ラフマニノフ
交響曲・管弦楽曲 全集(交響曲 第1番 第2番 第3番 ユース・シンフォニー 交響的舞曲 カプリッチョ・ボヘミアン 交響詩「死の島」 ヴォカリーズ 幻想曲「岩」 交響詩「ロスティスラフ公」 歌劇「アレコ」より「序奏」「女たちの踊り」「男たちの踊り」「間奏曲」 スケルツォ 5つの「音の絵」(レスピーギ編)) アシュケナージ指揮 シドニー交響楽団 レビュー日:2008.9.11 |
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★★★★★ アシュケナージ、シドニー・デビュー!
2009年からシドニー交響楽団の首席指揮者兼アーティスティック・アドバイザーに就任するアシュケナージであるが、そのシドニー交響楽といきなり重量級のアルバムをリリースした。ラフマニノフの「交響曲・管弦楽曲全集」である。いきなり5枚組のアルバム、名詞代わり以上のインパクトのある企画だ。 シドニー交響楽団の名はよく聞くが、しかし録音活動にあまり活発とは言えなかったこのオーケストラの力量を知る上でも、興味深い試金石となる録音だ。アシュケナージには世界の名門中の名門といえるコンセルトヘボウ管弦楽団との一連のラフマニノフの交響曲・管弦楽曲の録音があり、ある意味それに対比されることになるので、オーケストラにとっても真剣勝負は間違いない。 実際に聞いてみると、やはり音色そのものではコンセルトヘボウ管弦楽団の方が豊かである。ほの暗い暖色系の響きはいかにもシンフォニックで見事なラフマニノフだった。それに比べてシドニー交響楽団はややソリッドな音色で、少し冷たい。しかし、重々しいブラスの響きが見事であり、その統率感もなかなか見事だ。例えば交響的舞曲の第1楽章の再現部、ティンパニの連打に導かれる全管弦楽のフォルテはずしーんと腹底に響く重量感を湛える。また、これらのオーケストラの特徴を活かしたアシュケナージの呼吸と間合いの取り方(フレージング)が確信に満ちていて逞しさを感じる。 演奏内容とはまた別に本アルバムは管弦楽曲の「全集」であるという点でも貴重だ。メンデルスゾーンの影響を如実に感じさせる初期の「スケルツォ」や、あるいはレスピーギによって管弦楽曲にアレンジされた「音に絵」からの5曲などが収録されているのが嬉しい。ことに私はレスピーギ版音の絵を初めて聴くことが出来た。レスピーギらしい管弦楽書法を楽しめる逸品で、私にとってはこれだけでも十分な「買い」である。ともかくこれからの両者のレコーディング活動に存分に期待できる新鮮な録音となった。 |
交響曲 全集 アシュケナージ指揮 コンセルトヘボウ管弦楽団 レビュー日:2005.4.10 |
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★★★★★ 現代ラフマニノフを語る上ではずせない名盤
ラフマニノフの交響曲は情緒豊な旋律のあふれる第2交響曲はともかく、他の2曲などはCD時代前にはマイナーなジャンルで「変ったモノ」といったイメージだった。そのイメージを払拭して余りあったのがアシュケナージによる全集であろう。 録音は80年代の初頭であり、まだ指揮者としてのキャリアが十分とはいえなかったアシュケナージであるが、ラフマニノフ作品への人並みならぬ愛着と情熱が名録音を生み出した。 第1交響曲、冒頭からの勇壮な力漲るファンファーレで、高揚感を一気に盛り上げる。その後の弦と金管の掛け合いも凄まじい迫力だ。弦の豊穣な響き、切れるリズムの音楽的な充実!今もってこの曲の魅力を最大限伝える名録音の座にあるCDだ。第2交響曲も勿論素晴らしい。ほの暗いロシア的と感じられる情緒をかもし出すのに、アシュケナージとコンセルトヘボウ管弦楽団の作り出す音色は最高なのだ。第3楽章の高潔な憂いを感じさせるクラリネットの気高さは絶品。第3交響曲はやや難渋な作品だが、アシュケナージは曲を分かりやすく魅力的に伝えてくれる。 現代ラフマニノフを語る上でもはずせない名盤というところだろう。 |
交響曲 第1番 交響詩「死の島」 ユース・シンフォニー ノセダ指揮 BBCフィルハーモニー管弦楽団 レビュー日:2008.12.31 |
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★★★★★ ノセダの充実を示す名演
シャンドス・レーベルから次々に意欲的な録音をリリースしているジャナンドレア・ノセダによるラフマニノフの作品集。交響詩「死の島」、ユース・シンフォニー、交響曲第1番の3曲を収録。BBCフィルハーモニックの演奏で録音は2008年。 最近のノセダの充実振りが如実に伝わる快録音だ。まさに胸のすく名演。特に素晴らしいのが交響曲第1番。この曲はグラズノフ指揮による初演が散々な失敗に終わり、ラフマニノフをメンタル疾患へと追い込んだ因縁の作品である。一説には、グラズノフがラフマニノフの新しい感性を妬んで、テキトーな演奏をしてしまった、という説もあるが本当だろうか。晩年のグラズノフはいろいろと行き詰まりがあったので、考えられるが、確かではない。 それにしてもこの共感に満ちたノセダの演奏で聴くと、曲自体の魅力が一層増し、まさに新時代、ラフマニノフの新たな創作意欲と生命力が全編に漲る野心作として聴き手に伝わることになった。第1楽章の管弦の的確な強い統御により、前進性に優れた表現はラフマニノフの情熱的な一面を強く打ち出している。第2主題の優しい雰囲気も傑出しており、まさに音楽的表現に貫かれている。第4楽章は圧巻の聴き所だ。冒頭から金管の壮麗で躍動的な音型提示がこの楽章の演奏の成否を大きく左右するのだが、ノセダは細かく間合いを調整し、心地よいタメをあちこちに挿入し、せき止めては溢れ、せき止めては溢れという感情の発露を繰り返しながら、見事な造形を築き上げている。 交響詩「死の島」も全編にたゆたう一貫したドラマを非常に巧みに表現していると思う。かなり細かい部分でも、ないがしろに流すような部分が一切無い強い集中力を持っている。まさしく現代ならではのラフマニノフの名演。 |
交響曲 第1番 アシュケナージ指揮 フィルハーモニーア管弦楽団 レビュー日:2017.11.8 |
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★★★★★ ラフマニノフの第1交響曲の名曲性を明らかにする熱血的名演
アシュケナージ(Vladimir Ashkenazy 1937-)指揮、フィルハーモニア管弦楽団によるラフマニノフ(Sergei Rachmaninov 1873-1943)の「交響曲第1番 ニ短調 op.13」。2016年にライヴ録音されたもの。これを皮切りにSignumからラフマニノフの全3曲の交響曲がリリースされるという。 永年に渡ってラフマニノフ協会の会長を務めるアシュケナージが、ピアニストとして、そして指揮者として、その作品の啓発と普及に献身的に尽くしてきたことは、今さら私が言うまでもないことだろう。ラフマニノフの交響曲についても、すでに1980-82年にコンセルトヘボウ管弦楽団と、2007年にシドニー交響楽団と全集を録音しているから、このたびが3回目ということになる。 いずれも名演と呼ぶにふさわしいものである。いろいろ変化している部分もあるが、コンセルトヘボウとの録音は、オーケストラの融和された響き、形容するとしたら、「アコースティック」な名演で、全体的なほの暗い雰囲気が抜群だったのに対し、シドニー交響楽団との録音では、透明性を高め、響きとしてはやや軽めになりながらも、線的な要素をより意識させる細やかな美しさのあるものだった。それで、今回の録音はと言うと、両者の中間的な印象がある。基本的に透明な響きではあるが、この交響曲特有の猛るような情熱はより熱血的になり、劇的なスタイルとなった。 ラフマニノフの音楽を愛するものにとって、この交響曲第1番という作品は、いわば「いわく付」の楽曲である。初演を指揮したグラズノフ(Aleksandr Glazunov 1865-1936)が、こともあろうに楽曲の価値を認めず、酩酊の体で指揮をして、悲惨な結果であったと伝えられる。関連する批評もさんざんで、これを深く気にかけたラフマニノフは、精神に深い傷を負った。時代を代表するピアニストであっても、人々が放つ言葉の毒矢は、その心を蝕むのである。それにしても、現代ではラフマニノフの作品がグラズノフより圧倒的に世界で受け入れられ愛聴されていることは、皮肉というほかない。 そんなわけだから、この交響曲を振るラフマニノフ指揮者は、ある種「弔い合戦」的な意気込みを持つのではないか。私がこんなことを書いたのは、当演奏の熱血性、溢れる力強さ、そしてオーケストラの能力を万全に発揮させた鮮やかなニュアンスの演出に、強い積極的な踏み込みを感じるからである。さすがアシュケナージ、録音時79歳にしてこの迫力である。 第1楽章がその典型で、興奮と熱血を交えて、全体が壮麗なうねりをもって表現され、果敢に突き進む。そうはいっても決して傍若無人ではなく、情緒的な機微を細やかに表現しながらなので、音楽的な充実度はきわめて高い。中間2楽章は精緻でエレガンスを感じさせる部分が多く、第3楽章ではラフマニノフらしい木管の郷愁が深く染み入る。終楽章は明朗に響いて気持ち良いが、音楽がやはり熱血的な高まりを見せ、膨大なエネルギーを持ってフィナーレに向かうことになる。 実に壮大な絵巻といった一遍で、この作品が傑作であることに一片の疑いさえ感じさせない名演といったところである。今後のリリースにも当然ながら大きな期待がかかる。ただ、当盤の収録時間は交響曲第1番のみでおよそ43分。シリーズ継続にあったて、さらにトラックを埋めてくれるボーナスがあれば、さらなる喜びとなるだろう。 |
交響曲 第2番 ヴォカリーズ スケルツォ ヤンソンス指揮 サンクトペテルブルク・フィルハーモニー管弦楽団 レビュー日:2006.4.8 |
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★★★★★ 適度な「ほろ酔い」の健全なるラフマニノフ
ヤンソンスとサンクト・ペテルスブルク・フィルによるラフマニノフの交響曲集から。第3番に次いで93年に録音したのがこの第2番。音質も良好で、廉価落ちを歓迎したい1枚。ヴォカリーズとスケルツォを併録している。 ラフマニノフの第2交響曲は不朽の名作だが、1908年にサンクトペテルスブルクで初演されて大成功を博していらいの人気曲でもあり、この地のオーケストラにとっても因縁浅からぬ曲ということになるだろう。 ヤンソンスの指揮はオーケストラの内面から深い響きを組みとって、音楽に深い陰影を与えている。ロシア的なメランコリーに満ちたこの曲にこのアプローチの生きること!実に生命力に溢れ、輝きもあり、適度な滋味に溢れた名演となっている。第1楽章の多層的な響きは、過度に情感に流される事無く、軸をしっかりキープしており、安心して身をゆだねられる健全さに満ちている。あまりにも有名な第3楽章のクラリネットのメロディも、適度な「ほろ酔い」で決してメロメロにはならず、音楽としての結びがきちんとしている。結果として、一つの「名交響曲」を聴いたという感興が沸き起こるだろう。 なお、余白に収められた「ヴォカリーズ」はかつてキャスリーン・バトルがCMで歌って有名になった歌曲のオーケストラ編曲版。 |
交響曲 第2番 幻想曲「岩」 ノセダ指揮 BBCフィルハーモニー管弦楽団 レビュー日:2010.6.10 |
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★★★★☆ 美しいが・・「彷徨(さまよ)える」交響曲?
ジャナンドレア・ノセダ指揮BBCフィルによるラフマニノフの交響曲第2番と幻想曲「岩」。録音は2008年から09年。 本顔合わせでは前作の交響曲第1番を中心としたアルバムが大変素晴らしかったので、この第2番を含むアルバムも発売してまもなく購入し、聴かせていただいた。 印象は概ね良く、オーケストラを細やかにコントロールした良心的な演奏だと思う。特に秀抜なのが冒頭に収録された幻想曲「岩」で、曲名の通りの幻想性、霧の中を彷徨うような不思議さと、ほのかに甘美なメロディーがよく調合されていて、魅惑的な響きとなっている。 では、交響曲第2番は?・・・これが難しい。アプローチは同様で、細やかに繊細にアンジュレーションに沿った表現で音楽を埋め尽くしている。響きもつねに美しい。ただ、この曲の場合は(特に原典版で演奏する場合)、その長さをいかに克服し、楽曲としての、それも「交響曲」としての「自己証明」をどこに見出すかが難題である。つまり、美しい瞬間を延々とつなげた場合、交響曲としての骨子までが霧散する傾向がある。ただし、これは私の感覚での話である。私の場合、この曲のデフォルトがアシュケナージ指揮コンセルトヘボウ管弦楽団の演奏(超名演!)で、その演奏は、美しい配色とともに心地よいインテンポをベースとし、音楽の寄って立つ構造性を明瞭に打ち出していた。私はそれに慣れている。なので、このような演奏でラフマニノフの交響曲第2番を聴くと、何か方向を失ったかのような不安も感じてしまう。 しかし、これは私が過敏なだけなのかもしれない。なぜなら、そうはいっても第3楽章のクラリネットのメロディーを聴けば、郷愁を感じるし、このノセダの演奏は間違いなく「美しさ」を存分に引き出しているから。細心の弦楽器の波長は心地よく、考え過ぎなければ、しばらく身をゆだねてもいいだろう。 |
交響曲 第2番 交響詩「死の島」 アシュケナージ指揮 コンセルトヘボウ管弦楽団 レビュー日:2011.8.17 |
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★★★★★ ラフマニノフの交響曲第2番の名曲性を知らしめた記念碑的録音
素晴らしい名演である。 ラフマニノフの交響曲第2番という作品は、CD時代になって大いにそのステイタスを上げた作品だ。私が音楽を聴き始めの頃、参考書として愛読した本がある。諸井誠氏の「交響曲名曲名盤100」と「ピアノ名曲名盤100」である。分り易い語り口で、音楽の魅力や聴き比べの楽しみを伝えたもので、今だって私の実家の書棚に置いてある。ところが、この本にはラフマニノフの交響曲第2番が「古今を代表する100の交響曲」にカウントされていない。ルーセルの交響曲などが取り上げられているにもかかわらず、である。この書が刊行されたのが1979年。もし、このアシュケナージの1981年録音のディスクが、これに先んじていたとしたら・・・それこそ「たられば」の話だけど・・・おそらくこの交響曲はランクインしたに違いない。 それほど、この録音は画期的だった。私が音楽を聴き始めたのは、さらにずっと後だけど、やはりラフマニノフの場合、ピアノ協奏曲、次いでピアノ独奏曲というふうに聴いてきて、「交響曲」は後回しになってしまった。ところが、このアシュケナージ指揮の名盤と出会い、「なぜこれほどの名曲を今まで看過してしまっていたのだろう」と思ったものである。 ラフマニノフの交響曲における歴史的録音というと、もう一つアシュケナージの親友であるプレヴィン(Andre Previn 1929-)が1973年に行った「ノーカット版」での録音がある。プレヴィン盤が「起点」であれば、アシュケナージ盤は「展開」の役割を担ったものだ。それほど、このアシュケナージ盤の登場以後、この交響曲を耳にする機会は劇的に増えたものだ。 アシュケナージの演奏についても書いておこう。決然たる自信に満ちたオーケストラサウンドが素晴らしい。そして脈々とエネルギーが供給されるようなテンポ設定が見事。実際、この曲の場合、長い第1楽章をいかに処理するかが重要なポイントだが、アシュケナージは音楽のベクトルを自在に操り、鮮やかにクライマックスを描き出している。暖かく、奥行きの深いコンセルトヘボウ管弦楽団の音色も十全の出来栄えだが、指揮者の卓越したセンスが音楽のコントラスト、ハイライトを鮮やかに調整した点が何と言っても素晴らしい。3楽章のクラリネットの有名な旋律も、巧みな節回しで、唸らされる。 1983年録音の交響詩「死の島」が併録されている。これまたすばらしい名演。ベックリン(Arnold Bocklin 1827-1901)の絵画にインスパイアされた作品だが、5/8拍子特有の不安定さを、的確に掘り下げて、前後に揺れるような振幅を描いたアシュケナージの力演は見事。いずれも録音優秀な点もポイントだ。 |
交響曲 第2番 アシュケナージ指揮 フィルハーモニア管弦楽団 レビュー日:2018.4.24 |
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★★★★★ ただ一言。「完璧!」
芸術に完璧というものが存在するのだろうか。私にそれを推し量るだけの十分なものが自分の中にないことだけは十分に知っているが、おそらく、存在しないのだろう。それは、芸術というものの価値観がとても抽象的で、その価値を推し量る「ものさし」が、様々な方向を向いて存在しているだけでなく、その「ものさし」の間で、なにかを交換するような法則性が存在しないからだ。だから、人工知能がいくら発達しても、究極的に到達が困難であるのは、芸術であるように感じる。とくに、音楽の世界において、人工知能がバッハやベートーヴェンの芸術を越えるような仕事をすることは、どんなにその分野に労力が割かれても、たどり着くことはないだろう。 それが、こと演奏に限った場合であっても、難しい。「楽譜通りに弾く」というだけなら話はカンタンだ。だが、演奏のアーティキュレーションは、非常に抽象的な感性と、論理的な理性の高度なバランスによってもたらされるものだ。だから、どんなに優れた音楽家であっても、一つの作品に対し、何度も挑戦し、苦悩し、一つの道筋を模索する。私たちが、同じ作品を聴いた場合であっても、演奏家によって、解釈によって、受け取る感銘や感動が異なるのはそのためである。 しかし、そのようなことを十分に承知していながら、ときおり、聴いたときに「この演奏は、完璧ではないか」との感動に触発され、完璧だ!と思わず表現してしまいたくなることが、ままある。クラシック音楽を愛好される方であれば、そのような感覚を持つことに、おそらく理解いただけるかと思うのだけれど。 長々と書いてしまったけれど、私がこの録音を聴いて得た感想が、まさしくそれ。私は当盤を「完璧な演奏」と感じ、興奮した。何度も聴いたが、その気持ちは揺るがない。 アシュケナージ(Vladimir Ashkenazy 1937-)が桂冠指揮者として長らく良好な関係を続けるフィルハーモニア管弦楽団との、2015年11月5日ロンドンのロイヤル・フェスティヴァル・ホールで行われたライブ録音、ラフマニノフ(Sergei Rachmaninov 1873-1943)の「交響曲 第2番 ホ短調 op.27」である。 アシュケナージはこのオーケストラとは、指揮者デビュー時から40年を超える関係を継続し、様々に共演してきた。また、アシュケナージのラフマニノフの作品に関する演奏家としてのキャリアについては、いまさら言うまでもないだろう。ピアニストとしても、指揮者としても、ほぼ全作品を録音している。それだけでもすごいことだが、アシュケナージはラフマニノフ協会の会長として、その音楽の国際的な啓発という社会活動も行ってきた人物だ。そのような、芸術家が、自身が積み重ねた歳月を経て身に着けたものを、すべからく反映させたような、完璧なラフマニノフの第2交響曲がここで聴けるのである。実際、この演奏を聴いていると、すべての音が十全にその機能を果たすだけでなく、明確な意志を主張し、かつ他の音との関係性の中で的確な場所に帰結する完全性を感じることができる。すべての楽章が演奏時間10分を越える規模の大きい作品であるにもかかわらず、その演奏から「長さ」を感じることはない。音楽に触れる喜びに浸るうちに、いつのまにか全曲が結ばれる。 第1楽章のほの暗い冒頭から、各所で聴かれる低弦の主張がこれまでのどの演奏でも味わえなかったほどの深みをもって刻まれてゆく。クラリネット、金管の呼応は憂いある情感を含みながら、温もりに溢れた光沢をもって存分に機能する。弛緩のないテンポは、全管弦楽を余すことなくドライヴし、豪壮なクライマックスを築き上げる。第2楽章の躍動感は圧巻の前進性を漲らせて、はち切れるほどのエネルギーの奔流となり、第3楽章では気高い郷愁が心行くまで歌われる。そして終楽章では、熱血的な迫力に溢れ、周到に練り上げられた音量、テンポの配分により、歓喜を導くフィナーレが待ち受ける。終演後の熱狂もむべなるかな。 アシュケナージの芸術家としてのキャリア、そしてその完成を実感させる至福の1枚です。 |
交響曲 第2番 ハンドリー指揮 ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団 レビュー日:2020.6.23 |
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★★★★★ 廉価版として相応に普及した録音ですが、演奏内容もなかなか良好です
イギリスの指揮者、ヴァーノン・ハンドリー(Vernon Handley)指揮、ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団の演奏による、ラフマニノフ(Sergei Rachmaninov 1873-1943)の「交響曲 第2番 ホ短調 op.27」。1994年の録音。 廉価規格で広く流通した音源であるため、それなりの数が世に供給されたと考えられる。 イギリス音楽のスペシャリスト、ハンドリーであるが、もちろん、振るのはイギリス音楽ばかりではない。イギリスではラフマニノフ作品は人気があり、優れた演奏者も多く輩出している。ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団も、伝統的にこの楽曲に優れた録音を行っており、ここでもツボを心得た表現が展開されている。 加えて、当演奏は、ハンドリーがしばしば見せる、情熱的な面が全面に出た演奏と言えるだろう。一つ一つのフレーズに、十分な重みを与え、その重みに相応しい肉付けが全般に与えられている。オーケストラの積極的な表現性とあいまって、非常に雄弁なスタイルのラフマニノフだ。 テンポは比較的早めであるが、目立って早いというほどではない。しかし、必要な個所でのアッチェランドは能弁で、指揮者のドライヴする力を存分に味わわせてくれる。ところどころオーケストラの音に乱れが残り、粗削りと感じさせる一面はあるものの、この演奏のスタイルにおいては、大きなキズにはならないし、実際、そこまで気になるレベルではないだろう。 一般にこの曲の頂点は第3楽章にあると考えられていて、おそらくその通りなのだと思うが、ハンドリーの演奏もそれを踏襲していると思う。第2楽章の粗さが過ぎ去り、第3楽章が始まるや、切々とメロディーを歌い上げる。痛切であるが、品をキープしているのは、この曲を手中に収めたオーケストラの好演による部分も大きいだろう。クラリネットの有名な独奏も、気品が維持されており、崩し過ぎることはない。 終楽章では、あらためてエネルギーが開放される。ハンドリーのタクトも熱く、この曲の終楽章は、これぐらい演出して何ぼなんだ、という強い意思表示が聴かれる。野暮ったいと言えば、確かにそういう側面もあるのだが、分かりやすい熱血性だ。そして圧巻のフィナーレで勢いよく曲を締める。 ラフマニノフの交響曲第2番という作品の魅力を直截に訴えた演奏で、力強い味わい。これが長く廉価流通版として扱われたことは、音楽フアンにとって、良いサービスだったに違いない。 |
交響曲 第2番 ピアノ協奏曲 第2番 パガニーニの主題による狂詩曲 5つの幻想的小品集 10の前奏曲 op.23 徹夜祷(晩祷) ハンドリー指揮 ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団 マリエゴー指揮 コペンハーゲン・オラトリオ合唱団 A: ホヴマン T: エンボア p: スミス サージェント指揮 リバプール・フィルハーモニー管弦楽団 p: ヴァウリン レビュー日:2020.7.7 |
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★★★★★ これはオススメ!ラフマニノフの名品たちを奏でた名演奏が集められた4枚組廉価ボックスセット
独membranレーベルのシリーズ、「Quadromania」は、幅広い年代に録音された音源から、あるテーマに基づくCDメディア4枚分をボックス化し、廉価でリリースしているもの。様々なジャンルの音楽が扱われているが、当盤には、ラフマニノフ(Sergei Rachmaninov 1873-1943)の音源がまとめられている。まず、その収録内容を書く。 【CD1】 交響曲 第2番 ホ短調 op.27 ヴァーノン・ハンドリー(Vernon Handley 1930-2008)指揮 ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団 1994年録音 【CD2】 ピアノ協奏曲 第2番 ハ短調 op.18 1947年録音 パガニーニの主題による狂詩曲 op.43 1948年録音 ピアノ: シリル・スミス(Cyril Smith 1909-1974) マルコム・サージェント(Malcom Sargent 1895-1967)指揮 リバプール・フィルハーモニック管弦楽団 【CD3】 幻想的小曲集 op.3 1) 第1曲 エレジー 変ホ短調 2) 第2曲 前奏曲 嬰ハ短調 「鐘」 (前奏曲集 第1番) 3) 第3曲 メロディ ホ長調 4) 第4曲 道化人形 嬰へ短調 5) 第5曲 セレナード 変ロ短調 10の前奏曲 op.23 6) 第1番 嬰ヘ短調 (前奏曲集 第2番) 7) 第2番 変ロ長調 (前奏曲集 第3番) 8) 第3番 ニ短調 (前奏曲集 第4番) 9) 第4番 ニ長調 (前奏曲集 第5番) 10) 第5番 ト短調 (前奏曲集 第6番) 11) 第6番 変ホ長調 (前奏曲集 第7番) 12) 第7番 ハ短調 (前奏曲集 第8番) 13) 第8番 変イ長調 (前奏曲集 第9番) 14) 第9番 変ホ短調 (前奏曲集 第10番) 15) 第10番 変ト長調 (前奏曲集 第11番) ピアノ: アレクサンデル・ヴァウリン(Alexander Vaulin 1950-) 1997年録音 【CD4】 徹夜祷 op.37 (晩祷) 1) 第1曲 来たれわれらの王、神に(Come let us worship) 2) 第2曲 わが霊や主を讃めあげよ(Bless the Lord, o my soul) 3) 第3曲 悪人の謀に行かざる人は福なり(Blessed is the man) 4) 第4曲 聖にして福たる常生なる天の父(Gladsome Light of the holy glory) 5) 第5曲 主宰や今爾の言にしたがい(Lord, now lettest Thou Thy servant) 6) 第6曲 生神童貞女や慶べよ(Rejoice, O Virgin Theotokos) 7) 第7曲 至高きには光栄(Glory to God in the highest) 8) 第8曲 主の名を讃めあげよ(Praise the name of the Lord) 9) 第9曲 主よ爾は崇め讃めらる(Blessed art Thou, O Lord) 10) 第10曲 ハリストスの復活を見て(Having beheld the Resurrection of Christ) 11) 第11曲 わが心は主を崇め(My soul magnifies the Lord) 12) 第12曲 至高きには光栄神に帰し(Glory to God in the highest) 13) 第13曲 今救いは世界に及べり(Today salvation has come) 14) 第14曲 爾は墓より復活し(Thou didst rise from the tomb) 15) 第15曲 生神女や我等爾の僕婢は(To Thee the victorious Leader) トーステン・マリエゴー(Torsten Mariegaard)指揮 コペンハーゲン・オラトリオ合唱団 アルト: ロッテ・ホヴマン(Lotte Hovman) テノール:ポウル・エンボア(Poul Emborg) 2000年録音 ズバリ、お得そのものの内容。ラフマニノフが好きなら買っておいて損はないハズだ。 【CD1】は廉価規格で広く流通した音源。ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団は、伝統的にこの楽曲に優れた録音を行っており、ここでもツボを心得た表現が展開されている。ハンドリーの情熱的な面が全面に出た演奏で、一つ一つのフレーズに、十分な重みを与え、その重みに相応しい肉付けが全般に与えられている。オーケストラの積極的な表現性とあいまって、非常に雄弁なスタイルのラフマニノフ。テンポは比較的早め。必要な個所でのアッチェランドは能弁で、指揮者のドライヴする力を存分に味わわせてくれる。ところどころオーケストラの音に乱れが残り、粗削りと感じさせる一面はあるものの、この演奏のスタイルにおいては、大きなキズにはならないし、実際、そこまで気になるレベルではないだろう。第2楽章の粗さが過ぎ去り、第3楽章が始まるや、切々と旋律を歌い上げる。痛切であるが、品をキープしているのは、この曲を手中に収めたオーケストラの好演による部分も大きいだろう。クラリネットの有名な独奏も、気品が維持されており、崩し過ぎることはない。終楽章では、あらためてエネルギーが開放される。ハンドリーのタクトも熱く、この曲の終楽章は、これぐらい演出して何ぼなんだ、という強い意思表示が聴かれる。野暮ったいと言えば、確かにそういう側面もあるのだが、分かりやすい熱血性だ。そして圧巻のフィナーレで勢いよく曲を締める。 【CD2】は、さすがに録音の古さを感じないわけではないが、ラフマニノフ演奏に定評のあったアーティストの演奏であり、聴き応え十分。全般に早目のテンポで、ぐいぐい最後まで押していく演奏。スミスのピアノは協奏曲の第1楽章のクライマックスなど、ちょっと荒っぽいところもあるが、第2楽章の耽美性は忘れがたいもので、時々強調される単音のトーンに抜群の情感がこもっていて魅了させられる。パガニーニの主題による狂詩曲も、熱のある演奏だ。 【CD3】でピアノを弾くヴァウリンは、モスクワ生まれで、フリエール(Yakov Flier 1912-1977)に師事したピアニスト。現在はデンマークに住み、演奏家、音楽教育者として活躍しているとのこと。録音点数は、わずかなものがデンマークのClassicoという小さなレーベルからリリースされているが、流通量は多くなく、日本ではほとんど知られていないといって良い。しかし、私見では、現代を代表するロシア・ピアニズムの担い手である。私は、まだ彼の録音を多くは聴けていないが、これまで聴いたものはどれも素晴らしかった。同い年のソコロフ(Grigory Sokolov 1950-)がさかんともてはやされているが、私はヴァウリンのピアノ演奏の方が、ソコロフのものよりずっと好きである。当盤でも素晴らしい演奏を披露している。しっかりとした重量感のある音色、しかし重くなり過ぎずに運動的な魅力や、ピアニスティックな味わいを的確に練り込み、美しく仕立て上げる。堅実堅牢な芸風に感じるが、そこには詩情があり、ものものしいだけではなく、作品の繊細な味わいも巧妙にすくいとっている。冒頭のエレジーから、重力を感じさせる大きく深い響きで聴き手を誘うが、適度なルバートを利かせた旋律からは、音楽がもつ心情的な表現性が過不足なく供給される。テンポは一般的なものであるが、ラフマニノフの浪漫性に応じた多少の変動が好ましく、表現の幅を広げてくれる。有名な前奏曲「鐘」は、重量感をもったまま疾走する力強さ満点の演奏だ。しかも一つ一つの和音が、決して乱暴に響かず、音がダマになるようなところもない。強靭なフォルテも、芯の通った美しい音だ。名品揃いの10の前奏曲ももちろん素晴らしい。ニ長調や変ホ長調の楽曲では旋律線の扱いの巧さが印象的。フレーズの活かし方が堂に入っているだけでなく、全体としてメロディラインが太目に響くところが心強い。ハ短調は劇的な音楽だが、細やかな16分音符がおりなす配色は逞しく、ロシアの大地を思わせる。変ロ長調やト短調といった有名曲では、凛々しくも豪華なピアニズムが貫かれている。また、全般に連綿たる情緒を紡ぐようなところでも、いたずらにテンポを落さず、音楽的な均質性を自然に保っていることも、私は素晴らしい美点に感じる。 なお、当該ディスクの単発売版には、1892年に、ラフマニノフが、幻想的小曲集のうち第3曲と第5曲を改訂した版による演奏が収録されている。私は単発売版も所有しているが、当盤では、なぜかその末尾の2作品が割愛されてしまっているのが残念だ。 【CD4】に収録されている徹夜祷(晩祷)は、声楽のみの作品。ラフマニノフの決して忘れてならない功績の一つで、古い伝承単声聖歌を大時代な20世紀へも通じる芸術作品として昇華させた名品。中世から脈々と受け継がれてきた教会音楽ならではの旋律性やそこに添えられたポリフォニーの美しさを感じ取ることになる。長年、ラフマニノフ協会の会長を務め、ピアニスト、指揮者としてその音楽の普及に献身したアシュケナージ(Vladimir Ashkenazy 1937-)は、10代のころ、故郷の教会で「晩祷」を聴いた体験が忘れられないと言う。アシュケナージは、2012年に録音したアルバムに、第5曲「主宰や今爾の言にしたがい」を、自らピアノ・アレンジしたものを収めている。これが本当に美しいものとなっているので、この場を借りてお勧めしたい。ちなみに、この第5曲「主宰や今爾の言にしたがい」は、ラフマニノフが生前、自分の葬儀の際には演奏してほしい、と語ったと伝えられる。第5曲以外にも、美しい楽曲が目白押しであるが、これらが西洋音楽の主脈の根源的なポリフォニーを扱うものでありながら、ラフマニノフらしいロシア的な低音の重厚さを踏まえた施しがなされた結果、単に中世的・回顧的という以上に無辺の価値を感じさせる深みをともなって響くのが、本作品の素晴らしさである。 当録音は、残響豊かな音場の空間がよく把握できており、かつ合唱は瑞々しい透明感を保ったもの。この曲のより古典的な録音では、大地に根差したような力強さをアピールするものが多いと思うのだが、当盤の印象は、ありふれた言葉だけれど、それらに比べて「現代的」といったところか。バランスが厳密性を感じさせるレベルで保たれていて、何か一つを強く打ち出そうとするより、総合的な音響の完成美を第一に追及したものと言える。そして、私は、その演奏スタイルが、この曲にはよく合致すると思う。清浄な空気感が強く引き出されていて、その結果、どこか自然で神秘的なものを思わせる雰囲気を形作っているからだ。 以上、ラフマニノフの名作群が、それに相応しい名演奏で収録されており、廉価であることも踏まえて超お買い得なアイテムとなっている。特にヴァウリンの音源は、流通量が少ないため、このような形で入手機会が得られることには感謝したい。 |
交響曲 第3番 ユース・シンフォニー ピアノ協奏曲 第4番 クレツキ指揮 スイス・ロマンド管弦楽団 アシュケナージ指揮 コンセルトヘボウ管弦楽団 p: アシュケナージ プレヴィン指揮 ロンドン交響楽団 レビュー日:2008.12.31 |
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★★★★★ ラフマニノフの渋い3曲ですが、いずれ劣らぬ名演揃いです
デッカレーベルのラフマニノフの録音をあちこちから集めた再編集盤。収録曲と演奏データを書いておく。 1) ユース・シンフォニー アシュケナージ指揮 コンセルトヘボウ管弦楽団 1981年録音 2) 交響曲第3番 クレツキ指揮 スイス・ロマンド管弦楽団 1968年録音 3) ピアノ協奏曲第4番 アシュケナージ(p) プレヴィン指揮 ロンドン交響楽団 1971年録音 曲目としてはどれもラフマニノフの作品の中では「渋め」のものであるが、いずれも素晴らしい演奏。 アシュケナージはコンセルトヘボウ管弦楽団とラフマニノフの交響曲全集を録音したが、デッカの廉価再発売盤では、収録時間の関係でユース・シンフォニーがカットされてしまった。私が当盤を購入したのも、そのカットされた録音を補いたいという希望があったからで、このような形でレーベルがケアをしてくれるとありがたい。ユース・シンフォニーはラフマニノフの「習作交響曲」といえる10分程度の作品だが、すでに充実したオーケストレーションで、さすがといえる内容である。アシュケナージの演奏も素晴らしく、非常にふくよかでシンフォニックな響きであり、かつ躍動的で逞しい。 クレツキ指揮の第3交響曲は古い録音だけれどもデッカならではの高品質録音で、続けて聴いてもさほど違和感はない。迫力に満ちた演奏で、クライマックスでのたたみかけるような加速感と高揚感が見事。オーケストラも好演だ。 ピアノ協奏曲は、なぜここに収録されたのかちょっと謎だが、もちろん名演である。ややとりとめのない曲であるが、プレヴィンとの呼吸がよく、まとまりのある演奏で、曲自体が分かりやすいのがよい。人によっては、一気にラフマニノフの渋い作品を知るチャンスとなるディスクだと思う。 |
交響曲 第3番 ジプシーの主題による奇想曲 交響詩「ロスティスラフ公」 ノセダ指揮 BBCフィルハーモニー管弦楽団 レビュー日:2011.9.5 |
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★★★★★ ノセダとBBCフィルによるラフマニノフの交響曲シリーズ完結
ノセダ(Gianandrea Noseda 1964-)指揮BBCフィルによるラフマニノフの交響曲第3番、ジプシーの主題による奇想曲、交響詩「ロスティスラフ公」を収録。2010年の録音。 ノセダのシャンドスレーベルへのラフマニノフの交響曲シリーズが当盤をもって完結したことになる。このシリーズの最初の録音であった第1交響曲は、力と美のバランスに優れた高揚感に満ちたたいへん素晴らしい演奏であった。しかし、有名な第2番では、やや「大事に」行き過ぎたところがあり、音楽の活力として弱含みなところがあり、惜しまれた。 そうして、今回の第3番である。この交響曲は、ちょっと気難しいところがあって、前2曲に比べてとらえどころのないところがあるのだけれど、ノセダの演奏はたいへん堂に入っている。交響曲としての体裁がよく響くのだ。第1楽章は抑制が効いているが、音楽の流れを十分に汲みつくしてのアクセントが効いていて、ポイントが的確に押さえられていく分り易さがある。この楽章が持っている不思議な雰囲気がそのまま伝わってくる。 この交響曲で、ラフマニノフは「3楽章制」を用いていて、第2楽章はスケルツォと緩徐楽章の両方の性格を持っているが、このような音楽でノセダの解析的とも言える眼力を持ったアプローチは存分に活きていて、聴いていて「面白さ」を味わわせてくれる。とくにメロウに盛り上がる弦楽合奏のバックでなる金管の鋭い割くような響きは印象的で、シンフォニックに盛り上がる効果をもたらしている。終楽章はいよいよ浪漫的で散漫さも否めない音楽だが、ノセダの解釈は安心感がある。 併せて2つの管弦楽曲が収録されているが(収録順は交響曲が後になっている)、これらはいずれもラフマニノフが若い頃の作品で、コンサートなどで取り上げられる機会はほとんどないだろう。交響詩「ロスティスラフ公」はラフマニノフが18歳の時の作品で、トルストイのバラードに基づいて作曲されている。チャイコフスキーの影響が顕著な音楽だ。「ジプシーの主題による奇想曲」はその3年後の作品で、内省的な作風。ちょっと暖かめのトーンを持っていて、終盤にかけて音楽の外向的な部分が現われてくる。 いずれにしてもノセダ指揮のBBCフィルは、きめ細かで、楽曲の性格をはっきり打ち出そうというスタイルで演奏を心がけていて、これらの渋い楽曲に光を当てることになっていると思う。ノセダのラフマニノフ作品への共感が作り上げた真摯な録音だと思う。 |
交響曲 第3番 交響的舞曲 アシュケナージ指揮 フィルハーモニア管弦楽団 レビュー日:2018.10.5 |
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★★★★★ ラフマニノフの交響曲第3番の全貌と真価を明らかにする驚愕の名演
シグナム・クラシックス(Signum Classics)レーベルからシリーズ化されたアシュケナージ(Vladimir Ashkenazy 1937-)指揮フィルハーモニア管弦楽団によるライヴ収録によるラフマニノフ(Sergei Rachmaninov 1873-1943)の交響曲録音は、当第3弾で締めくくられた。 実に素晴らしいシリーズだった。アシュケナージが、ピアニストとしては当然のことながら、指揮者としても現代最高の芸術家の一人であることは、自明であるが、このシリーズは1枚リリースされるたびに、作品の新たな価値を感じさせてくれた。いまだ触れたこともない感覚、見たこともない光を、私に与えてくれた。現代のマエストロの仕事として、これ以上ふさわしいものというのも、なかなか思いつかない、と言っても過言ではない。当盤の収録曲は以下の2曲。 1) 交響曲 第3番 イ短調 op.44 2) 交響的舞曲 op.45 2016年ロイヤル・フェスティヴァル・ホールにおけるライヴ録音。 収録された2曲はいずれもラフマニノフ晩年の大作だ。ただ、「交響曲 第3番」については、名曲・名作としての評価が定着しているとは言いにくいだろう。どうしても、名作の誉れ高い第2交響曲と比較してしまうこともその一因だ。しかし、当演奏を聴くと、この第3交響曲こそ、ラフマニノフの完成した最大の芸術品なのではないか、私もすっかり気持ちを改めるくらいに感動してしまった。この交響曲は、あるいは保守的な作風とみなされるのかもしれないが、そこに潜む様々な新しい音響の模索、保守的和声と不協和の融合、それらの音楽技法を駆使した感情と情熱の表現という点で、素晴らしい到達点に達したものなのである。 ただ、それを実感させてくれる演奏というのは数多くはない。私は、この曲をこれまで様々な録音で聴いてきた。もちろん、「いいな」と思ったものもある。アシュケナージがかつて2度録音したものも良演といってよい。しかし、当盤の登場によって、既出のすべての録音の存在が霞んでしまったようにさえ、私には思えた。力強く輝かしい弦楽アンサンブル、明晰な意図によって統合された音響からもたらされる美しさ、力強さ、熱血性、これらが相殺しあうことなく、相乗効果的に音楽を高揚させる。内省的な表現と、外向的な力が、しっかりと連動して、脈々と聴き手に強いメッセージが伝わる。全般にやや速めのテンポで引き締まった表現ながら、旋律の歌い上げはたくましく神々しい。いままでの演奏で分離された感覚のあった技巧的な音響であっても、当演奏ではその必然性が明確になっている。オーケストラ鋭い踏込、感受性に満ちた反応とどれをとっても文句のつけようがない。理想的名演。終結後の聴衆の熱狂も当然だろう。 「交響的舞曲」はそれに比べると、作品としてそこまで複雑さのないものであり、既存版にも優れたものが多くあり、当盤でなければ味わえない、とまで言えば言い過ぎかもしれないが、もちろん素晴らしい演奏である。ことにサックス、バズーンといった楽器の憂いは、崇高な気配を帯びているし、打楽器陣の調和性を重んじながら、しっかりとした存在感を示す表現も周到至極である。そして、こちらも高揚感に溢れた帰結とともに、聴衆は熱狂で応える。それはアシュケナージが指揮者としてデビューをして以来、現在は桂冠指揮者として、40年に渡って良好な関係を築き続けているフィルハーモニア管弦楽団員にとっても、幸福な瞬間であったに違いないし、自分たちだからこそこの演奏が成しえるのだ、という自負もあるに違いない。うらやましいほどの素晴らしい関係だ。 このようなコンサートに居合わせた聴衆にとって、それは生涯忘れがたい経験であったにちがいない。それをメディアという形で記録し、私たちもその芸術に接することができるのは、福音といって良い。 |
交響詩「死の島」 交響的舞曲 アシュケナージ指揮 コンセルトヘボウ管弦楽団 レビュー日:2004.1.1 再レビュー日:2016.11.25 |
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★★★★★ ラフマニノフの傑作の決定盤
収録曲はラフマニノフのオーケストラ作品の中でももっとも有名な交響詩「死の島」と、実質的にラフマニノフの第4交響曲といえる「交響的舞曲」。 「死の島」はベックリンの同名の絵画から着想を得たもの。2・3・2・3と刻まれる不気味な5拍子が全曲を支配し、暗い重い、夜の海を印象付ける。 このCDの初版盤ではジャケットにこの絵画をプリントしてあったので、非常にイメージがわきやすかった。とにかく名演!「死の島」は名曲である。 「交響的舞曲」はラフマニノフ67歳にして最後の作品。当初バレエ音楽として上演をもくろんでいたらしく、それぞれの曲に「昼」「たそがれ」「真夜中」という標題をつけたという。 初演はオーマンディが指揮。充実したシンフォニックな響きに満つ傑作。アシュケナージはコンセルトヘボウの深いソノリティを万全にリードし、完璧といえる美録音盤を仕上げている。 |
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★★★★★ アシュケナージが描いた彩色感に溢れた「死の島」
アシュケナージ(Vladimir Ashkenazy 1937-)指揮、コンセルトヘボウ管弦楽団によるラフマニノフ(Sergei Rachmaninov 1873-1943)の交響詩「死の島」op.29と交響的舞曲op.45を収録した1983年録音の名盤。 これらの2曲の名曲性を一気に高めた名録音であり、今なおこれら両曲の代表的録音と言って何ら問題ないもの。 「死の島」とは不気味なタイトルである。これはスイスの象徴主義の画家、ベックリン(Arnold Bocklin 1827-1901)の同名の絵画に由来する。(「死の島」と名付けたのはベックリンではないそうだが)。そのベックリンの絵画が、当CDのジャケットに使用されている。ベックリンは同じテーマで5つの同様の構図を持った絵を描いているが、ジャケットに引用されてるのは「バーゼル版」と呼ばれるもの。しかし、ラフマニノフが実際に見ていたものは、マックス・クリンガー(Max Klinger 1857-1920)が、原画を銅版画で模写した白黒のもので、作曲ののちにラフマニノフは原画を見て、その色合いが思っていたものと違ってショックを受けたという逸話が残っている。ただ、この後にラフマニノフが見た原画が、果たして「バーゼル版」なのかどうか。私は知らない。バーゼル版を見る限り、島の両端を成す岩塊に明るさがあるとは言え、重油のように暗く重々しい海の雰囲気など、ラフマニノフの楽曲の印象によく通じるもののようにも思う。ただ、他にも「死の島」として同様の構図で描かれた作品があるのだが、これらの中には、驚くほど色彩感の異なるものもある。これらの画像はネット環境で閲覧えきるので、興味のある人は検索してみると面白いだろう。 しかし、アシュケナージが指揮した「死の島」は、実にドラマティックだ。これは私にはバーゼル版の印象に似通う。2・3・2・3という重々しいリズムが刻まれ、暗い海が表現される。そこに近づく棺を乗せた一艘の小舟。 絵画は一瞬を描いているが、音楽は時間軸に沿った展開がある。ラフマニノフの「死の島」は、中間部で壮大に盛り上がる。まるで、時と共に、風は吹きすさび、海が荒れ狂っていくように。当録音の迫力はまさに凄まじいの一語で、全管弦楽が一体となって、巨大なうなりが起こり、風が咆哮するようだ。それは、絵画で描ききれなかった一面をも補うような音楽の膂力である。そしてふたたび鎮静が訪れ、闇に戻る怖さも秀逸だ。 「交響的舞曲」も充実したエネルギッシュな演奏。コンセルトヘボウ管弦楽団の合奏音の見事さももちろんのこと、一瞬も緩みのないタクトが素晴らしい。演奏によっては散漫さの残ってしまうようなところでも、自信にみなぎる表現で、一気に終結を目指す活力に満ちている。 録音も超優秀。いまだ、第一級の名演、名録音として、その座はゆるがない。 |
