ハイドン
![]() |
交響曲 第26番「ラメンタチオーネ」 第73番「狩」 第82番「熊」 カンブルラン指揮 南西ドイツ放送交響楽団 レビュー日:2016.4.11 |
★★★★★ 現代楽器の合奏音の魅力を存分に味わえるカンブルランのハイドン
2010年から読売日本交響楽団の常任指揮者に就任したことで、日本のファンにも知られているフランスの指揮者、シルヴァン・カンブルラン(Sylvain Cambreling 1948-)指揮、南西ドイツ放送交響楽団の演奏で、ハイドン(Joseph Haydn 1732-1809)の3つの交響曲を収録したアルバム。収録内容は以下の通り。 1) 交響曲 第73番 ニ長調「狩」 Hob.I 73 2001年録音 2) 交響曲 第26番 ニ短調「ラメンタチオーネ」 Hob.I 26 2005年録音 3) 交響曲 第82番 ハ長調「熊」Hob.I 82 2001年録音 現代楽器によるハイドン演奏の魅力をあますことなく伝える素晴らしい録音。ハイドンの交響曲においては、現在その録音の多くがピリオド楽器によるものであるが、現代楽器ならではのふくよかな豊かさと、弾力豊かな音色の柔らか味で、音楽が鮮やかに躍動している。 また、当盤を聴くと、ハイドンの交響曲が、いわゆるザロモン・セットと呼ばれる後期の作品ばかりが聴かれていることも、とてももったいないことだと感じられる。当盤に収録された3曲が、いずれも魅力いっぱいの音楽だからだ。 特に交響曲第82番は、私がハイドンの作品の中でも特に愛好している曲で、屈託のない推進力の強さ、躍動するリズムの心地よさ、平明なスタイルの実直さが合わさり、古典の楽しみを極めたものといってもよい。 カンブルランの指揮のもと、南西ドイツ放送交響楽団は、いかにも中央ヨーロッパの伝統を感じさせるふくよかな響きを繰り出すが、一方で楽曲にふさわしい音響のスケールを常に提示するような現代的な美学にもよく通じていて、スタイリッシュな雰囲気を導く。実に心地よい音像だ。第4楽章の一陣の薫風のような颯爽たる響きが、彼らのハイドンの魅力を端的に伝えている。 第73番は弦の柔らかなトーンが抜群の肌触りで、あたりを優しく包み込むような幸福感がある。また、ハイドン初の短調による交響曲、第26番は、意欲的な感情表現が興味深いだけでなく、音楽的なドラマも備わっている。 一流の現代楽器合奏団による、超一流のハイドンといったところ。 |
![]() |
交響曲 第34番 第39番 第40番 第50番 ファイ指揮 ハイデルベルク交響楽団 レビュー日:2020.5.29 |
★★★★★ 活力あふれる表現で、魅力いっぱいに奏でられたハイドンの中期の交響曲群
ドイツの指揮者、トーマス・ファイ(Thomas Fey 1960-)と、ハイデルベルク交響楽団によるハイドン(Franz Joseph Haydn 1732-1809)の以下の4つの交響曲を収録したアルバム。 1) 交響曲 第39番 ト短調 Hob.I:39 2) 交響曲 第34番 ニ短調 Hob.I:34 3) 交響曲 第40番 ヘ長調 Hob.I:40 4) 交響曲 第50番 ハ長調 Hob.I:50 交響曲第34番は2003年、他は2001年の録音。 ハイドンの交響曲は、番号付きのものだけで104曲というおびただしい数が存在している。これらのうち、よく演奏会や録音で取り上げられるのは、ザロモン・セットと呼ばれる交響曲第93番~第104番の各曲、次いで第82番~第92番の各曲といったところだろう。とにかく曲の数が多いので、私も聴いただけで、「ハイドンの第○番」と言い当てられる曲は限られていて、第81番より若い番号となってくると、ほぼ全滅に近い。 しかし、それらの楽曲を聴くと、思いのほか素晴らしく、心を動かされる。たまにモーツァルトの「若い番号が付された交響曲」に比べて、ハイドンのそれは充実していて聴き応えがあることを指摘する人がいるが、35歳で世を去ったモーツァルト(Wolfgang Amadeus Mozart 1756-1791)に比べて、ハイドンがそれらの楽曲を書いたのが壮年期であることを考えれば、それは当然のことと言えるだろう。当盤に収録されている交響曲が書かれた時期は、1767~1771年頃と考えられていて、その頃、ハイドンは35~39歳。脂の乗り切った仕事ざかりの年齢と思われるが、モーツァルトであればすでに没年を越えている。それは、天才モーツァルトに与えられたあまりの時間の短さにあらためて嘆息する事実でもある。 ここに収録された4つの交響曲も、聴いてみると、芸術家ハイドンのインスピレーションを感じさせ、聴くことに様々な喜びを感じることが出来る。 交響曲第39番は「シュトルム・ウント・ドランク期」を象徴する短調で劇的な性向を持って書かれた作品で、そのト短調という調性と併せて、モーツァルトの第25番を連想する人も多いはず。特に両端楽章における疾走感をともなった激性は、鮮やかな活力をともなって、聴き手の気持ちに急な要素を帯びて強く働きかけるものだ。このアルバムで、この曲を冒頭に置いているのも、その「一瞬で聴き手を惹きつける強さ」を踏まえてのものだろう。 交響曲第34番は独特。その第1楽章の前半は、アダージョで、沈鬱と称してもよい音楽が続く。この時代にこのような導入をもつ交響曲を書いたハイドン。その天才ゆえの発想力を感じさせる。それに続く交響曲第40番は、終楽章にフーガを取り入れているところが特徴的。 第50番は充実した傑作といって良いだろう。とくにその終楽章。プレストで、一貫して快活に畳み掛ける勇壮な音楽で、聴き手の気持ちを激しく鼓舞する。高らかに凱歌を鳴らすように終わる。また、序奏をもった第1楽章もこれからの交響曲像の一例を示した先駆例のように感じられる。 トーマス・ファイの指揮はひとことで言うとアグレッシヴ。速めのテンポを維持し、現代楽器ならではの弦楽器陣の輝かしく厚みのある響きを存分に鳴らし、質感に富んだハイドン像を描きあげる。その逞しさは、これらの楽曲の価値にふさわしい。 |
![]() |
交響曲 第41番 第42番 第43番「マーキュリー」 第44番「哀悼」 第45番「告別」 第46番 第47番 第51番 第52番 第50番 第64番「時の移ろい」 第65番 第82番「熊」 第83番「雌鳥」 第84番 第85番「王妃」 第86番 第87番 第88番「V字」 第89番 第90番 ヴァイル指揮 ターフェル・ムジーク・オーケストラ レビュー日:2009.7.20 |
★★★★★ ハイドンの無名だけど素晴らしい交響曲の世界
2009年はヨーゼフ・ハイドン(Franz Joseph Haydn 1732-1809)の没後200年ということでアニヴァーサリー・イアーになる。オーストリアのローラウに生まれ18世紀後半のウィーン古典派のまさに中心をなした人物であるが、その膨大な作品と、生涯に関する文献が意外に少ないことから、その経歴も不明な部分が多い。しかし、104曲の交響曲、83曲の弦楽四重奏曲を中心とする作品群は圧巻の量を誇るとともに、当時の作曲スタイルを代表する豊かな質を備えた逸品だ。 当アルバムはブルーノ・ヴァイルが手兵のピリオド楽器による管弦楽団、ターフェル・ムジーク・オーケストラを指揮して93年から94年にSONYレーベルに録音したもの。21曲の交響曲が収録されていて、その内訳は、第41番 第42番 第43番「マーキュリー」 第44番「哀悼」 第45番「告別」 第46番 第47番 第50番 第51番 第52番 第64番「時の移ろい」 第65番 第82番「熊」 第83番「雌鳥」 第84番 第85番「王妃」 第86番 第87番 第88番「V字」 第89番 第90番。 第82番から第87番までの6曲はパリの演奏団体「コンセール・ド・ラ・ロール・オランピック」からの委嘱による作品で「パリ交響曲」と呼ばれる。 ヴァイルの闊達な指揮振りが頼もしく、一つ一つの音符を存分にならした感がある。ことにリズムを刻むだけに終わらない金管楽器の表情豊かなアヤが曲想を膨らませてくれる。曲も良い。ハイドンの交響曲といってもザロモンセットだけではないのだと言う事がよくわかる。第82番の流麗な響きは後期の「驚愕交響曲」に匹敵する名曲と思えるし、また第44番の悲劇性はモーツァルトの小ト短調の交響曲を彷彿とさせる。いずれにしてもどの曲も高い完成度と魅力的な旋律に満ちており、再発売で廉価ボックスセットとなった今となっては、まさにお買い得と思う。 |
![]() |
交響曲 第82番「熊」 第83番「牝鶏」 第84番 第85番「王妃」 第86番 第87番 デュトワ指揮 モントリオール・シンフォニエッタ レビュー日:2011.3.3 |
★★★★★ 古典音楽にも秀演を記録したデュトワとモントリオールのコンビ
シャルル・デュトワ(Charles Dutoit)指揮、モントリオール・シンフォニエッタ(Sinfonietta de Montreal)によるハイドンの交響曲集。録音は第82番「熊」、第83番「牝鶏」、第84番の3曲が1990年、第85番「王妃」、第86番、第87番の3曲が1991年。 モントリオール・シンフォニエッタはモントリオール交響楽団の「古典編成」ヴァージョンで、普通、わざわざ呼び名を変えることはないのだけれど、ここではそういう表記になっている。そこで、オーケストラの表記を敢えて変えた意図についてちょっと考えてみた。 すぐに思いついたのは「古典音楽への適性のアピール」である。・・デュトワとモントリオール交響楽団は1980年代から続々とデッカ・レーベルからチャーミングなナンバーをリリースし続けたけれど、それらはフランスものとロシアものが中心であった。そこで、ハイドンというドイツ・オーストリア系の古典派王道の楽曲をリリースするにあたって、彼らのカラーを踏まえつつ、しかも柔軟な「対応力」をアピールするために「小編成ヴァージョンだってこの通り、あるんですよ」ということをサラッと表記上でPRしてしまう小粋な方法・・・それがモントリオール・シンフォニエッタというオケの表記だったのではないか?と思う。・・これらは私の憶測なのですけれど。実際、これらの録音は現在では廃盤となって久しいが、素通りしてしまうにはもったいないくらいの魅力を持っている。 この録音の魅力、それは何と言っても「楽しさ」である!全編に満ちる活力に溢れたリズム、色彩感に溢れた音色、健やかな躍動感、それらが一体となった尽きない流れに身をまかせる心地よさ。ハイドンの「パリ交響曲集」が元来そういう傾向の作品なのだけれど、デュトワの棒の下、微笑みかけるような弦楽アンサンブルに支えられた、タメの少ない快活な木管が音楽の表情を決定付けている。聴き所・・・と言うと、私の大好きな作品なのだけれど、交響曲第82番の終楽章であろうか。この楽章はハイドンの交響曲の中でも、終始アップテンポで、様々な楽器の音色のコントラストを堪能させてくれるもの。聴き応え豊かで、思わずリズムをとってしまう音楽だ。デュトワとモントリオールの真骨頂を究めたような鮮やかな音楽の一幕を堪能できるだろう。 ところで、疾風怒濤(Sturm und Drang)」運動の一つの象徴作品である交響曲第83番は、第1楽章の第2主題がニワトリの鳴き声を思わせることから「雌鳥」の愛称を授かっているが、どうもこのタイトルと実際の楽想には違和感がある。ここはニワトリのイメージを捨てて、ぜひ短調のハイドン、疾風怒濤期の音楽として味わう。 |
![]() |
交響曲 第82番「熊」 第83番「牝鶏」 第84番 第85番「王妃」 第86番 第87番 ファイ指揮 ハイデルベルク交響楽団 レビュー日:2021.3.18 |
★★★★★ ハイドン「パリ交響曲集」の名録音の一つ
ハイドン(Joseph Haydn 1732-1809)が、コンセール・ド・ラ・オランピックという名の新設オーケストラの委嘱を受けて、1785年から1786年にかけて作曲した6曲の交響曲は、コンセール・ド・ラ・オランピックの拠点がパリであったことから、「パリ交響曲」と称される。当盤は、トーマス・ファイ(Thomas Fey 1960-)が、ハイデルベルク交響楽団を指揮して録音していた一連のシリーズから、6曲の「パリ交響曲」を抜粋した再編集版で、下記の収録内容となる。 【CD1】 1) 交響曲 第82番 ハ長調 Hob.I-82 「熊」 2001年録音 2) 交響曲 第83番 ト短調 Hob.I-83 「めんどり」 2002年録音 3) 交響曲 第84番 変ホ長調 Hob.I-84 2002年録音 【CD2】 4) 交響曲 第85番 変ロ長調 Hob.I-85 「王妃」 2002年録音 5) 交響曲 第86番 ニ長調 Hob.I-86 2006年録音 6) 交響曲 第87番 イ長調 Hob.I-87 2006年録音 ハイドンの交響曲群の中では、第93番から第104番までの12曲が「ザロモン・セット」と謳われる傑作群として名高く、そこに至る第88番や第92番も高名である。しかし、当然の事ながらそれ以外にも魅力的な作品は多い。私は、これらのパリ交響曲群も好きで、よく聴く。特に第82番と第86番はお気に入りだ。 ファイのハイドンシリーズは、ファイが不幸な事故に見舞われたことで、当初見込まれた形で全集が完結することは難しい状況ではあるが、それでも主だった作品については、録音が行われたことで、当盤のような再編集版も製作可能となった。ホルン、ティンパニ、トランペットにはピリオド楽器を用いるハイデルベルク交響楽団であるが、ファイは弦楽器陣にもピリオド奏法由来のノンヴィブラートを実践し、音響的なバランスと、響きの絶対的な輝かしさの双方において、高い完成度を示すものとなっている。当盤でもその成果は存分に感じられる。 交響曲第82番は冒頭からエネルギッシュであり、息つく間もないような颯爽たるスピード感でまとめている。この曲の両端楽章の急速性は、ハイドンの機敏な表現力が溢れているが、それを直線的かつパワフルに解き放った演奏であり、その爽快感は比類ない。この曲の名演というと、私の場合、まずブルーノ・ヴァイル(Bruno Weil 1949-)による録音に指折りたくなるのだが、当盤もなかなかに魅力的だ。 交響曲第83番は「めんどり」という愛称で誤解されがちだが、深刻な諸相を持った音楽で、モーツァルト(Wolfgang Amadeus Mozart、1756-1791)の小ト短調の交響曲と並んで疾風怒濤(Sturm und Drang)」運動の象徴的交響曲の一つとされる。第1楽章の第2主題がニワトリの鳴き声を思わせる、とされるのだが、いかがだろうか。ファイの演奏は、この曲に相応しい劇性とスピード感を兼ね備えている。劇的でありながら、音が重くなりすぎないので、いかにもハイドンらしい自然な風合いを維持しており、終楽章の機敏さも感覚的な美しさという点で、研ぎ澄まされたものがある。 交響曲第84番は第3楽章のメヌエットをはじめリズムの面白さを、緊迫感あるほどの真面目さで描いた演奏。ここまで徹底するとベートーヴェンのようになってしまうところもあるのだが、音の充実感は素晴らしい。終楽章は颯爽としており、溌溂とした外向けの音楽が健康的に締めくくられる様は清々しい。 交響曲第85番は荘重なアダージョの序奏から始まる。ファイのハイドンに弱点があるとすれば、こういう序奏部の単調さがあると思うが、この曲では、そこまで気にならない。引き続いての快活なシーンに打って変るや、たちまちファイのハイドンらしい快調となる。緩徐楽章でも、テンポは一定以上を維持し、心地よく進む。健康明朗でまじめに奏されたハイドンは、堂々としており、この楽曲においても、締まった味わいを引き出している。 交響曲第86番は彫像性豊かで貫禄ある名曲の味わい。両端楽章の充実した響き、リズムを刻む金管の勢いの良さがなんといっても魅力的だ。この作品がもつ躍動感を力強く解き放った演奏であり、心地よい盛り上がりに満ちている。 交響曲第87番は緩徐楽章の美しさに注目したい。ハイドンの書いた緩徐楽章の中でも特に美しいものの一つだと思うが、当盤では、木管群のなめらかで透明な響きがとにかく魅惑的だ。この作品の魅力を積極的に表現した演奏として、特徴を出している。 |
