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伊福部昭



現代音楽

伊福部昭の芸術10 凛
高関健指揮 札幌交響楽団 東京交響楽団

レビュー日:2014.11.4
★★★★★ 伊福部初期作品を通じて思う、その源泉の在り処。
 キングレコードが1995年に開始した「伊福部昭の芸術」シリーズの一つで、第10弾に当たるもの。2014年は伊福部昭(1914-2006)の生誕100年ということで、その作品を取り上げる催しが相次いだ。それらの演奏会の音源を使用することで、「伊福部昭の芸術」シリーズは、このアニヴァーサリー・イヤーに、第10弾から第12弾の3点をリリースすることが出来た。中でも第10弾、第11弾の双方で、作曲家の故郷であり、近年その作品を多く手掛けている札幌交響楽団が参加していることが意義深い。
 2014年は、札幌で国際芸術祭が開催された。中で、旧北海道庁舎(赤レンガ)では、伊福部昭展が開催され、この偉大な作曲家の生誕100年に花を添える形となった。私も展示を訪問したが、多くの人が伊福部の自筆譜や手紙に見入っており、この芸術祭を通じて、作曲家“伊福部昭”を再認識した人も多かったに違いない。
 さて、当盤には以下の3つの管弦楽曲が収録されている。
1) 音詩「寒帯林」(第1楽章「うすれ日射す林」、第2楽章「杣の歌」、第3楽章「神酒祭樂」)
2) 日本狂詩曲(第1部「夜曲」、第2部「祭り」)
3) 土俗的三連画(「同郷の女達」「ティンベ」「パッカイ」
 1)は高関健(たかせきけん 1955-)指揮、東京交響楽団の演奏によるスタジオ録音。2)と3)は同じく高関健指揮、札幌交響楽団によるライヴ録音。ライヴであるが、拍手は収録されていない。録音は優秀で、各楽器の音が生々しく捉えられている。
 本盤は、伊福部昭初期作品集というサブタイトルがついている。日本狂詩曲は1935年、作曲者21歳の作品。土俗的三連画は1937年、寒帯林は1945年の作品だ。
 「寒林帯」というタイトルからは、伊福部が生まれ育った北海道を想像する人が多いと思うが、満州の風景を描写した音楽とのこと。長年、そのスコアは戦争を機に失われていたと考えられていたのだが、伊福部の遺品の中からそのスコアが見つかり、演奏可能となった。伊福部は、この作品のため、満州を旅したという。1940年代のかの地の旅が、どのような困難さを持っていたのか、私にはよくわからないが、作曲者の熱意を感じるエピソードだ。私はこの作品を当盤ではじめて聴いた。伊福部らしい雄渾な力強さと、素朴な情感に満ちた見事な作品だと思う。フアンでななくても、祭典的迫力に満ちた第3楽章「神酒祭樂」に、かの有名なゴジラのテーマの端緒を聴き取るに違いない。ちなみに映画「ゴジラ」が製作されたのは1954年のこと。この曲は、ゴジラのテーマのルーツを辿る上でも重要だ。当盤のオーケストラは、力強い響きで、音楽を推進させる。
 作曲者21歳の意欲作「日本狂詩曲」も傑作だ。打楽器が多彩な活躍を見せながら、伊福部らしい旋律を歌いあげていく。ところで、この曲のタイトルは「日本狂詩曲」となっているが、伊福部は、音楽圏とし広く北ユーラシアを俯瞰していた。小さいころ、近所に居住していたロシア人の民謡に親しみ、アイヌの歌に大きな興味を持ち、インスピレーションを得ようと満州を旅した。だから、この曲も、これがいわゆる「日本的」か?というと、もっと広い融合的な文化背景を感じさせるものに思う。それにしても、当盤における札幌交響楽団の原色的で野趣あふれるリズム感に則った表現は素晴らしい。
 「土俗的三連画」は、3つの個性的な小曲からなる。小曲のタイトルが示す通り、アイヌの風習や音楽から、霊感を受けた作品だ。というより、伊福部の作曲活動全般が、アイヌから影響を受けたものとなっている。「ティンベ」は和人においつめられて殺されたアイヌの悲劇が伝わる厚岸半島にある小さな岬の名、バッカイはアイヌ語で「おんぶする」の意味。私は、アイヌの音楽に詳しくはないのだけれど、つい最近も、白老町のポロトコタンで、その文化を伝える人々の演舞を聴いてきた。不思議な抒情性と土俗性のあいまった、祈りを強く感じさせるもので、その音色は印象に残った。伊福部は、「バッカイ」で厚岸に住んでいたアイヌの老人の歌をモチーフとして使い、ユニークな音色に仕立て上げている。若き伊福部の独創性と才覚が如実に伝わってくる音楽だ。高関と札幌交響楽団は、楽器の個性的な響きを優先し、緊密な手法で音響を構築している。その結果、透明性と土俗性の双方が引き出された演奏となっている。
 私は、これらの演奏を聴いていると、やはりこれらの音楽は北海道で生まれたものだ、と感じる。この印象が何から来るものなのかについて、音楽評論家の片山杜秀(1963-)は、以下のように要約してくれている。「(当時の)北海道は寒冷なせいで米作も限られていた。水田は少なかった。伊福部が親しんだ風景は、湿潤な田よりも乾燥した畑である。伊福部が日本の作曲家でありながら、例えば武満徹に象徴される水気の多くて朦朧とした日本的・印象派風の音楽とかなり無縁なのは、北海道の風土のなせるわざとしか言い様がない」
 最近は、品種改良と、地球温暖化により、米作北限の緯度が上昇し、北海道の南西部、空知地方一帯は、一大稲作地帯となった。しかし、道東、道北は、畑作と酪農が中心で、人口希薄な地帯に、針葉樹林と、湖沼、湿地、山岳が広がっている。伊福部の音楽の源泉は、まぎれもなく、伊福部が幼少期を過ごした、原始の北海道の印象に通じているに違いない。そんな認識を改めて私に与えてくれた一枚でした。

