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ヤナーチェク



管弦楽曲 室内楽曲 器楽曲 声楽曲 歌劇


管弦楽曲

シンフォニエッタ 狂詩曲「タラス・ブーリバ」 ラシュスコ舞曲 組曲「利口な女狐の物語」(ターリヒ編/スメターチェク改訂) 交響的組曲「マクロプロス事件」(セレブリエール編) 序曲「嫉妬」 歌劇「死者の家から」前奏曲
セレブリエール指揮 ブルノ国立フィルハーモニー管弦楽団

レビュー日:2017.4.4
★★★★★ ヤナーチェクの音楽世界への素敵な誘い
 ホセ・セレブリエール(Jose Serebrier 1938-)指揮、ブルノ国立フィルハーモニー管弦楽団の演奏による、ヤナーチェク(Leos Janacek 1854-1928)の管弦楽曲集。2枚のCDをセットにした再発売盤で、その収録曲は以下の通り。
【CD1】 1995年録音
1) シンフォニエッタ
2) ラシュスコ舞曲
3) 狂詩曲「タラス・ブーリバ」
【CD2】 1996年録音
4) 組曲「利口な女狐の物語」(ターリヒ(Vaclav Talich 1883-1961)編/スメターチェク(Vaclav Smetacek 1906-1986)改訂)
5) 序曲「嫉妬」
6) 歌劇「死者の家から」前奏曲
7) 交響的組曲「マクロプロス事件」(セレブリエール編)
 さて、私はヤナーチェクという作曲家の作品が好きで、様々なジャンルの作品を愛好しているのだけれど、「ヤナーチェクの音楽を聴いてみたい」という方に、まずどの録音を勧めるべきだろうか、と考えることがある。しかし、今回この2枚組の録音を聴いて、「これこそヤナーチェク入門に相応しい」と感じた。
 もちろん、人によって好みがある。合唱が好きなら「グラゴル・ミサ」、室内楽が好きなら弦楽四重奏曲、あるいは、歌劇なら「利口な女狐の物語」も素敵だ。ただ、ヤナーチェクの音楽にある独特の語法に親しむにあたり、ヨーロッパの王道的な輝かしいオーケストラの響きを足場にすることは、手法としていちばん相応しい気がするし、しかも、このセレブリエールの録音、素晴らしいオーケストラのサウンドを十全に操って、ヤナーチェク特有の要素についても、十分に表現しつくした、見事な内容のものなのである。しかも録音も優秀。
 ブルノは、ヤナーチェクが育った作曲者ゆかりの町である。だから、というのは単純に過ぎるかもしれないけれど、当演奏におけるオーケストラの自然で、しかも情感に溢れるサウンドは、聴いたとたんに、人を惹きこむような魅力に満ちている。輝かしく力強い。その一方で、過度な発色がなく、落ち着いた滋味があって、色合いに深みが感じられる。ヤナーチェクが描いた、どこか不思議で、童話的と形容したい音楽世界を表現するのに、理想的な音響で満たされている。
 セレブリエールの共感あふれる指揮ぶりも素晴らしい。この指揮者の録音、たびたび聴いているけど、何を振っても立派。もっともっと評価されるべきだろう。シンフォニエッタでは民俗的なリズムの処理が鮮やかで臨場感に溢れているし、ラシュスコ舞曲の熱血的躍動もさすが。序曲「嫉妬」や交響的組曲「マクロプロス事件」第1部の圧倒的な迫力も比類ない。ちなみに交響的組曲「マクロプロス事件」では、第1幕から第3幕の音楽を、それぞれ一つの楽章に割り当てるように編曲しているが、この編曲もとても良くできたもの。最近の録音では、ペーター・ブレイナー(Peter Breiner 1957-)も、様々なヤナーチェクの歌劇を管弦楽組曲に編曲して録音しており、編曲の聞き比べも面白いだろう。それにしても、ヤナーチェクの歌劇に溢れる美しいメロディと土俗的な迫力は、管弦楽曲に編曲してみたいという動機付けに、十分すぎるもの。このような編曲で楽しんで、次は原曲である歌劇の音源に触れるというのも、ヤナーチェクの世界を楽しみやすくするアプローチになると思う。
 そして、当盤の録音の素晴らしさ、生々しく、立体的な距離感が良く再現されていて、音響そのものも楽しめるものとなっている。もちろん、ヤナーチェクの音楽を良く知る人にも、存分に楽しめるアルバムだ。

シンフォニエッタ グラゴル・ミサ ピアノと室内管弦楽団のためのコンチェルティーノ 歌曲集「消えた男の日記」 思い出 記憶の中で アンダンテ モデラート 金の指輪 あなたを待つ 主キリストがお生まれに ヴァイオリン・ソナタ カプリッチョ
ラトル指揮 フィルハーモニア管弦楽団 バーミンガム市交響楽団 バーミンガム市交響楽団合唱団 p: ルディ マッケラス指揮 パリ国立オペラ管弦楽団員 T: ボストリッジ p: アデス vn: アモイアル

レビュー日:2018.8.15
★★★★★ ヤナーチェクの世界に存分に浸れるお得な2枚組
 EMIレーベルにおける、ヤナーチェク(1854-1928)の様々なジャンルの録音を、2枚組CDとしてまとめたオムニバス・アルバム。定評ある名曲とともに、演奏・録音機会の少ない楽曲も収録した面白い構成となっている。まず、その内容を以下に示そう。
【CD1】
1) シンフォニエッタ 1981年録音
 サイモン・ラトル(Simon Rattle 1955-)指揮 フィルハーモニア管弦楽団
2) グラゴル・ミサ 1982年録音
 サイモン・ラトル指揮 バーミンガム市交響楽団 同合唱団
 ソプラノ: フェリシティ・パーマー(Felicity Palmer 1944-)
 アルト: アメラル・ガンソン(Ameral Gunson 1948-)
 テノール: ジョン・ミッチンソン(John Mitchinson1932-)
 バス: マルコム・キング(Malcolm King)
 オルガン: ジェーン・パーカー=スミス(Jane Parker-Smith)
3)  ピアノと室内管弦楽団のためのコンチェルティーノ 1995年録音
 ピアノ: ミハイル・ルディ(Mikhail Rudy 1953)
 チャールズ・マッケラス(Charles Mackerras 1925-2010)指揮 パリ国立オペラ管弦楽団員
【CD2】
1) 歌曲集「消えた男の日記」 2001年録音
 青年ヤニーチク: イアン・ボストリッジ(Ian Bostridge 1964- テノール)
 ピアノ: トーマス・アデス(Thomas Ades 1971-)
 ジプシーの娘ゼフカ: ルビー・フィロジェーヌ (Ruby Philogene メゾ・ソプラノ)
 ジプシーの娘たち: ダイアン・アサートン (Diane Atherton ソプラノ)、デリン・エドワーズ (Deryn Edwards メゾ・ソプラノ)、スーザン・フランネリー (Susan Flanneryコントラルト)
2) 歌曲集(思い出、記憶の中で、アンダンテ、モデラート、金の指輪、あなたを待つ、主キリストがお生まれに 「消えた男の日記」から第10曲「天にまします、不滅の神よ」(初版)、第14曲「陽は高く昇り、影を追いはらう」(初版)) 2000年録音
 テノール: イアン・ボストリッジ
 ピアノ: トーマス・アデス
3) ヴァイオリンとピアノのためのソナタ 1995年録音
 ヴァイオリン: ピエール・アモイアル(Pierre Amoyal 1949-)
 ピアノ: ミハイル・ルディ
4) 左手のピアノと7つの管楽器のためのカプリッチョ 1995年録音
 ピアノ: ミハイル・ルディ(ピアノ)
 チャールズ・マッケラス指揮 パリ国立オペラ管弦楽団員
 すべてデジタル録音。(ただ、一連のルディの録音は、高音部がガサつき、分離もいまひとつ)
 ラトル指揮の2曲は、いずれも柔軟な包容力があって、劇性が抑制された感があるとは言え、代わって高い洗練を感じさせる響きで、全般にとてもスムーズに音楽が鳴っている印象がある。劇性が抑制されたと書いたけれど、決して迫力で劣っているというわけではない。華麗な個所では存分に盛り上がり、歌い上げている。その一方で、特に「グラゴル・ミサ」曲においては、チェコ語特有の強いアクセントが、適度に均されて、スタイリッシュな方向性で仕上がっていると感じられる。それが良いかどうかは聴き手の感じ方の違いであるが、私は、とても心地よく聴けたし、同じ洗練を感じさせるシャイー盤に比べると、当盤の方に野趣性も残っていると感じる部分があるので、よいところで踏みとどまっているように思える。
 オーケストラの音色も、様々な意味でローカル色を感じさせない、流暢な美しさに貫かれている。そのきめの細やかな精緻なサウンドがことに堪能できる個所として、「アニュス・デイ」を挙げたい。パーカー=スミスのオルガンも、ラトルのスタイルに即したもので、非常に流麗。オーケストラ、合唱とあいまって、上質なレガートに美観がある。ただ、この楽曲の場合、聴く側に「もっといろいろなものを感じたい」という欲求が働く可能性はある。そういった点では、「シンフォニエッタ」の方が、インターナショナルな普遍性、模範性との親和性が高いだろう。輝かしさと大らかさを併せ持った金管と、細かいリズム処理を機敏にこなす弦楽器に、不満を感じる人は、ほとんどいないのではないだろうか。ラトルのこれらの楽曲への深い理解を感じさせる快演奏。
 ボストリッジが独唱を務める「消えた男の日記」は、管弦楽版ではなくピアノ伴奏版の録音。また、女声3部合唱によるジプシーの娘たちは、3人の独唱によっているが、ピアノ伴奏という規模に応じた響きで、聴き味は、繊細な合唱に近く、雰囲気は十分だ。女声の登場する第9曲、第10曲は聴きどころであるが、それよりボストリッジの、この歌曲集特有の「妖しさ」を表現した歌唱が見事。またアデスのピアノも良く、第11曲「林には、いまを盛りの蕎麦の花の香りが」あたりから漂う艶めかしさ、あるいは神秘性を、存分に味わわせてくれる。
 アモイアルによるヴァイオリン・ソナタは、ルディの正確な拍子に支えられ、この楽曲特有の野趣をとくに低音部の旋律を、あふれるような情感をもって表現しており、なかなかの佳演。また、「ピアノと室内管弦楽団のためのコンチェルティーノ」と「左手のピアノと7つの管楽器のためのカプリッチョ」は演奏機会の少ない楽曲であるが、やや朴訥とした旋律が、ヤナーチェクの施した巧妙な楽器構成の妙により、様々に色彩を帯びていくところが見事で、私は楽しむことができた。ただ、これらの録音に関しては、もうしこし録音が良ければもっと良かったのだが、という思いも残る。
 収録時間をたっぷり利用した2枚組であり、名曲、秘曲をいずれも高いレベルの演奏で堪能できるものであり、その商品価値は十二分に高いものと言える。

