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ラモー



器楽曲

ラモー 新クラヴサン組曲 イ調(アルマンド クーラント サラバンド 3つの手 ファンフアリネット 勝ち誇った ガヴォットと変奏) ト調(レ・トリコテ 無頓着な メヌエット メヌエット第2 雌鳥 三連音 未開人 エンハーモニック エジプトの女)  ドビュッシー ラモー礼賛
p: タロー

レビュー日:2008.5.3
★★★★★ ピアノで奏でられるラモーのクラウザン曲
 ジャン・フィリップ・ラモー (Jean Philippe Rameau 1683-1764)はフランスの作曲家で「和声論」の著者としても有名だ。オルガン奏者、オペラ作曲家として名声を得、ブフォン論争ではルソーらに抗し、フランス音楽の価値を説いた。彼の音楽は「理論性」に卓越し、その研究が大いにその後の音楽全般の発展に寄与したことも有名。
 さて、彼の時代のクラヴィーア(鍵盤楽器)となると、クラウザンということになる。それで、いくつか優れた組曲様式の作品を書いているが、そのうち「新しい組曲」と題されたものは初期のフォルテピアノが登場した時期でもあり、新たな演奏効果を探求した傑作と言える。
 しかし、これらの作品を、現代のピアノで奏するという試みはなぜかなされてこなかった。あくまで私見であるが、ピアノという楽器の表現力はチェンバロやクラウザンの比ではない。かつてアンドラーシュ・シフが「すぐれたチェンバロ演奏であっても、これに1時間以上耳を傾けるのは難しい」と語っていたが、私もまったく同感であり、今、ピアニスティックな効果なしにクラヴィーアの曲を聴くというのは、研究的、二次的な意図以外では難しい。だからこそ、アレクサンドル・タローのこの素晴らしいアルバムは価値がある。もちろん、ここに収録された新しい組曲が元来にピアノの適性の高い作品であるにしろ、十分に咀嚼と吟味を施して作られた音楽は、美しくレベルが高い。
 楽曲は「組曲」形式になっていて、バッハの様式にも通じているが、その調整を踏まえた展開力は、古典派が導いた「ソナタ形式」の予兆をも感じる。舞曲のスケールの大きいリズム感は躍動的で原初的な魅力を放つ。中でも聴きどころはトラック7から13に至るガヴォットと変奏曲だ。ベートーヴェンに通じる熱に満ちた迫力と先鋭な感覚が漲っている。

WAVES ラモー、アルカン、ラヴェル ピアノ作品集
p: リウ

レビュー日:2024.12.4
★★★★☆ ブルース・リウ、ドイツ・グラモフォン2枚目のアルバム
 2021年の第18回ショパン国際ピアノ・コンクールで優勝したパリ生まれの中国系カナダ人ピアニスト、ブルース・リウ(Bruce Liu 1997-)による、ドイツ・グラモフォンからリリースされた2枚目のアルバム。「waves」というタイトルで、下記の通り、3人のフランスの作曲家の作品が集められている。
1) ラモー (Jean Philippe Rameau 1683-1764) ガヴォットと変奏(ガヴォットと6つのドゥーブル)
2) アルカン(Charles-Valentin Alkan 1813-1888):歌曲集 第3集 第6曲「舟歌」op.65-6
3) ラモー:新クラウザン曲集 第2巻 第7曲 「未開人たち」
ラヴェル(Maurice Ravel 1875-1937) 組曲「鏡」
 4) 第1曲「蛾(Noctuelles)」
 5) 第2曲「悲しげな鳥たち(Oiseaux tristes)」
 6) 第3曲「海原の小舟(Une barque sur l'ocean)」
 7) 第4曲「道化師の朝の歌(Alborada del gracioso)」
 8) 第5曲「鐘の谷(La vallee des cloches)」
9) アルカン:短調による12の練習曲 op.39から 第12番 ホ短調「イソップの饗宴」
10) ラモー:クラヴサン曲集 組曲 ニ短調-長調 第1曲 「優しい嘆き」
11) ラモー:クラウザン曲集 第2巻 第8曲 「一つ目の巨人」
12) ラモー:新クラウザン曲集 第2巻 第3,4曲 「メヌエット1,2」
13) ラモー:新クラウザン曲集 第2巻 第5曲 「めんどり」
2023年の録音。
「waves」というタイトルに関しては、リウは、“自身が楽曲へのアプローチを変化させていく様” を込めたものと書いてあるのを見たが、集められた曲たちには「舟歌」や「海原の小舟」のような波の描写的性格のあるものがあり、かつ「ガヴォットと変奏」と「イソップの饗宴」は、変奏曲であり、それ自体が様相を変えながらも寄せては返す波との関係性を示唆するものでもあり、そういうプログラム上の特徴も含んだものでもあるのだろう。
さて、私はこのアルバムで、リウの演奏を始めて聴いたのであるが、印象としては、とてもまじめで正統的な感じがする。まあ、ショパン国際ピアノ・コンクールで優勝するというのは、正統的でまじめな弾きぶりがあってこそのことだけれど、本盤の場合、ちょっと変わった選曲だったから、ちょっと違ったものがあるのかなとも思っていたのだが、特に尖ったスタイルというわけではなく、各局を丁寧に、十分な技巧と音色の美しさを保って、奏でている。形容するとしたら、高貴な演奏、といったところだろうか。
その演奏が特に効果を挙げている曲として、「海原の小舟」を挙げる人は多いと思う。私もその一人で、細やかな粒立ちのよい音色が一つ一つキラキラと輝く中で、繰り返されるそれこそ「波」のような響きは、無類に美しく、聴き手を夢中にさせてくれる。ラモーのクラウザン曲を、ピアノで録音する機会が増えている中で、リウもあえてこれに挑んでいるが、リウは単調さを避けるため、あえてロマン派的な解釈に歩み寄り、テンポも変動幅を大きくとっている。演奏効果として特にそれが活きている楽曲として、「未開人たち」を挙げたい。ラモーの注目すべき大曲、「ガヴォットと変奏」は、美しく健康的な表情付けが相応しいが、タロー(Alexandre Tharaud 1968-)の名演が持っていた熱的な力強さはやや退いた感があり、私個人的には、タローの演奏の方が好きである。
また、リウの演奏の特徴である真面目さは、逆に言うと、ユーモアという点では、楽曲の特徴を強く引き出すわけではないことになる。具体的には、「イソップの饗宴」や「道化師の朝の歌」において、十分な技巧を持って、綺麗に鳴っているにもかかわらず、私には、楽曲の個性がやや均されてしまったようにも聴こえた。これらの曲特有の「面白味」の成分をあまり感じない、とでも言おうか。ただ、これも、聴き手によっては「清潔感」として、良く捉えることも出来るところだろうとも思う。
というわけで、私の現時点での評価は星4としたが、安定した美しい響きは魅力的であり、今後の活躍は、大いに期待したいと思う。

