トップへ戻る

エルガー



交響曲 管弦楽曲 協奏曲 室内楽曲 器楽曲 声楽曲 歌劇


交響曲

交響曲 第1番 第2番 序曲「コケイン(首都ロンドンにて)」 序曲「南国にて」
ショルティ指揮 ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団

レビュー日:2012.1.24
★★★★★ ショルティによる“ワーグナー的”エルガーの大快演
 ショルティ(Georg Solti 1912-1997)指揮ロンドンフィルによるエルガー(Edward William Elgar 1857-1934)の交響曲集。2曲の管弦楽曲が併せて収録されている。曲目と録音年を記載する。交響曲第1番(1972年録音)、第2番(1975年録音)、序曲「コケイン(首都ロンドンにて)」(1976年録音)、序曲「南国にて」(1979年録音)。
 ハンガリーの名指揮者、ショルティは非常に広範なレパートリーを持っていたが、イギリス音楽にも多くの優れた録音を遺した。このエルガーの録音もその中の一つ。
 エルガーが活躍した時代のイギリスは、音楽的には保守的な土壌で、ドイツ、オーストリアを中心に展開した十二音音楽や無調とはおおよそ異なる環境にあった。エルガーはその代表格とも言える人で、イギリス的な牧歌的情緒を愛し、かつ、ワーグナーやシューマンといったドイツロマン派への憧憬を強く感じさせる作品を多く書いた。それで、このショルティの録音は、エルガーのワーグナー的とも言える力強さや開放感に焦点を当て、膂力に満ちたドライヴで、オーケストラを導いた輝かしい名演だ。
 交響曲第1番は優美で親しみ易いメロディと、直接的で分り易い語り口のある音楽で、多くの人に親しまれているが、ショルティの演奏はテンポの早い箇所で畳み掛けるような力強さを引き出すと同時に、緩徐部分では濁りのないくっきりした田園詩風の情緒を歌い上げていて、この音楽の明朗性が健全に示されている。この特徴は、第2楽章の勇壮な舞曲の推進性と、第3楽章の豊かな叙情性の鋭い対比に象徴的だ。
 交響曲第2番はエルガーの作風が変わった時期の作品と捕らえられることが多い。楽曲に潜む悲劇性、錯綜する感情表現が時折楽曲の「冷たさ」と感じられる。しかし、ショルティの演奏はここでもシンフォニックな音響を的確に構築していて、より直接的な感性で捉えられた音楽として聴こえる。それが心地よい。第2楽章のラルゲットの美しさは特筆ものだし、フィナーレも腰をすえて高貴に音楽を奏でる。その安定感が逞しい。
 2曲の管弦楽曲もいずれも秀演。コケイン(Cockaigne)はロンドンの下町を意味するとされるが、活力に溢れた音楽はショルティの独壇場といったところ。憂いも衒いもないくっきりとした陰影が印象的。序曲「南国にて」のR.シュトラウスを思わせる音色と白熱も、ショルティの棒により、余すことなく表現されている。
 録音の優秀さも書き加えたい。生き生きとしたメリハリの満ちたアンサンブルを見事な距離感と空間把握で捕らえきっており、当時のデッカの技術者たちの優秀さがよくわかる。

交響曲 第1番
アシュケナージ指揮 シドニー交響楽団

レビュー日:2009.8.11
★★★★★ 指揮者、オケの共鳴感に溢れる名演
 2009年からシドニー交響楽団の首席指揮者兼アーティステッィ・アドバイザーに就任したアシュケナージがラフマニノフの交響曲・管弦楽曲全集に続いてリリースするのがエルガーのシリーズだ。これはすでに一部のメディアで伝わっていたことだけど、あらためてなるほどと思える企画である。エルガー(Edward William Elgar 1857-1934)はイギリスを代表する作曲家であり、オーストラリアはイギリスの移民を中心とする国家である。一方でアシュケナージは亡命後活動の本拠をイギリスに移し、89年の20年ぶりの母国ロシアへ帰国の際は、ナッセン、ウォルトン、ブリテンといったイギリスの作曲家による管弦楽作品をプログラムに加えていた。
 なので、今回の企画は、両者にとって接点であったし、それだけにメッセージ性(いわゆるアイデンティティーのようなもの)を打ち出す力を持っている。
 演奏を聴く。エルガーの交響曲第1番はもちろん名作であり、これまでも主に英国系の指揮者やオーケストラによる名演があったが、本盤は勝るとも劣らない内容である。前回のラフマニノフと比べても、オーケストラパート間の呼吸はより自然で巧みになったと感じられる。基本的にはインテンポであるが、細やかなスピードの変化によるアヤがあり、その呼吸が適切で、聴き手の高揚感に直結する。第1楽章の優雅な主題の扱いと、その広がりは表現の振幅が大きくスケール感がある。
 ことに美しいのは終楽章であり、コラール風の主題の変奏が夢見るような美しさで提示されてゆく。ハープと微細を汲んだ弦のハーモニー、ここではぐっとテンポを落として聴き手を一気に音楽の深いところへ導きこんでくれる。第1楽章の主題を回想しながら壮大なフィナーレへ至る過程も圧巻。続編も大いに期待させるシリーズ第1作となった。

