グラス
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交響曲 全集 D.R.デイヴィス指揮 バーゼル交響楽団 シュトゥットガルト室内管弦楽団 ウィーン放送交響楽団 リンツ・ブルックナー管弦楽団 モーガン州立大学合唱団 ハンガリー放送少年合唱団 S: マルティネス フラニガン MS: グレイブス T: シャーデ Br: オーウェンズ ドーメン レビュー日:2016.10.18 |
★★★★★ フィリップ・グラスの音楽世界を存分に堪能できる充実の交響曲(暫定)全集
アメリカの、ミニマル音楽の大家、フィリップ・グラス (Philip Glass 1937-)の交響曲全集。グラスは現役の作曲家なので、あくまで現時点での全集、ということになる。指揮は、グラス作品に深く精通し、その作品を積極的に演奏しているデニス・ラッセル・デイヴィス(Dennis Russell Davies 1944-)。収録内容は以下の通り。 【CD1】 2012年録音 交響曲 第1番「ロウ」 1) 第1楽章「地下室(Subterraneans)」 2) 第2楽章が「サム・アー(Some Are)」 3) 第3楽章が「ワルシャワ(Warszawa)」 【CD2】 1997年頃録音 交響曲 第2番 【CD3】 1998年頃録音 交響曲 第3番 【CD4】 2012年録音 交響曲 第4番「ヒーローズ」 1) 第1楽章「ヒーローズ(Heroes)」 2) 第2楽章「アブドゥルマジード(Abdulmajid)」 3) 第3楽章「疑惑(Sense of Doubt)」 4) 第4楽章「沈黙の時代の子供たち(Sons of the Silent Age)」 5) 第5楽章「ノイケルン(Neukoln)」 6) 第6楽章「V-2シュナイダー(V2 Schneider)」 【CD5,6】 2000年録音 交響曲 第5番「レクイエム・詩人・顕現」 1) 第1楽章「創世記前(Before the Creation)」 2) 第2楽章「宇宙の創造(Creation of The Cosmos)」 3) 第3楽章「生命の創造(Creation of Sentient Beings)」 4) 第4楽章「人間の創造(Creation of Human Beings)」 5) 第5楽章「愛と喜び(Love and Joy)」 6) 第6楽章「悪と無知(Evil and Ignorance)」 7) 第7楽章「苦しみ(Suffering)」 8) 第8楽章「慰め(Compassion)」 9) 第9楽章「死(Death)」 10) 第10楽章「審判と黙示(Judgment and Apocalypse)」 11) 第11楽章「楽園(Paradise)」 12) 第12楽章「功徳の聖別(Dedication of Merit)」 【CD7】 2002年録音 交響曲 第6番「プルートニアン・オード(冥界の頌歌)」 【CD8】 2008年録音 交響曲 第7番「トルテカ交響曲」 1) 第1楽章「トウモロコシ(The Corn)」 2) 第2楽章「ヒクリ(The Hikuri)」 3) 第3楽章「青い鹿(The Blue Deer)」 【CD9】 2005年録音 交響曲 第8番 【CD10】 2012年録音 交響曲 第9番 【CD11】 2013年録音 交響曲 第10番 オーケストラは、第1番と第4番がバーゼル交響楽団、第2番と第5番がウィーン放送交響楽団、第3番がシュトゥットガルト室内管弦楽団、第6番~第10番はリンツ・ブルックナー管弦楽団。 第5番、第6番、第7番は声楽を伴う。第5番の合唱はモーガン州立大学合唱団とハンガリー放送少年合唱団、5人の独唱者はソプラノ: アナ・マリア・マルティネス(Ana Maria Martinez 1971-)、メゾ・ソプラノ: デニス・グレイブス(Denyce Graves 1964-)、テノール: ミヒャエル・シャーデ(Michael Schade 1965-)、バリトン: エリック・オーウェンズ(Eric Owens 1970-)、バス・バリトン: アルベルト・ドーメン(Albert Dohmen 1956-)。第6番のソプラノ独唱はローレン・フラニガン(Lauren Flanigan 1959-)、第7番の合唱はリンツ・オペラ合唱団。 中には30分に満たない作品もあるが、第5番以外はCD1枚につき1曲の収録という規格。 これらの楽曲は、概して、その旋律的な美しさ、保守的な和声の扱いから、とても親しみやすいもの。もちろん、ミニマル音楽特有の展開の画一性はあるものの、音楽構成自体に耐性さえあれば、聴いていて十分に楽しめるものだ。 交響曲第1番と第4番は、最近亡くなったロック・ミュージシャン、デヴィッド・ボウイ(David Bowie 1947-2016)が、アンビエント界の奇才、ブライアン・イーノ(Brian Eno 1948–)のコンセプトを取り入れて製作した同名のアルバムのタイトルが与えられ、音楽素材を巧みに転用した作品。ミニマル音楽とアンビエントの音楽的親和性によるグラスならではの視点が生きている。特に第1番は良く出来ている。 交響曲第3番は弦楽合奏のための短い作品だが、特に終楽章の美しい夢想的な雰囲気が忘れがたい。 交響曲第5番から第7番までは「声楽3部作」といったところ。第5番は、リグ・ヴェーダ、コーラン、マタイ受難書、ヨブ記、死者の書といったものから、インドやアフリカの各種伝承詩、果ては小野小町、松尾芭蕉まで、多彩なテキストを引用し、グラスなりの世界観を描いた壮大なもの。後半になるにつれて、音楽的な機能性が多様化していくところが面白いが、交響曲としての体裁はあまり感じられず、長大なだけに単調さもある。第6番はアレン・ギンスバーグ(Allen Ginsberg 1926-1997)の原詩に音楽を付随したもので、啓示的な歌唱、音楽表現、プルトニウム汚染の深刻さを問う怒りの表現が巧みな傑作だ。第7番は紀元前500年頃にアフリカ中央部に存在したとされる古代文明への想像を描いたもの。特に第2楽章から導入される合唱の決然たる効果が見事。劇的で短いフレーズを何度も繰り返していく過程で、楽曲は熱を帯び、幻想的な世界へと聴き手を誘っていく。馴染みやすさ、音楽へののめりこみ易さと言う点でも際立つ部分。美しい作品だ。 交響曲第8番以降は再び純器楽の作品に戻る。