交響詩「死の島」 交響的舞曲 幻想曲「岩」 ペトレンコ指揮 ロイヤル・リヴァプール・フィルハーモニー管弦楽団 レビュー日:2018.2.9 |
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★★★★★ ペトレンコとリヴァプール・フィルの実力が如何なく発揮されたラフマニノフ
ワシリー・ペトレンコ(Vasily Petrenko 1976-)指揮、ロイヤル・リヴァプール・フィルハーモニー管弦楽団によるラフマニノフ(Sergei Rachmaninov 1873-1943)の管弦楽曲集。以下の3曲を収録している。 1) 交響的舞曲 op.45 2) 交響詩 「死の島」 op.29 3) 幻想曲 「岩」 op.7 2008年から09年にかけての録音。 この録音が行われた頃は、ちょうど、彼らの名を世に知れ渡らせることとなったショスタコーヴィチ(Dmitrii Shostakovich 1906-1975)の交響曲シリーズの録音が行われていたころである。ショスタコーヴィチの交響曲は見事な全集となった。そして、このラフマニノフも実に素晴らしい。 なにより驚かされるのはオーケストラの豊饒でかつ隅々までバランスのとれた響きである。これは、もちろん録音スタッフが優秀な仕事をしているということもあるのだけれど、それにしてもオーケストラのサウンドの絶対的な美観が圧倒的に印象を支配する。 「交響的舞曲」は、実質的にラフマニノフの交響曲第4番と言うべき作品であり、晩年の大傑作と言って良い。しかし、そこに集められた多彩な楽器陣をコントロールして、まとめあげるというのはなかなか難しい。私がこれまで聴いた録音の中では、アシュケナージ(Vladimir Ashkenazy 1937-)がコンセルトヘボウ管弦楽団を指揮した1983年の録音だ断然素晴らしかった。当録音は、私にとって「アシュケナージ以来」と言って良い収穫になった。 第1楽章のサックスのソロ、第2楽章のヴァイオリンとバズーン、第3楽章のバスクラリネット、ハープとピアノ、要所要所で重要なモチーフを司る特徴的な音色が克明に描かれ、かつ前後の他楽器との受け渡しの妙がつねに合理的に決まる。その結果、全体の活力が高まり、勇壮な、名の通りの「シンフォニック・ダンス」が繰り広げられるのである。パーカッション陣の演出力も効果的で、低弦の表出力と合わさった効果も、忘れがたい高揚感を生み出す。 「死の島」もやはり1983年のアシュケナージ盤以来の興奮を味わった。楽器バランスが絶妙なのは、アルバム全般に言えることだが、この楽曲では、クライマックスに向けてうねるようにして高まって行く感情が圧巻と言って良い。クライマックスのテンションの高さもすさまじい。アシュケナージに比べると、やや裾野の広い響きで、音の持続性が長いが、しかしそのことで、フレーズが埋もれるようなことはなく、厚みのあるサウンドが構築されていて、ドラマを大きくする方向に働いている。 最後に収録された幻想曲「岩」は、ラフマニノフの若いころの作品であるが、高い完成度を感じさせる作品。この曲では表情豊かなフルートが幻想的な風合いを抜群の雰囲気で醸し出している。質感豊かに低音が再現された録音の品質の良さも特筆したい。 名演奏、名録音で、これら3曲が聴けてしまう、絶好のアルバムとなっています。 |
ピアノ作品全集 p: アシュケナージ プレヴィン ハイティンク指揮 コンセルトヘボウ管弦楽団 他 レビュー日:2014.2.11 |
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★★★★★ ラフマニノフを愛するすべての人に
ラフマニノフ協会の会長を務め、永くその作品の演奏と普及に努めてきたアシュケナージ(Vladimir Ashkenazy 1937-)による、デッカ・レーベルへのラフマニノフ(Sergei Rachmaninov 1873-1943)のピアノ曲の録音を、CD11枚にまとめたもの。 収録対象となっている作品は、協奏曲全曲と、4手、6手、あるいは2台のピアノのための作品も含めた「全てのピアノ作品」で、しかも、独奏曲については、複数の音源があるものは、それらも余すことなく収録しているのが特徴。そのため、例えば練習曲集「音の絵」op.39については、1963年、1973年、1985年の3つの録音すべてが収録されている。また、編曲ものも多くを収めている他、「ここはすばらしいところ」「ヴォカリーズ」「リラの花」「ひなぎく」といったラフマニノフ自身による歌曲の編曲ものも収録されている。 協奏曲(とパガニーニの主題による狂詩曲)については、デッカ・レーベルにはプレヴィン(Andre Previn 1929-)との素晴らしい全集もあったのだが、そちらは割愛されていて、当アルバムには、ハイティンク(Bernard Haitink 1929-)と録音された音源が採用されている。念のため、収録内容の詳細をまとめよう。 【CD1-2】 録音1984-86年 1) ピアノ協奏曲第1番嬰ヘ短調 op.1 2) ピアノ協奏曲第2番ハ短調 op.18 3) ピアノ協奏曲第3番ニ短調 op.30 4) ピアノ協奏曲第4番ト短調 op.40 5) パガニーニの主題による狂詩曲 op.43 ハイティンク指揮 コンセルトヘボウ管弦楽団 5)のみフィルハーモニア管弦楽団 【CD3】 録音 1974年、1979年 1) 2台のピアノのための組曲 第1番「幻想的絵画」op.5(舟歌 夜、愛 涙 復活祭) 2) 2台のピアノのための組曲 第2番 op.17(序奏、ワルツ、ロマンス、タランテラ) 3) 交響的舞曲(2台のピアノ版) op.45 第2ピアノ:アンドレ・プレヴィン 【CD4】 録音 1975年 24の前奏曲(前奏曲ハ短調 Op.3-2「鐘」、10の前奏曲集 op.23、13の前奏曲集 op.32) 【CD5】 録音 1985年 1) コレルリの主題による変奏曲 op.42 2) 練習曲集「音の絵」 op.39 【CD6】 録音 2011年 1) ショパンの主題による変奏曲 op.22 2) ピアノ・ソナタ 第1番ニ短調 op.28 【CD7】 録音1,2)1980-81年,3)1979年,4,5)2011,13年 1) ピアノ・ソナタ 第2番変ロ短調 op.36 2) 練習曲集「音の絵」 op.33 3) 2台のピアノによる「ロシアの主題による狂詩曲」 第2ピアノ:プレヴィン 4) ロマンス ト長調 5) 2台のピアノによる組曲 第1番「幻想的絵画」 op.5 第2ピアノ:ヴォフカ・アシュケナージ(Vovka Ashkenazy 1961-) 【CD8】 録音 2002年,2004年 1) 楽興の時 op.16 2) 幻想的小品集 op.3(悲歌 前奏曲「鐘」 メロディ 道化役者 セレナード) 3) 断章 4) 前奏曲ニ短調 5) ここはすばらしいところ op.21-7 6) ヴォカリーズ op.34-14 【CD9】 録音 2000年 1) J.Sバッハ(Johann Sebastian Bach 1685-1750)/ラフマニノフ編 無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第3番から「プレリュード」「ガヴォット」「ジーグ」 2) シューベルト(Franz Schubert 1797-1828)/ラフマニノフ編 歌曲集「美しき水車小屋の娘」から「どこへ?」 3) メンデルスゾーン(Felix Mendelssohn Bartholdy 1809-1947)/ラフマニノフ編 「真夏の夜の夢」から「スケルツォ」 4) ビゼー(Georges Bizet 1838-1875) /ラフマニノフ編 「アルルの女」から「メヌエット」 5) ムソルグスキー(Modest Petrovich Mussorgsky 1839-1881)/ラフマニノフ編 「ゴパック」 6) リムスキー=コルサコフ(Nikolai Rimsky-Korsakov 1844-1908)/ラフマニノフ編 「熊蜂の飛行」 7) チャイコフスキー(Peter Ilyich Tchaikovsky 1840-1893)/ラフマニノフ編 「子守歌」 8) ベーア(Franz Behr 1837-1898)/ラフマニノフ編 「V.R.のポルカ」 9) 「リラの花」 op.21-5 10) 「ひなぎく」 op.38-3 11) クライスラー(Fritz Kreisler 1875-1962)/ラフマニノフ編 「愛の悲しみ」 12) クライスラー/ラフマニノフ編 「愛の喜び」 13) 4手のピアノのための6つの小品 op.11(舟歌 スケルツォ ロシアの歌 ワルツ ロマンス 栄光) 14) ワルツ イ調(6手のための) p: ヴォフカ・アシュケナージ ドディ・アシュケナージ(Dody Ashkenazy) 15) ロマンス イ調(6手のための) 同上 16) イタリアン・ポルカ(4手のピアノとトランペットのための)p: ヴォフカ・アシュケナージ tp: アラステア・マッキー(Alastair Mackie) 17) スタッフォード=スミス(John Stafford Smith 1750-1836)/ラフマニノフ編「星条旗」 【CD10】 録音 2012年 1) ピアノのための小品 変イ長調 2) 7つのサロン的小品集 op.10(夜想曲、ワルツ、舟歌、メロディ、ユモレスク、ロマンス、マズルカ) 3) 3つの夜想曲 4) 無言歌 5) シコルスキ社の楽譜による初期ピアノ作品集(カノン、フーガ、ロマンス、4つの小品、 前奏曲 ヘ長調、幻想的小品、フゲッタ) 6) オリエンタル・スケッチ 7) 15のロマンス op.26から第12曲:夜は悲しい(アシュケナージ編) 8) 晩祷~第5曲:主宰や今爾(なんじ)の言(ことば)にしたがい(アシュケナージ編) 録音:2012年 【CD11】 録音 1)1973年,2)1963年,3)1978年,4)1977年 1) 練習曲集「音の絵」 op.39 2) 練習曲集「音の絵」 op.39 3) 「リラの花」op.21-5 4) 「ひなぎく」op.38-3 いずれの録音も、アシュケナージという偉大なピアニストによる「ラフマニノフへの尽きぬ思い」に満たされた美しいもの。私の場合、当アイテムに収められたピアノ協奏曲第2番を聴くことによって、クラシック音楽の深い森に誘われた。そのため、この録音には特別な思い入れがある。しかも、以来、アシュケナージの録音を聴くことによって、多くの作品を知っていた経緯があって、当盤に収録されている他の音源も全部収集してきた。そのため、ラフマニノフの音楽に郷愁を誘う要素が多いことが加わって、私にとって、これらの録音を聴くことは、当時の自分を思い出すようなところがあって、ちょっと感傷的になるところがある。 しかし、アシュケナージの録音には、得難い暖かさが満ちている。ラフマニノフの音楽には、確かに感傷に働きかける作用があるけれど、アシュケナージのピアノは、すべてを包み込むような温もりを持って響く。哀しみの中に癒しがあり、暗さの中に希望がある。そのような音楽が、聴き手にとって、いかに大きな喜びとなることか。 「協奏曲第3番」は第1楽章の大カデンツァ(オッシア)の劇的な表現がことに素晴らしい。壮大な和音が、豊饒さに満ち、内的な熱を持って響く。人が「情熱」と呼ぶものが、美しく音楽に投影される瞬間だ。壮大なロマンティシズムを感じる。「パガニーニの主題による変奏曲」は映画などに多用された第22変奏だけでなく、音響的なダイナミズムを十全に把握した表現が素晴らしい。「コレルリの主題による変奏曲」は何度も何度も聴いた忘れられない録音。アシュケナージの演奏は、無類にロマンティックでありながら、力強い躍動感にあふれる。CD4に収録された「前奏曲全24曲」は、発売当時吉田秀和氏が「近年発売されたピアノ録音で、最も美しいもの」と述べたと読んだ記憶がある。不思議な彷徨を思わせる楽曲もあれば、勇壮な音の伽藍を築き上げる楽曲もある。アシュケナージは1曲1曲の個性に沿って、味わい豊かなアプローチを繰り広げる。「ピアノ・ソナタ第2番」の冒頭の気迫の凄まじいこと。火炎の吹き出るような苛烈さだ。このような瞬間を味わえるのもアシュケナージのラフマニノフならではだ。「楽興の時」の多分に技巧的で、しかし多重な歌のある作品を、精妙かつ繊細に整えているのは驚く。そして、アシュケナージ自身が編曲した「主宰や今爾(なんじ)の言(ことば)にしたがい」の清澄な美しさは、鳥肌のたつ思い。 それにしても、これらの録音を聴いていると、アシュケナージがこの作曲家のために捧げたエネルギーの大きさにはあらためて驚かされる。(これ以外にも、室内楽、歌曲、交響曲、管弦楽曲などもほぼすべて録音したのだ)。しかもそのエネルギーが外因性のものではなく、まぎれもなくアシュケナージという芸術家の深い内奥からあふれ出てきたものであることを実感する。だから、私は、これらの音楽を聴くと、いつだって深く心を動かされるのだ。このようなボックス・セットにまとまったことで、その芸術的精神性に、あらためて多くの人が触れることができるならば、私もたいへんうれしい。 なお、アシュケナージの息子であるヴォフカ・アシュケナージが、たびたび第2ピアノを務めている他、6手のための作品では、さらにアシュケナージの妻であるドディが加わっている。家族の団らんのような一面をも味わわせてくれます。 |
ピアノ協奏曲全集 p: アシュケナージ プレヴィン指揮 ロンドン交響楽団 レビュー日:2004.1.1 |
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★★★★★ ラフマニノフを愛する2大芸術家の歴史的名盤
歴史的名盤。 もちろん後のハイティンクとの素晴らしいデジタル録音の全集もあるが、こちらのよりロシア的な線的表現をとる人も多い。そこは好みの問題。 私はどちらか?と言われればハイティンクとの新盤派だが、この旧盤も大事なアルバムである。第3番ではプレヴィンのダイナミックな棒さばきも聴きものだ。 アシュケナージのみでなく、ラフマニノフの音楽の「正しい認識」を啓蒙するために、プレヴィンがはたした功績は大きい。親友アシュケナージと組んでの協奏曲、2台のピアノのための作品集録音をはじめ、第2交響曲完全版の復活上演など・・・ ここでもプレヴィンならではの作品への愛情を感じる。 |
ピアノ協奏曲全集 パガニーニの主題による狂詩曲 p: ハフ リットン指揮 ダラス交響楽団 レビュー日:2005.4.23 |
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★★★★★ 辛口のアプローチで曲の真像に迫る意欲的な演奏
4曲の協奏曲はライヴ録音、パガニーニの主題による狂詩曲のみスタジオ録音だ。 ハフらしい辛口のアプローチで曲の真像に迫る意欲的な演奏といえる。CDのタスキには以下のように書かれている・・・「センチメンタリズム拒否!スコアの原点に立ち返ったライヴ・パフォーマンス!」 “センチメンタリズム拒否”は言い過ぎかもしれないが、たしかに聴いてみると頷けるコピーである。 象徴的なのは・・・例えば第2番冒頭の和音連打も、過度ののめりこみを徹底的に排し、いささか即物的にすぎるのではないかと思うほどさらっとすませる。このスタイルは全般に貫かれていて、例えば細やかな分散和音の中で、メロディ・ラインを浮き立たせて当然のようなシーンであっても、ハフは音の均衡を保ち、甘味を極限まで控えている。第3協奏曲の第1楽章のカデンツァは有名な和音連打ヴァージョンではなく、分散音型タイプ(この表現いいのか?)の方を採用しているのも、この演奏の方向性であればナルホド納得だ。 さすがにハフ。見た目も修道士のようだが、演奏も禁欲的だ。。。などと感心してしまった。ハフのテクニックはライヴとは思えないほどの完成度に達している。またハフの解釈をよく理解したオケも、予想以上の好演といっていいだろう。 |
ピアノ協奏曲全集 p: アシュケナージ ハイティンク指揮 コンセルトヘボウ管弦楽団 レビュー日:2007.6.25 |
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★★★★★ 名演奏による名曲を、名録音で聴く。
この録音は、私をクラシック音楽の深い森に誘った、言ってみれば私の「音楽原体験」となったものです。 20年近く前になるのですが、何気なく立ち寄ったレコード店で流れていたのが、この協奏曲第2番。憑かれたように「衝動買い」し、(よく中学生当時、そんなお金を持っていたものです)。以来、何度も何度も聴いてきました。それがこのように廉価盤になって発売されることに、えもいわれぬ感傷を禁じえないところ。 世の中、どんな名曲と名演であっても、ひとしくすべての音楽ファンを「満足」させるということはないでしょう。それゆえに様々な演奏家が存在し、たくさんの録音がリリースされるわけです。そして、それこそがクラシック音楽の世界の醍醐味でしょう。しかし、一方で、万人の胸に等しく迫る音楽に、極限まで近づいているのが、この録音と感じます。 「逢引き」をはじめとするハリウッド映画(最近では「のだめカンタービレ」!?)ですっかりおなじみの第2番、同時代のピアニストたちに多大な影響を与えた第3番。どれも十全の出来栄え。当録音の特徴として、まずはピアノの暖かいヒューマン・タッチといいたくなる音色。響きが素晴らしく、ふくよかな輪郭で、決め所の和音は豊穣な彩色(第3番の壮大なカデンツァは圧巻!!)。次にオーケストラの素晴らしさ。ともすると安っぽくなってしまう危険なメロディを、バックグラウンドをほの暗い気品あふれるカラーで押さえ、一時も高貴な「気高さ」を失いません。そして、最後に録音。コンセルトヘボウの音をデッカの録音技術がことごとく救い上げてかつ、万全の配色で整えてあります。名演奏による名曲を、名録音で聴く。それがこのアルバムの真髄でしょう。 |
ピアノ協奏曲全集 パガニーニの主題による狂詩曲 コレルリの主題による変奏曲 ショパンの主題による変奏曲 p: ルガンスキー オラモ指揮 バーミンガム市交響楽団 レビュー日:2013.11.25 |
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★★★★★ 最近のラフマニノフのピアノ協奏曲録音の中でも、特に優れたものの一つ
ルガンスキー(Nikolai Lugansky 1972-)とオラモ(Sakari Oramo 1965-)指揮バーミンガム市交響楽団によるラフマニノフ(Sergei Rachmaninov)のピアノ協奏曲全集。ピアノ・ソロ曲2曲も含めたCD3枚組。収録内容を以下に示す。 【CD1】 1) ピアノ協奏曲 第1番嬰ヘ短調 op.1 (2002年録音) 2) ピアノ協奏曲 第2番ハ短調 op.18 (2005年録音) 【CD2】 3) ピアノ協奏曲第3番ニ短調 op.30 (2003年録音) 4) ピアノ協奏曲第4番ト短調 op.40 (2005年録音) 【CD3】 5) パガニーニの主題による狂詩曲 op.43 (2004年録音) 6) コレルリの主題による変奏曲op.42 (2004年録音) 7) ショパンの主題による変奏曲op.22 (2004年録音) 念のためあらためて書いておくと、6)と7)がソロ・ピアノのための作品。また、ピアノ協奏曲第3番第1楽章のカデンツァは大カデンツァ(オッシア)ではなく、オリジナルの小カデンツァを弾いている。 私はアシュケナージ(Vladimir Ashkenazy)の弾くラフマニノフの協奏曲を聴いて以来、クラシック音楽の世界に入り込んだ経緯のある人間なので、以後ラフマニノフの協奏曲についても、数多くの録音を聴いてきた。そして、アシュケナージ以後の録音では、私にとって、このルガンスキーの録音が、アンスネス(Leif Ove Andsnes 1970-)、ハフ(Stephen Hough 1961-)、ティボーデ(Jean-Yves Thibaudet 1961-)とともに、強く印象に残るものとなった。 ルガンスキーには、この全集以前にもエラートに録音したラフマニノフのピアノ・ソロ作品集があり、そちらもたいへん素晴らしかったので、その時点で私はこのピアニストのラフマニノフへの適性を確信していたのだけれど、はたして、この協奏曲集も、彼一流のピアニズムが堪能できる素晴らしい成果が表れた。それでは、彼のピアニズムとはどのようなものか? それは、まず「ロシア・ピアニズム」と称される厳密な技術に基づいた力強い響きである。特にルガンスキーは大きな手の持ち主であり、その天分と併せてラフマニノフの作品に秘められたロシア的なメランコリーや情緒をきわめて濃厚な力強さを持って引き出している。次いで、その洗練された感性である。これは一言で形容するなら「エレガント」ということになるだろう。ルガンスキーは、たとえ濃厚な情緒を表現するときであっても、音楽との距離感を緊密にたもち、常に遠視点的なコントロールで全体を統御する。そのため、情緒があっても、品を崩すことはなく、凛々しいほどの彫像線が強固にキープされている。例えば、協奏曲第1番の第2楽章におけるおどろくほど禁欲的な表現と透徹されたイン・テンポ、落ち着いたフレージングの扱いに象徴されるものだ。 細やかなパッセージがいかにも闊達に動くように聴こえるのは、この演奏がきわめてしっかりした礎を根底に持っているからだ。その礎があるからこそ、瞬間的な放散において、一気に解き放つエネルギーが見事な効果を上げるのである。 オラモ指揮のオーケストラも素晴らしい。情感を淡く漂わせて、低音を強調し過ぎない音色は、オラモが得意とする故郷北欧の音楽を連想するが、本演奏では独奏とあいまって、要所でシンフォニックかつ雄大な効果を引き出していて、聴き手をゾクッとさせてくれる。ルガンスキーの技術のメカニカルな万全さと、決してそれだけに終始しない、血の通った音楽的霊感に満ちたピアノの響きと重なって、人の心に強く訴えかけるラフマニノフとなっている。 もちろん、2曲の独奏曲も、これらの曲の代表的録音の一つといって差し支えない内容。 これらの名演・名盤が、発売からしばらく年数が経過して、このような廉価盤で全集化され、入手しやすくなったことは、いかにも喜ばしいと思う。 |
ピアノ協奏曲全集 p: アンスネス パッパーノ指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 ロンドン交響楽団 レビュー日:2013.12.11 |
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★★★★★ アンスネスのクールな白熱に酔うラフマニノフ
アンスネス(Leif Ove Andsnes 1970-)とパッパーノ(Antonio Pappano 1959-)指揮によるラフマニノフ(Sergei Rachmaninov 1873-1943)のピアノ協奏曲全集。収録内容は以下の通り。 【CD1】 1) ピアノ協奏曲 第1番 嬰ヘ短調 op.12 2005年録音 2) ピアノ協奏曲 第2番 ハ短調 op.18 2005年録音 【CD2】 3) ピアノ協奏曲 第3番 ニ短調 op.30 2009年録音 4) ピアノ協奏曲 第4番 ト短調 op.40 2010年録音 オーケストラは、第1番と第2番がベルリン・フィルハーモニー管弦楽団、第3番と第4番がロンドン交響楽団。第2番のみがライヴ録音。第3番の第1楽章のカデンツァは大カデンツァ(ossia; オッシア)を使用。 非常に細やかで、かつ力強い内容を持った全集。全編に渡ってアンスネスの輝かしいピアニズムが披露されている。ダイナミックで流麗。淀みがなく、渓谷を流れ下る清水のように、力学に沿って滾々と落ちていくような感じ。かといって必要な場所では内側から盛り上がるような強いパッションを捻出し、鍵盤に展開させてくる。 これらの4曲の協奏曲のうち、第1番は、ツィマーマン(Krystian Zimerman 1956-)が指摘するように、青春の情熱が炎となって燃え上がる様なところがあるのだけれど、そういった箇所でもアンスネスは常に鋭利にしてクールな感性を保ち、高貴さをまとった表現を奏でる。もちろん、そうはいっても気高いダイナミズムを内包していて、第3番の大カデンツァの和音など、遥かな高みから打ち下ろすような壮麗な響きだ。このカデンツァの感動は、アシュケナージ(Vladimir Ashkenazy 1937-)に匹敵すると思う。 パッパーノの指揮も注目されるだろう。パッパーノはオペラを主戦とする人で、そのため、細やかな感情表現に詳細に気を配る印象。自分の得意な方法論をそのままラフマニノフにも適用している。ここでの彼の指揮は、私には少々「芸が細かすぎる(発色し過ぎる)」ところはあるのだけれど、一方でたいへん効果が上がっているところもある。例えば協奏曲第2番の第2楽章のフルートのなんとも色っぽい響きや、同じ楽章で普段ほとんど聞こえないピチカートをくっきりと入れてくるところなど、おもしろい。この曲の終楽章で、スラヴ民謡的主題を終幕に向けて高揚させるところで、低弦の効果を思いきり引き出すところは、アシュケナージもこの曲を指揮していたとき、同じようにやっていたのを思い出す。 そんなパッパーノの指揮が、鮮やかに決まったのが第4番である。この成功は特筆したいところで、細かいアヤを混ぜたアプローチを繰り出すタイプの指揮者に、第4番という楽曲が適合し、それが曲を聴く際の「悦楽」に大きく作用した好例だ。その結果、聴いていてこの曲の持つ変幻ぶりがことさら楽しい。小さなクライマックスにも機敏に反応して、曲のパッセージごとにうまいまとまりを与えている。もちろん、ここでもアンスネスのピアノは素晴らしく、機敏な曲想の変化に対応し、オーケストラともども鮮やかな息吹を音楽に与えている。 全般に素晴らしい全集だと思うのだが、私には録音に若干不満が残る。(私には)意外なことに、この録音は一般的には好評みたいなのだけれど、私の好みからいくと、中音域の分離はそれほどきれいではないため、ところどころで、オーケストラの音が不必要に厚ぼったくなるように聴こえるところが不満である。デッカの優秀な録音と聴き比べをすれば、その差は明確になるところ。ただ、これは細かい話なので、総体として、当アイテムが素晴らしい内容のアルバムであるということには、特段の差しさわりはない。 |
ピアノ協奏曲全集 p: ティボーデ アシュケナージ指揮 クリーヴランド管弦楽団 レビュー日:2016.1.7 |
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★★★★★ 文句なく傑出した全集。ただし、割愛されている曲があるので、購入に際しては要注意です。
ジャン=イヴ・ティボーデ(Jean-Yves Thibaudet 1961-)のピアノ、アシュケナージ(Vladimir Ashkenazy 1937-)指揮クリーヴランド管弦楽団の演奏によるラフマニノフ(Sergei Rachmaninov 1873-1943)のピアノ協奏曲全集。CD2枚組で、収録曲は以下の通り。 1) ピアノ協奏曲 第1番 ヘ短調 op.1 1995年録音 2) ピアノ協奏曲 第2番 ハ短調 op.18 1993年録音 3) ピアノ協奏曲 第3番 ニ短調 op.30 1994年録音 4) ピアノ協奏曲 第4番 ト短調 op.40 1996年録音 3)のカデンツァは大カデンツァ(オッシア;ossia)を使用。 現在傑出した全集の一つ。私にとって、アシュケナージがハイティンク(Bernard Haitink 1929-)指揮コンセルトヘボウ管弦楽団と1984-86年に録音した全集とともに、双璧といえるもの。 ピアニストとして、これらの全集を2度録音しているアシュケナージが、これらの曲を知りぬいたうえで、絶妙の冴えを隅々まで行き渡らせている。 オーケストラは機能性に優れたクリーヴランド管弦楽団で、透明感に満ちた明瞭この上ない響きであり、全般に屈折率の低い結晶のような輝きを感じさせる美麗この上ないサウンドとなっている。 ティボーデのピアノは、繊細で、それでいて一つ一つ芯の通った突き通る様なタッチである。もちろんそのテクニックだって文句のつけようがない。そもそもこのピアニストだって、コンクール型ヴィルトゥオーゾの草分け的存在だったのである。そのティボーデが、細やかな音を、一面にビーズを敷き詰めてそれがサインカーブのように美しい曲線を描くように流れてくる様を聴いてくると、人工美の極致が完璧な自然さへと至ることを思い知らされている。 ティボーデのガラス細工のようなピアノは美しいが、決して華奢ではない。ラフマニノフの楽曲に必要な体躯的な力は、十分に内部に秘められていて、その支えがあってこその美しさなのである。アシュケナージのサポートの巧さもこの上ない。ピアノに即して間断なく管弦楽を統御する。特に金管のパッセージの鮮烈なインパクトは、楽曲の緩急のコントラストに強靭なコントラストを与えていて、あらためてこれらの楽曲が通俗曲と言うをはるかに上回る芸術的価値を有していることを雄弁に証明している。 アシュケナージの指揮は、こまやかなフレーズの受け渡しや、ピアノとの呼吸のあった完璧と言える間合い、そして独奏者を引き立たせる音響上のスペースの確保など、すべてが万全と呼びうる出来栄えなのである。これらの演奏が示すものは、浪漫性が、本来これと対抗する芸術的価値であった機能性を追求しながら、自然発生的に喚起されているという驚異的な方法論である。現代的なラフマニノフであり、しかし、伝統的なものもしっかり息づいているわけだ。 ことに、第4番をここまで音楽表現として洗練させた演奏は従来なかったと言って良い。第1楽章の終結部のやや重さを感じる進行が、ティボーデの軽快無比なタッチと、アシュケナージのオーケストラ・コントロールによって、心地よい飛翔感を感じさせるところなど無類の効果である。第2楽章も単調さのなかに秘められた物憂い情緒、そしてアシュケナージによって見事に演出されたグレゴリオ聖歌から派生したモチーフなど、この楽章にこれほど様々なものがあったのか、とあらためて気づかせてくれる魅力にあふれている。第3楽章の歌い上げは春の息吹を感じさせるように鮮烈で、清々しい。 以上のように、私にとって当全集は非常に素晴らしいものであるのだけれど、当アイテムの欠点として、「パガニーニの主題による狂詩曲」が割愛されている点がある。そのようなわけで、私としては(CD3枚になってしまうけれど)分売盤をそれぞれ収集する方が、より望ましいと考える。協奏曲第4番と併録されていたティボーデによる独奏曲録音も見事なものである。 というわけで、当全集自体素晴らしいことは疑いようがないのだけれど、当アイテムの購入に関しては、そのあたりを検討されることをオススメしたい。 |
ピアノ協奏曲 第1番 パガニーニの主題による狂詩曲 p: アシュケナージ ハイティンク指揮 コンセルトヘボウ管弦楽団 フィルハーモニア管弦楽団 レビュー日:2015.3.2 |
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★★★★★ ラフマニノフの第1協奏曲の真価を知らしめた録音
アシュケナージ(Vladimir Ashkenazy 1937-)のピアノ、ハイティンク(Bernard Haitink 1929-)指揮による、ラフマニノフ(Sergei Rachmaninov 1873-1943)の以下の2曲を収録。1986年の録音。 1) ピアノ協奏曲 第1番 嬰ヘ短調 op.1 2) パガニーニの主題による狂詩曲 op.43 オーケストラは、1)はコンセルトヘボウ管弦楽団、2)がフィルハーモニア管弦楽団。 いずれもこれらの曲を代表する名録音。 アシュケナージは、長くラフマニノフ協会の会長に努め、その作品の普及、啓発に貢献してきた。私の認識に間違えなければ、ラフマニノフの作品全般は、60年代ぐらいには、クラシック全般の中では、やや軽んじてみられていて、有名な協奏曲やパガニーニの主題による狂詩曲は、(あまり良くない意味での)映画音楽みたいなもの、だったし、それ以外の作品は、前奏曲集を除けば、ほとんど聴く人などいない、といった様相だった。そのラフマニノフ作品のステイタスを大きく高め、真価を世に示したアシュケナージの功績ははかりしれない。 ピアノ協奏曲第1番という作品は、ラフマニノフが学生時代の習作のように位置づけられていたのだけれど、アシュケナージは、1度目はプレヴィン(Andre Previn 1929-)と、そして2度目はこのハイティンクといずれも見事な録音を作り、以来、多くのピアニストがこの作品を手がけるようになった。 改めて聴いてみると、作曲者ラフマニノフが、後に何度も手入れしたこともあり、楽曲としてとても美しい作品である。もちろん、演奏が良いことが必要だけれど、そういった点で、アシュケナージとハイティンクなら、全幅の信頼を置けることは、今ではその功績が証明している。 かく言う私も、この録音は虜になったように何度も聴いた。私の場合、アシュケナージのお蔭で、最初に大好きになった作曲家というのが、ラフマニノフだったのだからなおさらである。 全般に暖かくほの暗い雰囲気が素晴らしい。アシュケナージのタッチや艶やかで躍動感がありながら、音楽的な転結をきれいに結んだもので、いつ聴いても、心の深いところまで届いてくる。アシュケナージが弾く第1楽章のカデンツァは、後の第3協奏曲のオッシア(大カデンツァ)を予感させるスケールと情熱を秘めている。第3楽章の推進力に満ちた音楽は勇壮でとにかく美事。 パガニーニの主題による狂詩曲はすでに高名な作品であったが、アシュケナージとハイティンクの演奏は、上質な気品を維持しながら、必要となると鋭利な切り口で迫った充実の響きだ。これまでいろいろな録音を聴いてきたけど、私は、やはり当録音がいちばん好きだ。 30年近く昔の録音だが、録音技術という点で、現在の観点でもまったく遜色なく、むしろ現在でも上質といって良いレベル。そのような点も踏まえて、これからラフマニノフを聴く人にも、第一に推奨したい演奏である。 |
ラフマニノフ ピアノ協奏曲 第1番 シチェドリン ピアノ協奏曲 第2番 ストラヴィンスキー カプリッチョ p: マツーエフ ゲルギエフ指揮 マリインスキー劇場管弦楽団 レビュー日:2015.9.11 |
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★★★★★ ストラヴィンスキー、そしてシチェドリンがとても見事です
Mariinskyレーベルによる、デニス・マツーエフ(Denis Matsuev 1975-)のピアノ、ゲルギエフ(Valery Gergiev 1953-)指揮マリインスキー歌劇場管弦楽団の演奏による、ライヴ録音によるピアノ協奏曲集。収録曲は以下の3曲。 1) ラフマニノフ(Sergey Rachmaninov 1873-1943) ピアノ協奏曲 第1番 嬰ヘ短調 op.1 2) ストラヴィンスキー(Igor Stravinsky 1882-1971) ピアノと管弦楽のためのカプリッチョ 3) シチェドリン(Rodion Shchedrin 1932-) ピアノ協奏曲 第2番 ラフマニノフは2014年、他の2曲は2015年の録音。同じ顔合わせによるラフマニノフの「ピアノ協奏曲第3番」と「パガニーニの主題による狂詩曲」については、すでに2009年録音のものがリリースされている。ストラヴィンスキーの楽曲は「カプリッチョ」と命名されてはいるが、実態は連続して演奏される3つの楽章からなるピアノ協奏曲。 このたびの録音も、マツーエフ、ゲルギエフ両者の個性があいまって、熱血的な演奏が繰り広げられている。特に素晴らしいのがストラヴィンスキーで、この曲にはベロフ(Michel Beroff 1950-)やムストネン(Olli Mustonen 1967-)にも、とても良い録音があるのだけれど、当録音は冒頭から重量感に溢れた音色を自在に操った求心力が圧巻。メカニカルなベロフ盤、色彩感豊かなムストネン盤に対し、そこに第3の価値軸を追及した当録音が加わった、という雰囲気。ゲルギエフの指揮によって繰り出される音色は、一つ一つが臨場感に満ちていて、これに呼応し、さらに勢いを加えるようなマツーエフのピアノも凄い。 シチェドリンも面白い。この楽曲は、アムラン(Marc-Andre Hamelin 1961-)とリットン(Andrew Litton 1959-)による2003年録音のアルバム(Hyperion MCDA67425)で広く世に紹介され、私もその録音を通じてこの作品を知ることになったのだが、当時アムランの演奏の完成度の高さから、これに次ぐ録音が出るのだろうか?と思っていたのだが、10年のタイムスパンを経て、このマツーエフ盤が登場したことになる。マツーエフの演奏はアムランに比べてはるかに濃厚な味わいがあり、作品の性格をややロマンティックなものに近づけているので、その点で、アムランを取る人とマツーエフを取る人で分かれそうだ。個人的には、第2楽章の推進の力強さは、マツーエフ盤の魅力が勝ると思う。ヴィブラフォンとドラムスが登場することで有名な第3楽章については、両者の印象はそれほど違わない。この楽章はユニークではあるが、奏者によってそれほど表現が変わらないというところがある。 最後に、最近評価が高まっているラフマニノフの第1協奏曲についてだが、この曲でもピアノ、オーケストラともに技巧の限りを尽くして様々な仕掛けが設けられた演奏になっている。ただ、私はラフマニノフの作品については、もっと大局的な落ち着きや見通しのある演奏が好ましいと思っていて、当演奏を聴いても、今一つその世界に没入できなかった。様々な仕掛けが、かえって音楽の世界に入り込むのに、不自然な突起になってしまう気がする。 しかし、ストラヴィンスキー、そしてシチェドリンの2曲については実に見事で、全体として推薦をためらうようなアルバムではない。 |
ピアノ協奏曲 第1番 第2番 p: ツィマーマン 小澤指揮 ボストン交響楽団 レビュー日:2005.1.1 |
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★★★★☆ 特に第1番が名演
録音に慎重なツィマーマンの待望の新録音ということになる。やはりラフマニノフとなると、さらに力が入ったようで、第1番を録音してから第2番を録音するまで、3年間ものインターバルを要している。熟考に熟考を重ねたのだろう。結果、きわめて重層でありながら、光彩陸離たるラフマニノフになっている。 第2番冒頭の和音。一つ一つかみしめる様にズシーン!ズシーンと大地に向けて重力を感じる音がひびく。その後もスローなテンポで一音もないがしろにしない音楽が続いていく。ただ、個人的にはこの1,2楽章は、特にもっとほの暗いロシア的ノスタルジーがほしい、と感じる。 技巧は、すごい。完全に鳴らしきっている。終楽章はとてもよく違和感なく感じる。第2番の終楽章とともに第1番はより成功していると言える内容だ。 ラフマニノフの曲自体がやや内向きとっている第1番でこのアプローチは生きている。深い。ただ、小澤の指揮は、もっと主張があってもいいのでは、と思うほど禁欲的だと感じた。協奏曲指揮者の美学を徹頭徹尾守り抜いたのかもしれないが、ラフマニノフではときおりもっと情感を湛える音色がほしい。 |
ピアノ協奏曲 第1番 第3番 p: ルガンスキー オラモ指揮 バーミンガム市交響楽団 レビュー日:2005.3.21 |
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★★★★★ “次なる者”の説得力ある名演
タティアナ・ニコラーエワがサンフランシスコで亡くなる直前のインタビューで、ルガンスキーを「ロシアの偉大なピアニストの系譜で“次なる者”になるであろう」と予言していた。翌年のチャイコフスキー・コンクールで1位なしの2位となったルガンスキーは、その後着実にレコーディング活動を通じて、日本の音楽ファンにもその評価は浸透しつつあるようだ。 このラフマニノフの協奏曲はそんなルガンスキーの近年の充実を示す好録音だ。まず一聴して、その技術と類まれなる完成度の高さに驚嘆させられる。細やかなパッセージを自由奔放に描きわけまさに生き物のように鮮やかな動きをみせる。切れ味、音の鮮明なたちあがりともに抜群で、その爽快感は比類ない。音楽的霊感とよばれる感性も十全で、決してメカニカルな曲芸のみに終わるのではないところがよい。細やかな表現に血を通わせている。 第3番のカデンツァはここでは、あまり知られていない方のカデンツァを弾いているが、そのスピーディーな展開と心地よい加速感は多くの人に驚嘆とともに迎えられるに違いない。 そしてバックのオラモに指揮されたバーミンガム市交響楽団のパフォーマンスも素晴らしい。線の太い重量感のある響きで、シンフォニックなピアノに負けず劣らずの充足ぶりで、実に見事。個人的にはラフ3はアシュケナージ、プレトニョフとともに三指に入る名演と感じられた。 |
ピアノ協奏曲 第1番 第3番 p: ティボーデ アシュケナージ指揮 クリーヴランド管弦楽団 レビュー日:2008.1.18 再レビュー日:2016.1.5 |
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★★★★★ まさに隠れた名演です
演奏・録音とも素晴らしいのに、なぜかあっさり廃盤となってしまったティボーデとアシュケナージのラフマニノフの協奏曲集。入手機会があればぜひ聴いてみていただきたい名演です。 ティボーデのアプローチは実に鮮烈で、和音の鳴りが決してつぶれずに、絶妙のバランスと奥行きを持っている。また高速でこまやかなパッセージを処理する際のテクニカルな冴えも見事で、えもいわれぬ爽快感を聴き手にもたらしてくれる。アシュケナージの指揮がまた素晴らしい。ピアニストとしてラフマニノフの数多くの作品に素晴らしい録音を行い、さらに識者としては交響曲をはじめとする管弦楽曲や合唱曲を、さらには歌曲のピアノ伴奏や室内楽も録音した彼ならではの、ラフマニノフを知り尽くしたタクトだと思う。情緒に流されすぎず、規律による品位を保ちながら、しかも琴線に触れる音色である。第3番第2楽章の弦合奏によるほのぐらいテーマと、これを支えるクラリネット、そしてオーボエの語りかけを聴くだけで、その素晴らしさは十分に伝わるだろう。 ちなみにライナー・ノーツによれば、ティボーデとアシュケナージは第1協奏曲の初稿による録音も考えていたとのことだが、ここでは結局実現せず、後にアシュケナージはギンジンを独奏者に向かえオンディーヌ・レーベルに念願の初稿による録音を果たすことになった。 |
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★★★★★ 浪漫性と機能性が、相補いながら、互いの価値を高めた素晴らしい演奏成果
ジャン=イヴ・ティボーデ(Jean-Yves Thibaudet 1961-)のピアノ、アシュケナージ(Vladimir Ashkenazy 1937-)指揮クリーヴランド管弦楽団の演奏でラフマニノフ(Sergei Rachmaninov 1873-1943)の以下の2つの名曲を収録。 1) ピアノ協奏曲 第3番 ニ短調 op.30 2) ピアノ協奏曲 第1番 ヘ短調 op.1 1)は1994年、2)は1995年の録音。1993年に録音された第2番、パガニーニの主題による狂詩曲に続くシリーズ2枚目のアルバムに相当する。ピアノ協奏曲第3番のカデンツァは大カデンツァ(オッシア;ossia)を使用。 まず、注目したいのは、アシュケナージの指揮である。というのは、アシュケナージという芸術家が、ラフマニノフ作品に精力的に取り組んできた歳月を反映する豊かな情感と深い含蓄を感じさせる響きに満ちている演奏だからである。 アシュケナージは、ピアニストとして、ラフマニノフのピアノ協奏曲第3番を4回録音してきた。その録音年と共演者を記載してみよう。 1) 1963年 フィーストゥラーリ(Anatole Fistoulari 1907-1995)指揮 ロンドン交響楽団 2) 1971年 プレヴィン(Andre Previn 1929-)指揮 ロンドン交響楽団 3) 1975年 オーマンディ(Eugene Ormandy 1899-1985)指揮 フィラデルフィア管弦楽団 4) 1985年 ハイティンク(Bernard Haitink 1929-)指揮 コンセルトヘボウ管弦楽団 私はいずれも所有していて、どれも素晴らしい録音であり、特に4)は、この曲の決定盤とも言える内容だと考えている。 さて、そこで当盤であるが、そのアシュケナージの指揮ぶりが実に見事なのだ。上記の共演者たちの中で言うと、ハイティンクの演奏をさらに濃色で染め上げたというか、オーマンディの演奏をよりブルーな雰囲気にシフトさせたというか、なるほど、これまでの経験を踏まえながらも、そこに新しいものが示されているのである。 また、ピアニストとしての経験という以上に、アシュケナージ自身がコンセルトヘボウ管弦楽団を指揮して完成した素晴らしいラフマニノフの交響曲全集の経験も、当然のように活かされているだろう。加えて、当録音のオーケストラは、機能美という点で世界でもトップクラスのクリーヴランド管弦楽団である。アシュケナージは、このオーケストラの機能性を活かし、実に細やかな色彩の配慮と、ダイナミックの演出を繰り出した。 加えてピアニストとしてこの楽曲に精通しているアシュケナージならではの、こまやかなフレーズの受け渡しや、ピアノとの呼吸のあった完璧と言える間合い、そして独奏者を引き立たせる音響上のスペースの確保など、すべてが万全と呼びうる出来栄えなのである。この演奏を聴いていて、私は「アシュケナージのピアノとアシュケナージの指揮で、この曲を聴いてみたい」と思った。しかし、ラフマニノフのように独奏者に至難な技巧を要求する曲で、そのようなことは多重録音でもしない限り、無理な話なのだけれど。 しかし、そのような空想はティボーデに失礼かもしれない。なぜなら、ティボーデのピアノも実に見事なものなのだから。繊細で隙のないタッチ、そして必要な個所での性急的な迫力。決してパワーで押すタイプではないけれど、音色の変化と、アクションの鋭さで、鮮やかなインパクト・ポイントを描き出す。それにしても、絶対的な音色のきれいなこと。私は彼の弾いたラヴェル(Maurice Ravel 1875-1937)のピアノ協奏曲のことを、あちこちで思い出した。当盤で彼が扱っているピアニスティックな手法は、あの素晴らしいラヴェルの録音と共通するものに違いないのである。 この録音を聴いていると、本来むしろ対立する概念の多い浪漫性と機能性が、みごとに相補いながら、互いの価値を高めていることに気付く。この演奏の美質は、その点に集約されると言ってもいいだろう。そして、これまたクオリティーの高い録音によって、それらの価値が減じることなく、メディア化されたことも特筆すべきことだろう。 常に人の心の深い場所に作用する、聴くべきラフマニノフを堪能できる1枚だ。 |
ピアノ協奏曲 第1番(原典版) 第4番(原典版) p: ギンジン アシュケナージ指揮 ヘルシンキ・フィルハーモニー管弦楽団 レビュー日:2005.3.21 |
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★★★★★ 初稿による演奏です!
