トップへ戻る

クラシック音楽以外の音楽メディア



ムーンライダーズ

a touch of full moon shows in the night

レビュー日:2004.2.15
★★★★★ 20周年記念ライヴの模様をほぼ完全収録
 1996年日比谷野外音楽堂で行われた活動20周年記念ライヴの模様を収録したもの。まさに白熱にライヴと呼ぶに相応しい内容。CD2枚に収録されているが、1枚目には、それまでに発売されたアルバムの「1曲目」の曲が年代順に並べられている。VIDEO BOYまで取り上げられている事が心憎い。中にあってKのトランクのアレンジはこれまでにない重力的な吸引力を感じるものとなっている。
 また、2枚目の冒頭に収められた「Sparkling Gentlemen」はムーンライダーズらしい実験性と遊び心に溢れており、彼らの活動エネルギーの源が、まだまだ何かをやろうとしているのを感じる。
 他に、新ムーンライダーズの象徴的名曲「黒いシェパード」、フアンとの団結歌ともいえる「スカーレットの誓い」、「Y.B.J.」など聴きどころだ。

Worst Of Moon Riders

レビュー日:2004.2.15
★★★★★ 20周年記念ライヴの模様をほぼ完全収録
 1986年作品。ムーンライダーズの活動10周年を記念して編集されたライヴ音源集である。スタジオ録音された正規アルバム盤とはまったく違ったアレンジの世界を堪能できる。
 ムーンライダーズの活動には音楽の実験性がつねに議論の対象となるが、それよりもその作詞能力、そして彼らの作り出すメロディの美しさが、背景を飛び越えて人の心に直接訴える力のあるものであることを認識する。
 岡田徹の名曲「いとこ同士」はボコーダーを用いたリズミックなアレンジで、アルバム版より「ロック的」かもしれない。ニューウェーヴ・パンクとも違う。
 矢口博康、美尾洋乃、堺安志も加わった大編成の「青空のマリー」も聴きモノだ。実に壮大なアレンジだ。「鬼火」は鈴木慶一の情熱的なギター&ハーモニカ弾き語りから開始。岡田徹、武川雅寛が途中から加わってくる演出が目に浮かび、楽しい。
 他にも「さよならは夜明けの夢に」「くれない埠頭」「大寒町」など、永遠の名曲たちが美しいアレンジで聴ける。さらに椎名和夫がメンバーだったころの録音ほか、参加ミュージシャンにも矢野顕子、細野晴臣、中原信雄、小滝満、鈴木さえ子、清水靖晃などそうそうたる顔ぶれだ。フアンには必携アルバムといって間違いない。


このページの先頭へ

カーネーション

天国と地獄

レビュー日:2004.2.15
★★★★★ 瞬間に凝縮されたエネルギーの屈折した輝き
 私は様々のジャンルの音楽を聴く。軸はクラシック音楽であるが、あやうい美しさを持った広義の「ロック」もまた私の心を惹きつけてやまない音楽だ。そんなあらゆる「ロック」の中でも、最高傑作といえるアルバムを1枚挙げよと言われれば、私ならこれだ。カーネーションの「天国と地獄」。
 この名盤が一時とはいえ店頭から除かれた時期があったのは、音楽フアンにとってまさに不幸な出来事と言うほかはない。直枝のヴォーカルは独特の「怪しい色気」を持っており、それらがこの毒々しい美しさをもつ楽曲へ、ことさら魔術的な魅力を与えている。
 このアルバムに収録されている2曲のカヴァー曲も興味深い。一つは岡林信康の「いくいくお花ちゃん」だ。カーネーションを聴く人ならご存知だと思うが、「友よ」で知られる岡林の詩の前衛性(「友よ」は違うが)が十全に発揮された作品で、これをカーネーション風に大胆にアレンジした当録音はなかなか聴きがいがある。
 もう1曲は浜口庫之助の名曲「愛のさざなみ」。これまたキョーレツなアレンジで堂々たるパンクに姿を変えており、実に見事。もちろん他の12曲のオリジナル曲もすべての曲が「何か新しい、今まで感じた事がないもの」を存分に味あわせてくれるのだ。そう、まさにロックの「瞬間に凝縮されたエネルギーの屈折した輝き」がもっとも美しく輝くアルバムなのだ。


