ショパン
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ピアノ協奏曲 第1番 第2番 モーツァルトの「お手をどうぞ」の主題による変奏曲 アンダンテ・スピアナートと華麗なる大ポロネーズ変ホ長調 ポーランド民謡の主題による幻想曲 コンサート・ロンド「クラコヴィアク」 ピアノソナタ 第2番「葬送行進曲付」 第3番 ポロネーズ 第7番「幻想」 p: ワイセンベルク スクロヴァチェフスキ指揮 パリ音楽院管弦楽団 レビュー日:2011.8.15 |
★★★★☆ 厳しい諸相で迫ったショパンのピアノと管弦楽のための作品集
ワイセンベルク(Alexis Weissenberg 1929-)によるショパンのピアノと管弦楽のための作品集にソナタを合わせた3枚組のアルバム。曲目を収録内容順に記載する。 1) ピアノ協奏曲 第1番 2) モーツァルトの「お手をどうぞ」の主題による変奏曲 3) アンダンテ・スピアナートと華麗なる大ポロネーズ 4) ピアノ協奏曲 第2番 5) ポーランド民謡の主題による幻想曲 6) コンサート・ロンド「クラコヴィアク」 7) ピアノ・ソナタ 第2番「葬送行進曲付」 8) ピアノ・ソナタ 第3番 9) ポロネーズ 第7番「幻想」 1)~6)ではオーケストラをスクロヴァチェフスキ(Stanislaw Skrowaczewski 1923-)指揮パリ音楽院管弦楽団が務める。録音年は、7)が1975~76年、8)が1977年である以外はすべて1967年。 ショパンの「ピアノと管弦楽のための作品」はいずれも初期の作品となる。言って見れば、早々に「見限った」ジャンルとも言える。ショパンのピアノ奏法の卓越に比し、オーケストレーションの能力は大きく劣っていたため、自分の才能を発揮できるジャンルに集中して取り組んだ結果だと思う。そのため、ショパンのピアノと管弦楽のための作品は、いずれも若々しく、ストレートな旋律に満ちた分り易い作品となったとも言える。美しいメロディを存分に扱っていて、オーケストラ伴奏と一緒に歌っているような音楽。 ワイセンベルクの演奏は、しかしそのショパンの典雅な初々しい作品に、かなり厳しい諸相で臨んでいる。わけてもピアノ協奏曲第1番はクリアなタッチによる硬質系の音色で、輪郭を際立たせて、孤高の情緒のような雰囲気をかもし出している。スクロヴァチェフスキの指揮も、クライマックスでは、きわめて力強くオーケストラを響かせていて、「大きな協奏曲である」という風格がある。 「ポーランド民謡の主題による幻想曲」が瑞々しい情緒の発露を感じさせる演奏で、当アルバムの中でも大きな収穫と思われる。また、「アンダンテ・スピアナートと華麗なる大ポロネーズ」における技術的な完成度の高さもたいそうな聴きモノだ。 3枚目のCDに独奏曲が収録されている。ワイセンベルクらしい鋭いタッチで構成された、堅牢で攻撃的な音楽だと感じられる。はじくような力強いピアノ線の振動を思う演奏であるが、もう少し聴き手のハートに触れたり、沿ったりする部分があっても良いような気もする。・・・それがこの演奏の醍醐味なのだろうけれど。 |
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ピアノ協奏曲 第1番 第2番 p: アックス マッケラス指揮 エイジ・オブ・インライトゥンメント管弦楽団 レビュー日:2006.8.13 |
★★★★★ ショパンのピアノ協奏曲の隠れ決定番!?
アックスによるショパンのピアノ協奏曲が第1番と第2番が合わせて収録されて発売となった。もともと第1番、第2番は別売りで、その際併録されていた楽曲たちがいずれも捨てがたい佳演だったため、それらが割愛されたのは残念ではある。しかし入手しやすい形での再編集版なので、それは仕方がないだろう。なお、本来の別売り版の各CDも、このレビュー投稿現在は入手可能なようであり、できればそちらをオススメしたい。が、もちろん本盤もすばらしい内容である。 このアルバムの「売り」はショパン時代の楽器による演奏にある。アックスが使用しているのは1851年製のエラールで、ショパンの没年が1849年だから、その2年後の楽器ということになる。マッケラス指揮のエイジ・オブ・インライトゥンメント管弦楽団も超一流のオリジナル楽器奏者によって結成された見事なオーケストラであり、傾聴すべき演奏である。 アックスというピアニストは、ヨーヨー・マの「伴奏者」としてまず私たちが名を知ったこともあるが、それほど強い個性があるという印象はないかもしれない。しかし、ここでエラールとアックスの相性は思いのほか抜群で、その風合いある木目調の音色を存分に活かした歌が流れる。 ショパンのピアノ協奏曲の場合、その連綿たるセンチメンタリズムをどのように扱うかがなかなかやっかいな問題である。個人的には、あまり大仰にやってほしくないところだが、この楽器の場合、響きが広がらないことが逆に曲の印象を室内楽的な緊密さに根付かせて、それでいて心行くまで歌っても、曲が壊れないという不思議な魅力をかもし出しているのだ。オーケストラの音色も見事の一語に尽きる。わが意をえたりのアックスはピアノを存分に操っており、まさにここにしかない名演の誕生となったのである。 ショパンのピアノ協奏曲。これが決定番といってもいいくらいに、素敵な録音だ。 |
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ピアノ協奏曲 第1番 第2番 p: アヴデーエワ ブリュッヘン指揮 18世紀オーケストラ レビュー日:2013.6.11 |
★★★★★ 2010年ショパン・コンクール優勝者が1849年製エラールを弾く
2010年のショパン・コンクール優勝者、ロシアのユリアンナ・アヴデーエワ(Yulianna Avdeeva 1985-)の、実質的な録音面での国際デビュー盤。彼女の優勝は、1965の年マルタ・アルゲリッチ(Martha Argerich 1941-)以来45年ぶりの女性の優勝者という点でも話題になった。 本盤の収録曲は、ショパン(Frederic Chopin 1810-1849)の2曲のピアノ協奏曲(第2番の方が最初に収録されている)。録音は2012年のセッション録音ということで、いかにもショパン・コンクール優勝者らしい「お手はじめ」に見えるが、一風変わっているのが、1849年製のエラールを用いている点にある。また、バックも、フランス・ブリュッヘン(Frans Bruggen 1934-)指揮18世紀オーケストラというピリオド楽器の大御所が努めている。 私は、同じ曲で、1851年製エラールを用いたエマニュエル・アックス(Emanuel Ax 1949-)とサー・チャールズ・マッケラス(Sir Charles Mackerras 1925-2010)による1997~98年録音のディスクがなかなか気に入っており、そういったことからも、当盤には興味を持った次第。 それにしても、ショパン・コンクールで優勝したばかりの20代のピアニストが、いきなり“ピリオド楽器”というのはなかなか意表を突かれた。言ってみれば、鳴物入りした新人投手が、デビュー戦で、半速球ばかりのピッチングを披露するような感じだ。しかし、アヴデーエワは現代ピアノだけでなく、ピアノフォルテの奏法にも精通しているということで、いきなりその「裏面」を表に出してきたといったところ。 聴いてみると、非常に流麗なスタイルで、この時代のピアノならではの乾いた情感が颯爽と流れるような演奏スタイルだ。緩急はつけるが、その差は大きくはなく、常に平均的な求心力を持っている。技術的には安定しているが、パワーという点では、この楽器では評価しきれないところがある。しかし、ところによってブリリアントな響きで旋律を歌わせるところもあり、なかなか魅力ある内容。 しかし、私が当盤を聴いて、結果的に一番感心したのはブリュッヘンに指揮されたオーケストラである。ショパンのいささか以上に問題のあるオーケストラ・スコアから、恰幅のあるサウンドを巧みに引き出していて、通常あまり多くはない低弦や金管の決め所を、余分なことをしないまま、こまやかなアクセントとアゴーギグでつぶさに拾っていく。かつてツィマーマン(Krystian Zimerman 1956-)が指揮棒をとり、オーケストラに実に濃厚な味付けを施した録音も話題になったが、それと比べて、ブリュッヘンの指揮には不合理な力がなく、それでいて十分な味があるから、さすがにブリュッヘンに一日以上の長を感じてしまう。 さて、特に美しいと感じられるのは両曲の中間楽章である。エラールの木目調の音色が、暖かい肌触りを伴って、ソフトに歌い上げるショパンの美は、なかなか得難い体験だ。 それにしても、この時代の楽器では、やはり奏者の個性という点で「つかみきれない」ところが多くの残ってしまうようにも思う。ぜひ、アヴデーエワには、今度は肝心の「現代ピアノ」の腕前を披露していただきたい。 |
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ピアノ協奏曲 第1番 第2番 p: ルガンスキー A.ヴェデルニコフ指揮 シンフォニア・ヴァルソヴィア レビュー日:2014.6.2 |
★★★★★ 甘酸っぱい青春の味わいを、蒸留して、最高のコクを引き出した超名演
ニコライ・ルガンスキー(Nikolai Lugansky 1972-)のピアノ、A.ヴェデルニコフ(Aleksandr Aleksandrovich Vedernikov 1964-)指揮、シンフォニア・ヴァルソヴィアの演奏で、ショパン(Frederic Chopin 1810-1849)の「ピアノ協奏曲 第2番 ヘ短調 op.21」と「ピアノ協奏曲 第1番 ホ短調 op.11」の2曲を収録(収録順は第2番の方が先)。2013年の録音。 とても見事な録音だ。私はこの録音を聴いて、あらためてこの2曲の魅力に感じ入ってしまった。 ショパンが2曲のピアノ協奏曲を書き上げたのは1830年、作曲者がまだ20歳のときだ。そして、それ以後ショパンはこのジャンルを手掛けることはなかった。管弦楽書法の不得手なショパンは、自分の才能を存分に発揮する世界を「ピアノ独奏曲」に定めたのだろう。そして、それを裏付けるように、彼は、数々の名曲を書いていった。 にもかかわらず、この2つの協奏曲は、たいへん人気がある。当時、ショパンの協奏曲に触発され、多くの作曲家がロマンティックなピアノ協奏曲を書いた。また、5年に1度開催されるショパン・コンクールでは、本選の課題曲がこれらの協奏曲となっている。それまで独奏曲を弾いてきた若きピアニストたちが、この青春の薫りの立ち込めた協奏曲で、最後に自らを主張するのである。 私も、かつてはこの曲をよく聴いた。なんとも感傷的で甘く切ないメロディに、何度も酔ったものだ。しかし、いつしか、その濃厚な甘美さゆえに、これらの曲とは疎遠になってしまった。たまに注目しているアーティストが録音すると、聴いてみる、それくらいの感じ。 実際、このアルバムも、その延長線上で聴いた。ルガンスキーというピアニストは、現代の音楽界において、特に優れたピアニストの一人だと思うし、なにより、私が彼のピアノを好きだから。しかし、当盤には魅了された。この曲がこれほど真摯な語り口で、誠実に、しかも秘めやかなロマンと歌を持って響いたのは、初めてではないだろうか。 ルガンスキーのピアノはたいへんしっかりした響きがする。一つ一つの音の輪郭が、定規で引いたようにくっきりしていて、シャープなのだ。この音を通じて、彼は決然と、しかし決して急がずに大家然たる落ち着きを持って、じっくりとショパンの協奏曲に向き合っている。そんなルガンスキーのピアノで語られるショパンの気高いこと! これらの楽曲は、濃厚な青春の味わいに満ちていて、演奏によっては、一種の気恥ずかしさのようなものまで感じさせるのだけれど、ルガンスキーの演奏は、一流の作家によってリライトされた小説のような格調に満ちている。名文によって綴られた若き日の諸相は、深い味わいや行間の含み、さらに高尚なレトリックを伴って、実に雅やかに紡がれる。全編に渡って、堂々と、かつ滔々と展開されるルガンスキーの語り口に、私は聴き入った。 ヴェデルニコフの指揮も良い。元来、この曲の管弦楽部分は、独奏ピアノの旋律の繰り返しだったり、単なる背景だったりするところが大部分で、それが現代まで、「ショパンの協奏曲の欠点」とされている。しかし、この演奏は、そのことを意識せず、下手な演出で物足りなさを補うようなこともせず、まっすぐな表現に終始している。弦を燦然と輝かせ、ティンパニを明瞭に響かせて、輪郭を崩さず、着実に歩みを進めていく。素晴らしい落ち着き。そのスタイルが、ルガンスキーのソロにビタリとハマった!これはいい! いま現在の私にとって、ショパンの協奏曲2曲を収めた録音として、当盤をベストに挙げたいと思う。 |
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ピアノ協奏曲 第1番 第2番 p: ビレット スタンコフスキー指揮 スロヴァキア国立コシツェ・フィルハーモニー管弦楽団 レビュー日:2017.6.29 |
★★★★★ 中庸を得た表現、詩情に満ちたショパンのピアノ協奏曲
トルコのピアニスト、イディル・ビレット(Idil Biret 1941-)と、スロヴァキアの指揮者、ロベルト・スタンコフスキー(Robert Stankovsky 1964-2001)指揮、スロヴァキア国立コシツェ・フィルハーモニー管弦楽団の演奏で、ショパン(Frederic Chopin 1810-1849)の以下の2曲のピアノ協奏曲を収録したもの。 1) ピアノ協奏曲 第1番 ホ短調 op.11 2) ピアノ協奏曲 第2番 ヘ短調 op.21 1990年の録音。 ショパンが若き日に書いた2曲のピアノ協奏曲は、オーケストレーションに多くの問題点が指摘されることが多いが、その一方で、この作曲家にしか書きえなかった詩情が万人の胸を打つもので、多くのファンに愛聴されてきた。そのため、この2曲の録音となると、相当な数が存在する。それらの録音の担い手には、ショパン弾きとして名を馳せた古今の名人の名が多く連なっている。 そのような状況だから、この2曲を収録したアルバムは、「激戦区」の様相を呈していて、人それぞれに愛好するものがあると思うのだけれど、このビレットの名演は、そんな中にあればこそ、是非機会があれば、多くの人に聴いていただきたい一枚。 ビレットは、ナクソス・レーベルを中心に膨大な録音数を誇っているピアニストで、ショパンについてもその全作品を録音している。しかし、その演奏は決して量をこなすだけというものではない。当録音を聴くとよくわかるが、そこには、演奏において必要とされる「良質なもの」をほどよく配合した絶妙のバランス感覚がある。 これらの2曲においても、理知的な配分、詩情の表出、劇性の追求、優雅な味わい等の様々な観点において、過不足ないものが示されていて、それでいて夾雑的なものを感じさせない。トータルとして、高度な洗練を感じさせてくれる。そのような美徳は、これらショパンのピアノ協奏曲の演奏において、特に重要なものに思う。 ピアノとともにオーケストラも良い。37歳という若さで夭折したスタンコフスキーの指揮のもと、流麗かつ豊かな響きである。やや残響が多めのホール・トーンも全体的に良い方向に作用しているし、ビレットのピアノと併せてほどよくマイルドな味わいに馴染む。 両曲とも第2楽章の美しさに注目が集まると思うが、第1番の第1楽章の帰結に向かうピアノと管弦楽が織りなす色彩感が、私にはことのほか素晴らしく感じられた。これら2曲を収録したアルバムとして、代表的なものに当盤を加えることは、当然のことに思える。 |
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ピアノ協奏曲 第1番 第2番 p: ブレハッチ セムコフ指揮 コンセルトヘボウ管弦楽団 レビュー日:2017.12.20 |
★★★★☆ 今にして思うと、ブレハッチの飛躍の予感に満ちた演奏
2005年のショパン・コンクールで優勝したラファウ・ブレハッチ(Rafal Blechacz 1985-)による2009年のライヴ録音で、ショパン(Frederic Chopin 1810-1849)が遺した以下の2つの協奏曲が収録されている。 1) ピアノ協奏曲 第1番 ホ短調 op.11 2) ピアノ協奏曲 第2番 へ短調 op.21 オーケストラはイェルジー・セムコフ(Jerzy Semkow 1928-2014)指揮、コンセルトヘボウ管弦楽団。 現在では、その深い至芸に一流芸術家の風格さえ感じさせるブレハッチであるが、その才能は当録音時にすでに明瞭に示されている。すなわち、確固たるリズムを確保する左手をベースに、情緒と活気に溢れたピアノが、内面豊かに奏でられている点である。 ショパン・コンクールの覇者にとって、これらの協奏曲に深い思い入れがあるのは当然のことであろうが、それにしてもブレハッチは古典的構築性と浪漫的抒情性を、非常にバランスよく配分し、とても玄人的な音楽を響かせている。ただ、現在であればなお、と思える面も当然あるのだけれど、当演奏には一種の完成された美観があって、そのことが全体を安定に導いている。 セムコフが指揮したオーケストラは、全体的に軽く柔らかい響きであり、そのことも全体の「安定化」に寄与していると言える。ただ、この安定も、時に曲者と感じられるところもある。例えば第1番の第1楽章のピアノの導入部は、前段のオケの流れの良さもあってか、劇性は大きくなく、かなりサラリとした感じになる。また、同じく第1番の第3楽章では、より明瞭鮮烈な効果が欲しいと思うところで、全体的にブレーキがかかった表現になっていて、安定走行とも言えるし、もっと踏み込んだ面白味や興奮があっての良いと感じられるところもある。 しかし、オーケストラの響き自体は美しく整ったもので、特に弦楽器陣の輝かしさが見事であり、両曲の中間楽章では、ブレハッチの歌をよくささえて、溶け込むようなサウンドを演出しており、好ましい効果が得られていると思う。 また、あわよくば、ブレハッチと、木管楽器の応答に、さらなる協奏曲的な呼応が感じられればというところもある。このへんも、全体的に薄味に感じられる印象に作用しているだろう。しかし、それぞれのパーツは、きれいにまとまっていて、ブレハッチのピアニズムを邪魔するようなところはまったくない。 ブレハッチのピアノについて再度書くと、前述の通り、当録音時すでに高いレベルに到達していて、音楽的教養の豊かさをも感じさせるのであるが、その一方で、最新の名録音をいくつか聴いてきた後で、この演奏に接した時、「まだ、何か欲しい」と感じさせるものも含まれている気がする。それは、より積極的に表現を探究して得られる音楽の内側から聴き手に働きかける吸引力のようなもの、と言えばいいだろうか。ブレハッチが2012年以降に録音したショパンのポロネーズ集やバッハの作品集にあって、この録音ではまだ十分ではない何か。それは確かにあると思う。その差は、ブレハッチが芸術家としてステップアップし、獲得したものに違いない、と私は思う。そう考えると、今後の活躍がますます楽しみにもなってくる。 そのような感興をいだきながら、これらの協奏曲をあらためて聴かせていただきました。 |
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ピアノ協奏曲 第1番 アンダンテ・スピアナートと華麗なる大ポロネーズ モーツァルトの「お手をどうぞ」の主題による変奏曲 p: ネボルシン アシュケナージ指揮 ベルリン・ドイツ交響楽団 レビュー日:2017.2.16 |
★★★★★ 知られざる名演!ウズベキスタンの奇才ネボルシンによるショパン。
ウズベキスタンのタシュケント出身のピアニスト、エルダー・ネボルシン(Eldar Nebolsin1974-)と、アシュケナージ(Vladimir Ashkenazy 1937-)指揮、ベルリン・ドイツ管弦楽団の演奏で、ショパン(Frederic Chopin 1810-1849)のピアノと管弦楽のための以下の3作品を収録したアルバム。 1) ピアノ協奏曲 第1番 ホ短調 op.11 2) アンダンテ・スピアナートと華麗なる大ポロネーズ op.22 3) ドン・ジョヴァンニの「お手をどうぞ」の主題による変奏曲 op.2 1994年の録音だから、録音当時ネボルシンはまだ20歳だったことになる。 さて、この録音、初発のあと、再販もされていないようだけれど、これが実に素晴らしい演奏なのである。ショパンのピアノ協奏曲第1番は、美しいメロディに事欠かないが、ショパンの管弦楽書法に欠点が多いことなどから、その扱いの難しさに言及されることがあるのだけれど、当録音を聴くと、清冽で颯爽としていて、まったくもって文句の付けようのない音楽として伝わってくる。 この第1協奏曲の録音は、無数と言っていいほどあるが、私が特に気に入っているのは、このネボルシンとアックス(Emanuel Ax 1949-)/マッケラス(Charles Mackerras 1925-2010)、ルガンスキー(Nikolai Lugansky 1972-)/A.ヴェデルニコフ(Aleksandr Aleksandrovich Vedernikov 1964-)による録音の3点だ。特にツィマーマンやアルゲリッチしか聴いたことのない人には、是非聴いてほしい、と思うくらい良い演奏である。 ネボルシンの特徴は、技術に卓越しながらも、そのことに自らが酔ってしまうことなく、乱れなく、流麗な音楽を徹底して練り上げる点にある。技術は誇示するものでなく、あくまで、楽曲の正しい構築のため、最善の手法で用いるべきものとして機能させている。しかし、当然のことながら、それだけで終わっているのではなく、ソノリティ自体の絶対的な美しさを常に保持し、音楽として必要な装飾を、自然に、しかし不足することなく加味していく。ダイナミックな迫力も存分にある。第2楽章の詩情、そして第3楽章の躍動と飛躍など、すべてにおいて、きわめて高いレベルで安定している。 音楽としての完成は、ショパン作品に精通しているアシュケナージのサポートも大きく寄与していると言って良い。オーケストラのサウンドは、ブルー・カラーを思わせる透明な色合いで、これはネボルシンのピアノによくマッチしているだけでなく、ショパン作品の「高貴さ」を強く示している。まさにその点で、私はこの録音をとても愛好するのである。 また、一緒に録音しているピアノと管弦楽のための2曲は、それほど録音が多い作品というわけではないが、こちらも完璧と言って良い仕上がりで、隅々まで感覚的な美観を通わせた名演となっている。曲そのものの魅力を十全に感じ、楽しみつくせる内容だ。録音が素晴らしいことも、大きな利点だろう。 以上のように、実に素晴らしい内容であるにもかかわらず、おそらくピアニストのネーム・ヴァリューが高くはないことから、当録音があまり顧みられないのは、実に残念なことである。再度書いておくが、これらの楽曲の代表的録音といって、まったく不足のない内容であり、ぜひ再発売などの機会を与えてほしい録音である。 |
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ピアノ協奏曲 第1番 4つのバラード p: チョ・ソンジン ノセダ指揮 ロンドン交響楽団 レビュー日:2017.3.2 |
★★★★★ 2015年ショパン・コンクール優勝者、チョ・ソンジンの輝かしい才能を堪能する新録音
1927年以降、戦時を除けば5年に1回、ワルシャワで開催されているショパン国際ピアノコンクールは、2015年まで計17回が開催された。その歴史的な流れの中で、一つ象徴的なのはアジアの音楽家の台頭である。1980年にベトナムのダン・タイソン(Dang Thai Son 1958-)がアジア人として最初の優勝を果たし、2000年には中国のユンディ・リ(Yundi Li 1982-)も優勝する。 そして、2015年のコンクールで優勝したのが韓国のピアニスト、チョ・ソンジン(seong-Jin Cho 1994-)となる。チョは、2009年の浜松国際ピアノコンクールで、15歳の若さで優勝したことから、すでに日本のファンにも知られた存在であったが、ショパン国際ピアノコンクールでの優勝はさらに世界的な注目を集め、このたび、クラシックの名門レーベル独グラモフォンと契約を果たし、当録音がリリースされた。収録曲は、ショパン(Frederic Chopin 1810-1849)の以下の楽曲。 1) ピアノ協奏曲 第1番 ホ短調 op.11 2) バラード 第1番 ト短調 op.23 3) バラード 第2番 ヘ長調 op.38 4) バラード 第3番 変イ長調 op.47 5) バラード 第4番 ヘ短調 op.52 協奏曲はジャナンドレア・ノセダ(Gianandrea Noseda 1964-)指揮、ロンドン交響楽団との共演。2016年のスタジオ録音。 協奏曲第1番に4つのバラード全曲という、彼の履歴に相応しい選曲であるが、聴いてみて、たいへん感動した。この若いピアニストが、瑞々しい感性で、これらすべての楽曲を、見事な洗練をもって仕上げている。 まず魅了されるのは弱音の細やかな美しさである。ショパンの音楽において、情緒に満ちた弱音を響かせることは、とても重要な要素だけれど、チョ・ソンジンのピアノはまさにきらめくようなタッチで、夢想的と言って良いほどの美しさを演出する。しかも甘美に溺れることなく、輪郭の引き締まった高貴な美しさが、常に維持されている。 また、ピアノ協奏曲第1番では、時に糸を引くような独特の弾性力を感じさせる音を鮮やかに使い分け、微細な表情を繰り出し、楽曲に色を与えてゆく。その色彩感の豊かさはちょっと他に思い当たる例がないくらい。ことに、第2楽章の美観は、聴き手に至福の時を過ごさせてくれるものに違いない。かように詩情と色彩に満ちながらも、損なわれることのない全体の流れの良さは、このピアニストの感覚的な鋭さを反映するものに違いない。 4つのバラードも名演だ。特に第3番の対旋律を浮かび上がらせる手腕や、第4番の苛烈と哀愁の対照のドラマは、古今の大家の演奏と並べても何ら遜色ない。むしろ、陰影や緩急の自然かつ鮮烈な対比の妙は、過去の歴史的名盤たちを凌駕しているかもしれない。 それにしても、録音時まだ22歳。すごいピアニストが出現したものだ。彼が、今後どのような活躍をしていくのが、また、ショパン以外の作品では、どのようなアプローチを見せてくれるのか、楽しみは尽きない。 |
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ピアノ協奏曲 第1番 ポーランドの歌による幻想曲 コンサート・ロンド「クラコヴィアク」 p: ネボルシン ヴィット指揮 ワルシャワ・フィルハーモニー管弦楽団 レビュー日:2019.2.15 |
★★★★★ ネボルシン2度目の録音となるショパンの第1協奏曲で、表現の深化を感じる
ウズベキスタンのピアニスト、エルダー・ネボルシン(Eldar Nebolsin 1974-)とアントニ・ヴィット(Antoni Wit 1944-)指揮ワルシャワ・フィルハーモニー管弦楽団によるショパン(Frederic Chopin 1810-1849)の以下の楽曲を収録したアルバム。 1) ピアノ協奏曲 第1番 ホ短調 op.11 2) ポーランド民謡の主題による幻想曲 op.13 3) コンサート・ロンド「クラコヴィアク」 op.14 2009年の録音。 私がネボルシンというピアニストの名前を知ったのは、アシュケナージ(Vladimir Ashkenazy 1937-)指揮ベルリン・ドイツ管弦楽団との協演で、やはりショパンのピアノ協奏曲第1番を1994年に録音したアルバムで、それは流麗で美しく、しかも高貴な詩情を感じさせるものだった。当該盤に、私はレビューを書いているのだが、「特にツィマーマンやアルゲリッチしか聴いたことのない人には、是非聴いてほしい、と思うくらい良い演奏」とコメントしている。 それから15年後の録音が当盤となる。20歳だったネボルシンは、当盤録音時は35歳になったことになる。 当盤もまた素晴らしい演奏。透明感や高貴さはアシュケナージとの録音の方が顕著だったが、当盤では、ネボルシンの感情表現に幅がもたらされてより熱い歌が流れるようになったことと、それをオーケストラが朗々たる響きでサポートしていることが加わった点であり、音楽は詩情や情熱をより外向的なスタイルで示すようになっている。 ネボルシンのタッチは依然と変わらず鮮明だが、さらに暖かみが加わったように感じられる。そのことは、全体的にふくよかな印象をもたらす。そして、ショパンのピアノ協奏曲においてメロディが紡ぎだす連綿たる情緒が、豊かな情感を交えて語られるようになる。その暖かさは、時に激しさの原動力ともなり、劇的な部分では熱へと変化する。その移り変わりが音楽にドラマをもたらす。 私は旧録音の高貴さにとても魅了されるが、本録音の幅のある詩情もまたショパンの音楽を魅力的に伝えていることは、当然であろう。第2楽章における麗しさも、旧録音と比べて、表現により踏み込みが増していて、より大きな振幅を感じさせるようになった。かといって、従来からの持ち味であった洗練されたタッチは当録音でもしっかりと音楽の基礎をつくっており、行き過ぎた表現が基礎を壊すようなことはない。そのバランス感覚が頼もしい安定を誘う。 オーケストラも立派な表現だ。ヴィットの棒の下、とても量感のある音色で、ほどよいスピード感の中で熱い部分は十分に熱く、歌うべきところは心のこもった歌があり、かつ流れは自然。 ショパンが10代のころに書いた2つの楽曲が併せて収録されている。健やかな音楽性が心地よく響く「ポーランド民謡の主題による幻想曲」により聴きどころが多いだろう。 |
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ピアノ協奏曲 第1番 アンダンテ・スピアナートと華麗なる大ポロネーズ ピアノソナタ 第2番「葬送行進曲付」 12の練習曲op.10から 第2番 第3番「別れの曲」 第5番「黒鍵」 第6番 第8番 第9番 第12番「革命」 12の練習曲op.25から 第1番「エオリアン・ハープ」 第7番 第9番「蝶々」 夜想曲 第1番 第2番 第4番 第5番 第7番 第8番 第9番 第12番 第13番 第16番 第19番 第20番 4つのバラード 4つの即興曲 ワルツ 第3番 第6番「小犬のワルツ」 第7番 第9番「別れ」 スケルツォ 第3番 p: ティエンポ マルグリス 武田牧子ヘルムス ノボトナ 内田光子 マルトゥレ指揮 ブダペスト交響楽団 レビュー日:2019.11.28 |
★★★★★ 投稿日現在、入手しやすいマルグリスの音源として、とても貴重な存在です
Classical Goldというレーベルからリリースされたナゾの5枚組Box-setで、ショパン(Frederic Chopin 1810-1849)の以下の楽曲が収録されている。演奏者と併せて記載する。 【CD1】 1) 子守歌 変ニ長調 op.57 2) ピアノ・ソナタ 第3番 ロ短調 op.58 から 第1楽章 3) 練習曲 ホ長調 op.10-3 「別れの曲」 4) スケルツォ 第3番 嬰ハ短調 op.39 5) ポロネーズ 第6番 変イ長調 op.53 「英雄」 6) ワルツ 第3番 イ短調 op.34-2 7) ワルツ 第6番 変ニ長調 op.64-1 「小犬のワルツ」 8) ワルツ 第7番 嬰ハ短調 op.64-2 9) ワルツ 第9番 変イ長調 op.69-1 「別れ」 1,5-9) p: ヴィターリ・マルグリス(Vitaly Margulis 1928-) 2) p: セルジオ・ティエンポ(Sergio Tiempo 1972-) 3) p: クヴィエタ・ノボトナ(Kveta Novotna 1950-) 4) p: 内田光子(1948-) 【CD2】 1) ピアノ協奏曲 第1番 ホ短調 op.11 2) アンダンテ・スピアナートと華麗なる大ポロネーズ 変ホ長調 op.22 p: セルジオ・ティエンポ エドゥアルド・マルトゥレ(Eduardo Marturet 1953-)指揮 ブダペスト交響楽団 【CD3】 1) バラード 第1番 ト短調 op.66 2) 即興曲 第1番 変イ長調 op.29 3) 即興曲 第2番 嬰ヘ長調 op.36 4) バラード 第2番 ヘ長調 op.38 5) バラード 第3番 変イ長調 op.47 6) 即興曲 第3番 変ト長調 op.51 7) 即興曲 第4番 嬰ハ短調 op.66 「幻想即興曲」 8) バラード 第4番 ヘ短調 op.52 p: 武田牧子ヘルムス(Makiko Takeda-Herms) 【CD4】 1) ピアノ・ソナタ 第2番 変ロ短調 op.35 「葬送」 2) 練習曲 イ短調 op.10-2 3) 練習曲 変ト長調 op.10-5 「黒鍵」 4) 練習曲 変ホ短調 op.10-6 5) 練習曲 ヘ長調 op.10-8 6) 練習曲 ヘ短調 op.10-9 7) 練習曲 ハ短調 op.10-12 「革命」 8) 練習曲 変イ長調 op.25-1 「エオリアン・ハープ」 9) 練習曲 嬰ハ短調op.25-7 10) 練習曲 変ト長調 op.25-9 「蝶々」 11) ポロネーズ 第6番 変イ長調 op.53 「英雄」 p: マルグリス 【CD5】 1) 夜想曲 第1番 変ロ短調 op.9-1 2) 夜想曲 第2番 変ホ長調 op.9-2 3) 夜想曲 第4番 ヘ長調 op.15-1 4) 夜想曲 第5番 嬰ヘ長調 op.15-2 5) 夜想曲 第7番 嬰ハ短調 op.27-1 6) 夜想曲 第8番 変ニ長調 op.27-2 7) 夜想曲 第9番 ロ長調 op.32-1 8) 夜想曲 第12番 ト長調 op.37-2 9) 夜想曲 第13番 ハ短調 op.48-1 10) 夜想曲 第16番 変ホ長調 op.55-2 11) 夜想曲 第19番 ホ短調 op.72-1 12) 夜想曲 第20番 嬰ハ短調 p: マルグリス 録音年は明示されていないが、【CD2】は1987年、【CD3】は1997年以前の録音と思われる。Box-setのケースにはDDDの記載があるのだが、すべてデジタル録音かどうかは、疑わしい。それでも、80年代の録音中心に集められたものではないだろうか。 様々な由来の音源が集められているので、最初に「ナゾのBox-set」と表現したけれど、個人的に、当盤の価値は、なんといっても中心をなすマルグリスの録音にあると考える。2011年に亡くなったロシアのピアニスト、ヴィターリ・マルグリスは、知る人ぞ知る名ピアニストで、私は彼の弾くスクリャービンやショパンをことのほか気に入っている。一応、Emanomusicというレーベルから全5枚からなるマルグリスのメモリアル・シリーズがリリースされている。【CD1】の子守歌とワルツ、それと【CD5】の夜想曲集(の一部)は、そのシリーズの1枚「Vitaly Margulis Memorial Edition III Chopin」に収録されている。あと、【CD4】の単発売アイテムとして上述したものも、同シリーズの1枚だ。だが、それらの流通量は少ないようで、投稿日現在、入手は難しい環境にあるようだ。 というわけで、投稿日現在、もっともマルグリスの芸術に接しやすいアイテムとして、当盤が挙げられることになる。 マルグリスの演奏は、とにかく聴きごたえがある。濃厚なロシア・ピアニズムであり、強い演奏家の主張がある。そういった点で、ホロヴィッツ(Vladimir Horowitz 1903-1989)を想起させる部分もあるのだが、私見だが、ホロヴィッツの表現が、より演奏家主体のものであったのに対し、このマルグリスの演奏は、作品をとことんまで突き詰めたという、理論武装のある解釈に感じられる。すなわち、その演奏は、録音する際の演奏家個人のエモーショナルな抑揚やバイオリズムが強く反映されたものではなく、マルグリスの内側に「自分はこうあるべきと考える」という確固たるものがあって弾かれていると感じられる。 私がそう感じるのは、例えば練習曲集において、マルグリスは個性的であるが、方向性の統一した解釈を施していると思えるからである。例えば、op.10-2では、左手の伴奏のコードの中に、非常にニュアンスの深い旋律的な要素を見出し、その姿を並走させて、ポリフォニックな面白さを見出しているのだが、その特徴的なアクセントの色付けは、他の楽曲でも共通しており、他の演奏では聴かれない副次的な効果があちこちで起こってくるのである。これが実に面白い。 テンポは平均的なものよりやや遅めであることが多いが、そこに込められた情報量は多く、濃密な音楽が時間を埋めていくという充足感がある。これは、ロシア・ピアニズムと形容される演奏で、しばしば経験する感覚だが、マルグリスの演奏はその視点の安定性もあって、現代芸術らしい均整感覚が同時に見出されていることが興味深い。 また、響きの重さも特徴的だ。ソナタ第2番の冒頭の響き。その鍵盤を抑える指先からから、まっすぐ地球の中心にめがけて太いベクトル線が描かれているかのような力強さは衝撃的だ。その後の展開部でも、弾き飛ばしすることなく、重いハンマーを次はこちら、次はあちらと次々に打ち下ろすような力感が見事。音楽としての美しい響きが維持されているから、こちらの気持ちもその世界に運ばれていくのである。 夜想曲集では、マルグリスのタッチそのものの素晴らしさが印象的だ。その響きは、一つ一つの音に孤高の気高さを感じさせるものであり、ロシア・ピアニズムと形容すべき濃厚なロマン性を秘めたものとなっている。その一方で、進行における必要な手順は厳しく守られ、甘味に誘われて全体を崩してしまうことがない。それでいて、詩情がしっかりと立ち上ってくるのである。特に素晴らしい演奏として、夜想曲第16番を挙げたい。細やかなスタッカートやアクセントを駆使しての装飾性、それらが楽曲を壊さず、むしろその表現性を高めて、豊かな詩情を紡ぎだす。巨匠の芸と呼ぶにふさわしい。子守歌と4曲収められたワルツも、深い味わいがあり、これまた濃密な音楽となっている。 他では、ティエンポの骨太なピアニズムもなかなかの聴きモノだ。アニエヴァス(Agustin Anievas 1934-)にも似た堂に入った表現で、逞しい響きである。ソナタ第3番は良い演奏と思うが、第1楽章しか収録されていないのが残念だ。 武田牧子ヘルムスのバラードと即興曲は良心的で暖かい演奏だが、他の演奏に比べると、演奏家の主張があまり感じられないところが気になる。 |
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ピアノ協奏曲 第2番 ピアノ・ソナタ 第3番 スケルツォ 第4番 練習曲 第1番 第15番 舟歌 p: アシュケナージ ゴルジンスキー指揮 ワルシャワ・フィルハーモニー管弦楽団 レビュー日:2006.2.25 |
★★★★★ 若きアシュケナージの貴重な録音です!
