シューマン
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交響曲 全集(第1番「春」 第2番 第3番「ライン」 第4番(1841年版) 第4番(1851年版) 交響曲「ツヴィッカウ」) 序曲・スケルツォとフィナーレ 4本のホルンとオーケストラのためのコンツェルトシュテュック ガーディナー指揮 オルケストル・レヴォリュショネール・エ・ロマンティーク hrn: モンゴメリー エドワーズ デント マスケル レビュー日:2006.11.6 |
★★★★★ シューマンの交響曲全集の「完全版」です
ん?!シューマンの交響曲全集なのに3枚組みなのか!、と驚かれても無理はない。しかし当盤はまさしくシューマンの交響曲全曲完全版と言える内容となっている。当盤の特徴は次の二つ。 (1) ピリオド楽器による演奏であること (2) 全ての交響曲を収録していること (2)の説明を補完させていただくと収録曲は以下の通り。交響曲・第1番「春」、第2番、第3番「ライン」、第4番(1841年版)、第4番(1851年版)、交響曲「ツヴィッカウ」、序曲・スケルツォとフィナーレ、4本のホルンとオーケストラのためのコンツェルトシュテュック 演奏はジョン・エリオット・ガーディナー指揮のオーケストラ・レヴォリュショネール・エ・ロマンティーク。ホルンは ロジャー・モンゴメリー、ギャヴィン・エドワーズ、スーザン・デント、ロバート・マスケルの4名。 まず通常4曲のはずの交響曲が増えていることに注目。第4交響曲は第2交響曲の作曲前に「交響的幻想曲」といして生まれたが、それがここの1841年版に当たる。そしてそれをシューマンが後年になって交響曲としての体裁を整えなおし、あらためて「交響曲第4番」としたものが現在聴かれる1851年版である。プロコフィエフの第4交響曲と似ているが、こちらも両版による違いは大きく、聴きなれない最初の稿のものはシューマンファンにとっても新鮮なものに違いない。また交響曲「ツヴィッカウ」(シューマンの生地の名)は未完の習作交響曲で、2楽章だけですっと終わってしまうが、力に満ちた躍動感溢れる音楽で、一聴の価値以上のものがある。またこれも隠れ交響曲的存在である「序曲・スケルツォとフィナーレ」が収録されているのもうれしい。 ガーディナーの指揮ぶりは熱い思いがそのままタクトに乗り移ったようで、飛び跳ねるようなリズム感と、行きのいい推進力で見事にこれらの楽曲を纏め上げている。中でも第1番と第4番、それにコンツェルトシュテュックと「ツヴィッカウ」は気迫が前面に出ることが、よりいい方に作用している。なお参考までにコンツェルトシュテュックではホルンはF管のバルブホルンを使用している。 |
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交響曲全集(マーラー版) シャイー指揮 ゲヴァントハウス管弦楽団 レビュー日:2008.1.18 |
★★★★★ シャイーによる「マーラー版」シューマンの全集です
リッカルド・シャイーによるマーラー校訂版によるシューマンの交響曲全集が完成した。シャイーはかつてコンセルトヘボウ管弦楽団とシューマンの通常スコアによる全集を録音しており、その後、マーラーの交響曲全集を経て、新たな手兵となったライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団と、「マーラー版」シューマンの全集を録音したことになる。 ところで、本全集のうち第2番と第4番は先に発売されていたが、その際合わせて収録されていた序曲「ゲノヴェーヴァ」が本全集からは削られている。たびたび思うことであるが、このような「余禄」に納められた楽曲も、全集化の際には、ぜひ削ることなく収録して欲しいものだ。全集で購入したほうが安価なのに、それだと収録してない曲がある、というのは買う方としてもあまり気持ちのいいものではない。 話を戻そう。マーラー版による全集としてはかつてBISレーベルからチェッカート指揮ベルゲンフィルによる録音があり、話題になった。とくに第1番冒頭のファンファーレからして音を変えてしまっている点など衝撃的であった。一方で、第3番「ライン」のマーラー版などは本当に素晴らしいもので、ジュリーニをはじめ多くの指揮者が断るまでもなくマーラー版をもちいてきた。つまりこの版の知名度(よく聴かれる度合い)は曲によって大きく異なるわけである。だから「全集」と銘打って出すのは、なるほど売り文句になるわけだ。 かつて出ていたチェッカートの演奏は、非常にたおやかで優美というか、おとなしい演奏であった。熱よりも、どこか北欧音楽的なファンタジーのような世界とでも言おうか。対するにシャイーの演奏は非常に熱がこもっている。いままでのシャイーのカラーとも違う感覚を感じた。特に金管の刺すような音色や、大きくならさず、ややスタッカート気味の部分など、マーラー版であるという以上に指揮者の個性を感じる演奏である。そして終結に向かって流れる強い意志の力を感じる。たおやかな世界ではなく。全身全霊をかけたとでもいうのだろうか。マーラーがスコア整理をしたが、シューマンの熱っぽさをそのまま残した演奏と感じる。非常に魅力的だと感じたが、みなさんはいかがだろうか? |
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交響曲全集 序曲・スケルツォと終曲 序曲 「ジュリアス・シーザー」 ショルティ指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 レビュー日:2010.11.17 |
★★★★☆ 直線的にグイグイ引っ張ってくれるショルティのシューマン
ショルティ指揮ウィーンフィルによるシューマンの交響曲全集。序曲・スケルツォとフィナーレ、序曲「ジュリアス・シーザー」が併録されている。録音は1967年から69年にかけて。 ショルティがウィーンフィルと「ニーベルングの指輪」を録音したのが1958年から64年にかけてなので、その後の同じ顔合わせによる録音ということになる。ショルティ指揮のシューマンというのは珍しく、その後シカゴ交響楽団とも録音していない。ショルティは再録音に慎重なタイプだったようで、ことに前作に愛着がある場合はそうだったというから、あるいはこのシューマンも本人が当録音をとても気に入っていたのかもしれない。 さて、これを聴いてみるととても特徴的なシューマンである。シューマンのシンフォニーでこれほど「直線的」なイメージを持った演奏はちょっとないのではないだろうか。第1番はファンファーレの冒頭から一気にトップギアに移り、快刀乱麻を断つ勢いで、ズンズンズンズン進んでいく。金管の音色も鋭く激しい。ウィーンフィルからこのような音色を引き出すというのは、指揮者の強い統率力の顕れだろう。 他方中間楽章のたおやかなシーンなどは、テンポが速くてもウィーンの特に弦楽セクションが豊かな表情を持って鳴っており、全般の激性の強さとの対比から、妙に印象的で面白い。終楽章も面目躍如で、ぶっとばすようなホルンの対旋律の鳴りっぷりは華やかでカッコイイ。 第3番などは、行き過ぎて「ごつさ」が出ているところもあるだろうが、反面推進力が漲っていてメリハリのある音楽になっている。この辺は好みが別れるところだろう。第4楽章の重量感もなかなか聴かれないサウンドだと思う。第2番も押し出しが強く、特に終楽章の開放感は力強く助長されていて明朗だ。 録音の少ない序曲「ジュリアス・シーザー」が収録されている。ショルティの指揮で聴くと、重々しい楽想の音楽がより端的に特徴を表出しているように思う。録音はところどころ硬い響きが気になるところではあるが、この時代としては良質な方で、当時のショルティのスタイルをよく捕らえているだろう。なかなか聴くことのできないタイプのシューマンだし、好きな人は大好きになる演奏だと思う。 |
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交響曲全集 ネゼ=セガン指揮 ヨーロッパ室内管弦楽団 レビュー日:2014.6.10 |
★★★★☆ 軽やかに、サクサク進むシューマン
カナダの若き指揮者、ヤニック・ネゼ=セガン(Yannick Nezet-Seguin 1975-)の才気に溢れた活躍ぶりは、ヨーロッパ各地でセンセーションを起こしている。本盤は、そんな彼がヨーロッパ室内管弦楽団を指揮して、2012年にパリで行われた「シューマン(Robert Schumann 1810-1856)の交響曲全曲演奏会」の模様を収録したもの。本盤がグラモフォン誌のエディターズ・チョイスにも選出されたと聞き、私も興味を持ってこれを聴かせていただいた。まず収録内容を書こう。 【CD1】 交響曲 第1番 変ロ長調 op.38「春」 交響曲 第4番 ニ短調 op.120 【CD2】 交響曲 第2番 ハ長調 op.61 交響曲 第3番 変ホ長調 op.97「ライン」 なかなか衝撃的な内容だ。ここで聴くシューマンの交響曲の姿は、従来これらの音楽に付属していたイメージ、すなわち「濃厚なロマンティシズム」や「豊かな感情表現」といったものから、完全に乖離したものだ。 オーケストラは、特に弦楽器奏者の数を減じた小編成によるもので、室内楽的な緊密性を目指したものと考えてよい。そして、その傾向は、シューマンの交響曲演奏において、最近よく試されるものでもある。ヨーロッパ室内管弦楽団はよく訓練されていて、指揮者の意図を正確にくみ取り、的確に反映する俊敏性を示している。だから、この演奏からは、指揮者の意図、やりたい音楽がよく伝わってくる。 試しに、どの交響曲でもいいから、冒頭の2分くらいを、聴いてみると良い。そこに、この演奏の特徴がほぼ全て示されていると言っていいだろう。私は、もちろん全てを繰り返し聴いた。私の場合、聴いているうちに、あるいは何度も聴くことで、その演奏から受け取る印象が変わることが良くあり、そのような「自分の内なる変化」がどこに起因するのか?ということを考えるのが好きだ。しかし、この演奏は、小編成を用いていても、例えばアーノンクールの学究的な解説に相当するようなシューマンを感じさせないし、ハイテンポではあっても、シャイーのアクセントによる感情表現の深化に言及したシューマンも感じさせない。ひたすらまっすぐで、なめらかで、その他のものは一切ない。 そういったことで、印象をまとめると「聴き味が軽い」という一語につきる。とはいえ、これが悪いこととは一概には言えないという面もあるだろう。快速テンポで、各楽器のフレーズを明確にし、サクサク進んで行く音楽は、BGMのように流していると心地よいし、特に各交響曲の両端楽章のコーダで、グイッとテンポを上げ、快活なリズムを刻んで突き進んでいくところは爽快だ。 しかし、その一方で、シューマンの交響曲が持っている重要な一つの要素が、まるっと欠落しているように感じてしまうのも事実。聴く人の感受性や、シューマンの交響曲に対して持っている思い入れ、あるいは、これまでどのような演奏を多く聴いてきたか、といった要素も、当盤の評価に大きく影響するように思う。私個人的には、気軽に楽しく聴ける一方で、消化しきれないものが残った。燃料を全部使わずに、ずいぶん最後まで積み残してしまったような・・。 とはいえ、このようなシューマンが、今ではヨーロッパなどで、広く歓迎されている、という事象は興味深い。私の感性が、まだ彼らに追いついていないだけなのかもしれないが。 |
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交響曲全集 序曲「メッシーナの花嫁」 序曲 「ジュリアス・シーザー」 「マンフレッド」 序曲 祭典序曲 「ラインの酒の歌」 メルツ指揮 デュッセルドルフ古楽フィルハーモニー S: ゼンタイ A: 柏木博子 T: フィンク Bs: メーフェン レビュー日:2017.1.19 |
★★★★★ ティンパニ炸裂!金管強奏!こんなシューマンは、ちょっと他では聴けませんね。
非常に個性的なシューマン(Robert Schumann 1810-1856)の交響曲全集である。まず、CD3枚の収録内容を書く。 【CD1】 1) 交響曲 第1番 変ロ長調 op.38 「春」 2) 交響曲 第2番 ハ長調 op.61 【CD2】 3) 交響曲 第3番 変ホ長調 op.97「ライン」 4) 「メッシーナの花嫁」序曲 op.100 5) 「ジュリアス・シーザー」序曲 op.128 【CD3】 6) 交響曲 第4番 ニ短調 op.120 (1851年版) 7) 祭典序曲 「ラインの酒の歌」 op.123 8) 「マンフレッド」 序曲 op.115 デュッセルドルフ古楽フィルハーモニー(Klassische Philharmonie Dusseldorf)の演奏。7)には4人の独唱者がおり、それぞれシラ・ゼンタイ(Csilla Zentai ソプラノ)、柏木博子(アルト)、マンフレッド・フィンク(Manfred Fink テノール)、ペーター・メーフェン(Peter Meven バス)。録音は1991年から1993年にかけて行われている。 指揮をしているのは、デュッセルドルフ生まれのフローリアン・メルツ(Florian Merz 1967-)という指揮者である。録音時まだ20代の半ばということになる。このオーケストラであるが、メルツの呼びかけにより、デュッセルドルフの音楽大学の卒業生と学生を中心に結成されたというのだから、メルツという指揮者、相当な人脈と行動力を持つ人物に違いない。そして、このオーケストラの設立の大きな目的がシューマン作品の新たな手法による再現であったという。 まず、このオーケストラ、名前だけみるとピリオド楽器のオーケストラのように思うのだけれど、使用している楽器は現代楽器である。しかし、編成は、弦楽器の人数を減らした「ピリオドふう」のものとなっていて、そして演奏は、ビブラートを抑制したピリオド奏法を存分に取り入れたものとなっている。 しかし、それだけの説明では、この演奏を表現するにはあまりに不足であろう。 聴き始めたとたんにわかるのは、とにかくティンパニが強烈に鳴り響くということ。それに加えて、弦楽器が少ない傾斜編成のため、金管の咆哮も威力を増しているし、加えて金管の持続音では、奏者の肺活量の限界まで酷使した吹きすさぶようなクレシェンドを多用する。とにかくティンパニの凄いこと凄いこと。とにかくあちこちで鳴り渡る、強打する、世界を圧倒するのである。 この演奏を聴いていると、彼らの表現は、シューマンの作品が、当時のアヴァンギャルドに属していたと言いたいかのように思えてくる。シューマンのオーケストレーションには欠点があり、例えばマーラー(Gustav Mahler 1860-1911)のように管弦楽法と作曲法に練達した人の場合、そのスコアに手入れせざるを得ないほどであったことは有名だが、現在では、それこそシューマンが目指したものだったのではないか、とも考えられている。本来ふさわしくないとされる音のぶつかりや潰し合いの使用もその一つ。メルツの解釈は、シューマンのスコアを、思いきり肯定的かつ積極的に解釈し、なおかつその問題点を長所に転じさせるためのインパクトを与え、奏者のパッションを余すことなくぶつけるものとして消化したものなのであろう。 とにかく凄まじいほどのエネルギッシュな熱演なので、そのような演奏が好きな人であれば、聴いて損はないだろう。オーケストラも、弦の表現にもう一枚コクがあれば、という平板な点は少しあるけれど、十分に豊かなサウンドになっていると思う。 聴いていて面白いのは4つの交響曲であるが、他にも併録してある曲がある。中でも祭典序曲 「ラインの酒の歌」は、めったに聴くことのできない作品。私も当盤ではじめて聴いた。名品とは言い難いけれど、シューマンが好きな人なら、そういった点でも興味はあるだろう。 元気いっぱい、メリハリ全開、圧巻のシューマンです。 |
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交響曲全集 ドホナーニ指揮 クリーヴランド管弦楽団 レビュー日:2018.12.27 |
★★★★★ あらためて注目したいドホナーニの知的アプローチが如何なく発揮されたシューマン録音
クリストフ・フォン・ドホナーニ(Christoph von Dohnany 1929-)指揮、クリーヴランド管弦楽団によるシューマン(Robert Alexander Schumann 1810-1856)の交響曲全集。収録内容は以下の通り。 【CD1】 1) 交響曲 第1番 変ロ長調 op.38 「春」 2) 交響曲 第2番 ハ長調 op.61 【CD2】 1) 交響曲 第3番 変ホ長調 op.97 「ライン」 2) 交響曲 第4番 ニ短調 op.120 第1番と第3番は1987年、第2番と第4番は1988年の録音。 当全集、私はかなりお気に入りなのであるが、いまひとつ、存在感が薄いような気がする。実は、当全集が製作された1980年代というのは、ほかにもいろいろシューマンの交響曲が録音された時代だったのである。そのため、当盤は、他の注目録音の陰に隠れてしまった感がある。 ちなみに80年代の他の録音をちょっとだけ紹介してみると、まず全集では、人気絶頂だったバーンスタイン(Leonard Bernstein 1918-1990)があり、またこちらも日本では人気の高かったスウィトナー(Otmar Suitner 1922-2010)も同時期。さらにそれより若い世代の録音として、レヴァイン(James Levine 1943-)、そしてドホナーニと同レーベルのDECCAからはシャイー(Riccardo Chailly 1953-)の録音もリリースされた。変わったところでは、チェッカート(Aldo Ceccato 1934-)によるマーラー版の全集もマニアの注目を集めた。全集以外では、ジュリーニ(Carlo Maria Giulini 1914-2005)の第3交響曲、シノーポリ(Giuseppe Sinopoli 1946-2001)の第2交響曲、カラヤン(Herbert von Karajan 1908-1989)の第4交響曲などいずれも80年代の録音で、ドホナーニの録音は大いに割を食った印象がある。 しかし、今になって聴いてみると、このドホナーニの録音が素晴らしいのである。 シューマンのオーケストレーションにはしばしば欠点が指摘される。例えば木管がフレーズを奏でる際にこれを覆いかねない音が同時に響いたり、合奏音のバランスが同じ音域やフレーズに集中しすぎて、全体の抑揚が一様で、バランスを取りにくく、音の薄さや混濁につながることなどが指摘される。確かに、それは他の「オーケストレーションが優れている」という作曲家の管弦楽曲と比較すると、感覚的に理解できるものでもある。最近では、その「渋み」や「くすみ」こそ、シューマンの味わいであろう、というスタンスで、そのまま素直に音化する解釈も多い。 ドホナーニはとてもスコアに忠実な演奏を行っている。ややテンポは速めであるが、強弱の抑揚という点で独自性はそれほど強くない。にもかかわらず音色が鮮明で、ほとんど「くすみ」を感じさせないのである。 これはクリーヴランド管弦楽団という機能性に優れたオーケストラの特性を活かして、考えの深い音響設計が施されているからに他ならない。例えばティンパニの音色は全体に軽めであり、音楽全体への影響を一定のラインでとどめているし、トランペットの音色は鋭いが、的確な減衰が図られている。そのような強弱と音価の整理を厳密に追及することで、実にさわやかで清々しいシューマンが聴かれるのである。 もちろん、それが他の演奏に聴きなれた人には、最初に違和感を持って認識される場合もある。第1番の冒頭のファンファーレに続く全合奏による付点のリズムが、実に聴き味が軽く、内的な燃焼度が十分ではないと思えるかもしれない。しかし、楽曲が進むうち、ドホナーニのこれらの処理は、聴き手の気持ちに働きかけてくる。これほど気持ちよく、胃もたれと無縁のシューマンはそうはない。 ドホナーニの解釈では木管楽器も通常以上に主張が活きてくる。特にクラリネットの鮮明な響きには、常に心を洗われるような感動を覚える。第2交響曲の第3楽章の憧憬的な深みも見事。終楽章の快活なまとまりも鮮やかだ。 第3番の第1楽章、各フレーズで印象的なスターターを務めるホルン、そしてそのフレーズを引き継ぐ木管、その両シーンで、まるでスポットライトが切り替わるかのような鮮やかなフォーカシングが決まる。しかもそれに併せて、全体の管弦楽のバランスは周到に整えられている。ティンパニの軽やかさはその象徴だ。その結果、全体のカラーが鮮やかに息づき、不自然さのないスマートな響きで、心地よく音楽が進んでいく。これほど整理されたシューマンは他で聴くことはできない。第2楽章は軽やかで、爽やか。ラインの上を吹き渡る涼風のように颯爽と進む。そこに射す明るい陽射しを思わせるホルンの柔らかな響きも見事。第3楽章もやや速めで快活に仕上げている。第4楽章は全曲の中で異質な荘厳さを感じさせる音楽であるが、中盤以降の弦の響きの澄み切った感触が美しい。終楽章である第5楽章は軽やかな喜びに満ちている。すべての音が、他の音を邪魔することなく、しかし毅然とした意志を感じさせる響きで鳴り、スリムでありながら味も豊か。ここでもホルンのふくよかな響きが絶品と言って良い。 第4番は、元来より熱血的性格の濃い音楽であるが、ドホナーニの演奏は第3番同様に鋭い知性と感性を感じさせるクールさが満ちている。それは決して無機的で無味乾燥なものではなく、健やかなロマン性をたたえた鮮やかな発色と透明感に満ちたものだ。全体的にテンポはやや速めであるが、こまやかなフレーズのふくらみに情感はほどよくやどり、全体のシェイプアップした響きとあいまって、とてもメオ明朗に響く。特に第3楽章と第4楽章の自然で明快な音楽は、清流を思わせる気持ちよさで、熱もこもらずに空中に開放されていく。トランペットの鋭くも色づきを感じさせる響きが、興を添える。 清涼感に溢れた現代的シューマンであり、機能美の極致を突き詰めたような洗練は、抗いがたい魅力を持っている。 |
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交響曲全集 シノーポリ指揮 シュターツカペレ・ドレスデン レビュー日:2021.6.24 |
★★★★★ シノーポリ、シュターツカペレ・ドレスデン時代の初期の名録音
1992年にシュターツカペレ・ドレスデンの首席指揮者となったシノーポリ(Giuseppe Sinopoli 1946-2001)が同オーケストラを指揮して録音したシューマン(Robert Schumann 1810-1856)の交響曲全集。首席指揮者就任直後の1992から93年にかけて録音されたもの。収録曲は以下の通り。 【CD1】 1) 交響曲 第1番 変ロ長調 op.38 「春」 2) 交響曲 第2番 ハ長調 op.61 【CD2】 3) 交響曲 第3番 変ホ長調 op.97 「ライン」 4) 交響曲 第4番 ニ短調 op.120 「シノーポリが録音したシューマンの交響曲」、というと、一定の年代以上の人が、すぐに思い浮かべるのが、1983年録音のウィーン・フlリハーモニー管弦楽団を指揮しての名盤で、その録音は、シューマンの4つの交響曲の中で、それまで最も渋い評価だった第2番に、華やかな加減速の効果で、光彩陸離たり響きを導き出し、楽曲自体の印象を覆すほどだった。私がその録音を聴いたのは、90年代で、すでにドレスデンとの再録音もリリースされていたのだが、「シノーポリのシューマンなら、ウィーンとの第2番でしょ」と、そちらしか聴かなかった。 申し訳ない感じになるが、そんなわけで、このシュターツカペレ・ドレスデンとの全集を聴いたのは、かなり最近になってからである。聴いてみると、第2番は、ウィーンとの旧録音と比較すると、ある意味常識的なスタイルにとどまっていて、指揮者の表現意欲より、オーケストラのサウンドそのものを伸びやかに鳴らしてあげよう、という雰囲気に満ちている。そして、この演奏も悪くない。なにより、オーケストラのマイルドでよくブレンドした響きが絶妙で、深みやグラデーションがあるし、全体の構成感も齟齬なく整えられていて、自然だ。そうして響くシューマンの交響曲は、第2番だけでなく、いずれも名曲の薫りを湛えていて、いかにもドイツの森の響きがする。 シューマンは、ホルンの響きに「狩」のイメージを盛ったという。もちろん、これはシューマンに限らず、様々な作曲家が、ホルンという楽器の由来を踏まえて、そのイメージを活用しているのだが、例えば、当録音のライン交響曲に聴かれるホルンの響きは、柔らかみと深みが、ふさわしい距離感と幻想性をもっていて、霧の早朝、ラインの対岸から聴こえてくるようなロマンティシズムがある。 テンポは全般に常套的で、ウィーンとの第2番のようにアッチェランドの強調はないが、けっして平板ではなく、快適で、必要な部分ではエッジを感じさせる。例えば、第4交響曲の第3楽章における、力強い全合奏など、幅とキレの双方があって、とても気持ちが良い。また、強奏の輪郭は、決して硬くなり過ぎず、第1番の終楽章ように、適度な弾力があり、それが全般に高級感を引き出している。 全集として、あらためて優れた録音だと感じた。ウィーンとの旧録音の存在が、いまなお輝かしいのだが、このドレスデンとの名演も、素晴らしいもの。なお、当全集には再発売版があって、そちらには交響曲4曲の他に、「序曲、スケルツォとフィナーレ」も併せて収録されているので、購入を検討される方は、参考にしてほしい。 |
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交響曲 第1番「春」 第2番 ドホナーニ指揮 クリーヴランド管弦楽団 レビュー日:2018.12.21 |
★★★★★ ドホナーニとクリーヴランド管弦楽団によってリファインされたシューマンの響き
クリストフ・フォン・ドホナーニ(Christoph von Dohnany 1929-)指揮、クリーヴランド管弦楽団によるシューマン(Robert Alexander Schumann 1810-1856)の以下の2つの交響曲を収録。 1) 交響曲 第1番 変ロ長調 op.38 「春」 2) 交響曲 第2番 ハ長調 op.61 第1番は1987年、第2番は1988年の録音。 清涼感に溢れた清々しいシューマン。シューマンのオーケストレーションにはしばしば欠点が指摘される。例えば木管がフレーズを奏でる際にこれを覆いかねない音が同時に響いたり、合奏音のバランスが同じ音域やフレーズに集中しすぎて、全体の抑揚が一様で、バランスを取りにくく、音の薄さや混濁につながることなどが指摘される。確かに、それは他の「オーケストレーションが優れている」という作曲家の管弦楽曲と比較すると、感覚的に理解できるものでもある。 しかし、最近では、その「渋み」や「くすみ」こそ、シューマンの味わいであろう、というスタンスで、そのまま素直に音化する解釈も多い。 さて、このドホナーニ盤であるが、ここでドホナーニはとてもスコアに忠実な演奏を行っている。ややテンポは速めであるが、強弱の抑揚という点で独自性はそれほど強くない。にもかかわらず音色が鮮明で、ほとんど「くすみ」を感じさせないのである。 これはクリーヴランド管弦楽団という機能性に優れたオーケストラの特性を活かして、考えの深い音響設計が施されているからに他ならない。例えばティンパニの音色は全体に軽めであり、音楽全体への影響を一定のラインでとどめているし、トランペットの音色は鋭いが、的確な減衰が図られている。そのような強弱と音価の整理を厳密に追及することで、実にさわやかで清々しいシューマンが聴かれるのである。 もちろん、それが他の演奏に聴きなれた人には、最初に違和感を持って認識される場合もある。第1番の冒頭のファンファーレに続く全合奏による付点のリズムが、実に聴き味が軽く、内的な燃焼度が十分ではないと思えるかもしれない。しかし、楽曲が進むうち、ドホナーニのこれらの処理は、聴き手の気持ちに働きかけてくる。これほど気持ちよく、胃もたれと無縁のシューマンはそうはない。 ドホナーニの解釈では木管楽器も通常以上に主張が活きてくる。特にクラリネットの鮮明な響きには、常に心を洗われるような感動を覚える。第2交響曲の第3楽章の憧憬的な深みも見事。終楽章の快活なまとまりも鮮やかだ。 |
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交響曲 第1番「春」 第3番「ライン」 ヘレヴェッヘ指揮 シャンゼリゼ管弦楽団 レビュー日:2007.6.25 |
★★★★★ 10年ぶりの「続編」は魅力いっぱいの名演
ヘレヴェッヘとシャンゼリゼ管弦楽団によるシューマン交響曲集の第2弾!・・・といっても第1弾(第2番&第4番)が96年の録音だったので、今回の第1番と第3番(06年録音)の間に10年もの歳月が。いったいどうしてこんなに間があいたのでしょうか。でも、こんな素敵な録音をリリースしてくれたのですから、もう全然OKです。 シャンゼリゼ管弦楽団はいわゆるピリオド楽器のオーケストラです。指揮者ヘレヴェッヘとの関係はすこぶる良好なようで、この録音を聴いても指揮者の解釈が各奏者の血肉に至るまで及んでいるとさえ感じます。それこそ一つの生き物のような統率感です。なので、各所の細やかなニュアンスや表情付けがピシピシと面白いように決まり、交響曲全体にドクンドクンと推進力を供給し続けます。金管陣のちょっと古風な響きも、雰囲気が豊か。 第1番は第1楽章からノリの良さが抜群で、木管の吹きぬけるようなアクセントが要所で決まるし、弦楽器陣の中音域をややバックに下げた感じで、上下の対比を見事に描いています。第2楽章のやわらかな味わいも絶品。 第3番は第1番に比べると普通な感じですが、それでももちろん水準を大きく上回っていて、活力が豊か。第2楽章のラインの流れも起伏を感じます。終楽章の喜びはえもいわれぬ楽しさに満ちていて、シューマンの音楽の楽しさをほぼ万全に伝え、かつ個性も発揮された演奏となっています。第2番&第4番と合わせて是非。 |
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交響曲 第1番「春」(マーラー版) 第3番「ライン」(マーラー版) シャイー指揮 ゲヴァントハウス管弦楽団 レビュー日:2008.1.18 |
★★★★★ 「マーラー版」にさらにプラスアルファのある新解釈
リッカルド・シャイーによるライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団と「マーラー版」シューマンの交響曲集の第2弾。本盤を持って全集が完結した。シューマンのオーケストレーションについては様々な欠点が指摘されてきたが、これに大鉈を振るったのがかのグスタフ・マーラーである。彼はシューマンの4つの交響曲すべてを改訂し、加筆、削除、あるいは変更を無数といえる個所に施した。その結果響きは豊かにたくましくなった。もともとのスコアにあった特に「音色の薄み」や「不必要と思われる重なり」が解消された。しかし一方で、シューマンのオリジナルスコアこそ無垢で荒々しいシューマンそのもの、という考えが主流としてある。とはいえ、マーラーのスコアはよくできていて、特に第3番「ライン」などでは、マーラー版はかなり断るでもなく頻繁に用いられている。また部分的にマーラー版を用いることも多い。ここでは全編ひたすらマーラー版である。 シャイーの演奏はマーラーの与えた「新しい響き」を存分に活かそうという意図が強く感じられるが、そこに加えてシャイーの新たな一面が強く認められると思った。つまりとても「情熱的」な演奏である。たとえば、同じマーラー版をもちいたジュリーニの第3番などと比べても、金管の刻み方は独特で、かなり鋭く短い音色を用いてくる。狩のホルンもどことなく警報のような緊迫感を帯びており、特徴的だ。これはシューマンの世界にマーラーの再構築を経て、そこでまたひとつ余して鳴らしてやろうというシャイーの力強い意気込みのようなものが感じられる。いままでのシャイー像と違う印象があり、私にはちょっと意外な面もあったが、聴き終えてみると非常に魅力的で堪能できる演奏だった。特にこの第3番は一石投じた演奏と見ていいと思う。 |
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交響曲 第1番「春」 第3番「ライン」 P.ヤルヴィ指揮 ドイツ・カンマーフィルハーモニー・ブレーメン レビュー日:2012.11.15 |
★★★★★ パーヴォ・ヤルヴィならではの音色パレットを存分に用いたシューマン
世界的指揮者となったエストニアのパーヴォ・ヤルヴィ(Paavo Jarvi 1962-)の指揮、ドイツ・カンマーフィルの演奏による、シューマン(Robert Alexander Schumann 1810-1856)の交響曲第1番「春」と第3番「ライン」を収録。第1番が2010年、第3番が2009年の録音。 シューマンの交響曲は全部で4曲あり、そのうち第1番には「春」の名が与えられているのだが、私には、他の3曲も含め、これらの4つの交響曲には、それぞれ四季のイメージが当てはまるような気がする。第1番は華やかで、明朗な「春」のイメージ、第2番は内省的で滋味豊かな「冬」のイメージ、第3番は豊饒な実りの「秋」のイメージ、第4番は強壮な生命力を感じる「夏」のイメージ。 それで、きちんと調べたことはないのだけれど、第1番と第3番の組み合わせというのは、比較的多い様に思う。いずれも春と秋の中庸でマイルドな肌合いの音楽で、私には、聴いていて一つの流れに収まるような印象が強い・・と思っていた。 しかし、このヤルヴィ盤はちょっと違った印象。まず収録順が第3番→第1番になっているのも変わっているが、そんなことより、オーケストラの音色が非常に特徴的で、中でも古めかしさを感じさせる素朴な金管楽器と、シャープで先鋭的な響きを聴かせる弦楽器陣の、いままで聴いたことがない新鮮な音色のバランスが注目される。そして、ヤルヴィは、これらの音色を活かして、実に機敏な音楽表現を行っている。その結果、これらの交響曲が、まるで、それこそシューマンのピアノ曲“ダヴィッド同盟舞曲集”を彷彿とさせるような、浪漫的で、多彩で、多元的な音楽として聴こえてくるのだ。それは、前述した「一つの流れに収まるような」雰囲気とは、またちがったニュアンスの音楽なのである。 特に第1交響曲では急な性向があり、活動を開始するやいきなり一気果敢に絶頂期に至るかのような豪快な「春」の音楽と形容したい。冒頭のファンファーレは渋い響きだがよい音だ。ヤルヴィは、以前のベートーヴェンの交響曲の録音に際しては、トランペットとティンパニにピリオド楽器を使用していた。ここで用いている楽器の詳細はわからないが、シューマンの演奏にあたっても、ベートーヴェン演奏などの経験により得られたノウハウが存分に活かされていると感じる。第4楽章では、様々な音色の「ギャップ」を設けながらも、全体としては心地よい推進力の中で奏でられる音楽が形成されていて、これは従来の印象とは違ったものに思う。これを聴くことは、聴き手にも新しい経験となるだろう。 第3番も同様のスタイルであるが、曲想のため、第1番に比べるといくぶん中庸な味わいだろうか。しかし、第2楽章の有名な旋律など、いかにもピリオド奏法のインスピレーションを意識した仕上がりになっていて、やれることをどんどんやるという、超積極的なスタイルとなっている。全般にヤルヴィの才気の迸(ほとばし)りを感じさせるディスクとなった。 |
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交響曲 第1番「春」 第4番 シャイー指揮 コンセルトヘボウ管弦楽団 レビュー日:2010.2.6 |
★★★★★ デッカらしいブルー調の音が映えるシューマン
1988年にコンセルトヘボウ管弦楽団の音楽監督に就任したリッカルド・シャイーはデッカに数々の素晴らしい録音を残したが、就任直後に録音されたシューマンの交響曲も忘れてはいけないものの一つ。現在、シャイーにはライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団と録音したマーラー版のシューマン交響曲全集があるため、廃盤の当盤が復活する可能性は低いのかもしれないが、コンセルトヘボウ管弦楽団からシャイーらしいしなやかで濁りのないサウンドを引き出した魅力的な作品だと思う。 シューマンの交響曲を作曲純に並べると、第1番、第4番、第2番、第3番となるので、第1番と第4番の組み合わせは作曲年代別にまとめたスタイル。第1番冒頭から清清しい空気に満ちている。鮮やかなファンファーレのあと、透明感に溢れる合奏音がこの演奏の性格をすでに明瞭に示している。シャイーのタクトは近年のそれよりむしろ解析的でクール。インテンポで、内面性の表出より外向的な均衡を重視している。 デッカのサウンドはよく「ブルーカラー」と言われる。私は80年代終わりから90年代のデッカの録音に特にそれを感じる。ドホナーニやデュトワ、アシュケナージ、ショルティ、ティボーデといった当時の「レーベルの顔」と言えるアーティストたちがこの録音によく映えた音楽性を持っていたとも思う。中でもシャイーの録音はデッカらしいサウンドの極致という思いがする。 さて、第1番はかようなわけで「春」というタイトルの源とも言える源泉的な生命力を感じさせつつ、それ以上に見通しの良い、近代アートのような遠視点性の音楽を目指しているように思える。第4楽章も熱さず、しかし冷たくなり過ぎず、という印象。 第4番もフルトヴェングラーやバーンスタインと比較すると、いかにもライトで都会的な楽曲に感じる。第3楽章から第4楽章にかけてのアタッカの部分も、繊細な表現を重ねてガラス細工のような美観を得るにいたっている。ゲヴァントハウスとの熱気ある新盤もいいが、この旧盤も時折聴きたくなる録音だ。 |
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交響曲 第2番 歌劇「ゲノヴェーヴァ」序曲 序曲「メッシーナの花嫁」 「マンフレッド」序曲 序曲「ヘルマンとドロテア」 P.ヤルヴィ指揮 ドイツ・カンマーフィルハーモニー・ブレーメン レビュー日:2012.11.6 |
★★★★★ 希代の奇才シューマンにしか書きえない交響曲の魅力を一層引き立たせた録音
世界的指揮者となったエストニアのパーヴォ・ヤルヴィ(Paavo Jarvi 1962-)の指揮、ドイツ・カンマーフィルの演奏による、シューマン(Robert Alexander Schumann 1810-1856)の交響曲第2番、「マンフレッド」序曲、序曲「ヘルマンとドロテア」、序曲「メッシーナの花嫁」、歌劇「ゲノヴェーヴァ」序曲を収録。録音は2011年から2012年にかけて行われている。2009年の第1番、第3番に次ぐアルバム。 シューマンの交響曲の中で、第2番という作品は長らく難渋な作品と考えられてきた。私が音楽を聴き始めた頃、周囲の音楽に詳しい先輩たちは、「第2番は気難しい曲だ」「シューマンはたまにこんな曲を書くよね」と、いずれもネガティヴな評価だった。私もそれで、あまり聴いてこなかったのだけれど、そのような状況を一気に覆した伝説の録音として、有名なシノーポリ(Giuseppe Sinopoli 1946-2001)とウィーンフィルによる1983年のまさしく「画期的」なディスクがあった。私がシノーポリの録音を聴いたのは、90年代になってからだったが、その演奏は楽曲に明快なフォルムを与え、決然たるサウンドにより、この交響曲が輝かしい起伏にみちたロマン派の傑作であることを証明したものと感じた。以来、様々に面白い録音が出てきた。バーンスタイン、ガーディナー、エッシェンバッハ、シャイー、更にEuroartsからDVDで発売されたアシュケナージのものなど、私には鮮明に記憶に残っているものだ。そうして、いつのまにか私は「第2交響曲はシューマンの最高傑作ではないか」と思うまでになった。 さて、そのような状況で、またしても素晴らしい一枚が加わった。それがこのP.ヤルヴィ盤である。 シューマンという作曲家は古典的な音楽の素養を深く理解する明晰性と、音楽的インスピレーションに恵まれた天才であったが、その音楽は古典的な様式性を目指さず、むしろ直観的とも言えるような(しかし、実際には多くの試行錯誤がなされたに相違ない)独創性に満ちた演出を次々に引き出した奇才でもある。それが例えばオーケストレーションの未熟と解され、マーラーなどが、演奏に際して、その交響曲のスコアに手を入れる衝動を抑えられなかったことなど有名だが、現在では、逆にそれこそがロマン派の重要な一角を占めたシューマンの音楽であり、新しい和声と効果の探求であり、さらには、その後の音楽史の流れに計り知れない影響を与えたものとも考えられている。 ヤルヴィの演奏は、その独特の眩惑的とも言える音楽の自在性を、巧みに引き出したものだと思う。つまり、その刹那的なアゴーギクやクレッシェンド、楽器の独創的な使用方法のコントラストをあえて強調し、特有の音色と効果を鮮烈に導いている。そのため、ちょっと聴くと、ゴツゴツした違和感のようなものも感じる一方で、能動的な迫力に満ちており、一瞬も聴き漏らせないという緊張感と高揚感が得られ、その連続が聴き手に稀な爽快感を与えてくれる。 これほど独創的な語法を用いながら、交響曲としての転結のあるシューマンならではの音楽の特性を巧みにとらえた名演と言えよう。また、4曲の序曲が収録してあることも嬉しい。名曲「マンフレッド」序曲のみならず、いずれの楽曲も、ヤルヴィのアプローチは音楽の躍動感を強調した快演で、鮮烈な効果が獲得されている。 |
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交響曲 第2番 第3番「ライン」 シャイー指揮 コンセルトヘボウ管弦楽団 レビュー日:2010.2.6 |
★★★★★ デッカの青と赤のレーベルのロゴにイメージぴったりの録音
リッカルド・シャイーはまだ30代のころ名門ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団に就任した。この組み合わせが結果的に数々の名録音を生んだ。指揮者、オーケストラとともにデッカ・レーベルの録音技術も真髄を極めたものが多く、私にとってデッカの青と赤のレーベルのロゴと、シャイー&コンセルトヘボウ管弦楽団のディスクは、まさに「イメージぴったり」の世界である。 なので、このシューマンの交響曲集も、廃盤になっているのが残念である。もちろん、シャイーはライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団と、マーラー編曲版によるシューマンの交響曲全集をデッカに録音し直し、それももちろん素晴らしい演奏であったが、私にとっていかにもデッカらしいサウンドを堪能できる名盤は実はこの旧盤の方である。 当盤には第2番と第3番「ライン」が収録されている。第2番はシューマンらしい渋さと熱、まどろみが聴かれる名品だと思う。シノーポリが躍動的快演でこの曲の名曲性を新たな形で示したが、このシャイーは丹精に色彩を描いて音楽を集中線ではなく、クリアな平衡感覚の中できれいに整列させた趣がある。もちろん、それは面白くないという意味ではない。透き通った音色が、シューマンの時折厚ぼったくなるオーケストレーションを鮮やかに解きほぐした明瞭さ、平明さがおおきな魅力となって聴き手に働きかえる。第3楽章の木管の憂いも、音色が澄んでいてまっすぐに伝わってくる。 第3番「ライン」も決して煽ることのない音楽で、狩のホルンも高らかに鳴るわけではなく、抑制の効いた表現に徹している。高名な第2楽章の描写性も、氷河から流れ落ちた水源から混ざりもののない水が流れてきたかのようなラインである。もちろん実際のラインなんてシューマンの時代でも生活臭に満ちていたのだと思うけれど、シューマンはそこから一つの物語を編み出すように交響曲を書いたのだし、それをシャイーは蒸留してひときわ透明度の高い世界を垣間見せてくれたわけである。後半楽章も、明るい厳かさとともに常に鮮度の良く聴こえる響きそのものが印象的。 この他にもシャイー、デッカ、コンセルトヘボウ管弦楽団の名録音は尽きないが、シューマンは再録音があるだけに、忘れられてしまわないかと心配になってしまう。 |
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交響曲 第2番(マーラー版) 第4番(マーラー版) 序曲「ゲノヴェーヴァ」 シャイー指揮 ゲヴァントハウス管弦楽団 レビュー日:2007.2.24 |
★★★★★ シャイー&ゲヴァントハウスによるマーラー版シューマン!
