フランク
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交響曲 交響詩「プシシェ」より(プシシェの眠り 西風に運ばれたプシシェ エロスの花園 プシシェとエロス) 交響詩「ジン(鬼神)」 アシュケナージ指揮 ベルリン放送交響楽団 p: アシュケナージ レビュー日:2013.2.27 |
★★★★★ アシュケナージとベルリン放送交響楽団の録音には「知られざる名盤」が多いです
アシュケナージ(Vladimir Ashkenazy 1937-)がベルリン放送交響楽団を指揮して録音したフランク(Cesar Franck 1822-1890)の作品集。1988年から89年にかけての録音で、収録曲は以下の通り。 1) 交響曲 ニ短調 2) 交響詩「プシシェ」より(プシシェの眠り 西風に運ばれたプシシェ エロスの花園 プシシェとエロス) 3) 交響詩「ジン(鬼神)」 交響詩「ジン」はピアノを伴った編成であるが、ここでアシュケナージ自らがピアノを演奏している点が大きな特徴だ。「プシシェ」はギリシァ神話のプシシェとエロスの物語で、全6曲中4曲が取り上げられている。 フランクがこの交響曲を書きあげたのは1988年である。晩年になり、名作のみを一点集中型で書き残したフランク。その高貴な作品群に君臨するのがこの交響曲とヴァイオリン・ソナタだと思う。 この交響曲は1989年にパリで初演されたのだが、その評価は散々だったらしい。中でもグノー(Charles Gounod 1818-1893)による「ドグマの域にまで達した不能性の断言」という言葉は有名で、フランクがバッハを研究し、その成果である対位法を駆使ながら、一つの主題を繰り返し使う「循環形式」という独自の音楽形式へ至った過程を、一種の教条主義として、“なで斬り”にしたものだ。しかし、当のフランクはそんな評価を一向に気にしなかった。「どうでした?」と聴く周りにむかって、「ああ。思った通りの音が出たよ。」と満足げに頷いたそうである。なんという自信。そして、その自信が絶対的に正しかったことが、いまの世では証明されている。この自らの作品へ揺るぎのない信頼を、少しはブルックナーに分け与えてあげたかったが。ちなみに、当時の作曲家で、この交響曲の真価を見抜き、賛辞を送ったのがかのドビュッシー(Claude Achille Debussy 1862-1918)である。まさに「天才は、天才を知る」である。 さて、このアシュケナージの録音、私は素晴らしいと思うのであるが、あまり取り上げられる機会がなかったように思う。第1楽章は冒頭から内省的な力が秘められており、しかもクライマックスでの爆発力の底力が凄い。全体が突きあげられるように、エネルギッシュな頂点を築き上げる。第2楽章の高貴な歌も、たしかな質のある品格を持って、的確な間をもって表現されていて、瀟洒である。終楽章である第3楽章では、主題を回想しながら、鮮明な色合いを増していき、最後に力感に溢れる結実を得ている。 そして、このアルバムの価値をいよいよ高めているのが、交響詩「ジン」である。ピアノ付の交響詩というのは元来珍しいのだが、指揮をするアシュケナージが自らピアノを受け持つというのも、珍しいのではないか。このピアノの効果が実に素晴らしく、楽曲の雰囲気をよく引き出している。オーケストラが全般に重々しいイメージを与える音楽なのだが、ピアノの華麗な音色が、一気に感情の幅を広げていて、実に効果的。絶対的なソノリティーの美しさもこの人ならではで、お得感満載のアルバムとなっている。 |
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フランク 交響曲 フロラン・シュミット サロメの悲劇 ネゼ=セガン指揮 グラン・モントリオール・メトロポリタン管弦楽団 レビュー日:2014.8.25 |
★★★★★ カナダの若き名指揮者、ネゼ=セガンの実力を示した名演
ヤニック・ネゼ=セガン(Yannick Nezet-Seguin 1975-)指揮、グラン・モントリオール・メトロポリタン管弦楽団の演奏で、フロラン・シュミット(Florent Schmitt 1870-1958)のバレエ音楽「サロメの悲劇」組曲とフランク(Cesar Franck 1822-1890)の交響曲ニ短調を収録。2010年の録音。 現代、世界で注目される若手指揮者の中でも、ネゼ=セガンは特に重要な人物で、すでに多くの録音がリリースされている。当録音も、たいへん質の高い豊かな内容で、素晴らしいもの。 冒頭にフロラン・シュミットの代表作として知られる「サロメの悲劇」組曲が収録されていることに注目したい。フロラン・シュミットはドイツ系フランス人であったが、その作風もドイツの後期ロマン派と、フランスの印象派を折衷したようなところがある。この作品も、印象派的な音響と、ロマンティックで抒情的な旋律線を併せ持った、総じてダイナミックな作品だ。全曲だと1時間近くを要し、声楽も含まれるが、本組曲は2部から構成される純器楽曲。第1部は「序奏」と「真珠の踊り」、第2部は「海上の誘惑」「稲妻の踊り」「恐怖の踊り」からなる。特に第2部の官能的で土俗的な舞曲は、ラヴェル(-Maurice Ravel 1875-1937)の「ダフニスとクロエ」を彷彿とさせる。 ちなみに「サロメ」はR.シュトラウス(Richard Strauss 1864-1949)が楽劇の題材としたワイルド(Oscar Wilde 1854-1900)の戯曲ではなく、新約聖書のサロメの一説を引用したもで、神の怒りのシーンを含む。 ネゼ=セガンは、この音楽で柔軟性に満ちた迫力を引き出している。第1部の後半にあたる「真珠の踊り」では、これでもかという早いテンポで、切迫した勢いを音楽の奔流とし、巧みにその行先を制御する。スリリングな味わいを堪能できる瞬間だ。「稲妻の踊り」を頂点として構成した第2部は、いくぶん落ち着いた趣で、時にドビュッシー(Claude Achille Debussy 1862-1918)の海を彷彿とさせる和声進行を見せながら、音楽の大きなうねりを形成していく。この音楽の性格を余すことなく伝えた名演だ。 次に収録してあるのは名曲として名高く競合盤も多いフランクの交響曲。こちらは、際立って特徴的な演奏ではないが、たいへん真面目に慎重にアプローチした音楽作りで、全体として柔らかな響きから、自然な運動性を引き出している。オーケストラの十分な技術を背景としたしなやかな響きを活かした無理のない音が全編に満たされていて、ほとんど欠点のようなものを指摘できるところはない。 満ち足りた質の高い表現で、フランクの作品に特有の高貴さがよく表れている。 |
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フランク 交響曲 フォーレ 組曲「ペレアスとメリザンド」 バレンボイム指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 レビュー日:2024.12.2 |
★★★★☆ ゴージャスなサウンドで表現されたフランクとフォーレ
