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カラマーノフ



交響曲

交響曲第22番「レット・イット・ビー」 交響曲第23番「私はイエス」
アシュケナージ指揮 ベルリン・ドイツ管弦楽団

レビュー日:2003.09.07
再レビュー日:2017.01.18
★★★★☆ 幻の作曲家カラマーノフの本質を伝える最良の録音
 ソ連当局とショスターコヴィチの確執は有名な語り草だが、このカラマーノフのように本当に抹殺状態にあった作曲家もいる。カラマーノフはソ連当局に演奏を禁じられていたため、実に西側では1991年までその存在を知られなかった。シュニトケが「彼は今もソ連のどこかだ生活している。彼は天才だ・・・」と語ったらしいが、知らない人間はなんの話だかわからなかった。
 アシュケナージがこのような作曲家の作品をメジャーレーヴェルを通じて世界に出してくれたのは、彼の偉大な功績の一つである。カラマーノフ晩年の傑作、第23番交響曲の終結間近、美の象徴としてコントラバス合奏によってドヴォルザークの「わが母の教え給いし歌」が出現するシーンは心に響く。
★★★★★ 知られざる孤高の作曲家の名品
 アレムダール・カラマーノフ(Alemdar Karamanov 1934-2007)という作曲家の名前を知る人は少ない。彼は、ソ連(現在のウクライナ)で生まれた作曲家であるが、その作品や活動について、紹介されることは少なかった。冷戦のもっと厳しかった時代に、カラマーノフは自身の芸術活動に、彼が傾倒した宗教と深い関連を与え、さらに政治的なメッセージとの結びつけを試みたために、当時の国の施作とあいいれず、その活動は制限され、結果として西側各国にその名が伝えられることはなかった。
 しかし、カラマーノフを知る同業者たちは、その才について言葉を残しており、ショスタコーヴィチ(Dmitri Shostakovich 1906-1975)は、若き日のカラマーノフを「現代で最も独創的かつユニークな作曲家のひとり」と述べたし、西側にも広く紹介される機会を持ったアルフレート・シュニトケ(Alfred Schnittke 1934-1998)は、「彼は素晴らしく才能に恵まれていて、ソ連国内のどこかで生活しているが、実際には無名だ。…彼は単なる才人ではなく、天才である。」とカラマーノフを称えた。
 そんなカラマーノフの作品が知られるようになったのは、1991年にその作品を録音されたテープが英国に紹介されてからである。
 カラマーノフの作品のうち、重要なものに交響曲群があるが、このうち1976年から80年にかけて作曲された18番から23番までの6つの交響曲は、聖書の「黙示録」から主題をとったひとつのチクルスを形成しており、「あるがままであれ」という共通のタイトルで統一されている。
 アシュケナージ(Vladimir Ashkenazy 1937-)は、作曲家カラマーノフとその作品に大きな理解を示し、スコアの入手し、交響曲第22番に関しては、初演も担った。当盤には、スタジオ収録された以下の2曲が収められている。
交響曲 第22番「レット・イット・ビー(あるがままであれ)」
 1) ヴィヴァーチェ・インフェルナーレ
 2) メノ・モッソ・モルト
 3) レント
 4) グラーヴェ・フーネブレー ? リステッソ・テンポ(ラグリモーソ)
 5) リステッソ・テンポ
 6) アレグロ・ノン・トロッポ、リゾルート
交響曲 第23番「私はイエス」
 7) アンダンティーノ
 8) リステッソ・テンポ
 9) リステッソ・テンポ
 10) ヴィーヴォ
 11) アダージョ
 12) アレグロ・トランクイロ
 演奏はベルリン・ドイツ交響楽団。録音は交響曲第22番が1996年、第23番が1995年。
 性格的な違いの大きい2作品である。交響曲第22番はバビロンの滅亡がテーマとなっており、冒頭から悲劇的かつ衝撃的な色彩が支配する。様々な楽器の組み合わせによる音響を細分化されていて、それは実験的かつ前衛的な印象をもたらすが、併せて緻密な設計性を感じさせる。ショスタコーヴィチの述べるとおり、実に独創的な音の世界が、新しい秩序を感じさせて成り立っており、驚かされるところが多い。
 交響曲第23番は、傑作との評価がなされている。こちらは、ロマン派的な響きが残ってり、一般には交響曲第22番より、ずっと「近づき易さ」を感じさせるものだろう。8)の弦楽器によって奏でられるフレーズは、淡い情緒を次第に増しながら高揚していくが、その過程は調性音楽的な成り立ちを感じさせる。11)ではコントラバスが支配し、ドヴォルザーク(Leopold Dvorak 1841-1904)の「我が母の教えたまいし歌」が厳かに奏でられる。フィナーレに向けて、情緒的な感動が高められる。全体の音色も不思議な統一感と秩序があり、美しい交響曲である。
 アシュケナージがいちはやくこれらの録音を行い、カラマーノフの作品を西側に紹介した功績には計り知れないものがあるが、現在もその作品が録音されることは少なく、作曲者が2007年に亡くなってしまってはいるが、さらに演奏・録音の機会がもたらされることを期待したい。


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