このページの先頭へ


友部正人

夕日は昇る

レビュー日:2004.2.15
★★★★★ アーティスト友部の本領が十全に発揮された傑作
 友部のアルバムの中でも、私がもっとも愛するアルバムである。ここにはメロディストであり詩人である友部が、比較的ポップな衣を纏った、優しいサウンドが満ちている。
 しかし、もちろんその音楽は時として攻撃的で、詩とともに、人の心を惑わすものも含まれており、それが無上の魅力である。冒頭の「戦死」、青山純の鋭角的なパーカッションとともに先導されて、語る様に物語が開始する。2曲目「女は男である」の前進力ある音型と逞しくも儚い詩で私達はすっかり友部の詩の世界に惹きこまれる。
 3曲目の「水門」は幻想的な美しい風景が目の前に展開する。なんという広大な世界。6曲目の「古い切符」は過ぎ去った夏の陽射しを感じずにはいれない。「それでは、みなさん、さようなら。一生のあいだだけさようなら」のフレーズが心に焼きつく。
 8曲目の「海が降る」もまた、友部の作詞能力、あやういメルヘン・ワールドの入り口だ。独特の暗い影が射す。そして終曲「夕日は昇る」で、友部らしいギターとハーモニカによる弾き語りの世界へ回帰し、静かに、ロマンティックに物語は閉じて行く。


このページの先頭へ


ZABADAK

COLORS

レビュー日:2004.3.6
★★★★★ 「ザバダック」らしいアルバム
 ひさびさに「ザバダックらしさ」が前面に出たアルバムである。力強いリズムと野趣あふれるメロディ、たくましい地を這うようなヴォーカルもさすがといったところ。
 冒頭曲「僕のビー玉」は初期のテクノっぽいイメージを引きずりながらも小峰公子のヴォーカルによってたちまち物語世界に。この色彩の移り変わりはまさしくザバダックだ。不思議なちょっとコワイ感じのする歌詞も冴えている。2曲目ののスケール大きな飛翔感もザバダックの得意な感じだ。
 他にもインスト曲「BIRD'S ISLAND」、五音音階的跳躍を用いた「星ぬ浜」、9分を越えるエスニックな「天使の匂い」、また五音音階系の「夏至南風」(サビは違う・・・)とこのあたりの連続する構成感も見事。
 また、「夜明けまで」は特に吉良フアンにはたまらない曲だろう。アルバムタイトルともなっている「COLORS」は、大規模なトリビュート・サラブレイト・ソングとでも言えばいいのだろうか。やや色違いに明るい色調のメロメロ系だが、まっすぐに聴けば感動するだろう。
 そして終曲「OYASUMI」でもとの世界に戻って行くかのように全曲を終える。個人的にはかなり好きなアルバムである。


このページの先頭へ

川井憲次

イノセンス オリジナル・サウンドトラック

レビュー日:2004.3.3
★★★★★ 世界が注目する映像音響の世界
 世界を震撼させたジャパニメーション「攻殻機動隊」(1995)の続編となる押井守の新作「イノセンス」のサウンドトラック。もちろん音楽は川井憲次氏。
 本作の大きな特徴は前作の音楽的モチーフと雰囲気を踏襲した点にある。中でも「傀儡謡」と題された3曲は今回も民謡歌手の歌唱により、エスニックな雰囲気を盛り上げる。
 また、「攻殻」ではアクションシーンでも静謐ながら脈々と映画に鮮血を供給するような雰囲気があったが、今回もこれを踏まえながら、さらにダークなイメージで激しい脈動が聞こえる。音楽自体がより支配的なものとなった感がある。
 「THE DOLL HOUSE」では印象的なオルゴール音が効果的にメロディラインに用いられる。チャイコフスキーのバレエ音楽が病的に変容したかのようなホラーな雰囲気は、川井が音楽を担当した「リング」シリーズにも似通う。
 また、本作では民謡以外にも「声」のイメージを尊重しており、予告編ですでにおなじみの伊藤君子が歌う「Follow me」はロドリーゴのアランフェス協奏曲をアレンジしたものだが、ここで収録されている川井版はヴォーカル・ソロから開始され、ピアノ、パーカッション、ストリングスが加わって行くもので、存外にロマンティックな印象を受けた。最後の退廃的な救いがこの曲に秘められている。
 それに、もう1曲伊藤君子が歌うジャズ風歌曲「River of Crystals」は歌詞を坂本美雨が担当していることも注目だ。(当初坂本がヴォーカル参加する予定もあったらしい)。いずれにせよ映像音楽家川井の力量を感じさせてくれる1枚には間違いない。川井は、押井守と組んで製作した実写映画「アヴァロン」のサウンドトラックがフランスではCD売上チャートで2位に入ったほどの実力者。押井守の名とともに川井も世界の名になっていくのだろう。


