ムソルグスキー
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ムソルグスキー 展覧会の絵(ラヴェル編) ラヴェル ボレロ ドビュッシー 「ピアノのために」からサラバンド(ラヴェル編) 舞曲(スティーリー風タランテラ)(ラヴェル編) シャイー指揮 コンセルトヘボウ管弦楽団 レビュー日:2010.1.2 |
★★★★★ シャイーによるコンセルトヘボウ・デビュー盤
リッカルド・シャイーがコンセルトヘボウ管弦楽団とはじめてレコーディングしたのがこのアルバム。メインはムソルグスキーの「展覧会の絵」だが、アルバムとしては「ラヴェルのオーケストレーション」が一つの焦点と考えられる。 冒頭にはまずラヴェルの「ボレロ」が納められており、次いでドビュッシーの作品をラヴェルがオーケストレーションした2曲、「『ピアノのために』からサラバンド」と「スティーリー風タランテラ(舞曲)」を挟み、最後にムソルグスキーのピアノ曲をラヴェルが管弦楽曲にアレンジした「展覧会の絵」という構成になっている。録音は1986年。 「ボレロ」は一つのメロディがひたすら繰り返される楽想で有名だが、そのオーケストレーションの巧みさゆえ聴き手を飽きさせない。他の2曲は、原曲を知っている人ならなおのことラヴェルにより新しい生命を吹き込まれた音楽を感じることができるはずだ。 シャイーはすでにこの時点でコンセルトヘボウ管弦楽団と何を作るかが明確に見えていなにちがいない。確信に満ちた棒さばきであるし、その後彼がこのオーケストラと録音した数々の成果と比較して遜色のない完成度である。例えば、ムソルグスキーの「ブイドロ」。この曲は重々しい音楽なのであるが、シャイーの演奏でなんといっても印象に残るのは柔らかくも色鮮やかな弦楽陣がかなでる瑞々しい和音だと思う。的確な質感をもち、力まず、自然な引力によって豊かに降ろされる弓が、美しい和となる。また「サムエル・ゴールデンベルクとシュムイレ」では、トランペットの金属的でありながらカラフルな音色が存在感を発揮する。「キエフの大きな門」ではややテンポを落とし、それにともなって起伏を膨らませてスケールの大きな合奏を導く。 「ボレロ」は正統的な演奏。一つ一つの楽器がその個性を発揮しつつも、厳しく統制が取れており、コンパクトなまとまりを感じさせる。 ドビュッシーの2曲もオーケストラの透明感ある音色が楽しめるものとなっている。 |
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ムソルグスキー 展覧会の絵(ラヴェル編) 交響詩「禿山の一夜」 ラヴェル 高雅にして感傷的なワルツ シノーポリ指揮 ニューヨーク・フィルハーモニック レビュー日:2012.8.2 |
★★★★★ シノーポリのバランス感覚が伝わってくる録音
シノーポリ(Giuseppe Sinopoli 1946- 2001)指揮ニューヨーク・フィルハーモニックの演奏で、ムソルグスキー(Modest Mussorgsky 1839-1881)作曲、ラヴェル(Maurice Ravel 1875-1937)編曲の「展覧会の絵」、ムソルグスキー作曲、リムスキー=コルサコフ(Nikolai Rimsky-Korsakov 1844-1908)編曲の交響詩「禿山の一夜」、ラヴェル作曲の「高雅にして感傷的なワルツ」の3曲を収録。1989年録音。 シノーポリが指揮中に急死して11年がたった2012年に発売されたグラモフォン・レーベルの16枚組CDの1枚に当盤が収録されており、聴くことになった。それにしても、この時代、きちんとしたスタジオ録音が積極的に数多く行われたいたことにあらためて感嘆する。2012年現在では、経費のかかるオーケストラのセッション録音は数が減っており、ライヴ録音、もしくはそれに修正を加えるような形で発売されることが多く、緻密なセッション録音芸術を堪能できていた70年代後半から80年代というのは、実に様々な積極的な企画があり、楽しい時代でもあった。もちろん、それらは、その後の良質な廉価再発売の資源として活用されてきたわけで、私などもその恩恵にどっぷりとひたっていることになるのだが。シノーポリにしても、当時、様々なオーケストラと、多彩な楽曲をスタジオ録音していたわけで、こうしてフアンに聴き続けられていくわけである。 さて、当盤の感想に移ろう。シノーポリらしいバランス感覚に秀でた演奏であるが、主旋律以外、特にリズムを担う楽器の音程をはっきり示そうという意図が強く、強奏より立体的な彫像感により、音楽の迫力を引き出している点が面白い。顕著なのが「展覧会の絵」の「ブイドロ」の音楽で、高名な旋律のバックでリズムを刻むティンパニに添えられる金管が、なかなか聴かれないほどの色彩感を醸し出しており、複合的な音色を楽しませてくれる。この「展覧会の絵」という管弦楽曲は、ロシアの民謡にもよく通じたムソルグスキーが作曲したピアノ曲を、フランスの卓越した管弦楽書法を持つラヴェルが、オーケストラ編曲したもので、ロシア的土俗感とフランス風の瀟洒な雰囲気の双方を宿しているというのは、その通りだと思うが、シノーポリはあえてそのどちらという方向性を出さず、自己のスタンスでインターナショナルな解釈を押し通した感じである。オーケストラが、比較的ニュートラルな音色を持つニューヨーク・フィルハーモニックであるというのも、その背景にあるかもしれない。 「禿山の一夜」はオーソドックスな解釈で、安定したオーケストラ・サウンドを楽しませてくれる。 ラヴェルの「高雅にして感傷的なワルツ」では、柔らかい表現を駆使した雰囲気のある情緒を引き出している。シノーポリ本来の解析的な手腕というより、聴き手に洗練されたソフトな音色を届けようとしているかのよう。これもまた一興の味わいであった。 |
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ムソルグスキー 展覧会の絵(ラヴェル編) ラヴェル ボレロ ラ・ヴァルス 道化師の朝の歌 ドホナーニ指揮 クリーヴランド管弦楽団 レビュー日:2013.9.9 |
★★★★★ ドホナーニならではの鮮烈な音色!
クリストフ・フォン・ドホナーニ(Christoph von Dohnanyi 1929-)指揮、クリーヴランド管弦楽団の演奏により、以下の楽曲を収録。 1) ムソルグスキー(Modest Mussorgsky 1839-1881)/ラヴェル(Maurice Ravel 1875-1937)編 組曲「展覧会の絵」 2) ラヴェル ボレロ 3) ラヴェル ラ・ヴァルス 4) ラヴェル 道化師の朝の歌 1)~3)は1989年、4)は1991年の録音。 この時代のドホナーニとクリーヴランド管弦楽団は、指揮者とオーケストラの個性が見事にマッチした、機能美で押し通したスタイリッシュな名演を数多く残した。しかし、それらの録音には、2013年現在では廃盤になっているものが多く、個人的にはたいへん残念に思っている。 しかし、このアルバムの様に、再編集の上廉価発売されたものもあるので、他の名録音たちも、いずれまた次々と陽の目を見るように思う。というのは、そういった数々の録音の内容が素晴らしいからである。 本アルバムに収録されている楽曲は、いずれもラヴェルの素晴らしいオーケストレーションを堪能できる。ラヴェルは、「展覧会の絵」の編曲にあたって、がらがら(Rattle)や鞭(Whip)も含めた多様な打楽器を投入した上で、これらを含めた様々な楽器間の音色を組み合わせ、無限とも言える音の彩を編み出した。また、例えばボレロでも、有名なホルン・ピッコロ・チェレスタの3つの楽器をそれぞれ倍音関係のユニゾンで鳴らして、まるでパイプオルガンのような響きを作るなど、微細な手法がとられている。 こうしたラヴェルの精緻な仕事は、スコア上の無数とも言える音符が代弁しているわけでだが、これがデジタル時代に入って、いよいよ実際的な効果としてメディアに記録されるようになった。 そういった点で、ドホナーニの演奏ほど分かり易いものはない。分離能の高い録音とあいまって、一つ一つの楽器の音色が克明に捉えられ、その距離感も含めて、受音点におえる理想的な音の階層を形作っている。それで、このディスクは、ラヴェルの魔術的なオーケストレーションを、いよいよ鮮明な効果として実感したい、という方には、まさにうってつけの内容となっている。 展覧会の絵では、冒頭の金管によるプロムナート主題の提示から特徴が出ている。不必要な音の重なりをさけ、一音一音がいかにクリアに響くかを考慮し、そのために最適なテンポ、距離感を設定して、音楽をロジカルに進めていく。ドホナーニの音響設計に関する見識が、端的に示されている。ドホナーニは、音楽に迫力を求める時であっても、過剰な表情付けは行わない。インテンポで音の強弱の対比を行い、これにともなった論理的な加減速の効果の併用により、結果として導かれる「迫力」が設定される。さらには、輪郭線を緩やかにして情感を出そうともしない。これは美しい弱音の旋律が的確に流れていれば問題ない。そういったメカニカルなアプローチを積み上げた集積として、彫像のように立体的な音楽が立ちあがってくる。 ボレロの繰り返しの中で、一変奏ごとに、差し込む光の角度や色が代わるようにくっきりと、ページをめくるように的確に音楽が進められる。だからこそ、明瞭な対比の興味がみたされ、聴き手は音楽に関する悦楽の一つを確かに感じ取ることができる。このボレロは凄い。 ラ・ヴァルスと道化師の朝の歌でも、鮮烈にしてクリアの音色で、完璧な音響が構築されている。特に、ラ・ヴァルスの終結部の拡散と収縮の鮮明な勢いは、他では得られない線的な美を表出していて、デジタルならではの音像とあいまって多いに聴き手を感動させるに違いない。 |
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ムソルグスキー (ストコフスキー編) 交響詩「はげ山の一夜」 歌劇「ホヴァーンシチナ」第4幕への前奏曲 歌劇「ボリス・ゴドゥノフ」の交響的合成 展覧会の絵 チャイコフスキー (ストコフスキー編) 2つの小品~第2番「ユモレスク」 ラトガウスの歌詞による6つの歌~「再び、前のように、ただひとり」 ストコフスキー スラヴの伝統的クリスマス音楽 セレブリエール指揮 ボーンマス交響楽団 レビュー日:2011.6.14 |
★★★★★ ストコフスキーの「スラヴへの熱い思い」が伝わる編曲