![]() |
交響曲 第83番「牝鶏」 第84番 第85番「王妃」 ファイ指揮 ハイデルベルク交響楽団 レビュー日:2021.3.17 |
★★★★★ 真面目に明朗快活に演奏されたハイドン
トーマス・ファイ(Thomas Fey 1960-)指揮、ハイデルベルク交響楽団による、ハイドン(Joseph Haydn 1732-1809)の交響曲全集企画の一環として録音されたもの。以下の楽曲を収録。 1) 交響曲 第83番 ト短調 Hob.I-83 「めんどり」 2) 交響曲 第84番 変ホ長調 Hob.I-84 3) 交響曲 第85番 変ロ長調 Hob.I-85 「王妃」 2002年の録音。 ファイとハイデルベルク交響楽団によるハイドンの交響曲全集は、完成が期待されていたが、2014年にファイが事故のため、音楽活動の継続が困難となったことで、中座してしまった。その後、コンサートマスターであるベンジャミン・シュピルナー(Benjamin Spillner 1978-)の指揮で数曲の録音が行われたが、まだ完成には至らず、ヨハネス・クルンプ(Johannes Klumpp 1980-)がその仕事を引き継ぐとのニュースもある。ファイを襲った事故は不幸としか言いようがないが、これらのハイドンの演奏を聴くと、その思いはさらに募るだろう。 とても気持ちの良い、聴き味も音幅もしっかりとあるハイドンだ。ハイデルベルク交響楽団は、現代楽器をベースとするが、ホルン、ティンパニ、トランペットにはピリオド楽器を用いている。そして、ファイの指揮は、弦楽器はノンヴィブラート奏法を採用するなど、ピリオド奏法を踏襲したスタイル。結果として、安定感と輝かしさを維持しながら、典雅で、バランス感覚にも優れた演奏となっている。 交響曲第83番は「めんどり」という愛称で誤解されがちだが、深刻な諸相を持った音楽で、モーツァルト(Wolfgang Amadeus Mozart、1756-1791)の小ト短調の交響曲と並んで疾風怒濤(Sturm und Drang)」運動の象徴的交響曲の一つとされる。第1楽章の第2主題がニワトリの鳴き声を思わせる、とされるのだが、いかがだろうか。ファイの演奏は、この曲に相応しい劇性とスピード感を兼ね備えている。劇的でありながら、音が重くなりすぎないので、いかにもハイドンらしい自然な風合いを維持しており、終楽章の機敏さも感覚的な美しさという点で、研ぎ澄まされたものがある。 交響曲第84番は第3楽章のメヌエットをはじめリズムの面白さを、緊迫感あるほどの真面目さで描いた演奏。ここまで徹底するとベートーヴェンのようになってしまうところもあるのだが、音の充実感は素晴らしい。終楽章は颯爽としており、溌溂とした外向けの音楽が健康的に締めくくられる様は清々しい。 交響曲第85番は荘重なアダージョの序奏から始まる。ファイのハイドンに弱点を一つ指摘するなら、こういう序奏部の単調さにあると思うが、この曲では、そこまで気にならない。引き続いての快活なシーンに打って変るや、たちまちファイのハイドンらしい快調となる。緩徐楽章でも、テンポは一定以上を維持し、心地よく進む。健康明朗でまじめに奏されたハイドンは、堂々としており、この楽曲においても、締まった味わいを引き出している。 |
![]() |
交響曲 第88番「V字」 第89番 協奏交響曲 ブリュッヘン指揮 18世紀オーケストラ vn: ダール vc: メーラー ob: エビング fg: ボンド レビュー日:2018.6.8 |
★★★★☆ ピリオド楽器によるハイドン演奏としては、重心が低い感じですが、落ち着いた美観が表れているでしょう
ブリュッヘン(Frans Bruggen 1934-2014)指揮、18世紀オーケストラの演奏で録音されたハイドン(Joseph Haydn 1732-1809)の3作品を集めた再編集アルバム。収録曲と録音年は以下の通り。 1) 交響曲 第89番 ヘ長調 Hob.I: 89 1997年録音 2) 交響曲 第88番 ト長調 Hob.I: 88 「V字」 1988年録音 3) 協奏交響曲 変ロ長調 Hob.I: 105 1996年録音 協奏交響曲における独奏者は以下の通り。 ヴァイオリン: ルーシー・ファン・ダール(Lucy van Dael 1946-) チェロ: ワウター・メーラー(Wouter Moller) オーボエ: ク・エビング(Ku Ebbinge 1948-) ファゴット: ダニー・ボンド(Danny Bond) ブリュッヘンと18世紀オーケストラによるハイドンは、他のピリオド楽器によるハイドン演奏と比較すると、概して穏当でマイルドな味わいと言えるのではないだろうか。当盤を聴いてもそう思う。例えば、交響曲第88番のラルゴの楽章など、ピリオド楽器の演奏であれば、もっと重心を高くした軽やかな味わいを感じさせるものが主流ではないだろうか。 しかし、逆に言うと、そのような「落ち着き」が、ハイドンの音楽の底流にある「古典的禁欲美」に沿うようにも思う。おなじ交響曲第88番の第1楽章は忘れがたい音楽であるが、ブリュッヘンの指揮は、適度な威風を感じさせてふさわしい。また、交響曲第89番の第2楽章においてときおり挿入される勇壮な合奏も、ふさわしい幅と重さを感じささせる。 ブリュッヘンのハイドンは、概して録音を重ねるごとに、表現が「こなれてきた」ところが感じられるのだけれど、そういった意味で、当盤に収録された演奏は、完成を感じさせるものであるとも思う。その表現が、全般にやや重さを感じるものであることは否めないが、そこは聴き手の判断に委ねたい。個人的には、ハイドンの交響曲におけるピリオド楽器による録音としては、ブルーノ・ヴァイル(Bruno Weil 1949-)とターフェルムジーク・オーケストラによるものが最も優れていると思う。 最後に収録された協奏交響曲では、18世紀オーケストラのすぐれた器楽奏者のソロを楽しむことができるが、ここでは中でもオーボエの美しさを強調したい。この楽器らしい幸福感に溢れた音色が、聴き手の気持ちを豊かにしてくれる。 |
![]() |
交響曲 第88番「V字」 第89番 第90番 第91番 第92番「オックスフォード」 協奏交響曲 ラトル指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 vn: 安永徹 vc: ファウスト ob: ケリー fg: シュヴァイゲルト レビュー日:2020.11.25 |
★★★★★ 作品との好相性ぶりを発揮したサイモン・ラトルのハイドン
サイモン・ラトル(Simon Rattle 1955-)がベルリン・フィルハーモニー管弦楽団を指揮してライヴ収録したハイドン(Franz Joseph Haydn 1732-1809)の交響曲集。CD2枚に以下の楽曲が収録されている。 【CD1】 1) 交響曲 第88番 ト長調 Hob.I-88 「V字」 2) 交響曲 第89番 ヘ長調 Hob.I-89 3) 交響曲 第90番 ハ長調 Hob.I-90 4) 交響曲 第90番 ハ長調 Hob.I-90 の 第4楽章 【CD2】 5) 交響曲 第91番 変ホ長調 Hob.I-91 6) 交響曲 第92番 ト長調 Hob.I-92 「オックスフォード」 7) 協奏交響曲 変ロ長調 Hob.I-105 ~ ヴァイオリン、オーボエ、チェロ、ファゴットのための 2007年の録音。 7)の独奏者は以下の通り。 ヴァイオリン: 安永徹(Toru Yasunaga 1951-) オーボエ: ジョナサン・ケリー(Jonathan Kelly 1969-) ファゴット: シュテファン・シュヴァイゲルト(Stefan Schweigert 1962-) チェロ: ゲオルク・ファウスト(Georg Faust 1956-) 【CD1】に交響曲第90番の第4楽章が再収録されていることについて説明しておくと、この第4楽章は、偽休止を持っており、この偽休止によって、聴衆は「楽曲が終わった」と勘違いして、拍手してしまうのである。それで、ラトルはそれをライヴでも再現し、見事に聴衆もだまされて(お付き合いして?)、拍手してしまう(しかもい一度ならず、2度までも・・・2回目は、確かに笑える)のである。当盤にはその模様がそのまま収録してあるが、この「だまし」を除いた「まっとうな」第4楽章を最後に収録してあるわけだ。 この点に関する私の意見であるが、「第4楽章の収録内容は入れ替えた方が良い」と思う。つまり、CDとして再生可能なメディアに加工した場合、全曲を通常再生した場合、ライヴ特有のイベントがないものにすべきであり、ライヴならではのシャレの部分をエキストラトラックとして扱った方が良い。というのは、こういうものは、基本的にはその場限りの話で合って、だからこそ面白いものなので、繰り返し聴くCDで、毎回それが流れてくるのは、マンネリズムに陥るのである。このような直接的なジョークは、繰り返すと飽きるのである。というわけで、当アルバムの編集方針に、私は異論を持つ。 演奏については、しなやかで、時にユーモアを感じさせるウィットのあるラトルの棒は、ハイドンに高い適性を示し、聴き味は良好だ。現代楽器ならではの豊穣な音幅とともに、木管の輝かしさ、それゆえのアーティキュレーションの鮮明さは見事だ。ビブラートはもちろん用いられるが、それがなにか楽曲の雰囲気を壊すようなこともない。弦4部のバランスもすばらしい。ピリオド楽器演奏信奉者は、よくバランス問題を指摘するが、私はこのラトルの現代楽器による演奏のどこにバランス上の問題があるのか、まったく理解できない。それよりはピリオド楽器の、中間音の薄さや、音価や音程の揺れの方が、はるかに不安定要素だと思うのだが。 交響曲第88番の第3楽章のトリオの舞曲的な活発さ、「城寺の狸囃子」とも言われる第89番の素朴な主題の柔らかさ、第90番の第1楽章における弦と木管の溌溂とした交錯、第91番や第92番では、これらの楽曲表現に必要な重量感を、力むことなく出力できる現代楽器の機能性が、そのままハイドンに相応しい自然美となっている。協奏交響曲も典雅にして優雅。 ラトルという指揮者の表現意欲とサービス精神に旺盛なスタイルが、これらのハイドンをとても魅力的なものにしている。ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団によるハイドンの録音というのは、珍しいと思うのだが、さすが一流の職人集団で、ただちにこれらの楽曲を自分たちのふところに取り込んだ感もある。 録音において、より分離の良い瑞々しさが欲しいところも残ることと、最初に書いた通り、編集方針に異議があることはあるが、演奏そのものにはまったく不満はなく、存分にハイドンの交響曲の楽しさを味わえるアルバムとなっている。 |
![]() |
交響曲 第88番「V字」 第89番 第92番「オックスフォード」 クイケン指揮 ラ・プティット・バンド レビュー日:2021.2.15 |
★★★★☆ ピリオド奏法ながらクセを感じさせない自然なハイドン
ベルギーのヴァイオリニストであり指揮者でもあるシギスヴァルト・クイケン(Sigiswald Kuijken 1944-)が、自身がベルギーに設立した古楽合奏団、ラ・プティット・バンドを指揮して、1991年に録音したハイドン(Franz Joseph Haydn 1732-1809)の交響曲集。以下の3曲を収録している。 1) 交響曲 第88番 ト長調 「V字」 2) 交響曲 第89番 ヘ長調 3) 交響曲 第92番 ト長調 「オックスフォード」 クイケンの指揮は、楽器本来の自然な音色を大事にしながら、急速部分にける快活なテンポと明瞭なフレージングで、健康的な音楽を導き出している。編成は大きくはないが、それによる出力不足を感じさせない音量もあり、好ましい。 クイケンの演奏に限った話ではないが、ピリオド楽器による演奏の魅力は、急速楽章に集中的に顕れている。楽器の能力的な制約から、必然的に導かれる運動性と躍動性が、音を重くさせることなく得られており、古典的な響きの中で、一つの収れんされた様式美が導かれていて分かりやすい。このクイケンの演奏は、特にクセがなく、明朗な形でそれが達成されているところが魅力だろう。 また、舞曲的楽章においては、アクセントの効果が明瞭となることで、全体に溌溂とした感覚が満ち、フレーズとフレーズの切れ目も分かりやすく示されているだろう。収録曲中では、交響曲第88番の第3楽章に、その効果がはっきりと感じられる。 もちろん、それとひきかえに失われるものもある。交響曲第92番は、それぞれの楽章の性格が強められて、それまでの交響曲から一歩進んだ表現性が獲得された名品であるが、その名品らしさ、薫りの深さと言う点では希薄さがある。特に第1楽章の序奏は、あまりにも淡々としていて、重みの無さがさびしく感じられてしまう。そういった点を踏まえると、ピリオド楽器による演奏は、むしろそれより前の交響曲のスタイルにおいて、欠点の露出がなく、適しているように思う。 録音が明瞭で、管楽器のソノリティがリアルに捉えられている点は当盤の良い面である。屈託のない伸びやかな音色は、どこかに負担をかけることなく、心地よく耳に届く。 |
![]() |
交響曲 第90番 第92番「オックスフォード」 ファイ指揮 ハイデルベルク交響楽団 レビュー日:2020.10.7 |
★★★★★ 活力と魅力に溢れたハイドンの名交響曲
トーマス・ファイ(Thomas Fey 1960-)指揮、ハイデルベルク交響楽団による、ハイドン(Joseph Haydn 1732-1809)の交響曲全集企画の一環として録音されたもの。以下の楽曲を収録。 1) 交響曲 第92番 ト長調 Hob.I-92 「オックスフォード」 2) 交響曲 第90番 ハ長調 Hob.I-90 交響曲第92番は2010年、第90番は2011年の録音。 ハイデルベルク交響楽団は、現代楽器をベースとしながら、ホルン、ティンパニ、トランペットはピリオド楽器という編成。ファイの指揮は、ピリオド奏法に準拠したもので、弦楽器にはノンヴィブラート奏法を用いさせている。 解釈は、たいへん活力豊かな音楽像を目指したものと言えるだろう。 交響曲第92番「オックスフォード」は、最近ではすっかり「名曲」のカテゴリに仲間入りしたかと思われるが、ファイの指揮の雄弁さは、さらにそこにいろいろ付け加えたいもの、主張を強めたいものがある、と訴えている。両端の急速楽章において、ファイのスタイルは一層強調されており、力強さと速さを尊び、その瞬時の中にエネルギーの脈動を流し込む。ティンパニのリフ、それに沿うトランペットには、瞬発的な発色を求め、たいへん華やかだ。主旋律を担う弦楽合奏も、刻みが鋭く、瞬発力のある表現で躍動する。このスリリングな味わいこそフェイのハイドンの魅力であろう。第2楽章では木管の潤いある響き、第3楽章の明朗なリズムも好ましいが、終楽章で、再び疾風のようにひた走る楽想こそが、この演奏の醍醐味だろう。 交響曲第90番は、ハイドンの交響曲群の中では目立たない存在かもしれないが、ファイのアグレッシヴな表現はそこにも一石を投じたと言える成果を得ている。各楽器の表現が意欲的で、生気に満ちていることが、そのまま楽曲の魅力を強調することになる。この交響曲の終楽章で、ハイドンは、全休符を用い、「あれ、曲が終わったのかな?」と聴衆をだます「仕掛け」を施しているのだが、ファイは全力で、真正面からその音楽を表現する。あるいは、もっとユーモアに繋がるようなニュアンスを加えてもいいのでは?と思う人がいても不思議ではないが、結果としてファイの奏でる交響曲第90番は、堂々たる雰囲気を帯びた古典の王道のように鳴り響いており、頼もしい。リピートは省略せず行っている。だが、ファイの演奏は「長さ」を感じさせない。真面目にやり切った上で、聴衆を楽しませる愉悦性に結び付けている。 |