1994年のチャイコフスキー・コンクールで4位となったアレクサンドル・ギンジンのアルバム。この時は1位なしで、2位がルガンスキー、3位がルデンコだったので、かなりハイレベルなコンクールだったに違いない。(なぜ1位がなし・・?) さて、このアルバムの特徴ですが、このラフマニノフの比較的存在としては渋い2曲の協奏曲の初校に基づいて演奏していることです。特に第4番のスコアは、アシュケナージがラフマニノフの草稿を研究し、今回のスコアを起こしたそうですが、ファンにとってはうれしい、貴重なアルバムとなりました。 やはり「改訂」によって曲は余分なものを削ぎ落とし、すぐれた作品へと変化したと考えるのが妥当と思われますが、ここで聴かれる初校による演奏は、ギンジンとアシュケナージの解釈のたくみさもともなって、たいへん魅惑的に響きます。失われた無数の経過句や、魅力的な「回り道」がよみがえり、ラフマニノフ・ファンなら絶対喜べる個所が多いです。 演奏はややスローなテンポながら、ギンジンの瑞々しいタッチと、ラフマニノフを知り尽くしたアシュケナージの美しく暖かいオケにサウンドにより、たいへん情緒豊なものとなっています。 第1番の冒頭の金管の高級感のある響き、低弦が奏でる憂いある主題、そしてこの版の聴き所といえる「経過句」を丁寧に紡ぎながらも、音楽の持っている情熱や流れを決して失わない喜びに満ちた演奏となっています。世代を超えた二人の偉大なアーティストが、このような録音を実現したことは、本当に価値が高いと思います。 |
ピアノ協奏曲 第2番 第3番 p: トルプチェスキ ペトレンコ指揮 ロイヤル・リヴァプール・フィルハーモニー管弦楽団 レビュー日:2011.12.6 |
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★★★★★ 若い感性を強く印象付けるラフマニノフ
シモン・トルプチェスキ(Simon Trpceski 1979-)はマケドニアのピアニスト。2000年のロンドン国際ピアノ・コンクールで第2位に入賞して以後、活躍の幅を広げている。今回はヴァシリー・ペトレンコ(Vasily Petrenko 1976-)指揮ロイヤル・リヴァプール・フィルとのラフマニノフのピアノ協奏曲第2番と第3番。メインディッシュと言える名曲を2曲まとめて収録したおいしい内容のアルバムとも言える。第3番第1楽章のカデンツァはオッシア(大カデンツァ)を使用。2009年録音。 若きピアニストと若き指揮者の溌剌たる顔合わせだと思う。私は、ペトレンコについてはは、これまでもチャイコフスキーやショスタコーヴィチの交響曲の録音を聴いて、瑞々しく、かつ表皮的ではない音作りに感心してきたし、トルプチェスキについては、2001年に録音されたスクリャービンのピアノ・ソナタ第5番を聴いたことがあり、曲の神秘性を巧みに引き出した好演が印象に残っている。そんな二人によるラフマニノフの協奏曲ということになるので、これは私にとっても興味深い。 聴いてみての感想であるが、いかにも現代的なラフマニノフだと思った。ラフマニノフのこれらの名作にはロマンティックなロシア的情緒があちこちで表出されることになるのだけれど、トルプチェスキとペトレンコは、これらに威圧的な要素を与えていない。どこか自然描写とも言えるような、節度ある距離感を保ちながら、クライマックスであっても外的均衡を保ちながら、明確で線的なフォルムを形成する。秘められた内燃性の白熱とでも云おうか?リヒテルのような濃厚な味わいとは対照的と言ってよい。 ひと昔前であれば、このようなラフマニノフは、ちょっとラフマニノフらしさに欠ける印象をもたらしたかもしれない。しかし、現代ではラフマニノフのピアノ協奏曲なんて、それこそほんとうにたくさんの録音が出ていて、聴いている側にもちょっと食傷気味なところがあると思う。そんなときに、このラフマニノフを聴くと、良い胃薬を処方されたかのように、スキッとした爽快な気持ちになるところがある。(なんか例えが変ですか?)。つまりこの様な演奏は、現代の様な背景があってこそ、付加価値が高まるものとも思うのです。 トルプチェスキのストレスのないピアニズム、それを可能にするテクニックは立派なものだ。ラフマニノフの大河風協奏曲が、これほど清流のように弾きこなされるのには、なかなかお目にかかれない。ペトレンコの指揮も細やかで、金管の音色など、あいかわらず詳細な指示が出されているに違いないと思う。特にクライマックスにおける響きの「鋭鈍」の調節は面白い。この指揮者の明確な特徴の一つだろう。第3協奏曲の終楽章がことさら淡白なところなど、好みが分かれる傾向が強いと思うが、彼らのラフマニノフは、その感性を堪能するにうってつけのグラウンドであるに違いない。 |
ピアノ協奏曲 第2番 第3番 p: ブニアティシヴィリ P.ヤルヴィ指揮 チェコ・フィルハーモニー管弦楽団 レビュー日:2017.6.9 |
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★★★☆☆ 私の感性では、評価が難しい。
グルジア出身のピアニスト、カティア・ブニアティシヴィリ(Khatia Buniatishvili 1987-)とパーヴォ・ヤルヴィ(Paavo Jarvi 1962-)指揮、チェコ・フィルハーモニー管弦楽団によるラフマニノフ (Sergei Rachmaninov 1873-1943)の以下の2つの名曲を収録したアルバム。 1) ピアノ協奏曲 第2番 ハ短調 op.18 2) ピアノ協奏曲 第3番 ニ短調 op.30 2016年、セッション録音。第3番のカデンツァは大カデンツァ(オッシア)を使用。 ブニアティシヴィリの当演奏の特徴はたびたび仕掛けられる衝動的なスピードにある。第2番の第1楽章のクライマックスの直前、第2楽章の中間部、第3楽章であればフーガを思わせるパッセージ、第3番の第3楽章冒頭、挙げればきりがないが、あちこちで、ブニアティシヴィリは限界のスピードに挑戦する。そのヴィルトゥオジティや、同音連打の明瞭さには驚かされる。華やかで、突如何かがクローズアップされるような面白味もある。全体に急くようなパーツに彩られて、音楽は多彩さをもって聞こえるし、オッシアにみられるような迫力も十全である。 しかし、私はこの演奏と録音に様々な意味で消化しきれないもの、あるいは不満といったものを併せて感じ取ってしまう。この2曲は間違いなく天才ラフマニノフが書いた名曲である。そこに技巧的なものが含まれているのは当然として、全体を包む暖かくも憂鬱な、あの偉大な旋律線、それをいかに扱うかがこの楽曲の肝になる。この演奏を何度か聴いた感想を簡潔にまとめると、これらの名曲に特有の「薫り」を感じる部分が少なすぎる、ということになる。 いくつか原因がある。一つは前述のブニアティシヴィリのスタイルが、全曲を通して聴いた時の充足感に必ずしも直結していない点である。いや、断言は良くないかもしれない。少なくとも、私にはそう聴こえる。これらの圧倒的なスピードやたたみかける加速、散りばめられた技巧が、この楽曲の必要なパーツとして収まり切らない「坐りの悪さ」がある。それは、個々には小さな印象であっても、全曲を通して蓄積されることにより、最終的に違和感として残る。少なくとも私にはそうだ。 もう一つの大きな原因はピアノとオーケストラのバランスの悪さにある。ディレクターの方針なのかわからないが、ここまで「焦点はピアノ」というスタイルに特化し、オーケストラが引っ込んでしまっては、ラフマニノフ特有の響きが音場を満たしてくれないのである。確かに、ブニアティシヴィリのテクニックを明瞭に観察したい、ということであればこの録音は理想的なのかもしれない。しかし、それよりまず第一に、これはラフマニノフの名ピアノ協奏曲なのであり、そこでは、彼が名ピアニストであったと同時に、すぐれたオーケストラ・スコアの書き手だったことにも、十分なウェイトが割かれるべきなのである。 そのような方針のためか、オーケストラの表現はやや萎縮を感じさせる。私は「これが、あの名門チェコ・フィルハーモニー管弦楽団の音だろうか」と思って、聴いていて何度かCDのジャケットを見直してしまった。また音質そのものもソリッド過ぎて、ホール・トーンが的確に押さえられているとは言い難い。第2番の第1楽章のクライマックスに向けてヴォルテージが上がり、ピアノがたたみかける。一つの聴きどころだが、ここでもスピードを追求するあまり、全体的な合奏音が、私には「滑っている」ように聴こえる。 それでも全体の雰囲気としては、第3番の方がまずまず良好と言える。チェコ・フィルの木管の美しい風合いに出会い、ほっとするところもある。しかし、当盤の全体的な印象としては、詰め切れていないものが多すぎると感じる。第2番と第3番という黄金の組み合わせであるのに、もったいないと感じさせるところがずいぶんある。 |
ピアノ協奏曲 第2番 第3番 p: スドビン オラモ指揮 BBC交響楽団 レビュー日:2018.3.6 |
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★★★★★ ラフマニノフの名曲にふさわしい名人スドビンの至芸
エフゲニー・スドビン(Yevgeny Sudbin 1980-)のピアノ、サカリ・オラモ(Sakari Oramo 1965-)指揮、BBC交響楽団によるラフマニノフ(Sergei Rachmaninov 1873-1943)の以下の名曲2曲を収録したアルバム。 1) ピアノ協奏曲 第2番 ハ短調 op.18 2) ピアノ協奏曲 第3番 ニ短調 op.30 2017年の録音。第3番のカデンツァは大カデンツァ(オッシア)を使用。 スドビンは、ラフマニノフのピアノと管弦楽のための作品に関して、これまでまず2008年にグラント・レウェリン(Grant Llewellyn 1960-)指揮、ノースカロライナ交響楽団と協奏曲第4番(1926年原典版)を、続いてラン・シュイ(Lan Shui 1957-)指揮、シンガポール交響楽団とパガニーニの主題による狂詩曲を2011年に、協奏曲第1番を2012年に録音してきた。このたびの、名曲2曲が同時にラインナップに加わったことで、全作品が録音された形になる。 スドビンというピアニスト、いろいろ聴いてきたけど、とても奥の深いピアニストである。華麗な演奏効果を持ちながら、編曲にも独特のセンスを見せ、モーツァルトの協奏曲ではその圧倒的な自作のカデンツァで聴き手を翻弄したかと思えば、スカルラッティのソナタでは、実にチャーミングないろどりを感じさせる。 このたびのラフマニノフもとても素晴らしい。技術的に素晴らしいことはもちろんなのだが、なにより、音楽、それもオーケストラとの協奏曲として、完成された表現に貫かれていて、その整合性とともに、細やかな表現のアヤを決めている。心憎いほどの練達と辣腕の両立を感じさせる音楽なのである。 何となく、これほどの記号と色彩豊かなタッチを持ち合わせているのであれば、どうしても自分の主張に偏った表現になってしまうのではないか、と思うのであるが、このピアニストに関してはそのような心配は無用なのだ。確かに第2番の冒頭の和音連打は早いが、その後のオーケストラの主題提示以降、常に状況を踏まえた響きで全体がコントロールされる。それでいて、巧妙な強弱は、微細な音にまで光沢を与え、そのきらめきは常に聴き手の心を揺さぶる。急性な表現も、全体の叙情性と見事に調和し、何の違和感も残さない。名人の至芸といって良い。 細やかに駆け巡るタッチが、フレーズを締めくくる際に見せる輝きや、オーケストラの響きに導かれて、ピアノが音を出し始めるとき、深青の夜空をバックにきらめき出す星たちを思う。山の中で迎えた奇跡的な一夜のような美しい音楽だ。 スドビンというピアニストの懐の深さに、あらためて感じ入る一枚となりました。 |
ピアノ協奏曲 第2番 第4番 p: ルガンスキー オラモ指揮 バーミンガム市交響楽団 レビュー日:2005.7.3 |
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★★★★★ 新“本格派”のラフマニノフ
当盤をもってルガンスキーによるラフマニノフのピアノ協奏曲集が完結した。まずは、非常にレベルの高い全集の完成を祝いたい。 協奏曲第2番は、言うまでもなく、古今のピアノ協奏曲群の中でももっともポピュラーなものに属する。これまではロシア的情念渦巻くリヒテル盤と、シャープな感性で暖かいヒューマニズムを求めたアシュケナージ盤が草分け的名盤だった。一方で、ここにきて、グリモー、ティボーテ、ラン・ラン、ツィマーマン、そしてルガンスキーらがそれぞれ新しいものを提示してきて、にわかに激戦区の様相を呈してきたのも、リスナーにはうれしいかぎりだ。 さて、中にあってルガンスキーの演奏に、私は最も堅実な古典性を感じた。一つ一つの音は明朗であるが、決して部分部分を過度に主張させ過ぎることはなく、しっかりと音楽をつくっている。加えて、豊穣な響きでオーケストラとともにシンフォニックな雰囲気を盛り上げている。そして、そこから美しい歌と、ほのかなセンチメンタリズムをすくってゆく。。。 これは並の至芸ではなく、解釈や考察を超え、まさにラフマニノフを血肉にした表現者にして可能な音楽だ。低音も決して叩きつけるのではないが、深く豊に伸び、そして美しいオーケストラ・サウンドに溶けてゆく。 もちろんオラモ指揮によるバーミンガム市交響楽団も好演だ。ロシア的というより、むしろ北欧風の透明な情感が染み入る。 |
ピアノ協奏曲 第2番 第4番 p: アシュケナージ ハイティンク指揮 コンセルトヘボウ管弦楽団 レビュー日:2015.2.27 |
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★★★★★ 私が、クラシック音楽の世界へ誘われた録音です。
アシュケナージ(Vladimir Ashkenazy 1937-)のピアノ、ハイティンク(Bernard Haitink 1929-)指揮、コンセルトヘボウ管弦楽団の演奏で、ラフマニノフ(Sergei Rachmaninov 1873-1943)の以下の2曲を収録。1984年の録音。 1) ピアノ協奏曲 第2番 ハ短調 op.18 2) ピアノ協奏曲 第4番 ト短調 op.40 今更、私が何か付け加える必要があるとは思われない名盤だ。 私は、この録音に巡り合ったことで、周囲に見える世界、聴こえてくる音が一変し、クラシック音楽の世界にのめり込んで行った。今、思い返してみても、この録音と巡り合ったことは、私にとって人生の重大事であった。 この録音がリリースされた頃、私はFMfanという雑誌を買っていた。家に中古のチューナーが取り付けられていたので、これで適当な番組をエアチェックして聴くのが好きだったのである。この雑誌は二週毎に発行されていて、中で毎回アルバムやシングルの売り上げチャートが掲載されていたのだけれど、この時期、クラシックという売上枚数の少ないジャンルにも関わらず、このアルバムがチャートに顔を出していたのを覚えている。 私が、この録音のLPを購入したのは、そのチャートに気づく前だったと思う。当時ラフマニノフなんて名前さえ知らなかった。何か新しいものが聴きたくて、レコード屋さんでこの録音の冒頭を聴いたとたん、即決した。「買おう」と。当時確か¥2,800という価格で、中学生の私にはエライ出費だったのだが、それくらいインパクトのある冒頭だった。静寂から生まれるピアノの響き。繰り返される和音は、若干のアルペッジョを交え、重ねられる毎に大きく、熱くなってゆき、頂点に達するや、雪崩落ち、コンセルトヘボウの弦楽合奏があの甘美な第1主題を重々しく奏でるのである。 以来、私は毎日のようにこのLPを聴いた。有名な第2番だけでなく、第4番もよく聴いたが、やはり第2番の魅力が圧倒的だった。前述の第1楽章に限らず、導入部に続いてあまりにも美しいピアノのモノローグが流れる第2楽章、壮麗なフィナーレを持つ第3楽章と、全てが素晴らしかった。 私は、この曲は今でも大好きで、「よく飽きずに聴く」と思われるかもしれないけど、これまで様々な演奏で聴いてきた。しかし、やっぱり最終的に戻ってくるのはこの演奏だ。アシュケナージの暖かなピアノ、オーケストラとの絶妙なバランス。濃厚なロマンティシズムを感じさせながら、高貴さを損なうことのないオーケストラ。すべてが私の理想、というより、これが理想として私の頭にフィックスしてしまっているのかもしれませんが。ハイティンクの音づくりもほの暗さをベースとした重厚なもので、個人的に、この頃のハイティンクの演奏が一番気に入っている。 録音から30年が経過してしまったことに、あらためて驚かされるが、いまなお、新たな人をクラシック音楽の世界に誘う力を持っているに違いないアルバムです。 |
ピアノ協奏曲 第2番 パガニーニの主題による狂詩曲 p: ティボーデ アシュケナージ指揮 クリーヴランド管弦楽団 レビュー日:2008.1.18 再レビュー日:2016.1.4 |
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★★★★☆ 「不遇の名演」です
世の中には「不遇の名演」とでも形容するしかないような録音が数多くある。たまたま、発売時の時流が合わなかったとか、他の競合盤の広報活動に押しやられてしまった、など理由は様々であるけれど、「もっともっと評価されてしかるべきだった」と思うものは多い。いつのまにか廃盤になってしまったりして、一部の人以外、聴く機会が本当に少なくなってしまう。中には、後に「幻の名盤」として神格化されるものもあるけれど、大部分は「不遇」のままであると思う。 このティボーデによるラフマニノフの協奏曲も「不遇の名演」と呼ぶのに差し支えないのではないだろうか?理由は色々考えられるけれど、指揮をしているアシュケナージがピアニストとして録音した一連のラフマニノフがあまりにも素晴らしかったため、『ラフマニノフの協奏曲なら「アシュケナージ指揮」より「アシュケナージピアノ」』という大勢に圧倒された感がある。 さて、ティボーデのピアノはもちろんアシュケナージとも違う。極めて透明度の高いタッチで運動的な爽快さや清涼さが特徴で、まるでグリーグのピアノ協奏曲のような冷気を持っている。かと思えば、華やかでダイナミックな技巧も持ち合わせ、畳み掛けるときの鋭角的な求心力も秀でている。アシュケナージにドライヴされたオーケストラも絶好の好演で、音色の分離と混合の度合いが美しい。ぜひいずれは再販を希望したい。 |
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★★★★★ 圧巻の完成度と繊細な美観に満ちたラフマニノフ
ジャン=イヴ・ティボーデ(Jean-Yves Thibaudet 1961-)のピアノ、アシュケナージ(Vladimir Ashkenazy 1937-)指揮クリーヴランド管弦楽団の演奏でラフマニノフ(Sergei Rachmaninov 1873-1943)の以下の2つの名曲を収録。 1) ピアノ協奏曲 第2番 ハ短調 op.18 2) パガニーニの主題による狂詩曲 op.43 1993年の録音。 とても素晴らしい録音だ。これらの楽曲は、古くから名曲の誉れ高い作品だけに、名演と呼ぶにふさわしい録音も多いが、このティボーデとアシュケナージによる録音は、その中でも特に優れたものの一つ。結晶化した完成度の高さにおいて、際立っている。 アシュケナージは、いまさら言うまでもないラフマニノフのスペシャリストで、ピアニストとして、ピアノ協奏曲第2番を3回(1963、1971、1984)、パガニーニの主題による狂詩曲を2回(1971、1986)録音しているほか、指揮者としても、当録音のほかにパガニーニの主題による狂詩曲は1991年にヤブロンスキー(Peter Jablonski 1971-)を、そして当録音の後になるけれど、第2番は2000年にグリモー(Helene Grimaud 1969-)を、それぞれ独奏者に迎えて録音している。 そのようなわけで、これらの楽曲に深い愛情をもったアシュケナージならではの、その構造を知り尽くした見事なコントロールと表現が堪能できる。しかもオーケストラは機能性に優れたクリーヴランド管弦楽団で、透明感に満ちた明瞭この上ない響きであり、全般に屈折率の低い結晶のような輝きを感じさせる美麗この上ないサウンドとなっている。 そして、ティボーデのピアノである。これがまた素晴らしい。いったいどんな風に弾いたらこんな音が出てくるんだろうと思うくらい細やかで、繊細で、それでいて一つ一つ芯の通った突きとおる様なタッチである。もちろんそのテクニックだって文句のつけようがない。そもそもこのピアニストだって、コンクール型ヴィルトゥオーゾの草分け的存在だったのである。そのティボーデが、細やかな音を、一面にビーズを敷き詰めてそれがサインカーブのように美しい曲線を描くように流れてくる様を聴いてくると、人工美の極致が完璧な自然さへと至ることを思い知らされている。 ティボーデのガラス細工のようなピアノは美しいが、決して華奢ではない。ラフマニノフの楽曲に必要な体躯的な力は、十分に内部に秘められていて、その支えがあってこその美しさなのである。アシュケナージのサポートの巧さもこの上ない。ピアノに即して間断なく管弦楽を統御する。特に金管のパッセージの鮮烈なインパクトは、楽曲の緩急のコントラストに強靭なコントラストを与えていて、あらためてこれらの楽曲が「通俗曲」と言うレベルをはるかに上回る芸術的価値を有していることを雄弁に証明している。 そのようなわけで、私の大好きな録音の一つなのだけれど、テキボーデの表現は、濃厚なロシア・ピアニズム的表現とはまったく異なるものなので、これらの楽曲により泥臭いものを求める人には、この演奏は向かないかもしれない。だが、そうだとしても、一聴する価値はある。それによって、一気に、その人の楽曲の捉え方が、変わるかもしれない。それくらい、この録音は美しくて魅力的で、完成度が高い。 |
ピアノ協奏曲 第2番 パガニーニの主題による狂詩曲 p: ワン アバド指揮 マーラー室内管弦楽団 レビュー日:2011.8.30/td> | |
★★★★☆ 独奏ピアノに焦点をあてた新感覚録音で聴くラフマニノフ
北京生まれのピアニスト、ユジャ・ワン(Yuja Wang 1987-)とアバド(Claudio Abbado 1933-)指揮マーラー室内管弦楽団によるラフマニノフのピアノ協奏曲第2番とパガニーニの主題による狂詩曲。2010年イタリア、フェラーラ(Ferrara)での「ライヴ」録音。 私は、これまでこの若いピアニストのソロ録音を聴いてきて、感銘を受けたので、このたびの協奏曲の録音もたいへん興味深く聴かせてもらった。聴いてみての感想であるが、きわめて特徴的な演奏であり、録音であると思う。 協奏曲第2番の冒頭の和音の鳴りは見事で、幅があって、情感もある。やや早めのテンポで、感情の起伏は小さく、ただちにオーケストラの主題提示を導くが、ここでピアノに焦点を当てきった録音がまずはポイントとなる。この協奏曲の場合、オーケストラと渾然一体となったシンフォニックで濃厚な部分に一つのクライマックスがあると思うが、彼らの演奏は、その部分をある程度削除し、ソリッドなトーンで透明感を増した上で、明瞭にピアノをライトアップしている。マーラー室内管弦楽団という名称の通り、オーケストラの規模もやや小さい印象で、金管が鋭角的なサウンドを出す部分でも、バックの弦楽器陣の音の層は薄い印象だ。そのため、いわゆる従来型のロシア的なセンチメンタリズムをまとったラフマニノフというより、どこか解析的で、骨組みをあえてそのまま見せるようなスタイルになる。 ユジャ・ワンのピアノはきわめて明瞭で、テンポ設定が確実。完璧とも言える技巧が徹底していて、不明さがない。前述の録音スタイルとあいまって、協奏曲第2番の第1楽章の盛り上がる部分など、「これほどピアノの和音が目の前で聴こえるような演奏というのは、ちょっと記憶にない」というほどだけど、それも確信的な解釈なのだろう。 狂詩曲の方も同じ印象で、きわめてシャープ。この曲にある「まどろみ」や「幻惑的な雰囲気」はプライオリティを下げられていて、かわってピアノのピアニスティックな効果、特に高音の様々なタッチの妙技を味わわせる。 面白い演奏だと思うが、一つ気になる点がある。「ライヴ」と銘打っているが、音質、ノイズ面などから、部分的にはスタジオ収録であると思われる。つまり、このCDの内容はライヴ録音の音源をベースに、細部をスタジオ録音で修復したものだと思う。それ自体は普通に行われていることなのだけれど、その場合、両曲の終了後に盛大な拍手が収録されているのはどうだろう?むしろ私には、この演奏・録音の方針が、スタジオ録音としてその主張と目的を達成したものだと考えたいのだが、曲の終了後に、半ば強制的にライヴの空気を混入させる演出が正しいのかどうか。。。私には違和感があるけれど、もちろん「それでもまったく問題ない」という方もいると思うので、個々のリスナーに判断をお任せしよう。 |
ピアノ協奏曲 第2番 パガニーニの主題による狂詩曲 p: リカド アバド指揮 シカゴ交響楽団 レビュー日:2015.8.14/td> | |
★★★★☆ リカドの若々しいフィーリングは好感触です
フィリピンのピアニスト、セシル・リカド(Cecile Licad 1961-)の実質的なデビュー盤で、1983年に録音されたもの。アバド(Claudio Abbado 1933-2014)指揮、シカゴ交響楽団という強力なサポートを得て、ラフマニノフ(Sergei Rachmaninov 1873-1943)の以下の名曲2曲を奏でる。 1) ピアノ協奏曲 第2番 ハ短調 op.18 2) パガニーニの主題による狂詩曲 op.43 リカドのピアノより、オーケストラの方が注目された演奏かもしれないが、リカドのピアノもなかなか捨てがたい。彼女の演奏は、熱っぽい速さを持ちながらも、エレガントな外貌をもったもので、音楽的な起伏がわかりやすく、かつ耳にも心地よい響きとなる。全体的によく中庸を得ながらも、性急点の設定による劇的な演出も加味される。協奏曲の第2楽章など、耽美的で静謐な情緒に満ちた音楽なのだが、リカドの演奏はより健康的で、前進性を伴った陽性の傾向がある。 パガニーニの主題による狂詩曲では、前述の前進性の他に、詩的な情緒を交えたアプローチがあり、変奏曲毎の性格的な描き分けも巧みにこなしている。一方で、ピアノの響きとしては、やや平板さがあり、より豊かな音色や柔らかなトーンがほしいところもある。情緒的な表現に際立った不足がないにもかかわらず、時として表現の連続性に人工的なものを感じたり、あるいは全体的な雰囲気に渇きを感じる個所があるのは、そのためのように思う。 アバドの指揮は、いつものようにオーケストラの機能美を追及しつつ、フレーズを担う楽器を前面に出し、音楽を明朗ではっきりさせたもの。録音も鮮明だが、この楽曲のもつほの暗い情緒がいささか浄化されすぎた印象も人によっては受け取るだろう。 良質な演奏の一つではあるが、個人的には名演と推すには、もう一つ何かほしいと感じる録音。 |
ピアノ協奏曲 第2番 幻想的小品集 ヴォカリーズ 6手のためのピアノ小品「ロマンス」「ワルツ」 p: タロー ヴェデルニコフ指揮 ロイヤル・リヴァプール・フィルハーモニー管弦楽団 p: マジャール メルニコフ S: ドゥヴィエル レビュー日:2016.12.5/td> | |
★★★★☆ ラテン的風合いのラフマニノフを目指した演奏、と言ったところでしょうか。
フランスのピアニスト、アレクサンドル・タロー(Alexandre Tharaud 1968-)によるラフマニノフ(Sergei Rachmaninov 1873-1943)の多彩な作品を集めたアルバム。収録曲は以下の通り。 1) ピアノ協奏曲 第2番 ハ短調 op.18 2) 幻想的小品集 op.3(エレジー、前奏曲「鐘」、メロディ、道化師、セレナード) 3) ヴォカリーズ op.34-14 4) 6手のためのピアノ小品「ロマンス」イ長調 5) 6手のためのピアノ小品「ワルツ」イ長調 2016年の録音。共演者は、1)がアレクサンドル・ヴェデルニコフ(Alexander Vedernikov 1964-)指揮、ロイヤル・リヴァプール・フィルハーモニー管弦楽団、3)がソプラノのサビーヌ・ドゥヴィエル(Sabine Devieilhe 1985-)、4)と5)がアレクサンダル・マジャール(Alexander Madzar 1968-) とアレクサンドル・メルニコフ(Alexander Melnikov 1973-)のピアノ。偶然ではあるが、4)と5)を奏でる3人のピアニストの名前は、みなさんアレクサンドルさんである。 さて、私はタローの様々な録音を聴き、そのラテン的で明澄な調べに魅了されてきたので、当盤についても、果たしてどんなラフマニノフになるのだろう、とずいぶん興味津々だったのだけれど、聴いてみて、その感想は非常に微妙なものだった。 特に協奏曲が難しい。タローはいつものように明澄さを保って、くっきりと、強弱のコントラストの強いピアノを繰り広げている。これにともなって、特徴的なフレージングが生まれ、他の演奏では聴き取りにくいパーツが浮き立って面白いところもあるのだけれど、全体的に外面的な突起の激しさが目立ち、音楽にスムーズさが欠けるところが出てくるのだ。その結果、この楽曲の「肝」と言って良い、ロシア的で感傷的なカンタービレが、十分に消化されず、前に進むところに、どうしても違和感をもってしまう。それを上回る面白さや説得力が提示されていればいいのだけれど、そこまで表現が「こなれて」いないように聴こえてしまう。そういった点で、ラフマニノフの語法を十分に身に着けたピアニストたち、たとえば、アシュケナージ(Vladimir Ashkenazy 1937-)やシェリー(Howard Shelley 1950-)、あるいはルガンスキー(Nikolai Lugansky 1972-)といった人たちの演奏と比較すると、表現の奥行きや深みという点で、どうしても物足りなさが残ってしまう。オーケストラも、ピアノのスタイルに沿ったためか、全般に出力を抑えた表現で、整ってはいるが、あまりにもクールで淡泊に響く。 むしろ独奏曲の方が、聴き味はスムーズで、幻想的小品集の明晰な響きは、音の数の多いラフマニノフの楽曲を、ある意味すっきりさせた魅力が備わっている。健康的なラフマニノフと言ったところだろうか。また、ラフマニノフの高名な歌曲「ヴォカリーズ」を併せて聴けるのも、うれしい企画だ。 企画力という点では、6手のためのピアノ小品の「ロマンス」を併せて収録してあるのも慧眼で、作曲者が十代のころの作品であるが、後のピアノ協奏曲第2番の第2楽章に転用されるフレーズが顔を出すので、当アルバムで両曲を併せて聴く楽しみを得ることが出来る。とはいえ、この曲もアシュケナージ親子の録音の方が、いっそう咀嚼・吟味された表現に聴こえるが。 というわけで、それなりに楽しませていただいたけれど、私個人的には、いろいろと詰め切れていないと感じられるところもある内容でした。 |
ラフマニノフ ピアノ協奏曲 第2番 プロコフィエフ ピアノ協奏曲 第2番 p: マツーエフ ゲルギエフ指揮 マリインスキー劇場管弦楽団 レビュー日:2018.2.2/td> | |
★★★★★ マツーエフのピアニズムに感服する名曲2編
マツーエフ(Denis Matsuev 1975-)のピアノ、ゲルギエフ(Valery Gergiev 1953-)指揮、マリインスキー歌劇場管弦楽団による以下の2つの名曲を組み合わせたアルバム。 1) ラフマニノフ(Sergey Rachmaninov 1873-1943) ピアノ協奏曲 第2番 ハ短調 op.18 2) プロコフィエフ(Sergey Prokofiev 1891-1953) ピアノ協奏曲 第2番 ト短調 op.16 2016年のライヴ録音。 両者は、すでにラフマニノフに関しては、第3番とパガニーニの主題による狂詩曲を2009年、第1番を2014年に、プロコフィエフに関しては第3番を2012年に録音しており、名演の期待の高い「顔合わせ」と「曲目」といった感がある。 さて、その当盤。期待に違わない名演奏だ。というより、これまでの彼らの録音の中でも、最高と言って良い1枚となったのではないか。ラフマニノフの第2番、冒頭の和音連打から、ただない緊張感を高め、ただちにヴォルテージをマックスに到達させるあたり、さすがと言うほかない。マツーエフのピアニズムは、圧倒的な技巧と強靭な指の力を持っていて、例えば同音連打の打鍵など、当代随一といってよい正確さと迫力を持っている。そのピアニズムを武器に、ラフマニノフのスコアから、様々に勇敢なアプローチを経て、きわめて燃焼度の高い演奏を導き出す。もう一つ、重要なマツーエフの美質は、音楽の構造性やオーケストラとの協調性において、つねに鋭利な感性が働いている点にある。いくら凄いピアニズムでも、オーケストラとの応答のない独断的な演奏では、全体の燃焼度は低下してしまう。マツーエフは、全般に押し引きの抑揚が巧みで、ゲルギエフも流石に出るべき時にしっかりと出てくるので、いよいよ音楽は力強く完成されるのである。 また、抒情的な面も見逃せない。ラフマニノフの第2楽章、マツーエフの奏でる4連符に添えられた自然なアゴーギグは、曲想を壊さずに情感をじっくりと高めていて、これもたいへん魅力的である。 プロコフィエフは、この音楽の悲劇的な性格を打ち出した演奏と言えそうだ。ここでもマツーエフのピアノの鋭さは見事なもので、コントロールの効いた力感とスピードは、圧倒的な演奏効果を導き出している。プロコフィエフ特有のスリルやユーモアも、心憎いほどの十全な響きで表現され、余裕さえ感じられるのだ。第1楽章のカデンツァの音階はただただ圧巻。 両曲のスリリングな終楽章のシャープな感覚美も立派で、この完成度でライヴというのは驚きだ。聴き慣れた名曲2曲であるが、あらためて、繰り返し聴きたくなってしまう魅力いっぱいの1枚です。 |
ピアノ協奏曲 第3番 練習曲集「音の絵」 作品39-6 作品33-1,2,3,6 p: アンスネス ベルグルンド指揮 オスロ・フィルハーモニー管弦楽団 レビュー日:2004.3.8 |
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★★★★☆ さわやかなラフマニノフ
ラフマニノフのピアノ協奏曲第3番と練習曲集「音の絵」から作品39-6と作品33-1,2,3,6の5曲を収録。ピアノはレイフ・オヴェ・アンスネス、オケはベルグルンド指揮のオスロフィル。 1995年オスロにおけるライヴ録音。たいへんあっさりした演奏。インテンポで颯爽と弾きこなす若若しい内容。ラフマニノフらしい深い情緒が刷新されているが、かといって過度にメカニカルなものが強調されず、歌による憂いが適度に含まれるところがさすがである。カデンツァも軽やかに弾きこなされていて、ライヴとは思えないほどの完成度の高さである。 もっと情熱的であってもいいかもしれないが、このピアニストとオケによる北欧的な澄んだ快演といえるだろう。 |
ピアノ協奏曲 第3番 楽興の時 p: 清水和音 アシュケナージ指揮 NHK交響楽団 レビュー日:2010.4.29 |
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★★★★★ スタジオ収録された「心の師」アシュケナージとの共演
大器晩成という言葉があるが、清水和音もこのタイプのアーティストなのかもしれない。もちろんあまり分かったようなことを書くわけには行かないけれど、最近の録音内容の充実振りには目をみはるものがある。このラフマニノフも見事な演奏だ。ピアノ協奏曲第3番は2007年、楽興の時は2009年の録音。どちらもスタジオで収録されている。 協奏曲のバックを務めるのはアシュケナージ指揮NHK交響楽団。アシュケナージはこの曲をピアニストとして4回、指揮者としてもすでに1回録音している。もちろん細部まで知り尽くした音楽に違いない。そして清水が「唯一尊敬するピアニスト」として名を挙げるのが他ならぬアシュケナージ。そんな「心の師」とのラフマニノフである。 清水とアシュケナージはコンサートでもこの曲をやっていて、これはNHKでも放送されたから、このCDのリリースの話を聞いたとき、私はそのライヴ音源を用いたものだと勘違いした。これは別にセッションで録られている。私の記憶の中での比較であるが、この録音はライヴのそれより圧倒的に完成度が高い。入念な録音作業が目に浮かぶ。 前述の背景から、清水の演奏に「情熱的」なものを聴き手は期待するだろうか?だが実際に聴いてみると、高度にバランスのとれた、凛々しく気高い演奏であると感じた。一つ一つの音符がそこにある存在感を高い必然性で再現している。なんと結晶化した完成度の高い音楽だろう。第1楽章のカデンツァの堂々たる和音の響きの雄大さは圧巻で、ここに清水のアシュケナージへの想いが、濃厚に映されていると感じる。アシュケナージ指揮のオーケストラも素晴らしい音色で、まさに自家薬籠中の名演。旋律を存分に歌わせながらも、きりっと引き締めた統率感が相応しい。 この素晴らしい協奏曲の録音を3年間寝かしてでも追加収録された「楽興の時」も、今、こうしてアルバムが完成してみると、素晴らしいサービスになっている。まさにオススメのアルバムだ。この曲はアシュケナージがデッカに録音したものも素晴らしいので、出きれば聴き比べていただきたいが、清水はよりシンフォニックで恰幅のある音楽となっている。第1番は憂いを含みながら、たえず滴る水のように美しい心を打つ名品であり、清水の確かな音色が音楽を十全に運んでいる。急速で技巧的な第4番のような曲でも、ゆとりを感じるほどの音楽性に満ちており、しかもエネルギーに満ちおり、余すところがない。 |
ピアノ協奏曲 第3番 エレジー 前奏曲 第22番(op.32-11) 第23番(op.32-12) 第11番(op.23-10) 第5番(op.23-4) 第16番(op.23-5) 第8番(op.23-7) p: フェルツマン プレトニョフ指揮 ロシア国立管弦楽団 レビュー日:2011.11.4 |
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★★★★★ 18年のインターバルが横たわるトリビュート・アルバム
ウラディーミル・フェルツマン(Vladimir Feltsman 1952-)による「Tribute to Rachmaninov」と題されたアルバムである。収録曲は、以下の通り。 1) エレジー 2) 前奏曲集~第22番(op.32-11)、第23番(op.32-12)、第11番(op.23-10)、第5番(op.23-4)、第16番(op.32-5)、第8番(op.23-7) 3) ピアノ協奏曲 第3番 協奏曲では、プレトニョフ(Mikhail Pletnev 1957-)指揮ロシア国立管弦楽団との共演。 ところで、録音年であるが、ジャケットのデザインを見ていただきたい。2人の男性の写真がプリントされている。いずれもフェルツマンだ。しかし、明らかに年齢が違うではないか。そう、この録音、1)と2)のピアノソロ曲は2010年の録音(スタジオ)なのに、3)の協奏曲は1992年の録音(ライヴ)で、両者の間には18年ものインターバルがあるのだ。 録音年数の違うものを編集して組み合わせることは、よくあることだと思うけれど、ここまで意識してジャケットがデザインされているというのは珍しい。逆に言うと、それだけ長い年月をかけて、ピアニスト・フェルツマンが、作曲家・ラフマニノフへの思いを込めたもの、とも解釈できそうである。 一通り聴いて、抜群に美しかったのが冒頭の「エレジー」。ゆっくりした足取りで、メランコリーな情緒を幻想的に放った麗しい音楽が聴かれる。前奏曲集はなぜこの6曲が選ばれたのかわからないけれど、フェルツマンの卓越した技巧で、急な加減速を織り交ぜたドラマティックなアヤが特徴的。刹那的ともいえる情感が、不思議なわびしさを感じさせる。 協奏曲第3番は、1988年にメータ指揮イスラエルフィルとSONYへ録音しているので、これは再録音ということになるのだけれど、演奏の印象はほとんど変わらない。どこかしらスポーティーで、起伏の大きいラフマニノフだ。最近のピアニストの演奏と比較すると、緩急、強弱とも多彩なギアを繰り出していて、とても自由なスタイルに思える。第1楽章のカデンツァが、オッシア(大カデンツァ)ではないのが個人的は残念。この演奏の聴き所はむしろ第3楽章で、力強い推進力を軸に繰り広げられるオーケストラとピアノのやりとりは聴き味抜群だ。 しかし、92年のライヴ録音と2010年のスタジオ録音を併せた収録は、コンセプト感という点ではちょっと苦しいところもある気がする。 |
ピアノ協奏曲 第3番 パガニーニの主題による狂詩曲 p: マツーエフ ゲルギエフ指揮 マリインスキー劇場管弦楽団 レビュー日:2015.7.6 |
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★★★★☆ 一昔前の濃厚なロシア・ピアニズムを彷彿とさせる録音
1998年、第11回チャイコフスキー国際コンクールで優勝して以来、世界各地で活躍しているロシアのピアニスト、デニス・マツーエフ(Denis Matsuev 1975-)と、現在世界でもっとも人気のある指揮者の一人、ゲルギエフ (Valery Gergiev 1953-)指揮マリインスキー劇場管弦楽団によるラフマニノフ (Sergey Rachmaninov 1873-1943)のアルバム。2009年の録音。収録曲は以下の通り。 1) ピアノ協奏曲 第3番 ニ短調 op.30 2) パガニーニの主題による狂詩曲 op.43 1)のカデンツァは大カデンツァ(オッシア)を使用。 セッション録音であるが、たいへん血の滾る様なライヴではないかと思わせるような演奏。圧巻はマツーエフのヴィルトゥオジティに溢れたピアニズムで、重量級の音をを高速で連打し、傾れ落ちるような勢いで音楽を瞬時に収束点に導く手腕がすごい。その一方で、冒頭のユニゾンの音などは、ちょっと曇ったような響きに感じられるのだけれど、当盤の聴きどころはとにかく第3協奏曲のマツーエフだ。 カデンツァも、アシュケナージ(Vladimir Ashkenazy 1937-)やプレトニョフ(Mikhail Pletnev 1957-)のような、高みから振り下ろすような和音を連打するという感じではなく、逆に地の底から全力で這い上がってくるような、たいへんな発汗作用を伴う表現だ。 第2楽章もすべてが濃厚。ここまでやるとやや芸が入りすぎている、と感じるところもあるが、オーケストラともども情感たっぷりの濃密な表現で、俗を突き抜けた面白さに溢れている。第3楽章も衒いのない鳴らしっぷりが強烈で、ラフマニノフが苦手な人には、この演奏が放つ強烈な甘味や泥味に、思わず身を引いてしまうかもしれないが、現在、ここまでの表現をつきつめてやる人はそういないだろうし、マツーエフの技術も音量も凄いから、有無を言わせぬ力で説き伏せてしまうようなパワーを感じる。これは、私にはソフロニツキー(Vladimir Sofronitsky1901-1961)やスタニスラフ・ネイガウス(Stanislav Neuhaus 1927-1980)時代のロシア・ピアニズムを彷彿とさせるものだ。 パガニーニの主題による狂詩曲も同様だが、この曲の場合、次々と変奏曲が変わっていくので、彼らの変化に飛んだアプローチが、逆に変奏曲の面白みをときどき相殺してしまうようにも感じる。これは、彼らの論法があまりにも特徴的なので、その特徴が変奏曲間の性格的な違いまで覆い尽くすように感じるということ。そのため、私が聴いていて身を乗り出すようになったのは、第3協奏曲の方。 いずれにしても、これほど一過性のエネルギーを、瞬時に束ねる技量のあるピアノは、なかなか接することが出来るものではない。ゲルギエフの指揮の能弁さも、ロマン的な甘味をたっぷり含んでいるから、好きな人にはたまらない演奏となるに違いない。 録音は少々気になるところがあって、編集のつなぎ目がわかりやすい(バックのノイズが変わる)ところがある。使用する音響機器によっては、気が逸れる原因となりかねない。 |
ラフマニノフ ピアノ協奏曲 第3番 プロコフィエフ ピアノ協奏曲 第2番 p: ユジャ・ワン ドゥダメル指揮 シモン・ボリバル交響楽団 レビュー日:2013.11.6 |
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★★★★☆ ユジャ・ワンの熱狂的協奏曲とは?