テスタメントからリリースされたアシュケナージの1950年代の録音集。2枚シリーズの1枚目。若きアシュケナージの録音と言えば59年から60年にかけて録音された「幻のエチュード」、あるいは亡命前夜のライヴで録音されたバラードなどの伝説的なものがあるが、ここではショパンの以下の楽曲が収録されている。 ピアノ協奏曲 第2番(ゴルジンスキー指揮 ワルシャワフィル)、ピアノ・ソナタ 第3番、スケルツォ 第4番、練習曲 第1番 第15番、舟歌 協奏曲、練習曲、スケルォは1955年のショパンコンクールの際の録音。他は1957年ベルリンでの録音。 ショパン・コンクール当時ピアノ批評会の重鎮野村光一氏や審査員だったベネデッティ・ミケランジェリを驚愕させた鋭く冴えた技巧がなんといっても聴きモノだ。あまりにも有名な3度のエチュード(第16番)が収録されていないのが惜しいが、それでもその凛と張る空気はタダモノではないのである。アイスランド亡命前のアシュケナージの演奏スタイルは常に曲から均一の距離をとるような、一種のクールスタイルに礎を置くものといえる。 ソナタ第3番も、例えばデッカの正規録音と比べると、詩情よりも理知的な感性を強く感じさせる。しかし決して機械的ではなく、ほの暗い静かな歌を汲み取る淡い情緒があるのは、天性というものだろうか。今となっては得難い貴重な表現が入手できるのはうれしい。 |
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ショパン ピアノ協奏曲 第2番 シューマン 序奏とアレグロ・アパッショナート ダンツィ ホルン・ソナタ p: アシュケナージ ジンマン指揮 シーガル指揮 ロンドン交響楽団 hrn: タックウェル レビュー日:2007.7.10 |
★★★★★ 自然な歌に満ちた暖かい演奏です
再編集版である。ショパンのピアノ協奏曲第2番(ジンマン指揮ロンドン交響楽団)の録音が1965年、シューマンの序奏とアレグロ・アパッショナート(シーガル指揮ロンドン交響楽団)の録音が1976年、ダンツィのホルンソナタ(hrn:タックウェル)の録音が1974年である。 どれも良心的でシュアな演奏である。特にショパンが素晴らしい。アシュケナージはショパンコンクールでも協奏曲では第2番の方を弾いているが、すこぶる内面からあふれ出る自然な歌が発露しており、ことに第2楽章のロマン性は得がたい暖かな情感に満ちている。ジンマンの指揮もふくよかな音が出ていて良好。シューマンの作品もピアノと管弦楽のための作品であるが、いかにも作曲者が楽しく作曲したような快さに満ちた演奏で、聴いていて気持ちの良い情緒がある。 フランツ・イグナツ・ダンツィ(Franz Ignaz Danzi 1763-1826)はベートーヴェンより7歳年上のマンハイム派の音楽家。最近では特に管楽器を含んだ室内楽のジャンルで、その作品が取り上げられることが多くなった。このホルンソナタもダンツィの一つの典型的な作品で、しっかりとした構成感の上で、生真面目な音楽をつくっていく。もっと旋律自体に魅力があれば一層良いのであるが、この時代の一つの作風を伝える曲である。タックウェルのホルンもここは真面目ぶりを発揮。 |
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ピアノ協奏曲 第2番 夜想曲 第1番 第2番 第20番 p: 辻井伸行 アシュケナージ指揮 ベルリン・ドイツ管弦楽団 レビュー日:2018.11.13 |
★★★★☆ 明朗で骨太な旋律美で聴かせる辻井のショパン初期作品
2009年のヴァン・クライバーン国際ピアノコンクールで優勝した辻井伸行(1988-)がドイツで録音したショパン (Frederic Chopin 1810-1849)の作品を集めたアルバム。アシュケナージ(Vladimir Ashkenazy 1937-)指揮、ベルリン・ドイツ交響楽団との協奏曲は2017年のライヴ録音、ノクターン3曲は2015年のスタジオ録音となっている。 辻井の名は、なんといっても小眼球症という先天的な重い障害を持ちながら、周囲の献身的な支えもあって、積極的にピアノ演奏に打ち込み、大きな国際コンクールで優勝を果たすまでに至ったという、彼の「生き方」そのものにより、広く知れ渡っている。 私もその偉業を知っていたのであるが、今まで彼の録音をきちんと聴いたことがなかった。というのは、自分にはどうも天邪鬼なところがあって、世間が先に認知したものを、後で追いかけるということが、どうも性に合わないところがある、という単にそれだけの話である。 しかし、このたびはアシュケナージとの協演ということもあり、あらためてCDを購入の上、拝聴させていただいた。 私には、辻井の特徴は、骨太な旋律の扱いにあると感じられる。つねに一定の幅があって、旋律を十分に歌わせるために余裕のあるテンポを設定する。とても分かりやすく、整いがある。技巧的な面でも、まず安定した表現を尊ぶ姿勢があり、なにか極限的なヴィルトゥオジティを追及するようなところはない。そういった彼のスタイルには、あるいみ大家風の「落ち着き」のようなものが感じられる。 当盤に収録されている楽曲は、いずれもショパンが20歳のころに書いた作品で、端的なロマン性、明朗な旋律美が全編を覆っている。そういった意味で、辻井のアプローチがとても映える曲たちであると思える。旋律自体の自然で、若々しい情緒が、明朗決然と歌われて、滔々と流れていく様は、シンプルに美しい。協奏曲第2番の第2楽章のロマンを辻井は衒うことなく万感の思いを込めるように紡ぐが、その王道を行く弾きぶりは頼もしさを感じさせる。アシュケナージ指揮のオーケストラは、その流れが浪漫的になり過ぎないよう、引き締めた音で支えている。独奏曲であるノクターンは、ゆったりしたテンポで、やや濃いめのルバートを用いて甘味を引き出す。左手の伴奏で一フレーズごとに響かせる基音も、とてもしっとりと鳴り、耽美的だ。 ただ、私の感想では、もう一つ何か欲しいというところがある。弱音範囲における、より細やかな強弱のニュアンスを用いた表現である。もちろん、あえてこれらの楽曲にそこまで微細な表現は必要ないと考えた、ということもあるかもしれないが、私が当録音を聴く限り、辻井の弱音の階層はさほど多くは感じなかった。そのことが、一層深い表現への道を狭めているように感ぜられる。今回、協奏曲で協演したアシュケナージは、そこらへんに秀でたピアニストである。今後も協演の機会があるそうだし、意見交換することも多いだろうから、ぜひ、この巨匠との交流で、より深い芸術への歩みを進めてほしいと思う。 あと、現在の感覚では、ショパンの協奏曲1曲と夜想曲3曲のみ(収録時間 わずか44分)でフルプライス、というのは、かなり割高感のある規格なので、プロデュースする側には、ユーザー側への配慮をもっと考えてほしいところです。 |
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ピアノ協奏曲 第2番 アンダンテ・スピアナートと華麗なる大ポロネーズ モーツァルトの「お手をどうぞ」の主題による変奏曲 p: ネボルシン ヴィット指揮 ワルシャワ・フィルハーモニー管弦楽団 レビュー日:2019.3.5 |
★★★★★ ピアノ、指揮、管弦楽、いずれも秀逸な名演
ウズベキスタンのピアニスト、エルダー・ネボルシン(Eldar Nebolsin 1974-)とアントニ・ヴィット(Antoni Wit 1944-)指揮ワルシャワ・フィルハーモニー管弦楽団によるショパン(Frederic Chopin 1810-1849)の以下の楽曲を収録したアルバム。 1) ピアノ協奏曲 第2番 ヘ短調 op.21 2) ドン・ジョヴァンニの「お手をどうぞ」による変奏曲 変ロ長調 op.2 3) アンダンテ・スピアナートと華麗な大ポロネーズ op.22 2009年の録音。 同じ顔合わせで同年に録音された第1番を中心としたアルバムが先行しており、当盤と併せて揃えることで、ショパンがピアノと管弦楽のために書いた作品が一通り揃うことになる。私個人的には、是非とも両方揃えるべき内容をもった録音と考える。 暖かみのあるタッチで、とても流れの良い演奏。ネボルシンはいたずらに感傷主義に浸るのではなく、自然な息遣いの中でショパン特有の詩情を紡ぎだす。ほぼすべてのフレーズに装飾的なルバートが施されているが、それらは誇張されたものではなく、ショパンの旋律を表現する際に適切な手続きで導き出された自然さに満ちたものである。そのことが、私には特に好ましく感じられ、ショパンの楽曲に相応しいものと感じられる。 また特に協奏曲では、オーケストラの好演も光る。録音がやや軟焦点気味で、細部がややぼやけているように感じられるのは惜しいが、ことにこの協奏曲で重要な役割を演じるファゴットの表現が見事で、ピアノとのやり取りがとても音楽的だ。 さらに併録された2曲が素晴らしい。シューマンが絶賛したと伝えらえる“ドン・ジョヴァンニの「お手をどうぞ」による変奏曲”では生き生きとしたリズムにのって色彩感豊かに繰り広げられるそれぞれの変奏曲が実に楽しい。機敏なパッセージをこなすとき、その発色性の豊かさに導かれて溢れてくる情感は得難いものであり、この瀟洒な楽曲を通じて、聴き手に感動をもたらす名演となっている。また、アンダンテ・スピアナートと華麗な大ポロネーズでは、曲想の移り変わりに沿って、ふくよかに情感を蓄え、徐々に大きな感情を描くように進展していく様が圧巻。 いずれの楽曲も第一級の名演といって良く、ネボルシンというピアニスト、ヴィットという指揮者、ワルシャワ・フィルハーモニー管弦楽団という管弦楽団が、三者三様に如何なく実力を発揮した演奏となっている。 |
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ピアノ協奏曲 第2番 4つのスケルツォ p: チョ・ソンジン ノセダ指揮 ロンドン交響楽団 レビュー日:2021.9.24 |
★★★★★ 洗練の極み。最高の美音となめらかなルバートで叙情性を引き出したショパン
2015年のショパン・コンクールで優勝を果たした韓国のピアニスト、チョ・ソンジン(seong-Jin Cho 1994-)による、ショパン(Frederic Chopin 1810-1849)のスケルツォ集と協奏曲第2番を収録したアルバム。内容の詳細は以下の通り。 1) スケルツォ 第1番 ロ短調 op.20 2) スケルツォ 第2番 変ロ短調 op.31 3) スケルツォ 第3番 嬰ハ短調 op.39 4) スケルツォ 第4番 ホ長調 op.54 5) ピアノ協奏曲 第2番 ヘ短調 op.21 協奏曲はジャナンドレア・ノセダ(Gianandrea Noseda 1964-)指揮、ロンドン交響楽団との協演。2021年のスタジオ録音。 チョ・ソンジンは、ショパン・コンクール優勝翌年の2016年に、協奏曲第1番と4つのバラードを組み合わせたアルバムを録音しており、このたびは5年ぶりに、それと好一対という形をなすアルバムがリリースされたことになる。ちなみに、前回のアルバムでは、冒頭に協奏曲第1番、その後の4つのバラードが収録されていたが、本アルバムでは、独奏曲が先、協奏曲が後、という順番で、収録されている。 演奏は、前回録音に続いて素晴らしいもので、透き通って、肌理の細かい弱音を駆使し、なめらかなルバートをともなって歌う演奏の美麗さは、現代聴かれるショパン演奏の中で、特に美しいものといって間違いないだろう。アーティキュレーションを自在に操りながらも、かつそのことに熱中し過ぎることのないクールさもある。それゆえに、全体の流れの良さは素晴らしく、聴き心地がよい。弾力ある緩急と併せて、聴き手の心に届く印象の濃さをももっている。音楽を聴くことの幸福感を、率直に味わわせてくれるピアニズムと言えるだろう。 例えばスケルツォ第1番の終結部、心地よい加速感の中、統一感のあるフレージングが、テンポよく刻み込まれ、美しい和音がこれでもかと連続して繰り出される。その美しさは、かつてこの楽曲を聴いて味わった経験の中でも、最上のものと言って良いだろう。スケルツォ第3番も特徴が良く出ている。両手のユニゾンによって訴えられる情熱は、詩情を湛え、程よい緩急をともなって、パチンと収まる。その完璧といっていいほどの佇まいに、ひたすら感服してしまう。 協奏曲も素晴らしい。ノセダの指揮は、特徴的なものではないが、独奏に配慮した細やかな美しさがあって、それがピアノの繰り出すルバートにマッチし、ソフトで洗練された仕上がりとなる。また、全曲を通して醸し出される情感が、とても純粋な瑞々しさに満ちていることは、この楽曲に相応しい。有名な第2楽章の旋律など、夢心地といって良い聴き味だ。 2016年録音の協奏曲第1番とバラードを収めたアルバムも素晴らしかったが、当アルバムも、それに匹敵する上々の内容。チョ・ソンジンというピアニストの芸術に、たっぷり浸れる1枚です。 |
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ショパン チェロ・ソナタ 序奏と華麗なるポロネーズ 「悪魔ロベール」の主題によるコンチェルタント・グラン・デュオ 練習曲 op.25-7(グラズノフ編曲版) 夜想曲 第4番 op.15-1(フランショーム編曲版) フランショーム チェロとピアノのための夜想曲 op.14-1 vc: ガベッタ p: シャマユ レビュー日:2015.10.27 |
★★★★★ 名曲「ショパンのチェロ・ソナタ」に登場した最新の名盤
アルゼンチンのチェリスト、ソル・ガベッタ(Sol Gabetta 1981-)とフランスのピアニスト、ベルトラン・シャマユ(Bertrand Chamayou 1981-)による、編曲ものを含めたショパン(Frederic Chopin 1810-1849)のチェロとピアノのための作品集。2014年の録音。収録曲は以下の通り。 1) ショパン チェロ・ソナタ ト短調 op.65 2) ショパン 序奏と華麗なるポロネーズ op.3 3) ショパン 「悪魔ロベール」の主題によるコンチェルタント・グラン・デュオ ホ長調 4) ショパン 練習曲 op.25-7 ~グラズノフ(Aleksandr Glazunov 1865-1936)編曲 5) ショパン 夜想曲 第4番 op.15-1 ~フランショーム(Auguste Franchomme 1808-1884)編曲 6) フランショーム チェロとピアノのための夜想曲 op.14-1 5)は、「夜想曲 第4番」と表記したが、ABA構造のA部分が「夜想曲第4番ヘ長調op.15-1」、中間のB部分が「夜想曲第11番ト短調op.37-1」を用いたもので、2曲を併せて、ト長調の作品として整え直したもの。練習曲 op.25-7は、原曲は嬰ハ短調だが、グラズノフの編曲により、調性はホ短調に移行している。「悪魔ロベール」はジャコモ・マイヤベーア(Giacomo Meyerbeer 1791-1864)の歌劇であり、コンチェルタント・グラン・デュオのスコアはショパンとフランショームの共同作業で作成された。 すでにたびたび名前を書かせていただいたが、ショパンのチェロ・ソナタは、パリで親密な間柄だったチェリスト、オーギュスト・フランショームのために書かれた。このソナタは、ショパンの書いたピアノ・ソナタ第2番や第3番に比べると、知名度が低く、録音点数も少ないが、間違いなく名曲であり、私はピアノ・ソナタに比べて劣るとは考えていない。 これまで、この曲にはウィスペルウェイ(Pieter Wispelwey 1962-)とジャコメッティ(Paolo Giacometti 1970-)による1997年録音の名盤(CCS 10797)があり、私はこれを楽しんできたのだけれど、ここに意外な二人による名盤が登場した。意外というのは、ガベッタとシャマユの共演による録音自体が今回が初めてだったからである。しかし、聴いてみると、素晴らしい相性を感じさせる。ウィスペルウェイがかなり細やかな表現を用いて繊細な音像を作り上げていたのに対し、当盤の演奏は、朗々たる響きがあり、重厚さを感じさせる。 ショパンのチェロ・ソナタは、ショパンの作品群の中では後期作品に位置づけられる。簡明な甘美さに加えて、特有の幽玄さを持っていて、そのことが私を魅了する。このガベッタとシャマユの演奏は、その点でよく楽曲の味わいを引き出している。ガベッタの音は強さよりも広がりを感じさせる響きで、そのことがどこか神々しく、かつスケールの大きい雰囲気をもたらす。シャマユのピアノは、堀の深い響きで、デュオにしては主張が強い傾向もあるが、この楽曲ではそれが良い方向に作用している。緩徐楽章の幽玄と評したい美感は得難いもので、彼らの演奏が、楽曲の深部に到達していることを実感させる部分だ。 他の収録曲も面白い。「悪魔ロベール」の主題によるコンチェルタント・グラン・デュオは、それぞれの器楽パート・スコアを、その器楽のスペシャリストたちが手掛けただけあって、両楽器が確かな主張をもって存分に美しく鳴り渡っていて、これは意外な聴きものと言って良い。 練習曲 op.25-7 のグラズノフによる編曲も初めて聴いた。私はこの原曲が大好きで、ショパンのエチュード集の中でもとくに弦楽器的なカンタービレが重視される作品だと思うけれど、なるほど、チェロという楽器で弾かれると、とてもよく響く。夜想曲以上に内省的な甘美を感じさせてくれる。ガベッタとシャマユの演奏は美しい限りで、この録音を聴くだけでも買う価値アリというくらい、個人的には感動した。 フランショームによる夜想曲の編曲は、2つの別の曲が違和感なく連続するところが新鮮。また、フランショーム自身の作品は、ショパンの影響を思わせる。当アルバムへの収録は、ショパンとフランショームの関係が、本アルバムの一つのテーマであったことを、改めて意識させてくれる。 |
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ピアノ独奏曲 全集 p: アシュケナージ レビュー日:2007.7.10 |
★★★★★ 20世紀を代表する名盤の一つ
1937年に生まれたウラディーミル・アシュケナージが2007年で70歳になる。私も随分と彼の録音にはお世話になったものである。じっさい、この音楽家がいなければ、私はこれほどクラシック音楽にのめりこむことはなかったであろう。 そのアシュケナージの録音上の最大の功績の一つといえるのが、この「ショパンのピアノ独奏作品全集」ではないだろうか。20世紀を代表する名盤の一つといっても過言ではあるまい。実際、ピアノの詩人と謳われたポーランドの大作曲家の作品を、これほど、卓越した技巧で弾き通し、しかも詩情を湛えたまじめな録音活動は、あらゆる意味で高く評価されてしかるべきだろう。 ショパンには、それこそ数多くの作品があるが、アシュケナージの演奏は、どの曲においても現代的な中庸の美を備えており、しかも激しい情動や慟哭についても篤い共鳴を感じさせてくれる。例えば、練習曲の作品25-6の高貴な不安や、夜想曲第17番の天国の音色、舟歌における現代的なバランスに富んだアプローチ、ポロネーズ第5番の野性的なリズム感、バラード第2番の後半に見せる奔放な情熱・・・。何度聴いても“ショパンである”という根源的な説得力を感じずにはいれない録音たちである。この全集の存在に感謝したい。 |
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ピアノ独奏曲 全集(再発売版) p: アシュケナージ レビュー日:2010.4.3 |
★★★★★ 素晴らしいショパン
2010年はフレデリック・ショパンの生誕200年にあたる。3月現在ですでに様々なアニヴァーサリー・リリースがあるが、このアシュケナージによるショパンのピアノ・ソロ作品全集もその一つ。1976年から85年にかけて録音されたもの。 私にとってアシュケナージの弾くショパンは啓示であった。音楽の世界に分け入る里程標であり、一曲一曲を聴き込むごとに、深い情緒が得られた。ショパンは「ピアノの詩人」と呼ばれる。しかし技術だけで弾きこなしても、ショパンの音楽は人の心を揺することはない。演奏家の卓越した感性が必要である。アシュケナージのピアノは、技術、音色とも見事だが、それ以上に痛切とも思えるショパンへの共感が伝わる。 もちろん、アシュケナージは同時に現代的な感性を持ち合わせている。なので、共感といってもむせび泣いたり、叫んだりと言う単純なものではない。西欧モダニズムの教養を背景とした外的均衡を保ちながらショパンの光と影を描いている。それは、稀有のピアニズムの証左である。 不安と絶望に支配された圧倒的な力強さを秘めるソナタ第2番、透明な悲しみとパッションの奔流が交差するソナタ第3番、吉田秀和氏が「ポリーニと双璧」と湛えたエチュードは、終曲に向けて太い詩情を訴え、圧巻に盛り上がる。ショパンがジョルジュ・サンドとマジョルカ島への逃避行のおりの「ヴァルデモーザの僧院」で書いたとされる「雨だれの前奏曲」・・そのエピソード自体の信憑性はナゾだが、ロマンティックな曲想ならではのアシュケナージの暖かみも忘れ難い。ポーランドの詩人アダム・ミツキェヴィッチの詩に霊感を受けて作曲された「バラード」、そして極めて重く深刻な情緒が支配する大曲群「スケルツォ」。いずれもショパンはスゴイ!それが伝わる演奏だ。シューマンが「もし踊るのであらば、相手の婦人は少なくとも伯爵夫人でなければならない」と評したワルツは美麗で健康的に奏でられる。そして、ノクターン・・・「ノクターン」を「夜想曲」と訳した人は本当にロマンティストだ。それにしてもアシュケナージのノクターンの美しいこと。まさに全集の白眉とも言える。第16番、第17番、第18番では美しい冥界の扉に誘うようだ。また知情意の絶妙のコントロールを利かせた「舟歌」「子守唄」、躍動しながらも鋭く描写されたポロネーズも言うまでもなく素晴らしい。 これほどのレベルで「全集」が聴けるというのは、まさに音楽愛好家にとって、ショパン・ファンにとって福音である。また、録音時期のためアナログ録音とデジタル録音が混在しているが、デッカの素晴らしい録音技術のため、これもまったく問題とはならない。 |
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ピアノ・ソナタ 全集 マズルカ 第10番 第11番 第12番 第13番 練習曲 第6番 第15番 第16番 第22番 第23番「木枯らし」 p: アンスネス レビュー日:2004.2.11 |
★★★★★ お買い得ディスク!演奏内容も美事!
この内容でこの安さ!というびっくりサービスのアルバムです。 収録曲目はショパンのピアノ・ソナタ(第1番、第2番「葬送行進曲付」、第3番)マズルカ(第10番、第11番、第12番、第13番)練習曲(第6番、第15番、第16番、第22番、第23番「木枯らし」)。 中でもソナタ1番の録音は珍しいものだが、とくに終楽章など充実した音楽で、このアンスネス盤は現役ではアシュケナージ盤と双璧といえるものだ。 このアルバムは90-91年に録音されており、アンスネスは若干20歳前後。しかし、その完成度は驚くほど。とにかく精緻な響きで、十分練られたプロトタイプを確実に表現していく。和音の充実した響きの美しさは衝撃的だ。 それに、第3番の第3楽章、これを本当にしっとりと聴かせてくれる演奏というのは意外に少ないのだが、アンスネスの表現は落ち着いた潤いに満ちている。こうなってくると、マズルカ、エチュードもぜひ全曲録音してほしいものだ。 |
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ピアノ・ソナタ 全集 p: ダン・タイ・ソン レビュー日:2018.7.18 |
★★★★☆ 音色の美しさと気高さが美点。ダン・タイ・ソンのショパン。
1980年のショパン国際ピアノ・コンクールで、アジア人として初めての優勝を果たしたベトナムのピアニスト、ダン・タイ・ソン(Dang Thai Son 1958-)による、ショパン(Frederic Chopin 1810-1849)の3つのピアノ・ソナタを収録したアルバム。2001年の録音。 収録機会の少ない第1番も含めてソナタ全曲が収録されている。ショパンが十代の頃に書いた第1番を録音するピアニストは多くはなく、私が所有しているものでは、他にアシュケナージ(Vladimir Ashkenazy 1937-)とアンスネス(Leif Ove Andsnes 1970-)のものくらい。確かに他の名作2曲と比較してしまうと、内容的な乏しさは否めないのであるが、そこまでスルーしてしまう作品でもないように思うのだけれど・・・。実際、アシュケナージ盤でも、アンスネス盤でも、それぞれ音楽的感興のある演奏を聴くことが出来る。 さて、このダン・タイ・ソンの演奏。こちらもなかなか見事なものである。そこには、ショパン作品へ対する奏者の深い思いとともに、作品と奏者としての一定の距離感を常に保つという解釈者の美学が貫かれている。その結果、安定した世界を確保した上で、十全に歌を紡いだ演奏となっている。 ソナタ第1番では、第1楽章からすでにショパンならではの連綿たる歌が流れるのであるが、ダン・タイ・ソンはその間隙を適度に設けるような響きで、明晰な美しさを感じさせながら丁寧に弾いていく。つねに弾き飛ばしにならないような自制が効いていて、たとえショパンの若いころの作品であろうと、世評の高くない作品であろうと、自身にとっては大切な音楽なのだ、という思いが伝わってきて、とても好ましさを感じられる演奏となっている。終楽章など、その後のショパンの作風を思うと、ずいぶん一本気な音楽なのだけれど、そこにも憂いに通じる情緒があり、適度に心地よいタメがある。 ソナタ第2番も同様で、ある種の気高さを感じさせる演奏。もちろん、この曲には、より若々しい熱狂的な側面があってもいいとも思うのだけれど、ダン・タイ・ソンは一定のラインをキープさせて、スタイリッシュな響きにまとめる。重さがない代わりに、音色そのものの美しさを全般に堪能できる。第2楽章は、やや守りに入った表現で、熱的なものに足りないように聴こえなくもないが、第3楽章の中間部では、ややスローなテンポで、旋律を奏でる右手の一つ一つにじっくりと力をためた響きがあって、心打たれる。一陣の風といわれる終楽章も、マイルドな中庸の美を感じさせる。 ソナタ第3番は、ダン・タイ・ソンのアプローチにより向いた作品と言えるだろう。ある意味、普遍性を感じさせる解釈と言えるだろう。フレーズの扱いがとにかく丁寧で、これを補佐する音との色分けを常に優先的に意識している。そのため、ところどころにタメが生まれるが、音楽表現の中で的確に消化されていて、全体的には、詩情として聴き手に伝わってくる。クセがないわけではないが、それを「クセ」として聴き手に妙な意味で気にさせることのないような、ソツのない表現で、手堅くまとめた演奏と言っていいだろう。 ダン・タイ・ソンが、一つの貫禄を感じさせるところまで到達し、じっくりと作品と向かい合って録音したショパンであると実感させられる。 |
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ピアノ・ソナタ 全集 4つのバラード 4つのスケルツォ p: プリマコフ レビュー日:2019.9.28 |
★★★★★ 瑞々しい感覚美を示すプリマコフのショパン
ロシアのピアニスト、ワシリー・プリマコフ(Vassily Primakov 1979-)によるショパン (Frederic Chopin 1810-1849)の3つのソナタ、4つのバラード、4つのスケルツォを収録した2枚組アルバム。収録順は、作品番号順になっており、すなわち以下の通りとなる。 【CD1】 1) ピアノ・ソナタ 第1番 ハ短調 op.4 2) スケルツォ 第1番 ロ短調 op.20 3) バラード 第1番 ト短調 op.23 4) スケルツォ 第2番 変ロ短調 op.31 5) ピアノ・ソナタ 第2番 変ロ短調 op.35 「葬送行進曲付」 【CD2】 6) バラード 第2番 ヘ長調 op.38 7) スケルツォ 第3番 嬰ハ短調 op.39 8) バラード 第3番 変イ長調 op.47 9) バラード 第4番 ヘ短調 op.52 10) スケルツォ 第4番 嬰ハ短調 op.54 11) ピアノ・ソナタ 第3番 ロ短調 op.58 これらの楽曲を作品番号順でソートした結果、ソナタの第1番ではじまり、第3番で終わるという構成になる。録音年について、詳細の記載はないものの、当盤のリリースが2013年であることを踏まえると、おそらく2012年ごろの録音だろう。 プリマコフには、いくつかの著名なコンクールでの入賞歴はあるが優勝歴がないこと、また、その録音が、メジャーレーベルからリリースされていないことなどがあり、日本国内での知名度はさほど高くないと思われるが、当録音は、プリマコフが現代を代表するショパン弾きの一人といって良い存在であることを示している。プリマコフにとって、ショパンが特別な作曲家であることは、自らの言葉で語られており、コンサートでは、アンコールでいつもショパンのマズルカを演奏するのだそうである。 当録音で聴くことのできるショパンは、瑞々しい感覚美に溢れたもの。ことさらな強音を避け、ペダリングとやわらかなスナップを駆使して、運動的で、伸縮性のあるピアニズムを武器とし、ショパンのフレーズに従った甘美なルバートを歌い、健康的な明るさをベースに情感を高らかに描き出していく。その感覚は主情的であるが、ベースには確かな技巧と現代的なバランス感覚がある。そのため、聴き手に「やり過ぎ感」を催させることはない。 例えば、ピアノ・ソナタ第1番の終楽章、アンスネス(Leif Ove Andsnes 1970-)やアシュケナージ(Vladimir Ashkenazy 1937-)に比べると、その音の「強さ」という観点では、あきらかにプリマコフは抑制的なのであるが、しなやかなバネの効いた伸縮で聴き味の豊かさを補い、前二者と比べて劣ることのない充実感を感じさせる。こまやかな自在性は、ショパンの音楽が持つ洒脱な要素を、チャーミングに表現してくれる。バラード第2番の劇的な後半部における低音のリズミックな効果、スケルツォ第3番での中間部の旋律に合いの手のように挿入される装飾フレーズの動感、葬送行進曲中間部の旋律の夜想曲を思わせるようなルバート、これらがいずれも、プリマコフのショパンの要素として、バランスよく配置されている。 当演奏において、逆に「欠けているもの」となると、それは「スケール感」ということになるだろう。バラードの第4番など、他の名手の演奏に比べると、こぢんまりとした印象となってしまい、物足りないかもしれない。ただ、それは、プリマコフが今後の芸術領域を深める可能性の一つであるととらえ、今の時点では、当録音に示された瑞々しい感性が、私にはとても魅力的なものに感ぜられるのである。 |
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ピアノ・ソナタ 第2番「葬送行進曲付」 第3番 幻想曲 p: アシュケナージ レビュー日:2005.1.1 |
★★★★★ クラシックの定番のひとつ
アシュケナージのショパン、となるとクラシックの世界でも定番中の定番といえるだろう。そして逆にその定番であることが、逆に割を食った評価になったりすることもある。強い主張がないということだろうか。 だがあらためてここに収録された2曲のソナタと幻想曲を聴いてみて、疑いなく、これこそショパンであるという、熱い思いに満たされる。イタリア語のbravura(ブラヴーラ)と表現される、ショパン音楽の底辺にある詩的なものに対する奏者の絶対的な感度が高いのだ。 聴いていて、矛盾がない、というか、思いそのものとしてまっすぐに伝わってくる。決して大げさでもなく、かといって冷めすぎてもいない。 例えばソナタ2番の1楽章。ちぎっては投げちぎっては投げの導入から展開部に入る。ここで重層的にアシュケナージのピアノは美しい輝きを放ちながら鮮やかな構造物を作り上げる。美しいガラスの城だ。この輝きは彼というピアニストに弾かれて、はじめて到達しうるものだ。 第2楽章、この曲を歌いながらもまとめあげるのは容易ではない。が、ここで間然することなく、かといって勢いに任せるだけでもない知性と感性が結実している。 不安と絶望に支配された圧倒的な力強さを秘める第2番。透明な悲しみとパッションの奔流が交差する第3番。ぜひこの演奏で聴いてほしい。 |
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ピアノ・ソナタ 第2番「葬送行進曲付」 第3番 スケルツォ 第2番 夜想曲 第13番 第14番 p: エデルマン レビュー日:2010.11.23 |
★★★★★ エデルマンが得意とするショパン、2枚目のアルバム
続々と注目すべき録音をリリースしているエデルマンによるショパンのソナタを中心としたアルバム。録音は2010年。クラシック音楽のアルバムには、録音から発売までどういうわけか随分間のあくものがある。エディットの作業に費やす時間の関係かもしれないけれど、個人的な印象として、発売まで時間がかかっているものほど完成度が高い、という傾向は別にないわけで、できることなら録音したものはできるだけ早くにリリースして欲しいと思う。早く市場に出た方が、それだけ聴かれる機会も多いに違いないのだから。 ここで、この話をしたのは、エデルマンのシリーズがいずれも録音から発売までの期間が短く、かつメディアとしての完成度も高いので、多方面において参考になるのではないかと思ったからだ。もちろん、買う側にも好印象の一因となる。 エデルマンのショパン・アルバムは2枚目。以前のバラード集も素晴らしかったので俄然期待が高まる。聴いてみる。とにかく重量級のショパンだ。ゆったりとテンポで、一つ一つ音の刻印が深く刻まれるのを確かめるように進む。かといって遅すぎるわけではない。音が十分に消化されるのに必要な間合いがキープされていて、それによって音楽を音楽たらしめているので、冗長な感じはせず、適切な密度を感じる。ソナタ第3番とスケルツォ第2番の2曲が特に素晴らしい。 ソナタ第3番は第1楽章から輝かし音色で一つ一つの決然とした鍵盤の響きが聴こえてくる。確実に、しかし調和を持って音楽が奏でられる。第1楽章は様々な情景が描かれているが、それらがいずれもスケール大きくまとめられていて、こういうのを大家風の演奏というのだろう。第2楽章も細やかな音の末尾と余韻のバランスに適度な幅があり、じっくり聴き入ることができる。第3楽章もしっかりとした足取りで、確実に進む堅実さが特徴的。終楽章も同様で、テンポは遅く、しかしスケールは大きく、エデルマンらしい骨太な音楽に仕上がっている。 スケルツォ第2番は低音の強烈な重量感が印象的で、この作品のダイナミズムをよく表現できている。これはソナタ第2番にも共通する。第13番と第14番の2つの夜想曲もゆっくりとした足取りでじっくりと弾かれていて聴きこんでしまう。 テンポ設定ゆえ、演奏時間が長くなるためCDが2枚組となって割高感があるのは残念だが、重々しいスタイルの演奏なので、50分程度ずつ1枚ずつ聴けるのは逆にありがたいという面もある。現代的なスピード感はないが、ショパンの音楽をじっくり聴けたという充足感を与えてくれるアルバムだ。 |
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ピアノ・ソナタ 第2番「葬送行進曲付」 第3番 24の練習曲 3つの新練習曲 24の前奏曲 前奏曲 第25番 第26番 4つのバラード 夜想曲全曲 マズルカ全曲 幻想曲 舟歌 子守歌 葬送行進曲 ポロネーズ 第7番「幻想」 コントルダンス 変ト長調 カンタービレ 変ロ長調 モデラート ホ長調 ラルゴ 変ホ長調 フーガ イ短調 変奏曲 イ長調「パガニーニの思い出」 p: フー・ツォン レビュー日:2022.3.28 |
★★★★★ フー・ツォンの貴重な録音が集められたCD10枚
1955年のショパン・コンクールで第3位に入賞した中国のピアニスト、フー・ツォン(Fou Ts'ong 1934-2020)は、1960年以後、イギリスに拠点を置いて芸術活動を行い、アジア出身のピアニストの草分け的存在として、広く知られるようになった。当盤は、フー・ツォンが、70年代後半から80年代前半にかけてCBSレーベルに録音した一連のショパン (Frederic Chopin 1810-1849)作品を集めてBox-set化したもの。収録内容は下記の通り。 【CD1】 1978年頃録音 1) 幻想曲 ヘ短調 op.49 2) 舟歌 嬰ヘ長調 op.60 3) 子守歌 変ニ長調 op.57 4) ポロネーズ 第7番 変イ長調 op.61 「幻想」 5) 葬送行進曲 ハ短調 op.72-2(遺作) 3つの新しい練習曲 6) 第1番 ヘ短調 7) 第2番 変イ長調 8) 第3番 変ニ長調 【CD2】 1977年録音 1) 夜想曲 第19番 ホ短調 op.72-1 2) 夜想曲 第20番 嬰ハ短調 (遺作) 3) 夜想曲 第21番 ハ短調 (遺作) 4) 夜想曲 第1番 変ロ短調 op.9-1 5) 夜想曲 第2番 変ホ長調 op.9-2 6) 夜想曲 第3番 ロ長調 op.9-3 7) 夜想曲 第4番 ヘ長調 op.15-1 8) 夜想曲 第5番 嬰ヘ長調 op.15-2 9) 夜想曲 第6番 ト短調 op.15-3 10) 夜想曲 第7番 嬰ハ短調 op.27-1 11) 夜想曲 第8番 変ニ長調 op.27-2 【CD3】 1977年録音 1) 夜想曲 第9番 ロ長調 op.32-1 2) 夜想曲 第10番 変イ長調 op.32-2 3) 夜想曲 第11番 ト短調 op.37-1 4) 夜想曲 第12番 ト長調 op.37-2 5) 夜想曲 第13番 ハ短調 op.48-1 6) 夜想曲 第14番 嬰ヘ短調 op.48-2 7) 夜想曲 第15番 ヘ短調 op.55-1 8) 夜想曲 第16番 変ホ長調 op.55-2 9) 夜想曲 第17番 ロ長調 op.62-1 10) 夜想曲 第18番 ホ長調 op.62-2 【CD4】 1978年頃録音 1) ピアノ・ソナタ 第2番 変ロ短調 op.35 「葬送行進曲付き」 2) ピアノ・ソナタ 第3番 ロ短調 op.58 【CD5】 1979年頃録音 12の練習曲 op.10 1) 第1番 ハ長調 2) 第2番 イ短調 3) 第3番 ホ長調 「別れの曲」 4) 第4番 嬰ハ短調 5) 第5番 変ト長調 「黒鍵」 6) 第6番 変ホ短調 7) 第7番 ハ長調 8) 第8番 ヘ長調 9) 第9番 ヘ短調 10) 第10番 変イ長調 11) 第11番 変ホ長調 12) 第12番 ハ短調 「革命」 12の練習曲 op.25 13) 第1番 変イ長調 「エオリアン・ハープ」 14) 第2番 ヘ短調 15) 第3番 ヘ長調 16) 第4番 イ短調 17) 第5番 ホ短調 18) 第6番 嬰ト短調 19) 第7番 嬰ハ短調 20) 第8番 変ニ長調 21) 第9番 変ト長調 「蝶々」 22) 第10番 ロ短調 23) 第11番 イ短調 「木枯らし」 24) 第12番 ハ短調 「大洋」 【CD6】 1979年頃録音 24の前奏曲 op.28 1) 第1番 ハ長調 2) 第2番 イ短調 3) 第3番 ト長調 4) 第4番 ホ短調 5) 第5番 ニ長調 6) 第6番 ロ短調 7) 第7番 イ長調 8) 第8番 嬰ヘ短調 9) 第9番 ホ長調 10) 第10番 嬰ハ短調 11) 第11番 ロ長調 12) 第12番 嬰ト短調 13) 第13番 嬰ヘ長調 14) 第14番 変ホ短調 15) 第15番 変ニ長調 「雨だれ」 16) 第16番 変ロ短調 17) 第17番 変イ長調 18) 第18番 ヘ短調 19) 第19番 変ホ長調 20) 第20番 ハ短調 21) 第21番 変ロ長調 22) 第22番 ト短調 23) 第23番 ヘ長調 24) 第24番 ニ短調 25) 前奏曲 嬰ハ短調 op.45 26) 前奏曲 変イ長調(遺作) 【CD7】 1982年頃録音 1) バラード 第1番 ト短調 op.23 2) バラード 第2番 ヘ長調 op.38 3) バラード 第3番 変イ長調 op.47 4) バラード 第4番 ヘ短調 op.52 5) コントルダンス 変ト長調 6) カンタービレ 変ロ長調 7) モデラート ホ長調 8) ラルゴ 変ホ長調(遺作) 9) フーガ イ短調(遺作) 10) 変奏曲 イ長調 「パガニーニの思い出」 【CD8】 1983年録音(マズルカの番号はヘンレ版) 1) マズルカ 第50番 ト長調 2) マズルカ 第51番 変ロ長調 3) マズルカ 第47番 イ短調 op.68-2(遺作) 4) マズルカ 第48番 ヘ長調 op.68-3(遺作) 5) マズルカ 第46番 ハ長調 op.68-1(遺作) 6) マズルカ 第1番 嬰ヘ短調 op.6-1 7) マズルカ 第2番 嬰ハ長調 op.6-2 8) マズルカ 第3番 ホ長調 op.6-3 9) マズルカ 第4番 変ホ短調 op.6-4 10) マズルカ 第5番 変ロ長調 op.7-1 11) マズルカ 第6番 イ短調 op.7-2 12) マズルカ 第7番 ヘ短調 op.7-3 13) マズルカ 第8番 変イ長調 op.7-4 14) マズルカ 第9番 ハ長調 op.7-5 15) マズルカ 第54番 ニ長調 16) マズルカ 第55番 変ロ長調 17) マズルカ 第10番 変ロ長調 op.17-1 18) マズルカ 第11番 ホ短調 op.17-2 19) マズルカ 第12番 変イ長調 op.17-3 20) マズルカ 第13番 イ短調 op.17-4 21) マズルカ 第56番 ハ長調 22) マズルカ 第57番 変イ長調 23) マズルカ 第42番 ト長調 op.67-1(遺作) 24) マズルカ 第44番 ハ長調 op.67-3(遺作) 【CD9】 1983年録音(マズルカの番号はヘンレ版) 1) マズルカ 第14番 ト短調 op.24-1 2) マズルカ 第15番 ハ長調 op.24-2 3) マズルカ 第16番 変イ長調 op.24-3 4) マズルカ 第17番 変ロ短調 op.24-4 5) マズルカ 第18番 ハ短調 op.30-1 6) マズルカ 第19番 ロ短調 op.30-2 7) マズルカ 第20番 変ニ長調 op.30-3 8) マズルカ 第21番 嬰ハ短調 op.30-4 9) マズルカ 第22番 嬰ト短調 op.33-1 10) マズルカ 第23番 ニ長調 op.33-2 11) マズルカ 第24番 ハ長調 op.33-3 12) マズルカ 第25番 ロ短調 op.34-2 13) マズルカ 第26番 ホ短調 op.41-1 14) マズルカ 第27番 ロ長調 op.41-2 15) マズルカ 第28番 変イ長調 op.41-3 16) マズルカ 第29番 嬰ハ短調 op.41-4 17) マズルカ 第52番 イ短調 「ノートル・タン」 【CD10】 1983年録音(マズルカの番号はヘンレ版) 1) マズルカ 第53番 イ短調 「エミール・ガイヤールに捧ぐ」 2) マズルカ 第30番 ト長調 op.50-1 3) マズルカ 第31番 変イ長調 op.50-2 4) マズルカ 第32番 嬰ハ短調 op.50-3 5) マズルカ 第33番 ロ長調 op.56-1 6) マズルカ 第34番 ハ長調 op.56-2 7) マズルカ 第35番 ハ短調 op.56-3 8) マズルカ 第36番 イ短調 op.59-1 9) マズルカ 第37番 変イ長調 op.59-2 10) マズルカ 第38番 嬰ヘ短調 op.59-3 11) マズルカ 第39番 ロ長調 op.63-1 12) マズルカ 第40番 ヘ短調 op.63-2 13) マズルカ 第41番 嬰ハ短調 op.63-3 14) マズルカ 第45番 イ短調 op.67-4(遺作) 15) マズルカ 第43番 ト短調 op.67-2(遺作) 16) マズルカ 第49番 ヘ短調 op.68-4(遺作) 詳しく調べたわけではないが、おそらく【CD4~7】は、初CD化音源となるのではないだろうか。マズルカ集は、単発売CDでは2枚組だったが、当盤では、3枚に渡って収録している。これも、確認したわけではないが、おそらく初出LPの収録をなぞらえるという演出で、このような構成になっていると思われる。 これらの録音のうち、ダントツで有名なのは夜想曲集。ただ、生産数が少なかったため、これまで入手が難しく、私も高価な中古で入手した記憶がある。そういった意味でも、当アイテムにより、あらためて、世にこの録音が流通するのは、フアンのニーズに合致したことだろう。 一通り聴いてみての印象は、情熱的で旋律線の濃い節回しがその魅力であり、せき止めてもせき止めても溢れる熱い情感が、つねに滾滾とわき出し、楽想を彩ることを止めないショパンといったところ。最近では、技術の点でフー・ツォンより優れたピアニストは多くいると言って良い。しかし、フー・ツォンの演奏には、彼ならではの歌があって、得難い価値を有している。中でも、評判の高いや夜想曲集がやはり目玉だろう。 ショパンの夜想曲は、左手のそれほど大きく変化することのない伴奏に合わせて、右手がたいへん叙情的な旋律を歌わせる点に特徴がある。また、左手の伴奏は(もちろん例外の箇所もあるけれど)基本的には一定のリズムで同じ数の音符が割り当てられていて、非常に規則的な印象を聴き手に与える。他方、右手は、いかようにも歌えるたっぷりしたカンタービレを内包しており、そのどちらに進行を委ねるのかにまず興味が行く。ざっくりと言ってしまえば右手中心の典型がピリスで、左手中心の典型がポリーニ(ちょっとざっくり過ぎるかもしれないが)。 以下、私なりの分類で、代表的な録音がどのあたりに属するのか書いてみると。。 ・左手タイプ ポリーニ ・準左手タイプ アシュケナージ、ユンディ・リ、ワイセンベルク ・中間タイプ ルービンシュタイン、フェルツマン、フレイレ ・準右手タイプ チッコリーニ、ヴァーシャリ、チアーニ ・右手タイプ ピリス あくまで、「私が全集を聴いた録音」について「私なりの感覚で判断して」の分類である。言葉を変えれば左手タイプほど感覚的、右手タイプほど感傷的な演奏と言えるだろう(これも大雑把な切り口であることは認めるが)。それで、私の単純な好みで書くと、ピリスの演奏は「やり過ぎ」で、ちょっと胃もたれがしてしまうのである。私が聴く回数で言えば、アシュケナージが一番多いだろう。ユンディ・リやワイセンベルクもよく聴くので、私の好みの中心はそこらへんなのかもしれない。それで、このフー・ツォンの演奏、私が分類するなら、「準右手タイプ」である。ルバートの幅が大きく、装飾的な音型の前後でおおきなタメを作ることも厭わない。しかし、ピリスの演奏と比べて違うのは、ベースに置かれた静謐が、気高いレベルを維持している点である。その点において、フー・ツォンの演奏は高貴さを保っている。 フー・ツォンの演奏は、静謐をベースとしているが、何かの瞬間に、一気に吐息のように情熱が吐き出される瞬間があって、その抑揚にショパンの音楽のロマン性が一気に溢れてくる魅力がある。私は、そんなフー・ツォンの夜想曲では、特に初期から中期にかけての演奏が良いと感じる。第4番の両端における3連音にやどる巧妙なニュアンスは詩情を高め、第8番のゆっくりした左手の伴奏にはモノローグのような情感が宿る。第10番の和音のスタッカートには独特のクセを感じるが、味わいとなって音楽的に的確に消化されているだろう。その他、前述のような前打音等の前後のタメから生まれる鮮やかな情熱の本流は、つねに忘れがたい熱さを聴き手の気持ちに流し込んでくれる。他方で、後期の作品、例えば、第16番、第17番、第18番といった楽曲では、個人的好みで言えば、より嫋やかで静謐な神秘さが欲しいと思うところもあった。だが、全体的には、このピアニストの代表的録音と呼ぶにふさわしいもので、いまなおショパンの夜想曲の代表的録音として推す人がいることもよく分かる。 前奏曲集も良かった。全体の流れの中で、一曲一曲に適度な重さが与えられた感があり、とても聴き易い。第3番のト長調の軽やかさにその魅力は凝縮されていると思う。他方で第17番の変イ長調など、もっとコクのほしいところもあるが、自由なようでいて、不思議と統一感があり、聴き味がとても良い。 夜想曲以外でフー・ツォンの特徴が典型的に顕れている楽曲として、3つの新しい練習曲の第1番を上げたい。冒頭に聴かれる主題を、これほど濃い緩急で施した演奏というのは、ちょっと聴いたことがない。もう「コブシが効いている」と表現したいくらいに思いのたけを込めた表現だ。ただ、フー・ツォンの演奏は、それでいて不思議と聴いていて胃もたれするような感じにならない。音楽的教養の深さを感じさせるポイントを押さえたベースがあって、それゆえに音楽の輪郭が大きく崩れる感じを受けないためである。これがフー・ツォンのショパン、なのだろう。 舟歌は冒頭のズシーンと来る低音が、全体の雰囲気を占める効果を持つ。中間部の歌い上げも熱気を孕んで、聴き手の気持ちを高揚させる。ショパンの初期の作品、葬送行進曲が録音される機会は少ないが、フー・ツォンの演奏は、明るい印象で、付点のニュアンスなど、幻想曲と通じるものを感じさせてくれる。子守歌も耽美的だが、その旋律の歌わせ方に、やはり熱いものの流れを感じる人は多いだろう。 マズルカ集は、かなり外向的で、メタリックな光沢を感じさせる演奏。フー・ツォンがピアノから繰り出す響きは、輝かしく、ペダルも積極的に用い、ダイナミックレンジも広い。劇的で情熱的と言って良い。ただ、その一方で、しばしば、楽曲本来の適切なスケール感から踏み出してしまったような印象も受ける。第51番なんて、こんなに能弁で、濃密な表現は、ちょっと肌になじまない感じがしてしまう。後期の充実した作品では、その違和感はほとんど感じられないので、op.56やop.59といった有名曲が並んでいるあたりは、しっかりとした歯ごたえのある、鳴りの良いマズルカとして、なかなか聴かせる演奏と感じる。その一方で、op.7の5つのマズルカあたりを聴くと、より「抑制的」なもの、というか、より「日常的」なものを描くような、間合いや息遣いが相応しいと感じる。もちろん、それらの特徴も含めて、フー・ツォンのマズルカには、特有の個性がある、ということになる。表現性豊かで、色彩感に富む響き。装飾音や内声部の強調、アクセントやルバートの多用による華やかな表情付け。それでいて、楽曲一つ一つが、相応にきちんとした枠に収まると言う芸術的完結性。確かに、一人のマズルカ弾きとして、フー・ツォンという芸術家の存在を感じさせるのに十分なものだろう。なので、各聴き手が、マズルカという曲集に、どのような思い入れや感情を抱いているかによって、当盤の受け入れ方も違ってくるのだろう。個人的には、マズルカには、ショパンの他の曲と比較して、日記的なイメージを持っているので、フー・ツォンの解釈は、少し肥大気味に感じてしまうところが残る。 ソナタ、エチュード、バラードなど、これらの楽曲の演奏としては、深刻さより歌謡性にあきらかに重心を置いたスタイルで、面白い。葬送行進曲の付点の色付けや、木枯らしのエチュードのアヤにフー・ツォン節の刻印を感じるし、黒鍵のエチュードやop.10-11、op25-3における雅な響きは、浮遊感とでも称したい愉しさに満ちている。 フー・ツォンのショパンは、フー・ツォンの完成された流儀で、その芸術を私たちに味わわせてくれるものであり、それがしっかりとした量を伴って、私たちに聴く機会を与えてくれる当盤の存在は、たいへん貴重でありがたい。 |