第8番、第9番はいずれも充実した作品で、中でも2012年に書かれた第9番は当該全集の白眉と言っても良い名作。単にミニマル音楽というにとどまらない複層的な音楽の面白味と、主題の美しさ、管弦楽書法の充実が備わっている。第1楽章は沈鬱な薄暗い情緒を、時に激しい慟哭を感じさせるような情熱をもって表現し、主題も美しく、立派な恰幅を持った音楽である。第2楽章は、後期ロマン派を思わせる耽美的、退廃的な美しさで始められるが、この音楽は次第に熱を帯び、中間では、熱狂的なリズムを刻む。そして、再び沈静化していく。終楽章は静謐な音楽から開始されるが、複数の主題が、複合的な関係をもってゆったりと高揚していく数分は、美しいかぎりで、様々に想像力を刺激させる。そして、この楽章も次第に沈静化していくのだが、その末尾の静寂には恐ろしいほどの緊迫感が張りつめている。このフィナーレは、多くの人がショスタコーヴィチ(Dmitrii Shostakovich 1906-1975)の第4交響曲を彷彿とさせるのではないか。じっさい、私はこの交響曲は、ショスタコーヴィチの交響曲群と並んでも何ら遜色のない名品だと感じられる。 以上のように、なかなかに聴かせる音楽であり、決して難しい作風ではなく、むしろミニマル音楽へのハードルを持たない人であれば、十二分に楽しめるものであると思う。オーケストラはいずれも好演で、録音、技術などで特に気になる点もない。全集化で廉価になったことを踏まえると、十分にお買い得な内容と感じる。 ただし、単品発売時に併録されていた楽曲がすべて削られてしまったのは、とてももったいないところ。全集化に際しては、可能な限りそれらの楽曲も併せて収録してほしい。 |
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交響曲 第1番「ロウ」 D.R.デイヴィス指揮 バーゼル交響楽団 レビュー日:2016.9.29 |
★★★★★ 是非、原曲との聴き比べを推奨します
アメリカのミニマル・ミュージックの大家、フィリップ・グラス (Philip Glass 1937-)が1993年に完成した交響曲第1番「ロウ」。デニス・ラッセル・デイヴィス(Dennis Russell Davies 1944-)指揮、バーゼル交響楽団の演奏による2012年録音。 何から書くべきか、迷うが、「ロウ」とは最近亡くなったロック・ミュージシャン、デヴィッド・ボウイ(David Bowie 1947-2016)のアルバムのタイトルである。「ロウ」はデヴィッド・ボウイが、アンビエント界の奇才、ブライアン・イーノ(Brian Eno 1948–)のコンセプトを取り入れて製作し、1977年にリリースされたもの。このミュージシャンの、いわゆる「ベルリン三部作」の一つである。 このアルバム、1991年のCD化の際、未発表トラックとして3曲が追加収録されている。グラスの交響曲は、この未発表トラックを含んだものから、インスピレーションを得たものとなっている。 交響曲は3つの楽章からなっていて、第1楽章が「地下室(Subterraneans)」、第2楽章が「サム・アー(Some Are)」、第3楽章が「ワルシャワ(Warszawa)」とタイトルが付されている。これらは、デヴィッド・ボウイのアルバム収録曲そのままのもので、中でサム・アーが未発表トラックに該当する。 これらの楽曲は、デヴィッド・ボウイという芸術家の多感性を反映したものであるが、むしろ使用された音楽的素材は、イーノ由来のものとして考えるのが妥当に思う。私のように、70年代に生まれた者は、いわゆるテクノ・ブームという言葉で抱合される音楽文化の流れをリアルタイムで体験しているが、その過程でイーノの音楽にはしばしば接してきたし、日本で言えば、細野晴臣(1947-)を中心に求められたアンビエントと称される環境補完性を持った音楽の芸術性を高める一連のアクションは、当時のヨーロッパの音楽的潮流抜きには考えられないのである。また、イーノ自身が、自身の音楽の起源として、サティ(Erik Satie 1866-1925)の影響に言及しているように、「それ」は音楽のジャンルを様々に飛躍し、かの時代に敷衍したのだ。 だから、ミニマル・ミュージックという、そもそもボーダーレス的で、環境音楽の要素を持った作風のグラスが、前述の様に「ロウ」から交響曲を編み出したとしても、それは突飛なことではなく、的確な視点を持てば、両者はむしろ最初から近いところにいたのである。細野と音楽活動を共にしてきたことがある坂本龍一(1952-)が、芸術家としてのグラスを高く評価していることも、ある程度蓋然性があるように感じる。 デヴィッド・ボウイのアルバムに収録されたこの3曲は、インスト主体の曲であり、そういった意味でも、純器楽による表現への変換は、ある程度容易さが想定されるものだとも言えるだろう。これらの原曲は、いずれもネットで試聴が可能なので、当盤を聴くのであれば、是非並行して聴くことをオススメする。そのことによって、当盤を聴く面白味が、何層にも増すからだ。 グラスの技法により、リズム処理、コード進行など、いかにもグラスのものという印象が濃くなっているが、その一方で、原曲が持つフレーズの役割、特有の緊張感、閉塞を感じさせる暗がりが、損なわれることなく巧妙に移項されている。そして、思いのほか原曲のメロディーが、場所によっては、ほとんどそのままといってよい形で提示されていることも面白い。このような企画では、原曲の明瞭な「フシ」を、あえて技巧を加えて変形させることが多いのだが、グラスは、原型を保持させたまま、自らの芸術品へと仕立てていく。 特に感動的なのは、第2楽章の「Some Are」ではないだろうか、と思う。メロディーとグラスの作風の融合度が高いこともあるが、美しくも悲劇的な諸相を湛え、訴える力の強いものと感じられる。 |
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交響曲 第4番「ヒーローズ」 D.R.デイヴィス指揮 バーゼル交響楽団 レビュー日:2016.10.17 |
★★★★☆ 第1交響曲「ロウ・シンフォニー」の姉妹作。グラスの第4交響曲。
