曲 op.22(第1番 嬰ト短調、第2番嬰ハ短調、第3番 ロ長調、第4番 ロ短調)
4) 8つの練習曲 op.42
5) ワルツ風に op.47
6) 3つの小品 op.49 より 第1曲「練習曲」変ホ長調
7) 4つの小品 op.56 より 第4曲「練習曲」変ホ長調
8) 2つの詩曲 op.69
9) 3つの練習曲 op.65
 2009年から10年にかけて録音されたもの。
 スクリャービンは「練習曲」を様々な形で書き、その作品は生涯の創作活動の中で広く分布している。そのため、互いに作風が異なっているが、どれも驚くほど充実した魅力的な作品である。その一方でこれら全曲を録音したピアニストは多くなく、ソフロニツキー(Vladimir Sofronitsky 1901?1961)、ホロヴィッツ(Vladimir Horowitz 1903-1989)、アシュケナージ(Vladimir Ashkenazy 1937-)といった人たちの録音はいずれもたいへん魅力的だが、抜粋という形になる。
 現在、全曲録音として、私が聴いたことがあるのはボリス・ベクテレフ(Boris Bekhterev 1943-)のものと、当アレクセーエフ盤になる。いずれも全曲録音として完成度の高いものなのだが、オーソドックスなスタイルでスクリャービンの音楽の素晴らしさを十全に伝えたものとしては、アレクセーエフ盤の方を推したい。ベクテレフが優美で丁寧な音楽を手掛けたのに対し、アレクセーエフの演奏はスクリャービンの音楽の持つ運動性、力強さにも十分なウェイトを残したものと感じる。
 加えて、アレクセーエフの演奏には、ペダルの効果を巧妙に仕組んだ色彩の見事さ、そして旋律を美麗に響かせるルバートの妙技も加わっている。楽曲の構造が複雑になっても、声部の処理は鮮やかで、連符の弾きこなしもきれいだ。
 収録曲は作品番号順に並べられている。op.2はスクリャービン14歳の時の作品。しかし、その完成度の高さ、美しさに、いつ聴いても感服してしまう。これと、op.8にショパンの影響は顕著だが、アレクセーエフは作品の形をよく維持しながら旋律を歌わせ、その楽曲の在り方に相応しい姿を私達に伝えてくれる。op.8の第11曲における左手の明瞭なラインも見事。
 op.42では、第6曲、第7曲などで、スクリャービンが得意としたポリリズム(3対5、3対4)が飛び交うが、アレクセーエフは自然でしなやかな弾きぶりで、なかなか心強くかつ美しい。有名な第5曲(ラフマニノフが影響を受けて練習曲「音の絵」op.39-5を書いた)でも、かつての大家たちのような巨大なうねりではなく、地に足をつけた表現で、それでいて十分なドラマを聴かせてくれる。
 後期の作品では、神秘和音の効果による飛翔感がよく表出しているし、全般にスクリャービンのどの作品にも巧みに自身の音楽として消化する奏者の感性を感じさせる。
 総じて力強さ、色艶がありながらも円熟を感じさせる演奏で、スクリャービン演奏としてある意味模範的なスタイルであると思う。

練習曲全集
p: レヴィナス

レビュー日:2018.9.21
★★★★☆ 自由度が高く、響きはどこか印象派を思わせるレヴィナスのスクリャービン
 高名な哲学者エマニュエル・レヴィナス(Emmanuel Levinas 1906-1995)の息子で、現代音楽の作曲家としても活動しているピアニスト、ミカエル・レヴィナス(Michael Levinas 1949-)によるスクリャービン(Alexander Scriabin 1872-1915)の練習曲集。スクリャービンの作品から「練習曲」の名を持つ作品を網羅的に集めたもので、以下の様に収録されている。
12の練習曲 op.8
 1) 第1番 嬰ハ長調
 2) 第2番 嬰ヘ短調
 3) 第3番 ロ短調
 4) 第4番 ロ長調
 5) 第5番 ホ長調
 6) 第6番 イ長調
 7) 第7番 変ロ短調
 8) 第8番 変イ長調
 9) 第9番 嬰ト短調
 10) 第10番 変ニ長調
 11) 第11番 変ロ短調
 12) 第12番 嬰ニ短調 「悲愴」
8つの練習曲 op.42
 13) 第1番 変ニ長調
 14) 第2番 嬰ヘ短調
 15) 第3番 嬰ヘ長調
 16) 第4番 嬰ヘ長調
 17) 第5番 嬰ヘ短調
 18) 第6番 変ニ長調
 19) 第7番 ヘ短調
 20) 第8番 変ホ長調
21) 3つの小品 op.49 から 第1番 練習曲 変ホ長調
22) 4つの小品 op.56 から 第4番 練習曲 変ホ長調
3つの練習曲 op.65
 23) 第1番 変ロ長調
 24) 第2番 嬰ハ長調
 25) 第3番 ト長調
26) 3つの小品 op.2 から 第1番 練習曲 嬰ハ短調
 1993年の録音。
 レヴィナスのスクリャービンはなかなかに独創的だ。ロシアのピアニストたちの、おおむね情念を込めたようなアプローチとはことなり、どこか瀟洒で、印象派的な音色がかいまみえる。力強さのある楽曲では、あえて力より速さに比重を置いた感じのものがあり、その結果、曲によっては、サラリとした印象を受ける。
 op.8-2の嬰ヘ短調など、その典型といって良く、逃れえない重力を感じさせたソフロニツキー(Vladimir Sofronitsky 1901-1961)の名演とは真逆と言って良いほどの軽やかなスピード感である。op.8-3のロ短調も同様で、タッチは軽く、早い。op.8-4のロ長調では、その軽やかな早さが、ショパンを思わせる風合いを醸し出す。運動美に溢れた音階の発色は鮮やかだ。op.8-5の嬰ヘ短調も同様で、ユニークな面白さがある。一方で、op.8-10変ニ長調 では劇的な力強さが表出する。堰き止める瞬間の力の蓄えが、音の間隙を満たし、迫力がある。かと思うと、op.8-11の変ロ短調のように、思い切ってテンポを落とし、情感を巡らせるように進むものもある。
 かように、レヴィナスのスクリャービンは、自由度が高く、曲によっては、その濃厚さがかなり薄められている。だから、スクリャービンのピアノ音楽を様々に聴いてきた者には、やや意表を突かれるというか、肩透かし、と感じてしまうものもある。
 op.42-5は、前半でやや落ち着かないような、足取りに不確かさの感じられるところがあって、不安な雰囲気があるが、盛り上がるとともにこれが解消されていく。これは演出なのか、技術的なものなのか、判然としないところがある。
 個人的に、「これはいいな!」と思ったのは、op.65の3曲で、第2番 嬰ハ長調では、ゆっくりとしたテンポが、細やかなニュアンスを汲んで、複層的な雰囲気を形成し、すべてが機能を果たした味わいの深さがある。また、第3番 ト長調では、高音の和音の衝撃が、音楽的効果として意図深く還元だれた説得力に満ちていた。
 ただ、スクリャービンの「練習曲」全曲を収めたアルバムとしては、全体的なイメージとしてまとまりにくく、また楽曲によっては、その解釈が曲のふさわしさに沿っていないように感じられるものがあり、そのような曲では、なにか新しい強い魅力が提示されているとまでは思うことができなかった。そのため、私なりの感想は、やや物足りなさののこる、保留気味のものとならざるをえない。