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ピアノ・ソナタ 第2番「葬送行進曲付」 第3番 夜想曲 第14番 舟歌 p: ブレハッチ レビュー日:2023.4.6 |
★★★★★ 豊穣な響きで、聴き手を詩情豊かな世界に誘ってくれる、ブレハッチ久々のショパン。
2005年のショパン・コンクールで優勝したポーランドのピアニスト、ラファウ・ブレハッチ(Rafall Blechacz 1985-)によるショパン (Frederic Chopin1810-1849)のピアノ独奏曲集。収録曲は下記の通り。 1) ピアノ・ソナタ 第2番 変ロ短調 op.35 「葬送行進曲付」 2) 夜想曲 第14番 嬰ヘ短調 op.48-2 3) ピアノ・ソナタ 第3番 ロ短調 op.58 4) 舟歌 嬰ヘ長調 op.60 2021年の録音。 ブレハッチは録音には慎重なタイプらしく、ショパン・コンクールに優勝し、ドイツ・グラモフォンと契約をした後も、新譜は2年に1度くらいのペース。ショパンの独奏曲集も、2013年録音のポロネーズ集以来で、フアンとしては、もう少し録音頻度を上げてほしいと思うところもある。 ただ、それは芸術創作活動の一環であるし、当然ブレハッチにはブレハッチの録音すべきタイミングというものがあるのだろう。このたびはショパン作品の代表的名作である2曲のソナタを中心としたアルバムであり、上記の背景もあって、多くの音楽好きが興味を示すものであろう。 聴いてみると、なるほど吟味を重ねたのであろう工夫を感じさせる表現で、ショパンの演奏に不可欠な詩情をたたえた、薫り高い演奏となっていると思う。力強さが必要な部分では、十分な音の重みにより、それが表現されている。ソナタ第2番は、重々しく開始されるが、第1主題は、豊かな抑揚に従って、滑らかかつしなやかな響き。流麗でありながら個性的な起伏もある。ブレハッチの音色は、丸みがあって、肉厚なものであり、第2ソナタの第1楽章を聴いただけで、それゆえの雄弁さが音楽表現として結実したという感を得ることが出来る。第1楽章の最初の展開部が終わって、冒頭に戻る(リピートを実行している)際の、低音のズシーンとした響きは、この録音の存在証明のように、聴き手に強い訴えかけを感じさせるだろう。第2楽章は「真面目さ」と「熱さ」が同居し、それらが時にせめぎ合うような表現で、しかしながら求心性を失わない。第3楽章の葬送行進曲は、一転して素朴な表現であり、個性的なものの表出は必要最小限にとどめ、自然に進む。とはいえ、潤いある情感を失うことはない。終楽章も第3楽章とほぼ同様のスタンスで、装飾性は少ないが、情感がある。 夜想曲第14番は、ブレハッチがコンサートで、ソナタ第2番と併せて取り上げることの多い作品で、録音でもそれが踏襲されたということは、ブレハッチにとって、両曲が並ぶことについて、ある種の必然性があるのかもしれない。こちらも淡いながらもまろやかな情緒を引き出した美演。全体的な音響の優美さは、いかにも楽曲を手中に収めた練達者の演奏といったところ。 ソナタ第3番は、全般にやや早目のテンポが主体となり、ところどころ間を詰めたような表現が顔を出す。第1楽章の中間部では、ややテンポを戻し、熱のこもった歌に転じるあたりは、演出として劇的な傾向を感じさせる。第2楽章もテンポは速めだが、肌理の細かい表現が心地よく、その自在性が情感を発露させる。第3楽章も、古典的な均衡性を尊ぶテンポとスタイルになっている。一方で、音色そのものは、発色性豊かで、それが情感の構築に寄与している。終楽章は運動美に満ちており、とくに音階を駆け巡るさまは、ある程度自由な抑揚を伴いながら、バランスを崩さない全体像の中で、的確に配置された感が深い。颯爽としながら、含みのある演奏となっており、聴き応えは十分と感じた。 舟唄が収録されているのは嬉しい。ブレハッチの舟歌は、控えめにはじまりながら、旋律線を自然に提示する。以後もスムーズかつスマートにフレーズが流れており、情熱的表現としては抑制的だが、メロディの歌謡性は十分にのびやかに歌われていて、これも佳演。 |
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ピアノ・ソナタ 第2番「葬送行進曲付」 ポロネーズ 第7番「幻想」 夜想曲 第5番 第8番 バラード 第2番 第3番 第4番 p: S.ネイガウス レビュー日:2006.12.10 |
★★★★★ 抑制部と開放部の対比、見事な浪漫性の開花
「ロシアピアニズム名盤選」シリーズから。スタニスラフ・ネイガウス(Stanislav Genrikhovich Neuhaus 1927-1980)の1971年モスクワ音楽院大ホールにおけるライヴ録音。録音状態は良くはないが、条件を考えればまずは十分な範囲であろう。 ロシア・ピアニズムにおける偉大な存在であるゲインリヒ・ネイガウスの息子であるスタニスラフもまたロシアピアニズムの一つの形を具現化した象徴的存在である。ここでは彼の限られたレパートリーの中でも、特に真価を発揮したショパンの作品ばかりが収録されている。特にピアノ・ソナタ第2番、バラード第4番、幻想ポロネーズといった傑作が含まれているのがうれしい。 スタニスラフ・ネイガウスのピアニズムは野生的な感情の吐露にある。しかしの感情は厳格な音楽教育によって裏打ちされたスラヴ的な野太さを持ったもので、決して屈曲したものではなく、壮大な凍土の咆哮のようなものを感じさせる。その一方で連綿たる情緒も存分に持ち合わせており、まったく今となっては聴くことができないスタイルのものだ。冒頭の幻想ポロネーズでは意外なほどさらっと突入するが、後半、曲が白熱するにつれて、汲み尽くすことのできない情念があふれ出てくる。そのエネルギー量の多さに圧倒される。一方で夜想曲第8番と第5番では、旋律を存分に歌わせて酔わせてくれる。ピアノ・ソナタも第1楽章の展開部から凄まじい様相をみせている。スケルツォでは制御の取れていない部分もあり、聴き手の評価も分かれるかもしれないが、そうまでして獲得した何かを感じさせずにはおかないものだ。バラードでも抑制部と開放部の対比における浪漫性の開花は見事といえる。とにかくよくぞ録音が残っていてかつこのようなシリーズで発売してくれたことを感謝である。 |
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ピアノ・ソナタ 第2番「葬送行進曲付」 バラード 第2番 マズルカ 第22番 第23番 第24番 第25番 ワルツ 第2番「華麗なる円舞曲」 第3番「華麗なる円舞曲」 第4番 即興曲 第2番 p: ポリーニ レビュー日:2008.10.11 |
★★★★★ ポリーニの新たな意趣を感じる選曲
夜想曲全集(2005年録音)以来のポリーニによるショパンであるが、今回は従来のような「同じカテゴリの作品を集めたアルバム」ではなく、「同時期に作曲された作品を集めたアルバム」となった。この点がまず意外である。これまでポリーニが作品を録音するにあたって、このような企画的意図を持つことはなく、むしろそれと違う次元のアプローチをクールに心がけるタイプだと思ったからだ。私は、かつてアシュケナージがショパンのピアノ独奏作品を録音するとき、今回のポリーニのように「作曲年代」順の録音を行っていたことを思い出す。もちろん、それでも全体を通して一貫したレベルにあり、そのため、それを夜想曲集やポロネーズ集という形で再編集しても、まったく「型ずれ」のようなものはおきなかったのだが、それでもポリーニの場合、メインのソナタ第2番やそれに継ぐ大曲のバラード第2番が「再録音」に当たる分だけ意外さも増した。作品37の夜想曲が収録から漏れているのは、さすがに直近の録音から間が無さ過ぎたためだろう。 というわけで、ここに収録されているのは1837年から1839年にかけて生まれた作品たちである。1837年というとジョルジュ・サンドとの恋愛関係が始まった年でもあり、マジョルカ島への逃避滞在の時期も重なっている。音楽への情熱と憂いが率直に表現された作品たちだと思う。 いずれも再録音となるソナタとバラードは早めのテンポでダイナミックな活力に満ちている。ソナタの第1楽章で再現を提示部から繰り返しているが、音楽に冗長感はみられずビシッとしている。しかも旧録音に加えて表現の幅が増しており、第1楽章の展開部の多層な響きは充実感があって見事。 3曲のワルツはいくぶん乾いたタッチで粒立ち良い音色が心地よい。第3番の悲しみも高雅に昇華されていて、さすがにポリーニのショパンであると唸らされる。第4番の華麗な演奏効果も上々。マズルカもインテンポで感情を抑えた伴奏により、旋律が気高さを纏う印象的な演奏。しかし、個人的に一番その美しさに打たれたのは即興曲第2番である。この曲の持つ様々な感情を決して過度にならず適切に表現し、かつ他の魅力も様々に伝わってくる。私にとって、この曲がこんなに名曲として響いたのは久しぶりだった。 |
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ピアノ・ソナタ 第2番「葬送行進曲付」 スケルツォ 第2番 第3番 バラード 第1番 第2番 マズルカ 第47番 p: ヴェデルニコフ レビュー日:2004.2.11 |
★★★★★ 希有なる重力的ショパン
ヴェデルニコフが弾くショパンの当時の評から~「ヴェデルニコフのショパンを聴いて、ショパンがなぜ39歳で死なねばならなかったのかを理解できたように感じた。ショパンは自分の生命と引き換えにひとつひとつの音を書いていったのではないだろうか。恐ろしかった。生まれてはじめて真のショパンを聴いた。」・・・ 最近の技巧的にすぐれたピアニストたちもさかんにこれらの曲にアプローチし、そして良演を示すが、ヴェデルニコフ盤はやはり「重み」を感じる。ズシーンとくるのだ。かといってそれは過度な表情付けではない。その重みに支配された重力的ショパンとして実に安定した三角形の演奏なのだ。きちっとしている折り目正しいマナーで、しかもメロディはロマン派の情緒をかもし出す。これは希有な名演だ。 |
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ピアノ・ソナタ 第2番「葬送行進曲付」 12の練習曲op.10 舟歌 p: フレイレ レビュー日:2010.7.5 |
★★★★★ 抑制が効きながら、過不足ない情緒とパッションが描かれる良演
ネルソン・フレイレによるデッカ・レーベルへのショパン・アルバム第2弾。前回と同じくソナタと練習曲という組み合わせ。さらに舟歌も収録されている。録音は2004年。 前回に引き続いて、どちらというとコントロールの効いたスタイルの演奏で、しかし、十分な内的燃焼を感じる演奏。良い演奏だと思う。私はこれまで、多くのソナタ第2番の録音を聴いたが、フレイレの演奏はバランス感覚に秀でているという点に特性があるのでは?詩情の自然さではアシュケナージを思わせるが、アシュケナージほどの白熱ではなく、かつての録音で比較的近いのはアンスネスかな?と思うがどうだろう。 第2番の冒頭はいくぶんフレキシビリティがあり、その後も旋律線を明快に響かせており、音楽は十全に機能しているだろう。第2楽章もルールを守り、適切なテンポを保ちながら、ほどよいたたみ掛けの効果があり、音楽の外向的な側面も十分に満たしている。第3楽章の「葬送行進曲」は重々しい行進曲と甘美な第2主題をダイナミックに描き分けていて面白いが、他の楽章に比べると少し作為的な感じもする。しかし、後半に葬送行進曲へ戻ってくるところなど、捨て難い迫力がある。第4楽章は無窮動的ながら些末な儚さが相応しい。 練習曲も過度にエモーニッシュにならない安定感に富んだ演奏。強い個性を感じるわけではないが、いずれも上手く弾かれていて、ショパンの曲らしい甘美さや激しさが模範的に伝わってくる。作品10-1では、高度な技術がありながら、その技術を抑制と心地よい流れに割いていて、クリアな音楽に聴こえる。作品10-3や10-6の情感も、フレイレらしい仄かな、しかし確かに甘い歌があり、好意的に感じる人は多いと思う。 舟歌も同様で、パッションを抑えながら、夜想曲のように耽美的に描かれている。フレイレはかつてよくアルゲリッチと共演した記憶があるけれど、この舟歌なんか聴くと、どうしてどうして、二人の個性はまるで交わらないようにも思うのだけれど、フレイレの個性が変化したのか、それとも「合わせ上手」なのか。いずれにしても、私はこのフレイレの演奏はアルゲリッチのバリバリ系舟歌よりずっと好きである。 |
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ピアノ・ソナタ 第2番「葬送行進曲付」 4つのスケルツォ 夜想曲 第16番 第17番 第18番 第19番 p: ロルティ レビュー日:2010.6.28 |
★★★★☆ ショパン生誕200年にリリースされたロルティ久々の新録音
1986年録音のエチュード集、1997年録音のプレリュード集のアルバムに続く、CHANDOSレーベルのルイ・ロルティによる久しぶりのショパン・アルバム。2009年の録音で、使用楽器はファツィオリとなっている。豪華な収録曲で、夜想曲(第16番~第19番の4曲)と4つのスケルツォ、そして最後にソナタ第2番となっており総収録時間は79分を越えている。また、前半の夜想曲とスケルツォは互い違いになるように収録されている。 ロルティのショパンというと、一部ファンの間で有名なのがエチュードの録音で、その爽快で潤いのあるピアニズムは語り草である。それで、この録音も「待たれた」録音だと思う。 本アルバムの全体を通しての印象は、以前聴いたエチュードやプレリュードとほぼ同じであり、軽快にしてスポーティーなショパンであり、かつメロディもよく歌われている。ただ、スケルツォやソナタの場合、ショパンの作品の中でも深刻な相貌を持つものなので、このアプローチが全肯定的なものか、というとやや微妙に思う。例えばスケルツォの第2番はショパンの書いた最も逞しく神々しい音楽の一つだと思うけれど、ロルティは低音を重々しく鳴らさず、音の重なりを最小限にとどめ、ほとんど「引っかかり」のない流麗な音の奔流を編み出している。そのテクニックは鮮やかで、気持ち良い。しかし、この音楽が持っている大事な何かを言う前に終わってしまっているような、表現し難い「残してきた大きなもの」があるようにも思う。 ソナタ第2番も同様で、葬送行進曲の中間部など、テンポを落として弱音で清らかに歌われて美しいが、全曲を通して聴いたときに、その印象がなめらかな起伏の中に埋もれてしまうようなところがある。私が「ショパンの最高傑作」と思っている夜想曲の第17番も、少しサロン音楽ふうになり過ぎているように思う。 とはいえ、ロルティのこれらの演奏は決して悪い演奏ではない。逆に考えれば、いま述べたような「拘束」からこれらの曲を自由に乖離させた演奏とも言える。爽やかな音の流れは自然体で聴く分には大層心地よいし、中でも冒頭に収録された遺作の夜想曲(第19番)の、抑制され整然とした美観には魅入らされた。ロルティならではのショパンであることは間違いない。 |
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ピアノ・ソナタ 第2番「葬送行進曲付」 4つのスケルツォ 24の前奏曲 前奏曲 第25番 ポロネーズ 第5番 夜想曲 第8番 第10番 第16番 第18番 p: ポゴレリチ レビュー日:2020.2.18 |
★★★★☆ ポゴレリチがグラモフォン・レーベルに記録したショパンの独奏曲を集めたアイテム
ポゴレリチ(Ivo Pogorelich 1958-)がグラモフォン・レーベルに録音したショパン(Frederic Chopin 1810-1849)の独奏曲を集めた2枚組アルバム。収録内容は以下の通り。 【CD1】 1) ピアノ・ソナタ 第2番 変ロ短調 op.35 「葬送」 1981年録音 2) 前奏曲 第25番 嬰ハ短調 op.45 1981年録音 3) ポロネーズ 第5番 嬰ヘ短調 op.44 1983年録音 4) 夜想曲 第16番 変ホ長調 op.55-2 1981年録音 5) 練習曲 第8番 ヘ長調 op.10-8 1981年録音 6) 練習曲 第10番 変イ長調 op.10-10 1981年録音 7) 練習曲 第18番 嬰ト短調 op.25-6 1981年録音 8) スケルツォ 第1番 ロ短調 op.20 1995年録音 9) スケルツォ 第2番 変ロ短調 op.31 1995年録音 【CD2】 1) 24の前奏曲 op.28 1989年録音 2) スケルツォ 第3番 嬰ハ短調 op.39 1995年録音 3) スケルツォ 第4番 ホ長調 op.54 1995年録音 なお、スケルツォ第3番は、1995年のほか、1981年の録音もあるが、そちらは割愛あれている。 ポゴレリチを有名にしたのは、1980年のショパン・コンクールにおいてである。といっても、彼はコンクールで上位入賞を果たしていない。決勝進出さえ果たしていないのであるが、その判定に審査員の1人であったピアニスト、アルゲリッチ(Martha Argerich 1941-)が抗議の意志を示すため、審査員を辞任したことから、注目を集めたのである。1955年の大会で、アシュケナージ(Vladimir Ashkenazy 1937-)の優勝を主張してサインを拒んだミケランジェリ(Arturo Benedetti Michelangeli 1920-1995)のエピソードを彷彿とさせる。 ちなみに、ポゴレリチが落選したそのコンクールで優勝したのは、ベトナムのピアニスト、ダン・タイソン(Dang Thai Son 1958-)で、当時アジア人初の優勝者として、これまた話題になった。なお、当該コンクールで決勝進出を果たせなかったピアニストには、ヒューイット(Angela Hewitt 1958-)の名もある。 しかし、その美青年然とした風貌も含めて注目を集めたポゴレリチは、その後グラモフォン・レーベルと契約し、録音活動を行っていく・・・のだが、彼はあまり多くの録音活動は行わなかった。その理由は判然としないが、当盤に収録された楽曲だって、たった2枚のCDで収録されてしまうくらいの量で、それはショパン・コンクールで名を上げたピアニストの長年の成果としては、いかにも量的に寂しいものである。 では、「質」はどうなのか、というと、これがまた難しい。一言で言うと、個性的。ただ、これではいくらなんでも説明不足だろう。 彼の演奏は、とにかくフレーズを切り、一つ一つ、刹那的で、間隙を設けながらも、パーツとパーツを対比させるように、そしてその間には明瞭な間隙を設けるようなピアニズムを披露する。その定型的な運びは、時にテクノ音楽を思わせるようなリズムと風合いを持っていて、その運動的な面白さ、そして明瞭に分け隔てられた音の集合体の対比感が、独特の風通しをもたらす。その一方で制約を受けるのはカンタービレで、ショパン特有の英雄的と称したい勇壮な、あるいは叙情的な旋律線が、等価的なものに収まってしまう。 なので、この演奏を聴くときは、「ショパンの曲が聴きたい」という時ではなく「ポゴレリチの演奏が聴きたい」という時であろう。これは、クラシック音楽ファンであれば、良くあることだけど、作曲家が聴きたいという気分の時と、演奏家が聴きたいという気分の時と双方があるのだ。それで、当盤はその一方には不向きである。こうして考えてみると、ショパンコンクールで、審査員の評価が割れたのも、当然という感じがする。 最終的には、聴き手の音楽的嗜好への合致性が、当盤を評価する分岐点となるだろう。私の場合、十分に面白さを知覚しつつ、夢中になって聴けるかと言うと、そうではない、といった辺りか。 |
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ショパン ピアノ・ソナタ 第2番「葬送行進曲付」 アンダンテ・スピアナートと華麗なる大ポロネーズ マズルカ 第22番 第23番 第24番 第25番 夜想曲 第1番 第2番 第5番 ポロネーズ 第6番「英雄」 練習曲 第12番「革命」 王健中(仁光編) 彩雲追月 p: ユンディ・リ レビュー日:2011.4.5 |
★★★★★ 現代を代表するショパン奏者、ユンディ・リの情熱的ライヴ
2000年に開催されたショパン・コンクールで18歳の若さで優勝した中国・重慶出身のピアニスト、ユンディ・リによる、2010年5月に北京で催されたコンサートの模様を収録したCD+DVDのセットアルバム。私は廉価な輸入盤を購入したのだが、国内盤は若干仕様が異なっている。 まず輸入盤では1枚のみだったCDがこの国内盤では2枚となっている。このため、輸入盤では割愛されていた夜想曲第8番と第13番の2曲が、DVDだけでなくCDにも収録されている。次いでCDの収録曲順であるが、国内盤ではDVDと同様に実際のコンサートの順番に収録されている。(輸入盤はなぜか収録順が入れ替えられている)。 購入する人は以上の相違点と価格を踏まえて(国内盤or輸入盤)を選択してほしい。ちなみにアンコールで弾かれている「彩雲追月」という作品は王健中の作品を仁光なる人物がピアノ曲にアレンジしたもの。 以下の感想は輸入盤のレビューと重複するが、あらためて転載させていただく。 このコンサートのために選ばれた曲たちは外面的な演奏効果の高い曲が多く、首都での華やかなライヴに相応しいラインナップである。コンサートの模様が如実に伝わるのはやはりDVDで、ほぼ満員の聴衆を向かえ、冒頭の夜想曲第1番から情熱的なカンタービレを聴かせてくれる。・・・そう、このライヴの演奏は本当に情熱的だ。ユンディ・リは、最近EMIからセッション録音による夜想曲の全集をリリースしていて、禁欲と歌の高度なバランスにたいへん感心したものだが、このライヴははるかに情感の振幅を大きく取っている。取りうるテンポの幅も広く、味付けもやや濃い目だ。熱狂的な故郷の聴衆を前にして、少し全体の雰囲気にのめる様なところがあったのだろう。だが、絶妙のバランス感覚が保たれていて、音楽の流麗な起伏は綻(ほころ)びがなく、聴いていて気持ちが良い。夜想曲から「5曲だけ」抜粋したのが良い方向に作用している。 アンダンテ・スピアナートと華麗なる大ポロネーズは、少し早めのテンポで、刹那的な加速やたたみかけ、エネルギーの放散があり、これまた気持ちよい。卓越した技術がこの様な表現を可能としているのだろう。ソナタ第2番も特に第1楽章と第2楽章の叩き付ける様な迫力が凄い。聴衆を酔わせる演奏だ。 ポロネーズの第6番も技巧の鮮やかな切れ味が堪能できる。特にオクターヴ連打のシーンであっても、詩情を感じさせるレガートの味わいは、この曲のみならずショパンを聴く大きな醍醐味だ。奔放のようでいて、コントロールされた打鍵は、音楽的な意図を十分に踏まえていると感じられ、これもショパンの音楽を良く響かせる。マズルカ第23番の典雅さと第22番の寂寞とした悲しい情緒の対比に、豊かさを感じるのも、そのような特性からもたらされるのだと思う。 いずれにしても、現代、ショパンを安心して託せるピアニストのライヴの模様が、CD,DVD双方で楽しめるこのアルバムは、高い価値を有しているに違いない。 |
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ピアノ・ソナタ 第2番「葬送行進曲付」 スケルツォ 第4番 夜想曲 第4番 第5番 第17番 舟歌 前奏曲 第25番 マズルカ 第37番 ワルツ 第1番 他 p: アシュケナージ レビュー日:2015.10.1 |
★★★★★ アシュケナージという芸術家の美質をあらためて感じ取る1枚
アシュケナージ(Vladimir Ashkenazy 1937-)が1972年5月にイギリスのコルチェスターにあるエセックス大学で開催した、ショパン(Frederic Chopin 1810-1849)作品のコンサートの模様をライヴ収録したものを中心にしたアルバム。収録曲を記すと以下の通り。 1) ピアノ・ソナタ 第2番 変ロ短調 op.35 「葬送」 2) 夜想曲 第4番 ヘ長調 op.15-1 3) 夜想曲 第5番 嬰へ長調 op.15-2 4) マズルカ 第37番 変イ長調 op.59-2 5) ワルツ 第1番 変ホ長調 op.18 「華麗なる大円舞曲」 6) スケルツォ 第4番 ホ長調 op.54 7) 夜想曲 第17番 ロ長調 op.62-1 8) 前奏曲 第25番 嬰ハ短調 op.45 9) 舟歌 嬰へ長調 op.60 10) 3つの新練習曲(第1番 ヘ短調 第2番 変ニ長調 第3番 変イ長調) このうち、前述のライヴ録音に相当するものが、1~5)で、他は6,7)が1965年、8,9)が1967年、10)が1964年にそれぞれスタジオ収録したもの。 私は、このアルバムをLPでも所有しているが、LPでは収録内容が1)~5)のみであった。CD化の際、6)~10)を収録することで、ヴォリューム・アップが図られたのだろう。1)の演奏前と5)の演奏後に拍手が収録されている。 この後アシュケナージは、1974年から85年にかけて、デッカにショパンのピアノ独奏作品の全曲録音を行うことになる。これらの録音当時は、まだその企画の開始前である。 アシュケナージの録音群のうちで、70年代前半は、その解釈において、情熱的なもののシフトが重くとられていた時代で、例えば、この時代に彼が録音したリストの超絶技巧練習曲や、ベートーヴェンの熱情ソナタ、クロイツェルソナタには、きわめて燃焼度の高い演奏が記録されている。 当ライヴ録音でも、特に葬送ソナタは、この時代の若々しい力感が前面に溢れた演奏だ。第1楽章の重量感あふれるスピードも見事だが、第2楽章の多少のミスタッチがあっても突き進む切迫感が凄まじい。しかし、さすがにアシュケナージであって、音色の美しさが保たれていることを特筆したい。凄演と呼ばれるものの中には、音が割れるほど楽器を鳴らしているもの、コントロールがあいまいになっているものがあり、それはそれで面白いところはあるが、私は、アシュケナージの音響としての美をコントロールできる力を、より高い価値であると考える。アシュケナージの演奏が、凄演と呼ぶより、名演や美演と形容される所以はそこにある。しかし、そのことが、決して迫力の不足を示すものではないことは、この1枚を聴けば、十分に分かることだろう。 アシュケナージは1963年に祖国ソ連からアイスランドに亡命している。彼が亡命直前にショパンのバラードを中心に弾いたリサイタルの模様はCDで入手可能だが、その火を噴くような演奏を聴けば、多くの人が衝撃を受けるに違いない。もともとそういった素質も持っている芸術家である。しかし、亡命直後の60年代後半のアシュケナージの録音は、全般に静謐さを何より感じさせる。それが70年代はじめに燃焼度の高いスタイルを経て、70年代後半には中庸の美と詩情が高度に配分された芸術を示すようになる。 もちろん、この言い方は、かなり大雑把なものなのだけれど、アシュケナージの録音を、ほぼすべて聴いた私の感想として、そういうことが言える。興味深いのは亡命後、60年代後半の静謐の時期だ。この時に録音されたバラードを聴くと、1963年のライヴとは全然違うし、その後の完成された80年代の録音とも違う。夢見るような静謐なバラードなのである。 当盤に収録された60年代に録音された曲たちにも同じことが言える。静謐の美。そして、この静謐の美もまた、ピアニスト、アシュケナージが常に持ち続けた他と置き換えることのできない尊い美点なのである。夜想曲第17番、前奏曲第25番、そして舟歌という美しい3作品が連続して奏でられるが、そこで流れる音は、まさに「ピアノ」と呼ばれた楽器の神髄とも言える透明な弱音が印象のベースとなった音楽である。もちろん、その音は、ただ「小さい」のではなく、とても透明で、小さくとも、どこか永遠を感じさせる響きなのだ。 前述のように、その後のアシュケナージは、よりスケールの大きい、俯瞰的なスタイルを確立していくのだけれど、そのときであっても、「決して割れないフォルテ」と「限りなく透明なピアノ」の音色が、無類の表現力としていよいよ資していくのである。当盤では、そのそれぞれの素因を追及した時期の録音を、双方とも聴くことができる。彼のファンでなくても、音楽を聴く喜びに身を浸す体験をさせてくれるだろう。 |
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ピアノ・ソナタ 第2番「葬送行進曲付」 12の練習曲op.10から 第2番 第5番「黒鍵」 第6番 第8番 第9番 第12番「革命」 12の練習曲op.25から 第1番「エオリアン・ハープ」 第7番 第9番「蝶々」 ポロネーズ 第6番「英雄」 p: マルグリス レビュー日:2018.11.20 |
★★★★★ 知られざる芸術家、マルグリスの残した数少ない記録の一つ
Emanomusicというレーベルからリリースされている2011年に亡くなったロシアのピアニスト、ヴィターリ・マルグリス(Vitaly Margulis 1928-2011)のメモリアル・シリーズの1枚で、ショパン(Frederic Chopin 1810-1849)の以下の楽曲が収録されている。 1) ピアノ・ソナタ 第2番 変ロ短調 op.35 「葬送」 2) 練習曲 イ短調 op.10-2 3) 練習曲 変ト長調 op.10-5 「黒鍵」 4) 練習曲 変ホ短調 op.10-6 5) 練習曲 ヘ長調 op.10-8 6) 練習曲 ヘ短調 op.10-9 7) 練習曲 ハ短調 op.10-12 「革命」 8) 練習曲 変イ長調 op.25-1 「エオリアン・ハープ」 9) 練習曲 嬰ハ短調 op.25-7 10) 練習曲 変ト長調 op.25-9 「蝶々」 11) ポロネーズ 第6番 変イ長調 op.53 「英雄」 マルグリスは「知る人ぞ知る」という形容がふさわしいピアニストで、それは日本に限らず、ロシア国外ではそれほど状況が変わらないように思える。というのは、海外の通販サイトでも、なかなかこのピアニストのアイテムで入手可能なものが見つからないからだ。 なので、当メモリアル・エディション・シリーズは、非常に貴重なものである。ただ、当盤に関してであるが、CD本体にも、ネット上でも(私の探す限り)録音に関するデータが不詳である。とりあえず、ステレオ録音であることが示されている以外は何の情報もない。 聴いた限りでは、複数の機会に、スタジオ収録された音源を集めたもののように思われる。録音年代は70年代から80年代のはじめくらいではないだろうか。というのは、「悪くはないが、大味で、やや細部が不明瞭」という録音状況が、同時期のソ連国内で録音された音源の状況と近いからである。 演奏は、これがなかなか聴きごたえがある。濃厚なロシア・ピアニズムであり、強い演奏家の主張がある。そういった点で、ホロヴィッツ(Vladimir Horowitz 1903-1989)を想起させる部分もあるのだが、私見だが、ホロヴィッツの表現が、より演奏家主体のものであったのに対し、このマルグリスの演奏は、作品をとことんまで突き詰めたという、理論武装のある解釈に感じられる。すなわち、その演奏は、録音する際の演奏家個人のエモーショナルな抑揚やバイオリズムが強く反映されたものではなく、マルグリスの内側に「自分はこうあるべきと考える」という確固たるものがあって弾かれていると感じられる。 私がそう感じるのは、練習曲集において、マルグリスは個性的であるが、方向性の統一した解釈を施していると思えるからである。例えば、op.10-2では、左手の伴奏のコードの中に、非常にニュアンスの深い旋律的な要素を見出し、その姿を並走させて、ポリフォニックな面白さを見出しているのだが、その特徴的なアクセントの色付けは、他の楽曲でも共通しており、他の演奏では聴かれない副次的な効果があちこちで起こってくるのである。これが実に面白い。 テンポは平均的なものよりやや遅めであることが多いが、そこに込められた情報量は多く、濃密な音楽が時間を埋めていくという充足感がある。これは、ロシア・ピアニズムと形容される演奏で、しばしば経験する感覚だが、マルグリスの演奏はその視点の安定性もあって、現代芸術らしい均整感覚が同時に見出されていることが興味深い。 また、響きの重さも特徴的だ。ソナタ第2番の冒頭の響き。その鍵盤を抑える指先からから、まっすぐ地球の中心にめがけて太いベクトル線が描かれているかのような力強さは衝撃的だ。その後の展開部でも、弾き飛ばしすることなく、重いハンマーを次はこちら、次はあちらと次々に打ち下ろすような力感が見事。音楽としての美しい響きが維持されているから、こちらの気持ちもその世界に運ばれていくのである。 マルグリスという大家の存在、その確かに存在した芸術を実感できる貴重な音源である。 |
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ピアノ・ソナタ 第2番「葬送行進曲付」 12の練習曲op.10から 第2番 第5番「黒鍵」 第6番 第8番 第9番 第12番「革命」 12の練習曲op.25から 第1番「エオリアン・ハープ」 第7番 第9番「蝶々」 幻想曲 p: マルグリス シュマルフス レビュー日:2018.11.28 |
★★★★★ 知られざる芸術家、マルグリスの残した数少ない記録の一つ。別レーベルの再発売版がよりオススメ
POINT CLASSICSというレーベルからリリースされているアイテムで、以下のショパン(Frederic Chopin 1810-1849)の作品が収録されている。 1) ピアノ・ソナタ 第2番 変ロ短調 op.35 「葬送」 2) 練習曲 イ短調 op.10-2 3) 練習曲 変ト長調 op.10-5 「黒鍵」 4) 練習曲 ヘ長調 op.10-8 5) 練習曲 ヘ短調 op.10-9 6) 練習曲 変イ長調 op.25-1 「エオリアン・ハープ」 7) 練習曲 嬰ハ短調 op.25-7 8) 練習曲 変ト長調 op.25-9 「蝶々」 9) 幻想曲 ヘ短調 op.49 1)-8)はロシアのピアニスト、ヴィターリ・マルグリス(Vitaly Margulis 1928-2011)、9)はドイツのピアニスト、ペーター・シュマルフス(Peter Schmalfuss 1937-2008)の演奏。録音年については記されていない。 さて、私が当盤を購入したのは、別盤の音源に関する「情報欲しさ」からであった。 その「別盤」というのは、Emanomusicというレーベルからリリースされたマルグリスのメモリアル・エディションの1枚で、そちらで私はそちらのレビューに「聴いた限りでは、複数の機会に、スタジオ収録された音源を集めたもののように思われる。録音年代は70年代から80年代のはじめくらいではないだろうか。」と書いたのである。 その後、その一部の原版と思える当盤に行き当たり、特に録音年に関わる情報はないか、と思ったのだが、当盤にも未記載だった。ただ、「デジタル録音」の表記はある。(それにしてはやや大味なところはあるのだが) ちなみに前述のEmanomusicのアイテムでは、当然のことながら、シュマルフスによる幻想曲は割愛されている一方で、マルグリスが別の機会に録音したと思われる「練習曲 変ホ短調 op.10-6」「練習曲 ハ短調 op.10-12 革命」「ポロネーズ 第6番 変イ長調 op.53 英雄」の3曲が追加されているので、当アイテムに行き当たった方は、比較検討をオススメします。 さて、演奏への感想は、上述アイテムへのレビューの再掲となるが、記載させていただこう。 マルグリスの演奏は、なかなか聴きごたえがある。濃厚なロシア・ピアニズムであり、強い演奏家の主張がある。そういった点で、ホロヴィッツ(Vladimir Horowitz 1903-1989)を想起させる部分もあるのだが、私見だが、ホロヴィッツの表現が、より演奏家主体のものであったのに対し、このマルグリスの演奏は、作品をとことんまで突き詰めたという、理論武装のある解釈に感じられる。すなわち、その演奏は、録音する際の演奏家個人のエモーショナルな抑揚やバイオリズムが強く反映されたものではなく、マルグリスの内側に「自分はこうあるべきと考える」という確固たるものがあって弾かれていると感じられる。 私がそう感じるのは、練習曲集において、マルグリスは個性的であるが、方向性の統一した解釈を施していると思えるからである。例えば、op.10-2では、左手の伴奏のコードの中に、非常にニュアンスの深い旋律的な要素を見出し、その姿を並走させて、ポリフォニックな面白さを見出しているのだが、その特徴的なアクセントの色付けは、他の楽曲でも共通しており、他の演奏では聴かれない副次的な効果があちこちで起こってくるのである。これが実に面白い。 テンポは平均的なものよりやや遅めであることが多いが、そこに込められた情報量は多く、濃密な音楽が時間を埋めていくという充足感がある。これは、ロシア・ピアニズムと形容される演奏で、しばしば経験する感覚だが、マルグリスの演奏はその視点の安定性もあって、現代芸術らしい均整感覚が同時に見出されていることが興味深い。 また、響きの重さも特徴的だ。ソナタ第2番の冒頭の響き。その鍵盤を抑える指先からから、まっすぐ地球の中心にめがけて太いベクトル線が描かれているかのような力強さは衝撃的だ。その後の展開部でも、弾き飛ばしすることなく、重いハンマーを次はこちら、次はあちらと次々に打ち下ろすような力感が見事。音楽としての美しい響きが維持されているから、こちらの気持ちもその世界に運ばれていくのである。 併録されているシュマルフスの幻想曲は、重みのある音をつかったがっちりした音楽性が特徴だろう。全般にやや暗めの響きであるが、野太く響くメロディに感情の豊かさがある。 |
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ピアノ・ソナタ 第2番「葬送行進曲付」 バラード 第1番 スケルツォ 第1番 夜想曲 第1番 第2番 第7番 第8番 第20番 第21番 p: フォークト レビュー日:2018.11.30 |
★★★★☆ フォークト初のショパン・アルバムは、独特の演奏
ドイツ・オーストリアものを中心に優れた演奏を聴かせてくれているドイツのピアニスト、ラルス・フォークト(Lars Vogt 1970-)による初のショパン(Frederic Chopin 1810-1849)アルバムで、以下の楽曲が収録されている。 1) バラード 第1番 ト短調 op.23 2) ノクターン 第1番 変ロ短調 op.9-1 3) ノクターン 第2番 変ホ長調 op.9-2 4) スケルツォ 第1番 ロ短調 op.20 5) ノクターン 第7番 嬰ハ短調 op.27-1 6) ノクターン 第8番 変ニ長調 op.27-2 7) ピアノ・ソナタ 第2番 変ロ短調 op.35 「葬送行進曲付」 8) ノクターン 第21番 ハ短調 op.posth 9) ノクターン 第20番 嬰ハ短調 op.posth 2013年の録音。 非常に独特のショパンである。魅力をいろいろと挙げることもできるし、その反面、演奏者と作品の微妙な距離感をも感じる。フォークトはショパンの作品をとても内省的に、丁重に扱っていて、それゆえの好ましさが随所にあるが、どこか禁欲的な姿勢は、ショパンの外向的な側面を、削いでいる。だから、ショパンの作品に、「爆演」や「熱演」の要素を強く求める人には、当録音は大いに不満だろう。私は・・、難しい。少なくとも私の場合、アルゲリッチの演奏よりは当盤の方がずっと好きなのだが、それでは素晴らしい愛聴盤になるか、というと、また素直に首肯できないところがある。 冒頭のバラード第1番にフォークトのショパンの特徴は端的に顕れている。普通であればクライマックスというところでふっと力の抜けるような響き。それ自体は美しく、流れも良い。しなやかで、糸を引くようなという形容に相応しい音が、ビロードを思わせるなめらかさである。弾力的な起伏は面白いが、劇性はことのほか削がれ、その音楽は、沈静を目指す。一言で形容するなら「ダウナー系」のショパン。 スケルツォやソナタでも、そのスタイルが全体を支配する。スケルツォでは、さあここから嵐がはじまるぞ、というところで、フワッとした浮遊感とともに、冷涼な落ち着きが訪れる。その調和には、特有の美しさがある。それは確かだが、どこか人工的な違和感も残す。ソナタでも均衡感が強く働き、音楽が過熱される過程は常に抑制が働く。有名な第3楽章はきわめてゆっくりとしたテンポで、一つ一つの音に感情が込められているが、全体に所用する時間はいかにも長く、構造的な意図が希薄に感じられる。 そういった点で、6曲収録されているノクターンが、もっとも自然に接せられる。たおやかなやすらぎ、静謐な輝きといったものの深さに胸打たれる。特に第7番と第21番が良い。 ただ、アルバム全体としては、私には消化しきれない部分も残るところは確かだ。独特の魅力を認めながらも、全般的に推薦、というふうにはならなかった。 |