リッカルド・シャイーがライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団とシューマンの交響曲録音に着手した。すでにコンセルトヘボウ管弦楽団とも優れた録音があったのであるが、今回は「マーラーによる再オーケストレーション版」を用いての録音である。シューマンのオーケストレーションについては様々な欠点が指摘されてきたが、これに大鉈を振るったのがかのグスタフ・マーラーである。彼はシューマンの4つの交響曲すべてを改訂し、加筆、削除、あるいは変更を無数といえる個所に施した。その結果響きは豊かにたくましくなり、もともとのスコアにあった特に「音色の薄み」や「不必要と思われる重なり」が解消された。しかし一方で、シューマンのオリジナルスコアこそ無垢で荒々しいシューマン元来の音楽である、という考えが主流としてある。とはいえ、マーラーのスコアはよくできていて、特に第3番「ライン」などはマーラー版はかなり断るでもなく頻繁に用いられている。また部分的にマーラー版を用いることも多い。シャイーの演奏はマーラーの与えた「新しい響き」を存分に活かそうという意図が強く感じられる。とくに加筆された部分の押し出しに強靭な意志のようなものが感じらる。普段のシャイーよりも熱っぽい音楽となっているし、マーラーによって加えられた後期ロマン派の完熟した色彩を描くのにふさわしいダイナミズムを備えている。マーラーの交響曲を全曲録音して得た知見を、存分に適用していると思う。その結果響きは適度な重量感を得て、聴き所の広がりも心地よい。まさにマーラーの意図を具現化した録音と言っていいのではないだろうか。比較的地味な第2番も燦然たる光を放っており、シューマンの交響曲がまた新たな魅力を宿した感がある。 |
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交響曲 第2番 第4番 ヘレヴェッヘ指揮 シャンゼリゼ管弦楽団 レビュー日:2007.7.11 |
★★★★★ シューマンに驚くほどの適性を発揮
ヘレヴェッヘとシャンゼリゼ管弦楽団によるシューマンの交響曲集第1弾で、第2番と第4番を収録。録音は1996年。10年後の2006年に残りの2曲が収録されて、全集となった。 シャンゼリゼ管弦楽団はピリオド楽器による比較的小編成のオーケストラである。しかし、ここでヘレヴェッヘとこのオーケストラはシューマンに驚くほどの適性を示している。 シューマンの交響曲の場合、オーケストレーションの問題で、音色の平板な個所や不要ともいえる重なり(一部の楽器の音が消されてしまったりする)があるけれど、このヘレヴェッヘの演奏は、特にあざといことをやっている訳でもないのに、なぜか楽器の分離の感覚がよく、とてもバランスのよいソノリティーを獲得している。これは自然にやっているように感じられるけど、相当の練習の成果に違いない。ここまでくる道のりは平坦ではないはずだ。しかし、この録音はまったくその痕跡を感じさせない。特に音楽が喜びに満ちている場所では、はじけるような奔流となって勢いを増す。その爽快感が見事。また第2番の第3楽章のようにしっとりした部分では、ちょっとわびた感じの音色を出す木管なども心憎い演出だ。第4番の3楽章からアタッカで終楽章へといったところは、高揚感に秀でており、きわめて魅力的で、引力の強い演奏となっている。再発売で廉価になってくれたし、これはいいアルバムです。 |
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交響曲 第3番「ライン」(マーラー版) 第4番(マーラー版) チェッカート指揮 ベルゲン・フィルハーモニー管弦楽団 レビュー日:2006.10.21 |
★★★★☆ マーラー版によるシューマンです。
「交響曲における版の問題」というと、なんといってもブルックナーが有名だ。しかし多かれ少なかれ、ロマン派以降の作曲家は自作に推敲を重ねており、いくつもの版が存在するのは、むしろ自然といえるし、そのうちどの箇所でどの版を用いるのかは、指揮者の裁量の範囲であろう。たとえば第4交響曲は最近ではアーノンクールの初稿による録音はとても面白かった。 ロベルト・シューマンの交響曲を、アルド・チェッカート(Aldo Ceccato)はすべてマーラー版で録音した。この「マーラー版」というところがポイントである。シューマンの交響曲にはそもそも作曲者自らによる版が複数存在しているが、シューマンのオーケストレーションに疑問をもったグスタフ・マーラーは自ら新しい版を書き起こす衝動を抑えられなかった。こうしてシューマンの全交響曲には「マーラー版」が誕生したわけである。さて、このマーラー版であるが、別に用いられるのはそれほど珍しいということではない。特にヨーロッパの大河「ライン」の名を副題に持つ第3交響曲はマーラーのスコアが見事である。カルロ・マリア・ジュリーニも基本的にマーラー版によりこの曲を録音している。特に全管弦楽の主題合奏部で、ホルンがアフウタクト気味に遅れて入る効果は絶大で、これに慣れてしまうと通常版がさびしくなってしまうのだ。 そんなわけで、特に第3の場合、マーラー版が珍しいというわけでもないが、それでも徹底的にマーラー版というのはあまりないと思う。さてチェッカートの演奏であるが、これが大人しい。良心的でスコアの見渡せる演奏であるが、聴かせどころがいかにもさりげなさ過ぎるという気もする。だが第2楽章のたゆたうラインの情景はなかなか豊かに楽想を扱っていて、北欧的なシューマンという感じがしてきれいであった。資料的価値はもちろん高いので、コレクターとしてはちょっと持っておきたいアルバムだろう。 |
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交響曲 第3番「ライン」 第4番 ドホナーニ指揮 クリーヴランド管弦楽団 レビュー日:2018.12.27 |
★★★★★ ドホナーニの鋭い感性が光る感覚美と機能美に溢れたシューマン
クリストフ・フォン・ドホナーニ(Christoph von Dohnany 1929-)指揮、クリーヴランド管弦楽団によるシューマン(Robert Alexander Schumann 1810-1856)の以下の2つの交響曲を収録。 1) 交響曲 第3番 変ホ長調 op.97 「ライン」 2) 交響曲 第4番 ニ短調 op.120 第3番は1987年、第4番は1988年の録音。 素晴らしく洗練されたサウンド。シューマンの管弦楽作品は、共通するフレーズを複数の楽器が重複してなぞるなど、しばしば「欠点」とも指摘される特徴があり、そのサウンドはしばしば厚ぼったく、ベタッとした感じになる。そのはずなのだが、このドホナーニの演奏を聴くと、そのことをすっかり忘れてしまう。第3番の第1楽章、各フレーズで印象的なスターターを務めるホルン、そしてそのフレーズを引き継ぐ木管、その両シーンで、まるでスポットライトが切り替わるかのような鮮やかなフォーカシングが決まる。しかもそれに併せて、全体の管弦楽のバランスは周到に整えられている。ティンパニの軽やかさはその象徴だ。その結果、全体のカラーが鮮やかに息づき、不自然さのないスマートな響きで、心地よく音楽が進んでいく。これほど整理されたシューマンは他で聴くことはできない。 第2楽章は軽やかで、爽やか。ラインの上を吹き渡る涼風のように颯爽と進む。そこに射す明るい陽射しを思わせるホルンの柔らかな響きも見事。第3楽章もやや速めで快活に仕上げている。第4楽章は全曲の中で異質な荘厳さを感じさせる音楽であるが、中盤以降の弦の響きの澄み切った感触が美しい。 終楽章である第5楽章は軽やかな喜びに満ちている。すべての音が、他の音を邪魔することなく、しかし毅然とした意志を感じさせる響きで鳴り、スリムでありながら味も豊か。ここでもホルンのふくよかな響きが絶品と言って良い。 交響曲第4番は、元来より熱血的性格の濃い音楽であるが、ドホナーニの演奏は第3番同様に鋭い知性と感性を感じさせるクールさが満ちている。それは決して無機的で無味乾燥なものではなく、健やかなロマン性をたたえた鮮やかな発色と透明感に満ちたものだ。全体的にテンポはやや速めであるが、こまやかなフレーズのふくらみに情感はほどよくやどり、全体のシェイプアップした響きとあいまって、とてもメオ明朗に響く。特に第3楽章と第4楽章の自然で明快な音楽は、清流を思わせる気持ちよさで、熱もこもらずに空中に開放されていく。トランペットの鋭くも色づきを感じさせる響きが、興を添える。 全般にシューマンの音楽のもつ熱気を、鮮やかに消化して、爽やかな風を通したような気持ちの良い演奏になっている。 |
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交響曲 第4番 序曲、スケルツォとフィナーレ コンツェルトシュトゥック P.ヤルヴィ指揮 ドイツ・カンマーフィルハーモニー・ブレーメン レビュー日:2014.5.22 |
★★★★☆ 交響曲第4番は、ちょっと「あっけらかん」とし過ぎているかな
パーヴォ・ヤルヴィ(Paavo Jarvi 1962-)指揮、ドイツ・カンマーフィルハーモニー・ブレーメンによる2011~12年録音の、シューマン(Robert Schumann 1810-1856)のオーケストラ曲集。収録曲は以下の通り。 1) 序曲、スケルツォとフィナーレ op.52 2) 4本のホルンと管弦楽のためのコンツェルトシュトゥック ヘ長調 op.86 3) 交響曲 第4番 ニ短調 op.120 当番により、彼らのシューマンの交響曲録音がめでたく全曲完結したことになる。なお、「4本のホルンと管弦楽のためのコンツェルトシュトゥック」で、4本のホルンを担うのは、シュテファン・ドール(Stephan Dohr)、エルケ・シュルツェ・ヘッケルマン(Elka Schutz Hokelmann)、フォルカー・グレーヴェル(Volker Grewel)、トーマス・ゾンネン(Thomas Sonnen)。 ヤルヴィの既出のシューマンはいずれも彼の才気の冴えたもので、柔軟なコントラストの変化や細やかなアゴーギグ、それに印象的なアクセントの演出で楽しませてくれた。当盤も当然のことながら、ほぼ同じスタイルの仕上がりで、この指揮者のエンターテーメント精神があちこちに汲み取れる響きに思う。 私にとって、特に成功を思わせるのは交響曲以外の2曲。「あれ?交響曲は成功してないの?」と思われるかもしれないが、その理由は後で書くとして、「序曲、スケルツォとフィナーレ」は3つの場面の描き分けがはっきりしていて、その効果が特に「フィナーレ」の部分で、濃淡による華やかさ、快活なテンポによる生命力へと結ばれて、躍動感に還元している。旋律自体も魅力的だが、ヤルヴィの華やかな味付けが見事にフィットしたと思う。 これに続く「4本のホルンと管弦楽のためのコンツェルトシュトゥック」においても、ホルンとオーケストラの呼応の間合いが心地よいし、複数のホルンによる立体的な音響が、オーケストラの音色に濃い影を刻むような風情が私には気持ち良い。やや軽めの響きも、曲想を明るく映えさせて、相応しい響きに思える。 さて、交響曲第4番である。これも悪い演奏とは思わないのだけれど、私には、妙にあっさり終わってしまうような印象が残った。ヤルヴィのタクトは快調で、オーケストラもいつもと同じなのだけれど、この曲の場合、もっと壮大な、地面を震わすような生命力を期待するところがある。ヤルヴィは、あえてそこを外して、瀟洒なアクセントや、線的な音色の交錯を味わわせてくれている、と思うのだけれど、その結果、「シューマンの第4を聴いた」という重みが、なにか残らないところがある。 これは、もちろんあくまで「私の感覚」による言及なのだけれど、この曲の場合、シューマン自身が「交響的幻想曲」と呼んだように、ことに壮大で、幻想的なものに対峙するような、特有な気配があって、そこには自然描写以上の神秘的なものが息づいていると感じられる。もちろん、ヤルヴィのようなアプローチも可能だし、ピリオド楽器によるヘレヴェッヘ(Philippe Herreweghe 1947-)の録音も、それに近いスタイルでの成功作だと思うし、私も大好きなのだけれど、ヤルヴィの演奏は、(語弊があるかもしれないが)やや「楽観的過ぎる」気がする。それで、3楽章から4楽章にかけての、本来極めて濃い印象をもたらす部分も、グイグイと引っ張ってくれる感じではなく、むしろ、どこかあっけらかんと突き放してしまっている、ように思う。 そういったわけで、5,6回再生してみたのだけれど、私の感じ方では、「楽曲の性格もあって、ヤルヴィのシューマンの中では、いま一つ」という印象に留まりました。そういった点で、私の当盤の全体的な評価としては、星4つかな。 |
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シューマン 交響曲 第4番 R.シュトラウス 交響詩「ツァラトゥストラかく語りき」 J.シュトラウス 皇帝円舞曲 ポンマー指揮 札幌交響楽団 レビュー日:2016.9.28 |
★★★★★ ドイツ・ロマン派王道路線を行く、ポンマー/札幌交響楽団のアルバム 第3弾
2015年に札幌交響楽団の主席客演指揮者に就任したマックス・ポンマー(Max Pommer 1936-)による、メンデルスゾーン(Felix Mendelssohn Bartholdy 1809-1947)の第2交響曲、ブルックナー(Josef Anton Bruckner 1824-1896)の第4番交響曲に続く3枚目のアルバム。以下の3つの作品が収録された。 1) シューマン(Robert Alexander Schumann 1810-1856) 交響曲 第4番 ニ短調 op.120 2) ヨハン・シュトラウス2世(Johann Strauss II 1825-1899) 皇帝円舞曲 op.437 3) リヒャルト・シュトラウス(Richard Strauss 1864-1949) 交響詩「ツァラトゥストラはかく語りき」 op.30 1)は2015年、2)は2016年、いずれも、札幌コンサートホール Kitaraでライヴ収録されたもの。 ドイツ・ロマン派の中心地の一つと言えるライプツィヒで生まれたポンマーらしい、前2作に続いてのドイツ・ロマン派王道路線といえる収録曲たちである。 さらに、「ツァラトゥストラ」は、オルガンが貴重な役割を持つ作品であり、Kitaraにある大オルガンの活躍を堪能できるという点で、ファンには嬉しい選曲と言ってよさそうだ。 演奏は、いずれも札幌交響楽団のシックな音色を背景に、誠実かつ端正に築き上げられたもので、入念に検討されたバランスを持っている。 冒頭に収録されたシューマンは、実直な響きで着々と進めたような印象。部分的に響きが固く、もう一つ音色のパレットが欲しい、というところも残るが、聴きこむほどにしっかりとした下味があり、それゆえの合理的な音楽が構築されていることがわかる。一つ一つのパッセージが、的確な脈絡をもって奏でられ、気が付くと、音楽の懐の中に入っているような演奏だ。 皇帝円舞曲を聴いたのは、久しぶりだったけれど、こちらも落ち着いて練り上げた表現で、曲の魅力を再考させられる味わい深さに満ちている。 収録3曲中で、特に見事なのは、「ツァラトゥストラはかく語りき」で、パイプオルガンを前提に設計されたホールならではの音響的な威力を音楽表現に組み込んだ演奏、と表現するとよいだろうか。派手ではないが、管弦楽とオルガンの絶妙な位置関係が、音楽的な仕掛けを十分に機能させている。おそらく、実演で聴くことができれば、その効果を何倍にも体感することが出来たであろうが、メディア経由でも、その見事さは伝わっており、成功を実感する内容だ。 |
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シューマン ピアノ協奏曲 ショパン ピアノ協奏曲 第2番 p: ロルティ ヤルヴィ指揮 フィルハーモニア管弦楽団 レビュー日:2010.7.5 |
★★★★★ 透明な成分を抽出したかのようなシューマンとショパン
ルイ・ロルティのピアノ、ネーメ・ヤルヴィ指揮フィルハーモニア管弦楽団の演奏で、シューマンのピアノ協奏曲とショパンのピアノ協奏曲第2番。録音は1991年。 ルイ・ロルティ(Louis Lortie)は1959年生まれのカナダのピアニスト。1984年のブゾーニ国際ピアノコンクールで第1位となって以降、CHANDOSレーベルに様々な録音を行ってきた。日本では、国内盤が発売される機会がほとんどなかったため、あまり有名とは言えないが、一部ファンの間ではたいへんな人気がある。人気の源は、鮮やかなテクニックと、そのテクニックからもたらされる軽やかで胸のすくようなピアニズムにある。このシューマンとショパンのアルバムでも、ロルティの魅力は存分に楽しめる。 シューマンでもショパンでもロルティのアプローチは共通で、音楽の魅力をストレートに伝えている。言い換えれば、軽やかで透明な音をことのほか好むロルティにとって、ここに収録された2曲はその特徴を良い方に作用させる曲だと思う。 シューマンでは冒頭のカデンツァから明瞭にして適度な柔らかさと運動性を持った響きが美しく、音楽にしなやかな生命力を供給している。右手で旋律を歌わせる部分でも、左手の独立性の高い伴奏が健やかにリズムを刻み続けるのが心地よい。ヤルヴィ指揮のオーケストラも、管弦楽をシベリウスの交響曲のように熱がこもってしまわない響きを作っている。シューマンに熱が必要というのは、私もそう思うけれど、この演奏は最初からそういうものを目指してはいないし、聴いてみると美しいから説得力がある。第3楽章の躍動も飛び跳ねるようなリズム感が健やかで清清しい。 ショパンの協奏曲では、あの有名な第2楽章がことのほか美しく奏でられる。あるいは、もっと錯綜した情緒がこの曲にはあるのかもしれないが、ロルティとヤルヴィはこの曲を蒸留し、もっとも透明感のある澄み切ったものを提示している。その味わいの爽やかさは格別のものがあると感じた。両端楽章でも技術的な難所を、なんのためもなくスラスラと進んでいて、気がつくと曲はきれいに幕を閉じている。爽快なシューマンとショパンを堪能できる。 |
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ピアノ協奏曲 チェロ協奏曲 hf: シュタイアー vc: ワン ヘレヴェッヘ指揮 シャンゼリゼ管弦楽団 レビュー日:2008.11.3 |
★★★★☆ ピリオド楽器でシューマンの協奏曲を演奏
ヘレヴェッヘ(Philipe Herreweghe)指揮のシャンゼリゼ管弦楽団によるシューマンの協奏曲集。収録されているのはチェロ協奏曲とピアノ協奏曲で、チェロ独奏はクリストフ・ワン(Christophe Coin)、ハンマーフリューゲル独奏がアンドレアス・シュタイアー(Andreas Staier)。 いきなりだが、私は以前、同じ顔合わせによるシューマンの交響曲第4番とチェロ協奏曲を購入した。その後、交響曲第2番、第4番というアルバムが出て、さらにピアノ協奏曲とチェロ協奏曲という組み合わせになった。なんでこういうことになるのだか良く分からないが、一通り購入すると、交響曲第4番とチェロ協奏曲が重複することになり、あまり気分のいいものではない。それが商売というものなのかもしれないが、あまり露骨なことはしないでほしい。と書いてみたけど、ハルモニア・ムンディにこの声が届くわけもないし、本社にメールするほどでもないので、まあ我慢して買いました。 演奏。チェロ協奏曲がとても良い。(とは言ってもこちらの音源は、前述の様な理由でもともと所有していたのですが)。この旋律のどことなく揺らぎながら、不思議な転調と飛躍を併せ持った独特のシューマンのロマンティシズムがよく出ている。抑制の効いた音から、ぐっと深い低い音の鳴りが間のとり方の妙もあって、心に響く。シューマンの孤独や苦悩をなんとなく知ったように思える(もちろん、これは主体的な感想でしかないけれど)。オーケストラも微細な表現を汲みつくしており美演となった。 ピアノ協奏曲であるが、悪い演奏ではないのだけれど、やはりこの曲は現代のピアノを壮麗に鳴らしてくれる演奏に慣れているためか、とにかく地味という印象がぬぐえない。テンポも爽快で明快だし、楽器のバランスも配慮をめぐらしてあるのだけれど、どうもやはりさびしい。もちろんたまにはこういう音色で、という面白さは十分にあるのですが。あくまで「ハンマーフリューゲルで弾いたらどうなるの?」という興味のある人向けと思いました。 |
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ピアノ協奏曲 ピアノ三重奏曲 第2番 fp: メルニコフ エラス=カサド指揮 フライブルク・バロック・オーケストラ vn: ファウスト vc: ケラス レビュー日:2015.9.11 |
★★★★☆ ピアノ三重奏曲はいいのですが・・・
ハルモニア・ムンディによる、"Schumann Trilogy"と題した全3アイテムからなるシリーズの第2弾。このシリーズでは、シューマン(Robert Schumann 1810-1856)が書いたピアノ、チェロ、ヴァイオリンのための各協奏曲を、それぞれ3曲のピアノ三重奏曲からの1曲と組み合わせて、リリースする。すでに、ヴァイオリン協奏曲とピアノ三重奏曲第3番を組み合わせた第1弾が発売されている。また、2014年5月8日にベルリンで行われたシューマンの3つの協奏曲を同時に取り上げた演奏会から、当該協奏曲の部分をDVDに収録し、併せて一つのアイテムとしている。 当盤の収録曲は以下の通り。 1) ピアノ協奏曲 イ短調 op.54 2) ピアノ三重奏曲 第2番 ヘ長調 op.80 フォルテ・ピアノはアレクサンドル・メルニコフ(Alexander Melnikov 1973-)。1)はパブロ・エラス=カサド(Pablo Heras-Casado 1977-)指揮フライブルク・バロック・オーケストラと、2)はヴァイオリンのイザベル・ファウスト(Isabelle Faust 1972-)チェロのジャン=ギアン・ケラス(Jean-Guihen Queyras 1967-)との共演。2014年のスタジオ録音。 メルニコフは2つの楽曲で別の楽器を用いており、協奏曲では1837年製エラール、ピアノ三重奏曲ではシュトライヒャーによる1847年ウィーン製のフォルテ・ピアノを奏している。 以下は私の感想になる。この両曲を聴いたとき、圧倒的に良いのがピアノ三重奏曲である。それというのも楽器のスペックが全然違うからだ。メルニコフの楽器の選択について、一素人の私がいろいろ勘ぐっても仕方ないが、しかし、この聴き味の違いは大きい。ピアノ三重奏曲では、なんといってもピアノが様々な情感を湛えた表現が可能で、それがシューマン作品において私の求める要素、旋律の歌謡性や劇的な情緒の発露を良く提示し、音楽的な起伏のある、豊かなものが流れてくる。特に第2楽章など、ややあざといとは言え、ピアノから粘る様な音の張りを引き出す表現を使い、音に感情が流れる実感を与えてくれる。 ところが、協奏曲はいかにも寂しい。以前、私はこの曲を、シュタイアー(Andreas Staier 1955-)のフォルテ・ピアノによる録音(指揮はヘレヴェッヘ)で聴いた。その時もまったく同じような感触を持ったのだけれど、とにかくピアノの絶対的な音が寂しい。冒頭のカデンツァの凛々しい輝きなど、この楽器で弾かれたとたんに、色がくすんでしまい、生気を半分ほど失ってしまう。そこに木目調のわびさびを感じる、と言えないこともないが、そういう味わいが好きな人は、この協奏曲を求めるだろうか?と根本的な疑問を感じる。オーケストラは、いかにも小編成の響きで、カデンツァのあとに到来するクライマックスでは、様々な音に細やかな配色をした盛り上がりで、ことに美しいのだが、聴き終わってみると、そこが白眉であったという感じがする。第1楽章の終了間際で、ティンパニが強烈なクレシェンドを決めるが、それも何か人工的な演出といった風だ。後半2楽章はいよいよさびしい。奏者は健闘しているが、音にピアニスティックな冴えがなく、単音が連続するところなど、ハープ協奏曲を聴いている感じ。こうなってくると、終楽章の終わりで再度ティンパニが強奏するのも、ルーチンワーク的な印象に映ってしまう。 というわけで、私は、ピアノ三重奏曲は楽しめたのだけれど、このピアノ協奏曲は、あくまで「この楽器で弾いたらどうなるのか」という実験に対する興味を満たしたというレベルの演奏であった。せめて、協奏曲もシュトライヒャーで弾いてくれれば、良かったのに、というのが正直な感想です。 |
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序奏と協奏的アレグロ 序奏とアレグロ・アパッショナート ヴァイオリンのための幻想曲 4本のホルンと管弦楽のためのコンツェルトシュトゥック p: ロンクィッヒ vn: コパチンスカヤ hrn: ゼルム ラスト ユルキェビッチ ぺルトル ホリガー指揮 ケルンWDR交響楽団 レビュー日:2020.6.19 |
★★★★★ シューマンの協奏的作品を集めたアルバム。粒ぞろいの独奏陣がうれしい。
ハインツ・ホリガー(Heinz Holliger 1939-)指揮、ケルンWDR交響楽団(旧称: ケルン放送交響楽団)の演奏で製作された、シューマン(Robert Schumann 1810-1856)の交響曲・管弦楽曲・協奏作品全集企画(2018年に完成)のうち、第5弾となったのが当アルバム。 私は、当該企画の他のアルバムを未聴であるが、当盤の収録曲、独奏者等に興味を持ち、入手の上、聴かせていただいた。収録曲は以下の通り。 1) 序奏と協奏的アレグロ ニ短調 op.134 2) ヴァイオリンのための幻想曲 ハ長調 op.131 3) 序奏とアレグロ・アパッショナート ト長調 op.92 4) 4本のホルンと管弦楽のためのコンツェルトシュトゥック op.86 1,3) ピアノ: アレクサンダー・ロンクィッヒ(Alexander Lonquich 1960-) 2) ヴァイオリン: パトリツィア・コパチンスカヤ(Patricia Kopatchinskaja 1977-) 4) ホルン: パウル・ヴァン・ゼルム(Paul van Zelm 1964-)、ルートヴィヒ・ラスト(Ludwig Rast 1959-)、ライナー・ユルキェビッチ(Rainer Jurkiewicz)、ヨアヒム・ぺルトル(Joachim Poltl 1953-) 2015年の録音。 ホリガーは前衛作曲家の一面もある人だが、その指揮はいたって常套的なものに感じる。当録音でも、全般に穏当な表現で、テンポも緩急も、特段刺激的なところはない。あるいは、協奏的作品ばかりであるので、独奏者に明瞭にスポットライトが当たるような演出を心掛けたのかもしれない。そういった意味で、オーケストラに強いインパクトを感じるところは特にないが、良心的で健やかな表現に終始していると言って良いだろう。ただ、末尾に収録された「4本のホルンと管弦楽のためのコンツェルトシュトゥック」においては、オーケストラの内側から沸き起こってくるような力を感じるところが多くあるので、楽曲の性格によって、ややスタンスを変えている感もある。 独奏で特に印象に残るのは、コパチンスカヤのヴァイオリンである。広いダイナミックレンジ、時に強めのヴィブラートを用いて積極的に駆け回る。それでいて、音色は過度に鋭くならず、オーケストラとも調和がとれていて、連続的な印象をもたらす。楽曲に宿るシューマン的な情熱を、渾身と形容したい力強さをもって表現していて、ドラマ性が高い。なるほど、この曲はこうやって弾いてこそ、面白いのか、と感じさせてくれる。 ロンクィッヒは技術が高いだけでなく、知的でバランス感覚に秀でたアプローチを感じさせるピアニストだが、当盤でも、詩的と形容したいピアニズムで、瑞々しい情感を引き出している。「序奏とアレグロ・アパッショナート」におけるホルンとの協奏の美しさに、多くの人が耳をそばだてるに違いない。 「4本のホルンと管弦楽のためのコンツェルトシュトゥック」では、ホリガーのタクトは他の楽曲より積極的な姿勢を見せる。4本のホルンを時に急き立てるような果敢さをオーケストラから引き出すが、4つの独奏ホルンも、これに応えて凛々しいサウンドを返す。この壮観なやりとりは、楽曲の魅力を十二分に聴き手に伝えるものだと思う。また、熱い息吹のように、シューマンのホルンという楽器への愛が伝わってくるようでもある。 部分的にオーケストラにより強い表現性が欲しいところがあったものの、アルバム全体としては、特に独奏者の好演ぶりが魅力にあふれたものとなっている。また、「4本のホルンと管弦楽のためのコンツェルトシュトゥック」に関しては、当該曲の代表的録音と言っても良いものだと思う。 |
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ヴァイオリン協奏曲 ピアノ三重奏曲 第3番 vn: ファウスト エラス=カサド指揮 フライブルク・バロック・オーケストラ fp: メルニコフ vc: ケラス レビュー日:2015.5.15 |
★★★★☆ ピリオド楽器による協奏曲とピアノ三重奏曲演奏をテーマとしたシューマン・シリーズ第1弾です。
ハルモニア・ムンディから、シューマン(Robert Schumann 1810-1856)のピリオド楽器演奏に関する一つのプロジェクトが始まった。シューマンが書いたピアノ、チェロ、ヴァイオリンのための各協奏曲と、3曲のピアノ三重奏曲から、それぞれ1曲ずつを組み合わせて、計3枚のアルバムを完成する予定だ。 起用されたのは、ヴァイオリニストがイザベル・ファウスト(Isabelle Faust 1972-)、チェリストがジャン=ギアン・ケラス(Jean-Guihen Queyras 1967-)、ピアニストがアレクサンドル・メルニコフ(Alexander Melnikov 1973-)という、すでに息の合った共演で定評のある3人。オーケストラは、パブロ・エラス=カサド(Pablo Heras-Casado 1977-)指揮のフライブルク・バロック・オーケストラが務めている。第1弾である当盤に収録されたのは以下の2曲。 1) ヴァイオリン協奏曲 ニ短調 WoO1 2) ピアノ三重奏曲 第3番 ト短調 op.110 いずれも2014年のセッション録音。 また当盤にはボーナスDVDがついている。こちらはヴァイオリン協奏曲のライヴ映像を収めたもので、これは当プロジェクトに関連して、2014年5月8日にベルリンで行われたシューマンの3つの協奏曲を同時に取り上げた演奏会から、ヴァイオリン協奏曲の部分を収録したものだ。 ということは、本企画の後続のアルバムでも、同様の規格が継続することが想像される。 シューマンの3つの協奏曲の中では、もっとも一般的でないヴァイオリン協奏曲を第1弾に持ってきたことになる。私はこの曲はツェートマイアー(Thomas Zehetmair 1961-)やベル(Joshua Bell 1967-)の名録音で親しんできた。シューマンらしい熱さを感じさせる一方で、旋律的には平板なところがある曲で、現在の評価はやむなしといった感があるのだけれど、例えばベルは繊細で柔らかな響きを導入することで、この曲に現代的な洗練をある程度もたらしていたと思う。 それに比べると、このファウストの演奏は、ひたすら熱を高めて、うなされるような演奏といって良いだろう。冒頭のオーケストラのクレシェンドは、小編成ながら目いっぱいのダイナミックレンジを目指したため、私には妙に機械的に聴こえるところもある。繰り返される主題が、ひたすら強力なアクセントで繰り広げられるので、楽曲の性格と相まって、ややにぎやか過ぎるように感じるところもあり、この辺はピリオド奏法への愛好の度合いで、聴き手によって受け止め方に差が出そうだ。ファウストのヴァイオリンは清澄な響きと佇まいがあって美しい。微細な音の正確さと強さは当録音でも生きていて、音楽のラインを明敏なものにしてゆく。 ちなみに、DVDに収録されたライヴでは、特に終楽章にフレージングの揺らぎがあるので、ピリオド楽器的な演奏という観点では、CDで聴くものの方が、より徹底されている印象を受ける。映像の有無による心象的影響もあるかもしれないが。 ピアノ三重奏曲については、2009年から10年にかけて録音されたアンスネス(Leif Ove Andsnes 1970-)のテツラフ(Christian Tetzlaff 1966-)、ターニャ・テツラフ(Tanja Tetzlaff 1973-)の3氏による既発盤が素晴らしく、私はその印象に強く残っている。そのため、私には、当盤はピリオド楽器の使用で、当該録音との差を設けた形にも思える。とはいえ、これらの楽器ならではの表現を突き詰めて、フォルテピアノより弦に表情付けの主導的役割を与えることで、かなり細かい抑揚や、波打つような表現を詳細に練り込んだ特徴の豊かな演奏だ。これらの演出に多少のあざとさはあるかもしれないが、決して過剰と思えるほどではないだろう。美しい音楽が導かれていて、さすがに一流アーティストによる表現だと感じられる。 シューマンの音楽の、熱血的な側面を中心的に表現した演奏と言って良いだろう。 |