![]() |
交響曲 第93番 第94番「驚愕」 第95番 ヘルビッヒ指揮 ドレスデン・フィルハーモニー管弦楽団 レビュー日:2021.5.12 |
★★★★★ ハイドンの交響曲の真骨頂を伝える名演
チェコスロバキアで生まれ、東ドイツを中心に活躍した指揮者、ギュンター・ヘルビッヒ(Gunther Herbig 1931-)が、1972年から1977年まで芸術監督を務めたドレスデン・フィルハーモニー管弦楽団と録音したハイドン(Joseph Haydn 1732-1809)の交響曲集。当盤には下記の楽曲が収録されている。 1) 交響曲 第93番 ニ長調 Hob.I-93 2) 交響曲 第94番 ト長調 Hob.I-94 「驚愕」 3) 交響曲 第95番 ハ短調 Hob.I-95 1975年の録音。 とても魅力的な録音。現代では、ピリオド楽器による刺激成分を増量した演奏の方が批評家に好評のようだが、そのような演奏を聴く場合、私は併せて当番のような、現代楽器のソノリティを自然に引き出した演奏も、併せて聴くべきだと思う。なぜなら、その風合いと格調は、ピリオド奏法とは異なる魅力をもっており、それゆえの愉悦や美しさを存分に湛えており、かつそれらが音楽的に高い価値を持っていると感じられるからだ。 交響曲第93番は、機智と暖かみに富んだ表現で、ハイドンの交響曲、かくあるべしという響きに満ちている。弦楽器の硬くなり過ぎない響きが、颯爽と早目のテンポで爽快に流れていくが、大らかさと機敏さの使い分けによる豊かな奔流を感じさせるところが素晴らしい。しなやかな躍動感と、輪郭の柔らかな弦楽のトーンの相性は素晴らしく、交響曲として高いステイタスを感じさせる演奏だ。 交響曲第94番は、序奏のあとの快活な部分での爽やかな運びが無類である。過度に刺激的でない分、音楽の高尚さがキープされ、その高雅さに相応しい芳香を湛えながら進む様は、名曲ならではの豊かな聴きごたえを包括している。緩徐楽章の弦楽合奏の瑞々しい響きは、情感に溢れ、無味乾燥なところは一つもない。 交響曲第95番はわけても名演だ。短調の楽曲ならではの相貌を描き出し、場面展開の劇性、トーンの連続的な変化が美しい。第3楽章のピチカートと木管の交錯は、響きに高級感があり、味わいが濃い。終楽章は白眉と言って良く、弦楽器陣と管楽器陣の清涼感あふれるやり取りの中、長調と短調の交錯にかかわる全体のトーンの変化が美しく、この作品の魅力を存分に味わわせてくれる。 いくらピリオド楽器による演奏に批評家の人気が集まったとしても、音楽フアンとして、当盤のような名演奏を忘れるわけにはいかない。 |
![]() |
交響曲 第93番 第94番「驚愕」 第95番 第96番「奇跡」 第97番 第98番 第99番 第100番「軍隊」 第101番「時計」 第102番 第103番「太鼓連打」 第104番「ロンドン」 ミンコフスキ指揮 レ・ミュジシャン・デュ・ルーヴル(ルーヴル宮音楽隊) レビュー日:2011.12.9 |
★★★★☆ 総じて素晴らしい!ただ,判断保留にしたいところがあります
ルク・ミンコフスキ(Marc Minkowski 1962-)指揮、レ・ミュジシャン・デュ・ルーヴル(ルーヴル宮音楽隊)によるハイドン(Franz Joseph Haydn 1732-1809)のロンドン交響曲集(93~104番;「ザロモン・セット」と同意)。ハイドン没後200年にあたる2009年の録音。 さてさて、随分と議論のネタになりそうなアルバムである。スリリングでとても面白い演奏だと思うが、その一方で疑問点も残っており、現時点で私自身の評価にも迷いがある。これらの演奏には、新しい試みがいくつかある。交響曲第103番「太鼓連打」(パウケンシュラーク)の冒頭のティンパニの即興、ハイドンがイメージしたイギリスの軍楽のイメージとの間に乖離があるとは思うけれど、実に華やかで面白い。鮮烈な効果であり、私は肯定的に聴いた。また、交響曲第98番の終楽章では、ハープシコードの楽しいカデンツァが挿入されており、これまた一興ある。 しかし、賛否がくっきり分かれそうなのは、交響曲第94番「驚愕」の第2楽章。この楽章を特徴づける弦の弱音による主題提示のあとの「強烈なティンパニを伴うフォルテ音」は、当時演奏会中に眠っていたり、おしゃべりをしていたりする聴衆への「音楽的いたずら」として考案されたもの。ところが、この「ジャン!」という合奏音を、この演奏では楽団員の「叫び声」で置換しているのだ。これはどうだ?確かにびっくりする。というより、なにか再生機が故障したのではないか、と思ってしまう。だが、演奏会での一回限りでのジョークなら、私もウェルカムであったのだけれど、このようなCDとして、ある程度長い時間軸での価値を問われるメディアにおいて、このような一過性のジョークをわざわざ盛る必要があるのか、ということである。もちろん、録音には時点観測的な「記録」という面もある。しかしそうであっても、例えばこの叫び声のない通常バージョンを併録するような配慮があっても良かったのではないか?(一応、正規のスコアでリピートはしているが・・・)私がこだわるのは(異論もあるかもしれないが)、今回収録されている叫び声が、私には「音楽的」には聴こえないし、どちらかというと、騒音とも言える「金切り声」に分類されると思うからだ。 しかし、演奏が素晴らしいことは確か。なんといっても勢いがある。心地よいスピード感を保ちつつも量感の豊かな幅のある音色で、ピリオド楽器オーケストラとは思えないような太いうねりを感じ取れる。そのため、部分的に木管のフレーズが埋もれてしまうところが少しあるのだけれど、全体の流れで押し切ってくれているので、強く指摘するほどには気にならない。 交響曲第104番「ロンドン」はハイドンが辿りついた古典派交響曲の究極作品と言える傑作だが、このミンコフスキの躍動感にみちた活力に溢れる演奏には、光彩陸離たる自信が漲っていて素晴らしい。いくつか疑問点を保留しながらも、全体的な評価として、このアルバムを推すことには、躊躇はない。 |
![]() |
交響曲 第93番 第94番「驚愕」 第95番 第96番「奇跡」 第97番 第98番 第99番 第100番「軍隊」 第101番「時計」 第102番 第103番「太鼓連打」 第104番「ロンドン」 ファイ指揮 ハイデルベルク交響楽団 シュピルナー指揮(第101番のみ) レビュー日:2020.10.19 |
★★★★★ 両端楽章の活力に溢れた推進力が抜群の魅力。トーマス・ファイによるザロモン・セット
トーマス・ファイ(Thomas Fey 1960-)指揮、ハイデルベルク交響楽団による、ハイドン(Joseph Haydn 1732-1809)の後期交響曲集。収録内容は以下の通り。 【CD1】 1) 交響曲 第93番 ニ長調 Hob.I-93 2009年録音 2) 交響曲 第94番 ト長調 Hob.I-94 「驚愕」 1999年録音 3) 交響曲 第103番 変ホ長調 Hob.I-103 「太鼓連打」 2013年録音 【CD2】 4) 交響曲 第95番 ハ短調 Hob.I-95 2001年録音 5) 交響曲 第96番 ニ長調 Hob.I-96 「奇跡」 2009年録音 6) 交響曲 第97番 ハ長調 Hob.I-97 2009年録音 【CD3】 7) 交響曲 第98番 変ロ長調 Hob.I-98 2013年録音 8) 交響曲 第99番 変ホ長調 Hob.I-99 2013年録音 9) 交響曲 第100番 ト長調 Hob.I-100 「軍隊」 2013年録音 【CD4】 10) 交響曲 第101番 ニ長調 Hob.I-101 「時計」 2015年録音 11) 交響曲 第102番 変ロ長調 Hob.I-102 2012年録音 12) 交響曲 第104番 ニ長調 Hob.I-104 「ロンドン」 1999年録音 なお、収録曲中、第101番のみ、コンサートマスターであったベンジャミン・シュピルナー(Benjamin Spillner 1978-)が指揮を担っている。 録音年が示す通り、当盤は、ファイとハイデルベルク交響楽団によるハイドンの交響曲全集プロジェクトの中で別個に録音されたものを、抜粋して編集したものである。元となる全集企画に完遂が見えてきた頃、まったく予期していなかった悲劇が襲う。2014年、ファイが自宅内で転倒して重症を負い、指揮活動の継続が困難となってしまったのだ。そのため、シュピルナーが、当盤中の時計交響曲を含む未収録作品について、指揮を担って、現在プロジェクトの完遂を目指している(シュピルナーの起用は暫定的で、ヨハネス・クルンプ(Johannes Klumpp 1980-)が引き継ぐとの報もある)。 交響曲101番の演奏を聴くと、そのことに思いを馳せて、様々なことを感じてしまう。ファイ自身と関係者の無念は如何ばかりかと思うが、一音楽フアンとして、再起を願いたい。 さて、録音内容であるが、なかなか素晴らしいハイドンの交響曲集である。シュピルナーが継いだ101番も含めていずれも気持ちよく、ハイドンの音楽がもつ真摯な古典性を堅牢かつ闊達に表現したものだ。おそらくファイのハイドンに関する表現方法がオーケストラの団員の血肉に染みついているのだろう。そう思わせてくれる。 オーケストラは、現代楽器をベースとしながらホルン、ティンパニ、トランペットにはピリオド楽器を用いた編成で、ファイの指揮はノン・ヴィブラートを主体とするピリオド奏法を応用している。両端楽章の急速部分がアグレッシヴでスピーディーなこと、メヌエットでは、トリオをゆったりと響かせ、楽曲の規模を大きく感じさせることなどが特徴と言える。緩徐楽章や序奏部は、ノン・ヴィブラートゆえの硬さや重さを感じさせてしまうが、表現としては一貫しており、楽しい聴き味がある。ハイドンのユーモアに対しては、やや真面目過ぎる感もあるが、古典の名作を聴くと言う点では、それは落ち着きと捉えることも出来るし、少なくとも私はその解釈を十分に好意的に感じる。 個人的な印象の強さで言うと、まず第99番。第1楽章におけるこまやかなフレーズの生気に溢れた表現が抜群で、スリリング。終楽章の疾風のような鮮やかさも忘れがたく、この交響曲が名作であることを再認識させてくれる。第97番も大成功。特に両端楽章の鮮やかな推進性は、豊かで、内発的なエネルギーに溢れている。ハイドンの交響曲がもつ勇壮な要素に焦点を当て、そのまま力強く押し切ったもので、多少粗くなったり、ウィットの要素が減じられたりするのは承知の上で、ドイツ的なエネルギーを充填し、開放している。その聴き味は、ベートーヴェン的な熱の発散を感じさせる。 交響曲第100番は木管の発色性豊かな演奏が心憎いほど効果を上げている。なるほど、この交響曲には、このような表現方法もあったのか、と感嘆させてくれる。前述の通りシュピルナーが代行した第101番も素晴らしい名演だ。中間2楽章は、気持ち表現が穏当になっているかもしれないが、それは先入観がもたらした悪戯なのかもしれないし、そうでなかったとしても、聴き味を損なう要素ではなく、むしろ古典的なバランスが貴ばれたとも感じられる。第102番の緩徐楽章のエッジの利いた表現と比較すると、スタイルの違いがほんの少しあるようにも思う。 第93番、第96番、第98番、第100番は、序奏やテンポの遅い部分で、やや硬さがめだち、時々音色が無表情になるところがあるが、それはピリオド奏法ゆえの必然であり、解釈の前提ゆえに許容すべき部分であろう。むしろ、快活な部分とのメリハリが強調されたと肯定的に捉えた方が、楽しく聴けるだろう。第103番のティンパニは意外と保守的な表現だが、これも全体的な解釈から導かれたものだろう。当演奏では、第2楽章の愉悦性に満ちた変奏が肝要なところとも感じられる。 シリーズ最初のころに録音された第94番、第104番は、ハイドンの交響曲のうちでは最も効き馴染まれた2曲だろう。それらの録音で、すでにファイの主張は明瞭だ。活力豊かで、本格的で、両端楽章はエッジの利いた輝かしい響きでグイグイと引っ張る。その前進性がなによりの特徴だ。結果として、ハイドンのこれらの交響曲を、まるでベートーヴェンの作品であるかのように、勇壮に鳴り響かせていることに成功している。 ファイが全集途中で舞台を退いたのは無念この上ないが、シュピルナーもしくはクルンプとこの素晴らしいオーケストラが、全集を完結することを切に望む。 |
![]() |
交響曲 第93番 第94番「驚愕」 第95番 第96番「奇跡」 第97番 第98番 第99番 第100番「軍隊」 第101番「時計」 第102番 第103番「太鼓連打」 第104番「ロンドン」 ヘルビッヒ指揮 ドレスデン・フィルハーモニー管弦楽団 レビュー日:2021.6.23 |
★★★★★ 現代楽器の優美な響きと、健康な明朗性でしなやかに描かれたハイドン。名演です。
チェコスロバキアで生まれ、東ドイツを中心に活躍した指揮者、ギュンター・ヘルビッヒ(Gunther Herbig 1931-)が、1972年から1977年まで芸術監督を務めたドレスデン・フィルハーモニー管弦楽団と録音したハイドン(Joseph Haydn 1732-1809)の後期交響曲集。当盤には4枚のCDに以下の様に各曲が収録されている。 【CD1】 1) 交響曲 第93番 ニ長調 Hob.I-93 1975年録音 2) 交響曲 第94番 ト長調 Hob.I-94 「驚愕」 1975年録音 3) 交響曲 第95番 ハ短調 Hob.I-95 1975年録音 【CD2】 4) 交響曲 第96番 ニ長調 Hob.I-96 「奇跡」 1974年録音 5) 交響曲 第97番 ハ長調 Hob.I-97 1974年録音 6) 交響曲 第98番 変ロ長調 Hob.I-98 1975年録音 【CD3】 7) 交響曲 第99番 変ホ長調 Hob.I-99 1975年録音 8) 交響曲 第100番 ト長調 Hob.I-100 「軍隊」 1974年録音 9) 交響曲 第101番 ニ長調 Hob.I-101 「時計」 1974年録音 【CD4】 10) 交響曲 第102番 変ロ長調 Hob.I-102 1974年録音 11) 交響曲 第103番 変ホ長調 Hob.I-103 「太鼓連打」 1974年録音 12) 交響曲 第104番 ニ長調 Hob.I-104 「ロンドン」 1974年録音 とても魅力的な録音。現代では、ピリオド楽器による刺激成分を増量した演奏の方が批評家に好評のようだが、そのような演奏を聴く場合、私は併せて当番のような、現代楽器のソノリティを自然に引き出した演奏も、併せて聴くべきだと思う。なぜなら、その風合いと格調は、ピリオド奏法とは異なる魅力をもっており、それゆえの愉悦や美しさを存分に湛えており、かつそれらが音楽的に高い価値を持っていると感じられるからだ。 交響曲第93番は、機智と暖かみに富んだ表現で、ハイドンの交響曲、かくあるべしという響きに満ちている。弦楽器の硬くなり過ぎない響きが、颯爽と早目のテンポで爽快に流れていくが、大らかさと機敏さの使い分けによる豊かな奔流を感じさせるところが素晴らしい。しなやかな躍動感と、輪郭の柔らかな弦楽のトーンの相性は素晴らしく、交響曲として高いステイタスを感じさせる演奏だ。 交響曲第94番は、序奏のあとの快活な部分での爽やかな運びが無類である。過度に刺激的でない分、音楽の高尚さがキープされ、その高雅さに相応しい芳香を湛えながら進む様は、名曲ならではの豊かな聴きごたえを包括している。