北京生まれのピアニスト、ユジャ・ワン(Yuja Wang 1987-)の華麗なピアニズムは世界中でセンセーションを巻き起こしているようだ。その演奏会は各地で熱狂的に迎え入れられていると聞く。当盤ではそんなユジャ・ワンが、これまた最近世界的に注目されているベネズエラの公共音楽教育プログラム「エル・システマ(El Sistema)」が生んだ英雄、グスターボ・ドゥダメル(Gustavo Dudamel 1981-)の指揮のもと、シモン・ボリバル響との共演、しかもカラカスでのライヴ録音というのだからこれは私でなくても気になる人が多いに違いない。曲目は以下の2曲。2013年の録音。 1) ラフマニノフ(Sergei Rachmaninov 1873-1943) ピアノ協奏曲第3番ニ短調 op.30 2) プロコフィエフ(Sergei Prokofiev 1891-1953) ピアノ協奏曲第2番ト短調 op.16 1)の第1楽章のカデンツァはオッシア(大カデンツァ)ではなく、オリジナルの小カデンツァを採用している。 さて、演奏である。ユジャ・ワンの演奏は相変わらず強烈だ。圧倒的な技巧により、機敏な変化を織り交ぜ、曲想に自在に色彩を与え、いかにも艶やかな音楽を紡ぎだす。ラフマニノフの冒頭では、考えられた感のあるしっとりしたスタートであるが、細やかなパッセージに移行するや、たちまち奏者の世界に誘い、聴き手をあちらこちらへと連れてゆく。実にこの人らしいピアニズムを堪能させてくれる。 この千変万化振りは、その後も息着く間もないような展開をはらみ、なだれ込むように全曲のフィナーレに突き進んでいく。実に情熱的なラフマニノフ。 プロコフィエフもまったく同じで、冒頭こそ、ちょっと情感を蓄える感じだが、すぐに様々な感情が表れては消える実に多彩な音楽を聴かせる。ドゥダメルの指揮も、そのピアノの足を引っ張らないよう、低音を響かせすぎて「重くならない」ような配慮を届かせながら、しばしば奏者の技術的なアクセントを盛り込み、ピアノに負けないような表出力をあちこちで打ち出していく。確かにこの演奏は楽しい。終演後の聴衆の熱狂もむべなるかな、である。 だが、と敢えて私は付け加えたい。これらの音楽を聴いていて、私はラフマニノフやプロコフィエフの音楽を楽しんだという実感はあまり得られなかった。もちろん、ユジャ・ワンのヴィルトゥオジティは存分で、それについてはお腹いっぱいになったのだけれど、「ユジャ・ワンを聴きたい」という人にはいいけれど、「ラフマニノフやプロコフィエフのあの曲が聴きたい」という人にはどうだろうか? つまり、文字に概念があるように、音には印象がある。文字の集合により文章が出来るように、音が集まって音楽が出来るわけである。しかし、ワンの演奏は、その文字が、次々とディスプレイされて、その都度、概念を受け取るのだけれど、一つの曲を通して、トータルで大きなゴールにたどり着いているか、というと、どうも違うような印象なのである。ワンの技術は凄い。その技術を駆使して、次々と、情熱、葛藤、激高、沈静、浪漫、壮麗、美麗などなど繰り出されるのだが、全体として何であるという焦点がいまいち定まらない印象が残る。それと、この演奏に接するならば、聴く側も、相当に活発な気分の時に聴いた方がいいだろう、ということも言える。 ちなみに、私がこれらの両曲で愛するのはアシュケナージ(Vladimir Ashkenazy 1937-)の演奏である。彼は技術も優れていたが、常に音楽を通じて、その曲の一番たいせつな部分が伝わったと(私に)感じさせてくれる演奏をしてくれた。これはまさにいつどんな時でも聴ける「愛聴盤」にふさわしいもの。対するにユジャ・ワンの演奏は、生活の中でも、特に活動的な時に、その気分に沿って聴く演奏に思う。もちろん、悪いわけではないし、この演奏が世界で熱狂的に受け入れられている、というのことも、とても良くわかるのですが。 少なくとも、私の好みでは、このスタイルの演奏であれば、例えばシューマン(Robert Schumann 1810-1856)の「謝肉祭」とか、リスト(Franz Liszt 1811-1886)の「練習曲」とか、プーランク(Francis Poulenc 1899-1963)の「ナゼルの夜」とか、そういった曲の方を、より聴いてみたいと思う。 当盤を聴いて、そういった感想をもった次第でした。 |
ピアノ協奏曲 第3番 p: ベルマン アバド指揮 ロンドン交響楽団 レビュー日:2015.8.14 |
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★★★★☆ ベルマンによる真摯な相貌を刻むラフマニノフ
ソ連のピアニスト、ラザール・ベルマン(Lazar Berman 1930-2005)のキャリアの前半は、西側諸国では概してあまり知られなかったが、1975年のアメリカ演奏旅行を機に、そのヴィルトゥオーソの名に相応しい演奏スタイルは知名度を高め、著名なレーベルでの録音活動も行われた。 当盤はその中の一つで、アバド(Claudio Abbado 1933-2014)指揮、ロンドン交響楽団をバックに録られたラフマニノフ(Sergei Rachmaninov 1873-1943)の「ピアノ協奏曲 第3番 ニ短調op.30」。1979年の録音。カデンツァは大カデンツァ(オッシア)を使用。 ベルマンのピアノに現代的な洗練を感じる人は多くないだろう。私は彼の録音のいくつかを聴いて、その武骨と形容したいピアニズム、角のくっきりしたフォルテに、ずいぶんとっつきにくい印象を持ったことがある。誰に似ているかと言われれば、私ならギレリス(Emil Gilels 1916-1985)の名を最初に思いつく。 このラフマニノフも、とにかくゴツイ演奏だ、というのが私の率直な感想。やや遅めのテンポで、とてもまじめなピアノが鳴り、ここはフォルテ、ここはピアノというのがとても律儀。時として音楽的な流よりも、その律儀が優先されるような、少なくとも私にはそういう印象だ。ベルマン自身は自分のスタイルを19世紀的と呼んでいたそうだ。私は19世紀のピアニズムがどのようなものであったか、想像することしかできないが、音の強靭さと、この強靭な音を引き出すための技術的、体躯的な準備に、私はその形容の原典があるような気がする。 しかし、ベルマンの演奏の魅力は、その真面目さということになるのだろう。安易に聴き手には迎合しないという辛口な表情を見せつつ、音楽に深い相貌を刻み込んでいく。そのパフォーマンスは、拍手の巻き起こるような運動的な至芸とはまた一線を画すものだろう。 全体が周到に進められ、とても重量感のあるラフマニノフとして仕上がっている。たしかにある意味ロシア的な演奏なのかもしれない。アバドの指揮は、そんなベルマンのスタイルに、とにかくがんばって合わせようというもの。もちろんうまくまとまっているが、いつものアバドとはちょっと違った硬さが表出するところもある。例えば第2楽章の冒頭の弦楽合奏によるパッセージなど、普段のアバドなら、もっと上空がパアーッと開けていくような開放的な響きがあるところだと思うのだけれど、この演奏からは、低く垂れこめた雲に押し込まれたような硬さを感じる。かといって、それではメランコリーな情緒をたっぷり蓄えた響きなのか、というと、そう形容するには、やや即物的に聴こえる。ベルマンの音楽性に追従した響きなのだろう。 当録音が魅力的な一面を持っていることはよく伝わったが、個人的な好みでいうと、あまり積極的に聴く演奏ではないというのが正直な感想です。 |
ラフマニノフ ピアノ協奏曲 第3番 メトネル ピアノ協奏曲 第2番 p: アムラン ユロフスキー指揮 ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団 レビュー日:2017.5.9 |
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★★★★☆ メトネルとラフマニノフの大曲を1枚に収録したアムランの注目盤です。
マルカンドレ・アムラン(Marc-Andre Hamelin 1961-)とウラディーミル・ユロフスキー(Vladimir Jurowski 1972-)指揮ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏で、以下の2曲を収録。 1) メトネル(Nikolai Medtner 1880-1951) ピアノ協奏曲 第2番 ハ短調 op.50 2) ラフマニノフ(Sergei Rachmaninov 1873-1943) ピアノ協奏曲 第3番 ニ短調 op.30 2016年の録音。 たいへん意欲的な組み合わせだ。メトネルとラフマニノフは互いに影響しあった作曲家であったが、両者の規模の大きい協奏曲を1枚のCDに収録した結果、当盤のトータルの収録時間は82分を越えている。 メトネルの第2番は指揮者、独奏者の双方にとって至難な曲。オフビートの不安な付点リズムによる冒頭は、独創的というより突飛な印象をもたらすが、その後も執拗に音型を繰り返すシーンが多く、場合によってはスコアを音にする作業で手一杯になってしまう。録音も多いとは言えないが、同じHyperionレーベルにはかつてデミジェンコ(Nikolai Demidenko 1955-)による名録音があった。また、最近ではスドビン(Yevgeny Sudbin 1980-)による色彩感豊かな録音も印象強い。そこにアムランの録音が加わったことになる。 当録音では、あきらかにピアノに焦点を置いたスタイルで、逆に言うとオーケストラがやや引っ込んだ印象にも感じられるが、アムランの明晰なピアニズムは、一刻の隙もなく課題を解明して進んでいく。リズムの明快な刻みに焦点を当てた結果、ハーモニーの厚みは減じられるが、結果としてとても聴き易くなっているという印象がある。ピアノとオーケストラの関係も、最終的にうまく単純化されていて、この難曲をわかりやすく聴かせてくれる演奏としてまとまっている。 ラフマニノフの第3協奏曲については、私は「明快・爽快」に感じる部分と、あまりにもさっぱりして「淡泊」に感じる部分の両方があった。テンポは至極穏当なもので、私が愛聴するアシュケナージ(Vladimir Ashkenazy 1937-)盤とほぼ一緒であるが、音楽に込められる情緒やノスタルジーという点で、アシュケナージほどに訴えかけるものは多くない。そのような点で「淡泊」なのである。その一方で、第1楽章のカデンツァ、ここでアムランはオッシアと呼ばれる大カデンツァではなく、小カデンツァを採用しているが、その細やかで素早いパッセージの見事さ、その連続的な動きからもたらされる音響の見事さには感心させられる。カデンツァの部分で速さを感じることになるが、その前後の「繋ぎ」もよくコントロールされ、全体としては、一つの楽章として見事にまとまっている。これは、そういう演奏なのだろう。演奏全体の雰囲気から「速さ」を感じない一方で、曲全体のタイムが短め(43分11秒)なのは、小カデンツァの採用と、その部分の速さに依るところが大きい。 第2楽章では、アムランがより情緒的な表現に深く歩みこんでくれるのがうれしい。やはり、この曲は、どこかそういった部分で、人の心に働きかけてほしい、と私は思うので、当演奏の場合、第1楽章より第2楽章が好きだ。ここでオーケストラも木管楽器を中心にとても麗しい響きを繰り出し、意外なほどに陶酔的な音楽が繰り広げられる。 第3楽章は手際よくまとまっていて、線的なスタイルで颯爽と終結部までを描き上げている。あまりにも曇りのない明快な音楽となった感もあるけれど、「健康美を味わわせてくれるラフマニノフ」と表現しようか。 個人的に、特にメトネルの巧みさに感心したが、ラフマニノフにも聴きどころは多くあり、部分的に味わいの薄さを感じさせるところがあるとは言え、全体としてのまとまりは良く、最終的には「さすがアムラン」と思わせてくれる演奏でした。 |
ピアノ協奏曲 第3番 ピアノ・ソナタ 第2番 コレルリの主題による変奏曲 p: コルスティック リス指揮 ヤナーチェク・フィルハーモニー管弦楽団オストラヴァ レビュー日:2018.12.18 |
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★★★★☆ 量的には長時間収録の良サービス盤なのですが・・・
ドイツのピアニスト、ミヒャエル・コルスティック(Michael Korstick 1955-)によるラフマニノフ (Sergei Rachmaninov 1873-1943)の以下の3作品を収録したアルバム。 1) ピアノ協奏曲 第3番 ニ短調 op.30 2017年録音 2) コレルリの主題による変奏曲 op.42 2018年録音 3) ピアノ・ソナタ 第2番 ロ短調 op.36 2005年録音 協奏曲は、ドミトリー・リス(Dmitry Liss 1960-)指揮、ヤナーチェク・フィルハーモニー管弦楽団オストラヴァとの協演。ピアノ協奏曲第3番の第1楽章のカデンツァは大カデンツァ(オッシア)。 コルスティックの録音では、私はカバレフスキー(Dmitri Kabalevsky 1904-1987)のピアノ協奏曲集に深い感銘を受ける一方で、ヨーロッパで評価の高いベートーヴェンの録音には、全般にどこかしっくり行かないものを感じた。それで、ラフマニノフなら、どうだろう?と当アイテムを購入の上、聴いてみた。 ところで、当盤の収録内容だが、かなり充実したラインナップで、収録時間も79分を越えているのだけれど、それと付随することなのかどうか、書いておくべきことがある。それはカットがあるということだ。ピアノ協奏曲第3番では、ラフマニノフ自身も録音の際に行っていた終楽章のカット(現在ではほとんど用いられることはない)があり、また、コレルリの主題による変奏曲では第13変奏が省略されている。また、ピアノ・ソナタ第2番はカットの多いホロヴィッツ版をベースとしたものが採用されている。CD1枚に収録するためというわけではない別の理由が述べられてはいるが、あくまで「問題なかろう」という範囲であるが、他の演奏に聴きなれたものにとって、それなりの違和感はある。カットの採用は、当盤を聴くうえでの大前提だ。 演奏は全般に早いテンポで、強い音を積極的に用いたピアノが全編に華々しい演奏効果を挙げている。元来明るい音色を持ったピアニストであるので、その方向性とは合致しているし、聴き味にエキサイティングな要素が多く、楽しいことは楽しい。協奏曲の第2楽章では音の端末の減衰の正確さも鮮やかだ。だが、やはりというか、いろいろ気になるところもある。 特に協奏曲は問題を感じる。コルスティックのアクセル全開な運動の陰で、たびたびオーケストラが沈んでしまうことだ。それだけでも寂しいが、協奏曲らしいパッセージのやりとりや、音色の交錯といったアヤが薄く、行ってみれば、ピアノとオーケストラに主従関係が出来てしまったようで、ところどころまるでピアノのためのカラオケのような寂しさを感じさせる。言い換えれば、この演奏ならではのインスピレーションを感じさせる響きがオーケストラからほとんど聴こえない。加えて、ピアノが全般に「動」の傾向を示しているのに、オーケストラが「静」の方向性を持つので、そこに時折美しさを感じるところもないわけではないが、演奏全体としてはいまひとつ焦点が合いきっていない。それでも、第3楽章はわりとまとまって、オーケストラも熱血的なものを示すが、エンジンのかかりが遅かった感がぬぐえない。 そういった点で、2曲のソロ作品の方が純粋に楽しめた。前述のカットの問題があるが、コルスティックの演奏の燃焼度は高く、クリアな音色はいつも安定しているので、対旋律の表出などとてもリアルな感触があって、生々しい魅力がある。特にソナタ第2番の終楽章はラッシュを掛けると形容するにふさわしい活力に溢れて目覚ましい。ただ、欠点としては、全体的にガチャガチャした騒々しさを感じさせてしまうところ。フレーズの性格を描き分けるような妙味がなく、とにかくどこも燦然としているのが、聴いていて、日陰のない世界、白すぎる外界を連想させる。あるいは人工的、もしくはメタリックと形容しようか。ラフマニノフのこれらの楽曲には、もっと深いニュアンスや詩情が欲しい。 |
ピアノ協奏曲 第3番 幻想小曲集 から 悲歌 前奏曲「鐘」 道化役者 前奏曲 第3番 第6番 第7番 第16番 第23番 p: ロドリゲス マクレー指揮 レイク・フォレスト交響楽団 レビュー日:2019.9.4 |
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★★★★☆ サンティアゴ・ロドリゲスの強靭なピアニズムに驚愕
1981年のヴァン・クライバーン国際ピアノ・コンクールで第2位となったキューバのピアニスト、サンティアゴ・ロドリゲス(Santiago Rodriguez 1952-)によるラフマニノフ(Sergei Rachmaninov 1873-1943)の作品集。収録内容は以下の通り。 1) 幻想小曲集 op.3 から 第1番 悲歌 変ホ短調 op.3-1 2) 幻想小曲集 op.3 から 第2番 前奏曲 嬰ハ短調 「鐘」 op.3-2 3) 幻想小曲集 op.3 から 第4番 道化役者 嬰ヘ短調 op.3-4 4-6) ピアノ協奏曲 第3番 ニ短調 op.30 7) 13の前奏曲 op.32 から 第5番 ト長調 8) 13の前奏曲 op.32 から 第12番 嬰ト短調 9) 10の前奏曲 op.23 から 第5番 ト短調 10) 10の前奏曲 op.23 から 第6番 変ホ長調 11) 10の前奏曲 op.23 から 第2番 変ロ長調 op.3とop.32は1993年、協奏曲とop.23は1994年の録音。協奏曲は、ポール・アンソニー・マクレー(Paul Anthony McRae 1946-)指揮、レイク・フォレスト交響楽団(Lake Forest Symphony)とのライヴ録音。カデンツァは小カデンツァを使用。すべてデジタル録音と表記されている。 実に逞しいラフマニノフだ。冒頭の悲歌から、ズシンとくる低音から、滾滾とりた歌が太く、堂々と流れていく。一つ一つの音の芯まで伝わる強さは、このピアニストの真骨頂を示すものに違いない。有名な「鐘」の前奏曲も同様。ロドリゲスはこの曲を6分以上を費やして、遅いテンポで進めるが、一つ一つの和音の重さが圧巻であり、その響きの減衰の様まで、音楽たることを十分に突き詰めた感がある。 ピアノ協奏曲は、ライヴとは思えないピアノの技巧が凄まじい。強音の和音連打に際しても、その輪郭は明瞭に維持され、素早い順応性で満たされている。特に壮絶なのは第3楽章の後半で、祭典的な音楽の高まりにともなって、いよいよピアノが縦横に駆け巡る個所なのだが、早いテンポで刻まれる付点の和音の迫力の凄いこと。しかも、なし崩しにするのではなく、明確な彫像性を示している。大したピアニストだ。 前奏曲集から5曲が弾かれているが、いずれもしっかりとした重さがあり、しかもその重さが躍動感や俊敏性を相殺してしまうことがない。いかにもヴィルトゥオーゾの弾くラフマニノフといった感がある。最後に収録されているop.23-2の力強さは、多くの聴き手を虜にするに違いない。こういうラフマニノフを弾く人として、私が他に思い浮かべるのは、ガヴリーロフ(Andrei Gavrilov 1955-)であるのだが、音楽の品位の高さは、このロドリゲス盤の方がより高く、そしてこれらの楽曲に相応しいと感じる。 ロドリゲスのピアノに大いに驚嘆しながらも、星は4つとしたい。その理由は協奏曲におけるオーケストラの弱さにある。弦楽陣の線の薄さも気になるが、木管、金管も欲しいところで情感がいま一つ。全般に冴えを感じない。現代の高水準オーケストラに耳慣れた人には、大いに欠陥を感じるレベルだ。 |
ラフマニノフ ピアノ協奏曲 第3番 チャイコフスキー ピアノと管弦楽のための協奏的幻想曲 p: クレショフ D.ヤブロンスキー指揮 ロシア国立交響楽団 レビュー日:2023.7.18 |
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★★★★★ ホロヴィッツを敬愛するクレショフならではの一枚
ロシアのピアニスト、ワレリー・クレショフ(Valery Kuleshov 1962-)と、ドミトリー・ヤブロンスキー(Dmitry Yablonsky 1962-)指揮、ロシア国立管弦楽団による、下記の2作品を収録したアルバム。 1) ラフマニノフ(Sergei Rachmaninov 1873-1943) ピアノ協奏曲 第3番 ニ短調 op.30 2) チャイコフスキー(Pyotr Tchaikovsky 1840-1893) ピアノと管弦楽のための協奏的幻想曲 ト長調 op.56 2001年の録音。 クレショフは、1987年のブゾーニ国際ピアノコンクールで、金賞を受賞するなと、華々しいコンクール歴のあるピアニストだが、メジャー・レーベルの録音がないこともあって、その名が国際的に知られているという印象はない。当盤はフランスのBel Airというレーベルから発売されているが、プレス数も多くはないだろうと思う。 ただ、演奏はなかなか面白い。聴く機会があったら、聴いてみて良いものと思う。クレショフは、ホロヴィッツ(Vladimir Horowitz 1903-1989)からきわめて大きな影響を受けた人で、そのレパートリーもホロヴィッツのそれとおおよそ被っていると聞く。ここに収録されているラフマニノフの第3番もホロヴィッツが良く手掛けていた作品で、また、チャイコフスキーの楽曲については「ホロヴィッツ版」とディスクに表記されている。ラフマニノフの第3番では、これもホロヴィッツと同様に、大カデンツァ(Ossia)を採用してはいない。とにかく、ホロヴィッツの芸風を踏襲するという趣味性を感じさせて止まない。 その演奏の特徴は、メタリックな光沢を感じさせる音色で、高い技巧により、それこそホロヴィッツを思わせるような瞬発的な動きや起伏を織り込んだピアニズムにあるだろう。スタッカートの小気味良さ、連続する音の粒立ち、くっきりした輪郭で、なかなか能弁な演奏を繰り広げる。それでいて、全体的な構成感も決しておろそかにされた感じがしない。重厚な和音より、細かいパッセージに自らの表現の土壌を見出している感があるから、先のカデンツァの選択も、必然的に、ホロヴィッツと同じ傾向になるだろう。 聴き慣れたラフマニノフであるが、クレショフの明るいピアノは、情緒的なものから運動的なものに、表現の主をシフトさせており、それでもラフマニノフは面白く響くということを再認識させられる。 チャイコフスキーは、演奏・録音される機会の少ない曲で、私にもすぐに思い出せる他の演奏があるわけではないが、この楽曲の祭典的な華やかさは、クレショフのピアノのぴったりということが言える。D.ヤブロンスキー指揮の管弦楽も、独奏者に併せてテンポを機敏に動かしており、アグレッシヴな面白味を楽しませてくれる。 |
ピアノ協奏曲 第3番 第4番 p: アンスネス パッパーノ指揮 ロンドン交響楽団 レビュー日:2010.11.1 |
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★★★★★ むしろ第4番でパッパーノの指揮は、俄然、彩(いろどり)を増す。
アンスネスとパッパーノ指揮ロンドン交響楽団によるラフマニノフ。このたびの2009年及び10年録音の第3番&第4番により、ピアノ協奏曲全曲が揃ったことになる(先行した第1番と第2番のオーケストラはベルリンフィルだったが)。私にとって、2000年以降にリリースされた全集では、ルガンスキー、ハフ以来の注目すべきラフマニノフと言える。 なんといっても美点はアンスネスのピアノ。ダイナミックで流麗。淀みがなく、沢の水のように地形に沿って滾々と落ちていくような感じ。かといって必要な場所では内側から盛り上がるような強いパッションを捻出し、鍵盤に展開させてくる。だが、ラフマニノフではオーケストラも非常に重要だ。 2曲の収録曲のうち、第4番が特に素晴らしい。この曲は作曲家ラフマニノフの技巧的な部分と、浪漫的な部分が入り混じった一筋縄ではいかない作品だと思うけれど、まずパッパーノの指揮がこのようなスタイルの曲にあっている。パッパーノは、いろいろと細かいアヤを混ぜたアプローチを繰り出すタイプの指揮者だと思うが、第2番や第3番のような息の長い旋律を扱う曲では、そのクセがやや過剰に聴こえる部分もある。けれども、第4番ではそれが曲を聴く際の「悦楽」に、大きく作用している。その結果、聴いていてこの曲の持つ変幻ぶりがことさら楽しい。小さなクライマックスにも機敏に反応して、曲のパッセージごとにうまいまとまりを与えている。もちろんアンスネスのピアノも素晴らしく、機敏な曲想の変化に対応し、オーケストラともども鮮やかな息吹を音楽に与えている。 第3番はそういった意味で、(私の好みで言えば)少しオーケストラのアヤが発色し過ぎているようにも思うのだけれど、もちろん問題というレベルではない。滔々と音楽が流れるわけではないが、流れは不自然ではなく、変化に富む印象とも言える。テンポはいたって常識的だ。 第3番の第1楽章カデンツァで連打される和音は、適度に中庸の重みがあり、我を忘れないしたたかな音楽性を感じさせる。第2楽章はメランコリーなオーケストラとクールなピアノがなかなか合っていて、ほの暗くも透明な感触がある。今回の第3番でいちばん印象的なのは第3楽章で、ここはパッパーノの指揮の下、オーケストラの縦横な活躍ぶりが楽しめる。アンスネスのピアノもスポーティさを増し、力強い帰結に至っている。 EMIの録音が、やはり少し分解能が悪いのがもったいない。これが往年のデッカの録音だったらと思うけれど、それこそないものねだりだろう。 |
ピアノ協奏曲 第4番 パガニーニの主題による狂詩曲 練習曲集「音の絵」(作品39)から第1番 第2番 第5番 p: アシュケナージ プレヴィン指揮 ロンドン交響楽団 レビュー日:2007.7.3 |
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★★★★★ 忘れるわけにはいかない録音です
アシュケナージはラフマニノフのピアノ協奏曲全集を2度録音している。特にハイティンクと録音した2度目のものは、録音技術の粋とあいまって、まさしく歴史的名録音と呼ぶに相応しいものであった。しかし、このプレヴィンとの1回目の録音も素晴らしいので、忘れるわけにはいかない。 プレヴィンの指揮は聴きものである。彼は、カットして演奏されることが常であったラフマニノフの第2交響曲の「完全版」を世に知らしめるなど、ラフマニノフに関しては相当含蓄の深い存在であったし、アシュケナージとは親交が深く、ラフマニノフの、2台のピアノの為の作品を収録した仲でもある。それで、ラフマニノフのスコアを知り尽くしたという自信があるに違いない。だから、オーケストラが輝かしく響く。 第4協奏曲は渋い作品だが、プレヴィンの好サポートにより、わかりやすい演奏となっている。散漫なイメージのある後半も、道筋がしっかりしていて頼もしい。 パガニーニの主題による狂詩曲は、とにかくテンポが抜群で爽快。加えてアシュケナージの胸をすくようなテクニックが万全の聴き映えをもたらしている。映画などで使用され、すっかりおなじみの第22変奏の盛り上がりは感動的だ。ファンにはぜひこの旧録音も押さえてほしい。 |
ピアノ協奏曲 第4番 コレルリの主題による変奏曲 ピアノ・ソナタ 第2番 前奏曲 第2番「鐘」 p: ティボーデ アシュケナージ指揮 クリーヴランド管弦楽団 レビュー日:2016.1.6 |
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★★★★★ このような演奏で聴いてこそ輝く、ラフマニノフの第4協奏曲
ジャン=イヴ・ティボーデ(Jean-Yves Thibaudet 1961-)による1996年録音のラフマニノフ(Sergei Rachmaninov 1873-1943)のピアノ作品集。収録曲は以下の通り。 1) ピアノ協奏曲 第4番 ト短調 op.40 2) コレルリの主題による変奏曲 ニ短調 op.42 3) ピアノ・ソナタ 第2番 変ロ短調(1931年改訂版) op.36 4) 前奏曲 嬰ハ短調 op.3-2 「鐘」 1)はアシュケナージ(Vladimir Ashkenazy 1937-)指揮、クリーヴランド管弦楽団との共演。ティボーデは、この顔合わせで、1993年に協奏曲第2番とパガニーニの主題による狂詩曲、1994年に協奏曲第3番、1995年に協奏曲第1番を録音していたので、当盤はピアノ協奏曲全集の完結編に相当する。 ラフマニノフのピアノ協奏曲第4番を聴くと、私には、一つ思い出す逸話がある。 イタリアの名ピアニスト、ベネデッティ=ミケランジェリ(Arturo Benedetti Michelangeli 1920-1995)がラフマニノフの協奏曲で唯一録音したのがこの第4番だった。ミケランジェリはその理由を訊かれたとき「他の曲はラフマニノフ自身の素晴らしい演奏があるが、しかし、第4番の彼の演奏に関しては、なぜか他の曲ほどではなかったから」とコメントをしたという。ミケランジェリが他の協奏曲も録音していたら、どんなふうだっただろう、と想像するけれど、彼の弾いた結晶化した響きの第4番も見事だった。そのミケランジェリが、ショパン・コンクールで、アシュケナージの優勝を強く主張し、それが受け入れられないことに異議を唱え、審査員の任を辞したのも有名なエピソード。それがもとで、その後二人の親交は続いたと言う。そして、私が、この協奏曲の素晴らしさに瞠目したのは、そのアシュケナージがピアニストとして1984年に録音した1枚である。(このディスクは、私にとって、クラシック音楽の森に誘われるきっかけとなった録音でもあった)。 それにしてもラフマニノフのピアノ協奏曲第4番という楽曲は不人気な曲だ。他の曲が素晴らし過ぎるということもあるのだけれど、実際、この曲を的確にまとめる手腕を持った演奏家がめったにいないという状況がそれに輪をかけている。 しかし、この録音は素晴らしい。私にとっても、1984年のアシュケナージの録音以来の興奮を覚えた1枚と言って良い。第1楽章の終結部のやや重さを感じる進行が、ティボーデの軽快無比なタッチと、アシュケナージのオーケストラ・コントロールによって、心地よい飛翔感を感じさせるところなど無類の効果である。第2楽章も単調さのなかに秘められた物憂い情緒、そしてアシュケナージによって見事に演出されたグレゴリオ聖歌から派生したモチーフなど、この楽章にこれほど様々なものがあったのか、とあらためて気づかせてくれる魅力にあふれている。第3楽章の歌い上げは春の息吹を感じさせるように鮮烈で、清々しい。 この演奏を聴いていて、アシュケナージの1984年の録音が、この作品のロシア的なほの暗い情緒をよく表出した名演だとすると、このティボーデの録音は、色彩とダイナミックが、明瞭なコントラストを示した印象派的演奏といったところ。いずれの録音も、この曲の美しさを知らしめる名録音に違いないと思う。 さらに、併録されている独奏曲も名演揃い。コレルリの主題による変奏曲は繊細かつピアニスティックなタッチが大きな魅力で、各変奏曲をシンプルかつ鮮明に弾きこなしていて、実に気持ちのいい聴き味。ピアノ・ソナタ第2番は、技巧的な難所を続々とこともなげに乗り越えていくパフォーマンス自体圧巻ながら、そこに加えて色彩感の豊かさ、そして、時に高い崖から飛び降りるような飛躍感を交え、様々な興奮や、沈静を聴き手にもたらす。 最後に収録された有名な前奏曲の1篇は、遅めのテンポをとったじっくりした弾きぶりで、クライマックスの直前の急激なリタルダンドが特徴的。ラフマニノフの遺した名曲たちを立て続けに聴ける贅沢な内容となっている。 ちなみに録音もきわめて美麗。ティボーデのラフマニノフに存分に酔うことができる。 |
パガニーニの主題による狂詩曲 コレルリの主題による変奏曲 ショパンの主題による変奏曲 p: ルガンスキー オラモ指揮 バーミンガム市交響楽団 レビュー日:2005.1.1 |
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★★★★★ 堅牢なるラフマニノフ
ラフマニノフの変奏曲のみを集めたアルバム。「パガニーニの主題による狂詩曲」のみオーケストラを伴なう。協奏曲1番&3番を録音したオラモと再びコンビを組んでおり、協奏曲も全集になることが期待される。 このパガニーニ狂詩曲のうちでも有名なのが第18変奏曲で、映画「愛と死の間で」「赤い靴」「ある日どこかで」「恋はデジャ・ブ」「サブリナ」「三つの恋の物語」「RONIN」などで使われた。 他に「コレルリの主題による変奏曲」と「ショパンの主題による変奏曲」の2つのソロ作品が収録されている。有名な「ラ・フォリア」の主題に基づくコレルリはともかく、ショパンの前奏曲第20番に基づく変奏曲の方は録音もさほどないと記憶している。 次世代をの担い手の一人であることが確実視されるルガンスキー演の奏は、しっかりと地に足の着いた質実剛健なラフマニノフだ。インテンポで進められる重力感が心地よい。安定した技術の上に豪快で力強い歌がある。 コレルリ変奏曲をアシュケナージの名盤と聴き比べると、アシュケナージの方がずっと躍動的で飛翔感のようなものがある。逆にルガンスキーは地に根ざし、堅牢な構築物を作り上げる。どちらも魅力的だ。 いまのところルガンスキーというピアニストが、その個性を最もプラスに発揮できるのがラフマニノフ、次いでショパンとプロコフィエフかもしれない。 |
ラフマニノフ パガニーニの主題による狂詩曲 ルトスワフスキ パガニーニの主題による変奏曲 ショスタコーヴィチ ピアノ協奏曲 第1番 p: ヤブロンスキー アシュケナージ指揮 ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団 レビュー日:2008.9.11 |
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★★★★★ 新しい感性を感じさせてくれる名録音
ペーテル・ヤブロンスキーはいかにも新しい演奏家的キャリアの持ち主で、元来はジャズ・ドラムの名手として名を馳せたそうである。しかし、私たちがその名を聞き及ぶ様になったのはピアニストとして、である。複数の楽器を奏することはよくあるが、ジャンルと楽器を同時に軽やかに飛び越えるあたりに新しいフットワークを感じるし、その感性を享受できれば、と思ったりもする。 そんなヤブロンスキーの才を見出して、ここで指揮棒をとっているがやはり名ピアニストでもあるアシュケナージである。私たちはまたここにおいてもアシュケナージに感謝しなくてはいけない。これほどの才能を、録音を通じて私たちに教え、そして楽しませてくれたのだから。 ここに収められた3曲はいずれも近代の息吹とともにロマン派の要素も持っている作品で、それを清冽なヤブロンスキーの感性が奏でていくのは心地よい。この演奏がジャズっぽいのかどうかは簡単に言ってしまえるわけではないが、特徴としては必要以上に物語を作らない演奏と思える。刹那的なスリルがあり、即興的な感興があるが、それらを統御統制し、音楽としての転結を結ぶという基本的な作用も大切にしている。だから、感性だけで押しきった演奏というわけでもない。アカデミックな雰囲気も持っている。もちろん、経験の深いアシュケナージのアドヴァイスもあり、入念な打ち合わせがあったことは想像に難くないが、見事なアルバムに仕上がっている。 構成の点で面白いのはラフマニノフの「パガニーニの主題による狂詩曲」の直後にルトスワフスキの「パガニーニの主題による変奏曲」を配置したことだ。両曲とも同じパガニーニの主題を題材にしているし、ならべて聴くと、なんだか第1部と第2部を連即して聴くような面白みがある。ショスタコーヴィチの名品も独奏者、オケともに存分の出来で、当曲の多くの録音でもベストを争う内容といって間違いない。91年の録音であるが、当時の最高水準のデッカの録音技術には、他のレーベルが今なお追いついていないと思う。 |
ピアノ三重奏曲 第1番「悲しみの三重奏曲第1番」 第2番「悲しみの三重奏曲第2番」 ボロディン・トリオ レビュー日:2009.11.9 |
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★★★★★ ロシア・ピアノトリオの名曲2品
ラフマニノフの2曲のピアノ三重奏曲を収録。演奏はボロディン・トリオ。録音は1983年。2曲のピアノ三重奏曲のうち単一楽章のものは遺作であり、3楽章構成で完成された方が作品9とされている。このニ短調の作品は1893年のものであるが、敬愛するチャイコフスキーの死を悼む作品である。チャイコフスキーもまたニコラス・ルビンシテインの死にこの編成の楽曲を捧げている。それがかの有名な「偉大な芸術家の思い出のために」である。 チャイコフスキーの名作が生まれてから、「ロシア・ピアノ三重奏曲」と言ってもよい系譜が発流する。アレンスキーの名品や、このラフマニノフの2曲がその代表格と言える存在であり、つまり連綿たるロシア的と形容される情緒の長い吐露を特徴とする。物憂い旋律を、楽器を交代しながら奏でていき、大きな感情のクライマックスを形成する。 思えば、チャイコフスキーはこの編成の室内楽を当初避けていた。それはこの3つの楽器によって構成される音の質が、作曲のイマジネーションと合致しない部分が多かったためと考えられる。ピアノ+弦楽合奏という室内楽は、なかなか作曲が難しいジャンルだと思う。ブラームスはずいぶんこのジャンルに挑戦したが「ピアノ五重奏曲」を除けば大きく成功したと言える作品はない。情緒が流れすぎてしまうのだ。しかし、チャイコフスキーによって、開き直った「情緒開放路線」とも言えるロシアンスタイルが確立された結果、その形式を応用することで後世の作曲家が様々な名作を生み出した、というのもあながち穿った考えではないと思う。こうなるとラフマニノフは独壇場ともいえる適性を発揮する。 さて。このボロディン・トリオの演奏はとても良い。なんと言ってもチェロが重要である。このような甘い旋律をぐっと引き込ませるには、人の声に近く、また特有の暖かみをもったチェロという楽器の役割が大きいのだ。トゥロフスキーのチェロはたっぷりとした情感を宿して大きな構えの音楽を導いていて、曲想を固めるのに決定的な役割を果たしている。また全体的なバランスも崩れることが無く、一定のラインを保つしたたかさも十全だ。演奏の良さもあって、これらの名曲がきちんと名曲らしく響くのはとても好ましい。 |
ピアノ三重奏曲 第1番「悲しみの三重奏曲第1番」 第2番「悲しみの三重奏曲第2番」 ヴォカリーズ 夢 p: アシュケナージ vn: ヴィゾンタイ vc: リドストレム レビュー日:2013.8.25 |
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★★★★★ アシュケナージがついに録音したラフマニノフのピアノ三重奏曲集
発足時から「ラフマニノフ協会」の会長を務め、ラフマニノフ(Sergei Rachmaninov 1873-1943)の音楽の普及に長年貢献してきた巨匠、アシュケナージ(Vladimir Ashkenazy 1937-)は、2012年発売のアルバムで、ピアノ・ソロ曲全曲の録音という偉業を成し遂げたわけであるが、このたびは、ピアノ付室内楽のうちで、これまで録音をしてこなかった「ピアノ三重奏曲」がリリースされた。ヴァイオリンがフィルハーモニア管弦楽団の若きコンサートマスター、ツォルト=ティハマー・ヴィゾンタイ(Zsolt Tihamer-Visontay 1983-)、チェロが、BISレーベルでもアシュケナージと共演のあるマッツ・リドストレム(Mats Lidstrom 1959-)。2012年の録音。収録曲は以下の通り。 1) 悲しみの三重奏曲 第1番ト短調 2) 悲しみの三重奏曲 第2番ニ短調 op.9 3) ヴォカリーズ(ヴァイオリンとピアノのための)op.34 4) 6つの歌より第5曲「夢」(リドストレム編曲によるチェロとピアノ版) op.38-5 ラフマニノフの2曲のピアノ三重奏曲は、チャイコフスキー(Pyotr Ilyich Tchaikovsky 1840-1893)、アレンスキー(Anton Stepanovich Arensky 1861-1906)の流れを汲み、ロシア・ピアノ三重奏曲の名曲群を成すもので、連綿たる情緒、深い郷愁に満ちた旋律を滔々と歌い上げた名品である。特に、チャイコフスキーの死に捧げたと言われる第2番は、チャイコフスキーの同曲と同様に追悼曲の性格を反映し、両者の印象を似通わせる。また、単一楽章構成で、習作的に位置づけられることのある第1番も、センチメンタリズムに満ちた美しい旋律を持っていて、ラフマニノフが好きな人には聴き逃せない曲ではないか、と思う。 やはり注目したいのは、録音時75歳となったアシュケナージによるラフマニノフへの思いの詰まったピアノである。確かに技巧的には、以前の凄まじさがなくなったけれど、一つ一つ慈しむように弾かれるその音は、感動的で、音楽として一番大事なものを切々と問いかけてくるような響きに思える。 また、特に第2番における情熱的で技巧的な展開部分などにおいて、若き頃を彷彿とさせるようなダイナミックなピアニズムも披露されている。それに、何と言っても、このピアニストの場合、ラフマニノフ作品への共感の度合いがことさら深いので、繰り出される表現が、すべて齟齬なく収まり、そのことで、熱いほどの郷愁が、こみ上げるように迫ってくるのを感じるのである。 ヴァイオリンのヴィゾンタイ、チェロのリドストレムともに、この巨匠との演奏に尽くすかのように音楽を奏でている。そのことも、これらの音楽の献身性や感動性に繋がっている。 「ヴォカリーズ」という曲をアシュケナージは何度録音したのだろう。 指揮者として「オーケストラ版」を録音しているが、ピアニストとして、コチシュ(Kocsis Zoltan 1952-)編曲の「独奏版」、原曲である「歌曲の伴奏」はスウェーデンのソプラノ歌手、エリザベート・ゼーダーシュトレーム(Elisabeth Anna Soderstrom 1927-2009)との共演、「チェロとピアノ版」は、ハレル(Lynn Harrell 1944-)の他、本盤で共演しているリドストレムともかつて録音がある。そして、今回の「ヴァイオリンとピアノ版」についても、以前、シドニー交響楽団のコンサートマスターであるオールディング(Dene Olding 1956-)との録音があった。なので、いま数えただけで、当盤を含めて7種の録音があることになる。 もちろん一つとして悪い演奏なんてないのだけれど、今回の録音も澄んだ情緒が美しく漂っている。 最後に収められた「夢」がまた聴きものだ。編曲の妙もあって実に美しい仕上がり。簡素なメロディーながら、十分な表現の幅があり、これを余すことなくチェロとピアノが伝えている。きらびやかな瞬間のあるピアノ・パートも要注目。いずれにしても、このディスクの登場で、また一つ大事なラフマニノフのアルバムが増えた、というのが私の実感です。 |
ピアノ三重奏曲 第1番「悲しみの三重奏曲第1番」 第2番「悲しみの三重奏曲第2番」 ラフマニノフ/クライスラー編 祈り p: トリフォノフ vn: クレーメル vc: ディルヴァナウスカイテ レビュー日:2018.3.5 |
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★★★★★ 70歳になるクレーメルがラフマニノフ作品を通して語ること
世界的ヴァイオリニスト、ギドン・クレーメル(Gidon Kremer 1947-)の70歳を記念して製作されたアルバム。「Preghiera(祈り)」と題されて、以下の楽曲が収録されている。 1) ラフマニノフ(Sergei Rachmaninov 1873-1943)/クライスラー(Fritz Kreisler 1875-1962)編 祈り 2) ラフマニノフ 悲しみの三重奏曲 第2番 ニ短調 op.9 3) ラフマニノフ 悲しみの三重奏曲 第1番 ト短調 冒頭曲は、クライスラーが、ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番の第2楽章を、ヴァイオリンとピアノ版に編曲した5分半程度の小品。 共演は、ピアノがダニール・トリフォノフ(Daniil Trifonov 1991-)、2-3)のチェロがギードレ・ディルヴァナウスカイテ(Giedre Dirvanauskaite)。ディルヴァナウスカイテは、クレメータ・バルティカの首席奏者として、クレーメルとは共演を重ねてきた間柄。 なお、録音は2015年なので、録音時、クレーメルはまだ68歳となる。68歳のうちから70歳記念盤の製作ってちょっと変わってますね。変わっていると言えば、ラフマニノフの三重奏曲は、いずれもピアノが中心の楽曲なので、ヴァイオリニストの記念盤としては、この選曲自体もちょっと風変わり。それもこれも、個性的な芸風を示してきたクレーメルならではのユーモアが添えられているのかもしれない。ちなみに、クレーメルはラフマニノフの作品について、こう語っている。「彼の作品を演奏するということは、ミサに参列することに似ています。そこでは、あらゆる感情が許されて、最後に誰もが親密さを感じることができる愛情が残るのです」。ヴァイオリニストがラフマニノフの作品を語ることは少ないが、この言葉は、クレーメルが親しい仲間とこそ演奏すべき楽曲として、これらの作品を認識している証左と思える。 アルバムは、クライスラーの編曲した佳品から始まるが、これがたいへん美しい。原曲の雰囲気をそのまま引き継ぎながら、トリフォノフの透明なタッチに乗って、クレーメルの紡ぎだす音の情感が素晴らしい。特に弱音に込められた独特の憂い、抑えられた感情が、徐々に解放されていく過程の盛り上がりは流石である。この魅力的な編曲作品を紹介してくれるという点だけでも、当アルバムの価値は高いだろう。 次いで、ラフマニノフの若いころの代表作の一つと言えるピアノ三重奏曲となる。いずれの楽曲もロシア的メランコリーを歌ったもので、追悼曲の性格を持っている。ここでの彼らの演奏は、合奏の喜びを感じさせるもので、第2番の第1楽章で言えば、静かな冒頭からニュアンス深い交換がはじまるが、そこから訪れる堂々たる弦の合奏の膨らみや、ここぞというときに見せるチェロの大きく沈むような呼吸が、聴き味を広げてくれる。 その一方で、ボザール・トリオや、アシュケナージ(Vladimir Ashkenazi 1937-)、ヴィゾンタイ(Zsolt Tihamer-Visontay 1983-)、リドストレム(Mats Lidstrom 1959-)による録音に比べると、郷愁の優雅さには欠け、むしろヴィヴィッドな活力が表面に出やすい傾向をも当演奏は示す。これはトリフォノフのスタイルが特に強く影響を出している部分で、例えば第2番の第2楽章の運動的な快活さは、見事とはいえ、全体の構成感からみると、やや凹凸の目立つ感じを引き起こし、それが優雅さと相反する印象となるためである。 しかし、そうは言っても、ラフマニノフらしいピアノのヴィルトゥオジティを示すことの優先順位を上げた解釈である、と考えると、爽快にも感じられるところとなる。それに、クレーメルによる全体の情感のコントロールは流石で、凹凸を感じつつも、最終的には、いかにも辻褄が合うように結ばれる。 70歳を前にしたクレーメルが、録音時24歳のトリフォノフと、音楽的な深い語らいをしているように感じられるのも感慨深い。いろいろなことを感じさせてくれるアルバムです。 |
ピアノ・ソナタ 第1番 第2番 p: ルガンスキー レビュー日:2012.11.8 |
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★★★★★ この楽曲はこういう風に演奏されることを待っていたのではないか?
