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ドビュッシー



管弦楽曲 室内楽曲 器楽曲


管弦楽曲

ドビュッシー 交響詩「海」 夜想曲 牧神の午後への前奏曲  ラヴェル スペイン狂詩曲
アシュケナージ指揮 クリーヴランド管弦楽団

レビュー日:2016.12.1
★★★★★ 世界最高のアンサンブルと、美麗な録音による最高のドビュッシー&ラヴェル
 アシュケナージ(Vladimir Ashkenazy 1937-)指揮、クリーヴランド管弦楽団による以下の楽曲を収録したアルバム。
ドビュッシー(Claude Debussy 1862-1918)
1) 牧神の午後への前奏曲
2) 夜想曲(雲、祭、シレーヌ)
3) 交響詩「海」(海の夜明けから真昼まで、波の戯れ、風と海の対話)
ラヴェル(Maurice Ravel 1875-1937)
4) スペイン狂詩曲(夜への前奏曲、マラゲーニャ、ハバネラ、祭り)
 ドビュッシーは1986年、ラヴェルは1991年の録音。1)のフルート独奏はジェフリー・カーナー(Jeffrey Khaner 1958-)、2)のコーラスはクリーヴランド管弦楽団女声合唱団。
 素晴らしい名録音と言って良い。演奏、録音ともに見事なだけでなく、これら4曲を収録した廉価版として、安心してオススメできる1枚である。
 以下は私見であるが、日本の批評界では、特定のジャンルに関して、旧弊的な「お国もの主義」がはびこっているところがある。例えば、このドビュッシーとラヴェルの管弦楽曲であれば、フランスのアーティストの演奏こそ本物である、といった根底の価値観がある。その根拠にまったく理屈がないとは言わないが、時にその思い込みがすぐれたものを見逃がす原因ともなる。そもそも、東洋の果ての日本の批評家が、フランスのエスプリはフランスのアーティストこそ、と掲げること自体、私には妄信的なものに思えてならない。もちろん、それらの中に優れたものがあることは否定しないが、このロシア生まれの芸術家が、アメリカのオーケストラを指揮した名演奏を、きちんと評価できなくなったのだとしたら、悲しいことだ。
 私がこんなことを書いたのは、当録音の素晴らしい内容にもかかわらず、国内盤が廃盤となっているからである。当盤の内容は、定番化し、常に入手可能なものとして扱われるのがふさわしい。
 なんと曇りのない澄み切った音色。夏の日差しが、くっきりと足元に影を落とすような際立った濃淡。そこに吹き渡る風のようなさわやかな管弦の響き。快活なテンポでシャープに引き締められた音色は、抜群の統率感で、圧倒的な機能美を獲得している。それにしても、録音当時のクリーヴランド管弦楽団の精度の高いこと。ドビュッシーではオーケストレーションの微妙なニュアンスと色彩感をことごとく捉え、ラヴェルでは劇的な効果と神秘的な雰囲気を瞬時にして立ち上らせる。世界最高のアンサンブルと言って過言ではないだろう。アシュケナージによる卓越したパッセージの処理の巧さも言わずもがな。
 アシュケナージとクリーヴランド管弦楽団による数々の録音の中でも、ひときわ高い成果を示した録音の一つとして、当盤を挙げたい。

交響詩「海」 夜想曲 牧神の午後への前奏曲
アシュケナージ指揮 クリーヴランド管弦楽団

レビュー日:2020.11.11
★★★★★  30年越しの愛聴盤
 アシュケナージ(Vladimir Ashkenazy 1937-)指揮、クリーヴランド管弦楽団によるドビュッシー(Claude Debussy 1862-1918)の管弦楽曲集。収録曲は以下の通り。
1) 牧神の午後への前奏曲
2) 夜想曲
3) 交響詩「海」
 牧神の午後への前奏曲におけるフルート独奏はジェフリー・ケーナー(Jeffrey Khaner 1958-)。夜想曲における合唱はクリーヴランド女声合唱団。
 1986年の録音。
 個人的に、強く印象に残っている録音。この録音が発売された当時、私が学生だった時代に、音楽好きの知人がやってきて、「最近、アシュケナージが指揮者としていろいろ録音しているだろう?どうかなぁ、と思っていたんだけど、こないだドビュッシーの管弦楽曲集、試しに買って聴いてみたんだけど、これがいいんだよ!最高じゃないか。こんなキレイなドビュッシー、本当に聴いたことがない。アシュケナージ、やるもんだねー」と。
 私は当時からアシュケナージの演奏をよく聴いていたのだけれど、この知人は別に私に気を遣ったわけではない。その知人がそんなことに気兼ねをするタイプではないことを、私自身がよく知っている。ところで、私は、財政的な面で、結局この録音をしばらく聴きそびれていたのだけれど、何年かして聴いてみて、感動した。なるほど、私の知人が、あの時勢い込んでコメントを述べていた理由がわかった。
 クリーヴランド管弦楽団の機能美を活かしながら、ソリッドな音と、やわらかい音をたくみに織り交ぜ、絶妙に透明度の高いパレットを築き上げながら、こまやかなフレーズを存分に活かしたその演奏に魅了された。いらい、私はそのCDをずっと手元においていて、例えば、何かオーディオの一部を新しくしたりした際に、このCDをよくプレーヤーに掛けるのである。
 牧神の午後への前奏曲の冒頭、ゆらめく光のなか、やわらかに降り注ぐフルート、それがどんな風に聴こえるのかは、私の関心事の一つだった。だから、このアルバムは、私にとって、30年来の付き合いになる愛聴盤だ。録音の優秀さだって、最近・最新の録音をも今なお凌駕し続けている。
 これらの3曲はいずれも名曲として指折られるもので、現在に至るまで、数々の演奏が録音、リリースされてきた。ただ、いまなお、アシュケナージ盤が引き出した微細なソノリティを越えたと感じられる録音に、私は巡り会っていない。

交響詩「海」 牧神の午後への前奏曲 バレエ音楽「おもちゃ箱」(アンドレ・カプレ編) 西風が見たもの~前奏曲集第1巻第7曲(マシューズ編)枯葉~前奏曲第2巻第2曲(マシューズ編) 花火~前奏曲第2巻第12曲(マシューズ編)
ラトル指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 fl: パユ

レビュー日:2019.3.7
★★★★☆ 規模の小さい楽曲により適性を感じさせるラトルのドビュッシー解釈
 2002年から2018年までベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者兼芸術監督を務めたサイモン・ラトル(Simon Rattle 1955-)が、その前半に録音したものが廉価のBox-setとなったので、この機会に入手して聴いている。その1枚が当盤に相当。2004年に録音されたドビュッシー(Claude Debussy 1862-1918)の作品集で以下の楽曲が収録されている。
1) 牧神の午後への前奏曲
2) 交響詩「海」
3) バレエ音楽「おもちゃ箱」 ;アンドレ・カプレ(Andre Caplet 1878-1925)編
4) 前奏曲集から ;コリン・マシューズ(Colin Matthews 1946-)編 オーケストラ版
・第1巻 第7曲 「西風が見たもの」
・第2巻 第2曲 「枯葉」
・第2巻 第12曲 「花火」
 1)のフルートはエマニュエル・パユ(Emmanuel Pahud 1970-)、3)のピアノはマイエラ・シュトックハウゼン=リーゲルバウアー(Majella Stockhausen-Riegelbauer 1961-)。
 さて、前述の通り、私は今になって、このころのラトルとベルリン・フィルの録音のいくつかを、初めて聴いているのだけれど、概して「理解できる(ような気がする)が、腑に落ちないところがある」という印象がある。
 例えば、当アルバムで言えば「海」の第1楽章であるが、ラトルは、きわめて機能的な音楽作りを目指し、達成している。こまやかな音型やフレーズをきれいに洗いだした上で、透明な容器のきれいに配置し、その音の骨格から印象派的な、モザイク的な文様を作り上げる。実に鮮やかで、微細な個所までくっきりと表現されたすみやかさがあるのだが、必然的に全体の起伏感が制御されるため、この楽曲の描写的な側面があまりにも淡泊に感じられる。解析的な面白味や、楽器間の巧妙、精密なバランスが興味深いが、音楽としてのハートの部分がいまいち伝わってこないように感じるし、音楽の移り変わりに即して発揮してほしいインスピレーションのようなものが、少なくとも私には掴みにくい。一言で言うと、単調に過ぎる。
 そういった意味では、海より、他の楽曲の方が私には親しみやすい。これは楽曲の「規模」という観点も影響するだろう。時間軸に沿った1日の海の描写であった「海」に比べると、「牧神の午後への前奏曲」はよりスポット的な作品だ。パユの品の良いルバートを効かせたフルートの絶対的な美しさを、管弦楽の透明な色彩のパレットの上にトレースした響きは、単純に美しく、かすかな気だるさを残すところも私には良い。
 「おもちゃ箱」は、私が以前聴いてきたマルティノンやデュトワの録音と比べると、やや即物的な音色にも思えるが、音の階層を明瞭にした上で、伸縮やダイナミクスをコントロールする動きは、刺激があって面白い。新しい感触を味わうことが出来る。
 マシューズ編による前奏曲集の管弦楽編曲作品から3曲は末尾に加えられており、アルバムとしての興味を増してくれる。ちなみに、マシューズは、ドビュッシーの前奏曲全曲について管弦楽編曲を行っている。ドビュッシーの前奏曲集の管弦楽編曲のこころみは多く、他にオランダの作曲家、ハンス・ヘンケマンス(Hans Henkemanns 1913-1995)やベルギーの作曲家、リュック・ブレワイス(Luc Brewaeys 1959-2015)、スロヴァキアの指揮者兼作曲家、ピーター・ブレイナー(Peter Breiner 1957-)にも同様の作品がある。また、曲個別にみていくと、有名なストコフスキーによる(Leopold Stokowski 1882-1977)による「沈める寺院」のほか、ドイツの指揮者、ハンス・ツェンダー(Hans Zender 1936-)は「帆」「アナカプリの丘」「雪の上の足跡」「パックの踊り」「奇人ラヴィーヌ将軍」の5曲を編曲。アメリカの作曲家、ルチエン・カイエ(Lucien Cailliet 1891-1985)による「奇人ラヴィーヌ将軍」、フランスの作曲家アンリ・ムートン(Henri Mouton -1954)による「亜麻色の髪の乙女」、アンドレ・カプレによる「亜麻色の髪の乙女」、フランの作曲家、アンリ・ビュッセル(Henri Busser 1872-1973)による「ヴィーノの門」、オーストラリアの作曲家、パーシー・グレインジャー(Percy Grainger 1882-1961)による「ヒースの茂る荒れ地」など、いろいろだ。
 マシューズの編曲は収録された3曲を聴くかぎりパーカッションの響きを活かした特徴がある。パーカッションの表現に精通したラトルならではのソノリティを楽しめるし、どこかストラヴィンスキーを思わせる響きが現れるところも面白い。

交響詩「海」 クラリネットと管弦楽のためのラプソディ第1番 バレエ音楽「遊戯」 夜想曲
ブーレーズ指揮 クリーヴランド管弦楽団 cl: コーエン

レビュー日:2017.12.18
★★★★★ 精妙精緻にして、暖かい感触をもつブーレーズとクリーヴランド管弦楽団のドビュッシー
 ピエール・ブーレーズ(Pierre Boulez 1925-2016)がクリーヴランド管弦楽団を指揮した一連の録音の一つで、ドビュッシー(Claude Debussy 1862-1918)の以下の楽曲が収録されている。
1) 夜想曲 ~交響的3章(第1曲「雲」 第2曲「祭り」 第3曲「シレーヌ」)
2) クラリネットと管弦楽のためのラプソディ 第1番
3) バレエ「遊戯」
4) 交響詩「海」~3つの交響的素描(第1曲「海の夜明けから正午まで」 第2曲「波の戯れ」 第3曲「風と海との対話」)
 2)のクラリネット独奏はクリーヴランド管弦楽団の主席奏者であるフランクリン・コーエン(Franklin Cohen 1943-)。夜想曲の第3曲における女声合唱はクリーヴランド管弦楽団合唱団。2)は1991年、他は1993年の録音。
 ブーレーズは1960年代にドビュッシーの管弦楽曲集を録音していて、そのうち1966年にニュー・フィルハーモニア管弦楽団と「海」などを録音したアルバムはグラミー賞を受賞した名盤として知られる。デジタル期に再録音された当盤では、当然のことながら録音の精度が圧倒的に良化しているが、それに加え、以前の緻密なクールさから、全体的に繊細な暖かさを感じさせる音色に移行していることが興味深い。より人肌を感じさせるようなドビュッシーになったと言おうか。
 とはいえ、全体にきわめて精密な音響設計が施されていることは、言うまでもないだろう。例えば、海における全体の雰囲気の底で、しっかりとしたリズムを明瞭に示すチェロの動きである。印象派の音楽といっても、ブーレーズは全体を幻想的なヴェールで覆うような手法は用いない。すべての音符を、音響の中で明晰に響かせることをまず心がけ、そのうえで、モザイクのような表面が、なめらかに動いていくのである。その様は、私には波間で反射する光線を見るように感じられる。
 また、ラプソディだけでなく、夜想曲も含めてコーエンのクラリネットは一つの聴きどころとなる。コーエンは、クリーヴランド管弦楽団と所縁の深い指揮者たちに重用されてきた人で、アシュケナージ(Vladimir Ashkenazy 1937-)とはいくつか室内楽を録音したし、ドホナーニ(Christoph von Dohnanyi 1929-)からはモーツァルトのクラリネット協奏曲の独奏者として起用され、いずれも素晴らしい録音となっている。当盤でも、ラプソディにおけるコーエンのソロの美しさは無類で、この楽曲が「牧神の午後への前奏曲」にも劣らない名品であると感じられる。
 鮮明に解きほぐされたテクスチュアをベースに、暖かいサウンドを作り上げた当演奏の成功の基礎に、このオーケストラの高い機能性があることは、当然であろう。録音の優秀さをあいまって、いまなお現代的な感覚を感じさせる鮮やかなドビュッシーとなっている。

前奏曲集 第1巻 第2巻(ブレイナー編によるオーケストラ版)
メルクル指揮 ロイヤル・スコティッシュ・ナショナル管弦楽団

レビュー日:2017.7.5
★★★★☆ 現代を代表する編曲家、ブレイナーの手腕を楽しめる一枚です
 準・メルクル(Jun Markl 1959-)指揮、ロイヤル・スコティッシュ・ナショナル管弦楽団による、ピーター・ブレイナー(Peter Breiner 1957-)がオーケストラ用に編曲したドビュッシー(Claude Debussy 1862-1918)の前奏曲集第1巻及び第2巻の全曲。2011年の録音。
 ドビュッシーの前奏曲集には、古今多くの管弦楽化の試みがある。ちょっと自分なりに整理しつつまとめてみると、全曲を編曲したものとして、イギリスの作曲家、コリン・マシューズ(Colin Matthews 1946-)によるものが比較的知られているほか、オランダの作曲家、ハンス・ヘンケマンス(Hans Henkemanns 1913-1995)やベルギーの作曲家、リュック・ブレワイス(Luc Brewaeys 1959-2015)にも同様の作品がある。
 また、曲個別にみていくと、その数は一気に増える。有名なストコフスキーによる(Leopold Stokowski 1882-1977)による「沈める寺院」、ドイツの指揮者、ハンス・ツェンダー(Hans Zender 1936-)は「帆」「アナカプリの丘」「雪の上の足跡」「パックの踊り」「奇人ラヴィーヌ将軍」の5曲を編曲。アメリカの作曲家、ルチエン・カイエ(Lucien Cailliet 1891-1985)による「奇人ラヴィーヌ将軍」、フランスの作曲家アンリ・ムートン(Henri Mouton 1954-)による「亜麻色の髪の乙女」、同じくフランスの作曲家アンドレ・カプレ(Andre Caplet 1878-1925)による「亜麻色の髪の乙女」、フランスの作曲家、アンリ・ビュッセル(Henri Busser 1872-1973)による「ヴィーノの門」、オーストラリアの作曲家、パーシー・グレインジャー(Percy Grainger 1882-1961)による「ヒースの茂る荒れ地」…。きっと探せばもっとどんどん出てくるのだろう。
 それくらい、ドビュッシーの前奏曲集の描写性と色彩感に溢れた原曲は、オーケストラを彷彿としてやまないものなのである。
 そして、ここで取り上げられたのが、ブレイナー編曲による全曲版だ。指揮者、ブレイナーの名は、編曲の名手として知られている。私が印象に強くあるのは、ヤナーチェク(Leos Janacek 1854-1928)のオペラを「管弦楽組曲」に編曲したシリーズで、ナクソス・レーベルから3種がリリースされているが、どれも原曲の魅力を損なうことなく、見事に組み立てられたものだった。
 このドビュッシーの場合、原曲がピアノ曲であるため、よりオーケストレーションの志向性が明瞭に出ている。ブレイナーは、限られた楽器から、見事な色彩感を演出していて、なかなか楽しい聴きものとなっている。「野を渡る風」「西風の見たもの」などの俊敏なパッセージも、巧妙なパーカッションの使用などで、鮮やかに処理している。全般に動感を維持するため、やや早めのテンポで統一された感があるのも私には聴き易い。また、私が特に感心したのは、「水の精」で、こまやかなゆらぎが、溌剌とした情感で描き出されている。
 他方で、ブレイナーは管弦楽に編成的、音量的な拘束を与えることによって、印象派に近い音の世界にとどめようともしている。大オーケストラを燦然と鳴らすようなことはまったく意図の外だから、「沈める寺院」など、ストコフスキー版の豪壮な編曲に慣れていると、あまりにもさっぱりした感じを持つこともあるだろう。また、それでも限界を感じさせるところがあり、「パックの踊り」などは、跳ね回るようなリズム感がいまひとつ鈍化した感触の所もある。
 以上の様に、面白い反面、人によっては足りない部分、処理しきれていない様に感じられる部分が様々にあるだろう。しかし、全体としては、一つの試みとして十分な成果になっており、ブレイナーの編曲家としての才覚は十分に感じられるし、準メルクルとオーケストラのパフォーマンスも、その期待に応える内容と思う。