バレンボイム(Daniel Barenboim 1942-)指揮、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団による下記の2作品を収録したアルバム。 1-3) フランク(Cesar Franck 1822-1890) 交響曲 ニ短調 フォーレ(Gabriel Faure 1845-1924) 組曲「ペレアスとメリザンド」 op.80 4) 前奏曲 5) 糸を紡ぐ女 6) シシリエンヌ 7) メリザンドの死 2023年の録音。 バレンボイムにとって、フランクの交響曲は、実に50年ぶりの録音とのこと。ただし、私はその最初の録音は未聴。50年ぶりとなる大作と、没後100年のアニヴァーサリー・イヤーとなるフォーレの楽曲と組み合わせてアルバムにしており、そう考えると、世紀単位の区切りを感じさせる。 バレンボイムとベルリン・フィルハーモニー管弦楽団は、長く良好な関係を継続しており、この録音でも、指揮者の表現したいところを、オーケストラがよくその通りに表現したという印象が強い。特にフランクの交響曲は、スローなテンポで、末広がりの音、テヌートを存分に謳わせながら、全般にゴージャスな響きに満ちている。 音響の輪郭はソフトであり、強靭な音も、音の圧というより幅によって迫力を得ている。緩急の表現はもちろんあるが、全体的にスローなベースを前提とした上でのものであり、それゆえに細部には緩さがある。とはいえ、逆に言うと、全体にソフトな聴き味を作ることに成功している、とも見なせるだろう。旋律は濃厚な甘味を帯び、合奏音の響きはやや重い。 つまり、バレンボイムの演奏は、この交響曲を、濃厚なロマン派の名作として扱ったものであり、循環形式の精緻な再現や、フランス的な瀟洒さの表出については、そこまで重要視していないと思う。今のバレンボイムが、フランクの交響曲をやりたいように振って、オーケストラがそれにしっかり応えたという演奏なのだろう。とはいえ、それは驚きをもって迎えるようなものではなく、今のバレンボイムが、その芸風をしっかりと反映させれば、このようになるだろう、といったところである。フランクの交響曲も、元来、様々な解釈幅があるものである。 以上のように興味深く聴かせていただいたが、個人的には、欠点も感じさせるところがあって、特に、あまりにも全体が一様になり過ぎているということである。そのため、この規模の楽曲にしては、どこの部分でも印象が似通い過ぎてしまっている。全体を通して、あそこが良かったとか、ここが凄かったというスポットな印象がほとんど残らず、つまりは、どうしても、聴いていた、長さを感じさせるところがあるのだ。これほどいい曲であるのにもかかわらず、である。 その点では、小曲集である組曲「ペレアスとメリザンド」の方が、私には好ましく、悲劇的なモチーフ、甘美な旋律など、率直に楽しみ、その世界に浸ることができた。フランクの交響曲については、バレンボイムの芸術表現を感じさせつつも、私には、もう一つなにかほしいという思いが残る。 |
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交響的変奏曲 前奏曲、コラールとフーガ 交響詩「魔神」 前奏曲、アリアと終曲 前奏曲、フーガと変奏曲(ピアノとハルモニウム版) p: シャマユ ドゥネーヴ指揮 ロイヤル・スコティッシュ・ナショナル管弦楽団 ハルモニウム: ラトリー レビュー日:2013.8.21 |
★★★★★ アシュケナージとベルリン放送交響楽団の録音には「知られざる名盤」が多いです
フランスのピアニスト、ベルトラン・シャマユ (Bertrand Chamayou 1981-)による2009年録音のフランク(Cesar Franck 1822-1890)の作品集。収録曲は以下の通り。 1) 前奏曲、コラールとフーガ 2) 交響詩「ジン(鬼神)」 3) 前奏曲、アリアと終曲 4) 交響的変奏曲 5) 前奏曲、フーガと変奏(ピアノとハルモニウム版) 1)と3)はピアノ独奏曲だが、2)と4)はピアノと管弦楽のための作品、5)は、原曲のオルガン曲を「ピアノとハルモニウム」版に編曲したもの。オーケストラはステファン・ドゥネーヴ(Stephane Deneve 1971-)指揮ロイヤル・スコティッシュ・ナショナル管弦楽団、ハルモニウムはオリヴィエ・ラトリー(Olivier Latry 1962-)。ちなみに「ハルモニウム(Harmonium)」とは、ペダルを用いたオルガンのこと。 優れた演奏で、それだけでも推薦したいのだが、収録曲が面白い。特に交響詩「ジン(鬼神)」と「前奏曲、フーガと変奏(ピアノとハルモニウム版)」に注目したい。 交響詩「ジン(鬼神)」は独奏ピアノを配した交響詩で、充実した傑作であるが、演奏の難度が高いこともあって録音は多くはない。私は、アシュケナージ(Vladimir Ashkenazy 1937-)がベルリン放送交響楽団を、弾き振り(!)で録音した名盤(1989年)により、この曲に長年親しんできたのだが、なかなか他の演奏に接する機会がなかった。そこに、当盤が登場してくれたので、私は、また別の切り口でこの曲を楽しむこととなった。 当演奏はアシュケナージ盤に比べて軽やかで足取りが速い。そのため曲想もいくぶん明るい雰囲気となっているが、これはこれで慣れると聴き易い。シャマユの切れ味爽快なテクニックも十分に楽しめる。 「前奏曲、フーガと変奏」は、その美しいメロディから、多くの編曲で親しまれている。私は、オルガン原曲についてはギユー(Jean Guillou 1930-)の録音を良く聴くが、他にも古くはヴェデルニコフ(Anatoly Vedernikov 1920-1993)による「ピアノ独奏版」、最近では、デュメイ(Augustin Dumay 1949-)とロルティ(Louis Lortie 1959-)による「ヴァイオリンとピアノ版」など、様々な試みがあり。どれも良かった。そして、本盤はハルモニウムとピアノ版である。これまた素晴らしい内容。基本的に主旋律はハルモニウムにより奏でられ、ピアノは対旋律や基音を担当する編曲であるが、世界的オルガン奏者であるラトリーによって導かれるハルモニウム特有の輪郭の柔らかさが、音響的な長所となるように編曲・演奏されていて、厳かな気配が満ちた特有の雰囲気となっている。当演奏によって、この美しい作品が、一層世に認められることを期待したい。 2つの独奏曲(「前奏曲、コラールとフーガ」と「前奏曲、アリアと終曲」)はともに清廉な演奏。特に前者の冒頭の輝かしい和音と、そこから流れ落ちるような下降音型が協調して醸し出す色合いは、ほどよく情緒的で風雅。さわやかさと哀しさを同時に表現した高尚な音楽性がよく発揮されている。 「交響的変奏曲」はオーケストラの好演もあって、優しくも高貴な気配に満ちている。特に中間部の幻想的な展開は、霧が森を染めゆく風景を彷彿とさせた。 豪華な楽曲のラインナップとともに、いずれもシャマユの若々しい感性が適度に映えた好演となっていて、これからも何度も聴きたいと思うアルバムである。 |
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フランク ピアノ五重奏曲 ドビュッシー 弦楽四重奏曲 タカーチ四重奏団 p: アムラン レビュー日:2016.5.27 |
★★★★★ タカーチ四重奏団による熱く鋭利な名演2編
