トップへ戻る

ドヴォルザーク



交響曲 管弦楽曲 協奏曲 室内楽曲 器楽曲 声楽曲


交響曲

交響曲全集 スラヴ舞曲集 第1集より 第1番 第3番 第6番 第8番 第2集より 第2番 第4番 第7番 第8番 序曲「自然の王国で」 スケルツォ・カプリチオーソ 伝説曲 チェコ組曲
セレブリエール指揮 ボーンマス交響楽団

レビュー日:2022.10.21
★★★★★ セレブリエールによる高品質なドヴォルザークの交響曲全集
 ウルグアイの指揮者、ホセ・セレブリエール(Jose Serebrier 1938-)指揮、ボーンマス交響楽団の演奏による、ドヴォルザーク(Antonin Dvorak 1841-1904)の交響曲全集。CD7枚によるBox-setには、9曲の交響曲に加えて、管弦楽曲も抜粋収録されており、全体として、サービスの良い内容。収録内容の詳細は下記の通り。
【CD1】 2014年録音
1) 交響曲 第1番 ハ短調 op.3 「ズロニツェの鐘」
2) スラヴ舞曲 第12番 変ニ長調 op.72-4
3) スラヴ舞曲 第16番 変イ長調 op.72-8
【CD2】 2013年録音
1) スラヴ舞曲 第3番 変イ長調 op.46-3
2) スラヴ舞曲 第6番 ニ長調 op.46-6
3) スラヴ舞曲 第15番 ハ長調 op.72-7
4) 交響曲 第2番 変ロ長調 op.4
【CD3】 2012年録音
1) 交響曲 第3番 変ホ長調 op.10
2) 交響曲 第6番 ニ長調 op.60
【CD4】 2014年録音
1) 交響曲 第5番 ヘ長調 op.76
2) 交響曲 第4番 ニ短調 op.13
【CD5】 2011年録音
1) スラヴ舞曲 第8番 ト短調 op.46-8
2) 交響曲 第7番 ニ短調 op.70
3) 序曲「自然の中で」 op.91
4) スケルツォ・カプリチオーソ 変ニ長調 op.66
【CD6】 2014年録音
10の伝説 op.59
1) 第1番 ニ短調
2) 第2番 ト長調
3) 第3番 ト短調
4) 第4番 ハ長調
5) 第5番 変イ長調
6) 第6番 嬰ハ短調
7) 第7番 イ長調
8) 第8番 ヘ長調
9) 第9番 ニ長調
10) 第10番 変ロ短調
11) 交響曲 第8番 ト長調 op.88 「イギリス」
【CD7】 2011年録音
1) スラヴ舞曲 第1番 ハ長調 op.46-1
2) 交響曲 第9番 ホ短調 op.95 「新世界より」
3) チェコ組曲 op.39
4) スラヴ舞曲 第10番 ホ短調 op.72-2
 セレブリエールのドヴォルザークは、早目のテンポを主体に、洗練された響きで、瑞々しく郷愁豊かなメロディを歌い上げたもの。水彩画を思わせるタッチでありながら、必要に応じた迫力もあり、全体的にレベルの高い内容。以下、収録順に感想を書く。
 【CD1】の交響曲第1番は、第1楽章の重厚なさを、透明感を維持して表現した巧みな棒さばきが鮮やかで、鮮烈に描いており、この交響曲の魅力を存分に引き出している。スラヴ舞曲第12番と第16番では、「大人の情緒」とでも表現すべき滋味のある舞曲を聴かせてくれる。
 【CD2】の交響曲第 2番は、牧歌的な雰囲気と軽やかな軽快さを併せ持つ作品で、作曲者の若々しい感性を感じさせる健やかな情感が息づいている。とはいえ、やや冗長な面も否めず、各楽章の演奏時間がいずれも10分を越えており、大曲の構えを持っているので、演奏する側からすると「さばきにくい曲」といったイメージであろう。しかし、セレブリエールはやや早目のテンポでまとめているが、それでも第1楽章だけで15分を要しており、それは楽曲の持つ性格と性向の異なる規模に感じてしまうところ。ただ、セレブリエールの解釈は、こなれていて、オーケストラの響きも洗練された輝かしさをもっており、聴き易い。第2楽章のアダージョはいかにも平和的でのどかであるが、その情感をふさわしい健やかさで歌い上げたこの演奏は、的確なものと感じる。第3楽章のスケルツォは、すでにドヴォルザーク作品の個性を様々に感じさせるもので、豊かなリズム、民俗性を感じさせるフレーズが交錯し、楽しい。セレブリエールの軽快な指揮ぶりは、その楽しさを強める。終楽章は力強さを必要とする部分だが、ここではセレブリエール、オーケストラとも、心地よさを維持したまま、うまく情熱的なものを描き出しており、見事な力感を帯びてフィナーレを演出する。
 交響曲第2番の前にスラヴ舞曲から、馴染みやすい3作品が収録されている。いずれも、高貴さを感じさせる洗練された響きである。個人的に好きな第6番は、チェコの演奏家たちによる数々の力強い名録音も忘れがたいが、セレブリエールの醸し出す都会的な空気感もまた、一興であろう。
 【CD3】の交響曲第3番は、第2番とは打って変わってコンパクトな作品。どこかメンデルスゾーン(Felix Mendelssohn 1809-1847)を彷彿とさせる弦楽器陣の軽やかさ、輝かしさを感じさせ、かつドヴォルザークらしい、民俗的な郷愁を併せ持っており、麗しい。そして、セレブリエールは、そんな楽曲のスケールにふさわしい、瑞々しくも軽やかな響きを導き出しており、いかにも愛すべき佳品といった風情に満ちている。とくに弦楽器と、木管の交錯が魅力いっぱいだ。終楽章では、よりテンポ幅を設けた解釈も多いが、セレブリエールはインテンポよりの解釈であり、それゆえの爽やかな風合いが保たれていて、これもこの曲に相応しい解釈。交響曲第6番も同様であるが、こちらの方が、いくぶん自由さを感じさせる。全体的に緩やかさを感じさせ、構造的なものより、叙情的なものを主に表現したテイストを感じる。しかし、楽曲自体の規模が大きいわけでも、構造が複雑なわけでもないので、その点は、どう奏でても、馴染む楽曲であるように思う。比較的速めであるが、金管の響きは朗々として張りがあり、この楽曲に相応しい森を思わせる気配に満ちている。室内楽的な緊密さを感じる緩徐楽章、活力に満ちた呼応が愉しい第3楽章は、どのような演奏でも似たように感じるところとはいえ、セレブリエールの演奏は、エッジの効き過ぎない柔らかなニュアンスが洗練を高めている。終楽章はリズム感に溢れた演奏で、心地よく全曲をまとめてくれる。
 【CD4】の交響曲第5番は、もっと人気が出てもいい作品で、自然謳歌的な響きに満ちている。セレブリエールの明朗な解釈がビタリとはまった感があり、特に終楽章の内発的な高揚感は美しく、その燃焼性は、聴き手の気持ちを高める。交響曲第4番は中間楽章に個性的なフレーズが登場するが、それをくっきりと描きだした当演奏は、木管の魅力を堪能させてくれるものとなっている。
 【CD5】の交響曲第7番は、とても瑞々しい歌に溢れた演奏。その印象は、さわやかな清々しさに尽きるだろう。そして、情感を大切にし、旋律を歌わせたセレブリエールのアプローチは、私にはとても魅力的なものである。一方で、重心の軽い音色は、特に交響曲第7番で、重々しさを感じたい人には、物足りなさを感じさせるかもしれない。しかし、心地よい速めのテンポを維持したこの演奏の魅力は、別のところにあると思うし、その観点で、とても完成度の高い演奏だと思う。この演奏のスタイルが端緒に出るのが第1楽章で、特にホルンはあちこちで、印象的な活躍をする。全合奏の軽やかさの中で、ホルンが響き渡るのは、それ自体とても気持ちが良いし、色彩感に富んだ木管も相応しい場を与えられている。終結部手前のリズム感も鮮やかで、いかにもノリが良い。中間楽章は、軽やかにまとめていて、強い個性を感じさせるわけではないが、常にドヴォルザークに相応しい情感が維持されており、聴き味は良い。終楽章は簡潔な感があるが、特徴的なのは全体的なトーンの明るさにある。この終楽章は演奏によってはむしろ悲劇的な様相を示すのだが、セレブリエールの演奏は、開放感があり、明朗だ。そして、その結末が、第1楽章から続く全体的な流れとの間に違和感がないため、完成度が高いという印象に結び付く。当CDの併録曲では、序曲「自然の中で」が素晴らしい。冒頭から穏やかな春の日の夜明けを思わせる清明さを感じさせ、その空気感をベースに、健康な音画が描かれる。「スケルツォ・カプリチオーソ」は、それに比較すると、やや表情を抑えた感があるが、中間部以降は、活き活きとした雰囲気が出てきて、憂いに満ちたイングリッシュ・ホルンも出色の出来。スラヴ舞曲第8番も軽快な中に情感を巡らせた演奏。
 【CD6】の「10の伝説曲」は録音機会のことに少ない曲集。もともとは2台のピアノのための作品で、のちに管弦楽版が出来た。1曲あたりの演奏時間は5分以下に収まることや、舞曲的なテンポの楽曲が多いことから、かの有名なスラブ舞曲と性格的な近しさを感じさせるが、旋律自体がスラヴ舞曲集より地味なので、それほど広まっていないのだろう。とはいえ、セレブリエールの演奏で聴くと、そのサウンドの美観、センスの良いテンポで、実に気持ちよく聴くことが出来る。輝かしいアンサンブルを繰り広げる第1番、快速進行に心弾む第6番、彩豊かな第8番あたりが特に印象に残るだろう。たしかに、作品の芸術作品としての価値は、交響曲やスラヴ舞曲集に及ばないとは思うけれど、このような演奏で、ドヴォルザークの自然発揚的な楽想に親しめるのは、良い機会に違いない。交響曲第8番の第1楽章は、健やかなサウンドで、跳躍力のある表現が気持ち良い限り。性格的なフレーズの交錯をチャーミングに描きながら、気風良くまとめる演奏はさすが。ここからアタッカ的に第2楽章が開始されるが、この楽章では自由度の大きいテンポの変化を扱い、情感に満ちた雰囲気となっており、郷愁的。有名な第3楽章は、べた付く表現は用いず、高貴に、一陣の風を思わせるような爽やかさでまとめる。終楽章は、ともすれば滑稽さを感じさせるカントリーなメロディだが、全般に洗練された表現と音色で、格調高くまとめる。全体の聴き応えが名演のそれであることに間違いない。
 【CD7】の交響曲第9番は、快活なテンポ、透明な音響に魅了される。第1楽章では、暖かく透明なサウンドを繰り広げながら、第2主題では、的確なコントロールでテンポを落すが、その操作性は高く、オーケストラの反応性は機敏であり、情感を高めながらも、機能的な響きの精密さが維持されていて、いかにも現代的な快演だと感じる。第2楽章のラルゴ、第3楽章のスケルツォは、ともに平均よりやや早目のテンポを主体とする。第2楽章では、クラリネット、ファゴットの突き抜けるような透明感が、晩秋の夕陽を思わせ、美しい。第3楽章は活力にあふれ、少し急く感じもあるが、悪くない。第4楽章では、透明な響きを維持しながらも、快適なテンポで、颯爽とまとめており、聴き応え十分だ。人によっては、より熱血的な要素を求めるかもしれない。もちろん、私もそういう演奏も好きだけれど、セレブリエールの演奏の高貴さは、それとは別に、抗いがたい魅力をもっており、素晴らしい。チェコ組曲では、第2曲の繊細優美な弦楽合奏の輝かしさが、この演奏の特徴を端的に示しているだろう。心地よい響きを維持しながら、オーケストラの配色という点でも、叙情性を存分に感じさせるものであり、この楽曲の魅力を存分に伝えてくれている。スラヴ舞曲第1番と第10番は、名演として知られる他の競合盤と比べると、平穏無事な感もあるが、もちろん、当全集中で聴く分には、ドヴォルザークの天性がもたらしたメロディを艶やかに、活力を持って奏でたもので、悪いわけがない。
 以上の様に、全体的な平均点の高さ、収録曲の豊富さから、非常にオススメできるBox-setとなっています。

交響曲 第2番 スラヴ舞曲 第3番 第6番 第15番
セレブリエール指揮 ボーンマス交響楽団

レビュー日:2022.10.3
★★★★★ 1枚の独立したアルバムとして収録される機会のめったにないドヴォルザークの「交響曲第2番」ですが、なかなかいいです。
 ウルグアイの指揮者、ホセ・セレブリエール(Jose Serebrier 1938-)指揮、ボーンマス交響楽団の演奏で、ドヴォルザーク(Antonin Dvorak 1841-1904)の下記の楽曲を収録したアルバム。
1) スラヴ舞曲 第3番 変イ長調 op.46-3
2) スラヴ舞曲 第6番 ニ長調 op.46-6
3) スラヴ舞曲 第15番 ハ長調 op.72-7
4) 交響曲 第2番 変ロ長調 op.4
 2013年の録音。
 ドヴォルザークの9つの交響曲のうち、以前より名曲として名高いのが交響曲第7番、第8番、第9番の3曲であり、これに次いで最近では第6番の評価も高まっている。一方で、その他の作品が、演奏・録音される機会はほとんどなく、録音されるとしても、全集の一環としてだろう。
 当盤も全集の一環として録音されたものなのだが、中でも地味な存在と思われる第2番を中心とした単発売版がリリースされたのは、稀なケースだと思われる。
 ドヴォルザーク24才の時の1865年に完成した「交響曲第 2番 」は、牧歌的な雰囲気と軽やかな軽快さを併せ持つ作品で、作曲者の若々しい感性を感じさせる健やかな情感が息づいている。とはいえ、やや冗長な面も否めず、各楽章の演奏時間がいずれも10分を越えており、大曲の構えを持っているので、演奏する側からすると「さばきにくい曲」といったイメージではないだろうか。
 セレブリエールはやや早目のテンポでまとめているが、それでも第1楽章だけで15分を要しており、それは楽曲の持つ性格と性向の異なる規模に感じてしまうところ。ただ、セレブリエールの解釈は、こなれていて、オーケストラの響きも洗練された輝かしさをもっており、聴き易い。第2楽章のアダージョはいかにも平和的でのどかであるが、その情感をふさわしい健やかさで歌い上げたこの演奏は、的確なものと感じる。
 この交響曲は、後半2楽章がより充実した出来栄えで聴き易いと思う。特に第3楽章のスケルツォは、すでにドヴォルザーク作品の個性を様々に感じさせるもので、豊かなリズム、民俗性を感じさせるフレーズが交錯し、楽しい。セレブリエールの軽快な指揮ぶりは、その楽しさを強める。終楽章は力強さを必要とする部分だが、ここではセレブリエール、オーケストラとも、心地よさを維持したまま、うまく情熱的なものを描き出しており、見事な力感を帯びてフィナーレを演出する。
 競合盤がほとんどないということもあるけれど、それをさしひいても、当楽曲の録音として、とても優れたものだと思う。
 交響曲第2番の前にスラヴ舞曲から、馴染みやすい3作品が収録されている。いずれも、高貴さを感じさせる洗練された響きである。個人的に好きな第6番は、チェコの演奏家たちによる数々の力強い名録音も忘れがたいが、セレブリエールの醸し出す都会的な空気感もまた、一興であろう。

交響曲 第3番 第6番 第7番 第8番「イギリス」
チョン・ミョンフン指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

レビュー日:2020.4.10
★★★★★ チョン・ミョンフンとウィーン・フィルのドヴォルザーク~廉価再発売盤
 チョン・ミョンフン(Myung-Whun Chung 1953-)がウィーン・フィルハーモニー管弦楽団を指揮して録音したドヴォルザーク(Antonin Dvorak 1841-1904)の4つの交響曲をCD2枚にまとめたアルバム。収録内容は以下の通り。
【CD1】 1995年録音
1) 交響曲 第3番 変ホ長調 op.10
2) 交響曲 第7番 ニ短調 op.70
【CD2】 1999年録音
3) 交響曲 第6番 ニ長調 op.60
4) 交響曲 第8番 ト長調 op.88 「イギリス」
 チョン・ミョンフンは、ドヴォルザークを得意としており、第7番と第8番については、1987年にエーテボリ交響楽団を指揮して一度録音済。満を持してという感じで、当盤では、世界最高のオーケストラを振っての再録音となったわけだ。ただ、この後、彼らによるドヴォルザークの交響曲録音の続編は製作されておらず、第9番の録音が存在しないのは、いかにも寂しいところではある。
 さて、当演奏であるが、この指揮者らしい柔らかなトーンを中心とした品のある音作りが特徴的なものと言える。ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団特有のふくよかさ、暖かさを活かし、自然な伸縮のなかで、旋律を伸びやかに歌わせたその演奏は、幸福感に富み、ドヴォルザークのこれらの楽曲にふさわしい雰囲気を導きだしている。
 特に、ウィーンの金管のなめらかな柔らかさは各所で印象に残る。第6番の第1楽章の終結部で高らかになるトランペット、あるいは第8番の第4楽章の冒頭のトランペット、その柔らかくも芯のある響きは、これが世界を代表するオーケストラの音色だ、と言わんばかりの味わいを持っている。
 弦楽器陣は、全般に柔らかめで、時として軟焦点気味の音にも感じるが、決して緩んでいるわけではなく、前後の脈絡や全体の雰囲気に沿った自然さのあるもので音楽的である。そんなチョン・ミョンフンが時には情熱の猛りをそのままぶつけるようなところもある。交響曲第6番の第3楽章のフリアントで、他の録音では聴いたことのないような早いテンポで、攻撃的な音楽を作り上げている。やや性急に感じるところもあるが、全体のメリハリの中では面白い効果を上げていると言えるだろう。
 2枚組の廉価版で入手可能なものとなっていることは、ファンにはとてもありがたい。

交響曲 第3番 第6番
セレブリエール指揮 ボーンマス交響楽団

レビュー日:2022.10.3
★★★★★ 比較的地味な存在の2曲を、魅力たっぷりに響かせてくれます
 ウルグアイの指揮者、ホセ・セレブリエール(Jose Serebrier 1938-)指揮、ボーンマス交響楽団の演奏で、ドヴォルザーク(Antonin Dvorak 1841-1904)の下記の楽曲を収録したアルバム。
1) 交響曲 第3番 変ホ長調 op.10
2) 交響曲 第6番 ニ長調 op.60
 2012年の録音。
 セレブリエールとボーンマス交響楽団のドヴォルザークが、概して、洗練された品の高さ、節度を守りながら情感に満ちた郷愁の高さが魅力的だ。当盤に収録された2曲のうち、第6番は、最近、9曲ある交響曲の中では、第7番~第9番の名作群に次ぐ作品として、評価が高まっている観があるが、第3番はめったに聴かれることはないだろう。
 しかし、この交響曲第3番が、とても心地よく響く。作風としては、どこかメンデルスゾーン(Felix Mendelssohn 1809-1847)を彷彿とさせる弦楽器陣の軽やかさ、輝かしさを感じさせ、かつドヴォルザークらしい、民俗的な郷愁を併せ持っており、麗しい。そして、セレブリエールは、そんな楽曲のスケールにふさわしい、瑞々しくも軽やかな響きを導き出しており、いかにも愛すべき佳品といった風情に満ちている。とくに弦楽器と、木管の交錯が魅力いっぱいだ。終楽章では、よりテンポ幅を設けた解釈も多いが、セレブリエールはインテンポよりの解釈であり、それゆえの爽やかな風合いが保たれていて、これもこの曲に相応しい解釈だと感じた。
 交響曲第6番も同様であるが、こちらの方が、いくぶん自由さを感じさせる。全体的に緩やかさを感じさせ、構造的なものより、叙情的なものを主に表現したテイストを感じる。しかし、楽曲自体の規模が大きいわけでも、構造が複雑なわけでもないので、その点は、どう奏でても、馴染む楽曲であるように思う。比較的速めであるが、金管の響きは朗々として張りがあり、この楽曲に相応しい森を思わせる気配に満ちている。室内楽的な緊密さを感じる緩徐楽章、活力に満ちた呼応が愉しい第3楽章は、どのような演奏でも似たように感じるところとはいえ、セレブリエールの演奏は、エッジの効き過ぎない柔らかなニュアンスが洗練を高めていて、私にはとてもふさわしいものに感じられる。終楽章はリズム感に溢れた演奏で、心地よく全曲をまとめてくれる。

