ペッタション=ベリエル
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交響曲 第1番 組曲「過ぎし夏」 ユロフスキ指揮 ザールブルッケン放送交響楽団 レビュー日:2020.6.10 |
★★★★★ ペッタション=ベリエルが音で描いた「北国の夏」を感じさせてくれる1枚
ユロフスキ(Vladimir Jurowski 1972-)指揮、ザールブルッケン放送交響楽団の演奏で、スウェーデンの作曲家、ペッタション=ベリエル(Wilhelm Peterson-Berger 1867-1942)の下記の作品を収録したアルバム。 1) 交響曲 第1番 変ロ長調 「旗」 2) 組曲「過ぎし夏」(山(Fjallet)、湖(Sjon)、荒野を超えて(Overheden)、リスと野鳩(Ekorre och skogsduva)、トウヒの林(Granskogen)、渓流(Fjallbacken)) 1997年の録音。 ペッタション=ベリエルは、毒舌の批評家として存在感を示した人物だったそうだ。作曲家としては、スウェーデンでは一部の楽曲が比較的広く知られているが、国際的にはそこまでの知名度はない。そんな中、ユロフスキが録音した交響曲全集は、インターナショナルな通力のあるもので、この作曲家の魅力をよく伝えている。当盤はシリーズ中の1枚。 当盤に聴くペッタション=ベリエルの作風は、北欧的なものと牧歌的なものを併せ持ち、暖色系のオーケストレーションでやわらかにそれらを表出したもの、といった感じだ。シベリウス(Jean Sibelius 1865-1957)の2歳年下ということになるのだが、その作風はおおむね保守的で、マイルドといって良いと思う。 交響曲第1番の主題は素朴で、自然謳歌的。ファンファーレを思わせる金管の奏鳴から、これに呼応する弦を中心とした暖かな合奏といったパターンが一つの特徴的なものと言える。音楽はおおらかで平和であるが、第3楽章では、威厳的なものを感じさせるようになる。とはいえ、主題は平明であり、個人的には、さらにもう一つ作曲家のインスピレーションを感じさせるものが欲しいところもある。しかし、調和が重んじられていて、暖かい雰囲気は十分に魅力的だ。フィナーレも、作品が書かれた時代を考えると、もっと力を張ったところがあってもいいと思わせるくらいに軽やか。これは交響曲第1番という作品のスタイルに合わせた風情なのだろう。そう思って聴くと、なるほどと思える。 組曲「過ぎし夏」も全編に渡っておおらかで自然賛歌的な音楽。「山」では信号を思わせるような金管の交錯がとても印象的で、このアルバム全体を通して、特に聴後感として残るところだろう。「トウヒの林」はワーグナーの森林描写をちょっと思い起こさせるような、ロマンあふれる描写性がある。私の住む北海道では、トウヒは鉄道林(線路を風害から守るため、線路に沿って植林されたもの)によく用いられている。鉄道旅行が好きな私は、この曲を聴いているとき、鉄道林の中を単行のディーセルカーで進んでいて、窓から新鮮な緑風を感じているときのことを思い起こす。あるいは、鉄道林にたたずんで、梢が風になる音を聴きながら線路のある風景をながめているところだろうか。・・しばしば思うことだが、北欧の音楽家が描く自然描写は、北海道の風景に感覚的によく合致する。組曲「過ぎし夏」も、北国的な郷愁に溢れた佳品である。終曲「渓流」は、短く、“組曲の終曲”としてはいともあっさり終わるのだが、このあたりも作曲家の美学なのかもしれない。しかし、ピチカートによる弦の効果など、「渓流」というタイトル相応にふさわしさを感じさせる。 ユロフスキは、オーケストラからこれらの楽曲にふさわしい音響を効果的に引き出している。金管の決め所がキチッと鳴るのは当然かもしれないが、加えて全体の抑揚がいかにも自然で、これらの作品の語り口として、とても相応しい演奏と感じさせる。楽曲に魅力を伝えるすぐれた録音だろう。 |