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映像メディア・その他


イノセンスの情景 Animated Clips [DVD]

レビュー日:2005.1.1
★★★★★ 強暴なまでに進化を遂げた映像
 「強暴なまでに進化を遂げた」とのキャッチコピーを耳にしたが、「イノセンス」の映像は確かに強暴な美しさだ。押井守の作品はウォシャウスキー兄弟やジェームス・キャメロンといった世界の一線級アーティストに多大な影響を及ぼし、今尚その状況は継続しているが、彼らの作品と比べても、押井作品は物語の含む神秘性、高度な思索性といった点で一層深度を獲得している(それゆえに、作品の側が、見る側を選ぶ要素が生まれる)。
 その物語性の裏付けを獲得するためにひたすら追及していった一画面、一画面がもつ極限情報量の可能性がここで一つの結実となっている。音楽と背景映像(そしてフラッシュバックのように挿入される文字)によって構成される本作品は、押井守作品の中では六本木ヒルズオープニングのために制作された「TOKYOSCANNER」(音楽:蓜島邦明)と雰囲気が似通う。どちらも観ているうちに不思議な、夢とも幻とも思える浮遊感につつまれる作品だ。
 また、映画のプロモーションビデオ的作品としては「ケルベロス」でもナレーションを含む30分の別作品が作られており、これも同傾向といえるが、やはり作品自体の影響力を考えると、本作品は一層存在感がある。
 映像は映画本編の美術を、楽曲は既発のサントラから伊藤君子が歌う2曲を含む7曲が用いられており、「聴きどころ」といえる曲が選ばれているので、サントラを買うより、こちらで映像も楽しもう、という筋があってもいいだろう。またストーリー性などは特に持っていない(高度に抽象化されている)ので、映画を見る前に見てはだめ、というわけではないが、映画初見の衝撃を一気に強めたい人は、やはり映画本編を先に観た方がいいだろう。
 それにしても、ここまで進化してしまったアニメーション技術は、逆にいよいよ収拾のつかない状況にあるのかもしれない。もはやアニメーションという定義が旧来の辞書的な意味では追いつかなくなっている。この映像詩を観てその感慨も新たにした。

めざめの方舟 OPEN YOUR MIND COMPLETE EDITION [DVD]

レビュー日:2005.1.1
★★★★★ 押井守ファンにとってはぜひとも押さえておきたい作品
 星5つ、とさせていただいたが、やはりこれは「押井守氏の活動に心酔しているファンにとって」という接頭語が必要かもしれない。映像は具現的であるが、その意図するところは大きく抽象性によっている。
 DVDは2枚組。本編は34分からなっており、もう一枚は特典盤でメイキング映像82分に加えて資料特典映像26分が収録されている。この本編は愛知万博のパビリオン映像であるが、本来は360度のモニターにより全方位映像として「体験」することを目的に作られたもの。DVDはこれに再編集を施したほか、新たに加えられた部分を含んでいる。
 本編では「環境を体験する」ためのイメージが以下の3つに分かれて表現されている。「鰉(しょうほう)-水の記憶」「百禽(ひゃっきん)-時を渡る」「狗奴(くぬ)-未生の記憶」
 映像はCGを駆使しながら押井らしい細部のリアリティの練り上げられた美しいもので、ワンカットワンカットの力強さはさすがと言わざるをえない。また川井憲次による音楽はいつもながら好サポートだ。今回のサウンドトラックは「イノセンス」のものときわめてイメージが近く、これは映像にも共通する。例えば、作品中で最も劇的でスピーディーな展開を楽しめる第2部の、霧に立つ卒塔婆の群のような摩天楼は、「イノセンス」中のベルタルベの情景を彷彿とさせる。とりあえず、押井守ファンにとってはぜひとも押さえておきたい作品といえよう。

真・女立喰師列伝 スタンダード・エディション [DVD]

レビュー日:2008.7.1
★★★★★ エンターテーメント型の立喰師 表現型
 本作は、前年に公開された押井守監督による「立喰師列伝」~スーパーライヴメーションと呼ばれるアニメーションと実写の融合映像作品~のいわば“サブストーリー集”的なものと考えられる。大きな相違点としては、前作が押井の内面から抽出された世界であったのに対し、本作は多くの監督との合作の形を取った「外向け」の作品となっていることが一点。本作が文字通りの実写フィルムであることがもう一点だろう。もちろん、本作の方が一般的には観やすい映画となっている。
 もともと押井は「立喰い」というキーワードに多くの隠喩を与えてきたのだが、本作ではそれを他の監督が自由に解釈し、そして押井が全面的に任せているという構図が面白い。唯一の拘束として与えたのが「女立喰師」を描く、ということである。「立喰師」には、「社会の構造・形成物を、本来の存在意図以外の方法で利用して、自分のスペースや時間を作るもの」というメタファーの定義が存在すると思うが、映画で表現する手法の一つである「新しい切り口で物事を紐解く」という作業が、これに相通ずるわけで、『立喰師論』はある意味『映画監督論』でもある。映画監督は、本来別の目的で存在しているものを、自分の映画の中に切り取ることで、別の意味を与える。私が押井の映画を観て思うことは、それが徹底して図られるということにある。だからその方向性に価値を見出せない人が観たら、混乱する可能性がある。(別に一部で言われているように難しくはないのだけれど)。
 話を戻ろう。本作はそういった意味で「束縛」が緩い。混乱もほとんど来たさない純エンターテーメントである。6本のオムニバスのうち2本を押井が監督しているが、冒頭作は切り取られた映像の情緒と語りの色合いがよい。最後の一編はキレのある落ちがあり、私はかなり好きである。ひし美ゆり子、佐伯日菜子ともに世界観をよく体現している。辻本貴則が監督したものは完全なエンターテーメント。水野美紀のアクションは見ごたえ満点で感心する。神山健治が監督したものはいかにも押井門下らしいペダントリーもあり、神山の演技も面白い。安藤麻吹とも呼吸が合っている。湯浅弘章監督のものは、不思議な妖しさと美しさに満ちた一編で、藤田陽子のイメージもビタリとはまっている。神谷誠監督のものは、これは笑って楽しんでいただこう。でも笑ってばかりもいられません。
 ちなみに本DVDには、樹海の歌うオープニング・テーマ「ヒメゴト」の全曲がミュージック・クリップ風に収録されている。映画のシーンを交えた演出も面白いし、歌っている姿も、曲もいいと思う。合わせてお買い得な一本と思います。

ゲゲゲの鬼太郎 70’s(7) 1971[第2シリーズ] [DVD]

レビュー日:2009.2.16
★★★★★ 現代では作られなくなった深い作品です
 最近、仕事で近くを訪れた機会に、境港市に足を伸ばした私は、「水木しげる記念館」に立ち寄り、その絵師の仕事に感服した。また、今の日本では、だれにでも「原体験」と言えるようなアニメ作品があると思うが、私の場合70年代に製作された「ゲゲゲの鬼太郎」と「ルパン三世」がそれに当たる。
 70年代の「ゲゲゲの鬼太郎」は、その前身であるモノクロ版を引き継ぎながら、ストーリーの重複を避け、他の水木作品からの転用を取り入れた結果、異形にして異様の迫力に満ちた傑作となった。その怪奇性や風刺性もさることながら、物語の無常観や寂寥感に当時の私は大きな刺激を受けた。どうやら、現代では、このような作品をテレビアニメで放映するのは難しいようで、怖さや刺激を避けたものが歓迎される(避批判文化の弊害が顕著)。2009年現在放送されている「(現代版)ゲゲゲの鬼太郎」を、試しに観ると、いくら視聴層が違うとはいえ、その内容の軽薄さや、キャラクターのパステルカラー化には、いたたまれない気持ちになる。現代のキッズがこれらの作品を観ても、私がかつて得たような、その後も深く心に留め置ける思想性を感受することは決してないだろう。
 第7巻は傑作揃いである。「地相眼」には時代の閉塞感への警鐘とともに、業により得たものは業を重ねことでしか守れない人生の儚さが秀逸に描かれている。「隠れ里の死神」はホラー・ミステリータッチな仕上がりが見事な上、時の流れの残酷さを描いた末尾が印象深い。「妖怪水車」は傑作中の傑作で、寒村の貧困を描きながら、猛霊八惨を見る禁忌の恐ろしさ、死体を運ぶ船の不気味さ、海上での妖怪の襲撃の迫力など見ごたえ満点の凝縮したストーリーになっている。「原始さん」は異色作で、特に環境問題が深刻だった当時の強烈な社会風刺となっている。
 これらの作品に共通しているのは、物語が単純なハッピーエンドなどでは終わらず、淡々と描きながらも何か大きな問いかけを投げかけてくる点にある。そこには現実と地続きの、まさに今生きている我々への心象的メッセージがある。善悪とか真偽のような単純な価値ではなく、相対的に刻々と変化し、観たものの心に深いひだを形成するものである。それを「情」と言う。再度、このような作品がない現在の状況を嘆きつつ、本作への賛辞と代えさせていただく。

宮本武蔵‐双剣に馳せる夢‐ [DVD]

レビュー日:2010.2.23
★★★★★ 個人的にはとにかく楽しめる作品です。
 押井守脚本による「宮本武蔵」である。押井が監督した前作「スカイ・クロラ」の中に、この作品(次回作)の宣伝と思えるカットがあるので、興味のある方は探してみてください・・・とここをチェックする人には「言わずもがな」だろうか?
 さて、この作品であるが、評価は分かれて当然である。というより映画としてのまっとうな評価を得ることなど、すべからく製作サイドの眼中にないであろう。ここまで眼中にないとこれはさすがに最低限の事前情報があった方がいいかもしれない、というわけでこのレビューは映画の内容に触れながら書くことをお断りしておく。
 まず、前もって、内容の情報を摂取した後で観ても、まったく問題のない映画だと思う。誰が言ったかしらないが、これは「ドキュメンタリー」である。歴史上の人物の視点を用いたストーリーではなく、現在のとある人物(つまり押井守)が歴史上さまざまな虚飾を施された有名人(つまり宮本武蔵)をいかに解釈しているか、という論議そのものである。押井守の視点である。
 映画は主に二つのパートが入れ違いに出てくる。一つは宮本武蔵の回想シーン。有名な斬り合いが中心だ。そしてそれに挟まれる形で3Dの犬飼を名乗る「解説者」(押井の分身)。この分身がそれぞれの有名なシーンに後世どのような意図が与えられたか、然るにそれが本来どのようなものと考えられるのか、と説得力のある考察を繰り広げていく。
 最終的に解体された「宮本武蔵」像は、私たちが吉川英治の小説や、井上雄彦のマンガから作られた幻想的な存在とは異なったものとなる。しかし、面白いのは、そうして新しい解釈により描かれた宮本武蔵が、またちがった意味でたいへん魅力的に思える面があることである。才気に溢れながら、時代の波に翻弄され、何を夢見て行き続けたか。もちろんこの映画の解釈だけが正解というわけではないが、とても相応しい、しっくりいくと思えるのである。
 作画・演出の質は高く、CGの挿入も「面白い」使い方である。またサウンドトラック、浪曲の使用もなかなかシャレている。少なくとも押井の普段の映像作品や小説を楽しめる人には最高の悦楽を提供してくれる作品だと思う。このような作品にお金を出す製作元は立派である。

Symphony No 2 / Rakastava & Violin Concerto [DVD]

レビュー日:2010.9.13
★★★★★ アンコール曲はクールですが・・アシュケナージ指揮のシューマンが聴きどころです!
 2008年12月19日パリのシテ・ドゥ・ラ・ミュージックでライヴ収録されたもの。収録曲は(1) シベリウス 組曲「恋人」  (2) シベリウス ヴァイオリン協奏曲  (3) シューマン 交響曲第2番  (4) シベリウス 悲しきワルツ(アンコール) アシュケナージ指揮ヨーロッパ室内管弦楽団の演奏。ヴァイオリン独奏はヴァレリー・ソコロフ(Valeriy Sokolov)。
 以前、どこかで、「シベリウスという作曲家は国によって評価がまちまちで、米英日では人気、独墺ではまずまず、仏ではほとんど無視」のような文章を読んだことがある。出典を思い出さないけど、妙に印象的な一説で覚えている。なので、個人的にはフランスでシベリウス中心のプログラムの演奏会と聞くと、少し違和感があるが、それこそ私の先入観念かもしれない。
 それは置いておいて、このDVDの主な注目点は二つ。一つは2005年エネスコ国際コンクールでグランプリを受賞した1986年ウクライナ生まれの若きヴァイオリニスト、ヴァレリー・ソコロフのソロ。もう一つはこれまで正規録音がないアシュケナージの指揮するシューマンのシンフォニーである。
 結果から書くと、私が深く感銘を受けたのはシューマンの交響曲である。冒頭はいかにもあっさりしているが、最初の第1主題の提示部から全身に漲るエネルギーの横溢した音楽となる。思い切った踏み込み、壮麗な金管の音色で、ダイナミックな音の奔流が走り抜けるようだ。アシュケナージのタクトは明瞭にリズムを刻むが、ポイントで奏者に突き出す指揮棒も勢いが凄い。個人的に音楽メディアは映像不要論者で、この録音もCDがあればそちらを買ったのであるが、たまに演奏風景を見るのもいいものだ。第2楽章も弦の小刻みな音が細やかに力を通していて気持ち良い。第3楽章の木管も憂いがあり、しかしシックで高級感がある。終楽章で再び突進するような迫力を見せる音楽は終結部へ雪崩込むようにして音楽を帰結。それに反射するような聴衆の熱狂振りもすさまじい。ぜひこのオーケストラと、シューマンの交響曲をリリースしてほしいと思った。
 ソコロフのヴァイオリンはやや押さえられた表情で、重いパッションを感じさせる。それは曲のせいかもしれないが、非常に真面目な諸相を持ったヴァイオリンだと思った。刹那の迫力もあり、今後のリリースも気になる奏者だ。

フルート・ミステリー作品66b 他 (Flute Mystery - Philharmonia/Ashkenazy) [Hybrid SACD + Blu-Ray Disc]

レビュー日:2010.9.1
★★★★★ 現代北欧のアーティスト、フレード・ベルグの諸相を収めたメディア
 1973年ノルウェー生まれの作曲家、フレード・ヨニー・ベルグ(Fred Jonny Berg )の作品集。フルート・ミステリとフルート協奏曲は、エミリー・バイノンの独奏、アシュケナージ指揮フィルハーモニア管弦楽団の演奏。他は管弦楽曲で、ベルグ自身の指揮。2008年のセッション録音。
 ベルグは多方面で活躍するアーティストで、指揮活動、歌手活動、執筆活動の他、映像作家としての側面も持っていると言う。このメディアもCDとブルーレイ・ディスクの2枚からなっていて、アーティスティックな作りだが、ブルーレイの内容は、オーロラをフィーチャーした画像をバックに音楽が再生されるだけなので、CDのみでリリースしてくれた方が価格も抑えられて良かった。
 音楽は神秘的な側面が印象的で、とりわけフルートと管弦楽のための作品では、フルートという楽器の制約のためか、思った以上に旋律的。「フルート・ミステリ」は一つのテーマから大きく弧を描いていくような作品で、シベリウスの第7交響曲などを髣髴とさせ、一つの現代のスタンダードといえる様式だろう。フルート協奏曲第1番は耽美的な夜の音楽といった静謐な雰囲気。いかにもオーロラの映像が似合う。バイノンはコンセルトヘボウ管弦楽団の首席奏者で、透明感のある音色が曲想にフィット。管弦楽曲は、時に劇的な変化を見せ、中でも打楽器やハープの扱いがことに印象的。意味深なタイトルのついた「ウォーニング・ゼロ」が力強い警告のようなメッセージ性を含んだ音楽。「ヴィチーノ・アラ・モンターニャ」は同名の映画のために書かれた作品で環境音楽風。
 アシュケナージが参加していることが興味深い。アシュケナージはラアウタヴァーラとも親交が深く、彼の作品を積極的に取り上げたりしているが、北欧の現代作曲家との間には並々ならぬ信頼関係があるようだ。続編があるようなら、また購入したい。

遥かな銀河~管弦楽作品集 アシュケナージ&フィルハーモニア管、バイノン、他 (Blu-ray Audio)

レビュー日:2014.5.17
★★★★★ 現代を代表する音楽芸術の成果を示す作品
 アシュケナージ(Vladimir Ashkenazy 1937-)が参加しての、ノルウェーの作曲家フレード・ヨニー・ベルグ(Fred Jonny Berg 1973-)のBlu-ray Audio作品集。2008年に録音された「フルート・ミステリー」(2L58SACD)に続く第2弾。ベルグは活動名を“フリント・フベンティーノ・ベッペ(Flint Juventino Beppe)”と変更しており、当アイテムの表記もこれに従う。
 内容としては、前作に続いてベルグの作品をセッション録音したもので、特に映像は収録されておらず、再生中は、ジャケットデザインと同様のINDEX画面が表示されているだけ。というわけで、Blu-rayのスペックは「Audio」に特化したもの。
 5.1 DTS-HD MA (24bit/192kHz)、7.1 DTS-HD MA (24bit/96kHz)、2.0 LPCM (24bit/192kHz)、9.1 Auro-3D (24bit/96kHz)の4種類の方式で収録されているが、9.1 Auro-3Dについては、再生するために専用の付属機器を必要とする。この方式は、音の上下の指向性を階層別にデジタル化し、トラックダウンしたものとなっているが、上述の環境を持っている装置でなくては、再生できない(私も再生できていません)。しかし、クオリティーの高い録音については、通常のDTS-HD Master再生でも十分に堪能できる。
 私は楽曲の内容自体にも興味があり、CDメディアでの当該録音の発売がないことから、本アイテムを購入させていただいた。前述のように、私が再生確認したのは、本メディアのスペックの一部のみとなるのだけれど、それを前提として、内容と感想をまとめさせていただく。まずは収録内容を紹介しよう。
1) 遥かな銀河 op.81(ヴィオラ・ダ・ガンバと管弦楽のための)
2) 遠い言葉 op.43b(クラリネットと弦楽オーケストラのための)
3) 9月に失くして op.17(管弦楽のための)
4) 天国の下で綱渡り op.32(管弦楽のための)
5) フルート協奏曲第2番 op.80
 アシュケナージ指揮、フィルハーモニア管弦楽団の演奏。2012年の録音。フルート協奏曲で独奏を務めるとエミリー・バイノン(Emily Beynon 1969-)も前作から引き続いての登場。他の主要な参加アーティストは、1)のヴィオラ・ダ・ガンバがラルフ・ルソー・メーレンブルクス(Ralph Rousseau Meulenbroeks)、2)のクラリネットがマーク・ヴァン・デ・ヴィール(Mark van de Wiel)ということで、現代を代表するそうそうたる顔ぶれが集まった感がある。
 当アルバムでは、ベルグ(ペッペ)は、宇宙規模の「距離」を音楽で表現することを試みたそうだ。そのこともあって、広大なスケールを感じさせる音響だ。冒頭の「遥かな銀河」は、ヴィオラ・ダ・ガンバとともにグラスハーモニカの音色が印象的だが、冒頭から天上からの警告を思わせるような壮麗な音の伽藍が実にエネルギッシュに提示され、圧倒的な音幅を演出している。細部まで克明な録音は、多彩な楽器の響きの「距離感」を明瞭にすることで、これらの作品の表現に不可欠な「奥行き」を的確に再現している。フルート協奏曲第2番も凄い作品。動と静、エネルギーと無の対比が力強く繰り返され、光と闇に満ちた宇宙空間を思わせる。特に圧倒的な力感に満ち溢れた終楽章は傑作と言ってよい芸術作品に仕上がっていて、現代の音響技術と、芸術家の洗練された感性が、高次に融合する様を繰り広げている。
 不思議な透明感と、解析的な面白みに溢れた楽曲であり、録音であると思う。個人的には、とても気に入っています。
 ところで、この機会にちょっと触れたいのだが、前作の「フルート・ミステリー」はグラミー賞にノミネートされるなど、欧米では結構話題になったと聞く。一方で、(私の知る限り)日本の国内文芸誌や批評家における当該作品への注目度は、ほぼゼロという状況ではなかったろうか。この国の批評家全般におけるヴァイタリティーとアビリティーの「不足」を示す一つのケースに思えてならない。

Beethoven Ashkenazy The Piano Concertos [DVD]

レビュー日:2011.4.25
★★★★☆ 1974年ライヴ、アシュケナージの研ぎ澄まされた集中力が凄い
 アシュケナージとハイティンク指揮ロンドン交響楽団によるベートーヴェンのピアノ協奏曲全集。1974年にTV放送のためロイヤル・フェスティヴァル・ホールでのコンサートの模様を収録されたものが、あらためてDVD2枚にまとめられた。収録内容を以下に示す。
(1) レオノーレ序曲 第3番
(2) ピアノ協 奏曲 第1番
(3) 交響曲 第8番
(4) ピアノ協奏曲 第2番
(5) ピアノ協奏曲 第3番
(6) 「エグモント」序曲
(7) ピアノ協奏曲 第4番
(8) レオノーレ序曲 第2番
(9) ピアノ協奏曲 第5番「皇帝」
 このようにピアノ協奏曲だけでなく交響曲や管弦楽曲も収録されていて、内容としては「お得感」がある。残念なのは、TV放送前提であったため、ステレオ音源ではないことで、これは特にオーケストラのサウンドの面で寂しさを感じさせる。また画質も、当時のTV放送用フィルムのレベルのものであり、いかにも古めかしい感じ。それは楽団員の見た目などからも感じられる。
 とはいえ、アシュケナージのピアノはたいへんな聴きモノだ。アシュケナージはベートーヴェンのピアノ協奏曲全集を3度スタジオ収録している。最初は1972年から73年にかけてショルティ指揮シカゴ交響楽団と、2度目は81年から84年にかけてメータ指揮ウィーンフィルと、そして3度目が86年から87年にかけてクリーヴランド管弦楽団との「弾き振り」。
 このハイティンクとの演奏は、年代の近いショルティとの競演を彷彿とさせる内容だと強く感じた。アシュケナージは、ピアノの上に屈みこむような格好でピアノを弾く。真上カから細心の注意を払って、力点をコントロールしている。その様子からは、尋常ではない集中力が伝わってくる。ピアノ協奏曲第3番の第2楽章冒頭のピアノ、その和音のために指に伝えられる力を、精神の奥深いところから導いてきて、フッと鍵盤に降ろす。その瞬間に響く和音の美しいこと。そして、強靭な手首のスナップから短いストロークで繰り出される鋼のように力強い響きも印象的。ミスタッチもほとんどなく、あらゆる点からみて高いレベルにある演奏だ。
 ピアノの音色に関しては、輪郭もよく捕らえられていて、モノラルでも不備を感じさせるものとは言えないと思う。とはいえ、やはりステレオ録音を残せなかったことは残念至極で、貴重であるだけにその一点が悔やまれる。

Andras Schiff Plays Bach [DVD]

レビュー日:2011.3.7
★★★★★ ノリノリで楽しく、かつ敬虔で厳かな雰囲気を湛えるシフのバッハ
 2010年、ライプツィヒでの「バッハ・フェスティヴァル」でことに注目を集めたアンドラーシュ・シフによるバッハの「フランス組曲全曲演奏会」の模様を収録。それにしても、ECMからリリースされたパルティータ集もそうだったが、今回も全6曲立て続けのライヴである。その完成度の高い演奏を引き出した集中力は圧巻の一語に尽きる。
 本DVDに収録された楽曲は以下の通り。フランス組曲第1番~第6番、フランス風序曲、イタリア協奏曲(アンコール)。総演奏時間は134分に及ぶ。またそれらとは別に、シフのインタビューも収録されている。特典映像の収録時間は30分程度。
 演奏について書こう。シフは以前デッカにバッハのクラヴィーア曲集を一通り録音していて、中で91年に録音された「フランス組曲」は優美の極みで、シリーズ中でも白眉と思える内容だった。しかし、シフの芸風は変化している。2001年からECMレーベルに2度目のバッハ録音を開始したシフのスタイルは、より気風の大きなものとなった。音楽の呼吸が深く、振幅も大きい。
 それで、このフランス組曲を聴くと、優美さを保ちながらも、旧録音と比べて舞曲としてのダイナミズムがより明瞭に打ち出されている。音型のくっきり浮き立つようなピアノ、弾むようなリズム、手首の強い動きから導かれる躍動。いずれにしてもかつてのシフにプラスされた今のシフのスタイルを特徴付けるものたちだ。シフに奏でられたバッハの音楽は、瑞々しい生命力に溢れ、迸る本流となって早瀬を下るような清冽な印象に満ちる。フランス組曲を構成している舞曲たちが、鮮やかな生気を宿す。
 シフはインタビューでバッハの音楽には「世俗性」と「信仰心」の両立があることに言及している。それはシフでなくても、他の音楽家やファンたちも知っていることだと思うけれど、シフがあえてそれに言及したのは、自分の演奏スタイルが、それらを十全に再現していることに確信を持っているからだろう。実際、シフの演奏を聴くと、ノリノリで楽しい音楽でありながら、敬虔で厳かな雰囲気を同時に湛えていると思う。これこそバッハのクラヴィーア音楽を聴く喜びであるに違いない。
 フランス風序曲もイタリア協奏曲もリズミックでありながら、どこかバッハの音楽の神性を感じさせてやまない。シフの大家としての芸風をあらためて認識させられる。
 それにしてもフランス組曲全曲にフランス風序曲を連続して演奏し、その後、アンコールでイタリア協奏曲である。アンドラーシュ・シフという芸術家の力量をまざまざと見せつけられる素晴らしいコンサートである。