ドヴォルザーク 交響曲 第5番  ヤナーチェク シンフォニエッタ
エリシュカ指揮 札幌交響楽団

レビュー日:2010.11.30
★★★★★ すでに気心の知れたコンビネーションで、いかにも玄人なサウンド
 2008年から年1枚のペースで録音が継続されているラドミル・エリシュカと札幌交響楽団によるドヴォルザークの交響曲とヤナーチェクの管弦楽組曲を組み合わせたアルバム。2010年録音の第3弾はドヴォルザークの交響曲第5番とヤナーチェクの代表作シンフォニエッタが組み合わされた。
 すでに気心のしれた指揮者とオーケストラという成熟した関係があるのだろう。最初の音からして「ああ、いつものこのコンビの音だ」と安心するとともに、たちまち音楽の世界に引き込まれていく。
 ドヴォルザークの交響曲第5番は、冒頭、木管の少し霞がかったようなニュアンスが美しい。この第1楽章は私に「田舎の春の風景」を思い起こさせるのだけれど、なかなかぴったりくるような音色だ。弦は自然で「過度な発色」など始めから起こりようもないくらい自然な音色。この傾向は当盤において常に保たれている。どことなくスケルツォのような表情を持つ終楽章は、存分にリズミカルに表現されていて楽しい。それでも開放し過ぎないセーヴ感が卓越している。
 ヤナーチェクのシンフォニエッタも素晴らしい。冒頭のファンフアーレの金管と打楽器の掛け合いは練達した趣で、どちらかというと「しっとりした」感じ。引き続く多彩な楽章では弦のグラデーションをややシックな領域にシフトさせ、しかし確かな主張を織り込んでいく手腕がいかにも玄人っぽい。楽想が膨らむシーンでは少し思い切った踏み込みもあり、決して迫力に劣るというわけでもなく、きちんと統率のとれた価値観で音楽がまとめらえている。フィナーレで再び吹き荒れるファンフアーレはややスケールを大きくし、品を保ちながらもクライマックスを巧みに演出している。総じて、滋味豊かなサウンドで心地よく聴けるドヴォルザークとヤナーチェクになっており、これらの楽曲への札幌交響楽団の高い適正をよく示している。
 エリシュカと札幌交響楽団のこのシリーズで残るはドヴォルザークの交響曲第8番と第9番である。どちらも尾高忠明指揮によって英SIGNUMへの録音があるが、これらもぜひエリシュカ指揮で聴いてみたい。そうであれば、組み合わされるであろうヤナーチェクの管弦楽曲が何になるかも楽しみである。

ドヴォルザーク 交響曲 第6番  ヤナーチェク 狂詩曲「タラス・ブーリバ」
エリシュカ指揮 札幌交響楽団

レビュー日:2008.10.19
★★★★★ 注目!エリシュカの棒のもと新生「札幌交響楽団」が躍動!
 2006年12月、札幌交響楽団の壇上に登場したラドミル・エリシュカ(Radomil Eliska)はこのオーケストラから従来にはないほどの多彩な音色を引き出し、聴衆を圧倒的に魅了した。その後エリシュカ指揮の公演は当日券も完売するほどの人気であったと言う。その後エリシュカはこのオーケストラの首席客演指揮者の就任を快諾したとのこと。
 そのような過程を経てこの録音が登場した。2008年4月札幌コンサートホール・キタラでライヴ収録されたもの。
 とにかく「素晴らしい」の一言!元来札幌交響楽団のドヴォルザークやスメタナは素晴らしいと思っていたが、この演奏は血肉に染みた本物中の本物である。エリシュカという指揮者はこれまであまり有名ではなかったが、この演奏を聴くとオーケストラ指導者として超一級の能力の持ち主であることを疑わない。これほど隅々まで音楽的表現に透徹した深く美しい音色に満ちた演奏というのはヨーロッパの本場のオーケストラでもそう簡単ではないはずだ。
 ドヴォルザークの交響曲第6番は比較的地味な存在であるが、この演奏を聴くとボヘミアの郷愁が深くこだまし、あたりを夕刻の森が包み込むようである。優しいホルンの音色、突き通る透明な木管、微細な歌を汲み尽くした弦と文句の付けようがない。かつ1楽章フィナーレのような心地よい加速感とともに得られる情感に満ちた高揚は迫力に満ちている。第2楽章もやはり豊かで弦楽器陣のグラデーションが鮮やか。第3楽章のリズム感、終楽章の躍動感も見事。
 ヤナーチェクの狂詩曲「タラス・ブーリバ」も圧倒的。どの部分をとってもヤナーチェクの音楽の真髄が聞こえる。かつ第3楽章の共感の高さは壮大な歌い上げに達する。そして、この曲では、オルガンが登場する。札幌コンサートホール・キタラのパイプオルガンの活躍ぶりも聴ける。
 札幌交響楽団の録音としては英SIGNUMから最近ドヴォルザークとエルガーの2点がリリースされたが、このディスクは録音を含めてあらゆる点で勝っていると思う。ぜひエリシュカと札幌交響楽団にはもっともっと多くのCDをリリースしてほしい。私は全部買います。このコンビ、かつてのバルビローリとハレ管弦楽団のような、世界に存在感のある芸術集団になるチャンスが十分にある。

ドヴォルザーク 交響曲 第6番  ヤナーチェク 狂詩曲「タラス・ブーリバ」
ドホナーニ指揮 クリーヴランド交響楽団

レビュー日:2010.2.23
★★★★★ 不遇の廃盤!強く再発売を期待します。
 ドホナーニはクリーヴランド管弦楽団と1984年から85年にかけてドヴォルザークの3大交響曲を録音し、そのいずれもが目覚しい快演であった。そして、それが高評価だったためだと思うのだけれど、1989年にもう一つ素晴らしい録音をしてくれた。
 それが当ディスク。ドヴォルザークの交響曲第6番とヤナーチェクの狂詩曲「タラス・ブーリバ」という魅力的な組み合わせ(最近ではエリシュカ指揮札幌交響楽団が同じ組み合わせの素晴らしいCDをリリースしている)。
 ドヴォルザークの第6交響曲はなぜか今ひとつ知名度が低いが、ぜひこの演奏を聴いていただきたい。おそらく「なんだ、ドヴォルザークの交響曲は最後の3つ以外にもとてもいい曲を書いているじゃないか!」と開眼するに相違ない。もちろん、個人差はあるのでしょうけど・・・
 第6交響曲は情緒豊かな作品で、冒頭から長閑な雰囲気に満ちている。第1楽章の柔らかい冒頭は聴き手を音楽世界に誘う力があるし、ちょっと間があって登場する情感に満ちた第1主題はなんとも懐かしい気持ちにさせてくれる。終結部も豊穣な音色で私には「実りの秋の音楽」を連想させる。中間楽章もこの作曲家の個性である郷愁感が立ち込めていて、とてもなじみ易い。ドホナーニの指揮は知的で、非常に的確なスパンで音楽を纏め上げている。楽器の透明なカラーは過度に軽くなく、高級な質感がある。デッカの録音技術も素晴らしい。スピーカーの前にいると、見晴らしのよい展望台から360度俯瞰するような気持ちにさせてくれる。
 ヤナーチェクの「タラス・ブーリバ」も同様。オルガンの音が絶妙の量で捉えられているのがウレシイ。また第2部のハープの細やかな伴奏も、弾ける弦の動きが伝わるほど克明な演奏であり、録音である。それにしても、この録音が廃盤というのは本当に惜しい。ぜひ何かの機会には、クリーヴランド管弦楽団のデッカレコーディングシリーズは再発売をお願いしたい。

交響曲 第7番 スケルツォ・カプリチオーソ
ドホナーニ指揮 クリーヴランド交響楽団

レビュー日:2010.2.23
★★★★★ ドホナーニとクリーヴランド管弦楽団の最良の成果の一つ
 1984年からクリーヴランド管弦楽団は音楽監督にクリストフ・フォン・ドホナーニ、主席客演指揮者にウラディーミル・アシュケナージを配する布陣で、デッカレーベルに積極的なレコーディングを行った。最近ではこれらの録音の多くが廃盤になっているが、これらをいま改めて聴いてみると、本当に素晴らしいものが多いので、ぜひ機会があれば1人でも多くの方に聴いていただきたいと思う。
 ドホナーニの録音で特筆したいものの一つがドヴォルザークの交響曲集である。当盤は84年から85年にかけて録音されたもの。
 ドヴォルザークの交響曲第7番は、ドヴォルザークの個性のひと際強い開花と、ブラームスなど同時代の作曲家の交響曲から得られたインスピレーションが融合した力強い名品である。旋律の太さ、展開の早さとともに、天才の閃きを随所に感じることができる。ドホナーニの指揮により、クリーヴランド管弦楽団が洗練されたこの上ないシャープな快演を披露してくれる。
 第1楽章から各楽器の立ち上がりの音の鮮明さが素晴らしい。これは奏者の技術もさることながら録音のクオリティも素晴らしいためである。またドホナーニの精緻な指揮ぶりは、必要以上の音の重複を避け、しかし重量感を減じることなく、ここぞというときに音を束ねて鋭く収束させる見事な手腕は発揮させる。クライマックスの濁りの無い鮮やかな高揚感がスゴイ。第2楽章はまっすぐにのびる木管は透明な郷愁を導いていて、これがボヘミアの音なのだろうか、と思う。第3楽章は肌理の細かい弦の表情が豊かで、クールな表現なのに暖かさを感じさせてくれる。終楽章もオーケストラの音の冴えが立派で、たちまちフィナーレに到達してしまう。まさに爽快な名演だ。
 ドヴォルザークの優れた管弦楽書法が反映された「スケルツォ・カプリチオーソ」が収録されているのもウレシイ。第7交響曲とは、雰囲気のだいぶ異なる楽天的な十数分の曲であるが、様々な変化を見せ、飽きさせない。部分的には「規模の大きなスラヴ舞曲なのかな?」と思うが、それだけ豊かな色彩を持った楽曲だということだろう。ドホナーニとクリーヴランド管弦楽団がこの作品を録音してくれたことに感謝したい。

ドヴォルザーク 交響曲 第7番  ヤナーチェク 組曲「利口な女狐の物語り」(ターリッヒ編)
エリシュカ指揮 札幌交響楽団

レビュー日:2009.10.4
★★★★★ エリシュカと札幌交響楽団による待望の第2弾です。
 2008年にリリースされたラドミル・エリシュカと札幌交響楽団の録音を聴き、たいへん感動した私は第2弾の発売を心待ちにしていたが、このたび第2弾を聴けることになったのは慶賀の至りである。今回も収録曲はドヴォルザークの交響曲とヤナーチェクの管弦楽曲であり、エリシュカと札響の魅力をこよなく引き出す選曲と思う。2009年4月の札幌コンサートホール、Kitaraにおけるライヴ録音。
 ドヴォルザークの交響曲第7番は丹精な響きながら、一つ一つのシーンの入念な楽器バランスが実に見事で、細やかに全体の配色を整えながら滋味の豊かなサウンドを形成している。全ての響きが自発的な歌謡性を帯び、見通された自然な音楽の流れが非常に美しい。派手な彩色ではないが、高貴な音色が保たれていて、前回に引き続いてボヘミアの夕刻の森の色彩を連想させる。ことに木管楽器の憂愁を帯びた音色の重なりによって沸き立つニュアンスの美しさは圧巻である。ドヴォルザークの第7交響曲の録音として古今の名盤の中に加わる権利を十分に持った説得力に満ちた快演だ。
 ヤナーチェクの組曲「利口な女狐の物語」は同名の歌劇のモチーフによる管弦楽曲。ミステリアスな美観のある逸品で、これまた素晴らしい演奏。短い主題動機を集めて全体を構成し、西欧風の求心性とは一線を画した作風がよく表現されている。ポリリズミカルな部分の処理も手腕を感じさせる演奏だ。ことに弦楽器陣の引き出す叙情性は、ヤナーチェクの象徴とも言える童話的なあどけない偶然性、生命肯定的な楽観性がきわめて自然に引き出されていると思う。
 エリシュカと札響はこの後、スメタナの管弦楽曲のセッション録音なども予定されていると言う。たいへん楽しみである。今後はぜひドヴォルザークの管弦楽曲なども録音してほしい。

交響曲 第7番
パイタ指揮 フィルハーモニック交響楽団

レビュー日:2019.8.15
★★★★☆ 個性の際立つ指揮者、パイタが遺した録音の一つ
 アルゼンチンの指揮者、カルロス・パイタ(Carlos Paita 1932-2015)は、クラシック音楽ファンにはある程度知られた存在だ。裕福な家庭に生まれ、音楽的素養を持ち合わせ、フルトヴェングラー(Wilhelm Furtwangler 1886-1954)に傾倒した彼は指揮者となった。自由な音楽活動を獲得するため、オーケストラ「フィルハーモニック交響楽団」を自ら総説。またスイスを拠点にLodiaというレーベルを立ち上げ、その録音活動を行った。
 そんな彼のスタイルは「爆演」として知られる。取り上げられる楽曲も概して燃焼性の高いものが多い。一部では、キワモノ扱いされたり敬遠されたりする傾向もあるが、聴いてみると、決して音楽的な価値を置き去りにしたものではなく、しっかりした主張に肉付きを与えた音楽が鳴っている。
 当盤にはドヴォルザーク(Antonin Dvorak 1841-1904)の「交響曲 第7番 ニ短調 op.70」の1曲のみが収録されている。オーケストラはフィルハーモニック交響楽団。1982年の録音。
 演奏は、前述のような刷り込みがあると、おそらく普通に聴こえる部類だろう。そうは言っても、音の厚みがあり、熱気を湛えた好演だ。テンポはやや速めで、第1楽章から熱さと重さを持った弦楽合奏が力強い。金管の強調も、複層的な面白味があり、なかなか楽しい。フィナーレのアッチェランドはとても心地よく、聴き手の高揚感を鼓舞し、力強い帰結に至る。なかなかお見事。
 第2楽章の牧歌的な響きは、十分に愛おしむ様に表現されているし、第3楽章の濃淡を活かした表現も、生気に溢れている。
 おそらく最大の聴きどころは終楽章で、熱血的と称したい高揚感に満ち、高らかに旋律を歌いあげている。この曲らしいある種の深刻味を、正面切って取り上げて、鮮やかに処理した手腕はたいしたものだ。
 オーケストラの技術も十分なものを感じるが、もし欠点を指摘するならば、弦楽器にもう一つ表現性を感じさせる洗練があれば、と思う。ただ、むしろある程度荒さを感じさせた方が、パイタの音楽づくりには合っているのかもしれな。
 総合的には、ドヴォルザークの第7交響曲の録音として、優れたものの一つという事ができるだろう。これ1曲だけでCD1枚というのは贅沢な作りではあり、アイテムとして、その点は一考の余地を残す。そうは言っても、Lodiaレーベルが消滅した現在となっては、増版も再編集も望み薄であり、希少な1枚となった感がある。

交響曲 第7番「イギリス」 序曲「自然の中で」 スケルツォ・カプリチオーソ スラヴ舞曲 第8番
セレブリエール指揮 ボーンマス交響楽団

レビュー日:2022.9.22
★★★★★ 爽やかな情感に満ちたセレブリエールのドヴォルザーク
 ウルグアイの指揮者、ホセ・セレブリエール(Jose Serebrier 1938-)指揮、ボーンマス交響楽団の演奏で、ドヴォルザーク(Antonin Dvorak 1841-1904)の下記の楽曲を収録したアルバム。
1) スラヴ舞曲 第8番 ト短調 op.46-8
2) 交響曲 第7番 ニ短調 op.70
3) 序曲「自然の中で」 op.91
4) スケルツォ・カプリチオーソ 変ニ長調 op.66
 2011年の録音。
 とても瑞々しい歌に溢れたドヴォルザーク。これらの演奏の印象は、さわやかな清々しさに尽きるだろう。そして、情感を大切にし、旋律を歌わせたセレブリエールのアプローチは、私にはとても魅力的なものである。一方で、重心の軽い音色は、特に交響曲第7番で、重々しさを感じたい人には、物足りなさを感じさせるかもしれない。しかし、心地よい速めのテンポを維持したこの演奏の魅力は、別のところにあると思うし、その観点で、とても完成度の高い演奏だと思う。
 交響曲第7番で、この演奏のスタイルが端緒に出るのが第1楽章で、特にホルンはあちこちで、印象的な活躍をする。全合奏の軽やかさの中で、ホルンが響き渡るのは、それ自体とても気持ちが良いし、色彩感に富んだ木管も相応しい場を与えられている。終結部手前のリズム感も鮮やかで、いかにもノリが良い。中間楽章は、軽やかにまとめていて、強い個性を感じさせるわけではないが、常にドヴォルザークに相応しい情感が維持されており、聴き味は良い。終楽章は簡潔な感があるが、特徴的なのは全体的なトーンの明るさにある。この終楽章は演奏によってはむしろ悲劇的な様相を示すのだが、セレブリエールの演奏は、開放感があり、明朗だ。そして、その結末が、第1楽章から続く全体的な流れとの間に違和感がないため、完成度が高いという印象に結び付く。
 併録曲では、序曲「自然の中で」が素晴らしい。冒頭から穏やかな春の日の夜明けを思わせる清明さを感じさせ、その空気感をベースに、健康な音画が描かれる。「スケルツォ・カプリチオーソ」は、それに比較すると、やや表情を抑えた感があるが、中間部以降は、活き活きとした雰囲気が出てきて、憂いに満ちたイングリッシュ・ホルンも出色の出来。スラヴ舞曲から1曲だけ収録されているが、こちらも軽快な中に情感を巡らせた演奏で、ドヴォルザーク作品の魅力を良く伝えている。

交響曲 第7番 第8番「イギリス」
ヤンソンス指揮 オスロ・フィルハーモニー管弦楽団

レビュー日:2011.7.8
★★★★★ ヤンソンスとオスロのイメージにビタリのドヴォルザーク
 マリス・ヤンソンス(Mariss Jansons 1943-)指揮オスロフィルによるドヴォルザークの交響曲第7番と第8番「イギリス」。録音は1992年。  私は、ヤンソンスとオスロフィルという顔合わせのレコーディングでは、80年代のチャイコフスキーの初期交響曲集が忘れ難い。清冽な感性で捉えた音楽で、垢抜けた軽やかなチャイコフスキーとして楽しんだ。一方で、ワーグナーの楽曲など、どうしても透明感だけでは何かが足りない感じもした。
 ヤンソンスは今でこそ中央ヨーロッパの主軸オーケストラを忙しく振っているが、私のイメージはこのころのものが強い。また、その音楽は、オスロという北欧の街の印象にも似通っていて、私の中で、ヤンソンス-オスロという一つのブランドのようになっている。それで、その性質にフィットする楽曲では、とてもステキな演奏が引き出される。
 このドヴォルザークもそのブランドにぴったりな印象。音楽が清冽で、濁りがない。「重さ」より「軽さ」で働きかけ、「低音」より「高音」に焦点が合うだ。ちょっと聴くと、ベルリンシュターツカペレを振っていたスウィトナーを想起するけれど、ヤンソンスとオスロフィルは、より縦線もきれいに揃えていて、前後方だけでなく、左右両翼にも見通しのいい、涼やかなガラス工芸品のような音楽になっている。
 ドヴォルザークの第7交響曲はブラームスの影響を強く受けた作品と言われる。確かにそんな熱っぽさを感じる。しかし、ヤンソンスの指揮は、むしろその「謂れ」が負の束縛であったかのように、闊達な彼ららしい音楽を展開する。第1楽章の楽想は重いのだが、この演奏ではキレによる演奏効果に重点が置かれていて、中音部の厚みを削り、スマートなシェイプを描く。それでいて、力感にも不足していない。それは前述の「キレ」が心地よく力点に収まるからだ。第3楽章の水が飛び散るかのような弦の動きも瑞々しい美観に溢れている。
 第8交響曲は「イギリス」の副題があるが、副題とは無関係に、ドヴォルザークがその個性を存分に交響曲のジャンルで解き放ったものだろう。この曲では、より軽めのテクスチュアで、感性に訴えるヤンソンスの棒が冴えている。感覚的に聴いてしまえるドヴォルザークだが、そこが評価の分かれ目だろうか。だが、私個人的には、この曲であまり「うーん」と考え込みたくはないので、このようなスタイルを歓迎する。
 いずれの曲ともオーケストラによって「よく整えられた」という趣。録音もなかなか良く、適度な広がりがあり、この演奏の距離感にぴたりとはまっていると思う。全般に、欠点を見出すのが難しいディスクと言えそうだ。