ロシアのピアニスト、ニコライ・ルガンスキー(Nikolai Lugansky 1972-)によるラフマニノフ(Sergei Rachmaninov 1873-1943)の2曲のピアノ・ソナタを収録。ピアノ・ソナタ第2番については1931年版に少し手を加える形のスコアを使用している様子。2012年の録音でAmbroisieレーベルからのリリース。第2番に関しては1993年以来19年ぶりの再録音ということになる。(ただし、スコアは若干異なる) ラフマニノフのピアノ・ソナタについては、第2番はすでに名作としてのステイタスが確立しているが、第1番はまだ一部のラフマニノフ・ファンのための音楽となっている感がある。しかし、近年では、このソナタについても徐々に評価が高まってきている。私がこれまで当曲を聴いてきたのは、ヤコフ・カスマン(Yakov Kasman 1967-)、ワイセンベルク(Alexis Weissenberg 1929-2012)、アシュケナージ(Vladimir Ashkenazy 1937-)のいずれも優れた3種の録音であるが、それぞれに満足してはきたけれど、その一方で、より多くのピアニストにこの曲を録音してほしいと思っていた。そこにルガンスキー盤が加わり、いよいよ陣容は厚みを増してきたように思われる。 ルガンスキーは、ラフマニノフを弾くのに実に相応しいピアニストだ。膂力にあふれたピアニズム、彫像性ある立体的音響の構築、そして旋律を美しく響かせるセンス、いずれも超一級の才がある。特に、今回収録されたピアノ・ソナタ第1番を聴いていると、「この楽曲はこういう風に演奏されることを待っていたのではないか?」と感じてしまうほどに、求心力と説得力に満ちた力演だ。特に前半2楽章が秀逸で、ラフマニノフの野心的ともいえる恰幅のあるテクスチュアを見事に解きほぐし、瞬時に論理的に構築していく爽快感は比類ない。情緒的なニュアンスの扱いも過不足なく、あらゆる点からみて欠点の見いだせない出来栄え。終楽章も立派だが、クールに透徹したスタイルについては、より情熱的な放散を求める人もあるかもしれない。しかし、もちろん、非常にレベルの高い演奏である。 名曲の誉れ高いピアノ・ソナタ第2番においても、ルガンスキーの解釈は論理的で蓋然性の高さを感じさせる。言い方を変えれば、この浪漫的なソナタに、一種の古典的統一感をもたらしているので、その点について、若干の齟齬を感じる方もいるかもしれないが、そこで鳴っている音楽は、純度の高さを感じさせる。この効果は、ルガンスキーの高い技術、五指の力、高い集中力によってもたらされている。音が均質であることの絶対的な美観を、これらの楽曲でここまで追求しえたことには、多くの人が驚愕することではないだろうか。 以上の特徴をもって、私は当盤が、これらの楽曲の録音として代表的なものとして、当然数え上げられるべき一枚であると考える。 |
ピアノ・ソナタ 第1番 第2番 p: ロマノフスキー レビュー日:2014.8.27 |
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★★★★★ ウクライナの異才、ロマノフスキーによる鮮烈なラフマニノフのソナタ
ウクライナのピアニスト、アレクサンダー・ロマノフスキー(Alexander Romanovsky 1984-)は、私が今現在最も新譜を期待しているピアニストの一人。2001年に17歳という若さでブゾーニ国際ピアノコンクールに優勝し、以後デッカ・レーベルとの契約の元、注目すべきアルバムをいくつかリリースしている。私は入手可能なものはすべて入手している。 本盤は、ユニバーサル・イタリアからリリースされている。国内盤は出ていないが、当サイトで輸入盤が入手可能。ロマノフスキーは、現在イタリア在住だそうだ。 収録されているのはラフマニノフ(Sergei Rachmaninov 1873-1943)の以下の2曲のピアノ・ソナタ。2012年と13年の録音。 1) ピアノ・ソナタ 第1番 ニ短調 op.28 2) ピアノ・ソナタ 第2番 変ロ短調 op.36 このアルバムには「Russian Faust」というタイトルが付けられているが、これはソナタ第1番において、作曲当初、“3つの楽章に、それぞれゲーテ(Johann Wolfgang von Goethe 1749-1832)の「ファウスト」の主要な3人の登場人物(第1楽章;ファウスト、第2楽章;グレートヒェン、第3楽章;メフィストフェレス)に関する標題性を与える”、という構想が与えられていたことに基づくものだと思われる(最終的にこの構想は取られないことになった)。 この2つのピアノ・ソナタについては、すでに名曲としての評価が確立された第2番だけでなく、第1番もたいへんな名曲だと思う。しかし、最近まで、この第1番に関する録音というのはあまり多くはなかった。私が聴いてきたのは、ヤコフ・カスマン(Yakov Kasman 1967-)とワイセンベルク(Alexis Weissenberg 1929-2012)のいずれも優れた録音であったが、しかし、いまひとつライブラリに不足感が否めなかった。 しかし2011年にアシュケナージ(Vladimir Ashkenazy 1937-)、2012年にルガンスキー(Nikolai Lugansky 1972-)、そしてさらに当ロマノフスキー盤の登場により、一気に情勢は展開した。優れた録音の数という観点においても、この第1ソナタの名曲性は、不動の位置を占めるようになったともう。 このロマノフスキーの録音も素晴らしい。全編が漲る様な躍動感にあふれ、ドラマ性に満ちている。Ambroisieレーベルから出ているルガンスキーのアルバムもこの2曲を収録した構成であるが、ルガンスキーの演奏が、徹底した客観性に基づいて、これらの作品をクールに、しかも完璧に再現したのに対し、ロマノフスキーはむしろ自身を作品の内側に置く様なスタイルで、情熱の迸りをためらわずに解き放った、熱血性を感じさせる名演だ。ルガンスキーの完璧な演奏の気高さに、それゆえの近寄りがたさを感じることがあったなら、このロマノフスキーの演奏に身を委ねてみよう。 第1ソナタの第1楽章、何度も変わる拍子に変幻豊かな運動性で即応し、瞬く間に内包する熱を上昇させる。ラフマニノフがこの音楽に込めた気迫が、聴き手に迫ってくるようだ。また繰り返される憧憬的とも言える主題が、情感を持って響くのも相応しい。圧巻は浪漫的で長大な第3楽章で、早めのテンポを主体に、情熱的な放散が繰り返されて、とても気持ちが良い。 第2ソナタは1931年の簡潔な改訂版によっているが、ここでも演奏の燃焼性は十分で、かつ一つ一つの音符の揃った粒立ちが心地よい。第2楽章後半で聴かれる音階的フレーズが爽快だ。ソノリティの美しさ、活力に溢れた運動性、畳み掛けるような迫力とラフマニノフらしさを堪能させてくれる。 鮮やかなパッションの奔流を描いた当ロマノフスキー盤の登場を持って、ラフマニノフのピアノ・ソナタ録音は、一気にその陣容を増した。 |
ラフマニノフ ピアノ・ソナタ 第1番 第2番 無言歌 ニ短調 リラの花(1914年初版) ビゼー/ラフマニノフ編 メヌエット シューベルト/ラフマニノフ編 どこへ? バッハ/ジロティ編 前奏曲 ロ短調 BWV.855a p: 有森博 レビュー日:2015.12.17 |
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★★★★★ 現代最高のラフマニノフの一つ
ロシアのピアノ音楽に打ち込み、精力的な録音活動を展開している有森博(1966-)による2015年録音のラフマニノフ (Sergey Rachmaninov 1873-1943)のピアノ作品集。収録曲の詳細は以下の通り。 1) 無言歌 ニ短調 2) ピアノ・ソナタ 第1番 ニ短調 op.28 3) 12の歌曲から 第5曲「リラの花」 op.21-5 (ピアノ独奏版) 4) ビゼー(Georges Bizet 1838-1875)/ラフマニノフ編 「アルルの女」第1組曲より「メヌエット」 5) シューベルト(Franz Schubert1797-1828)/ラフマニノフ編 歌曲集「美しき水車小屋の娘」より「どこへ?」 6) ピアノ・ソナタ 第2番 変ロ短調 op.36(1931年改訂版) 7) J.S.バッハ(Johann Sebastian Bach 1685-1750)/ジロティ(Alexander Il'ich Ziloti 1863-1945)編 前奏曲 ロ短調 BWV.855a 無言歌ニ短調は、ラフマニノフがまだ十代の半ばで書いた小品で、作品番号はない。また、末尾にラフマニノフの従兄で、師でもあったウクライナのピアニスト、ジロティによる編曲作品が収録されている。 ラフマニノフの2曲のピアノ・ソナタは、主題のもつ感情的な含みの深さ、音響効果の充実、構成的な美しさなど、きわめて充実した音楽作品で、私個人的には、この作曲家の代表作として、まず指折るべき作品だと思っている。しかし、これらの楽曲、特にソナタ第1番の録音機会は決して多くはなく、世の名だたるピアニストたちも、敬遠する曲目だった。それというのも、あまりにも技巧的に至難であり、その複層的な音世界に適切な脈絡をもって音楽的に奏することは、彼らにとってもきわめて困難だったからである。 しかし、ごく最近になって、ラフマニノフの2つのソナタを併せて収録した2つのきわめてすぐれた録音が表れた。一つはルガンスキー(Nikolai Lugansky 1972-)による2012年録音のアルバム(Ambroisie AM208)、もう一つはロマノフスキー(Alexander Romanovsky 1984-)による2012,13年録音のアルバム(DECCA 481 0758)である。 そして、さらに有森による素晴らしい録音がここに加わったことになる。 有森はこれまで2000年に練習曲集「音の絵」、2013年に24の前奏曲、2014年に「コレルリの主題による変奏曲」を中心とした変奏曲集といったラフマニノフの名品を録音してきた。それらの内容から、この芸術家のラフマニノフへの深い理解と適性はすでに証明されているが、それにしても当録音は見事で、これまでの最高傑作と言っても良い内容。 また収録曲も面白い。ソナタ2曲だけでなく、他の編曲ものを含む小品を巧みに織り交ぜた構成は、アルバムの聴き味に重厚感と情感を増している。そういった点で、前述の2つの先行するピアニストの録音を上回る内容といっても良い。 有森のピアノはきわめて力強く、ラフマニノフの音楽が持つ濃厚なニュアンスを存分に聴き手に堪能させてくれる。音量は圧倒的と言うほどではないが、常に適度な強弱の中位点が保たれている。そのことが、抜群のバランサーとなって機能し、感情的な偏りを厳しく律している。そのため、この演奏からは、ロシア的な情感と、近現代西欧的な洗練の双方を感じ取ることができる。つまり、これらの難曲において、有森は得難い完成度の演奏を披露している。 いま現在、これほどのラフマニノフを弾ける人は、世界的にも限られているだろう。そういった点で、国内レーベルだけでなく、いずれは世界で流通すべきコンテンツであると考える。 最後に収録されたジロティ編曲のバッハが宿す透明な悲しみが、無類の余韻を残こすのも、抜群の演出だ。 |
ラフマニノフ ピアノ・ソナタ 第1番 第2番 チャイコフスキー/ラフマニノフ編 子守歌 p: ハイルディノフ レビュー日:2017.6.13 |
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★★★★★ ハイルディノフのONYXレーベル第1弾は、やはり得意のラフマニノフです
ロシアのピアニスト、ルステム・ハイルディノフ(Rustem Hayroudinoff)によるラフマニノフ(Sergei Rachmaninov 1873-1943)のピアノ・ソナタ集。収録内容の詳細は以下の通り。 1) ラフマニノフ ピアノ・ソナタ 第1番 ニ短調 op.28 2) チャイコフスキー(Pyotr Ilyich Tchaikovsky 1840-1893) 6つのロマンスから 第1曲 子守歌 op.16-1 (ラフマニノフ編ピアノ独奏版) 3) ラフマニノフ ピアノ・ソナタ 第2番 変ロ短調 op.36(改訂版) 2015年の録音。 ハイルディノフはピアノ・ソナタ第2番については1998年に1度録音している(WWCC7328)ので、今回が再録音となる。 ハイルディノフは、その実力に比して録音の数が極端に少ないピアニストの一人である。これまでリリースされたものは、両手で数えられるくらいで、そのうち半分がラフマニノフといったところ。前述のソナタの他、2003年録音の前奏曲集(CHAN10107)、2006年録音の練習曲集「音の絵」(CHAN10391)、それに室内楽の録音もあった。 いずれにしても、ハイルディノフにとってラフマニノフが「特別な作曲家」であることは間違いなく、しかも、それらの録音はいずれも名演と呼んでしかるべきもの。 このたびの録音も、ハイルディノフの良さが十全に満ち溢れている。 このピアニストの特徴は、技術が高いことは当然であるとして、その粒だった角張ることのない音質の見事さ、これを的確にコントロールし、技巧に溺れない全曲的俯瞰の見事さにある。 ラフマニノフのピアノ・ソナタでは、技術的なレベルの高さをクリアするとともに、浪漫的な楽曲の規模とスタイルを表現し、かつラフマニノフ特有の情感の発露が求められるので、瞬間的な力技を重ねても、全体としては散漫で、この楽曲を聴いたという充足感を得るには至らないことがある。そのような点で、ハイルディノフの演奏には、つねに知の要素が働いていて、肉付けにしろ色づけにしろ、合理的な範囲内にきちんとおさまった感があり、全曲のまとまりのよい印象に繋がっている。 ソナタ第1番は、ファウストの主要人物、すなわち第1楽章がファウスト、第2楽章がグレートヒェン、第3楽章がメフィストフェレスを描写したものと伝えらえるが、それはおいておくとしても、それぞれが良くできた性格的な音楽であるので、ハイルディノフの的確な表現が全曲に強い安定感を与えることが心強い。第2番はそれに比べると、元来が一貫性のある音楽であるが、そこからハイルディノフは劇的な起伏を巧みに描き出している。後半2楽章は落ち着いた足取りを感じさせるが、必要なことは周到にこなして行くための必然性を感じさせるテンポであり、ラフマニノフ特有の情緒を決して置き去りにすることはない。 2曲のソナタに挟まって、晩年のラフマニノフがチャイコフスキーの歌曲をピアノ独奏曲に編曲したものが収められている。ラフマニノフが工夫を凝らしたピアノ・スコアが、十分な余裕をもって再現されており、心憎いほどに奏者の力量を示している。 |
ピアノ・ソナタ 第1番 ショパンの主題による変奏曲 p: アシュケナージ レビュー日:2011.10.4 |
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★★★★★ アシュケナージの辿りついたラフマニノフ
1人の芸術家が、その生涯をかけて取り組んできたテーマが、完結を迎えようとしている。これは、そんな深い感慨に満ちたアルバムだ。 ソ連で生まれたピアニスト、ウラディーミル・アシュケナージ(Vladimir Ashkenazy 1937-)は、ロシアの作曲家、ラフマニノフ(Sergei Rachmaninov 1873-1943)の演奏・録音を、ライフワークとしてきた。活躍はピアニストとしてのみに留まらず、指揮者としてもラフマニノフの全管弦楽曲を録音した。また、アシュケナージは、1990年にイギリスで、ラフマニノフの音楽の普及等を目的に設立された「ラフマニノフ協会(Rachmaninoff Society)」の会長も務め、率先して活動を行ってきた。そんなアシュケナージが、ピアニストとしていまだ録音していなかった「ピアノ・ソナタ第1番」と「ショパンの主題による変奏曲」という2つの大曲を、ついに録音した。 思えば、私も、このピアニストが奏でるラフマニノフのピアノ協奏曲第2番(1984年録音のハイティンク指揮のもの)から、クラシック音楽の世界に入ったのであり、以来、アシュケナージの録音するものは、ほとんど全て聴いてきたために、このたびの録音は深い感慨なくして聴くことはできないのである。 しかし、そのような心理的な背景を別にしても、これは良い録音だ。ラフマニノフの音楽のすべてを知り尽くしたアシュケナージならではのカンタービレがあり、音楽が息づいている。 「ショパンの主題による変奏曲」はショパンの24の前奏曲の第20番の主題に基づく、主題提示と22の変奏からなる。一つ一つの変奏曲の素早く巡るような移り変わりと、短調による、スピーディーな変奏が多いドラマティックな展開が聴きモノだ。アシュケナージのタッチは若い頃に比べて幾分固めになったが、やや早めのテンポで、ラフマニノフ特有の色彩を過不足なく表現していく。幾分枯淡の音色のようにも思えるが、楽曲全体を捉える視点が確かで、各変奏曲の主張が鮮やかに決まっている。 ピアノ・ソナタ第1番はあまり聴かれることのない作品だが、ラフマニノフらしいパッションとヴィルトゥオジティに満ちた大作だ。アシュケナージはここで敬愛し続けたラフマニノフの音楽に、すべてを捧げるかのような情熱を放出している。ことに凄いのが終楽章で、せき止めてもせき止めても溢れてくるような情感を、必死でキープしながら、きわどく音楽としての構造性を保っていく。あちこちから脈々を溢れるような音を拾い上げ、瞬時に纏め上げては、たちどころに美しい色彩を与えて放流する。そのすさまじい展開を統べる演奏家の技術とハートに、多くの人が心打たれることだと思う。“アシュケナージの辿りついたラフマニノフ”。最後に残るのは、万感のその言葉だった。 |
ピアノ・ソナタ 第1番 楽興の時 前奏曲 ニ短調 破片 東洋のスケッチ ヌンク・ディミッティス~「晩祷」よりラフマニノフ編ピアノ独奏版 p: オズボーン レビュー日:2022.5.26 |
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★★★★★ 力強さと美しさに圧倒される1枚です
イギリスのピアニスト、スティーヴン・オズボーン(Steven Osborne 1971-)によるラフマニノフ(Sergei Rachmaninov 1873-1943)のピアノ独奏曲集。収録曲は以下の通り。 1-3) ピアノ・ソナタ 第1番 ニ短調 op.28 4) 前奏曲 ニ短調 op.posth 5) 断片 6) 東洋のスケッチ 7) 「晩祷」より 第5曲 主宰や今 爾の言にしたがい(ピアノ独奏版) 楽興の時 op.16 8) 第1番 変ロ短調 9) 第2番 変ホ短調 10) 第3番 ロ短調 11) 第4番 ホ短調 12) 第5番 変ニ長調 13) 第6番 ハ長調 2020年の録音。 オズボーンはピアノ・ソナタ第2番を2012年に録音していたので、これで両曲が揃ったことになる。 当盤のオズボーンの演奏だが、とにかく圧巻の一語に尽きる。 ラフマニノフのピアノ・ソナタ第1番は、作曲家の野心的な表現意欲が、全編からあふれ出ているような作品だが、技術的に至難であるだけでなく、一つのソナタとして俯瞰性を与える解釈も難しく、かつ30分に及ぶ楽曲のスケールも手伝って、手掛けるピアニストを選ぶ作品だ。それだけに、優れた演奏で聴くと、その芸術性に改めて感動を覚えることになるのだが、このオズボーンの録音は、あらゆる面からみて、欠点と呼ぶべきものが見当たず、それは、この楽曲の演奏においては、奇跡的なレベルと言って良いものだ。 ラフマニノフは、このソナタにおいて、第1楽章でファウスト、第2楽章でグレートヒェン、第3楽章でメフィストフェレスを描いたと述べたという。浪漫的な発想に満ちた楽曲に相応しいが、ともすれば演奏する際に、その情熱を表現することに集中し過ぎて、ソナタとしての完結性が乏しく感じられることがあるのだが、オズボーンの演奏は、その点で、際立って明瞭で、全体が見事な構成感に収まっている。技術が卓越しているだけでなく、コントロールされ、統制された美観は、一種の気高さをまとい、つねに聴き手に明確な方向性を指し示してくれるこの演奏は、実に力強い。 中でも疾風のように駆け抜ける第3楽章は、胸のすく表現の連続だ。これほど難しいパッセージに、早く正確に階層付けを与え、音楽的な情感と興奮を交えて弾きこなす様は、驚異的と言って良いレベルであり、実際、当録音のこの楽章を聴いて、興奮を覚えずにはいられないのではないか、それほど聴き手に「凄み」を感じさせる演奏だ。 そのあと、ラフマニノフが、作品番号を与えなかった小品がいくつか置かれていて、これらも高い純度を感じさせる演奏だが、中でも、晩祷から作曲者自身が編曲した作品は、淡い旋律が深く刻まれる印象的なものとなっている。 そして、「楽曲の時」。これまた凄い。この曲集は、各曲がそれぞれ個性的で、それゆえの魅力を持っているのであるが、逆に言うと、全曲を並べて弾く必然性をそこまで感じさせないのであるが、しかし、オズボーンの演奏で聴いていると、まるで組曲のように、それぞれがあるべきところに収まったような、説得性がある。特にハ長調の終曲の、勇壮にして広々とした立派なあり様は、この充実したアルバムを聴いたひと時をしめくくるにふさわしい。 素晴らしい音楽を味わわせてくれる。 |
ピアノ・ソナタ 第2番 ショパンの主題による変奏曲 ライラック ひな菊 愛の喜び(原曲:クライスラー) 愛の悲しみ(原曲:クライスラー) p: スドビン レビュー日:2008.5.18 |
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★★★★★ ラフマニノフの醍醐味を堪能できるアルバム
BISが力を入れてプロデュースしているピアニストの一人、エフゲニー・スドビン(Yevgeny Sudbin)。によるラフマニノフのアルバム。録音は2005年。収録曲は、ラフマニノフ「ショパンの主題による変奏曲」「ライラック」「ひな菊」「ピアノ・ソナタ第2番」 それにクライスラーの曲をラフマニノフが編曲した「愛の悲しみ」と「愛の喜び」。 スドビンは1980年ペテルブルク生まれ。チェコで開催された若手ヴィルトゥオージ・国際コンクール(Young Virtuosi International Piano Competitio)で優勝などのコンクール歴があるとのこと。非常に情熱的でダイナミックなピアノで大いに注目される存在だ。 本盤に収録されたラフマニノフの楽曲でも、消え入るようなデクレッシェンドから、急速に立ちあらわれ、屹立するかのようなクレシェンド、そして細やかな音色とテンポの揺らしで、なんともほどよい陶酔感を与えてくれるラフマニノフとなっている。「ショパンの主題による変奏曲」はショパンの24の前奏曲の第20番の主題に基づいたものだが、私は、かつてはボレットの録音で、最近はルガンスキーの録音でこの曲を楽しんだ。しかしボレットが裾野の広いグランド・マナーを示し、またルガンスキーがインテンポで質実剛健とも言える重量感を示したのに比し、スドビンは刹那的な陰影を散りばめ、様々な思いがめぐりくるような不思議な感情に満ちた演奏を繰り広げている。しかし、透明感があり、決して感情過多な胃もたれ演奏にはならないところがすごい。 歌曲の編曲モノ2曲をはさんで、大曲「ピアノ・ソナタ第2番」になるが、ここでのダイナミックレンジの広さは相当なもので、当CDを再生する環境を選ぶと思われる。しかし、そのこまやかなニュアンスに満ちたアプローチは魅力いっぱいだ。ことに第2楽章から第3楽章にかけての表現力は卓越していると思う。(なお、この曲ではホロヴィッツ版のスコアを使用している)。最後にクライスラーの編曲ものを2曲収録しているが、これまた全力を尽くした壮麗な演奏で聴き応え満点。ラフマニノフの一つの醍醐味を味わわせてくれる。 |
ラフマニノフ ピアノ・ソナタ 第2番 前奏曲 第16番(op.32-5) 第23番(op.32-12) J.シュトラウス(エヴラー編) ワルツ「美しく青きドナウ」によるアラベスク シューベルト 即興曲op.142-3 ショパン スケルツォ 第3番 p: ハイルディノフ レビュー日:2011.3.28 |
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★★★★★ 生年なんて関係ない!洗練された現代版ロシア・ピアニズムを堪能
私がルステム・ハイルディノフ(Rustem Hayroudinoff)というピアニストの存在を知ったのは、比較的最近のことだけれども、ちゃんと聴いていた人は前々から聴いていたようで、このアルバムは1998年録音の国内盤である。 突然、本質的にはどうでもいい話なのだけれど、このピアニストは生年が不詳である。このディスクにも一切記載がないし、自身のホームページにも記述がない。・・しかし、実は「生年」というのはどうでもいいものだとも思う。日本という国に住んでいると、例えば就職するときなども年齢制限が頑として存在したりして、どうも誰もが同じ年齢のときには同じようなことをしていなければならない拘束感のようなものがあるのだが、世界には自分の年齢を知らない人も多く居るし、振り返ってみると、私も自分の年齢がそうたいした重要な情報とは考えられない。それどころか世の中には、年齢という情報があるばっかりに、ポジティヴな人間関係が出来ない場合だって、往々にしてあるに違いない。 いきなり、関係ないことを書き連ねて申し訳ないが、私がいいたいのは、『このピアニストの年齢が何歳であろうと、その演奏は、きわめて現代的な洗練をきわめたピアニズムを感じさせ、それがいわゆる往年の「ロシア・ピアニズム」と明確に一線を画していると思う』ということなのだ。 収録曲の中ではラフマニノフのピアノ・ソナタ第2番と、エヴラー(Adolf Andrey Schulz-Evler 1852-1905)の「J.シュトラウスの美しく青きドナウによるアラベスク」がとにかく見事。ラフマニノフのソナタでは、ハイルディノフの刹那刹那の感性のきらめきがたいへん印象的。技術的に卓越していて、清澄で音量豊かでかつスピーディーなピアノが楽しめるが、決して「弾き飛ばす」だけではなく、情感を湛えている。またその「情感」も、過度な色づけを施すような感じはなく、理知的にコントロールされていて品格がある。特に第2楽章のゆとりを保ちながら、ピアニスティックな美観を発揮させた音響は最大の聴きモノだ。 ポーランドのピアニスト兼作曲家、エヴラーが編曲したJ.シュトラウスの名曲「美しく青きドナウ」は、演奏至難なピースとして知られているが、ハイルディノフのしなやかな演奏はほぼ完璧と言っていいほどで、技術的な演奏効果が様々にキマルのが大層心地よい。切れ味がありながら、原曲のニュアンスも十全に引き出していると思う。メロディの歌わせ方も悦に入ったもので、得意中の得意曲といったところかもしれない。併録のシューベルト、ショパンもよく整った演奏で、今更ながら、今後の録音活動にも期待したい。 |
ラフマニノフ ピアノ・ソナタ 第2番 コレルリの主題による変奏曲 楽興の時 第2番 リラの花 幻想的小品集より第4番「道化師」 チャイコフスキー(ラフマニノフ編) 子守歌 メンデルスゾーン(ラフマニノフ編) 「真夏の夜の夢」よりスケルツォ p: ルガンスキー レビュー日:2011.9.20 |
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★★★★★ タダモノではない、若きルガンスキーのラフマニノフ
1994年チャイコフスキー国際コンクールで1位なしの2位となり、以後広く知られるようになったロシアのピアニスト、ルガンスキー(Nikolai Lugansky 1972-)がコンクール前の1993年に録音したラフマニノフのピアノ作品集。収録曲は、ピアノ・ソナタ第2番、楽興の時第2番、リラの花、幻想的小品集より第4番「道化師」、チャイコフスキー(ラフマニノフ編)子守歌、メンデルスゾーン(ラフマニノフ編)「真夏の夜の夢」よりスケルツォ、コレルリの主題による変奏曲。 ルガンスキーは楽興の時を2000年にERATOに、コレルリの主題による変奏曲を2003-4年にWARNERに録音しており、それらも見事な演奏であったが、この21歳時の録音も大変立派な出来栄えだ。 ラフマニノフのピアノ・ソナタ第2番はこの作曲家の個性が強く引き出された名曲。ホロヴィッツの改編を加えたものも含めて様々な録音が知られているが、いずれにしても、パッションのうねりをいかように表現するかが一つのポイントだと思う。けれども、このルガンスキーの演奏、それらの名盤とはちょっと雰囲気が違う。まるで一つ一つの音符を正確勝つ緻密に鍵盤上にトレースしていくようなクールさを感じるのだ。作品とも、楽器とも常に等しく距離を置き、完璧とも言える技術で作業を行っていく。例えば、ワイセンベルクの録音も技術的な凄みがあったが、彼は彼で、急くように音楽の頂点を目指し、駆け下りるような伽藍を繰り広げたものだが、ルガンスキーはたいへんクールにクライマックスを描写する。不思議なことに、それでもラフマニノフの音楽はラフマニノフらしさを失わず、むしろ堅牢な魅力を構築しながら、屈強な音楽として響く。21歳でこの落ち着き、ルガンスキー、タダモノではない。 「コレルリの主題による変奏曲」は、私にはアシュケナージの新旧3種の録音で馴染んできたが、アシュケナージの情熱的な打鍵に比べて、ルガンスキーは透明でクリスタルタッチのラフマニノフといった印象。それでいて情感に不足もない。特に最後の変奏曲がかもし出す無類の美観には多くの人が心を動かされるのではないだろうか。 他に小曲も収録してあるのがうれしい。特に圧巻は、技術的な難度が高いメンデルスゾーンのスケルツォ(ラフマニノフ編)である。これほど颯爽としたスピード感の中で、こまやかな音型のことごとくを明瞭に鳴らした演奏というのはちょっと記憶にない。ルガンスキーの持っている技術が並外れていることを如実に物語る録音だ。歌曲の編曲ものでは、端麗なデリカシーをも感じさせる。また、これらの録音が素晴らしいのもプラス要素。ピアノという楽器のソノリティーを巧みに拾い上げた優秀さが光る。 |
ラフマニノフ ピアノ・ソナタ 第2番(オズボーン版) コレルリの主題による変奏曲 メトネル 2つのおとぎ話 op.20 ピアノ・ソナタ 変ロ短調 op.53-1「ソナタ・ロマンティカ」 p: オズボーン レビュー日:2014.12.16 |
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★★★★★ オズボーンによる「パワー」と「コントロール」の美学を堪能
スティーヴン・オズボーン(Steven Osborne 1971-)による2012年録音のアルバム。収録曲は以下の通り。 1) メトネル(Nikolai Medtner 1880-1951) 2つのおとぎ話 op.20 2) メトネル ピアノ・ソナタ 変ロ短調 op.53-1 「ソナタ・ロマンティカ」 3) ラフマニノフ(Sergei Rachmaninov 1873-1943) コレルリの主題による変奏曲 op.42 4) ラフマニノフ ピアノ・ソナタ 第2番 変ロ短調 op.36(オズボーン版) オズボーンは、当録音の前年に、ムソルグスキー(Modest Mussorgsky 1839-1881)とプロコフィエフ(Sergei Prokofiev 1891-1953)のピアノ独奏曲からなるアルバムをリリースしていたから、それに続くロシアものということになる。 それにしても、メトネルとラフマニノフという組み合わせは魅力的だ。両者はいずれも、同じ時代にロシアから拠点を欧米に移して活躍した芸術家であり、互いを敬い友情で結ばれていた。けれども、最近までメトネルという作曲家が半ば忘れ去れていたこともあり、両者の曲を併せて聴く機会は驚くほどなかったのであるが、このたびのオズボーンの充実したアルバムは、その観点でもきわめて新鮮で効果的なプログラムになっていると思う。 特に「最近、メトネルという名前をよく聞くけど、いまいちその作品って、思い浮かばないな」という人には、当アルバムが入門に相応しいのではないだろうか。ここで収録されたメトネルの作品は、力強いピアニズムに満ち、保守的な調性音楽の中で、ドイツ的な構築美を満たした作風を端緒に示している。 「2つのおとぎ話」は、簡明な主題と簡潔な展開で、非常に分かりやすい作品であるが、オズボーンの完璧に力をコントロールしたスタイルによって、その古典的な風合いは明瞭に示されている。「おとぎ話」というタイトルから連想するより、ドラマチックな音楽の奔流があるが、オズボーンの演奏は、ただ情熱を滾らせるのではなく、つねに冷徹な視点があり、音楽の均衡性を高い次元で示している。 「ソナタ・ロマンティカ」も美しい作品だ。特にリズミックな重音が素早いパッセージを繰り広げる第2楽章は、これを聴く多くの人に「カッコイイ」と思わせる音楽だと思う。ここでもオズボーンは凄い。重量級の音を、まったく速度を減じることなく連打してくる。たがら単位時間あたりのエネルギーはすさまじく、ズシンとした質感を聴き手は受け取ることになる。 ラフマニノフではピアノソナタ第2番が良い。オズボーン版、と銘打たれているが、これはホロヴィッツ(Vladimir Horowitz 1903-1989)版とオリジナル版を折衷し、そこにオズボーン独自のものを加えたといった印象で、全体的なカラーはすこし明るめになっている印象。演奏は、メトネルと同様に力強い推進力に満ち溢れたもので、パワーと、それを統御する精神力に圧倒されるものだ。 一方、コレルリの主題による変奏曲は、これも見事に弛緩の無い演奏ではあるが、各変奏が平均化されているため、変奏曲ならではのヴァラエティの豊かさという点で聴き味として少し物足りないところも感じた。 とはいえ、全体的な演奏レベルは高く、この1枚で、さらにメトネルの作品が多くの人に聴かれる機会が提供されるのなら、たいへん素晴らしいことに違いない。 |
ピアノ・ソナタ 第2番(ホロヴィッツ版) 幻想的小曲集 楽興の時 p: クズミン レビュー日:2018.7.10 |
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★★★★☆ スポーティーなラフマニノフ
ピアニストにとって宿命的といえる楽曲が存在するケースはままあるが、ベラルーシのピアニスト、レオニード・クズミン(Leonid Kuzmin 1964-)にとって、ラフマニノフ(Sergei Rachmaninov 1873-1943)がもっとも大事な作曲家であり、中でも、その「ピアノ・ソナタ 第2番」が、それに該当するというのは専らの見方と言っていいだろう。当盤は、そんなクズミンによる2回目の当該曲の録音である。収録された楽曲は、いずれもラフマニノフの作品で以下の通り。 幻想小曲集 op.3 1) 第1曲 悲歌(エレジー) ホ短調 2) 第2曲 前奏曲「鐘」 嬰ハ短調 3) 第3曲 メロディ ホ長調 4) 第4曲 道化役者 嬰ヘ短調 5) 第5曲 セレナード 変ロ短調 楽興の時 op.16 6) 第1番 変ロ短調 7) 第2番 変ホ短調 8) 第3番 ロ短調 9) 第4番 ホ短調 10) 第5番 変ニ長調 11) 第6番 ハ長調 12) ピアノ・ソナタ 第2番 op.36 (ホロヴィッツ版) 2001年の録音。 クズミンの演奏の特徴は、パワー、スピード、そしてそれらの持続を要求されるピアノ・ソナタに端的に顕れていて、そこで聴き手を驚かせるのは、爆演と呼ぶべき燃焼性の高さと併せて、一つ一つの指から放たれる音の独立性、ことに力強いタッチと音の減衰の効果からもたらされる明瞭さを担保する能力である。クズミンはその技術を武器に、あえて楽曲から膨らんだり伸縮したりする部分を削ぐような方法で、間を詰めた俊敏なピアニズムを披露している。その興奮性は高く、特にソナタの両端楽章が圧巻と言って良い。 一方で、ソノリティ自体については、美しい方とは言い難い感じを受ける。元来が音色で勝負するピアニストではなく、むしろ音質の幅を集約することによってスタイルを確立するタイプなのかもしれない。ソナタは前述のアプローチで見事と言えるが、他の小品集、例えば幻想小曲集のエレジーや楽興の時の第1曲においては、音色とともにフレーズの扱いがあまりにも一様なため、どこをとっても同じような感じであり、全般に印象に残るものが少ない。少なくとも、私には、聴き味という点で物足りなさがあり、他の優れた演奏で聴くラフマニノフのような、香り立つロシア的メランコリーで、心を動かされるような経験はほとんど得られなかった。語弊があるかもしれないけれど、そういった意味で、かなりスポーティーな側にシフトしたラフマニノフという印象である。少なくとも夢中になる人とそうでない人の分かれ方がはっきりした演奏だろう。 なお、ソナタにおいて、スコアはホロヴィッツ版が選択されているが、細かい部分を除けば、いわゆる通常の改訂版との間に極端な違いはないだろうが、オリジナル版を愛好する人には、いくつかのカットが気になるかもしれない。 |
ラフマニノフ ピアノ・ソナタ 第2番 グリーグ ピアノ・ソナタ リスト ピアノ・ソナタ p: ギルトブルク レビュー日:2019.4.24 |
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★★★★★ これはお見事。ただ称賛すべき録音
2013年エリザベート王妃国際音楽コンクールで優勝を果たしたロシアのピアニスト、ボリス・ギルトブルク(Boris Giltburg 1984-)が「ロマンティック・ソナタ集」と題して、2012年に録音したアルバム。収録曲は以下の3曲。 1) ラフマニノフ(Sergei Rachmaninov 1873-1943) ピアノ・ソナタ 第2番 変ロ短調 op.36 (1931年改訂版) 2) グリーグ(Edvard Grieg 1843-1907) ピアノ・ソナタ ホ短調 op.7 3) リスト(Franz Liszt 1811-1886) ピアノ・ソナタ ロ短調 ギルトブルクは、同年にプロコフィエフ(Sergei Prokofiev 1891-1953)の戦争三部作も録音していて、それも見事な演奏だったが、当盤ではさらに大きなスケール感に満ちたピアニズムを披露している。 冒頭のラフマニノフでは、音色の美しさとともに、ラフマニノフ特有のメロディを縁取るルバートが巧妙で、色彩感に溢れた情緒が描き出されている。クライマックスでも雄弁なフォルテは、芯がしっかりしているとともに、立派な音圧を感じさせ、この楽曲の「大きさ」を物語るものとなっている。クライマックスの高さも立派であるが、そこに至る過程で紡がれる叙情的パッセージの血の通った表現は、この楽曲の演奏として、一つの理想に達したとも言えるくらいに、高い完成度を感じさせる。また全体的に堂々とした自信が溢れているのも頼もしい。 グリーグのピアノ・ソナタに親しむなら、是非当演奏を聴いて欲しい。ギルトブルク自身、この楽曲には、子どもの頃から親しんできたとのことだが、そんな楽曲への信愛がしみ込んだ表現だ。一つ一つのフレーズにおける軽重のバランスが巧妙で、これほど力強い魅力に溢れた楽曲だったのだということに気づかせてくれる。スケルツォの輝き、後半2楽章の運動美も、絶対的な美があり、そこにグリーグ特有の清涼な情緒が宿る。これこそ名演と呼ぶにふさわしい。 リストも見事だ。この楽曲には、古今多くの名録音が存在するが、ギルトブルクの演奏は、技術的な至難さを感じさせない自然な流れがまずは見事。中でもフーガの連続的かつ鮮やかな処理は、これまでの録音群の中でも、特に完成度の高いものの一つに違いない。それでいて、ラフマニノフと同様に、クライマックスの高さ、清澄な抒情性を備えている。何度か聴いてみたが、どの曲においても欠点と呼べるようなところがなく、それでいて、芸術としての薫りも十分にある。見事な一枚。 |
ピアノ・ソナタ 第2番(1918年版) 楽興の時 コレルリの主題による変奏曲 p: ムラロ レビュー日:2019.8.31 |
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★★★★★ 清流のように響く洗練されたラフマニノフ
1986年のチャイコフスキー・コンクールで第4位に入賞したフランスのピアニスト、ロジェ・ムラロ(Roger Muraro 1959-)によるラフマニノフ(Sergey Rachmaninov 1873-1943)のピアノ作品集。収録内容は以下の通り。 1) ピアノ・ソナタ 第2番 変ロ短調 op.36 (1913年版) 2) 楽興の時 op.16 3) コレルリの主題による変奏曲 op.42 1990年の録音。 ムラロは、すぐれたメシアン(Olivier Messiaen 1908-1992)作品の解釈者として知られるが、その録音の多くが、あまり海外に流通量のないフランスのAccordというレーベルからリリースされたため、国際的によく知られているとはいいがたい。しかし、ドイツ・グラモフォンが、メシアンの生誕100年を記念した発売したCD32枚からなるメシアンの「コンプリート・エディション」なるアルバムの冒頭の7枚をムラロによる独奏曲全集の音源が占めたことなどから、その知名度が上がっている。私も、それを機に、いくつか録音を聴くようになった。 これらのラフマニノフの録音は、ムラロがチャイコフスキー・コンクールの入賞から4年を経た31歳のときに録音したもので、たいへん健やかな音楽性を感じさせる内容となっている。 語弊があるかもしれないが、ムラロの弾くラフマニノフは、濃厚なメランコリーを感じさせない。非ロシア的とでも称したい味わい。すべての音が吟味され、バランスよく配分されていて、その結果、とても洗練されたスリムなフォルムを示す。その響きは、とてもソフトで聴き易い。逆に言うと、情熱的なものや、力強い奔流などは、蒸留されたように抜けた感じがしてしまう。だから、私も、最初聴いたときには、ちょっと物足りないかな、と感じた。しかし、何度か聴いていると、その洗練された手際で再設計されたラフマニノフは、それはそれで、味があり、美しいものとなっている。 特に良いと感じたのが、楽興の時の最初の2曲である。第1曲は、憂鬱なメロディーラインであるが、細やかなパッセージが刻みこまれており、それがラフマニノフ特有の感情の高まりを描いていく。ムラロの透明で繊細なタッチは、音価の短い音符で構成されるフレーズを、一つ一つ細やかに輝かせて描き出していて、とても印象的だ。第2番は技巧的な冴えが旋律線を生気豊かに表現していて瑞々しい。他方、第4番、第6番あたりは、すっきりし過ぎているようにも感じるが。 ピアノ・ソナタ第2番とコレルリの主題による変奏曲においても、ムラロのアプローチはまったく共通であり、音色の混雑を避けることで、スキッとした味わいに仕立て上げている。特にピアノ・ソナタでは、その行き届いた整理による聴き易さをあちこちで感じ取ることができる。コレルリの主題による変奏曲では、各変奏曲の描き分けという点で、やや画一的に響くきらいはあるものの、こちらも響きの感覚的な美しさは、高いレベルで維持されていると思う。 |
24の前奏曲 p: アシュケナージ レビュー日:2003.10.25 |
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★★★★★ ラフマニノフの前奏曲の定番
ラフマニノフの24の前奏曲は3つに分かれており、第1番「鐘」+10の前奏曲+13の前奏曲ということになる。 ショパンのように連続して演奏する必要はないが、1曲1曲美しいロマンティシズムに溢れていて素晴らしい。24曲を通じて長短あわせ24のすべての調性が用いられているが、曲順はショパンやスクリャービンの様に法則性にしたがって並んではいない。 古典的様式を用いながら自由なラフマニノフの世界を感じる小宇宙的作品となっている。 当盤は発売時、吉田秀和氏が「ここ最近聴いた中でもっとも美しいアルバム」と語ったもので、全曲盤のなかでももっともスタンダードに相応しい演奏。 |
24の前奏曲 p: オズボーン レビュー日:2010.1.25 |
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★★★★★ アシュケナージの名演と比較しうるラフマニノフ「24の前奏曲」
1970年イギリス生まれのピアニスト、スティーブン・オズボーン(Steven Osborne)によるラフマニノフの「24の前奏曲」を収録。録音は2008年。 ラフマニノフの「24の前奏曲」は、一つの作品群ではなく、「鐘」の名で知られる第1番op.3-2、それに10の前奏曲op.23、13の前奏曲op.32からなり、合わせて24曲である。もともと24曲にする意図があったのかわからないが、最終的に24の調性による作品群とみなされる形に至った。しかし、そのような作曲過程であったため、これらの曲を連続して演奏する「必然性」がなく、まとめて収録されているアルバムは意外と少ない。 私は音楽を聴き始めのころ、アシュケナージが70年代に録音した2枚組のLPを聴き、その美しさにと迫力に感嘆した経験がある。もちろん、このアシュケナージ盤は(CDで購入しなおし)今もって私の愛聴盤であり、これがあれば十分という思いもあったのだが、他の「全曲盤」も聴いてみたいと思っていた。(昔、ルース・ラレードの全曲盤LPもあった。こちらも鋭角的な佳演であった)。そのような状況でこのオズボーン盤を聴いたので、非常に新鮮に聴こえた。また、これもまたラフマニノフのこれらの楽曲の魅力をよく伝えた素晴らしい演奏だと思った。 オズボーンの演奏スタイルはいかにも現代的だと思う。形容詞としては「シャープ」とか「クール」とか、その辺を思いつく。アシュケナージが一つ一つの作品に詩情とドラマを持たせ、情熱的に歌い上げたのに対し、オズボーンは理知的で、やや距離を置いて作品と対峙する。そして、その遠視点的な作法で、見通しの良い、透き通った音楽になっている。ラフマニノフの前奏曲は、いかにも「前奏曲」という小さな作品もあるが、その名の枠には収まらない巨大性や浪漫性を持つものも多い。大河的であったり夜想曲的であったりする。逆に言うと、全曲のまとまりはどうしても希薄になるのだけれど、オズボーンのピアノはそのゆらぎを微小に抑え、安定した中で健やかな運動性を湛えている。作品23-1や23-3の静謐な耽美性、作品32-9の冷たさを感じる鐘楼の音、作品32-13の線的でスタイリッシュな表現など忘れ難い。ここに至って、アシュケナージと比較しうる全集盤が出現してきたな、と思った。 |
24の前奏曲 p: ハイルディノフ レビュー日:2011.2.25 |
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★★★★★ 巧妙なルバートで透明度高く描いたラフマニノフ