シンフォニエッタ 歌曲集「消えた男の日記」
アバド指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 T: ラングリッジ A: バリーズ 他

レビュー日:2017.1.31
★★★★★ アバドとベルリン・フィルによる、最初期のグラモフォン録音盤です
 このヤナーチェク(Leos Janacek 1854-1928)のアルバムは、アバド(Claudio Abbado 1933-2014)がベルリン・フィルを指揮して、独グラモフォンからリリースした2枚目のアルバムで、1987年に録音されたもの。ちなみに1枚目はロシアのヴァイオリニスト、ミンツ(Shlomo Mintz 1957-)との協奏曲録音であった。
 いずれにしても、スラヴ系の音楽に高い共感を持ち、多くの優れた録音を記録したアバドらしい足取りに感じられる。
 収録されているのは「消えた男の日記」と「シンフォニエッタ」の2曲である。このうち「消えた男の日記」は、禁じられたジプシーとの恋愛の果て、故郷を捨てて放浪の生活に身を投じた無名の若者が残した詩文をテキストに、このニュースに心を動かされたヤナーチェクが音楽としたもので、元来はテノール、アルト、女声3部合唱とピアノのための作品である。
 当アルバムに収録されているものは、オタ・ズィーテク(Ota Zitek 1892-1955)とヴァツラフ・セドラーチェク(Vaclav Sedlacek 1879-1944)によってオーケストレーションがなされたもの。当演奏では、テノール独唱をフィリップ・ラングリッジ(Philip Langridge 1939-2010)、アルト独唱をブリギッテ・バリーズ(Brigitte Balleys 1959-)、女声合唱をRIAS室内合唱団が担っている。
 「消えた男の日記」は全部で22の小曲からなるが、そのうちテノール独唱曲が18曲で、他はテノール、アルトと合唱、アルトと合唱、テノールとアルト、管弦楽のみというものがそれぞれ1曲ずつとなる。管弦楽のみの部分は、青年がジプシーの少女と肉体関係を持つシーンを表現している。全般にヤナーチェクらしい童話的な色彩感と独創性を持ち合わせ、時に官能的な表現に卓越を見せる楽曲で、オーケストラ編曲はそんなヤナーチェクの世界を壊さないよう、配慮をもったものと感じられる。ヤナーチェクが書いた数々の名作オペラに近づこうという意識も感じられる。
 「シンフォニエッタ」はヤナーチェクの代表作として知られる。冒頭とフィナーレに規模の大きいブラス群を要するが、中間楽章はこれとまったく異なった器楽編成で進められるなど、自由で形にとらわれていないようでいて、その一方で巧みに民謡の旋律を取り入れて、これを特有に音楽手法で消化していく洗練もみてとれる。
 アバドとベルリン・フィルの演奏は、これらの曲に、卓越した演奏技術とサウンドにより、インターナショナルな万能性を持たせて仕上げたような、輝かしい完成度を感じさせるものだ。シンフォニエッタのファンファーレなど、いかにも近現代的なシャープさと恰幅の良さを併せて、存分に鳴り響いていて、気持ちの良いもの。録音もすぐれているから、その効果はなおさらである。「消えた男の日記」も、アバドの演奏は、前面に行き届いて、同じように曇りがなく、安定した美しさに満ちている。
 アバドとベルリン・フィルならではの、燦然たる響きで、豊饒さを感じさせるヤナーチェクとなっている。

シンフォニエッタ グラゴル・ミサ
ラトル指揮 フィルハーモニア管弦楽団 バーミンガム市交響楽団 バーミンガム市交響楽団合唱団 S: パーマー A: ガンソン T: ミッチンソン B: キング org: パーカー=スミス

レビュー日:2018.8.9
★★★★★ ラトルの現代的感性が良く映えたヤナーチェク
 サイモン・ラトル(Simon Rattle 1955-)の指揮によるヤナーチェク(Leos Janacek 1854-1928)の2つの名曲を収録したアルバム。収録内容は以下の通り。
シンフォニエッタ 
 1) ファンファーレ
 2) 城塞(シュピルベルク城)
 3) 修道院(ブルノの王妃の修道院)
 4) 街路(古城に至る道)
 5) 市庁(ブルノ旧市庁舎)
グラゴル・ミサ
 6) 入祭文(Uvod)
 7) キリエ(Gospodi pomiluj)
 8) グローリア(Slava)
 9) クレド(Veruju)
 10) サンクトゥス(Svet)
 11) アニュス・デイ (Agnece Bozij)
 12) オルガン独奏;後奏曲(Varhany solo)
 13) イントラーダ(Intrada)
 「シンフォニエッタ」はフィルハーモニア管弦楽団、「グラゴル・ミサ」はバーミンガム市交響楽団とバーミンガム市交響楽団合唱団の演奏で、それぞれ1981年、1982年の録音。
 グラゴル・ミサ曲における4人の独唱者とオルガン奏者は以下の通り。
 ソプラノ: フェリシティ・パーマー(Felicity Palmer 1944-)
 アルト: アメラル・ガンソン(Ameral Gunson 1948-)
 テノール: ジョン・ミッチンソン(John Mitchinson1932-)
 バス: マルコム・キング(Malcolm King)
 オルガン: ジェーン・パーカー=スミス(Jane Parker-Smith)
 2002年からベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者兼芸術監督を務めていることが示すように、ラトルは、中央ヨーロッパの音楽のまさに中心を担う芸術家であるが、かつて同様の存在だった人たちと比較すると、レパートリーがユニークで、北欧音楽やスラヴ音楽を、むしろ得意中の得意といった感じで、堂々とそこに据えている。そのため、彼がベルリンで芸術監督を務めるようになって、ベルリン・フィルが取り上げる音楽も多彩さを増しているようだ。
 これらのヤナーチェクの楽曲も、ラトルはキャリア初期から積極的に取り上げているもので、当録音においても、そのこなれた扱いが際立っている。
 収録された2曲とも、柔軟な包容力があって、劇性が抑制された感があるとは言え、代わって高い洗練を感じさせる響きで、全般にとてもスムーズに音楽が鳴っている印象がある。劇性が抑制されたと書いたけれど、決して迫力で劣っているというわけではない。華麗な個所では存分に盛り上がり、歌い上げている。その一方で、特に「グラゴル・ミサ」曲においては、チェコ語特有の強いアクセントが、適度に均されて、スタイリッシュな方向性で仕上がっていると感じられる。それが良いかどうかは聴き手の感じ方の違いであるが、私は、とても心地よく聴けたし、同じ洗練を感じさせるシャイー盤に比べると、当盤の方に野趣性も残っていると感じる部分があるので、よいところで踏みとどまっているように思える。
 オーケストラの音色も、様々な意味でローカル色を感じさせない、流暢な美しさに貫かれている。そのきめの細やかな精緻なサウンドがことに堪能できる個所として、「アニュス・デイ」を挙げたい。パーカー=スミスのオルガンも、ラトルのスタイルに即したもので、非常に流麗。オーケストラ、合唱とあいまって、上質なレガートに美観がある。ただ、この楽曲の場合、聴く側に「もっといろいろなものを感じたい」という欲求が働く可能性はある。
 そういった点では、「シンフォニエッタ」の方が、インターナショナルな普遍性、模範性との親和性が高いだろう。輝かしさと大らかさを併せ持った金管と、細かいリズム処理を機敏にこなす弦楽器に、不満を感じる人は、ほとんどいないのではないだろうか。ラトルのこれらの楽曲への深い理解を感じさせる快演奏となっている。