交響曲 第8番「イギリス」 交響詩「水の精」 序曲「自然の中で」
エリシュカ指揮 札幌交響楽団

レビュー日:2014.2.24
★★★★★ エリシュカ / 札響 の金字塔といって良い名演
 Pastierレーベルからリリースされてきたラドミル・エリシュカ(Radomil Eliska 1931-)指揮、札幌交響楽団によるドヴォルザーク(Antonin Dvorak 1841-1904)の交響曲録音シリーズ。当盤が第5弾ということで、めでたく第5番から第9番までの5曲が揃ったことになる。今回の収録曲は以下の通り。
1) 交響曲 第8番 ト長調 op.88
2) 交響詩「水の精」 op.107
3) 序曲「自然の中で」 op.91
 2013年の録音で、交響曲第8番はライヴ録音。これまで、本シリーズは、ほぼ1年に1作の割合で録音が進められてきた。その過程を振り返ってみると、以下のようになる。
 2008年) ドヴォルザーク 交響曲 第6番  ヤナーチェク 狂詩曲「タラス・ブーリバ」 DQC100
 2009年) ドヴォルザーク 交響曲 第7番  ヤナーチェク 組曲「利口な女狐の物語り」 DQC288
 2010年) ドヴォルザーク 交響曲 第5番  ヤナーチェク シンフォニエッタ DQC561
 2012年) ドヴォルザーク 交響曲 第9番「新世界より」 交響詩「野鳩」 DQC956
 2013年) ドヴォルザーク 交響曲 第8番「イギリス」  交響詩「水の精」 序曲「自然の中で」 DQC1162
 以上のように、最初のころは、ヤナーチェク(Leos Janacek 1854-1928)の管弦楽曲と組み合わせ、その後はドヴォルザークの管弦楽曲からカップリング曲を選ぶような形で収録が進められた。第9番と第8番の収録がシリーズ後半となったのは、尾高忠明指揮で2007年にこれらの2曲の録音がなされたばかりだったからだろう、と思う(英signum SIGCD110)。
 いずれのディスクも素晴らしい内容を持ったものだと思うが、この第8番を収めたアルバムは、そのラストを飾るに相応しい素晴らしい出来栄えだ。
 これまで同様に、弦楽器陣の渋みのある配色をベースに、木管を中心とした透明感に満ちた抒情と、きめ細やかな表情付による郷愁を誘うサウンドとなっているが、さらに力強さと、一段階威力を増した開放感が加わった。それは、第8交響曲という楽曲の、艶やかとも言える性格にも起因するのだけれど、さらに魅力的なパレットを手に入れて、一層コクのある表現に到達したという感がある。このオーケストラのベスト・パフォーマンスの一つといっていいだろう。
 第1楽章は導入部から、北欧音楽を思わせるような木管の透徹した響きが印象的で、あちこちで風雅さを導いている。クライマックスの高揚感は自然な伸びやかさに満ち、旋律を歌いあげる際の感情の高まりも見事に捉えられている。第2楽章は淡い色彩ながら、いかにも品の良い郷愁を描いていて、憧憬的とも言える情緒に満ちている。有名な第3楽章も、ほの暗いなかに爽やかな感覚が息づいている。そして終楽章の情熱的な進行は、白眉といっても良い内容で、金管、ティンパニの力強い呼応を伴って、快活で衒いのない、しかし滋味豊かな響きに満たされている。これらの音楽的効果は、すでに彼らがドヴォルザークという作曲家の作品に対し、ゆるぎない自信を持っていることによって獲得されたものだろう。アッチェランドの自然さ、楽想移行の堅実さなどは、いずれも作品を深く理解し、その理解が楽団員によって共有されていることの証左だと思う。
 だから、併録してある2曲の管弦楽曲も陰影のある表現に満ちている。特に交響詩「水の精」は、晩年のドヴォルザークの思索性を感じ取れるような情感に満ちた演奏で、この作品の本来の姿はこうである、と思わせるような説得力に満ちている。
 エリシュカと札幌交響楽団には、ぜひこれからも様々な録音をリリースしてほしい。

交響曲 第8番「イギリス」 10の伝説
セレブリエール指揮 ボーンマス交響楽団

レビュー日:2022.9.15
★★★★★ 高いクオリティーを感じさせるセレブリエールのドヴォルザーク
 ウルグアイの指揮者、ホセ・セレブリエール(Jose Serebrier,1938-)指揮、ボーンマス交響楽団の演奏で、ドヴォルザーク(Antonin Dvorak 1841-1904)の下記の楽曲を収録したアルバム。
10の伝説 op.59
 1) 第1番 ニ短調
 2) 第2番 ト長調
 3) 第3番 ト短調
 4) 第4番 ハ長調
 5) 第5番 変イ長調
 6) 第6番 嬰ハ短調
 7) 第7番 イ長調
 8) 第8番 ヘ長調
 9) 第9番 ニ長調
 10) 第10番 変ロ短調
11-14) 交響曲 第8番 ト長調 op.88 「イギリス」
 2014年の録音。
 私は、セレブリエールという指揮者を、現代を代表する巨匠に数えるべき実力者であると思っているが、日本国内で、彼の業績を積極的に評価するものを目にした機会はほとんどない。録音点数が多くはなく、しかもいわゆるドイツ・オーストリア系の王道的レパートリーの録音が少ないことも、影響しているのかもしれない。
 しかし、彼が振るオーケストラは、どんなオーケストラも、鮮烈で、しなやかさと豪胆さを兼ね備えた音を出すので、感心する。オーケストラの操縦に長けているだけでなく、作品を深く把握し、感性を演奏に反映させるための、精度の高い術を持っているにちがいない。
 例えば、このドヴォルザークも、とても瑞々しく、薫り高い演奏だと思う。
 まず、「10の伝説曲」が収録されている。この楽曲は録音機会のことに少ない曲集。もともとは2台のピアノのための作品で、のちに管弦楽版が出来た。1曲あたりの演奏時間は5分以下に収まることや、舞曲的なテンポの楽曲が多いことから、かの有名なスラヴ舞曲と性格的な近しさを感じさせるが、旋律自体がスラヴ舞曲集より地味なので、それほど広まっていないのだろう。
 とはいえ、セレブリエールの演奏で聴くと、そのサウンドの美観、センスの良いテンポで、実に気持ちよく聴くことが出来る。輝かしいアンサンブルを繰り広げる第1番、快速進行に心弾む第6番、彩豊かな第8番あたりが特に印象に残るだろう。たしかに、作品の芸術作品としての価値は、交響曲やスラヴ舞曲集に及ばないとは思うけれど、このような演奏で、ドヴォルザークの自然発揚的な楽想に親しめるのは、良い機会に違いない。
 一方で名曲として名高い交響曲第8番は録音も無数と言って良いほどにあるのだが、セレブリエールの演奏は他の名演に引けをとらない魅力がある。第1楽章は、健やかなサウンドで、跳躍力のある表現が気持ち良い限り。性格的なフレーズの交錯をチャーミングに描きながら、気風良くまとめる演奏はさすが。ここからアタッカ的に第2楽章が開始されるが、この楽章では自由度の大きいテンポの変化を扱い、情感に満ちた雰囲気となっており、郷愁的。有名な第3楽章は、べた付く表現は用いず、高貴に、一陣の風を思わせるような爽やかさでまとめる。終楽章は、ともすれば滑稽さを感じさせるカントリーなメロディだが、全般に洗練された表現と音色で、格調高くまとめる。全体の聴き応えが名演のそれであることに間違いない。
 ドヴォルザークの名曲と、知られざる佳品を、併せて名演・名録音で聴くことのできる1枚。

交響曲 第7番 第8番「イギリス」
アシュケナージ指揮 チェコ・フィルハーモニー管弦楽団

レビュー日:2016.2.23
★★★★★ 素晴らしい演奏。
 アシュケナージ(Vladimir Ashkenazy 1937-)指揮、チェコ・フィルハーモニー管弦楽団によるドヴォルザーク(Antonin Leopold Dvorak 1841-1904)の以下の2曲の公共協を収録したアルバム。
1) 交響曲 第7番 ニ短調 op.70
2) 交響曲 第8番 ト長調 op.88 「イギリス」
 1998年の録音。
 素晴らしい快演奏、好録音である。コンサート・ホールの残響、余韻を計算し、音響を隅々までコントロールし、このオーケストラの、特に管楽器のふくよかな響きを克明に捉え、音楽的に消化している。
 特に目覚ましいのは第8交響曲で、冒頭の弦の艶やかで、ニュアンスを含んだ響き、ここぞと言うときに冴える木管のルバート、音響のバランスを失わずに決め所を際立たせた金管と、すべてが絶妙に冴えている上に、弦楽器陣の柔らかな響きがこの上ない高級感をもたらす。
 第2楽章の郷愁は気高く歌われるが、決して取り乱さない禁欲的な美観を同時に感じさせる。心地よいテンポで流麗な第3楽章は、洗練の極致といった表現だが、オーケストラの特性を背景とした音色の深みが、音楽の味わいを濃くする。
 第4楽章は土俗的活力を殺すことなく、オーケストラ表現としての合理性を追求したバランスの良い響きが見事で、この楽曲を知り尽くしたチェコ・フィルハーモニー管弦楽団ならではの含蓄あるサウンドが暖かい。
 交響曲第7番もきわめてすぐれた演奏。どちらかというと抑制的なスタイルかもしれないが、金管の透き通った音色が、透明なパレットの中で響き渡る瞬間は、その立体的な奥行きに感動させられる。第3楽章の舞曲風音楽の熱血的表現も魅力十分だ。
 以上のように、当盤をこれらの代表的録音として推すことにまったくためらいはない。

交響曲 第8番「イギリス」 交響詩「真昼の魔女」
アバド指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

レビュー日:2015.8.20
★★★★☆ ドヴォルザークのオーケストラ作品を徹底的にリファインするとどうなる?
 アバド(Claudio Abbado 1933-2014)指揮、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団によるドヴォルザーク(Antonin Leopold Dvorak 1841-1904)の以下の2曲を収録したアルバム。
1) 交響詩「真昼の魔女」 op.108
2) 交響曲 第8番 ト長調「イギリス」 op.88
 1993年の録音。
 アバドらしい現代的な洗練を極めたドヴォルザークだ。ドヴォルザークは、基本的に「湧き出る楽想のまま」に書を進めた天才で、引用を得意とし、スラヴの民謡、そしてアメリカで活動したときはニグロやアメリカ・インディアンの音楽を様々に自作に取り込み、ヨーロッパ音楽のスタイルと融合しながら音楽作品を作り上げていった。私たちが、ドヴォルザークを聴くときに、スラヴの郷愁や土俗的なものを感じるのは、そのような素材が持つ根源的な印象が底辺にあるのを感じるからである。
 とはいってもクラシック音楽の芸術作品として成すためには、素材を他に求めた場合であっても、芸術的な処理により、一種の気高さを付随させる処理が行われる。民謡や、土俗的なリズム、音色は、素材であり、私たちが芸術として楽しむのは、前述の過程を経た成果品として、である。
 ドヴォルザークの音楽では、その素材の色が濃く残っているのが特徴で、これは、旋律の加工の度合いが小さかったり、旋律線を臆面なく強調する音楽的手法が比較的自由に使用されたりしていることがその原因である。すなわち、私たちがドヴォルザークの音楽に、個性を感じるのは、そのような旋律や土俗的なリズム処理を感じる場合が多い。
 それで、このアバドの演奏は、そういった観点で考えると、とにかくドヴォルザークの個性を薄味な方向に誘導しようという方法論を徹底したものと言える。「野暮」の究極である「洗練」をめざし、郷愁ではなく、都会的な美意識を持って音をリファインしている。その結果、聴き味は見事なほどに清々しい。明るくて気持ちが良いし、時として、強く感じるアクのような成分がすっかり抜いてある。リズムを刻む楽器も、アクセントは強調せず、実になめらかだ。私には「緩和」「リラックス」「洗練」といったキーワードが、次々に浮かび上がった。それは純音楽的アプローチというより、さらに踏み込んだリファイン作業の成果であり、それがアバドのドヴォルザークである。
 この仕上がりの美しいドヴォルザークを聴き、「ここまで洗い上げることができるのか」と感心しながらも、その一方でより濃い味を求める自分がいる。これは、私にとって、そういった葛藤を感じさせる録音でした。

交響曲 第8番「イギリス」 第9番「新世界より」 序曲「謝肉祭」 スケルツォ・カプリチオーソ 交響詩「水の精」 スラヴ舞曲選集(13曲) 弦楽セレナード 弦楽四重奏曲 第12番「アメリカ」
P. ヤルヴィ指揮 ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団 フランツ指揮 フィルハーモニー・デア・ナツィオーネン ボストック指揮 アンゲラー指揮 南西ドイツ室内管弦楽団 vn: カーニー オーウェンス va: ウィリアムス vc: リードストレム

レビュー日:2018.3.26
★★★★★ お得感満載の4枚組アルバムです。
 独membranレーベルのシリーズ、「Quadromania」は、歴史的音源を中心に、CDメディア4枚分をボックス化し、廉価でリリースしているもの。様々なジャンルの音楽が扱われているが、当盤は、ドヴォルザーク(Antonin Dvorak 1841-1904)の音源がまとめられた。
 同シリーズにおいては、モノラル期の歴史的音源を用いられることが多く、共通してその旨の「ことわり書き」が付されているのであるが、当盤は例外で、一つがアナログ音源なほかはすべてがデジタル音源によっており、基本的なライブラリとして絶好のアイテムといった感がある。収録内容を記そう。
【CD1】
1) 交響曲 第9番 ホ短調 op.95 「新世界より」
2) 序曲「謝肉祭」 op.92
3) スケルツォ・カプリチオーソ op.66
 パーヴォ・ヤルヴィ(Paavo Jarvi 1962-)指揮 ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団 1994年録音
【CD2】
1) 交響曲 第8番 ト長調 op.88 「イギリス」
2) 交響詩「水の精」 op.107
 ユストゥス・フランツ(Justus Franz 1944-)指揮 フィルハーモニー・デア・ナツィオーネン 1995年録音(ライヴ)
【CD3】 
スラヴ舞曲集 第1集 op.46より
 1) 第1番 ハ長調
 2) 第2番 ホ短調
 3) 第3番 変イ長調
 4) 第4番 ヘ長調
 5) 第6番 ニ長調
 6) 第7番 ハ短調
 7) 第8番 ト短調
スラヴ舞曲集 第2集 op.72より
 8) 第1番 ロ長調
 9) 第2番 ホ短調
 10) 第5番 変ロ短調
 11) 第6番 変ロ長調
 12) 第7番 ハ長調
 13) 第8番 変イ長調
 ダグラス・ボストック(Douglas Bostock 1955-)指揮 ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団 1995年録音
【CD4】
1) 弦楽セレナード op.22
 パウル・アンゲラー(Paul Angerer 1927-2017)指揮 南西ドイツ室内管弦楽団 1974年録音
2) 弦楽四重奏曲 第12番 ヘ長調 op.96 「アメリカ」
 ヴァイオリン: ジョナサン・カーニー(Jonathan Carney 1963-)、レイモンド・オーウェンス(Raymond Ovens 1932-2017)
 ヴィオラ: アンドリュー・ウィリアムス(Andrew Williams)
 チェロ: マッツ・リードストレム(Mats Lidstrom 1959-)
 1994年録音。
 【CD4】の弦楽セレナード以外はすべてデジタル録音。【CD2】はライヴ録音が用いられている。
 【CD1】は、今や世界を代表する指揮者となったパーヴォ・ヤルヴィが、32歳の時に録音したもの。すでに一定の完成を感じさせる充実した演奏を示している。
 交響曲第9番は、あまたの録音がある中で、あえて奇をてらうことはせず、堂々と正統的なアプローチをした名演と感じさせる内容。第1楽章は深い郷愁を感じさせ、時にたっぷりとしたリタルダントも用いながら、風をなぐような弦の力強い表現を得て、ここぞというところで熱を増す。その起伏を的確に交えて、鮮やかな帰結に結び付ける。第2楽章は、やや淡泊な面も感じられるが、こまやかな情緒を救っており、音楽の薫り高さは維持されていて、暖かくフレーズが閉じていく様が美しい。第3楽章は積極的な表現に溢れていて、勇壮なティンパニの呼応が鮮やか。金管が前面に出るシーンの劇的な効果も立派なもの。第4楽章はきわめて安定した歩みであり、まっすぐに進んで、しっかりと結ばれる心地よさに満ちている。まずは、これといった欠点のない、引き締まった演奏、といったところだろうか。なお、第1楽章はリピートを行っている。
 序曲「謝肉祭」は闊達で、沸き立つようなエネルギーに満ちている。やや粗さを感じさせるところは残るものの、全体的には見通しのきいた音響で、聴きやすく仕上がっている。スケルツォ・カプリチオーソでは、中間部のテンポを落とした表現に、様々な意見があることが予測されるが、全般に細やかな演出が施されていて、聴く楽しみを十分に感じさせてくれるもの。
 【CD2】のユストゥス・フランツの名は、ファンにはピアニストとして認識されている方が多いのではないだろうか。バーンスタインのシューマン・シリーズで、ピアノ協奏曲の独奏者を務めた人物として覚えている人もいるだろう。現在では、その芸術活動のメインを指揮活動に移している。日本では、彼の音源が紹介される機会が少ないが、当録音を聴く限りでは、その手腕はなかなか見事なもので、情熱的なドヴォルザークを聴かせてくれる。交響曲第8番では、特に終楽章の滾るような表現が素晴らしいし、交響詩「水の精」も、これまで私が聴いた中で、もっとも熱血的な演奏に思える。クライマックスの壮大な迫力、突き上げるようなリズムが魅力だが、そこにそえられる木管の味わいが美しく、決して品を壊さないコントロールも光るものがある。
 【CD3】のスラヴ舞曲集は、前提として、全曲録音ではなく、選集であるということを承知いただく必要があるだろう。原版がすでに選集という形となっており、全曲を収めてもCD1枚での収録可能と思われるにもかかわらず、なぜ3曲を省いてしまったのかは、おおいに疑問である。しかし、その旋律が広く親しまれている楽曲はすべて収録してある。
 演奏は、自然で、とても慣用的な手法にのっとったもの。これらの曲集にふさわしいおおらかな明朗性に満ちている。ボストックは、イギリスの指揮者であるが、チェコ室内フィルハーモニックの首席客演指揮者を長年つとめた実績もあり、これらの音楽の歌わせ方に、これといって突飛なところはなく、のびやかに音が鳴っている。音量のコントールが巧みで、フォルテとピアノのバランスが良いのがとにかく聴きやすい。激しく華やかな楽曲であっても、うるさい派手さではなく、演奏会場で歌わせるための芸術的手続きを経た香り高いものとなりえている。それは冒頭曲のこなれた響き、ホールトーンも計算された設計に、よく感じられる点である。全般にテンポは平均的か、やや落ち着いたものを感じさせる。第2集の第2番、第5番など、じっくりと旋律そのものの魅力を歌い上げており、丁寧な音作りは多くの人に歓迎されるものだろう。
 【CD4】のアンゲラーによる弦楽セレナードは、素朴な味わいが魅力的な佳演。また、常設の弦楽四重奏団ではなく、4人の奏者が集まって録音した弦楽四重奏曲第12番は、見つけものと思えるくらいの名演で、健やかな情緒が全編に息づいていて、美しい色彩感に満ちている。
 CD4枚、どれもなかなか見事な演奏ばかりで、録音の品質も安定しており、絶好の4枚組アイテムとなっている。なお、解説等は省かれている。