練習曲全集
p: ヴォスクレセンスキー

レビュー日:2019.5.9
★★★★★ 正統的名演、ヴォスクレセンスキーによるスクリャービンの練習曲全集
 ロシアのピアニスト、ミハイル・ヴォスクレセンスキー(Mikhail Voskresensky 1935-)によるスクリャービン(Alexander Scriabin 1872-1915)の「練習曲」と名の付くピアノ独奏曲をすべて収めたアルバム。収録内容は以下の通り。
1) 3つの小品op.2 より 第1番 練習曲 嬰ハ短調
12の練習曲 op.8
 2) 第1番 嬰ハ長調
 3) 第2番 嬰ヘ短調
 4) 第3番 ロ短調
 5) 第4番 ロ長調
 6) 第5番 ホ長調
 7) 第6番 イ長調
 8) 第7番 変ロ短調
 9) 第8番 変イ長調
 10) 第9番 嬰ハ短調
 11) 第10番 変ニ長調
 12) 第11番 変ロ短調
 13) 第12番 嬰ニ短調 「悲愴」
8つの練習曲 op.42
 14) 第1番 変ニ長調
 15) 第2番 嬰ヘ短調
 16) 第3番 嬰ヘ短調
 17) 第4番 嬰ヘ長調
 18) 第5番 嬰ハ短調
 19) 第6番 変ニ長調
 20) 第7番 ヘ短調
 21) 第8番 変ホ長調
22) 3つの小品 op.49 より 第1番 練習曲 変ホ長調
23) 4つの小品 op.56 より 第4番 練習曲 変ホ長調
3つの練習曲 op.65
 24) 第1番 変ロ長調
   25) 第2番 嬰ハ長調
 26) 第3番 ト長調
 1999年の録音。
 ヴォスクレセンスキーは、音楽教育の面で精力的な活動をし、日本でも教鞭をとった。日本国内での知名度は比較的高いが、ピアニストとして録音の機会を持つことは少ない。なので、日本のレーベルによって製作された当盤は、数少ない、貴重な録音作品の一つである。
 され、当盤で聴かれるヴォスクレセンスキーの演奏であるが、ロシアピアニズムと形容するにふさわしい野太い表現を用いながら、テンポ、解釈などは模範的なもの、と思う。とても優れた演奏で、安定感が高く、時にドイツ的とも感じられる質感を保っている。他方で、スクリャービン特有の神秘性より、様式的な美観を重んじたその解釈は、人によっては穏当に過ぎると感じられるかもしれない。
 私は、総じて優れた演奏であり、かつこれらの楽曲にまとめて模範的といって良い解釈を施すことに、十分な価値があることであると思うので、この録音の存在を大切なものに思っている。
 全体に落ち着きがありながら、豊かな質感を感じさせる解釈であるが、特に印象的なものとして、op.8-2で聴かれるのたうつ様なしなりの力強さ、op.8-3の中間部の主題の濃厚な表現、op.8-9で見せる力強いリズムを伴った推進力、op.8-10における力感あふれるアクセント、op.42-6のテンポを維持しながらの重々しい響き、op.65-1の落ち着きと神秘の両立などである。
 また、op.8-12やop.42-5といった有名曲では、楽譜に忠実に引き込んだ再現に徹して、構築性の高い、設計された音響が聴かれることも、当盤を聴く喜びとなるだろう。
 全体に、オーソドックスゆえの強さを感じさせる名演といって良く、これらの曲集における存在感のある録音の一つとなっている。

練習曲全集
p: オールソン

レビュー日:2019.11.29
★★★★☆ 凹凸ある響きが特徴的なオールソンによるスクリャービンの練習曲
 アメリカのピアニスト、ギャリック・オールソン(Garrick Ohlsson 1948-)によるスクリャービン(Alexander Scriabin 1872-1915)の「練習曲」と名の付くピアノ独奏曲をすべて収めたアルバム。収録内容は以下の通り。
1) 3つの小品op.2 より 第1番 練習曲 嬰ハ短調
12の練習曲 op.8
 2) 第1番 嬰ハ長調
 3) 第2番 嬰ヘ短調
 4) 第3番 ロ短調
 5) 第4番 ロ長調
 6) 第5番 ホ長調
 7) 第6番 イ長調
 8) 第7番 変ロ短調
 9) 第8番 変イ長調
 10) 第9番 嬰ハ短調
 11) 第10番 変ニ長調
 12) 第11番 変ロ短調
 13) 第12番 嬰ニ短調 「悲愴」
8つの練習曲 op.42
 14) 第1番 変ニ長調
 15) 第2番 嬰ヘ短調
 16) 第3番 嬰ヘ短調
 17) 第4番 嬰ヘ長調
 18) 第5番 嬰ハ短調
 19) 第6番 変ニ長調
 20) 第7番 ヘ短調
 21) 第8番 変ホ長調
22) 3つの小品 op.49 より 第1番 練習曲 変ホ長調
23) 4つの小品 op.56 より 第4番 練習曲 変ホ長調
3つの練習曲 op.65
 24) 第1番 変ロ長調
 25) 第2番 嬰ハ長調
 26) 第3番 ト長調  2004年の録音。
 私はスクリャービンのこの曲集が好きで、様々な録音を聴いている。オールソンの演奏は、テンポは平均的なものといって良いが、音色に特徴があって、乾いたアクセントの扱いが印象的だ。おそらくペダリングの扱いによる影響が大きいと思う。全般に軽く浅いペダリングで、その結果、音色はややソリッドで、ゴツゴツした印象になる面を持っている。op.8-9の嬰ハ短調や、それに続くop.8-10の変ニ長調に、その特徴は顕著になっていて、断続的に凹凸のある響きが起きる。
 そうして、全般に曲想は重みと暗さを増して聴こえるようになるのだが、その沈むような暗みと、強い音のギャップが、私にはときどき唐突な感じに聴こえてしまうところはある。
 このオールソンのスタイルは、初期よりも中後期の作品に合っているように私は思う。当盤の収録曲中では「12の練習曲」より「8の練習曲」の方が、曲想に即した演出が与えられているように感じられ、人工的な異質さが少なくなり、私には聴き易く、良いと思った。収録曲中で抜群に良いのはop.65-1で、繊細に扱われたメロディラインに輝きが感じられるとともに、重力に沿うような自然な動感が連動していて、名演になっていると思う。
 曲集全体としては、私には馴染み切れないところも残るが、特に後半は美しい瞬間が数多くあり、捨てがたい。

8つの練習曲 12の練習曲から 第5番 第7番 第10番 第11番 第12番「悲愴」 3つの小品 op.2 第1曲 練習曲 嬰ハ短調  10のマズルカから 第6曲 第7曲 第10曲 4つの前奏曲 op.22 3つの小品 op.45 ワルツ風に op.47 3つの小品 op.52 2つの小品 op.5 アルバムの綴り op.58 2つの詩曲 op.63  2つの詩曲 op.69 2つの詩曲 op.71 焔に向かって op.72 5つの前奏曲 op.74
p: アシュケナージ