タカーチ四重奏団による以下の2つの傑作室内楽作品を収録したアルバム。 1) フランク(Cesar Franck 1822-1890) ピアノ五重奏曲 ヘ短調 2) ドビュッシー(Claude Achille Debussy 1862-1918) 弦楽四重奏曲 ト短調 2015年の録音。1)のピアノはマルカンドレ・アムラン(Marc-Andre Hamelin 1961-)、録音時の四重奏団のメンバーは、第1ヴァイオリンがエドワード・ドゥシンベル(Edward Dusinberre 1968-)、第2ヴァイオリンがカーロイ・シュランツ(Karoly Schranz 1952-)、ヴィオラがジェラルディン・ウォルサー(Geraldine Walther 1951-)、チェロがアンドラーシュ・フェイェール(Andras Fejer 1955-)。 アムランとタカーチ四重奏団が共演するアルバムは本作が3つ目で、互いに相性の良さを実感してのことだろう。 それにしてもこの録音は素晴らしい。これら2曲の名曲には、これまで様々な名演があったけれど、当録音はその中でもひときわすぐれたものに思える。 フランクのピアノ五重奏曲は、私の若いころの愛聴曲であり、とても思い入れが深いのだけれど、当演奏は、冒頭から陰影のくっきりしたスリリングな響きで、とても刺激的だ。冒頭の主題提示にから、気迫のこもった熱演に巻き込まれていく。一つ一つの表現が鮮明かつ鋭利で、しかもストリングスの自然なぬくもりの通った響きが、音楽の格調を高いものとして維持している。 アムランのリズムとテンポに対する絶対的な感覚は、楽曲の構成感を引き締めていて、そうして築かれたしっかりした基礎の上に、第1ヴァイオリンを中心とした情感のこもった豊かなビブラートで旋律美が流れていく。反復が行われるごとに高まる情熱はエネルギーを高め、クライマックスでとめどなくあふれる。第2、第3楽章で注目したいのは、アムランのピアノ、特に静謐、静寂への敏感な反応である。ピアノのタッチが醸し出す静謐さは、悲しい色あいをもつ主題と溶け合って、聴き手の感動を深く掘り下げてくれる。近年の当曲の録音の中でも抜群の1枚と言って良い。 ドビュッシーの弦楽四重奏曲も素晴らしい。第1楽章の第1主題から、各楽器の主張が実によく吟味され、合奏が力に満ち溢れている。また、この曲ではヴィオラが様々な表現力を求められるが、ウォルサーの演奏は非の打ちどころがないといってよいほどで、様々な情感の劇性を高めている。優雅で熱血性ある、というこの演奏にふさわしい形容は、ドビュッシーの弦楽四重奏曲そのものにもあてはまるもので、いかにこの演奏がこの楽曲をわがものとしているかの証と思える。あっという間に聴き終ってしまうアルバムでした。 |
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フランク ピアノ五重奏曲 ショーソン 弦楽四重奏曲 ルートヴィヒ四重奏団 p: レヴィナス レビュー日:2018.7.12 |
★★★★★ 演奏者の鋭い知的感性を的確に記録した録音
1985年に結成されたルートヴィヒ四重奏団による、以下の2曲を収録したアルバム。 1) フランク (Cesar Franck 1822-1890) ピアノ五重奏曲 ヘ短調 2) ショーソン(Ernest Chausson 1855-1899) 弦楽四重奏曲 ハ短調 op.35 1)のピアノ独奏はミカエル・レヴィナス(Michael Levinas 1949-)。1996年の録音。 ちなみに、ルートヴィヒ四重奏団のメンバーは、第1ヴァイオリンがジャン=フィリップ・オードリ(Jean-Philippe Audoli)、第2ヴァイオリンがエレニード・オーウェン(Elenid Owen)、ヴィオラがパドリーグ・フォーレ(Padrig Faure)、チェロがアンヌ・コペリ(Anne Copery)。ミカエル・レヴィナスは、高名な哲学者エマニュエル・レヴィナス(Emmanuel Levinas 1906-1995)の息子で、現代音楽の作曲家としても活動している。(私は、現時点で彼の作品は未聴)。 ショーソンの弦楽四重奏曲は、4楽章の作品として構成されたものだが、作曲中にショーソンは事故で急死してしまう。2楽章まで完成されていたものに、ショーソンの友人で作曲家であったダンディ(Vincent d'Indy 1851-1931)が3楽章を補筆完成させ、出版した。本来は第4楽章への橋渡しの役目も担う第3楽章で終結することになるが、ダンディの工夫もあって、それなりの帰結を感じさせる。 演奏は、両曲ともとても質の高いもの。特にフランクのピアノ五重奏曲は、数多くの録音がある中で、ピアノと弦楽器陣のバランスという点で、当盤はきわめてすぐれている。録音の点からも高く評価されるべきものだろう。この高貴で美しい音楽は、気高さと熱血性をともに宿しているが、その双方を十全に表現できる演奏と録音のバランスというのは、なかなかに難しいものに違いない。当盤では、ピアノが前面に出すぎず、さりとてその主張がしっかりとつたわる絶好の強弱が、全編にわたって維持されており、演奏者たちの考察の深さを感じさせる。 バランスが良いのは音響だけではない。テンポもしっかりとした計算を感じさせるものだ。特に第2楽章など、演奏によって幅広いテンポ設定がなされる音楽であるが、彼らが採用したテンポは、正統性を感じさせる説得力に富んだものだ。結果的に演奏時間は、早くも遅くもない中庸なものとなっているが、それは単に平均的という以上に、音楽の持つ特性から導かれた必然性を感じさせる。 演奏の性質は、第1楽章が端的に示すように、引き締まった辛口のものであるが、熱を帯びる部分であっても楽器間の距離感が的確に維持されていて、整理された美しさを手放すことがない。それでいて、コーダに突入していくところなど、その個所の迫力は、見事なものである。 ルートヴィヒ四重奏団のみによるショーソンも見事な演奏で、ショーソンらしい熱にうなされるような節回しを、鮮度よく処理していくクールさを常にベースとしている。特に第2楽章は美しく、帰結部のほどよい感情を含ませながら余韻を響かせていくところなど、感動的である。 両曲における一つの理想と言っても良い演奏が展開されており、フランクについては、2015年録音のアムラン/タカーチ四重奏団版とともに、双璧と言って差し支えない名録音だと思う。 |
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フランク ヴァイオリン・ソナタ メランコリー 前奏曲、フーガと変奏曲 R.シュトラウス ヴァイオリン・ソナタ 静かな森の小径で(ハイフェッツ編) vn: デュメイ p: ロルティ レビュー日:2013.6.13 |
★★★★★ 「前奏曲、フーガと変奏」のヴァイオリン+ピアノ版に注目
フランスのヴァイオリニスト、オーギュスタン・デュメイ(Augustin Dumay 1949-)とカナダのピアニスト、ルイ・ロルティ(Louis Lortie 1959-)による2012年録音のアルバム。収録曲は以下の通り。 1) R.シュトラウス(Richard Strauss 1864-1949) ヴァイオリン・ソナタ 2) R.シュトラウス / ハイフェッツ(Jascha Heifetzas 1901-1987)編 静かな森の小径で 3) フランク(Cesar Franck 1822-1890) ヴァイオリン・ソナタ 4) フランク メランコリー 5) フランク / デュメイ&ロルティ編 前奏曲、フーガと変奏 たいへん魅力的な選曲だ。フランクとR.シュトラウスの傑作ヴァイオリン・ソナタを軸に、彼らの魅力的な小品を組み合わせたサービス充実の内容。個人的に、前もっていちばん興味があった曲目は「前奏曲、フーガと変奏」で、これは元来オルガン独奏のための作品なのだが、美しい旋律が愛され、編曲によってピアノでも演奏されてきた。その代表的なものがヴェデルニコフ(Anatoly Vedernikov 1920-1993)による編曲・演奏版で、1967年録音の当該ディスクは私の愛聴盤の一つ。 そんな佳曲が、今度はヴァイオリンとピアノの二重奏のために編曲されていると言うので、私にはとても気になる収録曲となったのである。 それで、まずはこの曲の感想から。編曲は非常に素直なもので、耽美的で瞑想的な旋律をヴァイオリンが司り、基本的な和声をピアノが保持しつつ進行するもの。やや疎な雰囲気があるが、この曲の静謐な雰囲気を崩さないような編曲を心掛けたように感じる。ピアノ、ヴァイオリンの透明感のある音色が映え、まずは良い内容だと感じられた。 次いで2つの名曲、ヴァイオリン・ソナタである。R.シュトラウスの作品では、明朗なピアノに導かれて、麗しいヴァイオリンが開始される冒頭からたいへん溌剌とした音楽で、しかし、特にヴァイオリンの響きによって与えられる陰影がこの曲の味わいをよく表出していると感じられた。よどみのないテンポで、大きな起伏を設けず、基本的には一本気で弾き切った感があるが、このソナタの持つ若々しい活力を存分に表した美演となっている。 フランクのソナタでもスタイルは変わらない。耳あたりの良い清々しい音色で、流線型の自然なフォルムを感じさせる。2楽章のスピーディーな流動感はなめらかでソフトな雰囲気を保っている。後半2楽章では、フランクらしい主題の循環の中で、清澄な雰囲気をほどよく宿したといったところ。瞑想的な部分でも「動き」を感じさせ、明朗な抒情性をつねにキープしているのが、彼らの特徴だろう。 R.シュトラウス、フランクともさらに1曲ずつ素敵な小品を収録してくれているのもうれしい。特にフランクの曲の旋律は、瀟洒な雰囲気があり、楽しめる。 十二分に楽しめる質・量の両面で充足感を得られるアルバムだ。 |