交響曲 第8番「イギリス」 第9番「新世界より」
尾高忠明指揮 札幌交響楽団

レビュー日:2008.2.10
★★★★☆ 札幌交響楽団が海外レーベルから世界へ発信
 札幌交響楽団による海外レーベルへの録音。かつて英Chandosレーベルからリリースされた邦人作品の名盤があったが、今回は英Signumレーベルからのリリースとなる。英SignumはEMIから独立した新興レーベルだ。
 国内オーケストラの録音のほとんどが発売も国内に限られている現代、当初から海外中心発売となる札幌交響楽団の強い意欲が感じられる。というわけで、このディスクも国内では「逆輸入盤」として入手できることになる。もちろん解説も英語。
 収録曲はドヴォルザークの交響曲第8番と第9番。指揮は尾高忠明。この企画には尾高の海外での豊富な経験が背景にあるのだろう。録音は2007年3月、札幌コンサートホールkitaraで行われたもの。
 札幌交響楽団は武満徹がその音色を愛し、映画音楽「乱」の演奏を依頼したように、弦楽セッションの渋い落ち着いたトーンが特徴だ。ここでもその特徴は活きていて、非常にシックな色合いである。加えてフルート、クラリネット等の木管楽器が奏者の好演もあって、透明感の高い美しいサウンドで録られているのが好ましい。第8番第1、第2楽章では美しいシーンにはっとさせられるし、終楽章はこれまでにない渋みのある音楽となっている。第9番でもきわめて大切な音楽の運びで、外向的な開放より、内省的な均衡につねに配慮が向けられている。それゆえにこの曲でよく求められる畳み掛けるような迫力はないが、じっくりと仕上げられた個性的な存在感ある演奏になっていると思う。

交響曲 第8番「イギリス」 第9番「新世界より」
パイタ指揮 ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団

レビュー日:2019.10.21
★★★★☆ 歌に、情熱に、まっすぐに駆け抜ける演奏
 カルロス・パイタ(Carlos Paita 1932-2015)指揮、ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団によるドヴォルザーク(Antonin Dvorak 1841-1904)下記の2つの名交響曲を収録したアルバム。
1) 交響曲 第8番 ト長調 op.88 「イギリス」
2) 交響曲 第9番 ホ短調 op.95 「新世界より」
 パイタ自らがスイスで立ち上げたLodiaレーベルからの発売であるが、パイタの録音の多くが、1枚に名曲1曲というスタイルで、収録時間の少ないものが多い中、当盤は例外で、ドヴォルザークの2編の名曲が収録されており、際立ってサービス性が良い。
 さて、パイタの演奏である。彼のスタイルは「爆演」として知られる。取り上げられる楽曲も概して燃焼性の高いものが多い。一部では、キワモノ扱いされたり敬遠されたりする傾向もある。しかし、聴いてみると、決して音楽的な価値を置き去りにしたものではなく、しっかりした主張に肉付きを与えた音楽が鳴っている。もちろん、そのあざといデュナーミクやテンポ変化に、洗練されていない、泥臭いというネガティヴな評価を与えることは容易なのだけれど、百も承知で熱血的に歌いつくした演奏なので、その芝居的な「見栄」を楽しむというスタンスで聴けば、なかなか楽しい。
 そんな彼の特徴が、より強く出ているのは第9番だろう。冒頭の壮大なアダージョから、圧倒的なティンパニの檄により、一気に聴き手を鼓舞し、スピードとパワーで押し込んでいく。第2楽章のラルゴはというと、かなりゆったりしたテンポで、壮麗に、たっぷりと旋律を歌いあげていく。うーん、実に非都会的!でも面白い。それに、ドヴォルザークの交響曲という楽曲自体、もともとそのような性向を持った作品なのである。第3楽章の運動美を経て、第4楽章はこれぞ自家薬籠中の物といった塩梅で、音量とハイテンポで、とにかく熱い音楽を供給し続ける。実に発汗性の高い演奏で、隙あらばヴォルテージを上げようとしてくる一途なまでのスタイルが、健気なほど。
 第8番も同様。歌も情熱も思い切り表現する。「どんなことも一生懸命やる」、ずいぶん昔に聞いた標語を思い出させてくれるような、若々しい熱血さとでも言おうか。年をとると、衒いが出てきて、そういう観念とは、おもわず斜に構えて接するようになってしまうのである(私の経験上)。当演奏を聴くと、あらためて、背筋をしゃきっと、・・みたいな初々しい感覚が蘇るかのようだ。
 ただし、その熱血性ゆえに、行間の情とか、こまやかなニュアンスのようなものは、どうしても圧殺されがち。それは否めないですね。個人的に、聴いて損はないドヴォルザークと思います。ただ、絶対受け付けないという人もいるでしょうね。。

交響曲 第9番「新世界より」 チェコ組曲 プラハワルツ
コンドラシン指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

レビュー日:2007.4.22
★★★★★ 録音、演奏ともに熟達の至芸を感じます
 ソ連で活躍し、コンセルトヘボウ管弦楽団と数々の伝説的な演奏を展開した名指揮者キリル・コンドラシンがウィーンフィルと遺した貴重な録音である。収録曲は、ドヴォルザークの交響曲第9番「新世界より」、チェコ組曲、プラハワルツ。録音は79年から80年にかけて。1978年に亡命し、その3年後に67歳の若さで急死した巨匠が遺した貴重なデジタル録音でもある。
 ウィーンフィルとの録音の為か、過度な踏み込みなどはそれほどなく、いつもより「平均スタイル」に近い演奏かもしれないが、コンドラシンの卓越したコントロールは非常によくわかる。第1楽章のティンパニの連打音の求心力ある迫力は凄まじい。こんなカッコイイティンパニはなかなか聴けません。このティンパニに象徴されるように、力強い響きを引き出しながらも、各楽器の声部をたくみに分類し、楽曲の構成を明示していくことで、演奏効果はたいへん盛り上がっている。管弦楽の万全のバランスから引き出される立体的な彫像は凛々しく響き、デッカの見事な録音技術も手伝って、その空間再現は見事に果たされている。まさに熟練の録音といえる。終楽章の壮大に両翼に広がっていくような音の推進力は聴き手の気持ちを鼓舞するものだろう。
 TVドラマ「のだめカンタービレ」の第1話のプロローグで用いられて少し有名になった「チェコ組曲」も品質の高い演奏・録音で収録されており、同曲の録音の中でも代表的なものと言える。聴いてみたいという方には、収録曲の魅力も手伝って推薦したい一枚だ(値段も手ごろですし)。最後に収められた「プラハワルツ」は録音点数もあまり多くない作品であるが、この作曲家の舞曲への卓越した作曲手腕を示すもので、芳醇な音色と色彩が楽しめる。

ドヴォルザーク 交響曲 第9番「新世界より」  スメタナ 交響詩「モルダウ」  リスト 交響詩 第3番「前奏曲」
フリッチャイ指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 ベルリン放送交響楽団

レビュー日:2011.4.4
★★★★★ フリッチャイならではの力強くも繊細な名演の数々
 ハンガリー出身の夭折の名指揮者、フリッチャイ・フェレンツ(Fricsay Ferenc 1914-1963 姓は日本語で“フリチャイ”とも表記する)による晩年の録音を集めたもので、収録内容は以下の通り。
1) ドヴォルザーク 交響曲第9番「新世界より」 ベルリンフィル 1959年録音
2) スメタナ 交響詩「モルダウ」 ベルリンフィル 1959年録音
3) リスト 交響詩第3番「前奏曲」 ベルリン放送交響楽団 1960年録音
 私自身、フリッチャイの新世界交響曲は思い出深い録音だ。私がきちんと音楽を聴き始めたのは、アシュケナージとハイティンクによるラフマニノフの協奏曲第2番に衝撃を受けた高校生の時分だけど、私の父は昔から音楽をよく聴いていて、たびたびステレオでLPレコードを聴いていたのである。まだ小さかった私は、もちろん作曲家とか交響曲とかもよくわからなかったのだけれど、中にいくつかお気に入りのLPがあって、そのうちでも大好きだったのがこのフリッチャイの新世界交響曲だったのだ。
 当時、好きだったのは、何といってもカッコイイ第4楽章だった。うなる低弦が奏でる短く強い序奏に導かれ、たちまちフォルテの頂点が訪れ、全管弦楽の咆哮で提示される第1主題はめちゃくちゃカッコ良くて、たちまちのうちに取り憑かれたものだった。
 父の好きな音楽は、ベートーヴェンやモーツァルトが中心で、ドヴォルザークはそんなになかったのは覚えている。「新世界交響曲」もフリッチャイの1枚きり。しかし、おそらく「これで十分」と言えるほどの説得力を持った録音だったので、2枚目を買う必要もなかったのかもしれない。
 この指揮者の美点は、非常に細かくオーケストラをコントロールしながらも、勇壮でヒロイックな音楽を導く膂力があることで、強さと繊細さの両面で卓越した手腕の持ち主と言える。このディスクに収録されている楽曲達は、ぱっと見、「人気曲集」みたいだけれども、フリッチャイの表現は彫が深く、陰影豊かで、音楽としての質感にリアリティーがあり、そのため曲の持っている感情的なものが強く聴き手に働きかけてくるのである。
 もうあれから25年以上たった。最近になってあらためてこのディスクを購入して聴いてみたのだが、本当に感じ入らせてくれる演奏だと思う。たとえ、私の様な背景を持っていなくても、強く聴き手の心を捉える名演に違いない。

交響曲 第9番「新世界より」 序曲「謝肉祭」
シャイー指揮 コンセルトヘボウ管弦楽団

レビュー日:2011.11.17
★★★★★ 澄み切った星空のような、シャイーのドヴォルザーク
 リッカルド・シャイー(Riccardo Chailly 1953-)指揮、コンセルトヘボウ管弦楽団によるドヴォルザークの序曲「謝肉祭」と交響曲第9番「新世界より」。1987年の録音。
 長らく良好な関係を築いたイタリアの指揮者、シャイーとオランダのオーケストラ、コンセルトヘボウ管弦楽団の初期のころの録音。だが、すでに彼らの個性は明瞭に打ち出されている。
 それでは、彼らの個性とは何か?それは、アプローチが解析的だということではないだろうか。つまり、音楽を、合奏としての総体で捉えるというより、一つ一つの構成音を細部まで突き詰めて行き、その結果として音楽が出来上がる、という方法論が主だと思う。これはプロデュースしているデッカ・サイドにも透徹していて、とにかく録音が鮮明。すべての楽器の音色を細やかに拾い上げ、他の楽器の音によってかき消されることのないような十分な配慮をし、ホールトーンなども巧みに計算しつくした上で録音されている。私は、80年代後期から2000年代初期にかけてのシャイーとコンセルトヘボウ管弦楽団の録音を聴くと「デジタル」という単語を連想する。もちろん「デジタル録音」なのだけれど、それだけでなくて、演奏手法もまた「デジタルな」イメージなのだ。
 私は、そんなシャイーとコンセルトヘボウ管弦楽団の録音が大好きで、相当な数を集めている。彼らの録音がオーディオ装置で再生させると、その鮮明さ、位置関係の的確さから、まるで特等席でプラネタリウムを見ているような、気持ちの良い奥行きを感じることができる。そういった瞬間でありながら、音楽としての時間軸もたくみに設計されていて、金管や木管の伸びやかな音色は混濁なく、夜空に一縷の線を描く流星のように響く。シャイーの演奏が「ブルーな色彩感」のように形容されたことが時々あるが、それは私の「夜空の印象」にも相通ずる。
 ドヴォルザークの新世界交響曲は、随所に郷愁に満ちたメロディーが聴かれる。シャイーとコンセルトヘボウ管弦楽団は、その郷愁を蒸留し、近代的な感性でシェイプアップしたかのような印象だ。アメリカ大陸にあって、遠い故郷チェコを思うドヴォルザークの音楽だけれど、「けれど今ならヒコーキですぐに行けるよね」といったクールさで洗練したかのよう。そのクールさこそが魅力だと思う。
 序曲「謝肉祭」も同様。冒頭から華やかな音楽だけれど、客観的で冷静な理性が常にキープされていて、スタイリッシュ。シャイーならではの感性が気持ちよく放たれていて、清清しい。

交響曲 第9番「新世界より」 交響詩「野鳩」
エリシュカ指揮 札幌交響楽団

レビュー日:2013.2.4
★★★★★ エリシュカと札幌交響楽団のドヴォルザーク 待望の第4弾です
 きわめて良好な関係を持続しているラドミル・エリシュカ(Radomil Eliska 1931-)と札幌交響楽団によるドヴォルザーク(Antonin Dvorak 1841-1904)の交響曲第9番「新世界より」と交響詩「野鳩」。2012年の録音。
 Pastierレーベルからリリースが続いているこのシリーズは、2008年の第6番、2009年の第7番、2010年の第5番と録音が続き、今回は少しインターバルを開けての第4弾となった。これまでは、毎回、ヤナーチェク(Leos Janacek 1854-1928)の管弦楽曲がカップリングされてきて、私はそちらも含めてとても楽しんだのだけれど、今回はドヴォルザークの交響詩が併録される形となっている。それは、もちろんドヴォルザークでもかまわない。
 いつもこのシリーズには感心させられている。それは何も地元のオーケストラだからということではなくて、エリシュカはドヴォルザークの語法をいかにも知りぬいた(と思える)いかにも玄人さばきの音楽を練り上げるし、札幌交響楽団の音色が、その手法をよく理解し、共鳴し、音楽を作り上げているからだ。少なくとも私にはそう聴こえる。そのため、この通俗的な名曲であっても、音楽の彫の陰影に細やかに配慮が行き届いた感があり、なんともしっくりした滋味豊かな響きになっている。
 派手さはない。むしろ最初からそのような効果を求める演奏ではない。もちろん、この曲は「派手にやって欲しい」ところのある曲ではある。しかし、だからこそ、このような演奏と録音の存在価値は高いし、むしろ、この曲に対して「単なる通俗曲」「いまさら聴く気がしない」なんて高をくくっている人にこそ聴いてほしい演奏だと思う。
 テンポは全般に遅めを主体としている。弦楽器陣の響きを主に、内声部を丹念に織り込んでいき、その配色を微細に変えながら木管を添えていく。その巧妙きわまる配置によって、音楽の陰影が与えられる。陰影は濃淡を変化させるが、その変化が音楽的な効果に連動し、一体感に満ちている。だから、派手ではなくとも、内因的とでも称したい迫力が導かれ、聴いていて不足を感じさせない。
 交響詩「野鳩」も演奏時間20分に及ぶ大曲であるが、同様のアプローチでそのフォルムを鮮やかに描いている。私はこの演奏を聴いていると、マッケラス(Sir Charles Mackerras 1925-2010)の同曲の演奏を思い出す。丁寧な音感は共通する。マッケラスの方が少し柔らかいが、エリシュカも曲の面白さを良く伝えてくれる。
 エリシュカと札幌交響楽団にはドヴォルザークに限らず、これからも様々な録音を期待したい。

交響曲 第9番「新世界より」 交響詩「水の精」
アーノンクール指揮 コンセルトヘボウ管弦楽団

レビュー日:2013.4.1
★★★★★ 通俗曲”と心得たと思うは心得ぬなり。心得ぬと思うは心得たるなり
 ニコラウス・アーノンクール(Nikolaus Harnoncourt 1929-)指揮、コンセルトヘボウ管弦楽団の演奏で、ドヴォルザーク(Antonin Leopold Dvorak 1841-1904)の交響曲第9番「新世界より」と交響詩「水の精」を収録。1999年の録音。
 オーストリアの名指揮者、アーノンクールは90年代の後半にコンセルトヘボウ管弦楽団とドヴォルザークをいくつか録音したが、中で、私が圧倒的に印象に残ったのがこのディスク。最近、あらためて聴いてみたが、やはりすこぶるいいので感想を書いてみる。
 ドヴォルザークの新世界交響曲と言うと、もうたいへんに知れ渡った音楽で、通俗曲として忌避する人さえいる。かの吉田秀和(1913-2012)氏もその著書の中で、ヴィヴァルディの四季や新世界交響曲に人気が集まる実情を踏まえ「日本人はそろそろこの曲から卒業したらどうだ」という内容のことを書いていた。その背景については、私も察するところがあり、世の中には本当にたくさんの素晴らしい音楽があるのだけれど、こういう入り口のところで堰き止められて回遊状態になってしまうのは、はなはだもったいないし、折角この世に生を受けたのだから、少しでも多くの作品を知りたいものだ、と思う。しかし、なかなかどうして多くの人が音楽に多くの時間を割けるわけではないし、他にもいろいろ趣味があったりするのだから、なかなかそうも行くまい、とも同時に思う。
 ところが、さらにもう一つ別の切り口があって、「もうこの曲はわかった。卒業」と思ってしまうこともまた、間違いである場合が多い。蓮如は「心得たと思うは心得ぬなり。心得ぬと思うは心得たるなり」と言ったそうだが、うまいことを言うものだ。これは音楽に限った話ではないだろう。
 それで、このアーノンクールの新世界交響曲を聴いたとき、私も「心得た」と思っていたこの曲が、まだまだ「心得ぬ」であったことを思い知らされたものだ。とにかく表現の新鮮さが素晴らしい。代表的な箇所として、あの有名な第4楽章の冒頭を挙げよう。弦の付点のリズムから畳み掛けるような力強さを増し、圧倒的なファンファーレを導き、さらにその主題を弦楽合奏がエネルギッシュに引き継ぐ箇所である。ここで、アーノンクールは特有のアゴーギグを与え、弦のニュアンスを詳細かつ克明に変化させ、それらの一瞬の変容を濃密に押し込みながら、痛烈な開放と抑制の対比を演出する。その効果の鮮烈さは、なかなか言い表せるものではない。
 他にも楽器のバランスや金管の音の変化を、巧みに組み込み、全曲に特有の息遣いを与えている。もう聴きなれたこの曲がなんと新鮮に聴こえることか!
 併録されている交響詩「水の精」がまた素晴らしい名演奏。ボヘミアの詩人、カレル・ヤロミール・エルベン(Karel Jaromir Erben 1811-1870)の神秘的な詩にインスピレーションを受けて作曲された大規模な交響詩であるが、地をどよもすような迫力と、生命力に溢れた音楽表現に満ちていて、聴き手に見事な充足感を与えてくれる。
 ドヴォルザークの音楽の「奥の深さ」を痛切に思い知らせる一枚と言える。

