アーン
当惑したナイチンゲール p: ユーニー・ハン レビュー日:2021.12.9 |
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★★★★★ 物憂げで瀟洒なアーンのピアノ独奏曲の魅力を教えてくれるアルバム
韓国のピアニスト、ユーニー・ハン(Yoonie Han 1985-)による、レイナルド・アーン(Reynaldo Hahn 1875-1947)のピアノ曲集「当惑したナイチンゲール」、全曲録音。いくつかの歌曲で知られるアーンは、ベネズエラで生まれ、フランスで活躍した作曲家。プルースト(Marcel Proust 1871-1922)との深い親交でも知られるが、現在では、その作品のうち、いくつかの歌曲やピアノ協奏曲が知られるくらいだろう。しかし、彼が1902年から1910年にかけて作曲した一群の「当惑したナイチンゲール」と呼ばれる作品群は、えもいわれぬ情感に満ちた、魅力いっぱいの作品集で、是非とも聴くべき曲集と思うが、録音は多くない。そんな中、Steinway And Sonsからリリースされた当盤は、とても貴重なもの。演奏も良い。 まず、収録楽曲の詳細を書こう。 ピアノ曲集 「当惑したナイチンゲール(Le Rossignol Eperdu)」 【CD1】 第1組曲 1) 第1番 扉絵(Frontispice) 2) 第2番 忍従のアンドロメダ(Andromede resignee) 3) 第3番 樅の森の悪夢(Douloureuse reverie dans un bois de sapins) 4) 第4番 三色菫の花束(Le Bouquet de pensees) 5) 第5番 秋日和(Soleil d'automne) 6) 第6番 グレートヒェン(Gretchen) 7) 第7番 二つの肩飾り(Les Deux echarpes) 8) 第8番 恋人よ!恋人よ!(Liebe! Liebe!) 9) 第9番 森に潜むエロス(Eros cache dans les bois) 10) 第10番 偽りの冷淡(La fausse indifference) 11) 第11番 真昼の歌(Chanson de midi) 12) 第12番 アンティオコス(Antiochus) 13) 第13番 ネヴァーモア(Nevermore) 14) 第14番 似姿(Portrait) 15) 第15番 オウムを連れた子供(L'Enfant au perroquet) 16) 第16番 エグランティーヌ王子の夢(Les Reveries du Prince Eglantine) 17) 第17番 陶酔(Ivresse) 18) 第18番 麗しき芳香(L'Arome supreme) 19) 第19番 不機嫌な子守唄(Berceuse feroce) 20) 第20番 通り過ぎた女(Passante) 21) 第21番 愛と倦怠の舞踊(La Danse de l'Amour et de l'Ennui) 22) 第22番 ウラノス(Ouranos) 23) 第23番 クロ=ザンドレのヘリオトロープ(Les Heliotropes du Clos-Andre) 24) 第24番 セーヌ川の夜の影響(Effet de nuit sur la Seine) 25) 第25番 小さな運河を通って(ヴェネツィア)(Per i piccoli canali (Venise)) 26) 第26番 幻影(Mirage) 27) 第27番 愛と危険の舞踊(Danse de l'Amour et du Danger) 28) 第28番 パリの朝(Matinee parisienne) 29) 第29番 悲劇的なケルビム(Cherubin tragique) 30) 第30番 絡んだ樫の木(Les Chenes enlaces) 【CD2】 第2組曲「オリエント(Orient)」 1) 第31番 カイーク船にて(En caique) 2) 第32番 水煙草(Narghile) 3) 第33番 ガラタの犬たち(Les Chiens de Galata) 4) 第34番 ボスフォラスの夜の夢(Reverie nocturne sur le Bosphore) 5) 第35番 ブリダの薔薇(La Rose de Blida) 6) 第36番 オアシス(ビスクラ)(L'Oasis (Biskra)) 第3組曲「旅の手帖(Carnet de voyage)」 7) 第37番 ガラスの天使(L'Ange verrier) 8) 第38番 ペトラルカの庭(Le Jardin de Petrarque) 9) 第39番 降誕(La Nativite) 