レビュー日:2015.4.16
★★★★★ スクリャービン没後100年のアニヴァーサリー・イヤーにふさわしい録音
 2015年はスクリャービン(Alexander Scriabin 1872-1915)の没後100年にあたるアニヴァーサリー・イヤーである。とはいっても、この作曲家には一定のフアンがいるとは言え、一般レベルでの作曲家としての知名度を考えると、記念年とはいえ、どの程度この機会に取り上げられるのだろうか?と考えていたのだが、いきなり素晴らしいアルバムが登場した。大御所、アシュケナージ(Vladimir Ashkenazy 1937-)による2014年録音のスクリャービンピアノ作品集である。78分という収録時間で充実した内容だ。
 アシュケナージは、1972年から84年にかけて、スクリャービンの全10曲のピアノ・ソナタを録音していて、それは素晴らしい内容で、私の長年の愛聴盤の一つである。このたびは、実にそれ以来、30年ぶりのスクリャービンの独奏曲録音となるわけだ。ちなみに、ピアノ・ソナタ全集の際には、併せていくつかの小品も録音されていたのだが、当録音にはそれらと重複する楽曲もなく、全曲がアシュケナージによる初録音となる。収録曲の詳細は以下の通り。
1) 3つの小品 op.2 第1曲 練習曲 嬰ハ短調
2) 10のマズルカ op.3 第6曲 嬰ハ短調
3) 10のマズルカ op.3 第7曲 ホ短調
4) 10のマズルカ op.3 第10曲 変ホ短調
5) 12の練習曲 op.8 第5曲 ホ長調
6) 12の練習曲 op.8 第7曲 変ロ短調
7) 12の練習曲 op.8 第10曲 変ニ長調
8) 12の練習曲 op.8 第11曲 変ロ短調
9) 12の練習曲 op.8 第12曲 嬰ニ短調「悲愴」
10) 4つの前奏曲 op.22 第1曲 嬰ト短調
11) 4つの前奏曲 op.22 第2曲 嬰ハ短調
12) 4つの前奏曲 op.22 第3曲 ロ長調
13) 4つの前奏曲 op.22 第4曲 ロ短調
14) 8つの練習曲 op.42 第1曲 変ニ長調
15) 8つの練習曲 op.42 第2曲 嬰ヘ短調
16) 8つの練習曲 op.42 第3曲 嬰ヘ長調
17) 8つの練習曲 op.42 第4曲 嬰ヘ長調
18) 8つの練習曲 op.42 第5曲 嬰ハ短調
19) 8つの練習曲 op.42 第6曲 変ニ長調
20) 8つの練習曲 op.42 第7曲 ヘ短調
21) 8つの練習曲 op.42 第8曲 変ホ長調
22) 3つの小品 op.45 第1曲「アルバムの綴り」
23) 3つの小品 op.45 第2曲「おどけた詩曲」
24) 3つの小品 op.45 第3曲 前奏曲 変ホ長調
25) ワルツ風に op.47
26) 3つの小品 op.52 第1曲 詩曲 ハ長調
27) 3つの小品 op.52 第2曲「なぞ」
28) 3つの小品 op.52 第3曲「やつれの詩曲」
29) 2つの小品 op.57 第1曲「あこがれ」
30) 2つの小品 op.57 第2曲「舞い踊る愛撫」
31) アルバムの綴り op.58
32) 2つの詩曲 op.63 第1曲「仮面」
33) 2つの詩曲 op.63 第2曲「不思議」
34) 2つの詩曲 op.69 第1曲 アレグレット
35) 2つの詩曲 op.69 第2曲 アレグレット
36) 2つの詩曲 op.71 第1曲「おどけて」
37) 2つの詩曲 op.71 第2曲「空想して」
38) 焔に向かって op.72
39) 5つの前奏曲 op.74 第1曲 苦しみ、悲痛な
40) 5つの前奏曲 op.74 第2曲 十分に遅く、瞑想的に
41) 5つの前奏曲 op.74 第3曲 劇的アレグロ
42) 5つの前奏曲 op.74 第4曲 ゆっくりした、漠然と、あいまいな
43) 5つの前奏曲 op.74 第5曲 高慢な、好戦的な
ジュリアン・スクリャービン(Julian Scriabin 1908-1919)
44) 前奏曲 op.3-1
 末尾に収録されているのは、11歳という年齢で、事故のため夭折したスクリャービンの息子の作品。一般にはジュリアン(Julian)で表記されるが、当CDではユリアン(Yulian)と記載されている。彼の遺した作品は、年齢を考えると驚異的な内容で、一聴の価値はある。以前、ザラフィアンツ(Evgeny Zarafiants 1959-)も、彼の作品を録音していた。
 アシュケナージのスクリャービンはとても美しい。なにより音楽に与えられるフレージングが、曲想に即した自然さがある。それぞれの曲が、そのように書かれたのだという存在証明を伴って、輝かしく響く。
 アシュケナージの技術は、ピアノ・ソナタ全曲を録音したころに比べると、綻びを感じさせるところもあるけれど、全体の構成の巧みさはさすがで、音楽の流れを損なうようなところは一か所もない。むしろ、それぞれの楽曲は、生命感に溢れた表現で一際その魅力を高めている。スクリャービンの音楽は、短い間に様々な変容を見せるが、その変化に的確な力を与えているのが、こまやかな間合いである。アシュケナージによる間の巧みさは、たとえばop.52の3つの小品に顕著に感じられるだろう。また、マズルカで響かせる高音の不思議な色合いは、このピアニストならではのものだろう。
 有名な練習曲「悲愴」の情熱も見事だが、それよりも後期の5つの前奏曲に代表される官能性の表出方法が素晴らしい。とても上品かつ音楽的まとめられていて、スクリャービンの音楽に高い薫りを与えることに成功している。
 こうなってくると、アシュケナージには、是非、その他のスクリャービンの独奏曲も録音してほしいと思う。特に名曲「幻想曲」や、24の前奏曲、それに本盤から漏れてしまった練習曲など、アシュケナージのピアノで聴きたいと切に思う。

8つの練習曲 幻想ソナタ 嬰ト短調 フーガ  2つの夜想曲 op.5  2つの即興曲 op.10  5つの前奏曲 op.15  5つの前奏曲 op.16 4つの前奏曲 op.39 詩曲 op.41 3つの小品 op.45 3つの小品 op.49 アルバムの綴り op.58 スケルツォ op.46
p: ニコノーヴィチ