ラモー&ドビュッシー 作品集
p: オラフソン

レビュー日:2020.4.3
★★★★★ 現在、もっとも創造的なピアニストの一人、オラフソンによる最高に楽しい一枚
 アイスランドのピアニスト、オラフソン(Vikingur Olafsson 1984-)は、間違いなく現在注目すべき才のある芸術家で、私が最初に聴いたのは、2015年のアシュケナージ(Vladimir Ashkenazy 1937-)指揮デンマーク放送交響楽団と協演したチャイコフスキーのピアノ協奏曲の録音(DIRIGENT DIR-1764)である。アイスランド籍を持つアシュケナージが、「地元の才能を紹介する」という以上に素晴らしい内容で、感心したものであるが、その直後、オラフソンは、2016年に録音したフィリップ・グラス(Philip Glass 1937-)のピアノ作品集により、グラモフォン・レーベルというメジャー・レーベルからデビューを果たすことになる。さらに、2018年録音のバッハ(Johann Sebastian Bach 1685-1750)作品と、現代のアーティストがバッハ作品をアレンジした楽曲を組み合わせた「バッハ REWORKS」も、実に内容に富み、かつ存在感のあるものであった。
 そんなオラフソンの注目すべき2019年録音が当盤だ。ドビュッシー(Claude Debussy 1862-1918)とラモー(Jean-Philippe Rameau 1683-1764)の作品を組み合わせたアルバムで、内容は以下の通り。
 ドビュッシー
1) カンタータ「選ばれし乙女」から前奏曲(ピアノ独奏版)
 ラモー
2) クラウザン曲集 第1巻 第5曲 「鳥のさえずり」
3) クラウザン曲集 第1巻 第6,7曲 「リゴードン1,2」
4) クラウザン曲集 第1巻 第8曲 「ロンドー形式のミュゼット」
5) クラウザン曲集 第1巻 第9曲 「タンブーラン」
6) クラウザン曲集 第1巻 第10曲 「村娘」
7) クラウザン曲集 第1巻 第3,4曲 「ロンドー形式のジグ1,2」
 ドビュッシー
8) 版画 から 第3曲 「雨の庭」
9) 子供の領分 から 第3曲 「人形へのセレナード」
10) 子供の領分 から 第4曲 「雪は踊っている」
 ラモー
11) クラヴサン曲集 組曲 ニ短調-長調 第1曲 「優しい嘆き」
12) クラヴサン曲集 組曲 ニ短調-長調 第7曲 「つむじ風」
13) クラヴサン曲集 組曲 ニ短調-長調 第6曲 「ミューズたちの語らい」
 ドビュッシー
14) 前奏曲集 第1巻 第6曲 「雪の上の足跡」
 ラモー
15) クラウザン曲集 第2巻 第4曲 「喜び」
16) クラウザン曲集 第2巻 第8曲 「一つ目の巨人」
 オラフソン
17) 芸術と時間 (ラモーの歌劇「レ・ボレアド」の間奏曲のピアノ版)
 ドビュッシー
18) 前奏曲集 第1巻 第8曲 「亜麻色の髪の乙女」
19) 前奏曲集 第2巻 第8曲 「水の精」
 ラモー
20) コンセール 第5番 第2曲 「キュピ」
21) コンセール 第4番 第2曲 「軽はずみなおしゃべり」
22) コンセール 第4番 第3曲 「ラモー」
23) 新クラウザン曲集 第2巻 第5曲 「めんどり」
24) 新クラウザン曲集 第2巻 第8曲 「エンハーモニック」
25) 新クラウザン曲集 第2巻 第3,4曲 「メヌエット1,2」
26) 新クラウザン曲集 第2巻 第7曲 「未開人たち」
27) 新クラウザン曲集 第2巻 第9曲 「エジプトの女」
 ドビュッシー
28) 映像 第1集 第2曲 「ラモー礼讃」
 末尾に収録されている映像中の1曲のタイトルが「ラモー礼讃」であることは有名だ。この1曲で締めくくる実にステキなアルバムになっている。選曲、構成ともに、想像力を刺激させられるもの。
 ドイツの大指揮者、ニキシュ(Arthur Nikisch 1855-1922)は「もしラモーがドイツ人であったら、多分バッハよりも偉大な音楽家と認められていただろう」と述べている。ラモーの価値は音楽の「理論に基づく発展性」を明らかにした点にある。和音構成における3度の意義、あるいは和音の転回という観念など、後の音楽の飛躍的な発展のための基礎を完成に導いたのがラモーである。それは当時のフランスの合理主義的文化精神、自然科学発達の土壌に立ったものである。ラモーはバッハとともに平均律を積極的に唱導した最初の大家の1人でもある。彼の成果がバッハを凌駕しうるものと形容するのが適切かは私にはわからないが、偉大であることには異論の挟みようがない。前述のニキシュの言葉は、歴史上長らくフランス楽界が、啓蒙の点でドイツに遅れをとったことと併せての言及と考える必要があるが、それでもラモーの偉業を端的に指摘できるものとして有益だ。
 ラモーが遺した鍵盤楽器のための作品は、とても完成度が高く、かつピアニスティックである。もちろん、当時使用された鍵盤楽器は、クラウザンなのであるが、オラフソンの「現代のピアノがあったら、ラモーは夢中になったに違いない」との言葉に、私は完全に同意する。タロー(Alexandre Tharaud 1968-)も、この感覚に則って、現代ピアノ演奏による素晴らしいラモーの鍵盤作品を記録しているが、そこに、このオラフソン盤が加わったのは、意義深い。
 そして、当盤の目玉はドビュッシーとの交錯だ。ラモーの鍵盤楽器作品のタイトルは、ご覧の通り、どこか印象派的である。ラモーの音楽は論理的だが、その論理をベースとした表現性にも卓越したセンスを見せる。それはドビュッシーの音楽と相通じる要素だ。そしてオラフソンのピアノの素晴らしいこと。機転の利いた展開、俊敏な節回し、装飾性の効いたアクセント、いずれもが躍動感に満ち、豊かな色彩感を持っている。ラモーの音楽の魅力を引き出すのに、これほどうってつけの存在はいない、と思えるくらい。ラモーの「鳥のさえずり」「キュピ」「未開人たち」など、ピアニスティックな効果満載で、楽しい事この上ない!もちろん、ドビュッシーも素晴らしい。そして、考え抜かれた曲順、ラモーとドビュッシーの作品の間であっても、ときに間隙を置かず演奏・収録されている構成の妙、こういった点も含めて、ぜひ多くの人に当盤を味わってほしいと思う。オラフソン自身の編曲による「芸術と時間」のしっとりした味わいは、多くのピアノフアンにとって、新しい名品との出会いになるだろう。
 それにしても、オラフソンというアーティスト、次はどんなことをしてくれるのか、今から楽しみで仕方がない。