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フランク ヴァイオリン・ソナタ ブラームス ホルン三重奏曲 vn: パールマン p: アシュケナージ hrn: タックウェル レビュー日:2014.1.7 |
★★★★★ 明朗な清澄さに満ちた名演
1968年録音の名盤。 イツァーク・パールマン(Itzhak Perlman 1945-)のヴァイオリン、ウラディーミル・アシュケナージ(Vladimir Ashkenazy 1937-)のピアノで、フランク(Cesar Franck 1822-1890)の「ヴァイオリン・ソナタ イ長調」と、さらにオーストラリアのホルン奏者、バリー・タックウエル(Barry Tuckwell 1931-)が加わっての、ブラームス(Johannes Brahms 1833-1897)の「ホルン三重奏曲 変ホ長調 op.40」の2曲を収録したもの。 まず収録2曲の組み合わせが素晴らしい。フランクの高雅で清澄な音楽と、ブラームスの中では唯一ホルンを編成に加えた、牧歌的な風情のある室内楽という2曲は、聴いていてとても豊かな気持ちになる。実際、フランクのヴァイオリン・ソナタという楽曲は、古今の同じジャンルの作品の中でも、並び立つものがないくらいの作品だから、そこに別の作曲家のヴァイオリン・ソナタを併録するより、ホルンという新しい楽器が加わった室内楽を収録することで、音色的な踏み込みを加えたて聴いた方が、格差のようなものを認識しなくなると思う。そういった点で、「この2曲でアルバムを構成しよう」と言うアイデアはまさに慧眼だ。いったい誰の発想だったのだろう。 演奏も良い。 フランクのソナタの第1楽章冒頭。9/8拍子で間を置きながら、ピアノが属九の和音をベースに静かに付点を奏でる簡素で印象的な冒頭。3つ目の付点に、たっぷりしたタメを与える響き。この瞬間に、この演奏が持っているロマンティシズムが聴き手を支配する。この後のヴァイオリンとピアノの掛け合いの明るい響きの伸びやかなこと。ここには前時代から続くような禁欲的な法則性はあまり感じない。新しい感性が萌芽し、その生命力にあふれた息吹が、世界を謳歌するように、豊饒に流れていくのだ。この演奏は、この曲における「古典的な名演」とは異なるニュアンスを持っている。そのため、違和感を持つ人もいるかもしれない。しかし、この演奏が録音されたのは1968年である。驚くべき現代的感性。むしろ、今の主流の方が、やや先祖がえりしたようにさえ思う。この演奏が与える典雅でかつ思索的な彷徨は、聴き手をひたすら幸福感へと誘う。中でも素晴らしいのは第3楽章で、この幻想的な音楽を、パールマンとアシュケナージは、実に大きな情感に満ちた振幅を持って描いている。これほどこの音楽から広大なスケールを感じることはない。第4楽章では、前の楽章を回顧するたびに、さらにエネルギーを蓄え、終結に導いていく大きな力を獲得していく。たいへん明朗で、雄大な展開で、圧倒的なフィナーレに結びつく。 ブラームスの楽曲はホルンの加わった音色の妙が見事で、例えばヴァイオリン重音にホルンが添えられる細やかなフレーズなど、たいへん丁寧に表現されているのが好ましい。ブラームスはホルンに代えてヴィオラを用いても良い、としたそうだけど、やはりこの曲はホルンの音色が象徴的な役割を果たしていて、断然ホルンで聴きたい。タックウェルのホルンの音は、光沢があって、いかにも現代的なものだけれど、その豊かな出力を活かして、ヴァイオリン、ピアノといった楽器と張り合えるくらいの鮮やかな音を響かせている。その印象は「開放的な演奏」であり、それはフランクの演奏における「明朗さ」にも通じるもの。全体的な明るさを本アルバムの特徴として、力強く、自由に打ち出した彼らの自信がみなぎっているようだ。そのため牧歌的な風情だけでなく、力感溢れる躍動的な箇所では、協奏曲を聴くほどの醍醐味まで感じられる。 以上の様に素晴らしいアルバムではあるが、さすがに1968年の録音であるので、ちょっと強音がこもりがちに響くなど、現在の耳では、音質的な限界も感じられる。とはいえ、感覚的な新鮮さの横溢するこれらの録音の魅力は、「録音年代が古い」の一語で切り捨てられるものでは到底ないことは、一聴すればわかっていただけるだろう。 |
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フランク ヴァイオリン・ソナタ グリーグ ヴァイオリン・ソナタ 第3番 ドヴォルザーク 4つのロマンティックな小品 vn: R.カプソン p: ブニアティシヴィリ レビュー日:2014.12.15 |
★★★★★ 注目の新デュオ。カプソンとブニアティシヴィリによる魅力たっぷりのアルバム。
フランスのヴァイオリニスト、ルノー・カプソン(Renaud Capucon 1976-)とグルジアのピアニスト、カティア・ブニアティシヴィリ(Khatia Buniatishvili 1987-)という新鮮なデュオによるとても魅力的なアルバム。収録曲は以下の通り。 1) フランク(Cesar Franck 1822-1890) ヴァイオリン・ソナタ イ長調 2) グリーグ(Edvard Grieg1843-1907) ヴァイオリン・ソナタ 第3番 ハ短調 op.45 3) ドヴォルザーク(Antonin Leopold Dvorak 1841-1904) 4つのロマンティックな小品 op.75 2014年の録音。 古今から、多くのヴァイオリニストとピアニストによる名デュオがあったが、この二人の顔合わせも天賦のものといいたいぐらい、素晴らしいものと感じられた。 非常に自然な音色で、スピードの変化が巧みな上、ポルタメントに頼らない瑞々しいシャープな情緒がとても心地よい。ピアノは強音の使用を制限し、弱音に微細な変化を与えながら、流れる様に進んで行くし、そのピアノがつくったなだらかなベースの上で、ヴァイオリンは突き抜けるような透明感で清々しく歌われる。とても澄み切った混ざり物のない音世界だ。私は、これを聴いていると、朝、カーテンをあけたときに、夜の間人知れず降り積もった雪で一変した景色を見るような思いがする。落ち着いた色を基調とした美しい、全てが連続した世界。 フランクのヴァイオリン・ソナタでは第2楽章のしなやかな流動感に特に魅了される。寄せては返すピアノの音色に乗って、伸びやかに奏でられるヴァイオリンは絶妙のコラボ。続く第3楽章も抑制的なピアノに対し、曲が進むにつれて、高みに登ってゆくようなヴァイオリンが美しい。 グリーグのヴァイオリン・ソナタの中で、もっとも広く愛好されているであろう第3番は、情熱的な主題が特徴であるが、当盤の演奏は、表面を騒がせるよりも、内面的な深い情熱を感じさせてくれる。中間楽章の淡い情感は、この演奏の白眉といえる美しさで、微細をコントロールしたピアノが抜群の効果をもたらしている。 末尾のドヴォルザークは、この作曲家らしい旋律的な魅力に溢れた作品だが、精妙な強弱でクールに描き分けられたこの演奏は、高貴な洗練を感じさせ、最高に爽やかな聴き味をもたらしてくれる。 以上の様に演奏自体の素晴らしさに加えて、収録された3作品すべてが親しみやすいロマンティックな旋律美を持っていることもあり、室内楽を聴き始めた人にも、入門的意図で安心して薦められる内容だ。 |
