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ペルト



現代音楽

Very Best of Arvo Part
バックハウス指揮 ヴァサーリ・シンガーズ vn: リトル p: マーティン・ロスコー(ピアノ) スタッド指揮 ボーンマス・シンフォニエッタ クローベリー指揮 ケンブリッジ・キングズ・カレッジ合唱団 P.ヤルヴィ指揮 エストニア国立交響楽団 チリンギリアン四重奏団 カルステ指揮 エストニア・フィルハーモニック室内合唱団 S: ウルブ

レビュー日:2012.1.19
★★★★★ 静謐の描写に秀でる作曲家、ペルトの入門に絶好のアルバム
 現代を代表する作曲家、エストニアのアルヴォ・ペルト(Arvo Part 1935-)の作品を集めたいわゆる「ベスト盤」。収録内容をまとめておく。
【CD1】
1) スンマ(合唱のための) 2) 7つのマニフィカト 3) フラトレス(ヴァイオリンとピアノのための) 4) フェスティーナ・レンテ(弦楽オーケストラとハープのための) 5) 鏡の中の鏡(ヴァイオリンとピアノのための) 6) マニフィカト 7) 至福 8) スンマ(弦楽オーケストラのための) 9) フラトレス(弦楽オーケストラとパーカッションのための) 10) カントゥス-ベンジャミン・ブリテンの思い出に
【CD2】
11) タブラ・ラサ(2つのヴァイオリン、弦楽オーケストラとプリペアード・ピアノのための) 12) スンマ(弦楽四重奏のための) 13) フラトレス(弦楽四重奏のための) 14) デ・プロフンディス(深き淵より) 15) カンターテ・ドミノ 16) ベアトゥス・ペトロニウス 17) ソルフェッジョ 18) ミサ・シラビカ
1,2) バックハウス(Jeremy Backhouse)指揮 ヴァサーリ・シンガーズ 1995年録音
3,5) vn:リトル(Tasmin Little)  p:ロスコー(Martin Roscoe) 1993年録音
4) スタッド(Richard Studt)指揮 ボーンマス・シンフォニエッタ 1993年録音
6,7) クローベリー(Stephen Cleobury)指揮 ケンブリッジ、キングズ・カレッジ合唱団 1994年録音
8,9,10) パーヴォ・ヤルヴィ(Paavo Jarvi)指揮 エストニア国立交響楽団 2000年録音
11) vn: リトル スタッド指揮 ボーンマス・シンフォニエッタ 1993年録音
12,13) チリンギリアン四重奏団(The Chilingirian Quartet)1993年録音
14) org: ブロードベント(Chnstopher Bowers-Broadbent)1996年録音
15,16,17,18) カルステ(Tonu Kaljuste)指揮 エストニア・フィルハーモニック室内合唱団 S: ウルブ(Kaia Urb)他 1996年録音
 ペルトは現代の作曲家だが、クロスオーバー的な作風で親しみ易く、その作品は多くの人に愛好されていると言っていいだろう。退廃的ともいえる「たおやかさ」や、静謐なロマンティシズムを感じさせる作品が多く、私もそのような作品に魅力を覚える。
 「鏡の中の鏡」はバティアシヴィリの録音でも有名だが、ピアノとヴァイオリンによる美しく、夜の光を描写したようなクールな情緒が魅力的。「カントゥス-ベンジャミン・ブリテンの思い出に」は弦楽によるレクイエムといった趣で、「静」を描いた音楽の傑作だと感じる。他に、スンマ、プロフンディス、フラトレスなど、この作曲家の知名度を高めることに直接貢献した作品がほとんど収録されており、演奏のクオリティも一様に高いアルバムで、価格を考慮すると、たいへんお買い得なアイテムだと思う。

鏡の中の鏡(ヴァイオリン&ピアノ版) アリヌーシュカの癒しに基づく変奏曲(ピアノ独奏のための) アリーナのために(ピアノ独奏のための) 鏡の中の鏡(ヴィオラ&ピアノ版) モーツァルト=アダージョ(ヴァイオリン、チェロとピアノのための) 鏡の中の鏡(チェロ&ピアノ版)
vn,va: ハドソン vc: クリンガー p: クルーゼ