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室内楽

ドビュッシー 弦楽四重奏曲 ラヴェル 弦楽四重奏曲  デュティユー 夜はかくの如し
アルカント四重奏団

レビュー日:2011.1.28
★★★★★ ポジティヴで内容豊かなアルカント・クァルテットの演奏
 アルカント・クァルテット(Arcanto Quartet)は2002年に結成された新しい弦楽四重奏団。まず話題になったのは豪華な顔ぶれで、特にチェロのジャン=ギアン・ケラス(Jean-Guihen Queyras)、ヴィオラのタベア・ツィマーマン(Tabea Zimmermann)はソリストとして豊富な経歴の持ち主。そこにヴァイオリンのアンティエ・ヴァイトハース(Antje Weithaas)とダニエル・セペック(Daniel Sepec)が加わった形。私は知らなかったのだけど、この二人のヴァイオリニストも比較的高名なソロプレイヤーだったというから、豪華な顔ぶれだ。ソリストの集団が必ずしも優れたチームとなるとは限らないのは、何も音楽のみではなく、ある程度普遍的なテーゼだと思うけれど、アルカント・クァルテットの評判は上々で、すでにリリースされたバルトークやブラームスも広く高い評価を獲得している。
 それで、この録音は弦楽四重奏曲としては定番の組み合わせと言える「ドビュッシー&ラヴェル」にデュテイユーの作品が組み合わされたもの。収録時間も71分を越えており、良心的内容。2009年の録音。
 聴いてみてのファースト・インプレッションは「とにかく外向的な音色だ」ということ。ドビュッシーにしろ、ラヴェルにしろ、これらの作品は情熱的側面が強く、このジャンルにあっては異質と言えるほど多感で様々な要素が込み合っているのだけれど、彼らの演奏は、作品を「ポジティヴ」に解釈することで、力強い帰結に結び付けている。もちろん、単純に「外向的」と言い切れるものではないけれど、第一の印象はそこに尽きると思う。
 次いでこの演奏を細かく聴いていくと、スピードを変える際のキレが一つの聴き所と思える。
 例えばトビュッシーの楽曲は、かなりフレキシブルな対応を迫られる箇所が多いが、彼らの演奏はその刹那刹那の移り変わりが激しく、コントラストを明瞭につけて来る感じが強い。またその中でウィットなシーンではキレイな曲線系の音を巧みに組み合わせて、非常に鮮やかな音像を導く。そのため華やかだけど、内容豊かな音楽を聴いているという実感を得ることができる。
 ラヴェルでは、さらにソロ奏者としての彼らのキャリアが活きている様で、ヴァラエティーに富む色彩感が見事。
 デュテイユーの作品は初めて聴いたけれど、やや暗い雰囲気の音楽ではあるけれど、演奏によって適度な色合いが与えられていて聴き易い。調和に富む演奏、というのとは少し違う感じがするけれど、このアルカント・クァルテットの演奏は、これはこれで、現代の粋を究めたようなところにあるものなのだろうと感じた。

ドビュッシー ヴァイオリン・ソナタ フルート、ヴィオラとハープのためのソナタ シランクス チェロ・ソナタ ビリティスの歌  ラヴェル ピアノ三重奏曲 ヴァイオリンとチェロのためのソナタ マラルメの3つの詩 マダガスカル島民の歌
ナッシュ・アンサンブル ナレーター: シーリング

レビュー日:2004.3.8
★★★★☆ 珍しい編成曲を含むドビュッシー&ラヴェル室内楽曲集
 ナッシュ・アンサンブルによるドビュッシーとラヴェルの室内楽曲集。ドビュッシーは89年、ラヴェルは90年の録音。収録曲はドビュッシーがヴァイオリン・ソナタ フルート、ヴィオラとハープのためのソナタ シランクス チェロ・ソナタ ビリティスの歌、 ラヴェルがピアノ三重奏曲 7ヴァイオリンとチェロのためのソナタ マラルメの3つの詩 マダガスカル島民の歌である。
 シランクスはフルートのための曲。ビリティスの歌は1894年に詩人ピエール・ルイスによって書かれた同名の詩にインスパイアされた曲。ドビュッシーの曲はもともとは、ソプラノとピアノのための「ビリティスの3つの歌」 (1897) だったが、次いで12篇の詩朗読と室内合奏による舞台音楽 「ビリティスの歌」 (1900)を 作り上げ、その後、室内合奏版をもとにしてピアノ連弾のための 「6つの古代碑銘」 (1914) を完成させた。
 ここに収録されているのは朗読による舞台音楽ヴァージョン。
 一方ラヴェルでも珍しい声楽をともなう室内楽が2曲収録されている。マラルメの3つの詩はソプラノと弦楽四重奏、2本のフルート、2本のクラリネットからなる作品で、「ため息」「むなしい願い」「もろいガラスの器」の3曲からなる。マダガスカル島民の歌はソプラノとフルート、チェロ、ピアノからなる編成で演奏され、「ナアンドーヴ」「おーい!」「休息」の3曲からなる。
 ナッシュ・アンサンブルはさすがに大人の音楽という感じである。 

ドビュッシー チェロ・ソナタ レントより遅く(ロケ編) スケルツォ インテルメッツォ  プーランク チェロ・ソナタ バガデル セレナード(ジャンドロン編) フランス組曲
vc: ケラス p: タロー

レビュー日:2009.1.21
★★★★★ 明朗に奏でるフランスのチェロ音楽
 2006年録音のシューベルトと新ウィーン楽派の作品集に続くジャン=ギアン・ケラス(vc)とアレクサンドル・タロー(p)の顔合わせによる室内楽集。今回はドビュッシーとプーランクの作品集で、録音は2008年。収録曲はドビュッシーのチェロ・ソナタ、レントより遅く(ロケ編)、スケルツォ、インテルメッツォ、プーランクのチェロ・ソナタ、バガデル、セレナード(ジャンドロン編)、フランス組曲。ドビュッシーで始まり、プーランクを経て再びドビュッシーでアルバムを終わるという構成。ドビュッシーのレントより遅くはピアノ曲の編曲。また、プーランクのバガデルはヴァイオリン曲からの編曲で、セレナードは歌曲「歌とピアノ」の編曲。元来からチェロのための作品というのは意外と少なく、このようなアルバムでは編曲ものが多くなる。
 ケラスとタローの相性はたいへん良好なようで、音楽的方向性が近いと感じられ、そのデュオは清廉で健康な透明感に満ちている。ここに収録された曲たちも、非常に明るく演奏されているといのが特徴だ。また明るいだけではなく、特有の自然でありながらウィットを感じる間合いがあるのが良い。そのため軽い陰りのようなものが曲想を深めている。特にこのようなジャンルではその感性が曲を面白く伝える武器になる。収録曲の中でその旋律が圧倒的に親しまれている「レントより遅く」ではチェロの楽器特性を生かした節回しが堪能できる。ドビュッシーのチェロ・ソナタにおいても、もっと暗い色合いがあってもいいとも思うが、明朗な響きで魅力十分。
 プーランクのチェロ・ソナタはフランスの当該ジャンルの中でも重要な作品だと思うが、ここでも両者の感性は存分に活きていて、非常に見通しの明るい音色が繰り広げられる。またフランス組曲の細やかなパッセージの処理も鮮やかで聴き応えのあるところだ。
 末尾のドビュッシーのインテルメッツォは珍しい曲で、なかなか聴けない作品。ドビュッシーの中ではいい曲というわけではないけれど、このようなアルバムを通して知れるのはリスナーにもいい機会となる。


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器楽曲

ピアノ独奏曲全集
p: バヴゼ

レビュー日:2016.2.10
★★★★★ 歴代最高といって良いドビュッシー
 フランスのピアニスト、ジャン=エフラム・バヴゼ(Jean-Efflam Bavouzet 1962-)によるドビュッシー(Claude Achille Debussy 1862-1918)のピアノ作品全集。CD5枚組。内容の詳細は以下の通り。
【CD1】 2006年録音
1) 前奏曲集 第1巻
2) 前奏曲集 第2巻
3) 燃える炭火に照らされた夕べ
【CD2】 2007年録音
1) バラード
2) ロマンティックなワルツ
3) 舞曲(スティリー風タランテラ)
4) 忘れられていた映像
5) 版画
6) ピアノのために
7) 仮面
8) 喜びの島
9) スケッチ帳より
【CD3】 2008年録音
1) 夜想曲
2) ベルガマスク組曲
3) ボヘミア風舞曲
4) 2つのアラベスク
5) 夢
6) マズルカ
7) 組曲「子供の領分」
8) ハイドンを讃えて
9) コンクールの小品
10) レントよりおそく
11) 小さな黒人
12) アルバムの1ページ
13) 英雄の子守歌
14) エレジー
【CD4】 2008年録音
1) 映像 第1集(水の反映、ラモー礼賛、動き)
2) 映像 第2集(葉蔭を漏れる鐘の音、かくて月は廃寺に落ちる、金の魚)
3) 練習曲集 第1巻
4) 練習曲集 第2巻
【CD5】 2009年録音
1) バレエ音楽「カンマ」
2) バレエ音楽「遊戯」
3) バレエ音楽「おもちゃ箱」
 ドビュッシーのピアノ独奏曲を一通り録音するという試みには、優れたものが多くあって、私の場合、ティボーデ(Jean-Yves Thibaudet 1961-)とロジェ(Pascal Roge 1951-)のものが、その中でも特に秀でたものに思われた。しかし、このバヴゼ盤の登場により、状況は変わった。バヴゼのピアノの音色の素晴らしさ。どんなフォルテも響きが柔らかで心地よく、それでいてきちんと芯の通った音色。まさに現代ピアノの粋を極めたような美感が最高と言って良い聴き味をもたらす。加えて、その解釈、表現が洗練を極めていて、きわめて自然な音楽の中で、暖かい息遣いを通わせたスタイルは、これらの音楽の情緒過多にならない均衡美を、きわめて高い次元で制御したものと実感できる。そして、すべての作品に高い完成度でドビュッシーならではの感覚的美感を通わせたこれらの演奏をもって、私は、これまでで最高のドビュッシーとして、このバヴゼ盤を推したい、という気持ちを強くした。
 前奏曲集第1巻第12曲「ミンストレル」では一つ一つの音色の精妙さ、リズム処理と強弱の折り込みの巧みさ、流れはあくまで自然でありながら、決して押しつけがましくなることのない完結した音楽の姿がそこにはある。前奏曲集第1巻第11曲「パックの踊り」、同第2巻第3曲「ヴィーノの門」、第6曲「奇人ラヴィーヌ将軍」など、どことなくエスニックなリズムとドビュッシー特有のエスプリを交えた表現を、これほど合理的で自然に音楽に同化させた演奏は、バヴゼ以前ではなかったと言ってもいいのではないだろうか。
 「喜びの島」では、華麗な演奏技巧で押し通すわけではなく、技巧の冴えを微細な色彩の変化を描き分けることに配分し、モザイク画のような全体像をもたらしている。「ピアノのために」は快活な流暢さが魅力だ。ダイナミクスは、他の演奏と比べて大きくはないが、決して聴き味に不足感を感じさせるものではない。暖かい情感が巡りながら、深く介入し過ぎない律義さに、このピアニストの演奏の本質的なものを感じる。「忘れられた映像」は、バヴゼの演奏で聴くと、ひときわ香りの高い音楽となっていて、この曲集が最近ドビュッシーを弾くピアニストにとって外しがたいものとなってきたことに説得力を持たせる。版画の第2曲「グラナダの夕暮れ」の静謐な付点のリズムに、糸を引くような弾力が湛えられ、周囲の風景の中心を形作る。これこそ、印象派のピアノ曲の醍醐味、と思わせてくれる。
 ボヘミア風舞曲、マズルカといったやや地味な作品たちも、バヴゼの鮮やかな手腕で、曲想が明るくなるし、リズムの処理が鮮明なことで、旋律のフレーズが活力に満ちた動きを持ってくる。一つ一つの音型の完成度の高さ、例えばベルガマスク組曲のメヌエットの終結部の音階の閃光を思わせる輝きや組曲「子供の領分」の第1曲「グラドゥス・アド・パルナッスム博士」の瀟洒で素早い移り変わりにそれが象徴されていると思うが、そういった音楽表現としての完全性を、作為性を感じさせない自然さで次々と描いていくピアノは、最高に心地よい。
 練習曲集では、第10曲「対比的な響きのための練習曲」や第11曲「組み合わされたアルペッジョのための練習曲」に張り巡らされた巧妙な音色の設計をとりたい。バヴゼはとても鮮やかな手法で解きほぐし、快活なスピード感の中で、的確に配列していく。その精妙な作業は、技能を極めた工芸品のような塩梅で、見事な完成度と言うほかない。
 また5枚目に収録されたバレエ音楽のオーケストレーション前のピアノ・スコアでは、バヴゼは、ピアノ・ソロ・スコアという表現上の制約を受け入れながら、ピアノならではの明快な旋律線を巧みに響かせて、これらの楽曲の無調やエスニシティを感じさせる音階の楽しさを伝えてくれる。彼のピアノの音色が美しいことは言わずもがなであるが、それに加えて輪郭に独特の柔らかさがあり、全体的なトーンをマイルドで味わい深いものにしている。この要素がドビュッシーのピアノ作品と決定的に相性が良いと言うことに、私はバヴゼの演奏を聴くまで明確に意識しなかったのだけれど、これらの演奏の説得力の強さ、音楽表現としての洗練度の高さに触れるにつれ、その関係性に覚醒的になった。そして、これこそがドビュッシーの理想に他ならない、とまで思うまでになった。類まれな完成度の美に満ちたバヴゼのドビュッシーが、これらの珍しいレパートリーまで及んでいることも含めて、フアンにとって喜び以外の何物でもない。