歌劇「イェヌーファ」組曲(P.ブレイナー編) 歌劇「ブロウチェク氏の旅」組曲(P.ブレイナー編)
ブレイナー指揮 ニュージーランド交響楽団

レビュー日:2010.3.20
★★★★★ ヤナーチェクのオペラ管弦楽組曲第1弾
 ナクソス・レーベルからヤナーチェクの歌劇の「管弦楽組曲」のシリーズがリリースされた。当盤が第1弾で2007年の録音。収録されたのは「イェヌーファ」組曲と「ブロウチェク氏の旅」組曲。ペーター・ブレイナー指揮ニュージーランド交響楽団の演奏。
 ニュージーランドのオーケストラがヤナーチェク?とちょっと意表を付かれた感じがあるが、ヤナーチェクの音楽は汎スラヴ的でありながら、インターナショナルな通力を併せ持っており、世界中あらゆる国で楽しまれるのに相応しい。さて、今回素晴らしい「編曲」をしてくれているのが、指揮者のペーター・ブレイナー(Peter Breiner)である。ブレイナーは1957年スロヴァキア出身なので、ヤナーチェクの音楽には早くから接していたに違いない。この録音を聴くと、編曲・演奏の両面で優れた手腕を持っていることがよくわかる。
 ヤナーチェクの9つのオペラはいずれも名品として知られるが、言語の問題もあり、上演機会が少ない。このような「編曲」によって、その特有の作曲・管弦楽書法がより楽しみやすい存在となるのもうれしい。
 「イェヌーファ」はドイツ的な重心のしっかりしたオーケストレーションでありながら、不思議な経過句や変容に満ちていて、親しみやすい音型が少しずつ「型」をはずしていくところなど面白い。主観的な音楽に聴こえるし、実際そうだと思うが、その自由さが散漫ではなく、音楽を濃厚なものに傾斜させているのが面白い。
 「ブロウチェク氏の旅」は五音音階の使用により、どことなく東洋的な雰囲気に満ちていて、これを支える弦のユニゾンによるフォルテなどきわめて個性的だ。独特の舞踏感のある部分があり、テンポの頻繁な転換もある。それらのいずれもがヤナーチェクの色彩を成していく。
 ニュージーランド交響楽団はなかなか安定した力量を持っており、日本の主要オーケストラと同等くらいの力量は十分に備えているだろう。あるいはヨーロッパ人が結構多く参加しているのではないだろうか。非常にモダンな現代ヨーロッパ・サウンドという気がする。少なくとも、問題の感じられるところはなく、安価で入手できるのはとても助かる。

歌劇「カーチャ・カバノヴァー」組曲(P.ブレイナー編) 歌劇「マクロプロス事件」組曲(P.ブレイナー編)
ブレイナー指揮 ニュージーランド交響楽団

レビュー日:2010.3.20
★★★★★ ヤナーチェクのオペラ管弦楽組曲第2弾
 ペーター・ブレイナー編曲による、ブレイナー指揮ニュージーランド交響楽団によるヤナーチェクの歌劇から編まれた管弦楽組曲シリーズの第2弾。今回は「カーチャ・カバノヴァー」と「マクロプロス事件」。第1弾直後の2007年の録音。
 私には、ヤナーチェクのオペラを聴くと思い出す映像作品がある。アメリカの双子の人形アニメーション作家、ブラザーズ・クエイの「レオス・ヤナーチェク」という作品だ。1983年にイギリスで製作されたものだが、ヤナーチェクの音楽をバックに流しながらヤナーチェクの「人生」と彼の創作した「劇話」が入り混ざった幻想的な世界を表現していて、その不思議な映像は強く印象付けられている。特に「死者の家から」と「マクロプロス事件」は題材が深刻だったり、ホラーっぽかったりするので、ブラザーズ・クエイの作品でもこれらの作品を引用した箇所はインパクトがあったと思う。
 というわけで、私はこの「マクロプロス事件」の音楽が、幻想的な映像とともに記憶に刻まれていて、それが「管弦楽曲」として、一種の「追体験」を手ごろに味わえるようになった本ディスクに感慨を覚える。
 「マクロプロス事件」は“年を取らないオペラ歌手”という都市伝説的なストーリーを扱っていて、不気味な音楽である一方で、しかしヤナーチェクならではの自由さや楽天性が混ざった実に奇特で面白い音楽だ。管弦楽の迫力も凄いし、変拍子の扱いも見事。ブレイナーの編曲も素晴らしく、フィナーレに向けて壮大なスケールで音楽がうねっていく。
 もちろん「カーチャ・カバノヴァー」も素晴らしい。弦の力強い響きと共に鳴らされるティンパニの強打が圧巻であるが、官能的とも言える色彩がある。短いモチーフを動機として全体を構成立てていく感性が天才的なインスピレーションに満ちている。構成的には西欧古典とはまったく異なるが、不思議と親しみやすいメロウなところがあり暖かい。このようなディスクが出現することで、これらの楽曲を知る人が増えたら、非常に良いことだと思う。

歌劇「利口な牝狐の物語」組曲(P.ブレイナー編) 歌劇「死者の家から」組曲(P.ブレイナー編)
ブレイナー指揮 ニュージーランド交響楽団

レビュー日:2010.3.20
★★★★★ ヤナーチェクのオペラ管弦楽組曲第3弾
 ペーター・ブレイナー編曲による、ブレイナー指揮ニュージーランド交響楽団によるヤナーチェクの歌劇から編まれた管弦楽組曲シリーズの第3弾。今回は「利口な女狐の物語」と「死者の家から」。第1弾、第2弾からほとんど間を空けず2007年8月の録音。
 本当にヤナーチェクの音楽は面白い。自由だが法則があり、ポリリズムだが脈があり、メロディアスではないが簡明である。これらの要素を併せて成立させていることがすでに奇跡的だ。
 「利口な女狐の物語」はターリッヒによる管弦楽組曲もあり、そちらは近年ではエリシュカ指揮札幌交響楽団の佳演があるが、ブレイナーの編曲はより多くの要素を取り込んでいて、聴き応えで勝っている。物語風とも言える旋法は日本の民謡と似て短調のパーツが多く、かつ五音音階への接近はアジアを感じさせるが、その由来がモラヴァ民謡であるというのもどこか不思議である。そう考えるとヤナーチェクの音楽は、もっと日本で受け入れられてしかるべき性質を持っているだろう。この録音もぜひ多くの人に聴いて欲しいものだ。とにかく不思議な親近感に満ちている。
 「死者の家から」はドストエフスキーの原作のオペラ化であるが、ヤナーチェクは悲劇的な主題を扱ったとしても、生命肯定的なポジティヴなところに結ばれてゆく。それはドストエフスキーの小説とも共鳴する部分に思われる。室内楽的な緻密さと、大らかな楽器の響きがあいまってのどかであったり、メルヘンチックであったり野趣性に満ちたりするが、その変容の様がヤナーチェクならではの特異な独創性に礎を持っている。ニュージーランド交響楽団の好演ぶりも素晴らしい。各奏者の技量の高さが、より音楽の表現を豊かにしている。
 この第3弾で、残すヤナーチェクのオペラは3曲となったが、ぜひ全ての「管弦楽組曲」を完成してほしい。そしてこれを新しいレパートリーとして、他の指揮者やオーケストラによる録音も出てくれば、面白いことこの上ない。


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室内楽

ヤナーチェク 六重奏曲「青春」  シュポア 大九重奏曲  イベール 2つの間奏曲(フルート、ヴィオラ、ハープのための)  ヴィトマン ヴィオラとチェロのための11の二重奏曲
fl,ピッコロ: リーバークネヒト ob: ルルー cl: マンツ ブリル hr: ノイネッカー fg: イェンセン vn: バティアシュヴィリ テツラフ va: ロバーツ ドンダラー vc: アルプ ヘッカー cb: ポッシュ

