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プロコフィエフ



交響曲 管弦楽曲 協奏曲 室内楽曲 器楽曲 声楽曲


交響曲

交響曲 全集(第4番は1930年オリジナル版と1947年改定版の2種) 交響曲 第7番 第4楽章 改定版
ゲルギエフ指揮 ロンドン交響楽団

レビュー日:2006.6.5
★★★★★ ゲルギエフが敬愛するプロコフィエフの交響曲を録音
 プロコフィエフの交響曲の全集となると、なかなか発売数も少ないが、ここに来て当ゲルギエフ盤が加わった。当全集の特徴として第4交響曲が1930年オリジナル版と1947年改定版の2種収録されていることが大きい。また国内盤のみ第7交響曲の終楽章の改訂版も追加収録されており、筆者も国内盤を購入させていただいた。2007年1月からのゲルギエフの首席指揮者就任が決まっているロンドン交響楽団との録音は2004年5月に集中してライヴ収録されている。
 さっそく聴いてみての感想であるが、意外なほど落ち着いてシックな色合いとなっており、グロテスクな側面よりも、叙情性や内省的なものを深く感じさせてくれるものとなっている。中でもいいのが二つの版で収録された第4交響曲である。この2版の違いは単に改定という言葉にとどまらないもので、プロコフィエフ自身、改定版を実質上の第7交響曲と見れる、との発言もしている。いずれの版でも、交響曲の中ではこの作品が特に内省的な作品であるが、ゲルギエフの叙情性を活かしたバランスの配慮は妙味を出しており、2楽章のピアノとの掛け合いや、終楽章のリズム感が抜群の聴きどころといえる。
 また、第1交響曲は思いのほか堅実な表現で、クラリネットもドイツ生まれの交響曲のように落ち着いた音色となっている。第7交響曲もまるでバレエ音楽のような遊戯性と、回顧的な叙情性の交錯を意味深に描いている。第5交響曲も乾いた響きで、ややソリッドな印象で、これは筆者にはアシュケナージとコンセルトヘボウ管弦楽団の潤いと色彩に満ちた名演の方がふさわしく感じられたが、もちろん悪くはない。演奏を間違えると「騒々しく」なってしまう第2と第3交響曲も、さすがに手堅くまとめており、全集としての質は非常に高い。ぜひプロコフィエフの交響曲全般の評価向上への契機となってほしいものだ。

交響曲 全集
アシュケナージ指揮 シドニー交響楽団

レビュー日:2014.7.3
★★★★★ 録音から5年を経て・・アシュケナージ/シドニーのプロコフィエフがついにリリース!
 アシュケナージ(Vladimir Ashkenazy 1937-)が、2009年にシドニー交響楽団の首席指揮者兼アーティスティック・アドヴァイザーに就任すると同時に、Extonレーベルからマーラー(Gustav Mahler 1860-1911)とプロコフィエフ(Sergey Prokofiev 1891-1953)の交響曲全曲録音企画のアナウンスがあって、私は楽しみにしていたのだけれど、マーラーは4曲、プロコフィエフは第1番と第5番の2曲のみが発売されたところで、企画の進行が止まってしまっていた。
 その後、マーラーの全集については、シドニー交響楽団の自主制作レーベルsydneysymphonyからリリースされたので、私もこれを入手することが出来たのだけれど、プロコフィエフに関しては音沙汰のない状態で、私もそれらを聴く機会について、半ばあきらめていた。
 それが2014年になって、Extonからしっかりとした国内盤の全集がリリースされるのだから、世の中わからないものだ。もちろん、私は、待たされただけに喜んで購入させていただいた。まず、収録内容をまとめよう。
【CD1】
1) 交響曲 第1番 二長調 op.25「古典交響曲」
2) 交響曲 第2番 二短調 op.40
3) 交響曲 第3番 ハ短調 op.44
【CD2】
4) 交響曲 第4番 ハ長調 op.112(1947年改訂版)
5) 交響曲 第5番 変ロ長調 op.100
【CD3】
6) 交響曲 第6番 変ホ短調 op.111
7) 交響曲 第7番 嬰ハ短調 op.131「青春」
 交響曲第4番については、「1930年オリジナル版(op.47)」と「1947年改定版(op.112)」の2種のスコアが存在するが、アシュケナージは後年の改訂版を取り上げている。両版の違いはかなり大きいので、できれば両方を収録してほしかったところ。録音はすべて2009年に行なわれていて、第1番、第5番、第6番、第7番の4曲については、ライヴで収録された音源に、部分的な録り直しで修正を加えたもの。他の3曲はすべてスタジオ録音となっているが、雑音などがほとんどカットされているため、聴き味はすべてスタジオ録音といったところに近い。
 アシュケナージは、第1番、第5番、第6番、第7番については先行する録音がある。1974年のロンドン交響楽団との第1番はともかく、1985年にコンセルトヘボウ管弦楽団と録音した第5番、1993年にクリーヴランド管弦楽団と録音した第6番と第7番はいずれも名演・名録音であったので、これらと比較しながら聴く感じになる。
 第5番では、オーケストラの響き自体では、やはりコンセルトヘボウとの録音にやや分があるが、シドニー交響楽団の演奏もよくこなれた表現で、各楽器のバランスが良く、フレーズの受け渡しがたいへん機能的で、軽快。インテンポによる自然な起伏の演出もくっきりとして分かり易いし、決然たるリズムの明確さ、スリリングな展開も見事。これらは、この全集全般の特徴だ。フォルテでの金管の質感のある響きは、音楽的で、共感に富んでいる。第6番と第7番は、旧録音に近い印象だが、今回の方が若干ソリッドな響きで、明暗の対比が明らかになっている。第6番第1楽章のヴァイオリンとヴィオラによる「戦争の痛みを表現した」主題は、からっ風のような儚さを湛える。終楽章のバズーンの音色も美しい。バレエ音楽「シンデレラ」との関係性の多い第7番では、いかにも楽しげな遊戯性が瀟洒に表現されている。
 第4番は抒情的な作品だが、アシュケナージの指揮はドライな一面を示していて、この曲のウェットな側面を堪能したい方にはゲルギエフ(Valery Gergiev 1953-)盤の方が良さそう。(しかも、ゲルギエフの全集には、「1930年オリジナル版(op.47)」と「1947年改定版(op.112)」の両方が収録されている)。しかし、アシュケナージの明確な表現は、この曲の現代的な側面をよくきりとっていると思う。
 フランス時代の第2番と第3番の2作品は、いわゆるアヴァンギャルドと称される作品で、演奏によっては「騒音の音楽」となってしまうところだが、さすがにアシュケナージは適度な音のリミットを設けて、音楽表現としての良心を十全に意識したウェル・バランスな表現を試みている。シックな色合いで仕上がっているので、第3番では、色彩感溢れるシャイー(Riccardo Chailly 1953-)盤との聴き比べも面白いだろう。
 第1番は軽快な運動性、オーケストラの機能美、快適なテンポと3拍子揃った理想的な内容。
 録音から5年も待たされたわけだけれど、この優れた全集がリリースされたことは、とにかくうれしい。発売に携わった人たちに感謝したい。

交響曲 第1番「古典」 第5番 第6番 第7番「青春」 交響的音画「夢」 ヘブライの主題による前奏曲
アシュケナージ指揮 ロンドン交響楽団 コンセルトヘボウ管弦楽団 クリーヴランド管弦楽団 ガブリエリ四重奏団

レビュー日:2005.1.13
★★★★★ ソロ楽器の楽しさを味わう軽妙な録音
 この2枚組みのCDにはプロコフィエフの以下の曲が以下の演奏者で収録されています。
交響曲第1番「古典」・交響的音画「夢」 アシュケナージ指揮 ロンドン交響楽団 録音:1974年
交響曲第5番 アシュケナージ指揮 コンセルトヘボウ管弦楽団 録音:1985年
交響曲第6番・第7番「青春」 アシュケナージ指揮 クリーヴランド管弦楽団 録音:1993年
ヘブライの主題による前奏曲 p:アシュケナージ ガブリエリ四重奏団 クラリネット:パディ 録音:1975年
 非常に面白いアルバム。
 中には国内盤で発売された録音もあるが、それも現在は入手不能であり、輸入盤で一気に揃えられるのはとても魅力!特に後期の3曲は素晴らしい名演。
 第5交響曲の打楽器と木管、金管のリズム感の素晴らしいこと。弦の深さも見事。この曲に関してはバーンスタインやカラヤンの古典的で肉厚なアプローチがあった。しかし、アシュケナージの卓越した感性により、音色はスリム化されテクスチュアは明晰で解析的になり、サウンドの音色が実に多彩で透明になった。
 この路線では他に小澤やデュトワの名演もあるが、アシュケナージの指揮はさらにスリルのテイストを加えて盛り上げている。
 第6、第7の2曲はあまり聴かれない作品ですが、ここではお相手にクリーヴランド管弦楽団をご指名。これが正解。このオーケストラの機能性が如何なく発揮されており、とても作品として「わかりやすく」仕上がってています。
 一方で、第1交響曲はアシュケナージが指揮者としてキャリアのないころの録音で、まだ曲に感性を映しきれていないと感じられますが・・・。
 面白いのはアシュケナージがピアノを担当しガブリエリ四重奏団らと共演したヘブライの主題による前奏曲が収録されていること。なんともエスニックで面白い曲。ワクワクします。たいへんお徳用なアルバム。プロコが好きな人にはぜひ!

交響曲 第1番「古典交響曲」 第5番
アシュケナージ指揮 シドニー交響楽団

レビュー日:2010.4.29
★★★★★ アシュケナージ/シドニー交響楽団のプロコフィエフ・シリーズ、スタート!
 2009年からシドニー交響楽団の首席指揮者兼アーティステッィ・アドバイザーに就任したアシュケナージがエルガーのシリーズに続いて送り出すのがプロコフィエフのシリーズとのことで、私も心待ちにしていたが、これがその第1弾のアルバムとなる。交響曲第1番と第5番。どちらもアシュケナージにとっては再録音となる。
 交響曲第1番はアシュケナージが指揮活動を始めたばかりのころの1974年にロンドン交響楽団と録音しているが、これはまだ指揮者としてはウォームアップ中の録音といったところであった。それに比して、1985年にコンセルトヘボウ管弦楽団と録音した交響曲第5番は暖色系の音色とスピーディーな展開、様々なソノリティの変化、音色の対応に目覚しい思いをさせられた名演中の名演であった。
 さて、時とオーケストラを変え、2009年録音のシドニー交響楽団との当録音である。交響曲第1番「古典交響曲」。さまざまな楽曲で、「最初の一音が大事」というのがあるけれど、この古典交響曲もその典型。最初の一音に注目したい。ザン!素晴らしい。この管弦楽の響き。シンフォニックで豊かな内容があり、それぞれの音の強弱、ベクトルが全て的確に収まっている。そのあとのインテンポで快適この上ない展開はただちに聴き手を引き込んでくれる。めくるめくプロコフィエフの世界だ。
 交響曲第5番も同様に練達であると同時に闊達な推進力に満ちた力演だ。オーケストラの音色そのものはコンセルトヘボウ管弦楽団と比較したとき、ややパレットが少ないかもしれないが、それでも金管の豊かな響きとティンパニ、弦楽合奏の間合い、距離感が良く、的確に収まっている。音楽の節の始まりと終わりに必然性があり、受け渡しにまったく余分な力がない。自然であるが、流れは確かで力強い。第2楽章も推進性を印象付ける音楽で、各楽器も思いのままに弾けて、適切なスペースがあり、しかも順序が良い。第3楽章から第4楽章へのアタッカ気味での繋がり感も良好。終楽章はプロコフィエフらしい迫力とグロテスクが見事だが、演奏は洗練されていて、過度に泥臭くならない。フィナーレの決然たる終わりはエネルギーの急激な膨張と収縮を感じさせて心地よい。
 いずれの録音も名演である。引き続いてリリースされることになっている交響曲、協奏曲、管弦楽曲にも期待が高まる会心のシリーズ・スタートとなった。

交響曲 第1番「古典交響曲」 第5番
ノセダ指揮 イスラエル・フィルハーモニー管弦楽団

レビュー日:2021.3.15
★★★★★
 ジャナンドレア・ノセダ指揮のプロコフィエフというと、私はすぐにバレエ音楽「石の花」の全曲録音盤を思い出す。プロコフィエフの作品の中でもメジャーとは言い難い作品であったが、聴いてみるととても面白い曲であり(プロコフィエフの曲はたいてい面白いのだが)、ノセダの演奏もとても素晴らしかった。またそれより最近のものでは、バヴゼと録音したピアノ協奏曲集も秀演であった。それで、この交響曲集も聴かせていただいたが、とても良いと思う。プロコフィエフの音楽のプロコフィエフらしい部分を引き立てながらも、インターナショナルな通力のあるアプローチといった感じで、洗練されていながら、アイロニーなどの瞬間的な動きも的確に描かれている。交響曲第1番は、西欧のアプローチにこだわり過ぎると、重心が座り過ぎて、この曲の良さが相殺されることがあるのだが、ノセダの感覚はさすがで、エスプリも利いており、この曲らしい颯爽さと華やかさの両立がある。特に終楽章は処理が鮮やかで、気持ちが良い。交響曲第5番はスケールの大きさと縦線の揃ったリズム感の双方が求められるが、ノセダのバランス感覚は絶妙で、楽器の音色を活かした組み立ても流石。偶数楽章の輪郭の明瞭なテイストは、臨場感に溢れながらも、整っており、欠点と言えるようなものはほとんどない。強いて言えば、オーケストラの弦楽器陣に、一層の音の深さがあればと思うところもあるが、これも重箱の隅をつつくようなものだろう。これら2曲には名演・名録音が多くあるのだが、2曲とも良い、というものは存外に少なく、そういった点でも、良いアルバムである。

プロコフィエフ 交響曲 第3番  モソロフ 交響的エピソード「鉄工場」  ヴァレーズ アルカナ
シャイー指揮 コンセルトヘボウ管弦楽団

レビュー日:2010.9.21
★★★★★ この手の企画を得意とした90年代のシャイー/デッカ代表的録音
 リッカルド・シャイーが1991年から92年にかけて録音したデッカらしい企画盤で、1920年代のアヴァンギャルド運動を象徴する作品を収めたもの。私はこのディスクを入手し損ねていたのだが、最近になってやっと聴くことができた。
 アヴァンギャルド(avant-garde)は一般的に「前衛芸術」と訳される。いつの時代でも芸術には「先取性」の要素が欠かせないが、ことに1920年代はその運動が顕著だった時代である。特にロシア革命前後に起こった「ロシア・アヴァンギャルド」は、政治行動と芸術活動のリンク、また既存の保守的価値観への攻撃的とも言える挑戦性が高く、現代でも一つの時代の刻印と考えられる。映画でセルゲイ・エイゼンシュテイン、音楽ではアレクサンドル・モソロフ(Alexander Vasilyevich Mosolov 1900-1973)がその代表格。
 ここで冒頭に収録されているのが、モソロフが自身のバレエ音楽「鋼鉄」から編曲した3分程度の管弦楽曲『交響的エピソード「鉄工場」』である。機械の稼動する様を描写した音楽で、エネルギッシュな迫力が横溢しており、まさにアヴァンギャルドの奔流を感じさせてくれる。三連符が特徴的な音楽で、ホルンの勇壮な響きが逞しい推進力を供給し、圧巻の熱量を飽和させている。
 次いで、プロコフィエフの交響曲第3番が収録されている。1927年の作品である歌劇「炎の天使」の主題を用いており、そういった意味で管弦楽組曲とも言えるが、4楽章の構成が高度に整えられている。プロコフィエフの交響曲の中でもあまり知られていない曲だが、なかなか聴き応えのある作品で、第1楽章のオルガンを含んだ全合奏による導入、引き続く絶えず運動し変化し続ける様相が、当時の新鮮なスタイルを如実に物語っている。また緩徐楽章である第3楽章の第1ヴァイオリン、第2ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロをそれぞれ3部計12部に分けて書かれたスコアは、きわめて精緻で、作曲者が細心神経を払った音楽になっている。
 最後のエドガー・ヴァレーズ(Edgard Victor Achille Charles Varese 1883-1965)はフランスに生まれアメリカで活躍した作曲家で、中で「アルカナ」は古典的な部類に属する作品。比較的わかりやすい旋律と構成要素を持っているが、新たな音色への試行錯誤が様々に試される。
 シャイーとコンセルトヘボウ管弦楽団による技術に長け、素晴らしい音色のサウンドが、これらの音楽を「魅力的」に伝えたことがなにより大きな価値だ。録音品質も素晴らしく高い。

交響曲 第4番 第6番 第7番「青春」 ピアノ協奏曲 第4番「左手のための」 第5番
ゲルギエフ指揮 マリインスキー歌劇場管弦楽団 p: ヴォロディン ババヤン

レビュー日:2016.3.9
★★★★★ ゲルギエフならではのプロコフィエフを存分に楽しめるアルバムです
 ゲルギエフ(Valery Gergiev 1953-)指揮、マリインスキー歌劇場管弦楽団によるプロコフィエフ(Sergei Prokofiev 1891-1953)作品のライヴ録音集。収録内容は以下の通り。
【CD1】
1) ピアノ協奏曲 第4番 変ロ長調 op.53(左手のための)
 ピアノ: アレクセイ・ヴォロディン(Alexei Volodin 1977-)
2) ピアノ協奏曲 第5番 ト長調 op.55
 ピアノ: セルゲイ・ババヤン(Sergei Babayan 1961-)
3) 交響曲 第4番 ハ長調 op.47(1930年版)
【CD2】
4) 交響曲 第6番 変ホ短調 op.111
5) 交響曲 第7番 嬰ハ短調 op.131「青春」
 2)と5)は2012年、他の3曲は2015年の録音。
 ゲルギエフは、2004年にロンドン交響楽団を指揮して交響曲全集を、1995-97年に、トラーゼ(Alexandr Toradze 1952-)をソリストに迎えて、マリインスキー歌劇場管弦楽団とピアノ協奏曲全集をそれぞれ製作していたので、今回の録音はすべて再録音ということになる。
 今回収録された交響曲にしても、ピアノ協奏曲にしても、プロコフィエフの作品の中でメジャーなものとは言い難いだろう。しかし、私は、特に交響曲第6番と第7番は傑作と言って良い作品であり、オーケストラ曲を愛好する人には是非聴き込んで欲しい作品だと思うし、他の曲だって、プロコフィエフならではの愉悦性をもったもの。しかも、このゲルギエフの演奏がとても良いものだから、プロコフィエフの音楽が嫌いじゃない限り、存分に楽しめるアルバムになっていると思う。
 交響曲第6番は、抒情的な中間楽章を含む3楽章から構成されていて、プロコフィエフならではの刹那的な感情表現が様々に挿入される。特に第1楽章は、様々な要素を持っているが、ゲルギエフはオーケストラを細部まで統率し、細やかな機微を感情豊かに表現する。あふれるような色彩と、時折響く諧謔的なアクセントが楽しい。しかし、当演奏の白眉は第2楽章で、不思議さを湛えた牧歌的な世界の中、ピアノ、チェレスタが憧憬的といっていい音色を添え、澄んだ情景描写的な味わいが絶妙だ。印象派、例えばドビュッシーを思わせるような管弦楽の表現技法が、あらためて新鮮に響き渡る。
 交響曲第7番は4つの楽章からなる。この曲もピアノを含む楽器編成がプロコフィエフらしい。プロコフィエフの交響曲の最後を飾るに相応しい作品でもある。バレエ音楽的な楽しさ、生き生きとしたリズム、抒情性豊かな表現とともに、戦争の時代を生きた作曲者の感性に根差した様々な悲哀を感じさせる深みのある曲だ。ゲルギエフは一つ一つの楽器を雄弁に語らせて、この楽曲が表現する様々なニュアンスを巧みに音楽的に響かせる。オーケストラの反応性の良さも特筆されるだろう。
 2曲のピアノ協奏曲については、「あまり名前を聞かないピアニストだな」と思われるかもしれないが、どうしてどうして、2曲とも素晴らしい演奏である。両者ともテクニックは申し分ないし、ゲルギエフの音楽づくりに良くあった、瞬間のコントロール、急な感情の変化に鋭く対応するピアニストで、感覚的な面白さを追求したピアニズムを体験できる。
 交響曲第4番は、1930年版と、別の作品番号を与えられた1947年版の2つが存在し、ゲルギエフはかつての全集でその両方を収録していて、私も嬉しかったのだけれど、今回は1930年版を用いた演奏。以前のゲルギエフの全集でも、私はこの第4番がいちばん気に入っていたけれど、今回の演奏も期待に違わないもので、完璧といっていい仕上がり。
 いずれも、プロコフィエフという作曲家を深く敬愛するゲルギエフならではの芸術を、十分に堪能できる演奏となっています。

交響曲 第5番 スキタイ組曲「アラとロリー」
ラトル指揮 バーミンガム市交響楽団

レビュー日:2015.7.31
★★★★★ ラトルのプロコフィフ作品への絶対的な適性を示した名盤
 ラトル(Simon Rattle 1955-)指揮、バーミンガム市交響楽団の演奏による1992年録のディスク。プロコフィエフ(Sergei Prokofiev 1891-1953)の以下の2つの楽曲を収録。
1) 交響曲 第5番 変ロ長調 op.100
2) スキタイ組曲「アラとロリー」op.20
   ヴェレスとアラへの讃仰
   邪神チュジボーグと魔界の悪鬼の踊り
   夜
   ロリーの栄えある門出と太陽の行進
 非常に素晴らしいアルバム。ラトルによるプロコフィエフの録音は意外に少なく、最近ではラン・ラン(Lang Lang 1982-)と共演した注目すべき協奏曲の録音などがあったが、せいぜいそれくらい。しかしリズムとスリルを満喫させてくれる当盤を聴くと、この作曲家との相性は極めて高いと思う。
 何につけても機敏な反応を示すバーミンガム市交響楽団も見事だ。1980年からこのオーケストラの首席指揮者の地位にあったラトルは、当録音当時、すでにお互いを知り尽くした間柄で、ラトルの一挙手一投足に反応する一つの生命体をイメージするような素晴らしい連動ぶりを見せる。その結果、プロコフィエフという作曲家が持つ多様性が、次々と明らかにされ、俊敏な場面展開が繰り広げられる。
 例えば楽曲に薄暗い気配をもたらす時のチェロ・バスのもたらす雰囲気など当演奏の特徴を良く出している。全般に野趣性の強調されたスタイルだが、木管の芯の通った情緒的な響きは、そこに優しい気配をおびき寄せる。第5交響曲の第3楽章は、演奏によっては安易さが表出してしまうのだけれど、当演奏は、巧妙で微細な器楽のやりとりにより、とても表情豊かで、音楽的な呼吸が供給される。その気配を引き継いで、リズムが支配する第4楽章に進むのだが、ここでは金管の美観がその色彩感を増す。
 スキタイ組曲はバレエ音楽として考案された作品で、中央アジアの民族的なイメージを湛えた楽曲であるが、ラトルの棒は実に快調で、舞踏、信仰、夜、魔といったキーワードを、オーケストラのブレンドから巧妙に引き出している。若きプロコフィエフの野心的ともいえる感覚を、ポジティヴに捉えきったとても攻撃的なアプローチだ。聴き手を興奮させる成分に満ちた、グロテスクさえともなった快演。

交響曲 第5番 ピアノ協奏曲 第3番
ゲルギエフ指揮 マリインスキー歌劇場管弦楽団 p: マツーエフ

レビュー日:2015.8.19
★★★★★ プロコフィエフの2大名曲を、濃厚な味わいで堪能するアルバム
 ゲルギエフ(Valery Gergiev 1953-)指揮、マリインスキー歌劇場管弦楽団の演奏で、プロコフィエフ(Sergey Prokofiev 1891-1953)の以下の2つの名曲をライヴ収録したもの。
1) ピアノ協奏曲 第3番 ハ長調 op.26
2) 交響曲 第5番 変ロ長調 op.100
 協奏曲のピアノ独奏はデニス・マツーエフ(Denis Matsuev 1975-)。2012年の録音。データを見ると、複数のライヴ音源をエディットして繋げ合せた模様。
 プロコフィエフを得意とするゲルギエフは、1995-97年にアレクサンドル・トラーゼ(Alexandr Toradze 1952-)の独奏でピアノ協奏曲の全集を、2004年にはロンドン交響楽団を指揮して交響曲の全集を録音していたので、いずれも再録音という形になる。それにしても、プロコフィエフの両ジャンルで、もっとも人気の高い曲同士の組み合わせとなる当盤は、ゲルギエフのプロコフィエフを知る格好のアルバムといったところだろう。
 また、近年Mariinskyレーベルでたびたび共演しているマツーエフのピアノももちろん注目に値する。この人のピアノは、圧倒的な技術で、ヴィルトゥオジティに満ちた激しい熱血性が魅力。本盤でも実に見事な演奏を繰り広げている。
 マツーエフのピアノはそれ自体が最高のショーピースだ。圧倒的なスピード感、光を放つグリッサンド、いやがうえにも聴き手を興奮の坩堝に誘い込むその力感は、かつてのロシア・ピアニズムを彷彿とさせるもの。その無加工的といってもよい野趣に溢れたピアノは、とても豪胆だ。粗さもあるが、決して過度なものではないし、編集によってとても聴き味よく仕上がっているのがありがたい。現代の録音技術のアドバンテージを味方につけ、積極的なアプローチを連続的に放ち続ける。
 ゲルギエフの指揮も抜群のノリ。若干の乱れはあるけれども、全体的な白熱を優先し、アクセルをゆるめることはない。特に第2楽章後半の畳み掛けるような迫力はすさまじい。終楽章の越後獅子のメロディも、縦線のリズムをはっきりさせたモダンな響きで、彼らのスタイルを突き進んだ爽快さに満ちている。ロシア的な情感の薄さを感じるところはあるが、本演奏の主眼は圧倒的な演奏効果の追求であり、そこに徹した気風の良さが最大の魅力である。私にとって、当曲の録音として、バランス、情緒、色彩に優れたアシュケナージ(Vladimir Ashkenazy 1937-)盤(1974,75年録音)とともに、代表的な録音だと考える。
 交響曲第5番もオーケストラの積極的な表現が聴きどころ。テンポの幅も大きく、音量のダイナミクスも豊かだ。アクセントの強調によって、原色的な面白さがよく出てくるし、プロコフィエフ特有のリズム感の面白さも分かりやすい。1楽章の後半でぐっとテンポを落とすところなど、若干のあざとさを感じさせる部分もあるが、濃厚な味付けを施した演奏ならではの魅力が横溢している。偶数楽章の推進力は、自家薬籠中といったところ。ゲルギエフとオーケストラの「この曲を演奏する」という喜びが全編から伝わってくる。
 ちなみに、この曲でも、私が第一に気に入っているのは、アシュケナージ(Vladimir Ashkenazy 1937-)がコンセルトヘボウ管弦楽団を指揮して、1985年に録音したものである。というわけで、両曲ともアシュケナージ盤と双璧と称したい名盤として、当盤を強く推奨したい。

交響曲 第5番 交響的絵画「夢」
アシュケナージ指揮 コンセルトヘボウ管弦楽団 ロンドン交響楽団

レビュー日:2017.1.31
★★★★★ プロコフィエフの第5交響曲の名盤の一つです
 アシュケナージ(Vladimir Ashkenazy 1937-)指揮、コンセルトヘボウ管弦楽団の演奏で、プロコフィエフ(Sergei Prokofiev 1891-1953)の以下の2作品を収録。
1) 交響曲 第5番 変ロ長調 op.100
2) 交響的絵画「夢」 op.6
 1)はコンセルトヘボウ管弦楽団と1985年の録音、2)はロンドン交響楽団と1974年の録音。
 私はかつてプロコフィエフの第5交響曲が好きで、学生時代にバーンスタイン/イスラエル・フィル、あるいはカラヤン/ベルリン・フィルの録音で、よく聴いていた。そのころ、すでにアシュケナージのこの録音も入手可能となっていたのであるけれど、私が当録音を聴いたのは、リリースからずっと後のことだった。
 アシュケナージのこの録音を聴いた時の感動を今でも覚えている。瑞々しい鮮烈な楽器の響き、明快にして色彩豊かな音の質感、リズム表現に富み、快活な進行。
 録音も文句なく素晴らしく、コンセルトヘボウ管弦楽団の懐の深い響きとあいまって、たちまち私は魅了されたのだった。
 それ以来、アシュケナージのシドニー交響楽団との再録音も含めて、私は様々な録音を聴いてきた。小沢、ロジェストヴェンスキー、ヴェラー、ゲルギエフ(2種)、デュトワ、ラトル、プレヴィン・・。どれも素敵な演奏だったけれど、私の場合、どうしても、このアシュケナージとコンセルトヘボウ管弦楽団の名録音に戻ってきてしまう。それほどの素晴らしい録音だと思うのだけれど、プロコフィエフの交響曲自体の人気が今一つなためか、どうも、きちんと評価される機会が少ないように思えるのはもったいない。
 あらためて聴いてみても1楽章のフィナーレの厳かさと雄大さの伴った迫力、2楽章のリズムに乗った機敏な色彩と音色の変化、3楽章の情緒の淡くも豊かな歌い上げ、そして終楽章の野性的かつ躍動的な迫力。どこをとっても申し分ない。
 また、併録されているプロコフィエフ初期の作品である交響的絵画「夢」では、まだ鋭い冴えを見せてはいないながらも、管弦楽の音色の使い方にこの作曲家の個性が発露しており、この優れた演奏・録音でそれを味わうことができるのもありがたい。
 以上のように、個人的に思い入れが深く、また客観的にもすぐれたものであると考え、当盤を私は強く推すところとなります。
 ただし、投稿日現在、1993年にクリーヴランド管弦楽団と録音した交響曲第6番、第7番にさらに他の音源も加えて、内容的に充実している2枚組CDが入手可能となっており、そちらの方がアイテムとしての価値性は高いので、購入検討の際には、比較をオススメします。

プロコフィエフ 交響曲 第5番  ミャスコフスキー 交響曲 第21番「交響的幻想」
ペトレンコ指揮 オスロ・フィルハーモニー管弦楽団

レビュー日:2021.1.13
★★★★★ プロコフィエフとミャスコフスキーという顔合わせが新鮮です
 ワシリー・ペトレンコ(Vasily Petrenko 1976-)指揮、オスロ・フィルハーモニー管弦楽団の演奏で、以下の楽曲を録音したアルバム。
1) プロコフィエフ(Sergei Prokofiev 1891-1953) 交響曲 第5番 変ロ長調 op.100
2) ミャスコフスキー(Nikolay Myaskovsky 1881-1950) 交響曲 第21番 嬰ヘ短調 op.51 「交響幻想曲」
 2018年録音。
 面白い組み合わせの選曲だ。プロコフィエフの最高傑作とされる交響曲第5番と、ミャスコフスキー(注:ミャスコフスキーのスペルは、Myaskovsky、Miaskovsky、Myaskovskiiなど、複数のパターンがあって、私もどれが正解かはわからない。)の27曲の交響曲の中で、第27番に次いで評価されている第21番。ミャスコフスキーの交響曲は、長大な作品が多いのであるが、中にあって、この第21番は、幻想曲の異名を持つ単一楽章の作品で、演奏時間も短い。シベリウス(Jean Sibelius 1865-1957)の交響曲第7番と性格的な親近性を感じさせるだろう。
 「第27番に次いで評価されている第21番」と書いたが、ミャスコフスキーの交響曲は録音自体が少ない。フアンの間では、スヴェトラーノフ(Yevgeny Svetlanov 1928-2002)が録音した唯一無二の全集が有名で、私もこれを所有しているが、第27番以外の録音となると、めったにお目にかからないのが実情だ。そのような状況下で、ペトレンコがこの1曲を選んで録音してくれたのが、私には嬉しい。
 さて、演奏である。まずプロコフィエフの交響曲第5番。この曲には数えきれないくらいの録音があるが、ペトレンコのスタイルは、やや遅めのテンポをベースに、音色に注意をこらし、丁寧入念に仕上げたものと言っていいだろう。このスタイルの場合、プロコフィエフの特色の一つであるリズムへの先鋭性が、ややぼやけてしまうところが否めないのであるが、ペトレンコの演奏は、音色的な配慮と、偶数楽章での巧妙なアッチェランドの挿入により、その点で不足感を抱かせない音作りが出来ていて、なかなか巧い。第1楽章は、裾野の広い壮大さを感じさせるアプローチで、特に後半のクライマックスはその効果が端緒に表れていると言えるだろう。第2楽章はテンポの変化が大きく、中間部では焦点を合わせるとともに減速する効果を感じさせ、復帰するところではアクセルを踏み込む。その演出自体に好悪が分かれるかもしれないが、聴いていて違和感はない。第3楽章はゆったりとして耽美的だ。終楽章は先鋭さよりマイルドさを感じさせる響きで、きれいに仕上げており、いかにも現代的良演という感じがする。
 ミャスコフスキーの交響曲第21番は、楽曲自体の魅力をどこまでアピールしてくれるかに注目するが、チャイコフスキー(Pyotr Tchaikovsky 1840-1893)を思わせるクラリネットの憂い、中間部の弦楽器陣による暖かなメロディ、そして急速個所でのショスタコーヴィチ(Dmitri Shostakovich 1906-1975)を思わせる暗さと、聴き手が聴きたいと思うであろうものが、いずれも素直に表出していて、性格的にことなる個所への移行も、十分な準備を感じさせるアプローチになっていて、ライブラリの欠落を埋めてくれる以上の内容だと感じる。
 録音活動が活発なペトレンコとオスロ・フィルであるが、今後も面白いレパートリーを発掘しつつ楽しませてほしいと思う。