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ヴァイオリン協奏曲 ヴァイオリンと管弦楽のための幻想曲 交響曲 第1番「春」 vn: ツェートマイヤー ツェートマイヤー指揮 パリ室内管弦楽団 レビュー日:2019.7.26 |
★★★☆☆ オーケストラの音色に難多し。疑問点を多く感じるツェートマイヤーの再録音
オーストリアのヴァイオリニスト、トーマス・ツェートマイアー(Thomas Zehetmair 1961-)が、ヴァイオリン独奏と指揮を兼ねて録音したシューマン(Robert Schumann 1810-1856)の作品集で、以下の楽曲が収録されている。 1) ヴァイオリン協奏曲 ニ短調 WoO 23 2) 交響曲 第1番 変ロ長調 op.38 「春」 3) ヴァイオリンと管弦楽のための幻想曲 ハ長調 op.131 管弦楽はパリ室内管弦楽団。2014年のセッション録音。 ヴァイオリン協奏曲をメインに、シューマンが書いたもう一つのヴァイオリンと管弦楽のための作品である幻想曲(めったに演奏されない)と、これらの作品と近い時期に手掛けられた交響曲第1番という構成はなるほどと思わせる。 ツェートマイヤーは、シューマンのヴァイオリン協奏曲を、1988年にエッシェンバッハ(Christoph Eschenbach 1940-)指揮、フィルハーモニア管弦楽団と録音していて、私はその演奏がとても気に入っている。そのこともあって、再録音にあたる当盤を大いに期待して聴いた。 だが、正直に言うと、私はこの演奏にむしろ様々な疑問を感じることとなった。旧録音との比較で言えば、テンポは大きく変更されてはいないが、いくぶん自由度が増したものとなっている。ただ、そのことによる音楽的効果はそれほど高いとは感じにくかった。ひとつネックとなるのがオーケストラの音である。ツェートマイヤーはあえて小編成のオーケストラを構成し、ピリオド奏法的な細やかな強弱を与えることに専心しているが、私には、そのことによって、シューマンの楽曲が持つ幻想性や燃焼性が、ずいぶんと委縮してしまったように聴こえるのだ。旧録音のスケール、勇壮さが随分と削られてしまっている。 もちろん、その代わりになにか価値を感じさせてくれるところがあればいいのであるが、独奏ヴァイオリンの音色は、あいかわらずマホガニー色と形容したい深い輝きを感じさせるとは言え、オーケストラの音色は、かなり乾いてパサパサした感触であり、どこか人ごとのようにサラサラと流れて行ってしまい、どうも面白くない。そこまでして、自ら指揮も兼ねる必要があったのだろうか、と感じてしまう。あるいは、これは録音の影響もあるのかもしれない。 交響曲第1番も同様の傾向だ。確かに細かいところまでコントロールすることによって、バランスに配慮した音響や、強弱のきめこまかな演出は面白い部分もあるのだが、全体的な音色に魅力が不足する傾向が否めない。特に中間2楽章は潤いが乏しく、音楽が無表情に感ぜられてならない。 前2曲に比べると、聴き馴染んでいない楽曲であるためか、「ヴァイオリンと管弦楽のための幻想曲」は、いくぶん自然な流れに乗った感があり、性格的な描写性もあって、音楽に豊かさを感じることは出来る。ただ、メインと思えるヴァイオリン協奏曲に関しては、前述の通り、当盤を検討するなら、圧倒的に旧録音の方をオススメしたい。 |
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チェロ協奏曲 交響曲 第4番 vc: ワン ヘレヴェッヘ指揮 シャンゼリゼ管弦楽団 レビュー日:2004.3.6 |
★★★★★ ヘレヴェッヘが振った協奏曲と交響曲
シューマンのチェロ協奏曲と交響曲第4番のカップリング。チェロ独奏はワン。オケはヘレヴェッヘ指揮のシャンゼリゼ管弦楽団。 ヘレヴェッヘは合唱曲の指揮で有名だが、ここでオーケストラ指揮者として非凡なものを見せる。両曲とも実に素晴らしい。 シューマンのチェロ協奏曲は内奥から湧き上がってくるメロディーの深い世界がシューマン以外の誰にも描けない世界であると感じられるが、ワンの表現は決して過剰に語らず、しかし滋味豊な響きに満ちている。オケとのバランスも最高で、この曲のナンバー1の録音といっていい。 交響曲ではオケのサウンドの豊穣さ、そして有機的な内声部の彫像性が見事。これほどの演奏ができるのであれば、もっと純粋管弦楽曲に取り組んで欲しい、と切に思う。 |
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シューマン チェロ協奏曲 ドヴォルザーク チェロ協奏曲 森の静けさ vc: ウォルトン アシュケナージ指揮 フィルハーモニア管弦楽団 レビュー日:2013.3.26 |
★★★★★ チェロ協奏曲の2大名曲を収録した注目盤
イギリスのチェリスト、ジェイミー・ウォルトン(Jamie Walton 1974-)とアシュケナージ(Vladimir Ashkenazy 1937-)指揮フィルハーモニア管弦楽団によるシューマン(Robert Schumann 1810-1856)のチェロ協奏曲とドヴォルザーク(Antonin Dvorak 1841-1904)のチェロ協奏曲、同じくドヴォルザークによる「森の静けさ」を収録したアルバム。2011年の録音。 なんとも豪華なアルバムだと思う。というのは、私が音楽史上の「2大チェロ協奏曲」であると考えるシューマンとドヴォルザークの作品が併せて収録されているからである。ドヴォルザークの作品は、言わずと知れた感のある名作だが、シューマンの作品も内面的な奥行きの深い作品で、特に第1楽章で紡がれるチェロの旋律など、思索性に富んだ滋味豊かなものは、なかなか得られるものではないと思う。 また、このシューマンの音楽の深い味わいを担保しているのがオーケストレーションである。特に第1楽章中間部、この録音でいうとタイミング5’38あたりのホルンの音。この効果的な美しさは絶妙を究めると思う。私は、シューマンがこの音楽を書いたとき、シューマンが発見したシューベルト(Franz Schubert 1797-1828)の第9交響曲の第2楽章、シューマンが「天からホルンが舞い降りてくる」と称したあの部分のことを、想起していたのではないか、と思わずにはいられない。シューマンが、シューベルトの兄フェルディナントの元を訪れ、シューベルトの名曲を発見したのが1839年。シューマンがチェロ協奏曲を完成したのが1850年。ありえないことではないだろう。 それで、この演奏、そのホルンのシーンが実に素晴らしい。静謐な雰囲気に統一された弦のバックの中、さりげなくシルクトーンのホルンが降りてくる。その神秘的な美しさは深い山に囲まれた結氷した湖に降る雪のよう。たいへん印象に残る。 もちろん、オーケストラだけでなく、チェロも好演だ。自然でぬくもりを感じさせる音色でありながら、程よいスピード感があり、楽曲の心地よい滑らかな展開を損なうところがない。すべての表現に中庸を心得た美観があり、とても大人びた響きになっている。 ドヴォルザークも名演だ。こちらも過度な強調はせずに、しかし、必要最善の音色を探求した構築性の高い音楽が導かれていて、独奏者、オーケストラともにレベルが高い。特に木管楽器の奏でる音色は、過度に感情を込めたりせず、香気に響いており、そのことが逆に透明な郷愁にも通じる情緒に繋がっていて、この作品を聴く醍醐味を堪能させてくれる。 これら2曲を名演で聴けるだけでなく、さらにドヴォルザークの佳曲「森の静けさ」(チェロとオーケストラ版)まで収録してあるのだから、たいへん内容の充実したアルバムであることは言うまでもないところか。特に、この顔合わせで、シューマンのチェロ協奏曲を聴けたことは、幸せでした。 |
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チェロ協奏曲 ピアノ三重奏曲 第1番 vc: ケラス エラス=カサド指揮 フライブルク・バロック・オーケストラ fp: メルニコフ vn: ファウスト レビュー日:2016.6.1 |
★★★★☆ シリーズ3作中ではもっとも成功しているピリオド楽器によるシューマン
ピアニストのアレクサンドル・メルニコフ(Alexander Melnikov 1973-)、ヴァイオリニストのイザベル・ファウスト(Isabelle Faust 1972-)、チェリストのジャン=ギアン・ケラス(Jean-Guihen Queyras 1967-)が、パブロ・エラス=カサド(Pablo Heras-Casado 1977-)指揮フライブルク・バロック・オーケストラを伴っての「全3部作」のシューマン(Robert Schumann 1810-1856)作品を対象とした企画の完結編。3つのアルバムにそれぞれをソリストとする協奏曲と、3曲あるピアノ三重奏曲のうちの1曲を組み合わせる形でリリースしてきた。また付属として協奏曲のライヴ映像を収めたDVDが収録されているのも共通だ。 今回の収録曲は、以下の2曲。 1) チェロ協奏曲 イ短調 op.129 2) ピアノ三重奏曲 第1番 ニ短調 op.63 2014年のセッション録音。 ちなみに前2作では、「ヴァイオリン協奏曲 + ピアノ三重奏曲 第3番」「ピアノ協奏曲 + ピアノ三重奏曲 第2番」という組み合わせだった。 本シリーズの最大の特徴は、ピリオド楽器を用いた演奏にある。ただ、前2作を聴く限りでは、そのことによって聴き易い中庸的なゆくもりが得られる一方で、感情的な表出力の強さという点で、私にはいささか不足を感じるところがあった。さながら、純文学をライトノベルにリライトしたような印象といったところだろうか。 しかし、その点では、この3枚目のアルバムがもっとも楽しく聴くことができた。特にチェロ協奏曲という楽曲が、内面的な表現に集中的な作品であるところから、ピリオド楽器の出力の弱さを感じるところが少ないのが良い。それに他の2つの協奏曲と比べると、チェロ協奏曲の構成的な均衡性は古典美に通じており、シューマンならではのメロディを紡ぎながら、その表現手法は濃厚な浪漫性とどこか距離を置いたものがある。 思い返せば、この曲には、クリストフ・コワン(Christophe Coin 1958-)とヘレヴェッヘ(Philippe Herreweghe 1947-)による、やはりピリオド楽器による名演と呼ぶにふさわしい録音がすでに存在している。その一方で、ピアノ協奏曲で、例えば「あなたが名演と思う録音20挙げよ」と言われたら、私の場合、簡単に現代楽器による演奏で20が埋まってしまうだろう。そういった意味で、チェロ協奏曲が、もっとも今回の企画に向いていると思うのだ。 ケラスのチェロはピリオド楽器の制約を感じさせつつも、特にテンポのゆるやかな場面で絶妙の美しさを引き出していて感動的だ。私がチェロ協奏曲で一番好きな個所、第1楽章の真ん中あたりで、チェロの厳かな響きにホルンが応答するシーンも、十分に満足できる響き。オーケストラはところどころ急激に感情を高めるところがあって、トランペットの強奏など私にはちょっと演出過剰なところもあるが、チェロが十分に救ってくれるので、演奏全体の聴き味は良い。 ピアノ三重奏曲は前2作と同様に木目調の響きを味わうことが出来る。とは言っても例えば第1楽章のピアノの和音連打など、現代楽器の表現力に対抗するのは難しく、その単調さが時に「おもちゃのピアノ」が鳴っているように聴こえてしまうところはあるのだけれど。しかし、聴き易い、なごやかな演奏であり、そのような演奏を期待する分には、十分に楽しく、くつろいで聴くことが出来るだろう。 ただ、ピアノ三重奏曲の録音で、現代楽器による名演として、アンスネス(Leif Ove Andsnes 1970-)、テツラフ(Christian Tetzlaff 1966-)、ターニャ・テツラフ(Tanja Tetzlaff 1973-)の素晴らしい録音があるので、ピアノ三重奏曲を初めて聴く人には、私個人的には、そちらをぜひとも推奨したい。当盤を聴くのは、その後で十分というのが正直な感想である。 |
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ピアノ五重奏曲 ピアノ四重奏曲 ヴァイオリンソナタ 第1番 第2番 アンダンテと変奏曲(2台のピアノのための) 子どもの情景 おとぎ話の挿絵 幻想小曲集(ピアノとフリューゲル・ホルンによる3曲) 幻想小曲集(チェロとピアノによる3曲) 幻想小曲集(ヴァイオリン、チェロとピアノによる4曲) p: アルゲリッチ vn: R. カピュソン レゴツキ シュヴァルツベルグ vc: G. カピュソン ノラ・ロマノフ=シュヴァルツベルグ va: 今井信子 他 レビュー日:2011.8.9 |
★★★★★ “演奏家アルゲリッチ”と“作曲家シューマン”の相性を再確認
1994年から2009年にかけてマルタ・アルゲリッチらにより収録されたシューマンの室内楽を集めた3枚組みアルバム。収録曲と演奏者、録音年は以下の通り。 1) 子供の情景 p: アルゲリッチ(Martha Argerich 1941-) 2007年録音 2) 2台のピアノのためのアンダンテと変奏曲 p: アルゲリッチ、モンテーロ(Gabriela Montero 1970-) 2007年録音 3) 幻想小曲集 op.73 フリューゲル・ホルン: ナカリャコフ(Sergei Nakariakov 1977-) p: アルゲリッチ 2006年録音 4) おとぎ話の挿絵 va: 今井信子(1943-)p: アルゲリッチ 1994年録音 5) ヴァイオリン・ソナタ第1番 vn: レゴツキ(Geza Hosszu-Legocky 1985-)p: アルゲリッチ 2004年録音 6) ヴァイオリン・ソナタ第2番 vn: R.カプソン(Renaud Capucon 1976-) p: アルゲリッチ 2008年録音 7) 幻想小曲集 op.73 vc: グートマン(Natalia Gutman 1942-) p: アルゲリッチ 1994年録音 8) 幻想小曲集 op.88 vn: R.カプソン vc: G.カプソン(Gautier Capucon 1981-)p:アルゲリッチ 2009年録音 9) 2台のピアノのためのアンダンテと変奏曲 p: アルゲリッチ、ラビノヴィチ(Alexandre Rabinovitch-Barakovsky 1945-) 1994年録音 10) ピアノ四重奏曲 p: アルゲリッチ vn: R.カプソン va: リダ・チェン(Lyda Chen 1964-) vc: G.カプソン 2006年録音 11) ピアノ五重奏曲変ホ長調 p: アルゲリッチ vn: シュヴァルツベルク(Dora Schwarzberg) R.カプソン va: シュヴァルツベルグ(Nora Romanoff-Schwarzberg 1985-) vc: ドブリンスキー(Mark Dobrinskij) 2002年録音 4),7),9)の3曲はナイメヘンでのライヴ。他はすべてルガーノ音楽祭からの音源となる。2)と9)、3)と7)の楽曲は重複して収録してある。ガブリエラ・モンテーロはベネズエラのピアニスト。リダ・チェンは、アルゲリッチと彼女の最初の夫である中国の指揮者ロバート・チェンとの間に生まれた長女。 アルゲリッチは感性のピアニストだ。当意即妙と言おうか、刹那のフィーリングを鋭敏なセンサーで感知し、即座にそれを鍵盤に解き放つ能力に長ける。エネルギーの変化が激しく、劇的なクレシェンド、デクレンシェンドを織り交ぜる。そのスタイルを可能にしているのが、卓越したテクニックであることは言うまでもない。そんなアルゲリッチの演奏は、シューマンの情念のこもった作風とよく合う。これほどまでシューマンの作品が多く取り上げられてきたのはその証左であろう。 このアルバムを何度か通して聴いてみたが、抜群にいいのがピアノ・ソロの「子供の情景」で、やはりソリストとして自由に弾いた方がアルゲリッチのアーティスティックな弾き振りが存分に発揮されるのだろう。トロイメライなど夢見るようなタッチだ。R.カプソンとのヴァイオリン・ソナタ第2番も秀演で、第3楽章の情感がたっぷりと引き出されているところなど素晴らしい。ピアノ四重奏曲はアルゲリッチ母娘にカプソン兄弟という組み合わせが面白い。先入観のせいか、とてもよく息の合ったアンサンブルに思える。アルゲリッチとモンテーロによる2台のピアノ演奏もドラマティックで面白い。シューマンの室内楽にどっぷり漬かれるアルバムであることは間違いない。 |
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シューマン ピアノ五重奏曲 ブラームス ピアノ五重奏曲 p: ヴラダー アルティス四重奏団 レビュー日:2010.6.28 |
★★★★★ 「チーム・ウィーン」によるシューマン&ブラームスの隠れ名盤
シュテファン・ヴラダー(Stefan Vladar)とアルティス四重奏団(Artis Quartet)によるシューマンとブラームスのピアノ五重奏曲。録音は1993年。 隠れた名盤と呼ぶに相応しい内容。ヴラダーは1965年ウィーン生まれのピアニスト、アルティス四重奏団は1980年にウィーン音楽大学のメンバーにより結成された弦楽四重奏団。なので、当盤はいわば「チーム・ウィーン」による録音と言える。アルティス四重奏団は、日本では目だった録音のリリースがないが、古典から現代音楽まで幅広く手がけており、現代を代表する弦楽四重奏団と言っていいだろう。 彼らの演奏の優れている点は、アンサンブルの溶け込みがことのほか深い点にある。これらの作品に限らず「ピアノと複数の弦楽器による室内楽」は、音響的なバランスが非常に難しい。主旋律一つとっても、それを奏でる主たる楽器が何であるのか、また一つの楽曲の中でどこまでその配役に多様性を与えるのかなど、構造的な展開と楽器の配合方法が聴いていて常にしっくり言っていると思える演奏は少ない。なので、聴いていて、その辺は別のアプローチによって曲を吸収しようと思うのだけれど、部分的に唐突な感があったり、また一方で単調な部分が残ったりする感じがある。シューマン、ブラームスの名曲であっても成功する演奏は多くないと思う。 しかし、ヴラダーとアルティス四重奏団の響きはそのような違和感をまったく感じさせないという点で稀有の見事さを持っている。不思議なほどの一体感であり、さながら一本の立派な樹木のような、すべてがナチュラルに収まっている音色である。音楽の起伏はさりげないが、それでいて豊かな感興を持っていて、白熱や甘美も必要にして十分である。シューマンの第1楽章の錯綜するような情念は、生き生きとした鮮度に満ちていて、しかも滋味を感じさせる。ブラームスの後半の熱っぽさも、加温するだけでなく、適度な放熱があり、音楽が簡素になり過ぎる部分もない。 ヴラダーのピアノは「木目調」とも言える暖かい響きであり、これが弦楽器とよく溶け込む。アルティス四重奏団の音色も柔らかめで、硬く尖るようなところがない。高い調和能を感じるが、適度に聴き手に働きかける推進力を併せ持って奏でられるため、単調であるという印象を与えるところもない。「ウィーンの音楽」という先入観を充足させてくれる名演だと思う。 |
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弦楽四重奏曲 第1番 第2番 第3番 クイケン四重奏団 レビュー日:2007.7.11 |
★★★★★ 楽器の音色も、楽曲の響きも堪能できます
クイケン四重奏団によるシューマンの弦楽四重奏曲。収録時間をめいっぱい使って、全3曲を収録した徳用盤ともいえる。 クイケン四重奏団は「ピリオド楽器による四重奏団」であり、その存在意義はやはりハイドン、モーツァルトといった作品を演奏することに主眼を置いていると思うけど、どうしてどうしてこのシューマンのアルバムは「むしろこっちの方が」と言いたくなるくらいに素晴らしい内容だ。 シューマンの3曲の弦楽四重奏曲は同じ作品番号を持っていて、いずれも1842年(一般的にシューマンの「室内楽の年」と呼ばれる)に作曲されている。室内楽への意欲が沸いたとたんに楽想があふれてくるシューマンらしいが、ピアノ五重奏曲やピアノ四重奏曲に比べると存在自体が地味である。 しかし、このアルバムを聴くと、これらの楽曲が捨て置けない魅力を存分に持った作品であることがよくわかる。また、シューマン特有の濃厚ともいえるロマンティシズムが随所に感じられる。クイケンの演奏は、彼らが古典派を演奏する場合、時としてやや音色が薄くなってしまうことが気になったけど(それが味かもしれないけど)、このような作品では逆に作品の「過剰な思い」を中和させる作用を果たしており、響きの軽重をコントロールできる利点が逆に存分に生きてくる。その結果、ロマン派の響きも堪能できるし、クイケン四重奏団のピリオド楽器の音色にも浸れるアルバムが出来上がったわけだ。 聴き所としては、やはりロマン派らしいと私が感じる旋律の重なりや回顧が聴ける第1番の第2楽章、それに第3番の第2楽章あたりだろうか。長いこと聴いていたい、と思わせるシーンである。 |
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弦楽四重奏曲 第3番 ピアノ五重奏曲 タカーチ四重奏団 p: アムラン レビュー日:2024.12.23 |
★★★★★ 洗練された手法による情感の表現が特徴です
タカーチ四重奏団による、シューマン(Robert Schumann 1810-1856)の以下の2作品を収録したアルバム。 1) 弦楽四重奏曲 第3番 イ長調 op.41-3 2) ピアノ五重奏曲 変ホ長調 op.44 ピアノ五重奏曲はアムラン(Marc-Andre Hamelin 1961-)との協演。2009年の録音。 録音当時のタカーチ四重奏団のメンバーは下記の通り。 エドワード・ドゥシンベル(Edward Dusinberre 1968-) 第1ヴァイオリン カーロイ・シュランツ(Karoly Schranz 1952-) 第2ヴァイオリン ジェラルディン・ウォルサー(Geraldine Walther 1950-) ヴィオラ アンドラーシュ・フェイェール(Andras Fejer 1955-) チェロ この2曲の組み合わせであれば、アムランとの協演ということもあって、当然、ピアノ五重奏曲の方が、アルバムのメインということになると思う。ただ、私は、このアルバムに関しては、弦楽四重奏曲第3番の演奏を特に気に入っている。この楽曲の持つロマン派の室内楽らしいメロディとともに、情緒や情熱の扱いを、タカーチはとてもしっくりいく素晴らしいアンサンブルで再現している。全般にやや早いテンポでスタイリッシュな響きを維持し、ここぞというときに、旋律を担う楽器がすっと前面に出る。それは当たり前といえば当たり前のことなのだけれど、その芸術的手練を感じさせる進行は、自然でありながら深い含みがあり、また弦楽器特有の暖かい感触が、いよいよこの楽曲に相応しいと実感させてくれる。特に忘れがたいのが2楽章の中間部における情熱的なパッセージの推進力ではないだろうか。 他方で、この演奏に疑問を呈する人がいるとすれば、おそらくあまりにも洗練が行き届きすぎてしまって、その情熱がシューマンに相応しい情念で言えるものとまで感じられない、ということになるかもしれない。そうは言っても、タカーチの演奏の完成度は素晴らしく、整然とした中で燃焼する様の美しさには、それはそれで格別のものがあって、私はとても魅了された。 ピアノ五重奏曲は、弦楽四重奏曲に比べると、少し控えた演奏に思える。奏者と楽曲の間の距離感がやや遠めにおかれた印象。その印象の主となっているのは、アムランのピアノが、冷静沈着と表現したい響きであり、この楽曲の演奏で、ここまで表情を抑えたピアノというのは、珍しいと思う。もちろん、アムランの技術は見事であるが、この演奏では、ダイナミックレンジをセーヴする一方で、ルバートによる感情表現を多用しており、そのため、楽曲の性格に比して、やや抑制的なスタンスに聴こえる。これは、やや早めのテンポかつ情熱的に見事な手腕を示した弦楽四重奏曲第3番の後に続けて聴くので、そういう感じが強くなるのかもしれない。なので、個人的には、ピアノ五重奏曲をアルバムの頭に持ってきた方が、良かったような気がする。 とはいえ、もちろん良くない演奏というわけではなく、アムランとタカーチならではのスマートさは、あちこちで清新な響きをもたらしている。個人的には偶数楽章でその効果が特に良い方向に作用していると思う。第2楽章は遅めのテンポとは言え、響きがスッキリして聴きやすく感じるし、終楽章はリズムを明瞭に感じる処理が清々しく、とても気持ちが良い。 この曲の演奏としては、かなり淡色系のものであるが、それでも十分に楽曲の良さを感じさせてくれる点はさすが。 |
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ピアノ三重奏曲 第1番 第2番 第3番 カノン形式の6つの小品(ピアノ三重奏用編曲:キルヒナー) 幻想小曲集(ピアノ、ヴァイオリンとチェロのための)op.88 p: アンスネス vn: テツラフ vc: ターニャ・テツラフ レビュー日:2011.5.24 |
★★★★★ 溶け合ったハーモニーが魅力のシューマン
シューマンの全3曲のピアノ三重奏曲(第1番ニ短調、第2番ヘ長調、第3番ト短調)に加えて、「ピアノ、ヴァイオリンとチェロのための幻想小曲集」とピアノ三重奏用に編曲された「カノン形式の6つの小品」を収録した2枚組アルバム。ピアノがアンスネス(Leif Ove Andsnes)、ヴァイオリンがテツラフ(Christian Tetzlaff)、チェロがテツラフの妹のターニャ・テツラフ(Tanja Tetzlaff)。録音は2009年から2010年にかけて行われたもの。 シューマンは多くの室内楽を書いていて、そのうちピアノを含んだいくつかの作品が有名だ。ピアノ五重奏曲やピアノ四重奏曲は多くの録音がある。しかし、ピアノ三重奏曲はそうではない。私もまとめて3曲聴く機会というのは今回が初めてだった。 それで、このディスクを聴く前の私の関心は、曲自体の魅力が知りたかったのと、アンスネス、テツラフという現代を代表するデユオ(バルトーク、ヤナーチェクなどとても良かった)を中心とするピアノ三重奏の「響き」そのものが聴きたかった、の2点ある。 結果を書くとどちらも満足した。特に演奏が素晴らしい。録音もEMIにしては上出来で、ディスクの価値を高める好サポート。健やかな録音をバックに、3つの楽器が非常に親密に響いていて、焦点への集中線がきれいな末尾を描き、聴きやすく疲れない。 3つのピアノ三重奏曲で比較的有名な作品となるのが第1番で、1847年に妻クララの誕生日を祝って書かれた。メンデルスゾーンの名曲を彷彿とさせる歌いまわしで、シューマンらしいロマンティックな情感が奏でられる。第2番も浪漫的で、シューマンらしい移ろうような楽想が聴かれる。書法が安定していて、三つの楽器がよく調和している。 私が今回もっとも感慨を新たにしたのが晩年の作品である第3番で、冒頭から寄せては返す波のようなピアノをベースに、連綿たる大きな歌が紡がれる。Raschと指示された第3楽章はダイナミックでシューマンの情熱的な側面がよく出ている。 「カノン形式の6つの小品」の原曲は「ペダルピアノのための練習曲」で、「足鍵盤付きのピアノ」という奇妙な楽器のための数少ない作品の一つ。ドビュッシーが2台のピアノ版に編曲したことで、少しだけ有名。聴いてみると、いかにも通奏低音的な音の持続があったりして、なかなか面白い。ちなみにピアノ三重奏版はスイスの作曲家兼ピアニストだったテオドール・キルヒナー(Theodor Kirchner 1823-1903)の編曲。「幻想小曲集」op.88はこの編成のために書かれた佳品。ピアノソロ曲のop.12やクラリネットとピアノのためのop.73とは別もの。淡い情緒が表出する佳作。 |
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ヴァイオリン・ソナタ 第1番 第2番 第3番 vn: ヴィトマン p: ヴァーリョン レビュー日:2010.3.27 |
★★★★★ シューマンのヴァイオリン・ソナタをほぼ完璧に手中に収めた演奏
シューマンの3つのヴァイオリン・ソナタを収録した素晴らしいディスク。ヴァイオリンはドイツの女流ヴァイオリニスト、カロリン・ヴィトマン(Carolin Widmann)、ピアノはペレーニらとの共演でも知られるデーネシュ・ヴァーリョン(Denes Varjon)。 シューマンのヴァイオリン・ソナタはいずれも1851年から1853年にかけて作曲されている。1856年に46歳で亡くなった作曲者の晩年の作品と言える。いずれも深い情念と、浪漫性に満ちた名品。「第3番」は、シューマンが友人のアルベルト・ディートリヒ(Albert Dietrich 1829-1908)とヨハネス・ブラームスとともに合作したヴァイオリン・ソナタ「F.A.E.ソナタ」~ヨアヒムのモットーである「自由だが孤独に(Frei aber einsam)」の頭文字をとったもの~の改作となる。つまりシューマンはF.A.E.ソナタの第2楽章と第4楽章を受け持ったのだが、これに第1楽章と第3楽章を別に作曲して一つの完成されたソナタと成した。作曲過程が変則だったため構成感が弱いからか、演奏機会は他の2つのソナタに比して少ないと思われるが、聴き劣るものではない。 もう一つ別の話をさせていただくと、私のシューマンのヴァイオリン・ソナタ原体験はヨーゼフ・シヴォーとルドルフ・ブッフビンダーによるLPに収録された第1番である。R.シュトラウスのソナタとカップリングされた典雅な演奏だったが、国内外のいずれでもCD化された形跡がない。ぜひCD化してほしい。 さて、当盤に戻ろう。ヴィトマンのヴァイオリンは柔らかな音色がことのほか魅力である。柔らかいといっても音楽としての芯をゆるがせにするものではない。切り口は鮮やかで陰影も豊かだ。ことに幻想的に歌の錯綜するシューマンのソナタではヴィトマンの持ち味は存分に発揮される。例えばソナタ第2番の終楽章、情熱的な旋律が細やかに変節していく様がヴィトマンのヴァイオリンでは非常に的確に押さえられていて、音楽の方向性が明瞭に示されている。もちろんこの楽章に限らず、シューマンのヴァイオリン・ソナタをほぼ完璧に手中に収めた演奏と思えるが、これはヴァーリョンのピアノの貢献も大きい。安定感のある粒だった音色で、ヴィドマンの細やかな情緒に常に細心的確な応答をしている。クレーメル盤のアルゲリッチがやや規を外して音楽を大仰にしてしまったのとは対照的だ。このヴィトマンとヴァーリョンのような演奏の方が、私にはシューマンを深く聴いたという感動が残る。 |
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シューマン ヴァイオリン・ソナタ 第1番 第2番 バッハ (シューマン編) シャコンヌ vn: ゼペック fp: シュタイアー レビュー日:2011.6.10 |
★★★★☆ 「ピリオド楽器である」という前提条件さえ踏み越えれば・・
ダニエル・ゼペック(Daniel Sepec)は1965年フランクフルト生まれのドイツのヴァイオリニスト。私は彼の名をアルカント・クァルテット(Arcanto Quartet)のメンバーとして始めて知ったのだけど1993年からドイツ・カンマー・フィル・ブレーメンのコンサート・マスターを務める人物とのこと。アンドレアス・シュタイアー(Andreas Staier)は1955年ゲッティンゲン生まれのフォルテピアノ奏者。ここでは、1837年製のエラールを弾いている。 私にとって、シューマンのヴァイオリン・ソナタの第1番というのは随分思い入れのある曲で、シヴォー・ヨーゼフ(Sivo Josef)とルドルフ・ブッフビンダー(Rudolf Buchbinder)の佳演をLPでよく聴いたものだ。R.シュトラウスのヴァイオリン・ソナタとカップリングされたLONDONレーベルのものだったが、一度もCD化されたという話を聞かないのが残念。この曲のディスクとしては、ECMレーベルから出ている2007年録音のヴィトマン(Carolin Widmann)/ヴァーリョン(Varjon Denes)盤がたいへん素晴らしいもので、私はしょっちゅう聴いている。 一方、このゼペック盤の場合、何と言っても「ピリオド楽器を使用している」というところがポイントで、それでこの曲がどう響くか?に興味がある。 結果から書くと、非常に繊細でスリムな音楽になっていると思う。それは、別に演奏が繊細を究めているといことではなく、むしろ雄弁に曲の浪漫性を煽る様なスイングがあるのだけれど、ピリオド楽器(特にフォルテピアノ)それ自体の持つソノリティが、どうにも細いのだ。なので、演奏論の前に、その「繊細さ」「スリムさ」が支配的なイメージとなって、聴き手を包んでしまう。もちろんそれがこれらの楽器の渋い「味」ではあるのだが。 私個人的には、現代楽器の響きの方が好きで、例えばソナタ第1番の第2楽章など、もっと水も滴るような情感を感じさせてくれてもいいのだけれど、この演奏の場合、随分とサラサラしたティスティング。ただ、前述の様に、それはサウンドのベースがそうなっているからで、第1番の第1楽章など、曲想に応じた緩急と二つの楽器の呼吸がマッチしていて、聴き様によってはスリリング。なので、「ピリオド楽器である」という前提条件さえ踏み越えれば、たしかにシューマンのロマンティシズムを色濃く漂わせているとも思う。そう思いながらも、今度は第3楽章の終結部など、かなりあっさりした肌触り。・・・それで興味のある方は、よろしかったら、ヴィトマンの現代楽器の能力を生かした ピアノとヴァイオリンのためのシャコンヌ編曲は珍曲だ。はじめて聴いた。前半は「なんでわざわざ二つの楽器でやっているんだろう?」と思ってしまうが、だんだんノッてきて、それなりに面白くなる。ここらへんは演奏者のウデの見せどころか。 |