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ショパン ピアノ・ソナタ 第3番 プロコフィエフ ピアノ・ソナタ 第8番 リスト イゾルデの愛の死(原曲~ワーグナー) p: ドミトリエフ レビュー日:2005.1.1 |
★★★★☆ ドミトリエフの注目盤
1974年生まれのロシアのピアニスト、ピョートル・ドミトリエフ(Peter Dmitrie)のアルバム。ジャケットがロシア語で、少しびっくりする。ショパン ピアノ・ソナタ 第3番 プロコフィエフ ピアノ・ソナタ 第8番 リスト イゾルデの愛の死(原曲~ワーグナー)の3曲を収録。 録音当時22歳。彼は1995年第6回日本国際音楽コンクールでピアノ部門第1位となっているので、知っている人も多いだろう。 録音は、まずは問題ないレベルだがやや奥行きが平板な印象もする。 特徴的なのは、テンポを守って一つ一つの音をはっきりクリアに響かせようという細心の気配り。それでいて各音は鋼のように強く、太い芯のある音。ワイセンベルクに似ているのが、表現は浪漫的な部分もあり流れに小さなタメをつくるところもアリ。これがこのピアニストのスタイルか。ただ、「クリアな響き」が全般に及ぶため、均衡感が強く流麗で、平板なようでいてたいくつしない。なかなか面白いアプローチ。 ショパンは以上のような特徴がよく出ていて聴かせる。特に両端楽章のダイナミクスと音楽の起伏は見事と感じる。プロコフィエフも同様だが、やや第1楽章の長い前段部など、もてあましている感もある。しかし、響きそのもので聴かせる力がある。 |
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ショパン ピアノ・ソナタ 第3番 4つのバラード 子守歌 舟歌 プロコフィエフ ピアノ・ソナタ 第8番 ラフマニノフ 前奏曲 第5番 第6番 第7番 第8番 第15番 第16番 スクリャービン 舞い踊る愛撫 他 p: S.ネイガウス レビュー日:2005.7.16 |
★★★★★ 芳醇なロシア・ピアニズムの到達点を示す録音
デンオンの「ロシア・ピアニズム名盤選」の企画はファンにはたまらないものだが、これまたすごいアルバムだ。歴史的な存在感のある録音といっていい。西欧が近代化していく一方で、ソ連ではロマン派のピアニズムの血脈がドクンドクンと波打っていた。それはアントン・ルビンシテイン以来の感情のダイナミックにこもった音楽表現を指しており、それはスタニスラフ・ネイガウスの父であったゲインリヒを経て、いまこの録音で聴けるスタニスラフが確かに受け継ぎ、現代へと受け渡したものである。 もう一つ、この録音のすごい点は、全体の3分の2が、スタニスラフの死のわずか1週間前の録音だということである。ライナー・ノーツにも書いてあるので、ぜひ読んでいただきたいが、スタニスラフ・ネイガウスはきわめてレパートリーの狭いタイプのピアニストだった。そんな限られたレパートリーにありったけのロシア・ピアニズムのパッションと叩きつけた録音がこれ。注目度の高いアルバムであることは間違いないだろう。 この録音は壮大で骨太なロマンティシズムとパッションの熱い塊のようなものだ。それは、例えばソナタ3番の振幅の大きい歌に象徴的で、まるで聴く者に新たな磁場が働くような魔力を持っている。ただ、細かいことをいうなら、パッションのエネルギーを制御しきれていない部分もある。そこでは小さな崩壊が連続しておこり、聴き手を不安にさせてしまうかもしれない。 しかし、これはリスクを犯さなければ得られない表現に違いない。それを差し引いても、すごい演奏であることは、間違い無い。 |
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ピアノ・ソナタ 第3番 12の練習曲op.25 3つの新練習曲 p: フレイレ レビュー日:2010.7.5 |
★★★★★ 明朗で高貴な情緒に満ちたショパン
2010年はショパンの生誕200年とのことで、いろいろと新しい録音がリリースされているが、私もこれをきっかけに、聴き逃していたものなどを少し集中して聞いている。中でネルソン・フレイレがデッカに録音したものも、興味深く聴かせてもらった。 このアルバムがシリーズ最初のもので、2001年から02年にかけて録音されている。ピアノ・ソナタ第3番、12の練習曲作品25、3つの新練習曲が収録されている。練習曲とソナタの組み合わせというのは、あまり記憶にないけれど、いずれにせよ豪華なラインナップだ。 冒頭に収録されたピアノ・ソナタ第3番が素晴らしい名演。第1楽章の冒頭から、生き生きとした輝かしい音色で、色彩感豊か。明朗で健康的な音楽で、自然な推進力が心地よい。第2主題のほどよいカンタービレも品があって、しかも感情豊か。ピアニストのハートが表現されているし、押し付けがましくもない。第2楽章は細切れの音節の扱いが面白く、即興的でありながら愉悦を感じさせる。あえて小さく途切れ途切れに表現される旋律が、全体として一つの音楽を形作る。第3楽章は祈りにも似た美しい情緒に満ち、柔らかで安定した陽射しの中で静謐な時が過ぎていくよう。ロマン派のソナタの面目躍如といったところ。終楽章もパワフルではないが、音響的な効果は十分で、聴き手に十分な充足感を与えてくれる。 12の練習曲も、若者的な演奏効果ではなく、音楽の「美しさ」に焦点を当てていると思える点が良い(派手な演奏も悪いわけではないが・・)。作品25-7や作品25-10のような浪漫的な作品で、瑞々しい情緒の発露が顕著。作品25-6を聴くと技巧の安定感も十分であることが伝わる。有名曲の作品25-11や25-12では、抑えの効いた「大人の音楽」という感じがする。この辺りは、聴き手がこの曲集に求めるものによって評価にも違いが出るところだろう。あるいは、より力強い音楽を所望する向きもあるかもしれない。 3つの新練習曲も同様の美観に貫かれていて、いかにもまとまりがよく、聴いた後に清涼感を残してくれる。 |
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ピアノ・ソナタ 第3番 即興曲 第4番「幻想即興曲」 前奏曲 第25番 スケルツォ 第4番 夜想曲 第4番 幻想曲 ワルツ 第7番 p: ルガンスキー レビュー日:2010.6.11 |
★★★★★ ルガンスキーならではの爽快な明朗性に満ちたショパン
2010年、ショパン生誕200周年の年にリリースした、ルガンスキーによるショパン・アルバム。収録曲は、(1)ピアノ・ソナタ第3番 (2)即興曲第4番「幻想即興曲」 (3)前奏曲第25番 (4)スケルツォ第4番 (5)夜想曲第4番 (6)幻想曲 (7)ワルツ第7番。録音は2009年。 これまでにもエチュードやプレリュードに存在感のある録音をしてきたルガンスキーの久しぶりのショパンということになる。またレーベルもERATOからONYXに変わった。 相変わらず卓越した技術を感じさせる安定した演奏。メインとも言えるソナタ第3番は少し構えた感じで、作品と演奏者の間の距離感がやや遠すぎるような印象も受ける。特に1楽章の前半はちょっとクールと言うより、表情の硬さを感じるが、1楽章の後半から流れがよくなり、終楽章の駆け巡る明朗な音階などルガンスキーならではの爽快感がある。 即興曲はスピード感があり、一気呵成に弾いてみました、という印象。ちょっとあっさりと終わりすぎるかもしれないが、これがルガンスキーらしさだろう。最近、作品自体に人気の出てきた前奏曲第25番は、端正な弾きぶりで、曲想に漬からず、あまりウェットにならない演奏と言える。 スケルツォ第4番が良い。メカニカルな面と中間部の情緒的な部分の繋がりがよく、技巧の支えがとても機能的に効いていると思う。このアルバムの白眉はこれだと感じた。夜想曲第4番も中間部のダイナミズムがいかにもこのピアニスト向きで、待ってマシタと言わんばかりの流麗なピアノ、これまた見事。幻想曲ではややセーヴした表情が耽美性を引き出している。後半の音響効果もさすがの演奏。最後におさめられた名高いワルツもチャーミング。速いテンポだが、情感をほのかに残していて、品がある。中間部の歌も忘れ難く、アルバムの最後を飾るに相応しい。 様々なショパンの曲を1枚で聴けるという点でもステキなアルバム。できればポロネーズも1曲収録して欲しかったが、これは次回以降の楽しみとさせていただこう。 |
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ピアノ・ソナタ 第3番 舟歌 ポロネーズ 第9番(op.71-2 遺作) 即興曲 第3番 ワルツ 第5番 第8番 バラード 第3番 p: ボジャノフ レビュー日:2013.4.25 |
★★★★☆ ポジャノフがショパン・コンクールの直前に録音したアルバムです
2010年のショパン・コンクールではロシアのユリアンナ・アヴデーエワ(Yulianna Avdeeva 1985-)が優勝し、マルタ・アルゲリッチ(Martha Argerich 1941-)が優勝した1965年以来45年ぶりの女性の覇者ということで話題となったが、その際審査員を務めたアルゲリッチが賛辞を送ったのが第4位となったブルガリアのピアニスト、エフゲニ・ボジャノフ(Evgeni Bozhanov 1984-)である。 当ディスクはそのボジャノフが、コンクールの直前である2010年9月に録音したショパン(Frederic Chopin 1810-1849)のピアノ作品集。収録曲は以下の通り。 1) 舟歌 2) ポロネーズ 第9番(op.71-2) 3) 即興曲 第3番 4) ワルツ 第8番 5) ワルツ 第5番 6) バラード 第3番 7) ピアノ・ソナタ 第3番 私は、このアルバムより先に、2011年8月19日に行われた第7回「ショパンとヨーロッパ音楽祭」でのライヴの模様を収めたCDを聴いた。そこにも、舟歌 ワルツの第5番と第8番が収録されていたので、これらはおそらく、このピアニストにとって、“得意中の得意”といった曲目なのだろう。また、珍しい曲目として、遺作のポロネーズ、(慣例的に第9番と称される)が取り上げられている。 私にとってのボジャノフの演奏の印象は変わらず、やはり「ひじょうに主張の強いピアノ」と感じられる。濃厚な味付けで、ダイナミックレンジの幅が広く、華やかなアゴーギグがちりばめられている。ぺダリングも大胆で、ピアノソナタなど聴いていると、旋律が単音で奏でられるところで、ときおり、思わぬ疎な音が聴き取れて、はっとさせられることもある。通常の演奏では、もっとなめらかな響きで横線を意識させるところでも、思わぬ縦の面的な響きの効果を際立たせて、聴き手に「いつもと違う」という注意を喚起させる。しかも、そういった彼の個性の出所が、私には「突発的」に聴こえる。 これがこのピアニストの特徴で、彼は、ショパンの音楽のことがいかにも好きなようなのだけれど、それはショパンを理解したい、というよりも、自分のやりたいことができる幅広い土壌がそこにある、という直情的とも言える感性によるもので、その感性の赴くままに楽曲を弾きこなしている・・少なくとも私にはそう聴こえる。 こうして聴いていると、彼のショパン・コンクールの「第4位」という順位が、私にはとても納得のいくもののように感じられる。つまり、彼のスタイルは、ショパンへの忠誠や理解よりも、もっと情念的で、一方的とも言える熱愛のようなものが伝わってくるからだ。これは「第1位」や「第2位」の演奏ではない。やっぱり「第4位」が彼らしい。面白い。 その一方で、この演奏を聴いていると、彼のそういった個性は、2011年のアルバムの方がより強力に表出していたように思う。これは、2011年のアルバムがライヴ録音であることと併せて、ショパン・コンクールを経て、ボジャノフの中で、また一つ自己の芸術表現について、なにか確固たるものを得たのではないだろうか、と思う。舟歌を比較してみると、2011年のライヴの方が、一層大きな振幅の幅を持っていた。なので、ポジャノフらしいより濃厚なテイストを味わいたいという方には、そちらの方がより楽しめるだろう。 ポジャノフという存在感のあるアーティストが、今後どのような芸術表現を繰り広げていくのか、大いに興味を持って、展開を待ちたい。 |
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ピアノ・ソナタ 第3番 舟歌 ワルツ 第2番 第6番 マズルカ 第35番 第36番 12の練習曲 op.10 p: アシュケナージ レビュー日:2016.1.22 |
★★★★★ 若きアシュケナージの渾身の演奏を記録したアルバム
1955年のショパン・コンクールで準優勝となったアシュケナージ(Vladimir Ashkenazy 1937-)。このとき優勝したのは開催国であるポーランド出身のアダム・ハラシェビッチ(Adam Harasiewicz 1932-)である。しかし、審査員の一人であったイタリアの名ピアニスト、ベネデッティ=ミケランジェリ(Arturo Benedetti Michelangeli 1920-1995)は、アシュケナージの優勝を強く主張し、結果が受け入れられないとして、審査員を辞した。アシュケナージが世界的に注目される端緒となった。 真実はわからない。この判定の背景に政治的なものがあったことはある程度推察される。そもそも、そのような判断において、政治的なものが個々の考えにどの程度介入してくるか、など、はっきり線引きすることは困難なのである。だから、真実なんてものは、そもそも存在しない可能性もある。しかし、後年の世界的評価を踏まえると、圧倒的にミケランジェリが正しかったと言わざるをえないことだけは確かだ。 これは、そんなアシュケナージがコンクールから数年のうちに録音された音源を編集したもの。収録内容は以下の通り。 1) ピアノ・ソナタ 第3番 ロ短調 op.58 2) 舟歌 嬰ヘ長調 op.60 3) ワルツ 第2番 変イ長調 op.34-1 4) ワルツ 第6番 変ニ長調 op.64-1 「子犬のワルツ」 5) マズルカ 第35番 ハ短調 op.56-3 6) マズルカ 第36番 イ短調 op.59-1 7) 12の練習曲 op.10 1)~6)は1957年、ベルリン、グリューネヴァルト教会で録音されたもので、EMI原盤だが、最近ではTESTAMENTからリリースされていたもの。7)は1959、60年にモスクワで録音され、長らくお蔵入りだったが、最近になってMelodiyaがリリースしており、比較的入手可能になった音源。 これらの2種類の音源をまとめて、altoから1枚のアルバムという体裁でリリースされたものが当盤。 アシュケナージという芸術家は20世紀の冷戦時代に翻弄されたピアニストだ。その象徴的な録音の一つが7)である。アシュケナージは1959年から60年にかけて、モスクワでショパンの24の練習曲を録音したのだが、1963年にアシュケナージがソ連を出国したため、世に明かされることなく、お蔵入りとなっていた。 私は、かつてどこかで、ソ連の評論家が、「実は、わが国には、素晴らしい24の練習曲の録音があるのです。ただ、不幸なことに、様々な事情によって、世に出すことにはなっていないのです」とコメントしていたのを読んだことがあるが、このアシュケナージの録音が、まさにそれである。(現在では、全24曲が収録されたメロディアの復刻盤を入手することができる)。 アシュケナージは亡命後の1969,70年にも「24の練習曲」を録音していて、それももちろん素晴らしいものなのだが、その10年前の当録音は、それとはまたスタイルの違った名演。冷たい大地を伝ってくるような荘厳な厳しい情緒を湛えた凄演なのである。私、個人的には、ショパンの「24の練習曲」録音では、このアシュケナージの旧録音がベストだと思っている。当盤に収録された革命のエチュードを聴くと、これほど厳しい諸相に満ちた、風を切る様な音楽だったのかと、その強靭さにあらためて敬服させられる。 いずれも若きアシュケナージの渾身の記録と言って良い。この人は、技術に優れているというだけでなく、ショパンの音楽に潜む詩情を、自然に掬い取る能力に長けていて、だから、どの曲を聴いても、じっくりした味わいが伝わるのである。力強く、美しい。 それにしても、やはり圧巻は練習曲集だろう。 なお、前述のように、当盤に収録された音源は、いずれも既発の別レーベルのものと重複する内容となっているので、その点は注意されたい。 それにしても、若き日のアシュケナージのアルバムであるのだから、相応の年代の写真をジャケットに使用した方が良かったのではないでしょうか。。 |
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ピアノ・ソナタ 第3番 4つのバラード p: デミジェンコ レビュー日:2017.6.2 |
★★★★★ デミジェンコの新鮮味を感じさせる解釈に価値あり
ニコライ・デミジェンコ(Nikolai Demidenko 1955-)によるショパン(Frederic Chopin 1810-1849)の以下のピアノ独奏曲を収録したアルバム。 1) バラード 第1番 ト短調 op.23 2) バラード 第2番 ヘ長調 op.38 3) バラード 第3番 変イ長調 op.47 4) バラード 第4番 ヘ短調 op.52 5) ピアノ・ソナタ 第3番 ロ短調 op.58 1993年の録音。 ショパンの良く知られた名作を連ねたアルバムである。それだけに数多くの名盤の中で埋もれるきらいがあるのだけれど、デミジェンコの録音は、一聴の価値以上の新鮮味を感じさせる。このピアニストの場合、特に左手の精妙で力強い粒立ちのある音が見事で、そこから派生する低音部の高い効果は、音楽に恰幅をもたらす。ショパンの作品の場合、むしろ左手に与えられる役割は拘束的で、ほとんどの旋律的な妙味やきらめきは右手から紡がれていることは事実なのであるが、それでもデミジェンコの録音などで聴くと、とても「それだけ」では終わらせられない深みや工夫があるものだとあらためて感じさせてくれる。ショパンの天才を再発見できる魅力とでも言おうか。それが前述の「新鮮味」に連なる。 バラード第1番は、思いのほか抑えた弾きぶりで始まるが、その抑制された味わいは思いのほか心地よい。リズムに関する感覚が鋭く、機敏な反応が心地よい。あるいは他の演奏に比べて悲しみの色合いの薄さを感じるかもしれないが、ショパンの音楽の古典的な美観は十分に構築されており、安定した充足感がある。第2番は途中から猛るような嵐の表現が印象的で、見事な迫力である。その扱いにやや人工的な臭味を残しているとはいえ、立派な演奏に違いない。第3番では再び抑制的な均衡感が強くなり、コントロールされた高貴さに触れる。第4番はデミジェンコの演奏にもっとも成功を感じさせるもので、神秘的な情緒を感じさせつつ、時に音楽は大きな起伏を見せ、圧巻のクライマックスを築いている。 ソナタ第3番は複層的な面白味が随所で増幅しており、聴き味に幅を感じさせてくれる。決して楽譜に逆らうところはなく、しかし、明確な意志による方向性を感じさせる表現で、特に両端楽章が見事。終楽章の勇気に溢れた足取りのなかで、細かく明瞭なパッセージが交錯する様は大変な聴きモノだ。その一方でテンポの遅い第3楽章は、私にはちょっと遅すぎるように感じる。前後のつながりが弱体化している、と言おうか(デミジェンコは、他の曲でも、たびたびそういう弾き方をすることがあって、やはり私には疑問を残させるのだけれど)。 しかし、全体としては、見事さの印象が大きく上回り、これらの楽曲の録音における存在感のある一角を形成するものと感じさせる。 |
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ショパン ピアノ・ソナタ 第3番 演奏会用アレグロ ワルツ 第5番 第13番 リスト ハンガリー狂詩曲 第12番 巡礼の年 第2年「イタリア」 から ソナタ風幻想曲「ダンテを読んで」 p: ネボルシン レビュー日:2018.10.11 |
★★★★☆ ネボルシンが19歳の時に録音したショパンとリスト
ウズベキスタンのピアニスト、エルダー・ネボルシン(Eldar Nebolsin 1974-)が、19歳のとき、1993年に録音したアルバム。収録曲は以下の通り。 1) ショパン (Frederic Chopin 1810-1849) 演奏会用アレグロ イ長調 op.46 2) ショパン ピアノ・ソナタ第3番 ロ短調 op.58 3) リスト(Franz Liszt 1811 ? 1886) ハンガリー狂詩曲 第12番 嬰ハ短調 4) リスト 巡礼の年 第2年「イタリア」 から 第7曲 ソナタ風幻想曲 「ダンテを読んで」 5) ショパン ワルツ 第13番 変ニ長調 op.70-3 6) ショパン ワルツ 第5番 変イ長調 「大円舞曲」 op.42 現代を代表するピアニストの一人といって良いネボルシンの若き日の記録である。私が、ネボルシンの録音を聴いて、とても感心したのは、当盤の翌年に、アシュケナージ(Vladimir Ashkenazy 1937-)指揮、ベルリン・ドイツ交響楽団との協演で録音したショパンのピアノ協奏曲第1番他ほかを収録したアルバムなのであるが、すでに当盤でもその高い技術と、安定したコントロール、そして流暢な音楽の流れは示されており、美しく整った演奏となっている。 収録内容は、ショパンとリストの作品によるラインナップで、それは若手ピアニストに相応しいものと言って良い。冒頭に、ショパンの作品の中でも、リストを思わせる技巧を巡らした祭典的な「演奏会用アレグロ」を配したのが巧妙で、アルバム全体に統一感をもたらす効果を発揮しているだろう。この冒頭曲がまず素晴らしい内容で、全体的に健康的な響き、明晰な運びが好ましいが、加えて美音を駆使した後半の盛り上がりが忘れがたい印象をもたらすものだ。 ピアノ・ソナタ第3番も美しく、かつ19歳とは思えない落ち着きがある。第1楽章の第2主題にこなれた表現など、鮮やかな爽快さを伴っていて、心地よい。第4楽章は、若い演奏家の場合、往々にして主情的な表現に傾くのであるが、ネボルシンのスタイルは、クールで、必要なことを淡々とこなし、かつ音楽的な表現を構築している。見事に整った演奏ではある、ただ、この曲の場合、ネボルシンの「控える」という性向が、表現としての深まりに欠けるように感じられるところもあり、第3楽章などキレイなのだけれど、薄味で、聴いていてやや気が逸れる感があるのも否めない。 リストの楽曲が2曲収録されているが、これらも清冽で、ソノリティの絶対的な美しさで全編が覆われている。「ダンテを読んで」など、演奏によっては、もっとおどろおどろしいというか、重々しい感情がもたらされるのだけれど、ネボルシンの演奏は、快活でスピーディーだ。嫌味もないが、あっけなさすぎると感じる人もいるかもしれない。 その後、ショパンに戻って、ワルツが2編惹かれるが、これも健やかな感性が巡ったスマートな演奏。とくに第5番の後半、アッチェレランドにおける快活な畳みかけは、爽快で、気持ちよくアルバムを閉じてくれる。 現在のネボルシンの芸風と比較すると、やや淡色に過ぎるかもしれないが、全般に健やかな感性が息づいた好演奏で、聴き味の良い仕上がりとなっている。 |
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ピアノ・ソナタ 第3番 子守歌 マズルカ 第33番 第34番 第35番 夜想曲 第15番 第16番 p: ポリーニ レビュー日:2019.2.7 |
★★★★★ 録音時76歳のポリーニが示す円熟のショパン
2,3年に一度くらいの周期でリリースされているポリーニ(Maurizio Pollini 1942-)によるショパン (Frederic Chopin 1810-1849)の近い作品番号の作品を集めたシリーズの一つで、2018年に録音されたもの。今回の収録曲は以下の通り。 1) 夜想曲 第15番 ヘ短調 op.55-1 2) 夜想曲 第16番 変ホ長調 op.55-2 3) マズルカ 第33番 ロ長調 op.56-1 4) マズルカ 第34番 ハ長調 op.56-2 5) マズルカ 第35番 ハ短調 op.56-3 6) 子守歌 変ニ長調 op.57 7) ピアノ・ソナタ 第3番 ロ短調 op.58 作品番号順にソートした曲順となっている。マズルカ以外は再録音であり、ソナタは1984年、子守歌は1990年、夜想曲は2005年に録音した音源について、それぞれ既発盤がある。 ポリーニの芸術について、「完全主義」という認識がある程度共有されていたと思う。そのハーモニーやポリフォニーの扱いにおいて、徹底した研鑽を貫き、そのプライオリティーに従って演奏を貫いてきた彼の録音に、そのようなイメージが持たれるのはある意味当然であろう。しかし、その「完全主義」に従って一度録音されたものに、再録音を重ねるということは、とりもなおさずポリーニ本人が、過去の自らの表現と異なるアプローチを模索したからに他ならないだろう。個人的に、まだポリーニが録音していない楽曲を弾いてほしいという気持ちもあるが、当録音を聴くと、その充実した響きに、なるほどと思わされる。 例えば、ショパンの音楽の象徴ともいえる情緒的なカンタービレなど、以前の録音に比べると、演奏家の心情に関わるものが刻印されていて、私はそれを素晴らしいと感じた。もちろん、以前の録音のように、常に一定の距離感をキープし、そのフォルムの均質性に専心する音楽も価値あるものだったのだが、私はこのたびの録音の方に、芸術家として、より高次な表現があるように感じる。ソナタにおける第1主題と第2主題の間のアプローチの差は、その移ろいを変化させる優柔性を確保し、そのことによって、詩情と呼ばれる聴き手へ訴える感応性が高まっている。しかも、造形性の高さも損なわれていず、ポリーニのポリーニらしさは失われていない。 マズルカでも、ポリーニらしい気高さが印象的である。私は、当盤を紹介するいくつかのサイトを見ていて、興味深い記述を見つけた。いわく、「明らかに、ポリーニはマズルカを、直接的なポーランド民謡の引用ではなく、オマージュと見なしている。マズルカ演奏を、ルービンシュタイン(Arthur Rubinstein 1887-1982)、ジャニーナ・フィオーコウスカ(Janina Fialkowska 1951-)、アシュケナージ(Vladimir Ashkenazy 1937-)の高貴なスタイルと、ホロヴィッツ(Vladimir Horowitz 1903-1989)、ワシリー・プリマコフ(Vassily Primakov 1979-)、ダニール・トリフォノフ(Daniil Trifonov 1991-)の感傷的なスタイルに分類すると、ポリーニは明らかに前者に属する」とのこと。結論的には当然な帰結ではあるが、マズルカという作品群の立ち位置から、その解釈を2群化し、大きく見てスラヴの潮流にあるピアニストたちの分類を示しながら、ポリーニの演奏スタイルを示すという論法が面白いし、列挙されたピアニストたちの聴き比べする際の参考にもなるだろう。 ポリーニのマズルカは、言うまでもなく、ショパンの高等な手続きにより、芸術作品として昇華したピアノ楽曲として、これを扱ったマナーに則ったもので、その佇まいの凛々しさが魅力的だし、ここに挙げられている他のピアニストたちと比較しても、特に端的にその傾向が指摘できるだろう。ただ、それであっても、今のポリーニならではの暖かみのあるタッチが、これらの音楽に必要な余情を巧みに引き出しているのである。第35番の悲劇的な気高さは特に忘れがたい。 夜想曲では第16番の優美さに惹かれる。右手で奏でられるフレーズが、左手の禁欲的な制御の中で歌を紡ぎあげていく様は、時に崇高な雰囲気を醸し出している。 |
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ピアノ・ソナタ 第3番 幻想曲 夜想曲 第13番 第18番 p: ポゴレリチ レビュー日:2022.3.7 |
★★★☆☆ アクの強い演奏です
ポゴレリチ(Ivo Pogorelich 1958-)が、SONYに移籍して、録音活動を再開してから2枚目のアルバム。前回はベートーヴェンとラフマニノフであったが、今回は、ショパン(Frederic Chopin 1810-1849)のピアノ独奏曲で、下記の楽曲が収録されている。 1) 夜想曲 第13番 ハ短調 op.48-1 2) 夜想曲 第18番 ホ長調 op.62-2 3) 幻想曲 ヘ短調 op.49 4) ピアノ・ソナタ 第3番 ロ短調 op.58 2021年の録音。 第1弾に引き続いて、録音活動に戻った異才の演奏に興味があって聴いてみた。ただ、正直に言って、あまりピンと来ないところが多い。 それでも、収録曲の中では、冒頭に置かれた夜想曲第13番は、比較的よかった。ゆったりしたテンポで、くっきりとした響きを繰り出しているが、大きな間合いの変化と、独特のフレージングで、ポゴレリチ特有の曲想を作り上げているのだが、この曲の場合、そのスタイルが面白味に結び付いて響く。冒頭は、右手と左手がかわるがわる、声を掛け合うような感じだが、ポゴレリチの演奏は、両者とも、かなり物思いにふけっているようで、時に思い出したように相手に返したりするのだけれど、その様が、ユニークというだけでなく、音楽的な表現として、とてもセンシティヴに働くところがあって、私は良いと思った。 ただ、続く第18番になると、その物憂い間が、なんとも伸びすぎていて、音楽としての緩急、フレージングの妙が、途絶えがちで、私には、この楽曲特有の美点を見出しにくくなる。左手の伴奏にまで伴う細やかなアゴーギグが、細部ばかりクローズアップされて、全体像がかえって見えにくくなり、聴いていて、音楽の世界に深く踏み込めない、というか、冷めてしまうのである。少なくとも私にはそう感じられる。 そうなってくると、幻想曲も同じで、このアルバムの中では、私は特にこの曲の演奏に退屈した。たしかに音色は美しいし、テクニックも十分なのだけれど、とにかく微小なところで、衝動的な領分が大きくなりすぎて、全体としては流れが悪く、終わってみれば、あちこちで停滞を感じていた自分に気づく。正直に言って、終わってほっとしたというくらい。 ソナタ第3番はそれに比べると、かなり聴き易いが、それでも、ポゴレリチ節はつねに響いていて、その過度と感じられる呼吸の変化に、こちらがついて行けないから、聴いていて、音楽表現というより、単なるクセに感じられてしまう。本来であれば、より直線的に進むところでも、不自然にブレーキがかかるので、なかなか気持ちよく聴くという感じにはなれない。もちろん、こういう味付けの濃い演奏にこそ、演奏家の強い芸術的個性を感じる人もいるとは思うのだけれど、私は、やはりどうも馴染めないというのが正直な感想です。 |
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ピアノ・ソナタ 第3番 マズルカ 第3番 第7番 第10番 第21番 第22番 第23番 第24番 第39番 第40番 第41番 第47番 p: ゲニューシャス レビュー日:2022.7.6 |
★★★★★ マズルカに奏者の個性が強く反映しているゲニューシャスのショパン
2010年のショパン・コンクールで第2位となったリトアニア-ロシアのピアニスト、ルーカス・ゲニューシャス(Lukas Geniusas 1990-)によるショパン(Frederic Chopin 1810-1849)のピアノ・ソナタ第3番とマズルカ抜粋を収録したアルバム。収録内容の詳細は、下記の通り。 1) マズルカ 第3番 ホ長調 op.6-3 2) マズルカ 第7番 ヘ短調 op.7-3 3) マズルカ 第10番 変ロ長調 op.17-1 4) マズルカ 第21番 嬰ハ短調 op.30-4 5) マズルカ 第22番 嬰ト短調 op.33-1 6) マズルカ 第23番 ニ長調 op.33-2 7) マズルカ 第24番 ハ長調 op.33-3 8) マズルカ 第39番 ロ長調 op.63-1 9) マズルカ 第40番 ヘ短調 op.63-2 10) マズルカ 第41番 嬰ハ短調 op.63-3 12) マズルカ 第47番 イ短調 op.68-2 13) ピアノ・ソナタ 第3番 ロ短調 op.58 2019年の録音。 私はゲニューシャスの録音を、当盤ではじめて聴いたのだが、なかなか個性的なところがあり、特にマズルカは、演奏家の表現意欲が前面に出るところが多く、最近では、こういうマズルカを弾く人があまりいないよな、と思いながら、その個性を楽しんだ。 ゲニューシャスは、マズルカを、ポーランド民謡のオマージュであり、ショパンのモノローグ的なものである、として音楽解釈するのではなく、それらを素材として、より感傷的、浪漫的な独立性の高い作品に仕立てられたものであると見做した上で、自身のアプローチを投げかけているようだ。それは、例えば、第23番や第41番に見られる早いテンポ設定による技巧的な聴き映えをメインとした弾きぶりに端緒に現れるだろう。第10番のスケールの大きさ、第3番や第47番の強い情熱の放出などもその好例で、一曲一曲が雄弁で、ある意味ヴィルトゥオーゾ的。ただし、彼のフォルテは、強すぎることはなく、ダイナミックレンジとしては、まとまった幅に収まっていて、音色も暖かみがあるので、このCDを流していると、個性的なのに、そこまでアクを感じず、とても聴き易いところが面白い。そういった特徴で、私はこの録音を楽しむことが出来た。 マズルカ集に比べると、ソナタは意外にも普通の演奏に聴こえる。マズルカ集を聴いた直後に再生することになるので、よりそんな感じがするが、ソナタは、とても品が良く、ペダルの効果で、適度に音に柔らか味を与えながら、引っ掛かりの無い、流れの良い演奏となる。第2楽章のきめ細かな音のニュアンスは美しいし、第3楽章の柔らか味をベースとした、ほどよいルバートを交えた健やかな抒情性の発露は、このアルバムのハートと言ってもいい部分だろう。終楽章も、安定感ある演奏で、暗黒から光明への過程を、力強く歌い上げており、申し分ない。 特にマズルカ集の解釈が個性的な分、好悪が分かれるところかもしれないが、個人的には楽しく聴かせていただいた一枚です。 |
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ショパン 幻想曲 夜想曲 第7番 第13番 第16番 マズルカ 第7番 第17番 第23番 第25番 第32番 バラード 第3番 第4番 スドビン ア・ラ・ミヌート(ショパンの小犬のワルツによるパラフレーズ) p: スドビン レビュー日:2012.1.11 |
★★★★★ スドビンによる、恍惚感と官能性をたっぷり備えたショパン
ロシアのピアニスト、エフゲニー・スドビン(Yevgeny Sudbin 1980-)による2009-10年録音のショパンアルバム。収録曲は以下の通り。 1) 幻想曲 ヘ短調 op.49 2) 夜想曲 第7番 嬰ハ短調op.27-1 3) 夜想曲 第13番 ハ短調op.48-1 4) マズルカ 第7番 ヘ短調op.7-3 5) マズルカ 第23番 ニ長調op.33-2 6) マズルカ 第25番 ロ短調op.33-4 7) バラード 第3番 変イ長調op.47 8) マズルカ 第17番 変ロ短調op.24-4 9) マズルカ 第32番 嬰ハ短調op.50-3 10) 夜想曲 第16番 変ホ長調op.55 11) バラード 第4番 ヘ短調op.52 12) スドビン:ア・ラ・ミヌート(ショパンの小犬のワルツによるパラフレーズ) 私は、このピアニストが2006年に録音したスクリャービンのアルバムが素晴らしかったため、ショパンの録音も待望していたのだが、今回それが叶った形。しかも、末尾にスドビン自身によるとても面白い小品が収録されている。このたびのアルバムも、聴いていて音楽を聴く悦楽を与えてくれる快作だ。それにしても、ロシアという国は奥が深い。様々な才能に溢れた奏者が続々と出現してきて、厭きさせない。音楽土壌、教育システムなど、様々に気になるところだが、このアルバムの感想に移ろう。 まずスドビンのピアノで特筆すべきは、音色の突き通るような鋭利な切れ味である。相当の指の力があり、かつ鍵盤の適所に集中的に力点を集中させるテクニックに秀でており、かつ繊細なコントロールで、ソノリティをシャープに描き分けている。次に挙げるべきは、その技量を駆使して描かれる恍惚感と官能性が見事だということ。しかも、それらは透明な配色を持って表現されていて、決して不健全なイメージには結びつかない不思議さがある。決して無限定に甘美に陥るわけでなく、厳しい統御が利いている。だから、聴き手は、思い切り奏者の音楽に身をゆだねることが出来る。 幻想曲は上記のスドビンの特性が様々に繰り広げられた熱演で、情動的とも言える振幅がある。微細な音符の抑揚を紡ぎ合わせて描きだされる音像は、言い様のない艶やかな生命力を持っていて、その変化のさまが極めて美しい。古今の幻想曲の名演の一つに数えたい。 夜想曲第7番も美しい。この曲はスドビンの個性にビタリとはまる曲だ。たゆたうような低音から、ためらうような霧か幻のような旋律が編まれてゆき、やがて、どこか夜の海のような怖さと引力を感じかのように脈々と広がってゆく・・・。不思議なぬくもりを湛えた夜想曲だ。第16番も見事。特に終結部のテンポをはやめて滴り落ちるように描かれた情感は、きわめて自然な力感を内包し、魅惑的に響く。他のマズルカ、バラードも、スドビンの個性の一層映える曲が選ばれており、心地よい陶酔感が得られている。スドビンならではのショパンの世界が描かれている。 そして、末尾に収録されたスドビンによる「ア・ラ・ミヌート(ショパンの小犬のワルツによるパラフレーズ)」。これは凄いぞ。ヴィルトゥオジティ全開モードの大傑作。これを聴くだけでもこのアルバムを買う価値があるというくらい。あの子犬のワルツの有名な旋律が重音で奏でられる心地よさ。まるで練習曲op.25-6の「長調版」といった按配だ。スドビンの多才ぶりに喝采を送りたい。 |
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幻想曲 舟歌 子守歌 ポロネーズ 第7番「幻想」 葬送行進曲 3つの新練習曲 p: フー・ツォン レビュー日:2022.3.18 |
★★★★★ フー・ツォンならではの熱さに満ちたショパン
1955年のショパン・コンクールで第3位に入賞した中国のピアニスト、フー・ツォン(Fou Ts'ong 1934-2020)は、1960年以後、イギリスに拠点を置いて芸術活動を行い、アジア出身のピアニストの草分け的存在として、世界中に広く知られるようになった。当盤は、ショパン (Frederic Chopin 1810-1849)の下記の作品が収録されたアルバム。 1) 幻想曲 ヘ短調 op.49 2) 舟歌 嬰ヘ長調 op.60 3) 子守歌 変ニ長調 op.57 4) ポロネーズ 第7番 変イ長調 op.61 「幻想」 5) 葬送行進曲 ハ短調 3つの新しい練習曲 6) 第1番 ヘ短調 7) 第2番 変イ長調 8) 第3番 変ニ長調 録音は1978年頃と考えられる。 フー・ツォンの録音としては、1977年のショパンの夜想曲集が情熱的な名演として知られる。当録音で聴かれるショパンも、フー・ツォンならではの、濃厚さと骨太さを感じさせる演奏だ。最近に至る迄、技術の点でフー・ツォンより優れたピアニストは多くいると言って良いが、フー・ツォンの演奏の魅力は、何といっても節回しであり、せき止めても、せき止めても溢れる熱い情感が、つねに滾滾とわき出し、楽想を彩ることを止めないのである。 全体としては、ややゆったりしたペースで、低音に音幅を感じさせる響きを与え、悠然とメロディーを紡ぐ。 私が象徴的な個所として挙げたいのは、3つの新しい練習曲の第1番。冒頭に聴かれる主題を、これほど濃い緩急で施した演奏というのは、ちょっと聴いたことがない。もう「コブシが効いている」と表現したいくらいに思いのたけを込めた表現だ。ただ、フー・ツォンの演奏は、それでいて不思議と聴いていて胃もたれするような感じにならない。音楽的教養の深さを感じさせるポイントを押さえたベースがあって、それゆえに音楽の輪郭が大きく崩れる感じを受けないためである。これがフー・ツォンのショパン、なのだろう。 舟歌は冒頭のズシーンと来る低音が、全体の雰囲気を占める効果を持つ。中間部の歌い上げも熱気を孕んで、聴き手の気持ちを高揚させる。ショパンの初期の作品、葬送行進曲が録音される機会は少ないが、フー・ツォンの演奏は、明るい印象で、付点のニュアンスなど、幻想曲と通じるものを感じさせてくれる。子守歌も耽美的だが、その旋律の歌わせ方に、やはり熱いものの流れを感じる人は多いだろう。 フー・ツォンのショパンは、フー・ツォンの完成された流儀で、その芸術を私たちに味わわせてくれる。 |
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幻想曲 夜想曲 第8番 第18番 バラード 第4番 ワルツ 第7番 スケルツォ 第4番 ポロネーズ 第6番「英雄」 マズルカ 第30番 第31番 第32番 p: ルガンスキー レビュー日:2024.6.5 |
★★★★★ ルガンスキーが24歳の時に録音したショパン・アルバム
ルガンスキー(Nikolai Lugansky 1972-)が1996年にオランダでスタジオ録音したショパン(Frederic Chopin 1810-1849)の作品集が再発売された。収録曲は下記の通り。 1) 幻想曲 ヘ短調 op.49 2) バラード 第4番 ヘ短調 op.52 3) ワルツ 第7番 嬰ハ短調 op.64-2 4) スケルツォ 第4番 ホ長調 op.54 5) ポロネーズ 第6番 変イ長調 op.53「英雄」 7) マズルカ 第30番 ト長調 op.50-1 8) マズルカ 第31番 変イ長調 op.50-2 9) マズルカ 第32番 嬰ハ短調 op.50-3 10) 夜想曲 第8番 変ニ長調 op.27-2 11) 夜想曲 第18番 ホ長調 op.62-2 このアルバムには「哀れで、悲しい天使(The Poor Sad Angel)」という副題が与えられている。これは、ショパンと愛人関係にあり、同棲生活を送ったジョルジュ・サンド(George Sand 1804-1876)が、ショパンという人物を簡潔に表した言葉である。一方で、このアルバムの収録曲をみると、夜想曲第8番以外の作品は、ショパンとサンドの関係が悪化し、別離して以降に書かれたものとなっている。アルバムのタイトルと収録曲の関係は、一概には言えないが、個人的には、このアルバムの副題は、ルガンスキーが選曲・演奏を通じて表現したものとの間に、それほど強い関係性は見出さない。むしろ、当アルバムにおけるルガンスキーの表現は、ショパン作品の繊細さより、逞しさの演出で成功しているように感じる。 22歳の時にチャイコフスキー・コンクールで優勝を果たしたルガンスキーが、24歳の時に録音したのが当アルバムということになるが、このアルバムからはコンクール出身のピアニストのヴィルトゥオジティよりも、落ち着いた整然とした音楽の運びが支配的な印象をもたらす。ピアノの響きは、つねに突き通るような芯のあるものであり、それゆえの荘厳さが特徴となっている。幻想曲やバラードの第4番における階層的な明瞭性を保った響きに、そのスタイルは象徴的にあらわれている。 全体として落ち着いたトーンがベースになっているが、ここぞという時にくっきりとギアをチェンジするところは、いかにもツボを心得た表現者のそれで、しかも、きわめて自然にトレースが行われる。ワルツ第7番やスケルツォ第4番の加速感、マズルカ第32番のしなやかなリズム処理など印象に強く残るところ。また、技術的にもすっかり完成された安定感を感じさせる。 最近のルガンスキーの演奏は、さらに高貴さと高い薫りに満ちているので、それと比べてしまうと、均衡性への意識がやや拘束的で強すぎる感もあるのだが、そうは言っても、各曲は、十分に輝かしい姿を示しており、豊かな音楽を提供してくれる。 |
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24の練習曲 3つの新練習曲 p: アシュケナージ レビュー日:2003.10.25 |
★★★★★ 詩情に溢れる浪漫的エチュード
吉田秀和氏曰く「ポリーニと双璧」。30年たってもこの2盤に比較しうるものが出ないのもむべなるかな。 アシュケナージのテクニックに支えられた太い詩情は特に後半、終曲に向けて盛り上がる。練習曲の第3番「別れの曲」は富田靖子が熱演した1985の大林宣彦監督映画「さびしんぼう」で重要なモチーフとして使用されていた。元々はショパンの生涯を描いた1934年のドイツ映画「別れの曲(Abschiedswalzer,英題=Farewell Waltz)」のテーマ曲で「別れの曲」の通称もこの映画から生まれました。 ちなみにアシュケナージは59-60年に、当時ソ連のメロディアにもエチュードを録音しており、こちらはより深刻な諸相に満ちた劇演となっており、あわせて推薦しておく。 |
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24の練習曲 3つの新練習曲 p: ロルティ レビュー日:2004.2.14 |
★★★★★ 爽快無比。隠れたエチュードの名盤
ショパンのエチュードといえば、ポリーニ、アシュケナージの歴史的名盤を筆頭にさまざまなピアニストたちが挑む難曲であり、さらに高い音楽性も要求される。 さて、このロルティの演奏であるが、一聴して、その爽やかさと瑞々しさに驚嘆した。そこには、この曲集に対する気負いのようなものが一切感じられないのだ。しかし、技術と音楽性のバランスがよくとれていて音が非常に良い。つねに潤いがある明晰な音である。 印象は非常に「軽い」が、それがいい方に作用し、曲の良さを十分に伝えているのだ。中でも冒頭の2曲の爽快さは無比。 |
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24の練習曲 p: F. ケンプ レビュー日:2008.5.18 |
★★★★★ 価値の高いエチュード録音の一つでしょう・・・