デニス・ラッセル・デイヴィス(Dennis Russell Davies 1944-)指揮、バーゼル交響楽団の演奏によるフィリップ・グラス (Philip Glass 1937-)の交響曲第4番「ヒーローズ」。2012年の録音。 ミニマル音楽の大家、グラスの交響曲第1番は、デヴィッド・ボウイ(David Bowie 1947-2016)が、アンビエント界の奇才、ブライアン・イーノ(Brian Eno 1948–)とともに作成したアルバム「ロウ」にインスピレーションを得、その素材を使用して書かれた。 その姉妹作と言えるのが、交響曲第4番「ヒーローズ」で、こちらもデヴィッド・ボウイの同名のアルバム「ヒーローズ(英雄夢物語)」に基づいて、作曲の筆が進められた。 全曲は、以下の6つの楽章からなる。 1) 第1楽章「ヒーローズ(Heroes)」 2) 第2楽章「アブドゥルマジード(Abdulmajid)」 3) 第3楽章「疑惑(Sense of Doubt)」 4) 第4楽章「沈黙の時代の子供たち(Sons of the Silent Age)」 5) 第5楽章「ノイケルン(Neukoln)」 6) 第6楽章「V-2シュナイダー(V2 Schneider)」 交響曲第1番が、比較的長めな3つの楽章から構成されたのに対し、交響曲第4番は6つの楽章からなる。各楽章のタイトルは、デヴィッド・ボウイの同名のアルバムの曲名と共通で、もちろん、同じ音楽的素材が使用されている。中で、「アブドゥルマジード」は、1991年の再発売時に、ボーナストラックとして初めて付属された楽曲となる。 デヴィッド・ボウイ(ブライアン・イーノ)とフィリップ・グラスの音楽的関係性については、交響曲第1番のレビューで書かせていただいたので割愛するが、要は両者の音楽的位置関係は近いもので、このような作品が書かれたことは、突飛なことではない。 今回も、原曲を巧みにオーケストレーションしているが、交響曲第1番に比べると、やや短絡性があり、面白味としては、やや減じるところもある。しかし、バーゼル交響楽団の暖かい音色による好サポートもあって、その音楽的機微は、豊かに表現されていると思う。 いずれの原曲も、現在ネット環境を通じて視聴することが出来るので、聴き比べをするのが楽しいが、例えば第1楽章などは、インスト部分をそのまま楽曲化し、グラスの語法で展開させたものであるので、聴きようによっては、伴奏だけで旋律のない音楽にも聴こえる。しかし、これはいわゆるアンビエント音楽、環境補完性の高い音楽の一つの在り方であり、そこに想像力を様々に添える愉悦性を残しているとも言える。 楽曲自体の完結性としては、第2楽章の「アブドゥルマジード」、第5楽章の「ノイケルン」に高いものを感じさせる。いわゆるクラシック的なアプローチとの相性の良さもあって、欠落を感じさせない構築感があるだろう。 旋律的な美しさに接するのは、第4楽章「沈黙の時代の子供たち」で、その牧歌的とも言える情緒は、聴き手をほっとさせるものだと言えるだろう。 全般に流麗で、ミニマル音楽の形式に従順な真面目な編曲となっているが、原曲のどの部分を残してオーケストラ曲化したのかなど、把握しながら聴くのも一興だろう。個人的には、同じコンセプトのものとしては、交響曲第1番の方が優れているように感じられるが、各楽章の短さから、第4番の方が聴き易いという人も多いかもしれない。 |
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交響曲 第5番「レクイエム・詩人・顕現」 D.R.デイヴィス指揮 ウィーン放送交響楽団、モーガン州立大学合唱団ンガリー放送少年合唱団 S: マルティネス MS: グレイブス T: シャーデ Br: オーウェンズ Bs: ドーメン レビュー日:2016.10.5 |
★★★★☆ コンセプトは壮大だけれど、メロディは温和なグラスの大作
ミニマル・ミュージックの大家、フィリップ・グラス (Philip Glass 1937-)は、これまでの10曲の交響曲を書いているが、その最大の規模を持つ作品がこの「交響曲第5番」となる。この作品は、1999年、ザルツブルク音楽祭からの委嘱を受けて、「ミレニアム」を記念するものとして書かれた。全12楽章からなる、声楽を伴った作品で、演奏時間は約96分。当盤は、デニス・ラッセル・デイヴィス(Dennis Russell Davies 1944-)の指揮のもと、2000年に録音された。オーケストラはウィーン放送交響楽団、合唱はモーガン州立大学合唱団とハンガリー放送少年合唱団。5人の独唱者は以下の通り。 ソプラノ: アナ・マリア・マルティネス(Ana Maria Martinez 1971-) メゾ・ソプラノ: デニス・グレイブス(Denyce Graves 1964-) テノール: ミヒャエル・シャーデ(Michael Schade 1965-) バリトン: エリック・オーウェンズ(Eric Owens 1970-) バス・バリトン: アルベルト・ドーメン(Albert Dohmen 1956-) グラスは、この交響曲に「レクイエム・詩人・顕現」なる副題を与え、そのテーマに基づいて以下の12の楽章をまとめている。 1) 第1楽章「創世記前(Before the Creation)」 2) 第2楽章「宇宙の創造(Creation of The Cosmos)」 3) 第3楽章「生命の創造(Creation of Sentient Beings)」 4) 第4楽章「人間の創造(Creation of Human Beings)」 5) 第5楽章「愛と喜び(Love and Joy)」 6) 第6楽章「悪と無知(Evil and Ignorance)」 7) 第7楽章「苦しみ(Suffering)」 8) 第8楽章「慰め(Compassion)」 9) 第9楽章「死(Death)」 10) 第10楽章「審判と黙示(Judgment and Apocalypse)」 11) 第11楽章「楽園(Paradise)」 12) 第12楽章「功徳の聖別(Dedication of Merit)」 グラスが本作のために引用したテキストも実に多彩でリグ・ヴェーダ、コーラン、マタイ受難書、ヨブ記、死者の書といったものから、インドやアフリカの各種伝承詩、果ては小野小町、松尾芭蕉に至るまで、よくぞここまで網を広げたとそれだけでも感心してしまう。 このコンセプトは、マーラー(Gustav Mahler 1860-1911)の第8交響曲や、スクリャービン(Alexander Scriabin 1872-1915)の未完に終わった「神秘劇」を想起させるもの。