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シューマン ヴァイオリン・ソナタ 第1番 第2番 シマノフスキ ロマンス 神話 vn: ヘルシャー p: ベロフ レビュー日:2012.12.18 |
★★★★★ 若きベロフが室内楽への高い適性を示した録音
ドイツのヴァイオリニスト、ウルフ・ヘルシャー(Ulf Hoelscher 1942-)とフランスのピアニスト、ミシェル・ベロフ(Michel Berof 1950-)によるシューマン(Robert Alexander Schumann 1810-1856)のヴァイオリン・ソナタ第2番、第1番、シマノフスキ(Karol Maciej Szymanowski 1882-1937)の「ヴァイオリンとピアノのためのロマンス」「神話(ヴァイオリンとピアノのための)」を収録。シューマンが1975年、シマノフスキが1982年の録音。シマノフスキの2作品については以前EMI 7243 4 76924 2 により、ルディ(Mikhail Rudy 1953-)のシマノフスキのピアノ・ソロ作品集と組み合わせた2枚組も出ていた。私はそちらも所有していたため、重複してそれらの音源を所有することとなったが、これから買う人は併録内容により、どちらかを選んでいただきたい。私は、このシューマンも聴いてみたかったので、結局双方を購入した。 ベロフは19歳の時に、第1回メシアンコンクールで優勝(1967年)し、以後鋭い感性を照らした数々の録音を世に送り出し、注目を浴びた。録音は独奏曲に限らず、協奏曲、室内楽にも及んだが、その中でヘルシャーとの共演も注目されるものの一つ。 どこかで、若きベロフは、ポリーニ(Maurizio Pollini 1942-)とブレンデル(Alfred Brendel 1931-)の名を、意識する存在として挙げていたと記憶するが、私には、初期のベロフのスタイル~カリッとした輪郭のくっきりしたピアニズム~は、当時のポリーニにより通じるように思う。そのポリーニであるが、彼のスタイルが室内楽にはあまり向かないようで録音もこれまでほとんどなされていない。思いつくものと言えばイタリア四重奏団とのブラームスくらいだろうか。一方でベロフは室内楽にもいろいろと面白い録音を残した。両者の違いについて考えると、ベロフのピアノの方が、ソノリティが少し抑え目な色合いで、地味さがあり、その音色が弦楽器との調和において、高い融和性をもたらしたように思う。それに比べて、当時のポリーニの音楽は自己完結的な印象を持つ。 それで、これらの録音でも、ヘルシャーのヴァイオリンとベロフのピアノの音の融合の度合いが非常に高く感じられる。例えば、シマノフスキの「神話」であるが、二つの楽器の交錯する音色の変容ぶりが、ミステリアスな要素を良く持続する効果を得ているとともに、この楽曲の不思議な自由さという特徴を端的に指摘するものともなっている。 さて、シューマンも立派な演奏である。とくに冒頭に収録された浪漫的な第2番が素晴らしい。シューマン特有の情熱的で、しかも内燃性の高い夢にうなされるような旋律線を巧みにドライヴし、きれいに収束点に収めていく。その手法は共通であるが、シマノフスキの出口が外界に開かれているように感じられるのに対し、シューマンが内向的に閉じていくように感じられるのが面白い。こうして聴いていると、両者を一緒のアルバムに収録したことで、結果的になかなか面白い効果が上がっているように感じられる。最近(2012年頃)のベロフは、より慎重に音楽を吟味するスタイルに変わってきているが、その一方で当時の若々しい感性の記録は、とても貴重な経験を私たちに与えてくれる。 |
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シューマン 歌曲集「詩人の恋」(ヴィオラ版) プロコフィエフ/ボリソフスキー編 バレエ音楽「ロメオとジュリエット」より va: リダウト p: デュプリー レビュー日:2021.10.25 |
★★★★★ ヴィオラ特有の響きで、魅力的に装飾された編曲集
イギリスのヴィオラ奏者で、すでに複数の名門国際コンクールで優勝歴のあるティモシー・リダウト(Timothy Ridout 1995-)が、ドイツのピアニスト、フランク・デュプリー(Frank Dupree 1991-)と協演したアルバムで、以下の編曲もの2編を収録している。 プロコフィエフ(Sergei Prokofiev 1891-1953) 「ロメオとジュリエット」(ボリソフスキー(Vadim Borisovsky 1900-1972)によるヴィオラとピアノのための編曲版)より 1) 前奏曲 2) 街の目覚め 3) 少女ジュリエット 4) 騎士たちの踊り 5) マキューシオ 6) バルコニー・シーン 7) ジュリエットの死 シューマン(Robert Schumann 1810-1856) 歌曲集「詩人の恋」 op.48 (ヴィオラとピアノ版) 8) 美しい五月には 9) 僕のあふれる涙から 10) ばらに百合に鳩に太陽に 11) 君の瞳に見入るとき 12) 心を潜めよう 13) ラインの聖なる流れに 14) 恨みはしない 15) 小さな花がわかってくれたら 16) あれはフルートとヴァイオリン 17) あの歌を聞くと 18) 若者が娘を恋し 19) まばゆい夏の朝に 20) 僕は夢の中で泣いた 21) 夜毎君の夢を 22) 昔話の中から 23) 古い忌まわしい歌 2020年の録音。 シューマンの「詩人の恋」については、編曲者の名が記載されていない。先行する同内容の録音が存在するので、当盤の演奏者自身が新たに編曲したものではないと思うが、ネット内には、コンサートでリダウトが同曲を取り上げた際に、“リダウト編曲”と記載して発信している情報もある。とりあえず、内容は、基本的には、歌唱部分をヴィオラに移したスタイルだが、例えば「あれはフルートとヴァイオリン」では、原曲の印象的な伴奏の3連符の連続をヴィオラが担い、歌唱も含めた他のパートをピアノが担うなど、例外部分もある。 とても面白い内容だ。両曲集とも、編曲の面白さと併せて、ヴィオラという楽器の特性が良く出ているし、リダウトが、それを積極的に主張する演奏を繰り広げている。 プロコフィエフの「ロメオとジュリエット」について、ボリソフスキーは11曲を編曲したそうだが、当盤で収録されているのはそのうち7曲。聴く限り、ボリソフスキーの編曲は巧妙で、まったく不足感を感じさせない完成度を持っている。当演奏は、編曲のバランス性を維持しており、その上で、音色的に様々な色彩をほどこしている。有名な「騎士たちの踊り」では、中間部のヴィオラの異様な緊迫感と、時に鋭さを帯びる弱音が素晴らしいし、「ジュリエットの死」では、幻想的な美観を引き出しており、巧い。 シューマンの「詩人の恋」では、原曲が歌曲であることを示唆するように、ヴィオラが様々なトーンを奏でる。まさに、ヴァイオリンではなく、ヴィオラで弾く意図を担保するように、強い感情表現には、時に濁りも交えた攻撃的な音を出し、複雑な感情を表現する部分では、不安をもたらす成分を増し、全体にダークな雰囲気を導く。「ラインの聖なる流れに」はどのような歌唱より不穏に感じるし、「恨みはしない」は、背後にある「恨んでしまう本心」が、とても良く伝わってくる。「僕は夢の中で泣いた」は、ピアノとのこまやかな交錯もあって、感情幅が大きく、聴き味十分だ。私はデュプリーというピアニストの演奏を当盤ではじめて聴いたが、とても細やかで、安定した響きを持っている。このピアニスト、ジャズ・パーカッション奏者としての一面も持ち合わせるとのことで、そのエピソードは、ヤブロンスキー(Peter Jablonski 1971-)を彷彿とさせる。リズムに敏感な感受性を持っているに違いない。 いずれにしても、当盤は、「編曲の妙」と「ヴィオラ特有の表現力」の双方を存分に堪能できる内容であり、私も購入してから、当盤を6回以上再生しているが、その都度、とても楽しく、面白く傾聴させていただいている。 |
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ピアノ独奏曲全集 p: ル・サージュ レビュー日:2013.1.8 |
★★★★★ しなやかに、優しく、線的な動感を保った、クオリティーの高いシューマン全集
1989年のシューマン国際ピアノ・コンクールで優勝を果たしたフランスのピアニスト、エリック・ル・サージュ(Eric Le Sage 1964-)が2001年から2009年にかけて録音したシューマン(Robert Schumann 1810-1856)のピアノ・ソロ作品全集。 【CD1】 蝶々 ダヴィッド同盟舞曲集 6つの間奏曲 【CD2】 ピアノ・ソナタ 第3番 クララ・ヴィークの主題による10の即興曲 幻想曲 【CD3】 フモレスケ ピアノ・ソナタ 第1番 【CD4】 色とりどりの小品 アルバムの綴り 交響的練習曲 【CD5】 8つのノヴェレッテ 4つの行進曲 【CD6】 ピアノ・ソナタ 第2番 4つの夜曲 3つの幻想小曲集op.111 暁の歌 【CD7】 クライスレリアーナ 4つのフーガ 幻想小曲集op.12 【CD8】 子供のためのアルバム 【CD9】 アレグロ ウィーンの謝肉祭の道化 4つのピアノ曲 子供のための3つのピアノ・ソナタ 【CD10】 パガニーニの奇想曲による6つの練習曲op.3 パガニーニの奇想曲による6つの演奏会用練習曲op.10 【CD11】 アベッグ変奏曲 トッカータ 子供の情景 ベートーヴェンの主題による自由な変奏形式の練習曲 謝肉祭 【CD12】 3つのロマンス アラベスク 花の曲 フゲッタ形式の7つのピアノ小品 【CD13】 森の情景 安定したクオリティーでシューマンのピアノ世界を存分に堪能できるお買い得アルバム。知名度の高い名曲たちから、めったに聴くことのできない作品まで、真摯に取り組まれていて、仕上がりにバラツキがない。このピアニストらしく、どこか余裕を感じさせるピアニズムで、適度な緩急がありながら、エキサイトせず、温和で暖かみに満ちており、優しさを感じるシューマンである。決して平板に過ぎるものではなく、ニュアンスがあって、それぞれの曲に相応しい陰影が与えられていて、シューマンのピアノ曲を聴く喜びは、よく感じられる。以下、特に私の印象に残った曲。 「フモレスケ」は中間部の詩的な風情が美しく、抜群の情感を感じさせる。「パガニーニの奇想曲による6つの練習曲」はあまり聴く機会がないが、リスト(Franz Liszt 1811-1886)の同様の試みに通じる作品で、ル・サージュのダイナミズムに溢れる表現が感興豊かだ。「子供のためのアルバム」はほんとうに小さな小品の集まりだが、一曲一曲の息遣いが相応しく、瀟洒なセンスに溢れている。「幻想小曲集 op.12」はほのかに漂う香気に品があり、格調ある音楽が奏でられている。「交響的練習曲」は肩肘の張らない伸びやかさ、しなやかさがあり、細やかな情緒を掬いながら、線的な動感を保っていて、聴きやすい。 他に、厳かさを湛えた「幻想曲」、颯爽とまとめた3つのソナタなど、どれも悪いものはなく、ひっかかりのない流麗さが貫いている。奏者のシューマンの作品への適性がいかんなく発揮された見事なアルバムと言っていいだろう。 なお、「子供のためのアルバム」の第10曲「楽しい農夫」(CD8 トラック10)は、コード進行とメロディが「崖の上のポニョ」にそっくりなことがファンの間では有名。こちらもちょっと楽しんでみてはいかがだろうか? |
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ピアノ・ソナタ 第1番 第2番 交響的練習曲 子供の情景 森の情景 幻想曲 クライスレリアーナ 雑記帳 幻想小曲集 ダヴィッド同盟舞曲集 謝肉祭 フモレスケ 蝶々 アラベスク ウィーンの謝肉祭の道化 アベッグの名による変奏曲 4つの夜曲 3つのロマンス 花の曲 ノヴェレッテ 第1番 第2番 第8番 p: アシュケナージ レビュー日:2006.7.3 |
★★★★★ 自然な歌の息づくシューマン
アシュケナージが80年代に録音したシューマンのピアノ・ソロ作品が7枚組のCD・BOXセットとなって廉価発売された。1枚辺り二千円から三千円支出して、買い集めた筆者には複雑な心境だが、逆にこれから買う人にとってはなんともお得で羨ましい限りのセットである。 残念なのは「全集」ではないこと。ショパンのピアノソロ作品の全曲を、しかも稀なる高い完成度を持って完結させたアシュケナージであれば、やはり全集化を期待していた。それは叶わなかったが、主要な作品はひとまず揃っているし、欠けた作品の中では、例えばピアノ・ソナタの第3番など、ぜひアシュケナージのピアノで聴いてみたかったが、今となってはしょうがない。 さて、演奏である。シューマンのピアノ作品はよく言われるように、多重人格的な要素がある。。。すなわち、外向的な「フロレスタン」と内省的な「オイゼビウス」。それも、幻想曲では「ベートーヴェン記念碑のためのオボルス:フロレスタンとオイゼビウスによる大ソナタ 作品12」と自らの名を二人の人物に置き換えるほど半ば自覚的に。さて、そのシューマンの要素を「狂気」と見るか、「愉悦」とみるか、なかなか難しいが、アシュケナージはそれをあえて「自然」と見ていると感じる。つまり、芸術家としての葛藤の帰結としての作品をなだらかに整えて、中庸の美徳を与えている。そして再生させる音楽は、非常に純化された自然な歌に満ちている。 例えば、「アラベスク」に見られる間と呼吸の妙技、「幻想小曲集」における情動の優しい表現、「子どもの情景」における暖かな含み。。。挙げればきりがない。そしてその自然さの中に、それを支える技巧がある。「鬼ごっこ」における左手によって奏でられる艶やかな肉付きをともなった音色や、「交響的練習曲」における躍動感溢れるダイナミックな表現に胸打たれる。 ともかく、7枚組でこの内容、この値段であっては推薦しないわけにはいかないだろう。 |
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ピアノ・ソナタ 第1番 幻想曲 p: アンスネス レビュー日:2009.4.23 |
★★★★☆ 清冽でクールな、アンスネスのシューマン
アンスネスによるシューマンのピアノ・ソナタ第1番と幻想曲を収録。録音は1995年、96年に行われている。 アンスネスの録音の多くが輸入廉価で入手できるようであるが、全般に良心的な演奏であり、いずれもお買い得といっていい内容だと思う。このシューマンもそんな一枚。演奏はいかにも若々しい爽やかなもので、一陣の風のように吹き抜ける印象だ。といって無味乾燥というわけでなく、情緒的な旋律の扱いも適度にこなしてくれる。 ピアノ・ソナタ第1番の序奏も、大仰に風呂敷を広げるようなものではなく、かといって過度に急ぎ足で進めているわけでもない。スタイリッシュでクールである。ペライアのコントロール、ポリーニの彫像性、アシュケナージの骨太な歌のどれとも違うし、これはこれで一つの現代性であろう。 幻想曲も響きがクリアーであり、ファンタジーよりもっとリアルな音楽を聴いているという気がする。それこそ、自由な形式のピアノ・ソナタの様な・・・。爽やかなテイストであるために聴きやすく、すらすらと流れていつのまにか終楽章に至るという感じ。これがシューマンの音楽の本質かどうか迂闊には言えないかもしれないが、一般的には異なるイメージを持つ方が多いかもしれない。しかし、浪漫性を強調した演奏も良ければ、このような演奏も悪くないと思うし、何よりこのように清冽な印象だけ残すシューマンは、それはそれで気持ちよい。余裕があれば一枚コレクションに加えて悪くないディスクだと思う。 |
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ピアノ・ソナタ 第1番 幻想曲 蝶々 子供の情景 森の情景 主題と変奏「幽霊変奏曲」 幻想曲から第3楽章(最終稿) p: シフ レビュー日:2011.10.18 |
★★★★★ 繊細にしてダイナミックなシフのシューマン
シフ(Schiff Andras 1953-)によるECMレーベルへのシューマン録音の第2弾。このたび収録されたのは、「蝶々」、ピアノ・ソナタ第1番、「子供の情景」、「幻想曲」、「森の情景」、主題と変奏「幽霊変奏曲」、「幻想曲」から第3楽章(最終稿)。「幻想曲」の第3楽章については初稿により演奏した上で、最終稿を別に収録する形をとっている。録音は2010年、ライヴ収録。 ソナタ第3番などを収録した第1弾が1999年の録音だったので、当盤は、実に11年ぶりの第2弾ということになる。前作には「In Concert」というサブタイトルがあったが、このたびは「Geistervariationen(幽霊変奏曲)」、つまり収録曲の一つがそのままアルバムタイトルとして採用されている。収録されている「幻想曲」についてだが、第3楽章を初稿によっている。この初稿版第3楽章では、第1楽章終結部にあったベートーヴェンの歌曲「遥かなる恋人に寄す」からの引用が、あらためて回想されるため、この楽曲が持つ「ベートーヴェン讃」の性格が強調されていると言えるだろう。なお、第3楽章については「最終稿」も収録しており、聴き手はどちらのトラックでも選択できる。 いつものシフらしい充実した内容で、鮮明なアウトラインを持った各音のソノリティが気持ちよい。歯ごたえのある音色で、フレージングの妙を大胆にクローズアップしながら、野太い音像を築き上げたといったところ。 中でも最も素晴らしいと感じたのが「蝶々」。アシュケナージの美麗な演奏で親しんで以来私の大好きな曲だけれど、シフの表現はひときわ一つ一つの小曲の独立性が保たれていると感じられる。キリッとした曲想の引き締めにより、音楽がダイナミックになっていて、各小曲のなかで存分にイマジネーションを膨らませたようなニュアンスがこぼれる。同じことが言えそうなのが「森の情景」で、これまたアシュケナージの演奏で何度も聴いた曲だけど、シフの演奏はこの作品でより深い森を描こうとしているかのように感情の幅が広がっている。 ピアノ・ソナタ第1番と「幻想曲」はいずれも雄大な規模を持つ傑作であるが、これらの楽曲でもシフは豊かで鋭い感性を披露している。タッチは繊細にして俊敏で、瞬時に変化する音のベクトルは、音楽を構成するフラグメント一つ一つに意味深い「趣」を与えている。 アルバムのタイトルになっている「幽霊変奏曲」は、シューマンの最晩年の作品。シューマンが見た夢の中で聴いた主題を用いているらしい。特に幽霊が出るような音楽というわけではない。 |
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ピアノ・ソナタ 第1番 クライスレリアーナ p: ペライア レビュー日:2013.3.25 |
★★★★★ ペライアの音楽家としての運命を感じさせる感動的なシューマン
アメリカのピアニスト、マレイ・ペライア(Murray Perahia 1947-)によるシューマン(Robert Schumann 1810-1856)のクライスレリアーナとピアノ・ソナタ第1番。1996年から97年にかけての録音。 ペライアというピアニストは、若き頃からその瑞々しい透明な音楽性でファンの注目を集め、モーツァルトのピアノ協奏曲全集をはじめとする数々の録音がSONYレーベルからリリースされた。 順調に思われたペライアのキャリアであったが、1990年に右の親指を切ったことから敗血症を引き起こす。このアクシデントから、ペライアのピアニストとしての活動は突如中断してしまうことになる。しかも、一時期だけでなく、「音楽家としての将来」をも危ぶまれる程の重症だったとされる。しかし、90年代後半に彼はピアニストとして復帰する。以来、現在まで、ときおり指の不調による中断を余儀なくされながらも、一つ一つ本当に得心のいくものを、丁寧に作り上げるようにして録音するようになった。 この録音も「復帰後」の一つ。興味深いのは、ペライアのピアニストとしての芸風が、指の負傷によるインターバルを挟んだ前後で、大きく違うと感じられることである。復帰後の音楽の深さとスケールの大きさは、以前の彼の演奏に、さらに一段も二段も表現の幅を深めたもののように感じられる。 私はこのエピソードから、病から癒えた人の喜びの大きさや、本当につらい困難を極めた経験の貴重さ、そしてそのことが人の考え方に大きな影響を与えるのだということに、思いを馳せずにはいられない。もちろん、人は何事においても万事順調と行きたいものである。しかし、人生には不可避の出来事がある。俗な表現になるけど、「痛みを知る強さ」といったもの。それを受け入れて自分の糧にしていくことに古来言われた人間性の尊さがあるに違いない。 それで、このシューマンを聴くと、その音楽の感動的な情感の深さに心を打たれるのだ。特にピアノ・ソナタの第1番。雄大な序奏を伴うソナタ形式の音楽であるが、この序奏に込められたピアニスティックな情緒の振幅は、得難いほどの陶酔感を導き出している。この部分、健全にまっすぐに弾きこなしても美しく響く。しかし、ペライアの音楽には、その美しさに「陰り」や「心の揺れ」が深く潜んでいるようで、音楽という抽象性の高い世界ではじめて伝えることの出来るような多層な感情が込められている。もちろん、これは私にはそう思える、ということではあるのだけれど、音楽的なニュアンスの深さということについて、同意いただける人は多いのではないだろうか。また、激しい楽想をもつ第1楽章の第1主題を構成する動機は、全曲を通して使用されるのであるが、そこに込められたペライアの気迫というのは実に凄い。それもけっして音楽的に崩れるという方向性ではなく、卓越したコントロールで、俯瞰視点を保った上での気迫であり、それがこの人の天性の感覚でもある(もちろん、訓練と計算の重要さも備えてのことであるが)。感動的なソナタだ。 クライスレリアーナも美しい。憧憬的な主題の広がり、堰き止めては溢れるパッション、そして静謐な大気に満ちる深い森。この音楽の名曲性を感興豊かに奏でた名演となっている。 |
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ピアノ・ソナタ 第1番 フモレスケ p: ラルーム レビュー日:2013.9.19 |
★★★★★ 注目のフランスの若手、ラルームの2枚目は見事なシューマン
2009年のクララ・ハスキル国際ピアノ・コンクールで優勝したフランスのピアニスト、アダム・ラルーム(Adam Laloum 1987-)による2012年録音のシューマン(Robert Schumann 1810-1856)のピアノ作品集。「フモレスケ 変ロ長調 op.20」と「ピアノ・ソナタ第1番嬰ヘ短調 op.11」の2作品を収録。 私がこのピアニストのアルバムを聴くのは当盤が2枚目で、先に2010年に録音されたブラームス(Johannes Brahms 1833-1897)のピアノ作品集(Mirare MIR131)を聴き、その内省的な深みを伴った情感の表出の巧みさに驚かされたところ。今回も引き続いてMirareレーベルからのリリースとなった。 このたびのシューマンも素晴らしい。ブラームスを聴いたときから、ラルームのシューマン作品への適性の良さは予感できたが、その期待を上回るほどの内容といっていい。 「フモレスケ」はシューマン一流の洒脱性が発揮された名作だが、ラルームの演奏からは、リアリスティックな印象を受けた。これは、一つ一つの音の明晰な響きと、明瞭な構築性を感じさせるバランスの良さからもたらせられるもの。シューマンの作品には幻想性や不可思議な要素も含まれるのであるが、ラルームは安易に霧で包むような表現を戒めて、装飾的な音にもひじょうにくっきりした輪郭を与え、聴き手が、音型の変化などを追跡しやすいように聴かせてくれる。そのことが、前述の形容に結びついている。 では、シューマン特有の詩情が失われているのか?というと、もちろんそんな弾き方はしていない。シューマンがこの音楽に込めたであろう情熱は、脈々と宿っており、その情熱が清々しいほどの生気に満ちて伝わってくる。これは、明瞭な音を用いながら、旋律線と保持音の音量とタイミングが、きわめて巧みにコントロールされているためで、私がラルームの弾いたブラームスから受けた印象から、また一歩、別の境地に踏み込んだような印象。外表的な捉え方を許してもらえば、むしろブラームスへのアプローチより、今回の方に「若々しさ」を感じるのだけれど、これは、作品が違うのだから、当然と言えば当然だろう。内省的なニュアンスに対する配慮は、引き続いて行き届いたものを感じさせる分、今回の演奏には「厚み」が加わっている、という捉え方も出来そうだ。 ピアノ・ソナタ第1番は、第1楽章の序奏でどこまで聴き手を音楽の世界に誘うかが一つのポイントだが、ラルームは、巧みな緩急により、大きな呼吸を設けることで、その引力を獲得することに成功している。この部分に、私は、ペライア(Murray Perahia 1947-)の演奏に近いものを感じる。更にこのピアニストのスタイルが明確に示されているのは第3楽章で、装飾音の存在感を明確に打ち出した響きは、爽快な要素を高めていて、全曲を通してみても、この箇所に当該効果を設けることにより、トータルとして高い演奏効果が得られていると思う。 当2枚目の録音も素晴らしいと感じたラルームの演奏。早くも次の録音が楽しみである。 |
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ピアノ・ソナタ 第1番 子供の情景 森の情景 p: アシュケナージ レビュー日:2015.5.20 |
★★★★★ アシュケナージの音楽表現における美質がストレートに発揮された1枚
アシュケナージ(Vladimir Ashkenazy 1937-)が、デッカレーベルにシリーズで録音した7枚のシューマン(Robert Alexander Schumann 1810-1856)のピアノ独奏曲アルバムのうち、第3弾に当たるもの。1987年の録音で、以下の曲が収録されている。 1) 森の情景 op.82 2) 子供の情景 op.15 3) ピアノ・ソナタ 第1番 嬰ヘ短調 op.11 アシュケナージの「詩情」と呼ばれる音楽的美質が発揮された典型的な録音の一つ。アシュケナージは、「森の情景」と「子供の情景」に関しては、1994年に再録音していて、そちらはより内省的で透明な世界観を示していたが、当録音では、優しくも芯のある響きで、より外向的で暖かな陽射しを感じるような音楽が描かれている。 「森の情景」はシューマンらしい幻想性と童話的で不思議な偶発性に満ちた、とても魅力的な曲集だと思うが、アシュケナージの演奏は、作為的なものを感じさせることなく、その魅力を引き出している。「呪われた場所」「予言の鳥」といったミステリアスな要素を持った曲の怪しい美しさが、瑞々しく粒立ちの良い響きで、自然に聴き手の心に忍び込むような風合いを持っている。 「子供の情景」では、ピアノの音自体の美しさが圧倒的だが、それだけでないアシュケナージならではの構成感もある。例えば「トロイメライ」と、これに続く「炉ばたで」は、連続性を重視し、さながら一つの小品のような感覚的な面白さを引き出す。このような演出は決して過剰なものでなく、さりげないながらも合理性を保ち、音楽的な表現としての完全性をともなって奏でられる。このような点は、私のこの演奏家に対する信頼感の礎となっているところである。美と構造性、音楽性といったものの組み合わせ方に、きちんとした順番があって、決して崩れるところがない。 最後に収録された「ピアノ・ソナタ 第1番」は、このころからよく録音されるようになった楽曲だと思うが、こちらもアシュケナージの演奏の根底には作品への忠誠のようなものがあり、その上で、燦然たる輝かしい音色が施されている。録音から30年近く経過したが、私にとって、今なお、たびたびとても聴きたくなるアルバムである。 |
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ピアノ・ソナタ 第1番 第3番「管弦楽のない協奏曲」(5楽章版) p: デミジェンコ レビュー日:2011.7.4 |
★★★★★ ロマン派らしい絢爛たる標題音楽的ソナタを実感
1978年のチャイコフスキー国際コンクールで第3位に入賞したニコライ・デミジェンコ(Nikolai Demidenko 1955-)~この時の優勝はミハイル・プレトニョフ~によるシューマンのピアノ・ソナタ第1番と第3番「管弦楽のない協奏曲」(5楽章版)。録音は1996年。 非常に雄弁で力強い演奏である。「ピアノ・ソナタ」というジャンルは、クレメンティ、モーツァルト、ハイドン、ベートーヴェン、シューベルトといった作曲家に重要視され、多くの傑作が生まれたが、ロマン派の初期、シューベルトの死の年(1828年)付近から急速にその勢力を減衰させる。シューマンのように多くのピアノ作品を書いた人でも、生涯でわずか3曲のソナタしか残していない。しかし、一方で、一つ一つのソナタに、作曲家の納まりきらないような思いが込められるケースが多くなったように思う。つまり「ソナタ形式」による楽曲と言うより、ソナタの形を借りた自己のパッションの放出である。シューマンの3つのソナタも濃厚なロマンティシズムを感じさせる作品ばかり。それで、このデミジェンコの演奏は、その猛々しいほどの音楽の奔流を図太く真っ直ぐに解き放ったような、強靭なパワーを感じさせるものだ。 シューマンのソナタでいちばん変わっているのが「管弦楽のない協奏曲」の副題を持つ「第3番」である。すべてが短調の全5楽章(しかも最後の3つの楽章は全てへ短調)からなり、加えて2楽章と5楽章がスケルツォという特異な構造を持つ。スケルツォ2つを除く「3楽章版」、第5楽章の遺作のスケルツォを除く「4楽章版」も混在しており、5楽章版の録音自体が少ないというのも特徴。冒頭に提示される付点の下降音型が全曲を通して支配的であり、その部分がまるで繰り返し管弦楽によって奏でられるかのように思われるため、前記の副題が与えられた。 デミジェンコは、この個性的な第3番に、軸の通った表現を貫き、強靭な一貫性を導いている。繰り返される下降音型とそれに誘われる情熱の奔流が、適度な拘束により、音楽的な流麗さを持って表現される。第3楽章はクララ・ヴィークの主題に基づく変奏曲であるが、均衡感の強い彫の深いピアニズムが印象的。第4楽章は激動的なPrestissimoであるが、圧巻の技術を繰り広げて音楽の枠を確保する力強さが頼もしい。 ソナタ第1番も流麗な躍動感に満ちた名演で、情熱的な緩急のコントラストを鮮明に与えながら、力強い推進力を終始保っている。特に両端楽章における様々な要素の把握と処理は、見事な手際で、圧巻と言える。デミジェンコの演奏は、ロマン派のソナタらしい「溢れるような情熱」を、鮮やかに掬い取って、聴き手に提示している。 |
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ピアノ・ソナタ 第2番 幻想曲 トッカータ プレスト p: ヴェデルニコフ レビュー日:2005.7.16 |
★★★★★ 合理的で美しいシューマン
デンオンのロシア・ピアニズム名盤選シリーズから。このシリーズのヴェデルニコフの録音はすべて価値が高い。本盤の録音はそれぞれモスクワで行われているが、思った以上のクオリティで50年代の録音も安定していた。プレストはシューマンが当初ピアノ・ソナタ第2番の終楽章として作曲したもので、結果的に一つのアルバムに集められて良心的な企画となったと思う。 いずれもヴェデルニコフがその個性を存分に発揮した名演揃いで、冒頭のトッカータでは均等にかけられた力によってつむがれる運動美が見事。決して無機的な響きではなく艶やかで壮麗な音の階段となっている。 幻想曲はたいへんスケールが大きく、洗練された快適なテンポで全曲を貫いており、表現の一つ一つがたいへん合理的だ。その合理性は確かなテクニックに支えられているもので、特に幻想曲では左右の手にそれぞれ特異な配慮が求められるが、それらの問題点を、たいへん鮮やかに解決している。それでいて決して音楽の熱が冷めず、生命力に富んだうねりがある。これまた、シューマンのピアノ曲が好きな人には、絶対オススメの名演だ。 |