ドヴォルザーク記念コンサート [DVD]

レビュー日:2011.3.5
★★★★★ チェコフィルの首席指揮者を務めたアシュケナージの一つの結実
 2001年にドヴォルザーク生誕160年を記念してプラハで催されたコンサートの模様を収録。アシュケナージは1998年から2003年までチェコフィルの第10代首席指揮者を務めたので、その3年目の演奏となる。
 チェコフィルの首席指揮者にアシュケナージが就任するというニュースを初めて聞いたとき「意外」に思われた人も多かったに違いない。チェコフィルにとって初めてのロシア人指揮者の就任であり、アシュケナージもそれまでチェコ音楽を主戦としてきたわけではない。しかし、この顔合わせは、結果的にアシュケナージ、オーケストラ双方に幸いな新風を送り込んだと思う。すなわち、アシュケナージはマーラー、ドヴォルザークに、チェコフィルはR.シュトラウス、ラフマニノフに大いなるレパートリーの開拓をもたらした。
 このディスクを観ていて、印象に残るのはその幸福な邂逅の成果である。オーケストラから引き出されるサウンドの輝かしくも柔軟な響きは、まさにヨーロッパの名門たるにふさわしいもので、全編を通して溢れる様な熱意に満ちている。
 また、それと別の注目点が、1973年生まれのチェコの俊英ヴァイオリニスト、パヴェル・シュポルツル(Pavel Sporcl)のソロである。シュポルツルとアシュケナージによるドヴォルザークのヴァイオリン協奏曲は、SUPRAPHONからCD化されていて、そちらでも聴くことができるが、大層な聴きモノだ。シュポルツルの伸びやかで機動的なヴァイオリンは、体重の乗ったサウンドで、最近私が聴いたエーネスの快演とはまた一味違った、熱い血を感じるもの。特に重音で弓にかかる重みの質感がたいへんふくよかで、音楽の幅の広がりを感じさせてくれる。余談だが、シュポルツルの服装がいかにも若い。皮ジャンに白黒のチェックのダーバンを巻いたファッションはなんとも個性的で、そんな風情を確かめられるのもDVDの利点か?(ちなみにSUPRAPHONのCDジャケットでもダーバン・スタイルで写っています)。
 交響曲第8番は素晴らしい名演。音楽の外交的な側面を鮮やかに引き出しながら、高級なブレンド感にあふれたハーモニーが維持される。テンポは若干早めながら、急くようなところは感じさせず、切り替わりも鮮やかで効果的。特に第4楽章のテンポにノッテ一気果敢に畳み掛けるさまは迫力満点で興奮させてくれる。
 劇的序曲「フス教徒」も力強い演奏だが、やや高音域がソリッドで、もう少し低音の厚みが欲しい部分もあったが、こなれたヴァイオリン協奏曲以降は安心して身を委ねられた。なお画質は平均レベルで、とりたてて面白いというわけでもない。けれど、音楽がメインなので、付属情報的に会場の様子が観えるくらいで十分といえば十分でしょう。

UN-GO 第4巻 初回限定生産版Blu-ray

レビュー日:2012.4.27
★★★★★ あきらかにされる「真実」と対峙する個々の「価値」を問う超秀逸作
 (はじめに)当巻だけでなく、「UN-GO」というシリーズ全編を通しての推薦レビューになります。
 最近観た中で抜群に面白いと感じたものが、このTV放送されたアニメーション・シリーズの「UN-GO」である。“UN-GO” は戦後無頼派の作家、坂口安吾のことであり、その短編連作「明治開化 安吾捕物帖」に、時代設定等を移行するなどのアレンジを施し、映像作品としたものが本作である。もちろん原作とは大きく異なるストーリーが導かれているのであるが、感心するのは、全編を通した心的メッセージが、原作に沿っており、監督である水島精二と脚本を担当した會川昇の伝えたいことが、小説以上の深さを伴って伝わってくると感じられる点である。
 この作品をご覧になるかたには、“エピソード0” を含む全編を、できれば2回以上通して観ていただきたいと思う。繰り返しの視聴に耐えうる作品であることは言うまでもないが、初見時とはまた違った様々な感興を引き起こす作品だと思うし、そういった意味でも「とても良くできた」作品だと思う。
 水島精二監督、會川昇脚本の作品というと、すぐに想起されるのが「鋼の錬金術師」である。この作品は、繰り返される母性の象徴との対峙を繰り返し、これを克服する過程で、「罪」とそれに相応する「価値」に言及し、かつエンターテーメントとして上質という、稀にみる思索性に富む名品だと感じた。(ちなみに私は、會川氏が日本を代表する優れた脚本家の一人であると考えているものです)
 私は、會川さんがNHKの番組で、ノンフィクション作家の森達也氏らと、<現代、私たちが伝えるべきメッセージは何か、ということを、常に突き詰めるように考えている>といった内容で、共感されているのを覚えており、是非その後の作品にも注目したいと思っていたのだが、この「UN-GO」こそ、それに相応しいものだろう。・・ちなみに、「UN-GO」という作品では「歌」というキーワードも重要だ。森達也氏の優れたドキュメンタリー、「放送禁止歌」を彷彿とする部分があることを書き添えたい。
 「UN-GO」について會川氏がインタビューに答えているのをネットで読むことが出来るが、中で「人間には本来正しいことをしたいという欲求があるが、現代では、この欲求と自我を折り合わせるため、他に対して、潔癖さを要求する行為を重ねるケースが増えている」という主旨の事(警鐘)を語っており、私も深く感じ入った。「UN-GO」という作品にはもちろん主人公がいて、彼は探偵として真実を希求するが、その一方で「真実」の価値に自分がどう向き合うのかという葛藤を持っている。そして、物語は、その葛藤を強く揺るがし続けるような、力強い、まさにドラマチックな展開を見せつける。・・・現代では、他者に対し強く「潔癖」を求める一方で、個人個人の中に、その価値自体を推し量る尺度(様々な経験を経て育てる価値観のようなもの)が十分に成熟していないのではないか。そのような背景で、社会全体が、「正しい」と盲目的に思い込んだ状況が続いてしまうことで、歴史的な過ちを繰り返すことになるのではないか。・・・そういった疑念や警鐘を、科学的あるいは論理的に、他者や社会に説明するのは難しい。圧倒的な正論の前で、その「危うさ」を示すということは、困難な場合が多い。そして、そのことこそが観念に生きる人間の、そして人間から構成される社会の「脆弱さ」そのものである。
 作中では、「御魂(みだま)」と称される「人間が心底に潜めているもの」に言及される。しかし仮に「語られない本音」があったとしても、それが直接「人間性」と等価なのではないはずだ。個人個人が様々な経験から築き上げた「<語られない本音>に対処する方法」の部分、その不安定な影のような部分にこそ、か弱くも気高く貴重な「人間性」があるのではないか。そんな大切なメッセージが伝わってくる。
 ちょっと難しく書き過ぎたかもしれない。内容には触れないように書いたつもりである。エンターテーメントとしても非常に優れていて、観ていて自然と引き込まれる作品である(これは重要ですね)。Pakoと高河ゆんによるキャラクターの造形も魅力的できれいだし、BGMの雰囲気、特に毎回本編からEDテーマへ移る暖かい音楽的雰囲気が際立って秀逸で、視聴後の気持ちを優しく中和してくれる。ボンズの製作技術の高さも併せて堪能できよう。
 全巻Blu-rayを購入させていただき、久々にじっくり楽しませていただいた映像作品でした。また、この作品を観たことを踏まえて、自分のことも、いろいろ考えなおしてみたいと思った次第です。

Pictures Reframed (W/Book) (W/Dvd)

レビュー日:2013.8.5
★★★★★ 素晴らしい成果を感じる2人の芸術家のコラボ
 当アイテムは、ブックレット、DVD、CDの3点からなっていて、体裁としては、A4サイズ横長の布表紙の美術書といった具合。表紙の折り返しの部分に2つのポケットが並んでいて、DVDとCDがそれぞれ収納してある。なので、本アイテムは、CDラックではなく、本棚に収納することになる。
 CDは、単発売されているEMI 6983602とまったく同内容で、ノルウェーの世界的ピアニスト、レイフ・オヴェ・アンスネス(Leif Ove Andsnes 1970-)によるムソルグスキー(Modest Mussorgsky 1839-1881)の「展覧会の絵」(2008年録音)の他に、やはりムソルグスキーの「子どもの頃の思い出(乳母と私、 最初の罰~乳母は私を暗い部屋に閉じこめた、 夢想、 クリミア南岸の近くにて)」と、シューマン(Robert Alexander Schumann 1810-1856)の「子どもの情景」(2009年録音)が収録されている。なお、「展覧会の絵」は、ホロヴィッツ(Vladimir Horowitz 1903-1989)版のスコアをさらにアレンジしたものとなっている。
 そして、DVDには、南アフリカ出身のヴィジュアル・アーティスト、ロビン・ロード(Robin Rhode 1976-)とのコラヴォレーション芸術として行われた「展覧会の絵」のライヴ(音楽+映像)の模様と、この芸術が作製される過程における、二人のアーティストのドキュメンタリーになっている。(英語で日本語字幕なし。言語が英語以外の部分だけ、英語の字幕付き)
 私は、先に単発のCDを買ったのだが、その後、当アイテムを入手した。これは、結果としてCDを重複所有することになったので、あまり上手な買い物ではなかったのだが・・・。しかし、当アイテムは、そんな私の失策を上回るほど面白かった!
 DVDに収録されているのは、完成された映像作品のみを抽出したものではなく、「ライヴ全体の模様」である。というのも、この「演奏会場」全体のデザインが、ロードによる一つのコンセプトにより施されたものであり、聴衆は、「アンスネスの演奏」「空間」「映像」の3つを同時に感じることにより、この芸術を体感するためである。そのためカメラワークは、アンスネスの演奏、会場全体のデザイン(もちろん映像が映っているスクリーンを含む)、そして映像そのものを行き来し、時に分割画面を用いるなどして、メディア作品として心地よく演出されている。
 私は別に現代芸術について詳しくはないのだけれど、ロードの映像作品は、とても面白いと思った。音楽イメージのビジュアル化は様々に行われているが、これほど一人の芸術家のコンセプトを明瞭に打ち出したものは少ないだろう。とにかく、これはご覧いただきたい。
 ブックレットでは、それらの映像作品の静止画を、じっくりと鑑賞できるようになっていて、これまた一つの美術品としてきっちりした出来栄え。印刷・製本もしっかりしている。
 アンスネスのピアノはたいへん颯爽としている。力強い推進力を保ちながらも、情緒を巧みに引き出す。ホロヴィッツ版を用いることで、技巧的難度は増しているのだが、注意深いテンポ設定により均衡を保っていて、音楽が安定している。グノオムやテュイルリーの庭のこぼれるような色彩感も見事で、たいへん絵画的だ。バーバ・ヤーガの流れ落ちるような和音連打は鮮やかで圧巻、その後のキエフの大きな門に向かって輝かしい音色の蓄積が導かれ、楽曲はきわめてドラマティックに盛り上がる。迫力満点だ。
 CDのみに収録されている「子どもの頃の思い出」は無名の作品だが、展覧会の絵と通じる音型処理などが興味深く、なるほど、一枚のアルバムにまとめた意図が伝わってくる。シューマンの「子どもの情景」はややアクセントを控えたどこか切なげなトーンが聴ける。「知らない国々」「トロイメライ」「詩人の話」など、抑えられたメロディーが、品の良い佇まいを見せており、潤いのある情緒を引き出している。「鬼ごっこ」のような曲での粒だったピアノの音ももちろん美しい。適度な輝きがあり、エレガンスを感じさせる。
 DVDのドキュメンタリーについては、二人のプライヴェート的なものが映っているのが興味深い。アンスネスの料理はなかなか美味しそうだ(笑)。また、ピアニストとしてのハード・ワーク振りも垣間見られる。
 ロードとアンスネスが、レンタカーに乗って、カーステレオから流れるロックでスイングしたり、ロードのアトリエで、マイケル・ジャクソンのムーン・ウォークのマネをしてふざけたりするシーンもファンには楽しい。また、アンスネスが世界のあちこちを旅し、いろんな町に住むことを重視していることも印象深かった。そうして自身のノルェー人としてのオリジナリティを確認しつつ芸術家としての感性を研ぎ澄ましていくのだという。
 最後の、ドッグ(造船所)の中で、大量の水流に巻き込まれていくグランド・ピアノの撮影シーンは圧巻だ。実際のライヴ時のキエフの大きな門で使用された完成品と併せて、とても心に残る。
 以上の様に、確かに強い訴えかけがあり、芸術作品として圧巻の内容であったと感じる。私も、最初はCDだけで十分かと思っていたのだが、気が変わって、このブックレットを買い直して、本当に良かったと思う。

京極夏彦 巷説百物語 DVD-BOX ディレクターズエディション

レビュー日:2013.5.1
★★★★★ 京極の原作のコアな部分を巧みに抽出した怪傑作
 京極夏彦の作品が好きで昔からいろいろ読んできた。中で、江戸末期を舞台とする短編シリーズである「巷説百物語」は、特に作者がやりたいことをノリノリで書いたといった作品で、随分楽しませてもらった。この人の作品には、人の業というものを、どのように捉えるか、そして、物語の中で登場人物たちが、その業に対処する過程を通じて、自らのなかに新たに知覚する「自身の罪」に、いかに向き合うかというテーマが底流にあると思う。そのような「他者(の業)に向き合う性質」と「自ら(の業)に向き合う性質」にリンクがあることに、読者が自覚するゆえに「恐怖」が生じるという、実にやっかいな仕掛けを施してくる。
 京極夏彦は水木しげるを尊敬しているそうだ。水木しげるの作品というのも実に面白い。水木の作品の場合、登場人物は怪異に遭遇しても、そのこと自体に恐怖するということは少ない。怪異と接して何かが見えるという大がかりな全体像に接する読者だけを「得も言われぬ恐怖」が襲う。まったく困ったものだ。
 と書いているのは、もちろん私が水木や京極の作品に感心しているからだ。京極夏彦の小説の場合、そこにさらに様々な肉付けがあり、多層的になっており、それゆえの「理屈っぽさ」がつきまとい、未洗練な部分が残るのだけれど、それでも私は、面白いと思う。
 それで、このアニメである。殿勝秀樹(とのかつ ひでき)監督、藤岡美暢(ふじおか よしのぶ)シリーズ構成、宮繁之のキャラクター・デザイン。優れた作品だ。製作にお金をかけたという感じではないのだが(笑)、非常にポイントを突いていて、演出もやれる範囲で工夫を凝らし、周到なものになっている。また、強調したいのは、この作品が怖いほどに原作の「コア」な部分のみを抽出することに成功している点だということである。20数分という放送枠に収めるというアニメーションの制約が、逆におどろくほど虚飾を纏わせない誠実な作品を作り出すことに結びついた感がある。だから、このアニメーションを観ていると、そのコアな「怖いところ」だけが、むき出しのまま視聴者に突きつけられるような凄味がある。それを覆う“衣”の部分が少ないから、極端に「観る側」を選ぶことにもなるのだが、あえて視聴者層の壁を設けることを厭わなかったスタッフには快哉を送りたい。
 絵が暗い。黒、紺、紫といった配色が多い。絵はあまり動かないが、カメラ角は様々に変わる。覗き見るような画角の絵が多く、視聴者の視点と心理に揺さぶりをかける。家屋等の曲線的なデザインが、不安な構図を支え、不穏な空気を漂わせる。ストーリーも暗く、人間の業を解放するまでに、どうしようもない凶事が防ぎようもなく積み重ねられている。
 蓜島邦明の音楽も良い。旋律の不安定な弦楽器の音色を巧みに使い、不定形の様相を良く表出している。ケイコ・リーのOP、EDもまずまず。
 主人公である又市の造形にもやられた。私が小説を読んでイメージしていたのは、スラリとした切れ者といった感じだった。アニメのそれは、頭部のほとんどを頭巾で巻いた怪しい妖怪の様な小男である。しかし、これがまた得体のしれない雰囲気を良く出している。「御行奉為(おんぎょうたてまつる)」の最後のセリフとともに、札を投げ打つ際に発せられる、退廃的とも言いたい雰囲気は、強く印象に残る。なんとも言えない無常観。これを観てしまったら、原作を読んでも、このデザインの又市の姿が、脳に浮かび上がってしまうだろう。それくらい強烈な効果がある。声をあてた中尾隆聖も名演だ。(ちなみに、京極夏彦の声優ぶりも、なかなかのもの。こちらもファンには嬉しいサービス)
 「邪心野心は闇に散り 残るは巷の怪しい噂」というフレーズが毎回繰り返されるが、そのたびに「巷の怪しい噂」しか知らないことが、逆に巷の幸福なのではないかと逆説的に感じられてならない。最終三話にやや強引さが残るのは否めないが、芸術作品として視聴者に伝えるものには十分な質がある。可能であれば、原作の他の作品についても、続編を描いてほしい。

PSYCHO-PASS サイコパス VOL.7 (初回生産限定版/2枚組)【Blu-ray】

レビュー日:2013.6.6
★★★★★ 世界設定に様々な哲学的考察を含み、現代への警鐘を内在する注目作
 (当該ディスクだけでなく、全シリーズを通しての感想になります)  このシリーズはなかなか面白く拝見することが出来た。物語は、「人間性」をスコア化し、個人の職業適性や犯罪可能性を評価する全能性社会基盤(物語中“シビュラシステム”と呼ばれている)により完全管理された近未来を舞台設定とし、その“シビュラシステム”の判定に基づいて「異端者」を処遇する組織「公安」を中心に、ある特殊事件を描いている。ストーリーが進行していく中で、舞台として設定している世界が内包する矛盾を次々と浮かび上がらせていくが、そのことが、現代が抱える様々な問題について、包括的に示唆するものとなっていて、これが作品の主題と感じられる。キャラクター設計などはいかにも現代アニメ的で、個々の設定に矛盾も指摘できるが、ストーリーとして面白く、またペダントリーに富んだ引用を含むセリフ、迫力に満ちたアクションの演出などで、多角的なエンターテーメント作品になっている。全編を通じてなされている問題提起は、閉塞感で形容される現代にとって「いかにも」取り上げやすいテーマではあるが、ストーリーの中でのその消化の仕方が面白いため、私もとても楽しむことができた。
 さて、この物語中に登場する“シビュラシステム”に相当する「全てを公平に判断する超越的客観者」の存在は、古来哲学的考察において、様々に仮定されてきたものである。偏らず(impartial)、事情に精通した(well-informed)観察者。もちろん「そのようなものはありえない」のであるが、それがあったとして、人間は、社会は、それにすべてを委ねられるだろうか。すべてを何かに委ねてしまった場合の人間性とはなにか。
 物語中では、マックス・ウェーバー(Max Weber 1864-1920)、ブレーズ・パスカル(Blaise Pascal 1623-1662)、ホセ・オルテガ(Jose Ortega 1883-1955)、ジョナサン・スウィフト(Jonathan Swift 1667-1745)、ジャン=ジャック・ルソー(Jean-Jacques Rousseau 1712-1778)らが盛んに引用され、前述の問題提起に関する様々な投げかけがあり、視聴者に多様な角度の示唆と暗示を与えることになる。
 あまりそういう形で捉えられていないかもしれないが、イマヌエル・カント(Immanuel Kant 1724-1804)もルソーの影響を受けながら、人間を分析している。中で、人間が持っている「素質」を3つに分類している。
(1) 「物事を操作するための、任意の目的の手段として事物を利用する」技術的素質;技能、熟練
(2) 「他人を自分の意図に従って如才なく利用するための素質」実用的素質;怜悧、利口
(3) 「自由の原理に基づいて法則に従って自分および『他人に対して行為する』」ための道徳的素質;知恵、賢さ
 シビュラシステムは、おそらくこれらの「素質」を判定するシステムであると考えられる。カントは、これらの3つの素質が、社会の抗争によって発展するという仮説を踏まえ、融和を生じさせる自然の目的性に従った公民的体制(共和制)の利点を説いているわけである。つまり、この作品の舞台設定は、究極の公民的共和主義システム(それも現代的な選民思想の色濃いもの)と言えるのではないか?と考える。本ストーリーで描かれる近未来日本が、超閉鎖的独立国として設定されていることも、それを裏付けている。
 ところで、ルソー、カントの時代においてさえ、すでに「道徳的素質の発展の遅れ」が人類的問題として指摘されていた。他の素質が一層発展した現在、道徳的素質の状況はさらに「遅れた」状態にあるのではないだろうか。国連をはじめとする国際機関は、この素質を補完すべく作られたものに思うが、“偏らず(impartial)、事情に精通した(well-informed)観察者”にどこまで近づいているのだろうか。カントは、人間に「幸福な生活に相応しい様、苦労して努力する」が求められている、と説いたが、現代の世界で、そして物語の中で、人間は何が求められているだろうか?これも重要な問いである。
 さて、もう一つ面白いのは、「全てを公平に判断する超越者」について、ウェーバーとともに言及したアダム・スミス(Adam Smith 1723-1790)が道徳について考察した際の思考法が、この物語の重要なパーツとリンクすることである。スミスは、個人の行為が道徳的に是認されるのは、それが他人の「判断(judge)」と一致する場合であり、自他の感情の一致は「共感(sympathy)」によるが、それは、他人の「立場(situation)」を知り、他人がそのような立場において抱くであろう感情を想像することによって行われる、としている。そのため、行為者が観察者としての他人から是認されるためには、その感情の激しさを、他人がついていける程度に弱めなければならない、と提言している。(実に大事な提言だ)
 この物語では、様々な思考過程において、象徴的に立場の入れ替えをイメージ化している。「彼だったらどう考える」の高次化により、思考力、分析力はあらたな地平に到達し、新たな価値を発見する。システムによって道徳的素質を補完された物語世界で、他者の是認の過程をあえて思考的に提示するというこの問いかけは、私は「意図して」のものであると思う。とにかく、大変面白いと思った。
 こうして考えてみると、現代社会において道徳的素質が退化していると感じられるのは、すでに数百年前に指摘されてきた、「立場の交換」という思考方法について、訓練できていないまま社会に出る人間が増えていることに原因があるのではないか、と考えさせられる。例えばネットで流布する他者の過激な批判や中傷は、現代人が「他人がついていける程度に自己の感情を弱める」ことが出来ないほど自己コントロールを苦手とし、それゆえに極端に選民的公民的共和主義的なシステムを求める土壌が形成されていることを示している。本作品は、感覚的にその危険に対する警告を含んでいる。

