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ラウタヴァーラ



現代音楽

交響曲 第3番 マンハッタン三部作(「白昼夢」 「悪夢」 「夜明け」)
セーゲルスタム指揮 ヘルシンキ・フィルハーモニー管弦楽団 org:ユッシラ

レビュー日:2008.5.3
★★★★★ ノスタルジーに満ちたラウタヴァーラの管弦楽世界
 エイノユハニ・ラウタヴァーラ(Einojuhani Rautavaara 1928 - )はフィンランド出身の現代を代表する作曲家。当盤はオンディーヌ・レーベルが力を入れているこの作曲者の作品チクルスの一環で、若き日の作品「交響曲第3番」と、2004年の作品である「マンハッタン三部作」が収録されている。演奏はセーゲルスタム指揮のヘルシンキフィル、録音は2006年。
 ラウタヴァーラは現代の作曲家であるが、いわゆる現代音楽的な気難しさとは一線を画する作風である。シベリウス的な静物画的・情緒的な作品が多い。セーゲルスタムは彼の作品を深く理解する音楽家の一人で、これまでもオンディーヌに注目すべき録音を行ってきた。
 今回の収録曲を聴いてみる。まずは「マンハッタン三部作」。これはその名の通り三つの部分から構成されていて、それぞれ「白昼夢」「悪夢」「夜明け」と副題が与えられている。老境に達した音楽家が若き日に思いを馳せる様子を描いたとのことで、まさにラウタヴァーラの今の感性そのものだろう。(ラウタヴァーラはニューヨークで音楽を勉強していた)。冒頭から夢幻的で、ヴァイオリンやフルートのソロ楽器が甘美で、切ない旋律を印象的に提示する。
 「交響曲第3番」はブルックナーの第4交響曲へのオマージュとも言える作品で、弦のトレモロからあの有名な第1主題と同じ付点リズムのメロディを管が奏でていく。そしてそれは全曲を貫く動機でもある。第2楽章は私には川面に霧のたちこめた早朝を連想させる。美しい弦のグラデーションの中を、さえずるように断片的な木管が現れては消えていく。第3楽章はスケルツォ的。そして終結部は曲の冒頭に戻るように静寂に消えていく・・・。このうえなくノスタルジックなアルバム。

交響曲 第3番 ピアノ協奏曲 第1番 カントゥス・アークティクス(鳥とオーケストラのための協奏曲)
リントゥ指揮 ロイヤル・スコティッシュ管弦楽団 p: ミッコラ

レビュー日:2004.1.1
★★★★☆ 聴けば、あたりは北極圏
 面白いのは「鳥とオーケストラのための協奏曲」なるサブタイトルを持つカントゥス・アークティクスだ。
 これは管弦楽曲なのだが、ひたすら北極圏で収録された鳥たちの鳴き声を背景に奏でられる。とにかく美しい。サウンドトラック的のように夢みるような効果を持つ。心は北極圏の氷山のある風景にトリップする。
 ピアノ協奏曲も力強い響きと荘厳な美しさに満ちた傑作。

交響曲 第7番「光の天使」 天使と訪れ
コイヴラ指揮 ロイヤル・スコティッシュ管弦楽団

レビュー日:2004.1.1
★★★★☆ 不思議な光の交錯する彼岸音楽
 ラウタヴァーラは現役の作曲の中でも特に見逃せない作曲家である。陰鬱な空の色とそこに交錯する光を思わせる独特の作風。なんともいえぬ美しさに満ちている。
 ラヴェルやレスピーギを思わせるがもっと全体としてはモノローグ。そして不安定(このへんはスクリャービン的)。つねにこまやかに色彩を変化させる。麻薬的陶酔音楽。
 ラウタヴァーラの名声を不動のものとした第7交響曲は彼岸のイメージただよう。たしかに光を感じる。オーケストレーションはラヴェルとともにストラヴィンスキーを連想させる卓越したものとなっている。
 廉価版なので、作曲家を知る一枚としてもてごろなディスクと言えよう。