ショパンの「24の練習曲」という奇跡の曲集については、70年代はじめにアシュケナージとポリーニの名録音(まさしく名録音!)があり、吉田秀和氏をもって「間違いない双璧」と言わせしめているが、今もってその状況は変わっていないと思う。・・・と書いてしまうとまるで他の録音があまりぱっとしない印象を与えかねないが、決してそうではない。ただ30年以上経過して、なおポリーニ、アシュケナージ録音が優れていて、その間、行われた様々な価値ある多くのアーティストの録音(挑戦)を聴いてみて、それでもさらに30年後に残っているのは、やはりポリーニとアシュケナージであろうという私の観念を覆してくれるまでの録音はないと思う、という意味である。すでに歴史的磨耗に耐えた名盤というのは、なかなかどうして深い意味を持っているものである。 さて、そんな価値あるトライの一つ、としてこのフレディ・ケンプの録音も聴いていただきたい一枚である。この1977年生まれの英国人ピアニストは1998年のチャイコフスキー・コンクールで第3位となり、その後BISと契約し、様々に魅力的なアルバムをリリースしてきた。彼のピアニズムを支えているのは卓越したテクニックによる結晶化しきったタッチだと思う。音色の輝きが鮮やかで、それを快速テンポで颯爽と弾きこなす。以前録音していたショパンのバラードをはじめとするアルバムでも、そのよどみのないテンポが実に鮮烈な効果を与えていた。 この練習曲集も美しい。思い切ったペダリングで豊穣な音色を引き出し、叙情的な作品は高音部のきらめくような音色が印象的なものが多い。どちらかといと、作品25の方にウェイトを置いたように思えるが、後半の第2番から第7番くらいまでの色彩感が特に私に鮮やかに聴こえた。またスピード感をもって築かれるクライマックスも健康的な明瞭性を湛えていて、ショパンの詩情が一面的になる感はあるけれど、一つの音楽的見識として十分魅力に溢れるものだと思う。というわけで、これまた楽しましていただいた練習曲集の録音の一つでした。 |
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24の練習曲 p: リシエツキ レビュー日:2013.8.5 |
★★★★☆ カナダの17歳新星によるエレガントなショパン
カナダの新星、ヤン・リシエツキ(Jan Lisiecki 1995-)によるショパン(Frederic Chopin 1810-1849)の24の練習曲(作品10と25)全曲。2012年録音。録音当時17歳である。カナダでは、様々な音楽賞を受賞し、センセーションを巻き起こしているという。ヨーロッパでも、ライヴを行っているようだが、その演奏が日本に本格的に紹介されるのは、このアルバムによるのがほぼ初めてではないだろうか。 さて、まず、ショパンの「24の練習曲」の録音における「前提」を書いておきたい。この曲集に関しては、70年代はじめにアシュケナージ(Vladimir Ashkenazy 1937-)とポリーニ(Maurizio Pollini 1942-)の2つの名録音(まさしく名録音!)があり、吉田秀和(1913-2012)氏をもって「これらの曲集における双璧」「今後このふたつの録音を越えるものが出るとは考えにくい」と言わせしめたもので、今もってその状況は基本的には変わっていないと思う。・・・と書いてしまうとまるで他の録音があまりぱっとしない印象を与えかねないが、決してそうではない。ただ『40年近く経過して、いろいろ聴いてもやはりポリーニ、アシュケナージの録音が優れていると感じられ、その間、行われた様々な価値ある多くのアーティストの録音(挑戦)を再度聴いてみても、それでもさらに今から数十年後に残っているのは、やはりポリーニとアシュケナージであろう』という私の観念を覆してくれるまでの録音には、まだ出会っていない、という意味である。すでに歴史的磨耗に耐えた名盤というのは、なかなかどうして深い意味を持っているものである。 しかし、もちろんのことながら、他にも注目すべき録音は多くあって、私のCD棚にも、これらの曲を収めたアルバムだけで20種以上が並んでいる。そんな中にあって、このリシエツキの録音も、それなりの存在感を持ったものだと感じられた。また、名門ドイツ・グラモフォン・レーベルにとって、これらの曲集の全曲録音が行われたのは、実にポリーニ盤以来だということも、あらためて考えてみると、たいしたことだと思う。 さて、当盤の演奏を聴いての感想であるが、なんとも肩肘の力の抜けたスタイリッシュなショパンである。いかにも颯爽としていて自然で、楽譜に書かれたことをストレートにトレースしていったという感じ。ストレスが最小となる表現で、清流のように鮮やかに全24曲を弾き切ったといったところか。 例えば、op.10-3の有名な「別れの曲」では、甘美なメロディーから、鮮やかな和音連打に移る箇所が何度か訪れるが、リシエツキは、この部分にショッキングな段差を設けることを決してしない。しなやかに、前の強弱を引き継いで、そこから自然なクレッシェンドで和音奏法に移行する。なんともエレガントである。 とにかく、全般になめらかなスタイルで、逆に聴いていて、「どこが印象に残ったか」というと、どことはっきり挙げる感じにもならないような、高度な洗練(平均化)である。それでも、もう一つその特徴を感じた曲を挙げると、私の場合、op.25-4になる。この左右両手の交錯する和音連打の軽やかさからは、「本当はもっともっと速く弾けるんですけど、このくらいがちょうどいいでしょう」とでもいった、なんとも心憎い余裕が伝わってくる。激情や激高とはまったく無縁のショパンである。 それで、総括として、私はこのショパンの完成度の高さに驚嘆しながらも、極度に秩序を重んじたその行儀のよい音楽振りに、全体を通して、少し物足りなさを残したところも否めない。しかし、まだまだ17歳のアーティストであり、今後、自身の芸術にどのような付加価値を与えていくのか、たいへん興味深い。 なお、国内盤では、末尾に夜想曲第1番が併録されているが、輸入盤では割愛されている。(個人的には、このような商法は、制作者の良心として、止めて欲しいと思うところですが) |
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24の練習曲 p: アシュケナージ レビュー日:2014.4.1 |
★★★★★ 冷戦下で封印された「幻の録音」
世の中には「幻の録音」と呼ばれるものがある。版権の関係から市場に流通しなかったもの、製作数が限られていたため、ごく一部の人しか入手できなかったもの、音楽家側の了解が得られず再版ができなくなったもの、など様々であるが、「冷戦」という時代の政治的背景によって「幻の録音」となった典型例が当盤だ。 モスクワ音楽院の学生だったアシュケナージ(Vladimir Ashkenazy 1937-)が、1959年から60年にかけて録音したショパン(Frederic Chopin 1810-1849)の「24の練習曲」。ソ連のレーベルMelodiyaによってモスクワで行われた録音である。 当時のアシュケナージは、ソ連国内のみならず、世界中で注目されはじめた存在だった。1955年のショパン国際ピアノコンクールで第2位入賞、翌1956年にはエリザベート王妃国際音楽コンクールで優勝を果たし、新しいロシア・ピアニズムの担い手として、大きな期待を集めていた。そのような背景で、ショパンの「24の練習曲」を録音しようというアイデアは、慧眼だったに違いない。かくて、歴史的名盤とよぶに十分な資格を持ちうる演奏を記録することが出来た。 しかし、録音側の思惑通りにはいかない。アシュケナージは芸術上の自由を求め、1963年に亡命。ソ連では彼の名は抹消されることとなる。当然のように、録音されたものがリリースされることはなくなった。 私は、いつの時代に誰が発した言葉かわからないが、ソ連の音楽関係者が西側の記者へ答えて、以下の様にコメントしているのを読んだことがある。「実は、ソ連には、本当に惜しいショパンの練習曲集の録音が眠っているのです。それは本当に素晴らしいもので、これが世に出たら一気に音楽界の話題を席巻するくらいのものなのですが、実に残念なことに、これは眠っているのです」。正確ではないが、そのような大意だった。それが、このアシュケナージのエチュードである。 実は、この録音は、現在まで何度か、日本国内で入手の機会があった。韓国のYEDANGレーベルが、ロシア国営放送局(オスタンキノ)の音源を米PIPELINE経由で取得し、発売したものが日本で流通していたことがあり、またRussian Discレーベルが一度発売したものも、限定的ながら日本国内に流入したものがあった。しかし、いずれも流通量は少なく、国内の雑誌などでも広告機会がなかったから、ごく一部の人の嗜好品にしかならなかった。 しかし、今回、本格的に、元レーベルのMelodiyaから、広く発売されることとなった。まさに、「幻の録音」の復活である。 録音はモノラルながら、いま聴いても衝撃的といってよい内容だと思う。おそらく50年代から60年代にかけて、これらの曲集が24曲まとめて、これほど高いレベルで奏でられることはなかったのではないか。いや、聴きようによっては、いまなお、ナンバーワンと称するに相応しいものかもしれない。 ところで、当盤を聴くに際して、多くの人が考えると思うのは、アシュケナージが1971年から72年にかけてDECCAレーベルに(再)録音したものとの比較である。直截に言って、これら二つの録音は、かなり聴いた印象の異なるものだ。DECCA盤で、アシュケナージは力強い打鍵と、浪漫的な抑揚の大きい表現、それに詩情あふれるアゴーギグで、きわめてハートのこもった音楽を奏でた、と思うのだけれど、それに対してMelodiyaの旧盤は、鋭利な刃物を思わせるような、研ぎ澄まされた繊細さと、機械的な俊敏性に満ちている。それこそ冷戦下の厳しい社会情勢を照らすような、妥協のない峻嶮さに満ちている。 聴きどころは無数だ。すべてが聴きどころと言ってもいい。一陣の風のようなop.10-1、こまやかなルバートが仄かに香るop.10-11、op.10-6やop.25-7に見られる淡々と浄化されたような哀しみ。ショパン・コーンクールで圧巻のパフォーマンスを示した象徴的曲op.25-6、スピードを保って力強い咆哮が唸るop.25-11。しかし、私がもっとも共鳴し、感動したのは、それぞれの曲集の最後の曲。「革命」とよばれる人気曲op.10-12が、これほど鮮明かつ迅速に悲劇的諸相を背負って奏でられることはないのではないだろうか。高速で正確に鳴り渡る左手の上昇・下降音を伴い、打ち鳴らされる右手の先鋭的な音色とリズム。運動性と野趣性を併せ持ち、全体として悲しい色彩を放つその音色は、凍土に響き渡るように聴き手の胸に迫る。これこそ、かの時代のアシュケナージならではの音楽だ。op.25-12は、DECCA盤と同様にそっと始まるが、一度繰り返す毎に振幅の幅を広げ、低音で鳴る主旋律の含むニュアンスが野太く高められていき、圧倒的な終結に結びつく。きわめて勇壮な音楽となっている。 私は、DECCA盤も大好きで、それこそ何度も繰り返し聴いた愛聴盤なのだけれど、このMelodiya盤には、言い知れない壮絶な凄味が備わっている。冷戦下で、若き芸術家が、その感性をストレートに反映した、まさに一期一会の録音。この録音が残され、このたび、このような形で再版されたことに感謝したい。 |
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24の練習曲 3つの新練習曲 p: ルガンスキー レビュー日:2014.10.15 |
★★★★★ 現代的な音楽教養を背景として完成されたエチュード演奏
1988年のバッハ・コンクールで銀賞、1994年のチャイコフスキー・コンクールで第2位を獲得したロシアのピアニスト、ニコライ・ルガンスキー(Nikolai Lugansky 1972-)によるショパン(Frederic Chopin 1810-1849)の練習曲全曲を収めたアルバム。12の練習曲op.10と同op.25の他に、遺作である3つの新練習曲も含めて、全27曲が収録されている。1999年の録音。 鮮烈な技巧で颯爽と弾き切った気持ちよい演奏。清潔にまとまり過ぎてる感も否めないが、よくコントロールされたタッチの小気味良さは捨てがたい魅力。ソビエトの高名なピアノ教師であったタチアナ・ニコラーエワ(Tatiana Nikolayeva 1924-1993)は、亡くなる直前のインタビューで、ルガンスキーをロシアの偉大なピアニストの系譜で「次なる者」になるであろうと述べていたが、そのことを想起させる録音である。 ちなみにロシア出身のピアニストによるショパンの練習曲全曲の主な録音として、まずはアシュケナージ(Vladimir Ashkenazy 1937-)による1959,60年及び1970,71年の2種の名録音があり、他に1985,87年のガヴリーロフ(Andrei Gavrilov 1955-)、1998年のブーニン(Stanislav Bunin 1966-)あたりを思いつくのであるが、ルガンスキーの演奏は、教養を背景とした客観性という点が特徴的で、そういった意味で私は彼にロシア・ピアニズムより、むしろ西欧的なモダニズムを感じる。そういった点で、上に挙げた4種の録音の中では、アシュケナージの1回目の録音に近い印象を持つ。アシュケナージは亡命後の70年代の録音の方が、詩情に溢れたピアニズムを示した点が面白い。 さて、それで、私は、ニコラーエワの言葉は、ソ連の崩壊により、芸術家がよりインターナショナルな見地を持って活動に臨む状況をふまえ、ルガンスキーが新しい「ロシア・ピアニズム」の象徴的担い手になるであろう、という事を述べた言葉の様に思える。そう考えると、当盤でルガンスキーが奏でているとてもアカデミックでバランスの取れた表現は、なるほど、と思えるものなのである。 ルガンスキーはどの曲でも模範的で教科書的と言っても良いアプローチを繰り広げ、ショパンの音楽を自然できわめて音楽的に響かせている。そのアクのないスタイルは、非常に心地よく聴き手の耳に響いてくる。 特に作品10の第10番の変イ長調の練習曲や、作品25の第10番のロ短調といった、オクターブの音をいかに操るかという楽曲において、ルガンスキーの大きな手と確かな技術は、きわめて高度に安定した音楽世界を築き上げていて、印象に残る。最近の彼の録音を聴くと、今録音したならば、さらに一味深い世界が繰り広げられるだろう、という思いもあるが、当録音に聴かれる直截な表現は、それはそれで魅力的で、人によっては、「ショパンの練習曲はこれくらいまっすぐな表現に徹した方がいい」という人もいるだろう。そういった点では、とても良いタイミングで録音されたと思う。 この曲集は、最近は多くの若手ピアニストたちが録音をするようになったが、ルガンスキーの演奏は、そういった現代的なピアノ奏法や音楽教養を背景とした録音の中にあって、一際高い完成度を示すもので、模範的と形容するのが適切だろう。自然な情緒も息づいていて、決して無味乾燥にならないところも良い。その一方で、個人的には、さらに大家の気風を深めたルガンスキーが、再度この曲集を録音してくれたら、きっと一層素晴らしいものになるのでは、と思います。 |
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24の練習曲 p: ヤブウォンスキ レビュー日:2020.12.17 |
★★★★★ 購入を検討される方はご注意ください
【はじめに注意!】 某サイトでは、以下の2つのアイテムを、「別仕様品」として取り扱い、相互リンクがあるほか、レビューも共有している。 1) カタログナンバー: NIFCCD215 2015年録音 楽器:スタインウェイ 2) カタログナンバー: NIFCCD047 2016年録音 楽器:1849年製エラール しかし、これらはまったく内容の異なる別アイテムだ。いずれもポーランドのピアニスト、クシシュトフ・ヤブウォンスキ(Krzysztof Jablonski 1965-)が、ショパン(Frederic Chopin 1810-1849)の名作「12の練習曲 op.10」及び「12の練習曲 op.25」の全24曲を演奏したものだが、使用している楽器がことなる。私が、ここでレビューの対象としているのは、スタインウェイを用いて2015年に録音されたものである。 なので、当該商品の購入を検討されている方は、ぜひともご注意いただきたい。以上の重要な前提を踏まえて、当該商品の補足情報と感想の記載に移行しよう。 ヤブウォンスキは、1985年のショパン国際ピアノコンクールピアノ・コンクールで第3位となったピアニスト。このとき、優勝したのはスタニスラフ・ブーニン(Stanislav Bunin 1966-)で、日本でも、大いに話題になった。第2位にマルク・ラフォレ(Marc Laforet 1966-)、第4位に小山実稚恵(1959-)、第5位にジャン=マルク・ルイサダ(Jean-Marc Luisada 1958-)と、その後も活躍した人たちの名がならぶ。 ヤブウォンスキの録音は多くないと思う。実は、私が彼の録音を聴いたのは当盤がはじめて。一聴して感じたのは、ある種の「趣味の良さ」である。質的な安定性とともに、多少色めくようなアクセントや前打音の効果を与えながらも、全体としてはとても聴き味の良い、いわゆる何かを強調したときにともなって顔を出す「悪趣味性」・・・もちろん、これは聴き手の主観によって、受け止め方の異なるものとなるのであるが、そういった「悪趣味性」から遠いところにあるピアノである。一つまちがうと無個性で面白くないものとなってしまうのだが、そうなってないところに私はこの演奏の価値を見出す。 アクセントや前打音の味わいについて前述したが、もう一点特徴として挙げたいのが音色である。やや乾いたトーンで、全般に軽やかさが感じられる音色だ。そのトーンがあるため、アクセントの効果が明瞭さを伴っていて、それが要所要所で味として効いてくる。なので、無味乾燥な感じがしない。そのような意味で、ショパンの演奏への練達を感じさせるものと思う。個人的にはop.10-9やop.25-5など、特にいいように感じた。 以上、24の練習曲集として、一つの秀演として挙げるに十分な内容を感じさせるアルバムとなっている。蛇足ながら、前述の通り、ヤブウォンスキはこの曲集を、1849年製エラールでも録音しているのだが、個人的には、そちらはあまり聴く気がしない。たぶん聴くことがないだろう。この曲集におけるピリオド楽器による演奏がぱっとしないことは、すでにメルニコフ(Alexander Melnikov 1973-)が実録音で証明してしまった後だから。 【最後に】 当アイテムの評価を☆5つとしたけれど、ショパンの練習曲集についてはアシュケナージ(Vladimir Ashkenazy 1937-)の2種(1959,60録音版と、1971,72録音版)とポリーニ(Maurizio Pollini 1942-)の1971年の録音の計3つの録音が「別格」なことは私にとって大前提である。これら3つの録音を聴いた時に私が受ける「感動」の大きさにおいて、私が今までに聴いてきた他のすべての録音との間には、計り知れない深い溝がある。そのことも、書いておく必要があるだろう。 |
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24の練習曲 3つの新練習曲 p: ヌーブルジェ レビュー日:2022.3.14 |
★★★★★ 録音時17才。瑞々しい感覚美にみちたヌーブルジェのショパン「練習曲集」
2004年のロン=ティボー・コンクール第3位に入賞したフランスのピアニスト、ジャン=フレデリック・ヌーブルジェ(Jean-Frederic Neuburger 1986-)による、コンクールの前年である2003年に録音されたショパン(Frederic Chopin 1810-1839)の練習曲集。収録曲は下記の通り。 12の練習曲 op.10 1) 第1番 ハ長調 2) 第2番 イ短調 3) 第3番 ホ長調 「別れの曲」 4) 第4番 嬰ハ短調 5) 第5番 変ト長調 「黒鍵」 6) 第6番 変ホ短調 7) 第7番 ハ長調 8) 第8番 ヘ長調 9) 第9番 ヘ短調 10) 第10番 変イ長調 11) 第11番 変ホ長調 12) 第12番 ハ短調 「革命」 12の練習曲 op.25 13) 第1番 変イ長調 「エオリアン・ハープ」 14) 第2番 ヘ短調 15) 第3番 ヘ長調 16) 第4番 イ短調 17) 第5番 ホ短調 18) 第6番 嬰ト短調 19) 第7番 嬰ハ短調 20) 第8番 変ニ長調 21) 第9番 変ト長調 「蝶々」 22) 第10番 ロ短調 23) 第11番 イ短調 「木枯らし」 24) 第12番 ハ短調 「大洋」 3つの新しい練習曲 25) 第1番 ヘ短調 26) 第2番 変イ長調 27) 第3番 変ニ長調 大変さわやかで、清涼な演奏だ。清々しいだけでなく、情感も豊かに感じられ、ショパンの練習曲集の「芸術性」を、よく引き出している。テンポは全般に速めだが、弾きつぶしてしまうような演奏では決してなく、音の瑞々しい輪郭や、遠近感が程よく保たれていて、とても気持ちよく聴き通せる演奏。曲想に応じた情感の味付けは、品の良いルバートで行われ、主張としては強いものではないが、それゆえの全方位的な強度が保たれ、とても安定している。だから、どの曲も、とても健康的に聞こえる。 劇的な楽曲は、平均的な演奏に比べると、軽やかな語り口に感じられるが、決して迫力として不足しているわけではなく、快適なスピードが維持されているので、それゆえの爽快感が、様々なものを解消してくれる。 個人的に特に気に入った楽曲は、ニュアンスの美しいop.10-9や、軽やかなリズムが心地よいop.25-2であるが、他の楽曲も含めて、とても安定性が高く、出来にムラを感じさせない。もちろん、人によっては、全曲を通じて、何かもう一つ強い芸術的メッセージ性のような「手ごたえ」が欲しいと思うかもしれない(私も少し、そう思う)。ただ、この演奏をヌーブルジェが録音したとき、まだ17才なのである。それを思うと、その発色性、情感のバランスの秀逸など考えると、むしろいかにも録音年齢にふさわしい名演と呼ぶべきだし、そのデータを伏せて聴いたとしても、十分に感受性豊かなものが伝わってくる。 そのようなわけで、いまひとつ注目されていない感もあるが、隠れた当曲集の優れた録音の一つとして、当盤を挙げるのは、妥当なことと考える。 【最後に】 当アイテムの評価を☆5つとしたけれど、ショパンの練習曲集についてはアシュケナージ(Vladimir Ashkenazy 1937-)の2種(1959,60録音版と、1971,72録音版)とポリーニ(Maurizio Pollini 1942-)の1971年の録音の計3つの録音が「別格」なことは私にとって大前提である。これら3つの録音を聴いた時に私が受ける「感動」の大きさにおいて、私が今までに聴いてきた他のすべての録音との間には、計り知れない深い溝がある。そのことも、書いておく必要があるだろう。 |
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ショパン 24の練習曲 シューマン 交響的練習曲 p: リシッツァ レビュー日:2015.1.5 |
★★★★★ 自由に、饒舌に、音楽を遊行する一枚
ウクライナのピアニスト、ヴァレンティーナ・リシッツァ(Valentina Lisitsa 1973-)による2014年録音のアルバム。いろいろと注目すべきところのある録音だ。まずは収録曲の量的充実を指摘したい。以下の楽曲が収録されている。 1) ショパン(Frederic Chopin 1810-1849) 12の練習曲 op.10 2) ショパン 12の練習曲 op.25 3) シューマン(Robert Alexander Schumann 1810-1856) 交響的練習曲 op.13 これが、1枚のCDに収録されていて、総収録時間はなんと85分。私がこれまでに聴いたCDの中で、いちばん長い収録時間を誇っている。 ちなみに、シューマンの交響的練習曲は、遺作の5つの変装曲も弾いている。その順番を以下に示す。 a) 主題 b) 練習曲I c) 遺作の変奏曲I d) 練習曲II e) 練習曲III f) 練習曲IV g) 練習曲V h) 遺作の変奏曲II i) 遺作の変奏曲III j) 遺作の変奏曲IV k) 遺作の変奏曲V l) 練習曲VI m) 練習曲VII n) 練習曲VIII o) 練習曲IX p) 練習曲X q) 練習曲XI r) 練習曲XII(フィナーレ) ただし、1枚のCDにまとめるため(だと思うが)、f,h,l,m,o,q) では、通常行われることの多いリピートを行っていない。 とはいえ、これだけの名曲をこれだけ立て続けに聴けるという機会は、いままではなかったこと。 次いで驚かされるのは、演奏から伝わる奏者の技術の凄さと、演奏そのものの自由度の高さである。このピアニストはこれらの演奏至難な曲を、それなりのスピードと音量で弾きこなすだけでなく、様々なアクセントやアゴーギグの挿入により、たいへん即興的で、豪華な装飾を施している。つまり、これらの芸術的にも技術的にも高度な作品を、リシッツァは、実に自由に自分のための作品として弾きこなし、しかも上々の音を響かせているのだ。 リシッツァの弾きっぷりは、悪く言うと、アナリーゼとは無縁な、瞬発的なものにも感じられる。時として過度に感じられるアクセントは主張が強烈だし、繰り広げられる強弱の対比は、演出めいたものを感じさせてしまう。しかし、それでいて、奏者の世界に引き込む力もまた強いのだ。だから、聴いていて、これはこれでいいじゃないかという強靭な説得力に巻き込まれてしまう。ショパンとは、とかシューマンとは、とか言うよりも、強烈にリシッツァの存在を感じさせる演奏なのだ。 テクニックの強靭さ、音量の大きさは、時に饒舌な騒々しさにも繋がる。リシッツァの演奏にも、そういう面がないわけでもない。しかし、そういったものを回避することでケレン味が減じられるくらいなら、最初から気にしないで、思う存分味付けしてやろうじゃないか、そういった奏者の一種のサービス精神が全編から湧き上がってくる。 実に面白く、また個性的なアルバムである。このような奏者の出現が、楽曲の在り様を様々に変化させていくのだろう。 |
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24の練習曲 24の前奏曲 p: ジュジアーノ レビュー日:2017.12.1 |
★★★★☆ 芸術に求められるものとは・・
1995年に開催された第13回ショパン国際ピアノコンクールの結果は、「1位なし」に加え、ロシアのアレクセイ・スルタノフ(Alexei Sultanov 1969-2005)とフランスのフィリップ・ジュジアーノ(Philippe Giusiano 1973-)を「同点2位」とするという不思議なものであった。 優勝を最有力視されていたスルタノフは表彰式への出席を拒み、彼のウズベク人という背景から、人種問題について示唆する見方も噂されたが、いまとなっては、真相はわからない。(また、真相が一つだけというわけでもないだろう)。また、2001年に脳卒中の発作に倒れ、そのまま復帰がかなわず世を去ったスルタノフの夭折は、音楽界にとっても大きな損失であった。 他方、ジュジアーノは、あちこちでコンサートなどの活躍を続けているが、録音は少ない。当盤は2006年に録音されたもので、2枚のCDに、「練習曲集(op.10 及びop.25 全曲)」と、「24の前奏曲 op.28」が収録されている。 私には、このピアニストの名で思い出すアルバムが一つある。1998年に録音され、日本のOMAGATOKIレーベルから発売された「12の練習曲op.10」と「スケルツォ全4曲」を収録したものである。私は、そのうち「スケルツォ」に瑞々しい詩情の発露と力感あふれた清冽な表現を聴きとり、感嘆したものである。しかし、練習曲集については、淡泊で薄味なところが気になった。そして、ジュジアーノが芸風を深めるにつれて、何か新しいものを表現してくれることを期待したのである。 当盤は、それから8年を経て録音されたもの、と言ってもすでにそれから更に11年が経過しているので、今になって何かコメントするのも時期を外したものだということは十分承知しているのだが、それでも、この録音を聴くと、私が期待したような進化があまり感じられないというのが主たる印象となってしまう。 確かに技巧は優れている。楽譜に忠実だし、音はきれい。バランスも良好。だけれども、残念ながら、今の時代、そのように弾くのを聴くだけなら、なにもジュジアーノの、高価なアルバムを買わなくてもいいと思ってしまう。もちろん、悪い演奏ではないし、聴いていて欠点があると指摘できる演奏ではないから、無下に評価を下げる理由もないのだけれど。コンクールでこんな風に弾かれたら、最上の部類だし、ピアノを学習するものが、まっさらな状態で「お手本」を聴いてみたい、と思うなら、当盤は理想的だろう。 だが、少なくとも私の場合、音楽を「芸術鑑賞」として楽しんでいるので、そこには芸術家として聴き手に伝える「何か」が欲しいのである。それは、詩情でも情熱でもいい。たとえ私の心をかき乱す要素であったとしても、聴く前の状態と聴いた後の状態で、なにかエネルギー的な変化がほしいのである。 端的に言うと、この演奏は、驚くほどにそのような作用と無縁なのである。聴いている間、音はきれいだし、気分もまずまず良いが、終わってみると、どこが良かったとか、どの曲に感銘を受けたといったような印象がほとんどなく、言ってみれば、良くできたイージーリスニングを聴いた感じ。念のため書いておくと、私はイージーリスニングと称される音楽を貶めるつもりは毛頭なく、ただ、ショパンの作品はそうじゃないだろう、という違和感を表現したいのである。 もちろん、先に書いたように、これは11年まえの録音。今のジュジアーノはまた違うのかもしれない。ただ、私が以前聴いた録音と比較して、内面的な深まりを感じられず、むしろ外面的な整備に集中する方向で8年の時が進んでしまったように感じてしまうのは、どうしても気がかりに思う点である。 |
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24の練習曲 4つのバラード ワルツ集(19曲) p: アニエヴァス レビュー日:2018.11.19 |
★★★★★ アニエヴァスの深い味わいを感じさせるショパン録音。白眉はワルツ集
ショパン、リスト、ラフマニノフの優れた弾き手として名を馳せたアメリカのピアニスト、アグスティン・アニエヴァス(Agustin Anievas 1934-)が、1966年から75年にかけて録音したショパン(Frederic Chopin 1810-1849)のピアノ独奏曲を集めた2枚組アルバム。収録内容は以下の通り。 【CD1】 1) 12の練習曲 op.10 2) 12の練習曲 op.25 3) バラード 第1番 ト短調 op.23 4) バラード 第2番 ヘ長調 op.38 【CD2】 1) バラード 第3番 変イ長調 op.47 2) バラード 第4番 ヘ短調 op.52 3) ワルツ 第1番 変ホ長調 op.18 「華麗なる大円舞曲」 4) ワルツ 第2番 変イ長調 op.34-1 「華麗なる円舞曲」 5) ワルツ 第3番 イ短調 op.34-2 「華麗なる円舞曲」 6) ワルツ 第4番 ヘ長調 op.34-3 「華麗なる円舞曲」 7) ワルツ 第5番 変イ長調 op.42 「大円舞曲」 8) ワルツ 第6番 変ニ長調 op.64-1 「小犬のワルツ」 9) ワルツ 第7番 ハ短調 op.64-2 10) ワルツ 第8番 変イ長調 op.64-3 11) ワルツ 第9番 変イ長調 op.69-1 「別れ」 12) ワルツ 第10番 ロ短調 op.69-2 13) ワルツ 第11番 変ト長調 op.70-1 14) ワルツ 第12番 ヘ短調 op.70-2 15) ワルツ 第13番 変ニ長調 op.70-3 16) ワルツ 第14番 ホ短調 17) ワルツ 第15番 ホ長調 18) ワルツ 第16番 変イ長調 19) ワルツ 第17番 変ホ長調 20) ワルツ 第18番 変ホ長調 21) ワルツ集 第19番 イ短調 練習曲集は1966年、バラード集は1975年、ワルツ集は1969年の録音。 とても聴き味の豊かなショパンだ。アニエヴァスのスタイルは、やや速めのテンポを主体としながらも、やや乾いた響きの暖かみのあるタッチで、適度なルバートを踏まえた抒情をはぐくんだもの。 この演奏を聴いていて、とにかく好ましいのは、これらの楽曲がとてもショパンらしく響くという点にある。安定しているとはいえ、アニエヴァスの技巧は、こんにちのコンクール型ピアニストたちに比べると、やや細部に甘さを感じさせるものである。しかし、アニエヴァスの演奏には、ショパンを弾くうえで絶対に欠かせないもの、-すなわち「詩情」-が豊かに息づいているのを感じることができる。「仏作って魂入れず」の言葉の通り、どんなに完璧に弾いた演奏であっても、芸術として完成するわけではない。芸術が芸術たりえるには、その作品を通して、人の心に訴えるものが必須であるが、それをアニエヴァスの音楽からは感じられるし、ことにショパンにおいて、それがきちんとあるのと、探さなければ見つからないようなレベルのものであるのとの差は甚大なのである。 そういった点で、私はこのショパンの録音をとても素晴らしいものだと思う。特にいいのがワルツ集で、例えば第9番の冒頭部分の、さりげない旋律に秘められた憂いは、気品を崩さず、音楽として美しい。他にも挙げると第12番の愛情に通じる暖かさともの悲しさの混ざった感触、第7番の情感の隅々まで通ったせつなさなど、実に感触が良く、美しい。典雅な曲、第1番や第4番、あるいは第5番であっても、はしゃぎ過ぎず、急ぎ過ぎず、しかし十分な活力と歌心をもって、優美に奏でられる。私は、この録音が、ショパンのワルツ集の一つの代表的録音であると思うのだけれど、いかがだろうか。 次いでエチュードも素晴らしい。もちろん、この曲には、ポリーニとアシュケナージ(2種)・・ポリーニの旧録音は未聴です・・という圧倒的な名盤があることは十分承知しているが、60年代にこのような優れた演奏があったことを忘れてしまうのは、あまりにももったいないだろう。安定した自然なテンポを維持しながら、情感的な肉付けがほどよくあって、いつのまにかその音楽の中に身を置く自分がいる。「別れの曲」も、あらためて「いい曲だな」と深く感じ入らせてくれるし、op.25-1の柔らかくも健やかな音の波、op.25-3の工夫を凝らしたバランスなど、いずれも見事。どの曲も、その曲ならではの味があり、無味乾燥ということは決してない。これこそショパンの音楽、と感じさせてくれる。 バラードも悪くはないが、ワルツ、エチュードに比べると、ややゴツゴツしてメカニカルな方向に寄ってしまっているように感じさせる。他の収録曲と比べると、もっと表現を深めることが出来たはず、と感じてしまうのだけれど、とはいえショパンの音楽として必要な表現は押さえられている。 現代のピアニストの音に聴きなれてしまうと、この演奏にもっと「輝かしさ」や「刺激」を求めてしまうかもしれない。だが、この滋味豊かなショパンは、じっくり聴き込むことのできる味わいの深いものだと思う。ぜひとも繰り返し聴きたくなる味わい深いショパンとなっている。 |
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12の練習曲 op.10 4つのスケルツォ p: ジュジアーノ レビュー日:2013.5.14 |
★★★★★ 1995年ショパン・コンクール第2位だったジュジアーノの良演盤
1995年に開催された第13回ショパン国際ピアノコンクールの結果は、「1位なし」に加え、ロシアのアレクセイ・スルタノフ(Alexei Sultanov 1969-2005)とフランスのフィリップ・ジュジアーノ(Philippe Giusiano 1973-)を「同点2位」とするという不思議なものであった。 優勝を最有力視されていたスルタノフは表彰式への出席を拒み、彼のウズベク人という背景から、人種問題について示唆する見方も噂されたが、いまとなっては真相はわからない。(また、真相が一つだけというわけでもないだろう)。また、2001年に脳卒中の発作に倒れ、そのまま復帰がかなわず世を去ったスルタノフの夭折は、音楽界にとっても大きな損失であった。 他方、ジュジアーノは、あちこちでコンサートなどの活躍を続けているが、CD録音がほとんどないために、私たちファンがその芸術に触れる機会は極端に限られている。いずれにしても惜しいことである。 当盤は、そのジュジアーノのピアノ・ソロ・アルバム。1998年に録音され、日本のOMAGATOKIレーベルから発売されたもので、ジュジアーノの健やかな音楽性を聴くことができる貴重なものである。しかし、これさえも現在では廃盤で、一度も復刻されていないようだが。 収録曲は、ショパン(Frederic Chopin 1810-1849)の12の練習曲op.10とスケルツォ全4曲。若々しく瑞々しい、という以上に優れた音楽性を感じさせる内容となっている。 特に素晴らしいのが4つのスケルツォ。ピアニスティックで鋭いタッチから、運動的な力感を伴って疾走する音楽の清冽で感覚的な美観が見事。均整がほどよくとれながら、部分部分で挿入される小さなアゴーギグを踏まえ、音楽に鮮烈な息遣いと色彩感を与えている。スケルツォ第1番の中間部も、若手ピアニストの場合、淡泊な表現に陥りがちなところだけれども、ジュジアーノのタッチには質感とともに情緒が漂っていて、いわゆるショパンの音楽で最も重要と思われる「詩情」の発露を感じさせてくれる。 それにしても、ショパンの作品というのは、演奏家の内面的なものを色濃く反映するものだ。ジュジアーノのピアノは、表面的な美しさに加え、内面的なパッションがきちんと表出しており、最終的な表現形態としての構築性もきちんと整えられている。それで、これは高品質なショパンだと実感してしまう。 12の練習曲はそれに比べると、やや畏まったところがあり、若々しい清冽な演奏といった印象ではあるが、もう一つ何かほしいところが残ってしまう気がする。いずれにしても、私個人的には、ジュジアーノには、より活発な録音活動をして、月並みな表現ながら、スルタノフの分も、価値ある音楽を世に提供してほしいと思う。 |
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ショパン 12の練習曲 op.10 シューベルト さすらい人幻想曲 リスト ドン・ジョヴァンニの回想 ストラヴィンスキー ペトルーシュカからの3楽章 fp,p: メルニコフ レビュー日:2018.12.10 |
★★★☆☆ ツェンダーの名言を逆説的に再認識してしまう
ロシアのピアニスト、アレクサンドル・メルニコフ(Alexander Melnikov 1973-)による各時代の作品を、その時代のピアノで弾くという企画で、以下の内容が収録されている。 1) シューベルト(Franz Schubert 1797-1828) さすらい人幻想曲 D760 (グラーフ・フォルテピアノ 1835年製) 2) ショパン(Frederic Chopin 1810-1849) 12の練習曲 op.10 (エラール 1837年製) 3) リスト(Franz Liszt 1811-1886) ドン・ジョヴァンニの回想 (ベーゼンドルファー 1875年製使用) 4) ストラヴィンスキー(Igor Stravinsky 1882-1971) ペトルーシュカからの3楽章 (スタインウェイ 2014年製使用) 2016年録音。 非常に悩ましい録音だ。最初に言っておくと、私はもろ手をあげて当盤を歓迎してはいない。それどころか、メルニコフがこれらの楽曲を録音するのであれば、是非現代の楽器を用いてほしかったという気持ちが圧倒的に支配している。それは聴き始める前にそういう予感が存分にあったし、聴くことはそれを再確認する作業であった。 某サイトによれば、メルニコフは「作曲者が意図したことはふさわしい楽器(作曲者が使っていたピアノ、もしくはその時代に周囲にあったもの)を用いなければ忠実に再現できない」と述べたと書いてあった。どの程度のニュアンスの言葉なのかわからないが、私はこれを字面通りには受け取れない。まず、「忠実に再現する」ことが学術的な興味の対象であったとしても、芸術的に高い価値を持つことと等価ではないので、その演奏が聴衆の心をつかむようなものになるとは限らないし、「作曲者が使っていたピアノ」はまだしも、「もしくはその時代に周囲にあったもの」というのは、置換として乱暴すぎて、非科学的な印象をぬぐい切れない。当然のことながら、いくら近くにあったとしても、別の由来の楽器が置いてあったら、それは全く別の音がするものなのである。 私は、同時代楽器主義には、上記の理由でまったく懐疑的だ。もちろん、なるほどと思えることもあるし、その響きが美しく心を動かされた演奏も多くあることは否定しない。だが、ここに収録された楽曲たちが、現代ピアノより同時代楽器の方が、素晴らしい、美しい音楽を奏でるかと言えば否である。当録音は残念ながらそのことを如実に伝えてしまう。少なくとも、私には、「現代楽器で弾いてくれたら素晴らしかったかもしれないのに」という思いが何度もおこり、そのストレスを相殺するまでの新たな価値は見いだせなかった。それが感性の不足と言われれば、そうかもしれない。だが、この録音を、ほとんどすべての評論家たちが絶賛し、あまつさえレコード・アカデミー賞受賞という報に接し、一度はスルー仕掛けたのであるが、せめて私のアンチテーゼをここに書き示したいという気持ちが沸き起こった。 ストラヴィンスキーは問題ない。私も楽しんだ。 他の3曲はどれも楽器の制約が重くのしかかる。特に音色の種類が限られ、しかも全般にひなびた感触になっている。強弱のコントロールや音価をこまかく変えられないため、音間の取り方や、強弱の抑揚を明瞭にすることで、音楽を導くが、全般に芝居がかった感じになっていまい、芸術表現としては、上質な感じがしない。もちろん、メルニコフの技術は優れているし、面白く聴かせようとするエンターテーメント精神はしっかり発揮されていて、好ましくはあるのだけれど、その作法が、とにかく音楽を俗っぽく響かせる方に作用してしまい、エンヤコラ調と形容したい表現に近づいてしまう。 学術的に面白いことはわかるが、率直に言って、芸術としてより優れた表現は、同曲異録音で無数にある。それらを差し置いてまで、当盤が素晴らしいとは私には100年たっても到底思えないだろう。改めて思う。ハンス・ツェンダー(Hans Zender 1936-)の「“作曲家の正しい解釈は、その時代の演奏様式の中に見出すべきだ” という主張は誤りである」という言葉の正しさを。 |
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24の前奏曲 前奏曲 第25番 アンダンテ・スピアナートと華麗なる大ポロネーズ ポロネーズ 第7番「幻想」 p: ロルティ レビュー日:2003.10.25 |
★★★★☆ 清涼感抜群の前奏曲
カナダのピアニスト、ロルティは日本では無名ながら卓越したテクニックとさわやかな芸風で、大いに聴き手を楽しませてくれる大御所だ。音色も結構様々に使ってくれる。軽やかにすらっと聴けてしまう清涼感抜群の録音。例えば前奏曲の第8番など、その華麗な音のグラデーションをバックに、ダイナミックに歌い上げており、聴きごたえ満点だ。曲によってより重さの欲しい部分もあるが、それを補って余りある清清しい魅力が横溢している。 |
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ショパン 24の前奏曲 2つの前奏曲 3つの新練習曲 モンポウ ひそやかな音楽~第15番(ショパンの前奏曲第4番による) 前奏曲 第9番 湖(「風景」より) p: タロー レビュー日:2008.5.4 |
★★★★★ 清冽でスマートなショパンとモンポウ
次々と多彩なジャンルに注目の録音をしているアレクサンドル・タロー(Alexande Tharaud)によるショパンの「24の前奏曲」を中心としたアルバム。収録曲とその収録順がふるっている。 まずショパンの「24の前奏曲」があり、その後フレデリック・モンポウの「ひそやかな音楽第15番」、またショパンになり「3つの新練習曲」、モンポウで「前奏曲第9番」、ショパンの「2曲の遺作の前奏曲」、そして最後にまたモンポウで「風景から「湖」」となる。 このピアニストのアルバムは同様の構成が多い。以前録音していたショパンのワルツ集もモンポウの作品が加えられていたし、ラモーのアルバムでは末尾にドビュッシーの「ラモー礼賛」が、クープランのアルバムでは末尾にデュファイのクラウザンのための小品が加えられていた。まるで文庫本の末尾にちょっと気の利いた解説が添えられている感じがする。 当盤の演奏であるが、清新な音色で、気高さを感じる演奏である。いかにも現代的でスマートな洗練を感じる。心地よい健康的な音楽で、新緑の中を駆け巡る様である。一方で「24の前奏曲」はその連続性を保持し、各曲の終結部を完全に閉じずに次曲に引き継ぐような演奏を心がけている。第16番や第24番における動的な迫力も見事。この曲集の場合、やはり全曲と通して聴くべきなのだろう。「新練習曲」も清冽。このアルバムで聴くと、これらの3曲は遺作の「練習曲」というより「前奏曲」に近い趣を持っていると思う。モンポウの「ひそやかな音楽第15番」はショパンの「24の前奏曲第4番」のモチーフによっている作品で、より孤独な音楽になっている。この収録曲は当アルバムの興味を増すポイントになっているだろう。最後に収められたモンポウの湖は5分程度の瞑想的な楽曲で、聴き手を様々な情景に誘う。 |
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24の前奏曲 4つのバラード p: ヴラダー レビュー日:2005.3.27 |
★★★★★ 高級ブレンディー感漂う魅惑のショパン!