交響曲 第5番
ロウヴァリ指揮 フィルハーモニア管弦楽団

レビュー日:2021.4.20
★★★★☆ 気鋭の指揮者、ロウヴァリのライヴ録音
 フィンランドの指揮者、サントゥ=マティアス・ロウヴァリ(Santtu-Matias Rouvali 1985-)が、ロンドンの名門、フィルハーモニア管弦楽団を指揮してのライヴ録音で、プロコフィエフ(Sergey Prokofiev 1891-1953)の「交響曲 第5番 変ロ長調 op.100」。2020年のコンサートの模様。
 ロウヴァリは「Alpha」レーベルからリリースされたシベリウス2点がとても充実した内容だったため、私も新譜の発売を期待している指揮者。今回は、初のプロコフィエフで、傑作「交響曲 第5番」が選ばれた。ただ、収録されているのは、その1曲だけで、収録時間も43分であり、フルプライスのCDとしては、さすがにヴォリューム不足の感はぬぐえない。
 演奏は、この指揮者らしい、濃厚な味わいを感じさせる。主情的とも表現できるが、場面転換の運びがうまく、自然に感じる抑揚の中で、巧みに劇性を盛り込んでいる。ライヴゆえ、細部で、粗いところもあるが、全体としてはエネルギッシュな表現を損なうものにはなっておらず、この交響曲がもつ特有の熱気が、如実に伝わってくる演奏だ。
 第1楽章は、冒頭から、なにかの拍子に勢いよくはぜるのではないか、と思えるような可動性を宿しながら主題を膨らませる。この楽章は、全般にプロコフィエフの平明な明朗性が支配的であるが、木管楽器に担わせた意味深な陰りとも言えるものを、ロウヴァリは強調しており、暗さ、グロテスクさがしっかりと刻まれているのが良い。クライマックスは高らかに歌い上げるが、我を忘れるようなものではなく、着地点を計算したしたたかさも備わっている。第2楽章は俊敏なパッセージと叙情的なメロディの対比が明瞭で、音楽的にも十分咀嚼された表現として生きており、楽しい。第3楽章は、ゆったりと旋律を歌うが、途中で激しいテンポの変化があり、ロウヴァリらしい演出が施されている。終楽章は華やかで祭典的。打楽器の効果も豊かに楽曲を盛り上げる。いかにも若々しさを感じさせる音楽づくりで、躍動的である一方で、場面転換にやや性急さを感じさせる部分もあるが、プロコフィエフの第5交響曲としての全貌はよく捉えられた感があり、ライヴゆえの熱的な傷と考えると、好ましいくらいなのかもしれない。
 ロウヴァリのこれらかの活躍が楽しみである。ただ、アイテムとして当盤を評価すると、やはり量的な少なさを鑑みて、相応の減点が含まれる。

交響曲 第5番 第6番
オラモ指揮 フィンランド放送交響楽団

レビュー日:2020.6.17
★★★★☆ 全般にライトな響きで、線的な効果・情感を丁寧に表現した演奏
 サカリ・オラモ(Sakari Oramo 1965-)指揮、フィンランド放送交響楽団の演奏で、プロコフィエフ(Sergei Prokofiev 1891-1953)の以下の2作品を収録したアルバム。
1) 交響曲 第5番 変ロ長調 op.100
2) 交響曲 第6番 変ホ短調 op.111
 第5番は2011年、第6番は2010年、それぞれセッション録音されている。
 フィンランドの指揮者とオーケストラが、これらの楽曲を録音することについて、歴史的な経緯に思いを馳せる人も多いと思う。交響曲第5番は1944年、第6番は1947年に完成した作品であるが、いずれもプロコフィエフ自身が「戦争の影響」について言及している。「戦争」とは、当然の事ながら、第二次世界大戦(1939-1945)のことであるが、この間、プロコフィエフの祖国であるソビエトとフィンランドは、ソビエトのフィンランド侵攻に端を発した冬戦争(1939と)、ドイツがフィンランドにソビエト侵攻の拠点を置いたことにともなって冬戦争が再発する形となった継続戦争(1941-1944)を経験している。フィンランドにとって、プロコフィエフのこれらの楽曲が、様々な思いが感ぜられる作品であることは、ある程度想像される。
 ただし、これらの2曲の交響曲のうち第5番は、プロコフィエフ自身が「自由で幸せな人間、その強大な力、その純粋で高貴な魂への讃美歌」と書いているように、気分的には明るい楽曲だ。同じ時期にショスタコーヴィチ(Dmitrii Shostakovich 1906-1975)が書いた「戦争三部作」と言えば、交響曲第7番(1941年完成)、第8番(1943年完成)、第9番(1945年完成)の3曲である。このうち第9番は異色作なので、置いておくとして、第7番と第8番の持つ悲劇性を考えると、プロコフィエフの第5番が示す明朗性は、楽曲の性格として大きく異なる。一方で、プロコフィエフの交響曲第6番は、内面的、内省的な不安を描く一面が深く感ぜられ、戦後に戦争を省みたときの精神性を感じさせるもの。
 しかし、それらのことがらは、この録音を聴くにあたって、あまり深く考えなくてもいいのかもしれない。オラモとフィンランド交響楽団は、これらの楽曲に、純器楽の傑作としてまっすぐにアプローチしており、まわりの人間が、そこにいろいろと意味を盛るのは、あまり適切なことではないようにも思う。
 第5番は、楽器の音色の線的なものをリズミカルに処理した点が印象的。テンポは穏当で平均的であるが、奏者間での受け渡しがいかにもコンパクトできれいにまとまっている。その効果が高いのが偶数楽章で、特に第2楽章では、精妙な色合いをもった管楽器の響きに魅了される。線的なものがきれいに描かれている一方で、パワーは控えめ。金管やティンパニなど、クライマックスでもあまり重量感を感じさせず、それこそ彼らの得意とする北欧音楽のテイストに近づいている。軽く抜けたような印象も併せ持つ。
 上述のオラモのスタイルは、第5番より、むしろ第6番の表現に適しているのではないだろうか。やや早めのテンポをとりながら、不意に訪れる不安や恐れといったものが、スリリングに表現されていて、なかなかに聴かせる。終楽章の軽妙な味わいも、ソツなくこなした感じである。ただ、この曲でも、金管の響きはややセーヴされていて、その結果、全体的な響きの重心が、やや高めに移ったことによる一種のフワフワ感が出ており、時折、それがいま一つ「力の足りない」印象に繋がるところも否めないと思う。
 これら2曲が収録された名演としては、アシュケナージ(Vladimir Ashkenazy 1937-)指揮の2枚組廉価盤(第5番はコンセルトヘボウ管弦楽団と1985年、第6番はクリーヴランド交響楽団と1993年の録音)が投稿日現在入手可能となっているので、私としてはそちらの方を強力に推したいと思う。

交響曲 第6番 ワルツ組曲(op.110-1 op.110-3 op.110-4)
ヤルヴィ指揮 スコッティ・ナショナル管弦楽団

レビュー日:2009.11.27
★★★★★ プロコフィエフの交響曲はどれもなかなか魅力的
 プロコフィエフの交響曲第6番とワルツ組曲(Op.110)からの3曲の抜粋を収録。ヤルヴィ指揮スコッティ・ナショナル管弦楽団の演奏。1984年の録音。
 プロコフィエフには7つの交響曲があるが、ユニークな第1番「古典交響曲」と傑作の名高い第5番以外はあまり知られていない。しかし、いずれも個性的な、プロコフィエフならではの魅力に満ちた作品であり、キャリアのあるクラシックフアンにはぜひ守備範囲を広げてほしいエリアである。
 交響曲第6番は3つの楽章からなる。名曲交響曲第5番が陽性の明朗さを持っていたのに大して、第6番は憂鬱な雰囲気が支配的である。これについては作曲者自身が第二次世界大戦の印象が作品に反映されたとものと述べている。結果的にプロコフィエフの交響曲の中でも第4番と並んで叙情的なものとなった。第1楽章は弦楽器陣によって奏でられる主題が印象的で、「墓地の風」を描いたとも言われる。沈鬱な第2主題と、行進曲風だがやはり悲しげな第3主題によって次第に緊張感を高める音楽となる。第2楽章も暗いムードでチェレスタやハープの添える音が印象に残る。第3楽章は一転して明るさが出てくる。調整は「幸せ」を示すと考えられる変ホ長調になり、バレエ音楽のようなリズミックで拍子を刻みたくなる音楽となる。楽しいが、時折バズーンやティンパニによって暗い影が刺す。そしていささかシニカルともいえるコーダへ向かう。
 ワルツ組曲はプロコフィエフが自作の6つのワルツを管弦楽組曲として編みなおしたもの。ここではそのうち、第1曲(オペラ「戦争と平和」から「出会った時から」)、第3曲(映画「レールモントフ」から「メフィスト・ワルツ」)、第4曲(バレエ音楽「シンデレラ」から「お伽話の終わり」)が収録されている。どうせなら全曲まとめて収録してほしかったが、プロコフィエフの得意な「アイロニー」や「グロテスク」を多分に含んだ魅力たっぷりの音楽で楽しい。特に第4曲のロマンティックでありながら憂いをたっぷり含んで鳴るワルツのテーマが美しい。
 ヤルヴィの指揮はいつもながらこのあたりの音楽への適性を示す。元来「何でも来い」のタイプであるが、ソツがなく、迫力や精度でも不満がない。大きな欠点はなく、中庸の美をたたえたスタンダードと呼ぶに相応しい録音だ。

交響曲 第6番 第7番「青春」
アシュケナージ指揮 クリーヴランド管弦楽団

レビュー日:2008.8.7
★★★★★ プロコフィエフもまた「名交響曲作曲家」だったのです
 アシュケナージ指揮クリーヴランド管弦楽団によるプロコフィエフの交響曲第6番と第7番。録音は1993年。
 プロコフィエフの交響曲というと「古典交響曲」の名称を持つ第1番と次いで傑作の名高い第5番が有名だが、他の曲は市民権を獲得しているとは言えない。しかし、私はプロコフィエフの交響曲が好きだ。最近ではゲルギエフが全集を録音してくれたお陰で、少しだけ知られたかもしれない。未だ第1番と第5番しか聴いたことがないという方にはぜひ第6番、第7番をオススメしたい。本盤は演奏の質も高いし、録音も明瞭(おそらく10年以上最近のゲルギエフ盤より録音の質も高いと思う)なので、私も愛聴している。
 1947年に完成した第6交響曲には戦争の暗い影が反映している。第1楽章はプロコフィエフ自身が「戦争の痛みを表現した」と語っている。ヴァイオリンとヴィオラによる主題は墓地を吹く風を連想するとも言われる。オーボエ、イングリッシュホルンの奏でる旋律も哀愁を帯びて物悲しい。第2楽章は特徴的な音色がある。全体の雰囲気は高雅だが、チェレスタやハープによるオルゴール風の響きが印象的。フィナーレは変ホ長調で一転して幸福感を与える。ティンパニの支持を受けてヴァイオリンが歌うが、バズーンが悲しみを回想する。終結部も暗示的。
 1952年に完成した第7交響曲はプロコフィエフ最後の交響曲で子どものためのラジオ番組で初演されたころから「子どもたちの交響曲」と呼ばれることもある。日本では「青春」のタイトルが付くこともある。この交響曲を高く評価したのがショスタコーヴィチで、彼の第15交響曲にその影響を見て取ることができる。第1楽章はソナタ形式で、叙情的。2楽章は「秋のワルツ」とも呼ばれ、バレエ音楽「シンデレラ」からの転用がある。フィナーレも快活でチェロが主題提示で重要な役割を果たす。
 アシュケナージの作り出す透明な音色が鮮度抜群で、聴いていて情景の移り変わりが華やかで楽しい。現在当盤は廃盤のようだが、デッカの輸入盤で、第1、第5交響曲などと合わせて収録されたお徳用ディスクが入手可能である。興味のある方はぜひ。


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管弦楽曲

プロコフィエフ 交響的物語「ピーターと狼」  ブリテン 青少年の管弦楽入門(パーセルの主題による変奏曲とフーガ) 6つの田園舞曲(歌劇「グロリアーナ」から)
プレヴィン指揮 ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団

レビュー日:2003.9.7
★★★★☆ ソロ楽器の楽しさを味わう軽妙な録音
 「ピーターと狼」は、プロコフィエフが子供のために作曲した、ナレーションを伴う音楽。プロコフィエフは、楽器の紹介も兼ねてこの曲を作曲したと考えらる。登場人物および動物は、それぞれみんな自分のテーマを持っていて、そのテーマは、以下のような楽器で演奏される。
 小鳥:フルート アヒル:オーボエ 猫:クラリネット 狼:三本のホルン ピーター:弦楽アンサンブル おじいさん:ファゴット ライフル(狩人):ティンパニと大太鼓
 とにかくメロディが素晴らしい。オーケストレーションも見事である。プレヴィンのふくよかな音楽作りは素晴らしい録音も手伝って決定打的録音。
 近代イギリスが生んだ大作曲家にして指揮者ブリテンの「青少年のための管弦楽入門」はイギリス政府から教育映画「オーケストラの楽器」のとめの音楽として作曲を委嘱されたもの。パーセルの有名な主題をもちいた変奏曲形式で、様々な楽器を登場させていく形をとっている。

組曲「キージェ中尉」 組曲「3つのオレンジへの恋」 みにくいアヒルの子
アシュケナージ指揮 シドニー交響楽団 T: ラプテフ S: ポーター

レビュー日:2010.8.6
★★★★★ 管弦楽との絶妙な呼吸。独唱陣にも注目したいアシュケナージの新録音
 アシュケナージとシドニー交響楽団によるプロコフィエフ・シリーズ。なかなか快調に進展していて、交響曲第1番と第5番、それにガヴリリュクとのピアノ協奏曲全集と良質な先行盤に続き、今回は管弦楽曲集となった。
 収録曲は、組曲「キージェ中尉」、組曲「3つのオレンジへの恋」、歌曲集「みにくいアヒルの子」の3曲で、録音は2009年。キージェ中尉はバリトン独唱が入っており、アンドレイ・ラプテフが務める。また、「みにくいアヒルの子」は管弦楽伴奏を伴うソプラノ独唱のための歌曲で、こちらはジャクリーヌ・ポーターのソロ。
 アシュケナージのタクトは相変わらず明快で、管弦楽の俊敏な反応が楽しい。キージェ中尉では、サウンドの恰幅が適切で、効果的な音量、フレージングがよく心がけられていて、機能的な美観がよく引き出されている。ラプテフの独唱は、もう少し情感があってもいいかもしれないが、大切に慎重に音楽を作る姿勢は、全体の流れと齟齬がなく好感が持てる。終楽章の華やかさは録音効果もあいまって相乗効果に満ちている。叙情的なパーツもきちんと領域分けされた場所で品の良い歌を心がけていて、推進性のある音楽作りに即している。葬送のシーンでは対旋律の扱いが適度なユーモラスを持っており、彩りを感じさせてくれる。現代的快演と言える。
 組曲「3つのオレンジへの恋」は、私は昔よくオーマンディのカラフルな演奏を楽しんだが、アシュケナージの音色はそれよりやや真面目。しかし、時折見せる踏み込みや間の取り方は、まぎれもなくプロコフィエフの音楽の生命力を体現している。有名な「行進曲」では管弦楽陣の勇壮な奮闘で迫力豊かだが、それだけでなく常に音楽としての抑えが出来ているのがさすがである。
 歌曲集「みにくいアヒルの子」。実はプロコフィエフの音楽が大好きな私もこの曲ははじめて聴いたのだが思わぬ佳曲で感銘を受けた。最初はもっとおどけた作品かと思っていたが、瑞々しい情感がある。ソプラノのジャクリーヌ・ポーターはメルボルン出身の歌手とのことだが、逸材を見出したものだ。演奏の質の高さが曲自体の印象を良くしている。この録音によって、この楽曲の存在感も高まるに違いない。

バレエ音楽「ロメオとジュリエット」
アシュケナージ指揮 シドニー交響楽団

レビュー日:2012.7.28
★★★★★ オーケストラの高い能力と、卓越した録音技術を実感する圧巻のロメジュリ
 2009年1月からシドニー交響楽団の首席指揮者兼音楽アドバイザーに就任しているアシュケナージ(Vladimir Ashkenazy 1937-)による、Extonレーベルへのプロコフィエフ(Sergei Prokofiev 1891-1953)の一連のオーケストラ作品の録音プロジェクトが開始したとき、私はその内容とともに、プロジェクト自体の順調な進展を大いに期待したのだけれど、なぜかこれまで交響曲と管弦楽曲が各1枚きり(別にガヴリリュクとのピアノ協奏曲はあったけれど)のリリースにとどまっており、私も計画がと頓挫したのではと心配していたのだが、ここにきて飛び切りの素晴らしい録音がリリースされた。
 それがこの20世紀を代表する芸術作品であるバレエ音楽、「ロメオとジュリエット」全曲である。録音は2009年と2011年。アシュケナージは1991年にロイヤルフィルと一度全曲録音を行っているので、今回が二度目の録音となる。ロイヤルフィルとの録音も好演だったが、このたびの再録音は、一層音楽に力が漲り、かつ抜群の見通しが行き届いた大快演となった。
 そもそも、私はこの音楽作品が大好きである。この魅力的な旋律と音色に満ちた作品は、作曲者自身によって管弦楽組曲として抜粋されたり、あるいはピアノ独奏曲に編曲されたりもしたので、音楽フアンの間では広く親しまれていると言っていいだろう。特に日本国内では、第1幕の「騎士たちの踊り」が、2006年のソフトバンクモバイルのCMに使用されたこともあり、旋律自体の認知度はきわめて高くなっている。しかし、これらの組曲や編曲から漏れた部分にも、いやもれた部分にこそ、プロコフィエフらしい色彩感や奇抜なアイデアがあり、人を夢中になって楽しませてくれるものではないだろうか。ぜひ、この音楽を楽しむなら、全曲で楽しんでほしいと思うし、そんなとき、このアシュケナージ盤は、現時点で私の一押しだ。
 まず、当盤の客観的特徴として、録音の優秀さを挙げておきたい。この楽曲では、様ざまな楽器がソロを務め、そのサウンドの感触を堪能させてくれるのだけれど、このディスクの音のリアリティーは格別で、ファゴット、クラリネットといった木管楽器、あるいは「バルコニーの情景」におけるオルガン、「マンドリンを手にした踊り」のマンドリンなどといった特徴的な追加楽器の音が、実に生々しく録られている。少し近めの距離感も、リアルな感触に好作用しており、肯定的に捉えたい。金管やティンパニの幅のある勇壮な迫力も凄い。
 さらには、その見事な録音をベースとした音楽性豊かな演出が素晴らしい!2枚目のディスクに収録されている「第2幕の終曲」をお聴きいただきたい。決然たるテンポに導かれ、打楽器群と木管陣の鋭角的な響きに導かれ、ブラスが多重に響きを重ねていく迫力と爽快感に、思わず圧倒されてしまうだろう。録音が美麗なことと、的確に楽器本来の音色を引き出したコントロールによって、絶妙なインパクトが得られている。思わず「こうでなくちゃ!」と膝を打つような心地よさだ。一方で高名な第3幕の「ロメオとジュリエット」におけるガラス細工のようなフルートの孤高の響きも忘れがたい。この演奏を可能としたドニー交響楽団の技術力と機能性の高さも特筆したい。
 全体的に、純管弦楽的に扱われながらも、バレエ音楽としての躍動感や色彩感に満ちあふれた名録音だと思う。迷わず推薦したい。そして、今後のアシュケナージ、シドニー交響楽団のプロコフィエフ・チクルスのリリースが順調であることを願う。

バレエ音楽「ロメオとジュリエット」
ペトレンコ指揮 オスロ・フィルハーモニー管弦楽団

レビュー日:2018.3.29
★★★★★ オーケストラの表現力の見事さに酔うペトレンコのロメジュリ
 2013年からオスロ・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者に就任したワシリー・ペトレンコ(Vasily Petrenko 1976-)が、同管弦楽団を指揮して、2015年に録音したプロコフィエフ(Sergei Prokofiev 1891-1953)のバレエ音楽、「ロメオとジュリエット」。ちなみに当盤がリリースされた2016年は、シェイクスピア(William Shakespeare 1564-1616)の没後400年のアニヴァーサリー・イヤーに相当。
 プロコフィエフの「ロメオとジュリエット」は、私の大好きな管弦楽作品で、全曲盤としては、マゼール(Lorin Maazel 1930-2014)とクリーヴランド管弦楽団(1973年録音)、アシュケナージ(Vladimir Ashkenazy 1937-)とロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団(1991年録音)、同じくアシュケナージとシドニー交響楽団(2009,11年録音)の3つを特に愛聴している。また、選集ではあるが、デュトワ(Charles Dutoit 1936-)とモントリオール交響楽団(1989年録音)も忘れ難いのであるが、そこに、このペトレンコの魅力的な録音が加わったと感じている。
 ペトレンコはいつものように全体の設計をよく考慮した上で、細やかな音響を整えている。つまり、第1幕と第2幕では、音色の彩り豊かな世界を披露し、第3幕では、全体にテンポを落とし、暗いグラデーションの中で透明な美を導き、悲劇を描き出す。その全体のコンセプトが明確に出ている。第1幕と第2幕のテンポは全般に一般的であるが、第1幕第1場の「間奏曲」(CD1Track8)でのみ、特徴的に早いテンポを設定している。
 「前奏曲」(CD1track1)から全体的に軽やかな明るさが印象的で、その伸びやかな響きは、「街の目覚め」(CD1Track3)、「朝の踊り」(CD1track4)の生命力に溢れた表現に心地よく還元される。「少女ジュリエット」(CD1track10)から「ジュリエットのヴァリアシオン」(CD1track14)にかけては、楽器がその個性を活かした音色が卓越した聴き味をもたらして気持ち良い。「バルコニーの情景」(CD1track19)では、月夜の透明な情感がこよないほどの美しさで再現されるが、これに続く 「ロメオのヴァリアシオン」(CD1track20)にその香り豊かな味わいは巧みに引き継がれる。「マンドリンを手にした踊り」(CD1track25)では、マンドリンと木管楽器のおりなす魅惑的な響きが鮮やかに伝えられる。
 「ティボルトとマーキュシオの出会い」(CD2track3)から「ティボルトとマーキュシオの決闘」(CD2track4)にかけては、存分に緊迫感を孕んだ効果が獲得されている。「ロミオとジュリエットの別れ」(CD2Track10)以降はオーケストラの暗くも美しい表現がことごとく決まっていて、ことに「ジュリエットの葬儀」(CD2track22)から「ジュリエットの死」(CD2track23)へ至るどこか退廃的で、かつ永続的な悲しみを表出させた弦楽アンサンブルのソノリティは感動的だ。このオーケストラに、ここまでの表現力があったのだ、と失礼ながらあらためて感じ入った次第。
 それにしても、ペトレンコの手腕は流石。現代を代表する指揮者であることは間違いない。各楽器から、これだと思う「音色」と、徹底して引き出し、指揮者の考えだした音世界を見事に構築していると感ぜられる。これほどの人材は、めったにいないだろう。

バレエ音楽「ロメオとジュリエット」
プレヴィン指揮 ロンドン交響楽団

レビュー日:2019.1.22
★★★★☆ 同年に録音されたマゼール盤の陰に埋もれてしまった感がありますが・・
 アンドレ・プレヴィン(Andre Previn 1929-)指揮、ロンドン交響楽団によるプロコフィエフのバレエ音楽「ロメオとジュリエット」全曲。CD2枚組で、総収録時間は150分超。第2幕 第1場 第26曲までを1枚目に、以降を2枚目に収録。1973年の録音。
 なかなかの好演奏なのだが、当盤が録音されたのと同年に、ロリン・マゼール(Lorin Maazel 1930-2014)指揮、クリーヴランド管弦楽団による名演の誉れ高い当該楽曲が録音され、DECCAからリリースされた影響が直撃し、あまり目立たない存在になってしまった。なんといっても、録音映えするこれらの楽曲にあって、DECCAの録音の方が数段優秀で、それに比べると、当EMI版は、音の分離が今一つで、一つ一つの音の鮮明さに欠けるのは如何ともしがたいのである。
 ただ、演奏自体は悪くない。すごく大雑把に言うと、マゼールが一つの大局観から、ドラマティックに全体の流れを描き出したのに対し、プレヴィンは一曲一曲のロマンティックな表現を磨いて、全曲をまとめていった感じである。マゼールのように刺激的で、クライマックスに大きな波高が訪れるわけではないが、プレヴィンの演奏は叙情表現に卓越していて、ロメオとジュリエットの世界に描かれる「愛情」を耽美的に表現する能力に長けている。死を悼むシーンなどは、時にぐっとテンポを落として、聴き手に訴える。
 全体的に音響はエレガントであり、柔らかいサウンドである。それは前述の録音条件のため、鋭角的な成分が弱含みに聴こえることと裏腹な部分もあるのだけれど、おそらく、これは「そういう演奏」という解釈で大きく間違ってはいないだろう。
 ソフトなサウンドは、全般に一種のオーラのような効果を持っていて、そのことが、雰囲気づくりに相応の作用を果たしているのだ。例えば、第3幕第6場と第7場の間の間奏曲(第43曲)におけるゆるやかで大きなうねりから、ローレンス僧庵(第44曲)にいたる叙情表現の遷移に、その様を感じる。
 オーケストラのサウンドは、中庸の美といってよいマイルドさを醸し出していて、ファゴットやクラリネットも調和を重んじながら、甘味を添える。
 弱点としては、やはり高い機動性や、叩き込むような迫力が欲しい場面で、踏み込みが手前側におさえられ、メリハリが弱まることで、どこか俗っぽい味を残してしまうところである。決闘のシーンなどがこれに該当する。
 ただ、おしなべて楽曲の魅力をわかりやすく引き出し、聴き手の琴線に触れる歌があるので、音楽的にはとても美しく響き、感傷的な作用がある。そのような点で、十分に存在感のある演奏であり、一つ手元に置いておいても良いアルバムと感じられる。

バレエ音楽「シンデレラ」
アシュケナージ指揮 クリーヴランド管弦楽団

レビュー日:2003.9.7
★★★★☆ 「シンデレラ」全曲の決定盤!
 「ロメオとジュリエット」の影に隠れて目立たないが、「シンデレラ」も楽しめる作品である。しかし全曲盤となると、このアシュケナージ盤以外では、他にロジェストヴェンスキー盤のみである。両盤を比較すると、録音、オケの技術、叙情的表現など、多くの点で時代的に新しいこのアシュケナージ盤が優れていると思われる。
 特に面白いのは12時のシーン。この独特の表現法はモダニズムでもポストでも古典でもない。ただ、それがプロコフィエフと知るのみである。
 ちなみに映画「アナスタシア」ではこの曲集から「Cinderella's Departure」が使用されている。渋い選曲だ。

バレエ音楽「石の花」
ノセダ指揮 BBCフィルハーモニー管弦楽団

レビュー日:2005.4.17
★★★★★ 「石の花」現役唯一の全曲盤
 英シャンドスによるプロコフィエフ没後50年企画ものの一つ。
 プロコフィエフのバレエ音楽となると、「道化師」(1920)、「はがねの踊り」(1925)、「放蕩息子」(1929)、「ボリステネスの岸辺で」(1930)、「ロメオとジュリエット」(1935)、「シンデレラ」(1944)、「石の花」(1950)の7作となる。1~4がパリ時代、5~7がソ連復帰後の作品だ。
 そのうち、プロコフィエフの三大バレエとなると、やはりソ連時代の3作品、「ロメオとジュリエット」、「シンデレラ」、そしてこの「石の花」となるだろう。
 しかし、プロコフィエフ最期のバレエ音楽「石の花」の全曲盤となると、かつてアシュケナージのものがあっただけ(後日注:要確認。当該録音は存在しない可能世あり)。それを入手しそこねたので本盤のリリースは筆者にとってもありがたかった。
 聴いてみると、なぜ全曲盤どころか抜粋盤もほとんどないんだろう?と首を傾げざるをえない美しい曲である。確かに、強いインパクトを持った曲は少ないかもしれない。しかし、特に後半は伊福部昭のような日本的な響きがして面白いし、ハープと打楽器のかもし出す雰囲気も面白い。木管のかもし出す不気味さもとてもいい。また第3幕にはスケールの大きな曲が多く、多彩な変わり身を堪能できる。ウラル民謡などももちいた叙情性はここでもしっかり息づいている。
 BBCフィルは一流オケに比べるとやや薄味だが、悪くはない。ノセダの好ドライヴの下、チャーミングな演奏を展開している。曲を知るのにも絶好の録音を歓迎したい。

交響的組曲「セミョーン・コトコ」 歌劇「賭博者」より4つの描写
ヤルヴィ指揮 スコッティ・ナショナル管弦楽団

レビュー日:2007.10.6
★★★★★ プロコフィエフの歌劇から編まれた魅力的な管弦楽曲
 ネーメ・ヤルヴィという指揮者のおかげで、様々な作曲家の比較的知られていない存在の作品が質の高い演奏と録音で聴けるというケースが多いが、これもそのような高品質ディスク。プロコフィエフの『交響的組曲「セミョーン・コトコ」』と『歌劇「賭博者」より4つの描写と終結』の2曲を収録。管弦楽はスコッティ・ナショナル管弦楽団、録音は1989年。
 「セミョーン・コトコ」は同名の歌劇から編まれた組曲で、全部で「序奏」「セミョーンとその母」「婚約」「南国の夜」「処刑」「村が燃えている」「葬式」「仲間が来た」の8つの部分からなる。
 いずれもプロコフィエフの作曲家としての脂の乗り切ったころの作品で聴き応えは満点だ。特に「セミョーン・コトコ」は作品自体が素晴らしい。プロコフィエフの場合、管弦楽曲やピアノ曲が好きでも、歌劇にはちょっと食指が動かない、という人が結構いると思うのだけど、そういう人にもこの曲はオススメだ。「ロメオとジュリエット」と同じくらい楽しめる鮮やかな組曲だ。プロコフィエフ特有の土俗的とも言えるリズム感、そしてまるで日本の祭囃子のように聞こえてくる木管の郷愁をおびた懐かしい音色など魅力は数多い。ヤルヴィの棒さばきもノリにノッている。特に「村が燃えている」の暴力的ともいえる音楽の切迫感は見事。オーケストラの反応も気風がよく、生命力にとんだ表現に満ちている。

組曲「夏の夜」 カンタータ「彼らは7人」 祝典序曲「ヴォルガとドンの出会い」 祝典序曲「30年」 アメリカ序曲 交響組曲「1941年」
アシュケナージ指揮 サンクトペテルブルク・フィルハーモニー管弦楽団 サンクトペテルブルク音楽院合唱団 T: レーピン

レビュー日:2008.4.26
再レビュー日:2015.10.6
★★★★★ ちょっと価格設定が高いのですが・・・
 これはいくつかの企画性を含んでいるアルバムです。まず発売時期がプロコフィエフの没後50年にあたる2003年であるということ。そして、新しく台頭してきた「ハイブリッド仕様」(SACDプレーヤーとCDプレーヤーの双方に対応している・・・今となっては言わずもがなでしょうか・・・)のメディアであるということ。
 そのような企画性の高さを反映してか、かなり割高な値段設定がされている。収録時間は70分を越えているが、1枚でこの値段というのはやはりちょっと高いだろう。しかもその後同じハイブリッド仕様のメディアの一般的な価格が落ち着いたため、発売当初の価格は今となっては奇妙にも映る。
 とはいえ、私にとっては興味深いアルバムであり、購入して聴いてみた。印象としてはもちろん悪くなく、これらの「秘曲」の特徴と魅力をよく伝えている。カンタータ「彼らは7人」はこのアルバムに収録された曲のうちでは初期のころのもので、ヴァイオリン協奏曲第1番と同時期にパリで初演されている。楔形文字碑文に基づくバリモントの詩に曲を付したものだが、非常に色彩の濃い個性的な作品となっている。プロコフィエフが好きな人なら存分に楽しめる。ここには一つのプロコフィエフの原点とも言うべき「バーバリズム」が溢れている。組曲「夏の夜」は歌劇「修道院での婚約」から編まれた管弦楽曲であるが、生々しい楽器の音色の魅力を端的でストレートに表現したプロコフィエフらしい作品。末尾に収録されている交響組曲「1941年」は独ソ戦争時に作曲者が疎開先でその戦争の印象に基づいて構想された。3つの楽章からなる小交響曲ともいえる作品で、各楽章には「戦闘の中で」「夜に」「人類の親和のために」とタイトルが付いている。見事な緊迫感を持っており、特に恐怖感と安逸の同居する第2楽章が聴きモノだ。アシュケナージのシンパシーにあふれた棒で、オーケストラの音色も美しく輝いている。
★★★★★ プロコフィエフの無名な管弦楽曲たちへの意欲的な録音
 アシュケナージ(Vladimir Ashkenazy 1937-)が、サンクトペテルブルク・フィルハーモニー管弦楽団を指揮して2002年に録音したプロコフィエフ(Sergei Prokofiev 1891-1953)の管弦楽曲集。めったに取り上げられることのない楽曲をクローズアップした好企画。収録内容は以下の通り。
1) 組曲「夏の夜」 op.123 (歌劇「修道院での婚約」より)
2) カンタータ「彼らは7人」 op.30
3) 祝典詩曲「ヴォルガとドンの出会い」 op.130
4) 祝典詩曲「30年」 op.113
5) アメリカ序曲 op.42
6) 交響組曲「1941年」 op.90
 2)ではサンクトペテルブルク音楽院合唱団とレオニード・レーピン(Leonid Repin)のテノール独唱が加わる。収録時間は73分超。
 プロコフィエフは20世紀を象徴するような時代と社会を生きた作曲家だ。ロシアで生まれながら、1917年のロシア革命後、日本を経てアメリカに亡命、その後1923年からは、文化の中心地と言えるパリに活動拠点を移す。しかし1933年になってからソ連に戻り、音楽教育と作曲活動を継続。1953年、スターリン(Joseph Stalin 1878-1953)と同日に没した。
 本ディスクには、後期の作品が多い。「彼らは7人」は1917年、ちょうどロシア革命時の作品だが、7人の巨人が世界を支配することへの畏怖を描いたバリモント(Konstantin Balmont 1867-1942)の詩に基づいており、革命への風刺という面が示されている。パリ時代に書かれた「アメリカ序曲」は、ロンド形式の明朗な作風だ。
 交響組曲「1941年」はその名の通り、ソ連復帰後の1941年に書かれた3楽章形式の作品で、小交響曲といった雰囲気。第1楽章で戦闘、第2楽章で緊張、第3楽章で勝利の讃歌を表現している。この曲も明朗で、シンプルさを感じる作品。1947年の作品である祝典詩曲「30年」は、社会主義革命30周年の式典用に、1951年の作品である祝典詩曲「ヴォルガとドンの出会い」は、ヴォルガ・ドン運河の完成を祝す式典用に書かれた作品。特に「ヴォルガとドンの出会い」では、印象的なトランペットの独奏が雰囲気を盛り上げている。
 1950年の作品である交響組曲「夏の夜」は、オペラ「ドゥエーニャ」から5つの部分を用いて編算された管弦楽組曲。5つの楽曲が個性豊かで楽しい彩りを堪能できる。
 いずれの楽曲も、プロコフィエフならではの音色の横溢した作品。現在、これらの作品が取り上げられる機会が少ないのは、政治的メッセージに関連するものもあるだろう。しかし、簡明な主題、明朗で抒情的かつユーモラスな音楽の雰囲気は、プロコフィエフならではの個性的な愉悦を感じさせるもので、時に楽天的に過ぎるところもあるが、決して音楽作品としてレベルが低いというわけではない。例えばプロコフィエフの「祝杯」というカンタータは、スターリン賛辞という内容のため、ほとんど演奏されることはないが、リヒテル(Sviatoslav Richter 1915-1997)はこれを「プロコフィエフの最良の作品の一つ」と断言していた ~現在はポリャンスキー(Valery Polyansky 1949-)の録音(CHAN 10056)で聴ける~。優れた音楽作品というのは、本来それ自体で一つの不可侵な価値をもつべきであろう。
 アシュケナージ(彼もソ連からの亡命者だ)がサンクトペテルブルク・フィルの美麗なサウンドを駆使して、これらの楽曲に高品質な録音を記録したのは流石である(私は、アシュケナージのこのような録音姿勢を本当に素晴らしいと思う)。なめらかで色彩豊かなオーケストラの音色を、緩みのないテンポで進めた快演でまとめている。なお、当盤は、発売当時、初期のハイブリッド版として、なぜか¥4,200もの価格であった。その当時購入した私から見ると、値段も手ごろになっていると感じられる。