交響曲 第1番 弦楽セレナーデ
尾高忠明指揮 札幌交響楽団

レビュー日:2013.5.28
★★★★★ 札響による充実の“イギリス音楽の金字塔交響曲”
 尾高忠明(1947-)指揮、札幌交響楽団の演奏で、エルガー(Sir Edward Elgar 1857-1934)の「交響曲第1番」と「弦楽のためのセレナード」を収録。2012年11月、札幌・コンサートホールKitaraでのライヴ収録。
 最近、札幌交響楽団のクオリティの高いアルバムがいろいろと出てきて、地元民として嬉しい限りである。特にpastierレーベルからリリースされているラドミル・エリシュカ(Radomil Eliska 1931-)指揮によるドヴォルザーク、ヤナーチェクのシリーズなどとてもいい。元来札幌交響楽団は、チェコの作曲家の作品に素晴らしい適性があったのだが、それがCDというメディアを通じて、世に証明される機会となった。
 さて、もう一つ、このオーケストラが素晴らしいのがイギリス音楽である。これは、イギリス音楽に造形の深い尾高忠明が、1998年から常任指揮者、2004年から音楽監督を務めていることが大きいが、元来オーケストラの色調が、これらの音楽によくフィットするということもあらためて指摘したい。そして、そのことを示すメディアとして、このディスクが登場した。
 尾高と札幌交響楽団によるエルガーの録音というと、英signumレーベルから、アンソニー・ペイン(Anthony Payne 1936-)が補筆完成した交響曲第3番と行進曲威風堂々第6番という、かなりマニアックな選曲のものが2007年録音でリリースされていたが、今回の2曲は楽曲自体が名曲なので、いよいよ録音映えする出来栄えとなっている。ちなみに、尾高は、ここ10年の間に、世界で最も多くエルガーの交響曲第1番をコンサートで振った指揮者だそうである。ギネスじゃないが、いろんな統計があるものだ。話が逸れるが、ギネスの世界記録の多くは、単に意図的にやったらできるだけのもので(要は必要がないからやらないだけ)、この統計には世界一の価値を減じ、希釈してしまうだけの意味しか残らないように思うのだが。そこを目的に編ざんしているのだとしたら、たいしたものだ。
 話を当盤に戻そう。とにかく、尾高はこの作品を知り尽くしたアーティストだということ。そして、その演奏。交響曲第1番、第1楽章の冒頭は最初の聴かせどころだ。厳かな響き。決して急くことはなく、しかし決然と目的地に向かって歩んで行こうという力強さを秘めて主題が立ち現われてくる。その後、高らかに歌われる第一主題は、荘厳な雰囲気に満ち、この作品の名曲性を十全に表現している。その後も全般にシックなトーンで、落ち着きながらも、オーケストラの色彩を精妙にコントロールし、音楽の深みをたくみに演出している。木管の透き通った音色が、やや暗めの弦楽器陣の配色で、鮮明に輝く。
 第2、第3楽章の機敏性や不安さは、ややゆっくりのテンポで丁寧にトレースするように演奏されている。また、時折踏み込まれる強奏で、ややソリッドな音色を使い、その踏み込みで適度な起伏を与えている。終楽章の喜びのフィナーレまで、集中力のある音楽は途切れず、内声も充実しているため、音幅も的確で量感がある。立派な名演だ。
 弦楽セレナーデもエルガーの重要な作品の一つ。エルガーの一つの面である深刻さが渋いながらも、きちんと手ごたえをもって伝わってくる。
 以上のように、充実したライヴの記録となっており、広く推薦したい。できれば、この顔合わせで、バックス(Arnold Bax 1883-1953)あたりを録音してくれないだろうか、といろいろ期待してしまう。

エルガー 交響曲 第1番  ベルリオーズ 序曲 リア王 ベアトリスとベネディクト序曲
C.デイヴィス指揮 ドレスデン・シュターツカペレ

レビュー日:2018.4.17
★★★★★ 国境と文化圏を越えて、音楽文化が融合した圧倒的な芸術の成果
 1990年以降、シュターツカペレ・ドレスデンの名誉指揮者を務めていたコリン・デイヴィス(Colin Davis 1927-2013)は、かつてこのオーケストラがレパートリーとしてこなかった楽曲を持ち込むことで、素晴らしい成果をいくつか生み出した。当盤はそのことを象徴する1枚といって良い。収録曲は以下の通り。
1) エルガー(Edward Elgar 1857-1934) 交響曲 第1番 変イ長調 op.55 1998年録音
2) ベルリオーズ(Hector Berlioz 1803-1869) 序曲「リア王」 op.4 1997年録音
3) ベルリオーズ 「ベアトリスとベネディクト」 op.9 から 序曲 1997年録音
 いずれの楽曲も、このオーケストラにとって、手掛ける機会の少ないものであることは間違いない。エルガーの交響曲第1番は、確かにリヒャルト・シュトラウス(Richard Strauss 1864-1949)やハンス・リヒター(Hans Richter 1843-1916)といった中央ヨーロッパの指揮者によってその真価を認められ、取り上げられてきた名品ではある。しかし、現在この楽曲の演奏・録音機会は、現実的には母国であるイギリスのオーケストラによるものが多く、ドイツの歴史の深いオーケストラによって奏されるイメージはあまりない。
 しかし、イギリスの巨匠、コリン・デイヴィスとシュターツカペレ・ドレスデンの幸福な出会いは、この録音を文字通り「ものにした」のである。実に素晴らしい演奏だ。ここで聴かれるエルガーは、いかにもゲルマンの流れを汲んだ中音域が豊かで、ふくよかなサウンドで満たされているが、そのことと楽曲の間に乖離のようなものは一切なく、むしろそれゆえに達成された充足感に満ちている。
 荘厳な主題が提示される冒頭から、音楽は大きく闊歩するように進むが、その壮大なエネルギーは内奥から湧き出るように溢れてきて、次第に全編を包んでいく。展開とともに管弦楽は太い厚みと十分な音量をもって主題を扱うとともに、これを保持し、色づける楽器たちが、いずれもその装飾の限りを尽くすように響き渡り、圧巻を言って良いほどの音の絵巻を作り上げる。この第1楽章の雄大な恰幅には圧倒される。次いで第2楽章の目覚ましい迫力も特筆ものだ。重量感とスピード感の双方に満ち、熱血的に畳み込むようにして進む音楽はすさまじい力強さを見せる。耽美的と言っても良い第3楽章は、弦楽器の暖かい優美さがすばらしい聴き心地。そして第4楽章。フィナーレに向かって一気果敢になだれ込む良いな、熱い熱いオーケストラである。これぞドイツ流エルガー!見事。
 ベルリオーズも素晴らしい。エルガーにしても、ベルリオーズにしても、指揮者の確信に満ちたリードを実感する。流れの良さ、漲る力感。特に「ベアトリスとベネディクト」の素朴さと輝かしさを併せて表現する弦楽器陣の響きに魅了される。
 とはいえ、やはり最高の聴きモノはエルガーに他ならない。文化ナショナリズムの枠を軽やかに飛び越えた圧倒的・熱狂的な芸術が結実している。

交響曲 第2番
アシュケナージ指揮 シドニー交響楽団

レビュー日:2009.9.7
★★★★★ エルガーが曲に潜めた「負の感情」を表出
 2009年からシドニー交響楽団の首席指揮者兼アーティステッィ・アドバイザーに就任したアシュケナージによるエルガー・チクルスの第2弾。今回は交響曲第2番の登場。イギリスのオーケストラとも縁の深いアシュケナージがあえてシドニー交響楽団とこれらの「イギリス音楽の本線」的レパートリーに挑むのが興味深い。
 エルガーは存命中に交響曲を2曲完成させていて、これと別にアンソニー・ペインにより補筆完成された「交響曲第3番」があるが、今回のシリーズで収録される交響曲は2曲のみのようである。
 第2番は第1番に比べて地味な存在で、それというのも第1番が優美で親しみ易いメロディーを持っていたのに比べて、第2番ぱっと聴いてすぐにインプットされるような性質の音楽ではないからだ。しかし、第2番は不安や内省的な葛藤を含んでいて、時折その感情が外側に放出される先鋭的・近代的な起伏があり、ヴォーン・ウィリアムズの「第6交響曲」に当たる作品とも言える。作曲者が感受した当時の負の空気が随所に見られており、それを感じながら聴いてみたい曲だ。
 アシュケナージのタクトは冒頭から明快で、インテンポで進みながらも「負の感情」が放出される瞬間に、刹那に飽和したエネルギーを発していく。特に重量感のある金管の響きを決然と鳴らさせている。ここらへんは逆にイギリス本国のオーケストラだと、ここまでストレートな表現は困難だったのかもしれない。中間楽章の沈鬱する部分も掘り下げがされていて、従来のこの曲のイメージを変える様相を持っている。終楽章はそれでも明朗な開放感が強くなるが、ところどころの陰りが印象的だ。
 思うに、この演奏は「従来のエルガーの交響曲第2番」と異なったインパクトを求めた演奏と言える。「従来と違う」ことへの評価は人によって千差万別ではあるが、私の場合、この演奏を聴いて、「この曲はこういう曲だったのか」と思った。一つの意味深な提案を含む録音と思う。