レビュー日:2018.8.20
★★★★★ スクリャービンのピアノ音楽を理想的に表現したニコノーヴィチの録音
 ウズベキスタンのタシケント生まれのロシアのピアニスト、イーゴリ・ニコノーヴィチ(Igor Nikonovich 1935-2012)による「Rare Scriabin」と題したスクリャービン(Alexander Scriabin 1872-1915)の、演奏機会の比較的少ない作品を集めたアルバム。収録曲は以下の通り。
1) フーガ ホ短調
2) 幻想ソナタ 嬰ト短調
3,4) 2つの夜想曲 op.5 (第1番 嬰ヘ短調 第2番 イ長調)
5,6) 2つの即興曲 op.10 (第1番 嬰ヘ短調 第2番 イ長調)
7-11) 5つの前奏曲 op.15 (第1番 ロ長調 第2番 嬰ヘ短調 第3番 ホ長調 第4番 変ホ短調 第5番 嬰ハ短調)
12-16) 5つの前奏曲 op.16 (第1番 ロ長調 第2番 嬰ト短調 第3番 変ト長調 第4番 変ホ短調 第5番 嬰ヘ長調)
17-20) 4つの前奏曲 op.39 (第1番 嬰ヘ長調 第2番 ニ長調 第3番 ト長調 第4番 変イ長調)
21) 詩曲 op.41
22-29) 8つの練習曲 op.42 (第1番 変ニ長調 第2番 嬰ヘ短調 第3番 嬰ヘ長調 第4番 嬰ヘ長調 第5番 嬰ハ短調 第6番 変ニ長調 第7番 ヘ短調 第8番 変ホ長調)
30-32) 3つの小品 op.45 (アルバムの綴り おどけた詩曲 前奏曲変ホ長調)
33-35) 3つの小品 op.49 (練習曲変ホ長調 前奏曲ヘ長調 夢想 ハ長調)
36) アルバムの綴り op.58
37) スケルツォ op.46
 1995年の録音。なお2曲目の「幻想ソナタ」は、同じ名称をもつピアノ・ソナタ第2番とは別の、スクリャービンの若き日の作品。
 国内盤もいくつかリリースされたニコノーヴィチではあるが、その名は広く知られているとは言い難い。優れた音楽家であるが、教育現場での活動を本業としてきたため、コンサート・ピアニストとしての活躍は時間的にも限られていた。それでも、ロシアではロマン派、それにスクリャービンの優れた弾き手として、相応に知名度のあるピアニストであったとのこと。
 当盤の録音を聴くと、そのタッチ、そして解釈は、スクリャービンの音楽世界を巧妙に再現しており、是非とも聴くべき演奏となっていると思う。スクリャービンのこれらの楽曲は、ネームヴァリューこそないが、この作曲家特有の香気や色彩を存分に感じさせるものであり、ニコノーヴィチのピアニズムは、楽曲の真価を明瞭に伝えている。巧妙なルバートを用いて、なめらかで輝かしいタッチにより、美しいというだけでなく、アクセントの妙を交え、全体の運動的なバランスにも精巧な配慮がある。
 ショパン(Frederic Chopin 1810-1849)の影響を強く感じさせる初期作品では、夜想曲の「憂いと動き」を組み合わせた3部構成となっているが、ニコノーヴィチはスマートに甘味を引き出していて、こなれたもの。
 5つの前奏曲 op.15 の「第3番 ホ長調」は、連続するアルペッジョで描かれる小曲だが、その一つ一つの力強い輝かしさが見事。5つの前奏曲 op.16の「第1番 ロ長調」の夜想曲風なフレーズ、「第2番 嬰ト短調」のスクリャービンらしいパッセージの処理も、楽曲の起伏に自然に沿いながらも、その美しさを引き出したアプローチで嬉しい。
 また、ニコノーヴィチは、時にはスクリャービンの香気を、艶めかしいほどの色彩感をもって表現する。それが如実に伝わってくる代表的な楽曲として、「詩曲 op.41」や3つの小品 op.45 の「アルバムの綴り」を挙げたい。
 アルバムの白眉といって良いのは「8つの練習曲 op.42」だろう。この曲集は、最近では録音も増えてきているが、ニコノーヴィチの演奏は代表的録音としてふさわしい等価的、等方的な魅力をもっていて、これぞこれらの楽曲のスタンダードと言える佇まいを感じさせる。特に名高い「第5番 嬰ハ短調」それに「第6番 変ニ長調」に聴かれる鮮やかな情熱の放散は素晴らしい聴き味だ。
 スクリャービンのピアノ曲を愛好する人なら、是非とも押さえておきたいアルバムの一つと言える。録音も優秀だ。

マズルカ全集
p: ベクテレフ

レビュー日:2013.6.6
★★★★★ スクリャービンのマズルカをまとめて聴ける優れたアルバム
 ボリス・ベクテレフ(Boris Bekhterev 1943-)によるスクリャービン(Alexander Scriabin 1872-1915)のマズルカ全集。2010年の録音。収録曲は以下の通り。
1) マズルカ 遺作 ヘ長調
2) マズルカ 遺作 ロ短調
3) 10のマズルカ op.3
4) 9つのマズルカ op.25
5) 2つのマズルカ op.40
 マズルカはポーランドの民族舞踊の形式を用いた舞曲である。これをピアノ曲集として大成した作曲家が、言わずと知れたショパン(Frederic Chopin 1810-1849)であった。ショパンにとってマズルカは、郷土の音楽であると同時に、自分の心象をもっとも素直に表現できるジャンルであったともされる。さらに、ポーランドでこの系譜を受け継いだ偉大な作曲家がシマノフスキ(Karol Szymanowski 1882-1937)で、彼も数多くの美しいマズルカを遺した。
 このようにして、「マズルカ」という様式が、一つのピアノ楽曲として定着するようになるに至り、ロシアやフランスの作曲家も「マズルカ」という作品を書くようになる。といってもショパンのように民俗的な旋律や、こまやかな舞曲様式の踏襲というわけでなく、彼らのマズルカはピアノのための小独立曲であり、おおむね1拍目を付点のリズムから始めるという形式的な捉え方を中心にマズルカを書いた。
 それで、その後者の代表格と言えるのがスクリャービンの作品集であろう。スクリャービンの数多くあるピアノ独奏曲にあって、「マズルカ」という作品群はあまり重要とは言えない。作曲時期も初期のものが多く、次いで中期の4),5)があるのみである。後期スクリャービンはすでにマズルカを書かなくなっていた。
 これはショパンの強い影響を受けてピアノ作品を書き始めたスクリャービンが、次第にその作曲語法を成熟させ、特有の世界へ移行していった過程をなぞらえているようにも思える。だから、ここに収められたマズルカたちを聴くと、スクリャービンの作品でありながらも、どこか簡明で、ショパン的なサロン風の面影をまとっているように響く。
 これらの楽曲は、聴いてすぐに旋律を覚えるような作品というわけではない。しかし、スクリャービン特有の見識が、マズルカという様式をまとって表れている美しさを持っている。それも、初期の作品(作曲者10代のころ)から、その傾向ははっきりと示されている。中でも10のマズルカの第4番ホ長調、第10番変ホ単調、9のマズルカの第5番嬰ハ短調、第6番嬰ヘ長調、第8番ロ長調、第9番変ホ短調といった曲に、スクリャービンのマズルカの実験性の効果は表れていよう。そして、最後の5)の2曲はスクリャービンならではの名品と呼ぶにふさわしいものだろう。
 ベクテレフの演奏は、しっとりとした質感のある音色で、特有の落ち着きと静謐があり、この効果がスクリャービンのマズルカに潜むどことなく不思議な色合いをよく反映させている。少しゆっくりめのテンポで、丁寧に精緻に作り出された音楽は、美しく響き、その魅力を聴き手に伝える。