聴いてみての感想は、率直に「これを交響曲と言うのは、どうなんだろう?」というもので、基本的に12の部分からなるとは言え、交響曲的な「仕組み」を感じられる部分は、正直に言ってまったくなく、単にオラトリオをした方が、印象の齟齬はないだろう。 コンセプトは壮大だが、音楽を作っているのはいかにもグラスらしいフレーズと、ミニマル音楽的な進行であり、特に前半の部分では、同じフレーズが様々な形で繰り返され、それをまた積み重ね、といったことがひたすら起きる。とは言っても、そのメロディ自体は、グラスらしい親しみやすさを持つもので、その性質は、映画音楽的と言うことができるだろう。覚えやすいメロディをインプットすることで、イメージ形成は容易となり、聴き手の「親しみやすさ」へと変質していく。メロディ自体への愛着を持つことさえできれば、この作品を楽しむことはカンタンだし、そのメロディも特段難しいことは何もない。グラスらしい定期的な付点の印象的なリズムも健在だ。 後半になるにつれて、普段のグラスの音楽に別の要素が加わっていることも感じられる。さすがにミニマルだけで100分押し通すのは厳しいと考えたのが、保守的な多様さが入り交る。そのことに慣れるのに、若干のタイムラグがあるものの、それなりに興味深い音楽で、面白味がある。特に2枚目のディスクの冒頭曲が、なかなか聴きどころが多いものとなっていると感じられる。 全般のイメージとしては、物々しいテーマ性を打ち上げたわりには、聴いてみると、優しい軽やかさを伴った、穏やかで明朗な音楽が淡々と流れるので、そのギャップを聴き手はまず受け入れることとなるが、加えて、交響曲というミスリードからも離脱する必要があり、できるだけ、素直にグラスの一作品と思って接するのが良いように思える。 ミニマル特有の単調さはあるが、美しい旋律を心地よく楽しめる作品となっている。 |
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交響曲 第6番「プルートニアン・オード(冥界の頌歌)」 D.R.デイヴィス指揮 リンツ・ブルックナー管弦楽団 S: フラニガン レビュー日:2016.10.7 |
★★★★★ 合唱、休符の劇的な効果が印象的なグラスの馴染みやすい一作品。
デニス・ラッセル・デイヴィス(Dennis Russell Davies 1944-)指揮、リンツ・ブルックナー管弦楽団によるフィリップ・グラス (Philip Glass 1937-)の交響曲第6番「プルートニアン・オード(冥界の頌歌)」。この曲が書かれた2002年に録音されたもの。交響曲第6番は、全3楽章からなるソプラノ独唱と管弦楽のための作品で、当盤では独唱をローレン・フラニガン(Lauren Flanigan 1959)が務める。 劇的で美しい音楽だ。グラスの代表作というだけでなく、今世紀に誕生した傑作交響曲と言っても良い。この作品はカーネギー・ホールとリンツ・ブルックナー管弦楽団からの委嘱作であるが、グラスはテキストをアレン・ギンスバーグ(Allen Ginsberg 1926-1997)が1982年に書いた詩「プルートニアン・オード」に求めた。ここで、プルートニアンはプルトニウム、つまり核兵器、核燃料を指し示す単語として扱われ、3つの楽章では、第1楽章が原子力の運用にまつわる環境破壊、環境汚染についての抗議、第2楽章では救済、第3楽章では真実の探求が描かれている。 すでにギンスバーグの反戦詩を題材とした作品などがあるグラスにとって、その詩は、世界が抱える深い闇を捉えたもので、21世紀を迎えた最初の作品として、深く共鳴するところがあったに違いない。私は詳しくはないのだけれど、詩の背景には、グノーシス主義やチベット仏教の思想があり、そのような意味で聴き手を選ぶところがあるのかもしれないが、言語的な隔たりのある文化圏のリスナーは、むしろ音楽的な充実と美しさをストレートに受ける土壌を持つと言えるのかもしれない。 言い方を変えると、放射能の環境を破壊する地理的、時間的規模は、現代文明をもってしても制御不能なものであることを実感した現在の日本では、そのメッセージ性は現実の問題とリンクして伝わるかもしれない。 第1楽章は深刻で沈痛な諸相をもって開始される。冒頭7分程度が序奏に相当すると考えられるが、そこから一気にテンポを早めて劇的な音楽に移る。荒れ狂う管弦楽を背景に、女声は啓示的な歌唱を響かせ、音楽は果敢にエスカレートしていく。その様は、単純にカッコよさを感じるものだろう。映画音楽的ではあるが、真摯な音楽書法の裏付けを持った展開があり、聴き手を飽きさせない引力がある。この楽章は、恐怖と怒りを情熱的に描いたものとして、立派な起承転結を持っている。 緩徐楽章に相当する第2楽章もグラスらしい付点の音型が支配的で、落ち着いた諸相が描かれる。この楽章も良く出来ているが、第3楽章もミニマル音楽の交響曲として、一つの形を極めたものを感じさせる。美しいだけでなく、主題を高揚させていき、フィナーレに結びつける手腕はなかなかのものだ。グラスの傑作として、記憶しておきたい1曲となっている。 なお、当アイテムには、ギンスバーグ自身による朗読が別添されている。 |
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交響曲 第7番「トルテカ交響曲」 D.R.デイヴィス指揮 リンツ・ブルックナー管弦楽団 リンツ・オペラ合唱団 レビュー日:2016.10.7 |
★★★★★ 合唱、休符の劇的な効果が印象的なグラスの馴染みやすい一作品。