無人駅叙景(Blu-ray&DVD版) 山本 敏著

レビュー日:2014.3.24
★★★★★ 名作映画を観るように、心を揺り動かされた映像作品です
 札幌市在住の映像作家である山本敏さんが3年を費やしたJR北海道の無人駅を題材とした映像作品。DVDとBlu-rayのセットで、双方に同内容のものを収録。収録時間は77分。対象となっているのは、千歳線と津軽海峡線を除く既存の全12路線で、登場するのは計71駅。だいたい1駅あたり1分。以下にその詳細を書こう。
1) 留萌本線
箸別駅,瀬越駅,大和田駅,藤山駅,峠下駅,恵比島駅,真布駅,北一已駅
2) 宗谷本線
南比布駅,塩狩駅,東六線駅,北剣淵駅,瑞穂駅,北星駅,筬島駅,糠南駅,南幌延駅,下沼駅,抜海駅
3) 函館本線
小沢駅,蕨岱駅,国縫駅,北豊津駅,山崎駅,石倉駅,東山駅,仁山駅,渡島沼尻駅
4) 江差線
釜谷駅,渡島鶴岡駅,神明駅,宮越駅
5) 石北本線
北日ノ出駅,愛山駅,上白滝駅,旧白滝駅,下白滝駅,生野駅,金華駅
6) 釧網本線
南斜里駅,南弟子屈駅
7) 根室本線
東根室駅,花咲駅,昆布盛駅,別当賀駅,初田牛駅,姉別駅,糸魚沢駅,尾幌駅,上尾幌駅,古瀬駅,上厚内駅,十弗駅,羽帯駅,幾寅駅
8) 富良野線
学田駅
9) 室蘭本線
小幌駅,静狩駅
10) 石勝線
東追分駅
11) 札沼線
豊ヶ岡駅,札比内駅,晩生内駅,於札内駅,南下徳富駅,新十津川駅
12) 日高本線
浜田浦駅,厚賀駅,大狩部駅,蓬栄駅,本桐駅,絵笛駅
 私は、駅が好きだ。特に北海道の駅には、得も言われぬ抒情的な雰囲気がある、と思う。JR北海道の全駅数は465駅であるが、そのうち352駅が「無人駅」である。札幌近郊にも合理化のため無人化している駅はあるが、多くの無人駅は、周辺人口の極端に少ない地域に立地している。
 昨年、妻と道北を巡った際、宗谷本線の「天塩川温泉駅」に立ち寄った。この駅は1日に上下8本の普通列車が停まるのみで、周囲の民家は数軒のみ、あとは近くに温泉宿が1軒あるだけというところで、すぐそばを原始の姿を残すような天塩川が、深い山間の森を縫って流れている。そこに1両編成の列車がやってくる。夕暮れ時、森閑とした世界の中、駅では一人の近隣の高校生が列車を待っていた。夕焼けが染める大地の中、列車は停まり、やがて、ゆっくりと出発していった。また次の小さな駅を目指して。
 そのような風景に人は何を感じるか。人それぞれだと思うけれど、私の胸に押し寄せたのは「郷愁」と呼ぶのに近いものだった。それも、切ないほどの。
 ときどき、旅をしていて、故郷から遠く離れた場所なのに、まるで郷里に帰ってきたかのような気持になった経験が、私には何度かある。特に「駅」というのは、一つのトリガーになるようだ。私が線路に近いところで育ったからかもしれない。なにか、幼い時の記憶とシンクロするものがあるのだろう。人生を線路に例える人がいる。幼少を過ごした小さな町の駅。大人になって、社会に出て、雑踏の中で過ごすターミナル駅。いつしか、そんな時も過ぎて、人は、小さな駅のある町に帰っていく。私は、今は雑踏の中で日々過ごしている身だけれど、いつかは小さな田舎の駅に帰っていくような気がする。私は、そんな「無人駅」たちに、いずれ自分が帰り着く世界を見ているのかもしれない。
 本作品を見たとき、私を襲ったのはその感覚だ。苦しいほどの「郷愁」を呼ぶなんと美しい風景。
 映像は路線別にまとめられている。ナレーションはない。各路線の頭に象徴的なワンカットに沿え、ちょっとした詩文的な紹介が字幕により行われ、各駅の映像に移っていく。それは真っ青な空が広がる景色だったり、雪の降り積もった真っ白な世界であったりする。波の打ち寄せる海岸だったり、新緑の中だったり、あるいは周囲にちいさな町のある風景であることもある。
 それぞれの駅について数カットの映像が記録される。駅の全景、発着する列車、利用する人々、周囲の街並み、自然の風景。その一つ一つの映像がなんと美しい事か。おそらく、絶好の機会を得るため、一つ一つの駅の撮影に相当の時間を割いたに違いない。力のある映像、壮絶なほどの色彩の対比、それらが絶妙に重なる季節と瞬間に、映像が撮られている。だから、この映像をみたとき、恐ろしいほど切ない「郷愁」が胸に迫ってくるのである。また駅によっては異なる季節の映像を収録して、その対比の妙を見せてくれるものもある。
 冒頭の箸別駅の海岸の情景、東六線駅の簡易なホーム、糠南駅のほんとうに小さな駅舎、神明駅で遠景に映る農作業者の姿、上白滝駅、旧白滝駅の深雪に包まれた静寂、根室線釧路以東の駅にただようさい果ての風情、田園に立つ豊ヶ岡駅、太平洋に臨む日高線の各駅。一つ一つが忘れがたい。それと、江差線の渡島鶴岡駅、神明駅、宮越駅の3駅は、今年(2014年)5月に当該路線が廃止となるので、まもなく「在りし日の姿」となることでしょう。
 また、秘境駅の象徴的存在として知られるようになった小幌駅や、NHKの連続テレビ小説「すずらん」で使用された恵比島駅、映画「鉄道員」の撮影に用いられた「幾寅駅(劇中名 幌舞駅)」なども取り上げられている。雪の中、小幌駅構内を流れる沢の水は、雪解けの季節を印象付ける。
 基本的にはBGMが静かにずっと流れているが、しばしばこれがOFFになり、列車の音、あるいは風雪や波の音に切り替わる。その演出も巧みだ。
 使用感に関する補足事項として、各路線名ごとに頭出しができますが、メニュー画面での当該操作は、妙に読み込みに時間がかかります。(私の再生機の問題かもしれませんが)。しかし、通して観るのがよい作品に思えます。
 なお、ボーナストラックとして、本作品のために作られた主題歌(本編ではいちばん最後のBGM曲として使用)「木の葉に乗れば」のメイキングの模様が収められています。

思い出の鉄路 北海道・本州編 [DVD]

レビュー日:2014.3.24
★★★★★ 特に別海の馬鉄の映像は感動的でした
 NHKエンタープライズからDVD化された「思い出の鉄路」シリーズで、本編には北海道の8つの廃線と本州の4つの廃線について、往時の模様をまとめた番組が収録されている。本編収録時間は60分で、さらに特典映像として、「別海村営軌道馬車鉄道」の様子を収めた映像(1961年に紀行番組でTV放映されたものと併せて、関連する映像を収録)18分が収録されている。
 収録されている廃止路線は以下の通り
1) 手宮線 手宮-南小樽 1985年廃止
2) 夕張鉄道 野幌-夕張本町 1975年廃止
3) 深名線 深川-名寄 1995年廃止
4) 三菱美唄鉄道 美唄-常盤台 1972年廃止
5) 万字線 志文-万字炭山 1985年廃止
6) 広尾線 帯広-広尾 1987年廃止
7) 名寄本線 名寄-遠軽 1989年廃止
8) 三菱大夕張鉄道 清水沢-大夕張炭山 1987年廃止
9) 南部縦貫鉄道 野辺地-七戸 2002年廃止
10) 小坂鉄道 大館-小坂 2009年廃止
11) 蒲原鉄道 加茂-五泉 1999年廃止
12) 東野鉄道 西那須野-那須小川 1968年廃止
特典) 別海村営軌道馬車鉄道
 私の生まれ育った北海道では、殖民(この表現は微妙かもしれませんが、軌道の名称によく用いられたので、使わせていただきます)による開拓や石炭、ニシン、森林資源等に関連した産業の発展に伴い、多くの鉄道路線が敷設され、その多くが現在では廃線となった。使命をまっとうした路線、周辺住民に惜しまれながらも合理化により廃止されたものなど様々である。
 北海道では、これらの「開拓」「発展」と「衰退」が比較的短期間に起こったため、あちこちに鉄道の遺構があることとなった。私は、いつしかこれらの廃線跡や関連する産業遺跡の後をめぐるようになった。「確かにそこにあった時代」を静かに語る廃線跡は、今も少しずつ時の流れに風化しながらも、じっとそこに佇んでいる。自分がそこに立つことで、時のめぐりを実感する。シュペングラー(Oswald Spengler 1880-1936)の有名なことば「去りゆく一切は比喩にすぎない」を想起する、と言えばちょっと大げさかもしれないが。
 最近では、これらの鉄道が健在だったころの映像の記録が商品化されることがあり、時々購入している。想像するのもいいが、こうして、実際の映像を見てみるのは、私にはとても感慨深いことだ。ちなみに私の祖母は炭鉱の町、夕張で教員をしていたし、父は鉄道写真を趣味とし、美唄鉄道や幌延町営軌道の姿を多くフィルムに収め、個展も開いたくらいだから、私にはそういった血が流れていて、「感化されやすい性分」なのだろう。それで、本DVDも、たいへん興味深く拝見させていただいた。
 正直言って、私がいちばん感動したのが特典として収められている「別海村営軌道馬車鉄道」の模様である。1961年放映時のナレーションで、「一歩奥に踏み入れば暗い話題ばかりの根釧台地」とある。1961年といえば、農業基本法が可決された年で、その後北海道は食料基地としての機能を国策として与えられることになっていくのだが、寒冷で風の強い原野の開拓は困難が付きまとったに違いない。今でも現地にいくと、壮大な格子状の防風林が続き、開拓の苦労が偲ばれる。
 そのような中、重要な役割を担ったのが輸送手段としての軌道で、中で「別海村営軌道馬車鉄道」は、根室本線の厚床と現・別海町上風連を結んだ「馬が台車を引く軌道」だった。これは日本で最後まで残った「馬鉄」で、1961年の時点で「国内唯一」となっている。映像は実に楽しい。もちろん時代が古いのでモノクロで、劣化したところもあるのだけれど、十分に様子は伝わる。各農家を巡り、牛乳を回収する様子、子供たちが通学するのに、その牛乳容器の上に座る様子、台車を引く馬に、近隣の牧場の馬が寄ってくる様子。そして、いまは駅のまわりにこじんまりした集落しかない厚床の、当時の町の様子がわかる。大きな通りがあり、大衆食堂もある。そして、人々の表情からは、困難にめげない開拓者の熱気にあふれた雰囲気が伝わってくる様に感じた。これだけの映像が記録されていたことは、本当に(私には)ありがたい。かの地に行ってみたい、と思う。
 「特典」についていきなり長々と書いてしまったけど、本編についてもかいつまんで書きます。
 手宮線は小樽の街中を蒸気機関車が通り過ぎる迫力ある映像が見もの。今では手宮線跡地は、線路を残したまま散策路となっていて、私も良く出かけるのだけれど、今度はこの映像を想起しながら歩いてみたい。夕張鉄道は錦沢のスイッチバック、夕張本町に到着する際の運転席からの前方展望など興味深い。深名線は私には思い入れのある線で、何度か廃線探訪しているが、やはり豪雪期の映像にこの地の冬の厳しさが凝縮されていると思う。美唄鉄道も石炭列車が迫力満点。東名駅跡には機関車が保存されているとのこと。万字線は末端部の渓谷を高い鉄橋で渡る風光明媚な映像が貴重。広尾線の貨物列車、名寄本線では興部駅の人々の姿が印象的。三菱大夕張鉄道は、私も廃止直前の時に利用したので、思い出深い。片道子供料金30円という切符は、私のアルバムに挟まっている。
 本州の4路線については、私は馴染みはないのだけれど、とても面白かった。特に南部縦貫鉄道のレールバスの姿、新潟県最後の私鉄となった蒲原鉄道のレトロな電車は、とてもかわいらしく思えた。
 二度と走ることのない鉄道たちを見ていると、寂寞としたものも感じるのだけれど、それでも幸いにも残ったこれらの映像を見て当時のことを想像し、いずれはそれらの地を、実際に訪問してみたいと思わせる内容でした。また、当時の炭坑などの貴重な写真なども番組中で紹介されているので、そういった点も含めて、私にはたいへん心を豊かにしていただけたDVDでした。

札幌テレビ放送 スイッチバック北の鉄道 DVD 森中慎也(札幌テレビ放送)

レビュー日:2013.12.24
★★★★★ 副音声による味のある解説も一興です
 STV・札幌テレビ放送によりまとめられた北海道内の廃止鉄道路線の映像集。取り上げられている路線(と一つの付録企画)は以下の通り。
1) 定山渓鉄道
2) 手宮線
3) 万字線
4) 根北線
5) 白糠線
6) 相生線
7) 湧網線
8) 興浜南線・北線
9) 三井芦別鉄道
10) 特典映像:義経号の記録映像
 映像の内容は、主にこれらの鉄道の「運行されていたときに撮影された映像」「運行最終日に関する映像」「現在、名残をとどめる場所の映像」である。このうち、「現在、名残をとどめる場所の映像」は、保存されている駅跡や記念館の紹介であり、いわゆる廃線跡探訪といったものではない。しかし、それなりに妥当な箇所が選ばれているといった印象で、メジャーTV局によるDVDとしては穏当な内容。
 しかし、何と言っても貴重なのは「運行されていたときに撮影された映像」である。実際、「撮影すること」自体に必要な機材や労力が、現代とは比較にならないほど大変だった時代に、よくぞこのような映像が記録できたものだ、と感心してしまう。特に、根北線、相生線の車内、車窓の風景には感動してしまった。
 「根北線」という線路のことを知る人はあまりいないだろう。この路線は、斜里から根室標津に至る路線として計画され、1957年に斜里駅(現知床斜里駅)と越川駅の間のみ部分開業したのであるが、その後の延長は果たされず、13年後の1970年に廃止された。この路線が計画された当時は、国土防衛のための物資輸送という観点が重視されたようだが(日ソ戦が想定されていた時代だった)、時代の変遷により、そのような価値も必要も認められなくなったということだろう。それにしても斜里平野を走る気動車と、そこに設置された簡易な乗降場の様子を映像で観たのは、私も初めてである。このような貴重な映像が残っていたこと自体が驚きだ。それにしても、斜里平野は本当に景色の美しいところだから、往時の車窓風景をしのぶことも出来るこれらの映像は、特にこの線路の廃止後に生まれてきた私のような人間にとって、この上なく貴重なものだ。
 ちなみに根北線の越川から先も、工事は進められていた。その未成線部分で、現在も残る構造物として有名なのが「越川橋梁」である。美しいアーチの連続する橋梁で、国道244号線をダイナミックに跨いでいたのだが、国道の真上以外の部分は現在も撤去されず、国の登録有形文化財として保存されている。この美しい橋梁の現在の姿も、本DVDは紹介している。
 「相生線」は美幌町から津別町の北見相生に至る地方線であった。もとは阿寒を経由して釧路に至る「釧美線」として計画されたが、根北線同様に未成線のまま廃止された。しかし、相生線は森林資源の輸送と、地域住民の生活路線として活躍した。本DVDでは恩根駅、本枝駅といった小駅を列車から見た映像が貴重だ。その他津別駅で多くの学生が乗り降りする姿など、かつては生活路線として活躍していたことがよくわかる。
 「三井芦別鉄道」の映像には驚かされる。芦別市は現在では人口1万5千人ほどの町だが、かつては大財閥系の5つの大きな炭坑が集中し「芦別五山」と称された。そのターミナルであった芦別駅と、三井の炭坑があった頼城駅の間を、最盛期には、石炭貨物列車はもちろん、旅客列車が1日に20往復したという。そのころの街並みや、朝の混雑時の様子が映像で紹介されている。駅を行き交う大勢の人々は、大都市のラッシュアワーさながらだ。当時芦別市は人口7万5千人を数えたと言う。
 これらの貴重な映像とともに、副音声で国鉄時代に車掌長を務めた作家の田中和夫さんの貴重なコメントが聞けるのもうれしい。特に印象的なコメントとして「万字線」にまつわるものがある。
 万字炭山と、室蘭本線の志文駅を結んだ「万字線」は、全列車が岩見沢まで乗り入れていて、一日6往復、車掌としては全12時間の勤務であったという。この6往復が、なんと5両編成で運転され、いずれもほぼ満員だったそうである。中間の美流渡駅の一日の乗降客数が1,700人に達したというのだから、驚かされる。6往復でこの数字というのは驚異的だ。また、この路線は、周辺住民と国鉄職員の間で、暖かい日常的なやりとりが繰り広げられた路線だったということで、そういった意味で「古き佳き」的な色彩をひときわ色濃く持っていた路線だったのだろう。また、万字線の山側の車窓風景の美しさは素晴らしかったそうだ。深い渓谷を何度も高い橋梁で跨ぎ、谷を覗き込むようにして走る路線は、「それだけでも観光資源としての価値があった」と感じたほどだそうだ。このような話を聞くと、なぜ乗っておかなかったのだろうと悔やまれるが、廃止当時(1985年)には私はまだ中学生になったころで、そこまで思いつかなかった。
 そんな私も「湧網線」には乗ったことがある。冬の早朝、網走駅を発した列車は、網走湖、能取湖といった湖面を望み、高台からオホーツク海を見下ろし、さらにサロマ湖沿岸を走るのだが、この世のものとは思えないほどの美しい車窓を繰り広げる路線であった。積もった雪を巻き上げて、雪原と流氷の海の間をゴトゴトと走る気動車は、自分を「この世の果て」に連れて行くのではないだろうか?そんな思いを抱かせた路線だった。もう二度と、あのような体験はできないだろう。本DVDも風光明媚な路線風景が紹介されている。網走駅のポイントの先、途切れてしまった湧網線の線路に、かつての自分の姿を思うところもある。
 「定山渓鉄道」については、今もって惜しむ声が多い。と言うのは、この鉄道が走っていた藤野、簾舞(みすまい)といった札幌市南部の住宅地は、いまもって都心に向かう主要な道路が国道230号線のみであり、たいへん混雑の激しい道路だったからである。この鉄道が廃止されたのは、札幌オリンピックのため、真駒内会場までの「地下鉄」を敷設するにあたり、この鉄道の軌道後を使用するため、札幌市が買い上げてしまったからだ。しばしば思うことだけれど、抗えない大きな時代の流れの中で、その価値をきちんと考える猶予も与えられず、捨て去られるものがある。もちろん、それを「悪いことだ」と短絡的に言い切ってしまう気はないけれど、少なくとも私にとっては、味わい深い一つの貴重なものが、あっさりと見捨てられてしまったように思える。札幌市の南区は人口が急減しているが、この鉄道が残っていたら、状況は大きく異なっていたと思う。本DVDでは、定山渓駅の様子、途中を走る電車の様子などを見ることができる。副音声解説では、田中和夫さんが、国鉄苫小牧行4両編成の最後尾に定山渓鉄道1両が連結されて札幌駅を出発していたことから生じた混乱などのエピソードが語られ、興味深い。
 「白糠線」は、上茶路炭坑の産出物の輸送と、足寄までの延伸を目指していたが、その工事途中の「北進駅」までしか開業しなかった路線である。この北進駅について、紀行作家の宮脇俊三氏が、訪れたときの印象を「これほど何もない終着駅は倉吉線の山守くらいしか思いあたらない」と述べたくらい、何もない終着駅で、その様子もこのDVDには収められている。ただの野原の中の終着駅だ。この白糠線は1980年に定められた「国鉄再建法」によって、全国のトップを切って1983年に廃止された。この際には全国からファンが押しかけ、最後の日には11両編成の臨時列車が運転された。当時のニュース映像、新聞記事がかすかに頭に残っていたが、このDVDを見て、その記憶をはっきりと思い返すことが出来た。ちなみに、白糠線の遺構は現在も多く残っており、私も国道392号線を走ったおり、いくつも目にすることが出来た。
 北海道最古の1880年開業の「手宮線」も興味深い。ただ、実は、1869年に北海道内に敷設された「茅沼炭鉱軌道」というのがあり、これは、なんと新橋-横浜開業に3年先んじて、レールが敷かれ、軌道として使用されていた本当の意味での“日本最古の鉄道”である。そうは言っても、対象を「旅客用」と限定すると、北海道最古の鉄道は、この手宮線となる。この手宮線も、往時の様子、廃止の日を見守る人々の様子が記録されている。ちなみに、「手宮線」の廃線跡は、小樽市の中心部ということもあり、現在まで線路を残したまま散策用に整備されており、私もこの界隈を歩くのは大好きだ。手宮駅には鉄道記念館もあるので、観光用に再利用したいくらいの場所柄である。
 オホーツク海結ぶ夢が断たれた「興浜南・北線」は物悲しい。特に枝幸町は鉄道悲運の町だと思う。もともとは歌登町営軌道が天北線の小頓別駅から歌登を経て枝幸まで通じていた。しかし、天北線の浜頓別駅から枝幸まで「興浜北線」が開通すると、乗客が減少。歌登町営軌道の枝幸-歌登間が廃止となった。さらに、国鉄から、興浜線の全通と、枝幸と美深とを結ぶ美幸線の双方の建設のためと説得され、歌登町営軌道の路盤は収用され、軌道は全廃されたが、いずれの路線も開通することはなく、挙句の果てに唯一通じていた「興浜北線」まで廃止された。まさに「交通手段」を国策によって翻弄された一地方自治体の象徴だ。旧北見枝幸駅跡に整備された鉄道公園、そこに静態保存された歌登町営軌道の小さな機関車は、私にはとても切なく映る。
 特典映像は、北海道最初の鉄道である手宮―幌内間で活躍し、大阪に動態保存されていた義経号が、蒸気機関車で運ばれ、式典で手宮に保存されていたしずか号と対面した当時のおそらく記録映画用に撮影された映像が見れる。なかなか苦心のロケーションで撮影されており、関係者の熱意が伝わる映像であり、北海道の開拓の歴史を伝えるものでもあると思う。

札幌テレビ放送 スイッチバック北の鉄道 2号車 DVD 田中和夫(作家/元国鉄車掌長)