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協奏曲

ピアノ協奏曲 全集 ピアノ・ソナタ 全集 ヘブライの主題による序曲
p: ブロンフマン メータ指揮 イスラエル・フィルハーモニー管弦楽団 cl: フリードマン ジュリアード弦楽四重奏団

レビュー日: 2014.10.1
★★★★★ 均整と均衡の美学に徹したリズム主義により描かれたプロコフィエフ
 ロシア系イスラエル人ピアニスト、イェフィム・ブロンフマン(Yefim Bronfman 1958-)が1987年から95年にかけて録音したプロコフィエフ(Sergey Prokofiev 1891-1953)のピアノ協奏曲とピアノ・ソナタの全集が、リマスターの上、廉価box-setとなったもの。収録内容は以下の通り。
【CD1】
1) ピアノ協奏曲 第1番 変ニ長調 op.10 1991年録音
2) ピアノ協奏曲 第2番 ト短調 op.16 1993年録音
3) ピアノ協奏曲 第3番 ハ長調 op.26 1991年録音
【CD2】
4) ピアノ協奏曲 第4番 変ロ長調 op.53 「左手のための」 1993年録音
5) ピアノ協奏曲 第5番 ト長調 op.55 1991年録音
6) ヘブライの主題による序曲 1994年録音
【CD3】
7) ピアノ・ソナタ 第1番 ヘ短調 op.1 1991年録音
8) ピアノ・ソナタ 第2番 ニ短調 op.14 1995年録音
9) ピアノ・ソナタ 第3番 イ短調 op.28「古いノートから」 1995年録音
10) ピアノ・ソナタ 第4番 ハ短調 op.29「古いノートから」 1991年録音
【CD4】
11) ピアノ・ソナタ 第5番 ハ長調 op.38 1995年録音
12) ピアノ・ソナタ 第6番 イ長調 op.82「戦争ソナタ」 1991年録音
13) ピアノ・ソナタ 第7番 変ロ長調 op.83「戦争ソナタ」 1987年録音
【CD5】
14) ピアノ・ソナタ 第8番 変ロ長調 op.84「戦争ソナタ」 1987年録音
15) ピアノ・ソナタ 第9番 ハ長調 op.103 1995年録音
 協奏曲は、ズービン・メータ(Zubin Mehta 1936-)指揮、イスラエル・フィルハーモニー管弦楽団との共演。ヘブライの主題による序曲でジオラ・フリードマン(Giora Feidman 1936-)のクラリネット・ソロとジュリアード弦楽四重奏団の共演。
 大変質の高い、整った内容の全集で、この水準でプロコフィエフのピアノ協奏曲とピアノ・ソナタを全曲聴くことができるのは、たいへんうれしい。
 ブロンフマンのピアノは、優れた技術で、均衡感覚の強いピアニズムが特徴。難しいパッセージでも、速度を維持して、細かな音を極力コントロールした響きになっている。彼のピアノは、常に一定の基準幅の中で奏でられ、両端に厳しい制御の一線を設けている、ように聴こえる。
 プロコフィエフの音楽には様々な魅力がある。評論家大宅緒(おおやいと)氏は、プロコフィエフの音楽を構成する5つの軸を分類し、それぞれを「古典性」「現代性」「トッカータ(モーター)」「叙情性」「スケルツォ(グロテスク)」とした。ブロンフマンの演奏には、このうち「現代性」「トッカータ(モーター)」の要素が中心的に表現されていて、逆に「スケルツォ(グロテスク)」の要素はかなり希釈されていると思う。
 実は、この解釈が均衡的な美観や、リズミックな心地よさに繋がっている。そして、私は、そのようなブロンフマンの解釈は、多くの人によって聴き易さとして伝わるものだと思う。そこでは、諧謔的、あるいは皮肉的な要素が薄く、プロコフィエフとしては、異質なほど健康的な音楽が息づいているわけだが。
 5曲の協奏曲ではまず第2番の第2楽章から第4楽章が心地よい。これも前述のスタイルに徹したもので、この部分に潜む不安や虚無的なものを、可能な限り取りさらい、いかにもサラッとした爽やかなスタイルに仕上げているためである。それに比べると第1楽章はクライマックス周辺のテンポが遅いこともあり、ややもっさりと聴こえるところもある。左手のために書かれた第4協奏曲では、第3楽章のマエストーソのテンポが快活で、説得力に富んでいる。有名な第3番は、シャープな感覚で一本気に進む爽快さが特徴だ。メータの指揮も、音の膨らみや踏み込みを排すほどではないが、基本的に淡い響きのアプローチで、強弱のコントロールが中心といった印象。
 プロコフィエフのピアノ協奏曲全集としては、私の場合、色彩感とパワーに満ち溢れたアシュケナージ(Vladimir Ashkenazy 1937-)、印象派を思わせるタッチで抒情性に富んだバヴゼ(Jean-Efflam Bavouzet 1962-)、スリリングな迫力に満ちたベロフ(Michel Berof 1950-)の3種を大いに愛好しているのだけれど、このブロンフマン盤は、それらに準ずるもので、気分によっては妙に聴きたくなるもの。
 さて、9曲のピアノ・ソナタも協奏曲と同様に、たいへん統一感のある演奏だと思う。ブロンフマンの演奏では、どの作品も印象が共通する傾向があり、あきらかに別の要素が残っているソナタ第1番でさえ、他の曲との距離感を詰めていると感じられる。
 第6番が良い。ブロンフマンのテクニックで、明瞭な音響と音型が連続し、実に心地よい快感を聴き手に届けてくれる。第8番と第9番は、他の演奏で感じられるような苦しいノスタルジーは息をひそめ、エレガントなリズムによる処理を中心とした進行に徹しているのが、新鮮だ。ここまで「影の要素」をはぎ取ったスタイルは、むしろ清々しいとさえ言える。中にあって、第5番の冷徹なほどのクリアなタッチは、この曲のメロディーの持つ諧謔的で不協和な進展を、突然顕にするようで、逆に強い印象として残った。こういう効果も派生するのか、と感心した。
 全般に、音量の振幅は大きくはないが、その均整感と、技術的な綻びのなさから、「結晶化しきった音楽」を感じさせるソナタ集となっている。
 そんな中「ヘブライの主題による序曲」では、クラリネットの濃厚な表情付けが、ことさらにエスニシティを強調していて、このラインナップの中では、際立った異質さを放っているところも面白かった。

ピアノ協奏曲 全集
p: アシュケナージ プレヴィン指揮 ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団

レビュー日:不明
★★★★★ 当該曲集の決定版です
 2003年はプロコフィエフ(Sergei Prokofiev 1891-1953)没後50年であるが、アニヴァーサリー・イヤーに限らず、いつだって聴きたくなるピアノ協奏曲の最高の名盤がコレ! 1974年から75年にかけて録音されたアシュケナージ(Vladimir Ashkenazy 1937-)のピアノ、アンドレ・プレヴィン(Andre Previn 1929-)指揮ロンドン交響楽団によるスリリングでスタイリッシュな大快演!一応、収録された楽曲を記載すると、以下の通り。
【CD1】
1) ピアノ協奏曲 第1番変ニ長調op.10
2) ピアノ協奏曲 第4番変ロ長調「左手のための」op.53
3) ピアノ協奏曲 第5番ト長調op.55
【CD2】
4) ピアノ協奏曲 第2番ト短調op.16
5) ピアノ協奏曲 第3番ハ長調op.26
 現代でこそ、これらの楽曲には様々な録音があるけれど、当盤録音当時には、名だたるピアニストによる全曲録音というのはほとんどなかったのである。そのような中で、アシュケナージによるこの快挙!一気にこれらの楽曲の知名度を高めた録音といっていい。
 中でも最高にエポックメイキングな超名曲がピアノ協奏曲第3番だろう。美しい旋律、躍動するリズム、多彩な音響効果とドラマティックな展開。この楽曲に臨んだアシュケナージのピアノの太い響きの豊饒なこと。そして決して割れない高音と重過ぎない低音。結晶化した和音とキレ。どれをとっても一級品の芸術だ。第1楽章冒頭の導入のリズムから、大事な基音をきちんと明瞭に鳴らしながらも、生命力に満ちたリズムに乗って、全編にエネルギーが供給される。隅々まで豊かな躍動性に満ち、一瞬も弛緩することがない。1楽章の最初の展開から第2主題に移行する直前のクライマックス、急転直下の舞台転換、オーケストラの咆哮が途絶えるや打ち鳴らされるピアノの和音連打、低音、高音でカキン!となる装飾音の響きの完璧さ!どれをとっても完璧だ。ちなみに第3番は、当録音と並んで世相で評判の高いアルゲリッチ(Martha Argerich 1941-)も面白いことは面白いが、ピアノが走り過ぎて、いくつかの音がきちんとなりきっていないなど、当盤に慣れてしまうと、その不完全さが気になってしまう。それくらい、アシュケナージの演奏の完成度は比類ない。
 プレヴィンのオケも叙情性豊かな表現で見事と言うほかない。第2楽章展開部のスピード感、第3楽章終結部のピアノとオーケストラの一部の隙もない呼応。音楽的な呼吸に満ち溢れている。
 そして、第3番に匹敵するスケールを持つ第2番もすごい。冒頭のピアノの美しい艶やかな響きから、ダイナミックに音階を駆け巡る壮絶なカデンツァに至るまで、音楽の持つ引力を全身に感じる表現だ。
 第1番も無名ながら魅力的な作品。アシュケナージがここではスポーティーなタッチで、この音楽の持つ軽快さを巧みに表現。若きプロコフエフの迸る才気を鮮やかに表現している。
 第4番は、戦争で片手を失ったピアニスト、パウル・ウィトゲンシュタイン(Paul Wittgenstein 1887-1961)の依頼により書かれた作品群の一つ。しかし、この曲をウィトゲンシュタインはこの曲を「理解不能」として弾かなかったという。しかし、アシュケナージのように優れた解釈者によって弾かれた場合、当演奏の様に、固有の魅力が横溢していることに気付くはずだ。
 第5番もあまり有名な作品ではないが、軽快な変容や旋律に潜む様々な複雑な感情が面白い。私がこの曲の面白さに気付いたのも、この演奏があったからこそ。そういった意味でも心底感謝したい。
 今後も、これらの楽曲の歴史的名盤として、長く語り継がれるべき録音。もちろん、私の大切な愛聴盤の一つです。

ピアノ協奏曲 全集
p: エル=バシャ 大野和士指揮 ベルギー王立歌劇場管弦楽団(モネ劇場管弦楽団)

レビュー日:2007.2.20
★★★★☆ テクニックと知性を感じるピアニズムです。
 ベイルート出身のレバノン人ピアニスト、アブデル・ラーマン・エル=バシャ(Abdel Rahman El Bacha 1958 - )の注目の録音。ブリュッセル パレ・デ・ボザールでのライヴ録音。バックは大野和士指揮のベルギー王立歌劇場管弦楽団(モネ劇場管弦楽団)。収録年は2004年。録音はやや目が粗い感じで、ピアノの音色が妙に鋭角的であるが、ホールの特質もあるのかもしれない。逆に粒立ちのそろったタッチが強調されて、ピアニスティックな感触がよく伝わっているとも考えられる。オーケストラはどことなく無愛想な感じの音色であるが、ある程度狙った演出なのだろうか。全体的に音の強弱の単位が大まかな面白みが出ていると思う。さて、聴きモノなのはエル=バシャのピアノである。とにかく技巧が達者である。連続するスタッカートなどいとも鮮やかに弾きこなして、相当難しいと思われる個所も、導入にタメがなく、気持ちよく進む。その一方で若手の腕達者なピアニストがするような「技巧の誇示」がない。つねに悠然とあたりを見回すような客観性とゆとりを持っている。このあたりはむしろもっとスリリングな展開を望む人もいると思うが、音楽としての成熟度の高さを感じる。楽想の移り変わりでもよく練られたと思える足取りで、理知的である。第2番第1楽章のカデンツァの見事な音の階段や、第3番の鮮烈な切れ味は特に印象深い。数々の他の名演と比べたとき、どちらというのは難しいが、これはこれで大変面白い録音だ。プロコフィエフ・フアンなら聴いて損はないでしょう。

ピアノ協奏曲 全集
p: バヴゼ ノセダ指揮 BBCフィルハーモニック

レビュー日:2014.2.25
★★★★★ バヴゼとノセダのコンビが放つ現代的洗練を究めたプロコフィエフ
 フランスのピアニスト、ジャン=エフラム・バヴゼ(Jean-Efflam Bavouzet 1962-)とイタリアの指揮者ジャナンドレア・ノセダ(Gianandrea Noseda 1964-)によるプロコフィエフ(Sergei Prokofiev 1891-1953)のピアノ協奏曲全集。オーケストラはBBCフィルハーモニックで、2012年から2013年にかけての録音。収録内容の詳細は以下の通り。
【CD1】
1) ピアノ協奏曲 第1番 変ニ長調 op.10
2) ピアノ協奏曲 第2番 ト短調 op.16
3) ピアノ協奏曲 第3番 ハ長調 op.26
【CD2】
1) ピアノ協奏曲 第4番 変ロ長調 op.53 (左手のための)
2) ピアノ協奏曲 第5番 ハ長調 op.55
 このピアニスト、指揮者、オーケストラの顔合わせでは、2009年録音のバルトーク(Bartok Bela 1881-1945)のピアノ協奏曲の全集があった。私はその録音にたいへん感銘を受けたので、このプロコフィエフについても、さっそく拝聴させていただいた。これがまた大層良かった。当演奏から受けた印象を要約すると、「明るく、こまやかな配慮の行き届いた精密なプロコフィエフ」といったとこだろうか。
 私がこれらの楽曲の録音で忘れられないのは、1974年~1975年に録音されたアシュケナージ(Vladimir Ashkenazy 1937-)とプレヴィン(Andre Previn 1929-)によるものである。それはプロコフィエフの持つ多面的な魅力、すなわち叙情性やグロテスク、古典性と現代性の同居といった要素を全編に渡って引き出し、かつ色彩感に満ちながら、ロシア土俗的と言ってもよい迫力を伴った名演で、私はそれこそ数限りなく聴いたものだ。
 そのアシュケナージ盤と比べると、このバヴゼの演奏は、洒脱な印象を受ける。グロテスクの要素が影を潜めたかわりに、高音域の繊細な配色を際立たせて、繊細なモザイク画のような色感で、全体的な重量感を軽やかにし、実に現代的といっていいフレッシュな味わいに仕立て上げた。これはこれで、たいへん魅力的。
 例えば第1番。天才プロコフィエフの学生時代の傑作であるが、この軽妙でノリのいい音楽を、バヴゼとノセダは、軽やかな音色を基本として、機転の利いたアーティキュレーションを織り交ぜて、まるでラヴェル(Maurice Ravel 1875-1937)のように仕立て上げた。パーカッションの明瞭な響きは、この音楽が、音色とリズムの点で、鮮烈な魅力を持っていることを端的に示している。
 第5番も素晴らしい。バヴゼがこれまで印象派のピアノ曲に取り組んできた成果が、微細な表現力の集積として結実している。オーケストラとの呼吸も見事で、この曲に含まれる妙味をたいへん楽しげに表してくれるので、聴き手に豊かさが伝わってくる。
 第2番や第3番は、人によっては、より重量感のある迫力を求めるかもしれない。しかし、バヴゼの音色は、粒だっていて、鮮やかに音階を駆け巡る指捌きは、十分にスリリング。私はそのフィーリングを存分に楽しませていただいた。当演奏もまた実に立派なプロコフィエフであり、大事なものが欠けているという感じはしない。バヴゼとノセダのアーティスティックな見識による見事な回答になっている。
 私の大好きな曲集に、この名盤が加わったことはたいへんうれしい。

ピアノ協奏曲 全集
p: クライネフ キタエンコ指揮 フランクフルト放送交響楽団

レビュー日:2018.7.30
★★★★★ クライネフが遺した代表的録音、キタエンコとのプロコフィエフのピアノ協奏曲全集
 ロシアのピアニスト、ウラディーミル・クライネフ(Vladimir Krainev 1944-2011)と、ドミトリー・キタエンコ(Dmitri Kitaenko 1940-)指揮、フランクフルト放送交響楽団によるプロコフィエフ(Sergei Prokofiev 1891-1953)のピアノ協奏曲全集。2枚組のCDに以下のように収録されている。
【CD1】
1) ピアノ協奏曲 第1番 変ニ長調 op.10
2) ピアノ協奏曲 第4番 変ロ長調 op.53
3) ピアノ協奏曲 第5番 ト長調 op.55
【CD2】
4) ピアノ協奏曲 第2番 ト短調 op.16
5) ピアノ協奏曲 第3番 ハ長調 op.26
 1991年から92年にかけて録音されたもの。
 私は、プロコフィエフのピアノ協奏曲集が大好きで、中でも歴史的名盤として知られるアシュケナージ(Vladimir Ashkenazy 1937-)とプレヴィン(Andre Previn 1929-)による録音(1974,75年)を長年にわたって愛聴し、ベストと信じて疑わないが、それに次ぐ録音としては、バヴゼ(Jean-Efflam Bavouzet 1962-)、ノセダ(Gianandrea Noseda 1964-)によるもの(2012,13年)と、当クライネフ盤を挙げたいと思う。
 クライネフというピアニスト、当盤で聴かれる優れた演奏を思うと、その入手可能な録音の少なさから、知られる機会が限られていたのは実に惜しいことである。一応補足しておくと、クライネフは1970年のチャイコフスキー・国際コンクールで優勝という輝かしい経歴を持っている。
 第1番からクライネフのピアノは鮮やかだ。ことに立ち上がりの鮮明な俊敏さ、明晰で繊細なスタッカートの粒立ちは圧巻といって良い。楽想が巧みにあつかわれ、パタンパタンときれいに畳み込むように収束していく様は小気味良い。
 第4番では、金管とピアノの親密なやりとりがことに楽しい。第2楽章のアンダンテは、個人的にはやや単調に過ぎて、色合いが淡すぎるように思うが、無機質に陥るまでには至っていない。
 個人的に、当全集中で最も素晴らしいと思うのが第5番である。ある種単純化、記号化されたフレーズを、感覚的活発さに満ちたピアノと金管楽器が、十全に表現していく様が清々しく、爽快な気分にみちている。ことに終楽章は、中間部の音階的なソノリティの美しさ、軽やかなメロディラインの扱い、巧妙なバランスを維持したピアノと管弦楽、どの点でいってもこれ以上ないと思えるほどの完成度を示しており、当盤の白眉といって良い。
 第2番も優秀な演奏。ロマンティックな旋律が、適度なレガートでしっとりと歌い上げられるのも魅力的だが、第1楽章終結部の壮麗なカデンツァの運動的な美観は圧巻。それに続く第2楽章の研ぎ澄まされた神経を感じさせる微細なタッチも見事なものだ。第3楽章は、前2楽章のスタイルに照らすと、個人的にはややテンポが遅く感じられるが、違和感が大きいとまでは言えないだろう。
 最も有名な第3番は、他4曲同様に機敏なピアニスムと統御の美が感ぜられるが、特にこの曲ではオーケストラにより豊かな色彩感、特に低音部の雄弁な出力が求められるように思う。しかし、スピーディーな個所をはじめとする全般において、明晰なピアノは維持されていて、爽快な響きが全編を満たしている。
 高い実力を持ったクライネフであったが、遺された録音点数が少ないのはとても残念であった。その一方で、このプロコフィエフの協奏曲集は、彼の代表的録音として、後世に語り継がれていくにふさわしい。

ピアノ協奏曲 第1番 第2番 組曲「ロメオとジュリエット」より「別れ」
p: フェルツマン T.トーマス指揮 ロンドン交響楽団

レビュー日:2006.2.25
★★★★★ スポーティーで軽快なプロコフィエフ
 ウラディーミル・フェルツマン(Vladimer Feltsman)は1971年のパリのロン・ティボー国際コンクールでパスカル・ロジェとともに第1位となったピアニスト。ソ連からイスラエルへの移住などもあったためか、録音活動は活発とは言えかったが、それでも最近はカメラータなどがら、注目すべき録音をリリースするようになってきている。
 これは1988年の録音で、ティルソン・トーマス指揮のロンドン交響楽団をバックに、プロコフィエフのピアノ協奏曲第1番と第2番、それにソロ曲として組曲「ロメオとジュリエット」から「別れ」を弾いている。このころのフェルツマンの武器はそのスポーティーな運動性にあり、その特質はティルソン・トーマスと相性の良さを示している。
 第1協奏曲はプロコフィエフがモスクワ音楽院を卒業するさいに課題であった「協奏曲1曲演奏」において、自作を堂々と披露し院長グラズノフの度肝を抜いた作品であるが、フェルツマンはその意気込みを鮮やかに消化し、あらためて提示したかのような悦に入った弾きぶりだ。音質はやや軽めであり、重さが残らないのがかえって軽快に聞える。オケもよく呼応している。第2協奏曲もバツグンのリズム感が必要となる曲だけに、なかなか鋭角的で気味がいい。
 ただ音色はやや単調な面もあり、ソロ曲も美しくまとまっているが、聴き手を引っ張るような吸引力のある演奏ではなく、むしろ環境音楽的な距離感をきちんと保つことに神経を遣っているようだ。

ピアノ協奏曲 第1番 第2番 第4番「左手のための」
p: ガヴリリュク アシュケナージ指揮 シドニー交響楽団

レビュー日:2010.6.1
★★★★★  ガヴリリュクの新鮮な感性が活きたプロコフィエフ
 2000年に開催された浜松国際ピアノコンクールにおいて審査員満場一致で優勝を果たしたアレクサンダー・ガヴリリュクは当時16歳。その後、国内のSCRAMBOWレーベルから2枚のソロアルバムをリリースしたこともあって、日本のフアンの間では比較的知名度が高く、また人気もあるだろう。当盤はアシュケナージとシドニー交響楽団による「プロコフィエフ・シリーズの1枚」で、25歳になったガヴリリュクの協奏曲初録音ということになる。アシュケナージがプロコフィエフのピアノ協奏曲全曲を録音するにあたって、ガヴリリュクを起用したのも興味深い。以前から注目していたに違いない。
 ガヴリリュクのピアノは重量感があり、かつ運動性に優れている。情感は淡いが、スポーティーでありながら決して騒がしくならない美観を湛えており、技術的水準は高い。アシュケナージのインテンポを基本としたドライヴにもよく合う。
 アシュケナージの指揮であるが、つい最近、キーシンとの共演で協奏曲第2番を録音したばかり。そのキーシンとの録音に比べて、当盤の演奏の方が、若々しい踏み込みのようなものが感じられる。これはオーケストラの違いももちろんあるのだけれど、それ以上にガヴリリュクの感性に相応しい音楽造りを考えたように思う。
 第2番は後半2楽章のたたみかけとシンフォニックな響きが特に印象に残る。金管は全般に少し硬めだが、必要な箇所では柔らかいサウンドも繰り出す。ピアノとの呼応が的確で模範的。第1協奏曲は疾走感を適度に表出しつつ、時折繰り出されるインパクトのあるピアノの音色が鮮やか。第4番は「左手のための」協奏曲であるが、あまりにも独奏者にハイパーな技巧を要求されるため録音は少ない。しかし、プロコフィエフらしいアイデアがいろいろ聴ける作品である。オーケストラに様々な表情付けを施した作曲者の心意気がよく引き出された演奏だ。ガヴリリュクのピアノはいかにも若々しい推進力に満ちている。高度なテクニックに裏付けられた自信に満ちた音が流れる。全般にもう一味、深みのようなものが欲しいところもあるが、爽快な演奏に仕上がっていて、心地よい。

ピアノ協奏曲 第1番 第3番 第4番「左手のための」
p: ムストネン リントゥ指揮 フィンランド放送交響楽団

レビュー日:2016.11.1
★★★★☆  ムストネンの独特の感覚美を楽しめるプロコフィエフ
 オッリ・ムストネン(Olli Mustonen 1967-)のピアノ、ハンヌ・リントゥ(Hannu Lintu 1967-)指揮フィンランド放送交響楽団の演奏によるプロコフィエフ(Sergei Prokofiev 1891-1953)のピアノ協奏曲集。以下の3曲を収録。
1) ピアノ協奏曲 第3番 ハ長調 op.26
2) ピアノ協奏曲 第1番 変ニ長調 op.10
3) ピアノ協奏曲 第4番 変ロ長調 op.53「左手のための」
 2015年のセッション録音。
 ムストネンのピアノを聴くのは久しぶりだった。この芸術家は、ピアニストとしても一際優れた才覚をもっているのだけれど、指揮活動、そして作曲活動に積極的で、ピアニストとしての活動時間はそう多くはないし、以前ほど新しい録音の話も聞かない。かつてデッカ・レーベルからリリースされていたいくつかのピアニストとしての録音も、ほとんど廃盤となってしまったようである。
 実にもったいない。それくらい特徴があって、独創的な解釈で楽曲にアプローチし、聴き手を楽しませてくれる存在である。そして、今回のプロコフィエフを聴いてみて、私は、「ああ、やっぱりムストネンだな」と随所で思った。
 なによりもタッチに特徴がある。音をどこまで瞬発的なスタッカートに近づけるか。その瞬間の力の微細な変化で、曲想にどこまで細やかなアクセントを付け加えることが出来るか。そのような、ふつうの大局観とは別のところで、ムストネンの個性はくっきりと存在し続けるのである。その様子は、さながら楽曲とピアノを相手に、存分に「遊んで」いるようにさえ思えてくる。「それがどのような楽曲であるか」ということより、「どこまで微分化したニュアンスを織り込めるか」に常に専心しているような。それでいて、楽曲はきちんと、ややスポーティーな軽さを伴って進んでいくのである。
 プロコフィエフの楽曲は、そんなムストネンのスタイルによく合致するものと言えるだろう。すなわち独奏者の技術的な遊戯性を主体とした組み立てが成立し易い。それで、ムストネンの軽く細やかなタッチに満ちにかれた軽妙さ、洒脱さをなかなかに楽しむことが出来る。第3番では、その傾向があまりにも軽やかに思えるところもあるが、「左手のため」という特殊な縛りのある第4番で、ムストネンのスタイルは楽曲の聞き味を、色彩豊かで、幅のあるものに広げてくれている。音階にしろ、和音にしろ、ただきれいに響かせる以上の様々な素養を持たせることによって、片手のみで奏でることによる音響効果的制約を、別方向から払拭した爽快さがあって、楽しい。第1番もとにかく楽しい曲なので、ムストネンのセンスを堪能できる。
 オーケストラは、ムストネンの表現に併せたこともあり、全般にやや軽めの響きで、もう一つ食い込んだ表現があっても良い印象であるが、手際よくまとめており、プロコフィエフらしいソノリティはよく再現出来ているだろう。

ピアノ協奏曲 第1番 第3番 第5番
p: ブロンフマン メータ指揮 イスラエル・フィルハーモニー管弦楽団

レビュー日:2014.10.2
★★★★★  爽快さにプライオリティを置いた、きわめて直線的なプロコフィエフ
 イェフィム・ブロンフマン(Yefim Bronfman 1958-)のピアノ、ズービン・メータ(Zubin Mehta 1936-)指揮、イスラエル・フィルハーモニー管弦楽団による、プロコフィエフ(Sergey Prokofiev 1891-1953)のピアノ協奏曲集。1991年の録音。収録曲の詳細は以下の通り。
1) ピアノ協奏曲 第1番 変ニ長調 op.10
2) ピアノ協奏曲 第3番 ハ長調 op.26
3) ピアノ協奏曲 第5番 ト長調 op.55
 1991年録音。
 ブロンフマンはプロコフィエフの作品を主要なレパートリーとしていて、ピアノ協奏曲とピアノ・ソナタの双方を全曲録音している。私が、ブロンフマンのプロコフィエフでとても感動したのは、シュロモ・ミンツ(Shlomo Mintz 1957-)と1987年に録音したヴァイオリン・ソナタ集で、その幽玄な佇まいと情緒には、思わずため息がもれるほどの美しさがあった。
 他方で、ソナタと協奏曲の録音では、より現代的な先鋭性と、拘束的とも言える緊密な美が追及されており、その面で特徴的な性格を示している。そこでは、技術的困難さを克服した、現実主義的と形容したい雰囲気が、全編を満たしている。
 短いオーケストラの提示で開始される協奏曲第1番は、メータの手堅い真面目な指揮によって、几帳面に導かれるが、ブロンフマンのピアノが導入されるや、その技術の高い確実なストロークで、あらゆる音が緻密にコントロールされた力で配分されてゆく。その様子は、一種の眩(まばゆ)さとなって、聴き手に届く。その簡潔なたたずまいに、この演奏の魅力は凝縮されている。
 人気曲である第3番も、抒情性やロマン性の発露というよりも、幾何学的といってもいいほどに即物的表現に徹し、その結果として、美しい破片によって織りなされた音像が構築されていく。メータの指揮は、ピアノにくらべると、いくぶん古典的な情感を保持しているが、基本的には音量の制御に専心していて、リーズナブルだ。
 聴いていて、たいへん滑らかな音響の連続となり、そのことは、ともすればいつの間にか終結にたどり着く「あっけなさ」にもつながるが、一方で、スポーティーで快活な味わいにもなる。この明朗なプロコフィエフには、アイロニーや毒の要素は少なく、とても健全に響く。
 第5番も同様のスタイルで、緊密なピアノとオーケストラのコミュニケーションが連続していて、技巧的だが、ヴィルトゥオージティックと称されるような情熱的なものをほとんど感じさせない清潔感に満ちている。情緒よりも感性で押し切った清々しい響きだ。
 個人的には、これらの協奏曲では、色彩感とパワーに満ち溢れたアシュケナージ(Vladimir Ashkenazy 1937-)、印象派を思わせるタッチで抒情性に富んだバヴゼ(Jean-Efflam Bavouzet 1962-)、スリリングな迫力に満ちたベロフ(Michel Berof 1950-)の3種を大いに愛好しているのだけれど、このブロンフマン盤も、むしろリラックスして聴きたい時には、思わず手が伸びる録音となっている。

ピアノ協奏曲 第1番 第4番「左手のための」 第5番
p: デミジェンコ ラザレフ指揮 ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団

レビュー日:2020.6.29
★★★★☆ デミジェンコのピアノの機能美を中心に置いた演奏
 デミジェンコ(Nikolai Demidenko 1955-)のピアノ、ラザレフ(Alexander Lazarev 1945-)指揮、ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏で、プロコフィエフ(Sergei Prokofiev 1891-1953)の以下の3つのピアノ協奏曲を収録したアルバム。
1) ピアノ協奏曲 第1番 ニ長調 op.10
2) ピアノ協奏曲 第4番 変ロ長調 op.53 「左手のための」
3) ピアノ協奏曲 第5番 ト長調 op.55
 1998年の録音。
 プロコフィエフのピアノ協奏曲のうち、人気曲である第2番と第3番については、すでに1995年に録音していたため、当盤には残りの3曲を収めた形。
 技術的に安定したピアノ、明晰なタッチで、正確なトレースを感じさせる演奏。イン・テンポを意識させ、色彩的にはモノトーンの雰囲気。デミジェンコの演奏で優れている点は、メカニカルな冴えであり、その機能的で機敏なタッチは、陰影をくっきり表現しており、それゆえ音響を構成する階層が、わかりやすくなっている。混濁の無い真っ直ぐな表現と言おうか。ただ、逆に言うと、楽曲が持つ様々な起伏、発色性が、表現の上で制約的に扱われることとなるため、聴き手の情動に訴える部分に弱さを持っている。
 楽曲ごとでは、第1番が良く思える。この曲は若きプロコフィエフが天才的なひらめきのまま感覚的に書きあげたところのある楽曲なので、デミジェンコのスタイルにぴったりのところがある。こまやかなスタッカートが、一つ一つ克明で、同じサイズ感で決まっていくところは心地よい。
 欠点としては、その単調さが指摘できるだろう。スピーディーな個所ではあまり気にならないが、例えば協奏曲第4番のアンダンテでは、アプローチがまっすぐな上に、かなりテンポを落して弾くのだが、かなり薄味な印象で、生気に不足して感じる。このアンダンテが11分39秒続くのは、私にはなかなか堪えた。ちなみに私が愛聴し名盤として知られるアシュケナージ(Vladimir Ashkenazy 1937-)/プレヴィン(Andre Previn 1929-2019)版では8分59秒。はるかに色彩的で、音楽表現に豊かさがある。聴き比べると、良くわかる。
 第5番は、第4番に比べると、よくまとまっている。第3楽章のトッカータは、いかにもそれらしい響きで押し通した気持ちよさがあり、彼らの演奏の良さが端的に示されている。
 全般にデミジェンコのピアノの機敏さがこの演奏の印象の大要を締めるだろう。ラザレフの指揮は、デミジェンコのスタイルを踏襲して、発色性を抑えた感があるが、それが良い方に作用した部分と同程度にそうでない部分を感じさせてしまい、時々退屈に感じてしまうところに問題点を残す。