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フランク ヴァイオリン・ソナタ ヤナーチェク ヴァイオリン・ソナタ グリーグ ヴァイオリン・ソナタ 第2番 vn: レーピン p: ルガンスキー レビュー日:2020.10.14 |
★★★★★ 流れの良さ、明瞭な頂点形成の演出に秀でた演奏
ロシアのヴァイオリニスト、ヴァディム・レーピン(Vadim Repin 1971-)と、ロシアのピアニスト、ニコライ・ルガンスキー(Nikolai Lugansky 1972-)による以下の楽曲を収録したアルバム。 1) ヤナーチェク(Leos Janacek 1854-1928) ヴァイオリン・ソナタ 2) グリーグ(Edvard Grieg 1843-1907) ヴァイオリン・ソナタ 第2番 ト長調 op.13 3) フランク(Cesar Franck 1822-1890) ヴァイオリン・ソナタ イ長調 2010年の録音。 なかなか面白い選曲。グリーグでは、3曲あるヴァイオリン・ソナタのうち、有名な第3番ではなく、第2番を取り上げている。まあ、グリーグのヴァイオリン・ソナタは、どれも佳曲であるとは思うので、どれを取り上げるかというより、ヤナーチェク、フランクと一緒に収録というのは、なかなか見ない組み合わせだ。そういった点で面白い。 レーピンとルガンスキーは、明瞭なクライマックスを築き上げながら、気持ちの良い流れでこれらの3曲を演奏している。 ヤナーチェクは、速いテンポで開始される。冒頭の印象的なフレーズは、その速さのため、いくぶん不安定だが、情熱的であり、その情熱の行き着くさまを明瞭に感じさせる点でドラマティックだ。第2楽章の童話的な雰囲気、第3楽章の鋭さも、巧妙に演出されていて、聴かせる。第4楽章は、ヤナーチェクの様々な意図が含まれた音楽であると思うが、当演奏はそれをかいつまんで説明すると言うより、飄々とした感じであり、あくまで全体のスムーズを優先した印象。レーピンのヴァイオリンの流麗な美しさが、その解釈に一貫した方向性を与えている。 グリーグの第2ソナタは、この曲がもつ情熱的な要素を鮮やかに描きあげた演奏になっている。特に終楽章は、心地よく早目のテンポで、グイグイと運んでいき、一気にフィナーレの放散に結び付ける。その燃焼度は高く、聴後感は実に清々しい。また、第2楽章は豊かなカンタービレに溢れていて、両端楽章との間にギャップをつける演出。このソナタは、これくらい積極的な表現があったほうが良いと思う。 フランクでは、ルガンスキーのピアノの技術的な冴えが一層魅力的だ。冒頭はさりげなく、自然だが、第2楽章の運動美は圧巻であり、レーピンのヴァイオリンともども、その鋭さと精密さで、聴き手を圧倒する。第3楽章はわりと普通だが、第4楽章は明るく壮大なエンディングに向けて力を蓄えていく過程に様々なドラマを感じさせ、夢中にさせてくれる。 |
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フランク ヴァイオリン・ソナタ(チェロ版) ブラームス チェロ・ソナタ 第1番 ドビュッシー チェロ・ソナタ vc: ラファリエール p: ラルーム レビュー日:2016.11.15 |
★★★★★ 静謐な佇まいからもたらされる音楽の「深さ」に感動
フランスのチェリスト、ヴィクトル・ジュリアン=ラファリエール(Victor Julien-Laferriere 1990-)と同じくフランスのピアニスト、アダム・ラルーム(Adam Laloum 1987-)による以下の3曲を収録したアルバム。 1) ブラームス(Johannes Brahms 1833-1897) チェロ・ソナタ 第1番 ホ短調 op.38 2) フランク(Cesar Franck 1822-1890) チェロ・ソナタ イ長調(原曲:ヴァイオリン・ソナタ) 3) ドビュッシー(Claude Debussy 1862-1918) チェロ・ソナタ ニ短調 2015年の録音。両者は、2014年録音のブラームスのクラリネット三重奏曲ですでに共演歴があるが、デュオとしての録音は当盤がはじめて。 私は、ラルームという若いピアニストの録音には、これまでもとても心を動かされてきた。また、このピアニストの存在は、同世代に似たタイプの人がまだ出現していないようにも思う。もちろん、それは私が無知なだけという可能性も大いにありうるが、私のCD収集の成果で、現時点でラルームというピアニストは、希少な存在としても価値があるのである。 彼のピアニズムは、内省的な深みを感じさせるもの。それは、同世代のピアニストが、華やかな劇場型だったり、あるいは折り目正しい正統派だったりするのとちょっと異質に感じるもの。ラルームのピアノは、一つの作品の深淵にそっと入って行き、全体としては静かさを感じさせる世界の中で、密やかに歌う。彼に近いタイプのピアニストとしては、少し世代は上になるけれど、ハヴィエル・ペリアネス(Javier Perianes 1978-)が近いかもしれない。 私が思うのは、おそらくこのようなスタイルの演奏というのは、ある程度の年数を経てたどり着くものではないか?ということである。なので、1987年生まれのラルームが、どのような音楽教育や環境を経て、現在のスタイルになったのか興味深い。いずれにしても、若いにも関わらず、彼のピアノからは「老境」と言うと語弊があるかもしれないが、独特のエネルギー的な安定が感じられて、それが音楽の「ひだ」を表現する大きな糧となっているのだ。 例えば、ブラームスのチェロ・ソナタであるが、第1楽章の第2主題の静かなこと!これほど嫋やかで、深い夜の雰囲気を醸し出す演奏は、これまでほとんど聴くことはできなかった。この演奏が聴き手の精神にもたらす効果に「鎮静」の作用が大きい。 とはいえ、もちろん情熱的な部分では、清々しい発散もある。フランクの名作、ヴァイオリン・ソナタをチェロに編曲したものでは、その第2楽章の闊達さが清廉で気持ち良い。しかし、そうであっても、熱しすぎない、嫋やかな世界がその背景にあることを感じさせるのである。この曲の第3楽章では、チェロをもってしては、ヴァイオリンが奏でる情熱的幻想に及ぶことは難しいと思うのだけれど、この演奏で聴くと、まったくそのことが欠点に聴こえない。初めから別の曲であったかのような不思議さ。 ドビュッシーもこれまた美しい。この作品の響きの新しさを精緻に描きながら、全体としては背景に黒を配したシックな佇まい。これこそ彼らの演奏の魅力なのだろう。 |
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フランク ヴァイオリン・ソナタ(ランパル編フルート版) フォーレ ヴァイオリン・ソナタ 第1番(ベザリー編フルート版) プロコフィエフ フルート・ソナタ fl: ベザリー p: アシュケナージ レビュー日:2017.10.26 |
★★★★★ 「2017年最高の一枚」と書かせていただきましょう!