レビュー日:2013.12.24
★★★★★ 鉄道という「公共財」の価値に思いを馳せる映像で、資料としても貴重です。
 STV・札幌テレビ放送によりまとめられた北海道内の廃止鉄道路線の映像集第2弾。取り上げられている路線(と一つの付録企画)は以下の通り。
1) 士幌線
2) 標津線
3) 池北線
4) 広尾線
5) 天北線
6) 美幸線
7) 羽幌線
8) 名寄本線
9) 深名線
10) 特典映像「きかんしゃ慕情」
 前巻同様のコメントとなるが、内容は、主としてこれらの鉄道が「運行されていたときに撮影された映像」「運行最終日に関する映像」「現在、名残をとどめる場所の映像」についてである。このうち、「現在、名残をとどめる場所の映像」は、保存されている駅跡や記念館の紹介であり、いわゆる廃線跡探訪問、といったものではない。しかし、それなりに妥当な箇所が選ばれているといった印象で、メジャーTV局によるDVDとしては穏当な内容。特典映像「きかんしゃ慕情」は、苗穂工場で作製された12両のD51の末路を取材したもので、かつて放送されたもののダイジェスト版です。
 さて、本巻は、1-9)のタイトル以外に、実はさらにたいへん貴重な映像が保存されている。「士幌線」における上士幌駅で分岐していた「北海道拓殖鉄道」の様子、「標津線」では、標津線一部区間の前身であった厚床と中標津・根室標津を結んだ「殖民軌道根室線」の様子、「美幸線」では未成線部分(北見枝幸‐歌登)をかつて走行していた「歌登町営軌道」の様子、羽幌線では築別で分岐し築別炭鑛に至った「羽幌炭鑛鉄道」の様子がそれぞれ収められているのである。特に、「殖民軌道根室線」(1933年国鉄に委譲)と「歌登町営軌道」(1951年当該区間廃止)の映像には感動した。よくぞこのような映像が記録・保存されていたものだと思うし、映像の内容が素晴らしい。車両の様子、利用する人々の表情などまで、よく捉えられている。
 当巻でも前巻に引き続いて、国鉄時代に車掌長を務めた作家の田中和夫さんのコメントを全編で聞くことが出来る。かつて、北海道内に敷設された軽便鉄道、簡易軌道、殖民鉄道といったものは、総延長にして600kmを越えていたという(さらには様々な森林鉄道が山深くまで敷かれていた)。これらの軌道の中には、時刻表などに掲載されていなかったものも多く、現在知りえる情報は少ない。例えば、私の実家には、父が撮影した幌延町(もしくは豊富町)の殖民軌道と思われるものの写真があるが、これが時刻表で掲載されているのは見たことがない。そのような中で、一部であっても、このような情報が、しかも映像で得られるのは、本当にありがたい。
 さて、もちろん本編の内容も私には興味深いもの。「士幌線」は大雪山を縦断し、上川町まで至る構想を持っていた路線。最盛期には森林資源の搬出で活躍した。ダム建設のため、山岳部の路線は付け替えが行われたが、旧線が使用していたローマ水道の様に美しい「タウシュベツ橋梁」は、現在でも、渇水期には糠平湖の水面から顔を出すので、見ることが出来る。といっても、はるかかなたから遠望するのみで、間近に行くには、ツアーなどへの参加が必要だ。この橋梁は、たいへん美しい建造物なのだが、痛みが激しく、ここ何年かで崩壊するだろうと言われている。崩壊前にもう一度見たいと思う。また、美しい第三音更川橋梁も保存されている。こちらは国道241号線に沿っており、近くで見ることが出来る。付近の渓谷の美しさとあいまって、絵葉書になる様な景色だ。本DVDには、これらの美しい橋梁群の現在の姿も収録されている他、多くの利用者でごった返す往時の士幌線の盛況ぶりを収めている。
 「標津線」では、かつての分岐駅としての機能を失った「厚床駅」が、ただっぴろい平原の中にポツンとある現在の姿が映っていて、印象に残る。かつては、駅周辺に鉄道関係の施設や官舎があり、それなりの町が出来ていたという。「池北線」は、北海道で唯一「第3セクター化」により延命が行われた鉄道であるが、やはり過疎化、モータリゼーションの大きな波に、合理化のみでは抗しえず、廃止された。DVDにはかつての沿線の風景の他、国鉄から第3セクター鉄道への委譲前日の様子なども収められている。
 「天北線」も他の多くの廃線同様に、周辺の炭坑、それに石灰の輸送に活躍したのであるが、時代の波によって消えていった。稚内から唯一天北線を経由した急行「天北」の在りし日の姿が映っている。周辺の旧炭鉱の映像も物悲しく美しい。思えば、北海道の鉄道の多くは、「炭坑」「林業」「鉱石」「ニシン」といった資源や飼料の輸送を大きな目的としていた。北海道の多くの地域は、これらの鉱物資源、森林資源、その他資源・飼料が、安価な輸入品と競争できないことから、関連地場産業が衰退し、それによって人口が減少、さらに自動車の普及による旅客の激減が重なることで、鉄道路線が廃止され、それによってまた地域経済は負の影響を受けるというスパイラルに長らく陥った状態にある。鉄道網の衰退は、そのような北海道の近代史の象徴といって良い。
 「広尾線」の映像にも驚いた。「えりも岬」ブームのおり、終着の「広尾駅」は、観光の拠点駅として機能し、たくさんの旅行者がこの駅で広尾線からえりも行のバスに乗り換えていた。今の様子からは想像できない盛況ぶりだ。この路線では定番といえる「愛国駅」「幸福駅」も紹介されている。両駅は、互いを結ぶ鉄路を失ったいまも保存されていて、多くの旅行者が訪れている。
 「美幸線」は美深と北見枝幸を結ぶ予定で、未成部分もほぼ完成しながら、開通しなかった悲劇的路線。ちなみに、終着の仁宇布駅付近は、村上春樹氏の小説「羊をめぐる冒険」の舞台設定に用いられたところと考えられている。現在では、旧仁宇布駅跡の周辺のおよそ5kmの廃線跡を用いて、観光用トロッコが運営されていて、ディーゼルエンジンの付いたトロッコを自分で運転して旧美幸線の線路を走ることができる。私も妻と乗ったことがあるが、とても気持ち良かった。また、仁宇布の山間には、確かに羊が放牧されていて、村上春樹の小説のシーンを彷彿とさせる風景が広がっている。それはおいておいて、このDVDでは美幸線の未成線部分に関する映像も収録されていて、一度も開業することのなかった歌登駅や、敷設用に準備されたコンクリート製の枕木や線路がうずたかく積み上げられている様子が見れる。
 解説の田中和夫さんによると、この美幸線は「全通していれば、あるいは」と思わせる路線だったという。1970年当時の枝幸は、1万人を大きく超える人口で、付近では最大の町だったし、これが旭川と最短で結ばれる形になるので、あるいは、天北線や名寄線より、残す価値のある線区となっていたかもしれない。もちろん、今となっては「たられば」の話でしかないが。
 「羽幌線」はとにかく日本海の絶景が望める長大な線区だった。いまでもこの付近の夕日は素晴らしい。私も何度か見たことがあるが、天塩、遠別、初山別、羽幌、苫前といった町の夕日の美しさは壮絶だ。日本海の水平線に、利尻島、天売島、焼尻島が浮かんでいて、これらの島々が、金色の夕日をバックに、深い橙色に包まれるのである。羽幌線に乗り、その風景に見入った人も多かったに違いない。映像では、付近の学生が多数通学に利用している姿、車内でおしゃべりする姿が残されている。
 「名寄本線」は本線の名を持ちながら廃止された唯一の路線として知られる。私の父は、この名寄線の沿線に、SL撮影のためしばしば出かけたそうである。私の実家のアルバムでは、紋別、興部、西興部周辺で撮影されたSLの写真が多くある。私自身は、中湧別と遠軽の間だけ利用したことがある。「名寄本線」は途中に紋別市を擁する路線で、需要がないわけではなかったが、特に下川と紋別の間の乗降客数が少ないことから廃止の運命を辿ったとされる。現在の紋別駅周辺は、私も訪れたことがあるが、ほとんど鉄道の痕跡を残しておらず寂しい。DVD中では、観光客の提言で、旧駅のあった場所に、駅名票のみ掲げてモニュメントの様な形にしたというエピソードが紹介されている。私も、そのような痕跡を辿るのが好きな人間なので、何らかの標(しるし)を残してもらえるなら、ありがたいと思う。
 「深名線」は私がたびたび廃線跡を訪れる路線(跡)。日本最大の人造湖朱鞠内湖を建造するために建設された路線だ。この朱鞠内湖関連工事はたいへんな難工事で、多数の囚人や朝鮮からの強制労働者が命を落としたことでも知られている。実際、このあたりは道内でも特に自然の厳しいところで、冬季は氷点下20度を下回るのが普通。2mを越える豪雪に閉ざされる。DVDの映像で印象に残るのは、往時の添牛内の駅である。豪雪の中、旅客が乗り降りするための最小のスペースのみ除雪されている。貴重な住民の足を確保するため、大きな労力が払われていた。この添牛内の駅舎は今も残っていて、私も訪問したことがある。今なお駅前のたたずまいを残し、小さな花壇も誰かが手入れしているようで、ベンチもある。しかし、毎年の豪雪で駅舎は傷んでおり、いずれは崩落してしまうのだろうと思った。できれば、いまの姿を一人でも多くの人に見てほしいものだ。
 私は、この深名線の大半が走っていた「幌加内」という町には思い入れがあり、伊丹恒氏の写真集「幌加内」(ISBN-13: 978-4877392055)のレビューで以下の様な感想を書いた。『私は、感傷にまかせて、「今の時代、人は郷土愛を失った」みたいなことを言うつもりは毛頭ないのだけれど、しかし、この写真集を見ていると、地方の鉄路が単に赤字を理由に続々と廃止されていった時代、それは、さまざまなものが「合理化」「無駄排除」の御旗で静かに去っていた時代であり、そこを境に何か大切なものが社会から失われてしまったように思われる。その延長線上である2012年にあって、この写真集は、鉄道廃止の時代が、何か一つの時代の価値観を終焉させた時代に重なることをあらためて実感させてくれる力を持っている。』
 本DVDを見て、全般に同じような印象を持った。もちろん、財政の問題で、背に腹は代えられぬという事情はあるにしても、鉄道の価値というのが、単に「運賃を、人件費と維持費の和で割っただけ」で計るものであるとは思えないのである。その“計ることの出来ない”価値は、言い換えれば「公共性」のような価値観であろう。“廃駅となった添牛内駅の花壇を手入れする”、あるいは“わずかな旅客の為に雪を除ける”といった行為。そのような行為は、経済学の観点からは無価値なものであろう。しかし、そこに価値を見出すことが、文化の豊かさであるように思える。私の勝手な郷愁かもしれないが、そんな思いを引き起こすような映像作品だったと思う。
 なお、当シリーズはこれまで2巻刊行されているが、北海道内は、まだ取り上げらえていない廃止路線が、旧国鉄線だけでも、渚滑線、歌志内線、幌内線、札沼線(新十津川~石狩沼田)、函館本線支線(砂川~上砂川、美唄~南美唄)、旧夕張線支線(紅葉山~登川)、富内線、胆振線、岩内線、瀬棚線、松前線と多数あるので、是非とも続編の刊行をお願いしたいと思います。

札幌テレビ放送 スイッチバック北の鉄道 終列車 DVD

レビュー日:2014.10.14
★★★★★ 個人的にも様々な想いが交錯する映像作品です
 STV・札幌テレビ放送によりまとめられた北海道内の廃止鉄道路線の映像集。第3集にして最終巻。取り上げられている路線(と一つの付録企画)は以下の通り。
1) 胆振線
2) 富内線
3) 松前線
4) 瀬棚線
5) 岩内線
6) 歌志内線
7) 上砂川支線
8) 夕張鉄道
9) 三菱鉱業大夕張鉄道
10) 幌内線
11) 特典映像・青函連絡船の軌跡
 私は第2集のレビューに「まだ取り上げられていない路線についても、続編を刊行してほしい」と書いていたのだけれど、ほぼ同時期にこの第3集が出ていました。サブタイトルが「終列車」となっていて、これまでの「1号車」「2号車」といったサブタイトル、さらにジャケットデザインの違いから、同一シリーズとして見逃していたのですが、この「終列車」が、従来のサブタイトルで言えば「3号車」に当たるものになります。
 前2巻と同様に、映像の内容は、主にこれらの鉄道の「運行されていたときに撮影された映像」「運行最終日に関する映像」「現在、名残をとどめる場所の映像」である。このうち、「現在、名残をとどめる場所の映像」は、保存されている駅跡や記念館の紹介であり、いわゆる廃線跡探訪といったものではない。しかし、それなりに妥当な箇所が選ばれているといった印象で、メジャーTV局によるDVDとしては穏当な内容。
 今回は、道南、道央の路線、それに「石炭産業」と密接なかかわりをもった路線が集中的に収められていて、前2巻とはまた少し違った味わいだ。
 私は、北海道で生まれ育った人間で、幼少のころ、両親に連れられての旅行は、鉄道を利用したものが多かった。毎年のように、冬のニセコに泊りがけでスキーに出かけたのだけれど、その往復で利用する急行「らいでん」への乗車は、スキーとともに、私の心をときめかせるものだった。幼少のころにのった松前線、瀬棚線、胆振線、三菱鉱業大夕張鉄道。学生時代に乗った湧網線、名寄本線、士幌線といった路線が、次々と歴史の波のうちに消え去っていったことは、寂しさを感じずにはいれない。
 それでも、このような映像が少しでも記録されていることは、とてもありがたい。あるいは、これらの路線がもう少しでも生き延びてくれれば、私も乗る機会があっただろうし、より多くの映像メディアに記録されていただろうと思う。道内の路線には、車窓の美しい路線が多い。昔の地形図を見たり、廃線跡を探訪したりすると、この路線は美しい車窓を眺められたに違いない、と思う路線が数多くある。興浜北線、羽幌線、深名線など、万難を排してでも乗っておけばよかったと思うが、それも今となってはどうしようもない。せめてまだ残された路線たちに乗っておこうと思っている。
 さて、本DVDである。映像が多く残っているのはどの路線でも、「最終列車の模様」だ。その映像を続けざまに見ると、何度も「蛍の光」が流れるので、随分郷愁に誘われるが、これはニュース映像として残り易いため仕方ないだろう。個人的に興味深かったのは、幌内線の「最終列車」である。
 幌内線は、全国的にも、もっとも古い鉄路の一つで、幌内地区で産出される石炭を小樽港まで搬送する目的で建設された。1880年の手宮-札幌に続いて、アメリカから招へいされた鉄道技師、ジョセフ・ユーリー・クロフォード(Joseph U.Crawford 1842-1924)の設計に基づき、1882年に幌内までが開業している。全国でも旅客を乗せる鉄道としては、3番目に古い鉄路だ。その鉄路の両端(手宮-南小樽 及び 岩見沢-幌内)が双方とも廃止となってしまったことには時代の変遷を感じるが。
 さて、この幌内線。中心駅である三笠から、幌内と幾春別へ2つの線路が分岐していたのだけれど、このうち三笠-幌内間は、廃止の15年前に「旅客営業」をすでにやめていた。しかし、最終列車は、この区間も含めて走行したのである。私は、このことを本DVDをみてはじめて知った。幌内を出た長大な編成を持つ旅客列車が、三笠駅にスイッチバック方式で乗り入れるシーンの空撮は、きわめて貴重だ。
 ちなみに幌内駅跡は現在は鉄道記念館として、三笠駅跡はクロフォード公園として整備されている。クロフォード公園には、跨線橋やホームがそのまま保存されているが、駅舎は教会風の瀟洒なものに立て替えられてしまっている。できれば青屋根の大きな三笠の駅舎をそのまま保存してほしかったが、保存費用の問題などもあるのだろう。しかし、そのような形で、この歴史ある産業遺産が、記憶にとどめられるのは相応しいことに思う。
 列車の走行風景で美しい動画が記録されているのは、富内線、松前線、胆振線であろう。富内線は鵡川を越える高い鉄橋、松前線は松前城をバックとした高台から、松前市街の上をこれまた高い橋梁で越えていくところが印象的だ。胆振線は羊蹄山をバックに走る映像が美しい。
 炭坑とかかわりの深かった路線については、閉山していった炭坑の様子もあわせて収録してあるのがありがたい。三菱鉱業大夕張鉄道は私が小さいことに乗ったのだが、片道大人60円、子供30円で、当時日本で最も安価な交通機関としても有名だった。最近「そらち炭鉱の記憶アートプロジェクト」を見に、付近を訪れた。その際に新夕張と夕張の間を鉄道で往復したが、大夕張鉄道が分岐していた清水沢の駅では、ホームと駅舎の間には、かつて大夕張鉄道が利用した広大な敷地が広がっていて、往時の繁栄を偲ばせてくれた。遠幌加別川の橋梁や橋脚も失われ、現在では明確な遺構は南大夕張駅跡の保存車両と、この清水沢駅の広大な空き地くらいである。(この保存車両も本DVDで紹介されている)。時の流れを痛切に感じる。
 夕張鉄道は、私の父がたびたび利用していた。私の祖母が夕張市沼ノ沢で教員をしていたこともあり、縁を感じる路線であるが、私が生まれたときには、すでに全線廃止された後だった。これらの鉄道の往時の様子も私にはとても貴重なものだ。
 なお、今回も、元国鉄車掌長で作家の田中和夫さんによる解説が副音声で収録されている。深い知識に根差した興味深い話が多く聴ける。特に印象深かったユニークな列車の話を一つ紹介しよう。田中さんは現役時代、月に1度か2度、急行いぶりに乗車する任務があったそうである。この急行「いぶり」、まず経路が独特で、札幌を出、千歳、苫小牧、東室蘭、伊達紋別を経由し、胆振線に入り、倶知安。さらに小樽を経由して、終着もまた「札幌」なのである。  この循環形式の列車、かつては国内にいくつかあり、北海道内でも急行「旭川」(旭川‐名寄‐紋別‐遠軽‐旭川)というのが走っていたことがあったのだが、「いぶり」の更に面白い点はその車両運用にあったという。
 札幌を出る時は7両編成。東室蘭で室蘭行急行「ちとせ」3両を分割し、4両編成に、伊達紋別駅で洞爺行急行「とうや」2両を分割し、胆振線に進入する際は2両となる。有珠山、昭和新山を左手に見、長流川の美しい渓谷に沿って走り、尻別川、そして羊蹄山を臨んで倶知安に至ると、ここで目名発の急行「らいでん」3両と連結し5両になる。さらに次駅の小沢で岩内発の急行「らいでん」2両と連結し7両。いろいろあって、札幌に戻ってきたときはやっぱり7両の姿となるという、別れと出合いを繰り返す人生を彷彿とさせるような列車だったようだ。田中さんは思い出深いのか、胆振線内の停車駅7駅程度をすらすらと暗誦し、懐かしいとのこと。私もこの路線に乗り、美しい風景に見入ったので共感させていただいた。
 末尾収録されている青函連絡船の映像も見事。各連絡船の映像と併せて、直接貨物を出し入れする映像、あるいは旧函館駅と、市電の走る当時の街並みの映像など、どれもありがたいものばかり。見終わって、失ったものの大きさと、その記憶の大切さを再認識した。是非、STVだけでなく、映像を補完しているところは、早期にデジタルメディア化をおこなって、貴重な記録を決して風化させないでほしい、ということを強く感じた。

埋もれた轍 北海道篇~廃線跡探訪~ [DVD]

レビュー日:2014.10.11
★★★★★ 予想以上の情報量。数々の貴重な映像に感謝。
 北海道に残る廃線跡、未成線跡、廃駅跡、保存駅舎等の様子を集め、編集したもの。対象は相当に詳細で、この方面に相当詳しい人がプロデュースしたものと思われる。対象の範囲の広さ、「人知れない」路線の発掘、さらに、遺構として取り上げられたものには、廃線探索に興味深い私でさえ「こんなものが残っているのか」と感嘆させられるようなものも多い。映像は、廃線や未成線の様子に限らず、時には、現役時代の貴重な映像も交えながら、必要最小限度のナレーションで淡々と進めてくれる。さらにBGMとナレーションをoffにし、現地でマイクが採集した音のみで再生できるのも、良いサービスだ。とはいえ、BGM、ナレーションとも、決して過剰でなく、適切な量だ。
 字幕もありがたい。廃線の遺構は、線路が川を渡っていた地点に遺されていることが多いが、そういった場所を紹介するときも、橋梁の名称など、ちゃんとプロットしてくれるのがありがたい。とはいえ、そのプロットは、廃線や北海道の路線・地理に相当詳しい人を対象としているような印象をしばしば受ける。例えば1)「峩朗本線 南部坂駅跡」2)「北海道糖業道南製糖所」3) 「日曹炭鉱天塩鉱業所専用鉄道」・・これらの字幕で、その路線跡が所在する自治体を、全部言い当てられる人がいたら、私はちょっと尊敬してしまう。
 一応、正解を書かせていただくと1)北斗市、2)伊達市、3)豊富町 である。こういった廃線跡まで撮影の対象になっていると言うわけだから、当然の事ながら、対象は旧国鉄線にとどまらず、森林軌道、殖民軌道、石炭や資源搬送を行った各私鉄も含まれる。しかも、冒頭は「小函航路」である。これも知っている人はめったにいないであろう。青森港が使用できなかったころ、青森県小湊と函館を結んだ連絡船の航路である。本DVDでは、小湊、函館の両側の遺構をきちんと収録している。収録順は、道南→道央→道東→道北となり、さいごは稚内-サハリン航路で締めくくるあたりもロマンを感じさせる。
 ただし、である。これらの映像が収録されたのは、1990年代の末である。それから15年以上が過ぎた現在、本DVDに紹介されているいくつかの遺構は撤去され、記念館には閉鎖されたものもある。例えば、富内線の振内駅跡を利用した記念館は、私が一昨年訪問した際は、すでに閉鎖されてしまっていた。さらにこの映像作品が初出した後に、ちほく高原鉄道が2006年に、江差線が2014年に、それぞれ廃止されて、「廃線」に加わっている。そういった意味で、本作の若干の情報の古さは、前提として押さえておく必要があるだろう。
 私は、廃線跡や、旧炭鉱跡を巡るのが好きなのだが、ここ10年くらいで、急速にこれらの廃墟は姿を消しつつあると実感する。時と共に風塵に帰するものもあるのだが、人為的に撤去されてしまうものが多い。現地の人の気持ちや、安全面の問題もあるだろうから、第三者がうがったことをいえるものではないと思うが、少しでも多くの遺構をとどめて欲しいと感じる。北海道を旅していて、駅跡がまっさらな更地になっていたりすると、なんとも寂しい。特に、自分がかつて鉄道で訪れたことのある駅なら、なおさらだ。
 そういった意味で、このDVDに収められた映像は、更に二次的な消失前に収録された貴重なものも多い。シューパロ湖に沈んでしまった大夕張鉄道や下夕張森林鉄道の遺構は、美しく、幼少のころにこれを目にした私には、いまなお忘れがたい風景だ。
 ところで、最近では、うれしいことにこういった廃墟や遺構を保存しよう、という動きもある。私が最近訪問した「そらち炭鉱の記憶アートプロジェクト」は、若いアーティストたちが、三笠市幾春別の巨大ホッパー跡や、夕張市清水沢の北炭火力発電所跡を舞台にアートを展開し、素晴らしいイベントになっている。じっさい、現在、北炭火力発電所跡を管理している会社は、このアートに協力するため、廃墟の撤去作業を2011年で中断し、イベントに供与してくれている。ありがたいことだし、応援したい。また、羽幌町は、羽幌炭礦鉄道跡と築別炭鉱の廃墟を、観光マップに載せており、炭坑街跡には案内板も設置してある。残念ながら、そうはいっても風化は進んでいるのであるけれど、私の様な人間には嬉しい。
 話がずれてしまったけど、本DVDで、特に印象に残ったところを書こう。
 未成線である戸井線跡の連続アーチは有名なところだけど、改めて美しく収録されている。比較的最近まで運行されていた苫小牧臨港鉄道は現役時の貴重な動画と併せて楽しめる。当別町営軌道は、私の生活している場所から近いのだが、このような遺構が残っていることを知らなかった。そのうち自分で訪問してみたい。野山に埋もれる尺別炭坑跡も美しい。このようにアプローチの難しいところも、きちんと映像化してくれたのは嬉しい。また雄別鉄道をオーバークロスしていた鶴居村営軌道跡も、当時の様子を彷彿とさせる。JR根室本線が滝里ダムの建設に伴って線路を付け替えた際、ダム湖に沈んだ滝里駅は、往時の記録と、ダム湖に沈む直前の様子が記録されている。この駅も、私は列車に乗って通ったところだ。はっきりと記憶しているわけではないが、この映像を大事にしたい。留萌地方の浅野炭鉱跡もダムに半分沈んだ廃美を示している。湧網線跡、渚滑線跡は、いずれも雨の中の映像で物悲しいが、それゆえの旅情もあった。興浜北線跡では、斜内-目梨泊間のファンには有名な岬に突き出た路線跡が紹介されている。私は、かの地に行ったことがまだないのだけれど、いずれ必ず行こうと思う。  その他有名な士幌線のタウシュベツ橋梁、音更川橋梁、根北線未成部の越川橋梁など「王道」ものもきちんと収録されている。また保存駅舎、別に再利用してある駅舎なども可能な範囲で紹介してあり、自分の廃線探訪にも、大いに参考になさせていただきたいと思った。いずれにしても関係者の精力的な取材には、感謝したい。

さようならJR深名線 [DVD]