伊福部昭の芸術11 踏―生誕100周年記念・札響ライヴ~ヴァイオリン協奏曲 第2番 シンフォニア・タプカーラ
vn: 加藤知子 高関健指揮 札幌交響楽団

レビュー日:2014.11.4
★★★★★ 伊福部音楽の理想的表現。生誕100年に相応しい見事な内容。
 2014年は、日本を代表する作曲家、伊福部昭(1914-2006)の生誕100年にあたる。当盤は、これを記念した演奏会の模様を収録したもので、キングレコードの「伊福部昭の芸術」シリーズの一環として発売された。その内容は、高関健(たかせきけん 1955-)が札幌交響楽団を指揮して、2014年5月に行なわれた演奏会の模様を収録したものである。ヴァイオリン協奏曲の独奏は加藤知子(1957-)。
 2014年の夏、札幌では国際芸術祭というイベントが開催された。坂本龍一(1952-)をゲスト・ディレクターに迎えて、数々の催しや展示が開催された。私は、音楽以外の芸術には、接することが少ないのだが、良い機会でもあったので、市内の全ての芸術祭の展示場を、妻と二人で巡り歩き、たいへん楽しまさせていただいた。そんな中、旧北海道庁舎(赤レンガ)の展示室で開催されていたのが、伊福部昭展であった。
 会場は、赤レンガ館の2階北東側の広い部屋であった。薄暗い会場で、個別に照明が取り付けられたブースには、彼の自筆譜や手記などが展示されていた。中でも丁寧に書き上げられたオーケストラ譜は、興味深かった。その会場の一隅では、伊福部が音楽を担当した科学映画が放映されていた。これは世界で初めて人工雪を製作した北大の中谷宇吉郎(なかやうきちろう 1900-1962)自らが製作したもので、伊福部のピアノをベースとしたサントラ音楽が淡々と流れる中で、科学用語が飛び交うナレーションが流れ、会場に独特の雰囲気をもたらしていた。
 札幌は、伊福部昭縁(ゆかり)の地である。釧路で生まれた彼は、学生時代を札幌で過ごし、この地で多くの作品を書いた。そのようなわけで、札幌交響楽団にとって、伊福部昭は、まさに地元の作曲家ということになる。しかし、このオーケストラが伊福部作品を積極的に取り上げるようになったのは70年後半代以降である。この点について、伊福部は「自分はアイヌ民謡を除けば、遠く(ロシアやフランスの音楽)をずっと見てきたから、(札幌交響楽団が自作を積極的に取り上げないことは)自然なことに思う」と言っている。
 しかし、今回、このようなディスクが登場したことは素直に嬉しい。
 それに、私は、伊福部が「ずっと遠くを見てきた」と言っているにもかかわらず、彼の音楽には、北海道ならではの独特の何かが流れているように思う。本CDの解説を担当している片山杜秀(1963-)氏はこう指摘する。「(当時の)北海道は寒冷なせいで米作も限られていた。水田は少なかった。伊福部が親しんだ風景は、湿潤な田よりも乾燥した畑である。伊福部が日本の作曲家でありながら、例えば武満徹に象徴される水気の多くて朦朧とした日本的・印象派風の音楽とかなり無縁なのは、北海道の風土のなせるわざとしか言い様がない」。