ピアノ独奏曲全集
p: チッコリーニ

レビュー日:2020.8.20
★★★★☆ 明るく、ラテン的に響かせたドビュッシー
 チッコリーニ(Aldo Ciccolini 1925-2015)が1991年に録音したドビュッシー(Claude Debussy 1862-1918)のピアノ独奏曲全集。CD5枚に以下の様に収録されている。
【CD1】
版画
 1) 塔
 2) グラナダの夕暮れ
 3) 雨の庭
映像 第1集
 4) 水に映る影
 5) ラモー礼賛
 6) 動き
映像 第2集
 7) 葉ずえを渡る鐘
 8) かくて月は廃寺に落つ
 9) 金色の魚
忘れられた映像
 10) レント
 11) ルーヴルの思い出
 12) 嫌な天気だから「もう森へは行かない」の諸相
13) スラヴ風バラード
14) ロマンティックなワルツ
15) 夢
【CD2】
前奏曲集 第1巻
 1) 第1曲 デルフィの舞姫
 2) 第2曲 帆
 3) 第3曲 野を渡る風
 4) 第4曲 夕べの大気に漂う音と香り
 5) 第5曲 アナカプリの丘
 6) 第6曲 雪の上の足跡
 7) 第7曲 西風の見たもの
 8) 第8曲 亜麻色の髪の乙女
 9) 第9曲 とだえたセレナード
 10) 第10曲 沈める寺
 11) 第11曲 パックの踊り
 12) 第12曲 ミンストレル
おもちゃ箱
 13) プロローグ:前奏曲
 14) 第1場 おもちゃ屋
 15) 第2場 戦場
 16) 第3場 売りに出た羊小屋
 17) 第4場 財産ができてから
 18) エピローグ
【CD3】
前奏曲集 第2巻
 1) 第1曲 霧
 2) 第2曲 枯葉
 3) 第3曲 ヴィーノの門
 4) 第4曲 妖精たちはあでやかな踊り子
 5) 第5曲 ヒース
 6) 第6曲 奇人ラヴィーヌ将軍
 7) 第7曲 月の光が降り注ぐテラス
 8) 第8曲 水の精
 9) 第9曲 ピクウィック殿をたたえて
 10) 第10曲 カノープ
 11) 第11曲 交代する三度
 12) 第12曲 花火
6つの古代の墓碑銘(ピアノ独奏版)
 13) 夏の風の神、パンに祈るために
 14) 無名の墓のために
 15) 夜が幸いであるために
 16) クロタルを持つ舞姫のために
 17) エジプト女のために
 18) 朝の雨に感謝するために
19) レントより遅く
20) 小さな黒人
21) ハイドンへの賛歌
22) マズルカ
23) アルバムのページ
24) 演奏会用小品
25) ボヘミア風の踊り
【CD4】
子供の領分
 1) 第1曲 グラドゥス・アド・パルナッスム博士
 2) 第2曲 象の子守歌
 3) 第3曲 人形へのセレナード
 4) 第4曲 雪は踊っている
 5) 第5曲 小さな羊飼い
 6) 第6曲 ゴリウォーグのケークウォーク
練習曲集 第1巻
 7) 五本の指のための練習曲、チェルニー氏に倣って
 8) 三度のための練習曲
 9) 四度のための練習曲
 10) 六度のための練習曲
 11) オクターヴのための練習曲
 12) 八本の指のための練習曲
練習曲集 第2巻
 13) 半音階のための練習曲
 14) 装飾音のための練習曲
 15) 反復音のための練習曲
 16) 対比的な響きのための練習曲
 17) 組み合わされたアルペッジョのための練習曲
 18) 和音のための練習曲
19) 忘れられていた練習曲
【CD5】
ベルガマスク組曲
 1) 前奏曲
 2) メヌエット
 3) 月の光
 4) パスピエ
ピアノのために
 5) 前奏曲
 6) サラバンド
 7) トッカータ
2つのアラベスク
 8) 第1番 ホ長調
 9) 第2番 ト長調
10) 仮面
11) 喜びの島
12) スケッチブックから
13) スティーリー風タランテラ
14) 夜想曲
15) 英雄の子守唄
16) 悲歌
 このドビュッシー、一言で言うなら「ラテンのドビュッシー」だ。チッコリーニのピアノは輪郭がくっきりしていて、とにかく明るい。どの楽曲も、私が他の演奏から受ける印象と比較すると、一段明度が上がったような印象で、聴いていて、気分が明るくなる。それは、パリではなく、南フランスの、例えばマルセイユとか、ニースとかいった街並みが似合う響きに感じられる。陰鬱な、湿った部分はなく、乾燥したカラッとした味わいに徹している。
 その結果、どの楽曲も、日の良く当たる場所に置かれたように、陰影がはっきりし、強弱の対比の段階も明瞭となる。ある意味解析的な印象でもある。「喜びの島」「半音階のための練習曲」「パックの踊り」といった楽曲で、その演奏効果は高く、音響の階層的な明瞭さが、楽曲のエッジの利きを高めて、ポジティヴな聴き味に溢れた感興を得るに至る。
 チッコリーニのドビュッシー、確かに十分に魅力的な面がある。ただ、その一方で、ドビュッシーの作品が含む要素は、当然のことながら明澄なラテン性ばかりではないわけだ。つまり、そこには微妙なもの、アンニュイなものが、そこはかとなく漂う、得も言われぬ風雅のようなものがある。私見では、チッコリーニのドビュッシーでは、そちら方面の味わいは、かなり薄い。そのため、「霧」や「月の光が降り注ぐテラス」のような楽曲では、特有の色香のようなものが、あまり感じられないし、「雪は踊っている」や「和音のための練習曲」などは、遅いテンポもあいまって、ゴツゴツした感じで、いまいちスマートではない。
 そのようなわけで、私のトータルな感想としては、ラテン的明るさの映える楽曲はとても楽しいけれど、ドビュッシーのピアノ曲であればもう一段深い味わいが欲しい。そういった点で、バヴゼ(Jean-Efflam Bavouzet 1962-)、ロジェ(Pascal Roge 1951-)、ティボーデ(Jean-Yves Thibaudet 1961-)らの名全集と比較すると、芸術性という点で、やや劣ると思う。

前奏曲集 第1巻 第2巻
p: ロジェ

レビュー日:2005.9.2
★★★★★ ロジェのドビュッシー全集第1弾
 パスカル・ロジェがonyxからドビュッシーの前奏曲集(全曲)をリリースした。第1巻・第2巻の全部が1枚のCDに収録されている。録音は2004年。第1巻のみは20年前にDECCAに録音していたので再録音、第2巻は初録音となる。
 このピアニストはもともと非常に素晴らしい感性をもっていて、決してよどむことのない清流のような音楽を奏でる人である。特にラヴェル、フォーレ、プーランク、サンサーンスなど絶品と思う。
 さて、ここでonyxという小さなレーベルに移籍し、いよいよドビュッシーの全集がスタートした。聴いてみると、「これは」と思うほどいい演奏。何がいいのかというと、もちろん音楽の流れも素晴らしいのだが、ところどころにさりげなくこめられた揺らめく影のような情緒、ちょっとだけ気を利かせるような間合いのとり方が本当に洒脱で粋。技巧はもちろん十分だが、メカニカルなものを過度にアピールすることもなく、きわめて自然な語り口。この方法でここまでのレベルの演奏をされると、ちょっと他のピアニストも困ってしまうのではないか。「帆」などはいままでの数々の録音と比べても、断然これが気に入った。

前奏曲集 第1巻 第2巻
p: オズボーン

レビュー日:2011.5.20
★★★★★ 豊かな「詩情」を感じさせる“多感なドビュッシー”
 1971年スコットランド生まれのピアニスト、スティーブン・オズボーン(Steven Osborne)によるドビュッシーの前奏曲全曲。録音は2006年。オズボーンは1991年のクララ・ハスキルコンクールで優勝して以後、ハイペリオンレーベルに注目すべき録音活動を展開していて、このドビュッシーも素晴らしい内容。
 本ディスクの感想を述べる前に、ちょっと思いついたことを書く。私がいままでオズボーンのピアノで特に感銘を受けたディスクとして、2007年録音のブリテンのピアノと管弦楽のための作品全集と、2008年録音のラフマニノフの24の前奏曲がある。それで、このドビュッシーを聴きながら、「そういえばラフマニノフとドビュッシーの両方の前奏曲を全曲録音したピアニストが今までいただろうか?」と考えた。ちょっと考えたけど思いつかない。それほど、タイトルが同じであっても、両曲集は性格を異にしている。
 それで、そのいずれにも極めてクオリティーの高い録音を成し遂げたオズボーンの才能はまさに異能と呼ばれる種類のものではないか、と思う。実際、このピアニストは相当に広いレパートリーを持っているようで、いかにも現代のオールラウンド・プレイヤーというイメージに相応しい。
 当ディスクの感想に戻ろう。まず技術的な精度の高さが見事。フレージングの処理にしても、和音の均質性にしても、人工的ではない自然な起伏が描かれていて、それは卓越した両腕と十指のコントロールによるものに他ならない。そして、それ以上に強い印象を持ったのが、詩情の表出がきわめて巧みだということ。第2巻の第1曲「霧」を聴いてほしい。これほど微細で、不思議な暖かさと肌寒さの入り混じった音色が放たれるという経験は珍しい。そう、これはまさしく「霧」である。この音楽を聴いていると、ちょっとヤナーチェクにも繋がっているような、この先に何があるかわからず、それでも心地よく彷徨(さまよ)う様な不思議な情感がいっぱいになる。これこそ印象派のピアノ曲!と思わず感嘆してしまう。
 「沈める寺院」も良い。なんとも深みのある音楽。ゆらぐような趣が、水の中の光のように、不思議な風景を聴き手に呼び起こす。「ピクウィック殿をたたえて」ではちょっとユーモラスなそぶりを示すが、その感性を感じさせるウィットが鮮やか。「アナカプリの丘」の最後のきらめくような高音の単音も、きちんと潤いがあり、決して鋭角的に鳴りきって終わるだけではない音楽的なニュアンスがある。
 ドビュッシーのピアノ曲は、やはりこのような感性豊かなピアニストに奏でられることで、一層映えるのだと、その感慨をあらためて実感した次第。

前奏曲集 第1巻 第2巻
p: エマール

レビュー日:2012.11.15
★★★★★ 安定性に満ちた快速走行の中で聴く楚々たる歌・・エマールのドビュッシー
 フランスのピアニスト、ピエール=ローラン・エマール(Pierre-Laurent Aimard 1957-)によるドビュッシー(Claude Achille Debussy 1862-1918)の前奏曲全2巻24曲全曲。2012年の録音。当ディスクが録音、発売された2012年は、ドビュッシーの生誕150年である。150という半端な数字がアニヴァーサリー・イヤーに相応しいのかどうか微妙だが、それにしても50年に1度しかないのだから貴重だろう。また、そういう機会は、特定の作曲家に注目したり、その魅力を再発見したりするよい契機ともなりうるだろう。エマールのドビュッシーというと、意外にもこれまで録音が多いわけではなく、思い出してみると、2002年録音のWARNERレーベルの映像第1集・第2集と練習曲集全曲を収録したものくらい。けれども、その録音は、大層精緻な音色で美しく、私の大変好きなドビュッシーのアルバムの一つ。
 その後10年が過ぎ、ドビュッシー生誕150年のアニヴァーサリー・イヤーになって、レーベル移籍後初となる、通算2枚目のドビュッシーが本アルバムということになる。
 さて、そのエマールの前奏曲であるが、これが意外と2002年の録音と印象が異なる。前回はとにかく透徹した響きがベースにあったのであるが、本作ではそれよりも丸みのあるタッチであり、全般により情が通ったというか、温度を感じるような演奏になっている。エマールもこの10年の間で、何かを変化させて来たようだ。それは、エマールが同じグラモフォン・レーベルで2007年に録音したバッハの「フーガの技法」から通ずる一連の印象でもある。
 しかし、一方でその高精度なテクニックは相変わらずで、心憎いほど「余裕」のある弾きぶりでもある。余裕と言っても、決してテンポが遅いわけではなく、むしろ速めなのだが、、高速走行を感じさせない安定性に満ちている。その中で、様々な情感を、汲み取っている。音の作りは、むしろ抑制の作用が強く働きかけている印象で、大仰な表現は用いない。有名な「亜麻色の髪の乙女」など、疎な雰囲気でありながら泰然たるところがあり、その中で、楚々とした可憐な歌が響く。実に心憎いばかりの悦に入った演奏である。
 また、全曲に渡って存在するミステリアスな響きも良く活かされており、例えば第2巻の第7曲「月の光が降り注ぐテラス」の神秘的な色合い、特に冒頭の音階を降りてくる響きが纏う夜の雰囲気の表出など、見事の一語に尽きるだろう。また末尾の「花火」の程よく抑制の効いたバランスの良い美観なども印象に残る。
 ドビュッシーの和声の扱いやその自由さは特有なものとされるが、エマールの演奏には不思議と保守的な調和が感じられる。それは、抑制や安定感がもたらす印象であるが、それだけでない微細なタッチは健在であり、きわめて精度の高いドビュッシーの再現として、現代的かつ先鋭な感性が活きた一枚だと思う。

前奏曲集 第1巻 第2巻 牧神の午後への前奏曲(2台ピアノ版) 夜想曲(2台ピアノ版)
p: リュビモフ ズーエフ

レビュー日:2012.11.7
★★★★★ 2台のヴィンテージ・ピアノを用いた作曲者のアニヴァーサリー・イヤーに相応しいアルバム
 ロシアのピアニスト、アレクセイ・リュビモフ(Alexei Lubimov 1944-)によるドビュッシー(Claude Achille Debussy 1862-1918)のピアノ作品集。曲目は、前奏曲全2巻に加えて、ドビュッシー自身の編曲による2台のピアノ版「牧神の午後への前奏曲」とラヴェル(Joseph-Maurice Ravel 1875-1937)編曲による2台のピアノ版「夜想曲」。2台のピアノ版の2曲では、同じくロシア出身で、リュビモフの弟子であるピアニスト、アレクセイ・ズーエフ(Alexej Zouev 1982-)が加わる。2011年録音の2枚組アルバム。
 リュビモフはロシア・ピアニズムの本流とも言えるネイガウス(Heinrich Gustavovich Neuhaus 1888-1964)を師とし、鬼才と称されるピアニストで、特にこれまで現代音楽と、フォルテ・ピアノを奏して音楽史の分野での活躍が目立っていた。今回は、その先鋭なる感性を活かしたドビュッシーということで、いやが上にも注目が集まる。
 このアルバムで一つポイントとなるのが「楽器」で、リュビモフは前奏曲集第1巻を1925年製のベヒシュタイン(Bechstein)、第2巻を1913年製のスタインウェイ(Steinway)で弾いている。リュビモフ自身の言葉を引用すると、ベヒシュタインは「複雑な箇所を弾いても明確な輪郭線と透明な光を失わない」、スタインウェイは「神々しいまでに柔らかく響くピアニッシモと豊かな共鳴、予期せぬ音色を引き出すのにこの上なく適した」とのこと。おそらく、曲集の性格を踏まえての楽器の選択ということだろう。私個人的には、ヴィンテージ・ピアノ特有の面白さはあっても、それが今後も価値を失わないスタンダードであり続けるかということには、疑問を感じるが、一つの意図として、私たち音楽フアンを楽しませてくれるそのエンターテーメント性を歓迎したい。
 その意匠は全アルバムを通じており、夜想曲ではリュビモフがスタインウェイで第1ピアノ、ズーエフがベヒシュタインで第2ピアノを弾き、牧神の午後への前奏曲では、ズーエフがスタインウェイで第1、リュビモフがベヒシュタインで第2となる。(つまり、同時に2台を弾いた場合、主部を奏でるのはスタインウェイの方が適していると考えたのだろう)。
 聴いてみての感想であるが、音色はフォルテ・ピアノよりは圧倒的に現代のピアノに近く、響きの強弱などの面で、大きな不足を感じさせはしなかった。ただし、ダイナミック・レンジの幅はやや小さいだろう。しかし、リュビモフとズーエフの演奏は、その楽器の特性を周到に吟味しており、むしろマイルドで親しみやすい音響を引き出したと好意的に感じられるものだと思う。ベヒシュタインの「輪郭線を失わない」は逆に言うと音響的制約が大きいとも言えるのであるが、この演奏からは、その効果がぬくもりとして伝わってきており、「親しみやすい」イメージとなって響く。例えば、劇的な「西風の見たもの」のフォルテシモの和音連打など、背景とたちまち融合するような親和性のある響きに聴こえる。それが一種の優しさのように伝わってくる。そうして、実にヒューマンな聴き映えを感じることになる。
 楽曲で今回あらたに面白かったのが、ラヴェル編による「夜想曲」で、その色彩感の豊かなこと(ここでも楽器の効果は得られていよう)、たいへん見事。特に終曲「シレーヌ」はラヴェルの名曲「ダフニスとクロエ」を彷彿とさせるシーンが連続し、印象派の二大巨頭の共作ぶりを存分に堪能した気分。暖かく幸せな気分に浸れるアルバムである。

前奏曲集 第1巻 第2巻 燃える炭火に照らされた夕べ
p: バヴゼ

レビュー日:2016.2.7
★★★★★ 自身の表現方法の中で徹底的に消化されたドビュッシー
 フランスのピアニスト、ジャン=エフラム・バヴゼ(Jean-Efflam Bavouzet 1962-)によるドビュッシー(Claude Achille Debussy 1862-1918)のピアノ作品全集企画の第1弾で、以下の楽曲を収録したアルバム。
1) 前奏曲集 第1巻
2) 前奏曲集 第2巻
3) 燃える炭火に照らされた夕べ
 2006年の録音。
 前奏曲集の第1巻と第2巻は、それぞれ12の小曲からなるドビュッシーの代表作として知られるピアノ作品集である。しばしば、これを1枚のCDに収録したアルバムがあるが、私の知る限り、そこに更に1曲追加したアルバムというのは、このバヴゼ盤だけではないだろうか。
 しかし、追加収録された「燃える炭火に照らされた夕べ」は、前奏曲と一緒のアルバムに収めることで、曲のコンセプトが明瞭になる。すなわち、この2分ちょっとの小品には、前奏曲集のうち、第1巻第4曲「夕べの大気に漂う音と香り」、第2巻第10曲「カノープ」、第2巻第11曲「交代する三度」と共通のモチーフを扱って、これらはいずれもボードレール(Charles Baudelaire 1821-1867)の詩と関係があるからである。
 それで、このアルバムを通して聴くと、最後に2分と少しの弱音を中心とした、全体を振り返る様な瀟洒な末尾が添えられているように感じられる。このアルバムの構成を私はとても気に入った。
 それに加えて、前奏曲全曲のアルバムとしても、当盤はとても素晴らしいものだ。この曲集には古今多くの名演名録音が存在したのであるけれど、このバヴゼ盤がその一角を成すのは当然として、それらを上回る内容という人が多く居ても不思議はない。バヴゼの解釈は何かを強調することで、芸術家としての主張を強くしたものではない。むしろ、その普遍性によって、楽曲に理想的と言いたいほどの音楽的完全性を与えるものだ。
 また、バヴゼのピアノの音色の素晴らしさ。どんなフォルテも響きが柔らかで心地よく、それでいてきちんと芯の通った音色。まさに現代ピアノの粋を極めたような美感が最高と言って良い聴き味をもたらしている。
 ためしに聴く曲を1曲挙げよ、と言われれば、私であれば第1巻第12曲「ミンストレル」をとりたい。一つ一つの音色の精妙さ、リズム処理と強弱の折り込みの巧みさ、流れはあくまで自然でありながら、決して押しつけがましくなることのない完結した音楽の姿がそこにはある。
 他にも、第1巻第11曲「パックの踊り」、第2巻第3曲「ヴィーノの門」、第2巻第6曲「奇人ラヴィーヌ将軍」など、どことなくエスニックなリズムとドビュッシー特有のエスプリを交えた表現を、これほど合理的で自然に音楽に同化させた演奏は、バヴゼ以前ではなかったと言ってもいいのではないだろうか。実際、バヴゼのこれらの曲の演奏を聴いた後では、他の演奏は、どこか構えたところがあるように感じてしまう。
 これほどまでにドビュッシーの音楽を自己表現法として消化しつくしたということが、どのような背景によるものか私には知る由もないが、この演奏に欠点を見いだせる人はそういないはずである。そのように感じさせる演奏・録音だ。