思いもかけない喜びに遭遇すること。私の場合、当盤との巡り合いは、まさにそんな形容がふさわしい出来事だった。現代を代表するフルート奏者の一人、シャロン・ベザリー(Sharon Bezaly 1972-)が、録音時79歳となる巨匠、アシュケナージ(Vladimir Ashkenazy 1937-)と組んで、以下の3曲を録音したアルバム。 1) フランク(Cesar Franck 1822-1890) ヴァイオリン・ソナタ イ長調 ランパル(Jean-Pierre Rampal 1922-2000)編 フルート版 2) フォーレ(Gabriel Faure 1845-1924) ヴァイオリン・ソナタ 第1番 イ長調 ベザリー編 フルート版 3) プロコフィエフ(Sergei Prokofiev 1891-1953) フルート・ソナタ ニ長調 op.94 2016年の録音。 瑞々しい情緒に満ちた美演だ。このCDを入手してから、私は何度も繰り返し聴いている。この季節、私の住む北海道は、朝晩の冷え込みがはじまる。私はそれが好きだ。朝、目が覚めて、窓を開けてみると、清澄な空気がすっと入ってきて、呼吸と共に体の中をめぐっていく。その瞬間、自分の中の細胞たちがリフレッシュしたかのように、スキッと引き締まり、気持ちが冴える。それは、このCDを聴いた時の感覚に似通う。 アシュケナージは、フランク、プロコフィエフの両曲のヴァイオリン版を、それぞれパールマン(Itzhak Perlman 1945-)と1966~68年に録音していた。そのため、実に50年のタイムスパンを経た再録音となる。確かに技巧的なキレという点では以前の録音に目覚ましいものを感じたのだが、今回の録音には、アシュケナージという大家が年数をかけて培った豊かな味わい、そして、この芸術家の何より得難いものである詩情が、音楽と齟齬なく立ち上る気高さが、一層の深まりをもって伝わってくるのである。感動的な瞬間である。 テンポは至極穏当で、気持ち早めだろうか。しかし、一つ一つの音の音楽的な効果の充足は言うまでもない。音の間隙の絶妙なこと。アシュケナージの左手から繰り出される低音は、まろやかな柔らか味を持ちながらも、芯があり、つねに霊感を感じさせてくれる。全体をしっかりと支えながら、音場を見事に構成する。素晴らしいピアノをバックにフルートが突き通るような音色を紡いでいく。フランクの第3楽章の幻想美、プロコフィエフの第4楽章の艶やかなリズム、いずれも魅惑的。これだけの芸術家が、天才の作品を奏でるのである。そこに美的な世界観が立ち上ってくるのは当然かもしれないが、やはり素晴らしいことだ。 そして、アシュケナージが初めて奏でるフォーレ。これがまた無類の美しさ。何度もヴァイオリン・ソナタとして聴いてきたけど、今回アシュケナージが弾くきっかけを作ってくれたベザリーには心底感謝しなくてはいけないだろう。このフォーレを聴いていると、ベザリーの健やかな感受性とともに、芸術家としてのアシュケナージが、叡智・情緒・感覚の間のバランスにおいて、一つの到達点に達したということを実感する。たとえ肉体的な衰えがあったとしても、その表現力の深さ、豊かさ、自然さにおいて、ここまで究めることがありえるのだということに改めて感じ入らずにおれない。一つ一つのフレーズの的確さ、齟齬のない運び。それらは弾くという行為における手段を純化させ、音楽そのものとなる。音の美しさはそれ自体比類ないが、それが曲想に沿って様々な深いニュアンスを宿し、ひいては聴き手に時間の枠をこえて永続する喜びを与えてくれる。 ひたすら感謝したくなる本年最高の1枚です。 |
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前奏曲、コラールとフーガ 前奏曲、アリアと終曲 「オルガンのための3つのコラール」から第3番(ピアノ版) ゆるやかな舞曲 大奇想曲 人形の嘆き p: ハフ レビュー日:2013.2.21 |
★★★★★ フランクの精神美の世界に真摯に迫ったハフのピアニズム
イギリスのピアニスト、スティーヴン・ハフ(Stephen Hough 1961-)による1996年録音のフランク(Cesar Franck 1822-1890)のピアノ・ソロ作品集。収録曲を以下に示す。 1) 前奏曲、コラールとフーガ 2) 前奏曲、アリアと終曲 3) 「オルガンのための3つのコラール」から第3番(ピアノ版) 4) ゆるやかな舞曲 5) 大奇想曲 6) 人形の嘆き フランクという作曲家は、とても面白い存在だ。現在彼の作曲家としての名声を確固づける名曲の数々は、ほとんどがその晩年に書かれた。それまで彼は音楽教師やオルガニストとして活動し、その弟子にはダンディ(Vincent d'Indy 1851-1931)やショーソン(Ernest Chausson 1855-1899)をはじめとする名だたる作曲家たちがいるのであるが、フランク自身が「本腰を入れて」作曲活動をしたのは、その人生の最後の数年でしかない。 フランクという人は、作曲家としてだけでなく、人間として実に興味深い存在である。彼は、晩年の本格的な作曲活動開始にあたって、こんなことを言ったそうである。「デカダン(decadent:退廃)で不毛になった最近の音楽界に、そろそろ本物を示しておこうと思うんだ」。そうして、彼は、「ヴァイオリン・ソナタ」「交響曲」「交響的変奏曲」「ピアノ五重奏曲」「前奏曲、コラールとフーガ」「前奏曲、アリアと終曲」といった大傑作ばかりを、それぞれのジャンルに刻印を押すように書き遺し、人生の総仕上げをして、この世を去って行った。それはまるで、自分の人生について、最初からすべて知っていたかのようであった。 ちなみに彼がデカダンと呼んだヨーロッパの1880年頃の音楽はどのような状況だったろうか?時はまさに前期ロマン派の爛熟期で、ワーグナー(Richard Wagner 1813-1883)はその生涯の偉業を完成させようとしていたし、ブラームス(Johannes Brahms 1833-1897)は第2交響曲までを発表していた。ブルックナー(Josef Anton Bruckner 1824-1896)はウィーンで本腰を入れて充実した作曲活動に入っていた。 そのような音楽界を「デカダン」と括って、しかも、その後、確信をもって高い精神美を感じさせる選りすぐりの傑作を世に残したフランク。想像を絶する思想と思索、深い見識を持った偉人であったに相違ない。 それで、このハフのアルバムは高名な「前奏曲、コラールとフーガ」「前奏曲、アリアと終曲」を中心に、他のフランクの晩年の作品と、オルガン曲からの編曲1曲という構成になっている。 ハフというピアニストも、日本のファンにもっともっと聴かれていいピアニストだと思う。技術のレベルが高いというだけでなく、スコアの客観的な読みをベースに、自分と作品の間隔を保った音楽表現は、普遍的で高い完成度を感じさせるもので、表現形態としてたいへん優れたものになっていると思うからである。 このフランクでも清澄な響きで、精緻な審美眼によって選ばれた音が聴こえてくる。それらは厳かな美しさとして聴き手に伝わるものではないだろうか。中でも、「前奏曲、コラールとフーガ」は旋律の繰り返しの中で、研ぎ澄まされていくような様式美の高みが、十全なピアニズムで表現されており、ハフのピアニストとしての資質を余すことなく伝えた感がある。 収録曲中、唯一の晩年以外の作品であるコラール第3番は、勇壮な響きが印象的で、末尾に向けてたっぷりとしたぺダリングを用いた重量感あるピアノが聴き味十分だ。 他の無名の曲もいい曲で、中でも「大奇想曲」はアンニュイな情緒や、ダイナミックな音響が交錯する規模の大きい音楽で、ハフの良質な演奏でその真価が良く伝えられていると思う。 |
