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リムスキー=コルサコフ



管弦楽曲

交響組曲「シェエラザード」 組曲「皇帝サルタンの物語」 くまんばちの飛行
アシュケナージ指揮 フィルハーモニア管弦楽団

レビュー日:2005.1.1
再レビュー日:2015.10.2
★★★★★ 透明度の高い、有機酸素の少ない世界
 アシュケナージが指揮するリムスキー=コルサコフを聴いた。最近ではゲルギエフの熱烈にして一気果敢にまくしたてた演奏をよく聴く。それであらためてアシュケナージ盤をきいてみると、新鮮な蒸留水のような喉ごしで「これまたけっこうで・・・」と大変気分がよくなった。
 もちろん攻撃的なゲルギエフに比べると、アシュケージの音楽の方向はまったく違うだろう。それは簡単に言えば「自発性」とか「自然な」といった感じであろうか・・・。
 そう、ここで聴かれる音楽は確かにアラビアンナイトをモチーフにはしているが、それ自体自然に存在する音楽であり、まるで北欧音楽のように透明なパースペクティヴを持っている。
 冒頭、金管による主題が提示されたあと、ワーレングリーンは「おっ」と思わせるほどゆったりとしたテンポで優美な独奏ヴァイオリンを奏でる。。。美しい。本当に美しい。そしてオーケストラが語りはじめるのだが、この簡素なオーケストレーションによって浮かび上がる一つ一つの楽器の音色の澄んでいること!
 くもりがない!どこまでも遠くが見渡せるような、本当に晴れ渡っている。まるでバイカル湖か摩周湖のような透明度の高い、有機酸素の少ない世界だ。
 個人的にはかなり好きな演奏です。・・・でもゲルギエフ絶対派の人には薦めません(笑)。
★★★★★ 瑞々しい美感に満ちた名録音
 アシュケナージ(Vladimir Ashkenazy 1937-)指揮、フィルハーモニア管弦楽団によるリムスキー・コルサコフ(Nikolai Rimsky-Korsakov 1822-1908)の作品集。1986年の録音。収録曲は以下の通り。
交響組曲「シェエラザード」 op.35
 1) 第1楽章 海とシンドバッドの物語
 2) 第2楽章 カレンダー王子の物語
 3) 第3楽章 若い王子と王女
 4) 第4楽章 バグダッドの」祭り-海-難破
組曲「皇帝サルタンの物語」 op.57
 5) 第1幕への前奏曲(行進曲風のアレグレット)
 6) 第2幕への前奏曲
 7) 第4幕への前奏曲(三つの奇蹟)
8) くまんばちの飛行
 シェエラザードのヴァイオリン独奏は、当時フィルハーモニア管弦楽団のコンサート・マスターを務めていて、最近では指揮者としても活躍しているクリストファー・ウォーレン=グリーン(Christopher Warren-Green 1955-)。
 アシュケナージとフィルハーモニア管弦楽団は、長年にわたって良好な間柄を続けている。1977年から86年にかけて、アシュケナージがこのオーケストラと録音したモーツァルトのピアノ協奏曲全集や、1979年から84年にかけて、アシュケナージの指揮で録音されたシベリウスの交響曲全集など名盤中の名盤だし、その他、それほど知られていないかもしれないチャイコフスキーなんかにも素晴らしい録音がある。その関係は2000年以降も継続しており、たびたびこの顔合わせの新譜は、私の心を躍らせているのだ。
 このリムスキー・コルサコフも素晴らしい演奏。わけても私が指摘したいのはシェエラザードの第2楽章「カレンダー王子の物語」だ。この楽章は有名なシェエラザードの主題から始まり、中間部から様々な楽器が多様な旋律を交錯させつつ、躍動感を次々に高めて行って一気に帰結する音楽なのだけれど、この録音は本当にそこが見事。それぞれの楽器の音色が鮮明で、金属的な鋭い響きを交換させながら、俊敏な機動性で音を的確にコンパクト化し、鮮やかなマジックでも見るような手腕で、一つのパッケージに畳み込むようにパタン、と終わるのである。その快活な楽しさは無類で、私は、この録音でこの楽章を何度も繰り返し聴いたことさえある。この心地よさを味わうのは、このアシュケナージの録音が今もってベストだと思う。
 他の楽章でも、楽器の音色がつねに澄んでいるところが素晴らしい。とてもクリアで、パステルな色彩感が維持される。それでいて、旋律の魅力は潤いに満ち、清々しい。人によっては、さっぱりし過ぎていて、ロシア的な濃厚さが足りないと感じるかもしれないが、私はそれこそがこの演奏の魅力に他ならないと思っている。
 組曲「皇帝サルタンの物語」は、リムスキー・コルサコフが自身の同名のオペラから、その管弦楽曲を取り出して編算した組曲。いずれも馴染みやすい音楽が魅力だが、特に第2幕への前奏曲、奸計により樽にいれて放り出された主人公たちが海をさまようシーンをイメージした楽曲は、シェエラザードの描写性とも通ずるし、この曲を、これほど洗練された響きで聴けるのは、当盤が随一だと思う。
 なお、歌劇「皇帝サルタンの物語」の第3幕で使用される、劇中でもっとも有名な楽曲「くまんばちの飛行」が併せて収録されているのも、良いサービスだと思う。
 全般に録音のクオリティーも特筆すべきレベル。曇りのない音が爽快。絵巻とよぶにふさわしい瑞々しい感覚に満ちた、魅力いっぱいのアルバムだ。