ホセ・セレブリエール(Jose Serebrier)とボーンマス交響楽団によるレオポルド・ストコフスキー(Leopold Stokowski 1882-1977)の編曲シリーズ。当盤にはムソルグスキーの編曲集を中心にロシアものが集められていて、これがシリーズ第1弾になる。録音は2004年。 最近では「編曲もの」のジャンルは冷遇されている観がある。作曲者のオリジナル主義と演奏者の純真な献身が賞賛されるというトレンドだ。もちろん、それも悪くない。だが、編曲はそれ自体一つの創造的行動であると考える。例えば、同じナクソス・レーベルから出ているペーター・ブレイナー(Peter Breiner)によるヤナーチェクのオペラから編曲した管弦楽組曲シリーズなど本当に素晴らしい内容で、言語の問題もあってなかなか取り上げられることのないヤナーチェクのオペラが、実は魅力的な音楽の宝庫であることを端的に示し、かつ管弦楽組曲として価値のある名品に仕上がっていることに目を見張ったものだ。 ムソルグスキーで言えば、そもそも「展覧会の絵」の管弦楽版だってラヴェルの編曲だし、「はげ山の一夜」だってリムスキー・コルサコフによるものなのだ。オリジナル至上主義では本来生まれなかった名作たちである。それで、ストコフスキーの弟子であるセレブリエールは、本当にこれらの編曲の価値を知らしめるということを、レコーディングを通して証明し続けている頼もしい指揮者である。 「展覧会の絵」はラヴェル編曲が有名だが、ストコフスキー版は冒頭の弦楽合奏から大きく雰囲気を異にする。ざっくりと言ってしまえば、ストコフスキーの編曲には、よりロシア的なイメージがある。ラヴェル版の瀟洒な色が、ストコフスキー版ではどかっと腰を落ち着けて規模の大きい音を組み立てていく。ムソルグスキーの原曲のうち「土臭い」部分を色濃く残している。特に「グノオム」のグロテスクな響き、「カタコンベ」「バーバ・ヤーガの小屋」における暗い重々しさなど、ラヴェル版と比べるとその雰囲気の違いが顕著だ。それと、このストコフスキー版、「テュイルリーの庭」と「リモージュの市場」はその前のプロムナードごと丸々カットされている。ラヴェル版でいよいよ増したフランスのカラーが濃く出た部分を削ったように思うのだが、いかがだろうか。 「禿山の一夜」は一般的なリムスキー・コルサコフ版ではなく、曲の構成などからみてオリジナル版からの編曲といったイメージで、洗練されてはいないが、描写性のある効果音的な音響があちこちで響いて面白い。歌劇「ボリス・ゴドゥノフ」の交響的合成も色彩感にあふれ力強い音楽が漲っている。他の収録曲も含めてストコフスキーのスラヴへの思いが熱く伝わるような曲たちであり、全霊の力で取り組んだセレブリエールの快演快録音の存在はとにかく大事なものに違いない。 |
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ムソルグスキー 展覧会の絵(ラヴェル編) ボロディン 交響曲 第2番 だったん人の踊り ラトル指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 レビュー日:2019.2.28 |
★★★★☆ 「洗練」が特徴。・・でも垢抜けし過ぎてしまったかもしれない
2002年から2018年までベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者兼芸術監督を務めたサイモン・ラトル(Simon Rattle 1955-)が、その前半に録音したものが廉価のBox-setとなったので、この機会に入手して聴いている。その1枚が当盤に相当。2007年に行われた複数回のライヴ録音からベストテイクを編集する形で、以下の楽曲が収録されている。 1) ムソルグスキー(Modest Mussorgsky 1839-1881)/ラヴェル(Maurice Ravel 1875-1937)編 組曲「展覧会の絵」 2) ボロディン(Alexander Borodin 1833-1887) 交響曲 第2番 ロ短調 3) ボロディン だったん人の踊り 「だったん人の踊り」は声楽を含まない純器楽版による演奏。 さて、私はこの録音を2019年にもなってはじめて聴いたわけで、今さら感満載ながら感想を書くと、すごく鳴りは良く洗練された演奏であるとは思うのだが、今一つ聴き手に働きかけるものに欠けた印象と言える。 特に「展覧会の絵」。この華やかな楽曲で、ラトルは非常に客観的な体制を維持し、オーケストラの音色は隅々まで整えられた輪郭のくっきりしたものとなっている。弦楽器陣の響きの輝きはさすがこのオーケストラで、ヴィドロで主旋律を弦楽合奏が奏でるところなど、これ以上望めないほどの完成度で合奏音が響く。実に見事。 ただ、音楽全体の前進力、駆動力といった「力感」、これらは、例え洗練を経たとしても、このムソルグスキーの書いた旋律を表現する上で必要なものだと思うのだが、この演奏ではそこが簡素に過ぎるように感じられる。旋律の表現にもう一つ厚みがほしいし、それを飾るラヴェルのオーケストレーションならではの色彩にも、もう少し見えを切る要素があってもいいのではないか、と思ってしまう。 もちろん、演奏の質が良くないというわけではない。細やかなパッセージの滑らかさ、キエフの大きな門での打楽器の存在感、その音色のリアリティなど、確かに聴き味に鋭く、見事なものだと思うけれど、他の名演と比べると、全体に筋肉質になり過ぎたようなイメージである。 その点で、ボロディンの交響曲の方が私には良く思えた。といっても、こちらも、ロシア的な濃厚さとは別の、機敏でシャープなソノリティに徹した現代的演奏。第2楽章冒頭の金管や、第3楽章のホルンなど、美しいところはいっぱいある。この楽曲の緩徐楽章に顕著なノスタルジーに関しては、たっぷり歌い上げると言うスタンスではなく、スマートにこなしている。その結果、この楽曲から泥臭さを抜き去ったような淡い辛みがそれなりに効いていて、なかなか感興を催してくれる。 「だったん人の踊り」もシャープで陰影くっきりした運び。旋律を奏でるクラリネットの美しさはさすが。 |
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ムソルグスキー 展覧会の絵(ラヴェル編) グリンカ ルスランとリュドミラ序曲 ボロディン 交響詩「中央アジアの草原にて」 パイタ指揮 ナショナル・フィルハーモニー管弦楽団 フィルハーモニック交響楽団 レビュー日:2019.10.12 |
★★★★☆ カルロス・パイタによるロシア作品集
カルロス・パイタ(Carlos Paita 1932-2015)の指揮による以下の3作品を収録したアルバム。 1) ムソルグスキー(Modest Mussorgsky 1839-1881)/ラヴェル(Maurice Ravel 1875-1937)編 組曲「展覧会の絵」 2) ボロディン(Alexander Borodin 1833-1887) 交響詩「中央アジアの草原にて」 3) グリンカ(Mikhail Glinka 1804-1857) 「ルスランとリュドミラ」序曲 1)はフィルハーモニック管弦楽団、2,3)はナショナル・フィルハーモニー管弦楽団の演奏。1982年の録音。 ひたすた熱く濃厚に歌うのがパイタのスタイルではあるが、当録音は他のパイタの録音に比べると、一般的な演奏に近い。展覧会の絵は、たしかに特有のタメがあるものの、全般にびっくりするようなところはなく、穏当な表現といってよい。「サムエル・ゴールデンベルクとシュムイレ」による楽器の対比に込められた強い主張が特徴の一つであろうか。 だが、最大のパイタらしい聴きモノは「キエフの大きな門」で、そこでパイタはオーケストラから最強の音色を引き出し、おとの大伽藍を築き上げるのである。この壮大さ、いささか仰々しいほどの芝居っけたっぷりな音楽づくりが、パイタのスタイルなのであろう。これを聴くと、それまでの部分が、全部「キエフの大きな門」のための序奏であったような気がしてくる。 ボロディンの「中央アジアの草原にて」は楽曲の性向もあって、純朴な感じの平明な演奏。もちろん、旋律を高らかに歌いあげてはいるが、同曲異演と大きく隔たるような手法は感じさせず、むしろ健やかで明朗さのある情感は、模範的と言っても良いぐらいの解釈だ。この楽曲自体、旋律的な魅力はあっても、特徴だったアプローチを行うことには適していないのだろう。 最後に収録されたグリンカはパイタらしい。熱血的で鮮やかに駆け巡る。アクセントの強調、打楽器と金管の強奏と、さすがといったところ。あるいみロシア的な土臭さも感じられる。 ただ、アルバム全体としては、パイタならではの要素を期待し過ぎると、やや肩透かし気味になるかもしれない。また、オーケストラの合奏音により内的充実があればとおもうところもいくつかあった。 |
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交響詩「禿山の一夜」(原典版) 歌劇「ホヴァンシチナ」より「ゴリツィン公の流刑」 ヨシュア 歌劇「サランボー」より「巫女たちの合唱」 スケルツォ変ロ長調 センナヘリブの陥落 「アテネのオイディプス王」より「神殿の人々の合唱」 歌劇「ホヴァンシチナ」から「前奏曲(モスクワ河の夜明け)」 凱旋行進曲(カルスの奪還) アバド指揮 ロンドン交響楽団 合唱団 レビュー日:2015.7.14 |
★★★★★ アバドの最高の功績の一つであるムソルグスキー録音
昨年(2014年)亡くなった世界的指揮者、クラウディオ・アバド(Claudio Abbado 1933-2014)について、追悼の形も踏まえて、改めてその芸術の価値が言及されるのを目にする。一方、私がアバドの輝かしい業績の中でも特に偉大なものと考えるのは、一連のイタリア・オペラの録音と、ムソルグスキー(Modest Mussorgsky 1839-1881)の録音である。 アバドは、とてもレパートリーの広い指揮者だった。古典の王道であるドイツ・オーストリア音楽だけでなく、イタリア、ロシア、フランス、そして近現代の音楽まで、現代的な感性を背景に様々な録音を展開した。その一方で、私は彼の振る特にドイツ・オーストリア音楽について、ずいぶんとディフェンシヴな印象も持つことが多かった。うまく表現できないのだけれど、音楽の流れをあえて抑制するスタンスを感じることがあった。最近、彼の録音をいろいろ聴きなおしてみても、どこか人工的なものを感じさせ、それが私の気持ちを冷ます場所があって、音楽に夢中になれないのだ。 しかし、イタリア・オペラと、ムソルグスキー、それに多くの声楽を伴った作品では、その印象が一変する。きわめてダイナミックで挑戦的な色彩を積極的に用い、臨場感に溢れた音楽が展開されるのである。私は、アバドの演奏の場合、後者のものに圧倒的に優れたものを感じるところが多い。もちろん彼のクールさは、近現代の様々な音楽を解釈するときに、とても有効なものだったし、簡単に否定的なことを述べられるはずもないのだが、それはそれとして、超絶的に凄いものがある。 この、1980年に録音されたロンドン交響楽団とロンドン合唱団によるムソルグスキーの管弦楽曲と合唱曲を集めたアルバムも、他に比べるものがないくらいに見事な成功を示している。収録曲は以下の通り。 1) 歌劇「ホヴァンシチナ」より「ゴリツィン公の流刑」 2) 歌劇「サランボー」より「ヨシュア」 3) 歌劇「サランボー」より「巫女たちの合唱」 4) スケルツォ 変ロ長調 5) センナヘリブの陥落 6) 交響詩「禿山の一夜」(原典版) 7) 歌劇「アテネのオイディプス王」より「神殿の人々の合唱」 8) 歌劇「ホヴァンシチナ」より前奏曲(モスクワ河の夜明け) 9) 凱旋行進曲「カルスの奪還」 3,5,7) の3曲が合唱を伴う。 全編に、エネルギーに満ちた表現が溢れている。まず注目したのは6)で、この曲は通常リムスキー=コルサコフ(Nikolai Rimsky-Korsakov 1844-1908)によってオーケストレーションされたものが知られているが、ここではムソルグスキーによる原典版が収録されている。これが恐ろしいほどの迫力に満ちた音楽!確かに荒削りで、いかにも研磨加工前といった風情もあるのだけれど、それゆえに、だからこその荒々しい、風の吹きすさぶ怒涛のような音楽だ。アバド、オーケストラともに、最高のノリでこの曲を表現していて、放散されるエネルギー量がすさまじい。圧巻の名演だ。 冒頭曲1)も、特有の不穏さ、暗さを宿しながら、大量のエネルギーを感じさせる音楽だが、アバドのタクトは、その深い奔流を巧みに描き出している。 2,3,4,5)など、いずれもムソルグスキーが後年に示す革新的な手法を用いる前の作品だが、いずれも魅力に富む。特に合唱を伴う3)、5)は美しいとともに、ロシアの土の香りがする様な旋律美を持ち合わせていて、アバドの合唱曲への適性と併せて、とても情感豊かで、たっぷりした聴き味を堪能させてくれる仕上がり。 アバドによって、その力を見事に開放したムソルグスキーの音楽。その魅力にたっぷりと浸れるアルバムだ。 |