前奏曲集 第1巻 第2巻
p: アシュケナージ

レビュー日:2019.1.4
★★★★★ 超推薦盤です。深い陰影、豊かな味わいを感じさせてくれる稀有なドビュッシー
 なんと、アシュケナージ(Vladimir Ashkenazy 1937-)の弾く、ドビュッシー(Claude Debussy 1862-1918)の前奏曲集を聴くことができた。2019年の幕開けに相応しい、素晴らしいディスク。
 それにしても、私は、アシュケナージが弾くこれらの楽曲を聴いてみたい、とどれほど思っていたことか。なぜなら、私はアシュケナージが弾くドビュッシーの素晴らしさを知っているからだ。アシュケナージは1965年にドビュッシーの「喜びの島」を録音しているし、その2年前にはライヴで「喜びの島」「月の光」「途絶えたセレナード」を弾いていて、これらはディスクで聴くことができた。その素晴らしかったこと。ドビュシーの音楽がもつメロディラインの生命力、フレーズを活かすための呼吸と技巧の冴え。これらが一体となった素晴らしい演奏だった。
 私は、アシュケナージが前奏曲集の第2巻をライヴで弾いたことも知っていた。もし録音されたものがあるのなら、聴きたいと願ったが、私の知る限り、その音源が入手可能な機会はこれまでなかった。
 しかし、このたびPaladinoからリリースされた当盤に、私が20年以上もの間聴きたいと思っていた1971にライヴ録音された前奏曲集第2巻が収録された。それだけではない。そこに2017年にアシュケナージがスタジオ収録した第1巻も併せて、全24曲という形でリリースされることとなったのだ。これほど大きな喜びは、めったにあるものでない。
 その録音をさっそく入手。私は幸福な時間を過ごした。
 それは、ピアニスト・アシュケナージの素晴らしさをまざまざと伝える内容だった。アシュケナージは、これらのドビュッシーの作品から、まったく新しい魅力を私に感じさせてくれた。第1巻の第1曲「デルフィの舞姫」で、早くもアシュケナージは新鮮な世界を提示する。ハーモニーとフレーズの色彩感に満ちた交錯。そこからにじみ出る味わい深く陰影豊かなニュアンス。最近のこの曲における演奏の主流は、ある程度の拘束性を敷いた、一種禁欲的な響きで、精緻にトレースしていくものが大半だろう。その精度や輝きをいかに維持するかに焦点がかかっている。だが、アシュケナージの描き出す音楽が持つ深い情感はどうだ。私は、この演奏を聴いて、この楽曲にまったく新しい何かを見出した。それは美しく、音楽的価値のあるものだ。
 その感動は続く。「雪の上の足跡」の存在感があり、どこか甘やかな情感、「亜麻色の髪の乙女」で単純なフレーズに施された安らぎ、「鎮める寺院」のほの暗い暖かみ。
 確かに、録音時80歳という年齢であるので、よりリズムに鋭さを求めたいと思う人もいるかもしれない。しかし、私はこの演奏にまったく不備不満は感じない。それどころか、これこそ芸術表現と呼ぶにふさわしい複層的な味わいや深みを何度も感じ取ることが出来た。現代の音楽評論家には、技術や楽譜のことには詳しいが、当盤が伝えるような音楽的幽香と形容したいものへの感受性を的確に感じ取れる人は、多くないように思う。それは私が最近の各種評論を読んで感じること。当盤のような演奏こそ、芸術の分野においては注目されるべきである。
 そして、私が待望した1971年のライヴ録音の第2巻。第1巻と続けて聴くと、S/N比が劣化して聴こえてしまうのは仕方ないが、録音状態として大きな問題があるものではなく、録音面でも十分に楽しめる。そして、この時代はアシュケナージがもっとも熱血的な表現を行っていた時代のものでもある。録音時44歳、いわゆる脂ののった時代といったところだろう。
 第1曲の「霧」から胸打たれる。あいまいなものと人の心に忍び寄る者の不可分なバランスの巧妙さが圧巻だ。「ヴィーノの門」「ヒースの荒野」の2曲は、驚異的な完成度といって良く、透明、というだけではない複雑な情感が多彩に働きかける。一転して「奇人ラヴィーヌ将軍」ではライヴならではというか、この時代のアシュケナージらしい熱血性が前面に出る。これほど熱いドビュッシーは現代ではなかなか聴けない。「水の精」も同傾向だろうか。
 圧巻は末尾の「花火」。アシュケナージがショパンコンクールで弾いたショパンのop.25-6の練習曲を彷彿とさるような、完璧でかつ音楽的意図が豊かに溢れている。輝かしいグリッサンドを経て、ズシンと帰結するところは、この録音に相応しい華麗な幕引きだ。
 私の場合、前述のように、どうしても個人的な思い入れが重なってくる録音であるのだけれど、それを差し引いても素晴らしい録音であることは間違いない。最近の演奏の多くが、澄ましたようなドビュッシーばかりであることを考えると、やはり巨匠の録音には、金言と呼ぶべきものが含まれていることを実感する。

前奏曲集 第1巻 ベルガマスク組曲
p: ヴェデルニコフ

レビュー日:2005.4.10
★★★★★ 貴重なヴェデルニコフの入手可能盤の一つ
 鉄のカーテンの向こうで長らくその存在を秘されたピアニスト、ヴェデルニコフ。そのため残された録音も、メロディア原盤の良質とはいいがたいものが多い。しかも廃盤が多く、現在入手できるものは限られているが、どれも素晴らしい演奏である。
 中にあって89年に録音されたドビュッシーの前奏曲は状態が良好で、きわめて貴重。美しい響きを存分に発揮し、すばらしい適性を示す。余裕を持ちながらもドビュッシーのソノリティに細心の注意を払い、豊穣な音色で一曲一曲が描かれて行く。しっとりとした前奏曲の第1巻はポリーニと好一対だ。
 なお併録のベルガマスク組曲も、美しい演奏だがこちらは69年の録音であり、音質的にはかなり聴き劣りする面は否めない。 

前奏曲集 第1巻 2つのアラベスク ベルガマスク組曲
p: 野平一郎

レビュー日:2014.2.28
★★★★★  「解析」と「感覚」の結びつく心地よさを体感させてくれる野平のドビュッシー
 東京芸術大学の教授である野平一郎(1953-)によるドビュッシー(Claude Debussy 1862-1918)のピアノ作品集。2012年録音。野平は、若いころ、フランス政府給費留学生としてパリで音楽全般を勉強し、ドビュッシーについても、そのころから様々な考え方を持つようになったという。
 ドビュッシーという作曲家は、西欧音楽史にあって、一つの転轍の役割を担った大家で、従来の和声と楽曲構成の理論から乖離し、独自の語法で「音楽の作り方」を編み出した人として、現代までその評価は確立している。ドビュッシーが切り開いた新しい作曲の作法は、20世紀の音楽の発展の仕方に多大な影響を与えた。ドビュッシーは「音響」という効果に重点を置き、従来的な理論から、より感覚的な作曲方法に、自らのスタイルをシフトさせた。同時に、旋律に対する鋭敏な感性を持ち合わせていたから、音楽として美しく、固有の品位を持ち合わせたものを作り出した。
 以前、野平はドビュッシーのそのようなスタイルを「自由」という言葉で表現していた。もちろん「自由」といっても多層な意味がある。当然の事ながら「でたらめ」というわけではなく、いくつかの保守的な呪縛を解いたということであり、それは和声的な進行の新鮮さや、響きそのものの斬新さに繋がっている。
 それで、その野平が、いよいよドビュッシーの録音を集中的に開始したようだ。当盤は「プレイズ・ドビュッシー vol.1」と題してあるから、継続して取り組んでいくのであろう。その第1弾となるわけでが、第1弾に相応しい、馴染みの深い作品が集約されたようなアルバムとなっている。
 一聴して、この演奏の美質は「オーソドキシー(正当性)」にあると感じた。野平の演奏は、特に個性的というわけではなく、常に作品との距離を一定に保ちながら、その作品を大切に再現していこうという、周到さに覆われている。私には、野平のアプローチが、ドビュッシーの作品に「忠誠を誓って」いるように聴こえる。
 野平の演奏は、ゆったりめのテンポで、一つ一つの音響をきわめて丁寧に扱っている。ぺダリングも注意深いし、音節の区切りが明瞭化されている。だから、「ここからここまでが一つのフレーズ」というのがとても分かり易く、明暗もはっきりする。一つ一つの音の輪郭もくっきりしている。
 これは、前述のドビュッシーの「自由さ」を明らかにするために、その「自由さ」を明瞭に浮き立たせることを意識して奏でられた演奏だと思う。前奏曲集の「帆(ヴェール)」や「アナカプリの丘」といった作品で、その効果は際立っていて、音響を時間軸に沿って並らべることで「音楽」が生まれてくる、という状況を、聴き手が認識することになる。
 そういった意味で、音楽そのものが感覚的ではあるのだけれど、それを体感するにあたって、聴き手に「意識的」であることを求めた演奏であると思う。そもそもドビュッシーの音楽と言うのは、いくら自由で感覚的であるといっても、高度に「知的」に作られたものであるので、そういった意識的な聴き方が、音楽の面白さをより深く認識するという聴き手の「感覚的な喜び」に強く結びつくのである。この「解析」と「感覚」が結びつく際の心地よさというのが当盤の醍醐味であろう。
 この後、おそらく後期の作品に向かって録音が重ねられていくのだと思うが、どのような感覚を味わわせてくれるものになっていくのか、興味深い。

前奏曲集 第1巻 仮面 スケッチブックから 喜びの島
p: シェプキン

レビュー日:2024.9.11
★★★★★  バッハ弾きとして名高いシェプキンによる2024年時点で唯一のドビュッシー・アルバム
 ロシア系アメリカ人のピアニスト、セルゲイ・シェプキン(Sergey Schepkin 1962-)によるドビュッシー(Claude Debussy 1862-1918)のピアノ独奏曲集。収録曲は下記の通り。
前奏曲集 第1巻(Preludes Book 1)
 1) 第1曲 デルフィの舞姫たち(Danseuses de Delphes)
 2) 第2曲 ヴェール(帆)(Voiles)
 3) 第3曲 野を渡る風(Le vent dans la plaine)
 4) 第4曲 夕べの大気に漂う音と香り(Les sons et les parfums tournent dans l'air du soir)
 5) 第5曲 アナカプリの丘(Les collines d'Anacapri)
 6) 第6曲 雪の上の足跡(Des pas sur la neige)
 7) 第7曲 西風の見たもの(Ce qu'a vu le vent d'ouest)
 8) 第8曲 亜麻色の髪の乙女(La fille aux cheveux de lin)
 9) 第9曲 とだえたセレナード(La serenade interrompue)
 10) 第10曲 沈める寺(La cathedrale engloutie)
 11) 第11曲 パックの踊り(La danse de Puck)
 12) 第12曲 ミンストレル(Minstrels)
映像 第1集(Images Series 1)
 13) 第1曲 水の反映(Reflets dans l'eau)
 14) 第2曲 ラモーを讃えて(Hommage a Rameau)
 15) 第3曲 運動(Mouvement)
16) マスク(Masques)
17) スケッチブックから(D'un cahier d'esquisses)
18) 喜びの島(L'isle joyeuse)
 2001年の録音。
 シェプキンの録音業績と言えば、やはり一連のバッハ(Johann Sebastian Bach 1685-1750)作品をすぐに思いつく。概して装飾性豊かで活力に富んだ彼のバッハはとても魅力的で、私もそれを堪能させていただいた。
 その一方で、バッハ以外の録音というのは多くはなく、文字通り数えるほどしかない。このたびは、そのうちドビュッシーのアルバムを聴く機会があった。もう20年以上も前の録音ではあるけれど。
 さて、聴いてみての私の感想であるが、大きくは以下の2点にまとめられる。
・明るい響きと自然な伸縮性のある進行で、なめらかかつ暖かい演奏
・彼のバッハ演奏から受けた革新的な印象を、このドビュッシーの演奏からはほとんど受けない
 上の2つの感想が捉えている事象は共通していて、そのことをポジティヴな印象をもたらすように書けば前者になるし、そうでなければ後者になる、とも言えるだろう。ただ、この2つの感想は、実際に私が聴いていて、私の心の中に同時に起きた感情を、素直に表現したものでもある。
 もちろん、バッハとドビュッシーでは、作品の背景が違う。バッハ作品は、そもそも現在ピアノが誕生する以前の鍵盤楽器時代の作品であり、かつ作曲者自身による演奏者への指示はほとんど残っていない。その一方で、ドビュッシー作品では、すでにピアノという楽器の性能が向上した時代の作品であり、その性能を踏まえたうえで作曲者自身による演奏上の指示が詳細にスコアに書き込まれている。そういった意味で、その演奏がオーセンティックなものであるかどうかという解釈の度合いも差があるのだ。
 その前提を踏まえたうえで、シェプキンのドビュッシーは、彼の弾くバッハに比べて、保守的に響く。それ自体が良いとか良くないということではなく、私にはそう聴こえる。だから、彼の弾くバッハほどには、聴き手にインパクトをもたらすものではない。その一方で、安心して身を委ねられるような、スムーズな運びに満ちており、先入観なしに聴けば、普通に良演であり、決して、不満が残るような演奏ではない。
 ただ、書いていることが行ったり来たりして申し訳ないが、上記の傾向を強調し過ぎるのも妥当ではないだろう。シェプキンはドビュッシーにおいても、時々、ちょっと個性的なことをやっていることはやっているのだ。例えば、沈める寺のクライマックスに向けて、テンポを速めていくところなど、わかりやすい。ただ、それが新しい、もしくはシェプキンならではの解釈というほどのインパクトを持つまでには至っていない、というところである。
 とはいえ、聴きやすく美しいドビュッシーであり、「西風の見たもの」や「パックの踊り」の卓越したリズム処理は、輝かしい演奏効果を獲得している。また「スケッチブックから」の巧妙なテクスチュアの扱いも、十分に聴き味がある。とはいえ、この録音以後、シェプキンがドビュッシー作品を録音していないのは、結局、ドビュッシーを、自分の録音活動のメインとなるレパートリーとまでは、考えなかったためだろうか。