マズルカ全集 練習曲 変ロ短調 op.8-11 嬰ニ短調「悲愴」 op.8-12
p: シャプラン

レビュー日:2017.12.25
★★★★★ 静謐で細やかなタッチで設計されたスクリャービンのマズルカ集
 1987年のセニガッリア国際ピアノ・コンクールで優勝したフランスのピアニスト、フランソワ・シャプラン(Francois Chaplin)によるスクリャービン(Alexander Scriabin 1872-1915)マズルカ集。1997年の録音。収録曲は以下の通り。
10のマズルカ op.3
 1) 第1番 ロ短調
 2) 第2番 嬰ヘ短調
 3) 第3番 ト短調
 4) 第4番 ホ長調
 5) 第5番 嬰ニ短調
 6) 第6番 嬰ハ短調
 7) 第7番 ホ短調
 8) 第8番 変ロ短調
 9) 第9番嬰 ト短調
 10) 第10番 変ホ長調
9つのマズルカ op.25
 11) 第1番 ヘ短調
 12) 第2番 ハ長調
 13) 第3番 ホ短調
 14) 第4番 ホ長調
 15) 第5番 嬰ハ短調
 16) 第6番 嬰ヘ長調
 17) 第7番 嬰ヘ短調
 18) 第8番 ロ長調
 19) 第9番 変ホ短調
2つのマズルカ op.40
 20) 第1番 変ニ長調
 21) 第2番 嬰ヘ長調
12の練習曲 op.8 から
 22) 第11番 変ロ短調
 23) 第12番 嬰ニ短調「悲愴」
 アルバムタイトルでは「全集」となっているが、スクリャービンには他に作品番号をもたない遺作のマズルカが2曲あり、これらは割愛されている。投稿日現在、遺作も含めた全集としては、ベクテレフ(Boris Bekhterev 1943-)のものがある。
 スクリャービンが、マズルカという楽曲を手掛けたのは、彼の創作活動期の前半においてである。もっとも作品番号の大きいop.40が、ピアノ・ソナタ第4番と同時期の作品である。調性を持つ第4番までのピアノ・ソナタと、第5番以降で、大きく作風が異なるから、本アルバムで取り上げられている楽曲は、作風が異なる以前の作品のみということになる。
 スクリャービンのマズルカには、特にop.3に旋律的に親しみやすいものが多く、古今多くのピアニストが取り上げてきたが、「全集」という形での録音はきわめて少ない。しかし、ショパン(Frederic Chopin 1810-1849)の影響を感じさせてやまないこれらの楽曲には、固有の魅力があり、実際、当録音のように優れた演奏で聴くと、様々な感慨を呼び起こさせてくれるものだと思う。
 ただ、シャプランのピアノはかなり独特だ。スクリャービンの音楽、というと、後期の「神秘和音」に象徴されるように、「和音の響き」に特有の工夫がある。しかし、シャプランのアプローチは、全体に淡く細やかな弱音が支配的で、細やかなパーツが慎重に組み上げられるようにして、音楽を作り出す。それは、マズルカという初期の作風ならではのアプローチ、とも言えるが、むしろ音楽の様式どうこうより、シャプランの奏法が全体的な基本として常に存在するという、全体を覆うテーゼのように存在している。
 結果、舞曲的なリズムの幅の少ない、ちょっと平板な感じも確かに残るのだが、その一方で、微細な色彩の変化を巧妙に伝え、別の方法で聴き手の心に接近することに成功していると感じる。なので、私はこのアルバムを何度も楽しんで聴いている。op.3-6や3-8の透明でありながら不思議さの漂う美観にその特徴は良く出ているだろう。
 全般にシャプランのテンポはやや遅めであり、それはどこか慎重な要素を持っている。しかし、熟考され、計算されつくした響きが、このピアニスト特有の完成された世界を保っていることはよく伝わる。劇的な練習曲「悲愴」であっても、その劇性は抑制と計算から派生しており、あるいみ理詰めのスクリャービンとして美しい装いが端然と示されているのである。
 様々なピアニストが別個に録音したマズルカと聴き比べると、シャプランの演奏の個性が一層分かるだろうし、個性的でありながら、どこか普遍的な安定性を感じさせる録音ともなっている。

マズルカ全集
p: ヤブロンスキー

レビュー日:2021.6.14
★★★★★ スクリャービンのマズルカ集に理想的な名録音が登場
 スウェーデンのピアニスト、ペーテル・ヤブロンスキー(Peter Jablonski 1971-)による、スクリャービン(Alexander Scriabin 1872-1915)のマズルカ集。2019年の録音。
 スクリャービンが書いた「マズルカ」が、総て収録されたアルバム。ヤブロンスキー以外にも、同内容の曲目を集めたアルバムはそれなりにあるし、ショパン(Frederic Chopin 1810-1849)の影響を濃厚に宿したスクリャービン10代のころの傑作、「10のマズルカ」など、結構、弾かれることも多いのだが、私は、このヤブロンスキーの録音は、素晴らしい名録音だと思う。古今のスクリャービン名録音の中に、列挙されても良いのではないだろうか。
 思えば、ヤブロンスキーという異才を、クラシック界に紹介したのは、アシュケナージ(Vladimir Ashkenazy 1937-)である。それまでヤブロンスキーはジャズ界で、才気に満ちたドラマーとして活躍していたのだ。アシュケナージの手引きで、DECCAレーベルと契約し、ピアニストとして、クラシックの楽曲たちにも様々な魅力的な録音を聴かせてくれた彼の多才さには感服したものだ。ひととき、レコーディング活動から離れていた彼が、経緯はわからないけれど、ondineとの契約を機に、再びクラシック作品の録音に力を入れてくれるようになったのは、とても嬉しい。
 このマズルカ集の特徴は、粒立ちの良い鮮やかな音色で、瞬発的な緩急を自在に操り、その情感をカラフルに描きあげたもの。楽曲の魅力が、最高と言って良い形で表現されており、私は、この曲集の魅力をあらためてたっぷりと味わうことが出来た。
 例えば、スクリャービンが16才の時に完成したop.3-1、その典雅さと、流麗な節回しの練達に作曲者の天才ぶりが示されているが、ヤブロンスキーは、透明かつ鮮烈なタッチで、情感とスピードの双方に抜群の冴えを感じさせるアプローチを示す。続くop.3-2でも、特徴的なリズムがくっきりと処理されながらも、清冽な音の流れが圧巻であり、聴き手の胸に、スッと情感が薫る。op.3-6では、巧妙なタッチと、不安をないまぜにした世界は美しく展開し、聴き手を魅了する。op.25-2やop.25-4のような古典的な長調の調性をもつ楽曲においても、スクリャービンならではの憂いや幻想的なものが交錯するが、ヤブロンスキーの演奏は、明瞭でありながら、陰影を巧みに描き分けていて、とても洗練されている。ある意味、現代的なスクリャービンを極めたような演奏である。
 スクリャービンが「マズルカ」という曲集に注力したのは、作曲家としてキャリアの若かったときであるため、当盤で、スクリャービン特有の神秘和音を応用した音世界が描かれているわけではないが、ロマン派の薫りが濃く漂うこれらの楽曲は、それ自体、別の魅力を持っており、ヤブロンスキーの演奏は、その魅力を、存分に聴き手に伝えるものであり、これらの曲集の演奏として、一つの理想に到達したものだと感じる。
 なお、当盤には、「3つの小品 op.2 から 第3番 “マズルカ風即興曲”」が収録されているが、「2つのマズルカ風即興曲 op.7」は収録されていないので、その点、留意事項として補足したい。