ピアノ協奏曲 第2番 第3番
p: キーシン アシュケナージ指揮 フィルハーモニア管弦楽団

レビュー日:2009.5.16
★★★★★ キーシンとアシュケナージによるシックなプロコフィエフ
 エフゲニー・キーシンによる2008年ライヴ録音によるプロコフィエフの協奏曲集。最近協奏曲でパートナーを務めているC.デイヴィスではなく、アシュケナージ指揮フィルハーモニア管弦楽団というチョイスは曲目を考えると順当と言えるだろう。アシュケナージのEMIへの指揮者としての録音も久しぶりである。
 プロコフィエフのピアノ協奏曲の中でももっとも内容豊かな2曲が選ばれており、聴き応えのある演奏になっている。キーシンのタッチは輝かしくそれでいて重量感豊かであるが、全体的にシックで落ち着きのある音色が支配する。それでいて、聴かせどころでの求心力は研ぎ澄まされた刃の様な一陣の疾風となる。キーシン自身2度目の録音となる第3番でも、今回の方が大きく豊かな音楽性を感じさせる。
 両曲とも序盤はやや表情をセーヴし、終楽章に向けて感情の放出が行われる。この方向性に従って、独奏者、オーケストラ間で呼吸が合わされており、そのため両終楽章は比類ない迫力に満ちている。
 アシュケナージの指揮も、セーヴとグロテスクの配分が巧みで、さすがにプロコフィエフという作曲家をピアニストとしても指揮者としてもよく知っていると思わせる。全体的に落ち着いた色合いの演奏に仕上がっていて、かつてアシュケナージがピアノを弾き、プレヴィンが指揮をした色鮮やかな快演とはまたちがったニュアンスの存在感のある演奏だ。個人的にはアシュケナージがピアノを弾いた華やかな演奏の方が好みだが、このキーシンのものも、それとはまた別の価値軸で「聴けてよかった」と思わせてくれる演奏だった。

ピアノ協奏曲 第2番 第3番 ピアノ・ソナタ 第2番
p: F.ケンプ リットン指揮 ベルゲン・フィルハーモニー管弦楽団

レビュー日:2010.4.3
★★★★☆ 高音きらめくスマートなプロコフィエフ
 フレディ・ケンプ初の協奏曲録音はリットン指揮ベルゲンフィルのバックでプロコフィエフのピアノ協奏曲の主要な2曲(第2番と第3番)となった。今回は併せてピアノ・ソナタ第2番が収録されており、総収録時間81分のディスクとなっている。録音は2008年。
 フレディ・ケンプは以前にも2001年にプロコフィエフのピアノ・ソナタ(第1番、第6番、第7番)とトッカータなどの小品を収めた優れたアルバムを録音しており、プロコフィエフという作曲家への適性が示されている。以前のアルバムでは、初期のソナタ第1番やトッカータ、エチュードなどがなめらかな運動美と独特の高音のきらめきにより際立っていたと感じられたが、今回の協奏曲も同じスタイルと思われた。
 運動性が巧みで、淀みのない流れであり、それを維持するため低音をあまりズシーンとは響かせない。高音のタッチは突き通っていて、爽快である。一方で、もっと重力を感じてもいいような場面がいかにも軽い。これは両面で評価されるもので、もちろん聴き手の好みの問題が大きいが、これは「そういう意図の」演奏なのだ、ということになる。第2番の第1楽章終盤に訪れるプロコフィエフの書いたもっとも壮大なスケルツォも敏捷性に秀でているが、スケールという点では大きいわけではなく、意図するところは全体のまとまりである。
 リットンが指揮するオーケストラはこの方向性の演奏にはうってつけで、いかにも北欧的な高音が抜けるように歌う音を持っている。清潔感に満ちているという表現がよいだろうか。
 プロコフィエフの最高傑作ともいえる協奏曲第3番も軽やかに過ぎていく。第2楽章後半など、人によってはもっと「ズンズン」くるような音楽を期待するかもしれないが、これはこれで一聴の面白み以上のものがあると思う。ピアノ・ソナタ第2番は他のソナタに比べて特徴的な作品ではないが、ケンプの特性が良く出ている佳演だろう。ぜひソナタの全曲録音を望みたい。

ピアノ協奏曲 第2番 第3番
p: デミジェンコ ラザレフ指揮 ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団

レビュー日:2017.5.2
★★★★☆ プロコフィエフの音楽が持っている駆動的、機能的な側面に焦点をあてた演奏
 ニコライ・デミジェンコ(Nikolai Demidenko 1955-)のピアノ、アレクサンドル・ラザレフ(Alexander Lazarev 1945-)指揮、ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏によるプロコフィエフ(Sergei Prokofiev 1891-1953)の以下の2曲を収録。
1) ピアノ協奏曲 第2番 ト短調 op.16
2) ピアノ協奏曲 第3番 ハ長調 op.26
 1995年の録音。
 プロコフィエフの作品の中でも、特に人気の高い2曲の組み合わせであり、演奏・録音も悪くない。
 デミジェンコは、しっかりした技術をベースに、曖昧さを残さないよう、克明なタッチを響かせている。その姿勢は徹底していて、これらの楽曲では珍しいほどにイン・テンポを意識させる演奏だ。オーケストラは、独奏者の姿勢を尊重し、それに従った解釈で、明瞭な響きを維持するためテンポを精密にコントロールされている。そういった当演奏のプライオリティが特に明瞭に打ち出されているのが協奏曲第2番の第3楽章で、ここでは、明晰さを維持するため、極端にゆっくりしたテンポが採用され、非常にメカニカルな感覚で淡々と音楽が進められていく。
 この演奏によって、プロコフィエフの音楽が持っている駆動的、機能的な側面は、非常にわかりやすく提示されていると言える。また、急速楽章における精度の高い鋭い打鍵によるピアノの技巧の冴えは、実に見事なもので、隅々まで浸透しきった充足感がある。第2協奏曲第1楽章のカデンツァの壮麗な効果は見事で、当録音随一の聴きどころとなっている。
 その一方で、プロコフィエフの音楽の別の側面とも言える抒情性や色彩感については、「控えられた」という印象。そういった点で、私には、アシュケナージ(Vladimir Ashkenazy 1972-)の生命力に溢れながら、情緒にも迫力にも事欠かない名演に比べると、特に第3協奏曲において、当録音に物足りなさを感じるところはある。ラザレフの指揮も無難ではあるが、もう一つこの指揮者ならではの何かを感じさせるものがほしいように思う。聴き手に強く不足を感じるわけではないが、プロコフィエフにしては全般に淡い響きで、薄味な響き。デミジェンコのスタイルが前述のように客観性をもって徹底したものであるため、オーケストラとしても、それに沿った演奏以外やりようがないというところもあるかもしれないが。
 とはいえ、デミジェンコの技術は申し分ないものであり、細やかでスピーディーなパッセージでも楽器を鳴らし切った音響は立派なものであり、そういった部分では、聴き手を十分に満足させてくれるだろう。

プロコフィエフ ピアノ協奏曲 第2番  ラヴェル ピアノ協奏曲
p: ユンディ・リ 小澤指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

レビュー日:2007.12.3
★★★★★ 情緒面も不足ないダイナミックな熱演です
 ユンディ・リと小沢によるプロコフィエフとラヴェル。もちろん大いに期待される顔合わせだが、聴く前まで実は不安があった。と言うのは、小沢が協奏曲を指揮するとき、オーケストラが時として極端に奥ゆかしくなるからである。例えばロストロポーヴィチと録音したドヴォルザークや、ツィマーマンと録音したラフマニノフがそうだった。その禁欲的とも言える指揮ぶりは、たしかに一つの方法とは言え、私には非常に「物足りなさ」を感じるものだった。聴いていて心の奥底まで響かない、なにか「ミニチュア版」を楽しむような趣だった。しかし、今回の私の不安はまったくの杞憂であった。この録音はピアノ、オーケストラともに実に素晴らしい。
 ユンディ・リのピアノはちょっと前に出たリストとショパンの協奏曲よりスケールがあきらかに大きくなっている。まさに彼は急速に進化しているアーティストなのだ。プロコフィエフの第1楽章でメロディを支える和音の一つ一つの雄弁なニュアンスはとても深い。やや暗めの情緒も存分に出ていて聴き手を満ち足りた気持ちにしてくれる。カデンツァのたしかな技術を背景としたダイナミクスは圧倒的と言うほかない。終結部のオーケストラの迫力は慄然たるほど。2楽章以降の急速なシーンの弾きこなしも抜群の爽快感があり、ライヴならではの熱も存分に伝わってくる。
 スタジオ収録されたラヴェルも秀演だ。ここでも小沢のタクトは絶好調で、この指揮者はプロコフィエフやラヴェルに抜群の相性を持っていると実感させられる。細やかな表情付けも思い切った演出も軽やかに決まる。もちろんピアノも抜群にセンスのいいソロで、ラヴェルはこうでないと、と納得させられる。ともかく、(私の)聴く前の不安も吹き飛んで、存分に楽しませていただいた一枚でした。

ピアノ協奏曲 第2番 第4番 ヘブライの主題による序曲
p: ブロンフマン メータ指揮 イスラエル・フィルハーモニー管弦楽団 cl: フリードマン ジュリアード弦楽四重奏団

レビュー日:2014.10.2
★★★★☆ 抵抗性のある要素をきれに取りさらったブロンフマンのプロコフィエフ
 イェフィム・ブロンフマン(Yefim Bronfman 1958-)のピアノ、ズービン・メータ(Zubin Mehta 1936-)指揮、イスラエル・フィルハーモニー管弦楽団による、プロコフィエフ(Sergey Prokofiev 1891-1953)のピアノ協奏曲集。1993年と94年の録音。収録曲の詳細は以下の通り。
1) ピアノ協奏曲 第2番 ト短調 op.16
2) ピアノ協奏曲 第4番 変ロ長調 op.53 「左手のための」
3) ヘブライの主題による序曲
 「ヘブライの主題による序曲」はクラリネット奏者ジオラ・フリードマン(Giora Feidman 1936-)及びジュリアード弦楽四重奏団との共演。
 他の3曲の協奏曲が1991年に録音されているので、当盤は全集の「後編」にあたるもの。
 「前編」同様に、均質で完成度の高い内容と言える。プロコフィエフのピアノ協奏曲では、以前から第3番は大変な人気曲であったが、最近では第2番がこれに続いており、様々な録音も出ている。
 私は、プロコフィエフのピアノ協奏曲が大好きなこともあって、これまで随分と多くの録音を聴いてきたが、第2番に関しては、1974,75年に録音されたアシュケナージ(Vladimir Ashkenazy 1937-)盤と、2007年に録音されたユンディ・リ(Yundi Li 1982-)盤が双璧だと思っている。アシュケナージはロシア的な土俗性と現代的な音楽教養を背景とした純音楽性の双方を踏まえた力強い踏み込みによる色彩豊かな演奏、ユンディ・リは、雄弁なニュアンスで迫る圧倒的でダイナミックな演奏であった。
 他方、このブロンフマンの演奏は、客観的なコントロールの美学に徹したもので、音幅を緊密に制御し、その粒立ちの良い当品質な音の連続により、滑らかで、以下に流れの中で抵抗を小さくするかに専心したもののようなイメージだ。私が他に聴いたものの中では、フェルツマン(Vladimir Feltsman 1952-)が1988年に録音したものが近い印象を持つが、ブロンフマンはさらに即物性を強めたものに感じる。
 つまり、このブロンフマンの演奏の場合、プロコフィエフの音楽が持つ先へ先へと駆り立てるようなリズム感を心地よく味わえる一方で、情感や熱といったものは、そのウェイトを下げられているため、そのようなスタンスを楽しめる人に薦めたいものとなる。
 協奏曲第2番は第2楽章~第4楽章が良い。これらの楽章に潜むグロテスクな要素が、蒸留され、アクに相当するものがほとんど抜き去られた感じがするので、とてもスマートで聴き易い。この聴く上での引っ掛かりの無さこそが魅力だろう。逆に言うと薄味で、コクに乏しいとなるのだが、これらの楽曲は、ブロンフマンのアプローチを受け入れる性質のものだ。第1楽章は、私にはやや平板に聴こえる。このスタイルなら、あまりテンポを落とすことなく、クライマックスももっとスピードを追求しても良かったように思う。
 協奏曲第4番は第3楽章のテンポが良い。ここは、いくぶん遅めに奏でられることが多いのだけれど、ブロンフマンとメータのテンポは、プロコフィエフの音楽を、活発に息づかせていて、アクセントも効いている。それに比して第2楽章は、やはり私には平板に過ぎるところがあるのだけれど、軽やかで、考え過ぎない飛ばし振りが、魅力と感じる人もいると思う。
 最後に収録されている「ヘブライの主題による序曲」が面白い。協奏曲で主導的だったブロンフマンに代わり、クラリネットのジオラ・フリードマンの独壇場といった雰囲気で、ノリノリでエスニックな色調の音楽を展開。「それならそれで併せましょう」といったブロンフマンも納得の気配。一つのディスクの中で、これだけ雰囲気が変わる展開というのは、なかなか接する機会がありません。

ピアノ協奏曲 第2番 第5番
p: ムストネン リントゥ指揮 フィンランド放送交響楽団

レビュー日:2018.3.12
★★★★★ ムストネンの徹底したスタッカート奏法が描き出すマジカルなプロコフィエフ
 オリ・ムストネン(Olli Mustonen 1967-)のピアノ、ハンヌ・リントゥ(Hannu Lintu 1967-)指揮、フィンランド放送交響楽団によるプロコフィエフ(Sergei Prokofiev 1891-1953)のピアノ協奏曲シリーズ第2弾。以下の2曲を収録。
1) ピアノ協奏曲 第2番 ト短調 op.16
2) ピアノ協奏曲 第5番 ト長調 op.55
 第2番が2017年、第5番が2016年の録音。
 2015年録音で既出の3曲と併せて、全5曲の録音が完了した。
 それにしても面白い演奏。ムストネンならではの、とにかく新しい聴き味に満ちたプロコフィエフだ。しかも、その尖り方と完成度は、前作(第1番、第3番、第4番)を上回ると感じた。
 プロコフィエフの第2番は人気曲の一つで、特に瞑想的なものと劇的なものの対比が峻嶮で、その間を「つなぐ」パッセージもプロコフィエフ特有のユーモアやグロテスクに満ちている。・・のだが、このムストネンの演奏、やはり違う。前述のような全曲的な対比ではなく、ムストネンは、それこそ一つ一つの音に、スタッカート奏法を多用した特有の対比を施し、驚くほどの独立性、独自の加減速、強弱のアクセントが施されている。第1楽章のカデンツァなど、これほど勇壮さと異なるニュアンスに接したのは、この演奏が初めて。
 この第1楽章は、面白いとともに、私は「これでいいのか」という何とも言えない気持ちもありながら聴いていたのだけれど、これが、2楽章以降、どんどんポジティヴな気持ちに変わっていくから不思議。圧巻は第4楽章で、こまやかな音階のパッセージ一つ一つが、閃光を思わせる刹那的な残像を残し、オーケストラの鋭い呼応とともに音の破片を築き上げて、一つの鮮烈なモザイク画を描き出す。その見事な演出に接するのが、楽しいのなんの。
 もちろんこの曲には、私の大好きなアシュケナージ(Vladimir Ashkenazy 1937-)盤のほか、いろいろな名録音があるのだけれど、当録音があるからといって、それらが色あせるということはまったくない。なぜなら、基本から全然違うものに聴こえてしまうから。「これ、同じ曲なんだよね」と思わず確認したくなるくらいに違う。それにしてもムストネンというピアニスト、実に独創的な芸術家だ。思えば、彼の録音した、ベートーヴェンだとか、ショスタコーヴィチとバッハの前奏曲とフーガを組み合わせたものだとか、いずれもとても面白く仕上がっていたのである。
 次いで、第5番。この曲はプロコフィエフのピアノ協奏曲の中では地味な存在だろう。5つの楽章で構成されるユニークな作品であるが、これまたムストネンのスタッカートがさく裂。一つ一つの音に細やかな強弱を配し、もうどこまでが計算でどこからが即興なのか、わかりもしない。第3楽章のめくるめく色彩感、それでいて淡い抒情が美しい第4楽章など、とにかく聴きごたえ抜群。あっという間にCD1枚通して聴けてしまう。
 最初の違和感もどこへやら。すっかり楽しませていただいたムストネンのプロコフィエフでした。

ピアノ協奏曲 第2番 第5番
p: ホロデンコ アルト=ベドヤ指揮 フォートワース交響楽団

レビュー日:2019.4.11
★★★★★ ホロデンコとアルト=ベドヤによる、クールで活力溢れるプロコフィエフ
 2013年に開催されたヴァン・クライバーン・コンクールで優勝したウクライナのピアニスト、ヴァディム・ホロデンコ(Vadym Kholodenko 1986-)と、ペルーの指揮者、ミゲル・アルト=ベドヤ(Miguel Harth-Bedoya 1968-)指揮、フォートワース交響楽団による、プロコフィエフ(Sergei Prokofiev 1891-1953)の以下の2曲のピアノ協奏曲を収録したアルバム。
1) ピアノ協奏曲 第2番 ト短調 op.16
2) ピアノ協奏曲 第5番 ト長調 op.55
 第2番は2014年、第5番は2015年にそれぞれライヴ録音されたもの。フォートワースはテキサス州でダラスと一体の大都市圏を形成する都市。
 安定していて、流れの良いプロコフィエフである。ピアノ、オーケストラともに、不自然な凹凸がなく、ライヴであるにもかかわらず、クールな抑えと効果的なタメがあって、冷静。かつ活気にも不足はない。
 特に協奏曲第2番とホロデンコの相性が良いと思う。静かな冒頭から透明な水面に広がる波紋のようなタッチが印象的で、そこからエネルギーを蓄えていく過程で放たれる、時にグロテスクな瞬間も精妙に捉えている。第1楽章のカデンツァに向かって盛り上がる過程、そしてカデンツァ本体におけるピアノのスリリングで表情豊かな味わいは、演奏者の高度な技術をしっかりと感じさせてくれるし、その帰結として得られるクライマックスの音響の完成度も見事なもの。第2楽章はオーケストラともこまやかなやり取りが聞きものだが、「間奏曲」と指示される第3楽章の重厚な雰囲気は、当盤の一つの特徴として指摘したいところだろう。終楽章の熱血性は、十分な設計が感じられたうえで、ピアノ、オーケストラ双方の見通しの良い展開があり、心地よい。
 第5番は、第2番に比べると、楽曲の性格自体が軽いこともあるが、悪くないのだが、やや安定に過ぎる印象もある。私が良く聴くアシュケナージ(Vladimir Ashkenazy 1937-)やバヴゼ (Jean-Efflam Bavouzet 1962-)、ムストネン(Olli Mustonen 1967-)といった人たちの演奏と比べると、もう少し音色のパレットの充実が欲しいと思う。それでも第2楽章の細やかなスタッカートなど魅力を感じさせてくれる部分は多いし、全体的には高いレベルの演奏といって間違いない。欲しいところでの抒情性の発露も豊かだ。ピアニストの年齢を思えば、今後の一層の充実が十分に期待できる一枚と思う。

ピアノ協奏曲 第3番 交響曲 第7番「青春」
p: アンスネス ルード指揮 ベルゲン・フィルハーモニー管弦楽団

レビュー日:2004.2.11
★★★★☆  軽やかなプロコフィエフ
 プロコフィエフはロシア革命の混乱の中に、日本での演奏会のため来日しているが、これは、彼が革命の意味をあまり理解していなかったのではないかともいわれている。 プロコフィエフはロシア革命の翌年に、日本を訪れ、その後アメリカに亡命したらしいが、15年後に祖国へ帰っている。そのためこの15年間を亡命とみなしていない記述も見られる。
 その日本で聴いた「越後獅子」のメロディが第3協奏曲の終楽章に登場する。
 アンスネス18歳時の録音。驚異的な音楽性と十全なテクニックを存分に披露する。伸びやかな音色が特徴。オケの響きがやや薄く、迫力に乏しいのが残念。ティンパニの音が相対的に大きく録れており、妙に生々しく鳴ったりしてびっくりする。

プロコフィエフ ピアノ協奏曲 第3番  バルトーク ピアノ協奏曲 第2番
p: ラン・ラン ラトル指揮 ベリリン・フィルハーモニー管弦楽団

レビュー日:2013.11.18
★★★★★  ラン・ランとラトルが繰り広げるエネルギッシュな音の絵巻
 中国のピアニスト、ラン・ラン(Lang Lang 1982-)とサイモン・ラトル(Sir Simon Rattle 1955-)指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団による2013年録音のアルバム。以下の2曲を収録。
1) プロコフィエフ(Sergei Prokofiev 1891-1953) ピアノ協奏曲第3番ハ長調 op.26
2) バルトーク(Bartok Bela 1881-1945)ピアノ協奏曲第2番
 当盤は限定版ということで、DVDが付属している。このDVDには、プロコフィエフのピアノ協奏曲第3番第1楽章収録時の模様と、プロデューサーであるクリストフ・フランク(Christoph Franke)およびサウンド・エンジニアであるレーン・モラー(Rene Moller)との作業風景などのメイキングの様子が記録されている。
 また、解説によると、ラトルは、これらの2曲が、お互い比較的近い時期に生まれているにもかかわらず、類似よりも大きな相違が認められることに興味深い考察を行っている。一方でラン・ランは、両方の曲に通じる東洋的エッセンスをどの音に見出すかに言及している。そこらへんは、ラン・ランの東洋人ならではの感覚を感じる部分だ。
 実際、プロコフィエフは、1918年に2か月間日本に滞在しており、その時に聴いた「越後獅子」のメロディーがピアノ協奏曲第3番の終楽章に用いられたことは有名だ。また、バルトークは、ハンガリーの音楽を自作に様々に応用しているが、ハンガリーの文化圏はウラル・アルタイ語族に属しており、そのこともあってハンガリーの民俗音楽には五音音階をはじめとする様々な東洋を連想する響きが多いとされている。ラン・ランは自分なりの鋭敏な感性でこれらのモチーフをプロコフィエフとバルトークの作品から感知し、演奏に活かしているようだ。
 また、プロコフィエフはラン・ランが、バルトークはラトルがリード役を担ったことなども楽曲の性格と照らして興味深いところ。
 演奏は極めてエネルギッシュ。かつ色彩感に富んでいて、これらの楽曲の外向的な側面を思い切って解き放った豪快な名演だ。ラン・ランの卓越した技術と、豊かな音量は、これらの演奏至難な楽曲の構造を、鮮やかに解きほぐし、分かり易い鮮明なフレージングを与えることで、ダイナミックな効果を獲得している。
 ラトルの指揮は機敏そのもの。この指揮者は元来相当細かいアヤをあちこちに挿入するスタイルなので、時にはその饒舌さが気になってしまうこともあるのだけれど、当盤の演奏では、それがことごとくツボにはまり、起伏にとんだ鮮烈な仕上がりとなっている。
 独奏者、指揮者、双方の才能が万感に満たされた、気迫の漲る熱演となった。なお、投稿日現在、やはりCD+DVDという規格による輸入盤の取り扱いがあり、当アイテムより廉価になっています。

プロコフィエフ ピアノ協奏曲 第3番  ラヴェル ピアノ協奏曲  ガーシュウィン ラプソディー・イン・ブルー
p: バルト A.デイヴィス指揮 ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団

レビュー日:2020.7.30
★★★★☆  メカニカルな機動性で、近代の人気3曲をプレイ
 アメリカのピアニスト、ツィモン・バルト(Tzimon Barto 1963-)と、アンドリュー・デイヴィス(Andrew Davis 1944-)指揮、ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏で、以下の3作品を収録したアルバム。
1) プロコフィエフ(Sergey Prokofiev 1891-1953) ピアノ協奏曲 第3番 ハ長調 op.26
2) ラヴェル(Maurice Ravel 1875-1937) ピアノ協奏曲 ト長調
3) ガーシュウィン (George Gershwin 1898-1937) ラプソディ・イン・ブルー
 1988年録音。
 人気曲3曲を並べた、いかにも楽しげな構成のアルバム。バルトは当アイテムがメジャー・デビュー盤であったとのこと。
 バルトのピアノは、簡単に言うと、歌で聴かせるより、機敏な即応性、メカニカルの卓越を背景とした感性主導的な音楽づくり、という印象を受ける。当盤に収録された3曲では、プロコフィエフが良いようだ。バルトのスタイルは、この楽曲がもつ歯切れのよいリズムや急な旋回に向いており、かつ鋭い打鍵を失うこともなく、実にキビキビと気持ちよく動き回る。その印象は、スピード感として聴き手に伝えられる。音色は多彩ではないが、スタッカートの歯切れの良さや、その連続を等速でこなす機動性は高く、それを中心に音楽表現が形作られていく。特に終楽章で聴かれる音の羅列は、鮮やかで、とても清々しい。逆に言うと、それ以外のことで奏者の芸術性をどこかに感じるか、というと、そういった点では希薄なのであるが、プロコフィエフの楽曲にこのアプローチはかなり有効なようだ。オーケストラは平均的だろうか、ただ、音に重さを感じる部分が多いのは、どうだろうか。思い切って、そういった要素を削ぎ落した方が、ピアノソロに即して、突き抜けた演奏になったようにも思うが。
 ラヴェルでは、前述の特性は共通なので、機能的な高さは見事なのであるが、第2楽章など単調に思えてしまうのは残念である。この音楽は、機敏性とともに、オーケストラの色彩感とタイを張るようなピアノの華やかさが欲しいのであるが、バルトのスタイルは、私にはやや筋肉質に過ぎるように感ぜられる。
 ガーシュウィンはユニークなアプローチだと思う。やや遅めのテンポで、ピアノは細やかなスタッカートを披露するが、微妙にインターバルをスイングさせ、独特の間の演出を盛り込む。プロコフィエフやラヴェルとはまったくことなったアプローチであり、バルトというピアニストが、楽曲によってかなり臨機応変なスタイルをとることが出来ることを示している。もう一つ音色にも多彩さがほしいところは残るが、面白いことは間違いない。オーケストラは、真面目に演奏している感が強い。ガーシュウィン的な表現も教科書的というか、模範的な感じであるが、全般にテンポが遅めなため、少し重めの印象を残す。この曲では、もっと軽い華やかさが好ましいと私は思う。
 人気曲3曲を鋭いピアノで体感できるアルバムである。ただ、各曲とも、他の名演名録音と比較したときに、もう一つなにかほしいところも残る感じである。

ピアノ協奏曲 第3番 第5番
p: ガヴリリュク アシュケナージ指揮 シドニー交響楽団

レビュー日:2010.6.28
★★★★★  圧巻のピアニズムと万全のオーケストラ。もちろん名快演!
 ピアノソロにガヴリリュクを迎えてのアシュケナージ指揮シドニー交響楽団のプロコフィエフ・シリーズ「ピアノ協奏曲編」の後編。こちらには第3番と第5番の2曲が収録された。前編を上回る素晴らしい内容だ。
 とりわけ第5番が素晴らしい。プロコフィエフの書いた5曲のピアノ協奏曲はいずれも名品だと思うが、第4番と第5番の2曲はメロディーの面でやや渋めであるため、いまひとつ人気もなく、録音も少ない。しかしいずれもプロコフィエフの個性がよく映えた作品で、良い演奏で聴くと様々に感じるものがある。
 第5協奏曲は5つの楽章からなり、ピアノ付きの管弦楽組曲といった雰囲気で、リズミックな処理、静謐、諧謔、グロテスク、神秘、アヴァンギャルドなど様々な要素が交錯する。主題を共有する楽章もあるという点で、やはり組曲のように聴こえる。第4楽章の静けさはこの曲のハートであるとともに、ショスタコーヴィチにも通じる深刻さを帯びている。ガヴリリュクの安定した乱れのない技術とアシュケナージのタクトによって引き締められたオーケストラが、曲の深部まで明らかにしており、常に程よいエネルギーが供給されている。終楽章のヴィーヴォは、その楽章だけで多彩な要素を含んでいるが、緻密な演奏によりその面白みが存分に伝わる快感を味わわせてくれる。
 第3協奏曲はもちろんプロコフィエフの最高傑作とも言える有名な音楽であるが、こちらは冒頭の落ち着いたシックな導入が厳かささえ感じさせる。木管の音色は透明でニュアンス豊か。落ち着いた足取りで細やかなオーケストラのバックから導かれるピアノソロは模範的。その後、展開部からはぐんぐん迫力を増してくる。決め所での金管の押し出しも鮮やかだが、ソリストとの息の合った間合いが抜群。金管の階層的な響きはシンフォニックで鳴りすぎず、豊かなホールトーンで聴き応えが良好。第2楽章の物憂い主題ではこれぞピアニスティックと言いたくなるガヴリリュクのピアノが美しい。後半の、オーケストラと一体となって畳み掛けるような迫力も圧巻。第3楽章もややゆったりと導入されるが、音楽の振幅を徐々に大きくしていく加速感ある演出が効果的。ガヴリリュクのテクニックは十全で、ややシックな色合いながら、音量は豊かで、歯切れの良い音色が逞しく弾む。やはり凄いピアニストなのだ。
 アシュケナージの「ガヴリリュク起用」が見事に的中した快演盤の登場となった。

ヴァイオリン協奏曲 第1番 第2番 無伴奏ヴァイオリン・ソナタ ヴァイオリン・ソナタ 第1番 第2番 5つのメロディー 2つのヴァイオリンのためのソナタ
vn: エーネス モレッティ ノセダ指揮 BBCフィルハーモニック p: アームストロング

レビュー日:2013.10.15
★★★★★ 特に2曲の協奏曲が名演です!エーネスのプロコフィエフ。
 私が、現代音楽界でもっとも卓越した技巧を持つと考えるヴァイオリニスト、ジェームズ・エーネス(James Ehnes 1976-)が、なんと、プロコフィエフ(Sergei Prokofiev 1891-1953)がヴァイオリンのために書いた傑作群を一気にCD2枚にまとめて録音&リリースしてくれた。まずは収録内容。
【CD1】
1) ヴァイオリン協奏曲 第1番 ニ長調 op.19
2) 2つのヴァイオリンのためのソナタ ハ長調 op.56
3) 無伴奏ヴァイオリン・ソナタ ニ長調 op.115
4) ヴァイオリン協奏曲 第2番 ト短調 op.63
【CD2】
5) ヴァイオリン・ソナタ 第1番 ヘ短調 op.80
6) ヴァイオリンとピアノのための5つのメロディ op.35bis6
7) ヴァイオリン・ソナタ 第2番 ニ長調 op.94
 1)と4)ではジャナンドレア・ノセダ(Gianandrea Noseda 1964-)指揮BBCフィルハーモニックがバックを務める。2)の第2ヴァイオリンはエイミー・シュワルツ・モレッティ(Amy Schwartz Moretti)、5)、6)、7)のピアノは1993年のヴァン・クライバーン国際ピアノコンクールで審査員特別賞を受賞したアンドルー・アームストロング(Andrew Armstrong)。2012~13年の録音。
 私は、プロコフィエフのこれらの楽曲が大好きなのだけれど、これまでなかなか高品質の録音で、集中的に録られたものがないな、と思っていた。それで、このアルバムの登場は、まさに干天に慈雨といった趣で、ただちに購入させていただいた。
 内容は期待を上回る素晴らしいもの。エーネスの卓越した技巧が、楽曲をスタイリッシュに仕上げ、高品質な録音とあいまって、高い精度で楽曲の魅力を浮かび上がらせたものとなっている。
 特に良いのが2つの協奏曲で、ここではノセダの精妙な指揮によって、こまやかに色彩を整え、時として唐突なほどの鋭利さを持って曲の内面に迫るオーケストラのサウンドが素晴らしい。エーネスのヴァイオリンには1か所として不明瞭なところはなく、プロコフィエフの作品の抒情性、怪奇性が緻密に描写され、かつ洗練されている。「洗練されている」と言うのは、唐突な演奏効果であっても、音楽表現としての必然性に応じて、その表現の方向性がいつのまにか、本来的なものに向けられているという、「人工的な負荷の少なさ」からもたらされる印象だ。
 例えば第1協奏曲終楽章のクライマックスの高音の響き。鋭すぎず、かつ音楽としての屹立とした容貌を表現しつくした鮮明な立体感が衝撃的だ。第2協奏曲で言えば、終楽章の独奏ヴァイオリンの(特に重音の)質感と美観、これに呼応するオーケストラ、特にティンパニの重低音とのコントラスト、そういったものが余すことなく、劇的に、かつ美しく表現されているところが素晴らしいのだ。こういったところは、本来どうしても技術的な障壁に対する独奏者の挑戦的なものを感じさせたのだけれど、エーネスの演奏はより高いとこから、完璧に制御されたクオリティーを感じさせるものだと思う。
 室内楽曲たちも秀演が揃っている。特に「ヴァイオリンとピアノのための5つのメロディ」は知られざる名品だと思うが、この音楽の根底にあるプロコフィエフ特有の情感が、きれいにまっすぐに表現されているところなど、あらためてエーネスの手腕に感服してしまう。ピアノも情感を大事にしており、好感の持てるもの。
 エーネスのこれまでの録音の中でも、特に優れたものの一つであるに違いない。

ヴァイオリン協奏曲 第1番 第2番 無伴奏ヴァイオリンソナタ ヴァイオリン・ソナタ 第1番 第2番 5つのメロディー 行進曲(3つのオレンジへの恋から)
vn: ツィンマーマン マゼール指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 ヤンソンス指揮 フィルハーモニア管弦楽団 p: ロンクィッヒ

レビュー日:2015.12.8
★★★★★ プロコフィエフのヴァイオリン作品を網羅し、品質も優れた廉価盤
 ドイツのヴァイオリニスト、フランク・ペーター・ツィンマーマン(Frank Peter Zimmermann 1965-)によるプロコフィエフ(Sergei Prokofiev 1891-1953)のヴァイオリンのための作品集。元はEMIの音源だったが、当盤はBrilliant Classics により廉価復刻されたもの。収録内容の詳細は以下の通り。
【CD1】
1) ヴァイオリン協奏曲 第1番 ニ長調 op.19 1987年録音
2) ヴァイオリン協奏曲 第2番 ト短調 op.63 1991年録音
3) 無伴奏ヴァイオリン・ソナタ ニ長調 op.115 1995年録音
4) 2つのヴァイオリンのためのソナタ ハ長調 op.56 1996年録音
【CD2】
5) ヴァイオリン・ソナタ 第2番 ニ長調op.94a 1987年録音
6) 組曲「3つのオレンジへの恋」op.33 から「行進曲」(ハイフェッツ(Jascha Heifetzas 1901-1987)編曲) 1987年録音
7) ヴァイオリン・ソナタ 第1番 ヘ長調 op.80 1987年録音
8) 5つのメロディop.35b 1987年録音
 1)はマゼール(Lorin Maazel 1930-2014)指揮、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団、2)はマリス・ヤンソンス(Mariss Jansons 1943-)指揮、フィルハーモニア管弦楽団との録音。【CD2】で共演しているピアニストはアレクサンダー・ロンクィッヒ(Alexander Lonquich 1960-)。
 また、当盤で特徴的なのは「2つのヴァイオリンのためのソナタ」で、これはツィンマーマン自身による多重録音による演奏。 
 プロコフィエフという作曲家をふかく敬愛するツィンマーマンならではの研ぎ澄まされた感性を感じさせる録音。ロマンティックな要素を排し、はっきりしたイントネーションで抜群の透明感を感じさせる演奏。ヴァイオリン協奏曲第2番に彼のスタイルはより明確に出ていて、とても見通しの良い明るさを感じさせる。ツィンマーマンのダイナミックレンジは広くはなく、ビブラートも控えめであるが、そのことによって、抑制的な美観が全般に敷き詰められ、高貴な気配が行き渡る。特有の緊迫感と明朗性の両立によって、プロコフィエフの楽曲が実に瑞々しく響く。
 「無伴奏ヴァイオリン・ソナタ」と「2つのヴァイオリンのためのソナタ」では、この作曲家の新古典主義的な性格が演奏によってよく引き出されている。線的な成分を抽出した純粋性が得難い透明度をもって響き渡る。
 ロンクィッヒとの共演ではピアニストの素晴らしさも特筆したい。決して録音点数は多くはないが、様々なジャンルに優秀な演奏を繰り広げている人物で、これらのプロコフィエフでも、ピアノのバランス感覚の見事さは圧巻。ヴァイオリニストともども、正確で緻密な音楽を積み上げていて、音色も美しい。古典的な均一性に貫かれた様式美を感じさせるプロコフィエフだ。人によってはもっと跳躍的、躍動的なものを求めるかもしれないが、当演奏の完成度の高さは、それだけで十分な説得力をもったものだろう。
 プロコフィエフのヴァイオリン作品を網羅したアルバムとしては、最近ではエーネス(James Ehnes 1976-)によるもの(CHAN10787)もとても素晴らしかったのだけれど(演奏の性格も似ている)、価格を考えるとコスト・パフォーマンスに優れた当盤がよりオススメである。録音も問題ない。