交響曲 第9番「新世界より」 序曲「自然の王国で」 序曲「謝肉祭」 序曲「オセロ」
アシュケナージ指揮 チェコ・フィルハーモニー管弦楽団

レビュー日:2015.2.25
★★★★★ アシュケナージとチェコフィルによる最高の成果の一つ
 アシュケナージ(Vladimir Ashkenazy 1937-)は1997年から2003年までチェコフィルハーモニー管弦楽団の常任指揮者に就き、このオーケストラに、R.シュトラウス(Richard Strauss 1864-1949)、ラフマニノフ(Sergei Rachmaninov 1873-1943)といった、新しいレパートリーを吹き込んだ。その一方で、このオーケストラが歴代の指揮者たちと録音してきた定番についても、録音を行った。
 当アルバムは、その後者に該当するドヴォルザーク(Antonin Dvorak 1841-1904)の管弦楽作品を集めた2枚組アルバム。1999年に録音されたもの。収録されている作品は以下の通り。
【CD1】
1) 交響曲 第9番 ホ短調 op.95 「新世界より」
【CD2】
2) 序曲「自然の王国で」 op.91
3) 序曲「謝肉祭」 op.92
4) 序曲「オセロ」 op.93
 名曲「新世界より」と、近い作品番号を持つ3曲の管弦楽曲が収録されている。本録音は、日本国内ではExtonレーベルから発売されていたが、当盤は欧米を中心にondineレーベルから発売されたもの。内容は共通。収録時間はなんとか1枚のディスクでも収まるのではないか?というレベルであるが、ondineは、良心的に「1枚相当」の価格をセッティングしてリリースした。
 アシュケナージは、「謝肉祭」と「オセロ」については、1991年にクリーヴランド管弦楽団との録音があったので、当録音は再録音ということになる。他は初録音。
 なんといっても聴きものは交響曲である。この名曲の、最高に美麗な録音・演奏に違いない。様々な場所で、多くの作品に取り組んできたアシュケナージのインターナショナルな感覚と、ドヴォルザークの作品に深く精通したオーケストラの、幸せな邂逅によって生まれた名演である。
 演奏の良い点は自然でなめらかな音楽の起伏にある。テンポをアップする箇所、あるいはスケルツォ楽章などで、自然な加速感の心地よさは絶妙で、きわめてなめらかにそれらの移行がなされる。これほど作為がなく、かつ音楽的な速度変化というのは、めったに体験できるものではないと思う。しかも、これが手垢にまみれたといってもいい、無数に録音のある新世界交響曲で行われているのである。誰だって、自分だけの表現を、と構えて、力の入るところが出来てしまうのでは?しかし、アシュケナージの練達は、この曲であっても、純音楽的な見地と、作品そのものに向かう演奏家という真摯な関係を守り、そのことで、色鮮やかで力強い音の奔流を導くのである。これはスコアと楽団員への、根底からの信頼があって、はじめて成功する表現で、これが可能な音楽家というのは、実はそういないのである。
 そして、これも書き洩らすわけにはいかないが、録音技術も見事。すべてが鮮明で、かつ楽器の持つふくよかさや暖かみというものが、とても直接的に伝えられる音響だ。完璧な録音!
 3つの序曲については、交響曲に比べると、入手可能な録音の絶対数が圧倒的に少ないので、これが聴けるだけでもありがたい。交響曲にくらべると、ややソリッドな響きながら、これらの楽曲が持つ民俗的な力強さが、たゆまなく表現された劇的な美演であり、こちらもまた素晴らしい。
 アシュケナージとチェコフィルによる第一級の成果に違いない。

交響曲 第9番「新世界より」 交響的変奏曲
オールソップ指揮 ボルティモア管弦楽団

レビュー日:2017.7.10
★★★★☆ コントロールの効いた早さが魅力。オールソップの「新世界より」
 アメリカの女性指揮者マリン・オールソップ(Marin Alsop 1956-)とボルティモア交響楽団によるドヴォルザーク(Antonin Dvorak 1841-1904)の以下の2つの管弦楽作品を収録したもの。
1) 交響的変奏曲 op.78
2) 交響曲第9番 ホ短調 op.95「新世界より」
 2007年の録音。
 私がオールソップの録音を聴いたのは当盤がはじめて。すでにそれなりの数の録音がある。ドヴォルザークの交響曲第9番は、数えられないほど多くの録音があるので、なかなか当盤を聴く機会はないかもしれないが、逆に「忘れられた作品」といってもいいくらい録音の少ない「交響的変奏曲」を併せて収録しているところに、曲目上の特徴がある。
 交響曲第9番から書くと、演奏はなかなか魅力的だ。颯爽として気風が良い。この交響曲の場合、濃厚に郷愁を高めたり、劇的に踏む込んだり、様々に劇性を高めるアプローチは可能なのだけれど、オールソップの演奏は、独特の清涼感があって、一陣の風が吹き抜けるように爽やかだ。
 テンポは、基本的に第2楽章以外は早めが主体であるが、心地の良い変動をともなっていて、起伏がある。特に第3楽章の早さが印象的だが、早さを求めるあまり、楽器が急いたり、間が不足したりするようなところがなく、きちんとコントロールされているところは高く評価したいところ。また、全曲を通じてトロンボーンの強奏の力強さも本演奏の特徴と言って良く、適度な恰幅と重量感を持った「カッコよさ」の演出に一役買っている。
 第2楽章の透明感に溢れた表現も特徴的で、必要以上に語りかけないさりげなさが、結果として上々の効果に至る好例だろう。終結部近くクラリネットも忘れがたい。
 ドヴォルザークの「交響的変奏曲」は、ほとんど録音機会のない作品と言って良いと思うが、この作曲家特有の素朴なメロディが、魅惑的な冒頭から、様々に変容しながら進んでいく様は、なかなか美しい。確かに、他のドヴォルザークの作品と比較したとき、旋律そのものの霊感に不足を感じるところもなくはないのだが、当演奏は、オーケストラの多彩な音色でこれをうまくカバーし、聴き飽きないものにしてくれている。
 名演ひしめく第9交響曲においては、さすがに「これが代表的名演です」、とまでは言えなくとも、良質な演奏・録音の一つであることは間違いなく、聴いてみると魅了される人も多いに違いない。

交響曲 第9番「新世界より」 序曲「謝肉祭」 スケルツォ・カプリチオーソ
P.ヤルヴィ指揮 ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団

レビュー日:2018.3.23
★★★★★ パーヴォ・ヤルヴィが32歳の時に録音したドヴォルザーク
 パーヴォ・ヤルヴィ(Paavo Jarvi 1962-)指揮、ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団によるドヴォルザーク(Antonin Dvorak 1841-1904)の以下の3作品を収録したアルバム。
1) 交響曲 第9番 ホ短調 op.95 「新世界より」
2) 序曲「謝肉祭」 op.92
3) スケルツォ・カプリチオーソ op.66
 1994年録音。
 今や世界を代表する指揮者となったパーヴォ・ヤルヴィが、32歳の時に録音したもの。すでに一定の完成を感じさせる充実した演奏を示している。
 交響曲第9番は、あまたの録音がある中で、あえて奇をてらうことはせず、堂々と正統的なアプローチをした名演と感じさせる内容。第1楽章は深い郷愁を感じさせ、時にたっぷりとしたリタルダントも用いながら、風をなぐような弦の力強い表現を得て、ここぞというところで熱を増す。その起伏を的確に交えて、鮮やかな帰結に結び付ける。第2楽章は、やや淡泊な面も感じられるが、こまやかな情緒を救っており、音楽の薫り高さは維持されていて、暖かくフレーズが閉じていく様が美しい。第3楽章は積極的な表現に溢れていて、勇壮なティンパニの呼応が鮮やか。金管が前面に出るシーンの劇的な効果も立派なもの。第4楽章はきわめて安定した歩みであり、まっすぐに進んで、しっかりと結ばれる心地よさに満ちている。まずは、これといった欠点のない、引き締まった演奏、といったところだろうか。なお、第1楽章はリピートを行っている。
 他に収録されている2つの管弦楽曲も魅力的な演奏。
 序曲「謝肉祭」は闊達で、沸き立つようなエネルギーに満ちている。やや粗さを感じさせるところは残るものの、全体的には見通しのきいた音響で、聴きやすく仕上がっている。スケルツォ・カプリチオーソでは、中間部のテンポを落とした表現に、様々な意見があることが予測されるが、全般に細やかな演出が施されていて、聴く楽しみを十分に感じさせてくれるもの。
 今のパーヴォ・ヤルヴィであれば、さらにそこに何か付け加わった感興をもたらしてくれるのかもしれないが、ある面ストレートな純朴さを感じさせる当盤のアプローチは、これらのドヴォルザークの楽曲の魅力を、瑞々しく伝えるものとなっているだろう。

交響曲 第9番「新世界より」 交響詩「英雄の歌」
ネルソンス指揮 バイエルン放送交響楽団

レビュー日:2020.6.4
★★★★★ 私の聴く限りネルソンスのベスト録音であり、かつ新世界交響曲のベスト録音と言っても良い内容
 ラトヴィアの指揮者、アンドリス・ネルソンス(Andris Nelsons 1978-)は現在、とても注目度の高い指揮者の一人。ボストン交響楽団とのショスタコーヴィチや、ゲヴァントハウス管弦楽団とのブルックナーのシリーズがドイツ・グラモフォンからリリースされている。また、私は未聴ながら、昨年(2019年)にはウィーン・フィルハーモニー管弦楽団を指揮してのベートーヴェンの全集がリリースされ、話題になった。
 私は、これらのブルックナーやショスタコーヴィチを聴いて、その入念に入念を重ねた音作りに感嘆する一方で、楽曲によっては、曲想に対する踏み込んだ解釈や、指揮者自身の芸術的主張に、いま一つ物足りなさを感じるところもあった。
 そんな私であるが、このネルソンスが「凄い指揮者」だと実感するのは、むしろこのドヴォルザーク(Antonin Dvorak 1841-1904)である。これは文字通り凄いぞ。バイエルン放送交響楽団を指揮しての2012年のライヴ録音で、以下の2曲を収録。
1) 交響曲 第9番 ホ短調 op.95 「新世界より」
2) 交響詩「英雄の歌」 op.111
 私は、この録音を聴いて、吉田秀和(1913-2012)がとある評論で「日本人は、そろそろ新世界交響曲から卒業したらどうだ」という意味のことを書いていたのを思い出した。同じ曲を何度も聴くぐらいなら、もっと新しいものを聴いたほうが聴き手の感性が深まり、思索に多様性が生まれるということを指したのだろう。たしかにそれは芸術の重要な役割だ。ただ、その一方で、蓮如上人(1415-1499)は「心得たと思うは、心得ぬなり。心得ぬと思うは、こころえたるなり」と言う。一つ事をとことん繰り返す宗教家(私の偏見?)らしい言葉であるが、どちらも真理なのだろう。真理は一つとは限らない。相反する双方が真理であることも、当然あるのだ。
 あまり関係ない事を書いてしまったのだが、要は、このネルソンスの「新世界より」、実に瑞々しい新鮮な力に溢れているのである。これがあの聴き馴染んだ新世界交響曲なのだろうか、と思ってしまうほど、清々しい。各部分の処理はネルソンらしい丁寧さがある一方で、音響的な工夫を随所に施し、かつ果敢な迫力と機敏性を持ち合わせている。爽快な切れ味とスピード感、ソロと合奏の対比は妙を極めていて、かつ通常の演奏では目立たないフレーズにもあたらしい鮮明な役割が与えられている。それらすべてが全体で呼吸を一つにし、すさまじい躍動感となって全編に供給される。その白熱ぶりは圧巻。第2楽章は情緒的な郷愁が有名だが、この演奏には凛と張り詰めた空気感があり、孤愁と形容したい気配がある。第3楽章は楽器間のバランスがとにかく絶妙で、これほどすべてがテキパキと収まっていくスケルツォは初めて聴いた。終楽章も徹頭徹尾磨き上げた音響で、かつエキサイティング。終結まで果敢に導かれる。
 私は、このドヴォルザークの第9番は、古今の名演がひしめく当該曲において、ベストといっても良い内容だと思う。これを聴くと、ショスタコーヴィチやブルックナーも、悪くないとは言え、この指揮者のベスト・パフォーマンスは、まだまだ先にあるのでは、と感じた。
 併録曲の交響詩「英雄の歌」は、あまり演奏されることのない曲だが、ドヴォルザークらしい平明で純朴な雰囲気で、高らかに旋律を歌った開放的な音楽だ。ネルソンスのタクトは、ここでは新世界交響曲より、若干制御が緩めだが、それゆえの金管の咆哮など、聴きどころと言えるだろう。

交響曲 第9番「新世界より」 チェコ組曲 スラヴ舞曲 第1番 第10番
セレブリエール指揮 ボーンマス交響楽団

レビュー日:2022.10.14
★★★★★ ドヴォルザークの美しいメロディを心地よく歌わせた快演奏
 ウルグアイの指揮者、ホセ・セレブリエール(Jose Serebrier 1938-)指揮、ボーンマス交響楽団の演奏で、ドヴォルザーク(Antonin Dvorak 1841-1904)の下記の楽曲を収録したアルバム。
1) スラヴ舞曲 第1番 ハ長調 op.46-1
2) 交響曲 第9番 ホ短調 op.95「新世界より」
3) チェコ組曲 op.39
4) スラヴ舞曲 第10番 ホ短調 op.72-2
 2011年の録音。
 セレブリエールの感性とドヴォルザーク作品の郷愁的な響きが、心地よい融和をもたらした録音だろう。スラヴ舞曲集の中でも特に有名な2曲を冒頭と末尾に置き、新世界交響曲とチェコ組曲がその間に配されている。個人的には、スラヴ舞曲第1番の終結と新世界交響曲の開始の間のギャップに、やや違和感をもつ並びではあるが、ラインナップとしては十分にサービス性のあるものであり、歓迎されるだろう。
 交響曲第9番は、快活なテンポ、透明な音響に魅了される。第1楽章では、暖かく透明なサウンドを繰り広げながら、第2主題では、的確なコントロールでテンポを落すが、その操作性は高く、オーケストラの反応性は機敏であり、情感を高めながらも、機能的な響きの精密さが維持されていて、いかにも現代的な快演だと感じる。第2楽章のラルゴ、第3楽章のスケルツォは、ともに平均よりやや早目のテンポを主体とする。第2楽章では、クラリネット、ファゴットの突き抜けるような透明感が、晩秋の夕陽を思わせ、美しい。第3楽章は活力にあふれ、少し急く感じもあるが、悪くない。第4楽章では、透明な響きを維持しながらも、快適なテンポで、颯爽とまとめており、聴き応え十分だ。人によっては、より熱血的な要素を求めるかもしれない。もちろん、私もそういう演奏も好きだけれど、セレブリエールの演奏の高貴さは、それとは別に、抗いがたい魅力をもっており、素晴らしい。
 チェコ組曲では、第2曲の繊細優美な弦楽合奏の輝かしさが、この演奏の特徴を端的に示しているだろう。心地よい響きを維持しながら、オーケストラの配色という点でも、叙情性を存分に感じさせるものであり、この楽曲の魅力を存分に伝えてくれている。
 2曲収録されているスラヴ舞曲は、名演として知られる他の競合盤と比べると、平穏無事な感もあるが、もちろん、このアルバムの中で聴く分には、ドヴォルザークの天性がもたらしたメロディを艶やかに、活力を持って奏でたもので、当然悪いわけがない。
 収録された名曲たちの魅力に、気分良く浸れる1枚となっています。


このページの先頭へ


管弦楽曲

スラヴ舞曲 全曲
ドホナーニ指揮 クリーヴランド管弦楽団

レビュー日:2010.3.29
★★★★★ 純器楽の音楽として、洗練を極めた演奏による「スラヴ舞曲」
 スラヴ舞曲は第1集、第2集、各8曲全16曲からなるドヴォルザークの作品で、第1集は1876年、第2集は1886年の作品である。ドヴォルザークの作品の中でも知名度が高く、またブラームスに認められるきっかけとなった作品としても重要と考えられている。第1集はおもにチェコの舞曲からなっているのに比べて第2集は広く汎スラヴ的とも言える曲集となっていて、ポロネーズやクロアチアの舞曲も含まれている。
 かしこまって書いてみたが、この辺のことはあちこちのサイトであっさりわかることですね。私の場合、かつてブラームスのハンガリー舞曲とドヴォルザークのスラヴ舞曲の選集というLPが、愛聴盤だったことで、これらの曲集の何曲かは、原風景的楽曲の一つと言えます。
 それにしても今になってドヴォルザークのスラヴ舞曲を聴くと、懐かしいというより、ちょっと聴くには軽すぎるかな、と思ってしまう。あまりにも多くの機会で聴かれる第10番など、今となっては「分り易過ぎる」と考えてしまうのだけれど、それが本当に音楽的な聴き方なのか?・・・、今となってはわからない。この傾向は何も私だけではないだろう。なぜなら最近スラヴ舞曲の全曲録音なんて、なかなか新しいものは見かけないから。
 しかし、このドホナーニの演奏は間違いなく良い演奏である。ドホナーニはクリーヴランド管弦楽団とドヴォルザークの後期3大交響曲を1984年から85年に録音し、さらに89年に第6交響曲とこのスラヴ舞曲集を録音した。相性の良さを認識しての「延長モード」と類推する。
 第1番の冒頭からクリアなサウンドが心地よい。あるいは土俗性が不十分かもしれないが、純器楽の音楽として、その表現は洗練を極めている。リズム感はもちろん、高い均衡感が維持されていて、濃厚ではないが、シャープに突き抜ける爽快感がある。第8番の様にスケールの大きな曲では交響曲を聴くような気宇壮大な趣がある。高名な第10番でも弦の透明感が出色で、もうスラヴとかそういうことではなく、現代の音楽表現をどこまで機能的に突き詰められるかに徹したアプローチと言えよう。しかし、その結果として美しく爽やかな郷愁に満ちている。非常に見事な録音だ。

スラヴ舞曲 全曲
アーノンクール指揮 ヨーロッパ室内管弦楽団

レビュー日:2021.12.1
★★★★★ アーノンクールの芸術性が如何なく発揮されたスラヴ舞曲集
 アーノンクール(Nikolaus Harnoncourt 1929-2016)指揮、ヨーロッパ室内管弦楽団によるドヴォルザーク(Antonin Dvorak 1841-1904)のスラヴ舞曲集。収録内容の詳細は下記の通り。
 スラヴ舞曲集 第1集 op.46
1) 第1番 ハ長調
2) 第2番 ホ短調
3) 第3番 変イ長調
4) 第4番 ヘ長調
5) 第5番 イ長調
6) 第6番 ニ長調
7) 第7番 ハ短調
8) 第8番 ト短調
 スラヴ舞曲集 第2集 op.72
9) 第9番 ロ長調
10) 第10番 ホ短調
11) 第11番 ヘ長調
12) 第12番 変ニ長調
13) 第13番 変ロ短調
14) 第14番 変ロ長調
15) 第15番 ハ長調
16) 第16番 変イ長調
 2000年から2001年にかけて録音されたもの。
 爽快でエネルギッシュなスラヴ舞曲集である。アーノンクールのスタイルは、いつもの彼流の音造りであり、この民俗色豊かな楽曲であっても、そのことは徹底している。ヴィブラートは控えめで、急に拡大したり、縮小したりするアーティキュレーションを用いながら、ピチカートなどの音色を細やかに拾い上げる。程よい透明感のあるパレットをベースに、各音が明瞭かつ伸びやかに響く。アーノンクールのスラヴ舞曲は魅力的だ。
 もちろん、この曲集の場合、原典となる舞曲があって、それゆえに、伝統的なアーティキュレーションを重んじた解釈が主流となると考えられるのだが、アーノンクールの演奏は、劇的で、爽快感に満ちており、加えて強弱のメリハリは楽曲をアグレッシヴに「舞曲」たらしめる効果にみちており、実に楽しい。私は、スラヴの伝統的なリズムや抑揚に通じているわけではないので、あるいは、アーノンクールの演奏は、芸術的な踏み込みの大きい、人によってはやり過ぎていると思える解釈なのかもしれない。しかし、カントルーブ(Joseph Canteloube 1879-1957)が、「民謡といっても、自然の野山に咲く野草として眺める場合はともかく、演奏会場にもってきて歌わせるものとする以上は、やはり芸術的、つまりは人工的、香りの高い手続きを経たものにすべきであって、本来の民謡自体はあくまでも素材の段階でとどまる。」と述べたように、アーノンクールは、ドヴォルザークのスラヴ舞曲集という曲集に、中央ヨーロッパの洗練された表現法を適用し、加えて、自らのアーティキュレーションを施すことで、芸術的な領域を深め、かつ聴き味豊かなものとすることに成功している。さすが、と思わず唸ってしまう演奏である。
 聴きどころは様々であるが、第9番の華やかさ、第15番で、明瞭な響きをもって交錯する木管と金管、第16番のニュアンスの深い抒情性など、特に印象に残る。また、第1集では、全般にエネルギッシュな全体の流れが見事で、緩急に伴ったテクスチュアの切り替えの鮮やかさも聴きどころだ。オーケストラも機敏で、抜群の反応性を示している。
 アーノンクールの芸術的手腕により、洗練を感じさせるスラヴ舞曲集となっているが、舞曲の精神性は十全にキープされており、見事な録音となっている。