Reflections
p: オラフソン 他

レビュー日:2021.4.1
★★★★★ オラフソンならではの現代アート、様々なアレンジャーとのコラボで聴くドビュッシーとラモー
 現代的な感性で、音楽芸術を遂行するアイスランドのピアニスト、ヴィキングル・オラフソン(Vikingur Olafsson 1984-)が、またまた面白いアルバムを世に送り出してくれた。このアルバムは、ドビュッシー(Claude Debussy 1862-1918)とラモー(Jean-Philippe Rameau 1683-1764)の作品を組み合わせた前作の続編に相当するもので、オラフソンがプロデュースし、現代の様々なアーティストが、ドビュッシーとラモーのクラヴィーア曲をアレンジ(リワーク)したものが収録されている。電子楽器も含められる。この企画自体は、以前オラフソンがバッハ作品集で試みたものと同様であるが、当盤では、オラフソンが演奏したドビュッシーのピアノ作品も組み合わせて収録されており、その収録順と含めて、一層興味深いものとなっている。
 収録曲の詳細を書こう。
1) ドビュッシー 前奏曲集 第2巻 第5曲 ヒースの茂る荒地 (ホーム・セッション)
2) ハニャ・ラニ(Hania Rani 1990-)  ~ドビュッシー「選ばれし乙女」による
3) ドビュッシー 前奏曲集 第2巻 第10曲 カノープ (ホーム・セッション)
4) ヘルギ・ヨンソン(Helgi Jonsson 1979-) フットステップス  ~ドビュッシー 前奏曲集 第1巻 第6曲「雪の上の足跡」による
5) クリスチャン・バズーラ(Christian Badzura) 水のミューズ  ~ラモー作品に由来して
6) ヒューガー(Hugar) ミューズたちの語らい  ~ラモー 「ミューズたちの語らい」による
7) クリスチャン・バズーラ K.A.H.D.  ~ビュッシー 前奏曲集 第2巻 第10曲「カノープ」による
8) オラフソン リフレクション  ~ドビュッシー 前奏曲集 第2巻 第5曲「ヒースの茂る荒地」による
9-11) ドビュッシー ピアノのために
12) クラーク(Clark) ドゥラゥンド・ハイク  ~ドビュッシー ピアノのために 第2曲「サラバンド」による
13) ドビュッシー 前奏曲集 第2巻 第10曲 カノープ
14) バルモレイ(Balmorhea) キュピ  ~ラモー 第5コンセール「キュピ」による
15) ドビュッシー 前奏曲集 第2巻 第5曲 ヒースの茂る荒地
 いずれも、2019~20年にかけての録音。1,3)の「ホーム・セッション」は、アップライト・ピアノを用いて、あえてイージー・リスニングふうに響かせた演奏・録音の意。9-11,13,15)はオラフソンによる正規録音といったところ。
 一応、参加アーティストについてメモ的に付すと、ハニャ・ラニはボーダーレスに活躍するポーランドのピアニスト、ヘルギ・ヨンソンはアイスランドの音楽プロデューサー、クリスチャン・バズーラは、オラフソンのアルバムではフィリップ・グラスの作品集以降お馴染みの作・編曲家兼ピアニスト。ヒューガーはアイスランドのピエトル・ヨンソン(Petur Jonsson)とベルグル・ソルリソン(Bergur Sorisson)の二人のユニットで、インストゥルメンタルを中心に活躍する。クラークは、イギリスの電子音楽家、クリストファー・スティーブン・クラーク(Christopher Stephen Clark 1979-)の活動名。バルモレイは、アメリカのロブ・ロウ(Rob Lowe)とマイケル・ミュラー(Michael Muller)の二人のユニットで、ヒューガー同様にインストゥルメンタル中心に活躍する。
 現代の音楽界で、様々に個性的な活躍をするこれらのアーティストを、一つのテーマに基づくアルバムに招き、作品を完成させるというコンセプトは、オラフソンならではのものだろう。
 アルバム全体の印象は、安寧や静謐に働きかけるもの、といったところだろうか。アレンジの原型となっている音楽自体が、どちらかと言うと嫋やかな表情を持つ作品であり、かつフレーズがリピート耐性を備えているものが多いため、各アレンジも、どこか瞑想的な傾向をとりやすい。「ヒースの茂る荒地」と「カノープ」は、アルバム全体を通した主題的役割を与えられている感があるが、あらためて、これらの楽曲のメロディがもつ幻想的な特性を堪能することになるだろう。率直に美しいし、聴き手を暖かく安らいだ気持ちにさせてくれるアルバムだ。
 ヘルギ・ヨンソンのアレンジは、唯一ヴォーカルが加わったものであり、「雪の上の足跡」のちぎれちぎれに繰り出されるピアノの主題に添えた声が、不思議な世界を作っていく。ヒューガーの「ミューズたちの語らい」は、テクノ・アンビエントふうの1曲で、静寂な中できざまれる軽くエコーのかかったビートが心地よい。クラークによるサラバンドのアレンジは、ピアノの音色に電子音が加わって、天国的と表現したいような、空間的な広がりを思わせる音世界が形成される。バルモレイの「キュピ」は、ギターを含んだロマンティックなアレンジが印象的。
 オラフソンによるドビュッシーのオリジナル曲の演奏も、それ自体、十分な聴きモノだ。「ピアノのために」における、発色性豊かな響きと、輝かしいグリッサンドは、この曲の表現性を極めた豊穣な演奏として見事なものだし、前後の楽曲との連続性も違和感ない。カノープ、ヒースの茂る荒地の2曲は、いずれもホーム・セッション録音と正規録音の2通りが収録されているが、ニュアンス豊かであり、ピアニスティックな冴え、こまやかな指回りの明瞭さにより、楽曲の魅力を十全に引き出している。


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音楽史

歌劇「ザイス」序曲 歌劇「カストルとポリュクス」葬送の情景 歌劇「エベの祭典」エール・タンドル 歌劇「ダルダニュス」タンブーラン I&II 歌劇「栄光の殿堂」ミューズのためのエール・タンドル 歌劇「ボレアド」コントルダンス 歌劇「オシリスの誕生」エール・グラシュ 歌劇「ボレアド」ガヴォット I&II 歌劇「プラテー」雷雨 歌劇「ボレアド」前奏曲 6声のコンセール第6番「メンドリ」 歌劇「エベの祭典」ミュゼット-タンブーラン 歌劇「イポリトとアリシ」リトルネッロ 歌劇「ナイス」リゴードン I&II 歌劇 「優雅なインドの国々」未開人のダンス 歌劇「ボレアド」ポリュムニアの入場 歌劇「優雅なインドの国々」序曲
ミンコフスキ指揮 レ・ミュジシャン・デュ・ルーヴル(ルーヴル宮音楽隊)