緩徐楽章の弦楽合奏の瑞々しい響きは、情感に溢れ、無味乾燥なところは一つもない。 交響曲第95番は、とりわけ名演。短調の楽曲ならではの相貌を描き出し、場面展開の劇性、トーンの連続的な変化が美しい。第3楽章のピチカートと木管の交錯は、響きに高級感があり、味わいが濃い。終楽章は白眉と言って良く、弦楽器陣と管楽器陣の清涼感あふれるやり取りの中、長調と短調の交錯にかかわる全体のトーンの変化が美しく、この作品の魅力を存分に味わわせてくれる。 交響曲第96番は、ハイドンの書いた名品の一つであるが、中でも壮大なクライマックスを持つ第2楽章のアンダンテが白眉と言って良い。ヘルビッヒは、気風に満ちた音を作り上げ、心地よいテンポで、この音楽にふさわしいスケール感を描き出す。トゥッティによる音楽の高揚感は素晴らしいが、特に弦楽器陣のしなやかかつ伸びやかな響きが無類にマッチしており、この曲の代表的録音と呼ぶにふさわしい。両端楽章の活力に満ちた響きも魅力いっぱい。 交響曲第97番は、キビキビした運動的な前進力が魅力。もちろん、ヘルビッヒのハイドンは、いずれも両端楽章を早目のテンポ設定で、豊かに描きあげているのであるが、この曲でも、そのスタイルがチャームな味わいとなり、聴き手の耳を楽しませてくれる。特に終楽章は、ストレートな楽想でありながら、色彩感が加えられ、音楽の鮮度が増した感はある。 交響曲第98番は、短調の重厚な序奏に始まる。主部に入るや勢いのある音楽が心地よく流れていく。第2楽章は悲劇的なものを秘めた深い音楽だが、このような音楽でこそ、ヘルビッヒとドレスデン・フィルが作り出す真摯な音色は冴える。ハイドンの交響曲にはユーモアの要素があって、それらはピリオド楽器に表現適性があるとされる場合があるが、私個人的には、ハイドンの交響曲にユーモアの要素があることに異論はないものの、あえて、録音でその点を強調する必要があるのかは疑問に思う。むしろ、ハイドンのユーモアは、真面目に演奏してこそ、滲む様に伝わるべき品を伴ったもので、わざわざ劇場的な手法で色付けする必要はないのではないだろうか。ヘルビッヒの演奏を聴いていて、そのような感を強く持った。終楽章も、規模は大きくないが、独奏ヴァイオリンやハープシコードの音色の交錯が明るく響き、ハイドンの交響曲らしさに満ちている。 交響曲第99番は、第1楽章がことに瑞々しく響く。序奏部の豊かな響きを踏まえて開始される主部は快速で、柔らかくも透明な弦楽器に主導され、華やかかつのびやかに音楽が展開していく。快活に弾むリズムに刺激されて、楽しい気持ちいっぱいに突き進む音楽は、魅力がいっぱい。ちなみに、私は特に第99番という楽曲が大好きで、特に第99番の序奏が終わって、主部が開始されるあたりのワクワク感は、ハイドンの交響曲群の中でも随一を争うものだと思っている。中間楽章は、ハイドンの後期の作品群の中では目立つものではないが、あっさりしながらも、現代楽器の伸びやかな響きで味わい深く掘り下げられており、好ましい。特に第3楽章の中間部は、木管の伸縮性ある響きと柔らかな弦があいまって、極上の聴き味。終楽章はあっさりと品よく仕上がっている。 交響曲第100番は、堂々たるオーソドックスな響き。「軍隊」という愛称に引きずられることなく、真摯に音を刻んだ「いぶし銀」といった雰囲気。聴き手によっては、よりユーモラスな要素を求めるかもしれないが、私としては、ハイドンのユーモアは、そこまで積極的に強調する必要はないと思うし、特に録音芸術であれば、当演奏のスタイルこそふさわしいと思うから、とてもしっくり行く演奏だ。 交響曲第101番は、第1楽章の序奏部から軽さと豊かさのブレンド感が見事である、主部に入ってからの快活な疾走は、弦楽器陣の表現性が適度に宿り、ほどよい色調で仕上がっている。テンポはやや速めであるが、細部は精密で、崩れるようなところはなく、透明感に満ちていて清々しい。第2楽章は「時計」の名の元となった音楽。まずは穏当な名演であるが、中間部のふくらみのある音圧は、現代楽器ならではの聴き味あろう。優美な第3楽章、快活な第4楽章と、楽曲の性格を活かしながら、ヘルビッヒの平衡感覚の鋭さを感じさせるバランスが維持されていて、全体的なまとまりも説得力を感じさせるもの。 交響曲第102番は、情緒表現に秀でた作品であり、いよいよ現代楽器の特性が十全に発揮される。序奏のさりげないながら陰影のある響き、快速な主部は、あふれるスピード感の中であっても、情感や潤いを感じさせる響きが横溢しており、つねに音楽的に響く。第2楽章は哀しみを湛えた緩徐楽章であるが、ここでも弦楽器陣を中心とした内省的な表現の掘り下げが感じられ、結果的に聴き手に大きな感動をもたらしてくれる。第3楽章の伸びやかな表現も自然美を極めたようでありながら、したたかな情感のうら支えがあり、その巧妙さが聞き味を深めてくれる。終楽章では一気に下る清流のよう。マイナスイオンに満ちた明るい森林のイメージと言ったら近いだろうか。また、ここでは、木管とティンパニのまろやかな響きが忘れがたいものとなる。 交響曲第103番は、特に第1楽章の俊敏さが特徴だ。颯爽、爽快といったキーワードを思いつくが、弦の柔らかで連続的な響きは、透明でありながら、情感に満ちており、飛ばし過ぎて情緒が圧殺されるようなことは決してない。本来的な、演奏者の良心や演奏家の心の豊かさを感じさせる響きであり、私がこれらの音楽を聴いていて「感じたい」と思うものが、大切にされているという安心感がある。ハイドンの交響曲は、おそらくそういう作品なのではないだろうか?緩徐楽章の憂い、メヌエットに質感の保たれた響きとも万全。終楽章は、華やかなリズム感をベースに、快活で、味わいにも不足の無い音楽が一気に流れていく。幸福感に満ちた演奏といえる。 交響曲第104番は、例によって第1楽章は速め。とはいっても弦と管のやりとりにニュアンスの不足はなく、輝かしい音色とともに、掘り下げもあり、存分の聴きごたえ。第2楽章では木管がチャーミングな響きを楽しませる。第3楽章は、縦線を意識した明瞭な音感が相応しく、凛々しくも美しい。以後の交響曲の発展の予兆をも感じさせる表現と思う。終楽章も素晴らしい。元来が魅力的な音楽であることは疑いないが、ヘルビッヒとドレスデン・フィルは、圧倒的ともいえる快活さを表現し、曲想に応じたトーンも鮮やかに切り替える。その気持ち良さは比類ない。この1曲を聴くだけで、ヘルビッヒのハイドンの録音は、ぜひ名録音として世に伝わるべきものであることが確信できる。 ハイドンの交響曲の録音においては、現代ではピリオド楽器による録音に批評家の評価が集まる傾向があるが、その前に当盤のような現代楽器による素晴らしい名演があることを、ぜひ知るべきである。ヘルビッヒのハイドンは、私にとって、ハイドンかくあるべしと思えるような、理想的な演奏である。 |
![]() |
交響曲 第93番 第96番「奇跡」 第97番 ファイ指揮 ハイデルベルク交響楽団 レビュー日:2020.9.3 |
★★★★★ 勇壮な力強さを引き出したファイのハイドン
トーマス・ファイ(Thomas Fey 1960-)指揮、ハイデルベルク交響楽団による、ハイドン(Joseph Haydn 1732-1809)の交響曲全集企画の一環として録音されたもの。以下の楽曲を収録。 1) 交響曲 第93番 ニ長調 Hob.I-93 2) 交響曲 第96番 ニ長調 Hob.I-96 「奇跡」 3) 交響曲 第97番 ハ長調 Hob.I-97 2009年の録音。 最初に書いておくと、当該全集企画については、2014年、ファイが自宅内で転倒し、重症を負い、指揮活動の継続が困難となったため、当初の予定の形で完結することは非常に難しい状況となっている。ファイ自身の関係者の無念は如何ばかりかと思うが、その芸術に再び接することが来る日を願わずにはおれない。 さて、演奏である。 ハイデルベルク交響楽団は、現代楽器をベースとするが、ホルン、ティンパニ、トランペットにはピリオド楽器を用いている。そして、ファイの指揮は、いわゆるピリオド奏法を応用したものであり、弦楽器のノンヴィブラートな響きにそれが象徴的である。ファイの指揮は、活力豊かで、特に両端楽章は、エッジの利いた輝かしい響きで、グイグイと引っ張るような前進性に満ちたもの。結果として、ハイドンのこれらの交響曲を、まるでベートーヴェンの作品であるかのように勇壮に鳴り響かせている。 交響曲第93番は冒頭の合奏音から強く、太い印象である。展開部は早さをたっとびながら、弦楽器の輝かしさを前面に押し出して、輝かしく響かせる。中間楽章でも、テンポは穏当ながら、響かせ方に関しては同じで、やや硬いところもあるが、ティンパニの合いの手などがとても強靭で真面目な点が印象に残る。「真面目」という点では終楽章も一緒で、ハイドンの音楽に含まれる一種のコミカルな要素については、あえて考慮せず、凛々しいドイツ的な響きで押し通したような力演になっている。 交響曲第96番も序奏から規模の大きさを感じさせる。やがて疾走が始まるが、弦楽器陣の強靭な音色はたくましく、やや粗さを感じさせつつも逞しく駆け巡る。アクセントも強めだが、その音量は制御するというより、自由な開放を感じさせ、そのことが、爽快感に作用するよう、まっすぐに押し通したような解釈で、面白い。細部まで練り上げずとも、劇性は十分に得られるということを、確信犯的に実行しているように思う。 交響曲第97番は、楽曲の性格もあって、もっとも多くの人に成功と感じさせる内容になっていると思う。特に両端楽章の鮮やかな推進性は、豊かで、内発的なエネルギーに溢れている。これらの演奏は、ハイドンの交響曲がもつ勇壮な要素に焦点を当て、そのまま力強く押し切ったものという印象が強い。多少粗くなったり、ウィットの要素が減じられたりするのは承知の上で、ドイツ的なエネルギーを充填し、開放したのであろう。その結果、音楽の聴き味は、ベートーヴェン的な熱の発散を感じさせるものとなっている。ノンヴィブラートの弦楽器の音が時に硬く感じられるものの、抗いがたい魅力を感じる演奏であり、重ね重ね、全集プロジェクトの中座が惜しまれる。 |
![]() |
交響曲 第94番「驚愕」 第100番「軍隊」 第101番「時計」 ヘルビッヒ指揮 ドレスデン・フィルハーモニー管弦楽団 レビュー日:2021.7.2 |
★★★★★ 勇壮な力強さを引き出したファイのハイドン
チェコスロバキアで生まれ、東ドイツを中心に活躍した指揮者、ギュンター・ヘルビッヒ(Gunther Herbig 1931-)が、1972年から1977年まで芸術監督を務めたドレスデン・フィルハーモニー管弦楽団と録音したハイドン(Joseph Haydn 1732-1809)の交響曲集。当盤には下記の楽曲が収録されている。 1) 交響曲 第96番 ニ長調 Hob.I-96 「奇跡」 2) 交響曲 第97番 ハ長調 Hob.I-97 3) 交響曲 第100番 ト長調 Hob.I-100 「軍隊」 1974年の録音。 最近では、ピリオド楽器による演奏が幅を利かしているハイドンの交響曲録音であるが、もし、ピリオド楽器の演奏でしか聴いたことがない、ということであれば、是非当録音のような、素晴らしい現代楽器の響きを活かした名演奏も聴くべきである。ヘルビッヒという指揮者の名前は、あまり知られていないが、堅実で、流れの良い演奏をする人で、健康的で歌に満ちたハイドンが描かれている。 交響曲第96番は、ハイドンの書いた名品の一つであるが、中でも壮大なクライマックスを持つ第2楽章のアンダンテが白眉と言って良い。ヘルビッヒは、気風に満ちた音を作り上げ、心地よいテンポで、この音楽にふさわしいスケール感を描き出す。トゥッティによる音楽の高揚感は素晴らしいが、特に弦楽器陣のしなやかかつ伸びやかな響きが無類にマッチしており、この曲の代表的録音と呼ぶにふさわしい。両端楽章の活力に満ちた響きも魅力いっぱい。 交響曲第97番は、キビキビした運動的な前進力が魅力。もちろん、ヘルビッヒのハイドンは、いずれも両端楽章を早目のテンポ設定で、豊かに描きあげているのであるが、この曲でも、そのスタイルがチャームな味わいとなり、聴き手の耳を楽しませてくれる。特に終楽章は、ストレートな楽想でありながら、色彩感が加えられ、音楽の鮮度が増した感はある。 交響曲第100番は、堂々たるオーソドックスな響き。「軍隊」という愛称に引きずられることなく、真摯に音を刻んだ「いぶし銀」といった雰囲気。聴き手によっては、よりユーモラスな要素を求めるかもしれないが、私としては、ハイドンのユーモアは、そこまで積極的に強調する必要はないと思うし、特に録音芸術であれば、当演奏のスタイルこそふさわしいと思うから、とてもしっくり行く演奏だ。 いずれの楽曲も、ハイドンの交響曲演奏として、一時代前のスタイルに感じられるかもしれないが、その魅力は、まったく色褪せたところはなく、今なお、一流の名演と呼ぶにふさわしい。 |
![]() |
交響曲 第96番「奇跡」 第97番 第100番「軍隊」 ヘルビッヒ指揮 ドレスデン・フィルハーモニー管弦楽団 レビュー日:2021.6.21 |
★★★★★ 再編集版のため、他規格盤との比較をオススメします。内容は文句なし
チェコスロバキアで生まれ、東ドイツを中心に活躍した指揮者、ギュンター・ヘルビッヒ(Gunther Herbig 1931-)が、1972年から1977年まで芸術監督を務めたドレスデン・フィルハーモニー管弦楽団と録音したハイドン(Joseph Haydn 1732-1809)の交響曲集。当盤には下記の楽曲が収録されている。 1) 交響曲 第94番 ト長調 Hob.I-94 「驚愕」 1975年録音 2) 交響曲 第100番 ト長調 Hob.I-100 「軍隊」 1974年録音 3) 交響曲 第101番 ニ長調 Hob.I-101 「時計」 1974年録音 当盤は、初版では別々のアルバムに収録されていた楽曲を集めて1枚とした再編集版である。私見であるが、ヘルビッヒのハイドンは素晴らしく、できれば、後期の12曲を総て収録したBox-setで聴いて頂きたいと思うが、もちろんそれは聴き手の自由だし、この3曲だでけで十分という方には、もちろんオススメできるアイテムだ。 交響曲第94番は、序奏のあとの快活な部分での爽やかな運びが無類である。過度に刺激的でない分、音楽の高尚さがキープされ、その高雅さに相応しい芳香を湛えながら進む様は、名曲ならではの豊かな聴きごたえを包括している。緩徐楽章の弦楽合奏の瑞々しい響きは、情感に溢れ、無味乾燥なところは一つもない。 交響曲第100番は、堂々たるオーソドックスな響き。「軍隊」という愛称に引きずられることなく、真摯に音を刻んだ「いぶし銀」といった雰囲気。聴き手によっては、よりユーモラスな要素を求めるかもしれないが、私としては、ハイドンのユーモアは、そこまで積極的に強調する必要はないと思うし、特に録音芸術であれば、当演奏のスタイルこそふさわしいと思うから、とてもしっくり行く演奏だ。 交響曲第101番は、第1楽章の序奏部から軽さと豊かさのブレンド感が見事である、主部に入ってからの快活な疾走は、弦楽器陣の表現性が適度に宿り、ほどよい色調で仕上がっている。テンポはやや速めであるが、細部は精密で、崩れるようなところはなく、透明感に満ちていて清々しい。第2楽章は「時計」の名の元となった音楽。まずは穏当な名演であるが、中間部のふくらみのある音圧は、現代楽器ならではの聴き味あろう。優美な第3楽章、快活な第4楽章と、楽曲の性格を活かしながら、ヘルビッヒの平衡感覚の鋭さを感じさせるバランスが維持されていて、全体的なまとまりも説得力を感じさせるもの。 いずれも、現代楽器のしなやかさと輝かしさをベースに、運動美に溢れた演奏であり、ハイドンの交響曲に相応しい喜びに満ちている。名演と呼ぶにふさわしい。 |
![]() |