レビュー日:2014.10.11
★★★★★ 往時の深名線に思いを馳せる、情緒的で美しい映像が満載です。
 1995年に廃止された北海道深名線の記録。1992年の冬と1995年の春・夏を中心に美しい映像が収められている。本編の映像は50分ほど。他に特典映像として20分程度。本編に関しては、BGM、ナレーション「付き」再生と、「無し」再生が選択できる仕様。2002年に発売された映像作品であるが、それと同内容のまま再発売となった。中に1枚ものの解説書があり、深名線に関する全駅や利用者数などの基礎的資料がまとめてある。
 深名線は、北海道の深川市と名寄市を結んでいた鉄道路線で、全長121.8km。その多くを酷寒で、人口希薄な地帯を通ることで知られていた。その大半を占める自治体が「幌加内町」である。この幌加内町、人口はきわめて少ない。2014年現在でおよそ1,600人であり、これは北海道の町でも最少。一方で面積は広く、770平方キロもある。そのため人口密度は約2人であり、これは日本国内で最少の数値である。町の北部には朱鞠内(しゅまりない)湖という国内最大の人造湖があるが、その近くの「母子里(もしり)」という地名の場所が戦後の国内最低気温となる-41.2℃を1978年2月17日に記録した。また、気候的には日本海側となり、冬季は豪雪地帯となる。名産はそばで、隣接する旭川市の江丹別地区とともに、その銘柄は知られている。
 町の行政域は、この朱鞠内湖を源とする雨竜川を囲むような形で、南北に長く伸びている。この行政域を縦断していたのが深名線である。深名線は71年間に渡り運行されてきたが、1995年9月4日に廃止された。かつては森林資材の搬送等に活躍した路線であったが、需要の低下に伴い、早くから相当な赤字路線であったが、それでも1995年まで鉄路が存続されたのは、周辺の道路が整備されておらず、バスによる代替輸送が不能であったためである。
 深名線の末期は、1日の利用者が300人程度であったという。1日3~5往復程度、周辺人口を考えると、健闘と言える数字ではあるが、貨物などの他の用途のない路線を維持するには、きわめて少ない数であった。また、この路線の維持の難しさは、冬季の酷寒と併せて豪雪がある。これはこの地域特有のもので、時に-30℃に達する気温は、線路の路盤をかさ上げし(“凍上”という現象)、列車はガタガタと大きく揺れながら進行したのである。当作品には、その様子が映像として記録されている。また、豪雪に対応するため、線路、駅の排雪は不可避で、毎日定時の除雪車;ラッセル、排雪モーターカー(ハイモ)の他、特雪と呼ばれる臨時除雪も含めた対応が必要だった。駅では早朝から職員が除雪を行った。映像に収められていないが、駅によっては地元の住民がボランティアで除雪を行っていたところもあると言う。
 当作品では、このラッセル、ハイモ、特雪の作業が、迫力あふれる映像として収められている。相当に冷え込んだ雪の降る早朝であったに違いないが、カメラマンの労苦と執念を思わせる映像だ。しかし、この映像は、このような線路を維持することが、経費的にはたいへん困難であったことをも物語っている。
 しかし、私はしばしば思うのであるが、このような厳しい地域の生活というのは、ある程度の公的負担は当然必要なものではないのだろうか。地方の交通事業を、採算性という尺度だけで評価することが、果たして社会的適切性や合理性を持っているだろうか?。もちろん、国が多額の借金を抱える状況で、あれもこれもというわけにはいかないが、様々なしわ寄せが、地方でより重くのしかかるのはいかがなものだろうか?。実際、都市部で生活している人間にとって、いくら国が借金を抱えていようと、実際には交通網は充実し、様々な生活の利便性は高まっているのだ。しかも地方で生まれ育った人間でさえ、結局都市部で就職し、都市で納税者となってしまうことが大半だ。地方から、労働力の供給源として、吸い取られるものはすべて吸い取っておいて、あとは「限界集落」のレッテルを貼って捨ててしまうという、政治・政策のゆがみが、近年一層強く感じられると実感する。少なくとも、私を含めて、都市で生活し、そのインフラから便益を享受するものは、地方を維持するための何らかの追加負担をすることは、私個人的には当然のことではないかと考えている(なので、私は、時間のあるときは、地方をまわってせめてお金を使ってくることを心掛けている)。
 話を戻そう。本DVDには、運行の様子もよくわかるように映像が収められている。最終期の深名線のダイヤは、朝5時台に深川を出る3両編成の気動車によってスタートする。途中の幌加内駅で1両が切り離され、幌加内発深川行の始発となる。残りの2両は朱鞠内で切り離され、それぞれ朱鞠内発深川行と名寄行の始発となり、以後3つの1両の気動車が120kmの深名線の全列車を担う。この線区ならではの運転形態だ。
 深名線沿線は過疎の激しいところだ。これまで、路線の廃止に先んじて、いくつもの集落が消滅し、これに合わせて駅が廃止された。当作品には、1995年の時点で既に廃止されていた駅の往時の様子も可能な限り収録されていて、良心的だ。
 1995年の廃止の日には、満員の乗客を乗せて、最後の列車が住民との別れを惜しむように去っていく。さらに廃止直後の様子も映像で収められている。
 特典では、編集前の映像を長い尺で見ることができる。雨竜川にかかる第3雨竜川橋梁は、土木学会の選奨土木遺産に指定され、現在も保存されているが、そこを通る列車の風景も、視聴することができる。
 それにしても、私の場合、幌加内は思い入れのある町である。昨年も、政和、鷹泊、沼牛、添牛内など、いまも残っている駅舎の様子を見に行き、地元の蕎麦を味わってきた。時を経るとともに、毎年の風雪で駅舎の痛みは激しくなっているようだ。このような気候の厳しい地域で、鉄道というものが、どれほど心強く、また地域を結びつける公共財であったか、私には想像もつかない。しかし、添牛内の駅跡に行くと、いまなお、花壇が手入れされているのがわかる。廃止から20年近くが経過しても地域の住民は、大切だった深名線を忘れがたく思っているのだと感じる。都会で生活していても、このような心情を持つことは決してないだろう。私は、感傷にまかせて、「今の時代、人は郷土愛を失った」みたいなことを言うつもりは毛頭ないのだけれど、しかし、地方の鉄路が単に赤字を理由に続々と廃止されていった時代、それは、さまざまなものが「合理化」「無駄排除」の御旗で静かに去っていた時代であり、そこを境に何か大切なものが社会から失われてしまったように思われる。
 なお、「全駅紹介」の対象は、廃止時、存在した駅のみになっている。基本的に「〇〇年に開設された」「もとは仮乗降場だった」等の淡々とした解説が良い。これまた別の話になるが、TVで放送される最近の紀行番組などでは、TVカメラを擬人化し、撮影対象に話しかけるような演出が横行しているが、私はこれがまったく好きではない。なぜ、そのような不自然なことをするのだろう。それよりも、映像は映像、ナレーションはナレーションとして余計な演出を加えず、ナレーションがなくても成立する本作のような映像作品に、私は強く惹かれます。

cities skylines

レビュー日:2017.1.4
★★★★★ 都市開発シミュレーションの決定版
 フィンランドのColossal Orderが開発し、Paradoxから2015年3月に発売されたPC用都市開発シミュレーション。私がプレイを始めたのは2016年の12月。面白くて、年末年始の休みも随分パソコンの前に座っていた。すでに全世界で200万本を遥かに上回る売り上げだという。驚異的な数字である。
 作動にはWindows7以降のOSを搭載した64bitPCが必須で、CPUはi5-3470以上、メモリ6M以上が推奨されている。都市規模が大きくなるほど演算処理が多くなるので、推奨以上のスペックにより快適性が保たれる。(事前に動作環境を確認できるオンライン無料サービスで確認するといいでしょう。私も確認の上、購入しました。)
 当サイトで紹介されているのはパッケージ版だが、私はsteam上で購入した。steamでは当該品に相当するもののほか、いくつかの有料アップデート版も提供されている。本体がオンライン前提なこともあるが、価格的にも配信版の方が良いかと思う。(たまに半額セールなども行われているようです。)セーヴデータは、ローカル、クラウド上の双方に保存が可能で、クラウドに置いておけば、別のPCでも同じデータでプレイが出来ます。投稿日現在、公式には日本語未対応となっていますが、有志の開発した日本語版がweb上で容易に入手可能となっていて、私もこれを使用させていただいています。
 ・・さて、私は長いことSimCityという先行シリーズに慣れ親しんできたのですが、そのSimCityシリーズで、いちばん最近にリリースされたもののデータの不安定さ、マップの狭さに落胆し、アンインストールしてしまったものです。そして、それらの欠点が改善された新作が出るのかな、と淡い期待を寄せていたのですが、もうそんなことはどうでも良くなりました。それは、このCities Skylinesという作品があまりにも良くできた、マニアの心をくすぐるものだったからです。
 プレーヤーは当初、1辺が2kmの土地と、開発用の初期資金を与えられます。電力、水道を整備し、道路を引き、宅地、商業地、産業地を指定していきます。あとは、需要に応じて発展する街並みを見て、公的施設を整えるだけ。。。なんだSimCityと同じじゃないか、と思うかもしれません。
 しかし、すぐにその「違い」に気付くことになります。なんといってもプレーヤーの自由度が大きい。方格構造に依存しない土地区画、地域の独自性設定範囲の広さ、発展に伴う土地の拡大規模の大きさ(開発の進展にともなって隣接する別の2km四方のタイルが次々と解放可能となっていきます)、開発を待つ土地のアンジュレーションの豊かさ。
 上述した「マニアの心をくすぐる」と書いたのですが、マニアと言っても幅広いですよね。それで、私なりに高ぶったポイントを書いてみましょう。
・バス、路面電車、地下鉄、鉄道の路線網を整備し、駅や路線の利用者数が把握できる
・地域を自由な境界線で指定し、地域ごとの地理統計を見ることができる
・昼夜、朝夕の時間経過に応じた演出がなされ、流れる雲、周る星を背景に「見たい風景」が見れる
・自転車レーン、バスレーン、車線数、駐車エリア、路面電車、緑地帯・並木の有無等に応じた道路が敷設でき、インターチェンジなども自由にデザインできる(交差点も八差路まで出来るらしい)
・ダム、岸壁、水路、貨物線、スキー場、飛行場(滑走路・誘導路)など地形や地域特性を応用した様々な建築デザインができる
・総じて、風景がとてもきれい
 また、これはSimCityと同じなのであるが、住民はすべてその生活もシミュレートされていて、労働施設に通ったり、観光に出かけたりする。そのため、彼らは路線を乗り換えたり、道路を利用したりするのであるが、こちらの思い通りの動きをしてくれると楽しかったり、あるいは違う動きであっても面白かったりするのだから、興味は尽きない。
 進行は、資金の収支を軸に進められるが、その難易度自体は低く、つまり「詰む」心配はあまりない。開発している都市規模に応じて建設可能な施設、提供可能なサービスか限られており、可能な範囲のことをやっていれば、比較的カンタンに進めることが出来る。
 そして、大きな特徴に拡張性がある。バニラと呼ばれる当初品ではなかった「昼夜概念」「災害」などが有料アップデートで提供されているほかに、関連関数が公開されているため、機能を高めるMOD(追加機能)やアセット(追加施設)が様々に作成され、steam上で公開されており、これらを導入するによって、ユーザーの好みに合わせてデザインを改変することができるのだ。例えば、Enhanced Zoom ContinuedというMODを導入することで、町で暮らす人や、鉄道の運転者の視点で、連続的に町の風景を見ることが出来るようになる(いわゆるFPS視点)。他にも管理運用の利便性を高めるもの、遊びの要素を加えるものなど様々。アセットについては、新しい駅舎や、よく目にするコンビニ、レストラン、馴染深い鉄道車両など、製作者の公開したものを自由に導入できる。そして、公開されているアイテムの数が尋常ではないのだ。これを閲覧するだけでも楽しい。
 また、これらの追加が驚くほど簡単な操作で出来る。steamのアカウントから、アセット等が公開されているHPに進み、好みのものがあったら「サブスクライブ」というボタンを押す。するとメニューのオプション画面の導入一覧に表示されようになるので、「有効」にする。それだけです。
 発展させた都市の規模に応じて業績を獲得できるが、それはあまり重要なことではないでしょう。目標はユーザーによって自由。密な近代都市を作ってもいいし、まばらな農村風景を目指してもいい。水郷もいいし、谷間の狭隘な集落をデザインするのも面白い。
 現時点で私の「もう一つ欲しい」という希望はひとつだけ。それは「四季の概念」(天候変化はすでにあり)。実は、有料アップデートで「冬景色」が実装されたのであるが、これは特定のマップを開いた場合、つねに冬という条件で開発が出来るというもの。一つの町が、春夏秋冬を繰り広げてくれたら、どんなに美しいだろうと思う。それには公開済アセットなども、すべてデータを追加する必要があって、なかなか難しいのだけれど、是非、一度アセットを外さざるをえなくても、実装を目指してほしいと思う。
 とはいえ、内容には本当に満足していて、これを上回る都市開発シミュレーションは、ちょっと登場しないだろう、と思うほど。楽しませていただいております。また、ネット上の動画などで紹介されている実況ものも、とても参考になると思います。他の人が作った町を見るのも楽しいですね。
 当分は、寝る前に時間があれば街づくりです。

splatoon2

レビュー日:2018.2.22
★★★★★ 楽しき日々に感謝
 当方40代半ば。この年齢で、当該ジャンルのソフトに関するレビューを書くなんて。いや、過去に一つだけ、シミュレーションものにレビューを書いたことがあったかな。私は、そもそもアクション系は苦手で、もっぱら「町づくり」とか、「信長の野望」といったソフトで遊んできた。いわゆるTPSものとしては、例外的にバイオハザードシリーズと、サイコブレイクシリーズが大好きで、一通りやってはいるものの、それ以外は手を出したことがない。だから、今回はじめて対人型のTPSを実際にプレイすることとなった。
 ことの起こりは妻の希望である。昨年の7月、「任天堂の新しい機械が欲しい」と言われ、「それくらい、さっさと買えばいいのでは」、と思ったのだが、これがたいへんな品薄で、抽選のために並ぶ必要があるという。抽選に当たる確率を上げるため、新規入荷の報があるたびに、二人して日曜日の朝早くから家電通販店に並んだ。そして、都合3回目の挑戦でやっとゲットできたのが「switch」と「splatoon2」であった。
 この作品の名前は、有名なので知ってはいた。「買う」という方針になってから、せっかくなので、自分も遊べるかどうか、いくつかネット動画を見てみた。すると、その展開の目まぐるしいこと。「こんなの俺には無理だ」というのが最初の感想。果たして、購入してしばらくの間は、妻のプレイする様子を見るだけだった。「一人でやれるモードがあるよ」と勧められてやってみた。ところが右往左往。行きたい方向にすすめない。向こう岸にジャンプしようとしては谷底におちる。ボタンを間違えては意味不明な挙動を繰り返す。あれ、バイオハザードならそこそこ出来るのに、なんでだ。慣れの問題なのか?。
 以降、ほぼ毎日、空いた時間ができたときは、一人モードで遊ぶことで練習した。妻に「そろそろナワバリ行けるんじゃない?」と言われる。うむ、動画で見たあれである。ネットを通じて任意の4人のプレイヤーがチームとして編成され、塗った面積を競い、その過程でブキを使用した攻防が行われる。しかし気が進まない。見知らぬだれかと4人でチーム編成など、仲間になった人に、多大な迷惑をかけるだけではないか。しかし、妻は「まあ、そこまで考えず」と背中を押す。正論でもある。やってみた。いやはや、やられたやられた(笑)。でも、これがわりと楽しい。なんだかわからないけれど、マップにスプレーしていくという行為が、まさにニャンコのナワバリ感覚で、他のボスネコの怒りを買いつつ、逃げ隠れ、ちょっとスプレーというのが、なんか面白いし、たまに、運よくそんなボスネコに一撃くらわせるようなことも出来る。ステージのデザインも、工夫と遊びがあって、一つの世界観を感じさせてくれる。そんなある日、妻の妹が同じゲームをやっているということで、遠隔地でありながら対戦してみた。敵チームに入る義妹。やられたやられた(笑)。初心者の挙動ってわかりやすいんですね。すぐにいい位置を取られて、容赦なくバシバシ。スーパーチャクチってなんですか、よくわからない間にドカンとやられるんですけど。くそ、もう一回だ、と年甲斐もなく熱くなる私。そんなやりとりを聞いた義理の弟も参戦してきた。こちらは、いわゆるS+と呼ばれる上級者で、歯が立つわけなし(笑)。ところが、何度かやっていると、たまにまぐれで倒せて、チームバトルでも勝てたりするんです。仲間のおかげかもしれないけれど、素直にうれしい。
 ある程度やっていると、今度は「ガチバトル」というルールが解放された。これは、塗りあいをベースとした、特定のルール設定のゲームを4人対4人でやるというもの。特定のオブジェクトを連携して運んだり、指定されたエリアを塗って確保したりして、より多くのカウントを進めたチームが勝利するというもので、ナワバリよりも戦闘的性格が強くなるのだ。これまた大変でした。最初はルールがよくわからない。「え?ホコってどうやってもつの」「なんか近づこうとしただけでデスになるんだけど」「ヤグラってどこへ行くの?」と、まあ、慣れた人から見ると失笑ものでしょうね。しかし、やっているうちに、徐々にですが動きはスムーズになってきたし、ルールもわかってきた。それに、やっぱり楽しい。なんだかわからないけど、4人でそろってプレイして、ナイスと声かけられて、やられたと叫んで、たまにフレンド申請されて、時々勝利。それがなんとも嬉しいのです。
 そのうち、私たちの楽しみ具合を見ていた別の2人の義妹(妻は5人兄弟の長姉)もゲーム機を購入。さらに、義弟の奥さんもS級プレイヤーということで一緒に対戦したりするようになり、その結果今度は「みんなでリーグマッチに行こうよ!」ということになった。そこでは、4人で固定チームを組んだうえで、ガチバトルへ進むのである。
 このころになると、私もだいぶ慣れてきた。みんなでLine通信。だれがどのブキを使うのか。どの役回りをするのか、相談し、いざバトル。これが無性に楽しい。私が最年長で、他のみんなは10代~30代なのですが、遠隔の地に住んでいる人も含めて、彼らとこんなに楽しく遊べることになるとは思わなかった。これが現在のネット対戦なんですね。
 そして、この12月。私と妻が同時にプレイできるように、2台目のTV、switch、splatoon2をセットで購入。私も含めて義兄弟7人、そのうち一番年下の1人が学生なほかは、みんな社会人ゆえに、時間の自由は限られているのですが、月に何度か、4人そろって自由時間が確保できれば、リーグマッチです。おかしいな、最初は「俺になんか、絶対無理」と思っていたのに、こんなにハマっちゃったのか。まあ、もちろん自分がトップレベルまで行くのは無理に決まっているのですが、こうやってみんなで遊べる分には、おつりがくるくらい、とても楽しい。あのとき、列に並んでこのゲームを買って良かった。いまではプレイ時間は200時間を越えてしまいました。
 この2月の私の誕生日、妻からのプレゼントはプロコンでした(笑)。そんな日々を送ってます。

Re:ゼロから始める異世界生活

レビュー日:2018.3.26
★★★★★ この作品に惹きつけられる理由
 私は、この作品を知るまでは、いわゆる「タイムリープもの」が苦手で、おとぎ話としても、この設定のあるものは、興がのらない部類だった。なんかご都合主義なものが多くて・・・。この作品を観るまでは・・・。
 物語は突如異世界に召喚された主人公が、政治的に不安定でかつ様々な勢力の思惑が交錯する社会の中で、渦中の人物と巡り合ったことから、様々な問題に関わることになるというファンタジーである。主人公である少年は、開始早々、騒動に巻き込まれて無念の横死を遂げるが、ふと気づくと、任意の経過点に戻っている。死までの記憶が残った状態で、周囲の世界の時間が巻き戻っているのだ。少年は、自分と周囲の悲劇的命運を変えるために、別の行動を模索していく。
 少年を主人公として描く作品は、すべからく「成長」をテーマとせざるをえない。それは、少年を描くということは、少年の世界観を描くことであり、そこに物語を付随するということは、少年が自身の世界観を変容させることだからである。概してそれを「成長」と呼ぶのだが、それがうまく描かれる作品は多くはない。特にアニメという媒体にあっては(映画やドラマも似たようなもんだが)、どこかで分かりやすさと妥協する必要性があり、そのため、ある種の独善的な設定によって、「成長」が強制される。例えば、絶対的に「間違った存在」を設定し、それを主人公に「打ちのめさせる」こと、などである。主人公は勝利とともに、ストーリーの中で「間違った考え方」を明確に定義し、これを観る人に示すことにより、「成長」が達せられる(ように感じる)。しかし、それは安易だし、方法としてはありふれている。それに、私見では、そのような作品は、ある程度の年齢になったら、見ていて「裏が見える」ようになるものである。
 本作が、そのような要素とまったく無縁とまでは言わないが、しかし、良くできているのである。あざとい部分はあるが、物語を演出する上で、ある程度のあざとさはあった方が良いだろうし、妥当なレベルの範囲内にあると思う。私が感心したのは、「タイムリープ」に伴い、「死」という重みを付した設定を用いて、主人公の成長の過程を描き出した点にある。主人公は自らの意思と無関係に、異世界において「死」を経験するたびに、「やり直し」を行うこととなる。「やり直し前に起こったことを記憶しているのは主人公のみ」という条件を付された上で、他者とどのように関わるか、これが物語の進行を支える軸となる。つまり、主人公は、タイムリープを繰り返すことで、自分と他者との関わり合いについて、視点を増やすことの必要性を痛切に知ってしていくことになる。それは、実に重い「枷」である。いままで無自覚であったものに、無自覚ではいられなくなるのだ。主人公が「成長する」必然性として、説得力がとても高いし、その描かれ方が示唆的かつ多角的だ。
 第18話を境に世界が変わる。これがこのシリーズの核であるという意見に私もまったく賛成である。この「境界点」の直前において、主人公は八方ふさがりの状況に囲まれる。守りたいと思った人々が、無残な殺りくにあい、自らも死を迎える悲劇。その悲劇から抜け脱そうと、何度もあがく。しかし、その都度、主人公のあがきをはるかに上回る圧倒的な絶望によってはばまれ、精神さえ蝕まれてしまう。どうやっても運命に抗えない主人公は、それまでの自らの行動がそもそもすべて利己的なものであったと考え、自己を激しく嫌悪し、運命に抗うことをやめようとする。しかし、そんな主人公に、もう一度転機が与えられる。他者の理解である。それまでのストーリーにおいて主人公に救われた少女が、主人公の行動の深いところにある善性をひたすら信じているという気持ちを本人に伝えることで、主人公は自分の在り方に肯定的なものを見出し、嫌悪に支配されていた気持ちを取り返す。
 このシーンには重大な問いかけがいくつもある。そのテーゼの「骨太さ」が人の心を動かすのである。人の行動が単純に利己心で割り切れるものではないこと。葛藤の悩みそのものに人の大事な資質があること。幸福が一人によって達成され、個人に独占できるものではないこと。まあ、こうやって言葉で説明しようとすると陳腐かもしれないですが、それをストーリーの中で、登場人物の関係性の中で、一つの頂点として設けて、ストーリーの中でしっかりと訴えているところが、この物語のすごいところなんです。
 以後、主人公は他者との新しい関わり方を見出す。それによって、「他者の主人公への関わり方」も、大きく異なってくる。世界は一気に違う様相を見せていく。この劇的な変化のドラマチックなこと。このアニメシリーズを週に一回の放送で見た方の中には、途中でつらくなって見れなくなったという人もいたと聞くのだけれど、そのリスクがあっても、必要な時間を費やして、あえてこれを描こうという方針を堅持し、そして描き切った製作側の信念も立派なものでしょうね。結果として、これだけのものが出来たというわけです。
 この物語の核は前述したところですが、それ以外にも感心したところがあります。挙げてみましょう。
 ストーリー関連では、まずミステリの要素を含んでいて面白味に多層性があること。時に自らの死の認識もなくタイムリープに入るとき、主人公は「ひょっとして自分は死んだのか?」「なんで死んだのか?」から事象を探索しなくてはならない。これは、感覚的に新しいミステリといっても良い。ときにその要因は複合的で、複数回の死により得た情報で、やっと真実が見えることもある。次いで、タイムリープの重みづけもうまい。主人公は自らの死によるタイムリープを経験的に知った後も、死の痛みを恐怖し、次にはタイムリープ不可な本物の死が訪れるかもしれないという恐怖に苛まれる。そのことが、物語に常に深刻味を与える(安易に「やり直せばいい」、というわけではない)。更には「主人公を描く」ことに関する伏線がとてもうまい。主人公の他者を茶化すような言動が気になる人は多いでしょう。やりすぎの感はありますが、主人公の、どこか斜に構えて現実と接する癖と符合するというのは、ある意味理解しやすいです。また、自己中心的な行動をとりながらも、その節々で、自分の周りの人たち(盗賊やその仲間でさえ)が、死のルートに向かいそうになるのを必死に避けさせようとするところなど、性根の良さはきちんと描かれている。主人公のこれらの両面を描かなければ、第18話のクライマックスは、見ている人にきちんと伝わらない。そういった意味で、私は、「とにかく良くできている」と感心するのです。
 作画のレベルも高い。特に戦闘シーンにおけるスピード感満載の演出。体術や剣術のダイナミックな表現。日本のアニメーションならではの技術と感性を感じます。大塚慎一郎の小説の挿絵を元にしたキャラクター・デザインは魅力的な上に、世界観に合っていてしっくりくるし、声優の演技では、主人公を演じた小林裕介の表現力とともに、邪教の幹部を演じた松岡禎丞の奇演ぶりも圧巻。もちろん、作品全体が、エンターテーメント作品として抜群の仕上がりも達成していますし、その上にみどころ、ききどころ満載です。傑作です。

廃道クエスト [DVD]