デニス・ラッセル・デイヴィス(Dennis Russell Davies 1944-)指揮、リンツ・ブルックナー管弦楽団とリンツ・オペラ合唱団による演奏で、フィリップ・グラス (Philip Glass 1937-)の交響曲第7番「トルテカ交響曲」の録音。トルテカ交響曲は2005年に完成した作品で、当録音は2008年にオーストリアでライヴ収録されたもの。 当作品は、アメリカの指揮者、レナード・スラットキン(Leonard Slatkin 1944-)の60歳を記念して、彼が音楽監督を務めていたワシントン・ナショナル管弦楽団から委嘱された作品。トルテカは紀元前500年頃にアフリカ中央部に存在したとされる古代文明。全曲で35分ほどの演奏時間。楽曲は3つの楽章からなり、以下のような副題が与えられている。 1) 第1楽章「トウモロコシ(The Corn)」 2) 第2楽章「ヒクリ(The Hikuri)」 3) 第3楽章「青い鹿(The Blue Deer)」 ちなみに、ヒクリはサボテンの根のことで、食すと幻覚作用をもたらすことから「聖なる根(Sacred Root)」とも呼ばれるとのこと。 楽曲は、コンパクトにまとまった、親しみやすいもの。全体はおおよそ緩-急-緩で構成され、いずれの楽章もグラスらしいミニマル音楽の様式を用いている。 序奏的な性格のある第1楽章では特徴的な音階の作用を用いた展開があるのが面白い。グラス作品の中でも、この曲のキャラクターを定義づけるところだろう。風景描写的でありながらも、重い気だるさのある情感が描かれていて、音楽から受け取る感情的なものの量が多い。 第2楽章から導入される合唱の決然たる効果が見事。劇的で短いフレーズを何度も繰り返していく過程で、楽曲は熱を帯び、幻想的な世界へと聴き手を誘っていく。馴染みやすさ、音楽へののめりこみ易さと言う点でも際立つ部分であり、それこそ何かのサウンドトラックにも使えそうである。 そもそも、現代音楽とは言っても、グラスの作品では、基本的に保守的な和声が使用されていて、概して聴き易い。映画音楽的、環境音楽的という形容もあたはまるだろう。この第2楽章では、構想の大きさを感じさせる展開があり、交響曲としての体裁を良く整えているという印象に繋がる。オーケストラも立派な反応を示す。 第3楽章は、全般には穏やかさがあるが、鋭い諸相を示すところがあり、コーラスや休符の扱いが劇性を高めている。神秘的な美しさを感じさせる。 全曲の規模も聴くのに手頃なものであり、グラスの作品になじみのない人でも、十分に楽しめるものになっていると感じる。 |
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交響曲 第8番 D.R.デイヴィス指揮 リンツ・ブルックナー管弦楽団 レビュー日:2016.10.12 |
★★★★★ グラスのオーケストラ書法の円熟を示す第8交響曲
デニス・ラッセル・デイヴィス(Dennis Russell Davies 1944-)指揮、リンツ・ブルックナー管弦楽団によるフィリップ・グラス (Philip Glass 1937-)の交響曲第8番。この楽曲が書かれた2005年に当録音も行われている。 グラス作品と深いかかわりのあるリンツ・ブルックナー管弦楽団からの委嘱作。グラスの交響曲としては、前3作が「声楽付き」の作品であったが、この交響曲は、純器楽のための作品ということになる。 グラスは、この曲と演奏について、以下のようにコメントしている。「この交響曲は、私の純器楽交響曲への復帰作です。この作品が、国際的で素晴らしいオーケストラ、リンツ・ブルックナー管弦楽団によって初演されたことは、幸福なことでした。デイヴィスは、一つ一つの楽器に求められる高い能力が、協奏曲形式を思わせると指摘していました。この作品では、音色、密度、構造、メロディを明確にしていくことが必要です」 楽曲は、3つの楽章からなり、それは、急-緩-緩の構造と見て取れる。そしてその3つの楽章は、長さ、メロディ、テクスチャ、音楽的なプロセスにおいて、大きく異なっているとのこと。 第1楽章は、衝撃的な3連符と休符の繰り返しによって開始される。3連符の3音目の音程が前2音から変化することで、音楽は進み、劇的な力強さを蓄えていく。その過程は単調さを持っているが、グラスの直観的なメロディ・ラインがわかり易いため、音楽的な枠組みは、とらえやすい。パーカッション(木版、タンバリン、スネアドラム)の効果的な使用法が特徴的だが、この楽章は、いくつか場面が転換し、結果としてグラス作品には珍しく、扱われるモチーフが多い。中間部以降は、メロディの変容から派生した行進曲風の盛り上がりが起こる。全般に短調の響きが支配的であり、暗い情緒性がある。ここでも、音楽は一つのクライマックスを明瞭に築くこととなる。 第2楽章はパッサカリア風にまとめられた美しい音楽で、トランペットの高音の歌が印象的。終楽章となる第3楽章も、穏やかな暗さがあり、後期ロマン派を思わせる抒情線が印象的だ。この後半2楽章のもつ雰囲気は、鎮魂的なものを思わせ、劇的な第1楽章との対比が鋭い。全曲のフィナーレは静かな暖かみがあり、感動的でもある。 グラスの作品には、様々な評価があるが、私はこの作品が、一つのグラスの円熟性を示すもののように思う。オーケストラの熱意にあふれた好演が楽曲の美観を引き立てている。 |
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交響曲 第9番 D.R.デイヴィス指揮 リンツ・ブルックナー管弦楽団 レビュー日:2016.10.13 |
★★★★★ 21世紀を代表する傑作交響曲、グラスの第9交響曲
デニス・ラッセル・デイヴィス(Dennis Russell Davies 1944-)指揮、リンツ・ブルックナー管弦楽団によるフィリップ・グラス (Philip Glass 1937-)の交響曲第9番。作品の完成直後、2012年にライヴ収録されたもの。 古来、交響曲第9番はラストナンバー的な因縁があるので、グラスは第10番と2曲の交響曲の筆を同時に進め、完成したらしい。グラスの75歳の誕生日である2012年1月31日には、ニューヨークのカーネギーホールで、この曲が演奏されたとのこと。 グラスという作曲家について、評価は様々であり、ミニマルミュージック、あるいはアンビエント的作風など、ボーダーレス的な特徴があり、そのためか、クラシック音楽フアンからも、一定の距離を置かれている印象がある。しかし、私は、最近、彼の作品を立て続けに聴いてみて、その作品は、十分に音楽的な素養の深い聴き手にも、魅力的に伝わる要素を持つものだと感じた。 特に、この交響曲第9番は見事な作品で、私の知る限り、グラスの代表作といって良い。もちろん、他にもヴァイオリン協奏曲やピアノ独奏曲、他のナンバーの交響曲などの中に、いろいろ注目したいものはあるのだけれど、交響曲第9番こそ、彼のミニマルミュージックの土壌に根差しながら、クラシックの作曲家であるという確固たるステイタスを、端的に示すものだと思う。傑作と呼んで良いだろう。少なくとも、現代、このように一定のわかり易さを持ち、交響曲にふさわしい規模と形式を持った作品は、他にちょっと見当たらないのである。 楽曲は、演奏時間約50分で、3つの楽章からなる。