交響曲 第98番 第103番「太鼓連打」 ファイ指揮 ハイデルベルク交響楽団 レビュー日:2020.10.12 |
★★★★☆ ところどころぶっきらぼうな感じもしますが、全体としては、明るく快活な演奏です
トーマス・ファイ(Thomas Fey 1960-)指揮、ハイデルベルク交響楽団による、ハイドン(Joseph Haydn 1732-1809)の交響曲全集企画の一環として録音されたもの。以下の楽曲を収録。 1) 交響曲 第98番 変ロ長調 Hob.I-98 2) 交響曲 第103番 変ホ長調 Hob.I-103 「太鼓連打」 2013年の録音。 最初に書いておくと、当録音の翌年にあたる2014年、ファイは自宅内で転倒して重症を負い、指揮活動の継続が困難となった。そのため、当該ハイドン交響曲全集プロジェクトが当初予定された形で完結することは、非常に難しい状況となっている。ファイ自身と関係者の無念は如何ばかりかと思うが、一音楽フアンとして、再起を願いたい。 ハイデルベルク交響楽団は、現代楽器をベースとするが、ホルン、ティンパニ、トランペットにはピリオド楽器を用いる。そして、ファイの指揮へ、弦をノン・ヴィブラートで鳴らす点など、ピリオド奏法を応用している。そのため、第98番の荘重な冒頭は、ちょっとぶっきらぼうで、無表情にも感じられる。音色も美しいという感じではない。それは、この奏法である以上、ある程度制約的にならざるを得ない面であろう。そのかわり、展開部に入ってくると、フレーズの明晰な表現と、生き生きしたリズム感が供給され、様々な色合いが出てきて、好ましい。第2楽章は、ノン・ヴィブラートという以上に、淡々と響かせた印象で、カンタービレも控えめであるが、第3楽章のメヌエットはファイらしい華やかさで楽しい。第4楽章は、鮮烈。やはりファイとハイデルベルク交響によるハイドン・シリーズは、両端の急速部分にその醍醐味があるのであろう。鮮やかに一筆書きするようなスピードで、抑揚もリズムの中にまとめて、勢いよく進んで、サッと閉じる。スピーディーな響きが魅力であろう。 第103番はティンパニの特徴的な使用が有名だが、ファイはとくに際立った演出を施してはいない。ピリオド奏法の演奏としては、保守的といって良いだろう。序奏は第98番同様に硬い感触であるが、展開がはじめるとともに闊達な勢いに満ちるのは第98番と同様だ。比較的規模の大きい第2楽章の変奏曲は楽しい。変奏ごとに演出の妙があり、リズムにのって次々と到来する場面が、豊かな感触で切り替わっていく。第3楽章はクラリネットが印象的であるが、そのカンタービレはやや控えめであろうか。むしろ舞踏的なアクセントが聴きどころとなるだろう。終楽章は流れの良い奔流のなかで、心地よくエッジを利かせた演出。もちろん、スピードを感じさせる華やかさにも事欠かない。 ピリオド奏法ゆえの武骨さも散見されるが、全体としては、変化も豊かで、相応の効き味を楽しませてくれる演奏になっていると思う。 |
![]() |
交響曲 第98番 第99番 ヘルビッヒ指揮 ドレスデン・フィルハーモニー管弦楽団 レビュー日:2021.5.13 |
★★★★★ 理想的なハイドン演奏
チェコスロバキアで生まれ、東ドイツを中心に活躍した指揮者、ギュンター・ヘルビッヒ(Gunther Herbig 1931-)が、1972年から1977年まで芸術監督を務めたドレスデン・フィルハーモニー管弦楽団と録音したハイドン(Joseph Haydn 1732-1809)の交響曲集。当盤には下記の楽曲が収録されている。 1) 交響曲 第98番 変ロ長調 Hob.I-98 2) 交響曲 第99番 変ホ長調 Hob.I-99 1975年の録音。 収録されている2つの交響曲は、ハイドンの後期の名作群の中では、比較的地味な存在だろう。しかし、私は特に第99番という楽曲が大好きで、特に第99番の序奏が終わって、主部が開始されるあたりのワクワク感は、ハイドンの交響曲群の中でも随一を争うものだと思っている。 そして、このヘルビッヒの演奏も、古典的、王道的で明朗、健やかな、実に気持ちの良い快演奏となっている。 前述の通り、第99番は、第1楽章がことに瑞々しく響く。序奏部の豊かな響きを踏まえて開始される主部は快速で、柔らかくも透明な弦楽器に主導され、華やかかつのびやかに音楽が展開していく。快活に弾むリズムに刺激されて、楽しい気持ちいっぱいに突き進む音楽は、魅力がいっぱい。中間楽章は、ハイドンの後期の作品群の中では目立つものではないが、あっさりしながらも、現代楽器の伸びやかな響きで味わい深く掘り下げられており、好ましい。特に第3楽章の中間部は、木管の伸縮性ある響きと柔らかな弦があいまって、極上の聴き味。終楽章はあっさりと品よく仕上がっている。 第98番は、短調の重厚な序奏に始まる。主部に入るや勢いのある音楽が心地よく流れていく。第2楽章は悲劇的なものを秘めた深い音楽だが、このような音楽でこそ、ヘルビッヒとドレスデン・フィルが作り出す真摯な音色は冴える。ハイドンの交響曲にはユーモアの要素があって、それらはピリオド楽器に表現適性があるとされる場合があるが、私個人的には、ハイドンの交響曲にユーモアの要素があることに異論はないものの、あえて、録音でその点を強調する必要があるのかは疑問に思う。むしろ、ハイドンのユーモアは、真面目に演奏してこそ、滲む様に伝わるべき品を伴ったもので、わざわざ劇場的な手法で色付けする必要はないのではないだろうか。ヘルビッヒの演奏を聴いていて、そのような感を強く持った。終楽章も、規模は大きくないが、独奏ヴァイオリンやハープシコードの音色の交錯が明るく響き、ハイドンの交響曲らしさに満ちている。 ヘルビッヒのハイドンは、私にとって、ハイドンかくあるべしと思えるような、理想的な演奏である。 |
![]() |
交響曲 第101番「時計」 第102番 ヘルビッヒ指揮 ドレスデン・フィルハーモニー管弦楽団 レビュー日:2021.5.28 |
★★★★★ 抒情と風格に満ちたハイドン
チェコスロバキアで生まれ、東ドイツを中心に活躍した指揮者、ギュンター・ヘルビッヒ(Gunther Herbig 1931-)が、1972年から1977年まで芸術監督を務めたドレスデン・フィルハーモニー管弦楽団と録音したハイドン(Joseph Haydn 1732-1809)の交響曲集。当盤には下記の楽曲が収録されている。 1) 交響曲 第101番 ニ長調 Hob.I-101 「時計」 2) 交響曲 第102番 変ロ長調 Hob.I-102 1974年の録音。 風格豊かな堂々たる名演である。最近では、ハイドンの交響曲の録音となると、ピリオド楽器の編成によるものが多く、批評家にも人気が高い。それらが悪いというわけではないが、もしそのような演奏でしかハイドンを聴いたことがないのであれば、是非、当録音も聴くべきである。中音域に厚みのある、柔らかくも輝かしいトーンで磨き上げられたハイドンの、気品に溢れた響きは、また別の魅力に満ちているはずだから。 交響曲第101番は、第1楽章の序奏部から軽さと豊かさのブレンド感が見事である、主部に入ってからの快活な疾走は、弦楽器陣の表現性が適度に宿り、ほどよい色調で仕上がっている。テンポはやや速めであるが、細部は精密で、崩れるようなところはなく、透明感に満ちていて清々しい。第2楽章は「時計」の名の元となった音楽。まずは穏当な名演であるが、中間部のふくらみのある音圧は、現代楽器ならではの聴き味あろう。優美な第3楽章、快活な第4楽章と、楽曲の性格を活かしながら、ヘルビッヒの平衡感覚の鋭さを感じさせるバランスが維持されていて、全体的なまとまりも説得力を感じさせるもの。 交響曲第102番は、情緒表現に秀でた作品であり、いよいよ現代楽器の特性が十全に発揮される。序奏のさりげないながら陰影のある響き、快速な主部は、あふれるスピード感の中であっても、情感や潤いを感じさせる響きが横溢しており、つねに音楽的に響く。第2楽章は哀しみを湛えた緩徐楽章であるが、ここでも弦楽器陣を中心とした内省的な表現の掘り下げが感じられ、結果的に聴き手に大きな感動をもたらしてくれる。第3楽章の伸びやかな表現も自然美を極めたようでありながら、したたかな情感のうら支えがあり、その巧妙さが聞き味を深めてくれる。終楽章では一気に下る清流のよう。マイナスイオンに満ちた明るい森林のイメージと言ったら近いだろうか。また、ここでは、木管とティンパニのまろやかな響きが忘れがたいものとなる。 この素晴らしいハイドンの録音は、永く聴かれるにふさわしい。 |
![]() |
交響曲 第103番「太鼓連打」 第104番「ロンドン」 ヘルビッヒ指揮 ドレスデン・フィルハーモニー管弦楽団 レビュー日:2021.5.13 |
★★★★★ 名演として、世に知られるべき録音
チェコスロバキアで生まれ、東ドイツを中心に活躍した指揮者、ギュンター・ヘルビッヒ(Gunther Herbig 1931-)が、1972年から1977年まで芸術監督を務めたドレスデン・フィルハーモニー管弦楽団と録音したハイドン(Joseph Haydn 1732-1809)の交響曲集。当盤には下記の楽曲が収録されている。 1) 交響曲 第103番 変ホ長調 Hob.I-103 「太鼓連打」 2) 交響曲 第104番 ニ長調 Hob.I-104 「ロンドン」 1974年の録音。 ヘルビッヒのハイドンは、クラシック音楽の本質的な魅力を感じさせてくれるもの。両端楽章は全般に早目のテンポをベースに、さわやかでありながら、滋味豊かな響きに満ちている。 交響曲第103番は、特に第1楽章の俊敏さが特徴だ。颯爽、爽快といったキーワードを思いつくが、弦の柔らかで連続的な響きは、透明でありながら、情感に満ちており、飛ばし過ぎて情緒が圧殺されるようなことは決してない。本来的な、演奏者の良心や演奏家の心の豊かさを感じさせる響きであり、私がこれらの音楽を聴いていて「感じたい」と思うものが、大切にされているという安心感がある。ハイドンの交響曲は、おそらくそういう作品なのではないだろうか?緩徐楽章の憂い、メヌエットに質感の保たれた響きとも万全。終楽章は、華やかなリズム感をベースに、快活で、味わいにも不足の無い音楽が一気に流れていく。幸福感に満ちた演奏といえる。 交響曲第104番は、例によって第1楽章は速め。とはいっても弦と管のやりとりにニュアンスの不足はなく、輝かしい音色とともに、掘り下げもあり、存分の聴きごたえ。第2楽章では木管がチャーミングな響きを楽しませる。第3楽章は、縦線を意識した明瞭な音感が相応しく、凛々しくも美しい。以後の交響曲の発展の予兆をも感じさせる表現と思う。終楽章も素晴らしい。元来が魅力的な音楽であることは疑いないが、ヘルビッヒとドレスデン・フィルは、圧倒的ともいえる快活さを表現し、曲想に応じたトーンも鮮やかに切り替える。その気持ち良さは比類ない。この1曲を聴くだけで、ヘルビッヒのハイドンの録音は、ぜひ名録音として世に伝わるべきものであることが確信できる。 ハイドンの交響曲の録音においては、現代ではピリオド楽器による録音に批評家の評価が集まる傾向があるが、その前に当盤のような現代楽器による素晴らしい名演があることを、ぜひ知るべきである。 |
![]() |
ハイドン 交響曲 第104番「ロンドン」 シューマン 交響曲 第2番 ノリントン指揮 シュトゥットガルト放送交響楽団 レビュー日:2020.6.16 |
★★★★☆ 個性的な解釈で、熱気を孕んだライヴながら、欠点も大きく感じる
ノリントン(Roger Norrington 1934-)指揮、シュトゥットガルト放送交響楽団の演奏で以下の2曲を収録。 1) ハイドン(Joseph Haydn 1732-1809) 交響曲 第104番 ニ長調 Hob. I:104 2) シューマン(Robert Schumann 1810-1856) 交響曲 第2番 ハ長調 op.61 1999年のライヴ録音。 面白い組み合わせであるが、ハイドンが前、シューマンが後ろという組み合わせで聴いてみると、思いのほか流れが良く、その点では新鮮な感じがした。両曲に印象的なファンファーレにも共通するところがあり、その点でも「気づき」をもたらしてくれるアルバムとなっている。 演奏は、現代楽器による演奏でありながら、古楽器演奏の含蓄があるノリントンならではのメリハリ感に加えて、この指揮者特有のフレージングが随所に利かされており、かなり個性的。ちょっとアーノンクールを彷彿とさせるところがある。 ハイドンは、音量の部分的な抑制をまじえて、疎密でいえば「疎」に主体を置いた音響を構築している。厚みに乏しい反面、細やかなアゴーギグを鮮明に繰り出し、楽想の変わるところでのギャップを大きく設けることで、かなり演出めいた響きを導く。また、全体に薄みを感じる響きでありながら、テンポはやや遅めを取ることが多く、結果として、聴いていて重さを感じるところが多い。そういった点でもかなりユニークというか、独特の演奏に感じる。ノリントンの個性が強く出ていると言えばそうだが、その人工的な肌合いが、私の場合、気になるところが多い。 シューマンも響きの質としては同じ。そのことが、終楽章では特に奏功している。アゴーギグの挿入と鮮明な対比の繰り返しによって、畳みかけるように表現される楽想は、いかにもシューマン的な情熱に満ちていて、熱血的だ。この終楽章が終わるや、熱狂的な拍手が鳴るのも、なるほどと感じる。 他方で、やはり欠点も感じるところの多い演奏で、特にオーケストラの技術的な綻びが、一様さを欠くところがあちこちで聴かれる。あえてエディットしなかったというスタイルは、リアル志向という点では評価したい気持ちもあるが、音盤としての完成度として考えると、欠点と言わざるを得ない。またオーケストラの響きは、前述の様々な “ノリントン節” によって、ややギクシャクしたアンバランスさが強調されていて、その結果、意図的なものと偶発的なものが明確に判別できにくくなっている点も考えものだ。 ノリントン特有の積極的な表現で、熱さが巧みに表現された聴き味は面白いが、全体的な演奏レベルは、このオーケストラであれば、もっと高いものを示せたのではないか、と考えられる。 |
![]() |
ピアノ協奏曲 第3番 第4番 第11番 p: アンスネス アンスネス指揮 ノルウェー室内管弦楽団 レビュー日:2013.9.6 |
★★★★☆ 自然発揚的で、柔らかなBGMのようにも聴けるハイドン