このページの先頭へ

Zoobombs

Bomb Freak Express

レビュー日:2004.3.8
★★★★☆ うーん、なかなか面白い
 ズボンズのアルバムを聴くとその多様な音作りのこだわりに感嘆させられる。アルバム冒頭の曲だけを聴いて「ああ、こんな感じか」と思ってしまうと、(いい意味で)いろいろ裏切ってくれるのだ。試聴のさいは注意が必要だ。エキセントリックにシャウトするかと思うと、ぐっと引っ込んで掘り下げる。
 7曲目(Fun,Fun,Fun,Key,Key,Key)に代表されるようなテクノ風アレンジは確かに一つのカオといえるかもしれないが、音の太さと重心が低めの音が特有の重力場を作り上げている。
 10分を越える8曲目(Circle X)もまた彼らの特徴が前面に出たピースである。音量のダイナミクス、激しい曲の抑揚とひたすらダークに刻まれるベース音、そして感情の起伏。なかなか聴き応えのある1枚だ。


このページの先頭へ


ソフル・フラワー・ユニオン

スクリューボール・コメディ

レビュー日:2004.3.8
★★★★★ ロックの真骨頂が聴けるアルバム
 あまたのロックバンドがあれど、ソウル・フラワー・ユニオンほどロックの真髄を見せつけるパワーをもっているバンドはザラにはないのだ。冒頭曲からトップギアに入るスピード感が最高に心地よく、詞の力点が曲想のホット・スポットにポンポン決まる爽快感は比類ない。本当にこのようなロックが聴けることは最高に幸せだ。
 とにかく1枚1枚のアルバム、1曲1曲が面白く、やや陳腐な表現ながら、「とにかく元気になる!」のだ。この世界観が濃縮された1曲を挙げよということであれば、当アルバム2曲目の「殺人狂ルーレット」ではないだろうか。軽快なテンポ、パワフルなアレンジ、情のこってりこもったヴォーカルといい、とにかくハマリまくっている。うーん、いい!

WINDS FAIRGROUND

レビュー日:2004.3.14
★★★★★ 「絶対後には引かない」名盤
 ソウル・フラワー・ユニオン4枚目のアルバムということになる。
 一つ一つ力の入ったアルバムを作る彼ららしい完成度の高い作品である。ロックとしての王道といえる重厚なサウンドと問題意識の高い詞とともに、このアルバムはいつも以上に国際色を感じさせる特徴がある。その意味で「ミックス路線」の一つの究極像ともいえる作品となっており、日本ロック史においてもひときわ存在感を持つ作品である。
 1曲目の「風の市」からアイリッシュな雰囲気と、純日本風な合いの手が入り、その“文化の坩堝ぶり”はなかなか得がたい魅力である。2曲目の「忘れれた男」も旋律の土俗性が注目される。また、全曲を通じて言えることだが、これらの楽曲を通じて、日本人が普遍に持っている旋律美への応力がきちんと作用するつくりが出来ていることに感心する。どことなく懐かしさを感じるのだ。しかも、それらの音楽は常に高い次元でロックであり続ける。
 個人的には舟歌調の第7曲「戦火のかなた」に詞・曲ともにこのアルバムの象徴世界が如実に感じられる。詞の社会性も重要だ。最近の「ありふれた日常主義」とは完全に一線を画した「絶対後には引かない」詞である。こういう逞しい芸術が健在であることが実にうれしい。