レビュー日:2013.2.1
★★★★★ ヨーロッパの文化の深みが漂う室内楽曲集
 ドイツ西部ケルン近郊の丘陵地帯にあるハイムバッハで毎夏行われているシュパヌンゲン音楽祭のライヴの模様を収めたアルバム。本アルバムは2011年の演奏会から、興味深い4つの曲目が並んだもの。収録曲と演奏者を示そう。
(1) シュポア(Louis Spohr 1784-1859):大九重奏曲ヘ長調 op.31 fl,picc: リーバークネヒト(Andrea Lieberknecht 1965-) ob: ルルー(Francois Leleux 1971-) cl: マンツ(Sebastian Manz 1986-) hr: ノイネッカー(Marie Luise Neunecker 1955-) fg: イェンセン(Dag Jensen 1964-) vn: バティアシュヴィリ(Lisa Batiashvili 1979-) va: ロバーツ(Rachel Roberts 1978-) vc: アルプ(Julian Arp 1981-) cb: ポッシュ(Alois Posch 1959-)
(2) イベール(Jacques Fran'ois Antoine Ibert 1890-1962):2つの間奏曲(フルート、ヴィオラ、ハープのための) fl: リーバークネヒト va: ドンダラー(Florian Donderer 1969-) hp: ボウシュコヴァー(Jana Bouskova 1954-)
(3) ヤナーチェク(Leos Janacek 1854-1928):六重奏曲「青春」 fl: リーバークネヒト ob: ルルー B.cl: マンツ cl: ブリル(Shirley Brill 1982-) hr: ノイネッカー fg: イェンセン
(4) イェルク・ヴィトマン(Jorg Widmann 1973-):ヴィオラとチェロのための11の二重奏曲 va: テツラフ(Christian Tetzlaff 1966-) vc: ヘッカー(Marie-Elisabeth Hecker 1987-)
 聴く機会の少ない変わった編成の室内楽が集められており、その響きだけでも楽しめるし、演奏家のラインナップも素晴らしい。私なんか、この情報に接しただけで、このような演奏会が普通に開催されるドイツに羨望してしまう。やはり文化の土壌が日本とは違うし、それがうまく生活の中に組み込まれて、しっくりと存在しているのだろう。こういうのを洗練というのだろう。
 さて、取り上げられている作曲家のうち二人について補足解説すると、シュポアはドイツの作曲家で、ヴァイオリニスト。1784年生まれなので、生年はウェーバーやパガニーニに近い。多作家で9つの交響曲、15のヴァイオリン協奏曲、4つのクラリネット協奏曲をはじめとする作品群がある。ヴィトマンはミュンヘン生まれのクラリネット奏者で現代音楽の気鋭の作曲家。来日もしており、日本国内でもそこそこの知名度があるだろう。
 かように様々な作曲家の作品が取り上げられているのだが、私が断然好きなのがヤナーチェクの六重奏曲「青春」である。6つの木管楽器によって奏させるこの曲は、ヤナーチェクらしい自然への畏敬やその不思議さを背景に、美しい旋律を編みこむように練り上げた名作で、実に魅力的だ。「青春」の副題があるが、ヤナーチェクがこの名品を書いたのは70歳のころ。それにしても若やいだ雰囲気を醸し出す熟練の書法は素晴らしい。そう言えば、プロコフィエフ(Sergei Prokofiev 1891-1953)の最後の交響曲も「青春」の名が付いている。晩年に若き日を思うのは、大芸術家にあっても共通する傾向かもしれない。
 ヴィトマンの作品は、現代の純器楽作品の象徴的作風を示すもので、ヴィオラとチェロの小刻みな音の積み重ねで淡く渋く、しかし深さを持って語られる諸相が印象に残る。
 他にも、様々な楽器の組み合わせを、いずれ劣らぬ名演で聴ける本盤の楽しみは筆舌に尽くしがたい感がある。ヨーロッパの文化に触れた気持ちになれる実に素敵なアルバムだ。

ヤナーチェク 弦楽四重奏曲 第2番「ないしょの手紙」  シューベルト 弦楽四重奏曲 第15番
タウルス弦楽四重奏団

レビュー日:2018.9.20
★★★★★ ベルギーのタウルス四重奏団による意味深なデビュー・アルバム
 本盤は、2012年にベルギーで結成されたタウルス四重奏団による2017年録音のデビュー盤である。そのメンバーは、ヴァイオリンがウィティス・ベールス(Wietse Beels 1976-)、リエスベス・バウルス(Liesbeth Baelus 1987-)、ヴィオラがヴィンセント・ヘップ(Vincent Hepp 1980-)、チェロがマタイン・ヴィンク(Martijn Vink)。
 さて、この彼らのデビュー盤、なかなか凝った選曲となっている。ジャケットには、ゴッホ(Vincent van Gogh 1853-1890)の最期の絵(と認識されている)「カラスのいる麦畑」が描かれ、そこに「Horizon funebre(葬送の地平線)」と意味深なタイトルが記載され、ディスクには、以下の2曲が収録されている。
1) ヤナーチェク(Leos Janacek 1854-1928) 弦楽四重奏曲 第2番 「ないしょの手紙」
2) シューベルト(Franz Schubert 1797-1828) 弦楽四重奏曲 第15番 ト長調 D887
 これら2曲は、それぞれの作曲家の晩年の作品で、シューベルトの作品が書かれたのが1826年、ヤナーチェクの作品が書かれたのが1928年と、ほぼ100年相当の隔たりを持っている。彼らは、これをロマン派のはじまりと終りに象徴づけた上で、二人の大作曲家の遺言といえる作品をその里程標に仕立て上げ、ターニングポイントである「死」に音楽的な言及を試みる。
 その演奏は、繊細で鋭敏なものと言って良い。ヤナーチェク作品では、やや速めのテンポで緊迫感を維持し、そのためにやや鋭角的な響きが潜むことを辞さない。冒頭のチェロとヴァイオリンの邂逅からただちに緊迫は高まるが、この楽曲は元来、晩年のヤナーチェクが思いを寄せていた40歳年下の人妻カミラ・ストスロヴァーへの思いが込められていて、その感情表現をヴィオラが積極的に担うのであるが、この演奏で聴かれる傾向には感覚的な鋭さに満ちている。終楽章のモラヴィア舞曲のモチーフを取り入れた音楽は、勢いよく表現されるが、終結部近くの強いピチカートも意味深で、暗い気配を宿して、全曲を結ぶ。個人的に、この楽曲は、パヴェル・ハース四重奏団の演奏が際立って優れたものだと思うけれど、当盤で聴かれる、死の影というテーマを与えられた表現も、なかなか刺激的で、印象に残る音楽体験となる。
 シューベルトの楽曲は、特に規模の大きな第1楽章では、雄大かつ幻想的な演奏が多い中、彼らの演奏は、刹那的な陰りや、瞬間的な暗さの表現にウェイトを置いたものとなっていて、神経を細かくめぐらしたような、独特の細やかさがある。そのパーツの精巧なつくりが、はっとするような音楽的瞬間を演出する。
 選曲、そして、コンセプトを明瞭に示すことで、訴えかける力を強めたなかなか見事なアルバムとなっている。

ヤナーチェク ヴァイオリン・ソナタ  シマノフスキ 神話  ルトスワフスキ パルティータ スビト
vn: ファウスト p: クピーク

レビュー日:2017.3.22
★★★★★ スラヴで生まれたヴァイオリンとピアノのための個性的な作品を集めたアルバム
 イサベル・ファウスト(Isabelle Faust 1972-)のヴァイオリン、エヴァ・クピーク(Ewa Kupiec 1964-)のピアノによる2002年録音のアルバム。収録内容は以下の通り。
1) ヤナーチェク(Leos Janacek 1854-1928) ヴァイオリン・ソナタ
2) ルトスワフスキ(Witold Lutoslawski 1913-1994) スビト
3) シマノフスキ(Karol Szymanowski 1882-1937) 神話~3つの詩(アレトゥーザの泉、ナルシス、ドリアデスと牧神) op.30
4) ルトスワフスキ パルティータ
 一見して時代横断的な不思議な楽曲の取り合わせであるが、当演奏を聴くと、これらの楽曲に共通するものを感じさせるところがあり、芸術家の意趣性を示すプログラムであるとも言える。
 ファウストとクピークのアプローチは、近現代の作曲家であるルトスワフスキのものも含めて、古典的要素を十分に踏襲する一方で、荒々しさを排除せず、野趣性に溢れた音色を交えたもの。
 ヤナーチェクの美しくも不思議なソナタにおいて、その幻想性は自然の起伏を決然と歩むようでもあり、音の放射の強さに惹かれる。ファウストのヴァイオリンがもたらす濃厚な気配は、音楽の世界に没入するようでいて、鋭利な感性を同時に感じさせる。特に第2楽章のバラードにこの演奏の特徴は強く打ち出されているだろう。
 シマノフスキの神話では、ドリアデスと牧神における明敏なトリルの効果に顕著なように、ミステリアスというよりしっかりと地に足の根付いた演奏であり、そういった点で印象派的なスタイルより、新古典主義的側面を重視した演奏と言える。
 ルトスワフスキの作品においてもそのアプローチは継続される。パルティータは5つの楽章からなり、管弦楽版でも知られる作品であるが、当演奏による新古典主義的なアプローチが音楽的効果を高めていると感じられる。もちろん、この楽曲は、新古典主義という一般的な枠で捉える事のできない独創性に満ちているが、ファウストのアプローチは自然で、明瞭な輪郭が組曲としての要素を高めており、見事な成功を収めている。
 ピアノのクピークは、さらに弱音に冴えのようなものが欲しいところもあるが、全般にファウストの意図を十分に咀嚼した演奏で、よく全体を支えている。
 全収録曲を通して、自然の力強さの中に、童話的とも言える神秘性を交えた雰囲気を感じ取るアルバムで、特にヤナーチェクが素晴らしい。