R=コルサコフ 交響組曲「シェエラザード」 序曲「ロシアの復活祭」  ボロディン 交響詩「中央アジアの草原にて」 だったん人の踊り
インマゼール指揮 アニマ・エテルナ vn: ザイラー

レビュー日:2006.3.18
★★★★★ 激戦区にあって、大きな存在感のある1枚
 インマゼール指揮のアニマ・エテルナがピリオド楽器によるオーケストラとして新しいジャンルに挑戦した注目盤だ。ボロディンの「だったん人の踊り」は合唱を含まない管弦楽組曲ヴァージョンであるが、ピリオド楽器による演奏という主眼に照らせば、その選択は当然であろう。
 アラビアンナイトを題材にした壮麗なる東洋絵巻「シェエラザード」にはもちろん無数の名演・名録音が存在し、枚挙にいとまがない。それらを順列だてて、どれがベストというのもたいへん困難であり、求めたいもの、その時の気持ちによって、取り上げるディスクも違ってくる。このあたりがコレクターの悦楽(ハタから見ると“症状”(笑))であるが、この盤など、そういった観点から収集意欲が十分にかき立てられる1枚であることは間違いない。
 まず管弦楽団の技術水準が非常に高く、ピリオド楽器による演奏・合奏の面白みを聴き手に伝えるまさに超一流のメンバーによる演奏であることが言える。そしてインマゼールの棒の下、きわめて順応性が高い反応を示しており、このレベルではじめて到達可能な音色を楽しめる。
 演奏そのものは、例えばテンポなどは思ったより穏当で、過度に攻撃的ではない。その一方で、リムスキー・コルサコフの天才的オーケストレーションに即しながら、一音一音に最大の配慮を割き、見事な効果を上げている。弦の細やかな潤いや、中音域がすっと後味よくキレよく立ち消えるところなど、ピリオド楽器ならでは。また木管と金管の、ちょっと風の抜けるような独特のワビのある音が、不思議と暖かい雰囲気を作り出している。有名なシェエラザードの第3楽章もたおやかな美しさを十全に表現している。
 また「中央アジアの草原にて」におけるホルンの牧歌的音色も好ましい。