10) 第40番 踊る女牧神(Faunesse dansante) 11) 第41番 ジョワイユーズ公の婚礼(Les Noces du duc de Joyeuse) 12) 第42番 小路(Le petit mail) 13) 第43番 エリザベスの小姓たち(Les Pages d'Elisabeth) 14) 第44番 青春と夏がペルゴレージの墓を花で飾る(La Jeunesse et l'Ete ornent de fleurs le tombeau de Pergolese) 15) 第45番 古い櫃(オルレアン美術館)(Vieux bahuts (Musee d'Orleans)) 第4組曲「ヴェルサイユ(Versailles)」 16) 第46番 マルス讃(Hommage a Martius) 17) 第47番 庭園の王妃(La Reine au jardin) 18) 第48番 フローラの目覚め(Le Reveil de Flore) 19) 第49番 長椅子の夢想者(Le Banc songeur) 20) 第50番 テルプシコーレ祭(La Fete de Terpsichore) 21) 第51番 黄昏時の別れ(Adieux au soir tombant) 22) 第52番 冬(Hivernale) 23) 第53番 無益な巡礼(Le Pelerinage inutile) 2018年の録音。 ユーニー・ハンというピアニストの演奏をはじめて聴いた。最初に聴いた時は、乾いたトーンで、もっとウェットな情感があってもいいように感じたのだが、繰り返し聴きたいと思わせるところがあり、そのうち、とても良く感じられるようになってきた。この曲集に特徴的な行間の情とでもよぶべき疎らで素朴な風情が、とてもふさわしい雰囲気で漂っていて、聴いているうちに、とても馴染みが良くなってきた。 この曲集は、サティ(Erik Satie 1866-1925)を思わせる簡素さと、ガブリエル・デュポン(Gabriel Dupont 1878-1914)を思わせる情緒的な描写性が交錯しているのだが、それに加えて、独特の期待を外した進行や、不思議さが備わっている。ユーニー・ハンは、それらの性格を、内省的なバランスを保って描き出しており、美しい。 曲集全体の印象は、後半になるほど、単純なフレーズがストレートに表現されるようになる。第9番や第12番に聴かれる、複層的な効果の面白味は、前半の特徴でもあるだろう。もっとも有名な楽曲は、おそらく第16番だと思う。一方で、後半の楽曲は、第35番や第45番などのように、どこか神秘的で幻想的なものが含まれて来る。 とはいえ、この曲集、どの曲が気に入るかは、かなり人それぞれになりそうな感じがする。私は、子供の頃、自宅にアーンの「景色(Paysage)」という美しい歌曲のスコアがあって、そのピアノ伴奏を弾いてみたりしていたので、導入部がそれを思わせる第3番など、様々なことを思わせる楽曲である。 いずれにしても、アーンの、この知られざる佳作群に、当盤のような優れた録音が加わるのは、実に喜ばしい。 |
当惑したナイチンゲール p: ワイルド レビュー日:2022.2.1 |
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★★★★★ 私にとって、「掘り出し物」という言葉に相応しい貴重な出会いでした。
アメリカのピアニスト、アール・ワイルド(Earl Wild 1915-2010)による、レイナルド・アーン(Reynaldo Hahn 1875-1947)のピアノ曲集「当惑したナイチンゲール」、全曲録音。アーンは、いくつかの歌曲でその名を知られるが、1902~10年にかけて作曲されたピアノ曲集「当惑したナイチンゲール」は、知る人ぞ知る瀟洒な作品で、全4部53曲から構成されている。当盤は、その全曲が2枚のCDに下記の様に収録されている。 ピアノ曲集 「当惑したナイチンゲール(Le Rossignol Eperdu)」 【CD1】 第1組曲 1) 第1番 扉絵(Frontispice) 2) 第2番 忍従のアンドロメダ(Andromede resignee) 3) 第3番 樅の森の悪夢(Douloureuse reverie dans un bois de sapins) 4) 第4番 三色菫の花束(Le Bouquet de pensees) 5) 第5番 秋日和(Soleil d'automne) 6) 第6番 グレートヒェン(Gretchen) 7) 第7番 二つの肩飾り(Les Deux echarpes) 8) 第8番 恋人よ!恋人よ!(Liebe! Liebe!) 