このピアニストの名も「知る人ぞ知る」といった系列に入るのかもしれない。しかし素晴らしいテクニックと感性をもったピアニストである。ショパンの24の前奏曲について、「この曲集って、実は決定盤がないよな~」あるいは「ショパンの曲の中では、いまいち渋くてそれほど聴かないな~」といったご感想をお持ちの方には、ぜひ「だまされた」と思って、この名演を聴いて欲しい。 聴いたとたん、鮮やかな音色・・・それも決して輝き過ぎることのない、コクのある高級感溢れるブレンディーな響きに悩殺される。「こ、こんな素晴らしい演奏があったのか。。。」と、あなたを開眼させる・・・に違いない。(勿論、万人がそうであるとい保証はないが・・・) このピアニストがかもし出す音の深さ、大人のショパンは練達の職人芸とよぶに相応しい。中でも聴きどころを1か所挙げるならば・・・私なら前奏曲第17番の終結部ではないだろうか。極限まで気の配られた音色のマジックにより、深い深い陶酔感に浸れる。シンフォニックな音の逞しさ、雄々しい前進力も持ち合わせており、バランスも見事と言うほかない! もちろん、前奏曲の前に収録されている4つのバラードも素晴らしい演奏だ。 |
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24の前奏曲 前奏曲 第25番 第26番 夜想曲 第17番 第18番 マズルカ 第30番 p: ブレハッチ レビュー日:2007.12.1 |
★★★★★ これは「憂いのショパン」だと思います
2005年ショパン・コンクールで優勝したラファウ・ブレハッチのグラモフォン・レーベルへの初録音となる。当然ながら曲目はショパンで(個人的にはショパンでなくても全然かまわないのだけど・・・)、このピアニストの「ショパン・コンクールを制覇したポーランド人」というメッセージ性は今後しばらく継続されるだろう。 録音を聴いてみた。聴いてみると、「おや」と思う点がいくつかある。一つは非常に「老成」した何かが伝わってくるという点である。一般的な若いピアニストのショパンというイメージはなく、もうほとんど表現形態として完成された呼吸の深い音楽である。間合いがつねに均一に保たれ、乱れることもなければ意識的に乱すこともない。もう一つはとても内面的な演奏だ、ということだ。ショパンの音楽の場合、もちろん華やかな外面的な効果も高いが、詩人と称されるだけの深い内面性を持ち合わせている。ブレハッチのショパンは、あきらかにその後者に照準を合わせている。もちろん、華やかさがまったくない、というわけではない。ブレハッチにとってショパンにおいて表現するプライオリティーがはっきり定まっている、ということだ。その「価値観」がどことなく「老成」を思わすしたたかな安定感となっている。 同じポーランド出身のピアニストとして現代を代表するのはツィマーマンだと思うけれど、ツィマーマンのショパンが「光に照らし出されたショパン」であるならば、ブレハッチのショパンは曇り空の下、湿った空気を湛えた、いってみれば「憂いのショパン」だ。だから作品62の夜想曲も滋味のある豊かな音である。 もちろん、まだもう一味加わる要素もあると思われるが、現時点でこれほどの完成度でこのようなショパンを奏でられることに驚かされた。 |
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24の前奏曲 夜想曲 第7番 第8番 マズルカ 第18番 第19番 第20番 第21番 スケルツォ 第2番 p: ポリーニ レビュー日:2012.11.8 |
★★★★☆ 今のポリーニの芸術家としての刻印を感じつつ・・
ポリーニ(Maurizio Pollini 1942-)による久々のショパン(Frederic Chopin 1810-1849)アルバムで、収録曲は、24の前奏曲、夜想曲第7番、第8番、マズルカ第18番、第19番、第20番、第21番、スケルツォ第2番。2011年の録音。ポリーニは、24の前奏曲については1974年、スケルツォ第2番については1990年、2つの夜想曲については2005年にそれぞれ録音しており、マズルカ以外は再録音ということになる。当アルバムは、ショパンが1835年から1839年にかけて作曲した作品が集められている。ポリーニは2008年にもソナタ第2番を中心とする作曲年代の近い作品を集めたショパン録音を行っていて、同じコンセプトにより作成されたアルバムの第2弾ということになる。 かつて、アシュケナージ(Vladimir Ashkenazy 1937-)がDECCAレーベルにショパンのピアノ・ソロ作品全集の録音を進めていた際、「作曲年代別」というコンセプトが採用されていた。しかし、正直に言って、ポリーニの場合、すでにカテゴリ別に前奏曲、夜想曲、スケルツォとも録音を終了しているので、改めてこのような方針で録音するということに、私は若干の必然性の薄さを感じてしまう。むしろまだ録音のされていないワルツなりマズルカなりに焦点を絞って、まとめて録音した方がファンにも歓迎されるのではないだろうか。それにワルツにせよ、マズルカにせよ、むしろ「今のポリーニ」の芸風に合った楽曲だと思うのだけれど。 「今のポリーニ」と書いたけれど、ポリーニのスタイルの変化については、たぶん多くの方が共有する印象だろう。彼の以前のスタイルは、メカニカルな技巧を駆使して、スコアにきわめて忠実な音楽を、克明に再現するピアニズムが支配するもので、その厳しい音楽の諸相に人は感動したものである。しかし、時とともにポリーニの音楽には情のウェイトが大きくなり、内燃的なパッションや内省的な抒情を噛み合わせたアプローチになってくる。どちらが優れているとか言えるものではないと思うのだけれど、ポリーニの場合、以前のイメージが強烈だっただけに、再録音した場合に、その差について評価を受けるという点では、リスキーにならざるを得ない部分もあろう。 しかし、それは私のようなファンが思うことで、ポリーニ自身は、一芸術家として、今ある価値観と対峙し、それに従って音楽を奏で、その文脈で得られる芸術の真価を求めているのだろう。 実際、これらの録音を、過去との比較というのではなく、率直に聴いてみると、やや早めのテンポを維持し、構築性を保ちながら、知性と情熱の間で、時折どちらかにグッと音楽を傾かせ、演奏の求心力を導いていく力強い奔流を感じさせるものとなっている。確かに、以前と比べて、技術的な正確さは低下した(それに以前の録音の方が、スタジオで何度も録り重ねたものであった)かもしれないが、本録音が今を生きるポリーニという芸術家の意思と血の通った音楽になっていることもまた確かであろう。しかも、彼が生涯をかけて取り組んできたショパンの作品であれば、なおのことだ。かつてない微細なニュアンスを汲む瞬間(例えば、雨だれの前奏曲の低音の感情表現)に、聴き手が今のポリーニを感じ、それを各々が、その感性に照らして、何かを感じ入ることになるはずだ。それが単に「かつてとの違い」や「技術の低下」であるか、あるいは「新しい発見」「感情の動き」であるかは聴き手に委ねられている。 私個人的には、ポリーニに、ぜひ未録音の作品の新録音を期待したいが、当盤は、それはそれで、一人の芸術家の刻印として示されたもののように思う。 |
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24の前奏曲 前奏曲 第25番 第26番 4つの即興曲 p: 清水和音 レビュー日:2014.7.2 |
★★★★★ 淡い表現に、芸術的深みを通わせた清水のショパン
1981年のロン=ティボー・コンクール優勝以来、日本におけるコンクール型ピアニストの象徴的存在の一人と言える清水和音(1960-)は、今世紀に入ってから、オクタヴィア・レコードから、じっくりと腰の据わった、芸風の円熟を感じさせる録音をリリースし、あらためて注目された。 当盤は2004年にスタジオ録音されたもの。 清水のレパートリーは、ドイツ・オーストリア系の古典からロマン派にかけてのもの、ショパン、リスト、ラフマニノフに代表される汎スラヴ系のもの、あとはドビュッシーといったところで、それは、世界中で、特に多く聴かれ、愛好されているピアノ音楽たちだろう。そのため、彼のスタイルも、正統性を重んじたものに集約されてきた感がある。このショパン(Frederic Chopin 1810-1849)でも、そのような素因を感じさせる端正な弾き振りが示されている。 清水は、一つ一つの音符を、丁寧に響かせながら、自然な運動性に委ねた運指で、心地よくフレーズを活かした音楽を作っていく。前奏曲では、特に繋ぎの性格の強い第23番のような作品で、淡い情緒を漂わせた感触が相応しく感じられる。 全般にぺダルの使用は少なめで、音色自体はやや簡素さを感じさせる。テンポは中庸で、特に急(せ)き立てるようなところはなく、音楽の起伏に沿って、必要最小限の加重のみに抑えたクールさが漂う。そのため、例えば前奏曲第18番なども、瞬間毎の音の独立性が保たれるのだが、そのために、他の演奏を比べると、柔らかな連続性には乏しいという感想ももたらされる。私の好みでは、この第18番では、陰影がはっきりし過ぎるようにも思う。しかし、それが、清水が熟考して辿り着いた表現なのだろう。そう考えると、墨絵のようなニュアンスを感じさせているとも表現できる。繰り返し聴くことで、味わいの出てくる演奏といった感じだろうか。終曲の第24番でも、発色を抑えた表現が用いられ、左手で持続される音型には、特段の強調や、踏み込みが与えられず、全体として淡々と奏でられる様相だ。全体の雰囲気は、抑制的な美の印象が支配的で、品を感じさせるもの。 2曲の遺作の前奏曲が収録されている。夜想曲的な雰囲気を持った第25番は、最近人気の高まった曲だが、清水の演奏はきわめて素朴で、安易な甘さを排した表現となっている。こちらも淡い表現で、「大人のショパン」といった気配を醸し出している。 4つの即興曲が良い。特にあまり有名とは言えない第2番、第3番といった楽曲に、明晰なフレージングを与え、各箇所の音楽的表情付けが豊かに感じ取れるところが良い。無理のないテンポで、よくコントロールされた情感に、彼が到達した芸術の深みを感じる。 |
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ショパン 24の前奏曲 シューベルト 3つの小品 プロコフィエフ ピアノソナタ 第7番「戦争ソナタ」 p: アヴデーエワ レビュー日:2014.10.14 |
★★★★★ 2010年ショパン・コンクール優勝者、アヴデーエワの注目のソロ・アルバム
ロシアのピアニスト、ユリアンナ・アヴデーエワ(Yulianna Avdeeva 1985-)は、2010年のショパン・コンクールで優勝し、1965年のアルゲリッチ(Martha Argerich 1941-)以来の女性優勝者として注目された。 その後、アヴデーエワは、2012年にはブリュッヘン(Frans Bruggen 1934-)指揮、18世紀オーケストラとショパンの2曲の協奏曲を録音したが、この際、1849年製のエラールを使用し、フォルテ・ピアノ奏者としての一定の力量を持つことを示したのだが、今回は、いよいよ「現代ピアノ」をもちいての独奏曲の録音ということになる。収録内容は以下の通り。 1) シューベルト(Franz Schubert 1797-1828) 3つのピアノ曲D.946(第1番 変ホ短調、第2番 変ホ長調、第3番 ハ長調) 2) プロコフィエフ(Sergei Prokofiev 1891-1953) ピアノ・ソナタ 第7番 変ロ長調 op.83「戦争ソナタ」 3) ショパン(Frederic Chopin 1810-1849) 24の前奏曲 op.28 2014年の録音。収録時間は90分を越えているため、CD2枚組となり、ショパン作品が2枚目に収録される体裁となっている。なお、シューベルト3つのピアノ曲の第1番では、末尾の変イ長調の主題以降もカットせずに収録している。 これら3曲のプログラムについて、アヴデーエワは、プロコフィエフの作品を中心に置き、プロコフィエフが渡米時に立ち寄った日本でショパンを弾いたこと、渡米先でシューベルト作品の編曲を行ったことから、イメージされた作品をそこに加えた、と語っている。そうは言っても、概してそれほど結びつきの強さを感じさせない、自由な選曲といったアルバムだろう。むしろ、コンクール型ピアニストに相応しいラインナップだと思う。 さて、実際に聴いてみての感想であるが、コンクール型ピアニストらしいプログラムにもかかわらず、たいへんに落ち着いて滋味豊かな、陰りのある演奏だと感じられた。実は、この私の印象は、2005年のショパン・コンクールで優勝したラファウ・ブレハッチ(Rafal Blechacz 1985-)に重なるところが多い。ショパン・コンクールは、2大会続けて、音楽に深い襞(ひだ)を与える奏者を優勝者に選んだようだ。 シューベルトから落ち着いた味わいの音楽が奏でられる。熟考された表現で、音の余韻までしっかりと計算した間合いを設ける。全般にペダリングの効果も抑制的で、性急さを求めず、音間にただよう情緒を大切に拾っていく。そのようなスタイルの演奏は、古典的な美観を纏い、優しさを伴って聴き手に届く。あるいは「癒し」の要素を感じる人もいるだろう。 プロコフィエフのソナタも、劇的ではあるが、アグレッシヴというより、セーヴを感じる表現で、しかし音楽的な親密さがある。決して急がず、しかしフレーズの持つ情緒や美しさを決して削ぐことがないように奏でられる。このスタイルに近い演奏として、私はシュテファン・ヴラダー(Stefan Vladar 1965-)の録音を挙げよう。 最後にショパンである。十分な技巧で、音量も過不足なく、丁寧な表現に徹している。きわめて自然な響きに満ちている。彼女の演奏の特徴が良く出ているところとして、第21番変ロ長調のカンタービレがある。木漏れ日のような温和さに包まれた豊かな味わいに満ちていて、たいへん好ましい。 部分的にさらにもう一味欲しいところは残るけれども、これからの活躍に十分な期待を抱かせてくれるアルバムとなっている。 |
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24の前奏曲 バラード 第3番 第4番 夜想曲 第8番 第13番 第18番 p: ルガンスキー レビュー日:2014.9.1 |
★★★★★ 特に2曲のバラードが素晴らしいルガンスキーのショパン
ニコライ・ルガンスキー(Nikolai Lugansky 1972-)による2001年録音のショパン(Frederic Chopin 1810-1849)アルバム。収録曲は以下の通り。 1) バラード 第3番 変イ長調 op.47 2) 夜想曲 第13番 ハ短調 op.48-1 3) 夜想曲 第8番 変ニ長調 op.27-2 4) バラード 第4番 ヘ短調 op.52 5) 24の前奏曲 op.28 6) 夜想曲 第18番 ホ長調 op.62-2 興味深い曲目と配列によるアルバム。演奏も面白い。いや、面白いという表現は語弊があるだろうか?ルガンスキーの弾くショパンは、特有の高貴さ、歌とともに、ドラマティックな濃淡や、特有の自由さがり、たいへん浪漫的だ。 私の場合、ショパンのピアノ曲の多くは、アシュケナージ(Vladimir Ashkenazy 1937-)の全曲録音で親しんだ。だから、私の頭にあるアシュケナージの研究したショパン演奏、~深い音楽教養を背景としながら、音楽法則に基づく均質性を維持した詩情の発露、そして自己抑制と自己表現のバランスに配意した純音楽的解決~、と、このルガンスキーの弾き方を、それぞれの曲について比較しながら聴くのだけれど、ルガンスキーは、ジャンルによって、そして曲目によって、アプローチの始点と終点に差を設けている点で、アシュケナージとは異なる。 例えば、夜想曲第8番で、彼はかなりうっとりとしたニュアンスを引き出していて、この美しい旋律に、たっぷりとした夢を乗せるように音楽を奏でている。それは、ショパンへの普遍的アプローチというより、より細分化した「夜想曲第8番」への特化的なアプローチであるように聴こえる。 24の前奏曲も、曲によって結構いろいろな方向性を帯びるように聴こえる。後半の第18番ヘ短調や第22番ト短調といった曲も、かなり曲の特色を出そうという演奏になっている(これらの曲で、あまりこういう演奏はないように思う)。これは、さながら最初から24の前奏曲の「連続性」を念頭に置くことはせず、あくまで結果的に連続的な効果が得られるような印象、と言おうか。そのため、1曲1曲に独特の重みやドラマ、そして刺激がもたらされている。それがこのアルバムの特徴であり、聴き味となっている。それに、バラードや夜想曲が連続して配置されていないことも、1曲1曲のアプローチというスタイルに即しているのだろう。 私が、このアルバムの中でとても素晴らしいと思ったのは2曲のバラードで、これは曲の規模が大きく、内包するドラマもそれに応じているので、ルガンスキーのアプローチが全面的に好作用し、これらの名曲の普遍的な価値を示すものとなっていると感じた。安定した技術で奏でられる音の粒立ちは見事に揃っていて、かつ決して急がない、落ち着いた味わい。サウンドは素晴らしくブリリアントだ。かといって過度に発色せず、シックな詩情を歌い上げた高級感が漂っている。とくに第4番の終結部は忘れられない輝きを持っている。 録音当時29歳のルガンスキーなので、今、彼が弾いたなら、もっと違ったアプローチになると思うけれど、これはこれで立派な演奏が集約されていると感じられる。長時間収録とあいまって、魅力を失わないアルバムだと思う。 |
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24の前奏曲 前奏曲 第25番 第26番 p: ユンディ・リ レビュー日:2015.10.21 |
★★★★☆ 惜しい。収録時間の短さが玉に瑕
2000年に開催されたショパン・コンクールで、20年ぶりに審査員を務めたアルゲリッチ(Maria Martha Argerich 1941-)らから高い評価を受け、優勝を果たした中国のピアニストユンディ・リ(Yundi Li 1982-)。その後、コンサート、レコーディングなどで着実にキャリアを積み上げている。2015年には第17回ショパン・コンクールの審査員を最年少で務めた。(その任の一部を欠席したことでも、若干の物議を呈してしまったのだが)。 そんな、大家の道を歩むユンディ・リによるショパン (Frederic Chopin 1810-1849)の前奏曲集がリリースされた。ここしばらく、彼のショパンはEMIから出ていたので、ドイツ・グラモフォンからのショパンは、久しぶりで、おそらく2004年録音のスケルツォ4曲を中心としたアルバム以来と思う。 さて、2015年に録音された当盤の収録曲は以下の通り。 1) 24の前奏曲 op.28 2) 前奏曲 第25番 嬰ハ短調 op.45 3) 前奏曲 第26番 変イ長調(遺作) まず感じるのはヴォリュームの少なさである。最近、長時間収録されたアルバムも多くなり、その収録内容をいろいろ楽しんでいる私の場合、当新譜のリリースの報に接した時、「前奏曲の他に何を録音するんだろう?」と思っていたのだけれど、なんと24の前奏曲の他に、2曲の単独の前奏曲のみ。今どき、収録時間38分強で、ほぼフルプライスのアルバムなんて、なかなかお目にかかれないのである。 というわけで、ヴォリュームという観点で、私は絶対的に不満なのであるけれど、演奏は優れたものだと感じた。少なくとも、やはり現在の世界で、これだけショパンの音楽を豊麗に響かせてくれるピアニストは、少ないだろう。 ユンディ・リのショパンは、一つ一つの音が輝いていて、その粒だったレガートが放つオーラのようなものは、やはり抗いがたい魅力である。その一方で、至難な技巧を要する第16番の変ロ短調などでは、激烈と言って良い疾走ぶりで、加えて劇的な高揚感にも溢れている。音量も存分に豊かで、旋律線は華麗に浮かび上がる。第18番のヘ短調、第22番のト短調などの「小さい」けれど、重さを感じさせる作品において、ユンディ・リの演奏から放たれるエネルギー量の総和は大きく、見事な充足感をもたらす。また、彼は重い音を用いる場合であっても、簡単に減速の妥協はしない。ゆるぎないスピード感の維持は時に圧巻の効果をもたらす。第12番の嬰ト短調の音階の鮮やかな駆け巡りは、多くの人が興奮をおぼえるに違いない。 それにちょっとした転調のおりに見せる詩情も、演奏の価値を高めている。第3番のト長調の曲に潜むニュアンスは、このピアニストが、内省的な表現でも、優れた得難いものを持っていることを表している。 その一方で、私は、この24の前奏曲を聴いたとき、ユンディ・リの演奏は、曲間の連続性よりも、1曲1曲の表現を突き詰めることを重視したものである、という感想を持つ。「24の前奏曲」というより「24の小品集」を聴いたような、感覚が残る。もちろん、それはそれで良いし、24の前奏曲だって、そのうち何曲かだけ弾くピアニストも多いから、そもそも問題にもならない、と思う人もいるかもしれないけれど、個人的にはもっと前後の情感の引き継ぎの要素を感じさせてくれたら、もっと良かったように思う。そういった点で、私はアシュケナージ(Vladimir Ashkenazy 1937-)、やヴラダー(Stefan Vladar 1965-)、タロー(Alexandre Tharaud 1968-)といった人たちの24の前奏曲の録音がとても好きなのだけれど。 そうは言っても、このユンディ・リの豊饒な音の奔流が、人々を強く魅了する音楽であることは間違いない。そのような演奏の素晴らしさは百も承知の上で、しかし、この短い収録時間を考えると、消費者の立場として、購入という経済行動の観点からの評価を含めざるをえず、星5つからは1つ減じる。 |
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24の前奏曲 ピアノ・ソナタ 第2番「葬送行進曲付」 12の練習曲 op.25 p: ソコロフ レビュー日:2019.7.9 |
★★★★☆ 素晴らしいと感じるところと、消化できないと感じるところの、双方がある演奏
グリゴリー・ソコロフ(Grigory Sokolov 1950-)が、複数のコンサートで弾いた、ショパン(Frederic Chopin 1810-1849)のピアノ作品を集めて、2枚組のアルバムとしたもの。収録曲と録音年は以下の通り。 【CD1】 1) 24の前奏曲 op.28 1990年録音 【CD2】 2) ピアノ・ソナタ 第2番 変ロ短調 op.35 「葬送行進曲付」 1992年録音 3) 12の練習曲 op.25 1995年録音 ソコロフの録音は何点か聴いているが、概して個性的であり、面白い反面、私には消化しきれないものも残る。当盤もまさにそんな内容。 ソコロフは安定した技巧、十指の独立性を感じさせる機動力を用い、明晰でありながらロマン的な抑揚のある音楽を繰り広げている。特に運動性を感じさせる楽曲において、その彫像性は美しく、ソナタ第2番の第1楽章における重音を含んだ左手の階層的な響きや、前奏曲第16番における統制と力による推進のフォルムの整いには、惹かれるものがある。 一方で、例によって、ソコロフは静かな部分では、きわめて遅いテンポを取る。中には、それゆえの美しさを感じるところもあるが、表現手段としての速度低下が繰り返されることが、あまりにも常套的な印象をもたらすところもある。また、ショパンの旋律は、ある程度間断のない適切なテンポの中で歌われてこそ、という面が強いと私は考える。だから、前奏曲の第6番、第8番や第17番、ソナタの葬送行進曲、練習曲op.25の第7番第10番の中間部など、私にはテンポが遅すぎで、フレーズが前後の脈と関係なく孤立しているように思われてならない。 音色については多彩な方とは言えないが、実直で真面目な音である。そのため、構造的に書かれた音楽の把握という点では問題ないが、詩情の表出と言う点では、限界を感じるところもある。強弱は、連続的に変化する部分では問題を感じないが、強弱で飛び値への飛躍がある場合、その落ち着き先の選択肢が少ない。それはあえて表現性の過多を戒めて秩序を重んじたのかもしれないが、他のソコロフの演奏を聴くと、どの曲であっても同じ傾向なので、その点でも私には面白味に欠ける。 と書いていると、私が感じた以上に印象が悪化しているかもしれない。もちろん、ソコロフの演奏に(私にとっての)魅力も存する。前述のソナタ第2番の第1楽章のパーツごとの処理は明敏的確で、その明晰さのベースで旋律が生き生きと表現されていて、鮮やかだ。練習曲では、「木枯らし」にこの人らしさ、すなわち階層化された音から生み出される恰幅と、明晰な処理から導かれた見通しの良さ、その双方が両立した隙のない音楽がある。 |
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夜想曲全集 4つのバラード p: アシュケナージ レビュー日:2004.1.4 |
★★★★★ もっとも美しいピアノアルバム!
このCDを見つけた人は、迷わず買うべきである。 理由1)国内盤では夜想曲とバラードは別CDに収録されているが、当盤では2枚のCDにこれら全曲が収録されている。 理由2)おおよそ、この世に存在する「もっとも美しいピアノ曲集」の「もっとも美しい録音である」と考えられる。 ノクターンの「夜想曲」という邦訳はなかなかイキであるが、ショパンのこの作品群のように幻惑的情熱的魅力を秘めた曲集はちょっと他にはないだろう。アシュケナージの録音は決定的ともいえる名録音である。「戦場のピアニスト」ですっかり有名になった遺作の夜想曲第20番を含んでいる。 最近安っぽいイメージで装飾されてしまったバラードという言葉は元来イタリア語で”物語”という意味。ショパンはこの形式をピアノ独奏曲として初めて使った。その特徴は、拍子(4分の6 8分の6)と力強いコーダであり、決してバラードはスローな4拍子を指すわけではない。 とにかくショパンはスゴイ。それが伝わるアルバム。 |
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夜想曲全集 p: ポリーニ レビュー日:2005.10.29 |
★★★★★ 節度ある美観に貫かれた夜想曲
一つ一つ熟考を重ねながら、その録音レパートリーを増やしているマウリツィオ・ポリーニが、ついにショパンの夜想曲を録音した。そもそもショパンコンクールのときから彼は夜想曲を弾いているし、その後のライヴでも何度となく夜想曲から取り上げてきたので、そのこと自体はさほど驚くことではないかもしれない。 しかし、デビュー当時のポリーニの録音と比べると、さすがに大きな違いを感じる。なんといっても多彩なアゴーギグを使い、色鮮やかに旋律を歌わせているという点は、ポリーニというピアニストにして、やはり新鮮に聴こえるのだ。これは、もちろん夜想曲というショパンのハートの最も抒情的な面をあらわした作品群にアプローチするとき、決して避ける事ができないということもあるが、それ以上にポリーニ自身が歌っているという実感のあるアルバムであり、近年の録音の中でもまた少し違う感興を聴き手にあたえるに違いない。 そして、付け加えるならば、それでもなおポリーニはポリーニである、とも感じられた。例えば、第1番や第8番の分散和音による左手の伴奏・・・(この曲集の象徴とも言える)・・などはいかにもさらりとしていて、これらが前面に出てきて大きく自己主張することはない。伴奏としての役割はきわめて拘束的であり、それが節度として音楽の美観と、ゆるぎない構成感に繋がっている。また第3番の中間部などのように、運動的な部分では、やはり直線的なスタイルがさっと顔を出し、ここはやはりポリーニであると思わせる。 やはりショパン演奏において、このピアニストの録音は目が離せないものであると納得させられた。 |
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夜想曲全集 舟歌 子守歌 p: フェルツマン レビュー日:2006.3.18 |
★★★★★ 幻想的夜想曲集
1952年生まれのフェルツマンは1971年のロン・ティボー・コンクールでのグランプリ受賞以来、世界で活躍しているが、国内盤のリリースが少ない。そんな事情もあって、日本での認知度はやや低いと思われるが、実力確かなピアニストで、聴きもらすには惜しい存在である。そんな中、カメラータからリリースされた一連の国内盤はリーズナブルで入手しやすく、オススメである。 ここではショパンの夜想曲全曲(第1番~第21番)に舟歌、子守歌が合わせて収録されている。まず、なんといっても高音のきらめくような美しさに弾かれる。ショパンの夜想曲の場合、右手が単音で旋律を奏でるようなシーンが多く登場する。が、それらの多くが夢見るような美しさで弾かれている。肩書きに有る「幻想的ピアニスト」とはそう言うことなのかな。。。 そして低音もクリアで明瞭であり、きわめて見とおしの効く、済んだサウンドとなっている。演奏そのものについて言えば、テンポきわめて穏当で王道を行っていると思う。また、アシュケナージやポリーニといった大家の演奏に比べると、感情の振幅が広く、低音の保持はより自由度が大きい。旋律はより自由さを獲得し、伸びやかに歌い、挿入される装飾音も気品を崩さない範囲に収まる。自由さを獲得する一方で構築性はやわらぐが、この演奏の魅力はやはり「適度な自由さ」にあるだろう。 感情の起伏は大きいが、それでも、ピリスのように感情過多にならないところが筆者としてはとても好感を持てる。特に、いまひとつ人気のない曲が、とてもいい曲に響くのが好印象で、中でもスケールが大きく感じられる第7番や、美しいモノローグのように描写された第14番、適度な軽やかさで巧みに描かれた第15番、装飾的な高音がすっと空中にたなびく第9番など、本当に素晴らしいと感じた。 |
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夜想曲全集 p: ユンディ・リ レビュー日:2010.7.17 |
★★★★★ ユンディ・リの「夜想曲らしい夜想曲」
2010年はショパンの生誕200年ということで、いろいろと興味深いアルバムがリリースされている。このユンディ・リの夜想曲もその一つ。 ユンディ・リは1982年重慶生まれ。2000年のショパン国際コンクールにおいて18才の若さで優勝し、今や中国の音楽界全体の躍進を象徴するアーティストになっている。私も、プロコフィエフとラヴェルの協奏曲などで、スケールの大きい音楽性に心打たれた。 それで、夜想曲を弾くとどんな感じなのだろう、と思って聴いてみた。良かった。何が良いのかというと、夜想曲が夜想曲らしく響いて、しっとりくるのである。・・これでは何を言っているのかわからないかもしれないですね・・・。特にショパンの夜想曲は、左手のそれほど大きく変化することのない伴奏に合わせて、右手がたいへん叙情的な旋律を歌わせる点に特徴がある。また、左手の伴奏は(もちろん例外の箇所もあるけれど)基本的には一定のリズムで同じ数の音符が割り当てられていて、非常に規則的な印象を聴き手に与える。他方、右手は、いかようにも歌えるたっぷりしたカンタービレを内包しており、そのどちらに進行を委ねるのかにまず興味が行く。ざっくりと言ってしまえば右手中心の典型がピリスで、左手中心の典型がポリーニ(ちょっとざっくり過ぎるかもしれませんが)。 ユンディ・リは「左手タイプ」である。これが私の好みと一致するところ。つまり、左手の規則的なリズムの中でまず曲自体の「揺れ幅」を拘束しておいて、その礎の中で右手が歌うのである。この演奏場合、メリットとして禁欲的で高貴な音楽が導かれ易いことがあり、一方で欠点としては全曲の印象が画一化し易いことにある。ユンディ・リはうまい。メリットを生かした上で、柔らかい音色を武器に、右手ですくえるだけの歌をすくって聴かせてくれる。そのため「歌があるのに、静かな」夜想曲らしい夜想曲になっていると私は思う。 特に印象に残った曲としては第16番、これはちょっとした音色を和えて、マジカルで魅惑的な音楽になっていて素晴らしい心地よさだ。それと第15番、これも旋律の歌わせ方がことごとくフィットしていて見事の一言。もう一曲挙げさせていただくと第13番。これは異色作的な夜想曲だけど、ピアニストの技巧と歌心がよく調和していて、あらゆる観点からみてオーソドックスで強度のある演奏だと思う。もちろん、この演奏の美点は、全曲を貫くもので、それ以外の曲も美しい佇まいを示してくれる。 |
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夜想曲全集 p: フレイレ レビュー日:2010.7.5 |
★★★★☆ 夜霧のかかったような・・・不思議なノクターン
ソナタ&エチュードに続くネルソン・フレイレによるデッカ・レーベルへのショパン・シリーズ、第3弾は夜想曲全集(第1番~第20番)となった。録音は2009年。 一聴して、これまでのアルバムとは異なる印象を受けた。なんといっても音色が違う!ピアノは相変わらずスタインウェイとなっているのだけれど、もう楽器からして違うと言われた方が納得するくらいの違いである。 さて、そうなると、その「違い」が聴き手にとって「良い違い」なのか、それともそうでないのかが問題となる。では、聴き手がそれを判断し易い第4番を聴いてみよう。第4番は情熱的な中間部を、3連譜による音型が印象的な、耽美な部分が挟むという三角形構造をしているが、この3連譜の後半の2つの音がいかにも乾いた小さな音になっている。何かペダルの操作か何かで、細かく弱音を割り当てられたような・・・これが聴いていると、情緒的というより、どこかひなびたような不思議な印象を受ける。何かどこかから古~いピアノが聴こえてきた様な・・・これがフレイレのトリックなのだろうか?いや、確信犯でないとこんな音は出ないだろう。私はこれを聴いてティボーデの弾くドビュッシーを思い出した。あの演奏も微細なぺダリングにより、多彩なニュアンスを引き出した名演だった。 一方、このフレイレの確信犯的アプローチは、さらに音の輪郭の柔らかな、独特の靄がかかったような不思議な世界をかもし出している。有名な第5番の夜想曲も、あのマジカルな中間部の前の低音の支持が、これほどセーヴされるというのは、ピアニスティックというより、明瞭な形を持たない何か、といった印象である。あえて表現するなら「抽象的な音」がする。 描かれる世界から、この演奏を形容するなら「霧の夜想曲」とでも言いたいところ。静謐な雰囲気でもあるけれど、それよりも妖しくまどろむようなところがある。もちろん、そうであってもフレイレのカンタービレに対する健康的で甘美な価値観は息づいており、豊かな音楽を聴いているとは思わせてくれるが・・・。この演奏の「美しさ」はきわめて個性的なものであり、聴き手の好みも大きく分かれるのではないか。 |
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夜想曲全集 p: チッコリーニ レビュー日:2010.4.29 |
★★★★★ ファツィオリとチッコリーニが奏でるショパンの夜想曲
アルド・チッコリーニ(Aldo Ciccolini 1925 - )というピアニストはジャンル限定的に聴かれる感のあるピアニストで、それと言うのも、国内でこのピアニストが有名になったのは、サティのピアノ作品全集というマニアックな趣のレコードを通じてであるからだ。今でこそサティは誰だって弾く(と言ったら語弊があるけれど)けれども、当時はレコードの流通量自体が少なくて、しかもサティの全集なんて他になかったのである。しかし、この演奏がなかなか雰囲気のよい佳演だったため、チッコリーニの名は「サティのスペシャリスト」的にファンには把握されていた。もう一点あげるなら、サンサーンスのピアノ協奏曲だろうか。 しかし、チッコリーニの弾く音楽は当然のことながらサティとサンサーンスだけではない。他にもいろいろ優れたものがある。例えば2002年録音のこのショパンの夜想曲などもたいへん良い。 このディスクを聴くにあたって、もう一つ注目したいのは楽器である。元来家具を扱ってきたファツィオリ社が作製したピアノなのだが、この会社はピアノの世界では後発のメーカーになる。しかし、ファツィオリがピアノのジャンルに進出して以来、チッコリーニはこの楽器をたいへん気に入り、使うようになった。 ファツィオリの製作上の特徴は、素材・工程に、伝統にこだわらない最新のものを用いていることで、結果として得られた効果は、(CDで聴く限りでは)一度弾いた音が、直線的に、きわめて高い安定感ですぅっと伸びる感じがする。また、どの音階の音も、それぞれの収束点にきわめて高い精度で向かっていく。これらの特徴はチッコリーニの明るく透明なタッチとよく呼応する。 このショパンの夜想曲を聴くと、くっきりとした陰影が与えられることで、曲想がきわめて明瞭で、装飾音などもくっきりとした粒立ちを保持している。例えば第3番の主旋律を彩る様々の細やかな音型。それぞれ品行方正に小さくきめ細かくパッケージングされているかのようで、いかにも好ましい佇まいを示してくれる。第12番のようにゆったりとテンポを落として運動美より瞬間瞬間の確固たる彫像性を強く出すのも面白い。第14番のような幻想的な曲は、この手法で弾かれると、まるでいままで知らなかった曲を聴くような新鮮な感慨を得ることができる。ショパンの夜想曲録音の中でも忘れたくないものの一つ。 |
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夜想曲全集 p: フー・ツォン レビュー日:2020.5.21 |
★★★★★ 再版が望まれるフー・ツォンの代表的録音
1955年に開催されたショパン国際ピアノコンクールで第3位に入賞した中国のピアニスト、フー・ツォン(Fou Ts'ong 1934-)によるショパン(Frederic Chopin 1810-1849)の夜想曲全集。CD2枚に下記のように収録されている。 【CD1】 1) 夜想曲 第19番 ホ短調 op.72-1 2) 夜想曲 第20番 嬰ハ短調 (遺作) 3) 夜想曲 第21番 ハ短調 (遺作) 4) 夜想曲 第1番 変ロ短調 op.9-1 5) 夜想曲 第2番 変ホ長調 op.9-2 6) 夜想曲 第3番 ロ長調 op.9-3 7) 夜想曲 第4番 ヘ長調 op.15-1 8) 夜想曲 第5番 嬰ヘ長調 op.15-2 9) 夜想曲 第6番 ト短調 op.15-3 10) 夜想曲 第7番 嬰ハ短調 op.27-1 11) 夜想曲 第8番 変ニ長調 op.27-2 【CD2】 1) 夜想曲 第9番 ロ長調 op.32-1 2) 夜想曲 第10番 変イ長調 op.32-2 3) 夜想曲 第11番 ト短調 op.37-1 4) 夜想曲 第12番 ト長調 op.37-2 5) 夜想曲 第13番 ハ短調 op.48-1 6) 夜想曲 第14番 嬰ヘ短調 op.48-2 7) 夜想曲 第15番 ヘ短調 op.55-1 8) 夜想曲 第16番 変ホ長調 op.55-2 9) 夜想曲 第17番 ロ長調 op.62-1 10) 夜想曲 第18番 ホ長調 op.62-2 1977年の録音。キャリアの長いフー・ツォンであるが、いまだに彼の代表的録音として当盤がまっさきに指折られることが多い。また、ショパンの夜想曲録音の中でも、広く知られたものの一つでもある。 ショパンの夜想曲は、左手のそれほど大きく変化することのない伴奏に合わせて、右手がたいへん叙情的な旋律を歌わせる点に特徴がある。また、左手の伴奏は(もちろん例外の箇所もあるけれど)基本的には一定のリズムで同じ数の音符が割り当てられていて、非常に規則的な印象を聴き手に与える。他方、右手は、いかようにも歌えるたっぷりしたカンタービレを内包しており、そのどちらに進行を委ねるのかにまず興味が行く。ざっくりと言ってしまえば右手中心の典型がピリスで、左手中心の典型がポリーニ(ちょっとざっくり過ぎるかもしれないが)。 以下、私なりの分類で、代表的な録音がどのあたりに属するのか書いてみると。。 ・左手タイプ ポリーニ ・準左手タイプ アシュケナージ、ユンディ・リ、ワイセンベルク ・中間タイプ ルービンシュタイン、フェルツマン、フレイレ ・準右手タイプ チッコリーニ、ヴァーシャリ、チアーニ ・右手タイプ ピリス あくまで、「私が全集を聴いた録音」について「私なりの感覚で判断して」の分類である。言葉を変えれば左手タイプほど感覚的、右手タイプほど感傷的な演奏と言えるだろう(これも大雑把な切り口であることは認めるが)。それで、私の単純な好みで書くと、ピリスの演奏は「やり過ぎ」で、ちょっと胃もたれがしてしまうのである。私が聴く回数で言えば、アシュケナージが一番多いだろう。ユンディ・リやワイセンベルクもよく聴くので、私の好みの中心はそこらへんなのかもしれない。 それで、このフー・ツォンの演奏、私が分類するなら、「準右手タイプ」である。ルバートの幅が大きく、装飾的な音型の前後でおおきなタメを作ることも厭わない。しかし、ピリスの演奏と比べて違うのは、ベースに置かれた静謐が、気高いレベルを維持している点である。その点において、フー・ツォンの演奏は高貴さを保っている。 フー・ツォンの演奏は、静謐をベースとしているが、何かの瞬間に、一気に吐息のように情熱が吐き出される瞬間があって、その抑揚にショパンの音楽のロマン性が一気に溢れてくる魅力がある。私は、そんなフー・ツォンの夜想曲では、特に初期から中期にかけての演奏が良いと感じる。第4番の両端における3連音にやどる巧妙なニュアンスは詩情を高め、第8番のゆっくりした左手の伴奏にはモノローグのような情感が宿る。第10番の和音のスタッカートには独特のクセを感じるが、味わいとなって音楽的に的確に消化されているだろう。その他、前述のような前打音等の前後のタメから生まれる鮮やかな情熱の本流は、つねに忘れがたい熱さを聴き手の気持ちに流し込んでくれる。 他方で、後期の作品、例えば、第16番、第17番、第18番といった楽曲では、個人的好みで言えば、より嫋やかで静謐な神秘さが欲しいと思うところもあった。 だが、全体的には、このピアニストの代表的録音と呼ぶにふさわしいもので、いまなおショパンの夜想曲の代表的録音として推す人がいることもよく分かる内容だろう。これほどの内容であるのに、当盤が投稿日現在入手の難しい状況となっているのは、残念なことだ。ぜひとも再版をお願いしたい。 |
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夜想曲全集 ラルゲット 夜想曲 第2番 op.9-2b(追加装飾版) p: ハフ レビュー日:2022.5.24 |
★★★★★ 画期的なショパンの夜想曲集
イギリスのピアニスト、スティーヴン・ハフ(Stephen Hough 1961-)によるショパン(Frederic Chopin 1810-1849)の夜想曲全集。通常、ショパンの夜想曲全集というと、遺作を含めて21曲となるが、当盤はそれに加えて、2編が収録されているほか、遺作とされる3つの夜想曲には、偽作の可能性があるものも含めて、少し、記載上の体裁を考慮して、収録してある。その詳細を下記に示す。 【CD1】 1) 夜想曲 第1番 変ロ短調 op.9-1 2) 夜想曲 第2番 変ホ長調 op.9-2 3) 夜想曲 第3番 ロ長調 op.9-3 4) 夜想曲 第4番 ヘ長調 op.15-1 5) 夜想曲 第5番 嬰ヘ長調 op.15-2 6) 夜想曲 第6番 ト短調 op.15-3 7) 夜想曲 第7番 嬰ハ短調 op.27-1 8) 夜想曲 第8番 変ニ長調 op.27-2 9) 夜想曲 第9番 ロ長調 op.32-1 10) 夜想曲 第10番 変イ長調 op.32-2 11) 夜想曲 第11番 ト短調 op.37-1 12) 夜想曲 第12番 ト長調 op.37-2 【CD2】 1) 夜想曲 第13番 ハ短調 op.48-1 2) 夜想曲 第14番 嬰ヘ短調 op.48-2 3) 夜想曲 第15番 ヘ短調 op.55-1 4) 夜想曲 第16番 変ホ長調 op.55-2 5) 夜想曲 第17番 ロ長調 op.62-1 6) 夜想曲 第18番 ホ長調 op.62-2 (遺作&偽作集) 7) レント・コン・グラン・エスプレッシオーネ 嬰ハ短調「夜想曲」 KKIVa/16 (夜想曲 第20番) 8) 夜想曲 ホ短調 op.72-1 (夜想曲 第19番) 9) 夜想曲 ハ短調 KKIVb/8 ~おそらくシャーロット・ド・ロスチャイルド(Charlotte de Rothschild(1825-1899)作 (夜想曲 第21番) 10) ラルゲット 嬰ハ短調 「忘れられた夜想曲」 KKAnh.Ia/6 (作者不詳) 11) 夜想曲 第2番 変ホ長調 op9-2b (ショパンによる追加装飾) 2020年の録音。シャーロット・ド・ロスチャイルドは、フランスの名家に生まれ、ショパンがパリでピアノを教えた人物の一人。 私の感想であるが、数あるショパンの夜想曲集の録音の中で、当盤は画期的なものといって良いと思う。収録内容の完全性とともに、演奏スタイルは革新性に満ちている。しかも味わい豊かであって、これまで語られなかった方法でありながら、作品の核心を射抜いたと言えるような手ごたえを感じさせる内容だ。 ハフの演奏は、厳格性と明朗性を兼ね備えている。前者については、ショパンの楽曲の速度表記に加筆されている様々な注釈について、しっかり解釈し、音楽表現として消化しつくしているし、後者に関しては、ハフ自身が「ベルカント」と表現している夜想曲のメロディラインの立派な歌い上げが相当する。 その演奏は、斬新で、いままで聴いたことが無いから、とても個性的に響くけれど、前述のように、決して異端な感じを受けず、これらの楽曲が本来の活力を与えられたような、明朗な躍動感を感じさせる。 例えば、第7番では、中間部の急速部のスリリングな場面転換の見事さ、第16番の終結部に向かう情感とスピード感の素晴らしい共存、第6番のマズルカ的な迅速進行など代表的な部分だろう。それらは、決して刹那的なインスピレーションによるものではなく、周到な準備と、厳格な解釈によってもたらされた表現であり、楽曲の構造を明瞭にするだけでなく、聴き手に、楽曲の魅力を深く伝える演奏になっている。いわゆる夜想曲としての表面性から、圧倒的な深化を感じさせるものであり、そこに深い味わいが満ちている。 その結果、第18番では魅惑的なポリフォニーの効果が提示され、第8番では、モザイクを思わせる音の破片が気づく奇跡的と称したいバランスの美観が立ち上がっている。私は、それらを聴いて、これらの曲集からいままで味わったことのない興奮さえ感じることとなった。それでいて、情感も不足なく、暖かい潤いに満ちている。さらに、第1番の装飾音型の追加をはじめ、ハフがいくつかのアレンジを施している点も、全体の解釈と呼応し合い、聴きどころを形成している。 他の録音で聴く機会のほとんどない「ラルゲット」「夜想曲 第2番(別稿)」も、とても興味深いもので、当盤の価値を一層高めている。 |
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夜想曲全集 ワルツ集(17曲) 4つのバラード 4つのスケルツォ p: ヴァーシャリ レビュー日:2019.12.23 |
★★★★★ いまなお固有の魅力を感じさせるヴァーシャリのショパン