ヴァイオリン協奏曲 第1番 第2番 騎士たちの踊り グラン・ワルツ 行進曲
vn: バティアシュヴィリ ネゼ=セガン指揮 ヨーロッパ室内管弦楽団

レビュー日:2018.2.27
★★★★★ バティアシュヴィリのスタイルが強く打ち出されたプロコフィエフ
 リサ・バティアシュヴィリ(Lisa Batiashvili 1979-)のヴァイオリン、ヤニク・ネゼ=セガン(Yannick Nezet-Seguin 1975-)指揮、ヨーロッパ室内管弦楽団によるプロコフィエフ(Sergei Prokofiev 1891-1953)のヴァイオリン協奏曲集。収録曲は以下の通り。
1) 騎士たちの踊り ~バレエ音楽「ロメオとジュリエット」から
2) ヴァイオリン協奏曲 第1番 ニ長調 op.19
3) グラン・ワルツ ~バレエ音楽「シンデレラ」から
4) ヴァイオリン協奏曲 第2番 ト短調 op.63
5) 行進曲 ~バレエ音楽「3つのオレンジへの恋」から
 2)のみ2015年、他は2017年の録音。1,3,5)の独奏ヴァイオリンと管弦楽のための編曲は、リサ・バティアシュヴィリの父であるタマーシュ・バティアシュヴィリ(Tamas Batiashvili)によるもの。
 バレエ音楽の軽妙な音楽とヴァイオリン協奏曲を組み合わせるというコンセプトはなかなかに楽しい。シンデレラからの編曲には、ミハイル・フィフテンホルツ(Mikhail Fikhtengolts 1920-1985)による「ヴァイオリンとピアノ版」も楽しいが、このたびのタマーシュ・バティアシュヴィリの編曲もとても良くできたもので、たいへん楽しかった。騎士たちの踊り、行進曲ともヴァイオリンのスリリングな効果が生きており、輝かしい響きに満ちている。
 そして、名品ヴァイオリン協奏曲もなかなか見事な演奏だ。バティアシュヴィリは、かなり自在なアプローチを感じさせるスタイルをとる。テンポの変化が激しく、そのことによって華やかな演奏効果が随所で上がっている。独奏ヴァイオリンの糸を引くような粘りのある音色は、艶やかな発色をともなっていて、フレーズごとにその余韻を十分に聴き手に味わわせるため、テンポの変動も大きくなるのだ。だから、楽譜の指示に忠実か、といえば、当演奏は、そうではないもののグループに入るだろう。
 それゆえに、独奏者の世界が主体的に全体を覆っている印象がある。また、バティアシュヴィリは、楽曲の甘美な要素を強く打ち出しており、例えば第2協奏曲のポルタメントの用い方に強い香気を感じるのは私だけではないだろう。ヤニク・ネゼ=セガンの指揮は、そんなバティアシュヴィリのスタイルを徹頭徹尾支えており、音の濃淡で言えばむしろ淡い色彩感をもって、速度の変化への対応する余地を十分にキープしている。その響きは透明な印象として伝わる。しかし、独奏ヴァイオリンの醸す情感の濃さゆえに、全体的な印象は、むしろ味のはっきりした演奏ということになる。
 以上のように、この楽曲の旋律が持つ情緒的側面を、存分に強調した、主従のはっきりした明瞭な演奏と言える。バティアシュヴィリの考え方が、直截に伝わるもの、とも言えるだろう。録音がたいへん良好なこととあいまって、印象に残る一枚となった。

交響的協奏曲 チェロと管弦楽のための小協奏曲(コンチェルティーノ)
vc: ハレル アシュケナージ指揮 ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団

レビュー日:2008.8.19
★★★★★ プロコフィエフの2曲のチェロ協奏曲を収録
 プロコフィエフには形式上「チェロ協奏曲」と呼べる作品が3つある。一つは「チェロ協奏曲第1番」と称される1938年の作品58。もう一つは「交響的協奏曲」で、これは「チェロ協奏曲第2番」と呼ばれることもある1951年の作品125、ただし、この「交響的協奏曲」は第1番を改作したものであり、大きく異なっている部分が多いものの、第2番と称するのは難があり、作曲者はこのようなタイトルを与えたものだと思われる。最後に「チェロと管弦楽のための小協奏曲(コンチェルティーノ)」作品132があり、これは1952年から作曲が開始されたが未完で終わったもので、その後ロストロポーヴィチとカバレフスキーの補筆によって1959年に完成している。ちなみに「交響的協奏曲」はロストロポーヴィチが初演しているが、その際オーケストラを指揮したのはピアニストのリヒテルである。現在では協奏曲第1番はあまり取り上げられない。
 このアルバムには、「交響的協奏曲(チェロ協奏曲第2番)」と「チェロと管弦楽のための小協奏曲(コンチェルティーノ)」の2曲が収録されている。チェロ独奏はリン・ハレル、アシュケナージ指揮ロイヤルフィルの演奏。録音は1989年と1991年に行われている。
 「交響的協奏曲」は改作によりスケールが一段と大きくなり、また管弦楽の役割も増した。独奏チェロには多様な演奏技巧が駆使されているし、オーケストラにも様々な表現力が要求される難易度の高い楽曲。ハレルというチェリストの特徴は、とにかく微細な音を精密に描写するように音にしていく点にある。非常に楽譜に忠実で、過度の踏み込みや表情付けを排し、禁欲的とも言えるほどのクールな音色を出す。かといって歌心がないというわけではない。ただ、その歌に思いをたっぷり乗せるような弾き方はしない。気品ある佇まいである。それがこれらの楽曲でも生きる。技術的な困難さはクリアできるし、例えば「交響的協奏曲」第2楽章後半の息もつかせぬ高速パッセージを汗も感じさせずに弾ききっている。これがプロコフィエフの鋭利な知的探求にビタリと嵌っている。アシュケナージもうまい。オーケストラの多様なポジショニングを的確に把握できるのは、ピアニストとして数多くの編成との共演を重ねてきた前歴の賜物と思える。まさにこれらの楽曲を演奏・録音するのにふさわしいコンビネーションだ。

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室内楽

弦楽四重奏曲 第1番 第2番 2つのヴァイオリンのためのソナタ
パヴェル・ハース弦楽四重奏団

レビュー日:2010.4.19
★★★★★ プロコフィエフの弦楽四重奏曲の魅力を証明した名盤!
 私はプロコフィエフの音楽が大好きで、有名どころだけではなく、相当多くの作品を聴いてきた。プロコフィエフの作品自体、交響曲、管弦楽曲、バレエ音楽、器楽曲、室内楽、声楽曲と幅広く、しかも多くのジャンルで傑作と呼びうる名品を残している。近現代的な書法やリズム処理、音色を用いながら、同時に抒情的な旋律を用い、古典的な平明さも持ち合わせた魅力に満ちたもので、「有名曲」だけかいつまんで聴くのはあまりにももったいない作曲家と言明できる。
 しかし、そんな私でも「弦楽四重奏曲」はほとんど聴いていなかった。一応廉価ディスクを一枚持っているのだけれど、ほとんど記憶に残っていなくて、いわゆる世間的にも、プロコフィエフの作品の中で「弦楽四重奏曲」は重要とはされていない。
 しかし、そんな私の思い込みを、一気に覆してくれる名盤がコレ!パヴェル・ハース弦楽四重奏団による2009年の録音。収録曲は、弦楽四重奏曲第1番、第2番「カバルダの主題による」と2つのヴァイオリンのためのソナタ。
 パヴェル・ハース弦楽四重奏団は登竜門的コンクールを経て急速に知名度を高めた若いメンバーによる楽団。チェコの作曲家で、退廃音楽のレッテルを貼られたパヴェル・ハース(Pavel Haas 1899-1944)の名を冠しているが、そのハースの弦楽四重奏曲については既に録音済みである。
 第1番は第1楽章の鋭角的な導入部と叙情的な第2主題の鋭い対比が見事で、一気呵成に弾ききった音楽の奔流が見事!第2楽章もスピーディーでクールな音楽が鮮烈だ。第3楽章のアンダンテはショスタコーヴィチを思わせるが深い内省的な音楽が緊張感を持続して描かれる。第2番はプロコフィエフらが第二次世界大戦中滞在した地方の民謡を素材に取り入れたもので、第1番に比べて旋律的で純朴、平明な点が特徴。これらの音楽素材の採取にはタニェエフが積極的だったらしく、プロコフィエフもそれを拝借した按排。第2楽章のチェロで奏させるメロディが特に印象的だ。第3楽章もエスニックで、パヴェル・ハースのノリのよいリズム感が抜群に心地よい。
 2つのヴァイオリンのためのソナタも面白い。この4つの楽章をプロコフィエフの息子は「リリカル、遊び、空想、乱暴」と評したと言うがこのイメージで聴いても面白いだろう。西洋古典的な書法に基づいていているという点でも判り易い。楽曲自体のステイタスを大きく引き上げてくれる名録音だ。彼らへの今後の期待もきわめて大きい。

ヴァイオリン・ソナタ 第1番 第2番 ヴァイオリン協奏曲 第2番
vn: パールマン p: アシュケナージ ラインスドルフ指揮 ボストン交響楽団

レビュー日:2004.1.1
再レビュー日:2016.3.29
★★★★☆ 若き天才たちの新感覚プロコフィエフ
 収録曲は2曲のヴァイオリン・ソナタと協奏曲の第2番。オケはラインスドルフ指揮のボストン交響楽団である。
 当盤は若きパールマンとアシュケナージがRCAレーベルに録音したものが復刻されたもの。プロコフィエフのヴァイオリン・ソナタは美しく衝撃的で危険な深さを持っている。第1番第3楽章の幽玄なたたずまいと秘めた情緒は麻薬的。「墓場にそよぐ風のように」と指定された第1番の緩徐楽章など、この演奏で聴くと、おや、と思うほど明るいがそれがこの曲にあらたな魅力を見出している。
 元来がフルートソナタであった第2ソナタの3,4楽章など二人の鋭敏なリズム感に圧倒される。協奏曲とのカップリングでお買い得と言える。
★★★★★ 世代を代表するヴァイオリニスト、パールマンのデビュー盤
 イツァーク・パールマン(Itzhak Perlman 1945-)のヴァイオリンによるプロコフィエフ(Sergei Prokofiev 1891-1953)の以下の3作品を収録したアルバム。
1) ヴァイオリン・ソナタ 第1番 ヘ短調 op.80
2) ヴァイオリン・ソナタ 第2番 ニ長調 op.94bis
3) ヴァイオリン協奏曲 第2番 ト短調 op.63
 ヴァイオリン・ソナタはアシュケナージ(Vladimr Ashkenazy 1937-)との共演で1969年の録音、協奏曲は、エーリヒ・ラインスドルフ(Erich Leinsdorf 1912-1993)指揮、ボストン交響楽団との共演で1966年の録音。
 70年代以降、世界を代表するヴァイオリニストとして衆目一致する存在となったパールマンであるが、当盤に収録された協奏曲がそのデビュー盤である。4歳の時に小児麻痺で両足の自由を失ったパールマンが、そのハンディをものともせずに頭角を現し、10代末のころには次々とコンクールを制覇するようになった。ハイフェッツ(Jascha Heifetzas 1901-1987)以降の、レーベルのスター・ヴァイオリニストを探していたRCAは、その才を見抜きただちに、1964年頃に早くも契約を結んだとされる。そして、ラインスドルフとの共演によりプロコフィエフの録音が行われた時、パールマンは21歳である。
 コンクールで名を挙げはじめたころのパールマンは身体的ハンデから、全力での連続演奏可能な時間は30分くらいだったという。しかし、それほどの困難がありながら、彼は素晴らしい技術と、多くの人を魅了する豊饒な音色を身につけた。そうして奏でられる彼のヴァイオリンは、清々しいほどの明朗で暖かい響きに彩られる。前述のパールマンの生い立ちは一度は耳にする話であるが、しかし、当デビュー盤においてすでに「彼の個人的な生活のあれこれを論じる必要がなくなる時がいずれ来るだろう。」と述べられている。何より彼の新鮮な音楽の精神に、同世代を芸術家を代表する価値があることは明確だったらである。
 また、パールマンによってアシュケナージとの出会いもまた幸福なものであった。当時、デッカを中心に録音を行っていたアシュケナージが、RCAレーベルの若きヴァイオリニストとの共演に赴いたのは、当然のことながらその音楽性と人柄を愛したからに違いない。じっさい、このプロコフィエフの名演を手始めに、彼らは、ベートーヴェン、ブラームス、フランクといった作曲家たちの室内楽に、次々と名録音と呼ぶにふさわしい金字塔を記録していくことになる。
 もちろん、当録音もすでに素晴らしいもの。衝撃的な美と鋭敏なリズムが支配しながらも、暖かみの通った音色は、純音楽的な平衡性を保ち、引き締まった造形美を演出している。アシュケナージ、パールマンともに、パワー、技術の両面でまったく不足がない上に、ソノリティ、バランスの双方に抜群の感覚的「冴え」を持っているから、音楽が求心性を持ちながら、外面的な働き掛けにも不足のない、圧巻の名演となっているのである。
 その後50年近くを経ながら、彼らのその後の活躍を知って聴くこれらの録音は、加えて味わい深いものともなっている。なお、録音が良好なことも書き添えたい。

ヴァイオリン・ソナタ 第1番 第2番 ヴァイオリンとピアノのための5つのメロディ
vn: イブラギモヴァ p: オズボーン

レビュー日:2015.1.8
★★★★★ 若き天才たちの新感覚プロコフィエフ
 ロシアのヴァイオリニスト、アリーナ・イブラギモヴァ(Alina Ibragimova 1985-)とイギリスのピアニスト、スティーヴン・オズボーン(Steven Osborne 1971-)という興味深い顔合わせによるプロコフィエフ(Sergey Prokofiev 1891-1953)のヴァイオリンとピアノのための作品集。2013年の録音。収録されているのは以下の3曲。
1) ヴァイオリン・ソナタ 第1番 ヘ短調 op.80
2) ヴァイオリンとピアノのための5つのメロディ op.35bis
3) ヴァイオリン・ソナタ 第2番 ニ長調 op.94bis
 イブラギモヴァとオズボーンは、20世紀に生まれたこれらの名曲を、鋭い感性によって表現していて、とてもふさわしく響く。  プロコフィエフの2曲のヴァイオリン・ソナタは、ともにたいへんな傑作であるが、互いに対照的な性格を持っている。悲劇的で、戦争の世紀と呼ばれた当時の芸術家の感受性を示す第1番と、夢想的で、遊戯性に富んだ芸術家の想像力を示す第2番、とでも言おうか。しかし、イブラギモヴァとオズボーンは、いずれにも、きわめて精緻で、細部まで克明に描写するスタイルによる再現を貫き、成功している。
 ソナタ第1番の深刻さは、戦争を描写した抒情性にあると言われる。特に第1楽章終結部の弱音によるヴァイオリンの音階は、作曲者自身によって「墓場を吹く風のように」と語られたことで有名だ。このソナタが書かれたのは1938年から1946年にかけてだから、第二次世界大戦の暗い影が創作活動に影響を与えた可能性は高い。私は、この「墓場を吹く風」を聴くと、もう一つ思い当たるプロコフィエフの作品がある。それは、1947年に完成された交響曲第6番で、この楽曲の第1楽章で奏でられるヴァイオリンとヴィオラの主題もまた「戦争の痛みを表現した」とされる、からっ風のような儚さをもたらす。
 イブラギモヴァの弱音の静謐な美しさに注目したい。ことに重音の絶妙の響きは、音楽に緊迫した平衡感覚をもたらし、きわめて厳しい感情を伝えてくれる。当然のことながら、「墓場に吹く風」の緊迫感も張りつめたテンションを内包する。
 偶数楽章の躍動性はオズボーンの跳躍するようなピアノと併せて、見事な音楽的効果を演出する。といっても手放しではしゃぐわけではなく、常に高次な統制が働いていて、感覚的な美学に満ちているのだ。
 ソナタ第2番は、この曲にしては線の細い響きである、という印象を持つ人も多いかもしれない。しかし、当演奏によってもたらされているただならない緊迫感は、従来のこの曲からは聴かれなかった性質のものに感じるし、私はとても美しいと思う。
 歌曲をヴァイオリンとピアノのために編曲した「5つのメロディ」も美しい作品だ。当演奏の特徴は、特に第4曲の「スケルツァンド」で明瞭に示されていて、緊張と正確さを突き詰めることで、空想的な音楽を表現するというプロットの秀逸さがわかる。

プロコフィエフ チェロ・ソナタ  ショスタコーヴィチ チェロ・ソナタ  ラフマニノフ(ローズ編) ヴォカリーズ
vc: ヒューギル p: アシュケナージ

レビュー日:2020.8.6
★★★★★ アシュケナージが活動期の終盤に録音した室内楽。ヒューギルと紡ぎあげた素晴らしい美品。
 2019年1月の、アシュケナージ(Vladimir Ashkenazy 1937-)が演奏活動から引退するとの報道は、私にとっても大きな衝撃だった。私は、学生だったころから、毎月のように彼のCDを購入し、様々な楽曲と出会い、自分の音楽に関する見識を広めてきたものである。自分の趣味領域の拡張は、アシュケナージの広いレパートリーがあってこそと思う。様々な音楽との素敵な出会いをもたらしてくれたアシュケナージに対しては、心底感謝の思いしかない。
 だから、そんなアシュケナージがその音楽活動の終盤期に録音したものは、一つ一つが私には何かの刻印のように感じられるのである。その一つが当アルバム。アシュケナージが2009年から2013年にかけて首席指揮者を務めたシドニー交響楽団において、チェロの主席奏者を務めるキャサリン・ヒューギル(Catherine Hewgill 1963-)との協演で、以下の楽曲が収録されたもの。
1) プロコフィエフ(Sergey Prokofiev 1891-1953) チェロ・ソナタ ハ長調 op.119
2) ショスタコーヴィチ(Dmitry Shostakovich 1906-1975) チェロ・ソナタ ニ短調 op.40
3) ラフマニノフ(Sergei Rachmaninov 1873-1943)/レナード・ローズ(Leonard Rose 1918-1984)編 ヴォカリーズ
 2017年の録音。
 当アルバムには、“From Darkness to Light”というタイトルが与えられているが、ヒューギルによると、「2つのソナタがもつパッセージの暗さに基づくもので、それらは普遍的かつ希望的な解決へとそれらを導く可能性を示す」とのこと。そのタイトルの咀嚼については各聴き手に委ねるとして、演奏は、バランスとニュアンスに優れたとても質の高いものとなっている。
 アシュケナージのピアノ、私にはこれらの楽曲におけるそのふるまいは、室内楽としておおよそこれ以上ないくらいに理想的なものに感じられる。崩れないバランス、チェロ奏者の表現を踏まえたこまやかなアクション、運動的な個所であっても、客観的な視点をつねにキープした造形性。アシュケナージは、これらの2つのソナタを、1988年にハレル(Lynn Harrell 1944-2020)と録音しているのだが、それと比べても、さらに完成度がましたように感じられる。
 プロコフィエフは、第1楽章の薄明かりの下の不安を感じさせるメロディーと憂鬱な情感がとてもきれいな繋がりをもって奏でられる。第2楽章はウィットな感覚と叙情的なフレーズの役割分担が明晰に表現されており、チェロの適度に艶やかな音色に軽やかに沿うピアノの距離感が抜群だ。第3楽章ではロシア民謡の影響を受けたリズムがほどよい活力で表現されていて瑞々しい。プロコフィエフのチェロ・ソナタという楽曲における現代を代表する録音と呼ぶにふさわしいだろう。
 ショスタコーヴィチのチェロ・ソナタは、28歳のショスタコーヴィチか書き上げた作曲者最初の大規模室内楽である。4つの対比感のある楽章から構成される。ショスタコーヴィチらしい不穏さはあるものの、作曲者特有のダークさはそこまで色濃くはなく、むしろ彼の作品の中では保守的なものとして分類されることが一般的だ。ヒューギルとアシュケナージは、純音楽的なアプローチといって良く、自然なアーティキュレーションで、しなやかな流れを形作る。楽曲本来の姿を正しく伝えながらかつ味わい深い大家ならではの演奏だ。第3楽章のラルゴにおける透明な情感、そして以外に小規模でスケルツォ的性格をもつ第4楽章の一貫した流れの美しさにとくに感銘を受ける。
 末尾に収録されているヴォカリーズは、アメリカのチェリスト、レナード・ローズによる編曲版が用いられている。アシュケナージは、この曲を、原曲の歌曲のほか、管弦楽、ピアノ独奏、ヴァイオリンとピアノ、チェロとピアノ等様々に編曲されたものを録音してきたが、これがその最後の録音になると思うと胸に迫るものがあるが、その演奏はことのほか淡々と感じられる。しかし、その淡さの中にいるようでいて、気がついいた時には、聞き手は深い情緒の薫りの中に誘われている。絶品と言える内容で、この見事なアルバムを締めくくっている。

プロコフィエフ フルート・ソナタ   ドビュッシー シリンクス ビリティス  ラヴェル マダガスカル島民の歌(ナアンドーヴ、おーい(呼び声)、休息~それは甘く) 
fl: パユ p: コヴァセヴィッチ MS: カルネウス vc: モルク

レビュー日:2003.10.3
★★★★★ フルート・ソナタの最高傑作
 プロコフィエフのフルート・ソナタはのちにオイストラフの助言によって「ヴァイオリン・ソナタ第2番」に編曲され広まったもの。現在ではヴァイオリン版が有名だが、原曲であるフルート盤も無上の美しさに満ちていて、このジャンルではプーランクのフルート・ソナタとともに代表的な作品。
 当盤ではパユの快速な演奏で「フルート版」の醍醐味を味わえる。特にリズミックな終楽章が圧巻!3楽章のたゆたう美しい情緒も実に美事。
 併録のドビュッシーのフルートとピアノのための作品「ビリティス」も好演。ラヴェルの「マダガスカル島民の歌」ではカルネウスのメゾソプラノも加わり、おしゃれな雰囲気を盛り上げます。


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器楽曲

ピアノ・ソナタ 全集 束の間の幻影
p: ラエカリオ

レビュー日:2005.4.17
★★★★★ 安定性より機敏性、抒情性より自在性
 マッティ・ラエカリオは1954年生まれのフィンランドを代表するピアニストで、北欧の作曲家を多く演奏するほか、かなり広いレパートリーを持っている。
 ここではプロコフィエフのピアノ・ソナタの全曲と束の間の幻影を収録。録音は88年から90年にかけて行われている。
 鋭く美しい響きのピアニズムを持っているが、ロマンティック志向から曲想に緩急の彩を持たせている。それが人によっては部分的にプロコフィエフの無機的でリズミックなシーンなどやや性格の異なる表現と思われるかもしれない。
 しかし、このピアニストの武器は打鍵の鋭さだろう。独特の火を放つようなスタッカートはピアノを突き通るかと思われるほどだ。早いテンポで鮮やかに決める部分もある。そういった部分はことさらスポーティーな印象となる。
 また、ペダリングは少ない方かもしれないが、瑞々しい響きを持っており、全体としては、鋭角的な響きに感じる。つまり「安定性より機敏性、抒情性より自在性」といった演奏になっていると思う。その辺が好みの分かれ目かもしれない。安定感ならルガンスキー、抒情性ならアシュケナージやグールド(どれも全集ではないが・・・)辺りが順当。
 しかし、このラエカリオ盤も全般にレベルは高く聴き応えがある内容だ。存在感のある全集だ。

ピアノ・ソナタ 全集 ロメオとジュリエットから10の小品~修道士ロレンツォ、百合の花を持った娘たちの踊り、別れの前のロメオとジュリエット
p: ヤブロンスキー

レビュー日:2007.4.22
★★★★☆ 硬質なタッチで真摯にアプローチしたヤブロンスキーのプロコフィエフ
 スウェーデンのピアニスト、ペーテル・ヤブロンスキー(Peter Jablonski 1971-)によるプロコフィエフ(Sergei Prokofiev 1891-1953)のピアノ・ソナタ全集。2002~3年に録音されながら、全集がリリースされたのは2007年であった。第5番、第7番、第9番の3曲のみ収録されたアルバムが、先行して発売されていたが、他の楽曲については、当盤が初出。収録内容は以下の通り。
【CD1】 2003年録音
1) ピアノ・ソナタ 第1番 ヘ短調 op.1
2) ピアノ・ソナタ 第2番 ニ短調 op.14
3) ピアノ・ソナタ 第3番 イ短調 op.28 「古いノートから」
4) ピアノ・ソナタ 第4番 ハ短調 op.29 「古いノートから」
【CD2】 2002年録音
5) ピアノ・ソナタ 第5番 ハ長調 op.38
6) ピアノ・ソナタ 第6番 イ長調 op.82 「戦争ソナタ」
7) ピアノ・ソナタ 第7番 変ロ長調 op.83 「戦争ソナタ」
【CD3】 2002年録音
8) ピアノ・ソナタ 第8番 変ロ長調 op.84 「戦争ソナタ」
9) ピアノ・ソナタ 第9番 ハ長調 op.103
「ロメオとジュリエット」からの10の小品より
10) 第7曲 修道士ロレンツォ
11) 第9曲 ユリの花を持った娘たちの踊り
12) 第10曲 別れの前のロメオとジュリエット
 ヤブロンスキーの演奏は、質感のある響きにまずは注目したい。全体的に落ち着いた味わいは、特に情緒的な個所において、ドイツ・ロマン派のピアノ作品のような雰囲気をもたらしている。ヤブロンスキーのタッチは、質感がありながら透明で、どこかガラスを思わせるような響きである。強い音では、そのまま音量がグッと上がる感じで、鋭さを増すが、ところによってはゴツゴツした感じが強くなるかもしれない。
 私が感心したのは、叙情性の表出と技術的なアピールの両面について、十分な積極性を感じさせる演奏となっている点である。ただし、すべてに齟齬がないか、と言われると、運びという点で、先に書いたゴツゴツした感じが出てくる部分で、凹凸感があるので、なだらかで自然とは言い難い。そういった意味で、急速部分で、やや人工的に感じる部分を残しており、それゆえのまばらさも印象として残ってしまう。これはTORITONレーベルの音響的特徴も反映していて、マイクがやや近めで、それゆえにソリッドに音像を捉えすぎているような気がする。これは、実際にそうなのかわからないけれど、当該レーベルの嗜好として、そういうスタンスがあるような気がする。
 とはいえ、プロコフィエフ特有のスケルツォ的性格は、全編を通して見事に描き分けられているので、全集としては、優れたものの一つであるという事が出来るだろう。先に書いた「ゴツゴツした響き」や「凹凸感がある」という印象も、見方を変えれば、プロコフィエフの音楽が持つ野趣性やグロテスクを真摯に描いているとも言える。そういった点でも一つの主張のある全集という事が出来そうだ。

ピアノ・ソナタ 全集 束の間の幻影 ソナチネ集
p: リル

レビュー日:2020.6.25
★★★★★ 切に再版が望まれるジョン・リルによるプロコフィエフのピアノ・ソナタ全集
 イギリスのピアニスト、ジョン・リル(John Lill 1944-)が1990年に録音したプロコフィエフ(Sergei Prokofiev 1891-1953)のピアノ・ソナタ全集。収録内容は以下の通り。
【CD1】
1) ピアノ・ソナタ 第1番 ヘ短調 op.1
2) ピアノ・ソナタ 第2番 ニ短調 op.14
3) ピアノ・ソナタ 第3番 イ短調 op.28 「古いノートから」
4) ソナチネ ホ短調 op.54-1
5) ソナチネ ト長調 op.54-2
6) 束の間の幻影 op.22
【CD2】
1) ピアノ・ソナタ 第4番 ハ短調 op.29 「古いノートから」
2) ピアノ・ソナタ 第5番 ハ長調 op.38
3) ピアノ・ソナタ 第6番 イ長調 op.82 「戦争ソナタ」
4) 3つの小品op.59 から 田園風ソナチネ ハ長調
【CD3】
1) ピアノ・ソナタ 第7番 変ロ長調 op.83 「戦争ソナタ」
2) ピアノ・ソナタ 第8番 変ロ長調 op.84 「戦争ソナタ」
3) ピアノ・ソナタ 第9番 ハ長調 op.103
 リルの演奏は、豊穣な重厚感と透明な抒情性を併せ持つもので、楽曲を瑞々しく表現した名演といって良い。とにかく真面目で、少なくとも私には、この楽曲に込められた独特のユーモアを引き出そうという方向性はほとんど感じられない。その一方で、古風とも言える折り目正しさを守って、リルはプロコフィエフの楽曲に相対する。そして、一つの在り方を示すことに成功しているだろう。
 初期のソナタの中で特徴的なのは第2番の終楽章で、ここでリルは落ち着き払ったテンポ設定で、楽曲を構成するフレーズ、交錯する装飾音をことに明晰に描き出しながら進む。この曲にはベロフ(Michel Beroff 1950-)やエル=バシャ(Abdel Rahman El Bacha 1958-)、それにラエカリオ(Matti Raekallio 1954-)といった人たちが、現代的と言っても良い感覚的な鋭さと運動性に優れた演奏を録音していて、私もそのような演奏で聴き馴染んでいたのだけれど、リルの演奏は、あきらかに表現意図が異なっていて、そこには、通常この曲から感じることの少ない抒情が立ち現れているのである。リルの重みのあるピアニズムは、同じ第2ソナタの第3楽章でも顕著で、私はこの楽章をプロコフィエフの「雨だれ」と思ってよく聴くのだが、リルの演奏を聴いていると、まるで葬送行進のようにクライマックスに向けてその重量感を増していく様に満ちているのである。
 ソナタ第2番のスタイルは、好悪が分かれるかもしれないが、より普遍的な見事さを私が感じるのは第3番で、上記のようなリルのスタイルが、過不足なく自然に描かれる楽曲の性格に良く合っているのである。こちらも中間部のクライマックスの重厚感は素晴らしい。
 「束の間の幻影」も、リルの情感豊かなアプローチが良く似合う曲に違いなく、ことに「ハープ」と称されることもある有名な第7曲「Pittoresco」では、膂力のこもった美しさに胸打たれるものがある。
 2曲のソナチネは演奏機会がほとんどないといって良いだろう。私も当盤でしか聴いたことがない。プロコフィエフにしては簡素なスタイルの3楽章構成の音楽で、とりたてて聴く必要のある音楽ではないが、このような機会に楽曲を知れるのはうれしい。
 第4番は特に名演。郷愁と狂騒の錯綜する第1楽章をうまく処理したのち、第2楽章のアンダンテに至るのだが、この楽章の美しさは数ある録音の中でも随一と言ってよいものと思われる。独特の暗い陰りや夜の雰囲気を漂わせながら、冷水が輝き落ちるような情感で満たされたその楽想は美しい限りで、ひたすらこの音楽に身を委ねていたいと思わせるほどに陶酔感が高かった。この楽章だけでも聴く価値はあるだろう。終楽章となる第3楽章は、快活な前進力に満ちていて、楽しい。
 第5番は気分的にはさらに自由な曲と思うが、リルはややゆったり目のテンポを主体とし、細やかな音型を丁寧に描いており、肌合いの優しい演奏といったところ。プロコフィエフ特有のシニカルなユーモアも、ほどよくやわらげられた感がある。
 第6番でもリルのスタイルは変わらず、重厚で一つ一つのフレーズをしっかりと大事に鳴らすもの。それでいて動的な迫力にも不足がない。中間楽章の軽妙な表現も、練達を感じさせる余裕があり、この楽曲を落ち着いた雰囲気で楽しませてくれる。終楽章は機敏に跳ね回る音楽で、コンクール出身の腕達者なピアニストたちが「見せ場」にする音楽だが、リルの表現はしっかりとした土壌を感じさせる安定感があり、そのプライオリティを前提としたうえで躍動が表現されていく。その聴き味に、迫力の面で不足があるということはない。
 聴く機会のほとんどない「田園風ソナチネ」が収録されている。重要な作品ではないが、プロコフィエフ作品の愛らしい一面を端的に示すもので、当盤のように余禄として紹介してくれるのは良いサービスだ。
 傑作として広く知られる第7番であっても、リルのスタイルは一貫しており、快活で心地よいテンポを維持しながら、各パーツを自然に馴染ませるようにして進む。第2楽章では落ち着いた足取りで、健やかに情緒を表現して進む。その明朗な印象もまた、プロコフィエフの魅力的な一面であることを良く伝えている。有名な第3楽章も十全たる響きでまとまりがあって、かつスピード感も不足していない。全体として、整然とした趣きが支配し、隅々まできれいに再現されている。
 第8番はリルの構造に対する感性の鋭さを感じさせ、特に第1楽章がわかりやすい。過度な踏み込みがなく、人によってはより劇的なものの表出を求めるかもしれないが、リルの芸術はそれと別の価値観で高い完成度を保っていて、私は好感を持つ。第2楽章にみられる情緒、適度なアイロニーの表出も、いかにもこなれた表現で、洗練さえている。第3楽章の輝かしくリズムに乗った進行も、まずは非の打ちどころがない。
 第9番は前2曲に比べると難解さ、難渋さのある作品であるが、リルはここでもうまく「立ち回って」いて、あれ、こんなにシンプルな印象の曲だったっけ、と思わせてくれる。リルの一連のプロコフィエフの中でも、演奏者と作品の間の距離感を広めにとった印象で、遠視点的な整然さが目立つだろう。逆に言うと、内燃的なものや、暗い情感がセーヴされているのだが、私はこの曲の場合、そこに聴きやすさを感じ、当演奏のスタイルも歓迎したいと思う。
 リルの奏でる豊穣で重厚感と透明な抒情性を併せ持つプロコフィエフがもたらす印象は、聴き味の良さと流麗さに集約されるであろう。プロコフィエフの特徴の一つであるグロテスクな面がなりをひそめていることは否めないが、そのことによって、古典的なバランスの良さは高度な安定感を示していて、美しいフォルムが整い、いままでプロコフィエフのピアノ・ソナタに苦手感を持っていた人でも、あるいはその気持ちを変えるものになるのではないか、と思う。
 ジョン・リルというピアニスト、国内盤の発売が少ないため、知名度はいまひとつかもしれないが、確かな実力の持ち主であり、当盤を含む一連のプロコフィエフの録音は、そのことをよく伝えてくれる。是非、安定的に入手可能な形で、再版してほしいと思う。