9) 第9番 森に潜むエロス(Eros cache dans les bois) 10) 第10番 偽りの冷淡(La fausse indifference) 11) 第11番 真昼の歌(Chanson de midi) 12) 第12番 アンティオコス(Antiochus) 13) 第13番 ネヴァーモア(Nevermore) 14) 第14番 似姿(Portrait) 15) 第15番 オウムを連れた子供(L'Enfant au perroquet) 16) 第16番 エグランティーヌ王子の夢(Les Reveries du Prince Eglantine) 17) 第17番 陶酔(Ivresse) 18) 第18番 麗しき芳香(L'Arome supreme) 19) 第19番 不機嫌な子守唄(Berceuse feroce) 20) 第20番 通り過ぎた女(Passante) 21) 第21番 愛と倦怠の舞踊(La Danse de l'Amour et de l'Ennui) 22) 第22番 ウラノス(Ouranos) 23) 第23番 クロ=ザンドレのヘリオトロープ(Les Heliotropes du Clos-Andre) 24) 第24番 セーヌ川の夜の影響(Effet de nuit sur la Seine) 25) 第25番 小さな運河を通って(ヴェネツィア)(Per i piccoli canali (Venise)) 26) 第26番 幻影(Mirage) 27) 第27番 愛と危険の舞踊(Danse de l'Amour et du Danger) 28) 第28番 パリの朝(Matinee parisienne) 29) 第29番 悲劇的なケルビム(Cherubin tragique) 30) 第30番 絡んだ樫の木(Les Chenes enlaces) 【CD2】 第2組曲「オリエント(Orient)」 1) 第31番 カイーク船にて(En caique) 2) 第32番 水煙草(Narghile) 3) 第33番 ガラタの犬たち(Les Chiens de Galata) 4) 第34番 ボスフォラスの夜の夢(Reverie nocturne sur le Bosphore) 5) 第35番 ブリダの薔薇(La Rose de Blida) 6) 第36番 オアシス(ビスクラ)(L'Oasis (Biskra)) 第3組曲「旅の手帖(Carnet de voyage)」 7) 第37番 ガラスの天使(L'Ange verrier) 8) 第38番 ペトラルカの庭(Le Jardin de Petrarque) 9) 第39番 降誕(La Nativite) 10) 第40番 踊る女牧神(Faunesse dansante) 11) 第41番 ジョワイユーズ公の婚礼(Les Noces du duc de Joyeuse) 12) 第42番 小路(Le petit mail) 13) 第43番 エリザベスの小姓たち(Les Pages d'Elisabeth) 14) 第44番 青春と夏がペルゴレージの墓を花で飾る(La Jeunesse et l'Ete ornent de fleurs le tombeau de Pergolese) 15) 第45番 古い櫃(オルレアン美術館)(Vieux bahuts (Musee d'Orleans)) 第4組曲「ヴェルサイユ(Versailles)」 16) 第46番 マルス讃(Hommage a Martius) 17) 第47番 庭園の王妃(La Reine au jardin) 18) 第48番 フローラの目覚め(Le Reveil de Flore) 19) 第49番 長椅子の夢想者(Le Banc songeur) 20) 第50番 テルプシコーレ祭(La Fete de Terpsichore) 21) 第51番 黄昏時の別れ(Adieux au soir tombant) 22) 第52番 冬(Hivernale) 23) 第53番 無益な巡礼(Le Pelerinage inutile) 2001年の録音。 アール・ワイルドは、ロマン派の流れを汲むヴィルトゥオーゾとして知られるピアニスト。当盤を録音した当時86才ということになるが、じっさい、味わい深く、ニュアンスを込めた演奏で、心に染み入るような滋味を感じさせる。 私はこのアルバムを聴く前に、ユーニー・ハン(Yoonie Han 1985-)の録音を聴く機会があって、その乾いたトーンで、行間の情とでもよぶべき疎らで素朴な風情が、ふさわしい雰囲気で漂っていることに好感を持ったが、その良さに気づくのには、少し時間がかかった。 