グラスの音楽は、基本的に歌謡性のある主題、あるいはモチーフを繰り返しながら変容させていくもので、グラスの作り出すメロディの美しさもあり、覚えやすい、すぐに口ずさんだり、頭の中でずっと鳴り続けていたりするような性質のものだ。逆に、それゆえのダイナミックな展開力に欠け、そのことが聴き味の薄さになる部分もある。 しかし、この交響曲第9番では、従来のグラス作品にはなかった踏み込んだ論理的な展開があり、力強さを備える。 第1楽章は沈鬱な薄暗い情緒を、時に激しい慟哭を感じさせるような情熱をもって表現し、主題も美しく、立派な恰幅を持った音楽である。第2楽章は、後期ロマン派を思わせる耽美的、退廃的な美しさで始められるが、この音楽は次第に熱を帯び、中間では、熱狂的なリズムを刻む。そして、再び沈静化していく。 さらに素晴らしいのは終楽章で、ここでも静謐的な音楽から開始されるが、複数の主題が、複合的な関係をもってゆったりと高揚していく数分は、美しいかぎりで、様々に想像力を刺激させる。そして、この楽章も次第に沈静化していくのだが、その末尾の静寂には恐ろしいほどの緊迫感が張りつめている。このフィナーレは、多くの人がショスタコーヴィチ(Dmitrii Shostakovich 1906-1975)の第4交響曲を彷彿とさせるのではないか。じっさい、私はこの交響曲は、ショスタコーヴィチの交響曲群と並んでも何ら遜色のない名品だと感じられる。 永年、グラスの交響曲を演奏してきたラッセルとリンツ・ブルックナー管弦楽団も、さすがと唸らされるパフォーマンスで、全てのモチーフが、楽曲にふさわしい機能を果たし、時に決然と、時に柔らか味を伴って、巧みに奏でられるのである。 21世紀を代表する音楽作品と言って良いと思う。 |
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交響曲 第11番 D.R.デイヴィス指揮 リンツ・ブルックナー管弦楽団 レビュー日:2019.7.1 |
★★★★★ フィリップ・グラス、80歳の力作、「交響曲 第11番」
デニス・ラッセル・デイヴィス(Dennis Russell Davies 1944-)指揮、リンツ・ブルックナー管弦楽団の演奏による、フィリップ・グラス(Philip Glass 1937-)の「交響曲 第11番」。2017年のライヴ録音。 当盤のリリースまでに、デイヴィスによる「グラスの交響曲全集」と銘打った、交響曲第1番から第10番までが収録された11枚組のBox-setがあって、私はこれを所有しているのだが、果たして、その後「交響曲 第11番」が完成され、やはりデイヴィスによって演奏・録音された。当該全集を所有している手前、個人的には、それを補完する上でも、入手したかった1枚というワケ。 さて、作曲者80歳の作品となるこの交響曲第11番であるが、その作風はとにかく健在の一語。 楽曲は、いずれも10分を越える3つの楽章から構成される。第9交響曲で、この作曲家の深遠のようなものを感じ、私はとても感動したが、第11交響曲の第1楽章にはそれを想起させるところがある。ただ、全体的な作風は、それ以前のグラス的なものを感じさせる。単純なモチーフが、様々な調性や機能分担の変化を経ながら、音響は厚みを増して行き、やがて劇的な高揚感を満たしていく。その音響効果は、ミニマル・ミュージックゆえにサウンドトラック的な要素を感じさせるが、分かりやすい熱狂がある。第1楽章のクライマックスは、チューバやグロッケンシュピールの効果も踏まえて、どこか吹奏楽的なものを思わせるが、もちろん弦楽器陣の旋律を表現する役割を持っていて、グラスらしいオーケストラ・サウンドに鮮やかに到達している。作曲者80歳であるが、その推進性は若々しく、むしろ第9交響曲より直情的だ。 第2楽章は叙情的な音楽であり、時に弦楽合奏陣が引き出す旋律の情感は美しい。ヴァイオリン、フルートの憂いを感じさせる音色が特に印象的だが、大きな規模でのクレシェンドでは、様々な楽器の効果が複合的に起こり、聴き味に豊かさをもたらしている。構造的にはミニマルであるが、ミニマルゆえの工夫があり、音楽として面白味のあるものに仕上がっている。 第3楽章はスネアドラム等のパーカッションから導入していくが、快活で明るい楽想が次第にエネルギーを増して行き、発展的な帰結を目指す。その終結部は、この楽曲に相応しく、また聴き手が望むべき姿で立ち現れ、鮮やかに消化してくれる。これもグラスならではの醍醐味といって良いだろう。 全編をとおして、どこをとってもグラスの音楽であるという刻印があり、かつ楽しく聴くことが出来る。現在、他に思い当たるものがないくらい、この作曲家ならではの器楽作品として成り立っている。 なお、当該曲のみ収録のため、収録時間は38分と短い。 |
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ピアノ協奏曲 第2番 ハープシコード協奏曲 p: バーンズ hp: J.デュプレ ゴトーニ指揮 シアトル・ノースウェスト室内管弦楽団 レビュー日:2015.11.11 |
★★★★☆ フィリップ・グラスによる規模の大きい2つの器楽作品を収録
ミニマル・ミュージックの大家、フィリップ・グラス(Philip Glass 1937-)による以下の2つの協奏曲を収録したアルバム。 1) ピアノ協奏曲 第2番「アフター・ルイス&クラーク」 2) ハープシコード協奏曲 1)のピアノはポール・バーンズ(Paul Barnes 1961-)、2)のハープシコードはジリオン・ストッペル・デュプレ(Jillon Stoppels Dupree)。ラルフ・ゴトーニ(Ralf Gothoni 1946-)指揮シアトル・ノースウェスト室内管弦楽団の演奏。2005年の録音。1)の第2楽章で聴かれるネイティブアメリカン・フルートのソロは、有名な同楽器の奏者、カルロス・ナカイ(Carlos Nakai 1946-)によるもの。 1)でピアノ独奏を務めるバーンズは、グラス作品のピアノ編曲なども手掛けている人物で、この協奏曲もバーンズの依頼によって書かれた。楽曲には「アフター・ルイス&クラーク」という標題が与えられている。これは、1804年から1806年にかけて、移民として、はじめて陸路でアメリカ大陸を横断した2人の探検家にちなんだタイトル。楽曲は3つの楽章からなり、各楽章はそれぞれ「幻影(The Vision)」、「サカガウェア(Sacagawea)」、「大地(The Land)」という副題が与えられている。