最近、ルステム・ハイルディノフ(Rustem Hayroudinoff)というロシアのカザン出身のピアニストのドヴォルザークのピアノ協奏曲を聴く機会があり、清冽な印象を受けたので、他にも聴いてみようと思った。それで、ラフマニノフのピアノ・ソロ曲の録音があり、私も好きな曲集なので、聴いてみました。この「24の前奏曲」は2003年録音。 「24の前奏曲」の場合に限らず、私にとってほとんどのラフマニノフの作品はアシュケナージの演奏がデフォルトとなっている。今でこそ、ラフマニノフのピアノ・ソロ曲にはいろんなピアニストが録音しているけれど、私が音楽を聴き始めたばかりの頃は、協奏曲はともかくピアノ・ソロ曲の、しかも前奏曲の「全曲録音」などほとんどなかった。アシュケナージがこれらの曲を録音したのは1974年から75年にかけてで、まさにこれらの美曲を世に知らしめた録音であったと思うし、今だって愛聴盤だ。その演奏はラフマニノフならではの楽想を程よい情念と現代的な感性で歌い上げた、土俗的でありながらシャープな演奏として私は聴き入った。 これも私の感じ方での話になるけれど、アシュケナージ以前のラフマニノフ、例えばリヒテルやホロヴィッツの録音と、アシュケナージ以後のラフマニノフには大きな違いがあり、アシュケナージは新解釈への門戸開放の役割を果たしたように思うのだ。 それで、このハイルディノフの録音を聴くと、あきらかに現代の「ロシア・ピアニズム」であると感じる。かつてのロシア・ピアニズムというのは、もっと底辺に滾るような情熱を湛えたような演奏だったと思うけれど、ハイルディノフのスタイルは、研ぎ澄まされた感性と、幅広い教養に裏付けられた真摯なピアニズムと感じられる。 例えば作品23-3や作品23-4に聴かれるどことなくメランコリーなメロディが、蒸留されたかのような透徹したタッチで描かれる様を聴くと、より静物画的に響いている。この演奏を特徴づけているのはルバートだと思う。ハイルディノフのルバートは非常に拘束性が高い。禁欲的な印象とも言えるが、曲想に合わせて全体のテンポをゆるやかにコントロールする大きな流れと、もう一段細かい表現となる細かなアヤがあって、それは多くのピアニストがやるのだけれど、ハイルディノフのルバートはそのバランス感覚が巧妙なのだ。なので、聴いていて全体の流れがきわめて自然でありながら、曲の情感に沿った感情の高まりや冷却がきれいに描かれていて、余分なものがないピュアな印象を受ける。清潔な瑞々しさと言ったところか。 もう1曲印象深かった曲を挙げておく。作品32-13。全曲の締めくくり、24曲の一番最後の曲であるが、やや遅めのテンポで和音をくっきり響かせたフォルムの見事さに唸らされた。幕引きとしてもこれ以上美しい出来栄えは考え難い。 |
24の前奏曲 p: 有森博 レビュー日:2014.7.3 |
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★★★★★ 有森博、久々にして待望のラフマニノフ
有森博(1966-)による、ラフマニノフ(Sergey Rachmaninov 1873-1943)の「24の前奏曲」全曲。2013年の録音。 ロシア音楽全般を得意とする有森にとって、ラフマニノフは特別な作曲家で、1996年からおよそ3年をかけてラフマニノフのピアノ独奏曲全曲演奏会を行うなど、その作品に積極的に取り組んでいる。これまで、fontecレーベルには、2000年に録音した練習曲集「音の絵」全曲を中心としたアルバムがあり、本盤は、それ以来のラフマニノフ・アルバムということになる。 おそらく、ロシア音楽を重要なレパートリーにするピアニストにとって、ラフマニノフの前奏曲集というのは、特別な音楽なのではないだろうか。ロシアで生まれたピアノ独奏曲群を見渡した時、永くその価値を認められ、繰り返し演奏会などで取り上げられてきた、象徴的な楽曲だと思う。 しかし、その一方で、「24の前奏曲」を全曲録音してくれるピアニストは存外に少ない。これらの曲集は、24の全ての調性を踏まえるという点で、外見上、バッハ(Johann Sebastian Bach 1685-1750)以来の伝統を守っているが、実際は、「鐘」の愛称で知られる「第1番」と、「10の前奏曲 op.23」「13の前奏曲 op.32」の3群に分割して書かれているし、必ずしも連続して弾かれることを前提に書かれてはいないためだろう。 私がこれらの作品に親しんだのは、1974~75年に録音されたアシュケナージ(Vladimir Ashkenazy 1937-)の名盤で、野太いピアニズムと絢爛たる演奏技巧の祭典とも言えるものだった。 さて、この有森の録音は、当然ながらアシュケナージの名盤とは違ったアプローチを見せる。まず、音響的にアシュケナージのように「ズシーン」とくる重い音は用いない。有名な「鐘」の冒頭の3つの和音からなる音型も、かなりすっきりした味わいで、振幅をそれほど大きくは設定していない。有森は、むしろ細かい音型を解きほぐすように、解析的とも言える音響を作る。 有森の演奏で優れていると感じられるのは、そのような解析的な音響によりながらも、情緒に訴えるカンタービレを、自然な間合いで挿入する点にある。なので、これらの楽曲から、ロシア的な土俗臭を一旦取り去った上で、あらためて蒸留したようなスキッとした味わいを引き出している。アシュケナージの名盤に慣れた人には、そこに物足りなさを感じるかもしれない。実は、私も最初に聴いたときは、そのような印象を持ったのだけれど、何度か聴いていると、自然なおおらかさが好ましく響いてくる。特に、比較的地味な曲の多い「13の前奏曲 op.32」に、風通しの良い有森のアプローチがよく映える曲が多いと思う。なので、私は特に当盤の後半の演奏が気に入った。 それにしても、有森の弾くロシア音楽は、いつも聴き手の「知」への働きかけがあって、楽しい。今後も、多くの作品を録音してほしい。 |
24の前奏曲 p: ネボルシン レビュー日:2017.8.4 |
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★★★★★ 奇才ネボルシンが奏でる流麗で美しいラフマニノフ
ウクライナのピアニスト、エルダー・ネボルシン(Eldar Nebolsin 1974-)によるラフマニノフ(Sergei Rachmaninov 1873-1943)の「24の前奏曲」。2007年の録音。収録内容は以下の通り。 1) 幻想的小品集 より 前奏曲 嬰ハ短調「鐘」op.3-2 (第1番) 10の前奏曲 op.23 2) 嬰ヘ短調 op.23-1 (第2番) 3) 変ロ長調 op.23-2 (第3番) 4) ニ短調 op.23-3 (第4番) 5) ニ長調 op.23-4 (第5番) 6) ト短調 op.23-5 (第6番) 7) 変ホ長調 op.23-6 (第7番) 8) ハ短調 op.23-7 (第8番) 9) 変イ長調 op.23-8 (第9番) 10) 変ホ短調 op.23-9 (第10番) 11) 変ト長調 op.23-10 (第11番) 13の前奏曲 op.32 12) ハ長調 op.32-1 (第12番) 13) 変ロ短調 op.32-2 (第13番) 14) ホ長調 op.32-3 (第14番) 15) ホ短調 op.32-4 (第15番) 16) ト長調 op.32-5 (第16番) 17) ヘ短調 op.32-6 (第17番) 18) ヘ長調 op.32-7 (第18番) 19) イ短調 op.32-8 (第19番) 20) イ長調 op.32-9 (第20番) 21) ロ短調 op.32-10 (第21番) 22) ロ長調 op.32-11 (第22番) 23) 嬰ト短調 op.32-12 (第23番) 24) 変ニ長調 op.32-13 (第24番) ラフマニノフの「24の前奏曲」は、上に示したように、3群の作品を集約したものである。カッコ内に記した番号は、「24の前奏曲」と称した場合の連番である。結果的に24の調性すべて1曲ずつ、短調と長調が交互配置となっているが、例えばショパン(Frederic Chopin 1810-1849)の同名の作品のように、曲順に法則性がなく、そのため、必ずしも全曲まとめて演奏されることを前提にした作品とは言えないのであるが、しかし、良い演奏で聴くと、不思議と全体的な連携を感じさせ、やはりラフマニノフの天才性を感じさせるところとなるのである。私が、最初にこれらの作品に親しんだのは、アシュケナージ(Vladimir Ashkenazy 1937-)の名演で、そのレコードを入手した私は、毎日のようにそれを聴いていたものだ。 今でもアシュケナージの演奏を愛聴する私だが、当然ほかにも興味深い録音があって、ハイルディノフ(Rustem Hayroudinoff)、オズボーン(Steven Osborne 1971-)、有森博(1966-)といった人たちの録音は、いずれも私にとって魅力的なもの。そして、このネボルシンも素晴らしい。 ネボルシンはこれらの楽曲が要求する要素をすべて過不足なく備える。細やかな3の倍音に係わるリズム処理の巧みさ、広大な音域に渡る和音の強さ、強弱変更や加減速時におけるスピーディーな処理、力強い動線を描く出すパワー、ポリフォニーの鮮やかな処理、そして、適度なルバートを効かせたカンタービレ。それらが、鮮やかに組み合わさって、得も言われぬ流暢な爽快感を持って聴き手に音楽が届く。このような演奏であればこそ、当曲集の「全曲」を弾く必然性がそこに生じる。 私が特に圧巻に感じるのは第11番から第13番にかけてである。そこで、ネボルシンはその技巧を背景に、重力を操るかのように自在な運動性を持って、スリリングな演奏を展開している。これらの楽曲から、ここまで様々な色彩を描き出した人は、他にいないだろう。 また、第5番、第21番、第23番といった楽曲に込められたニュアンスの陰影にも心を動かされる。ラフマニノフの天才性をそこかしこに感じさせる演奏、ネボルシンというピアニストが類まれな能力を持つピアニストである証左である。 これほどの演奏を実践しながら、なぜか日本ではこのピアニストに対する認知度が低い。是非とも多くの人に聴いてほしい一枚である。 |
24の前奏曲 p: ルガンスキー レビュー日:2018.3.27 |
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★★★★★ 圧巻の精度で奏でられたラフマニノフの前奏曲集
ニコライ・ルガンスキー(Nikolai Lugansky 1972-)によるラフマニノフ(Sergei Rachmaninov 1873-1943)の「24の前奏曲」。2017年の録音。収録内容は以下の通り。 1) 幻想的小品集 より 前奏曲 嬰ハ短調「鐘」op.3-2 (第1番) 10の前奏曲 op.23 2) 嬰ヘ短調 op.23-1 (第2番) 3) 変ロ長調 op.23-2 (第3番) 4) ニ短調 op.23-3 (第4番) 5) ニ長調 op.23-4 (第5番) 6) ト短調 op.23-5 (第6番) 7) 変ホ長調 op.23-6 (第7番) 8) ハ短調 op.23-7 (第8番) 9) 変イ長調 op.23-8 (第9番) 10) 変ホ短調 op.23-9 (第10番) 11) 変ト長調 op.23-10 (第11番) 13の前奏曲 op.32 12) ハ長調 op.32-1 (第12番) 13) 変ロ短調 op.32-2 (第13番) 14) ホ長調 op.32-3 (第14番) 15) ホ短調 op.32-4 (第15番) 16) ト長調 op.32-5 (第16番) 17) ヘ短調 op.32-6 (第17番) 18) ヘ長調 op.32-7 (第18番) 19) イ短調 op.32-8 (第19番) 20) イ長調 op.32-9 (第20番) 21) ロ短調 op.32-10 (第21番) 22) ロ長調 op.32-11 (第22番) 23) 嬰ト短調 op.32-12 (第23番) 24) 変ニ長調 op.32-13 (第24番) ルガンスキーは、op.3-2とop.23の10曲については、2000年に録音していたので、今回、それらの作品も含めて、「24の前奏曲」という体裁で録音しなおした形になる。2000年の録音が、すでに技術と表現のバランスが細部まで徹底された、美しさと迫力の双方を突き詰めた壮絶と言ってもいい名演だっただけに、今作が、それを明らかに上回るとまで言えないのだが、同じように見事な内容である。再録音された楽曲たちの解釈自体は、私には先の録音から変わったと思えるところはないのだけれど、全体により洗練度が高まったようにも思える。そして、このピアニスト特有の「落ち着き」も、さらに深みを増したように思われる。ダイナミックレンジの広さと、音響の明瞭さを併せ持った響きは、以前からのものだ。 わたしの場合、やはり、ルガンスキーにとって初録音となる「13の前奏曲」を聴くことに、より新鮮な喜びを持った。いずれの楽曲も、ルガンスキーの手にかかることで、前もって成功が保証されていたかのような名演で、ことに第13番、第14番、第15番のシンフォニックで雄大な響きはこのアルバム最大の聴きどころと感じる。これらの楽曲は、曲集中の人気曲というわけではないが、ルガンスキーの鋭い対比の効いたピアニズムによって、その相貌は陰陽を克明にし、音の階層は伽藍のような堅牢さを築き上げる。それらが瞬時に達成される際の手際が、力学的にもきわめてスムーズで、畳みかける様も自然だ。沈着と白熱の得難い同居が感じられる。 ただし、この演奏には、ラフマニノフの音楽にある一種の狂騒的なものが、鎮められてしまっているように感じる部分もある。前述の「落ち着き」の支配力が強いためで、曲によっては、それが拘束的なものとして作用しているところがある。そんな時、私は慣れ親しんだ愛聴盤、アシュケナージ(Vladimr Ashkenazy 1937-)の、薫り豊かな名演を思い出すのである。 とはいえ、ルガンスキーの演奏が示す完全性は、比類ない精度を誇っていると言っていいだろう。ラフマニノフの前奏曲集が、凛とした佇まいで、端正に響くその様は、感動的なものである。 |
24の前奏曲 ピアノ・ソナタ 第2番 p: アシュケナージ レビュー日:2004.1.1 |
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★★★★★ ラフマニノフのピアノ独奏曲の定盤
ラフマニノフの24の前奏曲は3つに分かれており、第1番「鐘」+10の前奏曲+13の前奏曲ということになる。 ショパンのように連続して演奏する必要はないし、曲順に調性上の規制も設けられていない。が、1曲1曲美しいロマンティシズムに溢れていて素晴らしい。 当盤は発売時、吉田秀和氏が「ここ最近聴いた中でもっとも美しいアルバム」と語った名盤。 しかも本アルバムでは情熱的なソナタの第2番も収録されていてオトクである。アシュケナージのピアノの響きはラフマニノフにはうってつけの色彩感である。 |
24の前奏曲 楽興の時 前奏曲ニ短調 5つの幻想的小品集 リラの花 ひな菊 4つの小品から「メロディー」 東洋のスケッチ p: アレクセーエフ レビュー日:2017.11.1 |
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★★★★☆ もう一つ「何か」ほしいところが残るアレクセーエフのラフマニノフ
ドミトリ・アレクセーエフ(Dimitri Alexeev 1947-)が1987年から89年にかけて録音したラフマニノフ(Sergei Rachmaninov 1873-1943)のピアノ独奏曲集。CD2枚に以下の楽曲が収録されている。 【CD1】 1) 10の前奏曲 op.23 2) 前奏曲 ニ短調 3) 5つの幻想的小品集(悲歌 前奏曲「鐘」 メロディ 道化役者 セレナード) 4) 12の歌曲 op.21 より 第5曲 リラの花 変イ長調(ピアノ独奏版) 5) 6つの歌曲 op.38 より 第3曲 ひなぎく ヘ長調(ピアノ独奏版) 6) 4つの小品 より 第3曲 メロディ ホ長調 7) 東洋のスケッチ 変ロ長調 【CD2】 8) 13の前奏曲集 op.32 9) 楽興の時 op.16 アレクセーエフというピアニストは、確かな実力の持ち主であるが、今一つ知名度が高まらない。その原因の一つに、彼の演奏スタイルに関することがあると思う。その演奏は、常にオーソドックスで、芸術家としての意志の表出より、客観的な均衡性が常に優先されていると感じられる。また、情緒の発露も常に控えめな印象で、膂力あるピアニズムの自然美が見事であっても、時に訴えかけの少なさを感じる時がある。だから、ラフマニノフを聴いていると、ロシア的で豊かな情感を宿した曲たちであり、加えて様々なピアニストが手掛けてきたものが多くあるだけに、アレクセーエフの演奏は、それらの録音群の中に入ると、目立たなくなってしまうように感じる。 そういった点で、むしろ「前奏曲」より、技巧的な見せ場にスタンスが置かれた部分の多い「楽興の時」が見事な聴き映えをもたらしていると思う。競合盤が少ないということもあるだろう。ことに偶数番号の曲たちの音の伽藍の立派さ、豊かな音量をバックにした力強い推進に、惹かれる部分が多い。 前奏曲ももちろん悪い演奏ということはまったくない。どの曲もソツなくこなされ、技術的なほころびがないので、気持ちよく聴ける。快適なスピード感が心地よい部分も多々ある。その一方で、微妙な色彩なニュアンスが取りこぼされているように思われる曲たちもある。ニ短調(op23-2)や、変ホ短調(op.23-9)、ロ短調(op.32-10)では、その響きがあまりに素朴で朴訥としているので、聴き手がなんらかの刺激や情緒を受け取るだけの振幅が十分にないように思う。 私が、前奏曲集の録音で素晴らしいと感じるのは、アシュケナージ(Vladimir Ashkenazy 1937-)が1974~75年に録音したもので、そこでは、色彩豊かな音と、情熱的な音量の幅、そこに詩情豊かな表現が加わって、まさに24編の絵巻というのがふさわしい世界が繰り広げられていた。それに比べると、アレクセーエフの演奏は、きれいにまとまっている一方で、淡泊で味わいの薄さを感じてしまう。それが、ラフマニノフの音楽として、物足りなさに繋がるところがあるのは否めない。 しかし、演奏は一定の品質で安定したもので、2枚組の収録内容と、廉価であることを踏まえると、アイテムとしては比較的上々のもの、と言ったところに落ち着くかな。 |
ラフマニノフ 24の前奏曲 3つの夜想曲 V.R.のポルカ ショパン ピアノ・ソナタ 第3番 リスト ピアノ・ソナタ p: アニエヴァス レビュー日:2018.10.5 |
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★★★★★ あまり知られていない実力者・アニエヴァスが、70年代に記録した好演奏
アメリカのピアニスト、アグスティン・アニエヴァス(Agustin Anievas 1934-)が1970年から1974年にかけて録音した音源をCD2枚にまとめたアルバムで、収録曲は以下の通り。 【CD1】 1-4) ショパン(Frederic Chopin 1810-1849) ピアノ・ソナタ第3番 ロ短調 op. 58 5) ラフマニノフ(Sergei Rachmaninov 1873-1943) V.R.のポルカ 6-8) ラフマニノフ 3つの夜想曲(嬰ヘ短調 ヘ長調 ハ短調) 9) リスト(Franz Liszt 1811-1886) ピアノソナタ ロ短調 【CD2】 ラフマニノフ 24の前奏曲 1) 幻想的小品集 より 前奏曲 嬰ハ短調「鐘」op.3-2 (第1番) 10の前奏曲 op.23 2) 嬰ヘ短調 op.23-1 (第2番) 3) 変ロ長調 op.23-2 (第3番) 4) ニ短調 op.23-3 (第4番) 5) ニ長調 op.23-4 (第5番) 6) ト短調 op.23-5 (第6番) 7) 変ホ長調 op.23-6 (第7番) 8) ハ短調 op.23-7 (第8番) 9) 変イ長調 op.23-8 (第9番) 10) 変ホ短調 op.23-9 (第10番) 11) 変ト長調 op.23-10 (第11番) 13の前奏曲 op.32 12) ハ長調 op.32-1 (第12番) 13) 変ロ短調 op.32-2 (第13番) 14) ホ長調 op.32-3 (第14番) 15) ホ短調 op.32-4 (第15番) 16) ト長調 op.32-5 (第16番) 17) ヘ短調 op.32-6 (第17番) 18) ヘ長調 op.32-7 (第18番) 19) イ短調 op.32-8 (第19番) 20) イ長調 op.32-9 (第20番) 21) ロ短調 op.32-10 (第21番) 22) ロ長調 op.32-11 (第22番) 23) 嬰ト短調 op.32-12 (第23番) 24) 変ニ長調 op.32-13 (第24番) アニエヴァスの中心的レパートリーは、ショパン、リスト、ラフマニノフであったので、当盤には、まさにその中心的なものが収録されていることになる。アニエヴァスのピアノは、旋律線を太く歌い上げたもので、非常に頼もしい響きに満ちたものと言えるだろう。 ショパンのピアノ・ソナタ第3番では、旋律線をくっきりと響かせながら、これに付随する効果音の階層付けが明確で、伴奏、装飾といった役割を明確にし、つねにしっかりとした手ごたえのある音楽が導かれる。ところどころ、音価を少し詰めるようなアゴーギグは、クセと感じて気になる人もいるかもしれないが、ほどよい流れの良さの中に収まっていて、音楽の流れは自然だ。瞑想的な第3楽章でも、いたずらに情緒にふけるより、くっきりした陰影を重視して、強い音をしっかりと入れてくるし、決して強すぎる違和感を感じさせない処理の巧さもある。第4楽章は重さよりテンポの良さを重視してまとめ上げる。なかなかの良演だ。 ラフマニノフの初期の数曲を挟んで、リストのピアノ・ソナタとなるが、こちらも同様のスタイルであり、この難曲が明確に部分を分けたうえで、その主張のメインがどこにあるのか、明瞭に伝わってくるスタンスだ。運動的な活力にも不足はない。技術は、現代の一級のピアニストと比べると、若干ゆらぎはあるが、それゆえの浪漫性が味としてうまく取り込まれていると得るだろう。こちらも聴きごたえのある演奏となっている。 2枚目のCDには、ラフマニノフの24の前奏曲全曲が収録されている。アシュケナージ(Vladimir Ashkenazy 1937-)の名盤と同じころの録音だったのは不運だが、アニエヴァスの演奏も立派なものだ。とくにメロディアスで、静かな楽曲における、くっきりしたタッチで描き分けていく手法が、なかなかな好感触で、第2番、第4番など、色の濃い印象をもたらす演奏と言える。また、劇的な和音の重みが楽曲の性格付けに見事に寄与している第15番、音のバランスで振幅する情感を描きあげた第18番など特に素晴らしいと感じる。もちろん、第2番や第6番のような有名曲も、適度にスリリングなソノリティでまとめ上げていて、総じて安定して高いレベルの演奏と感じる。 3人の作曲家の名作が併せて収録されており、そのどれもがなかなかの名演といって良く、アニエヴァスというピアニストを知ることが出来るという点と併せて、良いアルバムです。 |
24の前奏曲 p: ギルトブルク レビュー日:2019.7.18 |
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★★★★★ ギルトブルクの実力を如何なく伝えるラフマニノフ
ロシアのピアニスト、ボリス・ギルトブルク(Boris Giltburg 1984-)によるラフマニノフ(Sergei Rachmaninov 1873-1943)の「24の前奏曲」。2018年の録音。収録内容は以下の通り。 1) 幻想的小品集 より 前奏曲 嬰ハ短調「鐘」op.3-2 (第1番) 10の前奏曲 op.23 2) 嬰ヘ短調 op.23-1 (第2番) 3) 変ロ長調 op.23-2 (第3番) 4) ニ短調 op.23-3 (第4番) 5) ニ長調 op.23-4 (第5番) 6) ト短調 op.23-5 (第6番) 7) 変ホ長調 op.23-6 (第7番) 8) ハ短調 op.23-7 (第8番) 9) 変イ長調 op.23-8 (第9番) 10) 変ホ短調 op.23-9 (第10番) 11) 変ト長調 op.23-10 (第11番) 13の前奏曲 op.32 12) ハ長調 op.32-1 (第12番) 13) 変ロ短調 op.32-2 (第13番) 14) ホ長調 op.32-3 (第14番) 15) ホ短調 op.32-4 (第15番) 16) ト長調 op.32-5 (第16番) 17) ヘ短調 op.32-6 (第17番) 18) ヘ長調 op.32-7 (第18番) 19) イ短調 op.32-8 (第19番) 20) イ長調 op.32-9 (第20番) 21) ロ短調 op.32-10 (第21番) 22) ロ長調 op.32-11 (第22番) 23) 嬰ト短調 op.32-12 (第23番) 24) 変ニ長調 op.32-13 (第24番) ラフマニノフの「24の前奏曲」は、上に示したように、3群の作品を集約したものである。カッコ内に記した番号は、「24の前奏曲」と称した場合の連番である。結果的に24の調性すべて1曲ずつ、短調と長調が交互配置となっているが、例えばショパン(Frederic Chopin 1810-1849)の同名の作品のように、曲順に法則性がなく、そのため、必ずしも全曲まとめて演奏されることを前提にした作品とは言えない。しかし、最近では、24の前奏曲とまとめて録音することが一般的になっているようだ。 私が、最初にこれらの作品に親しんだのは、1974,75年に録音されたアシュケナージ(Vladimir Ashkenazy 1937-)の名演で、そのレコードを入手した私は、毎日のようにそれを聴いていたものだ。いまもアシュケナージの録音は、私にとって大切な愛聴盤であるが、他にも今日まで注目すべき24曲版はいくつかあって、私が挙げるなら、2003年録音のルステム・ハイルディノフ(Rustem Hayroudinoff)、2007年録音のエルダー・ネボルシン(Eldar Nebolsin 1974-)、2008年録音のスティーヴン・オズボーン(Steven Osborne 1970-)、2013年録音の有森博(1966-)、2017年録音のニコライ・ルガンスキー(Nikolai Lugansky 1972-)など、それぞれ見事なものだと思う。 そして、そこにまたさらに、当ギルトブルク盤が加わった感じだ。 当盤におけるギルトブルクの演奏の特徴は、なんといってもスナップの柔らかさにある。録音も使用楽器(Fazioli)の特性と活かした暖かみのあるホールトーンをよく捉えているが、そのこともあって、ピアノ音色のまろやかさ、透明でありながら周囲によくなじむような響きが好ましい。 壮麗なop.23-2において、ギルトブルクは音の大伽藍を築くのではなく、柔軟な弾力を交えて、細やかなフレーズの色彩感に溢れた交錯を描き出す。その様は、なるほど、この音楽にはそういった面を持っていたんだ、と改めて気づく喜びを聴き手に味わわせてくれる。直近の同曲集の録音として、ルガンスキーの節度ある高貴な演奏があるが、ルガンスキーが究めた落ち着きについては、ギルトブルクはより可動域のあるポジショニングをとっており、テンポも比較的早めだろう。op.23-5あたりを比べると、両者のスタンスの違いが分かりやすい。op.23-8、op.32-1など、ギルトブルクが紡ぎだすアゴーギグとしなやかな力は、鮮やかな呼応を見せ、生命力に溢れている。op.32-10では音の強弱、タッチの細やかなコントロールを究めた演奏で、これもまた新しい価値を感じさせる演奏。 また、全体を通して、威圧的ではないギルトブルクの演奏は、繊細な配慮をめぐらせることで、全体の統一感が高い次元で達成されていると感じられる。このことも当演奏の美点であり、当曲集の録音に加わった貴重な一枚であると感じる。 |
24の前奏曲 練習曲集「音の絵」全曲(作品33と作品39) p: ペトコヴァ ルガンスキー レビュー日:2023.2.20 |
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★★★★☆ まったく性向の異なる2つの演奏を併せたラフマニノフのピアノ独奏曲集
2種の音源を廉価セット化した、3枚組のラフマニノフ(Sergey Rachmaninov 1873-1943)のピアノ独奏曲集。収録曲は以下の通り。 【CD1】 練習曲集「音の絵」 op.33 1) 第1番 ヘ短調 2) 第2番 ハ長調 3) 第4番 ニ短調 「市場の風景」 4) 第6番 変ホ長調 5) 第3番 ハ短調 6) 第5番 変ホ短調 7) 第7番 ト短調 8) 第8番 嬰ハ短調 練習曲集「音の絵」op.39 1) 第1番 ハ短調 2) 第2番 イ短調 「海とかもめ」 3) 第3番 嬰ヘ短調 4) 第4番 ロ短調 5) 第5番 変ホ短調 6) 第6番 イ短調 「赤頭巾ちゃんと狼」 7) 第7番 ハ短調 「葬送行進曲」 8) 第8番 ニ短調 9) 第9番 ニ長調 「行進曲」 【CD2】 1) 幻想的小品集 より 前奏曲 嬰ハ短調「鐘」op.3-2 (第1番) 10の前奏曲 op.23 2) 嬰ヘ短調 op.23-1 (第2番) 3) 変ロ長調 op.23-2 (第3番) 4) ニ短調 op.23-3 (第4番) 5) ニ長調 op.23-4 (第5番) 6) ト短調 op.23-5 (第6番) 7) 変ホ長調 op.23-6 (第7番) 8) ハ短調 op.23-7 (第8番) 9) 変イ長調 op.23-8 (第9番) 10) 変ホ短調 op.23-9 (第10番) 11) 変ト長調 op.23-10 (第11番) 【CD3】 13の前奏曲 op.32 1) ハ長調 op.32-1 (第12番) 2) 変ロ短調 op.32-2 (第13番) 3) ホ長調 op.32-3 (第14番) 4) ホ短調 op.32-4 (第15番) 5) ト長調 op.32-5 (第16番) 6) ヘ短調 op.32-6 (第17番) 7) ヘ長調 op.32-7 (第18番) 8) イ短調 op.32-8 (第19番) 9) イ長調 op.32-9 (第20番) 10) ロ短調 op.32-10 (第21番) 11) ロ長調 op.32-11 (第22番) 12) 嬰ト短調 op.32-12 (第23番) 13) 変ニ長調 op.32-13 (第24番) 【CD1】はロシアのピアニスト、ニコライ・ルガンスキー(Nikolai Lugansky 1972-)が1992年に、【CD2,3】はオランダのピアニスト、マリエッタ・ペトコヴァ(Marietta Petkova 1968-)が2002年に録音したもの。 ルガンスキーの録音は、彼がチャイコフスキー・コンクールで第2位となる以前に録音されたもので、録音当時まだ20才ということになる。この録音は、技術的完成度の高さ、輪郭のくっきりした陰影のある響きが特徴で、インテンポを守り、堅実に進んだものだ。その力強さは、すでにある種の完成を感じさせる。op.33(なぜか一部順番を入れ替えてある)の変ホ短調や嬰ハ短調の楽曲は、その傾向が凛々しい響きとなって、全編を隅々まで照らし出した感があり、その彫像性に惹かれる。op.39では変ホ短調の楽曲が特に高い完成度を感じさせ見事だ。その一方で、色彩感や表現幅といった点で、制約を感じ、物憂げなメロディがやや単調になるところはあるが、20才の時点で、これらの難曲をここまで弾きこなしていたことは、後のルガンスキーの活躍を知る今となっては、さもありなんというところではあるが、それでもやはり驚くべきものである。 一緒に収録されているペトコヴァの前奏曲集は、ルガンスキーとまったくタイプの異なる演奏で、なぜこの2種の録音を組み合わせようと考えたのが、なかなか理解に苦しむ。この前奏曲集はとにかく繊細で、ラフマニノフの巨大さや大仰さをすべて控えさせたような、抑制された演奏である。ペトコヴァの手に架かると壮麗な音の伽藍を築く音楽も、こまやかな情感を描写する作品となり、その変わり様には、いくぶん肩透かしを食らったような感触は残る。良心的に丁寧に弾いてはいるが、どうしても物足りなさが残るのは否めない。 とはいえ、CD3枚で廉価なのであれば、特に20才のルガンスキーの録音はそれなりに貴重だと思うので、手元に置いておくのもいいだろう。 |
前奏曲 第1番「鐘」 10の前奏曲 op.23 楽興の時 p: ルガンスキー レビュー日:2014.8.19 |
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★★★★★ この録音から14年・・残りの「13の前奏曲」の録音を是非お願いしたいと思うこのごろ
ニコライ・ルガンスキー(Nikolai Lugansky 1972-)による2000年録音のラフマニノフ(Sergei Rachmaninov 1873-1943)のピアノ・ソロ作品集。収録曲は以下の通り。 1) 前奏曲 第1番 「鐘」 op.3-2 2) 10の前奏曲 op.23 3) 楽興の時(全6曲) op.16 非常に素晴らしい内容。ルガンスキーは、を現代を代表するに相応しいピアニストだと思うけれど、中でも特に私が感嘆するのは、彼の弾くラフマニノフを聴いたときだ。このアルバムを、現時点までの彼の代表作だという意見があるなら、私も異論はない。 残念なのは、ラフマニノフの前奏曲が全曲ではないことで、この完成度で全曲を弾いてくれたなら、私にとって、アシュケナージ(Vladimir Ashkenazy 1937-)、オズボーン(Steven Osborne 1971-)と並ぶ全曲収録盤になったにちがいない。とはいえ、中にあって、名曲の集った感のある「10の前奏曲」、それにやはり名作である「楽興の時」が収められているのだから、アルバムとして何ら不足は感じない。 何にしても、肝心なのは演奏である。その通り。ルガンスキーの演奏の凄さは、その人間離れした左手の強靭な力と無比な技術にある。これは楽興の時の第2番変ホ短調や第4番ホ短調の、超絶的とも言える要求される技巧を、完璧に颯爽と、それもラクラク(のように思える)弾きこなす、かれのしなやかにして強靭なピアノに接すれば、否が応にも聴き手は説き伏せられるのである。そして、そのピアニズムに接することが、聴き手の喜びである。 思うに、ラフマニノフの楽曲には、そのような技術による表現と、人の心への働きかけの大きさが、見事な比例関係を描く場合が多い。ルガンスキーのラフマニノフが特に卓越して聴こえるのは、そのような仕組みがあるためかもしれない。 さらにルガンスキーの魅力は、完璧とも言える疾走感にある。そして、その疾走感は、決して情感を置き去りにするものではない。必要なものをくみ取り、精妙な配置を施した上で、十分に到達可能な疾走なのである。そのようなニュアンスの巧みは、ニ長調(op.23-4)やト長調(op.23-10)の前奏曲のようなゆったりした作品でも、魅力的に表現を掘り下げている。 それにしても、現在(2014年)まで、彼が残りの13の前奏曲を録音してくれないのは、ファンにとっては残念なことに違いない。これらの前奏曲の全曲を録音するに際しては、前述のように「ラフマニノフに鋭く感応する」要素が必要で、アシュケナージやオズボーンはそういったピアニストであると思うが、ルガンスキーも間違いなくこれに該当する。 歴史的に、これらの前奏曲には、リヒテル(Sviatoslav Richter 1915-1997)、ソフロニツキー(Vladimir Sofronitsky 1901-1961)、スタニスラフ・ネイガウス(Stanislav Neuhaus 1927-1980)といった人たちが、いくつかの曲を「選んで」名演を残してきたが、彼らも全曲を弾くというのは難しかったに相違ない。そういった課題のある曲集であればこそ、ルガンスキーのようなピアニストには、是非にも、残りの13曲の録音をお願いしたい。 |
10の前奏曲 op.23 幻想的小曲集 幻想的小曲集(改訂版)から 第3曲「メロディー」 第5曲「セレナード」 p: ヴァウリン レビュー日:2020.7.6 |
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★★★★★ ロシア・ピアニズムの極意を感じさせるヴァウリンのラフマニノフ
ロシアのピアニスト、アレクサンデル・ヴァウリン(Alexander Vaulin 1950-)によるラフマニノフ(Sergei Rachmaninov 1873-1943)のピアノ作品集。収録曲は以下の通り。 幻想的小曲集 op.3 1) 第1曲 エレジー 変ホ短調 2) 第2曲 前奏曲 嬰ハ短調 「鐘」 (前奏曲集 第1番) 3) 第3曲 メロディ ホ長調 4) 第4曲 道化人形 嬰へ短調 5) 第5曲 セレナード 変ロ短調 10の前奏曲 op.23 6) 第1番 嬰ヘ短調 (前奏曲集 第2番) 7) 第2番 変ロ長調 (前奏曲集 第3番) 8) 第3番 ニ短調 (前奏曲集 第4番) 9) 第4番 ニ長調 (前奏曲集 第5番) 10) 第5番 ト短調 (前奏曲集 第6番) 11) 第6番 変ホ長調 (前奏曲集 第7番) 12) 第7番 ハ短調 (前奏曲集 第8番) 13) 第8番 変イ長調 (前奏曲集 第9番) 14) 第9番 変ホ短調 (前奏曲集 第10番) 15) 第10番 変ト長調 (前奏曲集 第11番) 幻想的小曲集 op.3 改訂版 16) 第3曲 メロディ ホ長調 17) 第5曲 セレナード 変ロ短調 1997年の録音。カッコ内で記載したのは、「24の前奏曲」として一通りの曲集扱いする場合の番号。 ヴァウリンは、モスクワ生まれで、フリエール(Yakov Flier 1912-1977)に師事したピアニスト。現在はデンマークに住み、演奏家、音楽教育者として活躍しているとのこと。録音点数は、わずかなものがデンマークのClassicoという小さなレーベルからリリースされているが、流通量は多くなく、日本ではほとんど知られていないといって良い。 しかし、私見では、現代を代表するロシア・ピアニズムの担い手である。私は、まだ彼の録音を多くは聴けていないが、これまで聴いたものはどれも素晴らしかった。同い年のソコロフ(Grigory Sokolov 1950-)がさかんともてはやされているが、私はヴァウリンのピアノ演奏の方が、ソコロフのものよりずっと好きである。 当盤でも素晴らしい演奏を披露している。しっかりとした重量感のある音色、しかし重くなり過ぎずに運動的な魅力や、ピアニスティックな味わいを的確に練り込み、美しく仕立て上げる。堅実堅牢な芸風に感じるが、そこには詩情があり、ものものしいだけではなく、作品の繊細な味わいも巧妙にすくいとっている。 冒頭のエレジーから、重力を感じさせる大きく深い響きで聴き手を誘うが、適度なルバートを利かせた旋律からは、音楽がもつ心情的な表現性が過不足なく供給される。テンポは一般的なものであるが、ラフマニノフの浪漫性に応じた多少の変動が好ましく、表現の幅を広げてくれる。有名な前奏曲「鐘」は、重量感をもったまま疾走する力強さ満点の演奏だ。しかも一つ一つの和音が、決して乱暴に響かず、音がダマになるようなところもない。強靭なフォルテも、芯の通った美しい音だ。 ラフマニノフは、幻想的小曲集を1892年に作曲しているが、長くコンポーザー・ピアニストを続けたのち、50年近くたった1940年になって、そのうち2曲に「改訂版」を書いている。通常は、初版による演奏・録音が行われるが、当盤にはその改訂版が併せて収録されている。中でも第3曲は改訂で大きく雰囲気を変えており、左手の伴奏がピアニスティックな分散和音を多用するようになる。華麗な演奏効果があがる一方で、初版のシンプルな美しさも併せて見直させるものとなっている。第5曲も同様に改訂版はヴィルトゥオジティーに溢れているが、装飾性が高すぎると感じられる人もいるかもしれない。いずれもヴァウリンの優れた演奏で併せて聴けるのは、うれしいことだ。 名品揃いの10の前奏曲ももちろん素晴らしい。ニ長調や変ホ長調の楽曲では旋律線の扱いの巧さが印象的。フレーズの活かし方が堂に入っているだけでなく、全体としてメロディラインが太目に響くところが心強い。ハ短調は劇的な音楽だが、細やかな16分音符がおりなす配色は逞しく、ロシアの大地を思わせる。変ロ長調やト短調といった有名曲では、凛々しくも豪華なピアニズムが貫かれている。また、全般に連綿たる情緒を紡ぐようなところでも、いたずらにテンポを落さず、音楽的な均質性を自然に保っていることも、私は素晴らしい美点に感じる。 |
楽興の時 幻想的小曲集 断片 前奏曲(遺作) ここはすばらしいところ ヴォカリーズ(コチシュ編) p: アシュケナージ レビュー日:2005.2.20 再レビュー日:2014.10.20 |
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★★★★★ まさしく待望の録音
ラフマニノフの 楽興の時(6曲) 幻想的小曲集(5曲) 断片 前奏曲(遺作) ここはすばらしいところ ヴォカリーズ を収録。最後の2曲は歌曲の編曲モノ。 実に素晴らしい内容でした。 アシュケナージはラフマニノフの主要なピアノ作品を録音済みですが、これらは幻想的小曲集の一曲、「鐘」を除けば、未だ録音されなかったもの。 ラフマニノフの若き日の傑作「楽興の時」は私の大好きな曲集で、いままでルガンスキー、ガヴリーロフ、ラレードなどを聴いていたのですが(それらもいい演奏だったのですが)、やはりアシュケナージの演奏は含蓄が深いというか、音楽の色合いがたいへん吟味されています。 第1曲アンダンティーノの哀しく切ない夜想曲的なたゆたい・・・、第2曲アレグレットの中間部の寄せては返すような波模様の曲想の輝き、第4曲プレストの多様な曲の表情変化、そして終曲マエストーソのドラマチックな音の広がり・・・それらがぬくもりのある艶やかな音色で繰り広げられます。この曲集の決定盤といっていいに違いない! 幻想小曲集も第1曲「エレジー」から霊感に満ちた演奏でマジカル。こぼれるような美しい時間の持続に身をまかせてしまいます。 ちなみに末尾に収められたヴォカリーズはゾルタン・コチチュが編曲したもの(ラフマニノフ自身は意外にもこの曲のピアノ独奏版を遺していない)。このコチシュ版はまあ、最初聴いているうちはわりとフツーの編曲だな。。。と感じるのですが、終結部の1分間にきらめくような夢想的な美しい仕掛けが・・・! なるほど、このアルバムの終曲にふさわしい、と。本当にいいです。このアルバム。感涙。 |
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★★★★★ 心にそっと染み入る暖かいラフマニノフ
アシュケナージ(Vladimir Ashkenazy 1937-)によるラフマニノフ(Sergei Rachmaninov 1873-1943)のピアノ独奏曲集。2002年と2004年に録音されたもの。収録曲は以下の通り。 1) 楽興の時 op.16 第1曲 アンダンティーノ 変ロ短調 第2曲 アレグレット 変ホ短調 第3曲 アンダンテ・カンタービレ ロ短調 第4曲 プレストホ短調 第5曲 アダージョ・ソステヌート 変ニ長調 第6曲 マエストーソ ハ長調 2) 幻想的小品集 op.3 第1曲 エレジー 変ホ短調 第2曲 前奏曲 嬰ハ短調 「鐘」 第3曲 メロディ ホ長調 第4曲 道化人形 嬰へ短調 第5曲 セレナード 変ロ短調 3) 断片 4) 前奏曲 ニ短調 遺作 5) 「ここはすばらしいところ」 op.21-7 6) 「ヴォカリーズ」 op.34-14 幻想的小品集の「鐘」は、後に24の前奏曲として集成される作品群の第1番に転用された有名な作品で、アシュケナージはその全曲盤として1974,75年に一度録音している。また、末尾に収録された「ここはすばらしいところ」と「ヴォカリーズ」は、それぞれラフマニノフ自身によって歌曲をピアノ独奏曲に編曲したもの。原曲である歌曲については、ゼーダーシュトレーム(Elisabeth Anna Soderstrom 1927-2009)との共演で、アシュケナージは1974年から79年にかけてラフマニノフの歌曲全集を作製する際に録音している。 ラフマニノフ協会の会長を務め、その音楽の普及に尽くしてきたアシュケナージならではの、暖かい血のめぐりを感じるような美しいアルバムだ。 ラフマニノフの若き日の傑作で、私自身も大好きな曲集「楽興の時」が収録されたのが嬉しい。この曲には、ルガンスキー(Nikolai Lugansky 1972-)、ガヴリーロフ(Andrei Gavrilov 1955-)、ラレード(Ruth Laredo 1937-2005)、清水和音(1960-)、シェリー(Howard Shelley 1950-)など、なかなかの名演名録音が揃っているのだが、やはりアシュケナージの演奏は一層含蓄の深みを感じさせるものだと思う。なんといっても音楽の色合いがたいへん吟味されている。 第1曲アンダンティーノの哀しく切ない夜想曲的なたゆたい・・・、第2曲アレグレットの中間部の寄せては返すような波模様の曲想の輝き、第4曲プレストの多様な曲の表情変化、そして終曲マエストーソのドラマチックな音の広がり・・・それらがぬくもりのある艶やかな音色で繰り広げられる。この演奏を聴いていると、やはりこの曲集の決定盤として、私は最終的にこのアシュケナージ盤を採りたいと思う。 幻想小曲集も第1曲「エレジー」から霊感に満ちた演奏でマジカル。こぼれるような美しい時間の持続に身をまかせてしまう。 ちなみに末尾に収められたヴォカリーズはゾルタン・コチチュ(Kocsis Zoltan 1952-)が編曲したもの(ラフマニノフ自身は意外にもこの曲のピアノ独奏版を遺していない)。このコチシュ版はまあ、最初聴いているうちはわりとフツーの編曲だな、と感じるのですが、終結部の1分間にきらめくような夢想的な美しい仕掛けが炸裂します。このアルバムの終曲にふさわしい締めくくりを演出します。 じっくりと味わいながら聴きこみたい美しいアルバムです。 |
ラフマニノフ 楽興の時 ヴォカリーズ(コチシュ編) スクリャービン ピアノ・ソナタ 第5番 練習曲 op.2-1 プロコフィエフ ピアノ・ソナタ 第7番「戦争ソナタ」 p: ガヴリリュク レビュー日:2011.9.1 |
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★★★★★ ガヴリリュクのスペックを見せ付ける見事なアルバムです!