対して、当ワイルドの録音は、聴き始めたとたんにとてもしっくり行くのである。適度なボカシというか、水彩画的な淡さと、適度な揺らぎ、そして水気を含んだ音色が、たちまち私を彼方へと運んでくれるような、そんな気持ちになせてくれた。おそらく、ユーニー・ハンの演奏より、このワイルドの演奏の方が、この曲集に漠然と持つイメージに対して、正鵠を射た感じがするのではないだろうか。もちろん、それは個人差があるだろうけれど、私の感想は、そのようなものであった。 「扉絵」の単音によるモノローグのような冒頭から、自然を描いた絵画の世界に誘われるような音楽が始まる。「樅の森の悪夢」では霧の森をさ迷うかのよう。「エグランティーヌ王子の夢」の耽美的な雰囲気、「ウラノス」の物憂げな響き、「幻影」の音色の妙、「冬」のモノクロームな世界観。様々なものが、短くも味わい深い詩のような佇まいで、美しく表現される。 それにしてもワイルドの演奏はツボを得ている。奏者にとっても、この曲集を演奏する最高の時期に録音することが出来たのではないだろうか。86才という録音時の年齢のことに思いを馳せつつ、そう感じた。そのピアノは、「静寂」と、「定まらない常に変化するもの」を、精妙な音色、ペダリング、アゴーギグで彩っていく手法は、まさに大家のそれであり、いかにも年輪を重ねた貫禄を感じさせる「間合い」とあいまって、特有の世界観を形成している。これは本当に貴重で、私にとっても、「掘り出し物」と言えるアイテムだった。現在では、中古でしか入手方法がないようだが、是非、再版してほしい。また、そのことによって、この曲集の魅力が、より多くの人に伝われば、素晴らしいことに違いない。 |
歌曲集 T: ヒル p: ジョンソン レビュー日:2017.10.3 |
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★★★★★ ヒルのテノールが美しく伝えるアーンの歌曲集
イギリスのテノール、マーティン・ヒル(Martyn Hill 1944-)によるアーン (Reynaldo Hahn 1875-1947)の歌曲集。収録曲は以下の通り。 1) 泉(Les fontaines) 2) クロリスに(A Chloris) 3) タンダリス(Tyndaris) 4) 愛しい傷(La chere blessure) 5) アリア(L'air) 6) わたしがとりこになったとき(Quand je fus pris au pavilion) 7) 星(Les etoiles) 8) 秋(L'automne) 9) 不実(Infidelite) 10) 我が詩に翼ありせば(Si mes vers avaient des ailes) 11) 恋する乙女(L'enamouree) 歌曲集「灰色の時」Chansons grises 12) 秋の歌(Chanson d'automne) 13) 二人して(Tous deux) 14) 道は果てしなく(L'allee est sans fin) 15) ひっそりと(En sourdine) 16) 得も言われぬ時(L'heure exquise) 17) 川に映る木々の影(Paysage triste) 18) よき歌(La bonne chanson) 19) 牢獄より(D'une prison) 20) 捧げもの(Offrande) 21) 懐疑の人(L'incredule) 22) 艶なる宴(Fetes galantes) ピアノ伴奏はグレアム・ジョンソン(Graham Johnson 1950-)。1981年の録音。 アーンはドイツ人の父親とスペイン人の母親の間にベネズエラで生まれた。しかし3歳ですぐパリに移り住むこととなり、その作風は、サロン風のメロディとユーモアを感じさせる機知を持つものとなった。彼の歌曲は、いわゆるシャンソン(フランス語の世俗的声楽曲)として分類されるが、それは作風の持つ一種の「軽さ」に由来する。 そのためもあってか、彼の作品の録音は意外と少ない。いい曲なのだが、奥深さという点でちょっと物足りない。しかし、逆に言うと、その軽やかさが彼の音楽の魅力であり、親しみやすさでもある。時々妙に聴きたくなるアーンの歌曲。そんなとき、この1枚はぴったりだ。 冒頭の「泉」からヒルの高い声域の自然な伸びやかさに心を動かされる。アーンの歌曲に相応しいスマートな美声だ。ピアノ伴奏も軽やかな運動美が息づいていて、声との呼吸もピタリといったところ。 楽曲では、やはりアーンの代表作として名高い「我が詩に翼ありせば」が美しい。この歌曲をアーンは13歳の時に書いたというのだから、驚くべき早熟の天才だったのだろう。また、こちらも名曲として知られる「牢獄より」の透明な、限られた窓から空を見上げて思いをつづった歌も、無類の透明感に満ちている。 静謐な退廃といった雰囲気を持つものも魅力的。例えば「道は果てしなく」や「ひっそりと」には特有の陰影があって、いかにもこの時代の楽曲というにふさわしいと思う。G線上のアリアのコード進行を彷彿とする「クロリスに」、優雅な中にユーモアが薫る「艶なる宴」、ピアノのフレーズが特徴的な「タンダリス」、季節感がいかにもな「秋の歌」・・。アーンの歌曲は、かくも素敵なものがいっぱいあるのだと教えてくれる素敵な一枚になっています。 |