マズルカ全集 即興曲全集 詩曲集 他
p: アレクセーエフ

レビュー日:2021.6.30
★★★★★ コスト・パフォーマンスに優れたスクリャービンのピアノ独奏曲集
 イギリスを中心に活躍しているロシアのピアニスト、ドミトリー・アレクセーエフ(Dimitri Alexeev 1947-)がBRILLIANT CLASSICSからリリースしているスクリャービン(Alexander Scriabin 1872-1915)のピアノ独奏曲録音シリーズの第4弾に当たるアルバムで、マズルカ、即興曲、詩曲など、これまでのアルバムに収録されてこなかった楽曲たちを、一気にCD3枚分収録した形。ちなみに先行する3つのアルバムは下記の通り。
・練習曲 全集 2009,10年録音
・ピアノ・ソナタ 全集 2008-11年録音
・前奏曲 全集 2017年録音
 そして、当盤の収録内容は、下記の通り。
【CD1】
1) ワルツ ヘ短調 op.1
10のマズルカ op.3
 2) 第1番 ロ短調
 3) 第2番 嬰ヘ短調
 4) 第3番 ト短調
 5) 第4番 ホ長調
 6) 第5番 嬰ニ短調
 7) 第6番 嬰は短調
 8) 第7番 ホ短調
 9) 第8番 変ロ短調
 10) 第9番 嬰ト短調
 11) 第10番 変ホ短調
12) アレグロ・アパッショナート 変ホ短調 op.4
2つの夜想曲 op.5
 13) 第1番 嬰ヘ短調
 14) 第2番 イ長調
2つのマズルカ風即興曲 op.7
 15) 第1番 嬰ト短調
 16) 第2番 嬰ヘ短調
17) 左手のための2つの小品 op.9より 第2番 夜想曲 変ニ長調
2つの即興曲 op.10
 18) 第1番 嬰ヘ短調
 19) 第2番 イ長調
【CD2】
2つの即興曲 op.12
 1) 第1番 嬰ヘ長調
 2) 第2番 変ロ短調
2つの即興曲 op.14
 3) 第1番 ロ長調
 4) 第2番 嬰ヘ短調
5) 演奏会用アレグロ 変ロ短調 op.18
6) ポロネーズ 変ロ短調 op.21
9つのマズルカ op.25
 7) 第1番 ヘ短調
 8) 第2番 ハ長調
 9) 第3番 ホ短調
 10) 第4番 ホ長調
 11) 第5番 嬰は短調
 12) 第6番 嬰ヘ長調
 13) 第7番 嬰ヘ短調
 14) 第8番 ロ長調
 15) 第9番 変ホ短調
 16) 幻想曲 ロ短調 op.28
2つの詩曲 op.32
 17) 第1番 嬰ヘ長調
 18) 第2番 ニ長調
19) 悲劇的詩曲 op.34
【CD3】
1) 悪魔的詩曲 op.36
2) ワルツ 変イ長調 op.38
2つのマズルカ op.40
 3) 第1番 変ニ長調
 4) 第2番 嬰ヘ長調
5) 詩曲 変ニ長調 op.41
6) アルバムの綴り 変イ長調
2つの詩曲 op.44
 7) 第1番 ハ長調
 8) 第2番 ハ長調
3つの小品 op.45より
 9) 第1番 アルバムの綴り
 10) 第2番 おどけた詩曲
11) スケルツォ ハ長調 op.46
12) 3つの小品 op.49より 第3番 「夢想」
4つの小品 op.51より
 13) 第1番 「たよりなさ」
 14) 第3番 「翼のある詩曲」
 15) 第4番 「やつれの舞曲」
3つの小品 op.52
 16) 第1番 詩曲 ハ長調
 17) 第2番 「なぞ」
 18) 第3番 「やつれの詩曲」
4つの小品 op.56より
 19) 第2番 「皮肉」
 20) 第3番 「ニュアンス」
2つの小品 op.57
 21) 第1番 「あこがれ」
 22) 第2番 「舞い踊る愛撫」
23) アルバムの綴り op.58
24) 2つの小品 op.59より 第1番 詩曲
25) 詩曲=夜想曲 op.61
2つの詩曲 op.63
 26) 第1番 「仮面」
 27) 第2番 「不思議」
2つの詩曲 op.71
 28) 第1番 「おどけて」
 29) 第2番 「空想して」
30) 詩曲「焔に向かって」 op.72
2つの舞曲 op.73
 31) 第1番 「花飾り」
 32) 第2番 「暗い炎」
 アレクセーエフのスクリャービンは、概して解釈が普遍的でオーソドックスであり、技術も安定している。スポーティな一面があって、この録音では、これらの楽曲の平均的な演奏より、やや硬めの響きが感じられるが、それゆえの明瞭さが、彼の持ち味となっていると思う。一つ一つの楽曲単位で見ると、より芸術的な深みを感じさせる録音を挙げることは出来るのだが、これらの楽曲を通して聴くことができるということは、廉価レーベルからの発売であることと併せて、当アイテムの大きな強みである。
 op.4の「アレグロ・アパッショナート」などは、アレクセーエフのスタイルが強くでており、幻想性よりリアルを感じさせるタッチで、この曲でここまでゴツゴツした感触を味わったのは初めてかもしれない。op.18の「演奏会用アレグロ」、op.21の「ポロネーズ」など、初期のスクリャービンの情熱が溢れた名品だが、アレクセーエフの開放的な演奏はいかにもこれらの楽曲に相応しく、力強く前進するパワーが漲っており、かつ音色も美しい。傑作「幻想曲」では、より楽想に応じた感情の起伏が欲しい面を残すとは言え、高い技術で齟齬なく仕上がっており、安定した出来栄え。
 3枚目に収録された後期の詩曲や舞曲も、アレクセーエフは同じスタイルのアプローチを感じさせ、これらのスクリャービンの創作期に広くまたがる作品群を、安定感をもってディスプレイした感じが強い。マズルカ集も同様であるが、私は、この録音と同時に、たいへん素晴らしいペーテル・ヤブロンスキー(Peter Jablonski 1971-)のマズルカ集を聴いてしまったので、それと比べてしまうと、どうしてもアレクセーエフの演奏に色彩感と強弱緩急のニュアンスに乏しさを感じてしまうのは否めないが、そうは言っても、アレクセーエフの演奏も十分な水準に達したものであり、価格を考えると、十分以上に推薦に値する内容と結論できる。

ワルツ 変ニ長調 へ短調 変イ長調 ポロネーズ 変ロ短調 幻想曲 2つの詩曲 悲劇的詩曲 悪魔的詩曲 3つの小品(詩曲 なぞ やつれの詩曲) アルバムの綴り 詩曲「炎に向かって」 2つの舞曲(花踊り 暗い炎)
p: シャイン・ワン

レビュー日:2009.9.19
★★★★☆ シャイン・ワンによるスクリャービン・俯瞰プログラム
 中国生まれでアメリカを中心に活躍するピアニスト、シャイン・ワン(Xiayin Wang)によるスクリャービンのアルバム。ワンはアメリカでは多くのライヴ活動を行い、メディアにもよく取り上げられているようだ。室内楽を含む広いジャンルで録音活動も行っていて、このナクソス・レーベルへのスクリャービンのアルバムは2007年に録音されたもの。
 スクリャービンの音楽にはショパンから流れるロマンティシズムとともに「神秘和音」と形容される特有の響きが満ちている。特に中期以降は、神智学への傾倒から、霊的な根源の力を求め・・・といった雰囲気に満ちた作品が多くなる。
 ここでワンが取り上げた作品には、スクリャービンが14歳の時に作曲し、「作品1」の番号を与えたワルツが収録されている一方で、大曲である「幻想曲」があり、また最後期の「2つの舞曲」もある。そしてこれらの収録曲が作品番号順に収録されており、さながらスクリャービンの作曲家としての生き様をコンパクトに俯瞰した趣のプログラムだ。
 ワルツを始めとする初期の作品ではショパンの影響が顕著で、旋律の扱いもサロン音楽風であるが、中期ごろから、特に左手で奏でられる音型が旋律と絡み合うマジカルな融合を経ていく。本アルバムでは末尾に収録されている詩曲「炎に向かって」op.72と「2つの舞曲」op.73こそがスクリャービンの辿りついた境地であろう。
 シャイン・ワンの演奏は確かなテクニックに支えられた安定感の高い表現である。様々なスクリャービンの語法を明快に解きほぐしている。だが一方で、スクリャービンの音楽にはもっと陶酔的な部分があってもいいと思う。ワンの演奏は、私がこれまでに聴いた他のスクリャービン録音ではアムランに近いと思うが、私のスクリャービンの理想はアシュケナージのソナタであり、また最近ではメルニコフやスドビンのものが素晴らしいと思った。ワンの当盤ももちろんレベルは高いがスクリャービン特有の色がもっと欲しい面が残った。