2000年の浜松国際ピアノコンクールで優勝し、キャリアを積んでいるウクライナの若手ピアニスト、アレクサンダー・ガヴリリュク(Alexander Gavrylyuk 1984-)による2011年録音のピアノ・ソロアルバム。収録曲は以下の通り。 1) ラフマニノフ 楽興の時 2) スクリャービン ピアノ・ソナタ 第5番 3) プロコフィエフ ピアノ・ソナタ 第7番「戦争ソナタ」 4) スクリャービン 練習曲 op.2-1 5) ラフマニノフ(コチシュ編) ヴォカリーズ 収録曲を見ただけで、いかにもロシア・ピアニズムを満喫できそうなラインナップである。つい最近、アシュケナージがシドニー交響楽団とのプロコフィエフのピアノ協奏曲全集に彼を抜擢して、素晴らしい録音を遂げ、ロシア系の楽曲への高い適性を示したが、今回のソロアルバムも、それを上回ると思うほどの素晴らしい内容だ。 このピアニストは、コンクール出身の若手らしく、びっくりするくらい難度の高い楽曲をスラスラと弾いてしまうのだけれど、それだけではなく、音楽的な含みや豊かなニュアンス、詩情を湛えている点が特筆できる。それだけに、どの曲も「弾き飛ばし」にはならず、聴き手は「この作曲家のこの作品を聴いたのだ」という実感を受け止めることになる。 今回の収録曲の中で、私が特に素晴らしいと感じたのは、冒頭に収録されているラフマニノフの「楽興の時」だ。ピアニストがヴィルトゥオジティを存分に発揮できる名作であるが、ガヴリリュクは心憎いまでの余裕のある歌いまわしで、こぼれるような情緒を含ませる。第1曲の憂いの表現も見事ながら、第2曲、第3曲の圧巻の技巧を背景にした微細なコントロールが圧巻の聴きモノで、左手の細やかで早いパッセージを、まるで肌触り抜群の布地のように操る様は、ピアニズムの極致といった感がある。 スクリャービンのピアノ・ソナタの中でも、第5番という不思議で神秘的な作品が選ばれているのも、このピアニストらしいと思う。美麗なソノリティを味わうことができる。プロコフィエフの高名なソナタも、内容の豊かな演奏で、スポーティーな迫力だけでなく、第2楽章の甘美な主題の扱いなどもこのピアニストの奥深さを見せ付けるものだと思う。 末尾のヴォカリーズは、コチシュのロマンティックな名編曲ぶりと合わせて楽しみたい。特に最後の1分ちょっとの星がきらめくような瞬間が忘れ難いだろう。 |
ラフマニノフ 楽興の時 12の歌曲から「リラの花」(ピアノ独奏版) 6つの歌曲から「ひなぎく」(ピアノ独奏版) V.R.のポルカ バッハ(ラフマニノフ編) 無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第3番からプレリュード、ガヴォット、ジーグ ビゼー(ラフマニノフ編) 「アルルの女」第1組曲から「メヌエット」 メンデルスゾーン(ラフマニノフ編) スケルツォ チャイコフスキー(ラフマニノフ編) 子守歌 ムソルグスキー(ラフマニノフ編) ソロチンスクの市から「ゴパック」 リムスキー=コルサコフ(ラフマニノフ編) 熊蜂の飛行 クライスラー(ラフマニノフ編) 愛の悲しみ 愛の喜び V.R.のポルカ p: ギンジン レビュー日:2013.6.24 |
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★★★★★ ロシアの若き才能、ギンジンによるラフマニノフ
1994年のチャイコフスキー・コンクールで第4位に入賞したロシアのピアニスト、アレクサンドル・ギンジン(Alexander Guindin 1977-)による1995年録音のラフマニノフ(Sergei Rachmaninov 1873-1943)のピアノ作品集。トランスクリプションものを中心に集めた構成になっている。収録曲は以下の通り。 1) ラフマニノフ 楽興の時 2) J.S.バッハ(Johann Sebastian Bach 1685-1750)/ラフマニノフ編 無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第3番から「プレリュード」、「ガヴォット」、「ジーグ」 3) ビゼー(Georges Bizet 1838-1875)/ラフマニノフ編 「アルルの女」第1組曲から「メヌエット」 4) メンデルスゾーン(Felix Mendelssohn 1809-1847)/ラフマニノフ編 「真夏の夜の夢」から~「スケルツォ」 5) ラフマニノフ:12の歌曲 Op.21 から「リラの花」 6) ラフマニノフ:6つの歌曲 Op.38 から「ひなぎく」 7) チャイコフスキー(Peter Ilyich Tchaikovsky 1840-1893)/ラフマニノフ編 「子守歌」 8) ムソルグスキー(Modest Mussorgsky 1839-1881)/ラフマニノフ編 「ソロチンスクの市」から「ゴパック」 9) リムスキー=コルサコフ(Nikolai Rimsky-Korsakov 1844-1908)/ラフマニノフ編 熊蜂の飛行 10) クライスラー(Fritz Kreisler 1875-1962)/ラフマニノフ編 愛の悲しみ 11) クライスラー/ラフマニノフ編 愛の喜び 12) ラフマニノフ V.R.のポルカ ギンジンというピアニストも、「隠れた優れたピアニスト」の一人だと思う。中でもラフマニノフが得意なようだ。アシュケナージ(Vladimir Ashkenazy 1937-)の指揮で、2001年ONDINEレーベルに録音したピアノ協奏曲第1番と第4番の初稿による演奏というのが、たいへん印象に残っている。 当盤の録音は、まだギンジンが10代のころというのだから驚きだ。たいへん外向的な溌剌した音楽性が輝いている。 特に印象に残るのが、バッハの編曲もの。これは、編曲も優れていて、取り上げるピアニストも多いのだけれど、ギンジンは曲想を豊かで運動的な美学を存分に活かしながら滑らかにかつさわやかに歌い上げる。それはバッハの崇高な精神美の世界とは違うのかもしれないけれど、生命力に溢れた音楽の流れは、喜びに満ちて、輝かしく、聴き手に稀な幸福感を与えてくれる。 さらにクライスラー原曲の2つの編曲ものがよい。豪放さ、自由さ、そしてほの暗い情緒、いずれもがバランスよく配分され、清々しい空気を放ちながら、音楽の表情を形づくる。テンポもきわめて自然で、いつのまにか心地よくその進行に身を委ねてしまう。 重要な大曲として、ラフマニノフの「楽興の時」が収録されているが、ここでは、いかにもコンクール出身のピアニストらしい重量感のある技巧が繰り出されている。外面的な印象はやや残るものがあるが、これらの楽曲は、これくらい衒いなく弾いていただいて一向に構わないとも思う。 この録音、あまり注目されていないと思うが、ラフマニノフが好きな人であれば、きっと楽しめると思う。 |
ラフマニノフ 楽興の時 サロン小品集 イタリア・ポルカ* バッハ/ラフマニノフ編 無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ 第3番ホ長調 BWV1006 より プレリュード・ガヴォット・ジーグ バッハ/ジロティ編 プレリュード嬰ハ長調のパラフレーズ p: 有森博 tp: 服部孝也 p: 秋元孝介 レビュー日:2016.6.17 |
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★★★★★ 有森による5枚目となるラフマニノフのピアノ独奏曲集
有森博(1966-)による2016年録音のラフマニノフ (Sergei Rachmaninov 1873-1943)のピアノ作品集。収録曲は以下の通り。 1) 楽興の時(全6曲) op.16 2) サロン小品集(全7曲) op.10 3) バッハ(Johann Sebastian Bach 1685-1750)/ラフマニノフ編 無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ 第3番 ホ長調 BWV1006 より プレリュード・ガヴォット・ジーグ 4) バッハ/ジロティ(Alexander Ziloti 1863-1945)編 プレリュード嬰ハ長調のパラフレーズ(原曲:平均律クラヴィーア曲集 第2巻 第3番 前奏曲とフーガ 嬰ハ長調 BWV872) 5) イタリア・ポルカ(改訂版) 末尾に収録されたイタリア・ポルカは、2台のピアノ版と、さらにトランペットを加えた改訂版があるが、後者が収録されており、第2ピアノを秋元孝介(1994-)、トランペットを服部孝也(1970-)が担当している。 有森博は、1990年に開催された第12回ショパン国際コンクールで最優秀演奏賞を獲得し、その後の活躍とあいまって、その名を広く知られるようになったピアニストである。特に、ロシアで勉学を重ね、ロシア音楽の解釈と演奏に関しては、邦人随一というのみでなく、疑いなく世界でもトップレベルの存在だ。 そんな有森博が、そのライフワークの一つとして手掛けている作曲家がラフマニノフであり、1996年からおよそ3年をかけてラフマニノフのピアノ独奏曲全曲演奏会を成功させるという快挙に端を発し、その後、2000年には練習曲集、2013年には前奏曲集、2014年には変奏曲集、2015年にはピアノ・ソナタを中心としたアルバムをリリースし、その都度、高い芸術的な完成度が示されてきた。 このたびはラフマニノフの初期の重要な作品である楽興の時を中心としたアルバムで、本盤をもって主要な曲目はほぼフォローできた感がある。 当盤に収録された「サロン小品集」は、ラフマニノフが20歳から21歳にかけての作品で、チャイコフスキー(Pyotr Ilyich Tchaikovsky 1840-1893)やショパン(Frederic Chopin 1810-1849)といった偉大な尊敬する先人の影響を受けながら、一種、繊細なメンタリティーを伴って描かれた美しい作品。有森のピアノは、とても考え抜かれた響きで、濃厚なメランコリーを強烈に表出したり、技術の力で押し通すような、無理やり感のある表現とは完全に隔てられた、高度なバランスと洗練を感じさせる。ワルツ、マズルカといった楽曲が、これらの曲にふさわしい品をともなって、しなやかに流れる様は、現代的なアカデミズムという背景を感じさせる。そして、それは学究的側面にこだわった結果でなく、楽曲の自然な表現を追求してたどり着いたものに感じられる。 その3年後の作品である「楽曲の時」は、いよいよラフマニノフがその個性を強く示し始めたときのもので、ヴィルトゥオーゾにふさわしい技巧と、連綿たる抒情的旋律、華麗な演奏効果の伴った名品と言って良い。しかし、有森の演奏は実に自然体。冒頭の第1曲の主題提示の美しさから、聴き手は、とてもなめらかに音楽の世界に入っていくだろう。輝かしい演奏効果の伴う第4曲や第6曲では、その持ちうる技巧を活かし、流麗で新鮮な音楽の呼吸を作り上げていて、実に清々しい聴き味に至る。 バッハの編曲ものとして、ラフマニノフ自身の手によるものと、ラフマニノフの従兄であったピアニスト、ジロティのものが双方収録されているのも、ファンを唸らせる選曲に違いない。さらに、末尾には、サティ(Erik Satie 1866-1925)を思わせるような洒脱なトランペットを含む小品が置かれ、実に楽しいアルバムに仕上がった。 |
練習曲集「音の絵」全曲(作品33と作品39) 断章 フゲッタ ニ短調の小品 カノン 幻想的小品 東洋のスケッチ p: 有森博 レビュー日:2007.12.31 |
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★★★★★ ロシアピアニズムを体得した有森の真骨頂でしょう
1990年に開催された第12回ショパン国際コンクールで最優秀演奏賞を獲得した有森博であるが、その後ショパンの作品にこだわらず、ロシアピアニズムの道を追求しはじめる。1996年からおよそ3年をかけてラフマニノフのピアノ独奏曲全曲演奏会を成功させるという快挙を果たした。このアルバムはその成果を象徴するスタジオ録音で2000年に収録されたもの。 ラフマニノフの練習曲集音の絵(作品33の8曲と作品39の9曲)の全曲を収録したアルバムは意外に少なくそういった意味でも貴重である。レスピーギが作品39のうち数曲にオーケストレーションを試みたことがあり、その際ラフマニノフは各曲のイメージについて、第2曲「海とかもめ」、第6曲「赤頭巾と狼」、第7曲「葬列」、第9曲「東洋風の行進曲」とその曲想を簡単に解説したといわれる。 有森のピアノはここでも雄弁の一語につきる。しっかりと大地に根ざした上で、呼吸の深い音色で、かつ過不足ないスピード感を維持している。これらの曲はラフマニノフらしい土俗性やピアニズムか様々に入り混じるものであるが、有森はそれらの楽曲に見事な構築感を与え、楽曲としての必然性を聴き手に見出させる。そのことによって聴き手は、曲の魅力をきちんと受け取ったという手ごたえを得ることができる。ことに作品33の最後の3曲は究極ともいえる完成形の手ごたえをもっていると思う。こうなるとぜひ他のラフマニノフの曲も録音してほしいと思う。 |
練習曲集「音の絵」全曲(作品33と作品39) p: ハイルディノフ レビュー日:2011.2.25 |
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★★★★★ ロシアピアニズムを体得した有森の真骨頂でしょう
ルステム・ハイルディノフ(Rustem Hayroudinoff)というピアニストが気になり、2枚続けてラフマニノフのソロ・アルバムを聴いてみた。こちらは「音の絵」というタイトルが付いた練習曲集。ラフマニノフの練習曲は2集からなっていて、8つの曲からなる作品33と9つの曲からなる作品39の合計17曲ある。それにしても2集全17曲というのは半端な数字だ。前奏曲も最終的に24曲つくったのだから、練習曲ももう1集書けばよかったのに・・などと無責任な感想を述べつつ聴いてみる。当盤は2006年の録音で、「24の前奏曲」から3年後の録音だ。 ハイルディノフのピアノへの感想は前奏曲と同様で、ルバートが巧妙で、純化された、淀みのない瑞々しいラフマニノフだ。技巧的にもなんの問題点もなく、ゆとりさえ感じられる。決してあせったり急いたりしないけれど、音楽の起伏はきちんと描かれていて、しっかりと音楽を聴いたという実感を味わわせてくれる。 1曲だけ聴くなら、何と言っても作品39-7だろう。レスピーギがこれらの楽曲から抜粋オーケストラ編曲を作る際、ラフマニノフはこの曲のイメージを「葬送行進曲」としている。ちなみに33-4が「市場の風景」、39-2が「海とかもめ」、39-6が「赤頭巾と狼」、39-9が「行進曲」とのことなので、参考に聴くと面白い。それで、この39-7は陰鬱とした楽想からロシア教会の鐘が響いて、どこかにこもっていくようなラフマニノフらしさのよく出た音楽なのだけれど、ハイルディノフの美しいタッチで描かれる情景が、決して過度に演出している訳ではないのだけれど、染み入るように響いてくる。鐘の和音の美しさも見事で、アシュケナージの録音以来と言ってもいい深い感動を覚えた。 他では私の好きな作品33の終わりの3曲。33-6のリズム感と躍動感に溢れながら、しかし決して「やり過ぎない」絶妙のコントロール。33-7では耽美的な色を、ややモノトーンの色調で美しく描いた感じが秀逸。33-8は力強く、時として破滅的とも言える情感を、やや距離を置いて丁寧に写し取ったピアニズムによる描写が見事。 いずれにしても、ハイルディノフのピアノには、今のロシア・ピアニズムの象徴的なスタイルを聴く様な気がする。かつての凍土に響くようなロマンティシズムではなく、モダンな感性のきらめきと、セーヴされた客観的とも言えるルバート・コントロールの次元の高さ。ハイルディノフというピアニストはそういった現代の良質なスタイルの一つのタイプとも思える。今後もロシアがどのようなピアニストを輩出するのか、たいへん興味深い。 |
練習曲集「音の絵」全曲(作品33と作品39) p: シェリー レビュー日:2011.10.18 |
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★★★★★ 日本ではあまり知られていない優れたラフマニノフ弾き、ハワード・シェリー
イギリスのピアニスト、ハワード・シェリー(Howard Shelley 1950-)はラフマニノフ弾きとしても重要な存在で、協奏曲・独奏曲のみならず、歌曲などにも多くの貴重な録音がある。ラフマニノフの没後50周年の際には、遺族の招聘によりルツェルンでコンサートを開催している。また、指揮者としても活躍していて、hyperionのロマン派の埋もれたピアノ協奏曲を発掘するシリーズでは、タスマニア交響楽団を弾き振りして、イグナーツ・モシェレス(Ignaz Moscheles 1794-1870)やアンリ・エルツ(Henri Herz 1803-1888)の協奏曲を録音するという多彩な活躍ぶりを示している。 このアルバムは1983年に録音されたラフマニノフの練習曲集「音の絵」で、作品33の8曲と作品39の9曲、全17曲を収録したもの。もとはhyperionレーベルから発売されているが、同じ音源でHeliosから廉価再発売されたもの。 シェリーのラフマニノフは、よく吟味されていて、音楽としての流れが心地よく、情熱的だ。作品39-5に聴かれる感性豊かな力感溢れる表現に、その特徴が良く出ている。私の場合、ラフマニノフの音楽を聴くとき、どうしてもアシュケナージの演奏との比較になるが、この「音の絵」については、アシュケナージよりシェリーの方が若干の自由度があり、ピアニストなりの解釈をより強く出していると思う。逆に言うと、アシュケナージの方がインターナショナルな通力を感じるだろうか。しかし、両者の解釈は比較的近いところにあると思う。 すでにラフマニノフの権威と言ってよいアシュケナージが、シェリーの事を「優れたラフマニノフ弾きだ」と賞賛していた記事をどこかで読んだことがある。シェリーのピアノの音は、アシュケナージより若干シックで、ほどよい丸みと暖かみが感じられると思う。 情緒の発露も自然でなめらかなので、聴き手はとてもスムーズに音楽の世界に入っていける。例えば作品33の前半の情緒的な楽曲では、たゆたうような感興にのって奏でられるメロディがことのほか心地よく感じられる。 作品39-7の象徴的な鐘の連打を描写した箇所も、どこか落ち着いていて、「幻想的」と言うよりずっと「現実的」な音がするように思える。 日本ではこのピアニストの録音が国内盤として発売されていないようだが、このディスクはその実力を知るのに最適な一枚ではないだろうか。録音のクオリティが少し粗めなのが、唯一悔やまれる。 |
練習曲集「音の絵」全曲(作品33と作品39) p: オズボーン レビュー日:2018.8.7 |
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★★★★★ 隠れた名ラフマニノフ弾き、オズボーンの貫禄の名演
スティーヴン・オズボーン(Steven Osborne 1971-)によるラフマニノフ(Sergei Rachmaninov 1873-1943)の練習曲集「音の絵」、全17曲を収録したアルバム。楽曲の詳細を書くと、以下の通り。 練習曲集「音の絵」op.33 1) 第1番 ヘ短調 2) 第2番 ハ長調 3) 第3番 ハ短調 4) 第4番 ニ短調 「市場の風景」 5) 第5番 変ホ短調 6) 第6番 変ホ長調 7) 第7番 ト短調 8) 第8番 嬰ハ短調 練習曲集「音の絵」 op.39 9) 第1番 ハ短調 10) 第2番 イ短調 「海とかもめ」 11) 第3番 嬰ヘ短調 12) 第4番 ロ短調 13) 第5番 変ホ短調 14) 第6番 イ短調 「赤頭巾と狼」 15) 第7番 ハ短調 「葬送行進曲」 16) 第8番 ニ短調 17) 第9番 ニ長調 「行進曲」 2017年の録音。 なお、上記の表記は慣用的なものとしたが、当CDでは「op.33の第4番は、op.39の第6番に転用」の記載とともに、op.33の第4番を欠番扱いとした上で、「第4番から第8番」までを、「第5番から第9番」の番号をあてて表記している。ただ、私は「欠番なし」の番号順に慣れていて、そういう人の方が多いと思うので、ここでは慣例的な体裁で記載させていただいた。以下も同様。 なお、いくつかの楽曲にサブタイトルを付したが、こちらは、一般的には表記されず、当盤にもそのような表記はない。レスピーギ(Ottorino Respighi 1879-1936)がこれらの楽曲をオーケストラ版に編曲する際に、ラフマニノフが明かした「楽曲のイメージ」であり、ここでは参考までに表記した。「市場の風景」は「祭り」とされることもある。 さて、オズボーンのラフマニノフ録音は、2008年の「24の前奏曲」、2012年の「ピアノ・ソナタ 第2番」&「コレルリの主題による変奏曲」以来かと思うが、先行する録音も素晴らしかったが、このたびの録音もたいへん見事な出来栄えだ。技術的な冴え、統御された音色の強弱と音価の長短が、楽曲の構造に呼応し、立派な演奏効果を獲得している。 特に印象深い楽曲として、op.33の「第6番 変ホ長調」を挙げたい。ラフマニノフらしい躍動感のある楽曲を、正確無比なタッチと併せて、緩みのないスピードで描き切った爽快感が比類ない。op.33の「第8番 嬰ハ短調」ては、今度は落ち着いたテンポを維持し、フレーズの意味合いを吟味しながら、明確な濃淡をもって、音を刻み込むように慣らしていく。こちらもなかなかの迫力である。 op.39では「第5番 変ホ短調」でオズボーンの描く動線の確かさに圧倒されるほか、「第7番 ハ短調」で築き上げられる鐘楼の奏鳴は、感動的な壮麗さを見せる。 いずれの楽曲も、厳しい諸相に基づいた表現法を突き詰めながらも、内省的もしくは抒情的なものを存分に含んだものとなっている。高度な統御感は、熱的な自在性を遠ざけているので、その面で不足を感じる人もいるかもしれないが、オズボーンの論法自体の完成度は高く、見事な芸術と感じさせる。 |
練習曲集「音の絵」全曲(作品33と作品39) p: ジュジアーノ レビュー日:2020.2.1 |
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★★★★☆ 1995年のショパン・コンクール第2位だったジュジアーノが2000年に録音したラフマニノフ
1995年のショパン国際ピアノコンクールの結果は、「1位なし」に加え、フランスのフィリップ・ジュジアーノ(Philippe Giusiano 1973-)とロシアのアレクセイ・スルタノフ(Alexei Sultanov 1969-2005)を「同点2位」とするという不思議なものであった。 優勝を最有力視されていたスルタノフは表彰式への出席を拒み、彼のウズベク人という背景から、人種問題について示唆する見方も噂されたが、いまとなっては真相はわからない。(また、真相が一つだけというわけでもないだろう)。また、2001年に脳卒中の発作に倒れ、そのまま復帰がかなわず世を去ったスルタノフの夭折は、音楽界にとっても大きな損失であった。 他方、ジュジアーノは、あちこちでコンサートなどの活躍を続けているが、CD録音が極めて少ない。ただ、その活動初期に、日本のOMAGATOKIレーベルが2枚のCDを作製しており、1つはショパンのスケルツォと練習曲集op.10を収録した1998年録音のアルバム、もう一つが2000年録音の当盤である。 当盤には、ジュジアーノのピアノで、ラフマニノフ(Sergei Rachmaninov 1873-1943)の練習曲集「音の絵」の全17曲が収録されている。 私は上述のジュジアーノのショパンのうち、スケルツォ集における瑞々しい感性の反映された演奏を気に入っている。その一方で練習曲集には、淡泊な味わいの薄さを感じた。 このラフマニノフも、ショパンの練習曲と同じような印象を持つ。ジュジアーノは、丁寧にしっかりと弾いているのだが、そこにプラスされてしかるべき芸術家の表現性と言う部分がいかにも淡い。これらの楽曲には、ラフマニノフがヴィルトゥオジティの発揮とともに、ロシア的な濃厚なメランコリーやほの暗い情熱を託したに違いないのだが、ジュジアーノはかなりあっさりとした響きに仕上げている。op.33の第9番、op.39の第7番など、かつて聴いたものの中でもっとも淡泊な演奏とって良い。表現を変えれば「軽やか」とも言えるだろう。ただ、どうもそれだけだと、腹持ちが良くないというか、私には物足りないところが残ってしまう。 一方で、夜想曲的な楽想では、ジュジアーノの透明なタッチが直接的な語り掛けになっていて、とても美しいと感じる。op.33の第3番の後半部分など、その最たるものだろう。 とはいえ、私の場合、この演奏を聴いていると、ラフマニノフの音楽には、どうしても熱さが必須だな、と感じてしまう。美点はあるのだが、様々な名録音と並べると、やや分が悪いのは否めない。 |
練習曲集「音の絵」全曲(作品33と作品39) 断片 東洋のスケッチ 小品 p: ルガンスキー レビュー日:2023.2.24 |
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★★★★★ ルガンスキーの円熟を実感させられる30年振りの録音
ロシアのピアニスト、ニコライ・ルガンスキー(Nikolai Lugansky 1972-)によるラフマニノフ(Sergey Rachmaninov 1873-1943)の練習曲集「音の絵」全曲を中心としたピアノ独奏曲集。収録曲は下記の通り。 練習曲集「音の絵」 op.33 1) 第1番 ヘ短調 2) 第2番 ハ長調 3) 第3番 ハ短調 4) 第4番 ニ短調 「市場の風景」 5) 第5番 変ホ短調 6) 第6番 変ホ長調 7) 第7番 ト短調 8) 第8番 嬰ハ短調 練習曲集「音の絵」 op.39 9) 第1番 ハ短調 10) 第2番 イ短調 「海とかもめ」 11) 第3番 嬰ヘ短調 12) 第4番 ロ短調 13) 第5番 変ホ短調 14) 第6番 イ短調 「赤頭巾ちゃんと狼」 15) 第7番 ハ短調 「葬送行進曲」 16) 第8番 ニ短調 17) 第9番 ニ長調 「行進曲」 18) 断片 変イ長調 19) 東洋のスケッチ 変ロ長調 20) 小品(前奏曲) ニ短調 2022年の録音。 ルガンスキーは、30年前、20才の時(1992年)に、ラフマニノフの練習曲集「音の絵」を全曲録音している。私は、偶然、最近その録音を聴く機会があったばかり。ここでは、その30年前の録音と、各曲の演奏時間を比較してみたい。 旧録音 新録音 op.33 第1番 2'58 3'08 第2番 2'22 2'28 第3番 5'51 5'54 第4番 3'38 3'37 第5番 1'40 1'40 第6番 1'51 1'57 第7番 4'05 4'10 第8番 2'36 2'59 op.39 第1番 3'03 3'17 第2番 7'01 7'08 第3番 2'32 2'42 第4番 3'38 3'52 第5番 5'15 5'33 第6番 2'45 2'51 第7番 7'41 7'41 第8番 3'15 3'40 第9番 3'39 4'07 30年の歳月を隔てても、大きな違いはないと言えるかもしれないが、こまかく見ていくと、新録音の方が演奏時間が短くなったのは、op.33の第4番の1曲きり、それもたったの1秒で、その他の曲はすべて新録音の方が演奏時間が長いか、もしくは同じである。このことは、30年前の録音の方が、解釈が全体的にインテンポであり、新録音の方がルバートを多用するようになったことを示している。また、テンポ設定自体を変更したと言える楽曲もある。 そして、ここからは私の聴いた印象になるけれど、今回の録音の方が、音楽に一層の深みを感じる。ルガンスキーの表現者としての円熟、と端的に言ってしまえばそうなるのだろうけれど、以前の明快で疾風のような解釈とくらべて、今回の方がほの暗い情感のようなものが全体を通じて伝わってきている。どちらを取るかは聴き手の好みの問題であろうが、私は、芸術的な練度がもたらす様々な情動の伝わる新録音の方が好きである。ルガンスキーの進化、そして芸術と言う多層で抽象性の高い価値の高まりを感じ、感動する。例えばop.33の第3番のハ短調の楽曲がもたらす物憂げな旋律は、今回の録音で、一層多面的な含みを持ち、音楽として聴き手に作用するものも増えていると思う。 もちろん、ルガンスキーの力強い響きをドラマティックに構築する手腕自体は、当録音においても健在であり、op.33の第8番や、op.39の第6番や第7番における壮大なスケール感は変わらず素晴らしいもの。また、ルバートについても、ルガンスキーのそれは、決して高貴さを失わず、演奏者と作品の距離感を、つねに遠視点的に捉える感覚が強く支配しており、その結果、これらの難曲が、様々な意味で、スタイリッシュな立体性により表現されることになる。情感と壮大さ、双方に事欠かない、とても完成度の高いラフマニノフである。 追加収録されている初期の小品たちも、落ち着いた解釈で奏でられており、その佇まいはしっかりとした存在感をともなって聴き手に届けられる。流石に、この人の弾くラフマニノフは、聴き逃すわけにはいかない。 |
練習曲集「音の絵」作品39 コレルリの主題による変奏曲 6つの歌曲(夜の庭で 彼女のもとに ひなぎく ねずみとりの男 夢 呼び声) p: メルニコフ S: ブリロワ レビュー日:2008.5.4 |
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★★★★★ メルニコフによる新しい切り口のラフマニノフ
最近、その存在感を増しているアレクサンドル・メルニコフ(Alexander Melnikov)による注目のラフマニノフ録音。曲目は、練習曲集「音の絵」作品39、6つの歌曲(夜の庭で 彼女のもとに ひなぎく ねずみとりの男 夢 呼び声)、 コレルリの主題による変奏曲の3曲で、歌曲のソプラノ独唱はエレーナ・ブリロワ。録音は2007年。 私は最近メルニコフによる素晴らしいスクリャービンのアルバム(2005年録音)を聴いたばかりなので、当然このラフマニノフも必然的に購入して聴かせていただいた。これもまた見事な録音である。 スクリャービンの演奏で聴かれた刹那のエネルギーの解放と、官能性、そして古典的な構築間がここでも両立しており、内容は濃い。ラフマニノフの練習曲集「音の絵」のうち作品39の9曲は浪漫性が高く、演奏の方向性を見出すのが難しい作品だと思うが、メルニコフは安定したテクニックでこの作品集の混沌性に明瞭な光を差し込んでいる。前半の第2曲や第3曲ではスクリャービンばりの「浮遊感」を打ち出し、色彩豊かでありながら、瞬間瞬間のキレがあり、迫力に満ちている。また第7曲では思い切って遅いテンポをとる。おそらくこの楽曲をこの曲集の中心と見立てたのではないだろうか。独特の緊張感から後半部への音の大伽藍の構築は、ドビュッシーの「沈める寺院」にも通じる感興を放つ。 歌曲というジャンルはラフマニノフの中でも内省的なパーツだと思う。ブリロワの歌唱は私にはやや感情過多な気がしたが、どうだろうか?メルニコフのピアノは美しい。 「コレルリの主題による変奏曲」はアシュケナージの壮絶な爆演が私の脳裏にこびりついているため、それと比べるとやや普通に聴こえてしまうが、それでももちろん相当レベルの高い演奏であることは間違いなく、鋭角的な切り口が鮮やかで、くっきりした、かつ細やかなコントラストが気持ちよい。 |
練習曲集「音の絵」作品39 楽興の時 p: ギルトブルク レビュー日:2017.7.26 |
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★★★★★ 芸術家ギルトブルクの才が十全に発揮された快演
2013年のエリザベート王妃国際コンクールで優勝したイスラエルのピアニスト、ボリス・ギルトブルク(Boris Giltburg 1984-)によるラフマニノフ(Sergei Rachmaninov 1873-1943)のピアノ独奏曲集。2015年の録音。収録曲は以下の通り。 練習曲集「音の絵」op.39 1) 第1番 ハ短調 2) 第2番 イ短調 「海とかもめ」 3) 第3番 嬰ヘ短調 4) 第4番 ロ短調 5) 第5番 編ホ短調 6) 第6番 イ短調 「赤頭巾ちゃんと狼」 7) 第7番 ハ短調 「葬送行進曲」 8) 第8番 ニ短調 9) 第9番 ニ長調 「行進曲」 楽興の時 op.16 10) 第1番 変ロ短調 11) 第2番 編ホ短調 12) 第3番 ロ短調 13) 第4番 ホ短調 14) 第5番 変ニ長調 15) 第6番 ハ長調 非常に現代的な良質のラフマニノフを感じさせてくれる演奏。ピアノの機能をフルに活かし、特に弱音域で多彩な表現を駆使しながら、全体としてはスマートで迫力も十分。透明な音色を保ちながら情熱的な素早いパッセージを颯爽と弾きこなす様は、クールでカッコイイ。これら2つの曲集は、いずれもラフマニノフの繊細な感性が、至難な技巧を経て表現されるもので、ギルトブルクのアプローチは全体的なまとまりという点でも、聴き手を納得させてくれると思う。 練習曲は、いかにも素直な滑り出しを見せるが、第2番ので描かれる抒情性の美しさにまず心惹かれる。淡々とした風景描写的な演奏の様でいて、ところどころ陰りを感じさせるようなニュアンスが効果的だ。第4番の工夫を凝らした色彩感も見事。第5番では、左手の旋律にもっと濃厚で劇的なものがあってもいいかもしれないが、ギルトブルクの洗練された表現はそれ自体きれいに完結しており、終わってみると気持ちが満たされている。第6番の狂騒的雰囲気を経て、大曲第7番ではじっくりとした進行から、非常にスリムな盛り上がりへと至る。人によってはスマート過ぎると思うかもしれないが、現代的統制の行き渡った弾き方だと思う。そして、終曲、第9番で壮麗なフィナーレに自然に導かれる。この作品39を録音するにあたって、ギルトブルクは映画のシーンを作るように、光やトリムといった概念を自分なりに演奏に反映させるイメージで臨んだという意味のことを語っている。美しく切り取られた9編の物語といったところだろうか。 楽興の時は燃焼性の高い演奏であるが、つねにクールな視点が背景にあって、脱線しそうになることはない。激しいロマンティシズムを主張しながらも、その聴き味は、構成的な力を伴ったもので、音楽として各フレーズの機序の関係が、明瞭に伝わってくる。この演奏を可能にするには、高い技術と深い洞察の双方が必要であるが、ギルトブルクは双方を兼ね備え、なお音色が美しく、健やかな情緒を通わせることもできる。終曲の感動の大きさも比類ない。 |
練習曲集「音の絵」 作品33から第2番 第8番 作品39から第3番 第4番 第5番 前奏曲 第2番 第4番 第6番 第8番 第11番 第17番 第19番 第21番 第23番 幻想的小品集 p: デミジェンコ レビュー日:2017.6.28 |
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★★★★★ デミジェンコのラフマニノフ・・名演です。
ニコライ・デミジェンコ(Nikolai Demidenko 1955-)によるラフマニノフ (Sergei Rachmaninov1873-1943)のピアノ独奏曲集。1994年録音。いくつかの曲集から数曲ずつ抜粋する体裁で、以下の内容となっている。 1) 練習曲集「音の絵」第2曲 ハ長調 op.33-2 2) 練習曲集「音の絵」第8曲 ト短調 op.33-8 3) 10の前奏曲 第1曲 嬰ヘ短調 op.23-1 (第2番) 4) 10の前奏曲 第3曲 ニ短調 op.23-3 (第4番) 5) 10の前奏曲 第5曲 ト短調 op.23-5 (第6番) 6) 10の前奏曲 第7曲 ハ短調 op.23-7 (第8番) 7) 10の前奏曲 第10曲 編ト長調 op.23-10 (第11番) 8) 幻想的小品集 第1曲 エレジー 変ホ短調 op.3-1 9) 幻想的小品集 第2曲 前奏曲 嬰ハ短調「鐘」 op.3-2 (第1番) 10) 幻想的小品集 第3曲 メロディ ホ短調 op.3-3 11) 幻想的小品集 第4曲 道化師 ロ短調 op.3-4 12) 幻想的小品集 第5曲 セレナード 変ロ短調 op.3-5 13) 13の前奏曲 第6曲 ヘ短調 op.32-6 (第17番) 14) 13の前奏曲 第8曲 イ短調 op.32-8 (第19番) 15) 13の前奏曲 第10曲 ロ短調 op.32-10 (第21番) 16) 13の前奏曲 第12曲 嬰ト短調 op.32-12 (第23番) 17) 練習曲集「音の絵」第3曲 嬰ヘ短調 op.39-3 18) 練習曲集「音の絵」第4曲 ロ短調 op.39-4 19) 練習曲集「音の絵」第5曲 編ホ短調 op.39-5 前奏曲でのカッコ内に示した番号は、「24の前奏曲」というスタイルでまとめられたときの通し番号。私自身、そちらの番号の方になじみが深いので、併記した。 「幻想的小品集」のみ全曲が収録され、その前後を前奏曲集と練習曲集からの抜粋で挟むという構成となっている。聴いていて、全曲が聴きたくなる一方で、当配列もデミジェンコによって吟味されたものであるらしく、それなりに流れがよく進んでいく。短調の曲が多く取り上げられているため、全体的に悲劇的な色彩が強いが、デミジェンコの引き締まった演奏は、これらの楽曲を強靭な凛々しさをもって表現しており、飽きることはない。 デミジェンコの演奏は、技術的安定と、膂力のある音の大きさが見事であり、そのことによって、ラフマニノフ作品に漂うどこか孤独繋な諸相を決然と表現しきっている。いずれの楽曲も、全体的な構成が十分に練られた説得力がある。 op.33-8では、ノンレガートの簡素な冒頭から、ラフマニノフ特有の色彩が加わって行くのが魅力。op.32-6では、直線的な演奏ながら、こまやかな情感があって、決して武骨一辺倒ではない表現の幅を併せ持つ。op.32-8では強風の中打ち鳴らされる鐘楼の鐘のように不穏な雰囲気が圧巻のスピードと重量感でかけぬけてゆき、劇的だ。私の大好きなop.32-10では、中間部に築き上げられる音の伽藍の巨大さに身がすくむ思い。そして、末尾のop.39-5で力強い低音に導かれて、圧巻の帰結を迎える。 全曲盤の録音に聴きなれていると、op.23-1の後にop.23-2の音の絵巻が繰り広げられず、そのままop.23-3に繋がるところなど、最初は「寂しさ」も感じたのだが、繰り返し聴くと、デミジェンコの説得力に溢れた演奏により、すっかり満足するようになった。豪演、と形容したいところもあるが、デミジェンコの設計の深さには、知的なものが溢れていて、その面の印象が弱くなるかもしれない。やはり、これは「名演」とシンプルに評価すべき録音だろう。 |
練習曲集「音の絵」 作品33から第3番 作品39から第1番 第2番 第5番 前奏曲 第5番 第9番 第11番 第23番 リラの花 メロディ 幻想的小品 ト短調「デルモ」 チェロ・ソナタ より 第3楽章(ピアノ独奏版) 楽興の時 第2番 第6番 p: ババヤン レビュー日:2022.1.13 |
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★★★★★ 優れた“ラフマニノフ弾き”によるラフマニノフ
アルメニアのピアニスト、セルゲイ・ババヤン(Sergei Babayan 1961-)によるラフマニノフ(Sergei Rachmaninov 1873-1943)のピアノ独奏曲集。収録曲は下記の通り。 1) 10の前奏曲 op.23 から 第8番 変イ長調 2) 13の前奏曲 op.32 から 第12番 嬰ト短調 3) 12の歌曲 op.21 から 第5曲 「リラの花」(ピアノ独奏版) 4) 13の前奏曲 op.32 から 第6番 へ短調 5) 練習曲集「音の絵」 op.33 から 第3番 ハ短調 6) 練習曲集「音の絵」 op.39 から 第1曲 ハ短調 7) 練習曲集「音の絵」 op.39 から 第2番 イ短調 8) 13の前奏曲 op.32 から 第10番 ロ短調 9) 12の歌曲 op.21 から 第9曲 「メロディ」(ヴォロドス(Arkadij Volodos 1972-)編ピアノ独奏版) 10) 幻想的小品 ト短調 「デルモ」 11) 10の前奏曲 op.23 から 第4番 ニ長調 12) 練習曲集「音の絵」 op.39 から 第5番 変ホ短調 13) チェロ・ソナタ ト短調 op.19 から 第3楽章(ヴォロドス編ピアノ独奏版) 14) 楽興の時 op.16 から 第2番 変ホ短調 15) 楽興の時 op.16 から 第6番 ハ長調 2009年の録音。 とても素敵なアルバムだ。収録されている楽曲は、ラフマニノフ作品の中にあって、必ずしも広く知られていると言えるものではないが、いずれもこの作曲家ならではの抒情性に満ちた作品で、ババヤンは、それらの情感を、瑞々しく汲み取って奏でている。 冒頭のop.23-8から、その演奏の緻密な設計性の高さに驚かされるが、その設計を現実に音化する高い技術と、安定した響きが、輪郭の整った美しい佇まいを導き出す。続くop.32-12では、旋律線をコントラストの演出で巧みにライトアップしながら、自然で肩ひじの張らない健やかな流れが素晴らしい聴き味だ。op.21の歌曲からピアノ独奏版に編曲された2編は、ともにラフマニノフ作品の素晴らしさが横溢する部分で、そのルバートのしなやかさと、全体のフォルムの整然とした様の両立に心を動かされる。ラフマニノフのメロディの扱いには、独特の感覚がないと、妙に大仰になったり、感傷性過多になってしまったりしてしまうのだが、ババヤンの演奏は、とてもバランス感覚に優れていて、高貴であると同時に情感豊かだ。そのような点で、アシュケナージ(Vladimir Ashkenazy 1937-)の演奏との間に、精神的な親近性を感じる。 練習曲集「音の絵」から選ばれた曲たちは、概して落ち着いたテンポ設定で、丁寧かつ自然に描かれていく。op.39-2のクライマックスであっても、ババヤンのピアノは、攻撃的にならず、包容力を伴って、豊穣さを連想する響きを形成する。その過程で聴き手に伝わる暖かい感触は、ラフマニノフの音楽におけるもっとも大切なものだと思う。それがしっかりと伝わってくる演奏だ。1分弱の小品、幻想的小品にも、短いながらも夢想的ともいえる美観がちりばめられ、得難い感興がある。 チェロ・ソナタの第3楽章の編曲も良い。「メロディ」ともどもヴォロドスの冴えた編曲も素晴らしいが、そのヴォロドスが施した効果を、万全のものとして表現したババヤン。二人の異才によって伝わるラフマニノフの魅力は、私にはとても貴重なものに感じられた。末尾には「楽興の時」からの2曲が収録されている。壮麗な第6番はこのアルバムを締めくくるにふさわしい。堂々たる恰幅をもって描かれている。 |
コレルリの主題による変奏曲 練習曲集 音の絵(作品33) p: ロマノフスキー レビュー日:2012.8.20 |
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★★★★★ ロマノフスキーの鮮やかな手腕が圧巻のラフマニノフ!
