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リャトシンスキー



交響曲

交響曲 第2番 第3番
クチャル指揮 ウクライナ国立交響楽団

レビュー日:2020.6.30
★★★★☆ リャトシンスキーの知られざる交響曲を紹介してくれる良アイテム
 ボリス・リャトシンスキー(Boris Lyatoshynsky 1895-1968)は、ウクライナ出身で、ソビエトで活躍した作曲家。ショスタコーヴィチ(Dmitrii Shostakovich 1906-1975)と同様に、その芸術は、政治体制からたびたび干渉を受けたが、ソ連国家賞を3度受賞するなど、体制側からの評価も得ていた。ただし、国外への周知機会はほとんどなかったため、その作品がヨーロッパで知られるようになったのは、冷戦体制が崩壊した以後のこととなる。
 当盤は、ウクライナ系アメリカ人の指揮者、テオドール・クチャル(Theodore Kuchar 1963-)の指揮と、ウクライナ国立交響楽団の演奏で、以下の2作品を収録している。
1) 交響曲 第2番 op.36
2) 交響曲 第3番 ロ短調 op.50
 1993年の録音。
 リャトシンスキーは生涯に5曲の交響曲を遺したが、そのうち当盤に収録されている第3番が代表作とされている。その作風はスクリャービン(Alexander Scriabin 1872-1915)の影響が濃いとされる。調性は明確なものではなく、無調や複調と呼ばれる音楽書法を含んでいるが、その響きは調性的なものから大きく逸脱はせず、不協和な難しさはほとんどないといって良い。
 リャトシンスキーの作風は、ある面折衷的だ。あるいは、彼自身は、より無調に近い音楽を目指したかったのかもしれない。しかし、社会主義リアリズムという芸術風潮を受け入れつつ筆を進めたその作品は、結果的にユニークで独創的な作品を遺したとも言える。
 交響曲第2番は開始とともに低弦主題が提示されるが、そのほの暗い情緒は、どこか自然謳歌的で、幻想的なものを持ち合わせている。なかなか魅力的だ。やがて、音楽は、さかんに風向きの変わるせわしない天気のように、刻々と即興性を交えながら白熱の様相を刻み、様々な重さを感じさせるフレーズで彩られいく。悲劇性を感じさせる面もあるが、楽曲の性格はそこまで単純ではないだろう。第2楽章では、古典的で情緒的。第3楽章は音楽の渦を思わせる。そこでは様々な音符が密集しており、時に関係性の難しいものも取り沙汰されるが、全体的にはエネルギッシュであり、聴き手は、その力に最後まで押し通されるような感じを味わうだろう。ショスタコーヴィチのアイロニーともプロコフィエフのグロテスクとも異なる要素を湛えた音楽である。
 交響曲第3番は、第1楽章の冒頭から信号のように応答を交わす金管が印象的だ。独特の不穏さの中、時に攻撃的なフレーズが、時に情緒的な旋律が、後退してはその役割を主張し、去っていくという展開。しかし、やがて大きなクライマックスを形成していく。中間の2つの楽章でも様々な事象が発生する。それぞれ、前の楽章で用いられたフレーズを踏襲しながら、不穏さや叙情が綯い交ぜとなり、それらの総体として、美しさのある多層な音響が形成されていく。手法的にも面白いが、聴いていて、その劇性は分かりやすい。終楽章となる第4楽章は、比較的爛漫として、他の部分に比べて楽天的な性格を感じる。社会主義リアリズムに相応しい明るさがあるとも言えるだろう。相応に演奏効果のある音楽だ。
 全体的に、旋律的なものとして心に強く残るという作風ではなく、合奏の繰り広げる様々な音の重なりと、その感覚的な面白味で興味深く聴くことのできる音楽だ。このような楽曲を廉価で提供してくれるナクソスには感謝したいところ。クチャルの指揮は、他の演奏と比較したわけではないが、透明感を維持しつつ、音楽の面白さを的確に伝えてくれるものだろう。録音はやや軟焦点気味のところがあるが、平均的なレベルには達しており、これらの楽曲を知り、味わうには、十分な内容となっている。


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