交響曲 第3番(ペインによる補筆完成版) 行進曲「威風堂々」 第6番(ペインによる補筆完成版)
尾高忠明指揮 札幌交響楽団

レビュー日:2008.4.27
★★★★☆ 札幌交響楽団の英SIGNUMへのレコーディング第2弾
 札幌交響楽団によるドヴォルザークの交響曲第8番と第9番に続く英SIGNUMレーベルへの録音第2弾。世界発売となる録音で、それだけに意欲的な選曲となった。
 収録曲はエルガーの交響曲第3番と行進曲「威風堂々」第6番の2曲。いずれも作曲者の存命中に完成することのなかった作品で、近年になってアンソニー・ペイン(Anthony Payne)が補筆する形で日の目を見たものである。いずれも完成後は本国イギリスではオーケストラ作品のレパートリーとして取り上げられるようになった。とはいえ、そのウェーブは主にイギリスだけであり、録音もイギリスのオーケストラによるものがあるだけという状況であった。そこに「札幌交響楽団」盤の登場である。本盤の戦略性と意欲が十分に伺える選曲というわけである。指揮は尾高忠明で2007年の録音。
 実は、私はこれらの曲を初めて聴いた。印象としては冗長さがぬぐえないが、魅力的な部分も混在しているという感じ。交響曲の第1楽章は経過句的だが広がりのある主題を中心に起伏の緩やかな音楽があり、エルガーらしい風情を持っている。第2楽章のスケルツォは組曲「アーサー王」中の「ウェストミンスターの宴席」の主題が転用されており、馴染みやすい瀟洒さがある。第3楽章、第4楽章はともに長大で、もっと短くていいと感じた。ペインの気概は感じられるが、楽想としては霊感豊かとは言えないだろう。威風堂々第6番は平易なメロディで分かり易いできばえ。
 札幌交響楽団は熟考された慎重なアプローチで、交響曲の後半はやや腰の重い感じ(もっと弦のアクセントがあってもいいかもしれない)もあるが、十分に良心的な演奏と言えると思う。イギリス音楽に適性と経験の多い尾高の指揮も安心感がある。まずは成功と言って差し支えない録音で、今後も大いに期待される。


このページの先頭へ


管弦楽曲

エニグマ変奏曲 序曲「南国にて」
アシュケナージ指揮 シドニー交響楽団

レビュー日:2009.10.3
★★★★★ エニグマ変奏曲のスケールを見事に引き出した快演
 アシュケナージとシドニー交響楽団によるエルガー・チクルスの第3弾。今回はエルガーの作曲家としての卓越を決定的にした名曲「エニグマ変奏曲」を含んでいる。すでにリリースされている2曲の交響曲をも上回る名快演だ。アシュケナージのアプローチは力強く、雄渾なサウンドであり、弦を中心とするエモーショナルな表現も卓越している。
 「エニグマ変奏曲」では楽曲の雄大なスケールをよく表現している。金管の響きはやや重めであるが、それが典雅さではなく、質的な重みを感じさせてくれる。実際、「エニグマ変奏曲」はエルガーの諸作品の中にあって、特徴的に深刻な部分を持っているので、アシュケナージの指揮はその曲想を一層引き立てている。録音の効果がことに見事なのがティンパニの生々しい音色で、その際立たせ方は従来の録音とは一線を画した感がある。第7変奏のプレストの切り立った、かつ豊かなティンパニの響きは忘れがたく、迫真の音楽だ。この曲のハートといえる第9変奏では一転して豊かな情感が現れ、エルガーの音楽の美質を表現しつくしている。フィナーレの力感に満ちた高揚感も比類ない素晴らしさだ。
 序曲「南国にて」はエルガーの交響四部作と呼ばれる作品の一つ(ちなみに他の3曲は、序曲「コケイン(首都ロンドンにて)」、交響詩「ファルスタッフ」、序曲「フロアサール」)。序曲「南国にて」は南仏の地中海沿岸の印象をまとめたものだが、規模の大きい管弦楽曲。ところどころR.シュトラウスを髣髴とさせるところがあり、白熱した内容を持っていて親しみやすい。シドニー交響楽団の弦楽セクションの響きがなかなかに輝かしく、曲の面白さを堪能させてくれる。推進力の漲る生命感に溢れた演奏で、こうなると他の3曲もぜひこの顔合わせで録音して欲しいと思う。
 録音は、EXTONレーベルの特質もあって、部分的にソリッドなサウンドになっているが、もちろん全般的には高品質でクリアな音色。

行進曲「威風堂々」 第1番 第2番 第3番 第4番 第5番 第6番 弦楽セレナーデ
アシュケナージ指揮 シドニー交響楽団

レビュー日:2009.10.30
★★★★★ アシュケナージとシドニー響によるエルガー・チクルス完結!
 アシュケナージ指揮シドニー交響楽団によるエルガーのシリーズが本盤をもって完成となる。これで終わってしまうのがもったいないくらいの見事な録音となった。
 エルガーの行進曲「威風堂々」は第1番から第5番までが作曲者の存命中に完成されたものであり、ここでは加えてアンソニー・ペイン(Anthony Payne)により補筆完成された第6番も収録されている。アンソニー・ペインはエルガーの交響曲第3番も補筆完成させている。
 さて、「威風堂々」の第1番はだれもが聴いたことのある名旋律で有名だし、他の曲も親しみ易いものばかりだが、これら全曲を収録したディスクというのは意外に少ない。なので、国内盤で第6番まで収録した本ディスクは、ライブラリのエアポケットを埋めてくれるという点でも貴重だ。そして演奏が良い。いかにも颯爽としたスタイリッシュな仕上がりで、冒頭から金管、弦楽器の切れ味が鮮やか。行進曲らしい快速テンポで、不必要なタメがない。第1番のコーダの各楽器がそれぞれ鮮烈な主張をするシーンなど、実に色鮮やかで決まっている。第2番の洒脱さも、過度におどける表現ではなく、シャープで高貴な音楽になっている。第4番や第5番も音楽自体が魅力的な上に、軽快なタクトで淀みのない仕上がりがうれしい。
 併録されている「弦楽セレナーデ」も見事。私はかつて、この曲をイ・ムジチ合奏団が1985年に録音した名演で知ったのだが、アシュケナージのディスクは明らかに一時代新しい音色がする。インテンポで締りのよい音色で、末尾の後味がすっとしている。シドニー交響楽団の弦楽アンサンブルの絶対的音色の美しさも特筆したい。第2楽章の内省的とも言える耽美性は、ひょっとしてこれがエルガーの書いたもっとも美しい音楽なのではないだろうか?と思わせてくれる。
 それにしてもアシュケナージとシドニー交響楽団のハイレベルなシリーズにより、少し手薄感のあったエルガーの国内盤ディスクが一気に充実したという実感は深い。