レビュー日:2011.6.20
★★★★★ バロックの理論派作曲家に「交響曲への布石」を感じる一枚
 ジャン=フィリップ・ラモー(Jean-Philippe Rameau 1683-1764)はフランスの作曲家。音楽理論の研究家としても高名で、著書に「和声論(Traite de l'harmonie)」、「音楽理論の新体系(Nouveau systeme de musique theorique)」などがある。イタリア・オペラに人気があった当時、彼の作風は作為的に思われ、ルソー(Jean-Jacques Rousseau 1712-1778)らに激しく攻撃されたとされる。
 このアルバムは、フランスの指揮者マルク・ミンコフスキ(Marc Minkowski 1962-)が、自身によって設立したピリオド楽器による合奏団、グルノーブル・ルーヴル宮音楽隊(Les Musiciens du Louvre. Grenoble)を指揮して、ラモーの17の管弦楽曲を抜粋・収録したもので、バレエや歌劇の劇中の音楽などによって構成される。2003年録音。
 サンフォニー・イマジネールというタイトルが付いているが「空想の交響曲」といった意味だろう。実際、「交響曲」というネームが持つイメージには、「純粋な音楽理論」「対位法やソナタ形式を発展させた純器楽による音楽」といったもので、そう考えると、ハイドン、モーツァルトなどによる交響曲の台頭は、言い換えれば機会音楽的なバロック音楽の終焉とも見て取れる。しかし、そう言い切れるだろうか?
 ・・・それで、このアルバムの意図は、バロック音楽の中に、すでに確かに存在していた交響曲的要素を、あらためて明瞭に示し、交響曲がバロック音楽を葬った象徴などではなく、むしろその一要素が発展したものであることを示そうとしているに違いない。且つそのような「音楽に内在する要因」をいちはやく理論として体系化し、実践した作曲家がラモーであったということを。
 実際、ここに収録された楽曲を聴いていると、管弦楽曲としての様々な完成度の高さ、必要要素の充足を感じさせてくれる。ラモーにはメロディーを案出する才があり、的確なセンスがあり、フランス的な機知や気品も携えていた。そして、理論の枠で編み出したものが確固たる音楽となっている。私は以前タローが弾いたラモーのクラウザン曲の、調性を踏まえた展開力、スケールの大きいリズム感にベートーヴェンに通じる熱と迫力を感じたものだが、この管弦楽曲でもあきらかな形となって提示されていると思う。
 ミンコフスキは用心深いテンポ設定をしているとも思う。バロック的だが、バロック調になり過ぎないセーヴがあり、ドラマティックなフレーズや打楽器の効果を用いて、曲想に幅を与え、ややロマンティックな領域に進んでいる。それがラモーの作品の象徴的な「あり様」に重なって思える。

歌劇「カストールとポリュクス」序曲 歌劇「ゾロアストル」より 歌劇「遍歴騎士」より  歌劇「優雅なインドの国々」より 歌劇「アカントとセフィーズ、または共感」より 歌劇「オシリスの誕生」より 歌劇「ダルダニュス」より」 歌劇「ピグマリオン」より彫像のサラバンド 歌劇「カストールとポリュクス」より
ミンコフスキ指揮 レ・ミュジシャン・デュ・ルーヴル(ルーヴル宮音楽隊) vn: ノアイー Br: センペイ

レビュー日:2022.5.31
★★★★★ ミンコフスキによるラモーの管弦楽曲に焦点を当てた企画。18年ぶりの「第2弾」
 フランスの指揮者、マルク・ミンコフスキ(Marc Minkowski 1962-)指揮、ルーヴル宮音楽隊による演奏による、フランス・バロックの大家、ラモー(Jean Philippe Rameau 1683-1764)の管弦楽曲集。収録曲は下記の通り。