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ピアノ・ソナタ 第2番 幻想曲 交響的練習曲 p: アムラン レビュー日:2019.4.15 |
★★★★☆ アムランによるロマン派の王道作品
アムラン(Marc-Andre Hamelin 1961-)によるシューマン(Robert Schumann 1810-1856)のピアノ独奏曲集。以下の3曲を収録している。 1) 幻想曲 ハ長調 op.17 2) ピアノ・ソナタ 第2番 ト短調 op.22 3) 交響的練習曲 op.13 1999年の録音。 名曲3曲が一枚に収録してあるという点で、ユーザーには嬉しいが、交響的練習曲では、5つの遺作の変奏曲が省かれている。すなわち、以下の曲順の演奏となっている。1) 主題 2) 第1変奏 3) 第2変奏 3) 旧第3練習曲(Vivace) 4) 第3変奏 5) 第4変奏 6) 第5変奏 7) 第6変奏 8) 第7変奏 9) 旧第9練習曲(Presto possible) 10) 第8変奏 11) 第9変奏 12) フィナーレ(第10変奏)。 5つの遺作の変奏曲は、いずれも美しいもので、かつ最近ではこれをカットして録音することはあまり多くはないから、当録音を聴いていて、その点で若干の寂しさを感じてしまうのは、仕方のないところだろうか。 今でこそ、古典から現代まで幅広いジャンルの録音を手掛けるアムランであるが、この録音がリリースされたころは、まだ、「あまり一般的にはなっていないが、技巧的で、かつ音楽的にも興味深い作曲家の作品」を紹介する“御用ピアニスト”、といったイメージが強かったと思う。私も、このピアニストの技巧の見事さに驚嘆しながらも、その音色には限りがあって、多彩な表現力を求められるロマンティックな作品には、あまり向かないという先入観があった。 しかし、今ではアムランはそのような限定的な扱いを受ける人ではなく、音楽で自己を能弁に表現しうる芸術家として指折らねばならないピアニストである。音色も豊かだ。果たして、1999年に録音されたこのシューマンでも、彼の芸術的表現性を見出すことが出来る。 とはいえ、全体的な印象は、よく整った、「流線形」と称したいフォルムにある。アムランは、これらの作品において、基本的で一般的なプローチにより、等方的で強度の高い演奏を繰り広げている。ピアノ・ソナタ第2番では、楽譜指示に従ったテンポで、冷静に情熱を描いていく。「冷静に情熱を描く」、という表現自体に自己矛盾があるように思えるけれど、このソナタは、シューマン特有の疾風的情熱が描かれていて、それぞ迅速、正確に捕捉し、音化していく作業自体に、冷静な印象があり、アムランの演奏は、そういうことを想起させる演奏だということ。それでいて、こまやかな余情や情感が、さりげないアゴーギグやルバートの中に添えられるので、決して淡泊な聴き味にはならないのがこのピアニストの巧さであろう。この楽曲がいちばん良いと思った。 幻想曲では第2楽章が良い。この曲を聴いて「第2楽章が良い」と思うこと自体、私にはあまり多くはないのだが、行進曲ふうのメロディー、和音の連打を、これほどあざとさを感じさず、さりげない抑揚の中で表現できる洗練というのは、なかなか得難い経験で、私はとても感心した。ただ、正直言って、第3楽章は面白くなかった。この楽章では、行間に潜むもの、言ってみれば「詩情」のようなものを、演奏者なりの工夫でどのように表現するかが焦点だと思うのだが、アムランの演奏にはいかにもさっぱりしていて、それがこの場合は、音楽を聴く喜びに繋がらない印象を受けた。シューマンの音楽を奏でる際には、しばしばより率直な喜びの感情が必要であろう。これは、あくまで私の意見ではあるが。 「交響的練習曲」でもアムランの技術の高さは、音の制御と言う点で、極めて高いものを感じさせる。その安定した均質性のなかで、楽曲が進行していく。第2変奏、第3練習曲と心のこもったフレーズの扱いがあり、品の良い情感があり、感触は上々。ただ、楽曲が進んでいくと、「どこかでヴィルトゥオジティを発揮したい」と考えたのか、かなり速いテンポになるところがある。第4変奏、第6変奏など、その速さがゆえ、アムランにしては正確性がやや低下した感が否めない。解釈上、必然性のあるテンポなのかどうか、音楽的に疑問が残る。ただ全般的には、その運びは洗練された美観があり、添えらえる情感の品の良さと併せて、心地よい聴き味に仕上がっている。 |
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ピアノ・ソナタ 第3番「管弦楽のない協奏曲」(4楽章版) フモレスケ 4つのノヴェレッテ(作品21) 夜想曲(作品23-4) p: シフ レビュー日:2006.5.21 |
★★★★★ シューマンのピアノ・ソナタ第3番をシフの名演で・・
ECMレーベルからリリースされたアンドラーシュ・シフによる1999年チューリッヒのトーンハレで行われたシューマン・リサイタルのライヴ録音。ピアノ・ソナタ第3番(作品14)、フモレスケ(作品20)、4つのノヴェレッテ(作品21)、夜想曲(作品23-4)が収録されている。 これらの作品は、シューマンのピアノ作品の中では、比較的地味な存在かもしれない。しかしこの天才作曲家の創作活動により生まれた作品は、どれも壮絶なイマジネーションを宿しており、決して置き去りにはできない作品である。 ここでシフはきわめてクリアな音色で、これらの作品を分析的に解釈し、かつそくに詩的なパッションを鮮やかに与えている。現代のシューマン演奏において、きわめて質の高い一つの成果となっている。 ピアノ・ソナタ第3番はそもそも5楽章からなる巨大なソナタをして構想された。第2楽章、第4楽章にスケルツォを配したその全容は、まるでマーラーの第10交響曲のようである。その後出版に際してはスケルツォが除かれ、3楽章構成となった。ポリーニは3楽章版を録音している。シフが選んだのは第2楽章のスケルツォが復活した4楽章版である。このソナタはそもそもの構想からして前例がないものだが、しかも全楽章が短調であり、しかも汲み尽くせないほどの浪漫的な情熱を秘めているきわめて特徴のある音楽となっている。シフのアプローチはその巨大な楽曲の全貌を見事に解き明かした感がある。 フモレスケ、ノヴェレッテの快演とあわせて実に密度の濃い2枚組アルバムと言える。 |
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ピアノ・ソナタ 第3番「管弦楽のない協奏曲」(4楽章版) ウィーンの謝肉祭の道化 森の情景 p: チッコリーニ レビュー日:2010.4.29 |
★★★★★ スマートにクリアに歌われるチッコリーニのシューマン
アルド・チッコリーニによるシューマンプログラム。収録曲は「ウィーンの謝肉祭の道化」、「森の情景」、「ピアノ・ソナタ第3番(4楽章版)」の3曲。録音は2002年なので、1925年生まれのチッコリーニが77歳のときの録音ということになる。 チッコリーニの録音と言うと、日本ではどうしてもサティのイメージが先行してしまうが、それ以外の、例えばこのシューマンでも瑞々しい名演を聴かせてくれる。 「ウィーンの謝肉祭の道化」は5つの小曲からなるが、小洒落た雰囲気とやや開放的になりすぎると思われる部分が混在していて、いかにもシューマンらしい曲だと思う。チッコリーニの演奏はスマート。音色が素直で、重くならない。なので、シューマンのちょっと賑やかにはしゃぐ様なところでも、聴き手に安心感をもたらしてくれる。中間の3つの曲はやや硬質なタッチだが、旋律が自然に歌うのが心地よく、とても聴きやすい。 「森の情景」は私の大好きな作品で、特にアシュケナージの新旧2種の録音を愛聴しているが、チッコリーニの演奏も見事。適度な「ため」が心地よく作用し、瀟洒な小曲に相応しい小さな味わいがある。森に分け入る様子や、森で出会うちょっと不思議なことなどが、大変暖かな語り口で表現されている。「予言の鳥」のカリッと澄み切った音の運びも、たいへん魅力的だ。 ピアノ・ソナタ第3番も美しい。もっともこの作品はシューマンならではのとどまることのない情熱の奔流が顕著なため、チッコリーニのスタイルは時折クール過ぎるかも知れない、とも思うけれど、けれどもこのくらいコントロールが効いた方が、総じて最後まで適切な情報量を持って奏でられるものかもしれない。第1楽章のくっきりした輪郭と、音の伸びの凛々しいコントロールは、もちろん77歳という奏者の年齢をまったく感じさせない。ピアノの演奏など、相当の体力と集中力を要すると思うのだが、チッコリーニの演奏を聴くと、年齢というのは相対的なものであると妙に感服してしまう。年齢の先入観というのはおおむね無意味なものであるということは十分わかっているつもりなのだが。あらためてそのように感服させられるチッコリーニの演奏に敬服! |
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交響的練習曲 ピアノ・ソナタ 第1番 トッカータ p: ルガンスキー レビュー日:2012.5.8 |
★★★★★ 1994年にオランダで録音された幻の名盤が復刻されました
1994年のチャイコフスキー国際コンクールピアノ部門における(1位なしの)2位となったロシアのピアニスト、ニコライ・ルガンスキー(Nikolai Lugansky 1972-)が、その年にオランダで録音したシューマン(Robert Schumann 1810-1856)のピアノ作品集。収録曲は、交響的練習曲、ピアノ・ソナタ第1番、トッカータの3曲。 もともとオランダのローカル・レーベルでの録音であったため、流通量も限られていて、入手が難しかったのだが、このたび別レーベルから復刻され、これらの「名演」に接することができるようになったのは慶賀の至りである。 「名演」と書いたが、それに相応しい内容だと思う。私はルガンスキーの多くの録音を聴いてきたのだけれど、それらの印象と、当盤の録音された1994年という年代を考え合わせ、当初は「爆演系」の演奏を想像していたのであるが、聴いてみるとどうしてどうして、大変な大家が弾いたような、落ち着きと風格を感じさせる名演である。 テンポは基本的にインテンポであるが、やや早めで表情を適度に抑えたシックな雰囲気に満ちている。それでいて、一つ一つの音のくっきりした輪郭が見事で、繊細な味わいに満ちている。決して高ぶり過ぎず、かといって抑え過ぎず、強力な意思により、完璧にコントロールされた音響を引き出している。例えば、第3変奏(トラック4)の精緻な打鍵で紡がれる詩情を堪能していただきたい。 「交響的練習曲」という作品自体、近年人気が高まっていて、コンクール型の新人ピアニストにもよく取り上げられるようになってきた。ルガンスキーの演奏も、類型的には、「コンクール型の新人ピアニスト」による演奏なのだが、その内容の充実ぶりは、とても単なる腕達者な若手の演奏と言ってしまえるものではない。 ソナタ第1番でも、第1楽章の冒頭では、適度な抑制が効き、巧みにファンタジーを描いて見せる。終楽章の鮮やかな音色は圧巻の一語に尽きよう。 先に書いた「腕達者な若者らしさ」という観点では、末尾に収録されたトッカータがそれに相応しい内容だ。見事としか言いようのないテクニックの冴えで一気に弾ききった爽快さが無類の美点だ。 いずれにしても、これらの名演が、復刻されたことに感謝したい。なお、交響的練習曲では、遺作の5つの変奏曲のうち、第3番のみが割愛され、残りの4曲が収録されている。 |
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シューマン 交響的練習曲 ブラームス パガニーニの主題による変奏曲 シューベルト さすらい人幻想曲 p: ヴェデルニコフ レビュー日:2004.2.11 |
★★★★★ 悲劇のピアニストが遺した奇蹟の録音
鉄のカーテンの向こうで長らくその存在を秘されたピアニスト、ヴェデルニコフ。ハルビンのロシア人家庭に生まれた彼はリヒテル、ギレリスとともにネイガウス派のピアニスト。ソ連に戻って1年後に父親がスパイ容疑で銃殺され、母親は強制収容所に送られている。 苦難の時代を生きたヴェデルニコフは当時ソ連で「好ましくない」とされていた20世紀音楽(ヒンデミット、シェーンベルク、ウストヴォリスカヤなど)も盛んに取り上げていて、命しらずといえよう。そのためか国外での演奏のチャンスは80年代まで与えられなかった。 それでも残った貴重な録音の一つ。復刻した日本のレコード会社に感謝!録音もいい。ここでは「交響的練習曲」の充実した演奏を推したい。とにかく流れが実に自然であり、ダイナミックな表現もお手のものだ。オクターブの和音が連続する変奏曲や上下で音型がクロスする有機性の高さ、など特筆に値する。 |
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シューマン 交響的練習曲 ブラームス パガニーニの主題による変奏曲 p: ロマノフスキー レビュー日:2012.8.7 |
★★★★★ ウクライナの新鋭、ロマノフスキーから目が離せない!
最近台頭した若手ピアニストの中で、私にとっていちばんの注目株と言えるのがウクライナのピアニスト、アレクサンダー・ロマノフスキー(Alexander Romanovsky 1984-)である。私が最初にこのピアニストの演奏を聴いたのは、ワーナー・レーベルから発売されているセレブリエール(Jose Serebrier 1938-)指揮によるグラズノフ(Aleksandr Glazunov 1865-1936)のピアノ協奏曲で、鮮烈でかつロマンティシズムを良く湛えた立派な演奏だった。その後、躍動感にあふれるベートーヴェンのディアベルリの主題による変奏曲を聴き、その音楽性にいよいよ惚れ込んだところである。 今回は、シューマン(Robert Schumann 1810-1856)の「交響的練習曲」とブラームス(Johannes Brahms 1833-1897)のパガニーニの主題による練習曲(全2巻)という、腕達者なピアニストに好んで弾かれる、特に近年では人気の高いまさに定番中の定番と言えるプログラムで、それだけにロマノフスキーの特徴が顕著に示されている。録音は2007年、奏者が23歳のときの録音。 ロマノフスキーがどのような音楽的教養や背景を持っているのか、私がよくわかっているわけではないが、この演奏のスタイルというのは、非常に特徴的で、面白いと思う。ロシア・ピアニズムのようなロマンティシズムでもないし、現代的なコンクール型ヴィルトゥオジティでもない。しかし、技術的安定感は非常に高い。 ロマノフスキーは楽曲に特有のフレージングを与え、細かく鋭い起伏を与えている。例えば交響的練習曲の第2変奏では、小刻みな楽想が膨らんできたところで、突如、間隙を設けるような音の空白を設け、緊張感の圧縮を踏まえて、あらためて音楽の流れを生み出していく。第3変奏の左手の鮮やかなパッセージの処理も見事。全般に、ペダリングをやや抑えたタッチながら、響きには透明な輝きがあり、パワーに訴えず、細心の配慮で音楽をしなやかに形成していく。その手腕は若さを感じさせない。パワーに訴えず、と書いたが、これも決して迫力に不足しているわけではなく、フォルテの音量も質感も見事だが、あくまでこの演奏の焦点はそこではないと感じる。クラシック音楽を代表するピアノ曲を、一つの解釈により、真摯に表現しきった鋭敏な感性が聴きどころであると思う。 パガニーニの主題による練習曲でも、コンクール型のパワーやスピードの圧力より、むしろ作品に対する自己の位置というものを相対的に考え、その距離感をキープしたアプローチを試みているような面白みが溢れている。この曲から、これほど多くのニュアンスを感じさせてくれる演奏というのは、今までなかったように思う。 いずれにしても、今後の一層の飛躍を感じさせずにはおけない、非常にすぐれたピアニストの出現を歓迎したい。 |
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交響的練習曲 謝肉祭 p: エマール レビュー日:2007.7.21 |
★★★★★ クールで理知的なシューマン
当初は「指揮者アーノンクールが協奏曲を録音するときのピアノ奏者」で、次いで「近現代音楽のすぐれたピアニスト」であったエマールが徐々に活動領域を広げて、ついにロマン派のピアノソロ曲をリリースするようになった。もともと、彼は私の中で、アーノンクールと録音したベートーヴェンやドヴォルザークを聴いた限りでは、「楽譜に忠実だけれども、没個性的な面もある」と感じていた。けれども、ここに来てその評価がいい意味で覆った。 これは2006年、ウィーンでのライヴ録音。まずこれに驚く。おそらく、教えられずに聴いただけでは、「スタジオ録音」だと思ってしまうのではないか?それほどこの録音はノイズがないし、演奏は万全にコントロールされている。ライヴだからといって熱したりせず、それがこのピアニストの近現代もので見せる理知的なパフォーマンスと繋がっているというのはあながち穿った考えでもないと思うけど。それにしても見事なテクニックである。 演奏のスタイルはきわめてシャープだ。音の膨らみを警戒し、肉付きを排し、細やかな音によってつむがれたガラス細工のような音。その音によって、微細な和音や分散和音のコントロールを行っていて、ぐっと聴き手の耳をそばだたせる。ある意味クールすぎる演奏かもしれないが、決してつまらない演奏ではなく、きわめて美しい。例えば交響的練習曲の第5変奏の、万華鏡のように細かい破片を幾何学的に散りばめたような音の特異な美しさは、他の演奏では感じられなかった性質のものである。 好きな人はとことんハマる演奏だと思う。 |
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交響的練習曲 謝肉祭 蝶々 p: レヴィナス レビュー日:2019.8.14 |
★★★★☆ 芸術家レヴィナスの繊細な感覚美を象徴すると思われる一枚
高名な哲学者エマニュエル・レヴィナス(Emmanuel Levinas 1906-1995)の息子で、現代音楽の作曲家としても活動しているピアニスト、ミカエル・レヴィナス(Michael Levinas 1949-)によるシューマン(Robert Schumann 1810-1856)の作品集。収録曲は以下の通り。 1) 謝肉祭 op.9 2) 交響的練習曲 op.13 3) 蝶々 op.2 2009年の録音。交響的練習曲は、「遺作」の練習曲群を除いた形のもの。 なかなか悩ましい録音である。まず語弊を恐れず行ってしまえば、とても精緻、精妙な演奏である。私はこの録音におけるレヴィナスの徹底した演奏ぶりにいたく感心した。だが、その一方で、これが多くの人にとって、胸を打つ演奏であるかと思えば、違うと思う。それどころか、私もこの演奏に接したとき、シューマンの楽曲を聴いているとは思えないほどに、クールな感触を味わった。 これは聴く人を選ぶ録音だろう。もちろん、それは当盤に限ったことではない。どのような楽曲であっても、演奏であっても、聴き手の個人差、嗜好性の違いというクッションは常に存在し、だからこそ芸術は、音楽は面白いわけである。そうは言っても、当盤におけるその度合いは、かなり高い。 作曲家であるレヴィナスが標榜する「スペクトル楽派」の音楽を、私はまったく理解できていないのだが、このシューマン演奏におけるモザイク像を形成するような、微分化を意識させるタッチは、「スペクトル楽派」という字面の解析的な印象に連なるものだ。レヴィナスのタッチは、研ぎ澄まされたように細かく、音色をコントロールし、瞬間の色彩を現出させてゆく。その手法は、私に細密画を連想させる。 謝肉祭では、細かいリズムの明瞭なコントロールに驚かされる。そして、それが音楽表現として還元される様も鮮やか。「キアリーナ」や「フィリシテ人と闘うダヴィッド同盟の行進」など、その精緻なタッチが輝き、生命力に溢れている。蝶々も同様で、声部の描き分けが鮮やかで、写実的と言っても良い。この2曲は、クールな響きとは言え、かなり楽しめる。 交響的練習曲も同様のスタイルなのだが、その結果、聴き味は極端に内省的なものに偏る。細やかな気配りに全神経を集中する一方で、全体に音量が弱音域にシフトしており、そのことによって、この楽曲が持つ燃焼的な一面は、ほとんど「ないもの」になっていると言っても過言ではないだろう。 確かに、これは面白い演奏で、レヴィナスという芸術家の創造性をよく伝える録音だ。ただ、特に交響的練習曲については、私の場合も、なにか消化しきれないものが残されたような感覚があり、それを払拭するまでには至らなかった。もちろん、それは前述の個人差による感覚の問題かもしれない。だが、以上の感想をもって、私は当盤を全面的に推薦することは憚られる。レヴィナスという音楽家の芸術を味わいたい(知覚したい)人には、ぜひおすすめしたい。 |
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交響的練習曲 幻想曲 カノン形式の練習曲(ドビュッシー編) p: アシュケナージ フレージャー レビュー日:2007.7.3 |
★★★★★ オーソドックスの「強さ」を感じる録音
アシュケナージが20代のころの録音である。私の記憶では、確か吉田秀和氏がこの頃のアシュケナージの活動に感嘆しながらも、「彼があまりにも中庸を愛するピアニストになってしまうのではないか」と危惧していたと思う。これは私見だけれど、氏の危惧は、幸いにも杞憂であったと思う。というのは、彼の数多くの録音活動により、私が得たのは「オーソドックスの強さ」である。オーソドックスな演奏というのは真ん中を行っているわけだし、全方向からみて等位の強度を誇るわけである。アシュケナージの場合、それだけでなく天性の「詩情」を備えているのだから、より「強い」オーソドックスを生むのである。 ここに収められたシューマンの楽曲からも、私はそれを感じる。アシュケナージは奇をてらったり、過度に踏み込むようなことはあまりしないけれども、演奏としての完成度はとても高いし、しかも美しい叙情性に事欠かない。もちろん、彼が後の再録音したものは、さらに力強いスケールが増しているが、ここで聴かれるいかにも青年的な清涼感も高く評価したいものだと思う。余録の「カノン形式による練習曲」はドビュッシーにより2台のピアノ版に編曲されたものだが、思わぬ佳曲であり、このアルバムに彩りを添えている。 |
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交響的練習曲 幻想曲 アラベスク p: エデルマン レビュー日:2010.1.23 |
★★★★★ 「躍動感」よりも「呼吸」で繋がっているシューマン
それまで「なり」を潜めていた感のある大家、セルゲイ・エデルマンは、トリトーン・レーベルとの契約を機に、2009年、3つの充実したアルバムをリリースした。第1弾がバッハであり、このシューマンが第2弾、そしてそのあとバラードを中心としたショパンが第3弾。個人的には、中でもショパンが素晴らしいと思ったが、このシューマンももちろん見事な内容だ。 エデルマンの演奏はここでも悠然たるもので、ゆとりがあるのに弛緩がない。ベースにロシア・ピアニズムの血流を感じさせるのだが、比較的近いかなと思うピアニストはヴェデルニコフかもしれない。しかしエデルマンはヴェデルニコフほど厳しい諸相を求めてはいないと思う。また、このシューマンを聴くとアシュケナージも割りと近いのでは?とも思うのだが、アシュケナージほど運動美を追求してはいないとも思う。両者の間というわけでもない。エデルマンの演奏は瞬間瞬間を充実した音で埋めているが、その前後は「躍動感」よりも「呼吸」で繋がっているように思える。 このアルバムで素晴らしいのは「幻想曲」だと思う。第1楽章のスケールが大きく、インテンポで、急がず、悠然と音の伽藍を築いて行く。展開部に入っても、決して騒がず、時折、すべてを悟るような達観を感じてしまう。シューマンの幻想曲でこのようなアプローチはこれまでそうは無かったと思う。 交響的練習曲も悠然と進めているが、幻想曲よりはいくぶん「間」を聴き手に意識させてしまうところがある。しかし、演奏のレベルは引き続き高く、気取りのない品質のよい音楽というニュアンスを受ける。遺作の変奏曲の第3曲など、普通はもっと情熱的に弾きこなしていくパッセージなのだけれど、エデルマンは「あわてずさわがず」の境地とでも言える様な、ただならぬ落ち着きを見せる。そして終曲では存分に伸びやかで野太い音色を駆使してくれる。 アラベスクも風合いを感じる演奏だ。もちろん、この演奏よりシャープな、あるいは展開の早い演奏の方を好む人も多いと思う。私はどちらも好きである。気分次第といったところ・・・。とりあえず、聴き手の選択の幅を豊にしてくれる素敵な演奏であることは間違いないだろう。 |
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交響的練習曲 幻想小曲集 花の曲 p: F.ケンプ レビュー日:2013.6.11 |
★★★★★ 新しさを感じさせるケンプの解釈
フレディ・ケンプ(Freddy Kempf 1977-)による、2012年録音のシューマン(Robert Alexander Schumann 1810-1856)のピアノ作品集。収録曲は以下の通り。 1) 幻想小曲集 2) 花の曲 3) 交響的練習曲 シューマンは1837年にフィナーレを含めて主題と12の曲(そのうち10曲は第1曲の主題からなる変奏曲)からなる「交響的練習曲」を発表したのだが、1852年の第2版では、主題とは関連をもたない第3番と第9番が削除され「主題と10の変奏曲」というヴァージョンになった。その後、1890年に、ブラームス(Johannes Brahms 1833-1897)の校訂により、別に5つの遺作の変奏曲を含めて出版され、「主題と17の曲(うち15は変奏曲)」という形ものが出来た。これが現在では一般的。 つまり、この作品は年を経るに従い、 第1版 主題と12の曲(うち10は変奏曲) 第2版 主題と10の変奏曲 第3版 主題と17の曲(うち15は変奏曲)、という変転を辿ったことになる。 現代では第1版か第3版のどちらかを用いるのが一般的で、ケンプは第3版により以下の順番で弾いている。 1) 主題 2) 第1変奏 3) 遺作の第1変奏 4) 第2変奏 5) 旧第3練習曲 6) 遺作の第3変奏 7) 第3変奏 8) 第4変奏 9) 第5変奏 10) 第6変奏 11) 第7変奏 12) 遺作の第4変奏 13) 旧第9練習曲 14) 第8変奏 15) 遺作の第5変奏 16) 遺作の第2変奏 17) 第9変奏 18) フィナーレ(第10変奏) つまり、旧第3練習曲と旧第9練習曲を、従来の順番に従って10の変奏曲の間にまず組み込んだうえで、そこに5つの遺作の変奏曲を、自分なりの順番で挿入した形となっている。この遺作の変奏曲の挟み方が個性的で興味深い。 この録音を聴いてみると、個性的な順列とは言え、なかなか心地よく聴き通すことができた。それにしてもケンプの演奏は面白い。たいへん個性的な交響的練習曲で、特にテンポの設定はなかなか独創的だ。第1変奏はおどろくほどゆっくり弾かれるし、かと思うと遺作の第5変奏など、かつてないような独特の早いテンポを設定し、まったく新しい感興が得られるような、従来と聴き味の違う新しい音楽に仕立ててしまった観がある。そういった意味で、当盤が当曲のスタンダードの一つになるか、と言うと、特徴があり過ぎて、そういう価値観を付与するものには思えないのだけれど、とにかく聴いていて新鮮で面白いのだ。 全般にケンプの清冽な語り口は巧妙で、陰影、強弱のコントラストが、くっきりと出たシャープネスを感じさせる演奏となっている。とにかく、なかなか存在感のあるアルバムが出てきたものだと感心した。 |
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シューマン 交響的練習曲 ベートーヴェン エロイカ変奏曲 ハイドン アンダンテと変奏 p: アックス レビュー日:2013.11.20 |
★★★★★ ベテランならではの味わいを感じさせるアックスの変奏曲集
アメリカのベテラン・ピアニスト、エマニュエル・アックス(Emanuel Ax 1949-)による「変奏曲」を3曲集めたアルバム。2012年録音。収録曲は以下の通り。 1) ベートーヴェン(Ludwig van Beethoven 1770-1827) 「プロメテウスの創造物」の主題による15の変奏曲とフーガ 変ホ長調 op.35(エロイカ変奏曲) 2) ハイドン(Franz Joseph Haydn 1732-1809) アンダンテと変奏 ヘ短調 Hob.XVII-6 3) シューマン(Robert Schumann 1810-1856) 交響的練習曲 op.13 シューマンの交響的練習曲は以下の順番で弾かれている。(番号はトラックナンバーに相応) 19) 主題 20) 第1変奏 22) 第2変奏 23) 旧第3練習曲 24) 第3変奏 25) 第4変奏 26) 遺作の第4変奏 27) 遺作の第5変奏 28) 第5変奏 29) 第6変奏 30) 第7変奏 31) 遺作の第2変奏 32) 旧第9練習曲 33) 第8変奏 34) 第9変奏 35) フィナーレ(第10変奏) 5つある遺作の変奏曲からは3曲が選ばれ、2曲が割愛されている。 ベートーヴェンの「プロメテウスの創造物」の主題による15の変奏曲とフーガ」は、今一つ録音に恵まれない作品であるが、充実した美しい作品。扱われている主題は、バレエ音楽「プロメテウスの創造物」のものであるが、その後、この主題が転用された交響曲第3番「英雄」の第4楽章の方が圧倒的に有名になってしまったので、単に「エロイカ変奏曲」と呼ばれることの方が多いだろう。 ハイドンの「アンダンテと変奏」は、友人の死に捧げられた作品で、簡素ながら悲哀のこもった主題が胸を打つ。この曲にはヴェデルニコフ(Anatoly Vedernikov 1920-1993)にも優れた録音があった。 さて、本盤の演奏であるが、アックスの自然なアーティキュレーションによって、実に暖かく柔和な雰囲気に仕上がっている。不自然なところや、感情を強く打ち出すところがなく、楽曲の起伏に沿って、スムーズにピアノを鳴らした演奏で、たいへん聴き易い。テンポも中庸で、目新しい事や革新的なことはほとんどやっていないと言っていいと思うが、それだけに正当性に満ちた力強い、内燃的な輝きを感じさせる音像を作り上げている。例えば、エロイカ変奏曲の最後のフーガに見せる落ち着いた気風に、アックスというピアニストの現在の気宇を感じる。 ハイドンの作品でも、ことさらに悲劇性をアピールするわけではなく、むしろ全般に不思議な暖かさに満ちていて、その雰囲気は「慈愛」という言葉を想像させる。 交響的練習曲でも、ほどよいテンポで、全てが穏当に奏でられる安心感があるとともに、過不足ない歌とダイナミクスを適度に織り交ぜ、作品のもつ美しさを自然に引き出した無理のない演奏で、いかにもベテランの至芸を感じさせる風格があると思う。 これらの3曲を適切な規模と方法で提示した当盤の内容は、アックスの芸術家としての価値観が良く伝わる内容だろう。 |
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交響的練習曲 森の情景 アラベスク p: ヘルムヘン レビュー日:2013.9.17 |
★★★★★ ヘルムヘンが聴き手を誘う木目調のシューマンの世界