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交響詩「禿山の一夜」(ソロチンスクの市版) 歌劇「ホヴァンシチナ」前奏曲(モスクワ河の夜明け) 歌劇「ホヴァンシチナ」から(シャクロヴィートゥイのアリア ゴリツィン公の流刑 マルファの予言の歌 ペルシャの女奴隷たちの踊り) スケルツォ変ロ長調 古典様式による交響的間奏曲ロ短調 歌劇「ムラダ」から凱旋行進曲 アバド指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 南ティロル少年合唱団 ベルリン放送合唱団 Br: コルチェガ レビュー日:2015.9.2 |
★★★★★ アバドの、特に偉大な功績として、残るであろうムソルグスキー
アバド(Claudio Abbado 1933-2014)の指揮者の功績として、特に大きいものであるムソルグスキー(Modest Mussorgsky 1839-1881)作品への積極的な録音活動の成果の一つ。ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団を指揮して1995年に録音されたもので、収録内容は以下の通り。 1) 禿山の一夜(合唱、独唱付版) 2) 歌劇「ホヴァンシチナ」から 前奏曲(モスクワ河の夜明け) 3) 歌劇「ホヴァンシチナ」から シャクロヴィートゥイのアリア 4) 歌劇「ホヴァンシチナ」から ゴリツィン公の流刑 5) 歌劇「ホヴァンシチナ」から マルファの予言の歌 6) 歌劇「ホヴァンシチナ」から ペルシャの女奴隷たちの踊り 7) スケルツォ 変ロ長調 8) 古典様式による交響的間奏曲ロ短調 9) 歌劇「ムラダ」から 凱旋行進曲 バス・バリトンの独唱はアナトリー・コチェルガ(Anatoli Kotcherga 1947-)、メゾ・ソプラノ独唱はマリアンナ・タラーソワ(Marianna Tarasova)、合唱は南ティロル少年合唱団とベルリン放送合唱団。 「モスクワ河の夜明け」の名で知られる歌劇「ホヴァンシチナ」から前奏曲を除けば、いずれも録音機会自体多いとは言えない楽曲ばかりだが、アバドのこの作曲家への愛情の満ちたタクトにより、見事な録音作品をして当盤で楽しむことが出来る。 アバドはムソルグスキーを振るとき、作品の根底に流れるロシア的な野太い旋律線をとても力強く表現する。このアバドの指揮は彼がイタリア・オペラを振るときの印象に共通しており、いかにこの作曲家との相性の良さを備えた指揮者だったかを痛感させられる。今後、これほど見事にムソルグスキーを振れる人が出てくるかどうか。 冒頭の「禿山の一夜」の楽曲自体はたいへん有名なものだが、それはリムスキー・コルサコフ(Nikolai Rimsky-Korsakov 1844-1908)によってオーケストレーションを補筆完成されたものである。また、これと別に原典版と呼ばれるムソルグスキーによる初稿が存在しており、アバドはロンドン交響楽団を指揮してこれを1980年に録音していた。当盤に収録された合唱が付随したヴァージョンは、ムソルグスキーが(当初の目的でもあった)未完の歌劇「ソロンチスクの市」に挿入するために書いたもの。そもそもこの楽曲はニコライ・ゴーゴリ(Nikolai Gogol 1809-1852)の戯曲「聖ヨハネ祭の夜の禿山」に基づいて書かれた作品であるため、関連するテキストにより声楽が付されている。 この声楽版を聴くと、いかにも原初的なエネルギーを感じさせる。楽想移行のダイナミクス、意表を突く音色の使用など、ムソルグスキーの生々しいほどのアイデアが、いかにも"むきだし"といったふうに提示されるので、違和感を持つ人もいるだろう。私も、リムスキー・コルサコフの洗練された編曲をよく知っているだけに、その違いに様々なザラツいた感触を受けるが、そのエネルギーをとても面白く、熱く受け取ることができた。中間部では耳新しいバリトンの旋律が提示されるところも独特だ。 モスクワ河の夜明け、ゴリツィン公の流刑、スケルツォ、凱旋行進曲は、いずれもアバドにとって1980年のロンドン交響楽団との録音からの再録音となるが、ベルリンフィルの機能性を活かし、積極的な表現に満ちている。また、ホヴァンシチナからの楽曲は、旋律線の扱いなどで、後年の傑作「死の歌と踊り」への関連性を示していることも興味深い。 初期の瑞々しい2つの管弦楽曲を経て、豪放壮麗な凱旋行進曲で締めくくられる構成も、演出的にうまく行っているだろう。2人の独唱者の深みのある歌唱と併せて、他になかなか見当たらないくらいの、充実したムソルグスキー・アルバムとなっている。 |
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ムソルグスキー 展覧会の絵 スケルツォ(ロ短調 嬰ハ短調) トルコ行進曲 旗手のポルカ 子供の頃の思い出 子供の遊び 間奏曲 気まぐれな女 情熱的な即興曲 クリミア南岸にて 瞑想曲 涙 村にて ゴパック バラキレフ ピアノ・ソナタ スケルツォ マズルカ 第6番 スペインのメロディー イスラメイ p: ベロフ スミス レビュー日:2007.11.27 |
★★★★☆ ロシアの二人の作曲家のあまりしられていないピアノ曲を合わせて聴けます
作曲家ムソルグスキーとバラキレフには共通点がある。それは多くのピアノ独奏曲を遺しながら、広く世に知られたものが1曲だけ、という点である。ムソルグスキーなら「展覧会の絵」だし、バラキレフなら「イスラメイ」だ。このアルバムはCD2枚からなり、1枚目冒頭にムソルグスキーの「展覧会の絵」を収録し、その後、ムソルグスキーの無名のピアノ曲を収録し、2枚目に移り、その途中からバラキレフの作品となり、2枚目の最後に「イスラメイ」を収録する、という構成を持っている。 ピアノ独奏は、ムソルグスキー作品はミシェル・ベロフ、バラキレフ作品はアルカン演奏のスペシャリストとして知られたロナルド・スミスによるもの。録音は1972年から74年にかけて行われている。 ちなみに有名な2曲以外の収録曲を書いておこう。まずムソルグスキー作品。「スケルツォ(ロ短調と嬰ハ短調の2曲)」「トルコ行進曲」「旗手のポルカ」「子供の頃の思い出」「子供の遊び」「間奏曲」「気まぐれな女」「情熱的な即興曲」「クリミア南岸にて」「瞑想曲」「涙」「村にて」「ゴパック」。次いでバラキレフ作品「ピアノソナタ」「スケルツォ」「マズルカ第6番」「スペインのメロディー」。ちょっと印象派のような曲のタイトルが目立つ。 これらの楽曲であるが、やはり有名曲に比べると地味で、それほどインパクトはない。だがある程度、これらの作曲家がどのような作品を遺したかを知るのに貴重な録音だ。ムソルグスキーの作品はちょっと泥くささのある行進曲的なノリの作品が多く、その延長線上に、なるほど、「展覧会の絵」が垣間見えてくる。そのような瞬間はあちこちにあって、ちょっと探偵気分で聴くことができるだろう。バラキレフもピアノの達者な作曲家の作品、という感じで楽しめるだろう。二人のピアニストの演奏も悪くない。ベロフの「展覧会の絵」は非常に若々しいスポーティーで力強い演奏で、鋭角的な切り口が魅力十分だ。スミスの技巧はイスラメイで堪能できる。 |
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ムソルグスキー 展覧会の絵 ボロディン 修道院にて アラビエフ うぐいす バラキレフ マズルカ 第2番 スクリャービン 演奏会用アレグロ メトネル 2つのおとぎ話 リャードフ ポーランド民謡の主題による変奏曲 ルビンシテイン ヘ調のメロディ p: 有森博 レビュー日:2005.12.2 |
★★★★★ 有森博らしい意味深なアルバムです。
久しぶりに有森博のアルバムを聴く事ができた。今回は大曲であるムソルグスキーの展覧会の絵を中心に、ロシアの作曲家の小品が集められた作り手の思慮深さをうかがえる構成となっている。 有森の表現は実に逞しい。ムソルグスキーの作品には、ホロヴィッツ、アシュケナージをはじめ名演に事欠かないが、有森の録音はその中でなお存在感を示せる質の高さがあり、かつ個性的である。 本演奏の第一の特徴はピアノの音色そのものである。いかにも一本芯の通った、重さを感じさせながらも和音の響きは熟慮されている。そもそもムソルグスキーが題材としたハルトマンの絵画は風刺的で、社会性に富んだ内容を持っていた。それを踏まえ、当時の芸術家が蓄えたエネルギーを慎重に解釈して解法していく作業を有森はここで行なっている。そうして聴かれる演奏は、ダイナミックで美しいが、どこか暗さを常に秘めている。 もう一つ。このアルバムを通して聴くと、そこになぜかフレデリック・ショパンの面影が浮かぶのだ。ショパンはポーランドの作曲家だが、パン・スラヴ主義的にはロシアの音楽家とも言えるし、ショパンの功績はどこよりも強くロシアで引き継がれていく。ここに収められたあまたの魅力的なロシア小品は、いずれもショパンの影響を感じさせるのだ。こうなると、ぜひ有森には満を持してショパンにも取り組んでもらいたいと思う。 |
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ムソルグスキー 展覧会の絵 ラヴェル 夜のガスパール バラキレフ イスラメイ p: F.ケンプ レビュー日:2008.5.18 |
★★★★★ フレディ・ケンプのピアニズムを堪能できるアルバム