 私は、この指摘に、おもわず「なるほど」と思った。もう一つ付け加えるなら、伊福部が幼少のころを過ごしたのは釧路と十勝である。これらの場所には、札幌・旭川より南西の北海道とは、まったく異なる世界が広がっている。言ってみれば、函館、札幌、旭川といったところは、東京から東北を経た延長線上にある一方で、道東・道北は、そのような連続性から、乖離した、と表現可能な程の、独特の空間である、と強く思う。札幌からかの地に向かうと、そこは、札幌と地続きとは思えないほど、無辺の果てしない大地と空気が支配するところであり、あまりにも日常から隔絶された風景が広がっている。一言で言えば「別世界」。
 伊福部は、そんな風景を見ながら、多感な幼少期を過ごした。
 伊福部の書法は、オーケストラを総和的な音響として鳴らすのではなく、楽器の音色を単純に足していく「単を組み合わせる」という性質を持っている。以前、シンフォニア・タプカーラに関して、ドミトリ・ヤブロンスキー(Dmitry Yablonsky 1962-)が、ロシア・フィルハーモニー管弦楽団を指揮した面白いディスクがった。しかし、そのアプローチは、やはりヨーロッパ的な中音域の厚みを重視した総和的なもので、美しい洗練がある一方で、どこか本質的ではない「何か」を残したと思った。
 本録音は、そこを解決した解釈である点が特に素晴らしい。録音の精度が高いこともあるが、高関健と札幌交響楽団のストレートなアプローチが、伊福部作品の本質を的確に引き出した実感がある。まさに、どの瞬間にも、伊福部の特徴に溢れたサウンドがある。
 ヴァイオリン協奏曲第2番は、単一楽章ながら、中間にアンダンテの部分を挟んだ3部構造と考えられる作品。冒頭2分ほどのヴァイオリン独奏から開始されるが、その独特の情感と土俗性を湛えた開始を加藤は絶妙の間合いでこなしている。それにしても伊福部の紡ぎだす旋律の美しいこと。日本に、旋律で勝負できる伊福部昭という作曲家が存在していたことは、決して忘れてはいけないだろう。オーケストラも過剰に情感を添えることは決してなく、直截な美観をもって、見事な焦点で作品を捉えている。
 シンフォニア・タプカーラは伊福部の代表作といって良い管弦楽曲だ。私は、当演奏が、それほど極端な楽器の浮き沈みを用いているとは感じない。本演奏の解釈は、純音楽的にきわめて合理的なもので、それが伊福部の音楽に適合していると思う。(もちろん、それと別にユーザーの再生機の違いなどあるかもしれないが・・)。第2楽章はまさに北海道の深部の風景を彷彿とさせる瞬間だ。木管の音色が良い。情感や情緒をたっぷり宿すことは避け、淡々と、透明に、素直に奏でるのが相応しい。これも前述のヤブロンスキー盤のスタイルに、私が違和感を持ったところ。当盤の演奏は、実に自然で、私にはしっくり行く。終楽章の迫力は凄い。特に打楽器陣の一つ一つの原色的とも言えるリズム感を活かした迫真の燃焼ぶりが圧巻。もちろん、そうはいっても、音響は決して横幅を豊饒に広げるのではなく、シャープに、きわめて線的に繰り広げられる。フレーズ終結音の重さには、(高関が意識した点らしいが)見事なインスピレーションが息づいている。
 2014年という記念の年にリリースされるのに、もっともふさわしいディスクといって良い一枚だ。