ピアノ・ソナタ 第1番 4つの小品op.3 アレグレット イ短調 スケルツォ ニ長調 4つの練習曲 4つの小品op.4 ヴァイオリン・ソナタ 第1番
p: エル=バシャ

レビュー日:2015.8.13
★★★★★ イブラリの穴を埋める好録音。しかも収録曲が表記より多いです。
 レバノンのピアニスト、アブデル・ラーマン・エル=バシャ(Abdel Rahman El Bacha 1958-)による1981年録音によるプロコフィエフ(Sergey Prokofiev 1891-1953)の初期ピアノ作品集。収録内容は以下の通り。
1) ピアノ・ソナタ 第1番 ヘ短調 op.1
2) 4つの小品 op.3 (おとぎ話 冗談 行進曲 幻影)
3) アレグレット イ短調
4) スケルツォ ニ長調
5) 4つの練習曲 op.2 (ニ短調、ホ短調、ハ短調、ハ短調)
6) 4つの小品 op.4 (思い出、衝動、絶望、悪魔的暗示)
 以上、収録時間41分ちょっと・・というのが本CDの表記で、私もその理解で購入したのだが、再生すると、なんと末尾に大曲「隠れ収録」されている。
7) ヴァイオリン・ソナタ 第1番 ヘ短調 op.80
 6)で終わると思っていたCDが、突如7)を再生しはじめたとき、私はいったい何が始まったのかととてもびっくりし、あるいは宣伝用のサンプルかと思った。しかし、ヴァイオリン・ソナタは、全4楽章が鳴り渡ったわけである。それならそれで、どのような音源なのかと、CDに付随した解説書をいろいろ眺めてみたのだけれど、どこにもそんな表記はなく、ヴァイオリニストの名前さえ書かれていない。こんなCDはちょっとない。
 それで、私なりにいろいろ調べたところ、おそらくこの音源は、フランスの女流ヴァイオリニスト、ガエターヌ・プルヴォスト(Gaetane Prouvost 1954-)との協演だと思われる。
 なぜ、このような規格となったのかはまったく不明だが、おそらく、もともとの初期ピアノ作品集のみだと、41分という短い収録時間となってしまうため、商品価値を高めようと別音源を加えて編集したのであるが、ブックレット部分の生産ラインにその意図が反映されなかった・・のではないだろうか。そんなことがあるのか分からないが、当のヴァイオリニストにとっては、なかなか気の毒なアイテムである。
 さて、当盤の内容。ご覧のとおりプロコフィエフは作曲家としてのキャリアをピアノ独奏曲から開始した。作品番号の1から4を与えられたのは、いずれもピアノ独奏曲。それが一気に聴ける当盤は貴重。楽曲の完成度も高いし、エル=バシャの迫力と色彩感に満ちた演奏も素晴らしい。とくに4つの練習曲は、私も大好きな作品なのだけれど、録音が本当に少なくて、全曲録音となると、入手可能なものはサイトクーロフ(Roustem Saitkoulov 1971-)、オールソン(Garrick Ohlsson 1948-)など、かなり限られている。
 エル=バシャの演奏は、十分なスピードを維持しながら、豊麗な音を散りばめた、高い演奏効果を持つドラマティックなものだ。特に冒頭曲の音量からもたらされる重厚感と疾走ぶりはすさまじい。華麗なアクセントを織り交ぜ、細やかなアゴーギグを効かし、ヴィルトゥオジティ満点のスタイルだ。
 ピアノ・ソナタ第1番はなかなか充実した作品だ。ここでもエル=バシャの味わいの濃いタッチが見事。ここぞというところで踏み込むような強い音を織り交ぜ、しかし乱れない統率ぶりが鮮やか。他の初期の小品たちも、プロコフィエフ作品特有のグロテスクな要素を、存分に引き出しながら、総じて巧妙にまとめている。
 ヴァイオリン・ソナタは落ち着いた演奏で、しっとりした響きがあるが、終楽章など、落ち着きすぎていて、緩みを感じるところもあり、もっと熱血性のある表現を欲するところがある。しかし、これはボーナス・トラック同様なので、聴けただけ満足ということで、私は総じて当盤をとても気に入っている。

ピアノ・ソナタ 第1番 第2番 第3番 第6番 第7番「戦争ソナタ」 第8番 4つの練習曲 「シンデレラ」からの6つの小品 「ロメオとジュリエット」からの4つの小品
p: ベロフ ギルトブルク サイトクーロフ オフチニコフ パールマン

レビュー日:2010.3.27
★★★★★ 5人のピアニストによるプロコフィエフのソロ・ワールド
 複数のピアニストによるプロコフィエフのピアノ独奏曲が収められた2枚組みアルバム。収録曲、演奏者、録音年の詳細を以下に示す。
 1枚目
(1) ピアノ・ソナタ 第1番、第2番、第3番、第6番、第7番 ミシェル・ベロフ(Michel Beroff) 1978年、81年、83年録音
 2枚目
(2) ピアノ・ソナタ 第8番 ボリス・ギルトブルク(Boris Giltburg) 2005年録音
(3) 4つの練習曲 ルーステム・ザイトクロフ(Roustem Saitkoulov)1999年録音
(4) 「シンデレラ」からの6つの小品 ウラディミール・オフチニコフ(Vladimir Ovchinnikov) 1991録音
(5) 「ロメオとジュリエット」から4つの小品 ナヴァー・パールマン(Navah Perlman)1999年録音
 ギルトブルクは1984年モスクワ生まれ、2002年サンタンデル国際ピアノ・コンクールで優勝している。ザイトクロフは1997年ゲザ・アンダ国際コンクールで第2位に入賞した。オフチニコフは1958年生まれ、1982年チャイコフスキー国際コンクールで第2位(1位なし)、1987年リーズ国際コンクールで優勝したピアニスト。ナヴァー・パールマンはイツァーク・パールマンを父に持つピアニスト。
 かように様々な内容を持っているが、まずはベロフの録音に注目したい。非常に乾いたスポーティーなタッチで、ひたすら直線的に進んでいく。プロコフィエフのソナタにはメカニカルな要素が多分にあるため、その方面では非常に緊密で力強く、音楽が分かりやすくなっている。他方第7番の第2楽章など、もう少し抒情を漂わせて欲しい部分もあるが、これはそういう向きの演奏ではないのだろう。爽快感はあるし、技術的にも高いレベルを堪能できる。
 ザイトクロフによる「4つの練習曲」は楽曲自体が面白い。全曲録音してくれるピアニストが少ないだけに貴重である。プロコフィエフ初期の作品だが、若々しい躍動感が全編に漲っていてエネルギッシュ。ザイトクロフの技巧もなかなか鮮やかで、曲の細部までよく鳴っている。ギルトブルクのソナタ第8番も秀演だ。この曲はいかに見通しを持って各所のパーツを解決していくか、なかなか難しいと思うが、ギルトブルクは熱とクールの使い分けで巧みにコントラストを付けている。色々な意味で楽しいアルバム。

ピアノ・ソナタ 第1番 第2番 第3番「古いノートから」 2つのソナチネ 束の間の幻影
p: リル

レビュー日:2018.7.23
★★★★★ 重厚な抒情を味わわせてくれるリルのプロコフィエフ
 イギリスのピアニスト、ジョン・リル(John Lill 1944-)によるプロコフィエフ(Sergei Prokofiev 1891-1953)のピアノ独奏曲集。ソナタ全集の第1巻という体裁であるが、ソナタ以外の独奏曲も含む以下の収録内容。
1) ピアノ・ソナタ 第1番 ヘ短調 op.1
2) ピアノ・ソナタ 第2番 ニ短調 op.14
3) ピアノ・ソナタ 第3番 イ短調 op.28 「古いノートから」
4) ソナチネ ホ短調 op.54-1
5) ソナチネ ト長調 op.54-2
6) 束の間の幻影 op.22
 1990年の録音。
 プロコフィエフのピアノ・ソナタでは、「戦争ソナタ」と呼ばれる後期の3作品が良く知られているが、初期の作品もなかなか面白い。ピアノ・ソナタ第1番は1907年の作というから、当時作曲者は16歳だったことになるのだが、信じがたい独創性と完成度を持っている。ソナタ第1番と第3番は単一楽章、ソナタ第2番は4楽章構成で、かなり自由なイメージである。
 リルの演奏は、これらの初期のソナタに、重厚かつ荘厳な佇まいで挑んだもののように思える。とにかく真面目で、少なくとも私には、この楽曲に込められた独特のユーモアを引き出そうという方向性はほとんど感じられない。その一方で、古風とも言える折り目正しさを守って、リルはプロコフィエフの楽曲に相対する。そして、一つの在り方を示すことに成功しているだろう。
 特徴的なのは第2番の終楽章で、ここでリルは落ち着き払ったテンポ設定で、楽曲を構成するフレーズ、交錯する装飾音をことに明晰に描き出しながら進む。この曲にはベロフ(Michel Beroff 1950-)やエル=バシャ(Abdel Rahman El Bacha 1958-)、それにラエカリオ(Matti Raekallio 1954-)といった人たちが、現代的と言っても良い感覚的な鋭さと運動性に優れた演奏を録音していて、私もそのような演奏で聴き馴染んでいたのだけれど、リルの演奏は、あきらかに表現意図が異なっていて、そこには、通常この曲から感じることの少ない抒情が立ち現れているのである。
 リルの重みのあるピアニズムは、同じ第2ソナタの第3楽章でも顕著で、私はこの楽章をプロコフィエフの「雨だれ」と思ってよく聴くのだが、リルの演奏を聴いていると、まるで葬送行進のようにクライマックスに向けてその重量感を増していく様に満ちているのである。
 ソナタ第2番のスタイルは、好悪が分かれるかもしれないが、より普遍的な見事さを私が感じるのは第3番で、上記のようなリルのスタイルが、過不足なく自然に描かれる楽曲の性格に良く合っているのである。こちらも中間部のクライマックスの重厚感は素晴らしい。
 「束の間の幻影」も、リルの情感豊かなアプローチが良く似合う曲に違いなく、ことに「ハープ」と称されることもある有名な第7曲「Pittoresco」では、膂力のこもった美しさに胸打たれるものがある。
 2曲のソナチネは演奏機会がほとんどないといって良いだろう。私も当盤でしか聴いたことがない。プロコフィエフにしては簡素なスタイルの3楽章構成の音楽で、とりたてて聴く必要のある音楽ではないが、このような機会に楽曲を知れるのはうれしい。

ピアノ・ソナタ 第1番 第3番「古いノートから」 第5番
p: メルニコフ

レビュー日:2022.6.6
★★★★★ 古今を通じて最高レベルと言って良いプロコフィエフのピアノ・ソナタ全集が完成
 ロシアのピアニスト、アレクサンドル・メルニコフ(Alexander Melnikov 1973-)によるプロコフィエフ(Sergei Sergeevich 1891-1953)のピアノ・ソナタ集第3弾。以下の楽曲を収録。
1) ピアノ・ソナタ 第1番 ヘ短調 op.1
2) ピアノ・ソナタ 第3番 イ短調 op.28
3) ピアノ・ソナタ 第5番 ハ長調 op.135(1953年改訂版)
4) 束の間の幻影 op.22
 2021年の録音。
 ピアノ・ソナタ第5番については、1923年に完成された初稿(op.38)ではなく、プロコフィエフ自身が1952-53年に改訂したもの(op.135)が演奏されている。
 メルニコフは、2014年から2015年にかけて第2番、第6番、第8番を、2018年に第4番、第7番、第9番を録音しているので、これで無事、全集が完成したことになる。
 さて、当盤の登場で、私は、現代のスタンダードと言えるプロコフィエフのピアノ・ソナタ全集が完成したと感じている。
 そもそもプロコフィエフのピアノ・ソナタを全曲録音するピアニストが多くはないのだが、私がこれまで聴いてきたものには、ピョートル・ドミトリーエフ(Pyotr Dimitriev 1974-)、マッティ・ラエカリオ(Matti Raekallio 1954-)、ペーテル・ヤブロンスキー(Peter Jablonski 1971-)、ジョン・リル(John Lill 1944-)の4種で、その中では、リルのものを一番気に入っていたのだが、今回のメルニコフの全集は、それを上回る完成度と言って良いのではないだろうか。メルニコフというピアニスト、最近では古い楽器を使った録音もあったけれど、当録音のように、現代ピアノのパフォーマンスを全開で鳴らした演奏の方が、遥かに芸術として求心力のあるものになっており、少なくとも私には、「名演」としてズドンとど真ん中にくる。
 メルニコフの引き出すトーンは、極上と言って良いもので、それ自体芳醇な雰囲気に満ちているが、かつ、音量の豊かさ、リズムの鋭さも兼ね備えたその演奏は、ほぼ理想と言って良いプロコフィエフ像を描き出している。もちろん、楽想に応じたレガートも存分に取り入れられるが、それがプロコフィエフの音楽のもつ縦線の面白味を損なうような結果には決してならず、それでいてプロコフィエフの音楽に込められた情感がいかに豊かなものであるかを、聴き手にしっかりと伝えてくれるのである。
 例えば、第1番のソナタは、まだ古典的な要素が多く残しながらも、プロコフィエフ的なものが早くもあちこちに顔を出すわけであるが、メルニコフはその双方を描き切った上で、巧妙に結びつけ、味わい深いものとして響かせている。
 第3番では、同じ単一楽章の作品ながら、リズムの要素がより強調されるようになるが、もちろんここでもメルニコフの適性は見事で、早く、正確に、パワフルに響くピアノの素晴らしさは、圧倒的と言って良い。
 第5番は、3楽章構成をとるが、随所に溢れるメランコリーな情感が、明晰さをたもって描かれることで、独特の清澄な気配を感じさせてくれる。
 プロコフィエフのピアノ独奏曲の代表作の一つである「束の間の幻影」が併録されているのも嬉しい。有名な第7曲のような楽曲に代表される音色的な面白味も存分にあるが、第14曲における先鋭的なリズムの力強さは、メルニコフが録音した、ショスタコーヴィチ(Dmitrii Shostakovich 1906-1975)の「24の前奏曲とフーガ」を彷彿とさせる濃厚さがあって、聴き応え十分だ。
 当分の間、プロコフィエフのピアノ・ソナタ全集の代表的録音として、君臨するのではないだろうか。

ピアノ・ソナタ 第1番 第4番「古いノートから」 第6番
p: ブロンフマン

レビュー日:2014.10.3
★★★★★ 明晰な音響美に徹した、潔癖なプロコフィエフ
 ロシア系イスラエル人ピアニスト、イェフィム・ブロンフマン(Yefim Bronfman 1958-)によるプロコフィエフ(Sergey Prokofiev 1891-1953)のピアノ・ソナタ集。全集中の第2弾にあたるもので、1991年の録音。収録曲は以下の通り。
1) ピアノ・ソナタ 第6番 イ長調 op.82「戦争ソナタ」
2) ピアノ・ソナタ 第4番 ハ短調 op.29「古いノートから」
3) ピアノ・ソナタ 第1番 ヘ短調 op.1
 ブロンフマンの軽いタッチの運動性がよく活かされた演奏で、その粒だった流麗な音色はとても魅力的だ。  3曲の収録曲は、プロコフィエフの作品群の中でも、親しみやすいものだと思う。戦争3部作の冒頭を飾る第6番は、最近では、特にコンクール型と称されるピアニストたちによって頻繁に取り上げられるようになり、一気に知名度を高めた。また、第4番は、プロコフィエフのピアノ・ソナタの中でも、抒情的な美観に溢れたものとして挙げたい作品。
 第1番は、プロコフィエフが18歳の時の1909年に完成した作品で、スクリャービン(Alexander Scriabin 1872-1915)やラフマニノフ(Sergei Rachmaninov 1873-1943)に通じるロマン性が色濃く残っている。演奏時間約8分程度の単一楽章からなる作品だが、私はとても魅力的なものだと思うし、若きプロコフィエフ早くにその天才を証明した証左であるとも思う。
 ブロンフマンの演奏は、これらの性格の異なるソナタを、一つの先鋭な手法によって、一貫させてまとめあげたものだ。すなわち、非常にメカニカルなアプローチで、流線型のスタイルを維持し、可能な限り、抵抗性のある起伏を小さく収めたもの。なので、起伏に起因する浪漫性の発露や、抒情性は、最小限に収められ、微細なコントロールにより、音量をきびしく制約しながら、スピードを維持した運行となる。
 そんなブロンフマンのスタイルが最高に活きたのが第6番だと思う。圧巻のテクニックで、明瞭な音響と音型が連続し、実に心地よい快感を聴き手に届けてくれる。連続音の均一性、各和音の音量の制御ともに抜群だ。ルガンスキー(Nikolai Lugansky 1972-)のような重量感はないが、その一方で、一陣の風が弾きぬけるようなライトな魅力が横溢している。第3楽章の枯淡を思わせるような陰影も、聴いているととても相応しく感じられる。
 ソナタ第1番は前述のようにロシア的な情緒を表現したところのある作品だと思うが、ブロンフマンはそういった要素を省みることのない潔さで、きわめてシャープな感覚で全編を弾きこなしてみせる。「あれ、いつの間にか終わったぞ」と思ってしまうような快速感で、いかにも清涼な聴き味。これも魅力だ。むしろ、その後のプロコフィエフのスタイルを考えると、ブロンフマンの演奏からは俯瞰的な見通しが感じられる、という事も出来そうだ。
 第4番は、一枚のパステルで描かれた静物画、あるいは幾何図形のようにカチッとしたイメージが貫いている。この曲には、様々な含みや叙事詩的な解釈を与えることが出来ると思うのだけれど、ブロンフマンは明瞭な音響の世界を築き上げ、余分な感傷を排した潔癖性が保たれている。
 これらの演奏を「いささか無機的に過ぎる」と感じる人もいると思うし、私も時々、渇きを覚えるところはあるのだけれど、それにしてもここまで一貫した清々しさというのは、そういった観念を突き抜けるような潔さを感じる。そのような爽快感に満ちたプロコフィエフとして、当アルバムを推したいと思う。

ピアノ・ソナタ 第2番 トッカータ 10の小品 風刺(サルカズム) 束の間の幻影
p: エル=バシャ

レビュー日:2012.3.19
★★★★★ プロコフィエフの初期作品ならではの魅力を存分に主張した録音
 レバノンのピアニスト、アブデル・ラーマン・エル=バシャ(Abdel Rahman El Bacha 1958-)による2011年録音のプロコフィエフ(Sergei Prokofiev 1891-1953)のピアノ・ソロ作品集。私が購入したのはダウンロードではなくCDで、Mirare レーベルのMIR165である。収録曲は以下の通り。
1) トッカータ op.11
2) 10の小品 op.12
3) ピアノ・ソナタ 第2番 op.14
4) 風刺(5つの小曲) op.17
5) 束の間の幻影(20曲) op.22
 私は、以前このピアニストが2004年に録音したプロコフィエフのピアノ協奏曲全集を聴いたことがあり、その技術に驚嘆したので、このたびのアルバムも購入した次第。
 さて、収録曲中、2)、4)、5)は小曲集であり、非常に短い楽曲が刹那的に交錯するようなプログラムである。また、これらの作品は、いずれも1912年から1917年の間に作曲されており、プロコフィエフ初期のモダニズムや大胆な野蛮性が強く表出している。またメロディアスな叙情性が与えられるものもあり、私のようにプロコフィエフの楽曲が好きな人間にとっては、実に楽しいコンテンツとなっている。
 エル=バシャは相変わらず見事なキレのあるピアニズムで、その類稀とも言える強靭なスナップは、風刺の第2曲や第5曲に端的に示されているだろう。
 個人的に推奨したいのは「束の間の幻影」で、この曲にはベロフ(Michel Beroff 1950-)の名演もあるのだけれど、エル=バシャの演奏はやはり録音の面で有利というだけでなく、叙情性が引き出されたタッチが魅力だろう。ことに第10曲のキラキラと輝きながら流れるような音の連なりは、プロコフェイフという作曲家をよく知らなくたって、とにかく美しくて、聴き惚れてしまうような美音だと思う。
 「風刺」は比較的よく取り上げられる作品だと思うが、こちらは和音の連続するような重力感とスピード感の双方を要求するシーンが多く、エル=バシャにとって「ウデの見せ所」といったところか。「10の小品」は後のプロコフィエフのバレエ音楽に通じるような旋律の魅力が捨てがたい逸品だ。
 最近、演奏頻度の高くなってきた「トッカータ」はすでに技巧派ピアニストたちの重要なレパートリーになった感があるが、エル=バシャの正確なリズムとタッチは、白熱というわけではないが、スリリングだし、楽曲の音響的な面白さを十分に引き出していると思う。総じてレベルの高いプロコフェイフとなっているだろう。

ピアノ・ソナタ 第2番 第4番「古いノートから」 第6番
p: ドミトリエフ

レビュー日:2011.12.28
★★★★☆ 妙に落ち着いたシックなプロコフィエフ
 ロシアのピアニスト、ドミトリエフ(Peter Dmitriev 1974-)は、1995年の日本国際音楽コンクールで優勝したため、日本国内ではやや知名度がある。ただ、このコンクール自体が1999年に中止されているため、コンクール自体の知名度が広まらなかったのは不運であろう。コンクール直後の1996年にロシアのレーベルbohemeからショパンとプロコフィエフのソナタを収録したアルバムがリリースされていて、特有の呼吸に満ちた運動的な音楽に、私は魅力を感じていた。
 次いで、リリースされたのがプロコフィエフのピアノ・ソナタ全集で、2002年録音のこの第3集にはピアノ・ソナタ第2番と第4番「古いノートから」、それに名作として知られる第6番が収録された。
 プロコフィエフの作品では、特に初期のころに強く示された奇矯とも言えるモダニズムや野蛮性は、彼が1936年にソ連に帰国して以来和らいでゆき、簡明で叙情的な性質を帯びることになる。それまで20年以上生活してきたフランスやアメリカから、スターリン時代のソ連のいわゆる「社会主義リアルズム」運動下へという環境の変化は、作曲スタイルが変化した一要因でありながら、全てではないだろう。ピアノ・ソナタについて言えば、第1番から第4番までが革命前のロシア時代のもの、第5番が亡命中のアメリカ・パリ時代(1918-1936)のもので、第6番以降が帰国したソ連時代のものとなる。
 ここに収録されたソナタでは第6番が傑作として名高いもので、簡明かつ独創的な旋律と和音に満ちており、かつピアニストのヴィルトゥオジティを高らかに誇示できる作品。
 ドミトリエフの演奏は、ピアノの力強い音色、恰幅の豊かな和音が特徴で、豊穣かつ色彩感のある響きが楽しめる。その一方で、基本的にややスロウとも言える落ち着いたインテンポで、全ての音をきちんと響かせることにプライオリティを与えた結果、やや運動性や、粗暴さ(時としてプロコフィエフの先鋭性を示す要素)が抑制された趣がある。逞しくはあるのだが、それにしては、ずいぶん慎重に進むな、という印象。第6番では、古典的とも言える叙情性ある表現に潤いがあって惹かれるが、その一方で、第1楽章や第4楽章などにもっと燃焼度の高い、興奮する要素があっていいのではないか、と思ってしまう。この若さなのに、響いてくる音楽は、どこか老成したような味わいだ。
 ほとんどの音が、きちんと鳴りきっている感があるので、スコアを見ながら聴くとわかりやすい演奏とも言える。今後、このピアニストがどのような新しいスタイルを獲得していくのか、見守りたい。

ピアノ・ソナタ 第2番 第4番「古いノートから」 第7番「戦争ソナタ」
p: コロリオフ

レビュー日:2021.2.12
★★★★★ プロコフィエフ作品にも高い適性を示すコロリオフの録音
 ロシアのピアニスト、エフゲニー・コロリオフ(Evgeni Koroliov 1949-)によるプロコフィエフ(Sergei Prokofiev 1891-1953)のピアノ・ソナタ集。下記の3作品が収録されている。
1) ピアノ・ソナタ 第2番 ニ短調 op.14
2) ピアノ・ソナタ 第4番 ハ短調 「古いノートから」 op.29
3) ピアノ・ソナタ 第7番 変ロ長調 「戦争ソナタ」 op.83
 2002,03年の録音。
 最近ではバッハ弾きとして日本でもすっかり評価の定まった観のあるコロリオフであるが、当然の事ながら、バッハ以外にも優れた録音がいろいろある。彼の弾くプロコフィエフも、なかなか良い。
 冒頭に収録された第2番は、プロコフィエフのピアノ・ソナタ群の中ではよく聴かれるものではないが、とても特徴的で存在感のある楽曲だ。第1番で示した古典性を踏襲しながらも、プロコフィエフ特有のリズムやアイロニーといった要素が強まっているのと同時に、情緒という点でも、深いものが描かれている。
 コロリオフの解釈は、この楽曲の古典性と新規性の両面をバランスよく備えたもので、第1楽章の刺激性、終楽章のリズムへの鋭敏性に、ともに反応性の高さを示しているが、あわせて尖り過ぎない音色で、暖かな響きをベースに敷いており、ほどよい中和作用を感じさせる。第2楽章は古典的な抒情性の演出があり、美しい歌がなめらかに流れて心地よい。この作品の理想的な演奏の一つと言える。
 ソナタ第4番では、ロマン派の流れを汲んだ第2楽章でコロリオフの感性が映える。全般にコロリオフのプロコフィエフは、急速部分で速め、叙情的な部分では遅めのテンポとなり、そのテンポ幅に合わせてダイナミックレンジも広めに取られているが、それゆえの劇的な場面展開もあって、聴き手を楽しませてくれる。
 プロコフィエフのソナタ中、もっとも人気の高い第7番は、第1楽章のスピーディーで、縦線のくっきりした解釈が印象に残る。研ぎ澄まされたようなスマートな響きで、複層的な部分は十分な透明感があり、それが美しいという印象に繋がっている。第2、第3楽章も、直截な演奏であり、クセのないまっすぐな響きに、コロリオフというピアニストの芸術性を感じる。
 コロリオフのこれらの作品への適性の高さが感じられ、プロコフィエフのソナタを堪能できる1枚になっている。

ピアノ・ソナタ 第2番 第3番「古いノートから」 第5番 第9番
p: ブロンフマン

レビュー日:2014.10.3
★★★★★ 完成形に至ったブロンフマンのプロコフィエフ
 ロシア系イスラエル人ピアニスト、イェフィム・ブロンフマン(Yefim Bronfman 1958-)によるプロコフィエフ(Sergey Prokofiev 1891-1953)のピアノ・ソナタ集。全集中の最後の第3弾にあたるもので、1995年の録音。収録曲は以下の通り。
1) ピアノ・ソナタ 第2番 ニ短調 op.14
2) ピアノ・ソナタ 第3番 イ短調 op.28「古いノートから」
3) ピアノ・ソナタ 第5番 ハ長調 op.38
4) ピアノ・ソナタ 第9番 ハ長調 op.103
 なお、ソナタ第5番は、1952年から1953年にかけて改訂されたもの(op.135)ではなく、1923年の初版(op.38)のスコアを用いている。
 ブロンフマンのプロコフィエフは、その作品のコアの部分を、ストレートに抽出した表現だ。表情付けは抑制され、詩情や浪漫性は、より簡素な形に置き換えられる。卓越した技巧により、音楽を構成する音符まで、音の価値を細分化し、それをそのまま響かせる。そうして奏でられるピアノは、ガラスのように透明で、モノクロームな、しかし輪郭のくっきりと浮かび上がった世界を描きだす。
 当録音は、プロコフィエフの協奏曲と、他の5曲のピアノ・ソナタを全て録音したブロンフマンが、最後に取り組んだものなので、彼のスタイルがすっかり完成したものに感じる。もちろん、そういった意味で、彼のプロコフィエフは最初から見事な完成度を示していたのだけれど、この4曲に聴かれる純度は、さらに精度を増したかのようだ。私は、この音を聴いていると、静かに雪の降る夜の平原の光景を思い浮かべる。必要最小限のもので構成された美である。
 第2番では、第1楽章の第2主題に雪原の照り返しのような光沢を感じる。ちょっと不思議で、少し不気味で、しかい美しい。最後の楽章では、刺激的なリズムが支配力を持つが、進展自体には淡々としたものを感じる。まるで、そこに観察者がいてもいなくても、関係なく雪が降り積もっていくかのように。
 第3番には明と暗のテクスチャーの対比がある。それは、月の光をあびて青く輝く「雪明り」と、それを包む夜の闇の対比に思える。
 第5番がまた美しい。氷を思わせるクールな響き。雪の破片が、時折不用意な方向に、風にまかせて転がる様を、そのままトレースしていったような音楽だ。ここまで「混ざり気のない」、真っ白に近い印象をもたらす音楽というのは、そうないだろう。
 第9番は元来複層的な音楽であるが、ブロンフマンの演奏で聴くと、洗練を究めたエレガントなものに昇華した感がある。第1楽章のどこかのどかさをたたえた歌も、実にクールで、ひんやりした肌合いだ。第2楽章はリズミカルな波動に乗って、線的な運動がまっすぐに交錯し、第3楽章は秘め事を思わせる歌から、最後の高音域に消えゆくシーンまで、均質な運動美に貫かれている。第4楽章は実に多彩で、テンポもリズムも実に多様なのだけれど、ブロンフマンの演奏では、この変転にかかわる負荷をほとんど感じず、「熱くならず、疲労せず」というイメージを受ける。このソナタの表現として、これが正解かというと、あくまで解釈の一つとなるのだけれど、それでも、非常に完成された世界観を提示したものに思える。
 ブロンフマンのプロコフィエフのソナタ全集プロジェクトを締めくくるのに、相応しい内容を伴ったアルバムだと思う。出来ることなら、ブロンフマンには、プロコフィエフの全独奏曲の録音をお願いしたい(特に練習曲とトッカータ)。

ピアノ・ソナタ 第2番 第6番 第8番
p: メルニコフ

レビュー日:2017.1.4
★★★★★ 2017年の聴き始めはメルニコフのプロコフィエフで・・
 メルニコフ(Alexander Melnikov 1973-)によるプロコフィエフ(Sergei Prokofiev 1891-1953)のピアノ・ソナタ全曲録音の第1弾で、以下の3曲を収録。
1) ピアノ・ソナタ 第2番 ニ短調 op.14
2) ピアノ・ソナタ 第6番 イ長調 op.82
3) ピアノ・ソナタ 第8番 変ロ長調 op.84
 2014年から2015年にかけての録音。
 メルニコフがプロコフィエフのピアノ・ソナタ全集録音に着手したことは、個人的には待望の企画。おそらく全集になってから買うのがコスト的には有利なのだろうけれど、待っていられないので買ってしまった。
 演奏内容は、やはり見事なものだった。
 ピアノ・ソナタ第2番は、プロコフィエフ21歳の時の作品であるが、熟達した書法、4つの性格的な楽章の組み合わせに、如何なく天才のインスピレーションが発揮されたもの。全体を覆う暗い情感の中で、シンコペーション奏法が特徴的な第2楽章のスケルツォ、そして内省的なアンダンテとなっている第3楽章、それを悲劇的で諧謔的な両端楽章が挟んでいるのであるが、メルニコフは実に多彩なアヤをもって、これらの特徴を鮮やかに強調したメリハリのある表現で貫いている。時に衝撃的とも言えるコントラストの演出を含みながら、旋律の持つ心象イメージを、可能な範囲で増幅し、とても訴える力の強い音楽として構築した。その手腕、力量はさすがの一語。
 ピアノ・ソナタ第6番は、戦争三部作の第1作で、最近ではコンクール型ピアニストの重要なレパートリーの一つとなっている。メルニコフはこの作品でも、抒情的な表現を存分に織り交ぜ、メカニカルな魅力だけではない音楽の豊かさを感じる仕上がり。音響が美麗なこともあって、濃厚な表現力を帯びて、聴き手に迫ってくる演奏だ。シャープなルガンスキー(Nikolai Lugansky 1972-)盤と比べると、その印象はよりロマンティックで、感情的な凹凸のあるものと感じられるが、それゆえの美観を十全に保っているところが見事。
 ピアノ・ソナタ第8番は、特に規模の大きい第1楽章の扱いが注目されるが、メルニコフの演奏は、主題の扱いがわかり易く、ストーリーを追うように音楽を聴くことができ、この曲を初めて聴く人にも馴染みやすいものとなっているだろう。時折懐かしい憧憬的な主題が顔をのぞかせるが、そこに込められた独特の哀愁が、色の濃さを感じさせる。
 全体としては、豊かな情緒表現のための装飾性豊かな演奏という印象であるが、プロコフィエフ特有のパンチも随所で十分に効いており、メルニコフらしい聴きごたえ充分の演奏でもある。ぜひ、プロコフィエフのピアノ・ソナタに限らず、多彩な独奏曲も、録音してほしい。