フレディ・ケンプによる2006年録音のアルバム。曲目はムソルグスキーの「展覧会の絵」、ラヴェルの「夜のガスパール」そしてバラキレフの「イスラメイ」。 1998年のチャイコフスキー・コンクールで第3位となり、その後BISレーベルへ充実した録音活動を行っているケンプ。録音レパートリーもかなり広くバッハ、ベートーヴェンからロマン派、近代まで、多様だ。加えていかにもテクニックに自信のある若手らしい選曲が多く、今回もそれらしい魅力的な組み合わせだ。ムソルグスキーとラヴェル、となると「展覧会の絵」のピアノ原曲作曲者と、そのオーケストラ版編曲者という繋がりがあるが、作風が「近い」作曲家というわけではないだろう。しかし、ここに収められた両曲の録音は、このピアニストの能力をよく伝える楽曲で、堪能できる。 まず「展覧会の絵」ではいつものフレディ・ケンプのように早めのテンポが特徴。くっきりした輪郭の音色で歯切れよく、軽やかに弾きこなしていく。この演奏ではムソルグスキーが各曲に込めた思いよりも、演奏効果としてのピアノの一つのポテンシャルを探求してみたという感が強い。「チュイルリーの庭」や「卵の殻をつけた雛たちの踊り」のクールな弾きこなしぶりがいかにも現代的だ。またヴイドロもフォルテで始めているのにそれほど重苦しさを感じさせない。それはテンポ設定と音色の効果によるものだ。「バーバ・ヤーガの小屋」のスピード感を経て、たっぷりとした残響効果を活かした「キエフの門」へ至る演出も効果的で機知を感じるものになっている。 一方で「夜のガスパール」は抑制を感じさせる耽美性に満ちている。元来美しいタッチの持ち主だし、録音栄えのするこのような楽曲でフレディ・ケンプの持ち味はよく発揮されている。終楽章の高音域でカキンとなる和音の凛々しい響きは何度も聴きたくなるような陶酔的な効果をもたらしてくれる。 バラキレフの「イスラメイ」は多くの腕自慢がそのテクニックを披露するのにおあつらえ向きであるが、ここで思いのほか叙情性を宿した表現になっているのも面白い。展覧会の絵よりもウェットに聴こえるくらいだ。ともあれ、個性的な3つの曲を多彩に響かせたアルバムとなった。 |
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ムソルグスキー 展覧会の絵 タネーエフ 前奏曲とフーガ リャードフ 音楽の玉手箱 ボロディン スケルツォ チャイコフスキー ドゥムカ ラフマニノフ 練習曲集「音の絵」作品33 p: アシュケナージ レビュー日:2009.6.6 |
★★★★★ 再編集で一層魅力を増したアシュケナージのロシアピアノ曲集
かつてLONDONレーベルから出ていたアルバムに、さらにいくつか小品を追加した再編集盤だ。タネーエフの「前奏曲とフーガ」とチャイコフスキーの「ドゥムカ」は“Steinway Legends”と題された別の企画モノに収録されていたが、リャードフ「音楽の玉手箱」、ボロディン「スケルツォ」についてはしばらく入手できるものがなかったので、待望の再リリースであり、アルバムとしての魅力を一層増したといえる。 ムソルグスキーの「展覧会の絵」をアシュケナージは2度録音しているが、こちらは82年録音の新しいもの。私はこの楽曲が大好きで、多くの録音を所有しているが、このアシュケナージ盤とホロヴィッツ盤が双璧と思う。ホロヴィッツが情感をありのままに発散した演奏なのに対して、アシュケナージはあくまで近代的なピアノ演奏に関する完璧な教養をバックグラウンドにしたウェルバランスな名演だ。まじめな演奏であるが、詩情を湛えたピアニズムと技巧の限りを尽くしたパッションの放出があり、あらゆる面で聴き手に不満を抱かせない。就中「ブイドロ」と「バーバ・ヤーガの小屋」の迫力は比類ない。 ラフマニノフの「音の絵」は2集あるが、こちらは第1集といえる作品33。第6曲の土俗感、第7曲の憂い、第8曲の壮麗な音響が見事。 リャードフの「音楽の玉手箱」~この愛すべき2分ちょっとの小品をアシュケナージのピアノで聴けるのが嬉しい(有森博もよいが)。洒脱な味わいに満ちている。チャイコフスキーのほの暗い演出も美しい。6人の作曲家によるロシアの魅力あふれる名品・逸品を一遍に楽しめる良いアルバムとなった。なお録音年代は1977-83年。デッカらしい高いクオリティはいつも同様。 |
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ムソルグスキー 展覧会の絵 子供の頃の思い出 シューマン 子どもの情景 p: アンスネス レビュー日:2011.4.26 |
★★★★★ 映像作家とのコラヴォレーションから生まれた優れた音楽メディア
レイフ・オヴェ・アンスネス(Leif Ove Andsnes)による2008年~09年録音のアルバム。収録曲はムソルグスキーの「展覧会の絵」「子どもの頃の思い出(乳母と私、 最初の罰~乳母は私を暗い部屋に閉じこめた、 夢想、 クリミア南岸の近くにて)」とシューマンの「子どもの情景」の3曲であるが、このアルバム、実はある企画から生まれたもの。 その企画というのが南アフリカ出身のヴィジュアル・アーティスト、ロビン・ローズ(Robin Rhode 1976- )とのコラヴォレーション芸術で、これについては「Pictures Reframed (W/Book) (W/Dvd)~再構築された絵」と題されたDVD+CDが発売されている。ロビン・ローズの作品の多くは静止画とデジタル・アニメーションの合成にビデオ作品だそうだが、このCDのジャケット写真もロビン・ローズによるもの。私は、映像作品の方は観ていないので、以下あくまで当CDのみを聴いた感想になる。 まず「展覧会の絵」であるが、使用しているスコアがホロヴィッツ版をさらに改変したものとなっている。伴奏音型のオクターブ飛躍の連打など、ホロヴィッツらしい派手さが随所に顔を出しているのが面白い。アンスネスのピアノはたいへん颯爽としている。力強い推進力を保ちながらも、情緒を巧みに引き出す。編曲により技巧的難易度は増しているのだが、注意深いテンポ設定により均衡を保っていて、音楽が安定している。グノオムやテュイルリーの庭のこぼれるような色彩感も見事で、たいへん絵画的だ。バーバ・ヤーガの流れ落ちるような和音連打は鮮やかで圧巻、その後のキエフの大きな門に向かって輝かしい音色の蓄積が導かれ、楽曲はきわめてドラマティックに盛り上がる。 「子どもの頃の思い出」は無名の作品だが、展覧会の絵と通じる音型処理などが興味深く、なるほど、一枚のアルバムにまとめた意図が伝わってくる。 シューマンの「子どもの情景」はややアクセントを控えたどこか切なげなトーンが聴ける。「知らない国々」「トロイメライ」「詩人の話」など、抑えられたメロディーが、品の良い佇まいを見せており、潤いのある情緒を引き出している。「鬼ごっこ」のような曲での粒だったピアノの音ももちろん美しい。適度な輝きがあり、エレガンスを感じさせる。 このように、当ディスクは、普通の音楽メディアとして十分に優れた内容を持っていると思うが、これらの音楽が生まれた背景、また映像とのコラボの成果をご覧になりたい方は、「DVD+CD」メディアをご購入されることをオススメする。 |
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ムソルグスキー 展覧会の絵 シューマン 子どもの情景 p: ガヴリリュク レビュー日:2014.5.22 |
★★★★★ 極上の色彩感に溢れたガヴリリュクの「展覧会の絵」
ウクライナのピアニスト、アレクサンダー・ガヴリリュク(Alexander Gavrylyuk 1984-)による、ムソルグスキー(Modest Mussorgsky 1839-1881)の「展覧会の絵」とシューマン(Robert Schumann 1810-1856)の「子供の情景」op.15を収録したアルバム。2013年の録音。 ガヴリリュクは、2000年の浜松国際ピアノコンクールにおいて、圧倒的なパフォーマンスを示して優勝したことから、日本でも知名度の高いピアニスト。これまでも、多くの録音が、日本国内レーベルを中心に発売されていたが、このたびはPiano Classicsからのリリースとなった。 ガヴリリュクの武器は、磨き上げられた技巧を駆使したアグレッシヴな表現にある。一言で言うと「スポーティー」だろうか。いかにも若々しい鮮烈なピアニズムを持っている。そんな彼にとって、ムソルグスキーの「展覧会の絵」など、かなりツボに嵌った作品と言えるのではないだろうか。 全編が、光彩陸離たる音響に満ち溢れ、快活に奏でられる。この音楽が持っているある種の「暗さ」が隠れるが、それを補って余りあるくらいの、聴き手を興奮させる運動美だ。「テュイルリーの庭」の一つ一つの音がこぼれるような色彩感を持って、次々とこぼれ落ちるように溢れてくる様は、見事なマジックを思わせる。ブイドロは冒頭からフォルテで豊饒な和音を響き渡らせるあたり、彼の才を高く買って、コンサートに招いているアシュケナージ(Vladimir Ashkenazy 1937-)の名演を彷彿とさせる。「サムエル・ゴールデンベルクとシュムイレ」では、一つ一つのパッセージの切り口が鮮明で、極上とも言える対比の妙が引き出されていて、実に楽しい。 透明なタッチで神秘的に描かれる「死せる言葉による死者への呼びかけ」に続いて「バーバ・ヤガー」ではスピードと音量の迫力を堪能させて、凄まじい熱量を持ったまま「キエフの大きな門」に至る展開は、瞬時も聴き手の気持ちを逸らすことはない。そして終幕の旋律線の高らかな歌い上げも素晴らしい。実に堂々たる音楽。 シューマンでも音色の美しさ、とくにその色彩感が見事。代表的なところとして、「鬼ごっこ」ですばやく駆け上がる音階を聴いてほしい。個々の音の粒立ちの良さ、音量の豊かさ、ニュアンスの濃さが、余すことなく伝わってくる。 このピアニストの才能が如何なく発揮された絶好の一枚と思う。 |
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ムソルグスキー 展覧会の絵 プロコフィエフ 風刺(サルカズム) 束の間の幻影 p: オズボーン レビュー日:2014.8.25 |
★★★★★ オズボーンの多彩なジャンルへの高い順応性を証明する名盤