最近台頭した若手ピアニストの中で、私にとっていちばんの注目株と言えるのがウクライナのピアニスト、アレクサンダー・ロマノフスキー(Alexander Romanovsky 1984-)である。私が最初にこのピアニストの演奏を聴いたのは、ワーナー・レーベルから発売されているセレブリエール(Jose Serebrier 1938-)指揮によるグラズノフ(Aleksandr Glazunov 1865-1936)のピアノ協奏曲で、鮮烈でかつロマンティシズムを良く湛えた立派な演奏だった。その後、躍動感にあふれるベートーヴェンのディアベルリの主題による変奏曲を聴き、その音楽性にいよいよ惚れ込んだところである。 当アルバムは、ラフマニノフ(Sergei Rachmaninov 1873-1943)の練習曲集「音の絵」(作品33)と「コレルリの主題による変奏曲」を収録したもの。2008年の録音。これまた本当に素晴らしい録音だ。 練習曲集「音の絵」には、別に8曲からなる作品33もあるが、当盤に収録されているのは全9曲からなる作品39。いずれもラフマニノフらしいヴィルトゥオジティが横溢する作品群だが、ロマノフスキーの演奏は、決して技巧やパワーの閲覧を主眼としているわけではない。それよりも、ラフマニノフの作品の根底に流れる旋律線をいかに明瞭な形で描きだし、十分な活力を持ってこれを表現するかに力点がおかれている。このピアニストの特徴は、卓越した運指技能を駆使しながら、微妙な加減速や強弱を強靭にコントロールし、音楽の起伏を鮮やかに演出する点にある。 39-1では強力で弾力に富む低音のアクセントがよく効き、実に爽快。39-5では音楽の多層構造を解き明かし重層的な迫力を築き上げていく過程が圧巻で、荘厳な音楽が導かれている。圧巻は名曲39-7で、後半の鐘楼の鐘が次々と打ち鳴らされるような音響は、立体的で実にダイナミック。 「コレルリの主題による変奏曲」はイタリアの作曲家、アルカンジェロ・コレルリ(Arcangelo Corelli 1653-1713)の高名なフォリアの旋律に基づく変奏曲で、ラフマニノフのピアノ曲の中でも名高い名品。こちらもまた名演だ。冷静沈着でクールを装うようなテンポでありながら、音楽の掘り下げが実に鮮やか。各変奏曲の個性を機敏に描きながら、全体としての繋がりが実になめらかで、一音としてないがしろにしない十全な響きが心地よい。 このピアニスト、いまのところ何を弾いても凄いと思うが、ことにこのラフマニノフとの相性は抜群のようだ。それなのに、2011年のチャイコフスキー・コンクールで第4位だったというのだから、畢竟、上位3人<第1位 ダニール・トリフォノフ(Daniil Trifonov 1991-)、第2位 ソン・ヨルム(Son Yeol-Eum 1986-)、第3位 チョ・ソンジン(Cho Seong-Jin 1994-)>の活躍にも今後は注目したいと思う。それほど、ロマノフスキーの存在感は大きい。 |
コレルリの主題による変奏曲 ショパンの主題による変奏曲 ひな菊 エレジー セレナード(改訂版) メロディー(改訂版) 道化師 リラの花 p: 有森博 レビュー日:2014.11.28 |
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★★★★★ 奏者のロシア音楽への感性が活きた好演
有森博(1966-)によるラフマニノフ(Sergey Rachmaninov 1873-1943)の変奏曲を主体とするピアノ・ソロアルバム。2014年の録音。収録曲は以下の通り。 1) 6つの歌曲から「ひな菊」(ピアノ独奏版) op.38-3 2) ショパンの主題による変奏曲 op.22 3) 幻想的小曲集から第1曲「エレジー」 op.3-1 4) 幻想的小曲集から第5曲「セレナード」 op.3-5(改訂版) 5) 幻想的小曲集から第3曲「メロディー」 op.3-3(改訂版) 6) 幻想的小曲集から第4曲「道化師」 op.3-4 7) コレルリの主題による変奏曲 op.42 8) 12の歌曲から「リラの花」(ピアノ独奏版) op.21-5 有森のラフマニノフとしては、2000年録音の練習曲「音の絵」全曲他、2013年録音の「24の前奏曲」に続く3枚目となる。ちなみの当盤には、5曲からなる「幻想的小曲集」から4曲が収録されているが、残りの1曲は、24の前奏曲の冒頭の作品と同一で、既出アルバムに収録済である。そのため、今回の録音で幻想的小曲集の全曲が揃ったことになる。この曲集は、ラフマニノフが20歳になる前の1892年に書かれたものであるが、晩年の1940年になって、ラフマニノフはこのうち2曲に改訂を行っており、当盤で当該曲に「改訂版」という記載があるのは、そのためである。 アルバムの構成は、この幻想的小曲集の4曲を挟む形で、2つの規模の大きな変奏曲があり、またさらにこれを挟む形で、冒頭の末尾に歌曲を作曲者自らピアノ独奏版に書き直したものが収録されている形となっている。 さて、演奏であるが、当録音を聴いていると、有森のピアノからは、ラフマニノフの音楽に流れる「ロシア音楽らしさ」がよく伝わるものになっていると感じられる。この「ロシア音楽らしさ」というのは、主観的なものかもしれないが、(少なくとも私にとっては)例えば、変化する基音の間合い、低音の移行から感じ取れるメランコリックな成分であったり、その支えの上で歌われるメロディーに漂うセンチメンタリズムであったり、あるいは、十指の多くを使った和音のずっしりとした重量感であったりするのだけれど、そういったものが、互いに適度に主張を行い、全体として、楽曲の情緒を、よく伝えるものになっていると感じられる、ということだ。 有森は、1990年に、ショパン・コンクールで最優秀演奏賞を獲得した後、93年から、ロシア音楽を弾きこなすため、モスクワを第2の拠点として、音楽を勉強し、活動を続けてきた。そのような彼ならではの、培われた感性のようなものを感じさせる。本盤では、例えば「エレジー」から醸し出される特別な憂いの情感に、それを感じる。 当アルバムで最大の聴きものとなるのは、やはり「コレルリの主題による変奏曲」だろう。近年、一気に優れた録音が増えてきた楽曲であるが、この有森の録音もその一角に入るだろう。人によっては、よりペダルを踏み込んだ豪胆な音色を望むかもしれないが、当演奏の端正で、やや辛口な響きは、音楽の表情を引き締めて、一つの完成された美観を表出している。 また、冒頭に収録されている「ひな菊」のニュアンスの深さにも感じ入った。演奏者のロシア音楽への教養が、音楽表現としてよく消化された成果が示されている。 |
ラフマニノフ コレルリの主題による変奏曲 ショパンの主題による変奏曲 メロディー(改訂版) メンデルスゾーン(ラフマニノフ編) 「真夏の夜の夢」よりスケルツォ p: シェリー レビュー日:2019.1.21 |
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★★★★★ ラフマニノフ演奏に精通した大家らしい完成度の高い演奏
イギリスを中心に指揮者、そしてピアニストとして活躍しているハワード・シェリー(Howard Shelly 1950-)は、その録音の多くが英hyperionからリリースされていて、日本では国内盤で紹介される機会がほとんどなかったと思われる。そのため、その広範な活動ぶりに比して、知名度、評価ともにあまり高いとは言えないが、優れた音楽家に違いなく、特に彼が70年代から90年代にかけて完成したラフマニノフ(Sergei Rachmaninov 1873-1943)の全ピアノ作品の録音は、一つの偉業といっても良い。 当盤は、シェリーによる一連のラフマニノフ録音の初期の成果で、以下の楽曲が収録されている。 1) ショパンの主題による変奏曲 op.22 2) コレルリの主題による変奏曲 op.42 3) 幻想的小品集 op.3 から 第3曲 メロディ ホ長調 4) メンデルスゾーン(Felix Mendelssohn 1809-1847)/ラフマニノフ編 真夏の夜の夢 から スケルツォ 1978年の録音。 誠実な演奏、というのが率直な印象だろう。シェリーはこれらの楽曲に、現代的な洗練と繊細さを併せ持ったアプローチを心掛けている。その普遍的なスタイルは、場合によっては面白味の無さにつながることもあるのだが、シェリーの演奏の場合、そこに詩情が加わっていて、音楽としての雰囲気を豊かにしている。 「ショパンの主題の変奏曲」では、原曲が葬送行進を連想させることもあって、比較的内省的なものが多くあり、そこにラフマニノフらしい優美な旋律の流れが沿ってくるのであるが、シェリーは古典的と形容するのがふさわしいほど明確な弾き分けがあり、居住まいに正しさを感じさせる演奏になっている。ラフマニノフの演奏としては、やや抑制的であるが、終結部の勇壮な和音は十分な恰幅があって、それらしい。 後期の名品、「コレルリの主題による変奏曲」では、「ショパンの主題の変奏曲」と比べて、より一つ一つの変奏曲の性格的な描き分けの幅が増し、それに伴った表現力も要求されるが、シェリーは前述のスタイルを維持しながら、巧妙に自然発揚的な情感を高め、情熱やダークな色彩を引き出している。もちろん、より高い劇性や、輝きを望む気持ちが湧きおこらないでもないのだが、何度か聴いているとシェリーの真摯な表現には、十分に突き通った考えが感じられ、芸術に触れたという気持ちの高まりが得られる。 最後に収録されている2つの小品では、一陣の風のように軽やかに表現されたスケルツォが印象深い。 いずれも、ラフマニノフ演奏の大家にふさわしい、貫禄を感じさせる演奏で、整った品質を感じさせる。 |
コレルリの主題による変奏曲 練習曲集「音の絵」 op.39 p: アシュケナージ レビュー日:2017.1.11 |
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★★★★★ 「定番」という評価を確固たるものにしているアシュケナージの名演です。
アシュケナージ(Vladimir Ashkenazy 1937-)によるラフマニノフ(Sergei Rachmaninov 1873-1943)のピアノ独奏曲集。収録内容は以下の通り。 1) コレルリの主題による変奏曲 op.42 練習曲集「音の絵」 op.39 2) 第1番 ハ短調 3) 第2番 イ短調(「海とカモメ」) 4) 第3番 嬰ヘ短調 5) 第4番 ロ短調 6) 第5番 変ホ短調 7) 第6番 イ短調(「赤頭巾ちゃんと狼」) 8) 第7番 ハ短調(「葬送行進曲」) 9) 第8番 ニ短調 10) 第9番 ニ長調(「行進曲」) 練習曲集「音の絵」については、後年、レスピーギ(Ottorino Respighi 1879?1936)が、数曲を抜粋の上、管弦楽編曲を行っているが、その際ラフマニノフが提案したタイトルについて、カッコ書きで記載させていただいた。 録音年は「コレルリの主題による変奏曲」が1985年、練習曲集「音の絵」が1986年。 アシュケナージは、ラフマニノフ作品を重要なレパートリーとしており、「コレルリの主題による変奏曲」に関しては、他に1957年と1973年の録音のものが、練習曲集「音の絵」op.39については、1973年の録音のものと、第1番、第2番、第5番の3曲について1963年録音のものがある。いずれにせよ、当盤は、永年に渡ってアシュケナージが手掛けてきた作品たちを、あらためて録音したものということになる。 アシュケナージのラフマニノフの素晴らしさは、すでに「定評」あるところなので、コメントを加えても、屋上屋を架す感じになるのだけれど、やはりラフマニノフの音楽に流れる連綿たる情緒を、現代まで通じる音楽的教養を踏まえて十分に消化し、確かな技術と豊かな音色、圧倒的な音量で表現する基礎があって、そこにこのピアニストの底辺に流れる詩情が、自然に表出し加えられていく様が、稀有に美しく気高いラフマニノフ演奏を導くのだろう。この録音を聴いていても、あらためて以上のことを、私は確信をもって述べることが出来る。 「コレルリの主題による変奏曲」では、短い変奏が次々に繰り広げられていくが、そのつながりが自然でありながら、ダイナミックな変化の演出があり、時に地の底まで突き通るような低音から、ダイヤモンドダストが雲散するような高音までが散りばめられ、その様は圧巻という他ない。「音の絵」では、1曲1曲が大きな規模で再現され、ドラマティックで、勇壮な力感に満ちた表現が素晴らしい。そして、どんな小さな瞬間であっても、心の感じられない音が一つもない隅々まで血の通った表現と感じられる。第2番で訪れる静寂の音楽的深み、第3番の複雑なリズム処理の手際の見事さ、第5番の哀愁の濃さ、第7番のクライマックスの激しさ、第9番の活力に富む表現と聴きどころは無数にある。これこそ、アシュケナージのラフマニノフである。録音からすでに30年が経過したが、今なお私が愛聴する録音であり、最近何度か繰り返し聴いた機会に感想をまとめた次第。 |
サロン的小品集 シコルスキ社の楽譜による初期のピアノ作品集(カノンホ短調 フーガ二短調 4つの小品 ガヴォットニ長調 前奏曲ヘ長調 幻想的小品 ト短調 フゲッタ ヘ長調) 3つの夜想曲 オリエンタル・スケッチ 晩祷から第5曲「主宰や今爾の言にしたがい」(アシュケナージ編) 無言歌ニ短調 15のロマンスから第12曲「夜は悲しい」(アシュケナージ編) p: アシュケナージ レビュー日:2012.6.11 再レビュー日:2014.10.17 |
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★★★★★ 感動と感謝。長い歳月をかけたプロジェクトが完結。
セルゲイ・ラフマニノフ(Sergei Rachmaninov 1873-1943)の作品の普及・啓発を主眼とするラフマニノフ協会の会長を務めるウラディーミル・アシュケナージ(Vladimir Ashkenazy 1937-)は、若いころから、ピアニストとして、そして指揮者としてラフマニノフの作品を積極的に取り上げ、演奏をしてきた。かつて、ハリウッド映画のサントラのように扱われることすらあった楽曲が、偉大なクラシックの系譜の中で数えられるようになり、交響曲第2番が名曲の誉れを勝ち得、数々のピアノソロ曲や室内楽、合唱曲、歌曲までもが、広く聴かれるようになった現在、振り返ってアシュケナージの果たした功績はひとかたならぬものがある。 そんな大ピアニスト、アシュケナージが、75歳となる2012年になって、「ラフマニノフ・レアリティーズ」と題したピアノ・ソロアルバムをリリースすることは、多くのクラシックファンにとっても何らかの感慨を受けるものではないだろうか。このアルバムは、めったに聴くことができないラフマニノフの初期の作品を含めてアシュケナージがこれまで録音していなかったものをすべて集めたもので、ついに、アシュケナージが文字通りその生涯をかけたライフワーク「ラフマニノフピアノ作品全集」が完成したことになる。一応、収録曲を記そう。 1) ピアノのための小品 変イ長調 2) 7つのサロン的小品集(夜想曲、ワルツ、舟歌、メロディ、ユモレスク、ロマンス、マズルカ) 3) 3つの夜想曲 4) 無言歌 5) シコルスキ社の楽譜による初期ピアノ作品集(カノン、フーガ、ロマンス、4つの小品、 前奏曲 ヘ長調、幻想的小品、フゲッタ) 6) オリエンタル・スケッチ 7) 15のロマンス op.26から第12曲:夜は悲しい(アシュケナージ編) 8) 晩祷~第5曲:主宰や今爾(なんじ)の言(ことば)にしたがい(アシュケナージ編) ラフマニノフの音楽を幅広く愛好してきた私にとっても、これまで聴いたことのない作品がほとんどだ。しかし、いずれもアシュケナージの慈愛の満ちたアプローチにより、自然な情感を帯び、魅力的な雰囲気をまとって響く。中にあって比較的聴く機会のある「7つのサロン的小品集」は、様々な情景を想起させる歌があり、チャイコフスキーの四季を思わせるような、ロシア・ピアニズムを漂わせたロマンティックな曲集だ。アシュケナージのタッチにより、名品と呼びたい格式さえ感じられる。「3つの夜想曲」はラフマニノフ14歳の作品だという。ショパンの同名曲集を想像すると、違和感があるだろう。より自由な作風の音楽であるが、すでに大家の片鱗を感じさせて興味深い。末尾にアシュケナージによる編曲小品が2曲配されている。アシュケナージは10代のころ、故郷の教会で「晩祷」を聴いた体験が忘れられないと言う。ラフマニノフ同様、若くして故郷を去ることになったアシュケナージが、この小品で同郷の偉人への敬意を締めくくるのは、一気に60年の歳月を振り返るようで、胸が熱くなる。淡々と、美しく閉ざされる末尾は、アシュケナージが生涯をかけたプロジェクトの完結を、静かに示してくれるだろう。 アシュケナージによるラフマニノフの録音については、Extonレーベルのもの、sydneysymphonyという自主製作レーベルのものもあるが、いずれレーベルを超えて、アシュケナージによるラフマニノフ全集のような形でまとめていただけるなら、望外の喜びだ。 |
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★★★★★ アシュケナージが心を込めて弾いたラフマニノフ初期作品の輝き
アシュケナージ(Vladimir Ashkenazy 1937-)による、”Rachmaninov Rarities” と題された2012年録音のピアノ・ソロアルバム。Raritiesとは、“希少な”あるいは“珍しい”といった意味で、その名の通り、めったに録音されたり、演奏されたりすることのない、作者の若いころの作品が収められている。しかし、このアルバムを聴くと、それらの音楽にしかない魅力が感じられる。長年、ラフマニノフの作品に取り組み、その普及に努めたアシュケナージのみが培(つちか)った音楽の息遣いがあり、それぞれの作品が、輝くように奏でられている。収録曲は以下の通り。 1) ピアノのための小品 変イ長調 2) サロン的小品集 op.10 (夜想曲イ短調、ワルツイ長調 舟歌ト短調 メロディホ短、ユモレスクト長調、ロマンスヘ短調 マズルカ変ニ長調) 3) 3つの夜想曲(ヘ長調、ハ短調、嬰ヘ短調) 4) 無言歌 ニ短調 5) カノン ホ短調 6) フーガ ニ短調 7) 4つの小品(ロマンス嬰ヘ短調、前奏曲変ホ短調、メロディホ長調、ガヴォットニ長調) 8) 前奏曲 ヘ長調 9) 幻想的小品 ト短調 10) フゲッタ ヘ長調 11) オリエンタル・スケッチ 12) 「夜は悲しい」op.26-12 (アシュケナージ編) 13) 「晩祷」 op.37から 「主宰や今爾の言にしたがい」(アシュケナージ編) 5-10)シコルスキ社の楽譜による初期のピアノ作品集。 「ピアノのための小品 変イ長調」はアルバムの幕開けに相応しい瀟洒で華麗な一品。アシュケナージのピアノの鳴らせ方にも唸らされる。 「7つのサロン的小品集」は、様々な情景を想起させる歌があり、チャイコフスキーの四季を思わせるような、ロシア・ピアニズムを漂わせたロマンティックな曲集。こちらも慈愛の満ちたアプローチにより、自然な情感が与えられ、各曲が魅力的な雰囲気をまとって響く。「夜想曲」「舟歌」「メロディ」では悲哀を感じさせる奥深い歌があり、「ワルツ」には小粋な優雅さがある。妙技を堪能できる「ユモレスク」、ロシア的メランコリーを湛えた「ロマンス」、そして、闊達でエスプリに富んだマズルカ。この曲集の魅力を、理想的といっていい手法で引き出したアシュケナージの円熟した作法は流石というほかない。 「フーガ」「3つの夜想曲」はラフマニノフ14歳の作品だという。夜想曲はタイトルから想像されるより、ずっと外向的な音楽となっているのが面白い。また抒情的な部分には、すでにラフマニノフの才気の片鱗が感じられてやまない。フーガは、ラフマニノフが音楽を学ぶ過程を想起させてくれる作品。 「無言歌」も特有の感傷があり、はっとさせられる美しさがある。「4つの小品」はサロン的作風を示したもの。変ホ長調の前奏曲にその特徴が最もよく出ているだろう。「前奏曲ヘ長調」は静謐とゆらぎを表現した美しい小品。 末尾にアシュケナージによる編曲小品が2曲配されている。アシュケナージは10代のころ、故郷の教会で「晩祷」を聴いた体験が忘れられないと言う。ラフマニノフ同様、若くして故郷を去ることになったアシュケナージが、この小品で同郷の偉人への敬意を締めくくるのは、一気に60年の歳月を振り返るようで、胸が熱くなる。淡々と、美しく閉ざされる末尾は、アシュケナージが生涯をかけて完結したラフマニノフの全独奏曲録音を、静かに締めくくってくれるだろう。 いずれの楽曲も、アシュケナージが弾いてこその魅力が横溢している。ラフマニノフが好きな人には、聴き逃せない一枚になったと思う。 |
ラフマニノフ 2台のピアノのための組曲 第1番「幻想的絵画」 第2番 プーランク 2台のピアノのためのソナタ ラヴェル ラ・ヴァルス p: ルガンスキー ルデンコ レビュー日:2005.3.27 |
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★★★★★ チャイコフスキー・コンクール翌年のライヴ!
1994年のチャイコフスキー・コンクールはロシア音楽会の層の厚さを見せつける結果だった。1位が空位ながら、2位ルガンスキー、3位ルデンコ、4位ギンジンと、そうそうたる顔ぶれが上位を独占した。 このアルバムは、その翌年モスクワで行われた、ルガンスキーとルデンコによる2台のピアノによるリサイタルの模様を収録したものである。 ラフマニノフの2台のピアノのための作品となると、アシュケナージとプレヴィンによる名盤が知られているが、このルガンスキー&ルデンコ盤はよりメタリックな光沢を持った現代的なシャープな演奏といえる。両奏者の呼吸があっており、強い求心力で曲をまとめあげている。若さならではのストレートな表現や技巧的なたたみかけがやはり聴き所であるが、歌う場所では、抒情性をほのかに感じさせる品のよい歌も聴ける。 ライヴということもあって、最初ゆっくりはじめながら、ノってきて速度を上げて行く感じもあり、そういったところでも息の乱れないクールさを保っているのにも感心する。 ラフマニノフ組曲1番の復活祭や、2番のロマンスの後半からタランテラへと迫力を増して行くような部分の迫力は一層激しさを増して聴き手を圧倒する。 また、全体を通じて和音の響きの心地よい間合いや、運動性の高いトリルも心地よい。プーランクのちょっと不安な音色もいい。 「2台のピアノ」というやや地味なジャンルにあって、なかなか楽しませてくれる1枚。 |
ラフマニノフ 2台のピアノのための組曲 第2番 ロシア狂詩曲 交響的舞曲 メトネル 2つの小品 p: デミジェンコ アレクセーエフ レビュー日:2017.11.13 |
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★★★★★ くっきりとした輪郭で、劇的な表現力を感じさせる演奏。特にメトネルが圧巻です
ニコライ・デミジェンコ(Nikolai Demidenko 1955-)とドミトリー・アレクセーエフ(Dmitri Alexeev 1947-)による、ラフマニノフ (Sergei Rachmaninov 1873-1943)とメトネル(Nikolai Medtner 1880-1951)の「2台のピアノのための作品」を集めたアルバム。収録曲は以下の通り。 1) メトネル 2つの小品 op.58 2) ラフマニノフ 2台のピアノのための組曲 第2番(序奏 ワルツ ロマンス タランテラ)op.17 3) ラフマニノフ ロシア狂詩曲 ホ短調 4) ラフマニノフ 交響的舞曲 op.45(2台のピアノ版) 1993年の録音。 なかなか意欲的なアルバムだ。メトネルは現在では、多くのピアニストが主要なレパートリーに加えるようになってきたが、当録音時は、まだ「知られざる」作曲家であったし、まして「2台のピアノのための作品」となると、取り上げられることは、ほとんどなかったと言って良いだろう。そこで、メトネルと親交の深かったラフマニノフの、こちらは録音も多く、比較的知られている2台のピアノのための作品と組み合わせて、メトネルという作曲家の「知られざる楽曲」を、ひとつ紹介してやろうじゃないか、という意気込みが、当アルバムの選曲から伝わってくるのである。 じっさい立派な演奏で、メトネルでは、メランコリーな冒頭から、すぐにせき止めては溢れるようなパッションの連続する音楽に移行し、それが持続するのだけど、2人の演奏者は、快刀乱麻を断つ技巧の冴えで、惚れ惚れするようなスペクタクルを繰り広げるのである。楽曲がもつ壮絶とも言える性急な力強さを、きわめて鮮明に描写した力演で、複雑なパッセージをただ精密に処理するだけでなく、全体的な起伏を描きながらドラマティックに楽想を演出する色彩も十全だ。これ以上この曲に相応しい演奏というのは難しいのではないか、と思えるほどの内容だ。 ラフマニノフの楽曲については、私はいずれもアシュケナージ(Vladimir Ashkenazy 1937-)とプレヴィン(Andre Previn 1929-)の演奏で馴染んだものなので、懐かしく聴いた。デミジェンコとアレクセーエフの演奏は、スポーティな快活さに溢れていて、音の輪郭が鋭く、2台のピアノの楽曲特有の音の多さによる厚ぼったさを、心地よくリフレッシュしたものと感じられる。他方、情緒的な部分(たとえば組曲のロマンス)など、いかにもさっぱりし過ぎた感じのところもあるのだが、全体に陰影がはっきりしたことで、わかりやすい部分が多く、巧みに、2台のピアノの音のぶつかりを捌いていて、清々しい印象が導かれる。特にロシア狂詩曲の後半の血気に溢れた表現力は、聴き手を音楽の世界に強く惹きつけてくれる。 |
合唱交響曲「鐘」 カンタータ「春」 3つのロシアの歌 6つの合唱曲 アシュケナージ指揮 チェコ・フィルハーモニー管弦楽団 プラハ・フィルハーモニー合唱団 S: シャーグチ T: レヴィンスキー Br: レイフェルクス p: アシュケナージ レビュー日:2008.5.18 再レビュー日:2016.3.1 |
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★★★★★ アシュケナージの戦略がオーケストラの新たな魅力を引き出す!
1997年からチェコフィルの常任指揮者にアシュケナージが就任したのだが、これによって一つの明確な効果がこのオーケストラにもたらされた。レコーディング・レパートリーの多様化である。元来、「チェコ」という響きがよりローカルなためかレコーディングの戦略もドヴォルザーク、スメタナ、マーラー、ヤナーチェクといったチェコに縁の深い作曲家のものが多く、それを「やっぱり本場の音楽は理解が深い」みたいにコメントして(それを言ってる当人が日本人だったり・・・笑)購買力に訴えるのである。 アシュケナージもチェコフィルとドヴォルザークやマーラーを録音したが、一方でR.シュトラウス、そしてこのラフマニノフ(!)という新しい側面をこのオーケストラから引き出すことに成功した。元来アシュケナージはレコーディングによるオーケストラの国際化に積極的で、これまで彼が関わってきたオーケストラ、例えばベルリン放送交響楽団であれば、CD化に際して名称を変更し、「放送」というオーケストラの機能を制約する印象をはずしたり、NHK交響楽団とデッカへショスタコーヴィチを録音して、それを自身の全集に組み入れたりという尽力をしてきたわけで、チェコフィルの場合は、このオーケストラのインターナショナル性を高める戦略的な録音を組み込んだのは「確かに」とうならされる。 「鐘」と「3つのロシアの歌」についてはコンセルトヘボウ管弦楽団とデッカへのレコーディングもあったが、今回の録音はよりダイナミクスの幅が広く、細部まで入念に仕上げている。「鐘」はラフマニノフ自身が最高傑作と呼んだ重要な作品で、エドガー・アラン・ポオのオノマトピーア(擬声音)的な詩を素材としている。古典性と力強いロマンティシズムが支配する。3楽章の土俗感あふれる迫力、そして4楽章の圧倒的なレイフェルクスの独唱は見事。カンタータ「春」は叙情的な美観に溢れていて、特に後半はラフマニノフの美学が横溢する名品。また末尾に収められた「6つの合唱曲」ではアシュケナージの瑞々しく耽美的なピアノ伴奏が、女声合唱に映えて、まるで北欧音楽のような清冽な印象を残す。 |
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★★★★★ アシュケナージがチェコ・フィルを指揮して繰り広げた圧倒的なラフマニノフ
アシュケナージ(Vladimir Ashkenazy 1937-)指揮、チェコ・フィルハーモニー管弦楽団と、プラハ・フィルハーモニー合唱団の演奏による、ラフマニノフ(Sergei Rachmaninov 1873-1943)の声楽曲集。収録内容は以下の通り。 1) 3つのロシアの歌 op.41 第1曲「川を越えて」 第2曲「おお、私の愛しい人」 第3曲「私の頬の赤らみが、白い顔から消え失せる」 2) カンタータ「春」 op.20 3) 合唱交響曲「鐘」 op.35 第1楽章「聞こえるか、そりが走る」 第2楽章「聞こえるか、婚礼の聖なる鐘の音が」 第3楽章「聞こえるか、鳴り響く警鐘が」 第4楽章「弔いの鐘が響く」 4) 6つの合唱曲 op.15 第1曲「民族に栄光あれ!」 第2曲「夜」 第3曲「松の木」 第4曲「波のまどろみ」 第5曲「籠の鳥」 第6曲「天使」 ソプラノ: マリーナ・シャーグチ(Marina Shaguch) op.35の第2楽章 テノール: イリヤ・レヴィンスキー(Ilya Levinsky) op.35の第1楽章 バリトン: セルゲイ・レイフェルクス(Sergei Leiferkus 1946-) op.20 及び op.35の第4楽章 2002年の録音。6つの合唱曲は、ラフマニノフが「マリインスキー女学校」に努めていたころに、学生たちのために書いた曲で、ピアノ伴奏と女声合唱による作品。ここでは、アシュケナージのピアノにより演奏されている。他のラフマニノフの芸術作品に比べると、書法、技法ともに平易なものであるが、清澄な抒情の発露に心を洗われるような曲で、作品番号が与えられるに相応しいものだろう。 アシュケナージは「6つの合唱曲」を除く3曲については、コンセルトヘボウ管弦楽団を指揮して1984年に録音しているので、いずれも18年ぶりの再録音ということになる。 これまで、ラフマニノフの作品にほとんど実績のなかったオーケストラを指揮して、アシュケナージはとても見事な演奏を繰り広げている。ロシアの風土を感じさせる勇壮な響きに満ち、熱い郷愁が溢れながらも、現代的な感覚美で細部を練り上げる。 冒頭の3つのロシアの歌は、ラフマニノフが民俗音楽の旋律から編んだもの。いずれも分かりやすいメロディだが、両端楽章の舞曲風の快活な処理がとくに鮮やかで、弾むような沸き立つ情熱が素晴らしい。 カンタータ「春」は自然賛歌を思わせる雄大な響きで、木管の添える情緒が抜群だ。 傑作と名高い合唱交響曲「鐘」は、第1楽章の歓喜と静謐、第2楽章の甘美な情緒、ともにアシュケナージの指揮により、共感豊かに表現されているが、圧巻は後半2楽章で、第3楽章はチェコ・フィルのパフォーマンスを全開にした力強い重低音が唸りを上げる推進力がすさまじいばかり。ロシアの凍土に咆哮するような激烈な音楽が展開する。第4楽章の鎮魂では、レイフェルクスのソロの大地を覆い尽くすような荘厳な歌い振りが凄い。私はこの楽章を聴いて、レイフェルクスの名を、現代最高のソリストの一人として胸に刻み込んだ。いずれも、アシュケナージの溢れんばかりの楽曲への愛が、ことごとく良い方に作用した絶好の名演だ。 そして、末尾に前述したピアノと女声合唱の清冽で瑞々しい楽曲。この楽曲配置も実に機転の利いた楽しいものだ。 チェコ・フィルハーモニー管弦楽団が、これほど素晴らしいラフマニノフを繰り広げたという点でも、決して忘れてはいけない名録音といって良い。 |
徹夜祷 マリエゴー指揮 コペンハーゲン・オラトリオ合唱団 A: ホヴマン T: エンボア レビュー日:2020.6.15 |
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★★★★★ 20世紀のロシアで生まれた、奇跡的に美しい伝承聖歌
ラフマニノフ(Sergei Rachmaninov 1873-1943)の作品について、大部分の人が抱くイメージは、ロシア流のメランコリーを表現した濃厚な旋律美、そして、ヴィルトゥオジティに満ちたピアノの演奏効果であろう。私もそうである。しかし、当然の事ながら、ラフマニノフの作品が、そのようなものだけではないこともまた事実である。少なくとも、作曲家・ラフマニノフについて、「徹夜祷(てつやとう)・・(晩祷(ばんとう)とも訳される)」を聴かなければ、その大きな「一部」を取り残した状態で、作曲家の印象を、勝手に刻んでいることになっていまうだろう。 「徹夜祷」は、ラフマニノフが正教会の公祈祷の形式の一つに基づいて1915年に作曲した奉神礼音楽である。無伴奏で、基本的には混声4部の合唱のための音楽であるが、楽曲によっては声部が増えるほか、アルト、テノールの独唱が加わる。 まず、当盤の内容を書こう。 ラフマニノフ 徹夜祷 op.37 1) 第1曲 来たれわれらの王、神に(Come let us worship) 2) 第2曲 わが霊や主を讃めあげよ(Bless the Lord, o my soul) 3) 第3曲 悪人の謀に行かざる人は福なり(Blessed is the man) 4) 第4曲 聖にして福たる常生なる天の父(Gladsome Light of the holy glory) 5) 第5曲 主宰や今爾の言にしたがい(Lord, now lettest Thou Thy servant) 6) 第6曲 生神童貞女や慶べよ(Rejoice, O Virgin Theotokos) 7) 第7曲 至高きには光栄(Glory to God in the highest) 8) 第8曲 主の名を讃めあげよ(Praise the name of the Lord) 9) 第9曲 主よ爾は崇め讃めらる(Blessed art Thou, O Lord) 10) 第10曲 ハリストスの復活を見て(Having beheld the Resurrection of Christ) 11) 第11曲 わが心は主を崇め(My soul magnifies the Lord) 12) 第12曲 至高きには光栄神に帰し(Glory to God in the highest) 13) 第13曲 今救いは世界に及べり(Today salvation has come) 14) 第14曲 爾は墓より復活し(Thou didst rise from the tomb) 15) 第15曲 生神女や我等爾の僕婢は(To Thee the victorious Leader) トーステン・マリエゴー(Torsten Mariegaard)指揮、コペンハーゲン・オラトリオ合唱団の演奏。 2人の独唱者は、アルトがロッテ・ホヴマン(Lotte Hovman)、テノールがポウル・エンボア(Poul Emborg)。 2000年の録音。 この楽曲の価値の一つは「古い伝承聖歌を大時代な20世紀へも通じる形で提供した功績」と言われている。じっさい、この楽曲を聴くと、そこに中世から脈々と受け継がれてきた教会音楽ならではの旋律性やモノフォニーの美しさを感じ取ることになる。この曲を聴くと、ロマン派由来のロマンティックなものを大きく上回る精神的な量をもって、それは聴き手にせまってくるだろう。 この曲集のうち、完全にラフマニノフのオリジナル作品であるのは、第1、3、6、10、11曲の計5曲で、他の10曲はズナメニ聖歌等をラフマニノフが取り入れて編作したものである。しかし、オリジナルの部分と合わせて、不自然さもない、感動的な作品として仕上がっており、その全体が、ラフマニノフという作曲家の稀有の才能がなした創造物である。 長年、ラフマニノフ協会の会長を務め、ピアニスト、指揮者としてその音楽の普及に献身したアシュケナージ(Vladimir Ashkenazy 1937-)は、10代のころ、故郷の教会で「晩祷」を聴いた体験が忘れられないと言う。アシュケナージは、2012年に録音したアルバムに、第5曲「主宰や今爾の言にしたがい」を、自らピアノ・アレンジしたものを収めている。これが本当に美しいものとなっているので、この場を借りてお勧めしたい。ちなみに、この第5曲「主宰や今爾の言にしたがい」は、ラフマニノフが生前、自分の葬儀の際には演奏してほしい、と語ったと伝えられる。 第5曲以外にも、美しい楽曲が目白押しであるが、これらが西洋音楽の主脈の根源的なモノフォニーを扱うものでありながら、ラフマニノフらしいロシア的な低音の重厚さを踏まえた施しがなされた結果、単に中世的・回顧的という以上に無辺の価値を感じさせる深みをともなって響くのが、本作品の素晴らしさである。 当録音は、残響豊かな音場の空間がよく把握できており、かつ合唱は瑞々しい透明感を保ったもの。この曲のより古典的な録音では、大地に根差したような力強さをアピールするものが多いと思うのだが、当盤の印象は、ありふれた言葉だけれど、それらに比べて「現代的」といったところか。バランスが厳密性を感じさせるレベルで保たれていて、何か一つを強く打ち出そうとするより、総合的な音響の完成美を、第一に追及したものと言える。そして、私は、その演奏スタイルが、この曲にはよく合致すると思う。清浄な空気感が強く引き出されていて、その結果、どこか自然で神秘的なものを思わせる雰囲気を作っているからだ。 ラフマニノフという作曲家が書いた当作品は、20世紀のロシアで、このような作品が生まれていたという作曲家の天才性を端的に示している。他のラフマニノフの作品の好悪に関わらず、音楽が好きであれば、一度は聴いてみるべき作品だと思う。 |
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歌曲全集 S: ゼーダーシュトレーム Br: シャーリー=カーク p: アシュケナージ レビュー日:2013.9.2 |
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★★★★★ ラフマニノフの全ての歌曲を収録
スウェーデンのソプラノ歌手、エリザベート・ゼーダーシュトレーム(Elisabeth Anna Soderstrom 1927-2009)と、アシュケナージ(Vladimir Ashkenazy 1937-)による、ラフマニノフの(Sergei Rachmaninov 1873-1943)の歌曲全集。ラフマニノフの歌曲は、作品番号の順に、以下の7つの「曲集」がある。(カッコ内は作曲年代) 6つの歌曲 op.4 (1889-93) 6つの歌曲 op.8 (1893) 12の歌曲 op.14 (1896) 12の歌曲 op.21 (1900-02) 15の歌曲 op.26 (1906) 14の歌曲 op.34 (1912) 6つの歌曲 op.38 (1916) また、これらとは別に、作品番号を与えられなかった歌曲が13曲存在しているが、当全集は、それら「すべて」を収録している。収録内容の詳細を以下に示そう。 【CD1】 1) おとめよ、もうわたしのために歌うな op.4-4 2) 悲しみの取入れ op.4-5 3) ここは美しいところ op.21-7 4) 夜の庭で op38-1 5) 彼女へ op.38-2 6) ひなぎく op.38-3 7) ハーメルンの笛吹き op.38-4 8) 夢(Sleep) op.38-5 9) ア、ウー op.38-6 10) ムサ op.34-1 11) あらし op.34-3 12) 詩人 op.34-9 13) 人生のあけぼの op.34-10 14) 富と喜び op.34-12 15) 不調和 op.34-13 16) ヴォカリーズ op.34-14 17) 夜の静けさに op.4-3 18) 長いあいだ op.4-6 19) 兵士の妻 op.8-4 20) 夢(A dream) op.8-5 21) あなたを待って op.14-1 22) 小島 op.14-2 23) 夏の夜 op.14-5 24) きみはほほえむ op.14-6 25) 信じてはいけない op.14-7 26) 雪解け op.14-11 【CD2】 1) 運命 op.21-1 2) 昼を夜にたとえれば op.34-4 3) アリオン op.34-5 4) ラザロのよみがえり op.34-6 5) 恐ろしい運命 op.34-7 6) 音楽 op.34-8 7) 墓のそばに op.21-2 8) たそがれ op.21-3 9) 答え op.21-4 10) リラの花 op.21-5 11) 孤独 op.21-6 12) べにすずめの死によせて op.21-8 13) メロディ op.21-9 14) おもかげの前に op.21-10 15) わたしは予言者ではない op.21-11 16) 春の悲しみ op.21-12 17) こどもたちに op.26-7 18) わたしの窓べに op.26-10 19) 泉 op.26-11 20) 夜は悲しい op.26-12 21) 指輪 op.26-14 22) 厚化粧(伝承歌の編曲) 23) 君には何も語るまい(1890年) 24) 心よ、お前はふたたび目覚めた(1890年) 25) 四月、春の祭の日(1891年) 26) 夕闇は迫り(1891年) 27) 恋人よ、行かないで op.4-1 28) 朝 op.4-2 29) すいれん op.8-1 【CD3】 1) 露によみがえる花のように op.8-2 2) 悩み op.8-3 3) 祈り op.8-6 4) 喜びもなく op.14-3 5) 彼女のもとに op.14-4 6) 心の秘密 op.26-1 7) いつくしんだもののすべて op.26-2 8) さあ休もう op.26-3 9) 2つの別れ一対話 op.26-4 10) 愛する人よ,さあ行こう op.26-5 11) 主はよみがえられた op.26-6 12) ひなぎく op.38-3(ピアノ・ソロ版) 13) 悲しまないで op.14-8 14) 真昼のように美しい op.14-9 15) 愛の炎 op.14-10 16) 今こそ op.14-12 17) あなたのあわれみを願う op.26-8 18) ひとりでここに休ませてください op.26-9 19) きのう会った時 op.26-13 20) すべては過ぎて行く op.26-15 21) 魂の隠れ家 op.34-2 22) 聖なる旗をしっかりと持ち op.34-11 23) 聖なる修道院の門の傍らに(1890年) 24) 失望した男の歌(1893年) 25) 花はしぼんだ(1893年) 26) 君は覚えているだろうか、あの夕べを(1891年) 27) 君はしゃっくりをしなかったかい、ナターシャ(1899年) 28) 夜(1900年) 29) スタニスラフスキーへの手紙(1906年) 30) 「ヨハネ福音書」から(1915年) 31) リラの花 op.21-5(ピアノ・ソロ版) 録音年は以下の通り。 CD1 1-16) 1974年 CD1 17-28),CD2 1-6) 1975年 CD2 7-22) 1976年 CD2 23-29),CD3 1-12) 1977年 CD3 13-31) 1978,79年 作品番号のないものについては、作曲年代を併せて記載させていただいた。 本盤は、「作曲番号順」ではなく、「録音された順番」に収録されている。また、伝承曲の編曲であるCD2の22)や、さらにピアノ独奏版にアレンジされたCD3の12)、CD3の31)なども収録されていて、その網羅性から、学術的な観点も含めて、高い価値を有するものだろう。 すべての音域に対応したゼーダーシュトレームの歌唱の器用さも感心するが、アシュケナージの絶品といえる伴奏が聴きもので、作曲者の込めた細やかなニュアンスを汲みつくしており、そのため、全般に憂いの表情に満ちた香気が漂っている。 ラフマニノフの音楽は、19世紀ロシア音楽のうち、モスクワ楽派(西欧派)を受け継ぐ保守的なもので、チャイコフスキー(Pyotr Ilyich Tchaikovsky 1840-1893)から繋がるロマン主義に与するものである。これらの歌曲もその典型といった雰囲気で、その平明なわかりやすさとロマン性は、聴き手に受け入れやすいものとなっている。これがラフマニノフの美質と思う。 必ずしも全曲を聴く必要はないだろうし、代表曲となると、「ヴォカリーズ」の他には、「リラの花」、「聖なる僧院の門のかたわらに」、「今こそ」、「ひなぎく」、またop.38-5の「夢」も素敵な曲で、これらを挙げることになるだろう。しかし、他の曲も含めて全般にメランコリーな情緒の表現には卓越したセンスを感じさせるので、ラフマニノフの音楽を愛好するのであれば、全曲聴いてみたいもの。 アシュケナージのラフマニノフへの敬意があったからこそ生まれたアルバムだと思うが、その功績は今後も高く評価されてしかるべきものに違いない。 |
歌劇「モナ・ヴァンナ」(G.ベロフ編) 歌曲集(わたしの窓べに 夜は悲しい リラの花 ねずみ捕りの男 ヴォカリーズ ここは美しいところ 夢(Sleep)) アシュケナージ指揮 モスクワ音楽院学生交響楽団 モスクワ音楽院学生合唱団 S: ドゥーシナ Br: アフトモノフ T: イヴァンチェイ アルチュニャン B: ゴロフシキン S: イソコスキ p: アシュケナージ レビュー日:2014.7.29 |
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★★★★☆ ラフマニノフの未完のオペラ「モナ・ヴァンナ」の録音
ラフマニノフ(Sergei Rachmaninovs 1873-1943)の作品を精力的に啓発してきたアシュケナージ(Vladimir Ashkenazy 1937-)による、ラフマニノフの未完のオペラ、「モナ・ヴァンナ」の、ゲンナジー・ベロフ(Gennadi Belov 1939-)による補筆版の録音。モスクワ音楽院の学生からなるオーケストラと合唱団を指揮しての録音。キャストは以下の通り。 Monna Vanna; エヴゲニア・ドゥーシナ (Evgeniya Dushina ソプラノ) Guido Colonna; ウラディミール・アフトモノフ (Vladimir Avtomonov バリトン) Marco Colonna; ドミートリー・イヴァンチェイ (Dmitry Ivanchey テノール) Borso; エドヴァルド・アルチュニャン (Edward Arutyunyan テノール) Torello; ミハイル・ゴロフシキン (Mikhail Golovushkin バス) また、併せてアシュケナージのピアノ伴奏とフィンランドのソプラノ歌手、ソイレ・イソコスキ(Soile Isokoski 1957-)の歌唱により、ラフマニノフの以下7編の歌曲が収録されている。 ・15の歌曲から第10曲「わたしの窓べに」 op.26-10 ・15の歌曲から第12曲「夜は悲しい」 op.26-12 ・12の歌曲から第5曲「リラの花」 op.21-5 ・6つの歌曲から第4曲「ねずみ捕りの男」 op.38-4 ・14の歌曲から第14曲「ヴォカリーズ」 op.34-14 ・12の歌曲から第7曲「ここは美しいところ」 op.21-7 ・6つの歌曲から第5曲「夢(Sleep)」 op.38-5 歌劇「モナ・ヴァンナ」の録音は2009年、7篇の歌曲の録音は2013年。 この未完のオペラは、ベロフによるオーケストレーションを経て、序曲と、3場からなる第1幕のみ、演奏可能なものとなった。配役も書いたが、オペラ自体が未完であるため、ストーリーは途中で終わり、消化されない。当盤は、「ロシア語による」初めての記録だそうである。 このような作品にも録音の機会を作り上げたアシュケナージの熱意は素晴らしいの一語。ラフマニノフ作品の普及と啓発という目的に、強い使命感を持つ同郷の演奏家の存在。これほど、作曲家にとって心強いものはないであろう。例えそれが作曲者の死後であっても。 さて、オペラであるが、オーケストレーションが別人の手によるものであるためか、ラフマニノフらしい濃厚のセンチメンタリズムやロシア的郷愁を深く感じさせるものとは言い難い。むしろ、作曲者を知らされずに聴いて、この曲の作曲者を言い当てることができる人は、ほとんどいないと思う。旋律も、聴いてすぐ覚えるような通俗性を持つものではなく、むしろレチタティーヴォ的なものが連続する印象で、完成されたとしても、クライマックスはもっと後半にあったのだろう。中で印象に残るのは1分ちょっとの短くも力強い序曲を経てすぐに劇が開始されるところと、第3場の女声コーラスによって導かれる、幻想的な雰囲気であろう。特に後者は美しい雰囲気をよく放出している。 モスクワ音楽院による管弦楽と合唱は、十分な安定感があり、高い技術レベルを感じさせる。オーケストラに、時により踏み込んだ響きがほしいところもあるが、これはアシュケナージの意図なのかもしれない。いずれにしてもバランスに富んだ音づくりは奏功している。歌手陣も、問題なくこなしている。 7編の歌曲が収録されているのが嬉しい。アシュケナージは、スウェーデンのソプラノ歌手、エリザベート・ゼーダーシュトレーム(Elisabeth Anna Soderstrom 1927-2009)と1974年から79年にかけてラフマニノフの歌曲を全曲録音しているので、すべて再録音となるが、今回は有名曲を中心にピックアップしてくれているので、聴き易い。 やはりアシュケナージのピアノ伴奏が美しい。最近、ピアノの録音機会が少なくなってしまったが、このような機会にでも聴けるのは嬉しいものだ。特に「リラの花」の静謐かつ耽美な色彩は見事。イソコスキの歌唱は、力強さがあり、私には、ヴォカリーズなどちょっと芯が強すぎるような印象なのだが、いかがだろうか? とはいえ、立派な歌唱であることは間違いなく、アシュケナージのピアノと併せて、私たちファンへの素敵な贈り物だと思う。 |