レビュー日:2012.3.1
★★★★★  静謐な夜の世界に浸りたいみなさんへオススメの一枚です。
 エストニアの作曲家、アルヴォ・ペルト(Arvo Part 1935-)が1970年代に作曲した室内楽曲集。収録されているのは、1) 鏡の中の鏡(ヴァイオリン&ピアノ版) 2) アリヌーシュカの癒しに基づく変奏曲(ピアノ・ソロ) 3) アリーナのために(ピアノ・ソロ) 4) 鏡の中の鏡(ヴィオラ&ピアノ版) 5) モーツァルト=アダージョ(ヴァイオリン、チェロとピアノのための) 6) 鏡の中の鏡(チェロ&ピアノ版)の6曲。演奏は、ヴァイオリンとヴィオラがアメリカのヴァイオリニスト、ベンジャミン・ハドソン(Benjamin Hudson 1950-)。ハドソンは1977年から1995年まで、ニューヨークに拠点をおくコロンビア弦楽四重奏団(Columbia String Quartet)のメンバーとして精力的に現代音楽に取り組んできた他、バロックや古典の音楽でも積極的な演奏活動を行ってきた人物。チェロがバイエルン放送交響楽団の首席奏者を務めるセバスチャン・クリンガー(Sebastian Klinger 1977-)。ピアノがドイツのピアニスト、ユルゲン・クルーゼ(Jurgen Kruse)。録音は2006年。
 なんとも静謐で美しい楽曲だ。この音楽を聴いていると、身の回りのすべての事象が沈静化していくのを感じる。まるで、1人で透明な青い夜の世界にたたずんで、無人の風景の中、ただ時の流れるままに、月や星の運行を眺めているようだ。澄み切った空気の冷気に触れながら、ただ、何も起きることのない、果てしない時間の中で。
 私はこのアルバムを聴いて、10年くらい前だろうか、坂本龍一のピアノ・ソロ曲、「energy flow」がCM効果で大ヒットしたことを思い出した。当時、世の中の人々は「癒し」を求めている、なんて言われたものだ。私は、別に「癒し」を希求することがどうこう言いたいわけではないのだけれど、ただ、時として、人は静謐な音楽が無性に聴きたくなるときがあるのではないか。もっと前のサティ・ブームの時だって、同じような性向はあったのではないだろうか。ただ、「きっかけ」があった、それだけのことだと思う。「癒しを求める時代だから」だなんて、私には後付の理屈にしか聞こえない。
 それで、このペルトのアルバムを聴いていると、この「鏡の中の鏡」という美しい作品、ちょっとCMかなんかでTVから流れる機会があれば、たちまち「あの音楽はなんだ」なんて騒動になってもおかしくない通力を持っていると思う。現に普段クラシック音楽を聴かない私の妻も、私がこのアルバムを聴いていると「なんていう曲?」と興味津々の様子でした。
 そのようなわけで、ずっと静かで、ただ美しいだけの音楽に浸りたい、という気持ちの人には、かなりオススメなアルバムです。演奏も素晴らしいです。淡々として、必要最低限に感情を抑え、ひたすら静かに歌われる音楽は、まさに夜の音楽でしょう。