イギリスのピアニスト、スティーヴン・オズボーン(Steven Osborne 1971-)による2011年録音のアルバム。収録曲は以下の通り。 1) ムソルグスキー(Modest Mussorgsky 1839-1881) 組曲「展覧会の絵」 2) プロコフィエフ(Sergei Prokofiev 1891-1953) サルカズム(風刺) op.17 3) プロコフィエフ 束の間の幻影 op.22 オズボーンは現代イギリスを代表するピアニストであり、きわめて広範なジャンルを弾きこなすオールラウンド・プレイヤーでもある。 ちょっと記憶にあるものを並べてみても、1998年のトヴェイ(Donald Francis Tovey 1875-1940)とマッケンジー(Alexander Mackenzie 1847-1935)のピアノ協奏曲、1999年のカプースチン(Nikolai Kapustin 1937-)のピアノ作品集、2002年のアルカン(Charles-Valentin Alkan 1813-1888)のピアノ作品集、2006年のドビュッシー(Claude Debussy 1862-1918)の前奏曲集、2007年のブリテン(Benjamin Britten 1913-1976)のピアノ協奏曲、2008年のラフマニノフ(Sergei Rachmaninov 1873-1943)の前奏曲集、2010年のシューベルト(Franz Peter Schubert 1797-1828)の2台のピアノのための作品集(ポール・ルイスとの共演)・・と実に多彩で、しかもそれらがみな一定以上の水準の演奏といって良いものだから、私は、この人が、いかにも「なんでも来い」といったタイプのピアニストだと感じる。そういった点は、同じハイペリオン・レーベルが有する奇才アムラン(Marc-Andre Hamelin 1961-)に通じるものがある。 今回は、またしてもムソルグスキー、それにプロコフィエフといった新しいジャンルに触手を伸ばしたわけだが、これまた見事な解釈と演奏で、感心させられた。 まず「展覧会の絵」。この作品には、最近続々と注目すべき録音が表れていて、激戦区の様相なのですが、オズボーンのは、堂々たる落ち着いた威風さえ感じさせる正統的名演。 プロムナートの有名な主題が、「キエフの大きな門」に至るまで、周到な計算による盛り上がりを軸に、こまやかな描写を加えていくもの。例えば、「グノオム」における微細なアクセントの散りばめ方による驚異的なシンコペーションの演出、強奏で開始される「ブイドロ」の重々しさ、「チュイルリーの庭」の少し曇りのある繊細な響きと「死者と共に死者の言葉を持って」の末尾のトリル、その微弱音のこまかいこと!なんという卓越。これらの技巧を駆使しながら、音楽的な強い説得力を伴った終結部へと、聴き手は導かれていく。 プロコフィエフの2曲も見事。これら2つの曲集も、技巧的には至難なものとして知られるが、オズボーンの清々しいほどのピアニズムには驚かされる。特にサルカズムの第3曲“Allegro precipitato(せき立てるアレグロ)”や、第5曲“Precipitosissimo(激しくせき立てるように)”、それに束の間の幻影の第14曲“Feroce”などは衝撃的だ。 オズボーンのスリリングで、しかし確かな見通しのある風格が感じられる、重厚なアルバムとなっている。 |
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ムソルグスキー 展覧会の絵 ラフマニノフ 前奏曲 第1番「鐘」 第3番 第4番 第6番 第7番 第8番 第16番 p: シェプキン レビュー日:2022.4.6 |
★★★★☆ ラテン系の色彩感が施されたムソルグスキーとラフマニノフ
ロシア系アメリカ人のピアニスト、セルゲイ・シェプキン(Sergey Schepkin 1962-)による、下記の作品を収録したアルバム。 ムソルグスキー(Modest Mussorgsky 1839-1881) 組曲「展覧会の絵」 1) プロムナード 2) 小人 3) プロムナード 4) 古城 5) プロムナード 6) テュイルリーの庭 7) ビドロ(牛車) 8) プロムナード 9) 卵の殻をつけた雛の踊り 10) サムエル・ゴールデンベルクとシュムイレ 11) プロムナード 12) リモージュの市場 13) カタコンベ 14) 死せる言葉による死者への呼びかけ 15) 鶏の足の上に建つ小屋(バーバ・ヤガー) 16) キエフの大門 ラフマニノフ(Sergey Rachmaninov 1873-1943) 前奏曲集 17) 幻想的小品集 op.3 から 第2曲 前奏曲 嬰ハ短調 「鐘」(第1番) 18) 10の前奏曲 op.23 から 第7番 ハ短調(第8番) 19) 13の前奏曲 op.32 から 第5番 ト長調(第16番) 20) 10の前奏曲 op.23 から 第3番 ニ短調(第4番) 21) 10の前奏曲 op.23 から 第5番 ト短調(第6番) 22) 10の前奏曲 op.23 から 第6番 変ホ長調(第7番) 23) 10の前奏曲 op.23 から 第2番 変ロ長調(第3番) カッコ内は、「24の前奏曲」として演奏される際の番号。 2005年の録音。 バッハ弾きとして知られるシェプキンには、珍しいレパートリーの録音。 演奏は、早目のテンポと明るい音色が特徴。 ムソルグスキーの展覧会の絵は、冒頭から快活な響きであり、闊歩を思わせるような響きで、陰りの無い音楽が流れる。それゆえに、この楽曲特有の、一種の土臭さや民俗的なものは、その成りを潜め、代わって、明朗で運動的な音色の交錯が楽曲を彩る。音はとてもスッキリと整理された感があり、濁りがない。 そのような特徴によって、展覧会の絵は、技術的な複雑さ、音響の多彩さが、とても明確に分かりやすく伝わってくる。それがこの演奏のメリットと言えるだろう。逆に言うと、私もそうなのだが、楽曲によっては暗さや重さを感じさせてほしいものがあり、シェプキンの演奏にそれがないわけではないのだが、さほど重視されていない感があり、他の名演と呼ばれる演奏と比べて、聴いた後の充足感に、やや物足りなさも感じてしまう。 とはいえ、表現的なアヤはなかなか面白い。積極的なアクセントが効いていて、例えば「サムエル・ゴールデンベルクとシュムイレ」など、それが明瞭であり、二つの旋律の対比感が良く出ている。音の鳴りは輝かしいので、キエフの大きな門など、立派で恰幅のある響きであり、衒いなくピアノのスペックを開放した気持ち良さがある。 ラフマニノフの前奏曲からは、特に有名な楽曲を中心に選曲されているが、こちらも明るくくっきりした響きと、心地よいテンポの維持がなされていて、一方で陰りや感傷的な要素は、控えた表現に思える。それゆえの純音楽的な整いは見事だし、旋律も程よいルバート施されていて、まとまりが良い。 全般に、ラテン系の響きで描かれたロシアのピアノ音楽、という印象を受けるアルバムだ。 |
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ムソルグスキー 展覧会の絵 プロコフィエフ 「ロメオとジュリエット」からの10の小品 トッカータ p: デミジェンコ レビュー日:2023.8.4 |
★★★★★ 重厚でスケールの大きい名演。デミジェンコの代表的録音の一つ。
イギリスを中心に活躍するロシアのピアニスト、ニコライ・デミジェンコ(Nikolai Demidenko 1955-)による1997年録音のアルバム。収録曲の詳細は下記の通り。 ムソルグスキー(Modest Mussorgsky 1839-1881) 組曲「展覧会の絵」 1) 第1プロムナート(Promenade) 2) 小人(Gnomus) 3) 第2プロムナート(Promenade) 4) 古城(The Old Castle) 5) 第3プロムナート(Promenade) 6) テュイルリーの庭 - 遊びの後の子供たちの口げんか(Tuileries: Children quarrelling after play) 7) ビドロ(Bydlo) 8) 第4プロムナート(Promenade) 9) 卵の殻をつけた雛の踊り(Ballet of the unhatched chicks) 10) サムエル・ゴールデンベルクとシュムイレ(Two Polish Jews, one rich, the other poor) 11) 第5プロムナート(Promenade) 12) リモージュの市場(Limoges, the market place) 13) カタコンベ - ローマ時代の墓(Catacombae: Sepulchrum Romanum) 14) 死せる言葉による死者への呼びかけ(Con mortuis in lingua mortua) 15) 鶏の足の上に建つ小屋 - バーバ・ヤガー(The hut on fowl's legs - Baba Yaga) 16) キエフの大門(The Great Gate of Kiev) プロコフィエフ(Sergei Prokofiev 1891-1953) 「ロメオとジュリエット」からの10の小品 op.75 17) 民衆の踊り(National dance) 18) 情景(Scena - The street wakens) 19) メヌエット(Minuet - The arrival of the guests) 20) 少女ジュリエット(Juliet as a young girl) 21) 仮面(Masks) 22) モンターギュー家とキャピュレット家(Montagues and Capulets) 23) 僧ローレンス(Friar Laurence) 24) マキューシオ(Mercutio) 25) 百合の花を手にした娘たちの踊り(Dance of the girls with the lilies) 26) ロメオとジュリエットの別れ(Romeo and Juliet before parting) 27) プロコフィエフ トッカータ ニ短調 op.11 デミジェンコの名録音の一つとして知られるもの。投稿日現在ではHeliosからの再発売版も存在する。 デミジェンコのアプローチは、古典的な力強さによる構築性と浪漫的なルバートによる表現性の両面で豊かさを感じさせるもので、全体としては、シックな均質性を感じさせる。特に、「展覧会の絵」は、全体の流れの良さが特徴だ。ムソルグスキーの楽曲の場合、細かい速度指示がないため、解釈の大部分を演奏家に委ねているともとらえられるが、デミジェンコは古典的なベースをしっかりと維持する方法を選択し、組曲としての統一感を尊重した演奏になっていると言える。弱音の追求や、静謐なところでの速度ダウンは、このピアニストのいつもの作法と言えるが、この楽曲では、とても自然に聴こえるし、風通しが良い。しっかりとなる和音は、音の伽藍を感じさせ、壮麗なスケール感を導いている。 プロコフィエフの「ロメオとジュリエット」は、抑制的な美観で全体を引き締めながらも、流暢な歌が流れ、力強い和音の連打は、速力を維持し、圧巻のパワーに満ちている。「百合の花を手にした娘たちの踊り」は、その輝かしい運動美が、特に端的に出た部分であり、デミジェンコの演奏のすばらしさに感じ入るところである。 また、「情景」における技巧の高さを背景とした場面転換のコントラストなども、これらの楽曲のバレエ音楽としての性格を、いかんなく表現しており、見事。 末尾に置かれたトッカータは力強い推進性に満ちている。鋭い打鍵で刻まれるハンマーを思わせる低音は、聴き手にこの曲の持つグロテスクなスリリングさを存分に味わわせてくれるだろう。なお、ホロヴィッツ(Vladimir Horowitz 1903-1989)と同様に、終結近くで一部カットがある。 |
