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ロット



交響曲

交響曲 第1番 管弦楽のための組曲への2つの楽章
P.ヤルヴィ指揮 フランクフルト放送交響楽団

レビュー日:2012.10.4
★★★★★ ブラームスが葬った才を惜しむ
 私が最近聴いたCDの中で、深い感銘を受けたものの一つに当ディスクがある。曲目はオーストリアの作曲家、ハンス・ロット(Hans Rott 1858-1884)の「交響曲第1番」と「管弦楽のための組曲への2つの楽章」、演奏は、パーヴォ・ヤルヴィ(Paavo Jarvi 1962-)指揮フランクフルト放送交響楽団で2010年の録音。
 まず、この作曲家の生没年に注目してほしい。26歳という若さで夭折した作曲家であることがわかる。その理由がびっくりだ。彼は、ブルックナー(Josef Anton Bruckner 1824-1896)を師とし、作曲家を志していたのだが、交響曲第1番を完成し、勇躍ブラームス(Johannes Brahms 1833-1897)とハンス・リヒター(Hans Richter 1843-1916)に意見をうかがうわけだが、これが裏目に出た。ブラームスから音楽としての価値がないとのレッテルを貼られた揚句、音楽家としての才能がないと断言されてしまう。このときの「言われっぷり」が相当ひどかったのか、これを機にロットは心を病み、何度かの自殺未遂の果て衰弱し病死してしまう。その才を評価していたブルックナーはいたく悲しんだという。
 このエピソードを読んで、彼の師であるブルックナーのことを彷彿とする人も多いのではないか。当時ヨーロッパの楽界は、ブラームス派とワーグナー(Richard Wagner 1813-1883)派が激しく対立していた。ブラームスと親交の深かった批評家、ハンスリック(Eduard Hanslick 1825-1904)は、ワーグナー派を激しく攻撃したが、その最大の標的の一つがワーグナーを敬愛したブルックナーであった。ハンスリックの言葉の毒矢はブルックナーの精神も大きく傷つけたとされる。しかし不幸にしてロットはさらにか弱かったわけだ。
 ブラームスも大罪を犯したものだ。というのは、私はこの交響曲を聴いて、ロットはドイツ・オーストリアの偉大なシンフォニストの系列にその名を並べる十分な資質を持っていたことを確信できるからである。
 まず全体的な響きは、いかにも当時の中央ヨーロッパを彷彿とさせるものだ。ブルックナーに近いが、純音楽的な自然さがあり、明朗な情緒もある。冒頭の金管による旋律提示などなんともロマンティック。なぜブラームスはこのスコアをそれほどまでに酷評したのだろうか?
 また、これらの楽曲を通じて、特に中間2楽章でマーラーに近いサウンドが随所で聴かれることも興味深い。まさしく、ロットはこの時代の“重要なリンク”の一つを担うべくして生を受けた作曲家・・・だったのではないだろうか。それは永遠に失われてしまったわけなのだが。ちなみに、マーラー(Gustav Mahler 1860-1911)はロットの学友であり、ブルックナー同様にロットの才を高く買っていたという。ロットは意見を伺うべき相手を致命的に間違えたに違いない。
 だが、第4楽章を聴くと、ロットの気持ちもわかる。この22分に及ぶ長大で浪漫的な巨編は、私にはブラームスの第1交響曲を想起せずにはおけないものだ。ロットのブラームスへの思慕もあったに違いない。それなのにブラームスは・・・
 と今になっていろいろ恨み節を連ねても仕方ない。ヤルヴィの素晴らしい演奏で聴けるだけでも感謝しなくてはならないだろう。失われた才に思いを馳せつつ、この素晴らしい交響曲を聴こう。


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