行進曲「威風堂々」 第1番 第2番 第3番 第4番 第5番 戴冠式行進曲 劇音楽「グラニアとディアルミド」から「葬送行進曲」  「カラクタクス」から「凱旋行進曲」 宮廷仮面劇「インドの王国」から「モガル士侯たちの行進曲」 イギリス帝国行進曲 交響的前奏曲「ボローニア」
ジャッド指揮 ニュージーランド交響楽団

レビュー日:2017.7.11
★★★★★ 行進曲を中心に、エルガーの管弦楽曲の魅力を存分に伝えてくれる一枚
 イギリスの指揮者、ジェイムス・ジャッド(James Judd 1949-)がニュージーランド交響楽団を指揮して録音したエルガー(Edward Elgar 1857-1934)の行進曲集。収録曲は以下の通り。
1) 戴冠式行進曲 op.65
2) 劇音楽「グラニアとディアルミド」から「葬送行進曲」 op.42-2
3) 行進曲 威風堂々 第1番 op.39-1
4) 行進曲 威風堂々 第2番 op.39-2
5) 行進曲 威風堂々 第3番 op.39-3
6) 行進曲 威風堂々 第4番 op.39-4
7) 行進曲 威風堂々 第5番 op.39-5
8) カラクタクス op.35から「凱旋行進曲」
9) 宮廷仮面劇「インドの王国」op.66からモガル士侯たちの行進曲 
10) イギリス帝国行進曲
11) 交響的前奏曲「ポローニア」 op.76
 2003年の録音。
 エルガーの行進曲、と言うと誰もが「威風堂々」を連想するところだけれど、他にもエルガーはいろいろな行進曲を書いていた。あの有名な交響曲第1番の輝かしい第1主題だって、私にはどこか「行進曲ふう」に聴こえるし、元来「行進曲」向けのメロディーを発案する才に長けた人だったのだろう。そんなエルガーの特性に着目し、わかりやすくディスプレイしてくれた当盤の企画は、なかなか目の付け所がいい。
 冒頭の戴冠式行進曲は、ジョージ5世(George V 1865-1936)の戴冠のための機会音楽として書かれたもので、わかり易いカッコよさがあり、エルガーらしい伸びやかな旋律線が印象的。部分的には大河ドラマのテーマ曲のような肌合いにもなっており、大衆的なわかり易さに満ちている。
 モガル士侯たちの行進曲は、パーカッションの効果が印象的。イギリス帝国行進曲は以外にも内面的な性格のある楽曲だ。
 行進曲ではないが注目される収録曲は交響的前奏曲「ポローニア」。14分程度の管弦楽曲であるが、ポーランドの指揮者、エミル・ムイナルスキ(Emil Mlynarski 1870-1935)から依頼された「ポーランドのための」楽曲で、ワルシャワ労働歌、ポーランド国歌、ポーランドの作曲家であるショパン(Frederic Chopin 1810-1849)の「夜想曲第11番」、パデレフスキ(Ignacy Paderewski 1860-1941)の「ポーランド幻想曲」などから旋律を引用して、一つの聴き映えのする管弦楽曲に編まれており、なかなか楽しい。ショパンの聴きなれた旋律がヴァイオリンで提示されるところなど、なかなか麗しい。
 ジャッドはエルガーを得意とする指揮者であり、ニュージーランド交響楽団から活力に溢れたヨーロッパ的な音響を引き出している。行進曲としての体裁に相応しい生き生きとしたリズムが、全編に満ち、エルガーらしい膂力のあるオーケストラ・サウンドも、見事なもの。手ごろな踏み込みが効きながらも、派手になりすぎない統率感も立派なものだ。ライブラリの穴を埋めるだけでなく、楽曲、演奏ともに魅力的な一枚となっていると思う。

行進曲「威風堂々」 第1番 第2番 第3番 第4番 第5番 エニグマ変奏曲 序曲「コケイン」
ショルティ指揮 ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団 シカゴ交響楽団

レビュー日:2019.7.24
★★★★★ ショルティが遺した芸術と呼ぶにふさわしいエルガーの管弦楽曲集
 ショルティ(Georg Solti 1912-1997)指揮によるエルガー(Edward Elgar 1857-1937)の親しみやすい管弦楽曲の録音を集めたもの。
行進曲「威風堂々」 op.39
1) 第1番 ニ長調
2) 第2番 イ短調
3) 第3番 ハ短調
4) 第4番 ト長調
5) 第5番 ハ長調
6-20) エニグマ変奏曲 op.36
21)  序曲「コケイン」(首都ロンドンにて) op.40
 「エニグマ変奏曲」はシカゴ交響楽団を指揮して1974年の録音、他の楽曲はロンドン・フィルハーモニー管弦楽団を指揮して1976年の録音。
 音楽の愉悦をまっすぐに伝えてくれる録音。楽曲、演奏、録音、どれをとっても申し分ない。
 これらの録音が行われた頃、おそらく、ショルティの「ショルティらしさ」がもっとも突き抜けていた時期だったのではないか、と思う。私がショルティの録音で、「凄いな」と思わせるものは、60年代後半から70年代後半にかけてのものが多い。この時期、DECCAの録音技術が他レーベルを圧倒していたということもあるのだが、ショルティの指揮ぶり、インテンポ重視、正確な振り分け、明瞭なコントラストと起承転結の演出、壮麗で太く鋭い金管の響き、全体に明るい色彩感、といったものが、いずれもその頂を究めたものと感じられる。同じショルティの録音でも、それより前のものは、録音がそこまで明晰ではなく、またそれより以後のものは、他の要素の介在部分が多くなり、ある意味「普通に近づいた」ように感じる。
 当盤に収録された楽曲では、ショルティは「エニグマ変奏曲」を1996年にウィーン・フィルハーモニー管弦楽団と再録音しているが、当盤の方が前述の特徴がより前面に出ていて、特徴がはっきりしている。どちらもパワフルな演奏ではあるのだが。
 さて、「威風堂々」から、ショルティの指揮はとにかく見事だ。キレが良いし、リズム感抜群。ニュアンスをだそうとアゴーギグを多用したりはせず、一本気でありながら、音楽としての体裁は鮮やかに整えられている。感動的なメロディーも、インテンポ基本で進められるが、そのことで決して感情に働きかける物が弱まるわけではなく、むしろ、その中から生まれる勇壮な鼓舞感が胸の奥に伝わってくる。気分爽快だし、この楽曲にはこういう演奏が相応しい。
 シカゴ交響楽団を振っての「エニグマ変奏曲」でもショルティのスタイルは一貫しているが、その響きは決して無機的なものではなく、「厳かさ」や「暖かさ」はしっかりと伝わってくる。弦楽器は精密ではあるが、変奏曲によって情感を湛える幅を巧みに確保していて、その結果、勇壮なだけではない厳粛な感動が得られることが嬉しい。
 序曲「コケイン」も楽しい楽曲であるが、その楽しさを衒いなく押し出し、しかも音楽として品格を感じさせる整然たるたたずまいがあり見事である。この時代のショルティならではのスタイリッシュなエルガーが完成されている。