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ムソルグスキー(フドレイ編ピアノ版) ボリス・ゴドゥノフ組曲 禿山の一夜 チャイコフスキー(ノアック編ピアノ版) 幻想序曲 ロメオとジュリエット p: クレショフ レビュー日:2018.7.2 |
★★★★★ 現代のヴィルトゥオーゾ、クレショフの圧巻のパフォーマンスを堪能できます。
1993年の第9回ヴァン・クライバーン国際コンクールで2位となったロシアのピアニスト、ヴァレリー・クレショフ(Valery Kuleshov 1962-)は、その後、19世紀後半のヴィルトゥオーゾを彷彿とさせるように、「編曲もの」を多く手掛ける活躍をしている。当盤もそんなクレショフにふさわしい1枚。収録内容は以下の通り。 ムソルグスキー(Modest Mussorgsky 1839-1881)/フドレイ(Igor Khudolei 1940-2001)編 「ボリス・ゴドゥノフ」組曲 1) 民衆とツァーリ(People and the Tsar) 2) ロシアの悲しみ(Grief over Russia) 3) 昔カザンの町でイワン雷帝は(ワルラアームの歌)(Varlaam's Song "So it was in the town of Kazan") 4) ツァーリ・ボリス(Tsar Boris) 5) クロミの場面(Scene at Kromy) 6) 王位詐称者(愚かなドミトリ)(Pretender ;False Dmitry) 7) 聖愚者(Holy Fool) 8) 鐘の音(Chimes) 9) ムソルグスキー/フドレイ編 禿山の一夜 10) チャイコフスキー(Pyotr Tchaikovsky 1840-1893)/ノアック(Florian Noack 1990-)編 幻想序曲「ロメオとジュリエット」 録音は、「ボリス・ゴドゥノフ」組曲が2010年、「禿山の一夜」が2009年、「ロメオとジュリエット」が2013年。 なんといっても、圧巻は「ボリス・ゴドゥノフ」。私が最近聴いた編曲ものでは、カツァリス(Cyprien Katsaris 1951-)が自らテオドラキス(Mikis Theodorakis 1925-)の映画音楽を編曲した作品も凄まじかったが、当盤も凄演と言ってなんら差し支えない演奏だ。 冒頭に3連打される悲劇的な和音の重さから始まり、暗いロマンティシズムに満ちた旋律を次々と濃厚に歌いあげられていく。クレショフの演奏は、その打鍵の鋭さ、正確な弾きこなしとともに、編曲譜の一音一音の意味を吟味し、十分な感情をともなった響きによって、聴き手にきわめて充実した時間をもたらしてくれるもの。全体的な流れとして不穏な社会の様子の描写から始まり、「ワルラアームの歌」のロシア的な情感を経て、「クロミの場面」から一層緊迫感を増していく。オクターヴ連打のスタッカートの強靭なこと!そして即位式で打ち鳴らされる「鐘の音」が痛烈に響き渡る中で、豪壮な音の絵巻は閉じられる、という構成だ。 フドレイの編曲も素晴らしいが、クレショフは、技巧的なその編曲を、鋭敏なタッチと豊かな音色で描き出しており、原題の野太いストーリーとその舞台に相応しい雄渾な印象をもたらす演奏を繰り広げている。ことに鐘楼の鐘が響き渡る終結部は、「展覧会の絵」の「キエフの大きな門」、あるいはラフマニノフの練習曲集「音の絵」op.39-7といった名品たちを彷彿とさせる。 「禿山の一夜」は、リムスキー=コルサコフ(Nikolai Rimsky-Korsakov 1844-1908)版に基づくピアノ編曲。クルショフは滞りのない流れの中で、狂乱の夜を描き切っているが、終結部に向かう天国的な夜明けのシーンの美しさも出色だ。 さらにチャイコフスキーの幻想序曲「ロメオとジュリエット」では、こちらも激しい展開部の迫力とともに、前奏部分の耽美的な部分に込められた多彩かつ装飾的なニュアンスをこまやかにくみ取ったピアニズムがこころにくい。そのような両面に対し十全なアプローチの出来るピアニストなのだ。 全般にクレショフというピアニストの実力が見事に発揮された内容。もちろん、原曲をしらなくても、存分に楽しめる。 なお、幻想序曲「ロメオとジュリエット」については、ナウモフ(Emile Naoumoff 1962-)が自ら編曲して演奏した録音も入手可能。こちらもなかなか見事なので、当盤を気に入った方は、そちらも併せてオススメしたい。 |
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歌曲全集 他 Br: レイフェルクス p: スキーギン ヴォフカ・アシュケナージ レビュー日:2021.4.19 |
★★★★★ CD4枚にムソルグスキーの歌曲66曲、ピアノ独奏曲8曲を収録。
現在世界を代表する名バリトン、セルゲイ・レイフェルクス(Sergei Leiferkus 1946-)によるムソルグスキー(Modest Mussorgsky 1839-1881)の歌曲集。CD4枚に下記の楽曲を収録している。 【CD1】 歌曲集「死の歌と踊り」 (Songs and Dances of Death) 1) 第1曲 子守歌(Lullaby) 2) 第2曲 セレナード(Serenade) 3) 第3曲 トレパーク(Trepak) 4) 第4曲 司令官(The Field Marchal) 歌曲集「子供部屋」(The Nursery) 5) 第1曲 ばあやと一緒(With Nanny) 6) 第2曲 部屋の隅(In the Corner) 7) 第3曲 かぶと虫(The Beetle) 8) 第4曲 お人形と一緒に(With the Doll) 9) 第5曲 夕べの祈り(At Bedtime) 10) 第7曲 木馬に乗って(The Hobby Horse) 11) 第6曲 いたずら猫(The Cat “Sailor”) 12) ラヨーク(The Gallery) 13) 忘れられた者(Forgotten) 14) 神学生(The Seminarist) 15) かわいいサーヴィシナ(Darling Savishna) 16) 牡羊座 - 世俗のお話(The He ? Goat) 17) 蚤の歌(Mephistopheles’ Song of the Flea) 【CD2】 1) 墓碑銘(Cruel Death) 2) スフィンクス(The Misunderstood One) 3) 不幸(Misfortune) 4) 不幸は落雷のようにではなく襲った(The Spirit of Heaven) 5) 傲慢(Pride) 6) ああ麻紡ぎが男の仕事か?(Hey, Is Spinning Young Man’s Work?) 7) 幻(Night Vision) 8) 悲しみは広がり(She Drifts Away) 9) ドニエプル川で(On the Dnieper) 10) エリョームシュカの子守歌(Yeryomushka’s Cradle Song) 11) 集い(The Feast) 12) 古典主義者(The Classicist) 13) 私の涙からたくさんの花が咲き(From My Tears) 歌曲集「太陽なく」(Sunless) 14) 第1曲 壁に囲まれて(Within Four Walls) 15) 第2曲 群衆の中であなたは私に気付かなかった(You Did Not Know Me in the Crowd) 16) 第3曲 騒がしい日も終わり(The Useless, Noisy Day Has Ended) 17) 第4曲 倦怠(Boredom) 18) 第5曲 エレジー(Elegy) 19) 第6曲 川の上で(On the River) 【CD3】 1) 星よ、お前はどこに(Where Are You, Little Star?) 2) 楽しい時(The Hour of Jollity) 3) 悲しげに木の葉はざわめく(The Leaves Rustled Sadly) 4) 私にはたくさんの宮殿と庭がある(I Have Many Palaces and Gardens) 5) 祈り(Prayer) 6) 何故か話して(Tell Me Why) 7) あなたがたにとって愛の言葉が何でしょう?(What Are Words of Love to You?) 8) 風は激しく吹く(The Wild Winds Blow) 9) しかし、もしお前にまた会えるなら(But if I Could Meet You Again) 10) ああ、なぜお前の目は冷たいのか?(The Little One) 11) 老人の歌(Song of the Old Man) 12) サウル王(King Saul) 13) 夜(Night) 14) カリストラートゥシュカ(Calistratus) 15) 見捨てられた女 - レチタティーヴォの試み(The Outcast) 16) 子守歌(Lullaby) 17) サランボー(Balearic Song) 【CD4】 1) 星よお前はどこに?(Where Are You, Little Star?) 2) 夜(Night) 3) ゴパーク(Hopak) 4) 草の茂る山(The Nettle Mountain) 5) ああこの飲んだくれめ!(You drunken sot!) 6) みなし子(The Orphan) 7) おしゃべりかささぎ(The Maqpie) 8) 子供の歌(Child’s Song) 9) いたずらっ子(The Ragamuffin) 10) 夕べの歌(Evening Song) 11) きのこ狩り(Gathering Mushrooms) 12) さすらい人(The Wanderer) 13) ドン川のほとりの花園(A Garden Blooms by the Don) 14) ヘブライの歌(Hebrew Song) 15) 私の心の憧れ(Meines Herzens Sehnsucht) 16) 願い(Ich wollt’) 〔以下ピアノ独奏曲〕 17) 瞑想曲 - アルバムの綴り(Meditation ? Album Leaf) 18) クリミア南岸にて(On the Southern Shore of the Crimea) 19) クリミアの南岸の近くにて(Near the Southern Shore of the Crimea) 20) 村にて(In the Village) 21) 古典様式による交響的間奏曲(Intermezzo symphonique in modo classico) 22) 涙(Une larme) 23) ゴパーク(Hopak of the Young Ukrainians) 24) 情熱的な即興曲(Impromptu passione) ピアノ伴奏は、セミョン・スキーヒン(Semion Skigin)。1993-96年の録音。