ヤナーチェク ヴァイオリン・ソナタ  スメタナ わが故郷から  ドヴォルザーク 4つのロマンス  マルティヌー チェコ狂詩曲  シェフチーク チェコ舞曲集より 第1曲「青い目の少女」
vn: シュポルツル p: ユリコフスキー

レビュー日:2019.6.12
★★★★★ シュポルツルが紹介する、魅力的なスラヴのヴァイオリン作品たち
 チェコのヴァイオリニスト、パヴェル・シュポルツル(Pavel Sporcl 1973-)とチェコのピアニスト、ペトゥル・ユリコフスキー(Petr Jirikovsky 1971-)によるスラヴの作曲家、5人の作品を集めたアルバム。収録曲は以下の通り。
1) スメタナ(Bedrich Smetana 1824-1884) ヴァイオリンとピアノの二重奏曲「わが故郷から」
2) ドヴォルザーク(Antonin Dvorak 1841-1904) 4つのロマンティックな小品 op.75
3) ヤナーチェク(Leos Janacek 1854-1928) ヴァイオリン・ソナタ
4) マルティヌー(Bohuslav Martinu 1890-1959) ヴァイオリンとピアノのためのチェコ狂詩曲
5) シェフチーク(Otakar Sevsik 1852-1937) チェコ舞曲集 op.10 より 第1曲「青い目の少女」
 2002年の録音。
 私は、シュポルツルを現代の優れたヴァイオリニストの一人だと思うが、それほど録音点数は多くない。私は、このヴァイオリニストの録音で、ドヴォルザークとチャイコフスキーの協奏曲の入ったアルバムが印象に残っていて、特にドヴォルザークの生誕160年の記念演奏会でライヴ収録されたドヴォルザークには深い感銘を受けた。
 当盤では、シュポルツル、そしてユリコフスキーにも文化的に馴染みが深いであろう5人の作曲家が紹介されており、いずれも瑞々しい響きで楽しませてくれる。
 収録曲中、現在、もっとも聴く機会に恵まれているのは、ヤナーチェクのヴァイオリン・ソナタであろう。ここでシュポルツルは、繊細で感覚的な美観を示す。全体的に運動的な魅力もあるが、その鋭い音感は、曲想に潜む陰りを美しさに織り込むようにして表現していて、心を動かされる。人によっては、その研ぎ澄まされた音に、やや厳しさやキツさを感じるかもしれないが、私はその緊張感が相応しく感じる。
 シェフチークの楽曲も印象的だ。田園的な主題でありながら、中間部には弱音で構成される重音とピチカートの織りなす技術的なパッセージがあって、その弾きこなしに流石の鮮やかさが漲っている。
 スメタナ、ドヴォルザークでは、平明な曲想を伸びやかに歌って、洗練された郷愁の表現が感じられる。これらの楽曲では、もっと直情的な演奏を好む人もいるかもしれないが、シュポルツルとユリコフスキーの客観的な視点を感じさせる解釈は、ある意味現代的で、普遍的なものと言っていいだろう。
 マルティヌーの楽曲は、彼の書いた作品のなかでは親しみやすいものの一つで、ここでも牧歌的な旋律が透明な情感で表現されている。


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器楽曲

ピアノ・ソナタ「1905年10月1日、街頭にて」 草が茂る小道を通って 霧の中で 思い出
p: シフ

レビュー日:2012.2.1
★★★★★ 幻想的で神秘的なシフによる詩情溢れるヤナーチェクのピアノ曲集
 ハンガリーのピアニスト、アンドラーシュ・シフ(Andras Schiff 1953-)による、2000年録音のモラヴィア(チェコ)の作曲家レオシュ・ヤナーチェク(Leos Janacek 1854-1928)のピアノ作品集。ハンガリー人であるシフの姓名表記は日本と同じように苗字・名前の順番になるが、シフの場合、名前・苗字の順番の表記で国際的に認知されている感があるので、そのように記載させていただく。まず収録曲は以下のとおり。
1) 4つの小品「霧の中で」
2) ピアノ・ソナタ「1905年10月1日街頭にて」(第1楽章「予感」、第2楽章「死」)
3) 組曲「草かげの小径にて」第1集(われらの夕べ 散りゆく木の葉 一緒においで フリーデクの聖母マリア 彼女たちは燕のようにしゃべりたてた おやすみ こんなにひどくおびえて 涙ながらに ふくろうは飛び去らなかった)
4) 組曲「草かげの小径にて」第2集
5) 組曲「草かげの小径にて」補遺(パラリポメナ)
6) 思い出
 「草かげの小径にて」の第1集は1908年に出版された10曲の小品からなるものだが、第2集はヤナーチェクの死後にまとめられた5曲の小品からなるもので(このアルバムでは後半3曲のパラリポメナを別タイトルの様に表記してある)、こちらは個々の曲にタイトルが与えられていない。あるいは、ヤナーチェクはなんらかのタイトルを考えていたのかもしれないが、今となってはわからない。
 このシフのアルバムはたいへん素晴らしいものだと思う。ヤナーチェクのピアノ曲の録音としては、チェコのピアニスト兼作曲家であるルドルフ・フィルクスニー(Rudolf Firkusny 1912-1994)によるものが有名だが、シフの録音は、それとはまた違った代え難い魅力を持っている。シフの演奏は、ヤナーチェクの音楽から、豊満な詩情を引き出している点が特徴的だ。
 シフは巧妙にタッチの濃淡を使いこなし、ヤナーチェクの音楽に潜む童話的とも言える不思議な、幻想性、怪奇性を描き出している。冒頭に収められた「霧の中で」の第1曲の導入部、少しエコーのかかった残響の中で、ミステリアスにたっぷりと弾かれる旋律は、神秘的な余韻を残し、どこかに消えていく。ちょっと経験したことのないような、まどろみを感じるピアノ曲だ。ピアノ・ソナタは深刻な音楽だが、「死」と題された第2楽章でシフは強めのインパクトを設けていて、暗示的な雰囲気を漂わせている。「草かげの小径にて」は先の見えないような音楽であるが、シフはここでも多彩なピアノならではのタッチの使い分けを駆使し、フレキシブルな対応力を示している。まず1曲聴くならトラック20のアレグロがオススメだ。この曲は明瞭な旋律と推進性を持ちながら、ヤナーチェクらしい和音、装飾、旋律が楽しめる逸品。
 全般にシフ特有のアプローチで描ききったという充実が実感できる、一つのインターナショナルなヤナーチェクの解釈として推したいアルバムだ。

ピアノ・ソナタ「1905年10月1日、街頭にて」 草が茂る小道を通って 霧の中で 思い出
p: フィルクシュニー

レビュー日:2012.5.8
★★★★★ これがいわゆる典型的「お国モノ」でしょう。
 チェコのピアニスト兼作曲家、ルドルフ・フィルクシュニー(Rudolf Firkusny 1912-1994)による1989年録音のヤナーチェク(Leos Janacek 1854-1928)のピアノ作品集。 収録曲は、1) ピアノ・ソナタ「1905年10月1日、街頭にて」、2) 草が茂る小道を通って、3) 霧の中で、4) 思い出。2)は10曲からなる第1集に加えて、第2集と銘打たれる5曲の遺作も収録してある。
 フィルクシュニーは幼少の頃からその才を認められ、ヤナーチェクから直接指導を受けた人物である。ヤナーチェクがその特有の作曲語法を、長く直接指導したことは、フィルクシュニーという芸術家の芸術に接するとき、観念上外せない条件と言えるだろう。実際、彼の弾くヤナーチェクそして、さらに同郷のマルティヌー(Bohuslav Martinu 1890-1959)は、他の追随を許さないという評価が長らく与えられてきた。今となっては、他にも様々な優れた録音に接することができるのだけれど、やはりこの録音は、ヤナーチェク作品のピアノ演奏史を俯瞰するとき、大きな存在感を示している。
 さて、上記のようなわけで、この録音は作曲家直伝の奏法による真摯な後継者の演奏の記録といえるだろう。よく「お国モノ」という形容がある。<演奏者が母国の作品を奏するとき、一層理解が深いものとなる>という一般論を指すのだけれど、この「理解の深さ」をいったい誰が判断するのか、というのは難しいものだ。それこそ母国の人で、かつ音楽的教養のある人物でなければ、判断しえまい。むしろ、私たち一般の音楽ファンのレベルでは、「なるほど、この演奏者が、母国の作品を演奏すると、このような印象になるのか」という漠然としたイメージにとどまることになる。そして、その演奏が、自分の心象に沿っていて、しっくりきた場合、「これがお国モノの演奏ということなのか」と納得したりする。
 この現象は、フレージングの扱いとか、もっと細かく、アーティキュレーション(articulation)と呼ばれる微細な強弱や表情付けによって、旋律の雰囲気自体を違ったものにする効果から導かれるものである。
 それで、このフィルクシュニーの演奏を聴くと、これがとても面白いのだけれど、その面白さを測るために、例えばシフ(Schiff Andras 1953-)の名盤などと聴き比べてみるのがいちばんいいと思う。フィルクシュニーの演奏は、楽譜に記載しきれないアクセントや間の取り方に特有のポリリズム気味の呼吸があり、一言でいうと「アヤが多い」のである。このアヤは、音の強弱というより、やはりリズムという時間軸に沿った濃淡が特徴的で、楽譜を見る限りでは読み取れない情報が付加しており、そのことが機能してニュアンスを形成している。
 結果として、私たちが「なるほど、フィルクシュニーが、直伝の師であるヤナーチェクの作品を演奏すると、このような印象になるのか」と大変興味を持って聴ける内容となっていると思う。この節回しの面白さは、言葉で説明するのは至極困難であるので、興味のある方はぜひ一聴してみてください。自由なようでいて、一貫したアプローチになっているところも不思議な魅力になっています。