ドイツのピアニスト、マーティン・ヘルムヘン(Martin Helmchen 1982-)による2011年録音のシューマン(Robert Schumann 1810-1856)のアルバム。収録曲は以下の通り。 1) 森の情景 op.82 2) 交響的練習曲 op.13 3) アラベスク ハ長調 op.18 また、参考までに交響的練習曲の曲順を記載すると、以下の通り。(番号はトラック・ナンバー) 10) 主題 11) 第1変奏 12) 第2変奏 13) 旧第3練習曲 14) 遺作の第1変奏 15) 第3変奏 16) 第4変奏 17) 第5変奏 18) 遺作の第2変奏 19) 遺作の第3変奏 20) 第6変奏 21) 遺作の第4変奏 22) 遺作の第5変奏 23) 第7変奏 24) 旧第9練習曲 25) 第8変奏 26) 第9変奏 27) フィナーレ(第10変奏) 以前、私はこのピアニストの録音では、2007年録音のシューベルト(Franz Schubert 1797-1828)の「ピアノソナタ第20番」と「楽興の時」を収めたアルバムを聴いたことがあり(Pentatone PTC 5186 329)、その特徴的な音楽性から今後の展開を期待していた。今回の録音は、それ以来の久しぶりのソロ・アルバムであり、さっそく楽しませていただいた。 今回はシューマンの作品が集められたが、やはり、このピアニストらしい演奏となっている。・・それでは、このピアニストの特性とは何か。 ヘルムヘンは、大音量で圧倒するタイプではない。そして、情緒に強く訴えるわけでもない。このピアニストのアプローチは一貫している。適度にスナップのついたアクセントで、細やかな曲想をモザイクのように浮かび上がらせる方法だ。そのため、ぺダリングは最小限にとどめられる。音の響きが混ざることのないよう、反響効果には抑制が加えられ、そのため全般に乾いた肌合いとなる。ダイナミックさは重視されず、こまやかな音楽となる。 例えば「交響的練習曲」には様々なアプローチが可能で、重層的な響きをパワフルに打ち出したり、シューマンらしい錯綜する情熱を疾走するように表現したりすることも可能である。しかし、ヘルムヘンは、そのようなことは一切意に介さないような、淡々とした弾き振りだ。そんな様子を見せる一方で、瞬間瞬間の響きには、木目調とでも言いたくなるような、不思議な暖かみに包まれている。 そうして紡がれる全体的な印象は、こまやかな手作り風味といった味わいを持ち、素朴な奥行きを持って、落ち着いた趣となる。私には、彼の演奏から、そのスタイルがドイツ的だとか、そうではないとか、あるいは若者らしいとか、巨匠らしいとか、そういった形容を連想することが難しい。ある意味、無国籍無年齢的なものを感じる。しかし、それは味気ないということを指すものではない。ヘルムヘンのピアノは、すでにこの年齢にして、この人にしか弾きえない世界を確立している、ということである。そして、その世界は、私には、簡単に「他の誰か」を連想させるものではないため、前述のような安易なカテゴライズはできないと思うのだ。そして、それこそが、ヘルムヘンの演奏の「面白さ」なのである。 「交響的練習曲」の前後に収録された「森の情景」と「アラベスク」も、そんなヘルムヘンの個性にぴったりの楽曲たちで、時として森の中で、木琴が響いてくるような、不思議な情景を私に想起させるものだ。他に得難いシューマン演奏として、私は当盤をためらわずに推す。 |
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交響的練習曲 蝶々 アラベスク p: アシュケナージ レビュー日:2015.5.18 |
★★★★★ アシュケナージの詩情が発揮されたシューマンのロマン的作品
アシュケナージ(Vladimir Ashkenazy 1937-)による1984年録音のシューマン(Robert Alexander Schumann 1810-1856)のピアノ作品集。アシュケナージは、デッカレーベルに7枚のシリーズでシューマンのピアノ独奏曲を録音したが、当盤がその第1弾だった。 収録内容は、以下の通り。 1) アラベスク op.18 2) 蝶々 op.2 3) 交響的練習曲 op.13 a) 主題 b) 練習曲I c) 練習曲II d) 練習曲III e) 遺作の変奏曲I f) 遺作の変奏曲II g) 遺作の変奏曲III h) 練習曲IV i) 練習曲V j) 練習曲VI k) 練習曲VII l) 練習曲VIII m) 遺作の変奏曲IV n) 遺作の変奏曲V o) 練習曲IX p) 練習曲X q) 練習曲XI r) 練習曲XII(フィナーレ) 交響的練習曲は、5つの遺作の練習曲を含めてすべて弾いている。遺作の練習曲第1番~第3番を第3番と第4番の間に、遺作の練習曲第4番と第5番を練習曲第8番と第9番の間に弾いている。私は、このアシュケナージの録音で、この曲を何度も聴いてきたので、この曲順がいちばん落ち着くように感じる。アシュケナージは1965年にもこの曲を録音しているが、その際には、第9番と第10番の間に5曲の遺作の練習曲を集めて弾いていたから、20年を経て、全曲の配列についても考案し直したのだろう。 その交響的練習曲だが、アシュケナージの1965年の録音は、いかにも細やかで流線型のフォルムに従い、オーソドックスな美観を追及していたのに対し、この1984年の録音は、より豊饒な響きにより、輝かしい音色で浪漫的な情緒を描き出したものと思う。 アシュケナージのピアノのタッチは個性的で、私はたいていの彼の録音で、聴いた瞬間にアシュケナージが弾いている、とわかるのだが、それは肉付きが良く、それでいて結晶化の度合いの高い響きがあるからで、そういった彼の特徴がもっとも端的に表出していたのは、このころの録音ではないか、と思う。 また高音のきらめくような輝きは、単音で響く旋律を、それ自体が完璧な音の芸術のように表現するので、例えば遺作の変奏曲の第5番のように、幸福な夢に見たされるような気分を味わわせてくれるのだ。現在では、このようなアプローチをするピアニストは少なく、弾き方としても主流ではなくなったのかもしれないが、しかし、私は今なお彼のタッチに、抗いがたい魅力を感じる。 それと合わせて、心地よいスピード感、メロディやフレーズに漂う気品のある詩情が、彼のシューマンを高潔なロマンで満たせているのである。 愛すべき佳品であるアラベスクの中間部の静穏さが、まるで夜想曲のような透明な甘さを湛えて奏でられるのは、アシュケナージの演奏以外では聴くことのできない感動をもたらしてくれる。 ジャン・パウル(Jean Paul 1763-1825)の小説からインスパイアされて生み出された「蝶々」など、シューマンのロマン主義的感性の満ちた名品であるが、アシュケナージの詩情豊かで輝かしいピアノは、この曲に最高の色付けを施していると感じる。 この録音から30年が経過したけれど、私にとってはどれも色あせることのない名演だ。 |
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シューマン 交響的練習曲 蝶々 ムソルグスキー 組曲「展覧会の絵」 p: ガヴリーロフ レビュー日:2021.1.12 |
★★★★☆ ガヴリーロフ、とても久しぶりの録音は、あいかわらず超個性的
なんとも久しぶりにガヴリーロフ(Andrei Gavrilov 1955-)の新録音を聴いた。ガヴリーロフは、1974年にチャイコフスキー・コンクールで優勝を果たし、その後、メジャー・レーベルとの契約に基づき、90年代初めまで、様々な録音活動を行ってきたが、その後、演奏活動からいったん退き(体調のため、研究のためなど様々な理由があったらしい)、その後21世紀になってから、ライヴ活動を中心に芸術活動を再開していた。 今回は、Da Vinci Classicから、“Music as Living Consciousness(生きていることを意識する音楽) Vol. 1” と題して、下記の楽曲の録音がリリースされた。収録曲は下記の通り。 1) シューマン(Robert Schumann 1810-1856) 蝶々 op.2 2) シューマン 交響的練習曲 op.13 3) ムソルグスキー(Modest Mussorgsky 1839-1881) 組曲「展覧会の絵」 2018年と2020年の録音。プログラムは19年振りの来日公演の際のものと共通だが、当録音はチェコでスタジオ録音されたものとなっている。 それにしても、久しぶりの録音だ。私の所有するガヴリーロフの録音としては、1993年のバッハ、それに1994年のラフマニノフあたりが最後のものだから、ひょっとしてそれ以来だろうかと思って、ちょっと調べてみると、99年のライヴ録音がアルバム化されたものが見つかった。だとしても、相当に久しぶりのアルバム。ガヴリーロフという芸術家、コンサートの直前になってドタキャンしたり、なかなか尖ったところのある人物のようなので、このインターバルの大きさに、彼のスタンスを垣間見るような思いがする。 さて、演奏であるが、これがまた、とてもアクの強い演奏だ。確かに彼は超個性的な演奏をするピアニストだったが、90年代の録音では、いくぶんそれが和らいで、叙情的な味わいを感じさせるところもあったのだが、ここで聴く演奏は、まぎれもなく、ガヴリーロフ本来の、濃淡のコントラストがきわめて強い表現に覆われたものだ。 ガヴリーロフは、独特の抑揚で、楽曲の緩急を強調し、瞬間的に浮遊感と吸引感を交代させる様な演出で、ヴィルトゥオジティを発揮し、その芸術性を演奏表現に込めている。現在、これほど主張の強い演奏をするピアニストは、多くない。しかも、彼の演奏には、技術的な卓越と音の強靭さ、そして透明な音色が背景に備わっているから、一つ一つの演出の効果は高く、強い印象を伴って聴き手に送り届けられる。最初に書いた「アクが強い」という表現は語弊があるかもしれないが、あくまでもガヴリーロフの手法は、普遍性や客観性を感じさせるものではなく、きわめて主観性が強く主情的なものである。手続き自体が芸術的であったとしても、前述の演奏傾向ゆえに、私はこの演奏を「アクが強い」と形容する。 シューマンの交響的練習曲(遺作の練習曲は割愛されている)では、例えば第4変奏や第5変奏におけるシューマンの二面的な性格をこれ以上ないくらいに強調し、ピアノに刻み込むようにして弾かれている。特有の粘りが加わって、その聴き味は、即興的であり、一般的な名演と「一味ちがったもの」となる。「展覧会の絵」の「ブイドロ」における尋常ではない粘った表現や、リモージュの市場におけるアクセントの強靭な演出は、いままで聴いてきた曲と違った曲に聴こえてしまうほどパワフルだ。そういった意味で、瞬発的な力感と強い音の饗宴が、スポーティな印象にもなる。 それで、最終的に私の感想であるが、確かに面白い。ただ、面白いのだが、あまりにも尖り過ぎてしまって、逆に音楽の表面的なものが印象を支配し過ぎてしまうところが気になる。シューマンの「交響的練習曲」など、元来噛みしめて味わうような、滋味の部分に幅のある楽曲だけに、ガヴリーロフ流の解釈になってしまうと、どうも「別モノ」感がぬぐえない。もちろん、目指したものが違うと言えばそうなのだろうけれど、他の自分の好きな演奏と比較したときに、それと同等に評価するのは難しい、というのが正直な感想であろう。 |
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シューマン 幻想曲 シューマン/リスト編 献呈 春の夜 ベートーヴェン/リスト編 遥かなる恋人に寄す ミニヨン p: ロルティ レビュー日:2014.11.13 |
★★★★★ 「幻想曲」を中心に、3人の大作曲家を結びつけるプログラム
カナダのピアニスト、ルイ・ロルティ(Louis Lortie 1959-)による1998年録音のアルバム。収録曲は以下の通り。 ベートーヴェン(Ludwig van Beethoven 1770-1827) 連作歌曲「遥かなる恋人に寄す」op.98 リスト(Franz Liszt 1811-1886)編によるピアノ独奏版 1) 「この丘にすわり」(Auf Dem Hugel Sitz Ich Spahend) 2) 「山々があんなに青く」(Wo Die Berge So Blau) 3) 「大空を軽やかに」(Leichte Segler in Den Hohen) 4) 「大空のこの雲たちは」(Dieser Wolken in Den Hohen) 5) 「五月が還り」(Es Kehret Der Maien) 6) 「さあ、受けたまえ、この歌を」(Nimm Sie Hin Denn Dieser Lieder) 7-9) シューマン(Robert Alexander Schumann 1810-1856) 幻想曲 ハ長調 op.17 10) シューマン 歌曲集「ミルテの花」から「君に捧ぐ(献呈)」 op.25-1 リスト編によるピアノ独奏版 11) シューマン 歌曲集「リーダークライス」から「春の夜」 op.39-12 リスト編によるピアノ独奏版 12) ベートーヴェン 「6つの歌曲」から「ミニョン」op.75-1 リスト編によるピアノ独奏版 なかなか面白いプログラム。ベートーヴェンとシューマンの歌曲をリストがピアノ独奏用に編曲したものを集め、中間にシューマンの名曲「幻想曲」を配置している。この「幻想曲」は、リストを発起人として、ボンにベートーヴェン記念像を建立する計画に賛同したシューマンが、寄附を募る目的で作曲したもの。ベートーヴェンの歌曲「遥かなる恋人に寄す」の主題が引用されている。 つまり、シューマンの名曲「幻想曲」誕生のエピソードに沿って、引用元となったベートーヴェンの歌曲、そして前述の計画の発起人であり、当該歌曲集のピアノ編曲を行ったリストという3人の作曲家を繋ぐというメッセージ性の高い選曲となっているのだ。 シューマンはベートーヴェンへの愛を自身の大きな作曲活動への動機とした人である。幻想曲は、構想の段階で「廃墟、戦争勝利品、栄光、フロレスタンとオイゼビウスによるベートーヴェンの記念碑のための大ピアノ・ソナタ」と言うタイトルが考えられていた。“フロレスタン”と“オイゼビウス”は、シューマンの想像が生んだある思想を擬人化した存在であるが、「廃墟、戦争勝利品、栄光」は、それぞれの楽章の性格を指していた。 幻想曲を書きあげたシューマンは、その第1楽章のことを、自身がこれまで書いた作品の中でもっとも洗練されたもの、と考えていた。そのタイトルの「廃墟」が意味するものは何だろうか?これは、私の考えではベートーヴェンが遺した作品のモチーフのことを指していると思う。ベートーヴェンの作品において、主題は、それ自体一見単純に思えるものであっても、全体への予見に満ちており、それが作品の中で完璧に昇華される。それゆえに、ベートーヴェンの作品のどんな断片であっても、そこにベートーヴェンらしさを持つ。「廃墟」とは、ローマ時代の遺跡のようなイメージであろう。それがどのような「断片」であって、ローマ時代の刻印は、多くの人に感じ取れるものであり続ける。 最終的に「幻想曲」と題された作品には、フリードリヒ・シュレーゲル(Friedrich Schlegel 1772-1829)の詩が副題的に引用されている。「すべての音を通して 地上の多彩な夢のうちに 静かな音が響き続ける 密かに耳を傾ける者にとって」。 この「静かな音」こそがベートーヴェンからの引用と解される。長くなったが、当盤は、そのような幻想曲の謎を解題するプログラムになっている。幻想曲の第1楽章後半で、ベートーヴェンの連絡歌曲「遥かなる恋人に寄す」からのモチーフを聴くことができる。その他にも、ベートーヴェンからの引用はいろいろあるらしいのが、いずれも知った上で聴いてもはっきり指摘するのは難しいもので、「幻想曲」は、「静かな音」が背景に存在する作品、と言うことが出来るだろう。 私は、以上の様なことを知って、当盤を聴くのが、様々な興味を触発するという点で、とてもいいことだと思う。 ロルティの演奏はいつものように、透明感のある健康的な響きで、音楽の起伏を輝かしく表現している。「遥かなる恋人に寄す」は6つの部分からなるが、すべて連続して演奏されるため、ピアノ組曲のような聴き味になっている。旋律自体がロマン派を思わせる甘味を持っていて、美麗に響く。 幻想曲は、非常に明朗な表現で、人によってはもっと錯綜した情熱を希求するかもしれない。しかし、ロルティのスタイルは潔く、聴いていて心地よい。複雑なソナタ形式と考えられる第1楽章の細かいモチーフが、分かり易く提示されるし、その変容も遠視点的な意味で正確に捉えられていると思う。第2楽章のスポーティーな味わいも爽快この上ない。第3楽章の姫やかな情熱も美しい余韻を持つ。乱れのない適度なテンポで、スムーズにまとめられた幻想曲だ。 末尾にシューマン、ベートーヴェンの美しい歌曲3曲をリストが編曲したものが収められているが、いずれも華麗なヴィルトゥオジティを満喫させるもので、ロルティのタッチにより、豪華さを宿して奏でられるのは、リストの編曲意図に相応しいにちがいない。 |
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幻想曲 アベッグの名による変奏曲 ウィーンの謝肉祭の道化 p: アシュケナージ レビュー日:2015.5.26 |
★★★★★ シューマンのピアノ独奏曲における普遍的な美しい解釈
アシュケナージ(Vladimir Ashkenazy 1937-)が、デッカレーベルにシリーズで録音した7枚のシューマン(Robert Alexander Schumann 1810-1856)のピアノ独奏曲アルバムのうち、第6弾に当たるもの。 1) アベッグの名による変奏曲 op.1 2) 幻想曲 op.17 3) ウィーンの謝肉祭の道化 op.26 1)と3)は1991年、2)は1993年の録音。アシュケナージは、1965年にも幻想曲を録音していたので、本録音が2度目のものとなる。 アシュケナージのシューマンは、いずれもアシュケナージならではの洗練と情緒に溢れたもので、当録音も素晴らしい内容だ。アシュケナージの芸術について、様々な言い方で賞賛することが出来るか、私は最終的に彼の音楽のもっとも本質的な美徳は「バランス感覚」にあると考えている。 アシュケナージのアプローチは、楽曲をよく研究しているが、その結果が、決して一方的な、あるいは絶対的な価値観に帰結することはなく、むしろそのような周辺情報を十分に踏まえながらも、音楽作品としての論理性や普遍性といったものにつねに軸足を置く。だから、彼の演奏を聴いて、際立って特徴的な方法論を感じることはない。しかし、私がアシュケナージの演奏を聴いた場合、一聴してアシュケナージを感じるのは、彼の多くの録音を聴いてきたことで、体感的な直感が備わったということが言えるだろう。それに、彼のピアノの音色は、いつだってきわめて美しく、洗練と円熟を同時に感じさせるものだ。 だから、このシューマンも、爛漫たるロマンの芳香というより、まずは音楽の論理に基づいた純粋なテンポ設定が割り振られていて、そこで与えられた必然の中で、音楽の情感を肉付けしていくという、きわめて正統的な考え方で弾かれていることが、よくわかるのである。 大事なのは、その結果聴かれる音楽が、きわめて美しく、自然である、ということだ。アベッグの名による変奏曲の冒頭部分に含まれた濃厚ではないが、しっかりとした抒情は、とても気持ちよく聴き手の心に届く。幻想曲では、第1楽章のスムーズな推進性、第2楽章の華やかな音響、そして第3楽章では旋律線を太く扱って、実に情感豊かな味わいである。「ウィーンの謝肉祭の道化」は、様々な性格的な小品が集まった構成の楽曲であるが、全体が心地よいテンポで構成されながらも、中間のハートを感じる旋律が十分に歌われて、聴き味にまったく不足を感じさせないところなど、アシュケナージならではだろう。 合理的な方法論の追及が音楽美に至るという、アシュケナージならではの充足感のある演奏だ。 |
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幻想曲 ダヴィッド同盟舞曲集 子供のためのアルバムより 第21曲 第26曲 第30曲 p: ハフ レビュー日:2015.8.24 |
★★★★★ 若きハフの「シューマン演奏の哲学」を感じさせてくれる録音
イギリスのピアニスト、スティーヴン・ハフ(Stephen Hough 1961-)による1988年録音のシューマン(Robert Schumann 1810-1856)のピアノ独奏曲集。収録曲は以下の通り。 1) ダヴィッド同盟舞曲集 op.6 2) 子供のためのアルバム op.68 より 第21曲、第26曲、第30曲 3) 幻想曲 op.17 ハフの録音キャリアの初期に当たるもの。非常に広いレパートリーを持つピアニストであり、シューマンも当盤意外にもこれまでに録音がある。 ハフというピアニストは、旧来のメジャー・レーベルとの契約がなかったこともあって、実力のわりに日本での知名度はいま一つといったところであるが、このシューマンもじっくりとした味わい深いアルバムだ。 冒頭のダヴィッド同盟舞曲集は、当アルバムでは第1曲~第9曲を「第1巻」残りを「第2巻」と表記している。この見立ては一部であるらしいけれど、私にはあまりなじみのない表記方法だ。ハフの演奏法がこれに基づいたものかどうかわからないが、1曲1曲の小曲に、ほどよい味わいを施したなめらかなピアニズムが貫かれている。ハフは、立派な技巧を持っているが、それをもって楽曲を派手に飾り立てるようなことはせず、むしろシューマンの楽曲としては淡色系の響きを持つ演奏だ。全般に落ち着いた、しかし心地よいテンポの中で、淡々と進むようでいて、適度な暗みが表現されていて、繰り返し聴き込むほどに、聴き手をシューマンの深い森に誘う。例えば第15曲の中間部に示される淡い情感に、この演奏のエッセンスが凝縮されていると感じる。 子供のためのアルバムはシューマンが教育用として書いた曲集であり、その多くの楽曲が標題名を持っているのだが、ここでハフは「標題名を持たない」3曲を選択して弾いている。ハフのピアニズムが、説明的なものではなく、むしろ抽象芸術としての音楽を追及するものであるという遠回しな宣言のように思える。ここで収録された3曲は「教育用」で済ますわけにはいかない音楽の内面的な表現を必要とするものたちで、ハフのピアニズムはその性格をよく引き出している。 末尾に名曲「幻想曲」が収録されている。こちらも全体の音楽的な流れや自然な起伏感を重視したピアノ。人によってはより表現に幅を求めるかもしれない。ハフの演奏の第一印象は、比較的地味なものになるだろう。しかし、とても誠実な表現で、この楽曲でシューマンが意識したベートーヴェン(独: Ludwig van Beethoven 1770-1827)の音世界と地続きになったスピリッツを感じるように思う。中間楽章も表情を控えて、音響の構築美に徹しており、終楽章も耽美というより、もっと内面的な歌を感じさせる表現だ。 あまり知られない録音だと思うけれど、20代のハフの完成された美学に、接することが出来る1枚だと思う。 |
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シューマン 幻想曲 創作主題による変奏曲 モーツァルト 幻想曲 K.475 ピアノ・ソナタ 第14番 p: アンデルジェフスキ レビュー日:2017.5.6 |
★★★★★ アンデルジェフスキの芸術性が如何なく発揮された名録音
ピョートル・アンデルジェフスキ(Piotr Anderszewski 1969-)による注目すべき録音がリリースされた。新規の音源であるが、全てが最新の録音というわけでなく、収録曲と録音年を併せて表記すると以下の通り。 1) モーツァルト(Wolfgang Amadeus Mozart 1756-1791) 幻想曲 ハ短調 K.475 2006年録音 2) モーツァルト ピアノ・ソナタ 第14番 ハ短調 K.457 2006年録音 3) シューマン(Robert Schumann 1810-1856) 幻想曲 ハ長調 op.17 2013年録音 4) シューマン 創作主題による変奏曲 変ホ長調 WoO.24 2015年録音 タイトルは“FANTAISIES”となっている。1)と連続して弾かれることの多い2)、それに3)を併せただけでも、タイトルに沿った十分な内容に思われるが、さらに2015年録音の4)を併せて、収録時間79分超の充実した内容となっている。4)は「天使の主題による変奏曲」あるいは「幽霊変奏曲」という別名もあり、シューマンが夢で聴いたシューベルトとメンデルスゾーンの幽霊の歌う旋律によるという逸話がある。 それと、本アイテムにはDVDが別添されている。こちらは、英語タイトル“Warsaw Is My Name” という36分程度の映像作品。商品情報等には「ドキュメンタリー」ということで紹介されているが、内容的にはイメージ・フィルムだろう。最初に英語のテキストが流れる。そこではアンデルジェフスキが家族のことを戦争体験などを踏まえて紹介しているが、その後は、アンデルジェフスキの故郷であるワルシャワの印象的な風景が流れ、しばしば環境音をまじえながら、ショパン(Frederic Chopin 1810-1849)そして 、シマノフスキ(Karol Szymanowski 1882-1937)のピアノ曲が響く。いずれの楽曲も、アンデルジェフスキ自身による録音が既発であるが、どんよりした曇り空のワルシャワの街並みと併せて、視聴者の気持ちに強く訴えかける、よくできた映像作品になっていると感じられる。少なくとも、変なナレーションの入った紀行番組よりはるかに良い内容であり、そういった点でもお得なアイテムとなっている。 さて、本体のCDに話を戻すが、これがまた素晴らしいのである。特にモーツァルト。この「幻想曲」と「14番のソナタ」には、古今様々な名演名録音があるけれど、この録音は抜群といって良い内容。アンデルジェフスキは弱音の美しさを極限まで磨き上げ、細やかでかつ鋭いスタッカートとアクセントを駆使。しかも、すべてのフレーズが歌に満ちた最高に「聴かせる」音楽になっているのである。私は、この録音をそれこそ夢中になって聴いた。このフレーズの生命力と歌に溢れた表現は、アンデルジェフスキの周到なフレーズの扱いによってもたらされる。微細な範囲におけるちょっとした間合いの変化、それに応じた音色の巧妙な切り替え。それ自体は、本来は人工的な印象をもたらし、モーツァルトの無垢と対立したとしても不思議ではない要素だ。しかし、アンデルジェフスキはぎりぎりのバランス感覚がうまく、少なくとも私には欠点として見出しうるものは何もなかった。それに、何より、歌のある音楽の美しいこと。ため息が出る。「幻想曲」と「ソナタ」のインターバルの短さも絶妙。 シューマンの「幻想曲」も、全般に弱音の微細な変化が美しい。第2楽章など、本来は、シューマンが時々見せるはしゃいだ感じのマーチなのだけれど、アンデルジェフスキの手にかかるとその世界は一変する。パワーで押すようなところは一切ないと言ってもいいほど、入念な音楽だ。あるいは、聴き手によってはこういうところに違和感を持つ演奏かもしれない。私もモーツァルトに比べると、人工的、意図的なものが払しょくしきれていない感じもするのだけれど、考え抜かれた表現は、十分に芸術的なインスピレーションを持っている。 最後に収録された「創作主題による変奏曲」も素晴らしい。暖かい滋味豊かな響きで、私はこの演奏を聴くまでこの曲がこれほど美しい音楽だとは気付かなかった。じっくりと聴きこむのにふさわしい見事なアルバムだ。 |
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幻想曲 森の情景 p: ザラフィアンツ レビュー日:2020.9.21 |
★★★★★ 暖かく、明るいザラフィアンツのシューマン
ロシアのピアニスト、エフゲニー・ザラフィアンツ(Evgeny Zarafiants 1959-)によるシューマン(Robert Schumann 1810-1856)のピアノ独奏曲集。収録内容は以下の通り。 1-3) 幻想曲 ハ長調 op.18 森の情景 op.82 4) 森の入口 5) 待ち伏せる狩人 6) 孤独な花 7) 呪われた場所 8) 親しげな風景 9) 宿 10) 予言の鳥 11) 狩りの歌 12) 別れ 2012年の録音。 ザラフィアンツのシューマンを一言で表現するなら、ふくよかなシューマン、といったところだろうか。2つの作品が収録されている。「幻想曲」はシューマンがベートーヴェンへの畏怖と経緯を込めて描いたロマン派の傑作だし、「森の情景」はどこか不思議で、童話的と形容したい突発的な情感が様々に散りばめられた佳作。だが、ザラフィアンツの演奏は、そのような楽曲の立ち位置をことさら意識する素振がなく、いずれの場面でも、ややゆったり目のテンポを主体に、やわらかな輪郭で、暖かく音楽を描き出している。その演奏がもたらす印象は、私には「幸福感」としてとらえられる。 「幻想曲」では、3つの性格的な差異の激しい楽章が、おもいのほか統一した雰囲気をまとっている。第2楽章の行進曲のような進行も、第3楽章の厳かなたたずまいも、どちらもほどよく中和されて、突飛さがなく、安定した明るさをもって響いている。パッと聴いた瞬間は、特徴が薄いようにも感じられるが、1曲聴き通した時には、相応の味わいを感じられる、滋味豊かな演奏だ。 「森の情景」という作品は、時に怪奇的だったり、神秘的だったりという楽想が訪れるのだが、ザラフィアンツはその点を強調せず、さながら家族に語り聞かせるような、柔らかな響きで、丁寧に楽想を紡いでいく。もちろん、そのスタイルが、楽曲の個性を幾分削ぐ方向働いている感もあるのだけれど、これも聴いていると、やはりじっくりと噛むべきものが感じられ、私には好ましい演奏に思えるのだ。 技術や力を前面に押し出さず、内側から溢れるものを、丁寧に加工し、芸術にふさわしい手続きを経て面にだしたもの。ザラフィアンツのシューマンには、そんな薫りが感じられる。 |
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幻想曲 謝肉祭 歌曲集「リーダークライス」より「月夜」(ピアノ独奏版) p: ナウモフ レビュー日:2023.7.25 |
★★★★★ 暖かく、明るいザラフィアンツのシューマン
ブルガリアのピアニスト、エミール・ナウモフ(Emile Naoumoff 1962-)による、シューマン(Robert Schumann 1810-1856)のピアノ独奏曲集。収録曲の詳細は、下記の通り。 1-3) 幻想曲 ハ長調 op.17 4) 歌曲集「リーダークライス」より 第5曲「月夜」(ナウモフ編ピアノ独奏版) 謝肉祭 op.9 5) 前口上 Preambule 6) ピエロ Pierrot 7) 道化役者(アルルカン) Arlequin 8) 高貴なワルツ Valse noble 9) オイゼビウス Eusebius 10) フロレスタン Florestan 11) コケット Coquette 12) 返事 Replique 13) スフィンクス Sphinxes 14) 蝶々 Papillons 15) 踊る文字 A.S.C.H. - S.C.H.A. (Lettres dansantes) 16) キアリーナ Chiarina 17) ショパン Chopin 18) エストレラ Estrella 19) 再会 Reconnaissance 20) パンタロンとコロンビーヌ Pantalon et Colombine 21) ワルツ・アルマンド Valse allemande 22) パガニーニ Paganini 23) 告白 Aveu 24) プロムナート Promenade 25) 休憩 Pause 26) フィリシテ人と闘う「ダヴィッド同盟」の行進(Marche des "Davidsbundler" contre les Philistin) 2019年の録音。 ナウモフは、すでに実績十分のベテラン・ピアニストであるが、日本での知名度はそこまででもなく、いまだに「ナディア・ブーランジェ(Nadia Boulanger 1887-1979)の最後の弟子」というフレーズで紹介されることが多い。しかし、私の感覚では、ナウモフの録音、というだけで、十分に注目されるべきものだと思う。 このシューマンもナウモフの芸術がよく反映された録音である。くっきりした輪郭の音で、明暗を明瞭に弾き分ける彼の音楽は、どこかラテン的なものを思わせ、そういった点で、私にはチッコリーニ(Aldo Ciccolini 1925-2015)を彷彿とさせるところがある。 幻想曲は、シンプルでありながら、堂々たる響きに満ちており、輝かしく、恰幅豊かな音楽となっている。明瞭に響く旋律は、幻想的というより、構築性の尊重を感じさせる。左手の明瞭なリズムに乗って、逞しく磨き上げられた右手の響きが作り出す世界は、立体的であり、それゆえのインパクトを持っている。本来は厳かな第3楽章も、より、いくぶん前進性を加えた解釈で、スケールが大きい。 続いて、ナウモフ自身が、ピアノ独奏版に編曲した「リーダークライス」からの「月夜」。この原曲の伴奏は、とてもピアニスティックなものだから、ピアノ独奏曲に編曲するという試みはいくつかあって、カツァリス(Cyprien Katsaris 1951-)はカロル・A・ペンソン(Karol Andrzej Penson 1946-)の編曲版を録音しているし、マルティン・シュタットフェルト(Martin Stadtfeld 1980-)にも編曲・録音したものがある。ナウモフの編曲と演奏は、いかにも艶やかで、高い屈折率で照り返す月の光、まっすぐな光の線を感じさせる。 続いて、謝肉祭。この曲は、なかなか多様な面をもっていて、シューマン自身が以下の様に述べている。 「僕の『謝肉祭』については、元来が狂詩曲のようなものだから、大勢の人々に印象を与えられるかどうか、僕はやや諮問に思ったのだけれども、彼(リスト)は固く主張して譲らず、そうしてもこれをひきたがった。僕は明らかに彼の思い違いだったと信じている。ここでこの曲のちょっとした由来について一言しておきたい。どうしたわけか、僕の音楽の上の知りあいの婦人が住んでいた小さな町の名(アッシュ Asch のこと)が、音階に出てくる文字ばかりでできていて、しかもその文字は、僕の名で音階にでる文字とちょうど同じだった。そこで、僕はバッハ依頼べつに目新しくもない例の遊戯をやってみた。その中の曲はつぎつぎと出来上がったし、その時はあたかも1835年の謝肉祭の季節にぶつかっていた。こうして、曲はまじめな気分のものだが、風変わりな事情からできたものである。その後、僕はまず曲にそれぞれ題をつけ、全体を「謝肉祭」となづけた。その中にはおもしろいものも幾つかあるかも知れないが、何しろ曲の気分があまり速く交替するから、僕としては、もともと初めから終わりまでせかせかと追い立てわけにゆかない聴衆には、とてもついてこられないような気がしたのだが、前に言ったように、この親切な友人はこの事情を考えなかった。そうして、彼はとても熱心かつ見事にひいたけれど、満場の喝采を浴びるというところまではゆかなかった-あるいはよくわかった者も少しはあったかも知れないが」 一方で、そのリストは、謝肉祭を「美しく、魅力ある多種多様で芸術的な幻想がしっくり調和をもって組み立てられた作品」と評していたという。 ナウモフは、凛々しく、清々しい解釈をこの曲にもちこんだ。すべてが明瞭で、克明に音にトレースされている。その音が、磨き上げられた輝かしさを持っているので、曲の本来の形というものが、とてもストレートに出てくるのだが、巧妙なフレージングで全体をまとめるソツのなさも併せ持っている。個人的には、冒頭の曲や、パンタロンとコロンビーヌなどで、ナウモフの解釈は典型的な効果を放っていると思う。音像が鮮やかで、気持ちよく聴き通せた。さすが大家、ナウモフの手による謝肉祭は、立派な聴き味を持っている。 |
