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デュポン



器楽曲

療養のとき 砂丘にある家
p: ナウモフ

レビュー日:2011.2.9
★★★★★ 結核で夭折した鬼才、デュポンが遺した「療養のピアノ音楽」
 ガブリエル・デュポン(Gabriel Edouard Xavier Dupont 1878-1914)はフランスの作曲家。ドビュッシーの愛人だったガブリエル・デュポン(Gabrielle Dupont)とは別人。ジュール・マスネに師事し、歌劇のジャンルで名を馳せた。
 しかし、現代ではデュポンの作品、特に彼が残した二つのピアノ作品は省みられることが少なかった。この名録音が登場するまでは・・・。
 デュポンは未来を嘱望されながらも36才の若さでなくなっている。結核であった。1901年ごろから症状が出現し、デュポンはパリを離れ、山岳地帯や海辺の空気の良いところで静養することが多くなった。デュポンが生涯に遺したピアノ作品は2つの小品集のみであるけれど、これらは静養の間に書かれたもの。このアルバムはデュポンのピアノ作品「全集」ということになる。
 「療養のとき」は14の、「砂丘にある家」は10の小品からなり、それぞれ1905年、1910年に出版された。各小品(規模の大きな曲もあるが・・)には印象派的な標題が付いる。以下にそのタイトルを記す。
療養のとき~ 1)エピグラフ 2)夕暮れが部屋に忍び込む 3)庭に注ぐ陽光 4)雨の歌 5)日曜日の午後 6)医者 7)女友達が一人来た、花を手に 8)風の歌 9)炉辺で 10)女の香気 11)死神がうろついている 12)庭で遊ぶ子どもたち 13)白夜・幻覚 14)平穏
砂丘にある家~ 1)砂丘にて、ある晴れた朝 2)水面のヴェール 3)思い出の家 4)風はわが兄弟、雨はわが姉妹 5)幸せの憂鬱 6)太陽が波間で戯れている 7)松林での夕暮れ 8)ざわめく海・夜 9)星明り 10)うねる大波
 当盤はブルガリア出身のピアニスト、エミール・ナウモフ(Emile Naoumoff)が2004年に録音した2枚組のアルバム。輝かしいタッチでこれらの作品の魅力を余すことなく描いた名演だ。それでは、これらの作品の魅力とは?・・
 「療養のとき」は憂鬱、情熱といった感情を、簡潔な詩でまとめたような、瀟洒な、木漏れ日を感じるような情感が素晴らしい。和音や、音の密度、描写的音型などはドビュッシーやセヴラックを思わせるが、メロディ・ラインの明瞭な作品が多く、浮き立つような情緒が溢れている。代表的な曲として第3曲「庭に注ぐ陽光」を挙げたい。まるで少年時代の夏の日を思わせるような、いつのまにかほどよく美化された記憶を背景に流れるような楽想ではないだろうか?また「砂丘にある家」では、さらに充実した書法とともに、輝かしく力強い側面を併せ持ち、音楽は多様な性格を帯びてくる。浪漫的な面も踏まえつつ、しかし安寧を志す。それらの要素が見事に一つの作品としてきれいにまとまる鮮やかさ。それでいて、それらの楽曲は、過剰にその存在を主張することはせず、「在るところにとどまる」ような落ち着いた佇まいがある。まるで陽射しに照らされて生まれる影のように。
 こんな魅力的な作品を、万全のピアニズムとタッチで描き出したナウモフの力量にも感嘆してしまう。「いいものが聴けた」という気持ちが沸き起こる。