伊福部昭トリビュート 春の音楽祭 イン キタラ
藤田崇文指揮 札幌交響楽団

レビュー日:2018.9.25
★★★★★ 伊福部昭へのトリビュート・コンサート。血沸き肉躍る熱狂的な一夜の記録
 2018年3月20日に札幌コンサートホールKitaraでて行われた、藤田崇文(1969-)指揮札幌交響楽団による伊福部昭(1914-2006)のトリビュート・コンサートの模様を収録したアルバム。
1) 伊福部昭(1914-2006)/藤田崇文編 HBCコールサイン~HBCラジオ・テーマ曲「ウポポ」
2) ショスタコーヴィチ(Dmitri Shostakovich 1906-1975) 祝典序曲
3) ハチャトゥリアン(Aram Khachaturian 1903-1978) バレエ組曲「ガイーヌ」より レスギンカ
4) ハチャトゥリアン バレエ組曲「ガイーヌ」より 剣の舞
5) 藤田崇文 交響詩「奇跡の一本松」
6) 芥川也寸志(1925-1989) 交響管弦楽のための音楽 から 第2楽章
7) 真島俊夫(1949-2016)/藤田崇文編 波の見える風景
8) 伊福部昭/藤田崇文編曲 交響詩「聖なる泉」 ~ゴジラvsモスラより
9) 伊福部昭 SF交響ファンタジー 第1番
10) 伊福部昭 シンフォニア・タプカーラ から 第3楽章
11) 伊福部昭 北海道賛歌
12) 藤田崇文 北の舞 ~もしもゴジラが北海道に上陸したら~ 伊福部昭に捧げる
13) 伊福部昭 HBCテレビジョン・テーマ曲 ~HBCコールサイン
 北海道出身の伊福部昭であるが、以前、札幌交響楽団は伊福部作品を取り上げることは少なかった。むしろ作風としては対照的といってもよい武満徹(1930-1996)が、このオーケストラの音色を気に入り、札響もその作品を多く演奏した。私が転機と思ったのは、伊福部昭(1914-2006)の生誕100年となる2014年のことで、札幌交響楽団も伊福部の作品を取り上げ、その録音はキングレコードの「伊福部昭の芸術」シリーズに加わることとなった。この年に開催された札幌国際芸術祭では、旧北海道庁舎(赤レンガ)において、伊福部昭展が開催され、この偉大な作曲家の生誕100年に花を添える形となった。私も展示を訪問したが、多くの人が伊福部の自筆譜や手紙に見入っており、この芸術祭を通じて、作曲家“伊福部昭”を再認識した人も多かったに違いない。
 そして、このたびは、やはり北海道出身で、伊福部の弟子である藤田崇文が指揮をつとめたこのトリビュート・アルバムがリリースされたわけだ。これが既出の札幌交響楽団による伊福部録音とはまた雰囲気の違った、血沸き肉躍るといった祭典的な内容で、しかもオーケストラがノリノリで演奏しているのが抜群に楽しい一枚となった。
 「JOHR、JOHR、こちらは北海道放送でございます」。このコールのフレーズは、北海道在住者であれば多くが聴いたことがあるHBC放送が使用するもの。北海道民放を先駆けた同放送の第一声に併せて鳴るテーマ音楽は伊福部が書いたものだ。伊福部が生涯大きな関心と共感をもったアイヌの文化、その舞踏をイメージした楽曲である。当CDでは、コールサインに続いてオーケストラ版の同曲が導入役を果たす。そして、ショスタコーヴィチ、ハチャトゥリアンといった同時代の祭典的でエネルギッシュな音楽が続く。伊福部も影響を受けた人たちの音楽だが、今回は中でもド派手といってよいナンバーがよりすぐられている。
 藤田崇文の交響詩「奇跡の一本松」は、元来震災復興の祈念で書かれた吹奏楽曲。このたびオーケストラ編曲版となったわけだが、伊福部の映画音楽にも通じる土俗性、民俗性を感じさせる土臭い音楽で面白い。さらに芥川の傑作、真島の名吹奏楽曲を管弦楽版にした「波の見える風景」と続くが、札響が、いつにないほどの華やかな響きを披露しており、こんな音色のパレットもあるんだ、と感心させられる。
 そして、伊福部の代名詞とも言える怪獣映画の劇伴をベースとした諸作が続くのだが、これがまた素晴らしい迫力だ。これらの楽曲を一級のオーケストラが演奏したらどうなるか。これまでも、広上淳一が日本フィルを指揮した録音などもあったのだが、当札幌交響楽団の演奏は、録音が生々しく、かつホールトーンの効果も豊かな上に、藤田の指揮による金管、打楽器の表出力がすさまじく、どよもすような迫力だ。そしてトドメは藤田がこのたびのために書いた「北の舞 ~もしもゴジラが北海道に上陸したら~」である。ゴジラの接近を示すパーカッションの強打、ゴジラの叫びが加わって、そこから伊福部のゴジラのテーマとソーラン節が入り乱れた熱狂的な音楽が繰り広げられる。曲が終わるや否や大喝采もむべなるかな。
 そして、閉幕もコールサインでとしゃれた演出。
 確かに派手一辺倒といったところで、音楽の俗な部分で押し通したような感はあるのだが、ここまでぶっちぎってくれれば、文句も筋違いといったところ。ただただ「恐れ入りました」の一語といったところでしょうか。お見事でした。