歌劇「カストールとポリュクス」(1737/1754年)より
 1) 序曲
歌劇「ゾロアストル」(1749年版)より
 2) ロンド形式によるたおやかなエール
歌劇「遍歴騎士」より
 3) トルバドゥールたちの大いに陽気なアントレ
 4) 独唱「これで私も復讐が果たせる」
 5) 憤怒の鬼たちのエール
歌劇「優雅なインドの国々」より
 6) アフリカの奴隷たちのエール
 7) 西風の精の第1エール
 8) 西風の精の第2エール
 9) 北風の精と薔薇の精のエール
 10) 独唱「太陽よ、そなたの素晴しき隠れ家はどれも壊され」/インカの人々のエール/ロンド形式によるルール/ペルーの人々のガヴォット
歌劇「アカントとセフィーズ、または共感」より
 11) 序曲
 12) 狩猟に興じる人々のアントレ
 13) 第1・第2・第3リゴードン
歌劇「オシリスの誕生」より
 14) ミュゼットのエール
歌劇「ダルダニュス」(1739年版)より
 15) 独唱「どこを見ても酷い場所だ/恐るべき魔物が」
歌劇「ピグマリオン」より
 16) 彫像のサラバンド
 17) スパルタ人たちのタンブラン
 18) 独唱「自然と恋愛がわたしの心をつかむ」
 19) 大いに陽気なエール
歌劇「カストールとポリュクス」(1754年版)より
 20) シャコンヌ
 2021年の録音。4,10,15,18)では、フロリアン・センペイ(Florian Sempey 1988-)のバリトン独唱が加わる。
 当アルバムは"Nouvelle Symphonie"というタイトルが与えられていて、このことは、ミンコフスキが、やはりルーヴル宮音楽隊と2003年に録音したラモーの管弦楽曲集“Une symphonie imaginaire”を想起させる。両者のコンセプトは共通しており、当盤は「続編」と言っていいだろう。
 もう少し「続編」の説明を加えると、ラモーは、音楽の理論的発展に着目し、3度構成や和音の転回、基礎低温といった考えに法則性を与えながら、音楽の規模を拡張していった人物。そのことをふまえ、仮にラモーの時代に「交響曲」的な概念が存在していたとしたら・・・という想像を発展させて、その管弦楽曲を新たな組曲ふうの見立てで構成したアルバムの第2弾といったところだろう。前作もとても聴き応えのあるアルバムだったが、今回の録音も見事なもので、前作を聴いて感動した人も、興味を持ちながらも聴きそびれていた人にも、是非聴いて欲しい内容となっている。
 活力に溢れたリズム、色彩感豊かな響き、情感に満ちたメロディー。どれもが霊感に満ちた芸術性を感じさせ、音楽として満ち足りたものとなっている。素晴らしい質感を聴き手に味わわせてくれる。「カストールとポリュクス」の序曲からシンフォニックな音響と活き活きとした表現が交錯し、「遍歴騎士」の「トルバドゥールたちの大いに陽気なアントレ」では、祭典的な高まりが謳歌される。代表作として知られる「優雅なインドの国々」では、当盤において終曲の役割を与えられた独唱「太陽よ、そなたの素晴しき隠れ家はどれも壊され」以降の力強い運びも、底辺にあるラモーの音楽的構築性を感じさせずにはおかない。「ピグマリオン」の「スパルタ人たちのタンブラン」の愉悦もさすが。
 演奏はオリジナル楽器によっているが、木管の安定した高音は奏者の確かな技術に支えられて、見事な透明感を獲得し、時には鳥のさえずりを思わせるような自然発揚的な音色をもたらす。そして、しばしば加わるセンペイによるバリトン独唱の朗々たる迫力があって素晴らしいの一語。これらの楽曲にうってつけの歌唱だ。中でも高名なアリア「これで私も復讐が果たせる」は、劇的で、威厳が漂う。
 様々な観点で、聴き手を納得させ、存分に楽しませてくれるアルバムになっています。