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シューマン 幻想曲 トッカータ ベートーヴェン ピアノ・ソナタ 第13番「幻想的」 第14番「月光」 p: ムルスキー レビュー日:2023.9.11 |
★★★★☆ 技術的には見事だが、何か足りないものを感じさせてしまう
1994年のロンドン国際ピアノコンクールで優勝歴をもつウズベキスタンのピアニスト、エフゲニー・ムルスキー(もしくは、ユージーン・マースキー)(Eugene Mursky 1975-) が1997年に録音したアルバム。録音時22歳となる。収録曲は下記の通り。 1) シューマン(Robert Schumann 1810-1856) 幻想曲 ハ長調 op.17 2) ベートーヴェン(Ludwig van Beethoven 1770-1827) ピアノ・ソナタ 第13番 変ホ長調「幻想的」 op.27-1 3) ベートーヴェン ピアノ・ソナタ 第14番 英ハ短調「月光」 op.27-2 4) シューマン トッカータ ハ長調 op.7 選曲が面白い。シューマンの「幻想曲」は、リスト(Franz Liszt 1811-1886)の呼びかけによる「ベートーヴェン記念碑」建立運動に協賛したシューマンが、寄付を目的に書いた名品で、ベートーヴェンの歌曲「遥かなる恋人に」からの引用を持つ作品。そして、ベートーヴェンのop.27の2つのソナタは、ベートーヴェン自身によって「幻想曲風ソナタ」と名付けられたもので、のちにロマン派の作曲家たちが数々のピアノのための「幻想曲」群の先駆けとなったとも言える作品。互いが互いに影響を持つミラー構造を思わせるような楽曲の組み合わせになっている。 さて、このピアニストの録音を、私は当盤でしか聴いたことがないのだが、その限りでの印象を述べる。まず、技術面は非常に鋭いものがあり、細かで俊敏なパッセージを、明瞭に弾きこなし、明暗鮮やかに描き分ける手腕は、いかにも腕の立つピアニストといったところで、ペダリングの少ないソリッドな響きで、輪郭線をはっきり描画するスタイルは、特に線的な音楽的効果を分かりやすいものとしている。その最大の成功例が「トッカータ」であると思う。俊敏でメカニカルな冴えが、全体の動線をきわめて明瞭なものとしていて、見事である。 ただ、その一方で全般に気になるのは、音色にあるどくとくの「くすみ」である。これは、言葉ではうまく伝えにくいが、現代のピアニストが、現代のピアノを鳴らしたときに発せられる「輝き」のようなものが、なぜかこのピアニストの音では、ほとんど感じられず、苦み走ったと言おうか、実に渋い色合いの響きになる。それゆえに全体がシックな雰囲気になっている、と言えば聞こえはいいかもしれないが、ピアニスティックな冴えのような、演奏上、重要な効果をもたらすべきものが、欠けているような印象を併せ持つ。その結果、月光ソナタの終楽章など、壮麗な演奏効果は抑制されてしまっているし、幻想曲の第1楽章の情熱的な中間部も、妙にゴツゴツした肌触りで、この曲特有の「人を酔わせる」要素が、かなり減じられていると感じてしまう。 技術的には見事だし、瞬発的な立体感のある彫像性など聴くべきところはあって、例えば、幻想曲の冒頭の立ち上がりの立体感など、聴き手を興奮させる要素はあるのだが、個人的には、その割には、全曲を訊き終わっても、思ったほど心に残らない感じがあって、聴き手によって判断が分かれるところになるだろう。私個人的は、これらの楽曲であれば、もう一つ何か、歌であり、輝かしさであり、耽美でありといった要素から、突っ込んだものが欲しいのだが、と思ってしまう。 とはいえ、この録音は、もう四半世紀も前の録音である。現在のこのピアニストの演奏については、また別に聴く機会を持った方がいいだろう。 |
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謝肉祭、トッカータ、アラベスク、フモレスケ p: F.ケンプ レビュー日:2004.2.14 |
★★★★☆ 運動美に満ちたシューマン・アルバム
97年の浜松国際コンクール第2位となったフレディ・ケンプのシューマンアルバム。収録曲は謝肉祭、トッカータ、アラベスク、フモレスケの全4曲。 「4つの音符上の小さな情景たち」という副題を持つ「謝肉祭」は、クララのイタリア式呼称ASCHをアナグラム変換して(つまりS(Es変ホ)C(ハ)A(イ)H(ロ)As(変イ)の音)楽譜の上で天才が遊んだもの。 ケンプの演奏は、運動的な美しさを追及し、楽しく最後までさらっと聴ける。音は美しく鳴るが、重過ぎない。謝肉祭も全曲の見通しのよいバランス感覚がみごと。軽い感じもするが、十分に租借、吟味された結果であろう。細かい配慮で微妙な表情付けも感じられる。なかなか味わいも含んでおり、これからの活躍が楽しみだ。 |
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謝肉祭 夜想曲集 幻想小曲集 暁の歌 子供の情景 森の情景 フモレスケ p: ル・サージュ レビュー日:2004.2.14 |
★★★★★ 過不足ない満ち足りるシューマン
フランスもの、特にプーランクの演奏できわめて高い評価を得ているフランスのピアニスト、エリック・ル・サージュのシューマン・アルバムで、良心的な値段の2枚組みアルバムとなっている。 ル・サージュはすでにプーランク作品の録音で、ご存知の方もいるかしれない。2000年度のレコードアカデミー賞を受賞したプーランクの室内楽全集では全般にピアノを受け持ったル・サージュのセンスが光った。実はル・サージュは1989年のシューマン国際コンクールで優勝しており、そのためかシューマン作品との相性もプーランク並に抜群のようである。 適度に落ち着きながらぬくもりのある音色でバランスよく描かれており、まったく過不足ない演奏になっいる。例えば謝肉祭の冒頭もすっと力がほどよくぬけており、和音のバランスといいリズムといい絶妙である。このあとの連続する小曲の描きわけもほどよく巧みだ。ここで「ほどよく」というのは過度に歌や詩的要素にのめりこまず、地に足がついている、という感じである。 このピアニストは確かにフランス的(と一般的に思える)なエスプリを持ち合わせていよう。しかし、理論的な構築もきちんとなされており、それで末尾をきちっと結ぶシューマン像となっている。 収録内容、値段を考慮すると、間違いなく「買い」なアルバムと感じた。 |
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謝肉祭 アラベスク 色とりどりの小品 p: ポブウォッカ レビュー日:2010.4.8 |
★★★★★ ポブウォツカらしいゆとりの音楽性を聴くことができます。
1957年ポーランド生まれのピアニスト、エヴァ・ポブウォツカ(Ewa Poblocka)による2009年録音のシューマン・アルバム。 ポブウォツカの個性がよく引き出せる選曲の巧みとあいまって、美しい仕上がり。ポブウォツカのピアノは力強くはないか、端正で肌理細かい配慮があり、シューマンの音楽の華やかさや優雅さが良く出ている。 「謝肉祭」は面白い曲で、作曲者固有の作曲上のルールの上に成り立つ。4つの音S(Es変ホ)C(ハ)A(イ)H(ロ)As(変イ)を様々に変容させて音楽を作っているのだけれど、例えば、クララのイタリア式呼称ASCHの順(シューマンの恋人エルネスティーネ・フォン・フリッケンの故郷のAschであるという説もある)に並べたり、Asch をSCHumAnnの順番に並べ替えたりといった遊びである。このような拘束は結果として作曲者が新しいオリジナリティを獲得する。そういえばショスタコーヴィチもドミトリー・ショスタコーヴィチの名にDSCHというアナグラムが存在し、それをニ・変ホ・ハ・ロに相当させて、交響曲第10番に自分の名前を刻み込んだ。発想は同じである。 さて、ポブウォツカの「謝肉祭」は冒頭から裾野の広い、余裕のある間合いを保たれていて、すべての音がそれぞれのスペースをきちんと確保して鳴っている。音楽の芯となっている部分は、きちんと手ごろなテンポで前進しているので、その分「余裕」が豊かな音楽性となって響いてくる。人によってオススメの部分は異なると思うが、私の場合、第10曲「A.S.C.H.-S.C.H.A~踊る文字」(まさにルールそのままのタイトル!)のリズムとアゴーギグの波長がことのほか好ましく響いた。 小さな名品である「アラベスク」も素晴らしい内容で、呼吸にも似た自然な間の空け方が、独特の音楽的な「和み」や「やすらぎ」を与えている。微妙な揺らしがなかなか高尚な悦楽を提供してくれる。 「色とりどりの小品」もポブウォツカの個性が良い方向に作用しており、聴き手を満ち足りた気持ちにしてくれる。 |
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謝肉祭 フモレスケ 8つのノヴェレッテから 第1番 第2番 p: アシュケナージ レビュー日:2015.5.19 |
★★★★★ ウェル・バランスで健康的なシューマン
アシュケナージ(Vladimir Ashkenazy 1937-)が、デッカレーベルにシリーズで録音した7枚のシューマン(Robert Alexander Schumann 1810-1856)のピアノ独奏曲アルバムのうち、第2弾に当たるもの。1986年の録音で、以下の曲が収録されている。 1) 謝肉祭 op.9 -4つの音符上の小さな情景たち 2) フモレスケ op.20 3) 8つのノヴェレッテ op.21 から 第1番 ヘ長調 4) 8つのノヴェレッテ op.21 から 第2番 ニ長調 当初、アシュケナージのシューマンは、ショパン(Frederic Chopin 1810-1849)と同様に全集化という方向性も検討されていたのだが、結局、全集とはならず、8曲あるノヴェレッテも、当盤の2曲以外では、第8番しか録音されなかった。 しかし、記録されたものは、どれも当時のアシュケナージのピアニズムが発揮されたもの。このころのアシュケナージは、ブリリアントな響きが卓越していたころで、シューマンのピアノ曲の場合、明朗に明るく輝きすぎるという感想を持たれる方もいるかもしれない。しかし、私はそれこそがアシュケナージのシューマンの魅力であり、鬱々としたものが無い分だけ、健やかな抒情性の発露が顕著が楽しめる。 例えばフモレスケの中間部、シューマンらしい情緒的な付点のリズムの旋律が美しいが、アシュケナージのタッチのクリアさと、伸びやかな歌は、他に介在させるものの必要性を感じさせないほどにそれ自体で完成された響きになっているのだ。 ノヴェレッテでは、第2番が一層優れていて、純音楽的な構造美を維持するスピードを保ちながら、こまやかなフレーズが鮮やかな活力をもって表現されている。 謝肉祭でもアシュケナージの弾きぶりはとても率直。音楽表現の見地から様々な色彩を与えることはあっても、必要以上に考え込んだり、演奏家の独自の解釈を付与したりすることはしない。作品自体の美しさをそのまま、持ちうる最良の音色によって引き出した演奏と言えるだろう。「パンタロンとコロンビーヌ」や「パガニーニ」におけるすがすがしい曇りのない情感の発露が、とても気持ちよく響く。 アシュケナージの実直な取り組みが、まっすぐに反映された演奏だ。 |
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謝肉祭 ダヴィッド同盟舞曲集 蝶々 p: ギルトブルク レビュー日:2021.10.6 |
★★★★★ 柔らかでシームレス、かつ味わい深いシューマン
イスラエルのピアニスト、ボリス・ギルトブルク(Boris Giltburg 1984-)によるシューマン(Robert Schumann 1810-1856)のピアノ独奏曲集。収録曲は下記の通り。 1-18) ダヴィット同盟舞曲集 op.6 19-30) 蝶々 op.2 謝肉祭 op.9 31) 前口上 32) ピエロ 33) アルルカン 34) 高貴なワルツ 35) オイゼビウス 36) フロレスタン 37) コケット 38) 応答 39) 蝶々 40) A.S.C.H. - S.C.H.A. 躍る文字 41) キアリーナ 42) ショパン 43) エストレラ 44) 再会 45) パンタロンとコロンビーヌ 46) ワルツ・アルマンド 47) 間奏曲(パガニーニ) 48) 告白 49) プロムナード 50) 休息 51) フィリシテ人と闘う「ダヴィッド同盟」の行進 2014年の録音。 シューマンのピアノ独奏曲のうち、一桁の作品番号を持つ3作品が集められた形となっている。 ギルトブルクの奏でるシューマンは、全体にまろやかで、品の良い甘味に満ちたものと言える。シューマン特有の気分的なものを、ソツなく吸収しながら、緩急巧みで自然なルバートで解釈し、健康的なフレージングとして還元する。これらの楽曲は、時に騒々しさを感じさせてしまう側面があるのだが、ギルトブルクの腕にかかると、それらは音楽の巧みな抑揚の中で活き活きと弾み、聴き手にどこかしら負担を与えるような事は発生しない。そのため、シューマンの音楽がしばしば見せる情熱的な奔流は、控えられた印象となるが、決して聴き味で劣る演奏ではなく、むしろ、その息遣いの好ましさや、リズムの活力によって、とても豊かな印象をもたらしてくれるものとなっている。 「ダヴィッド同盟舞曲集」では、例えば、第8曲や第15曲に、リズムと叙情性の秀逸なバランスゆえの感興豊かな音楽の発露がある。「蝶々」では、後半になるにつれて、情感の振幅が大きくなっていくように感じられるのが楽しい。 「謝肉祭」では、それに加えてユーモアやウィットという要素もはっきり主張が出てきており、この楽曲に相応しい鮮やかな色彩感が施されている。付点の伸縮性豊かな響きや、巧妙に添えられるアクセントによってもたらされる印象は、シューマンのピアノ独奏曲の魅力を強く引き出したものであり、現代を代表する素晴らしいシューマン録音であると思う。 |
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シューマン クライスレリアーナ 色とりどりの小品から(第1曲 第2曲 第3曲 第5曲 第7曲 第8曲) ドビュッシー 雪の上の足跡 とだえたセレナード 西風の見たもの ヒースの荒地 花火 スクリャービン ピアノ・ソナタ 第5番 2つの詩曲 2つの小品 たよりなさ 練習曲 第12番 p: S.ネイガウス レビュー日:2006.12.10 |
★★★★★ スタニスラフ・ネイガウスの渾身ライヴ
当盤に収録されているのは1979年に行われたモスクワ音楽院大ホールにおけるライヴの模様である。録音は1979年という時代を考えると「よい」とは言えないがそれにしても壮絶な情熱の伝わってくる内容だ。このピアニストの場合、とにかくレパートリーを絞りに絞って、そこにあらん限りのパッションを叩きつけるような壮絶な演奏スタイルを持っている。この演奏を聴いていると、何かに取り憑かれたたように鍵盤に生命のエネルギーを叩きつけているピアニストの姿が見えてくるようである。まさに壮絶である。 最初のシューマンの「色とりどりの小品」はまだ温和であるがクライスレリアーナでは相当のトランス状態へと没入している。特に早いパッセージの部分では、心の内からの衝動をせき止めることができず、次々と音を駆り立てるような凄まじさである。そこではミスタッチも連続しているが、もうそれは些細な事となって、大きな渦の中にあっという間に消えていくのだ。これはまったく現代のコンクール型ピアニストのスタイルとはまったく違う。こうして考えてみると、ひとくちで「ロシアピアニズム」といっても、その有り様は本当に多彩だ。ドビュッシーは旋律線をたゆたわせる様相を見せるが、スクリャービンでは(この作曲家の場合、曲自体がトランス気味なのだが・・)またしても彼の世界の中でと聴き手は引き込まれる。その引力は凄まじい。最後に収録された練習曲12番はまるで一滴の燃料も残さないような完全燃焼の演奏である。このような実演に接するというのは、一種の恐怖体験なのではないだろうかとさえ思ってしまう。確かにこういう演奏が存在したんだ、と認識させてくれるアルバムである。 |
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シューマン クライスレリアーナ ホリガー ピアノのためのパルティータ p: ロンクィッヒ レビュー日:2011.6.1 |
★★★★☆ ドイツのロマンを繋ぐ新旧二つの「ピアノ組曲」
シューマンの「クライスレリアーナ」とハインツ・ホリガー(Heinz Holliger 1939-)がアンドラーシュ・シフのために書いた作品「ピアノのためのパルティータ」を収録。ピアノはアレクサンダー・ロンクィッヒ(Alexander Lonquich)で2008年の録音。ロンクィッヒは1960年生まれのドイツのピアニスト。1976年、イタリアのカサグランデ国際ピアノコンクールで優勝して以後様々に活躍している。 シューマンとホリガーの作品というのは意欲的なカップリングだろう。ホリガーは日本ではオーボエ奏者として有名だが、指揮者でもあり、現代音楽の作曲家でもある。スイスの出身であるが、ハンガリーの民俗音楽研究でも有名なヴェレシュ・シャーンドル(Veress Sandor 1907-1992)に師事しており、この作品もハンガリー出身の名ピアニスト、シフのために書かれたものだ。 ホリガーにとって、シューマンは「いつも思考の中心に置く作曲家」だそうである。ロマン派の代表的ピアノ組曲であるクライスレリアーナと、ホリガーの急進的とも言えるピアノ組曲をカップリングした意図はそこにあるのだろう。ホリガーはこの作品で突発的な感情の流れや思考の立ち止まりを描いているらしく、それがシューマンの作品にルーツを持ったインスピレーションと考えている。 ただ、当然のことながら両曲の間には150年もの時のスパン差がある。ホリガーの作品のソノリティはあくまで現代音楽で、ピアノの弦を直接弾くなどの様々な奏法を採用しているが、いわゆるそちらの感性がないとなかなか楽しめない作品で、むしろその面白い音色をクリアに捉えた「録音」に注目が行ってしまいそうだ。 シューマンのクライスレリアーナはもちろん言わずと知れた名曲。ロンクィッヒのピアノはゆとりを持って曲の陰影を描いてゆく。第2曲のような長閑さのある曲で、こまかい機微が表現されているのが瑞々しい。メロディアスな旋律の重なりを波のように描き重ねていく。端正で品がある。きわだって技巧に優れているとは感じないが、音の重み付けがしっかりしていて、適度な平易さがある。終わりの2曲も激しさとともにまとまりを感じさせていて、暖かいニュアンスを持って曲を末尾に導いている。シューマンの音楽にある錯綜するような情熱の要素は重点目標にはなっておらず、あくまでドイツ音楽の傑作ピアノ組曲としてのスタンスをキープした誠実な演奏だと思う。 クライスレリアーナを楽しむとともにホリガーのシューマンへの憧憬を少しでも感じ取ることができれば十二分だろう。 |
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シューマン クライスレリアーナ 3つのロマンス~第2番 花の曲 ピアノ・ソナタ 第3番~第3楽章 小さな子供と大きな子供のための12の連弾小品~第12曲「夕べの歌」 C.シューマン ロベルト・シューマンの主題による変奏曲 ブラームス 3つの間奏曲 p: グローヴナー レビュー日:2023.4.13 |
★★★★★ シューマン夫妻とブラームスの足跡を辿るようなアルバム
イギリスのピアニスト、ベンジャミン・グローヴナー(Benjamin Grosvenor 1992-)による、親交の深かったロマン派の偉大な作曲家であるシューマン(Robert Schumann 1810-1856)とブラームス(Johannes Brahms 1833-1897)、さらに同時代を代表するピアニストで、シューマンの妻、ブラームスとは互いに深い理解者の関係だったクララ・シューマン(Clara Wieck-Schumann 1819-1896)の作品を並べた、企画性にあふれたプログラムのアルバム。収録曲の詳細は以下の通り。 シューマン(Robert Schumann 1810-1856) クライスレリアーナ op.16 1) 第1曲 Auserst bewegt ニ短調 激しく躍動して 2) 第2曲 Sehr innig und nicht zu rasch 変ロ長調 たいへん心をこめて速すぎずに 3) 第3曲 Sehr aufgeregt ト短調 激しく駆り立てるように~いくぶんゆっくりと 4) 第4曲 Sehr langsam 変ロ長調 きわめて遅く~いくぶん動きをもって 5) 第5曲 Sehr lebgaft ト短調 非常に生き生きと 6) 第6曲 Sehr langsam 変ロ長調 きわめて遅くいくぶん動きをもって 7) 第7曲 Sehr rasch ハ短調→変ホ長調 非常に速く~さらに速く 8) 第8曲 Schnell und spielend ト短調 速くそして遊び心をもって 9) シューマン 3つのロマンス op.28 より 第2番 嬰ヘ長調(Einfach) 10) シューマン 花の曲 op.19 シューマン ピアノ・ソナタ 第3番 ヘ短調 op.14より 第3楽章 Quasi variazioni (Andantino de Clara Wieck) 11) 主題 12) 第1変奏 13) 第2変奏 14) 第3変奏 15) 第4変奏 16) シューマン/グローヴナー編 小さな子供と大きな子供のための12の連弾小品 op.85 より 第12曲「夕べの歌」 op.85-12 クララ・シューマン(Clara Wieck-Schumann 1819-1896) ロベルト・シューマンの主題による変奏曲 op.20 17) 主題 18) 第1変奏 19) 第2変奏 20) 第3変奏 21) 第4変奏 22) 第5変奏 23) 第6変奏 24) 第7変奏 ブラームス(Johannes Brahms 1833-1897) 3つの間奏曲 op.117 25) 第1番 変ホ長調 26) 第2番 変ロ長調 27) 第3番 嬰ハ短調 2022年の録音。 いろいろと工夫のある選曲で、ピアノ・ソナタ第3番の第3楽章か、ロベルトとクララが結婚する前に、ロベルトがクララの主題を用いて書いた変奏曲である。一方で、クララによる「ロベルト・シューマンの主題による変奏曲」は、結婚後に、ロベルトの「色とりどりの小品 op.99」から第4曲「アルバムの綴り 第1番」の主題を元にクララが作曲したもので、ブラームスも同じ主題で「変奏曲 op.9」を作曲しており、当アルバムに登場する3者に関わった作品と言える。また、末尾に収録されているブラームスの最晩年の作品は、そのスコアを初めて見たピアニストがクララ・シューマンということになる。 冒頭に置かれた名品「クライスレリアーナ」は、これらの文脈と別に、シューマンの芸術性が見事に表出した楽曲。グロ-ヴナーの解釈は、安定した技巧で、フレーズの浮き沈みを明瞭かつコントラスト豊かに描き出している。その音色の粒立ち、輪郭の整いが鮮やかで、情熱の発散というより、隅々まで整理の行き届いた音楽として響く感が強い。第3曲の明快さ、第7曲の展開の俊敏さなど、このピアニストらしい鋭い切り口がある。濁りの無い音色は、時に聴き味の薄さを感じさせるところもあるが、爽快感は見事なもので、一気に渓流を流れ下るような清々しさがある。 ロマンス、花の曲といった楽曲の優しい情感も、きわめて健康的かつ瑞々しく表現されていて、もっと粘りがあった方がという向きもあるかと思うが、その整った様は、高い完成度を感じさせる。 ピアノ・ソナタ第3番からの第3楽章は、憂鬱な要素が入ってくるが、グローヴナーはここでも澄んだ響きで、メロディをきれいに紡ぎ出している。クララが作曲した変奏曲は、ピアニストの手による作品らしい、音響効果と華やかさがあり、特に第2変奏と第4変奏でグローヴナーの冴えた技巧が、楽曲の特性をよく描き出しているだろう。 最後に収録されたブラームスの晩年の作品が書かれた時には、ロベルトはもうこの世にはいないわけだが、このアルバムを通して聴くと、まるでブラームスとクララが、過ぎ去った時を思い出しているような気持にさせてくれる。このアルバムの演出は、少なくとも私が聴く限りは成功したのだろう。グローヴナーという現代を代表する俊英ピアニストによって、このような語り口のアルバムが提案されることは、興味深い。 |
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クライスレリアーナ フモレスケ アンダンテと変奏曲(2台のピアノ、2台のチェロとホルンのための) p: アシュケナージ フレージャー vc: フレミング ウェイル hrn: タックウェル レビュー日:2007.6.25 |
★★★★★ 若き情熱がほとばしるシューマンです
アシュケナージが20代のころの録音。彼はシューマンの作品にも若い頃から取り組んできた。クライスレリアーナはその後2回録音していて、どれも質の高いものだったか、この若き日の録音も魅力が横溢していて忘れがたい。 クライスレリアーナは若いピアニストが好んで挑戦する楽曲と言えよう。美しい旋律と華やかな技巧、華麗な演奏効果、ダイナミックな迫力など様々な表現個所があり、自己アピールに適しているのだろう。アシュケナージの録音も、もちろんその様な情熱に満ちているが、そこにはすでにスタンダードな解釈という軸を見据えた姿もある。冒頭曲は激しい流動感をともなうが、アシュケナージの拍は明瞭で、かつ流れを損なわないような配慮を伴っている。問題点を見出す人はほとんどいないのでは・・・?かつ中間曲では美しいソノリティで詩情を持って歌われる。そう、この人の場合、いかにスタンダードな解釈を目指していても、絶対的な詩情を持ち合わせているため、人の涙腺に触れるような音楽が湧き出てくるのである。終結部に向かっていく技巧は圧巻で、あるいはこちらの面にもっともキレがあったのはこの時代だったのかもしれない。存分にダイナミックな音楽を成功させて、見事に曲を閉じる。 フモレスケも同じように技巧と情感のバランスが巧みで、節々の末尾がきれいにおさまるのが印象的。 2台のピアノ、2台のチェロとホルンという珍しい編成の「アンダンテと変奏曲」は録音自体が貴重だし、シューマンのホルンという楽器への愛情も伝わる捨てがたい佳曲だ。これも品質の高い演奏で収録されており、このアルバムの価値をいっそう高めているに違いない。 |
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クライスレリアーナ ピアノ・ソナタ 第2番 8つのノヴェレッテ op.21 から 第8番 p: アシュケナージ レビュー日:2015.5.25 |
★★★★★ アシュケナージの輝かしい響きが一際印象深いシューマン
アシュケナージ(Vladimir Ashkenazy 1937-)が、デッカレーベルにシリーズで録音した7枚のシューマン(Robert Alexander Schumann 1810-1856)のピアノ独奏曲アルバムのうち、第5弾に当たるもの。1989年の録音で、以下の曲が収録されている。 1) クライスレリアーナ op.16 2) 8つのノヴェレッテ op.21 から 第8番 嬰ハ短調 3) ピアノ・ソナタ 第2番 ト短調 op.22 アシュケナージはクライスレリアーナについては1965年と1994年にも録音しているので、当録音は2度目の録音となる。 いずれにしても素晴らしい演奏である。アシュケナージのシューマンは、幻想性や浪漫性といった面でセーヴを感じさせるが、その一方で、古典的な構成感、純音楽的な規範に従った正統性という点で優れていて、かつ音色の美しさと詩情あふれる表現で、得難い魅力を獲得している。 1965年の録音は若々しい率直さが、1994年の録音では、ちょっと客観性を高めた高貴さが特徴だったが、当アルバムが録音されたころのアシュケナージは、音色の輝きという点で一際秀でたものがあり、演奏の印象においても、支配的に作用してくるだろう。クライスレリアーナの急速なパッセージであっても、一つ一つの発色が豊かであり、その音の奔流に私は心地よく身をゆだねる。別の演奏に慣れた人には、あるいはその響きに、異質性を関してしまうのかもしれない。しかし、その鮮やかな色の清冽な奔流は、決して華美に過ぎるものではなく、自然の風景にある色がいくら華やかでも自然を印象付けるかのように、聴き込むほどにしっくりと気持ちに馴染んでいくように思う。 クライスレリアーナの第7曲はきわめて激しい情熱が描かれるが、アシュケナージの表現は清冽でスピード感に溢れながらも、個々の音が珠のようになって次々と零れ落ちていくような鮮烈さで、その珠のはじけ飛ぶさまを見るような鮮やかな印象をもたらしている。 ノヴェレッテの中では規模が大きく、様々な要素のある第8番でも、中間部に漂う透明な歌の瑞々しい気配は得難い情緒を湛えている。私はノヴェレッテの第8番では、このアシュケナージの録音が抜群に好きだ。 ピアノ・ソナタ第2番はシューマンの3曲のピアノ・ソナタの中ではもっともシンプルな作品だが、全編にシューマンならではの熱くさまよい続けるような情緒が満ちている。アシュケナージはここでも怜悧な洞察と、華やかな音響を同時に用いて、自在さを感じさせる表情豊かな音楽を導いている。 シューマンのピアノ曲には新しい名演・名録音が数多くあるが、ちょっと昔のこのアシュケナージのアルバムも、録音技術面も含めて劣るところはない。 |
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クライスレリアーナ 謝肉祭 p: クレショフ レビュー日:2018.7.26 |
★★★★☆ クレショフの若々しさが伝わってくるシューマン
1987年のブゾーニ国際ピアノコンクールで第2位となったロシアのピアニスト、ヴァレリー・クレショフ(Valery Kuleshov 1962-)が、その2年後の1989年に録音したシューマン(Robert Schumann 1810-1856)のピアノ独奏曲2曲を収録したアルバム。 クレショフは、この録音からさらに4年後の1993年に開催された第9回ヴァン・クライバーン国際コンクールでも2位に入賞している。 当盤の収録曲は以下の2曲。 1) クライスレリアーナ 2) 謝肉祭 クレショフの知名度は、商業的にリリースされる録音が少ないこともあり、高いとは言えず、特に日本では無名にちかいのかもしれない。しかし、なかなか面白いレパートリーを持つ人で、比較的最近リリースされたムソルグスキーの歌劇をフドレイがピアノ版組曲に編曲した録音など、あまり目立たないものとして扱うのは実にもったいないものである。クレショフの最近の活動では、技巧的な編曲ものなどを扱うことが多く、ヴィルトゥオーゾとしての使命感を持っている感が強い。 シューマンのこれらの楽曲は、技術に卓越したピアニストが早くから取り上げることの多い曲で、果たしてここでもクレショフは、その見事な技巧と、粒立ちの良い、輝きを感じさせるタッチを披露している。全体としては早めのテンポを主体とし、快活で、弾むようなタッチを武器に、曲想を描いていく。例えば謝肉祭のコケットやスフィンクスといった楽曲にクレショフの特性は良く出ているように思う。 全体にいかにも若々しい一本気な演奏ということができるが、その一方で、時折、強い音が恣意的な感じで登場するのは気になるところでもある。決して乱暴というわけではなく、しっかりとピアノを鳴らしているのだけれど、曲の脈絡や流れから見ると、やや唐突というか、音の強すぎるところがあるように思うのだ。もちろん、そのようなインパクト・ポイントを設けて、聴き手を惹きつけるという演出も合っていいのだけれど、そのあざとさが、十分にこなれていないような印象も持つ。 とはいえ、技術的な面では、そこといって不安な要素はないし、適度な歌もあって、シューマンのピアノ曲としてのあり様は、立派に示されている。クレショフがコンクールにエントリーしていた頃の若き日の録音であることを考えると、踏み込みの強さもある程度歓迎するべきかもしれない。 |