このページの先頭へ


協奏曲

ヴァイオリン協奏曲 ヴァイオリン・ソナタ
vn: カプソン ラトル指揮 ロンドン交響楽団 p: ハフ

レビュー日:2021.4.9
★★★★★  エルガーのヴァイオリンのための名作2品を収録
 フランスのヴァイオリニスト、ルノー・カプソン(Renaud Capucon 1976-)によるエルガー(Edward Elgar 1857-1934)の下記の2つの名作を収録したアルバム。
1) ヴァイオリン協奏曲 ロ短調 op.61
2) ヴァイオリン・ソナタ ホ短調 op.82
 1)は、サイモン・ラトル(Simon Rattle 1955-)指揮、ロンドン交響楽団との、2)はイギリスのピアニスト、スティーヴン・ハフ(Stephen Hough 1961-)との協演により、2020年にセッション録音されたもの。
 エルガーのヴァイオリン協奏曲とヴァイオリン・ソナタは、いずれもロマン派の名作である。だが、意外と演奏・録音される機会は多くない。そのような状況下、カプソンによる両曲を収録した当盤の登場は、録音・演奏が素晴らしいこととあいまって、一気に手薄感を感じていたところを満たしてくれた。
 エルガーのヴァイオリン協奏曲は、演奏時間50分に及ぶ大曲で、聴き手に複雑さを感じさせる部分を含めて、浪漫的で熱的な作品だ。当盤で、カプソンは、どちらかというと抑制的な美観をベースに、美しい対比感のあるフォルムを描き出すことに成功している。冒頭のオーケストラは、響きに階層的な深みがあり、フォルテは音量で圧倒するのではなく、むしろ外側に表出させるエネルギーを表現の豊かさに還元させるような音圧で描き出す。低弦、ティンパニ、金管の呼応はシンフォニックで、雄大な広がりを感じさせ、この曲に相応しい。カプコンのヴァイオリンは、安定感を感じさせる。なにか特別に強いポイントを設けるということはなく、悠々自適といった味わいで、この作品の名曲性を切々と響かせる。ラトルの指揮はとにかくまとまりが良くて、しなやか。長大な楽章であっても、音楽的な連続性が常に維持されていて、全体構成の巧さを感じさせる。第2楽章の感情性に満ちた響きは抜群といって良い。重音で表現される響きに、グラデーションを感じさせる幅があり、効果を上げている。第3楽章は多面的な要素を持つが、独奏ヴァイオリン、オーケストラとも処理が巧みで、流れが良い。この楽曲の特徴の一つでもあるオーケストラが加わるカデンツァの高雅な歌は、この演奏の白眉と言っても良いだろう。
 ヴァイオリン・ソナタもハフというすぐれた解釈者のサポートを得て、立派な内容だ。劇的な第1楽章は、深刻な響きであるが、決して叫ばず、じわじわと凛々しさが感じられてくる。ドイツ的な重厚さを感じさせるが、それはこの曲が元来そういう要素を持っているからであろう。第1主題と第2主題の対比も明瞭でわかりやすい。第2楽章の耽美的な雰囲気、第3楽章の即興性とも、ふさわしく、洗練されたものとなっており、この作品の名曲性を真摯に突き詰めた演奏と感じる。

エルガー チェロ協奏曲 ソスピーリ 愛の挨拶  ドヴォルザーク 森の静けさ ロンド  レスピーギ アダージョと序奏  ヴァスクス 無伴奏チェロのための「本」から
vc: ガベッタ ヴェンツァーゴ指揮 デンマーク国立交響楽団

レビュー日:2010.8.14
★★★★★  「エルガーのチェロ協奏曲」に待たれた録音でしょう。
 ソル・ガベッタ(Sol Gabetta)は1981年アルゼンチン生まれのチェリスト。10歳のころから国内のコンクールで優勝歴を重ね、1995年にはスイス・ロマンド放送コンクール優勝、1998年にはチャイコフスキー国際コンクールでナターリャ・グートマン賞を受賞している。2010年現在、録音も数点出ているようで、私は当ディスクではじめてこのチェリストの録音を聴いた。
 このアルバムのメインは言うまでもなくエルガーのチェロ協奏曲だろう。エルガーが完成した最後の大曲は推敲が重ねられた古今のチェロ協奏曲のジャンルを代表する1曲と言える。いまひとつこの曲の国内盤に手薄感があったのだが、ガベッタ盤の登場はそういった意味でも歓迎される。ヴェンツァーゴ指揮デンマーク国立交響楽団との共演で録音は2009年。
 エルガーの作品には大きく二つのスタイルがあり、一つは威風堂々や愛のあいさつに代表される純朴とも言える爛漫な歌謡性であり、もう一つは弦楽セレナードやこのチェロ協奏曲に見られる一種の悲劇性だと思う。
 第1楽章冒頭のカデンツァは悲劇的で荘重な雰囲気に満ちている。ここで、聴き手を引き込めるかが演奏成功の大きなポイントとなる。ガベッタのチェロは重心を低くすえた朗朗たる歌いまわしが力強い動線を描いている。ぐっと曲想に引っ張られる引力を感じさせてくれて心地よい。第2楽章はピチカートで始まり、早いパッセージの音楽となり、技巧を要求されるが、ガベッタのチェロは落ち着きがあり、かつスピード感も失っていない。第3、第4楽章はチェロならではの歌心を主張する楽章で、ここもバランスよくまとめた感がある。エルガーのチェロ協奏曲の一つの模範的な演奏だと思う。
 引き続いて小曲たちが収録されている。エルガーのソスピーリはエレジー風の音楽で、チェロ協奏曲に似た雰囲気がある。なので、次の「愛の挨拶」で聴き手の多くはほっと一息つけるのではないだろうか。
 ドヴォルザーク、レスピーギ、それにラトヴィアの作曲家ペテリス・ヴァスクス (Peteris Vasks 1946-)の作品が収録されている。チェロの音色の暖かさが好ましいが、ヴァスクスの無伴奏曲はガベッタの技術力がよく伝わる選曲。