このページの先頭へ

Clingon

bobsleigh

レビュー日:2004.3.6
★★★★☆ アコースティック・ニューウェーヴ?
 クリンゴンのファースト・アルバムである。一聴してのイメージは「少し懐かしい感じ」といったところ。詩も面白い。感性は確かに現代的ながら、少し古い感じを確信犯的に狙い、独特の味にしている。
 サウンドはパンク・ニューウェーヴの初期に近い雰囲気がある。彼らの特徴としてピアノという楽器が全体をリードする大きな役割を果たしている面があり、そのためアコースティックな音がややシックな色合いの響きになるのだ。その色合いとやや古風な詩が個性的な世界をつくっている。
 これから先の活躍が楽しみである。期待を込めて応援したい。


このページの先頭へ

ELLEGARDEN

RIOT ON THE GRILL

レビュー日:2006.4.8
★★★★☆ 「本物を聴いた!」という深い充足感に浸れるアルバム
 本当に力の入った作品を送りだし続けているエルレガーデンは私にとって久々に引き当てた現代ロック界の最強のカードである。それにしても彼らは一気にメジャーに上り詰めたものだ。矢野顕子がライヴで彼らの「右手」を歌ったということを耳にし、「ああ、もうそこまで行ったんだな」と思う一方で、「それは当然のことだ」という思いも感じる。今更、私ごときがレビューを付け加えることもないのかもしれない。
 それにしてもこのアルバムは品質が高い。収録時間は短いが、これだけ密に詰まった内容があれば文句はないだろう。ちょっと内容に触れる・・・2曲目のモンスターの軽快な情動表現と、心地よい加速感は一つの彼らのスタイルの象徴だろう。3曲目のSnake Fightingはメタル的な重々しさを鮮やかにポップに進化させ、刹那の輝きに満ちている。4曲目のMarry Meのようなどこか懐古的なメロディーを楽しめるのも特徴だ。私達が普遍的にもっている歌謡性への引力を巧みに強めてくれる快感がある。5曲目のMissingはあるいは特徴的な曲ではないかもしれないが、美しい詞とあいまって私のもっとも好きなナンバーの一つとなっている。6曲目のBored of Everythingは、「アメリカの王道路線“ふう”」な鮮やかなテイスティングが見事に決まる。後半に「虹」や「I Hate It」といったこのアルバムのハートとも言える曲を配した構成感も心憎いばかり。
 「本物を聴いた!」という深い充足感に浸れるアルバムです。