「優雅なインドの国々」組曲 「ナイス(ナイアス)」組曲 「ゾロアストル(ゾロアスター)」組曲 「ボレアド」組曲
サヴァール指揮 ル・コンセール・デ・ナシオン

レビュー日:2016.3.17
★★★★★ ラモーの偉大さを改めて端的に示したアルバム
 ジョルディ・サヴァール(Jordi Savall 1941-)指揮、ル・コンセール・デ・ナシオンによる演奏で、ラモー(Jean-Philippe Rameau 1683-1764)の管弦楽曲4作品を2枚のCDに収録したアルバム。2011年録音。収録内容は以下の通り。
【CD1】
歌劇「優雅なインドの国々」組曲
 1) 序曲
 2) ミュゼットとロンドー
 3) エール
 4) インカ人たちのエール
 5) 恋人たちのエール
 6) 戦士たちのエール
 7) 戦士とアマゾネスのメヌエット
 8) オラージュ
 9) アフリカ人奴隷のエール
 10) 北風と薔薇のエール
 11) 西風のための第2エール
 12) タンブーラン
 13) シャコンヌ
歌劇「ナイス(ナイアス)」組曲
 14) 序曲
 15) やさしいミュゼット
 16) リゴードン
 17) サラバンド
 18) 西風のガヴォット
 19) ルール
 20) ミュゼット
 21) タンブーラン
 22) 闘士たちのアントレ
 23) シャコンヌ
 24) 勝利のエール
【CD2】
歌劇「ゾロアストル(ゾロアスター)」組曲
 1) 序曲
 2) パスピエ
 3) ルール
 4) 地獄の魂たちのエール
 5) やさしいエールとロンドー
 6) 荘重なエール
 7) ガヴォットとロンドー
 8) サラバンド
 9) コントルダンス
歌劇「ボレアド」組曲
 10) 序曲
 11) アントレー
 12) 人々のアントレー
 13) コントルダンスとロンドー
 14) 風
 15) 時と西風のガヴォット
 16) メヌエット
 17) コントルダンス:とてもいきいきと
 ラモーの作品、そしてピリオド奏法を十分に研究した彼らならではの確信に満ちた輝かしい演奏だ。
 ラモーのきわめて大きな功績は、近代に繋がる機能和声の基礎を形成し、音楽の理論的展開の先駆を示しただけでなく、その理論を言語論文としても体系化したことにある。その旋律に対して和音の優位の思想は、当然のことながら彼の楽曲に反映され、その普遍性を示すこととなる。
 当時、ルソーが先導したより近代的で力強く合理的な和声の表現を培ったフランス音楽に対抗するものとして、イタリア・オペラの旋律主義・声楽主義があり、後者の啓蒙主の役割を務めたルソー(Jean-Jacques Rousseau 1712-1778)と、ラモーは長年にわたって論述を戦わせることとなる。これが、音楽芸術史に名高いブフォン論争(Querelle des Bouffons)として後世に伝えられることになる。
 ラモーはバッハ(Johann Sebastian Bach 1685-1750)とともに12平均律を積極的に唱導した大家であり、バッハはラモーから大きな影響を受けた。そのことは、いわゆるクラシック音楽が対位法の発展を踏まえ、その表現力を飛躍的に獲得していくにあたって、ラモーが計り知れないほど大きな役割を担ったことを示している。
 説明が長いだろうか。ラモーの管弦楽曲は、いわゆるクラシック音楽の中心軸として聴かれるべき作品であり、その相応しい形での再現がこのアルバムに収められている、ということを言うために必要なことを述べたのである。
 当演奏より迫力を追求したものも存在するが、むしろサヴァールのスタイルは、当時のラモーが導入した最新のオーケストラ技術を踏まえながら、和声とリズムの関係を丹念に突き詰めた表現と思える説得力に満ちている。その結果、楽曲の流れは洗練を極め、感覚的な美が随所に自然にあふれてくる。それは聴き手の喜びの感情に強く作用するものだ。
 最後に収録された「ボレアド」はラモーが81歳の時の作品である。ブフォン論争を没年まで続けたラモーらしい、さらに新しいものを目指した作品だろう。器楽の細やかな表現は追及の一途をたどっている。また「風」という楽曲におけるウィンドマシーンの導入も晩年のラモーのアイデアであろう。
 収録曲中、楽曲として典雅なことで有名なのは「優雅なインドの国々」組曲であるが、他の楽曲も含めて、時の経つのを忘れるほど、楽しく没頭できる。そして、ラモーの偉大さをあらためてひしひしと感じることもできるアルバムです。