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声楽曲

ヤナーチェク グラゴル・ミサ  ツェムリンスキー 詩篇83  コルンゴルト 過越の祭りの詩篇
シャイー指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 スロヴァキア・フィルハーモニー合唱団 B: ノヴァーク

レビュー日:2009.12.30
★★★★☆ いささか行儀良く響き過ぎるかもしれないグラゴル・ミサ曲
 レオシュ・ヤナーチェク(Leos Janacek 1854-1928)の「グラゴル・ミサ曲」、アレクサンダー・フォン・ツェムリンスキー(Alexander von Zemlimsky 1871-1942)の「詩篇83」、エーリヒ・ヴォルフガング・コルンゴルト(Erich Wolfgang Korngold 1897-1957)の「過越の祭りの詩篇」という3つのオーケストラ付き合唱曲を収録。シャイー指揮、ウィーンフィル&スロヴァキア・フィルハーモニー合唱団の演奏。独唱陣はリチャード・ノヴァーク(Richard Novak)他。録音は1997年。過ぎ越し祭り(the Passover)とは、ユダヤ人が神の助けによりエジプト人の暴虐から救出されたことを祝う宗教的行事。
 意欲的な選曲と言える。ツェムリンスキーとコルンゴルトの2曲は、シャイーがウィーンフィル初演を振ったことになる。ヤナーチェクの作品自体は名高いものだが、ウィーンフィルにとってそう演奏経験は多くないと思われる。
 ヤナーチェクの「グラゴル・ミサ曲」は異様にして異形の傑作であるが、それゆえに様々な解釈が与えられてきた。初演時には「鉄道駅の開業の式典にはぴったりだろう」という皮肉で批評された。それぐらい個性的な曲なので、シャイーとウィーンという顔合わせがいったいどのようなアプローチをするのか興味津々で聴いた。
 結果を書くと、「グラゴル・ミサ曲」の荒々しい側面が鳴らされてしまって、いささか行儀良く響き過ぎると思う。ややスローなテンポで細部まで丁寧に織り込むような音になっているが、肝心の「荒ぶる」楽曲の性質が、どこかトーンダウンしている。もちろん良い面もある。そのソフトに地ならしされたような音は耳当たりがよく、いわゆる「ミサ曲」としての性格付けは施されている。またオルガンのサウンドも細やかで、ウェルバランスな配慮が効いている。しかし、総体としけ受けるイメージがどこか不完全燃焼気味である。ノヴァークの独唱はかなりパワフルである。ときにすべてを覆いつくすようだ。しかし、これもウェルバランスを心がけたにしては、ちょっと唐突な印象がある。私自身が慣れないからか、それとも従来のこの曲のイメージに支配され過ぎているためかもしれない。
 それゆえ初めて聴いたツェムリンスキーとコルンゴルトについては、それほど気になった点はなかった。楽曲自体も穏当な作風という感じで、強い印象をもたらすものではない。「グラゴル・ミサ曲」の存在感を逆に再認識した感がある。

ヤナーチェク グラゴル・ミサ  コダーイ ハンガリーの詩篇
マッケラス指揮 デンマーク国立放送交響楽団 合唱団 T: スヴェンソン A: キーベア ステーネ Bs: コルド

レビュー日:2009.11.14
★★★★★ 超個性的な声楽曲2編の圧倒的豪演
 ヤナーチェクの「グラゴル・ミサ曲」とコダーイの「ハンガリーの詩篇」といういずれも声楽とオーケストラのためのスケールの大きい傑作を収録。マッケラス指揮デンマーク国立放送交響楽団と同合唱団による演奏。独唱陣は、T: スヴェンソン A: キーベア ステーネ Bs: コルド。1994年の録音。
 世の中には数々の名作があるが、中に突然独立峯のように他の類似作品を思いつかせない傑作がある。私にとってヤナーチェクのグラゴル・ミサ曲もそんな1曲である。これと似た傾向の作品と言われて、思いつくものがあるだろうか。しかも、これだけ充実した生命力漲る傑作と比較しうるような。あるいは存在するのかもしれないが、少なくとも現時点で私には思いつかない。冒頭からなんという独創的な世界!ヤナーチェクにしか到達し得なかった世界。金管のファンファーレ、民俗的迫力と学術的洗練の同居。弦の個性的な振る舞い、鳴り響くオルガン。
 マッケラスの指揮がまた素晴らしい。ぐいぐいと引きずり込むような迫力に満ちている。元来この曲が大得意なのだろう。すべての瞬間に確信を持ったドライヴを披露する。あるいはこの演奏は精度という点では他に譲る録音があるかもしれない。しかし、曲の深部から鳴り響く迫力は、得がたいポイントまで到達しているだろう。
 コダーイの「ハンガリーの詩篇」が併録されている。「グラゴル・ミサ曲」を聴いた後では少しインパクトが弱くなってしまうが、これも間違いなく個性的で興味深い傑作だ。テキストには16世紀のハンガリーの吟遊歌(ミンストレル)を用いているが、全体は西欧伝統音楽の典型的書法のロンド構成をとる。ここでは、コダーイが生涯のテーマであったマジャールの要素の西欧音楽への融合が実に多角的に検討され、そして高次で成功している。特に中盤から後半にかけての色彩感は圧巻。マッケラスの迫力ある演奏が、その真価をあきらかにしている。


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歌劇

歌劇「イェヌーファ」 「利口な牝狐の物語」 「死者の家から」 「マクロプロス事件」 「カーチャ・カバノヴァー」 シンフォニエッタ タラス・ブーリバ
マッケラス指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 S: ポップ ゼーダーシュトレーム

レビュー日:2013.1.16
★★★★★ 20世紀の偉大な録音芸術の一つに挙げるべき録音
 オーストリアの指揮者、チャールズ・マッケラス(Sir Charles Mackerras 1925-2010)が生涯に渡ってその作品の普及に努めた作曲家の一人が、モラヴィアの作曲家、レオシュ・ヤナーチェク(Leos Janacek 1854-1928)である。そんなマッケラスのヤナーチェク録音の集大成と言えるのが、1976年から1982年にDECCAレーベルに行なったウィーンフィルとの一連の録音である。本アルバムは、それらを一つに収めたBox-setとなっている。収録内容は以下の通り。
1) 歌劇「イェヌーファ」(第3幕の序曲「嫉妬」付) A: エヴァ・ランドヴァー S: エリザベート・ゼーダーシュトレーム T: ペーター・ドヴォルスキー 1982年録音
2) 歌劇「利口な牝狐の物語」(組曲「利口な牝狐の物語」抜粋付) S: ルチア・ポップ Bs: ダリボル・イェドゥリチカ A: エヴァ・ランドヴァー 1981年録音
3) 歌劇「死者の家から」 Bs ダリボル・イェドリチカ Br: ヴァーツラフ・ズィーテク S: ヤロスラヴァ・ヤンスカー 1980年録音
4) 歌劇「マクロプロス事件」 S: エリザベート・ゼーダーシュトレーム T: ペーター・ドヴォルスキー T: ウラディーミル・クレイチーク 1978年録音
5) 歌劇「カーチャ・カバノヴァー」 S: エリザベート・ゼーダーシュトレーム T: ペーター・ドヴォルスキー A: ナジェジュダ・クニプロヴァー 1976年録音
6) シンフォニエッタ 1980年録音
7) 狂詩曲「タラス・ブーリバ」 1980年録音
 独特の語法を持つヤナーチェクの音楽は実に面白い。自由だが法則があり、ポリリズムだが脈があり、メロディアスではないが簡明である。そんなヤナーチェクらしさを存分に堪能できるのが、全部で11作あるオペラ(前後2部からなる「ブロウチェク氏の旅行」を二つと数えると)であるオペラの場合、中でも特徴的なのが「発話旋律」と称されるもので、チェコ語の微妙な抑揚に合わせて旋律線を描いた朗唱風の書法で、そのため、演じることが可能な歌手が極端に限定される。そのため、上演機会もきわめて少ないのだが、マッケラスは中で5つの代表作にすばらしい録音を遺したことになる。DECCAの高品質録音とあいまって貴重きわまりないものだ。
 ヤナーチェクのオペラは題材も面白い。「利口な牝狐の物語」は動物が多く登場する童話的設定を持ちながら、多層な哲学を描き出しているし、「死者の家から」はドストエフスキー(Feodor Dostoyevsky 1821-1881)の原作により、シベリアの流刑地での囚人の様子を描いたもので、登場人物はほとんど男性という異色作。「マクロプロス事件」は年をとらない女優の都市伝説的ストーリー。
 どの作品も、素材、音楽、物語など様々な面でこの上なく「芸術的」で、他では得難い固有の価値を持っていると思うが、中でも「利口な牝狐の物語」の自然讃歌は、善でも悪でもない生死による流転を描ききった感があり、超越した世界観を抱合している。「イェヌーファ」は所謂オペラ的分かりやすさという点では、筆頭ということになるだろう。
 マッケラスのモラヴィア語法を研究しつくした音楽の運びは、私にはどのくらい凄いのか理解できないが、聴いていて、強い説得力を持って響いていて、私は存分に楽しめることができる。完成された録音が、ヤナーチェクのオペラ全部ではないのが残念だが、それでも5つまでこのレベルの録音が行われたのは、きわめて有意義なことだったに相違ない。いや、偉大な録音芸術の一つといって過言ではないだろう。
 歌手陣で注目したいのは、近年亡くなったスウェーデンのソプラノ歌手、エリザベート・ゼーダーシュトレーム(Elisabeth Anna Soderstrom 1927-2009)。多彩な言語の歌唱が可能で、歌曲、オペラなどあらゆるジャンルで縦横な活躍をした彼女であるが、グラモフォン誌におけるジョン・ワラック氏(John Warrack)による「無限とも思える微細なタッチと慎重な歌いまわしで、ドラマにおける登場人物のキャラクタを描ききっている」との批評は、彼女がヤナーチェクの歌劇「カーチャ・カバノヴァー」でカーチャを演じた際のものだ。そのハイレベルな万能ぶりはまさしく当盤で堪能できるだろう。