プロコフィエフ ピアノ・ソナタ 第3番 第6番 第8番 悪魔的暗示  グリンカ ひばり  グルック 精霊の踊り
p: 有森博

レビュー日:2016.5.18
★★★★★ 有森博のロシア・ピアノ音楽録音の端緒となったアルバム
 1990年に開催された第12回ショパン・コンクールにおいて最優秀演奏賞を受賞した有森博(1966-)による2002年録音のアルバム。収録曲は以下の通り。
1) グリンカ(Mikhail Glinka 1804-1857)/バラキレフ(Milii Balakirev 1837-1910)編 ひばり
2) プロコフィエフ(Sergei Prokofiev 1891-1953) ピアノ・ソナタ 第8番 変ロ長調 op.84
3) プロコフィエフ ピアノ・ソナタ 第3番 イ短調 op.28「古いノートから」
4) プロコフィエフ ピアノ・ソナタ 第6番 イ長調 op.82
5) プロコフィエフ ピアノのための4つの小品から第4曲「悪魔的暗示」 op.4-4
6) グルック(Christoph Gluck 1714-1787)/ケンプ(Wilhelm Kempff 1895-1991)編 精霊の踊り
 ロシアのピアノ音楽の芸術的解釈者として、現在まで有森はゆるぎない地位を築いているが、それを裏付ける多くの優れた録音の最初に挙げられるのがこのアルバムということになる。
 当時有森は前年までプロコフィエフのピアノ・ソナタ全曲演奏会を催していた。その録音面での成果がこのアルバムとしてまとめられている。すでにラフマニノフ(Sergei Rachmaninov 1873-1943)のピアノ独奏曲全曲演奏会を成功させていたことを踏まえて、いよいよロシアのピアノ音楽の演奏者として、その頭角を現し始めた頃である。
 このアルバムを見ると、まず選曲が独創的である点に気付く。プロコフィエフのピアノ・ソナタの第6番から第8番までの3曲は、戦争の影響下で作曲が進められた作品であり、「戦争三部作」と称されるが、なぜかいちばん有名な第7番のソナタは収録されず、代わって初期のプロコフィエフらしい鋭利な雰囲気を持った単一楽章形式のソナタ第3番が収められている。また、1つの小品を含むプロコフィエフの4作品の両側に、グリンカとグルックの編曲ものを配置し、アルバムの冒頭の末尾を飾る形となっている。
 この両端の2曲が美しい佳品であり、奥ゆかしくどこから流れてて来るような情緒的なメロディが印象的で、中央に配置されたプロコフィエフの作品がもつどこか攻撃的な作風を不思議と中和し、全曲を通して聴いたとき、前後が夢の中から立ち現われ、夢の中に去っていくような、ソフトさに覆われている。この演出がとても洒落ていて、このアルバムを聴いた時の気持ちを動かす効果を持っている。もちろん、演奏も甘美な優しさに満ちていて、前述の点を引き立てている。
 メインのプロコフィエフにおいて、有森は強い響きで圧倒するようなピアニズムを避け、一つ一つの音を正確に引き分けながら、その丹精さと凶暴さを冷静に対比させるような演奏と感じられる。特に第8ソナタの第1楽章は、様々なニュアンスの交錯を巧みに描き分けながらまとめていて、とても説得力のある演奏に感じられた。最近、ひときわ人気の高まった第6ソナタでは、両端楽章の推進力も立派ではあるが、中間楽章の精密な描写力に、この演奏の高い価値を感じ取ることができる。
 ロシアのピアノ音楽に精通した有森ならではの構成と演奏を存分に楽しめる1枚だ。

ピアノ・ソナタ 第3番 第8番 第9番
p: F.ケンプ

レビュー日:2019.10.12
★★★★★ フレディ・ケンプ、10年ぶりのプロコフィエフ
 フレディ・ケンプ(Freddy Kempf 1977-)によるプロコフィエフ(Sergei Prokofiev 1891-1953)のピアノ・ソナタ集。収録曲は以下の3曲。
1) ピアノ・ソナタ 第3番 イ短調 op.28
2) ピアノ・ソナタ 第8番 変ロ長調 op.84
3) ピアノ・ソナタ 第9番 ハ長調 op.103
 2018年の録音。
 第3番は第4番とともに「古いノートから」(作曲者若き日の草稿を改訂したもの)のタイトルを持つ。また、第8番は、第6番・第7番とともに「戦争三部作」を成す作品の一つ。
 フレディ・ケンプは、2001年にソナタ第1番、第6番、第7番を、2008年に協奏曲に併録する形で第2番をそれぞれ録音しており、いずれも良演だった。このたびは、第2番から10年ぶりの録音で、かつこれまでの録音との重複もない曲目であることから、いずれは残った2曲を録音して、全曲聴けることになるように思われる。
 ケンプのプロコフィエフは、いつもながら快適なテンポで、技巧的なキレ、高音域の光沢ある響きが印象的。2001年の録音に比べると、やや音の性質が変わってきたようにも感じられるが、上記の特徴は以前の印象から大きく変わらない。
 ソナタ第3番では、リズムの鮮やかさとともに、経過的フレーズで見せる印象派的な細やかなタッチが魅力。音色の絶対的な美観が、光の印象をともなっていて、私には、光の粒が砂時計のように落ちてきて、同心円状に広く散っていくイメージをかき立てられた。
 ソナタ第8番は第1楽章の情感を湛えたフレーズが美しい。ケンプのプロコフィエフは、旋律的なものへの感度が高く、たしかない技術でそれを丁寧に描き出していく。一方で、攻撃的でグロテスクな要素が、やや減じられる傾向にあるのだが、結果として、洗練された、耳にやさしい響きが醸成され、あるいはプロコフィエフのピアノ独奏曲が苦手という人にも聴き易いものになっているのではないかと思う。
 ソナタ第9番は即興性のある作品だが、この楽曲でもケンプのスタイルは変わらず、旋律、もしくは旋律的なものを紡ぎだし、情感と輝きを与えていく。プロコフィエフのピアノ独奏曲として、このアプローチが正しいのかどうか私にはわからないが、少なくとも美しく、整理された響きになっていて、私はそれがこの演奏の魅力であると感じた。  残すのはあと第4番と第5番の2曲のみ。ぜひともケンプには全集を完成してもらいたい。

ピアノ・ソナタ 第4番「古いノートから」 第5番 第6番 3つの小品op.59 から「田園風ソナチネ」
p: リル

レビュー日:2018.8.8
★★★★★ ソナタ第4番第2楽章の美しい表現に象徴される、充実したリルのプロコフィエフ
 イギリスのピアニスト、ジョン・リル(John Lill 1944-)によるプロコフィエフ(Sergei Prokofiev 1891-1953)のピアノ・ソナタ集。全3巻で全集をなすうち当盤が第2巻となり、収録曲は以下の通り。
1) ピアノ・ソナタ 第4番 ハ短調 op.29 「古いノートから」
2) ピアノ・ソナタ 第5番 ハ長調 op.38
3) ピアノ・ソナタ 第6番 イ長調 op.82 「戦争ソナタ」
4) 3つの小品op.59 から 田園風ソナチネ ハ長調
 1990年の録音。
 リルの奏でるプロコフィエフは豊穣な重厚感と透明な抒情性を併せ持つもので、楽曲を瑞々しく表現した名演といって良い。リルのアプローチは、古典的な音感を大事にし、プロコフィエフ作品に特徴的な鋭角的な部分をことに強調したものではないだけに、あるいはプロコフィエフのピアノ独奏曲が苦手という人にも、受け入れやすいものとなっていると思う。
 当盤収録曲の中で、ことにそれを感じさせるのは第4番である。郷愁と狂騒の錯綜する第1楽章をうまく処理したのち、第2楽章のアンダンテに至るのだが、この楽章の美しさは数ある録音の中でも随一と言ってよいものと思われる。独特の暗い陰りや夜の雰囲気を漂わせながら、冷水が輝き落ちるような情感で満たされたその楽想は美しい限りで、ひたすらこの音楽に身を委ねていたいと思わせるほどに陶酔感が高かった。この楽章だけでも聴く価値はあるだろう。終楽章となる第3楽章は、快活な前進力に満ちていて、楽しい。
 第5番は気分的にはさらに自由な曲と思うが、リルはややゆったり目のテンポを主体とし、細やかな音型を丁寧に描いており、肌合いの優しい演奏といったところ。プロコフィエフ特有のシニカルなユーモアも、ほどよくやわらげられた感がある。
 収録曲中ではもっとも名高い作品である第6番でもリルのスタイルは変わらず、重厚で一つ一つのフレーズをしっかりと大事に鳴らすもの。それでいて動的な迫力にも不足がない。中間楽章の軽妙な表現も、練達を感じさせる余裕があり、この楽曲を落ち着いた雰囲気で楽しませてくれる。終楽章は機敏に跳ね回る音楽で、コンクール出身の腕達者なピアニストたちが「見せ場」にする音楽だが、リルの表現はしっかりとした土壌を感じさせる安定感があり、そのプライオリティを前提としたうえで躍動が表現されていく。その聴き味に、迫力の面で不足があるということはない。
 末尾に聴く機会のほとんどない「田園風ソナチネ」が収録されている。重要な作品ではないが、プロコフィエフ作品の愛らしい一面を端的に示すもので、当盤のように余禄として紹介してくれるのは良いサービスだ。
 全般に充実した聴き味で、必要な味わいや美観がきちんと揃えられたプロコフィエフとして、安定した楽しみをもたらしてくれる。

ピアノ・ソナタ 第4番「古いノートから」 第7番「戦争ソナタ」 第9番
p: メルニコフ

レビュー日:2020.1.8
★★★★★ 叙情性の自然な発露と落ち着いた間合いが特徴。メルニコフのプロコフィエフ
 メルニコフ(Alexander Melnikov 1973-)によるプロコフィエフ(Sergei Prokofiev 1891-1953)のピアノ・ソナタ全曲録音の第2弾で、以下の3曲を収録。
1) ピアノ・ソナタ 第4番 ハ短調 op.29 「古いノートから」
2) ピアノ・ソナタ 第7番 変ロ長調 op.83 「戦争ソナタ」
3) ピアノ・ソナタ 第9番 ハ長調 op.103
 2018年の録音。
 第2番、第6番、第8番を収録した第1弾から、およそ3年を経ての第2弾ということになる。印象は第1弾とほぼ同じで、メカニカルにバリバリ弾くプロコフィエフではなく、叙情性に優れていて、かつ対比感のくっきりした仕上がりになっている。
 収録された3曲の中で、特に良いと思ったのが第9番。そもそも、このプロコフィエフの最後のソナタはとても難しい作品。まるで、プロコフィエフが作曲活動を締めくくるにあたって、あちこちに書き残してあったスケッチから、とびとびのフレーズをつなぎ合わせて作ったかのような、不思議な作品で、終楽章など、あれ?と思う間に曲が終わるのであるが、メルニコフが、綿密な計算を感じさせるフレーズの間を設け、かつ細かな部分にもニュアンスの陰影を設けることにより、独特の美観を導き出すことに成功している。私は、このメルニコフの演奏を聴いて、はじめて、この曲の本来の魅力に接することが出来たような気がした。この1点だけでも、私には当盤の価値は高い。
 第4番はプロコフィエフらしいダークな要素と、第1楽章の重々しさの印象が強い楽曲であるが、メルニコフは適度な透明感から、聴き易い間合いを確保することに成功している。その間合いから、落ち着いた叙情性がなめらかに発露してゆくのが好ましい。終楽章では機敏な動き自体の面白味があり、飽きない。
 有名なソナタ第7番は落ち着きが支配するシックな演奏と感じる。第1楽章の飛び跳ねるような音型も、着実な安定感がある。この楽曲の性格を考えると、人によっては「落ち着き過ぎ」と感じるかもしれないが、その一方でメルニコフが描く第1楽章が特有の不穏さを感じさせるから不思議だ。第2楽章はもっとも安定して身を委ねられる個所であり、叙情的な表現がしめやかに響く。有名な第3楽章は、やはりとにかく落ち着いた弾きぶりで、タッチ自体が暗いわけではないのに、妙に沈んだ感じが支配する。このソナタに関しては、爆演的なものを期待する向きには、向かない演奏だろう。だが、私には、メルニコフの表現に深みが感じられ、興味深いのである。

プロコフィエフ ピアノ・ソナタ 第6番  スクリャービン ピアノ・ソナタ 第9番「黒ミサ」  リャプノフ 超絶技巧練習曲集から 第1曲「子守歌」 第10曲「レズギンカ」 第11曲「風の精のロンド」 
p: ハフ

レビュー日:2018.10.17
★★★★☆ ハフの珍しいレパートリーが聴けるアルバム。収録曲の中ではリャプノフの作品が見事。
 スティーヴン・ハフ(Stephen Hough 1961-)が“Russian Piano Music”と題して、1986年に録音したアルバム。収録曲は以下の通り。
1) プロコフィエフ(Sergei Prokofiev 1891-1953) ピアノ・ソナタ 第6番 イ長調 op.82
2) スクリャービン(Alexander Scriabin 1872-1915) ピアノ・ソナタ 第9番 「黒ミサ」 op.68
3) リャプノフ(Sergey Liapunov 1859-1924) 12の超絶練習曲集 op.11 から
  第11曲 ト長調 「幽霊のロンド」
  第1曲 嬰へ長調「子守歌」
  第10曲 ロ短調 レズギンカ(バラキレフのスタイルで)
 ハフが20代のころに録音したものだが、ハフは、当録音の後、現在までこれらの3人の作曲家の作品を録音していないので、なかなかレアな存在となっている。
 収録曲のうち、特に注目したいのは、リャプノフの楽曲だろう。リャプノフが、リスト(Franz Liszt 1811-1886)の追想作品として手掛けた「12の超絶技巧練習曲集」は、この作曲家の代表作とみなせる作品になっており、その高度な技巧、華麗な音楽効果は圧巻と言って良い。ここではその3曲が弾かれているが、特に面白い楽曲が選ばれていると思う。
 第11曲の「幽霊のロンド」を聴くと、多くの人がリストの「鬼火」を連想するに違いない。その巧妙で精細な工夫を、ハフは細やかに光沢のあるタッチで再現している。思えば、ハフの弾くリストも本当に見事なものだから、リスト作品に親近性のあるこれらの楽曲には、共通するアプローチが可能なのだろう。立派な完成度を示したピアニズムが披露されている。大曲である「レズギンカ」は、民俗的な旋律が、芸術的手続きによって高度に音楽化されたものである。そもそも「レズギンカ」とは、コーカサス地方の遊牧民によるダイナミックな舞踏のことであるが、リャプノフの楽曲も、繰り返しの中で勇壮な旋律が大地を揺らすような作品である。この楽曲を、ハフは見事な技巧と力強さで表現しており、圧巻といって良い内容になっている。
 リャプノフに比べると、他の作品の演奏は、そこまでインパクトが強いものではない。ただ、特徴的なこととして、ハフは、プロコフィエフとスクリャービンというまったく作風の異なる二人の作品に、きわめて近い方法でアプローチを行っている。その結果、スクリャービンの楽曲が、ちょっと聴いたことがないくらいに「プロコフィエフ的」に鳴っている。スクリャービンの黒ミサ・ソナタは、後期の傑作で、特有の和声とリズムの変化を組み合わせた世界が広がるのであるが、ハフはここにいくつかの線引きをほどこし、パーツごとにまとめ上げたうえ、それを明晰なピアノで再現している。この曲で、ここまでリズムが主体化し、縦線を意識させる演奏はないのではないか。ただ、面白いとは言え、スクリャービン特有の雰囲気が伝わってくるとは言えず、どこかプロコフィエフの亜流の音楽のように聴こえてしまう。
 そういった意味では、プロコフィエフの方が幾分しっくり行く。ただ、ハフにしては、いくぶん不均一さを感じさせる音があったり、テンポが落ち着き過ぎていたりするところがあり、ハフは、プロコフィエフがあまり得意ではないのかな?と思ってしまうところがある。おそらく、今のハフであれば、より見事な演奏を披露することは間違いないが、再録音の機会はあるだろうか。

ピアノ・ソナタ 第4番「古いノートから」 第6番 ロメオとジュリエットから10の小品
p: ルガンスキー

レビュー日:2005.1.13
再レビュー日:2013.4.23
★★★★★ 現代プロコフィエフの理想的演奏の一つ
 これは目も覚めるようなすさまじい快演です!とにかくピアニストの素晴らしいテクニックを堪能できる素晴らしい録音。
 特に鮮やかなのがピアノ・ソナタ第6番。この作品はピアノ・ソナタの「戦争三部作とよばれる第6番~第8番」の中の1曲ですが、超有名な第7番のせいで、ややワリを食っている印象があります。
 しかし、たいへん充実した作品であることは疑いなく、鮮烈な技巧による演奏効果が求められる作品です。
 このソナタの終楽章で、このとびはねるリズムの難曲を強靭な手首のアタックで弾ききった様子が鮮やかに伝わってきます。現代プロコフィエフの理想的演奏といっていいのではないでしょうか。
 「ロメオとジュリエット」の編曲ものでは親しみやすいメロディで楽しませてくれます。ここでもテクニックに裏付けられた安定感がしっかりと曲の構造性をりりしく支えています。
 なお、輸入盤だと500円ほどお安く入手できますので、参考にどうぞ。
★★★★★ このピアノ・ソナタ第6番には、ルガンスキーの才がこよなく発揮されている
 ニコライ・ルガンスキー(Nikolai Lugansky 1972-)による2003年録音のプロコフィエフ(Sergei Prokofiev 1891-1953)のソロアルバム。収録曲は以下の通り。
1) ピアノソナタ 第6番
2) ピアノソナタ 第4番「古いノートから」
3) ロメオとジュリエットから10の小品(フォーク・ダンス 情景 メヌエット 少女ジュリエット 仮面 モンターギュー家とキャピュレット家 僧ローレンス マーキュシオ 百合の花を手にした娘たちの踊り ロメオとジュリエットの別れ)
 私にとって、ルガンスキーというピアニストの名を強烈に印象付けた1枚であり、現代におけるプロコフィエフのピアノ独奏曲アルバムのうち重要なものの1枚であると言えるだろう。このピアニストの特性が全編に渡って見事に発揮されている。
 中でも最初に収録されたピアノソナタ第6番が凄い。この曲は、第7番、第8番とともに「戦争ソナタ」のタイトルを持っていて、ヴィルトゥオジティの誇示に必要十分な高い技術を要求し、かつ派手な演奏効果がある作品で、そういった点で第7番とともにコンクール系の若手ピアニストに取り上げられる機会が多い。私も、そういった多くのピアニストたちの演奏を聴いてきたように思う。
 もちろん、ルガンスキーも、1994年のチャイコフスキー・コンクールピアノ部門で(1位なしの)2位という輝かしいコンクール歴があり、上記の系譜に該当するピアニストなのだけれども、この演奏はちょっと他のそういった演奏家のものとは格が違うといった趣なのである。
 圧倒的な指の動き、爆発的とも言える音量、疾風のようなスピード、そのような場面場面を印象付ける特徴はもちろんあるのだけれど、ルガンスキーの演奏の充実は、それらを音楽として構築する過程で、緻密で理論的な手法に徹していて、そのことを通じて、聴き手の作品への理解を容易にしたところが凄いのである。私は、この録音を「プロコフィエフのピアノ独奏曲は、いまいちピンとこない」といった感想をお持ちの方にぜひ聴いてほしいと思う。ルガンスキーの演奏には、ヴィルトゥオジティの発揮というだけでなく、人に、この音楽がどういう音楽であるのかということを、強く理解させ、感銘させる力強さが満ちているからである。
 ソナタ第6番以外の2曲も良演で、いずれも力強いピアニズムが横溢している。また甘美な旋律や、抒情的な表現やニュアンスも、節度を保ちながら、品よく奏でられており、このへんの客観性の保持においても、このピアニストの格の高さのようなものを感じずにはおられない。特に、ロメオとジュリエットは、聴き馴染んだ旋律が多くあるという方も多いと思うので、ルガンスキーの堂々たる節回しを味わってほしいと思う。
 それにしても、ルガンスキーには、是非、他のプロコフィエフのソロ曲も録音をしてほしい。

プロコフィエフ ピアノ・ソナタ 第6番 第7番「戦争ソナタ」  スクリャービン ピアノ・ソナタ 第2番「幻想ソナタ」
p: ヴラダー

レビュー日:2010.11.30
★★★★★ ウィーン流ロシア・ピアノ・ソナタ解釈?
 1965年ウィーン生まれのピアニスト、シュテファン・ヴラダー(Stefan Vladar)によるプロコフィエフのピアノ・ソナタ第6番、第7番とスクリャービンのピアノ・ソナタ第2番「幻想ソナタ」。録音は2009年。
 ヴラダーはショパン、シューマン、ブラームスといった作品で好きな録音があり、時々聴くピアニストの一人だけど、今回の選曲にはちょっと意外な感じを持った。というのは、私の勝手な先入観で、ヴラダーというピアニストをいかにもウィーン生まれのドイツ・オーストリアの本流的なレパートリーを持っているイメージに勝手にあてはめていたからである。しかしショパンに秀でた演奏を聴かせるならスクリャービンもいいだろうし、それならプロコフィエフも・・と思う。
 聴いてみると、木目調のまろやかな響きが思いのほかよいニュアンスを楽曲にもたらしていて、なかなか良い演奏である。特に気に入ったのはスクリャービン。最近、スクリャービンの作品でもこの第2ソナタというのは人気が出てきたのではないだろうか?よく聴く気がする。それにしてもこの美しいソナタを暖かい音色で奏でたものだ。特に第1楽章の終結部。幻想的に鍵盤上のあちこちに音が散らばるような魅惑的なシーンをことのほかやわらかいタッチで紡ぎだした効果は満点で、夢見るような音楽になっている。第2楽章の運動性も細やかで味わいを感じさせてくれる。
 プロコフィエフの2曲の傑作もヴラダーらしい音色で脈々と語られていて、特に両曲とも第1楽章が素晴らしい。プロコフィエフの音楽がもっている一種のグロテスクを中和して、シンフォニックで落ち着いた響きが聴ける。一方、少し弱点に思えるのが意外にも両曲の緩徐楽章で、ヴラダーのアプローチだと単調に思えてしまうところがあり、ここはアイロニーなどプロコフィエフ独特のニュアンスに踏み込むようなもう一つ何かが欲しいと思う。第6番の第3楽章と第4楽章は安定した技巧に貫かれていて、フォルテにコントロールを効かせて曲の起伏をなだらかにしており、聴き易さを感じる人と物足りなさを感じる人の両方がいそうだけれど、慣れるとなかなか聴き味が増してくる。第7番の有名な終楽章もほどよいスピード感で畳み掛ける迫力よりコントロールの美学が優先されている。音楽を拡張し過ぎない配慮は良心的だと思うし、迫力も決して不足するわけではなく、まとまりが美しく、聴いた後も清清しいだろう。

ピアノ・ソナタ 第6番 第7番「戦争ソナタ」 第8番
p: コジュヒン

レビュー日:2013.3.21
★★★★★ 新時代のロシアピアニズムを感じさせるプロコフィエフ
 2010年のエリザベート王妃国際音楽コンクールで優勝したロシアのピアニスト、デニス・コジュヒン(Denis Kozhukhin 1986-)によるプロコフィエフ(Sergei Prokofiev 1891-1953)による「戦争ソナタ」と呼ばれる3曲のピアノソナタ(第6番イ長調、第7番変ロ長調、第8番変ロ長調)を収録したアルバム。2012年録音。
 プロコフィエフのピアノソナタは全部で9曲が知られているが、そのうち「戦争ソナタ」の名を持つのが第6番から第8番までの3曲であり、作曲者充実期の傑作として名高い。かつては名盤が多くあった第7番が際立った人気を持っていたが、最近では第6番も頻繁に取り上げられていて、聴く機会が多い。特にコンクールで名を上げた腕達者なピアニストのレパートリーになることが多い。それで、このコジュヒンによる録音も、まさにそのような主題に沿った感があるのだが、戦争ソナタ3曲まとめて録音となると、意外にあまり多くはなく、それだけ、このピアニストがプロコフィエフの作品を重要なものとしていることの裏付けであろう。実際、彼はプロコフィエフのソナタ全曲演奏会なども開催しているとのこと。
 さて、このコジュヒンの演奏、コンクール出身型的なスピード系ピアニストのものかというと、ちょっと趣が違うようである。非常に地に足の着いた落ち着いた演奏という感じがする。例えば、ピアノソナタ第7番、この曲もよくコンクール出身のピアニストによって弾かれるのだけれど、その鋭角的なリズムで有名な終楽章を、コジュヒンは3分46秒かけて弾いている。
 私は、この曲のCDをたくさん持っているのだけれど、速いものではラエカリオ(Matti Raekallio 1954-)の2分59秒、アシュケナージ(Vladimir Ashkenazy 1937-)による1957年録音の3分01秒などがある; ~ ちなみにポリーニ(Maurizio Pollini 1942-)は3分11秒、グールド(Glenn Gould 1932-1982)は3分18秒 ~。それらと比べると、このコジュヒンの演奏は、時間をかけた“じっくりしたもの”だと言うことがわかる。実際に聴いてみると急くような切迫感はない。しかし、これは遅いとも感じられない。何故か。一つ一つの音の質感の豊かさが充足しており、その響きを堪能することで、聴き手は大きな満足を得ることが出来るからである。これは、何も他の演奏にそういった要素がないと言っているわけではない。コジュヒンの演奏にことさらその性向が顕著である、ということが言いたいのである。
 その傾向は第6番も同様で、終楽章の運動的な躍動感、機械的なリズム感が、コジュヒンの演奏では強調されず、一方で克明な音の輪郭や、音響の安定した完璧性が尊ばれている。そうして、これが肝心なのだが、そうして奏でられるコジュヒンのプロコフィエフは、とても音楽的に響くのである。これは、コジュヒンのピアニズムが、プロコフィエフの音楽が持つ抒情性を、十全に引き出す性質のものとなっていることによるものだと思う。スケールが大きく、しかし細部まで克明で、完璧とも言える打鍵のコントロールによって、一つ一つの音の鳴りが満ち足りている。その響きは、プロコフィエフの音楽が持っている重要な要素の一つを、鮮やかに救っている。
 中でも私が素晴らしいと思うのはソナタ第8番の終楽章。ポリフォニックな処理の卓越とともに、完璧とも言える音響の構築性により、凛々しくも瑞々しい感覚に貫かれている。ロシアが放つ新しい才能と感性を強く感じさせる一枚となっている。

ピアノ・ソナタ 第6番 第7番「戦争ソナタ」 第8番
p: アシュケナージ

レビュー日:2014.1.16
★★★★★ 大家による戦争ソナタ3曲の録音としては、唯一のもの
 アシュケナージ(Vladimir Ashkenazy 1937-)によるプロコフィエフ(Sergei Prokofiev 1891-1953)の「戦争ソナタ」と呼ばれる3曲のピアノ・ソナタを収録。1993年から94年にかけての録音。
 「戦争ソナタ」とは、プロコフィエフの以下の3曲のピアノ・ソナタを指す。
1) ピアノ・ソナタ 第6番 イ長調 op.82(1940年)
2) ピアノ・ソナタ 第7番 変ロ長調 op.83(1942年)
3) ピアノ・ソナタ 第8番 変ロ長調 op.84(1944年)
 作曲年代を併せて記載した。つまり、これらの作品は1939年から1945年に及んだ第二次世界大戦の時期に書かれた作品ということで、「戦争ソナタ」と呼ばれる。プロコフィエフはその生涯に9曲のピアノ・ソナタを書き上げたが、特にこの3曲が傑作として名高く、それらがいずれもが戦時中に書かれたことになる。
 ちなみに、類似のケースとしてショスタコーヴィチ(Dmitrii Shostakovich 1906-1975)の「戦争三部作」がある。これは、以下の3つの交響曲を示す。
1) 交響曲 第7番 ハ長調 op.60「レニングラード」(1941年)
2) 交響曲 第8番 ハ短調 op.65(1943年)
3) 交響曲 第9番 変ホ長調 op.70(1945年)
 やはり、いずれも大戦中に書かれた作品であるが、こちらもいずれも傑作であり、大戦という特殊な環境が、作曲家の感性になんらかの働きかけを行ったことは、(特にショスタコーヴィチの場合)ありえることだろう。  しかし、この二人の作曲家は、いずれも第二次世界大戦をソビエト内で経験したのだけれど、その作品への戦争体験の反映度というのは随分違う。ショスタコーヴィチが、暗い時代の闇を、真正面から受けたのに対し、プロコフィエフには、自身の芸術を、そういった社会的な事象とは切り離したようなクールさが感じられる。まあ、それは私がそう思っているだけなのかもしれないが。
 いずれにしても、この3曲のピアノ・ソナタは、歴史的名品と呼ぶにふさわしいのであるが、世の大家と言われるピアニストで、この3曲を全部録音してくれた人はほとんどいない。独特のモダニズムやアヴァンギャルド、それにグロテスクの要素を備えたプロコフィエフの多感な感性に、随時適応可能なピアニズムというのは、なかなか得難いものらしい。
 そのような状況にあって、これら3曲を一枚のアルバムにまとめたアシュケナージはさすがである。それに、アシュケナージは、ソナタ第7番については、これが実に3度目の録音ということになる。最初は亡命直後の1957年、次いで長らく定番として多くの人に聴かれた1967年、そして当盤だ。
 私は、これらの3種の録音を持っているのだけれど、さすがに最初の録音と3度目の録音(当盤)では、だいぶ雰囲気が違う。1957年の録音は、いかにも若々しいもので、圧倒的な技巧により、超高速の演奏が展開される。特に有名な第3楽章は凄まじく、3分ジャストで弾き切っている。これより速い録音というと、ラエカリオ(Matti Raekallio 1954-)の2分58秒というのがあるが、音楽に「崩れ」がないアシュケナージの57年盤の方が凄く聴こえる。
 さて、当録音は、その57年の録音に比べると、豊饒な音楽として響く。若々しい鋭さを減じる一方で、響きの十全さ、ピアノ全体を鳴らすような音響の豊麗さにおいて、圧倒的だ。それはソナタ第7番だけでなく、全体を通じてそのようなスタイルの演奏となっている。例えば第6番のエネルギッシュな冒頭であっても、一つ一つの響きに鮮やかな光沢があって、荒さよりも、音の恰幅の豊かさを印象付ける。そうはいっても、十分にバーバリズムも感じさせるテンポを維持し、そのつど適度な放散も行われているので、音響的な迫力は十分だ。その分、線的な鋭さを失っているところはあるが、この演奏が目指すスタイルにおいては、優先させるものが違う。そのため、全体的にプロコフィエフのグロテスクな一面は弱まっているかと思うが、その一方で、抒情性の発露や、音響的なダイナミズムは、強いメリハリを持って表現されていて、均質な強度が与えられた充足感がある。中でも、第8番の長大な第1楽章が麗しい情感を伴って響くのは秀逸だ。
 いずれにしても、当盤は、大家といえるピアニストが、「戦争ソナタ」3曲をまとめて録音するということについて、高いレベルで先駆的役割を果たしたものである。この録音から20年が経過し、その間、これらの楽曲にも、若いピアニストを中心に面白い録音がいろいろ登場しているが、是非アシュケナージに倣って、他の大家といわれるピアニストたちにも、これらの楽曲の録音に挑んでくれることを希求したい。とてもいい曲たちだから。

ピアノ・ソナタ 第6番 第7番「戦争ソナタ」 第8番
p: ギルトブルク

レビュー日:2017.12.8
★★★★★ 「シンプル」と「豊か」の共存を紡ぎだすギルトブルクのピアノ
 2013年エリザベート王妃国際音楽コンクールで優勝するなど輝かしいコンクール歴を誇るロシアのピアニスト、ボリス・ギルトブルク(Boris Giltburg 1984-)が、2012年に録音したプロコフィエフ(Sergei Prokofiev 1891-1953)の戦争ソナタ三部作。
 ギルトブルクは2006年のEMIへのデビュー盤ですでにソナタ第8番を録音しているので、この曲に関しては当録音が再録音ということになる。
 プロコフィエフの戦争ソナタ三部作は、ピアニストに相当な技巧を要求する作品であり、コンクール出身のピアニストに取り上げられる機会が多い。最近では2010年エリザベート王妃国際音楽コンクールで優勝したデニス・コジュヒン(Denis Kozhukhin 1986-)もこれらの3曲を録音している。
 ギルトブルクとコジュヒンを比較してみると、コジュヒンがこれらの音楽にじっくりと働きかけたのに対し、ギルトブルクは、基本的にスポーティーな印象で、様々なパッセージを、ある意味単純化させる方向性を持っている。有名な第7ソナタの終楽章を演奏時間で比較すると、コジュヒンの3分46秒に比べて、ギルトブルクは3分11秒で、これはポリーニ(Maurizio Pollini 1942-)と同じで、かなり早めの部類と言える。ちなみに、それより早い演奏時間のものとして、ラエカリオ(Matti Raekallio 1954-)の2分59秒、アシュケナージ(Vladimir Ashkenazy 1937-)による1957年録音の3分01秒などがある。
 ギルトブルクは、基本的に快活なテンポを維持し、全体の流れをそのスピードの中で括るスタイルを示しており、それは例えば第8ソナタの両端楽章に聴かれるリズム主体の進行にも端的にあらわされている。
 私がギルトブルクの演奏で感心するのは、前述のような特性を持ちながら、緩徐楽章の瑞々しい情感がうまく表出されている点にある。じっさい、ギルトブルクの演奏の第一印象は、過不足なく、技術的なほころびを感じさせないスピードののったきれいなもの、という感じなのであるが、もう一度聴いてみると、今度は緩徐楽章の美しさにより注意が向く。もちろん、これは私の主観的な感想なのであるが、プロコフィエフのピアノ曲の場合、まず技術とスピードの点に感心が赴くのは、特に変わった視点というわけではないだろう。
 そうして繰り返し聴いていると、なるほどこれはプロコフィエフの音楽がもつ運動性と抒情性を、みごとに調和させ並び立たせた演奏であると感じられる。
 また、それを可能としているのが、ギルトブルクの繰り出す音色の豊かさである。ペダルの巧妙な使用とあいまって、音色に与えられた幅は、テンポ的に同じように処理される場合であっても、単純に画一的な表現に帰さない良さがあり、それが聴き味となって伝わってくる。
 最近、このピアニストによって、他にも優れた録音がいくつかリリースされていることもあって、今後の活躍が大いに期待できるアーティストの一人である。