サカガウェアは探検隊が遭遇した原住民の若い女性であり、彼女は、探検隊の道案内役を務め、探検の成功に大きな功績をもたらしたと言う。 3つの楽章がいずれも演奏時間10分を越える規模を持つが、とくに印象が濃いのはサカガウェアと題された第2楽章であり、高名な民族楽器であるネイティブアメリカン・フルートの音色とピアノの応答により、不思議で連綿とした情緒が綴られてゆく。また、民族舞踏曲の旋律の引用もあり、悲しい色合いを持った郷愁が深められる。 この楽章を含めて、ピアノ協奏曲全体が、やや悲しげな情緒に支配された音楽で、探検隊の遭遇した厳しさ、その中で時折襲う望郷の念が表現されているように感じる。音楽手法は、いつものフィルップ・グラス節と言って良いものが連綿と奏でられており、その映画音楽的な親しみやすさとあいまって、いつのまにか頭の中でなり続けるような刷り込み性の高いものだ。 ハープシコード協奏曲は、ピアノ協奏曲より純器楽曲的な雰囲気で、冒頭はバロックを思わせるトッカータ調の開始を見せる。すぐに回遊性の音楽に至るのは、グラス作品らしいが、調性的な音で安定感のある世界であり、とても聴きやすい。第2楽章がハートを感じさせる緩徐楽章の、第3楽章が軽妙で軽やかな終楽章の役割を持っているのも、とても古典的な構成感を感じさせる。 演奏はいずれもこれらの楽曲の特徴をよく引き出したもので、とてもわかりやすい形でまとまっている。ミニマル・ミュージックに馴染みのない人でも、感傷的な音楽が好きな人であれば、十分に楽しめると思う。 |
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グラス ヴァイオリン協奏曲 シュニトケ 合奏協奏曲 第5番 vn: クレーメル ドホナーニ指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 レビュー日:2011.6.17 |
★★★★★ オススメの「ミニマル・ミュージックのクラシック」です。
フィリップ・グラス (Philip Glass 1937-)のヴァイオリン協奏曲とアルフレート・シュニトケ(Alfred Garyevich Schnittke 1934-1998)の合奏協奏曲第5番を収録。同じ時代の東西の作曲家の作品を収録したとも言える。発売当時はクレーメル、ドホナーニ指揮ウィーンフィルという顔合わせとともに、結構話題になったディスク。 いずれの作曲家も現代音楽の一面を象徴する人物であるが、ここではフィリップ・グラスのヴァイオリン協奏曲に注目したい。ミニマル・ミュージック(Minimal Music)の大家として、最初に取り組んだ声楽なしの純器楽のための大曲である。「ミニマル・ミュージックのクラシック音楽ってどんな感じ?」とお思いになる方には、かなりオススメの曲だ。 曲は3つの楽章からなるが、各楽章ともメロディーを持たず、繰り返されるモチーフの変容によって音楽を紡ぐ。グラスの音楽の持っている「音響」自体は、革新的ではなく、むしろ親密的。「メロディーを持たず」と書いたが、その細かいモチーフは十分にメロディアスで、リズミカルなパターンは簡明で、聴き易い有効なハーモニーを積み重ねていく。 第1楽章。曲は静かに始まる。こまやかなオーケストラの繰り返し音型に導かれ、ヴァイオリンは早い上り下りの3連符を連続させる。コードを進行させながら、6連符で表情を変え、次いで付点のリズムのみで作られたメロディアスな音型を連続する。これらの一つ一つのパーツは、保守的な和声の基礎に根ざしていて、リスナーの共感しやすい「昔からある音楽のイメージ」と齟齬をきたさない。それで、手法も構成も現代的なのに、聴き味はむしろ優しく、情熱的な分り易い音楽になっている。 第2楽章の美しさも特筆したい。弱音で始められ、ゆっくりと頂点に上っていく過程は、聴き手の心を落ち着かせるとともに、荘厳とも言える哀しみを含んでいて、壮絶だ。 終楽章の雰囲気は第1楽章に近いが、よりダイナミックで劇的だ。カッコイイ。何度も繰り返し聴きたくなってしまう。何か展開の急なドラマのサウンドトラックのようにも思える。エンディングの後も不思議な尾を引くような感触を残す。 シュニトケの曲はもっと現代音楽風で、不協和音を多彩に使う。耽美的で沈鬱するようなシーンが多いが、舞台裏のピアノの音響が効果的で、ミステリアスな効果が高い。特に中間2楽章が秀逸。当盤でのクレーメルのヴァイオリンは、やや暗い響きが印象的。クールな距離感を保っていているように感じられるのが彼らしい。一抹の厳しさと甘さがある。 |
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ピアノ作品集 p: リシッツァ レビュー日:2015.3.27 |
★★★★★ ありそうでなかった好企画。一流ピアニストによるフィリップ・グラス
ウクライナのピアニスト、ヴァレンティーナ・リシッツァ(Valentina Lisitsa 1973-)による、アメリカのミニマル・ミュージックの大家、フィリップ・グラス(Philip Glass 1937-)のピアノ作品集。2014年録音の2枚組アルバム。収録曲の詳細は以下の通り。 【CD1】 1) グラスワークス;オープニング 2) トゥルーマン・スリープス(ショート・ヴァージョン) 3) ポエット・アクツ 4) モーニング・パッセージ 5) ハウ・ナウ 6) 彼女がしなければならない何か 7) ケーキを作りましょう 8) オリンピアン 9) マッド・ラッシュ 【CD2】 10) デッド・シングス 11) ティアリング・ハーセルフ・アウェイ 12) ウィチタ・ヴォルテックス・スートラ 13) 逃避 14) 人生の選択 15) めぐりあう時間たち 16) 変身 - メタモルフォシスI 17) 変身 - メタモルフォシスII 18) 変身 - メタモルフォシスIII 19) 変身 - メタモルフォシスIV 20) 変身 - メタモルフォシスV 21) ミシマ 4,6,7,10,11,13,14,15)は映画「めぐりあう時間たち(The Hours)」のサウンドトラック曲を、グラス作品を深く理解するリーズマン(Michael Riesman)がピアノ曲に編曲したもの。2)は映画「トゥルーマン・ショー」、21)は映画「ミシマ:4章からなる伝記」のために書かれた作品。