交響曲 第7番「光の天使」 受胎告知(オルガン、金管グループと交響的木管オーケストラのための協奏曲)
セーゲルスタム指揮 ヘルシンキ・フィルハーモニー管弦楽団 org: ユッシラ

レビュー日:2005.1.1
★★★★★ 20世紀末を代表する楽曲
 現代で間違いなくもっとも人気のある作曲家の一人となったエイノユハニ・ラウタヴァーラ(Einojuhani Rautavaara 難しい名前だ・・・)。その名声をとどろかせた出世作ともいえるのが、ここに収録された交響曲第7番・・・その名も「光の天使」である。
 この曲はラウタヴァーラによる天使シリーズ(他に「天使と聖母マリアの訪問」やコントラバス協奏曲「黄昏の天使」がある)の一環と考えられる。20世紀末のちょっと世の不安感が高まるような時期に、これらの作品を世に送り出した作曲者の慧眼もあるかもしれないが、この「光の天使」はすばらしい楽曲である。
 ここで聴くラウタヴァーラはすでに特徴的なスタイルを確立した感がある。すなわち音楽の回帰性、連続性、幻想性そして内に秘められたエネルギーの増大と収縮である。
 曲は冒頭から神秘的な色彩をおびている。特に明瞭な主題があるわけではなく断片的な散光を繰り返しつつ、無数の波が様々に変容して姿を変えていく。実に見事な書法でかかれており、陶酔させられる。音色的にはラヴェルやストラヴィンスキーを想起する個所もありながら、全体としてはラウタヴァーラそのもののエネルギーが蓄積されていく。オレンジ色の・・・不思議な力を感じる。
 セーゲルスタムはすでにラウタヴァーラ演奏を自家薬籠中のものとした感があり、同曲異演に比べてもゆったりとしたテンポでエネルギー飽和量の高さを感じさせる。
 カップリングの「受胎告知」(オルガン、金管グループと交響的木管オーケストラのための協奏曲) も面白い曲だ。

フルート協奏曲「風との踊り」 アナデョメーネ(アフロディーテ礼賛) 最後の処女地にて(合唱と管弦楽のための幻想曲)  
fl: ガロワ セーゲルスタム指揮 ヘルシンキ・フィルハーモニー管弦楽団 フィンランド・フィルハーモニック合唱団

レビュー日:2005.1.16
★★★★★ フィネガンズ・ウェイクのサウンドトラックといえる?!
 ラウタヴァーラのフルート協奏曲「風との踊り」、アナデョメーネ(アフロディーテ礼賛)、最後の処女地にて(合唱と管弦楽のための幻想曲)の3曲が収録されている。セーゲルスタム指揮のヘルシンキフィル。フィンランド・フィルハーモニック合唱団(最後の処女地にて)、フルートはガロワ。
 実はガロワのオンディーヌ・レーヴェルへの初録音である。
 この4楽章構成のフルート協奏曲は魅力的な作品で、特に1楽章は「風との踊り」というタイトルを彷彿とさせる自由さを気まぐれさが美しく、やや退廃的なイメージもある。舞曲をイメージして作曲された2楽章はたいへん短いが太鼓のリズムにのってスケルツォ的性格を示し、馴染みやすい。
 「アナデョメーネ」は管弦楽曲。ジェームス・ジョイスの「フィネガンズ・ウェイク」の言語世界にインスパイアされて作曲されたもの。冒頭から揺れるような独特のニュアンスに満ちており、ゆらめきながら、クレシェンド。デクレシェンドがサインカーブの様に交錯する。美しい余韻を遺す佳作だ。
 比較的最近の作品である「最後の処女地にて」は作曲者が子供の頃フィン語訳で読んだエドガー・アラン・ポーの小説にインスピレーションを得た曲で、オーケストラによる5分以上の導入部をともなった管弦楽と合唱による壮大な曲だ。合唱が入ってからのきらめくように上下を繰り返す印象的なフレーズはピアノ協奏曲第3番と共通のモチーフで、これはアシュケナージによる名盤があるので、ぜひ聴き比べると面白いに違いない。