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クライスレリアーナ 幻想曲 アラベスク p: ハフ レビュー日:2021.9.15 |
★★★★★ 完璧といいたいほど制御の利いたシューマン。洗練された情感が魅力。
イギリスのピアニスト、スティーヴン・ハフ(Stephen Hough 1961-)によるシューマン(Robert Schumann 1810-1856)のピアノ独奏曲集。下記の3作品が収録されている。 1) アラベスク ハ長調 op.18 2) クライスレリアーナ op.16 3) 幻想曲 ハ長調 op.17 2020年の録音。作品番号が連続している名品3曲が組み合わされた形。このうち幻想曲については、ハフは1988年に一度録音している。 今回の録音を聴いてみての印象は、上述の1988年の録音を聴いた際のものにとても近く、均衡感が強く、凹凸感の少ないとてもスマートな演奏だということだ。シューマンの作品でしばしば指摘される「狂気的なもの」は、ほとんど感じられないぐらい、マイルドで、様々な音楽の表情付けは、強弱より緩急を中心に描かれる。スピード感、テンポ変化ともにあるものの、全体の雰囲気はとても落ち着いたもので、シックな肌合いだ。 「アラベスク」は、冒頭からこの曲に相応しい暖かみのある響きであり、程よい緩急の自在性があって、じんわりと豊かさが広がる。音色は決して豊富ではないが、つむがれる音楽には情感があって、とてもまとまりがよい。いかにも洗練された味わいとなる。 「クライスレリアーナ」は、各局の緩急のコントラストが明瞭。フォルテはとても制御が利いているので、聴き手を外向的に驚かさせるような演奏ではないが、流れが良く、そこにほどよい情感が常に込められているので、きわめて自然な感触の中で、音楽が進んでいく。この曲を聴いて、これほどなだらかな情感を味わうことは多くない。そういった意味で、とても特徴的な演奏である。ト短調の第5曲、変ロ長調の第6曲、ハ短調の第7曲と、劇的な急-緩-急が繋がる部分で、明らかにスピードに伴う空気感が変わるにもかかわらず、シームレスなものがベースにしっかりとあり、その安定感は、この演奏の節度と完成度の高さを物語っているだろう。 「幻想曲」は、1988年の録音と同様に、第1楽章の左手の奏でる音型のスムーズさが驚異的だ。シューマンのピアノ曲は要求される技巧が高いことでも知られるが、ハフの演奏はそのことを感じさせない。いとも簡単に弾いているように感ぜられるからだ。細部まできめ細かくフォルムが整い、それでいて緩急自在といった節回しで、健康的な情感を歌い上げる。ある意味完璧といっていい表現型である。第2楽章の飛躍感に満ちた和音の連続、第3楽章の嫋やかな瞑想も、すべてがコントロールされた感がある。 前述の通り、シューマンのピアノ音楽にしばしば求められる「狂気的なもの」や「情熱的な疾駆」とは、別次元の演奏であるため、それらの要素を求める人には物足りなさを感じる演奏かもしれないが、ハフが徹底的に微調整を施した洗練性は、とても聴き易く、語り掛ける情緒には深みがある。 |
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フモレスケ 暁の歌 ペダルピアノのためのカノン風練習曲 p: アンデルジェフスキ レビュー日:2020.1.7 |
★★★★★ 渋い曲目ながら、魅力に満ちたアンデルジェフスキによるシューマン作品集
アンデルシェフスキ(Piotr Anderszewski 1969-)によるシューマン(Robert Schumann 1810-1856)のピアノ独奏曲集で、以下の楽曲を収録。 1) フモレスケ op.20 2) ペダルピアノのためのカノン風練習曲 op.56 (アンデルジェフスキ編ピアノ版) 3) 暁の歌 op.133 2010年の録音。 シューマンのピアノ独奏曲を集めたアルバムとしては、選曲が地味、ということで、あまり目立たないアルバムかもしれないが、なかなか味わい深いものとなっており、私としては、是非オススメしたい。 収録された3曲のうちでは、冒頭の「フモレスケ」が最も有名な作品かと思う。5つの部分からなる組曲ふうの楽曲。アンデルジェフスキの演奏では、その冒頭曲が実に良い。特に巧みなアクセントにより色づけられたコントラストが鮮やかで、弾むようなソノリティとともに、闊達な生命力に満ちた音楽性が、勢いよく流れていく。その清々しさは代えがたい魅力だ。第2曲目以降は落ち着いた感じで、急速部分など、他の演奏に比べると、やや落ち着き過ぎているという感じもあるのだけれど、終曲の質感など、とても好ましいし、全体に締まった凛々しさがあり、気品あるシューマンとなっている。 「ペダルピアノのためのカノン風練習曲」は、元来鍵盤の他に、オルガンのような足踏み鍵盤のある実験的な楽器のためにかかれた希少な作品である。この楽曲は、ドビュッシー(Claude Debussy 1862-1918)編曲による2台のピアノ版やテオドール・キルヒナー(Theodor Kirchner 1823-1903)編曲によるピアノ三重奏版によって現在まで伝えられる。参考までに、前者については、アシュケナージ(Vladimir Ashkenazy 1937-)とフレージャー(Malcolm Frager 1935-1991)による録音、後者については、アンスネス(Leif Ove Andsnes 1970-)、テツラフ(Christian Tetzlaff 1966-)、ターニャ・テツラフ(Tanja Tetzlaff 1973-)による録音で私は楽しんでいるが、当盤にはアンデルジェフスキによって、全6曲がピアノ独奏版に編曲されたものが収録されていることになる。この編曲がうまく出来ていて、佳作である原曲が、ピアノ独奏曲にリファインされた新鮮な感動を味わうことが出来る。第1曲の静謐な流れ、第2曲のバッハへの憧憬、第3曲の優美、第4曲の抒情性、第5曲ののびやかなスタッカート、そして童話的な第6曲。それぞれの個性をいかしながら、アンデルジェフスキは絶妙のコントロールで、瑞々しい響きを引き出しており、とにかく聴きモノだ。 最後に収録されたシューマン晩年の作品「暁の歌」は、全5曲からなる小品集。シューマン晩年の苦しみを感じさせる作品でもあるのだが、アンデルジェフスキはさりげなく弾きこなしているが、適度に“にがみ”を感じさせ、この曲集らしさを漂わせる。 |
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シューマン ダヴィッド同盟舞曲集 幻想小曲集 暁の歌 第5曲 ヤナーチェク 草陰の小径にて 第1集から 第1曲 われらの夕 第2曲 落ち葉 第3曲 一緒においで 第4曲 フリーデクの聖母マリア 第7曲 おやすみ p: ビス レビュー日:2020.12.5 |
★★★★★ 聴衆の知的好奇心を刺激するジョナサン・ビスのコンサート
アメリカのピアニスト、ジョナサン・ビス(Jonathan Biss 1980-)が2013年にロンドンのウィグモア・ホールで行ったコンサートの模様をライヴ収録したもの。収録曲は以下の通り。 1) シューマン(Robert Schumann 1810-1856) 幻想小曲集 op.12 第1曲 「夕べに」 2) ヤナーチェク(Leos Janacek 1854-1928) 草陰の小径にて 第1集 第1曲 「われらの夕」 3) シューマン 幻想小曲集 op.12 第2曲 「飛翔」 4) シューマン 幻想小曲集 op.12 第3曲 「なぜ」 5) ヤナーチェク 草陰の小径にて 第1集 第2曲 「落ち葉」 6) シューマン 幻想小曲集 op.12 第4曲 「気まぐれ」 7) ヤナーチェク 草陰の小径にて 第1集 第7曲 「おやすみ」 8) シューマン 幻想小曲集 op.12 第5曲 「夜に」 9) ヤナーチェク 草陰の小径にて 第1集 第4曲 「フリーデクの聖母マリア」 10) シューマン 幻想小曲集 op.12 第6曲 「寓話」 11) ヤナーチェク 草陰の小径にて 第1集 第3曲 「一緒においで」 12) シューマン 幻想小曲集 op.12 第7曲 「夢のもつれ」 13) シューマン 幻想小曲集 op.12 第8曲 「歌の終わり」 14-31) シューマン ダヴィッド同盟舞曲集 op.6 32) シューマン 暁の歌 op.133 第5曲 ニ長調 何と言っても注目されるのは、前半の曲目の並び順で、ビスは、シューマンの幻想小曲集全8曲に、ヤナーチェクのピアノ独奏曲集「草陰の小径にて」(全10曲)から5曲を抜粋した上で、これらを挟みながら弾いている。とても特徴的なプログラムだ。 私はこの構成をみて、すぐに思い出したアルバムがある。それは、スティーヴン・ハフ(Stephen Hough 1961-)が2011,13年に録音したアルバムで、そこでは、スクリャービン(Alexandre Scriabine 1872-1915)とヤナーチェクのピアノ独奏曲が交互に配置されていた。偶然か、このビスのライヴが行われたのも2013年。ハフのアルバムでもヤナーチェクの「草陰の小径にて 第1集」が取り上げられていたから、時同じくして、2人のアーティストが、同じ曲集に似たようなアイデアのインスピレーションを持ったことになる。これは、私にはとても興味深いことだ。 ビスは速めのテンポ、乾いたタッチで、音像をシャープに描き出している。ペダリングは浅めで、テンポが早くてもポリフォニーの効果が潰れない加減を巧みに導き、かつしなやかな緩急で詩情を添えている。淡いが、決して不足感のない情緒があり、これらの楽曲の魅力を良く伝えている。シューマンの幻想小曲集とヤナーチェクの交錯は実に楽しい。曲順もご覧の通り、ビスの考察を感じさせるもので、もちろんそれを聴き手は抽象的な感覚で受け取るのみであるのだが、面白い体験と言えるものになっていると私は考える。シューマンの「夕べ」の後にヤナーチェクの「われらの夕べ」、そしてヤナーチェクの「おやすみ」の後にシューマンの「夜に」が続く当たり、タイトルの親近性とともに、楽曲がもつ精神性にも近しいものを感じ取れるに違いない。そして、そのいずれもが、シューマンであり、ヤナーチェクであるという、当たり前と言えば当たり前なのだが、そこに器楽音楽という抽象芸術の奥行きがあるだろう。 ダヴィッド同盟舞曲集もビスの冴えた感覚が淡くも美しい響きを紡いでいる。第9曲Lebhaft や第15曲 Frisch にその刻印は明瞭であると感じられるのであるが、いかがだろうか。 最後に、ビスは暁の歌op.133から第5曲をアンコールで弾く。なんとも渋いアンコールだが、ビスらしい、知と詩情に併せて働きかける瞬間を感じ冴える。最後の余韻がなくなることを確認して拍手をする聴衆も、このコンサートに相応しいと思う。 |
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雑記帳(色とりどりの小品) 4つの夜曲 3つのロマンス p: アシュケナージ レビュー日:2015.5.27 |
★★★★★ 当盤でシリーズが終了してしまったことが惜しまれる名盤
アシュケナージ(Vladimir Ashkenazy 1937-)が、デッカレーベルにシリーズで録音した7枚のシューマン(Robert Alexander Schumann 1810-1856)のピアノ独奏曲アルバムの最後となったもの。1995年の録音。収録曲の詳細は以下の通り。 1) 雑記帳(色とりどりの小品) op.99 (3つの小品、5つのアルバムの綴り、ノヴェレッテ、前奏曲、行進曲、夕べの音楽、スケルツォ、速い行進曲) 2) 4つの夜曲 op.23 (第1番 ハ長調、第2番 ヘ長調、第3番 変ニ長調、第4番 ヘ長調) 3) 3つのロマンス op.28 (第1番 変ロ短調、第2番 嬰へ長調、第3番 ロ長調) 私は、このアルバムがリリースされたとき、その素晴らしい演奏で、従来親しみのなかった作品に接する喜びを味わうことができた。それで、シリーズの継続に大いに期待した。しかし、当初は全曲録音のアナウンスもあったのだけれど、このアルバムをもって当該シリーズは終了してしまった。とても惜しいことであるが、それでも、有名曲が一通り収録されたことは良かったし、当アルバム、特に雑記帳と4つの夜曲を、この時期のアシュケナージが録音してくれたことは、とても幸いだったに違いない。 「雑記帳」は最近では「色とりどりの小品」と訳されることが多いが、特に定まったテーマを持たず、シューマンが1836年から49年にかけて、様々な機会に書いたピアノ独奏曲を、1851年にひとまとめにして出版したもの。5つのアルバムの綴りの第1曲の主題は、ブラームス(Johannes Brahms 1833-1897)の「シューマンの主題による変奏曲」に用いられたもの。 この「雑記帳」は、様々なシューマンのエッセンスが、ストレートに表現される楽曲が多いが、アシュケナージのような正統的な解釈で、かつ確かな技術と健やかな詩情を持ったピアニストが弾くと、それがとても生き生きとした鮮烈な魅力を帯びるのである。冒頭曲の細やかな愛情の表現、第9曲「ノヴェレッテ」の弾むような力強いリズムと中間の色彩豊かな音階の交錯、第10曲「前奏曲」の野蛮ともいえる情熱、終曲「速い行進曲」にいたっては、アシュケナージのマジカルなタッチで繰り広げられる音世界で聴くと、一つのシューマンの代表作と言ってもいいくらいの充実した音楽に思えてくる。 1839年の作品である「4つの夜曲」も取り上げられることの少ない作品だ。シューマンは当初、これを「屍幻想曲」と呼び、4つの曲にそれぞれ「葬送行進曲」「奇妙な一団」「夜の祭り」「独唱者たちの輪唱」という副題を与えていたという。この副題案をイメージしながら聴くと面白いが、個人的には第3番変ニ長調の情熱に溢れた奔流に抗いがたい魅力を感じる。情熱と怜悧を兼ね備えたアシュケナージのアプローチが、この楽曲を珠玉のものとしている。 3つのロマンスは、中にあって比較的よく聴かれる作品だろう。ここではシューマン特有の詩情の発露を歌わせるアシュケナージのピアノを、たっぷり堪能したい。特に第2番が美しい。 |
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オラトリオ「楽園とペリ」 序曲、スケルツォとフィナーレ シノーポリ指揮 ドレスデン国立管弦楽団 ドレスデン国立歌劇場合唱団 S: フォークナー マーフィー MS: クィーヴァー ヴィルケ T: ルイス スウェンセン B: ヘイル レビュー日:2008.7.1 |
★★★★☆ シューマンには珍しい「曲線」により構成された音楽
シューマンのオラトリオ「楽園とペリ」と管弦楽のための作品「序曲、スケルツォとフィナーレ」を収録。シノーポリ指揮、ドレスデン国立管弦楽団、ドレスデン国立歌劇場合唱団の演奏。独唱陣は(S: フォークナー、マーフィー MS: クィーヴァー、ヴィルケ T: ルイス、スウェンセン B: ヘイル)といった布陣。録音は1993年から1994年にかけて行われている。 ロベルト・シューマンの作品群の中でも異彩を放つものの一つがオラトリオ「楽園とペリ」であろう。オペラとも通じる編成を持ち、細かい楽曲によって構成される大曲であるが、この作曲家には他に類似した作品が見られないため、ちょっと異質に思える。シューマンの生前中には交響曲第1番とともによく取り上げられた成功作だったとのこと。しかし、その後の時の流れの中で、他のシューマンの多くの作品がその真価を認められたこともあって、作品自体がいつのまにか傍流に追いやられた感がある。 楽曲もシューマンらしい情熱の吐露がそれほどなく、シューマンの作品にしては異様なほどやわらかい曲線で作られた音楽である。もちろんメロディアスな主題はあるが、それが情熱的に大きく展開したり、激しいリズムで情動を表現するようなことはなく、きわめて平穏な安らぎに近い音楽世界である。クライマックスはゆっくりとしたクレッシェンドによって築かれる。もちろん迫力はあるが、迫真の勢いというわけではない。曲線がそのまま、大きな波長と波高を獲得していくようである。 シノーポリをはじめとする演奏陣はたしかに巧い。ドヴォルザークのスターバト・マーテルの録音などでも感心したが、シノーポリはこのような楽曲に臨んで、音を濁さず、かつ起伏のない音楽であっても、適切な句読点を与え、流れがよくわかるように整頓する。流れがわかるので、美しい箇所では、そこに聴き手の気持ちを自然に移してくれる。 ただ、楽曲自体は、何度も聴きたいと思うほどには巧妙な仕掛けがない印象をぬぐえない。あるいは、そこには別の解釈の可能性があるのだろうか。それに比べると、やはり併録してある「序曲、スケルツォとフィナーレ」の方が私には楽しい。 |
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ゲーテの「ファウスト」からの情景 アバド指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 スウェーデン放送合唱団 エリク・エリクソン室内合唱団 テルツ少年合唱団 S: マッティラ ボニー A: フェルミリオン MS: グラハム T: ブロホヴィッツ Br: ターフェル Bs: ローテリング レビュー日:2015.8.18 |
★★★★★ アバドの力量により、作品の欠点が巧みに補われた演奏となっています
1994年のライヴ録音。アバド(Claudio Abbado 1933-2014)指揮、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団、スウェーデン放送合唱団、エリク・エリクソン室内合唱団、テルツ少年合唱団の演奏。独唱者は以下の通り。 カリタ・マッティラ(Karita Mattila 1960- ソプラノ) バーバラ・ボニー(Barbara Bonney 1956- ソプラノ) イリス・フェルミリオン(Iris Vermillion1960- アルト) スーザン・グラハム(Susan Graham 1960- メゾ・ソプラノ) ハンス=ペーター・ブロホヴィッツ(Hans Peter Blochwitz 1952- テノール) ブリン・ターフェル(Bryn Terfel 1965- バリトン) ヤン=ヘンドリク・ローテリング(Jan-Hendrick Rootering 1950- バス) 「ゲーテの"ファウスト"からの情景」は、その名の通り、シューマンがゲーテのファウストから一部の場面を抜き出して再構成したオラトリオ。ベルリオーズ(Louis Hector Berlioz 1803-1869)やグノー(Charles Francois Gounod 1818-1893)が第1部を対象に劇化したのに対し、シューマンの抜粋は全編を対象にしているため、ファウストの死や死後の魂に関する部分を含む。当盤のトラックを参照すると、下記のようになる。 【CD1】 1) 序曲 第1部「グレートヒェンの悲劇」から 2) 一景 庭園の情景 3) 二景 悲しみの聖母像に祈るグレートヒェン 4) 三景 寺院の大伽藍にて 第2部「ファウストの蘇生と死」から 5-8) 四景 アリエール、日の出 9-11) 五景 真夜中 12) 六景 ファウストの死 【CD2】 第3部「ファウストの救済」から 1-8) 七景 ファウストの不滅なる魂の救済と変貌 9) 神秘のコーラス こうしてみると、ベルリオーズやグノーの作品でもおなじみの第1部より、第2部、第3部を音楽化した部分が多く、末尾を救済に求めるところはシューマンらしいと考える。神秘のコーラスはシューマンが最初に書いた部分であるが、この「さりゆ一切は比喩にすぎない」は、マーラー(Gustav Mahler 1860-1911)が一千人の交響曲のフィナーレでもテキストを引用した。 このシューマンの作品は長らく演奏される機会がなかったのだが、1972年にブリテン(Benjamin Britten 1913-1976)による復活上演を機に、時折録音も行われるようになった。といっても録音点数は少ない。美しい場所、シューマンらしい情熱を感じる部分が多くある一方で、全体的な散漫さ、音楽の抽象性と言った点で、他のシューマン作品と比較したとき、必ずしも高いレベルの芸術作品であるとは言えない。 しかし、その魅力をこよなく追求したのが、このアバドの名盤である。オーケストラ、合唱の燃焼度の高さが、例えば【CD1】TRACK4の「生命の鼓動が新たに生きいきと打ちはじめ」や同TRACK12の「ファウストの死」の場面の力強い表現に直結し、高い音楽的効果を得ている。さらにネーム・ヴァリューのある独唱陣をそろえた中でも女声陣の充実は卓越していて、マッティラ、ボニーらの重唱の美しさは特筆ものだ。その他の聴きどころとして、第2部の末尾でホルンと木管による弱奏による場面描写に代表される「静寂への移ろい」が瑞々しい。メフィストフェレスの「時計はとまった、針がおち、時は終わった」のシーンも印象的。 ちなみに、私個人的に児童合唱の甘い音色があまり好きではないので、「できればない方がいい」と思うところも失礼ながらあって、この曲の玉石混交的なところと併せて興が逸れる原因となってしまうのだけれど、他のファンの方は、そういったことを気にされないと思うし、私よりもっと楽しめるのではないだろうか。 |
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歌曲集「詩人の恋」 「ハイネの詩によるリーダークライス」 Br: ゲルネ p: アシュケナージ レビュー日:2003.9.7 |
★★★★★ ポップでおしゃれで現代的な「詩人の恋」
「詩人の恋」の歴史的名盤といえば、ディースカウとエッシェンバッハによる録音だろう。ディースカウらしい詩の感情をすこぶる全身で押し出すような歌唱であった。 一方、こちらゲルネの歌いまわしは高貴な雰囲気である。ディースカウが演歌ならこちらは品の良いポップスといった感じ。清涼感に満ちる。 アシュケナージのピアノは聴きものだ。このピアノを聴くだけでも十二分にこのディスクを買う価値はある。 ところで並録されている「リーダークライス」は“異郷にて”で開始される有名な「リーダークライス」ではなく、ハイネの詩による別篇の「リーダークライス」である。 |
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シューマン 歌曲集「詩人の恋」 メンデルスゾーン 旅の歌 朝の挨拶 夜ごとにぼくはきみを夢にみる 歌の翼に 挨拶 新しい愛 シューベルト 歌曲集「白鳥の歌」より「アトラス」 「彼女の肖像」 「漁師の娘」 「都会」 「海辺で」 「影法師」 T: プレガルディエン fp: シュタイアー レビュー日:2015.3.18 |
★★★★☆ 名唱ですが、フォルテ・ピアノの響きに、やや物足りなさを残します
クリストフ・プレガルディエン(Christoph Pregardien 1956-)のテノール独唱と、アンドレアス・シュタイアー(Andreas Staier 1955-)のフォルテ・ピアノによる伴奏で、ハイネ(Heinrich Heine 1797-1856)の詩に基づいて作られたドイツの傑作歌曲が集められた1993年録音のアルバム。 アルバムでは、まずシューマン(Robert Alexander Schumann 1810-1856)の歌曲集「詩人の恋」op.48の全16曲が収録され、続いてメンデルスゾーン(Felix Mendelssohn Bartholdy 1809-1947)の歌曲から6曲を収録。最後にシューベルト(Franz Peter Schubert 1797-1828の歌曲集「白鳥の歌」D.957から抜粋された6曲が収録されるという形。 シューベルトと同年に生まれたハイネの詩は、おおむね感傷的な失恋の詩であり、古典的な内容を持っている。音楽もドイツ・リートの中心線に即したもので、王道中の王道と呼べる作品群だろう。特にシューマンの「詩人の恋」は、ピアノ・パートの充実という点でも、特筆すべきロマン派の傑作。 プレガルディエンの独唱は落ち着いた味わいで、低音域に厚みがあるだけでなく、くっきりとした発音で明瞭な陰影を描いている。シューマンの熱望、メンデルスゾーンの逃避、シューベルトの絶望が、いずれも豊かに表現されていて、聴き手に十分な充足感を与える。 一方で、このアルバムで、より強力な印象を形作るのは、やはりシュタイアーが弾いている「フォルテ・ピアノ」という楽器の音色であろう。当然のことながら現代のピアノと比較すると、輝きは乏しいが、古色然たる響きで、人によっては好ましいとも感じるだろう。音量の制約があるため、逆にピアニストのスタイルで歌唱を制約することがないところもあるだろう。音色の特徴は、たとえば、メンデルスゾーンの「歌の翼に」などで、いかにも可愛らしい、弾(はじ)く様な響きが楽しい。 その一方で雄弁なピアノがほしい個所で、パワーの不足を感じるところもある。シューベルトの「アトラス」もそうだが、なんといってもシューマンの「詩人の恋」では、全般にその奥ゆかしさが、かゆいところに手の届かないもどかしさと紙一重だ。特に私は「ラインの聖なる流れの」「ぼくは恨みはしない」「あれはフルートとヴァイオリンのひびき」「むかしの、いまわしい歌草を」などの各曲ではどうしても寂しさを感じてしまう。 私が「詩人の恋」で愛聴しているのは、ゲルネ(Matthias Goerne 1967-)とアシュケナージ(Vladimir Ashkenazy 1937-)による高貴な輝かしさに満ちた1997年録音の名演である。これと比較すると、当盤は、ちょっと鄙(ひな)びた雰囲気に偏りすぎた感がある。 |
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シューマン 歌曲集「女の愛と生涯」 リーダークライスから「森の語らい」「月夜」 ミルテの花から 他 クララ・シューマン 6つの歌曲 ローレライ 他 S: ボニー p: アシュケナージ レビュー日:2017.5.31 |
★★★★★ ボニーとアシュケナージにより体現せられたシューマン歌曲の理想像
アメリカのソプラノ歌手、バーバラ・ボニー(Barbara Bonney 1956-)が、アシュケナージ(Vladimir Ashkenazy 1937-)のピアノ伴奏で録音したロベルト・シューマン(Robert Schumann, 1810-1856)と、その妻、クララ・シューマン(Clara Schumann 1819-1896)の歌曲集。1996年の録音。収録曲は以下の通り。 ロベルト・シューマン 歌曲集「ミルテの花」(Lider aus Myrthen) op.25 より 1) 第1曲「献呈」(Widmung) 2) 第3曲「くるみの木」(Der Nussbaum) 3) 第7曲「はすの花」(Die Lotosblume) 4) 第9曲「ズライカの歌」(Lied der Suleika) クララ・シューマン 5) あの方は来ました(Er ist Sturm und Regen) 6) わたしが美しいために愛してくださるなら(Liebst du um Schonheit) 7) すみれ(Das Veilchen) 8) ローレライ(Lorelei) 9) わたしの星(Mein Stern) ロベルト・シューマン 歌曲集「女の愛と生涯」(Frauenliebe und Leben) op.42 10) 第1曲「あの方にはじめてお会いして以来」(Seit ich ihn gesehen) 11) 第2曲「だれよりもすばらしいお方」(Er, der Herrlichste von allen) 12) 第3曲「なにがとうなっているのかさっぱりわからない」(Ich kann’s nicht fassen, nicht glauben) 13) 第4曲「わたしの指にはまっている指輪よ」(Du Ring an meinem Finger) 14) 第5曲「手伝ってちょうだい、妹たち」(Helft mir, ihr Schwestern) 15) 第6曲「親しい友、あなたは」(Susser Freund, du blickest) 16) 第7曲「わたしの心に、わたしの胸に」(An meinem Herzen, an meiner Brust) 17) 第8曲「あなたはわたしにはじめて苦しみをお与えになりました」(Nun hast du mir den ersten Schmerz getan) クララ・シューマン 6つの歌曲(6 Lieder) op.13 18) 第1曲「わたしは暗い夢のなかにいた」(Ich stand in dunklen Traumen) 19) 第2曲「彼らは互いに愛し合っていた」(Sie liebsten sich beide) 20) 第3曲「愛の魔力」(Libeszauber) 21) 第4曲「月が静かにのぼってくる」(Der Mond kommt still gegangen) 22) 第5曲「わたしはあなたの眼のなかに」(Ich hab’ in deinem Auge) 23) 第6曲「たおやかな蓮の花」(Die stille Lotosblume) ロベルト・シューマン 歌曲集「リーダークライス」(Lider aus Liederkreis) op.39 より 24) 第3曲「森の語らい」(Waldesgesprach) 25) 第5曲「月夜」(Mondnacht) ロベルト・シューマン 26) もう春だ(Er ist’s)op.79-24 27) あこがれ(Sehnssucht)op.51-1 27) ぼくの美しい星(Mein schooner Stern!) op.101-4 28) ミニヨン(Mignojn)op.79-29 当録音に際するボニーの言葉がある。要約すると以下のような内容だ。 ・自分が歌手になる運命を決定づけたのはシューマンの歌曲である ・もっとも身近に感じる作品の録音にアシュケナージのサポートを得たことに感激している ・世の評価において、女性の作曲家に対する冷遇を感じることがある ・19世紀のもっとも卓抜した女性の一人であったクララ・シューマンを、本アルバムでは対等に扱いたい 以上のことから、本盤は、シューマンの歌曲集「女の愛と生涯」の全曲を中心に、クララ・シューマンの作品とロベルト・シューマンの作品を交互に配する構成となっている。 優れたピアニストであり、作曲活動も行ったクララ・シューマンは、その芸術活動を通じて、ロベルト・シューマンの創作活動に大きな影響を与えた。クララの編み出した主題が、ロベルト・シューマンの作品のあちこちで使用されていることは、すでに知られた話である。 しかし、クララ・シューマンの作品として、きちんと録音が行われる機会が少ない。彼女が遺した歌曲は25曲であったというが、当録音でそのうち11曲を聴くことが出来ることになる。特に6つの歌曲にその天才の霊感は認められ、第1曲「わたしは暗い夢のなかにいた」では、さながらシューマンの幻想小曲集を思わせるようなピアノとの情熱的な掛け合いが印象的であり、また第6曲「たおやかな蓮の花」では、ロマン派らしい複雑な音楽表現による感情の表れが見事である。 そのようなわけで、クララ・シューマンの佳作を聴く機会を得ることもありがたいのであるが、当録音はそのような付加価値に言及するまでもなく、本当に素晴らしいもの。 ボニーの豊かでありながら、旋律を麗しく響かせる歌唱とあいまって、アシュケナージの伴奏の素晴らしいこと。感情的にも音楽的にも、それらが補完し合い、機能し合う。そして、随所で聴かれる美しい情緒、完璧と言えるコントロールから繰り出される瑞々しいタッチ。その効果が如何なく発揮されたのは「女の愛と生涯」で、この歌曲は、声とピアノの関係を二重奏に見立てたような効果が発揮されているのであるが、その交錯の鮮やかさは無比。「なにがとうなっているのかさっぱりわからない」や「親しい友、あなたは」における相互の連携、韻を踏まえたようなピアノの巧妙なアクセントは、この歌曲を聴く醍醐味を聴き手に伝えてやまないのである。 またリーダークライスからの「月夜」における森の夜の神秘を感じさせるアシュケナージの伴奏も絶品で、この1曲を聴くためだけでも買う価値のあるディスクであると思う。それに加えて、ボニーも素晴らしいし、クララも素晴らしいのだ。 ロマン派の音楽の悦楽に、心行くまで興じさせてくれる最高の一枚です。 |