療養のとき
p: タッコーニャ

レビュー日:2025.6.16
★★★★★ 夭折した作曲家がサナトリウムで書いた美しいピアノ曲集
 結核のため36歳の若さで世を去ったフランスの作曲家ガブリエル・デュポン(Gabriel Dupont 1878-1914)が、サナトリウムでの療養中に手掛けたピアノ曲集「療養のとき」。デュポン作品を研究するイタリアのピアニスト、ジュゼッペ・タッコーニャ(Giuseppe Taccogna 1991-)による演奏。収録内容は下記の通り。
療養のとき(Les Heures dolentes)
1) 第1曲 エピグラフ(Epigraphe)
2) 第2曲 夕暮れが部屋に忍び込む(Le soir tombe dans la chambre)
3) 第3曲 庭に注ぐ陽光(Du soleil au jardin)
4) 第4曲 雨の歌(Chanson de la pluie)
5) 第5曲 日曜日の午後(Apres-midi de Dimanche)
6) 第6曲 医者(Le medecin)
7) 第7曲 女友達が一人来た、花を手に(Une amie est venue avec des fleurs)
8) 第8曲 風の歌(La chanson du vent)
9) 第9曲 炉辺で(Au coin du feu)
10) 第10曲 女の香気(Coquetteries)
11) 第11曲 死神がうろついている(La mort rode)
12) 第12曲 庭で遊ぶ子どもたち(Des enfants jouent dans le jardin)
13) 第13曲 白夜・幻覚(Nuit blanche – Hallucinations)
14) 第14曲 平穏(Calme)
 2022年の録音。
 タッコーニャは当盤と別にデュポンが遺したもう一つのピアノ組曲「砂丘にある家」と10代のころに書いたピアノ小品を録音しており、合わせてデュポンのピアノ独奏曲をすべて録音した形となる。
 そのもう一つのアルバムのレビューにも書いたが、私がこれらの曲を気に入ったのは、エミール・ナウモフ(Emile Naoumoff 1962-)が2004年に録音したアルバムを通してであり、今もってナウモフの録音をこれらの楽曲の代表的録音として挙げるのにふさわしいと考えているが、2025年現在、その録音は廃盤となってしまい入手も難しい状況となっている。それで、投稿日現在では、このタッコーニャのものが比較的入手しやすく、また演奏もナウモフとはまた違った魅力を持っている。
 デュポンのピアノ独奏曲は、フォーレ(Gabriel Faure 1845-1924)、セヴラック(Deodat de Severac 1872-1921)、それにサティ(Erik Satie 1866-1925)といった近い時代の作曲家たちと似た性質を持っていて、加えて、この時代のフランスに生きた作曲家として当然のことながら、ドビュッシー(Claude Debussy 1862-1918)の影響も受けているが、より簡素で、音楽も静かな側にシフトしている。特に「療養のとき」は、デュポンがサナトリウムに入所していた1903~1905年に書かれているので、そのことも演奏や聴き方に大きく影響するだろう。また、デュポンの楽曲を聴いていると、そこには平穏たるものがあって、そういった点で、病を「苦悩の源」や「闘う相手」として描いた芸術作品との間に、大きな違いを感じさせる。
 タッコーニャのピアノは、そんなデュポンの楽曲の正確に相応しいものだ。素朴で、ペダルの効果も抑制的であり、一つ一つの音の間合いを大切にする。まるで、音と音の間隙から、適度に風通しの良い空気は貫けていくようで、心地よく静かだ。
 第1曲の「エピグラフ」から、ゆっくりと歩みを進めるように楽曲は始められる。第2曲の「夕暮れが部屋に忍び込む」では、この曲集全体の印象でもある物憂げな情感が描かれるが、その情感は決して粘着質なものではなく、乾いており、それが表現者の優しさとして伝わるのが良い。第3曲「庭に注ぐ陽光」では、瀟洒な高音が日差しを表現するが、その情感は回顧的な切なさを宿している。第4曲「雨の歌」は、持続する単音連打が、ショパン(Frederic Chopin 1810-1849)の雨だれの前奏曲を想起させずにおれないが、デュポンならではの儚い旋律がそれを彩ってゆく・・。その後も、乾いた感触で、メランコリーな楽想が続くが、ことに最後の2曲第13曲「白夜・幻覚」と第14曲「平穏」は深い感銘を受ける曲だ。「白夜・幻覚」は曲集中、もっとも規模の大きな作品で、当盤でも演奏時間が8分を越えているが、モノローグのような旋律が、音階の中で、大きなエネルギーを湛えて打ち寄せるようになる。「平穏」は曲集の末尾に相応しい情感が美しい余韻を残す。
 タッコーニャの演奏の特徴は前述の通りであるが、デュポンを深く研究していただけに、よく考えられた落ち着いた運びであり、瞬間的な感情の発露や装飾性に頼ることなく、滋味豊かな表現となっており、この曲集が、その成り立ちや性格と照らして、とてもそれらしく響くのが相応しいと感じる。