カノン・ポカヤネン
カユステ指揮 エストニア・フィルハーモニー室内合唱団

レビュー日:2017.1.5
★★★★★  果てしなく美しい現代の「祈り」の音楽
 エストニアの作曲家、アルヴォ・ペルト(Arvo Part 1935-)が合唱のみのために書いた作品「カノン・ポカヤネン」。トヌ・カユステ(Tonu Kaljuste 1953-)指揮、エストニア・フィルハーモニー室内合唱団の演奏。1997年の録音。“カノン”は楽曲の様式を指す音楽用語ではなく、ここでは、カトリック教会のミサ典文の意。
 カノン・ポカヤネンは11の部分からなる大曲であり、ケルンの大聖堂の750周年を記念して委嘱により書かれた。当盤ではCD1枚に収録できず、2枚組となっている。
 ペルトの音楽の影響力は、クラシック界ばかりでなく、欧米の他ジャンルのミュージシャンにも及んでおり、その中で、当作品も様々な音楽家に影響を与えているものだと言う。
 それは深い祈りの音楽だ。静謐な緊張、厳かな神秘、静かに、静かに、自らの心深くに、ゆっくりと沈んでいくような音楽。
 ペルトは、どこかでこんなことを書いている。・・一人の僧と話していて、私(ペルト)は祈りの曲も書くといったら、彼は「そんなことはあり得ない。祈りの言葉はもうすっかり書かれてしまっていて、これ以上工夫したりふやしたりする余地もなければ、その必要もない。あとはただそれを実践するか否かにかかっている」と答えた・・。
 このエピソードを踏まえ、吉田秀和(1913-2012)氏は以下のように述べていた。
 ・・ペルトの音楽はこういう問答にこそふさわしい人の音楽である。新しくて古い、古くて新しい音楽。その中で、ただ、比較的強い「悲愴感」の漂っている点だけが、私に、この人の個人的体臭を想像させる。・・
 この「カノン・ポカヤネン」という作品は、以上の引用を彷彿とさせる作品である。ペルトの代表作といって良いだろう。「古い」というのは彼の音楽にルネサンス期の、例えばオケゲム(Johannes Ockeghem 1410-1497)のようなポリフォニーの追求による宗教的効果を、一方で「新しい」というのは、その持続性から生じる一種の退廃的な美観、感覚的な効果を指すのだろう。
 実際、この作品は、無類に美しく、そして暗い。しかし、その中から次第に不思議な暖かさが生まれてくる。
 この音楽を聴いていて、私は、まぎれもない祈りの音楽だと思う。その暗い悲劇性は、自己の罪や過ちに気付いた人間の心理を思わせる。深い悔恨ののち、湧き上がる感情は「他者の受け入れ」であり、それが「暖かみ」に通じる。この感情の動きは、重い病気を患って、自己の周囲にあるものの大切さにあらためて気づかされる過程にも似ている。そこに、現代の諸相や悲しみに即したものを感じるのは私だけではないと思う。
 この音楽が、ジャンルを越え、様々なアーティストたちに感銘をもって受け入れられていることは、彼らの感受性に訴える力のあるものだからに違いない。ゆっくりと、心理の深淵に誘う、透明な音楽である。

テ・デウム シルーアンの歌 マニフィカト ベルリン・ミサ
カユステ指揮 タリン室内管弦楽団 エストニア・フィルハーモニー室内合唱団

レビュー日:2017.1.4
★★★★★  保守性と現代性が同居するペルトの美的世界
 エストニアの作曲家、アルヴォ・ペルト(Arvo Part 1935-)の作品集。トヌ・カユステ(Tonu Kaljuste 1953-)指揮、タリン室内管弦楽団とエストニ・アフィルハーモニック室内合唱団の演奏。1993年の録音。収録曲は以下の通り。
1) テ・デウム アルフレート・シュレーに捧ぐ
2) シルーアンの歌(「わが魂は神を慕う…」) 東方教会の修道長と信者たちのための
3) マニフィカート クリスティアン・グルーベとベルリン国立大聖堂聖歌隊に捧ぐ
4) ベルリン・ミサ(キリエ、グローリア、アレルヤ第1、アレルヤ第2、来りたまえ、聖霊よ、クレド、サンクトゥス、アニュス・デイ)
 ペルトという作曲家が日本に紹介されてから、もう随分が過ぎた。その作品の多くは、静謐で神秘的な祈りを描いたものであり、不思議さ、美しさ、癒しといったイメージを湛え、世紀末的と評されたこともあったように思う。この録音もすでに20年以上前のものだが、いま聴いてみても、その印象は変わらない。
 収録曲中では「テ・デウム」が特に重要な作品と考えられる。演奏時間も30分近くあり、本アルバムの大部分を占める。この音楽は闇の中から、静かに、遠くから聞こえてくるように始まる。そこに声が加わる。柔らかく、暖かかく、暗く、どこか永遠を思わせる世界。この世界の「持続性」こそがペルトの音楽の肝であろう。
 ペルトはエストニアの作曲家であるが、ペルト以前にエストニアの作曲家として世界的に伝えられた人はいないと言って良いだろう。決してクラシック音楽の文化を感じさせる土壌ではないのであるが、ペルトがそこで、ルネサンス期の聖歌に通じる特有の書法を編み出したことは興味深い。あるいは音楽的独自性を模索する過程に影響したかもしれない。しかし、この「テ・デウム」の特有の静謐的持続、しかし一定の緊張を孕んだ世界は、懐かしさと新しさを同時に憶えさせる。
 この感覚は、ペルトの用いる方法に由来する。そこでは3音構成の三和音を中心にハーモニーが構成され、近親調への移行音を重ね、不協和な音が消失してゆき・・とこれがかなり長いこと続けられる。その古典的な和声の使用からもたらされる「保守性」と、音楽構成上、展開と呼ぶには長すぎる時間の経過からもたらされる「現代性」の両方が、この音楽の軸となっているのである。
 このような音楽を演奏する場合、演奏する側にも、音の持続性に優れていることが求められる。チューニングがしっかりしている、とでも言おうか。そのような点で当録音の合唱は特に質が高く安定しており、ペルトの音楽の禁欲的な美観をよく引き出している。それは「マニフィカート」においても顕著な成果と言えるだろう。
 「シルーアンの歌」は短くも美しい器楽合奏の作品。「ベルリン・ミサ」はミサ曲の体裁であるが、ペルトのスタイルは共通しており、このスタイルであれば、私には、長大な一つの曲である「テ・デウム」に、より作曲家の刻印を見出しやすく感じる。
 録音美麗。静かな瞑想に浸れる。