即興曲全集 アレグロ・アパッショナート 3つの小品op.2から「前奏曲」、「マズルカ風即興曲」 2つの夜想曲op.5 2つの左手のための小品op.9 ポロネーズop.2
p: ベクテレフ

レビュー日:2013.6.10
★★★★★ 早期から天才性を如何なく発揮した作曲家スクリャービンの実像に迫る1枚
 ボリス・ベクテレフ(Boris Bekhterev 1943-)によるスクリャービン(Alexander Scriabin 1872-1915)2010年録音のスクリャービンのピアノ作品集。収録曲は以下の通り。
1) アレグロ・アパッショナート op.4
2) 3つの小品 op.2より第2番「前奏曲」、第3番「マズルカ風即興曲」
3) 2つの夜想曲 op.5
4) 2つのマズルカ風即興曲 op.7
5) 2つの左手のための小品 op.9(第1番「前奏曲」、第2番「夜想曲」)
6) 2つの即興曲 op.10
7) 2つの即興曲 op.12
8) 2つの即興曲 op.14
9) ポロネーズ op.21
 ベクテレフはスクリャービンという作曲家にたいへん愛着があるそうで、レコード会社からレコーディングの企画について相談を受けたときに、何よりも強く希望したのがスクリャービンだったそうである。スクリャービンのアルバムというのはどれくらい売れるのだろうか?私は大好きなのだけれど、とりあえず、ベクテレフのスクリャービンは順調にリリースを続けているようで何よりと思う。私の場合、練習曲を集めたアルバムを聴き、感銘を受けたので、他のアルバムも聴こうと思い、本盤についても聴かせていただいた。
 このアルバムのターゲットは「即興曲」とのこと。おそらく、スクリャービンが「即興曲」と銘打った作品はすべて収録されているのだろう。そこにさらに何曲か加えて出来上がったのがこのアルバム。
 収録曲を改めてご覧いただくとわかるように、スクリャービンが「即興曲」というジャンルで作品を書いたのは若いころに限られている。(ちなみにスクリャービンでいちばん大きい作品番号が74)。op.14の「2つの即興曲」を書いたのが1895年(スクリャービン23歳)のときで、以後彼は、自身の作品に「即興曲」という名前を与えることはなかった。
 それで、このアルバムにはスクリャービンの若いころの作品が集められたことになるのだが、しかし、スクリャービンという作曲家の作品は、若いころの作品だからといって、作品に未熟性や習作的要素が指摘できるわけでもなく、むしろ独自の様式性という点での早くからの完成度には目を見張るものがあるのである。
 この収録曲の中では、わけてもop.12-2の変ロ短調とポロネーズの2曲が大傑作だ。いずれもスケールの大きい楽想で、その処理の多彩さ、音色のニュアンスの豊かさに秀でている。
 op.12-2の即興曲は、旋律がうねりながらエネルギーを蓄え飽和していく様がいかにもスクリャービンであり、曲が進むにつれて内包しきれなくなった情熱が溢れかえるような魔術的な演奏効果を見せつける。ポロネーズも面白い。この曲があまり演奏されないのはもったいない。もちろん、ショパン(Frederic Chopin 1810-1849)の影響を受けて書いたには違いないのだが、スクリャービンのポロネーズはより複層的で、リズムも一様ではなく、その揺らぎの中で様々な情感を宿していくのが素晴らしい。旋律もスクリャービンでなければ想起しえないような独創性に満ちている。
 ベクテレフの確信に満ちた輝かしいアプローチももちろん見事。スクリャービンの音楽の持つ「深み」をじっくり炒り込んだような熟成感を醸し出している。濃厚な瞬間に満ちていて、いつのまにか音楽の世界に弾きこまれていく。聴いてみて、楽曲の面白さ、スクリャービンの凄さ、ベクテレフの見事さに納得させられる一枚だ。

ワルツ ヘ短調 op.1 嬰ト短調 WoO.7 3つの小品 op.2 から 第2番 前奏曲 ロ長調 第3番 マズルカ風即興曲 夜想曲 変イ長調 WoO.3 スケルツォ 変ホ長調 WoO.4 変イ長調 WoO.5 ピアノ小品変 ロ短調 Anh.16 フーガ ヘ短調 WoO.13 ホ短調 WoO.20 マズルカ ヘ長調 WoO.16 ロ短調 WoO.15 左手のための2つの小品 op.9 から 第2番 夜想曲 12の練習曲 op.8 から 第12番「悲愴」(alternative version) WoO.22 2つの即興曲op.14 演奏会用アレグロ op.18 ポロネーズ 変ロ短調 op.21 詩曲 変ニ長調 op.41 スケルツォ op.46 2つの小品 op.59 から 第1番 詩曲 3つの練習曲 op.65 から 第2番 嬰ハ長調 第3番 ト長調
p: リシッツァ