歌劇「利口な牝狐の物語」
マッケラス指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 ウィーン国立歌劇場合唱団 S: ポップ Bs: イェドゥリチカ A: ランドヴァー

レビュー日:2014.9.18
★★★★★ ヤナーチェクの代表作における歴史的名録音です。
 巨匠マッケラス(Sir Charles Mackerras 1925-2010)がウィーンフィルハーモニー管弦楽団を指揮して録音したレオシュ・ヤナーチェク(Leos Janacek 1854-1928)の一連のオペラから、本盤は、ヤナーチェクの代表作として知られる歌劇「利口な女狐の物語」全曲を収録。1981年の録音。主な配役は以下の通り。
 ビストロウシカ(女狐)(Vixen / Young Vixen):ルチア・ポップ(Lucia Popp 1939-1993 ソプラノ)
 森番(Gamekeeper): ダリボル・イェドゥリチカ(Dalibor Jedlicka 1929- バス)
 男狐(Fox): エヴァ・ランドヴァ(Eva Randova 1936- メゾソプラノ)
 穴ぐま(Badger),神父(Priest): リハルト・ノヴァーク(Richard Novak バス)
 校長(Schoolmaster),蚊(Mosquito): ヴラジミール・クレイチーク(Vladimir Krejcik テノール)
 ハラシュタ(Harasta): ヴァーツラフ・ズィーテク(Vaclav Zitek 1932-2012 バリトン)
 猟場番の女房(Gamekeeper’s Wife),ふくろう(Owl): エヴァ・ジグムンドヴァー(Eva Zigmundova ソプラノ)
 犬のラパーク(Lapak): リブシェ・マーロヴァー(Libuse Marova 1943- メゾ・ソプラノ)
 パーセック(Pasek): ベノ・ブラフト(Beno Blachut 1913-1985 テノール)
 合唱は、ウィーン国立歌劇場合唱団。
 「利口な女狐の物語」は、ブルノの新聞「リドヴェー・ノヴィニ」に連載された動物の口絵にインスパイアされ、ヤナーチェク自身が脚本を書いた作品。その終結部は、ヤナーチェクの世界観を体現しているとされ、生前の彼の希望により、ヤナーチェクが亡くなった際には、このオペラの第3幕が上演されている。また、結婚が強い束縛を強いるものであるということを、象徴的に描いているとも言われる。
 その粗筋は以下のようなもの。
 森の中、銃を持った森番が休息をとっていると、蚊に血を吸われる。その蚊をカエルが捕まようとし、森番の顔に落ち、森番は目を覚ます、気づくと、子供の女狐(ビストロウシカ)がいたので、これを捕まえて帰る。捕らわれた先で、ビストロウシュカは雌鶏と雛鳥に「雄鶏の支配から立ち上がれ」と唱えるが無視され、激高し、雛鳥たちを殺して脱出する。ビストロウシュカは、森の動物たちを手なずけ、穴熊を追い出し、巣をわがものとする。やがて、ビストロウシュカは雄狐ズラトフシュビテークと恋に落ち、家庭を築く。一方で、鶏の行商人ハラシュタは結婚相手へ毛皮を贈るため、年取った森番に狐捕獲を依頼し、森番は罠を巡らす。罠に気付いたビストロウシュカは、自分をおとりにして家族を逃す。個の隙にズラトフシュビテークと子供たちはハラシュタの鶏を襲った。これに立腹したハラシュラは自らビストロウシュカを射殺する。森番は微睡みの中でビストロウシュカを捉えたと思ったが、それはカエルだった。ずっと昔、カエルとキツネが同時に彼の前に表れたことを思い出していると、カエルに、そのカエルは自分の祖父だと告げられ、自然の輪廻に気付かされる。
 動物が多く登場する童話的設定に、生死にまつわる自然のプロセスを描いた稀有なオペラだ。ヤナーチェクの音楽が素晴らしい。イタリア・オペラのようなベルカントによるアリアなどは登場しないのだが、一つ一つのライトモチーフが、一見単純なようでいて、よく考えられており、忘れがたい個性を持って響き、音楽に複層的な面白みを与えていく。森のシーンの特有の空気感や、狩る側、狩られる側の特有の緊迫感を、音楽的に高度に表現していく。マッケラスによる音楽構造をよく把握した指揮振りも絶品で、力強い、土俗的なパワーが脈打っている。
 歌手陣ではイェドゥリチカが上手い。穏やかで、詠唱的な扱いがうまく、最終的に聴衆が心情を重ねるであろう森番の役割に徹している。実力者、ルチア・ポップの歌唱も全盛期に相応しい技術のある美を感じさせてくれる。ビストロウシカの子供時代と大人時代の描き分けも巧み。他の歌手陣もみなレベルが高く、複数の役割がある場合も全般によくこなしている。
 チェコ語による演奏ということも手伝って、今なお同曲の代表盤として当盤を強く推す。なお、本盤の末尾には、演奏時間約19分の組曲版「利口な女狐の物語」が併せて収録してある。
 余談ながら、ヤナーチェクの言語表現の意図が失われる欠点はあるが、英語版による録音でラトル(Sir Simon Rattle 1955-)盤もなかなか面白い。

歌劇「イェヌーファ」
マッケラス指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 A: ランドヴァー S: ゼーダーシュトレーム T: ドヴォルスキー