ハンガリーのピアニスト、ヴァーシャリ・タマーシュ(Vasary Tamas 1933-)による3枚組のショパン (Frederic Chopin 1810-1849)のピアノ独奏曲集。収録内容は以下の通り。 【CD1】 1) 夜想曲 第1番 変ロ短調 op.9-1 2) 夜想曲 第2番 変ホ長調 op.9-2 3) 夜想曲 第3番 ロ長調 op.9-3 4) 夜想曲 第4番 ヘ長調 op.15-1 5) 夜想曲 第5番 嬰ヘ長調 op.15-2 6) 夜想曲 第6番 ト短調 op.15-3 7) 夜想曲 第7番 嬰ハ短調 op.27-1 8) 夜想曲 第8番 変ニ長調 op.27-2 9) 夜想曲 第9番 ロ長調 op.32-1 10) 夜想曲 第10番 変イ長調 op.32-2 11) 夜想曲 第11番 ト短調 op.37-1 12) 夜想曲 第12番 ト長調 op.37-2 13) 夜想曲 第13番 ハ短調 op.48-1 14) 夜想曲 第14番 嬰ヘ短調 op.48-2 【CD2】 1) 夜想曲 第15番 ヘ短調 op.55-1 2) 夜想曲 第16番 変ホ長調 op.55-2 3) 夜想曲 第17番 ロ長調 op.62-1 4) 夜想曲 第18番 ホ長調 op.62-2 5) 夜想曲 第19番 ホ短調 op.72-1 6) 夜想曲 第20番 嬰ハ短調 7) ワルツ 第1番 変ホ長調 op.18 「華麗なる大円舞曲」 8) ワルツ 第2番 変イ長調 op.34-1 「華麗なる円舞曲」 9) ワルツ 第3番 イ短調 op.34-2 「華麗なる円舞曲」 10) ワルツ 第4番 ヘ長調 op.34-3 「華麗なる円舞曲(猫のワルツ)」 11) ワルツ 第5番 変イ長調 op.42 12) ワルツ 第6番 変ニ長調 op.64-1 「小犬のワルツ」 13) ワルツ 第7番 嬰ハ短調 op.64-2 14) ワルツ 第8番 変イ長調 op.64-3 15) ワルツ 第9番 変イ長調 op.69-1 「告別(別れのワルツ)」 16) ワルツ 第10番 ロ短調 op.69-2 17) ワルツ 第11番 変ト長調 op.70-1 18) ワルツ 第12番 ヘ短調 op.70-2 19) ワルツ 第13番 変ニ長調 op.70-3 20) ワルツ 第14番 ホ短調 21) ワルツ 第15番 ホ長調 22) ワルツ 第16番 変イ長調 23) ワルツ 第17番 変ホ長調 【CD3】 1) バラード 第1番 ト短調 op.23 2) バラード 第2番 ヘ長調 op.38 3) バラード 第3番 変イ長調 op.47 4) バラード 第4番 ヘ短調 op.52 5) スケルツォ 第1番 ロ短調 op.20 6) スケルツォ 第2番 変ロ短調 op.31 7) スケルツォ 第3番 嬰ハ短調 op.39 8) スケルツォ 第4番 ホ長調 op.54 録音は、スケルツォ集が1963年、他は1965年。 ヴァーシャリは往年のグラモフォン・レーベルを代表するショパン弾きの一人。私が育った家にも、ヴァーシャリの弾いたショパンのLPがあった。それは、夜想曲の第11番~第20番を収めたものだった。少年時代の私は、夜想曲の第11番と第12番の2曲が好きで、たびたびこのヴァーシャリのLPを出してきては、レコードに針を落していたものだ。そのピアノは、ことさら甘美さを強調するのではなく、自然に、なにごともないように進んでいくのだけれど、どこかモノローグ調の孤愁を感じさせるストイックさがあり、闇の中から響いてくる木々のゆらぐ音のようだった。 だから、私にはヴァーシャリのショパンには思い入れがある。現在では、この3枚組が入手しやすいようだ。ヴァーシャリの録音がいまなお流通しているのは嬉しいことだ。 ヴァーシャリのショパンはタッチが透明。音色はやや硬めなので、どちらかというと冷たい印象かもしれない。それに、タメの取り方が独特で、普通はタメのあるところでさっと流したり、あまりタメないところで、グッとブレーキを掛けたりする。その語り口は結構個性的だ。ダイナミックレンジは広くない。輝かしさや燃焼度の高さという点では物足りないかもしれない。だから、現在では、ショパン演奏の王道にはなっていないのだろう。 一方で、その拘束性がもたらす美観、均質性のあるフォルム、それと明晰な音像は、独特の高貴さ、そして前述のようなモノローグ的な静けさを背景とした描写性があって、音楽そのものが流れていくような、美しい風景の移り行く四季を、視点を固定して眺め続けているような感に打たれるところがある。夜想曲第5番の実直な表現や、スケルツォ第2番のコーダの明瞭さにそれらの特徴が良く出ていると思う。 確かに演奏の側から聴き手に多くを語り掛けてくれる演奏ではないかもしれない。ただ、聴き手の側が、一生懸命に耳を傾けていると、それに応えてくれる何かがあって、私は、いななおヴァーシャリのショパンを捨てがたく思うのだ。 |
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夜想曲 第1番 第2番 第4番 第5番 第7番 第8番 第9番 第12番 第13番 第16番 第19番 第20番 p: マルグリス レビュー日:2019.6.28 |
★★★★★ 至高の夜想曲集
ロシアのピアニスト、ヴィターリ・マルグリス(Vitaly Margulis 1928-2011)によるショパン(Frederic Chopin 1810-1849)の夜想曲選集。収録曲は以下の通り。 1) 夜想曲 第1番 変ロ短調 op.9-1 2) 夜想曲 第2番 変ホ長調 op.9-2 3) 夜想曲 第4番 ヘ長調 op.15-1 4) 夜想曲 第5番 嬰ヘ長調 op.15-2 5) 夜想曲 第7番 嬰ハ短調 op.27-1 6) 夜想曲 第8番 変ニ長調 op.27-2 7) 夜想曲 第9番 ロ長調 op.32-1 8) 夜想曲 第12番 ト長調 op.37-2 9) 夜想曲 第13番 ハ短調 op.48-1 10) 夜想曲 第16番 変ホ長調 op.55-2 11) 夜想曲 第19番 ホ短調 op.72-1 12) 夜想曲 第20番 嬰ハ短調 録音年の詳細は記載されていないが、関連ウェブサイトでは、初出が1988年のLPとされており、またデジタル録音となっているため、80年代半ばに録音されたものと推定される。 マルグリスの名は、一部のファン以外には、ほとんど知られていないかもしれない。しかし、彼の遺した録音、特にスクリャービンやショパンは素晴らしく、もっと多くの人に聴かれてしかるべき内容を持っている。この夜想曲集は、選集で全曲ではないのが残念だが、マルグリスの芸術の素晴らしさを伝えるものの一つであることは間違いなく、録音品質も安定しているだけに貴重だ。 当録音の素晴らしさは、ショパンの作曲家としての芸術性と、マルグリスの演奏家の芸術性の双方が、高い次元で並び立っていることを感じさせるものであることに言える。この表現の仕方が、きわめて主情的で主観的なものであることを承知しているが、それでもなお、私はそのように表現したい。 基本的に、マルグリスのタッチが素晴らしい。その響きは、一つ一つの音に孤高の気高さを感じさせるものであり、ロシアピアニズムと形容すべき濃厚なロマン性を秘めたものとなっている。その一方で、進行における必要な手順は厳しく守られ、甘味に誘われて全体を崩してしまうことがない。それでいて、詩情がしっかりと立ち上ってくるのである。 特に素晴らしい演奏として、第16番を挙げたい。細やかなスタッカートやアクセントを駆使しての装飾性、それらが楽曲を壊さず、むしろその表現性を高めて、豊かな詩情を紡ぎだす。巨匠の芸と呼ぶにふさわしいひととき。個性的でありながらも、この名品の理想的な演奏として、まず指折りたいもの。 選集ゆえ、特に第17番と第18番の2曲が欠けているのは残念だが、他の1曲1曲が、いずれもしっかりとした存在感で描かれており、数多くあるショパンの夜想曲集の中でも、ぜひ揃えるべき1枚であると思う。 |
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夜想曲 第1番 第2番 第4番 第7番 第8番 第9番 第10番 第11番 第13番 第14番 第17番 第18番 第19番 p: ボシュニアコーヴィチ レビュー日:2006.12.10 |
★★★★★ 「古き佳き・・」ショパンの薫り
DENONの好企画「ロシアピアニズム名盤選」シリーズ第3回発売から。ロシアのピアノ主流の流れを汲むオレグ・ボシュニアコーヴィチ(Oleg Boshnyakovich,1920-2006)の夜想曲集だ。収録された夜想曲を、慣れた番号で記載すると、第1番、第2番、第4番、第7番、第8番、第9番、第10番、第11番、第13番、第14番、第17番、第18番、第19番となる。 このアルバムを聴くと「古き佳き・・」という言葉が思わず出てしまう。「古き佳き・・」なんてたいていは時間を経て美化されてしまった過去である。でも、こと音楽という再現の可能な芸術に関しては、そこはかとなく立ち上ってくるリアルな情感である。何が、そう思わせるのだろう?例えば現代のピアニストの場合、多くは夜想曲をある程度クールに弾く。あまりたっぷりとはやらないし、むしろ清涼感のある演奏となる。それはスタイルであるし、アカデミックに追求された音楽像として品質が高い。しかし解釈の中心軸が昔と違うことは確かだ。さてボシュニアコーヴィチの夜想曲を聴くと、たっぷりと水を含んだような旋律線の美観をこれほど情感をこめて響かせるというのは、やっぱり今はちょっとないのではないだろうか。そしてゆったりとしたテンポ、左手の分散和音までもが様々に表情を変えていく・・・。それでいて彼の演奏には特有の渋さが残っていて、高級な「つや消し」感がある。ピリスのような(私には)過度と思える発色がないのがうれしい。それらが総じて、どうやら「古き佳き・・」というキーワードを私に想起させたようだ。興味のある方はぜひ。 |
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夜想曲 第1番 第4番 第5番 第6番 第7番 第9番 第10番 第12番 第15番 第17番 第18番 第19番 p: ザラフィアンツ レビュー日:2010.7.14 |
★★★★☆ 曲によってはものすごく良いのだが・・
バッハの「プレリュード集」というたいへん面白いアルバムをリリースしたザラフィアンツの次のリリースはショパンの夜想曲集となった。一応、録音の順番としてはバッハが2009年でショパンが2008年だから、リリースで順番が前後した。あるいは、ショパン生誕200年の2010年までリリースを待つ・・・ようなことがあるのだろうか?私にはそこまでわからない。 それと、この夜想曲は「選集」である。これが一つの特徴で、しかも有名曲を選んだわけではない。第2番、第3番、第8番、第13番、第16番、第20番などは落ちてしまっている。 それはいいとして、演奏である。美しい音色だ。かなりじっくりたっぷりと弾き込まれている。冒頭に第19番が収録されているのは、作曲年代順に曲を配置したという意図もあるだろうが、聴き終わってみて、最初に聴いたこの曲の印象が一番強かった。ゆったりしたテンポであるが、細やかな表情を太く付けていく。この「細やかだが太い」というのがこの演奏の最大の特徴。ちょっと聴くと、素人っぽい演奏の印象にも似通うのだが、しかしどうして、ずいぶん深いところまで染み入るような音色である。音と音の合間に豊富な含蓄のようなものを感じさせてくれるのだ。その濃淡が情報量となって確かに伝わっている。 けれども、このアルバムが全面的に素晴らしいか、と言うと、私の場合そこまでとはいかなかった。やはり、この手法で「深まった」と感じられる曲もある一方、「やっちゃった」とむしろネガティヴに感じられてしまう曲もあったことがその理由。バッハのプレリュードではそのような差異は感じなかったのだが、それはおそらくショパンのノクターンという曲の性質、そしてこれが「全集」としてリリースされなかったこととも関係があるように思えてならない。 例えば第6番。この止まっては答え、また止まっては答えるような足取りは、曲想を深めるというよりは印象を散逸させてしまっていると思う。部分的な濃淡の面白さはあっても、それが部分的で終わってしまっていると感じられる。終わってみて、なにかゆっくりした曲だったな、という印象がまずあって、ちょっと考えるような。確かにこの奏法で「全曲」だと聴き通すのは難しいかもしれない。もちろん、ソノリティ自体の「美しさ」には事欠かない録音だとは思うのだけれど。 |
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4つのバラ-ド 即興曲 第4番「幻想即興曲」 ポロネーズ 第7番「幻想ポロネーズ」 アンダンテ・スピアナートと華麗なる大ポロネーズ p: F.ケンプ レビュー日:2004.2.14 |
★★★★☆ 爽快無比な生命力あふれるショパン
収録曲は4つのバラ-ド、即興曲第4番「幻想即興曲」、ポロネーズ第7番「幻想ポロネーズ」、アンダンテ・スピアナートと華麗なる大ポロネーズ。 テンポは全般にかなり速い。それでいて音色はつぶれずすごい技巧の持ち主であるとわかる。バラードは1曲1曲に独自の起伏をつける。ダイナミックな感性でほとばしるパッションを描き分け、実に爽快。ショパン後期の作品である幻想ポロネーズも普通もっとおごそかに進めるのだが、フレディ・ケンプの演奏は若若しい息吹に溢れて燦燦と輝く。 「こんなアプローチがあるんだ!」と感嘆させてくれる。 |
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4つのバラード 舟歌 幻想曲 ポロネーズ 第7番「幻想」 p: エデルマン レビュー日:2010.1.2 |
★★★★★ そう、これこそが「バラード」
それにしても「眠っている異才」というのはいるものだ。このアルバムを聴いての率直な感想がそれである。セルゲイ・エデルマン(Sergei Edelmann)。このピアニストの名前は最近までまったく聴いたことがなかった。1960年のウクライナ生まれだという。しかも2002年から武蔵野音楽大学で講師を務めていたというのだから。 それにしてもエクストン系のレーベルは人材発掘能力に長けている。エデルマンに限らず、各国を問わず、様々な演奏家を発掘し、それらがどれも一定以上の音楽を聴かせてくれる。いったいどのようなシステムを採用しているのだろうか? エデルマンの演奏の印象は、まず「清廉」という言葉が浮かぶ。エキサイティングではない。クールな客観性を持っている。そして響きに独特の安定感があり、音が太い。音が太いのだけれど、和音がダマにならず、立派な幅を持って響く。バラードの第1番の最初の一音からして、ただならない凛とした佇まいがある。私は、これは北国の音だと思う。あくまでイメージの世界だけど、針葉樹に雪ふりつむ北の大地に深く突き刺す確かな陰影が見える。悠然たる音色は夕刻の世界を思わせる。真っ白な大地を赤く染める夕映えの風景は悪魔的に美しく、見るものをイリュージョンの世界へ誘うが、エデルマンの弾くショパンは私にそんな風景を想起させる。 バラード第4番の冒頭のシンプルな美しさも比類ない。そこから曲の後半に向かって紡がれる壮大な叙事詩のような音楽はまさにバラード。余談だが、最近の音楽では4拍子でスローなら、なんでも「バラード」と言っているようである。とんでもない!「バラード」創始者であるショパンのもの凄い音楽を聴けば、うかつに「バラード」という言葉を使えるわけがないのである。 もちろん「舟歌」も「幻想曲」も「幻想ポロネーズ」も素晴らしい。いずれもショパンの最高傑作と称しても不思議ではない曲ばかりだし、それを思うと本当に贅沢なアルバムだと思う。ぜひ今まで聴く機会の少なかったこのピアニストには今後も積極的なレコーディングを望みたい。 |
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4つのバラ-ド アンダンテ・スピアナートと華麗なる大ポロネーズ p: ルイサダ レビュー日:2011.1.11 |
★★★★★ 瀟洒でチャーミングなぬくもりに溢れているショパン
これは本当に素晴らしいショパンである。このアルバムを聴くと、ルイサダというアーティストが、この録音を行った2010年の時点で、本当に脂の乗った、ショパンのこれらの名作にアプローチするのに相応しいところにいると実感できる。これより少し前に出たマズルカ選集も素晴らしいものだったけれど、バラードという大曲を前にしても、ルイサダは「らしさ」を少しも失わず、むしろその立脚点を存分に活かし、新たなバラードのスタイルを創造してしまうほどの力を宿すまでになったようだ。 ところで、ルイサダらしさ、とはいったい何だろうか?そう、ルイサダのショパンはとっても個性的なのだ。例えば、バラードの第1番、おもに左手で、トントン、トントン、と刻まれるリズム、4分の6拍子特有の間の空けられた音型があるが、この「間」がルイサダの手にかかるときわめて多様。様々な曲想に応じてその強弱、拍のタイミングは大きな揺らぎ幅を持って振幅する。しかし、その振幅はホロヴィッツのように劇的な演奏効果を得るためのものとはちょっと違う。ルイサダは曲を細分化し、そこから自分なりの分節点を見出し、その分節点の間での音楽的機能を十全に与えるため、取りうるだけのアヤを音に与えているのである。それは間合いと強弱のみならず、その音の質(つまりソノリティー)にも及んでいる。これがルイサダの演奏の真髄の一つを成す大きな要素だ。 もちろん、それらのアプローチは、元来楽譜に書いてあることではないし、作曲者の指示に従ったわけでもない。ルイサダのスタイルは「独創的」にして「創造的」なのである。近頃、エデルマンのバラードも聴いた。それも見事な演奏だと思ったけれど、エデルマンとルイサダのスタイルはまるで違う!乱暴な言い方を許してもらえれば、エデルマンはまさにロシア・ピアニズムの本流、対するにルイサダはフランス流ショパンである。 しかし、そんな個性的な演奏だけれども、ルイサダの演奏はとっても魅力的。もうあちこちで奏者が聴き手に微笑みかけてくるような瀟洒でチャーミングなぬくもりに溢れているのだ。なんと暖かみの伝わるタッチだろう。本当に心暖まるショパン。 中でも印象的だったのは、バラードの第3番、第4番とアンダンテ・スピアナートと華麗なる大ポロネーズの3曲。いずれでもルイサダのスタイルは如何なく機能し、脈々と音楽の要素が供給され続ける。特に、私がアンダンテ・スピアナートと華麗なる大ポロネーズのピアノ独奏版をこれほど心行くまで楽しんだのは、この演奏が初めてのように思う。出来れば次はポロネーズ集の録音をお願いしたい。それと即興曲もぜひこの時期のルイサダの演奏で聴いてみたい! |
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4つのバラ-ド 4つのスケルツォ p: カツァリス レビュー日:2007.6.3 |
★★★★☆ 1985年ショパンコンクール審査員の推薦盤です。
1985年のショパン・コンクールにおいて、審査員たちが(演奏者の名を知らない状態で)過去5年間に録音された主なショパン録音の中から、「もっとも優秀」と選んだのが本録音。もちろんショパン・コンクールの審査員という「コンクール評価者」が、プロフェッショナルな録音活動の作品まで評価することに異議は挟めるけれど、それでも一つの権威によって刻印を刻まれた録音ではある。 一聴して、「意外」に感じるのは、かなり個性的な演奏だという点である。コンクールの審査員の評定点として、やはりショパンの「理解」とともに「忠誠」のような概念があるような想像があるけれど、この録音ではむしろショパンの作品を興味津々に分解するカツァリスの喜悦のようなものが感じられ、それが面白く感じられるからだ。 より特徴が明確なのが、「スケルツォ」。スケルツォはショパンの楽曲の中でも、きわめて律儀な三角形の構造を有しており、そのため「繰り返しのフレーズ」が耳に残るわけだが、カツァリスは聴き手の耳にのこっている「前回のフレーズ」を、次の提示においてあえて違った角度で提案することにより、新鮮な味を加える。そのため、「分解」のイメージが聴いていて残る面があるが、面白いことは面白い。特徴的な、時として「そこまで・・・」と思うほどのアクセントや濃淡、ペダリングは、ホロヴィッツをも思わせる。 ただ、もちろん本盤が他のショパン録音とくらべて優れているかどうかという比較は、実際「優れている」という価値が多様すぎて(そこがクラシック音楽の素晴らしいところですね)、一概に言えるものではないので、できるだけ多くの録音を聴くのが(もちろんお財布との相談事項ですが・・)やはり理想でしょう・・・。 |
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4つのバラ-ド 幻想曲 ポロネーズ 第7番「幻想ポロネーズ」 p: フェルツマン レビュー日:2011.11.11 |
★★★★☆ 少し「抑制」が効き過ぎた感のあるフェルツマンのバラード
ウラディーミル・フェルツマン(Vladimir Feltsman 1952-)によるショパンのピアノ曲集。収録曲は、バラード全4曲と幻想曲、ポロネーズ第7番「幻想ポロネーズ」の計6曲。録音は2008年。 フェルツマンのショパンと言うと、私はすぐに、2000年に録音された夜想曲の全集(Camerata)を思い出す。美しくもイマジネーション豊かな演奏で、そのアルバムの帯の肩書きには「幻想的ピアニスト」のキャッチ・コピーがあったものだ。それなので、このアルバムのラインナップを見ると、「幻想」のタイトルを持つ曲が2曲入っているし、しかもファンタジックなバラード全集なので、期待して聴いてみた。 聴いてみての感想は、「微妙」といったところだろうか。確かにフェルツマンの技巧は安定していて、一つ一つのソノリティは美しく、透き通っている。けれども、この演奏は夜想曲ほどにはニュアンスが満ちているとは感じなかった。楽曲の性格のせいだろうか?それもあるだろう。だが基本的なフェルツマンのスタイルに、やや疑問点が残る。 フェルツマンは思いのほか感情を抑制したピアニズムを心がけている。冒頭のバラードの第1番など、びっくりするくらいのあっさりした冒頭で、しかも一部のフォルテを除いて、全般にダイナミクスが弱音域にシフトしている。そんな演奏だから、聴き手としては、細やかなニュアンスを感じたいところだが、夜想曲に比べてバラードという楽曲が持っているスケールの大きさに適さないためか、その抑制がそこまでの美点として響かない印象が残ってしまう。確かに音色は美しいのに、表情に乏しい、と言うのだろうか。それなので、聴いていると「もったいない」と感じてしまう。もっとこれらの音楽には求心的な要素があってよかったのではないだろうか。また、抑制するならば、その範囲で情緒や歌謡性に訴えるもう一つ「何か」が欲しかった。 それでも比較的まとまっていて、瑞々しい情緒があるのがバラードの第4番で、淡々と響く高音の煌めくようなタッチが自然に伝わってくるのは心地よい。決して悪い演奏というわけではないのだろう。 しかし、幻想曲、幻想ポロネーズも同じスタイルでアプローチされているため、アルバム全般を通しても、抑揚が小さい印象が支配的で、そのことが、アルバム全体を通して、どうもメリットには響いてこないという弱みが感じられる。部分部分の音響は美しいのに・・・。音楽というのは難しいものだ。 |
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4つのバラ-ド 舟歌 子守歌 夜想曲 第2番 第4番 第5番 第6番 第13番 第15番 p: ロルティ レビュー日:2015.1.13 |
★★★★★ 静謐な耽美性を示したロルティのショパン
カナダのピアニスト、ルイ・ロルティ(Louis Lortie 1959-)による、2011年録音のショパン (Frederic Chopin 1810-1849)のピアノ独奏作品集。このピアニストには、1986年録音のエチュード集、1997年録音のプレリュード集と優れたショパンのアルバムがあったのだけれど、2009年から改めて同レーベルから“ロルティ・プレイズ・ショパン”と銘打ったシリーズを開始している。当盤は2009年録音のスケルツォ、ソナタ第2番をメインとした第1弾に続く第2弾ということになる。収録曲は以下の通り。 1) 夜想曲 第6番 ト短調 op.15-3 2) バラード 第1番 ト短調 op.23 3) 夜想曲 第4番 ヘ長調 op.15-1 4) バラード 第2番 ヘ長調 op.38 5) 夜想曲 第2番 変ホ長調 op.9-2 6) 夜想曲 第13番 ハ短調 op.48-1 7) バラード 第3番 変イ長調 op.47 8) 夜想曲 第15番 ヘ短調 op.55-1 9) バラード 第4番 ヘ短調 op.52 10) 子守歌 変ニ長調 op.57 11) 夜想曲 第5番 嬰ヘ長調 op.15-2 12) 舟歌 嬰ヘ長調 op.60 本シリーズの第1弾でもスケルツォと夜想曲を互い違いに配したプログラムとなっていたが、本盤でもその趣向は踏襲されていて、さながら夜想曲を「間奏曲」ふうに扱った配列となっている。バラード第1番、第2番の直前にはそれぞれ同じ調性の夜想曲を、バラード第3番、第4番の直前にはそれぞれ同時期に作曲された夜想曲(夜想曲第15番とバラード第4番は調性も共通)を弾いている。 私はこのピアニストの軽やかな流麗さに無類の魅力を感じる一方で、第1弾の選曲では、ライトに響きすぎるような感じも受けた。しかし、この第2弾では、楽曲のカラーもあってか、そのような小さな引っ掛かりもなく、存分にロルティのピアノを味わわせていただいた。 まず注目したいのは4曲のバラードである。このバラードはとても静謐さを感じさせるものだ。最近では、ショパンのバラードは劇的に弾かれる傾向が強い。それが正しいとか間違っているとか言うわけではないけれど、そういう演奏をよく聴く。しかしロルティのバラードは全然違う。それは常に沈静化する作用によって、美しく整えられたバラードである。このような静謐なバラードというと、私にはアシュケナージ(Vladimir Ashkenazy 1937-)が1964年に録音したものが懐かしい。それこそ詩の世界を音楽で素描したような演奏だった。このアシュケナージのバラードを、私はそれこそ何回も何回も繰り返し聴いたものだった。私がロルティを聴いて思い出したのがその演奏。 しかし、当然のことながら両者の演奏は違う。アシュケナージが静謐な中に、秘められた情熱を持っていたのに比べて、ロルティはより平静で、耽美的な、地平がすぅっと伸びているような音世界。もちろん、音楽は様々な様相を見せるのだけれど、常に耽美で静謐なものへと向かう力が働いていて、音楽を聴いていて、いつのまにか涼やかで、気持ちが和いでいく。 そんなロルティの演奏の特徴が象徴的に出ているところと言うと、例えばバラード第1番、静まった世界から、あの甘美な主題が生まれ、徐々に盛り上がり、壮大なクライマックスを築き上げる最初の和音。なんという柔らかい制御の行き届いた響きだろう。これこそロルティのショパンの真髄と言ってよい音だと思う。 他にも夜想曲、子守唄、舟歌といずれも素晴らしい内容。ロルティのタッチが引き出す静謐さに向かう力は、どの曲のどの瞬間をとっても高貴な味わいをもたらし、ショパンの音楽に潜む詩情が自然に聴き手に近づいてくる。夜想曲第15番の終結部など、光の破片が散っていくようだ。 劇的で情熱的なショパンを好む人には避けられる録音かもしれない。しかし、私としては、多くの人に聴いてほしい録音である。このような演奏でしか聴くことのできない一面が、ショパンの音楽の重要なものに違いないと思うから。 |
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4つのバラード 子守歌 マズルカ 第10番 第11番 第12番 第13番 p: ユンディ・リ レビュー日:2016.2.29 |
★★★★★ 静謐な耽美性を示したロルティのショパン
2000年のショパン国際ピアノコンクールで優勝を果たし、その後も積極的な録音活動を行っている、ユンディ・リ(Yundi Li 1982-)にとって、やはりショパン(Frederic Chopin 1810-1849)は特別な存在なのだろう。昨年(2015年)に、24の前奏曲ほかを収めたアルバムをリリースしたばかりであるが、このたび同じ2015年に録音された4つのバラードを中心としたアルバムが登場した。収録曲は以下の通り。 1) バラード 第1番 ト短調 op.23 2) バラード 第2番 ヘ長調 op.38 3) バラード 第3番 変イ長調 op.47 4) バラード 第4番 ヘ短調 op.52 5) 子守歌 変ニ長調 op.57 6) マズルカ 第10番 変ロ長調 op.17-1 7) マズルカ 第11番 ホ短調 op.17-2 8) マズルカ 第12番 変イ長調 op.17-3 9) マズルカ 第13番 イ短調 op.17-4 これらの楽曲では、やはり4つの大曲、バラードの演奏に俄然注目したくなる。それで、私の感想も、この4曲中心となるのだけれど、今までのユンディ・リの録音とまた違った印象を受けた。これらのバラードで、ユンディ・リは、きわめて強い音を用い、時に、今まで彼が突き詰めてきた流麗なスタイルから、多少の乖離があっても、スケールの大きな、より巨匠的な音楽を構築するというような気概が満ちているように思う。 ユンディ・リの当演奏を聴き、私は彼がまだまだ変化し、進化を望んでいる芸術家なのだということを実感した。今回の録音は、これまで録音されたバラードの中では、セルゲイ・エデルマン(Sergei Edelmann 1968-)のものに近いものを感じるが、いかがだろうか。ただ、ユンディ・リの演奏は、底流にしなやかな流れの良さがあり、時折角ばった造形性を打ち出しても、蓄えられたエネルギーはいつのまにか鮮やかに流れ始める。この機転が、音楽に衝撃をもたらしていて、心地よい。バラード第2番の終結部の嵐のような激動に、その双方の戦いや折り合いを強く垣間見るがいかがだろうか。 バラード第3番はやや嫋やかな美観に浸るが、第4番では、再び巨大なものを目指す音楽的志向性が顔を出し、実に壮大でドラマティックな展開を見せる。意志力の強い音楽だ。 そして、子守歌とマズルカ。これらの楽曲では、むしろ従来的なユンディ・リらしさが満ちていて、きらめくような美しい音で、流麗で甘美なショパンが奏でられる。子守歌は、最近では後期作品らしいどこか距離を置いた表現で弾かれることが多いが、ユンディ・リの演奏は中期のノクターンのように熱を湛えたルバートが心地よい。マズルカも華やか。これもまた、このピアニストならではの美点にほかならない。 |
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4つのバラード 夜想曲 第4番 第13番 第17番 p: アンスネス レビュー日:2018.9.18 |
★★★★☆ アンスネス25年ぶりのショパンは、淡い水彩画の様な味わい
レイフ・オヴェ・アンスネス(Leif Ove Andsnes 1970-)の25年ぶりとなるショパン(Frederic Chopin 1810-1849)アルバム。4つのバラードが中心だが、曲間に1曲ずつ夜想曲を挟む構成で、以下のように収録されている。 1) バラード 第1番ト短調 op.23 2) 夜想曲 第4番ヘ長調 op.15-1 3) バラード 第2番へ長調 op.38 4) 夜想曲 第13番ハ短調 op.48-1 5) バラード 第3番変イ長調 op.47 6) 夜想曲 第17番ホ長調 op.61-1 7) バラード 第4番ヘ短調 op.52 2018年の録音。 アンスネスにとって、バラード集は特別な楽曲であると言う。描かれる感情の移り変わりや叙事詩的な情緒の深さに強く心を動かされ、幼少のころから親しみ、「ロマン派の最高峰のピアノ音楽である」と言及するに至る。そこまでの気持ちがありながら、このたび、やっと録音にとりあげることとなった理由について、アンスネスは「いよいよ、ショパンのこれらの音楽に自分が近づいてきた」と感じるという旨の発言をしている。 当盤では、その4曲のバラードに、夜想曲から3曲を選んで、曲間に挿入する構成となっている。その意図は、私にはよくわからないが、選ばれている夜想曲は、中間部が情熱的な第4番、ことさら悲劇的な第13番、ショパン後期の大傑作である第17番(私は、個人的にこの楽曲がショパンの最高傑作と思っている)の3曲であるというあたり、どうやらバラードのある種の巨大性に埋もれず、雰囲気を大きく崩すことのない夜想曲がラインナップされたように思う。また、元来バラードと夜想曲という楽曲の間には、高い親和性があるようにも思うので、聴いていて不自然さを感じるところは、特にないだろう。 さて、アンスネスとショパンというと、私には彼が若き日に録音したソナタ集が思い出される。それは、見事な技巧で清冽に弾き切った清々しいもので、気持ちの良い演奏だった。それから長い月日がたち、アンスネス自身が、「ショパンへの接近」を感じるようになって、どのように変わったのか? 私の感想であるが、正直に言うと、彼のアプローチにそれほど大きな変化を感じたわけではない。バラードを巨大な叙事詩と述べるアンスネスであるが、その演奏は、ロマン派的な濃厚さや連綿たる情緒をかなりセーヴしたもので、むしろ蒸留して、主成分のみで構成されたような、混じりけのないスキッとした味わいに仕上がっている。テンポはやや速めを維持している。小さなリタルダントや、あるいは左手のフレーズの強調により、以前の彼のショパンに比べると、いくぶんの装飾性が増していることは確かに感じるが、そうであっても、それは表現として特に強さをもったものとして扱われておらず、しなやかに起伏の中に組み込まれて、流麗な流れの中に収まる。そういった意味で、私は、アンスネスというピアニストが、「ロマン派の最高峰」と称しながら、これらの楽曲にそれにふさわしいロマン性を与えるような演奏をしていないことが、興味深いのである。 そのようなわけで、私はこのアルバムを聴いて、さながら北欧音楽のソノリティーで弾かれるショパンを味わった。もちろん、そこには情熱的な放散もあるが、アンスネスのタッチはつねにクールで、その色彩感は水彩画を思わせるような淡さが支配している。それは、ある意味「ショパンらしさ」とは異なる趣がある。ここで言う「ショパンらしさ」とは、フレーズに相応の熱さや情感を与えるため、表現の過程でその手続きを踏襲した演奏を言う。アンスネスのそのようなショパンは新鮮でさわやかであるが、その一方で、あまりにも淡く、いつのまにか過ぎてしまうようなはかない要素も持ち合わせている。 個人的には、夜想曲第4番がいちばん良かったように思う。この楽曲では、アンスネスのストレートな表現が、両端部のモノローグ風の旋律と、中間部の嵐のような激動との間に、くっきりした対比を描き出し、鮮明な音像がことに美しく映えたのだった。 |
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4つのバラード p: ティーポ レビュー日:2019.3.18 |
★★★★★ 名演と呼ぶにふさわしいティーポのバラード
イタリアのピアニスト、マリア・ティーポ(Maria Tipo 1931-)によるショパン(Frederic Chopin 1810-1849)の以下のバラード4曲を収録したアルバム。 1) バラード 第1番 ト短調 op.23 2) バラード 第2番 ヘ長調 op.38 3) バラード 第3番 変イ長調 op.47 4) バラード 第4番 ヘ短調 op.52 1977年の録音。 私はティーポの録音では、特にモーツァルトを愛聴しているが、他の作曲家の作品でも、それぞれの作品に相応しい見事な演奏を聴かせてくれる。これらのショパンの楽曲でも、いかにもショパンに相応しい詩情の情熱に溢れているし、かつショパンの作品ならではの気高い構築性も感じられる立派な演奏だ。 彼女のモーツァルトやバッハに比べると、このショパンは起伏が大きく、ややゴツゴツした聴き味である。それはショパンのバラードとう作品に込められた世界を描くため、ティーポという芸術家が選択したアプローチであり、それによって、演奏家としての自己芸術を表現することと、ショパンの楽曲として芸術的価値を創出することの、二つを同時に高いレベルで可能にしたものとなっている。結果として、強い説得力を持った名演をここで聴くことが出来る。 ショパンのバラードでは、いかに詩情を損なわずに静と動の対比を描くかに私は注目する。静と動の対比を描くというのは、単にダイナミックレンジが広いということではない。その音楽の方向性、構造の中に収められた意図を演奏者なりに解釈しながら、ストーリーをうまく味わわせてくれるか。スタイルによって、全体が静的側にシフトしたものでも、動的側にシフトしたものでも、その中で音楽的脈絡が鮮やかであれば、私はうれしい。 ティーポの解釈はその中で力強さを印象付けるものだ。例えば第2番の後半、嵐のような激動の中で、細やかなアクセントで色づけの施された情熱は、ショパンのバラードならではの一面を鮮やかに描き切ったものに違いない。テンポの揺れもロマン性をかき立てるが、決して即興的ではなく、十分な知的センスを感じさせる。それは、一つの曲において数々の装飾がもたらす印象に、一貫性を感じさせるからである。しばしば、劇演や爆演と呼ばれるものの中に、この点が疎かになっていると感じられるものがあって、私はそう感じた演奏を、繰り返し聴くことはない。一方で、このティーポの演奏は、熱演でありながら、秩序があって、美しい。第3番の後半の流麗と熱が混じった太い音楽は感動的だ。 現在にあって、バラード4曲だけで1枚のディスクというのは、ボリュームという点で不足を感じてしまうのは否めないが、この内容であれば、機会を得られれば、ぜひ入手しておきたい一枚だと思う。 |
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ショパン 4つのバラード 12の練習曲 op.10から 第3番 「 別れの歌」 ベートーヴェン ピアノ・ソナタ 第30番 モーツァルト ピアノ・ソナタ 第5番 p: ティーポ レビュー日:2019.4.4 |
★★★★★ ティーポの貴重なライヴ録音
イタリアのピアニスト、マリア・ティーポ(Maria Tipo 1931-)による1979年のライヴ音源をCD化したもの。収録内容は以下の通り。 1) モーツァルト(Wolfgang Amadeus Mozart 1756-1791) ピアノ・ソナタ 第5番 ト長調 K.283 2) ベートーヴェン(Ludwig van Beethoven 1770-1827) ピアノ・ソナタ 第30番 ホ長調 op.109 ショパン(Frederic Chopin 1810-1849) 3) バラード 第1番 ト短調 op.23 4) バラード 第2番 ヘ長調 op.38 5) バラード 第3番 変イ長調 op.47 6) バラード 第4番 ヘ短調 op.52 7) 練習曲 ホ長調 「別れの曲」 op.10-3 当盤はERMITAGEからデジタル・リマスターを経て再発売されたもので、原盤はAura Music AUR 158-2。 類まれな実力を持ちながら、それに比して録音点数が少なく、現役版として入手可能なものとなるとほとんどないというティーポだけに、このライヴ録音も貴重なもの。収録曲も古典からロマン派の傑作が並んでいて、聴き応え十分だ。 ティーポの「歌」がもっとも理想的に表現されるのはモーツァルト作品においてだと思う。当ライヴにおいて、モーツァルトのソナタ第5番はメインとは言い難いものだけれど、ティーポはその旋律に様々な情感を通わせ、ピアニスティックなアクセントを様々に施す。テンポもある程度自由で、その自由さの中で活力に溢れた健康美が描かれる。 ベートーヴェンのソナタ第30番は、比較的早めのテンポを取りながらも、その間合いには旋律を歌わせる伸縮があり、とても能動的かつ積極的な音楽表現がある。また、全曲を通しての一貫した流れの良さも流石で、起伏があるにもかかわらず流麗である。そのことは、全体的に豊かな聴き味をもたらしてくれる。 だが、このライヴのクライマックスはショパンのバラード集であろう。ティーポは当ライヴの2年前に4つのバラードを録音していて、私はそちらも所有しているのだが、当盤の演奏は、より熱血的でヴィルトゥオジティを発揮したものになっている。第1番の中盤以降、第2番の終盤など、その情熱が強靭な音と表現に集約され、勢いよく噴き出す炎を感じさせるような、燃焼性の高い演奏となっている。個人的には、バランス、高雅なものとのバランスという点で、スタジオ録音の方がより優れていると思えるが、このライヴ録音の凄さは、また別種の迫力を感じさせるもので、当盤の方を好む人も多いかもしれない。テンポも、ライヴならではの速さを感じさせるところが多く、それゆえの綻びもあるのだが、熱血的なショパンであり、十分に芸術的だ。 末尾に、アンコールで弾かれた「別れの曲」が聴けるのもうれしい。なお、各楽曲の末尾には拍手も収録されている。 |
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4つのバラード 舟歌 幻想曲 前奏曲 第25番 スケルツォ 第4番 p: ビアンコーニ レビュー日:2020.8.7 |
★★★★☆ 明晰に再現されたショパンではありますが、やや硬過ぎる感じがします
1985年のヴァン・クライバーン・コンクールで第2位となったフランスのピアニスト、フィリップ・ビアンコーニ(Philippe Bianconi 1960-)によるショパン(Frederic Chopin 1810-1849)のピアノ独奏曲集で、以下の楽曲が収録されている。 1) バラード 第1番 ト短調 op.23 2) バラード 第2番 ヘ長調 op.38 3) 前奏曲 嬰ハ短調 op.45 4) バラード 第3番 変イ長調 op.47 5) バラード 第4番 ヘ短調 op.52 6) スケルツォ第4番ホ長調 op.54 7) 舟歌 嬰ヘ長調 op.60 2013年の録音。 私がこのピアニストの録音を聴いたのは当盤が唯一である。それほど録音点数の多くないアーティストでもあり、知りえる情報は少ない。 当盤で聴くビアンコーニのスタイルは、遅めのテンポで、細部まで克明にした堅実な演奏といった印象である。4つのバラード群をはじめ、各曲とも、じっくりとした構えで、正確さを尊び、その正確さを保てるようひたすら制限速度を遵守するような運びである。ゆっくりしたテンポの中で、まじめに強弱をコントロールしているが、ダイナミックレンジが大きいため、スケールとしては大きく感じられる。音色そのものは、一つ一つが明晰で、陰影がくっきりとしている。その演奏は、私に、ビアンコーニと同い年のウクライナのピアニスト、セルゲイ・エデルマン(Sergei Edelmann 1960-)を彷彿とさせた。また、近いスタイルのピアニストとして、ビアンコーニと同じフランスの大家、チッコリーニ(Aldo Ciccolini 1925-2015)にも、共通するところが多いと感じる。 ビアンコーニのスタイルの良い面は、前述のとおり、明暗と強弱がくっきりと分かれることで、構造的な見通しが良くなる点にある。また、細部まで精密な弾き分けが可能となることで、全体として明澄な印象を導き、その結果、例えばバラードでは、旋律線がそれに相応しい雄大な規模で描かれることになる。他方で、すべてのパッセージが等倍化されたような印象をもたらすことが、全体の抑揚、いわゆる「ドラマ」や「詩情」と呼ばれるロマン的な表現性の抑制に作用し、禁欲的、もしくは等質的と形容可能な、単調な印象を併せて発生させている。私が聴く限り、ビアンコーニは、ある程度こうまく処理してカンタービレを表現している感じはするが、解釈そのものがショパンのピアノ曲としてとても魅力的なものか、と問われると、(私の感性では)ちょっと微妙な応答になるところがある。 バラードの第1番や第4番は、特に遅めのテンポであるが、その遅めのテンポと緩急の少なさのため、前後の運動的な連続性が、弱含みに感じられる。それらは、総体として、ゴツゴツした聴き味に繋がっているだろう。たしかにバラードという楽曲において、ショパンが書き込んだ詳細な造形は、どれもないがしろにするわけにはいかないものだが、全部を克明に描こうと意識し過ぎた結果、全体的な音楽の呼吸や、フレーズにおける伸びやな情感の発露という点で、いまひとつ、しっくりこないように感じる。私の感覚では、曲本来の魅力がどこか減じられたものとして受け取れてしまうところであり、もったいないと思う。 舟歌やスケルツォにおいても、ビアンコーニのアプローチは同じで、徹底しているが、多少緩みがあっても、曲や曲想に応じた伸縮や自在性があった方が、(ショパンの楽曲では)、私はいいと思うのだが、どうだろうか。 |
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4つのスケルツォ ドイツ民謡による変奏曲 モーツァルトの「ドン・ジョヴァンニ」の「お手をどうぞ」による変奏曲(ピアノ独奏版) p: デミジェンコ レビュー日:2017.10.11 |
★★★★★ 演奏家のインスピレーションを強く感じさせる一枚
デミジェンコ(Nikolai Demidenko 1955-)による1990年録音のショパン(Frederic Chopin 1810-1849)のピアノ独奏曲集。以下の楽曲を収録。 1) ドイツ民謡による変奏曲 ホ長調 2) スケルツォ 第1番 ロ短調 op.20 3) スケルツォ 第2番 変ロ短調 op.31 4) スケルツォ 第3番 嬰ハ短調 op.39 5) スケルツォ 第4番 ホ長調 op.54 6) モーツァルトの「ドン・ジョヴァンニ」の「お手をどうぞ」による変奏曲 変ロ長調 op.2(ピアノ独奏版) 素晴らしい内容と思う。アルバムの核を成すのは、言うまでもなく4つのスケルツォであるが、ここでデミジェンコは、存分に弾き手のインスピレーションに富んだ演奏を展開している。 第1番では、冒頭の二つの和音の制御の効いた、しかし鋭角的な切込みを感じさせる響きが見事だ。通常、開始和音はフォルテシモだが、デミジェンコはこれをメゾフォルテ置換し、その抑制からはじまる色彩感豊かな疾走は新鮮な感興に満ちている。グッとテンポを落とした中間部の詩的とも瞑想的とも表現したいたおやかな響きは、前述の疾走との鮮やかな対比を描き出す。第2番では、安定した躍動と駆け巡る音階の明瞭な粒立ちが美しい。第3番では、コラール風の中間部の主題が装飾音と絶妙なコラージュを描き出すし、第4番では軽やかな運びと、中間部の抒情的な旋律の瑞々しい歌い上げが印象深く、多くの聴き手の心に深く響くものだと思う。全体的に、フレーズの強弱において、一般的な演奏と異なった順列を持つところがあるが、それが違和感ではなく、新鮮味に繋がっているところが、この演奏の特徴と言って良いだろう。もちろん、好悪はあるかもしれないが、私はとてもリフレッシュした気持ちで、これらの聴き慣れた曲を味わった。 4つのスケルツォを挟んだ2曲も魅力的。いずれも愛らしい主題に細やかな情緒を巡らせたピアニスティックなタッチが絶妙だ。旋律的な馴染み易さとともに、ショパンらしい風雅な佇まいを存分に引き出している。モーツァルトの「ドン・ジョヴァンニ」の「お手をどうぞ」による変奏曲は、ピアノと管弦楽による録音が一般的だが、ピアノ独奏版で聴くと、その完成された姿に、あらためてショパンはピアノの詩人であったということを思い起こさせてくれるし、この演奏はそのことを十二分に伝えてくれる。 デミジェンコのピアノが、決してメカニカルな技術に特化したものでないことは、この一枚だけで存分に示されている。録音も中庸をよく得ていて、暖色系のぬくもりある音色をよく伝えている。 |
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バラード 第4番 ポロネーズ 第7番「幻想」 舟歌 子守唄 夜想曲 第17番 第18番 マズルカ 第36番 第37番 第38番 他 p: アシュケナージ レビュー日:2008.3.29 |
★★★★★ 奇跡の曲・・・「夜想曲第17番」
「ショパンの最高傑作を一つ挙げましょう」という命題があったら、どんな答があるだろうか?もちろん「正解」のない問いである。人はそれぞれに感性があるし、また同じ人だって、心持ちや気分によって「聴きたい曲」「聴きたい演奏」というのは変わってくる。けれども、「これだけは大切だ」「一番だと思っている」というものが、それとは別にあってもいい。 ずいぶん昔読んだのだけれど、評論家の諸井誠氏は「24の前奏曲」を挙げていらした。なるほど、これは全部の調性がそろった箱庭的小宇宙であり、一理ある。・・・さて、私の場合は、「夜想曲第17番」です、と書いてみたところで一ファンである私が選ぶ「最高傑作案」なんて、それこそどうでもいいのでしょうが(笑)それも踏まえたうえでのレビューです。この夜想曲第17番はショパンの行き着いたまさしく至高の芸術だと思う。幻想的でありながら甘美で詩的。儚い憂いを含んだ情緒の昇華、闇を貫いて天を下る一条の光。こんなものすごい曲はショパンのような天才をもっても、数多く書かれることは決してない。だが、この曲の「夢」をすべて見せてくれる演奏というのもまた、実は多くない。つまり、私にとって、ここに収録された「アシュケナージが99年に録音した夜想曲第17番こそがショパンがもたらしてくれる最大の幸福」に他ならない。 ちょっと大げさに書きすぎただろうか?だがこれは本心である。ことに最後の1分ほどの時間はまさに奇跡のような美しさである。この上昇し、そして変調を伴って下降してくる音は、まさに「天との会話」である。見えるのではないだろうか?祈りが天に届き、天は地上に光を返す様が。その奇跡を経て曲は実に麗しく終わる。何という深い余韻!!。 もちろん他の曲もいいです。夜想曲第18番、子守唄などもやはりすさまじい美しさ。ショパンの、音楽の凄さを知る最高のディスクです。 |