レビュー日:2015.11.9
★★★★★ スクリャービン没後100年に相応しい素晴らしい録音
 スクリャービン(Alexander Scriabin 1872-1915)の没後100年にあたるアニヴァーサリー・イヤーである2015年。この作曲家が大好きな私は、レコード会社がどれほど積極的に関連企画を催してくれるのだろうか?と期待と不安の入り混じった気持ちで、たびたび新譜情報の収集にあたったのだけれど、すでにいくつか素晴らしい収穫があった。中でも特筆したいのはアシュケナージ(Vladimir Ashkenazy 1937-)によるピアノ独奏曲集と、マリア・レットベリ(Maria Lettberg 1970-)による「法悦の詩」のピアノ編曲版を中心としたアルバムであったのだけれど、ここにもう一枚、強力なアルバムを聴くことが出来た。ウクライナのピアニスト、ヴァレンティーナ・リシッツァ(Valentina Lisitsa 1973-)による「ニュアンス」と題された2014年録音のピアノ独奏曲集である。まずは、その収録曲を記載しよう。
1) ワルツ ヘ短調 op.1
2) 3つの小品op.2 から 第2番 前奏曲 ロ長調
3) 夜想曲 変イ長調 WoO.3
4) スケルツォ 変ホ長調 WoO.4
5) スケルツォ 変イ長調 WoO.5
6) ワルツ 嬰ト短調 WoO.7
7) ピアノ小品変 ロ短調 Anh.16
8) フーガ ヘ短調 WoO.13
9) 3つの小品 op.2 から 第3番 マズルカ風即興曲
10) マズルカ ヘ長調 WoO.16
11) マズルカ ロ短調 WoO.15
12) フーガ ホ短調 WoO.20
13) 左手のための2つの小品 op.9 から 第2番 夜想曲
14) 12の練習曲 op.8 から 第12番「悲愴」(alternative version) WoO.22
15) 2つの即興曲 op.14 から 第1番 ロ長調
16) 2つの即興曲 op.14 から 第2番 嬰ヘ短調
17) 演奏会用アレグロ op.18
18) ポロネーズ 変ロ短調 op.21
19) 詩曲 変ニ長調 op.41
20) スケルツォ op.46
21) 2つの小品 op.59 から 第1番 詩曲
22) 3つの練習曲 op.65 から 第2番 嬰ハ長調
23) 3つの練習曲 op.65 から 第3番 ト長調
 収録曲を見渡して、非常に地味な印象に感じられるかもしれない。スクリャービンの中でも詩曲や前奏曲の有名なナンバーや、それにソナタや幻想曲といった大曲は含まれていないし、それにWoO番号、つまりWerk ohne Opuszah(作品番号が付いてない)ものとして後年整理された曲が多い。つまりスクリャービンが自身の作風を固める前の、若いころに書いた「試作的」作品が多いことを意味する。唯一有名曲である12の練習曲 op.8 から 第12番「悲愴」についても、別版によって収録されている。
 実は、2015年に、デッカ・レーベルは、CD18枚からなるスクリャービン全集をリリースしたのだけれど、そこに、これらの音源が用いられている。つまり、デッカに音源がなかったか、もしくはあっても更新するべきと判断されたものについて、レーベルの全集企画のため、リシッツァが集約的にこれらの楽曲に付いて録音を担ったと考えられる。言ってみれば「落穂ひろい」の様な企画で出来たアルバムなのだ。しかし、その担い手に、現在評価の高まっているリシッツァを起用したことは、結果からみて慧眼中の慧眼だった。素晴らしく聴き応えのあるアルバムが出来上がった。
 このアルバムに収録された楽曲は、ショパン(Frederic Chopin 1810-1849)の影響が濃いものが多い。そういった意味で、後期の神秘的なスクリャービンの世界に、なんとなく相容れないものを感じる人には、むしろ聴きやすい、わかりやすい内容となっているのではないだろうか。
 例えば、3曲目に収録された「夜想曲 変イ長調 WoO.3」など、左手の分散和音にのって右手が甘美な主題を謳う簡明な音楽で、そこにショパン、あるいはメンデルスゾーン(Felix Mendelssohn Bartholdy 1809-1847)やチャイコフスキー(Pyotr Ilyich Tchaikovsky 1840-1893)のピアノ小品を思い浮かべる人は多いに違いない。リシッツァは、甘美な情緒を健やかにストレートに歌っていて、下手に学究的になることがないのも好ましい。
 全般に、そんな若きスクリャービンの魅力が立ち込めたアルバムだ。特に「演奏会用アレグロ op.18」と「ポロネーズ 変ロ短調 op.21」の2曲の華麗な演奏効果は圧巻で、何かの機会があれば、一気に名曲としての名声を高めるのではないか、そんな強靭な説得力に満ちた絢爛たるリシッツァのピアニズムが堪能できる。
 いずれの楽曲も、この作曲家が若いころから特別に秀でた感性と技術を持っていたことを示すもので、そのことが、リシッツァのような優れたアーティストによって証明されることは、記念年に相応しい。

スクリャービン (S.パヴチンスキ編)交響曲 第4番「法悦の詩」  リスト 悲しみのゴンドラ第2番  バンター 誕生と旅立ち-スクリャービンへのオマージュ  ケルケル スクリャービンの記念碑  メシアン 幼子イエスに注ぐ20のまなざし から 第1番「父のまなざし」 第20番「愛の教会のまなざし」
p: レットベリ

レビュー日:2015.9.17
★★★★★ スクリャービンと他の作曲家の関連性を、一枚のアルバムで表現した秀逸な企画
 2004年にCD8枚からなるスクリャービン(Alexandre Scriabine 1872-1915)のピアノ独奏曲全集を録音したスウェーデンのピアニスト、マリア・レットベリ(Maria Lettberg 1970-)が、スクリャービンの没後100年となる2015年を記念してリリースした企画盤。2014年録音で以下の楽曲を収録している。
1) スクリャービン 交響曲 第4番「法悦の詩」;パヴチンスキ(Sergei Pavchinsky 1955-)によるピアノ編曲版
2) リスト(Franz Liszt 1811-1886) 悲しみのゴンドラ第2番
3) ハラルト・バンター(Harald Banter 1930-) 誕生と旅立ち-スクリャービンへのオマージュ
4) マンフレート・ケルケル(Manfred Kelkel 1929-1999) スクリャービンの記念碑
5) メシアン(Olivier Messiaen 1908-1992) 幼子イエスに注ぐ20のまなざし から 第1番「父のまなざし」
6)  同 第20番「愛の教会のまなざし」
 とても面白い企画だ。これらの作品のうち、冒頭曲は、レットベリの意向に基づいて、ロシアの作曲家、パヴチンスキがあらたにピアノ編曲を手掛けたものだが、その他の作品は、スクリャービンに深く傾倒するレットベリ自身によって、スクリャービン作品との関係性から、本アルバムに取り上げられたもの。
 当盤は輸入盤なのだが、ありがたいことに、ブックレットに収録されているレットベリのインタビューには日本語訳も添付してあるため、これらの作品の背景について容易に知ることが出来る。それによると、ドイツの作曲家バンターは、ヘンツェ(Hans Werner Henze 1926-2012)に師事し、ボーダレス的な音楽活動を行っている人物で、スクリャービンの象徴的なアイデアを、自作に取り込んだ作品を手掛けている人物とのこと。また、同じドイツの作曲家ケルケルは、メシアンの弟子で、スクリャービンの未完の大作「神秘劇」の序幕のスケッチを研究し、これの編作を試みた人物とのこと。ちなみにこの序幕はネムティン(Alexander Nemtin 1936-1999)により補筆完成された総譜が、アシュケナージ(Vladimir Ashkenazy 1937-)指揮の演奏で、CD3枚に渡って収録されたものがある。
 また、メシアン、リストの作品には、それぞれスクリャービン的な効果が含まれている楽曲を選んだらしい。
 私は、当盤を聴きながら、その曲目リストを眺め、レットベリのインタビューを読んでいると、2011年にフランスのピアニスト、エマール(Pierre-Laurent Aimard 1957-)が録音した「ザ・リスト・プロジェクト」というアルバムのことを思い出した。それはリスト作品と、その影響を受けた作曲家の作品を交互に弾く催しで、エマールは冒頭にリストの「悲しみのゴンドラ」を弾き、6曲目にスクリャービンのピアノ・ソナタの第9番を弾いていた。いま、そのアルバムを引っ張り出してみると、その前後は、リストの凶星!とロ短調ソナタになっている。レットベリはリストの後期の作品に、スクリャービンを思わせる音色が多く使用されていることに言及していて、それはエマールの意図と重なるところがあるのかもしれない。
 また、当盤を通して聴いてみると、メシアンの「父のまなざし」と、リストの「悲しみのゴンドラ第2番」にも、とても似通った雰囲気が流れていることにも気づかされる。
 そのようなわけで、曲目だけでも十二分に興味深いアルバムなのだが、演奏もなかなか魅力的だ。レットベリの演奏は、リズムにそれほど厳格な感じはしないが、やや丸みをもった音色が雰囲気豊かで、これらの楽曲の表情にとてもよく合致している。「法悦の詩」は、編曲も健闘していて、原曲の面白みを精一杯鍵盤上で復元している。もちろん、この曲の場合、音色や感情表現の豊かさという点において、オーケストラの音色は必須なものだ、と私は思うのだけれど、それでもピアノでもここまで出来るというのは、立派な試みだと思う。
 他の楽曲も、レットベリの前述のスタイルが、よりスクリャービンを思わせる味わいに近づけていて、互いの曲の位置関係を接近させ、アルバムの目論みを成功に導いた感がある。とにかく、バンター、ケルケルの初めて聴いた作品は、私には面白く、スクリャービンの影響力を改めて思い知った。
 作曲家没後100年となる2015年にあって、アシュケナージによるピアノ独奏曲集とともに、最も魅力的な新譜作品と考える。


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