シュニトケ
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ピアノと弦楽オーケストラのための協奏曲 ヴァイオリン協奏曲 第3番 ヴァイオリン・ソナタ 第3番 p: ゴトーニ ゴトーニ指揮 ヴィルトゥオージ・ディ・クフモ vn: ルボツキー シベリウス・アカデミー管楽プレイヤーズ p: イリーナ・シュニトケ レビュー日:2009.2.14 |
★★★★★ 作品を深く知る奏者たちによるシュニトケの世界
アルフレート・シュニトケ(Alfred Schnittke 1934-1998)の作品を作曲者の信頼厚い奏者により録音したアルバム。収録曲と演奏者を以下に記載する。 1) ピアノと弦楽オーケストラのための協奏曲 p: ゴトーニ ゴトーニ指揮 ヴィルトゥオージ・ディ・クフモ 2) ヴァイオリン協奏曲 第3番 vn: ルボツキー ゴトーニ指揮 シベリウス・アカデミー管楽プレイヤーズ 3) ヴァイオリンソナタ 第3番 vn: ルボツキー p: イリーナ・シュニトケ イリーナ・シュニトケはシュニトケの妻でピアニスト。マーク・ルボツキー(Mark Lubotsky)はシュニトケが多くの作品を彼のために書いたヴァイオリニストで、シュニトケの音楽を深く理解する第一人者と言える。いずれもシュニトケのロマンティシズムを湛えた楽曲で美しい。 ピアノと弦楽オーケストラのための協奏曲は、上昇音と下降音のシンプルな組み合わせの旋律がソナタ形式ふうの展開を見せる。構成は古典的なものに通じているし、雰囲気もメロウ、ダイナミックなクライマックスはカッコ良く、十分にロマン派の音楽ファンにも受ける要素を持っている。ゴトーニのやや温もりのある、しかしクールなタッチが冴えている。 ヴァイオリン協奏曲第3番は憂鬱なヴァイオリンソロから入り、管楽器陣が加わり様々な変容を見せる作品。シュニトケらしい暗さと情熱を湛えた作品だ。3楽章の物憂げで回顧的な旋律は郷愁に満ちていて、その断片化していく過程が強靭な力感を編み出す。 ヴァイオリン・ソナタ第3番はやや静の領域にシフトしているが、その暗鬱な響きは美しいと思う。いずれもシュニトケの作曲家としての個性がよく出た楽曲で、演奏も信頼度の高いもの。 |
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合奏協奏曲 第3番 第4番「交響曲 第5番」 シャイー指揮 コンセルトヘボウ管弦楽団 レビュー日:2015.11.6 |
★★★★☆ シュニトケが描いた合奏協奏曲の衝撃的な姿
シャイー(Riccardo Chailly 1953-)指揮、コンセルトヘボウ管弦楽団によるシュニトケ(Alfred Schnittke 1934-1998)の以下の2作品を収録したアルバム。 1) 合奏協奏曲 第3番 2) 合奏協奏曲 第4番「交響曲 第5番」 1)は1989年、2)は1990年の録音。合奏協奏曲 第4番「交響曲 第5番」とは人を食ったようなタイトルであるが、これはコンセルトヘボウ管弦楽団創立100周年を記念してシュニトケに作曲を委嘱された作品で、大編成オーケストラと多くの独奏楽器が登場するもの。シュニトケは、カタログによると10曲の交響曲と6曲の合奏協奏曲を書いた、ように見えるのだが、当曲が重複してカウントされているため、両者を併せると全15曲ということになる。現在では、交響曲の方に優先的に分類されている資料が多いようだ。 それぞれの独奏楽器と独奏者を書き加える。 1) 合奏協奏曲 第3番 p, ハープシコード: ロナルド・ブラウティハム(Ronald Brautigam 1954-) vn: ビクター・リーベルマン(Viktor Liberman 1931-1999)、 ヤープ・ヴァン・ズヴェーデン(Jaap van Zweden 1960-) 2) 合奏協奏曲 第4番「交響曲 第5番」 p: ロナルド・ブラウティハム、ルート・ファン・デン・ブリンク(Ruud van den Brink) vc: サスキア・ブーン(Saskia Boon) vn: ロバート・ウォーターマン(Robert Waterman)、ヤープ・ヴァン・ズヴェーデン va: ゲリット・ヤン・レウバリンク(Gerrit Jan Leuverink) ob: ヤン・スポロンク(Jan Spronk) ハープシコード: ヤン・ピート・ニジフ(Jan Piet Knijff) いずれもバロック・スタイルの模倣に基づくシュニトケ独自の世界(あえて言えばストラヴィンスキーも似た趣向のことをやった)が展開している。 第3番の冒頭は、明るい快活さをもって開始されるが、その底に潜む不気味な底辺、不思議と安定しない聞き心地が同居する。それは、まるで「合奏協奏曲」自身が、とっくの昔に廃れた音楽であることを忘れて踊りだしてしまったかのような。第1楽章の後半になって、衝撃的な一撃から、世界は一気に変容し、グロテスクな世界へ突入していく。そして以後の楽章では、暗澹たる感覚が支配する。