弦楽オーケストラのための作品全集(楽師たち ディヴェルティメン 弦楽のための組曲 フランツ・リストのためのオマージュ ベラ・バルトークのための墓碑銘 ゾルターン・コダーイへのオマージュ カントI カントII カントIII カントIV ハープと弦楽のためのバラード フィンランドの神話 オストロボスニアのポルカ)
カンガス指揮 オストロ・ボスニア管弦楽団 hp: ビステル

レビュー日:2005.1.1
★★★★☆ 弦楽オケのための作品をすべて収録
 ラウタヴァーラの弦楽オーケストラのための作品全集。カンガス指揮のオストロ・ボスニア管弦楽団である。このアルバムは弦楽オーケストラのための作品集IとIIを合わせて2枚組みにしたもので、バラバラに買うよりだいぶ安い。
 収録曲名を挙げると、(楽師たち ディヴェルティメン 弦楽のための組曲 フランツ・リストのためのオマージュ ベラ・バルトークのための墓碑銘 ゾルターン・コダーイへのオマージュ カントI カントII カントIII カントIV ハープと弦楽のためのバラード フィンランドの神話 オストロボスニアのポルカ)となっている。
 ラウタヴァーラの弦楽オーケストラのための作品をすべて収録したアルバムであるが、そのためかなり作曲年代が広範に渡っており、異なった作風の作品が楽しめる。
 初期の作品に属する「楽師たち」「ディヴェルティメント」「組曲」などは軽妙な音色でややおどけた楽しい音楽となっている。後期になるにつれて憂いを帯び、どくとくのオレンジ色を放つようなエネルギーを帯びてくる。
 カントIとカントIIは自作の3幕のオペラで用いた音楽を転用したもの。後期の作品といえるカントIVあたりではいよいよゆったりと熱をはらむあの特有の作風が出てくる。
 ハンガリーの作曲家へのオマージュ・シリーズともいえる楽曲が3曲収録されているが、これは私の好みでより後期らしい風合いの出ている「フランツ・リストのためのオマージュ」が壮大で気高く、気に入っている。「ハープと弦楽のためのバラード」ではビステルのハープが彩りを沿えている。
   オケの音色はやや硬質かもしれない。もっと柔らかい音色で聴いてみたい気がするがまずは十分な内容。