ドビュッシー 前奏曲集 第1巻  サティ 6つのグノシエンヌ 3つのジムノペティ
p: サイ

レビュー日:2018.0.30
★★★★☆  高い自由度を感じるサイのドビュッシーとサティ
 トルコのピアニスト、ファジル・サイ(Fazil Say 1970-)によるフランス近代を代表するピアノ作品を組み合わせたアルバム。収録曲は以下の通り。
1) ドビュッシー(Claude Debussy 1862-1918) 前奏曲集 第1巻
 (デルフィの舞姫たち、ヴェール、野を渡る風、音と香りは夕暮れの大気に漂う、アナカプリの丘、雪の上の足跡、西風の見たもの、亜麻色の髪の乙女、とだえたセレナード、沈める寺、パックの踊り、ミンストレル)
2) サティ(Erik Satie 1866-1925) 6つのグノシエンヌ
3) サティ 3つのジムノペディ
 2016年の録音。
 ドビュッシー、サティの作品から、それぞれその旋律が良く知られた作品が収録されているので、名曲集的な聴き味を持つ。
 ただ、サイのこれらの作品へのアプローチは、かなり独特なもので、印象派的あるいは即物的と表現するような、これらの作品を表現するための作法はほとんど感じず、むしろ精妙に感情表現を加えた色鮮やかなロマンティックな解釈が示されている。
 全体的に、細やかな音の色彩感を徹底してコントロールした趣がある一方で、リズムやテンポについては、束縛感はゆるく、自由度が高い。くっきりとした陰影より、どこかいつもより水気を含んだ、情緒的な音楽として聴き手に分かりやすく伝わる。感覚的な表現だけれど、各楽曲は、直線的なものではなく、常に曲線的なもので構成され描かれていく。
 例えば、「西風のみたもの」において、ゆったりしたスケール感はそれらの色彩やテンポの幅に応じて得られたものである。瞬発的な効果を踏まえて劇性には唐突さがあるが、聴き味は全般にやわらかで、そこまで鋭さを聴き手に突き付けることはない。
 「沈める寺」と「パックの踊り」でも、その多面的な性向が長短とも強く示唆されたと感じられる。すなわち、「沈める寺」では、やや速いテンポで始められるが、徐々にゆったり感を増してスケールを広げていき、クライマックスでは重低音を打ち鳴らして壮大な音の伽藍を作る。しかし、「パックの踊り」は軽妙ではあるが、テンポの変化が不安定性を誘発し、どうも座りの悪い部分が残る。
 しかし、確かにサイの取る大胆(と私には感じる)な手法は、ある面で魅力的である。多少の不安定さがあったとしても、劇的な情報、響きの軽重を極限までコントロースしたダイナミックな作法は面白く、刺激的である。ただ、私の経験上、このような刺激的な演奏は、その反面、飽きやすいというデメリットを持っている。このドビュッシーにもそういった要素を感じる。
 サティの音楽でも、サイはことのほか雄弁だ。グノシエンヌの第3曲のメロディが、これほどの粘り気をもって弾かれることは多くないだろう。とはいえ、それゆえの情感、色彩感は捨てがたいものも感じられ、思わぬ色づきにはっとさせられる部分も多い。
 サイのドビュッシーとサティ、確信犯の自由さという面白さが随所に感じられる。ただ楽曲の本質との距離感も相応にある。それも織り込み済みの演出であるに違いないので、聴き手もその前提で接するのが良いだろう。

前奏曲集 第2巻 映像 第1集 第2集
p: アムラン

レビュー日:2014.11.20
★★★★★  アムランによって奏でられる明晰な情緒の薫るドビュッシー
 カナダのピアニスト、マルカンドレ・アムラン(Marc-Andre Hamelin 1961-)によるドビュッシー(Claude Debussy 1862-1918)のピアノ独奏曲集。
 アムランは、その卓越した演奏技術によって、他のピアニストに弾かれる機会の少ない「難曲」に多くの素晴らしい録音を残してきたが、近年、その活動域は広がっており、一般的な楽曲に対しても広く取り組むようになってきた。それとともに、私は、このピアニストが、抒情性や歌謡性といった方向でも、新たなスタイルを打ち出しつつあるように感じる。というのは、ここで聴かれるドビュッシーが、とても美しいからだ。収録曲の詳細をまとめよう。
1-3) 映像 第1集(水の反映、ラモー礼讃、運動)
4-6) 映像 第2集(葉の間から洩れる鐘の音、かくて月は廃寺に落つ、金の魚)
7-18) 前奏曲集 第2巻(霧、枯葉、ヴィーノの門、妖精たちはあでやかな踊り子、ヒースの荒野、ラヴィーヌ将軍、月の光が降り注ぐテラス、水の精、ピクウィック殿をたたえて、カノープ、交代する三度、花火)
 「映像」は2012年、「前奏曲集」は2011年の録音。
 強いインパクトがあったのは「前奏曲集」である。元来、私はアムランというピアニストは、「音色」という点で、引き出しが少ない、という印象を抱いていた。しかし、前奏曲集第2巻の最初の何曲か聴くうちに、自分のその「思い込み」を恥じ入る思いがした。なんと巧妙な色彩の仕掛けが施されている事か。
 「霧」における微温にまどろむような独特の気配を漂わせる和音の響き、しかも、その一つ一つの粒立ちは精妙を極めていて、一種工学的とでも形容したい均質さを保ちながら、全体とし、揺らぎうごめく様な不思議さ。深いニュアンスに富んだ表現だ。続く「枯葉」や「ヴィーノの門」でも、例えば単音でちょっと音階の一部をなぞった様な音型一つとっても、鮮やかな発色があり、背景との微妙な調合が行われる。精密な演奏でありながら、深い抽象性が獲得されている。
 終曲である「花火」も是非聴いてほしい。鮮やかな衝撃音を用い、音楽としての蓋然性を崩さず、運動美の究極の姿を描き上げている。ピアニスト、アムランの真価が発揮されたスリリングな瞬間だ。
 「映像」では、アムランの明瞭な音像によって、素描性の高い表現が横溢している。冒頭の「水の反映」が素晴らしい。一つ一つの和音の自然な佇まい、そして、それが連打していく間合いの自然さ。どこにも余分な力の加わらない滑らかさで、しかし細部まで克明にピントがあった明晰さが素晴らしい。また「運動」や「金色の魚」における細やかなパッセージの扱いは俊敏で、実に気持ちがいい。
 アムランというピアニストの、表現者としての実力を如何なく示した見事なドビュッシーだ。

前奏曲集 第2巻 白と黒で
p: ポリーニ D.ポリーニ

レビュー日:2018.3.6
★★★★★  ポリーニ18年ぶりのドビュッシーは、さすがの出来栄え
 マウリツィオ・ポリーニ(Maurizio Pollini 1942-)によるドビュッシー(Claude Debussy 1862-1918)の前奏曲集第2巻がリリースされた。2016年の録音ということだから、1998年に第1巻を録音してから、実に18年ぶりの第2巻ということになる。これだけの時間を置いたこと自体が、すでにこの人らしい。当盤の収録曲を書こう。
前奏曲集 第2巻
1) 第1曲 霧
2) 第2曲 枯葉
3) 第3曲 ヴィーノの門
4) 第4曲 妖精はあでやかな踊り子
5) 第5曲 ヒースの荒野
6) 第6曲 奇人ラヴィーヌ将軍
7) 第7曲 月光のふりそそぐテラス
8) 第8曲 水の精
9) 第9曲 ピクウィック卿をたたえて
10) 第10曲 カノープ
11) 第11曲 交代する3度
12) 第12曲 花火
白と黒で~2台のピアノのための3つの小品
13) 第1曲 我が友A・クーセヴィツキーに
14) 第2曲 1915年3月3日に戦死したジャック・シャルロ中尉に
15) 第3曲 我が友イーゴリ・ストラヴィンスキーに
 「白と黒で」は、なんとポリーニの子であるダニエレ・ポリーニ(Daniele Pollini 1978-)との共演となる。私は、当盤が登場するまで、ポリーニの子がピアニストであることを知らなかったので、少々びっくりした次第。あるいは、ポリーニ・フアンの方には、すでに承知の話だったのか。
 ポリーニというピアニスト、私には年を経るとともに表現力の幅を広め、かつそれに即したレパートリーを開拓しているようにも思える。もちろん、録音機会と演奏機会は時期的にイコールとは限らないけれど、ポリーニは自身の録音に関して、かなり厳しい見識を持っていると聞くし、その厳しい基準で、本当に納得できたものになるまでは、録音をしないのだろう。
 今回の録音を聴くと、そのような感慨を改めて抱く。前奏曲集第2巻という作品は、第1巻に比べて、より独創的で新しいものを目指した曲集であるが、それに即した表現として、とてもこなれたものに聴こえるからだ。
 特徴の一つはルバート奏法をほとんど用いないことにある。これは、以前のポリーニそのままと言えるが、そこに加えて、音色による雰囲気は、様々に変わっている。残響のひびかせかた一つとっても幾通りもあって、これが現在のポリーニの特徴といって良いだろう。その結果、それぞれの曲は、その革新性を踏まえて、明瞭な姿で描き出されている。
 「霧」「枯葉」など、他の演奏と比べると、いかにも率直な進行なのだけれど、その中に微細な響きの変化があり、楽曲がどこか深刻な相貌をもって響く。それは、これらの曲が生まれてきた背景を照らし出してゆくかのようだ。「ヒースの荒野」「月光のふりそそぐテラス」なども、ポリーニの演奏は、まっすぐ届きながらも、湿度や水蒸気によって微妙に屈折を変える月の光のように素朴で自然で、美しい。さすがという他ないようなピアノである。とても味わいが深い。
 ダニエレ・ポリーニとの「白と黒で」では、2者による共演なので、そこまで徹底した雰囲気はないが、基本的には高い集中力で細やかな表現を実践していて、特にやや長い第2曲が、充実した曲として響くのが印象的。
 全体の収録時間が48分と短いのが残念だが、内容は十分に濃いものがあり、ポリーニの芸術に存分に浸れることが出来た。

ドビュッシー 前奏曲集 第1巻から第1番「デルフィの舞姫たち」 第3番「野を渡る風」 第4番「音と香りは夕暮れの大気に漂う」 第6番「雪の上の足跡」 第10番「沈める寺院」 第12番「ミンストレル」 第2巻から第3番「ビーノの門」  アルベニス グラナダ カディス タンゴ アストゥーリアス コルドバ  グラナドス スペイン舞曲 第2番「オリエンタル」 第5番「アンダルーサ」 幽霊のセレナード 嘆き、またはマハと夜うぐいす
p: ボシュニアコーヴィチ

レビュー日:2006.12.10
★★★★★ ソ連からラテンを見晴るかした感性の豊かさに感服
 DENONの「ロシアピアニズム名盤選」シリーズ第3回発売から初登場となるオレグ・ボシュニアコーヴィチ(Oleg Boshnyakovich 1920-2006)のドビュッシー、アルベニス、グラナドス。
 世に「ショパン弾き」という言葉がある。ショパンのレパートリーの中心とし、自他ともにショパン演奏において、一つの方向性を確立したピアニストに与えられる称号だ。いや、確かに「称号」かのしれないが、そのような呼び名はちょっと誤解を招くこともあると留意しておかなくてはならない。例えば、ここで聴ける“ショパン弾き”ボシュニアコーヴィチのフランス音楽、スペイン音楽があまりにもすばらしいから・・・
 実際、ボシュニアコーヴィチは広いレパートリーを持っていたピアニストだ。彼の演奏スタイル・・・旋律線を大事にし、そこを中心にサポートする音たちを裾に配置するような演奏が、思った以上に汎性の高いスタイルだったということだろうか。それにしてもここで聴かれる楽曲たち・・・ことにアルベニスとグラナドスは素晴らしい。彼らの曲はギター曲としても有名だが、ボシュニアコーヴィチの手にかかるとピアニスティックなソノリティに満ちた作品へと変貌する。アストゥーリアスの色彩あふれるリズム感の鮮やかなこと!スペイン舞曲は歌謡性にあふれながら躍動性をも持ち合わせ楽曲の恰幅を雄大に整える。ロシアの大地において、しかも大半の楽曲について録音当時はソ連の統制時代だったことを考え合わせる。このピアニストの研ぎ澄まされた感性がいかに鋭敏だったかを感じさせずにはいられない。楽曲自体の素晴らしさまで再認識させてくれる偉大な名演だ。聴けてヨカッタ。

12の練習曲
p: ロジェ

レビュー日:2010.12.17
★★★★★ ドビュッシーならではのソノリティを抽出するロジェのピアノ
 Onyxレーベルによるパスカル・ロジェのドビュッシー・ピアノソロ作品集の第4弾。少しづつ慎重に録音を進めているが、今回は2009年から10年にかけて録音されたもので、12の練習曲が収録されている。
 ドビュッシーのピアノ作品にはいくつかポピュラリティーを獲得しているものがあるが、「12の練習曲」という作品はそれとは無縁の作品で、いわゆる「印象派風」のタイトルも付いていないこともあり、いまいち聴かれる機会が少ない。ロジェが今までにリリースした3つのアルバムは、名曲の宝庫といった観があったので、ここで「12の練習曲」のみ抽出したアルバムをリリースするのは、いよいよシリーズの真価を問うているようにも思う。それに、実際に聴いてみれば、これらの曲にもドビュッシーならではの美しいソノリティーは満ちているので、ドビュッシーのピアノ曲を順に聴いてきたなら、やはり聴くべき作品だと思う。
 ドビュッシーは作曲においてポーランドの偉人ショパンの練習曲を強く意識したとされている。しかし、ドビュッシーが紡ぎだした音楽に、それほど明瞭な「ショパンの影響」を見出すわけではない。また、いずれも技術的、音階的な練習を目的とする一種の「ルール制約型」の作曲になっている。
 有名なのは舟歌をイメージさせる第8番であり、「装飾音のための」と題される。ロジェのピアノの美質は透明感溢れるクリスタルなタッチであり、情熱よりもクールな描写性に表現をシフトさせる。その相性はこの楽曲においても非常に良好で、こまやかなタッチが水の波紋のように混ざらずに打ち広がっていく様を感じ取ることができる。
 また、第2番「3度のための」はそれほど有名ではないかもしれないが、ロジェの演奏は瑞々しい情感を引き立てていて、透明な風情に満ちた麗しい演奏となっている。そういえば「月の光」も3度の楽曲だし、ドビュッシーが得意とした音色に違いないわけで、ロジェの演奏はその真髄をきわめて自然に引き出しているように思える。  それにしてもロジェのドビュッシーのピアノ曲への適性は高い。シリーズが続くのであれば、次回作にも期待したい。

ドビュッシー 12の練習曲  メシアン(ムラロ編) エローに棲まうムシクイたち~地中海沿岸のコンチェルト
p: ムラロ

レビュー日:2018.12.17
★★★★★ メシアンの第一人者が完成させた未完の構想作
 1986年のチャイコフスキー・コンクールで第4位に入賞したフランスのピアニスト、ロジェ・ムラロ(Roger Muraro 1959-)は、現在では、メシアン(Olivier Messiaen 1908-1992)作品の第一人者と言ってよい存在となっている。1998年から2001年にかけて録音したメシアンのピアノ独奏曲全集は、ドイツ・グラモフォンから発売されたCD32枚からなるメシアンの「コンプリート・エディション」なるアルバムの、冒頭の7枚を飾ることとなった。
 そんなムラロが、ドビュッシー(Claude Debussy 1862-1918)の生誕100年を記念して、興味深いアルバムをリリースした。収録曲は以下の通り。
1) ドビュッシー 12の練習曲
2) メシアン/ムラロ構成 エローに棲まうムシクイたち~地中海沿岸のコンチェルト
 2017年の録音。
 一応ドビュッシーの生誕100年のトリビュート作品ということになっているが、個人的により興味深いメシアンの楽曲で、これはメシアンが「ドビュッシー、自然を愛した人へ・・・」という献辞ととも、彼の妻でピアニストであったイヴォンヌ・ロリオ(Yvonne Loriod 1924-2010)に献呈するために構想していた「ピアノと管弦楽のための作品」だそうである。ただ、この作品は未完に終わっており、これをこのたびムラロがピアノ独奏曲としてスコア化したことになる。当然のことながら、当盤が世界初録音だ。
 この楽曲は全部で3つの部分から構成され、演奏時間は約25分。聴いてみると、メシアンならではの響きの世界が満ちていた。当初から、私はメシアンがピアノを前提として書いたフレーズと、オーケストラを前提として書いたフレーズを聴き分けることは無理だろうと思っていたが、その通りであった。おそらくメシアンの構想は、「鳥達のめざめ」に近い作風を描いていたとは考えられるが、そこで用意されてきた音たちを表現するのに、オーケストラが必要であったかという点については、私には判断しかねる。ただ、ムラロが弾く音と響きを聴く限り、それは、ピアノ独奏曲集である「鳥のカタログ」に付け加えるのがふさわしいものとして、ほぼ完成に至ったと見ることができるだろう。
 ロリオに師事したムラロが、ロリオに献呈されるはずだった作品を完成させたというエピソードは、どこかムラロの芸術家としての使命感のようなものをも感じさせるし、その完成品は、メシアンの語法を正しくなぞったものの様に感じられて興味深かった。
 ドビュッシーの12の練習曲では、ムラロの客観性の確保されたクールなタッチが、らしさを感じさせる。第7曲「半音階のために」や第8曲「装飾音のために」における精妙なコントロールでトレースされた響きの均整美が見事である。