特に第3楽章の闇の深さは、絶望を感じさせるような世界である。この音楽がどのように開始されたかなど、すでに遠い過去といった雰囲気で、そこに暗い現実が横たえられる。終楽章まで悲劇的な影がつきまとう。また、この作品ではBACHのスペルから導かれるロ音、変ロ音を中心とした鐘の音が、交えられているという。 第4番は規模の大きさを印象付けるファンファーレ的な音からスタートするが、やはりそこで表現される感情は得体のしれない憂鬱や恐怖といったものに近い。少なくとも気軽に聴ける音楽ではない。第1楽章ではオーボエ、ヴァイオリン、ハープシコードが形式上合奏協奏曲のソロ楽器として活躍するが、第2楽章以降では、合奏とソロ楽器の線引きは明瞭ではなく、このあたりが合奏協奏曲であり、交響曲であり、といった作品タイトルの所以になっているように思う。様々な音色が交錯しながら、常に変容を伴って進行する音楽は、シュニトケの熟達した手法をよく反映したものである。 これらの楽曲は、いずれも暗さ、不安といったイメージが寄り添うものであるが、シャイーとコンセルトヘボウ管弦楽団の技術は見事で、音楽的な処理の卓越により、興味深く音楽を聴くことが出来る。20世紀の前衛音楽の一つの象徴的な側面を体現した高度な演奏であることは確かで、これらの音楽に興味のある聴き手にとっては、絶好の録音だと思う。 |
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ピアノ五重奏曲 ピアノ四重奏曲 弦楽三重奏曲 p: ベセット モリナーリ四重奏団 レビュー日:2019.4.12 |
★★★★☆ 沈鬱な中にも感覚的な鋭さと、精緻な動きが満ちているシュニトケの室内楽
カナダのピアニスト、ルイーズ・バセット(Louise Bessette 1959-)と、1997年にカナダで結成されたモリナーリ四重奏団によるシュニトケ(Alfred Schnittke 1934-1998)の室内楽曲集。収録曲は以下の通り。 1) ピアノ四重奏曲 2) 弦楽三重奏曲 3) ピアノ五重奏曲 2010年から12年にかけての録音。 これらの楽曲は、シュニトケの音楽性が強く刻印された作品で、そのどれもが、ロマン派の残り香を宿しながらも、不協和な変容や、クラスター音的効果があり、陰鬱さが全体を覆っていいる。気安く聴いたり楽しんだりする楽曲ではなく、精神的、感覚的な鋭さを聴き手の側にも要求し、聴く側も相応の準備が求められるだろう。 だから、このアルバムを一般的な意味でオススメするわけではないが、演奏、楽曲の芸術的価値については、十分な高さを感じさせる。とくに弦楽器のシームレスな音程の変化を、精密に各楽器間で調整したことによる緊迫感は、独特の感触がある。 ピアノ四重奏曲は、マーラー(Gustav Mahler 1860-1911)が若き日にかいた同ジャンルのためにスケッチした一つのフレーズに基づいているとされる。そのフレーズに基づく当曲は、変奏曲というより変容曲と称したい。繰り返されるフレーズに与えられる繊細な装飾の不安さや不気味さが、こまやかな層をつくり、音空間を確保していく。その様に私は浸食という言葉を思いつく。 弦楽三重奏曲は、ベルク(Alban Berg 1885-1935)の生誕100年&歿後50年を記念して書かれた作品。ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ各1挺の室内楽は、ロマン派以後、ベートーヴェン以後、めったに手掛けられることのなくなったジャンルであるが、シュニトケ作品は、現代的な緊張の中で、叙情的かつ繊細な感覚の行き交う美しいものである。2つの、それぞれ演奏時間10分以上の楽章からなるが、両楽章は親近性が高く、一貫した緊張と不協和性がある。当盤に収録された3つの作品の中では、もっともロマンティックな性格を残しているようにも思う。モリナーリ四重奏団員による、テンポを維持した上での緊密な音の制御は、この楽曲の性格を克明に刻んでいる。 ピアノ五重奏曲は、シュニトケ自身の母親の追悼のために書かれた作品。しばしば、シュニトケの代表作として挙げられ、録音点数も多い。5つの楽章からなるが、全体的なトーンはやはり暗く、どこかグロテスクな要素もあり、トーンクラスタの効果や不協和も存分に織り込まれる。第2楽章では懐かしいようなワルツが聴かれるが、もちろん調性的には無調であり、どこかに安定することはない。常に地面がどちらかに傾いていくような、不穏さを持っている。当盤は録音のクオリティの高さもあって、それぞれの音、音の距離感にくっきりしたものがあり、その中で、やはり精緻なプロットが行われている。この楽曲の演奏が音程や音価と言う点でどれくらい精度が高いのか、正直私にはわからないが、こういう楽曲なのであろうという説得力があるし、全体的な均質性や構造的安定性は感じられる。 楽曲の性格を踏まえると、何度も聴く楽曲というわけではないが、シュニトケのこれらの楽曲の鋭さには、現代の芸術家ならではの感性が込められているに違いない。 |