このページの先頭へ

菅野祐悟

交響曲第1番~The Border

レビュー日:2017.5.24
★★★★☆ 芸術家、菅野祐悟の里程標となる作品でしょう
 劇伴作曲家としてステイタスを築き上げた菅野祐悟(かんのゆうご 1977-)による「交響曲第1番」である。藤岡幸夫(ふじおかさちお 1962-)指揮、関西フィルハーモニー管弦楽団の演奏で、2016年の録音。
 菅野祐悟のこれまでの功績について、私は詳しくは知らないのだけど、以前気に入って見ていたアニメ作品「PSYCHO-PASS」の音楽を担当していたことは知っていた。「PSTCHO-PASS」では、そのメインテーマのメロウで劇的な雰囲気が作品と素晴らしくよく合っていて、私は結構気に入っていた。
 このたび、藤岡幸夫の勧めに従って、交響曲を書いたというのだから驚いた。この交響曲には「The Border」というタイトルがついており、これは本人によると「意識」と「無意識」の境界のことだと言う。「意識」と「無意識」の定義は、文化背景によって異なるが、彼のような背景をもった人が、いまの時代に「交響曲」と名のつく作品を世に問うにあたって、何を「意識」し、どこに根ざすべきかというのは、当然のことながら、様々に芸術的思索を巡らせることになるのだろう。その結果、書かれた「交響曲」が、ある意味「吹っ切れた」ようなものになっていて、すでに菅野祐悟のスタイルが明らかな(と思われる)形でそこにあることが興味深い。
 全曲は4つの楽章からなっており、「I. Dive into myself、 II. Dreams talk to me、 III. When he was innocent、 IV. I am」となっているが、これはそれぞれ「探究」「夢」「思い出」「希望」のことだそうである。
 このアイテムについて、どのような論点から評価を行うべきか迷う。「交響曲とは言えない」旨を指摘することも妥当性があるだろう。全曲の有機的連携性や形式感の薄さがそのような印象になるのかもしれない。また、解説の中で、作曲者本人が、交響曲を書くと言うことは、古今の大作曲家と並び評価を受けることだ、という旨のことを書いているから、そういった点では、たしかに分が悪い。
 しかし、「交響曲」という言葉の定義自体が、音楽史を経て現代ではかなりあいまいになっていることも事実である。すでに後期ロマン派から「交響曲」というタイトルでありながら、「これが交響曲なのか?」と思ってしまうような作品が、数多く生まれているのだ。それを考えると、これも「交響曲」と言って悪くはない。
 菅野祐悟の美点はメロディにある。メロディを生み出す才能というのは、後天的に獲得することは難しいもので、そういった点で彼は恵まれているし、それを作品に投影し、スコアを書き上げる能力も持っている。問題は受け手が消化できる文化土壌があるかどうかということになるが、やはりコアなクラシック愛好家からは距離を置かれるところかもしれない。彼の美しいメロディはメロディアスに向く性向を持っており、その軸で音楽が形成された場合、どうしてもその旋律の発色性や、芳香に聴き手は気持ちを囚われる。その機序で受けとるニュアンスに、どうしても齟齬を感じるのである。
 オーケストレーションはなかなかうまいと思う。ピアノやパーカッションを組み合わせた音色の構築と、旋律の組み合わせは工夫が凝らしてあり、聴いていて面白さがある。オーケストラもフォルテの部分で、十分な質感を伴った響きになる。構成は、複数の主題を組み合わせているが、対位法的な展開は弱く、どちらかというとロンド形式と変奏を重ねて音楽を進めていくスタイルで、それ自体は、そういう方法もあると思うし、特徴であって欠点ではないと思う。全曲のハートと思われるのは、第3楽章で、その親しみやすい甘美な雰囲気は、いささか通俗性が気になるとはいえ、気持ちよく浸れる性質のものだ。
 以上のように、私も迷うところを残しながらのコメントであるが、この作品の価値は、芸術家にとっては挑戦の成果にあり、聴き手にとっては親しみやすい管弦楽作品の享受にあるだろう。厳しいコメントもあるかもしれないが、菅野氏には、この作品を書き上げたことを糧に、引き続き活発な芸術活動を期待したい。
 なお、CDのジャケット・デザインも菅野氏による絵画だそうです。なかなか楽曲の雰囲気に合っています。