レビュー日:2014.9.17
★★★★★ ヤナーチェクのオペラの真価を示した記念碑的名盤
 オーストリアの指揮者、チャールズ・マッケラス(Sir Charles Mackerras 1925-2010)が生涯に渡ってその作品の普及に努めた作曲家の一人が、モラヴィアの作曲家、レオシュ・ヤナーチェク(Leos Janacek 1854-1928)である。そんなマッケラスのヤナーチェク録音の集大成と言えるのが、1976年から1982年にDECCAレーベルに行なったウィーンフィルとの一連の録音である。
 当ディスクは、当該シリーズで、いちばん最後の1982年に録音されたヤナーチェクの第3作となる傑作オペラ「イェヌーファJenufa」の全曲。第3幕の序曲「嫉妬」が末尾に追加収録されている。主な配役は以下の通り。
 イェヌーファ(Jenufa): エリーザベト・ゼーダーシュトレーム(Elisabeth Soderstrom 1927-2009 ソプラノ)
 シュテヴァ・ブリヤ(Steva Buryjovka): ペーター・ドヴォルスキー(Peter Dvorsky 1951- テノール)
 コステルニチカ・ブリヤ(Kostelnicka Buryjovka): エヴァ・ランドヴァー(Eva Randova 1936- ソプラノ)
 ラツァ・クレメニュ(Laca Klemen): ヴィエスワフ・オフマン(Wieslaw Ochman 1937- テノール)
 製粉所の親方(Starek): ヴァーツラフ・ズィーテク(Vaclav Zitek 1932-2012 バリトン)
 村長(Rychtar Mayor): ダリボル・イェドリチカ(Dailbor Jedlicka バス)
 村長夫人(Rychtarcka Mayor’s wife): イヴァナ・ミクソヴァー(Ivana Mixova 1930-2002 メゾソプラノ)
 カロルカ(Karolka): ルチア・ポップ(Lucia Popp 1939-1993 ソプラノ)
 ブリヤ家のおばあさん(Tetka): ヴィエラ・ソウクポヴァ(Vera Soukupova 1932- メゾゾプラノ)
 牧童(Jano): ヤナ・ヨナーショヴァー(Jana Jonasova 1943- ソプラノ)
 簡単に粗筋を書こう。
 主人公であるブリヤ家の養女イェヌーファは、若き当主シュテヴァの子を宿している。シュテヴァの兄ラツァもイェヌーファに気があり、シュテヴァとの恋仲を快く思っていない。シュテヴァは遊び人で酒飲みであるため、評判も今一つ。そんな中で、ラツァとイェヌーファと口論の果て、彼女の頬に傷をつけてしまう。疲れたイェヌーファを養母コステルニチカはかくまう。イェヌーファは出産するが、高熱で寝込んでいる。シュテヴァは彼女の顔の傷が気に入らない事もあり、別の娘カロルカと結婚しようとする。一方でラツァは彼女を傷つけたことを深く後悔する。その様子をみて、コステルニチカはラツァとイェヌーファを結び付けようとし、生まれたばかりの赤ん坊を冬の川に流してしまう。イェヌーファは高熱のうちに赤ん坊が死んだと告げられ、彼女を支えるラツァと結婚することにする。婚礼の日に川で凍った赤ん坊の死体が見つかり、イェヌーファは村人に赤ん坊殺害の嫌疑をかけられるが、罪に苛まれたコステルニチカはすべてを告白し、村人に連れて行かれる。カロルカはシュテヴァとの婚約破棄を告げて母と去り、残ったラツァとイェヌーファはやり直しを誓う。
 ヤナーチェクのオペラは、どれも大変面白く、私は大好きなのだけれど、録音点数は多くはない。これは、その作曲技法にチェコ語の微妙な抑揚に合わせて旋律線を描いた朗唱風の書法、いわゆる「発話旋律」が用いられていることにより、演じることが可能な歌手が極端に限定されるためだ。また、そのような意図があることから、別の言語による上演もほとんどなされない。
 しかし、このマッケラスの名盤の存在は、上記のような不足感を感じさせない。ウィーンフィルの代表的録音といってもしかるべきものだ。独特の民俗的旋律やリズムの扱いに卓越し、童話的とも言える叙事詩的で、時に残酷なテイストを存分に含んだ効果的な音楽が展開される。中でも白眉は第3幕の赤ん坊殺しの犯罪が発覚するシーンで、ここは聴いていて鳥肌のたつ思いがする。
 ヤナーチェクのオペラは、音楽的にも面白いが、概して登場人物が深みを持って描かれているのも興味深い。本オペラでは、コステルニチカの葛藤、ラツァの迷い、そして自分の子供を殺した養母コステルニチカを許すイェヌーファの心情描写も秀逸だ。
 歌手陣ではエヴァ・ランドヴァの情緒的な訴えの強い歌唱と、エリーザベト・ゼーダーシュトレームの美しい救いのある響きに惹かれる。イタリアオペラ的な歌唱とはまったく異なるが、それゆえに人間の感情の複雑さを、より周到に描き出した感がある。
 全般に土俗的な荒々しさを背景にしながら、細部を緻密に練り上げた表現で、名盤の名にふさわしい録音となっている。

歌劇「イェヌーファ」
ハイティンク指揮 コヴェント・ガーデン王立歌劇場管弦楽団 合唱団 S: マッティラ シリヤ MS: ランドヴァー T: シルヴァスティ ハドリー

レビュー日:2020.11.30
★★★★★ オールマイティー指揮者、ハイティンクならではのヤナーチェク。歌手陣も高品質で揃い踏み。
 ハイティンク(Bernard Haitink 1929-)指揮、コヴェント・ガーデン王立歌劇場管弦楽団&合唱団によるヤナーチェク(Leos Janacek 1854-1928)の歌劇「イェヌーァ(Jennfa)」全曲。2001年にロンドンのコヴェント・ガーデン王立歌劇場ライヴ収録されたもの。主な配役は、以下の通り。
 イェヌーファ(Jenufa): カリタ・マッティラ(Karita Mattila 1960- ソプラノ)
 コステルニチカ・ブリヤ(Kostelnicka Buryjovka): アニヤ・シリア(Anja Silja 1940- ソプラノ)
 ブリヤ家のおばあさん(Starenka Buryjowka): エヴァ・ランドヴァー(Eva Randova 1936- メゾソプラノ)
 ラツァ・クレメニュ(Laca Klemen): ヨルマ・シルヴァスティ(Jorma Silvasti テノール)
 シュテヴァ・ブリヤ(Steva Buryjovka): ジェリー・ハドリー(Jerry Hadley テノール)
 製粉所の親方(Starek): ジョナサン・ヴェイラ(Jonathan Veira バリトン) 
 村長(Rychtar Mayor): ジェレミー・ホワイト(Jeremy White バス)
 村長夫人(Rychtarcka Mayor’s wife): キャロル・ウィルソン(Carole Wilson メゾソプラノ)
 カロルカ(Karolka): リー・マリアン・ジョーンズ(Leah-Marian Jones メゾソプラノ)
   年配の女(Tetka): ジェニファー・ヒギンス(Jennifer Higgins コントラルト)
 牧童(Jano): ゲイル・ピアソン(Gail Pearson ソプラノ)
 粗筋は以下の通り。
 主人公であるブリヤ家の養女イェヌーファは、若き当主シュテヴァの子を宿している。シュテヴァの兄ラツァもイェヌーファに気があり、シュテヴァとの恋仲を快く思っていない。シュテヴァは遊び人で酒飲みであるため、評判も今一つ。そんな中で、ラツァとイェヌーファと口論の果て、彼女の頬に傷をつけてしまう。疲れたイェヌーファを養母コステルニチカはかくまう。イェヌーファは出産するが、高熱で寝込んでいる。シュテヴァは彼女の顔の傷が気に入らない事もあり、別の娘カロルカと結婚しようとする。一方でラツァは彼女を傷つけたことを深く後悔する。その様子をみて、コステルニチカはラツァとイェヌーファを結び付けようとし、生まれたばかりの赤ん坊を冬の川に流してしまう。イェヌーファは高熱のうちに赤ん坊が死んだと告げられ、彼女を支えるラツァと結婚することにする。婚礼の日に川で凍った赤ん坊の死体が見つかり、イェヌーファは村人に赤ん坊殺害の嫌疑をかけられるが、罪に苛まれたコステルニチカはすべてを告白し、村人に連れて行かれる。カロルカはシュテヴァとの婚約破棄を告げて母と去り、残ったラツァとイェヌーファはやり直しを誓う。
 童話的な音楽の中で繰り広げられる愛憎劇だ。ヤナーチェクのオペラは、どれも大変面白く、私は大好きなのだけれど、概して録音点数は多くはない。これは、その作曲技法にチェコ語の微妙な抑揚に合わせて旋律線を描いた朗唱風の書法、いわゆる「発話旋律」が用いられていることにより、演じることが可能な歌手が極端に限定されることが理由の一つと言われる。
 ハイティンクの演奏は落ち着いたテンポで、音楽そのものに自然に語らせるような響き。ヤナーチェクの音楽がとても良く出来ているので、あとは優れた歌手に任せるといったふうに聴こえるし、そのスタイルで成功しているとも感じる。特に2人の重要なソプラノ、マッティラとシリアが見事だ。シリアの名演ぶりは、彼女の夫であるドホナーニ指揮(Christoph von Dohnanyi 1929-)と録音したベルク(Alban Berg 1885-1935)の歌劇「ヴォツェック」を彷彿とするところがあり、ストーリーに即した雰囲気を作り出すことに長けている。また、ブリヤ家のおばあさんを演じているエヴァ・ランドヴァーは、名録音として知られるマッケラス(Sir Charles Mackerras 1925-2010)盤では、コステルニチカを演じていたので、そういった観点でも興味深い。
 当録音はライヴゆえの、舞台音もあり、録音も制約を感じさせるところもあるが、メディアとして繰り返し聴くくらいには十分な内容も保っている。臨場感と音質のバランスが配慮された感じがある。それぞれのフレーズが、明瞭に伝わるところは、ハイティンクらしいし、この曲では、そのようなモチーフがきちんと伝わることは大事だと思う。全般に安定した運びながら、第3幕の後半にただよう雰囲気は俄然濃度が濃くなって、面白味が増す感があり、ハイティンクの意図はそこにクライマックスを設定したものだったのだろう。
 それにしても、ハイティンクという指揮者は、広いレパートリーを持っている。彼が2004年に当時首席指揮者の任にあったドレスデン国立管弦楽団を退任する際、後任にファビオ・ルイージ(Fabio Luisi 1959-)を据えたいと言う意見に対し、ハイティンクは、ルイージのレパートリーの狭さを理由に反対したそうだが、確かにオーケストラの首席指揮者には、レパートリーの広い人が就任した方が、オーケストラの技量は一層高まるに違いない。このヤナーチェクも、ハイティンクの広い見識に裏打ちされた演奏となっていると感じられる。
 オーケストラの表現は、全般に穏当な印象をもたらすかもしれない。人によっては、より刺激的なものを求めるかもしれないが、私は、当録音に関しては、そのシックさがヤナーチェクのメロディにふさわしい素朴さに自然に繋がっていて、好ましいと感じる。歌手陣も重要な役が見事にハマッている他、全般にムラがなく、現代的な完成度の高さを感じさせる。



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