また、【CD4】の17-24)はピアノ独奏曲で、これらのピアノ独奏はヴォフカ・アシュケナージ(Vovka Ashkenaz 1961-)。1993年の録音。 「展覧会の絵」ばかりが異様に有名なムソルグスキーであるが、彼が生涯で60編あまり手掛けた歌曲は、重要な作品群であり、ロシア国民楽派を代表し、印象派の作曲家たちにも多大な影響を与えたものとして聴きのがせないものだと思う。貧困や病苦を背景とした暗い詩が多いが、ムソルグスキーの描いた重々しさは、時に壮麗荘厳であり、音楽芸術として気高いクオリティを示す。そして、それらの歌曲をまとめて聴くことが出来るものとして、当盤は、最初に指折りたくなるアイテムだ。CD4枚を費やして、66曲の歌曲を、レイフェルクスの歌唱で聴くことができる。レイフェルクスの歌唱は、概して、太く重心が座った美声である。声量の豊かさを背景としたレガートの線の確かさは、ロシアの広大な大地を彷彿とさせる。一方で、歌曲集「子供部屋」では、特徴的なファルセット唱法により、子供の声を示唆した歌唱を繰り広げ、その多芸ぶりにも驚かされる。(ただ、この「子供部屋」は、少々やり過ぎの感もなくはないが)。代表的な作品としては、「死の歌と踊り」「蚤の歌」が挙げられるが、説得力に富んだ輝かしく力強い歌唱だ。「蚤の歌」では、そこにある種の軽妙さも含まれるが、歌曲の性格を積極的に打ち出す歌唱は印象的だ。個人的には「ラヨーク」「風は激しく吹く」「夜(CD4)」なども、楽曲の性格と、レイフェルクスの歌唱ががっちりかみ合った無二の名演といえる。ピアノ伴奏のセミョン・スキーヒンを私はこの録音で、たぶん初めて聴いたのだと思うが、手堅く、適度な主張のあるよい伴奏だ。ムソルグスキーの歌曲群を、このレベルで一通り録音してくれたのはありがたい。 また、当盤では、余白にヴォフカ・アシュケナージの奏でるピアノ独奏曲が8曲収録されている。暖かな音色で、チャイコフスキーふうであったり、印象派を思わせるところがあったりで、歌曲よりいくぶん雰囲気のやわらいだ音世界が形成されており、アルバムの末尾を締めるのに、良いサービスだ。 |
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ムソルグスキー(ショスタコーヴィチ編) 死の歌と踊り ラフマニノフ 交響的舞曲 テミルカーノフ指揮 サンクトペテルブルク・フィルハーモニー管弦楽団 Br: ホロストフスキー レビュー日:2006.9.3 再レビュー日:2016.5.11 |
★★★★★ ロシアの大地を思わせる雄渾の響き
ロシア五人組の中心的人物であり国民学派の象徴的存在でもあるムソルグスキーの作品は、「展覧会の絵」が圧倒的に有名なため、他の作品がなかなかクローズアップされないという状況がある。もちろんほかにも重要な作品がたくさんあって、中でもここで収録されている「死の歌と踊り」は晩年の傑作である。た「展覧会の絵」がユーモラスなしぐさや、典雅な要素を大いに持っていたのに比し、「死の歌と踊り」はたくましいロシアの大地から響いてくる勇壮な音楽である。そしてオーケストラ歌曲として編曲したショスターコヴィチの見事な手腕も堪能できる。 ここではディミトリー・ホロストフスキーのバリトン、テミルカーノフ指揮のサンクトペテルブルクフィルによる2004年のロンドンでのライヴ録音を収録している。雄渾な音色の歌声と、オーケストラがこの上なく暗く美しい郷愁めいた色合いを出しており、当曲の録音中でもベストを争う一枚であることは間違いない。声は必要以上に感情的でないのが好ましく、淡々としかし美しく歌っている。そしてメロディーそのものが本当に美しいことを実感する。なんたって作曲者はあの「展覧会の絵」のムソルグスキーなのだから。なんとふくよかで雄弁な旋律だろう、と感慨を新たにしてしまうわけである。この傑作に加えられた名演の登場を祝いたい。 併録してあるのは純管弦楽曲であるラフマニノフの「交響的舞曲」である。実質的にラフマニノフの第4交響曲とも言える大曲であり、晩年の傑作のひとつだ。グレゴリオ聖歌の引用の巧みさも際立つ。こちらもシンフォニックな奥行きを感じる名演で、渾身の迫力に満ちている。これらすべてがライヴ録音だというのだから、きわめて技術の高いオーケストラであることを再認識した。両曲とも演後に盛大な拍手が収録されているのも納得である。 |
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★★★★★ 完成度の高いライヴ。ロシアの名曲2編を収録。
ユーリ・テミルカーノフ(Yuri Temirkanov 1938-)指揮、サンクトペテルブルク・フィルハーモニー交響楽団の演奏による2014年8月24日、ロンドン、ロイヤル・アルバート・ホールでのコンサートの模様を収録したアルバム。収録曲は以下の2作品。 1) ムソルグスキー(Modest Mussorgsky 1839-1881)/ショスタコーヴィチ(Dmitri Shostakovich 1906-1975)編 歌曲集「死の歌と踊り」(子守唄、セレナード、トレパーク、司令官) 2) ラフマニノフ(Sergey Rachmaninov 1873-1943) 交響的舞曲 op.45 1)ではロシアを代表するバリトン歌手、ディミトリー・ホロストフスキー(Dmitri Hvorostovsky 1962-)がソリストを務める。 見事な成功を収めたコンサートの記録といって良い。ムソルグスキーの歌曲は、ショスタコーヴィチの優れた編曲によって、管弦楽作品のレパートリーとなったが、その原曲は同時代の作曲家たちにおおきな影響を与え、ドビュッシー(Claude Debussy 1862-1918)も熱心に研究したとされる。ムソルグスキーの音楽は、その歌詞の暗さに、静謐や緊張、そして力強さを与えつつ、ロシア語のイントネーションを踏まえた旋律によりながら、土俗性と洗練の双方を感じさせる作風が、いかにも新鮮であり、芸術的な価値の高さを感じさせる。この言語のイントネーションを旋律に編み込むスタイルは、ヤナーチェク(Leos Janacek 1854-1928)も取り組んだものでもあり、ムソルグスキー以後の国民楽派における言語の扱いに関する共通点として注目できる。 ホロストフスキーの歌唱は実に見事なもので、丸みを帯びた豊穣な歌唱で、禁欲的な美観をたたえながらも、力強く、音楽の持つ芸術性を過不足なく表現したものである。また死をイメージする歌詞における暗示的なポルタメントの使用も絶品で、聴き手に不安を呼び覚ます効果を上げている。第2曲における粗さを交えた発声や、第4曲の凱歌を思わせる威圧感など、圧巻と呼びたい表現力だ。 ラフマニノフ晩年の傑作、交響的舞曲については、洗練された表現で磨かれた演奏。第1楽章のアルトサキソフォーンによる主題や、これを弦楽合奏が引き継いで甘美に歌い上げるところなど、思いのほかスマートな表現に徹している。部分的に音色がメタリックな感触を帯び、この点で好みが分かれるところかもしれないが、特に第3楽章の奥行きを感じさせる音響の重なりが巧妙。自らの初期の交響曲や、グレゴリオ聖歌からの引用を、快活な力感を交えて楽想に織り込んでいくさまは、鮮やかで聴き味が鋭い。 ホロストフスキーの美声とともに、テミルカーノフの見事な統率ぶりを味わえる1枚となっている。 |
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ムソルグスキー(ショスタコーヴィチ編) 死の歌と踊り チャイコフスキー 交響曲 第5番 アバド指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 Br: コチェルガ レビュー日:2015.7.21 |
★★★★★ ロシア国民楽派を象徴する傑作「死の歌と踊り」の代表的録音の一つ
アバド(Claudio Abbado 1933-2014)指揮、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団による以下の2曲を収録した1994年録音のアルバム。 1) ムソルグスキー(Modest Mussorgsky 1839-1881)/ショスタコーヴィチ(Dmitrii Shostakovich 1906-1975)編 歌曲集「死の歌と踊り」(子守唄、セレナード、トレパーク、司令官) 2) チャイコフスキー(Pyotr Ilyich Tchaikovsky 1840-1893) 交響曲 第5番 ホ短調 op.64 1) はウクライナのバリトン、アナトリー・コチェルガ(Anatoli Kotcherga 1947-)が独唱を務める。 2曲の名曲の組み合わせであるが、私が深い感銘を受けたのは1)の方。やはりこの曲は凄い曲だが、当演奏も見事なもの。 ロシア国民楽派を代表する作曲家、ムソルグスキーは、グリンカ(Mikhail Glinka 1804-1857)やダルゴムイシスキー(Aleksandr Dargomyzhsky 1813-1869)により研究された様々な音階の使用様式をさらに発展させ、印象主義・表現主義的書法を大胆に推し進めるとともに、ロシア的なものへの音楽的探究から、ロシア語の抑揚に沿ったメロディの発見とリズムの融合を目指した。彼の音楽に漂う濃厚な気配や風土感は、そのような用法に由来する。また、ロシアへの愛着を意識しながらも、ロシア帝国の侵攻に抵抗していたグルジア人の英雄的指導者シャミルをうたったカンタータ「シャミルの行進」を手掛けたり、資産家に生まれながら1861年農奴解放令を支持した等のエピソードは、彼がインターナショナルな感覚の持ち主であったことを示すもので、その感性は、彼の作品にも大きな影響を及ぼしている。やはり音楽史における革命家であったドビュッシー(Claude Achille Debussy 1862-1918)が、ムソルグスキーの歌曲やピアノ曲を夢中になって研究したのもむべなるかなである。 そんなムソルグスキーの傑作がこの「死の歌と踊り」でる。ただ、残念ながら私もロシア語の抑揚の話となると、どの程度の反映があるのか、実感としてはわからない。言語の抑揚を音楽に組み込んだヤナーチェク(Leos Jannacek 1854-1928)のオペラと同じように、その雰囲気を肌でなんとなく感じるだけである。 しかし、そうであってもこの楽曲は十分に感動的だ。音楽の濃厚な気配、旋律の力強さ、土の匂いが立つような雰囲気、それらがあいまって、表現主義音楽の持つ力を肌で感じ取ることになる。コチェルガの独唱は、よく洗練された均整の整った歌唱という印象を受ける。しかし、同時に十分な出力を伴っていて、この音楽がもつ大地のパワーのようなものを的確に伝えてくれる。アバドの指揮も鋭敏なリズム感で、とてもテキパキとしている。この曲には2004年録音のディミトリー・ホロストフスキー(Dmitri Hvorostovsky 1962-)の独唱、ユーリー・テミルカーノフ(Yuri Temirkanov 1938-)指揮による圧倒的と言って良い名盤があるのだけれど、当盤はそれとちがった現代的な感性を感じさせる線的な鋭さのある演奏だ。 併録のチャイコフスキーも秀演。アバドのチャイコフスキーらしい、とても垢抜けした表現で、健やかで明朗。特に終楽章が華やかかつスポーティーで楽しい。 |