レビュー日:2018.12.10
★★★★★ 廃道探訪の魅力が伝わります。
 端島(軍艦島)研究からいわゆる「廃」モノを多く映像作品として製作するようになったオープロジェクトの黒沢永紀(くろさわひさき 1961-)氏が、廃道廃線探索を膨大詳細に報告する有名サイト「山さ行がねが」の管理人である平沼義之(ひらぬまよしゆき1977-)氏、そしてやはり廃道探求者である石井あつこ(トリ)氏の案内で、6か所の廃道を訪れるという映像作品。紹介されているのは以下の6か所。
1) 国道293号線旧道 越床峠(栃木県)
2) 県道37号線旧線 高長切川隧道(山梨県)
3) 国道52号旧線 下川隧道(山梨県)
4) 国道13号旧線 萬世大路(山形県)
5) 国道299号線旧道 (埼玉県)
6) 国道52号線旧道 南部新道(山梨県)
 3)は石井氏、他は平沼氏が案内人。6)は石井氏も同行している。
 平沼義之氏は、私の尊敬する趣味人である。いや、趣味人という言い方は正しくないかもしれない。彼はまごうことなき専門家である。ただ、彼の専門性が、趣味性を究めた到達点にあることから、尊敬すべき趣味人と言うことはできるだろう。
 本作の中で平沼氏が「廃道」に興味を引くきっかけとして、幼少のころ家族に連れていてもらった旅先で、不思議な道、奇妙な道が無性に気になったけど、そこに行くことが叶わなかったことによるエネルギーの蓄積について触れている。これは、私にはとても感慨深い。実は私も目に映る道だけでなく、線路、川、送電線といったものがどこにどう繋がっているのか、無性に気になる性格だった。そんな私の知識欲を満たしたのは地図であった。私は小さいころから地図に読みふけり、誕生日に何が欲しいか訊かれると、地図や時刻表が欲しいという子どもだった。しかし、私がそれをあくまで趣味の領域に押し込めてきたのに比べて、平沼氏の専門性は突き抜けている。私が「山さ行がねが」を閲覧して感嘆するのは、地形図による机上調査、詳細な実地調査と聞き込み、HPを介した情報収集調査、関連文献調査、これらを組み合わせて埋もれた歴史、失われたストーリーを蘇らせ、いま残っている風景に鮮やかな色を付ける手腕にある。
 私も廃駅の場所の訪問を中心に、北海道の鉄道跡をしばしば訪れる。こういう趣味を持っていると、特殊な嗅覚というか、与えられた風景から読み取る情報の深さが他の人とはことなってきて、それを私はよく「見えているものが違う」というのだけれど、平沼氏の風景読解力は、ケタが違う、と言っても良い。そして、平沼氏は、そのまとめを、魅力的に他者に伝える能力にも卓越している。それは「山さ行がねが」のレポートをいくつか読めばわかること。それにTV等の出演でも、的確に説明や情報提供、感情表現のできるクールさのある人でもある。こんな人に案内されて廃道を尋ねるのは、楽しいに決まっている。
 選ばれた6つのか所は、どれも映像を見てなるほどと思える場所だ。廃道の美しさを堪能できる越床峠、存在が様々な謎を問いかけてくる奇妙なトンネルがある山梨県道37号線、発見の喜びに満ちた下川隧道、日本の道路史に名を刻む萬世大路、探索者の冒険心・挑戦心を掻き立てる国道299号線と国道52号線。映像では「美しさ」「奇妙さ」「歴史的」「危険度」の4つの指標でこれらの廃道を評価している。なるほど、これらは訪れた人の好奇心や達成感に強く作用する要素である。それにしても、平沼氏と石井氏の廃道へかける憚りない無垢な愛情と情熱は、全編であふれ出ていて、それがこの映像作品のエネルギー的な中核であることは、如実に伝わってくるのである。
 本DVDは、廃道の初心者という体裁で、黒沢氏が、案内人に導かれてこれらの廃道を探索するのであるが、さすがに廃関連に携わってきた人だけあって、打てば響くようなするどい感応性を示している。ただ、それなりの年齢である氏には厳しい道のりもあり、相当厳しい難所に三脚持参のまま誘われてしまうのは、ちょっと気の毒に思えるところもあった。ただ、それも含めて、まだ見ぬ廃道へ赴くのであれば、相応の心構えが必要だよ、というメッセージ性も、十分に伝わるものとなっている。
 ちなみに、平沼氏はたいへんなネコ好きとのことで、私はその点でもたいへん親近感が(勝手に)湧いてしまいます。

廃道ビヨンド [DVD]

レビュー日:2019.1.30
★★★★★ 鉄道ファンには特に印象深い「入川森林鉄道」の廃線跡が見れます
 いわゆる「廃」モノを映像作品として多数製作しているオープロジェクトによって、2013年から14年にかけて製作された「廃道3部作」シリーズの第2作。ちなみに、第1作が「廃道クエスト」、第3作が「廃道レガシイ」、そして、別に編集された劇場公開版「THE OBROADERS オブローダー 廃道冒険家」の全4作がメディア化されている。廃道3部作はDVD、劇場公開作がBlu-ray規格。
 全3作を通じて、廃道廃線探索を膨大詳細に報告する有名サイト「山さ行がねが」の管理人である平沼義之(ひらぬまよしゆき1977-)氏、そしてやはり廃道探求者である石井あつこ(トリ)氏の案内で、風景が美しい、あるいは文化的に意義があり、交通の歴史を俯瞰でき、かつ探索という能動的な行為自体にもやりがいを感じることのできる個所を訪問、紹介している。本作における訪問個所は以下の4か所。
1) 入川森林鉄道 埼玉県秩父郡
2) 若郷新島港線の旧道と旧旧道 東京都新島村
3) 砂糠山の廃道 東京都神津島村
4) 鋸山 元名の石切道 千葉県鋸南町
 このうち2,3)については、劇場公開版「THE OBROADERS オブローダー 廃道冒険家」にも収録されており、私のレビューもそちらを引用すると、・・・「都道211号 若郷新島港線」では狭隘な山壁に取りつくように伸びる旧道、そして路盤崩壊個所があり、ある程度のリスクを負ってたどり着いた場所ならではの風景が特別なものとして伝わる。「神津島 砂糠山の廃道」では養蚕事業のため、険しい山の上に建設された、どことも繋がらない道、平沼氏の言葉を借りれば「地球から隔絶された道」が、本来繋がることを使命とする道との運命的な乖離を秘めて遺構としてたたずむ「秘所ぶり」が楽しい。いずれも興味深い。ちなみに、廃道探索全全般において、「なぜこの道が作られたのか」「なぜ廃棄されたのか」等のミステリー的な面白味が存在する。平沼氏のサイト「山さ行がねが」では、その点でも充実した資料収集・考察があって、私を満足させてくれる。本作でも、この神津島の遺構を何の情報もなく見たならば、その成り立ちの不思議さに頭を悩ませるに違いない。その味は、廃道探索に欠かせないエッセンスだろう。・・となる。
 なお、これら2,3)の2か所については、劇場公開版の方が収録されているカットが多く、Blu-rayのスペックを活かした映像精度で観ることが出来るので、当DVDを見て、さらなる興味を喚起された方は、そちらをご覧になるのがいいだろう。ただ、両方を所有している私の意見としては、投稿日現在の流通価格、内容的重複など踏まえれば、3部作のDVDを揃えていれば十分という気がする。しかし、劇場公開版のBlu-rayには、平沼氏の講演の様子が全編ではないが、特典として独自に収録されていて、その内容は確かに面白いので、私のように首都圏から離れたところに住む者には、関連イベントに参加できる機会も限られることを考えられると、その代替として関連メディア・アイテムを一通りそろえるメリットは大きいかもしれない。
 さて、当DVDで紹介されている残りの2か所では、私個人的に興味深いのは断然「入川森林鉄道」である。これは、私が鉄道の廃線跡を探訪する趣味を持っていることもあるのだが、それ以上に、この鉄道跡は、私の興味を引き付けるのだ。
 というのは、この森林鉄道、本DVDでも紹介されているが、非常に特徴的な経歴を持っていて、他の多くの森林鉄道と同様に一度は廃止となったにもかかわらず、当該森林鉄道の軌道の一部、約2km強が、80年代のとあるひと夏だけ、資材搬送のために復活を遂げたのである。その復活時の模様については、「トワイライトゾーンMANUAL 5」において、名取紀之氏によるレポートを復活の日々の貴重な写真とともに読むことが出来るので、興味のある方には是非オススメしたい。
 そのような経緯もあって、再度の廃線を経た今もなお、その軌条の一部が残っており、周囲の自然と美しい調和を見せる風景を作っているのである。当DVDで紹介される映像は実に興味深く美しいものだ。また、索道を挟んで標高の高い部分での搬送に供されたトロッコ軌道の跡も紹介されていることも、実にうれしい。森林鉄道の多くが、険しい山間部に敷設された経緯もあって、その廃線跡や遺構を探すことは困難を極める場合が多いが、入川森林鉄道はその面でも手ごろであり、それなりの訪問者がいるものと推察される。ただ、当DVD取材の際、平沼氏が前回訪問したときと比べて、一部の線路が撤去されてしまっているなど、廃道ならではの遺構の消失は進みつつあるようだ。線路があるうちに一度現地を訪問してみたいものだが。
 元名の石切道は、切り出した石を荷車で搬出するための産業路であるが、本DVDでは平沼氏がその歴史的な価値に言及しながら、訪問する者の知識によって、見えるもの、感じ取れるものが大きく違ってくることを解説してくれている。また、洞察する能力や感性が探索には不可欠な要素であることもよくわかる。
 充実した内容で、平沼氏のサイト「山さ行がねが」のファンはもちろんのこと、それ以外の人にも「日本にこんな風景の場所があるのか」という面白味を十分に感じさせてくれる映像作品であり、推薦したい。

廃道レガシイ [DVD]

レビュー日:2018.12.17
★★★★★ 地形図を見ながらだと、さらに楽しいです
 オープロジェクトによる、「山さ行がねが」の管理人である廃道探索の第一人者、平沼義之(ひらぬまよしゆき1977-)氏、そしてやはり廃道探求者である石井あつこ(トリ)氏を案内人とする廃道紹介の映像作品。本巻が三部作のラストを飾る第3作ということなる。
1) ニコイの遊歩道(岐阜県)
2) うわごう道の廃集落と廃道(埼玉県)
3) 県道210号線 旧大滑隧道(埼玉県)
4) 戸倉峠の明治道と未成隧道(兵庫県/鳥取県)
5) 御母衣湖畔の廃道と六厩川橋(岐阜県)
 4)は石井氏、他は平沼氏が案内人。1)は石井氏も同行している。
 さっそくだが、本巻の見どころは末尾を飾る「六厩川橋」である。この橋は、「山さ行がねが」のレポートによると、1959年に竣工し、70年代に廃止となった廃橋である。ただの橋ではない。ダムにより形成された御母衣(みぼろ)湖にそそぐ六厩川(むまいがわ or むまやがわ)のおぼれ谷を跨ぐ高度、長さともに雄大な大型鋼製吊橋である。そして、その橋の袂には3つの林道(庄川林道、六厩川林道、森茂林道)が集結しているのだが、この橋梁を中心にいずれもがその周囲を廃道化しているのだ。現地に陸路到達するルートは他になく、その橋梁の姿を直接目にした人はほとんどいないと思われる。
 平沼氏の「六厩川橋」と周辺林道へのチャレンジについては、是非「山さ行がねが」の当該ページをご覧になることをオススメする。といっても、このDVDを今からでも気にされる方の多くはすでにお読みの場合が普通かもしれないが。私はその報告を読んで、かなり衝撃を受けた。というのは、私も、いろいろな年代の地形図を収集し、北海道で廃線廃駅、産業遺産などの探訪をちょっとだけどやっている(北海道にもこれらが無数と言っていいほどにある)。当然のことながら多少のスリルやリスクはあって、それは自分が達成感を得るための良いエッセンスとなっている、くらいに思っているのだけれど、平沼氏が賭けるリスクは、ちょっと許容限界を越えている(これは賛辞である)のである。気温0度の廃隧道を浸す真っ暗な水に胸まで浸かったり、ガレて足場のおぼつかない急斜面を横断したり、最近ではほとんど通る者がおらず情報のない夜の道のりに帰還の成否を任せたりする。その情熱は無二のものと言って良いだろう。
 平沼氏が六厩川橋周辺を訪れたのは、「山さ行がねが」によると2009年となっているから、本DVDはそれから5年後にオープロジェクトのスタッフをともなっての再訪記となる。そして、このたびは、カヤックによる水上からの比較的容易なアプローチ(当然ですね)により現地に到達している。
 とは言っても平沼氏の情熱はここでも不変で、単独で訪問した際、水没により突破できなかった秋町隧道を、ゴムボートで突破し、その後は路盤崩壊してガレた急斜面と化した道路跡を、崩れる足元を踏み固めながら進んでいくのである。その姿に、(本DVDを見るような性向を持つ)人は感動をおぼえるに違いない。
 もちろん石井氏の情熱も尋常ではない。戸倉峠の未成隧道では、おびえるスタッフを叱咤激励し、先頭をきって、隧道の行き止まりまで突き進む。行き止まりだとわかっているのに。。。
 それにしても、再び六厩川橋を訪れた平沼氏は感慨深げだ。さすがに氏をしても、再度この橋を訪問する機会がないかもしれない、と考えていたのだろう。「山さ行がねが」のレポートの過酷な内容を読めばさもありなんである。時間に余裕のある今回の訪問で、存分に周囲も再探索できたようだ。
 ところで、本DVDで、平沼氏は、ついでとばかりに六厩川橋の廃道交差点から六厩川沿いに廃林道を少し遡ったとのころにある「小簑谷隧道」を訪問している。この隧道について、「山さ行がねが」では「地形図にない隧道」として、国土地理院の電子版地形図の当該部分に記載がないことを紹介している。さらに、1969年の2万5千分の1地形図では、当該隧道の記載があることから、平沼氏は「単に作図上のミスであろう」と結論している。・・のだが、この隧道、投稿日現在の国土地理院の電子版地形図では、なんと記載されているのである。これは私が、地形図を見比べながら氏の報告を読んでいるので、気づいたのだが、若干混乱してしまった。いったい今になって、この隧道だけ存在を表記し直すというのは、どういう意図なのか。ちなみに同様に廃道化した秋町隧道については、線形と併せて記載は消失している。繰り返すが、「小簑谷隧道」は「秋町隧道」と状況は一緒で、土中の空間構造は残っているとは言え、前後の道は路盤崩壊から相当の年数がたち、隧道としての本来の機能はとっくに消失し、いつ崩れてもおかしくない状態なのである。そんな隧道の表記をわざわざ復活させる意図というのは何なのだろう。それなのに、そこに通じる走行不能な林道は、いまだに実線や破線で表記を遺しているのである。なぜ隧道の表記だけ更新したのだろうか。実に不思議である。
 国土地理院の地図情報というのは、確かにそこまでアテにならない。道があるとの記載にたよっていると、道として使用できる状況ではなかったということもザラである。ただ、すでに人の行き来が途絶えて何十年も経過し、たどり着くことも難しい場所にある隧道を「復元する」方向で地図を修正したという事実が、私を混乱させるのである。・・・こんなことを考え詰めるのは私くらいかもしれないが。。。
 ただ、それと別に「国土地理院のサイト」を見ながらの「山さ行がねが」鑑賞はとても楽しいのでオススメである。そういえば、清水国道の新潟県側の破線表記は、残念ながら表記が削除されたようだ。(これは残念だけど、もっともな更新と言える)
 そんな感じで、個人的に、サイト情報と併せて、堪能させていただいた映像作品でした。

「THE OBROADERS オブローダー 廃道冒険家」劇場版 [Blu-ray]

レビュー日:2018.12.20
★★★★★ 廃道探索者のみに見ることが許される風景
 廃モノの映像化で知られるオープロジェクトがシリーズ化した映像作品、「廃道」3部作から派生した「劇場版」。DVDシリーズのうち、以下の3か所をピックアップし、新規映像を交えて再構成したもの。
1) 都道211号 若郷新島港線
2) 国道29号 戸倉峠の未成隧道
3) 神津島 砂糠山の廃道
 廃道廃線探索を膨大詳細に報告する有名サイト「山さ行がねが」の管理人である平沼義之(ひらぬまよしゆき1977-)氏、そしてやはり廃道探求者である石井あつこ(トリ)氏の活動にスポットを宛て、その廃道を探索する姿と情熱を廃道風景を交えて紹介する内容。いずれも上述のDVDシリーズで取り上げられているものなので、Blu-rayスペックの解像度でその映像を見てみたい人にオススメ。
 当映像作品中で、平沼氏の言葉にとても印象的なものがある。「安全を代価として、この風景を失った」。
 これは私にも印象深い言葉である。私の住む北海道でもこれの類似例はいろいろある。もっとも有名なのは層雲峡だろう。層雲峡は石狩川の上流部で、大雪山麓に刻まれた長大な断崖絶壁である。かつて、その断崖絶壁の底を川に沿って旭川と北見を結ぶ国道が通じていた。中でも雄大な景色を持っていた「神削壁」「大函・小函」では、高低差200mに及ぶ柱状節理の断崖が連なっていたのだが、崩落事故が続き、道路のトンネル化が行われた。その後、旧道は遊歩道化されたが、それでも危険があったことから、現在では立入禁止区域となり、層雲峡最美最優の地は、現在では事実上訪問不能な地となっている。
 私個人の思い出では、岩内から南につらなる雷電海岸も想起される。私は、中学生のころ、両親に連れられて、雷電温泉に宿泊したことがあるのだが、今でも思い出すのは、移動中の車内からみた奇岩が並ぶ海岸風景の奇抜さである。しかし、10年以上を経て、あの風景を見たくなって再訪した私は驚いた。当該箇所はすべてトンネル化され、雷電温泉がどこにあるのかもわからないうちに平坦地へと通り抜けてしまった。「キツネにつままれたような」とはこういうことを言うのかもしれないが、当然ながらこれも道路の付け替えで起こった現象である。ちなみに、かつていくつもの温泉宿やホテルのあった雷電温泉街は、現在ではほとんど廃墟化し、その廃墟となったホテルでは、誰も来る人のいなくなった浴槽に、今も滾滾と温泉が供給され、湯気が上がっているそうである。「安全」と「風光明媚」は、時に激しく対立し、そして、その場合「安全」が勝つ。特に豊浜トンネルの事故があった以後は、その傾向が強い。「廃道」にどこか敗者的な情緒が宿るのはそのためだ。
 しかし、だからこそ、そんな廃道を辿る人たちがいる。私は、廃道にも興味があったのだが、自分の生活の時間的制約もあって、鉄道やその廃線・廃駅跡、炭鉱系産業遺産探訪に趣味の時間を割いてしまって、とても廃道まで手がまわらなかった。なので、平沼氏の広範な活躍は、ありがたくもあり、うらやましくもある。そんな平沼氏(と石井氏)の探索を「追体験できる」ことが、当映像作品の最大の魅力である。
 取り上げられた3か所のうち、2か所が東京都の離島で、テーマ的な重複が感じられるのがやや残念ではあるが、それでも映像的に映えるものがあるという点では、同意できる。「都道211号 若郷新島港線」では狭隘な山壁に取りつくように伸びる旧道、そして路盤崩壊個所があり、ある程度のリスクを負ってたどり着いた場所ならではの風景が特別なものとして伝わる。「国道29号 戸倉峠の未成隧道」では、並行して残る明治期に国策として敷設された道路跡、道路という構造・用途的性質上、文化的価値を有しながらも人知れず山中に眠るその姿が美しい。「神津島 砂糠山の廃道」では養蚕事業のため、険しい山の上に建設された、どことも繋がらない道、平沼氏の言葉を借りれば「地球から隔絶された道」が、本来繋がることを使命とする道との運命的な乖離を秘めて遺構としてたたずむ「秘所ぶり」が楽しい。いずれも興味深い。ちなみに、廃道探索全全般において、「なぜこの道が作られたのか」「なぜ廃棄されたのか」等のミステリー的な面白味が存在する。平沼氏のサイト「山さ行がねが」では、その点でも充実した資料収集・考察があって、私を満足させてくれる。本作でも、この神津島の遺構を何の情報もなく見たならば、その成り立ちの不思議さに頭を悩ませるに違いない。その味は、廃道探索に欠かせないエッセンスだろう。
 ただ、当アイテム限定生産品で、投稿日現在相当な時価となっている(私の購入時も参考価格よりずっと割高でした・・笑)。内容的な重複を考えれば、映像の精度に目をつむって、廃道三部作のDVDを揃えた方が良さそう。とこれは私の参考意見です。それと、ぜひ、オープロジェクトには、続編の企画をお願いしたいです。

僕だけがいない街(フジテレビオンデマンド)

レビュー日:2019.12.2
★★★★★ 「正義の味方」について考えたことなど
 【はじめに】
 私は最近、たまたまこの作品を観た。それまではタイトルのみを知っている存在でしかなく、興味の対象に入ったこともなかったのであるが、本アニメ作品を通してみて、とても面白く、また現代的なメッセージ性を感じられたので、それについて書いてみたいと思う。ただ、このレビューは未視聴の人への手がかりにはならないと思う。というのは、内容に触れながら感想を述べる形になるからである。ストーリーを直接的に触れることは避けるが、視聴がまだの方にとっては、事前情報の範囲にとどまる内容にはなっていない。なお、原作は読んでおらず、あくまで本作品単体としての評価・感想となります。
 【タイムリープのこと】
 本作は、いわゆる「タイムリープ能力」を持つ主人公にまつわるミステリ兼ファンタジーである。主人公には、身の回りで、なにか「良くないこと」が発生するとき、「回避可能な時点」まで戻る能力(作中「リバイバル」と呼ばれる)がある。ただし、そのリバイバルは、本人の意思と無関係に発動し、加えて、「良くないこと」の回避がかならずしも主人公にも「良い結果」をもたらすとは限らない。
 私は、以前「Re: ゼロから始める異世界生活(以下;リゼロ)」というアニメ作品のレビューで、「“タイムリープもの”が苦手で、おとぎ話としても、この設定のあるものは、興がのらない部類だった。なんかご都合主義なものが多くて・・・。」と書いた。その時は、リゼロにはそれが該当しない、ということを書きたかったのであるが、本作も同様に、該当しないといって良い。ファンタジーなりの合理性がよく咀嚼されていて、自分に理解可能な範囲で収まっているからだ。
 テイストの異なるリゼロと本作を比較することは、双方のファンにとって歓迎されないかもしれない。だが、私は共通点を感じてしまう。意図しないタイムリープであること。主人公が係る世界がつねに一つであること。タイムリープの目的が「悲劇の回避」であること。そして、主人公のことをよく知る少女から「信じている」ことを告げられることが、主人公の積極的な行動の大きな動機となっていることだ。もちろん、前述の通り、両者のテイストは大きく異なっている。「リゼロ」が異世界設定のファンタジーを基礎としたのに対し、本作は主人公がそれまで歩んできた現実と、連続した世界を描いている。本作の方が、抑制的、写実的であり、感情を共有しやすいから、視聴者に忌避反応を起こさせにくい作風であるという点も大きな相違点であろう。
 また、先に書いたように、「リバイバル」を活かして悲劇を回避することが、必ずしも、本人にとって良い結果をもたらすとは限らないというのは、本作の重要な特徴である。悲劇への回避のために主人公に求められる行動は、時に主人公のリスクを増す場合がある。物語の冒頭、主人公はうだつの上がらない漫画家志望のフリーターとして登場する。そのような人物が、なにゆえ、自身のリスクを顧みず、リバイバル時に他者の悲劇を懸命に回避しようと行動するのかについて、正直私には腑に落ちないところもある。ただ、本作のストーリーの中で、主人公が、そんな自身の「生き方」に尊さを見つけていくことは、大きなテーマとなっており、その過程はきれいに描かれているといって良いだろう。
 【オマージュのこと】
 本作には、鬼才・押井守が監督をした1984年の映画「うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー(以下;うる星2)」へのオマージュという一面もある。私も、多感な時期にうる星2を観て、随分影響された人間の一人なのだが、それこそ現役のクリエーターの中にもこの作品に影響を受けた人は多くいて、例えば2000年の劇場版「ケイゾク」なんかも、そういう背景を持つ映像作品だろう。
 本作では、事件のキーパーソンである少女が明るく輝く水槽の前で立っているシーンは、「そのものズバリ」なシーンである。また、(原作もそうなっているのかしらないけれど)タイムリープの瞬間に蝶々がよぎる演出は、これも押井作品でしばしばみられるもので、荘子の逸話「胡蝶の夢」に由来するものであり、現実と夢の関係性を表裏一体のように扱い、観念上の現実のあやうさを説いたものである。本ストーリーでは、主人公が20年近いタイムスパンでタイムリープをし、事象に因果関係のある2つの世界を行き来することから、そのイメージを示唆したものと言えるだろう。
 【ケンヤと正義の味方のこと】
 ここで、私が思う本作の「もっとも価値がある」という個所に言及しよう。ケンヤという少年が登場する。ケンヤは、タイムリープ先である小学生時代の主人公の同級生であり、ストーリーが進む中で主人公とは親友と呼べる関係になるのだが、この少年が実に聡明で、感覚の鋭いところを持ち、物語の進行に重要な役割を果たすことになる。彼の洞察力、情報解析力、行動力は、主人公から感化された部分もあるとは言え、とても一小学生という感じではない。確かに小学校時代、妙に大人びていて、視点が広く、周囲をうまく調整するような存在はあるのだけれど、彼は、例えばちょっとしたカマかけなんかも、自分の違和感を論理的に展開した結果を踏まえて、かつ周囲に気遣いながらも最大限効果的かつさりげなくやる様子が描かれていて、その様は大人びているという形容ではまったく足りないほど。その彼がしばしば言うセリフも心憎く「大きな家に住んでるから幸せとは限らない」「正義の味方って貧乏くじ引くんだな」「正義の味方に必要なのは結果じゃない。お前はもう正義の味方だよ」など、実に示唆性がある。
 中で、私がこの物語の核心と思ったのは、後半に入って、主人公がケンヤと図って、放っておけば殺される運命にある少女を、秘密の場所に匿うシーンである。表面上、少女を誘拐したことになってしまう主人公は、いざことが明るみになるとき、非難は自分が負う、と言うのだが、それに対して少女は「私が言い出したことにすれば、いいでしょ」と提案する。名案だった。だが、その帰り道、主人公と二人きりになったケンヤは言う。「(「少女が言い出した」ということにしてしまう)考え、頭になかっただろ?」、肯定する主人公に、さらに「俺が思う正義の味方って、そんなヤツだ」と嬉しそうにするのである。
 これが私にはとても深いことに思えてならない。「正義の味方」って何だろう?観念的には、ヒーローだ。素晴らしい行いをして、みんなから称賛される。だが、TVのヒーローものならそうだろうけど、現実世界はそうじゃない。おそらく、そこでの「正義の味方」は、自分が正義の味方であることを声高に主張したり、社会に認めてほしいなんて考えないだろうし、実際に社会がその存在を認めることも、ほとんどないのだろう。むしろ、全体が平和的に解決するためであれば、進んで自分が貧乏くじを引き、人の誹りを受けることも甘んじて受ける。そして、そんな本当の「正義の味方」を見つける目を持つ人は、残念ながら少ない。この物語は、ケンヤにその「目」と「感覚」を持たせることで、視聴者にそれに「気づく」感性の大切さを、そっと示しているのである。ケンヤのような感覚を持った人が増えれば、おそらく世の中は良くなるに違いない。
 【苫小牧のこと】
 私がいちばん書きたかったことは前項に書いた。なので、あとは末梢的なことをちょっと書きたい。個人的に、主人公の小学校時代の舞台が、私の住む北海道であることが嬉しい。原作者の三部敬(さんべけい)が苫小牧市出身であるため、舞台を苫小牧市に求めたのだと言う。アニメの中でも、苫小牧の象徴といえる王子製紙苫小牧工場の煙突や、緑ヶ丘展望台が描かれている他、モデルとなった小学校も地元には存在するとのこと。当初一連の最初の犠牲者であった少女が住んでいたような集合住宅も、王子製紙の敷地近く(現在は住居として共用されていない)に残っているので、そんな舞台巡りも一興であろう。苫小牧市は、晴れた日には樽前山、風不死岳といった火山が優美な姿を示し、良い眺望を持った街だし、本作がそんなことを知るきっかけを視聴者に与えることができたのなら、映像作品の副次的な効果となるだろう。
 【雪のこと】
 本作における小学校時代のエピソードは2月の終わりから3月のはじめにかけての雪の季節に設定されている。これはなかなか気の利いた演出だ。苫小牧は太平洋側なので、札幌と比較すると圧倒的に降雪量が少ないのだけれど、それでも冬季は白い世界に覆われる。冬の設定は、手ぶくろのエピソードなどにも便利だが、私は、雪というものが、一つの世界の移り変わりの象徴に感じられてならない。私は北海道で生まれ育った。そして、雪が好きだ。もちろん、雪は生活環境を圧迫し、ライフラインの維持のため、相応の労力を必要とするから、生産性を下げる元凶にもなるのだけれど、その代わりに一夜にして世界を変えるという、とっておきの魔法を見せてくれる。子供の頃、毎年必ずやってくる「起きると雪が積もっている朝」。これほど劇的に世界が様相を変えることはない。
 子ども時代、朝早く仕事に出る両親のため、私は早朝に起こされ、雪かきをしたものだ。冬の早朝、それはまだ真っ暗な世界。だが、雪はきらきらと光を反射し、青白く光っていた。さっきまで降っていた雪は、空気中のちりをすっかり掃き清めていて、冷気の中、空には一面の星が広がっていた。低い湿度は、光の屈折率を下げ、星たちは、まっすぐに地面に刺さるようにその光線を投げかけた。多孔質の雪は音も吸収する。異様なほど静かで、美しい世界だった。私は、しばし雪かきの手を休め、その世界に浸ったものだ。この作品を観ればわかる。この作者は、私と同じ経験を持つ人に違いないと。そんな私には、主人公が少女と観に行った星の降る木に、とても深く共鳴し、心を動かされたのでした。
 【終わりに】
 以上、この作品を観て、感じたことがいろいろあって、一つにまとまらないので、いくつか項目だししてみましたが、総じて良質なエンターテーメントであり、メッセージ性も良く伝わる作品だったと思う。また、連続12回というアニメ放送枠をならではの、各回の末尾の引き方も、演出的に成功していると感じた。原作を読んでいないためか、ちょっと説明に足りないところがあると感じるところもあったが、ストーリーの起伏が巧みで、欠点と感じさせない仕上がりになっているでしょう。では、最後に・・・。人しれず、がんばっている「正義の味方」たちに幸あれ。