歌曲集 MS: グラハム p: ヴィニョーレス レビュー日:2017.11.9 |
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★★★★★ 過ぎた時に思いを馳せるような暖かな情感が魅力です
アメリカのメゾ・ソプラノ、スーザン・グラハム(Susan Graham 1960-)によるアーン(Reynaldo Hahn 1874-1947)の歌曲集。以下の24曲が収録されている。 1) クローリスへ(A Chloris) 2) リラの茂みのうぐいす(Le Rossignol des lilas) 3) 恋する乙女(L'Enamouree) 4) ブドウの収穫期の3つの日(Trois Jours de vendange) 5) リデ(Lyde) 6) タンダリス(Tyndaris) 7) フィリス(Phyllis) 8) 泉(Les Fontaines) 9) 秋(L'Automne) 10) 不実(Infidelite) 11) 夜に(Dans la nuit) 12) 牢獄より(D'une prison) 13) 星のない夜は(Quand la nuit n'est pas etoilee) 14) 煙(Fumee) 15) 春(Le Printemps) 16) 覚えているよ(Je me souviens) 17) 僕が愛の棲み家にとらわれていた時(Quand je fus pris au pavillon) 18) 風景(Paysage) 19) 艶なる宴(Fetes galantes) 20) 夜想曲(Nocturne) 21) 5月(Mai) 22) 妙なる時間(L'Heure exquise) 23) 捧げ物(Offrande) 24) 我が詩に翼ありせば(Si mes vers avaient des ailes) ピアノ伴奏はロジャー・ヴィニョーレス(Roger Vignoles 1945-)。1998年の録音。 最初に私の思い出話をちょっと書かせていただくと、私が小さい頃、父の持っていたレコードにアーンの歌曲集があって、父はよく聴いていた。フランスの名テノール、カミーユ・モラーヌ(Camile Maurane 1911-2010)の歌唱によるもので、私も自然にそれを覚えた。家には、輸入盤のスコアがあって、私は中の「景色」という曲を気に入り、そのスコアをなぞってピアノ伴奏部分を弾いて遊んだりした。 それで、このアルバムには、その「景色(風景)」という曲が入っていて、私は本当に何十年かぶりにそれを聴いたので、ずいぶんいろいろ思い返すものが多かった。ゆったりとしたピアノ伴奏が繰り出す、単純だけれどもそれゆえの魅力に満ちたおおらかな旋律が歌唱に引き継がれ、ちょっとした展開があって、また戻る。その基本的な構造こそが、この旋律に相応しい。「波の音が聞こえる海まであと二歩、ブルターニュの誰も訪れないところをぼくは知っている」から始まる恋の歌。この曲を書いた時、アーンはまだ15歳だったという。男声にこそふさわしい一曲であるけれど、グラハムの歌唱は、非常に自然で、モラーヌのように情熱的ではないが、健やかな情感があってきれいだ。それは、過ぎ去ったワンシーンを思い返すようで、私には感慨深い。 アーンの歌曲は、シャンソンの中でも、やや通俗的というかサロン的なものと位置づけられることが多く、そのような背景もあって、多くの歌曲を集約した録音というのは数が少ないのだろう。その状況は残念なことと言わざるをえない。当盤を聴いて、「風景」もそうだが、美しい曲がいっぱいあることは明白だからだ。彼が13歳(!)のときに書いた名曲「我が詩に翼ありせば」、劇的で情熱的な「夜に」、ヴェルレーヌ(Paul Verlaine 1844-1896)の詩に淡く透明な節を与えた「牢獄にて」、抒情的描写の美しい「リラの茂みのうぐいす」・・・。 グラハムのフランス語は、クセがなく流麗な印象。中低域が安定して豊かであり、そのことが、全体的に安定した暖かな雰囲気を作っている。ヴィニョーレスの伴奏も、いかにも歌唱を大切にした注意深い抑制の効いたものであり、好ましいもの。 |