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フランク 前奏曲、コラールとフーガ ベートーヴェン ピアノ・ソナタ 第14番「月光」 ブラームス パガニーニの主題による変奏曲 p: キーシン レビュー日:2015.2.26 |
★★★★★ キーシンの演奏を聴き、改めて感じる現代流ロシア・ピアニズム
キーシン(Evgeny Kissin 1971-)による1997年録音のアルバム。収録曲は以下の通り。 1) ベートーヴェン(Ludwig van Beethoven 1770-1827) ピアノ・ソナタ 第14番 嬰ハ短調op.27-2「月光」 2) フランク(Cesar Franck 1822-1890) 前奏曲、コラールとフーガ 3) ブラームス(Johannes Brahms 1833-1897) パガニーニの主題による変奏曲op.35(全2巻) キーシンは現在ではイスラエルの国籍を持っているが、ソヴィエトで生まれ、教育を受けた芸術家である。それで、私も彼のピアノから素晴らしい技巧と音量を伴った野太いカンタービレを聴くと、すぐにロシア・ピアニズムという言葉を思いつく。この言葉はかつては濃厚でロマンティックな奏法や表現の代名詞のように用いていたのだが、20世紀後半になると、さらに国際的な音楽教養や感覚を踏まえた音楽表現を指すようになってきたように思う。しかし、キーシンの表現は、双方の意味合いで「ロシア・ピアニズム」と言って良いように思う。 これらの3曲は、いずれも中央ヨーロッパにおけるピアノ独奏曲の歴史に輝かしい位置を占める名曲であるのだが、キーシンの演奏はいずれも見事なもので、この時点ですでに彼の芸術の万能性は証明されていたのだろう。 中でも素晴らしいのがブラームスの「パガニーニの主題による変奏曲」だ(この曲はかつて練習曲と呼ばれていたのだけど、いつからか変奏曲の呼称が主流になった)。ブラームス特有の重々しい和音が連続する変奏を、十分なスピードを維持した上で弾くことが要求される難曲である。しかし、当録音のキーシンの演奏は凄い。重量感、スピード感ともに満喫させてくれる上に、一つ一つの音のシンフォニックな重みづけが十全であるため、とても歯ごたえのある聴き応えとなって、聴き手に迫ってくるのである。加えて、それらの力感を維持したまま、質感を伴って繰り広げられるカンタービレの濃さも見事で、この楽曲に熱と味を行き渡らせた、万全のピアニズムといって良い。 フランクの曲では、今度は透明な洗練を感じさせる。ブラームスに比べるといくぶん薄味で、さっぱりし過ぎている感じもあるが、最後のフーガのカノン風な効果など、うまく表出しているだろう。 ベートーヴェンの月光ソナタはそれこそ無数の録音があって、中でキーシンの位置づけがどうか、というと難しいところだが、第1楽章に象徴されるように、キーシンは慎重にいくぶん淡々と感じる方法で弾き進めている。その印象は、思いのほか暗さを感じるものだ。第2楽章のアレグレットの運動美が完璧で、完成された結晶のような等方位的な美しさを持っている。第3楽章は第1楽章同様の確実な弾き振りで、人によってはもっとピアニスティックな冴えがほしいと思うかもしれないが、十分立派な音響であり、音の恰幅も豊かなものである。 |
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前奏曲、コラールとフーガ 前奏曲、アリアと終曲 ヴァイオリン・ソナタ(コルトー編ピアノ独奏版) p: コルスティック レビュー日:2019.4.9 |
★★★★★ ヴァイオリン・ソナタをピアノ独奏曲へ・・コルトーの名編曲はなかなかの聴きモノです
ドイツのピアニスト、ミヒャエル・コルスティック(Michael Korstick 1955-)による、フランク(Cesar Franck 1822-1890)の楽曲を集めたアルバムで、収録内容は以下の通り。 1) 前奏曲、コラールとフーガ ロ短調 2) ヴァイオリン・ソナタ イ長調 ;コルトー(Alfred Cortot 1877-1962)編によるピアノ独奏版 3) 前奏曲、アリアと終曲 ホ長調 2)は2013年、他の2曲は2017年の録音。 当盤の目玉は、コルトーが編曲したヴァイオリン・ソナタのピアノ独奏版である。このピアノ独奏版に関するコルスティックのコメントがふるっている。「あらゆるヴァイオリニストにこのスコアは不評でしょうね。けれども、キーキーした音(scratching noises)が除かれた版には、確かな魅力があるんです。むしろ、いくつかの点では、ピアノ独奏版の方が優れているともいえるでしょう。ヴァイオリンがなくて寂しい、とはならないですよ」。 なかなか挑戦的とも言えるコメントであるが、実際驚かされるのはコルトーの編曲の素晴らしさである。もともとヴァイオリンとピアノで演奏された楽曲を、ピアノだけで演奏しようとするのだから、本来は、音を出力するスペックが不足し、それを補うためにやたら装飾的になったり技巧的になったりしがちであり、それをヴィルトゥオーゾ的と言い換えてもいいのだけれど、そのため、楽曲の聴き味が違った方向にシフトしがちなものなのであるが、コルトーの編曲からは、ほとんどそれを感じない。技巧的な無理はなく、本来ピアノが与えられた役割を果たしながら、ヴァイオリンのカンタービレをしっかりと付与し、肉付けしているのである。確かにこれは名編曲といって良い内容だ。 コルスティックのピアノは例によって光沢があり、スポーティだ。彼の演奏スタイルは、私見ではコルトーとはまったく異なるものだが、当該編曲作品を知るという点では、透明感があり、テクスチュアが鮮明なコルスティックのピアノは適正を発揮する。特に第2楽章の疾風のような速さと、そこに重い音が同居するあり様は、コルスティックならではの味わいだろう。第3楽章の幽玄な雰囲気も、ややメタリックな表現に寄っているとは言え、ピアノ独奏ならではの純度の高さを感じさせる。終楽章の情熱的な盛り上がりは、どこか冷たさを残しながらも、速さと重さによるカッコよさを感じさせる。コルスティックによると、コルトーの編曲は、音楽のポリフォニックな面を明確にする効果があり、それはフランクが、オルガン奏者であったことと合致する手法である」とのこと。なるほど、明瞭で立体感を感じさせる響きが提供されている。 前後に収録されたフランクの名品ももちろん美しい。コルスティックは、緩徐的な部分以外ではテンポを速めにとり、そして重々しい強音をしっかりと打ち付けるように鳴らす。その音は、私にはしばしば強すぎるように聴こえるのだが、彼のベートーヴェンほどには気にならない。むしろ、フランクのこれらの楽曲が、そのような演奏スタイルを許容する包容性があるように感じられ、その点でも新鮮で面白かった。 |