スラヴ舞曲 選集
ボストック指揮 ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団

レビュー日:2018.3.22
★★★★★ 全集から3曲欠けるスラヴ舞曲選集ですが、演奏は良いものです
 ダグラス・ボストック(Douglas Bostock 1955-)指揮、ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団による、ドヴォルザーク(Antonin Dvorak 1841-1904)のスラヴ舞曲集。前提として、重要なのが、全曲録音ではなく、選集であるということで、収録曲は以下の通りとなる。
スラヴ舞曲集 第1集 op.46より
 1) 第1番 ハ長調
 2) 第2番 ホ短調
 3) 第3番 変イ長調
 4) 第4番 ヘ長調
 5) 第6番 ニ長調
 6) 第7番 ハ短調
 7) 第8番 ト短調
スラヴ舞曲集 第2集 op.72より
 8) 第1番 ロ長調
 9) 第2番 ホ短調
 10) 第5番 変ロ短調
 11) 第6番 変ロ長調
 12) 第7番 ハ長調
 13) 第8番 変イ長調
 1995年、デジタル録音。
 全曲を収めてもCD1枚での収録可能と思われるにもかかわらず、なぜ3曲を省いてしまったのかは、おおいに疑問であるが、その旋律が広く親しまれている楽曲はすべて収録してあるし、個人的にも好きな楽曲は含まれている。なので、逆に言ってしまえば、楽曲を理解するうえで、全曲を聴く必要がある作品ではないだろうし、聴いていて不自然とも感じないから、ツボを押さえた選曲になっているとも言える。
 演奏は、自然で、とても慣用的な手法にのっとったもの。これらの曲集にふさわしいおおらかな明朗性に満ちている。ボストックは、イギリスの指揮者であるが、チェコ室内フィルハーモニックの首席客演指揮者を長年つとめた実績もあり、これらの音楽の歌わせ方に、よく通じており、これといって突飛なところのない、のびやかな音が鳴っている。
 音量のコントールが巧みで、フォルテとピアノのバランスが良いのがとにかく聴きやすい。激しく華やかな楽曲であっても、うるさい派手さではなく、演奏会場で歌わせるための芸術的手続きを経た香り高いものとなりえている。それは冒頭曲のこなれた響き、ホールトーンも計算された設計に、よく感じられる点である。
 全般にテンポは平均的か、やや落ち着いたものを感じさせる。第2集の第2番、第5番など、じっくりと旋律そのものの魅力を歌い上げており、丁寧な音作りは多くの人に歓迎されるものだろう。
 確かに3曲が欠損している点は、他盤と比較した場合、明らかな欠点ではあるが、演奏自体はこの曲集にふさわしい内容を持ったものであり、喜びに溢れている。

交響詩「水の精」 「真昼の魔女」 「金の紡ぎ車」 「野鳩」
マッケラス指揮 チェコ・フィルハーモニー管弦楽団

レビュー日:2010.8.4
★★★★★ 「真昼の魔女」が秀逸なマッケラスによるドヴォルザークの交響詩集
 ドヴォルザークは、「新世界から」も「チェロ協奏曲」も書き終えてから、アメリカから母国チェコに帰り、1896年に4つの連作とも言える交響詩を書いた。このディスクに収録されている4曲がそれで、いずれもチェコの国民的な詩人カレル・ヤロミール・エルベンの詩集「花束」から題材がとられている。ドヴォルザークが晩年になって集中して交響詩というジャンルに取り組んだ動機は類推の域を出ないが、国民楽派としてのアイデンテティを再認識した過程とも思えるが、優れた管弦楽書法を身に着けた作曲家が標題性に傾いたと見てとることもできる。マッケラス指揮チェコフィルの演奏で、「水の精」「真昼の魔女」が2008年のライヴ録音、「金の紡ぎ車」が2001年、「野鳩」が2009年のセッション録音。
 いずれもスケールの大きな交響詩でそれなりの演奏時間を要するが、いくらか有名なのは「水の精」と「野鳩」だろう。
 「水の精」はいかにも聴き手の想像力をかき立てる跳ねる様なリズミックな主題が印象深い。また中間部の牧歌的な風情はいかにもドヴォルザークらしい。マッケラスの作る音楽は、人情味溢れると表現しようか、暖色的で柔らかいよくブレンドした味わい。全管弦楽による合奏シーンでも、ティンパニや金管も強打強奏を避け、丁寧に音色を作り上げている。
 「真昼の魔女」は自由な音楽だが、不思議な味わいに満ちている。マッケラスの指揮ぶりがいちばんノッているように思うのがこの曲。時としてドヴォルザークにしては意外なほどの音楽の自発性への寛容ぶりが、マッケラスの音作りによく合っているし、そこにドラマを導くのが得意な指揮者だと思う。私もこの演奏でこの曲の面白さがよく分かった。
 「金の紡ぎ車」は長大な作品で、聴いていてやや気がそれるところもあるが、木管とトライアングルがスラヴ舞曲のような風情を出していて、そこそこ楽しい。
 「野鳩」は主要主題の変容ぶりと特有の緊張感に満ちた名作であるが、マッケラスは全体を貫く主題を分かりやすく提示してくれる。また緊張の合間の、ちょっとした長閑なシーンなどのキレのある処理が運動的で、曲をよく解きほぐしてくれていると思う。時に優美に歌う弦の情感もみずみずしくて好ましい。


このページの先頭へ


協奏曲

ピアノ協奏曲 ヴァイオリン協奏曲
p: ハイルディノフ vn: エーネス ノセダ指揮 BBCフィルハーモニック

レビュー日:2011.2.1
★★★★★ 「チェロだけじゃない!」ドヴォルザークの協奏曲
 2004年録音のドヴォルザークのピアノ協奏曲とヴァイオリン協奏曲のカップリング。ピアノはルステム・ハイルディノフ(Rustem Hayroudinoff)、ヴァイオリンはジェームス・エーネス(James Ehnes)。ノセダ指揮BBCフィルの演奏。
 ハイルディノフはロシアのカザン出身のピアニスト。いろいろ調べてみたのだけれど、出生年が不明。けれども比較的最近になって録音活動が盛んになった人だし、当人のウェブサイトの写真を見ても、若手といった感じ。エーネスは1976年カナダ出身のヴァイオリニスト。おそらくハイルディノフは同世代ではないだろうか?
 それで、この二人の奏者を起用してのドヴォルザークとなる。「ドヴォルザークの協奏曲」というと何と言っても大傑作のチェロ協奏曲があるため、このピアノ協奏曲とヴァイオリン協奏曲はなぜか“日陰もの”みたいに扱われている感じがある。しかし、特にヴァイオリン協奏曲は名曲の1曲に組み込んでも、何らおかしくない逸品だと思う。
 それにしても、ここに収録された演奏は見事。私は最近エーネスというヴァイオリニストを知り、よく聴いているので、ここでも目当てはむしろヴァイオリン協奏曲だったのだけれど、ルステム・ハイルディノフのピアノ協奏曲。これもまた見事。思わぬ発見である。
 ドヴォルザークのピアノ協奏曲は、特に長大な第1楽章をどうまとめるのかがポイントであるけれど、ハイルディノフのピアノはとにかく音色がきれい。旋律自体はドヴォルザークらしい郷愁を感じさせる魅力のあるものなので、美しい音色でそのメロディーを存分に活かし、楽曲が持っている一種の「楽天性」を確信犯的に朗々と歌い上げているのがポイント。「ドヴォルザークのピアノ協奏曲ってこんなにきれいな曲だったのか」、と唸らされた。歯切れの良い明快な響きが心地よく、音楽としての風格も豊か。オーケストラも素晴らしい第2楽章冒頭のホルンの音色の深さは楽曲のハートを感じさせて聴き手を酔わせてくれる。幸福感に満ちた名演!
 もちろんエーネスによるヴァイオリン協奏曲も見事。強く速い音色、急速のヴィブラートが鮮やかだが、それが武器であるという誇張やあざとさを感じさせない完成度が素晴らしい。第2楽章の歌い上げ、第3楽章の線的なスピード感に溢れた推進性も見事。
 心なしか、ハイルディノフとエーネスの、音楽家としての「やりたい音楽」というものが近いところにあるのではないか、と感じた。もちろんノセダが両曲において、完成度の高く恰幅豊かなオーケストラ演奏を行っているため、演奏の性格が似通ったことも考えられるのだが、それにしても両者とも、技巧がありながら、技巧に頼らない健やかな音楽性を感じさせる演奏だし、ドヴォルザークの協奏曲がいよいよ名曲の趣を見せたのは、両者の卓越した楽才があってこそだろう。

ドヴォルザーク ピアノ協奏曲  シューマン 序奏とアレグロ・アパッショナート
p: シフ ドホナーニ指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

レビュー日:2015.12.14
★★★★★ シフとドホナーニによる洗練と熱を併せ持ったドヴォルザーク
 シフ(Schiff Andras 1953-)のピアノ、ドホナーニ(Christoph von Dohnanyi 1929-)指揮、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏で、以下の2曲を収録。
1) ドヴォルザーク(Leopold Dvorak 1841-1904) ピアノ協奏曲 ト短調 op.33
2) シューマン(Robert Schumann 1810-1856) 序奏とアレグロ・アパッショナート ト長調 op.92
 いずれも1986年の録音で、ドヴォルザークはライヴ、シューマンはスタジオで収録されたもの。
 美しい透明な情緒に溢れた名演奏。ドホナーニは1984年から85年にかけて、ドヴォルザークの後期3大交響曲をクリーヴランド管弦楽団と録音している。さらに1989年には交響曲第6番やスラヴ舞曲もクリーヴランドと録音したのだが、その間にピアノ協奏曲をウィーン・フィルと録音したことになる。
 これらのドホナーニのドヴォルザークは、いずれも素晴らしい内容で、クリアなサウンド、知的で洗練された美感で、蒸留されたような透明感のある郷愁が漂うもの。このピアノ協奏曲もとても良い。
 ドヴォルザークのピアノ協奏曲は、いまひとつ評価の定まらない作品だ。旋律の魅力が彼の第一級の作品に比べると幾分劣ることと、ピアノの活躍という点で、やや控えめな、地味な印象がぬぐえないからだろう。そのため、録音点数も多いとは言えない。
 しかし、優れた演奏というのは、曲の良い部分をより美しく輝かせるものだ。ドホナーニのタクトで開始されるオーケストラの音色は、ウィーン・フィルらしい芳醇さを湛えながらも、きりりと引き締まった輪郭で、陰影のはっきりした、しかし情感の豊かな音世界を形成していく。シフのピアノもピアニスティックな美観が抜群で、第3楽章の土俗的なリズムも、都会的なリリシズムに溢れていて、この作品がもつ泥味をいい意味で浄化してくれている。ドホナーニともども、方向性の同じ演奏ということで、すぐれた統一感を感じさせる。また、この演奏は、ライヴ録音らしい熱さも持ち合わせていて、ドホナーニの一連のドヴォルザークの中でも、もっとも熱い情感をも感じさせる。
 シューマンは内省的な美観を細やかに通わせた演奏で、これも洗練された表現が際立つ。いずれも名演、名録音と呼ぶにふさわしい内容。

ドヴォルザーク ピアノ協奏曲  シューマン ピアノ協奏曲
p: ハフ ネルソンス指揮 バーミンガム市交響楽団

レビュー日:2022.7.12
★★★★☆ 落ち着き払ったドヴォルザークとシューマン
 イギリスのピアニスト、スティーヴン・ハフ(Stephen Hough 1961-)と、ラトビアの指揮者、アンドリス・ネルソンス(Andris Nelsons 1978-)指揮、バーミンガム市交響楽団の演奏による、下記の2作品を収録したアルバム。
1) ドヴォルザーク(Antonin Dvorak 1841-1904) ピアノ協奏曲 ト短調 op.33
2) シューマン(Robert Schumann 1810-1856) ピアノ協奏曲 イ短調 op.54
 シューマンは2014年、ドヴォルザークは2015年の録音。
 ドヴォルザークとシューマン、当然、名曲として広く知られているのはシューマンの作品。だが、このアルバムは、後で録音されたドヴォルザークの方を頭に配置している。シューマンと渡り合える作品、というのは言い過ぎかもしれないが、ドヴォルザークのピアノ協奏曲という作品の価値を問いかけているような配置にも思える。
 たしかにドヴォルザークのピアノ協奏曲という作品、かつては録音点数が少なかった。それでも、LP時代から、リヒテル(Sviatoslav Richter 1915-1997)とC.クライバー(Carlos Kleiber 1930- 2004)という豪華な顔合わせの録音があったおかげで、それなりに聴いた人は多かっただろう。リヒテル盤の大きな価値の一つは、ピアノ・ソロ部分を、それまで主に用いられてきたヴィレーム・クルツ(Vilem Kurz 1872-1945)の改訂版のスコアではなく、オリジナル版を取り上げ、それを敷衍させた点にあるだろう。一方で、このハフの演奏は、基本的にクルツ版によっているようだ。
 さて、当盤の演奏であるが、きわめて落ち着いた演奏であるというのが全体の印象。ドヴォルザークであっても、シューマンであっても、ハフは緊密で、踏み込むところのない、基本的にインテンポを主体とした演奏を貫いていて、なにか、あえて色付けしようとか、情感を高めようというような、表現性を前面に押し出すところはほとんどない。しかし、その音自体の美しさ、輪郭の整った様はみごとで、この作曲家ならではの郷愁はあれど時に冗長なドヴォルザークの第1楽章も、引き締まった感覚美で描かれていて、なかなか面白い。この楽曲に、言ってみればドイツ音楽のような感覚でアプローチして、しっかりと結果を出していると感じた。ネルソンスも、いつものように、緻密に音響を作り上げて、安定した進行を心掛けている。私は、この指揮者が、バーミンガム市交響楽団を指揮して2012年にライヴ録音した新世界交響曲が、素晴らしい名演だったので、同様のものが当盤でも聴かれるか興味があったのだけれど、当盤の演奏は、ずっと落ち着いた感じで、むしろいつものネルソンスのスタイルと言える。気高い郷愁の薫る第2楽章は、少し早めに淡々と進み、土俗的なリズムに溢れた第3楽章も、生真面目な響きでまとまっており、ドヴォルザークのピアノ協奏曲の録音で、ここまで客観的なアプローチで統一された演奏というのは、ちょっと他にないだろうというくらいの内容だ。
 シューマンも同様で、この曲に宿る浪漫は、あくまで、結果的に表出するもので、演奏家はとにかく落ち着いて、正確に、磨き上げた音を繰り出していくことに専心し、結果として、きわめて周到で秩序だった音楽が描かれている。
 いずれも、禁欲的と表現することさえ出来そうな佇まいと、凛々しいソノリティの美しさに惹かれたが、ただ、私の中では、これらの楽曲の場合、心を燃焼させる踏み込みがどこかにある方が好きだという感覚も残る。演奏の完成度の高さは見事なのだが、これらの楽曲の代表的な録音として、当盤を推したいか?と問われると、そこまでではないというところ。

ドヴォルザーク ヴァイオリン協奏曲  チャイコフスキー ヴァイオリン協奏曲
vn: シュポルツル アシュケナージ指揮 ビエロフラーヴェク指揮 チェコ・フィルハーモニー管弦楽団

レビュー日:2006.1.8
★★★★★ チェコの新鋭、シュポルツルの快演
 パベル・シュポルツル(Pavel Sporcl 1973-)は、間違い無く現代を代表するのヴァイオリニストの一翼を担うチェコのヴァイオリン奏者である。プラハ音楽アカデミー、ジュリアード音楽院などでイツァック・パールマンらに師事し、国際コンクールでの優勝歴を経て活躍を開始した。
 このアルバムにはドヴォルザークのヴァイオリン協奏曲(アシュケナージ指揮 チェコフィル)とチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲(ビエロフラーヴェク指揮 チェコフィル)が収録されている。特にドヴォルザークは2001年に行われた作曲家生誕160年の記念演奏会を収録したもの。いずれにせよ、どちらもこれらのスラヴの情熱薫る名曲に相応しい強力なバックによるライヴ録音だ。
 ヴァイオリンの音色伸びやかさと、機動的で躍動的なリズム感はまさに快哉もの。終演後の熱狂的な拍手もそれを証明。特に、素晴らしい曲であるにもかかわらず、今一つラインナップに手薄感のあったドヴォルザークに、この強力な1枚が加わる事も大歓迎といえよう。今後の活躍からも目が離せないヴァイオリニストだ。

ヴァイオリン協奏曲 ピアノ五重奏曲 第2番
vn: チャン C.デイヴィス指揮 ロンドン交響楽団 p: アンスネス vn: ケアー va: クリスト vc: ファウスト

レビュー日:2006.1.8
★★★★★ 協奏曲と室内楽・・特に室内楽のアンスネスのピアノが印象的
 ドヴォルザークのヴァイオリン協奏曲とピアノ五重奏曲第2番というなかなか豊かなカップリングの一枚。ドヴォルザークが推敲を重ねた2つのジャンルの名曲が合わせて聴ける。共通している奏者はヴァイオリンのサラ・チャン。まず協奏曲の方であるが、コリン・デイヴィスに導かれたオーケストラのふくよかな音色が見事である。チャンのヴァイオリンは1楽章冒頭からオーケストラの音色と高い次元の融合を果たしており、そのバランス感覚に富んだ表現がスピーカーからいかにも適切に再現されるかのよう。だが第3楽章になるとかなり気持ちが鼓舞されたのか、強い推進力を独奏者が示しており、オーケストラも歩調を合わせている。だが楽想からみてこのような演奏形態は効果的で、いかにも一つの協奏曲を聴いたという高揚感を聴き手に与えてくれる。
 ピアノ五重奏曲はアンスネスのピアノが抜群の聴きモノとなっていて、クールで透明で、ほんとうにピアニスティックという形容が相応しい響きに多くが集約されている。ノスタルジーを感じる旋律が浄化され、淡く映える風景が目に浮かんでくるようだ。とくにドゥムカと題された第2楽章は、メロディスト・ドヴォルザークの作品の本質が、現代的な錬成を経て汲みつくされた感があり、聴き入ってしまう。