歌劇「プラテー」管弦楽組曲 「ダルダニュス」管弦楽組曲
マギーガン指揮 フィルハーモニア・バロック・オーケストラ

レビュー日:2012.6.23
★★★★★ もしラモーがドイツ人であったら・・・
 フランス・バロック音楽の作曲家・音楽理論家であったジャン=フィリップ・ラモー(Jean-Philippe Rameau 1683-1764)の歌劇「プラテー」管弦楽組曲と「ダルダニュス」管弦楽組曲を収録。演奏はニコラウス・マギーガン(Nicholas McGegan 1950-)指揮 フィルハーモニア・バロック・オーケストラ。1997の録音。フィルハーモニア・バロック・オーケストラはイギリス古楽器オーケストラ。
 ラモーが早くに示した「理論的な音楽」を顕著に示す内容だと思う。その音楽史上の高い価値に触れたい。ドイツの大指揮者、アルトゥール・ニキシュ(Arthur Nikisch 1855-1922)は「もしラモーがドイツ人であったら、多分バッハよりも偉大な音楽家と認められていただろう」と述べている。どういうことか?
 ラモーの真価は、音楽の「理論に基づく発展性」を明らかにした点にある。和音構成における3度の意義、あるいは和音の転回という観念など、後の音楽の飛躍的な発展のための基礎を完成に導いたのがラモーである。それは当時のフランスの合理主義的文化精神、自然科学発達の土壌に立ったものである。ラモーはバッハとともに平均律を積極的に唱導した最初の大家の1人でもある。その管弦楽書法は、多くの創造的革新的試みに満ちている。彼の成果がバッハに比して軽んじられる面があるのは、一般的なフランス音楽の特性という以上に、歴史上長らくフランス楽界が啓蒙の点でドイツに遅れをとったことが理由の一つであることは否めない。それで、前述のニキシュの言葉となる。
 もう一つ、ラモーの存在を象徴的に示す歴史的事件が「ブフォン論争(Bouffon's Quarrel)」である。これは1750年代の前半のパリを中心としておこなわれたフランス音楽とイタリア音楽の一般的特徴が優劣の観点から激しく論議されたもので、音楽史上の名高い論争の一つだ。この論争で強力なイタリア派の論客を務めたのが「社会契約論」で知られるジャン=ジャック・ルソー(Jean-Jacques Rousseau 1712-1778)である。彼は思想家であるだけではなく、音楽家としても重要な存在で、作品も多く残している。ルソーは、あまりにも知的なラモーの和声主義を終生批判し、イタリアの市民オペラに代表される声楽文化を尊重した。高名なルソーの「フランス音楽に関する書簡(1753)」は徹底的にフランス音楽を否定する内容となっている。しかし、現在これを省みると、ラモーを中心に提案された新しい音楽理論の急激な広がりに対し、イタリア派の「危機感」が論争の根底にあったと思われる。ラモーの打ち立てた様々な理論は、バッハ、モーツァルト、ベートーヴェンといったドイツ・オーストリアの古典派の本流の基礎に鮮やかに組み込まれ、無数の音楽の可能性が体現されていくことになる。今の視点で、この歴史を俯瞰すると、その圧倒的な展開は無類であり、その背景を踏まえて多くの音楽に接することができる現在に至る奇跡に感嘆せずにはいられない。
 それで、このラモーの録音である(ここまでが大変長くなって申し訳ない)。以上の背景からこのディスクを聴いていただきたい。17世紀に生まれた作曲家が、ここまで音楽理論を「先取って」いたのか、と思わず驚嘆してしまうような、輝かしい管弦楽曲だ。力強い変化、和声の発展、これらが有機的に音楽を消化させ、次々と新しい創造の可能性を感じさせ、鮮やかな帰結を結ぶ。試しに聴くならトラック9の「Orage」がいいだろう。まるで、モーツァルトの名交響曲を聴くような感慨を覚えるに違いない。
 マギーガンによる推進力に溢れた解釈も見事で、音楽史におけるラモーの偉大な功績を顕著に示してくれる快演となっている。