R=コルサコフ 交響組曲「シェエラザード」  ストラヴィンスキー 幻想的スケルツォ
シャイー指揮 コンセルトヘボウ管弦楽団

レビュー日:2010.7.14
★★★★★ 音楽の疎密波の心地よい振幅を堪能
 シャイーがコンセルトヘボウ管弦楽団と録音した数々の成果について、2010年現在ではそれほど重要視されていないようで、マーラーを除くとカタログに残っているものは多いとは言えない。けれども(もうあちこちで書いてきた気もするけれど)、聴いてみると思いもよらぬ鮮度が保たれていて、まったく古さを感じさせないものばかりである。もちろん、デッカの録音技術が素晴らしいこともあるけれど、シャイーとコンセルトヘボウ管弦楽団が目指したサウンドが、普遍性を感じさせる内容で、一定の技術的水準を大きく越える存在だったことが言えるのではないか。
 それにしては、現在の廃盤のオンパレードは悲しい。なにかのきっかけに、「定盤」としてシリーズ化してほしい。そして、もしそんなシリーズがあれば、このシェエラザードも間違いなくラインナップに加わるだろう。
 シェエラザードはアラビアンナイトをモチーフにした音楽で、当時のロシア、ヨーロッパが思い描くアラビアのイメージを宿している。と同時に、いよいよ洗練されてきた当時のロシアの音楽界において、最高に練達したオーケストレーションの達人によって作曲された曲である。その洗練というキーワードは、シャイーの演奏姿勢にも通じる。オーケストレーションの名人、と言われるリムスキー・コルサコフだけど、彼のオーケストラ譜を見ると、動いている楽器は少なめである。始終全部の楽器が何かしているブラームスとは好対照。それでいて、豪壮な盛り上がりがあり、幅広い表現力を訴える。シャイーはややスローなテンポで、ほどよくしなやかな音色でそのテクスチュアをまとめる。ガラスのような透明感でありながら、ほどよい柔軟性を湛える。バネのように弾力のあるオーケストラサウンドは振幅の果てに大きなエネルギーを宿した波高を築く。まさにこの物語の象徴である「海」を思わせる。有名な第3楽章は木管と打楽器の洒落た音色が鮮やか。シェエラザードらしい色彩感を存分に満たしている。
 併録のストラヴィンスキーもちょっと遅めのテンポで繊細に、しかし決して迫力に事欠かずに奏でられており、きれいにまとまった印象を受ける。

交響組曲「シェエラザード」 序曲「ロシアの復活祭」
デュトワ指揮 ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団 vn: クリオ・グールド

レビュー日:2011.2.24
★★★★★ 「デュトワ健在」の一語に尽きます
 シャルル・デュトワは、1980年代はじめから、モントリオール交響楽団と、デッカ・レーベルに数多くの録音をした。師のアンセルメのレパートリーを引き継いだ色彩感溢れる楽曲の数々は、高品質な録音と相まって、鮮烈な印象を残した。それらの一連の録音は、私にとっても、CD時代の幕開けとリンクする印象深いシリーズになった。
 しかし、いつしかデュトワの新録音のニュースをあまり聞かなくなった。これは何もデュトワが活動を休止していたのではなく、フィラデルフィア管弦楽団などと主に「インターネット・ダウンロード市場」に媒体の中心を移していたためである。それで、彼の最近までの音楽も、ダウンロードすれば聴ける環境が保たれていたのだけれど、私の場合、どうもCDというメディアで入手したいという物欲みたいなものがあって、勝手な「好き嫌い」で配信されているものをほとんど聴いてこなかったのである。
 そんなわけで、デュトワが2009年からロイヤル・フィルの芸術監督兼首席指揮者に就任し、早速このアルバムがリリースしたときは、“いよいよデュトワが戻ってきた”ような感慨を覚えた。しかも楽曲がリムスキー=コルサコフの「シェエラザード」である。これもご記憶の方が多いかもしれないが、1983年にデュトワがモントリオール交響楽団と録音した「シェエラザード」はレコード・アカデミー賞の録音部門を授賞していて、CDが普及し始めた最初のころ、「とりあえずいい録音を堪能するなら、これ」という感じで聴かれた定番の一つだ。そのときは「スペイン奇想曲」が併録されたが、今回は「ロシアの復活祭」となる。
 ここからが、2009年録音の当盤を聴いての感想になる。一言で言うと「デュトワ健在」に尽きる。この人の美点は一瞬でも比重の偏らない音、常に間隔が一定以上保たれている音にあると思う。「合奏音」であっても、一つ一つの音がソロ楽器のように聴こえてきて、しかもしなやかな柔らみがある。まるで熟練した小編成室内楽団のような。・・・こう書くとこじんまりした演奏のような印象になるかもしれないが、シンフォニックな響きは十分な厚みがあって、フォルテではすっと奥行きが広がるような開放感を合わせて獲得している。それが「迫力」として伝わるから、不足なものがあるようには思えない。「ロシアの復活祭」のクライマックスでも、金管の制御がよく行き届いているけれども地味にはならず、華やかで明瞭健全、聴いていても疲れることのないサウンドに覆われている。その安心感はやはりデュトワならではだと思う。いわゆる爆発系の迫力とは無縁かもしれないが、デュトワのスタイルを押し通した気風があり、スケール感豊かな演奏となっている。