ドヴォルザーク ヴァイオリン協奏曲  ヒナステラ ヴァイオリン協奏曲  サラサーテ カルメン幻想曲
vn: ハーン エストラーダ指揮 フランクフルト放送交響楽団

レビュー日:2023.3.13
★★★★★ 芸術家・ヒラリー・ハーンの「節目」を感じさせる録音
 COVID-19の世界的流行により活動を休止していたアメリカのヴァイオリニスト、ヒラリー・ハーン(Hilary Hahn 1979-)による、活動再開後最初に製作されたアルバム。「eclipse(日食)」というタイトルが与えられている。「日食」は、世界がひとときパンデミックの影に覆われていたこと、時の経過によって世界は元に戻り、ハーンの活動も再開されたことを意味する。収録された3曲は以下の通り。
1) ドヴォルザーク(Antonin Dvorak 1841-1904) ヴァイオリン協奏曲 イ短調 op.53
2) ヒナステラ(Alberto Ginastera 1916-1983) ヴァイオリン協奏曲 op.30
3) サラサーテ(Pablo de Sarasate 1844-1908) カルメン幻想曲 op.25
 ハーンは、これらの3曲が、作曲家37~47歳の間に書かれた作品であり、録音時(2021年)、42歳のハーンとともに、概して、芸術家がその創作活動において自身の作風をあらためて見定める、あるいは見直すにふさわしい人生の時期であり、それも含めて「変化点」のシンボルとしても、「eclipse(日食)」というタイトルにふさわしいものと言及している。コロンビアの指揮者、アンドレス・オロスコ=エストラーダ(Andres Orozco-Estrada 1977-)指揮、フランクフルト放送交響楽団との当録音は、ハーンにとって、「節目の録音」なのであろう。
 ドヴォルザークのヴァイオリン協奏曲は、非常に熱のこもった歌として奏でられる。パッセージの明瞭さとともに、力強い切り口で、全曲が華やかに彩られる。この作品は、演奏によっては、響きが薄く感じられてしまうところもあるのだが、ハーンとエストラーダは、濃厚さと能弁さを臆することなく散りばめて、輝かしくも情熱的な一編として仕上げた。そこに感じられるのは、ストレートな芸術家の吐露であり、それが美しいから芸術なのだという自己証明である。
 ヒナステラの聴く機会のめったにないヴァイオリン協奏曲が、この見事な演奏で録音されたことも印象深い。楽曲は3つの楽章からなるが、ヒナステラはここで微分音もまじえた無調の世界に深く踏み込んでいる。第1楽章は、それがさらに11のパーツに分かれていて、当アルバムではそれぞれにトラックは振ってあり、分かりやすい。冒頭のカデンツァから張り詰めたような空気が満ちている。重音をふんだんに使った細かいパッセージが連続する様は、まさに至難であるが、ハーンの速さと鋭さは、決して焦点を緩めない。パーカッションと、パーカッション的奏法をあちこちで応用するオーケストラは、不穏であるとともに、厳密で、この楽曲の詳細な構造を解き明かしていく。聴き手の側にも強い集中力を要求する楽曲と言って良い。第2楽章は独奏ヴァイオリンのほか、オーケストラから選抜された22人の「独奏者」によって奏でられるこちらも異色の作風だ。こまかいガラス片を思わせる音の積み上げが、時に啓示的と形容したい雰囲気をもたらす。第3楽章は、2つのパーツに分かれ、こちらもトラックが振ってあるので、この楽曲だけで都合14トラックを用いて収録されていることになる。ピアニシモが印象的なスケルツォから、彩が鮮やかに増えていき、パガニーニ(Niccolo Paganini 1782-1840)の引用を経て、劇的に楽曲は終わる。研ぎ澄まされた感覚を全編から感じ取れる演奏であり、このような演奏でこそ、この楽曲の真価が現れていると感じさせられる。
 サラサーテのカルメン幻想曲は、多くのヴィルトゥオーゾによって弾かれてきた作品だが、ハーンにとっては初録音となるとのこと。オーケストラとともに、溌溂たる表現で、ここでも明快、明晰なソロは、鋭い切れ味をもって、旋律を陰影くっきりと描き出しており、シャープさと強さ、それに美しさを併せ持っている。

チェロ協奏曲  ピアノ三重奏曲 第4番「ドゥムキー」
vc: ケラス ビエロフラーヴェク指揮 プラハ・フィルハーモニー管弦楽団 vn: ファウスト p: メルニコフ

レビュー日:2006.1.21
★★★★★ 高貴なドヴォルザーク
 なかなか素晴らしい演奏+録音である。若手注目チェリスト、ジアン=ギアン・ケラス (Jean-Guihen Queyras)によるドヴォルザークであるが、一言で形容するなら「高貴なドヴォルザーク」といったところか。
 ドヴォルザークの名曲、チェロ協奏曲には古今あまたの名演があったが、この録音は確実にその一角を占めるだけでなく、その頂をも目指せる内容であると感じた。まずチェロの瑞々しく美しい音色が素晴らしい。このスラヴの郷愁溢れる作品は、ともすればやや大仰になったり、饒舌すぎたりすることがあるのだが、ケラスのチェロは清廉で、品位に満ちている。技術的にもたいへん水準が高く、細やかな音型もこのうえなく自然に、余分な力が入ることなく弾かれている。バックのオーケストラも好感あふれるもので、決してむせび泣くような情感過多の演奏はせず、それでいて孤高の郷愁といった雰囲気を通わせる。第1楽章ではクラリネットやオーボエの音色とチェロの掛け合いの印象が特に強い。第2楽章の決して濁りのないチェロと、金管群の豊穣な響きの溶け合いも次元が高い。
 また、このアルバムにはピアノ三重奏曲「ドゥムキー」がカップリングされている。バルトークやフォーレの素晴らしい録音があるイザベラ・ファウストのヴァイオリンはここでも知的でバランスのよい組みたてをしており、ケラスとの相性は良さそうだ。第2楽章の静と動の対比も鮮やかだし、抜群にセンチメンタルな第3楽章でも、健康的で純音楽的に奏でられており、そのほどよい味付けが高貴な印象となってリスナーに心地よい安堵感を与えるに違いない。

ドヴォルザーク チェロ協奏曲  ブルッフ コル・ニドライ  チャイコフスキー ロココの主題による変奏曲
vc: ハレル アシュケナージ指揮 フィルハーモニア管弦楽団 マゼール指揮 クリーヴランド管弦楽団

レビュー日:2017.5.25
★★★★★ アシュケナージからの信頼が篤かったハレルの名録音
 リン・ハレル(Lynn Harrell 1944-)のチェロ独奏により、以下の3つのチェロと管弦楽のための名作を収録したアルバム。
1) ドヴォルザーク(Antonin Dvorak 1841-1904) チェロ協奏曲 ロ短調 op.104
2) ブルッフ(Max Bruch 1838-1920) コル・ニドライ op.47
3) チャイコフスキー(Pyotr Tchaikovsky 1840-1893) ロココの主題による変奏曲 op.33
 1)と2)はアシュケナージ(Vladimir Ashkenazy 1937-)指揮、フィルハーモニア管弦楽団の演奏で1982年、3)はマゼール(Lorin Maazel 1930-2014)指揮、クリーヴランド管弦楽団の演奏で1979年の録音。1)と2)がデジタル録音。
 ハレルとアシュケナージは、チェリストとピアニストとして様々な楽曲で共演してきた。その信頼関係はアシュケナージが指揮者として活動を開始した以後も継続し、当録音の他に、R.シュトラウスやプロコフィエフのチェロと管弦楽のための作品でも優れた録音がある。
 ドヴォルザークのチェロ協奏曲は、「チェロと管弦楽のための作品」の最高峰に位置づけられるが、その演奏も見事なものだ。ハレルは朗々と音色を響かせるというより、どこか謙抑的な高貴さを感じさせるチェリストである。そういった意味で、チェロの大家らしさを感じない人も多いだろう。しかし、そのカンタービレの扱いの精密さ、こまやかな情感の表出はみごとなもので、ジョージ・セル(George Szell 1897-1970)が21歳のハレルをクリーヴランド管弦楽団の主席の座に就かせたのもそのためだろう。
 ドヴォルザークの協奏曲においても、その美意識は透徹しており、スマートでありながら、豊かな郷愁を湛えたチェロは、常に健やかな息遣いで、大家ふうな弾き方と感じさせないにもかかわらず、楽曲の機微に通じた見事な表現を操っているのである。ハレルとアシュケナージの共演をたびたび聴いてきた私が確信しているのは、これこそがハレルの芸術であり、高い価値を持つものだということである。
 ハレルの良さを知り尽くしたアシュケナージのサポートも抜群で、高まる郷愁の中であっても、どこか襟を正した禁欲的な佇まいを維持しながら、ここぞと言うときに踏み込んでくる。そのドライヴ感は、聴き手に得難い快さをもたらすのである。特に第2楽章終結部の美しさは、古今の数ある名録音と比べても出色の出来と言って良いだろう。
 ブルッフの「コル・ニドライ」も素晴らしい。やや控えた表現ながら、瑞々しい美観を先端まで通わせた表現が、チェロ、管弦楽ともに見事で、この楽曲もつ厳かで感情を抑えた神秘が行き渡った演奏になっている。
 チャイコフスキーの「ロココの主題による変奏曲」も良演。チェロがもう少し近くで聴こえてほしいところもあるが、全体的なバランスは過不足ない範囲で収まっていて、不満のない内容で落ち着いている。

ドヴォルザーク チェロ協奏曲  エルガー チェロ協奏曲
vc: クリーゲル ハラース指揮 ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団

レビュー日:2017.7.10
★★★★☆ エレガントな聴き味を主に奏でられた2曲の名チェロ協奏曲
 ドイツのチェリスト、マリア・クリーゲル(Maria Kliegel 1952-)とハンガリーの指揮者ミヒャエル・ハラース(Michael Halasz 1938-)指揮ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団による以下の2つのチェロ協奏曲の名曲の組み合わせ。
1) ドヴォルザーク(Antonin Dvorak 1841-1904) チェロ協奏曲 ロ短調 op.104
2) エルガー(Edward Elgar 1857-1934) チェロ協奏曲 ホ短調 op.85
 1991年の録音。
 2つの名曲であるが、朗々たるドヴォルザークと、悲劇的なエルガーで、いろいろ対照感のある組み合わせとも言える。
 1981年のロストロポーヴィッチ・コンクールでグランプリを受賞したクリーゲルのチェロは、高貴な雰囲気を持っていて、美しい。これらの2曲ではドヴォルザークにその特徴は良く出ていると思う。
 ドヴォルザークのオーケストラの導入部は、この曲にしてはややさりげない感じであるが、チェロの導入からどこか悠久を感じさせる響きが心地よい。とくに第2主題の清涼感溢れるロマンは、この演奏の聴きどころといってよく、フルートとのやりとりも魅力的だ。第2楽章は人によって「高貴」と感じもするし、「クール」と感じもするだろう。音色の澄んだ艶自体はなかなかのものだし、管弦楽も含めた演奏全般としてはなかなかの品質に思う。もっと内的躍動が欲しい向きもあるだろうが、これはそういうものを目指した演奏とは違うのだろう。終楽章の歌い上げも壮大さより、どこかしっかり地に足を付けたところを感じさせる。全般に大人びたドヴォルザークであるが、個人的に、それでもオーケストラにもっと力強い個所が多くても良い気がする。録音のS/N比が、一般のレベルよりやや低く感じられ、そのためか独奏チェロに埋没感の感じられるところも、少しあった。
 エルガーは、第1楽章の第1主題が濃厚なカンタービレを感じさせてくれる。中間楽章は感覚的な自由さを思わせる表現があり、指揮者のテンポもかなり「自分流」に感じられるところがあるので、そこで評価が分かれるかもしれない。また、曲が進むにつれて、ドヴォルザークと同様に、独奏者がエレガンスを重んじているということが伝わってくる。美しく、良い演奏ではあるが、エレガンスを追求する過程で手離したものを聴き手に忘れさせるところまでは達していない様にも感じられる。オーケストラの表現も、後半ほど淡々としているように思う。
 対照的な2曲の名チェロ協奏曲に、あえて同じアプローチで挑んだ録音、というふうに感じた。全体的の聴き味は安定化し、高貴な雰囲気も引き出されているが、作曲者がそれぞれの楽曲に込めた意図からもやや距離を置いた感じがあり、その点で、聴き手の評価も変わりうる。

ドヴォルザーク チェロ協奏曲 ロンド 森の静けさ  チャイコフスキー アンダンテ・カンタービレ  アレンスキー 悲しき歌  ダヴィドフ 泉のほとり
vc: ウィスペルウェイ レーネス指揮 オランダフィル p,ハルモニウム: ジャコメッティ

レビュー日:2024.11.5
★★★★★ 禁欲的で高貴なウィスペルウェイのチェロ、ボーナスCDがお得です
 オランダのチェリスト、ウィスペルウェイ(Pieter Wispelwey 1962-)による1995年録音のアルバム。収録曲は下記の通り。
1) チャイコフスキー(Pyotr Tchaikovsky 1840-1893) アンダンテ・カンタービレ
2) ドヴォルザーク(Antonin Dvorak 1841-1904) チェロ協奏曲 op.104
3) ドヴォルザーク ロンド op.94
4) アレンスキー(Anton Arensky 1861-1906) 悲しき歌 op.56-3
5) カルル・ダヴィドフ(Kael Davidov1838-1889) 泉のほとり op.20-2
6) ドヴォルザーク 森の静けさ op.68-5
 協奏曲は、ローレンス・レーネス(Lawrence Renes 1970-)指揮、オランダ・フィルハーモニック管弦楽団との協演、他はパオロ・ジャコメッティ(Paolo Giacometti 1970-)との協演だが、ジャコメッティは3,5)ではピアノを用いているが、1,4,6)ではハーモニウムを演奏している。また、協奏曲以外で、ウィスペルウェイはガット弦を用いている。このあたりの楽器の組み合わせは、ピリオド楽器、現代楽器の双方に精通しているウィスペルウェイのアイデアであろう。
 メインとなるドヴォルザークのチェロ協奏曲は、非常にセーヴされたおとなしい演奏という印象。良く言えば、親密な温もりに満ちた響きだが、迫力には欠ける。録音時25歳のレーネスの指揮も、ウィスペルウェイの世界を壊さないよう、丁寧、慎重に音を作っている。その成果として情感に高貴さが立ち現れており、特に第1楽章のチェロとフルートが郷愁に満ちた旋律を交錯させるところなど、尊い響きである。第2楽章も秋の空に高く漂うようであるが、第3楽章になると、どうしてももっと力感が欲しいところも残る。
 併録してある室内楽は、ハーモニウムにより伴奏された3作品が、普段聴くことのない音色であり、面白かった。チャイコフスキーの有名な旋律も、ドヴォルザークのエスプリの効いたロンドも、どこか晩秋の気配、それも夕暮れを思われるものがある。ガット弦とハーモニウムの組み合わせの妙と言えるだろう。
 さて、このアルバムには一つ、大きな特徴があって、本編以外に「ウィスペルウェイ スタイルズ」と題されたCDがもう1枚付随している。そちらには、当アルバム以前にウィスペルウェイがChannel ClassicsもしくはGlobeレーベルに録音した音源が抜粋収録されているのだ。その詳細を、協演者、CD番号、録音年と併せて書いておこう。
1) バッハ(Johann Sebastian Bach 1685-1750) 無伴奏チェロ組曲 第1番 ト長調 BWV 1007 より 「前奏曲」 CCS1090 1989,90年録音
2) バッハ 無伴奏チェロ組曲 第1番 ト長調 BWV 1007 より 「クーラント」 CCS1090 1989,90年録音
3) リゲティ 無伴奏チェロ・ソナタ より カプリッチョ CCS7495 1993年録音
4) バッハ 無伴奏チェロ組曲 第6番 ニ長調 BWV 1012 より 「アルマンド」 CCS1090 1989,90年録音
5) ヒンデミット 無伴奏チェロ・ソナタ より 第1楽章 CCS7495 1993年録音
6) ブラームス チェロ・ソナタ 第2番 ヘ長調 op.99 より 第1楽章 fp: ポール・コーメン(Paul Komen) 1992年録音
7) セッションズ(Roger Sessions 1896-1985) チェロのための6つの小品 から 第4曲 「子守歌」 CCS7495 1993年録音
8,9) ベートーヴェン チェロ・ソナタ 第3番 イ長調 op.69 より 第3楽章 fp: ポール・コーメン(Paul Komen) CCS3592 1991年録音
10) セッションズ(Roger Sessions 1896-1985) チェロのための6つの小品 から 第6曲 「エピローグ」 CCS7495 1993年録音
11,12) ヴィヴァルディ(Antonio Vivaldi 1678-1741) チェロ・ソナタ 第6番 変ロ長調 op.14-6 から 第1,2楽章 フロリレジウム(Florilegium) CCS6204 1994年録音
13) ブリテン(Benjamin Britten 1913-1976) 無伴奏チェロ組曲 第1番 op.72 より 第6楽章 Globe GLO 5074 1992年録音
14) コダーイ(Zoltan Kodaly) 無伴奏チェロ・ソナタ より 第3楽章 Globe GLO 5089 1992年録音
15) ベートーヴェン ホルン・ソナタ(チェロ版) op.17 より 第3楽章 fp: ロイス・シャピロ(Lois Shapiro)CCS6494 1994年録音
16) ハイドン チェロ協奏曲 第1番 ハ長調 より 第3楽章 フロリレジウム CCS3795 1994年録音
 バッハの無伴奏チェロ組曲では第6番のみチェロ・ピッコロを使用している。また、ピアノ伴奏のある楽曲は、いずれもフォルテ・ピアノによる伴奏だ。私は、フォルテ・ピアノの響きは、当時の響きを想起させるという点で興味深いとは言え、選択肢としてピアノがあれば、ピアノの録音を嗜好するので、これらの録音も、そこまで積極的にディスクを購入して聴こうとは思わないので、このような形で聴く機会を得るくらいがちょうどいい感じである。もちろん、これは私の感想ではあるけれど。しかし、いずれにしても、これだけの収録内容がまるまるオマケでついてくるというのは、実にうれしい話で、このアイテムの商品価値を、とても高いものにしているのは間違いない。その点もふくめて総合評価は十分に星5つとなるだろう。


このページの先頭へ


室内楽

ピアノ五重奏曲 第2番 弦楽五重奏曲 第3番
パヴェル・ハース弦楽四重奏団 p: ギルトブルク va: ニクル

レビュー日:2017.11.7
★★★★★ 現代最高の四重奏団、パヴェル・ハースの圧巻の力量に感服
 個人的に、現在、世界で最高と考えている弦楽四重奏団、パヴェル・ハース四重奏団がドヴォルザーク(Antonin Dvorak 1841-1904)の2曲の室内楽を録音した。収録曲は以下の通り。
1) ピアノ五重奏曲 第2番 イ長調 op.81
2) 弦楽五重奏曲 第3番 変ホ長調 op.97
 2017年録音。録音時の四重奏団のメンバーは以下の通り。
 第1ヴァイオリン: ヴェロニカ・ヤルツコヴァ(Veronika Jaruskova)
 第2ヴァイオリン: マレク・ツヴァイベル(Marek Zwiebel)
 ヴィオラ: ラディム・セドミドブスキ(Radim Sedmidubsky)
 チェロ: ペテル・ヤルシェク(Peter Jarusek)
 彼らのドヴォルザークは、2010年の2曲の弦楽四重奏曲以来で、メンバーは第2ヴァイオリン奏者がエヴァ・カロヴァ(Eva Karova)から、マレク・ツヴァイベルに交代している。1)では、ピアノに近年活躍が目覚ましいボリス・ギルトブルグ(Boris Giltburg 1984-)を迎えたほか、2)では、同四重奏団設立時のヴィオラ奏者であったパヴェル・ニクル(Pavel Nikl)が参加しており、これは、ファンには嬉しい。
 ドヴォルザークは数々の美しい室内楽を書いている。それらは、いずれもドヴォルザークならではの、自然に湧き上がるメロディをそのまま綴ったような純朴さと、郷愁に溢れた情感を持ち合わせている。逆に言うと、楽曲ごとの個性は強くなく、そのため、それら全てを聴く必要はないかもしれないが、聴いてみるとどれも美しいのである。また、当盤のように、一層輝かしい演奏で奏でられると、楽曲の魅力も一気に高まる。
 当録音は、間違いなくドヴォルザークの室内楽録音として、最も優秀なものの一つに位置付けられるだろう。アンサンブルの素晴らしいこと。一つ一つの楽器の音色が美しいのは当然として、この楽団のリズムへの素早い感応性、そして豊かな音量を自在にコントロールする統率感は、圧巻と言って良い。それでいて、演奏には機械的なものは感じられず、常にアコースティックな幅があり、血がめぐり心が通っているのである。どんな曲を弾いたって、失敗するはずがない。
 ピアノ五重奏曲は、ピアノに導かれてチェロが奏でる憧憬的な旋律から始まるが、このチェロの音色に多くの人は惹きつけられるに違いない。続いて全合奏に移るが、その劇性の高さ、凛々しく気高い歌の溢れる様は、感動的である。多くのドヴォルザークの楽曲がそうであるように、これらの2曲でも緩徐楽章である第2楽章の心温まる時間は忘れがたいものとなる。特にピアノ五重奏曲では、ほどよい色彩感をおびたギルトブルクのピアノと相まって、シンフォニックな恰幅を活かして、各楽器がしっかりと聴き手に大事なことを届けてくれているという手応えがあって、充足感に満ち溢れている。弦楽五重奏曲では、第3楽章の変奏が多彩に響き渡るのも魅力だ。
 当演奏を聴いて、率直に言って、私はこれらの楽曲からいまだかつてないほどの深い感銘を受けた。パヴェル・ハースの実力は、いまさら私がコメントするまでもない確かなものだ。まだまだ彼らが未録音の、未開の楽曲があると思うと、今からワクワクしてくるのである。