バレエ付オペラ「ピグマリオン」
レオンハルト指揮 ラ・プティット・バンド パリ・シャペル・ロワイヤル合唱隊

レビュー日:2013.12.12
★★★★★ レオンハルトを中心とした第一人者たちの堅実な解釈によるラモー
 フランス・バロックの巨匠、ラモー(Jean-Philippe Rameau 1683-1764)作曲による一幕からなるバレエ付オペラ「ピグマリオン(Pygmalion)」。レオンハルト(Gustav Leonhardt 1928-2012)指揮ラ・プティット・バンドと、ヘレヴェッヘ(Philippe Herreweghe 1947-)合唱指揮、パリ・シャペル・ロワイヤル合唱隊による演奏。1980年の録音。配役は以下の通り。
 ピグマリオン(Pygmalion); ジョン・エルウィス(John Elwes 1946- テノール)
 セフィーズ(Cephise); ミーケ・ファン・デァ・スレゥス(Mieke van der Sluis ソプラノ)
 彫刻(Statue); フランソワ・ファンヘッケ(Francois Vanhecke 1957- ソプラノ)
 愛の神(Amour); ラシェル・ヤーカー(Rachel Yakar 1938- ソプラノ)
 全曲でも50分とかからない短いオペラである。本盤では23のトラック分けて収録してあるが、その分類を参考までに記しておくと、以下の通り。
1) 序曲
2) 第1場 “運命の愛神よ、むごい勝利者よ”(ピグマリオン)
3) 第2場 “ピグマリオン、そんなことあって?”(セフィーズ)
4) 第3場 “何という色香、何という魅力!”(ピグマリオン)
5) 第3場 “わたし、何をみているの?どこにいるの?”(彫像)
6) 第4場 “愛の神の力が”(愛の神)
7) 第4場 エアー
8) 第4場 優美なガヴォット
9) 第4場 メヌエット
10) 第4場 快活なガヴォット
11) 第4場 速いシャコンヌ
12) 第4場 きわめて重々しいルール
13) 第4場 3人の美しい神(速いパスピエ)
14) 第4場 リゴドン(快速に)
15) 第4場 彫像のためのサラバンド
16) 第4場 タンブラン(強くそして速く)
17) 第4場 “われらは焦燥に身を委ねよう”(合唱)
18) 第4場 “この辺りの人びとが”(ピグマリオン)
19) 第5場 “愛の神の勝利だ”(ピグマリオン)
20) 第5場 とぼけた遅めのパントマイムときわめて速い第2パントマイム
21) 第5場 “愛の神よ、支配せよ”(ピグマリオン)
22) 第5場 エアー
23) 第5場 コントルダンス(ロンド、快活に)
 ストーリーは、有名なギリシア神話に基づいたもの。彫刻家ピグマリオンは自ら作成した彫刻を愛してしまい、その様に呆れた恋人のセフィーズは、ピグマリオンを問い詰めるが、愛想を尽かして出ていく。ピグマリオンは彫刻に首ったけで愛の神に我が愛が叶うことを祈る。すると愛の神は、彫刻家の才能への見返りとしてこれを聞き入れ、彫刻は命を吹き込まれる。めでたく相違相愛となった彫刻家と彫刻を全体が盛大なバレエで祝福し、大団円に終わる。
 現代の感性に照らすと恐ろしいほどに脳天気なストーリーであるが、もともとのギリシア神話のピグマリオンとガラテアの話もほぼ同じである。同じギリシア神話を下地にした映画が「マイフェレディ」と言えば分かり易いか。いずれにしても、理想の異性として、要求されているのは2つの条件だけで、一つは完璧な容姿を持っている事、もう一つは完全に従順であることだ。おめでたい限りですが、別に哲学を語る作品ではないので、むしろそのおおらかさを楽しむことで良いでしょう。
 さて、ラモーの作品ですが、ラモーらしい優れた作曲技法をベースとした、純音楽的価値の高さが良く示されたものと言っていい。序曲に聴かれる充実した和声処理、舞曲の典雅な趣、終幕に向けた重厚感の伴ったサウンド、いずれも、後の音楽の可能性に結びつくアイデアに満ち溢れていて、今の感覚で聴いても、新しさを感じさせるもの。また、このオペラのストーリー上、エロスのイメージを表現する箇所があるが、ここでラモーがエキゾチックなサウンドを取り入れているところが面白い。ラモーを深く敬愛したドビュッシー(Claude Achille Debussy 1862-1918)に通じるものを強く感じさせる部分だ。
 アリアについては、同時代の他の声楽曲と比べると、内省的な面が強いかもしれないが、甘美に寄り過ぎない緊密な美しさがあり、むしろ何度も聴ける耐久性を感じさせる。独唱者の歌唱も、いわゆるイタリア・オペラのベルカントのような声量豊かなものではなく、音楽的表現としての均質性がよく把握されているが、中でも愛の神を務めるヤーカーの声は、いかにもすわりが良く、この作品、この役柄によく合っていると思う。
 レオンハルトの解釈も、さすがに説得力に満ちたもので、作曲者が工夫を凝らした音色を、丁寧に引き出しながら、堅実に音楽を進行させている。ラモーが考慮した音楽の緻密性、構築性が、随所から伝わってくる。


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