タブラ・ラサ フラトレス パッサカリア ヴァイオリン、ベルと弦楽のための「ダルフ・イッヒ…」 ヴァイオリンとピアノのための「鏡の中の鏡」
vn: ムローヴァ P.ヤルヴィ指揮 エストニア国立交響楽団 p: ダナキー

レビュー日:2018.12.12
★★★★★  静謐と沈黙、緊張と劇性を突き詰めたムローヴァのペルト
 ヴィクトリア・ムローヴァ(Viktoria Mullova 1959-)によるアルヴォ・ペルト(Arvo Part 1935-)の作品集。作曲者であるペルト立会いの下での録音と銘打たれており、以下の楽曲が収録されている。
1) ヴァイオリン、ベルと弦楽のための「ダルフ・イッヒ...」
2) フラトレス
3) パッサカリア
4) タブラ・ラサ
5) ヴァイオリンとピアノのための「鏡の中の鏡」
 1-4)は、パーヴォ・ヤルヴィ(Paavo Jarvi 1962-)指揮エストニア国立交響楽団との協演、5)のピアノはリーアム・ダナキー(Liam Dunachie)で、2017年の録音。
 2015年に、パーヴォ・ヤルヴィが作曲者の生誕80年記念コンサートをパリで開催する際、ムローヴァがペルトの作品に傾倒していることを知り、参加を要請し、それから作曲者立会いという形で当録音が行われるに至ったとのこと。
 当盤に収められた楽曲は、いずれもペルトの代表作といって良いものだ。作曲者の意図がどこまで反映されているかわからないが、ムローヴァはすさまじいほどの緊張感でこれらの楽曲を奏でている。収録曲中、「タブラ・ラサ」と「フラトレス」は70年代に書かれたものであるが、ソ連で生まれたムローヴァが自由な芸術活動を目指し、演奏旅行中にスウェーデンを介して政治亡命を果たしたのが1983年。冷戦時代のエストニアで書かれたこれらの音楽にムローヴァならではの共鳴の仕方があったとしても不思議ではない。2017年になって、彼女自身がこれらの曲をタリンで演奏、録音することに、ドラマを感じることも出来るだろう。
 だから、と言ってしまうのは乱暴だが、この演奏には独特の緊張感がみなぎっている。「タブラ・ラサ」と「フラトレス」では、先行する録音に比べて、意味深に遅いテンポを設定し(タブラ・ラサの第2楽章Silentiumは、それだけで演奏時間が20分を越える)、静謐へのさらなる接近を試みる。ムローヴァはペルトの音楽に登場する休符を「沈黙」と呼ぶ。そして、そこに沈黙があることの意味を深く探求する。ペルトの楽曲が中世の教会音楽の研究に端を発し、しかし、そこに作曲年代に即した、悲劇的な啓発を含む芸術であることを指し示す。パッサカリアの深い和音、タブラ・ラサの第1楽章で繰り広げられる劇的な連続重音による進行、それを統御する力強い意志が、一音一音に力強く込められる。
 その結果、特に「タブラ・ラサ」と「フラトレス」において悲劇的な色彩が強く、そこに怒りに近い感情をかぎわけることになる。作曲者の立会いということに関して、どの程度演奏への関与があったか不明であるが、ムローヴァ自身が当演奏に際して自分の解釈を深めたことに言及し、かつ「完璧であることは退屈であることだ」と述べているように、それは彼女なりの自由意志に基づくものであったと考える。私がさらに言及したいのは、慎重に整えられたと思われる各楽器の距離感及び強弱のバランス関係である。むしろそのような環境設計的なものに、作曲者の意向が反映されたのではないだろうか。
 鋭い緊張感が持続した後で、たおやかな「鏡の中の鏡」が奏でられる。すでに多くの録音がある美しい名作だが、前に置かれた4曲の緊張を経て響く当該曲は、鋭利な感性に満ちている。


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