アンスネス(Leif Ove Andsnes 1970')のピアノと指揮、ノルウェー室内管弦楽団の演奏によるハイドン(Joseph Haydn 1732-1809)のピアノ協奏曲集。1998年録音。収録曲は以下の通り。 1) ピアノ協奏曲 第4番 ト長調 2) ピアノ協奏曲 第3番 ヘ長調 3) ピアノ協奏曲 第11番 ニ長調 ハイドンの膨大な作品は、オランダの音楽学者ホーボーケン(Anthony van Hoboken 1887-1983)によって整理が行われ、ホーボーケン番号なるものが付されている。その表記の仕方の場合、例えばピアノ協奏曲第11番は“Hob.XVIII-11”と示される。 ハイドンの作品において、クラヴィーアのための協奏曲というのは、それほど重要ではなく、交響曲や弦楽四重奏曲に比べると、作品数自体が絶対的に少ない上に、名曲と呼びうるものも特にはないという状況である。中にあって、比較的やや演奏機会のあるものとして、当該ジャンルでいちばん最後に書かれた第11番があるだろう。この第11番が書かれたのは1782年で、モーツァルト(Wolfgang Amadeus Mozart 1756-1791)がその5年前にすでに名曲ピアノ協奏曲第9番「ジュノム」を書いていたことを考えると、ハイドンの作風は古典的に思える。逆に言うと、それだけモーツァルトが革新的だったわけだが。 また、そもそも全般にハイドンのこれらの協奏曲は、オルガン等による演奏を主に考えられていたものが多く、当初からピアノを想定して書いたものが、第11番だけであったとも考えられている。いずれにしても第11番以外の作品となると、私もほとんど聴いたことがなくて、第3番と第4番の2曲については、私は当盤ではじめて聴くことになった。 これらの3曲のうち、第11番にはハイドン自身の書いたカデンツァが残っており、アンスネスはそれを採用している。また、第3番と第4番の2曲については、アンスネス自身によるカデンツァが弾かれている。 楽曲は、第3番と第4番については、ハイドンの初期らしい室内楽的で安定した和声が調和する音楽で、冒険的なこともなく、サラサラと自然に流れてくもの。自然発揚的な優しさは、ハイドンの音楽の多くに通じるもので、安心して聴いていられるし、BGM的とも言える。第4番の方が聴き映えとしては勝る感じがあり、終楽章の活発な豊かさや、緩徐楽章の簡素な抒情性の発露に、好ましい印象が高められ、いかにも古典の王道だな、という感慨をもたらしてくれる。 第11番がやはり充実しており、特に第1楽章など古典的なニ長調で開始されながら、第2主題がイ短調へ移行するところなど、なかなかドラマを感じさせてくれる。第2楽章もメロディ自体の美しさが十分で、聴き味が豊か。終楽章は活力に溢れていて、楽しい限り。 アンスネスの演奏は、余裕をもって、ピアニスティックな効果を出せる部分については、全部出しきろうというような構えを感じさせるアプローチ。精一杯工夫して聴かせようという努力が垣間見られるが、全体的に自然な雰囲気はきちんと保たれていて、過度に人工的というわけではない。オーケストラの緊密でソフトなハーモニーが心地よく、演奏の質を高めている。 楽曲自体の魅力という点で限界を感じるところはあるが、演奏・録音に大きな不満を見出す人は、ほとんどいないだろう。 |
![]() |
ピアノ協奏曲 第3番 第4番 第11番 p: アックス アックス指揮 フランツ・リスト管弦楽団 レビュー日:2018.1.24 |
★★★★★ ハイドンのピアノ協奏曲集の決定的録音
エマニュエル・アックス(Emanuel Ax 1949-)の弾き振り、フランツリスト室内管弦楽団の演奏によるハイドン(Joseph Haydn 1732-1809)のピアノ協奏曲集。収録曲は以下の通り。 1) ピアノ協奏曲 第3番 ヘ長調 Hob.XVIII-3 2) ピアノ協奏曲 第4番 ト長調 Hob.XVIII-4 3) ピアノ協奏曲 第11番 ニ長調 Hob.XVIII-11 1992年の録音。 ハイドンのピアノ協奏曲は、演奏機会が多いとは言えない。中で、それでも取り上げられるのは第11番、そして録音機会があるのは第3番と第4番で、私もこの3曲しか聴いたことがない。 しかし、このアックスの名演で聴いていると、どれも美しく整った佳作で、私が未聴な他の楽曲も聴いてみたくなる。 アックスのピアノは華麗と端正の双方を両立させたバランスの良いものであるが、加えて現代ピアノのソノリティを存分に使った豊饒な節回しが魅力である。もちろん、これらの楽曲は、ハープシコードを想定し、音もさほどの持続力を前提としてはいないのであるが、そこにピアノという楽器の特性を踏まえてもうひと味ふた味加えることで、絶妙の聴き減りすることのないサウンドが得られている。 最も有名な第11番でさえ、まじめに楽譜をなぞっただけでは、退屈な響きとなってしまうのだが、アックスの演奏はそのような心配は皆無だ。終楽章の「ハンガリー風ロンド」では、装飾音の恰幅の良さがあってこそスピード感が魅力的なものになることを如実に物語っている。 ちなみに、当盤と同じ楽曲の組み合わせで、アンスネス(Leif Ove Andsnes 1970-)がやはり弾き振りで1998年に録音したEMI盤が最大のライバルということになるだろう。アンスネスの方がより緊密な設計でニュアンスを出したのに比べると、アックスはややソフトな印象であるが、それゆえの聴き易さ、聴き映えがあるということも十分に伝わるだろう。聴き比べも面白い。 第3番と第4番では、音響的にはバッハ(Johann Sebastian Bach 1685-1750)を思わせる部分が多いが、楽曲の精神的な性格はハイドンの方がはるかにおおらかであり、その点で、アックスのようなピアニストに相応しいようにも思える。素朴な音に込められた瑞々しい情感が、聴き手の知る様々な感情の機微に即して奏でられる様は、得難い充足感に直結している。 現時点で、アンスネスと双璧と言って良い、当該曲たちの決定的録音だろう。 |
![]() |
弦楽四重奏曲 第43番 第81番 第82番「雲がゆくまで待とう」 第83番 タカーチ四重奏団 レビュー日:2022.9.29 |
★★★★★ タカーチ久しぶりのハイドン。薫り高い名演
久しぶりのタカーチ四重奏団によるハイドン(Joseph Haydn 1732-1809)。当盤の収録曲は下記の通り。 1) 弦楽四重奏曲 第43番 ニ短調 op.42 2) 弦楽四重奏曲 第81番 ト長調 op.77-1 3) 弦楽四重奏曲 第82番 ヘ長調 op.77-2 「雲がゆくまで待とう」 4) 弦楽四重奏曲 第83番 ニ短調 op.103 2021年の録音。 録音時のメンバーは以下の通り。 第1ヴァイオリン; エドワード・ドゥシンベル(Edward Dusinberre 1968-) 第2ヴァイオリン; ハルミ・ローズ(Harumi Rhodes 1979-) ヴィオラ; リチャード・オニール(Richard O’Neill 1978-) チェロ; アンドラーシュ・フェイェール(Andras Fejer 1955-) 彼らのHyperionレーベルへのハイドン録音としては、2010~11年にかけて、第69番~第71番を収録したものと、第72番~第74番を収録したものの2枚があったが、当盤は10年振りの3枚目の録音ということになる。この間に、ヴィオラがジェラルディン・ウォルサー(Geraldine Walther 1950-)からオニールに交代している。 また、さらに昔の話をすると、同弦楽四重奏団の第1ヴァイオリンをガボール・タカーチ=ナジ(Gabor Takacs-Nagy 1956-)が務めていた1989年に、第81番~第83番をDECCAに録音しており、チェロのフェイェール以外の奏者が交代しているとはいえ、再録音とみなすこともできるだろう。 さて、ハイドンの弦楽四重奏曲は、1797年に書かれたエルデーディ四重奏曲と呼ばれる6曲からなる作品群が名曲して名高いが、当盤に収録された第81番~第83番も、6曲からなるロプコヴィッツ四重奏曲として完成される構想をもっていた。しかし、当時のハイドンは、他に多くの仕事を抱えており、1799年に第81番と第82番を完成させはしたものの、しばらく手つかずの状態で、結局第83番は、第2,3楽章のみ完成されたところで中座し、結局、その先が完成されることはなかった。なので、当盤も、第83番は、完成された中間2楽章のみが収録されるという体裁となっている。 結果的にハイドンが書いた最後の3つの弦楽四重奏曲となってしまったわけだが、エルデーディ四重奏曲と比べると、録音機会は少なく、人気も圧倒的な差があると言って良いだろう。しかし、これらの作品は、どこか、哀惜に近い感情が喜びの中に交錯する深みを持ったもので、私は好きである。 第81番は行進曲風の第1楽章から始まるが、タカーチ四重奏団の素晴らしい音色により、立派な音幅と活力を持っている。第2楽章の深い情感は、まぎれもなく後期のハイドンがたどり着いた境地の一つだと思う。フィナーレの力感とスピード感に満ちた進行は目覚ましく、旧録音も素晴らしかったが、当録音では、より豊かな幅を感じさせる点が新たな魅力である。第82番も同様で、リズムや情感のコントラストの幅が存分に表現されていて、ハイドンが弦楽四重奏曲の世界に新しい何かを持ち込もうとした意欲が伝わる演奏である。また、中間楽章では、孤愁の情と呼べるものが感じられ、淡い響きにも多層の含みが宿っている。 未完に終わった第83番も、中間2楽章のみとはいえ、ハイドンが施した工夫が十分に咀嚼された演奏であり、その音の強さ、響きの豊かさをあいまって、美麗な厚みを導き出している。 最初に収録されている第43番も有名な曲ではないが、悲劇的な美しさを湛えた名品で、タカーチの生命力に溢れた表現が結実している。終楽章は短いプレストだが、これは当時の疾風怒濤を反映した作風と言えるだろう。当盤に収録されたことで、その魅力が掘り起こされた感があり、当盤の価値を一層高めている。 |
![]() |
弦楽四重奏曲 第69番 第70番 第71番「騎士」 タカーチ四重奏団 レビュー日:2020.9.1 |
★★★★★ 名曲を名演で聴く喜び。タカーチのハイドン
タカーチ四重奏団(Takacs Quartet)によるハイドン(Joseph Haydn 1732-1809)の以下の3つの弦楽四重奏曲を収めたアルバム。 1) 弦楽四重奏曲 第69番 変ロ長調 op.71-1 2) 弦楽四重奏曲 第70番 ニ長調 op.71-2 3) 弦楽四重奏曲 第71番 変ホ長調 op.71-3 2010年から2011年にかけて録音されたもの。録音時のタカーチ四重奏団員は以下の通り。 エドワード・ドゥシンベル(Edward Dusinberre 1968-) 第1ヴァイオリン カーロイ・シュランツ(Karoly Schranz 1952-) 第2ヴァイオリン ジェラルディン・ウォルサー(Geraldine Walther 1950-) ヴィオラ アンドラーシュ・フェイェール(Andras Fejer 1955-) チェロ ハイドンの弦楽四重奏曲には、(欠番や未完作もあるが)83番まで番号の振られたものが存在し、そのうち特に有名なのは、第75番から第80番までの、いわゆる「エルデーディ四重奏曲」と呼ばれる作品群である。その「エルデーディ四重奏曲」に4年先立って、1793年に作曲された6作品が第69番から第74番に相当し、前半3曲がop.71の「第1アポーニー四重奏曲」、後半3曲がop.74の「第2アポーニー四重奏曲」と呼ばれる。 当盤に収録されているのは、「第1アポーニー四重奏曲」の3曲となる。 タカーチのハイドンはきわめて真摯だ。ハイドンの楽曲は、自然な伸びやかさや品の良さとともに、ウィットの表現が含まれている。ゆえに機知に富んだアプローチを心掛けることは、楽曲の魅力を明らかにすることに繋がるが、場合によっては、愛想を振りまき過ぎて、楽曲の格式が少し低下したように感じられてしまうこともある。 タカーチのこの演奏に、そんな心配は皆無だ。典雅なメヌエットであっても、一種の凛々しさを崩さず、楽器のバランスとアクセントのポイントを慎重に配置し、ルバートも一定の範囲内で収まる。しかも、音色自体の深みとコクがあいまって、楽曲が気高く響く。私はこの演奏を聴いて、おそらく本来ハイドンのこれらの楽曲は、このように演奏されてしかるべき作品なのだろう、ととても納得させられた。一言で言うと、説得力のある演奏だ。 そして、楽曲自体も言うまでもないかもしれないが、魅力的だ。あえてそう書くのは、これらの弦楽四重奏曲が、最晩年の名作群、エルデーディ四重奏曲(第75番~第80番)の輝かしさの影に隠れて、その素晴らしさに比し、聴かれる機会が少ないのではとの危惧ゆえである。 第69番では深遠な第2楽章のアダージョ、そして軽快なトークを思わせる終楽章が絶品。第70番は第1楽章の短い序奏の後に開始される4つの楽器がこまかいフレーズを受け渡しつつ進む主題が、弦楽四重奏曲を聴く醍醐味を伝えてやまないし、第71番の冒頭の合奏音はタカーチの響きの素晴らしさとあいまって、一瞬で聴き手を音楽の世界に引き込んでくれる。 名曲を名演で聴く喜びを存分に味わわせてくれる一枚となっています。 |
![]() |
弦楽四重奏曲 第72番 第73番 第74番「騎士」 タカーチ四重奏団 レビュー日:2019.7.4 |
★★★★★ 文句の付けようのないタカーチのハイドン
タカーチ四重奏団(Takacs Quartet)によるハイドン(Joseph Haydn 1732-1809)の以下の3つの弦楽四重奏曲を収めたアルバム。 1) 弦楽四重奏曲 第72番 ハ長調 op.74-1 2) 弦楽四重奏曲 第73番 ヘ長調 op.74-2 3) 弦楽四重奏曲 第74番 ト短調 op.74-3 「騎士」 2010年から2011年にかけて録音されたもの。録音時のタカーチ四重奏団員は以下の通り。 エドワード・ドゥシンベル(Edward Dusinberre 1968-) 第1ヴァイオリン カーロイ・シュランツ(Karoly Schranz 1952-) 第2ヴァイオリン ジェラルディン・ウォルサー(Geraldine Walther 1950-) ヴィオラ アンドラーシュ・フェイェール(Andras Fejer 1955-) チェロ ハイドンの弦楽四重奏曲には、(欠番や未完作もあるが)83番まで番号の振られたものが存在し、そのうち特に有名なのは、第75番から第80番までの、いわゆる「エルデーディ四重奏曲」と呼ばれる作品群である。その「エルデーディ四重奏曲」に4年先立って、1793年に作曲された6作品が第69番から第74番に相当し、前半3曲がop.71の「第1アポーニー四重奏曲」、後半3曲がop.74の「第2アポーニー四重奏曲」と呼ばれる。 当盤に収録されているのは、「第2アポーニー四重奏曲」の3曲となる。 これらの作品は、人気の高い 「エルデーディ四重奏曲」群の影に隠れてしまい、いまいちメジャーな楽曲というイメージはないかもしれない。しかし、間違いなくとても充実した作品群である。それもそのはず、この時期は、ハイドン有名な「ザロモンセット」と呼ばれる交響曲群を手掛け始めたころであり、作曲者の脂の乗り切った筆致が示された作品たちなのだ。 そして、当盤のタカーチ四重奏団の演奏が、実に良い。何が良いかと言うと、アンサンブルの見事さである。整った呼吸で受け渡されるフレーズの心地よさ、その連続から派生してくる間断ないリズムの生命力が圧巻なのだ。各曲で急速部分をあてがわれた両端楽章のダイナミックな切れ味は、中でも特筆すべきものであり、ときにシンフォニックな雄大さも交え、弦楽四重奏曲という編成の小ささを感じさせないほど、パワーとスリルが両立した音楽が奏でられる。また第72番の終楽章のように、低い方の弦2艇が刻む幅のある音は、音楽のスケールを広げていて、加えてチェロの開放弦の鳴りっぷりなど、これでもかの迫力に満ちている。これがハイドン?いや、まさに、これこそハイドンでしょう!そんな説得力と魅力に溢れている。他にも第72番の緩徐の転調が漂わせる深み、第74番終楽章における果敢な推進と展開など、聴きどころ満載。 古典の作品が好きな人であれば、多くが夢中になれる要素を十二分に持っている。そんな一枚です。 |
![]() |
弦楽四重奏曲 第75番「五度」 第76番 第77番「皇帝」 第78番「日の出」 第79番「ラルゴ」 第80番 タカーチ四重奏団 レビュー日:2011.8.18 |
★★★★★ 定盤化希望!私に室内楽の楽しさを教えてくれたタカーチのハイドン