ピアノ・ソナタ 第6番 第7番「戦争ソナタ」 第8番
p: オズボーン

レビュー日:2020.4.8
★★★★★ プロコフィエフの戦争三部作に、新しい名演が登場
 イギリスのピアニスト、スティーヴン・オズボーン(Steven Osborne 1971-)によるプロコフィエフ(Sergei Prokofiev 1891-1953)の「戦争三部作」よ呼ばれるピアノ・ソナタを収録したアルバム。収録内容は以下の通り。
1) ピアノ・ソナタ 第6番 イ長調 op.82
2) ピアノ・ソナタ 第7番 変ロ長調 op.83
3) ピアノ・ソナタ 第8番 変ロ長調 op.84
 2019年の録音。
 戦争三部作は、人気の楽曲だと思うけれど、意外にこの3曲を1枚に収録したアルバムというのは少ない。私が所有するものも、アシュケナージ(Vladimir Ashkenazy 1937-)、コジュヒン(Denis Kozhukhin 1986-)、ギルトブルグ(Boris Giltburg 1984-)の3種のみ。これらの3曲は、似たようでいながら、性格的な違いがあり、1枚のアルバムに収めることは、演奏者の側からも、難しさを感じるチャレンジなのではないか、と推測する。そして、実際に、これら3曲を1枚に収録したアルバムは、いずれも相応の聴きごたえのあるものだ。
 このオズボーンの録音も素晴らしい。元来、膂力に溢れたピアニズムと、音をコントロールする強靭な意志を感じさせるピアニストであるが、そんなオズボーンに惹かれることで、これら3つの楽曲が、新たに克明な光に照らし出されたような感銘を受ける。
 第6番は、重みのある響きで開始されるが、その安定感が圧巻といって良い。これほど地に足をつけた感のあるこの楽曲は、いままで聴いたことがなかったと言うくらいのどっしり感である。かと思うと、中間楽章では、プロコフィエフのバレエ音楽を思わせるような機微があり、落ち着いているのに華やぎがあって、見事だ。有名な終楽章は、力強くスピード感のある響きで、統率美に溢れた味わいであるが、その中で、ユーモアやウィットが感じられるのも、プロコフィエフに相応しい。
 第7番はやや速めのテンポを維持し、質感に富む音色で幅広く描かれていく。速いにもかかわらず、スケール感も大きなものを感じさせる。第2楽章の優美さも特筆したい。真面目に真摯に弾いているにもかかわらず、旋律に即した感情の味付けがある。流れる音楽の情報量の豊かさに感服しているうちに、あっという間に終わってしまう。終楽章も速めのスタイル。それでいて重量感も立派だから、素晴らしい迫力だ。スタッカートの切れ味も清々しく、鮮やかにまとめられる。
 第8番はニュアンスの表出に力点が置かれるべき作品だと思うが、ここでもオズボーンの芸術が絶妙な適応を見せる。演奏によっては長さを感じさせる第1楽章も、色彩感のある情緒があちこちからこぼれ、聴いていて実に楽しい。プロコフィエフが演奏家に課したテーマを、同時に高いレベルで克服した達成感が満ちており、その輝かしさが、聴き手に忘れがたい印象を刻む。

ピアノ・ソナタ 第6番 第7番「戦争ソナタ」 第8番
p: エッカルトシュタイン

レビュー日:2021.11.4
★★★★★ 奏者の豊かな感受性と思索性が反映したプロコフィエフ
 2003年のエリザベート王妃国際コンクールで優勝歴のあるドイツのピアニスト、セヴェリン・フォン・エッカルトシュタイン(Severin von Eckardstein 1978-)による、プロコフィエフ(Sergei Prokofiev 1891-1953)の「戦争三部作」と呼ばれる下記の3つのソナタを収録したアルバム。
1) ピアノ・ソナタ 第6番 イ長調 op.82
2) ピアノ・ソナタ 第7番 変ロ長調 op.83
3) ピアノ・ソナタ 第8番 変ロ長調 op.84
 2020年の録音。なお“エッカルトシュタイン”という日本語表記だが、従来 “エッカードシュタイン”という表記と併用されてきて、私もそれを使用していたのであるが、最近では、書籍等を中心に“エッカルトシュタイン”で統一されつつあるので、私もその表記を用いることにしたい。
 話を当盤に戻そう。エッカルトシュタインは、これらの3つのソナタのうち、第8番を2002年に録音していたため、当該曲については、18年振りの再録音ということになる。その2002年の録音も、叙情性に秀でた良い演奏であったが、当録音は、さらに表現の深まりを感じさせるものになっていると思う。
 エッカルトシュタインは、プロコフィエフのピアノ作品には深い思い入れがあり、それらの作品には、人間の持つ複数の感情が同時に宿されていることに言及している。この演奏は、確かに思索的な印象を受ける。冒頭に収録された第6番から、第1楽章は噛んで含めるような、慎重な間合いをもって奏でられる。エッカルトシュタインの演奏は、ペダルの効果とルバートの作用から、巧妙にニュアンスが施されている。プロコフィエフのピアノ独奏曲は、概して攻撃的な表現や、グロテスクな響きが特徴的なわけであり、その表現に先鋭化した演奏もあるが、エッカルトシュタインは、そこに適度な間と複層的なニュアンスをさしはさむことで、音楽のもつ複雑さに焦点を当て、それを音楽的に解釈し、聴き手に送り届けることに専心する。そうして奏でられるプロコフィエフは、この音楽にそのような側面があったのか、と驚かされるほどに情感豊かで、叙情的である。第7番の第1楽章のスタッカートのまろやかさは、鋭さと暖かさが同居しており、美しいし、第8番の第1楽章では、輝かしくも悲しい色を帯びたメロディが、清らかに流れていく。これらの演奏に接して、楽曲に持っていた印象を変える人も多いのではないだろうか。
 これらのプロコフィエフの3つのソナタを集めたアルバムとしては、最近、スティーヴン・オズボーン(Steven Osborne 1971-)による膂力と迫力に満ちた名盤が登場したばかり。今度はエッカルトシュタインが知的なアプローチにより、また違った楽曲の一面を引き出してくれた。これだから、様々な演奏で同じ楽曲を聴く楽しみは、減ることがない。

ピアノ・ソナタ 第7番「戦争ソナタ」 第8番
p: ブロンフマン

レビュー日:2014.10.2
★★★★☆ まるで環境音楽?発汗を感じさせないブロンフマンのプロコフィエフ
 ロシア系イスラエル人ピアニスト、イェフィム・ブロンフマン(Yefim Bronfman 1958-)は、プロコフィエフ(Sergey Prokofiev 1891-1953)のピアノ協奏曲とピアノ・ソナタの双方を全曲録音した数少ないピアニストの一人であるが、その一連の録音は1987年にスタートしている。
 その年、ブロンフマンは、シュロモ・ミンツ(Shlomo Mintz 1957-)とのヴァイオリン・ソナタ集と、この2曲のピアノ・ソナタを録音し、プロコフィエフへの適性を世に知らしめていく。
 当盤に収録されているのは、以下の2曲。
1) ピアノ・ソナタ 第7番 変ロ長調 op.83「戦争ソナタ」
2) ピアノ・ソナタ 第8番 変ロ長調 op.84「戦争ソナタ」
 この2つのピアノ・ソナタは、第6番と併せて「戦争三部作」の名で知られる傑作で、録音点数も多い。
 そのような中にあって、ブロンフマンはこれらの音楽を、現代的感性で押し切ったようなスタイルを貫いたものだと感じる。彼のピアノは、旋律に伴う感情的な膨らみや起伏には焦点を当てず、むしろ均質性の高い音をひたすら維持し続けることによって、正確に音を配置し続ける。そのアプローチは、とても機械的で、熱い血が通っていると感じるような音楽ではない。そして、プロコフィエフのこれらの音楽が、そのようなアプローチを受け入れる性質を持っているから、たいへん清々しく聴こえることになる。
 好みの問題になるが、この演奏に私は色彩的なものをあまり感じない。むしろ確信犯的に、モノクロームな世界を作り出し、淡色系の設計美を貫いたような、クールな味わいに満ちている。
 ソナタ第8番がより成功していると思う。長い第1楽章で、彼の作業は、とても瞑想的な雰囲気を導いている。一点集中とでも表現しようか。その夾雑物のない、無菌性のようなものが、蒸留水のような透明さを導いている。この楽章の途中から第2楽章にかけて散見される勝利の感慨は、本来アイロニーに満ちているものだと思うが、ブロンフマンの演奏はずっとストレートだ。第3楽章に至るや、彼の手法と聴衆の間に、信頼感が築けたことを疑わないような完全性を、私は感じる。
 ソナタ第7番は、第2楽章の洗練された表現が美しいが、彼のスタイルにしては、やや情感が浮いているのが面白い。ここでは抑えきれない思いのようなものが、底辺を伝っているように思う。それが、彼の演奏において「不純なもの」になるのかどうか、何とも言えないが。
 いずれにしても、このような演奏を可能としたテクニックは、超絶的で、非の打ちどころがないと言っても良い。例えば、同じように超絶的なテクニックでプロコフィエフを弾いたガヴリーロフ(Andrei Gavrilov 1955-)の演奏が、熱血的なヴィルトゥオジティを感じさせるものだったのに対し、ブロンフマンの演奏からは、一切の発汗作用が感じられない。高度なコントロール能力で達成された音楽なのであろう。

ピアノ・ソナタ 第7番「戦争ソナタ」 第8番 第9番
p: リル

レビュー日:2018.9.12
★★★★★ バランス感覚に秀で、流麗なフォルムを持つリルのプロコフィエフ
 イギリスのピアニスト、ジョン・リル(John Lill 1944-)によるプロコフィエフ(Sergei Prokofiev 1891-1953)のピアノ・ソナタ集。全3巻による全集となっていて、当盤はその第3集にあたるもの。以下の楽曲が収録されている。
1) ピアノ・ソナタ 第7番 変ロ長調 op.83 「戦争ソナタ」
2) ピアノ・ソナタ 第8番 変ロ長調 op.84 「戦争ソナタ」
3) ピアノ・ソナタ 第9番 ハ長調 op.103
 1990年の録音。
 リルの奏でるプロコフィエフは豊穣な重厚感と透明な抒情性を併せ持つもので、楽曲を瑞々しく表現した名演といって良い。その第一の印象は聴き味の良さと流麗さであり、あるいはプロコフィエフの特徴の一つであるグロテスクな面がなりをひそめていることは否めないが、そのことによって、古典的なバランスの良さは高度な安定感を示していて、美しいフォルムを備えている。
 傑作として広く知られるソナタ第7番であっても、リルのスタイルは一貫しており、快活で心地よいテンポを維持しながら、各パーツを自然に馴染ませるようにして進む。第2楽章では落ち着いた足取りで、健やかに情緒を表現して進む。その明朗な印象もまた、プロコフィエフの魅力的な一面であることを良く伝えている。有名な第3楽章も十全たる響きでまとまりがあって、かつスピード感も不足していない。全体として、整然とした趣きが支配し、隅々まできれいに再現されている。
 ソナタ第8番はリルの構造に対する感性の鋭さを感じさせ、特に第1楽章がわかりやすい。過度な踏み込みがなく、人によってはより劇的なものの表出を求めるかもしれないが、リルの芸術はそれと別の価値観で高い完成度を保っていて、私は好感を持つ。第2楽章にみられる情緒、適度なアイロニーの表出も、いかにもこなれた表現で、洗練さえている。第3楽章の輝かしくリズムに乗った進行も、まずは非の打ちどころがない。
 ソナタ第9番は前2曲に比べると難解さ、難渋さのある作品であるが、リルはここでもうまく「立ち回って」いて、あれ、こんなにシンプルな印象の曲だったっけ、と思わせてくれる。リルの一連のプロコフィエフの中でも、演奏者と作品の間の距離感を広めにとった印象で、遠視点的な整然さが目立つだろう。逆に言うと、内燃的なものや、暗い情感がセーヴされているのだが、私はこの曲の場合、そこに聴きやすさを感じ、当演奏のスタイルも歓迎したいと思う。
 ジョン・リルというピアニスト、国内盤の発売が少ないため、知名度はいまひとつかもしれないが、確かな実力の持ち主であり、当盤を含む一連のプロコフィエフの録音は、そのことをよく伝えてくれる。

ピアノ・ソナタ 第8番 第9番 トッカータ
p: ドミトリエフ

レビュー日:2011.12.27
★★★★☆ 今後に期待したい古典性と叙情性を重んじたプロコフィエフ
 ロシアのピアニスト、ドミトリエフ(Peter Dmitiev 1974-)は、1995年の日本国際音楽コンクールで優勝したため、日本国内ではやや知名度がある。ただ、このコンクールが1999年に中止されているため、コンクール自体の知名度が広まらなかったのは不運であろう。コンクール直後の1996年にロシアのレーベルbohemeからショパンとプロコフィエフのソナタを収録したアルバムがリリースされていて、特有の呼吸に満ちた運動的な音楽に、私は魅力を感じていた。
 次いで、リリースされたのがプロコフィエフのピアノソナタ全集で、2001年録音のこの第1集にはピアノソナタ第8番と第9番、それに初期の名小品「トッカータ」が収録された。前述のbohemeのアルバムにもプロコフィエフのピアノソナタ第8番が収められていたので、この曲に関しては5年ぶりの再録音ということになる。
 確か、以前読んだもので、音楽学者の大宅緒(おおや いと)氏だっただろうか、プロコフィエフの9曲のソナタは「古典性」「現代性」「モーター(機械性)」「叙情性」「グロテスク」の5つの軸を持つっているという表現があったと思う。「古典性」と「現代性」という言葉は、相反するようでいて、このように5つ並べると、それは確かにプロコフィエフをイメージするのだから、不思議なものだ。なるほど、と思ったことがある。以来、私はプロコフィエフの作品(特にピアノソナタ)を聴くとき、はたしてこの5つのうちどの要素に焦点があたっているかに注目するようになった。
 それで、ドミトリエフの演奏は?これは端的に「古典性」と「叙情性」に焦点があたっている。これは若手ピアニストとして、「おや?」と思うほど、そうなのだ。以前のbohemeの録音でも、ソナタの第8番の冒頭など、「ちょっとうっとり弾き過ぎるのでは?」と思ったことがあり、それが「持て余している」ようにも聴こえたのだけれど、今回の録音でも、幾分洗練されたとは言え、やはり同じように聴こえるのだ。テンポはやや遅めのインテンポで、じっくりしたスタイルとも言えるのだが、ピアノのサウンドを存分にきちんと鳴らそうとして、それはグランド・マナーと言いたいほどに聴こえてくるのだけれど、もう一つなにか挑戦的なものがプロコフィエフでは必要なのではないかな?と思えてしまう。
 難曲として知られるトッカータも、安定してきちんと弾けるところまでテンポを落としている、とも思えるところで、和音は立派に鳴るのだけれど、はたしてこれがプロコフィエフだろうかという思いがどうしても残る。ただし、強い打鍵により、恰幅ある和音を武器に、リリカルな面を存分に強調しているという長所もあるため、そういう演奏であるということだろう。今後、もうひと味加われば、という気持ちが強い。

風刺(サルカズム) 束の間の幻影 ピアノ・ソナタ 第5番 ハ長調(第2版op.135) 4つの小品 op.32 から 第1曲「ダンス」  4つの小品 op.32 から 第3曲「ガヴォット」  交響曲 第1番 から第3楽章「ガヴォット」 バレエ音楽「シンデレラ」から「ガヴォット」
p: コロリオフ

レビュー日:2013.12.10
★★★★★ 卓越した適性を感じさせるコロリオフのプロコフィエフ
 エフゲニー・コロリオフ(Evgeni Koroliov 1949-)による1992年録音のプロコフィエフ(Sergei Prokofiev 1891-1953)のピアノ作品集。収録曲は以下の通り。
1) 風刺(サルカズム) op.17
2) 束の間の幻影 op.22
3) ピアノ・ソナタ 第5番 ハ長調 (1953年改訂版) op.135
4) 4つの小品 op.32 から 第1曲「ダンス」
5) 4つの小品 op.32 から 第3曲「ガヴォット」
6) 交響曲 第1番 op.25 から 第3楽章「ガヴォット」
7) バレエ音楽「シンデレラ」 op.95から 「ガヴォット」
 コロリオフはロシアのピアニストで、1968年のバッハ国際コンクール、1973年のヴァン・クライバーンコンクール、1977年のクララ・ハスキル国際ピアノ・コンクールのいずれも優勝という輝かしいコンクール歴の持ち主。国内盤の発売のないレーベルへの録音が多かったため、日本ではあまり注目されてこなかったが、最近では、輸入盤が入手しやすい環境が確保されたこともあり、特にバッハ(Johann Sebastian Bach 1685-1750)の録音で、評価が広まっていると思う。
 もちろんバッハも優れているが、このプロコフィエフも素晴らしい録音だ。収録曲が、やや渋めなのであるが、コロリオフのバッハに心を動かされた人には、是非聴いてほしいアルバム。
 収録曲について少し書いておこう。「風刺」は原題を“Sarcasms”といい、「皮肉」の意味もあるが、「風刺」という邦訳が定着している。5つの小曲からなり、それぞれ「嵐のように」「間のびしたアレグロ」「せき立てるアレグロ」「狂気したように」「激しくせき立てるよう」とタイトルが与えられている。冒頭からグロテスクな雰囲気が漂いながらも、抒情性も表出し、プロコフィエフらしさの横溢する曲集だ。
 「束の間の幻影」はロシア象徴主義の詩人、コンスタンティン・バリモント(Konstantin Balmont 1867-1942)の詩の印象から作られた20の小曲集(当盤ではトラックではなく、index番号が付与されている)。個別にはハープの響きを彷彿とさせる第7曲がちょっとだけ有名。「ピアノ・ソナタ第5番」は、1923年に作曲されたものだが、プロコフィエフはこの作品に晩年手入れをし、改訂版のスコアを出版した。これに改めて作品番号135が付与されたのだが、当盤にはその改訂版が収録されている。
 コロリオフの演奏は、透き通ったタッチ、混じりっ気のない響きで一貫していて、楽曲のフォルムがくっきりと浮かび上がっているのが素晴らしい。テンポはこのピアニストがバッハを弾いたときほど特徴的ではなく、全般に平均的なもの。ただ、ところによって、テンポをやや遅めにとるところもある。ピアノ・ソナタ第5番における意表を突くような突然性、ロマンティックな部分の両端の屹立性などに、きっちりと焦点を当てた疾走感があり、これがこの曲の魅力を引き出している。
 彼のピアニズムは、ギレリス(Emil Gilels 1916-1985)やリヒテル(Sviatoslav Richter 1915-1997)といった、古典的・英雄的ロシア・ピアニズムとはまったく異なるものだ。アカデミックで解析的。音の大きさで勝負するようなところは皆無。しかし、音楽の起伏や陰影のコントラストの明瞭性において、まったく負けているところはないのである。ピアノに対峙するときの自身のピアニストとしての相対化のようなものを、きわめて高次なところで達成しているのだ。人によっては、その「精神的達観」のようなものに、相容れないものを感じるだろうか?しかし、彼の音楽は決して単に機械的なだけではない。たしかにメカニカルな響きではあるが、演奏を通してプロコフィエフのユーモアやアイロニーが、新鮮な感触で伝わってくるのである。それらの成果は「風刺」「束の間の幻影」において、端緒に得られている。プロコフィエフのピアノ曲でしばしば特徴的に出現する両手を用いての和音の連打など、明確でシャープに決まっていて爽快無比だ。
 また、アルバムの末尾にいくつか愛らしい作品が収録されているのも、構成的に良いと思う。旋律自体で馴染みやすいのは、交響曲 第1番の第3楽章をピアノ編曲したものだろう。バレエ音楽の様な典雅な雰囲気である。
 コロリオフとプロコフィエフには、絶妙の相性の良さを感じる。是非、多くの作品を録音してほしい。

プロコフィエフ 束の間の幻影  ショパン ピアノ・ソナタ 第3番  メトネル 4つのおとぎ話 op.26から第3曲ヘ短調
p: ゴーラリ

レビュー日:2014.12.25
★★★★★ 巨匠たちに絶賛されたアンナ・ゴーラリの表現力
 ロシアのタタールスタン出身のピアニスト、アンナ・ゴーラリ(Anna Gourari 1972-)による2013年録音のアルバム。収録曲は以下の通り。
1) プロコフィエフ(Sergei Prokofiev 1891-1953) 束の間の幻影 op.22
2) メトネル(Nikolai Medtner 1880-1951) 4つのおとぎ話 op.26 から 第3曲 ヘ短調
3) ショパン(Frederic Chopin 1810-1849) ピアノ・ソナタ 第3番 ロ短調 op.58
 私は、当盤で初めてゴーラリの演奏を聴いた。ゴーラリは、1994年にデュッセルドルフで開催された第1回クララ・シューマン国際ピアノ・コンクールで優勝という経歴を持つ。このコンクールについて、私はほとんど知らないのだけど、1994年の開催について調べてみると、審査員にアシュケナージ(Vladimir Ashkenazy 1937-)、アルゲリッチ(Martha Argerich 1941-)、フレイレ(Nelson Freire 1944-)といったネームヴァリューのあるアーティストたちが並んでいる。彼女の演奏は、彼らに大いに支持されたと言う。そうはいっても、それは、当録音より20年近く前のエピソード。以後、ゴーラリのディスコグラフィーを見てみると、ベートーヴェン、ブラームス、R.シュトラウス、ツェムリンスキー、バルトーク、プーランク、ヒンデミットといった作曲家の名前が並んでいるが、当録音を加えて、かなり広範囲のレパートリーを持つピアニストの様だ。
 以上の情報を事前に摂取の上、私は当盤を聴いてみた。
 冒頭にプロコフィエフの「束の間の幻影」が収録されている。20の無調的な小曲からなる美しい曲集であるが、ゴーラリのタッチはとても神秘的で響く。ゴーラリのピアノは、やや乾いた響きで、常に一定の間隔を感じる。時として激しい表情を見せながら、フレーズの間隙に空冷する瞬間を感じさせる。メロディを大切に扱いながらも、併せて基音の変化を明瞭に示すので、音楽の複層的な面白みが良く分かる。一方で、第7曲のPittoresco (Arpa)で聴かれる静謐な簡素さも魅力十分だ。
 メトネルは2分強の1曲のみの収録である点が残念だが、ほの暗い郷愁的な雰囲気を満たしたほのかな香気を感じる演奏だと思う。
 最後のショパンは、プロコフィエフと同様で、細やかなパッセージを鮮やかにメロディに組み込む力を感じるとともに、フレーズとフレーズの間の明瞭な区分け、そのための各インパクトの配分が、巧妙に計算されているのを感じる。私はこの演奏を聴いていて、同じECMレーベルから優れた録音をリリースしているシフ(Schiff Andras 1953-)に似ている、と思った。ゴーラリもまた、楽曲の構造を俯瞰的に見た上で、聴き手の「知」に働きかけるスタイルのピアニストなのではないだろうか。とはいってもシフがショパンを弾くことなんて、めったにないのだけれど。第3楽章の美しくも淡々とは流れない演奏者の意図的なフレージング、第4楽章の複層的な効果を満たして進む独特の推進力に、このピアニストの表現力の強さを感じさせる。これを機に、ゴーラリの録音を、いくつか聴いてみようと思った。

バレエ音楽、オペラからのピアノ編曲集
p: アシュケナージ

レビュー日:2015.9.30
★★★★★ 夜の気配を感じさせる透明にして美麗なプロコフィエフ
 プロコフィエフ(Sergei Prokofiev 1891-1953)が自身の管弦楽作品を中心に、ピアノ独奏曲への編曲を行った作品を集めたアルバム。アシュケナージ(Vladimir Ashkenazy 1937-)による1995年の録音。収録曲は以下の通り。
バレエ音楽「ロメオとジュリエット」より 10の小品 op.75
 1) フォークダンス
 2) 街の目覚め
 3) 客人たちの到着
 4) 若きジュリエット
 5) 仮面
 6) モンタギュー家とキャピュレット家
 7) 修道士ローレンス
 8) マーキュシオ
 9) 百合の花を手にした娘たちの踊り
 10) 別れの前のロメオとジュリエット
歌劇「戦争と平和」より
 11) ワルツ op.96-1
歌劇「3つのオレンジへの恋」より 2つの小品 op.33b
 12) 行進曲
 13) スケルツォ
バレエ音楽「シンデレラ」より 6つの小品 op.102
 14) ワルツ(シンデレラと王子)
 15) シンデレラのヴァリエーション
 16) 口論
 17) ワルツ(舞踏会場から離れるシンデレラ)
 18) ショウルの踊り
 19) 愛をこめて
 当アルバムは、私の大好きな録音。プロコフィエフの抒情的な旋律を、アシュケナージの結晶化しきったピアノか、最高の透明感で掬い取った、夜の雰囲気に満ち溢れた美しい一篇。
 「ロメオとジュリエット」は旋律の宝庫と言えるバレエ音楽で、そのうち特に魅力的な10曲について、プロコフィエフはピアノ編曲を行った。しかし、この魅力的な小品集を、全曲まとめて録音してくれるピアニストは少ない。
 しかし、このアシュケナージの優れた録音があれば、満たされると私は思う。どんな強音でも決して割れることのない完全なソノリティを保ちながら、透き通ったパステルカラーの背景にピアノの輝かしい音色が散りばめられていく。それはまるで、満天の星空を思わせる世界。特に「仮面」「別れの前のロメオとジュリエット」といった抒情的で美麗な音楽は、特に素晴らしい。一つ一つの音色が自然で、どこか風景描写的に奏でられているのに、気が付くと、深い音楽の香気に包まれたところに来ている。とても清涼な空気が、静かに流れる時間を感じる。
 バレエ音楽「シンデレラ」は、ロメオとジュリエットに比べると、今一つ地味な印象の楽曲だが、私はとても好きな作品。アシュケナージには、指揮者としても、クリーヴランド管弦楽団を指揮してのとても素敵な録音がある。このピアノ編曲集も素晴らしい。特に絢爛にして爛熟を感じさせる17)のワルツ、そしてミステリアスで、霧が立ち込めていくような終曲「愛をこめて」が素晴らしい。ピアノは相変わらず透き通った響きであり、しかし、ワルツなどでは、十分な熱を持った節回しが展開され、過不足ない堂々たる表現。それでいて、鋭い感性を感じさせる巧妙な音色も楽しめる。
 3つのオレンジへの恋の「行進曲」、ロメオとジュリエットの「モンタギュー家とキャピュレット家」のような誰もが知っている名旋律も、アシュケナージの美麗なタッチで聴くと格別だ。

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声楽曲

アレクサンドル・ネフスキー スキタイ組曲「アラとロリー」 交響組曲「キージェ中尉」
アバド指揮 ロンドン交響楽団 合唱団 シカゴ交響楽団 MS: オブラスツォワ T: ハーセス

レビュー日:2010.1.2
★★★★★ 録音当時のアバドの「レコード芸術」に賭ける意気込みが伝わる
 アバドの才気を感じさせる再編集盤。カンタータ「アレクサンドル・ネフスキー」は1979年ロンドン交響楽団と、スキタイ組曲「アラとロリー」と交響組曲「キージェ中尉」は1977年シカゴ交響楽団との録音。
 ここに収録された楽曲のうち、「アレクサンドル・ネフスキー」と「キージェ中尉」は映画のために作られた音楽である。「アレクサンドル・ネフスキー」は巨匠エイゼンシュテインによるものであるが、「キージェ中尉」については正確な資料はないという。「アラとロリー」は本来バレエ音楽として構成されたもの。いずれにしてもプロコフィエフの作曲家としての力量を如何なく伝える傑作だ。ことに「アレクサンドル・ネフスキー」の内容にはエイゼンシュテインも圧倒されたと伝えられる。
 アバドの指揮の正確無比さがとにかく凄い。精緻なテンポで、メカニカルな設計、絶妙な楽器のバランス。一人の人間がここまで強力に集団をコントロールできるのか、と感じてしまうが、力量豊かなオーケストラとの邂逅がこのレベルを可能にしたのだろう。
 アレクサンドル・ネフスキーの音楽は「被虐」「決起」「戦闘」「勝利」に大分できるが、アバドは基本的にインテンポの設計を取りながら、巧みな強弱を用い、またプロコフィエフが書き込んだ楽譜を一つも録音から漏れないような抜群な配慮をもって、「録音芸術」に仕立て上げている。このような高いレベルの作品は、ライヴ録音全盛の現代では決して得ることは出来ない。おそらくエンジニア、プロデューサー陣とも入念に入念を重ねた打ち合わせがあったに違いない。「氷上の戦い」は最初は抑制が効いているようにも思えるが、次々と仕掛けが炸裂し、とんでもないテンションに達する。
 スキタイ組曲「アラとロリー」ではそのグロテスクとも言える狂暴性が卓越したコントロールにより一層凄まじくなることを証明している。
 「キージェ中尉」も親しみやすいメロディの宝庫だが、アバドは安易にメロウな妥協点を作らず、弛緩のないひきしまった音楽を提供する。そのためにオーケストラのすべてが機能する圧巻の迫力を感じる。

プロコフィエフ オラトリオ「イワン雷帝」(スタセヴィチ版) アレクサンドル・ネフスキー  ラフマニノフ 合唱交響曲「鐘」
ムーティ指揮 フィルハーモニア管弦楽団 アンブロジアン・シンガーズ MS: アルヒーポヴァ  プレヴィン指揮 ロンドン交響楽団 合唱団 MS: レイノルズ S: アームストロング T: ティアー Br: シャーリー=カーク

レビュー日:2010.7.17
★★★★★ ロシアの雄渾にして濃厚な声楽曲3編をまとめて
 以下の録音内容。
(1) プロコフィエフ オラトリオ「イワン雷帝」(スタセヴィチ版) ムーティ指揮 フィルハーモニア管弦楽団 アンブロジアン・シンガーズ MS: アルヒーポヴァ 1977年録音
(2) プロコフィエフ アレクサンドル・ネフスキー プレヴィン指揮 ロンドン交響楽団、合唱団 MS: レイノルズ 1971年録音
(3) ラフマニノフ 合唱交響曲「鐘」 プレヴィン指揮 ロンドン交響楽団、合唱団 S: アームストロング T: ティアー Br: シャーリー=カーク 1975年録音
 ロシアらしい雄渾な声楽曲が集まっている。(1)と(2)は元来映画音楽として作曲されたもので、プロコフィエフと映画監督セルゲイ・エイゼンシュテインの関係で生まれた。(1)はロシア史上最初の“皇帝(ツァーリ)”を名乗ったイワン4世(1530-1584)を描いた映画のための音楽。オラトリオとして編算された形で聴くことができる。プロコフィエフがこの音楽を手がけたのは晩年のころで、その個性のうちグロテスクやアヴァンギャルドは幾分和らいだとは言え、強烈な才を放つ音楽になっている。音楽はナレーション役の他、登場人物にソリストを割り当てているため、場面によってはオペラを聴いているように思う。力強い皇帝の主題が様々に用いられる様などワーグナーの楽劇に似通う。演奏時間は長いがプロコフィエフのオーケストレーションは様々な表情を持ち、厭きることがない。ムーティらしい力強いパワフルな演奏が曲の個性を助長する。
 (2)も映画音楽で、13世紀半ば、スウェーデンの侵略を受けたロシアの英雄ネフスキーの戦いを描いたもの。プレヴィンの指揮は管弦楽を野太く鳴らしていて逞しい。合唱は、もっとキレの欲しいところで、やや輪郭を崩し後方に波紋を残すようなところがあり、やや田舎くさい感じもするけれど、土俗的な迫力を増していると好意的にとる人もいると思う。
 (3)はラフマニノフがエドガー・アラン・ポオの名高いオノマトピーア(擬声音)的な詩「鐘」にインスピレーションを受けて作曲したもの。中でも第3楽章はラフマニノフが書いた最も推進力に満ちた力強い音楽と言ってもよい。プレヴィンの指揮はラフマニノフに抜群の適性を示すが、ここでも低音の唸りと主題の叙情的な味付けにより、濃厚だが重くなり過ぎない音響を作る。指揮者の感性がよく映えた演奏だろう。

祝杯 交響的スケッチ「秋」 10月革命30周年記念カンタータ「栄えよ、力強い国土」 交響組曲「エジプトの夜」 劇音楽「ハムレット」
ポリャンスキー指揮 ロシア国立交響楽団 ロシア国立シンフォニック・カペラ S: シャロワ 他

レビュー日:2005.4.17
★★★★★ リヒテル曰く、「プロコフィエフの最良の作品の一つ」
 シャンドスからプロコフィエフの没後50年を記念して、作成された一連のシリーズの一つ。収録曲は「祝杯」、交響的スケッチ「秋」、10月革命30周年記念カンタータ「栄えよ、力強い国土」、交響組曲「エジプトの夜」、劇音楽「ハムレット」。
「あまり知らない曲だな・・・」と思われても無理もない。ネームヴァリュー的には、さほどない曲ばかりだ。しかし、曲の内容の充実度とその知名度が必ずしも比例しないという好例で、聴き応えは満点である。
特に注目されるのは13分程度のカンタータ「祝杯」である。この曲はスターリンの60才の誕生日を祝うために作曲された。そのため「歯のうくような」詞が含まれているため、演奏・録音の機会に恵まれず埋もれた作品となっていた。
しかし、かのスヴャトスラフ・リヒテルをして、「プロコフィエフの最良の作品の一つであると断言してよい」との賛辞を送ったほどである。聴いてナットクとはこのことだ。抒情的な冒頭から、雄大な旋律が紡ぎ出され、男声、女声が巧みに天を彩るように交錯していく。プロコフィエフ特有のリズミックな展開を幾重にも折りこみながら、やがて機動的にあらあらしくコーラスによる音階が飛び交いはじめる。ハーモニーの美しさ、テクスチュアの見事さで、深い感動が得られるのだ。こうなってくると、ロシア語がわからないことが、かえって都合がいいに違いない(苦笑)。
他の作品も含めて、とても楽しめるアルバムだ。

組曲「われらの時代の歌」 バレエ「ボリステネスの岸辺で(ドニエプルの岸辺で)」
ポリャンスキー指揮 ロシア国立交響楽団 ロシア国立シンフォニック・カペラ Ms: スモルニコワ 他

レビュー日:2005.4.17
★★★★★ 無名ながら美しい「ボリステネスの岸辺で」
 シャンドスからプロコフィエフの没後50年を記念して、作成された一連のシリーズの一つ。ポリャンスキーの指揮により、プロコフィエフ無名ながら抒情的で魅惑的な作品群が録音された。本アルバムの収録曲は、「ボリステネスの岸辺で(ドニエプルの岸辺で)op.51」「 われらの時代の歌op.76~メゾ・ソプラノ、バリトン、合唱と管弦楽のための組曲」となる。
 フランス時代の「ボリステネスの岸辺で」とソ連復帰後の「われらの時代の歌」のカップリングは意表をつく気もする。「われらの時代」は9つの部分からなるスターリン讃歌で、その楽天性はなんとも言えない親しみやすさがあり、それでいて決して軽薄に響かないところにプロコフィエフの作曲家としての天才の証がある。
 「ボリステネスの岸辺で」はディアギレフに委嘱されたバレエ音楽である。序曲と2幕からなる40分程度の曲であるが、プロコフィエフの抒情的な側面が強くでた作品で、川面にたゆたうかのような風情位あるオーケストラをバックに、木管がさかんに郷愁的で切ないメロディを奏でる。もちろん、プロコフィエフ特有のユーモラスやグロテスクが出てくるシーンもあるか、全体的にとても親しみやすい楽曲で、他のプロコフィエフのバレエ音楽と比較しても、決して冷遇される作品ではないと思う。
 このような作品の真価を伝える当アルバムの存在は、たいへん喜ばしい。
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