ドビュッシー 12の練習曲  プロコフィエフ 4つの練習曲  バルトーク 3つの練習曲
p: オールソン

レビュー日:2020.9.2
★★★★★ オールソンが描き出す3人の作曲家による練習曲集
 数多くの権威あるコンクールでの優勝歴を持つアメリカのピアニスト、ギャリック・オールソン(Garrick Ohlsson 1948-)による、ほぼ同じ時代に書かれた3人の作曲家による「練習曲」を集めたアルバム。収録内容は以下の通り。
ドビュッシー(Claude Debussy 1862-1918) 練習曲集 第1巻
 1) 第1番 五本の指のための練習曲、チェルニー氏に倣って
 2) 第2番 三度のための練習曲
 3) 第3番 四度のための練習曲
 4) 第4番 六度のための練習曲
 5) 第5番 オクターヴのための練習曲
 6) 第6番 八本の指のための練習曲
ドビュッシー 練習曲集第2巻
 7) 第7番 半音階のための練習曲
 8) 第8番 装飾音のための練習曲
 9) 第9番 反復音のための練習曲
 10) 第10番 対比的な響きのための練習曲
 11) 第11番 組み合わされたアルペッジョのための練習曲
 12) 第12番 和音のための練習曲
プロコフィエフ(Sergei Prokofiev 1891-1953) 4つの練習曲 op.2
 13) 第1番 ニ短調
 14) 第2番 ホ短調
 15) 第3番 ハ短調
 16) 第4番 ハ短調
バルトーク(Bartok Bela 1881-1945) 3つの練習曲 op.18(Sz72, BB81)
 17) 第1番 アレグロ・モルト
 18) 第2番 アンダンテ・ソステヌート
 19) 第3番 ルバート-テンポ・ジュスト(カプリチオーソ)
 2013年の録音。
 技術に優れたオールソンならではのアルバム。ただ技術に優れているというだけでなく、これらの楽曲がその個性に応じて、音楽的に相応しく再現されており、かつ曲集としての流れの良さも感じさせる。
 ドビュッシーの練習曲集については、私は最近、チッコリーニ(Aldo Ciccolini 1925-2015)の録音を聴いたばかりなのであるが、チッコリーニとオールソンではだいぶ印象が異なる。チッコリーニは、陰影がはっきりし、強弱の対比の段階も明瞭なラテン的スタイルで統一していたのであるが、オールソンはより一曲一曲の「肌合い」を感じさせるもので、ときにしっとりとした味わいを出したり、滑らかにルバート効果を活用したりするkとおで、結果として、それぞれの曲がよりふさわしい風情を感じさせるものとなっている。ときに華やぎ、ときに沈鬱になりといった濃淡が豊かで、私にはオールソンの演奏で聴く方が、より大きな喜びを得ることが出来た。
 プロコフィエフとバルトークの練習曲は、録音自体が少なく、そういった点でも貴重。特に私はプロコフィエフの4つの練習曲がお気に入りなのだが、全曲録音として所有しているのは、エル=バシャ(Abdel Rahman El Bacha 1958-)盤とサイトクーロフ(Roustem Saitkoulov 1971-)盤のみだったので、オールソンの優れた録音がそこに1枚加わること自体が嬉しい。オールソンの演奏では、アグレッシヴな第1番や第4番も良演だが、叙情的な第2番が、感情的な膨らみや瑞々しさ、色彩感に溢れていて、より印象的である。
 バルトークの3つの練習曲は、3曲で一つの組曲のような趣を持った作品。響きには、プロコフィエフに似たものも含まれるが、定まった調性を持っておらいない。この第3番について、ロジャー・ニコルス(Roger Nichols 1940-)は「無調な音楽であっても、楽しむことが出来ることを明らかにしている」と書いており、興味深い。確かにこの第3曲は、無調でありながら旋律的な妙味と美観を湛えており、その特徴をオールソンの演奏は良く捉えているだろう。
 これらの楽曲を1枚のアルバムで聴くことが出来るというだけで、私には喜ばしいのであるが、加えてオールソンの演奏は見事であり、その喜びを増幅してくれる。

12の練習曲 ピアノのために レントより遅く 英雄の子守歌 見出された練習曲
p: オズボーン

レビュー日:2024.12.11
★★★★★ 明晰な音像と、卓越した技術で奏でられたドビュッシー
 イギリスのピアニスト、スティーヴン・オズボーン(Steven Osborne 1971-)による4枚目となるドビュッシー(Claude Debussy 1862-1918)のピアノ作品集。
12の練習曲集 12 Etudes
 1) 第1番 五本の指のための練習曲、チェルニー氏に倣って Pour les cinq doigts (For the five fingers)
 2) 第2番 三度のための練習曲 Pour les tierces (For thirds)
 3) 第3番 四度のための練習曲 Pour les quartes (For fourths)
 4) 第4番 六度のための練習曲 Pour les sixtes (For sixths)
 5) 第5番 オクターヴのための練習曲 Pour les octaves (For octaves)
 6) 第6番 八本の指のための練習曲 Pour les huit doigts (For eight fingers)
 7) 第7番 半音階のための練習曲 Pour les degres chromatiques (For chromatic steps)
 8) 第8番 装飾音のための練習曲 Pour les agrements (For ornaments)
 9) 第9番 反復音のための練習曲 Pour les notes repetees (For repeated notes)
 10) 第10番 対比的な響きのための練習曲 Pour les sonorites opposees (For opposing sonorities)
 11) 第11番 組み合わされたアルペッジョのための練習曲 Pour les arpeges composes (For written arpeggios)
 12) 第12番 和音のための練習曲 Pour les accords (For chords)
ピアノのために Pour le piano (excerpts)
 13) 前奏曲 Prelude
 14) サラバンド Sarabande
 15) トッカータ Toccata
16) レントより遅く La plus que lente
17) 英雄の子守歌 Berceuse heroique
18) 見出された練習曲 Etude retrouvee
 「レントより遅く」は2021、他は2022年の録音。
 既出のオズボーンによるドビュッシーのアルバムはどれも素晴らしいと思うが、当盤も同様に素晴らしい。オズボーンのピアノは、明瞭な輪郭で、くっきりとした陰影をもって各曲を弾いている。技術的な卓越とともに、音色の広さやリズムの鮮明さがあり、ドビュッシーに相応しい色彩感と情感がよく表出している。
 一聴すると、12の練習曲は、きわめて誠実で堅実なアプローチに思えるだろう。それは時としてドビュッシーが込めたパロディ的なユーモアをそぎ落とした印象に繋がりかねない。だが、オズボーンの演奏は、そのような面でも不足があると私は感じない。確かにテンポは速く、音価も正確であるが、第1番における大胆なペダルの効果の使用など、はっとさせられるし、第6番の細やかな仕掛け花火がさく裂するような音響の手品は、その手際の良さに圧倒される。第9番が醸し出す情感も、私がこれまで聴いた録音の中で、特に当演奏が秀逸に感じられる部分である。第11番ではアルペッジョの効果が劇的で鮮烈だ。フォルテを躊躇いなく使用するオズボーンのスタイルは、全般に重さを感じるが、私はその質感がとても気に入った。ただ、これらの楽曲にしては、全般に重心が低く、落ち着きすぎると感じるなら、やはり現代を代表するドビュッシーの録音として、バヴゼ(Jean-Efflam Bavouzet 1962-)のものを挙げたいと思う。
 ピアノのためには、冒頭のプレリュードから聴き手の心を奪うだろう。ソノリティ自体の完璧性が見事な上、その前提で処理される情熱的な高揚感が凄い。完全燃焼という言葉が思い当たる。一転してサラバンドでは、余剰とたたえた歌が神秘的な静謐を背景に漂う。奏者の研ぎ澄まされた感性が直接聴き手に伝わってくるような瞬間でもある。そして、トッカータの敏捷なリズムの冴えも見事で、聴き惚れてしまう。
 末尾に収められた3つの小品では、「レントより遅く」が味わい深い。この曲は、一時期「N響アワー」のエンディングとして使用されていたので、私と同世代の方を中心に、それを思い出される方も多いと思う。オズボーンの演奏は、そんな、ちょっと昔のことを思い起こすような情緒が備わっている一方で、くっきりと焦点のあった響きに満ちていて、とてもバランスが良く、心地よい。

ベルガマスク組曲 組曲「子どもの領分」 2つのアラベスク 夢 他
p: バヴゼ

レビュー日:2016.2.8
★★★★★ ドビュッシーのピアノ演奏における究極的完成度を感じさせるバヴゼの録音
 フランスのピアニスト、ジャン=エフラム・バヴゼ(Jean-Efflam Bavouzet 1962-)によるドビュッシー(Claude Achille Debussy 1862-1918)のピアノ作品全集企画の第3弾で、以下の楽曲を収録したアルバム。
1) 夜想曲
2) ベルガマスク組曲
3) ボヘミア風舞曲
4) 2つのアラベスク
5) 夢
6) マズルカ
7) 組曲「子供の領分」
8) ハイドンを讃えて
9) コンクールの小品
10) レントよりおそく
11) 小さな黒人
12) アルバムの1ページ
13) 英雄の子守歌
14) エレジー
 2008年の録音。
 ベルガマスク組曲をはじめとして、ドビュッシーのピアノ独奏曲の中でも旋律が広く知られたナンバーが多く取り上げられていて、とても親しみやすいアルバム。バヴゼのドビュッシーを何か一つ聴いてみたいという人にもオススメの一枚といったところだろう。
 バヴゼのドビュッシーは、現在を代表するこれらの曲の演奏と言って良いだろう。その解釈、表現が洗練を極めているというだけでなく、きわめて自然な音楽の中で、暖かい息遣いを通わせたスタイルは、これらの音楽の情緒過多にならない均衡美を、きわめて高い次元で制御したものでもある。
 バヴゼのとるテンポは時に早い印象をもたらす。例えばアラベスクの2曲目やベルガマスク組曲のパスピエなど、現代のスタンダートと言える解釈より素早い軽やかさが印象的だ。しかし、バヴゼはこれらの作品の情感を圧殺するように弾き飛ばしているわけではない。ロマンティックな要素を剥がしながらも、ドビュッシーならではのソノリティによって作られる色彩と、その瑞々しい変化の様を描き分ける最高の手法を取っているに過ぎない。適度なまろやかさを持ったピアノの音色で、実に心地よくドビュッシーの音楽たちが弾んでいる。
 ボヘミア風舞曲、マズルカといったやや地味な作品たちも、バヴゼの鮮やかな手腕で、曲想が明るくなるし、リズムの処理が鮮明なことで、旋律のフレーズが活力に満ちた動きを持ってくる。一つ一つの音型の完成度の高さ、例えばベルガマスク組曲のメヌエットの終結部の音階の閃光を思わせる輝きや組曲「子供の領分」の第1曲「グラドゥス・アド・パルナッスム博士」の瀟洒で素早い移り変わりにそれが象徴されていると思うが、そういった音楽表現としての完全性を、作為性を感じさせない自然さで次々と描いていくピアノは、最高に心地よい。
 また、「夢」や「レントよりおそく」といった情緒的なナンバーも、楽曲の輪郭を明確に打ち立てたうえで、余裕を感じさせる健やかさに満ちていて、私には現代最高と言って良いドビュッシーのピアノ演奏として聴こえる。
 古今のあまたの名盤の中にあって、完成度という点で頭一つ出た感さえ思わせるバヴゼのドビュッシーとなっている。

ベルガマスク組曲 2つのアラベスク 喜びの島 レントより遅く 雨の庭 映像 第2集 ハイドンを讃えて
p: ルガンスキー

レビュー日:2018.11.6
★★★★★ 鮮明な照度で、各曲を捉えきった感のある、ルガンスキーのドビュッシー
 ハルモニア・ムンディが、ドビュッシー(Claude Debussy 1862-1918)の没後100年の意図を含めて製作したアルバムで、ルガンスキー(Nikolai Lugansky 1972-)によるピアノ独奏曲集。収録曲は以下の通り。
1) 喜びの島
2) 2つのアラベスク
3) ベルガマスク組曲
4) レントより遅く
5) 版画より 「雨の庭」
6) 映像 第2集(葉ずえを渡る鐘の音、かくて月は廃寺に落ちる、金色の魚)
7) ハイドンを讃えて
 2018年の録音。
 ルガンスキーは優れた技巧を持ったコンクール型ピアニストであるが、そのようなピアニストにありがちな高速演奏や、爆演を目指すタイプではない。むしろ技術に走り過ぎて、音楽の本質を見失うようなことが決してないような、厳しい戒めを感じされる、まじめでノーブルな演奏がそのスタイルであろう。その傾向は、近年強まっていると感じられるが、果たしてこのドビュッシーでも、知的な味わいと高貴なリリシズムを感じさせる上質な音楽を響かせている。
 冒頭に収録された「喜びの島」はその典型といって良い。技術に秀でたピアニストたちは、この楽曲を爽快な速さと、開放的な力強さで、その色彩感を表現するのであるが、ルガンスキーは、とても抑えの効いたテンポで、6分弱を掛けて弾く。そして、ドビュッシーが施した様々な装飾的な手法を、詳細まで解きほぐすようにして、明瞭なものとして提示する。十分な時間軸に沿って表現された音は、その音楽的効果と機能を十全に発揮し、重要なパーツを克明に描写していく。私がこの演奏を聴いて思い出したのは、アシュケナージ(Vladimir Ashkenazy 1937-)が60年代に録音した同曲である。アシュケナージが録音したドビュッシー作品の数は少なく(今年中に旧ライヴ音源を含めた前奏曲集がリリースされるというので、期待している)、スタジオ録音されたもので入手可能なのは、投稿日現在でこの「喜びの島」だけなのだが、そこで聴かれるアシュケナージのテンポや、演奏手法は、当ルガンスキーにとても良く似ていると思う。興味のある方は是非一聴されたい。
 当盤に話を戻して、2つのアラベスクにおいても、その全体の印象を支配するのは圧倒的な「落ち着き」である。周到なテンポで、線的な音楽構成要素と、装飾的なものが、明瞭に分離されつつも、互いに強い相補性を保ちながら、全体として瑞々しく奏でられる美観は、聴き手に得難い感動を呼び覚ます。
 ルガンスキーの演奏はクールな一貫性に基づいているが、決して単調な繰り返しに陥ることはない。ベルガマスク組曲では、その明快さがつねに心地よい情緒の演出に繋がっていて、4つの楽曲は、飽きの来ないほのかな甘みを含みながら、気高く屹立しているのである。その様は、印象派の芸術の一つの到達点を感じさせる。
 他の楽曲も同様に、気高さ、瑞々しさを鮮やかな感性でトレースしたもの。そして、録音の優秀さも手伝って、現代ピアノの輝かしい音色の絶対的な美しさも堪能させてくれるアルバムだ。版画が全曲収録でないのが残念だが、各楽曲を圧巻の焦点で描いた鮮度の高さで描き切った、説得力に満ちた録音になっている。

ベルガマスク組曲 ボヘミア風舞曲 マズルカ 2つのアラベスク 夢想 ロマンティックなワルツ スラヴ風バラード スティリー風のタランテラ 夜想曲 忘れられた映像 コンクール用小品 ハイドンを讃えて 小さな黒人 戦傷者の衣服のための小品 エレジー 燃える炭火に照らされた夕べ
p: オズボーン

レビュー日:2022.11.22
★★★★★ オズボーン3枚目となるドビュッシー・アルバム
 イギリスのピアニスト、スティーヴン・オズボーン(Steven Osborne 1971-)による3枚目となるドビュッシー(Claude Debussy 1862-1918)のピアノ独奏曲を集めたアルバム。
 ちなみに、既出の2枚は、2006年録音の前奏曲集と2016年録音の映像、版画、子供の領分などを収録したものの2つとなる。いずれも素晴らしい内容だった。
 当3枚目のアルバムは“Early and late piano pieces(初期、後期ピアノ作品集)”と題した上で、下記の楽曲が収録されている。
1) ボヘミア風舞曲
2) マズルカ
2つのアラベスク
 3) 第1番 ホ長調
 4) 第2番 ト長調
5) 夢
6) ロマンティックなワルツ
7) スラヴ風バラード
ベルガマスク組曲
 8) 前奏曲
 9) メヌエット
 10) 月の光
 11) パスピエ
12) スティリー風のタランテラ
13) 夜想曲
忘れられた映像
 14) レント:憂鬱に、優しく
 15) サラバンド
 16) 耐え難い天気だから「もう森へは行かない」の諸相
17) コンクール用小品
18) ハイドンを讃えて
19) 小さな黒人(ケークウォーク)
20) 戦傷者の衣服のための小品(アルバムのページ)
21) エレジー
22) 燃える炭火に照らされた夕べ
 2021年の録音。
 「初期、後期ピアノ作品集」と題されていて、収録曲は作曲年の順番に並んでいるが、ドビュッシーの作風は、初期から完成されており、私個人の考えでは、作曲年代で、厳密に作品解釈に差が生じるとは考えていない。これらの楽曲の並びでも、どこで、聴いただけで「初期」と「後期」の境目を明瞭に指摘できるものではないだろう。
 とりあえず、これらの収録曲の中でどこかに線引くとすれば、1894年までに書かれた「忘れられた映像」までが「初期」、1904年以降に書かれた「コンクール用小品」以後を「後期」とするのが、妥当ではあるだろう。こうやって分けてみても、例えば1890年に書かれた「スティリー風のタランテラ」は、1910年に書かれた「レントより遅く」(注:当盤には収録されていません)と高い親近性があるなど、「初期」と「後期」に、さほど離れた印象を(少なくとも私は)抱かない。強いて言うなら、後期の作品の方に神秘的なテイストが濃いかもしれないが、それとて、初期の作品がすでに備えているものである。
 さて、演奏は、あいかわらず素晴らしい。オズボーンの、クリアで焦点のあったピアニズムが、楽曲の姿を鮮やかに浮かび上がらせていて、その明るい視界がいかにもドビュッシーに相応しい。また、品よく添えられたルバートが、有名曲であっても、通俗性に陥らず、高貴さを維持する効果を持っており、この点でも見事である。
 全般のイメージとしては、抑制的な均衡性の強さを感じるが、巧妙なバランスを背景としつつ必要に応じて使い分ける強い音や鋭い音が、強靭なほどの説得力を持っていて、この演奏を聴いていて、私は何度も「理想的」という形容句を思いついた。それほど、聴き手に「核心を突いている」と感じさせてくれる録音なのだと思う。
 オズボーンならではの真面目さに、もう少し遊びがあってもいいのでは、と感じる人もいるとは思うが、当演奏の完成度の高さは、比類ないレベルと思う。