8)は、1984年のロスアンジェルス・オリンピックに際して委嘱された作品で、後に作曲家自身によってピアノ編曲されたもの。5)はグラスのオリジナル・アルバムではオルガン曲。 12)のタイトル「ウィチタ・ヴォルテックス・スートラ」は、アレン・ギンスバーグ(Irwin Allen Ginsberg 1926-1997)の反戦詩から採られた。この曲と、9)、及び16-20)は、作曲者自身のピアノ演奏で1989年に録音されたアルバムに併せて収められていた。 グラスの作品は、いわゆる現代音楽に分類されるが、これらの作品を聴いても、不協和な響きや複雑なリズム処理には、ほとんど遭遇しない。それどころか、和声的には非常に調和的な進行が特徴だろう。大体が、次はこう来るだろうと思うとおりに進むので、聴いていて刺激が少ないが、心地よさを感じる。作曲書法はミニマル・ミュージックの名そのままといったところで、扱われている主題は、断片的な性格のものだが、これをひたすらに繰り返し、コード進行を積み重ねることで、音楽的な効果を挙げていく。 収録されているものに映画音楽が多いが、同じ主題を扱うことでの持続性に基づく効果の獲得という点で、映画音楽とミニマル・ミュージックの相性の良さを再認識する。中で15)の「めぐりあう時間たち」は、映画の中で扱ういくつかの主題を提示する役目を持っているためか、ミニマル・ミュージックとイージーリスニングの折衷的作風で親しみやすい。 私が気に入ったのは、「ポエット・アクツ」「ウィチタ・ヴォルテックス・スートラ」といった暖かい情感を巡らせた作品だ。また、「マッド・ラッシュ」はエンディングに向けて、ノスタルジックな情感が高まるあたり、なかなか聴かせてくれる音楽だ。 他方、オルガン曲を編曲したという「ハウ・ナウ」はいつ果てるともしれない音が30分近くも続くから、ミニマル・ミュージックに肌が合うという人でない限り、正直聴き疲れするところもある。 リシッツァのピアノはさすがである。作曲者自身の自作自演盤と比べると、はるかに音色のパレット、音量のギアが豊富で、様々な情緒を感じさせる。むしろ自作自演盤は、無機的な効果を狙ったのかもしれないが、私にはリシッツァによって、細部まで血を通わせたような、当録音の方が、これらの曲をより理解できた気がする。 全般に気軽に聴けるテイストに満ちているので、今までミニマル・ミュージックに触れる機会のなかった人には、良い入門編にもなりえるアルバムだ。 |
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オープニング(2種) エチュード 第2番(2種) 第3番 第5番 第5番 第9番 第13番 第14番 第15番 第18番 第20番 p: オラフソン シッギ弦楽四重奏団 レビュー日:2017.3.21 |
★★★★★ 過ぎ去った日々をゆっくり思い返すような、情緒的なアルバムです。
アイスランドのピアニスト、ヴィキングル・オラフソン(Vikingur Olafsson1984-)によるフィリップ・グラス(Philip Glass 1937-)の作品集。オラフソンは、アシュケナージ(Vladimir Ashkenazy 1937-)とも共演歴のあるピアニスト(チャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番のライヴは、DIRIGENTからCD化されている)。このたび独グラモフォンとの契約を果たしたのだが、その最初の録音が、当グラスの作品集ということになる。 なかなか個性的なメジャー・デビュー盤だ。ミニマル・ミュージックの大家、グラスのピアノ作品集としては、リシッツァ(Valentina Lisitsa 1973-)の充実した2枚組のものがあったが、他にメジャー・レーベルの録音がなかっただけに、当オラフソンの録音が加わったことで、陣容は厚みを増したと言える。しかも、演奏も良い。 収録曲は以下の通り。 1) Glassworksよりオープニング 2) エチュード 第9番 3) エチュード 第2番 4) エチュード 第6番 5) エチュード 第5番 6) エチュード 第14番 7) エチュード 第2番 ;クリスチャン・バズーラ(Christian Badzura)による弦楽四重奏を含む再構成版 8) エチュード 第13番 9) エチュード 第15番 10) エチュード 第3番 11) エチュード 第18番 12) エチュード 第20番 13) Glassworksよりオープニング ;クリスチャン・バズーラによる弦楽四重奏を含む再構成版 録音は2016年。グラスのエチュードは1990年代に作曲された第1番~第16番と、2012年に作曲された第17番~第20番の計20曲からなる。そのうちオラフソンは半分の10曲を取り上げて、自分なりの曲順で演奏している。注目したいのはドイツの音楽家、バズーラによって、弦楽四重奏を組み合わせて再構成された2編が収録されていることで、これら2曲ではシッギ弦楽四重奏団が共演している。 グラスの作品は、ミニマル・ミュージックの体裁を持っているが、本録音を聴くと、その根底にあるのは、グラス特有の淡くも暖かな情緒であると思わされる。オラフソンはこれらの曲に、暖かく、健やかな情感を張り巡らし、実に美しく、瑞々しく響かせている。 エチュードは、互いに似通った楽想を持っており、そのため、変奏曲的な雰囲気も持っているが、いわゆる変奏曲の様に技術的な方法で強い対照を引き出したり、感情的に強い陰影を各曲に与えたりしているわけではない。もちろん、第6番のように「強さ」を感じさせる楽曲もそこには混在するのだけれど、それでも全体的に、不思議な安寧の中に吸い込まれるような曲たちであると感じる。オラフソンの曲順も、それなりに考えられたものに違いないが、一際冴えた構成感をもたらすのが、弦楽四重奏の挿入である。それは、決して対比の妙をねらったものではなく、まるで必然のように現れる弦楽器たちの音色は、背景と調和し、郷愁的な情緒を高める。 アルバム構成としては、最後に冒頭曲でもある「Glassworksよりオープニング」に戻ってくるわけだが、ピアノのモノローグに導かれて、弦のピチカートから始まる印象的な序奏部が設けられていて、弦楽器が深める懐古的な雰囲気の中から再びピアノが語り始めるところなど、心憎いほどの演出で感動的だ。 収録時間79分超。グラスの暖かいメロディに存分に浸れる1枚。 |