R=コルサコフ 交響組曲「シェエラザード」  ドヴォルザーク チェコ組曲 序曲「謝肉祭」  スメタナ 歌劇「売られた花嫁」序曲
エリシュカ指揮 札幌交響楽団

レビュー日:2018.11.2
★★★★★ ラドミル・エリシュカの偉業、大団円を迎える
 2006年12月8日、札幌交響楽団第494回定期演奏会の壇上に登場したのは、これまでほとんど無名だったチェコの指揮者、 ラドミル・エリシュカ(Radomil Eliska 1931-)であった。その日のプログラムは、スメタナ(Bedrich Smetana 1824-1884)の交響詩「ボヘミアの森と草原から」、次いでドヴォルザーク(Antonin Leopold Dvorak 1841-1904)の交響詩「金の紡ぎ車」、最後にリムスキー=コルサコフ(Nikolai Rimsky-Korsakov 1844-1908)の交響組曲「シェエラザード」というものであった。その日、定期演奏会に来た聴衆のたいていは会員たちで、無名の指揮者ではあったが、それでもこのオーケストラが元来得意とするスラヴ系のレパートリーに期待を持って訪れた人が多かっただろう。ところが、その日の演奏は、彼らの期待をはるかにを上回るものだった。生気に溢れる表現、細部まで練り上げられたニュアンスの深さは、たちまち会場に集まった人々を魅了した。翌日、同じプログラムであったが、前夜の成功を聞きつけて、普段にはない多くの聴衆を集め、再び夢のひとときが繰り返されると、「これは本物だ」との声が沸き起こった。その後も、札幌では、エリシュカが壇上に立つたびに、当日券も完売するほどの人気となった。
 札幌交響楽団はエリシュカに首席客演指揮者の就任を依頼し、これを快諾したマエストロと、その後良好な関係を築き上げることとなる。2008年から札幌交響楽団の主席客演指揮者を務め、さらに2015年からは名誉指揮者として、年に2回のペースで札幌を訪れ、タクトをとった。その過程で、ドヴォルザーク、チャイコフスキー、ブラームスの一連の交響曲集を中心とする録音が行われた。どれもが素晴らしかった。
 しかし、そんな関係にも終りの時は訪れる。医師から、これ以上の長旅は、体力的に無理であると告げられたエリシュカであったが、「最後に、きちんとお別れが言いたい」とラストの訪日により、2017年の10月27日と28日に札幌コンサートホール・キタラで開催された「ザ・フェアウェルコンサート・イン・札幌」の模様が当盤には収録されている。その楽曲は以下の通り。
【CD1】
1) スメタナ 歌劇 「売られた花嫁」 序曲
2) ドヴォルザーク チェコ組曲 ニ長調
【CD2】
3) リムスキー=コルサコフ 交響組曲「シェエラザード」 op.35
4) ドヴォルザーク 序曲「謝肉祭」 op.92
 ただし、ドヴォルザークの「謝肉祭」は、2010年のライヴ音源をボーナス・トラックとして収録したもの。
 プログラムを見てすぐに気づくのは、2006年の、エリシュカと札幌交響楽団、そして札幌の音楽ファンが出会ったコンサートの曲目とそっくりである点である。スメタナ、ドヴォルザーク、そしてメインにR=コルサコフの「シェエラザード」。
 解説によると、当初は、ラストにベートーヴェンの第3交響曲という案があったのだが、エリシュカ本人の希望により、札幌での「出会い」の楽曲に差し替えられたのだと言う。札幌で素晴らしいキャリアを刻んだマエストロが、その活動の完結を示しているように思えてならない。
 演奏は、まさにラストに相応しいもの。いつもにもまして、熱い情感が伝わる。スメタナの「売られた花嫁」では、弦のダイナミックな響きが、なにか一つ一つしっかりと刻印を掘るように響くのが印象的。熱血的でエネルギッシュな表現で圧巻の締めくくりを迎える。
 ドヴォルザークのスラブ組曲では、郷愁的な高揚と、内省的な情緒が寄せては返すようにせめぎ合う。美しい時が流れるように過ぎていく。フリアントの躍動的な音楽の脈動は圧巻である。
 そして、シェエラザード。一夜にして札幌の聴衆を魅了した楽曲。実に堂々とした運び。全般に遅めのテンポをとり、脈々とうねりを高く重ねていく。情熱に溢れていながら、透明感のある響きがその基礎をささえる。中間2楽章は入念かつ繊細に描き込まれ、シーンの移り変わりに応じた楽器の語り掛けが心に響く。そして終曲。オーケストラが、マエストロとの貴重な最後の時間にすべてのエネルギーを放出しつくしたかのよな豊麗で力強い響きが貫かれる。この最後の曲終了後、客席の拍手と歓声は、25分以上も続いたのである。
 それにしてもエリシュカを招いてから、札幌交響楽団はあきらかに一つレベルの高い芸術集団になった。エリシュカの偉業は、セルとクリーヴランド管弦楽団の関係を彷彿とさせる。ぜひ、エリシュカの功績に報いるためにも、札幌交響楽団には、さらなる高みを目指して邁進し続けてほしい。そして、マエストロには万感の思いで、ありがとうの言葉を送りたいと思う。
 なお、本CDには、エリシュカの仕事に長くかかわった池田卓夫氏によって執筆されたものだが、その文章は、投稿日現在、日経電子版に「巨匠ラドミル・エリシュカ 日本での指揮活動に幕引き」のタイトルで公開されているので、ぜひ参考にされたい。