リラックマとカオルさん [Blu-ray]

レビュー日:2020.7.8
★★★★★ 光とストーリーで「時の移ろい」を描いた名作
 2019年にNetflixで配信開始された全13話、各10数分のストーリーからなるストップモーションアニメシリーズ、「リラックマとカオルさん」がメディア化された。私もすでに配信放送を繰り返し観ているのだが、このたび当Blu-rayを入手させていただいた。Netflixで4K配信されているが、我が家の契約内容の場合、フルスペックでは観れない。Blu-ray規格は(4Kの再現とまでは行かないが)、自分的には十分に納得できるレベルの画質である。加えて、製作サイドを、アイテム購入により応援して、できれば第2期の製作に繋げていただきたいという私欲(?)もあって、私は当該品を入手したわけである。そう、それくらい、私はこの作品が気に入っている。
 監督が小林雅仁、脚本が荻上直子、音楽が岸田繁。なかなかの顔ぶれといって良いが、製作の主軸を務めたこれらのスタッフが、リラックマの世界観を、本作で見事に表現したと思う。長くリラックマ・シリーズを愛好してきた私の妻が、この映像作品になんの違和感も持たず、どっぷりと漬かることになったのは、その証左の一つだろう。私もこの映像作品は良く出来ていると思う。
 「ストップモーションアニメ」という表現手法が、リラックマの世界観によくフィットしていることもある。「まあごゆるりと」の名セリフに示されているように、リラックマというキャラクターは、自分のリズムを崩さない魅力がある。ストップモーションアニメという手法が、そのテンポ感を実によく再現していると思う。アニメーションでもCGでも、こうは行かなかっただろう。また、撮影に利用されたセットや小道具の、こまかな気配りも、うれしい。
 全13話のストーリーは、「出会い」を描いた別枠版を除いて、12の月、それぞれの季節を背景としている。その結果、移ろいゆく時とともに、様々なものが変化していく「切なさ」を描き出すこととなった。主人公のカオルさんは20代後半の女性オフィスワーカー。たびたび周囲の友人や同僚を、自分と比較し、時には落ち込んでしまう。だが、つねにリラックマが示すのは、「それもOK」「ペースは人それぞれ」ということ。もちろん、そんな野暮なことを具体的に作中で指摘しているわけではないが、リラックマたちのリズムに巻き込まれることで、カオルさんはいつでも大切な日常に帰っていく。時は移ろう。でも、何かに急かされる必要はない。もし急かされていると感じるのなら、それは自身の内面の問題。
 私は、リラックマが象徴するものは、ひとりひとりにとっての「居場所」だと思っている。リラックマというコンテンツが、そのかわいらしいデザインと別に、大人向けのメッセージ性を持っているのは、その在り様ゆえだ。リラックマ・シリーズは、デザインとともに、コンドウアキの原作本と、企画会社からのテーマに沿って演出がなされ、関連製品が開発されるのであるが、それらが、前述のコンセプトを外さないことについて、私はいつも感心している。
 リラックマが、ディズニーものと決定的に違うのもその点だろう。ディズニーがいつでも子どもになれる夢の世界を与えてくれるのに対し、リラックマは、移ろいゆく時を背負った人間のふだんの「居場所」を見つけてくれる。両者の役割は、真逆のものと言って良い。そして、私はリラックマの方が断然好きである。
 当Blu-rayは2枚組であるが、その2枚目には特典映像が付されている。スタッフへのインタビュー、メイキングの風景(できればもっと長時間観たかった)、予告編などが収録されている。その中で、私にとって印象深かったのは、小林雅仁監督が、12の季節に応じて、光の角度を意識して撮影した、と語っていたことである。言われてみると、私も太陽光の角度に、季節の移ろいを感じる。真上から燦燦と光輝く夏。短い昼とともに地平を深紅に染める冬。職場を出る時間がそれほど変わらないのに、もう暗くなっていたいたり、そういう感覚に移ろいを感じる。このシリーズは、脚本だけでなく、そのような演出も含めて、総じて時の流れを描くことに労力を割いていて、その結果、様々な場面で、深い郷愁を感じさせることにもなったと思う。
 リラックマたちキャラクターをはじめとした撮影対象の質感、食べ物や水などの精妙な描写など、映像自体が美しく、高精度なのは言わずもがな。それだけでなく、作品としての語り口が深く、繰り返し観るのにふさわしい作品だ。リラックマ・ファンあるいは映像作品ファンのみなさんにも、是非入手をオススメしたいアイテムです。

幼女戦記 (Prime Video)

レビュー日:2020.8.24
★★★★☆ 考察しきれないけど、なんか凄い作品でした。
 以下は、私が当作品を視聴した上での感想で、一部、内容を踏まえながら書いている。そのため、未視聴の方向けのレビューという範囲にとどまらないところがあるので、前もって記させていただく。
 さて、ときどき映像作品にレビューを書いているけれど、最近のアニメにはなかなか面白いものがある。私が視聴する数は限られているが、最近、この「幼女戦記」という作品(TVシリーズ12話+劇場版1編)を見て、なかなか面白かった。ただ、何と言うか、この作品の何が面白かったのか、自分なりに咀嚼しきれていないところがあり、それに可能な整理を付けてみたい、と考え、せっかくなので、レビューの形にすることにした。
 まず、前提であるが、私は原作を読んではいない。そのため、私が受けた印象、得た情報はすべてアニメ作品からのものだ。当然、原作からアレンジされたもの、あるいは脚本家や演出家の考え方というものが流入してくることになる。なので、私は、それらの総体から受けた印象に基づいて、感想や考察を試みてみる。
 この作品で描かれる主人公は、物語中で善の側に立つ人間ではない。主人公は、おそらく事務処理能力という点で卓越したサラリーマンであった(過去形)のであるが、以下の様な、かなり尖った考え方を持っている。
・ 無能なものが嫌いである
・ 他者への関心が薄い
・ 合理的に行動できないものを蔑む
 一言で言うと、徹底した合理主義者である。
 このような主人公の性格が災いし、主人公は、駅のホームから恨みを買った同僚に突き落とされて、死ぬわけだが、死の直前に「神(主人公は、認識上の神と認めず「存在X」と呼称することになる)から、問答を仕掛けられる。死の直前の問答であっても、徹底した合理主義精神を改めなかった主人公に対して、「存在X」は過酷な世界で転生を告げる。こうして主人公は、世界大戦時代のヨーロッパに類似した異世界に、前世の記憶を持ったまま女性として転生することになる。その世界では、魔力と呼ばれる個人能力がある。アニメを観る限りでの私の理解では、魔力とは「人体と最低限の装備のみで、火力を携帯した高速飛行が可能な特殊能力」である。さて、転生後の主人公(女性)は、なぜか、魔力に恵まれたことから、戦略家としての成功を勝ち得るため、幼くして軍に入隊することになる。以後、徹底した合理主義精神に従った主人公の行動は、功績に結び付き、拡大する戦線の中で、本人の意思を越え、より過酷な任務が次々と課せられていくことになる。その過酷な運命を、主人公が苛烈に突破していく様が描かれる。大雑把に言ってそんなストーリーだ。
 アニメは、軍事作戦や戦術・戦闘をこまやかに描写することで、ストーリーに重厚さをもたらすとともに、視聴者に一種の爽快感を与えることに成功している。ただ、それは作品の外面的なものである。主人公の論理的な正しさ(合理性)にひたすら従う行動が、その過程で捨てたものは何だったのかについては、この物語の内的な主題と見做して良いと思う。
 当然のことながら、人の行動は、「理」のみを根拠とするものではない。極端な話、「理」のみで割り切って行動すれば、「人生」は、生まれて、勉強して、生産活動に従事して、食事をして、排泄して、寝て、子孫を残して、死ぬ。それだけだ。「理」と異なるもう一つの価値軸は「情」と呼ばれる。
 主人公の転生後の世界は、苛烈な戦時下であった。社会環境が過酷になればなるほど、社会は人に「理」の行動を求める。それは、主人公が、転生前の世界で他者に求めていたものそのものであり、言い換えれば、転生後の世界は、主人公の考え方が、社会環境と齟齬なく収まりやすい環境にあったと言える。主人公が、自身や配下の行動に、根拠や合法性を重視することは、理の中で生きる人物としての徹底を感じさせる。(ただし、その合法精神が、当該世界でどの程度重要な意味合いを持つかについてまでは、作品中で描かれているとは言えない)
 つまり、この物語において、「情」を唾棄する主人公が何に幸福を見出せるかが一つの論点になると考えられるが、私には、そこが実はよくわかっていない。私が見る限り、「情」を捨て「理」に徹する生き方を成功されることで、「存在X」に、その生き様を強制的に是認させることが主人公の生きがいのように感じられてくる。主人公が、成功の証明として、「安全な出世」を望む様は、何度も描写されるが、そこに主人公がどんな幸福を見出しているのかは、私にはよくわからない。
 ただ、この物語は、様々な思索を巡らせてくれる。例えば、前述の「理」と「情」の理論は、そのまま保守思想(他者排除、個の利益重視)とリベラル思想(他者共存、個人の権利重視)の関係に置き換えることが出来る。排除の主張は「理」から派生し、共存の主張は「情」から派生すると思うが、これは論理で詰めれば、保守思想的な結論に導かれやすいという両思想の拠り所を示している。当物語の主人公が徹底して理を求める限り、そこに忍び寄るのは新自由主義へ至る思考実験の経路である。対照的に、例えば「弱者救済」や「社会保障」といった概念は、合理性と別の価値観に根拠をおくものであろう。それを、後天的に理屈づけるのは可能ではあるが、人間の「情」にその拠り所を置くものであることは間違いない。その「情」の背景を補強するものの一つが、論理を越えた存在である「神」である、と見做すことも出来る。
 理に徹する主人公に、前世・今世を通じて家族の存在が一切描かれていないことも象徴的だ。転生後の主人公は、孤児のルーツを持っている。それは主人公の「情」に繋がる要素を排した設定だとも言える。人の優しさを忌み嫌い、周りから優しくされることを拒否する経験は、幼少のころ多くの人が経験するだろう。いわゆる中二病というものだが、主人公は「優しさ」無用の存在性を体現し、そのまま突き抜けようとする。
 終幕近く、ついに主人公国側の戦勝に終えるかと思われたが、世界は再び不穏に傾く。主人公の「完全に勝つための提案」を上層部が受け入れる機会を持たなかったからだ。自分のまわりの不合理を呪った主人公は、再び作戦行動のため集まった精鋭部隊を前に宣う。「私は今ここに改めて宣言する。ああ、神よ。貴様を切り刻んで豚の餌にでもしてやると。くそったれの神に、我らが戦場は不似合いだ。今こそ神の仕事を肩代わりしてやろうではないか。我ら将兵のあるうちは我々が神にとって代わるのだ。傲慢な神とやらを失業させてやれ!では戦友諸君、戦争の時間だ!」。ここまで挑戦的かつ攻撃的な主人公のセリフを映像作品の中で表現したのは確かに凄い。
 合理性のみで、難局を突き破り続ける主人公の魅力・・それは背後に広がる虚無の闇の恐怖をともなったものだ。スリリングで危険この上ない。その「理の刃」が、本作の内的な魅力になっているのだと思う。
 なお、片山修志の音楽は、世界観に即し、本作品を大いに盛り上げているので、末尾に付記したい。

ゴールデンカムイ 第3期 (Prime Video)

レビュー日:2021.7.27
★★★★★ ここまで面白いとは!
 面白いですね。観る前は、こんなに面白いと思わなかった。
 この作品、アイヌの文化施設とコラボしていたりするので、どちらかというと、文化紹介的な作品かと思っていたのですが、観てみると、それらは確かに重要なエッセンスではあるが、ストーリーそのものの重厚さ、キャラクターの描かれ方がすばらしく、3シリーズ立て続けに見入ってしまいました。
 さて、こちらをご覧の方はすでにご存知の事と思いますが、当該原作は、投稿日現在も連載が継続しており、物語は終わっていません。当然の事ながら続きが気になるし、原作が未完の状態であること、アニメの続編が作製されるかも不明な状態で私はレビューを書いているのです。それでもこの作品は凄い。第3期で、比較的キリと言えるところまでストーリーは進んでくれるので、現時点でも十分オススメ。これまで、3シリーズ、各12話、合計36話がアニメ化されていますが、第2シーズン後半から、物語は、大きくうねりをあげ、登場人物たちの運命を巻き込みながら、実に激しく展開します。もちろん、ここでそのストーリー自体に直接触れることは避けますが、物語が始まった当初には予測できなかった、しかし、そこに至ってみると、しっかりとあちこちに伏線が張り巡らせてあったことに気づかされるという、素晴らしく重厚感のあるストーリーです。アニメの品質もシリーズを進むごとに向上しており、ことに第3シリーズは傑作と呼ぶにふさわしいものになっていると思う。
 とにかくキャラクターの魅力とストーリーの魅力の重なり方が抜群に上手い。全体として語られる骨太なストーリーがあるのだが、そこに配された各キャラクターに、「描かれ方」の薄いところがなく、一人一人が群像劇のピースとしてしっかり機能していて、かつ魅力的。そのため、行動の意味、原点となる思想、心の動きが、しっかりと伝わってくる。アニメーションが、それらを十分にすくいながら、演出を行っている点も立派だし、声優たちの演技もすべてが素晴らしい。
 この作品の魅力はいくつもあるのだが、その最大のものは、視聴者の心を動かす感動の「深さ」にあると思う。一般に物語に接して感動するということはよくあること。では、その「深さ」とは何なのか。単に「涙がこぼれる」とか、「正義感が尊い」とか、それだけでは安直な面がある。特に私ぐらいに年齢を重ねた人間にとってはそうであることが多い。感動とは、物語の登場人物の行動原理、つまり「○○だから△△する」という起因と行動の関係性に心を揺さぶられることだが、これが深いと言う場合、○○と△△の関係が、単純ではなく、しかし、その物語の中で巧みに含みを持たされていることを示す。逆に、この感動の関係が単純に説明できるものほど、私の考えでは「子供向け」の作品で、例えば「鬼滅の刃」など、良く出来ていて分かりやすいが、単純であり、感動に用いられる動機も直接的だ。しかし、「ゴールデンカムイ」は、人の心の複雑さを良く描いており、それゆえに、受け取る側に咀嚼の幅があり、深みとなる。それが私には素晴らしいことに感ぜられるし、「見ごたえ」として実感を持つ。
 また、そのようなストーリーやキャラクターを描き易い舞台設定がなされていることにも言及しよう。時代は日露戦争の直後、日本は形の上では戦争に勝利したが、戦利と呼びうる明確なものが得られず、戦争による人的、物的、心理的消耗が、様々に人の心に影を伸ばしていた時代。舞台である北海道は開拓期であり、千島樺太交換条約等により周辺国境は線引きが直され、戦後の混乱と併せて、複雑な人流があった。周辺国も決して安定してはおらず、双方で統治性の弱さが随所に垣間見られた。様々なドラマを引き起こすのに最高の舞台であり、そこに軍人、アイヌ、退役軍人、脱獄囚といった様々な属性を持ったキャラクターを配した。かつ、それぞれのキャラクターが多かれ少なかれ矛盾を抱えながらも、自らにやりたいことがあり、そのためのエネルギーを持っている。まさに、さまざまな事件のおこる導火線だらけの時代。そういう舞台設定を、巧みに活かし、演出に活用し、壮大なドラマを盛り上げているのである。その中で、視聴者に訴えるのだから、単純な「お涙頂戴」では、この舞台設定に釣り合うはずがない。そして、作者は、その要求に十分にこたえるストーリーを案出してみせたのだ。
 だから、この作品は、めちゃくちゃに面白いし、その面白さの背景には、作者の十二分な歴史や文化の研究と考察が含まれている。それらすべてが、作用し、「深み」として効いてくる。また、キャラクターたちの突飛な行動やギャグも、私にはとても楽しい。いわゆる「キャラが立つ」設定だし、それらのピースが作品としてよく機能している。
 といろいろ書いてみましたけど、要約すると、「とにかく面白いから、観ましょう」です。以上。