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ポロネーズ 全集 p: アシュケナージ レビュー日:2015.3.10 |
★★★★★ 丹精を込めて奏でられる16曲のポロネーズ
アシュケナージ(Vladimir Ashkenazy 1937-)によるショパン(Frederic Chopin 1810-1849)のポロネーズ全16曲を中心とした2枚組アルバム。収録曲と録音年を記載しよう。 【CD1】 1) ポロネーズ 第8番 ニ短調 op.71-1 1979年録音 2) ポロネーズ 第9番 変ロ長調 op.71-2 1979年録音 3) ポロネーズ 第10番 ヘ短調 op.71-3 1981-82年録音 4) ポロネーズ 第12番 変ロ長調 1979年録音 5) ポロネーズ 第16番 変ト長調 1981-82年録音 6) ポロネーズ 第11番 ト短調 1979年録音 7) ポロネーズ 第15番 変ロ短調「別れ」 1979年録音 8) ポロネーズ 第13番 変イ長調 1979年録音 9) ポロネーズ 第14番 嬰ト短調 1979年録音 10) ポロネーズ 第1番 嬰ハ短調 op.26-1 1983年録音 11) ポロネーズ 第2番 変ホ短調 op.26-2 1983年録音 12) ポロネーズ 第3番 イ長調 op.40-1「軍隊」 1981年録音 13) ポロネーズ 第4番 ハ短調 op.40-2 1981年録音 【CD2】 1) ポロネーズ 第5番 嬰ヘ短調 op.44 1982年録音 2) ポロネーズ 第6番 変イ長調 op.53「英雄」 1984年録音 3) ポロネーズ 第7番 変イ長調 op.61「幻想」 1976年録音 4) 演奏会用アレグロ イ長調 op.46 1981-82年録音 5) 3つの新練習曲 第1番 ヘ短調 1981-82年録音 6) 3つの新練習曲 第2番 変イ長調 1981-82年録音 7) 3つの新練習曲 第3番 変ニ長調 1981-82年録音 8) タランテラ 変イ長調 op.43 1978年録音 9) フーガ イ短調 1984年録音 10) アルバムの一葉 ホ長調 1984年録音 11) 「春」 ト短調(同名の歌曲 op.74-2の編曲) 1984年録音 12) 2つのブーレ(ト長調、イ長調) 1984年録音 13) ギャロップ・マルキ 変イ長調 1984年録音 14) 子守歌 変ニ長調 op.57 1975年録音 15) 舟歌 嬰ヘ長調 op.60 1975年録音 デジタル録音 【CD1】3,5,10,11) 【CD2】1,2,4,5,6,7,9,10,11,12,13) ただし、最近再発売されたアイテムには、3)及び5)について、1979年のアナログ録音と表記されている。しかし、当盤では、当該トラックがデジタル録音と表記されているし、私が別に所有している輸入盤の全集においても、他の遺作のポロネーズとは異なる初出年が記載され、かつデジタル録音と表記されているので、そのように記載した。 アシュケナージはショパンの全ピアノ独奏作品を録音したが、ジャンル毎ではなく、基本的に同時代の作品をまとめて録音するスタイルであったため、当盤のように「ポロネーズ集」という体裁にすると、録音年代がバラバラとなる。 さらに時期的な問題で、アナログ録音とデジタル録音が混在する形になってしまっているが、デッカの録音技術が非常に優秀なこともあり、通して聴いてもまったく違和感はない。むしろ、聴いてどれがデジタル録音と言い当てられる人は、ほとんどいないのではないだろうか。 さて、収録曲である。注目されるのは何と言っても遺作のポロネーズだ。通常、ショパンのポロネーズと言うと、第1番から第7番の7曲を指し、録音もこれに集中するのだけれど、他にもショパンが書いた美しいポロネーズが9曲もあるのである。 これは、ショパンの友人であったユリアン・フォンタナ(Julian Fontana 1810-1869)が、ショパンの「自分の死後、この楽譜を燃やして処分して欲しい」という遺言を反故にしてまで出版したもので、今では、数々の美しい作品を消失から救ったフォンタナの功績は世界中で評価されている。その中には、かの幻想即興曲も含まれる。このエピソードは、同じく遺稿を焼却するようにと言ったカフカ(Franz Kafka 1883-1924)を裏切って、死後にその作品(「審判」「城」を含む)を出版したマックス・ブロート(Max Brod 1884-1968)の英断に酷似している。(しかし、自分が同じ立場にあったとしても、やはり人類の至宝を焼くなんてマネは出来ないだろう。なぜなら、このレベルの芸術作品は、すでに作者の意思と異なる存在理由を持っているに違いないから。) それで、このアシュケナージが弾く若き日のショパンが書いたポロネーズが美しいのである。アシュケナージのタッチの素晴らしい感覚的な美しさと、詩情を持って歌われる主題の抒情的な深さは、これらの作品がまぎれもなく「ピアノの詩人」と謳われた天才の所産であることを証明している。 もちろん、多くのピアニストに手がけられている7曲も素晴らしい。アシュケナージの輝かしいピアノが、これらの作品の舞踏的な飛翔感と、土俗的な力強さ、そして表情豊かな主題を、密接に結びつけている。私は、アシュケナージのポロネーズ集を20年近く愛聴してきたのだけれど、今聴いても心が躍る。この人のピアノは、いつ聴いても、音楽の本質的なものがしっかりと踏まえられているから、響いた瞬間に絶対的な力を持つのだ。 さらに当盤には、ショパンの作品の中で、カテゴリ別の分類に適さない楽曲も多く収録されている。名曲「舟歌」をアシュケナージは4回録音していて、当盤に収録されているのはその3度目のものになるが、すべてに配意が行き渡りながら、情熱を伝わせた素晴らしい名演だ。他の楽曲もアシュケナージらしい完成度の高さと情感を行き渡らせたもの。 ポロネーズ16曲に加えて、これだけの作品を一気にアシュケナージの演奏で聴ける当盤は、私には最高の愛聴盤である。 |
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7つのポロネーズ p: ブレハッチ レビュー日:2013.10.8 |
★★★★★ 驚愕の完成度!ブレハッチの輝かしいポロネーズ
2005年のショパン・コンクールで優勝を果たしたラファウ・ブレハッチ(Rafal Blechacz 1985-)は、ドイツ・グラモフォン・レーベルと契約し、一つ一つじっくりと練られたアルバムをリリースしているが、今回は、久しぶりにショパン(Frederic Chopin 1810-1849)のアルバム、それもポロネーズ集全7曲のリリースとなった。2013年の録音。 私は、これまでのブレハッチの録音は一通り聴かせて頂いてきて、その深みのあるピアニズムに魅了されてきたが、今回の録音はすごい。いや、これは本当に凄い!もう、表現の仕様がないくらいに私は驚き、聴き入ってしまった。ポロネーズ、これはこんな風に響く曲だったかしら? ショパンの素晴らしい作品群の中にあって、「ポロネーズ」と「マズルカ」は、ショパン特有の世界が高度な秩序を保って形成されたもののように思う。そして、それゆえに弾き手も選ばれることになる。例えば、ポロネーズのうち、番号を与えられた7つの名品について、これをすべて録音するというだけで、相当ショパンの音楽に精通しているか、あるいは自分の語法を強固に確立していて、かつショパンにこれを組み込む力のあるピアニストだけのような気がする。 さて、それでこのブレハッチの録音はどうだろうか。結論から書くと、前記のポロネーズ全曲を弾きこなせる条件の全てを高度に備えたピアニストである、というのが私の感想だ。第1番冒頭の鮮烈な印象!それは、確信的な速さと、各和音の響きの十全さ、そして前進性に溢れたリズム、それらが同時に決然と聴き手に提示される瞬間の引力である。この引力の心地よい強さが素晴らしい。決して強引ではなく、自己の内奥から導かれた音楽性によるものに違いない。 続いてポロネーズのリズムに乗って主題が提示されるが、その活力のある付点のリズムは、作品が持つ力強い輝きを十全に反映させる土台となり、全体に脈々とエネルギーを供給する熱源であり、かつ楽曲を構成する基音を明瞭に形作るものである。それらがすべて万全の気配を持って、弛緩なく鳴り響く。 音楽に与えられる起伏も素晴らしい。和音のソノリティ一つ一つがいかにも吟味されているし、それらの方向性が集約的に焦点を作る鋭利さも持っている。時折挿入されるタメは、一気にエネルギーを集中させ、解き放たれる。不自然さがなく、音楽的に収まっている。 例えば、軍隊ポロネーズ、なんとなく典雅に弾いてしまいそうなこの曲に、これほど陰影が感じられるのは、ブレハッチのアプローチが到達した成果だ。音階の音色も素晴らしい。時折、合いの手のように駆け上がる音階は、完璧な運指による力学的な解決を踏まえて、実に合理的に鳴り響く。 ブレハッチのこれまでの録音も良かったが、それでも時々、まだ何か必要なのでは、と思わせるところも残っていた。それが今回の録音で、一気に飛躍したと私には感じられる。ブレハッチがこれからどんな音楽活動をしてくれるのか、一ファンとして楽しみは尽きない。 |
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7つのポロネーズ アンダンテ・スピアナートと華麗なる大ポロネーズ p: ムラロ レビュー日:2019.8.7 |
★★★★☆ ポロネーズ演奏に一石投じるムラロの解釈
フランスのピアニスト、ロジェ・ムラロ(Roger Muraro 1959-)による1996年のライヴ音源で、ショパン(Frederic Chopin 1810-1849)の番号付きの7曲のポロネーズと、アンダンテ・スピアナートと華麗なる大ポロネーズを併せて収録したアルバム。収録曲順は以下の通り。 1) アンダンテ・スピアナートと華麗なる大ポロネーズ op. 22 2) ポロネーズ 第1番 嬰ハ短調 op.26-1 3) ポロネーズ 第2番 変ホ短調 op.26-2 4) ポロネーズ 第7番 変イ長調 op.61 「幻想」 5) ポロネーズ 第3番 イ長調 op.40-1 「軍隊」 6) ポロネーズ 第4番 ハ短調 op.40-2 7) ポロネーズ 第5番 嬰ヘ短調 op.44 8) ポロネーズ 第6番 変イ長調 op.53 「英雄」 第1番~第7番までの主要なポロネーズと、初期の傑作「アンダンテ・スピアナートと華麗なる大ポロネーズ」がまとまって一枚のアルバムに収まっているというのは魅力である。カタログを全部調べたわけではないが、これらの曲目を、1枚のCDにまとめた企画というのは、他にないような気がする。少なくとも、私は他に所有していない。 さて、ムラロの演奏であるが、これが一筋縄のポロネーズという感じではない。ショパンらしい豪放さや瀟洒さ、あるいはセンチメンタルな要素というより、ムラロの働きかけは「知」に軸があるように感じる。これを聴き手がどう受け止めるか、である。 ちなみに私の好きなポロネーズの録音としては、アシュケナージ(Vladimir Ashkenazy 1937-)とブレハッチ(Rafal Blechacz 1985-)のものがあり、ポリーニ(Maurizio Pollini 1942-)も聴いた回数で言えば多いだろう。彼らは、もちろんそれぞれ違うが、いずれも輝かしいタッチを持っていて、ショパンの音楽の高貴さを描いていたし、アシュケナージとブレハッチでは、そこに詩情という叙情的なものも込められていた。 ムラロの演奏は、それに比べると、やや解析的な印象の方に傾く。とはいってもポリーニとはまったく違う。ポリーニは、明晰な光を一点から繰り出し、そこから生まれる陰影をシャープに描いたのに対し、ムラロは影の濃淡を周囲の凹凸から描き出すようなイメージで、私の感覚では、視点が異なっているのだ。 具体的に言うと、ムラロは、非常に幅広い方法、タッチを用いていて、前打音と主音の間合いやルバートについても、独自の間合いを選択している。それは、単にカンタービレを表現すると言うよりは、楽曲に備わっている陰影を、細かく描き分けるための必要から行っているように感じられる。その結果響く音楽は、楽曲自体外向的なものであっても、内省的なものを感じる部分が多く、明暗で言えば、暗い感じを受ける。 なかなかに面白く、考えさせるアプローチではあるが、その作法にこだわることで、どこかゴツゴツした印象をもたらすところがあって、聴き易い演奏ではないと思う。少なくとも、ショパンのポロネーズという曲集に、いくつかの演奏で馴染んでいる人向けの演奏だと思う。楽曲のラインナップとしてはライヴラリ向けなのではあるが、演奏内容はそうともいえず、といったアルバムであると思う。 |
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ショパン ワルツ集 モンポウ ショパンの主題による変奏曲 p: タロー レビュー日:2011.6.9 |
★★★★★ 配列も一興。タローによるショパンのワルツ集。
アレクサンドル・タロー(Alexandre Tharaud)によるショパンのワルツ全曲(19曲)。末尾にモンポウ(Federico Mompou 1893-1987)の佳曲「ショパンの主題による変奏曲」が収録されている。2005年の録音。 たいへんスタイリッシュで鮮やかな演奏だ。ショパンのワルツを心地よく楽しめるアルバムだが、このアルバムの大きな特徴は曲の収録順にある。19のワルツは以下のように配置されている。 1) 第19番 op. posth.(イ短調) 2) 第7番 op.64-2(嬰ハ短調) 3) 第4番 op.34-3(ヘ長調)「華麗なる円舞曲(猫のワルツ)」 4) 第8番 op.64-3(変イ長調) 5) 第5番 op.42(変イ長調)「大円舞曲」 6) 第12番 op.70-2(ヘ短調) 7) 第13番 op.70-3(変ニ長調) 8) 第15番 op. posth.(ホ長調) 9) 第14番 op. posth.(ホ短調) 10) 第3番 op.34-2(イ短調) 11) 第10番 op.69-2(ロ短調) 12) 第6番 op.64-1(変ニ長調)「小犬のワルツ」 13) 第11番 op.70-1(変ト長調) 14) 第9番 op.69-1(変イ長調)「別れのワルツ」 15) 第18番 op. posth.(変ホ長調) 16) 第2番 op.34-1(変イ長調)「華麗なる円舞曲」 17) 第16番 op. posth.(変イ長調) 18) 第17番 op. posth.(変イ長調) 19) 第1番 op.18(変ホ長調)「華麗なる大円舞曲」 有名なリパッティに限らず、ワルツの配列はある程度自由さが伴う。それは一つ一つの曲の規模が小さく、また、遺作が多いため「正当な配置」が存在していないことにもよる。タローはおそらく「調性」を意識して、さながら24の前奏曲風の配列を試みる。第19番が頭に、第1番が末尾に、というのは意図してかどうかわからないが、モンポウの曲を挟んでCDの冒頭にリピートしてもとても自然に聴こえることも驚きだ。短調作品はすべて前半に集まっており、逆に最後の方では変イ長調と変ホ長調が連続して交錯する。ショパンの24の前奏曲の「5度進行の法則」を、並行調の短調を飛ばして行ったり来たりしているわけだが、この明瞭な「解決」の連続が、全体を聴いた時のまとまった印象を誘導する。なるほど、巧みな配列だ。 演奏の魅力も、挙げれば事欠かないほど。第7番のピアニシモの終結前のデクレシェンド、第3番のレントでのピアニスティックな情緒表現、的確な音量と計算されつくしたルバートが見事。第10番の明瞭な曲想の対比も良い。第8番、第5番の自然な流れの中でみせる瀟洒な彩もさすが。配列の妙だけでなく、1曲1曲味わい深い演奏の連続でうれしくなる。 |
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ワルツ集(第1番~第14番) 4つの即興曲 p: フェルツマン レビュー日:2013.1.25 |
★★★★☆ 幻想的ピアニスト、フェルツマンが弾くショパンのワルツとは?
ウラディーミル・フェルツマン(Vladimir Feltsman 1952-)によるショパン(Frederic Chopin 1810-1849)のワルツ集(遺作を除いた第1番から第14番までの14曲)と4つの即興曲を収録したアルバム。2010年の録音。 最近、この実力あるピアニストのアルバムがNimbusレーベルから多くリリースされており、それらが通販サイトを通じて入手可能である現在の状況は有難いフェルツマンは2008年にこのレーベルにバラードを中心としたアルバムを録音していたが、それに引き続くショパン・アルバムとなる。 ショパンの作品の中でもワルツという作品はショパン特有のサロン音楽としての美観、外面への均質性、そして完璧性が保たれた作品で、きっちりした3部構造が基本となっていて、踏み外しの少ない典型で構成された作品群である。 他方、フェルツマンのピアニズムは、常に一定の自由さを湛えるもので、作品と、これに対峙する自分との間に、何か新しいものを生じさせえないかと、その検討の幅を大きくとるタイプである。こういうピアニストにワルツは扱いにくくないか?逆説的ではあるが、それが最初の私の興味。 聴いてみると、やはりというか、美しい音ではあるけれど、ちょっとワルツとしては「変わった」感じのある演奏で、一言で言うとかなりスポーティーである。快活で、小気味良く飛ばしていく一方で、弾き飛ばした感も残るもの。 例えば有名なワルツである第2番など、技巧的には鮮やかに弾きこなしていて、気持ちいいのだけれど、高音をすらっと立ち上る音階など、実に爽快無比になんの衒いもない感じで駆け上がっていくのだが、そのスポーティーな感触は、ショパンの繊細な一面をほとんど顧みないくらいの弾き振りで、これはこれで楽しいのだけれど、何か大事なことを言い忘れているような印象も残してしまう気がする。 むしろフェルツマンの個性が十全に発揮されたものとして、即興曲の第1番から第3番の3曲を挙げたい。ここでは、フェルツマンの快活なテンポ設定と、フレージング、音量バランスの扱いの豊かな幅が、楽曲のニュアンスを深めて、歌の伸びやかな提示に繋がっており、違和感もない。しかし、有名な幻想即興曲(ショパンはこの曲を生前は発表しなかったわけであるが)、その特有の通俗性に関連して、フェルツマンはいよいよこれを強く打ち出した劇的な音楽を奏でていることについて、やはり私には、ショパンにしては過度にスポーティーな印象をぬぐえなかった。 もちろん、悪い演奏というわけではなく、音色の絶対的な美しさもあって十分に楽しめるものだとは思うのだけれど、前述のように、私には心残りに思える部分も大きかったというのが、正直な感想です。 |
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ワルツ集(第1番~第19番) ポロネーズ 第6番「英雄」 p: ヤブロンスキー レビュー日:2020.12.11 |
★★★★★ ショパンのワルツ集における決定的名録音
スウェーデンのピアニスト、ペーテル・ヤブロンスキー(Peter Jablonski 1971-)によるショパン(Frederic Chopin 1810-1849)のワルツ集。収録内容は以下の通り。 1) ワルツ 第1番 変ホ長調 op.18 「華麗なる大円舞曲」 2) ワルツ 第2番 変イ長調 op.34-1 「華麗なる円舞曲」 3) ワルツ 第3番 イ短調 op.34-2 「華麗なる円舞曲」 4) ワルツ 第4番 ヘ長調 op.34-3 「華麗なる円舞曲」 5) ワルツ 第5番 変イ長調 op.42 6) ワルツ 第6番 変ニ長調 op.64-1 「小犬のワルツ」 7) ワルツ 第7番 嬰ハ短調 op.64-2 8) ワルツ 第8番 変イ長調 op.64-3 9) ワルツ 第9番 変イ長調 op.69-1 「別れのワルツ」 10) ワルツ 第10番 ロ短調 op.69-2 11) ワルツ 第11番 変ト長調 op.70-1 12) ワルツ 第12番 ヘ短調 op.70-2 13) ワルツ 第13番 変ニ長調 op.70-3 14) ワルツ 第16番 変イ長調 遺作 15) ワルツ 第15番 ホ長調 遺作 16) ワルツ 第14番 ホ短調 遺作 17) ワルツ 第19番 イ短調 遺作 18) ワルツ 第17番 変ホ長調 遺作 19) ワルツ 第18番 変ホ長調 遺作 20) ポロネーズ 第6番 変イ長調 op.53 「英雄」 1995年の録音。 私はこの録音を、録音から25年も経過した2020年になって初めて聴いたのだが、一聴して「こんなに素晴らしいワルツ集の録音があったのか!」と驚嘆した。以降、何度も聴いている。 ヤブロンスキーのピアノは圧倒的に輝かしい。そして美麗だ。冒頭のワルツ第1番の最初の一音から、結晶を思わせる響きの純粋な美しさに聴き惚れてしまう。そして、高速で回転するような俊敏なパッセージの鮮やかなこと。同音連打の単純な美しさそのもので、ここまで人を酔わせる録音は、多くないのでは。 第2番がまた素晴らしい。完璧性を感じさせるソノリティ、そして輪郭のくっきりしたピアニズム。高音がもたらす光のように輝かしい一閃のきらめき。ワルツって、これほどまでに聴き手を興奮させてくれる音楽だったろうか。 そして、ニュアンスにもヤブロンスキーは冴えた感性をみせる。録音が優秀なこともあって、弱音の細やかなタッチが生き生きと再生されるのが素晴らしい。第3番、第7番、第12番など、その効果が万全に引き出されている。 この録音の弱点を挙げるとすれば、すべてが明瞭明晰であり過ぎて、くもりや陰りの多様さに不足が感じられることだろうか。それは私がツィマーマン(Krystian Zimerman 1956-)のバラード集を聴いた時にも感じたこと。ただ、当盤におけるワルツという楽曲においては、ヤブロンスキーの手法により、新しい魅力的な装いを示すところまで突き抜けた感があり、そういった意味で、私は当録音に圧倒される思いがした。 もちろん、ワルツ集には憂いや滋味に秀でた名演も様々にある。中庸の美を湛えた名盤もある。ただ、それらの中にあっても、私は、このヤブロンスキー盤に、他の名演・名盤を押しのけるほどの輝きを感じ、その魅力に抗えない。 これぞ名盤・名録音。いままでこの録音を聴いてこなかったことを悔いるが、その分、これからは存分に楽しませていただきます。 |
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マズルカ全集 p: フー・ツォン レビュー日:2022.3.22 |
★★★★☆ 個性的で能弁なフー・ツォンのマズルカ集
1955年のショパン・コンクールで第3位に入賞した中国のピアニスト、フー・ツォン(Fou Ts'ong 1934-2020)は、1960年以後、イギリスに拠点を置いて芸術活動を行い、アジア出身のピアニストの草分け的存在として、広く知られるようになった。当盤は、ショパン (Frederic Chopin 1810-1849)のマズルカ全57曲が、下記の順番で、CD2枚に収録されたアルバム。 【CD1】 1) マズルカ 第50番 ト長調 2) マズルカ 第51番 変ロ長調 3) マズルカ 第47番 イ短調 op.68-2(遺作) 4) マズルカ 第48番 ヘ長調 op.68-3(遺作) 5) マズルカ 第46番 ハ長調 op.68-1(遺作) 6) マズルカ 第1番 嬰ヘ短調 op.6-1 7) マズルカ 第2番 嬰ハ長調 op.6-2 8) マズルカ 第3番 ホ長調 op.6-3 9) マズルカ 第4番 変ホ短調 op.6-4 10) マズルカ 第5番 変ロ長調 op.7-1 11) マズルカ 第6番 イ短調 op.7-2 12) マズルカ 第7番 ヘ短調 op.7-3 13) マズルカ 第8番 変イ長調 op.7-4 14) マズルカ 第9番 ハ長調 op.7-5 15) マズルカ 第54番 ニ長調 16) マズルカ 第55番 変ロ長調 17) マズルカ 第10番 変ロ長調 op.17-1 18) マズルカ 第11番 ホ短調 op.17-2 19) マズルカ 第12番 変イ長調 op.17-3 20) マズルカ 第13番 イ短調 op.17-4 21) マズルカ 第56番 ハ長調 22) マズルカ 第57番 変イ長調 23) マズルカ 第42番 ト長調 op.67-1(遺作) 24) マズルカ 第44番 ハ長調 op.67-3(遺作) 25) マズルカ 第14番 ト短調 op.24-1 26) マズルカ 第15番 ハ長調 op.24-2 27) マズルカ 第16番 変イ長調 op.24-3 28) マズルカ 第17番 変ロ短調 op.24-4 29) マズルカ 第18番 ハ短調 op.30-1 30) マズルカ 第19番 ロ短調 op.30-2 31) マズルカ 第20番 変ニ長調 op.30-3 32) マズルカ 第21番 嬰ハ短調 op.30-4 【CD2】 1) マズルカ 第22番 嬰ト短調 op.33-1 2) マズルカ 第23番 ニ長調 op.33-2 3) マズルカ 第24番 ハ長調 op.33-3 4) マズルカ 第25番 ロ短調 op.34-2 5) マズルカ 第26番 ホ短調 op.41-1 6) マズルカ 第27番 ロ長調 op.41-2 7) マズルカ 第28番 変イ長調 op.41-3 8) マズルカ 第29番 嬰ハ短調 op.41-4 9) マズルカ 第52番 イ短調 「ノートル・タン」 10) マズルカ 第53番 イ短調 「エミール・ガイヤールに捧ぐ」 11) マズルカ 第30番 ト長調 op.50-1 12) マズルカ 第31番 変イ長調 op.50-2 13) マズルカ 第32番 嬰ハ短調 op.50-3 14) マズルカ 第33番 ロ長調 op.56-1 15) マズルカ 第34番 ハ長調 op.56-2 16) マズルカ 第35番 ハ短調 op.56-3 17) マズルカ 第36番 イ短調 op.59-1 18) マズルカ 第37番 変イ長調 op.59-2 19) マズルカ 第38番 嬰ヘ短調 op.59-3 20) マズルカ 第39番 ロ長調 op.63-1 21) マズルカ 第40番 ヘ短調 op.63-2 22) マズルカ 第41番 嬰ハ短調 op.63-3 23) マズルカ 第45番 イ短調 op.67-4(遺作) 24) マズルカ 第43番 ト短調 op.67-2(遺作) 25) マズルカ 第49番 ヘ短調 op.68-4(遺作) 1983年の録音。マズルカの番号はヘンレ版による。 フー・ツォンは1955年のショパン・コンクールではマズルカ賞を受賞している。ただ、私は当時の彼の録音を聴いたことはないので、フー・ツォンのマズルカ録音で唯一聴いたのが、当全集ということになる。 当盤に聴くマズルカ集の私の印象は、かなり外向的で、メタリックな光沢を感じさせる演奏、というのが第一のものである。フー・ツォンがピアノから繰り出す響きは、輝かしく、ペダルも積極的に用い、ダイナミックレンジも広い。劇的で情熱的と言って良い。ただ、その一方で、しばしば、楽曲本来の適切なスケール感から踏み出してしまったような印象も受ける。第51番なんて、こんなに能弁で、濃密な表現は、ちょっと肌になじまない感じがしてしまう。 後期の充実した作品では、その違和感はほとんど感じられないので、op.56やop.59といった有名曲が並んでいるあたりは、しっかりとした歯ごたえのある、鳴りの良いマズルカとして、なかなか聴かせる演奏と感じる。その一方で、op.7の5つのマズルカあたりを聴くと、より「抑制的」なもの、というか、より「日常的」なものを描くような、間合いや息遣いが相応しいと感じる。 もちろん、それらの特徴も含めて、フー・ツォンのマズルカには、特有の個性がある、ということになる。表現性豊かで、色彩感に富む響き。装飾音や内声部の強調、アクセントやルバートの多用による華やかな表情付け。それでいて、楽曲一つ一つが、相応にきちんとした枠に収まると言う芸術的完結性。確かに、一人のマズルカ弾きとして、フー・ツォンという芸術家の存在を感じさせるのに十分なものだ。 なので、各聴き手が、マズルカという曲集に、どのような思い入れや感情を抱いているかによって、当盤の受け入れ方も違ってくるのだろう。個人的には、マズルカには、ショパンの他の曲と比較して、日記的なイメージを持っているので、フー・ツォンの解釈は、少し肥大気味に感じてしまう。 |
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マズルカ集(第1番~第41番) p: ルイサダ レビュー日:2010.6.11 |
★★★★★ ルイサダの個性が良く引き出されたマズルカ選集
ルイサダによるショパンのマズルカ集。録音は2008年。ルイサダは1990-91年にもマズルカ集を録音しているので、当盤は2度目の録音になる。 一般的に、ショパンを聴く入口となる作品は何だろう?私の場合、ノクターンとエチュードであった。人によって違うのはもちろんだと思うが、ノクターン、エチュードは順当なところかなと思う。あるいは幻想即興曲や英雄ポロネーズという人も多いだろう。一方、マズルカという人は、おそらくめったにいないと思う。それほど外向的な音楽ではないし、いわゆる通俗的な代表曲がない。それで、いまなおマズルカはあまり聴かないという人には、このルイサダのアルバムなどかなりオススメである。 当盤の特徴として、収録されている楽曲が第1番から第41番までの41曲のみという点がある。普通、マズルカ全集となると、遺作も含めた55~58曲の収録になる。しかし、ルイサダは遺作(作品67と68および作品番号なし)をカットして選集とした。これが聴いてみると、聴きやすい。全曲収録となると、総演奏時間がおおむね2時間半くらいになるのだけれど、これだと40分以上短くなるし、充実した作品が全て残留するため、内容の濃い印象となる。 また、演奏も良い。ルイサダが音楽に与える呼吸がマズルカの生命力を助長している。例えば、作品33の4曲(第22番~第25番)などいずれもマズルカを代表する名品だと思うが、第23番の陽気なリズムの高揚感、弾力など見事。低音の強い支持も的確な音量で、効果的な集中線を描いている。また、第25番のような感傷的な作品でも、情緒の濃淡の弾き分けがうまく、音楽がしっとりと響く。後期の充実した作品も見事で、第37番(作品59-2)では優美な旋律線の扱いが聴きもの。また第38番(作品59-3)は雄渾なメロディラインだけでなく、その末尾において特有のアゴーギグで漂わせる豊かな雰囲気も魅力的だ。 |
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マズルカ 第36番 第37番 第38番 第39番 第40番 第41番 第49番 バラード 第3番 第4番 ポロネーズ 第5番 第6番「英雄」 p: アンデルジェフスキ レビュー日:2005.4.2 再レビュー日:2015.2.19 |
★★★★★ いかにも「現代の」Polishショパン!
ポーランドの新鋭ピアニスト、ピョートル・アンデルジェフスキによる待望のショパン録音。ヴィクトリア・ムローヴァとの共演者として知られてきたが、独奏者としても比類ないセンスを示す録音といえる。まして「お国モノ」であるショパンである。さて、どうか? 歯切れのよいスタッカートで透明な音楽づくり。表情付けは上品でガンガンフォルテを鳴らすタイプとはまったく違う。例えばポロネーズでは、ポリーニのような新リアリズム、あるいはアシュケナージのようなモダンでオーソドックスな舞曲でもない。しかもルービンシュタインのようなちょっと土くささの漂うポロネーズとも違う。 ここでは、ルービンシュタインと同じポーランド出身のピアニストであっても、時代の刷新というイメージが感じ取られる。「垢抜けした」音色であり、力押しするよりも、流麗なスタイルの中で繊細な彩色が施されて行く。 アルバム中でもマズルカにおける繊細に加えて叙情的な節回しが絶品!ポーランド生まれながら、いかにも現代的な国際的なセンスを持ったショパンと思う。マズルカはぜひ全集録音を期待したい。 |
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★★★★★ 内省的で高貴な美に貫かれたショパン
2003年に録音されたポーランドのピアニスト、ピョートル・アンデルジェフスキ(Piotr Anderszewski 1969-)によるショパン(Frederic Chopin 1810-1849)のピアノ作品集。ポーランドのピアニストとなると、どうしても聴き手はショパンの本場、というイメージになるが、このピアニストはそれほど積極的に取り上げてはおらず、現時点では当盤が唯一のアルバムである。しかし、そのことがもったいないほどの良い演奏だ。当盤に収録されているのは以下の楽曲。 1) マズルカ 第36番 イ短調 op.59-1 2) マズルカ 第37番 変イ長調 op.59-2 3) マズルカ 第38番 嬰ヘ短調 op.59-3 4) マズルカ 第39番 ロ長調 op.63-1 5) マズルカ 第40番 ヘ短調 op.63-2 6) マズルカ 第41番 嬰ハ短調 op.63-3 7) バラード 第3番 変イ長調op.47 8) バラード 第4番 ヘ短調 op.52 9) ポロネーズ 第5番 嬰ヘ短調 op.44 10) ポロネーズ 第6番 変イ長調「英雄」op.53 11) マズルカ 第49番 ヘ短調 (遺作) op.68-4 マズルカという楽曲は、ショパンが故郷の伝統的舞曲のリズムを用いて書いた作品だが、そこにショパンは特有の繊細な憂鬱を与えた。アンデルジェフスキは、流麗なスタイルの中で繊細な彩色を施しながら、ゆたかな叙情性を与えることに成功しており、とても説得力のある演奏だ。それは、優しさという性格に作用する要素に思える。そして、私が、それがショパンのマズルカらしい弾き方に思う。 2曲のバラードでは、壮大さを目指さず、きわめて親密な音作りに執心する。その控えめな表現の中で、ショパンの音楽が持つロマンティシズムはにじみ出てくるような、味わい深い響きになっている。特に第4番は内省的な深みに貫かれていて、じっくりと聴いて初めて気づかされる、芯の深い感動に繋がっている。それは、ショパンの音楽の本質的な価値の一つに思える。 2曲のポロネーズでは歯切れの良いスタッカートが軽妙な効果を上げる。しかし、全体的な印象としては、この楽曲としては静謐なものだ。実際、私が数多く聴いたポロネーズのうち、この演奏は最も沈静化の要素を感じさせるものに思う。しかし、その静けさの中で、ショパンならではの節回しや歌が、しめやかに彩られ、的確な感情を宿して発露していく様を伺うことができる。その音楽の中で、やはり、私は感動を覚える。 この演奏は決して外向的なものではない。しかし、この演奏だからこそ気付くことができる大切なものが、様々に提示されている。 |
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マズルカ 第36番 第37番 第38番 第39番 第40番 第41番 第49番 ワルツ 第6番「小犬」 第7番 第8番 夜想曲 第17番 第18番 ポロネーズ 第7番「幻想」 舟歌 p: ポリーニ レビュー日:2017.2.9 |
★★★★★ 今のポリーニならではの芸術的完成度の高さを感じさせるショパン
現代を代表するピアニスト、ポリーニ(Maurizio Pollini 1942-)によるショパン(Frederic Chopin 1810-1849)の「後期作品集」として、以下の作品が収録されたアルバム。 1) 舟歌 嬰ヘ長調 op.60 2) 3つのマズルカ op.59(第36番 イ短調、第37番 変イ長調、第38番 嬰ヘ短調) 3) ポロネーズ 第7番 変イ長調 「幻想」op.61 4) 2つの夜想曲 op.62(第17番 ロ長調、第18番 ホ長調) 5) 3つのマズルカ op.63(第39番 ロ長調、第40番 ヘ短調、第41番 嬰ハ短調) 6) 3つのワルツ op.64(第6番 変ニ長調「小犬のワルツ」、第7番 嬰ハ短調、第8番 変イ長調) 7) マズルカ 第49番 ヘ短調 op.68-4 2015年から16年にかけてスタジオ収録されたもの。 収録曲中、舟歌は1990年、ポロネーズ第7番は1975年、2つの夜想曲は2005年にそれぞれ録音があったので、当盤が再録音ということになる。 また、ポリーニによるショパンの同時代の作品を集めた企画としては、2008年録音のピアノ・ソナタ第2番他を集めたもの、2011年録音の24の前奏曲他を集めたものがあり、今回のものは、同じコンセプトに基づく第3弾のアルバムとみなすことが出来る。 かつてはショパンの楽曲を「ジャンル別」に録音してきたポリーニが、ある時期を境に「作曲年代別」にまとめるようになったことは興味深いが、前2作に続いてポリーニの円熟を示す内容になっていると思われる。 中でも素晴らしいと感じたのが幻想ポロネーズと3つのワルツである。このピアニストのポロネーズには、1975年録音の優れたものがすでにあるのだが、以前の録音で感じられた芸術的な氷像を思わせるようなクールさ、透明さ、鋭角的な切り口が一転し、とても暖かでまろやかさを感じる響きに溢れている。かといって、そこはポリーニで、彼ならではのテンポの維持により、構造性はぬかりなく抑えられており、聴き味に大いに豊かさが加わったものと感じられる。もちろん、その変化の中で、失われたものもあるのだが、私はこの演奏に深く感銘した。また、幻想ポロネーズという楽曲が、今のポリーニのアプローチに、特に適したものであるとも思う。 3つのワルツも素晴らしい。私は、ショパンの作品の中でも、特にワルツ集こそ今のポリーニに弾いてほしい曲集だと感じていたけれど、今回の録音を聴いて、その思いが晴れたような気がした。間断ないテンポの維持、弾力性に満ちたリズム、暖かみのある音色、いずれもがショパンのワルツの高貴さと美しさを十全に表現していて、夢見るような心地よさに満ちている。 舟歌は早めのテンポで仕上げらえていて、いかにもポリーニらしいが、私の好みでは、特に中間部にもっと夢や色の要素を感じさせるアヤがほしい、という気持ちになるところもある。 2つの夜想曲は、ショパンの辿り着いたにふさわしい至高の音楽であるが、ポリーニの演奏からは、禁欲的な趣から神がかり的な瞬間への閃きがあり、さすがに素晴らしい演奏だと感じる。 7曲収録されているマズルカは、いずれも迅速でかつ恰幅のある表現により、ショパン作品の洗練度をさらに高めた、クラシック作品としての完成を感じさせるもの。 若き頃からショパンを引き続けた大家が、その円熟を示した見事なアルバムとなっている。 |
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舟歌 ポロネーズ 第1番 第2番 第7番「幻想」 バラード 第4番 マズルカ 第13番 第17番 第21番 第32番 第37番 第47番 p: ボシュニアコーヴィチ レビュー日:2006.12.10 |
★★★★★ 連綿たるスラヴの情緒に満ちた舟歌・・・
DENONからリリースされている「ロシアピアニズム名盤選」シリーズも今回の発売で3回目。このような渋いシリーズがファンの間に浸透し、シリーズが継続していることを何と言っても歓迎したい。 シリーズの進展とともに、新たなピアニストが系列に加えられていくのも楽しみの一つで、今回はオレグ・ボシュニアコーヴィチ(Oleg Boshnyakovich 1920-2006)がシリーズに登場した。このピアニストはごく最近まで一線で活躍していたのに日本での知名度はいまいちで、それというのもコンクールなどの登竜門を経ていないし、レコード会社がきちんとした契約をして売り出そうとしなかったことも大きいだろう。まったく宣伝効果がなかったのである。しかし、ゲインリヒ・ネイガウスとコンスタンチン・イグームノフを師とする彼のピアニズムは紛れもなく「ロシアピアニズム」の一角を占める存在感がある。 ここで収録されている曲は、こちらのページで参照できるが、収録されている6曲のマズルカをなじみ深い「番号」で表記すると、第13番、第17番、第21番、第32番、第37番、第47番となる。演奏は全般にゆったりしたテンポで、旋律線をふくよかに歌わせる古風な面立ちであり、情緒が綾なして積み重なっていく。中でも「舟歌」は圧巻で、本シリーズ全体の白眉とも言える内容の演奏だ。フレーズごと豊かな情感と、フレーズからフレーズへと受け渡す際に感じられる深い呼吸は連綿たるスラヴの情緒を聴き手に訴えてやまない。ショパンファンにはぜひ聴いてほしい録音。録音状態も比較的安定していて聴きやすい。 |
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舟歌 ワルツ 第2番「華麗なる円舞曲」 第4番 第7番 第12番 マズルカ 第23番 第27番 第36番 ポロネーズ 第1番 バラード 第3番 スケルツォ 第1番 夜想曲 第17番 24の前奏曲から 第8番 第17番 p: フィオーコウスカ レビュー日:2019.9.28 |
★★★★★ 知られざる現代のショパン弾き、フィオーコウスカの見事な録音
カナダのピアニスト、ジャニーナ・フィオーコウスカ(Janina Fialkowska 1951-)によるショパン(Frederic Chopin 1810-1849)のピアノ作品集。収録曲は以下の通り。 1) ポロネーズ 第1番 嬰ハ短調 op.26-1 2) ワルツ 第2番 変イ長調 「華麗なるワルツ」 op.34-1 3) ワルツ 第12番 ヘ短調 op.70-2 4) ワルツ 第4番 ヘ長調 op.34-3 5) ワルツ 第7番 嬰ハ短調 op. 64-2 6) 舟歌 嬰ヘ長調 op.60 7) 24の前奏曲 op.28 より 第8番 嬰ヘ短調 8) 24の前奏曲 op.28 より 第17番 変イ長調 9) 夜想曲 第17番 ロ長調 op.62-1 10) マズルカ 第27番 ホ短調 op.41-2 11) マズルカ 第23番 ニ長調 op.33-2 12) マズルカ 第36番 イ短調 op.59-1 13) バラード 第3番 変イ長調 op.47 14) スケルツォ 第1番 ロ短調 op.20 2008年の録音。 フィオーコウスカという姓が示す通り、彼女の父親はポーランド人。だからと言うわけでは、とても素晴らしいショパンだ。すごく感覚的な言い方になるが、「ショパンらしいショパン」とでも言うべきか。一つの理想的なショパン像が示されているといっても良い。 フィオーコウスカのピアノは輝かしくしなやか。決して過激なことはしないが、その語り口の巧みさ、そして、決して踏み外すことのない高貴なたたずまいは、ショパンの音楽かくあるべきというものを、見事に射抜いている感がある。しかも、自然で、作為的なものをまったく感じさせない。 そんなフィオーコウスカの演奏を支えているのは、美しいルバートと、巧妙なペダリングではないだろうか。旋律を鮮やかに表現するルバートは、弾き手の天性の素質を感じさせるものだが、ペダリングの冴えは、そこに冴えた知性が備わっていることを感じさせる。ペダリングについては時に大胆に使用を控えるところもある。舟歌なんかに特徴的だけれど、その結果として、健やかな情感が丁寧に隅々に通っていくのを感じることが出来る。 テンポは中庸の美を守る。聴き手によってはこの演奏が、「安全運転」に過ぎるように感じられるだろうか?そうではない。とても高い次元で、研ぎ澄まされた感覚を感じさせる美が備わっている。ワルツ第4番では運動美の中にこまやく配置されたアクセントの妙が圧倒的だ。必要な表現のため必要な技術を使う。そんな当たり前のことを突き詰めることが、これほどまで凛々し美しさを引き出すのだ。マズルカ第27番に込められた陰影の豊かさを聴いて欲しい。 また、選曲とプログラムもうまいと思う。決して名曲集というわけではないが、聴いていて、実に自然で、すなおに流れて終結に至る。アルバムとして高い完成度を感じさせる。 日本では、あまり知られていないピアニストかもしれない。だが、ショパンの作品が好きな人であれば、ぜひとも聴いていただきたいピアニストです。 |
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歌曲全集 S: ゼーダーシュトレーム p: アシュケナージ レビュー日:2016.5.23 |
★★★★★ 隠れた名盤。ゼーダーシュトレームとアシュケナージによるショパンの歌曲集
スウェーデンのソプラノ歌手、エリザベート・ゼーダーシュトレーム(Elisabeth Anna Soderstrom 1927-2009)の独唱とアシュケナージ(Vladimir Ashkenazy 1937-)のピアノによるショパン(Frederic Chopin 1810-1849)の歌曲全集。1984年の録音。収録曲は以下の通り。 歌曲集「17のポーランドの歌」 op.74から 1) 第1曲 乙女の願い 2) 第2曲 春 3) 第3曲 濁れる水 4) 第4曲 遊び 5) 第5曲 どこで会いましょう 6) 第6曲 消え失せよ 7) 第7曲 使者 8) 第8曲 美しき若者 9) 第9曲 メロディ 10) 第10曲 闘士 11) 第11曲 二つの死 12) 第12曲 いとしき娘 13) 第13曲 無くてはならぬものの無く 14) 第14曲 指環 15) 第15曲 許婚者 16) 第16曲 リトアニアの歌 17) 第17曲 舞い落ちる木の葉 18) 歌曲「魔力」 (遺作) 19) 歌曲「ドゥムカ(寂しき小唄)」(遺作) 当録音は、アシュケナージがデッカ・レーベルに録音したショパンのピアノ独奏曲全集がBox化されて発売されたとき「特典盤」として付随していたもの。収録時間も45分程度であり、LP1枚に適した長さである。 しかし、CD化時代とともに、当盤は単独のアイテムとしてリリースされることとなった。ショパンの歌曲をすべて収録したアルバムは珍しく、限定的な扱いとするのはもったいないし、それになにより、私のようにアシュケナージの全集を個別に収集した人にとっては入手機会を失っていたので、この単独アイテム化は大いに歓迎されるところだったと思う。現在入手可能なアシュケナージのショパンピアノ独奏曲全集Box(輸入盤)からは、この歌曲集は割愛されることとなってしまったのだけれど、アシュケナージのショパンに心を動かされた人には、是非とも購入をおすすめしたい一枚と言える。 と言うのは、このアルバムがなかなか美しいからだ。これらの歌曲は、ショパンが自らの芸術作品として発表を目指したものではなく、ごく私的な場での演奏を念頭に書いたものと言われる。しかし、そうであっても、ショパンゆえの瑞々しい詩的な表現や、抒情的なメロディが、高貴な佇まいで響くこれらの作品は、なかなかに捨てがたい魅力を持っている。それに加えて、当盤でピアノを弾くのはアシュケナージである。ショパンならではのテクニカルな要求を含んだピアノ伴奏を、鮮やかな手腕で解きほぐし、かつ歌曲の伴奏としての機微に通じるさまは、このピアニストならではの至芸に間違いない。例えば「闘士」における弾むような付点リズムの連続処理の見事な手際や、「許婚者」における回音の鮮明な色合いは、これらの楽曲を聴く時間をこの上なく楽しいものにしてくれること請け合いだ。 多数の言語の発音に精通するゼーダーシュトレームは、ここでも慎ましくも麗しい美観にとんだ表現で、これらの楽曲の魅力を過不足なく表現している。「春」のように鮮明な旋律線を、過度に芳香を漂わせずに歌うさまは、アシュケナージのピアノとも抜群の相性を示す。 |