このページの先頭へ

岸田繁

リラックマとカオルさん サウンドトラック

レビュー日:2019.5.8
★★★★★ 優れた映像作品に相応しい、暖かみに満ちた劇伴です
 NETFLIXによって2019年4月から配信されている全13話からなるストップモーションアニメ映像作品、「リラックマとカオルさん」のサウンドトラック。音楽を担当したのは、ロックバンド「くるり」でボーカルとギターを務める岸田繁(1976-)。
 私は、この映像作品をとても気に入った。もともと、妻の影響で、リラックマが好きになった私。2017年には、リラックマ茶房が嵐山に開店するや、早速訪問してきたほど。その際は、開店まもないことも手伝って、とても多くの人でにぎわっていた。2階のカフェでの食事はなんと4時間待ち。ただ、その場所は、紅葉で有名な天龍寺の参道入口の目の前で、国際的な観光地であったため、時間を潰すのは容易だった。それにしても、外国の旅行者も、興味深く、リラックマ茶房を訪問する様子を見ていると、すでにリラックマは世界的なコンテンツとなったようだ。
 ただ、その一方で、私はリラックマの「世界観」には、いかにも現代的なメッセージ性があることを知っている。グッズのショッピングを楽しむことは、もちろん自由であるけれど、私としては彼らが、どれくらいまで、リラックマの「世界観」を感じているのかは興味深いことである。
 当初の設定で25歳とされた一人暮らしのOL「カオルさん」の目の前に、突如現れたリラックマ。それは、日々の生活に「癒し」をもたらす「何か」のシンボルである。その設定は、とても大人向きなもの。リラックマのデザイン性のみを切り取ってみれば、その「かわいらしさ」や「愛らしさ」は、どこか子ども向けな印象を覚えるのである。しかし、様々な設定、そして関連する企画のメッセージには、現代社会を生き、その中でどこかに倦み疲れたと感じることのある大人向けのものが多い。
 このたび、映像化のニュースを知って、私はそんな世界観を壊してしまうストーリーになることを恐れた。また、これまで、イラスト化されてこなかった「カオルさん」という存在を、ビジュアル化し、あまつさえストーリーによる人物性を与えてしまうことは、ある種の冒険であるのでは、とも思った。
 だが、映像化された作品は素晴らしかった。カオルさんは、おそらく25歳よりもう少し年上の設定になったように思うが、まじめで、要領良く生きられない、ただそれなりに頑張っている。その姿は、少なくとも私の感覚では、相応しいものだった。また、全13話は、回想編の一つを除いて、うつろいゆく季節、すなわち「12の月」を描いており、その結果、「過ぎゆく時」がもたらす切なさを様々に描くこととなった。これも良い。物語の中で、たびたび語り掛けられる「いつまでも変わらない訳にはいかない」は、生きている私たちすべてにかかわることであり、それゆえに生きることには、常に「切なさ」が寄り添っているのである。カオルさんは言う。「クマたちだって、それなりに変わっていく」。
 もちろん、商品としての、キャラクター・デザインとしての「リラックマ」は変わらないだろう。だがリラックマが持つ世界観には、移ろう時がもたらす「切なさ」があって、それが何より「大人向け」なことである。いつでも子供になれる「夢の国」へ誘うディズニーの世界とは、決定的に違う。
 以上の点を巧妙に描いた映像であったため、私は、よく出来た作品だと思ったのだが、その成功をさらに確かなものにしたのが岸田の劇伴だ。岸田の音楽は、上述のリラックマ的なものに絶妙にマッチするのだ。優しい郷愁とそれに寄り添う切なさと暖かさ、時の流れと日常をリンクさせながら、癒しを与えてくれるテーマ曲をはじめ、それぞれのインスト曲も、さりげなく、かつ聴き減りしない味わいがある。映像作品、そしてリラックマの世界観とのフィット感がたまらなく良い。
 私は、20代の終わりから30代のころ、「くるり」の音楽をよく聴いていた。このたびの映像作品を介しての再会は、これまた私に時の流れを感じさせるものであった。変わらないわけには行かない。だが、今にはそれゆえの尊さがあって、いつだって切ない。そんな気持ちを優しく暖めてくれる音楽になっている。