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歌劇「ボリス・ゴドゥノフ」 アバド指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 ブラティスラヴァ・フィルハーモニー合唱団 ベルリン放送合唱団 テルツ少年合唱団 Bs: コチェルガ レイミー レイフェルクス ニコルスキー S: ヴァレンテ Ms: ゴロチョフスカ リポヴシェク ザレンバ T: ラングリッジ ラリン ヴィルトハーパー フェディン Br: シャギドゥリン レビュー日:2015.8.4 |
★★★★★ 「ボリス・ゴドゥノフ」が世界最高のオペラ作品の一つであることを証明した録音
クラウディオ・アバド(Claudio Abbado 1933-2014)指揮、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団、ブラティスラヴァ・フィルハーモニー合唱団、ベルリン放送合唱団、テルツ少年合唱団の演奏による、ムソルグスキー(Modest Mussorgsky 1839-1881)の歌劇「ボリス・ゴドゥノフ」。原典版による全曲録音。1993年の録音。 主な配役は以下の通り。 ボリス・ゴドゥノフ: アナトリー・コチェルガ(Anatoly Kotscherga 1946- バス) フョードル: リリアーナ・ニチテアヌー(Liliana Nichiteanu 1962- メゾソプラノ) クセーニャ: ヴァレンティーナ・ヴァレンテ(Valentina Valente ソプラノ) 乳母: エウゲニア・ゴロチョフスカ(Eugenia Gorochovskaya メゾソプラノ) シューイスキー公: フィリップ・ラングリッジ(Philip Langridge1939-2010 テノール) シチェルカーロフ: アルベルト・シャギドゥリン(Albert Shagidullin バリトン) ビーメン: サミュエル・レイミー(Samuel Ramey 1942- バス) グリゴーリイ: セルゲイ・ラリン(Sergej Larin1956- テノール) マリーナ: マルヤーナ・リポヴシェク(Marjana Lipovsek 1946- メゾソプラノ) ランゴーニ: セルゲイ・レイフェルクス(Sergei Leiferkus1946- バス) ワルラアーム: グレブ・ニコルスキー(Gleb Nikolsky バス) ミサイール: ヘルムート・ヴィルトハーパー(Helmut Wildhaber 1944- テノール) 旅籠屋のおかみ: エレーナ・ザレンバ(Elena Zaremba 1962- メゾソプラノ) 聖愚者: アレクサンドル・フェディン(Alexander Fedin テノール) 「ボリス・ゴドゥノフ」はムソルグスキーが生涯に完成させた唯一のオペラ。ただ完成当初から、上演にあたって様々な注文を受けたため、何度か改訂された上、オーケストレーションについてもリムスキー・コルサコフ(Nikolai Rimsky-Korsakov 1844-1908)版、ショスタコーヴィチ(Dmitrii Shostakovich 1906-1975)版などが存在する。 ムソルグスキーの作品を積極的に取り上げたアバドは、ムソルグスキーの完成稿に準拠した上で、第4幕については初稿分について加え、一種の完全版という形で録音作品を作り上げた。3枚組の当CDの内容は以下のようなもの。 【CD1】 プロローグ 第1場 1) 序奏 2) どうした、お前たち? (警吏、民衆、ミチューハ) 3,4) だれの手にわれわれをおまかせなさるのか?(民衆) 5) 正教徒たちよ!ボリスさまはきびしい(シチェルカーロフ) 6,7) 栄えあれ、地上の最高の創造主に!(巡礼の合唱) プロローグ 第2場 8) 序奏 9) ボリス・フェオドロヴィチ皇帝ばんざい!(シューイスキー公) 10) わが魂は悲しむ!(ボリス) 11) 栄光あれ!栄光あれ!栄光あれ!(民衆) 第1幕第1場 12) 序奏 13) あと一つ物語を書き終えて(ピーメン) 14) 強く、正しい神よ(僧たち) 15) 嘆くな、けがれた世間を早く捨てたことを(ピーメン) 16-19) 神父さま、あなたは一時も眠らずに (グリゴーリイ、ピーメン) 第1幕第2場 20) 序奏 21-22) 灰色の雄ガモをつかまえた(おかみ) 23) 何を考えこんでるんだよ?( ワルラアーム) 24) 昔カザンの町でイワン雷帝は(ワルラアームの歌) 25-28) どうして一緒に歌わんのだ、どうして一緒に飲まんのだ? (ワルラーム、グリゴーリイ、おかみ) 【CD2】 第2幕 1) あなたはどこに、私の婚約者よ?(クセーニャ) 2) わたしの愛しいフィアンセ (クセーニャ、フョードル) 3) 蚊がまきを割り(乳母) 4) あれやこれやのお話さ(フョードル) 5) どうした?野獣がめんどりを驚かしたか?(ボリス) 6,7) 私は最高の権力を手にした(ボリス) 8) 我々の小さいオウムは、乳母居るぞ(ボリス、シューイスキー公) 9,10) それは君だ、栄光ある話し手 (ボリス、シューイスキー公) 11) うーん!苦しい!息をつかせてくれ…(ボリス;時計の場) 第3幕第1場 12) 青く澄んだヴィスラの川辺(侍女たちの合唱) 13) もうたくさんよ!美しい姫はお礼をいうわ(マリーナ) 14) マリーナは退屈なの。ああ、何て退屈なんだろう!(マリーナ) 15) まあ、あなたでしたの、神父さま(マリーナ、ランゴーニ) 16,17) あなたの美貌で僭称者(グリゴーリイ)をとりこにし(ランゴーニ、マリーナ) 第3幕第2場 18) この夜ふけ、庭の噴水の傍で-おお、妙なるあの声よ!(グリゴーリイ) 19) 皇子さま!(ランゴーニ) 20,21) 敬虔なる罪深き者よ、親愛なる人のために祈りなさい(ランゴーニ) 22,23) あなたの情熱を信じませんわ、領主さま(マリーナ;ポロネーズ) 24) なんて悩ましく物憂く(マリーナ) 25,26) おお皇子様、お願い(マリーナ、ドミトリ、ランゴーニ) 【CD3】 第4幕(初稿) 1) 序奏 2) どうだい、ミサは終わったかい??(民衆、ミチューハ) 3,4) トルルル、ルルル!(子供たち) 第4幕第1場(決定稿) 5) 序奏 6) 高貴なるみなさま! 7) さて、票決にはいりましょうか、みなさん(貴族たち) 8) シュイスキー公がおられないのが残念 (貴族たち、シューイスキー公) 9) 寄るな、寄るな!!(ボリス、シューイスキー公、貴族) 10) 入口のところに居るぞ(シューイスキー公、ボリス) 11) 世事に疎く、知恵も足りぬ一介の修道士の身ですが (ピーメン、ボリス) 12,13) ある日、夕暮れどきに(ピーメン) 14) さらば、わが子よ、私はもう死ぬ!(ボリス) 15) 鐘が鳴る!…葬いの鐘が鳴る!(ボリス) 第4幕第2場 16) 序奏 17,18) ここへ連れてこい!切り株にすわらせろ!(放浪者たち) 19) 太陽も月も光を消して(ミサイール、ワルラアーム) 20) それいけ!怒り猛り、あばれまわった(群衆) 21) 主よ、主よ、救いたまえ、皇帝を(ラヴィツキー、チェルニコフスキー) 22,23) 栄えあれ、皇子さまに(ミサイール、ワルラアーム) 24) 流れでよ、流れでよ、にがき涙よ!(白痴) ストーリーはプーシキン(Aleksandr Pushkin 1799-1837)が実在したロシアのツァーリ、ボリス・ゴドゥノフ(Boris Godunov 1552-1605)を題材とした戯曲によっている。そのあらすじは以下のようなもの。 モスクワで民衆が集まっている。警察の後ろ盾により彼らはボリスに帝位に就くよう訴え続けている。しかしボリスはこれに応じない。ついに乗り出したシューイスキー公の説得により、ボリスは帝位に就くことを了承した。民衆の歓声にこたえ、息子フョードル、娘クセーニャを伴って姿を現すボリス。だが、その心は暗い。一方、老僧ピーメンは一人ロシアの歴史をつづっている。ボリスが皇位継承者であるドミトリを暗殺した記述をする。側にいたグリゴーリイは、自分とドミトリが同い年であることを知り、以後ドミトリを名乗りあちこち出没を始める。良心の呵責に耐えながらも帝位にあったボリスは、反乱軍の首領がドミトリを名乗っていることを知り青ざめる。グリゴーリィはポーランドの貴族の娘マリーナと相愛となり、ボリス打倒を誓う。ドミトリがリトアニア、ポーランドの支援を受けたことで、モスクワのボリスは気が気でない。そんなおり事件が起きる。モスクワの町中で白痴がボリスに「子供たちにお金を盗られた。殺してくれ。幼い皇子のように」と叫ぶ。シュイスキー公が彼を捕まえようとするが、ボリスはそれを押しとどめて「私の為に祈ってくれ」と言う。ボリスが去った後、白痴は一人「ヘロデ王の為には祈れない。闇がはじまる。ロシアの民よ泣くが良い」と歌う。貴族たちが反乱軍の鎮圧を相談しているところに、正気を失ったボリスが入ってくる。落ち着いたボリスは、自分に死期が迫っていることを悟る。皇子フョードルを呼び、国を頼むと言い遺して絶命する。時を同じくして農民たちの暴動が起きる。ドミトリを偽るグリゴーリィの軍隊が現れ、「我こそ全ロシアの皇帝である」と叫び、人々の歓呼の中、モスクワへ進軍して行く。軍隊が去ったあと、白痴が一人「ロシアに闇が訪れる」と嘆く。 全般に悲劇的な内容であるが、ムソルグスキーの力強い音楽、ドラマチックな旋律の扱いが加わって、ロシア音楽史を代表する傑作歌劇として仕上がった。原典版は、リムスキー・コルサコフ版のような明快さ、西欧的な洗練とは一味も二味も違った、この作曲家特有の土臭さをもったもので、アバドはその点を踏まえて、実に雄渾なアプローチを繰り広げている。アバドは生涯にわたってムソルグスキーの作品を積極的に取り上げてきた。そんなアバドの確信に満ちたエネルギッシュなタクトは、重量級のパフォーマンスを全編に渡って引き出している。その興奮の度合いは高い。また、適切な引き締めのバランスによる音楽の単純化も適切に準備されている。 歌手陣では、主人公の苦悩をよく表現したコチェルガがやはり巧さを感じさせる歌唱。ラリンの歌唱も、いわゆるニセモノ的な演技が表出したものだと思う。しかし、その他のアリア、重唱、合唱など、いずれもこの作品ならではの太さや、甘美さ、あるいは豪華さを高いレベルで表現したもの。オーケストラ、声楽陣ともにムソルグスキーの傑作の素晴らしさを高らかに示した録音に他ならない。 現在ではゲルギエフ(Valery Gergiev 1953-)指揮の素晴らしい録音もあるが、当盤もいまなお同曲の全体像を不足なく伝える名盤であることは、間違いない。 |