エルガー チェロ協奏曲  ガル チェロ協奏曲
vc: メネセス クルス指揮 ノーザン・シンフォニア

レビュー日:2013.3.12
★★★★★  巨匠メネセスが慈愛に満ちた響きで奏でるイギリス生まれの2つのチェロ協奏曲
 イギリスの作曲家、エルガー(Sir Edward William Elgar 1857-1934)とオーストリアの作曲家、ハンス・ガル(Hans Gal 1890-1987)のチェロ協奏曲を収録したアルバム。チェロ独奏は、アントニオ・メネセス(Antonio Meneses 1957-)、クラウディオ・クルス(Claudio Cruz)指揮、ノーザン・シンフォニア(Northern Sinfonia)の演奏。2012年の録音。
 メネセスは1982年チャイコフスキー国際コンクールで優勝したブラジルのチェリスト。私がこのチェリストの名前を聴いて最初に思い出すのが、1986年録音のカラヤン(Herbert von Karajan 1908-1989)指揮によるR.シュトラウスの「ドン・キホーテ」である。晩年のカラヤンの傑作と言える豊饒な音楽で、メネセスのチェロも映えていた。
 実は、私がこれまでにこのチェリストを聴いたのは、他にもカラヤンとの共演盤ばかりで、今回やっと、他の録音を聴くことになった。今度は、同郷のブラジル出身の指揮者、クルスとの共演で、オーケストラはイギリスのノーザン・シンフォニアである。
 ハンス・ガルという作曲家の名はほとんど知られていないと思うが、ユダヤ人であったため、ナチスの迫害を逃れてイギリスに渡り、作曲・指揮活動を行った人物。そのため、ここに収録された2曲は、いずれも「イギリスで生まれたチェロ協奏曲」ということになる。
 本アルバムには、無名なガルの協奏曲が先に収録してある。製作者側にとって是非聴いてほしい作品ということになるだろう。聴いてみると、確かに美しい部分のある作品である。3つの楽章からなっているが、全曲を通じてほとんど管弦楽による強奏はなく、特に前半2楽章は雰囲気が近い。チェロが紡ぐとりとめのない幻想的で、しかしこまやかな主題は少しずつ変容していくが、そのチェロの歌を支えるようにして、管弦楽のパートが添えられる。全体的に微細なパーツによって編まれた音楽で、チェロが朗々と響き渡るものでもない。その響きは確かにイギリス音楽的であるが、旋律が内包する和声の扱いはドイツ・オーストリアを思わせる。終楽章はより速い経過的な音楽と感じられ、無窮動的で、無調的な要素も散見できる。
 エルガーの曲は、名曲として知られはするが、こちらも内省的な作品で、積極的に聴衆に関与するような音楽ではない。そのためアルバムの中での雰囲気が沈静な音楽で統一されている感がある。本アルバムは、それなりに音楽を長く聴いてきた人でなければ、やや敷居の高いものと感じられるかもしれない。
 しかし、演奏は素晴らしいものだと思う。メネセスのチェロは、きわめてアコースティックで、柔らかいぬくもりを感じさせるもので、余分なものがなく、淡々と、しかし滋味豊かな情緒に満ちている。エルガーの協奏曲のアダージョに特徴的な、祈りにも似た美しい禁欲的な厳かさがあり、楽曲のシックな雰囲気を落ち着いて素直に表現しており、いかにも大家の演奏といったところ。また技巧的で細やかなパッセージも、非常にスリムに表現されている。エルガーの曲では2009年録音のソル・ガベッタ(Sol Gabetta 1981-)の名演も印象に残るが、より内密的と言えるこのメネセスの演奏も、同曲の代表録音として挙げたい内容だ。
 ガルの無名曲の周知とともに、地味ながら存在感のあるアルバムとなっている。


このページの先頭へ


室内楽

ピアノ五重奏曲 ヴァイオリン・ソナタ
ナッシュ・アンサンブル

レビュー日:2016.10.21
★★★★★ 誠実に演奏されたエルガーの名室内楽2曲
 ナッシュ・アンサンブルの団員によるエルガー(Edward Elgar 1857-1934)の2つの名室内楽曲を収録したアルバム。収録曲は、以下の2曲。
1) ヴァイオリン・ソナタ ホ短調 op.82
2) ピアノ五重奏曲 イ短調 op.84
 1)は、ヴァイオリンがマルシア・クレイフォード(Marcia Crayford)、ピアノがイアン・ブラウン(Ian Brown 1963-)。2)はその2人に加えて、ヴァイオリンにエリザベス・レイトン(Elizabeth Layton)、ヴィオラにロジャー・チェイス(Roger Chase 1953-)、チェロにクリストファー・ファン・カンペン(Christopher Van Kampen 1945-)が加わる。録音は1992年。
 これらの2曲は、エルガーが1918年から1919年に書いたもので、ブラームス(Johannes Brahms 1833-1897)からの影響を色濃く感じさせるもので、エルガーの作品群の中でも特にドイツ音楽的性格を持ったものと言えるだろう。
 ヴァイオリン・ソナタは、内省的な劇性をもった音楽で、特に両端楽章に強い感情的な描写がある。第1楽章後半のピアノのドラマティックな効果、第3楽章のブラームスを彷彿とさせる主題がこの曲の印象の核を構成するが、静謐な中間楽章はエルガーらしい情緒が紡がれる。イギリス音楽史にあっては、重さと力強さに満ちているという点で特徴的な室内楽曲であるとも言える。
 ピアノ五重奏曲は全3楽章がそれぞれ10分を越える規模を持っており、交響曲的な雄大な着想を感じさせる。ここでも、主題にはドラマティックな要素が与えられており、それは時に輝かしく屹立する。この作品でも特に第1楽章にブラームスの影響が強く感じられる。その一方で、第2楽章には、いかにもエルガー的と言って良い牧歌的な風情が込められる。
 当盤の演奏はいずれもいかにもこなれた表現でまとめられるが、特にピアノのイアン・ブラウンの確信に満ちた表現は、楽曲を知り尽くした者ならではと感じられる。ヴァイオリン・ソナタでも、どこかの表現に特化するのではなく、全曲を貫く強い均衡感に支えられた解釈であり、聴くほどに味のある重厚感に溢れている。どこかのフレーズだけ取り出したとき、ちょっと地味に感じるところがあるかもしれないが、全曲を通して聴いたとき、特にマイナスの印象は残っていないから不思議だ。こういうのを、名演と言うのだろう。
 ピアノ五重奏曲は、全般に暖かみのある響きが中心になっていて、適度な肉付けと統制の両方がよく吟味されている。いかにも室内楽的な美観を保った演奏で、それは純粋さを感じさせるものでもある。真摯な表現で貫かれた当盤の演奏は、楽曲の性格にふさわしいもので、その名曲性を端的に示している。