弦楽四重奏曲 第12番「アメリカ」 第13番
パヴェル・ハース弦楽四重奏団

レビュー日:2011.11.30
再レビュー日:2016.5.20
★★★★★ パヴェル・ハース四重奏団の実力を見せ付けるドヴォルザーク
 ドヴォルザーク(Antonin Dvorak 1841-1904)の弦楽四重奏曲第12番「アメリカ」と第13番を収録。演奏は、パヴェル・ハース四重奏団(Pavel Haas Quartet)。パヴェル・ハース四重奏団は2004年からプラハを拠点に活動しており、メンバーはヴァイオリンがヴェロニカ・ヤルツコヴァ(Veronika Jaruskova)とエヴァ・カロヴァ(Eva Karova)、ヴィオラがパヴェル・ニクル(Pavel Nikl)、チェロがペテル・ヤルシェク(Peter Jarusek)。近年、彼らに対する国際的な評価は一気に高まりを見せているようだ。
 私は、最近、彼らのプロコフィエフの弦楽四重奏曲を集めたアルバムを聴いており、その現代的な鋭い切り口に魅了された。それで、次にどんなアルバムをリリースしてくれるのだろうと思っていたところ、今度は「お国モノ」と言える王道のジャンル、ドヴォルザークとなった。
 私は決して「お国モノ」至上主義者ではないけれど、このドヴォルザークはとても良く響く。ドヴォルザークは「湧き出る楽想のまま」に書を進めた天才で、同じ多作家のシューベルトに通じるところもある。アメリカで活動していたころには、ニグロやアメリカ・インディアンの音楽を様々に引用し、そこにチェコ音楽との共通項を見出しながら、自己のスタイルとして消化していった。そんなドヴォルザークの典型とも言える名作が弦楽四重奏曲第12番「アメリカ」である。
 この「アメリカ」をドヴォルザークはわずか数日のうちに書き上げたとされる。簡潔な構成にメロディー主体の節回しは、気の赴くままの微笑ましい自然さに満ちているが、パヴェル・ハース四重奏団の演奏からはその曲の格をさらに高めたかのような洗練を感じる。テンポは穏当であるが、音色の一つ一つが清清しい響きに満ちていて、突き抜けるようなシャープさを垣間見せる。第1楽章は心地よい疾走感に溢れていて、喜びが自然に出ている。ヴィオラ、チェロがやや奥ゆかしいポジショニングで、2台のヴァイオリンが協奏的に掛け合うのをほどよくサポートする。第2楽章はドヴォルザークらしいとっぷりした情感に満ちたメロディーであるが、パヴェル・ハースの透徹した完成度の高い響きは、どこかしら神々しいほどの光を感じるもので、感動させられた。起伏のある終楽章(第4楽章)はテクスチュアの処理が鮮明で、持続する推進力が圧巻。この楽章がこの演奏の価値を象徴的に物語っている。
 第13番はあまり知られていない作品だが、充実した書法を感じさせる大作だ。冒頭のつっつくような不思議なフレージングから、音楽は様々な広がりを見えるが、パヴェル・ハースの闊達な手腕により、運動的美観をほどよく呈しながら音楽は展開する。この曲も第2楽章に全曲のハートと言える部分がある。旋律のバックで鳴る量感豊かなピチカートから多様な思いが伝わるようだ。ドヴォルザークの描いた瑞々しい「郷愁」を豊かに表現してやまない彼らの演奏は見事の一語に尽きるだろう。
 今後の彼らの活動にも注目していきたい。
★★★★★ ドヴォルザークの弦楽四重奏曲の個性を現代的な感性で表現した快演
 ヴァイオリンのヴェロニカ・ヤルツコヴァ(Veronika Jaruskova)とエヴァ・カロヴァ(Eva Karova)、ヴィオラのパヴェル・ニクル(Pavel Nikl)、チェロのペテル・ヤルシェク(Peter Jarusek)からなるパヴェル・ハース四重奏団は、2004年からプラハを拠点に目覚ましい世界的な活動を展開している。当盤はそんな彼らによるドヴォルザーク(Antonin Dvorak 1841-1904)の弦楽四重奏曲2曲を収録した2010年録音のアルバム。収録曲は以下の2曲。
1) 弦楽四重奏曲 第13番 ト長調 op.106
2) 弦楽四重奏曲 第12番 ヘ長調 op.96「アメリカ」
 ドヴォルザークは「湧き出る楽想のまま」に書を進めた天才で、同じ多作家のシューベルトに通じるところもある。アメリカで活動していたころには、ニグロやアメリカ・インディアンの音楽を様々に引用し、そこにチェコ音楽との共通項を見出しながら、自己のスタイルとして消化していった。そんなドヴォルザークの典型とも言える名作が弦楽四重奏曲第12番「アメリカ」である。
 この「アメリカ」をドヴォルザークはわずか数日のうちに書き上げたとされる。簡潔な構成にメロディー主体の節回しは、気の赴くままの微笑ましい自然さに満ちているが、パヴェル・ハース四重奏団の演奏からはその曲の格をさらに高めたかのような洗練を感じる。テンポは穏当であるが、音色の一つ一つが清清しい響きに満ちていて、突き抜けるようなシャープさを垣間見せる。正確なイントネーションにより、多方面に細心の配慮をしながらも、音楽としての主従を簡潔にまとめた気持ちの良さに満ちている。第1楽章は心地よい疾走感に溢れていて、喜びが自然に出ている。ヴィオラ、チェロがやや奥ゆかしいポジショニングで、2台のヴァイオリンが協奏的に掛け合うのをほどよくサポートする。第2楽章はドヴォルザークらしいとっぷりした情感に満ちたメロディーであるが、パヴェル・ハースの透徹した完成度の高い響きは、どこかしら神々しいほどの光を感じるもので、感動的だ。起伏のある終楽章(第4楽章)はテクスチュアの処理が鮮明で、持続する推進力が圧巻。この楽章がこの演奏の価値を象徴的に物語っている。
 第13番はあまり知られていない作品だが、充実した書法を感じさせる大作だ。冒頭のつっつくような不思議なフレージングから、音楽は様々な広がりを見えるが、パヴェル・ハースの闊達な手腕により、運動的美観をほどよく呈しながら音楽は展開する。この曲も第2楽章に全曲のハートと言える部分がある。旋律のバックで鳴る量感豊かなピチカートから多様な思いが伝わるようだ。ドヴォルザークの描いた瑞々しい「郷愁」を豊かに表現してやまない彼らの演奏は見事の一語に尽きるだろう。
 これらの録音は、例えば名盤と言われるアルバンベルク弦楽四重奏団の演奏と比較すると、アルバンベルクのものの方が絶対性を感じさせる輝きで、完璧さを印象付けるものだと思う。しかし、その一方でパヴェル・ハースの演奏は、これらの楽曲の底流にある舞曲的な雰囲気を伝えるもので、私はそれがこれらの楽曲にはふさわしいものと思える。

ピアノ三重奏曲 第3番 第4番「ドゥムキー」
ザ・テンペスト・トリオ

レビュー日:2017.7.6
★★★★★ ドヴォルザークの名室内楽演奏として、一つの理想に近いもの
 ザ・テンペスト・トリオによるドヴォルザーク(Antonin Dvorak 1841-1904)の以下の2曲を収録したアルバム。
1) ピアノ三重奏曲 第3番 ヘ短調
2) ピアノ三重奏曲 第4番 ホ短調「ドゥムキー」
 2013年の録音。
 ザ・テンペスト・トリオは、ロシアのヴァイオリニスト、イリヤ・カーラー(Ilya Kaler 1963-)と、イスラエルのピアニストアーロン・ゴールドスタイン(Alon Goldstein 1970-)、イスラエルのチェリスト、アミット・ペルド(Amit Peled 1973-)により結成されたピアノ三重奏団。カーラーは1981年のパガニーニ国際コンクール、1985年のシベリウス国際ヴァイオリン・コンクール、1986年のチャイコフスキー国際コンクールでそれぞれ第1位という輝かしいコンクール歴を持つ現代を代表するヴァイオリニストの一人。
 ドヴォルザークのピアノ三重奏曲は、同ジャンルの中でも特に親しみやすい名品で、どこかブラームス(Johannes Brahms 1833-1897)の影響を感じさせる第3番、ドヴォルザーク天性の民俗的旋律がチャーミングに花開いた第4番。両曲とも、美しい作品。特にウクライナの民謡ドゥムカからとられた「ドゥムキー」の愛称で知られる第4番は、ドヴォルザークの代表作の一つとして広く知られている。
 当録音は、室内楽的な親密さが、暖かい聴き味をもたらすもの。カーラーのヴァイオリンには輝かしさがある一方で、高貴な佇まいがあって、常に音楽の質を高く維持してくれる。ゴールドスタインのピアノは全般に奥ゆかしい。強い主張はないが、それはこれらの室内楽の感情表現が、弦楽器に大きく比重がかかっていることを意識してのことかもしれない。第3番のクライマックスなど、もっと力強さがあってもいいとも感じるが、ピアノ三重奏としてのバランスは良好に感じられ、それもこの演奏の性格を特徴づけている。例えば第3番の第2楽章のほほえましい躍動感はその好例だろう。ペルドのチェロは、ドヴォルザークが郷愁を込めて書き上げた旋律をたっぷりと歌っていて、なかなか印象的だ。特に緩徐楽章の訴えの強いカンタービレは聴き手の気持ちを揺する。
 緊密な第3番、そして、リズム感豊かに活発に旋律を交錯させた第4番、ともに楽曲の性格に即した難のないアプローチで、良心的な作品の再現を達成している。
 全般にきれいにまとまっていて、人によっては、もっと示唆的、あるいは暗示的な要素を欲しいと思うかもしれないが、楽曲を気持ちよく楽しめると言う点で、心地よい演奏であり、これらの楽曲の表現として、一つの理想に近いものに思う。

ヴァイオリン、ヴィオラとピアノのための歌曲編曲集(スーク編);ジプシーの歌 民謡風の歌曲 愛の歌 子守歌 聖書の歌 モラヴィア二重唱曲集から第11番「慰め」
vn, va: スーク p: アシュケナージ

レビュー日:2010.4.20
★★★★★ ドヴォルザークの名旋律を二人の名人の暖かい音で・・・
 これはまたなんともチャーミングというか、ハート・ウォーミングなアルバムの登場だ。ヨゼフ・スークとウラディーミル・アシュケナージによるドヴォルザークの歌曲編曲集だ。編曲はスーク自らが行っていて。録音は2009年、プラハで行われている。
 それにしても、スークとアシュケナージの顔合わせの録音というのは初のはずである。アシュケナージは先だって、スークの祖父である作曲家ヨゼフ・スーク(Josef Suk 1874-1935 ・・孫と同名で紛らわしいのですが)の「アスラエル交響曲」の感動的な演奏をリリースしたばかり。そういった点で、深いチェコ音楽への傾倒から二人が結び付けられたのだろうか。それにしてもこの二人のデュオは素晴らしく心温まる慈愛の響きに満ちている。
 ドヴォルザークの歌曲は言語の問題もあって、あまり録音数は多くないが、郷愁的なメロディの宝庫であり、眠らせておくのはもったいない。今回、選ばれたのは、ジプシーの歌(6曲)、民謡風の歌曲(2曲を抜粋)、愛の歌(8曲)、 4つの歌(1曲を抜粋)、子守歌、聖書の歌(10曲)、モラヴィア二重唱曲集から第11番「慰め」である。有名な作品としては、ジプシーの歌の第4曲「わが母の教えたまいし歌」、民謡風の歌曲の第1曲「おやすみ」、そして「慰め」といったところだろう。「聖書の歌」はヴィオラで奏されている他、最後の「慰め」は二重奏をヴァイオリンとヴィオラによっており、スークの多重録音によって再現された録音芸術である。
 ドヴォルザークの声楽作品としては「スターバトマーテル」が高名だが、他にも埋もれかけている名品が多い。そういえば、映画「ドライビング・ミス・デイジー」の終わりのほうで流れる芳しい音楽は、歌劇「ルサルカ」の第1幕で歌われる「月によせる歌」である。機会があれば、スーク氏にはアリアの編曲もぜひお願いしたい。
 さて、演奏については、すでに述べたように二人の暖かい音色が、豊かに郷愁をはぐくむ素晴らしく良い雰囲気に満ちているものだ。有名曲以外にも「家路」を思わせる音型があったり、あるいは日本民謡に近い旋律があったり、様々な感興を引き起こしてくれる。アシュケナージのピアノは相変わらず美しい。透明で自然だけれど、ぬくもりがある。こういうのを「詩情」と言うのだろう。これらの作品を表現するにはまさに適任の二人だ。ぜひ他にも録音をしてほしいと感じる。


このページの先頭へ


器楽曲

詩的な音画集
p: アンスネス

レビュー日:2022.11.15
★★★★★ アンスネスが紹介してくれるドヴォルザークの知られざる秘曲集
 ノルウェーのピアニスト、アンスネス(Leif Ove Andsnes 1970-)が、ドヴォルザーク(Antonin Dvorak 1841-1904)の知られざるピアノ独奏曲集「詩的な音画集 op.85」を紹介してくれる、素敵なアルバム。「詩的な音画集」は、ドヴォルザークが様々なジャンルに成功作を生み出していた充実期である1889年に書かれた13曲からなるピアノ小品集で、本アルバムには、その13曲全曲が収録されている。収録曲とそのタイトルは以下の通り。
1) 第1曲 夜の道(Twilight Way)
2) 第2曲 たわむれ(Toying)
3) 第3曲 古い城で(In the Old Castle)
4) 第4曲 春の歌(Spring Song)
5) 第5曲 農夫のバラード(Peasants' Ballad)
6) 第6曲 悲しい思い出(Reverie)
7) 第7曲 フリアント(Furiant)
8) 第8曲 妖精の踊り(Goblins' Dance)
9) 第9曲 セレナード(Serenade)
10) 第10曲 バッカナール(Bacchanalia)
11) 第11曲 おしゃべり(Tittle-Tattle)
12) 第12曲 英雄の墓にて(At the Hero's Grave)
13) 第13曲 聖なる山にて(On the Holy Mountain)
 2021年の録音。
 私は、この曲集を当録音ではじめて聴いた。確かに、ドヴォルザークの有名曲のような旋律の通俗性という点で、地味な感じなのかもしれないが、その一方で、素朴な瑞々しさや、優しい情感に魅力があって、メンデルスゾーン(Felix Mendelssohn 1809-1847)の無言歌集やグリーグ(Edvard Grieg 1843-1907)の抒情小曲集と親近性を感じさせる曲集であると感じた。アンスネスの「巧さ」もあって、聴き馴染むにつれ、十分に愛着の湧く作品たちである。
 冒頭の「夜の道」がその名に相応しい郷愁豊かな響きで、アンスネスが描き出す丁寧な和音やスタッカートが、どこか風景画的な描写性を導いていて、なんとも暖かい気持ちになる。第3曲「古い城で」は印象派を思わせる間とトーンのバランスがあり、アンスネスは巧みな呼吸で楽曲を彩る。第5曲「農夫のバラード」はスピードに乗って変容する様がなかなかに楽しい。第6曲「悲しい思い出」は、悲しいというより暖かい優しさがあり、アンスネスが導く情感も得難いものとなっている。
 第7曲の「フリアント」や第10曲の「バッカナール」は、この作曲家の代表作の一つである「スラヴ舞曲集」を彷彿とさせる民俗的なリズムが楽しい。アンスネスの冴えた解釈、時に鋭い輪郭で描かれるラインが、その特徴を明瞭にしている。第12曲「英雄の墓で」は荘重な趣のある作品で、ここではアンスネスも構えの大きい音楽を作り上げている。
 先に旋律的には地味という意味のことを書いたが、個人的に、第9曲「セレナード」の旋律など、何かの機会に繰り返し取り上げられれば、十分に多くの人に共有されるような要素を持っていると思うし、そういった曲たちを優れた演奏と録音で紹介してくれる当アルバムは、音楽ファンにとって、興味の尽きないものとなると思う。


このページの先頭へ


声楽曲

スターバト・マーテル
ヤルヴィ指揮 ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団 合唱団  S: ワトソン MS: ペツコヴァ T: オーティ B: ローズ

レビュー日:2014.12.15
★★★★☆ 意表を突いたような速いテンポです
 ネーメ・ヤルヴィ(Neeme Jarvi 1937-)指揮、ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団及び同合唱団による演奏で、ドヴォルザーク(Antonin Dvorak 1841-1904)の名作「スターバト・マーテル」。ロンドン・フィルの自主制作レーベルLPOからリリースされたライヴ音源で、2010年の録音。独唱者は以下の通り。
 ジャニス・ワトソン(Janice Watson 1964- ソプラノ)
 ダグマール・ペツコヴァ(Dagmar Peckova 1961- メゾ・ソプラノ)
 ピーター・オーティ(Peter Auty1969- テノール)
 ピーター・ローズ(Peter Rose 1961- バス)
 ドヴォルザークの「スターバト・マーテル」と言うと、世に知られた名盤が二つある。一つは歴史的名盤として知られるクーベリック(Rafael Kubelik 1914-1996)による1976年の録音で、もう一つは、指揮台で倒れそのまま帰らぬ人となったシノーポリ(Giuseppe Sinopoli 1946-2001)による「最後の録音」となった2000年録音のものである。
 それらの名演では、聴き手に、深いカトリック信者であった作曲者を襲った悲劇(ドヴォルザークは、3人の子を、幼いうちにあいついで事故などで亡くしている)に対する「慰め」や「祈り」を想起させる敬虔な雰囲気が特徴的で、そこに近代オラトリオらしい仄かな甘みを感じさせるものだった。
 対して、このヤルヴィの演奏は、だいぶ雰囲気が違うものとなっている。
 まずテンポが速い。古典的な演奏ではCD1枚に収録できない当曲が1枚に収録されていることからも分かる通り、かなりの快速演奏で、天国的な慰めとは別の、むしろバロック的なオラトリオ表現を目指したような雰囲気である。特に分かりやすいのが第3曲「いざ、愛の泉である聖母よ」で、これは旧来の解釈とまったく別のものを目指したような速さで、詠唱も非常に感覚的なものでまとめられている。情緒におもねない凛々しさを目指したと思うが、期待する聴き味と随分違うと言う疎外感のようなものも感じたのが正直な感想である。
 一方で、全般に合唱には激しさがある。この楽曲としては、意外なほど力強く、ときにヴィヴィッドと形容したいほどの勢いで、こうなってくると、随分楽曲のイメージとして、別種のものとなってくるのではないか。
 ヤルヴィのスタイルは、この曲の背景にある、古典様式の追及という意図によるものかもしれない。そういった意味で、オーケストラも機敏に反応し、美しい音色を返していて気持ちいいし、時として長さを感じさせることもあるこの曲の食傷気味な傾向を避けたのかもしれない。その一方で、この曲にこれまで与えられていたイメージから、ずいぶん大きな齟齬を感じさせるのも事実で、ファンの中には「付いていけない」と思う人がいても、不思議ではないだろう。
 そういった点で、一つの面白い嗜好ではあるが、「ドヴォルザークのスターバト・マーテルを聴いてみたい」と言う人には、やはりクーベリックかシノーポリの演奏を、まずは薦めたいと思う。


このページの先頭へ