砂丘にある家 2つのバレエ・アリア アルバムの綴り
p: タッコーニャ

レビュー日:2025.6.11
★★★★★ 過ぎ去りし日を想起させるかのような、デュポンの抒情的なピアノ曲集
 イタリアのピアニスト、ジュゼッペ・タッコーニャ(Giuseppe Taccogna 1991-)によるガブリエル・デュポン(Gabriel Edouard Xavier Dupont 1878-1914)のピアノ独奏曲を集めたアルバムで、収録内容は下記の通り。
砂丘にある家(La maison dans les dunes)
 1) 第1曲 砂丘にて、ある晴れた朝(Dans les dunes, par un claire matin)
 2) 第2曲 水面のヴェール (Voiles sur l' eau)
 3) 第3曲 思い出の家(La maison du souvenir)
 4) 第4曲 風はわが兄弟、雨はわが姉妹(Mon frere le Vent et ma soeur la Pluie)
 5) 第5曲 幸せの憂鬱(Melancolie du bonheur)
 6) 第6曲 太陽が波間で戯れている (Le soleil se joue dans les vagues)
 7) 第7曲 松林での夕暮れ(Le soir dans les pins)
 8) 第8曲 ざわめく海・夜(Le bruissement de la mer, la nuit)
 9) 第9曲 星明かり(Claire d'etoiles)
 10) 第10曲 うねる大波(Houles)
2つのバレエ・アリア(Deux airs de ballet)
 11) パヴァーヌ(Pavane)
 12) アリア(Aria)
アルバムの綴り(Feuillets d'album)
 13) ワルツ(Valse)
 14) フゲッタ(Fughette)
 15) 子守歌(Berceuse)
 16) 舞踏の調べ(Air a danser)
 2024年の録音。
 マスネ (Jules Massenet 1842-1912)に師事したデュポンは、将来を嘱望された作曲家であったが、結核を患い、36才の若さで世を去ることとなる。デュポンは、歌劇のジャンルを中心に作曲活動を行ってきたが、療養のため、パリを離れ、空気の良い場所に建てられたサナトリウムで過ごす経験を経て、2つのピアノ曲集を生み出すことになる。1903~05年に書かれた「療養のとき」と1908-09年に書かれた「砂丘にある家」である。サナトリウム内で書かれた「療養のとき」に対し、「砂丘にある家」は一時的に病状が回復した際に手掛けられている。
 私には、これら2つの曲集に忘れがたい録音がある。それは、ブルガリアのピアニスト、エミール・ナウモフ(Emile Naoumoff 1962-)が2004年に録音し、Saphirレーベルからリリースされた2枚組のアルバムで、繊細な情感を描いた楽曲と、それらを、瑞々しく情感豊かに、時に力強く描き出したナウモフの演奏に夢中になり、ずいぶんと聴いたものだ。いまではそのアルバムも取り扱いがなくなり、今では当時の私が書いたレビューも見えなくなっているけれど。
 それにしても、ナウモフ盤が廃盤となったこともあって、これらの魅力的なピアノ作品に関して、入手可能な音源が乏しいという状況となっていたことは残念だったのだが、最近になって、タッコーニャの弾いたものが入手できるものとして加わった。私は、ナウモフのアルバムに収録された「療養のとき」と「砂丘の丘」の2作品をもって、デュポンの遺したピアノ独奏曲全集に相当すると考えていたのだが、当タッコーニャ盤には、デュポンが10代のころに書いた2つの作品が併せて収録されている。タッコーニャはデュポンを研究しているとのことで、それゆえにこのような作品が世に聴かれる機会を設けてくれたのだろう。ありがたいことだ。
 さて、デュポンのピアノ音楽であるが、フォーレ(Gabriel Faure 1845-1924)、セヴラック(Deodat de Severac 1872-1921)、それにサティ(Erik Satie 1866-1925)といった人たちに近いものがある。主題の素朴さ、瞑想的な間、簡素な響き。そうして紡がれる旋律は、優しくも儚げであり、何かの拍子に何年も前のことを思い出すような記憶の導線に通じている。その得も言われぬ情感が魅力である。私個人的には、「砂丘にある家」と「療養のとき」の2作品は、アルベニス(Isaac Albeniz 1860-1909)の「イベリア」やグラナドス (Enrique Granados 1867-1916)の「ゴイェカス」と同じくらいに評価され、録音の機会に恵まれても良いのではないか、と思っている。
 タッコーニャの響きは「素朴」と表現するのが相応しいだろう。輝かしさや情感の瑞々しさといった点では、ナウモフの演奏の方にインターナショナルな通力を感じるのだが、タッコーニャの演奏は、なんと言うのか、もっと身近な人に聴かせているようなところがある。落ち着いたテンポで、トーンも抑制的だが、そこにこれらの楽曲に相応しい淡い詩情が添えられている。「砂丘にて、ある晴れた朝」におけるゆっくりと話しかけるような冒頭、「思い出の家」の切ない懐古的な響き、「幸せの憂鬱」のサティ的な情緒、「うねる大波」の抑制されながらも大きなものを描き出していく装飾性、どれも楽曲のあり方に相応しいもののように聴こえる。
 末尾に収録されたデュポン10代の作品は、いかにも「学び」の部分が含まれている感じではあるが、特に「アルバムの綴り」にはバッハ(Johann Sebastian Bach 1685-1750)の作法を思い出させるようなフーガや舞曲が盛り込まれたり、そうかと思うと、瞑想的なシーンを描いたりで、面白く、若き日のデュポンが、音楽といかに向き合ったかを伝えてくれているように思う。


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