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前奏曲、コラールとフーガ 前奏曲、アリアと終曲 前奏曲、フーガと変奏曲(ハロルド・バウアー編) コラール 第2番(ルガンスキー編) p: ルガンスキー レビュー日:2020.5.26 |
★★★★★ フランクのピアノ独奏曲集に、神がかり的な名録音が登場
ルガンスキー(Nikolai Lugansky 1972-)によるフランク(Cesar Franck 1822-1890)のピアノ独奏曲集。以下の楽曲を収録。 1) 前奏曲、コラールとフーガ 2) 前奏曲、アリアと終曲 3) 前奏曲、フーガと変奏曲 ハロルド・バウアー(Harold Bauer 1873-1951)編 4) コラール 第2番 ロ短調 ルガンスキー編 2019年の録音。 素晴らしい雰囲気に満ちた神々しい録音だ。ルガンスキーの高貴なタッチが、これらの楽曲の精神的崇高性を高め、聴いていて、自分の周りの空気が浄化していくような気持になった。ルガンスキーは、持ち前のテクニックをバックに、厳格なタッチでこれらの楽曲を表現している。その結果、ただひたすらに楽曲が持つ雰囲気が募っていくような、透明な厳かさが高まり、そこでは峻嶮さとともに、慈愛が満ちていて、感動的である。フランクという作曲家の精神性が、直接伝わってくるようにさえ感じられる。 「前奏曲、コラールとフーガ」は、淡々とした語り口でありながら、ゆっくりと沈んでいくような情感が深まる。中間部のアルペッジョの明瞭で一音一音が刻印を残すように響くさまは、ことに印象深い。そして、フーガが進む中で、秘められた情熱が徐々に表出していく音楽的解決は見事であり、楽曲の深遠に触れるような喜びを感じさせる。 「前奏曲、アリアと終曲」では、音階や和音がもたらす清澄な気配が素晴らしいが、終曲の力強い響き、その立体的な彫像性にも強く打たれる。ルガンスキーのピアノはしんしんと降り積む雪を思わせるような、着実さをもって、あたりの風景を、美しく、調和のとれたものに整えていく。その完成度の高さは、演奏家の芸術性の尊さを証明している。 「前奏曲、フーガと変奏曲」は元来オルガン作品であるが、その美しい旋律とピアニスティックな効果から、様々に編曲され、演奏されてきた。当盤ではバウアー編のものに依っている。私が私有するものでは、ヴェデルニコフ(Anatoly Vedernikov 1920-1993)が自ら編曲して演奏したものやデュメイ(Augustin Dumay 1949-)とロルティ(Louis Lortie 1959-)が同様に編曲して自ら演奏したヴァイオリンとピアノ版など気に入っている。オルガン原曲ではギユー(Jean Guillou 1930-2019)の録音をオススメしておこう。さて、このルガンスキーの演奏も、本当に美しい心の洗われる演奏だ。メインとなる主題の切ない美しさを、淡々と、しかし滾滾と描きながら、これまた雪深い世界のように森閑たる清浄な大地に導かれていく。この美しい楽曲を、是非一人でも多くの人に聴いて欲しい、そうあらためて思わせてくれる名演だ。さりげないようでいて、声部の扱いは繊細をきわめていて、その描写力には感嘆させられる。 末尾に、やはりオルガン原曲をルガンスキー自ら編曲した一編が配される。そこには、バッハ(Johann Sebastian Bach 1685-1750)的な敬虔な音楽性がにじみ出ていて、フランクの美意識の鋭さに感じ入る。 |
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英雄的小品 パストラール 幻想曲イ長調 コラール 第1番 第2番 第3番 フィナーレ 幻想曲ハ長調 前奏曲、フーガと変奏 カンタービレ 祈り 交響的大曲 org: ギユー レビュー日:2012.1.25 |
★★★★★ ギユーのオルガンにより引き出された幻想的なフランクの世界
フランスの世界的オルガン奏者で、パリ聖ユスタシュ教会のオルガニストを務めるジャン・ギユー(Jean Guillou 1930-)によるフランク (Cesar Franck 1822-1890) のオルガン作品全集。1989年録音。収録曲は以下のとおり。 1) 「3つの小品」から第3曲「英雄的小品」ロ短調 2) 「大オルガンのための6作品」から第4曲「パストラール」ホ長調op.19 3) 「3つの小品」から第1曲「幻想曲」イ長調 4) 3つのコラール 5) 「大オルガンのための6作品」から第6曲「フィナーレ」変ロ長調 op.21 6) 「大オルガンのための6作品」から第1曲「幻想曲」ハ長調 op.16 7) 「大オルガンのための6作品」から第3曲「前奏曲、フーガと変奏曲」ロ短調 op.18 8) 「3つの小品」から第2曲「カンタービレ」ロ長調 9) 「大オルガンのための6作品」から第5曲「祈り」嬰ハ短調 op.20 10) 「大オルガンのための6作品」から第2曲「交響的大曲」嬰ヘ長調 op.17 ちなみに、主要な作品はすべて収められているが、他にもフランクのオルガン作品は存在するので、厳密には「全集」とは言えないところ。 フランクはベルギーで生まれ、フランスで活動した作曲家兼オルガニスト奏者であった。それで、彼の作品にはフランス的な瀟洒さとともに、ドイツ・オーストリアのロマンの影響がある。フランクの作品に多く見られる形式的特徴として、もっとも頻繁に挙げられるのは「循環形式」と言われるもので、これは一つの主題、もしくは複数の主題を、全曲を通して形を変えながら反復することで音楽的効果を導く方法論を指す。そうして編み出された作品は稀有の高貴な魅力を湛えることが多い。「世の中で2つの偉大なヴァイオリン・ソナタを挙げるなら、それはクロイツェル・ソナタとフランクのソナタである」というフレーズも何度か目にした記憶がある。また、フランクはオルガン奏者であったため、19世紀の作曲家の中でも、特にオルガン作品に力を入れて取り組んだ。バッハ作品を研究した対位法や半音階の使用、それに循環形式を交えた彼のオルガン曲は、「深みにはまる」ような大きな魅力に溢れている。 世の中には「フランキスト」という言葉がある。フランクの作品に没頭する人を指すのだが、フランクの作品には、人を夢中にさせる麻薬的要素がある。それは、ここに収録されたオルガン作品でもはっきりと伝わってくる。 ギユーもまた、類稀な技術を持ったオルガン奏者だ。音楽誌FIGAROは彼を賞賛し「彼の芸術は、艶やかで、畏怖すべきもの」と謳っている。 収録曲中、私が何度も夢中になって聴いたのは「前奏曲・フーガと変奏」で、これはヴェデルニコフがピアノで弾いた名盤もあるのだけれど、このギユーの演奏から導かれる神秘的幻想性は、より様々な感興を引き起こさせてくれる。楽曲自体もフランクの作品特有の高貴さと美しさが十全に表現されたもので、私が是非多くの人に聴いてもらいたいと思っている作品の一つだ。3曲のコラールでは、ギユーはかなりゆったりしたテンポを設定していて、ある意味、ベーシックな演奏からは外れているかもしれない。しかし、ギユーならではの思索的な深さが伝わり、カリスマ的とも言える抗い難い美観が示されている。 録音状態の素晴らしさも特筆できる。ことに低音の重量感がリアリティに溢れていて、まるですぐそこで大オルガンが鳴っているかのような錯覚を引き起こす。作品、演奏、録音などあらゆる点から推薦したいアルバムだ。 |