版画 2つのアラベスク ベルガマスク組曲 子供の領分 レントより遅く バラード マズルカ 小さな黒人
p: ロジェ

レビュー日:2010.10.26
★★★★★ 買って損はないディスク!
 パスカル・ロジェによるonyxレーベルへのドビュッシー・ピアノソロ作品全集の第2集。当盤には、版画、2つのアラベスク、ベルガマスク組曲、子供の領分、レントより遅く、バラード、マズルカ、小さな黒人が収録されている。2005年録音。
 これは本当に「買って良い」ディスクだと思う。もちろん、そんな価値観は「人それぞれ」に決まっているけれど、これだけのドビュッシーの名曲が1枚のCDに収録されていて、演奏も録音も超一級品となれば、音楽が好きな人ならおそらく買って損をしたとは思わないのではないだろうか。
 ロジェは70年代にデッカへドビュッシーの主要な作品を録音していた。そちらも2010年現在入手可能なようだし、瑞々しいステキな録音である。しかし、この「満を持した」感のあるonyxへの録音は、さらに一層音楽的で豊かなインスピレーションに溢れているように思う。
 筆頭、聴いていただきたいのは、版画の第2曲「グラナダの夕暮れ」である。耽美でロマンティックでダイナミックな、まさに傑作中の傑作と言える名曲だけれど、ロジェのアプローチによって何か魔法にでもかかったかのような美麗な仕上がりになっている。特に印象的なのは、付点のリズムが静かに単音をきざみ、そこにそっと高音が添えられるシーン。タイトルは「夕暮れ」だけど、この箇所はまるで深夜に人知れず星の光が線になって地に注いでいるような、冬の清澄な空気のような、マジカルで凛とした雰囲気を漂わせている。一瞬、すっと部屋の空気の温度が下がり、すべての動きが静止するような不思議さ。実に美しく夢想的だ。
 また、これまた超有名曲だけど、ベルガマスク組曲の第3曲「月の光」。これはまた青白いブルーカラーのムーンライトである。結氷した湖に光を反射するような、透明感の高いソノリティが美しい。
 ちょっと自分の印象に先走った表現を書きすぎたかもしれないけれど、ロジェのドビュッシーは音響の美しさというだけでなく、音楽としての含みの部分も良く表現されていると思う。アラベスクの音階の流れの良さともたらされる感情の自然さ、レントよりおそくの少しスイングするメロディラインの処理の巧みさ。そういったものが全て的確に聴き手に作用してくる心地よさがあると思う。ぜひ多くの人に聴いてもらいたい。

版画 ピアノのために 喜びの島 仮面 バラード 忘れられていた映像 他
p: バヴゼ

レビュー日:2016.2.7
★★★★★ ドビュッシーにより開拓された音世界を巧妙に描写するバヴゼのピアノ
 フランスのピアニスト、ジャン=エフラム・バヴゼ(Jean-Efflam Bavouzet 1962-)によるドビュッシー(Claude Achille Debussy 1862-1918)のピアノ作品全集企画の第2弾で、以下の楽曲を収録したアルバム。
1) バラード
2) ロマンティックなワルツ
3) 舞曲(スティリー風タランテラ)
4) 忘れられていた映像
5) 版画
6) ピアノのために
7) 仮面
8) 喜びの島
9) スケッチ帳より
 2007年の録音。
 洗練と分析を極めたバヴゼならではのドビュッシーである。当アルバムを聴くと、ドビュッシーがいかにドイツ・ロマン派の流れとは異なった音楽の語法を開拓してきたかがよくわかる。収録曲の中では、冒頭の2曲にサロン的な甘味を感じさせるが、以降の楽曲は、精緻な書法、新鮮な音階の組み合わせなどにより、ロマンティックな傾向と一線を画した音楽と言って良く、バヴゼの演奏は、そのことをよく意識付かせている。
 例えば「喜びの島」なども、華麗な演奏技巧で押し通すわけではなく、技巧の冴えを微細な色彩の変化を描き分けることに配分し、モザイク画のような全体像をもたらしている。
 上述のようにバヴゼの演奏には、クールな雰囲気が漂うが、その一方でバヴゼのピアノのは独特の柔らかい暖かみがあって、耳に届く音には安寧の要素が多く含まれる。決して強音で聴き手を驚かすよな方法ではなく、理知的な語りかけによる対話が試みられる。「ピアノのために」は快活な流暢さが魅力だ。ダイナミクスは、他の演奏と比べて大きくはないが、決して聴き味に不足感を感じさせるものではない。暖かい情感が巡りながら、深く介入し過ぎない律義さに、このピアニストの演奏の本質的なものを感じる。
 「忘れられた映像」は、バヴゼの演奏で聴くと、ひときわ香りの高い音楽となっていて、この曲集が最近ドビュッシーを弾くピアニストにとって外しがたいものとなってきたことに説得力を持たせる。
 特に忘れがたいのは版画の第2曲「グラナダの夕暮れ」だろうか。あの静謐な付点のリズムに、糸を引くような弾力が湛えられ、周囲の風景の中心を形作る。これこそ、印象派のピアノ曲の醍醐味、と思わせてくれる。

版画 月の光 レントより遅く 悲歌 前奏曲集 第1巻
p: バレンボイム

レビュー日:2021.10.11
★★★★☆ 色香ただようバレンボイムの濃厚なドビュッシー
 バレンボイム(Daniel Barenboim 1942-)による、ドビュッシー(Claude Debussy 1862-1918)のピアノ独奏曲を集めたアルバム。収録曲は下記の通り。
版画
 1) 塔
 2) グラナダの夕暮れ
 3) 雨の庭
4) ベルガマスク組曲より 第3曲 「月の光」
5) レントより遅く
6) 悲歌
前奏曲集 第1巻
 7) デルフィの舞姫
 8) ヴェール(帆)
 9) 野を渡る風
 10) 夕べの大気に漂う音と香り
 11) アナカプリの丘
 12) 雪の上の足跡
 13) 西風の見たもの
 14) 亜麻色の髪の乙女
 15) とだえたセレナード
 16) 沈める寺
 17) パックの踊り
 18) ミンストレル
 これらの録音は、一つの機会に収録されたものではなく、前奏曲集第1巻は1998年に映像作品として収録された音源をCDに再収録したものであり、他の楽曲は2017年にスタジオ収録されている。両者は19年の隔たりをもって録音されている。
 バレンボイムのドビュッシーは珍しいが、聴いてみると、なかなか特徴的なドビュッシーとなっている。全体的な印象は、「甘美なドビュッシー」と言うに尽きる。その甘やかさは、バレンボイムのペダリング、その時に輪郭をぼかして、暖かくまどろむような、響きに由来する。そうして奏でられるドビュッシーは、こまやかルバート、呼吸を感じさせるフレージングにより、とにかく「人の存在」を強く感じさせるもので、いわゆる表面的な意味での「印象主義」と異なった感触をもたらす。
 「グラナダの夕暮れ」は、夕暮れの描写というより、それに対する胸に焚けるような情感をぶつけるように響くし、「月の光」は、時に詰め、時に空けというフレージングにより、常に変化を伴った、感傷的な味わいが濃厚だ。
 昔の録音である前奏曲集も同様で、ペダルの使用効果によるぼかしや揺れが全体の印象を大きく左右している感がある。バレンボイムのドビュッシーを色濃く特徴づけるものに他ならない。亜麻色の髪の乙女など、その濃厚さが、かつて聴かれないものと感じられるほどである。
 その一方で、ドビュッシーのリズム、特に複数のリズムの組み合わせによる妙は、この演奏では焦点が揺れ動くこともあって、無いものねだりなのは当然だが、明晰ではない。
 ドビュッシーの音楽のユニークの表現型として、面白いが、相応に弱点も目立つところではある。

映像 第1集 第2集 版画より「雨の庭」 前奏曲集 第2巻より 第4番「妖精たちはあでやかな踊り子」 第5番「ヒースの荒地」 第7番「月光ふりそそぐテラス」 第11番「交代する3度」 第12番「花火」
p: ヴェデルニコフ

レビュー日:2006.12.10
★★★★★ 異界をさまようようなドビュッシー
 DENONからリリースされている「ロシアピアニズム名盤選」シリーズから。アナトリー・ヴェデルニコフ(Anatoly Vedernikov 1920-1993)が1962年から1967年にかけて録音したドビュッシーのピアノ曲がまとめられた。  ヴェデルニコフのピアニズムは基本的に質実剛健肌と言えるが、他方で大きな包容力も持ち合わせている。そのことがこのピアニストの、当時ソ連にしては意外といえるほどの広いレパートリーを可能なものとしている。さて、このピアニストが弾くフランスものもまた絶品だ。このアルバムに収録されたものは、録音が古いために残念ながら音像がはっきりしない部分があり、とくに高音部は若干割れ気味であるが、しかし音楽のニュアンスはよく伝わっており、雰囲気は存分に楽しめる。このピアニストのフランスものは基本的にかなりゆったりしたテンポをとる。そして微細な雰囲気、こまやかな色彩を克明に刻んでゆく。そのようにしてふと気がつくと異界をさまよっているような独特のマジカルな演奏効果がある。例えば映像第2集の第2曲「荒れた寺にかかる月」だ。ここでも6分33秒という長さをかけて巧妙な音色じかけを堪能させる様はまさにヴェデルニコフのドビュッシーの醍醐味といえる。また前奏曲「花火」ではメカニカルな冴えによって支えられたダイナミズムが見事で、聴き入ってしまう。


映像 第1集 第2集 練習曲全曲
p: エマール

レビュー日:2007.7.21
★★★★★ 無数の同径の色とりどりのビーズが配置されるように
 エマールと印象派のピアノ作品の相性の良さを裏付ける録音である。最近では彼のアイヴズやラヴェル、カーターといった作品の録音により、その技術と細やかで鋭角的な音色が、それらの楽曲をことごとく引き立てる効果があることが分かってきたけど、この2002年録音のドビュッシーも素晴らしいもの。
 テンポはどちらかというとやや早めをとることが多い。そして曲の「味」の部分を、テンポの変動より音色の細やかな差によって描きわけていく。スコアに忠実であるが、その中で、繊細な指の先の先まで神経を張り詰めたようなコントロールによって、精密な模写のような作業が行われる。とこう書くと、なんだか味気ない演奏のように思える。確かに薄味かもしれない。しかしきわめて大きな魅力を秘めた録音になっている。なぜなら、そうして描かれるドビュッシーの楽曲がたいへん美しく響くからである。
 各個所ごとのソノリティは無数の同径の色とりどりのビーズが配置されるようにしてつむがれるのだが、その移り変わりの鮮やかさには本当に驚かされる。特に「映像」の6曲が素晴らしい。第1曲の「水の反映」はまさにこのスタイルに「うってつけ」の曲で、CG映像で細かく再現されたライトアップされた噴水のような印象。ぜひ他の曲も録音してほしい。

映像 第1集 第2集 喜びの島 スケッチ帳より ピアノのために 英雄の子守唄 アルバムの1ページ 舞曲(スティリー風のタランテラ) ハイドンを讃えて 夢
p: ロジェ

レビュー日:2010.11.1
★★★★★ ドビュッシーのピアノ曲の美しさを堪能できるアルバム
 パスカル・ロジェによるonyxレーベルへのドビュッシー・ピアノソロ作品全集の第3集。当盤には、映像第1集、同第2集、喜びの島、スケッチ帳より、ピアノのために、英雄の子守唄、アルバムの1ページ、舞曲(スティリー風のタランテラ)、ハイドンを讃えて、夢が収録されている。2007年録音。
 前2集に続いて素晴らしい内容。これは以前も書いたけど、70年代のデッカへのレコーディングに比べて、やはり録音面で優れているというのが大きなメリット。ピアニスティックな魅力が共通なだけに、この利点は大きい。また、演奏も、最近のロジェならではの一呼吸が加わることで魅力が増しており、曲目としても全集として網羅されていることとあいまって、様々な点からリスナーには嬉しいディスクとなっている。
 今回は第3集だが、またもや魅力に溢れる曲が揃った。映像第1集の第1曲「水の反映」は最近の録音ではエマール盤とともに美しい録音。一つ一つの和音がしっくりと響いていて、少しずつ取られる間合いがいかにも風雅で写実性を感じさせる。また第2集の「葉の間から洩れる鐘の音」「かくて月は廃寺に落つ」はドビュッシーの東洋幻想のイメージの世界と思われるが、ロジェのピアノは俳諧のような不思議に落ち着くフレージングで曲を響かせている。「運動」や「金色の魚」でも、テンポはゆったりしていて、思いのほか抑えられた表現にも思えるが、全曲通して聴くと、その構成にあって流れの良さが伝わると感じる。
 「喜びの島」も少しセーヴした進行で、曲の凹凸を強く意識させるものではない。地味にも聴こえるが、こまやかで技巧的な変化を内包していて、生命力がある。
 「ピアノのために」になると少しダイナミックレンジを広くとり、流動感、躍動感が強く感じられるようになる。絶対的とも言える美音を活用しながら、特有の熱を描いている。内省的な演奏であるが、決して外向けの効果にも不足があるわけではない。
 末尾に収録されている「夢」も美しい。ただようようで、かつピアニスティックの粋を究めた響きは、このアルバムの最後を飾るに相応しい。

映像 第1集 第2集 練習曲集 第1巻 第2巻
p: バヴゼ

レビュー日:2016.2.9
★★★★★ これまでで最高のドビュッシーと言ってなんらそん色ない録音です。
 フランスのピアニスト、ジャン=エフラム・バヴゼ(Jean-Efflam Bavouzet 1962-)によるドビュッシー(Claude Achille Debussy 1862-1918)のピアノ作品全集企画の第4弾で、以下の楽曲を収録したアルバム。
1) 映像 第1集(水の反映、ラモー礼賛、動き)
2) 映像 第2集(葉蔭を漏れる鐘の音、かくて月は廃寺に落ちる、金の魚)
3) 練習曲集 第1巻
4) 練習曲集 第2巻
 2008年の録音。バヴゼのドビュッシーを一通り聴いてみているが、どれも素晴らしい。この4枚目のアルバムを聴くころには、私はすっかり古今を代表するドビュッシー録音として、いや、むしろ古今最高のものとして、バヴゼの一連のものを定義する気分になっている。そして、それはこの4枚目のアルバムを聴いても微塵も揺るがない。むしろ、やっぱり素晴らしい、と感じ入るばかりである。
 この4枚目のアルバムでいうと、練習曲にその素晴らしさは象徴されている。この練習曲集はドビュッシーが書いた最後のピアノ独奏曲である。最後の、といってもドビュッシーのピアノ作品は初期から優れたものばかりで、特に後年において枯淡とか特有の境地にいたったような印象を私は持っていないのだけれど、しかし、この曲集が淡さと精妙さにおいて、特に際立った美しさを持っていることは代えがたい事実だ。
 特に後半の第10曲「対比的な響きのための練習曲」や第11曲「組み合わされたアルペッジョのための練習曲」に張り巡らされた巧妙な音色の設計を、バヴゼはとても鮮やかな手法で解きほぐし、快活なスピード感の中で、的確に配列していく。その精妙な作業は、技能を極めた工芸品のような塩梅で、見事な完成度と言うほかない。他にも、これらの楽曲には様々な録音があるのだけれど、バヴゼのように豊かな味わいをたもちながら、クールな精緻さに縁どられた完全性は、他にちょっと経験したことがないような聴後感を味わわせてくれる。
 第3曲「四度のための練習曲」や第4曲「六度のための練習曲」では、ドビュッシーの音楽が描き出す光の印象が、これまたバヴゼの見事な手腕で展開している。
 ドビュッシーの代表作としてより知られた「映像」も、完成された自然で暖かい響きに満ちている。決して強音でインパクトを支えるわけではないが、必要な芯には十分な求心力があって、それゆえに描かれるものの像がくっきりとした仕上がりを感じさせる。「葉蔭を漏れる鐘の音」における音による光の表現、その移ろいの美しさにはっとさせられるし、「かくて月は廃寺に落ちる」では行間に潜む余韻を聴き手の心に忍ばせてくれる。卓越した技術、吟味された音色、不自然さのないテンポ、そういったものが最高度に組み合わさって奏でられるドビュッシーである。