ピアノ組曲 (盆踊/七夕/演伶/佞武多) 映画音楽「佐久間ダム」 映画音楽「その壁を砕け」No.7 日本狂詩曲(伊福部昭編) 映画音楽「二人の息子」No.24 バレエ音楽「盆踊り」(チェレプニンと共作)(七夕/演伶/佞武多/夜想曲/祭/ティンベ/盆踊) 映画音楽「渚を駆ける女」No.7 SF交響ファンタジー第1番(石丸基司編) 聖なる泉~「モスラ対ゴジラ」より
p: 高良仁美 perc: 河野玲子 板橋享子

レビュー日:2015.9.1
★★★★☆ 録音、ライナーノーツ、ともに貴重な情報が満載です
 高良仁美による2014年録音の伊福部昭(いふくべあきら 1914-2006)のピアノ作品集。
 伊福部の創作はオーケストラ作品が中心で、ピアノ作品というのはほとんど遺されていない。本盤の冒頭に収録してある伊福部が学生時代に書いたピアノ組曲が、純粋な演奏会用作品としては唯一と言って良く、他は映像作品のために書かれた楽曲や、編曲作品である。
 当盤に収録されているバレエ音楽「盆踊り」は、伊福部の最大の理解者であったチェレプニン(Alexander Tcherepnin 1899-1977)の助力により、完成、出版されたものだが、国内にスコアは遺されておらず、このたび音楽研究者である高久暁(たかくさとる)氏の発見により、録音が行われた。この作品は、伊福部の3つの先行作品(ピアノ組曲、日本狂詩曲、土俗的三連画の第2曲)をアレンジし、さらに2人の奏者による太鼓を加えたものである。単純な原曲の編曲にとどまらない変更や加筆があり興味深い。
 沖縄県出身のピアニスト、高良仁美が、日本の作曲家の中でも異なった肌合いを持つ北海道の作曲家、伊福部に深い共感を持ってアプローチしているのが興味深い。この点に関しては、SF交響ファンタジーを編曲し、ライナーノーツの執筆に加わっている伊福部と同じ釧路市出身の作曲家石丸基司(いしまるもとじ)氏が、「高良仁美の嗅覚に伊福部へのアレルギーが無かった」ことに、触れ、沖縄、北海道といったいわゆる古来の日本と異なる地域概念を背景とした文化の共通性について、喚起するコメントを寄せている。
 その他、ブックレットの内容がなかなか興味深い。メインの部分を執筆した片山杜秀(かたやまもりひで 1963-)の文章によって、 伊福部が、三浦淳史(みうらあつし 1913-1997)らとの学生時代の交友から、文通によりフェビアン・セヴィツキー(Fabien Sevitzky 1893-1967)、ジョージ・コープランド(George Copeland 1882-1971)、チェレプニンといった芸術家たちに人間関係を広げ、その過程の中で作曲家としてのステイタスを確立していく様子がよく示されている。そこでは、本人の遺した言葉も多数引用されていて、とても参考になる。その他、バレエ音楽「盆踊り」については、スコアの発見者である高久暁が、SF交響ファンタジーについては、編曲を行った石丸基司がそれぞれ解説を寄せているほか、伊福部が亡くなった年(2003年)の6月6日の朝日新聞、文化「風韻」にて紹介された伊福部が晩年に自分の活動について語った言葉も掲載されており、私にはたいへん嬉しかった。
 肝心の楽曲については、やはり伊福部の作曲家としての本領はオーケストラであり、ピアノ作品の場合、その技法や旋法が限られていて、展開性に乏しいという感を持たざるを得ないのだが、それでも、この作曲家特有の土俗的な力強さ、また日本的でありながら、どこか異国的な音階の連続などに、この作曲家の強い個性を感じる。また、映像作品のために書かれた作品には、美しい情緒を通わせたものが多く、私は、当盤によってはじめてその魅力を知ることができた。
 個人的希望として、ぜひ中谷宇吉郎が製作した科学映画「Snow Crystals」についても録音をリリースしてほしいと思う。昨年(2014年)の札幌国際芸術祭の伊福部昭展の会場で、この映画が上映されていた。採光を制限したその場の雰囲気も手伝って、伊福部のピアノをベースとしたサントラは、その場に特有の雰囲気をもたらしていた。是非、なんらかの形で、その音楽をきちんと聴いてみたいと思う。


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