ID:INVADED イド:インヴェイデッド Blu-ray BOX 上巻

レビュー日:2022.3.25
★★★★★ 世界観に魅了されます。
【アイテム概要】
 イド:インヴェイデッドは、小説家、舞城王太郎(1973-)の脚本に基づき、全13話から構成されるオリジナルのアニメーション・シリーズで、2020年の1月から3月に放送された。本アイテムはそのうち第1話~第6話を収録したもの。
 ディスクは3枚からなっており、
 【DISC1】 本編 第1話~第6話 及び 第1話 第3話 第4話におけるメインスタッフオーディオコメンタリー
 【DISC2】 特典版 メイキング映像 Official Trailer 01,02,03 ノンテロップOP ノンテロップED
 【DISC3】 オリジナルサウンドトラック 収録時間 約30分
 またそれらに加えて、監督・あおきえい絵コンテ集(第1話)、脚本・舞城王太郎書き下ろし小説(井波と数田の物語)、設定資料集がそれぞれ小冊子になっており、それらが一つのBoxに挿入される体裁。ちなみに私が購入したのはamazon限定版なので、オリジナルカット袋・複製原画3枚セットが付いていた。
【作品を観た感想、まだ観ていないが興味を持っている人へ】
 私はこの作品を、2022年の3月になって、初めて観たのだが、その内容、考え抜かれたストーリーと、キャラクターの魅力に魅了された。ジャンルは、「ミステリを扱ったSF」と言って良く、その世界観を理解していく過程が、ストーリーの進行とシンクロするという進行が、とても面白い。
 まず、この作品のタイトルについて解説してみよう。「イド:インヴェイデッド」の後半はinvadedであり、「侵略される」という意味であり、ここでは形容詞的用法で、「侵略されるイド」といった感じだろう。この「イド」というのは、作中で、殺人犯の殺意を含む「無意識領域」から構成された一種のヴァーチャル空間を指している。そして、このイドを扱う組織である「蔵」が、イドを用いて行う犯罪捜査が描かれることになるが、他者のイドに進入できるものは、イドをもつもの(自殺を含む複数回の殺人を手掛けたもの)だけであり、その設定が、様々にストーリーに寄与していくことになる。
 「イド(id)」は、元はフロイト(Sigmund Freud 1856-1939)が提唱した心理学用語である。デカルト(Rene Descartes 1596-1650)以来、人の行動はその人の意識、ひいては理性によって決定される、つまり自我によって人は行動する、と考えられることが一般的であった。しかし、フロイトは、自我には、本人が認識できない「無意識領域」があり、それが、その人の行動に影響を及ぼすと考えた。まあ、そのあたりは有名な話なので、知っている人は多いと思うけれど、フロイトは、人の意識が休止している睡眠中に発生する「夢をみる」とい事象に多大な関心を寄せ、そのメカニズムをひも解こうとしたのも、無意識論のためである。そうして、ざっくり言って、「自我」というものは、本能的な「欲動(イド)」と、それを抑圧する道徳的な「超自我(スーパーエゴ)」のバランスを形成する過程で生成するものであるはずだ、と考えた。これは、子供の成長の過程などに象徴的に顕れる。本作では、「殺意」がそのバランスを崩すほどの強い欲動であり、特有のイドを形成するものであるという設定がなされている。
 また、本作では、「無意識領域」から構成された一種のヴァーチャル空間が、外部の観察者から円柱状の疑似空間に見え、それが井戸のようであること、加えて、こちらの世界とは異なる場所、すなわち「異土」であることも含めて、それらの意味を総称しつつ、シンボリックに、それを「イド」と呼んでいるようである。また、このプログラムを含む、イドを形成し、観察可能な状態とするシステムに「ミヅハノメ(日本の古神話の女神)」という名称が与えられている。
 このミヅハノメが何をベースにしているか、ということは、本シリーズのストーリーの根幹にかかわることなので、ここでは触れないでおくが、本作を観るにあたって、本作を楽しむための私からの助言を書こう。
1) ちゃんと観る
 なにを当たり前な・・・と言われそうだけど、アニメ作品には、ちゃんと観なくても、だいたいストーリーがわかるし、全部わからなくてもたいして問題ない(と私が思っている)ものが凄く多い。私も、最初、この作品を、そういう作品と同じように、別の家事や作業をしながら観ていたのだが、すぐに「これではいかん」ときちんとテレビの前に座って、しっかり観ることにした。なぜなら、この作品は、説明を全部セリフで行ってくれないからである。絵や演出の中に、ストーリーを進め、理解する比較的重要なパーツが埋め込まれており、視聴者には、出来るだけそれらを多くひろっていくことが求められるからだ。
2) 続けて観る
 これは時間的な制約で難しい人が多いかもしれないけれど、私の場合は、土日の2日間をかけて、全13話を通して観た。この作品は、重要なものが、かなりの密度で詰め込まれているため、あまり間をあけてしまうと、その分だけ、自分の中で印象の濃淡の差が大きくなってしまい、結果的に前後の脈絡付けが外れてしまう部分が多くなる。それが、ストーリーを楽しむ場合、デメリットとなるので、出来ることなら、それなりの時間を確保して、続けてみるのが良い。
3) 複数回観る
 凄く理解が早くて、記憶力も特別にいい人なら別だが、少なくとも私の場合は複数回観て、つまり結論や仕掛けを知った上であらためて観ることにより、やっとわかったことが多くあった。それは、セリフや登場人物の行動・反応の意味だけでなく、絵の意味や、設定の意図など、様々な点で、二度目に観たときは、初回の理解を上回っており、かつその差がことに大きい作品であるため、複数回観るべきである。ただし、(個人的な体験で言えば)2度目以降の視聴は、一気に観なくてもいいでしょう。
 以上のことからも、ぜひともBlu-rayというメディアを買って、鑑賞したい作品と言える。  私が本作でとくに魅力を感じたのは「イド」の空間における異様な世界の描き方である。その創造性が面白い。もちろん、作品なので、作り手が考えてそういう世界を描いているのであるが、殺人犯の無意識に、どのような象徴性が与えられるかという解釈が興味深い。その世界は、しばしば当該世界における体感時間で、長時間生き抜くことが困難な過酷さを伴うものでもある。また、そこに進入するものは、外部世界の記憶をもちこめないこと、進入するものは、そこに常に存在する一つの死体が、「何を」意味するのか、「何が」おかしいのか、読み解く必要があること等の命題のみ抱えており、その制約を理解することが、世界観の理解に繋がっている。そこにミステリとSFの幸福な邂逅があると私は感じる。
 登場人物たちも魅力的だ。・・・こういうと奇妙に聞こえるかもしれないが、連続殺人犯たちの中にも、不思議な魅力(感性)を持つものがいて、それを単純な善悪で描かないところもユニークだし、物語としての完成度を高めている。また、本作の主人公は、ある種の衝動的な正義感ゆえに連続殺人を犯すこととなった人物なのであるが、彼に声を当てた津田健次郎(1971-)の名演ぶりとあいまって、その抑制した感情の奥にあるものがストーリーの進展とともに外に出てくるところも、心憎い展開である。
 観始めたとき、理解が難しいと感じるかもしれない。それでもたぶん多くの人は、その不思議な世界に興味を持って見続けられるのではないだろうか。全13話を通じたテンポの良さは抜群だ。これは、前述の「セリフで全部を説明してくれない」ことと大きくかかわっていることでもあるが、絵と演出で視聴者に伝えているものは、出来るだけ重複を省いている。一般的な映像作品なら、ここらへんで、一つ間を取るのでは、と思うような場所でも、さっと次に進む。逆に言うと、“付いてこられない人は置いて行ってもかまわない”、というスタンスなのかもしれないが、私は、映像作品はそれぐらいが適切だと思うし、最近の映像作品に説明過剰なものが多いこと(全部説明してくれないとダメという視聴者が増えすぎたと思う)とあいまって、私は当作品のスタイルを、歓迎したい。
 なお、一応注意点として、物語の必要上、様々な殺人事件について、描かれることになるので、そのような描写が苦手な人には、薦めない方がいいと思う。しかし、ちょっと刺激的なものが含まれるアニメ作品ぐらいなら大丈夫、という人であれば、問題ないレベルだと思うし、なにより、私はこの作品を、夢中になって面白く観ることができたので、総括としては、是非ご覧になってほしいと思います。
【このアイテムについて】
 オーディオコメンタリーは、監督のあおきえい氏、キャラクターデザイン・総作画監督の碇谷敦氏、メインアニメーターの又賀大介氏の3氏によるものなので、その内容はアニメーション化にあたる技術や苦労の話であり、解釈や解説というものではないが、なかなかに興味深い。メイキング映像で紹介されている内容と併せて、本作が、まずストーリーと脚本が作られ、そこから複数の候補の中から、世界観に合致したデザイナーを選んでいった過程や、現実のパーツを用いて、非現実空間を描くにあたって何を参考としたか等の言及がある。製作側で、いかに世界観を練り上げていくかがとても重要な作品であり、それゆえに周到に準備され、コアなメンバーがほとんどの部分を担う形で作成されていったことがよく想像できる。メイキング映像は、尺としては短いが、尺を伸ばして内容が薄くなるよりも、良いだろう。また、本来の脚本では、さらに話に膨らみがあり、13話に収めるためサイズカットが行われたという点は、正直、心残りを感じさせる。結果的に素晴らしい作品になっていることに異論はないが、そう言われると、どうしてもカットされた部分が気になってしまう。
 オリジナルサウンドトラックは、完全にBGMのみで、主題歌や挿入歌は含まれていない。劇を盛り上げたMIYAVIの楽曲が収録されていれば最高だったのだが、そういうのは、たぶんいろいろ難しいのだろう。
 とはいえ、私は、こういう作品こそ、Blu-rayを購入することで、製作に応えたいと感じるし、今後も、何度も観させていただくにふさわしい傑作だと思っている。入手出来て大満足だ。

ID:INVADED イド:インヴェイデッド Blu-ray BOX 下巻

レビュー日:2022.3.31
★★★★★ 「素晴らしい世界だったぜ」
【アイテム概要】
 イド:インヴェイデッドは、小説家、舞城王太郎(1973-)の脚本に基づき、全13話から構成されるオリジナルのアニメーション・シリーズで、2020年の1月から3月に放送された。本アイテムはそのうち第7話~第13話を収録したもの。
 ディスクは4枚からなっており、
 【DISC1】 本編 第7話~第13話 及び 第9話 第10話 第13話におけるメインスタッフオーディオコメンタリー
 【DISC2】 特典版 メイキング映像 各話予告集
 【DISC3】 オリジナルサウンドトラック 収録時間 約30分
 【DISC4】 オリジナルドラマCD
 またそれらに加えて、監督・あおきえい絵コンテ集(第13話)、脚本・舞城王太郎書き下ろし小説(鳴瓢家の物語)、設定資料集がそれぞれ小冊子になっており、それらが一つのBoxに挿入される体裁。
【作品を観た感想、まだ観ていないが興味を持っている人へ】
 私はこの作品を、2022年の3月になって、初めて観たのだが、その内容、考え抜かれたストーリーと、キャラクターの魅力に魅了された。ジャンルは、「ミステリを扱ったSF」と言って良く、その世界観を理解していく過程が、ストーリーの進行とシンクロするという進行が、とても面白い。
 まず、この作品のタイトルについて解説してみよう。「イド:インヴェイデッド」の後半はinvadedであり、「侵略される」という意味であり、ここでは形容詞的用法で、「侵略されるイド」といった感じだろう。この「イド」というのは、作中で、殺人犯の殺意を含む「無意識領域」から構成された一種のヴァーチャル空間を指している。そして、このイドを扱う組織である「蔵」が、イドを用いて行う犯罪捜査が描かれることになるが、他者のイドに進入できるものは、イドをもつもの(自殺を含む複数回の殺人を手掛けたもの)だけであり、その設定が、様々にストーリーに寄与していくことになる。
 「イド(id)」は、元はフロイト(Sigmund Freud 1856-1939)が提唱した心理学用語である。デカルト(Rene Descartes 1596-1650)以来、人の行動はその人の意識、ひいては理性によって決定される、つまり自我によって人は行動する、と考えられることが一般的であった。しかし、フロイトは、自我には、本人が認識できない「無意識領域」があり、それが、その人の行動に影響を及ぼすと考えた。まあ、そのあたりは有名な話なので、知っている人は多いと思うけれど、フロイトは、人の意識が休止している睡眠中に発生する「夢をみる」とい事象に多大な関心を寄せ、そのメカニズムをひも解こうとしたのも、無意識論のためである。そうして、ざっくり言って、「自我」というものは、本能的な「欲動(イド)」と、それを抑圧する道徳的な「超自我(スーパーエゴ)」のバランスを形成する過程で生成するものであるはずだ、と考えた。これは、子供の成長の過程などに象徴的に顕れる。本作では、「殺意」がそのバランスを崩すほどの強い欲動であり、特有のイドを形成するものであるという設定がなされている。
 また、本作では、「無意識領域」から構成された一種のヴァーチャル空間が、外部の観察者から円柱状の疑似空間に見え、それが井戸のようであること、加えて、こちらの世界とは異なる場所、すなわち「異土」であることも含めて、それらの意味を総称しつつ、シンボリックに、それを「イド」と呼んでいるようである。また、このプログラムを含む、イドを形成し、観察可能な状態とするシステムに「ミズハノメ(日本の古神話の女神)」という名称が与えられている。
 このミズハノメが何をベースにしているか、ということは、本シリーズのストーリーの根幹にかかわることなので、ここでは触れないでおくが、本作を観るにあたって、本作を楽しむための私からの助言を書こう。
1) ちゃんと観る
 なにを当たり前な・・・と言われそうだけど、アニメ作品には、ちゃんと観なくても、だいたいストーリーがわかるし、全部わからなくてもたいして問題ない(と私が思っている)ものが凄く多い。私も、最初、この作品を、そういう作品と同じように、別の家事や作業をしながら観ていたのだが、すぐに「これではいかん」ときちんとテレビの前に座って、しっかり観ることにした。なぜなら、この作品は、説明を全部セリフで行ってくれないからである。絵や演出の中に、ストーリーを進め、理解する比較的重要なパーツが埋め込まれており、視聴者には、出来るだけそれらを多くひろっていくことが求められるからだ。
2) 続けて観る
 これは時間的な制約で難しい人が多いかもしれないけれど、私の場合は、土日の2日間をかけて、全13話を通して観た。この作品は、重要なものが、かなりの密度で詰め込まれているため、あまり間をあけてしまうと、その分だけ、自分の中で印象の濃淡の差が大きくなってしまい、結果的に前後の脈絡付けが外れてしまう部分が多くなる。それが、ストーリーを楽しむ場合、デメリットとなるので、出来ることなら、それなりの時間を確保して、続けてみるのが良い。
3) 複数回観る
 凄く理解が早くて、記憶力も特別にいい人なら別だが、少なくとも私の場合は複数回観て、つまり結論や仕掛けを知った上であらためて観ることにより、やっとわかったことが多くあった。それは、セリフや登場人物の行動・反応の意味だけでなく、絵の意味や、設定の意図など、様々な点で、二度目に観たときは、初回の理解を上回っており、かつその差がことに大きい作品であるため、複数回観るべきである。ただし、(個人的な体験で言えば)2度目以降の視聴は、一気に観なくてもいいでしょう。
 以上のことからも、ぜひともBlu-rayというメディアを買って、鑑賞したい作品と言える。
 私が本作でとくに魅力を感じたのは「イド」の空間における異様な世界の描き方である。その創造性が面白い。もちろん、作品なので、作り手が考えてそういう世界を描いているのであるが、殺人犯の無意識に、どのような象徴性が与えられるかという解釈が興味深い。その世界は、しばしば当該世界における体感時間で、長時間生き抜くことが困難な過酷さを伴うものでもある。また、そこに進入するものは、外部世界の記憶をもちこめないこと、進入するものは、そこに常に存在する一つの死体が、「何を」意味するのか、「何が」おかしいのか、読み解く必要があること等の命題のみ抱えており、その制約を理解することが、世界観の理解に繋がっている。そこにミステリとSFの幸福な邂逅があると私は感じる。
 登場人物たちも魅力的だ。・・・こういうと奇妙に聞こえるかもしれないが、連続殺人犯たちの中にも、不思議な魅力(感性)を持つものがいて、それを単純な善悪で描かないところもユニークだし、物語としての完成度を高めている。また、本作の主人公は、ある種の衝動的な正義感ゆえに連続殺人を犯すこととなった人物なのであるが、彼に声を当てた津田健次郎(1971-)の名演ぶりとあいまって、その抑制した感情の奥にあるものがストーリーの進展とともに外に出てくるところも、心憎い展開である。
 観始めたとき、理解が難しいと感じるかもしれない。それでもたぶん多くの人は、その不思議な世界に興味を持って見続けられるのではないだろうか。全13話を通じたテンポの良さは抜群だ。これは、前述の「セリフで全部を説明してくれない」ことと大きくかかわっていることでもあるが、絵と演出で視聴者に伝えているものは、出来るだけ重複を省いている。一般的な映像作品なら、ここらへんで、一つ間を取るのでは、と思うような場所でも、さっと次に進む。逆に言うと、“付いてこられない人は置いて行ってもかまわない”、というスタンスなのかもしれないが、私は、映像作品はそれぐらいが適切だと思うし、最近の映像作品に説明過剰なものが多いこと(全部説明してくれないとダメという視聴者が増えすぎたと思う)とあいまって、私は当作品のスタイルを、歓迎したい。
 なお、一応注意点として、物語の必要上、様々な殺人事件について、描かれることになるので、そのような描写が苦手な人には、薦めない方がいいと思う。しかし、ちょっと刺激的なものが含まれるアニメ作品ぐらいなら大丈夫、という人であれば、問題ないレベルだと思うし、なにより、私はこの作品を、夢中になって面白く観ることができたので、総括としては、是非ご覧になってほしいと思います。
【このアイテムについて】
 オーディオ・コメンタリーは、監督のあおきえい氏、キャラクターデザイン・総作画監督の碇谷敦氏、主人公役の津田健次郎氏の3氏によるものなので、それぞれ、演出・技術者側、演者側から、あらためて各シーンで、相手側に訊いてみたかったところを尋ねながら進むというもので、なかなか印象的なやりとりが繰り返される。津田健次郎氏が、最後に、「本当にいい作品に参加する機会をもらえた」という意味のことを述べられたのが印象深い。内容が濃く、演者側に要求されるもの(その時点でキャラクターがどのような状況を把握し、どのような感情を持っていたかを踏まえた演技)も高度であったに違いないが、作品を繰り返しみても、その演技は見事なものであったと思う。もちろん、演出側の指示も詳細、的確であったのだろう。時系列を正しく把握するため、詳細な物語内年表を作成し、ストーリーに齟齬がないようにしたり、あるいは指摘されてみないと気づきにくい演出が随所に施されていたりといったことには、このオーディオ・コメンタリーを聞いて、あらためて感心させられた。また、主要登場人物の名字が、酒の銘柄だというのは、まったく気づかなかった。
 オリジナルサウンドトラックは、完全にBGMのみで、主題歌や挿入歌は含まれていない。このアニメ作品では、別にアーティストに外注された歌や、MIYAVIの楽曲が挿入歌として用いられているので、是非それらも収録してほしかったが、それらは含まれていない。
 とはいえ、私は、こういう作品こそ、Blu-rayを購入することで、製作に応えたいと感じるし、今後も、何度も観させていただくにふさわしい傑作だと思っている。購入することで、製作サイドへの謝意を伝えるという意味でも、このアイテムを入手した個人的満足感は高かったです。

オッドタクシー Blu-ray BOX 通常版

レビュー日:2024.9.2
★★★★★ この作品の素晴らしさが、広く知られるようになってほしい
 私は、最近になって、この「オッドタクシー」というアニメーション作品を観た。この作品は2021年の4月から6月にかけて、全13話がTV放送されたというから、それから3年以上たってから観たことになる。私がこの作品を観たのはただの気まぐれで、それまでは作品の存在さえ知らなかったのだけれど、とても良い作品だった。こういう優れた作品は、本来であれば、もっと噂になっても良いはずである。というのは、この作品が、そもそもどの程度の一般的な意味での話題作だったのかを知りたくて、自分の周囲で普段からアニメーションを見ている人たちにこの作品のことを訊いてみたのだけれど、その存在を知っているという人が居なかったから、そう思ったのである。
 「日本のアニメーションが凄い」という話はよく聞く。ネットを通じてもたらされる情報の中には、そういうものが良くあって、私もそれなりに関心があるから目を通したりするのだけれど、その中には、例えば「ハリウッドを越えた」とか「ディズニーより良く出来ている」とか、ざっくり言うとそんな感じで、作品を称賛する場合がままある。そうなのかもしれない。それ自体悪いことではないのだろう。それに、そもそも、日本人という集団は、異様なほどに、「海外から認められたい」という、自己承認欲求の強いグループだから、自国の映像作品が、そのような形容で評価されると、すごい勢いで喜びと共に、その評価自体が拡散する傾向があると思う。たぶん、押井守が監督した「攻殻機動隊」を、ジェームズ・キャメロンやクエンティン・タランティーノが絶賛したあたりから、そういう傾向が顕著になったように思う。そして、時にはそれがエネルギーとなって、何かの創作活動が大きな成果を挙げることもあったに違いない。ただ、その一方で、私はこうも思う。「日本のアニメーションの分野は、何も、ハリウッドやディズニーと同じ価値基準の評価軸に、そこまでこだわらなくてもいいのではないか」、と。というのは、ハリウッドやディズニーと競争する価値基準が世間的なニーズを獲得すればするほど、その一方で相対的にプライオリティを下げられてしまう価値観もあって、その中には、実に捨てがたいものがあるはずだからだ。そもそも根底にあった文化の流れは別のもののはずだ。
 ちょっと回りくどい書き方をしてしまったが、私は、この「オッドタクシー」という作品が、そういった現在主流となっている国際的な価値基準と別の価値軸に発生した名作である、という点で、とても芸術的かつ文化的に貴重なものとなっていると思う。だから、この作品が「ハリウッドを越えた」とか「ディズニーより良く出来ている」といった形容で語られることは、まずない。ところが、現状は、その結果として、主流と異なるが故に情報として取りざたされる機会も、流布する量も減るから、その存在を知り、きちんと観る人の数も減ってしまうと思う。そして、私は、その現状を残念だと感じる。
 ただ、以上のことは、私が自分が知りえる情報の中で考えたこと。もし前提そのものが的はずれだったら申し訳ない。
 さて、では、この作品が重きを置いた価値軸とは何なのか、というと、私は、それは「話芸」である、と言いたい。ストーリー自体は、ハードボイルドと言っても良いミステリがベースで、多層な謎と複雑な登場人物の関係性が、話数の進展とともに解明されていくという体裁をとっているが、その演出手法のベースは「話芸」と言える。日本では、古来「講談」「漫談」「怪談」といった、語り口に妙を凝らした文化ジャンルがある。それらは芸術として決して国際的にジャンルを形成しているものではないのだが、それゆえに一種独特な世界が広がっていて、そのニュアンスの細やかさと多彩さ、真面目とユーモアの境界に関する巧妙な扱いの伝統があり、この作品は、それをアニメーションという媒体の中で、みごとに芸術的に結実させた素晴らしさを持っている。此元和津也の脚本が出色だというのもあるが、その脚本の意図を組みつくした演出がまた見事なのだ。セリフの間の取り方一つとっても深い含みがあるし、あえてセリフの末尾にそれを潰すようにしてセリフを重ねたりして、感情の機微を豊かに表現する。そのテンポならではの心地よい演出が紡がれていくミステリは、実に味わいが深く、楽しい。このテンポならではの笑いのツボもしっかりと抑えられていて、爽快ですらある。
 以上が私がこの作品を素晴らしいと思う第一の点である。
 もちろん、私がこの作品をとても気に入っている理由はそれだけではない。まず、ストーリー自体がとても良く出来ている。主人公を中心とした群像劇であるが、各キャラクター間の関係性自体がドラマとしてとても機能的にできていて、それらがストーリーの中で鮮やかに消化される美しさがある。優れたパズルというのは、数学の問題の様に必要十分条件のピースのみで構成され、余剰も不足もないものだが、それに近いものを感じる。また、前述で「話芸」と表現した装飾性豊かな会話の背景で、会話の内容とはことなる重要な情報を視覚的に提示する手法も鮮やかに用いられる。この手法を使うということは、気づかない人はそのまま通り過ぎて終ってしまうというリスクを許容することであり、それはつまり、作品の側が視聴する人に対して一定のハードルを設けているということになる。しかし、私は、それこそ映像作品の本懐だと思うし、逆に言うと、視聴する者にとって、そのハードルを越えるという楽しさを味わわせてくれるものである。つまり、エンターテインメントとして上質なものとなっていて、かつ作品として素晴らしい完成度を誇っていることになるのである。
 各キャラクターは、現代における象徴的な要素を担った上で、不安や矛盾を抱える存在として描かれている。これは、別にこの作品に限ったことではないから、とりたてて強調することではないとは思うのだけれど、そのようなキャラクター造形も含めて、作品の中にうまく組み込み、しかもすべてにきちんとした役割があって、かつさらにそれぞれの抱える問題が、物語の中で、別の状態に移行するさまがきちんと描かれている。だから、結果として「各キャラクターが13話の中できちんと描かれた」という説得力も、この作品の魅力である。
 以上、この作品に、とても魅了されたので、書いてみました。ちなみに、私の場合見終わってからしばらくの間、語尾に思わず「じゃねーか」をつけてしゃべってしまうことがあったので、視聴に当たっては、ご注意ください。


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ほか


モチヅキ 熊ヨケスプレー カウンターアソールト 02194 CA230

レビュー日:2015.7.28
★★★★☆ 実用したことはありませんが、持っているという安心感はあります。
 私はしばしば山に登る。最近は登山ブームということもあり、わりとどこに行ってもそれなりの登山者がいる。そんな登山道を昼間に移動しているだけならほとんど問題ない。登山の場合、注意が必要と思われるのは、日高や大雪のような相当な深いところに行く場合、それと山中で夜を過ごす場合だ。クマは夜の間に長距離を移動するという習性が知られている。100mを7秒フラットで走る彼等の行動範囲に近づくのは避けたい。
 もう一つ、私は登山以上に、人のいないところに行くことが多い。産業遺産や廃線跡の探訪という趣味があるからだ。これはなかなか同士人口の少ない趣味で、現場も、遊歩道など整備されていないクマの生息域だったりする。
 というわけで、お守り代わりに持ち歩いているのがコレ。少なくとも、個人的にはお守りより頼りになると思っている。以下、購入時の解説書を参考にしながら、商品情報を書いてみよう。
 このカウンターアソルトはアメリカBushwacker Backpack & Supply Co. Incが開発したクマ退散スプレーである。そのスプレー成分は10%カプサイシン(唐辛子エキス)で、毒物ではないため、携行に特別の許可は不要。もちろん非致死性だから、万一使用したとしてもクマを殺してしまう心配はない。とはいっても刺激は強烈で、その辛さは320万SHUだ。と言っても320万SHUがなんのことだかさっぱりわからないが、これはスコピル熱単位と呼ばれる辛さの指標。世界一辛いと言われているナガ・ジョロキアの3.7倍の刺激と言えば、ちょっとわかるだろうか。使用方法は以下の通り。
前もって
1) 黄色いプラスチック製のテープを切っておく。
使用時
2) スプレーを縦に持つ
3) コックの指さしに人差し指を入れ、親指でセフティクリップのツメを手前に引いて外す
4) 腕を伸ばし、体から離した位置で、目標めがけて発射レバーを親指で押す(ガス圧は相当の衝撃がある)
使用後
5) 外したセフティクリップを戻す
 性能は
噴霧継続時間 CA230;約7.2秒 CA290;約9.2秒
対象距離 4m~9m
未使用なら購入から3年間使用できるらしい
 開発の段で、グリズリーベア、シロクマ、アメリカクロクマに関しては、実行性が確認され、アメリカの省庁や州政府などでも使用されているという。問題は日本の品種に有効かどうか、であるが、解説書によると少ないながらもヒグマ、ツキノワグマでも実例があり、効果があったとのことである。
 というわけで、私も一応所持しているのだが、やはり使用は避けたい。
 先日、北海道新聞にこんな写真が紹介されていた。知床で、漁師が、用具の手入れをしている。そのすぐ5mのところに野生の大人のクマがいる。しかし、互いがそれぞれの作業に集中していて、何も起きない。知床では、普通の光景とまで言わないまでも、ままあることだそうだ。自分たちが持っているクマのイメージとのギャップに驚かされるが、本来、自然の生き物は、不必要な攻撃は行わないし、そのことが最大の自己防衛策であることを知っているのである。
 人間の過剰防衛が悲惨な結果を招くこともある。まずは個々の心がけを高め、自然の偉大さを十分認識の上、自然を楽しみたいものである。


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