歌劇「金鶏」組曲 歌劇「雪娘」組曲 交響的絵画「サトコ」 組曲「ムラダ」
シュウォーツ指揮 シアトル交響楽団

レビュー日:2017.7.31
★★★★★ リムスキー=コルサコフの、旋律とオーケストレーションの妙を楽しめる1枚です
 リムスキー=コルサコフ(Nikolai Rimsky-Korsakov 1844-1908)の作品を精力的にとりあげて録音しているアメリカの指揮者、ジェラード・シュウォーツ(Gerard Schwarz 1947-)とシアトル交響楽団による、歌劇作品由来の管弦楽曲を集めたアルバム。収録曲は以下の通り。
1) 歌劇「雪娘」組曲(導入 鳥たちの踊り 行列 軽業師の踊り)
2) 交響的絵画「サトコ」 op.5
3) 組曲「ムラダ」(導入部 ボヘミアの踊り リトアニアの踊り インドの踊り 貴族たちの行進)
4) 歌劇「金鶏」組曲(序奏とドドン王の眠り 戦場のドドン王 ドドン王とシェマハの女王の踊り 婚礼の祝宴とドドン王の哀れな末路と死-終曲)
 2011年の録音。
 日本では、リムスキー=コルサコフの作品というと、「シェエラザード」が突き抜けて有名で、他では「ロシアの復活祭」あるいは、歌劇「サルタン皇帝の物語」の中の一曲「熊蜂の飛行」が聴かれるくらいかと思う。しかし、それらの名曲以外にも、この作曲家には魅力的な作品があり、当盤を聴くと、その一端を楽しむことができるだろう。
 リムスキー=コルサコフの管弦楽作品の魅力の一つはオーケストレーションにある。そのオーケストレーションは、スコアを見ると驚くほどシンプルに出来て、それなのに音楽が鳴りだすと、とてもカラフルで、魅惑的なのである。また、その旋律線には、どこか異国情緒を思わせるふしがあって、実際、それにふさわしい作品がいろいろと遺された。シアトル交響楽団は、直線的で輝かしい響きでこれらの楽曲にアプローチしている。その明るい響きは、これらの作品に相応しいものだろう。
 組曲「ムラダ」の中央を構成する3曲のダンスは、それぞれ民俗色を感じさせる旋律と響きが楽しく、例えば、インドの踊りでは、多くの人が「シェエラザード」のあの有名な第3楽章を彷彿とするに違いない。異国情緒と華やかで祭典的な色彩は、これらの楽曲の肝であるが、シュウォーツの直線的な運びで、衒いのない力強い音楽を目指す。細部も荒くなることはなく、聴き味もストレートだ。
 交響的絵画「サトコ」は、その展開の鮮やかさとともに、聴き映えのする一曲で、直裁なオーケストラの表現と相性の良い作品にも感じられる。
 他にも「鳥たちの踊り」の色彩感豊かな表現、「貴族たちの行進」の力強い前進力など魅力的なところは多い。シアトル交響楽団の細部まできれいにととのった響きも立派なもの。
 全般に、もう少しふくよかな豊かさを感じさせてほしいところも残すが、全体としては質の高い演奏であり、これらの楽曲の録音があまり多くないことを踏まえると、十分に推奨すべき一枚として、挙げることが出来るだろう。


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