昔、私がCDの収集を始めた頃、たまたま入手したデッカの企画CDで、「高城重躬氏の選ぶ80年代ロンドン優秀録音集」というものがあった。まだまだCDを聴き始めの頃でもあったので、私は、「CDとはこういう音が出るものなのか」と興味深々で聴き込んだものだったが、その中で1曲、聴いたとたんに「これは素晴らしい!演奏といい、録音といい・・」と強く惹き付けられるものがあった。それがタカーチ弦楽四重奏団によるハイドンの弦楽四重奏曲第77番「皇帝」の第1楽章だった。 当時の私は、クラシック音楽を聴き始めてはいたけど、まだ有名な交響曲やピアノ曲が中心で「室内楽」などほとんど聴いていなかったように思う。しかし、このタカーチのハイドンは素晴らしい。なんといっても音が豊穣で、適度にウェットなやわらかい響きが抜群の聴き心地であった。 タカーチによる「エルデーディ」四重奏曲全6曲の録音は、1987年から88年に行われているので、私がその音を聴いたのは、おそらく自分の10代の終わり頃か20代のはじめくらいだったろう。その後、何年かかけて(当時は経済的にそのへんにゲンカイがあったのだ)、全曲を(といってもCD2枚だが)揃えたときはたいへん感動したものだ。 それにしても、タカーチのハイドン、こんなに素晴らしいのに、廃盤になったり、少し再販されたりと、現在まで「定盤」となるには至っていないようだ。私は、アルバン・ベルク(テルデック盤)もウィーンコンツェルトハウスも、クイケンも聴いたけど、今もってハイドンはこのタカーチが抜群に好きである。 「皇帝」もいいけれど、第78番「日の出」の透明感に溢れる瑞々しい旋律美と運動美のバランスも素晴らしい。また第80番のクリアな躍動感も忘れ難い。 それにしてもデッカの録音は素晴らしい。先に書いたように私がこれらの録音を知ったのは、優秀録音を集めた企画ディスクを通じてだけれども、そうでなくてもこの頃のデッカの録音は、クオリティにおいて他のレーベルを圧倒していたように思う。 それにしても、この「皇帝」は素晴らしい演奏だ。私がその昔感銘した第1楽章の中間部、連続する持続和音の上で旋律がささえずるところなど、なんとも心地よい引力を感じる。当盤は一度再発売されたものだが、再び廃盤となってしまった。ぜひ定盤化して、いつでも多くの人に入手可能な状態にしてほしい。このディスクには、そのような状態が似つかわしい。 |
![]() |
弦楽四重奏曲 第78番「日の出」 第79番「ラルゴ」 第80番 コダーイ四重奏団 レビュー日:2017.7.18 |
★★★★★ ハイドンの音楽の佇まいに相応しい真摯な演奏
1965年に設立されたコダーイ四重奏団は、ハンガリーを拠点に活躍している。当盤は彼らによるハイドン(Franz Joseph Haydn 1732-1809)の以下の3曲を収録したアルバム。 1) 弦楽四重奏曲 第78番 変ロ長調 op.76-4「日の出」 2) 弦楽四重奏曲 第79番 ニ長調 op.76-5「ラルゴ」 3) 弦楽四重奏曲 第80番 変ホ長調 op.76-6 1989年の録音。録音時のメンバーは、以下の通り。 第1ヴァイオリン:アッティラ・ファルヴェイ(Attila Falvay 1958-) 第2ヴァイオリン:タマーシュ・ザボ(Tamas Szabo 1946-) ヴィオラ:ガボール・フィアス(Gabor Fias) チェロ:ヤーノシュ・デヴィッチ(Janos Devich 1938-) コダーイ四重奏団は、ナクソス・レーベルにハイドンの全集を録音している。廉価レーベルの草分け的存在であるナクソスは、レコーディングに積極的な優れた演奏家や団体と続々と契約を進めることでその業績を拡大したのであるが、弦楽四重奏の分野で象徴的な存在となったのが、コダーイ四重奏団である。 彼らのハイドンをなんと表現しようか。もちろん、これらの名曲には、古くから数多くの録音がある。そんな中で、この演奏は際立って特徴があるわけではない。むしろ、「特徴を出すという行為を制約した」真面目な演奏、というべきか。 吉田秀和(1913-2012)は、ハイドンの作品を愛好し、『およそ誇張を知らぬ精神なので、どんなに「歌っても」べたつかず、感傷に堕さない。』と表現したことがある。私が、コダーイ四重奏団のハイドンを聴いたとき、思い出したのがこのフレーズだった。 コダーイ四重奏団の演奏は模範的だ。やや中声部が強い色彩があるが、これも中央ヨーロッパ的な安定を感じさせるし、特徴といって取り上げるようなものではないだろう。アンサンブルも見事だが、それ以上に全奏者にクセがなく、とても直截な響きが引き出されることが彼らの美質だろう。そして、そのような彼らの特質が、ハイドンの作品の自然な佇まいと、ことのほか相性が良いのである。どこにも不自然さのない、さっぱりしたスタイルでありながら、中庸美特有の、聴き減りのしない味がある。それが、この録音の全体から、滲むように出てくる。op.76-5の第2楽章の情緒の表出も、健康的でありながら、内面的な充実も感じさせてくれる。 全体に、嫌味につながるような要素が皆無で、それはそのまま「ハイドンの音楽に即した実感を得る演奏」と言い換えることができるだろう。こういうのを本物の名演と言うのかもしれないな、と聴きながら感心した次第でした。 |
![]() |
弦楽四重奏曲 第81番 第82番 第83番 タカーチ四重奏団 レビュー日:2019.8.8 |
★★★★★ ハイドンが晩年に模索した「新生」を感じさせる名演
タカーチ四重奏団によるハイドン(Joseph Haydn 1732-1809)の以下の3作品を収録したアルバム。 1) 弦楽四重奏曲 第81番 ト長調 op.77-1 2) 弦楽四重奏曲 第82番 ヘ長調 op.77-2 3) 弦楽四重奏曲 第83番 ニ短調 op.103 1989年の録音。 録音時のタカーチ四重奏団のメンバーは以下の通り。 第1ヴァイオリン: ガボール・タカーチ=ナジ(Gabor Takacs-Nagy 1956-) 第2ヴァイオリン: カーロイ・シュランツ(Karoy Schranz 1952-) ヴィオラ: ガボール・オーマイ(Gabor Ormai 1954-) チェロ: アンドラーシュ・フェイエール(Andras Fejer 1955-) ハイドンの弦楽四重奏曲は、6曲セットを基本として作曲されることがあり、セットによっては相性が付されている。当盤に収録された3曲の「前の6曲セット」に当たるのが、エルデーディ四重奏曲と呼ばれる傑作群で、名高く、録音も数多くある。 その後、ハイドンが亡くなるまでに手掛けたのが当盤に収録された3曲で、第81番と第82番の2曲は1799年に書かれ、ロプコヴィッツ四重奏曲と呼ばれる。第83番は、1803年ごろに手掛けられた未完の作品で、中間2楽章のみが完成されており、当盤にもその2つの楽章のみが収録されている。 これらの3作品は、エルデーディ四重奏曲に比べると、人気がなく、録音も少ない。だが、私はとても魅力的な作品だと思う。特に、このタカーチの録音で聴く3曲は極上と言ってもいいものだ。 エルデーディ四重奏曲が書かれた1797年と、これらの作品群が書かれた時期の間には、ひとつの時代の転轍点がある。ベートーヴェン(Ludwig van Beethoven 1770-1827)の登場だ。ベートーヴェンが最初に弦楽四重奏曲を書きあげたのは1798年のこと。ハイドンがそれを聴く機会があったか、影響を受けたかはわからないが、晩年のハイドンは、このジャンルにさらなる深化をもとめるような筆致を試みたと私は感じる。時代の空気の変化のようなものを、芸術家特有の鋭敏な感覚が捉えた、これらの3作品には、そのようなものが感じられる。 例えば、メヌエットにはスケルツォ的な性格の強まりが感じられる。タカーチの演奏はそのことに明晰な光を与える。第81番のメヌエットの歯切れの良いリズム感は特に見事だ。タカーチの演奏には、つねに一定の均質性があるが、それは平板を意味するのではなく、音響の豊かさを導く。その豊かさが、シンフォニックな幅を感じさせる。これらの作品には、展開面でも、パッセージに込められた意図の複層性を感じるのだが、そういった点で、タカーチのシンフォニックな響きは絶好だ。 ハイドン、最後の、かつ未完の弦楽四重奏曲、第83番。そのメヌエットには、いよいよハイドンが目指した次のステップを感じさせる展開力が満ちるが、タカーチの透明かつ豊かな響きは、明朗にその魅力を惹き出して、聴き手に提示する。この四重奏曲が完成されていたら、どんな作品になっただろう、そして、ハイドンに、もうあと何曲か弦楽四重奏曲を書く時間的猶予があったなら、どのような名作が生み出されたことだろう、そんな想像力を刺激されてやまない名演奏となっている。 |
![]() |
ピアノ・ソナタ 第29番 第31番 第32番 第33番 第34番 第35番 第38番 第47番 第49番 第53番 第58番 第59番 第60番 ピアノ協奏曲 第3番 第4番 第11番 p: アックス アックス指揮 フランツ・リスト管弦楽団 レビュー日:2018.1.25 |
★★★★★ ハイドンのピアノ作品の魅力に触れる絶好の4枚組Box-set
エマニュエル・アックス(Emanuel Ax 1949-)による過去4点のハイドン(Joseph Haydn 1732-1809)録音をまとまたBox-set。収録内容は以下の通り。 【CD1】 2000年録音 1) ピアノ・ソナタ 第31番 変イ長調 Hob.XIV-46 2) ピアノ・ソナタ 第34番 ニ長調 Hob.XIV-33 3) ピアノ・ソナタ 第29番 変ホ長調 Hob.XIV-45 4) ピアノ・ソナタ 第49番 嬰ハ短調 Hob.XIV-36 5) ピアノ・ソナタ 第35番 変イ長調Hob.XIV-43 【CD2】 1993年録音 6) ピアノ・ソナタ 第47番 ロ短調 Hob.XVI-32 7) ピアノ・ソナタ 第53番 ホ短調 Hob.XVI-34 8) ピアノ・ソナタ 第32番 ト短調 Hob.XVI-44 9) ピアノ・ソナタ 第59番 変ホ長調 Hob.XVI-49 【CD3】 1988年録音 10) ピアノ・ソナタ 第58番 ハ長調 Hob.xvi-48 11) ピアノ・ソナタ 第33番 ハ短調 Hob.xvi-20 12) ピアノ・ソナタ 第60番 ハ長調 Hob.xvi-50 13) ピアノ・ソナタ 第38番 ヘ長調 Hob.xvi-23 【CD4】 1992年録音 14) ピアノ協奏曲 第3番 ヘ長調 Hob.XVIII-3 15) ピアノ協奏曲 第4番 ト長調 Hob.XVIII-4 16) ピアノ協奏曲 第11番 ニ長調 Hob.XVIII-11 協奏曲はアックスの弾き振りで、オーケストラはフランツ・リスト室内管弦楽団。ソナタの番号はランドン版表記。 いずれも素晴らしい内容。ソナタに関しては、曲目だけみた場合、有名曲で欠けたものがあるのだけれど、演奏はそのような不満を感じさせないもの。むしろ、収録された曲たちがどれも魅力的に響くのが嬉しい。近代へ繋がって行く「聴くべきピアノ・ソナタ」を並べると、その端緒は、ハイドン(Joseph Haydn 1732-1809) → モーツァルト(Wolfgang Amadeus Mozart 1756-1791) → クレメンティ(Muzio Clementi 1752-1832) → ベートーヴェン(Ludwig van Beethoven 1770-1827)となるだろう。いずれの作曲家の名品たちも、いま聴いてなお無二の魅力を持つものたちだ。 中にあって、ハイドンとクレメンティのソナタは聴かれる機会が少ないが、実にもったいない話である! アックスは、現代ピアノを用いて、存分に自分の語法によりハイドンのピアノ・ソナタを魅力的に演出する。その結果、一つ一つの楽曲に、彩(いろどり)豊かなドラマが内包され、とても親しみやすいものとなる。 ソナタ第31番は、ハイドンのソナタの中では規模の大きい楽曲であるが、緩徐楽章の憂いの表現、そして終楽章のダイナミックレンジの幅のある演奏内容に充実を感じる。第34番は終楽章のピアニスティックな細やかさが見事。第29番では、ピアノという楽器の音色の豊かさを武器に、いかにも味わいに幅があるのがふさわしい。楽章間のコントラストも良く出ていて、ハープシコードやフォルテピアノで弾かれたら単調に思うに違いない部分も、聴くことの愉悦に満たされる。第49番は悲劇的な内容を持った作品で、ここでもアックスのテンポの変動を踏まえたアプローチは、エネルギーの伸縮があって、聴く者の気持ちに強く訴えかけてくる。ハイドンは、このように弾かれるのがいちばん相応しいのではないか、と思える。最第35番はプレストの終楽章に向かう典型的な構成が安定した表現でまとめられている。 第47番では、半音階をベースとした第1楽章からその性格は明確だが、第2楽章の中間部で第1楽章を振り返りながら悲劇性の強いパッセージが流れるところなどことに印象深い。アックスのピアノから紡ぎだされる音量十分の美しい響きが、劇性を太く描き出すのも良好。第53番は、私にとって、かつて第1楽章を遊びで弾いていた懐かしい曲。ハイドンは2つの主題によるソナタ形式を確立した人物と思うが、その作風がそこに限定されなかったことは、この第1楽章に集約されている。一つの劇的な展開によって、そのまま末尾に進むことになる。続く32番は、2楽章構成の疾風怒濤期の作風。いずれもアックスのあいまいさのない明瞭なピアニズムは、豊饒な色彩感を伴って、論理的でありながら、みずみずしい響きをもたらしている。第59番は、ピアノと言う楽器を十分に想定した規模を感じさせる。またフィナーレはきわめて軽快なメヌエットであり、アルバムの締めくくりとしても適した1曲だろう。アックスの輝かしいピアノで首尾よくまとめられた様は、ハイドンという作曲家の精神をコンパクトに表現した感さえある。 第58番と第60番は、ハイドン晩年の作品で、1789年から1795年に書かれている。1795年というと、ベートーヴェン(Ludwig van Beethoven 1770-1827)がこのジャンルの作品をはじめて完成させた年であり、そういった観点でも、特に第60番には、様々にベートーヴェン以降の世界を感じさせるところがある。端的に言うと、一つ一つの楽章が持つ規模が大きくなり、表現される要素が多くなっているのである。第60番の中間楽章の憂いから終楽章へのつながりに、アックスの説得力あふれる表現方法がことに刻印されていると思う。第38番は、ハイドンのピアノ・ソナタの中では、第48番(Hob.xvi-35)、第62番(Hob.xvi-52)とともに人気のある楽曲と思われる。少なくとも弾かれる機会は多い。第1楽章の躍動感、第2楽章のほのかな甘さ、第3楽章の俊敏なパッセージ、いずれもアックスの精妙で豊かな響きが各楽章の性格をきっちりと描き分ける効果に直結していて、とてもわかり易い。ハイドンのソナタの聴き始めは、アックスの弾く第38番あたりから、と未聴の人にはオススメしたい。第33番はいわゆる疾風怒濤期の短調作品となる。不安を感じさせるパッセージをアックスは十分に劇的な諸相を施して弾きこなしていて、聴き味の幅が広い。 ピアノ協奏曲においても、アックスの華麗と端正の双方を両立させ、加えて現代ピアノのソノリティを存分に使った豊饒な節回しが魅力である。これらの楽曲の場合、最も有名な第11番でさえ、まじめに楽譜をなぞっただけでは、退屈な響きとなってしまうのだが、アックスの演奏はそのような心配は皆無だ。終楽章の「ハンガリー風ロンド」では、装飾音の恰幅の良さがあってこそスピード感が魅力的なものになることを如実に物語っている。第3番と第4番では、音響的にはバッハ(Johann Sebastian Bach 1685-1750)を思わせる部分が多いが、楽曲の精神的な性格はハイドンの方がはるかにおおらかであり、その点で、アックスのようなピアニストに相応しいようにも思える。素朴な音に込められた瑞々しい情感が、聴き手の知る様々な感情の機微に即して奏でられる様は、得難い充足感に直結している。 いずれの楽曲の録音も、現代を代表する名演と言って良い内容を誇っており、これらが廉価で一通り聴ける当アルバムは絶好のものといった感がある。ハイドンのピアノ作品にまだなじみが薄いという人には、ぜひ入門用にオススメしたい。 |
![]() |