このページの先頭へ

HIMEHINA

希織歌

レビュー日:2021.7.27
★★★★★ 高クオリティのエンターテーメント作品です
 私は、若いころはジャンル横断的に様々な音楽を聴いてきた。両親がクラシック音楽好きだった影響で、いちばんよく聴いたのはクラシック音楽。他にも、ロックや、テクノ系の音楽とか20代の頃は好きでよく聴いてきた。しかし、最終的に、自分がCDを収集して聴く対象は、クラシック音楽に集約されてきた気がする。
 ただ、他のジャンルの音楽を聴かなくなったというわけでは、まったくない。今世紀に入ってから、大きな流れと言えるのが、IT環境の変化により、摂取可能な情報の量が各段に増えたことがある。それとともに、電子音楽では、ボーカロイドという技術が開発され、これらを媒介に、様々なアーティストが出現してきた。
 ボーカロイドを使用した楽曲は、ネット上で発表されることになるが、必然的に映像クリエイターとコラボで発表されることが多くなるのだが、そのような文化的土壌が、今度は、「ヴァーチャル・ユーチューバー」と呼ばれるアーティスト(配信形態?)たちを生むこととなった。「ヴァーチャル・ユーチューバー」とは、CG作成されたキャラクターを介して、動画配信を行うことで、「演者の肉声」と、「CGの画像」という組み合わせによる発信形態をとるもので、配信される内容は、それこそ無数といってよいほど広範なジャンルがあるのだが、その代表的なコンテンツの一つとして音楽活動がある。
 私は、そのようなネット文化を面白く見守ってきた。世にいう「テレビ離れ」がどの程度進行しているかわからないが、これはなにも若者にだけ起っていることではなく、私のような70年代生まれの人間も、以前に比べると、テレビ視聴時間は圧倒的に短くなった。TVは確かにみなくなった。ただ、「画面」は見ている。それはスマホの画面だったり、PCの画面だったりで、要は、「テレビ離れ」というのは、ネット配信されているものを見る時間に置き換わっただけのことである。少なくとも、私はね。
 前置きが長くなってすみません。
 そんな私がネットでブラウザして、いろいろ見ていて、これは完成度が高いな~、と感嘆したのが、このHIMEHINAという女性2人のユーチューバーである。いや、HIMEHINAのことを、女性2人だけのコンテンツ、と書くのは不正確で、彼女たちのユニットの動画の作成には、サウンド、ビジュアルをはじめ、相当規模のクリエイターが係っており、それらの総合アートとして、その完成度が高い、というのが感想。ちなみに、私が最初に見たHIMEHINAの動画は、某ボカロ曲のカバーだったのですが、歌唱といい、映像の精度といい、あっさりと「オリジナルを越えてるね」と思ったものです。
 まあ、このユニット、様々な動画配信をしていますが、私が見ているのはもっぱら音楽です。他の動画は、まあ、70年代生まれの男性が見ても、ちょっと面白いけど、なんか気恥ずかしいかな(笑)。ただ、動画を見る限り、演じるお二人の素の人柄も、とても良さそうではありますよ。  それで、やっとこのアイテムに関するコメントになりますが、いいですよ。ユニットのアルバムとしては2枚目。私は1枚目も持っていて、1枚目も良かったですが、ちょくちょく小芝居みたいなもの(笑)を挟んでいて、当2枚目もその構成は踏襲していますが、ちょっとその気配をマイルドにした感じ。楽曲への集中度が高まった感じがするので、私としては、2枚目の方が聴きやすいかな?
 いずれにしても完成度が高いですよ。私は別にそのへんのサブカルに詳しいわけではないですが、このユニットの音楽作品の特徴は、
1) 見事な歌唱力
2) 高い楽曲のクオリティ
3) 魅力的な世界観の提供
の3つに集約されるのではないかな。
 1)の歌唱力は、2人の発声やイントネーションのなめらかさ、音程や表現力の確かさとともに、2人の声それぞれのポップな魅力と、相性の良さがあるでしょう。また、これもボカロ文化からの潮流を感じさせるような、俊敏な節回しや回転の速い歌唱と、鮮やかに歌いきるのは、実に爽快で、単純に気持ちいいですね。ドライブで聴いていると、とてもいいですよ。
 2)については、様々なクリエイターが楽曲を提供しているのですが、制作側の熱意もあって、一つ一つの楽曲がアルバムのタイトル曲であってもいいくらいの存在感があります。なんと言うんでしょうね、「つなぎ」とか、「水増し」とかそういった感じを受ける部分がない。高い水準のものが、ずっと続くという充実した質感があります。製作する側が、エンターテーメント精神をとても大切にしているのだと思います。
 3)については、主に歌詞に関するものです。ネット上で発表される映像作品からすでに伝わってくるのですが、製作されたキャラクターの設定や、「ヴァーチャル・ユーチューバー」という存在とその演者に関するメタな意味での思索が反映されていて、示唆的で詩的。まあ、そのあたりは、どうでもいいと思う人もいるかもですが、私は結構楽しんでいます。
 というわけで、このような作品は、やっぱり若い人に人気なのかなと思いますが、いろいろ文化の潮流を長年見守ってきた人間にとっても、それなりに(だからこそ)面白く、楽しめるところがあると思いますね。今後のご活躍も見守りたいと思います。
 なお、私が所有しているのは「通常版」です。


このページの先頭へ