エルガー ヴァイオリン・ソナタ  ドビュッシー ヴァイオリン・ソナタ  レスピーギ ヴァイオリン・ソナタ  シベリウス 子守唄
vn: エーネス p: アームストロング

レビュー日:2016.4.1
★★★★☆ レスピーギ、そしてドビュッシーが素晴らしい名演です
 カナダのヴァイオリニスト、ジェイムズ・エーネス(James Ehnes 1976-)による4人の作曲家の作品を収録したアルバム。ピアノはエーネスとのデュオの機会の多いアンドルー・アームストロング(Andrew Armstrong)。2015年の録音。収録内容は以下の通り。
1) ドビュッシー(Claude Debussy 1862-1918) ヴァイオリン・ソナタ
2) エルガー(Edward Elgar 1857-1934) ヴァイオリン・ソナタ ホ短調 op.82
3) レスピーギ(Ottorino Respighi 1879–1936) ヴァイオリン・ソナタ ロ短調
4) シベリウス(Jean Sibelius 1865-1957) 子守歌 op.79-6
 とても魅力的な選曲。いずれの曲も言われてもすぐに旋律を思い出さないけど、聴いてみると、いい曲だな、と感じる曲たちで、広く知られているとは言い難いがそれゆえの魅力を湛えた作品たちだ。
 エーネスのヴァイオリンはとてもクリーンな音色で、技術的な曖昧さがなく、夾雑成分がほとんど感じられない。とても清潔でシャープな響きである。
 そんなエーネスによる今回の4曲の中で、私はレスピーギのソナタが特に気に入った。この楽曲はローマ三部作しかしらない人には意外に思えるほどの感覚的な美観を持った音楽で、私はかつて、鄭京和(Kyung-Wha Chung 1948-)とツィマーマン(Krystian Zimerman 1956-)による録音で楽しんだのだけれど、今回のエーネスとアームストロングの録音の方が、楽曲のスタイルをより明確に打ち出したものに感じられる。第1楽章で聴かれる印象的な3音によるフレーズの幻想的な味わい、第3楽章の白熱など、いずれも前後の過程が明瞭で、音楽としての意味づけがしっかり感じられるのが良い。細やかなニュアンスも抜群だ。
 次いでドビュッシーが良い。ドビュッシー最後の作品であり、特有の余情と簡素さが同居する作品だが、エーネスのヴァイオリンの透き通った音色が、蒸留したかのような透明な情感を汲み取って、鮮やかな流れに誘ってくれる。淡いながらも美しい。
 シベリウスも同様に魅力的だが、エルガーのヴァイオリン・ソナタについては、肝心の第1楽章がいまひとつな印象がぬぐえない。これはアームストロングによって与えられた第1主題の背景の起伏が、私には凹凸がありすぎて、音楽の一途な流れをやや堰き止める感じがあるからだ。私がこの曲の名演と考える五嶋みどり(1971-)とロバート・マクドナルド(Robert McDonald)の録音と比較しても、ぎこちない感じがする。
 というわけで、レスピーギ、ドビュッシーは実にすばらしいが、エルガーの作品(作品自体は見事なものなのだけれど)については、私は、その世界に今一つ入り込めない感じである。


このページの先頭へ


器楽曲

エルガー オルガン・ソナタ 第1番 11の晩課のヴォランタリー から 第1曲~第7曲  S.S.ウェスレー 室内オルガンのための3つの小品 第1巻 より 第3番 コラール・ソングとフーガ アンダンテ ホ短調  ルメア マルシェ・モデルヌ
org: ヘリック

レビュー日:2020.8.31
★★★★☆ エルガーほかイギリスのオルガン作品を集めたアルバム
 イギリスのオルガン奏者、クリストファー・ヘリック(Christopher Herrick 1942-)によるイギリスのオルガン作品を集めたアルバムで、収録曲は以下の通り。
1) エルガー(Edward Elgar 1857-1934) オルガン・ソナタ 第1番 ト長調 op.28
2) サミュエル・セバスチャン・ウェスレー(Samuel Sebastian Wesley 1810-1876) 室内オルガンのための3つの小品 第1巻 第3曲「コラール・ソングとフーガ」
3) サミュエル・セバスチャン・ウェスレー アンダンテ ホ短調
4) エドウィン・ヘンリー・ルメア(Edwin Lemare 1865-1934) マルシェ・モデルヌ op.2
5) エルガー 11の晩課のヴォランタリー op.14 から 第1曲~第7曲
 録音年は不詳ながら、関連ウェブサイトの情報等から、1986年頃のものと思われる。
 サミュエル・セバスチャン・ウェスレーの父は、「イングランドのモーツァルト」と呼ばれたサミュエル・ウェスレー(Samuel Wesley 1766-1837)。どちらもサミュエルであるため、紛らわしいが、区別するため、サミュエル・セバスチャン・ウェスレーを “Wesley, S S” や “S.S.ウェスレー”のように表記する場合が多い。
 収録曲の中では、エルガーのオルガン・ソナタが一番の大曲となる。エルガー自身、教会用のオルガン小品を多く手掛けたが、その中にあってオルガン・ソナタは異質の大曲である。「第1番」とあるが、「第2番」に該当する作品は、別作の編作であり、実質的にエルガーのオルガン・ソナタと言う場合、この第1番を指す。また、この楽曲は、エルガーの器楽ソナタとしては、最初の作品でもある。
 曲は4楽章からなる。勇壮な第1楽章、細やかなパッセージが運動的に続く第2楽章、静謐で叙情的な第3楽章、暗黒から光明への過程に沿った第4楽章と、その構成は古典的な美観に即しており、メロディもオルガンという楽器に即したもので、エルガーの作品群を俯瞰したとき、重要な作品の一つと言えるものだろう。ヘリックはオルガン的な優美さに配意し、ゆるやかな抑揚の中で、適度なアゴーギグで楽曲を奏でている。第1楽章や第3楽章の荘厳さは、そのようなスタイルによって特徴を増しているだろう。その一方で偶数楽章は構成感にゆるみを感じさせるが、オルガンの音色の包容力により、齟齬を感じさせないくらいに整えられていると言えるだろう。
 S.S.ウェスレーの作品では「コラール・ソングとフーガ」が印象的で、バッハを意識した楽曲構成と、フーガの高い演奏効果が聴きどころだろう。 ルメアの「マルシェ・モデルヌ」は、愛らしい行進曲ふうの主題が、次第に盛り上がって、華やかに楽曲を閉じる。単純明快な作品だが、それゆえの親しみやすさは、当盤でも適度に表現されているだろう。
 最後に、再びエルガーの作品「11の晩課のヴォランタリー」が収められているが、第1曲から第7曲までしかないのが残念だ。おそらくLPへの収録を考慮した録音時間になっていると想定される。宗教的テーマに沿った小曲集であるが、厳かな雰囲気で、抑制的かつ様式的な美が描かれている。いかにも教会から聴こえてきそうなオルガンである。
 あまりメジャーな収録曲ではないかもしれないが、いずれも耳に心地よい作品であり、楽曲の特徴を伝えてくれる録音だ。