ピアノ・ソナタ 第29番 第31番 第34番 第35番 第49番 p: アックス レビュー日:2018.1.21 |
★★★★★ 現代を代表するハイドンのピアノ・ソナタ録音でしょう
エマニュエル・アックス(Emanuel Ax 1949-)によるハイドン(Joseph Haydn 1732-1809)のピアノ・ソナタ集。アックスはハイドンのピアノ作品を積極的に録音している大家の一人で、当盤は以下の楽曲が収録されたもの。 1) ピアノ・ソナタ 第31番 変イ長調 Hob.XIV-46 2) ピアノ・ソナタ 第34番 ニ長調 Hob.XIV-33 3) ピアノ・ソナタ 第29番 変ホ長調 Hob.XIV-45 4) ピアノ・ソナタ 第49番 嬰ハ短調 Hob.XIV-36 5) ピアノ・ソナタ 第35番 変イ長調Hob.XIV-43 2000年の録音。ソナタの番号はランドン版によっている。ハイドンのピアノ・ソナタでは、よく代表作の一つとしてソナタ第35番が挙げられるが、これはHob.XVI-35(ランドン版 第43番)のことであり、当盤には収録されていない。 とは言え、魅力たっぷりの一枚である。クラシック音楽ファンでも、ハイドンのピアノ・ソナタの楽想やふしを、いくつかでも覚えている人というのは多くないだろう。クラシック・ピアニストにとっても、それほど積極的に取り上げられる楽曲ではない。しかし、よい演奏で聴くと、そこにはハイドン特有の高貴なたたずまいと詩情があって、凛とした空気が流れるのである。アックスは、現代ピアノを用いて、存分に自分の語法によりこれらのピアノ・ソナタを魅力的に演出する。その結果、一つ一つの楽曲に、彩(いろどり)豊かなドラマが内包され、とても親しみやすいものとなる。 冒頭に収録された第31番は、ハイドンのソナタの中では規模の大きい楽曲であるが、緩徐楽章の憂いの表現、そして終楽章のダイナミックレンジの幅のある演奏内容に充実を感じる。第34番は終楽章のピアニスティックな細やかさが見事。 第29番では、ピアノという楽器の音色の豊かさを武器に、いかにも味わいに幅があるのがふさわしい。楽章間のコントラストも良く出ていて、ハープシコードやフォルテピアノで弾かれたら単調に思うに違いない部分も、聴くことの愉悦に満たされる。 第49番は悲劇的な内容を持った作品で、ここでもアックスのテンポの変動を踏まえたアプローチは、エネルギーの伸縮があって、聴く者の気持ちに強く訴えかけてくる。ハイドンは、このように弾かれるのがいちばん相応しいのではないか、と思える。 最後に、冒頭曲と同じ調性を持つ第35番が配置される。プレストの終楽章に向かう典型的な構成で、しっかりと一つのアルバムを締めている。 アックスの詩情豊かなハイドンは、様々な演出を踏まえながらも、ハイドンらしい品の良さをしっかりとキープしたもので、現在聴きうる最高のものの一つということができる。 |
![]() |
ピアノ・ソナタ 第32番 第47番 第53番 第59番 p: アックス レビュー日:2018.1.22 |
★★★★★ ハイドンがクラヴィーア曲に込めた劇性を美しく再現
エマニュエル・アックス(Emanuel Ax 1949-)によるハイドン(Joseph Haydn 1732-1809)のピアノ・ソナタ集。1988年録音の第1弾に続いて1993年に録音されたもの。当盤は以下の楽曲が収録されたもの。 1) ピアノ・ソナタ 第47番 ロ短調 Hob.XVI-32 2) ピアノ・ソナタ 第53番 ホ短調 Hob.XVI-34 3) ピアノ・ソナタ 第32番 ト短調 Hob.XVI-44 4) ピアノ・ソナタ 第59番 変ホ長調 Hob.XVI-49 ソナタの番号はランドン版によっている。 当盤にはハイドンのピアノ・ソナタでは珍しい短調のソナタ(ランドン版62曲中では7曲)から3曲が収められている。これらの楽曲を聴いていると、ハイドンがピアノ・ソナタにおいて、「劇性」を豊かに表現しようとしていたことがよくわかるし、アックスの演奏はそれを踏まえて、力強いものだ。 ハイドンの時代は言うまでもなくクラヴィーア楽器の表現力が進歩していたころで、1790年に書かれたソナタ第59番で、ついにハイドンは「(チェンバロではなく)フォルテピアノのためのソナタ」であることを明記した。この流れの中で、その5年後にベートーヴェン(Ludwig van Beethoven 1770-1827)の作品2の3つのピアノ・ソナタが登場してくることとなる。 ソナタ第47番では、半音階をベースとした第1楽章からその性格は明確だが、第2楽章の中間部で第1楽章を振り返りながら悲劇性の強いパッセージが流れるところなどことに印象深い。アックスのピアノから紡ぎだされる音量十分の美しい響きが、劇性を太く描き出すのも良好だ。 ソナタ第53番は、私にとって、かつて第1楽章を遊びで弾いていた懐かしい曲。ハイドンは2つの主題によるソナタ形式を確立した人物と思うが、その作風がそこに限定されなかったことは、この第1楽章に集約されている。一つの劇的な展開によって、そのまま末尾に進むことになる。続く32番は、2楽章構成の疾風怒濤期の作風。いずれもアックスのあいまいさのない明瞭なピアニズムは、豊饒な色彩感を伴って、論理的でありながら、みずみずしい響きをもたらしている。 ソナタ第59番は、ピアノと言う楽器を十分に想定した規模を感じさせる。またフィナーレはきわめて軽快なメヌエットであり、アルバムの締めくくりとしても適した1曲だろう。アックスの輝かしいピアノで首尾よくまとめられた様は、ハイドンという作曲家の精神をコンパクトに表現した感さえある。 録音から25年が経過したが、いまなおハイドンのピアノ・ソナタの代表的録音と言って良い素晴らしい一枚です。 |
![]() |
ピアノ・ソナタ 第33番 第38番 第58番 第60番 p: アックス レビュー日:2018.1.23 |
★★★★★ アックスによるハイドンのピアノ・ソナタ集 1988年録音の第1弾が当盤でした
エマニュエル・アックス(Emanuel Ax 1949-)によるハイドン(Joseph Haydn 1732-1809)のピアノ・ソナタ集。アックスはこれまでハイドンの作品を協奏曲も含めて4点リリースしているが、1988年録音の当盤がその第1段ということになる。収録曲は以下の通り。 1) ピアノ・ソナタ 第58番 ハ長調 Hob.xvi-48 2) ピアノ・ソナタ 第33番 ハ短調 Hob.xvi-20 3) ピアノ・ソナタ 第60番 ハ長調 Hob.xvi-50 4) ピアノ・ソナタ 第38番 ヘ長調 Hob.xvi-23 ソナタの番号はランドン版によっている。 アックスのハイドンの特徴は、現代ピアノを活かした輝かしい響きにある。力強い音を存分に用いて、哀しみや憂鬱の表現にもしっかりとした情感を与える。当盤ではソナタ第60番の中間楽章の憂いから終楽章へのつながりに、アックスの説得力あふれる表現方法がことに刻印されていると思う。 第58番と第60番は、ハイドン晩年の作品で、1789年から1795年に書かれている。1795年というと、ベートーヴェン(Ludwig van Beethoven 1770-1827)がこのジャンルの作品をはじめて完成させた年であり、そういった観点でも、特に第60番には、様々にベートーヴェン以降の世界を感じさせるところがある。端的に言うと、一つ一つの楽章が持つ規模が大きくなり、表現される要素が多くなっているのである。アックスのピアノは、もちろんこれらの楽曲に雄弁な解釈をもたらして見事であるのだが、しかし、中期の作品においても素晴らしいのは、ハイドンの天才のなせるところかもしれない。 第38番は、ハイドンのピアノ・ソナタの中では、第48番(Hob.xvi-35)、第62番(Hob.xvi-52)とともに人気のある楽曲と思われる。少なくとも弾かれる機会は多い。第1楽章の躍動感、第2楽章のほのかな甘さ、第3楽章の俊敏なパッセージ、いずれもアックスの精妙で豊かな響きが各楽章の性格をきっちりと描き分ける効果に直結していて、とてもわかり易い。ハイドンのソナタの聴き始めは、アックスの弾く第38番あたりから、と未聴の人にはオススメしたい。 第33番はいわゆる疾風怒濤期の短調作品となる。不安を感じさせるパッセージをアックスは十分に劇的な諸相を施して弾きこなしていて、聴き味の幅が広い。 ハイドンのピアノ・ソナタ集として、とてもレベルの高い録音であり、魅力的な楽曲も揃った1枚となっている。 |
![]() |
ピアノ・ソナタ 第47番 第54番 第59番 第60番 p: ルイス レビュー日:2018.5.14 |
★★★★★ ポール・ルイス、待望のハイドン録音です
シューベルト、それにベートーヴェンのピアノ作品を中心に、素晴らしい録音を行ってきたポール・ルイス(Paul Lewis 1972-)が、こんどはハイドン(Joseph Haydn 1732-1809)の作品を録音した。ブレンデル(Alfred Brendel 1931-)を師とするルイスであれば、ある程度予測できた録音とも言えるが、私は、聴く前から「素晴らしいに違いない」と随分ワクワクしていた。果たして、期待に違わぬ素晴らしい演奏と感じた。収録曲は以下の4曲。 1) ピアノ・ソナタ 第59番 変ホ長調 Hob.XVI:49 2) ピアノ・ソナタ 第60番 ハ長調 Hob.XVI:50 3) ピアノ・ソナタ 第47番 ロ短調 Hob.XVI:32 4) ピアノ・ソナタ 第54番 ト長調 Hob.XVI:40 番号表記はランドン版としたが、ホーボーケン番号を併せて表記する。録音は2017年。 ルイスは同じ時期にブラームス作品にも取り組んでおり、ハイドン作品との対照的な側面に言及している。また、ベートーヴェンのバガデルが、ハイドンのユーモアとブラームスのロマン主義の双方を含むという見立ても面白いが、それよりも、ルイスの弾くハイドンが、時にロマン派にも通じるような深い情感を込めて響き渡ることが、私には興味深い。 ソナタ第59番の冒頭から、ルイスの演奏には運動的な鮮やかさと情緒的な暖かさが満ちており、とても人の心に働きかける作用が強いことを感じる。ブレンデルの演奏より、さらにその方向性を明確にしたようにも思う。第2楽章のカンタービレの伸びやかさと、休符に与えられる情感の高まりの効果は、この楽曲のスケールを大きく描き出している。ペダルの使用は、十分な配慮をもって、しかしためらうことなくしっかりと行われる。 後期の傑作として知られる第60番はしなやかなメリハリの効いた響きが素晴らしく、そのふくよかな膨らみが無類の喜びとして作用していく。その充実感はモーツァルトやベートーヴェンのソナタになんら引けを取るものではない。 第47番は、憂いの情感漂う佳品だが、ルイスは、速度を落として旋律を歌わせる際に、ペダルの効果を存分に用いて、その情感を色づけていく。その様は、彼が弾くシューベルトを彷彿とさせるものがある。 第54番は2楽章構成ながら、劇的な効果を存分に味わわせてくれる演奏だ。想像力豊かな装飾性、そしてプレスト楽章では勢いに任せることなく、楽器の機能を存分に活かして、幅と奥行きのある表現を獲得している。繊細な柔軟性の中から、時に溢れてくるように湧き出す力強さは、ベートーヴェン的と形容しても良いだろう。 いずれも楽曲も、優れた弾き手が現代の楽器の機能を存分に活用することによって、無類に魅力的なものとなっている。ハイドンのピアノ・ソナタに馴染みが薄いという人には、是非、当盤からとオススメしたいし、これらの楽曲を聴き馴染んでいる人であっても、新鮮な感動をもたらしてくれる名演となっている。 |
![]() |
ハイドン ピアノ・ソナタ 第49番 アンダンテと変奏 ベートーヴェン ピアノ・ソナタ 第3番 p: ヴェデルニコフ レビュー日:2006.12.10 |
★★★★★ 精神性と感性を感じる古典作品の解釈
DENONからリリースされている「ロシアピアニズム名盤選」シリーズも今回の発売で3回目。このような渋いシリーズがファンの間に浸透し、シリーズが継続していることを何と言っても歓迎したい。 アナトリー・ヴェデルニコフは当シリーズの顔となっている。発売を重ねる度に聴ける楽曲が増えていくのが楽しい。本当にこのシリーズの充実振りには目を見張らされる。何といってもヴェデルニコフはレパートリーの広いピアニストである。ドイツ古典ものから近現代のロシア音楽まで、本当にあの時代のソ連において、これほど貪欲にレパートリーを吸収し、そして消化していったヴァイタリティには感服してしまう。それは彼の演奏スタイルにも要因がありそうだ。彼のスタイルはロシアピアニズムの中でも西欧的なものに近い。簡単に言ってしまうと(注意が必要だが)歌謡性よりも構築性であり、感情よりも感性を感じるタイプである。そのことが彼のハイドンやベートーヴェンの解釈を普遍的なものとしている。その感覚はきわめてスタイリッシュで、音楽をシャープにしている。このアルバムではハイドンのピアノ・ソナタがとても素晴らしい。強い精神力によって厳格に統御されたピアノ演奏でありながら、音楽全体が常に力強い推進力に満ちている。しかし閉塞感は一切なく、エネルギーの解放は爽快でさえある。その立体的な彫像感は見事な古典的精神の結実を感じさせてくれる。さすがの一語に尽きる。 |
![]() |
ハイドン ピアノ・ソナタ 第52番 モーツァルト ピアノ・ソナタ 第9番 ベートーヴェン ピアノ・ソナタ 第2番 p: ブレハッチ レビュー日:2008.10.11 |
★★★★☆ ブレハッチによる意欲的な古典派ソナタ録音
2005年ショパン・コンクールで優勝したラファウ・ブレハッチのグラモフォン・レーベルへの録音第2弾となる。しかも今回は古典楽派のピアノ・ソナタばかりを集めたものだ。これには少し驚いた。というのは、このピアニストには「ショパン・コンクールを制覇したポーランド人」というメッセージ性がファンには強いため、やはりまずはショパン、もしくはロマン派やスラヴ系のレパートリーに録音活動を展開していくような思い込みがこちらにあったからである。 しかし「思い込み」は「思い込み」でしかない。むしろ、このようなジャンル横断的なすばやい展開を私は歓迎する。芸風を狭めることはない。世界には膨大な音楽が溢れている。 さっそく聴いてみると、すぐにこのピアニストがいかにも若手的な華麗な技術と演奏効果を狙っていないことがわかる。もちろんそれはここに並んだ曲集を見た時点で、多くの人が「ブレハッチの意図はより深い(と概して考えられる)ものを目指している」と感じることだと思う。まずハイドンのピアノ・ソナタの第52番であるが、結果から書くとこれがもっと良く思えた。冒頭から適切な間合いと粒立ちのそろった輝かしいタッチで、しかし微細な表情付けを留め置きながら、鮮やかに音楽が流れている。ハイドンのソナタは、味わいをうまく伝えないと退屈に響いてしまう面があるが、ブレハッチの演奏は決して個性的というわけではないけれど、細やかなインスピレーションがあり、曲を美しく響かせる。第3楽章の運動美はさすがであり、技巧が活きている。 ベートーヴェンのソナタ第2番は私も大好きな曲である。作品2の3つのソナタの中では、抜群に思索的で、神秘性を感じる。この曲でブレハッチが前回のショパン録音で垣間見せた憂いの表情が活きることを期待したが、(期待が大きすぎたこともあって)わりと普通の良心的な演奏であった。もちろん水準は低くはないし、第2楽章のメランコリーも美しかったが、まだまだよくなる要素があると思った。 モーツァルトのピアノ・ソナタ第9番も同様で、美しいがときとして平板な感じもあった。だがそれでも今の時点でこのようなソナタ集を録音したという意欲に私は強く将来性を感じる。さらに一味、ふた味加わったときの演奏を楽しみにしたい。 |