イコンの前に 生のタペストリー
セーゲルスタム指揮 ヘルシンキ・フィルハーモニー管弦楽団

レビュー日:2010.8.6
★★★★★ ラウタヴァーラの今の活動を伝えてくれるアルバム
 現代フィンランドを代表する作曲家エイノユハニ・ラウタヴァーラ(Einojuhani Rautavaara 1928 - )の作品を精力的にリリースしているセーゲルスタムとオンディーヌ・レーベル。このたびは管弦楽曲「イコンの前に」と「生のタペストリー」が収録された。セーゲルスタム指揮ヘルシンキフィルの演奏で2006年と2009年の録音。
 私がラウタヴァーラの音楽を始めて聴いたのはアシュケナージの弾き振りによるピアノ協奏曲第3番「夢の贈り物」である。親友アシュケナージのために作曲されたその曲はなんとも美しい透明な煌めきと、不思議な暖かさに満ちた魅力的な作品で、以来私もこの作曲家の作品を多く聴くようになった。作曲のスタンスは基本的には一定していて、現代音楽とはいっても細かい理論的なメカニズムに凝るのではなく、その第一の印象として「簡明」であることが心がけられていて、そのためはじめて聴いたときから、その美しさに触れる楽しみを味わうことができるものだ。だから、現代音楽を聴くという特別なスタンスを聴き手に要求することはなく、むしろシベリウス的な近づき易さを持っていると思う。
 「イコンの前に」はラウタヴァーラ初期の作品である同名のピアノ曲集を編曲したもの。イコンというのは、聖使徒ルカがマリヤを描いたものとされているが、キリスト教の聖像全般を指すこともある。原曲は6つの小曲(神の母の死、村のふたり聖人、ブラケルナヤの黒いマドンナ、キリストの洗礼、聖墓の聖なる婦人、反キリストと戦う天使長ミカエル)からなっていたが、管弦楽化にあたって2曲(祈り、アーメン)が追加された。原曲のピアノ版はラヴェルを思わせる瀟洒な感じが印象的であったが、管弦楽盤ではスケールが増し、雄弁な音楽となった。もちろん作曲者の書法が練達したこともあるだろう。冒頭曲のニュアンスは深まり、谷を思わせる相貌を見せながら、不思議な中和性を感じる。中間部は、安寧な雰囲気と運動性の交錯する楽曲が多く、スケルツォ的要素とアダージョ的要素の交錯が楽しい。終楽章に加えられた「アーメン」が短いながら気宇の大きな音楽で、力強い響きが圧巻だ。
 「生のタペストリー」は大病を克服した作曲家の心情を募った作品とのことで、ベートーヴェンで言えば弦楽四重奏曲第15番に相当する。4つの部分(星が集合する、穏やかな日々、ため息と涙、最後のポロネーズ)からなり、やはり古典的和声を踏まえたラウタヴァーラの簡明な作風がよく表れている。

ピアノ協奏曲 第3番「夢の贈り物」 秋の庭
p: アシュケナージ アシュケナージ指揮 ヘルシンキ・フィルハーモニー管弦楽団

レビュー日:2004.1.1
★★★★★ ただ、ひたすら美しい・・・
 ラウタヴァーラは現役の作曲の中でも特に見逃せない作曲家である。
 当盤には、親友アシュケナージのために作曲された協奏曲が収められており,アシュケナージが弾き振りを担当している。
 独特の右手のきらきら輝くような分散音にのって左手が解き放つ美しいメロディは魅力大。アシュケナージの肉付け豊かな低音はこの曲にもってこいだ。
 ちなみにアシュケナージはNHK交響楽団とも弾き振りで、この曲の日本初演を行っている。

クラリネット協奏曲 空間の庭 カントゥス・アークティクス(鳥とオーケストラのための協奏曲)
cl: ストルツマン セーゲルスタム指揮 ヘルシンキ・フィルハーモニー管弦楽団

レビュー日:2005.9.4
★★★★★ ついにセーゲルスタムがラウタヴァーラの人気曲を録音
 セーゲルスタムによるラウタヴァーラの作品集。オンディーヌ・レーベルの顔とも言えるシリーズに成長しつつある。
 カントゥス・アルクティクスは1972年の作品で、ラウタヴァーラの作品では最も良く知られている超人気曲。鳥の声のテープ録音をソロにみたてたオーケストラとの協奏曲だ。多くの人が、北極圏の幻想的な風景を思い描くに違いない名曲。これまではナクソスからリントゥ指揮ロイヤル・スコティッシュ管弦楽団の素晴らしい録音があったが、この満を持したセーゲルスタム盤も雄大な演奏だ。テンポはゆったりめで、木管楽器をおもいきり清澄に明朗・明晰に響かせ、空にまっすぐと消えて行くような潔い響きだ。第3楽章の盛りあがりは壮大だ。クライマックスではシンセサイザーを用いたのか、独特の音色が左右を走り、衝撃性も高い。
 クラリネット協奏曲は2001年に作曲され、ここでは初演者であるストルツマンのクラリネットで聴けるのが嬉しい。70代半ばになったラウタヴァーラの新作というわけだが、思索的なものと遊び心が入り混じっており、貫禄のある作品だ。
 「空間の庭」は1971年の作品を2003年に改訂したもの。グループに分けされたオーケストラがそれぞれのパートを演奏するが、各パートの導入は指揮者にまかせられているそうで、あるいみ偶然性を狙った実験的作品。


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