映像 第1集 第2集 版画 子供の領分 喜びの島 マスク スケッチ帳より
p: オズボーン

レビュー日:2017.9.28
★★★★★ 陰影豊か。深い味わいが薫るオズボーンのドビュッシー。
 スティーヴン・オズボーン(Steven Osborne 1971-)による前奏曲集(2006年録音)以来10年ぶりとなるドビュッシー(Claude Debussy 1862-1918)のピアノ独奏曲集。収録曲は以下の通り。
1) 仮面
2) スケッチ帳より
3) 喜びの島
4) 映像 第1集(水に映える影 ラモー礼讃 動き)
5) 映像 第2集(葉ずえを渡る鐘 そして月は廃寺に落ちる 金色の魚)
6) 版画(塔 グナラダの夕暮れ 雨の庭)
7) 子供の領分(グラドゥス・アド・パルナッスム博士 象の子守歌 人形へのセレナード 雪は踊っている 小さな羊飼い ゴリウォーグのケークウォーク)
 2016年の録音。
 本当に素晴らしいドビュッシー。私は、感情的には、バヴゼ(Jean-Efflam Bavouzet 1962-)を歴代最高のドビュッシー奏者と考えているが、オズボーンがあるいは一通りのドビュッシー作品を録音したら、その気持ちはぐらつくだろう。
 オズボーンは、バヴゼに比べると、より彫像的で、屹立とした音を用いる。それは、あるいは本来ドビュッシーの音楽のイメージと異なるものかもしれない。しかし、その音の俊敏な変化、その変化の瞬間にみせる微細な色合いは、聴き手を夢中にさせるに違いない。それだけではない。ドビュッシーの音楽のうち、弱音の世界で奏でられるこまやかなニュアンスに関しても、オズボーンは抜群の順応性を示す。
 例えば、「象の子守唄」や「人形へのセレナード」を聴いてほしい。五音音階をもちいながら、どこか即興的な雰囲気のあるこれらの小曲から、オズボーンは実に巧妙な色を施し、豊かなニュアンスの深みにより、絶品と言って良い味わいを示して見せる。それは、ドビュッシーにしては味わいが濃いものなのかもしれないが、私はまったく不自然さを感じない。それどころか、これらの楽曲にこのように深い感情的な「ひだ」が刻まれていたことに気づき、感動したのである。
 それ以外にも、聴きどころは無数にある。「喜びの島」のクライマックスにおける和音の爆発と収縮の凄さ、気風の良さ。「ラモー礼讃」における力強く刻まれる弾力に満ちた響き、「動き」そして「金色の魚」では微細なタッチが繰り出す音色のマジック。どれもが生気に溢れた表現で、音楽的な魅力が充溢している。
 10年かけて2枚目のドビュッシーとなったが、是非、早くに3枚目のリリースを期待したい。

映像 第1集 第2集 ベルガマスク組曲 子供の領分 喜びの島
p: チョ・ソンジン

レビュー日:2017.11.29
★★★★★ 細やかな色彩を操ったマジカルなドビュッシー
 2015年のショパン国際ピアノコンクールで優勝を果たしドイツ・グラモフォン・レーベルと契約を果たした韓国のピアニスト、チョ・ソンジン(seong-Jin Cho 1994-)によるドビュッシー(Claude Debussy 1862-1918)のピアノ作品集。2017年の録音で、収録曲は以下の通り。
1) 映像 第1集(水の反映 ラモーを讃えて 運動)
2) 映像 第2集(葉ずえを渡る鐘の音 かくて月は廃寺に落つ 金色の魚)
3) ベルガマスク組曲(前奏曲 メヌエット 月の光 パスピエ)
4) 子供の領分(グラドゥス・アド・パルナッスム博士 象の子守歌 人形へのセレナード 雪は踊っている 小さな羊飼い ゴリウォーグのケークウォーク)
5) 喜びの島
 チョ・ソンジンが2016年に録音したショパン(Frederic Chopin 1810-1849)の協奏曲とバラードを集めたアルバムが実に素晴らしい内容で、私はたいへん感服した。このたびはドビュッシーとなった。こちらもとても美しい内容となっている。個人的は、楽曲の性向の問題もあって、ショパンの方がより素晴らしいというところは感じるのであるが、それでも、このアルバム単体が、優れたものであることを否定する理由にはならないだろう。
 チョ・ソンジンは、ここでもデリカシーの行き届いた弱音を細やかに変化させ、微細な彩りを与えていく。例えば、有名な「月の光」。ちょっと個性的なフレージングと間合いを用いながら、そのフレージングを巧妙に還元させるタッチが有効で、とても楽曲が色づくのである。それに続く「パスピエ」も、とても豊かさを感じる音楽で、細やかな変化が楽しい。もちろん、これらの楽曲は、「もっと淡々と弾いてもらった方が好き」という人もいるだろうし、私もそういう演奏も悪くないと思うのだけれど、チョ・ソンジンのピアノの響きは、そのような気持ちと別のところに聴き手を連れて行く魅力を十分に持っているのである。
 音色の細やかさに関しては、聴けばわかる、と言われればそうなのだけれど、例えば「雪は踊っている」の末尾に聴こえる乾いたトリルのソノリティなど、「音だけ」で十分に魅惑的なものになっているのではないだろうか。
 また、全体として、抑制の美学が働いていることが感じられる。これも、無理に抑えつけようとしているわけでなく、突き詰められた、計算された表現法としての抑制であって、とても自然で作為的なものを感じさせないのである。色彩豊かでありながら、抑制的な美観が支配する。それは、ある意味ドビュッシーのピアノ曲において、突き詰めた演奏様式のようにも感じられる。
 また、フレーズと間の扱いの巧さには、天才的と表現したいインスピレーションがある。冒頭の「水の反映」の、決して方格構造に陥らない、しかし不自然さのない波紋のような音と音の関係性は、描写的な音楽の魅力を存分に味わわせてくれるだろう。
 最初に、「ショパンがより良い」と書いたけれど、あらためて感想を考えていると、このドビュッシーも、本当に見事な芸術品として仕上げられたものだと感じられた。録音時まだ23歳。今後の活躍がとにかく楽しみだ。

ドビュッシー 忘れられた映像  フォーレ 夜想曲 第7番 第13番  プーランク パストゥルレ フランス組曲 村人たち  ナウモフ 袋小路
p: ナウモフ

レビュー日:2010.12.17
★★★★☆ ナウモフらしいけれど、収録曲は「渋い」かな
 1962年生まれのフランスのピアニスト、エミール・ナウモフ(Emile Naoumoff)の一風変わったアルバム。録音は1985年。ぱっと見、いかにも渋い選曲で、聴いてみると実際に渋いのだけれど、なかなか瀟洒な魅力に満ちている。
 ドビュッシーの「忘れられた映像」は1977年になってはじめて出版された遺作で、3つの曲から構成されているのは、映像第1集や第2集と同様。やはり出版されなかったものだけに、他の2集と比べるとインスピレーション自体の魅力に劣る観は否めないが、ドビュッシー的な音色はそこそこ楽しめる。どことなく不思議なとりとめのない音楽で、彷徨うような情感がある。
 フォーレはナウモフ自身による再録音もあるが、幻想的な音楽で、かつ不思議とざわついた様相を持っているもので、ナウモフの知的なアプローチが大切だ。
 単純に聴いて楽しいのはプーランクの作品集で、「パストゥルレ」は2分ちょっとの小曲、「フランス組曲」「村人たち」はもっと規模の小さい曲たちから構成された組曲であるが、ちょっとはしゃいだり、おどけたりといったプーランクならではの瀟洒な愉悦がちりばめられていて楽しい。トラック15の小品など、何かいろんなケースで効果音的に使えるのでは?と思ってしまう。
 末尾にナウモフ自身の作品が収録されている。これは強奏に近い分散和音が連発される曲で、調性があるようで無調のような独特の雰囲気がある。まあ、もちろんナウモフ以外のピアニストが積極的に取り上げるには至らないかもしれないが、ナウモフという音楽家の語り口のようなものが伝わってきて面白い。なかなか存在感のあるピアニストだけに、選曲を含めてその企画性をいろいろ推し量ってみたくなるアルバムになっている。

ドビュッシー ピアノの為に 版画 喜びの島  シマノフスキ 前奏曲とフーガ嬰ハ短調 ピアノ・ソナタ 第1番
p: ブレハッチ

レビュー日:2012.4.25
★★★★★ ブレハッチ、久々の録音で、新ジャンルへのアプローチを堪能
 2005年のショパン・コンクールで優勝し、一躍世界的名声を得たポーランドのピアニスト、ラファウ・ブレハッチ(Rafal Blechacz 1985-)による2011年録音のアルバム。収録曲はドビュッシー(Claude Debussy 1862-1918)の「ピアノのために」「版画」「喜びの島」とシマノフスキ(Karol Szymanowski 1882-1937)の「前奏曲とフーガ 嬰ハ短調」「ピアノ・ソナタ第1番」。
 いずれもこのピアニストの新しいレパートリーであり、新鮮だ。シマノフスキはショパン以後では最重要と考えられるポーランドの作曲家であるが、聴かれる機会が多いとはいいがたい。それでも、最近では、ラトル(Simon Rattle 1955-)、ブーレーズ)(Pierre Boulez 1925-)、アンデルシェフスキ(Piotr Anderszewski 1969-)、アムラン(Marc-Andre Hamelin 1961-)といったアーティストがこの作曲家を取り上げるようになり、私たちも比較的容易に、彼の作品に接することができるようになってきた。今回ブレハッチが取り上げた2曲は、シマノフスキが1905年までに作曲したもので、初期の作品ということになる。
 私はこのピアニストの録音を数点聴いてきたけれども、今まで、若くして、どこか熟成した感じの、行間で語るような、独特の作品との距離感の保ち方が面白いと感じてきた。それで、例えば彼の弾くショパンから伝わる落ち着いた詩情が、どことなく大家のピアニズムのようにも思えた。
 そういった意味で、今回のアルバムの方が、むしろ「若々しい」と形容したくなる膂力を感じる内容になっているのは、ちょっとした驚きだった。久しぶりの録音なので、自分なりに新しいアプローチのあり方を求めた結果かもしれないし、あるいは収録曲自体の性格が色濃く反映したためかもしれないけれど、興味深いことだ。冒頭に収録されている「ピアノのために」の第1曲など、ノンレガート気味の疾走感で、細やかに打鍵を紡ぐ様は、機械的とも言える印象で、きわめてシャープな切り口で駆り立てるようなヴィヴィッドさに満ちている。
 全般にそのようにメカニカルで華やかな雰囲気が通じているのだけれど、しかし、このピアニストの特徴はそれだけではなくて、やはり情緒が必要な場所で、きちんと情緒を引き出すバランス感覚が秀でているのだ。それで、「版画」や「喜びの島」などもほぼ同じだけれど、卓越した技巧で、細分化したような精緻な音の文様をベースとしながらも、決して情感を圧殺することのない健やかな音楽性が保たれていて、音楽に生気が満ち、魅力的に鳴るのである。
 シマノフスキの作品は、初期のもので、ロマン派的な情念を訴えながらも、中後期に通ずる神秘的な余韻を楽しむことができる。音楽としてはショパンやスクリャービンの若き頃の作風に通じるものがあるが、ブレハッチの歌い上げが情熱的で、ロマンティックに響く。珍しい楽曲に触れるとともに、ブレハッチの変化も感じ取れるアルバムで、今後はより積極的なレコーディングを望みたい。

バレエ音楽のピアノ編曲集
p: バヴゼ

レビュー日:2016.2.10
★★★★★ バヴゼによる素晴らしいドビュッシー全集の完結編です。
 フランスのピアニスト、ジャン=エフラム・バヴゼ(Jean-Efflam Bavouzet 1962-)によるドビュッシー(Claude Achille Debussy 1862-1918)のピアノ作品全集企画の第5弾で、以下の楽曲を収録したアルバム。
1) バレエ音楽「カンマ」
2) バレエ音楽「遊戯」
3) バレエ音楽「おもちゃ箱」
 2009年の録音。
 全5枚からなるバヴゼのドビュッシー・ピアノソロ作品全集の完結編であるが、全集であっても、これらの作品が録音されることはほとんどない。
 いずれも、ドビュッシーが管弦楽作品として完成させるものの「ピアノ稿」にあたるもので、ドビュッシーがピアノ・スコアを彼の音楽作品の「完成版」として見立てていなかったことがその理由である。これらの楽曲は、現在ではオーケストラ作品としてときおり演奏されるが、ドビュッシーの代表作として捉えられることはない。また、「カンマ」は、ドビュッシー自身によるオーケストラ譜が完成されなかったため、ケクラン(Charles Koechlin 1867-1950)によるスコアが用いられている。
 しかし、これらの作品において、ドビュッシーがいったんはピアノによる小曲集の体裁でスケッチをまとめたことは確かで、そういった意味では、間違いなくドビュッシーが書いたピアノ・ソロ・スコアである。バヴゼのようにこの作曲家の作品に深く精通したピアニストであれば、手掛けたいと考えるのも自然のことと思える。
 また、ドビュッシーの代表作とは言えないと前述したが、これらの作品には斬新な和声や無調に近い手法が盛り込まれていて、ドビュッシーの音楽の新規探索性について考えを巡らせるとき、あながち無視して済ませられるものとも言い難い魅力もある。また、例えば「おもちゃ箱」では、「小さな黒人」と同じフレーズが用いられるなど、ドビュッシーの音楽が好きな人には、そういった転用の痕跡をなぞることも興味深い意趣の感じられることとなる。
 バヴゼは、ピアノ・ソロ・スコアという表現上の制約を受け入れながら、ピアノならではの明快な旋律線を巧みに響かせて、これらの楽曲の無調やエスニシティを感じさせる音階の楽しさを伝えてくれる。彼のピアノの音色が美しいことは言わずもがなであるが、それに加えて輪郭に独特の柔らかさがあり、全体的なトーンをマイルドで味わい深いものにしている。この要素がドビュッシーのピアノ作品と決定的に相性が良いと言うことに、私はバヴゼの演奏を聴くまで明確に意識しなかったのだけれど、これらの演奏の説得力の強さ、音楽表現としての洗練度の高さに触れるにつれ、その関係性に覚醒的になった。そして、これこそがドビュッシーの理想に他ならない、とまで思うまでになった。類まれな完成度の美に満ちたバヴゼのドビュッシーが、これらの珍しいレパートリーまで及んでいることは、フアンにとって喜び以外の何物でもない。

ドビュッシー 白と黒で 遊戯(2台ピアノ編曲版) リンダラハ  ラヴェル 「聴覚的風景」から「鐘が鳴る中で」 スペイン狂詩曲 ラ・ヴァルス
p: アシュケナージ ヴォフカ・アシュケナージ

レビュー日:2009.9.29
★★★★★ 実は珍しいアシュケナージ父子の共演盤
 アシュケナージがその子息、ヴォフカ・アシュケナージとデッカレーベルからドビュッシーとラヴェルの作品集をリリースした。実はこの両者のピアニストとしての共演というのがめったにない。いまカタログで探してみたが、唯一あるのが、20年以上前に録音されたバルトークの「2台のピアノと打楽器のためのソナタ」だけである。この録音はアシュケナージとショルティによるバルトークのピアノ協奏曲全集に併録されたもので、メイン・プログラムとしては今回が初ではないだろうか。
 アシュケナージも70歳を過ぎ、以前のピアノ共演録音から20年を経たわけで、いろいろ感じるところもあるに違いないが、ドビュッシーへの録音自体も久しぶりで、94年録音のハレルとのチェロソナタ以来である。それにしてもアシュケナージは若いころはよくライヴでドビュッシーを弾いていたし(一部のライヴはCDで聴くことができる。素晴らしい演奏ばかり)、なぜもっときちんと録音してこなかったのだろう?と思ってしまう。
 今回の収録曲では、「小組曲」や「6つの古代墓碑銘」のような「連弾曲」が欠けているのが残念で、聴いてみたいと思うが、それでも美しいタッチで描かれた収録曲たちは魅力に富む。遊戯の2台ピアノ編曲版は珍しいもので、ピアノならではの精度の高い音色が魅力だ。
 ラヴェルは「スペイン狂詩曲」と「ラ・ヴァルス」というネームヴァリューのある曲が収録された。アシュケナージ親子のソノリティはアシュケナージのソロに比べると幾分柔らかめで和やかに感じる。音楽も切迫感よりも均衡感を保つことに重点があり、聴き手によってはやや平板に感じる部分もあるかもしれない。しかしクオリティーは高く保たれているし、やはりアシュケナージのピアノの特有の美は常に最良の武器である。ヴォフカは父とはややレパートリーを異にする印象があるが、今後の大成を期待したい。


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