このページの先頭へ


声楽曲

オラトリオ「ゲロンティアスの夢」 チェロ協奏曲
アシュケナージ指揮 シドニー交響楽団 MS: パーシキヴィ T: タッカー Br: ウィルソン=ジョンソン vc: ジャン・ワン

レビュー日:2012.7.3
★★★★★ アシュケナージが伝えるエルガーの秘曲の姿
 2009年1月から、シドニー交響楽団の首席指揮者、音楽アドバイザーに就任しているアシュケナージ(Vladimir Ashkenazy 1937-)による、エルガー(Edward ELGAR 1857-1934)の秘曲がリリースされた。発売元は「ABC CLASSICS」だが、当2枚組ディスクにはDECCAのロゴが並列で入っている。
 当盤の収録曲は、エルガーのチェロ協奏曲とオラトリオ「ゲロンティアスの夢(The Dream of Gerontius)」の2曲。アシュケナージ指揮、シドニー交響楽団の演奏。チェロ協奏曲におけるチェロ独奏は中国のチェリスト、ジャン・ワン(Jian Wang 1968-)。オラトリオにおける独唱陣は、T: マーク・タッカー(Mark Tucker 1958-)、MS: リリ・パーシキヴィ(Lilli Paasikivi 1963-)、Br: デヴィッド・ウィルソン=ジョンソン(David Wilson-Johnson 1950-)。合唱はシドニー・フィルハーモニア合唱団とタスマニア交響楽団合唱団。2008年10月に行われたシドニー・オペラハウスでのコンサートの模様を収録したもの。
 ここで、先に「秘曲」と示したのは、大作の「オラトリオ」の方。だが、この作品、作曲者の母国であるイギリスでは広く知られており、ヘンデル(Georg Friedrich Handel 1685-1759)の「メサイア」、メンデルスゾーン(Felix Mendelssohn 1809-1847)の「エリヤ」と並んで3大オラトリオに名を連ねているという。「ゲロンティアスの夢」は2部からなるオラトリオで、このアルバムでは第1部が1枚目のディスク(チェロ協奏曲の後)、第2部が2枚目のディスクに収録されている。物語は、死期の迫ったゲロンティアスが天使の導きにより、神の姿を見る感動を描いている。ゲロンティアスを演じるのがテノールであり、第1部ではバリトンが司祭役を務める。また第2部ではメゾソプラノが天使、バリトンが苦しみの天使という配役になる。
 この録音の聴きどころはアシュケナージをスケールの大きいドライヴだ。アシュケナージはEXTONレーベルから一連のエルガーの録音をリリースしていて、私としてはその「続編」を期待していただけに、ややインターバルを置いたとはいえ、このような貴重な演奏に接することができるのは実に嬉しい。
 第1部冒頭の序曲のただならない重々しさから、壮大なクライマックスで鳴らされる全管弦楽の咆哮まで、徐々に周囲を巻き込むようにして膨れていく音楽はエネルギッシュだ。ホールトーンを巧みに活かした録音も見事で、前述のEXTONのエルガー・チクルスでは、ややON気味でソリッドな音質が気になるところもあったのだが、この録音では距離感が実に巧みにとらえられている。
 第2部はよりオペラ的で、様々な描写が織りなされるが、アシュケナージの演奏は、これに対応した十分な変化を含んでいて、様々な感情を伝えてくれる。感動的な終末部まで、適度に施された演出があり、面白い。声楽陣では、第1部と第2部で別の配役を演じることとなるウィルソン=ジョンソンの健闘ぶりが特に見事だろう。キャラクターを感じさせてくれる。
 チェロ協奏曲は手堅い誠実な演奏といった印象。真摯なソロは好感のもてるものだ。
 エルガーのこれらの曲、特にオラトリオは、日本では馴染みが薄く、また親しみやすい楽曲でもないと思うが、この録音を通じて、アシュケナージという大家が、その魅力を伝えてくれることで、私たちの趣味の裾野や音楽全般に対する視野も大きく広がっていくに違いない。


このページの先頭へ


歌劇

劇音楽「スターライト・エクスプレス」
ハンドリー指揮 ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団 S: マスターソン Br: ハモンド=ストラウト

レビュー日:2007.7.8
★★★★★ エルガーの描いた「メルヘン」の世界
 エルガーの劇付随音楽「スター・エクスプレス」。ヴァーノン・ハンドリー指揮のロンドンフィルによる演奏。独唱はヴァレリー・マスターソンとハモンド=ストラウト。録音は1974年から75年にかけてのもの。収録時間は79分。
 大戦突入翌年の1915年11月、エドワード・エルガーは、アルジャーノン・ブラックウッド(Algernon Blackwood)の小説「フェアリーランドの囚人」に基づく劇のための付随音楽を書くように依頼された。依頼人は、女優リナ・アシュウェル(Lena Ashwell)。戦時下における「何か明るいものを・・・」という意図があったといえる。劇の内容は戦争とはまったく関係がなく、子供の幻想世界を描いたもので、Organ GrinderとLaugherという二つのキャラクタによる1ダースの歌と間奏曲などによって構成される。エルガーの作品中でも、もっともオペラに近いものと考えられる。
 曲はエルガーの作品の中でも「旋律」の魅力の大きいもので、いかにもメルヘンチックな主題が好ましい。繰り返される主題は「変奏」というよりは、様々な楽器構成で提示され、その音色を楽しめる。チャイコフスキーのバレエ音楽のように洒脱な雰囲気を大切にしており、全管弦楽が強奏するようなシーンはない。後半になると、プーランクのシャンソンのような主題が現れ、これも瀟洒で“こじゃれた”雰囲気がある。それぞれの歌もなかなかきれいで、決して深みのある音楽ではないけれど、制作者の意図はよく伝わってくる。全曲を収録したものはほとんどないと思われるのでそういった意味でも貴重です。


このページの先頭へ